12月 ずっこけ 12/31 では、では 12/24 昨日は 12/23 他と違う 12/22 宗教心#5(おわり) 12/19 泣いています 12/18 宗教心#4 12/17 宗教心#3 12/16 宗教心#2 12/15 宗教心 12/14 不条理な世の中だったが。。。12/12 仕掛けられた 12/10 私の餃子 12/10 ん? 12/8 そういう年 12/7 楽曲の盗用 12/7 大詰め 12/6 社会性を知る前に 12/5 人間力だけでは。。。12/3 12月の街 12/2 11月 あ~あ 11/30 「永遠のゼロ」 11/29 敏感な身体 11/28 21年ぶりの更新 11/26 アラスカに 11/25 新しい掃除機 11/24 確かな人 11/23 びっくり箱? 11/22 ATPツアーが終わって 11/21 単発ならば 11/19 受容するしかないが 11/18 次は! 11/18 行ったが。。。 11/17 スポーツの清々しさ 11/16 君は感動そのもの 11/15 トランプ・ショック 11/13 被災地はいま 11/12 同窓会 11/11 先行きの不透明さ 11/7 ファッションショー 11/6 勝手な事を言うが 11/5 再度シンギュラリティ 11/4 冬に突入 11/2 外科医は手術が好き 11/1 10月 あっぱれ! 10/30 戦う相手は自分 10/29 トレーニング・グローブ 10/28 ティータイム 10/25 久々のデモづくり 10/24 戻って来てくれた 10/22 唖然 10/21 恒例ゴルフ 10/20 大宰相になれなかった その2 10/19 大宰相になれなかった 10/16 あなたはどこまで行きますか 10/14 片づけPART2 10/13 行動がなければ 10/11 DNA ファイナルヘ 10/10 どっちがいい 10/10 夏休みの終わり? 10/9 サッカー最終予選 10/7 思えば 10/6 ぎゃふん 10/4 やはりすべて良し 10/2 その説得力に 10/1 9月 片づけ 9/29 米国大統領選テレビ討論会 9/28 あら? 9/27 吐く 9/26 金メダリストの母 9/25 大宰相 9/24 軽挙妄動 9/23 本当に素晴らしいですね 9/22 ゴルフ場に泳いできた鯉 9/22 超越するパワー 9/21 快復か 9/20 身体が魂 9/19 一句 9/18 浴衣の~君は♪ 9/16 孤独 9/12 スポーツマンシップ 9/12 高く足踏みをしておくれ 9/10 輝きたい 9/9 にしこり、やったぁ~! 9/8 同じ方向を向いた人 9/7 喉を労わって 9/5 音声外科 9/5 本当におかしいものね 9/4 彼は変わらず熱かった 9/3 9月の空気の中で 9/1 9月の空気の中で 9/1 夏は台風に流され先を走り始めた。いつもそうだったようだが、それに私が気が付いたのがここ数年の事。あの真夏の猛烈な熱をさらって行くには、繰り返す強大な力が必要なのだろう。生きとし生けるものを休ませる準備に入るために。自然は調和と均衡の中にあるが、同時に調和と均衡を生み出す。 そんな9月の1日目の朝はすがすがしい風が柔らかく肌に触れる。その大気を感じながら始まる私の朝の儀式。何がどうだったか言葉に記せないが、私の瞑想が何かとても滑らかな絹のような感触を持ち始めた。 昨日はトレーナ付きでボディートレーニングをしたが、体のラインも強さも見るからにその変化を現し出した。トレーニングを始めて9月末で満一年になる。週2回、時には1回、無理しない範囲で行い、最近はプログラムも増えて来たので一回のトレーニングが60分から90分ほどに変わって来たが、意識的にせずとも、肩や頭が乗るべき自然のライン上に乗るようになっている(まだ時間がかかる部位もあるが)。腰や背中の筋力を強化すれば、腰痛も無くなりますからと言われ、半信半疑だったが、今は”信”に傾いている。また、姿勢が良いと着映えがするようだ。 トレーニングは、休憩を十分に挟みながら行われる。例えば、バーベルやウェイトを10回持ち上げたら休憩を入れる。この休憩中に26歳のトレーナーに私は色々な話をする。若い青年たちは学習意欲が盛んだ。私が話すいろいろな事が彼の学習意欲を高めるようで、時にはメモを取ったりしている。前回のセッション時には天才と秀才の話をし、自分がどんな人間になりたいか、それを実現するための人生で代打はいない、自分がやるっきゃない。そんな事を話したら、この2週間の間に思う事があったらしく、目をキラキラさせてやって来た。そして訊ねる「天才になる事は出来るんですか」。。。。意外だったが、なるほど。。。「どんな人間になりたいか」と言う問いに、上のブログで紹介したシリア人が望む生き方、”人徳”を積み上げるよりも”天才”になる事の方が魅力なのだ。彼の年齢の絶対多数がそう思うのかもしれない。 人をやる気にさせる。それも私の役割だと思っている。瞑想をするといい。クリントン・イーストウッドは40年間続けていると言う。下記サイトで、ポールマッカートニーの話が聴ける。 https://www.youtube.com/watch?v=zGPH3TYNhaM 私の瞑想初体験は米国留学中だったが、瞑想を信ずる切っ掛けが薄かったので、確か1か月もせずに終わった。当時触れたのはマハリシ・マヒシヨギの超越瞑想だ(俗にTMと呼ばれている)。ポールやイーストウッドはずっとこの瞑想をしているらしい。やり方は少し異なるが、座禅も、私がしている「神想観」も行き着くところは同じ。私はこの3つそれぞれのやり方を体験しているが、そのどれでも良い。 彼は変わらず熱かった 9/3 終盤に向かう彼の顔には汗、身振り手振りも大きくなり、声もよりエネルギッシュになった。話が終わり、"Thank you"と軽くお辞儀をすると、観客席から人の塊が立ち上がる。あちらからも、後方席からも。カメラが舞台から観客席を映した時には、満場が立ち上がり拍手喝采。 アル・ゴア。クリントン政権時の副大統領。ブッシュとの大統領選で敗れ、その後環境問題に取り組み、映画"An Incovenient Truth"(「不都合な真実」)に主演。2007年にはノーベル平和賞を受賞した。どこで読んだどの本だったか全く記憶にないが、一つの話だけが印象に残っている。そこには、大統領選で敗れてしばらくして見たアル・ゴアの変わりようが書いてあった。「副大統領の時、そして大統領になろうとしていた時、彼にはオーラ―があった。まさしくこの国をリードしていくに相応しい人物だと思った。だが、今目の前に見る彼はごく普通のでぶったありふれた中年男だ」。こういう話を聞くと、胸に冷たい隙間風が吹く。 数か月前から見始めたNHKEテレの「スーパー・プレゼンテーション」。先週の日曜日のプレゼンターがアル・ゴア。毎週自動録画して置き、内容を見て再生するか決めるのだが、名前が目に飛び込んで来た時は一瞬ドキッとした。「ありふれた中年男」になってしまった彼を見るのかと。だが、とんでもない。その説得力、熱さ、プレゼンテーションの内容、パフォーマンス、大きさ、ユーモア、どこから見てもかつて大統領候補だった人間に相応しかった。 プレゼンの内容は、気候変動によって今地球がどうなっているのか、温暖化は食い止められるかというものだった。彼は自信を持って言う、Yes! 会場にいた人たちがおそらくそうであったように、私も鳥肌を立てながらゴアのプレゼンを聴いていた。感動を与えてくれるものが世の中にこんなにも多い事に、また改めて感動する。 本当におかしいものね 9/4 アル・ゴアの話をまとめてみた。 空は無限に広がっている訳ではない。宇宙から見ると、空は地球を包んでいる薄い膜。毎日、24時間に1億1千万トンの温暖化物質が大気圏に排出されている。現在、世界のエネルギー消費量の85%がCO2 ベースの燃料に頼っているが、このエネルギー量は、広島に落とした原子爆弾40万個分を毎日爆発させているのと同じ。ものすごく暑い日は30年前の1980年に比べて150倍になっており、余分エネルギーの93%が海に蓄積されている。その結果、海からの嵐が強さを増し、台風の海面温度は5度上昇。海が温まり、海から蒸発する水蒸気の量が増大し、世界の平均湿度は4%上昇。世界の至る所で起きている記録的な豪雨の原因となっている。去年の7月、ヒューストンの2日間に及ぶ豪雨は、ナイアガラに流れる雨量2日分より多く、チリでは倉庫やタンクローリが流され、スペインではトラックや車が流された。 場所により異なる現象が見える。温暖化で、土壌から水分が蒸発し干ばつ、山火事を引き起こし、エネルギーの増加により雷の発生も増えた。熱帯地方の微生物病菌が交通の発展と共に北に移動し、ジカ熱などを発症させている。地球上の生物の半分が今世紀中に絶滅する危機にある。北極では、真冬に氷が溶けている。海面上昇による想定被害額は、東京の場合、1兆3千億ドルに上る。グローバル・エコノミーの第一リスクは気候変動だ。 ドイツでは2015年12月26日の一日、電力の81%に太陽光や風力などの再生可能エネルギーが使われた。コストもここ30年間年10%のペースで下がっている。中国もキャップ&トレード方式を採用し温室効果ガスの排出上限を定め、米国では2005年~2015年の間に石炭工場を閉鎖し、昨年は必要エネルギーの4分の3を再生可能エネルギーで賄った。 「古い制度を壊し新制度を導入しようとするとき、”NO”が続くが、最後には、善か悪かの2者択一になり、善が勝つのです。奴隷制廃止運動の時も、女性参政権と権利拡大運動の時も、アパルトヘイト人種差別撤廃運動の時も、同性愛者の権利拡大の時にも、最終的には道徳的な挑戦になるのです。行動する意思があるかどうかなのです。」 「最後の”NO"の後に来る”Yes"に、未来がかかっているのです!」 日本の夏の暑さ、豪雨、地震、本当におかしいものね。 音声外科 9/5 2008年の6月頃だったろうか。喉を酷使して出血したことがあった。声を出すことがとても辛く、数日後にあった通訳の仕事では、通常の発声ができず、声を非常に低めてしゃべらなければならなかった。大きい会場での通訳だったので、クライアントはハラハラ。途中休憩の時に、もっと大きな声で話してくださいと注文が来たが、それができないほど炎症を起こしていた。マイクを通しても私の声は聴きづらかったと思う。 そのことが随分気になっていたが、その後も他の歌手と一緒の月一の定期ライブは続けられたし、年一度の大規模リサイタルも難なくこなせたし、CDも作った。この頃は大体毎日家で歌っていた。だが、2013年から始めた年4回のソロライブになると、状況が変わり、私はどんどん歌を書きだし、声を出すのはライブの1か月前、つまり2か月か3か月は歌わなくなった。すると、歌い出した後すぐに声が嗄れるのに気づき、歌う量を加減して徐々に増やしていく方法を取った。そのソロライブも昨年8月以降、次のステップへの展開があるまで休止することにし、歌作りに集中してきたが、少なくとも30分ほどの発声練習はした方がよいだろうと3か月前程からこちらも日課に入れたら、中途半端な高音で、声が割れる。音程も狂う。意識は間違いなくある音程を出しているのだが、声がそこに行かない。初めての事だった。でも声を出して行けばその内解消するだろうと、発声練習だけはできるだけ毎日続けることにした。 だが昨夜、不安が募った。30分の発声練習の後に録音した「また逢えるかしら」を聴くと、1回目と2回目の録音では声が完全に違う。2回目の声がかなり嗄れて大変そうだ。7月31日のブログで書いたオペラ歌手のぺチェチョルが手術で再び歌えるようになったことを思い出し、専門医がいるのかも知れないとネットで調べると「音声外科」という、声を職業にする人たちの喉の問題を治療する診療科を見つけた。私にとっては急を要する。さっそく今朝一番乗りで電話を入れ診てもらった。 青山にある「山王病院」だ。「ボイスセンター」という専門外来があり、日本では有名らしい。内視鏡で診察をすると、「声帯が荒れています」と言われPC画面に映された自分の声帯の様子を初めてみた。「左側が腫れているのが分かりますか。(腫れているんで)声帯がきちんと閉じていないんです。」2008年にあった出血の後遺症ではないらしい(ホッ)。喉の使い過ぎだとか。「ステロイドの劇薬を上げます。なおりますよ。1週間後にまた来てください。」 音声外科室を出て行こうとした時、ドアの傍に座ったご婦人の真っ赤な靴が目に入った。リボンのついた真っ赤な小さな靴。まあ、可愛いおばあちゃま。山王病院はこういう方々が来られるところなんだわ、と思いながら、そのご婦人の顔を見て待合室を出た。「ん?」もう一度戻ってそのご婦人を確かめる。「あら、赤い靴に目が留まって、そのような靴を履いて来られる方はどんな方だろうと思いましたら、由紀さんだったんですね。」「あははは」と由紀さおりが笑う。「お声を使い過ぎたんですか」「いいえ、メンテナンスで毎週診て頂いているんです。あははは」 印象深い日だった。 喉を労わって 9/5 「アルコールは控えてください」。飲み会でアルコールを飲みながらおしゃべりをすると翌朝もろに声が嗄れるのはこのせいかと納得した。家で一人酒ならいいとか。酒の出る場所に行くとビールを「かー」とやりたいが、声帯の腫れが引くまで当分自粛しよう。「飲み会では飲まずしゃべらず聞き役に回るように。長電話はもってのほか、早口で話すのも声帯によくない」。どれも私に当てはまる(とほほ・・)。カラオケ?お酒を飲みながら?とんでもない事のようです。以前にもその翌日声がかなり嗄れたのを覚えている。たった2曲しか歌わなかったのにと自分でも驚いたが。。。。 八代亜紀を始めお酒は一切飲まないと言う歌手が多いのも理解した。私もこれからは別人にならなければならないようですわ(*_*;。 同じ方向を向いた人 9/7 心が同じ方向を向いていて、こちらより数歩先を進んでいる対象を見つけると安心する。 徒歩5分程のところに図書館があるお陰で、私は新しい自分を発見した。私がこれほど本を読む人だったとは自身知らなかった。様々な本を読んでいるが、その中でも感性を同じくする人の本に出あい、こちらより何歩も先を歩いている作家を見つけると、素晴らしい友人に出会ったような感がある。谷川俊太郎を読んで、いくつもの歌を作った。彼の詩に私はため息をもらす。「そうだ~」と別の視点を頂き、心と想像力が縦横に伸びる。彼が切っ掛けでいろいろな詩人の作品を読んだが、共感するものは少ない。非常に難しくその妄想について行けず、これじゃ売れるわけないわと思ったり、逆に想像力を全く求めない、これで詩かと思わせるものもあったり。 最近はアンデルセンの童話を読んでいる。たまたま図書館の貸し出しカウンター傍の棚に「アンデルセンの生涯」と題する本があり、そこからストレッチして彼の作品を読むようになった。ハンス・クリスチャン・アンデルセンはデンマークの大変貧しい家庭に生まれた。母親は子供の頃親から乞食に出され、それが嫌で橋の下でおいおい泣いていた。子供が欲しくて結婚し、生活のために洗濯女になって、毎日冷たい川に足をつけたため体を冷やし年を取ってからは動けなくなった。それでもアンデルセンを大変可愛がり、そのアンデルセンは貧しいながらも想いは常に別世界にあった。自分にとって最もふさわしい処。周りはそれを笑うが、彼の想いは叶えられて行き、俳優をやったり、詩や戯曲や小説を書いたり、やがて彼を不滅の作家とさせた童話へと移行していく。その才能が認められ、ラテン語を勉強する学校に王様のお墨付きで進み、のちには大学にまで進学する(当時、ヨーロッパで大学のある国はデンマークだけだった)。 彼の童話、「みにくいアヒルの子」は自身の人生を投映したものらしい。アヒルの庭で孵化した一匹のアヒルの子は他の兄弟に比べて大変醜く、兄弟たちやアヒルの仲間たちからいじめられニワトリにはつつかれていた。だが、ある時、大変美しい白鳥を見て、自分もあのように飛びたいと思い、これ以上虐められるなら、あの美しい鳥に殺された方が良いと、白鳥たちの方に泳いでいく。白鳥たちがすーっと近寄って来たので、いよいよ殺されるのだなと頭を水面に垂らして死ぬ時を待っていると、澄み切った水面が映し出した自分の姿におどろく。みにくいアヒルは実は美しい白鳥だった(白鳥は”白”くなる前には灰色をしているらしい)。「ええ、白鳥の卵からかえったのでありさえすれば、生まれたのがアヒルの庭だろうとどうだろうと、そんなこと、なんでもないのです!」そして自分の不遇な子供時代を次のように回顧する、「これまでに、あんなに沢山、辛い事や苦しみを耐え忍んできたのを、この鳥はいま、とてもよかったと感じていました。あんなだったからこそ、今、自分がどんなに幸せか、自分を迎えてくれたものがどんなに素晴らしいかが、はっきり、よく分かったのです。」 「常に神様が導いて下さった」と神に愛され、神と共にいた喜びを至る所で唱っている。このような話を過去に聴いた時には、”おとぎ話”以上の何物でもなかったが、今の私は感じ方が違う。常に神の方向を向いて生きていると、時空間を隔てて同じ思いを同じ言葉で表現する人がいたと、深く感じ入っている。 「我慢しなければならないのです。時がたてば、何もかもが正しい処に納まるのです。」(「銀貨」から) にしこり、やったぁ~! 9/8 錦織圭が、テニス世界ランキング2位のアンディー・マレー(イギリス)に勝った!現在行われている全米オープンの準々決勝グランドスラムでの事。私はこの試合が見たくて昨日WOWOWに加入した。 試合の放映は今朝2時。録画しておいたが、ドキドキしながら起きてすぐネットで結果を先にのぞいた。負けたかなぁと思ったら、なんと、試合は継続中で5セットまで行っているではないか。その5セットも同点!うわ~っ。そわそわ、そわそわ。瞑想前に観るのは気が引けるが、ちょこっとテレビをつけると、お~タイブレークで5対5である。うわ~っ、これは応援しないわけにはいかない。 ぶるぶるとこちらが涙で震える。一ゲーム毎に長い歓声。そして、とうとうやった~!グランドスラムのセンターコートで、錦織がマレーを降した。日本人選手がグランドスラムのセンターコートでプレイすること自体歴史的な事だと解説者の松岡修造が言う。リオのオリンピックで水泳の萩原選手の勝利に刺激され、モンフィスとのあのすごい粘り合戦で勝ち、銅メダル。自分でも精神的なジャンプがあったと言っていたので、とても楽しみだった。だがその後のATP ツアーでは2回戦で敗退。そう簡単に負けてくれるな、君一人のゲームじゃない。応援者の期待をそんなに軽々しくかわしてもらっては困ると思った。そして全米オープンと来たが、16強で戦った相手は2メートル10センチの長身。その長身から投げられるサーブのリターンをどう攻略するか。コーチのマイケル・チャンのアドバイスも色々あっただろう、錦織はストレート勝で相手を降した。サーブが弱かったし、相手の強力サーブへのリターンが弱かった自分の弱点を克服。それでアンディーとの対戦が楽しみだと言っていたが・・・やったぁ~~~~! ここ2年ほどの間に実に成長した。負けてはならないと言う守りばかりのプレイから、やっと勝に出るゲームに変わった。世界トップを走る選手が対戦相手の時には気弱くなり、集中力を欠いて行く。技もトップ足りうるものを持っているのに、自分のテニスができない。だが、ここまでメンタルが強くなったのかと、私もエネルギーをたくさんもらう。この勢いで決勝戦まで進み、ジョコビッチとの対戦が待ち遠しい。 そわそわ、どきどき、はらはらの感動がまだまだ続く。 輝きたい 9/9 リオ・パラリンピックの開幕。それと前後してNHKでは出場者のエピソードや彼らの義足や義手を作る職人を番組「プロフェッショナル」で紹介していた。 五体満足の身体の一部が突然切断され身体障害者になる。真っ暗闇の中に投げ込まれるだろう。家に引きこもりたくもなるだろう。そんな時に見たパラリンピック選手たちの輝きに自分を照らし、自分ももう一度輝きたいと、訓練に訓練を重ねリオに出場となった選手がいる。手足が切断された理由は大体事故によるもの。パラリンピック出場者ではないが、地下鉄のホームから転落し両足を切断した若い女性もいた。人身事故があったという知らせが駅に流れると自殺者かと思っていたが、誤って落ちる人もいると知り、その痛みがこちらにも伝わる。 そんな人たちが再び輝けるようにと、彼らの手や足を作る職人たち。義足は昔よりずっと進化し、走ることもジャンプすることもできるほどになった。足を見ない限り健常者と何ら変わらない。素晴らしい世の中になっているなぁと、しみじみ思う。かつては社会の端に置き去りにされたかも知れない人たちが、今は彼らなりに仲間を増やしその表情は健常者と同じだ。そうなるためには、彼らに夢を描き続けさせる道具がなければならない。それは健常者だった時と同じように彼らが動くための足であり手だ。全く同じとまでは行かないだろうが、彼らが輝きを取り戻すほどまでに動く手や足。それを作る職人は自分自身を誇りに思うだろう。 障害者を置き去りにしない社会。奴隷制度の廃止から黒人が超大国の大統領に選ばれる世界。これらは差別に対する長い長い道徳的挑戦から実を結んだことだ。米国元副大統領アル・ゴアの言葉を上の方のブログで紹介したが、最後の”YES"が未来を創り、より公正な社会づくりが行われて来た。そして人間は必ず最後の”YES"に行くと私は信じる。なぜなら人間には神が与えられた”良心”が宿っているから。アンデルセンが「みにくいアヒルの子」の中で言うように、あんなだったからこそ、人間は”今”を築いてきたのだ。これが宇宙の流れ。過去にとらわれるものは過去に住み、今に生きるものは、宇宙と波動を同じくし、その祝福をより受けるだろう。そしてやはり多くの人は今を生きる。その方が自分の命が躍動するよう、人は創られているのだから。 8月30日のブログで紹介したシリア難民がアイスランドで手にしたものにつながる:正直である価値、公正である価値、人間である価値。「これらの価値がが失われると、混乱と無秩序が現れ、あらゆるものが音を立てて崩れて行きます。健康が損なわれ、貧困が豊かさを支配し、社会と文明は崩壊してしまいます。」(ディーパック・チョプラー)正直で公正であることが人間の価値。正直かつ公正である人はシンプルできれいだ。 高く足踏みをしておくれ 9/10 全米オープンテニスの男子シングル準決勝。2日前のアンディー・マレーとのフルセットの試合から持ち越された疲労が1セット目から見えていた。大変そうだったね、圭。マスターズでの試合だっただろうか、世界ランキング1位のジョコビッチでさえ圭の果敢な攻めに合い、タイブレークまでもつれ1ポイントでやっと勝った試合の後の決勝戦では世界ランク2位のマレーに負けた。君との激戦の疲労が原因だろうと、マレーも言っていた。リオ・オリンピックでも、確か、モンフィストとのものすごい試合の後、君はマレーにストレートで呆気なく負けた。あの時も疲労から回復されていなかったのだろうと思う。 でも本当に立派だった。疲労感が誰の目にも見て取れたのに、試合を投げだしたいくらい辛かっただろうに、準決勝も4セットまで持ちこたえた。沢山のワクワク感、辛さを共有したような気がする。君のコーチのマイケル・チャンの表情にもそれが深く刻まれていたように思う。静かに目を潤ませ、小さく拍手しながらコートを出る君を見送っていた。 ただ、ファンとしては惜しくてならない。君が高く足踏みをして「やろう!」という意思を見せたゲームは勝った。相手のバブリンカも同じように跳ねるように足踏みをして自分を奮い立たせていた。だが君は途中で足踏みをしなくなった。バブリンカが高く足踏みをしたりホップするように場に着くときも、君はもう動きをやめてしまっていた。ああ、負けるなと思ったら、負けた。頭の中は、ネガティブな思考が支配していたのだろうね。それがとても残念だ。君の技は、実質的に世界ランキング5位の中でも上位に仲間入りしている。ネガティブな思考から完全に自由になっておくれ。疲れた時こそ、高く高く足踏みをしておくれ。心が動かない時は身体を先に動かすと心が付いてくる時がある。 君が決勝で勝つ日があるように、心から応援している。 スポーツマンシップ 9/12 ここまで来て欲しかったが、寂しさを交えて錦織圭のいない決勝戦の模様をWOWOWでみた。ジョコビッチ(スロベニア)対バブリンカ(スイス)。始めて垣間見た、「卑怯じゃん」と思わせるシーン。勝ちを取るために必死の世界ランキング1位のジョコビッチが苦境に立たされた。第1セットではタイブレークでポイントを取ったが、2セット目はバブリンカ、3セット目でもバブリンカ。4セット目を落としたらジョコビッチの負けが確定する。その4セット目の途中、彼は突然左太腿を痛そうに触り、トレーナを呼んで休憩を取る。左太腿が痛いのかと思わせたが、ベンチに座るとテニスシューズから両足を出して親指の治療をさせた。カメラが捉えた左親指には靴擦れのような形跡があり、右足の親指からはほんの少し出血。 解説者の松岡修造の話では、医療休憩は選手が互いにエンド(場所)を替える時に通常行われるが、エンドチェンジ前に行われることはない。相手の選手に対する礼儀でもある。また、痙攣では医療休憩は取れないので、指の痛みを訴えたのだろう。これにより、相手のバブリンカのリズムを壊そうとする心理作戦だと言う。 ジョコビッチが医療休憩に入ろうとすると、バブリンカが「動けているじゃないか」と不満を漏らす。むかついたようだ。バブリンカはかつて感情のアップダウンが激しい選手だったらしい。それをうまく利用し彼の勢いを砕こうとしたのだろうか。だが、ここ数年、彼はメンタルトレーニングをずっとやって来たと解説者が言う。ジョコビッチの作戦に乗らなかった。 こんなやり方もスポーツの中にあるのかと心が曇った。1位でいる者がその場を脅かされる時、あらゆる手を使い出すのだろう。だが、ルール内ならそのルールを利用できると解説者が言う。会場全体からどよめきが起きた。 準決勝で錦織との試合が終わった時はバブリンカも笑顔で健闘を労い合っていたが、まるで芝居でもするかのようにバブリンカをハグするジョコビッチに、バブリンカは笑みも浮かべなかった。もちろん表彰式では相手への賛辞を忘れなかったが。 私はバブリンカのスポーツマンシップにとても好感を持った。真っすぐできれいな心の人なんだなぁとも思った。「僕はチャンピオンになろうと思ってプレイしていない。ただ、毎回のゲームで自分のベストプレイをしようとしているだけ」と言い、自分の陣営に対し、「自分のような付き合いづらい人間をサポートしてくれてありがとう」と感謝を述べる。 そう、1番になろうとするのではない、毎回いい仕事をすれば、1番になる事になっているものは一番になる。バブリンカの言葉はジョコビッチに響いただろう。戦術なら、テニスラケットとボールを使ってやって欲しい。負けるのもきれいに負けた方がいい。Dignity(気高さ)を失うとこれまでの栄光が全て瓦解していくように思える。少なくとも観戦者の目からは。 10月に楽天ジャパン・オープンがある。圭はもちろん、バブリンカも出場する。行きたい。だが、チケットは皆ダフ屋の手に渡って高値で転売され、一枚9万円というものもある。取り締まってほしいものだ。 孤独 9/12 今朝は久々に朝のラッシュアワーに電車に乗って、青山の山王病院ボイスセンターに行った。診察室に入って挨拶する私の声を聴いた医師にはいくらかの快復が感じられたようだ。内視鏡で診る声帯も改善されているとか。服薬は続けなければならないが、回数が一日3回から2回になった。劇薬だと聞いていたので、現在口の中の大掃除をしてもらっている歯科院にその薬を見せると、そこでも腫れがひどい人に処方している薬で大体3日分を出している言う。劇薬だから、きちんと指示通りに飲んだ方が良いとアドバイスを頂いた。 診察の他に様々な声の検査があり、どんなことを言われるかと興味を持って受けたが、結構参考になった。数週間、毎週通う。当分は、話を控える、飲まない、歌わないように言われているので、孤独だ(笑)。 浴衣の~君は♪ 9/16 8月の納涼会で久々の浴衣姿。 「身体が魂だ」と堂々と主張されたチョプラー博士に、私は大きな拍手を送る。心はころころ変わるから”こころ”と言う、そんな事をどこかで読んだことがあるが、確かに思考と心はいくらでも自分で”ねつ造”できる(あは)。しかし身体は正直だ。嘘をつかない。自分の内容を漏らさず顕している。顔も身体の一部。時々自分を写真で見ながら、その生きようを確認している。撮ってくださった諏訪さん、ありがとうございます。
一句 9/18 庭ありと思うほど近き蝉あり 身体が魂 9/19 -魂はどこにあるんですか。身体の中です。肉体と魂は切り離されたもので、肉体は滅びても魂は生き続けます- そんな話をよく聞く。結局は同じことを言っていたのかもしれないが解釈が違っていたのか、それとも、初めから全く別な事を言っているのか。「身体の中」とは? あるアクションを起こそうとするとき、「これをして良いのだろうか」と、自分に問う事がある。心や頭で何度考えてもなかなか纏まらない。そんな時私は自分の身体に訊く事にしている。動悸がしたり嫌な緊張があったり、身体がばらばらになっている感覚があれば、「やるな」と言うサイン。身体が落ち着いてしっかりしていれば、その行動はGO。取ろうとする行動が一般的に”過激”と思える時には、当然迷う。だから勇気がいる。つまり、自分の魂の声に素直に従うには勇気がいるのだ(ほんと!)。素直に勇気をもってアクションを起こした結果は、ユニークでオリジナル。結果は例外なく良い方向へと進む。 だが、体の一部が無理を言っているのに取ったアクションは、その後始末に時間もエネルギーも取られる。良くない。何度かの失敗を重ねて気がついたが、それは”我”がなす業。 そんな事に気づいた矢先に読んだディーパック・チョプラー博士の最新の著書「あなたの運命は意識で変わる」。そこに書かれた「身体が魂だ」の言葉を拝読し、大変共感した。博士自身もたくさんの著書にその都度ご自分の考えをまとめて来られたが、この最新の書に氏の考え方の進化が伺えた。 人間は、肉体を持って始めて人間。その肉体が魂そのもの。肉体の中に魂があるのではなく、肉体それ自体が魂。肉体が滅びた時、人間は人間でなくなる。その時、魂は人間ではない霊として浮遊するのだろう。 その人の生き方や内容は顔や目の動き、表現、健康状態、身体の均整などすべてに顕れる。それら全てを含め、”肉体”なのだ。 快復か 9/20 山王病院ボイスセンターで声帯の改善を確認して来た。腫れが引き声帯の左右がきちんとくっついているとの事、これからは30分でも1時間でも歌ってくださいと言われ、ほっ!「これで準備万端」とニカ~ッ。一時は、2008年のあの痛々しい出来事による出血とそれを放置したことが致命的なダメージとなっているのではないかと一瞬不安になったが、その点は無事だったようだ。また1週間分の薬を頂いたが、ステロイドの服用は1日2回から1回になり、劇薬から来る胃痛で、胃薬は2回のままとなった。 言語指導士から、治るまでは歌わないようにと言われていたが、今日の診察に備えて快復確認に昨日30分ほど声を出してみると、割れる事も音程が狂う事も無くなっていた。ただ、30分発声した後は声が擦れた。終わった後の擦れは、問題ではないようだ。筋肉痛のようなものなのだろうか。どんどん歌って行けば持続力も上がるかもしれない。 10月のレコーディングに間に合いそう。歌い込み開始である。タイミングよし! 超越するパワー 9/21 築地市場の盛り土の問題が小池都知事によって露呈されたが、そこには人智以外のパワーが働いているようで感慨深い。 小池さんが都知事になる前にこの問題が大きく取り上げられたことはない。土壌汚染対策としての盛り土。詳しい事は分からないが、生ものを扱う市場だけに気になる。石原都政の時に盛り土をしないと決められ、その決定はその後2人の知事に引き継がれ、その一人の舛添知事のスキャンダルにより、突如小池百合子が都知事に立候補。自民党から支援をもらえず、たった一人での立候補だと本人も語っていたが、そのご本人もびっくりする得票差で都知事に選出され、最初の仕事が新築地市場の盛り土問題。恐らく都民全員を味方につけただろう。 宇宙の持つ無限の組織化力。個人レベルで起きた事も、ここに来るためにあの事があったのかと事後に気づかされる事は多い。舛添さんの血税私用スキャンダル、石原知事の時と何ら変わらなかったように思うが、思惑あるものたちの謀略で引きずりおろされた後の都知事が小池さんだとは誰も想像せず。ところが小池さんが都知事に選ばれたばかりに、露呈されたこの盛り土問題。。。。。感慨深い。より良い状況へと進化していく宇宙の法則が働いていたように思える。「起きる事はすべて良い事なのだ」(谷口雅春)。
ゴルフ場に泳いできた鯉 9/22 台風到来。その中で一日だけ雨の降らない日となった昨日、曇り空は肌に優しいと、突然思い立っていつも行く河川敷ゴルフ場に行った。何度も通ううちに顔見知りも増え、親しげに語りかけて来られる方々もいる。 早朝に大分降ったのか、池と水たまりの区別がつかない。水たまりがゴルフ場に広がり、違った景色を演出する。なんだかきれいで、この新しい景色にはしゃいだ。1ホールのグリーン近くで、誰かが「鯉だ」と叫ぶ。見ると、50センチほどの鯉が4匹ほど縦に並んで水たまりで泳いでいる。錦鯉ではなく土色に近いので、最初は何かが動いていると言うだけで、何が何匹あるのか見て取れない。隣の荒川から流れて来たのだろうか。水たまりの流れを目で逆追いすると、深さはかなり浅い。こんな浅い水の流れに乗じてきたのか、晴れあがったらどうするのだろう、職員が川に戻してくれるのだろうか。 6ホール目辺りで、またあの鯉の群れに遭遇した。こちらまで流れてきたようだ。生きのいい元気な鯉だ。 思った。水たまりの水、川の水、または海の水、決してきれいではない。それを飲んで魚は生きている。その魚を私たちは食べる。。。。。ふん、、、、、(^。^)y-.。o○ 本当に素晴らしいですね 9/22 まだ陽が当たらずにいる名曲を探し出す会社がある。その会社の代表と遇う機会があり、私の楽曲を聴いて下さるとの事、15曲ほどを送らせて頂いた。聴いてすぐに感想を送って下さったようだが、強化した迷惑メール対策にそのメールが引っ掛かり、2週間以上もたったサーバーチェックの工程で、今日気が付いた。 「本当に素晴らしいですね。皆さまが支持されるのが分かります。何かお役に立つことがありましたらと思います」と書かれてある。以前にはユニバーサル・ミュージックに勤めていたらしいが、仲間と起業をしたらしい。彼女が言っている「皆さま」とはディレクターやプロデューサーの事だが、「皆さまが支持される」とはまだ言い難い。と言うかこれまで増やす努力を私が全くして来なかった。今後は協力者と相談しながら、積極的なアクションを取って行きたい。 30~40代の女性社長からのコメントは、私のこれまで作った歌がどの年齢層に響くのか、教えられたように思う。そう言えば、数年前音楽学校で自作曲を披露した時、20代から40代の学生や講師を交えた観客が匿名で書いたコメントは感動の言葉で埋められていたっけ。 軽挙妄動 9/23 「え、こんなに長いのを読まなければならないの」 別に誰かに読むよう促されたわけでもなければ、仕事の一端でもない。私が以前から好奇心を持っていたがなかなか実行できなかっただけの話。たまたまテレビ出演の多い田原総一朗が今年の8月にまとめた田中角栄論「大宰相 田中角栄」を図書館で手にしたら、620ページ。歯に衣を着せず嫌いな奴をめった切りにする石原慎太郎が、かつて反旗を翻した相手を、今は「天才」と評し本を出した。中高生だったころ、総理大臣になる前の田中角栄をテレビで見た時、その大きさ、柔らかさ、豊かさ、広さなどをを感じ、「この人、いいなぁ」とどの政治家よりも印象に残った。亡くなった時も、寂しかった。 ロッキード事件。田中は無罪だと田原総一朗が言う。当時関わった検察、弁護士、証人達のインタビューを通して、ロッキード裁判は検察がねつ造した筋書き通りに進められ、それ以前から田中が金権政治をしているととつつかれていた事から、マスコミは田中有罪へと大衆を煽った。証言者たちは、「検事さんに教えられる通りに話した。」関わった弁護士は、元検事や裁判官だった人達。「一審の経緯を見て、何よりも職業的な感覚から、これは典型的な冤罪事件だと思った。検察の作ったストーリーがどんどん変わる。そして不自然な、複雑怪奇な形になる。これが冤罪事件の決まったパターンなのですよ」と田中の無罪を確信するが、「マスコミと言う世論に負けたのですよ。裁判官が世論に逆らえなかった。その世論の中で”田中無罪”の判決を下したら、裁判所は無茶苦茶に批判される。それを恐れたんじゃないかな。」 裏には、日本を米国に頼らないエネルギー自立国家にしようと世界中を奔走する田中を警戒した米国の介入があったらしい。米国はあくまでも従属国として定位置にいるよう日本に求める。また、田中降ろしを画策する三木武夫が田中を有罪とするために当時の米国大統領フォードに親書を渡した(「クリーン政治」と自分の政権を称していたよね)。。。 私はこの本を読みながら、真実に無知で、事実関係を知ろうという努力もなく、マスコミに煽られ、人の命まで葬り去る世論というものに驚愕する。XX反対!と叫ぶとき、どのくらいの事を知ってそう言えるのだろうと常々思っていた。人は概して自分の主張に沿うものを読む。その逆の話も聞き、誠実に向き合う人がどれほどいるのだろうか。新聞を100%信用する人もいる。新聞はいくらでもストーリーをねつ造し、自分たちが誘導したい方向へと世論を引っ張ってゆける。顔が見えないからテレビ以上に容易だ。 米国の雑誌Newsweekに書かれてあったが、ジャーナリストの事実の開示率は日米間でも隔たる。米国は知っている事の60%を開示するが、日本は40%。隠されている事の方が断然多い。 軽挙妄動。自分で確信のないものについては意見を言う事も反対を唱える事もしたくない。マスコミが世論を煽り犯罪者扱いされ一斉攻撃を受けて、自ら命を落とした人たちがどれ程いただろう。その人たちの人生は。。。もし自分がその立場に置かれたら。。。本当に恐ろしい。だから、日本の国の本当に小さな片隅で私が誠意を持して生きる方法は、マスコミを疑い、軽挙妄動を慎むことだ。また自分に確信がない時に、第3者に対する不評を鵜呑みしない事だ。 大宰相 9/24 「大宰相」、田原総一朗が田中首相につけた別名だが、田中さんはこの名に最もふさわしい人だったように思う。その大きさ、包容力、愛情の深さ、義理深さ、心の開放度、成しとげる力。。。。 彼にとっては自分の誠意を表す方法がお金だったと田原氏が言う。逢うとお金をくれる人、確かにそのような人が昭和の昔にいたように思う。昭和のど真ん中、誰もが貧乏だった。だから少しでも役立てよと、見返りを全く求めず、ただお金を差し出す人達がいた。田中さんは自分に弓を引く人にまでお金を渡す。「俺からだと言ったら受け取らないから、俺の名前は絶対出すな。あいつのような清廉潔白な人間が政界には必要なのだ」と言って、選挙や選挙区で使えるよう第3者を通してお金を渡す。当人はお金の出所を最後まで知らず世を去った。野党議員たちにも援助をする。 首相を徹底的に叩く評論家に対しては、「いいんだ、あいつもそれが仕事だから」と受け入れる。彼に弓を引いた石原慎太郎が言うには「(首相の魅力は)包容力というかな。無邪気と言えば無邪気なんだな。(ある時ばったり田中さんに会うと)まずいと思ったよ。ところが角さんは、『おい、石原君、久しぶりだな。ちょっと来い』と手招きする。恐る恐る近づいて、『いろいろご迷惑をおかけしました。申し訳ありませんでした』と頭を下げたら、角さんが遠くにあった椅子を自分で運んで来て、『お互い政治家だろう。気にするな。いいから座れ』と言ってウエーターにビールまで注文してくれた。僕もバツが悪いから・・・・なんと言うか端倪(たんげい)すべからざると言うか、寛容と言うか。僕はこの人は不思議だと思ってしびれたね」」 田中批判を雑誌でも展開していた石原慎太郎だったが、「角さんのお陰で今の日本がある」とまで言うようになった。「あの人の構想力はすごい。文明史”勘”だと思う。あの人の先を見通す力はものすごかった。」 日本列島を鉄道、飛行機でつなぐ。そうする事で裏日本が裏でなくなる。そんな時代が私たちが住む今になっている。 田中角栄、こういう男(ひと)の傍にいた佐藤昭子と言う秘書は、どんなにか良かっただろう。いや、私がそんな人間であったらどんなに良かっただろう。恐らく、田中角栄は、多くの人達が「こんな人間になれたら」と想う、プロトタイプではないだろうか。 金メダリストの母 9/25 「ここだけの話ですが、航平は最後の鉄棒までオレグとの差が1点もあると知らなかったんです。1点もあれば、誰だって、航平の金メダルはないと思います。平行棒が残るのみとなったオレグに、彼の監督は『”失敗しなければ”、勝てるから』と言ったんです。オレグは競技を待っている間、震えていました。航平の監督は、『いつも通りやればいい』と言ったんです。」 リオオリンピック体操金メダリスト内村航平の母、周子さんの講演案内が届き、本日午前中に多摩の道場まで行って来た。リオオリンピック時の応援席で映った白鉢巻きと、熱血漢のような叫び声、金メダル受賞と決まった時の放心状態。正直言うと、苦手だった。だが、その通りの人なのか、何か面白い話が聴けるかと、行った。 『失敗しなければ』、この言葉の中には恐怖心を煽るエッセンスがあると周子さんは言うのだろう。選手が緊張している時、その緊張を溶かす言葉をコーチや監督又は仲間が発する。大変重要な事だ。『いつも通りやればいい』と言われてか、確か航平君も、練習中鉄棒では一度も失敗したことのない自分を頭の中で流していたとテレビインタビューで言っていた。ウクライナのオレグ・ベルニャエフが最後からひとつ前までの競技で最高点を出し、その差が1点という事にも気づいていなかったことも大きかったかもしれない。だが何と言っても、勝つことより”自分の演技をする”、それで2位なら、それでもいい。やることはやったという達成感は得られる。悔いはないだろう。航平君の心は後者に向いていたようだ。 キム・ヨナと浅田真央の時と同じ。キム・ヨナはいつもの自分の演技をする。メダルは神様が落としてくれると思い、真央は絶対キム・ヨナに勝ちたいと言う競争心の塊で滑った。これが勝敗を決めた。あれは、無心でいる事の美しさ、無心でいた事で得た勝利を見せてくれたように思う。 「航平はもう私が応援しなくとも多くの人が応援してくれます。金メダルを取った事で、正直言うと、もっと遠くに行ってしまったような気がするんです。もう可哀想だから引退して欲しいとも思います。春日(航平の妹、ともに体操選手)はまだまだ私の応援が必要です。私は今、春日を一生懸命応援しています。」「私は母親の役割は子供の薬になってあげる事だと思っています。辛いと思わせるものを与えない。安心感を与える。逃げ道を与える事だと思っています。」そして付け加える、「子供の前で絶対父親の悪口を言わない、他人の悪口を言わない。そうすれば子供も言いません。」 講演が始まった最初の30分間、苦痛と忍耐を強いられた。その辺のおばさんが500人程も前にただおしゃべりをしに来たのか。話は支離滅裂。あっちへ行ったり戻ったり。よくも来たなとその度胸に恐れ入っていた。残り1時間になった時、ようやく話の核心、どのように子供を育てたかと言う所にまとまって行った。帰り際に近くで見た彼女の小ささにたじろいだ。周子さん自身も体操選手だったのか。体操選手は概して身長が低いが、体重35キロ。2日間食事をしなくとも何でもないらしい。だが身体が貧血気味になって来るので、あ~、私お腹が空いているんだぁと気が付くとか。 オレグはジプシーの家系。貧しく、大会に出るにもお金がかかり、わずかな報奨金をそれに充てていた。国からの支援などなく、劣悪な設備環境の中で練習を重ねリオに行った。 後記:オレグの監督はオレグにロシア語で話しているはずなのに、周子さんはその会話内容をどうやって入手したのだろう。またオレグが震えているのを、周子さんの観客席から捉えることはできないと思うのだが、航平君から聞いたのだろうか。 吐く 9/26 朝起きて、熱い白湯を5分かけて胃に入れた後に瞑想に入る。これが私の朝の儀式だが、瞑想を始めて間もなく、突然吐き気がした。まだ何も食べていないから出てくるものもないので、このまま放って置くこともできたが、色々な話が頭の中によみがえり、出した方が良い、これは良い兆候なのだとトイレに行った。吐くことを続けていたら、酸っぱい液が出て来た。胃酸だろうか。身体に残っていた何か”毒”のようなものが出てきたような気がする。 ここのところ、頑張って来た。随分強くなってきた私だが、まだ残している弱さが胃痛を引き起こしていたのかもしれないし、もしかすると声帯修復のために飲んだ劇薬が胃痛の原因だったかもしれないが、とにかく胃が痛みを訴えていた。 かつて道場で聞いた事がある。アルコール依存症の青年が救いを求め道場に来て、毎日神様を拝み瞑想をして1週間たったとき、突然朝の祈りの時間に吐いた。青年の口からは緑の液が流れ畳みを汚したらしい。その体の異変が彼の人生を変え始め、以後青年はアルコールを一切口にしなくなり、改心し、就職もしたそうだ。 身体は本当に正直だ。本人も気づいていない弱さに気づかせてくれる。私の胃、今は穏やか。 あら? 9/27 夏がまた戻ったような、まだ先に向かって行かないでくれているような嬉しさが湧く(もう10月に入ると言うのに、気温32度とは!)。この明るさと気温の中、真夏の服、ローラーアシュレーのライトブルーのノースリーブワンピースを着て、今度こそ忘れまいと紙に書いた用事リストを財布の中に入れデパートやスーパーに行った。 ケトル(つまり、やかんの事)の蓋のつまみが緩くなり、それを直してもらおうとしたが買ったのは8年前、どこで買ったのかも忘れてしまっている。こちらに引っ越してきたばかりのその年、以前に持っていたものでほとんど間に合ったので買うものはさしてなかったが、新居のIH仕様に合わせケトルを新たに買った。長く使う物には、心から納得したデザインと品質のものを選ぶ。そこにお金をけちらない。見るたびに後悔するようなものを買うより大分安上がりだと、何度の躊躇と失敗を経てこの結論に至った。このケトル、今回初めて知ったが、デンマーク製らしい。勝ったところはどうもデパート。修理の手続きを店員がしている間、周りを囲むきれいなキッチン用具に目線を流していると、 きれいな何かを買う。必需品以外の素敵なものをショッピングする。それは、幸せの象徴なのかもしれないと気が付いた(むかし、そんな日が沢山あったなぁ(^。^)y-.。o○)。 図書館に4冊の本を返し、スーパーで食品を買い、スーパーで入手できなかったものを近くのショッピングモールで購入し、5キロの玄米の入った袋と共にえっさえっさと運んでいると、モールの常設ステージから男声演歌が聞こえる。正面には「氷川きよし」と本人の顔と名前が大きく映し出されている。このステージにはこれまで色々な出演者が来ていたが、私が知っている人は誰もいない。一度ジムのフラダンスクラスの面々が登場した事があったようだが、それくらい。だが、かの有名な氷川きよしがここで歌う?まさか?CDか何か売っているだけだろうと思って群がる人に訊くと、本人が来て歌っているのだと言う。あら、まぁ。私も荷物を足元に置いて見ちゃいました、聴いちゃいました。ショッピングモールは4階まで人だかり。きよし君は前にも右にも左にも2階にも3階にも4階にまで気を配り手を振って感じよく愛嬌を振る舞う。 これがアイドルと言うんだよね。わたし、引っ込んでいた方が良いと思っちゃいましたね(あは)。 米国大統領選テレビ討論会 9/28 いや、いや、いや、いや、すごいわ。白熱!ヒラリーがしゃべっている間に、何度も介入して攻撃してくるトランプ。よってヒラリーが何を話しているのか聞こえなくなる。集計したら40回介入して来たとか。これでは司会者も困るので、トランプを抑えようとする。するとトランプ、討論会後に苦情を呈す: 司会者が自分に敵意を持っていた。自分のマイクがおかしかった。意図的だ。。(´◉◞౪◟◉) しつこく介入、攻撃してくるトランプに対し、ヒラリーの終始落ち着いた態度。すごい!もちろんトランプの手の内を読んで周到に準備をしてきたのだろう。「あなたは毎日毎日この討論会のために準備をしてきたと聞いている」と相手に言われると、「その通りです。私はずっと準備をしてきました。もう一つ付け加えると、私は大統領になるために準備をしてきました」と返す(くわ~!口の減らない女。。。) 討論が終わって、司会者がそれぞれの候補に握手を求める。応えるヒラリー。対するトランプは無視して素通り。差し出した司会者の手は行き場を失い、自身の頭の上に乗せられた。ステージ裏に戻ったヒラリーを夫のビルと娘のチェルシーが迎える。ぐわっはっはっは~と大笑いするヒラリーをカメラが捉えた。”勝った””負けた”は当事者が最も感じているようだ。 トランプは、ビル・クリントンの不倫の話まで持ち出そうとしたが、会場に娘がいるので止めたと言う(そこまで行かんきゃならんのかね~)。大統領としての気質、適性が確かに問われる。 だがヒラリーの”勝利”を示唆する豪快な笑いに、首をかしげる人もいるのでは。。。。 世界中が注目した米国大統領選テレビ討論会。8千万人が視聴したとか。 あれは、ブッシュが立候補した時だったか。「大統領選挙はサーカスだよ」と非難じみた事を言っていたアメリカ人がいた。「あら、サーカスに参加することは楽しいじゃない!」と私は返した。米国の大統領選挙は面白い。 片づけ 9/29 「あ、近藤麻理恵の本ですね。私たちの間ではコンマリと言っているんです。」 昨夜寝る前にベッドの中で読んでいた「人生がときめく片づけの魔法」。なるほど~と説得されて、今朝は片づけをやっていた。あれやこれや片付けて、ゴルフコンペの賞品を、誰かに使ってもらえればいいかと、マンションの管理室に持って行き、片付けの理由を説明していると上の話があった。図書館の所蔵数が16冊なのだからかなり有名だったのだろうし、多くの人が読んだのだろう。私の住むマンションの管理室で働くスタッフも知っている片付け法。 捨てるものを探すのではなく、残すものを決める。残すものは心ときめくもの。だからひとつひとつ手に取って自分の感情を確認する。それが片付けのヒントだと著者が言う。確かに、心ときめく服はいつだって着たいし、心ときめく品々は傍に置きたい。「もったいない」だけが理由なら、なかなか着ないものだ。ならば誰かに使ってもらうか、捨てたらよい。 この片付け法を身に付けると人生も変わると著者は言い、読者の一人から寄せられた便りを紹介する。「自分にとって何が必要で、何が必要でないかがはっきりと分かるようになって、その結果、ダンナと別れ、スッキリしました」。一瞬、どきっ!考えさせられたが、なるほどなのだ。相手にときめかなくなる事は、終わりが近づいた事なのだ(あの時の私がそうだった)。 それで片づけをしていると、やはり出てくる。1年ほど前にも余計なものは置かないと断捨離をやったが、その時に取って置いたものを今回は捨てる。だが、捨てるにはものすごく心が動揺するものもある。美しい日々の記録。子供もいない私はもう見せる相手もいないが、胸がきりきりしてまだ捨てられない。しまった、あの人に持って行かせるんだった。私がしているこんな思いを彼にさせるんだったと後悔する(いや、彼は十分に泣いているだろう、そんな気がする)。私が見えないところで捨ててくれるんだったら、淋しいが、それでいい。せめて見えないところに置こうと、めったに開けない箱の中に収めた。もっと時間が経てば捨てられるのかもしれないし、状況が変われば、何か別な手立てが生まれるかも知れない。未来に任せよう。 悲痛な思いは無いに越したことはない。だがこの痛みは、私が私たるなにかを付け加えているのだろうなぁと、ビデオ―テープのタイトルに刻まれた懐かしい筆跡を見ながら思った。 部屋はかなり軽くなった。 その説得力に 10/1 -思い出がいっぱい詰まっている「かつてときめいたモノたち」。それらを捨てると、大事な思い出さえも忘れてしまうような気がするものです。・・・・過去がどんなに輝いていたとしても、人は過去に生きられるわけではありません。今ときめくことの方がもっともっと大事だと、私は思います・・・・ー 過去の思い出が染みついたものは少しづつ捨てて来たが、全てを捨てるのはかなり大変だ。だが、コンマリさんのこの件を読んだ時に、「いつも私自身が言っている事じゃない!」と自分に苦笑いして行動を起こした。「ときめくかどうか」、これを軸に残すものを決めるとなると、別れた人との思い出の品は、ときめくわけがなく、胸がきりきりするだけ。ならば置かない方が良いと考え直し、一旦は奥にしまった思い出の品々をすぐに捨てに行った(なんと素直で単純な人であることよ!がは)。再度ビデオタイトルを見て、この旅行の風景とこの風景の中にいる私を見るために置いておこうと思う数本だけを残した。 夕方に帰宅して片付けのつづきをし。どんどん捨てて行ったら、引き出しや本棚に空いたスペースができ、今度はそのスペースを何で埋めようかと逆の事を考えている(苦笑)。中元用の大きなお菓子入れにびっしり入っていた鉛筆、ボールペン、マーカーなども一つ一つ書いてみて、インクの出ないものは全部捨てたら、半分以下になった。半分以下になったらその入れ物が必要でなくなり、いくつかの縦型の筆入れに分け入れて事足りた。あと一日断捨離をすれば、要らないものは無い部屋になるだろう。 これを機にキッチンの冷蔵庫やキャビネット、コーナーテーブルを動かし、流し台のところには調味料などを一切置かない仕組みにしたら、なんともスッキリきれいな台所になった。智慧は、著者のコンマリさんからすべて頂いた。このやり方だとリバウンドする事も無いようだ。 近藤麻理恵著「人生がときめく片づけの魔法」は、実に実践的な片付け術を紹介している。誰にでも意志さえあれば簡単にできるシンプルな片付け法。捨てられずにいたものを捨てる勇気を持つことで、自分の人生への向き合い方がはっきりスッキリしてくる。著者もそう言うが、私自身が実践してみて、そう思う。若い時はやたら足して行ったが、今は本当のものだけを持つと言う、引き算の生き方になっている。物も人も。なかなかいい本だ。彼女も神様が大好きなようだから、わたしと波動が合うのだろう。 やはりすべて良し 10/2 もう10月。NHKでは12月10日の番組をすでに宣伝し始めている。くわばら。。。 昨日はミュージックスクールで作曲の授業。ピアノの講師に私が書いたものをみてもらっているのだが、作曲上問題がなければ、それでよしとする講師が多い中で、このインストラクターはそれ以外の要望を出して来る。「ここで息をつくようなリズムの変化が欲しい」「ここで違った風景に入りたい」など。実は、私はこのような事を言ってくれる人を作曲クラスに希望していたのだが、こういう事を言える人はあまりいない。作曲を教える方々にこれまで4人程お逢いしてきたが、皆コード中心。コード中心で作曲をする人たちは大体ギターやピアノの前に座ってあれやこれややっている人たちがほとんどだが、私の場合は、勝手に口から出てきたり、降って来たりするものだから、メロディーが先。そんなに頭の悪い人間ではないと思うが、コードを考えると頭がひん曲がる。そんな事に頭を悩ませるよりも、どんどん歌を作った方が良いと思っている。コードはアレンジャーに任せたい。また、メロディーが今一気になる場合でも、どこがどうでどうすればいいのか、言える人も少ない。 今の私はメロディー作りをより進化させたい。ぴったりのインストラクターに出会ったのだなぁと昨日も授業を頂きながら思った(と言うか、必要な人に出会うようになっているのが、人生の妙なのだろう)。彼女との一時間は実に充実している。音楽理論の重鎮と言われている人に今年の初めころに3か月ばかりつき、それなりの魅力はあったが、その魅力よりも遥かに色々と思う所があり、再びこのインストラクターに戻るようになったこと、一時は残念な事のように思ったが、振り返ればそれでよかったのだなぁとしみじみと思う。起こることはやはりすべて良い事だと、宇宙の法則に唸ってしまう。 人生は、素直に淡々と想うままに進んでゆけばいいようだ。彼女から盗むものを盗んだら、素晴らしい曲かどうかは別として、曲作りに不安がなくなり、しっかりしてくるだろう。。。。ま、それはないね(がは)。永遠に迷い続けるだろうなぁ。。。要するに、一曲作ったら、「どう?」と聴いてくれる専門家がいるのは心強い。 さて、10月。活動開始。たんまり作った楽曲の中から1曲だけ選び、フルオケを作る。そしてレコーディング。 ぎゃふん 10/4 上のブログを書いた翌日、一瞬悪夢としか思えない事が起きた。「一流のアレンジをする」がうたい文句の音楽プロデューサーに逢い、CDレベルのフルオケを作り、そこに私の歌を載せITUNEに登録すると言う提案が彼からあった。が、他の選択肢が既にあったのでITUNE登録は後で考え、とりあえずフルオケを作ろうと言う話を8月上旬に交わした。作業開始は10月とメールに書かれて来たので、ワクワクしながらこの10月を待っていた。なのにである、突然「大変申し訳ないのですが、公私共に想定外の状況になり、ご要望に応えられなくなりました」と言うメールが来た。青ざめた。金銭の授受が済んでいるなら、責任を持って対処するが、まだ何も始まっていないので、と(2か月待った後にである) 上のブログに書いた人を思い出した。「やる」と言ったことをやらず辻褄の合わない言い訳が滝の如く流れる人。その言い訳は仕事に限らず、なんと言う生き方をしているのだろうと、彼の別れた(おそらく)奥さんに同情した。その彼とこの音楽プロデューサーはメンタリティーが同じか。。。。あの時も目が点になり頭の中が真っ白になった。 その音楽プロデューサーと2,3回メールを往復した後、「きっとこれも、より良い方向へと向かうための”事件”かも知れない」と考え方をくるっと変え、直ぐにこの問題も彼も切り離した。つまり私にとってより良い人ややり方が他に準備されていると考えた。喜んだことがある。このプロデューサーの勧めでITUNEに私の楽曲を載せると言う話。それまで別な選択肢を考えていたので、結論は先に伸ばすことにしていたが、彼が仕事を降りた事で自ずと決まった。何も悩まなくてよかったんだ~、細かい事はすべて神に任せればいいとは、まさにこの事なんだぁ~と、飛び上がりたいほど感無量になった。谷口雅春氏の教えを先に受けた先輩が言っていたっけ、「事がうまく進まない、誰かがブロックするときは、それはその人ではなく、神がそちらの方向じゃないと言っているんですよ。」目が覚めるような言葉だったが、それ以来、この言葉はずっと私の中に生き続けている。 さて代わりを探さなければならないが、質を上げたい。アレンジだけの仕事だが、以前から頼んでみようかと思っていた人が受けてくれた。。。。私が当初描いていたイメージ通りに動き始めた。 2007年から私はずっと宇宙の仕組みを解く書を読み、宇宙の波動に合わせた生き方を実践して来たが、すごい、すごい!起きる事に抗わず、ただ素直に受け入れている限り、人生も宇宙と同じように良い方向へと進化して行くようだ。ほんと、ほんと!なんと言っても自分がポジティブでいられる。 思えば 10/6 今年は動きが中断させられる事が実に多かった。そんな年なのだろうと思う。それまでの順調な進み方に歯止めを掛けられた感がある。3回に1回はうまく行かない方がよいと松下幸之助氏が言っていたが、それに当てはまるのかも知れない。宇宙は膨張してきているが、とんとん進んでいては膨張し過ぎてしまうと誰かが言っていた。人生もこの宇宙の動きと何ら変わらない。膨張し過ぎると謙虚さも気づきも、反省も無くなる。というか、余りに思い通りに行く人は他(ひと)に共感共調できなくなるだろうね。 中断されたものの中には大変大事な事がひとつあったが、中断される事で、大切な気付きを頂いた:「信じて待つ」。その他は、結果的に中断してよかったことのようだ。 「信じて待つ」、結論を急いでしまう私は、なかなかこれが苦手。だが、少しづつ”放って置く”ことを習慣にしている。かつて、中曽根元総理表敬訪問時に通訳をさせて頂いた時、総理が鄧小平氏の言葉を引用された。「政治的な問題も、経済や他のところに変化が現れ、おのずと解決することがある」。「待てば甘露の日よりあり」、要するに結論を急がず棚上げしておいて良いという事だろう。ドイツのアンゲル・メルケル首相について書いた本が「久米書店」で紹介されたが、そこでも「ひとかどの人間になると想う人は、待つ」と書かれてあるらしい。 「待つ」、種をまけば太陽や雨が勝手に育ててくれる。それをまだかまだかと土を掘り返しては実るものも実らない。「信じて待つ」は、”相手”を信じる事にも言えるだろうが、それ以上に自分、自分の天命を信じる事だろう。 サッカー最終予選 10/7 ワールドカップ最終予選日本対イラク戦。同点のままAdditional Timeに入り、試合終了1分前に結果が出た。2対1。途中から投入された山口のミドルシュートが決めた。「なぜか入ってしまった」と本人が言ったが、その言葉を受けて実況アナウンサーが「神様ボール」と呼んだ。神様が入れさせてくれたんだよね。 選手たちは「ホッとしました」とみな口を揃えて言うが、そうだろうなぁと思う。ワールドカップへの参加はその国の国民の喜びだ。選手一人の勝ち負けの問題じゃない。だからその出場権を得た事に「ホッとする」だろう。自分の国の代表が出場しなければ、ワールドカップも関心が薄くなる。今回のATPテニス楽天オープンがそう。2回戦で錦織が臀部の痛みで棄権すると、もう見る気も失せてしまう。 興奮を日常の中にもたらせてくれる大衆スポーツ、選手たちは怪我をしないよう気を付けて頑張ってほしい。 夏休みの終わり? 10/9 2週間ほど、このブログを読んでくれる人が少なかった。嫌われたのかな、飽きたのかな。ま、当たり前だわね、同じ作家の本を何冊も読むなんて、よほどじゃない限りあり得ないもの。などと思いそろそろ店じまいしようかとちょこっと考えていた。このホームページのプロバイダー(KDDI)がサービスをやめると言うので他のプロバイダーに移管しなければならないついでに休止しようかなと。 ところがどうしたの、昨日このブログだけにやたら来る人がいた。正面玄関にも来る人が沢山いたけれど、玄関を通らずにこのブログだけに来る。一人が何回も来ているの?ドドド…と増えたアクセスカウンター。夏休みから帰って来たのかな。10月と言っても真夏の気温だものね。 でも何を知りたくて、”一生懸命”来るのだろう。わたし、変な事喋っていないかしらと、9月初っ端のブログから読み返してしまった(あは)。中傷じみたものもあるわね、名指しはしていないけれど。ご本人が来て読んで「俺の事だ」と分かり、気付いてくれるといいわね。あれじゃ、いくら深い人間関係を欲しても、誰も本気で付き合ってくれないわよ。一見華やかなキャリアのようだけれど、満たされないでしょうね。自分の生き方で自分を満たせるのだと思うわ。。。。米国の有名な企業家が、「欲しい人材は、誠実さ、情熱、そして知性のある人、中でも大事なのが、誠実であること」と言ったそう。不誠実な人は信頼できないから、一緒に何かを作っていく事は難しいと思うよ。 こんなに来てくださる人がまだいたんだ、中には一人で何回も来ている場合もあるだろうけれど、その熱心さが数人を足した分の濃さですね。薄いファンを何人も持つより、少ないけれど濃いファンがいる方が良いのかしらね。 どっちがいい 10/10 見苦しい討論になるだろうと思ったが、その通りだったようだ。米国大統領候補者による第二回討論会。第2回討論会は日本で生中継されなかったが、その様子がほんの一部複数のチャンネルでお披露目された。 大統領候補の討論会とは考えられない、個人の負の部分の洗い出し。国民の利害に全く関係ない。こんなにも恥ずべき発言ができるかと、トランプに驚嘆する。以前に話したが、いわゆるDECENCY(見苦しくない)の欠けた人格。米国民がこの人を超大国米国の大統領に選ぶのだろうか。 日本と対比しておもしろい。米国は大統領になる前にその人の過去をえぐり出し、こんな人物でもいいかと国民の判断にゆだねる。だから大統領になった後、過去の事で取りざたされることはない。だが日本は、すべて隠して首相になり、在任中の動きに不満を抱くものたちが陰謀で(おそらく)マスコミにその過去を流し、例えば女性問題があればその証言者を引っ張り出して、政治生命を終わらせる。だから首相交代が頻繁に起こる。もうひとつ、米国の場合は、誰が告発しているかはっきりしている。だが日本は告発者は姿を現さない。 どちらがいいだろうか。 DNA ファイナルヘ 10/10 プロ野球は現在クライマックス戦。リーグ3位の横浜DNAが2位の巨人に4対3で勝ち、クライマックス戦初出場の身でファイナルまで行くことになった。阪神を応援しているはずの私だが、DNAのこの奮闘に心から応援を送った。いつもどんべだったチームが監督が代わる事でここまで登れる。感慨深い。 阪神はだめや。何がだめかと言うと、バッテリー担当の矢野の采配が悪い。勘が働かないという事かな。金本監督はバッターだったからバッテリーの事は分からないからとキャッチャーだった矢野に采配を任せたが、それが監督としての根本的な弱点と言えば弱点。これ以上投げさせたらあかん、「交代」と視聴者の私が思っても(えへん!)、以前に完封勝ちしているからそのまま使い、やっぱり打たれる。逆に、交代させたらあかん、まだ行けると思うのに、前回打たれたから交代させ、また打たれる。今シーズンはその繰り返しをやっていた。ピッチャーのメンタルが読めない。経験値だけでやっている。ベンチからピッチャーの顔が見えないなら望遠鏡でも使ったらええのにと思うが、やはりそういう問題ではなさそう。クライマックス戦まで進出したチームは勝っているのだし。DNAもさることながら、1位の広島も、20数年ぶりにリーグ優勝を果たした。つまりベンチから見えている。ほんま、勘が悪い。勘が働かず頭だけで采配しているから限界がある。中日の監督だった落合博満は「野球の神様。監督が言ったようになる」とクローザーの元選手が言っていた。要するに直観力が働くという事やろ。なぁ? でも、DNA良かったねぇ。ファイナルはどちらのチームも初めての体験になる。両方ともがんばれ! 行動がなければ 10/11 上で述べた「勘」に関連して。 直観力があっても、それを素直に行動に移すには、勇気が要る。私などは、直感は冴えているが、特に金銭がまつわる時は実行に怯え、頭の中で経験値をやたら引き合いに出す。そして経験則に基づいた行動を取る。論理に沿っていると”安心”なのだ。だが「常に」と言っていいほど、直感が当たっていた。何度と自己嫌悪を味わった事か。今では、「行け!」と直感のまま動くようにしている。人智で考え直感で行動することに怯える事は”我”の働きのようだ。 片づけPART2 10/13 「フランス人は10着しか服を持たない」。日本では2014年に初版が出たが、ベストセラーになったらしい。米国南カリフォルニアの学生がパリに6か月間のホームステイをした時に見たフランス人の暮らし方が書かれている。彼女のために準備された部屋のクローゼットの小ささ。この部屋に限らずホストファミリー全員のクローゼットが小さい。観察すると、フランス人は質の良い、自分が本当に着たいと思う洋服だけを着る。衣装としての洋服は10着しか持たず(トップスや下着などは入らない)、同じものを何度も着る、とか。 米国ではなんでも大きい。大きなクローゼットに沢山服を詰め、毎日とっかえひっかえ別な服を会社に、学校に、着て行く。全然着ていない服、もらったがために自分に似合う訳ではないのに着なければならないと着ている服、高価だったために捨てられず着ずして何年も置いてある服。カリフォルニアに帰った著者は洋服の棚卸を始め、本当に着たいものだけを残そうと、1か月かけて奮闘したらしい。 「人生がときめく片づけの魔法」(9月28日のブログ)を読み、2回目の断捨離を始めたが、私の片づけもまだ終わっていない。大分捨てたので、クロゼットの中にスペースができ、著者の近藤麻理恵の提案通りに並べ替えたら、クロゼットの中が実にバランスよくきれいになり、服が見やすくなった。捨てるにはもったいないと思うものは、ヤフーオークションに出品した。
まだあるか、と部屋を見回しながら捨てるものを探している(あは)。厚い辞書はもう要らないものね。本棚は辞書と地図と詩集と道を説く書で上3段が埋まり、下3段は物置になっている(あは)。あ~、図書館が近くにあるこの有り難さよ!(^^♪ 片づけを初めて、そろそろ半月。タンスの中もキッチンも、洗面台の引き出しも、本当にきれいになった。なんだか、考え方もスパッスパッとしてきたかな。「これは考えない!」と放り出すものと、焦点を合わせるものをスパッと切り分けられるようだ。思い出も捨てたら、なんだか清々しくなったかなぁ。 - すっきりと片付いた家で暮らしていると、とても満たされた気持ちになる・・・・きれいに片付いた家で暮らすことは、質の高い暮らしを心がける事である。そんな毎日の積み重ねは、やがて計り知れない程の見返りで報われるだろう - ジェニファー・スコット「フランス人は10着しか服を持たない」から。 ほんと、スッキリきれいなキッチンに行くたび、満たされる。タンスの引き出しを見るたび、思わず微笑んでいる。すごいわよ~ときめかない物と必要のない物を捨てた後のこの至福感!! あなたはどこまで行きますか 10/14 - ソフトバンクグループは14日、サウジアラビアの政府系ファンドと共同で投資ファンドを設立すると発表した。ソフトバンクは5年間で少なくとも250億ドル(2兆6千億円)を出資し、成長機会につなげる。脱石油依存に向かうサウジだけでなく、他の投資ファンドとも協議中で1000億ドル(10兆円強)規模となる可能性もある。日本の事業会社が投資ファンドに出資する規模としては最大となる・・・新たに設立するのは「ソフトバンク・ビジョン・ファンド」で、サウジの公共投資ファンド(PIF)と共同出資する。 -日経ニュース 孫正義社長、あなたはどこまで行くのだろう。あなたを崇め見る人たちをどこまでびっくりワクワクさせ続けるのだろう。9月にサウジアラビアのムハマド副皇太子が来日。天皇陛下に謁見、安倍総理と会談し、日本に投資と技術協力を申し出た。自動車産業を始め、いま世界は環境問題に取り組み石油への依存から脱却しようとしている。この動向を見据え、大胆な経済改革を打ち出しているムハマド副皇太子の申し出をソフトバンクが受け入れたのか。上記PIFの会長がこのムハマド氏だ。 60歳になったら引退すると一時呟いた孫社長。「この人、引退した後、何をするつもりなのだろう。ビル・ゲイツのように慈善活動でもするのだろうか」と、まだまだあるその気力の使い道を他人事ながら想像したことがある。だが鏡に映った自分を見つめ、「俺は十分に枯れたか、いや、まだできる」と自問自答し引退を取りやめた。「引退などと血迷ったか!」と周りは言う。買収した米国のスプリント社は創業以来黒字になった事のない会社。それが今では利益も出ていると日経が報告している。「やる」と言った事は必ずやる人。これには私の友人のドコモの役員もびっくりしている。この友人の話によると、FACEBOOKなどでフォロワーたちから要望が出れば、「やりましょう!」と言ってしまう。言ってしまったからには、有言実行、必ずやるらしい。オーナーだからできるとも言えるだろうが、その果敢な実行力に私は興奮する。 私が初めてソフトバンクの株主総会に参加したのは、何年前だったろうか。その時は、「携帯事業で、第2位になりたい」と孫社長は言っていたが、現在営業利益ではドコモをもトヨタをも抜いたと言う。 ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブスのように世界中に知られた人ではないが、孫さん、あなたはこの国の青年たちのアイコンですね。どこまで行きますか。今度はまたどんなことで、びっくりさせてくれますか。 大宰相になれなかった 10/16 9月23,24日のブログで田中角栄元総理の話に触れたが、実はその前に読んでいた本がある。この人を語るうえで田中さんは避けられない人。だが、多くの人がそうであったように、私もこの二人にずっと関心を抱いていた。この二人について何を知っているわけでもないのだが、”できる人”と私の直感が働き、世間がどのように評価しようと、私は常に肯定していた。 「小沢一郎淋しき家族の肖像」(松田 賢弥著)。やっと生きる”道”を知り迷いがなくなった時、きちんとした判断ができるという自覚からか、私はこの本のページをめくり始めた。 田中角栄が最も可愛がり期待した人物が小沢さんだったらしい。田中さんが雪深い新潟の貧農の出であった事、同じく雪深い岩手からやって来た見るからに貧しそうな出立の小沢さんに自分が東京に出てきたころを重ねたようだ。共に母親に愛され、母を思う気持ちが強い。勿論それだけではないが、田中さんは小沢さんに特別な愛情を注いだ。 数年前、石原慎太郎氏が都知事でいた頃、衆議院選挙が間もなく行われる中、六本木のハリウッド美容専門学校の大講堂を借りて、学校教育の中でいじめを撲滅しよう、確かそんなタイトルで桜井よしこが司会を務める講演会があった。ゲストが石原慎太郎。だが、石原氏は教育には関心がないようで、座ったとたん興奮しながら小沢さんの話を始めた。大変印象的な言葉があった。「あいつはね、『嫌いな人は誰か』と記者から訊かれたら、『石原慎太郎』と言ったんだよ~~~!!!!」ものすごい剣幕で体を前のめりにしてマイクに向かって怒声を発した。そして数秒の間を置き、「光栄だけれどね~!!!」その言葉の真実は、突然湿りと曲線をからませた彼の声の中に存在していた。 石原慎太郎にかく言わせる人。小沢さんはやはり特別な能力を持つ人なのだろうと、小沢一郎氏に対する私の関心はより高まった。つづく 大宰相になれなかった その2 10/19 妻から離縁状を突き付けられた小沢一郎氏。和子夫人が岩手の支援者たちに送った手紙の中に、小沢氏に隠し子がいた事や、妻に対する屈辱的な暴言、東北大震災時に地元に顔を出さなかった理由など、夫に愛想が尽きた理由が綴られている。 「このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げだしました。岩手で長年お世話になった方々が一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢を見て、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました」 和子夫人が最も耐えられなかった事は、小沢氏が以前に付き合っていた女性との間に出来た子供を、まずは妻に相談せず、愛人に相談し育てさせたことだろう。夫婦ならば、片方が結婚前または結婚後に起こした問題は、一緒に背負って行こうとするのが共に生きようとする人の想いだと思う。まずは相談してもらう所に互いのきずなの確かさを感じるものだが、外に子供がいる事をずっと隠し、それも愛人に育てさせていた。これは妻の立場を踏みにじる。妻と共に生きようとしない。 「小沢一郎淋しき家族の肖像」の著者の調査によると、小沢氏はこの愛人と結婚したいと思っていたが、小沢氏を可愛がる田中角栄が自分の支援者である新潟の建設会社の社長の娘を嫁にもらうよう、小沢氏に勧め、「親父の言う事に逆らえない」と和子夫人を娶ったらしい。だが、裏事情は分からないが、「お前とはいつでも別れてやるが、あいつとは別れられない」とまで妻に言ったそうだ。「あ~あ」とため息が出る。 田中さんにも、秘書の佐藤昭子や神楽坂の芸者との間に子供もあり外に別の家庭があったが、本妻も娘の真紀子をも大事にされたようだ。真紀子は、自分の父親が外に別な家族を持っていることに耐えられず、結婚して身ごもった体で窓から飛び降りて死んで上げると喚いたらしい。真紀子が父親と一緒に映っている写真には、彼女が父親を誇りに思い、父親といる事の幸せがにじみ出ている。父親が好きでたまらないからこそ、独り占めにしたかっただろう。それに対し、小沢氏の息子3人は、母親に父親と分かれるよう諭し、3人とも母親について行った。 愛情、人情、義理、角栄氏はここのところが大変厚かった人だった。大宰相になるには、人に慕われる事が前提条件のように思う。誰も田中さんを憎めない。田中さんが言われた言葉で印象深いものがある。「敵を作るな」。自分に高い能力があると、人はとかく能力の劣る者を見下しやすい。小沢さんはその類に入るようで、妻は告白状を支援者に送り離縁を迫り、石原慎太郎は講演会で怒号するほど、敵を沢山作って来たようだ(石原慎太郎も決して公正な人間だとは思わないが)。 高い能力を持つ小沢一郎氏だが、人はやはりその人格ですべてが決まるようだ。 恒例ゴルフ 10/20 月一程度で河川敷ゴルフ場で練習し内容がよくなって来ていたので、それを地区OB会ゴルフコンペで反映できればと思っていたが、なかなか思うようにいかない。河川敷は平ったいので、山あり谷ありうねりありの本格コースとはやはり違うのかなぁと、首をかしげたり、落胆したり。 一昨日恒例のゴルフコンペがあったので、それに先駆けてジムの打ちっぱなしウサギ小屋で10分ほどクラブを振っていると、傍にいたゴルフ歴の長い男性が私の手首の形が気になったらしい。それで彼の言うように打ってみると、安定感があるような気もし、突然打ち方を変える心配はあったが、新しい手首の形でコンペに臨んだ。 結果はどんどんどんぞこ・・・・たは~(*_*;それで66。うわ~このまま行ったら120ど真ん中どころか、120台にいる事さえ危うい。こりゃ、あかん。お昼の休憩と食事で力をつけると、新しい挑戦は諦め、これまで通りの振り方に戻した。すると、ボギーが多くなり、パーまで出た。らんらんらん、うっしっしっし~。バンカーも難なくアウト出来て、傍まで見に来たチームメンバーが「すごいね」と応援の顔と声でにこにこ笑ってくれる。で、53。ぎりぎりで120を切った。河川敷では大体51~53だったので、やはり平ったい所だけの練習でも効果は出ているようだ。53の数字に他のメンバーも「すごいじゃない!」と見上げる。私は何も言わず、にか~。やっと表れた。 OB会のゴルフ会員たちとのプレイ。いつものことながら、心地よい。 唖然 10/21 11月8日投票前の米国大統領候補者による第3回テレビ討論会が昨日NHKBSで生中継された。 唖然。討論の中でヒラリーも指摘していたが、トランプは自分の想い通りに行かなければ、皆相手のせいにし相手を悪者呼ばわりするようだ。妄想癖があるのだろう: 司会者が自分に敵対心を持っていた、自分のマイクに仕掛けがされていた、ここには悪いやつがいる、などなど。。。。最後にはヒラリーに対し、「嫌な女」。バス内での女性蔑視発言が大々的に報じられ、あれはロッカールーム・トークだよと言っていたが、「嫌な女」呼ばわりもロッカールームではあり得る事だが、公で発言するとは。。。。それでSNSでは批判が殺到。ツイッターが30万件もあったとか。 共和党内でも、共和党下院議長を始め、共和党有力議員であり元大統領候補でもあったジョン・マケインもトランプ不支持を表明。恐らくトランプは自分が落選することを既に感じ取っているのだろうと思う。だからどうにでもなれと言う感じなのかもしれない。ヒラリーを引きずり下ろすため、彼女を辱めるためなら、自分の尊厳を汚しても全てぶちまけてやると言う心づもりのようだ。。。。未曽有の見苦しい大統領選挙になったようだ。だがある意味、ヒラリーの相手がトランプで、ヒラリーは救われたかもしれない。女性大統領が出現する事になっているようだ 大統領候補者によるテレビ討論会では、普段なら双方の家族がスタート前に挨拶を交わすのだが、今回はクリントン陣営の要請で省いたらしい。この席には、クリントン元大統領から性的嫌がらせを受けたという女性たちをトランプが招待しているため顔を合わせないようにしたと言う。 2回目の討論会後、共和党支持が強いテキサス、ジョージア、アリゾナ州も今回は民主党のクリントン支持の声が高まったとか。民主党がこれらの州を掌握するのは30年ぶりになるらしい。3回目の討論後、二人の支持率は大きな隔たりを見せるだろう。民主党の地滑り的な勝利になるだろうと言われている。 戻って来てくれた 10/22 天才が戻って来た。Anzこと安西史孝。2010年と2011年に制作したふたつのCDでアレンジをしてくれた。彼の名は知らなくとも、彼が作曲したアニメ「うる星やつら」を知らない人は、私が知るところ、いない。数年前には、日本テレビ系アニメ「嵐の夜に」の作曲もしている。 Anzとのコラボは3、4年ぶりになるのだろうか。2009年、CDを出さないかと大学の先輩に何度か提案され、「誰が私の歌なんて聴くのよ」と聞き流していたが、目の前にAnzがいた事でやってみようと現実化した。それもAnzとの打ち合わせに横浜まで通う電車の中で湧いて来た想いを歌詞に、自分でメロディーをつけると言う、想定外の形で。それは、私がシンガーソングライターになる第一歩だった。翌年には2枚目のCD作りに関わって頂き、その後も小さな仕事をして頂いたが、互いのプライドが衝突してコラボは中断した。それは私の”旅”の始まりとなった。実に色々なアレンジャーに巡り合った。そして分かった事は、Anzのアレンジは次元の違うレベルにあるという事。選ぶ音も何もかもが違う。そして同時に不思議だった。私が最初に巡り合ったのがAnzだった事が。Anzが選ぶ音は聖なる領域に私を連れて行く。
そして昨日の朝、「また逢えるかしら」のアレンジがAnzから届いた。イントロを聴いた瞬間、私の顔に満開の花が咲く。シンプルで、高貴で、美しい。これがAnzの音。心が高揚し鳥肌さえ立つ。アレンジをもらった後の、久々の感動。彼が作曲したインフラ整備会社のコマーシャル(トンネル工事を背景に女声が雄大に歌いあげる)、初音ミクを使った試作品でミクが演奏する曲、どれもプロ中のプロ、最高峰と言える。彼の音楽を私が使える。あ~、やはりここに来るために、Anzが作る音の価値を分かるためにこれまでの”旅”があったんだぁ~と感慨に浸る。 不思議と言うか、そうなっていたと言うか。。。私は誰かとコラボを始める時は一応生年月日を入力して相性をみる。Anzの生年月日を入れると、「あなたは彼の能力に根っから惚れ込み、自分のプライドをかけても獲得しようと思うようです」と書かれた占いがあった。。。。。んが~目が点になった。 「神があなたにして欲しい事をしているなら、宇宙が祝福する」と谷口雅春氏が言う。Anzから承諾メールが届いた数時間後、別なメールが意外な人から携帯に届いた。作詞作曲しずこ、編曲安西史孝、この2枚のCDを購入し、「これ、出たらすごい事になりますね!」と感想を届けてくれた鹿児島の人だ。4年ぶりに来たメールに書かれていた事は、「思い出したようにメールしました。素敵な歌声、その後CDとかあったら聴きたいです」。まるでこのコラボが祝福されているようだった。 「Anzの音を使いなさい」、これは神の意思なのだと徐々に思うようになっていた。神様、ありがとうございます。Anzが戻ってきました。 久々のデモづくり 10/24 オケができて来たので、翌日ヴォーカルを入れてAnzのところに送りミキシングがされて返ってきたものを、すぐにプロデューサーに送った。一度顰蹙を買っているので、ちょっとドキドキしながら(*_*;。後は神にお任せ。人智を尽くし天命を待つ。 前途が(一瞬)阻まれる時は、「神様がそちらではないと言っているんですよ」であったり、反省をして気付きを得る時であったリする。プロデューサーの場合は、反省をする筋があったので後者だろうと思うが、その答えは神のみが知る。私はできる事をするだけ。祈って待とう。 ところで、オケに声を載せたデモは、私個人として大変気に入っている。Anzの音に乗って歌う気持ちよさと言うか、頭でカウントしたリ考えることなく直感で歌い進める事ができる。ただ歌っていれば輝かせてくれる、そんな感じ。色々な人に聴かせたいくらい。11月の同窓会で歌うようにと幹事から催促があった。私も反応をみたいので、CDRに焼いて持って行こうかと考えている。 ティータイム 10/25 Anzが戻ってくれたので、ちょっと忙しくなった。今まで溜まっていたアレンジ待ちの曲を全部面倒みてくれることになり、そのための整理や、先週土曜日のミュージックスクールで出た宿題など、今日はどうも一日オタクである。 パソコンとピアノの間を何度も往復しているのだが、パソコンの前に座る時には、足の裏でゴルフボールをゴロゴロ転がしている。いわゆる「ながら族」。よくある事だが、尾てい骨の周りの筋肉が攣ったようで、そこから足底筋に至る下半身全体の筋肉が硬くなっている。それでゴルフボールを足の裏で転がしたり、テニスボールを尾てい骨に当てて押したりと忙しない。これが結構効く。テニスボールを使う事はトレーナーから教わった。家にテニスボールがないので(今はある)、その代わりになるものと、まだ熟していない柿の上に仰向けに寝てゴリゴリやっていたら、「ぐしゃっ」と音がした。なんだろう、気のせいかなと思いながら続けてゴリゴリ。また「ぐしゃっ」。「ん?」そっとラグと背中の間に手を入れると、ラグが濡れている。あっちゃ!そりゃ、そうだよね。硬そうだったけれど、所詮果物だもの。その柿、食べたけれど、まだ熟していなかったので、味はほとんどしなかった。ラグは濡れ雑巾でゴシゴシ。 尾てい骨にテニスボールなら、足底筋はゴルフボールだろう。こちらは沢山ある。痛いところに当てて体重をかけると、針が刺しているように痛い。「きー」と声のない悲鳴を上げながら乗っていると、こちらも徐々に痛みが薄れて行くようだ。 昼過ぎ、ちょうど3時、ふん、美味しいケーキを食べたい感じ。よし、ティータイムにしようと、すぐ側のホテルのレストランに行った。ここはケーキ作りに貪欲。パティシエ―達が豊かな色づかいでオリジナル・デザインのケーキを作る。このホテルのロビーはごく最近リモデルリングをし、壁を濃いグレーにしたので、ケーキケースが際立つ。そのケースの中で、きらびやかな色を放つケーキたち。ひとつ買って下の写真のように並べた。
これももう一つの祝福か。昨夕、長らく行き来を断っていた次姉から思いがけぬ電話があった。色々な意味で相変わらずだが、気まぐれな情の濃さも健在だ。 トレーニング・グローブ 10/28 毎週水曜日と日曜日はトレーニング日にしている。やり始めて1年が過ぎ、グローブを買った。いわゆる重量挙げをしている訳で、その道長い人は皆つけている。つけている女(ひと)に訊くと良さそうだ。で、なんとなく気恥ずかし気もしたが、装着してやってみると(ニヤッ)、良い感じで、なんだかバーベルが軽くなったよう。 結果が出てくると、やる気も出てくるもの。以前からデコルテ(首から胸元)部分を見せるドレスが似合ったが、このトレーニングで肩の位置が首から下りる直線上にかなり近く乗るようになり、自分で言うのもなんだが、格好良くなった。1年間毎週2回のトレーニングでここまで結果が出た事が嬉しい。これも自分より先に周りが気付くようで、あちらこちらから声がする。なかには、私も!とトレーナーと初顔合わせをした人もいるが、目的がはっきりしていないと続くかな?とりあえず、Good Luck! 実を言うと、私はオリンピック競技の中で観戦を最も拒絶する競技が重量挙げだ。「うううう~~~ん~~~~」唸り声と真っ赤に膨らんだ顔を見ていると、こっちまで力が入り、決して気持ちいいものじゃない。なぜあんなことをしたいのだろう、と首を傾げる。だからまさか私がバーベルやダンベルを持ち上げたり動かしたりするとは想ってもいなかった。興味深いのだが(少なくとも私にとっては)、占星術師の歌子さんから、私の生年月日から「鉄アレイを使ったトレーニングをするように」と2度言われた。ジムに行けばマシンがあるので、それで十分、鉄アレイを使って、「ひ~ふ~、は~ふ~」やるなんてとんでもないと、彼女の助言を無視していた。 ところがである。色々なところで誰かの話を聴いて何かをしようと思い、廻りまわって行き着いた先が今ついているトレーナーであり、鉄アレイを使うトレーニング。そして結果が出ている。は~。このトレーナーも、声もかけた事のないジムのメンバーとたまたまロッカーを間違え、その彼女がウェイト・トレーニングを8年間続けている人だったことで推薦してくれた青年で、それまでのトレーナから替える事になった。素直に淡々と、雑念を入れず、自分がしたい事をしていけば、行くべきところに行くようになっているんですねぇ。素直に生きるためには、浮上している想いを否定せず実行に移す”勇気”が必要だが。 かつて25年間ダンスをしていた事もあり、トレーナーが私にどう身体を使って欲しいか直ぐに分かる事も結果に大きく貢献していると思うが、ほんと、色々な意味で自分の理想の形を作るに遅過ぎる事はない。先日ジムでストレッチをしていた83歳の男性が「ストレッチをしたら身長が1.1センチ伸びたんだ」と言う。(^。^)y-.。o○ トレーニング・グローブ、これからもお世話になります。よろしく。 戦う相手は自分 10/29 日本時間で今日0時に始まったATPワールドツアー(スイス)準々決勝、錦織圭とvsアンマルティン・デルポトロ(アルゼンチン)の試合結果を起きがけに確認。なんと圭がストレートで勝っている! デルポトロのテニスはリオ・オリンピックの中継で初めて観たが、圭が彼に勝つのは難しいかも知れないと思っていた。デルポトロの粘りはすごい。リオでは、アンディー・マレー(イギリス)に負け銀メダルにとどまったが、大変印象に残った選手だ。印象に残った要因のもうひとつは、彼の雰囲気。人好き、女好きのする選手で、アルゼンチンでもかなり人気のある選手らしい(頷ける)。このデルポトロに「できれば当たりたくない」と圭が全米オープン時に漏らしていた事を解説者が言っていたが、今回のスイスでの試合の準々決勝の相手がデルポトロ。そこで初めて知ったが、圭はこれまでデルポトロに一セットも勝たせてもらった事がない。全試合、ストレートで負けている。 全米オープンでアンディーに買った事、そこで培った精神力、ねばり。苦手意識を克服して来た事が今回の勝利につながったのだろう。技は十分にあるなら、あとは自分の弱さと戦うだけ。もう怖くないね、圭! 4強、つまり準決勝に進出するが、相手はみな圭より下ランクにいる選手達。圭、優勝するかもしれないねと思う反面、男子テニスは下ランクにいる人も内容は良い。デルポトロの場合は一時上位5位にいたが、手首を痛め140位台に格下げ、現在は42位。だから下位選手でも油断できない。テレビで放映してくれないのが残念だが、圭、がんばれ!! 上位選手に対する苦手意識を取り除けた圭の今後が本当に楽しみだ。 圭、朝から感動をくれてありがとう。泣いちゃった。 あっぱれ! 10/30 以前にこのブログでも紹介したが、米国現大統領のファーストレディ、ミシェル・オバマの民主党全国大会でのスピーチは感動的だった。そのスピーチ以来、彼女の人気が急上昇しているようだ。10月27日North Carolinaで行われた民主党大会では、かつてのファーストレディー、ヒラリーと共に舞台に立った。そこでミシェルは言う: ー私たちの時代の誰よりも、オバマよりもビル・クリントンよりも、ヒラリーは経験豊かであり大統領職がどのようなものであるか十分に知っています。大統領になった初日から彼女はこの国の最高司令官になりうる人なんです。そう、たまたま女でしたー この最初の方のフレーズで、ミシェルの横に座っているヒラリーは、頭を上下に大きく動かす。誰よりも、夫のビルよりも現職のオバマよりも私はもっと素晴らしい仕事をし遂げられるのだと言わんばかりに。みごとだ!私は憧憬心を抱いて彼女を見上げた。ミシェルは続ける。 ー子供たちにとってどんな大統領がいいか考えてください。違いを脅威だと教育する人か、恵みだと教育する人か。国を分断させる人ではなく統一させる人が大統領でいて欲しいと思いませんかー ビル・クリントンが大統領任期中に言った言葉を思い出した。「一つ買えばもう一つはただ」。つまりビルが大統領になれば、もう一人の大統領(ヒラリー)がおまけについてくるという事。彼の任期中、米国は経済を含め外交面でも順調だったようだが、それはヒラリーが夫の仕事にかなり関わったからだと、8年前の民主党の指名争いの時にヒラリーが言い、オバマはその発言に眉をひそめた。が、大統領職を経験した今、 -大統領執務室に求められることがどんな事か読んだり勉強したりする事はできますが、実際にその椅子に座るまでは世界的危機や若者を戦争に送る事など、それらを処理するという事がどんなものか知り得ないのです。ヒラリーはこの執務室にいたのです。そして意思決定に関わっていたのです。政府の決定することがどのような結果を招くか彼女は知っているのです・・・危機の中にあっても、彼女は常に冷静に人の話に耳を傾け、すべての人を尊重し平等に接します。彼女を押しつぶそうとする人がいても彼女は怯まない。その意味で私は彼女に敬服します。これまで男であろうが女であろうがそんな人はいませんでした。誰よりも、私よりも、ビルには申し訳ありませんが、ビル・クリントンよりも、大統領に相応しい人ですーと、オバマ大統領は言う。 ヒラリー・クリントン、彼女の母親は孤児。親の愛情を知らずに育った分、自分の子供に対する愛は惜しまず、決して金銭的に豊かではなかったが、法科大学院まで娘を行かせ、娘は弁護士、法学部教授、米国大統領ファーストレディー、上院議員、国務長官となった。(ミシェル・オバマ) 外科医は手術が好き 11/1 今年の4月に始まった口内改装。いよいよ最終段階に入り、今日はインプラントの手術を受けた。手術と言うのは外科的な事だが、外科医は概して手術が好きだ。 このデンタル・クリニックには受付を始め、治療ベットの前に患者が見るようにか液晶テレビが一台づつぶら下がっている。一方的に喋りまくるテレビからの声は、こちらが聴きたいと思わない時は騒音だ。病院やクリニックでは「静」が保たれている方が良い。音を流すなら静かなクラシックであって欲しい。このクリニックに行った初日、各ベッドにテレビが取り付けられているのに驚いた私は、すぐに電源を切ってもらいたいと願い出た。それからは私が座るベッドには先に電源をオフにしてくれる気遣いを見せてくれている(時々忘れるようだけれど)。 今日は手術日。それもインプラントだから自費だ。特別待遇なのか、医師がにこやかに私に近づき「(インプラント手術室に)今日は音楽を準備してあります」と言う。この医師は芸術や音楽に関心があるようには見えないが、初めていじるのだろうか、チャンネルをあちらこちら動かし音楽放送局を探している。彼が選んだのがポップス系だ。にぎやか。「クラシックの方が良いですか」と訊ねる。はい、静かなものに。きっとクラシックをあまり聴かないのだろう。「静かな」と言う形容詞は彼の中でMerryに翻訳された。ま、いいや。これ以上要求するとせっかくの行為に水を差すようだ。それにしても「気合が入っているなぁ」。傍にいた歯科衛生士に「先生は手術が好きなんでしょ」と訊ねると、笑いながら「そうですね」と返答する。 インプラント手術、簡単に決められたわけではない。義姉が上下二つづつしかない自然歯を残して24本のインプラントを入れたが、上のものはすべて落ちてきたと言う。落ちてくるときは「痛くて痛くて」。結局、下顎だけがインプラント、上は入れ歯に替えて落ち着いたらしい。金額的にもかなりの損失だ。知人の場合は上下2本づつインプラントにしたが、1年後上の2本が落ちて来た。水を飲むこともできないほど痛かったと言う。知り合いの歯科医も上顎のインプラントはまだ難しいと言っていた。だが、これはすべて10年~20年前の話。あれから技術は進化し、インプラント位置を間違わないよう、日本でとった型をスウェーデンに送り手術用のガイド・テンプレートのようなものを送ってもらうらしい。 さあ、1週間安静だ。トレーニングもお休み。無事に運びますように! 冬に突入 11/2 室温は24度でも薄ら寒い。11月だものねと、加湿器をセットし床暖房を入れた。本当に豊かな国に住んでいるなぁと、頭の隅には寒々とした室内で暖を求める中近東や中国奥地に住む家族の映像が映る。 顔が腫れている。昨日のインプラント手術の術後症状だろう。右と左の上顎にそれぞれインプラントを入れたが、左側の頬が腫れて右側が痛い。「特別に痛い時にお飲みください」と渡された痛み止めを飲む。昨夜も疼痛で目が覚めこの痛み止めを飲んだ。1週間は安静にと言われたので、2回ほど簡単な用足しに外に出た以外は一日中家の中にいて、「永遠のゼロ」の著者百田尚樹の随筆「雑談力」を読んでいた。あたりき車力の事ばかりが書かれてあるが、彼が面白いと取り上げているストーリーは確かに面白いものもあった。歌詞を書く上で、参考になる事も見つけた。 2か月間歌を書いていない。色々な思いをメモしているが、まとめるまでに至っていない。今年は2月から3月にかけて出血大サービス並みに、どくどくと歌が生まれ、既に15曲書き終わっている。それらはすべてAnzのところに送られそれぞれにお似合いのドレスを着せられる。今書きたい歌がある。「勇気」。ドラマティックなメロディーが訪れるのを待つ。 ところで、スイスで行われていたATPテニス競技で錦織圭は準優勝に終わった。下位のチリッチの方が”勝つ”気が強かった。圭はやはりまだ精神力が十分に強くないように思う。スイスの後はすぐにフランスに移動し、新たな競技に出場。そこでの彼の初戦をたった今NHKBSでみたばかりだが、初めから疲れた表情。気持ちは分かるが。。。。 今年、テニス世界王者のジョコビッチを超え、1位に浮上するかもしれないと言われているアンディー・マレー(イギリス)。彼はおもしろい。He grumbles. とにかく試合中にコートでぶつぶつ文句を言う。全て放映されることを知っていても、心に詰まったものを吐き出さずには気持ちがすっきりしないのだろう。そのためには文句を言っている自分が観客にどう映るかなど気にしていないようだ。初めは、「なに、この人」と眉をひそめたが、今は大変好感を持って私はみている。一度、彼がサーブに時間をかけ過ぎているとアンパイヤから指摘されると、延々と文句を言っていた(確かにルールを犯すほど長い時間はかかっていなかったと思う)。不合理に指摘された事への苛立ちはすぐには消えないようで、5分の休憩中にも、マイクに入るハッキリした声でアンパイヤに文句を言う。文句は思い通りにゲームを進められない自分自身につぶやかれる時もある。とにかく文句は口から出さずにいられない。この自然体がだんだんと好きになる。ルックスも坊ちゃん坊ちゃんしていて可愛いらしい。彼が集中するのは試合だけ。良い人間ぶる振りをしない。これは、何かを極めた人に共通している事かもしれない。 「xxxの振りをしない」、好きな生き方だ。 再度シンギュラリティ 11/4 ソフトバンクの孫社長が今年の株主総会で言及した「シンギュラリティ―」。このブログでも紹介したが、なるほど、すごい事になるようだし、可能性は大だと思う。今朝の日経オンライン・ニュースの記事をコピペした。 ~~~~ 2045年、人工知能(AI)が人知を超える「シンギュラリティー(特異点)」を迎える。荒唐無稽な話ではない。人の心にまで入り込み始めたAIが社会や国家、経済を揺さぶり、歴史を変える。人類の飛躍か試練か。世界はその日へ向けて走り出した。 建立1千年を超す中国・北京の名刹、龍泉寺でAI僧侶に出会った。 「うちの女房が怒りっぽくて困る」「ただ一緒に生きていくだけさ。離婚はお勧めできないな」 身長60センチのロボット僧侶「賢二」が境内を動き回ると、参観客から「癒やされる」と声が上がる。高僧たちの膨大な説法データを解析し、人々の悩みや問いかけに答える。人に相談するより気楽といった若者が多く訪れる。 開発を主導した僧侶、賢帆法師は「賢二が来てから多くの人が寺と仏教に注目してくれる」と言う。中国でまだ信徒が多くない仏教を広めるにはどうすればいいか。悩んでいたときに思いついたのがAIだ。心の救いを得る聖なる場にAIが入り込む。この現実に賢帆法師は「宗教とAIは矛盾しない」と言い切る ー「全米のヒット曲ランキングでAIが作ったのが今や2~3%、20年後には80%になるかもしれない」 昨日の日曜日は、大学の先輩でもある「呉徳洙監督を偲ぶ会」に出席した。彼は大島渚監督の下で助監督を務め、東映で労組争議の後、独立事務所を立ち上げ、もっぱら記録映画を作っていた。「在日」が代表作だったが、その他にも女性の社会進出や身体的ハンディーキャップを背負った人たちを題材にした。 2010年青山のマンダラで開いた私のリサイタルに来ていただき、丁寧に手紙で感想を知らせてくれた。「ステージには女優しずこがいた。期待以上に堪能した」、確かそんな言葉だったと思う。その後もライブの案内を送って欲しいと言われたが、先輩の切り詰めた財政事情に、私のリサイタルに適した会場は応えられなかった。時々電話を頂いた。議論の大変好きな方で、そんな雰囲気になると私は話を終わらせた。 昨年は特別に親しくして頂いた方々が、四兄を含み複数亡くなった。その最後の喪中はがきが呉先輩の奥様、清水千恵子さんからだった。以前にご夫婦の写真付き年賀状が送られて来た事があったが、そこでの奥様の雰囲気がとても良く、今年に入って初めてお会いした。先輩とは東映時代に知り合い、彼女はフィルムのカットを担当していたらしい。控えめで地味だが、大きな眼がキラキラした方だ。着飾らない、恐れない。先輩との出会いからこれまでの様々な話を伺った。「お前で良かったよ」と病床で言われたとか。「で、なんと答えられたんですか」と訊ねると、「笑っていました」。心では「そうでしょうよ」とつぶやいていたのではないかと思う。そして最後に「不条理な世の中だが、おもしろかった」と先輩は自分の人生をまとめられたとか。 会場にはたくさんの方々が来られていた。同じく大島渚監督の助監督を務め、ヒット作「月はどっちを向いている」を作られた崔洋一監督、「清河(チョンハ)への道」でセンセーショナルに登場したシンガーソングライターの新井栄一さん他、映画界の方々や新聞記者の方々。崔洋一監督は、体格がよくスッキリした顔をされ、一瞬上条恒彦かと思うほど似ていたが、よく間違わられるらしい。新井栄一さんも「チョンハ―への道」をピアノ弾き語りで歌って下さった。いい歌だ。ぽろっと涙が落ちる。また呉先輩の写真アルバムも展示され、「僕は50歳以上生きないと思う(享年74歳)」と50歳の時に大きな誕生日会を開いた時の様子も収められていた。亡き大島渚監督、崔洋一監督夫妻などが映っていた。 閉会の辞は、奥様の清水千恵子さん。「『僕には財産は全くないけれど、本と友人がある』と主人は言っていましたが、私も本が好きです。そしてこんなに多くの方々が、遠い処から来て下さり(北海道から来られたお坊さんもいた)、これも主人の人柄かと思っています」。呉先輩が残してくれたものを大事に引き継いでいく意思を表そうとされていたと思う。先輩が亡くなられた後、居を移したが、先輩が若かりし時に使った撮影機や映写機も一緒に持ってきたようだ。デジタル時代の今ではもはや使われないものだが、処分するつもりはないらしい。携帯電話も持たずパソコンも持たない、新しい時代の流れに少しも付き合おうとしない呉先輩は、お金も作れない人だったらしいが、千恵子さんがヘルバーとして働き、家計を賄っていたようだ。 「相手に追いかけさせた方が良いみたいね」と言った千恵子さんの言葉が印象的だった。「待つ」ことを言うのだろう。今の私の芯に突き刺す言葉だ。
この二つの写真から2年後、明日、白夜のグリーンランドで観られなかったオーロラを観にアラスカのフェアバンクスに行ってまいります。日本気象庁の観測では29日のフェアバンクスはマイナス39度になるそうです(ぎゃはは。ホカロンをたくさん持って行きます)。タブレット式PCを購入しましたので、今度は現地からこのHPに報告できそうです。
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