2016年2016年


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  9月

脅威? 9/29   天才たち 9/24  感動だった 9/23  初心者卒業 9/22  何だったんだろう 9/20  谷川さんちに電話 9/17

おもしろい 9/17   しまった~! 9/15   2回目のふ~ 9/1   ふ~ 9/11  島根観光 9/8   対サウジアラビア 9/6

得手不得手 9/6  応援も、ね 9/5  神想観 9/4  秋、たそがれ 9/3  女神様みたい 9/2  重くなって軽くなって 9/1


8月

島根に 8/30  タバコとわさび 8/27

審査員 8/25  読者盆休み 8/22  さて、 8/20  ほくろ 8/18  さびしい 8/17  「別れの理由」 8/16   どしゃぶりの中で 8/15

「ノスタルジア壊れて」 8/13  幸せの決め手 8/11  悔しがれ 8/10   まだ無題 8/9  「成功の反対は」 8/8  言うまい 8/8 

言っちゃった 8/7  大丈夫、大丈夫 8/6  寿命が縮まる 8/5  虫の知らせか 8/3  「聴け 魂の声」 8/2  夏が。。。。 8/1




7月

さらさらと。。。 7/30     ・・・・・ 7/28   カラオケに行こうか 7/26  閉じこもって 7/25

善い事をしないと 7/23   軽井沢草原ゴルフ 7/20  大いなるかな 7/18  暑中見舞い 7/17    起きる事はすべていい事 7/14
 
胡坐をかく 7/12  泣く歌 7/11  自由でいれば 7/9  7月7日 7/7  踏ん張ってくれて 7/6  何か嬉しい 7/4 気温44度の中で 7/2




6月

ご縁に感謝 6/30   ??? 6/28   顔の変形 6/26  IPS細胞から 6/23  吉兆? 6/21   「愛なり」 6/20

根強いファン 6/20  「お一人様の旅」 6/19   海浜幕張 6/17   だと思う 6/15   雨中ゴルフ 6/13    退屈しない 6/12  
 
まるで 6/10   莫妄想 6/8  驚嘆! 6/6  不思議な恵み 6/6  天の恵み 6/5   君は! 6/4   霊性の覚醒 6/2




5月

淡々と進めて 5/30   Let It Go 5/28  あなたが歌う 5/27  期待 5/24   まもなく全仏オープン 5/24    言わずには 5/21

めげない 5/19
  めげたらダメよ! 5/18  頭痛 5/16 真実に生きる 5/14 火照る 5/11  嗚咽 5/10 「紅茶ができるまで」 5/9

歯がゆさ 5/8  「時には娼婦のように」 5/7  生まれ変わったら 5/5 くだらない奴 5/5 「幸せはあたりまえ」 5/2 なんと清々しい 5/1   




なんと清々しい 5/1

ああ、この空気、この暖かさ、この鮮やかさ。5月。朝起きて窓を開けると、至福の喜びで思わず微笑んだ。ああ、神様が私を守って下さっているという心からの実感。こんな気持ちは体験者でなければ分からないだろう。”幸せ”というのとも違う、全身が大きな力で守られ包まれた正に”至福”そのもの。安全なのだ。安心なのだ。

昨日までどうしたらいいものかと思い悩まされていたことがあったが、心が騒いだだけ。すべては既に解決されていた、神が解決して下さっていたのだと気付くと、改めて私の生きる道に自信を得た。神としっかりつながっていれば、解決を求めて開く本、そのページさえ、私が探さずとも現れてくる(同じような事をよく聞いたが私に起こっている)。読もうと手に取り落してしまったものを拾い上げた時、開いていたページにまさに私が探していた言葉があった。そんな不思議が重なる度に、神にしっかり守られているという実感に包まれ、何も恐れる事はないと改めて思わせられる。見ていてくださる。

今年は2017年。思えば私が初めて神の傍に行こうと京都まで行ったのが2007年3月。あれから10年。私の生き方はまるっきり変わった。毎日が精進。今日はこんな私でも明日はよりベターになっている確信。だからあるがままの私で躊躇う事も無く、繕う事も無い。「そのままでいなさい」。教えられたこの言葉の意味が当時はよく分からなかったが、今は分かる(と思う)。人は何がどうあろうと善くなって行くようになっている。そのように人間は創られている。幾度の生まれ変わりを経るのか人によって異なるだろうが、神を知り神と共に生きる事を知って善くなるスピードが速まる。

横を見なくてよい。横を見る者は他者の分析ばかりしたがる。人と比べ、人からどう見られているかを気にし神経をすり減らす。常にまっすぐ神を見るものは自分と神の差だけに心配る。「さとる(悟)」とはこの神と自分の”差”を”取る”事だとうまい事を言った人がいた。横を見れば互いの解釈で物事は様々に色を変え、どんな色になるか気にして無駄なエネルギーを使う。善き方へと導かれる神の言葉に全集中をしていれば、思いわずらう事も無い(時に逸れて私は横を向いてしまう事もあるが)。

数日前に読んだ、ビジネスPHPの中で、「歴史に学べ」と言った人がいた。松下幸之助は仏教と儒教、稲盛和夫氏は仏教の教えをベースに、それぞれの信念を持たれたとある。長い時を経て培われた人間の知恵と経験の言葉に耳を傾けよという事だ。このブログでも数回に亘って書いたが、宗教は「生き方」を教える。数千年前に誰かに降りてきた神の言葉が多くの人に伝えられ、そこに真理を見出したものたちがその真理を引き継いできたのだ。なんとありがたいことか。その真理に触れて生き方を変えた私も、今至福の中にいる!

神一元の世界。人は神の創られた世界にいる。嫌な事や人は、あなたを悟らせるためにやってくる。大変な修行だが。。。。大変だからこそ、悟った時の光の輝きがすごい!

単純に考えるがいい。真実で無いものに傾倒し、長く伝え続けるほど人間はアホじゃない。歴史を俯瞰せよ。自分自身をも俯瞰せよ!

追伸:昨夜、谷村新司の新曲「スタンダード」をテレビで聴いた。「100年後僕はもう一度君に逢いに来る・・・・見えない力に包まれている事に気づいた君に逢いに来る」と言う歌詞。天から頂いた楽曲「昴」に自分自身が導かれたと本人が言う。そして彼も見えない力を見るようになった。




「幸せはあたりまえ」 5/2

私の一日は瞑想から始まる。この瞑想中に色々なアイデアが訪れる。ふと訪れる、ふと。今の私はこのふと降りて来るアイデアを必ずキャッチするようにしている。

瞑想が終わると心が訳もなくルンルンしているようだ。「ようだ」と書くのは、気付いたら勝手にメロディーが滑り落ちて来るから、「ああ、私は楽しいのだ」と分かる。そして「ふふ。。」と自分に笑う。出て来るメロディーは新しいメロディーがほとんどで、誰かが歌っているものも時に出て来る。最近よく出てくるのが、なぜだか、奥村チヨが歌った「恋の奴隷」。「♪悪い時はどうぞぶってね」と腹が立つ詞を一体だけれが書いたかとみると、あらま、びっくり、なかにしれい。畏敬を抱く作家だが、こんな詞にはムッとする。一度三枝成彰氏が団長を務める六本木男声合唱団のコンサートで私の直ぐそばを通り、にこやかに微笑みかけきたその顔が蘇る。怖いもの知らずというか、彼ほどになればどんな言葉でも許されると言う思いで書くのか、”不浄に”印象深い歌詞だ。そういえば、「時には娼婦のように」と言う、ぽか~んと口を開けて笑ってしまう歌詞も彼の作品だ。あっぱれとしか言いようがない(実は私もあのような歌詞を書いてみたいと思う、あは)。

新しい曲の時にはすぐに録音するが、とにかくよく出て来る。ちょっと大げさに言うと毎朝滑り出て来る。それ以外に既に作った自分の曲も自然と口ずさんでいる。こちらもどう言う訳か、いつも「ゆるやかな日々」。あまりによく出て来るので、「この曲、いいのかなぁ」などと思ったりする(笑)。

創作の時期に入ったようだ。タイトルは「幸せはあたりまえ」(暫定)。人は幸せになるのが当たり前。光が射す方向を向いて行動さえすれば。赤い糸を染め直そうと去るものを追っていては、苦しい事が多い。去るものを笑って送り出せば、去るものが去って空いた席に新しいものが来る。失くした愛に執着する人をテーマに書いた。

歌作りが面白い。どう終わるのか自分でも分からないから(^^♪。最初はぼやっとしたテーマがあるが、書いていると別な方向に行ってしまう。するとメロディーも変わる。今回は全く異なるメロディーが二つでき、それに合わせて歌詞も調整。この自然な動きを私は好んで取る。それがロックかも知れないし、バラードかも知れないし、シャンソン風かもしれない、歌謡曲かも知れない。どれでもよい。

「幸せはあたりまえ」は、さて、どのジャンルに入るのだろう。私にも分からない。




くだらない奴 5/5

日本ハムファイターズ監督、栗山英樹がその著書「栗山魂」に書いている。

ー自分との約束を破る人間くらい、くだらない奴はいない・・・・周囲に認められない怖さ、仲間外れになる怖さは、実は大人になっても誰もが持っているものです。だから、僕たちは周りに流されてしまうことがあります。では、自分が逆の立場になったとき、どんな人に好意を持つでしょう?自分で考えて、信じていることを、いつも周囲に惑わされずやっている人に、僕は惹かれます。素敵だな、と思います。だから、自分で決めたことぐらいは頑張ってやってみようとしています・・・・これは誰も見てない、誰にも気づかれないという約束でも、守っているか、破ってしまったのかは、自分なら分かります。破った時は心が痛みます。とても苦しい。・・・自分との約束を守った時には、喜びが得られます。…その喜びは自分自身に対しての大きな自信につながっていくのですー

王道を歩かずに志を貫徹する人たちは、例外なく同じ魂を持っている。正論とは違う事を考える。出発点から王道を歩くようになっていないのだから、当然と言えば当然だ。ある地点にたどり着くには、高速道路もあれば、国道、県道、私道、あぜ道、茨道、獣道といろいろある。徳があり、志が高く、実行力があれば、獣道もやがて歩きやすい道になる。

「監督の言っていることは、全部間違っていますから・・・・正しい事をやろうとするから難しいのであって、自分はこれが正しいと信じたなら信じた道を行ってください。それは間違っているけれど、監督が信じた道ならいいじゃないですか」吉村浩、ファイターズ・ゼネラルマネージャー

昨日偶然に、極左翼の学生運動「浅間山荘事件」から生き残った者たちへのインタビューがBSで放映されていた。そこに極右翼のリーダの言葉が突き刺さったー「愛と正義」ほど恐ろしいものはない。愛国と言う名の下で、どれほどの人たちが殺されたか。正義についても同じことが言える。

最近は「親の話を聞くな、周りの話を聞くな」と歌う人もいるし、言う人もいる。他人の物差しでない、自分の心の深奥にある物差しを使う事だ。他人と自分は違った個性を持たされているのだから。これは自分を応援する人との協調を妨害するのものではない。そして自分との約束は必ず守る。




生まれ変わったら 5/5

二つ上で作詞家のなかにし礼の事を少し書いたが、本日彼がご自分の書いた歌詞を解説する3時間番組が放映された。

いや~、すごいねぇ。すごい、すごい。民俗学から、歴史から、様々な勉強をしている。あの凝縮された歌詞の中に、彼が掘り起こし積み重ねて来た諸々のものが潜んでいる。素晴らしい感性と知性と、度胸と純粋さ、そして遊び心。

生まれ変わったら、わたしも。。。。(あははは・・・)でも一つだけ、今生で彼に倣ってやってみたいことがある。恐れなく、呆気にとられるような歌詞を書くこと(がはは。。。あれ?私、ひとつ書いたような気がするけど「僕がママを守るんだ」)。




「時には娼婦のように」 5/7

ときには しょうふの ように♪・・・とインストラクターの近藤先生が鍵盤を叩く。

「初めの僅か2小節のメロディーを聴いただけで、どきどきするの。歌詞とメロディーがぴったり合っているの」。近藤先生は、おそらく私より少し年上だろう。大変小柄で、いつも帽子をかぶっている。大胆な行為をするとは想像できない小さくか細い方が、この曲に関するコメントを言うので、おかしくもあった。クラシック畑の出だが昭和の歌謡曲にも耳を傾けるようだ。誰が歌っていたのかも、私は知らなかったが、彼女は知っていた。

この楽曲は、有線でリクエストランク10位に入り、ある地方では3位に入ったそうだ。「うわ、なに、この歌?!」ともう一度聴いてみたくはなるが、恐らく、CDを買うまでにはいかないだろうなぁ。この曲を家で何回も聴いたり歌う人は、どんな人だろう。。。。(*^-^*)

昨日の2週間ぶりのレッスンで、3年前に作った「化粧を落とした後で」(「化粧を落としておくれ」からタイトル変更)にチェックを入れてもらうと、「スリルがないのよね」と言う。「スリル?」私のこの反応に対し、上で言った「娼婦・・・」の最初の数小節のメロディーが鍵盤上で鳴らされた訳だが、う~ん、シチュエーションが違うんですよね、先生。だが、「化粧を落とした後で」もセクシュアルなテーマなのだ。私は精いっぱいセクシーにした。森進一にでも歌ってもらえたら良いかなぁと。

スリルを高めるために彼女は二つの事をした。なるほどねぇ~。ニタニタ




歯がゆさ 5/8

ゴールデンウィーク中の話だ。ジムの仲間に誘われて、地下鉄駅の近くのイタリアン居酒屋に飲みに行った。この店は以前から入ってみたいと思っていたので、最近は小さな願い事をはじめ願いがすべて叶うなぁと、上の近藤先生の”ドキドキ”とは違う種類のドキドキ感がある。

私たちのテーブルの横には、2組の家族連れがいた。酒もたけなわになった頃、横のテーブルの二人の子供たちが子供特有のあの甲高い声で最大音量で目いっぱいに騒ぎ立てている。一組の親は子供たちの楽しさを一緒になって喜んでいる。完全に私たちのテーブルの会話が成り立たなくなった。その時、とうとう堪忍袋の緒が切れた私の前に座った男性の怒声が隣のテーブルに向かって飛んだ。迫力があり、その言葉の野性にいささか私は面食らった。私たちのテーブルの直ぐ傍に座っていた父親の一人が謝ったが、吐き出したいものがあるのだろう、何度も私たちの方へ身体を向けていたが、とうとう立ち上がり、怒声を飛ばした男に向かって声量コンテスト参加者のように声を張り上げた。

始まるのか、皿でも飛ぶかも知れない。身構えた。「xxxxさんの言い方が悪い」と介入したところから、彼も相手に謝ったが、その父親が放つ理屈が何かおかしい。子供連れでも店は入れてくれたのだ。店から言われるならまだしも客から言われては腹が収まらない。するとその女房も言い返してきた「うるさいなら個室を取ってください」。

個室を取るのはあなた方ではないか。子供は騒ぐものだ。周りに迷惑をかける人が個室を取るべきじゃないか。するとその父親がまた同じ言葉を繰り返す「子供が入ることを店は許可したのだから」。何かがおかしいと思いながら、言うべき理屈がまとまらない。歯がゆい。いつの間にか、隣のテーブルの母親たちと子供たちは店を出て行ったが、父親二人が残り、私たちと酒を酌み交わすほどに穏やかになった。

家に帰ってもあの父親の理屈に、私の頭の中では緞帳が垂れていた。ようやくその緞帳が上がった。店は子供が入ることは許可したが、あの音量で騒ぎ立てる事まで許可したのか。あの音量で騒ぎ立てられた事で、周りの人達の快楽が破壊された。その事に親は無関心なのか。親が無関心なら、当然子供は気遣う事を覚えない。「子供はのびのびと育てたいので」と言ったが、ここは野原ではない。大人のテリトリーのほんの隙間に入れてもらった場合は、そのテリトリーでの作法も教えて良いのではないか。それよりも”のびのび”と育てることが最重要なら、個室を取るのはあなた方ではないか。40代ほどの親たちだったが、私は頭をひねった。

大人中心が西洋の文化、日本は子供中心の文化だとよく言われるが。。。。。あの親たちもこの一件から学んだであろう。そう期待したい。




「紅茶ができるまで」 5/9

72曲目になる。内容が伴わなければ苦しいが、数字はやる気にさせる指標かも知れない。音楽業界の人から「どんどん書いて下さい」と言われたのが2011年だが、まさかこんなに書くとは自分でも驚いている。書く材料がまだたくさんあるから、今年は何曲まで行けるか楽しみでもある。

この楽曲に関しては、「逆さの砂時計」と言うタイトルが最初に出たが、タイトルを理解するのに頭がひん曲がる。理解できます?それで「紅茶ができるまで」とタイトルを暫定的に変更した。紅茶ができるまで使われる砂時計なら、だれしも納得できますものね。紅茶ができるまで砂時計を逆さにして自分のコーヒーをの飲まずに待ってくれていたあの人。もう戻ることの無い仲睦まじかった時のあの時間に、せめて紅茶ができるまでの3分間戻してくれたら、私はあなたに詫びて、あなたのシャツが濡れるほど泣くだろうという、別れ歌だ。本当は優しく受け入れたかったのに、心にもなく突き放してしまった強がり。そんな自分を悔いる歌。

愛が深ければ、別れの苦しみも深い。




嗚咽 5/10

平野啓一郎の新作「マチネの終わりに」に嗚咽した。

夜、眠るよりも続きを読みたい。朝、通訳先まで47分の乗り換えなしの車中で続きが読めることが嬉しい、そう思わせる作品だ。これが実話に基づいて書かれたと言うのだから、主人公たちに起きた出来事へののめり込みが違ってくる。天才的ギターリスト蒔野聡史と天才的映画監督(クロアチア人)と日本人の間に生まれたイラク報道の美人ジャーナリスト小峰洋子の人生物語と言うか恋愛物語。初めて逢った瞬間に共に恋に落ち、3度目で結婚の約束。ジャーナリストの彼女には米国人経済学者のフィアンセがいる。その結婚を解消し二人は連れ添うとするのだが、蒔野のマネージャを勤める年若き三谷の横恋慕で、偽りの別れのメールが三谷の手で蒔野の携帯から洋子に送られる。そこから展開する悲劇。

洋子はフィアンセと元のさやに納まり、蒔野は彼に人生のすべてをささげている三谷と結婚する。そして出会いから5年後、ニューヨークで蒔野のコンサート会場の一番後ろの席で洋子は閉じた瞼の隙間からこぼれ出て来る涙を抑えきれないまま、蒔野を見、彼のギターを聴く。その洋子を、観客の予期せぬ喝采に立ち上がった蒔野が見つける。時が止まったように蒔野は一瞬立ち尽くす。アンコールに応えて再度ステージに現れた蒔野は観客に初めて言葉であいさつする「この会場は初めてですが、音響もよくすっかり好きになりました・・・・(沈黙)今日は天気もいいので後でセントラルパークの池のあたりを散歩しようと思っています」。もちろん、洋子はそこで待っていた。

「天使よ!私たちには、まだ知られていない広場が、どこかにあるのではないでしょうか?そこでは、この世界では遂に、愛と言う曲芸に成功することの無かった二人が。。。。。彼らは、きっともう失敗しないでしょう、。。。。再び静けさを取り戻した敷物の上に立って、今や真の微笑みを浮かべる、その恋人たち。。。。」


誰をも批判しないタッチで平野は書く。三谷さえ。それぞれがそれぞれの正しいと思う選択をしている。読者の血の気を引くタイミングが絶妙だ。読後、読書用と瞑想用に使っている肘掛椅子に座ったまま、私はしばらく薄いカーテン越しに空を見ていた。直ぐには他の事をしたくない。この二人を再会させてくれた作家に感謝しながら。そして実話でもそうだったことを願って。




火照る 5/11

フランスの大統領に就任したエマニュエル・マクロン氏。フランスで移民がテロを起こしている、移民を排除すべきという声が上がる中で、仮に移民がテロを起こしているなら、問題は国家にある。移民に不平等な政策を施行しているからだと主張し、多くの支持を集めたと言う。

人は主に経済的理由で地球上を移動して来た。人類史上、移民のいなかった国家はないだろう。どの国も移民と共にその文化を醸成し経済成長をしてきた。早くその土地に棲みついたものが優先的に保護され、後に来たものが差別を受ければ、当然ギクシャクしてくる。自分が後者の立場にいれば、受け入れがたいだろう。みな生きたいのだ。いい生活をしたいのだ。移民を受け入れる側も移民として流れ入ったものも、共に生きる新しい共同体を作る事で、国家は存続してきたのだと思う。移民が安い賃金で働くから自分たちの仕事が無くなると言って排斥するのではない。バランスが取れるような政策を国家が発案実効しなければならない。移民受け入れに寛容な国々にはこのような考え方があるのだろう。

さて、そのエマニュエル・マクロン氏の妻ブリジットは夫より25歳年上で(正確には24歳8か月、現在64歳。対しエマニュエルは39歳)、元は教師と生徒の関係。ブリジットの娘とエマニュエルは同級生。ある日、ブリジットの娘が「ママ、私のクラスにすごい人がいるの。いろいろな事を知っていてすっごく頭がいいの」と告げると、演劇部の担当をしていたブリジットはエマニュエルを演劇部に誘った(頭が良いと聞いてなぜ演劇部なのだろう?)。エマニュエルが演劇部に入るや否や二人はものすごい速さで親しくなって行ったそうな。そして、エマニュエル17歳の時、「あなたに何があろうと、私はあなたと結婚します!」とブリジットに宣言したらしい。

くわ~!身体が火照って来るような感覚。若く天才的頭脳の持ち主からそのように迫られ、思考の世界が同じなら、子供たちも20代後半と十分に成長した時、それは行きますよね~!それで交際10年にしてブリジットは離婚し二人は夫婦になる。エマニュエル・マクロンは今でもブリジットの意見を聴かない限り行動を起こさないようだ。

この話を聞きながら、フランスの個人主義を改めて思った。周りにどう思われるかなど個人の決断要素に入れない。米国や日本と異なり、ヨーロッパの映画をみていると、主役を演じるのは特別美人でもなく、一見何の変哲もない人達。ある一つのヴィヴィッドな個性なのだ。大勢が追いかけるだろうと思われるアイドルじゃない(吉永小百合は日本で生まれたからこその人)。

かつてヤクルトスワローズにペダジーニと言う打者がいた。彼も彼の同級生の母親と結婚した。一度西武球場に通訳で行った時、彼と奥さんを見た。ペダジーニは他の選手と一緒に並び、妻は15メートルほど離れたところに立っていたが、心細いのか、または一人で立たせている事を気にしているのか、頻繁に目線をワイフに移していた。

血や骨は身体を頂くためにあるもの、魂が魂を惹きつける。彼等を含め、前世からの繋がりが個人と個人を繋がらせているのかもしれない。




真実に生きる 5/14

上二つで書いたブログに共通するところがある。平野啓一郎作、実話に基づく「マチネの終わりに」に登場する主人公たち、そしてフランスのエマニュエル・マクロンとその妻ブリジットは共に”真実に”生きている。

「マチネの終わりに」に登場する二人は”事情により”それぞれ本命でない人と結婚し(小峰洋子は後に離婚)その間にできた子供もいる。天才的ギターリスト蒔野聡史は彼の音楽と彼自身に全人生をささげる事に喜びを持つ妻に愛着を感じ、我が子を心から愛している。だが、人生や音楽など深い話ができる相手ではない。何度も思い悩みながらも、「愛と言う曲芸に成功することの無かった二人は、きっともう失敗しないでしょう」と、かつて洋子が読んだリルケの詩を思い出しながら、セントラルパークに向かう。それは自分の魂の真実に向かったと言えるだろう。

そして、エマニュエル・マクロンとブリジットもそうだ。夫も子供もいるブリジットに「あなたに何があろうと、私はあなたと結婚します!」とエマニュエルは宣言しそれを現実化した。夫婦である事への二人の幸せは、彼らが映されたテレビ画面や出版物によく表れている(現米国大統領夫妻とはえらい違いだ)。強く惹き合ったものたちの、社会の意識の枠組みに囚われない、自分の真実を追求する姿をそこに見る。

色々な人がいて、色々な生き方があって、この世は成り立っているのだろうが、真実に向かう姿には恐らく弁解が無いだろう。すがすがしい風が薫って来るようだ。




頭痛 5/16

井上ひさしの戯曲に「頭痛肩こり樋口一葉」と言う名作がある。一葉は頭痛持ちだったが、その頭痛は何かその時の社会的抑圧と関係するのではないかと、作家は様々な文献を漁り頭を悩ましていたらしい。そんなある日、書斎で朦朧としていた井上の前に一葉が現れ(本当に彼はそう言っている)、一葉の時代女たちは髪の毛を長く伸ばし頭のてっぺんで結っていたため、皆頭痛ものちだったと話す。

あ~、ほんと、髪を頭のてっぺんでまとめ、それを下ろした後の頭の痛さと言ったら。。。。。(*_*;。結い解いて6時間たった後も私の頭蓋骨がヒリヒリしている。頭に筋肉ってついていただろうか。ならば筋肉痛か。今日は業界の人に会うので少し気を入れて若作りをしようと、大分長くなった私の髪を上でまとめた。地味にかつ落ち着いた感じにしようとする時は、視床下部辺りで結うが、若く活気ある雰囲気にする時はつむじ近辺まで髪を上げて結う。あ~なんとも痛い。頭痛で本を読む気もせず。とほほ。。。

それでネット上で野球中継を消音にしたまま、ながら族をやっていたのだが、これがいい。いつの間にか点を入れたなら、ライブ中継であっても入れたところに戻って再生できる。それにしても阪神、よう勉強してくれはったわ。投手の心理が読めない昨年と違い、今年は危いところで替えるし、ほとんど勝ちっ放しではないか。勢いが違う。選手が頑張ってくれるので金本監督もうるうるしている様子がよく分かる。この人は感情を隠せない人だから、勝った後の監督インタビューまでどこかで泣いていたのだろう、その痕跡が随所にみられる。で、私も一緒にうるうるしている。人を応援するのは、ほんまに温まりますわなぁ。

さて、テニスの錦織君よ、イタリア国際で頑張らんと、つぎの全仏オープンは。。。。




めげたらダメよ! 5/18

「妻です」
「あはは、冗談でしょ?お嬢さんですか」
「・・・・」
「・・・・(妻に)本当に奥さん?」
「はい」
「(仰天)何歳違うの?」
「43」

根掘り葉掘り訊いてしまいたくなる。昨日のゴルフ場での事。このカップルはどこに行っても同じ質問を沢山受け同じ答えを繰り返して来たのだろう。二人とも、同じ質問に答えるのが嫌でもなさそうだ。野次馬的で躊躇ったが、二人のそんな雰囲気に甘えて訊いた。

妻曰く:いま24歳。結婚して2年目。夫は自分の父親よりも15歳年上で現在67歳。二人は同じ職場で働いていた。職場に出入りする人たちはオジサン達ばかりだったので、同い年の男は物足りなかった。結婚生活は楽しい。
夫曰く:先妻とは死別。”義父”からは絶対娘を幸せにするなら許すと言われた。現在リューマチを患っている。介護してもらうよ。彼女は結構面倒見が良いんだ(*_*;。
妻曰く:私介護好きなんです。御祖父ちゃんお祖母ちゃんが好きだったから。

恐らく昔から日本人も結構自由な結婚をしていたのかもしれない。この二人は親子と言うよりも、祖父と孫のようにも見えた。彼女が夫を呼ぶ「あなた」が妙に印象に残った。そして夫の言葉も、「めげたらダメよ!」

ですね。




めげない 5/19

松田聖子を世に出した事で業界では知らない人がいない剛腕プロデューサーの若松宗雄さんとのつながりが、恐らく彼の思い込みの強さで、途切れてしまった事は、大変残念だった。「歌のうまさじゃない。人なんです」と強調され、私を一目見た時から気に入って下さったようだった。そして私が書いたいくつかの楽曲も。「互いの信頼が一番重要なんですよ」とご自分の過去の苦い経験を滲ませながら何度も言われ、私をプロデュースする方向で動こうとされていたが。。。。彼にとっては私が静かに待つ事が彼を信じていることの証だったのだろう、私からの連絡を嫌がられた。「これはどうなっていると訊いてくるようでは無理です」と最後の電話を切られた。

この残念な結果に、「どこかに相性のいいのがいるよ!ビジネスだよ。早く進めるのは当たり前だよ」と少ししょげた私を大学の先輩が励ましてくれた。その先輩の言葉を最近思い出し、相性の良い人がどこかにいる筈だと動き始めた。

で、お二人にお逢いした。お一人は某有名歌手のプロデューサーで、私の楽曲をその歌手に歌わせる可能性を仄めかし、私の連絡先を訊かれた(まだ連絡はないが)。もう一人は超有名アーティスト二人が所属する制作部の統括部長。こちらは、楽曲提供には関心がなく、私を出すことに興味を持たれたが、会社自体が利益先行型になり若者向けの音楽に傾倒しているので、「そうでなければやりたいが・・・」、役に立てるかどうかわからないが楽曲を聴きたいと言って下さった。

どこかにいるだろう、相性がよく力があり、私の楽曲または私自身に興味をもたれ「やろう!」と言われる方が。でなければ、音楽を勉強したことも音楽の世界で活動しようと考えたことも無い私に、神が歌を書かせるわけがない。責任を取られるだろう。アレンジャーのAnzも「素材はすべてそろって来ているので、あちこち出して」と私をけしかける。2010年初めて曲を書いた時からの付き合いだから、私の曲作りに成長を見ているようだ。

めげずに踏ん張っています(^^♪。




言わずには 5/21

スーパーのレジで一人の婦人が会計手続きをしていた。その後ろに並んでいる風でもなく、レジカウンターから1メートルほど離れたところに、20代後半から30代前半の若い青年がもぞもぞしながら立っている。私が婦人の後に付くと、「並んでいるんです」とゆったりした口調で青年が言う。その青年を先に行かせ、彼がレジカウンターに出したもの見ると、ウィスキー一本だけ。最高気温30度と言う今日の暑さにも拘らず、長袖の草色のジャケットを着ている。「え、ウィスキー一本?」青年に聞こえるほどの声で私は言った。その横顔はイケメンの枠に入れられるかも知れないが、その動作には重度手前のアルコール依存症が伺えた。

気になり、エスカレーターを降りて行く彼を眼で追った。アル中の特徴か、まっすぐきびきびと歩けない。ズボンは少しずれ落ちセンターラインもずれている。「なんと言う事、その若さでアル中になると言うの?!」黙って見過ごすことができず、私は小走りで彼に近寄り声をかけた。「今からウィスキーを飲むの?」チラッと私を見て青年は弱弱しく頷く。「アル中になって自分の未来を壊してはダメよ。あなたの未来は今あなたがどのように生きるかに関わっているのよ。自分の未来をどうしたいか考えるのよ。あなた、いい顔をしているのだから、その顔に合うように生きなさい。」

この青年の人生が壊れていくかもしれないと考えるといたたまれなかった。手を差し伸べなくてはならない、何かしてあげなければならない、そんな衝動が私を突き動かした。青年はにこ~っと笑い、弱弱しくかつ恥ずかし気に「ありがとうございます」と返し、高架下に向かって歩いて行った。

高架下のあの暗いところに座って彼はウィスキーを開けているのだろうか。父親もアル中だったのだろうか。女の子に振られでもしたのだろうか。こんなに若い青年がアル中になるほど、日本は生き難くなったのだろうか。様々な想いが過った。私は彼の命を拝み祈った。「自分を壊しちゃダメよ!」




まもなく全仏オープン 5/24

世界テニス界の4大大会のひとつ、全仏オープンが今月末から始まる。ここはクレイ・コート(赤土)。このグランドスラムでしのぎを削りあう世界トップクラスの選手達が、この大会に先駆けてやはりクレイ・コートで行われる各種規模の大会で心技体を磨いている。赤土の王者と言われているのがスペインのラファエル・ナダル(31歳)。猛獣のようだ。食ってやる!と言わんばかりの打球の勢いと角度、そしてあの目つき。世界ランクトップに君臨したこともあり、グランドスラムで歴代最多タイトル獲得者のロジャーフェデラーの最強ライバルだ。

クレイで自分を倒せる人はいないと思うのか、ナダルには勝利の気風がみなぎっている。そのナダルと5月初旬から始まったマドリード大会の決勝戦で戦ったのが23歳のドミニック・ティーム(オーストリア)。ティームは見事なプレイを見せたが、ストレートで負けた。そして間をおかずに中旬から始まったイタリア国際。何の縁か、ナダルとティームは準々決勝で再度勝ちあう事に。

ここだ。「うわ、またナダルだ、苦手!」と思うのか、「今度は絶対勝たせない!」と思うのか。23歳のお坊ちゃんのようなティームと猛獣のようなナダル。一見小鹿と豹の組み合わせだ。ところがであるティームはナダル倒しの作戦を十分に練っていた。徐々に前に進んで打球し相手のリズムを狂わせベースラインぎりぎりの深~いところまで飛ばす。ナダルは返せない。この二人の試合に観客は思わず立ち上がって拍手喝采。お見事~!

結果、ティームがストレート勝ちした。その闘志に感動の渦。時々見る観客席のあくびなど存在しない白熱の試合。私もテレビ観戦しながら大きな拍手を送った。

だが、そのティームの次の試合相手は、昨年まで世界ランク1位だったセルビアのジョコビッチ。勝てないことはなかっただろう。だがナダルとの試合でエネルギーを使い切りコントロールが揺らいだのだと思う。かつて錦織圭が当時世界2位のアンディー・マレーとの試合で気力のすべてを出し切り次の試合では足が動かなくなったのと似ている。ティームは1-6、0-6で惨敗。

怪我やらで初戦で敗退したリ、欠場したリしていた錦織圭。直近のイタリア国際では勝てる可能性大の相手に負けた。試合に出ていないことが原因だと本人も認識しているのだろう、全仏オープン前のジュネーブ大会に突然参加することになった。大事なグランドスラム前には休むのが習わしだが、身体慣らしの前哨戦だ。

それにしても、ティームのガッツは、シャンパンで乾杯したいほどだった。あのようなすっごい試合を電気代だけで見せてもらうなんて。いつか直接会場で観戦したい。




期待 5/24

先週お会いした某レコード会社の制作統括部長から連絡を頂いた。

DVDとCDに焼いた楽曲をすべて聴いて下さったようだ。「なかなか良いと思いました。大人の歌で歌詞もいい。ただ、個人的にいいと思っても、先日も申し上げたように会社の方向があって、今すぐどうしようという考えはありませんが、ライブがあればお知らせください。観たいと思います。」

ライブをしない事情を私の方で説明し、「神様がxxさんの心の中に入って、『やろう』と言う気にさせて下さるよう祈っております。xxさんに期待しております」と告げると、「分かりました」と笑い声で答えられた。初めて電話をした時には「難しいが、とりあえず歌を聴かせて欲しい」と言われたが、「難しい」は彼の言葉の中にもはやなかった。

上で書いたお二人のプロデューサーの動きを、若松さんとのことを教訓に、静かに時間を限ってみていようと思う。




あなたが歌う 5/27

「あなたが歌った方が良い」と上記の制作統括部長は私の楽曲を歌う歌手として私を提案された。私が書いた楽曲を他の歌手に提供することを最初に提案してきたのは、一時お世話になったビクターのMディレクターだが、その当時は考えた事も無かったので躊躇った。だがそれでもいいかと、楽曲提供も一つの選択肢にしたが、私自身の動きを俯瞰した時、「私が出て行くようになっているんじゃないかなぁ」とここ数か月思っていた。

若松さんと前に進むだろうと思っていたことがとん挫し、今度は某有名歌手が「今朝のバラ」を歌う可能性が出てきた時、私はそれでも構わないと思っていた。彼女や誰か他の歌手に私の別な楽曲も歌って頂いて、私はこれまでのように小さくライブをやっていくのも気が楽でいいだろうと思った。が、「あれ?」。

私自身がアーティストとしてデビューする訳ではないのに私はボディートレーニングを続けていた。ただ続けていた。このボディートレーニングもデビューを意識して始めた訳ではない。エステを経営する姪の勧めでセルライトを取り除く施術を受けた事から始まった。そこからいろいろな人との遭遇があり彼女達のアドバイスを聴いて実行に移していたらボディートレーニングに行き着き、云十年も付き合ってきたこれまでのボディーラインを1年と8か月と言う短期間に変えるまでになった。ボディーラインの変化もそうだが、瞑想後の私の顔が以前に増して変わってきていた。そんな事から、私が出て行くようになっているんじゃないかなぁ、それが神の計画ではないかとうすうす感じていた。

ディーパック・チョプラー博士が言う、「身体が魂」だと。100%私は同感だ。以前にも書いたが、心はころころ変わるから「こころ」と言うが、身体は正直だ。決して嘘をつかない。「迷った時には運命を信じなさい」、つまりこれまでを俯瞰してどのように動いているかを見なさいという事だ。動くのは身体だ。

相性というものがあるのだろう。「今朝のバラ」を預かることだけに興味を示されたプロデューサーは、「あなたと一緒にやる(デビューさせる)ひとは、俺じゃない」と断言され、作家としてのみ私を受け入れる可能性を示した。彼は「今の私宝石です」を大変気に入っていたが、「歌わせる人がいない」と預からなかった。あの歌を反故にしてはもったいないと私は思っていたが。

だが、上記の制作統括部長は私の楽曲は「あなたが歌った方が良い」と話される。その方が確かに楽曲のために一番いいだろう。しんどい事も多いだろうと思うが、それが神が私に望まれる事なら、やらせて頂こう。常に神と共にいる事を信条としている今、それは私と神との約束だ。しんどい時は助けて下さるだろう。

。。。。。ちょっとこのブログ、気が早いんじゃない?がは(*^-^*)




Let It Go 5/28

「今の世の中に合わせて生きていく気はないから。ありのままで良いなんてね、ありのままは最低だよと僕は言うんだけれど。ありのままの人間なんて全然面白くない。努力して無理してやせ我慢しなきゃダメだよ。」宮崎駿

「ありのままに」、この言葉はディズニーのアニメ「アナと雪の女王」の主題歌Let It Goの日本語訳から広がったと思う。初めて聴いた時、ん?いいのかなぁ、確かに「ありのままに」と言う部分もあるけれど、「思うがままに」だろうなぁ。だが、元の英語の音符の数に合う言葉でなければ歌として成立しないし、響きも考慮しなければならない。訳詞をした人も苦肉の策で「ありのままで」としたのだろうと思う。

「思うがままに」としたら、宮崎駿も「そうだ、人間、思うがままに生きなきゃダメだよ」などと言ったかもしれない。

英語を日本語に訳す時は、ほんと、大変だ。訳された日本語では取り方によって意味がかなり変わり、最初は「?」となっても、「へ~そういう意味なの」となり、変な日本語が標準語になる事がよくある。ひとつの例が「保守的な価格」と言うことば。最初は何の事かと思いませんでしたか。これは英語のConservativeを直訳したもので、Conservativeには元々慎重に慎重を重ねて価格を低く設定すると言う意味があるが(「控えめ」ぐらいが適切な訳語かも)、日本語の「保守的」にはそんな意味はない。恐らく通訳者が発した言葉から生まれた新しい日本語だろう。

日本語と英語は辞書を開いて単語を置き換えただけでは決して成立しない、相性が良いとは決して言えない言語かも知れない。




淡々と進めて 5/30

昨年作った楽曲をCDに焼いて二人に聴いて頂いた。今日その内の一人の友人からコメントがあった。2008年の私の初リサイタルを全面サポートして下さり2年前に亡くなられた安田毅先輩のワイフ、緑さんだ。先輩亡き後も、継続私の応援をしてくれると言う。そもそも初リサイタルは私のシャンソンを好きな緑さんが「何かできないかしら」とご主人を突っついた事から始まった。自分では歌わないが聴くのが大変好きで、色々な歌手のCDを聴いているだけあって、歌を本当にわかる人だ。

焼いた楽曲は16曲ほどあっただろうか。どれも歌詞が良いが、メロディーが昔どこかで聴いたようで、似ているとコメントする。もう一人、大学の先輩からも同じような事を言われていた。「もう一つ足りないんだなぁ」と。そう言えば、コーラス仲間が「しずさん、歌謡曲でない方がオリジナリティーがあっていいですよ。歌謡曲っぽいのは似ている感じがします」と言って来たことがあった。

面白いなぁと思うし、なるほど~と思う。お抱えの歌手に「今朝のバラ」を歌わせようとされたプロデューサーに私が最初に聴いて頂いたものは歌謡曲風のものだけを16曲焼いたCDだった。その歌手は歌謡曲を歌う人ではないので、彼はイントロを聴いただけでどんどん次に進んだ。「どれも似ていますね」と顔をしかめ、焦った私が他のCDに焼いたバラード「今朝のバラ」を紹介して聴いて頂いたら、突然表情を変え、「これはxxに良いのではないですか」と言うと、「実はxxが歌う歌を探していたんです」となった。

このプロデューサーの反応と、上記二人のコメント。シンガーソングライターが作るメロディーは概して似て来る。それには例外はないように思う。その中で特別際立つものが数曲あれば、例えば中島みゆきのように500曲作って5曲当たれば、永遠に存続するだろう。彼女が作る詞に人は吸い込まれる。「長く残る歌は歌詞の良いものです」と誰もが言う。

自分の楽曲のなかで渾身の作を決めるのは容易でない。複数の人に聴いて頂き、彼らのコメントをベースに”渾身作”を決めるのが私流だ。出来たものをそのままCDに焼いて届けた事によるマイナス面を考慮し、今回制作統括部長に届けた楽曲はアレンジャーのAnzの意見を取り入れ16曲ではなく8曲、その内容は、恐らく、決して似ているとは言わせないものだったと思う。だから、「なかなかいいと思いました」との言葉を頂けたのだろう。

淡々と”仕事”を進め、失敗しながら修正し最後に”完璧”版を受ける人とまとまる。あのプロデューサーの時には”完璧”が揃わず、このプロデューサーで揃う。不思議だなぁと思いながら、歩く道の先にご縁のある人が待っているのだなぁ、そこに導かれるようになっているのだなぁと、しみじみ思う。

緑さんが言う、「しずさんのコンサートは本当にいいから。私は絶対行くから」。そんな言葉を聞くと、そろそろやろうかなぁ。。。。彼女の好きな歌は「美しい日々だけを連れて」。私の歌は”うまい”と言う。そのうまさを人に気づかせる歌を歌ってと。。。。。うまい?語り風の歌がいいらしい。




霊性の覚醒 6/2

鈴木大拙の「日本的霊性」を読んでいる。梅原猛は鈴木大拙を「近代日本最大の仏教学者」と称しているそうだ。

氏は、「宗教意識は霊性の経験である」と言う。そして精神と霊性は異なり、精神には道義的理念があるが、霊性はそれを超越している。精神は分別意識を基礎としているが、霊性は無分別智である。精神は必ずしも思想や論理を媒介としないで、意思と直覚とで邁進することもあるが、またこの点で霊性に似かようところもあるが、霊性の直覚力は精神のよりも高次元のものである。それから精神の意志力は霊性に裏付けられている事によってはじめて自我を超越したものになる…精神力なるものだけでは、その中に不純なもの、すなわち自我の残滓がある。これがある限り、「和をもって貴しとなす」の真義に徹しあたわぬと言う。

私のこれまでの宗教意識はこの文章にそのまま表れている。常識的にはストップをかけられるような行為も、ふと降って来た言葉通りに行動した時、事は解決に向かい、思いが叶っていく。その思いに利己的な自我がある時は叶わないが、興味深いのは霊性を自覚すると徐々に自我を持たなくなって行く。

霊性を持つ多くの人たちは社会に大きく貢献するよう、その霊性が与えられるような気がする。IPS細胞を発見した山中伸弥氏も、インタビューで「神様」と言う言葉を使われた事を私は聴き洩らさなかった。

読者の多くが病気が治った事から宗教本とされた「生命の実相」の著者谷口雅春氏が「午前中に娘がお菓子が食べたいと言うと、夕方にお菓子が届けられた」と言うくだりがあった。眉唾物のように思ったものだが、実際私に起きている。枚挙にいとまがないが、昨日驚いたことが一つ。

私は錦織圭を追ってテニス世界ツアーをネットやテレビで観戦しているが、彼の対戦相手のプレイに興味を持つと、その選手の別の試合もネットでのぞくことがある。その中で見つけた一人の選手がいる。韓国のチョン・ヒヨン(鄭現)だ。「この選手は伸びる。これからが面白い」と直感した。そしてほんの数日前、いつか圭とヒョンが対戦したら面白いと思っていたら、なんと現在行われている全仏オープンで圭の次の対戦相手が彼だ。くわ~!こんなに早く二人の対戦が見られるとは。圭はヒョンと対戦したことが無いようだが、次のように語っている。

「彼の活躍はこの数年しっかり見ているし、ストロークが凄くしっかりしているのでより長いラリーになると思う。」

やはり気になる相手だったのか。初対戦者に対し「彼の活躍はしっかり見ている」、そんな言葉を圭はこれまで吐いたことが無い。圭に次いでアジア勢が台頭してきた。対戦相手が圭でなければ、ヒョンをも応援するが、圭、負けるな!




君は! 6/4

圭、君はずいぶん変わったね。昨年までの君のプレイ姿はすがすがしかった。時には自分の失敗に「あ~あ・・・」と反省している姿があったり、君の立ち居振る舞いは好感を持てた。だが、今年に入ってから急変している。自分の失敗に「あ~あ」と首を後ろに反らせるのではなく、大勢の観客の前で憎しみを顔いっぱいに満たしラケットをコートに叩き付け、ボール・ボーイにあたる。観客からはブーイングが起きたと写真付きでネット上に掲載され、私の目は点になりかつ冷やりとなった。スポーツ記者は君の行為にファンは引いていくだろうと案じていた。

今年はいま行われている全仏オープンで優勝を狙うのだと、その前哨戦のクレイでの試合に積極的に参加したが、思うような成績に至らずイライラし、ラケットをコートに叩き付けるのだろう。一度やり出すと、許されていると思うようで癖のようにやってしまうのが人間かもしれない。昨日の鄭現(チョンヒョン)との試合でも4セット目で3ゲーム取られると、ラケットをコートに叩き付け審判から注意されたと、これも写真付きで報道されていた。

君はいまや世界的選手だ。君の行為は多くの日本の若者が見て、君に憧れる子供たちが真似て行くようになる。日本のミュージシャンの多くが、アメリカのジャズ・ミュージシャンを真似てタバコを吸い出したように。君ほどに世界で活躍する人になればその社会的責任を意識しなければならない。昨年のリオ・オリンピックで銅メダルを取ったとき、君は初めて自分以外のものの為に戦ったと言ったね。それは日本の事だよね。日本人はもっと品がいいはずだ。

しかし今日の試合、君が勝ってくれて(勝つのは当然だが)、本当に良かった。3セットストレートで勝って欲しかったが、3セット目はタイブレイクまで進み4-7で君は落としてしまった。そして4セット目で最初の3ゲームを相手に与えてしまった時には、もうだめかとさえ思ったが、幸運にも雨が降り試合は翌日に順延。これなら落ち着きを取り戻せるかもしれないと祈った今日の残り試合

これで16強に入った。おそらく少なくとも8強までには行けるだろう。そこでまた、現在世界トップのアンディーマレーとの対戦だ。8強以降から強者が現れる、ナダルも、ジョコビッチも。君が待ち望んでいる相手達だ。楽しみだね(^^♪。

それにしても、チョン・ヒョンも粘り強い。食らいついてくる。面白い選手に育つだろう。




天の恵み 6/5

 「昨日は雨が降っていなかったら100パーセント負けていたので、運を使いながら気持ちを切り替えてプレーできた。雨が降ってくれたので、メンタル的に回復する時間があった。今日はなるべく気持ちを切り替えた。出だし(第4セット)は取られましたが、守っていても勝てない選手。崩しにかからないと崩せない選手だったので、攻撃的にプレーできたのが勝因だったと思います。」圭の試合後インタビューだ。

天の恵みとしか言いようがない。私の祈りも効いていたかな(あは(*^-^*))。この天の恵みに応えるべく、決勝まで進んで欲しい。そこから君はド~ンとジャンプするんだ!全仏で優勝、君はそれを狙っていたではないか。

この雨は鄭現(チョン・ヒョン)にとっても大きな自信をもたらしただろう。雨が無ければ勝てたかもしれない。そう、自分は勝てるところまで来たのだという自信だ。ヒョンは言う。「韓国ではみんな圭が好き。負けは負け。惜しいが経験をもっと積み完勝してお返しだ。雨のせいではなく、実力のためで、言い訳はこりごり」。

次がある。




不思議な恵み 6/6

圭が8強に進んだ。16強の準々決勝の相手はスペインのベルダスコだったが、初めのセットは0-6。どうしたんだろうと一瞬心配したが、なぜか私には大丈夫だと思えた。この試合は落とし2セット目から本気が出て来るだろうと。その通り続く3つのセットを奪い、8強に進んだ。4セットは逆に6-0だった。

今朝敗れたベルダスコのコメントがネットに出ていた。おもしろい。

「なんだか言葉にするのが難しい試合だった。いいスタートを切れたのに。。。。圭は疲れているようにも見えたし、痛みにも苦しんでいるように思えた。実際のところは分からないが。。。強風のせいでテンポを失って、ボールが浅くなって行った。試合序盤に出来ていたことが最後にはできなくなった。錦織のような選手とプレーするときには、ボールが浅くなればあっという間にプレッシャーを受けて支配される。」

チョン・ヒョンとの試合で突然降って来た雨といい、今回のベルダスコとの試合での強風といい、宇宙が圭に味方したのだろう。一方圭は、「悔いを残してコートを去りたくなかった。」と言う。すっごくよく分かる。出し切ってダメなら仕方がないが、出せたのに出し切らなかった時の自己嫌悪を私もよく経験した。続けて彼は言った、「一番できる最大のテニスや努力をコート上で残して終わろうと思った」。
( ;∀;)

いよいよ明日は準々決勝、対戦相手はアンディー・マレーだ。宇宙がどこまで圭に味方してくれるか。もし、アンディーに勝ったら、準決勝を乗り越え、君は決勝まで行けるだろう。

「それが神が望む事なら、宇宙があなたの味方になる」(谷口雅春)。清々しく進んでいれば、必ず神が手を差し伸べて下さる。




驚嘆! 6/6

通っているジムでは時々健康、痩身器具が提携会社の社員により実演販売される。昔からこの類のものはあまり信用していないが、先日頭皮マッサージ機を試してみると頭皮の緊張が大変わかり、デザインもよく、サイズも目障りではないので、これはいいかも知れないと購入者第一号となった。毎朝夕5分間使っている。価格分十分に使えば、無駄にならないだろう。

そして昨日EMSという、高周波を出して筋力増強、身体の引き締めをする器具がデモンストレーションされていた。現在ボディーライン変化中なので、本気で30分試してみた。Before/Afterで腹部を測定すると、—3cm。一緒に体験している人たちから驚嘆の悲鳴が出た。

私にとってもっと驚いたのは、今朝だ。体重が元に戻り、1キロ弱減っていた。別段食事量が増えたわけでもないのに体重が1.5キロ増え、基に戻すことがなかなかできないでいたのに、あっという間に落ちている。営業スタッフが、この機械は脂肪を燃やすと言っていたが、そうか脂肪は年齢と共に燃えなくなるのだと気付いた。

良質、実効果のあるものでなければ売れない世の中になったのだろう。私の視界が広がったようだ。だが、この機械、税込みで40万ほどもする。くうぇ~(@_@)。




莫妄想 6/8

あ~あ。。。。。負けた(@_@)。アンディーに圭が負けた。勝負は技だけでない事をまざまざと見せた試合だった。相手のエネルギーが強まっただけでぶれてしまい、ミスショットの連発。ミスショットの反省や様々な雑念に囚われ、集中力を欠いてゆく。そこからの立ち直りが圭にはまだ足りない。テニス自体はアンディーに全く劣らない、いや優っているとさえ言えるのに。。。。23歳のティームがナダルやジョコビッチを倒した時のように無心でいられたら。。。

「トップ選手に値しないようなミスが、すごく多かった・・・トッププレーヤーにあるべきモノというのは、明らかにある。あるべきショットだったり、プレーの仕方だったり。特にトップ4にいる選手たちは、明らかに、していることが他の選手と違う」。トップであろうと意識しすぎていないだろうか。それよりも無心で戦ったらどうだろうか。

第一セットは狙った戦術通りだったと言う。それで6-2で圭が勝った。だが一つのハプニングからアンディーがいきなり強力になった。試合後、アンディーがコメントした:「試合で長いラリーになると、まるで自動操縦のように身体が自然と反応し、正しいコースにボールを打てるようになったんだ。コート上で考えることが少なくなる。すると、物事はいい方向へと向かって行く。物事がうまく行かない時は、コート上で技術面などあれこれ考えすぎてしまうものだからね。」これだ!圭の敗因は。コート上であれこれ考えすぎる。ティームも全く考えていないようだった。ただ身体でバシバシ反応している。

今回もラケットを叩き付けたが、壊すほどではなかった。よかった。道具はいつも選手の最も親しい友人だからね。

次は7月のウィンブルドン、そしてその前哨戦になるドイツでの芝での試合だね。また応援するからね。。。。しかし、人を応援するのも大変なエネルギーが要るものだ。私も、どば~っと疲れた。へなへな~(@_@)

ただただ、ひたむきに前進!踏ん張れ!

最後に下の言葉を付記しよう:
「禅者の言葉に『平常心是道』という事がある・・・これでなくてはならんのだ。ここには生死という事はないのである。なんでもすべきこと、そのことになり切れば、無心である、無心であれば無事である。それが平常心である。そこに道がある。この道さえ踏んで行ければ、・・・・それで初めて本当の安心が出るわけだ」。(鈴木大拙、「日本的霊性」から)




まるで 6/10

アハハハ~~~まるで動物みたい。

アジア人の顔にも、人によっては何かの動物を連想させる場合があるが、テニス全仏オープン準決勝でのアンディー・マレー(世界ランク1位、イギリス)対スタン・ヴァヴリンカ(3位、スイス)の試合は、二人とも絶対あきらめない、少しの作戦と体当りという、ものすごく活気に満ちた笑いと興奮が合わさった試合だ(このブログは試合を見ながら書いている)。初めて見たが、会場の一角で波が起き、それが順番に会場全体に伝播していき、一巡してまた始まろうとした。観客参加型とでもいえる試合になっている。会場が静まらない限り試合が始められない。どんな球が来ようと二人のしつこく打ち合う姿に会場は大喜び。

互いに唸り声を上げながらの打球、そして相手を打ちとめた時のそれぞれの吠え。まるで動物だ。思わず声を出して笑ってしまう。特にアンディーの場合は、首まで毛が生えているので、まるでまるで動物(がははは・・・・私は打ち負かされた時のアンディーの独り言を言う姿や表情が面白くて、それも楽しんでいる)。観客の喜びに応えているかのように彼らは攻め合う。何か、自分のためだけにテニスをしているのではない、観客をエンタテインする事も胸中にあるような感じのする楽しいプレイだ(これがトッププレイヤーなのかもしれない)。それを特にスタンに感じる。彼は時々観客席に目をやり様子を見たり、彼等の喜びにニヤッと笑う。激戦でも余裕がある。そしてアンディーも。完全に負けそうなセットでも決して投げ出さない。高いチケットを買って集まって下さるお客あっての自分なのだと言う意識が、トップ選手にはあり、ランク下の選手にはまだ育っていないように思う。

この二人の試合が5セットのフルセットになりそうで、彼らの試合が終わって始まるもう一つの準決勝、ナダルと再びティームの試合が予定より現時点で2時間も遅れている。スポーツキャスターと解説者の会話:「ナダルとティームはいまロッカールームでこの試合を見ているんですかね。」「いや、見ていないでしょう。疲れちゃいますからね。」

笑ってしまった。スポーツ観戦は、ホント、疲れる。




退屈しない 6/12

先日コーラス仲間と食事をしながら「世の中いろいろな事が起きてくれるから、ほんと、退屈しないね」と話して笑った。

テニス全仏オープンの後半にスポットを浴びた前米国FBI長官Jim Comeyの議会証言。彼のトランプの人格に対するコメントは、頷ける:「大統領は嘘をつく人」。自分に不都合な人に対する話をでっち上げ広げる事ができる。時々、誰それは「憎しみ」や「偏見」を持っていると中傷するが、それは正に彼自身の事のように思う。選挙戦中、「彼女は憎しみを沢山抱いている」と、ヒラリーについて発言した事がある。唖然とした。それ以外にも聞くに堪えない数々の言葉があったが、それらの言葉を発する自分に躊躇いもなければ恥をも感じないようだ。彼の持つあまたな素質を思うと、彼が大統領になろうと思い立つ事さえ不思議だった。国の指導者になろうとする資質を持ち合わせていない。国を統率しようとするものは何か秀でたものがある。気高さだったり、聡明さだったり、徳であったり、理念であったリ。そのようなものが見当たらない。裁判所によってことごとく執行を阻止された移民排斥案はその頭脳の浅さを語るに十分だ。その他にも無知で偏狭な平民レベルの枠を出ていない物言いに、目が点になる事が実に多い。

絶対当選する筈のない人がなぜ大統領になれたのか。テレビ画面に映された投票結果を待つトランプの姿が私には大変印象的だった、と言うか奇妙だった。当選をあらかじめ知っているかのような表情だ。ニュージャージ州知事の「”驚くような”サポートがあった」発言もそうだが、当時このブログでも書いたが、彼の大統領当選の裏に何かがあると疑わなかった。「匂う」。大統領執務室でのコミ―長官との会話をテープに録ったと言うが、恐らくそれは長官への脅しだろう。が、もし実際テープがあり、議会がその提出を要求しトランプが拒絶すれば捜査妨害となる。

トランプのやり方については特別驚くことはなく、その人柄は明白だが、訳が分からんと思うのはコミ―長官。選挙戦中、彼はヒラリーのメール問題を公にした後、法に触れるところはないと一度は取り下げながら、投票日10日前に突然蒸し返し、その数日後に再び操作ミスだったと取り下げている。非常におかしい。ヒラリーも2度目の蒸し返しが無ければ、自分は大統領になっていたと言う。ごく最近の米国PBS(日本のNHKに相当する)番組でも、「ジム(コミ―)はヒラリーのメール問題で間違いをしてしまった。そこから事が大きく変わった」と発言する人がいた。投票日10日前にメール問題を再度持ち出せば選挙結果に影響が出る事は当然分かっていただろう。そのタイミングを狙っていたのか。コミ―長官は共和党支持者らしいが、それと何か関係があるのか。

そして今回の事件。「大統領は捜査対象になっておりません」とトランプに伝えたと言うコミー氏の発言。大統領の側近がどんどん捜査対象になっているのだから、大統領に当選したトランプ自身も捜査対象に当然なるだろうに。自分の職が脅かされることを察知して匂っていても捜査対象から外そうとしたのか。大統領執務室で二人だけで初めて話した時、独裁者なみの要求を突き付けられ、ただびっくりして沈黙したと言うが、なぜ2度3度の誘いに出かけて行ったのか。他の誰かに相談できなかったのか。解任されたから腹いせに解任経緯を書いた書面を友人に渡し報道機関に伝えるよう依頼したのだろうが、解任されなければすべて雲のかなたに追いやるつもりだったのか。コミー氏の人となりに対しても疑問が生まれる。




雨中ゴルフ 6/13

朝起きるとほんの少し雨が降っていた。どうしようか少し迷ったが、カンカン照りよりも肌にいいし心が落ち着くと、いつもの河川敷ゴルフ場に行った。もしかすると一人で回る事になるかも知れないと受付で言われたが、運よく3人が現れ、その組に入れて頂いた。珍しく女性3人と男性一人の組み合わせ(普段は圧倒的に逆の3対1だ)。

ほんのお湿り程度の雨が徐々に密に降りて来たため、傘を差しながらのプレイだったが、結構気持ちがいい。私を除いた3人はお見事。バーディもすいすいやってのける。長い距離のパットも見事に入れる。男性がティーから打つボールが時に私の2倍の飛距離を出す。グリーン近くにボールが見えるので、まさかここまで飛ばしているとは思わず、誰かのロストボールかと思ったほどだ。

帰りは老夫婦が営む近くの定食屋でランチ。ゴルフ場にもレストランが入っているが、いわゆるファミレスの味。まずくもうまくも無く、食欲をそそるような味でもなく、なんと言うか記憶に残らない食事なのだ。だから定食屋が営業している火曜日には、そこでランチを食べる事もルーチンになった。

計画していた事を”雨にも負けず”やり通したことに、気分もすっとした。




だと思う 6/15

 ー 学問と芸術を持っているものは 同時に宗教を持っている ー ゲーテ

なぜなら、幾度と訪れる閃きやアイデアは自分のものでない、神から来ることを知っているからその不思議な力を全身で感じるようになる。そして心が素直に神に向く人に、その閃きやアイデアが与えられる。神だって、せっかく与えたアイデアを素直に受け神が望むように使う人でなければ、与える訳に行かない。(しずこ)

 - 学問と芸術を持たぬものは、宗教を持て ー  ゲーテ 

宗教は生き方を教えてくれる。生き方に迷うものは宗教を持つよう私も心から勧める。

偉大な仕事をした人たちは、なぜ神や仏を語り宗教を持っているのか、私は長年不思議に思い、その世界にずっと関心を抱いてきた。私自身がこの世界に触れた時、そして私の歌作りのヒントがすべて私の外からやって来るのを認識した時、その理由が分かった。(しずこ)




海浜幕張 6/17

EXと暮らしていた頃の街「海浜幕張」に、隣人のご主人が亡くなり、ご焼香に行った(EXとは英語で、ex-husband、ex-wifeの略で「前の」夫や妻を指す)。

この街を去って9年。。。。5、6年前に通訳の仕事で海浜幕張の先にある蘇我まで行ったことがあった。その時はまだ心がきりきりとして痛みが取れていなかったため、駅を通り過ぎる事さえ怖かった。「かいひんまくはり」という駅の名を聞くだけでも、氷を飲み込んだように冷えた。行きは、どうやり過ごしたのか記憶にないが、帰りは陽が完全に落ちてからの乗車だったため、夜にこの駅を通る時の自分の心の沈み具合を思うと力が吸い取られた。が、不思議だ。意図したわけではないのだが、私は何かに夢中になり(何か読んでいたのか)、車内に流れる駅名のアナウンスにも、この駅に停車したことにも気づかず、この駅を通り過ぎた。不思議だった。助けられたんだぁと思った。

だが9年後、私には躊躇いがなかった。もう心が縮みこむことは無い確信が、むしろ私を少しわくわくさせ、実際にこの駅に足を着けた時の自分の変化がどれ程のものか確認したかった。

風景の変化、香りの変化、私の心の動き一つ一つを確かめながら、駅から「幕張ベイタウン」までの変わらぬ街並みを歩いた。かつて住んでいた部屋まで行ってみたいとさえ思ったのだから、かなりの快復だ。エントランスまで行くと、丁度住人の学生が来たのでその後について入った。エレベータを降り廊下沿いに部屋の外を歩いた。引っ越しの前日表札を剥がそうとして傷つけてしまったドアには傷が残されたままだった。目立たないように現在の住人がリースでそれを隠している。廊下沿いのかつてダイニングにしていたところの窓は、廊下を通る人が気にならないよう、オレンジ色に塗装したボードを業者に作らせて塞ぎ、そこにはマティスの絵を掛けたが、ボードは取り外されていた。ボードに替わって掛けられた薄いカーテンの向こうで住人がパソコンで作業している影が映った。キッチンのガラスドアは二重にしてステンドガラスドアをはめ込んだが、その2重ドアはそのまま利用しているようで廊下側から透けて見える。「この部屋には愛があふれている」と言われた事があったが、私のアイデアにEXが協力し、本当にきれいで美しい部屋ができあがった。訪問者は皆感動したようで、その後5家族がリフォームやインテリアを工夫し始めた。愛あふれる美しい日々だった。

懐かしいのか、愛おしいのか、今では記憶の中だけに存在する時だが、思う。あの頃のすべてが私の中で新しい意味をつけて豊かに生まれ変わっている。昨日新しい歌を書いている時に気が付いた。壊れ無ければ新しいものは生まれない。人間の細胞と同じだ。「壊れて新しいものが生まれる」、これは宇宙の法則なのだろう。

隣人の夫は長い間脳卒中の後遺症を患っていた。いつかは通らなければならない悲しみだと分かっていても、一人残された今はやはり寂しい。一緒に色々なところに行きたかったと、実らなかった夢を悔む。終われば、彼女も「いい時」だったと思うようだ。




「お一人様の旅」 6/19

73曲目になる。ひとつの愛が壊れ、川のように涙するヤングレディーに人生の先輩(私の事?がは(^^♪))が説いて聞かせる歌。

いや~、学校に行くって本当に良い。今後数か月は月に4回(これまでは3回)のレッスンにしたので、レッスンを無駄にしないよう、ピアノやPCに向かって歌を作っている。これまで殴り書きの歌詞や曲が溜まっても、腰がなかなか上がらなでいたが、私の経済観念のお陰で、あははは~~~。正確に言えば、この楽曲前に、「愛なり」という都々逸風で始まる楽曲を途中まで書いたが、面白いサビが出て来ず、停滞していた。サビでびょ~んと他の世界に飛びたいのだが、どの世界に飛ぼうか、ぴたっと来るものに出くわしていない。ひとつが終わってから次に移るのが性格なのだろうが、乗った電車が電気系統不具合のため臨時停車してしまい、その復旧作業がなかなか終わらない。これでは授業に間に合わないので、他の電車に乗り換えた。と言う感じ。




根強いファン 6/20

5/30のブログにも書いたが、私の処女作品「美しい日々だけを連れて」に特別の思いを寄せて下さる方々が少なくない。緑さんに加えて、ミュージックスクールの講師や生徒たち、大学の先輩、マンションの保守整備の作業員、そして先日久しぶりに会ったかつての隣人も。隣人曰く、「あの歌は本当にいいよ。あの曲で出て当てるのよ。確かに声は印象に残る声じゃないけど、声がいいだけの人は飽きるじゃない。歌が良くなければダメよ・・・藤あや子は顔だけでしょ、ひとつもいい歌うたっていないわよ、クミコ?好きじゃない。島田歌穂はうまいねぇ。前に映画音楽を歌っていたけど、良かった」。歯に衣着せぬ物言いをする人が、それほどまでに「美しい日々だけを連れて」を気に入ってくれる。改訂版に作家の私自身が、本当にいい曲だと思っている。楽しみだ。

待つ身は忍耐が必要。「焦れば失敗をし、後悔は新たな後悔を生む」とゲーテの詩集の中で読んだ。まるで私への警告だ(*_*;。某レコード会社の制作統括部長M氏から電話を頂いて1か月。若者中心に傾倒した会社の方針がある中で、大人の歌を書く私をデビューさせるためには社内調整が必要なのだろう。「今すぐ動く訳でありませんが」と言われた時訊いておくべきだった。どれほどの時間なのだろう。

最近はこれまで以上に発声練習を日課にしている。昨年音声外科で診てもらい声帯の炎症が治まった後も、発声練習をしていると声がカキカキする時があり、ずっと耳鼻咽喉科に通い続けた。花粉症からくる上咽頭の炎症が声に影響を与えているかも知れないと、およそ2か月間毎日処置のためクリニックに通っていたが、それもようやく週一で良いでしょうとなった。我が家から道路を挟んだ真ん前に耳鼻咽喉科があり、行くと5分も待たずに診察と処置がされる得難い環境(察知して下され、ぎゃは(^^♪)。インプラント手術も成功裏に終わり、高校か大学時代にメタルで被せたブリッジも、高額だったがセラミックに替え、私の口の中は綺麗になった。ボディートレーニングで、身体も見栄えが良くなったし、私の方は準備万端。メンタル的にも大丈夫。恐らく錦織圭より強い!!がはっ(^◇^)。。。。と、思う(*_*;。




「愛なり」 6/20

2017年も既に半分が終わった。時の流れがあまりに速い。どんどんこうして過ぎていくのだろう。「人と憎み合っているような時間はもったいない。時間は少しでも愛するために使いたい」そんな言葉をどこかで読んだが、本当にそう思う。

さて、今日は火曜日。ジムの定休日でもあり、今日は気温30度になるだろうという事でゴルフにも行かず、歌を作る事にした。で、出来た。都々逸風な出だしから、ゴスペルに行きたいと思ったが、ゴスペルには行かずとも、身体を動かせるようなリズムに飛べた。歌詞が非現実的なものだから、世離れしたところで遊んでみた。悪くないかな(がは。。。)

「首に鎖を巻こうか、それとも瞼 糸で縫い合わそうか」と、あちらこちらに色目を使う男に惚れた女の嘆かわしい「愛」。これも「愛なり」じゃ。(^^♪




吉兆? 6/21

今朝、突然プラントに新芽が出ているのを見つけた。嬉々として太陽に向かって首を長く伸ばしている。昨日葉に一つ一つ噴霧していた時はなかった。それが今朝突然、それも三カ所で芽吹いていた。

新しい生命が生まれるのは、ほんと、喜びだ。思わず微笑んで、一つ一つに触れて挨拶する。

昨年の10月、アレンジャーのAnzがComebackした時も一カ所で突然芽が出たっけ。今度は3カ所だ。いい事がやってくるのかな(^^♪


     




IPS細胞から 6/23

NHKのEテレ(かつての教育テレビ)の「Switch]と言う番組で田原総一朗がおもしろい事を言っていた。

 - IPS細胞の発見で、人間は100歳は当然、150歳も生きるようになるかもしれない。そうするとね、人間に対する考え方が変わるんだよ。人間って何だろうとね。哲学はもう追いついて行けない。答えをくれるのは宗教なんだよ -

建物が崩壊した後のがれきの山のように積まれた本。田原さんはその中から数冊の本を取り出した。「禅的生活」「般若心経・・・(なんとか)」、そしてタイトルは記憶しなかったが、もう一冊。

「日本的霊性」を書いた鈴木大拙が、「日本人の宗教は原始的信仰」だと言っていた。だから迷信と紐づく。これはこうしなければならないのよ、あれはあーするの。こうしたらこうなるんだって。それはあちら側に置かなければならない。。。。宗教は人の取り決めを超越した、自分だけに聞こえる知恵、つまり鈴木大拙が言うように「霊性」の経験だろう。分別で理解できるものではないから、自分以外の人には認識ができない。また、自分がなぜここにいるのか、他人がなぜここにいるのか、自分と他人はどのような関係にあるのか等、宇宙の法則を教えてくれる。この法則をしっかり取り入れた者はぶれない。自分で問題を解決できなければ、本当だ、宇宙が助けてくれる。なぜなら、「私」は宇宙の小さな一つの動き、つまり私の動きは宇宙の動きと同期化しているから。

10年前宇治まで法話を聴きに行った時、私の悩みにただ一言「信仰を持ちなさい」とつれなく言った講師がいた。なに、この人?と思ったものだが、その一言に尽きる。軸がまっすぐ立っていないと、細かな悩みがわんさか生まれる。そしてその度に答えてくれる人を探す。信仰を持つと、その習慣がきれいに一掃され、答えを私の中に見つける。

信仰は生きやすくなるよう手伝ってくれる。




顔の変形 6/26

他人の顔。鏡に映る自分の顔が変形した。毛穴ごとに細かく膨れ上がったブツブツ。そして赤い腫れ。かゆい。

6/6(驚嘆)に書いた、筋肉増強、シェイプアップ、インナートレーニング、フェイシャル・リフト機能が入った複合型高周波装置。この日の即効力をもう少し試そうと3週間ほどトライアルに参加した。が、先週の金曜日に事件は起きた。フェイシャル器具を顔に当てると、ビイビビ~~~~と電流が顔を走った。これまでになかった事だ。言うと、「インプラントを入れているとそうなります」。なるほどと器具をインプラント無しの方に移動してもビイビビ~~~~。おでこに持って行ってもビイビビ~~~~ビイビビ~~~~。担当者が大丈夫だと言うので、存分に15分間顔面で器具を動かして帰った翌日の夕方、顔中がかゆい、耳の後ろも首も。うわ~(/o\)。身体も部分的にかゆい。突然蕁麻疹にでもなったか?。。。。。ん?(-_-)/~~~ピシー!ピシー!。ちがう、あれだ!

日曜の昼にジムに飛んで行き担当者に話すと、自分の知っている限りそのような前例はないと言う。私は断固「これしか考えられないの!!」と主張した。間もなく、担当者が廊下に私を呼び本社と連絡を取った事、そのような前例が他の営業マンによるデモンストレーションであったことを伝えて来た。フェイシャルに流す電流の出力が表示と違う高い値になり、そのため皮膚への刺激が強すぎて湿疹ができた。要するに基盤の異常だ。

かゆみは35年以上付き合い続けてくれている黒田光線で一旦引いたが、夕方から再発。また2時間ほど光線に当てた。しかし、これ以上当てたのでは皮膚は乾燥し皺もできる。床に入って二つのアイスノンを顔に当てかゆみを緩和しようとしたが落ち着かない。結局眠りに入ったのは明け方5時。

昼11時過ぎに起きて見た顔は全体に赤く腫れ、表情がないほど固まっている。色々な思いが交差する。この会社は以前にもこのような事がありながら、その情報を下流に流さなかった。だから、このジムに来た営業マンは「インプラントをしているから」と説明した。じゃ、なぜ前例発生時に下流まで情報を流し、安全対策をきちんと取り浸透させさせなかったのか。それは会社に損失が発生しなかったからだろう。私は動いた。湿疹個所を写真に撮りUSBに保存して渡した。「これを会社に見せて!」開発上の精査、安全の徹底、情報の透明性及び浸透、企業として当然のことを疎かにしてきた。まして人体に直接充てる装置を販売する会社だ。安全にどんなに気を使っても使いすぎる事はない。今後被害者は続出し、事件は大きくなる可能性大だ。

またこの会社の営業を許可しているジムにも報告した。責任はジムにも及ぶ可能性があるし、この問題の証人になってもらわなければならない。ジムの店長は、報告をありがたがっていた。関係者皆にとっていい方法を選べたかと思う。

うん、これでいい。私の皮膚炎はおそらく1,2週間で治癒すると医者が言う。そう期待したい。今、夕方8時。どうも夜になると、かゆみが増す。




??? 6/28

上で書いた運動器具販売会社の専務が話を聞こうと、昨日私のマンションまで来られた。ロビーで、なんと、私のおしゃべりが高じて3時間近くも居続けた(*_*;。

今回以前にも同じような問題があった事を認識されていないらしい。報告として挙がって来なかったのだろう。月曜日にジムに行った時、私が使った装置で同じようにフェイシャルを験した人が「ビリビリする」と告げたので、担当者自らが自分の顔に当て、これは欠陥だとその装置を引き下げたと言っていたが、その話も伝わっていない。その月曜日の夕方、担当者が報告しようと専務のところに来たが、震えているだけで何を言っているのかよく分からず、直接話を伺おうと参上したと言う。担当者は25歳の青年、180センチの長身でしっかりしている印象があったが、トラブル対応経験がないのだろう、ナイーブのようだ。私から事故発生の経緯を説明し、来週あたりに再度連絡を受ける事になった。

そんな話だけで、なぜ3時間近く?ま、この方がロビーのソファーにお座りになると、開口一番このマンションの建物をお褒めになり、それから私の職業の話になり、シンガーソングライターになるまでの経緯を語ったり、歌の数小節を私が歌い出し(「この国にもう一度生まれたい」)、彼が大きくうなずいて拍手したり(何やってんねん、私(';'))。。。それから、稲盛和夫さんの話に飛び、実は会社の社長が稲盛氏が主宰する盛和塾のメンバーだという事が分かり、そこから神や仏の話になったり。。。話は更に慰安婦問題から、韓国ドラマ、日韓史までに及び、途中喉が渇くほどおしゃべりが続いた(*_*;。そろそろ部屋に戻り「西行」を読み続けたいと、エンディングの言葉を告げると、「お顔がつやつやしていますね」と言われる。何を言ってんまんねん、かゆくてたまらんのに。「素顔でもきれいですよ」と言われた時には、内心、え、戻ったのかなと思い、彼を見送った後、早速エレベーター内の鏡でチェックすると、艶は、顔全面にステロイド軟膏を塗っててかてか光っていたものであり、「きれいですよ」は湿疹発症のBefore/Afterを知らぬ者のお世辞と言うか、クレームを言われた側の自己防衛とでも言える笑策かも知れない。顔はまだ他人の顔、変形したままだ。

かゆみは大分緩和した。ぐっすり眠れる。だが、起きていると、アトピー性皮膚炎の人がポリポリ掻いているように痒い。顔はまだまだ平常に戻っていない。身体もあちらこちら痒い。ステロイド軟膏を塗る事に躊躇うが、短期間ならば安全だとどこかで聞いたか読んだことがある。3日間朝晩2回塗った後、非ステロイド軟膏に代えると医者から指示された。




ご縁に感謝 6/30

顔の痒みはだいぶ引いてきた。毛穴がまだチリチリしている感じや、唇の周りが熱を持っているような感覚、そして体まで忍び入ったような数か所でキリキリする痒みは場所を変えてまだ少し続いているが、あと3日もあれば完全に消滅するように思う。

”事件”というのは何かを教えてくれる。「事無きように」を願う人や会社は多いが、事件はこれまでの何かが壊れ新しいものが生まれるきっかけだ。ありがたいもの。この会社に関しては、なぜ情報が開示されないのか、原因を追求し体勢を立て直すきっかけになれば良いと思う。問題は当初機械の問題のみであるのに、報告しなかったことで、営業マン自身も問題を作っている事になる。会社は物を作り、作戦を立てるところだが、同時に人を育てるところだ。社員は自分がここで成長している、自分の魂が磨かれていると自覚するとき、仕事へのエネルギーがより強く出てくるものだと思う。会社が伸びるか、それは社員の顔や行動を見ればわかる。

今回の事件がこの会社にもたらした利点は考えられたが、私には何をもたらしたのだろう。最も印象深いのが、稲盛和夫氏を通して心持を同じくした人(会社)との出会いだったという事。私は、稲盛氏の著書を読み、氏が得度した場所をネットで検索し、元禅僧のブログに当たり、そこから私が今の私になる突破口となった場所へと導かれた。その場所は稲盛氏自身も一時居られたところ。氏が「私の人生を変えた本」として紹介されている谷口雅春著「生命の実相」はまさに私の人生を変えた本でもある。稲盛氏が「盛和塾」を設立し、日本の中小企業オーナー達を育てられている事は知っていた。そのメンバーの一人がNHK「プロフェッショナル」でも紹介された事がある。

私のところに、丁度10年前谷口雅春氏を追って伺った場所で特別に頂いたDVDがある。稲盛氏のテレビインタビューが収められいる。かつて、京セラの社長でいらした時、日本医師会から急かされ厚生省の認可を受ける前に新製品を出してしまった事で、氏はマスメディアにかなり叩かれた。打ちひしがれ、京都円福寺の和尚に逢いに行きその思いを吐露する。すると和尚は大声で笑い、「稲盛さん、今日は家に帰って赤飯を炊いてお祝いされたらよろしい。あなたのこれまでの業が清められたのですよ」と言われ、しぼんでいた彼の心に光が射し、「嬉しくなった」とインタビューで答えられている。そして、「よし、これからは良い事だけをして行こうと決めたんです」と少し照れながら言われる。

日本の中小企業を育てる。会社の状態はオーナーの心持の現れだ。それを稲盛氏は盛和塾のメンバーに伝えておられるのだろう。己の事だけではない、日本を考え、世界を考え、人を良き方向へとつなげていく稲盛和夫のような人が日本にいて、本当にうれしい。

その稲盛氏の教えを受け、6/6(驚嘆)でも書いたように実効力のある製品を出している企業に私はエールを送る。心持を同じくする人で運営される会社に”湿疹”を通して繋がると言う妙縁を頂いたが(笑)、私は喜んでいる。来週お目にかかるはずだったが、昨日再び専務がご足労下さり、真摯に対応して下さった。「会社には大きな夢があります」と言われたそのお顔には、喜びとエネルギーがほとばしっていた。立つ場所は異なるが、この世がより良くなるよう、共にそれぞれの使命を果たせていくよう祈る。




気温44度の中で 7/2

ほんと、いよいよ夏本番ですね。皆様覚悟はできていらっしゃいますか。ネットで確かめた天気予報に、一時深紅に染められた日があり、35度と記されてあった。ぐうぇ~、もう来るのかとこの先が恐ろしくもなったが、なんとトルコのアンタルヤと言うところは、夕方6時の気温が44度だとか。

そこで行われたATPツアーで、日本人杉田祐一君が優勝した。杉田君は1年前には、テニス世界ランキング100位辺りにいた選手だ。野球の2軍に匹敵する下位大会に出場する選手であったし、上位大会では予選から勝ち登って行かなければならない選手だった。

ネット配信のスポナビで今回のアンタルヤ大会での彼の躍進をチラリ覗いた。テニス大会では何が起きるか本当に予想がつかない。その時の調子としか言いようのない結果が出る。稀有の天才ロジャー・フェドラーが世界ランク100位以下の選手に初戦で負ける事もあるし、現在世界ランク第1位のアンディー・マレーもそうだ。今回のアンタルヤ大会ではナダルやジョコビッチを打ち負かした21歳のティームも初戦で敗れた。正に「コートに長く残った者が優勝を得る」。実力ではないという事なのだろう。組み合わせの運もある。だが何がどうあれ、とにかく優勝する為の大会だ。

杉田君本人も「信じられない」と言い、「来年またここに戻ってきます」と約束していたが、ぐぇ~、41度、44度が平温であるところに?本気かいな?彼をジュニア時代から知っていると言うコーチが言う、「杉田のジュニア時代を知る者としては、彼に今日のこの日がある事が信じられない。メンタルの切り替えが本当に下手な選手だった。色々な大会に出場したリする中で、成長してきたのだと思う」。肉離れをして休んでいる西岡君も、自分より下位にいた杉田君のこの優勝におそらく焦っているだろう。みんなどんどん成長しよう!遅出の日本選手の躍進に追い込まれて、錦織圭のメンタルももっと強化できればと願う。

さて、いよいよウィンブルドンテニス大会の開幕だ。これに掛ける選手の意気込みは特別。みんな思いっきり暴れて楽しんで欲しい。そして観戦者を楽しみませて!




何か嬉しい 7/4

気温32度、でも曇り。夕方から雨だと天気予報。蒸し暑かろうと一瞬ためらったが、昼過ぎから荒川河川敷でゴルフのハーフを回った。埼玉では少し雨が降ったため、人の出はパラパラ。一人で回るのかと思ったが、3ホール目で前の二人に追いつき、それからは3人で回った。こんな日のゴルフもなかなかいい。ゆっくりそして静かにかつ楽しく回れた。お陰でハーフを46(いいじゃん!)。今月軽井沢で行われる大学OB会の有志8人で旧鶴田浩二の別荘で寝泊まりしながらのゴルフを楽しみにしていたが、女性参加者が私一人になってしまったので、宿泊手配が難しくなり、よって私は参加できなくなった。楽しみにしていただけに、残念。

その憂さ晴らしもかねて行って来た後はやはり壮快。入手した高周波ボディーマシンのお陰か、体重もやっと以前に戻り、ゴルフ場の浴室の体重計に私も優しく微笑む。そう言えば、我が家の体重計も最近は私の嫌~な顔を見る事も無くホッとしているだろう。

帰宅してワゴンの上に並べた夕食。久しぶりに缶ビールをぐぐぐぐ・・・・。冷たいものはすぐに内臓がキュ~っと縮んだ感じがするし、最近アルコールはどうも肝臓が受け入れ拒否を主張し始めたようなので摂取を避けていたが、今日はごめんと言いながらぐぐぐぐ・・・・

突然、開け放した窓からベランダの手すりを打つ雨音が大きく聞こえ始めた。まるで庭先の線香花火のよう。なんだか嬉しくなって、缶ビール片手にベランダに出た。スカイツリーも、遠くに見える超高層ビルも雨の中で煙っている。この突然煙り出した空の色の向こうに、ゴルフ場でチュチュチュと飛んだり跳ねたり止まったりしていた雀を思い出し、生きている事をただ楽しむってこんな感じなのだろうなぁと思ったりした。何か嬉しい。

楽しむものがある、喜ぶことがある。なんと嬉しい事だろう。ウィンブルドンテニスの開幕も嬉しい。錦織圭をはじめとする日本勢が奮闘しているから、一層嬉しい。アレンジャーのAnzが私の勝手気ままなメロディーの繰り返し変更に嫌な言葉一つ吐かず応えてくれるのが嬉しい(彼ほど根っからの音楽好きで、一流のアレンジャーで、かつ忍耐強く対応してくれる人はあまりいないだろう)。湿疹がご縁でお逢いした健康器具販売会社の専務と知り合った事も嬉しい(大変聞き上手で、素敵に対応をされる)。私に心通わせてくださる大学の先輩方がいる事が嬉しい。色々なことが嬉しくなって、熱いものが流れる。

周りの人や起きる事全てを愛せるようになれば、これほど強いものはないだろうと思う。だが、ビールは冷た過ぎる。胃が痛くなり吐き気がするので、黒田光線に助けを求めた。




踏ん張ってくれて 7/6

昨日のウィンブルドンテニス大会での錦織圭の2回戦は、本当にハラハラドキドキだった。相手は120位当たりの選手だと言うので、1回戦同様圭はストレートで勝つだろうと思いきや、振り回されている。後で分かった事だが相手のセルジー・スタホフスキー(ウクライナ)とはこれまで2戦2敗だとか。一時はロジャー・フェドラーをも降したことがある。思いがけないところでドロップショットを打ってくる。ロングラリーの途中で突然ポトンと相手のネット際に球を落として来るから、ベースラインの後ろでラリーをしていた相手選手は追いつけない。

それでもどうにか圭は踏ん張ってくれた。なんだか有り難くなって、「よく踏ん張ってくれたね、ありがとう」とウルウルしながら勝利インタビューに応える圭に心の中で言っていた。圭がコートに残っている間は、楽しみが継続する。欲を言えば、コートでもう少し笑ってくれたらなぁ。トップ5以内の選手は結構笑っているよ、圭。

ジムでひと汗流し、夕食を終え、発声練習の後に、祈りながら圭の試合を観戦する。そんな時間には、やはりワインも並べたい。冷蔵庫から取り出し少し温めて、恐る恐る飲んだ。OKかな?ほんと?。。。来てるかもよ。




7月7日 7/7

今日は私の誕生日。何がある訳でもないのに、ウキウキしている。あはは。(^^♪




自由でいれば 7/9

7月7日の私の誕生日に錦織圭のウィンブルドンテニス大会3回戦があった。私の誕生日だし(あは)、試合相手は4戦4勝の選手だから勝ってくれるかもと期待したが。。。。。( ;∀;)

敗因は怪我でも体力でもない。圭の我執が強すぎる。「自分のテニスができなかった」。。。自分のプラン通りに行かなければ、混乱するようだ。相撲の世界で「自分の相撲を取る」とよく言われるが、あれは瞬間的な、数秒、数分で決められるゲームだから、先にプラン通り決行したものが勝てる事もあるが、長丁場のテニスに適用される言葉ではないように思うんだけれど。相手だっていつまでも負けている訳には行かないから攻略法を持って試合に臨む。それで「自分のテニスをさせてもらえなかった」と言うが、させる訳ないじゃん!羽生善治棋士が言っているように、我欲が強くなると勝てない。圭にこの事を言ってあげられる人が彼の傍にいないのだろうか。このメンタリティでは恐らく絶対優勝などありえないだろう。

優勝するなど絶対考えられなかった杉田祐一君がトルコ大会で優勝したのも、彼は無心に球と向かい合ったからだと思う。コートで考えているという表情をしていない。以前にもここで紹介したが世界ランク1位のアンディー・マレーも、コートで色々考え出すと負けると言っている。本能のままに動く、すると体が自然に反応する。それを自分の思いで塞がない。勝てるテクニックを十分に持ち合わせていても、”自由な”自分でいなければ”絶対”勝てない。

一時、優勝などまだ頭の隅に無く、ただ強くなることだけに懸命だった時、「勝てない相手はいない」と豪語した圭は、もういない。「1位はイメージできない」と最近のインタビューで言い出した。イメージできなければ、そこには行けない。不思議な事だが、多くの場合、「そこに行く人」は、意図せずともその場所にいる自分を常に感じられる。

技術的には相手より数段勝っていた、などと言う慰めの言葉は意味がない。相手も以前よりは成長している。その相手に勝つために必要なのは自分の本能に素直に従い、自由に動けることだ。人間智には限界がある。本能は神から与えられる。

亀の甲羅にひびが入るような覚醒がいつ圭に訪れるのだろう。




泣く歌 7/11

楽曲が数曲ある程度出来上がると、一人の友人に電話で聴いてもらうのが最近ルーティンになった感じがしなくもない。誰かに聞いてもらいたいと言うのは創作者ならおそらく誰でも思う事かも。昨年来の電話だ。彼女も私の歌を聴くのを楽しみにしているようだ。

これまでにない反応があったのが、「お一人様の旅」と「観音さま」。「お一人様の旅」には、「この歌聴いたら泣く人が沢山いるだろうね」と言う。泣く、か。。。悲しい歌に泣くこともあるが、深奥から泣く歌は自分を救ってくれる歌のように思う。闇の中で悶えて苦しんでいる時、自分を救い上げてくれる言葉をメロディーに乗せる。恐らくこれまでのシンガーソングライターとしての私の時間は、この歌を書けるようになるまでに必要な時間だったのかもかも知れない。

以前からうっすらとしたイメージがあった。先に生きたものとして人生に迷う者たちに贈る言葉。

 あなたより先に生きたから 話せることもあると思うの♪

「観音さま」には、「すごい歌だね」と友人。これは世の中に蔓延る”陰口””悪口”に悩んだり憤る人達へ、またそれらを平然とやってのける人たちへの歌だ。その正体が露呈され、ハッと気づいてくれるものがあれば、叶ったりだが。息苦しくない世の中になるようにとの願いを込めて書いた。

友人は同時に、私の楽曲の歌詞が本当にいいから、日本作詞家協会が年に1,2度公募しているコンテストに出したらどうかと勧める。で、ちょっと覗いてみた。誰が歌うかも作曲家も決まっていて、その歌手に合うような歌詞を送るらしい。で、今まで形になったものを聴いてみた。。。。。う~ん、違う、と今は思っている。

昨夕は「My Love」の新バージョンの録音のため、5時間ほどずっと歌いっぱなし。録音はライブとは全く違う。細かなところが気になり、何度も歌い直す。言葉付きで高音のドまで出すのはこれまでになかった事。これは私の声の進化かなぁと思いながら、感心している(あは)。流して聴けば悪くないと思うが、突然歌の途中のひとつの音が鳴ると「あれ?」となる。声楽をきちんと学んだ人たちはこんなところも油断せずにしまった声を出すんだろうなぁ。ま、ポップスのシンガーソングライターだから許される範囲内かも。声で聴かせるのではない、歌を聴いてもらうのだから、ま、今はこの辺で良いだろうのところで終えた。




胡坐をかく 7/12

「今はこの辺で良いだろう」と上で書いてはいるが、私は動いている。この「あれ?」と思う声は、いわゆる”胡坐をかいている”声。日課にしている発声練習は、20年ほど前当時付いていた帝劇ミュージカル「レミゼラブル」の音楽監督の自宅で録音したものを回してやっているが、そこで彼がそう言っている。あの時は、何を言われているのか、どうしたら解決できるのかよく分かっていなかったと思うし、教える側も胡坐の原因を指摘していない。

だが、思いもよらないキャリアを歩くようになると、天が助けるのか、突然できるようになってくる。低音で声帯をリラックスさせてしまうから、胡坐をかく。「緊張感があってもいいと思うよ」と回しているMDの中で音楽監督が言っている。全て声帯の事だと、最近になって気がついた。声帯を閉じる訓練として、低音を裏声で歌う。これはなかなか大変で、直ぐに地声に変わってしまう。踏ん張って声帯を閉じて、鼻に声を集める。やっとできるようになった。




起きる事はすべていい事 7/14

昨年、インプラント手術で鼻腔に漏れてしまった人工骨を取り除こうと耳鼻咽喉科での大掛かりな手術があった事が幸いして、私の上咽頭が炎症している事が分かった。激しい花粉症から来たのだと思う。上咽頭処置に家で服用したリ点鼻する薬はなく、毎日クリニックに通い医師の手を借りる。幸い自宅から道路を挟んだ真向かいに一軒見つけ、朝食後の活動がその耳鼻科通いとなった。最初のクリニックでは上咽頭を長い綿棒で突っつくだけの処置だったが、綿棒の先に血液が付着する。「大体の人が多少出血するんですが、(私の)出血はかなり多いです」。目の前のクリニックでは塩化亜鉛溶液をつけ、上咽頭と喉ちんこの後ろ側まで塗布する。これが沁みるのなんのって、ぐわ~と鼻から喉までじんじんする。問題のない人は沁みないと言う。沁みない人がいるんですかぁ?信じられない(*_*;。

2か月毎日通って、やっと沁みる程度も弱くなり週一の処置になったものの、その最初の1週間後につけられた塩化亜鉛に、まるで顔が燃えるようにジジジ~ン。「先生、もうすごいの。鼻から喉から、じんじん、じんじん」「じゃ、週2にしましょう」。この女医さん面白がっているように笑う。通常なら既に治癒されていると言うのに、私の場合はなぜこんなに長引くのだろう。。。。が、おや?

数日前3,4か月ぶりに録音した自分の声に、リップノイズが無い。いわゆる唾液の音。4年程前に自称プロの米国人アレンジャーから指摘され、加齢によるものだろうなどと素人判断をされたが、最近は異常に出ていたので、ミックスをするAnzの作業が大変だろうと恐縮していた。が、今はほとんどない、いや、まったくない、と言っても間違いじゃない。砂利道を引きずられていたような声もない。え~、これみんな上咽頭の炎症に関係していたの?うわ~(''◇'')ゞ

「起きる事は、すべていい事」。この法則を知っていた私は、インプラント手術が失敗した時も、行き先がどこだかその時点ではまだ分からないが、きっとこの先に何かいい事があるのだと思っていたが、これだったのか~!インプラントの不成功がなければ、上咽頭の炎症に全く気付かず、私の声の改善も無かっただろう。は~(/o\)

早速医師にそのことを話し、「これで咳も無くなればいいんですけれど。。。」ともう一つの望みをかける。

起きる事はすべていい事――世界の歴史を俯瞰すると、なるほど~と首を垂れる。




暑中見舞い 7/17

皆さま、暑中お見舞い申し上げます。

ものすごい暑さですね。今日の東京の日中最高気温は36度とネットの天気予報では緋色に塗られていた。その最高気温の中でも繁華街を歩いている人達の表情は活気に満ちている。彼らの表情や姿を観察しながら、私もこの最高気温真っただ中を歩いた。

通常、「暑いですね」と挨拶されると、私は直ぐに返事ができない時がある。それは、外に出る時は常にパラソルをさし、太陽光線を直接皮膚に当て無いようにしているから、それほど暑さを感じない。光線と皮膚の間を布地でブロックするだけでもかなりの違いがある。試しに、パラソルから顔を出すと、うふぇ~(*_*;となる。とてもじゃないが、日傘なくして外に出ようとは思わない。だが今日は上からだけではない、地中からあがってくる熱で、まるで釜の中に入れられて焚かれているようだった。

この熱のしわざか、自分がこういう間違いをするとは信じられない思い違いをし、唖然としている。1か月ほど前に左のハムスプリング(裏太腿)に軽い肉離れを起こしたようで、大分よくなってきてはいるが、念のために荻窪にある鍼灸院にアポを取った。12時15分にジムのゴルフ打ちっ放しを予約し、14時30分までに鍼灸院に着けるようキビキビと行動していた。涼しい車内で本が読めると、倍の時間がかかるが乗り換え無しの地下鉄を利用した。そして鍼灸院のドアを開けると、私とほとんど同時に入って来たかのような見知らぬ顔がある。鍼灸師とその母親が二つの顔が入り口にある事に戸惑いながら、ニコニコと私を見ている。

「え、もしかすると、私、時間を間違えたの?」アポは12時30分だと言う。改めて携帯電話のスケジュール表を確認すると、正解だ。なぜこういう事になってしまったのだろう。なぜ携帯電話のスケジュール表を再確認しなかったのだろう。12時15分にゴルフの予約さえ入れて。。。。不思議で不思議でたまらなかった。別人の私がいるようだった。ま、いいか。涼しい車内で本も読めたし。他に寄るところはないので、そのまま再び地下鉄に乗って帰宅した。

ボケ?ちょっと気になった。いや、きっとあまりに今の自分の生活に満足しているから、新しい気付きがある度に感動しているから、最近特に幸せな夢想に浸ることがあるからかも知れない。西行法師の話、「アンクルトムの小屋」などを読んで、自分の生き方に沿うものに触れたことも、恐らく私を現実の世界から引き離したのかも知れない。




大いなるかな 7/18

すごい。直接目の前で見たのは初めて。午後3時頃だ。黒い雲が頭上の空を覆いぽつぽつと雨を落とし始めた。これで少しは涼めるかとベランダに出て下を見る。動く人型の上に傘が見える。ニカ~としたのも束の間。間もなく、爆音と共に一瞬にして景色が無くなった。目の前に聳えたつ高層ビルの建物はその形も色も水しぶきの中で完全に消えた。疾風に乗って狂乱したようにどこかの木から落とされた枯れ葉がベランダの中で旋回する。一体どこから来た葉っぱなのだろう、上には空しかないのに。突然窓と外壁を叩く激しい音。氷だ。何度も何度も落とされる。窓ガラスが割れたらどうしようと案じる。そっと窓を開けて、氷を一つつまむ。魚の形をしている。宇宙からやって来た客人だ、「ようこそ」と台所に持って行く。

せっかく2日前に窓の拭き掃除をしたばかりなのになぁと思う反面、この驚きの嵐に初めて遭遇しウキウキする。風が収まったころ、窓を開けた。涼し~い。アイスランドの夏みたい。温度計をベランダに置くと、24度。突然10度ほどの気温の差。涼気を得てベランダを掃除。この驚きの嵐は消えない足跡を残して行った。ベランダの手すりの下3分の1ほどの背丈になるプラントの葉を切れ切れにしていった。

大いなるかな、自然の力。宇宙の力。いつか私もあなたもその力の中で溶け合うのだろう。




井沢草原ゴルフ 7/20

大学地区OB会の有志8人で1泊2日軽井沢の草原ゴルフを楽しんだ。宿泊先は民宿「鶴邸」で、俳優故鶴田浩二の別荘。この鶴邸の横に別荘を持つOB会のメンバーが隣人の”よしみ”でこちらも買われたとか。そこで別OBが賄いをし、有志達を招いた、とも言えるし、有志達が応援のために使った、とも解釈される。なかなか心地よい場所だった。

何よりも感じ入ったのは、軽井沢の朝の肌寒さ。早朝6時頃外に出ると、東京のべとべとした暑さの中にあった顔に霧雨が触れる。木々の葉が代わりに雨露を受けてくれたところを除いて地面がほんのりと湿っている。東京のど真ん中から2時間車で移動しただけでこれほどの気温の違い。この違いが嬉しくてたまらない。東京から見ると退屈な軽井沢だろうが、執筆活動か作詞活動か、そのような仕事を持つ者なら、夏の軽井沢は冷房も要らず、本当に過ごしやすいだろう。夜は毛布と掛布団が必要だと言うのだから、この贅沢にただ喜んでしまう。

ゴルフ場にいる昼間もカートが出す微小の速度にそよ風が、まさに癒しとなって露出した肌に心地よく触れてくる。あ~あ、恵みだ~。

連チャンのゴルフ。特に2日目は民宿のすぐそばにある大変安価なセルフサービスのゴルフ場を使ったが、リモコン操作も叶わぬキャディー無しのカート操縦。登りや下り、山や谷が多く、片側にバンカーが一列に並んでいるようなホールもある。「もうここはいいよ」「よく回って来られたよ」と、とにかく上がって来ただけでも自分自身を「よくやった!」と褒め称えたいコース。最悪のスコアで終わっても悔やむ人がいない(^^♪)

色々なハプニングをくぐりぬけ、2車に分かれて帰路に就き、途中待ち合わせてドライブインで最後の打ち上げ。楽しい二日間だった。一時私は有志リストから外されたが、不手際があったと再登録された。この不手際の是正に関わって下さった方々、ありがとうございます。一緒に楽しませて下さった皆さま、ありがとうございます。




善い事をしないと 7/23

「アンクルトムの小屋」の新訳が図書館の貸し出しカウンターのすぐ側のコーナーに置かれてあった。タイトルはよく耳にしながら読むまでに至らなかった本が、こうして図書館が住まいの直ぐ近くにあると言うお陰で、手当たり次第に読める満ち足りた環境が実に嬉しい。私自身の精神活動が盛んになる。

1800年代奴隷制度下での米国で白人によって売買される黒人。その奴隷たちの運命は主人によって大きく左右される。中には読み書きを教え、独り立ちできるころになると、奴隷の身分から解放し自由人として認可する白人もいれば、家畜同然に扱い、命令に背くものは鞭打ちで死に至らしめたり、映画「スパルタクス」にあるように、木につるし太陽の熱で干からびらせ黒焦げにして殺戮する極悪非道な者もいる。本は小説だが作者は伝え聞いた話や実際に見た事件を基に書いたと言う。

この小説は、後に南北戦争を勃発させ奴隷制度廃止に大きく貢献したと評される。作者のハリエット・ビーチャー・ストウは「あなたがあの大きな戦争を起こさせた小さな人か」とリンカーンに言われたとか。

白人たちは黒人にキリスト教を浸透させる:常に神が見られている事、必ず神が救いの手を伸ばされる事、そして死後最後の審判の時に善事を働いたものは天国に行く事。この善事の真逆に悪事があるが、この悪事には、積極的悪事はもとより、善事を行わなかったことも含まれる。ここの個所を読んだ時、私の中では「だからかぁ~!」と大変納得がいったことがある。米国にいた時、ある種の米国人の寛大さに感銘を受ける事がよくあった。彼等は積極的に善の行いをする。才能あるアーティストに匿名でパトロンになったり、個人財団を設立しては国内の学生は勿論、海外からの米国留学を援助したリ、留学生の生活まで支援する。つまり富を分ける。その裏付けが生活の中に根付いたキリスト教的考えにあったのかぁと、感慨深い。

最近こそ、日本でも基金を設立したリ、劇場もパトロンを募ったりしているが、これも多くは西洋を見習っての事で、日本の土壌から生まれたものではない。日本の相互扶助は知っている者の間で行われ、そこに貸し借りの関係、つまり義理を作る。見知らぬ他人への施しは托鉢僧に僅かな銭を差し出すことくらいだろうか。米国人のボランティア運動は全く見ず知らずの他人に対し行われ、その代償を相手に求めない。神に求めるのだろう。日本の生活の中には、親鸞のいう「そのままで救われている」という考え方が浸透しているのかも知れない。

ちなみに、奴隷制の中で競売に出される黒人の中で歌われた曲 No More Auction For Me「もう競売に出さないで」のメロディーは、ボブディランの世界的な楽曲、Blowing In the Wind「風に吹かれて」のAメロに借用された。前者は黒人霊歌で作者不明。ボブディランの楽曲のオリジナリティーは、なんと言っても歌詞にある(ここのところは以前にもこのブログで話した事があると思う)。




閉じこもって 7/25

先日の軽井沢でのゴルフでは、幾つかのホールでパタを5、6回打つというアホな事をしてしまった。つまりショットの数以上にグリーンで立ち往生。「パタを攻略すれば100切れるよ」と、一緒に回ったゴルフの腕を上げる事に大変熱心な先輩が言う。確かにショットは良くなっているので、グリーン周りを慎重にやってみたいなぁと、火曜日の今日、いつものゴルフ場に練習に行こうかと思ったが、今週末の近藤先生とのクラスで見て頂くものを準備した方が良いと、家に閉じこもって作業をすることにした。それに2日間の連チャンゴルフの後1週間も経っていないところで、「よし、行こう!」という気がまだ起きない。

私は塵や埃が気になる方なので、窓を開け放していると落ち着かない。が、外の気温に反乱すべく吹きかけて来る、肌をつんざくような冷房の冷たさから身を守るのに比べれば、時々吹いてくれるそよ風の中に絡まる方がいいかと、日中は窓を開け放す。そしてジムでひと汗かいてジャクジーに浸かった後、夕飯前にリビングに掃除機をかけ拭き掃除をして冷房を入れる。そうしてやっと落ち着き、発声練習やら様々な作業を始める。だが今日は一日中冷房をかける事に決めた。作業に集中するためだ。

大分以前の作品「もういいのよ」をAnzの手で作曲し直してもらった。この楽曲は曲の半分が語りで、そのバックに流れる曲を作曲するのは、音楽の専門家でない私には至難の技。それで彼に関わってもらったわけだが、出来上がって来た曲はすっごくカッコいい。だが、歌が死んじゃってる。歌のために曲があるのではなく、曲を聴かせるために一応歌らしきものをくっつけたような感じ。これは頂けない。良い作品を作り上げる事でつながって行く為には率直に意見することは必須で、歌が入るところは私が作曲し直すことにした。

既に作曲されたものを変えていくのでややっこしいと思ったが、案ずるよりも、である。。。かな(^^♪。だが、これによって、もしかするとAnzは最初から作曲のやり直しを強いられるかもしれないが。。。。。。ほんにゃ~(/o\)

音楽の事になるとどんな無理でも、なんどの繰り返し作業でも文句を言わず(?)聞き入れて丁寧に仕上げてくれる、それも一流の品質を常に出して来るAnzがいて、より面白いメロディーの作り方を教えてくれる近藤先生がいる事で、私の日常は、ほんま、充実している。あ~りが~たや、ありがたや♪




カラオケに行こうか 7/26

耳鼻咽喉科に行ったこと以外、昨日はお宅をやっていた。

耳鼻咽喉科に通い始めてそろそろ3か月。喉がきれいになったようだ。昨夜一連の仕事の最後に発声練習をしたが、声にノイズが少なくなった。それで歌いたくなって、世間で難しいと言われている美空ひばりの「ひばりの佐渡情話」を歌い録音してみると、ふん、そんなに悪くないかな。気持ちよくなって「津軽追分」「私は街の子」と続いた。

久々にカラオケに行ってみようかな。あは(^^♪




・・・・・ 7/28

      岩もあり 木の根もあれど 
さらさらと たださらさらと 水は流るる


甲斐和理子 





さらさらと。。。 7/30

甲斐和理子、現在の京都女子大学の前身、顕道女学院の創始者。上の和歌は田中角栄元総理の2号と言われた神楽坂芸者、辻和子の角栄との思い出をつづった「熱情」の中で紹介されていた。角栄氏が最も好んだ歌だとか。

この歌の奥深さを思う。事を成し遂げようとするものにとって、岩が外からのしかかる障害なら、「木の根」は自分の”思い”が産む障害のように私は解釈する。人にはメンツがあったり虚栄心があったり、取越し苦労や持越し苦労があり、社会通念に脅かされ、傷つくことを恐れ、あれやこれや考えては、思う通りに事を進められずにいる事が多い。それらは事を成し遂げるためには、すべて無用のしろもの。

「さらさらと」は、なんと響きのいい、そして的確な表現だろう。雑念の無い心だ。あらゆるエゴを取りさらって、心さらさらと流れていく。運命か、使命か、天から課された仕事の成就に一点集中する。その他の事は、「こまか、こまか」(甲斐和理子)。そんな事に私もようやっと気付けたように思う。

角栄氏は起きてしまった事をあれこれ悔やむ人でも恨む人でもなく、ただ前進する大きな人物だったと言う。この歌は彼の座右の銘だったのかも知れない。

いいタイミングで私にも伝えられた。ありがとうございます。




夏が。。。。 8/1

もう8月。皆さま、残暑お見舞い申し上げます。

7月19日付で、気象庁は梅雨明け宣言をしたようですが、まだ梅雨っぽいですね。。。

日本の夏と同じようなジメジメぐつぐつした夏は、私がこれまで訪ねた国では、ニューカルドニアを除いてなかったように思う。じめじめした夏につきものなのが、蚊。蚊は湿気の多い所に現れるらしい。大学時代に訪れたニューカルドニアのヌメアで、経費削減のため(当時1ドル300円~350円)冷房の無いモーテルに泊まった事があって、夜に蚊の攻撃で一睡もできず、翌朝開店と同時に雑貨屋さんに入り蚊取り線香を探したら、なんと日本製のものが売られていた。が、ヌメアの蚊に日本製の蚊取り線香の効力は今一だった。

私は蚊に好かれる。周りに数人いて、誰も刺されていないのに私は刺される。体温が高く、汗っかきで、においのする人を蚊は好むとネットに書かれているが、私はこの3つの条件のどれも持っていないと思うのだが、そろそろ蚊の産卵期なのか、あちこち刺されまくっている。ジムから帰ってくる夕刻が狙い時のようだ(そうか、この時は体温が高い(*_*;)。タンクトップに短パン、時にはノースリーブのムームー。刺してくださいと言わんばかりの格好だ。

マンションのエレベーターに一人の女性が、この暑さの中、薄着のシャツの上に黒の長袖のジャケットを重ね着して、顔は汗だくで乗って来た。訊くと、蚊対策だと言う。朝の出勤前である。ちょっとやり過ぎじゃない?とも思うが、最近は怖い話も聞くから、、、、だが、ネットで調べると、蚊は黒色を好むそうだ。

蝉の声も聞こえ始めた。夏が終わりに向かっているのだろう。早いなぁ。




「聴け 魂の声」 8/2

書かなくちゃと思いながら歌詞が整理できず、書く勢いが今一足りなかった。前がはっきりと見え始めたら書く意欲も出て来るだろうと放っておいたら、少し気落ちすることがあり、ここ2,3日胃壁をスプーンで削られたような痛みが襲い掛かった。良いように捉え直さなければと、少しばかり鬱に傾いた心を立て直していると、見えぬ力が動き出してくれたようで、曲を書く気が高まってくれた。

75曲目、「聴け 魂の声」。すごいタイトルになったが、これが一番言いたい事だから、躊躇わずにこれにした。私は、他(ひと)にどう思われるかと言う雑念に捕らわれず、エゴのない深奥から発した自然な思いに忠実でいる事を最重要視している。この楽曲、「聴け 魂の声」もまさにそれをテーマにしたもの。

私が作る歌の内容が、大分変って来た。内容の大きな歌だが、自分の思いを素直に表した。




虫の知らせか 8/3

二つ上で蚊の話を書いている時、かつて一緒にミュージカルに出演した友人を思い出していた。私は蚊に好かれ、誰といても蚊は私を襲ってくるのだが、一人だけ、蚊が私より好んだ人がいた。石富由美子。私が刺されていないのに、由美子は刺される。こういう人もいたのか!「これから夏は由美子と一緒にいよう(ぎが~(''◇'')ゞ)」と楽屋で喜んだ。
 
彼女は国立音大で声楽を専門的に勉強し、1986年以来、帝劇で繰り返し上演されている「レ・ミゼラブル」のフォンテーヌ役で短期間出ていた事もある。声が出てルックスがいいから、この業界に参入するや直ぐにオーディションで役をゲットした。その後、音楽座と言うミュージカル劇団に所属したが、劇団が遠藤周作の「私が棄てた女」をベースにミュージカル「泣かないで」を制作した時、私が客演で参加。彼女と知り合った。20年程前から実家のある島根の松江でパトロンに援助を受けながらクラブのママをやっていた。

その由美子を松江に訪ねて10年以上になるか、突然昨夜電話があった。嫌にじゃれている声なので、酔っているのかと訊くと、7年前から乳がんを患い、今病院に入院していると言う。。。。。。(絶句)。パトロンも3年前に亡くなり、両親はとうに旅たち、今はたった一人になった。今までは逃げる場所があったが、逃げ道が完全に断たれ一人取り残された今、生き方を改める時が訪れたと言う。

「生きたいの?」「これから音楽堂を作って、し~ちゃん(私の事)を含めお世話になった音楽関係者が活動できるようにしたいんだ。いま脚本を書いているの」

なぜ病気になるか、人が”想う”事で生まれるエネルギーが体の細胞にどんな影響を与えるか、だから善きことを思う事がいかに大切か、そんな事をずっと話して聞かせた。

「与えるのよ。とにかく与えるの。与えると本当に幸せになるから。与える時、人は善き思いになっているの。善き思いには善き心で報われるの。そしたら嬉しいでしょう。これが繰り返されるの。そうしたらどんどん幸せになって行くわよね。相手に要求ばかりしている人は、自分の思い通りに相手が動いてくれないと、不満になるの。悪口も言うの。不満や悪口を言って害するのは自分自身なのよ。誰かを憎んでいる時の自分ってひきつっているでしょう?。そんな心でいる自分は決して幸せじゃないでしょう?細胞もその否定的エネルギーで傷ついて行くし。やってもらおうとばかりしている人は、乞食(谷口雅春氏の言)。心が貧相なのよ。与えている人は豊かだわ。豊かだから与えるのよ。与えてもっと豊かになって行くの。その豊かな心は身体の細胞も活発に働かせるの」。

彼女は熱心に聴いてくれていた。「水を飲んで喉を潤したような感じ」だと。今はガンが骨に転移し骨折。骨が固まる頃に松江まで飛んで、鳥取のラジューム温泉まで連れていく事にした。身寄りがいなくなって、ベットに臥している。どんなに心細いだろう。

病気にこそなっていないが、由美子の今の境遇は10年前の私と同じだ。逃げ場が無くなって、やっと甘えの無い、独り立ちの人生が始まる。私は離婚と言う形で、由美子はガンと言う病魔の訪れで、それまでの業が清まれたのだろう。稲盛和夫氏に説いて聞かせた和尚が言うように、めでたい事なのかもしれない。

由美子、濃いとは決して言えない友情だけれど、きっと私に何か出来るかも知れない。




寿命が縮まる 8/5

「生きた心地のしなかったダイムブレークでした」「肌を刺すような緊張感でした」

米国ワシントンDCで行われているシティー・オープンでの4回戦。錦織圭とトミーポール(US)との2セット目が終わったところでのアナウンサーのコメント。1セット終了した辺りから観始めたこの試合。世界ランク220位(と言ってもかなりの実力の持ち主)との試合は危なげなくストレートで勝つだろうと思いきや、1セット目が3-6.私はこの数字の並びを逆に捉えていて、見直した時には「まさか?!」だった。ミュージックスクールでのレッスンがあるため、試合観戦は途中で切り上げた。

レッスン終了後、10月の東京有明テニス会場で開催される楽天オープンチケットの一般販売が今日開始されたので、決勝戦チケットを購入しようとネットカフェに急いだ。販売開始は12時、レッスンは12時半終了。販売開始から1時間後にアクセスした時には、予想していた通り、既に完売。しゃ~ない。ネットカフェでの余った時間、圭の4回戦の結果を確認した。なんと、勝ってくれたではないか。よく頑張ってくれたと、うるうると込み上げてくるものがある。ファンは、ほんと、家族と同じ熱さで応援する。

帰宅して、スポナビで試合の後半を見た。ま~、この人は、本当にハラハラさせる人だ。もう結果が分かっているから落ち着いて観ていられるものの、今日レッスンが無くてあのまま続けて観ていたら、ほんと、ハラハラドキドキ、寿命が何年も縮まっただろう。「あ~、もうだめだ」と思う場面が何度もある。2セット目、圭3、相手のポールは5でかつアドバンテージだ。つまりあと一点取ったら相手が圭にストレート勝ち。サーブは圭。ファーストサーブが外れる。「はあ~」ため息が出る。会場での日本人観戦者もテレビやネットでの観戦者も固唾をのんで見守っていただろう。2回目が外れたら、それま~でぇよ、なのだ。だが、圭は持ち堪えた。そしてタイブレークまで進むのだが、それも前半を0-3にしてしまう。「あ~あ~」と思うや同点まで上り詰め、そしてまた一進一退。やっと圭が勝った。その時のアナウンサーのコメントが「生きた心地のしなかったダイムブレークでした」。

感心した。さすが、アナウンサーはプロだ。ドキドキしている緊張感が声に全く表れないMCだったが、内心は観ている私たちと同じだったんだぁ。

その「生きた心地のしないタイブレーク」に勝った時の圭の顔。私は数回巻き戻して確かめた。舌を唇の上に滑らしニタリ。「あれ?(''◇'')ゞ。随分余裕を持っていたんだぁ」。その調子だ!引き出しを沢山持っているのは圭だが、ポールの勢いはすごかった。初めての対戦相手で、暴走してくるから、1セット目はどのように攻めたらいいのか圭は掴めずにいたのだろう。2セット目中盤の解説者のコメントに私も胸を撫でおろした。「落ち着いてきましたね。ラケットに当たるボールの音が変わって来たでしょう?ここからやりだしますよ。今までは、ボールを返すことだけで精いっぱいだったけど。」

この大会で優勝できたら、かなりの自信につながるだろう。得意とするハードコートだ。全米オープンでの優勝の可能性も大きくなる。なによりも本人がその気になるだろうから。「もう勝てない相手はいない」その言葉に肉が付くだろう。次の準決勝での対戦相手アレクサンダー・ズベレフとの戦いを突破出来たら、決勝戦での勝利が見える。

それにしても、本当に、ハラハラさせる。明日の準決勝は朝8時から。はぁ~、また心臓に悪そう。




大丈夫、大丈夫 8/6

準決勝で圭は勝てなかったけれど、決して悪い内容ではなかった。今までのようにコートでもそもそと考えていたり、反省したりしているところも無かった。ズベレフとは初めての対戦だとか。攻略法が掴めていなかったのだろう。だがひとつ気になった事がある。サーブ権を持ったゲームで、いつまでも同じ方向に打ち返し、相手を右に左にへと走らせないで、自分が動かされる。これは、ポールとの準々決勝でもそうだったが、結局相手に主導権を渡してしまって、翻弄される。

2日後にはもっと大きな試合、モントリオールでのロジャーズカップが始まる。今回の大会では雨で2度延期され深夜の試合になり、結構きつかったようだ。準決勝で終わり、早めに休息を取り、次に備えられて良いかも。次の試合からは、もう少し落ち着いて観戦させて欲しいなぁ。




言っちゃった 8/7

29歳のヤング・レディーに訊かれた、「曲を作るのと歌詞を作るのとどちらが難しいんですか。」
「....どっちも難しくないの。」あ~あ、言っちゃった(''◇'')ゞ

頭であれこれやっていれば大変だろうが、私の場合、メロディーは降りてきてくれるし、歌詞は、いくらでも題材があるから、腰を上げて整理に取り掛かればいくらでも書ける。恐らく、多産家のシンガーソングライターはこうなのだろうと思う。

先日Anzに、これまで関わってもらった楽曲の中で、特別印象深かったものをピックアップして欲しいと言うと、「もう40曲くらいやっているでしょ。こうなったら何が何だか分かんないよ」と嬉しそうに答える。Anzのそんな反応に触れると、私も嬉しい。何度も書いてきたが、Anzと近藤先生がいて、私の作曲プロセスは充実している。周りの音楽関係者を認めることなどありそうもない近藤先生もAnzの仕事に驚きを隠さない。Anzのアレンジや音選びが「新しい」と言う。私に言わせると、くすみの無い純粋さ。天才が持つ素質だ。本当に美しく、心が高揚する。現代のモーツアルトかも。もしかしたら、前世でモーツアルトだったかも。

だが、近藤先生が私に教えて下さることをAnzができる訳ではないようだ。Anzはどんな曲でも、たとえそれが音楽的におかしくても、彼のアレンジで光らせることはできるが、歌詞を載せるメロディー作りは得意でなさそうだ。詩人の谷川俊太郎が歌詞を書けないのと似ているのかもしれない。その部分を近藤先生にみて頂ける。ときどき彼女のシンプルなコード理論に押し込めようとするため、おもしろさが減じてしまう危険が潜むが、そんな彼女の傾向もようやく分かって、そっと切り捨てたり、私のしたい事を納得させたりしながら、最近は自分が確かだと思うメロディーを作っている。

で、最近の歌作りが大きく変わってきた。これまでは小中ホールで歌われるような歌を作っていたようだが(ある音楽関係者の言)、今は大ホールで歌うような歌も書くようになった。直近で作った「聴け”私”の声」(「魂」から「私」に変更)がその一つ。歌詞も大きい内容だが、曲も大きい。

感謝。




言うまい 8/8

「相手ありきのことなので、いつどのような形で実現するかは明確にできない。ただ我々としては強い意欲を持っており、だいぶ近づいてきていると考えている。詳細については近くなればなるほどコメントすべきでないと考えている」

ソフトバンク社長の孫さんの言葉。買収した米携帯子会社スプリントと念願のTモバイルとの合弁が見えて来たと発言。詳細は「コメントすべきでない」というところに、私の反省が促された。私の人生の参考書は複数あるが、その一つの著者、ディーパック・チョプラー博士も同じような事を言う。何かが実現しそうになったとき、余程自分を応援してくれる人以外には口にしてはいけない。特に同じ畑にいる人には禁物。この世はエネルギーと情報でできているため、否定のエネルギーが働けば余程それを上回る強いエネルギーが出ていない限り影響される、という事なのだろう。

私もこのブログで応援して下さる方々が期待されているかとキャリア展開を報告してきたが、しながら気になっていた。これからは止めよう。10月からはプロバイダーの都合により、このHP自体が無くなる。




「成功の反対は」 8/8

76曲目を書いた。「大丈夫」が最初に思いついたタイトルだったが、ジャーナリスト池上彰と読売新聞論説委員竹内政明の対話「書く力」を読んでいたら、ふん、こんな歌の書き方も面白いかも知れないと、書き出しと結論がまるっきり別個の歌を書いてみた。

以前に「逆さの砂時計」を書いたが、ここでは主人公は店の客。「成功の反対は」は店のママを主人公にしたセリフ入りの歌。先週友人たちとカラオケに行き、その時にこの言葉が出て来た。タイトルからは思いもよらない出だしで、ちょっとサプライズのある楽曲になったかな。

メロディーを作っている時、私はPC内臓レコーダーに何度も録音する。楽曲が完成する度にそれらを消していく達成感が心地よい。かつて米国に留学していた時、長い論文を書き終えた後の掃除と似ている。それまでのメモ書きや書き換えたページをわんさかごみ箱に捨てて、が~と掃除機をかける。爽快だ。




まだ無題 8/9

遠い昔、青春時代、二人で住んだ小さなアパート。訪ねてみると、かつての道は消え、アパートの面影も無い。下駄を鳴らして駅まで迎えに来た広い背中が遠くに見える。あの人はいまどうしている。優しすぎて、甘えすぎて、辛い思いばかりをさせた。。。。そんな歌を作っていたら、吉田拓郎の「我が友よ」を口ずさんでいた。

それで改めて「我が友よ」を聴いた。これは主に、かまやつひろしが歌っていたようで、確かに彼にフィットする。いい歌だなぁ~。長淵剛が吉田拓郎の歌が好きと言うのも、それでレコード会社オーディションの第一審査に通ったと言うのも(つまり審査員も拓郎のファン)、分かる気がする。拓郎ファンの男たちが実に多い。創作には作る人が表れる。拓郎は幼い時から友達が結構いたのだと思う。でなければ、「我が友よ」を書けない。たとえモデルがいたとしても、歌には作者が現れてきてしまうものだ。ユーミンにも中島みゆきにもこの類の歌はない。突出した女は一人ぽっちになりやすいのかも知れない。突出していない一人ぽっちも山といるけれど(';')。

で、まだタイトルがついていないこの新曲に、拓郎の歌が流行った時代を彷彿させる事で時代を暗示しようと、2小節だけ「下駄を鳴らした奴が来る♪」に少し似たリズムを使ってみた。まだ完成していないけれど、77曲目かな。




悔しがれ 8/10

日本時間今日01時30分に行われたモントリオール・ロジャーズオープン。圭が初戦でモンフィスに敗れた。勝利確立大の相手だったのだが。相手のテクニックが優っていたわけでなく、圭のミスが原因。ダブルフォルトの数があれほど多ければ(6回?)勝てないのは当たり前。試合後の選手が握手を交わす簡単な労い時に見せた、圭の悔しそうな顔。自己嫌悪に陥るほど悔しがって欲しい。

信じられない試合だった。当然圭が勝つような出だしと中盤だったのに、突然相手に続けざまに点を許してしまう。やはりメンタルが大きく影響しているように思う。ダブルフォルトが出るのは、「失敗してはならない」というネガティブ思考が緊張させるからであり、ひたすら「ベストプレイをしよう」というポジティブ思考に変われば、ダブルフォルトも少なくなるのではないかと思う。結果は同じところを目指しているが、それぞれの言葉を思う時のメンタルが違う。また、自分が落としたセットをコート上で悔やんではならない。ベンチに座って次のセットの開始を待っている間、うなだれて頭を抱えては絶対ならない。「あ~だめだ」「なんていう事をしたんだ!」とネガティブ思考が丸見えだ。前をみて勝っている時と同じ構えで次をどう攻めるか思案した方がいい。

「xxしてはならない」と言う考え方は、エネルギーを抑えるから消極的になる。「ベストプレイをする」と思えば、エネルギーは積極的に放出される。

それともう一つ、ナダルが現在持っているテクニック、ラリー時に突然サービスライン内に急角度をつけてボールを打つ技を取得できないか。このような球は大方の選手は絶対打ち返せない。コーチを変える?新しい関係を築き上げるには時間とエネルギーを必要とするが、それも手かも。何が最も重要なのか考えて、実行に移して欲しい。圭に新しいコーチが必要なら、神が寄越すと思うが。




幸せの決め手 8/11

その人の人生は、ほんと、その人の想い通りになっている。周りを見ても歴史的人物を見ても、これは真理だ。その人が何をどう想うかで、その人生が決まる。だから、幸せになりたいなら常にいいように考えていればいい。ひとつの事件を取っても人みな見方が違う。だから幸せでいられるような見方を取ればいい。いい人に逢った、あの人は私が好き、私もあの人が好き。。。、今回失敗したけれど、これは次のステップの為の失敗、Noと言われたのは、神様がこっちじゃないと言っているんだ。。。。また、どうしても個人的に好きになったり受け入れることができない人や事にも、必ず「いい点」がある。なぜなら、人や出来事は必ず誰かの役に立っている。その”役割”を果たすために生まれたり起きるから。その役割は認めつつも、自分のエネルギーを無駄にせず自分に与えられた役割遂行のため、その人や事件を自分の思考回路に入れなければいい。

いい事を思えば、いい事になる。まさにこれが幸せの決め手だと気づいたのもここ数年の事だ。ただ、ここにもう一つ追加したい:「いい事をする」。人が喜ぶことをする。そして自分も喜ぶ。人にいい事をしていると、ほんと、自分が一番喜んでいるし気持ちがいい。8/3のブログでも書いたが、人には求めず、ただ与える。だが、むやみやたらに与えてはならない。その人の成長に繋がるように与える。「求めるのは神にだけ」(村上和夫、遺伝子工学博士)。

「いい事を思い、いい事になる♪」。自作曲「色、あざやか」の中の歌詞だ。だが、このブログの著者にこの道理が十分に生きているかと訊かないで貰いたい(*_*;。生き足りないが、この決め手に無知だった時代よりは、ずっといい感じに生きている。

圭、コート上ではいい事だけを想おう!




「ノスタルジア壊れて」 8/13

3つ上のブログで書いた無題の楽曲にタイトルがつき、「ノスタルジア壊れて」になった。都会の変貌はそのスピード故に人がノスタルジックになることを許さない。住む人も街の様子も変わる。一人一人が一歩一歩歩いてきた痕跡はどこにも見えない。かつて確かに存在していた私も彼もこの時と空間にはいない。思い出も花弁のよう。

それが故にホッとする事もある。。。。

こう書いて来たら、この楽曲をもう少し深めようと思いなした。




どしゃぶりの中で 8/15

うわ~、草のかおり。「草の緑が鮮やかで」ボールに目が留まらいと、おっさんが言う。

10時頃から夕方18時までは曇りとの予報。最近の予報は信頼できるほどに自然を手繰り寄せているが、家で本を読むのもいいと逡巡していると、まぶたの裏にゴルフ場の光景が映された。どうも私はゴルフ場に行きたいらしい。「よし行こう」。

家を出ると蝉が命の最期を枯れんかぎりの声で泣き、薄雲の向こうで空がそろそろ開けようとしている。私にとっては、ゴルフ日和かな。足取りも軽くなった。

が、である。3ホール目辺りまでは1行目の感慨と連れ添って歩いたが、ぽつりぽつり降っていた雨は雨脚が激しくなり、5ホール目だったろうか、「普通なら私はこの辺でやめていますけど、あなたがいるのでやっているんです」とおっさんが言う。光栄だが、私としては土砂降りの中で遊ぶのも乙なものだと思っているので、「じゃ、止めましょうか」とはいかない。

「私、土砂降りが止むのを待って何時間も駅構内で待機するよりも、家が近いならびっしょり濡れて靴を脱いで裸足て歩いて行く方がいいんです。」
「それは人間がする事じゃないですよ。動物と同じですよ」

言葉にせずに、「このおっさん。。。。(''_'')」。このやり取りをニタニタしながら聴いていたもう一人が、「自然と戯れるのはいい。。。」と、もぞもぞと言葉を消した。がは。

雨はいよいよ土砂降りに変わった(土や砂は入っていないのに、この当て字)。6ホールが終わったところで、とうとうおっさんが「私はこれでやめます。コンペなら続けますが。。。。」。全員これに同意。正直言って、私はどちらでもよかった。ゴルフウェアは初めから雨具を着用していたし、終わればお風呂も着替えもあるし。この後のコーヒーが特別美味しかろう。だが、止めてもいい。カートを引きながら送迎車発着場まで歩いていると、最終ホールに近い2組の姿だけが煙る雨景色の中にあった。

最後までやり通せなかったと言う小さな挫折感は残るが、途中で引き上げるのも潔ぎよいかも。この挫折感は、来週解消しよう。

このゴルフ場で保管して頂いているゴルフバッグ。ビニールカバーをかけて回ったが、やはり濡れた。フードを開けたまま保管してくれるようフロントに頼むと、快く承諾してくれた上、なんといつもの保管場所でなく風通しの良い場所に移してくれていた。なんか、じ~んとしました。




「別れの理由」 8/16

溜まっているベタ書きの歌詞を処理しようとPCに向かって作業を始めると、どんどん歌詞の内容が変わって来る。ベタ書きファイル名は「「二人だけの世界」。それが、「細かい事はいろいろあるけれど」「詳細省略」「別れの理由」と、タイトルが変わっていく。暫定的に一番最後のものを取った。

相性がよくても好きでも、別れた経験のある人は色々と反省する。別れの理由はいろいろあるけれど、結局、あの時には見えなかった未来が今ここにあって、ここに来るための別れだったように思う。こういう歌も、年配者でなければ書けないんですよねぇ~。若者市場に売り込める、かな?あははは(^^♪。78曲目。今年中に80曲台に乗せましょっと。

ところで、昨日、これまで作った楽曲を流してみた。いやはや、近藤先生に指導を受けてから、私のメロディーが本当にカラフルになった。ゴーギャンの色彩みたい。中には、モネのような淡いタッチもあるが、未修正の旧作は中世絵画か。自分が自分を超えた時にしか、その時の自分は分からないと言うが、正にその通りですわ。「うわ~っ」と悲鳴を上げてしまった。




さびしい 8/17

錦織圭が右手首の負傷で今季残りの試合をすべて欠場すると発表した。すとんと気が抜けて穴が開いてしまった感がある。さびしい。

テニスは身体的に本当にハードなゲームだ。一つ打ってはすぐにセンターに移動し、身体の自然な流れをピタッと制止させなければならない。膝や股関節への負担が大きい。それに加え、プロ選手が投げて来る時速200キロ以上のボールを返すのだから手首にかかる負担は言葉にするまでもない。一試合で数本のラケットが使えなくなるし、ボールも打力のすごさでで空気がなくなり、試合の途中で数回ニューボールに変わるところからも、どれほどの力がボールに加えられ、かつどれくらいの負担がレシーブする側にかかるか想像に難くない。

今年は4月辺りからだったろうか、私は数回ケガをした。全てジムでのトレーニング中に起きたものだが、左の太もも裏側ハムスプリングの肉離れ、腰の右側にギックリ腰、右手小指の突き指、もう一つあったが思い出せない。どれも軽くて済んだが、そんな軽いものでも、自由に体を動かすことができなくなる。朝起きる時もゆっくり転がりながら起きなければならない。だから、たとえ小さな痛みであっても、プロテニス試合のように過酷な環境で動き続けていれば、大きなダメージへと発展していくだろう。大事を取って休養した方が良い。

現在米国オハイオ州シンシナティで大会が行われているが、驚くや、世界ランク上位10位までの選手の内7人が怪我のため欠場している。10人のうち7人である!加えて、シード勢が初戦で敗退している。シード勢が早いうちに敗退するのはよくある話で、マスメディアは「番狂わせ」と言って大げさに騒ぎ立てるが、そんな事もあって当然なのだと最近私も分かって来た。男子テニスの場合、100位、200位の選手でもすごいのがわんさかいる。前回のモントリオール・マスターズでナダルを破った18歳の選手も世界ランク142位で、ジュニアから上がって来たばかりの初戦で準決勝まで進んでいる。そんな選手達と一試合づつやりあうのだから、かなりの闘争心と集中力と体力そして精神力が求められる。

圭の事も静かに見守っていよう。ほんま、圭もよう頑張ってくれている。ありがとう。

ちなみに、圭が欠場するニュースが流れるや、10月に開催される楽天オープンのダフ屋が売りに出しているチケット価格がどんと下がり、中には定価割れしているのもある。プレミアムシートは5倍の15万円で売りに出されていたが。。。こう言う風に市場は動くのですね。




ほくろ 8/18

ほくろと言うのは後天的なものらしい。今年の7月7日の誕生日が過ぎた頃、「あれ?いつの間に?」と眉間の真ん中上部にほくろがあるのに気づいた。小さくて薄いが確かにある。眉間の真ん中のほくろは「いい」と言う話を昔聞いた事があり、とにかくいい事が起こりそうな予感がするここ数年である。早速調べてみた。すると、ほい(^^♪

A;「先見性を表すほくろです。頭がよく賢い人です。理解力も高いため、勉強しただけの成果を上げられる人でしょう。また目先の事だけでなく、遠い未来をも考慮した選択ができる人でしょう。そのため周りからも人望を得られ、年齢とともに信頼が厚くなる人でしょう」
B:「判断力と行動力が優れた相です。何が適切であるかを瞬時に判断し、それに見合った行動がとれます。学習能力が高く、失敗を確実に生かします。いいところどりできるタイプなので、人生においてあまり損な役回りをすることはないでしょう」

なぜAとBを並べたかと言うと、私のほくろの位置が、上の二つの解説がされているほくろの間にあるから。どちらにしても新しく現れたこのほくろは吉兆のようだ。そんな気がする(がはは。。。(^◇^))

ちなみに、その占いを全体的に見ていると、「老後、家族に見捨てられる」と言うのがあった。ギョッとしてその場所にほくろがあるかと確認したが無さそう。でホッとしたが、はて?私、これに当てはまるんじゃないかな。「静は独りでいなよ」と訴えるように言い残して行った男がいたが、その手に乗るか、甘えるんじゃない!(がは)。でもねぇ~(/o\)。

それにしても、所定の場所にほくろがある人は、ドキッとするだろうなぁ。「あ~良かった、せいせいするわ」と肯定的に捉えられる人は何人くらいかな。




さて、 8/20

昨日は近藤先生にこの2週間内に出来た3曲を見て頂いた。彼女から指導を受けた後に書いた楽曲には直しがほとんど入らない。

二人でピアノの前に座ってあれこれやり始めた頃には、互いの間に共通言語がなかった。彼女が思いを正確に表現できない、また私が音楽家同士なら通じ合えるだろうような言葉を解せない。そもそも彼女は作曲を教える事が専門ではなく、ピアノ・インストラクターだ。だから、作曲の何がなぜおかしいか言葉に出すことが難しかったようだ。普通ならクラスでは生徒が悩んだり冷や汗を流したりするものだが、教師が四苦八苦していた。黙り込む教師。心細く、過ぎて行く時間を気にする生徒。多くの人が良いというものを否定されれば自己防衛をしたくなる。だが家に帰り彼女が言う事を再度試してみると、やはり彼女の直したものがいいのである。落ち着くし、リッチだし、カラフルだし、おもしろい。

ピアノレッスンの容易さに比べれば、私に与えて下さるこの特別レッスンはしんどいのに、彼女の時間給は変わらない。割に合わないのである。それでも2年近くなるのだろうか、本当に助けて下さった。まさに、「あなたがいたからここまで来れました」なのだ。

「本当ね、今は直すところがほとんどないものね」と言って、3曲のチェックも40分ほどで終わった。かつては1曲60分だったり、良くて2曲で60分だった。彼女のクラスを卒業し「ワンパターンにならないように、新しい境地を開いて」と謙虚に勧めてくれるが、そのような場所はこのスクールの外にあるのかも知れない。が、おそらく、世界の名曲を聴くことが一番の近道のように思う。そこから何かを盗んで曲を作り、また彼女にチェックを入れてもらう。60年以上も音楽の世界に浸かっていた人だ。まだまだみて頂きたい。

それで、クラスの時間が余ってしまう事になる。月4回に変更したばかりなのだが、今月から再び3回に戻した(最低3回は受講しなければならない仕組みになっている)。求めよ、さらば与えられんである。彼女と遭遇することがなかったなら、私の楽曲作りはどうなっていた事やら。自信の無いままくすぶっていたのではないか。逢うべくして逢えた人だ。心から、有り難いと思っている。




読者盆休み 8/22

お盆できっと皆さん、それぞれの田舎に行かれていたのでしょうね。このHPを読む人が誰もいない日がありました。あれ~、さびしいなぁと思っていましたが、そうか、お盆だ、と気を取り直しました(あは)。そして日曜日の夜から月曜日にかけてダダダ(私にはこんな感じに響きました(^^♪)と読んで下さる方々が現れました。ありがとうございます(^^♪。

私のお盆?家でいつものように仏壇に手を合わせていました。特別いつもと違う事はなくて、8月の末に松江まで友人を見舞いに行くので、その手配をする事くらいが違う事だったかな。松江まで行くので、私のライブに何度か遠方から来てくれていた出雲の友人に会おうかと連絡をしたら、松江の友人を見舞っている時間以外はずっとお付き合い下さるとの事。出雲大社や石見銀山などを案内して頂くことになった。おおきに。

後は、8曲ほど、アレンジがどんどん出来上がって来るので、それに合わせて歌い込み。ちょっと渡すところがあるので、期日内にお願いしたいとAnzに依頼したら、本当に頑張ってくれる。かなり信頼できる人なんだなぁと、Anzの美徳をもう一つ発見した。近藤先生とAnzがいて私の楽曲作りの環境は整ったが、もう一人そろそろ欲しいと思うのはマネージャ。ま、その内現れるでしょう。




審査員 8/25

あっという間に25日、8月も終わりだ。7月にも同じことを思った。まだ先だと思っていたものがあっという間にやって来る。歳を取ると一年が速いと義姉からよく聞かされたが、本当に速い。子供の頃、正月が終わって次の正月までは長かった。なぜ長い一年に思えたのだろう。

今日は、来月から始まる区主催の演劇祭のCM大会があった。文化都市にしようと、私が居住する区には劇場が13もあるらしく、6年ほど前からは毎年9月から1か月余り演劇祭が開かれている。大阪から参加する劇団を含め今回は55劇団が参加し、優秀賞などが決められる。私はその審査員の一人になった。昔取った杵柄で、作品の良しあしが分かるだろうと選ばれたのかも知れない。そして今日は、近くのショッピングモールで、それぞれの劇団が自己PRをするCM大会。

2分間のPRだが、作品の内容は多岐にわたり、面白そうなものもある。若いエネルギーがほとばしる。私もこうだったのかと思う。ダンスする子を見ると、私もあのように動けたのかと思いつつ、頭の中で同じように動いてみようとするが、描かれるのは半回転した途端に身体が止まっている姿。今彼らが動いてしゃべっている事は、10年後は恐らく続いていないだろう。でも、こんなに何かに夢中になっていた時代、そして同じように夢中な仲間と一緒に時間を過ごした時代は記憶に残るだろう。

劇団の名前も、好き放題。「やみ・あがりシアター」「タッタタ探検組合」「ラビット番長」などなど。出し物のタイトルが「妊婦っぷ」というものがあった。妊娠した格好のヤングレディーたちが5名ほど出てきては踊ったり、演技をしたリ。

この子たちの夢や楽しみを応援させてもらおう。




タバコとわさび 8/27

昨日、近藤先生とのレッスンが終わり、次のアポまでのランチ時間の出来事。入った居酒屋のテーブルには灰皿が一つづつ置かれている。通された席に座ってオーダーを済ませると同時に隣の席の男(ひと)のオーダーが運ばれて来た。黙々と食べている。やがて私のオーダー「天ぷら刺身定食」が盆に載せられてやって来た。灰皿が置かれている割にはタバコの匂いがしない。12時45分、皆食べる事に集中している。やがて3メートルほど離れた席のヤングレディーがぷか~と煙を吐き出した。匂いが当然こちらまで届く。心配になって隣のテーブルを見ると、タバコが出番を待っているかのように置かれている。それに、私がこの席に着く前にやっていたのだろう、灰皿の中には生き血を吸い取られたように潰れた吸い殻があった。ぎょぎょぎょ(*_*;。食事が終わったら吸い出すだろうと思った私は自分の食事を急ぐ。だが間に合わない。胃を満たした隣の男の手がタバコに伸びた。私は声をかけた。

「あ、あの~、。。。(ふわ~)」男はまるで睨むように私を見る。「あ、あの~。。。(ふわ)~」男は黙って私を見続ける。「(ふわ)~、す、すみません。わさ。。。(ふわ~)」きちんと発音できない。「ふぁ、ふぁ、ふぁ~、、、わさ、わさ」男は目の動き一つ変えずに凝視続ける。「ひ、ひ、ひ、、、、わさ、わさびが、、、き、効いて」ようやく言葉になった。男はそれでもじっと私を見ている。その尖った目つきにもしかしたら文句をつけられるかもしれないと、私は少したじろぐ。でも物は試し。「すみません、私の食事がもうすぐ終わりますから、それまでタバコを待って頂けますか」

やっと私が何を言いたいのか理解した男は目の色を和らげ「あ、いいですよ」とタバコをテーブルに戻し、手元の本を読み始めた。読書好きなら共通するものもあるかも知れない。「何を読んでいらっしゃるんですか」男はタイトル表紙を見せた。「旅猫レポート」。ふ~ん、お返しに私も今読んでいる本のタイトル表紙を見せた。「影裏(えいり)」(沼田真佑)互いに相手の本に「ふ~ん」。会話をしながら窮屈な思いを和らげようとする私の試みに快く応えてくれる。結構素敵な人なんだぁと思いながら、定食付きのコーヒーを飲まずに居酒屋を出た。

「旅猫レポート」、覚えやすいタイトル。しっかり記憶してネットで検索すると、口コミ評価で星が4.5(最高は5つ星)。早速図書館に予約を入れた。

追伸:「素敵だ」と思えるのは、こちらの要望や困難に快く自然にかつ合理的に応えてくれる事なのかも知れないと、このブログを書きながら思った。




島根に 8/30

島根に二人の友人ができた。日本海側にはあまり縁がないと思っていたが、それぞれ別の空間の中で一人は20年ほど前に、もう一人は初めて出逢ってそろそろ10年ほどになる。その二人に逢いに、今から出かけます。(^^♪




島根に その2 (重くなって軽くなって) 9/1

石富由美子を見舞った。奇遇か、ランチを一緒にした出雲出身の友人の同級生が石富由美子を知っていた。所属していた会で由美子を呼んで講演と歌の披露があったという。「美人で歌がうまくて。。。」その通りなのだ。なんだか、由美子の生命に力が加えられた気がして、嬉しかった。

今回の再会で由美子とは個人的な話を沢山した。3年前に亡くなった彼女の”夫”との事(籍は入れていないが事実婚)、彼が死ぬ間際に彼女に残した言葉、私が知らなかった由美子の生まれてくる時から持たされていた”業”。そこから出逢うべくして出逢った彼女の”夫”。彼は彼女の人生を背負い続けた。

私をも含め、島根にいる友人たち2人の話を聞いて思う。すべての人と人の密な出会いは”業”の解放と繋がっているのではないかと。相手はその業を解放する手伝いをするために現れてくれるようだ。業を持ち続けたままでは、うまく歯車が回らないのだ。相手の解放を待たずに逃げ出す人もいるが、逃げ出さずに死ぬまで付き合ってくれる人もいる。その付き合い方も色々。最後まで殴りながら蹴りながらでも向き合ってくれる人もいれば、諦めて日常をそれぞれの離れた心の中でただ送る人もいる。

いい事があるよう、とにかく祈りたい。今日は朝からガンに関する情報を集めて、由美子に伝えていた。彼女自身もいろいろと調べていたのだろう、知っている事がいっぱいあった。ガンは恥骨に転移したが、それ以上の転移は今のところないという。吉報は、抗がん剤も1回だけの投与でやめているらしいし、一時「腹水」だと第3者から聞いたお腹の膨れもガスだと分かった。骨が固まるまで寝たきりなので筋力がかなり落ちているが、本人はいたって元気だ。電話口で私が紹介する様々なエピソードにけらけら笑っている。「そう、由美子、どんどん笑うのよ」。

今後の事をアドバイスるすると、「私、し~ちゃんのように生きたことが無いから。。。」「だからいま由美子の内容を総入れ替えするためにガンが訪れてくれたの。ガンに感謝し!」そんなことを言ったものの、
It's upto you それぞれの人生だ。今のまま、それでいいならそれでいい。あなた次第よ。




島根に その3 (女神様みたい) 9/3

由美子の病室(個室)の前に立った時、緊張が走った。彼女のどんな姿を見るようになるのか。あの美形がどのように変化したのか。祈るようにノックをすると、小さな声が「はい」。「あ~、し~ちゃん」と呟いては、病室に足を踏み入れ彼女の枕元に進む私をじっと食い入るように見る。恐らく私も同じことをしていただろう。十数年ぶりだ。何も言わずに彼女の言葉を待った。「し~ちゃん、女神様みたい」私の顔から視線を逸らさない。良かった、由美子にそのように映ったのならば、私が今住む世界に誘(いざな)えるかもしれない。

最初の面会は夕方7時を過ぎていた。面会が許される時間は9時まで。こそばゆいが、「女神様みたい」と言われる表情を仮に私が持っているのなら、それを作り出したこの十数年の”物語”を彼女に語った。そして私が気づいたり他(ひと)から教え賜り私の血肉となった言葉を彼女に降り注いだ。きっと土砂降りの雨のように。彼女はノートを傍に置き、そこに写経をしたリ、大切な言葉を記しているようで、そのノートに私の言葉を復唱しながらメモした。

そして翌朝、再度彼女のところへ。今度は彼女と彼女の”夫”との関係をじっくりと聞いた。「女神様みたい」彼女の私に対する印象がそうさせたのか、彼女は包み隠さず語ってくれた。私が知らなかった彼女がその話の中にあり、ドキッとさせられることも。縁、不思議なつながりだ。由美子と一緒にミュージカルで共演していた時、なぜか彼女は私と話をしたがっていた。どちらかと言うと根が暗い。私の家にも来た。華やかな舞台を退いて”夫”に連れ添い故郷松江でクラブを開いた時には私が訪ねた。私が離婚をした時には、その”夫”が東京に出張し私の話を聴こうと連絡してきた。

私には考えられない彼女の生き方。”夫”との関係。「私、し~ちゃんのように生きたことが無いから」子供のように素直で率直な今の彼女の言葉に私自身がビクッとさせられ、何かに気づかされている。

「私、人を信じられなかった」それに向き合ったのが彼女の”夫”だ。絶対彼女を裏切るまいとしたのだろう。逃げずに彼女の人生に関わり、逝く前に残した言葉が「お前、ガンになってよかったよ」。そして彼女は言う「なぜそんなことを言うのかなぁって思ったけれど、今分かる」。




秋、たそがれ 9/3

夏が終わりを迎えるたびに、一抹の寂しさを感じる--ああ、これでまた一年が終わる。そして来年に入りまた夏が来てもう一つ歳を取るんだぁ。私の今のXX歳は戻ってこない--開き直らなければならないと思うからこそ、切ない。こんな焦燥感や切なさを夏が終わる時に特別に感じるのは、東京の夏の存在感が特別だからなのか。それとも私の誕生日が夏のど真ん中にあるからなのか。そのどちらもなのか。

夏や冬の記憶は春秋より強い。20歳代のヤングレディーに訊いたら、やはり、春と秋はその季節を十分に味わうことなく過ぎて行くと言う。私だけじゃなかったか。だが、あれ程うだった夏の記憶さえ、あと数日経てば忘れるから、これも寂しい。こうして過ぎたものはすべて忘れ去られて行く。忘れる能力のお陰で、助かる事もたくさんあるが。

寝る前にベッドルームを23度まで冷やしておくことも、もう必要無くなった。そんな小さな工夫が来年まで棚上げになる事にも寂しさを感じるのは、人生の「黄昏れ」を他人事のように思わなくなったという事かも知れない。

そんな”黄昏れ”心境を払拭してくれるのが、土曜日の近藤先生とのクラス。1時間が本当に楽しい。彼女も楽しいようで、昨日も5分早く入って来られた。友達同士の雰囲気であれやこれや意見を言いながら、曲だけではない、私の歌詞にもいちゃもんをつけてくる(^^♪。それで私は再度歌詞を吟味する。「なるほど」もあるし、理屈っぽく食い下がってくる時は、「いいの!」と口を閉じらせる。曲でも彼女が直しを入れたところに、「そんな難しいと、人が歌えないのよ」と私がチクリ。彼女の知性がそして私の知性がそれぞれ相手を楽しませているようだ。クラスが終わると「また楽しみにしているから」と言う。笑っちゃった。わたしゃ、また新曲作らねば。




神想観 9/4

松江を訪ねて以来毎夜由美子から電話が入る。「し~ちゃんの声が聴きたくて」「神想観(しんそうかん)のやり方なんだけれど。。。」「安西史孝(Anz)さんの事ネットで検索した」etc。そして今日ジムから戻ると電話とメールが入っていた。。。。

彼女を見舞った時に、私がやっている瞑想「神想観」をするよう勧めた。彼女は私の言葉がす~っと入って来ると言い、微塵の躊躇いも無く、瞑想時に唱える言葉をすぐにメモした。「びっくりすることが起きるよ~」神想観をする事で体験する神秘的な出来事には、非体験者に言えば眉唾物だが、体験者にしか分からない”びっくり”がある。由美子にはどんなびっくりが訪れるのか、私は楽しみにしていた。

朝起きてからすぐ、そして夜寝る前にそれぞれ20分やるよう勧め、実践後どんな感じかと聞くと「気持ちいい」と答える。ほ~、私より早くその段階に入っている。きっとものすごく素直な気持ちになっているからだろう。そして今日3日目、入っていたメールの画面は黄色、星や音符で輝いている「待っていた病院の病室が空いたという奇跡のお知らせが入り、びっくりしています」。彼女の話によると、以前から緩和ケアをする松江市立病院に移りたい、それも個室に移りたいと願っていたがなかなか空かない。それが神想観を始めるや否や空いたというお知らせ。

彼女の素直さが彼女の波動を宇宙の波動に乗せたのだろう。彼女は快復する、生きる、私はそう直感した。神想観をすると、ダメなものは早くダメになり、タメになるものは早くタメになるとこの道の案内人が言っていた。「そう、これからもっともっと良いことがあるよ」と言うと、電話の向こうで由美子がけらけら笑う。

素直さ。これ無くして宇宙の波動に合わせることはできない。私を松江まで躊躇いなく行かせた神の計画が実を結んだのだろう。由美子はラドンガスも吸入したいと、医師からも許可を得たらしい。御倉入りしていた吸入装置を今日発送した。驚くかな、神の智慧!私も改めて神想観の力に驚き、力が湧いてきた。がは。




応援も、ね 9/5

若い世代の演劇への情熱や関心を応援しようと、そして私が居住する地域の文化振興に貢献しようと、演劇祭の審査員を買って出たが、ふにゃ~と心も体も崩れ落ちそうになっている。やはり、正直言って、素人は素人だ。素人でも何かピカっとするものがあれば、別だが。

昔、新宿御苑近くのシャンソニエに月に一度か週に一度、日曜日だったか「あなたがゲスト」という、お客様が譜面を持って来て2曲歌える時間があった。きっと今でもやっていると思うが、そこでシャンソン歌手として歌っていた頃、この日曜日担当の男性歌手が言っていた「『あなたがゲスト』の日が一番疲れるんだよね」。客足を増やすために多くの店はそのような時間を設けるのだが、素人さんに何曲も歌われるのはどっと疲れる。日曜日に放送される「NHKのど自慢」は一曲の一番が終わる前に鐘が鳴って終わってくれるから、プロの歌手はそこに居続けられるが、素人さんばかりが10人も出てきて一人が一曲3番までフルに歌い、それがもう一度初めから繰り返されるのは、死にそうなくらい長い時間に思える。だがご本人たちはルンルンワクワクである。またお金を出しているのだから、歌う権限が勿論ある。店の利害関係者でない限り、とてもとても。。。。うまい歌を聴いている時間はあっという間に過ぎるが。。。

いかなる時にも、身内でない限り、素人さんの歌やダンスは我慢して2曲。それ以上は、退屈な話を聞かされていてその場を去れない時と同じだ。私のようにプロの作品を見慣れているものにとっては、拷問に近い。

今見せてもらっている演劇祭参加作品も、これほどではないが、近い。オペラもあり、フルオーケストラだったので、いくらか楽しめたが、肝心の声に問題があり、演技がどうのと言っている段階ではない。そして今日は芝居を見せてもらったが、演技も演出も悪くないが、テーマがさっぱり分からん。戯曲を書いた人は、いい芝居を観ているのだろうか。今は演劇鑑賞をするにも、1万円は当たり前の時代だ。金欠で見ていないのではないか。

2本見て、好奇心がすっかり消え失せ、「うへぇ~」と言う気持ちで次に身構える。




得手不得手 9/6

上のブログを書いて数時間経つと考え方も変わり、彼らが気付いていないところを教えてあげればいいのだと思うようにした。今回限りだが。

私は誰かに物を教える事に適さないと思う。相手のペースとの隔たりが大きければ、合わすのが苦手。教わる時は自分のペースで教わる個人レッスンが良い。相手が私の学習ペースに合わせられる人なら、事はスムースに運ぶ。以前に家庭教師をした事があるが、家庭教師を必要とするレベルの学生が理解に至るまで、答えを出すまで待つ忍耐を私は持ち合わせていない。それでも報酬付きの仕事だから踏ん張るものの、待つ間何をしていいか分からず、自分の事をしていたら、たまたまドアを開けて入って来た学生の母親に睨まれた事がある。20人30人の学生を相手に自分の知っている事を言っているのと訳が違う。

自分の得手不得手を改めて認識させられる。




対サウジアラビア 9/6

2018年サッカーワールドカップアジア予選のリーグ戦最終節、サウジアラビアのジッダで行われた日本対サウジアラビアの試合をみた。テレビ放映は日本時間未明の2時30分だから、録画しておいた。

これだから、サッカーワールドカップは面白い。国を挙げてのお祭りだ。サウジアラビア皇太子が会場の席の大半を買い占め、市民に無料で提供したとか。お国の代表を声援しようと、日本選手の入場時、そして日本国歌の演奏時にブーイングが始まる。気持ちは分かるが、そこがまだ先進国と言えない所以だ。点の入らない前半戦が終わり、後半戦も終わりに近づいた頃、サウジがシュート、”入った”。日本はひとつ前の試合、対オーストラリア戦で勝っておいて本当に良かったと、テレビの解説者もネットのスポーツコメンテータもそして私も(あはは(''◇'')ゞ)、言う。

サッカーの1点の重みは大きい。野球やテニスと違い、簡単に取れる1点ではない。前半後半そしてAdditional Timeを入れて約100分走り回ってもその1点を獲得できない事が普通にある。だから、勝敗だけでなく、稼いだ点数も考慮され順位が決まる。数日前に日本に敗れたオーストラリアは昨日メルボルンでタイに勝ったが、日本対サウジの試合でサウジが勝ったら2018年ロシア行きの切符は手に出来ない。そしてサウジは、対日本戦で引き分けでなく点を入れなければこちらも切符を手に出来ない。サウジもオーストラリアも崖っぷちに立たされている。日本の勝敗いかんで、ロシア行きの切符を得る国が決まる。ある意味日本だけが悠々としている訳だ。

日本が勝てば。。。勝ってよ日本!とオーストラリアの選手と国民は拝んでいたことだろう。固唾を飲んで待っていた結果は。。。。ごめん、負けちゃったぁ。

この試合中、後半が始まる前の休憩15分の間に、私が見逃していた日本対オーストラリア戦のシーンが映し出された。びっくりした~。いつの間に日本はこんなに強くなっていたのかと!動きの速さ、動きの構図の良さ。そして積極性。あれから何年になるのだろうと、初めて私がワールドカップを観始めた時を数えた。日韓同時開催のひとつ前、フランスで行われた時だ。あれからおよそ20年かぁ~。感慨深い。

開催国は予選なしで本大会に出場できるが、ロシアも賑わっている事だろう。いつのWカップだったか、ロシアの政府高官が「ロシアが優勝したら、選手一人一人にポルシェを与える」と公言しているとNewsweek誌に紹介されていた。サッカーワールドカップ開催の足音が大きく響くころ、私は改めてこのゲームを発案してくれた先人たちに涙で感謝を思う。




島根観光 9/8

由美子を見舞いに行くついでに出雲大社と石見銀山をまわった。2日間お付き合い下さった金山朝子(ともこ)さんには本当にお世話になった。お住まいは益田とか。そこから出雲空港まで車で向かいに来て下さり、出雲大社まで。大社の境内や明治期の駅舎がそのまま残されている場所を一緒に歩いて頂いたり食事をしたりしながら、空にオレンジ色が完全に隠れた頃、車両2両の一畑電車に乗せられ、私は由美子のいる赤十字病院に向かった。

翌朝は午前を由美子のベット脇で過ごし、再び朝子さんの車で出雲より西(南?)にある石見銀山まで。3時間ほど走っただろうか、かなりの距離だ。朝子さんの友人を伴ったランチで私のおしゃべりが長く、銀山の工夫たちが住んでいた村を急ぎ足で観てまわるだけになったが、それでも行った甲斐があった。かなり大きな村で、今は世界遺産に指定されているとあって、きれいに保存されている。御代官の屋敷も形がそのまま保存され、時代劇のロケでも使えそうだ。

朝子さんには改めてここで感謝申し上げる。期待した以上の観光をさせて頂き、時間配分もしっかりしていて、先にメールで頂いたスケジュール通りの2日間。「ああ、この人に仕事を任せれば、きちんとやってくれるだろうなぁ」と頭が垂れました。

東京の生活ではもう姿を見ないこの有機的雰囲気のポスト。ここで生きていた。 石見銀山の工夫たちが住んでいた。世界遺産になって、住人も増えたとか。 そこでちょっと撮ってもらいました。二つの時代が混在したワンショット。 これ全て、天領なり。雨戸も懐かしい。一見無人家屋のようだが。

出雲大社降り駅 駅の解説 松江赤十字病院の近く 街並みは京都を真似たとか 菓子屋
時代がかった洋物 昔の日本色




ふ~ 9/11

ふ~、やっと終わった。9日と10日の両日は音楽活動が活発だった。特に10日は、最近作った楽曲やアレンジを変えた楽曲が午前中にAnzから上がって来たので、午後には男声コーラスのわずか4小節のためにスダッチに来てもらい歌録りをした。そのため、マンションの1階のスーパーに行くこと以外、全くお宅をやっていた。

スダッチには最近作った曲も聴いてもらった。「ずいぶん進化しましたね」とうれしい言葉。特に、都々逸で始まる「これ、愛なり」が傑作らしい。「これ、(レコード会社に)持って行けばいい。静さんにぴったり」と大きな目をさらに大きくしていた。ほんと、「これ、愛なり」は大変面白く仕上がった。私のノリにAnzが応えて、三味線の音や女声コーラスを私の指定場所以外にも使ったりして楽しんでくれた(女声コーラスは私の声色を変えて重ねたもので、こんな事もコンピューターでできる)。

続けていろいろな楽曲を聴いてもらっていると、「今までの中でこれが一番いい」とスダッチの顔色がさらに変わったのが、「ゆるやかな日々」。これは長く一緒に歩いてきた夫婦の話。音楽プロデューサーからの評価も上々。「美しい日々だけを連れて」、「今朝のバラ」そして「ゆるやかな日々」がバラードのトップに連なるらしい。そうか、それで一時毎朝瞑想が終わると無意識に「ゆるやかな日々」のメロディーが常に口ずさまれたのは。作っている本人は、どの曲が良いのかあまり分からない。皆それぞれだから。

Anzはこの時間(11日に変わったばかり)でも最後の一曲のミキシングをしてくれている。あ~、本当にありがたい。Anzとスダッチ、頼りがいのある二人がいる事で、そして昨日はまた近藤先生のクラスがあり、どうもウキウキして待っていらっしゃるようで、いつもは私がしている細かな事を私が来る前にされていた。「え?先生がして下さったの?」ニタニタしながら頷かれる。先生もまた、Anzのようなプロ中のプロが私の楽曲のアレンジをしている事に安心と誇りを抱いておられるようだ。ほんと、私の楽曲作りのプロセスはこのような方々の協力があって実に充実している。

どんどん面白い歌ができているようだ。さあ、来週は別な活動が展開する。

あ、そうそう。スダッチが我が家に来る前に、窓の修理に来た28歳の職人さんにも作った歌を聴いてもらったんだった。意外や意外、28歳の彼は「美しい日々だけを連れて」がいいと言う。へえ~(''◇'')ゞ。




2回目のふ~ 9/12

プロジェクトが完了したと思ったのだが、出るわ、出るわ、直しが。Anzがうんざりしているのではないかと気になりながらも、良い作品を作るのだという合意の下で踏ん張ってくれた。言葉に言い尽くせないほど、感謝でいっぱい。1曲のアレンジとミキシングに費やす時間は少なくとも4日間。それでも、アレンジはずっと早い方だ。それに4日間待ってワクワクするものが出来上がるのだから、私は祝福されているなぁと思う。それもこれまで様々なアレンジャーを使って分かった事だが。

歌詞の整理や、聴いて頂く楽曲の順番などを決めるだけで優に10時間程かかる。順番を決める時にも全曲聞き流しながら決めるから。

今日は火曜日だし私にとってはゴルフ日和になる小雨が予報されているので、ゴルフの練習に行こうと思ったが、ジムが臨時営業をすることになったので、家にいてプロジェクトの完全終了までやり遂げる事にした。途中ジムで打ちっ放しとウォーキング、そしてジャグジーに浸かって帰宅後最終作業を完了すると、さあ、始めた大掃除。掃除機を隅々までかけて床から天井と迄とはいかないが、冷蔵庫や戸棚の上まで拭き掃除。ひとつの大きな仕事を終えた後の私のルーティンだ。論文を書き終えた後の大掃除。大きな翻訳作業を終えた後の大掃除、等々。達成感と言うか、解放感と言うか。気持ちがいい。

ちなみに、ジムの臨時営業は、2週間前の金土日に突然営業中止になった事の埋め合わせ。会員に危害を加えるとネット上で脅しがあったらしい。警察からも営業中止を求められたとか。本当にそのつもりなら、わざわざネット上で脅さず即実行するだろうが、脅しがありながらも営業続行、そして何かあったら、これはスキャンダルになってしまう。突然の営業中止だったので、電車やバスに乗って遠くから来る人達はがっかりしただろう。スタッフも謝罪に追われていた。




しまった~! 9/15

声がガラガラしている。。。。。うわっ、そうか、またやってしまった(;´Д`)。

大学OB会での少人数飲み会に行った。参加を迷ったが、先輩の一人に渡すものがあったので行くと、一人の参加者が持参した「久保田」の一升瓶が、13個の小グラスにとくとくと注がれる。それを2杯。始まりはビールを2杯。そこまでならまだいいが、参加者が興味深く聴いているので、私の通訳時代のエピソードを大声で話してしまった。アルコールが入ると私の声は大きくなる。これ、一番やってはいけない事だと医者から言われていた。そして帰宅してからの発声練習。声がおかしいと思いながら、最後までやった後の今朝、瞑想開始時に唱える言葉も綺麗に出ない。しまった~!

もうやめようと、本当に思う。

朝一番で耳鼻咽喉科に行き、喉に塩化亜鉛を塗ってもらう。沁みるだろうなぁ。沁みた(後記)




おもしろい 9/17

雨。朝の瞑想が終わって久しぶりに仏壇に線香を立てた。風が爽やかだったり晴天時に部屋の中での線香は似合わない気がする。じめっとして、香が部屋の空気の中層辺りで濃く漂う時、「うん!これだ」と心のどこかでニタっとしている。

2日前の金曜日、演劇祭審査員指定演目の3つ目を観た。幾つか課題はあるが、これは面白かった。ラビット番長「なり果て」。女流棋士の台頭、人工知能AIとの戦いなど、現在マスメディアで報道されている将棋界を題材にしている。演出家(兼主役)にインタビューをすると、元は唐十郎芝居の出身だとか。な~るほど。

かなり速いテンポで芝居もセリフも運ばれるので、観客はセリフをすべて追って行けるわけではない。その時必要なのが視覚的演出。何が起きたか直感的に観客に分からせる演出は必要だ。視覚は人間の感覚の中でもっとも原始的なもののように思う。思考プロセスを介せずに瞬時に起きている事キャッチできる。

後日、審査員と出演者一同が集まり意見交換会があるが、「その時いらっしゃいますか」と、何か期待されたような気がして、ちょっとうれしくなった。

何かを創ろうとしている、挑戦しようとしている、そんな人たちとの交流はやはりいい!




谷川さんちに電話 9/17

上のブログと同じ金曜日、以前からずっと気になっていた詩人の谷川俊太郎氏に彼の詩のワン・フレーズを楽曲に使ったことに対する許諾を受けた。

谷川さんの詩には驚かされた事が多々あった。時空間が全く異なるところで(時にはほぼ同じ時間に)、同じことを同じ言葉で表現していたのだ。すごく光栄で、身が震えんばかりだったが、当たり前と言えば当たり前。人間大体同じような経験をしているのだから、考え方や視点が同じなら、同じ言葉を使って同じことを表現する可能性はいくらでもある。メタフォーを含めて。ゲーテがやはりそんな事を言っている。似ていると、誰それを踏襲しているのか、影響を受けているのかとやたら訊いてくるジャーナリスト達に彼は辟易していたようだ。

谷川さんの詩から私がそのまま抜き出した部分は、「化粧を落としておくれ」に使わせていただいた。同じことを思っていたが、谷川さんのフレーズが左右対称で楽曲の8小節にぴったりはまった。それで出版社の編集部に連絡をすると、谷川さんに直接伺った方が良いと、連絡先を教えてくれた。手紙を送れば彼の筆跡で後々にまで残る確実な許諾書を頂くことになるが、彼に直接話ができる。。。。クワ~と胸が高鳴り、何を話そうかと目まぐるしく題材を拾うとしたが、いや、”出たところ勝負”だと、直ぐに番号を押した。

立ち上がって背中をぴんと立て応答を待っていると、受話器を取ったのはご年配の女性の声「谷川事務所です」。がっかり( ;∀;)。

私のような使用許可を頂く人からの電話は結構ある様子で、このご婦人は谷川さんから言われている言葉を淡々と伝える。「ご自由にお使いください。商業的に使うときにはジャスラックに登録してください。ただ、元詩を変えることはおやめください」

昨今、著作権問題が業界を賑わしているし、ミュージシャンの間でも自分の権利を守ろうと勉強を始めている人もいる。私のように近藤先生について指導を受けている事でさえ、後で権利を求めてくることがあるから要注意だと脅かす人もいる。谷川さんはやはりメンタルが違うなぁと思った。金、金じゃないんだよね。「武士の家計簿」の著者、歴史学者の磯田道史も、自分は好きな事をやらせてもらっているので、自分が作ったものや書いたものに権利を求めるつもりはないとテレビで言っていた。ヤマハのように売り上げ750億円でそれを”教育”と言う名の下で他人の創作をただで使用するのは如何なものかとは思うが。ちなみに、ヤマハは私が通っているミュージックスクールより学費がずっと高い。

とにかく、これでホッとした。でも、やはり書面で許諾書が欲しいかな。




何だったんだろう 9/20

いつからか確かな記憶はないが、電力の自由化で電気代が随分下がった。一人住まいの私でもひと月3千円近くの違いがある。年に換算すると36,000円ほどの差で、これまでの電気料金の3分の2。電力会社は変わらずTEPCO。一体、今までは何だったんだろうと、頭をひねる。電力会社が一人大儲けしていたという事かな。

かつてNTTがそうだった。権利金の呼び名で加入金一律7万円が徴収されるのを疑問も持たず私たちは払っていた。これにプラスして工事費も請求された。作業員がわざわざ訪問して工事をするので、”手間賃”とも見え、払って当然だと錯覚させられる。これは全部お金をふんだくるための見せかけ工事でもあったように思う。ジャックを差し込めばいいだけの仕組みになっても、作業員を派遣して工事費を取っていた。ぼったくりだ。これらに疑問を呈し始めたのは、恐らく海外駐在や留学を経験して帰国した人たちなのでないか。

米国に留学した時、電話を引くために支払った金額は20ドルのみ。2千円だから貧乏な学生でも電話がひけた。回線を開けるための費用で、工事などない。それが、1970年代の事。おかしなことが正されるまでの時間のなんと長い事か。違いを知って、初めておかしい事がおかしいと分かる。




初心者卒業 9/22

ゴルフクラブを総入れ替えすることになった。

初めてクラブを買ったのは中古店。ジムに時々来て試打をさせているメーカーのものを指定した。その時、中古店のスタッフが私用に用意して送って来たのが、PRGRのSweep。これをずっと使っていたが、昨年、PRGRがネット販売、それも旧モデルの新品を格安の値段で販売している事が分かり、そこでドライバーとウッド#3を購入すると、打ち易さと飛距離が全く違う事に感動。それを使ってコースに出て他の人と比べると、今度は私のアイアンが特別飛んでないことに気付いた。筋トレはしているし、それほど腕力が劣る訳ではないのに。。。。ハタと気づき確認すると、Sweepは初心者向けなので飛ばないように作られているという。ガッテン!

10日後には大学OB会のコンペがある。これを機にアイアンも取り換えようと、4本(#7、8,9、Pw)1セットの旧モデルの新品を破額の値段で買った。早速ジムで試すとGoooooood。ウキウキし出して、ウッドの#5はないかと検索すると、在庫処分で新たに出てきているではないか。うっひょっひょ~(''◇'')ゞ。それにプラスして今日はSWも購入。全て合わせて定価の40%程で買えたのだと思う。

ちなみに、初心者用のモデル名がSWEEP。Sweepは掃き掃除と言う意味の英語だが、初心者は確かに掃除をしているようにクラブを振る。命名者のユーモアかな。(^◇^)




感動だった 9/23

秋分の日。すっかり秋めいてきましたね。あの暑すぎる猛暑の夏を惜しむ人たちが多いのを知ってか、台風の後にも夏がまだいてくれるホッと感を味わえる日がいくつか残された。昨夜はこれまで使っていたタオルケットを薄手の布団に替えた。そして今朝、熟睡の後に目覚めた私に、「ああ、すっかり秋になったんだなぁ」と、あきらめと寂しさが押し寄せた。

都会には都会なりの自然に対する情緒がある。午後から降り出した雨。夕方に、黄色い雨靴と白いレインコートに身を包んで番傘風の大きな傘を差し、居心地よさを思いながら高速道路の高架下から少し逸れた裏通りの小さな建物の地下にある芝居小屋へと向かった。演劇祭で私に審査を委託された4つ目の芝居が上演される。劇団名が「謎のキューピー」、出し物は「落語家の弟子、前座。女偏」。落語家になりたい人達が師匠の家で修行する様子を芝居仕立てにしたものだが、途中出して来る落語を含め、笑いも涙もありの、いや~感動ものだった。プロ級の品質。35才の女性が脚本演出を手掛けているが、才能あり!

面白い表現があった、「形状記憶型人間」。一瞬やる気になって前に進もうとするのだが、元に戻ってしまう人。うまい!

小さなスペース、一人しか通れないほど狭い階段。歌のライブでも芝居でも、夢を追う若者たちがよくたむろするような場所だ。芝居が終わりその階段を上って外に出ると雨はほとんど止んでいた。闇の布地の上で光る道路、街灯、響く自分たちだけの声。昔にいた風景だ。そして時を経て今私はここにいる。かつては立ち寄ろうともしなかった小屋でいい芝居を見て力をもらう。私はもうあの頃の私じゃない。要らないものが余計なものが沢山ついていた若過ぎた日々。「静は本当に芝居がしたいんじゃないと思う。本当に芝居をしたいなら、何があっても貫いて行こうとするはずだ」。貫いていけるメンタリティーがない者が育つまで、時間がかかる。そして、時は、小田和正が言うように、そのような者たちを待っていてくれる。私は舞台の若者たちに、そして自分自身に声援を送った。

別な審査員が声をかけて来て一緒に歩いた。彼は途中で地下道に。「意見交換会には来られますよね」名残惜しそうに地下鉄への入り口に向かって歩いて行った。皆愛を求め、つながりを求める。今年の2月から私の中に大きな動きが芽生えだした。自我を捨てよう。人をそのまま受け入れよう。




天才たち 9/24

「天才たちは学校が嫌いだった」を読んだ。歴史的な偉業を成した天才たちを取り上げて、彼らが失読症だったことが書かれている。天才はその仕事で卓越しているが、同時にどこかが故障していると言う話を聞いたことがある。社会に適応できない。相手の思いを汲むことができない。大体オタクで自分だけの世界にいて、相手に合わせる事はしない。この本の著者によると、脳の細胞の一部が特別優れている場合、同時に他のところが壊れているらしい。詩人の谷川俊太郎も自分の”変わったところ”をその詩の中で示唆している。それで結婚生活が壊れたことを(3度)。

実は私の傍に天才がいる。天才は概して単純で素直。自分の仕事を無上の喜びとし、四六時中それに関わっているだけで満足。その仕事に凡人が考えないようなアイデアを出して来る。それはこちらの全身をワクワクさせるほどの驚きとスリル。だが、自分の心地よさだけが重要で、他者の思考や感情に思いを馳せる事をしないから、進んでコミュニケーションを取らない。徹頭徹尾”ガキ”で精神的成長というか、”大人性”とか社会性は全くない。この世にこれほど徹底した利己的な人間もいるかと最初は面食らったが、どう付き合えばいいのか模索しながら「待つ」ことを私は教えられた。そしてこの本を読み、一層彼を理解した。そのように生まれているのだ。ひとつの特別秀でた部分のために、人間関係が犠牲になる。彼の意識を凡人の私たちに合わせるようにしてしまったら(所詮合わせられないと思うが)、彼の才気が凡人の仲間入りをしかねない。それは余りにもったいないから、私は無理強いをせず、彼の心が動くのを待つ(変わったなぁ、私も~!偉いよ、しず!がは(^◇^))。時にイライラしながら。

学校は一律同じことを教え、同じ枠の中で考え生活できるよう人を育てるところだ。突拍子もない天才たちはからかわれたり、途中で落ちこぼれになったり、登校拒否になったりする。学校にいられないのだ。彼らは自分に欠陥があるのだと思い込み鬱になって行く。そして学校に自分を適応させなければならないと汗をかくが。。。。。

「天才たちは学校が嫌いだった」は、ユニークな人を「変な人」と言って差別し取捨てる私たち凡人に対する警告のような本だ。社会は、世界は、天才たちのひらめきがあり、それを受け継ぐ人たちがいて勢いづく。

先日、私の楽曲を聴いたある音楽産業の方が「あなたは”キサイ”ですね」と電話でいう。「キサイ?」どの漢字を当てはめているのだろう。そして「面白い人だ」。私は答えた、「面白いものは面白い人間から出てくるものです」。その人と少し話せば、どのレベルの作品を書いているか優に想像できる。キサイと天才が合体して生まれるものは。。。。。あははは、ワクワクする




脅威? 9/29

衆議院解散。その理由は北朝鮮の脅威と消費税のアップ。?????

北朝鮮が脅威だと頻りに煽っているけれど、安倍さん、本当に脅威なら解散どころではなく一丸となって対策に乗り出さなければならないのでは?脅威でないとあなたも知っているから衆議院を解散して選挙をし、そして立て直しと言う、政治の空白期間を設けられるのではないですか。

マスメディアの仕事は「あおる事」だと、田原総一朗がテレビで言っていたが、真実を知らないし、真実を知ろうともしない一般大衆は、あまりに簡単に煽られる。

こういう時は、常識に戻ればいい。北朝鮮が米国に対し先制攻撃をしたら、トランプの言葉通り北朝鮮は簡単にDestroy(壊滅)される。その後の立て直しの余力が、米国にはあっても、北朝鮮にあるとは思えない。あの国は、”リーダー”に祭り上げられているキムジョンウンを始め完全に消滅するでしょう。そんな道を彼らが選ぶと思いますか。北朝鮮は米国の武力行使が怖くてたまらない。だからそれをさせまいと躍起になっているだけ。彼らの核開発やミサイル発射は米国に対し自分たちを守るための防衛力であり相手に対する抑止力でしょう。おそらく安倍さんはそのことを100も承知でいながら、改憲や日本の軍事力強化のために北朝鮮問題を利用しているのではないですか。

米国も北朝鮮には手を焼いているが、朝鮮戦争の時の苦い経験がある。当時、米国軍人を含め300万人が死んだ。北朝鮮に対する軍事攻撃はクリントン政権時にもシミュレーションされ、結果、軍事力でなく外交で解決しようと、当時のマデレン・オルブライト国務長官が北朝鮮を訪問し金日成と会った。互いに好感を抱き、金日成はいつか米国を訪問したいと希望を述べたとか。しかし彼はその後謎の死を遂げ、米朝親善も成功せずに終わった。先月だったか解任された元米国大統領首席戦略官スティーブ・バノンはインタビューで、米国の北朝鮮に対する脅しはBluff(茶番)だと答えている。互いに脅し合い tit for tat(売り言葉に買い言葉)だ。茶番劇に参加して、私たちはドキドキハラハラして不安がっている。

隣とは仲良くするしかない。引っ越しできないのですから。さんざん喧嘩して互いに疲れて来た時にそこに行き着くのでしょうかね。。。。