12月
「家にいなさい」 12/28 「場所」 12/24 11月は見直しの月 12/6
10月
雨だれ&見知らぬ人 10/ 古いメロディー 10/15
空に友を探して 10/14 姉と妹&ツル&白馬の王子 10/12 愛さなくてごめんね あなたが好きで 10/4 僕らも素直に宇宙の中 10/3
9月
200曲目 9/28 夢裏切られて 9/24
生れた時からあるものは 9/23 過去の変容 9/19
百年ばかな女 9/11 直感を磨く 9/9 あなたの手のひらに乗って 9/8
愛よりもプライドが強くて 9/7 人生の勝利者 9/6 愛を知るために 9/4 愛の部屋 9/3
がんばれ音頭 9/2
8月
青草の上で踊ろう 8/30
金の糸 8/26 運命の意図 8/12 一月ぶりに 8/7
6月
がんばったなぁ 6/23 「私より彼女があなたを必要としている」6/8 「幸せはどこから」 6/4 「時は無情」 6/2
5月
「人生達人」5/21 「紫雲路行く前に」 5/20 「あなたのために生きる」 5/18
「人は神になりたがる」 5/14 「つぐない」 5/11 知識というもの 5/9 「新しい人間」 5/7 「家族」 5/5
4月
その一曲を書いた 4/29 「ちょっと待て!」 4/26 「めぐり逢い」 4/25 「去るもの日々に疎し」 4/22
「生きる」 4/18 「別れはかくれんぼう」 4/10 「陽は巡りくる」 4/3 感極まって 4/3 Rose 返歌 4/1
3月
「そっちじゃないって」 3/30 お~こわ! 3/28 「孤独の時代」 3/25 「初めに言葉ありき」 3/18 コホン!一発 3/12 「微笑」 3/2
2月
待つ 2/29 「徹底的自己中」 2/18 本当にありがたい 2/16 血の塊が落ちて来た! 2/10
1月
「それほどまでにせんくても」 1/29
「涙におめでとう」 1/24 「宇宙客船」 1/23 「喝采の中で」 1/21 「時のない命」 1/19 [
へその緒を切れ1/13
2020年の初挨拶 1/4
2020年、皆さまにとってそして私にとって、より良き年になりますように!
まずは146曲目の発表から。「そこから地球は美しく見えますか」。派手な曲ではなく、人生を長く生き、それなりの悟りもある人から見た、宇宙旅行の時代に想う歌です。
新しい年明けに相応しいかな?そうなれば良いけれど。
降り続けるメロディー 1/8
昨年の9月から11月まで30曲以上の歌入れをしていた時、メロデイーはほとんど降って来なかったが、歌入れ終了と同時に、待ってましたと言わんばかりに降り出し、それが今でも続いている。面白いもので玉川温泉にいる間は、全く来ない。驚くほど来ないのに、家に帰って来た途端に土砂降りのように降ってくる。譜面に起こしたものが幾つも溜まった。歌詞が追い付かないから、本を読んだりしながらゆっくりやっていると、どんどん新しいメロディーが「書け、書け!」と言われているように突っついてくる。特別書きたいテーマがある訳ではないのに、書けって言われたって。。。。とりあえずPCの前に座って、メロディーを口ずさんでみる。メロディーに調和する歌詞の初っ端が出たら、よっしゃ、これで行こうとなる。この手法だと、結構かけるものだ。
それでたった今出来上がったのが、「春ですよ」。西側のパソコンが置いてある部屋に午後4時、黄オレンジ色の陽が射し込む。春を伝えに来たようだ。そんな陽色が書かせた歌。
・・・泣く子もいじめっ子も、みんな集まっておいで。なんだかうれしそうね。顔の下に何か隠している。聴かせて。だめ、大事な事だからまだ内緒。卒業するまで待ってて。
そんな歌。あはは。。。可愛いかも。
へその緒を切れ1/13
思いもしなかった歌ができた。何度も書いてきたが、本当に不思議だ。タイトルが「へその緒を切れ」。びっくりするタイトルでしょ?我ながらそう思う。
命ほどに愛する人との別れは、生き別れ死に別れを含め、人を不幸のどん底に落とす。それほどの命の糸。幸せが深い程、不幸せも深い。心が清らかで純粋なほど、その愛も純粋だから、純粋な愛の終わりは魂を引き千切られるほど苦しい。母につながる胎児のへその緒と同じ。だけれど、そのへその緒を切らなければ地上にいられない。へその緒を切られて空気を吸った時、胎児は産声を上げる。
別れの号泣は新たな産声だ。そんな歌。おもしろい!ぎゃは。
「命生き通して」 1/19
今月の4曲目(総計149曲)。「命生き通して」。
私の場合、メロディーは神様からそのまま頂いている。こちらは私の思考回路をほとんど通らない。歌詞だけはいろいろ考えながら捻出する。その歌詞を書いた後に私自身がハッと気づくことがよくある。自分の書いたものに気づかされる。知っているものを書くと言うのはよくあるが、書いて気付かされる。
植えた苗木が今や屋根を超えた。身体は枯れて行くが思いはあの頃のまま。命には時が無いんじゃないかな。「袖触れ合うのも他生の縁」と言われるが、心底愛し合った男と女の縁は、ほんと、他生から続いたものだと思う。命に終わりはないのかも知れない。いや、終わりはないんだ、きっと。
「喝采の中で」 1/21
面白い歌ができた、と思う(がはは)「喝采の中で」。
歓声を浴びて晴れ舞台に立つ者。夢を叶えた対価は自由の喪失。言葉も行動も気をつけねばならない。常に人の目線にさらされ、下を向いて歩く。崇められる言葉と金。一時の栄華に踏ん反り返る。魔法の世界から目覚めた時は虚しい。そこまで歌うと、「驕る平家は久しからず」と謡曲のリズム。そして、疲れたわね、坊や、母の胸で静かに安らかに眠りなさいとなる。がははは。。。。
Wow! 150曲になりました!
「大宇宙客船」 1/23
この頃、私はとても楽しい。この宇宙の創造主を実感するから。
先日、NHKBSで再放送された「神の数式」を録画して、巻き戻し再生を繰り返しながら内容を追って行った~~~~
宇宙の誕生から宇宙のすべての現象に至るまで、一つの数式に表せられると言う。そしてその数式の条件は、「美しくなければならない」。美しいという事は「対称性」を持つという事(なるほど~)。机の上に芯を下にして鉛筆を立てる。美しい。だが決して立ったままではいられず倒れ、その美しい形は崩れる(当たり前だよね)。ここから理論物理学者はその原因を探求してゆく:質量を持たせる素粒子、ヒッグス粒子によってその対称性が自発的に崩れていくから(ぱちくりぱちくり)。だが数式に無理がある。そこで、この素粒子を点と捉えず、輪ゴムに似た弦として表した超弦理論の数式に辿り着き、これを分解して行ったら、アインシュタインの一般相対性理論と素粒子の数式に導かれ、その両方に「496」と言う完全数を見出したと言う。この数字は、古代ギリシャで天地創造と関係していると崇められていた数字。その数字が上の二つの数式のどちらにも現れた。これはつまり、数式の中で、広大な宇宙とミクロの世界が美しく調和している事を意味している。(なんと、3200年前に誰かの直感によって導き出された数字の正しさを3200年後科学が証明した!)。
マクロとミクロを表す全く異なる二つの数式が同じ「496」の数字に辿り着いた「奇跡」に、二人の科学者が身体を震わせ興奮の絶頂にいた時、突然、大きな雷鳴。「神に近づき過ぎたんだ」と二人は震撼したとか。「これは天の声だ。革命が起きた。現実世界全てを表し得る理論だ!」
科学でも芸術でも頂点にいる人たちはなぜ神を語るのか。ずっと不思議だったし、いつか私もその世界に行ってみたいと思っていたが、今の私は完全に彼らとその世界を共有している。この宇宙は大きな船。ある方向へと動いている。この船に乗っていると安心だし、事はスムースに運ぶ。だが、何か不安で降りてしまい、自力で進もうとすると人生は悪戦苦闘、命も縮まる。
私は自分が大好きだと歌は歌う。とにかくうれしい。ケセラセラ、成るようになれで生けるのよ。この大船に乗ったから。だって”あの人”が舵を取るキャプテンだから。
「涙におめでとう」 1/24
すごい事なのだろうなぁ。今月はもう7曲。私には言いたいことが沢山あるのだろうなぁ。152曲目は「涙におめでとう」。
「これこれそこで泣いているあなた」で始まる。あなたがコツコツと自分を高め、いずれ自分を誇りに思えるような時が来たら、今の涙に感謝するわよ。上向く人には涙は自分を豊かにするためにあるの。涙におめでとう。
「それほどまでにせんくても」 1/29
ひや~、もう1月が終わる。地球は太陽の周りを超高速で回っているらしいが、それらしく月日の流れが速い。
さて、恐らくこれが2020年1月最後の新曲になるだろう。「それほどまでにせんくても」
人は言葉に傷つき、言葉に励まされる。言葉に引っ張られて、自分を傷つけ苦しんでゆく。それほどまでにしなくて良いものを、命を削って、痛めて、思いつめて行く。儚い人生なのに、もっと楽しんだらよかったのに、、、、あの子もこの子もどこに行った、生きているのか。あれもこれも要らなかったのに。。。行く手を見失って。。。。そんな歌。なかなか考えさせられる。( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、自分で言っていれば世話ないか。
すごい!、今月は8曲!!!みんな神様の仕業!
血の塊が落ちて来た! 2/10
昨年足しげく通った玉川温泉の効果もあっただろう。一年に4回も行ったのだから、すごいと自分でも思う。時間もあったし、身体がそのように動いた。無理に行こうとはしていなかったし、もうちょっとだなぁ、もう一回行ったらいい感じになるかもと思いすいすいと通った。すると。。。これも神様の導きだ。
昨年最後の湯治を終え帰宅して読んだ本、「つらい咳が続いたら鼻の炎症を直しなさい」。私に大変馴染みのある言葉に加え、著者が経営するクリニックが地下鉄に乗ってしんどくない距離にある。CTスキャン検査だけのつもりだったが、この先生がどのように処置するのかみたいと、Bスポット処置を希望した。これは塩化亜鉛液を上咽頭に塗布するもので、以前にも話したが、私の住むマンションの真ん前に耳鼻咽喉科があり、そこに7か月営業している限り毎日欠かさず受けていた処置だが、一向に良くならなかった。しかしやり方が全く違っていた。以前は、炎症カ所にちょんちょんと液を落とす程度だったか、この医師は液を浸したコットンで上咽頭をガリガリグリグリ削るように塗る。それはそれは、、、、ぐわ~。
すると、2回目の処置の後、家でゆっくりしていたら、痰と共に4センチほどの血塊が落ちて来た。びっくりしたなぁ、もう~。これは良い事なのか何かもっと悪くなったという事なのか、いやきっと良くなったのだ。クリニックに行くのが楽しみになり、だんだんとコットンについてくる出血量も少なくなって来た。もっとびっくりしたのは、私の声が元に戻っていた。ここ2,3年、発声練習や歌入れをしている時の声がざらざらしたり、カキカキしたり、唾も溜まっている感じ。それがきれいに解消していた。ふわ~ん。自分の声がこんなにきれいだったかと、聴きながらうっとり(ガハハハ)。
本当にありがたい 2/16
作品の一部をCDRに焼いて、友人知人に聴いてもらう事がある。恐らく迷惑がっている人もいるかもしれないが(笑)、中には何回も聴いて真摯なコメントを下さる方もいる。今回もそんな方がいた。歌詞が聞き取りにくくて3回も聴いて下さったとか。感謝感謝。本当にありがたい。
その彼が、「飛行機雲」に対し、自分には戦闘機しかイメージできないから共感できないと言う。ビビッてしまった。この楽曲は、月に1,2度行く荒川沿いのゴルフ場で見上げた空に旅客機が描いた飛行機雲から得た着想だが、「戦闘機」と言われて、私が見たものは飛行機雲でなくて別なものかとまで思った(笑)。で、念のためネットで調べたら、旅客機が作っている飛行機雲の画像がちゃんとあった(ほっ)。さらに他の方々4名に確認したら、戦闘機を想像する人は一人もいなかった。なかには、「(戦闘機と言った)その人何歳ですか」と訊く人もいた。戦闘機とリンクさせる年齢かぁ。。。私の歌を聴くかなぁ。
聴くものの思いは様々で、今後もこんなことが沢山あるだろうなぁと、あらためて思った。二の腕が盛り上がる。やるぜ!(*^▽^*)
「徹底的自己中」 2/18
2月の第一作目がこのタイトル、「徹底的自己中」。(*^▽^*)
徹底的に自己中になれと言われて、眉間に皺寄せる人も多いだろう。世間で言われている”自己中”は和を乱し、他人を害するイメージになるが、ここでは真逆。徹底的に自分が中心でいる時、人と和し、豊かな人生となる。自分が幸せに生きるためには、周りを幸せにしなければならないと気付くから。自分が一番大切だからこそ、周りを大切にする。大切にする事で、自分も穏やかに生きられる。徹底的に自己中で生きられる人は、強いとも言える。
そんな事を歌にした。え~と、何曲目だったっけ。。。。。今年の9曲目。合計154?
待つ 2/29
私は今、待っている。これほどまでの「待つ」は私の人生で今だかってなかった。ゲーテの言葉に支えられて、忍耐を自分に課している。課せるほど多くを学習して来たからこそ、やっと出来るようになったとも言える。試されているんだよ、とどこかで声がささやく。これまでの事も今出会えそうな人と出会うためにあったような気がしている。
と、ま、何事かと聴いている人は好奇心にかられるだろうが、まだ公言できる段階ではない。
ところで、今月はまた歌入れやら旧作の見直しやらと作業は続き、曲作りは少し休んだ。が、2月の最終日、うるう年の29日に今月の2作目を書き下ろした。「それが人間」。暫定タイトルだが、いつもながら、目的地を持たないまま書いていたらこんな曲になった。
この地球上に誕生して以来、人間は同じ感情を持ち泣いたり苦しんだりしていたんですよね。苦しい時や悲しい時は、まるで自分だけが苦しんでいるような気がしているけれど、地球上の人間みんな、ドイツでもスウェーデンでもタヒチでも、人がいるところでは恐らく誰もが悲しんだり苦しんだりしているし、同時代でなくとも2千年前でも、5千年前でも、それは変わらなかった。悲しんで泣いたり、苦しんで恨んだり、それは人間だから。そんな視点から苦しんでいる自分を少し突き放して見たら、救われるような気もする。でも思う。もっとさらりと生きられたらと。
あ、これは私の個人的な思いと言うよりも、多くの人がそう思っているだろうとの私の思いです。はい。(^_-)-☆
「微笑」 3/2
「微笑」と書いて「えがお」と呼んでもらおう。「えがお」の漢字は「笑顔」になるが、色々な笑い顔があるものね。で、「微笑」が楽曲のイメージに近い。
いい曲かどうかは別にして、先月はあまり書かなかったので、とにかく書いていようと、舌に乗った出だしのフレーズにその先を繋げてみた。やはりこう言う時は、近藤先生のコメントが必要だ。私には作った曲が魅力的なのかどうか全く見当がつかないので、彼女に感想を言ってもらう。曲は自力で書けるようになったので、経費削減のために何度とスクールを退会したリ、しようとしたリしたが、やはりコメントを言ってくれる人が必要。落語家や作詞家作曲家、つまり創作をする人たちは一つの作品案が生まれると必ず家庭内のパートナーに聴いてもらったり観てもらうが、私にはそんな相方がいないので、お金を払ってミュージックスクールに行く。ミュージックスクールで作曲担当講師皆が皆参考になる反応を示してくれるわけではないが、近藤先生の場合は、時に歌詞の選択に至るまで、その感性が参考になる。で、ミュージックスクールの授業料は今でも月経費の必要科目になっている。
女の微笑が消えてしまうと、そろそろ関係は終わりを迎えるようだ。男が欲しいのは、女の微笑。女だって男の微笑が欲しい。でももしかすると、男には微笑以上の出し物があるのかも知れない。
~あなたが探して、私が隠した微笑を、今あなたは誰からもらうの~と歌は始まる。156曲目、今年の11曲目か。ホント、すごいと我ながら思う。歌を書こうなんて思っていなかった丁度10年前、何気なく書いたのは2曲。翌年は4曲。そして次の年に11曲。ぐは!歌を職業として書くなんてあり得ないと思っていたのに。。。現在は、約2か月で11曲。奇跡!
コホン!一発 3/12
私は花粉症持ちなので、新型コロナウイルスの感染が騒がれていなくとも、この時期になると外出時にはマスクをつける。マスクと毎夜の抗アレルギー剤の服用でかつて連続13回のくしゃみを2回(今日は3回だった)に抑えることができている。今日は半日ゴルフで外にいたが、キャップ、サングラス、マスクで顔は完全に隠され、クラブハウスに戻るまで顔を見せる事が無い。ハウスで初めて人に顔を見られる時、私の方は自分の顔だし、ゴルフ中の顔を観ている訳ではないのでいつも通りだが、相手の表情にちょっと驚きがあるようだ。おもしろい。
花粉症から来る咳だが、これを一発電車の中でやろうものなら、周りが過剰な反応を示す。座っている時は、隣がすぐに逃げる。逃げ場のない満員電車で立って咳をしている時は、前で座っている人が何度も私を見上げ、私も気が小さくなって、マスクの上を本で覆う。いやはや、本当にピリピリ、ピリピリ。
そんな中、出来上がった2曲。「君、嘘つき給うことなかれ」と「愛しかない顔」。音楽業界にほんの少し足を入れ始めて、とにかくびっくりしたのは嘘を平気でつく人が多い事。その息遣いに嘘が染みついているような人さえいる。音楽業界に限らず、そんな人がいるとは聞こえていたが、私が実際に関わりを持つなど思ってもいなかった。罪悪感一つなく、嘘が舌から滑り落ちて来る。いや、いつでも流れて行けるように既に舌に乗っていると言ってもよいかも知れない。驚愕して震えた感覚を今でも覚えている。最近どうしているのかとFBを覗くと、地方のFM放送でパーソナリティーをやっているらしい。。。。冷ッとする。人の表舞台となんちゃらか。彼の別な側面の記憶も微かだが残っている。。。。おそらく生き方を改めたかったのかも知れない。そうだろうなぁ。60才を過ぎているんだものね。別れた(おそらく匙を投げられたのだろう)女房以外で堂々と指摘したのが私だったかもしれない。私が彼との接触を絶った後、髪を金色に染めてその写真をFBに載せていた。これもまた嘘だろうが、私が離れた事が無念だったのか、匙を投げた数日後には私が通うミュージックスクールの場所がある街に久しぶりに行って来たと写真を掲載した。それも白黒。今時(@_@)。。。。その彼を一番思いながら作ったのが、「あゝ君嘘つきたもうことなかれ」。与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」をもじった。嘘ばかりの男と仕事をするのは無理がある。信頼関係を築けない。それ以前に私の身体に毛虫を這いずらしている感がある。で、この楽曲では、「嘘をついて生きて行けと親は教えしや 己を欺けと、穢れて生きよとて」。人に歌って聴かせるとクスッと笑う。日本近世の言葉を使ったところが笑いを誘うのかも知れない。ま、それが狙いだが。。
「愛しかない顔」は上の話と逆で、歳を重ねて美しくなった人の顔。全てを見通しているような透き通った眼差し。顔はその人が信じているものを表すが、彼女の美しさの根底にあるものは、「愛」だった。愛を与える事で憎しみも消える。人を愛する事で、なによりも自分自身が救われる。両曲とも、生きる指針になるかな。私が年を重ねて気づいた事を纏めた。聞く耳を持つ人たちに、尊大ながら、伝えたいと思う。158曲目、今年の13曲目。
ちなみに、この2つのメロディーに最初歌詞が全く浮かばなかった。「君、嘘」の方は、いくつも別な歌詞を置いてみたが、先がすらすらと出て来ない。結局現歌詞にした。「愛しかない顔」は曲の出だしがきれいでMajor。それにふさわしい歌詞と思うがなかなか出て来なかった。が、机の上に手書きでコピーしておいた数文字から物語が生まれた。
「初めに言葉ありき」 3/18
ちなみに、呼吸器科での上咽頭処置で、花粉症シーズンの今、ホント、咳がほとんどない。一日に1,2回程度で済んでいる。発声練習をしていても声が出やすくなった感がある。発声音量を少し下げたのも良かったのかも知れない。
ところでまた新曲の紹介。これは大学の先輩と電話でだべっていた後に、「そうだ、これを書こう!」となった。私達人間は、不安がある時、人の言葉に揺れる。そんな事をごく最近懐かしく経験した。普段は、ケサラケサラなるようになるの態でいて、心の奥から衝動が走った時に行動に移していたのだが、ここ一週間ざわざわしてあちらこちらに意見を聞きに行っていた。しかし気を取り直し、自分がすべきことをし、期を待つだけの姿勢に切り替えられた。
さて、新曲は、旧約聖書の冒頭にある「初めに言葉ありき」。私はクリスチャンではないが、この言葉がよ~く理解できるようになり、だてに年を取っていないと心底思う。大学時代の友人が「まさにそう思う。文学が云々」と、この言葉をを解釈していたが、若年での理解は大体その程度。大変幼かった。いろいろな経験を経た今、悟ることが山ほどある。
私達が心の中で何かを想う時に使うのは言葉。どんな言葉を心に抱いているかで、その人の行動が決まる。行動が決まれば運命が決まる。この真理に気づいたら、大体の人は良い言葉を使おうと意識的になるだろう。誰もいい結果を望みたいものね。恨む、憎むは相手の行為を解釈して起こす聞き手の感情(感情も言葉)だが、その感情で害されるのは結局自分自身。それだけではない。聖書が言うように、言葉があって創造が始まる。こーしたいあーしたいとの想いが現実界を作って行く。正に最初に言葉ありきだ。そんな事を歌にした。
後一曲で160曲になる。すごいなぁ。数年前、音楽を教えている人に、クラスがある度に新曲を持参したと私のエピソードを伝えたら、あり得ない!と言わんばかりの顔をされた。今のインストラクターは私の多産に慣れっこになって最近は”普通”の顔で「これ今月で来たの?」と訊くだけだが、かつて100曲になった時には、おったまげていた風だった。私の楽曲作りも最近は朱を入れられることがほとんど無いので、1曲では1時間の授業時間を持て余し、2曲から3曲用意していく。だから次の授業まで1週間しかない時には、PCを睨んでなければならず、眼が痛い。で、眼の保養のためにも、スクールは一時退会してゆっくり書いて溜まった時にでもまた伺おうと思う。ちょっと心配なのは、詩人や作曲家など創作者は、とにかく毎日自分の道具の前に座って何かを書き出すらしい。それをやらずにいると、創作が億劫になってくるのかも知れない。クラスが無いところで、私が創作を日課にできるだろうか。。。。
「孤独の時代」 3/25
160曲目ができました~!「孤独の時代」。とても深いテーマだから、切り目の良い160曲目に出来た事が、なんか嬉しい。
この世を去る前に必ず読もうと思っていた作家、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んでいて色々考えさせられている。そして気付かされている。あの時代から今に至るまで、人間社会は変わっていない。自分を全から分離し穴の中で生きて行く事で、生が充実すると思う。富を蓄えた者はなお一層この傾向が強い。蓄えた富ですべて解決できるから、人とのつながりを絶ち、孤独の中に自分を押しやる。孤独の時代だ。
かつてリーマンブラザーズが度々日本に来ていた頃、投資先訪問に呼ばれ通訳の手伝いをしていた事がある。東北で納税者リストTop 5に入る人が、日本の金融業への規制強化に伴い、自分のビジネスを売ろうとしていた。会議後、私達が招待された彼の家は、まるで超豪華高級料亭。出迎えたのは、プードルを抱いた奥さんと20歳前だろう娘と息子だった。奥さんの顔は、美容整形手術を終えてまだ間もない、と言っているようで、皮膚がつっぱり、笑う事も声を出すこともできないようだった。子供たちは、明るくあどけない雰囲気で、私達の傍に来ては甲斐甲斐しくおもてなしをしていた。2回目に行った時だった。眼を見張ったのはその子供たちの表情の変わりよう。あどけなさはすっかり消え、鋭い尖った目つき。人を寄せ付けない表情だった。わずか1年で作られたこの変化にギョッとした。父親の金貸し業を継いでゆく事で、心構えを教育されたのだろうか。この子達はこうして生きて行くのだろうか。。。なんと!
本能的に悲しいと思った。また、もったいない。人を拒絶して生きて行く。ほんの一握りの、同じように閉鎖空間の穴の中に生きていく人達とだけ交流していくのだ。お金があるために近くにいたいと思う人もいるだろう。それが自分の社会的ステータスを上げるような気がして。だが、常に背伸びをしていなければならない、自分でない自分を演じて行かなければならない。彼等に嫌われまいとおもね、生を堪能せずに終わる。「生の充実」という、人との味わい深い交わりの中で感じられる経験なくして。
そんな事を歌にした(できたかな?)。160曲、今年の15曲目で今月の5曲目。なるほど、数字っていいね。来月から近藤先生のクラスは休会にするので、毎日書き続けられるかと案じたが、数字をつけることが背中を押すように思gう。
お~こわ! 3/28
日本が発表するウイルス感染者数の低さ、オリンピックのため?!
昨日BSTBSの「報道1930」に出演した外国人記者達が伝える、日本が発表するコロナ感染者数への疑問。なぜ日本だけが低い?オリンピックが予定されていたからだろう、と言う(おお、こわ!)。感染者数を隠すとは、と憤懣やるかたない意見が日本人記者から漏れる(だが、あり得る)。だからか、オリンピック延期決断とともに、ここ数日間に発表される感染者数の急増。これから数字はどんど大きくなって行くのだろう。
SARSやMARSの経験から、すぐにアクションを取った台湾は外出禁止令を発布、中国は武漢のある湖北省を完全にロックダウン、よって他地域への伝染を抑制。韓国はアプリを開発し感染者を追跡。接触した人たちを症状が出る前に検査。検査数が多いから一時感染者数も多かったが、結果、感染拡大と死者数を抑えられた。一昨日の米国のニュースNight
Lineでは、韓国から学ぼうと言っていた。
それにしても恐ろしい事ではないか。老人を含め多くの人が集まるだろうオリンピックに、日本は感染している人が少ないので、「心配ないです」と嘘をついていた訳なんですよ。人命が一番などと言いながら、唖然としますね。ま、政府と言うのはそんなものかも知れません。戦時中も、日本は勝っていると嘘を広めていたのですから。それにしても、いやはや。日本自らが、勇気をもって、オリンピックを延期したいと発言していたなら、どんなに素晴らしかったか。。。。日本での感染者数が低いとの報道に、「さすが日本!」と誇りに思った人たちも多かったのではないだろうか。私もその一人(がは)。とにかく日本人は自国自讃する人が多い。心の奥に劣等感があるからか。
「そっちじゃないって」 3/30
160曲でちょうど切れ目が良いからこれで3月は終わりかなと思っていたのに、面白い歌ができた。がははは(*´▽`*)・・
私は見栄を気にせず体の中から自然に湧いてくる言葉をとにかく出す事にしている。アートはそうでなければと思うから。その出て来るものが面白い。他人の耳で聞いて、思わず笑ってしまう。それでできた曲が、「そっちじゃないって」。企業や大学やまたは個人からのOK通知を待っていたら、届いたのは薄い手紙。くそ~!私の希望が踏みにじられた、私の価値が見下げられた!(これらの言葉が全て歌の中に入る)。だが、誰かが言ってくれた。喜びなさい。後で分かるけれど、それはいい事なのよ。神様がそっちじゃないと言ってくれているの。
自然に転調してしまった。不思議だね。意識ではそんな器用な事全く考えていないのに。おもしろくて思わず吹き出すような歌になりました。
「神様がそっちじゃないって言っているんだよ」私もこの言葉にどんなに助けられた事か!みんな頑張れ、挫けるな!
不思議だなぁ。少し前、近藤先生が「あなたはMajorの方が伸びがあって面白いから、どんどんMajorで書いたら」と言っていた。「書いたらって言われても、私は天から降ってくるままに従っているから」と言葉を返したが、ふん、Majorになっている、この曲。ふ・し・ぎ。
Rose 返歌 4/1
今の私には不思議な事がいっぱい。上でも話したが、近藤先生からMajorで書いたらと言われて、それを意識せずとも出て来るメロディーがMajorだ。まさか4月の初日から書き上がるとは思わなかったが、直ぐに詞が続けざまに出て来た。あの有名な米国の歌Roseへの返歌の形で。最初の出だしの一小節が直ぐにRoseを思い出させるので、ならばと、聴く人の「あれ?Roseだ」が「なるほど」に変わるよう、Roseへの返歌にしようと思いたった。タイトルもそのまま、「Rose 返歌」。
これは元歌を知らないと理解しにくいかも知れないが、元歌にそれほど見劣りしない歌詞になったかな。これ、いい曲だ!162曲目、今年の17曲目。くわ~
感極まって 4/3
「Rose 返歌」、本当にいい歌だ。これを書くために今までがあったような。
今朝の瞑想中、心緩やかになるアイデアを頂き、嬉しさに涙がボロボロと滴った。そして又、「Rose 返歌」に暫定的に入れておいた歌詞に最適なものが告げられたように思う。朝食後、直ぐにこの歌詞を譜面に入れてみると文字数もピッタリ。本当に不思議だ。何度も繰り返しこの歌を歌ったが、その度にボロボロ涙が落ちる。明日、近藤先生のところに持って行き彼女の反応が楽しみだ。
「陽は巡りくる」 4/3
同じ日に2度このブログを書くなんて、何年ぶりだろう。歌がもう一つできてしまったから。
何があったのだろうか、私の体と言うか眼も疲労をあまり感じずに詰めて作業ができた。部分的にどこかで聴いた事のあるようなメロディーなんだけれど、美しいかな?切ない映画音楽のようでもあり、歌詞を付けない方が良いような気もしたが、ま、取りあえずつけてみた。暫定タイトルは、「陽は巡りくる」。
二人の日は今終わるけれど、互いに育み来た日はここに、愛の深さ涙と共に残されて行く。あなたの声を聴きながら夕日を眺める。陽は沈みやがて穏やかに闇に包まれ再び巡ってくる。愛しい人、また逢おうよ。僕らの上に再び陽が巡り来たら。懐かしさで微笑みながら言葉を咲かすだろう。愛しい人、陽は巡る来るよ。
は、は。メロディーは完全にお任せしてありますが、こんなに色々と歌詞が出てくれて、神様、ありがとうございます。ま、意識的なINPUTも多いけれど。読むべきものは、大芸術家の小説や詩だ。頂くインスピレーションが一つ二つじゃない。後々このブログで書くが、読み終わっても掌から放したくない作品もある。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」。小林秀雄が「大芸術家」と評した理由をとくと理解した。
「別れはかくれんぼう」 4/10
メロディーができても歌詞がなかなか出て来なかったりするものもあるが、このメロディーは昨日生まれて直ぐ記譜。今日歌詞がうまく乗った。「別れはかくれんぼう」。調子のよい歌になった。
新型コロナウイルス感染防止のため政府による緊急事態宣言が発動され、ジムもゴルフも無くなった。ゴルフ場は野外なので営業を続けているところもあるが、私が練習で行っている場所は、市の外郭団体が運営しているので行政の発令を遵守するのだろう。
さて、どのように毎日を過ごす?この時期は歌作りに徹底しようと、溜まっていた録音を譜面に落とし始めた。日課はざっとこんなもの。
朝5時から6時の間に起床、30分後から40~45分程瞑想。朝食後8時のNHKBSの「キャッチ世界のニュース」をチラチラと見ながら、前日手を入れた楽曲を見直す。その後は昼食を混ぜて2時頃まで新曲を書く。そろそろ肩や目が硬くなってくるところでストップ。1時間のヨガに入る。その後は4時の米国PBSニュースをサラッと見る。コロナ関係が気になるので、1時間ごとのNHKBS10分間ニュースを聴く。時々外にウォーキング。昨日は1時間半ほどほっつき歩いていた。いつも歩かない所を歩くので発見も多く、退屈しない。夕飯の後は、30分ほどの発声練習と読書。そして定期的に録画している番組をみる。
そんなに退屈しない、かな。
「生きる」 4/18
今月の4曲目、今年の20曲目、そして合計165曲目の歌は「生きる」。タイトルは大きいけれど、あまり思い入れのある歌にはなってない。
若かったらこんな事あんな事をしたいというなら、今やったらいいだろう。命があるという事は生きなさいという事。生きていると感じるには、やりたかったことをやる事。などどいっている歌です。はい。
ここ4,5日ほどは、これまで書いたものを見直していた。主に歌詞。友人に電話で聴いてもらって感想を頂いたりして、それを参考に「Rose 返歌」を書き直していた。一日置いて翌朝に新しいアイデアが訪れてくる事があるので、ゆっくりと神の声を聴きながら。やっと「よし、これでよし」というものができたかな。
友人には2時間ちょい電話で様々な歌を聴いてもらった。大変率直だ。コメントを聞いている私も変わった。エゴが随分削られたのだろう。昔は、ムカッとしたものだが、今は極穏やか(がはは)。作者の私が定かでないところを他者もNOと言うと、考え始める。このプロセスが、実は、楽しい。その友人が、「愛しい人よ」がなかなか良いという(そう言うと思った(*´▽`*))最初は別離を前にした二人が一緒に海岸で夕陽を眺めているシーンだったが、近藤先生があまりに切な過ぎて逃げ場がないというので、場面を変えようかと思ったが、ふと3番目を作る事で、明るさを加えることができた。これを思い立った時は、思わず、ニタリ。メロディーもアンドレア・ボチェッリの曲を大分聴いていた事もあり、エンディングを盛り上げた。
「去るもの日々に疎し」 4/22
ちょっと面白い歌ができた。メロディーの一部が気に入っていたので、しっとりした歌詞が欲しいと思っていた。アイデアはふっと湧いてくる。
60年も生きて来ると、様々な事が自分の力で成している訳ではないことが分かってくる。運命というか、見えない力に動かされている。なぜあの時あんな事をしてしまったのか。自分に持たされた特質を使わせて、ある方向へと誘おうとする運命の力に人は翻弄されるようだ。Out
of sight, out of mindという諺が英語にある。傍にいない人間は段々と情も薄くなるという意味だが、別れて何年も経つが、互いの魂が互いに便りを届ける。ふとした出来事で共に生きる相手を変えたが、絡んでほぐれない糸。だが「今を愛して」と歌う。定めを愛す。
「めぐり逢い」 4/25
今月の6曲目。朝瞑想をしていると、ひとつのメロディーが頭の中でハミングする。余りにはっきりと鳴るから、すでに書いた曲か、または新たな曲か。。。167曲を書いてくると、混乱する。で、歌詞をつけてみようとするが、でて来ない。早々にPCを開けて仕掛け中のフォルダーを開き、譜面をみる。あ、これだ!途中まで歌詞を書いておいたもの。これに関わりなさいという事かと、朝食後直ぐに取り掛かる。そしてできたのが、「めぐり逢い」。
私達は生まれてからこれまで多くの人と巡り合って来た。当時のメンタルで出会った人には、ごめんなさいとしか言えない。でも生まれ変わってもまた逢うでしょう。その時は悲しませたくない。巡り合う人達よ、私の準備ができるまで待って!
「ちょっと待て!」 4/26
昨日に続いて168曲目をなんか作っちゃいました。
上のブログを読んで、ハタと思ったのだけれど、私が書いているものって面白いかも知れないけれど、多くの人が共感できるだろうか。私の世界と同じ世界を共有していなければならないだろうから、どうなのだろう。
昨年、とてもよく読めるタロットカードを使う占い師が、「あなたの歌は時代を先に行っている」と言っていた。頷けた。神や宇宙や霊の力が多くの人に感じられるだろうか、共感できるのだろうか。。。。見えない力を感じている人たちが多くなっていることは事実のようで、それは現代作家の小説を読んでいてわかるけれど。。。
そんな不安をほんのっちょと抱いたが、心配いらないようだ。エステで働く20代終わりか30代のYoung ladyを相手に歌ったら、「かっこいい!」とか「うわ!」とか自然な感嘆が漏れ、「その歌好きです!」と「別れはかくれんぼう」を言っていた。これはリズム感が確かにいい。要らぬ心配だったようだ。多くの人に届く日が待ち遠しい。
さて、昨日に続けて書いた楽曲は、「ちょっと待て!」「貧乏であんな親のところに生まれた俺の人生、こうなるのは仕方ない」と思っている若者に、「ちょっと待て!」と苦言している歌。個人的にはあまり好きじゃないけれど、書く必要があるのでしょうね。今月の7曲目。すごいなぁ。でも一番すごかったのは、今年の1月、8曲書いている。もう一曲書いてみようか。
その一曲を書いた 4/29
歌書きを始めた私史上の最多月産高は今年1月の8曲だったが、それに並べられるかなどと上のブログで書いたが、本当に書いてしまった(Wow!)。これはあまりにさらさらとできてしまった。
ニュースで、イランだったか、新型コロナウイルス対策で、寺院での礼拝が叶わなず、Stay Homeを街中に呼びかける声が寺院のスピーカーから流れた(平常時でも町中に聞こえる声でスピーカーを通してコーランが読まれるが、音は本当に大きく、30年近く前、モロッコに行った時、この声に朝早くからたたき起こされた)
イスラムのお経だから、単調。日本にはないリズム。面白いかもと、直ぐに録音した。が、はてさて、歌詞はどうしようと思っていたら、FB友人のページにヒントがあった。友人のFBページは神様の言葉が書かれてある。アラーの神も神。これで行こう、となって作ったのが、そのまま「神様の言葉」。誰かを偉大だと思える人は、偉大が何かを知っているからそう思う。つまり、偉大になり得る種がある。種があるなら、本人は偉大になり得る。知らなきゃ何も始まらないからね。
すごい、今月の8曲目で、今年の24曲目、総数169曲。明日、170曲に出来るか。がはは。。。
「虚構の世界」→「家族」 5/5
4月に170曲に行き着かなかった。そして今日その170曲目ができた。「家族」。
一度は、タイトルを「虚構の世界」としたが、見直している内に、だんだんと歌詞が変わって来て、「家族」になった。私の場合は、ほんと、最初から目的を持っていても、作業をしている内に変わってしまう。目的地を定めずただ作業をする。それが私に課された目的のようだ。
家族は、霊が人間の形を取るために、親から血と骨を頂くために集まった集団であり、やがてそれぞれ方向の違う道行に備えるところでもある。霊は、その過去世に置いて他の血縁のものとは全く別な経験を積んでおり、今世での道行きも異なる。「家族崩壊」が騒がれていた事があるが、ある意味当たり前な事だ。家族が一つの価値観でまとまるものだと誰が決めたのか。そんなものは存在しない。一つの価値観で統一しようとするから、様々な摩擦や亀裂が起きるのだと思う。それぞれの魂の趣向を尊重しなければ家族は大変だ。そんな事を暗に含めた。
「新しい人間」 5/7
上のブログで書いたが、170曲目の楽曲のタイトルは、「家族」に変更した。
今度は「新しい人間」。すごいタイトルですよね。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の中の長男ドミートリ―の言葉を借りたー苦しみの根源は自分の思想にあった。自分の考え方。今新しい人間が自分の中に生まれている。シベリアに罪人として送られるよりも、この新しい人間を失ってしまう事が一番怖い。
そう、私も気づいた事だが、人生は自分の言葉、自分の思いが作っている。思いを変えれば、人生が変わる。そんな大きなテーマを歌にした。
なんだか、ずいぶん哲学的になって来たなぁ~。聴いてくれるかも知れないけれど、カラオケなどで歌ってくれる人、いるのかなぁ。ま、メロディーが覚えやすいから鼻歌で歌えるかな。。。。でも、こんな哲学的な事を短い歌にまとめ上げた私もすごい。神が助けて下さっているのだろう。
知識というもの 5/9
知識が無くともできるものってかなり多いのではないだろうか。私の楽曲制作過程は、楽曲を書いた後ピアノ・インストラクターの眼を通し、その後アレンジャーに渡す。彼等は音楽に携わって長いから、私に色々アドバイスやら口を挟んで来る。例えば、「Majorの方があなたの曲はのびのびとしているから、Majorで書いたら」とか、「コードを勉強すれば、きれいな曲を書けるよ」などなど。それはそれで有り難い事だが、
Majorだとか、コードだとか、それは人間に後からついてきた知識であって、人間が音楽を作り始めた時に、そんな体系も知識もなかった筈だ。ただ、曲は自然と舌を滑って出て来た。それを後世のものが体系づけたり分析したりした結果、どうも音楽にはMajorとminorがあって、メロディーに伴奏をつけ始めたら、コードの話になって行ったのだろうと思う。おもしろい事に、アレンジャーがコードの勉強を勧めれば、ピアノ・インストラクターはコードに偏ると進行が大体似て来るから、勉強しない方が良いと言う。
最近気づいた事がある。”怖がらずに”書く。プロかノンプロかなど関係ない。重要なのは面白いものを作れるかどうかだ。プロはわんさかいるが、面白いものを作れるのは一握りだろう。ビートルズも最初はプロではなかった。私の作品の面白さが分かって来たのか、今では二人とも静かになった(それとも、諦めたか。笑)。で、今回できたものが、「歳取るって結構いい!」。期せずしてMajor。Youtubeでジェーン・フォンダのインタビューを聴いていて、なるほどと同感した部分を歌にした。彼女が言うには、人生29歳までは何もない。ゼロ、Nothing!
30から59までは実にハードだった。そして60になってようやく生きやすくなった。私は、うなづいた。
「つぐない」 5/11
東京都も全国的にも新型コロナウイルスの感染者数が2桁に減少した。ほっとする。まずは、図書館を開けて欲しい、せめて予約貸し出しOKに。手元にある本もすべて読んでしまった。「ゴッホの手紙」の上中下の下を読み出したばかりだが、それほど興味深いものでもない。ドストエフスキーの「白痴」を読みたい。おそらく「カラマーゾフの兄弟」ほどの魂を揺さぶる感動はないかも知れない。「カラマーゾフ」がドストエフスキー最後の大長編で大傑作とされているが、それを読んだ後の「罪と罰」は次の巻に急ぎたいほどののめり込みはなかった。「白痴」もそうなのだろう。だが、大芸術家が書いたものには歌書の上で多くのインスピレーションを得る。
さて、図書館から本を借りられないこの緊急事態宣言中は、やる事と言ったら、どうやら歌を書く事しかないようだ。朝8時から昼2時頃までは大体パソコンの前に座って楽曲を作ったりチェック作業をしている。その為、最近は2日に1曲書いているようだ。それで書いたのが「つぐない」。傷ついたものは永久にその傷を忘れないようだ。傷つけた者は、大体それがサガだからどこかで裁かれている。裁かれて苦しんでいる。業と言うか、人の行いは必ずその報いを受ける。善い行いは幸運を呼ぶし、逆は不幸を呼ぶ。裁かれて苦しみを潜り省みて気づいてゆく。「だから友達よ、安らかにいよう。君の苦しみはどこかで償われている」と歌われる。私自身もそうだったかもしれないし、最近近親者にそれを見た。
「神になりたがる人」 5/14
アレンジャーから出来上がってきた音源に歌入れを始めた。昨年暮れに受け始めた呼吸器科での上咽頭処置が効いてか、声のギザギザが薄れて来ている。また、体験レッスンだけだったが、クオリティーの高いボーカル・レッスンを受けて気づいた事が多く、また解決方法も知り、個人的には聴きやすい声になっている。めでたい。願うものがすべて叶えられているようだ。大道を歩けば、神が道を整えて下さると言われるがそのように思う。
歌入れが入ってくれると目も休めることができる。3日置いて174曲目、今年の29曲目で今月の5曲目ができた。「人は神になりたがる」。
私には言いたい事が本当に沢山あるようだ。感じることも(笑)。でなければ、シンガーソングライターにはなり得ないだろう。
「あなたのために生きる」 5/18
以前から書きたいと思うテーマを書いた。西欧では神を歌った歌が実に多い。なのに日本は、軽蔑した意か、鼻を鳴らす人が多い。「関口宏のもう一度日本近現代史」をテレビで観ていた時、その理由が分かったように思えた。明治時代日本の近代化を図ろうとした先人たちは、欧米の憲法を勉強した。その基軸は神だった。神を中心に国民を統一させる。しかし、日本では宗教がそれほど普及していない。それで、天皇を軸にする事にしたという。英国のエリザベス女王も、困難な時には神に祈りをささげ、神の導きに従ったとテレビで彼女自身が話しているのを聞いた事がある。
今の私にとって、神は、存在すると信じるという段階ではない。目の前にいる人を見て、「私はあなたが存在すると信じています」と言えば、相手は吹き出すか、気が違ったかと警戒するだろう。目の前の人は、実際に”いる”から。私にとって神は、その”いる”である。神に導かれ、その言葉通り動く事でどれほど救われた事か。だから、いまの私には運命をそのまま受け入れる準備ができている。
そんな私がいつか書きたいと思っていたのが、神との出会い。丁度美しい曲もできていたので、その美しい曲に乗せるに相応しい歌詞は神の事しかない。タイトルは、「あなたのために生きる」。最初の部分で、どっと泣いてしまった。「ずっと逢いたかった」。
今年に入っての30曲目。丁度切れが良い時にこのような歌が生まれて、なんと言うか、すがすがしい(的確な言葉が見つからない)。
「紫雲路行く前に」 5/20
なんだか、本当にすごいですね。大体1日おきに新曲が出来上がる。Anzからアレンジが出来上がってくると、歌入れに時間を充てるが、それ以外は、毎朝8時から昼2時過ぎまでパソコンに向かって作業をしている。その後はヨガ。これがこのStay
home期間中の私の日常になっている。
それでたった今出来上がったのが、「紫雲路行く前に」。とても気に入っていた起伏のあるメロディーに、あれやこれや詞を入れてみてサラッと行かなかったので、そのまま放って置いた。放って置くと、サラッと流れ入ってくるものだ。
ボロボロ泣きながら書いた。( ´艸`)
「極楽階段」5/21
Wow!昨日に続き、もう1曲。「極楽階段」。現代の私達の寿命は、曾祖父母の時代の34年プラスだそうだ。与えられた34年、一壮年時代ともいえる、何をしますか。万物すべて、ある頂点まで行くと下降してゆくが、ひとつだけ例外がある。それはSpirit(精神)。30才から60才までの壮年時代、私達は社会に適合しようと、誰かの書いた主人公になる、またはわき役になろうとして来た。それが私達をストレスに追いやった。壮年時代の後半に自問自答が始まり、それまでに培った知恵をベースに偽りのない自分と一体になれるのが、60過ぎからだ。だから精神は下降することなく、階段を上り続ける。とジェーンフォンダがTEDのスピーチで語っている。
彼女の話はそのまま私の今に当てはまる。私も自分を見つけた。偽りのない私、私の魂と心が一体になっている。これからも階段を上り続けるだろう。この努力は毎日を豊かにする。
それで書いたのがこの楽曲。すごい、今月は既に8曲。私は、今の私がこれまでのどの時代の私よりも好きだ。
「時は無情」6/2
上のブログから10日以上過ぎて、もう6月。時は本当に駆ける。実を結ばない夢があるのに、届かない思いがあるのに、時は無情にも駆け足で過ぎて行く。そんな歌が今朝出て来た。タイトルは、そのまま「時は無情」。
上のブログを書いた後、背中が縮まるような事があった。2,3日で気を持ち直せたことがうれしい。前に行くしかないから、やるしかないから、やる。それだけ。それで、行動を起こしていた。不思議に、私から何も語っていないのに、私の今の心の状態に力をつける動画を送って来る人がいた。念波か。うれしかった。
「幸せはどこから」6/4
今日は6月4日。確か虫歯予防デー。大学時代に私に関心を寄せていた人が「俺の誕生日6月4日、虫歯予防デー」と言って、私に覚えて欲しい気配だった(笑)。卒業後、私は結婚して米国に留学。彼は一度、私のいるロスまで訪ねてきたっけ。ちょっとクールでニヒルな外見上の個性も、会社に入ると消えてどこにでもあるような会社員に変わっていた。その最初の夫と別れて年下の2番目の夫と結婚すると、不満げに私を責めていた。。。。あれ?いまふと思う。彼はもしかすると、ずっと私を待っていたのかなぁ。13年経ってまた他の人と結婚しちゃったら、諦めたのかなぁ。私には彼の気持ちがほとんど入っていなかったように思う。
なんでこんな事を書いたのやら。ま、このブログを読む人はあまりいないだろうから。。。がはは。
その虫歯予防デーに書いたのは、「幸せはどこから」。シンプルな16小節の歌。幸せは、自分が幸せと思うから幸せなのよね。同じ事が起きても、それを幸せと思うかどうかは、人によってまちまち。幸せはどこから来るの?幸せと思う心から。幸せになりたければ、幸せな心を持てばいいという、やや挑戦的な歌になってしまいました。。
「私より彼女があなたを必要としている」6/8
180曲目です~。タイトルが長い。けど、ちょっと興味をそそられるかな。「私より彼女があなたを必要としている」。
いろんなご縁で、人間界では、いろんな人と縁ができる。ちょっとした間違いをきっかけに生まれた所謂三角関係。妻なる女は言う:私より彼女の方があなたをもっと必要としているから、お行きなさい。綱引きなど私のプライドにそぐわない。生活に困らないくらいのお金を残してくれればいいから。これも、後から、ありがとうと言う事件かも知れないわ。
なんたるできた女か。宇宙の流れをよ~くご存知。綱引きなどに時間も精神も消耗させるより、新しい贈り物お受け取ろうとする。
がんばったなぁ 6/23
頑張ったなぁ。2018年6月に書いたらしい「おばあさんの絵」。何かが足りない、何か問題があるとずっと思っていた。人の反応が今一だから。すると、数日前、飽くことなく私の電話リサイタルに付き合ってくれている友人が「おばあさんの絵がどんな絵なのかはっきりしない」と言われ、この楽曲が生まれた当時大学の先輩が同じような事を言っていたのを思い出した。作者としてはすべて絵の中の描写なのだが、聴いている人にはおばさんの絵ではなく、おばさんの日常を歌ってるように思えるのかも知れない。それで修正に動いた。なんと、2日間本当に長い時間PCの前に座って歌詞を変え、その歌詞で歌って録音しそれを聴くを繰り返した。メロディーとの調和、歌詞の流れ、その他いろいろな事に注意を払う。今日も、朝7時頃から、現在夕方6時近くまでおよそ11時間を歌詞の修正に費やしていた。いやぁ、本当に頑張ったなぁ。で、今度こそ良いものができたように思う。
こんな私、本当に好き!そう言えばかつて言われたっけ。「しず、がんばるね。」だが、ホント、視力が落ちて来る。それが心配だ。PC画面を見る事さえ辛くなってくる。いつまでできるやら。
一月ぶりに 8/7
7月の創作はゼロ。神様はすごい。歌入れをしている間はインスピレーションを全く落とさない。全く来ないから丁度180曲で歌作りも終わりなのかなと思っていたら、旧作の修正や歌入れ等すべて片付くと、またまたいろいろなメロディーが起床と同時に私の頭蓋骨をノックして入ってくる。メロディー倉庫から歌詞を載せやすいものを選んでPC画面上で聴いていると、最初の2、3小節のフレーズに歌詞がちょんちょんと飛び出して来る。そこからストーリを展開させる。で、出来たのが3曲。できる時は速い。
● 終わりも無ければ始まりも
● こうして続く
● やりな
運命の意図 8/12
パソコンにほんの1,2時間向かっていると、その集中力のせいか、眼がしょぼしょぼして休養を与えなければと肘掛椅子に座って目を閉じる。強力なパソコンからの眼の保護シールか何かを誰か開発してくれないかな。目が染みて来るのね。
ところで新曲です。「運命の意図」。
金の糸 8/26
185曲目。「金の糸」。もちろんタイトルは暫定的。中島みゆきの「糸」に触発されて書いたと言っても良いかな。色とりどりの糸で人は誰かと結ぶ。血や骨を分けたり、契り交したり。でも、ほどけずにあるものが幾つありますか。そのように歌は始まる。色々な人と結んだ糸が繰り返しほつれて、いま結ぶものは私の中で囁く別な私。これにつながるために、これまでがあったのような。金の糸とも呼びましょうか。
青草の上で踊ろう 8/30
メロディーは既にあるから、歌詞さえできれば、早い。このメロディーを記譜した時、「お~天才!」と思った(あははは。。。)アラブかインドかの雰囲気がある。同じフレーズを何度もリピートしながら、主旋律に少しのバリエーションを入れた。確か、川端康成の何かの作品だったと思う。印象的な語句をメモっておいたが、それを使って残りを仕上げた。面白いながら、いつものように深み味のある歌詞になったように思う。今月の6曲目。「青草の上で踊ろう」
がんばれ音頭 9/2
9月の最初の出来上がりは、「がんばれ音頭」。競争を促す今の時代への警鐘を鳴らす歌かな(がはは)。スローダウンして生きる。スローダウンしている人の方が、野心で脂ぎっている人よりも、人から好感を持たれるみたい。今、安倍総理が辞任を発表して後継者の話が盛り上がっている時。まさかと思えるような、菅官房長官が押されているようで、ちょっと驚き。でも彼のような無駄口を吐かず淡々と業務を遂行する職人気質は、上にいるものからすると応援したい対象のように思う。私もごく最近ある場所で知り合った、欲もなくただやりたい事をやっている青年に好感を感じたばかりだった。夢を持つのは良いが、幸せとつながるかどうかは別な話みたい。
愛の部屋 9/3
昨日に続き、もう一曲、連チャンです。「愛の部屋」。久しぶりに泣きの歌になった。歌詞とメロディーがはまったところが、泣かせる。いい歌だぁ~
愛を知るために 9/4
「愛」が続きます。3日続けての連荘。「愛を知るために」。人生の奥深さを歌ったかな?
生まれて来る理由って何だろう?愛を知るため、、、そんな気が最近している。人生は苦しい事や悲しい事が多い。それも全部愛を知るための切っ掛けのように思う。
人生の勝利者 9/6
190曲目は「人生の勝利者」。外部の誰かの言動に揺らがない、自分を見失わない者は、人生の勝利者。苦しみはそのための力を自分の底から絞り出すためにある。
愛よりもプライドが強くて 9/7
ホンマ、すごい、連荘だ。プライド。
プライドが強くて素直になれず、大切な縁を壊す人はかなり多いだろうと思う。愛よりもプライドが強くて寂しい。
あなたの手のひらに乗って 9/8
よく聞く。「ご主人は奥様の手のひらの上」。安心していられるのだと思う。愛に満たされて、アマダイにさえ愛を通わせられる。仏様の手が大きいのは多くの人を乗せているから。あなたの手のひらには私だけが乗る。「あなたの手のひらの上で」。
そして続けて午後に出来たもう一曲。「誰かが腕を貸す」。今月に入って7曲。7月は全く書かなかったが、8月は6曲。総合計193曲。後7曲で200曲か。今年中に出来そうだ。
直感を磨く 9/9
自分で選んだという記憶はないのだけれど、どうもこれが私のやり方になったようだ。なんとなく出てきたメロディーを譜面にして置いておく。今回も特別に何かを書きたいと言う衝動が起きた訳ではないので、とにかく降りてくるメロディーの記譜していった。大分たまったので、そろそろ歌詞を置いて行こうと思い始めた作業だが、こうすると他の人からは考えられない程歌が出来上がってくる。別に他の用事もなく、読みたい本はまだ図書館から連絡が無いので、歌作りをする気になれる。環境が欲せずして整う。私が歌書きをし始めた時と同じだ。天才的なアレンジャー、ビクターのディレクター、ソロステージ等々。欲せずして準備された。すべて神の思し召しだ。ありがとうございます。
でできた歌が、「直感を磨く」。歌はこういうものと言う枠を取り払って、なんでも歌にしてみると、結構面白い。って言うか、私の書いた歌を全く他者の耳で聴くと、本当におもしろいと思う。
そしてまた、午後にもう一つ。「自分の身体に聴いてごらん」。「命短し恋せよ乙女」と言う昔々の歌がありましたが、(確か森繁久彌がどこかで歌っていたような)、それと似たようなフレーズが出てきて、もう一曲書きました。はい。」195曲。
百年ばかな女 9/11
ちょっと面白い歌ができた。いつもの私と違う。「百年ばかな女)。自負心が余りなくて、好きな男は他の女と一緒にいるのに、それでも呼ばれればきれいに化粧して出て行く。これ全部、最近放映された中島みゆきの歌からヒントを得た。周りがもうやめなと言っても、「恐らく私長い間ばかなの。それが私の命なの」と答える、百年ばかな女。彼女の歌への返歌かも。がははは。。。
きゃ~。9月の中旬よ、まだ。10曲目。よく出て来るね~。メロもそうだけれど、歌詞も。本人がびっくり~。どんな歌詞が出て来るか本人も楽しみ~
過去の変容 9/19
期待していた事が実現しなかった。日本作詞家協会が八代亜紀の歌う楽曲を募集していたので、2曲送ったが、受け入れられなかった。私の周りでは皆が良いというのに。キリスト教会の牧師さんも、「八代亜紀以外に考えられない」と推奨したのだが。。2曲のうちの一つは、某超有名歌手を世に出したプロデューサーからも賛辞を頂いていたのだが。私の勝手の憶測だが、シンガーソングライターとしてなら、このままでも良いが、作詞家としては、散文でなく詩として書かれたものを期待されているのかも知れない。書き方が違っているのではないだろうか。そう思って、事務局に電話をし審査員からどこをどうすればよいのかコメントを頂けないかと要望したら、実は、審査員の方々が、作詞の通信教育をしようかと話されているという。「きっと私の歌詞からそのような発想をされたのでは」などと思っている(笑)。
で、書く気が失せてしまい、PCを開けなかった。一体神様はどのようなつもりだろう。あの時確かに神は提出する楽曲を選んでくれたのに。考えてもいなかった楽曲だったが、言われてなるほどと思ったのに。あなたの声が当てにならないのなら、一体私は何を支えにすればよいのですか。心臓も波打つようになり、不安の塊ができたよう。これではいけない。ジムでも行こうか。いや、逃げてはいけない。今回はこの感情と向き合おうと、目を閉じて体の中の異変をじっと見つめていた。すると、私を励ましてくれたなかにし礼の言葉がふっとやって来た「創作だ。」そうだ、創作だ。彼も心が乱れた時、創作に集中したとあった。それで、直ぐに起き上がって、PCを開き、創作に取り掛かった。
できたのが、「過去の変容」。
生れた時からあるものは 9/23
書きたいことはあるが、よくまとまらない。だが、とにかくPCに向かう。すると答えがそこで待っている。「生まれた時からあるものは」。山に登って空や木々を見る。観ている瞬間市井の雑念は消えているから、心が爽やかだ。眼に映るものをそのまま心に映す。生まれた時、人は皆そうだったのではないだろうか。だが人中で生きている間に、塵が心の中にこびりついてくる。積み重なった塵で心はなだらかでなくなる。凸凹だからあちらこちらにぶつかる。それが息苦しくさせる。生れた時からあるものなら、戻せるんじゃないか。そのままに見る心を。そんな歌。
私の作るもの、だんだん観音様みたいになって来た(がははは)。ま、神様がそうさせたいのだろう。私はただそれを受けて行く。ある占い師が言っていた「あなたの歌は時代を先に行っている。」最近書かせられているものをみると、そうなのかも知れない。
夢裏切られて 9/24
以前にワンコーラスだけの歌詞を載せて放って置いたようだ。その歌詞とは関係なく、いつか書こうと思っていたある状況に使う歌詞が、この楽曲の2コーラス目の歌詞に相応しかった。で、数十分で出来上がった。「夢裏切られて」。199曲目。あと1曲で200曲になる。すっご~い!
200曲目 9/28
200曲目に行った~!いや~、実はね、200曲という筋目だから、もっと大きな歌ができるかと想ったら、軽い歌になった。「三つ子の魂百まで」。この世に生まれて、大人になっている人って、ホント、あまりいないんだよね。60になっても子供。。皆母のような無償で与えてくれる愛を求めている。今は百も過ぎる時代になって来たけれど、おそらく、再び母の温かい体の中で包まれる安心に戻りたいと思っているんじゃないかな。そんな事を歌にした。今月の14曲目。つまり1日おきに書いていたことになる。すごくないっすか~、これ~。
僕らも素直に宇宙の中 10/3
自分を救ったものは「創作」だったと言うなかにし礼の言葉が私を助けている。今はとにかく書き続けよう。書いていると、心の中に穴が開かない。それで201曲目ができて、202曲目が大体できた。201曲目の「僕らも素直に宇宙の中」はタイトルが暗示するように大きな歌になった。僕たちは問題があると自分の小さな器(それを小宇宙という人もいる)に閉じこもるが、宇宙で起きる事が僕らにも起きているだけなんだよね。宇宙は壊れては別なものを作る。つまり、別な(新しい?)ものを作るためには自分の中の何かが壊れなければならない。人の歴史をみてもそう。その只中にいる時は、壊れる事の恐怖や血と涙で苦しみの中に追いやられて来たけれど、どんな時代よりも現在は豊かになっている。経済的にも、人の心も。だから、人が個人で抱えている問題もより良くなっていくための踏み台。良心に常に耳を傾けていれば、自由と喜びの世界にいる。なぜなら、良心は宇宙の中で人が仲良く暮らせるようにと授かった宇宙の声だから。
すっごく奥深い話でしょ?!書いていながら発見があって、私自身が教えられている。「良心は宇宙の声」。この声に素直について行けば、人生は自由と喜びに満ちたものになる。もう一つは、軽~い歌で、「夢への近道}。ああでもないこうでもないと思っている内に、夢は先に行ってしまう。夢への近道はよそ見をしない事と歌う。
あなたが好きで 10/4
あなたが好きで、好きで、好きで。。。でも別れるのだと分かっていました。。押し止めようと思っても、流される定め。ならば流されるしかない。どうせ流されるなら、仰向け空見ながら流されましょう。という歌。
その為にぼくらは生まれて来たのか 10/5
消費経済の中で、これでもかこれでもかと新しいものが作られ消えて行く。競争原理の下、足を引っ張り合う。それを教えられる人間。「その為に僕らは生まれて来たのか」。丁度昨日観ていたマルクス・ガブリエルの哲学に少し影響されたか。
愛さなくてごめんね 10/9
205曲目は、「愛さなくてごめんね」。自分の足を見ていたら愛おしくなった。色々な世界に連れて行ってくれたり、色々な人に逢わせてくれた。ありがたいなぁと心底思った。でもこれまで丁寧に、そして大事にして上げた覚えがない。優しく撫でていたら涙が流れて来た。多くの人も自分の足に優しくしているかなぁと思った。
そんな気持ちから書き始めたが、「足」と言う言葉を使わなければ、ある物語へとつながった。こういう夫婦もある。好きだと思った事も無かったけれど、どんなにあんたに支えられていたかと、後になって気づく。今私からあんたに触れる。優しくさせて、と。
姉と妹 10/12
昨年末からか、ずっと書きたい、書かなければならないと思っていた歌だった。姉と妹に関する歌。私が知る限り、聞いた事が無い。家族と言うのは、むき出しが許され所のようだ。時には生々しい言葉で傷つけあう。生まれて初めて接する社会。予行練習もない。久しぶりの再会。互いに随分変わっている。別な世界で生きてきた時の溝が、距離を広げ昔の痛みを軽くする。綺麗に飾り立てず、しかし愛を感じさせる歌になったかな。
もう一つが「ツル」。実はこの歌、30分ほどでできてしまった。まどみちおのとても印象深かった詩、「ツル」。彼自身が自分と重ねたと言っていたが、そのツルは、私でもあった。とてもシンプルな童謡のようなメロディーに、なんとも切ない歌詞となった。
結局今日の出来高は、3曲になっちゃった。上の行を書いた後に、次の候補ファイルを開けてメロディーを鳴らしていたら、うまい具合いに歌詞が乗った。「白馬の王子」。冗談で作った歌。
空に友を探して 10/14
タイトルは忘れてしまったが、テレビで放映していた米国映画。警察官の行進時に流れたアカペラメロディー。とても印象に残って、その1小節だけを拝借して作った。「空に友を探して」。良い友人が私に僅かにいる。やはり神を信じている者たちだ。大事な話題を共有できる。だが信頼しきれる友を見つけることはできない。それは空の向こうに入るようだ。雲の隙間から顔をのぞかせる光。
古いメロディー 10/15
今月の10曲目(総合計210曲目)のタイトルは、「古いメロディー」。何度も書いてきたが、ほんと、何が出来上がるか本人も分からないから、おもしろい。メロディーが昔々どこかで聞いた事のあるものだったので、ならば「古いメロディーでしょ?どこかで聞いた事があるでしょ?」と、こちらから言おうと、「古いメロディー」と言う言葉から始まり、作った。その時代に住んだ事が無いのに、古いメロディーを聴いていると、自分の中にある古い記憶が掘り起こされるようで、様々な想像を掻き立てられる。
雨だれ&見知らぬ人 10/21
「雨だれ」を書いた時期がいつだったか。17日から19日の間かな。今日21日は「見知らぬ人」。私達が着ている物食べている物は、皆見知らぬ人が作ってくれた。身体だって、お父さんお母さんのずっと前に、歯も眼も見知らぬ人が作ってくれたから、私達は人間だ。大切なものは皆見知らぬ人が作ってくれている。生かされている私達。じゃ、見知らぬ人のために私は何ができる?
11月は見直しの月 12/6
上のブログを書いた後は玉川温泉に13日間行っていた。初めての自炊部体験をして、思いのほか楽しく過ごした。満州から日本にお嫁に来た春江さんと偶然逢うのが3回目。ご縁ですね。それで彼女も入れて炊事場で知り合った人たちと共に毎夕食をする事になり(と言っても殆ど夕食に招待される感じだったが)、彼女の車に全員(4人)便乗して紅葉観光に行ったりと、これまでで最も楽しい玉川温泉滞在になった。
11月7日に帰宅し、其れからは今まで書いてきたものの見直しが始まった。歌詞に”不備”が多く、自分でもびっくり。一応全体的に見直したが、最終的にもう一度チェックする日が来るのだろうと思う。それでも、3曲ほど書いたか。「その時」「放っとけ」「寿命まで生きる」
どうも玉川温泉には病気を持つ人たちや私のように健康管理で来る人達がいるせいか、命に関する歌が出て来るようだ。そして12月になって書いているのが、「あなたはあなたを選んだか」。持たされているんですよね。自分では選んでいないもの。私は何度も同じミスを繰り返す。振り返ればすべて、結果を急ぐと言う性癖からきたもの。昨日も友人と電話で話しながら、つくづくそう思った。うわッと思い付きが湧き、行動に出てしまう。それで逃したチャンスの数は。。。とほほ
「場所」 12/24
12月9日から13日まで奄美大島と屋久島に行っていた。Facebookで長々と紀行文を書いたが、ご興味がおありでしたら、友達申請をしてお読みください。そこで、”神様”にも逢い、本当に驚いた。やはりこういう人はいるのだなぁと疑いなく思った。情報を宇宙から降ろしてこれる。
その旅行から帰って来て、前作の歌詞を書き直したり、また新曲を纏めていた。217曲目は「場所」。山の傍には川がある。川がそこにあるのが相応しい。自然は皆相応しいところに相応しいものがある。人間もその人がいて相応しい場所がある。
「家にいなさい」 12/28
特に日本人がそうなのだろう。よく言えば、和を尊ぶ。周りの目線、周りの動向が気になり、自分を見つめきれずにいる。
図書館からの帰り、1階エレベーターホールの劇場チラシ入れにあった一枚のダンス劇案内。そこにはこう書かれてあった:
いつしか人たちは考える事を止めてしまいました。
いや、考えることを恐れるようになったのでしょうか? 他人の意見と感情に必要以上に耳を澄ませて
自分の心を思いやる余裕がなくなったのでしょう。
本能的に、これは大変だと思った。今年のノーベル文学賞を取ったルイス・グルックのImmortal Loveを基に書いた。
家にいなさい。自分の家に。隣の家が気になり、自分の庭をおろそかにしてはならない。光を入れて潤し、時に耕しなさい。。。。 |