ロ・ライブが終わって 20111219

昨日池之端QUIでのソロ・ライブが無事終了。夕方4時30分頃、ライブ会場に向かおうと外に出た時には、既に日が落ちていた。後数時間後に私のライブに来ようと家を出られる方々の心中を思った。これは平常ライブ、予めチケットを買ってある訳ではないから、この暗さと寒さに「今日は止めておこう」と言う気にもなる。それでも来て下さった友人や先輩たちの温かい心と、しずこの歌を再度聴きたいと来場して下さった方々に、私の心の中には湿っぽい襞(ひだ)がつくられた。心の中で唱えていた「ありがとうございます。来てよかったと思えるステージに必ずしよう」。

ソロ・ライブはすごいエネルギーを使う。以前に一度風邪を引いた後のプチコンサートで、少し気を抜いた事があった。それは観客のしずこのステージへの関心をもろに損なった。それ以来、どんなステージでも私は絶対気を抜かない事にしている。その時の全力投球。だから、ソロライブは、会場の大きさに関係なく、しんどい。終ったら、全身からすっと力が抜けて行くのが分かる。それでもその後の来場者の感動や「行って良かった」と言うコメントを頂くと、また頑張るエネルギーが沸いてくる。

ライブ終了後マスターからいろいろお話を伺った。この池之端QUIは、秋元順子さんが8年ほど歌っていたところで、ここで歌っている時にメジャーデビューをされたらしい。ライブ・ハウスで歌っていたと言う話を聞いていたので、何処だろうと少し興味があったが、私が3年前から使わせて頂いたこの会場だったとは。マスターが私の今後の出演形式をアドバイスして下さった。誰かと組むよりも、ソロでやった方が良いと言う。芸を磨けるチャンスだと。しんどいんだけれど・・・・しんどいからこそ、上達するんだと。 

来年何をしようかと考えていた処にこのお話。池之端QUIは来場者もとても気持ちが良さそう。隔月か、3カ月に1度の割合で30人規模のソロ・ライブを続ける。良いかも知れない。大きいところはしばらくお預けかな・・・・・・

そんな事を友人に話したら、ソロライブは大賛成。また、STBのような全ての才能(?)を出し切れる大きな会場を使ったリサイタルは確保すべしと提案された。

軽井沢での3日間 201185 

81日、軽井沢の900ゴルフクラブ開場40周年記念コンサートにメイン・ボーカリストとして出演。その前日はFM軽井沢に生出演しました。ラジオ番組に出演したのは2月初めのFM世田谷に続いて2度目だったので、その時の反省点を踏まえ、今回は雑音を入れない事にしました。「雑音」と言うのは、パーソナリティが色々話している時に相槌を入れる音が嫌に多かった事です。ところが、今回のパーソナリティはほとんど私ばかりにお話をさせて下さった(?)ので、そんな雑音を入れる機会がありませんでした(笑)。自分でも随分なめらかに流れているなぁと思うほど、肝心な事を十分に話す事が出来たような気がします。パーソナリティの宮尾博子さんの引き出す力なんでしょうね。 

やはり軽井沢?コンサート来場者の品の良さというのか、カジュアルな雰囲気でしたが、歌っている時は皆さん静かにステージに集中していらっしゃる。ステージが終わりましたら、とても上品な年配のご婦人が花束を届けて下さいました。歌っている途中に横に座っていらした方にお花を買いにやらせたようでした。それはステージから見えていたのですが、まさか私のためだとは気が付きませんでした。歌を聴いている途中にそうして下さった事が、特別嬉しく思いました。もう一つ、開演前のリハーサル時に歌い出したら、ロビーで蜂蜜販売をしていらした方が、突然来られて暫く聴かれた後、「大きな声が出るんだね」と言って売り物の商品を差し出された。オーデコロンのような化粧瓶の中に高価な雰囲気で収められている蜂蜜。先ほどは購入を勧められたけれど、高そうだし蜂蜜は家にあるので買わなかったため、なんだか決まりが悪い。でも、歌がこんなに人を喜ばせるものなのかと、改めて歌の力のすごさをしみじみと感じました。 

ふと思い出した。7月のリサイタルが終わって税務署に電話をした時の事。職業は歌手ですと言った瞬間、電話に出られた職員の声が急に変った。艶を帯び出した。声に生命が流れ出した。「歌手ですか、あ、そうですか、失礼ですが、どんな歌を歌っているんですか。あ~シャンソンですか。私はもっぱら演歌なんですがね・・・・今度手ほどきを。」

コンサートの翌日は来場者と一緒のゴルフ。ダハ!6月には110台に乗せたので、いよいよ落ち着くかなぁと思ったら、オヨヨ~ん。でも一緒にプレして下さった軽井沢の皆さん、とても紳士で、楽しく遊ばせて頂きました。
 

来場者の方とのお話が弾み、7月のSTBでのリサイタルを軽井沢に持って来るという私の案に賛成して下さり、力になって下さるという。7月のリサイタル、1回だけで終わるのはもったいないという声がしていた。これが実現出来たら良いなぁ。いえ、実現させよう。

1%を誰かのために 2011/01/07

1パーセント、だれかのために

鳥が休みやすいように
一本の木は枝を広げています
さりげなく
知らないだれかのために生きていました

昔、自己否定という言葉がはやりました
ワガママなぼくは
自己否定なんて、できるわけがありません
99
パーセントは、自分のため、家族のために生きています
でも残りの1パーセントはだれかのために、生きてみたい
1パーセントって思うと、ちょっと楽になります
1パーセントなら、できそうに思います
たとえば、収入の1パーセントを
恵まれない地域の子どもたちへ
1パーセント分、だれかのために汗をかくというのもいい
みんなが1パーセント、だれかのために動き出せば
この世の中はもっとあたたかくなります
不思議なことに
だれかのために動いた1パーセントが
やがて自分のところに
ブーメランのように、
不意に
もどってくるときがあります
人生はうまくできています 

(諏訪中央病院院長、鎌田實先生のブログから)


私もちょっとやってみようかなぁ。このへんで少しばかり生き方を変えたら、どんな景色が広がって行くのだろう。

ホテルでのイベントゲスト出演 20111224

昨日、今年最後のステージがあった。ホテルでのイベントゲストとして5曲歌わせて頂いた。ホテルはライブハウスと異なり、歌手の声がどのくらい会場に届いているのか歌手自身が分かるような、いわゆる「返し」の設備が無い。これが無いために、昔、唄いながらがなってしまった事がある。自分の声が小さく聞こえるため、会場に聞こえていないのだろうと思ったのだ。それで大失敗した事がある。誰も私の歌を良いと思わない。そんな事を数回経験して、どんな境遇でも普段歌っているように歌う事を学んだ。 

イベントが始まる前に音出し。やはり自分の声がほとんど聞こえない。開催者のスタッフがミキサーをいじってくれる。音量やエコーをマックスにしてようやく自分の声がはっきり聞こえる。これで100人も入って来るとどうなってしまうのだろうと思ったが、心配しても不安がっても仕方がない。普段通り歌うしかない。伴奏は、7月のリサイタル時と同じ西直樹さん。新曲の「間に合いますか」のアレンジにはまだ歌い慣れていなかったので、3コーラス目のさびの入りを1と2コーラス目と同じ2小節の間奏で入ってしまった時(アレンジでは3コーラス目は1小節の間奏でサビに入る事になっている)、私のミスに気づき、直ぐにフォローして下さった。何度も演奏している曲ならフォローもあるが、初めての曲に直ぐに気づきフォローして下さるとは、さすがだ。 その上、このような環境で歌う時のアドバイスも色々として下さった。

いよいよ私のステージが始まったが、ホテルでの忘年会なので、当然のことながら話し声や人の移動でざわざわしている。でも普段と全く変わりない状態で歌った。終了後テーブルに座り食事にありついた私に讃嘆の言葉がいくつも運ばれて来た。こんなざわざわしたところで、その運ばれた言葉に値する歌が聞こえたのかしらと、お愛想程度に受け取り、外交辞令に相応しいお礼をした。食事が終わると、出席者がステージに上がりカラオケや弾き語りを始めた。なんと!とてもはっきりと聞こえるではないか!はは~ん、ホテルの音響はこんな具合になっているのか。フロアには十分音が届いているのだ! 

それなら、イベントゲストとして役割をきちんと果たし、皆さんに喜んで頂けたのかもしれない。ほっ、場数ですねぇ。

明日はクリスマス、Merry Christumas!

大掃除も終わって 20111231

新しい年に向けて心を新たにする、排水口に溜まった髪の毛やごみをピンセットやめんぼうで取り除くように、心の導管に詰まらせてしまった埃やごみも一掃しよう。そんな事を私なりの方法で始め、その全ての大祓いを部屋の大掃除で締めくくった。

キッチン、お風呂場、窓拭き、もちろん部屋掃除も。もう廃棄してしまった電話に付いていたファックス用のインクリボンや、カラープリンターのカートリッジ、一度も使わず箱の中にしまったまま、誰かに使って頂こうと3年間保管し続けていたら、それらにも“賞味”期限があるらしく、もう2年も過ぎていた。やっと心置きなくゴミとして処理。部屋の中が必要なモノだけで埋まるのがいい。シンプルで手軽にしたい。 

今年、葬学とかいうものを勉強していると言う友人が「しずさんに取って今年は産みの苦しみの年だからね」と言ったが、確かにそうだった。これまでのように大きな障害物ゼロで行けた訳ではない。リサイタルの場所を決めるにも二転三転したし、スタッフも思うような人がなかなか見つからなかった。CD制作の時は特に大変だった。製作費を節約しようと新しいジャケットデザイナーを紹介されたところ、丸っきりの初心者を当てられ、結局は私が全て指示しデザインする羽目に。それなのに契約金を支払った。初心者に教えながらなぜ払うんだろうと、腑に落ちない処もあったが、それは一言も口にせず、教訓を頂いたお礼として支払った。お金を出し惜しみすると、こう言う事になる。

それでも、夢だった六本木のスイートベイジルでのリサイタルが実現した。「成功の雰囲気の中で始まり、成功の確信を持って終った」とされた。何か大きな目に見えない力に連れて行かれていると言うか、大きな力が動いているような気がする。私一人の力ではとてもとてもなし得た事ではない。私がしている事は、ただ自分磨き。恐らく毎日が大掃除。大掃除の後に今度は磨きをかける。歌にも、生き方にも。「産みの苦しみ
」はあったけれど、結局は産めた。これも皆、お陰。 

今年は色々なところで沢山歌わせて頂きました。本当にありがとうございます。

前に進まなければね 20111220  

18日のライブの目的の一つは、二つ前のブログで御話しした歌唱力アップの成果を実証したい事だった。どうやら目的を達成したよう。何度も私の歌を聴いてくれている友人たちからそんなメールや電話を頂いた。また、2年ぶりに会場を使わせて頂いた池之端QUIのマスターは、「歌が以前と”ぜんぜん”(かなり強調していた)違いますね、何か考え方が変わったんですか!
」と終了後に挨拶に行った私を見るなり、かなり鋭い声で顔面”驚き"を表現しいきなり切りだして来た。考え方が変わる?よう分からんけれど・・声の出し方を変えるだけで、そんなに驚かれる程、歌が変わるんだ~と私の方が驚いた。

質問が畳み掛けられる
。「目標は誰ですか!」目標?どう答えればいいのだろう。参考にしている人達が目標になるのだろうか。絶対に答えなければならないようだ。 この日、私はちあきなおみが歌った「紅とんぼ」を歌った。とにかく固有名詞を出さなければ解放してくれない雰囲気。「ちあきなおみ?」とぼそぼそと私が答える。彼は納得したような表情で、やっと目線を私から外し一人で頷いている。余りにも大きな人の名前を言ってしまった後に、なんだか恥ずかしい。直ぐに付け加えた、「それと岸洋子。」混乱の文字が彼の顔に見えた。先ほど聴いた私の歌と岸洋子につながりが持てないらしい。

マスターの言葉がまだ心に残っていた。
考え方が変わった?マスターが私の歌を始めて聴かれたのは3年前、その翌年2回目のリサイタル終了後、たしか彼は同じような事を言っていた、その時の声はぼやけた輪郭を持ち、顔面には少しの笑みが作られていた。それから2年後、同じような事を言う彼の声は尖っていて、笑いながら通り過ぎる事は許されず、はい、考え方が変わりました、と言わなければならない、そんな強制的雰囲気を出している。でも思い返してみると、確かに、3年前から私に異変が起きている。生き方が変わった。
3年前と今とその進化する過程をマスターは私の歌を通じて感じていると言う事なのかも知れない。

歌が変わってきたのは自分でも分かるけれども、おそらく久しぶりに聴いた人が一層分かるのだろうと思う。新たなエネルギーが沸いて来たような気がする。昔々のとても若き日々と変わらぬエネルギー。

歌に関する前進は、友人たちのコメントも大きなベースになっている。感性が豊かで音楽を聴く耳を持ちながら正直に言ってくれる友人たちが、幸せな事に私には複数いる。苦言を呈してくれる人がいる。良い処も欠けている処も含めて包み隠さずに言ってくれる。本当にありがたい。彼女達から頂いたそして自分で感じた未達の課題に取り組み始める。

さらに進もう。

ピアノをリニューアル 20111213

かれこれ20年前に買ったテクニックスの電子ピアノを粗大ごみとして今朝出しました。 

鍵盤をたたくとガボガボという雑音が大分長い間出ていた。幸運にも私の住んでいる街には大型家電量販店が2つ、大きな道路を挟んで向かい合っている。ネットで日本と米国のユーザの評価を色々調べ、2か月前に眼を付けておいたものを12月に入って購入。びっくりするのはその値段。20年前の3分の一以下。そのうえ、当時より必要機能が増えている。私に欲しいのは録音機能。作曲過程で出来上がったものを弾いた通りに録音してくれる。つまり毎回譜面に起こす必要がない。とてもありがたい。1曲完成に近くなった時に気を入れて鉛筆と消しゴムを持てばいい。 

古いピアノをマンションの17階から粗大ゴミ置き場に持って行く作業。施設管理室に相談に行ったら、手を貸して下さった。台車があるのでお手伝いして下さった方にはそれほど負担をかけずに結構軽く運べた。 

20年間も使っていると捨てる時は少しセンチメンタルになるかと思ったが、以外と気持ちが軽い。新しいピアノが、数時間で届く。ふん、何か新しい事が始まるようで、うれしい。(#^.^#) 

さぁ、Celviano, よろしくお願い致します。

……………

上のブログを書いて20分後 Celviano AP-620が到着した。設置が終わって改めてみると・・・店頭で私は隅々まで余り確認しなかったよう。ちょっとチャッチイかな。以前のテクニックスに比べて見劣りする。鍵盤の蓋もなんだか金属の薄い板をそのまま引っ張っているようで、間違うと指を切ってしまうような錯覚を得る。そう言う事は無いだろうけど。ま、しゃ~ない。家の中まで入れちゃったちゃったのだもの、長く付き合っていこう。テクニックスは無かったと思えばいいか。(;一_)デザインをとても気にしていた昔なら、どうにか納得するモノと交換しただろうけれど・・・

歌唱力アップ 20111214 

「歌を自分で作って歌うシンガー・ソングライターは、歌はうまくなくても良いんだよ」と、まだ私の歌を聴いた事は無いけれども、これから聴きに来られるような気配のする人(笑)が言う。今年7月のリサイタルでは、多くの方が私の作った“物語”が大変お気に召された様子。「すごかったねぇ、よく覚えたよ、あのセリフ」「歌は?」「歌なんか聴いていなかったよ~!」「何それ!」そんな会話がしずこのリサイタル初来場者との間であった(もちろん、シャンソンは所詮他人のコピー、それよりもオリジナルの歌がずっと心に沁みたと歌を評価する人もいる)。 

なんだか心の座り心地が悪い。「トータルでどうだったかですから、お客様の反応は上々じゃないですか~!」確かに耳に入って来るコメントは肯定的なものばかり。とても熱心に応援して下さる方は、衣装やトークについて細かい注文を投げて来るが、しずこのリサイタルは概して評判が良いようだ。でも、やはりもっと進化したいのだろう、声の出し方をかくあるべき姿に持って行きたい。かつて、私の歌はただ聴くだけのCD向きではなく、見て聴いて楽しんで頂くものと思っていた。ショー形式にして演出や振付を考えたりするのが楽しい。芝居をやっていたからね、と言う声があるが、逆だと思う。そういうものを楽しむ本来の傾向があるから、演じる事が好きだし芝居の様々な別な要素が好きなのだ。だから、CD制作が実際に行われようとしている時は、自分でも驚いた。20年以上も前、始めて作った自作曲「あなたとなら」に専門家から「シンプルで良い歌だ」と言われた事で、「いつか形にしたいなぁ」とCD制作をほんの5秒間思っただけの事が実現されようとしていたから。 

でも、CDを作って聴いて頂いている以上、声だけでも聴かせるものを作って行かなければ。声に磨きをかけたい、かけなければならない。そう思い、リサイタルが終わって8月から発声指導を受け始めた。20年前に付いた東京音大の先生だ。今では教授になっていらっしゃる。大変忙しいスケジュールの中、喜んで応じて下さった。なんだか私のレッスンを“しんどい”けれど楽しみにして下さっているみたい(ドンドン要求するし、色々やっても掴めない時は、「他の教え方は無いですか」と食いつくから(笑)。おそらくこんな生徒は他にもいないでしょうね。なぜこうまで言えるようになったかと言うと、きっと私は焦っているのだと思う。自分が漠然と描くレベルに自分の歌唱力を早く上げたいから)。 

声の出し方を教えて頂くのは、今回が初めてではない。20年も前に元歌手ばかりを集めた芸能事務所に所属したため、歌う仕事を受けられるよう、15人程の先生についた。どなたも同じ事を話されたが、私の声は全く歌う声にならなかった。何人も先生を変えている内に、これは私の根本的な問題を把握できる人が現れない限りいくらやってもダメだと分かってきた。そう言う方はいないかと、誰かがxxx先生に付いているという話を聞けばとにかく行ってみた。15人程変えた頃だろうか、教え方の異なる先生に出会った。まったく逆の事を言われる。それでも、3年ほど良く分からないままのレッスンが続いたが、食いついていればどこかに到達するような勘が働いた。ある時突然、これかなと気がついた。あれから十数年、久々に先生と再会、そしてレッスンの再開。以前に積み上げたものがあるので、先生が私に求められる事が、思い出したように結構スムースに現わせる。何となく、声がきれいに並んだような気がする。

ちあきなおみが歌った「紅とんぼ」の譜面が先生の面前に置かれる。「色々な事をするんですねぇ。・・・・(歌を聴いて)こう言う歌は、良いですねぇ。」ちらっと私をはす目に見られる。・・・照れる。

18日のソロ・ライブ、楽しみ。(#^.^#)

久々の通訳ー中居正広のバラエティー番組収録のお手伝いをして 2011/12/7 

久々に通訳の仕事を受けた。3年前に、残された人生は歌の世界でと、背水の陣を敷いた後、不思議に通訳の依頼自体が少なくなって行った。一度、内容は既に忘れたが、引き受けた後に送られて来た厚さ1.5センチ程の資料の山を見て、ああ、もうやりたくないと思っている自分がいた。今はごく僅か、簡単なモノだけを受けている。 

今回の仕事は日本テレビのバラエティー番組収録のお手伝い。SMAPの中居正広が中心となっている番組らしい。北京オリンピック砲丸投げ銀メダル受賞者クリスチャン・キャムウェルと日本相撲会の大関琴奨菊と関脇(?)雅山との砲丸投げ競技である。一人3回づつ投げ、力士二人のベスト・スコアの合計と砲丸投げ銀メダリストのスコアを比較し、勝ち負けを争わせると言う。 

クリスチャンが重い金属の塊を軽々と宙に投げ砲丸の感触を確かめる。それだけでも見ている周りの人達は歓声を上げる。力士たちの合計は、クリスチャンの一投に追いつかない。結局、銀メダリストの勝ち。 

印象的だったのは、琴奨菊。体がとても柔らかい。大きな体なのに重たいと言う感じが無く、軽やか。それに彼の飛距離は雅山に2メートル程差を付ける程腕力がある。投擲(とうてき)する前に、コーチが砲丸の持ち方などを教えるのだが、琴奨菊は勘がいい。飛距離を伸ばすために自分なりに砲丸の構え方を変えたりする。変えた事でスコアが上がる。 

両力士とも話し方や人との対し方もとてもよい。おごった処のない謙虚な普通の善人を感じさせる。 

バラエティー番組は普段のわたしの生活には縁のないものだが、その制作に関わっている人達の真剣さ、他人への配慮、磨かれているなぁと思わせた。撮影は昨日、寒い日だった。私は厚手の下着にパンツスーツを着、首にマフラーを巻いて行ったが、競技場の寒さは防寒具を必要としていた。私の薄着に直ぐに気が付かれた宍戸錠の若き頃に似ているが彼よりも断然ハンサムな番組製作下請けプロデューサがどこかから持って来て下さったのだろう、「これをどうぞ」とコートを着せて下さる。ありがたくそれを着た私。とても温かい。喜ぶ私に彼が笑顔で応える。撮影途中で雨が降り出した。ダウン入りなのか、コートの温かさが心地よい。全てが終わって、競技場を横切ったところの建物の方に眼をやると、そのプロデューサがこちらをずっと見ている。控室に着くと、「車を用意してあります」と私のために既にハイヤーを呼んで下さっている。 

嬉しかった。雨が降っていたし、コートをお返しした後は寒いだろうから私は近場の地下鉄の駅までお願いしようとした。そうすれば乗り換えなしで私の家の最寄り駅まで電車が連れて行ってくれる。近場の駅の名前を言うと、少し会話に間が出来た。「あ、そうか」・・・私は自宅の場所を言った。プロデューサは運転手にその駅の名前を言い、「またよろしくお願いします」と笑顔の混じった軽い声で私の背後から声をかけ、ハイヤーの後部ドアを開けて私を車の中に誘導した。 

ハイヤーは待っている間に既に2700円程の数字をメータに表示していた。地下鉄で行けば僅か230円、きっと家にも早く着ける、特に雨だもの道路も混んでいるだろう。でも咄嗟に色々な事に配慮した。そのような御もてなしをしたいと言うプロデューサの気持ち、これによってタクシー会社にもお金が回る。お金は回らなければならない。遠慮をして自分の律儀さのようなものを押し売りするよりも、そして急いでいる訳ではないので地下鉄を使う便利さを選択するという自分の都合よりも、より多くの人が喜ぶ事を選択した。そんな自分を「大人になったなぁ」と誇らしく思った。

新曲でソロライブ開催 2011/12/1

「間に合いますか」


あなたの乗った電車が 着く頃ですか
今日は夕方から 雨が降っています
傘はカバンの中に 入っていますか
今朝ばかりは 忘れましたか 

間に合いますか 駆けて行けば
私が差し出す傘を 受けてくれますか
雨が降ります 雨が降ります
雨が降ります 雨が降ります 

今年10月にできた歌「間に合いますか」の一番です。これに曲もでき、既に何人かの方々に聴いて頂きました。この歌は一人残らず「うわ~来ますね~」という反応だった。歌を作ると私はまず周りの人に聴いて頂く。聴いて下さる方々が至る処にいてとても便利だ(笑)。以前に一度、当たり障りのない言葉を入れ「うん?」と思いながらも、よりふさわしい表現が思い浮かばず、そのままに放置しておいた事があったが、その放置したところを指摘された時は、目覚まし時計に起こされた感覚になった。 

この「間に合いますか」を初披露するプチ・ソロ・ライブを開きます。4つ前のブログで紹介しましたが、日程が決まりました。  

しずこ ソロ・ライブ

場所:池之端QUI http://www.livespace-qui.com/index.htm

日時:12月18日(日曜日)19:30開演(1900開場)

料金:チャージ:5,500円(ワンドリンク、おつまみ付き)+税 (“平常”ライブ形式なので、チケットは無く当日終了後の清算となります)

クリスマス・シーズンの最中、私の歌で温まって下さったら・・・そんな大それたことを想っております。
  

「おやすみ、母さん」20111129

内容は分からず、出演者の名前を見てこの芝居のチケットを買った。白石加代子と中嶋朋子の二人芝居。観ながら、こんな暗い芝居にわざわざお金を払って観ている事に後悔した。気持ちがブルーになって来る。娘と母、二人の生活。娘は5歳の時から癲癇持ち。そんな娘が1年間発作を起こさず落ち着いて来た時、生きる意味を見いだせず自殺する事を計画して行く。母親にもこれと言った生きる意味がある訳ではない、朝から晩までテレビを見て一日を終える。娘は自分が死んでも母親が困らないように身辺を整理し、母親にその夜に彼女が執行する計画を告げる。自殺を思いとどまる事を懸命に説得しようとする母親、自殺を理解してもらおうと懸命に説得する娘。母は、娘が自殺を考えるほどこれまで孤独だった事に気がつかないでいた事を反省するが、知ったとしても娘を孤独から解放する事はできない。同時に娘に逝かれた後の自分の孤独を思う。娘は計画通り、「おやすみ、母さん」と言ってドアを閉め二階に上がる。そして銃声。母親は、娘から言われたとおり、ココアを作った後の鍋洗いに取りかかる。 

孤独―おそらく人間が一番避けて通りたいものではないだろうか。何も拘(こだわ)るものが見いだせない事も、その場所に自分がいる必要を見いだせない事も、孤独をつくる。 

とても苦しい芝居だ。途中で席を立とうとしたが後味が悪くなるし、そしてまた苦しい気持ちを観客に残すだけで終わらないだろうと言う期待があり最後まで観た・・・期待に応えてくれた。苦しい気持ちが自分に持たせられたモノに対する愛に変わり始めたような気がする。人にはいくつか拘るものがあると思う。それを大事にするんだと。そして、その拘るものに拘り続けさせてくれるあらゆるものに心から感謝するんだと。

こう言う事が時々ある。どんな内容か少しは興味もあったのだろうが、単純に出演者で選んだ芝居に行ったら、今のご時世に縁もゆかりもないような芝居である事が。ただ心が暗~くなる。そんな時、自分に笑ってしまう。わざわざお金を出してふさぎ込む芝居を見る私はアホかいなと。脚本家や演出家が言いたい理屈(屁理屈?)は分かるような気がする。その貧しさや不幸の深層部分をえぐり出そうとしているのでしょうが、そこから解放させる手立はご本人たちも分かっていない。やはり、楽しくなるもの、心が高揚して来るものが私は好きだ。元気になるし力が沸いてくる、じゃない?だって、その人の幸不幸は、その人が何を想い何を念じているかにあると想うもの。こう言う私も、この重要な処を最近気がついたのだけれどもね。

見ずして語るべからずーー上海、蘇州、杭州を巡って 20111123 

大学のOB達のサークルの一つである囲碁クラブのメンバーが9人で中国上海、蘇州、杭州を周るという。そんな話を飲み会で聴いていたら、突然大きな声で、「一緒に行かない?」と誘われた。できるだけ年に一回は他の国に行きたいと考えている私は、即座に「行く、行く」と、11月中旬、以前から行ってみたいと思っていた中国を訪れた。 

いや~、見ずして語るべからずですね!上海、蘇州、杭州に関する限り、中国は実に豊かな国です!まず料理がすごい。今回は蘇州のプロ棋士たちとの試合を織り込んだツアーだったので、旅行社ではなく,60歳半ばだろうかまだロマンスをいくつも創れる雰囲気を持つ端正な顔立ちをした中国人棋士が案内して下さったレストランで食事。テーブルに出されたものはどれも日本の中華料理店でお目にかかった事のない料理ばかり、そしてどれも確かに美味しい!嬉しくてたまらない、「美味しいですね、美味しいですね」を連発する。お昼もテーブルを埋め尽くす料理だが、此処でも同じものは一つも出ない。ものすごくよく食べ、朝の腸の調子も良い。きっと食べた物のせいだなぁと、通常の海外旅行に欠ける幸せ感に満たされる。蘇州では、モータボートを使って湖を渡り上海ガニを食しに。上海ガニが出る前にお目見えする皿の上の亡骸。口ばしのやたら長い目がぎょろぎょろしている真っ黒なもの。ウエっ!「私、これはいいです」とテーブルを手早く回す。次に出て来たものは、エスカルゴ?「これは田螺でしょ」と先輩。ま、太りすぎたお腹に休憩を与えるのもいいかと、その日は少しばかり控え目。先輩の一人が言う「いや~上海ガニがこんなに美味しいとは思いませんでした。」十字架を首にかければ牧師さんの雰囲気のある先輩のほくそ笑む顔に、ホッ、私の感想を先に言わずに良かった、と一人で心の中でにっこり。


                        

 杭州の自然や公園の美しさには、目を見張った。湖畔の周りはしだれ柳が風雅に佇み、このような自然が、中国のあの色っぽい墨絵を描かせるのかと思った。その美しさも土地が広いのでスケールが違う。ガイドの話だと、杭州は毛沢東主席も休息によく訪れた場所であったらしい。

杭州と様変わりを見せるのは蘇州。車と人間の間の彼らなりの秩序が、慣れるまではただただ「無い」と思わせるほどめちゃくちゃ。道路を渡るのに一大決心が要る。素敵なドレスをショー・ウィンドウに見つけたので、ステージ衣装にできるかと、先輩たちが刺繍博物館を見学している間、私は道路を横切ってそちらの方に移動しようとした。一歩車道に足を付けた途端、車が直ぐに私の身体から1メートル程近くまで付けて来る。バイクも自転車も。右からの車の流れがなかなか切れないのでふと左を見ると、もう私の直ぐ側までぴったりと付けているのである。うわっ!と一人ごとを言いながら、やっとあちら側に。コツを覚えた。渡るときには現地の人の後に付いて行けばよい。クラクションの音もすごい。鳴らしたって進まないものは進まないのに。 

この3都市に共通している事は、新しい家は皆と言って良いほど、西洋のどこかで見たもの、または日本のラブホテルのような形をしている。(話は脱線するが、かつて韓国から日本に来た60歳の女性が、ラブホテルを教会と間違えたらしい。日本語が読めないので、休憩や御泊りの時間表示はミサの時間だと思ったと言うのを聴いて大笑いした事があった。)また五重塔のような塔が杭州には幾つかあるのだが、階段がエスカレータになっていたり、塔にはガラス張りの超近代的なエレベータが取りつけられたりしている。その塔は4年で完成させたそうな。思った――この超近代的な設備を取り付ける技術、そしてそれを完成させる技術はこの塔が建立された当時の中国にあったのかな。技術者だけでなく、これらを作る大工さんも含めて(掃除や雑用は別)、全て外国から引っ張ってきたというか、この絶好の機会を利用した外国人パワーが作ったものじゃないかな。とすると、今の中国は世界が作ったんだぁ、と。 

上海の街は、統一感が皆無の建物で“にぎわって”いる。「ユニークな街ですね」と言ったら、中国人かと見間違えられる先輩の一人がほぼ同時に「めちゃくちゃだなぁ」と言う。同じ事を見ても言葉の選択が違っていて、笑ってしまった。 


ショッピングモール

いつか中国の他の都市も行ってみたい、満州、チベットなどなど。ただ50年も前の日本の田舎のお手洗いや日本の公衆トイレがまだ主流の中国,特に中国の田舎に覚悟して挑む準備が必要・・・・

歌を沢山書いています20111022

これまでいくつか歌を書いて来ましたが、それらは何気なく出て来たもので、それぞれ短時間で出来上がっていました。

ふと生まれる、だから短時間でできるのだと思う。ここのところ何もふと生まれなかった。ふと生まれるまで待とうと思っていたけれど、やはり積極的に活動しなければいかんと思い、NHKで様々な歌手のライブを視聴したり、youtubeで歌を聴いたりしていたら、書こうと言う気になってきた。私の場合は、詞先(詞が先にできて曲が後でできる)なので、テロップで映し出される詞をじっと睨めながら追っていったら、気負わずにある断片の思いをとにかく書き始めればよいんだと思い、書きだしたら、木槌で付いたばかりのお餅を、親指と人差し指の間に挟んできな粉の敷かれたお皿にポトッポトッと切り落すように詞が出てきた。一日で4曲書いた。鉛筆を持って机に向ったら、もっともっと出て来るような気がする。
 

なんでこんなに沢山出て来たんだろう。おそらく、自分の今の想いだけでなく、過去の自分が浸る世界を書き始めたからかも知れない。今はもうその世界は私の生活の中にないけれど、浸れる過去の自分を鮮明に覚えている。私が「美しい日々だけを連れて」を書いた時、「過去の愛にしがみつく執着の愛を歌う歌が多い中で、この歌は放つ愛を歌っている」と言った人がいた。ある程度“人生の法則”が分かると(偉そうね!)、執着する事は若気の至りに思えて来て、それを超える事を書きたくなっていた。でも、そんな執着の世界はきっと誰もが通って来る。自分が向きたい方向だけを書くのではなく、多くの人達と共有できるものを書いて行く事も大切だと考えを変えた。だって、歌は自分のために書くと言うよりも、大それた事かもしれないけれど、聴いた人の心の中で何かを感じ取って欲しいから書くような気がする。 

ただ、私の場合は、メロディーはできても、それを譜面にするのが結構大変。何度も書き直さなければならない。時々簡単に譜面にしてくれる人が見つかる時もあるけれど、できるだけ自分でやって慣れる事にしている。 

さて、また今から譜面書きです。

12月にソロ・ライブ 2011103

10月と11月は月例ライブをお休みして、12月にソロ・ライブをさせて頂く事になりました。場所は上野不忍池の直ぐ側、寄席の鈴本が勧める近所のうなぎ料理の老舗「かめや一睡亭」の入っているビルの4階、「池之端QUI」です。オーナーはこのうなぎ屋さんの社長。 

「池之端QUI」は3年前に第1回目のリサイタルをさせて頂いたところですが、なんだかずいぶん昔の事のような気がします。当初45人のお客様で始まった、私にとって一年に一度の大きなイベント会場が、今年は小さなイベントに使わせて頂くことに。3年の間にずいぶん遠くまで来たような気がします。でも自分の力は30%、のこりは周りの方々の応援。眼に見えない力を信じそれに寄り添ったお陰と心から思っています。  

「池之端QUI」は「日本で一番きれいなシャンソニエ」と巷で囁かれています。私も始めて行った時に一目ぼれしたところです。和洋折衷のとても素敵な内装、これまで私のリサイタルに来て下さった方々が、あそこでまた聴きたいと言って下さる。

 この日は、演歌も歌います。「演歌が良いねぇ」「やっぱり演歌が一番合うよ」そんな声も良く聞こえていました。それで今度はやります。「紅とんぼ」、そしておそらく「愛の終着駅」。バタ臭いのが合っていると言う方もいるので、ブーイングもあるかな?かな?

ユル・ブリンナーの世界 2011918

ミュージカル「王様と私」でシャムの王様を演じたユル・ブリンナー。強健な肉体とセクシーな目線の投げ方が印象的でしたが、黒柳徹子さんの著書「マイフレンズ」(確かそんなタイトルだったと思う)の中に紹介されていた彼の人生に、心震えんばかりの想いを寄せました。

彼は10歳の頃、家族で移り住んだパリに一人残され孤児になった。孤児になった彼は13歳の時にサーカス入り。そこで宙返りを披露していたが、ある時アンコールに応えて再度宙返りをすると、セーフティ・ネットが破けていて、彼はそのままフロアに落下。身体の左半分が潰れ、片足が不自由になった。

「王様と私」の王様を演じる人がなかなか決まらずにいた時、彼が見つかったが、ステージを観る観客の眼には彼の片足の不自由さは全く映らない。それでも一旦ステージを離れると、彼はビッコを引いて歩いていたらしい。その方が楽だと言う。ある時、1幕が終わり、付き人と一緒に楽屋に大急ぎで戻り、誰も入ってはダメだという勢いで、バターンとドアを閉める。突然楽屋の中から「グワァ~」とものすごい音が聞こえる。それは、十分な呼吸のできない、潰れている肺に人口酸素吸入をしている音だった。

これを読んで胸が一杯になった。10歳で一人残され食べて行くためにサーカス入り、そして落下、身体の半分が潰れる。孤独と苦しみのなかでどんなに打ちひしがれた事か。それでも「生きる」、惨めな生き方で無い生き方をする。「生きる」。人間の命の強さと貴さ。”自分の世界は自分の想い次第で、いかようにもなる”ーやはり幸せや豊かさと言うのは外にあるんじゃない、自分の中に自分が作っていくものなんだなぁと、人間の命を崇めながら感無量になりました。

月例ライブの休憩 2011914

新宿3丁目のQUIで歌い始めて7年。”7”は完成の数字だとか。今私の中で、これまでのままでいてはいけない、いたくないと言う思いがあり、ちょっと月例ライブをお休みする事にしました。

9月に入って大分時間ができたので、本を読む事が多い。運良く徒歩5分の処に東京23区で最も近代的な区立中央図書館があり、読み漁っています。すっかりメガネをかけて読むようになっちゃいました。

放浪記の中の森光子さん 2011831 

NHK BSで帝国劇場設立100年記念シリーズに4作品が放映された。その一つが森光子主演の『放浪記』。

かつて帝国劇場の支配人をされていた方から森光子さんの話を聞いた事がある。若かりし頃、主役を演じる女優たちをみて、「私の方がうまい、私ならもっといいものが作れる」と言う信念で上京されたとか。様々なぬか喜び的なお話を頂いては落胆を繰り返すけれども、決して諦めなかった.「あきらめない女優」という別名まであるとか。今年、89歳。舞台画面に映る彼女の動きにはその年齢を微塵も感じさせない。下駄を履いて軽快に小走りさえする。そのような姿に観客の一人は「自分の御祖母ちゃんと同じ年なのに・・・」と声を詰まらせて涙する。 

やはり、生の舞台の意義はこれだと思う。エネルギー、元気をもらう。だから演者は全力で向かうのだと。「この舞台にかける」と言う覚悟のようなもの。それが観客を心底感動させ、観客は元気をもらって帰る。

信念。決して諦めない、貫く自分への信念
生きる過程では自分に対し世間には是も否もあるけれど、自分が自分を信じられるという徹頭徹尾自分に対する強い信念がある。だから諦めないでいられるし、自分の夢を実現させる事ができる。その夢の実現には、多くの方々が関わる。だから自分一人でなせた事では無く、皆様のお陰。"皆様"には自分を「否定」した人も入るだろううと思う。その方々の”否"で何かに気づく時もあったから。是も否も全てが自分を成長させてくれる“ありがたい”ものだった。 

「皆さんに恩返しをしたい」と森さんは言う。とても分かるような気がする。そんな言葉が太く出てくるのは、絶対あきらめずに事を成し遂げたからだろう。
 

是も否もありがたい。確かにそうね。でも、やっぱり是が沢山あった方が良いね(笑)。

両親にお花とお菓子 2011815

今日は8月15日。盆用の花とお菓子を買って仏壇に供えました。実はこんな事をしたのは初めてなのです。

3
年前に小さな仏壇を部屋に置きました。最近はマンションの小さな部屋に合うような仏壇も出ていて、黒の漆塗でなく、木目がそのまま出た柔らかい感じのものも売られています。始めて知人に勧められた時には、「形じゃないわ」と少し抵抗がありましたが、そんなものを受け入れる時期になったのでしょうね、形が置いてあると、そこを通る度に眼にするものだから忘れる事がない。毎朝お線香を焚いてリンを鳴らし、父や母と少しの会話をします。

お盆に特別な会話があると言う訳ではないけれど、花とお菓子を添える自分が嬉しいの。

の皺がすっかり取れ、美容整形より美しく自然に  2011/8/15

何か月ぶりだろう、彼女に逢ったのは。昨日の日曜日、以前の日記で紹介した道場関連の集いで暫くぶりに逢いました。彼女は今73歳でしょうか。初めてお逢いしたのは3年ほど前、身体が小さく、顔は皺だらけでした。装いがおしゃれなので人の眼を引く方でしたが、性格がとても我がままと言うか、自分の都合で好みに逢わない方、または自分の勝気さがもろに出てしまう対象に対しては、その方を酷評し、人前で大きな声で「わたし、xxxさんは大嫌い!」などと言ったり、「あなた、私の話を聴けるなんて、物凄く光栄の事なのよ!」と、こちらが赤面してしまう事を平然と言う方でした(はい、この言葉を聴いたのは私です) 

多くの方が「大変個性的な方ですね」と言いながらも、さすが道場にいらしている方々はそれでもニコニコと彼女に付き合っていました。その彼女がまるで別人になって昨日現れたのです。1メートル近く間近で見る彼女の顔には、口元に僅かばかり残して皺が全く消え肌には艶さえありました。そしてその表情は、以前には彼女の顔面には存在しなかった穏やかさを醸し出し、笑みを湛えている。 

何が彼女をそんなに変えたの。私の全身が耳になった。彼女曰く、信仰をもつものが朝夕あげる「聖教を半年で1満回読誦したら、人の仏性だけが見えて来たの。」「すっごく綺麗になったわね」と私。「そう、前は皺が多くて、自分でも整形しようかと思ったけれど、これから結婚する訳でもないし、それに人間神の子なんだから、そんなものしなくても良いんだと思ったの。」5年間で彼女はこんなにも美しくなった。私が彼女に初めて出会ったのは3年前だけれど、彼女の信仰生活は5年らしい。信仰とは自分の仏性、相手の仏性を見る事だという。彼女のbefore afterを目の当たりに見ている私としては、もう、物凄いものを見させられたと”感慨”と言う文字を持ってそれを表しても十分でない。 

心がきれいになる、物事を良いように見て行く、それは危険もお金も手術の傷跡が消えるまでの長い時間も伴う美容整形よりも人の外見をも美しくさせ、人生さえも楽しく喜びに満ちたものにするのだ!うわ~、すごい、すごい!心の向くベクトルを変えること、それは一番難しいかも知れないけれど、決断して実行すれば、なせない事は無い。自分の想いで世の中が変わるとはこの事なのね。"現物"before and afterを見させて頂いた私の心の中では、津波のごときうねりが未だ続いている。


心とは、いつも何をどのように想っているかと言う事、これを「真善美」の方向に変えることで皺さえも無くなる!!! 

宮崎駿 2011/8/10 

昨日宮崎駿と息子の吾朗を題材にした「ふたり」がNHK地上波で放映されていた。偉業を成し遂げた(成し遂げている)人の言葉を聴くのはいつも何か心に響くものがある。 

作品の封切りが迫っている中で起きた311日の東北関東大震災。計画停電によりコンピュータで作っていたものが消滅すると言う混乱を避ける為3日間休業にしようとスタッフ会議で全員一致で合意する。そこに現れた宮崎駿は「休業する事の方が混乱を招く」と強固に主張する。 

極僅かな不安はあるだろうが、「大丈夫だ」と言う信念が彼の中にあったのだろうと思う。自分の想いに自信が持てる、自信を持ち怯まずそれを実行できる、そこに協力者を集められる、偉業を成し遂げる者はそう言う人たちなのだろう。まず身体中に満ちる自分の想いへの自信がある。 

もう一つハッとさせられた言葉があった。「作品は作るのではない”寄り添う”のだ。」

STB139リサイタル、来場者からのメール 2011/7/16(それぞれのコメントの最後のカッコ内の数字は来場回数)

ワンダフル!素晴らしかったですよー!!確実にグレードアップされてますね!おめでとうございます。パチパチパチ!!!(3回)

昨夜は、すばらしいステージでした。第1部の歌は、オリジナル曲を含め心に染み入るものがありましたし、第2部の物語りにも感動しました。歌はもちろんですが、語りやダンスまで、相当練習されたのでしょうね。バックの皆さんとも息があっていましたし、演奏もすばらしかったです。会場には初めて入りましたが、ああいう場所があるのですね。もっと若いときに知っていればよかったです。(2回)

第2ステージで「ラ・ボエーム」の歌から始まったモンマルトルの丘に住む売れない絵描きとダンサーの愛の物語。ロートレックの踊り子を連想するドラマだ。サクレクール寺院とモンマルトルの広場、売れない絵描きや学生さんが似顔絵を書いてお金を取っていたり、音大の留学生がヴァイオリンを弾いてアルバイト。寺院に続く階段、下にあるムーランルージュやクラブ、シャンソニエ、レオフェレも歌っていたクラブ。下町の中にあるモンマルトルの墓地に多くの芸術家がねむる。・・・・パリの風景。思い出します。コメディフランセでみたモリエールの劇のようです。また来年を楽しみにしています。(初)

しずこさんの色気のある舞台に魅かれました。すらりとしたか細くもあり、あるときはたくましく踊りまくる体も素敵です。アイドルではなく落ち着いた色気と安定した踊りと軽いおしゃべりとで楽しませてくれました。合間に見える女の一生懸命に歌う姿や踊りに魅かれました。この舞台にかける。この一瞬にかける意気込みを感じて来ました。とても目が離せない舞台でした。来年も行きます。(初)

本当に素敵なコンサートでした。魂がゆれました。ありがとうございました。(初)
まだコンサートの感動がやまないです!(初)
感動して興奮していたから、CD売っているのも気がつかなかった。(2回)
すごかった~。来て本当に良かった~。(初)
昨年は髪もショートで傘を持って出て来たけれど、今回は本当、大人の女の雰囲気で、良かったですよ~。応援していますからね。(3回)

リサイタル盛会に開催された事をお祝い申し上げます。私自身もしずこさんのエネルギッシュな歌声と演出に魅了され圧倒されっぱなしでした。歌声はもちろんの事、手の込んだ演出や衣装に引き込まれっぱなしでした。一緒に参加していた友人もリサイタルの帰り、元気を貰ったと喜びに溢れ明るさにみたされていました。シャンソンを通して真理や自分の内なる思いを表現するって素晴らしいデスね。その思いに共感し参加者皆が宝石のように輝けるんですね。ありがとうございます。(初)

招待した友人が帰りに、「私、若返ったような気がするわ」と言っていたの。(2回)
あのパローレ(「甘い囁き」)、すてき~。普通なら淡々と歌われるんだけれど・・・(2回)(3回)
「ケサラ」では涙が出たわ。(4回)
最後のピンクの衣装、あなたらしくない。もっと神々しいのが良い。(4回)
あのピンクの最後の衣装は宝石のようでしたね。(初)
本当に素晴らしいステージでした。とにかく素晴らしかった。(初)
本当に良かった。それ以上どう表現してよいか分からない。(初)
脚本、演出、構成、振付、歌、ダンス、トーク、セリフ、しずさんが持っているもの全てが集大成されたステージでした。本当に素晴らしかった。(3回)
コーラスとの関わりがとても良かった。彼らの動きの硬さがむしろ良い感じになっている。(2回)
ステージは完璧でしたね。特に後半が良かった。衣装のセンス、転換なども素晴らしかったですね。(初)
いや~、良かった。本当に良かった。楽しませてもらったよ。見直したね。プロなんだね。(大学OB会先輩、初)

一回だけで終わるのはもったいない。(初)
84歳の母が喜んで元気になったよ。
(2回)
完全にプロになったね(4回)
楽しくそして魅惑の一時、本当にありがとうございました。森繁さんがかつて話しておられた「語るように歌い、歌うように語る」とはこのようなことなのか・・と驚きの連続でした。特に第二部はドラマ性もあり、思わず引き込まれていました。それにしても熱狂的なファンがおられるのですね。今度は是非、嫁さんもつれてコンサートに行きたいと考えております。(初)
人を感動させ喜ばせる事ができるしずこさんはすごい。それにとても上品。(2回)
XXXさん(60代男性)、涙ボロボロ流して泣いているんだよ.(初)


 

リサイタル盛会の中で終了 2011713

夢の一つであったSTB139(スイートベイジル) でのリサイタル#4「今のわたし宝石です」は盛会の中で終わりました。今回はいつも私を応援して下さる方々が大震災に直接間接に関係したそれぞれの事情でおいで頂けなくて、一時はどうなる事やらと思っていましたが、新しい方々が沢山来て下さいました。楽屋のモニターで見る限り結構な数の来場者でした。心よりお礼を申し上げます。

まだ無名のわたしがこのライブハウスに出ると言う事で、敷居の高い感がいつも漂っていたスイートベイジルのスタッフでしたが、当日のお客様の数や当日のリハーサル時にステージの内容を直に見てそして聴かれてからは安心されたのか、一体感が醸し出す素晴らしいステージ創りになって行きました。

お客様の心が喜ぶ、それが私の"仕事""仕事"と言うよりも高級な"遊び"をしている、ままごとをしているような感覚ですが、今回も、雰囲気からすると、来場者の多くが喜んで帰られた様子。中には嬉しくてたまらない心を公演終了直後に伝えて下さる電話もありました。ショーが終わりフロントまで出てお客様に挨拶をしに行きますと、多くの方々が興奮していらっしゃる様子で、あちらこちらから歓声が聞かれ、昨日は来場者の電話やメール対応で終わる一日となりました。『素晴らしかった』と言う言葉は沢山いただきましたが、「一緒に行った友人が、元気を貰ったと喜びに溢れ明るさにみたされていました」「連れて行った友人がね、『若返ったような気がするわ!、招待して下さったあなたにどうやってお礼をしたらよいかしら』と言うのよ」・・・このような言葉には、私の心の底から嬉しさが込みあがりました。感動して、CD売り場にも気がつかなかったという人もいらして、それでCDの売れ行きが良くなかったのかと、喜んで良いのか複雑な気持ちもしますが、良いことには違いないかもしれませんね。

これからまたどんな展開があるのだろう。ひとつはっきりとしているのは、STB139のスタッフと一体になったと感じた時、彼らのプロの根性が私の心に何かを投げかけた。その何かが私に思わせる:このライブハウスでまたやりたい

ドレスリハーサルでのショット 2011711 

明日がリサイタルだと言うのに、どの位の人がリサイタル前にこの写真を見て下さるのかしら(笑)。当日のドレスを着て行うリハーサルが72日に行われ、その時のショットです。横にいらっしゃるのはコーラスのテノールの須田宏一さん。とても美しくハモって下さいます。もう一人、「あまい囁き」で渋さを見せる折尾一則さんはこの時のカメラマン。



奇遇?さりげなく、私の知らないところで、誰かが、
Shizuを応援するコミュニティをネット上で作って下さっていた。偶然昨夜見つけたこのサイト、神様からのお年玉のような・・・心の中で合掌していました。このサイトに会員が増えたらなぁ。

細かい事を言うとちょっと気になる・・「50代後半で、やっと来たる6月にCD発売、プロデビュー!」やっと?歌手になるなんて、CDを作るなんて考えてもいない事だったのですが・・・“プロデビュー”? 何を持ってプロデビューというか、おそらくレコード会社に所属した時かも。このCDは自主出版。プロの定義はそれぞれ違うけれど、一応ここではこう言う事にしておきましょ。

そう言えば、昨年の10月だったか、月例のライブに見かけぬ方がいらしていたなぁ。ライブが終わって気がついた。彼は私の歌をネット上で聴いて来て下さっていたらしい。初めての経験でした。 

また新曲が3曲出来上がりつつあります。その内の一つには、「良いねぇ、この歌、わたし泣いた」と言っています(笑)。まるで芝居の世界の唐十郎みたい。彼も泣きながら脚本を書いているらしい。今はどうか分からないけれど、以前にそんな事をどこかで読んだ事があります。

今年のリサイタル 20110303 

7月のどこかでリサイタル#4を決行、と考えています。場所の第一希望は六本木のSTB139。私の頭の中で創られているステージングは、このライブ・ハウスのスペースをベースにしているから、ここでやるに違いないと想う。FM世田谷に出演した時には72日(土)に決行を宣言しましたが、この日は土曜日なので、お店の方も昼夜2回公演をできる人を優先したい。2回公演?500人動員かぁ、世の中何が起きるか分からないけれど、現時点でそれだけの来場者を期待するのは、“雲をつかむような話”になるかなぁ。3月中旬までには、正確に日時が分かると思います。 

日時は決まっていなくとも、リサイタルの準備は開始されました。選曲も大体終わり、2月の最後の土曜日には今回コーラスとして参加頂く男性2人と初リハーサル。いや~、これは面白くなります。昨年のコーラスにはいわゆるコーラスの役割だけをして頂きましたが、今回は、私の恋人役やバーテン役として少しの芝居もして頂きます。あのパローレ、パローレと歌う「甘いささやき」で甘い言葉を囁く細川俊之の再来のような声と風貌、そしてハモリの大御所を誇る頼もしいパートナーとのコラボ。ピアノはサーカスのバンドリーダ、ギターとヴァイオリンはかぐや姫のバンドメンバーなどなど、今年も面白いものが出来上がりそう。

胃が痛む 2011/02/12

上のブログで胃が痛くなったと書きましたが、胃痛のもう一つの原因は、今年のリサイタル会場に六本木のSTB139を選んだ事のよう。いつかこの素敵なレストラン・ライブハウスでやりたいとずっと思っていました。今その実現に向けて動き出していますが、改めて店のサイトから出演者の顔触れをみると、少し胃や節々が痛み出します。

高校の同級生にCDを出した事を言ったら、こんなメッセージが来ました。

「聞こえてますか?お仕事の関係上私は一日200Κから300Κ走るのでいつも車の中で好きなCD聞いてます先日やっと届きドキドキしながら聞かせて頂きました。自然に涙が出てきました えっ なぜ涙がって…。 最後まで聞いた訳でもないのに。 あなたのそのバイタリティ 人生最後まで諦めずに頑張っているハングリ精神感動しました。 勿論美しい日々…もあなたとならも聞けばきくほどいい歌ですね。 今日から歌手shizuさんの一ファンです 頑張って下さい 聞こえてますか あなたの歌声を聞きながら出発で~す」

「人生最後まで諦めずに頑張っているハングリ精神」・・・いいえ、一度完全に諦めたのです、来生の課題にしようと。でも人生、どこでどんな事が起きるか分からない。考えてもいなかった事が、でも突然考えだした事がとっさに顕れる。時には自分以外の力、神様の力が働いているようにも想える。この道に行きなさいって。私をこの道に行かすために色々な事件が起き、この道に行かすために必要なものが全て準備される、というか向こうからやって来ているように想える。

 

でも友人のこのメッセージ、何度読んでも涙が滴り落ちるんです。

「この世は生かし合いの世界だよ」と私の敬愛する方が言っていらした。私も誰かを生かしているのかもしれないと思ったら、心が締まるのか、また胃が痛む。でも、繋がっている事の幸せがずっとずっと大きい。この胃の痛さも一つの試練かな。越えたらまた少し大きくなれるかも。大きくなったら、その時に相応しい課題がまた私の胃を痛めるのかもしれないけれど・・・・、行こう。

リサイタルまで後1週間 2011/7/5

STB139
(スイートベイジル)でのリサイタルもちょうど1週間を残すところとなりました。同月にやはりSTBに出演するタレントの渡邊徹さんがご自分の出演しているテレビ番組で彼のSTBコンサートを宣伝していたようです(友人からの話)。宣伝するメディアがあって良いなぁと羨ましい。それで私も頑張って見ようと、ラストスパートを切りたいところなのですが、出席する会はあとひとつ。200人を目標にしましたが、とてもとても。ここは250が満席らしいですが、その半分+α位かしら。「初めから満席になるなんておかしいよ!」と大学の先輩が言って下さって、それもそうだなぁと考え直して初心に帰り、なぜ私はSTB139を選んだのか元の考えに戻りました。

今回が4回目のソロ・コンサートになるのですが、1回目(3年前)はキャパが65席の処、そこで45人の来場者を迎えて初めてのソロ・コンサートを決行しました。翌年、この会場は満席、飲み物を運ぶウェイターの通り道が無くなるほどの賑わいになり、3回目(昨年)には100人を十分に収用できる処を見つけました。90人程の来場者でしたが、その年はある来場者の提案で追加プチコンサートも開き、その合計数は重複して来られた方々を一人とすれば100人を優に超えていました。それで今年は、もっと大きな会場に移ろうとした時、選択肢はただ一つSTBでした。100人を超えたら次に行くところは、STBだと心に思っていたのです。それで結構厳しい審査があったようで、パスしたらしい。

大きな会場で空席が目立つよりも、昨年と同じ会場で、100人を超えて「完売」「お席がありません」「キャンセル待ちです」などとした方が、カッコ良いと言われた方々が何人かいました。一時はそうしようかと思いましたが、漏れた方々がもったいない。一人でも多くの方々にしずこの歌を聴きショーを見て欲しい。それに、会場が大きくなればステージのサイズもそれだけ大きくなるので、ダンス振付も自由にできるし、伴奏者の数も増やせる。自分がしたい事がもっとできる。「ステージが大きくなるにつれて、実力がもっと出てきましたね」と言って下さる音楽関係者もいる。

面白い事をしていれば、人はおのずと集まって来て下さる。そう、最初からSTB139をほぼ満席にする事を考えるなんて、途方もない事かも。2年か3年後に、そう言う日が来るでしょう。

先週の土曜日は、当日の伴奏をして下さる方々とコーラスを含めたドレス・リハーサル。本当にすごい。ものすごく良い。1部は、出だし以外はオリジナルの歌を含めた私一人のステージなので、ストーリ性を持たしたダンスやコーラスのある2部に比べて見劣りするのかと少々気にしていたのですが、「1部がすごく良かった。しずさん、今”シャンソン歌手”と言う名前を付けていますけれど、もう取っても良いと思いますよ。オリジナルの歌、本当に良いですよ。「美しい日々だけを連れて」はテンポを落して西さんと佐久間さんの伴奏で歌ったら、この歌こんなに良い歌なんだと思いましたよ」とは、コーラスからのコメント。最近他の方の主催でゲストとしてコンサートに出演していますが、そこでもテンポを落してこの「美しい日々だけを連れて」を歌うと、「デビューするんですか」「あの歌絶対ヒットしますね」というコメントを複数頂く。

色々な事を全て一つの場所に凝縮してお届けする、しずこのリサイタル。今年は私の夢の一つでありますSTB139のステージからお贈りします。どうぞおいで下さいませ。

7
12日(火曜日)
開場 1800 (レストラン・ライブハウスなので、別料金で公演前に食事が可能です)
開演 19:30
ミュージックチャージ:6,000

STB139 URL
http://stb139.co.jp/index_f.html

1月の出来事を振り返れば  2011/02/11

今年の1月に入ってから、眼の前の出会いや交流を淡々と楽しんで来たのですが、思い返すとドキドキする事が沢山ありました。「あなたが人の心に響く歌を歌っているなら、後は神様にお任せなさい。あなたは何もしなくて良い」と言われて、どちらかというと素直な私は「響く歌かな?」と自分に問いながらもとても気が楽になったんです。「ああ、何もしなくて良いんだ~」と思ってゆったりとした途端、翌日U-tubeで私の歌を聴かれた方からメールがありました。フランスで10年ほど生活し御自分で絵も描きながら軽井沢で画廊を開いていらっしゃる方から、私のコンサートを開きたいというお誘い。
 

それから数日後、ある新年会で2曲ばかり披露させて頂きましたら、その席に来客としていらした方から、ラジオFM世田谷でインタビューも交えて私の歌を紹介したらどうかというお誘い。それが実現してこの2月の第一日曜日に放送。 

まだあるんです。20110115の浮き浮き話で紹介したネットで偶然見つけた「Shizuを応援するコミュニティ」。いったい誰がこのコミュニティを作って下さったのだろう、メンバーは誰なのだろう、と私自身がこのソーシャル・ネットワークに入会。そうしたら自称「しずこのマネージャ」がこのネットワークから出現し、その方の働きからそのクラブで大変人気があり詩やシャンソンがお好きでかつ詳しそうな方が私を御自分のページで紹介されたんです。すると、私のホームページへのアクセスが雨後のタケノコのように増えました(「雨後の竹の子」を実際見た事は無いのですが)。沢山の方々がU-tubeのしずこの歌を聴かれコメントも書いて下さいました。

それで少し″胃が痛くなりました″。また腕の節々も。

様々な芝居を観ました  2011/6/30   

今年に入って5本ほど観ました。3月の大震災の2日前、池袋にある東京芸術劇場で野田mapの「南へ」を観ました。野田さんの芝居は動きやしゃべりが速く、10年ほど前に一度見たきりでしたが、友人の中に野田秀樹ファンがいて、しきりに彼を天才だと言うものだから、たまたま通りがかりに観た看板に誘われ観てきました。久しぶりに一睡もせずに観たとても面白い作品でした。それで直ぐに、野田mapファンになり定期的にメールをもらう事に。奇遇と言うのでしょうか。この芝居の設定は場所が火山帯で、時々火山が爆発すると言う大騒ぎがあり、舞台上が揺れるのですが、その芝居の上演中に大震災、日本本土の半分が揺れる事に。 

この6月に入ってからは2本観ました、新国立劇場で上演された栗山民也演出の「雨」と宮田慶子演出の「おどくみ」。栗山さんの作品は大体観ています。彼の演出する井上ひさし作品は面白い。「雨」は役者さんたちも素晴らしかった。主役は歌舞伎界から市川亀治郎さんが抜擢されましたが、歌舞伎界の方々の演技は型が決まっていると言うのか本当に安定して、素晴らしいものがあります。その妻役の永作博美さんは、本当、あっぱれでした。中央に板だけをおいてそれを回転させる事で時間や空間の違いを表す演出でした。会場には栗山民也著『演出家の仕事』が販売されていたので、読んでみました。私と同じ頃に同じ大学にいたんだなぁ、文学部だから、きっとすれ違った事もあっただろうなぁ、ロシア語を勉強されようとしていたみたいだから、もしかすると同じ教室にいたのかもしれないなあと思いながら、彼の書いたものに心打たれ力をもらいました。 

「おどくみ」を観ていて、しみじみと日本の芝居って本当に面白くなったなぁと感慨深いものがありました。俳優たちが互いのセリフを「聴く」ようになった。以前なら、予めこう言おうと準備して来たものを、相手の反応に関係なく考えて来た通りの調子で自分のセリフを発するものだから、一応相手役はいても、あたかも一人芝居のようでした。つまりセリフが浮いてしまうのですが、最近の俳優さんたち、とくに若い方々は、教え方が変わったのか、本当に異なるものが混じって調和している感じがしました。 

素晴らしい才能が沢山出て来たなぁと、私も頑張ろうと身が締まりました。

拍手が鳴って、チラシが無くなり (逗子文化プラザでのコンサート) 2011/6/20

6月17日、2月12日付の「1月の出来事」でお話した画家とのジョイントコンサートが逗子で行われました。

このコンサートは「7月のリサイタルの予行練習としてやりませんか」というお誘いだったので、当日歌う曲目リストから10曲を選びました。ダンスを入れたセシボンや、画家とのコラボで「あまい囁き」もあり、2部ではオリジナルを歌って終わりました。沢山の拍手を頂いて舞台の袖に帰って来た私に、「もう一曲歌ってきたら」と画家が言う。「でもアンコールがかからないので」と言ってハッと気がつくと、客席ではまだ拍手が続いていました。あ、そうか、この拍手がアンコールなのだと気が付き再度ステージに。(私のリサイタルでは、だいたい「アンコール!」と大きな声がかかる)


リサイタルでもアンコールとして用意してある「歌いつづけて」を歌い終ると、思いもかけず、通訳をしていた時の同僚が花束を持ってステージに来てくれました。その彼女に7月のリサイタルの会場であるSTBが出している出演スケジュール表を渡そうと受付に行くと、ない。私が作ったチラシもそのスケジュール表も全て無くなっている。同僚が「すごいじゃない!」と言ってくれる。そうか、できるものなら行きたいと思って下さった方々がチラシを持って行かれたんですね。

この予行練習のコンサートに来られた方々がこんなにも喜んで下さった事がとてもうれしい。リサイタル当日は男声コーラスが入り、衣装や照明音響ももっと華やかになります。客席にいる方々の喜ぶ顔が既に見えるようです。

岡本太郎展に行きました。 2011/5/8 

東京国立近代美術館に岡本太郎展を観に行きました。実は7月の私のリサイタルは、岡本太郎の実話を少し拝借して創ったストーリに歌を織り交ぜています。最初からそうしようと思っていた訳ではなく、だんだんそうなったのですが、それとの関連もあり、もう一度じっくり彼の作品を観たいと思ったのです。 

彼の絵にどう言う印象を持ったかは、リサイタルのストーリの中でお話をしますが、一言で言うと「ブルっ」と来ました。 

ボードに書かれてあった彼の言葉が印象的でした。

「下手なら、むしろ下手こそ良いじゃないか。評価されるなんて一切必要なし。」
「下手の方がいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか。」
「挑戦した不成功者と挑戦を避けたままの不成功者とでは、まったく天地のへだたりがある。」 

3番目の言葉を読んでいた時、私の心の中に昨年から座っている言葉が強くうなずいた。

「成功の反対は“失敗”じゃないですよ。“何もしない“事です。」
”失敗”も“何もしない“事も成功していないのだから、不成功に違いないのだけれど、失敗は成功する道中にあるんですね。何もしないものに成功なんてありえませんものね。

CD「今のわたし宝石です」の収録終る 2011516 

作詞作曲Shizu、編曲安西史孝。
「今朝のバラ」、「母さんに心のこり」そして「今のわたし宝石です」。

昨日上の3つのオリジナル曲を収録しました。

昨年「美しい日々だけを連れて」をレコーディングした時は、全ての事が初めての経験だったので、心が浮き立っていた事や、躊躇いや遠慮があり、チェック過程ではほとんど音楽の専門家であるスタッフに一任しましたが、今回は一つ一つの音や声にシビアに自己チェックを入れました。自分で言うのもおこがましいのですが、かなりいい仕上がりになりました。歌もとてもいい(自分で言っちゃいけないの、ダメ!)。 

「今朝のバラ」は女手一つで育てた娘が嫁ぐ日に、生まれた時から今日に至るまでの娘の姿を回想し、眼の前の娘の花嫁姿を「朝日を宿して輝くバラの花が香ります。昨日の夜露残し窓越しにあでやかに」とバラの花にとえて歌います。とてもゆっくりしたテンポで情感のたっぷり含まれた歌になっています。作っている時も泣けて来ましたが、出来上がったものを聴いてもなんだか心がじ~んとして来ます。 

「今朝のバラ」が母親の思いを歌ったのに対し、「母さんに心のこり」は、嫁ぐ前日に娘が母親に語る歌で、一人残される母を気にしながら旅発つ娘の心情を書きました。伴奏はタンバリンとピアノが主で、花まつりのようなルンルンした気持ちとちょっぴりセンチメンタルな感じを軽快なテンポでまとめています。 

そして「今のわたし宝石です」。この曲には上の二曲との関連性はありません。どちらかと言うと熟年応援歌。恋心などとうに忘れてしまった女性の心に恋の矢が突きさし、化粧を取れば皺も目立つし、白髪染めも月一度の私だけれど良いのですか、と始まりながら、人生で磨かれた今のわたしは宝石よ、そんな私に恋されているあなたは幸せ、と歌います。「ジャズだけれど、重たくなく、楽しくて、これ、もしかすると・・・」とは、目を輝かせて聴いていたある音楽関係者のコメントでした。英語で合の手も入れば、セリフも入り、とても楽しい、アハハ・・・と笑いも出るような、これまでのオリジナルとは雰囲気の全く異なる歌となりました。歌っていると自然と体が動いて来ます。

77日、私の誕生日の日にリリースします。アマゾン、街のCDショップで予約できます。聴いて、笑って、しんみりして、もしかすると泣いて、楽しんで下さい、ね。

4畳半で鳴らすようなMDプレヤーから音を出して 2011/5/8

3つ前のブログ「あちらこちらからお誘いが」で書いたお誘いの一つに行って来ました。

これはGW中のイベント。東北大震災のチャリティーと言う事で参加者全員がボランティア。ピアニストも無く、MDプレヤーで歌う事に。区のホールの備え付けのものを使うと事前に聞いていた。
 

ところが、当日眼の前に見たものは、とても小さな水色のポータブルのMDプレヤー。4畳半で聴くようなサイズのものである。ここにMDカラオケを挿入して音を出すと言う。会場は一応100人収容できる広さ。小さなミキサーのようなものが横に置いてある。 PAがいるので備え付けの機材から音を出すよりもこちらの方が良い音が出ると言うのだ。

音出しをしようとしたが、このMDプレヤーをつなげる電源を持って来られなかったらしい。電池を買いに行かせたという。依頼があって私は此処に来ている筈なのに、歌う環境が出来ていない。眼が点になった。電池を買いに行かれた方がなかなか戻ってこない。そろそろイベントが始まる時刻。音合わせも無いまま歌う雰囲気である 。私の心の中で葛藤が始まる:「このまま帰ろうかなぁ、ダメダメ、後味が悪くなる、キチンと歌って行った方が良い」。

やっと電池が来たが前座が始まっている。前座が終わり3分の時間を頂き、参加者全員がいる中で音出しが始まった・・・ぶわ~ん、ぶわ~ん、キーキー。主催者の早く終わって欲しいと言う波動が伝わって来る。落ち着いて音出しもできず、未完成のまま終えた (でも参加者の皆さん、私の数小節の歌い出しに真剣に聴き入って下さっている感じ、思うように歌えるかもしれない)。 

いよいよ私の歌う番になった。音の事を皆さんにご容赦願い、歌い始めた。ここまで来た事が無駄にならないようにと祈るばかりである。しかし、出て来た音は、あの未完成の続きである。ぐわ~ん。歌いながらPAの方を見る。ヘッドホンをした彼の顔はゆがみながらも精いっぱい努力している様子 (あなたも頑張ってくれているのね)。ボリュームを落としたらしい。今度は音が聞こえない。 

しかし心が落ち着いていたのか、全く動揺せずに歌いつづけられた。音の事について皆さんに先に説明していたのが良かったのかもしれない。曲が終わっていないのに、ワンコーラスが終わる毎に拍手が来る。ああ、届いているんだぁ、よかった~。 3曲歌い終わると、まとまりのある密度の濃い拍手が鳴った。再び、よかったぁ~。

終り良ければ全て良し、と言う事かな。平常心でいれば、うまく行くと言う事かも。大事な実験”だったような気もする。そう考えると、これは大変ありがたい経験だったのだろう。

このイベントの主催者が近寄って来られた、「これに懲りずまたお願いします。」・・・・(;一_一)。

コーラスはコーラスのままで 2011/04/09

さて、リサイタルの準備は順調に進んでいますが、私が当初考えていた演出を大きく変える事になりました。コーラスのお二人には芝居もして頂く予定でしたが、やはりコーラスはコーラスの役割にとどめる事に。彼らを格好良く見せる事は私のステージにとっても大変重要な事ですし、お客様も格好いい方を喜ぶでしょう。つまりコーラスに芝居やダンスをして頂く事は止めました(ほんの少しの動きはあるかな)。それでもストーリ性を維持する事には変わりはありませんが、芝居を取り入れる事で「現在」を語ろうとしていたものを、コーラスはコーラスでいてもらう事で、「現在」ではなく「過去」を描く事にしました。むしろこの方がステージもすっきりして品も保てる感じがします。

最近、私は自分の成長を自分自身で感慨深く思う事があります。自己中で事を進めたり物事を見なくなったかな。全ての人が良いようになるよう考えるようになったと思う。だから現実を見て様々なバランスも考え柔軟に対応できるようになった気がします。そんな姿勢が功を奏したのか当初のアイデアよりもさらに良いアイデアが浮かんで来たよう。このアイデアを下さった神様に感謝です。

あちらこちらからお誘いが 20110409

不思議だし、面白いなぁと思う。「リサイタルの宣伝やCD販売促進のキャンペーンとしてxxxイベントにゲストとして出て頂けませんか。会場には100人(or150人)が集まります。ただ、ギャラは出ないんですが」と言う依頼を最近複数頂きました。もちろん快くお受けしています。既にある会にも突然の依頼でゲストとして出演しましたが、音楽愛好家が集まった発表会に私のようなものが出ると、締まるようです。歌い終わった後の拍手の密度が濃い事がやはり嬉しいし、こうして「しずこ」がより多くの方々に知られて行く事が何よりも意義深い。

ひとり言:今度のSTBでのリサイタルは満員になるかも。
(●^o^●)
 

リサイタル at STB139 日時決定 20110328

712(火曜日)、六本木のSTB139でリサイタル開催決定:「 しずこ 2011年夏 “今のわたし宝石です”」

STB139でのリサイタルは実は私の夢のひとつでした。年程前の事です。六本木の芋洗い坂をぶらぶらと降りていたら、とてもとても素敵なライブハウスがいつの間にか出来ていたのを見つけ、私の心が騒ぎました。帰りしなに会場の中に入ると、私の眼が輝き(きっと)、心が躍りました、「うわ~素敵!いつか私もここでやりたい!!」 昨年の会場が一杯になった時、次はSTBと思っていましたが、思えばソロ・ライブを始めて3年目にして実現するなんて!すごい、すごい。夢がこんな短時間にかなうなんて。

以前にもお話しましたが、昨年のリサイタルを見られた方々から「ストーリ性を入れた方がしずこらしいステージになる」と言われ、今回はそれにチャレンジ。コーラスの男性二人にも、ただ歌うだけではなく、わたしの恋人役、バーテン役などと芝居をしていただいたり、ダンスにも一緒に参加していただいたり・・・

ピアノはサーカスのバンド・リーダ、西直樹さん、ギターとヴァイオリンはかぐや姫のバンドメンバー、佐久間順平さんがお手伝いして下さる事になりました。どうぞ期待して下さい。私たちもとても乗っています。

「何気なく見たり聴いたりする事は出来ない、観客をぐっと集中させる」・・・それがしずこのステージの特徴らしいです。請うご期待。

東北関東大震災――美しい話をしませんか 201103/27 

日に日に災害の規模の大きさが報道される中、テレビ画面に映される避難所に集まる人々の顔に笑顔がある事に驚く事があります。布団を暖にして輪座するお年寄りの姿には絶望の色も無い。直ぐに始まった救援活動、募金活動。被災者は言う「食料も医薬品も十分にあります。あと灯油だけお願いします。」・・・・すごいなぁ、日本って。福島の原発事故。不思議にも確信のようなものが私の中にありました。大丈夫、日本は必ずこの問題を解決できる。日本が出来なくて出来る国は無い、と。

友人から送られて来たメールです。
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私の叔母はいわき市で

無事でしたがお嫁さんの実家は流されたそうで叔父の病院も閉鎖に、そして原発の件を母が心配したら、叔母は、原発なんてへでもない!とはっきり言ったそうです。なぜなら例え被爆量が多くとも、これから発病するには十年はかかるしそのころ叔母は八十を超えていて死なんて問題ではない!とそんな事を恐れる必要はない!今しなくてはならない身近な方々を助けなくてはならない!と。
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「苦しい」、「苦労」、こんな言葉があちらこちらから聞こえて来る中、最近知人から寄せられた、美しい話の寄せ集めをお送りします。どう言う訳か、美しい話がより涙をそそる。どうぞ次のURLをクリックしてください。

http://prayforjapan.jp/tweet.html

 

この大災害の中で、改めて足元をみる 2011/03/14

生かされている。電車もある。家もある。電気もある。水もある。気遣う家族はいる。食料もある。徒歩圏にスーパーもある。当り前で振り返りもしなかった事柄がどんなにありがたいことだったか。


私達の周りには、本当は感謝する事の方がずっとずっと多い。でも私たちは些細な事に不足や不満を感じては自分自身の心を傷つけ結局は相手も傷つけて来なかっただろうか。感謝に向かった時、一番楽なのは自分自身。そしてそれは相手をも楽にする。

この地震でお仕事の量が多くなられた方々、これを乗り越えれば、もっと大きなもっと強い自分になっている。だから“大変“だと思わず、自分を強くさせる機会を下さったと喜んで仕事をして頂きたい。

口に出す事も嫌気がする低レベルの電車の中の週刊誌の見出し。「言論の自由」という理屈の下で人を傷つけ平然としていられるその中身。みな浄化され、善意に返れば。そうあって欲しい。
 

被災者の方々とその家族の方々に心よりお悔やみ申し上げます。

ホームページの更新 2011/02/21

「わっはっはっは~、なに、ここは本音を話していいとこなんだ!」
 

今年1月15日にこの浮き浮き話でお話した「Shizuを応援するコミュニティ」、“中身”が知りたくて私自身がこのソーシャル倶楽部に入会したのですが、様々ないきさつでこのクラブで最も人気のある会員が応援者になり彼のページに私のホームページがリンクされるようになったのです。それによりしずこのホームページへのアクセスがまるで一か月分の新聞が束になってどさっと玄関に投げ入れられる勢いで増えました。

それプラス、2月の第一日曜日にFM世田谷で私の「美しい日々だけを連れて」が放送された事がこのホームページへのアクセスを加速したようなのです。 

それでこんな会話がある日のライブハウス音ステージQUIでありました。

「ママ、あのね、すごい事が起きているの」
「(私の顔をじっと見て) スターにでもなったの?」
(ここでグワ~と大笑いが起きます)「ママ、私がまだ何も言っていないのに、なんで私が言おうとするようなことが分かるの~, あっはっはっは~」
「分かるよ~、でもそんな事他の人に言っちゃあだめよ、私だけにしておくのよ」

翌日、今年のリサイタルにコーラスで出てくださる男性二人と私の家で顔合わせ。その時にもこのソーシャル倶楽部での応援について話したら、その内の一人で昨年のリサイタルにも出てくださった方が、「待ってました」かのような調子で言い放った。
『しずさん、ホームページのアクセスが増えそうなら、プロフィールのところ少し変えた方が良いですよ』
『やっぱ、自画自賛に聞こえる?』
『うん、最初読んだ時、何だこれは!と思いましたよ。』
『あはははは・・・通訳仲間に言われたの。「日本人は謙虚な方を好むからね。私たちみたいに英語を扱っているとどうしても自分を押しだす感じになるのよ」って。(それだけではないけれどもね)』
『しずさんの事を知っている人は、あぁしずさんだと思うけれど、初めての人は逃げる人もいるかもしれないですよ』
ここで、もう一人の男性で昨年は観客として、今年はコーラスとして参加される方が挟んできた。
『わっはっはっは~・・・なに、ここは全部本音で話していいとこなんだ!?』
『(うん?うん????)・・・変えよう、ね。』
という事でホームページのプロフィールから言葉をいくつか削除し、少し『静か』にしました(笑)。またすこし成長したかな。 

楽しい。(●^o^●)

胃が痛む・・・それは野心の顕れ 2011/02/20

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年ほど前から私はある”道場”に通い始めました。心を調えるため。定期的に行く訳ではなく心に問題や課題を抱えた時にその解決の糸口を見つけるお手伝いを求めに行きます。 

通訳の仕事を精力的にしていたころ、さまざまな方々に出会いましたが、その中に中曽根元総理がいらっしゃいました。お目にかかった元総理はその人物の大きさと何かすっと透き通ったものを感じさせる方でした。以前にテレビで座禅を組まれている姿を拝見していたので、その透明感と座禅に何らかの関わりがあるのかもしれないと勝手に想像し、心の修行をするといったい何がどうなるのか、私もその世界に興味をそそられました。この興味は、その人生の後半で修業をされた松下幸之助や仏門に入られた稲盛和夫氏の著書を読んだことで、いつか私が実際に行したいものとなりました。

道場は日本に数ヶ所あるのですが、今回は34日で、窓を開ければ前方に富士山の全景が眼の前に忽然と現れる河口湖の道場を選びました。


道場に行く度に、私の中の心の問題が一つ二つ解決してゆく。道場の総責任者からお話を賜った。
「胃が痛くなるのです。」
「それは野心の現れだね。」
この言葉を頂いただけで、私は後の数日間の滞在は要らないと思ったほど、頭や心の中に詰まっていたものがすっと抜けていくのを感じた。

もう一つ伺った。
「ステージで歌っていて歌詞を忘れる事があるのですが、また忘れるのではないかとういう恐怖が付きまとうのです。」
「忘れたら、他の歌詞を作ればよい。」
「それはよくやるのですが、作っている時に歌の世界から離脱し、作ることに一生懸命になってしまうんです。だから感動を届けられないのではないかと・・・・・・・・(-_☆メ)そうか!これは”我”ですね。」
「それは“我”が別な形で現れたものだね。」
 

詰まっていた導管にさわさわと風が通り始めた。また一つ超えた。

「美しい日々だけを連れて」ラジオ放送収録 2011/01/31

130日(日)、FM世田谷という地域放送番組で私の自作の歌「美しい日々だけを連れて」と「あなたとなら」の放送収録がされました。今年のある新年会で「美しい日々だけを連れて」を披露したところ、会場にいらした方からこのオファーを頂きましたが、初めての事なので少しワクワクし、後から言い忘れて悔しがる事がないよう、放送して欲しい事はメモをして行きました。滞りなく収録が終わり、アンカーから「さすが」と言われた時は、余りその意味を解そうともしないで、あっさりと終わって来たのですが、帰宅してそれがどういう意味だったかふと気がつきました。毎月ライブで歌ったり、リサイタルでは、さだまさし並みのトークの多さをからかわれたりしているので、しゃべる事に慣れているのかも(笑)。

知らぬ間に、誰かが 2011/01/15