1年弱の間に 2/28 昨年8月以来のレコーディング。上で書いたmusicるに提出する事が差し迫った目的だが、それ以前の昨年4月にレコーディングしたものを部分修正するついでに最初から歌ってみると、昨年とはかなりの違いが見えて自分でも驚いた。色々な要因があるが、今回の場合は、レコーディング・エンジニアが新人だったので、ヘッドフォンに私の声を入れないままスタートさせた事が気付きへと誘った。ヘッドフォンをかけて自分の声を聴きながら歌うと、自分の声が十分に聞こえてくるので、発生自体が弱まるようだ。歌によってはその方が良い場合もあるが、例えば「ママ、どうしよう」のような元気のいい女の子の歌の場合はNOである。ヘッドフォンをしないで歌うと、元気のいい声が出る。 昨夜床暖に寝転がってテレビの音だけを聴いていたら、「ん?やばい、明日はレコーディングなのに」。喉と鼻腔に違和感。直ぐに自己流対策、早めに寝て、起きてから喉鳴らしをしたが、う~ん、快調とは言えないけれど、ま、大丈夫でしょうと、レコーディングに臨んだが、声がしゃがれている。「いいね」ではそれがもろに出た。演歌だからいいか、殿様キングスもいるし、などと自分に言い聞かせたりして。 新しいエンジニアはこの道3年の新人の桜井君。沖縄出身で、顔が平井堅に似ている。よくそう言われるらしい。彼には歌録りをしてもらい、ミキシングはこれまで通り内村君にお願いする。今回も合計20時間以上のレコーディングになるので、経費削減を店長に相談するとこのやり方を提案された。その桜井君も、「いいね」の私の声が違うので、新曲だから声の出し方に試行錯誤しているのかと思った、という(*_*;。 8月にレコーディングをした「ああ、あんた恋しや」もメロディー変更をした部分を含め、半分ほど歌い直し。前回のレコーディング時にレコーディング経費のふくらみに焦って不本意な結果のまま終わらせたところが修正された。自分が持って行きたい場所に持って来れたという感じ。桜井君が、「最後のコーラスからどんどん盛り上がって、僕あの辺大好きです。涙ものですね。」と言うと、私のヘッドフォンに「ぐすっ」と鼻をすする音が聞こえる(笑)。 自分で何がどうなのか、どう修正すればよいのかが分かり、かつ持って行きたい地点にまで自分の歌を持って行けていると言う事が、実にいい。昨年の4月のレコーディングから10カ月、この間の成長である。レコーディングは歌唱力をアップさせる絶好の機会。ライブは一回性で流れるが、こちらは固定されたまま残る。 一度レコーディングしたものを修正できること、シンガーソングライターならではの特権だが、この自由さが、いい。 「いいね」、しゃがれ声で行けるかどうか、再度確認しよう。 昼食後風邪薬を飲み数時間眠った。まだ風邪をひく訳にはいかない。。。。歌う事が本格化して来ると、体調管理は結構大変だろうなぁ。 |
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バタバタ 3/3 雛祭りだが、私は男気分。 「40代50代の男たちが聴いてビビビ~ッとなるアレンジにして」 「・・・・ビビビ~ッだと分かりにくいので、具体的にこう言う曲と言う、参考曲はありますか」 がはははは(●^o^●)・・・そりゃ~そうだわよね~。ビビビ~ッじゃ分からないわよね。「ライバル」のアレンジをしている30代の浩平くん、私に関わると大変だ。私に是非この人に歌って欲しいと言うイメージが無いから、あれでも良いのかなこれでも良いのかなとなり、本音を言うと、「これで行きましょう」と言ってくれる相手の出現を私自身が願っている。だから生命共同体が欲しいんだなぁ。色々と相談できて私になるほどと思わせるアイデアを提供できる人。 今朝、アレンジャーの浩平くんがアイドルに歌わせるようなアレンジを出して来た。これは、2月のワークショップに特別ゲストで現れたヒャダインさんが「ジャニーズに歌わせられる」と言ったからだが、ヒャダインさんはそもそもアイドル向けソングが専門のようだ。だからジャニーズが直ぐに浮かんだのだと思う。アイドルだと、浩平くんも言うように"軽薄”気味になる("軽薄"と言う文字を彼のメールで読んだ時、あ~はははは、なんて楽しいのだろうと私は思った)。”軽薄”なので、彼にも戸惑いがあったのだろう。私も、このアイドル向けアレンジに、あれ~、これでいいのかなぁ、こんな歌い方をされていいのかなぁ、こんな歌い方であの楽曲のメッセージが私が漠然と描いているような伝わり方をするのかなぁと心が揺れ始める。アニメはどう?以前の作曲インストラクターが「ライバル」を聴いた時に言っていた。アニメの中でカッコいいライバルになるようなのは?例えば、「北斗の拳」。そう言ったのは、今日、カラオケを作りに私宅まで来てくれたピアニストの淳さん。 どこに出したら売れると言うよりも、私が誰に聴いて欲しいのか、誰に向かってこの歌を書いたのか、その本来の場所に戻った。するとやはり、最も働き盛りの男たちだ。アイドルじゃない。やっぱりロックで行こうよ!大人の”大人しい”ロック。そしてカッコよく。浩平君のピアノアレンジのカッコよさをそのまま使いたい。 と言う訳で、「ライバル」はロックで行く事になった。カッコいいなぁ。うっひっひ~。 上のレコーディングのミキシングも今日終わり、4曲が終了。10日間ほど間を置いて次の5曲。今週中に新曲2曲のアレンジができて来るが、その後はレコーディングに備えての歌い込み。バタバタしている。 花粉飛んでるの? 3/5 ヨガのクラスに行くと、花粉症でひどい目にあっていると言う人がいた。えっ?花粉飛んでいるの?こんな事を言い出す私に本人も驚いているが、今年は花粉症状の自覚がない。花粉シーズンが始まる1週間前から就寝前に抗アレルギー剤を一錠飲むよう医師から勧められ、それを実行して以来、ここ3年ほどは症状も和らいでいた。だが完全に消えたわけではなく、眼は痒くなり、咳もでるし鼻づまりもあった。 しかし今回は喉のくすぐったさから来る咳や鼻づまりが僅かあるが、花粉症と認識するまでに至らない軽症だったので、今年は花粉が飛んでいないのかと思っていた。で、ネットで調べると、今日は、八王子辺りは「非常に多い」、東京は「多い」になっている。昨年まではマスクをして出かけていたが、今年はマスクをかけずに歩いている。にも拘らず症状が殆ど無い。 だが、昨夕は外出、今朝起きた時、頭が重い。3月3日にびっくりする事があると歌子さんに言われたがその2日後の夜中、多くの人に追いかけられている夢を見たせいかと思ったが、これは花粉症だと過去の記憶から自覚した。しかし、あんなにひどかった花粉症状が此処まで鎮まってくれたかと、うれしい。 最近読んだ本によると、花粉症が完全に治る薬もあるが、それを出してしまうと、日本の耳鼻咽喉科の80%が閉院になるので、そちらを保護するために薬を出さないとか。国の運営も難しい。かつて水虫の薬がそうだった。ひところ、日本では水虫は治らないものとされ、多くの人が苦しんでいたが、米国には退治できる薬がとうに発明されていた。様々な理由をつけて厚生省は許可しなかったが、その後ろには、もしかすると、皮膚科医救済があったのかもしれないね。 ストップ 3/5 書いたブログを読み返していたら、訂正しなければいけないところを見つけた。2月14日のブログで私の楽曲をメディアへ橋渡しをしてくれると言って下さったMPJの主催者に楽曲を送ったことを書いたが、ふと私の中に降って来た考えがあり、その二日後にストップをかけた。初めて生まれた売り込み術。一つ大きな動きがあれば、その後は私が動かずとも、作家を探している人達が私を探してくるだろう。順番が違う。「いいね」が最初だ。「いいね」は部分修正をしてしゃがれ声を除いたが、バック音源に問題がありその修正を待っている。レコーディング・スタジオも忙しい。昨夕スタジオに電話を入れると、内村君は夜9時から今朝6時までレコーディングに関わっていると言う。 向かうべきところに向うよう、様々な事が整ってきているように思う。 出て来て分かる 3/6 「ライバル」のアレンジ選択が結局アイドル系になった。浩平くんが大人向きロックを出してくれたが、突然面白みが欠けた。出されたものが前にあって判断ができるのが私。修正も1,2回と前もって念を押されているので(*_*;、やばい。で、二つを比べて面白いのはアイドル系。これなら間奏の間にステージでどんな動きがあるのか想像もできる。この歌を聴いて、歌いたいと思ってくれる大人の歌手がいたなら、彼らが好きなようにアレンジをすればいいのかもしれない。 もう一つ、アイドル系だと、ヒャダインさんも言ったように、直ぐにジャニーズと言う具合に提供する相手がはっきりしている。大人のロック歌手となると、これから探さなければいけないし、彼らはだいたい自分たちで作っている。 柔軟に考えられる私っていいなぁ。(^v^) ジャニーズ 3/6 今日、テレビをつけた途端、画面に出て来たのがジャニーズだった。私が知っているのはあおい輝彦や飯野おさみなどがいた初代ジャニーズ。調べたところ、ジャニーズ事務所からはSMAPや嵐も出たが、ジャニーズと云う名前を継いだのは、昨年4月にデビューしたジャニーズWESTらしい。テレビ画面にはジャニーズjrも出ていた(ジャニーズjrは本当に可愛い幼い男の子達)。 実はテレビをつける前にピアニストの淳さんからメールが入っていて、中島みゆきの「宙船」と言う楽曲をジャニーズが歌っていることを知らせて来た。さっそくYoutubeで確認すると、バックミュージックに歌詞だけが映されている。その歌詞を読んでいると「ライバル」とつながるところがあり、「この楽曲を歌うグループなら『ライバル』も合う」と、アイドル系のアレンジで正解だとアレンジャーにメールをして一息ついてのテレビだった。 必要なものが必要な時に現れる。ここ5、6年ずっとそうだったように思う。初めてジャニーズだと認識したうえで彼らの歌を聴き、動きを見ていた。「ライバル」を歌う彼らがイメージでき、「ライバル」はジャニーズに歌わせられると言ったヒャダインさんを、さすがだと思った。 良い方向に動いている。 次は、「いいね」。ひとりで動こうかと思ったが、多くの方々に関わって頂き、それに伴う様々な事を共有した方がより楽しく活気も出るように思う。4月まで待とう。私の楽曲に興味を持って下さる人達が動いてくれるだろう。 おばさんは。。。。3/8 区の新庁舎落成イベント、ミュージカルのお手伝いをする事になった。昨年の11月からリハーサルをしていたらしい。おばさんが沢山いるかと思っていたのだが。。。なんと私だけ。 ちょちょちょっと、待って下さい。いくらなんでも異質です。突然コーラスだけに出てくるおばさん。まわりは10代20代。一番目立って客席からの視線は恐らく私に向けられるでしょう。私が観客だったら、やはりそうです「あの人なんなのだろう」って。で、辞退した。その代わり受付のお手伝いをさせて頂く事に。関わる事で何か面白い事につながるような気がするので、まずはそちらで。演出家も、今回は受付、次回にお願いしますと言う。分かります。若い子ならともかく、おばさんで舞台に出て何かができると言う人はそういない。演出家もこの縁を大事にしたいのだろうと思います。次は次の機会にお話ししましょう。ますは受付の仕事を楽しませて頂きます。 昨日初めて稽古場を覗いた。通し稽古をしていたが、悪くなかった。正直言って予想よりずっと良かった。素人を集めているのかと思ったが、演出家は児童劇団東俳で教えているらしく、子供たちもこの劇団から引っ張ってきたようだ。主人公の女の子(役柄の名前は「琴」)の純な芝居、頭であれやこれや考えずストレートにして説得力のある芝居に目が奪われた。間の取り方も絶品。この子を見るだけでも行く価値があるかも。3月14日と15日土日、有楽町線東池袋から直結「あうるすぽっと」で上演される。 きゃ~、すてき~ 3/10 「きゃ~、すてき~!」 黄色い歓声を上げる女の子達の声が聞こえるようだ。昨日9日、浩平くんから「ライバル」のデモ用アレンジの完成版が送られて来た。上の歓声は私の声でもあった。書いた曲がこのように様変わりをするのかと、もうルンルン、テンション上がりっぱなし。これに私の声を入れて提出するのだが、その練習をしていると、動きたくなる。いつか作家の私がゲストで招かれて、ジャニーズとステージで歌って踊っている気分になり、鏡の前でいろいろやっている(うわっはっはっは~)。 デモ用のアレンジをしてもらうのは初めて。これまではピアノをバックに1曲をスル―で歌い、それを聴いてもらっていたが、デモ用の場合は様々な楽器を鳴らし大体ワンハーフとなるらしい。ワンハーフって・・・?同じメロディーは省くことのよう。歌は、1番、2番、そして最後の聴かせどころのサビで通常構成される。この内同じメロディーになる2番を外して、1番とサビだけにするのをワンハーフと言うらしい。 で、このワンハーフだけにしてもらったが、「ライバル」の場合は、メロディーが4つ、Dメロがある(通常はA,B,Cメロの3つのメロディー)。浩平くんが見事にこれらのメロディーをつなげ、4分10秒の楽曲を2分50秒に組み立ててくれた。すごい!今週金曜日がレコーディング。楽しみ。(●^o^●) 有名人になると 3/10 大分前に読んだが、勝間和代が書いた「有名人になるということ」と言う本がある。有名人になることのメリットとリスクが分析されているのだが、数日前ひとり大笑いしたFacebookでの投稿にそのリスクを思った。これは、東大医学部教授の矢作直樹氏のページ上の話。 氏のページには様々な方が投稿しているが、だいたい氏の著作を読んだ感想やら彼が関心を抱かれた別の人の投稿が紹介されている。時には彼自身の私的行動も綴られる。「人は死なない」を出されて一夜にして有名人になられたので、友達申請も多い。申請されてきた方々は、恐らく、全員承認されているのだろう。 彼のページは、Facebook上では、言わば聖域。ご両親の月次墓参り、神社仏閣訪問、決して美しいとは思えないご自分が撮られた風景写真(だが、それを褒めている人がいる。なんとも・・・)、「寿命とはこの世で魂を磨く期間です」とサブタイトルが書かれてある著作を紹介する他者による写真入り投稿などなど・・・その聖域に突然侵入する奇妙な投稿がある。ヘドロを触った時の”きも~い”感覚を思い出させる言葉と写真。その投稿には「投稿したものがいつも消されている」と訴えが書かれてある。消せるのは投稿した本人か投稿された人。”きもい”のが自分のページに勝手に投稿されたらかなわない。自分のページが汚されている感じもする。私も以前に勝手に投稿されて自分の事業宣伝をする人がいたので、そのような投稿は事前許可を受けてくれるよう本人に直接メッセージを送った事がある。矢作氏は無言でその奇妙な投稿を削除されていたのだろう。だが、消された事がどういう意味なのか感じとる感性を投稿者が持たず、「いつも消されている」と訴える。さぁ、どうしよう、既にこの投稿を読んでいる人達もいる。これは有名人になったことのリスク。人にどう思われるかを考えなければいけない。品定めもこっそりされてしまう。矢作氏ご本人を含め、氏の心を察する人達が、氏を助けるように、投稿を続ける・・・きもい投稿はどんどん下へ押しやられ、やがて画面から消える。 そしてこの聖域が復旧するのだが、数日前、イタリア在住の日本人が、5台並列に並ぶジェットコースターに乗って騒ぐ人たちの動画を投稿した。この動画が氏の著作となんらかのつながりがあるのかと、最後まで見てしまうと、なにもない。ただ、「このジェットコースター、さてどこの国でしょう」とクイズごとき言葉が書かれるいる。墓参りと神社仏閣訪問、そして氏を讃える投稿ばかりの聖域に、突如ジェットコースター「きゃ~きゃ~!」その投稿に矢作氏の「いいね」クリックの印もない。私は笑いを爆発させた。矢作氏の思いも想像しながら。 一度有名人になってしまったらそのリスクは生涯持たせられるという。確かに、有名人になるとメリットも多いと思うが、リスクもある。言いたいことを言えない、したい事ができない。場合によっては常にサングラスをかけて歩かなければいけない。 矢作直樹氏のFacebookページに載せられた他者の投稿に、空気を読めない人がいる事の愉快さ面白さも一緒に楽しんだ。色々な人がいて、実にこの世はおもしろい。 アイドル歌手 3/11 夕方7時、NHKのニュースを聴こうかとテレビを点けると、BSが先に画面に映った。氷川きよしが歌っている。「本当にいい声だなぁ~」と、初めてずっと聴いていた。これまで彼に歌詞を提供してきた作詞家とのエピソードや、股旅演歌でデビューし3年で終わりだと周りが話すのが聞こえ胃が痛くなったと言う話など、デビュー15年に至る経緯を語る。その作詞家も3年前に亡くなり、最新曲は作詞なかにしれい、作曲平尾昌明。この組み合わせで作られる歌、突然雰囲気が変わる。素晴らしい歌唱力を持っているから、氷川きよしは何でも歌えちゃう。 そして8時からは、同じチャンネルで少年倶楽部。ジャニーズWESTが出ている。少年グループが幾つも出ているが、それぞれの個性をどのように作っていくか、その個性に見合う楽曲探しは常に行われているだろう。ジャニーズWESTが歌う幾つかの曲は、SMAPと変わらない。少年一人一人の顔を見ながら、様々な思いを抱いた。ヒットする曲は、聴いていてすぐに分かるものだ。詞が覚えやすいメロディーに乗ってすっと入って来る。「ライバル」?誰が歌うかによるが、聴いたメディアの人達が全員言っていたように、ヒットする曲だと思う。 試練の2曲 3/12 「別れてありがとう」のアレンジが完成し数日前井川宏樹君から送られて来た。最初はイントロを聴いてびっくり、懐かしい歌謡曲。「斎藤和義の”歌うたいのバラット”みたいな雰囲気を思っていたんだけれどなぁ~」と言ったら、「えっ?(私の楽曲は)全然違いますよ」って、電話の向こうで独特の笑いをしている。私は彼のその笑いを読む。この笑いがあると、「あ、ダメなんだ、何かがおかしいんだぁ」と気付かせてくれる。この「別れてありがとう」を最初に送った時、「どう?」「あははは」となった。ずっと考えた、何が変なのだろうと。そしてアレンジの草稿が送られて来て、最初から最後まで流した時、「なにこれ?」と私の方がびっくりした。 直ぐに彼に電話をし「あの笑いの意味が分かったけれど、何ではっきりおかしいと言ってくれなかったの」と言うと、「いや、変だというより、不思議な曲だなぁと思ったんです」「ちょっと待って、直ぐに練り直すから」と2回ほど投げて、完成。Dメロが長くてCメロより際立ってしまっているので、Dメロの半分をCメロに乗せた。それでCメロがCメロらしく聴かせどころになったが、それに合わせて、歌詞もいじる。いじっている内、どうもタイトルは、「別れてありがとう」ではなく、「場所」にした方がいいのかなぁと思い始めた。 レコーディングに備えて何度も歌っていると、このイントロも悪くない、大人の雰囲気と切なさを思わせる。 今日は「かみさまとのやくそく」のイメージが出来上がって来た。シンプルだが、おしゃれ。アレンジ待ちややり直しの楽曲が溜まり、手持ちのアレンジャーでは間に合わず初めてお願いしたアレンジャーだったが、仕事のプロセスが他の二人と違い、戸惑った。丁寧過ぎて、恐縮。この手のアレンジ料は小遣いほどにしかならない金額なのに、コード確認、全体確認、音色確認と、確認段階がいくつもあり(ふつうは1回だけ)、かかる時間がものすごい。通常は1-3日ほどで完成形のイメージが出来上がって来るアレンジに1カ月以上かかっている。1週間かかって出来上がったのはコードだけ。小遣にしかならない私の楽曲のアレンジに1カ月フルに費やしているほど暇ではないと思うが、途中で不安と後悔が入り混じった。やっと形になって来たものは、垢ぬけていて気に入ったが、まだ修正が必要。1カ月たってもまだ完成に至らない。じっと忍耐。私のチャレンジだ。 昨年一応完成させたが、今一何かが足りないと思っていた曲がある。「僕は神様じゃない」と「両手をひろげて」。どうにか完成にこぎつけたかなぁ。新たにアレンジもやり直さなければならない。曲作りがよく分かったので、昨年6月までに作った曲を全て見直し、徐々に作り直すつもり。今度のインストラクターは”きちんと”しているようだ。ご本人がアレンジもしていると言うのがやはりいい。 明日はレコーディング、声を労わって早寝です。 こだわる 3/13 どこまでこだわるか、こだわれるか、結構こちらのしぶとさを必要とする。 自分の美意識に照らし合わせて、その作品の目的から許容範囲を自分の中で設定する。今日4曲のレコーディングを終えた。2月の終わりに以前レコーディングしたものでメロディーや歌詞を変えたものを歌い直したが、その内の1曲がまだ納得いかず、本日再レコーディング。「ああ、あんた恋しや」だが、これには特別時間がかかった。エンジニアには、私自身が私の歌い方の何が不満なのか全くわからないので、やり直し要求を機械のように受容してくれているが、声が外に出る場所が統一されていなければ歌い直す。歌い直しをしてテイクが重なると、今度はつなぎが滑らかでない。幾度のトライの後に、最初から歌い直す。お陰で喉が疲れたようだ。だが、結局、最初のテイクがよさそう。CDを作っている訳ではないから、これでいいか、と妥協する。 今日は楽しい男演歌の「いいね」もバック音源を入れ直して完成。上々の仕上がりになった、と思う(^v^)。「ああ、あんた恋しや」は最後のメロディーを部分的に変えて感情の高まりをより濃く表現できた。なかでも極めつけは、やはり「ライバル」。このバックには他の楽曲のピアノだけの演奏と異なり、様々な楽器が鳴って派手に動いている。初めてこの楽曲を聴くエンジニアの桜井君は「カッコいいですね」、内村君は「こんなに変わるんですね」と浩平君のアレンジをベタ褒め。私も嬉しい。 レコーディングしたものをどの機器で聴くかで、聞こえ方が違う。家に持ってくると「こんな筈では・・・」と思ったりする。だがヘッドフォンをかけて聴くと、Good。私の声もやっと聞けるレベルまで来たなぁと思う。よう、やったね、と自分を褒めているし、また感心している。「君よく頑張るね」と。 その他にも「世間に近づいて」と「太陽は照り雲は流れる」のレコーディングを終了。 レコーディングは来週の金曜日にも続く。童謡の「かみさまとのやくそく」、男の人生歌「生きてきた証」、そしてもうひとつ「別れてありがとう」(タイトルはやはりまだ決めかねている)。 レコーディングは歌が上達する最短の策。また1週間、歌い続けるだろう。 まだこだわる 3/14 ミュージカル「ソメイの愛」の受付を手伝いながら、空いた時間に家に帰り、昨日レコーディングした「ライバル」をもう一度聴きなおした。私のキーでのレコーディングなので張り上げた歌になっているが、1音落して穏やかな感じにした方がいいのかもしれないと、来週再レコーディングしようと思う。迷った時には、躊躇せずに行動する。 伝達 3/14 2月7日のワークショップで頂いた評価については、このHPやFacebook上の投稿で伝え、HPもFBもご覧にならない数人の方々には個人的にお知らせしている。確定した時には皆さんに同時にお知らせします。その日はそんなに遠くないと思うのだけれど(あはは・・・(●^o^●))。 大人の世界 3/15 大人の世界と言うのは、色々仕掛けがありますね。ミュージカル「ソメイの愛」のチラシに区の新庁舎落成記念とあったので、区のイベントかとお手伝いを申し出たのだが、差にあらず。色々と区のご支援を頂きたい主催者が、これを新庁舎落成記念としたようだ。当日会場で受付を手伝うまで、私は知らなかった。 受付で手伝う人達は私以外は皆、ミュージカルに出演している子供たちの母親。このやり方は・・・・思い出した。これと似た音楽劇に私はギャラを頂いて特別ゲストで出演した事がある。今回の団体はNPOだが、以前出演した団体はNGOの名の下でやっていた・・・・そう言うことだったのか。 私は物販係として準備をしていると、突然主催者が団体の名前が入ったTシャツを持って来て、「(スタッフの)皆さんがおそろいのTシャツを着ていると良いでしょ?買って下さい」と言って来た。え、えっ?・・・ドッキ~ん。丁度主催者に背を向けてグッツを並べていた私の背中がひや~っとした。信じられない言葉だった。無料報酬でお手伝いしている人達に、その無料報酬への感謝の印としてプレゼントするのではなく、「買って下さい」。たった一度の面識で買わされるかもしれない恐怖と、どのように拒否しようかと、私の頭の中はもがいていた。もし拒否せずに”いい人”だと思われたいと買ってしまったら、私は後で絶対自己嫌悪に陥るだろう。以前NGO団体の作品に出演した時に耳にした話を記憶している。母親やおばあちゃん達の出費が大変らしい。この「ソメイの愛」では、お母さんたちは45枚のノルマを捌けなければ自己負担。「買って下さい」の言葉は宙に浮いたまま消えた。お母さん達は無視したようだ。 「買って下さい」「無料報酬している人に無料で差し上げて良いのでは?」と言わずにいられなかった私に、「みんな無料報酬ですよ」と主催者が返して来た。どのように生きて来られたかその姿が彷彿とし、私の中に哀しさと受け入れられない彼女の世界が同居した。一言助言をすれば良かった:買って欲しいのなら、買いたいと思わせるTシャツを作ったら? こういう団体をこれで3つ知ったが、興味深いのは主催者は全員女性で、どこか似ている。違いは、この「ソメイの愛」の舞台には、私が以前に参加したNGO団体の作品にはない、いいものを乗せたいという関係者の志が覗ける。脚本も書ける人に書いてもらい、音楽もこの舞台用の曲をきちんと専門家に書いてもらっている。 このお手伝いにどんな意味があって、「あ、手伝おう」と私は思わせられたのだろう。帰途に着きながらひとつふたつ思いついた事もあるが、きっと、後でもっと思いつくだろう。 想像力に期待 3/16 「ライバル」のアレンジャーの浩平くんに相談すると、今回レコーディング時に選んだ私のキーで歌う「ライバル」のサビが張り上げた歌い方でも、想像力のあるディレクターならそれをどのように使うか考えられると言って来た。ミキシング・エンジニアの内村君も、「制作の方ってすごい人ばかりなので大丈夫ですよ」と言う。そうかぁ・・・そうだよね、だって今までもバックはピアノ一本だけれど、私の歌でメディアの6人が期待以上の評価をしてくれたのだものね。では、これは触らない事にしよう。 週明けに送りますと言っていた宏樹君からの「生きてきた証」がまだ届いていない。彼はWEBデザインの会社に勤めながら、その能力を買われ町おこしの小規模映画音楽を作っている30代。遊びたいし、仕事はあるし、引き受けちゃったしで、大変だろうとは思うが、本人も言うようにお尻をひっぱたかなければなかなか取りかからない(だが、始めたら早い)。で、最近の私は遠慮なくプッシュする。彼は自ら1月末を納期にして私のオーダーを3つも受けたが、3曲目のアレンジ終了が今日までと延びた。私もその間他にやる事があったので、それでも良かったのだが、今回はレコーディングを今週末に設定しているから、これ以上の延ばしは受け付けられない。本人も会社を立ち上げて、友人と共同経営で音楽事業に本格的に乗り出したいようだが、まだ構想とガッツが固まらないのだろう。きちんとしたものは出してくるので作品に不満はないが、納期の厳守を見張る役目も私が負わなければならない。 浩平くんは完全に独立起業のオーナー。音楽事業を立ち上げた同じく30代。仕事の受け入れ段階で彼から納期をきちんと訊いて来るし、互いに決めた納期までには必ず仕上げてくる。 「かみさまとのやくそく」が完成して送られて来た。1-3日で通常出来上がって来る最終イメージに1カ月以上かかり、やっとでき上がって来たものは、おしゃれでかつ音がものすごくいい。出来上がりの余りの遅さに、ほとんど匙を投げている状態であったが、自分に忍耐を強いて良かったと思う。浩平君も宏樹君も手一杯状態なので新しい所にチャレンジしたが、今後新しいところにお願いする場合は、完成版の納期を確認する事を怠らない、という勉強もさせてもらった。ありがとうございます。 「生きてきた証」3/16 宏樹君から夜10時過ぎにTELあり。仕上がりは明後日だという。いつもよりアレンジに手こずっているそうな。分かる。この楽曲のアレンジは間の取り方に色々と工夫しなければならない。彼のアレンジは大体一発で決まるが、万一手直しが必要になったら、レコーディング前の練習時間がない。スタジオのキャンセルは既にキャンセル料金が発生する時期に入っている。 「(「生きてきた証」は)フォークソングっぽくなります。さだまさしとか吉田拓郎のような。いいですか」ピッタリカンカン。それで良い。この歌は60代以上の方々向けの楽曲。彼らが青春時代に聴いた歌を彷彿させるものでありたい。楽しみだ。 別れ 3/17 今朝ふと思った。いつ思ったのか何を思ったのか記録のために書いておこう。 2つの魂の間に、別れはあって当たり前。魂は独自の個性と独自の人生の地図を持たされて生まれて来る。地図を頼りに旅する途中で誰かに出会う。行き先が同じところまで一緒。出会った時、それぞれの魂がその生長のどの辺にいたか、それによって惹きあう相手が異なる。個性も異なるし持たされた地図も異なれば、別れがあって当然だ。 特定のひとりの人の生涯にずっと連れ添い合うことこそ、不思議な事かもしれない。それができるのは、子供やら孫やら嫁やら婿やら他の魂が沢山介在し、共通の行き先が生まれから。 別れに特別な感情を付帯させるのは、もしかすると社会の共通感情に染まるからかもしれない。 去るものに感謝せよ。用足りて去る。空いた場所に新しきよきものが来る。 「生きてきた証」#2 3/19 昨日の朝に送られて来た「生きてきた証」に修正をかけて、今朝送られて来たものは~~~~~Bravo~いい~!なんか、私、最近いい曲ばかり作っているような気がする(あ~はははは~)。 私はもともと行動力があるが、ここ6,7年の間により果敢になり、物おじせずに直ぐにアクションを起こすようになった。ふと来たら直ぐに行動する。ふと来たものに無心になって行動する。楽曲に関しても同じで、できたらすぐにアレンジャーに送る。だが、その後新たな思いつきが生まれ細かいアイデアが二転三転し、その度にアレンジャーにメールを送る。彼らのパソコンに私からのメールや修正ファイルが押し寄せる。私に関わる時間が多すぎて相手もたまったもんじゃない。他の仕事だってある。で、「意見をまとめて書いて下さいませんか」と言われたが、最近はあちらも私の扱い方が分かったのか、直ぐに反応せず、待つ。いよいよメールが来なくなったなぁと思った処で最後のメールから読んで行く(ようだ)(*_*;。(がはは・・・) 今回の「生きてきた証」は数回送り直された譜面の最終稿を見過ごし、最終二つ前の譜面でアレンジが行われた。それでやり直し。宏樹君のバツの悪そうな笑いに言葉が乗る、「見ていませんでした。」内心私の方も「すんまへん」。 人との”いい付き合い”ってコクがあり、何とも良いなぁと思う。こうやって相手の癖と言うか傾向を読み、それに寄り添って対応していく。攻撃や批判ではなく、寄り添う。もちろん、私も相手に寄り添うとしているが、どちらかと言うと私の周りの人が私に寄り添ってくれているような気がする。僅かでも個別対応ができるようになっていくのは、何か自分の内部の豊かさを養っているようにさえ思えてくる。 浩平君もそうだが、宏樹君に出会って本当に良かった。伸縮性と弾力性のある筋肉を心に感じる。色々話したわけではないが、電話で話している限り考え方が健全だ。当然だが、アレンジ一つにもその人が顕れる。彼の伸び伸びした心の筋肉をそのアレンジに感じる。 ~~~~~ 数字にすると 随分長く生きて来たようです 振り返れば後悔する事も 色々あります 心の時間は 遠い昔に直ぐに飛んでゆきます 冷や汗出るような若気のいたりも 数々あります 世界を一人で背負い歩くような でっかい態度を見せ 俺はあいつとは違うと 見え張り突っ張り生きていたっけ・・・・ (「生きてきた証」から) ~~~~~ さあ、これで明日のレコーディング曲は勢ぞろいした。 「生きてきた証」 「かみさまとのやくそく」 「別れてありがとう」 いよいよワークショップに提出する楽曲が揃う。ワクワク、そしてドキドキする。 準備完了 3/20 レコーディング予定曲がすべて完了したわけではないが、ワークショップに提出する曲はこれですべて揃った。
すべてそろって聴いていると、ニタニタしてしまう。それぞれの余りの違いと面白さに。そして自分でもびっくりするのだけれど、各曲歌い方も声も違う(あ~楽しや(●^o^●))。早速ファイルを圧縮して大事に保存して置いたワークショップ参加合格案内メールに貼り付けられてあるサイトにアップロードした。後は、祈るだけ。 今日レコーディングしたのは、上の「かみさまとのやくそく」と最新曲「別れてありがとう」だが、「別れてありがとう」を歌う自分の声に、惚れぼれしちゃった(あははは・・・)。いい声だなぁと自分の声に初めて感嘆。せめて此処まで来れたらいいなぁと思っていたところに来たような気がする。ここ2か月レコーディングの準備でずっと歌い続けていたせいもあるが、いやはや、私でさえも此処まで来れたんですから、ホント、やってやれない事はないですね。それと、「別れてありがとう」は斎藤和義の「歌うたいのバラット」をライブに来られる方からリクエストされ、何回も何回も練習した後に作った楽曲なものだから、なんとなく似ているところがある。桑田佳祐の歌に陽水が「あれ?」と一瞬出てくるくらい。これまでの私の楽曲にないきゅきゅっとした叫びがあるのも気に入っている。私が作る楽曲、随分変わったなぁ。歌らしくなった。メロディーも面白くなったからかも。 以前に演歌の「輪廻の華」を宇都宮でタクシーの運転手さんに聴いて頂いていたら、「曲が淡々としているね。歌詞が良いよ」と言われた。ライブでも余り印象に残らないようだった。歌詞が面白いだけに惜しい。だが作曲インストラクターを変えた事で、私の作曲も新しいステージに進んだ。”淡々”なものを修正する事も出来るようになった。どう面白くするか、それを考えるのも面白く楽しい。今後の進展をみながら、これまで書いた楽曲をほとんど全て修正してアレンジのやり直しをしたいと思う。やる事が山とあるように思えたが、修正を始めて一つ一つ片付いて行くと、どうにかやれそうな気がしている。 それと、2010年に出した初CD「美しい日々だけを連れて」の評価は右と左にはっきりと別れる。あれは楽曲自体はいいはずだが、CD作りが初めての身にはスタッフの意見に頼るしかなく、結果テンポが速すぎて言葉を入れるのに忙しく、また、歌い方にもきめ細やかさが欠けていた。遠慮して歌い直しを主張できなかったという大変悔しい思いの残った作品になってしまった。スタッフの中には作曲は分かっても歌や声の分かる人はいなかった。それで、あのCDを購入して下さる方々に対し常に不安を抱いていたのだが、そこで思いついたのが、今の歌唱力でテンポを下げてレコーディングしたものを一緒に添えて受け取って頂くという事。before/afterが分かり、面白く思って下さるかも知れない。元のアレンジャーの処でテンポ落としができず、スタジオで機械的に落したため、バックの音質がやや落ちるが、内村君がどうにかぎりぎりに抑えてくれたようだ。それで今日はその歌録りも終えた。 着々と向かっている。 「恋歌」 3/21 久々にしっとりした恋愛ものを読んだ。期限が決まっていた仕事を終え、凝り固まった肩を鍼とマッサージで解し、「輪廻の華」のメロディーをいじった後、中断していた小説を一気に読んだ。随分長い間忘れていたような(笑)胸がキューンとなる感覚。書評が良かったので読んだが、味わい深かった。朝井まかての直木賞受賞作「恋歌」。樋口一葉や三宅花圃の師匠である明治の歌人中島歌子の生涯の小説化。小説は2重構造で展開されて行く。花圃が見つけた師の君歌子の手記(過去)、それを読む花圃(現在)。歌子の生涯に読者の心が痛みで締め付けられる所で、ページは花圃の現在に変わる。それは、読者を締め付けから解放する。終わり方にはサプライズがあり、最初から最後まで飽きの来ないプロットのしっかりした作品だった。 尊王攘夷運動の急先鋒だった水戸藩の天狗党、その闘士林以徳に嫁いだ登世が後の中島歌子。やがて天狗党は暴走し水戸藩には天狗党と諸生党の内乱が広がる。諸生党が優勢となり天狗党の妻女は投牢される。出牢を許されると同時に登世は脱藩しいつか以徳に逢えるだろうと江戸に出るが、夫はとうに斬首されていた。時勢が変わり天狗党が回帰すると諸生党への逆襲が始まる。諸生党の党首市川家の唯一生き残った娘(同名、登世)は復讐を目的に歌人歌子に女中として仕える。復習が復讐を呼ぶが、子供のいない歌子は遺書に女中の登世の男児を養子に迎え、家産を全て渡すことを文書にして残す。復讐劇が終わる。歌子の臨終の場ににいた花圃は、突然歌子の顔が笑みで表情を変えた事に気付く。花圃は思う:恐らく歌子の夫以徳が迎えに来たのだろう、そして歌子は家産を全て市川の末裔に渡した事を報告したのだろうと。 登世(歌子)は、夫が戦場に向かう時に詠んだ自分の歌が余りにも拙かった事を恥じ、和歌の道に進むが、彼女が晩年詠んだ歌が、なんとも・・・・。 君にこそ恋しきふしは習ひつれ さらば忘るることもをしへよ (恋する事を教えたのはあなたなのだから、どうかお願いです、忘れ方も教えて下さい) このような思いを抱く関係をつくることは、なんともいいけれども、しんどいね(●^o^●)。だが、夫婦と言う安心と安全の上に成り立つ関係は実にいいものだと思う。深いコクがある。 それにしても小説家の仕事と言うのはすごい。膨大な調査、プロットや言葉の面白さの工夫、長い長い物語の執筆、忍耐。。。。ただ脱帽。長編小説を書く作家の中には、読者を信じていない人もいて記憶を蘇らせようと話を繰り返す人がいるが、「恋歌」にはそれが無く読者の心を躓かせない。 パクリ 3/23 アイドル系の作詞作曲で超売れっ子のヒャダインが「作曲はパクリから始まる」と言ったが、今日録画しておいたSOUNG TO SOULでエリック・クラプトンの世界規模の大ヒット曲「レイラ」がやはりパクリから始まったと聞いて、驚きと共に笑った。パクッたところは歌のメロディーだが、それをあの個性的な前奏のメロディーにした。 私も、BS放送で紹介されているブロードウェイのミュージカルやこのSOUNG TO SOULからパクル事がある。前奏の1,2小節を聴いたら同じ旋律で歌詞付きで歌が口から滑りだしたり。だが、多くの場合は、流されている曲を聴きながら勝手に歌う。でたらめな歌詞を付けて歌っていると、曲はどんどん乖離して全く別の曲が生まれる。 考えてみれば、私たちの生活でパクリが無いものはない。アップルの創始者スティーブ・ジョブズが言っているように、私たちが何かを創作/創造する時は、先人達が作ったものを盗んで創る。一時は、ふと出て来たメロディーに「これ誰かが歌っていないかなぁ」とわざわざメロディー検索ソフトを使って調べたりしたが、そんな事をする必要など全く無い。確かにどんどん作っていけば良い。だが、可笑しなことがあった。感じ良いが何処かで誰かが使ったメロディーではないかとインストラクターに確認すると、曲名はもう忘れてしまったが、有名なクラシックの曲の一部だった。 今の私には、テレビのない生活は考えられない。歌を作る人達はきっと皆そうだろうと思う。テレビで話す人達の言葉が歌詞になったり、上で言うように、あちらのヒットソングやミュージカルから作曲のヒントをもらったりする。そう言う事もあるが、何よりも面白い話を聞ける。私はトーク番組が好きだ。ひとりの人間が常に面白い話を持っているという事はあり得ないが、番組には選りすぐりの人達が登場するから、それぞれの面白い話を聞ける。つまり名曲ぞろいである。日曜日夕方6時スタートの「久米書店」、水曜日夜10時スタートの「関口宏の人生の詩」は欠かさず見ている。特に久米書店の店長、久米宏のパーソナリティーと博識そしてそこに登場する様々な作家たちの話は本当に面白い。これまでもこのブログで紹介したい話があったが、実行されずにある。 譜面台 3/23 アマゾンに注文した譜面台が届いた。今まで使っていたものは三脚の一つが曲がり、立たせても不安定になった。これまで何度か倒してしまったからだろう、”もったいない”心を起こさせる事もないほど、譜面を乗せるところのバランスも悪くなり買い換える事にした。届いたものは三脚がより太くしっかりしている上、譜面台の調節ネジがより手前に付いているので使いやすく、値段も手ごろ。真っ白なキャビネットと黒のコンポを背景に置く、色はやはり黒。 これまでのものを捨てられる、それが私は好きだ。これまでも一つ一つ壊れたり欠けたり用足りて捨てるたびに別の何かに満たされていくような感覚があった。過去の生活とのつながりが一つ一つ消えてゆく。どちらかと言うと居住空間はすっきり素敵にしている私は、足りて使わず、だが捨てられずに置いてある過去の生活から持参した食器がまだわんさかあるのが気になっている。次の引っ越しまでにほとんど全部壊れてくれるよう願っているのだが。 いそいそとマンションの地下のゴミ集積場に古い譜面台を置いてきた。譜面台の買い替えには食器が壊れて行くのとは違う思いがある。譜面台は当時も私のためだけにあったが、それを買った時まさか今のように私の生命のほとんど必需品になるとは夢想わず。あの時既にここに至る道が作られていたのだろうね。ただ見えなかっただけ。 新しい譜面台を立てて、譜面ファイルを置くと、すっぽり抱きかかえてくれる。「さあ、やりなさい。しっかりと見守るから」とでも言っているように。細いながら凛として立っている。これから沢山沢山喜びが運ばれてくるように思う。色々な人達と出会う気配もする。 「シベリア鉄道一人旅」 3/24 大学の後輩が漫画を書きそれが出版された。お祝いに一冊買い求め昨日一気に読んだ。ほんわか、温かく、楽しく、構成もしっかりしていて、何だか嬉しくなった。漫画家の知り合いがいると言うだけでも楽しみが増えたような気さえする。彼女と逢ったのは大学のOB会だったが、逢った時からシベリア鉄道で旅行したことを言っていた。その旅行の話になると、その時の時間の豊かさがまだ心の中を隙間なく埋めているようで、話したくてたまらない様子だった。私は内心クスクス笑っていた。私にもよく分かるからだ。外国への旅は私の考え方を大きく変えて来た。どんどん自分が広がる、人間が見えてくるし、社会が見えてくる。これまで縛られていた常識のようなものが覆され、視点が全く変わって来る。そう、旅の目的は新しい視点を持つこと。それには一人旅が一番いい。彼女の旅行記を漫画で読みながら、私も自分のソ連旅行を思い返した。 1985年、米国留学生活で頑張った自分へのご褒美に、かねてから行きたかったソ連に行った。ゴルバチョフ政権時。ニューヨーク発のパック旅行だったが、私は途中から旅行会社の旅程に参加せず、一人別行動を取った。一人で動いたからこそ、忘れられない思い出がいくつもある。レーニングラードでは芝居を見に行き、ホテルへの帰り道が分からず劇場のチケット売り場で訊ねると、大きなお尻をしたおばさんが出て来て「お出で!」とニコニコと私の手をがっつり掴みロビーに連れてゆく。そして大きな声で「誰か、この子をXXXホテルまで連れて行ってくれない?」直ぐに手を挙げてくれた人がいた。男性で職業は医者だという。芝居を見に来るほどの人だから変なのはいないが、紳士的にホテルまでエスコートしてくれた。外国への往来が自由にできなかった時代、ソ連圏外から来た人と話を沢山したかったのだろう、彼はずっとロシア語で話しっぱなし。段々私は頭が疲れて来た。不慣れな外国語を理解しようと言う事は大変な事なのだ。「明日また逢えますか」と聞くから、「いいえ、ロシア語での会話は大変なので」と昔取ったなんとやらで、頭の中で懸命に単語を探して言うと、「いや大丈夫だよ、君が言っていることはよく分かるよ。問題ないよ」。そうじゃない「私が大変なんです」と返すと、笑って諦めてくれた。外国人用のゴージャスなホテル。一般ロシア人は入れない。彼は中に入りたかったのだろう。私がいるので一緒に入り、バーで少しの時間を一緒に過ごしたが、その時ソ連の色々な事を話してくれた。 数時間だけバレエスタジオを見学したり、11月下旬の冬の空の下、ソ連の当時の娯楽は観劇が主だったが、前衛芝居のチケットを買うために足の指先をブーツの中で動かして温めながら長蛇の列に並んだ。少しの間列を離れて戻ってきた青年がウォッカの匂いをさせていた。後ろの女性は、英語の練習をしたいようで、ずっと私に話していた。共産圏だけれど、一般人は米国への憧れが強い。オデッセでは、リビアからの学生たちと合流し彼らの友人のウクライナ人のアパートまで行ったり、一緒にダンスをしたり。 最も忘れないエピソードは、モスクワでボリショイ劇場演劇学校に忍び込んだ時だ。前方から攻めてくる雪の粒から顔をかばいながら歩いていると、ふと右側の建物の表札が目に入った、「ボリショイ劇場演劇学校」。これは覗かない手はない。私は米国にいたので、米国の大学生活の習慣をそのまま実践し、勝手にドアを開けて中に入った。すぐ目の前に受付の女性がいたが、私と目を合わせて何か言いたげ。とっさに知恵が働き、米国で芝居をやっているものだが、こちらの学校を見学に来たので、授業を見せて欲しいと伝えた。ま、嘘ではない。相手もまさか全くの部外者が突然来ると思っていないので、何か約束でもあると思ったのだろうか、私に教室を指差した。米国では誰が入ってきても大体気にしない。大きな教室ならなおさら。 ところがである。 一つのクラスを廊下からガラス越しに見ると、生徒が二人演技をしているようだ。二人の中年の教師風の男性がそれを見ている。私の好奇心がすっごく騒ぎだす。教室に入るドアは前と後ろにひとつづつ。もちろん前から入ったら目立ち過ぎる。私は後ろのドアを開けてそっと入った。すると教室内の学生達がガヤガヤ横向いたり後ろ向いたり、教師の顔を見たり、やがて立ち始めた。”来賓”の私がいるからだ。きゃ~。どうしよう~~~わなわなわな・・・びっくりして一度外に出た。だがやっぱり授業を見たい。もう一度入った。また学生たちが立とうとする。すると教師が「座っていなさい」と皆に指示した。一人の教師がすっと立ち、私に振り向き笑みを投げて言う、「部屋を間違えているかも知れませんよ。受付でお話し下さい(きっとそうんなことを言ったのだろうと思う)。」ほっ、助かったぁ~。私も空気が違うので部屋から抜けたかったのである。受付に行くとあの彼女がまだいて話をすると、なんと彼女は英語をペラペラ話すではないか。私は「役者のための動きのクラスがあるならそれを見学させてくれないか」と希望を申し出ると、担当の教師に聴いて連絡をするから後でまた来いという。 翌日、再び演劇学校を訪問する事になった。なんと、私のために受付の女性が通訳を買って出て教師が言う事を傍で英語にしてくれる。また授業は来賓室で行われた。まるで今東光なみ(彼は英語が堪能でなかったから、機内で渡された入国書類に職業CARDINAL(枢機卿)と書いたら、南米かどこかの到着地でレッドカーペットが彼を待っていた、うわっはっは~とラジオで昔話していた事がある)。授業が終わると、教師が突然何を言い出したか!米国でしている事を見せてくれないか。ギョギョギョッ、私何も準備していない。即席で何を見せたらいいだろうかと頭の中が猛烈に回転し始めた。なんとも。。。私は米国の恥さらしをしたかもしれない。やれやれやっと部屋から出て来て緊張がほぐれ始めたら、今度は学生たちが十数人私を囲んだ。ハリウッドに出た事ある?ハリウッドってどんなところ?今夜、寮に来て話してくれない?米国から来た演劇関係者となれば、あちらは直ぐにハリウッドになる訳だ。確かに私もハリウッドの最古劇団に客演として出ていたことはあるけれど、あなたたちが想像しているのはそこじゃないでしょう。寮に行くとは言ったが、考えても話すことはないなぁと、行かなかった。「アメリカ人は当てにならない」とでも思ったかもしれない。ごめんね。 後輩の漫画を読みながら羨ましいところがあった。彼女はずっと鉄道で旅をしている。私は飛行機だ。11月下旬のソ連の空に何が見える?昭和のど真ん中でお世話になったあの重たい掛け布団のなかに閉じ込められたぼてぼての綿の塊。それが雲と言う名に代えて隙間なく眼下を覆っているようだった。 モスクワからシベリア鉄道で北京入り、また北京からウズベキスタン、カザフスタン、中東を経てヨーロッパに入る。後輩はすごい旅をしたものだ。一時イタリアから日本に帰国した時ロシアの上空を飛びながら、「この下にシベリア鉄道で知り合ったロシア人たちがいるんだなぁ」と懐かしい気持ちになったとか。そう世界を旅していると、特に一人旅をして現地の人達と交わっていると、人間は一つだと気付くようになる。国境はないのだと。それで彼女に、私の自作曲、「世界を君のふるさとに」の音源を送った。散歩しながら聴いてくれたようで、「この曲は私のテーマソングだと勝手に思っています」と喜んでくれた。 やはり、旅は一人がいい。人と出会う事が目的なら絶対一人が良い。後輩も言う:一人で行くのは、世界にちっぽけな自分一人が立っている感じがして、好きです。さみしさ、嬉しさ、いろんな感情を含めて、一人旅が好きです。そう、何かを期待する旅であればなおさら、旅は一人が良い。 もう一つ、一人旅は自分の”できる”をもっと大きくする。 もう一つの記憶 3/26 ソ連旅行の思い出を書いた後に、もう一つ絶対忘れない記憶がある事を思い出した。 オデッセでリビアからソ連に留学していた学生たちと親しくなって、彼らの友人のウクライナ人のアパートに行った時のことだ。私は少し近視なのだが、そのアパートの白い壁に黒い斑点があちらこちらに付いていた。汚れているのかなぁと見るとはなしに見ていたら、「あれ?」気のせいか、黒い斑点が動いたように見えた。なんだろうと近寄ると・・・ぎゃぁ~~~~~~~~~ぎゃぁ~~~~~~ゴキブリの子供がわんさか壁を這いあがっていたのだ。ぎゃぁ~-----叫びながら私は自分の周りに円を描いて周っていた。自分の体の上をゴキブリが這い上がって来たようなウズウズ感。私の余りの悲鳴にびっくりしたようで、皆一斉に視線を私に移した。誰も一緒に騒ぐ人は無く、声無く笑っていた。アパートの住人が笑いながら、「いくら殺虫剤をまいてもだめなのよ」と言う。建物は築120年以上にもなるという。わなわなわな・・・・・ 11月下旬、レーニングラードもモスクワも雪一色だったが、オデッセに雪は無かった。 Zumba 3/26 明日、きっと私は、「あたたた・・・」と重い身体を引きづっているだろう。今日はヨガの後に、久々にZumbaを1時間踊った。ラテン音楽が鳴る。踊る、踊る。腰をくねらせる、手を流し科を作る。久々に見る紅潮し汗だくの自分の顔。ジャクジーへと廊下を歩くと膝が既にぶるぶると震えていた。 昨日は家でずっと本を読んでいた、「小桜姫物語」。霊界通信。恐いぞ~、ではない。信じない人は信じないし、それで良いと思う。最近私は、夢も現実の一部だなぁと思うようになった。夢って、現実に起きる事を先に教えてくれたりするし、やはりこれは前世で私がやっていた事なのだろうなぁ、幼い時から自分のあるイメージがたびたび訪れていた。別に気にしないでいたが、そのイメージ通りの人生になっている。それは決して私の意識圏の中にあって、私がそう願っている姿ではなく、ふとどこからともなく降ってくる。つまり、私はずっと役者でいる事がもっとも私に合っていると思っていたのだが、歌って踊っている私がイメージとなって何度も私に訪れていた。ふっと出てすぐに消える。そして実際そのイメージが現在現象化している。こう言う事は恐らく多くの人に起きていると思うが、ふと見えて直ぐに消えるから、本人も気がつかないでいる事が多いと思う。また、本人にしか見えないから、他(ひと)にその真実を説得できない。何せ、人間の行動は95%無意識圏からの信号によるものらしい。考えてみると、寝たい、食べたい、その他の生理的欲求はふと来るのだものね。寝ている時も呼吸を始め、全ての内臓の働きは人間がさあ動いてくれよと意識圏で祈って動かしているのではなく、勝手に無意識のうちに働いてくれている。 で、殆ど外に出なかったのでマンションの階段をエレベータを使わず降りたり上がったり、そして今日は少し頑張って動いた。「輪廻の華」の作り直しもどうにか終わり、”淡々”から抜け出られたかなぁ。 「小桜姫物語」 3/29 2日前の金曜日から、私は近くの産生神様にお参りを始めた。これは、上で触れた「小桜姫物語」を読んで、その中に書かれてあることを確かめるため。 小桜姫は足利時代、夫が北条氏との戦いに敗れ城を枕に自害した後、北条一族に対する恨み、憎しみ、悔しさを募らせ30代にしてこの世を去る。まずは幽界で執着心を取り除くための修行から始まり、徐々に霊性を高め、400年霊界で修業を積んだ後、彼女の死を忍んで建立された神社に神の遣い手として降りる。その小桜姫との交信記録が「小桜姫物語」である。 そんなおとぎ話を本気にするとは、とお考えの方もいるかもしれない。私は幼いころ少女マンガが大好きだったので、かつてならそんな世界にいる自分を空想して楽しんでいたかもしれないが、今は、それを事実だと思えるようになった。これまで眉唾ものとして人が言うのを流し聴きしていたような事が(天啓や念の通信など)、私に繰り返し起きると考え方が変わって来る。このブログでも何度も触れて来た東大病院救急医療部長でおられる矢作直樹氏の著書に、死んでいく人達が突然楽しそうな顔をする、糸がぷつんと切れたような感触があると書かれてあるが、小桜姫も同じ事を言う。彼女が伝える事、つまり霊界通信は強ち嘘言とは思えない。 神社に舞い降りた小桜姫が言う「神社に来られて願掛けをされる方々の願いは全て上の神様に伝えられ、善き事なら叶えられる」。だが、この”善き事”がミソ。関係者全てにとって善き事であり、社会にとっても、大きく言えば人類にとっても善き事である。全然勉強をしていないのに一流大学合格を祈願しても、それは本人にとって善き事にあらずである。 私の願、それは全てにとって善き事(そう信じている)。神社の力を確かめたいと、この1週間参る事にした。 いまさら 3/31 今週末次のワークショップが開催される。此処で称賛されたからと言って、そのまま次の展開があるとは限らないけれど、やはり期待してしまう。渾身の曲を送るよう指示されたが、どういう基準で見るのか、はっきり言って分からない。好きな曲、面白い曲、勝手にこれは行けそうかなと思うものを提出しているけれど、専門家が何を聴きたいのか私にはまだ分かっていない。 とにかく5曲を提出した。5曲も出してしまって顰蹙を買ったかと気になり事務局に電話をすると、気にする必要は全く無かったらしい。窓口担当者も当然聴いていると思い、今回私自身の一押し「いいね」に触れたら、「そうですか、ではもう一度聴いてみますね」と言う($・・)/~~~。演歌なのでアピールしなかったのかな?気になり、音源を出して聴いてみる。殿様キングスとまではいかないけれど、ちょっと品を下げた歌い方にしている。これはまずかったかなぁ、もっと自然に歌った方が良かったかなぁ・・・今さら悔やんでも仕方が無いのに・・・。でも、ま、いいでしょう。それで良いんだわ。そのように歌おうと思ったのだから、その時の思いを私自身が尊重しなければ。 「楽曲はいつ必要になって使われるか分かりませんので」と、担当者が続ける。期待しよう。いい楽曲を書いている限り、必ず何処かと御縁があるはずだ。 そうじゃない 4/1 ワークショップは、あくまでもワークショップである。ここではより良い楽曲を作るため、歌づくりの先輩から教えをたまわるのだ。私は何を考えている。こら!と考え直したら、ドキドキの心は失せて、ワクワクだけになった。事前質問を求めるメールにも3つの質問を書いて既に送った。一番聴きたいことをものすごく信頼できる人たちから聴けるのだ。考え方を切り替えられる、なんと幸せな事か。 昨夜メディアへの橋渡しを進んで提供してくれているMPJの主催者から「いいね」の音源を送って欲しいと言われ、彼のコメントは、「いい歌だが、長い」。たまたま彼のところに来ていた音楽仲間と3人で聴いてくれていたらしい。他の二人が言った事も彼が伝えてくれたが、実は、昨日再度デモを聴いた時に、あれ、こんな筈じゃなかったのにと思うところがあったが、それをそのまま感じていたらしい。長い、これも実はこの歌ができた時、アレンジャーの宏樹君が言いかけて引っ込めた事だった。 みんな、実に的を突き、頷ける事を言ってくれるなぁと、彼らの感性が嬉しく、また感謝した。短縮するには構成を変更しなければならない。ワークショップでの講師のコメントが待ち遠しい。それに合わせて「いいね」の構成を変更し、「ライバル」と同じレベルまでクオリティーを上げよう。この歌は大きくなる可能性を秘めている。 こまったな 4/1 私のコーラス仲間だった人達が一人二人と去っていく。原因?う~ん、みんな奥さんがいるからね、奥さんたちが御主人と私とのコラボを不安がっているようだ。 最初は2010年のリサイタルの後、ご自分でも趣味でバンドを持ち音楽的にも大変頼れた仲間が最初に離れた。リサイタル当日に奥様と初めてお逢いし、ご主人から色々聞いて想像していたよりも素敵な人だと思ったが、「しずさんが女房のライバルになってしまった」と、その後は一切私のリサイタルに関われなくなった。彼のピンチヒッターに2011年は彼のバンド仲間に入ってもらったが、こちらはもっとすごかった(*_*;。当日会場の一番前に座って、ライトが漏れて本人の顔がまる見えなのに、「貴女どきなさいよ、あなたを観に来たんじゃないわ、私は主人を観に来たのよ!ふん!」と言わんばかりの態度だった。びっくりした私は、彼女を絶対見ないようにステージを進めた。前例があったので、代わりを探す様になるなぁと、そのコーラス仲間の親しい友人に事情を話すと、その友人が彼に私の話を告げてくれたようだ。自分がやりたい事を自由にできない、そんな事が色々あったようで、間もなく二人は離婚した。離婚に向かっている時に友人から伝え聞いた私の話を彼が彼女に言ったのだろう、その後間もなくして偶然すれ違った彼女に声をかけると、その時の事情を懸命に”説明”していた。 そして最後の一人。彼は2010年から私がコーラスを必要とする時は常に参加してくれていた最も頼りになる仲間だ。ギター演奏もできるし、譜面も読める。私の手間要らずでどんどん進んでくれる。また、コーラスとしての声も申し分が無い。2013年、他の二人がNG、また小さなコンサートだった事もあり、たった一人で参加してくれたが、それだけに彼の奥様も気になり始めたようだ。前例があるだけに、危惧する事は一切ないと伝えたが、気になりだしたら、こちらでいくら説明をしても不安は解消されないようだ。 こまったな。今年のどこかでコーラスを入れてまたお祭りをしようかと思ったのだが、全く想像だにしていなかった状況になって行く。個人的には、彼らの奥さんたちも一緒に仲良くやって行きたかったのだが。これも、又、新しい段階への移行なのだろうね。 肥えたかな 4/2 前回ワークショップから2カ月間、大体いつも家に閉じこもり仕事をしていたので、2キロほど体重が増え、なかなか戻らない。歌づくりの世界とは、家に長期閉じこもる仕事なのだと改めて思った。それプラス、レコーディングは10曲まとめてやったので、大仕事だった。100歩も歩いていない日も何度かあったように思う。これまで贅肉をあまり気にした事のない私だったが、こりゃ、大変だと、毎日ウブスマの神様参りをしている。往復3,4千歩の距離である。1万歩には程遠い。 で、今日久々にゴルフをハーフ回ってきた。今月中旬に大学地区OBゴルフコンペがあり、私に負けない事を必須課題にしている先輩の挑戦を受けて立たなければならないお役がある。上には上の優勝争いがあるがどんべにはどんべなりの争いがある(^v^)。グロスでブービー狙いか(ぎゃはは・・・)。練習しておかなければと行ったのだが、なんともひどい!スイングを少し変えて試しながらやった事もあるが、最初のホールでいきなりボールが右に急角度を付けて飛び、隣のホールとの境を作っているネットを支える鉄棒に「こちん」と大きな音を立てて何処かに消えてしまった。午後2時半頃のスタート、順番を待っている人は誰もいない。一人で周る事になったのだが、いきなりこの調子。ゴルフバックにはボールが2つしかない。絶対ボールが間に合わなくなるだろうと、受付に事情を言ってロストボールを請うと、うっすら苦笑しながら3個渡してくれた。 そのロストボールも全部消えた(はぁ~)。そしてティーさえも。まだ3ホールしかやっていないのに(とほほ・・・このまま帰る事になるのかなぁ、そんなの嫌だなぁ)。どうにか探し出した一つのボールを大事に扱おうと、慎重にクラブを振るようにした。そして前のチームに追いついて、話しかけて来られた御婦人に、これまでの途中経過をおしゃべりしていると、期せずして御自分のボール取り出し「使って」と言う。え、そう言うつもりで言ったのでは・・・するともう1個またプレゼント。内心、ほっ! 4ホール目から少しづつゴルフらしくなってきたかな。久々によく歩いた。しかし、もうちょっと練習しておかねば。同時に付いた2キロを落せればいいな。 ディレクター 4/2 レコード会社のディレクターって相当の力を持っているんだぁ~。 先日BSのどこかの番組で、八代亜紀が「舟歌」の歌詞を書いた阿久悠のエピソードを話していた。八代亜紀が次に歌う歌を阿久悠が書く事になり、様々な愛の歌を持参したらしい。持参しても持参しても「違います」とディレクターに返される。いよいよ阿久悠も腹が立って来た(ま、そうだろうなぁ)。恐らく、ディレクターの方もどんな歌か欲しいのかはっきりしたイメージはないけれど、出て来たものをみて、これじゃないと思うのだろう。で、色々やっている内に「男が歌う愛の歌」を女の八代亜紀に歌わせるとなったらしい。そして書いたのが「舟歌」だとか。 天下の阿久悠もレコード会社のディレクターの一存でYes/Noが言い渡されるんだぁ~。もう一つやはりレコード会社のディレクターのYesをひたすら待つ話を何処かで聴いた。こういう話を聴いて私の頭の中でリンクしているのはずっと関わってくれたMディレクターだが・・・「(彼の)プロジェクトに新曲が必要かどうか、明日会議がありますので、追って、ご報告します」と2月18日のメールに書いて来たっきり。こちらもひたすら待つのかしら。 一枚頂いて 4/4
NY様 4/4 何か申し上げなければいけないのだろう、また言われる事を期待されているのだろうと思いますので、少しだけ書きますね。 私のブログに書かれてあります事を御著書の素材にされた事、びっくりしました。光栄ともありがたいとも思いませんが、御縁と驚きを感じております。恐らく私に叱られるとお思いになったかもしれませんね。はい、正直申し上げて、そんな事を私が気付いていないとでも思っているのかと、腹立たしく思った時間もありましたが、落ち着きますと「ああ、御縁だなぁ」とその御縁に感謝致しました。お互いの念が放って作りだされた御縁なのでしょう。紋切り型で誰でもが口にする言葉を読んでは、「あ~この方は普通の人なんだ」と思った次第です。こちらの気が緩みます。 生きる姿勢は似ておるようでございますので、今後ともこの御縁をありがたく、温存して参りたいと思います。好き勝手に書いておりますが、これからも楽しみに私のHPをお訪ねください。 (^_-)-☆しずこ ワークショップ第2段 4/4 この日のためにいろいろ準備をして来たのだが、お二人の作家に聴いて頂けるのは課題曲1曲だけとなった。渾身の曲として別途送らせて頂いた曲はスタッフがワークショップとは別枠で聴いて下さるらしい。 Stella☆Beatsという少女グループが歌う楽曲が課題曲だったが、2013年に作った「ママ、どうしよう」を送ると、とても化けるワクワクする曲だけれど、16分音符の遊びが欲しいと言われた。「化ける」この言葉を聴いたのはこれで2回目、印象的だ。でもなぜよく使われるのだろうと思っていたら、分科会のような小グループ質疑応答時間に、「いい曲はロックにも、Jpopにも何にでも化けられる」と言われた。は~そう言う意味なんだぁ。 今回参加者から提出された楽曲の中には、そのまま受け入れられるものが無かったようで、これから1カ月の間に新たに挑戦して欲しいという話だった。 「ママ、どうしよう」を作ったのが2年前なので、この楽曲に対する私の情熱は少し薄くなっているが、今は来た提案にはすべて答えて行こうと思う。動いているものに乗る。 わかった~! 4/5 上で書いた「遊びが欲しい」と言うコメントがとてもよく分かった。な~るほど~、確かに此処に数小節、主軸から離れた遊びがあると面白い。初恋で彼の事ばかり考えている少女のため息なり、なにか。グループ別質疑応答の時間に直接伺うと、メロディーにならない16分音符とだけ言われよく分からなかった。概して作曲家と言うのは感性で動いているので、想いを言葉で十分に伝えられない事がある。その類かと困ったなぁと思っていたが、昨夕譜面を出して見ている私の中で既に私が私に語りかけていた。メロディーにならない16分音符。私の言葉では、”セリフ”であるが、恐らくその事だろう。はっきりしたメロディーでなく、少女の心の中のもがきを表すもの。そうするともっとリアル感がでて面白くなる。 渡されたコメントは具体的でとてもいい。曲作りが、もっともっと分かってきたように思う。作り始めた最初の頃は、昔の歌謡曲のように3番まで同じメロディー、同じ構成だったが、「ライバル」から変わって行った。これはただ歌詞を表現しようとしたら、4つのメロディー構成になっただけ。テクニックがあって、それに準じようとしたわけではなく、必要があって4つのメロディーになった。要するに最近の歌づくりは構成がもっと自由になったという事なのかも。 うわ、うわ、うわ 4/6 わたし、完全に分かったと思う(ああ、天真爛漫なしずこさんよ)。面白い曲とはどんなものか、そしてそれをつくる方法。ヒントは、上で書いた「ママ、どうしよう」に対するコメントに応えようとして見つけた私の努力、と言うか思い付き!セリフを入れたりするのは、よくやる事だがこの楽曲については入れずとも十分に面白いと思った、が3コーラス前の間奏でセリフを入れると確かに、3コーラス目で歌われる少女の変化につながって行ける。 私の自作曲「ライバル」が、なぜ何人ものメディアの方々や作家から高い評価を頂いたのか。私の他の楽曲同様、言いたい言葉に合わせて曲作りをしただけなのだが。楽曲を再度頭の中で描いてみると、そうか~となった。聴いている人を飽きさせない。飽きさせない「ライバル」はどのように作られているか、自作曲を分析する。分かったぞ~。 その”分かった”を、アレンジも終ったがまだダメと思っていた「僕は神様じゃない」に使ってみたら、それまで欲しいと思っていたユーモアが具わった。やったぜ~(と私は思う)。箸やすめ的な役から脇になれるかも。 「ママ、どうしよう」はセリフを入れてアレンジ変更。浩平君のスケジュールがびっしり埋まっているが、どうにか5月初旬までならできそうだという。以前のアレンジはロックンロール調で決して悪くはないと思うのだが、もっとナウいものが良いのかもしれない。誰かが言っていた「アレンジは若いのに任せろ」。その点はまだ分からないけれど、「ライバル」、「世界を君のふるさとに」などは浩平君のアレンジだった。どっちも好評。浩平君がどんなアレンジを仕掛けてくるのか、私もワクワク。(●^o^●) さ~て 4/7 今回ワークショップに提出した課題曲以外の楽曲に対するコメントが届いた。4曲全て聴いてくださり、ありがとうございます。 全曲「歌う人にハマり、アレンジを変えてしっかりした出口があれば、多くの人に愛されるだろう」 この"アレンジ"と言う言葉の中には何が含まれるのだろう。もっと具体的に訊いてみたい。。。また、アレンジの課題もあるかもしれないが、コメントにもあるように、「しっかりした出口があれば」が最たる課題だと思う。つまり、ユニバーサルミュージックのK氏が言うように、プロモーション・プランを書ける人と出会う事だ。でもこれで分かった事は、私はいい曲を書いているらしいという事。後は、浩平君が言ってくれたように、「俺がやる!」という力のあるディレクターかプロデューサーが現れる事だ。そこからアレンジャーも出てくるだろう。もし浩平くんや宏樹君で間に合わないなら。 「ライバル」や最近作った「生きてきた証」等の男歌は私が歌って最も面白いように想うが。。。男が歌うより私が歌うから「そう言ってもいいよ」と男たちから許されるところがあるように思う。また男目線から見ると、女は男たちの本質をこんなに見ているのかと思うところもあるのじゃないかな。私が男歌を歌う、その絵が一番映えるし面白い。が、私は創作活動を続けたいから、表舞台に頻繁に出たくない。松任谷由美や中島みゆきのようにラジオやCDを中心に活動し、人前に出るライブやコンサートは年に3,4回、丁度今やっているソロライブの頻度に抑えたい。もちろん、歌は誰にでも提供する。一緒に歌ってくれたらいい。私は自作曲の反応をリリース前に確認するためにもライブは続けたいし、続けなければならない。 面白い事を考えられるディレクターかプロデューサ、必ず出会う。いや、出会う事になっているように思う。彼は、今どこで何をしているのだろう。 間違いの哲学 4/10 ハマったタイトルではないと思うが、一応「間違いの哲学」。作曲家船村徹の名曲を紹介する番組で司会をしていた武田鉄也が「間違いに個性が出る」と言った哲学者がいたという。確かに正解は一つ、目的を達したと言う事一つ。だが、正解に至るまでの間違いは千差万別。どんな間違いをするかにその人の個性がでると言うのだろう。トルストイが幸福の形は一つしかないが、不幸のあり方は限りないというような話をしていたのに似ている。 確かにそうも言えるが、私はもうひとつ付け加えたい。間違いはあって当たり前だし、確かにそこに個性が出る。だが、間違いにどう向き合うか、そこにその人の将来性が顕れる。私も大きな間違いを犯したと今日気がついた。その間違いに私のどんな個性が顕れていたか。それも自分なりに把握した。曖昧さを嫌い、そこに生来のトントン行動し白黒はっきりさせ結果を急ぐ”性急”さがお手伝いした。それが相手にプレシャーをかけ間違いを犯させてしまったようだ。嘘をつかせてしまった、おそらく。間違いが間違いを呼ぶ。そういう場合、間違いの元祖が訂正しなければならない。わたしだ。 ご本人にも反省をしてもらわなければならないが、私の間違い、正そう。 こういう仲間と 4/11 今月末までが締め切りになっている少女グループ Stella☆Beatsへの楽曲応募に備えて、「ママ、どうしよう」のアレンジを浩平くんにお願いしている。テレ朝ミュージックから来たメールを転送したら、「僕でよければ頑張ります。なるはやでメロディー等の資料を送って頂けますと、非常に助かります!」と返信があった。今回は初めて私の自作曲を他の人に吹き込んでもらう。提供相手は10代の少女グループなのでそれらしい声の持ち主を彼が探してくれる事になった。他の人が私の楽曲を歌う、ワクワクしている。 浩平君のやる気が嬉しい。やる気のある人達が集まる。仲間はこう言う人達でありたい。35歳くらいかな。本当に肩を並べて一緒に進んでくれそう。仕事も丁寧だ。 歌子さんが出してくれた日付が皆当たっていたという話を以前に書いたが、実はもう一つ驚いた事があった。昨年7月22日から31日の間にパートナシップが成立すると言われた。そのメモを読んだのはその年の9月。「嘘だわ、だって、その間は私はアイスランドだったわ」と、この占いを軽笑していた。だが数日後、「はっ!\(◎o◎)/!」。初めて浩平くんに仕事を頼んで、その最初の出来上がりは7月31日帰国の数日前だった。それは「ライバル」のアレンジ。できたらメールで送ってね。ノートパソコンを持って行くからと言って出掛けたのである。 私は迷ったままでアレンジャーに渡すから、その後の修正が大変。浩平くんも付いて行けなくなったようだった。これは縁切れか~と思ったが、間を置いて繋がり続けてくれた。当たる確率およそ100%の歌子さんの西洋占星術でパートナシップ成立と言われたのだから、壊すわけにはいかない。仲間になる人なのだ。また繋がってくれたのも、やはり運命なのだろう。この小休憩の間に、彼は私が提案した譜面ソフトを購入して待っていてくれたようだった(かな?)。きっと、浩平君にとっても私との出会いは特別なものになるのかもしれない。 言われた全ての期日に対し言われた通りの事が起きると、よほどの頑固者でない限り、これから起きると言われる事も信じてしまう。占星術は一人一人に対する神の意図を告げるのだと私は思うようになった。思考や心を落ち着かせ大丈夫だと思わせてくれる。また、誰が何が運命のつながりなのか、教えてもくれる。歌子さんとの出会い、出会う必要があったのだ。彼女との出会いにより、私の宇宙観、人間観、生命観もより深いものになって行った。 潔くあれ 4/12 私たちの生活は繰り返す。朝起きて、手洗いに行き、顔を洗い、服を着替え、朝食を取る。新聞を読み、家を出る。来る日も来る日も同じ事を繰り返す。繰り返しはその行動を無意識のレベルまでに下ろすからそれを容易に成し得るようになる。思考も行為も同じだ。
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久々に 4/16 何か月ぶりになるのだろう、久々に大学地区OBゴルフ会があった。この日ををずっと楽しみにしていた。何でもそうだが、特にゴルフは1日中一緒に回るので、誰とプレイするかで楽しさが全く違う。大学地区OBゴルフ会の仲間は、ウィットに富んだ会話ができ、相手にも配慮が行き届く素敵な人達が殆どだ。その中で女性ゴルファーは二人。先輩の女性ゴルファーも知性が高く包容力がありそう。 このゴルフコンペの日程が送られてきてから、私はいそいそと練習に行き始めた。3カ月以上プレイをしていなかったので、私のプレイで他の人達の足を引っ張るのは避けたいし、私に負けてはいられないと先輩の一人に挑戦状を突きつけられたからである(●^o^●)。何せハンディーが40とありがたいんだか迷惑だか分からない数字を頂いているので、今度こそは優勝かと思いつつ臨んだが、後半からズズズズズーッとゲーム終了まで底が見えなくなった(およよよ~ん)。前半の終わりには優勝候補になっていたのだが・・・・($・・)/~~~ ゴルフは徹底的にFair(公平)なゲーム。下手な人も上手な人も一緒に楽しめるよう仕組まれているし、実に奥深い。先輩達が”優しさ(?)”から特別なハンディを与えてくれたお陰で、私は賞を取れなくなった。それまでは大体一番どんべのブービーメーカー賞かブービー賞を取れたが、それが叶わない。ハンディと言うのは、いつも同じ人に賞を持って行かれないようにするためなのである。それは上流にいる人に限らず下流にいる人にも。飛び賞と言うのもあるが、これは誰に行くのか見当がつかない。結果発表時のラッキーだ。が、優勝は、ある程度推測できる。頂いたハンディーで、私が普段練習に行っている河川敷のゴルフ場でのスコアなら優勝は悠に可能なはずなのだが。。。。。 何が原因だろう、と私は考える。そうか、河川敷では、毎回ハーフしかやっていない。だから、今日も最初のハーフが割と良かったのか・・・・後半まで頑張る集中力を鍛えていない。これからは練習でもワンラウンド周るようにしようかなぁ。そうなると大体丸一日が潰れてしまう。それは、今日のような特別な日だけにしたいのだが。 賞を頂くというのはやはり嬉しいし楽しい。うっひっひっひ~となる。 試合終了後のパーティでは、身体の不具合の話が延々と続いた。日本は「私の母が90ウン歳で・・・」と言う話をよく耳にする長寿国になった。皆さん90歳台に乗るまで元気で生きて下さいね。 逢いたいなぁと思っていた仲間に逢えた嬉しい一日だった。 ラブレターは速達でPart3 4/17 ノンフィクション作家の馬里邑れいさんから、お逢いした時に私の質問に応えるという話を以前に頂いたが、彼女の作品「身代金」を読み始めると、逢って何を話していいか分からなくなり、とりあえず欲しい情報だけでも頂きたいと伝えると、数日前その答えが送られて来たが、昨日朝早く追伸メールがあった。感慨深かった。 面白いのは、速達でラブレターを出すと、相手も速達で返事を送って来たというところ。また5回も結婚した彼女の父親は、恋ほど身を焦がすものは無い、仕事よりもエネルギーが湧いてくると言ったそうだ。 思えば、確かに恋は全てに対してポジティブにさせるし、一日の大半を相手に対する思いと想像と希望で心いっぱいにさせる。かなり前の事なので、私もほとんど忘れてしまっていたが(*_*;、「恋ほど身を焦がすものはない」と言う言葉は真実かもしれない。口から出て来る話しは常に相手の事ばかり。私も一緒に生活していた長兄のお嫁さんによく話していたようだ。「静ちゃんは恋をしているのね」と言われて、え、そんな、うそ、きゃっ、「恋」と言う言葉をはっきり言われてテレまくっていた事があったように思う。恋をしていた時に気付いたことは、誰に対しても親切になる。電車に乗っても周りの全ての人に対し親切だ。男もそのように思う。好きな女性に同じように思われている男性はその行為で分かる。素敵なのだ。逆に全く素敵でない男性は、まず女性に好かれない。素敵でないから好かれないのだが、荒々しい。先ず恋はしていないだろうなぁ、思う人がいても受け入れられていないのだろうなぁと判る。人を夢中にさせるものは、仕事を始め色々あるだろうが、恋ほど多くの人を抱きかかえられると"錯覚"させる程の包容力を持たせ健康で血行良くさせるものはないかも知れない。 彼女の父親はその感情でいる事がとても好きだったのだろうし、いつも燃えていたかった人なのだろう。 おそらく多くの男も女も恋をしたいのだろう。幾つになってもそれは変わらない。しかし、妻帯者、夫帯者である事がキアをかける。夢て逢いましょう、かな?(●^o^●) 御縁は大切に 4/17 ビクターのMディレクターに数日前久々に連絡を取った。浩平君の「ライバル」のアレンジを絶賛し、ジャニーズにぴったりだという。「いいね」に対しても面白い曲だとコメント。少し長いかなと思っていたところに同意されたので、早速アレンジャーの宏樹君に修正依頼を出した。前回、「アレンジ次第」だといって来たテレ朝ミュージックのコメントをそのまま浩平くんと二人にコピペして送ると二人ともなんだか引き締まってくれたみたいで、腕の筋肉が盛り上がったように感じる。宏樹君も丁重な「やります」返信を書いて来た。 歌づくりは、一人作業なので、途中でこれでいいかなぁと誰かに聴きたい時がある。「そうか、私には幸運にもMディレクターがいるじゃないの。必要なものは本当に既に与えられている」と改めて思った。こう言う事って余りある事ではないようで、浩平君などは「なんでディレクターに好きなように電話をしたりできるんですか?!」と聴いて来た事があった。そう言われてもずっとそうだったから、なんとも言いようがない。御縁、これしかない。Mディレクターともいろいろな事がある。彼も私の突っ込みや斬りにたじたじになっているかも(なっていますよう~(@_@;))。 色々あって良い、私はそう思っている。共通の夢を持ち、その夢を共有しているなら、色々ある中でお互いを知り、いい方向に向かって行きさえすればいい。互いに対する信頼も失っている訳ではなく、色々ある過程で彼がいかに私の楽曲に期待しているかが今まで以上に感じられている。肝心なのは共有している想いや夢を見失わない事だ。楽曲ができればいつも聴いてくれるし、彼のコメントは大変参考になっている。私の楽曲を歌うにぴったりした人が見つかれば使う事もあるのだろう。楽曲を育てる、いつか誰かに歌わせる。このスタンスは変わっていない。 何よりも彼とのこの特別な御縁が感慨深い。色々ありながら繋がって来た事が。こうまでなると、きっとこの先に何かあるかも知れないと思わざるを得ない。 コンペ 4/18 歌づくりの世界ではコンペと言うのがある。あるアーティストの新曲を公開募集し、それに応募する形式。Competitionという英語を略してカタカナ英語になったものだと思う。締め切り期日も決められており、どのような雰囲気のものが欲しいか参考楽曲も付けて来るし、夏向きのアップテンポのものでxxxと言う言葉を入れて欲しいと言った課題も添付される。一般公募なので、メジャーデビューを果たした人もメジャーデビューを期待する人も一緒に応募する。名の知れ渡った作家もこれに応募する事が今だにあると聞く。 コンペを通して作品が採用されたと直ぐ側にいる人が言う。すごいなぁと思う。だが、それを聞いて、ならば私もと言う気にはならない。途方もなく感じる。私はコンペ向きではないようだ。私の場合は、自分の書きたいテーマがあり、ふと降ってくる言葉、または読んでいる詩や小説の中の一つの言葉やフレーズがヒントになって、イメージが出来上がり、イメージが出来上がると直ぐに書き始める。書いていくと、期せずして歌う歌手がイメージされる事はあるが、最初から誰それに歌わすという思いで書いているものは、今のところない。驚いたのは、Mディレクターは私の楽曲のこの特徴をよく理解している。だから自由に私に書かせ、その中で自分の手持ちのアーティストに歌える歌があればと、思っているらしい。それを知らされた時、彼がいかに真剣に私の楽曲を聴き、私以上に私の楽曲の特徴を知っていたか気付かされた。彼の感性を大いに買った一瞬だった。もちろん、既に書いたものの中からコンペの課題に合っているものがあれば、応募するが。 以前にも書いたが、中島みゆきが似たような事を言っていた。誰かに歌を提供する時は、今まで書いた歌の在庫の中から自分が歌いにくいものを提供するとか。改めて特定の誰かのために書くという事はないようだが、歌手によって提供する楽曲は選んでいるように思える。広まる可能性を考慮してのことだろう。加藤登紀子には「この空を飛べたら」、今のように売れる前のクミコには「十年」。「この空を飛べたら」は実にいい歌で私も自分のレパートリーの一つにしていた事があるが、「十年」は内容はいいのだが、選ばれた言葉の硬さが何とも歌にならない。中島みゆきでもこんな歌を作るのかと思わせられた歌詞だったが(少し安心した、(^v^))、歌っているクミコに感心した。だが、今回朝ドラの「マッサン」の主題歌は、依頼があってドラマの内容に合わせた楽曲だったようだ。いずれはそういう事も出来るようになるのだろう。 整理整頓 4/19 3カ月間新曲を作っていない。ずっと、これまで作ったものの修正作業をしていた。やり残しがある事、やろうと思っていて手つかずにいる事に私は落ち着かないようだ。ひとつづつ綺麗にして行く、すっきりさせるのがどうも私の性分みたい。10曲以上あった修正も「両手をひろげて」だけを残して、旧バージョンを遥かに超えた出来上がりになった。まずは自分自身が文句のつけようのない状態にまで持って行かなければならない。 これまで読んだ事のない詩人の詩集を5冊アマゾンに注文し、数日前届いた。そんなに読んで来た訳ではないが、谷川俊太郎を超える詩人を私はまだ見つけていない。だからこれから開いて行くページで、どんな言葉と出会うのだろうかとワクワクしている。詩は私に沢山の言葉をくれる。あ~、この心の動き、目線、こんな事も詩にするんだぁ・・・私の中にこれから作る歌のイメージが溢れんばかりに湧いてくる。誰かと同じ目線ではない、ある瞬間の真実の思いを書く。真実を書く事は時に羞恥を晒す事を求められるから、勇気がいる。芸術は人が言えないで隠しているところを代わって言いながら、あなただけじゃない、人間が共有している感情なのだと、相手を癒す部分もある。それを聴いた人の心は浄化され、浄化されると、心は次の段階へと上がっていく。不思議なものだ。 それで詩を読もうと読書用の背もたれの大きな椅子に包まれるように座るのだが、どうも落ち着かない。頭の中が歌を作りなさいと言っている、しきりに言っている。行動と内部の指示の隔たり。では統一させようと、これまでためて来た走り書きをみる。修正作業というのはメロディーの技術的な修正だが、新曲となるとメッセージをまとめ、メロディー在庫から相応しいものを取り出し、それに合わせて言葉の組み立てをしてゆく。 一人でいて充足している。だが、時に誰かに誘ってもらい外にも出たい。今日は夕方に同業の友人のライブがあり銀座まで出かける。 悔恨 4/20 人は人生で何を一番悔やむのだろう。勝負に勝てなかった事、事業を成功させ得なかった事。。。。名前は忘れてしまったが、世界に名を博した有名なテニスプレヤーが、テニスは飽くまで人生の一つの過程、その過程を通して自分の人間性を高めるものであり、人生を知り、自分の人生を豊かなものにして行くための通過点、と言うような事を言ったらしい。ならば、勝負で負けたことは、人生で”一番”悔やむものではないのかもしれない。 私が人生で悔やむものは、愚かなプライドのために、注いでくれた愛に愛で返さなかった事。爆弾のようにこれに気付いた時から、人に愛を与える事、いい事をする事を心に誓った。その愛の形は色々で、必ずしも相手が心地よいと思う事だけをする訳ではない。そういう時は、ほんの少しずっこける事もあるけれど。 アマゾンから送られて来た詩集の中に、谷川俊太郎選茨城のり子詩集が入っていて、少し読みはじめた。そこに、愛を溢れさせ得ない悔恨が彼女を夜に机に向かせ、見知らぬ人へ、優しい手紙を書くつもりでペンを持つと書いてある。私自身とも重なりとても感じ入ったフレーズだったが、以前途中までイメージしていた歌につなげられると、昨日から新曲作りに取り掛かった。 娘時代に見た母の手に似て来た自分の手をみながら、私の手はあなたの手がして来た事をしているだろうか、愛を溢れさせているかと問う歌。まだタイトルは決めていない。 愛の手 あなたの手 時には 戦う手 子を守り 育てる 不屈の誓い 私に 同じものが あったかと 重ねた日々を 振り返ります・・・ あの頃、母への愛の足りなさが今でも生々しく、書きながら私の瞼には映像と涙が混じり合う。 都合 4/22 ここのところ気を張って頑張っていたと思う。2月7日のワークショップでの評価から始まり、今日までレコーディングや、楽曲の修正、アレンジ調整など、風邪をひいている訳にはいかないと人に吹聴して頑張っていた。そんな作業もやや一段落し、気が抜けたからか、1週間ほど前から少し風邪気味。葛根湯や市販の風邪薬を飲んで対処していたが、1回飲んで調子よくなったので、飲むのを止めたらまた頭が重くなったりと、それを繰り返していた。そうしたら今日はこの1週間の内で最も体調が悪くなり、午後はずっと黒田光線に当たっていた。頭に兜をかぶさせられたような重さ。これには昨日関ジャニーズ事務所から届いたメールに気が落ち込んだ事も影響しているのだろうと思う。 「ライバル」はジャニーズに歌わせられるとヒャダインさんが提案した事が切っ掛けで、誰に歌ってもらおうと別段私にアイデアがあった訳ではないので、ではそうしようと浩平君に彼ら向きのアレンジを頼んだ。「ジャニーズにぴったり、素晴らしいアレンジ」と絶賛され、堂々と関ジャニーの事務所に送り、1週間ほど経って来たメールは、「こちらの都合に合わない」。”都合”に合わない・・・日本語って難しいけれど、要は関ジャニー向きではないという事なのだろうか。 やはり、がっかりする。それでどっと気が抜けてしまったので、体調が下ったのかな・・・じゃ、どこに持っていけばいいのだろうと途方にくれる。歌える人を探すのは実に難しい事なんだね。何度かこのブログで書いて来たが、ビクターの別のディレクターK氏がこの楽曲を始めて聴いて直ぐに言った事が、「これはヒットする曲です!」だが、歌わせる人が思い付かないからと、持って行かなかった。レコード会社の社内交流がどうなっているのかよく分からないが、「他の部署に紹介するという事もないのかな」と当然多くの人は考える。彼は自分と交友関係にあるらしい森進一のプロデューサに紹介できる他の人の楽曲を持って行った。Mディレクターも最初は他にも紹介しますと言っていたが、その気配が今では無い。自分の企画に合う歌が見つかるかもしれないという目的だけで私の自作曲を聴いているようだ。 で、昨夜また2時間ばかり、私の母(姉?)代りのような70歳代の方に電話で「ライバル」を歌って聴かせていると:うん、これはいい歌よ!(急に声に重みがかかった)でもね、悟った人の歌。若い男の子たちじゃないわ。 なるほど~、やはりね~。最初に戻ると、アレンジャーの浩平君も、この歌の深さが分かって、アイドルに歌わせると軽薄になると言っていた。で、私も「ライバル」を軽薄に歌われては嫌だと思い、もう少し年上の40歳から50歳ほどのロック歌手に歌ってもらいたいと思ったが、良く考えた訳ではないが、誰も直ぐに思い浮かばなかったし、彼らは大体自分で歌を作っている。は~、ピッタリはまる歌手を探すことは難しい事なんだ~と、ガツンと頭を叩かれたように分かった。テレ朝ミュージックのディレクターが書いて来たように、”歌う人にはまれば”と言う事である。だから、ある人はアニメを提案していた。生身の若い男の子達に歌わせるより、確かにアニメの方が違和感が無いと言える。 「ライバル」は、テレ朝で作曲家の松田純一さんが”衝撃”が走ったと告白し、「今の時代に必要な歌」と断言したように、人の生き方を変えるかもしれない歌、人が生き易くなるよう手伝う歌。この歌の意義を知り、「出さなければならない」と、出口を真剣に考える人が必ず現れるだろう。どこかに出会いがあると疑っていない。私もこの楽曲のために、そしてこのような歌を待っている人達のために、早速別な動きを始めた。 このブログを書いている内に、何だか頭が軽くなってきたみたい。さっき、黒田光線に当たり風邪薬を飲んだのが良かったのかな。 「愛溢れさせて」 4/25 今日は午前中ピアノレッスンがあった。インストラクター(60代?)と随分親しくなってフランクな会話が多い。 「私の作る歌、本当にいいの。すごくいいのよ」 「自分の歌をそんな風に言うなんて」 「そうなの、みんな初めはびっくりするの。でも本当にいいんだもの。だから言っちゃうの。私には第3者の眼が常にあるからね、良し悪しが判断できるの。あははは・・」 「あははは・・」 こんな具合。あきれ果ててインストラクターは目を細めて笑う。でも本当におかしな話。いいものを書いた時や手にした時の自分の喜びを表さないという不自然さ。思いっきり喜んでいいはず。そして喜んでいる相手の気持ちになって一緒に喜んであげれば尚いい。 さて、新曲を2曲作ってしまったぁ~(●^o^●)。一曲はお遊び風で、チクリと女の嫉妬を取り上げている「花のように」。もう一つは、これはいいぞ~、二つ上のブログで話した母の手、タイトルを変えて、「愛溢れさせて」。とても覚えやすい口ずさみたくなるようメロディー。書いている内に、思いもよらないメロディーになってゆく。童謡の「春よ来い」のフレーズが侵入してきた。それがこの上なくマッチして、作者の私をご満悦にしている。 「ね、聴いて。新しく作った歌」 「・・・なんか演歌に似ているかな」 「そうなの、私の歌、演歌っぽいの。だっていつもNHKの歌謡番組を見ているんだもの(あははは・・・)。ときどき、BSで高橋真理子、井上陽水、吉田拓郎あたりも聴いているけれどね」 「愛溢れさせて」は、ヨナ抜きのペンタトニック・スケールになっちゃった。どう言うものができるか分からないのが、しずこの歌の作り方。すごく自由な作り方なんです。作っていくと、本人もびっくりする展開になる。だから本人も面白い。この「愛溢れさせて」は2番目に行く度にびっしょり涙で顔を濡らしたので、私のデスクの傍には丸めたティッシュがあちらこちら(あは)。母親って、本当にすごいね。私もなってみたかったと思う。 激励と教訓 4/26 関ジャニーがアウトだったとアレンジャーの浩平君にメールを送ったが、まったく返信なし。あまり気にしていないのだろうとは思ったが、私なりの分析をして再送すると、激励の返信が来た。 例えば有名どころのコンペの場合だと、1回に200曲なんて平気で集まりますので、 今回の教訓: 誰もが頷き、かつ「突き抜ける」と言われる楽曲を書いたとしても、それで解決されたわけではない。楽曲に”はまる”歌手を探すという、難関がある。作詞作曲を職業としている人は、誰それ向けの歌を書いて下さいという依頼があって書くから、書いた後に歌手を探すという事は無いだろうが、私の場合は違う。いわゆるシンガーソングライターなので、テーマが先。必ずしも自分が歌うとは限ら無い楽曲を書く時もあるが、特定の歌手が頭にある訳ではない。私の素地は演歌歌謡曲で、大体NHKの歌謡番組をみている。好きなのは、北島三郎、細川たかし、美空ひばり等の演歌歌手やバラードやロックを歌う数人の年長のアーティスト。 で、どうしたらいいか。ある人が囁く、「XXXに持って行きなさい」。 ガヤ 4/27 「ママ、どうしよう」のアレンジが済み、これを音大を卒業したばかりの女の子(と言っていいのかな)が歌い、明日にでも提出できるようになった。自分の楽曲を誰かに歌ってもらうなんて初めての事なので浮き浮きしたが、音楽を専門的に勉強した人は本当にすごい、こちらから電話で歌い方の歌唱指導をして、資料を見た30分後に録音したものを送って来るのだから。 渡された課題には、ガヤというものを入れる事になっている。要するに、合の手。どんな合の手にするのか、アイドルをよく知っている浩平君に一任すると、「ママ」に「オイ」と声が返る。なぜ「オイ」なの?聞くところによると、流行りだとか。新しい事をどんどん学んでいる。 最近の歌 4/27 最近の歌と言っても、もう何十年こんな感じなのだと思う。私もJPOPを聴こうとして聴いた事が無かったので、以前には気にもした事が無かったが・・・ 作編曲者の服部克久と関口宏が、最近の歌は歌えないとテレビで言っていた。西田佐知子が歌っていた時代なら、流れて来たメロディーが自然に頭の隅に残り、なんとなく自分も口ずさんだものだが、今の歌は覚えられない。歳のせいかと諦めていると関口が言う。たった12音、この組み合わせで世界中で様々な歌が毎日生まれている、数学には無限というものがあるが、音楽の世界ではどうなのかという質問に、気持ちの良い音のジャンプは大体決まっていて、それは使い果たしてしまっている。だから今は、無理な音のジャンプが多く、一瞬にてオクターブ飛ぶ。これは美しい訳はない、と服部氏が答える。 うるさいだけの歌が本当に多いものね。高音に行きたくてたまらない歌。女性的な歌い方で自作曲を1,2曲ヒットさせた青年がいるが、どの歌も皆やたらに高音に行きたがる。なんでここで絶唱なの?さっぱり分からない。だがこれが今の潮流。歌づくりを始めて作曲クラスに行くようになったが、インストラクターは流行りのJpopを常に聴いているので、彼らにとっては現代の潮流が自然。だから、私の楽曲にも、突然音を高く飛ばすようアドバイスする。もちろん、私にはプライドがあるので、やたらめったら飛ばしません。此処で飛ばすと切なさが強まるとか、嬉しさの表現が倍増すると思えるところで飛ばす。 昔の歌は、今の潮流と照らし合わせると、同じメロディ、同じ構成が1,2,3番まで続き、いわゆる飽きが来ると言われる。そこから卒業するよう言われ、卒業して来たかな。潮流にある程度乗らなければ、入口も出口もないようだ。 だが、思う。キッチンや大工仕事など日常の作業をしながら口ずさめる歌が無くなっている。カラオケまで行って声を張り上げなければならない歌が実に多い。ふと口ずさみ、口ずさんで心が明るくなるような歌を書いて行けたら・・・。 一人は賑やか 4/29 by 茨木のり子
彼女が紡いだ詩の中に、朝鮮半島に関するものがかくも多いとは意外だったが、それらを読んでいると、私にも色々な想いが湧きいで、本当に「一人で賑やかだ」。BSでやっている「奇皇后」の中に出て来た人身売買をする高麗商人の言葉を思い出した。「民が人身売買にかけられても何もできない国に生まれて来た罪」。どこに生まれるか自分で選べるわけではない。だが生まれてきた国の脆弱さ。そのために置かれる境地。その高麗商人の言葉が印象的で、朝鮮半島の歴史をつまんだ。ずっと中国歴代王朝の属国。テレビドラマを見ていると、王が中国からの使者を平伏して迎える。そんな独立国家としての権利を持ち得なかった国。だが、独立運動の火は絶える事無く、中国傀儡派による裏切りと内戦が常に起きていた国。紀元前に建国された高句麗は唐と新羅にやぶれ高麗に代わると、その王族と職人を含む人口の3分の1ほどが日本にやってきた。技能を持っていない当時の日本で彼らは大歓迎されこの国の支配者層になった。また、新羅との戦いに敗れた百済の王族学者職人も大半が日本に渡り、やはり支配者層に収まる。 日本を行き場として選んだ人たちは本当に運が良かったと言うか、利口だったと思う。朝鮮半島で次の王朝に吸収される、または中国に逃れていたらどのような扱いを受けていただろう。その後日本による植民地時代を経て、恐らく建国以来初めて彼らは独立国家を創った。数千年に亘る願いが初めて実現する。属国であるが故に、脆弱であるが故に、だが闘志があるが故に受ける様々な屈辱、迫害。だが視点を変えれば、中国と地つなぎだから中国の一部になっても良かっただろうに(勢力の強い国に吸収され消滅した国は世界中沢山ある)、そうならず独立を諦めなかった。諦めるどころか、漢字を使わずハングルと言う文字まで作った。すごい事だ。 このような歴史を熟知している鶴見俊介を始めとする哲学者は、「どの歴史スパンで”なにじん”と決めるんだ」と言う。そうだなぁと私もその気になる。同時に、双方とも「こっちのお陰でお前さんの国が豊かになった」は言えない。この二つの国はそれぞれが相手国のお陰で今がある。色々あったが、こうして"今"がある事は、いいじゃないかと思う。双方とも「感謝」できる面を見るようにすればいいのだが、最も近いルーツを共有しているからこそ、喧嘩が長引くのかもしれない。韓国には恐らくかつての優越感が踏みにじられた劣等感が日本に対してあるのだろう。植民地が中国によるものなら、現在の状況は全く違っているように思う。同じく長い間中国の圧政に苦しんだ台湾は日本の植民地時代に感謝する人もいるようだ。なぜこんなに違うのだろう。それ以前の日本との関係が違うからだろう。だが、国民の30%がクリスチャンだという韓国は、憎しみより愛を選ぶ人が多いのではないだろうか(知っていました?日本は僅か1-2%だと言う事。でも日本ほどに神社仏閣の多い国があるのかしらね。テレビのクイズ番組によると、東京には3千以上、愛知か愛媛か4千を超えるんだそうで、こちらで足りているんですね)。 でもね、 「それぞれの硬直した政府なんか置き去りにして 一人と一人の付き合いが、小さなつむじ風となって」(茨木のり子)。生まれ変わって今度はどこに行くのか、隣近所波動を同じくする者たちと仲良くして徳を沢山積んでおきましょう。人間、誰とでも仲良くなれるわけではない。それぞれの魂のレベルがある。同じ国に生まれながらも、波動が同じでなければ友人にはなれない。生まれた国は違っても徳の高い波動を持つ人に魅かれる。音楽が国境を超えるように魂は国境を超える。 ところで、上の詩の最後の段に、突然「恋人よ」。なんだか、どきんとしました。身体がふわっと火照るような感覚(ああ、この感覚、忘れていない!)。そしてこの突然の視点の変化、うまいなぁ。 5月 5/2 28℃ですって。初夏の気温。でもやはり5月なのだろうか、空気が軽くさわやかさが漂う。昨日はラウンドをしようと近場のゴルフ場に行って来た。 なんだろう、ボールが上がらない。色々な事を試しながら打っているからだろうが、それにしてもジムの打ちっ放しで感じる「いいじゃん」がない。ランチ後の後半の始めは良かったものの、疲れがひどい。ゴルフをしてこんなに疲れた事って無かったように思う。で、スコアはさんざん。 帰宅してゆっくりしていると頭が痛くなり、少し熱っぽい。これ、風邪だなぁ。まだ完治していないんだぁ。夕方8時前に床に入り、途中1度だけ起きたが、朝4時まで眠ってしまった。起きると背中が痛い。黒田光線に当たって、少し軽くなり、朝食も取ってこのブログを書いている。風邪を引いた時の体調の悪さひとつとっても、健康時の快適さに本当に感謝しなければいけないなぁと思う。私は時々自分の足をさすったり撫でながら、沢山感謝する。世界の色々なところに私を運んでくれた足。この足のお陰で自分が広くなって来たように思う。 ハチャメチャなゴルフだったが、18ホールで、なんとバーディ!グリーン周りのアプローチから、バーディですぞ。それまでハチャメチャだっただけに、チームの男性達3人がとても喜んでくれる。一人は、いつまでも「バーディ、バーディ」と繰り返す。終わりには皆でかき氷を食べ、一期一会を閉めた。人はなぜこんなに優しいのだろう。 さあ、今月はライブの日だ。身が締まる。 この3カ月間 5/4 1月のライブが終わって今日までの凡そ3カ月間、いろいろあった。色々あって退屈しないのが私の人生だが、大きな一つのうねりだったように思う。何と言っても大きかったのが、ワークショップでの私の楽曲の評価。曲の作り方が分かって以来、その傾向ははっきりしてきたと思う。私の楽曲は新しい段階に移行した:いい曲作りから、確信を持った出口探しへと。 私の今の行動テンポはものすごく速い。かつても行動力があった方だが、宇宙の芯としっかりつながった今、そのスピードが早まり、人が驚くようだ。昨年の末、そして今年になってお逢いした超有名な某シンガーソングライター二人のマネージャだった人が、見た事もないこのスピードにたまげていた。この3カ月の間、テレ朝ミュージックとそのマネージャとの出会いがあった一方、これまでのつながりを終わらせた。 Mディレクターの私に対する役目は終わったように思う。2月彼との長いメールのやり取りで初めて彼の仕事を知った。「関心がシンガーソングライターからソングライターに変わった」ので御自分の企画するものに合うものがあるかもしれないとこれまで私の曲を聴かれていたらしい。企画外だがいい曲があっても他部署に紹介する事はなく、また企画の中で使われるのは殆どがカバー曲、新曲を必要とする事は稀であるらしい。消えて行く細い蝋燭の炎のようないつ消えるかもしれない僅かな目的のためにこれまで40曲近い私の楽曲を聴いて下さったようだ。私も彼のコメントをベースに、いいメロディーの作り方を模索しここ半年で「完成されている」と言われる楽曲を書けるようになった。私にとっては彼との出会いは幸運以外の何物でもない。だが、私の楽曲の段階が、いい曲作りから”しっかりした”出口を見つける段階へと移行した今、彼を”役目”から解放し、私もいたずらな期待を彼に持たぬよう、此処でいったん関係をオフにしたいと伝えた。私が描いている方向と同一線上に立てる人を探したいと思う。社内の横のつながりがどのようになっているのか存じ上げないが、他のディレクターと少しでも私が繋がっている気配がする場合、関係を築く事に躊躇うディレクターもいる。これまで色々ありながらもつながっていてくれたので、未来に何かあるのだろうと思わせたが、私が描いている未来は彼とのコラボで成就される事はないと悟った。これまでの御縁に深く感謝し、先に行こう。そうする事で彼への御恩返しにもなろう。おたおた、タラタラした時間を引きずってはならない。 此処のところの風邪はエネルギー貯蓄のためなのだろうか、たっぷり休んでいる。ゴールデンウィーク後に徐々に行動開始。今月はライブに向けた準備に集中。歌子さんにも14カ月ぶりに逢う。楽しみだ。 昨年アイスランドの北の町アークレイで知り合った30代の青年とFacebookでメッセージのやり取りをしていた。彼と遭った時、2曲を小さな声で歌ったが、その一つが「ライバル」。その「ライバル」の展開を知らせ、現在歌わせられる歌手を探していると言うと、「探しているって、なぜですか。しずこさんがなぜ歌わないんですか」と言う。あの時「ああ、あんた恋しや」を歌うと、びっくりした顔をして「いい声ですねぇ~」、「ライバル」を歌うと「いい歌ですね」、そして続けざまに「ライバルは中島みゆきですか」と迫りくるように聴いて来た。わなわなと自分のバランスが崩れた瞬間だった。私が最も買っている歌の創作者と、少なくとも名前を、並べられたからだ。「たしかに中島みゆきと歌の内容は違うかもしれませんが、何というか心に響く歌という点で共通していると思います!」と書かれてメッセージのやり取りは終わった。 この3カ月間、昨年4月にまとめた20曲の作り直しをし、それがひと段落すると、またすぐに新曲が降って来た「愛溢れさせて」と「花のように」。あっという間にできあがった。こんなにも容易に出てくるのを見ると、やはり出口が用意されているのだろう。心を静かにして内なる声のまま動いている。 「いい曲作りから出口探しへと」私の楽曲の段階が変わったと上で書いたが、前回のライブに来て下さった先輩達が言われた言葉をふと思い出した、「欠けてるものが無くなった。後は売り出すだけだ」。うん! 歌い開始 5/4 上のブログは未明に書き、こちらは9時PM。ヨガに行くと、久々に汗をかいた。蓮村誠医師が勧めるインドのアーユルヴェーダ式白湯の体内取り込みを読み、全く知識や情報はなかったが、気持ちがいいので白湯を進んで飲んでいた事が以前にあった事を思い出し、ここ1週間前から一日5カップほど飲んでいたら、なんとなくいい感じ。気温が高くなった事もあるだろうが、足の冷えが薄らいだ感じ。またヨガでこんなに汗をかいたのは初めてかも。普段私はあまり汗をかかないので、夏もそれほど飲み物を頻繁に求めない。この汗と共に毒素が流れ出て、風邪は消えたかも知れない。 そろそろ声を出さなければと、久々に発声練習をし喉をならした。歌う声に持って行くまで3,4日かかるだろう。この人は歌う事より創作の方が好きなようで、歌う必要が無くなると途端に歌わなくなる。 鳥肌 5/5 大学のかなり下の後輩がラジオ番組で自分のキャリア選択体験を話しているらしい。そして次回が最後だと。「ん?!」70代の私の友人が言っていた事を思い出した、「この歌、ラジオなんかに流せば、"千の風"のような反響になるんじゃないかしら。」で、「世界を君のふるさとに」の音源を送り彼女に打診すると、 「ありがとうございます!聞いてみました。とても素敵な歌声ですね。暖かい歌で、鳥肌がたちました。少し若い、道に悩んでいる人に聞いてもらいたいですね。私もどこか遠くにいってみたい気がしました!!!少しお時間頂けますか??掛け合ってみます。」
ありがとう。 ライブ案内 5/7 いよいよライブ月に突入。最も緊張する月である。近況報告付きでメールに色を添えて案内を送らせて頂いた。 早速一人から連絡があり、奥様が入院されているが、ライブに来て下さると言われる。昨年一度来て下さったが、そのメールはいつも愛が溢れる。ありがとうございます。このブログを読んで下さっていたのだろう、リクエストを添えて下さった、「生きてきた証」。もう一つのメールは、いろいろあるが七転び八起きだと激励して下さるものだった。うれしい。 はい、いつもの場所でいつもの時間にしずこのソロライブを開催します。今回はピアニストの淳さんが昨年からの先約があり、お休み。ピンチヒッターには、2012年の札幌ライブにお付き合いくださいました土肥弘明さん。彼も名ピアニストです。 詳細は、このHPの出演欄をご覧くださいね。 私は早速「生きてきた証」を練習し始めます(笑)。 警戒 5/9 数日前知人から聞いた話。その知人のめい御さんRはジャニーズやその他アイドルグループに楽曲を提供した事があるらしい。そのめい御さんの遠縁(おそらく知人の遠縁にもなろう)に女優、歌手でもあり、もうすぐ母親にもならんとする人気タレントMがいる。その彼女に自分の楽曲を提供しようと送ったが何の音沙汰もなく1年が経過したある日、血が引く驚きに遭遇する。提供した楽曲をMは彼女自身の作詞作曲として歌っていた。青ざめ怒り沸騰、Rは法に訴えた。だが、Mの後ろ盾は岩壁。父親が超有名な歌舞伎俳優の出、そしてその取り巻き。Rは数々の嫌がらせと脅しにあい、ネットにも彼女の名前が載せられ、とうとう自分の名前を変えた。 楽曲のタイトルで調べてみると、確かにMの名と一緒に出てくるが、歌は全て取り外されたのだろう、Youtubeにも出ていない。純真な雰囲気を漂わせ、それで売っているMだが、私の背筋が震える。同時にこれまで私が気軽にプレゼントして来た楽曲音源は大丈夫だろうかと、心配になった。Rはアレンジも含めてコンピュータで楽曲を作っていたようで、すべて一人作業。私の場合は、アレンジャーやレコーディング・エンジニアそしてスタジオのスタッフも入って来るし、作業中の履歴が全て残っているので証明できるが、一旦問題になると解決までに注ぐエネルギーや時間やマネー、そして辛労は大変だ。この一件は今後の自分の楽曲の取り扱いに十分注意しなければならないと思わせてくれた。アレンジ毎に支払う報酬も、セキュリティーのひとつかも。 「楽曲のアイデアが盗まれる事もあるので、(公式リリース前の)公開は避けた方がいい」というアドバイスを思い出した。緊張するね、こういう話。 竜 5/10 Facebookの持つ力は実に大きい。自分を他と繋がらせ、広げさせる。世界をつながらせ、広がらせる。このFacebookがあるからこそ、新聞を読むニーズが更に薄くなったように思う。マスメディアがでっちあげる記事に心を動揺させられる事も無く、何よりも自分の関心あるものを書いたり作ったりしている人と繋がれる。そしてまた、友達になった人が何処かのイベントに参加すると言うお知らせが入ると、興味のあるものなら自分も参加し更につながりができる。Facebook上の友達の投稿を読みながらその感性や知性の程度を知り、その人が勧めるものなら行ってみようかと言う気になって、また違う世界を見聞きできる。 昨日、陶彩画の絵師草場一壽(くさばかずひさ)氏が描く「いのちの絵本」の出版10周年記念イベントに参加した。もちろん私はこの人の事を全く存じ上げていなかったが、どんな話が聴けるのだろうと行った。与えられた1時間で生い立ちから今日までを語る。来場者の殆どが30代程の若いお母さんたちだった。小さい頃から動物や自然の命の営みに興味を持ち、それを有田焼の中で取り入れたいと願ったが、どこの窯元でも実現不可能だと断られる。これが最後と決めて行った世界的に有名な絵師葉山有樹氏だけが「これは面白い」と草場を受け入れ、葉山氏の元で働きながら陶彩画の研究を始める(ネットから)。ネットで見ると彼が描く殆どが仏像画。生活のために路上で作品を売っていた事もあるが、今では個展の開催や日本国中を講演で回り米国のどこかのホールにも彼の作品が飾られているとか。 彼は幼いころに竜の夢をよく見たそうな。「竜」、ずっと上のブログで書いた「小桜姫物語」の中の竜がなぜか私の中に印象されている。「小桜姫物語」は霊界通信をまとめたもの。霊界にいる小桜姫が霊媒師に呼び出されて話をし、それを東大卒の筆者が書きとめた(わざわざ東大卒と書いたのは、左脳偏重型を自負する大卒にこう言う人もいると言う事かな)。この話の中に竜が登場する。人間は死ぬとまずは現世と霊界の間にある幽界に行き、そこで修行を積んだ後に霊界に送られるとか。そこで更に修行を積み心が純化する程度に応じて、竜が登場するところに行く。この竜が雨を降らしたり風を起こしたりするらしい。この竜に乗り小桜姫は竜宮城に行く。日本のおとぎ話では竜宮城は海底にあるとされるが、霊界ではそうではないらしい。 竜は中国の絵巻物によく登場するし、中華丼ぶりにも描かれている。子供のころ私は、竜は中国に実在するものだと思い、想像上の生き物だと知った時、想像上のものをあのように詳細に描けるのかと不思議を思った。 最近、私の考え方がダイナミックに変わろうとしている。5官で感じられない、人間の智で証明できない目に見えない世界が存在する事はこれまでも疑わなかったが、ここのところ気付いた事は、人間が創りだすものは、他からは見えないが自分の中に実在するものを他から見える形にしたものであり、その自分だけに実在するものは、その個人がどこかで見たもの聴いたものなのではないか。それは夢や霊界での経験なのではないか。要するに自分が見たり聴いたりした事のないものは、人間は創りだす事ができない。小桜姫の話の中に、目を閉じて開ける一瞬の間に他のところに移動していたという件がある。それを読んだ時、幼い頃に見た猿飛び佐助や風小僧や忍者などの映画を思い出した。煙の中で一瞬に消えてゆく。子供の頃そうなったらいいなぁ、なるのかなぁとドキドキしながら焚火の煙を利用して、どろ~んとやった。消えないので安心したと言うか、拍子抜けしたというか、つまらなかった。だから、小桜姫の話は映画の話かおとぎ話をつまんでいるのかと思ったが、そうじゃない。その逆なのではないか。おとぎ話の作者は霊界での経験が自分の中にうっすら残っていて、それで書いている。 NHK番組だったか、「ファミリー・ヒストリー」の中で、お笑い芸人の間寛平は瀬古選手と競り合いながらマラソンしている夢を2回見たと言う。本人は「ばかな」と自分が見た夢を笑ったが、その後何かに強く押されるようにマラソンを始め、それをメディアが取材し寛平はライムライトの下に引き出されるようになる。 夢、私も最近はしっかりと「意味」として記憶している。歌子さんがびっくりする事があると言われた3つの日。一回は現実の中で、2回はどちらも夢の中でびっくりさせられた。その3つすべてこれから展開される歌づくりの世界に関係していた。夢が何を意味しているのか、それは本人だけに理解できる。フロイトやユングがなぜあんなに夢に拘ったのか、若き頃は関心も無かったが、今はなるほど、ものすごくよく理解できる(だが、読む気はない)。 竜の話に戻る。小桜姫物語の中で、竜が登場するのは、修行を重ね魂が高度なレベルまで至った霊たちが行く場所である。草場一壽さんは元はそこにいた人なのかもしれない。彼を見ているとそう思える。。。。。あれ?。。。。最近ずっと手直しをしていた私の楽曲にも、竜が登場するぞ。「輪廻の華」。♪舞い上がれ 舞い上がれ 清水寺に上る竜になれ 天に舞え 地に舞え あんたにこの炎 飛んで行け 風立て 雲を焦がして 雨降らせ♪ーーー、、、これはちゃうか(あは)。 追記:草場さんの竜の絵を掲載しようとしたが、やはり竜の様子はすごいね。見ていたら、がたがたと自分が崩れて行くようで、や~めた。 うっとり 5/12 12日の0時を回った。1時間ほど前から歌の練習をしていた。必ず録音して色々と修正していく訳だが、1カ月ぶりの歌声が余り崩れていないのが意外だった。と言うか、いくら私でもこう言う事を言うのは躊躇いもあるし、恥ずかしいのだが、なんかとてもいい声なのだ。数日前の歌い開始の時にも少し驚いたが、歌が整ってくるに従い、「これ、私の声なんだぁ」と少し上気している。少なくとも「悪くない」。「いい声」と言う評価からは遠かったはずなのだが、アイスランドのアークレイで巡り合った赤池君にFacebookメッセージで「世界を君のふるさとに」を送ると「相変わらずいい声ですね」とコメントが返ってきたので、そんな褒め言葉に合うようになったのかなぁ。 もう一つ考えられるのが、私の作った歌に声が合わさろうとしているのかもしれない。歌づくりを始める前にシャンソンや別な歌手の曲を歌っていた時は、その元歌手の声に影響されて低音を響かせていた。今は自分の作った歌を歌うので、私のナチュラルな声が出ているのかもしれない。自分の事なのだが、驚く事がいろいろある。 やはり地図 5/12 歌子さんに14か月ぶりに会った。英文の資料をまた頂いたが、前回のリーディングの信用性がかなり高かったので今回は直ぐに読んだ(昨年の時は頂いて半年後に読んだ)。身体の内部に温かい液体が満つる。驚きの満ち潮。最も最初に書かれたものが、「仕事上のつながりを切り、意外な人とつながろうとするが、それは自分を高次元に上げるためのもの」。さらに、精神的な活動が活発だとか。これまでこのブログを読んで下さっている方々には、ドンピシャだと思われるでしょう。やはり人間は持たされた地図上を歩いている、そんな想いが確信に近くなる。 とにかく大変いい年であるらしい。キャリアにおいても大きな進展と成功があるとか。それと恋人ができるらしい。こう言う話に歌子さんは大変喜ぶ。だけど、気配があるようなないような(^。^)。沢山の日付をもらって帰って来た。大きな動きは、7月7日の誕生日が過ぎてから始まるらしいが、私もなんとなくそう思っていた。これまでの私の人生は大体5年刻みで大きな筋目があった。誕生日が過ぎてから次の5年目に入る。色々な事が起こるのかも。楽しみだ。 小言おばさん 5/13 何処かで石垣りんの詩がひとつふたつ紹介され、それらは良かったので、何か別なものがあるかと、彼女の詩集を2冊も買ってしまった。失敗!この人は、うるさい小言おばさん。重箱の隅をほじくるように突っついては文句を言う、それが彼女の詩だ。もう読みたくない、だが中途半端に罪悪感を感じる私は葛藤する。 粕谷栄市という詩人が書いた解説が何とも・・・ 石垣りん、この優れた詩人を同時代に持つ事は、私たちにめったにない幸運です。自分の生きている国に、自分と同じ空気を吸って生きているひとりの詩人が、まぎれもなく私たちの言葉、 日本語で書いた。 なに、これ?(@_@;) その彼女の詩を、今日、一億人以上もいる日本のほんの僅かの人々、何パーセントにもならない人々しか知る事が無いのは、本当に残念な事です。 全然残念じゃないっすよ。読みだした時の自分のエネルギーがへなへなとしわ寄り始めた。自分をも人をも国をも幸せにする策を持ち合わせない、ただブツブツ文句を言う人がこの世にわんさかいるが、その一人。もう一人の解説者落合恵子が石垣はそれまで女に禁じられた"怒り"を詩にしたと評する。インテリと言うか、少しばかり学をつまんだ女たちは概して”批判”の種を肴にするようだ。恐らくこれは今の時代もそしてどこの国でも差ほど変わらないのかもしれない。私には、うるさい。 あと一冊をどうしよう。 クンクン 5/14 米国に留学していた頃、学生たちは中古家具を買う。2年から4年ほどの短い学生生活にはそれで十分。卒業と同時に、「貧乏生活ともお別れ!」と古家具は置いて行かれる。 登録して1,2年待ってようやく大学の家族連れ学生用に造られた長屋に入った。私が在籍したUCLA(カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校)の家族づれ学生長屋は街の2区画を占領するほどの大きさである。確か2階建600所帯分の面積だったか。そこで、使い古しの家具を買い、一応部屋らしく整えた。が、寝室に置いたランプの傘の染みが気になり、様々な試行錯誤の後、私はとうとうそれを洗剤で洗い始めた。。。残ったのは骨だけ(*_*;。また何をやり出したのだろうと傍観していた元夫は、それを笑い話のタネにした。 昨日、覚悟して絨毯を洗った。1畳半程の大きさで厚みが1センチを超える。重たい。これに水を含ませるとどれほどの重さになるか。腰をやられるんじゃないか。だがその心配よりも、絨毯の匂いをとることが、最もしたいことだった。 PCワークから離れてヨガポーズを取ろうと絨毯にうつ伏せになると、醤油のような匂いが鼻をつく。これは掃除機や雑巾がけくらいでは抜けないだろう。横浜の中華街で購入してかれこれ10年以上になる。高価なものではないが、麻でできた刺繍入りのデザイン、直ぐに気に入って買ったものだ。クリーニング屋の仕事には大体絶望しているので、やって失敗するリスクを抱えながら自分でやる事が多い。綺麗にならないまま身に付けるよりも洗って失敗する方を私は取るようだ。その方が納得いくのだろう。とにかく、どうにかなるだろう、最悪の場合はマンションの警備のおじさんに来てもらおうと、絨毯の洗濯作業を始めた。 お風呂場に湯を溜めて洗剤を入れて掻きまわし、絨毯をずるずる引っ張って、「よっこらしょ」と浴槽の中に。完全に浸かるように棒で絨毯を突き押す。一晩浸けると、ま~、真っ黒な水が。こう言うのが爽快なのである。これは汚れか、または色落ちか。それとも両方か。ズボンをめくり上げて浴槽の中に入り、足で踏む。だが、この後からが大変。少し動かすだけでも身体全体を使わなければならない重さ。シャワーをかけて何回もゆすぎ、ポールを低い位置に置いてその上に絨毯の端をかけ、どうにかこうにか少しでも水が捌けるよう工夫をする。筋肉痛なのか、すっかり腰がおかしくなった。とてもベランダまで持って行けないので、ある程度水捌けができればと、浴室内を「乾燥」にして6時間ファンを回す。 どうにかベランダまで引きずって行ける重さになり、太陽の中で乾燥させる。やはり太陽の力はすごい。今日は30°近い真夏日より、あっという間に乾く。内側に垂れている絨毯の半分をクンクン嗅ぐ。ん?まだ醤油の匂いがかすかに残る。せっかく乾いたのに・・・いや、この際徹底的にやろうと、洗剤とお湯とたわしをベランダに持って行き、絨毯は手すりにかけたまま内側をたわしでごしごし。何度も水をとっかえひっかえかけて濯ぎ、その後は上から手を滑らして水切り。それを表側に干して2時間後、完全に乾いた。 家の中に絨毯を取り込んだ私は犬。隅々までクンクン、クンクン。ほっ、すっかり匂いが取れました。洗われて麻の感触が露わ。爽快。代償は腰痛。あたたたた・・・ 「オートクライン」 5/16 上の方で、石垣りんの詩を無慈悲に酷評したが、概して中途半端に終わるのを嫌う私の特質が、もう1冊の本を電車の中の時間つぶしに読ませた。「空をかついで」と言うタイトルで、彼女の詩の中でも愚痴が無いものを集めたようだ。これならばと、読み続けられた。が、決して魂を揺さぶるような作品ではない。 「愛溢れさせて」がアレンジャーの手に渡り、どうにか今月のライブにお披露目ができるよう進めている。いい歌に仕上がったと思う。これは、私の母への「悔悟録」にもなるが、40台以上の女性達に共感して頂ける曲になったかもしれない。メロディーもなかなかの仕上がり。 「愛溢れさせて」を書き終えて、何かの調べ物をしていた先に、30代から40代の男性グループMr.Childrenの歌「彩り」があった。それを聴いていると、新曲をまた書く気になった、「オートクライン」。オートクラインはもともと医学用語、 分泌された物質が、分泌した細胞自身に作用する現象に付けられた名称らしいが、いい事ばかり考えている人にはいい事ばかりが訪れ、その反対も然り。自分が考えている事や言葉に出している事は皆自分に降りかかってくる。カウンセリングや教育などにも使われる言葉だとか。今最も活躍してもらっているこの国の若い人達に贈る歌かな。 ある日の電車で 乗客二人 君の言葉は 誰よりも 君の心を 切り裂いて 全て自分に 返ってくる オートクライン 夕方帰宅とほとんど同時にメールは着信したらしい。 Stella☆ Beatsは聴くところによると、オリコン1位を獲得した少女グループだとか。テレ朝からこの歌のアレンジを変えて応募して下さいと言われ浩平君に頼んだが、出来上がったアレンジに少女の声を乗せるとばっちりだった。浩平君と歌ってくれた由紀子ちゃんに心からお礼。そして審査員とスタッフの皆さま、ありがとうございます。 とてもすばらいいステージありがとうございました。 大変堪能しました。 前日、風邪気味だと言っていましたので、 少し心配していましたが、私の杞憂におわりました。 また、リハのご苦労も感じませんでした。 声の張りも伸びもよく感情移入もばっちりでした。 なによりも言の葉を堪能させていただきました。 8月4日(火)今から楽しみです。
お釈迦様と悪口男のお話 (FBから) 「どうして、あんな男がみんなの尊敬を集めるのだ。いまいましい」男はそう言いながら、お釈迦様をギャフンと言わせるための作戦を練っていました。
蚊ほど私たちに最も親しくも嫌われているものはないかも知れない。夏、窓を開ける時真っ先によぎる不安は蚊のお出まし。高層ビルが立ち並ぶ都会では少なくなったが、まどみちおが生きていた頃は、小さくとも存在感のある生きもの。随分と生活を共にしたのだろう。蚊の詩が一番多かった(^v^)。子供のような「どうして?」の視点に優しい大人の感性の深みを混ぜる作品は、またいつか同じところを読んでみたいと言う気にさせる。 Ambition 6/21 Ambitionは、研究社の大英和辞典で、大望、念願、野心などと訳されている。「少年よ大志を抱け」の大志はこのAmbitionだが、”やる気”もAmbitionと言ってもいいかも知れない。野心と言うと否定的ニュアンスがあるが、それも確かにAmbitionで表される(このように英語と日本語の違いは大きい)。なぜ急に英語になったか、単純に自然な思考の流れ。今の私の状態を表したらこの言葉が相応しいように思った。 昨日の土曜日、テレ朝の3回目のワークショップがあった。事前に提出した楽曲は課題曲ではないのでコメントはないと言う話を聞いていたが、ディレクターが進んで直接コメントを下さった。今回提出したのは2曲だったが、これまで聴かれた楽曲すべてを含めての総評なのだろう、彼の舌からすらすら滑り降りた楽曲のタイトルが、「ライバル」、「いいね」、「Yesterdayを聴いて」だった。トップはなんと言っても「ライバル」らしい。太鼓判を押してくれているような太い芯が通った表情だった。そしてにわかに顔が緩んで「いいね」と続いた。次にほんわりとした表情で「Yesterdayを聴いて」。楽曲のテーマに沿ってそれを語る表情も変わる(^v^)。付け加えて、私はソングライターではなく、シンガーソングライターとしてフル・パッケージで売ればいいと言うコメントも頂いた。だがテレ朝ミュージックはアイドルグループを追いかけるマーケット向けのビジネスをしているので、私にはNG。ビジネス視点のみから捉えたら、これ以上の動きは無いのだろう。 ついでに「ママ、どうしよう」の2次審査の結果を訊ねると、1週間以上前に結果は発表され4曲が選ばれたそうな。そこには残らなかった。4曲の内から1曲が最終的に選ばれるようだ。 レコード会社や事務所に自分をアーティストとしてフルパッケージで売り込む、そのために誰かにアプローチする。これは結構エネルギーのいる事だが、今一動く”熱”が私には十分にない。これまでの成り行きを静かに俯瞰すると、必ず扉は開けられように想う。何度も書いて来たが、私は一度として人生で歌書きになろうと想った事が無い。突然書くようになった、というか、書かされている。テレ朝との出会いにしても、それまでのビクターのディレクターとの密室交流から自らを解放し、私の楽曲を”広場”に出した切っ掛けになった。この意義は大きい。対ひとりではなく、対大勢(組織)であるため、大勢の反応を一度に触れる事ができ楽曲の行方が明瞭になった。付き合いが浅く広いから、さわやかでもある。また、その感性を信頼できる人との出逢いと丁寧なアドバイス、歌書きとしての私を一段高い場所に導いた。これも全て流れに素直に乗ってきた結果だ。 行くべきところにひたすら向かっている。時期が来れば、出口へと誘う人との出会いがある、あちらから来るのか、こちらからアプローチするのか。周りの曲を聴いていても、私の楽曲が出て行くようになっているように想う。静かなAmbition。(●^o^●) 肉食 6/21 以前から肉は好きではなかったが、料理が簡単という事で食していた。大きな仕事がある場合は、身体がスタミナを自然に要求し、焼き肉を食べに行く事もあった。だが、数ヶ月前からインドの伝統医療アユル・ベーダ式に、朝起きて白湯を飲んだり食事中も白湯を飲んだりしていると、肉、アルコール、コーヒーをほとんど摂取しない。頑張ってそうしている訳ではないが、身体が要求しない。もちろん欲しい時もあるので、その場合は抑えないが、白湯の効果はすごいなぁと想う。日本女性に多い便秘に効果抜群だし、脂肪を含め身体に要らないものを白湯でどんどん体外に排出しているように思う。 野菜だけの料理も、最近は健康ブームと言う事もあり、色々出ているようだ。手間がかかり敬遠していたが、どうにかできそうだし、やっている。 クワズイモ 6/24 冗談で付けたような名前、「くわずいも」。昨日ふと新しいプラントを置いてみたくなった。プラントの名前を覚えるなんてまず無いので、記憶のために此処に書いておく。そしてこれまでの場所を新参者に譲り、ベランダに当分置かれる事になったのがオーガスタ。根が張り過ぎて数年前のこぎりで切ったせいか、新しく出てくるものが大きく育たない。昨日の花屋さんの話によると、鋸で切った事では無くて、古い葉の茎の処理の仕方が不適切だったらしい。オーガスタは捨てる訳ではないが、落ち着くまでベランダにいてもらう。 それで新しくやって来たクワズイモは真っ白で細長い陶器のプランターの上でとてもエレガントに”聳えている”。大変気に入っている。細長いので根まで水をしみ込ませるのに3度に分けて水やりをする手間がかかるが、ま、やってみよう。 南向きの太陽がまぶしい方向に置いてあるので、昼間は逆光になってしまう。夜まで待って再度撮ってみた。(^_-)-☆ 買った昨日は、この上のブログで書いた思考の転換があった日。お祝い。 あるがまま 6/25 今朝、「本当に私たちの人生はあるがままにしかならない」と光が射して来たように想った。自分が決めているように想っているけれど、”私”はないのだろう。大筋、歌子さんが出して来たリーディングのままに私の人生が運ばれているのを見ると、改めてそう思う。細かい事件は、人生を今より高次元に運ぶ手前の気づきに至らせるために、起きる。つまり、腹立つ事も、陰湿な陰口との出会いも、あるべくしてあった事。やはり、「起きる事は全て良い事」なんだぁ~。はあ~(これ、感嘆のためいき)。そう思っていても、渦中にいる時は煮えくりかえるのよね(グツグツ、あつ~う)。 いつかあるがままの人生をそのまま生きるようになると、やがてこうなる: 「彼女、あなたの事をいろいろな処で言っているわよ」 「あ、そう?」 いつそこまで行けるかね? ま、少しづつ行きましょう、ね。(^_-)-☆ 本能寺を焼いたのは誰だ 6/28 高校時代の友人から招待を受けフォークソング・コンサートに埼玉戸田文化会館まで行って来た。出演は、あのねのね、海兵隊、あべ静江だったが、初めて見た武田鉄也のステージ、心から爆笑するトークが満載。例えば、 高校の日本史の時間。教室で悪さをする生徒がいて、教師が「誰だ~!」と生徒たちに怒鳴る。名乗り出るものはいない。苛立ちを交えたまま、教師は授業を再開。内容は安土桃山時代。教師が声高にクラスに質問を投げる、「本能寺を焼いたのは誰だ」誰も答えない。ある生徒を名指す。するとその生徒、 ♪ 糖尿病のxxxさんは爪の色で病気を当てる だから病院へ行こう やっぱ病院へ行こう 素敵な仲間が待っている 嫁より元気じゃまずいから そうだ病院へ行こう やっぱ病院に行こう 一人で健康でいるよりも 少しの病気の方が みんなに優しくされるし できる だから病院へ行こう みんな元気で集まれ 病院へ 久々に旧友たちと 6/30 先週の土曜日は旧友たちと数年ぶりの再会を楽しんだ。中には40年ぶりの人もいた。何も語らずともその姿からどのように生きていたか、そのドラマを感じ取る。わざわざ語る事も無いと黙している人、こちらから訊ねずとも語りだし自分の人生ドラマに眼を潤す人、いろいろだ。「全く変わっていないね」と言う言葉は相手を喜ばすようだ。年老いて見えないという意味が含まれていると取るのだろう。だが、わたしは「変わった~!」と言う言葉が好きだ。「変わった~!」と開けっぴろに言える事は、あの時よりも素敵に生きているという意味合いがある。黙して変わったなぁと思っている時は、発言すれば傷つけるかと遠慮している。 僅か1年だけの付き合いだったが、それでも呼んでくれるこの旧友たちを大変ありがたく思う。 |
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