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6月
 

久々に旧友たちと 6/30 

本能寺を焼いたのは誰だ 6/28    あるがまま 6/25    クワズイモ 6/24    肉食 6/21   Ambition 6/21  まど・みちおの世界 6/18  

竜、再び 6/18    四谷怪談 6/16     そこまで行かなければね 6/15   想う 6/12    オークション 6/9    録画済み整理 6/8
  
家族? 6/6    脳みそが足りない 6/5    身が締まる 6/4   はい。 6/3   ラブレターは速達で 6/2   あやまらんか!6/2   言の葉 6/1    


5月
 
パニックの中でライブ終了 5/31    一日前 5/29   スーパーブレイン 5/28   タイトル変更 5/28   名曲 5/27   情報解禁 5/26

ディレクター その2 5/25    業界知識 5/24    なるほど!5/24     朗報 5/22   Let it be 5/22   白湯 5/21   海の夫人 5/20 
    
弁護 5/20    そそっかしい 5/19    田口ランディ― 5/16   「オートクライン」 5/16   クンクン 5/14   小言おばさん 5/13   やはり地図 5/12

うっとり 5/12   竜 5/10     警戒 5/9    ライブ案内 5/7    鳥肌 5/5    歌い開始 5/4    この3カ月間 5/4    5月 5/2

4月
 
一人は賑やか 4/29     最近の歌 4/27     ガヤ 4/27    激励と教訓 4/26    「愛溢れさせて」 4/25
  
都合 4/22   悔恨 4/20     整理整頓 4/19   コンペ 4/18   御縁は大切に 4/17     ラブレターは速達でPart3 4/17    久々に 4/16

潔くあれ 4/12    こういう仲間と 4/11   間違えの哲学 4/10    それよりも 4/7    さ~て 4/7    うわ、うわ、うわ 4/6    わかった~! 4/5

ワークショップ第2段 4/4    NY様 4/4    一枚頂いて 4/4    ディレクター 4/2    肥えたかな 4/2     こまったな 4/1   そうじゃない 4/     


3月

いまさら 3/31     「小桜姫物語」 3/29   Zumba 3/26     もう一つの記憶 3/26     「シベリア鉄道一人旅」 3/24    譜面台 3/23
 
パクリ 3/23    「恋歌」 3/21    準備完了 3/20    「生きてきた証」#2 3/19      別れ 3/17    「生きてきた証」3/16   想像力に期待 3/16

大人の世界 3/15    伝達 3/14     まだこだわる 3/14     こだわる 3/13    試練の2曲 3/12    アイドル歌手 3/11    有名人になると 3/10

きゃ~、すてき~ 3/10    おばさんは。。。。3/8    ジャニーズ 3/6    出て来て分かる 3/6   ストップ 3/5   花粉飛んでるの? 3/5   バタバタ 3/3   
 
 2月

   
1年弱の間に 2/28   わくわく 2/24    離婚式 2/22    ラブレターは速達でPart2 2/20    その日から 2/19   法廷尋問 2/19   あの声は 2/17
 
逃げてはいないが 2/17   プロフィール更新 2/16    やはり 2/15   ラブレターは速達で 2/15    ヒット曲 2/14   若い匂い 2/14   言葉を求めて 2/11

日常のこと 2/11    爆発 2/10   プロモーション・プラン 2/10    青空 2/9    こびりつく 2/9    早速動く 2/8   似ている曲 2/8    

同じ方向を向いているなら 2/8    衝撃!うわ~っ 2/7   札幌雪まつり 2/4    もうひとつ 2/2   うれしくて 2/2   いつもより温まって 2/1



 1月

 
  
お待ちしております 1/30   バカ 1/29    それに。。 1/29    早い! 1/28   名前が大きすぎるけれど 1/28   

夢を持たされて 1/25   致知出版社 新春特別講演会 1/24   地図 つづき 1/24   地図 1/22   全て韓国語に聞こえる 1/22

天皇陛下 1/18   図書館が開いた 1/17  西直樹様 1/16    ウエストサイズ物語 1/15   歌づくり三昧 1/14  Mディレクター 1/14   やってみよう 1/10

。。。。。 1/9    ライブ案内 1/6   弾丸 1/6   「かみさまとのやくそく」 1/4     一人身に正月はなく 1/3    あけましておめでとうございます 1/2
 






     あけましておめでとうございます。










あけましておめでとうございます 1/2

2015年になっちゃいました。このブログは1月1日が丁度終わって2日に入った0:00に書いています。今、私の中には訳の分からないエネルギーが体中に漲り、それが身体の中に収まりきれなくて、いまにも噴火する感じなんです(すごい事書いているね、笑)。

大晦日の「紅白歌合戦」を久々に観ました。中島みゆきの歌がダントツでしたね。実にすばらしい。よく分からないのだけれど(笑)、感じる歌。ドラマチックに作りますね。これも経験と高レベルの知恵と直感をベースに支えるスタッフがいるからできると思うんです。彼女は使命を持って現れた ー かつての彼女の歌は人の恥部を怖さも恐れも無くさらけ出していた。それは多くの人にとって自分の奥深くにある隠しておきたい闇、それを代弁してくれるものだった。隠していた闇に気づかせ、吐き出させる役目を彼女の歌はしたと思うんです。そのような歌を必要としている人達がいた。私の知っているある男性は、彼女の歌を聴いて号泣したと言います。号泣した後に、人はその闇から解かれて行くのだと私は思うのです。

どんな歌を人は待っているのか。それは人の無意識レベルにあるものに気付かせてくれるものではないかと思うのです。だからアーティストは世の先を行くと言われるのかもしれません。

私はと云うと、心の奥深くに誰にでもある大きな心と優しさを引き出す歌を作らせて頂いているようです。昨年のブログにも書いて来ましたが、希望を失った人達に希望を与える事が私の現生における役目だと云われ、正にその仕事を頂いたと思っております。その先に”できる限りの”世界平和の実現を期待しています。自分の心が平和でないのに、世界平和を実現できるわけが無いですものね。平和は一人一人の愛と優しさが集まって生まれるものですね。

パッション、ミッション、アクション、3本の矢があって大業はなされると誰かがテレビで言っていました。2015年は、一人のこの3本の矢に複数の人達が混じり太い矢にする時、そう思っています。これまで以上の応援、特に近場での応援をよろしくお願い申し上げます。(●^o^●)





一人身に正月はなく 1/3

昨年の暮れからなんだかすごい。大晦日も正月もない。12月暮れ近くに突然ひらめいた昨年最後の一曲「別れてありがとう」のメロディーと歌詞を大晦日に仕上げて、今日は、昨年12月16日のブログに掲載した米国人兵士の言葉をヒントに、もう一曲完成させた。タイトルは、「いいね」。米国人兵士の言葉は大変重いのだけれど、出て来たフレーズはなんとも軽く明るく楽しく歌いやすい。「うん?これ、細川たかし辺りが歌う歌だなぁ。今歌っている生ビールの歌よりいいなぁ」と思ったりしている(笑)。「いいね」、兵士が書いた深刻な言葉をこんなタッチで書けた事が、なんとも嬉しい。

有名になりたい
金持ちになりたい
女にもてたい 女ならば
金持ちで 学のある 
男の妻になって
誰もがうらやむ人生にしたい
らららら~
いいね、いいね、いいね
いい事ばかりだね

有名になったし
金持ちになったし
おんなはそこそこ
なのに またね・・・

さぁて、来週からの全国一斉仕事初めが待ち遠しい。

待っている間に「ママに逢いたくて」、これも手掛けてみよう。シンガーソングライターは概して言いたい事が沢山あるようだ。昨年の暮れのカラオケで、ある男性が「谷村新司って、くどいんだよな。あの、さだ、なんとかと言うのも」」と言っていた。なるほど~。二人とも言いたい事が沢山ある人達なのよね。だからシンガーソングライターとしての生命が長いし、くどくなるのかもね。私も言いたい事が沢山ある(あはは・・・)。深いところをあっさり言える、それを目指しているけれど。





「かみさまとのやくそく」 1/4


昨年暮れから続けざまに3曲書いたが、3曲とも全く違う種類。その内、今朝大体出来上がったものが、「かみさまとのやくそく」。初めは「ママに逢いたくて」にしたが、私が自作曲に付けるタイトルにもう少し工夫をするよう、Mディレクターから言われたので、この自主上映映画のタイトルをそのまま使わせて頂けないかと、監督に伺った。OKがでた。

あのねママ、僕は ママに逢いたくて
ママの子供に なりたいと 生まれて来たの
ある日神様が ママのところに
誰か行くかと 訊いたから 手を挙げたんだ

長い 長い 滑り台 
真っ暗なトンネルを 通ってゆく

光の中 僕を迎えたママは
涙流して みつめ よく来たねって

長い 長い 滑り台
わくわく おみやげ 持ってゆく・・・
       ・
       ・
これは、昨年のブログで話したが、シンポジューム「かみさまとのやくそく」で前世の記憶を語る子供たちの話から書いた。多くの人間は人の役に立とうと生まれて来る。だが現世に自分を合わせている間に本来の自分の生まれた目的を忘れて行く。やがて原点に戻り、人の役に立つ事がそのまま自分の幸せなのだと気づく。もともと人間の中にそのような美徳があるから、そこに戻れるのだろう。無ければ、そんな事を考えたりしない。人の役に立つ事は生まれてくる前に神様とした約束だったなんて、なんだか泣けて来ません?人間はこんなに、いいものなんだと云う事が。だから、人の役に立ち、自分がした事を喜んでくれて、「ありがとうございます」の言葉が本当に嬉しいのだなぁと思う。





弾丸 1/6

昨日の日本全国仕事始めの日から私はまるで弾丸のように言葉を発している。いよいよ活火山の噴火。公表は今月のライブまで控えようと云う気持ちもあったが、身近で応援して下さっている人には、抑えきれず伝えてしまっている。一緒に喜んでくれる人がいる事が実に嬉しい。今月の1月31日のライブに正式発表できると良いのだが。いよいよ動き出した。





ライブ案内 1/6

2015年の土曜日が5回ある月は1月から始まる。2014年の最後が11月、2か月の間である。スキップしようかと考えたが、自分一人で決めるよりもマスターに相談したところ、「いやに消極的だね、やったらいいんじゃないの」とニヤリと笑う。恐怖心や遠慮など、「我」で動かない事にしているので、この言葉を神の声と思い今月も決行する事にした。上のブログでうっすら示唆したニュースをマスターに報告すると「すごいじゃないの!」と喜んでくれた。これまで場所を与えてくれる事で応援してくれたマスターにもいよいよ恩返しができるかと思っている。

恐らくご報告を兼ねたライブになるだろう。

1月31日(土)19:30開演
池之端QUI

詳細は、このHPの「出演」欄からご確認ください。





。。。。。 1/9

「どんな奴かもまだ分からない相手にな、あんなに自分の事をしゃべる女って見たこと無いんだよ。お前のべらべらしゃべるのは障害だよ。大方の人間は引くよ。」

「そうなの。だからマネージャが必要なのよね。マネージャがしゃべってくれれば、私はしゃべらなくて済む。」

来るお誘いに素直に乗っていたら、S氏に繋がった。ご本人の自己紹介によると、ある超大物アーティストのプロデュースやマネージメントをした経歴を持つ。ネットにもその形跡を伝えるサイトがあった。

昨年暮れに「のど自慢大会」に出た時、彼は審査員の一人、私のパフォーマンスが強く印象に残ったと言う。「あんな事できる人はいないよ」と、優勝者記念撮影の時に舞台上でさらっと感想を話してくれた。だが、つながらせる糸が強くなったのは、帰りのバスに私に次いで後ろから彼が乗って来た時だ。突然「お、偶然だなぁ」と男の声がした。振り向くとあの審査員。そうならないかと私も内心願っていたので、私の中で火花が満開になった。そして、電話で数回やり取りした後、仕事始めの今週早々に会った。なんだろうこの親しみ感。そしてこの日に逢えたらいいなと思っていると、丁度良いタイミングで「逢えるか」と電話がかかって来る。

会話をしている間は気付かなかったが、今思うに、初めて会う相手に”あんなにしゃべった”理由は、彼への安心と、その時既に”関係”が見えたからだと思う。数分遅れでバスを見逃し、時間をつぶして次のバスに乗った途端、そこから乗車するのは私一人、他の影は無かったはずなのに、後ろから声と共に乗って来る、偶然ではない。関係がそこで始まった事を私は知っていたように思う。

楽曲の音源を送ると、「今、外だから、来週会社に行って聴くよ」と言いながら、その日の内に音源を聴かれる。数日前コーヒーショップで1時間半向かい合わせで話した。相手にとっては、これまで見た事の無い「変な女」だったようだ。そしておそらくそれ以上の何かを感じてくれている気配がする。初めて逢った時、「40年もマネージャの仕事をしていたのだから、5分も話せばどういう奴だか分かるよ」と言っていたが、この出会い、昔早稲田小劇場の演出家だった鈴木忠志とロサンゼルスで出会った時と似ている。「変な女とロスで逢ったよ」と劇団員に話していたらしい。あれは、本当に火花だった。言わなくとも分かる、そんな波動が互いの間にあった。

これから先の話を交わし、タイミングを見てマネージャとして関わる可能性を示唆し、次の私の用事に遅刻しないぎりぎりの時間に店を出た。

「べらべらしゃべるな」が関係しているのか、私はここ2,3日しゃべる気が失せている(@_@;)。報告がてら友人や家族に言うのだが、途中でしゃべるのが嫌になってくる。どういう訳かこのブログで話すのも気が向かない。だが、ライブ案内の一斉配信メールも送り、なかには気にしてくれる人もいるのだろうと、ここに書いている。必要なものが与えられると、もうしゃべらなくなるようだ。





やってみよう 1/10

録画しておいた「地球劇場」を観ていた。谷村新司がホストで小椋佳がゲストのトークと歌の番組。そこで、小椋佳が研ナオコに書いた「泣かせて」という歌のエピソードを語る:研ナオコの顔に乗るような「泣かせて」にして欲しいと言われた。「無茶な事言いますからねぇ」と谷村が受ける。

ビクターのMディレクターから、坂本九が生きていたら歌っているかも知れない歌を書いてみたらどうかというメールが送られて来た。書いたとしても必ずしも採用されるわけではない。

ジムに行って身体を動かしていたら、ふと上の小椋佳の話を思い出し、やってみようと云う気になった。課題を頂いて歌を作る事はやった事が無いから、新しい展開があるかもしれない。坂本九が生きていたら歌っているかも知れない歌というのだから、彼は生きていれば今年74歳。。。。。既に作ったがまだアレンジが終わっていない「生きてきた証」を坂本九が歌うのをイメージして手を入れてみようと思う。

しかし、何だって、私は、まるで私自身が歌づくりを以前から望んでいたかのように、こんなに”しがみつく”ほどに関わっているのだろう。これも、2011年9月、Mディレクターとの出会いから始まった。外部からの勧めで私のオリジナル曲を入れたCDに彼が関心を持ち、どんどん歌を書いて下さいと背中を押してくれる事が無ければ、こんなに書かなかっただろうと思う。既に40曲近い歌を書いているもの。人生のまさかの出来事。色々な事があるけれど、これも天から頂いた縁。こうなったら、最後まで乗るっきゃない。やるわ。




Mディレクター 1/14

メールのやり取りをしながら、74歳の坂本九では無くて、彼が生前歌って来たエッセンスが滲む歌を書くと云う事で話はまとまった。坂本九が歌っていたものは、温かさ、優しさ、包容であり、誰かを求めて叫ぶような歌ではない。

今回の件で、Mディレクターがどんな歌を求めているのか、はっきり分かって来たように思う。そして私のCD2枚に収めた楽曲をなぜ彼が心に留めたのかも。

Mディレクターは決してコミュニケーションがうまいとは言えない。核となる部分を的確な言葉で表現できる人ではないようだ。だが、幾度かのやり取りを通して最近気付いた事だが、その核となる部分は私が彼から引き出せるのかもしれない。互いに心地よい状態で引き出しに成功した時、互いの知性がドッキングする。私は彼を理解し始め、彼は自分が想っている事をより鮮明に絵に描くようになる。それは、自分のエゴで事を歪めたり、正当化したり、複雑にしたりしない彼の誠実さがあるので(私はいつだって真っすぐだけど)、歩を僅かだが前に進められているように思う。少しの技は使うものの、私が言う事が正解であれば、素直にそして丁重に受ける。これによって互いの信頼が少しづつ育って来たように思う(かな?)。

今では笑い話になるが、このブログをMディレクターが読んでいたとは知らず、私は彼の事を色々書いていた。時には、「彼がこのブログを読んでいませんように」と書いて(*_*;)。上にも書いたようにコミュニケーションが決して巧みな人だとは言えないので、私には彼の本意が掴めず、本当に私のCDに感動されたのかさえ疑うようになり、そんな事を率直に綴っていた。。。(まさか、ねぇ)。雲行きは悪くなり、少々冷淡になったものの、彼は私に繋がってくれていた(だから楽曲だけよこせになったのかな?(*_*;)。

2011年9月、12月と続けて私のライブに来て下さったりしたが、私の裏切りが原因で、2年間交流を絶った。昨年2014年1月、その間に書いた曲を聴いて頂こうと、ビクター本社を訪ねた時から交流が再開した。CDには何気なく出て来た歌を収めたが、意図して書こうとした時本当に書けるのか想像できずにいたものの、私は書いていた。Mディレクターに「どんどん歌を書いて下さい」と背中を押された事、かつ彼が傍にそれとなく存在していた事が、私の書く動機だったとはっきり言える。

その後、メディアが来て楽曲を聴いてくれる他者主催の月例会に昨年5月から行くようになり、様々なディレクターと逢うなかで、Mディレクターとの出会いがいかに特別なものであったか知らされた。昨年のブログにも書いたが、これまでユニバーサル、ビクターその他から来た5人のディレクターに楽曲を聴いてもらったが、その内3人から「びっくりしました~!」「いいですぇ~!」「これはヒットする歌だ!」と言う言葉をもらった。だが、手持ちの歌手に歌わせる人がいない、売り方が分からないと、持って行かない。いい歌より、すぐにお金を生む歌を探す。

Mディレクターは一貫して「いい歌」を求めている。「大人が聴ける歌」とある日電話で言っていた。そのために私はじっくり育てられて来たのかもしれない。今の時代、売れる歌を書いている人を見つけようと奔走するディレクターはいるようだが、”育てよう”とする人は稀のようだ。「いい歌を書く可能性があるので、このように聴かせて頂いています」と、メールで書いて来られた事もある。

最初の何気なく書いたオリジナル楽曲にメディアの人が直ぐに関心をよせてくれた。これは、非常に特別な事で、願っても得られる事ではないのだが、余りに容易にこの恵みを頂いた事で、「本気かな」という思いも私にあったのかもしれない。なんともありがたい事だ。Mディレクターは私をソングライターの道へと手招きをしてくれていた。今、後悔していなければいいが(@_@;)。

そしてもう一つ思う事がある。この音楽への道と言うか、歌づくりへの道は、すべて外からの招きで始まり必要な時に必要な人が来て私は育てられている。




歌づくり三昧 1/14

あれやこれやしている間に、1月も半分が終わりかけている。曲を書いたり、12月までにアレンジが終わった新曲をライブに備えて歌い慣らしたり、旧作の修正をしたり、そんな事にずっと時間を使っている。現在、私にはバンド仲間がいないので、唯一相談できるのが作曲インストラクターである。ここのところ頻繁に彼のところに通い、今書いている曲や以前に作った歌の手直しをチェックしてもらっている。

ここ数カ月の間に生まれた歌は、おそらく、以前の歌とはまるっきり違うかもしれない。もっとリズミカルだろうし、曲に面白みが出て来たかも知れない。だが、だからと言って、こちらの歌がもっと良いと云う風にはならないと思う。いわゆるエンタテイメント性は出て来たが、しみじみ”良い歌”と感じるかどうかは別問題のようだ。小椋佳の楽曲が良い例かも。ヒットした歌にしても今のJpopで使われるリピートもない。だが、本人がテレビで言っていた書いた曲2000曲の内、幾つかは人の心に入って来た。私が書いた楽曲にしても、何人ものピアニスト、インストラクター等の音楽関係者は2012年初頭に書いた「Yesterdayを聴いて」に「いい曲」の太鼓判を押すようだ(次に「間に合いますか」)。2012年の札幌コンサートでもこの曲が入っているCDはないかと訊ねて来た観客もいた。エンタテイメント性は、恐らくアレンジでいくらでも作れるのかもしれない。

シンガーソングライターが集まる会で「作曲ワークショップ」と言うのを開催している。そのワークショップをリードする人の作品をネットで聴くと、ファミレスの味。記憶に残らない。「私の作った曲の方がずっと面白いと思う」とアレンジャーに話すと、「(あちらは)クオリティーは高いんですけれどね」と同感していた。なるほど、作品としての構成やメロディーの嵌め方がきちんとしているのだが、無味ということなのだろう。構成やメロディーの嵌め方などは学習すればできる事だけれど、”おもしろい”ものとなると・・・(それ以上は言っちゃダメよ)。「いいメロディーの作り方は教えられない。誰もが良いメロディーを求めている」と日本の音楽理論の重鎮篠田元一氏がニコニコ動画で言っていた。ファミレスの味を聞かせられると、そう言う事なのかと納得したような気になる。

クオリティーを高めるために、ここらで、私は腰を据えて音楽理論を”必要な部分だけ”習得しようと、その授業が今日から始まった。今はJPOP専門の若い人達にアレンジをしてもらっているが、彼らもコードの話をして来る。アレンジャーの仕事と言うのは要するにコード選びらしい。昨年の5月に入手した篠田元一氏のコード本はコードをシステマティックに説明しているので、大変分かりやすかった。このような教え方をする人が見つかったら私も”コード通”になれるかもしれないと(笑)、作曲インストラクターを変えてチャレンジする事にした。システマティックに教えて下さいと先に念を押して始まった初日は、全体図が掴める説明で、なかなか良かった。うん、私、コードを扱えるかもと、腕の筋肉が盛り上がって来た(もともとほとんど無いけれど)。




ウエストサイズ物語 1/15

夕方から文化村オーチャードホールに行った。コーラスで私のリサイタルに参加してもらっている仲間たちは、クラシック音楽の作曲家三枝成彰氏が団長を務める六本木男声合唱団のメンバーだが、この六本木男声合唱団が突然ミュージカルを企画、2日間オーチャードホールで御披露となった。なんと、私のコーラス仲間はこのミュージカルの男性主人公を演じる。彼には踊る場面が無く、セリフと歌。もう一人私をサポートしてくれるコーラス仲間は、私からダンス特訓まで受けて準備していたのだが、会社の仕事が忙しく出演不可能となった。

この合唱団のメンバーは社会エリートたちばかりである。医者、弁護士、会社役員、芸術家、政治家。こう言う人達だから平均年齢ももちろん高い。80歳代の方もいる。私は今日の舞台に大変感動した。何に感動したかと言うと、まったくダンス経験のないおっさんやおじいちゃんたちが、様になるくらいに踊っているのである。リズムに乗って皆と合わせて踊っているのである。動きも誰にでもできる類のものではない。きちんとしたダンス振り付け。それはそれは大変な時間を使い練習に明け暮れていたらしい。このようなダンスなどやった事もないおっさんおじいさんたちがここまでできた事の中に、私は彼らのものすごい喜びと命の動きを感じて感極まった。どんなに夢中になってやっていただろうか、どんなに楽しんだであろうか。

このミュージカルでは男がスカートを履いて女役をするのだが、女主人公になった人は皮膚科医。がっちりした体でイケメンである。彼はこの日のためにヨガに通い体重を落し、女のくびれたウエストをゲットしたのである。まるで別人だった。私が好きだったのは3人の掃除婦達のダンス。振付も大変コミカルで面白かったが、これを踊った男たちの達者ぶり。なんと彼らは3人とも衆議院議員だと云う。その内の一人はあの羽田勉氏のせがれ、別の一人は民主党の鈴木寛。

2部になると、「宇宙人」と紹介されて鳩山由紀夫氏が女装で現れた。彼も踊る、歌う。うわ~、まったく間違う事無く踊っている。私は嬉しかった。こう言う人達が舞台で観客を前に踊ったり歌ったりしている。日本のユーモア、ここまで大きくなったのかと。




西直樹様 1/16

こんな風に書かれるときっとびっくりするよね。でも西さんがこのブログを読んでくれていると思うから書くね。
今日は久々に逢えてよかった。糖尿治療で体重を落したのか、少し痩せたかなぁ。どういう訳かキュンとしたわ。

色々話してくれたけれど、表面的な言葉の裏にある痛みを感じた。芸能界って「はい、さようなら」が多くて人の心をささくれ立たせると思う。だからもう静かにしていたいのよね。何か力になれないかと、こう言う時私は思ってしまうのだけれど、きっとなれないよね。みんなそうだけれど、自分で背負って行くしかないよね。

音楽の世界に入って来たら、私は雇い主にもなったみたい。雇い主になると云う事は僅かでもその人の家計や人生とも関わりを持つ。今回のJALの再建に携わった稲盛和夫さんが会社を経営すると云う事は社員と社員の家族を背負う事だと言われているけれど、そんな重さを少しづつ感じ始めている。

またどんな展開があるか分からないけれど、元気でいてね。西さんの人生がもっと生きやすくなるように祈っている。




図書館が開いた 1/17

昨年の暮れ近くから今月14日までシステムの入れ替えで閉館していた図書館がやっと開いた。本が手元にない日々を過ごすことに違和感を抱くほど、自分のライフスタイルが変わったかと驚いている。暮れには「人は死なない」の著者矢作直樹氏の別の著作を数冊読んでいた。そして予約していた本の内3冊が昨日到着: 村上和雄博士の「生命の暗号」、「サムシンググレート」、そして矢作氏との対談集「神と見えない世界」。波動の同じものは集まる。おもしろい事を言ってくれるかもしれないとわくわくする。

午前中はアレンジャーの井川君から電話。「いいね」が「全く、細川たかしが歌う歌ですね」と楽しそうに笑っていた。期せずしてそうなったが、実に楽しい歌になった。デモができたら彼の事務所に送ってみようと思う、「生ビールより”いいね”って」。夜には昨年書いた歌で、坂本九が歌うような歌ではないが、優しさ、温かさ、包容を感じさせる歌「両手をひろげて」を先輩友人に聴いてもらっていた。昨日、義姉に聴いてもらったら、演歌の好きな彼女には「学校でみんなで歌う歌」に聞こえるらしい。その反応にびっくりした私は、今日のターゲットをこの先輩友人にした。歌は、その人の感情の向き方、感情の厚みなどがあるので、人に聴いてもらって結論を出すものではないが、相手の意見を聴きながら話していると、改めて色々な事に気づく。迷っていたものが、これでいいんだとか。言葉に持たせる真実味とか。表現がストレートなら、その理由だとか。なぜ私はこのような歌にしたのか、そんなものがよく見えてくる。この歌が表わす感情の厚みが丁度しっくりくる人には何かを感じてもらえるだろう。





天皇陛下 1/18

昨年の暮れ、ベストセラー「人は死なない」を書かれた東大医学部教授矢作直樹氏の別著「天皇」を読んでいた。氏は陛下の主治医でもある。その本の中で描かれている陛下に6,7年前のハプニングを思い出した。そして昨日、友人が皇后陛下のお言葉を電話口で話した事がこのブログを書かせている。

「ちょっと」
「。。。。?。。。わたしですか?!」
「今のところ通訳してあげて」
「。。。。?!。。。壇上の通訳が後ほどされると思います」
「。。。今のところ通訳してあげて」
「????(陛下に少し近寄り)後ほど壇上から通訳があると思います」

松下幸之助財団が世界中から選ばれた科学者に与える国際賞晩さん会での出来事。まさか陛下が私に直接お話をされるとは夢想いもしなかったので、言葉を選ぶ間も無かった。とっさの私の反応は「わたしですか?」陛下のお顔が少し驚きを表しておられた。

当日の通訳は二人。一人は壇上で式次第に沿って既に用意されている英語を読む。私はフロア通訳。当時の参議院院長扇千景さんについた。天皇陛下や皇后陛下は英語がおできなるので英語通訳を必要とされない。陛下の真向かいに皇后陛下、陛下の右隣りは受賞者の一人イギリス人科学者の妻、その横が扇さん。通訳者の私のスツールはそのイギリス夫人と扇さんの間の少し後ろに下がったところに置かれてある。陛下のお席から2メートルもない距離だ。

私はそのイギリス夫人と扇さんの会話を通訳していた。VIPの挨拶の時だった。扇さんが立たれて通常の”書かれた”お決まりの挨拶をされる。扇さんは女優でもあったし面白い事が好きな方のようで、その挨拶を最後までせず、「あとは書いてある通りです」と言うと、私が通訳していた話を材料にとうとうとお話をされ、場内の日本人を大笑いさせた。扇さんが話されている間、通訳者の私はホールの壁ぎわに移動、話が終わって席に戻って来た時である。突然陛下から声をかけられた。

どうしよう、通訳にはそれぞれの担当領域がある。ニューオータニホテルの大広間には各界の代表者、そして各国の大使が集まっている。その席上で、どのように通訳をしたらいいのだろう。大きな声を張り上げるのか、マイクを頂いて話すのか。それに全体に向ける通訳は壇上の通訳者の仕事。うわ~、頭の中で様々な考えが竜巻のように舞ったが、出て来た言葉は落ち着いていた。とうとう皇后陛下がお言葉を挟まれて私を助けて下さった、「あとから通訳されるんですよ。」陛下はとても残念そうなお顔をされ、無言のまま、私の方に向いていらしたお体をテーブルの方に戻された。

しかし、待っても壇上からの通訳が無い。この晩さん会に通訳として伺ったのは初めてだったが、壇上の通訳者のほうは何度か経験している。なぜ通訳しないのだろうと思っている内に、挨拶の順番が日本人の受賞者に行く。扇さんがその日本人科学者の挨拶の英訳版を私の目の前を通ってイギリス夫人に渡した。その時である。ハッと気付いた。そうか、挨拶文は全て前もって英訳されているんだ、あの即興の扇さんの話は通訳されないのだ。同時に、陛下の御志を理解した。外国に国賓として招かれユーモアと笑いが飛び交う晩さん会や昼食会に参加される陛下は、日頃から日本もあのようだったらと思われていらしたのであろう。そしてこの大きな爆笑が日本の晩さん会にもある事を各国の大使や貴賓にも感じて頂きたかったに違いない。だが、この晩さん会に幾度も御出席され会の流れを御存じでいらしゃる陛下には、扇さんの即興スピーチは英訳されない事を知っていらしたのだろう。

どのように陛下の御希望を叶えてさしあげたらいいのだろう。もう挨拶は他の方の番になっている。せめてこれだけでもと私は横のイギリス夫人に、扇さんが笑いを取ったところを耳元で通訳させて頂いた。扇さんは、私の通訳を通してこの夫人から聞いた事を材料にされて話されたので、夫人は顔を赤くし「これからは誰に話しているのか、考えて言わなければなりませんね」と私に囁いた。

いよいよ天皇皇后両陛下が御退席される時だった。会場の全員が起立。すると突然陛下はお体をくるりと私の方にお向けになって「ありがとう」と言われた。私は茫然とした。私の通訳はイギリス夫人の耳元で行い陛下には届かなかったはず。私の知らぬ間に夫人が私から聞いた話を陛下に話されたのか、または気配でお分かりになったのか。

陛下のお人柄に深く触れた一瞬だった。一介の通訳者の小さな仕事に感謝されて行かれる。その御仁徳に私は深々と頭を下げた。アンテナを何本も付けていらっしゃる方なのだと思う。周りで何が起きているのか、誰が周りにいるのかも、その人と目線も合わされていないのに目の中に入れていらっしゃる。その気配りにこれまでの並々ならぬ天皇としてのお努めを感じ、このような方がこの国の天皇なのだと云う誇りと光栄を想った。

天皇陛下以上に神を拝んでいる人はいないと、どこかで聞いた事がある。宮中では年間20件ほどの祭祀が行われているらしい。神と波動を同じくして生きられる方々の美しさの代表のようにも思う。だからだろうか、これまでお逢いした”大きな“方々とは品格を全く別にしていた。

天皇皇后陛下が退席された後、続いて参議院議長の扇千景さんの退場となった。扇さんは御自分の話で会場を沸かせた事が嬉しかったのだろう、また、陛下がわざわざお体を私の方に回されて「ありがとう」を言われたのを直ぐ側で聴いていらしたからだろう、数歩前に進んだ後、くるりと私に振り向き「どうもありがとう!」と嬉しそうに、まるでスキップするかのように会場を後にされた。

この後、私は陛下との再会に備えて、「わたしですか」から「わたくしでございますか」の人生にしようと思ったが・・・・(@_@;)、再度の依頼があった時には他の仕事とぶつかり、新しく設けられたリハーサル時間に間に合わず、その後再会の機会に与られないまま、天命で通訳の仕事から退いた。






全て韓国語に聞こえる 1/22

やってしまった。怖れていたが、やってしまった。

NHKBSで日曜日夜9時から放映されている韓国ドラマ「奇皇后」をここ2,3回観ていた。これは高麗から元(モンゴル)に人身売買で売られた貢女が元の皇后になったと云う実話をベースに作られたフィクション。この中で元と取引をする高麗商人の言葉に思うものがあり、その言葉を正確にとらえたいとネットで調べていると、なんとまぁ、Youtubeで最終回まで既に見せているのである。あら、まあ。観てしまったら、絶対最後まで見ちゃうなぁ、嫌だなぁと思いながら観てしまった。51本もの連続ものを、途中からだが、夜中3時近くまで数日かけて何本も続けて、途中で倦怠感があったが、性分なのだろう、どう終わるのか観ようと「あとなん本で終わるから」と自分に言い聞かせてみてしまった。

観終わった後、、それはそれなりに面白かったし、気付かされる事や考えさせる事も複数残したが、幻聴が起きた。NHKの番組とは異なり、こちらは字幕スーパーなので、集中的に韓国語の音が入って来る。連続ものでドラマは常に同じ場所で同じ人間関係の中で起こるから、使う言葉や相手の名称が何千回何万回と聴いているかのように入って来る。「ぺ~ハ~(陛下)」「マ~マ~(殿下)」。それで、電車や食堂、街中で通りすがりに聞こえてくる言葉がまるっきり韓国語に聞こえてくるのである。言葉とまでははっきりしないのだが、2,3続く音が韓国語の音。日本語と韓国語はこんなに似ているのかと思うほどに。だがよく耳をすまし時間をかけて聞くと日本語になる。ホッとする。よく宣伝されている「聞き流し」で英語が話せるようになると云うのは、この事なのかなと思った(そうなの?)。

日本には「遠山の金さん」や「水戸黄門」等の連続ドラマがあるが、そこでのレギュラー出演者は5,6人、あとは毎回変わる。つまり事件はいつも色々なところからやって来たり、黄門さんの場合は、旅の途中で出くわす話としてストーリーが書かれている。1回ごとにドラマは終わるので、結構あっさりとしているし(脚本家もそれほど苦労する事もないだろう)、それぞれのストーリーにつながりはないから、続きがどうなるのか”うずうず”させる事もほとんどない。あるとすれば、さて今日はどんな話かな程度だろう。しかし、韓国ドラマの場合は、連続ものは常に同じ場所同じ人間の間に事件が起こるので、次にどうなるのか、この結末はどうなるのかと続きが観たくて”うずうず”させるように作られている。そしてまた、同じ人間関係で起きるドラマだから、謀略はエスカレートし、えぐりえぐった事件を作って行く。筋立てはマンガチックで笑ってしまうところもあるが(ものすごい荒削り、終わりに行くほど脚本書きが忙しくなるのか荒さが著しくなる)、彼らが見せたい部分の筋だけは「は~、なるほど!」となる。しかし、あんなに毎回事件が起きていたら、普通なら疲労困憊、逃げ出す方が勝ちだろうにと思うのだが、ドラマの中の人物は毎回もすごいエネルギーで謀略、陰謀を重ね、「殺す」と言う言葉を嫌と言うほど使う。

黄門さんと同じで、ストーリは勧善懲悪で終わるが、違う点は、「善」側の奇皇后も「悪」を倒すために毒薬は使うし拷問もする。黄門さんとは立場が違うから、そのような策を使わなければならないのだろうが、幾つか考えさせられた事があった。

  • こういうドラマを観ていると、人間には常に裏があり、その裏は何かと勘ぐる癖がつくのではないかな。常に人を疑う。政略的な人もこの世には必要だから、それはそれで良いのだが、正常に生長したいならこういうドラマは見ない方が良いように思う。
  • ドラマは作りものだが、作りものの中に作者や演出家の想い、人生や歴史の見方が表れている。それが多くの人達から受け入れられたと云う事は一個人の想いだけはなく、多くの人たちの共通認識をドラマはいくらか表している。又ドラマの舞台になっている当時の世相も当然調査しているので覗く事も出来る。高麗の商団長が人身売買にかけたスンニャン(後の奇皇后)に語る言葉に一つの歴史観を観たように思う:民が人身売買にかけられても何もできない国に生まれたのが“罪”だ
  • 最後に奇皇后とその息子アユルシリダラは明による北伐から北に逃れ、息子は北元の皇帝になるが、北元へと馬に跨り疾走する母と息子が交わす言葉も印象深い。
    • アユル:母上は高麗の人ですか、元の人ですか。
    • 母:なぜ聞く。
    • アユル:高麗の人は母上を元の人だと言い、元の人は高麗の人だと言います。
    • 母:元か高麗かは重要ではない。私はただ民を守るために戦い、勝っただけだ。

ドラマを観終わって、朝鮮半島の歴史をさらっとネットでつまんだ。元や明と地つながりであったためにずっとどちらかの国の属国、特に中国に対しては、歴代王朝の属国であったようだ。それ故に受けた様々な迫害、苦しみ、そして韓国のおそらくどの時代劇ドラマにも共通して扱われる宮中内の権力争い、裏切り、謀略。それらは偽りごとではないように思う。悪役として現れた高麗商人に言わせる事で(それを“罪”と呼ぶ理由は不確かだが)、作者は「原因は自分たちの内部にある」のだと言っているようでもあった。





地図 1/22

人は生まれた時に、人生の地図を持たされている。そう考えるようになった。

47歳頃だったか、こんな事に気づいた:    

  • 人間は自分ではなにも選んでいない。皆、生まれながらにして持たされているだけ。性格も姿形も生まれてくる環境や国も。だからおそらく誰もが「わたし(俺)、もう少しXXXだったら」と思う。私たちが「自分」と言っているものは、すべて与えられるものであり、持たされるもの、背負わされるものなのだ。

どこで読んだか、五木寛之が同じ事を言っていたのに触れて、皆こういう事に気づいて行くんだなぁと思った事がある。私の場合、その気付きが47歳の時だと覚えている理由は、それから数年後、四柱推命を勉強する私の三姉から「47歳頃かそこらで、考え方が変わらなかった?」と訊かれた事があり、その時この気付きを得た時まで辿ったから。その辺りで、私は確かに上のように考え始めていた。それから、自分を俯瞰できるようになった。この身体の中にある魂はいったいどのような個性を持っているのか、その個性が生きやすいところに持って行ってあげる事が「私」の役目なのだと思い始めた。

昨年占星術師の歌子さんが私に渡したリーディングを読んで何度か驚き、私の仕事がソングライターと書かれてあるところでは、歌子さん共々驚いた。本人が考えても願ってもいなかった仕事が、生まれて来た時に既に適職となって与えられ、思えば、この仕事ができるようにと、全てのお膳立てがされていた。魂が引き裂かれる程の悲痛な別れ、心の働きを知った後の目覚め、そして歌づくり・・・別れが無ければ人の悲しみに真に心を重ねる事は出来なかっただろうし、目覚めが無ければ、同じような立場にいる人達に光を投じるような歌は書けなかっただろう。そして目覚めるきっかけをくれた場所は、それまで聞いた事のないところ。その場所は私を目覚めさせるだけではなく、歌づくりをさせるためそれを手伝う天才的な音楽家を準備して私を待っていた。それ以後私の前に現れた諸々の人達は、直接間接的に、全てと言っても過言でないほど、私の歌づくりを支える人たちだった。

そんな事を想うと、生まれて来る時に人はそれぞれの人生の地図を既に持たされているようだ。科学者は直感、霊感、不思議体験(これを科学では客観的に論理的に証明できる”デイサイエンス(昼の科学)”に対し”ナイトサイエンス(夜の科学)”と呼ぶらしい)があって偉業を成し遂げる。芸術家にあっては、そのような天啓を科学者以上に受けるようだ。だから彼らは神を大変感じる。作家の田辺聖子が「全てが神様の脚本の中」と言ったが、私はそれを地図と言う言葉に置き換える。生まれてから再び”戻る”までの間、どの辺りで道を曲がるか、いつ曲がるかは決められていて、今までの道から逸れる切っ掛けは人それぞれによって異なり、ある人は宗教を通して、ある人は人との出会い、ある人は病気から、またある人は読んだ本から・・・という具合になるのではないか。そして、その大きなきっかけとなるものが現れる前に、必ずと言っていいほど一見八方ふさがりとも思える、出口の見えないトンネルの中を歩く。なぜなら、その時こそ、人は無我夢中で光を求めるから。

全てが天命。運命の「命」とは天命の「命」なのではないかと思う。生まれる前に頂いた天命を運んで行く事。きちんと運んで行かなければ、運ばないなりの・・・(そこはまだよく分からない)。

だから焦りも、競争心も妬みも要らないのだろうけど、そんな感情が生まれて来たなら、もったいない、命を運ぶ後押しする力に変異させていけば良いのだ。与えられた個性を持って与えられた地図の上をひたすら歩いてさえいれば、その個性が華やぐようになっている。人や世の中のために役立つ仕事をするよう、神が計画したところに運ばれて行く。不思議なのは、と言うかよくできているなぁと思うのは、個性は人の役に立つ仕事をした時に華やぐようになっている。

「地図」- いつかこのタイトルで歌を書けたらと思う。





地図 つづき 1/24

頂いた地図に従い天命を運んで行かなければ、どうなるか。きっと喜びのない、喜びの少ない人生になるのだろうと思う。”自然”に生きると言う事は自分の命が喜ぶように生きること。なぜなら、命は喜びたくてたまらないのだから。天は命が喜べるよう、地図を与えてくれている。命が喜べるよう与えたれた仕事や行が天命なのだろう。だが、自分の私心や好悪で天命を素直に運ばない。当然だが、自分で自分を喜びから遠ざける事になる。要するに運の悪い人生になるのではないか。喜びに引き合わせて頂けない人生。

天から渡された地図を素直に歩く。すると、天はもっともっと喜びを増やしてくれるように想う。GIVE AND TAKEではないGIVE AND GIVEだと高血圧の原因となるレニンの遺伝子解読に世界に先駆けて成功した遺伝子工学博士村上和雄氏が言う:GIVE した人間からTAKEするのは券売機にお金を入れて切符をTAKEするのと変わらない。TAKEは天から来る。

私にも今この考え方が滲みこんでいる。天の声を聴きながら、人間にはひたすらGIVE。天の声は直感、霊感、自分の意志のないところでの不思議な出来事となって届く。天と心を一つにして素直に天命を運んでいると、一般的には”驚き”と思える事が実によく起きる。だが、私の中ではそれは「神の働きだ!動け!」と叫んでいる。私にとっての驚きは自分の内面の変化。発想が私個人の私欲が基になっているなら躊躇い、二の足を踏んだり、後ずさりしたりと消極的になるのだが、天命だと自覚した時から、ためらわくなった。雑念を挟まず天命を運ぶだけの自分がいる。だから、出てくる勢いやスピードに対して、周りが驚く。私自身も感嘆している。

誰の心の奥深いところでも耳をすませば聞こえる”声”がある。その声は言う、大きな心の人間でありたい、優しい人間でありたい。それを素直に出していけば、本当に喜びばかりがが広がるようだ。





致知出版社 新春特別講演会 1/24

致知出版社の雑誌を始めてみたのは6年ほど前だったと思う。「まともな雑誌がやっと出た」と言う感想を抱いた。ゴシップや人の中傷を目的としているようなゴミ箱に行くしかない週刊誌が読み続けられているのを傍で見ながら、日本はどこへ行くのだろうと不安でもあった時、とても安心した思いがした。創立37年、その新春特別講演会および懇親会に参加した。

特別ゲストは裏千家15代家元千玄室氏と女優の山本富士子さん。下村文部科学大臣も懇親会の途中で駆けつけて来られた。千玄室氏とは私がカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)留学中にお会いしている。氏は大変エネルギッシュで考え方が広い。当然だが茶の心が氏の発想元。茶室がなぜあのように小さいのか、なぜ刀を外しセンス一つで屈みこみながら入るように入り口を小さくしているのか。母親のお腹の中にいる胎児の姿に戻るためだと言う。無垢で素直な心の状態に戻る。そこでは強いも弱いもなく優劣もない。差別もなければ区別もない。強さを持つと言う事は差を持つと言う事。強さではなく、調和してこそ平和がある。互いにRESPECTし合い、共に生きる。そこに真の平和があると説く。慈愛、寛容、忍耐の3つの要素を持ちつつ平和の祈りは自由自在でなければいけない。氏は5時に起き臨済宗のお経を唱え、昼にはキリスト教会に行き信者たちと聖歌を歌う。心を開き、目を開く事で平和へと進む。91歳だが、きびきびとされていて、走るように歩かれる。

山本富士子さんは、84歳。その声は全く老いていない。お顔は勿論若き時とは違うが、山本富士子である。その変わらない様子に、良い生き方をされた跡が見える。話は、まるでセリフを覚えて来たかのように一度も躓くことなく節を付けてとうとうとゆっくり一字一句はっきりと発音する。島根県仁摩市にある世界一大きな砂時計に言及し、時は去るけれども、人の心と体の中で時は積もり積もってゆくと言う。

2013年岐阜ライブに来られた方々もいて、久しぶりの再会も楽しんだ。

致知出版社、いいものを作っていけば集まって来る人も、そう言う部類の人達だ。期せず、村上和雄博士も来賓で出席されていた。




夢を持たされて 1/25

今の私の夢。

悲痛の中にいる人達を少しでも励ませる歌、世界平和に近づける歌を書き、もし私の歌が多くの人達に受け入れられ収益が出るようなら、この国に沢山のアジア人留学生を受け入れる奨学金に充て、親日派を育てるしくみづくりに貢献したい。

9年間の米国留学生活で、様々な国々の人たちと交流し、様々な事を学び私は広くなって行った。米国は各国の将来のリーダーの卵たちに授業料だけではなく生活費小遣いまで与える奨学金を国と個人のそれぞれのレベルで提供し、沢山の頭脳貢献をしてもらっただけではなく、沢山の親米派を育てていった。私は日本と言う国に自信を持っている。他国からこの国に来る学生は日本の心を学び、日本人は他国の文化に接する機会が増え、多様性を今以上に受け入れていくようになるだろう。平和は混じり合わなければ実現しない。

この夢の実現を応援してくれる人達を私は積極的に探して行こうと思う。このような夢を頂いた事に心から感謝します。




名前が大きすぎるけれど・・・・1/28

   



 基本的な法則を発見するのに論理的なやり方など存在しない。
 ただ直感あるのみで、それを助けるのが、見かけの裏に隠れている秩序を感じ取る力である。

 宗教抜きの科学は足が不自由も同然であり、科学抜きの宗教は目が不自由も同然である。
       
 アインシュタイン (名前が大げさだけれど・・・)







 



 写真:グリーンランド・イルリサットの白夜(夜中0時30分)
 



早い! 1/28

私の行動の早さに驚いている人がいる。

言われて、少し考えたが、1月24日のブログ「地図つづき」にも書いたように、今の私は天とつながっている。人によっては「宇宙の芯とつながる」と言う言葉を使う人もいるようだ。かなり神意が入っているから、速い(早い)。護られている確信、天がこれを進めているという確信、そして人間は自分の事よりも人のためと思えばエネルギーの出し方が変わって来る。人のために役立つ時に個性が輝きだすと上で書いたが、やはりそう言う事なのだろうと思う。

そしてもう一つ、私の個性は理解すると大変素直に受け入れる。最近の私は特に素直で早いが、もともと思い立ったらすぐに行動に移すと言うこの個性を天は十分に御存じだ。だから大分時を重ねた今でもできると(いや、今だからできると)ソングライターと言う天命に気付かせたのだろう。そう思う。




それに。。 1/29

それに、善き事は早く実現した方が良い。それだけ喜ぶ時間が早く訪れ、喜ぶ時間が長い。



バカ 1/29

なんだか最近のわたし、並々ならぬ、そんな気がしてブログを読み直していたら、うん、並々ならぬ事を書いている。私にはものすごい集中力が備わっているみたい。昔俳優を志していた時も、芝居があったり、オーディションがある時には、年がら年中芝居の事を考えていた。地下鉄に乗っている時も、表情付きで少し体を動かしながらセリフの練習をしている。無意識にやっているから本人はやっている事さえ気づいていないが、何気なく前をみると、おっさんがニタニタ見ているので、それで自分がしている事に気づくなんて言う事は何回とあった。ホームを歩いていても頭の中は芝居の登場人物になっている。相手役もいる。それで後ろにいる想像上の相手役を振りかえり何かしゃべる。実際に後ろを歩いて来る人はびっくりする。びっくりされて、こちらは気まずくなり、それを隠そうと何事でもないような素振り。

昔々、歌の発声法に試行錯誤していたある日、夫になる人との初めてのデートがあった。公園を歩きながら私はずっと歌を歌っていたようだ。デートで話もせずひたすら歌い続けている女を見た事が無い彼は、大分時間が立って嫌みともつかない事を言った。その時初めて私は気が付き赤面した事があった(あは)。

やっている事に夢中になり、止められないエネルギーが放出される。そこには努力と云うものが介入する隙が無い。多くの人たちから見ると、いわゆる変人となるらしいし、最近見ていた久米宏がホストを務める番組では、日本にはバカが少ない、バカになろうと勧め、バカの定義付けがされていたが、私が当てはまっているところもあった。

そんな変人あるいはバカである事は光栄かもしれない(あはは・・・)。




お待ちしております 1/30

私が現在最も緊張する時は、刻々とライブ日が迫って来る時と当日。全体的に締まりますし、血が心臓の方に集中するからか、二の腕辺りがなんとなく硬くなり手足が冷たくなる感じがします。いつになっても、きっとこうなのだろうと思う。何人程のお客様が来て下さるのかも気になるけれど、電話をして確認するのは気が引けて、全て神様頼りにしています。

どうぞ、1月の席を温めに来て下さいませ。楽しいトークと共にお待ち申し上げております。




いつもより温まって 2/1

初めての1月のライブ、客席が寒々するかもしれないなぁと、ほんの少し思ったが、いつもの先輩達、久しぶりの方、新しい方々も来られ、とても温かいライブになった。賛辞に包まれるとその気になってしまうのが私だが(素直なのである、あはん)、2年ぶりに栃木から来られた方が満面笑みを浮かべ2年前と比較し、”本物”になったという。そう言えば彼女は以前に来た時「良かった」とか感動と言う言葉を使わなかったなぁと、今さらながら思い出した。正直な方なんだぁ。家族のように応援して下さる先輩達がライブの後に用意して下さった酒の席で、私が到着するや、「今みんなであなたの事を褒めていたんだよ。欠けているものが殆ど無くなったって」と言う声。うわ~!

2年ほど前先輩の一人から「今一足りないんだよ」と言われ、自分でも自覚があり、その足りないものが何なのか言葉には正確に表せなかったが、私の内面の進化と共に充足されると疑っていなかったが、そこに来たのだろうか、「あと必要な事は、売り出す事だ」と言ってくれる。先輩の一人が撮影してくれた当日のライブ写真を見ると、随分開放されているしずこがあった(このHPの表紙、出演欄に掲載)。ここまで来たかと自分の事ながら感慨深い。とてものびのびしている。自分の進化を確認するたびに、いつもライブに足を運んで下さる先輩方を始め、私を育てて下さる皆様に対する感謝が更に厚みを増す。ああ、なんとありがたい事か。

また、当日始めて来られた方が、友人に森進一のプロデューサと小林幸子のディレクターがいるから、この二人の歌手向きの歌を書いたら橋渡しをすると本日メールを頂いた。実は先日も致知出版記念日で、「世界を君のふるさとに」に心を重ねて下さった方がいらした。今年は起こりそう、そんな予感が強くする。

さあ、ライブは終わった。次のライブは5月、5月に入るとライブの準備が始まるので、それまでの3カ月、レコーディングとまた新しい歌づくりの開始!やるぞ~~~!にた~。
(●^o^●)




うれしくて 2/2

1月31日のライブに初めて来てくれたシンガーソングライターを志す友人からのメッセージ。

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しずこさんライブお疲れさまでした! とても素晴らしいライブでした。 声をかけてくださりありがとうございました!

今日は母の引越し日なのですけれど何もかも私がやらないとだめなので、最近は寝る暇もなくバタバタしてましてお礼のメールが遅くなりましたm(_ _)m

歌やダンスや台詞など、あんなふうに魅せることは普通出来ないと思います。 それですごいな〜@@と私がびっくりしていましたら朝生さんが、しずこさんは只者(しずこの注:?)ではないんだよ、とおっしゃっていました。 そして又々びっくりしたのでした。

オリジナル曲は、シャンソンぽい感じだったので普段あまり聴き慣れないのですけれど、でもとても伝わって来ました。 そしてしずこさんの歌はとても生き生きとしていて聴いてるこっちも嬉しくなるようでした。 カバーもとても良かったです。 特に、斉藤和義さんの曲には感動してあれからずっと心に残りました。 曲の力がすごいし、しずこさんがそういう親しみのある曲を歌ってくれると名曲が更に名曲になってすごい力で聴き手に伝わってくるのだと思いました。

前々から行ってみたかったしずこさんのライブ、念願叶って聴きに行けて本当に嬉しかったです(^-^) 声をかけてくださりありがとうございました! 私が足を運べるようなお店ではなく高級店なので毎回というわけにはいきませんけれど、もっと余裕が出来た時には又聴きに行かせてください。

今度はCDも購入したいです☆

お疲れさまさまでした! 声をかけてくださり本当にありがとうございました!m(_ _)m




もうひとつ 2/2

ライブの感想をもう一つ。斎藤和義の「歌うたいのバラット」をリクエストされたご本人から。彼は歌が大変好きなようで、様々なコンサートに出かける。

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歌うたいのバラッドありがとう。リクエストした本人が言っても説得力がないかも知れませんが、演歌より遥かに良かったです!ピアノの伴奏も最高で、是非持ち歌の一つにして下さい。リスナーの年齢からするとシラッとするかもしれませんが、愛を唄うしずこさんの歌の延長で考えるとピッタリだし、歌い方も和義より素晴らしかった。シャイでなかなか言えないけど、''愛してる''って伝えたい気持ちが本当に、切実に伝わって来ました。





札幌雪まつり 2/4

以前から行ってみたいと思っていた札幌の雪まつり、今日から2泊3日で行って来ます。(^_-)-☆





衝撃!うわ~っ 2/7


旅行の話を書こうと思ったら、それどころじゃなくなった。
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「次の曲ですが・・・・・これは衝撃でした・・・・身体の底(背筋?正確な言葉は忘れた)に衝撃が・・・・ことしずこさん。ことしずこさん。どこにいますか」
(きた~~~~!はい、ここです、はい)と心の中で叫び両手を肩のところまで上げ合図しながら黙々と立ちあがった。

今日、某テレビ局の番組の延長で行われたスペシャル・ワークショップで私の楽曲「ライバル」が講師の耳に衝撃を与えたと言う。以前にビクターの”K”ディレクターから「これは、ヒットする曲です」と少し興奮気味に言われたが、歌わす人が直ぐに思いつかない(本人の言)という理由で、持ち帰らなかったものだ。この楽曲を他の専門家はどう思うのか、私の自信を覆すのか、確固とさせるのか、ある意味で勝負に出るための選択だった。

ワークショップが終わりエレベーターホールでは若い女の子たちがニコニコと近寄っては「本当にいい歌ですね。直ぐに覚えられるし」。そう言えば、以前にKディレクターを迎えた会で30代後半の男性クリエイター達が同じような事を言っていた。

似たような歌ばかりが流れる今、やはり、私の作る楽曲は個性的でどこにもない曲。社会は私の楽曲を待っている、その想いに間違いはなかったと改めて思わせて頂いた時間と場所だった。

舞い上がった一日だった(●^o^●)。次のワークショップは4月。




同じ方向を向いている人なら 2/8

上のブログで書いたワークショップで、「作曲とは何か」という司会者の質問に楽曲添削をする松田さんと多田さんが答えていた。多田さんは、もはや作曲ではない、作歌だという。松田さんは、人の人生を変えるもの。「人の人生を変えるもの」、そのつもりで私も書いて来た。希望を失った人達に希望を与える(歌子さんが読んだ現生での私の役目)。同じ立ち位置にいるから、恐らく私の楽曲は彼らに響いたのだろう。どんな歌を聴きたいか、どんな歌を書きたいか、向いている方向が同じなら、恐らく私の楽曲を世に広めようとする協力者が現れるだろうと確信のようなものがあったが、上のワークショップを通してそれが揺らがないものになったように思う。




似ている曲 2/8

ワークショップの参加者から「作っていると何処かで聴いたメロディーになってしまうんですが、そう言う時はどのように処理していますか」と、歌づくりをしている人ならだれでも持っている質問があった。

「作曲はパクリから始まる」「似て全く構わない。ピアノの白鍵盤の数は7つだけ。組み合わせたって限度があります。似ていると言う事で全く気にしないでどんどん作って下さい。」

歌づくりを始めた時、口から自然に出てくるメロディーに「これ、誰かが歌っている曲かしら」と、友人に確認したり、友人から紹介された曲認識ソフトを使ってチェックしたりしていた。サザンの 桑田佳祐の歌の中に井上陽水が作って大ヒットした楽曲のメロディーの2小節が入っていると、ドッキ~んとしたものだったが、JPOPのトップを走る人達から言われると、「あ、そう言う事なの」と自分の歌づくりの時はもちろんだが、人の楽曲を聴いても、おおらかでいられる。




早速動く 2/8

「ライバル」をアレンジしてくれた浩平くんに直ぐに連絡。「お待ちを!」と連絡をもらった。彼は、業界超売れっ子音楽プロデューサーの亀田誠治氏のアレンジで曲を書き、それがもうすぐリリース。かなり忙しくなったようだ。

天才的作曲家安西史孝が事務所経由になり、安西に負けない程の才能を持つ西さんがジャズに特化すると言って池之端QUIを降りて以来、二人に負けないアレンジャーが私の前に現れてくれるかと心細かったが、現れた。浩平くんの最初のアレンジを聴いた時、ホッとした。これなら行ける、と。JPOPに特化したアレンジなので、なんだかウキウキした感覚を覚えている。浩平くんなら、私以上に若い人たちの楽曲に精通しているから、誰に歌わせた方が良いかも考えてアレンジ提案をしてくれるだろう。「世界を君のふるさとに」も彼のアレンジだった。私が新しいアレンジャーを必要としている時にデモピッチで知り合い、二つ返事で私の曲作りを手伝ってくれることになった。

これを機会に、「ライバル」と「世界を君のふるさとに」の両方をフルアレンジしようと思う。どちらもいま社会(世界)が待っている歌のように思える。昨年、アイスランドとグリーンランドに行った帰りの飛行機で一緒になった御縁が広がり、スイス人でレコード会社に勤める人に「世界を君のふるさとに」を英訳しながら聴かせると、いい湯加減の温泉に浸かっているような表情に、恋人が現れた時のときめきを漂わせ、「歌詞は英語で書かれているのか」と訊かれた。その時はNOだった。途端に眉間にしわを寄せ、黙りこくってしまったが、その時からいつかこの歌を英訳して彼に届けようと漠然と思っていた。

恐らく聴きたい人が沢山いる楽曲なのだと思う。



こびりつく 2/9

私の楽曲は個性的らしい。特に歌詞が。前回1月のライブに初めて来られた方も、たった一度聴いただけで歌詞をうっすら覚えてメールを書いて来た。当日は「ライバル」は省いたので彼に聞かせる事ができなかったが、彼は歌心があり様々な人の歌を聴きコンサートに足しげく通う。「世界を君のふるさとに」の1コーラス目の歌詞が大変印象的で、その歌詞に浸っていたら、他の部分を聴きそこなったという。「あの歌、売れる予感がします」と書いて来た。この楽曲の歌詞については、私のこの小さなライブに来て下さる人達から既に”しあわせ”コメントを頂いている。昨年11月に来られた70代近い方も、「聴きたい歌を聴けた。あの歌を聴けただけで、今日のライブに来た甲斐があったわ」、そしてこの曲は、「千の風」に匹敵する反響を起こすのではないかしら。。。とさえ言う。

歌詞がこびりつく。大変光栄な事です~。

今回のワークショップでの評価を伝えると、ビクターのMディレクターから今後は彼が企画するもの向けの楽曲”だけ”を送るよう、方向転換をメールで言って来られた。企画外の作品に関しては、今回のように自分でチャンスをつかみに行くようにと。彼からこれまで頂いたメールの中で一番内容がはっきりしていたし、また初めて彼のこれまでの本意が伝わったように思う。人の思考と行動の器はそれぞれ異なる。彼も決断をしなかればならないところに来させられたのだろう。私からすれば、ここまで来れたのも彼が傍にいるのだと言う感覚があったから、一人でやっているのではない、よりどころがあると感じさせてくれたからだ。彼はこれまで私が作った全楽曲を聴いてくれていた。感謝し尽くせない。彼の意に沿い、これからは彼の企画に合うものだけを送らせて頂こうと思う。私の出したものがMディレクターの企画を輝かせる、そのような恩返しができればと思う(で、今頑張っている)。。。。

全ていい方向に流れている。自分の好悪を捨て、社会が人がどんな歌を求めているのかを感じ、私が書いたものに共感しアクションを起こせる人達が必ず現れるだろう。芸術は、ある部分、人の無意識の世界を突いて行き、見るものや聴く者にハッと何かに気付かせるものだと思う。だが、どんなにいい歌を作っても、世間へ通じるドアを開ける人が聴きたい、他の人達にも聞かせたいと思わなければ、ドアは開かないし、また「いい曲」だと思ってもそれを世間に出す力がドアマンになければ、どんなに多くの人達がその作品を待っていたとしても、楽曲はひのめを見る事はない。そしてその楽曲に触れる事で生きやすくなったり、生き直しをしたかもしれない人達の可能性を閉ざしてしまう。それは余りにもったいない。

私の歌づくりのステージが変わったのだと思う。





青空 2/9

  人はなぜ青空が好きなの

  それは遠くが見えるから

       心も広々とするから 


       人はなぜ遠くを見たいの

           それは希望をみたいから  

人はなぜ心が広々とするといいの

  それは、誰の心のにもその奥深く、気付かないところで、広い心があるから

                                    しずこ 

プロモーション・プラン 2/10

大塚にあるアーティストやミュージシャンの卵たちにメディアとの交流の場を提供するMPJに、昨年5回ほど伺った。その時に私の「ああ、あんた恋しや」を聴かれて「いいですね~!」と言われながら持って行こうとしなかったユニバーサル・ミュージックの新人探しの担当者で業界でも有名だと言うK氏が、個人的な会話で「売り方が分からない」と話していた。加えて「千の風」のような歌を書いて欲しいとも言った。

昨日、彼に「ライバル」を聴いて頂いたら、力のある曲なので、トレンドを追いかけるユーザではなく、サイレント・マジョリティー向けのプロモーションプランをかける人がやれば、大きなヒットになるのではないかと、とコメントが返ってきた。そうか~と分かった。K氏がプロモーションしているのは10代や20代のグループが中心だ。そして大体今のJPOPのトレンド。その種のものには彼にお決まりのプロモーション方法があるが、私が作るような個性的な歌を好むサイレント・マジョリティー向けのプランを作った事が無いので、扱わないと言う事なのだ。大変分かりやすい。

つまり、サイレント・マジョリティ―向けのプロモーションをして成功しているところに持って行けば良いと言う事で、逆に言えば、そのようなプロモーションプランを持っていないところにいくらアプローチしても無駄と言う事である。少しづつ業界の事が分かってくる。




爆発 2/10

ユニバーサルの加茂さんの上のメッセージを頂いた後、立ち止まって整理したら、この「ライバル」は、6人のメディアの人達に聴いてもらっている。その内一人は「いい曲」という表現止まりだが、その他は全員"爆発"の可能性を示唆している。

ワークショップで提案されたように誰に歌わせるか方向性を明確にし、プロモーション・プランを描けるところに持って行けば、これは大きな歌になるのかもしれない。吉田拓郎が好きそうな歌なのだが・・・若い男子グループが軽く歌うのもいいかも知れない。

頑張りたい。フルアレンジが出来上がるのが3月中旬。




日常のこと 2/11

2,3,4月は歌づくりとレコーディングを集中的にしようと思っていたが、その通りの動きになっている。「作曲とは何か」と言う質問に、「日常の事」と松田さんが答えていた。毎日、作ったり考えたり、感じたりしていると言う事だと思う。

今の私が全くそうだ。本を読む時も、小説や詩の場合はネタ探し、言葉探しのためだし、テレビを点ける時も何か面白い素材から前頭葉にピンと引っかかるものがあるかも知れないと期待する。今は、Mディレクターへのプレゼントと考えている曲の手直しに、いつになく時間をかけている。私にはライブがあるので、新曲はそこで披露して反応を確かめられるのだが、彼の企画に合うかもしれないと考えている「両手をひろげて」が、前回のライブでプレゼンしたところ、やはり”いまだ足らず”であった。

昨夜どうにか行けるかと思うレベルまでに持って来たが、歌手として予定しているのが男性らしく、それで唸っている。この楽曲はもともと私自身の想いで書いたもので、愛、包容、ぬくもりが一杯。その意味では坂本九の歌のエッセンスに近いかもしれないが、歌うのはどうしても女性歌手になる。男でも女でも歌えるように言葉の尻尾を変えて行くと、肝心の絶対入れたい言葉が、うまく収まらない。全く新しいものを作った方がよいのだろうが、この楽曲のメロディーや詞を私は気に入っている。

「世界を君のふるさとに」のタイトルを短くするよう提案されたが、「ライバル」が余りに短いので覚えやすく、初めてタイトルを聞く人も直ぐに覚えてくれるのをみると、やはり考えなければいけないのかもしれないと思う。印象的なタイトルで短いもの・・・「君の靴でいたい」、「君の靴で」、「人間は一つ」(これは固い)、「ひとつ」(ドライだなぁ)。。。。しかし、「世界を君のふるさとに」とタイトルを言っただけでも、「ああ、いいわぁ~!」と言う人達が”少なくない”。この歌の主旨に大変共感できる人たちなのだろう。大体中年層以上だ。だから、変えなくとも良いのではないかとも思うのだが。どうなんだろうなぁ。以前に作った歌に、「悲しい歌はじきに終わります 彼女も今では歌いません」と言うのがある。これは一時長いタイトルが流行ったので、それを真似てみたが、さすが・・・これは簡単に変えられる→「彼女はもう歌わない」。今日、このHPのレパートリ欄のタイトルを修正した。

譜面を持ってピアノに向かう時、充足感に満たされる。歌づくりをしている事、させて頂いている事が本当にありがたい。そして、それが人の役に立つ可能性を大きく秘めている事が。

今日は音楽学校の特別作曲講義、DTMの触りを聞いてくる。




言葉を求めて 2/11

DTMは、Desk Top Musicの略、直訳すれば机上音楽。コンピュータで音楽を作る事。講師は私が作曲個人指導をして頂いている30代(かな?)の青年。終わって言われた事は、DTMは作曲家やアレンジャーが使い、シンガーソングライターには無くても良い(らしい)。シンガーソングライターに必要なものは、しっかりしたメロディーとコードだと帰り際に言われた。”しっかりした”という言葉がいやに耳に残った(*_*;。

昨年の大みそかから今年の正月にかけて3曲の草案を書いたが、その後色々と修正を始めた。音楽としては成立していても、言いたい事を言い切れているのか、言えてなければやはり今一である。メロディーは付け足せる。言えて無ければ、いい歌になりそうなものがなれない。もったいない。

「かみさまとのやくそく」がようやく纏まった(この漢字、手書きなら書く人いるのかな?)。これは童謡の類に入る。まさか私が童謡を書くとは思ってもみなかったが、前世の記憶を語る子供たちが"おみやげ"を持って生まれて来ると言う話に感じるものがあり、軽い気持ちで書き始めた。書いて、これは母親たちを泣かせるなぁと思った。

ここ数日NHKのテレビ番組クローズアップ現代で取り上げられていた、犯罪を犯す子供たちの影にある乳幼児期に親から受けた虐待とネグレクト。「かみさまとのやくそく」の中に書かれた言葉に触れた時、母親はどのような気持ちになるだろうか、我が子を抱きしめたくなるのではないか。これは何も私の作詞を自慢しているのではない。私は聞いた話をただ歌にしただけ。

核家族障害が言われて久しいが、親も子も皆言葉が欲しいのだ。気付かせてくれる言葉。命を捕える語句。事無かれでうわべの笑みで挨拶しながら周りと自分との間をカーテンで仕切り、個の鎧の中に自分を閉ざし鎧の重さに時にはへとへとになりながら、平均である、それ以上であると認められ得るところだけを露出して個人主義の世の中で私たちは生きている。本来の自分、生まれた時のそのままの心を引き出してくれる言葉が欲しい。本を読む事が大儀でない人達は本を通して言葉探しをするが、歌の言葉はメロディーに助けられて情感をより刺激しながら人の心に直接的に入って行く。

この歌を待っている人達が既にいる。この映画の監督に聞かせる約束がある。そしてシンポジュームに参加した人達。だが、おそらく、もっともっとその何万倍もの若いお母さんたちや子供たちが待っているように思う。この歌は私の手の中では完成した。手が空いているアレンジャーに間もなく届けられる。




若い匂い 2/14

プロモーションプランを描けるか否かの話だと言ってくれたユニバーサル・ミュージックのK氏の話を、彼とも面識がある「ライバル」のアレンジをしてくれる浩平くんに言うと、「若いクリエイターとは逆の方向性の提示かもしれませんね。「これは行けます!私がやりましょう」というディレクターが居ると良いですね」とメールで書いて来た。

このブログのずっと上で"器”の話をしたが、ふたつのエピソードをふと思い出した。25年ほども前の話だが、米国留学から帰り、役者としてのデビューを考えていた時、名前を忘れてしまったが、「スターになる存在」だと私を紹介して回って下さった新宿コマ劇場のプロデューサーがいた。最初の紹介先はある児童劇団の創立者(女性)のところだった。彼女は言った、「あなたを引き取る人はあなたに大役を与える覚悟のある人だ。」そしてふたり目は、夏木マリ、島田歌穂をアーティストとして大スターにし、次の3人目を探していたところだと言って、その場で私を預かると決めた。それが昨年のブログでも書いた亡き砂田信平さんだ。今、彼は以前よりも近く私の側にいるように思う。

もう一つのエピソードは、「千の風」を売り出したテイチクのディレクターに逢いに行った時の事。「しずこさんとやれる人はしずこさんよりずっと大きな器の人間か、器は小さいがしずこさんの後を付いて行く人だ。俺じゃない!」あの時の私の器が大きかったとは言い難いが、少なくとも言える事は、今の私の器はあの時よりも大きい。ならば、私より大きな器を持つ人を見つけるのは難しいかも知れない。

浩平くんがメールで書いて来た「これは行けます!私がやりましょう」には若いディレクターの匂いがする。私と主従を争うとせず、作品の意義を優先できる人だろう。必ず現れる、天が私にそう言う。



ヒット曲 2/14

ヒット曲を書いた(でっかい事言うようになったなぁ、あんた!木に登っちゃダメだよ。大丈夫・・・)。私には自分を離れたもう一人の私が存在している。それがとても冷静にしずこの作った作品を見ている。ヒットしないわけがないと思っている、それは「いいね」。軽い、楽しい、明るい、人生の妙をなるほどと言わせるように歌う。俺は知っているぞ、教えてやるぞと豪語していない。2回ほどアレンジをやり直してもらい、今日出来上がった。最後の盛り上げも実にいい。楽しい。思わずニタ~。作っていると期せずしてこのようになった。このアレンジをやってくれている井川君、彼は大変正直。まあまあの歌には「どう?」「あははは・・」だけ。今日の電話は、「これはいいですよ、ほんと、おもしろいし」と太鼓判を押す。演歌はね、青二才にゃ、書けないんだよ。うわはっはっは~(うん?これ、だれが言ったの?)うわはっはっは~。

瞼の裏に映る。この曲が細川たかしに歌われている様子が。彼が楽しそうにステージを歩きながら歌っている。そしてテレビの前で、会場で、彼の歌を聴いている人達の顔に思わず大きな笑みが、そして自分の人生に照らし合わせて「なるほど~」と頷いたりしている姿が。

井川君に、しずこの「世界を君のふるさとに」とMディレクターが聴いてみてくださいと私に言われた坂本九の「心の瞳」に関する感想をもらった。「坂本九の『心の瞳』もいい曲ですね。僕、この作曲している三木たかしが好きなんです。でも、しずこさんの『世界を君のふるさとに』も本当にいい曲ですよ」。私に暗黙の制約が無くなった事もあり、これまで書いたものの中で演歌っぽい曲をメディアに橋渡しすると言ってくれたMPJの主催者に送った。「輪廻の華」と「ああ、あんた恋しや」。「悪くないでしょ?」昨夜会った時に訊ねると、何か大きく感じ入った態で、深く頷いた。どうも彼らは自分のビジネスに忙しくて、会員の楽曲をきちんと聴く事はないのだろうと思う。改めて1,2曲取り出して真剣に聴かなければならない状況になった時に「えっ!」と驚いているのではないかと思う。

「輪廻の華」は数年前栃木のホンダモーターの技術研究センターに通訳に行った時、駅から30分のタクシーの乗車が退屈で、運転手に歌って聴かせた事があった。この運転手さん、歌をよく知っていて、そのコメントにびっくりした。「歌詞が良いよ~。曲が結構あっさりしているから楽器を色々入れて、歌のうまいのに歌わせるとヒットする歌だよ~。石川さゆりか、坂本冬実か、あと、なんて言ったかなぁ~、あ、そうだ、島津あやに歌わせると良いよ。あの娘はうまいからねぇ。」トホホとも嬉しくもあるコメントだった。


「歌のうまいのに歌わせると」。。。私の負けん気が騒いで、「この歌は?」と後部席に座ったまま「美しい日々だけを連れて」を歌った。すると、それまでずっと前方を見て車を走らせていた運転手さん、突然喜んで、後部座席の私をひと目見ようと横顔を何度も私の視線に入れて来た。まるで別人の顔を見せる。私は笑顔がこんなにも人の顔を変えるのかと感慨深かった。「いいねぇ~、みんないいね~。」と繰り返す。タクシー料金精算時には上半身をほとんど180度私に向かせてまじまじと私の顔を覗いた。どうも「美しい日々だけを連れて」がもっと気に入ったようだった。50代中盤程の栃木の運転手さんがバラードの歌に感動してくれた。これも私の偏見を変えた。

「美しい日々だけを連れて」、私が歌っても良さそうだ。提供する歌、私が歌う歌、仕分けします。




ラブレターは速達で 2/15

創作をする人間は場所を移動する - そんな事を何処かで読んだ。大変納得する。インスピレーションをもらうためには新しいものに出会わなければならない。その為に移動する。村上春樹などは世界中を回り、それぞれの場所で長期間滞在するようだ。また、大分前にどこかの新聞で読んだ細川たかしの小さな一言が大変印象に残った「最近の演歌がおもしろくないのは、作詞家が贅沢な暮らしに安住して、旅に出ないからだ。」(こんな事を公言しちゃって、この人大丈夫かなと思ったが、それが原因か、以来自分の息子が書いた、なんとも・・・下を向くっきゃない作品以外の新曲が無い。)

それで今日はノンフィクション作家の馬里邑れいの話を聞きにいった。父親は5回も結婚。ご本人は最初の結婚で授かった娘。その父親は恋をする事が大変好きだったようで、こまめに手紙を書き、投函する時は常に速達。速達で出す事によって思いがもっと伝わるのだと言ったそうだ。私の脳がニカ~。私の楽曲40曲目の骨子が決まった、「ラブレターは速達で」。馬里邑さんと名刺交換をし、もっと具体的な話を頂ける事になった。創作者同士理解し合えるものがある。



やはり 2/15

家にいると私の着る服は大体いつも同じ。チャコットのダンス・ウォーミングアップ用伸縮可能のゆったりしたウェア。直ぐ側のスポーツジムでヨガをする時も同じ。3着を取り替えながら着ていたが、その内の2着が惜しみなくガラス吹きに使える状態になったので、年2回開催のチャコットセールに、馬里邑さんの話を聞いた後新宿で下車して行った。現時点で必ず必要なのはウォーミング・パンツだけ。セールだから大体50%引き、大体6~8千円だろう。しかし、行ったら買うなぁと思って出かけたら、やっぱりね。パンツも1枚ではすまない、そして買ったパンツに合うかもしれないシャツ。なんやかんやと、クレジットカードを気軽く出せない金額になった。こうなるのよね、と店員とおしゃべりして笑って帰って来た。

ま、いいか、これから3~5年もってくれるでしょう。安かろうとあれやこれや買った時代とは変わり、今は安いものは本当に買わない。いいものを安価で!

この冬、ちょっと試している事がある。いつもは晩秋に少し大仕事の衣替えをするのだが、しなかった。冬服を数枚ケースから取り出しただけ。どうもこれで行けそうなのである。セーターを3枚くらい持っていれば十分なのだと気付いた。




プロフィール更新 2/16

奇遇にも丁度2年ぶりにプロフィールを更新しました。




逃げてはいないが 2/17

いつかこう言う事があると思っていた。無銭飲食。辞書でその意味を引くと、料金を払わずに逃げるとある。逃げてはいない。「会計の方はどなた。あなた?ごめんなさい、私、お財布を持って来なかったみたいなの。」バックが軽いとは思ったが、スイカ入れも眼鏡も譜面も歌詞も、必要なものは全部入っている事を確認し家を出た。スイカがあれば、電車に乗れちゃう。 

意外だったのは、そば屋のその若い30代程の青年の対応。嫌な顔も疑り深い顔もせずに、大変かるく、「あ、じゃ、この次に。」私の方が心の中で思う、えっ、それでいいの?それだけでは困るでしょうと、紙と鉛筆をもらって私の携帯番号と名前を書いて渡した。来週の火曜日、同じ時間に来るからねと言って。

駅まで歩きながら、あの青年でなく、おじさんおばさん達ならこちらの自尊心を傷つけるような事を言ったかもしれないし、もしかすると罪人もどき扱いを受けたかも知れないなぁと思った。今の日本の青年たちは人種が違う。私がこの歳になって気付いた事を既に当たり前のように考えている人を時々見かける。誰の曲だったか「驕るなんてみっともないよ」とアイドルが歌っている。無銭飲食とは関係ないように見えるが通じる。上から目線でいる事はみっともないよと言う事とも似ている。そうなんだぁ、若い人たちの間ではそんな歌が歌われているんだぁ、と思った。

より品よく育っている、そんな気がする。それは私たち先輩が反面教師になった部分もあるのだろう。人間ってやはり、なんだかんだ言いながら、いい方向に進んで行くんだなぁと、感動したお昼時だった。




あの声は 2/17

昨年の暮れ、寝起きと共に聞こえたと言うよりも、その声にびっくりして起きたのか、「まだ書いていない」と言われた。それでその後に作った歌が「両手をひろげて」だったので、この曲を書かせて頂くための言葉かと研磨に努め、たまたまビクターのMディレクターの企画にフィットするかと、これを彼にプレゼントしようと思ったのだが、どうもしっくり来ない。音楽としてまとまっているが、今一ずしんと響かない。全ての歌が心の琴線に深く触れる訳ではないから、それはありなのだが、彼の企画をぴかりと輝かせる作品にさせるには、Aメロをいじらなければならないように思う。今は何をしたらいいか、アイデアが直ぐに浮かばないので、これは中断する事にした。この事をMディレクターに伝え了解を得、”良い曲”ができたら聴かせて下さいとなった。「両手をひろげて」は今年のどこかで膨らませるかもしれない。 

それで、「まだ書いていない」と言われて書かせて頂いた歌は、「いいね」なのかも知れない。これは細川たかしのいるコロンビアに行かなくてはならない(^v^)。彼の声で最も生きる歌。彼に届けば、必ず歌いたいと思うだろう。みんなが喜ぶ歌だから、ヒットする確信が生まれるから。




法廷尋問 2/19

17日の夜8時過ぎころから18日の朝3時にかけて、Mディレクターとずっとメールのやり取りをしていた。たまたまその日は夕方に床暖に寝転がって2時間ほど眠ってしまったので、私はその時間まで起きている事ができたが、彼はこの時間まで仕事をしているのかと、慰めと敬意を混ぜて暗闇の中を帰宅する彼の姿を想った。彼の家族がお父さんに十分に感謝しているようにと願った。

昨年の1月17日にビクターの本社を訪ねて以来、交流を重ねて来たが、途中彼に方向転換が生じた。だが転換に至るまでの思考過程がこちらに伝わるようなコミュニケーションが欠けていたので、疑問符が私の中で沢山吊る下がっていたが、それらを初めて腹蔵なく話し、私の中を覆っていた霧が大分晴れたようだ。彼には話し方教室と作文教室に通って頂きたいと告げた(ように思う)が、今後コラボする場合が仮にあるなら、その土台作りができたかもしれない。それにしても。。。。彼は一橋を出ているらしいが、レポートはちゃんと書けていたのだろうか(*_*;。

ま、実を言うと私自身、文章の書き方を理解できるところまで教わったのは日本の大学ではない。留学先の米国の大学では論文の書き方授業が必須科目になっていた。留学生は勿論米国人も作文授業は、学部の場合、理科系は1学期間、文科系は3学期間取らなければならない。さすが大学院になると米国人にはその義務は無くなるが留学生は英語受験審査の結果により、受講期間が定まる。日本人大学院生は大体1学期だが、たま~に、取らなくていいと言う輩もいた。「なんだそれは!」と歯ぎしりした事を覚えている。でも2学期間取らなければいけない人もいたので、少しは慰められた。だが、歯ぎしりはとんでもなかった。受講して得た事は武器と言うか財産と言うか、とにかく大きな飛躍をもたらした。翻訳をしていた時もそうだが、今こうして歌を書く時にもその時学んだ事が生きている。聞くところによると、レーガン大統領の時に教育方針として作文教室を大学の必須科目とする事が定められ、州立大学には無条件適用された。その背景には大学卒業生の90%が文盲に等しいからと。多くの日本人留学生が書き方を米国で学んだと言っても過言ではない。私の留学先であったUCLAの大学院には、帰国すれば大学で教鞭を取る人達が多かった。その多くが少なくとも1学期間はこの作文のクラスを取らされるが、彼らは言った、「日本の大学で作文教室を開きたい」。

自分だけが分かって私に伝わらない彼のメール文に(*_*;、夢が覚める事を恐れ、単刀直入に訊く事を遠慮し憶測するしかなかったが、今回のワークショップや業界でその実行力と能力が認められているらしいユニバーサル・ミュージックの加茂さんから頂いた私の楽曲に対する評価が、自分の立ち位置を引き上げ私は初めて疑問符を斬りに出た。まるで法廷尋問のように、7時間ほどのメールのやり取りが続いた(ギネスブック並み?)。やっと彼の思考過程が掴めるようになり、これまでの訳の分からなかったところが大分納得できた。細かいところは割愛するが、「これからは本音で話せますね」と言われ、その境地に至るまでお付き合い下さった彼の誠意に心からありがたいと思う。また職業作家とは違う普遍的なものを書く私の楽曲は長く残る、それゆえ彼は関心があると言ってくださったが、それ以上言われたら、おそらく、自惚れで自滅しそうだ。私の楽曲を今年使うと言われた事も、事実そう”思われた”のだとそのまま素直に受け入れる事にした。

正直言って、”思い”は大して重要でない。大事なのはアクション。信頼は行動を通して育つ。思いがあると伝えて実行が無いのは、気を持たせるだけ。ずるい男によくある(Mディレクターがその類で無い事を期待したい(*_*;))。だから思いが真実かどうか、その思いの動機が正当であるかどうか詮索する事に気を取られるよりも、自分の仕事をした方が良い。相手に対しては行動を見ればいい。

ひと眠りして、空を見ると、心から湧き出る幸せと神への感謝が湧きあがった。



その日から 2/19

上にビクターの本社を訪ねた日が昨年の1月17日だと書いたが、それを正確に覚えている理由がある。それは、その2カ月後にお会いした歌子さんから、「1月19日に何かありませんでしたか。その日からあなたのキャリアの確立が始まっています」と言って、その期間を数字ではっきりと話してくれた。家に帰ってこのブログを開いて確認し、その後携帯でスケジュールを遡ると、19日は日曜日、誰とも会っていない。。。「ピッタリ19日じゃなくていいんです、その辺り(歌子)」。。。しかし、17日に。。。ビクター本社訪問の記録があった。。。。\(◎o◎)/!

  

  占星術は、不確かなもので、細部に於いては誤りを犯すが、全体としてはたいてい真実を告げる。宇宙の小片足る人間は、天を統御する法則と同じ法則によって支配されているのであるから、われわれの人生の問題と、われわれの成功や過誤を分ち持つ冷やかな共感を天井に探し求めるのは、馬鹿げた事ではない(第14代ローマ皇帝「ハドリアヌスの回想」から。ハドリアヌスは占星術でやがて世界を支配すると出た)。


一つのまだ生々しい記憶が蘇る。2013年の正月早々、フジテレビの社長の右腕だと当時”友人”だと思っていた人から紹介された。その方が「めざましテレビ」に出ないかと私を誘って下さった。だが、それはその方が近い知人である事が自慢のその”友人”の介入で無くなった。歌子さんが出してくれた日付に目ざめて思うのは、どっちにしろあの時では無かったのだと言う事。2013年に完成した曲11曲、2014年に14曲、そしていま既に4曲。合計29曲をその後書いているが、もしあの時にデビューにつながっていたなら、この曲たちの多くは生まれていなかっただろうし、現在持っている使命感も私の中に育っていなかっただろう。嫌悪し吐き捨てたい介入だったが、今思うと、私のキャリアのために彼女は悪役を買って現れたのかもしれない。

彼女の気持ちが分からなくはない。彼女の父親の代からの知人であり、知人である事を誇りに思っているフジテレビのディレクター、その数十年の知人としての期間に彼女には一度としてそのような提案をした事が無かったにも拘らず、知りあって間もない大学同期の私にはひと目見た僅か数時間に”おいしい”話が行く事に堪えられなかったのだろう。彼女はかなりの知恵を持つ聡明な人だ。その美味しい話が壊れるよう画策した。気持ちは分かっても、こちらの進歩を望まない人と友人関係を続けることは難しい。数カ月間動向を見た後、私は彼女と交流を断った。”できた”人間に私はまだ至っていないのだから、それを装わずにいたい。生きる姿勢も波動も違い、その違いを尊敬できないと考える以上、繋がりたいとは思わない。態度を明らかにする事が彼女の学習にもなるだろう。そう願いたい。だが、彼女を恨んでも憎んでもいない。この一件で彼女から直接聞いた彼女の過去がよく理解でき、それをも含め、これからの彼女の人生が幸福であるよう、思い出した時に祈っている。

「神は人を愛せよとは言っていますが、嫌いな人を好きになれとは言っていません」(遺伝子工学博士村上和雄の弁)。この言葉の中に「好き」と言う言葉の特別さを感じた。「好き」は身近に置く事なのだ。

この類の女達は私の人生の異なる段階に現れた。エネルギーのある者の妬みは悪意に変わる。しかし思い返すと、その悪意は、私がより飛躍する場所に私を移動させている。私の米国留学の理由のひとつは次姉の嫉妬から逃げる為でもあった。・・・となると、彼女達の現れは、神が描かれた地図の上を私に歩かせるためのやはり神が書いた脚本だったように思える。そうなると、彼女達は、どうも、悪ではなく、結果的に感謝の対象になる。

ふと不安に襲われる時、私にはいつも帰るところがある。
        
       すべて委ね 安らかなりし 今にして 


このように想える今に、私はただ喜びを表し伝えては、はしゃいでいる。「すごいのよ、すごいのよ~!」そして一人になった時、静かに神と向き合い、私が頂いたその愛と知恵と生命に思いっきり泣きながら、時には嗚咽を交えて感謝する。




ラブレターは速達でPart2 2/20

最近の私には願ったものが必ず届くようになっているようだ。こんな事を書くと、度肝を抜く人がいるだろうなぁ。でも本当なのね。なぜ願いが叶うか、その理由を私は自覚しているけど。

先日、父親が5回も結婚し、そのラブレターは常に速達だったと言う面白い話をして下さったノンフィクション作家の馬里邑れいさん(宇宙戦艦ヤマト復活編2010年の著者でもあるらしい)に、そのラブレターに関する情報の詳細を頂けないかと話した時、ふと、「この人と友達になれるといい」と思った。すると昨夜届いたメールで、情報は逢った時に渡すと書いて来られた。突然の”逢った時”と言う彼女の予定に少々狼狽した。逢う事など提案もしていないし話題にも乗せていないのだが、そうか、彼女は私に逢いたいらしい。付け加えて先日の私の印象を綴っていた。彼女も友達になりたいと思っているのだと、察した。

楽しみだ。共に切磋琢磨できる関係が築けたらと思う。




離婚式 2/22

吉野弘の詩集の中に「離婚式」と言う散文が収められていた。中国の田舎での話。その離婚式で妻がなぜ離婚するかを説明する。結婚前、貧しくて食べ物にもろくにあり付けなかった自分に夫は手を差し伸べ、その慈しみがあったからこそ結婚生活が続いた。だが全ての民が一様に豊かになるよう、国は男女平等に職や助成金を与え生活苦から民を救ったが、同時に夫から慈しみを奪った。

詩人は考えさせられたそうだ。たしかに、女たちが職を得その能力に見合った賃金をもらう国では、離婚が増えている。先進国の一夫一婦制に離婚が多く、また生活保障のため結婚するケースは減少している。だが、このエピソードを載せた吉野弘の中には、おそらく、離婚が不幸な事だという前提があるのだろう。決して不幸な事ではない。社会が作ったシステムの中に収まっている事がそのまま幸福なのだと思うところに誤りがある。本来自由でいたいという本能を持つのが人間なのだから、当然システムを壊す人が出て来る。離婚は決して不幸せな事じゃない。

2回目の結婚をした時、私には、大げさにいえば、人間の世界が分かりかけた、宇宙の仕組みが分かりかけた気がした。私は変わっていないが、傍にいる相手が変わる事で私が変わる。梃子でも動かなかった最初の夫から、私の提案や希望の実現に積極的に協力する人が2度目の夫になると。生活は一変し、自分自身も気づかなかった内奥に潜む様々な美が互いがいる事によって引き出された。こんなにも軽く物事が進むのかと感慨深かった。そして逆も然り。たまたま一つのビニール袋にジャガイモとリンゴを入れて置いた事がある。リンゴは直ぐに痛みだした。それぞれ別にして置くと他の果物より長く置いておけるのに。人間関係と全く同じだとそのジャガイモとリンゴを私はじっと見ていた。この宇宙は恐らくそのようにできているのだ。

求めるものに対し求めに応えられないものが傍にいては、互いに大変だ。空気が流れない風が吹かない。腐る。労力も時間も数百倍かかり、夢も希望もほんの僅かの実現で終わる。だが求める”音楽”が同じで、求められる事を喜び応えて行く事がまた喜びである関係が生みだす事の豊かさは計り知れない。そんな事を2つの結婚を通して分かっただけでも、離婚を通して私が学んだ事は大きな財産だった。ある日「でも、バツイチだから」とやはり離婚したばかりの姪が言って来た時、米国留学が長く「バツイチ」と言う言葉を初めて聞いた私は仰天した。

「バツイチ?なにそれ?」
「離婚した人は戸籍の名前にバツを入れられるから」
「え~~~~っ?バツイチじゃなくて、マルイチだよ!ハナマル!」

とんでもない。離婚から得た私の学習を考えると、離婚の経験がない人はもったいないとさえ思った。本当にそう思ったし、今でもそう思っている。もちろんその人の感性や知性のレベルによるけれど。そして2度目の離婚。これは私を神に近づけさせた。大きな、どでかいプレゼントが待っていた。3度目?神を知った今、無くてもいいしあってもいい。「僕がいなければダメだよ。静にはぼくが必要」と思われていた私だったが、誰よりも頼りになる神が来られた。

「優しい愛をあなたは壊しましたね」ある信頼できる占い師が言った。2つともそうだった。そして、今でも彼らは私を思い続けてくれているようだ。二人とも新しい家庭を築いている。彼らのそれぞれの家庭に沢山沢山幸せがあるよう、神からの祝福が溢れるよう、私は祈っている。

その最初の夫との離婚を届け出たのが今日の日付。忘れないようにと、この数字並びの日を選んだ。




わくわく 2/24

次のワークショップが4月。数日前送られて来た案内には、前回と同じく2曲聴いて頂けるとある。一つは課題曲、もう一つは”渾身”の作。前回は1曲のみを提出したが、今回の課題曲は、新しくデビューしたAKB並み女の子グループに歌わせる歌なので、「ママ、どうしよう」を聴いてもらう事にした。その他に一曲。

さ~て、何を持って行こう。。。。アレンジ修正された「ライバル」か、演歌の「いいね」か、または「世界を君のふるさとに」。でも演歌を聴いて頂けるのだろうか。審査員も参加者も全員、バリバリのJPOP人類である。事務局に電話をすると、演歌OKとなった。では「ライバル」は?。。。。事情を話すと、「圧縮して数曲一緒に送って良いですよ。演歌だってディレクターが聴きますから」。うわ~、ホント?、じゃ、送っちゃおう、「世界を君のふるさとに」も入れて。そして、もしアレンジとレコーディングが間にあえば、初めて作った童謡、「かみさまとのやくそく」も。

すごい、すごい!演歌、バラード、アイドル、童謡、そしてロックに入るのか「ライバル」。全くジャンルの異なる楽曲を聴いてもらう事ができる。くわ~っ。願っている事がこんなに実現するなんて!神様~がんばります。

今週末から、いよいよレコーディング開始。行くぜ!(^◇^)




1年弱の間に 2/28

昨年8月以来のレコーディング。上で書いたmusicるに提出する事が差し迫った目的だが、それ以前の昨年4月にレコーディングしたものを部分修正するついでに最初から歌ってみると、昨年とはかなりの違いが見えて自分でも驚いた。色々な要因があるが、今回の場合は、レコーディング・エンジニアが新人だったので、ヘッドフォンに私の声を入れないままスタートさせた事が気付きへと誘った。ヘッドフォンをかけて自分の声を聴きながら歌うと、自分の声が十分に聞こえてくるので、発生自体が弱まるようだ。歌によってはその方が良い場合もあるが、例えば「ママ、どうしよう」のような元気のいい女の子の歌の場合はNOである。ヘッドフォンをしないで歌うと、元気のいい声が出る。

昨夜床暖に寝転がってテレビの音だけを聴いていたら、「ん?やばい、明日はレコーディングなのに」。喉と鼻腔に違和感。直ぐに自己流対策、早めに寝て、起きてから喉鳴らしをしたが、う~ん、快調とは言えないけれど、ま、大丈夫でしょうと、レコーディングに臨んだが、声がしゃがれている。「いいね」ではそれがもろに出た。演歌だからいいか、殿様キングスもいるし、などと自分に言い聞かせたりして。

新しいエンジニアはこの道3年の新人の桜井君。沖縄出身で、顔が平井堅に似ている。よくそう言われるらしい。彼には歌録りをしてもらい、ミキシングはこれまで通り内村君にお願いする。今回も合計20時間以上のレコーディングになるので、経費削減を店長に相談するとこのやり方を提案された。その桜井君も、「いいね」の私の声が違うので、新曲だから声の出し方に試行錯誤しているのかと思った、という(*_*;。

8月にレコーディングをした「ああ、あんた恋しや」もメロディー変更をした部分を含め、半分ほど歌い直し。前回のレコーディング時にレコーディング経費のふくらみに焦って不本意な結果のまま終わらせたところが修正された。自分が持って行きたい場所に持って来れたという感じ。桜井君が、「最後のコーラスからどんどん盛り上がって、僕あの辺大好きです。涙ものですね。」と言うと、私のヘッドフォンに「ぐすっ」と鼻をすする音が聞こえる(笑)。

自分で何がどうなのか、どう修正すればよいのかが分かり、かつ持って行きたい地点にまで自分の歌を持って行けていると言う事が、実にいい。昨年の4月のレコーディングから10カ月、この間の成長である。レコーディングは歌唱力をアップさせる絶好の機会。ライブは一回性で流れるが、こちらは固定されたまま残る。

一度レコーディングしたものを修正できること、シンガーソングライターならではの特権だが、この自由さが、いい。

「いいね」、しゃがれ声で行けるかどうか、再度確認しよう。

昼食後風邪薬を飲み数時間眠った。まだ風邪をひく訳にはいかない。。。。歌う事が本格化して来ると、体調管理は結構大変だろうなぁ。
   




バタバタ 3/3

雛祭りだが、私は男気分。

「40代50代の男たちが聴いてビビビ~ッとなるアレンジにして」
「・・・・ビビビ~ッだと分かりにくいので、具体的にこう言う曲と言う、参考曲はありますか」

がはははは(●^o^●)・・・そりゃ~そうだわよね~。ビビビ~ッじゃ分からないわよね。「ライバル」のアレンジをしている30代の浩平くん、私に関わると大変だ。私に是非この人に歌って欲しいと言うイメージが無いから、あれでも良いのかなこれでも良いのかなとなり、本音を言うと、「これで行きましょう」と言ってくれる相手の出現を私自身が願っている。だから生命共同体が欲しいんだなぁ。色々と相談できて私になるほどと思わせるアイデアを提供できる人。

今朝、アレンジャーの浩平くんがアイドルに歌わせるようなアレンジを出して来た。これは、2月のワークショップに特別ゲストで現れたヒャダインさんが「ジャニーズに歌わせられる」と言ったからだが、ヒャダインさんはそもそもアイドル向けソングが専門のようだ。だからジャニーズが直ぐに浮かんだのだと思う。アイドルだと、浩平くんも言うように"軽薄”気味になる("軽薄"と言う文字を彼のメールで読んだ時、あ~はははは、なんて楽しいのだろうと私は思った)。”軽薄”なので、彼にも戸惑いがあったのだろう。私も、このアイドル向けアレンジに、あれ~、これでいいのかなぁ、こんな歌い方をされていいのかなぁ、こんな歌い方であの楽曲のメッセージが私が漠然と描いているような伝わり方をするのかなぁと心が揺れ始める。アニメはどう?以前の作曲インストラクターが「ライバル」を聴いた時に言っていた。アニメの中でカッコいいライバルになるようなのは?例えば、「北斗の拳」。そう言ったのは、今日、カラオケを作りに私宅まで来てくれたピアニストの淳さん。

どこに出したら売れると言うよりも、私が誰に聴いて欲しいのか、誰に向かってこの歌を書いたのか、その本来の場所に戻った。するとやはり、最も働き盛りの男たちだ。アイドルじゃない。やっぱりロックで行こうよ!大人の”大人しい”ロック。そしてカッコよく。浩平君のピアノアレンジのカッコよさをそのまま使いたい。

と言う訳で、「ライバル」はロックで行く事になった。カッコいいなぁ。うっひっひ~。

上のレコーディングのミキシングも今日終わり、4曲が終了。10日間ほど間を置いて次の5曲。今週中に新曲2曲のアレンジができて来るが、その後はレコーディングに備えての歌い込み。バタバタしている。




花粉飛んでるの? 3/5

ヨガのクラスに行くと、花粉症でひどい目にあっていると言う人がいた。えっ?花粉飛んでいるの?こんな事を言い出す私に本人も驚いているが、今年は花粉症状の自覚がない。花粉シーズンが始まる1週間前から就寝前に抗アレルギー剤を一錠飲むよう医師から勧められ、それを実行して以来、ここ3年ほどは症状も和らいでいた。だが完全に消えたわけではなく、眼は痒くなり、咳もでるし鼻づまりもあった。

しかし今回は喉のくすぐったさから来る咳や鼻づまりが僅かあるが、花粉症と認識するまでに至らない軽症だったので、今年は花粉が飛んでいないのかと思っていた。で、ネットで調べると、今日は、八王子辺りは「非常に多い」、東京は「多い」になっている。昨年まではマスクをして出かけていたが、今年はマスクをかけずに歩いている。にも拘らず症状が殆ど無い。

だが、昨夕は外出、今朝起きた時、頭が重い。3月3日にびっくりする事があると歌子さんに言われたがその2日後の夜中、多くの人に追いかけられている夢を見たせいかと思ったが、これは花粉症だと過去の記憶から自覚した。しかし、あんなにひどかった花粉症状が此処まで鎮まってくれたかと、うれしい。

最近読んだ本によると、花粉症が完全に治る薬もあるが、それを出してしまうと、日本の耳鼻咽喉科の80%が閉院になるので、そちらを保護するために薬を出さないとか。国の運営も難しい。かつて水虫の薬がそうだった。ひところ、日本では水虫は治らないものとされ、多くの人が苦しんでいたが、米国には退治できる薬がとうに発明されていた。様々な理由をつけて厚生省は許可しなかったが、その後ろには、もしかすると、皮膚科医救済があったのかもしれないね。



ストップ 3/5

書いたブログを読み返していたら、訂正しなければいけないところを見つけた。2月14日のブログで私の楽曲をメディアへ橋渡しをしてくれると言って下さったMPJの主催者に楽曲を送ったことを書いたが、ふと私の中に降って来た考えがあり、その二日後にストップをかけた。初めて生まれた売り込み術。一つ大きな動きがあれば、その後は私が動かずとも、作家を探している人達が私を探してくるだろう。順番が違う。「いいね」が最初だ。「いいね」は部分修正をしてしゃがれ声を除いたが、バック音源に問題がありその修正を待っている。レコーディング・スタジオも忙しい。昨夕スタジオに電話を入れると、内村君は夜9時から今朝6時までレコーディングに関わっていると言う。

向かうべきところに向うよう、様々な事が整ってきているように思う。




出て来て分かる 3/6

「ライバル」のアレンジ選択が結局アイドル系になった。浩平くんが大人向きロックを出してくれたが、突然面白みが欠けた。出されたものが前にあって判断ができるのが私。修正も1,2回と前もって念を押されているので(*_*;、やばい。で、二つを比べて面白いのはアイドル系。これなら間奏の間にステージでどんな動きがあるのか想像もできる。この歌を聴いて、歌いたいと思ってくれる大人の歌手がいたなら、彼らが好きなようにアレンジをすればいいのかもしれない。

もう一つ、アイドル系だと、ヒャダインさんも言ったように、直ぐにジャニーズと言う具合に提供する相手がはっきりしている。大人のロック歌手となると、これから探さなければいけないし、彼らはだいたい自分たちで作っている。

柔軟に考えられる私っていいなぁ。(^v^)




ジャニーズ 3/6

今日、テレビをつけた途端、画面に出て来たのがジャニーズだった。私が知っているのはあおい輝彦や飯野おさみなどがいた初代ジャニーズ。調べたところ、ジャニーズ事務所からはSMAPや嵐も出たが、ジャニーズと云う名前を継いだのは、昨年4月にデビューしたジャニーズWESTらしい。テレビ画面にはジャニーズjrも出ていた(ジャニーズjrは本当に可愛い幼い男の子達)。

実はテレビをつける前にピアニストの淳さんからメールが入っていて、中島みゆきの「宙船」と言う楽曲をジャニーズが歌っていることを知らせて来た。さっそくYoutubeで確認すると、バックミュージックに歌詞だけが映されている。その歌詞を読んでいると「ライバル」とつながるところがあり、「この楽曲を歌うグループなら『ライバル』も合う」と、アイドル系のアレンジで正解だとアレンジャーにメールをして一息ついてのテレビだった。

必要なものが必要な時に現れる。ここ5、6年ずっとそうだったように思う。初めてジャニーズだと認識したうえで彼らの歌を聴き、動きを見ていた。「ライバル」を歌う彼らがイメージでき、「ライバル」はジャニーズに歌わせられると言ったヒャダインさんを、さすがだと思った。

良い方向に動いている。

次は、「いいね」。ひとりで動こうかと思ったが、多くの方々に関わって頂き、それに伴う様々な事を共有した方がより楽しく活気も出るように思う。4月まで待とう。私の楽曲に興味を持って下さる人達が動いてくれるだろう。




おばさんは。。。。3/8

区の新庁舎落成イベント、ミュージカルのお手伝いをする事になった。昨年の11月からリハーサルをしていたらしい。おばさんが沢山いるかと思っていたのだが。。。なんと私だけ。

ちょちょちょっと、待って下さい。いくらなんでも異質です。突然コーラスだけに出てくるおばさん。まわりは10代20代。一番目立って客席からの視線は恐らく私に向けられるでしょう。私が観客だったら、やはりそうです「あの人なんなのだろう」って。で、辞退した。その代わり受付のお手伝いをさせて頂く事に。関わる事で何か面白い事につながるような気がするので、まずはそちらで。演出家も、今回は受付、次回にお願いしますと言う。分かります。若い子ならともかく、おばさんで舞台に出て何かができると言う人はそういない。演出家もこの縁を大事にしたいのだろうと思います。次は次の機会にお話ししましょう。ますは受付の仕事を楽しませて頂きます。

昨日初めて稽古場を覗いた。通し稽古をしていたが、悪くなかった。正直言って予想よりずっと良かった。素人を集めているのかと思ったが、演出家は児童劇団東俳で教えているらしく、子供たちもこの劇団から引っ張ってきたようだ。主人公の女の子(役柄の名前は「琴」)の純な芝居、頭であれやこれや考えずストレートにして説得力のある芝居に目が奪われた。間の取り方も絶品。この子を見るだけでも行く価値があるかも。3月14日と15日土日、有楽町線東池袋から直結「あうるすぽっと」で上演される。





きゃ~、すてき~ 3/10

「きゃ~、すてき~!」

黄色い歓声を上げる女の子達の声が聞こえるようだ。昨日9日、浩平くんから「ライバル」のデモ用アレンジの完成版が送られて来た。上の歓声は私の声でもあった。書いた曲がこのように様変わりをするのかと、もうルンルン、テンション上がりっぱなし。これに私の声を入れて提出するのだが、その練習をしていると、動きたくなる。いつか作家の私がゲストで招かれて、ジャニーズとステージで歌って踊っている気分になり、鏡の前でいろいろやっている(うわっはっはっは~)。

デモ用のアレンジをしてもらうのは初めて。これまではピアノをバックに1曲をスル―で歌い、それを聴いてもらっていたが、デモ用の場合は様々な楽器を鳴らし大体ワンハーフとなるらしい。ワンハーフって・・・?同じメロディーは省くことのよう。歌は、1番、2番、そして最後の聴かせどころのサビで通常構成される。この内同じメロディーになる2番を外して、1番とサビだけにするのをワンハーフと言うらしい。

で、このワンハーフだけにしてもらったが、「ライバル」の場合は、メロディーが4つ、Dメロがある(通常はA,B,Cメロの3つのメロディー)。浩平くんが見事にこれらのメロディーをつなげ、4分10秒の楽曲を2分50秒に組み立ててくれた。すごい!今週金曜日がレコーディング。楽しみ。(●^o^●)





有名人になると 3/10

大分前に読んだが、勝間和代が書いた「有名人になるということ」と言う本がある。有名人になることのメリットとリスクが分析されているのだが、数日前ひとり大笑いしたFacebookでの投稿にそのリスクを思った。これは、東大医学部教授の矢作直樹氏のページ上の話。

氏のページには様々な方が投稿しているが、だいたい氏の著作を読んだ感想やら彼が関心を抱かれた別の人の投稿が紹介されている。時には彼自身の私的行動も綴られる。「人は死なない」を出されて一夜にして有名人になられたので、友達申請も多い。申請されてきた方々は、恐らく、全員承認されているのだろう。

彼のページは、Facebook上では、言わば聖域。ご両親の月次墓参り、神社仏閣訪問、決して美しいとは思えないご自分が撮られた風景写真(だが、それを褒めている人がいる。なんとも・・・)、「寿命とはこの世で魂を磨く期間です」とサブタイトルが書かれてある著作を紹介する他者による写真入り投稿などなど・・・その聖域に突然侵入する奇妙な投稿がある。ヘドロを触った時の”きも~い”感覚を思い出させる言葉と写真。その投稿には「投稿したものがいつも消されている」と訴えが書かれてある。消せるのは投稿した本人か投稿された人。”きもい”のが自分のページに勝手に投稿されたらかなわない。自分のページが汚されている感じもする。私も以前に勝手に投稿されて自分の事業宣伝をする人がいたので、そのような投稿は事前許可を受けてくれるよう本人に直接メッセージを送った事がある。矢作氏は無言でその奇妙な投稿を削除されていたのだろう。だが、消された事がどういう意味なのか感じとる感性を投稿者が持たず、「いつも消されている」と訴える。さぁ、どうしよう、既にこの投稿を読んでいる人達もいる。これは有名人になったことのリスク。人にどう思われるかを考えなければいけない。品定めもこっそりされてしまう。矢作氏ご本人を含め、氏の心を察する人達が、氏を助けるように、投稿を続ける・・・きもい投稿はどんどん下へ押しやられ、やがて画面から消える。

そしてこの聖域が復旧するのだが、数日前、イタリア在住の日本人が、5台並列に並ぶジェットコースターに乗って騒ぐ人たちの動画を投稿した。この動画が氏の著作となんらかのつながりがあるのかと、最後まで見てしまうと、なにもない。ただ、「このジェットコースター、さてどこの国でしょう」とクイズごとき言葉が書かれるいる。墓参りと神社仏閣訪問、そして氏を讃える投稿ばかりの聖域に、突如ジェットコースター「きゃ~きゃ~!」その投稿に矢作氏の「いいね」クリックの印もない。私は笑いを爆発させた。矢作氏の思いも想像しながら。

一度有名人になってしまったらそのリスクは生涯持たせられるという。確かに、有名人になるとメリットも多いと思うが、リスクもある。言いたいことを言えない、したい事ができない。場合によっては常にサングラスをかけて歩かなければいけない。

矢作直樹氏のFacebookページに載せられた他者の投稿に、空気を読めない人がいる事の愉快さ面白さも一緒に楽しんだ。色々な人がいて、実にこの世はおもしろい。



アイドル歌手 3/11

夕方7時、NHKのニュースを聴こうかとテレビを点けると、BSが先に画面に映った。氷川きよしが歌っている。「本当にいい声だなぁ~」と、初めてずっと聴いていた。これまで彼に歌詞を提供してきた作詞家とのエピソードや、股旅演歌でデビューし3年で終わりだと周りが話すのが聞こえ胃が痛くなったと言う話など、デビュー15年に至る経緯を語る。その作詞家も3年前に亡くなり、最新曲は作詞なかにしれい、作曲平尾昌明。この組み合わせで作られる歌、突然雰囲気が変わる。素晴らしい歌唱力を持っているから、氷川きよしは何でも歌えちゃう。

そして8時からは、同じチャンネルで少年倶楽部。ジャニーズWESTが出ている。少年グループが幾つも出ているが、それぞれの個性をどのように作っていくか、その個性に見合う楽曲探しは常に行われているだろう。ジャニーズWESTが歌う幾つかの曲は、SMAPと変わらない。少年一人一人の顔を見ながら、様々な思いを抱いた。ヒットする曲は、聴いていてすぐに分かるものだ。詞が覚えやすいメロディーに乗ってすっと入って来る。「ライバル」?誰が歌うかによるが、聴いたメディアの人達が全員言っていたように、ヒットする曲だと思う。




試練の2曲 3/12

「別れてありがとう」のアレンジが完成し数日前井川宏樹君から送られて来た。最初はイントロを聴いてびっくり、懐かしい歌謡曲。「斎藤和義の”歌うたいのバラット”みたいな雰囲気を思っていたんだけれどなぁ~」と言ったら、「えっ?(私の楽曲は)全然違いますよ」って、電話の向こうで独特の笑いをしている。私は彼のその笑いを読む。この笑いがあると、「あ、ダメなんだ、何かがおかしいんだぁ」と気付かせてくれる。この「別れてありがとう」を最初に送った時、「どう?」「あははは」となった。ずっと考えた、何が変なのだろうと。そしてアレンジの草稿が送られて来て、最初から最後まで流した時、「なにこれ?」と私の方がびっくりした。

直ぐに彼に電話をし「あの笑いの意味が分かったけれど、何ではっきりおかしいと言ってくれなかったの」と言うと、「いや、変だというより、不思議な曲だなぁと思ったんです」「ちょっと待って、直ぐに練り直すから」と2回ほど投げて、完成。Dメロが長くてCメロより際立ってしまっているので、Dメロの半分をCメロに乗せた。それでCメロがCメロらしく聴かせどころになったが、それに合わせて、歌詞もいじる。いじっている内、どうもタイトルは、「別れてありがとう」ではなく、「場所」にした方がいいのかなぁと思い始めた。

レコーディングに備えて何度も歌っていると、このイントロも悪くない、大人の雰囲気と切なさを思わせる。

今日は「かみさまとのやくそく」のイメージが出来上がって来た。シンプルだが、おしゃれ。アレンジ待ちややり直しの楽曲が溜まり、手持ちのアレンジャーでは間に合わず初めてお願いしたアレンジャーだったが、仕事のプロセスが他の二人と違い、戸惑った。丁寧過ぎて、恐縮。この手のアレンジ料は小遣いほどにしかならない金額なのに、コード確認、全体確認、音色確認と、確認段階がいくつもあり(ふつうは1回だけ)、かかる時間がものすごい。通常は1-3日ほどで完成形のイメージが出来上がって来るアレンジに1カ月以上かかっている。1週間かかって出来上がったのはコードだけ。小遣にしかならない私の楽曲のアレンジに1カ月フルに費やしているほど暇ではないと思うが、途中で不安と後悔が入り混じった。やっと形になって来たものは、垢ぬけていて気に入ったが、まだ修正が必要。1カ月たってもまだ完成に至らない。じっと忍耐。私のチャレンジだ。

昨年一応完成させたが、今一何かが足りないと思っていた曲がある。「僕は神様じゃない」と「両手をひろげて」。どうにか完成にこぎつけたかなぁ。新たにアレンジもやり直さなければならない。曲作りがよく分かったので、昨年6月までに作った曲を全て見直し、徐々に作り直すつもり。今度のインストラクターは”きちんと”しているようだ。ご本人がアレンジもしていると言うのがやはりいい。

明日はレコーディング、声を労わって早寝です。




こだわる 3/13

どこまでこだわるか、こだわれるか、結構こちらのしぶとさを必要とする。

自分の美意識に照らし合わせて、その作品の目的から許容範囲を自分の中で設定する。今日4曲のレコーディングを終えた。2月の終わりに以前レコーディングしたものでメロディーや歌詞を変えたものを歌い直したが、その内の1曲がまだ納得いかず、本日再レコーディング。「ああ、あんた恋しや」だが、これには特別時間がかかった。エンジニアには、私自身が私の歌い方の何が不満なのか全くわからないので、やり直し要求を機械のように受容してくれているが、声が外に出る場所が統一されていなければ歌い直す。歌い直しをしてテイクが重なると、今度はつなぎが滑らかでない。幾度のトライの後に、最初から歌い直す。お陰で喉が疲れたようだ。だが、結局、最初のテイクがよさそう。CDを作っている訳ではないから、これでいいか、と妥協する。

今日は楽しい男演歌の「いいね」もバック音源を入れ直して完成。上々の仕上がりになった、と思う(^v^)。「ああ、あんた恋しや」は最後のメロディーを部分的に変えて感情の高まりをより濃く表現できた。なかでも極めつけは、やはり「ライバル」。このバックには他の楽曲のピアノだけの演奏と異なり、様々な楽器が鳴って派手に動いている。初めてこの楽曲を聴くエンジニアの桜井君は「カッコいいですね」、内村君は「こんなに変わるんですね」と浩平君のアレンジをベタ褒め。私も嬉しい。

レコーディングしたものをどの機器で聴くかで、聞こえ方が違う。家に持ってくると「こんな筈では・・・」と思ったりする。だがヘッドフォンをかけて聴くと、Good。私の声もやっと聞けるレベルまで来たなぁと思う。よう、やったね、と自分を褒めているし、また感心している。「君よく頑張るね」と。

その他にも「世間に近づいて」と「太陽は照り雲は流れる」のレコーディングを終了。

レコーディングは来週の金曜日にも続く。童謡の「かみさまとのやくそく」、男の人生歌「生きてきた証」、そしてもうひとつ「別れてありがとう」(タイトルはやはりまだ決めかねている)。

レコーディングは歌が上達する最短の策。また1週間、歌い続けるだろう。



まだこだわる 3/14

ミュージカル「ソメイの愛」の受付を手伝いながら、空いた時間に家に帰り、昨日レコーディングした「ライバル」をもう一度聴きなおした。私のキーでのレコーディングなので張り上げた歌になっているが、1音落して穏やかな感じにした方がいいのかもしれないと、来週再レコーディングしようと思う。迷った時には、躊躇せずに行動する。



伝達 3/14

2月7日のワークショップで頂いた評価については、このHPやFacebook上の投稿で伝え、HPもFBもご覧にならない数人の方々には個人的にお知らせしている。確定した時には皆さんに同時にお知らせします。その日はそんなに遠くないと思うのだけれど(あはは・・・(●^o^●))。




大人の世界 3/15

大人の世界と言うのは、色々仕掛けがありますね。ミュージカル「ソメイの愛」のチラシに区の新庁舎落成記念とあったので、区のイベントかとお手伝いを申し出たのだが、差にあらず。色々と区のご支援を頂きたい主催者が、これを新庁舎落成記念としたようだ。当日会場で受付を手伝うまで、私は知らなかった。

受付で手伝う人達は私以外は皆、ミュージカルに出演している子供たちの母親。このやり方は・・・・思い出した。これと似た音楽劇に私はギャラを頂いて特別ゲストで出演した事がある。今回の団体はNPOだが、以前出演した団体はNGOの名の下でやっていた・・・・そう言うことだったのか。

私は物販係として準備をしていると、突然主催者が団体の名前が入ったTシャツを持って来て、「(スタッフの)皆さんがおそろいのTシャツを着ていると良いでしょ?買って下さい」と言って来た。え、えっ?・・・ドッキ~ん。丁度主催者に背を向けてグッツを並べていた私の背中がひや~っとした。信じられない言葉だった。無料報酬でお手伝いしている人達に、その無料報酬への感謝の印としてプレゼントするのではなく、「買って下さい」。たった一度の面識で買わされるかもしれない恐怖と、どのように拒否しようかと、私の頭の中はもがいていた。もし拒否せずに”いい人”だと思われたいと買ってしまったら、私は後で絶対自己嫌悪に陥るだろう。以前NGO団体の作品に出演した時に耳にした話を記憶している。母親やおばあちゃん達の出費が大変らしい。この「ソメイの愛」では、お母さんたちは45枚のノルマを捌けなければ自己負担。「買って下さい」の言葉は宙に浮いたまま消えた。お母さん達は無視したようだ。

「買って下さい」「無料報酬している人に無料で差し上げて良いのでは?」と言わずにいられなかった私に、「みんな無料報酬ですよ」と主催者が返して来た。どのように生きて来られたかその姿が彷彿とし、私の中に哀しさと受け入れられない彼女の世界が同居した。一言助言をすれば良かった:買って欲しいのなら、買いたいと思わせるTシャツを作ったら?

こういう団体をこれで3つ知ったが、興味深いのは主催者は全員女性で、どこか似ている。違いは、この「ソメイの愛」の舞台には、私が以前に参加したNGO団体の作品にはない、いいものを乗せたいという関係者の志が覗ける。脚本も書ける人に書いてもらい、音楽もこの舞台用の曲をきちんと専門家に書いてもらっている。

このお手伝いにどんな意味があって、「あ、手伝おう」と私は思わせられたのだろう。帰途に着きながらひとつふたつ思いついた事もあるが、きっと、後でもっと思いつくだろう。




想像力に期待 3/16

「ライバル」のアレンジャーの浩平くんに相談すると、今回レコーディング時に選んだ私のキーで歌う「ライバル」のサビが張り上げた歌い方でも、想像力のあるディレクターならそれをどのように使うか考えられると言って来た。ミキシング・エンジニアの内村君も、「制作の方ってすごい人ばかりなので大丈夫ですよ」と言う。そうかぁ・・・そうだよね、だって今までもバックはピアノ一本だけれど、私の歌でメディアの6人が期待以上の評価をしてくれたのだものね。では、これは触らない事にしよう。

週明けに送りますと言っていた宏樹君からの「生きてきた証」がまだ届いていない。彼はWEBデザインの会社に勤めながら、その能力を買われ町おこしの小規模映画音楽を作っている30代。遊びたいし、仕事はあるし、引き受けちゃったしで、大変だろうとは思うが、本人も言うようにお尻をひっぱたかなければなかなか取りかからない(だが、始めたら早い)。で、最近の私は遠慮なくプッシュする。彼は自ら1月末を納期にして私のオーダーを3つも受けたが、3曲目のアレンジ終了が今日までと延びた。私もその間他にやる事があったので、それでも良かったのだが、今回はレコーディングを今週末に設定しているから、これ以上の延ばしは受け付けられない。本人も会社を立ち上げて、友人と共同経営で音楽事業に本格的に乗り出したいようだが、まだ構想とガッツが固まらないのだろう。きちんとしたものは出してくるので作品に不満はないが、納期の厳守を見張る役目も私が負わなければならない。

浩平くんは完全に独立起業のオーナー。音楽事業を立ち上げた同じく30代。仕事の受け入れ段階で彼から納期をきちんと訊いて来るし、互いに決めた納期までには必ず仕上げてくる。

「かみさまとのやくそく」が完成して送られて来た。1-3日で通常出来上がって来る最終イメージに1カ月以上かかり、やっとでき上がって来たものは、おしゃれでかつ音がものすごくいい。出来上がりの余りの遅さに、ほとんど匙を投げている状態であったが、自分に忍耐を強いて良かったと思う。浩平君も宏樹君も手一杯状態なので新しい所にチャレンジしたが、今後新しいところにお願いする場合は、完成版の納期を確認する事を怠らない、という勉強もさせてもらった。ありがとうございます。



「生きてきた証」3/16

宏樹君から夜10時過ぎにTELあり。仕上がりは明後日だという。いつもよりアレンジに手こずっているそうな。分かる。この楽曲のアレンジは間の取り方に色々と工夫しなければならない。彼のアレンジは大体一発で決まるが、万一手直しが必要になったら、レコーディング前の練習時間がない。スタジオのキャンセルは既にキャンセル料金が発生する時期に入っている。

「(「生きてきた証」は)フォークソングっぽくなります。さだまさしとか吉田拓郎のような。いいですか」ピッタリカンカン。それで良い。この歌は60代以上の方々向けの楽曲。彼らが青春時代に聴いた歌を彷彿させるものでありたい。楽しみだ。




別れ 3/17

今朝ふと思った。いつ思ったのか何を思ったのか記録のために書いておこう。

2つの魂の間に、別れはあって当たり前。魂は独自の個性と独自の人生の地図を持たされて生まれて来る。地図を頼りに旅する途中で誰かに出会う。行き先が同じところまで一緒。出会った時、それぞれの魂がその生長のどの辺にいたか、それによって惹きあう相手が異なる。個性も異なるし持たされた地図も異なれば、別れがあって当然だ。

特定のひとりの人の生涯にずっと連れ添い合うことこそ、不思議な事かもしれない。それができるのは、子供やら孫やら嫁やら婿やら他の魂が沢山介在し、共通の行き先が生まれから。

別れに特別な感情を付帯させるのは、もしかすると社会の共通感情に染まるからかもしれない。

去るものに感謝せよ。用足りて去る。空いた場所に新しきよきものが来る。





「生きてきた証」#2 3/19

昨日の朝に送られて来た「生きてきた証」に修正をかけて、今朝送られて来たものは~~~~~Bravo~いい~!なんか、私、最近いい曲ばかり作っているような気がする(あ~はははは~)。

私はもともと行動力があるが、ここ6,7年の間により果敢になり、物おじせずに直ぐにアクションを起こすようになった。ふと来たら直ぐに行動する。ふと来たものに無心になって行動する。楽曲に関しても同じで、できたらすぐにアレンジャーに送る。だが、その後新たな思いつきが生まれ細かいアイデアが二転三転し、その度にアレンジャーにメールを送る。彼らのパソコンに私からのメールや修正ファイルが押し寄せる。私に関わる時間が多すぎて相手もたまったもんじゃない。他の仕事だってある。で、「意見をまとめて書いて下さいませんか」と言われたが、最近はあちらも私の扱い方が分かったのか、直ぐに反応せず、待つ。いよいよメールが来なくなったなぁと思った処で最後のメールから読んで行く(ようだ)(*_*;。(がはは・・・)

今回の「生きてきた証」は数回送り直された譜面の最終稿を見過ごし、最終二つ前の譜面でアレンジが行われた。それでやり直し。宏樹君のバツの悪そうな笑いに言葉が乗る、「見ていませんでした。」内心私の方も「すんまへん」。

人との”いい付き合い”ってコクがあり、何とも良いなぁと思う。こうやって相手の癖と言うか傾向を読み、それに寄り添って対応していく。攻撃や批判ではなく、寄り添う。もちろん、私も相手に寄り添うとしているが、どちらかと言うと私の周りの人が私に寄り添ってくれているような気がする。僅かでも個別対応ができるようになっていくのは、何か自分の内部の豊かさを養っているようにさえ思えてくる。

浩平君もそうだが、宏樹君に出会って本当に良かった。伸縮性と弾力性のある筋肉を心に感じる。色々話したわけではないが、電話で話している限り考え方が健全だ。当然だが、アレンジ一つにもその人が顕れる。彼の伸び伸びした心の筋肉をそのアレンジに感じる。

~~~~~
数字にすると 随分長く生きて来たようです
振り返れば後悔する事も 色々あります
心の時間は 遠い昔に直ぐに飛んでゆきます
冷や汗出るような若気のいたりも 数々あります

世界を一人で背負い歩くような でっかい態度を見せ
俺はあいつとは違うと 見え張り突っ張り生きていたっけ・・・・ (「生きてきた証」から)
~~~~~

さあ、これで明日のレコーディング曲は勢ぞろいした。
「生きてきた証」
「かみさまとのやくそく」
「別れてありがとう」

いよいよワークショップに提出する楽曲が揃う。ワクワク、そしてドキドキする。



準備完了 3/20

レコーディング予定曲がすべて完了したわけではないが、ワークショップに提出する曲はこれですべて揃った。
  • 少女グループ用の課題曲「ママ、どうしよう」
  • ロック「ライバル」
  • 演歌「いいね」
  • バラード「世界を君のふるさとに」
  • 童謡「かみさまとのやくそく」

すべてそろって聴いていると、ニタニタしてしまう。それぞれの余りの違いと面白さに。そして自分でもびっくりするのだけれど、各曲歌い方も声も違う(あ~楽しや(●^o^●))。早速ファイルを圧縮して大事に保存して置いたワークショップ参加合格案内メールに貼り付けられてあるサイトにアップロードした。後は、祈るだけ。

今日レコーディングしたのは、上の「かみさまとのやくそく」と最新曲「別れてありがとう」だが、「別れてありがとう」を歌う自分の声に、惚れぼれしちゃった(あははは・・・)。いい声だなぁと自分の声に初めて感嘆。せめて此処まで来れたらいいなぁと思っていたところに来たような気がする。ここ2か月レコーディングの準備でずっと歌い続けていたせいもあるが、いやはや、私でさえも此処まで来れたんですから、ホント、やってやれない事はないですね。それと、「別れてありがとう」は斎藤和義の「歌うたいのバラット」をライブに来られる方からリクエストされ、何回も何回も練習した後に作った楽曲なものだから、なんとなく似ているところがある。桑田佳祐の歌に陽水が「あれ?」と一瞬出てくるくらい。これまでの私の楽曲にないきゅきゅっとした叫びがあるのも気に入っている。私が作る楽曲、随分変わったなぁ。歌らしくなった。メロディーも面白くなったからかも。

以前に演歌の「輪廻の華」を宇都宮でタクシーの運転手さんに聴いて頂いていたら、「曲が淡々としているね。歌詞が良いよ」と言われた。ライブでも余り印象に残らないようだった。歌詞が面白いだけに惜しい。だが作曲インストラクターを変えた事で、私の作曲も新しいステージに進んだ。”淡々”なものを修正する事も出来るようになった。どう面白くするか、それを考えるのも面白く楽しい。今後の進展をみながら、これまで書いた楽曲をほとんど全て修正してアレンジのやり直しをしたいと思う。やる事が山とあるように思えたが、修正を始めて一つ一つ片付いて行くと、どうにかやれそうな気がしている。

それと、2010年に出した初CD「美しい日々だけを連れて」の評価は右と左にはっきりと別れる。あれは楽曲自体はいいはずだが、CD作りが初めての身にはスタッフの意見に頼るしかなく、結果テンポが速すぎて言葉を入れるのに忙しく、また、歌い方にもきめ細やかさが欠けていた。遠慮して歌い直しを主張できなかったという大変悔しい思いの残った作品になってしまった。スタッフの中には作曲は分かっても歌や声の分かる人はいなかった。それで、あのCDを購入して下さる方々に対し常に不安を抱いていたのだが、そこで思いついたのが、今の歌唱力でテンポを下げてレコーディングしたものを一緒に添えて受け取って頂くという事。before/afterが分かり、面白く思って下さるかも知れない。元のアレンジャーの処でテンポ落としができず、スタジオで機械的に落したため、バックの音質がやや落ちるが、内村君がどうにかぎりぎりに抑えてくれたようだ。それで今日はその歌録りも終えた。

着々と向かっている。




「恋歌」 3/21

久々にしっとりした恋愛ものを読んだ。期限が決まっていた仕事を終え、凝り固まった肩を鍼とマッサージで解し、「輪廻の華」のメロディーをいじった後、中断していた小説を一気に読んだ。随分長い間忘れていたような(笑)胸がキューンとなる感覚。書評が良かったので読んだが、味わい深かった。朝井まかての直木賞受賞作「恋歌」。樋口一葉や三宅花圃の師匠である明治の歌人中島歌子の生涯の小説化。小説は2重構造で展開されて行く。花圃が見つけた師の君歌子の手記(過去)、それを読む花圃(現在)。歌子の生涯に読者の心が痛みで締め付けられる所で、ページは花圃の現在に変わる。それは、読者を締め付けから解放する。終わり方にはサプライズがあり、最初から最後まで飽きの来ないプロットのしっかりした作品だった。

尊王攘夷運動の急先鋒だった水戸藩の天狗党、その闘士林以徳に嫁いだ登世が後の中島歌子。やがて天狗党は暴走し水戸藩には天狗党と諸生党の内乱が広がる。諸生党が優勢となり天狗党の妻女は投牢される。出牢を許されると同時に登世は脱藩しいつか以徳に逢えるだろうと江戸に出るが、夫はとうに斬首されていた。時勢が変わり天狗党が回帰すると諸生党への逆襲が始まる。諸生党の党首市川家の唯一生き残った娘(同名、登世)は復讐を目的に歌人歌子に女中として仕える。復習が復讐を呼ぶが、子供のいない歌子は遺書に女中の登世の男児を養子に迎え、家産を全て渡すことを文書にして残す。復讐劇が終わる。歌子の臨終の場ににいた花圃は、突然歌子の顔が笑みで表情を変えた事に気付く。花圃は思う:恐らく歌子の夫以徳が迎えに来たのだろう、そして歌子は家産を全て市川の末裔に渡した事を報告したのだろうと。

登世(歌子)は、夫が戦場に向かう時に詠んだ自分の歌が余りにも拙かった事を恥じ、和歌の道に進むが、彼女が晩年詠んだ歌が、なんとも・・・・。

  君にこそ恋しきふしは習ひつれ さらば忘るることもをしへよ (恋する事を教えたのはあなたなのだから、どうかお願いです、忘れ方も教えて下さい)

このような思いを抱く関係をつくることは、なんともいいけれども、しんどいね(●^o^●)。だが、夫婦と言う安心と安全の上に成り立つ関係は実にいいものだと思う。深いコクがある。

それにしても小説家の仕事と言うのはすごい。膨大な調査、プロットや言葉の面白さの工夫、長い長い物語の執筆、忍耐。。。。ただ脱帽。長編小説を書く作家の中には、読者を信じていない人もいて記憶を蘇らせようと話を繰り返す人がいるが、「恋歌」にはそれが無く読者の心を躓かせない。




パクリ 3/23

アイドル系の作詞作曲で超売れっ子のヒャダインが「作曲はパクリから始まる」と言ったが、今日録画しておいたSOUNG TO SOULでエリック・クラプトンの世界規模の大ヒット曲「レイラ」がやはりパクリから始まったと聞いて、驚きと共に笑った。パクッたところは歌のメロディーだが、それをあの個性的な前奏のメロディーにした。

私も、BS放送で紹介されているブロードウェイのミュージカルやこのSOUNG TO SOULからパクル事がある。前奏の1,2小節を聴いたら同じ旋律で歌詞付きで歌が口から滑りだしたり。だが、多くの場合は、流されている曲を聴きながら勝手に歌う。でたらめな歌詞を付けて歌っていると、曲はどんどん乖離して全く別の曲が生まれる。

考えてみれば、私たちの生活でパクリが無いものはない。アップルの創始者スティーブ・ジョブズが言っているように、私たちが何かを創作/創造する時は、先人達が作ったものを盗んで創る。一時は、ふと出て来たメロディーに「これ誰かが歌っていないかなぁ」とわざわざメロディー検索ソフトを使って調べたりしたが、そんな事をする必要など全く無い。確かにどんどん作っていけば良い。だが、可笑しなことがあった。感じ良いが何処かで誰かが使ったメロディーではないかとインストラクターに確認すると、曲名はもう忘れてしまったが、有名なクラシックの曲の一部だった。

今の私には、テレビのない生活は考えられない。歌を作る人達はきっと皆そうだろうと思う。テレビで話す人達の言葉が歌詞になったり、上で言うように、あちらのヒットソングやミュージカルから作曲のヒントをもらったりする。そう言う事もあるが、何よりも面白い話を聞ける。私はトーク番組が好きだ。ひとりの人間が常に面白い話を持っているという事はあり得ないが、番組には選りすぐりの人達が登場するから、それぞれの面白い話を聞ける。つまり名曲ぞろいである。日曜日夕方6時スタートの「久米書店」、水曜日夜10時スタートの「関口宏の人生の詩」は欠かさず見ている。特に久米書店の店長、久米宏のパーソナリティーと博識そしてそこに登場する様々な作家たちの話は本当に面白い。これまでもこのブログで紹介したい話があったが、実行されずにある。



譜面台 3/23

アマゾンに注文した譜面台が届いた。今まで使っていたものは三脚の一つが曲がり、立たせても不安定になった。これまで何度か倒してしまったからだろう、”もったいない”心を起こさせる事もないほど、譜面を乗せるところのバランスも悪くなり買い換える事にした。届いたものは三脚がより太くしっかりしている上、譜面台の調節ネジがより手前に付いているので使いやすく、値段も手ごろ。真っ白なキャビネットと黒のコンポを背景に置く、色はやはり黒。

これまでのものを捨てられる、それが私は好きだ。これまでも一つ一つ壊れたり欠けたり用足りて捨てるたびに別の何かに満たされていくような感覚があった。過去の生活とのつながりが一つ一つ消えてゆく。どちらかと言うと居住空間はすっきり素敵にしている私は、足りて使わず、だが捨てられずに置いてある過去の生活から持参した食器がまだわんさかあるのが気になっている。次の引っ越しまでにほとんど全部壊れてくれるよう願っているのだが。

いそいそとマンションの地下のゴミ集積場に古い譜面台を置いてきた。譜面台の買い替えには食器が壊れて行くのとは違う思いがある。譜面台は当時も私のためだけにあったが、それを買った時まさか今のように私の生命のほとんど必需品になるとは夢想わず。あの時既にここに至る道が作られていたのだろうね。ただ見えなかっただけ。

新しい譜面台を立てて、譜面ファイルを置くと、すっぽり抱きかかえてくれる。「さあ、やりなさい。しっかりと見守るから」とでも言っているように。細いながら凛として立っている。これから沢山沢山喜びが運ばれてくるように思う。色々な人達と出会う気配もする。



「シベリア鉄道一人旅」 3/24

大学の後輩が漫画を書きそれが出版された。お祝いに一冊買い求め昨日一気に読んだ。ほんわか、温かく、楽しく、構成もしっかりしていて、何だか嬉しくなった。漫画家の知り合いがいると言うだけでも楽しみが増えたような気さえする。彼女と逢ったのは大学のOB会だったが、逢った時からシベリア鉄道で旅行したことを言っていた。その旅行の話になると、その時の時間の豊かさがまだ心の中を隙間なく埋めているようで、話したくてたまらない様子だった。私は内心クスクス笑っていた。私にもよく分かるからだ。外国への旅は私の考え方を大きく変えて来た。どんどん自分が広がる、人間が見えてくるし、社会が見えてくる。これまで縛られていた常識のようなものが覆され、視点が全く変わって来る。そう、旅の目的は新しい視点を持つこと。それには一人旅が一番いい。彼女の旅行記を漫画で読みながら、私も自分のソ連旅行を思い返した。

1985年、米国留学生活で頑張った自分へのご褒美に、かねてから行きたかったソ連に行った。ゴルバチョフ政権時。ニューヨーク発のパック旅行だったが、私は途中から旅行会社の旅程に参加せず、一人別行動を取った。一人で動いたからこそ、忘れられない思い出がいくつもある。レーニングラードでは芝居を見に行き、ホテルへの帰り道が分からず劇場のチケット売り場で訊ねると、大きなお尻をしたおばさんが出て来て「お出で!」とニコニコと私の手をがっつり掴みロビーに連れてゆく。そして大きな声で「誰か、この子をXXXホテルまで連れて行ってくれない?」直ぐに手を挙げてくれた人がいた。男性で職業は医者だという。芝居を見に来るほどの人だから変なのはいないが、紳士的にホテルまでエスコートしてくれた。外国への往来が自由にできなかった時代、ソ連圏外から来た人と話を沢山したかったのだろう、彼はずっとロシア語で話しっぱなし。段々私は頭が疲れて来た。不慣れな外国語を理解しようと言う事は大変な事なのだ。「明日また逢えますか」と聞くから、「いいえ、ロシア語での会話は大変なので」と昔取ったなんとやらで、頭の中で懸命に単語を探して言うと、「いや大丈夫だよ、君が言っていることはよく分かるよ。問題ないよ」。そうじゃない「私が大変なんです」と返すと、笑って諦めてくれた。外国人用のゴージャスなホテル。一般ロシア人は入れない。彼は中に入りたかったのだろう。私がいるので一緒に入り、バーで少しの時間を一緒に過ごしたが、その時ソ連の色々な事を話してくれた。

数時間だけバレエスタジオを見学したり、11月下旬の冬の空の下、ソ連の当時の娯楽は観劇が主だったが、前衛芝居のチケットを買うために足の指先をブーツの中で動かして温めながら長蛇の列に並んだ。少しの間列を離れて戻ってきた青年がウォッカの匂いをさせていた。後ろの女性は、英語の練習をしたいようで、ずっと私に話していた。共産圏だけれど、一般人は米国への憧れが強い。オデッセでは、リビアからの学生たちと合流し彼らの友人のウクライナ人のアパートまで行ったり、一緒にダンスをしたり。


最も忘れないエピソードは、モスクワでボリショイ劇場演劇学校に忍び込んだ時だ。前方から攻めてくる雪の粒から顔をかばいながら歩いていると、ふと右側の建物の表札が目に入った、「ボリショイ劇場演劇学校」。これは覗かない手はない。私は米国にいたので、米国の大学生活の習慣をそのまま実践し、勝手にドアを開けて中に入った。すぐ目の前に受付の女性がいたが、私と目を合わせて何か言いたげ。とっさに知恵が働き、米国で芝居をやっているものだが、こちらの学校を見学に来たので、授業を見せて欲しいと伝えた。ま、嘘ではない。相手もまさか全くの部外者が突然来ると思っていないので、何か約束でもあると思ったのだろうか、私に教室を指差した。米国では誰が入ってきても大体気にしない。大きな教室ならなおさら。

  ところがである。

一つのクラスを廊下からガラス越しに見ると、生徒が二人演技をしているようだ。二人の中年の教師風の男性がそれを見ている。私の好奇心がすっごく騒ぎだす。教室に入るドアは前と後ろにひとつづつ。もちろん前から入ったら目立ち過ぎる。私は後ろのドアを開けてそっと入った。すると教室内の学生達がガヤガヤ横向いたり後ろ向いたり、教師の顔を見たり、やがて立ち始めた。”来賓”の私がいるからだ。きゃ~。どうしよう~~~わなわなわな・・・びっくりして一度外に出た。だがやっぱり授業を見たい。もう一度入った。また学生たちが立とうとする。すると教師が「座っていなさい」と皆に指示した。一人の教師がすっと立ち、私に振り向き笑みを投げて言う、「部屋を間違えているかも知れませんよ。受付でお話し下さい(きっとそうんなことを言ったのだろうと思う)。」ほっ、助かったぁ~。私も空気が違うので部屋から抜けたかったのである。受付に行くとあの彼女がまだいて話をすると、なんと彼女は英語をペラペラ話すではないか。私は「役者のための動きのクラスがあるならそれを見学させてくれないか」と希望を申し出ると、担当の教師に聴いて連絡をするから後でまた来いという。

翌日、再び演劇学校を訪問する事になった。なんと、私のために受付の女性が通訳を買って出て教師が言う事を傍で英語にしてくれる。また授業は来賓室で行われた。まるで今東光なみ(彼は英語が堪能でなかったから、機内で渡された入国書類に職業CARDINAL(枢機卿)と書いたら、南米かどこかの到着地でレッドカーペットが彼を待っていた、うわっはっは~とラジオで昔話していた事がある)。授業が終わると、教師が突然何を言い出したか!米国でしている事を見せてくれないか。ギョギョギョッ、私何も準備していない。即席で何を見せたらいいだろうかと頭の中が猛烈に回転し始めた。なんとも。。。私は米国の恥さらしをしたかもしれない。やれやれやっと部屋から出て来て緊張がほぐれ始めたら、今度は学生たちが十数人私を囲んだ。ハリウッドに出た事ある?ハリウッドってどんなところ?今夜、寮に来て話してくれない?米国から来た演劇関係者となれば、あちらは直ぐにハリウッドになる訳だ。確かに私もハリウッドの最古劇団に客演として出ていたことはあるけれど、あなたたちが想像しているのはそこじゃないでしょう。寮に行くとは言ったが、考えても話すことはないなぁと、行かなかった。「アメリカ人は当てにならない」とでも思ったかもしれない。ごめんね。

後輩の漫画を読みながら羨ましいところがあった。彼女はずっと鉄道で旅をしている。私は飛行機だ。11月下旬のソ連の空に何が見える?昭和のど真ん中でお世話になったあの重たい掛け布団のなかに閉じ込められたぼてぼての綿の塊。それが雲と言う名に代えて隙間なく眼下を覆っているようだった。

モスクワからシベリア鉄道で北京入り、また北京からウズベキスタン、カザフスタン、中東を経てヨーロッパに入る。後輩はすごい旅をしたものだ。一時イタリアから日本に帰国した時ロシアの上空を飛びながら、「この下にシベリア鉄道で知り合ったロシア人たちがいるんだなぁ」と懐かしい気持ちになったとか。そう世界を旅していると、特に一人旅をして現地の人達と交わっていると、人間は一つだと気付くようになる。国境はないのだと。それで彼女に、私の自作曲、「世界を君のふるさとに」の音源を送った。散歩しながら聴いてくれたようで、「この曲は私のテーマソングだと勝手に思っています」と喜んでくれた。

やはり、旅は一人がいい。人と出会う事が目的なら絶対一人が良い。後輩も言う:一人で行くのは、世界にちっぽけな自分一人が立っている感じがして、好きです。さみしさ、嬉しさ、いろんな感情を含めて、一人旅が好きです。そう、何かを期待する旅であればなおさら、旅は一人が良い。

もう一つ、一人旅は自分の”できる”をもっと大きくする。



もう一つの記憶 3/26

ソ連旅行の思い出を書いた後に、もう一つ絶対忘れない記憶がある事を思い出した。

オデッセでリビアからソ連に留学していた学生たちと親しくなって、彼らの友人のウクライナ人のアパートに行った時のことだ。私は少し近視なのだが、そのアパートの白い壁に黒い斑点があちらこちらに付いていた。汚れているのかなぁと見るとはなしに見ていたら、「あれ?」気のせいか、黒い斑点が動いたように見えた。なんだろうと近寄ると・・・ぎゃぁ~~~~~~~~~ぎゃぁ~~~~~~ゴキブリの子供がわんさか壁を這いあがっていたのだ。ぎゃぁ~-----叫びながら私は自分の周りに円を描いて周っていた。自分の体の上をゴキブリが這い上がって来たようなウズウズ感。私の余りの悲鳴にびっくりしたようで、皆一斉に視線を私に移した。誰も一緒に騒ぐ人は無く、声無く笑っていた。アパートの住人が笑いながら、「いくら殺虫剤をまいてもだめなのよ」と言う。建物は築120年以上にもなるという。わなわなわな・・・・・


11月下旬、レーニングラードもモスクワも雪一色だったが、オデッセに雪は無かった。



Zumba 3/26

明日、きっと私は、「あたたた・・・」と重い身体を引きづっているだろう。今日はヨガの後に、久々にZumbaを1時間踊った。ラテン音楽が鳴る。踊る、踊る。腰をくねらせる、手を流し科を作る。久々に見る紅潮し汗だくの自分の顔。ジャクジーへと廊下を歩くと膝が既にぶるぶると震えていた。

昨日は家でずっと本を読んでいた、「小桜姫物語」。霊界通信。恐いぞ~、ではない。信じない人は信じないし、それで良いと思う。最近私は、夢も現実の一部だなぁと思うようになった。夢って、現実に起きる事を先に教えてくれたりするし、やはりこれは前世で私がやっていた事なのだろうなぁ、幼い時から自分のあるイメージがたびたび訪れていた。別に気にしないでいたが、そのイメージ通りの人生になっている。それは決して私の意識圏の中にあって、私がそう願っている姿ではなく、ふとどこからともなく降ってくる。つまり、私はずっと役者でいる事がもっとも私に合っていると思っていたのだが、歌って踊っている私がイメージとなって何度も私に訪れていた。ふっと出てすぐに消える。そして実際そのイメージが現在現象化している。こう言う事は恐らく多くの人に起きていると思うが、ふと見えて直ぐに消えるから、本人も気がつかないでいる事が多いと思う。また、本人にしか見えないから、他(ひと)にその真実を説得できない。何せ、人間の行動は95%無意識圏からの信号によるものらしい。考えてみると、寝たい、食べたい、その他の生理的欲求はふと来るのだものね。寝ている時も呼吸を始め、全ての内臓の働きは人間がさあ動いてくれよと意識圏で祈って動かしているのではなく、勝手に無意識のうちに働いてくれている。

で、殆ど外に出なかったのでマンションの階段をエレベータを使わず降りたり上がったり、そして今日は少し頑張って動いた。「輪廻の華」の作り直しもどうにか終わり、”淡々”から抜け出られたかなぁ。



「小桜姫物語」 3/29

2日前の金曜日から、私は近くの産生神様にお参りを始めた。これは、上で触れた「小桜姫物語」を読んで、その中に書かれてあることを確かめるため。

小桜姫は足利時代、夫が北条氏との戦いに敗れ城を枕に自害した後、北条一族に対する恨み、憎しみ、悔しさを募らせ30代にしてこの世を去る。まずは幽界で執着心を取り除くための修行から始まり、徐々に霊性を高め、400年霊界で修業を積んだ後、彼女の死を忍んで建立された神社に神の遣い手として降りる。その小桜姫との交信記録が「小桜姫物語」である。

そんなおとぎ話を本気にするとは、とお考えの方もいるかもしれない。私は幼いころ少女マンガが大好きだったので、かつてならそんな世界にいる自分を空想して楽しんでいたかもしれないが、今は、それを事実だと思えるようになった。これまで眉唾ものとして人が言うのを流し聴きしていたような事が(天啓や念の通信など)、私に繰り返し起きると考え方が変わって来る。このブログでも何度も触れて来た東大病院救急医療部長でおられる矢作直樹氏の著書に、死んでいく人達が突然楽しそうな顔をする、糸がぷつんと切れたような感触があると書かれてあるが、小桜姫も同じ事を言う。彼女が伝える事、つまり霊界通信は強ち嘘言とは思えない。

神社に舞い降りた小桜姫が言う「神社に来られて願掛けをされる方々の願いは全て上の神様に伝えられ、善き事なら叶えられる」。だが、この”善き事”がミソ。関係者全てにとって善き事であり、社会にとっても、大きく言えば人類にとっても善き事である。全然勉強をしていないのに一流大学合格を祈願しても、それは本人にとって善き事にあらずである。

私の願、それは全てにとって善き事(そう信じている)。神社の力を確かめたいと、この1週間参る事にした。



いまさら 3/31

今週末次のワークショップが開催される。此処で称賛されたからと言って、そのまま次の展開があるとは限らないけれど、やはり期待してしまう。渾身の曲を送るよう指示されたが、どういう基準で見るのか、はっきり言って分からない。好きな曲、面白い曲、勝手にこれは行けそうかなと思うものを提出しているけれど、専門家が何を聴きたいのか私にはまだ分かっていない。

とにかく5曲を提出した。5曲も出してしまって顰蹙を買ったかと気になり事務局に電話をすると、気にする必要は全く無かったらしい。窓口担当者も当然聴いていると思い、今回私自身の一押し「いいね」に触れたら、「そうですか、ではもう一度聴いてみますね」と言う($・・)/~~~。演歌なのでアピールしなかったのかな?気になり、音源を出して聴いてみる。殿様キングスとまではいかないけれど、ちょっと品を下げた歌い方にしている。これはまずかったかなぁ、もっと自然に歌った方が良かったかなぁ・・・今さら悔やんでも仕方が無いのに・・・。でも、ま、いいでしょう。それで良いんだわ。そのように歌おうと思ったのだから、その時の思いを私自身が尊重しなければ。

「楽曲はいつ必要になって使われるか分かりませんので」と、担当者が続ける。期待しよう。いい楽曲を書いている限り、必ず何処かと御縁があるはずだ。



そうじゃない 4/1

ワークショップは、あくまでもワークショップである。ここではより良い楽曲を作るため、歌づくりの先輩から教えをたまわるのだ。私は何を考えている。こら!と考え直したら、ドキドキの心は失せて、ワクワクだけになった。事前質問を求めるメールにも3つの質問を書いて既に送った。一番聴きたいことをものすごく信頼できる人たちから聴けるのだ。考え方を切り替えられる、なんと幸せな事か。

昨夜メディアへの橋渡しを進んで提供してくれているMPJの主催者から「いいね」の音源を送って欲しいと言われ、彼のコメントは、「いい歌だが、長い」。たまたま彼のところに来ていた音楽仲間と3人で聴いてくれていたらしい。他の二人が言った事も彼が伝えてくれたが、実は、昨日再度デモを聴いた時に、あれ、こんな筈じゃなかったのにと思うところがあったが、それをそのまま感じていたらしい。長い、これも実はこの歌ができた時、アレンジャーの宏樹君が言いかけて引っ込めた事だった。

みんな、実に的を突き、頷ける事を言ってくれるなぁと、彼らの感性が嬉しく、また感謝した。短縮するには構成を変更しなければならない。ワークショップでの講師のコメントが待ち遠しい。それに合わせて「いいね」の構成を変更し、「ライバル」と同じレベルまでクオリティーを上げよう。この歌は大きくなる可能性を秘めている。




こまったな 4/1

私のコーラス仲間だった人達が一人二人と去っていく。原因?う~ん、みんな奥さんがいるからね、奥さんたちが御主人と私とのコラボを不安がっているようだ。

最初は2010年のリサイタルの後、ご自分でも趣味でバンドを持ち音楽的にも大変頼れた仲間が最初に離れた。リサイタル当日に奥様と初めてお逢いし、ご主人から色々聞いて想像していたよりも素敵な人だと思ったが、「しずさんが女房のライバルになってしまった」と、その後は一切私のリサイタルに関われなくなった。彼のピンチヒッターに2011年は彼のバンド仲間に入ってもらったが、こちらはもっとすごかった(*_*;。当日会場の一番前に座って、ライトが漏れて本人の顔がまる見えなのに、「貴女どきなさいよ、あなたを観に来たんじゃないわ、私は主人を観に来たのよ!ふん!」と言わんばかりの態度だった。びっくりした私は、彼女を絶対見ないようにステージを進めた。前例があったので、代わりを探す様になるなぁと、そのコーラス仲間の親しい友人に事情を話すと、その友人が彼に私の話を告げてくれたようだ。自分がやりたい事を自由にできない、そんな事が色々あったようで、間もなく二人は離婚した。離婚に向かっている時に友人から伝え聞いた私の話を彼が彼女に言ったのだろう、その後間もなくして偶然すれ違った彼女に声をかけると、その時の事情を懸命に”説明”していた。

そして最後の一人。彼は2010年から私がコーラスを必要とする時は常に参加してくれていた最も頼りになる仲間だ。ギター演奏もできるし、譜面も読める。私の手間要らずでどんどん進んでくれる。また、コーラスとしての声も申し分が無い。2013年、他の二人がNG、また小さなコンサートだった事もあり、たった一人で参加してくれたが、それだけに彼の奥様も気になり始めたようだ。前例があるだけに、危惧する事は一切ないと伝えたが、気になりだしたら、こちらでいくら説明をしても不安は解消されないようだ。

こまったな。今年のどこかでコーラスを入れてまたお祭りをしようかと思ったのだが、全く想像だにしていなかった状況になって行く。個人的には、彼らの奥さんたちも一緒に仲良くやって行きたかったのだが。これも、又、新しい段階への移行なのだろうね。




肥えたかな 4/2

前回ワークショップから2カ月間、大体いつも家に閉じこもり仕事をしていたので、2キロほど体重が増え、なかなか戻らない。歌づくりの世界とは、家に長期閉じこもる仕事なのだと改めて思った。それプラス、レコーディングは10曲まとめてやったので、大仕事だった。100歩も歩いていない日も何度かあったように思う。これまで贅肉をあまり気にした事のない私だったが、こりゃ、大変だと、毎日ウブスマの神様参りをしている。往復3,4千歩の距離である。1万歩には程遠い。

で、今日久々にゴルフをハーフ回ってきた。今月中旬に大学地区OBゴルフコンペがあり、私に負けない事を必須課題にしている先輩の挑戦を受けて立たなければならないお役がある。上には上の優勝争いがあるがどんべにはどんべなりの争いがある(^v^)。グロスでブービー狙いか(ぎゃはは・・・)。練習しておかなければと行ったのだが、なんともひどい!スイングを少し変えて試しながらやった事もあるが、最初のホールでいきなりボールが右に急角度を付けて飛び、隣のホールとの境を作っているネットを支える鉄棒に「こちん」と大きな音を立てて何処かに消えてしまった。午後2時半頃のスタート、順番を待っている人は誰もいない。一人で周る事になったのだが、いきなりこの調子。ゴルフバックにはボールが2つしかない。絶対ボールが間に合わなくなるだろうと、受付に事情を言ってロストボールを請うと、うっすら苦笑しながら3個渡してくれた。

そのロストボールも全部消えた(はぁ~)。そしてティーさえも。まだ3ホールしかやっていないのに(とほほ・・・このまま帰る事になるのかなぁ、そんなの嫌だなぁ)。どうにか探し出した一つのボールを大事に扱おうと、慎重にクラブを振るようにした。そして前のチームに追いついて、話しかけて来られた御婦人に、これまでの途中経過をおしゃべりしていると、期せずして御自分のボール取り出し「使って」と言う。え、そう言うつもりで言ったのでは・・・するともう1個またプレゼント。内心、ほっ!

4ホール目から少しづつゴルフらしくなってきたかな。久々によく歩いた。しかし、もうちょっと練習しておかねば。同時に付いた2キロを落せればいいな。




ディレクター 4/2

レコード会社のディレクターって相当の力を持っているんだぁ~。

先日BSのどこかの番組で、八代亜紀が「舟歌」の歌詞を書いた阿久悠のエピソードを話していた。八代亜紀が次に歌う歌を阿久悠が書く事になり、様々な愛の歌を持参したらしい。持参しても持参しても「違います」とディレクターに返される。いよいよ阿久悠も腹が立って来た(ま、そうだろうなぁ)。恐らく、ディレクターの方もどんな歌か欲しいのかはっきりしたイメージはないけれど、出て来たものをみて、これじゃないと思うのだろう。で、色々やっている内に「男が歌う愛の歌」を女の八代亜紀に歌わせるとなったらしい。そして書いたのが「舟歌」だとか。

天下の阿久悠もレコード会社のディレクターの一存でYes/Noが言い渡されるんだぁ~。もう一つやはりレコード会社のディレクターのYesをひたすら待つ話を何処かで聴いた。こういう話を聴いて私の頭の中でリンクしているのはずっと関わってくれたMディレクターだが・・・「(彼の)プロジェクトに新曲が必要かどうか、明日会議がありますので、追って、ご報告します」と2月18日のメールに書いて来たっきり。こちらもひたすら待つのかしら。



一枚頂いて 4/4

      「時によっては信じ切っていた人々に裏切られることもある。
   そんな時、自分自身が強い楯であり、味方である事が、
   絶望を克服できる唯一の道なのだ」手塚治虫



   ウブスマの神様の処で見つけて来ました。




NY様 4/4

何か申し上げなければいけないのだろう、また言われる事を期待されているのだろうと思いますので、少しだけ書きますね。

私のブログに書かれてあります事を御著書の素材にされた事、びっくりしました。光栄ともありがたいとも思いませんが、御縁と驚きを感じております。恐らく私に叱られるとお思いになったかもしれませんね。はい、正直申し上げて、そんな事を私が気付いていないとでも思っているのかと、腹立たしく思った時間もありましたが、落ち着きますと「ああ、御縁だなぁ」とその御縁に感謝致しました。お互いの念が放って作りだされた御縁なのでしょう。紋切り型で誰でもが口にする言葉を読んでは、「あ~この方は普通の人なんだ」と思った次第です。こちらの気が緩みます。

生きる姿勢は似ておるようでございますので、今後ともこの御縁をありがたく、温存して参りたいと思います。好き勝手に書いておりますが、これからも楽しみに私のHPをお訪ねください。
(^_-)-☆しずこ



ワークショップ第2段 4/4

この日のためにいろいろ準備をして来たのだが、お二人の作家に聴いて頂けるのは課題曲1曲だけとなった。渾身の曲として別途送らせて頂いた曲はスタッフがワークショップとは別枠で聴いて下さるらしい。

Stella
Beatsという少女グループが歌う楽曲が課題曲だったが、2013年に作った「ママ、どうしよう」を送ると、とても化けるワクワクする曲だけれど、16分音符の遊びが欲しいと言われた。
「化ける」この言葉を聴いたのはこれで2回目、印象的だ。でもなぜよく使われるのだろうと思っていたら、分科会のような小グループ質疑応答時間に、「いい曲はロックにも、Jpopにも何にでも化けられる」と言われた。は~そう言う意味なんだぁ。

今回参加者から提出された楽曲の中には、そのまま受け入れられるものが無かったようで、これから1カ月の間に新たに挑戦して欲しいという話だった。

「ママ、どうしよう」を作ったのが2年前なので、この楽曲に対する私の情熱は少し薄くなっているが、今は来た提案にはすべて答えて行こうと思う。動いているものに乗る。



わかった~! 4/5

上で書いた「遊びが欲しい」と言うコメントがとてもよく分かった。な~るほど~、確かに此処に数小節、主軸から離れた遊びがあると面白い。初恋で彼の事ばかり考えている少女のため息なり、なにか。グループ別質疑応答の時間に直接伺うと、メロディーにならない16分音符とだけ言われよく分からなかった。概して作曲家と言うのは感性で動いているので、想いを言葉で十分に伝えられない事がある。その類かと困ったなぁと思っていたが、昨夕譜面を出して見ている私の中で既に私が私に語りかけていた。メロディーにならない16分音符。私の言葉では、”セリフ”であるが、恐らくその事だろう。はっきりしたメロディーでなく、少女の心の中のもがきを表すもの。そうするともっとリアル感がでて面白くなる。

渡されたコメントは具体的でとてもいい。曲作りが、もっともっと分かってきたように思う。作り始めた最初の頃は、昔の歌謡曲のように3番まで同じメロディー、同じ構成だったが、「ライバル」から変わって行った。これはただ歌詞を表現しようとしたら、4つのメロディー構成になっただけ。テクニックがあって、それに準じようとしたわけではなく、必要があって4つのメロディーになった。要するに最近の歌づくりは構成がもっと自由になったという事なのかも。



うわ、うわ、うわ 4/6

わたし、完全に分かったと思う(ああ、天真爛漫なしずこさんよ)。面白い曲とはどんなものか、そしてそれをつくる方法。ヒントは、上で書いた「ママ、どうしよう」に対するコメントに応えようとして見つけた私の努力、と言うか思い付き!セリフを入れたりするのは、よくやる事だがこの楽曲については入れずとも十分に面白いと思った、が3コーラス前の間奏でセリフを入れると確かに、3コーラス目で歌われる少女の変化につながって行ける。

私の自作曲「ライバル」が、なぜ何人ものメディアの方々や作家から高い評価を頂いたのか。私の他の楽曲同様、言いたい言葉に合わせて曲作りをしただけなのだが。楽曲を再度頭の中で描いてみると、そうか~となった。聴いている人を飽きさせない。飽きさせない「ライバル」はどのように作られているか、自作曲を分析する。分かったぞ~。

その”分かった”を、アレンジも終ったがまだダメと思っていた「僕は神様じゃない」に使ってみたら、それまで欲しいと思っていたユーモアが具わった。やったぜ~(と私は思う)。箸やすめ的な役から脇になれるかも。

「ママ、どうしよう」はセリフを入れてアレンジ変更。浩平君のスケジュールがびっしり埋まっているが、どうにか5月初旬までならできそうだという。以前のアレンジはロックンロール調で決して悪くはないと思うのだが、もっとナウいものが良いのかもしれない。誰かが言っていた「アレンジは若いのに任せろ」。その点はまだ分からないけれど、「ライバル」、「世界を君のふるさとに」などは浩平君のアレンジだった。どっちも好評。浩平君がどんなアレンジを仕掛けてくるのか、私もワクワク。(●^o^●)



さ~て 4/7

今回ワークショップに提出した課題曲以外の楽曲に対するコメントが届いた。4曲全て聴いてくださり、ありがとうございます。

全曲「歌う人にハマり、アレンジを変えてしっかりした出口があれば、多くの人に愛されるだろう」

この"アレンジ"と言う言葉の中には何が含まれるのだろう。もっと具体的に訊いてみたい。。。また、アレンジの課題もあるかもしれないが、コメントにもあるように、「しっかりした出口があれば」が最たる課題だと思う。つまり、ユニバーサルミュージックのK氏が言うように、プロモーション・プランを書ける人と出会う事だ。でもこれで分かった事は、私はいい曲を書いているらしいという事。後は、浩平君が言ってくれたように、「俺がやる!」という力のあるディレクターかプロデューサーが現れる事だ。そこからアレンジャーも出てくるだろう。もし浩平くんや宏樹君で間に合わないなら。

「ライバル」や最近作った「生きてきた証」等の男歌は私が歌って最も面白いように想うが。。。男が歌うより私が歌うから「そう言ってもいいよ」と男たちから許されるところがあるように思う。また男目線から見ると、女は男たちの本質をこんなに見ているのかと思うところもあるのじゃないかな。私が男歌を歌う、その絵が一番映えるし面白い。が、私は創作活動を続けたいから、表舞台に頻繁に出たくない。松任谷由美や中島みゆきのようにラジオやCDを中心に活動し、人前に出るライブやコンサートは年に3,4回、丁度今やっているソロライブの頻度に抑えたい。もちろん、歌は誰にでも提供する。一緒に歌ってくれたらいい。私は自作曲の反応をリリース前に確認するためにもライブは続けたいし、続けなければならない。

面白い事を考えられるディレクターかプロデューサ、必ず出会う。いや、出会う事になっているように思う。彼は、今どこで何をしているのだろう。




間違いの哲学 4/10

ハマったタイトルではないと思うが、一応「間違いの哲学」。作曲家船村徹の名曲を紹介する番組で司会をしていた武田鉄也が「間違いに個性が出る」と言った哲学者がいたという。確かに正解は一つ、目的を達したと言う事一つ。だが、正解に至るまでの間違いは千差万別。どんな間違いをするかにその人の個性がでると言うのだろう。トルストイが幸福の形は一つしかないが、不幸のあり方は限りないというような話をしていたのに似ている。

確かにそうも言えるが、私はもうひとつ付け加えたい。間違いはあって当たり前だし、確かにそこに個性が出る。だが、間違いにどう向き合うか、そこにその人の将来性が顕れる。私も大きな間違いを犯したと今日気がついた。その間違いに私のどんな個性が顕れていたか。それも自分なりに把握した。曖昧さを嫌い、そこに生来のトントン行動し白黒はっきりさせ結果を急ぐ”性急”さがお手伝いした。それが相手にプレシャーをかけ間違いを犯させてしまったようだ。嘘をつかせてしまった、おそらく。間違いが間違いを呼ぶ。そういう場合、間違いの元祖が訂正しなければならない。わたしだ。

ご本人にも反省をしてもらわなければならないが、私の間違い、正そう。



こういう仲間と 4/11

今月末までが締め切りになっている少女グループ StellaBeatsへの楽曲応募に備えて、「ママ、どうしよう」のアレンジを浩平くんにお願いしている。テレ朝ミュージックから来たメールを転送したら、「僕でよければ頑張ります。なるはやでメロディー等の資料を送って頂けますと、非常に助かります!」と返信があった。今回は初めて私の自作曲を他の人に吹き込んでもらう。提供相手は10代の少女グループなのでそれらしい声の持ち主を彼が探してくれる事になった。他の人が私の楽曲を歌う、ワクワクしている。

浩平君のやる気が嬉しい。やる気のある人達が集まる。仲間はこう言う人達でありたい。35歳くらいかな。本当に肩を並べて一緒に進んでくれそう。仕事も丁寧だ。

歌子さんが出してくれた日付が皆当たっていたという話を以前に書いたが、実はもう一つ驚いた事があった。昨年7月22日から31日の間にパートナシップが成立すると言われた。そのメモを読んだのはその年の9月。「嘘だわ、だって、その間は私はアイスランドだったわ」と、この占いを軽笑していた。だが数日後、「はっ!\(◎o◎)/!」。初めて浩平くんに仕事を頼んで、その最初の出来上がりは7月31日帰国の数日前だった。それは「ライバル」のアレンジ。できたらメールで送ってね。ノートパソコンを持って行くからと言って出掛けたのである。

私は迷ったままでアレンジャーに渡すから、その後の修正が大変。浩平くんも付いて行けなくなったようだった。これは縁切れか~と思ったが、間を置いて繋がり続けてくれた。当たる確率およそ100%の歌子さんの西洋占星術でパートナシップ成立と言われたのだから、壊すわけにはいかない。仲間になる人なのだ。また繋がってくれたのも、やはり運命なのだろう。この小休憩の間に、彼は私が提案した譜面ソフトを購入して待っていてくれたようだった(かな?)。きっと、浩平君にとっても私との出会いは特別なものになるのかもしれない。

言われた全ての期日に対し言われた通りの事が起きると、よほどの頑固者でない限り、これから起きると言われる事も信じてしまう。占星術は一人一人に対する神の意図を告げるのだと私は思うようになった。思考や心を落ち着かせ大丈夫だと思わせてくれる。また、誰が何が運命のつながりなのか、教えてもくれる。歌子さんとの出会い、出会う必要があったのだ。彼女との出会いにより、私の宇宙観、人間観、生命観もより深いものになって行った。




潔くあれ 4/12

私たちの生活は繰り返す。朝起きて、手洗いに行き、顔を洗い、服を着替え、朝食を取る。新聞を読み、家を出る。来る日も来る日も同じ事を繰り返す。繰り返しはその行動を無意識のレベルまでに下ろすからそれを容易に成し得るようになる。思考も行為も同じだ。



   自分の感受性くらい    
    by 茨城のり子
 

   自分の感受性くらい
      自分で守れ ばかものよ

 




ぱさぱさに乾いてゆく心を
  ひとのせいにはするな
   みずから水やりを怠っておいて
   
    気難しくなってきたのを
   友人のせいにはするな
      しなやかさを失ったのは どちらなのか


    
     苛立つのを
      近親のせいにはするな          
       なにもかも下手だったのは わたくし



 







初心消えかかるのを
  暮らしのせいにはするな
   そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
 
   


       
     駄目なことの一切を
      時代のせいにはするな
        わずかに光る尊厳の放棄



自分の感受性くらい
   自分で守れ ばかものよ
 
 
 


久々に 4/16

何か月ぶりになるのだろう、久々に大学地区OBゴルフ会があった。この日ををずっと楽しみにしていた。何でもそうだが、特にゴルフは1日中一緒に回るので、誰とプレイするかで楽しさが全く違う。大学地区OBゴルフ会の仲間は、ウィットに富んだ会話ができ、相手にも配慮が行き届く素敵な人達が殆どだ。その中で女性ゴルファーは二人。先輩の女性ゴルファーも知性が高く包容力がありそう。

このゴルフコンペの日程が送られてきてから、私はいそいそと練習に行き始めた。3カ月以上プレイをしていなかったので、私のプレイで他の人達の足を引っ張るのは避けたいし、私に負けてはいられないと先輩の一人に挑戦状を突きつけられたからである(●^o^●)。何せハンディーが40とありがたいんだか迷惑だか分からない数字を頂いているので、今度こそは優勝かと思いつつ臨んだが、後半からズズズズズーッとゲーム終了まで底が見えなくなった(およよよ~ん)。前半の終わりには優勝候補になっていたのだが・・・・($・・)/~~~

ゴルフは徹底的にFair(公平)なゲーム。下手な人も上手な人も一緒に楽しめるよう仕組まれているし、実に奥深い。先輩達が”優しさ(?)”から特別なハンディを与えてくれたお陰で、私は賞を取れなくなった。それまでは大体一番どんべのブービーメーカー賞かブービー賞を取れたが、それが叶わない。ハンディと言うのは、いつも同じ人に賞を持って行かれないようにするためなのである。それは上流にいる人に限らず下流にいる人にも。飛び賞と言うのもあるが、これは誰に行くのか見当がつかない。結果発表時のラッキーだ。が、優勝は、ある程度推測できる。頂いたハンディーで、私が普段練習に行っている河川敷のゴルフ場でのスコアなら優勝は悠に可能なはずなのだが。。。。。

何が原因だろう、と私は考える。そうか、河川敷では、毎回ハーフしかやっていない。だから、今日も最初のハーフが割と良かったのか・・・・後半まで頑張る集中力を鍛えていない。これからは練習でもワンラウンド周るようにしようかなぁ。そうなると大体丸一日が潰れてしまう。それは、今日のような特別な日だけにしたいのだが。

賞を頂くというのはやはり嬉しいし楽しい。うっひっひっひ~となる。

試合終了後のパーティでは、身体の不具合の話が延々と続いた。日本は「私の母が90ウン歳で・・・」と言う話をよく耳にする長寿国になった。皆さん90歳台に乗るまで元気で生きて下さいね。

逢いたいなぁと思っていた仲間に逢えた嬉しい一日だった。



ラブレターは速達でPart3 4/17

ノンフィクション作家の馬里邑れいさんから、お逢いした時に私の質問に応えるという話を以前に頂いたが、彼女の作品「身代金」を読み始めると、逢って何を話していいか分からなくなり、とりあえず欲しい情報だけでも頂きたいと伝えると、数日前その答えが送られて来たが、昨日朝早く追伸メールがあった。感慨深かった。
面白いのは、速達でラブレターを出すと、相手も速達で返事を送って来たというところ。また5回も結婚した彼女の父親は、恋ほど身を焦がすものは無い、仕事よりもエネルギーが湧いてくると言ったそうだ。

思えば、確かに恋は全てに対してポジティブにさせるし、一日の大半を相手に対する思いと想像と希望で心いっぱいにさせる。かなり前の事なので、私もほとんど忘れてしまっていたが(*_*;、「恋ほど身を焦がすものはない」と言う言葉は真実かもしれない。口から出て来る話しは常に相手の事ばかり。私も一緒に生活していた長兄のお嫁さんによく話していたようだ。「静ちゃんは恋をしているのね」と言われて、え、そんな、うそ、きゃっ、「恋」と言う言葉をはっきり言われてテレまくっていた事があったように思う。恋をしていた時に気付いたことは、誰に対しても親切になる。電車に乗っても周りの全ての人に対し親切だ。男もそのように思う。好きな女性に同じように思われている男性はその行為で分かる。素敵なのだ。逆に全く素敵でない男性は、まず女性に好かれない。素敵でないから好かれないのだが、荒々しい。先ず恋はしていないだろうなぁ、思う人がいても受け入れられていないのだろうなぁと判る。人を夢中にさせるものは、仕事を始め色々あるだろうが、恋ほど多くの人を抱きかかえられると"錯覚"させる程の包容力を持たせ健康で血行良くさせるものはないかも知れない。

彼女の父親はその感情でいる事がとても好きだったのだろうし、いつも燃えていたかった人なのだろう。

おそらく多くの男も女も恋をしたいのだろう。幾つになってもそれは変わらない。しかし、妻帯者、夫帯者である事がキアをかける。夢て逢いましょう、かな?(●^o^●)




御縁は大切に 4/17

ビクターのMディレクターに数日前久々に連絡を取った。浩平君の「ライバル」のアレンジを絶賛し、ジャニーズにぴったりだという。「いいね」に対しても面白い曲だとコメント。少し長いかなと思っていたところに同意されたので、早速アレンジャーの宏樹君に修正依頼を出した。前回、「アレンジ次第」だといって来たテレ朝ミュージックのコメントをそのまま浩平くんと二人にコピペして送ると二人ともなんだか引き締まってくれたみたいで、腕の筋肉が盛り上がったように感じる。宏樹君も丁重な「やります」返信を書いて来た。

歌づくりは、一人作業なので、途中でこれでいいかなぁと誰かに聴きたい時がある。「そうか、私には幸運にもMディレクターがいるじゃないの。必要なものは本当に既に与えられている」と改めて思った。こう言う事って余りある事ではないようで、浩平君などは「なんでディレクターに好きなように電話をしたりできるんですか?!」と聴いて来た事があった。そう言われてもずっとそうだったから、なんとも言いようがない。御縁、これしかない。Mディレクターともいろいろな事がある。彼も私の突っ込みや斬りにたじたじになっているかも(なっていますよう~(@_@;))。

色々あって良い、私はそう思っている。共通の夢を持ち、その夢を共有しているなら、色々ある中でお互いを知り、いい方向に向かって行きさえすればいい。互いに対する信頼も失っている訳ではなく、色々ある過程で彼がいかに私の楽曲に期待しているかが今まで以上に感じられている。肝心なのは共有している想いや夢を見失わない事だ。楽曲ができればいつも聴いてくれるし、彼のコメントは大変参考になっている。私の楽曲を歌うにぴったりした人が見つかれば使う事もあるのだろう。楽曲を育てる、いつか誰かに歌わせる。このスタンスは変わっていない。

何よりも彼とのこの特別な御縁が感慨深い。色々ありながら繋がって来た事が。こうまでなると、きっとこの先に何かあるかも知れないと思わざるを得ない。




コンペ 4/18

歌づくりの世界ではコンペと言うのがある。あるアーティストの新曲を公開募集し、それに応募する形式。Competitionという英語を略してカタカナ英語になったものだと思う。締め切り期日も決められており、どのような雰囲気のものが欲しいか参考楽曲も付けて来るし、夏向きのアップテンポのものでxxxと言う言葉を入れて欲しいと言った課題も添付される。一般公募なので、メジャーデビューを果たした人もメジャーデビューを期待する人も一緒に応募する。名の知れ渡った作家もこれに応募する事が今だにあると聞く。

コンペを通して作品が採用されたと直ぐ側にいる人が言う。すごいなぁと思う。だが、それを聞いて、ならば私もと言う気にはならない。途方もなく感じる。私はコンペ向きではないようだ。私の場合は、自分の書きたいテーマがあり、ふと降ってくる言葉、または読んでいる詩や小説の中の一つの言葉やフレーズがヒントになって、イメージが出来上がり、イメージが出来上がると直ぐに書き始める。書いていくと、期せずして歌う歌手がイメージされる事はあるが、最初から誰それに歌わすという思いで書いているものは、今のところない。驚いたのは、Mディレクターは私の楽曲のこの特徴をよく理解している。だから自由に私に書かせ、その中で自分の手持ちのアーティストに歌える歌があればと、思っているらしい。それを知らされた時、彼がいかに真剣に私の楽曲を聴き、私以上に私の楽曲の特徴を知っていたか気付かされた。彼の感性を大いに買った一瞬だった。もちろん、既に書いたものの中からコンペの課題に合っているものがあれば、応募するが。

以前にも書いたが、中島みゆきが似たような事を言っていた。誰かに歌を提供する時は、今まで書いた歌の在庫の中から自分が歌いにくいものを提供するとか。改めて特定の誰かのために書くという事はないようだが、歌手によって提供する楽曲は選んでいるように思える。広まる可能性を考慮してのことだろう。加藤登紀子には「この空を飛べたら」、今のように売れる前のクミコには「十年」。「この空を飛べたら」は実にいい歌で私も自分のレパートリーの一つにしていた事があるが、「十年」は内容はいいのだが、選ばれた言葉の硬さが何とも歌にならない。中島みゆきでもこんな歌を作るのかと思わせられた歌詞だったが(少し安心した、(^v^))、歌っているクミコに感心した。だが、今回朝ドラの「マッサン」の主題歌は、依頼があってドラマの内容に合わせた楽曲だったようだ。いずれはそういう事も出来るようになるのだろう。




整理整頓 4/19

3カ月間新曲を作っていない。ずっと、これまで作ったものの修正作業をしていた。やり残しがある事、やろうと思っていて手つかずにいる事に私は落ち着かないようだ。ひとつづつ綺麗にして行く、すっきりさせるのがどうも私の性分みたい。10曲以上あった修正も「両手をひろげて」だけを残して、旧バージョンを遥かに超えた出来上がりになった。まずは自分自身が文句のつけようのない状態にまで持って行かなければならない。

これまで読んだ事のない詩人の詩集を5冊アマゾンに注文し、数日前届いた。そんなに読んで来た訳ではないが、谷川俊太郎を超える詩人を私はまだ見つけていない。だからこれから開いて行くページで、どんな言葉と出会うのだろうかとワクワクしている。詩は私に沢山の言葉をくれる。あ~、この心の動き、目線、こんな事も詩にするんだぁ・・・私の中にこれから作る歌のイメージが溢れんばかりに湧いてくる。誰かと同じ目線ではない、ある瞬間の真実の思いを書く。真実を書く事は時に羞恥を晒す事を求められるから、勇気がいる。芸術は人が言えないで隠しているところを代わって言いながら、あなただけじゃない、人間が共有している感情なのだと、相手を癒す部分もある。それを聴いた人の心は浄化され、浄化されると、心は次の段階へと上がっていく。不思議なものだ。

それで詩を読もうと読書用の背もたれの大きな椅子に包まれるように座るのだが、どうも落ち着かない。頭の中が歌を作りなさいと言っている、しきりに言っている。行動と内部の指示の隔たり。では統一させようと、これまでためて来た走り書きをみる。修正作業というのはメロディーの技術的な修正だが、新曲となるとメッセージをまとめ、メロディー在庫から相応しいものを取り出し、それに合わせて言葉の組み立てをしてゆく。

一人でいて充足している。だが、時に誰かに誘ってもらい外にも出たい。今日は夕方に同業の友人のライブがあり銀座まで出かける。



悔恨 4/20

人は人生で何を一番悔やむのだろう。勝負に勝てなかった事、事業を成功させ得なかった事。。。。名前は忘れてしまったが、世界に名を博した有名なテニスプレヤーが、テニスは飽くまで人生の一つの過程、その過程を通して自分の人間性を高めるものであり、人生を知り、自分の人生を豊かなものにして行くための通過点、と言うような事を言ったらしい。ならば、勝負で負けたことは、人生で”一番”悔やむものではないのかもしれない。

私が人生で悔やむものは、愚かなプライドのために、注いでくれた愛に愛で返さなかった事。爆弾のようにこれに気付いた時から、人に愛を与える事、いい事をする事を心に誓った。その愛の形は色々で、必ずしも相手が心地よいと思う事だけをする訳ではない。そういう時は、ほんの少しずっこける事もあるけれど。

アマゾンから送られて来た詩集の中に、谷川俊太郎選茨城のり子詩集が入っていて、少し読みはじめた。そこに、愛を溢れさせ得ない悔恨が彼女を夜に机に向かせ、見知らぬ人へ、優しい手紙を書くつもりでペンを持つと書いてある。私自身とも重なりとても感じ入ったフレーズだったが、以前途中までイメージしていた歌につなげられると、昨日から新曲作りに取り掛かった。

娘時代に見た母の手に似て来た自分の手をみながら、私の手はあなたの手がして来た事をしているだろうか、愛を溢れさせているかと問う歌。まだタイトルは決めていない。

   愛の手 あなたの手 時には 戦う手
   子を守り 育てる 不屈の誓い
   私に 同じものが あったかと
   重ねた日々を 振り返ります・・・

あの頃、母への愛の足りなさが今でも生々しく、書きながら私の瞼には映像と涙が混じり合う。




都合 4/22

ここのところ気を張って頑張っていたと思う。2月7日のワークショップでの評価から始まり、今日までレコーディングや、楽曲の修正、アレンジ調整など、風邪をひいている訳にはいかないと人に吹聴して頑張っていた。そんな作業もやや一段落し、気が抜けたからか、1週間ほど前から少し風邪気味。葛根湯や市販の風邪薬を飲んで対処していたが、1回飲んで調子よくなったので、飲むのを止めたらまた頭が重くなったりと、それを繰り返していた。そうしたら今日はこの1週間の内で最も体調が悪くなり、午後はずっと黒田光線に当たっていた。頭に兜をかぶさせられたような重さ。これには昨日関ジャニーズ事務所から届いたメールに気が落ち込んだ事も影響しているのだろうと思う。

「ライバル」はジャニーズに歌わせられるとヒャダインさんが提案した事が切っ掛けで、誰に歌ってもらおうと別段私にアイデアがあった訳ではないので、ではそうしようと浩平君に彼ら向きのアレンジを頼んだ。「ジャニーズにぴったり、素晴らしいアレンジ」と絶賛され、堂々と関ジャニーの事務所に送り、1週間ほど経って来たメールは、「こちらの都合に合わない」。”都合”に合わない・・・日本語って難しいけれど、要は関ジャニー向きではないという事なのだろうか。

やはり、がっかりする。それでどっと気が抜けてしまったので、体調が下ったのかな・・・じゃ、どこに持っていけばいいのだろうと途方にくれる。歌える人を探すのは実に難しい事なんだね。何度かこのブログで書いて来たが、ビクターの別のディレクターK氏がこの楽曲を始めて聴いて直ぐに言った事が、「これはヒットする曲です!」だが、歌わせる人が思い付かないからと、持って行かなかった。レコード会社の社内交流がどうなっているのかよく分からないが、「他の部署に紹介するという事もないのかな」と当然多くの人は考える。彼は自分と交友関係にあるらしい森進一のプロデューサに紹介できる他の人の楽曲を持って行った。Mディレクターも最初は他にも紹介しますと言っていたが、その気配が今では無い。自分の企画に合う歌が見つかるかもしれないという目的だけで私の自作曲を聴いているようだ。

で、昨夜また2時間ばかり、私の母(姉?)代りのような70歳代の方に電話で「ライバル」を歌って聴かせていると:うん、これはいい歌よ!(急に声に重みがかかった)でもね、悟った人の歌。若い男の子たちじゃないわ。

なるほど~、やはりね~。最初に戻ると、アレンジャーの浩平君も、この歌の深さが分かって、アイドルに歌わせると軽薄になると言っていた。で、私も「ライバル」を軽薄に歌われては嫌だと思い、もう少し年上の40歳から50歳ほどのロック歌手に歌ってもらいたいと思ったが、良く考えた訳ではないが、誰も直ぐに思い浮かばなかったし、彼らは大体自分で歌を作っている。は~、ピッタリはまる歌手を探すことは難しい事なんだ~と、ガツンと頭を叩かれたように分かった。テレ朝ミュージックのディレクターが書いて来たように、”歌う人にはまれば”と言う事である。だから、ある人はアニメを提案していた。生身の若い男の子達に歌わせるより、確かにアニメの方が違和感が無いと言える。

「ライバル」は、テレ朝で作曲家の松田純一さんが”衝撃”が走ったと告白し、「今の時代に必要な歌」と断言したように、人の生き方を変えるかもしれない歌、人が生き易くなるよう手伝う歌。この歌の意義を知り、「出さなければならない」と、出口を真剣に考える人が必ず現れるだろう。どこかに出会いがあると疑っていない。私もこの楽曲のために、そしてこのような歌を待っている人達のために、早速別な動きを始めた。

このブログを書いている内に、何だか頭が軽くなってきたみたい。さっき、黒田光線に当たり風邪薬を飲んだのが良かったのかな。




「愛溢れさせて」 4/25

今日は午前中ピアノレッスンがあった。インストラクター(60代?)と随分親しくなってフランクな会話が多い。

「私の作る歌、本当にいいの。すごくいいのよ」
「自分の歌をそんな風に言うなんて」
「そうなの、みんな初めはびっくりするの。でも本当にいいんだもの。だから言っちゃうの。私には第3者の眼が常にあるからね、良し悪しが判断できるの。あははは・・」
「あははは・・」

こんな具合。あきれ果ててインストラクターは目を細めて笑う。でも本当におかしな話。いいものを書いた時や手にした時の自分の喜びを表さないという不自然さ。思いっきり喜んでいいはず。そして喜んでいる相手の気持ちになって一緒に喜んであげれば尚いい。

さて、新曲を2曲作ってしまったぁ~(●^o^●)。一曲はお遊び風で、チクリと女の嫉妬を取り上げている「花のように」。もう一つは、これはいいぞ~、二つ上のブログで話した母の手、タイトルを変えて、「愛溢れさせて」。とても覚えやすい口ずさみたくなるようメロディー。書いている内に、思いもよらないメロディーになってゆく。童謡の「春よ来い」のフレーズが侵入してきた。それがこの上なくマッチして、作者の私をご満悦にしている。

「ね、聴いて。新しく作った歌」
「・・・なんか演歌に似ているかな」
「そうなの、私の歌、演歌っぽいの。だっていつもNHKの歌謡番組を見ているんだもの(あははは・・・)。ときどき、BSで高橋真理子、井上陽水、吉田拓郎あたりも聴いているけれどね」

「愛溢れさせて」は、ヨナ抜きのペンタトニック・スケールになっちゃった。どう言うものができるか分からないのが、しずこの歌の作り方。すごく自由な作り方なんです。作っていくと、本人もびっくりする展開になる。だから本人も面白い。この「愛溢れさせて」は2番目に行く度にびっしょり涙で顔を濡らしたので、私のデスクの傍には丸めたティッシュがあちらこちら(あは)。母親って、本当にすごいね。私もなってみたかったと思う。




激励と教訓 4/26

関ジャニーがアウトだったとアレンジャーの浩平君にメールを送ったが、まったく返信なし。あまり気にしていないのだろうとは思ったが、私なりの分析をして再送すると、激励の返信が来た。

例えば有名どころのコンペの場合だと、1回に200曲なんて平気で集まりますので、
今回採用されなかったからと言って、ジャニーズ向きではないと言い切れないと思います。
タイミングがあわなかった、「関ジャニ向け」ではなかった等理由はいくつか考えられますが、
通らなくて当たり前の世界なので、次いけば良いだけだと思いますよ。

淡々としていて、励ましにもなる。

今回の教訓:
誰もが頷き、かつ「突き抜ける」と言われる楽曲を書いたとしても、それで解決されたわけではない。楽曲に”はまる”歌手を探すという、難関がある。作詞作曲を職業としている人は、誰それ向けの歌を書いて下さいという依頼があって書くから、書いた後に歌手を探すという事は無いだろうが、私の場合は違う。いわゆるシンガーソングライターなので、テーマが先。必ずしも自分が歌うとは限ら無い楽曲を書く時もあるが、特定の歌手が頭にある訳ではない。私の素地は演歌歌謡曲で、大体NHKの歌謡番組をみている。好きなのは、北島三郎、細川たかし、美空ひばり等の演歌歌手やバラードやロックを歌う数人の年長のアーティスト。

で、どうしたらいいか。ある人が囁く、「XXXに持って行きなさい」。




ガヤ 4/27

「ママ、どうしよう」のアレンジが済み、これを音大を卒業したばかりの女の子(と言っていいのかな)が歌い、明日にでも提出できるようになった。自分の楽曲を誰かに歌ってもらうなんて初めての事なので浮き浮きしたが、音楽を専門的に勉強した人は本当にすごい、こちらから電話で歌い方の歌唱指導をして、資料を見た30分後に録音したものを送って来るのだから。

渡された課題には、ガヤというものを入れる事になっている。要するに、合の手。どんな合の手にするのか、アイドルをよく知っている浩平君に一任すると、「ママ」に「オイ」と声が返る。なぜ「オイ」なの?聞くところによると、流行りだとか。新しい事をどんどん学んでいる。





最近の歌 4/27

最近の歌と言っても、もう何十年こんな感じなのだと思う。私もJPOPを聴こうとして聴いた事が無かったので、以前には気にもした事が無かったが・・・

作編曲者の服部克久と関口宏が、最近の歌は歌えないとテレビで言っていた。西田佐知子が歌っていた時代なら、流れて来たメロディーが自然に頭の隅に残り、なんとなく自分も口ずさんだものだが、今の歌は覚えられない。歳のせいかと諦めていると関口が言う。たった12音、この組み合わせで世界中で様々な歌が毎日生まれている、数学には無限というものがあるが、音楽の世界ではどうなのかという質問に、気持ちの良い音のジャンプは大体決まっていて、それは使い果たしてしまっている。だから今は、無理な音のジャンプが多く、一瞬にてオクターブ飛ぶ。これは美しい訳はない、と服部氏が答える。

うるさいだけの歌が本当に多いものね。高音に行きたくてたまらない歌。女性的な歌い方で自作曲を1,2曲ヒットさせた青年がいるが、どの歌も皆やたらに高音に行きたがる。なんでここで絶唱なの?さっぱり分からない。だがこれが今の潮流。歌づくりを始めて作曲クラスに行くようになったが、インストラクターは流行りのJpopを常に聴いているので、彼らにとっては現代の潮流が自然。だから、私の楽曲にも、突然音を高く飛ばすようアドバイスする。もちろん、私にはプライドがあるので、やたらめったら飛ばしません。此処で飛ばすと切なさが強まるとか、嬉しさの表現が倍増すると思えるところで飛ばす。

昔の歌は、今の潮流と照らし合わせると、同じメロディ、同じ構成が1,2,3番まで続き、いわゆる飽きが来ると言われる。そこから卒業するよう言われ、卒業して来たかな。潮流にある程度乗らなければ、入口も出口もないようだ。

だが、思う。キッチンや大工仕事など日常の作業をしながら口ずさめる歌が無くなっている。カラオケまで行って声を張り上げなければならない歌が実に多い。ふと口ずさみ、口ずさんで心が明るくなるような歌を書いて行けたら・・・。




一人は賑やか 4/29

 by 茨木のり子



   一人でいるのは賑やかだ
 賑やかな賑やかな森だよ
  夢がぱちぱち はぜてくる
 よからぬ思いも 湧いてくる
  エーデルワイスも毒の茸も
   
    一人でいるのは賑やかだ 
 賑やかな賑やかな海だよ
水平線もかたむいて
 荒れに荒れっちまう夜もある
なぎの日生まれる馬鹿貝もある

       一人でいるのは賑やかだ
       誓って負けおしみなんかじゃない

一人でいる時さびしいやつが
 一人寄ったら なお淋しい
おおぜい寄ったなら
 だ だ だ だ だっと 堕落だね



         恋人よ
      まだどこにいるのかも分からない 君
        一人でいるとき 一番賑やかなヤツで
           あってくれ
 
    

 
茨木のり子はとても知的な詩人だ。  パチンと爽快に斬る。なぜ「ハングル」?10数年以上に亘るハングルの学習、魂が呼ばれる朝鮮半島への想い。彼女の祖母が半島出身であったらしい。彼の国の詩人たちの言葉を日本語にして紹介した。そのエッセイが取り上げる青年、尹東柱(ユ・ドンジュ)。彼は立原道造の詩を好み日本で勉強していたが、独立運動の嫌疑で福岡刑務所に送られ、終戦の僅か半年前に獄死した(26歳)。得体の知れない注射を連日打たれていたという。彼女には朝鮮半島や中国の人々に対して日本がしてしまった胸を切り刻むような酷薄残忍な扱いに、一日本国民としての懺悔と羞恥と悔恨、そして償いの心があったようだ。

彼女が紡いだ詩の中に、朝鮮半島に関するものがかくも多いとは意外だったが、それらを読んでいると、私にも色々な想いが湧きいで、本当に「一人で賑やかだ」。BSでやっている「奇皇后」の中に出て来た人身売買をする高麗商人の言葉を思い出した。「民が人身売買にかけられても何もできない国に生まれて来た罪」。どこに生まれるか自分で選べるわけではない。だが生まれてきた国の脆弱さ。そのために置かれる境地。その高麗商人の言葉が印象的で、朝鮮半島の歴史をつまんだ。ずっと中国歴代王朝の属国。テレビドラマを見ていると、王が中国からの使者を平伏して迎える。そんな独立国家としての権利を持ち得なかった国。だが、独立運動の火は絶える事無く、中国傀儡派による裏切りと内戦が常に起きていた国。紀元前に建国された高句麗は唐と新羅にやぶれ高麗に代わると、その王族と職人を含む人口の3分の1ほどが日本にやってきた。技能を持っていない当時の日本で彼らは大歓迎されこの国の支配者層になった。また、新羅との戦いに敗れた百済の王族学者職人も大半が日本に渡り、やはり支配者層に収まる。

日本を行き場として選んだ人たちは本当に運が良かったと言うか、利口だったと思う。朝鮮半島で次の王朝に吸収される、または中国に逃れていたらどのような扱いを受けていただろう。その後日本による植民地時代を経て、恐らく建国以来初めて彼らは独立国家を創った。数千年に亘る願いが初めて実現する。属国であるが故に、脆弱であるが故に、だが闘志があるが故に受ける様々な屈辱、迫害。だが視点を変えれば、中国と地つなぎだから中国の一部になっても良かっただろうに(勢力の強い国に吸収され消滅した国は世界中沢山ある)、そうならず独立を諦めなかった。諦めるどころか、漢字を使わずハングルと言う文字まで作った。すごい事だ。

このような歴史を熟知している鶴見俊介を始めとする哲学者は、「どの歴史スパンで”なにじん”と決めるんだ」と言う。そうだなぁと私もその気になる。同時に、双方とも「こっちのお陰でお前さんの国が豊かになった」は言えない。この二つの国はそれぞれが相手国のお陰で今がある。色々あったが、こうして"今"がある事は、いいじゃないかと思う。双方とも「感謝」できる面を見るようにすればいいのだが、最も近いルーツを共有しているからこそ、喧嘩が長引くのかもしれない。韓国には恐らくかつての優越感が踏みにじられた劣等感が日本に対してあるのだろう。植民地が中国によるものなら、現在の状況は全く違っているように思う。同じく長い間中国の圧政に苦しんだ台湾は日本の植民地時代に感謝する人もいるようだ。なぜこんなに違うのだろう。それ以前の日本との関係が違うからだろう。だが、国民の30%がクリスチャンだという韓国は、憎しみより愛を選ぶ人が多いのではないだろうか(知っていました?日本は僅か1-2%だと言う事。でも日本ほどに神社仏閣の多い国があるのかしらね。テレビのクイズ番組によると、東京には3千以上、愛知か愛媛か4千を超えるんだそうで、こちらで足りているんですね)。

でもね、
 「それぞれの硬直した政府なんか置き去りにして 一人と一人の付き合いが、小さなつむじ風となって」(茨木のり子)。生まれ変わって今度はどこに行くのか、隣近所波動を同じくする者たちと仲良くして徳を沢山積んでおきましょう。人間、誰とでも仲良くなれるわけではない。それぞれの魂のレベルがある。同じ国に生まれながらも、波動が同じでなければ友人にはなれない。生まれた国は違っても徳の高い波動を持つ人に魅かれる。音楽が国境を超えるように魂は国境を超える。

ところで、上の詩の最後の段に、突然「恋人よ」。なんだか、どきんとしました。身体がふわっと火照るような感覚(ああ、この感覚、忘れていない!)。そしてこの突然の視点の変化、うまいなぁ。




5月 5/2

28℃ですって。初夏の気温。でもやはり5月なのだろうか、空気が軽くさわやかさが漂う。昨日はラウンドをしようと近場のゴルフ場に行って来た。

なんだろう、ボールが上がらない。色々な事を試しながら打っているからだろうが、それにしてもジムの打ちっ放しで感じる「いいじゃん」がない。ランチ後の後半の始めは良かったものの、疲れがひどい。ゴルフをしてこんなに疲れた事って無かったように思う。で、スコアはさんざん。

帰宅してゆっくりしていると頭が痛くなり、少し熱っぽい。これ、風邪だなぁ。まだ完治していないんだぁ。夕方8時前に床に入り、途中1度だけ起きたが、朝4時まで眠ってしまった。起きると背中が痛い。黒田光線に当たって、少し軽くなり、朝食も取ってこのブログを書いている。風邪を引いた時の体調の悪さひとつとっても、健康時の快適さに本当に感謝しなければいけないなぁと思う。私は時々自分の足をさすったり撫でながら、沢山感謝する。世界の色々なところに私を運んでくれた足。この足のお陰で自分が広くなって来たように思う。

ハチャメチャなゴルフだったが、18ホールで、なんとバーディ!グリーン周りのアプローチから、バーディですぞ。それまでハチャメチャだっただけに、チームの男性達3人がとても喜んでくれる。一人は、いつまでも「バーディ、バーディ」と繰り返す。終わりには皆でかき氷を食べ、一期一会を閉めた。人はなぜこんなに優しいのだろう。

さあ、今月はライブの日だ。身が締まる。




この3カ月間 5/4

1月のライブが終わって今日までの凡そ3カ月間、いろいろあった。色々あって退屈しないのが私の人生だが、大きな一つのうねりだったように思う。何と言っても大きかったのが、ワークショップでの私の楽曲の評価。曲の作り方が分かって以来、その傾向ははっきりしてきたと思う。私の楽曲は新しい段階に移行した:いい曲作りから、確信を持った出口探しへと。

私の今の行動テンポはものすごく速い。かつても行動力があった方だが、宇宙の芯としっかりつながった今、そのスピードが早まり、人が驚くようだ。昨年の末、そして今年になってお逢いした超有名な某シンガーソングライター二人のマネージャだった人が、見た事もないこのスピードにたまげていた。この3カ月の間、テレ朝ミュージックとそのマネージャとの出会いがあった一方、これまでのつながりを終わらせた。

Mディレクターの私に対する役目は終わったように思う。2月彼との長いメールのやり取りで初めて彼の仕事を知った。「関心がシンガーソングライターからソングライターに変わった」ので御自分の企画するものに合うものがあるかもしれないとこれまで私の曲を聴かれていたらしい。企画外だがいい曲があっても他部署に紹介する事はなく、また企画の中で使われるのは殆どがカバー曲、新曲を必要とする事は稀であるらしい。消えて行く細い蝋燭の炎のようないつ消えるかもしれない僅かな目的のためにこれまで40曲近い私の楽曲を聴いて下さったようだ。私も彼のコメントをベースに、いいメロディーの作り方を模索しここ半年で「完成されている」と言われる楽曲を書けるようになった。私にとっては彼との出会いは幸運以外の何物でもない。だが、私の楽曲の段階が、いい曲作りから”しっかりした”出口を見つける段階へと移行した今、彼を”役目”から解放し、私もいたずらな期待を彼に持たぬよう、此処でいったん関係をオフにしたいと伝えた。私が描いている方向と同一線上に立てる人を探したいと思う。社内の横のつながりがどのようになっているのか存じ上げないが、他のディレクターと少しでも私が繋がっている気配がする場合、関係を築く事に躊躇うディレクターもいる。これまで色々ありながらもつながっていてくれたので、未来に何かあるのだろうと思わせたが、私が描いている未来は彼とのコラボで成就される事はないと悟った。これまでの御縁に深く感謝し、先に行こう。そうする事で彼への御恩返しにもなろう。おたおた、タラタラした時間を引きずってはならない。

此処のところの風邪はエネルギー貯蓄のためなのだろうか、たっぷり休んでいる。ゴールデンウィーク後に徐々に行動開始。今月はライブに向けた準備に集中。歌子さんにも14カ月ぶりに逢う。楽しみだ。

昨年アイスランドの北の町アークレイで知り合った30代の青年とFacebookでメッセージのやり取りをしていた。彼と遭った時、2曲を小さな声で歌ったが、その一つが「ライバル」。その「ライバル」の展開を知らせ、現在歌わせられる歌手を探していると言うと、「探しているって、なぜですか。しずこさんがなぜ歌わないんですか」と言う。あの時「ああ、あんた恋しや」を歌うと、びっくりした顔をして「いい声ですねぇ~」、「ライバル」を歌うと「いい歌ですね」、そして続けざまに「ライバルは中島みゆきですか」と迫りくるように聴いて来た。わなわなと自分のバランスが崩れた瞬間だった。私が最も買っている歌の創作者と、少なくとも名前を、並べられたからだ。「たしかに中島みゆきと歌の内容は違うかもしれませんが、何というか心に響く歌という点で共通していると思います!」と書かれてメッセージのやり取りは終わった。

この3カ月間、昨年4月にまとめた20曲の作り直しをし、それがひと段落すると、またすぐに新曲が降って来た「愛溢れさせて」と「花のように」。あっという間にできあがった。こんなにも容易に出てくるのを見ると、やはり出口が用意されているのだろう。心を静かにして内なる声のまま動いている。


「いい曲作りから出口探しへと」私の楽曲の段階が変わったと上で書いたが、前回のライブに来て下さった先輩達が言われた言葉をふと思い出した、「欠けてるものが無くなった。後は売り出すだけだ」。うん!




歌い開始 5/4

上のブログは未明に書き、こちらは9時PM。ヨガに行くと、久々に汗をかいた。蓮村誠医師が勧めるインドのアーユルヴェーダ式白湯の体内取り込みを読み、全く知識や情報はなかったが、気持ちがいいので白湯を進んで飲んでいた事が以前にあった事を思い出し、ここ1週間前から一日5カップほど飲んでいたら、なんとなくいい感じ。気温が高くなった事もあるだろうが、足の冷えが薄らいだ感じ。またヨガでこんなに汗をかいたのは初めてかも。普段私はあまり汗をかかないので、夏もそれほど飲み物を頻繁に求めない。この汗と共に毒素が流れ出て、風邪は消えたかも知れない。

そろそろ声を出さなければと、久々に発声練習をし喉をならした。歌う声に持って行くまで3,4日かかるだろう。この人は歌う事より創作の方が好きなようで、歌う必要が無くなると途端に歌わなくなる。




鳥肌 5/5

大学のかなり下の後輩がラジオ番組で自分のキャリア選択体験を話しているらしい。そして次回が最後だと。「ん?!」70代の私の友人が言っていた事を思い出した、「この歌、ラジオなんかに流せば、"千の風"のような反響になるんじゃないかしら。」で、「世界を君のふるさとに」の音源を送り彼女に打診すると、

「ありがとうございます!聞いてみました。とても素敵な歌声ですね。暖かい歌で、鳥肌がたちました。少し若い、道に悩んでいる人に聞いてもらいたいですね。私もどこか遠くにいってみたい気がしました!!!少しお時間頂けますか??掛け合ってみます。」

ありがとう。




ライブ案内 5/7

いよいよライブ月に突入。最も緊張する月である。近況報告付きでメールに色を添えて案内を送らせて頂いた

早速一人から連絡があり、奥様が入院されているが、ライブに来て下さると言われる。昨年一度来て下さったが、そのメールはいつも愛が溢れる。ありがとうございます。このブログを読んで下さっていたのだろう、リクエストを添えて下さった、「生きてきた証」。もう一つのメールは、いろいろあるが七転び八起きだと激励して下さるものだった。うれしい。

はい、いつもの場所でいつもの時間にしずこのソロライブを開催します。今回はピアニストの淳さんが昨年からの先約があり、お休み。ピンチヒッターには、2012年の札幌ライブにお付き合いくださいました土肥弘明さん。彼も名ピアニストです。

詳細は、このHPの出演欄をご覧くださいね。

私は早速「生きてきた証」を練習し始めます(笑)。




警戒 5/9

数日前知人から聞いた話。その知人のめい御さんRはジャニーズやその他アイドルグループに楽曲を提供した事があるらしい。そのめい御さんの遠縁(おそらく知人の遠縁にもなろう)に女優、歌手でもあり、もうすぐ母親にもならんとする人気タレントMがいる。その彼女に自分の楽曲を提供しようと送ったが何の音沙汰もなく1年が経過したある日、血が引く驚きに遭遇する。提供した楽曲をMは彼女自身の作詞作曲として歌っていた。青ざめ怒り沸騰、Rは法に訴えた。だが、Mの後ろ盾は岩壁。父親が超有名な歌舞伎俳優の出、そしてその取り巻き。Rは数々の嫌がらせと脅しにあい、ネットにも彼女の名前が載せられ、とうとう自分の名前を変えた。

楽曲のタイトルで調べてみると、確かにMの名と一緒に出てくるが、歌は全て取り外されたのだろう、Youtubeにも出ていない。純真な雰囲気を漂わせ、それで売っているMだが、私の背筋が震える。同時にこれまで私が気軽にプレゼントして来た楽曲音源は大丈夫だろうかと、心配になった。Rはアレンジも含めてコンピュータで楽曲を作っていたようで、すべて一人作業。私の場合は、アレンジャーやレコーディング・エンジニアそしてスタジオのスタッフも入って来るし、作業中の履歴が全て残っているので証明できるが、一旦問題になると解決までに注ぐエネルギーや時間やマネー、そして辛労は大変だ。この一件は今後の自分の楽曲の取り扱いに十分注意しなければならないと思わせてくれた。アレンジ毎に支払う報酬も、セキュリティーのひとつかも。

「楽曲のアイデアが盗まれる事もあるので、(公式リリース前の)公開は避けた方がいい」というアドバイスを思い出した。緊張するね、こういう話。




竜 5/10

Facebookの持つ力は実に大きい。自分を他と繋がらせ、広げさせる。世界をつながらせ、広がらせる。このFacebookがあるからこそ、新聞を読むニーズが更に薄くなったように思う。マスメディアがでっちあげる記事に心を動揺させられる事も無く、何よりも自分の関心あるものを書いたり作ったりしている人と繋がれる。そしてまた、友達になった人が何処かのイベントに参加すると言うお知らせが入ると、興味のあるものなら自分も参加し更につながりができる。Facebook上の友達の投稿を読みながらその感性や知性の程度を知り、その人が勧めるものなら行ってみようかと言う気になって、また違う世界を見聞きできる。

昨日、陶彩画の絵師草場一壽(くさばかずひさ)氏が描く「いのちの絵本」の出版10周年記念イベントに参加した。もちろん私はこの人の事を全く存じ上げていなかったが、どんな話が聴けるのだろうと行った。与えられた1時間で生い立ちから今日までを語る。来場者の殆どが30代程の若いお母さんたちだった。小さい頃から動物や自然の命の営みに興味を持ち、それを有田焼の中で取り入れたいと願ったが、どこの窯元でも実現不可能だと断られる。これが最後と決めて行った世界的に有名な絵師葉山有樹氏だけが「これは面白い」と草場を受け入れ、葉山氏の元で働きながら陶彩画の研究を始める(ネットから)。ネットで見ると彼が描く殆どが仏像画。生活のために路上で作品を売っていた事もあるが、今では個展の開催や日本国中を講演で回り米国のどこかのホールにも彼の作品が飾られているとか。

彼は幼いころに竜の夢をよく見たそうな。「竜」、ずっと上のブログで書いた「小桜姫物語」の中の竜がなぜか私の中に印象されている。「小桜姫物語」は霊界通信をまとめたもの。霊界にいる小桜姫が霊媒師に呼び出されて話をし、それを東大卒の筆者が書きとめた(わざわざ東大卒と書いたのは、左脳偏重型を自負する大卒にこう言う人もいると言う事かな)。この話の中に竜が登場する。人間は死ぬとまずは現世と霊界の間にある幽界に行き、そこで修行を積んだ後に霊界に送られるとか。そこで更に修行を積み心が純化する程度に応じて、竜が登場するところに行く。この竜が雨を降らしたり風を起こしたりするらしい。この竜に乗り小桜姫は竜宮城に行く。日本のおとぎ話では竜宮城は海底にあるとされるが、霊界ではそうではないらしい。

竜は中国の絵巻物によく登場するし、中華丼ぶりにも描かれている。子供のころ私は、竜は中国に実在するものだと思い、想像上の生き物だと知った時、想像上のものをあのように詳細に描けるのかと不思議を思った。

最近、私の考え方がダイナミックに変わろうとしている。5官で感じられない、人間の智で証明できない目に見えない世界が存在する事はこれまでも疑わなかったが、ここのところ気付いた事は、人間が創りだすものは、他からは見えないが自分の中に実在するものを他から見える形にしたものであり、その自分だけに実在するものは、その個人がどこかで見たもの聴いたものなのではないか。それは夢や霊界での経験なのではないか。要するに自分が見たり聴いたりした事のないものは、人間は創りだす事ができない。小桜姫の話の中に、目を閉じて開ける一瞬の間に他のところに移動していたという件がある。それを読んだ時、幼い頃に見た猿飛び佐助や風小僧や忍者などの映画を思い出した。煙の中で一瞬に消えてゆく。子供の頃そうなったらいいなぁ、なるのかなぁとドキドキしながら焚火の煙を利用して、どろ~んとやった。消えないので安心したと言うか、拍子抜けしたというか、つまらなかった。だから、小桜姫の話は映画の話かおとぎ話をつまんでいるのかと思ったが、そうじゃない。その逆なのではないか。おとぎ話の作者は霊界での経験が自分の中にうっすら残っていて、それで書いている。

NHK番組だったか、「ファミリー・ヒストリー」の中で、お笑い芸人の間寛平は瀬古選手と競り合いながらマラソンしている夢を2回見たと言う。本人は「ばかな」と自分が見た夢を笑ったが、その後何かに強く押されるようにマラソンを始め、それをメディアが取材し寛平はライムライトの下に引き出されるようになる。

夢、私も最近はしっかりと「意味」として記憶している。歌子さんがびっくりする事があると言われた3つの日。一回は現実の中で、2回はどちらも夢の中でびっくりさせられた。その3つすべてこれから展開される歌づくりの世界に関係していた。夢が何を意味しているのか、それは本人だけに理解できる。フロイトやユングがなぜあんなに夢に拘ったのか、若き頃は関心も無かったが、今はなるほど、ものすごくよく理解できる(だが、読む気はない)。

竜の話に戻る。小桜姫物語の中で、竜が登場するのは、修行を重ね魂が高度なレベルまで至った霊たちが行く場所である。草場一壽さんは元はそこにいた人なのかもしれない。彼を見ているとそう思える。。。。。あれ?。。。。最近ずっと手直しをしていた私の楽曲にも、竜が登場するぞ。「輪廻の華」。♪舞い上がれ 舞い上がれ 清水寺に上る竜になれ 天に舞え 地に舞え あんたにこの炎 飛んで行け 風立て 雲を焦がして 雨降らせ♪ーーー、、、これはちゃうか(あは)。


追記:草場さんの竜の絵を掲載しようとしたが、やはり竜の様子はすごいね。見ていたら、がたがたと自分が崩れて行くようで、や~めた。




うっとり 5/12

12日の0時を回った。1時間ほど前から歌の練習をしていた。必ず録音して色々と修正していく訳だが、1カ月ぶりの歌声が余り崩れていないのが意外だった。と言うか、いくら私でもこう言う事を言うのは躊躇いもあるし、恥ずかしいのだが、なんかとてもいい声なのだ。数日前の歌い開始の時にも少し驚いたが、歌が整ってくるに従い、「これ、私の声なんだぁ」と少し上気している。少なくとも「悪くない」。「いい声」と言う評価からは遠かったはずなのだが、アイスランドのアークレイで巡り合った赤池君にFacebookメッセージで「世界を君のふるさとに」を送ると「相変わらずいい声ですね」とコメントが返ってきたので、そんな褒め言葉に合うようになったのかなぁ。

もう一つ考えられるのが、私の作った歌に声が合わさろうとしているのかもしれない。歌づくりを始める前にシャンソンや別な歌手の曲を歌っていた時は、その元歌手の声に影響されて低音を響かせていた。今は自分の作った歌を歌うので、私のナチュラルな声が出ているのかもしれない。自分の事なのだが、驚く事がいろいろある。



やはり地図 5/12

歌子さんに14か月ぶりに会った。英文の資料をまた頂いたが、前回のリーディングの信用性がかなり高かったので今回は直ぐに読んだ(昨年の時は頂いて半年後に読んだ)。身体の内部に温かい液体が満つる。驚きの満ち潮。最も最初に書かれたものが、「仕事上のつながりを切り、意外な人とつながろうとするが、それは自分を高次元に上げるためのもの」。さらに、精神的な活動が活発だとか。これまでこのブログを読んで下さっている方々には、ドンピシャだと思われるでしょう。やはり人間は持たされた地図上を歩いている、そんな想いが確信に近くなる。

とにかく大変いい年であるらしい。キャリアにおいても大きな進展と成功があるとか。それと恋人ができるらしい。こう言う話に歌子さんは大変喜ぶ。だけど、気配があるようなないような(^。^)。沢山の日付をもらって帰って来た。大きな動きは、7月7日の誕生日が過ぎてから始まるらしいが、私もなんとなくそう思っていた。これまでの私の人生は大体5年刻みで大きな筋目があった。誕生日が過ぎてから次の5年目に入る。色々な事が起こるのかも。楽しみだ。




小言おばさん 5/13

何処かで石垣りんの詩がひとつふたつ紹介され、それらは良かったので、何か別なものがあるかと、彼女の詩集を2冊も買ってしまった。失敗!この人は、うるさい小言おばさん。重箱の隅をほじくるように突っついては文句を言う、それが彼女の詩だ。もう読みたくない、だが中途半端に罪悪感を感じる私は葛藤する。

粕谷栄市という詩人が書いた解説が何とも・・・

   石垣りん、この優れた詩人を同時代に持つ事は、私たちにめったにない幸運です。自分の生きている国に、自分と同じ空気を吸って生きているひとりの詩人が、まぎれもなく私たちの言葉、
   日本語で書いた。

なに、これ?(@_@;)

   その彼女の詩を、今日、一億人以上もいる日本のほんの僅かの人々、何パーセントにもならない人々しか知る事が無いのは、本当に残念な事です。

全然残念じゃないっすよ。読みだした時の自分のエネルギーがへなへなとしわ寄り始めた。自分をも人をも国をも幸せにする策を持ち合わせない、ただブツブツ文句を言う人がこの世にわんさかいるが、その一人。もう一人の解説者落合恵子が石垣はそれまで女に禁じられた"怒り"を詩にしたと評する。インテリと言うか、少しばかり学をつまんだ女たちは概して”批判”の種を肴にするようだ。恐らくこれは今の時代もそしてどこの国でも差ほど変わらないのかもしれない。私には、うるさい。

あと一冊をどうしよう。




クンクン 5/14

米国に留学していた頃、学生たちは中古家具を買う。2年から4年ほどの短い学生生活にはそれで十分。卒業と同時に、「貧乏生活ともお別れ!」と古家具は置いて行かれる。

登録して1,2年待ってようやく大学の家族連れ学生用に造られた長屋に入った。私が在籍したUCLA(カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校)の家族づれ学生長屋は街の2区画を占領するほどの大きさである。確か2階建600所帯分の面積だったか。そこで、使い古しの家具を買い、一応部屋らしく整えた。が、寝室に置いたランプの傘の染みが気になり、様々な試行錯誤の後、私はとうとうそれを洗剤で洗い始めた。。。残ったのは骨だけ(*_*;。また何をやり出したのだろうと傍観していた元夫は、それを笑い話のタネにした。

昨日、覚悟して絨毯を洗った。1畳半程の大きさで厚みが1センチを超える。重たい。これに水を含ませるとどれほどの重さになるか。腰をやられるんじゃないか。だがその心配よりも、絨毯の匂いをとることが、最もしたいことだった。

PCワークから離れて
ヨガポーズを取ろうと絨毯にうつ伏せになると、醤油のような匂いが鼻をつく。これは掃除機や雑巾がけくらいでは抜けないだろう。横浜の中華街で購入してかれこれ10年以上になる。高価なものではないが、麻でできた刺繍入りのデザイン、直ぐに気に入って買ったものだ。クリーニング屋の仕事には大体絶望しているので、やって失敗するリスクを抱えながら自分でやる事が多い。綺麗にならないまま身に付けるよりも洗って失敗する方を私は取るようだ。その方が納得いくのだろう。とにかく、どうにかなるだろう、最悪の場合はマンションの警備のおじさんに来てもらおうと、絨毯の洗濯作業を始めた。

お風呂場に湯を溜めて洗剤を入れて掻きまわし、絨毯をずるずる引っ張って、「よっこらしょ」と浴槽の中に。完全に浸かるように棒で絨毯を突き押す。一晩浸けると、ま~、真っ黒な水が。こう言うのが爽快なのである。これは汚れか、または色落ちか。それとも両方か。ズボンをめくり上げて浴槽の中に入り、足で踏む。だが、この後からが大変。少し動かすだけでも身体全体を使わなければならない重さ。シャワーをかけて何回もゆすぎ、ポールを低い位置に置いてその上に絨毯の端をかけ、どうにかこうにか少しでも水が捌けるよう工夫をする。筋肉痛なのか、すっかり腰がおかしくなった。とてもベランダまで持って行けないので、ある程度水捌けができればと、浴室内を「乾燥」にして6時間ファンを回す。

どうにかベランダまで引きずって行ける重さになり、太陽の中で乾燥させる。やはり太陽の力はすごい。今日は30°近い真夏日より、あっという間に乾く。内側に垂れている絨毯の半分をクンクン嗅ぐ。ん?まだ醤油の匂いがかすかに残る。せっかく乾いたのに・・・いや、この際徹底的にやろうと、洗剤とお湯とたわしをベランダに持って行き、絨毯は手すりにかけたまま内側をたわしでごしごし。何度も水をとっかえひっかえかけて濯ぎ、その後は上から手を滑らして水切り。それを表側に干して2時間後、完全に乾いた。

家の中に絨毯を取り込んだ私は犬。隅々までクンクン、クンクン。ほっ、すっかり匂いが取れました。洗われて麻の感触が露わ。爽快。代償は腰痛。あたたたた・・・




「オートクライン」 5/16

上の方で、石垣りんの詩を無慈悲に酷評したが、概して中途半端に終わるのを嫌う私の特質が、もう1冊の本を電車の中の時間つぶしに読ませた。「空をかついで」と言うタイトルで、彼女の詩の中でも愚痴が無いものを集めたようだ。これならばと、読み続けられた。が、決して魂を揺さぶるような作品ではない。

「愛溢れさせて」がアレンジャーの手に渡り、どうにか今月のライブにお披露目ができるよう進めている。いい歌に仕上がったと思う。これは、私の母への「悔悟録」にもなるが、40台以上の女性達に共感して頂ける曲になったかもしれない。メロディーもなかなかの仕上がり。

「愛溢れさせて」を書き終えて、何かの調べ物をしていた先に、30代から40代の男性グループMr.Childrenの歌「彩り」があった。それを聴いていると、新曲をまた書く気になった、「オートクライン」。オートクラインはもともと医学用語、 分泌された物質が、分泌した細胞自身に作用する現象に付けられた名称らしいが、いい事ばかり考えている人にはいい事ばかりが訪れ、その反対も然り。自分が考えている事や言葉に出している事は皆自分に降りかかってくる。カウンセリングや教育などにも使われる言葉だとか。今最も活躍してもらっているこの国の若い人達に贈る歌かな。

ある日の電車で 乗客二人
刃の言葉で けんかをしてた  
・・・・
どんな気持ちで 今日を過ごすの
そんな自分を どう思うの

君の言葉は 誰よりも 君の心を 切り裂いて 
君の人生 蝕んで 君の幸せ Awayだよ

全て自分に 返ってくる オートクライン

インスピレーションと言うのは、どこから来るのか本当に分からない。この歌より先に書こうと思っていたものがあったはずだが、思いもかけない時に思いもかけないところでインスピレーションは降りて来たり、こんこんとノックする。「愛溢れさせて」とは極端に違う世界を歌った「オートクライン」。今は天が落して下さるものは、こちらで勝手に順序を決めたり好悪の判断をせず、そのまま書かせて頂いている。だから主人公は本当に様々だ。書いていて思うのだが、こんなシンガーソングライターはいないんじゃないのかな。それぞれの世代向けに書いているような気がする。



田口ランディ― 5/16

今日は東大の学園祭。作家の田口ランディをゲストに迎え「幸せのために仏教ができる事」という題で講演があった。御自身が仏教の教えを請いたいと宗教の門を叩くまでに至る経緯を話し、悟りたいと言う自分の欲求を満たそうと、元曹洞宗管長、現在福井県の御誕生寺住職に面会を請い教えを頂く栄誉に与ったらしい。

アルコール依存症で家庭内暴力の絶えなかった父親、自殺した実兄、その家庭環境から育てられた自分の劣等感。それに苦しむ自己。様々な縛りから自れを解放させたいと、救いを求め宗教の扉を叩こうとしたが、余りの扉の数の多さにたじろぎ、また扉が開けられて中に通されても長い長い廊下を歩かなければならなかったと言う。読まされる教書の難しさ。そして廊下はだんだん細まる。宗派派閥、戒律。その奥は迷路。

私も道場に通っていた事がある。京セラの会長でおられた稲盛和夫氏が得度した場所を追跡してたら、ある道場に行く羽目になった。そこで渡された教書は翻訳語でない正当な日本語だったので、大変分かりやすくエネルギー漲る言葉は私の中に宇宙の摂理(真理と多くの人は呼ぶ)をどんどん浸透させて行った。そこが田口ランディとの大きな違いを作ったようだ。

「幸せのために仏教ができる事」、田口ランディの答えは「ありません」。なるほど、「仏門は叩いたが、廊下が長くて、その廊下はだんだん細くなり奥は迷路だった」ので、その答えになる。私も旧態依然としたところに誘われていたら、同じ経験をし同じ思いを持っただろう。教典の”日本語”を理解するには別の勉強しなければならない。想い描く自分の理想の姿に至るまでの道は果てしなく、途中でエネルギーもしぼみそうだ。

分かり易い言葉で真理に接した私は、彼女が設けた質問に「あります」と答える。色々な事が分かって来て、私自身が幸せになったから。でも、彼女は曹洞宗の住職の話を聴いて少し幸せに近づいたように見えるが、それはやはり仏教の教えの力ではないだろうか。

講演終了後、彼女の傍に行き一つ質問をした。間近に見る彼女の様子には、痛々しいほど、傷つくまいと自分を必死に防御してきた過去が匂った。見ただけでその人物が分かる「見立て90%ですよ」。彼女の言葉がそのままその顔に乗っていた。

南北線東大前から正門まで歩く途中、まるでこれから聴く話の前置きのように、お香のにおいが空気を染めていた。




そそっかしい 5/19

「いいね」を以前にビクターのMディレクターに聴いて頂いた時に「おもしろい曲ですね」と言われ、そのままにして置けばよかったものの、ふと「長くないですか。xxxのリピートはどう思いますか」などと訊いてしまったがために、リピートは要らないと思いますと返ってきた。そもそもなぜそんな質問をしたかと言うとアレンジャーの宏樹君が4番まであるこの曲は3番までで良いんじゃないかと躊躇いながらも主張してきたからだった。Mディレクターのコメントもあり、では3番と4番を一つにまとめようかとxxxを切り取ろうとしたが、構成上おかしい。ではと、宏樹君が提案する◎◎◎をカットすると、最後の面白いエンディングの言葉とメロディーが生きない。要するに、若手のアレンジャーは歌詞をあまり考えず曲の流れと慣習を追いがちだ。この楽曲の場合は、話のストーリは4番まであって面白さが成立するのだが、彼はそれを見ず、4番まであるこの楽曲に、疑いをはさんだ。

その後、テレ朝ミュージックのディレクターにも聴いて頂くと、「歌う方にハマれば良い曲になると思います。ひとつの形としては完成していると思います」と更なる注文は無い。Mディレクターと反応が違う。じゃ、これでもいいんじゃないの?と私は迷わせられる。

数日前ピアニストの淳さんが我が家に再来してカラオケ制作をしてくれた時に相談すると、「これ、ターゲットをどこに絞るかの話ですよ。若い人達なら3番目を複雑な流れにして飽きないようにするかもしれないけれど、ターゲットが年配者なら修正する必要は全く無いですよ。この『ララララら…いいね、いいね、いいね~いい事ばかりだね~』(さび)のところはもっとリピートしても良いくらいで、みんなと歌えるじゃないですか」と言う。な~るほど~!。

淳さんの言葉で解決した。「いいね」はまったく修正する必要の無い楽曲だった。「これにて一件落着」になったが、ああ、自己嫌悪に陥る出来事。行動が速いのはいいが、無駄な出費がかさむ。修正追加アレンジ料を意味なく支払った。しずこさん、もう少し自分の感性を信じなさい。




弁護 5/20

上で、宏樹君が歌詞を読まないと話したが、彼の名誉のために言っておこう。

今回は初めて顔をしかめた一件だったが、これまでの彼の他の提案は常に嬉しいものばかりである。勝手にやってくれて、その結果に私はしゃいでいる。「いいね」で彼の提案したエンディングはものすごく気に入って、この歌の面白さが増幅した。こう言うアレンジャーはあまりいない。私が書いたものにシンクロしてくれるからイメージが湧くようだ。多くのアレンジャーは、だいたい、こちらが書いたメロディー譜に忠実にアレンジをする。私の作曲術が今よりも稚拙だった頃でも”忠実”だったから、今改めて自分の譜面を見た時に、「ぎゃっ!」となりタハハハハと赤面する事がある(そう言うのは大体修正したけれど)。心の中では、「言ってくれれば良かったのに」と思いながらも、いい歌に聞こえるよう黙々とアレンジしてくれた能力にすごいなぁと感嘆する(西さんありがとうございます)。そうやってお世話になりながら、私もどうにか此処まで来れたわけですね。感謝、感謝。




海の夫人 5/20

久しぶりに演劇を観て来た。新国立劇場で麻美れい主演、宮田慶子演出のイプセン作「海の夫人」。イプセンの作品はこれまで3本読みかつ観ているが、どれも男の人形となっている女が自立していく話である。今の時代、女はとても自由だし、私などは夫は二人とも私から縛られたかもしれないが私を縛っていなかった。特に最初の夫との間には束縛の気配さえ存在しなかった。子供の頃から自身が母親に縛られていた経験があったからだろうと思う。だからこういうストーリーは私には無縁というかずしんと来ないが、確かにこの類の男たちは今の世の中にも存在するなぁと思いながら、観ていた。

セットがなんとも良かった。新国立劇場の小劇場は可変舞台だが、今回は客席の真ん中に舞台を持って来た。四方を観客が囲む。船の甲板をイメージした真っ白な板をすり合わせた舞台に色々な仕掛けがしてあって、俳優の立ち位置が船尾や船首のほうに行くにつれ上がっていく。

終演後のトークセッションでは、麻美れいと夫役を務めた村田雄浩、そして演出家宮田慶子が現れた。長い髪を下ろし、ルースな長い白シャツに黒ベストを重ね、下は細い黒パンツで現れた麻美れいが実に素敵だった。彼女の低音の声質、落ち着いた話し方も大人の女を醸し出し、麗しい。その服装を盗もうかとじっと見ていたが、我に帰った。私とは雰囲気が違う。私は2番目の夫とよくショッピングを共にし、互いの洋服を選び合ったが、彼は私が選ばないようなものを選んで来ては試着させ、新しい発見をさせた。私に似合うものをよく知っていた。シンプルで微かに可愛いさや女らしさをのぞかせる色合いやスタイルだった。

この芝居を見に行った時の私の服装は、恐らく麻美れいが絶対身に付けない、ベージュに朱赤の縁取りがしてあるノースリープワンピース、下は細いやはりベージュのパンツだった。




白湯 5/21

そろそろ1カ月近くなるのだろうか。

蓮村誠というインドのアーユルベーダ医療を導入している医師がいる。彼の事をヨガのインストラクターから聴かされ、早速その著書を読むと、白湯を飲むよう勧めている。起床時、食事中、そして後1回どこかで、一日5回毎回150cc少し熱めの白湯を5分ほどかけてすするように飲む。身体の中の毒素が流れるという。冷めたい飲み物は身体によくないが、どうしても飲みたい場合は同時に白湯を飲み身体を冷やさないようにするらしい。

これをやっていたら、朝が快適。コーヒーを飲まなくともよくなった。そして1カ月経つと、「あれ?足が温かい」(実は今日、気付いた)。そして驚いたのはコーヒーやアルコールを飲みたくない。なぜこうなるのか大変不思議だった。これはアイスランド・グリーンランドから帰ってきた直後の私の体質と似ている。身体が自然でいたいと言っているようだった。夕食の時はいつも缶ビールか赤ワインをグラスに一杯楽しんでいたのだが、身体が飲みたがらない。これをある整体師に言うと、「白湯で体が温まって来たので、体を冷やすコーヒーが飲みたく無くなるのです」という。「え?コーヒーはホットコーヒーですよ」「南の国で採れたものは、身体を冷やすんです。」\(◎o◎)/!なるほど~目から鱗だった。その土地で採れたものを食べなさいとは、そう言う事かとガッテン納得した。

白湯は手放せなくなった。特に朝の一杯はとても気持ちがいい。徐々に内臓が緩んで行くような気がする。以前にも書いたが少し体重が増えたので用心しなければと思っていた矢先、歌子さんから今年は太るから気をつけないさと書いてあるわよと言われ、ドキッとしたが、白湯を飲み始めると体重も簡単に元に戻った。毎朝の瞑想も功を奏しているのだろう、私の身体は大変素直に反応するようだ。この白湯効果に喜んで、蓮村氏が勧めるもう一つの仕事にも取り掛かった。白ゴマ油でうがい。これは口の中の毒だしで虫歯や歯槽膿漏の予防にもなるらしい。喉の奥をガラガラやる事で、抜け毛や白髪も減らすとか。ふ~ん、私の好奇心が騒ぎ出す。とにかくやってみる。

世界の3大伝統医療は、インド、中国、アラブ(ギリシャ)だとか。数千年に亘り引き継がれた事には真理があるんですよね。白湯はとにかく効果ありでした。簡単ですから、是非お試しを。

さて、ずっと待っていた本が届いた、「スーパーブレイン」。村上和雄先生が監訳された脳科学の本。とても豊かな時間を頂く事になるだろう。わくわく。




Let it be 5/22

Let it beはビートルズの楽曲の一つで、とても魅力的なメロディーの上に歌詞が乗せられている。あの時の若さで、Let it beの意味を分かって書いたのかと感心していたが、本日改めて歌詞を読んだら、な~んだ、修道女が言った言葉とある。それなら、納得。このLet it beに対し、ディズニーの「アンと雪の女王」の主題歌はLet it go。この二つの意味は異なる。Goには動きがあり、直訳すると「行かせなさい」。思いの丈を吐きだしなさい、心のままに動きなさいと言う意味だ。それに対し、Let it beは状態、「成るようになる」もがいても仕方がない。

Let it goはLet it goだろうとこの映画を見た時に思っていたが、日本人がしきりに「レディーゴー、レディーゴー」と言うので、Let it goとはまた別の歌なのかと思っていた。一度「レディーゴー」と盛んに言う大学の後輩に聴いてみた。「Let it go? 」、彼は頭を縦に動かす。怪しい。「Or, Ready to go」と続けざまに訊ねると、再び頭を縦に動かす。き~~~~~~!もう一度質問を頭から繰り返す。すると、何度も訊かれる不思議さと不安さが混じった表情でまた2回頭を縦に動かす。だめだ。(*_*;”L”と”R”を区別できない日本人には、こちらがいくら強調して発音しても”L”と”R”は同じように聞こえるらしい。itとtoの微妙な音の長さもキャッチするのは難しいのかもしれない。

Let it beとReady to go、この考え方は今の私の中に浸透している。内奥から自発的に湧き出る自分を押し上げる力が働くか、または外から誘われそれに躊躇いなく応じられる時は素直に出す(Let it go)。成るようになるから、必要な時期に必要な手配がされる(Let it be)と思っている。こうしていると忙しくなく、心地よく生きられる。

今朝、浩平君に頼んだ「愛溢れさせて」のアレンジが送られて来た。思ったより抑えたコード進行で意外だったが、これも一つのチョイスかもしれない。コーラスが終わり最後のサビの間に間奏が無いのは私のこれまでの楽曲にない試み。これで行ってみよう。

来週のライブにはお披露目ができそうだ。この歌を鑑賞できるような世代の友人が御主人と一緒に来てくれると言う。コメントを聴くのが楽しみだ。




朗報 5/22

夕方帰宅とほとんど同時にメールは着信したらしい。

少女アイドルグループStella☆ Beatsに提供しようと送った自作曲「ママ、どうしよう」が一次審査を通ったので、公開する作家名と楽曲名を訊ねて来られた。これは、ドキドキ落ち着かない日々を送る初恋に胸をときめかせる女の子、頭の中は彼の事で一杯、何をやっていても誰にあっても彼の事しか考えていないし話していない。そのくせ、街で彼を見ると隠れてしまう。そんな自分が腹立たしい。とうとうある雨の朝、すれ違った時に挨拶をする。自分の成長と彼と会話をした嬉しさをメロディーに乗せた。

Stella☆ Beatsは聴くところによると、オリコン1位を獲得した少女グループだとか。テレ朝からこの歌のアレンジを変えて応募して下さいと言われ浩平君に頼んだが、出来上がったアレンジに少女の声を乗せるとばっちりだった。浩平君と歌ってくれた由紀子ちゃんに心からお礼。そして審査員とスタッフの皆さま、ありがとうございます。

多くの方々に愛される楽曲だと想うが。。。。祈って待とう。




なるほど!5/24

真理を一緒に勉強する仲間がいる。毎月例会を開いているが、昨日久々に伺った。以前にも書いたが、この例会で話をする人はキャバクラのオーナー。彼が企業運営に真理をどのように取り入れたかを聴くのは興味深い。

     神は宗教をつくっていない

な~るほど~!確かにそうだ。宗教をつくったのは人間であり、神は宗教組織の屋根の下に窮屈に座っている訳ではない。また、宗教の世界に入った人間だけに神の御愛護があるわけではない。宗教を持たなくとも神を感じる人は感じる。当然と言えば当然だが、「神は宗教をつくっていない」と端的に言われると、すぱ~っとする。この言葉に続いて他の例会出席者から「宗教と信仰とは違う」という意見も出た。そうそう。神を感じ神の意志に沿って生きているものは、全て信仰者と言えるのかもしれない。多くの日本人は大体そのように生きて来た。




業界知識 5/24

今回のStella☆ BeatsのコンペはWEB上に公開されたもので、1次審査通過楽曲は近日中にYoutubeに掲載されるようだ。

極秘で新曲募集と言うものもあり、その場合はリリースされるまで内密らしい。FBに1次審査通過発表をしたら、同業者から「ここに投稿して大丈夫ですか」とコメントがあった。この業界をからっきし分かっていない私は、「え、なんで?」となり「いや、大丈夫ならいいんです」と返って来た言葉が良く分からない。気になり、業界通の友人に確認すると、メーカーやプロダクションが絡んでいる場合は、プロモーションの妨げにもなるので、情報解禁まで黙っているらしい。情報解禁になるのは、通常、運営側が公開発表する時。

よって、これからは、私が何をしたとか、その経過報告はこのHP上でも控える事にします。それを知りたくて来られている方は、このような事情なので、御理解下さい。結果だけを報告致します。一斉配信メールも気をつけなければならない。以前にMディレクターからも「(自分の個人的な意見であり)正式な決定ではないのに、なぜメールで公開配信したのですか」と叱られた事がありましたっけ。

ところで今回のコンペ、私には初めての試みだった。以前に、MPJで楽曲募集の案内が頻繁に来るものだから、絶対乗りそうも無い楽曲を試しに送った事がある。作った歌には思い入れもあるから、その歌手が歌っている別曲を聴いて、是非プレゼントをしたいと言う気になれば動けるが、やみくもに提供する気はない。コンペは私向きではないと思っていたが、既に「ママ、どうしよう」を聴いているテレ朝スタッフからの御誘いだったし、Stella☆ Beatsの別曲を聴いた時に、「ママ、どうしよう」に適している声だと思った事が参加した切っ掛けだった。まずは1次審査を通過した事が嬉しい。

教訓も得た。「ライバル」の場合は一人でかけ合い会議にもかけてくれたようだが「都合が悪い」と言う返事だった。タイミングが悪いのかもしれないと浩平君が言ったが、そうなのかもしれない。例えば新曲をリリースしたばかりだとか。今回のように、相手が新曲を探している時に持っていけばいいのだろう。「ライバル」は私が出て歌っても良いじゃないと言うと、ピアニストの淳さんが、「いやだ~、カッコいい人に歌って欲しい!」ですって。(@_@;)




ディレクター その2 5/25

4月2日付のブログ、「ディレクター」に間違いがあった。

他のテレビチャンネルで八代亜紀が再び「舟歌」のエピソードを話していたが、ディレクターではなく、そのレコード会社の社長だったらしい。だよねぇ~。プロデューサなら少しは納得するが、ディレクターに阿久悠まで抑える力があるとはとても考えにくい。一次情報元が間違えると、ややこしくなる。




情報解禁 5/26


Stella☆ Beats提供楽曲1次審査通過者の楽曲がYoutubeに掲載されましたので、そのリンク先を貼り付けました。

下のボタンを押して下さると合計19曲が一つに統合されたYoutubeにリンクされます。自作曲「ママ、どうしよう」はデモ用に全体を2/3に縮めたものです。楽曲提出順に再生されますが、私の曲は締切日に提出、かなり後に現れます。

   




名曲 5/27

「愛溢れさせて」は、どうも名曲なのかもしれない(この人相変わらず幸せな人(^v^))。昨夜、年配の友人に電話口で聴かせると、数秒沈黙の後、「これは、いい歌よ!!!」

やっぱり?と私はニタ~。これまで私が作って来た中でも、実にいい曲だと私自身も思う。簡単に書けた曲と言うのはやはり良いようだ。いじくりまわすと大体人工的になる。

土曜日のお披露目が楽しみ。




タイトル変更 5/28

上で話した友人が「愛溢れさせて」と言うタイトルはどこでも聴くようなタイトルだから違ったタイトルを考えた方がいいと言う。うん、私も少し気になっていたけれど、言われて真剣に考えた。「愛の肌触り」に変更。




スーパーブレイン 5/28

 脳に使われるな   脳を使いこなせ   最高の人生をあきらめない心のパワー


「スーパーブレイン」は内分泌学を専門とする医学博士ティーバック・チョプラとアルツハイマー研究の権威ルドルフ・タンジの共著。脳は受信機。何を受信するか、心。心の動きを脳が受診し、受信された信号は細胞に送られる。

私がこれまで道場でずっと聴かされてきた事を、科学的に論理的に書いている。心を穏やかに幸せな状態に持って行くにはどうしたらいいか、その一つの方法に瞑想が挙げられている。瞑想や座禅も昨日今日生まれたものではなく、何千年の歴史がある。人間の叡智が生み出した精神の鎮静方法だ。鎮静だけではない、自分の限界を超え広がってゆく。事の原因を他に探すのではなく常に内省する。自分の命を躍動させない環境、自分が犠牲になっている、自分を傷つけている、我慢しなければならない相手からは脱出する。

本の中には幾つかのクイズも設けられ、自分の脳が、ベース・ブレインかスーパーブレインかを見分ける。ちなみに私の脳はスーパーブレインに近づいているようだ。2007年にスイッチが入って以来、修行を重ね徐々に今になった。本当に徐々にである。毎日何かの気付きがある。毎日自分の魂の向上を感じる。そのため一人でいても孤独でなくむしろ充実している。なんと言っても、時に神の声を聴く。これがものすごく嬉しい。つながっている安堵、幸せ。必要とされているという認識。迷った時には必ず答えがある。こんな事を言うと多くの人は信じられないだろうが、本当だ。論理を越えた直感力が以前より磨かれている。神の声に非常に敏感になって来た。「あ、来た!」と直ぐに取り入れる。

私は人生で常にそうだったが、過去を懐かしんだ事がない(すまないと思う事は何度もあったが)。常にそれぞれの今がそれまでの過去のどの時期よりも一番良かった。そして今も。決して容易にそのレベルに来た訳ではないが、結果として常により良い今になっている。一人なのだが幸せである。

本の中に面白い話があった。ルドルフが嘘発見器を一本のヤシの木(だったかな?)に括りつけ、否定の発言をどんどんする、やがては伐採するとまで言う。嘘発見器は木の”感情”の揺れを見事に顕したとか。植物の遺伝子と人間の遺伝子は70%同じ、信号送受信が可能なのだろう。花に話しかけるとよく育つと言うが、それもなまじ嘘ではないようだ。

それにしても私が直感で悟り修行で積み重ねて来た事を、科学的に書いていくとこんなに厚い本になる。



一日前 5/29

以前にも書いたが、ライブの日が近づいてくると、やはり緊張しているのか、風邪っぽくなる。その期間が此処のところ縮まった事に少し安堵しているが、ライブ前日の今日少し風邪っぽい。鍼灸で身体を整え、半身浴に浸かりゆっくりしている。このブログを書くためにPCに向かう私の右側では、阪神対西武のセ・パ交流戦が消音のまま放映され、時々ちらっと首をそちらに回す。私は阪神をどきどきしながら応援している。

2013年のコンサート以来18カ月ぶりに来て下さる御夫婦を含め、参加の朗報を下さった方々もいる半面、いつも来て下さる先輩達が3人NGだと言う知らせに悪夢を一瞬見せられたが、他の先輩や仲間が足を運んでくれるという。会の仲間の愛には必ず報いる日が遠からず来るだろう。そう期待したい。

聴いて頂きたい新曲が数曲ある。それらの新曲がどのように受けられるか楽しみだ。皆様のご来場を心からお待ち申し上げております。




パニックの中でライブ終了 5/31

1部と2部の休憩時間に大きな地震。「ライブ中でなくて良かったね」とマスター。そう言われて、確かにライブを中断する必要のなかった事に幸運を思う。だが私には開演前のリハーサル中に起きたパニックが地震によるパニックを上回り、その余波が2部に起きないか、そちらに気を取られていた。

ピアニストは2012年の札幌ライブの時にお手伝いして頂いた土肥弘明さん。レギュラーの淳さんがNGだったのでピンチヒッターで入って頂いた。リハの最初の楽曲「生きてきた証」。最後のDメロが伴奏と合わない。何度やっても合わない。ピアニストと一緒に譜面をなぞる。うわっ、作ってもらったカラオケと違う!(@_@;)。私はカラオケに合わせて練習をしていた。土肥さんが繰り返し音源を聴きながら譜面を書き変えては私が歌ってみる。だが、書き変えるとその先の小節まで合わなくなる。最終的に、私が譜面に合わせて歌うという突然の変更でも行けそうに思えて来た。この結論に確信を持つに至るまでの試行錯誤、1曲のリハに膨大な時間が費やされた。

すると今度は「ライバル」。肝心なメロディーの切り替えの部分の小節にはコードしか書いてない。新しいメロディーに入る切っ掛け、いわゆる”おかず”がない。指定されたコードのメロディーをピアニストが自分の感覚で作るよう指示されるが、この歌の創作やアレンジに関わっていないピアニストが必ずしもオリジナルと同じ伴奏ができるとは限らない。それで譜面をつくる際に音を入れて欲しいと頼んだが、「音源を聴かせてあげて下さい」という。そして当日、譜面だけを頼りに土肥さんの感性で音を入れて行くと、予想した通り拍子抜け、全く歌えない。アレンジャーの指示通り持参した音源を聴いてもらう。時間がかかる。「なぜ譜面に全部書かれていないのですか」と詰問される。それは私が訊きたいのだ!(トホホ)場数を踏んでいる人との違いか、昨年までアレンジをやってくれていた日本ジャズ界トップレベルのピアニストである西さんは当然のごとく全てを譜面に表していた。御自分が演奏者でもあるのでよく理解しているのだろう、それが彼にとっては常識であるようだ。伴奏者がレギュラーなら付き合いが長くなるから、音源を聴いて当日の演奏以外に時間を使い勉強をしてくれるが、当日だけのトラとなるとそうも行かない。それを譜面をつくってもらう際に話したが聴き入れらなかった。譜面と言うのは譜面一つで誰が演奏してもオリジナル通りに演奏できるように書かれると言うのが、安西史孝を含むベテラン中のベテランアレンジャーの常識だったが。。。新しいアレンジャーのやり方に合わせるしかないと口をつぐんだが、案じていた事が名ピアニスト、ベテラン演奏者の土肥さんにさえ起きた。

リハの時間が1時間も延び、開場してまでも続けなければならなかった。幸運にも身内の先輩達が1番乗りをしてくれたので、許されて(?)リハを続けさせて頂いた。

冷や汗が私の背中をたら~っと流れ始める。この不安状態がライブにどう出るか不安が募る。リハが終わっても土肥さんはピアノの前に座ったまま、お手洗いに行く時以外、一瞬たらずとも休憩を取らず、ずっとカラオケ音源と譜面を確認してくれている。私は頭が下がり、イライラしてしまった事のお詫びを心の中でしていた。おかずも無くコードだけが記載されている譜面に、いつかこのような事が起きるかもしれないと予想しながらも、依頼者の当然の権利としてリスク回避を主張し、オリジナルと同じように演奏できる譜面を書くよう断固要求できなかった自分に苛立つ。全てが創作者であり歌っている私に跳ね返ってくる。相手のエゴに触れず相手を納得させるのは、本当に難しい。

土肥さんの人柄で救われたライブだった。1部が終わり「土肥さん、無事に行けましたね」と伝えると、彼の笑みが返ってきた。来場者の方々は皆さん芯から楽しんで下さったようだ。演歌の「いいね」には手拍子も出た。「実にいろいろな歌を書かれ、そして歌えますね」と初めて来られた先輩が言っていた。少し照れたが、元々演歌は好きだ。また、「世間に近づいて」にも手が多く挙がったようだった。この楽曲には私も高く手を挙げる。「世界を君のふるさとに」は依然として人気が高い。この楽曲はしっかりした出口があったら、本当にすごい事になるんじゃないかなと、いつも思わせる。

お店のお客様なのだろう、年配の男性がウナギを召しあがりながら聴いておられた。歌を聴き分ける識別力を持たれているような方だった。ずっと沈黙しておられたが、一言「良かったですよ」とじっくりと言われる。看板を見て初めて店に入って来られたカップルも2部からは真剣にステージに目線を移し、堪能されたように「良かったです!」と聴き始めた時とは全く違った態で満足した様子だった。女性の方はシャンソンの「オルガ」の私の歌唱が一番印象に残ったとか。一つ一つメモを取って聴いて下さる2度目の来場者もいらした。

来場者は決して多くはなかったが、少ない来場者に私のライブがもったいないと言って帰られた方がいらした。嬉しい言葉だ。皆様、お出でくださり、誠に、誠にありがとうございました。このパニックでかなりの緊張があり疲れたが、終わりよければすべてよしである。昨夜はたっぷり2度寝をした。土肥さん、改めて心から感謝申し上げます。土肥さんだから私の焦りを受け流し、ライブ成功へと導いてくれました。またいつか大きな仕事が来た時にお願いする事でお礼に代えさせて頂きます。本当にありがとうございました。




言の葉 6/1

6月。以前にいたマンションのリビングとダイニングの間に、前所有者が作った中庭があり、四季折々に花を咲かせる木々がバランスよく綺麗に植えられていた。この時期にはアジサイの花が上品に咲く。前所有者は大きな商売をしていたようで、苗は庭師が選りすぐったものなのだろう、道端に咲いているアジサイとは見た目の品格が違っていた。花弁も色の出方も上品で、誇り高くそこにあった。6月の名と共にあのアジサイの玉のような花を思い出す。年々1年が短い。

上のブログを多くの方々が読んで下さったようだ。「生きてきた証」と「ライバル」のそれぞれのアレンジャーにも今回の件を知らせてあるので、彼らもこのブログを見に来てくれているといい。依頼人の要望を満たす、これが最重要であり、この最も根本的な姿勢を見失わないよう今後も精進されるよう頑張ってほしい。私の周りで幾つか例があるが、勘違いして”俺様”になり自分をでっかい人物だと思い始めると、下り坂をごろごろ落ちて行く事になる。苦言を呈してくれる人がいたら幸せだが、多くの場合はそのままごろごろ下って行くようだ。30代の才能ある二人のアレンジャーに私が出逢うのは、歌子さんがくれたスケジュールにあった。才能あり、やる気あり、幸運にもまだ”俺様”にはなっていないが勝気の二人がついた強み。天命を素直に運んでいる私に与えられた幸運なのだろう。

来場者の一人からメールが届いた:
  

とてもすばらいいステージありがとうございました。 

大変堪能しました。

前日、風邪気味だと言っていましたので、

少し心配していましたが、私の杞憂におわりました。

 

また、リハのご苦労も感じませんでした。

声の張りも伸びもよく感情移入もばっちりでした。

なによりも言の葉を堪能させていただきました。 

8月4日(火)今から楽しみです。


“言の葉“-「あの人の歌詞、本当にいいねって、娘が言っていました」2013年のコンサート時に頂いた感想だが、娘さんは見た目20代だった。先日のライブ終了後大学OB会の仲間たちとの団らんでも、「歌詞がずしんと来る」とのコメントがあった。中島みゆきと似たアプローチだが、書いているものは全く異なる。

次のライブは、8月4日(火)。これが今年最後のライブになる。その間、何が起きるのだろう。楽しみだ。私個人はまた歌づくりの世界にこもる。




あやまらんか!6/2

「生きてきた証」のアレンじゃー宏樹君にメールを入れると電話が来た。「あやまらんか~!」と言うと、こちらが確認しなかった事を突いてくる。なぬ~!最たる原因が譜面とカラオケ作成の間にずれを作った自分の不注意にある事を認めて誤ろうとせず、こちらに責任を課そうとする。けしからん。「生きてきた証」この1曲の音合わせに10曲分の音合わせ時間を使ったから、「ライバル」の音源確認も時間が惜しまれたのである。君は当日のパニックの起動者だったのである(ガッツ~ん・・・!)。少し攻撃して、誤らせた(がは)。ニタニタした笑い声に混じって、「すみません。本番ですから、大変でしたよね。」修正したカラオケが送られてくる事になった。ま、こんな事を言っているけれど、この日はこう言う日だったのだと思う。だが、本当に運が良かった。ピアニストが土肥さんであった事、歌詞を忘れないよう、書いて来たものを譜面台に乗せて傍に置いた事。この二つのお陰で、ライブ中、心のパニック状態は回避できた。結果、1,2度の閊えはあったが、十分なステージが創れたし、来場者の、恐らく、皆さんが楽しまれて行かれたようだ。終わりよければすべて良しである。

罪滅ぼしに、宏樹君は現在映像音学制作に忙しいが、今週末仕上げで私の別曲アレンジを請け負ってくれる可能性を示唆した。全ていい方向に行っている。




ラブレターは速達で 6/2

意外や、意外。まさかこんな組み合わせで、ノンフィクション作家の馬里邑れいさんから頂いたエピソードを使うとは思いもしなかった。私の「作詞手掛け中」のノートには、楽曲制作を待っている書きなぐり歌詞がうじょうじょと蔓延っている。その一つの塊に手を入れ始めたら、サビの部分にふとあのエピソードが口をついて来た。突然の目線の展開にこの楽曲の作者になろうとしている私が驚いている。Aメロから思考回路を通した直線的な展開にするか、ふと口を突いてくるものをこれは面白いと新しいつながり(論理)、サプライズな展開にするか。後者の面白さ、それを採用する私がこの上も無く面白い(あはは・・・)。さて、1番は作ったが、また、ちらちら右隣りの阪神戦を見ながら、次を考える。しかし、ピッチャーが負うプレッシャーは、すごいねぇ。

で、できあがった。メロディーがこれで良いのかどうか、少し癖のあると言うか個性的メロディーになった。うおっほっほっほ~。




はい。 6/3

 

「どうか自分の心を美しく磨き続けてください」

人生の結果とは、その人が持つ思想・哲学と、熱意と、能力の掛け算だという方程式です。
掛け算ですから、どれか一つがマイナスだと全体がマイナスになってしまいます。ですから、
高い能力のある人が悪い哲学を持つと、能力があればあるほどマイナスが大きくなるのです。

悪い哲学とは、恨み、妬み、虚栄心などを指します。高い能力を持った人が大いなる熱意を
持って仕事に取り組んでいたのに、魔が差してマイナスの哲学を持ってしまったがために没落していった例を私は何度も見てきました。(稲盛和夫、日本医学会総会でのメッセージ)

・・・・・


   
       




身が締まる 6/4

このHPやブログを読んで下さる人が増えている。意外な方々が読んで下さって指摘もされる。びっくりするが、嬉しいような、光栄のような、身が締まる思い。はっ。

中には、このブログだけを読みに玄関を通らず直接リビング(ブログ)に頻繁にアクセスる人もいる。ファンでもなさそうだが・・・ファンでも応援してもなさそうな人がこのブログに頻繁にアクセスされるのは、あまり気持ちのいいものではない。だが、これは公開しているものだから、だれでも閲覧できる。一瞬怖くなり、逃げる方法はないかと策が頭の中を錯綜した。パスワードを設定して閲覧希望者にはHPのメールから申しこんで頂き、パスワードをお渡しするとか。

上に書いた“指摘"は、現在私が最も関係を築きたいと思っている企業からの指摘だったので、過去に遡り、色々な文面を削除した。ごくわずかな私の応援者に向けて書いて来た自由なブログだった(いや、何よりも自分の表現の場としてこのブログを書いて来た)が、これからは気を配らなければならない。

もしかすると、これは、いい兆しなのかも知れない。Mディレクターもこっそりこのブログを読みに来ていた。新しい関係が築かれるかもしれないところからの訪問、私も"注意"対象になったのかも。そう考えると嬉しい。(^v^)。




脳みそが足りない 6/5

「足がつるのはね、脳みそが足りないんです。」

整体用のテーブルにうつ伏せに寝かされている私の呼吸が一瞬止まった。「脳みそが足りない、脳みそが足りない。私の脳みそが足りない・・・・・・・クククク・・・。」うつ伏せにさせられているから私の表情はこの整体師には見えない。だからたっぷり花を咲かせて笑う。声は出さない。この人は自分の言葉がどういう響きを運んでいるのか自覚していないようだ。それがまた、なんともおかしい。

全ての痛みは脳から来る信号、だから脳に酸素を送ってあげる。これがこの整体師のベーシックな考え方。30年近く前、無理なダンスストレッチで坐骨神経痛になり、日常の動作も困難になった事があった。どこに行っても改善されず、人が良いと言うところはとにかく行って試した。ある日、芝居仲間がこの施術院を紹介。軽く体を触るだけなのだが、大分通って確かにダンスが踊れるまでに回復した。久々に思いだし、十数年ぶりに再訪。

相変わらず繁盛している。弟子も多い。10畳程の空間に整体テーブルが4台。大体埋まっている。ひっきりなしに電話が鳴る。予約の電話、そして遠隔治療を求める電話。これは、患者の処まで出かける訳ではなく、電話をかけて来た相手にまるで念を送るかのように整体師は目を閉じて手を動かす。相手の体をイメージし施術しているような手の動きだ。ほんの1,2分程度の動作。それを求めて何本も電話が鳴る。魔術のような奇術のような、「本当かね?}と疑いたくもなるが、それで40年ほど、自閉症やら様々な疾病を緩和してきたようだ。

施術のbefore/afterは頭蓋骨のサイズが異なり、小さくなるらしい。

「脳みそが足りないんです」、彼の施術哲学から来た言葉だろうが、駅までの帰り道、「脳みそが足りない、脳みそが足りない。私の脳みそが足りない」と、私の頭の中でこだまが鳴りやまない。自分の脳みそをイメージして、どの辺が欠けているのかなぁと想像していたら、なんだかおかしくて、楽しくて、駅までの帰り道ずっと笑っていた。このブログを書いている今も。(●^o^●)




家族? 6/6

夜中の12時を回ってしまい、6日になった。だから昨夕。大学地区OB会の総会があった。ゴルフ以来2カ月弱。また皆さんに逢えた事が嬉しい。知らぬ間に新顔が沢山あった半面、古顔がない。どうしているのかなぁ。

お腹が空いていたので、司会者の食事開始の合図とともに私は一番乗り。むしゃむしゃ食べて落ち着いてから談笑。気になっていた人達と会い、言葉を交わす安堵感。やはり人は逢わなければいかん。あって表情を見ていると、すっと物語が見えてくる。様々な気配りも見えてくる。最後の閉会の辞でこの会の仲間との交流を大変楽しみ、退職してもこの会があると言う幸せを語る先輩がいた。この会が自分の宝のようだ。どこに行っても色々な人がいる。波動の合う人が多いところが幸せを創る場所。

仲間。家族に近い温かさを感じる人達を見つける幸せ。私がもし先に大きくなったら、これから芽吹こうとしている後輩たちにその温かさを手渡したいと思う。善い波動が善い波動を生み、引き継ぐ。




録画済み整理 6/8

Hivision Recorderに3ページほど、いつか参考にするだろうと保存して置いたテレビ番組。やっと腰を上げて、この2年間再生する事の無かったものを消去したり、Eテレの「亀田音楽塾」を再生して、もう一度勉強したりしていた。ひょんな事で、「な~んだ!」とコード付が1カ月ほど前に大変よく分かったので、この亀田音楽塾の話がすとんと身体の中に入ってくる。アレンジャーがコードを付けるので、私は勉強しなくとも良いじゃないのと思っていたが、自分がどのように楽曲を持って行きたいか指示を出す上である程度のコード付けは確かに必要だと言う事も、コードの付け方が分かって来ると理解できる。新しい事を学び理解して行く事は実に心弾む。

チャンネルを回すと、BS朝日で3時間に亘る昭和のヒットソング「同窓会コンサート」をやっていた。いや、いや~あべ静江の変貌に一瞬誰だか見当つかず。小川知子や辺見マリは変わらない姿で登場。尾藤イサオも出て来た。彼とは3カ月に亘る地方巡演で一緒だった。「山彦物語」。全く変わっていない。よく生きているのだろうなぁ。ジャグリングで米国を回っていた時に覚えたらしい英語と味わったピーナッツバター。一度ピーナツバターを差し入れしたっけ。苦笑いしていたと後でプロデューサーから聴いた。平成と昭和はやはり違うね。人間も歌も。明治の人間は「昭和について行けない」と言っていたのかもしれないね。

宏樹君が明日仕上げで「オートクライン」のアレンジを送ってくれる事になった。罪滅ぼしでやってくれる感じ(^v^)。これは練習して直ぐにレコーディング、提出しなければいけないところがある。




オークション 6/9

初めてヤフーオークションを利用した。

20年近く使用しているPioneerのDATの動きがいよいよ不安になり始め、2年前の暮れ、Roland R26レコーダを購入した。DATはプロの使うポータブル・レコーダーとして高音質録音ができる。この音に慣れると他のポータブル録音機で録音されたものは聴くに堪えられず、まず歌いたくなくなる。ある日たまたま入ったギター専門店でRoland R26がDATと同じ品質だと店員が勧める。値段がDATの5分の1だが、大衆化して来ると薄型テレビのように桁が違ってくる事もあると思い、近くの音響機器店で購入。店では他の音も入るのでよく聴き分けられないが自宅で聴くと、トホホのホ。2,3回使ってキャビネットの奥にしまったままになった。どうせ使わないものを置いておいても仕方ない。処理したいとヤフオク(ヤフーオークション)を初めて経験。

期限を3日間にしたら、直ぐに落札された。しまった、1週間にして置けばもっと高値がついたかもしれないなんて欲が出たりする(*_*;。結局2,3回使用したR26は1万円分の減価償却費を差し引いて落札された。

初めての経験には、また初めての経験が重なる。落札者の負担を軽減すべく、最安値の宅配BOONを選んだ。嵩はあるが重量が少ない荷物の送料がクロネコで頼む場合のおよそ半分近くになった。そのシステムを使った時の驚き。PC上で宛名他必要情報を記入して申し込むと、QRコードと言うのが発行され、それを印刷して荷物と一緒にコンビニに持って行く。コンビニの端末からこの宅配便サービスを選び、QRコードを読み機にかざすと伝票が出てくる。それを以ってカウンターで494円の送料を支払うと、宛名書き伝票が発行され、それを荷物に貼り付けて終わり。

「このシステムはいつからあったんですか」「私は此処に3年前からいるんですけれど、3年前には既にありました」へえ~、遅れますねぇ。(*_*;

ちなみに、DATは最先端まで巻き戻すと再生を起動させる力がなくなってしまった。気を付けて最先端まで行かせず、一歩手前で止めてそこからレコーディングしたり再生したりしている。どうにかもう少し頑張ってほしい。この製品はかなり前に製造停止。部品さえもないとか。DAT並みの高音質録音機はないようだ。現在はDAWと言って、インターフェースとソフトウェアそしてマイクの3つ揃えで録音するらしい。それをするためには、わたしのPCを買い変えなければならない。PCを見に行ったり、この際Macに代えようかと考えたり、ソフトを比較調査したり、インターフェースはどれがいいのか長い説明を聴きに行ったり、やっぱりマイクも10数万円出してコンデンサーに買い変えなければいけないのか、・・・・ぐうぇ~、考えるのも大儀なのである。DATよ、もうちょっと頑張ってよ。




想う 6/12

田口ランディ―の話を聴きに行ったと少し上で書いた。彼女は仏教やシャーマニズムなど霊的世界に大変関心のある小説家だが、その話し方に自己陶酔した粘っこさを感じ、FBの友人が紹介していた彼女の作品「仏教のコスモロジーを探して」が届いたと図書館から案内が来ると、そのままキャンセル処理を依頼した。が、その受付カウンターで、私の体が硬くなりキャンセルを戸惑う。何だろう、この硬直は。よく見ると、その本は対話集、ならば彼女の粘着性のつよい心の様相に漬けられる事は無く、彼女の相方の話しを読めばいいと、キャンセルを取り消してもらい家まで運んで来た。この本は、チベット仏教を始め、様々な仏教に関わる7人との対話集である。

仏教の世界に関わる7人の写真が掲載されているのだが、見るからに、「え、この人が?」と風通しの悪い淀みをその皮膚の下に感じる人もいる。話を読んでいると、やっぱりねぇ~と、知識ばかりを深めたようで対話者の田口の発言を悉く否定しまくり、自身混沌の中にいるのではないかと思わされるインテリタイプ。話さなくとも仏教とどのように関わって来たかは、顔に顕れるようで、修行を実践してあるレベルの悟りまでに辿り着いた人は、ピ~ンと突きぬけた透き通り感がある(すごいね!)。

インドのマンダラ研究者が田口に期待する次の件に、想う事大なり。

田口:「あなたは人の暗い部分や醜い部分に心合わせ過ぎだ。」「もうそれはおやめになって、あなたの中の霊的なもの、救いの部分を出してもいい時期だからそう言う事をお書きなさい。」と言われます。私の作品は辛い事をえぐり出す作品なのですが、救いを前面に出した時、そこから取り残される人がいるのではないかと思うんです。

立川:ほーっと今度は光の角度から照射するような作品を書かれたらどうでしょう。もう少し違う角度から語れば、それこそ一緒に悩んでいた人が、わっと向こうからこちらを向くような、そう言うことだってあるじゃないですか。

過去の中島みゆきと田口が重なった。これまでこのブログで何度と書いて来たが、みゆきは、悔しさ、恨み、妬み、競争心を赤裸々に書く。それを聴き、過去に自分の心に深く刻まれた記憶が蘇り嗚咽する人もいる。多くの人が隠しておきたい自分の心の闇の部分、誰かに知られたくない恥部を露出する。露出され嗚咽して浄化してゆく。これは、命が息づこうとするための必要な前過程だ。だが、それだけでは、この世は苦しく醜く周りは敵ばかりだ。

私の「ライバル」を聴いた人たちが中島みゆきの楽曲と比較する。使われている言葉のほんの一部が彼女の色を出しているが、内容は対極にある。彼女は「宙船」で、自分が消えるのを待っているような奴に自分の櫓を渡すなと歌う。彼女の歌ではライバルは敵なのだ。私の楽曲「ライバル」では、敵だと思っていたライバルは、実は自分を磨いてくれる”味方”だったと歌う。こいつに負けたくないと思うから自分を磨く。同じ事象に角度を変えて光を照らす。そこに「悩んでいた人達がわっと向こうからこちらを向く」。40代の働き盛りの男たちが“衝撃”だと評した理由はそこにあると想う。

人の内奥に聖なるもの崇高なものを求める魂が誰の中にも存在する。それを求めるのは、人間の奥底に聖なるもの崇高なるものが存在するからだ。それにハッと気付き意識化できる歌を書く人が必要なのだ。自惚れかも知れないが、私はその天命を授かったように想う。

心の完全な鎮静、そこまでの距離はまだ遠いが、私がこれまで気付いた事を、若者たちを始め、多くの人達に伝えていく使命、この対話集を読み終わった時点でしっかりと受け取った。この事を自覚させるために、私はこの本を読まされたのだろう。どんどん書かなければならないと思わせた。多くの人達が今の自分を超える切っ掛けとなる言葉を求めている:「あの人の歌詞、良いね」「言の葉のすばらしさ」「ずしんと来る言葉」

2008年から7年間、なぜ私は一人にさせられていたのか。一人でなければ修行もできなかっただろうし、これほどの本も読まなかっただろうし、これほどの強さを持つ事も無かっただろう。強さとは、様々な意味で“自然”でいられる事だ。今日までの日々、それらをさせられるための日々だった。




そこまで行かなければね 6/15

お釈迦様と悪口男のお話 (FBから)

あるところに、お釈迦様が多くの人たちから尊敬される姿を見て、ひがんでいる男がいました。 

「どうして、あんな男がみんなの尊敬を集めるのだ。いまいましい」男はそう言いながら、お釈迦様をギャフンと言わせるための作戦を練っていました。 
  
ある日、その男は、お釈迦様が毎日、同じ道のりを散歩に出かけていることを知りました。そこで、男は散歩のルートで待ち伏せして、群集の中で口汚くお釈迦さまをののしってやることにしました。
  
「お釈迦の野郎、きっと、おれに悪口を言われたら、汚い言葉で言い返してくるだろう。その様子を人々が見たら、あいつの人気なんて、アッという間に崩れるに違いない」
 
そして、その日が来ました。男は、お釈迦さまの前に立ちはだかって、ひどい言葉を投げかけます。お釈迦さまは、ただ黙って、その男の言葉を聞いておられました。
 
弟子たちはくやしい気持ちで、「あんなひどいことを言わせておいていいのですか?」とお釈迦さまにたずねました。それでも、お釈迦さまは一言も言い返すことなく、黙ってその男の悪態を聞いていました。
 
男は、一方的にお釈迦さまの悪口を言い続けて疲れたのか、しばらく後、その場にへたりこんでしまいました。どんな悪口を言っても、お釈迦さまは一言も言い返さないので、なんだか虚しくなってしまったのです。その様子を見て、お釈迦さまは、静かにその男にたずねました。 
 
「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、その贈り物は一体誰のものだろうか」
  
こう聞かれた男は、突っぱねるように言いました。「そりゃ、言うまでもない。相手が受け取らなかったら贈ろうとした者のものだろう。わかりきったことを聞くな」
 
男はそう答えてからすぐに、「あっ」と気づきました。 
 
お釈迦さまは静かにこう続けられました。「そうだよ。今、あなたは私のことをひどくののしった。でも、私はそのののしりを少しも受け取らなかった。だから、あなたが言ったことはすべて、あなたが受け取ることになるんだよ」
  
~~~~~
妬みによる悪口。ここ5,6年私はその標的になって来た。「あなたの事をいろいろなところで言っているわよ」と人づてに聴いたのが3,4年前。腹が立ち一度は、「人の荒さがしをする自分を分析しなさい!」と本人の心の内容を斬りに出た事がある。だがそれは新しい悪口の材料になった。

ある日、瞑想中にハッと気づいた。なぜこんなに腹立たしくなり、人を大嫌いになるのか。私は彼女の妬みや嫌み、悪口に触れて素通りしなかった。嫌な奴だなぁと感情の奥まで入れてしまったからだ。生きている中でこう言う事は今までもあるにはあったが、いつも逃げて来た。いよいよ逃げられない場所に私も置かれたようだ。

人の行ないは大体習性によるもの。子供ならともかく、変わるには東北大震災並みの心理的な大災害が無い限り、おそらくあり得ない。この彼女の事をヨガのインストラクターに言うと、「ええっ?!完全に乗せられていますね~!こんな事は超えている人だと思っていたのに~!」まだまだよ。釈迦のような対応ができるまでにならなければ、やはり救われないのかね。エネルギーの使い方を間違えてはいけない。素通りする習慣を身に付けよう。

私自身が妬みに根ざして悪口を言う立場に生まれて来なかった事を、本当に幸運に思う。彼女には現生の内に己を超えるが時が来るよう願いたい。




四谷怪談 6/16

演出:森新太郎
主演:内野聖陽、秋山菜津子

観に行く芝居は、会員になっている新国立劇場の出し物である事が多い。京王線の初台にあるが、渋谷のようにごみごみしていないし、中には、オペラ、中、小劇場と3つの劇場があるので、ホワイエが広々として開放感があり、近代建築でありながら木目もある、私にとっては居心地の良いホッとする空間。加えて、国立劇場なので国からの助成金があるのだろう、渋谷の文化村にあるシアターコクーンのおよそ半分のチケット料金で観られる。だからと言って出し物の質が劣る訳では決してない。

今日は、江戸期の作品、鶴屋南北「四谷怪談」を見て来た。私の演劇鑑賞歴は5,6歳の子供の時からだから本当に長い。それでしみじみと思う、日本の芝居は実に面白くなった。本日の演目はエンタテイメント性が高く、最後まで飽きない芝居だった。これまで観て来た歌舞伎の「四谷怪談」とは主人公の伊右衛門の捉え方が違う。良心をひとかけらも持たぬ、根っからの悪人になっている。この極悪非道、女をたぶらかす色男を内野聖陽が見事に演じた。終演後のトークで演出家の森新太郎にそれを訊ねたら、鶴屋南北がどんな視点でこの作品を書いたかそこにスポットを当てたと言う。芝居はどうせ嘘もの。限りなくエンタテイメントにしている。江戸の生活にクラシックの「乙女の祈り」が音楽に使われるのだから。

セットが大胆。白いパネル一つ。それが縦長、横長、または斜めに動く事で、誰の家にいるか、何が起きえているかを表す。新国立劇場では、通常芝居は小劇場を使うが、この演目では中劇場の広い舞台。主演俳優は思いっきり芝居をしていた。楽しかっただろう。




竜、再び 6/18

そう言えば、田口ランディ―の対話集「仏教のコスモロジーを探して」の中に、気になる話があった。田口は米国アリゾナ州に住むアメリカン・インディアンのある女性と親しく、招かれて雨乞いの儀式を見る事になる。40日以上雨の降らない砂漠。名前を記憶しなかったが、ある植物を縒り一つの環を作る。これを二つ用意して、儀式を取り行う場所でたき火を焚き、火の中に投げ入れる。女は「竜を呼ぶ」と言い祝詞のようなものを唱える。まもなく、火の中に投げ入れた環が煙草を吐きだした時に作られる煙の環のようになって空へと昇って行く。環は幾つも幾つも増え空へと昇って行く。やがて空は一面雲に隠され、大雨が地面を叩き始めた。人間が雨を降らす事も出来るのかと田口は驚嘆したらしい。

「小桜姫」でも竜が出て来て雨を降らすと言っている。。。。。人間の5感だけでは捉えられない様々な力がこの宇宙に働いているのだろう。いや、それを含めて宇宙なのだろう。科学の世界ではまずエビデンスを求められる。だが、例えば、ある人が神の声を聞いたと言った場合、その経験が無い人には笑い話でしかない。こういう不思議体験は5感を越えたところのものだからエビデンスは出せない、一個人の体験でしかない。同じ体験をしたものは他者の似たような体験を理解するが。

村上和雄博士が監訳を務めた「スーパーブレイン」の著者ディーパック・チョプラ がある科学者の話をした。その科学者がいつものように神の存在を講義していたところ、別の科学者が声高々にその場で彼の話を笑い草にした「眼に見えない力が働いていると言うが、証明できるのかね。馬鹿らしい。(大体こんな事)」すると、その科学者はすかさず答えた「あなたが自分の眼で見ている事、なぜ見えるのか証明できますか。あなたが見ている物体の電子とあなたの眼の電子とのつながりを証明できますか。」

ここのところNHKBSで臨死体験をレポートしていたが、一人の脳科学者が、「自分が臨死体験をする前までは、そんな話は馬鹿げている思っていたし、色々と言い訳を作りそれは脳のある部分が動いて見えた幻覚だと主張してきた。科学者としての立場を固守するためにね。だが、実際に自分自身が臨死体験をした事で、死後の世界はあると私は信じているのではなく、“知っている”」と言う。

幼い時、キリスト教のバイブルの話をまともに受けいれている人たちがいると言う事が私には信じられなかった。古事記神話も。「小桜姫」も、かつての私ならおとぎ話程度に思っていただろう。小桜姫が語る竜、アメリカン・インディアンが呼ぶ竜、中国古代から(おそらく)語られて来た竜。竜に関し、私たちが知らない真実があるのだろう。

だが、極端に個人的な体験であるだけに、妄想がはなはだしい不思議話、怖~い話は遠慮したい。




まど・みちおの世界 6/18

「ぞうさん、ぞうさん。おはながながいのね。そうよ、かあさんもながいのよ」

この童謡を書いた詩人、まど・みちお。彼は人間を直接歌わない。歌うものは、蚊、ヤギ、ことり、スルメ、トンボ、ヘビ、リンゴ、タンポポ、スイセン、虹、おなら,etc.

なぜ人間を歌わないのだろう。そこにこの詩人に対する私の想像力が働く。詩集を終わりまで読んですぐに最初から全部読み直した。こんな事は初めてだ。人間を歌うなら私もその一人だから何か強烈なものを一つ二つ発見し、そこだけをまた読み返すことはあるが、ずっと都会に住んでいたせいか、他の生き物にあまり興味がない。で、さらーっと流し読み。何も強く印象に残らない。が、何かが心に触れる。放っておいてはならないと。2回目は一つ一つ味わった。

   カが一ぴき    
 

ゆぶねを出て からだを洗っていると
カが一ぴき
ぼくの顔をすれすれにとんでいって
そこにとまった
つるつる すべすべの タイルの壁に

あれ?
おっこちない!

タイルは ほんとうは
ざらざら がさがさび でこぼこなのか
それがカには分かっているのか
ぼくには分からないのに!
      

(蚊の写真が無くて代わりにトンボ)
 
 ああ そのでこぼこの中の
一ばんいかすでこ頭につかまって
カはいま聞いているのかもしれない

ぼくには聞こえないすばらしいコーラスを
ぼくの体からたちのぼる
百千万のゆげのつぶつぶたちの!
 
 
     

蚊ほど私たちに最も親しくも嫌われているものはないかも知れない。夏、窓を開ける時真っ先によぎる不安は蚊のお出まし。高層ビルが立ち並ぶ都会では少なくなったが、まどみちおが生きていた頃は、小さくとも存在感のある生きもの。随分と生活を共にしたのだろう。蚊の詩が一番多かった(^v^)。子供のような「どうして?」の視点に優しい大人の感性の深みを混ぜる作品は、またいつか同じところを読んでみたいと言う気にさせる。



Ambition 6/21


Ambitionは、研究社の大英和辞典で、大望、念願、野心などと訳されている。「少年よ大志を抱け」の大志はこのAmbitionだが、”やる気”もAmbitionと言ってもいいかも知れない。野心と言うと否定的ニュアンスがあるが、それも確かにAmbitionで表される(このように英語と日本語の違いは大きい)。なぜ急に英語になったか、単純に自然な思考の流れ。今の私の状態を表したらこの言葉が相応しいように思った。

昨日の土曜日、テレ朝の3回目のワークショップがあった。事前に提出した楽曲は課題曲ではないのでコメントはないと言う話を聞いていたが、ディレクターが進んで直接コメントを下さった。今回提出したのは2曲だったが、これまで聴かれた楽曲すべてを含めての総評なのだろう、彼の舌からすらすら滑り降りた楽曲のタイトルが、「ライバル」、「いいね」、「Yesterdayを聴いて」だった。トップはなんと言っても「ライバル」らしい。太鼓判を押してくれているような太い芯が通った表情だった。そしてにわかに顔が緩んで「いいね」と続いた。次にほんわりとした表情で「Yesterdayを聴いて」。楽曲のテーマに沿ってそれを語る表情も変わる(^v^)。付け加えて、私はソングライターではなく、シンガーソングライターとしてフル・パッケージで売ればいいと言うコメントも頂いた。だがテレ朝ミュージックはアイドルグループを追いかけるマーケット向けのビジネスをしているので、私にはNG。ビジネス視点のみから捉えたら、これ以上の動きは無いのだろう。

ついでに「ママ、どうしよう」の2次審査の結果を訊ねると、1週間以上前に結果は発表され4曲が選ばれたそうな。そこには残らなかった。4曲の内から1曲が最終的に選ばれるようだ。

レコード会社や事務所に自分をアーティストとしてフルパッケージで売り込む、そのために誰かにアプローチする。これは結構エネルギーのいる事だが、今一動く”熱”が私には十分にない。これまでの成り行きを静かに俯瞰すると、必ず扉は開けられように想う。何度も書いて来たが、私は一度として人生で歌書きになろうと想った事が無い。突然書くようになった、というか、書かされている。テレ朝との出会いにしても、それまでのビクターのディレクターとの密室交流から自らを解放し、私の楽曲を”広場”に出した切っ掛けになった。この意義は大きい。対ひとりではなく、対大勢(組織)であるため、大勢の反応を一度に触れる事ができ楽曲の行方が明瞭になった。付き合いが浅く広いから、さわやかでもある。また、その感性を信頼できる人との出逢いと丁寧なアドバイス、歌書きとしての私を一段高い場所に導いた。これも全て流れに素直に乗ってきた結果だ。

行くべきところにひたすら向かっている。時期が来れば、出口へと誘う人との出会いがある、あちらから来るのか、こちらからアプローチするのか。周りの曲を聴いていても、私の楽曲が出て行くようになっているように想う。静かなAmbition。(●^o^●)




肉食 6/21

以前から肉は好きではなかったが、料理が簡単という事で食していた。大きな仕事がある場合は、身体がスタミナを自然に要求し、焼き肉を食べに行く事もあった。だが、数ヶ月前からインドの伝統医療アユル・ベーダ式に、朝起きて白湯を飲んだり食事中も白湯を飲んだりしていると、肉、アルコール、コーヒーをほとんど摂取しない。頑張ってそうしている訳ではないが、身体が要求しない。もちろん欲しい時もあるので、その場合は抑えないが、白湯の効果はすごいなぁと想う。日本女性に多い便秘に効果抜群だし、脂肪を含め身体に要らないものを白湯でどんどん体外に排出しているように思う。

野菜だけの料理も、最近は健康ブームと言う事もあり、色々出ているようだ。手間がかかり敬遠していたが、どうにかできそうだし、やっている。




クワズイモ 6/24

冗談で付けたような名前、「くわずいも」。昨日ふと新しいプラントを置いてみたくなった。プラントの名前を覚えるなんてまず無いので、記憶のために此処に書いておく。そしてこれまでの場所を新参者に譲り、ベランダに当分置かれる事になったのがオーガスタ。根が張り過ぎて数年前のこぎりで切ったせいか、新しく出てくるものが大きく育たない。昨日の花屋さんの話によると、鋸で切った事では無くて、古い葉の茎の処理の仕方が不適切だったらしい。オーガスタは捨てる訳ではないが、落ち着くまでベランダにいてもらう。

それで新しくやって来たクワズイモは真っ白で細長い陶器のプランターの上でとてもエレガントに”聳えている”。大変気に入っている。細長いので根まで水をしみ込ませるのに3度に分けて水やりをする手間がかかるが、ま、やってみよう。

南向きの太陽がまぶしい方向に置いてあるので、昼間は逆光になってしまう。夜まで待って再度撮ってみた。(^_-)-☆

 


買った昨日は、この上のブログで書いた思考の転換があった日。お祝い。




あるがまま 6/25

今朝、「本当に私たちの人生はあるがままにしかならない」と光が射して来たように想った。自分が決めているように想っているけれど、”私”はないのだろう。大筋、歌子さんが出して来たリーディングのままに私の人生が運ばれているのを見ると、改めてそう思う。細かい事件は、人生を今より高次元に運ぶ手前の気づきに至らせるために、起きる。つまり、腹立つ事も、陰湿な陰口との出会いも、あるべくしてあった事。やはり、「起きる事は全て良い事」なんだぁ~。はあ~(これ、感嘆のためいき)。そう思っていても、渦中にいる時は煮えくりかえるのよね(グツグツ、あつ~う)。

いつかあるがままの人生をそのまま生きるようになると、やがてこうなる:

「彼女、あなたの事をいろいろな処で言っているわよ」
「あ、そう?」

いつそこまで行けるかね? ま、少しづつ行きましょう、ね。(^_-)-☆




本能寺を焼いたのは誰だ 6/28

高校時代の友人から招待を受けフォークソング・コンサートに埼玉戸田文化会館まで行って来た。出演は、あのねのね、海兵隊、あべ静江だったが、初めて見た武田鉄也のステージ、心から爆笑するトークが満載。例えば、

高校の日本史の時間。教室で悪さをする生徒がいて、教師が「誰だ~!」と生徒たちに怒鳴る。名乗り出るものはいない。苛立ちを交えたまま、教師は授業を再開。内容は安土桃山時代。教師が声高にクラスに質問を投げる、「本能寺を焼いたのは誰だ」誰も答えない。ある生徒を名指す。するとその生徒、

「うわ~っ、俺じゃありませ~ん。うわ~っ!」。。。。し~ん。

全ての話がおもしろい。無理な笑いがない。自分たちにはライバル多かったと、彼らの名前を羅列するが、彼らに負けない自分でできる方法で観客を掴む。歌謡曲や演歌は根も葉もない作りばなしだが、フォークソングは日常にある事を歌うと、彼なりの定義。4年前に作ったと言う“新曲”が、なんとも( ^)o(^ )。タイトルは、「そうだ、病院へ行こう」。


そうだ 病院へ行こう
手遅れになるその前に 病院へ行こう。。。。。

糖尿病のxxxさんは爪の色で病気を当てる
心臓病のxxxさんは臨死体験3度している
75歳のxxxさんは四十肩と言われて若返っている

だから病院へ行こう やっぱ病院へ行こう 素敵な仲間が待っている
探せばあるはず 悪いとこ ・・・・

嫁より元気じゃまずいから そうだ病院へ行こう やっぱ病院に行こう 
何処かにあるはず悪いとこ

一人で健康でいるよりも 少しの病気の方が みんなに優しくされるし できる

だから病院へ行こう みんな元気で集まれ 病院へ





久々に旧友たちと 6/30

先週の土曜日は旧友たちと数年ぶりの再会を楽しんだ。中には40年ぶりの人もいた。何も語らずともその姿からどのように生きていたか、そのドラマを感じ取る。わざわざ語る事も無いと黙している人、こちらから訊ねずとも語りだし自分の人生ドラマに眼を潤す人、いろいろだ。「全く変わっていないね」と言う言葉は相手を喜ばすようだ。年老いて見えないという意味が含まれていると取るのだろう。だが、わたしは「変わった~!」と言う言葉が好きだ。「変わった~!」と開けっぴろに言える事は、あの時よりも素敵に生きているという意味合いがある。黙して変わったなぁと思っている時は、発言すれば傷つけるかと遠慮している。

僅か1年だけの付き合いだったが、それでも呼んでくれるこの旧友たちを大変ありがたく思う。