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4月

すぐそこだ! 4/29   「?」なら 4/23    雨の中で 4/20   スポーツ眼鏡 4/14   自画自賛 4/9  なんでこうなるのだろう 4/3



3月


 URL変更 3/30  「かつてあなたは母だった」 3/27  励まされて 3/26   そんな感じ 3/22

もう一つの三つ揃え 3/18  匙を投げつつある 3/15 徹底的エゴイスト 3/15  やはり天才か 3/10  魔法の言葉 3/7   恋人募集 3/2

2月
 
 
良くなるしかない 2/26  アホなのか天才なのか 2/23  闘志を燃やせ 2/17  そういう事だったの? 2/14  三つ揃い 2/12
 


1月 
 
新曲ができそう 1/31   二人で切磋琢磨 1/30  君は聞いたか 1/24  スター性 1/22  エキサイティング! 1/12   お年賀 1/1  



お年賀
 1/1

2018年 あけましておめでとうございます。

     
     
 皆様にとってより一層磨きのかかる年になりますよう!    
 

7年に一度訪れる試練の年と言うのがあるそうです。私の場合は、どうも昨年11月に今回の周期が終わったようです。試練の時はなかなか前に進まないので、不安になる事もありますが、ある方から頂いた言葉に随分支えられました。「ブロックがかかった時は、それは人間がやっているんじゃないんですよ。神様がそちらじゃないと言っているんです」。

この宇宙に人間の5官に感じられる物は僅か5%。後の95%は確かに存在しているが人間には認識できない。それを科学者たちはDark Matter「暗黒物質」と呼んでいるらしい。振り返ってみれば、特にここ10年、見えない糸に手繰り寄せられて来た感を強くしています。

試練の年もいい年、順調に行く年もいい年!2018年、皆様にとってより磨きのかかる年になりますよう!





エキサイティング! 1/12

ブログをあまり長い間書かないでいると、訪ねて下さる方々に申し訳ない気がします。が、昨年のブログでお話しましたように、以前ほどにはこのページで時間を費やすことはないと思います。何かが確定した時にはご報告致します。どうぞ応援して下さいね。人を応援するとそれは自分の徳となって宇宙銀行に貯まり、やがてたくさんの利子がついて返されるという話を聞いたことがあります(なんだか、応援をせがんでいるみたい)(^^♪

確かに人の幸せを願うと、何よりも自分が幸せな気持ちになりますよね。良き事を想って生きたいものです。エキサイティングな事がわんさかありそうな2018年、一つ一つ大切に進めていきたいからこそ、寡言でいたい。




スター性 1/22

テニス全豪オープンで、世界ランク78位の大坂なおみが頑張っている。スポーツではスピード、力強さ、その他もろもろの点で男子に比べ女子は見劣る。それでやはり女子のスポーツ競技を見る事はあまりないのだが、大坂なおみを応援している友人に影響されてか、彼女の競技をテレビでのぞいた。相手はオーストラリア出身、世界ランク17位。勝利した大坂のインタビューがとてもチャーミングだった。「勝った事はハッピーだけれど、ごめんなさいね。皆さん、彼女に勝たせたかったでしょ?私は以前からオーストラリアの選手を相手にしたかったの。だってテレビで見ていると彼女たちとてもカッコいいんだもの。」

この試合は最も大きなセンターコートで予定されていたが、その前の試合が熱戦で予定時間をはるかにオーバーしたため、大坂の試合は別なコートで行われた。それに対し質問されると、「センターコートだったらもっと大勢のオーストラリア人が彼女の応援に来たと思うから、私はこちらのコートに変わってラッキーだったわ」と言ってうれしそうに笑う。なんともあどけない笑顔。彼女の話に会場が歓声を上げた。敵まで味方にしてしまう彼女の資質。これがスター性なのね~。私もすっかり彼女が好きになった。

錦織圭が気になる。全豪オープンで1試合で5セットも戦う準備はできていないと休場し、下位の選手達が出場する試合に出ることになった(野球で言えば2軍)。圭は恐怖心を払拭しなければね。大坂を見ていると、怖さをまるで感じないでいるようだ。次の試合相手が世界ランク1位の選手であることを質問されると、大坂は「ここで終わりたくない。私は優勝するつもり」とどこかで言ったらしい。「負けるかもしれない」じゃなくて、「絶対勝つんだ!」なのよね。圭は負ける事を怖がっている。彼が休場している間に、どんどん台頭してきたのが韓国のチョン・ヒョン。ほんまに、びっくり、仰天!たまげた~(他にもっとこの種の言葉があれば、全部並べても良いほど、驚愕~~~~)

チョンヒョン(21歳)は世界ランク58位。4位のアレキサンダー・ズべレフ(20歳)をフルセット(5セット)で破った。それも4セット目と5セット目は6対3、6対0.あのズべレフが、0?最初の3セットがともに全て6対6でタイブレークまでもつれたため、ズべレフは余程つかれたのだろうと、ネットで見つけた二人の試合ビデオを見ると、疲れている風でもない。ただ、ヒョンの食い下がる執拗さに根尽きたと言う感じ。クワ~。ヒョンがどこまで行くか、私もワクワクし始めた。そして今日は世界王者の位にあったあのジョコビッチとの対戦。さすがのヒョンもこれは負けるだろうと思いきや、なんと、うわ~、うわ~、ぎゃは~3対0でストレートで勝つ勢い!(ブログ執筆現在、試合中)そして、勝った、本当に勝った。勝ってしまった。3対0で!!!!

圭、そこでとろとろとしていたんでは、もう上がって来れないよ。

ズべレフに勝った時のヒョンの表情も良かったなぁ~。他の選手がよくやるような”吠え”はなく、サポートチームの方向にニタリと笑みを投げた。

恐れを知らない。恐れもエゴのひとつ。エゴイストがスターになる事はまずない。一瞬なったとしても続かない。続くわけがない。無心、無心、無心、無心だぁ~~~~になろう!!!!!

女子テニスはランクに実力が反映されているが、男子テニスは100位以下も上位10を打ち負かせる力があると言っていた人がいたが、本当だ。ヒョン、快進撃を見せてくれてありがとう。あっぱれ、あっぱれ、あっぱれ~。

さあ、宿命の敵?あはは。これも良いように捉えれば、面白さが倍増する。日韓のトッププレイヤーの戦い。錦織圭対チョンヒョン。これはおもしろい。二人とも否が応でも、国を背負わされて戦う事になるかも。だが、スポーツマンシップを優先して欲しい。




君は聞いたか 1/24

「最後のゲームは、いろんな事がよぎった。あと1ポイント取れば、韓国の歴史を変えるとか、そんな事も考えた。祝賀会についても考えたり。とにかく、冷静でいなければいけなかった。だから試合が終わるまで冷静でいるように努めていた。みんな全豪オープンを見ていると思う。なぜなら、韓国の歴史を作っているから」 と、韓国のテニスプレイヤー、チョンヒョンが今日全豪オープン準々決勝を制し、試合終了後のインタビューに答えたらしい。

記事は続く。
記者:「この数年間でアジア人選手のシングルスでの活躍が目立っている。何がこの変化を生んだと思いますか」。チョンは錦織圭が要因だと述べた、「彼がトップ10入りを果たした。だからアジア人選手は圭を目指し、彼の後を追った。彼はアジア人選手の誇りです。」

圭、君は聞いたか。同じ土俵に君が戻ることを誰もが待っている。圭とヒョン、世界と言う場所で二人が躍進することで、君たちがただ自分を磨いていることで、政治家が無しえない両国の和を民間レベルでもたらすかも知れない。「冬のソナタ」がそうであったように、君たちが歴史を変えられるかもしれない。過去の苦い記憶を飛び越えられるのは、今ここで共に作る喜びの記憶。喜びの記憶を分かち合う事で、苦い記憶はおのずと消えて行くものだ。

2日後の準決勝で、ヒョンはロジャー・フェドラーと対戦する。踏ん張れ!




二人で切磋琢磨 1/30

やはりそうなったか。。。。圭の時もそうだった。短時間で相手を制するテクニックを持たずにいた頃、ロングラリーが続き疲れ切って足が動かなくなる。でなければ勝てたかもしれない上位選手に負ける。一日おきに2週間戦うグランドスラムと1週間毎日戦うマスターズで、上位選手に勝つため、圭はサーブと体力強化中心のトレーニングを始めた。

フルセットで世界4位20歳のズべレフにフルセットで勝ち、元世界一位のジョコビッチをストレートで下したチョンヒョンはフェドラーとの準決勝では足の肉刺(まめ)が悲鳴を上げ、力尽きて棄権した。残念だった。本当に残念だった(このために私はWOWOWに再加入したのに( ;∀;))。ジョコビッチを降したあの勢いをもう一度フェドラーとの対戦で観たかった。ヒョンが棄権したことで、フェドラーは決勝に進みチリッチと対戦。二人の試合を見ながら、チョンヒョンのストロークのすごさを改めて思った。ヒョンはどんなボールでもコートを自由自在に動いて打ち返し、その打ち返したボールは枠内に収まりアウトにならない。決勝戦での、特に、チリッチのボールは頻繁にアウトになる。ヒョンはこれから先、すごいところまで昇り詰めるだろうと観る者に確信を抱かせる。

現在マイナーの試合に出ている圭は、試合感覚を少しずつ戻しているようだ。前回のカリフォルニア・ニューポートでの試合では1回戦で敗退したが、今回のダラスでは前回の相手とまた対戦。今度はストレートで負かした。その試合後のインタビューでチョンヒョンの事を訊かれると次のように答えている。

「いやー、めちゃくちゃ完成されてきている。強さが彼にそなわってきているので、本当にトップテンに来るのもこれから間もないと思います。
ストロークが誰にも引けを取らないぐらい。最後の試合は別ですが。ジョコビッチだったり、あれだけ上の選手にストロークで勝ってきているので、たぶん選手の皆にとっても、僕にとっても脅威になると思いますし、アジアでこうやって僕だったり彼みたいにアジアのトップに今2人いるっていうのは、たぶん今まであんまり無いことなのですごく嬉しいです。2人で切磋琢磨出来る部分もあると思います」

二人というのは、いろいろ比べられてやりずらい所もあるかも知れない(現に、今、私がそうしている、タハ( ゚Д゚))。特に日本のジャーナリズムがうるさいだろう。ああ、韓国のジャーナリズムも( ;∀;)。周りのうるささも手伝って、圭がこれまで以上に自分を引き締めて試合に臨んでくれることを期待したい。二人の快進撃を観られると思うと、こちらもワクワクしてくる。



新曲ができそう 1/31

昨年の10月中旬からおよそ4か月曲を書かないでいた。作詞家、作曲家、脚本家、小説家など芸術に多少なりとも携わる人は、いつも何か書いている、書かなければ筆が途絶えてしまうという恐怖心に駆られるとか。劇作家/脚本家で北海道在住の倉本聰もそんな事を言っていた。対し、私は書くものが湧きあがって来ないなら書かないことにしている。頭で書こうとして書いたものに面白いものはまずない。少ない経験の中からでもそれを自覚した。そのような度胸は、実は、ゲーテの言葉に裏打ちされて付いたもの。書こうとする勢いが湧きあがる時が訪れることを信じ、この4か月間心配せず待った(ちょっとは心配したかな)。湧きあがれば大体瞬時に出来上がるので、頭をひねって苦労しなくてすむ。頭をひねるのは得意じゃない。

待っている間も、あれこれとテーマが浮かび、メモしておく。メロディーは、深い瞑想ができると自然に出て来る。だが、詞をまとめるまでに行かなかった。

今朝ひとつ書いた。ダンスミュージック第2弾(がは)。踊れるような曲を書きたいと思っていたが、それらしきものになりそう。別れの前のダンス。書いている途中日本の歌謡曲の中のダンスミュージックを思い出したら、「ラストダンスは私に」「ラストワルツ」「さよならはダンスの後に」と、みな別れ際のダンス。!!!???なんでだろう。ホイットニーは I wannna dance with somebodyと、とても難しいリズムで歌っているけれど。。。「テネシーワルツ」も別れを偲ぶ歌だし。。。

瞬時に出来る事が嬉しい。




三つ揃い 2/12

良い歌詞があって、いい曲、そしてそれにぴったり合う歌手。この三つが揃ってヒットが生まれる。

誰に歌わせると言う訳でなく、降って来たから書いて自ら歌う私のような作家の楽曲は、それにぴったり合った歌手を探すのが容易でない。そんな事もごく最近分かって来た。これまでは、ただ書いてアレンジをしてもらい、周りの人の反応を見て判断し、その後レコード会社にアプローチすればいいと思っていた。だがそんな事では私の楽曲が世に出るチャンスは望めない。楽曲にぴったり合う歌手がいなければならない。勿論私が歌えば済むのだが、今頃になってデビューさせようとするプロデューサーもいないだろう。

以前、「ライバル」を書き、業界の6人のプロデューサーやディレクターから「これはヒットする曲です、狙っていましたか」、「腰の底まで衝撃が走りました。今の世の中、こんな歌が欲しい」と期待を大きく上回るコメントを頂き、アイドル・グループに楽曲を書いてヒットを連発しているヒャダイン氏からは「メロディーも良いよ。これ、ジャニーズに歌わせられる」と言われたが、結局「歌わせる人がいない」のままになっている(ジャニーズ事務所は「おれ」「おまえ」の歌は取らない)。

そして今回、元ホリプロにいらした方を紹介され、彼が以前にマネージャをされていたというスター歌手Sのプロデューサーにお逢いする機会を得た。歌謡曲系4曲を持参し、2週間後にご連絡を頂くと、「狙いどころは悪くないですが”今の”Sが歌う感じではない」と言われる。なるほど~~~。プロデューサーはアーティストを育てる。アーティストの人生のそれぞれの段階、ひとつひとつの”今”にプロデューサーが創りたい彼女のイメージに合う楽曲を歌わせる(背負ってくれるんだぁ、と私は羨ましかった)。それは時世にあった歌でもある。それにより、彼女も彼女のファンも彼女の歌う歌に飽きない。Sの”今”の歌はまだまだ恋をしている歌で、私が提供しようとしたのは深みと言うか人生の憂いを感じさせる歌。

私が作る楽曲は「いい」らしという事は様々な人の意見から認識している。だが、一体誰に歌って頂くのか。ぴったり合う歌手は誰だろうと思いを巡らしている。




そういう事だったの? 2/14

Valentin's Dayですね。やっと日本も、男性から女性に花を贈るようになったようで、めでたし、めでたし。

ところで、上のブログで書いたプロデューサは私の楽曲に対しメロディーが弱いとも言われた。「弱い」とは一体どういうことなのだろう。十分に聴かせどころのある楽曲もあの4曲の中に入っているのに。。。。アレンジャーのAnzに訊ねると、「弱くない。他ならYESになる」と断言する。確かに他の音楽家たちからも「これは良い曲だ」と頷かれているのだが。

プロデューサーから来たメールをAnzに転送すると、彼が動き出した。印象に残るメロディーだけを別な歌詞にも使い同じメロディーをリピートさせる。そうする事で聴く人は覚えやすい。メロディーの種類は2つだけ。多くても3つ。以前に4つのメロディーで書いた「未来見えない間に」を二つのメロディーにまとめたものをAnzが試しに送って来た。すると、なんとも歯切れがよく、ノリの良い曲に様変わりした。なによりも覚えやすい。「今までのままでも良いんだよ。でも売りたいなら、これにした方が良い!」と断固主張する。

なかにし礼が書いた「夜の歌」の中に、彼のデビュー作で黛ジュンが歌った「恋のハレルヤ」が作られた経緯が覗ける。詞先だと歌謡曲っぽくなるからと、曲が先行する曲先。作曲家は鈴木邦彦。だが、作曲家が持ってきた曲はヒットからほど遠いものだった。礼さんはその初仕事が自分の人生を左右すると考えたのだろう、何度も鈴木さんに書き直させ、不貞腐れた作曲家からやっと出て来た曲があの曲だったらしい。

ヒット曲を作る、いい歌を作る、この二つは必ずしも同じではないようだ。いい歌でもヒットしないものは多い。またその逆も言える。以前にビクターのMディレクターが、彼が気に入っている坂本九の最期の歌を私に聴かせた事がある。ワンコーラス聴いても、私にはピンとこなかった。巷でも全く広がっていない。だが数回繰り返し聴くとその良さが分かる。こんな話もある。ヒット曲を作ろうと躍起になっている堀内孝雄に小椋佳が言った、「堀内さん、いい歌を作りませんか。」

レコード会社はビジネスに繋がるヒット曲を探している。今、私は、再再再度これまでの曲を見直し、バサバサとメロディーと歌詞をカットしている。Anzの積極的介入に圧倒されながら、そして感謝しながら。



闘志を燃やせ 2/17

「誰よりも勝ちたい気持ちが強い」

平昌オリンピックの氷上に始めて姿を現した時、フィギュアスケート羽生結弦選手はそう言った。よりによってオリンピックも間近に迫る中で右足首の靭帯を切る。この事故が彼の闘志をそれまで以上に掻き立てたのだろう。絶対負けない。絶対勝つ。その闘志は誰かに対してではない、徹底的に自分に打ち勝つという崇高な闘志。

身震いする程の闘志の漲った圧巻な演技だった。そして同じく金メダル候補であった選手達が羽生の闘志と演技に圧倒され、それが特に演技順番が羽生の後だった者は怯み、これまであり得なかった失敗を繰り返す。あ~あ、オリンピックでなくとも言える事だが、自分を見失う事の怖さよ!

選手たちそれぞれの個人ストーリを知ると、誰をも応援したくなる。中国系米国人選手のネイサン・チェン。羽生選手の最強のライバルとされていた彼は、家が貧しく自分のスケート靴も買えずにお姉さんのお下がりを履いていたらしい。お母さんはレストランで働きながらネイサンのスケートにかかる費用を工面した。事情を知った元米国フィギュアスケートオリンピック選手は自分が設立した学校に学費免除で彼を入れ育てた。このオリンピックでメダルを取る事で、ネイサンは家族や恩人に恩返しをしたいと思っていたが。。。。ショートプログラムで羽生選手の次、それが彼の順番。異次元の演技をした羽生への喝采と興奮の余韻が濃く厚く残るリンク。ネイサンは3度も転ぶという想いもしなかった結果を生んでしまった。だが、その時17位だった彼は決勝のフリーの後では5位までに上り詰めた。どれ程の実力の持ち主であることか。同じレベルでありながら、頂点の金を取るものとメダル圏内にも入れなかったもの。鍵は一つ!自分だけに集中せよ、自分を見失うな!

ひとつのドラマが終わった。また、4年を待つ。




アホなのか 天才なのか 2/23


   

全米で話題になっているFire and Fury(炎と怒り)をもうすぐ読み終わる。以下がその骨子。
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     2016年の米国大統領選に立候補したドナルド・トランプ。“一応”設けた彼の選挙対策本部も彼の周囲も、さらに本人自身もまさか勝つとは思っていなかった。誰もが暗黙に了解していた事は、「ドナルド・トランプは大統領にならないだろうし、ならない方がきっと良い」。そして敗北宣言を準備していた。その宣言書の中にあった言葉がFire and Fury(著者はその言葉をこの本の題名に使った)。だが、その敗北宣言書の草稿は盗まれた。

彼が大統領選に立候補した理由は”有名”になりたかった。ただ、それだけ。それを友人の元Fox Newsの会長兼CEOに話すと、「大統領選に立候補すれば有名になれる」と言われ、真に受けた。時に破廉恥としか言いようのない、低資質で、頭脳も無く、羞恥心も無く、知識も無い人間、ごく普通の人間がなぜ米国の大統領になれたのか。

著者のマイケル・ウォルフはホワイトハウスに自分のデスクがあてがわれ、そこで数か月間情報を集めた。なぜそれができたのか。まさか大統領に選ばれるとは思わなかった選挙対策本部も本人も役割担当者を決めていなかった。どうにか決まっても、その担当者たちの殆どが政治の素人。何をして良いのか分からず、著者がその辺に座っていても「どきなさい」と言う人がいなかった。 

ドランプ氏は文字を読まない、よって本を読むことはない。いわゆる失読症。新聞は見出しだけを読み、寝室に入れた3台のテレビが情報源。夜には一人寝室で知人たちに電話をかけまくり、ホワイトハウスで働く者たち、自分の側近達の悪口を手当たり次第にぶちまける。ホワイトハウス内の情報がなぜリークされているのかと本人が騒ぐが、大元は大統領自身だった。彼のフィルターを掛けない生々しい言葉が強い反発を生むが、自分が何を言ったのか自覚がない。2回に一回は、What did I say?と側近に訊ねる。そして呆気にとられる妄想癖。オバマ大統領がホワイトハウスに盗聴器をつけていると騒ぐ。 

だが、彼の本能的、直感的挙動は測り知れない才能であり、これまでの政治やこれまでの大統領の真逆。官僚政治を嫌い、アメリカ人の心の底の痛みと怨恨を癒す美味しいものを与えれば、一人の男が制度より大きくなると信じている。すぐれた営業才能の持ち主だと著者は言う。
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Fire and Fury。彼の言動は多くの人をFire and Furyの中に押しやったと思う。メディア王のマードック氏を始め彼を知る多くの人たちがIdiot、Stupid、Moronなど「アホ」「バカ」「低能」と言う言葉で彼を形容する。私も同じ思いでこの本を読み始めたが、読む進めるうちに、もしかしたら「彼は天才なんじゃないか」と思うようになった。かつて、「天才たちは学校が嫌いだった」という本を読んだことがある。アインシュタイン、チャーチル、モーツアルトなど多くの例を紹介しているが、彼らは本を読めない失読症を抱え、常に変人扱いをされていた。天才は周りを気にしないから、社会性が無く、自分自身に対してどこまでも肯定的で楽観的だ。事がうまく進まぬ時は、原因は周りにあり、決して自分にはない。私の傍に天才がいるので、その特質はよく分かる。 

ドナルド・トランプ、非常に楽観的な見方をすれば、彼はこれまでとは全く違った方法で、これまでのどの例にも習わず、型破りの方法で、事を成しとげるのではないだろうか。自分の本能と直感を頼りに。怒りから読み始めたFire and Furyだったが、私を真逆の期待に誘った。メラニア夫人が言ったという:「彼が言う事は必ずそうなるの。」 

だが、ロシア疑惑がどう動くのだろう。彼の息子たちが起こしたと言うヒラリーの足を引っ張るためのロシア当局との共謀。大統領は関与していないが、その共謀は報告されていたらしい。

 




良くなるしかない 2/26

Fire and Furyを読み終わり図書館に返しに行った。東京在住者は、それぞれの区立図書館を通して他区から借用できる。

それにしても「ばか」を表現する言葉が英語にはなんと多い事か。私も辞書を引き引き意味を探したが、時々胸苦しくなった。何度か途中で放棄しようかと思ったが、何においても途中放棄は気分が悪い。言葉はその国の文化を表すというが。。。。また、米国ほど新しい言葉がどんどん生まれるところも無いのかも知れない。辞書にも載っていない言葉が幾つもあった。

上に書き記したこと以外にも驚くことがこの本にはたくさん書かれてあるが、スキップ!

西行法師の言葉だったか、国を率いる人は人間力だけではない、眼に見えない力が働いて選ばれるという。どんな混乱に見える事件も見方を変えれば、良くなっていく事への兆候とも取れる。良くなっていくしかないのが、人間。ならばこの世の中も良くなっていくようになっている。Let's keep our fingers crossed。幸運を祈りながら。





恋人募集 3/2

自己紹介:スポーツ万能、活動的、社交的、裕福、教養豊か、寛大、刺激的・・・・・(その他いろいろ)
相手に求めるもの:”感謝の気持ち”(この一言
)

米国に留学していた頃、新聞広告に「恋人募集」があって驚いたことがあったが、上のような広告もあったようだ。

「感謝の気持ち」、ほんま、これが無くなるとどんな関係も下降していきますね。人vs人だけでない、人vs仕事、心vs身体、に関しても言えてるように思う。

だてに歳を取っていないと最近思う。そのひとつに、こんな気づきがあった。人間、生きていて何が一番怖いかって、自分の想いがネガティブになる事以上に怖いものはないんだなぁ、と。ネガティブになるのは自分以外の誰のせいでもない、そのようなネガティブな発想癖のある自分のせいなんですね。

今、名もない人が書いた本を読んでいるが、知識や財を積み重ねる以上に大事なのは、「どんな心で生きたか」である。「生きる」訳ですから思った事を実践しなければ生きたことにならない。彼女は続ける、「お祈りを無意味とは言わないが、大事なことは毎日お祈りする事ではなく、お祈りの言葉通りに毎日生きる事」。

昭和と平成の違いは、物的豊かさの探求と心的豊かさの探求にあるのかも知れない。フィギュアスケートの羽生君の言葉を聞いていると本当にびっくり。私がこの歳で分かった事を21歳の彼が言う。現代のJpopで歌われる歌も、心の在り方を歌う歌がなんと多い事だろう。昭和の歌にそんなものはなかったような気がする。作詞家のなかにし礼の自伝「夜の歌」の中で彼は言う。「私の歌は昭和の歌だった」。

感謝の言葉が多い、JPOP。「昭和のど真ん中に青春時代を過ごした人と今の若者達では、人種が違う」と私はあちらこちらで言っている。自分の両親に感謝の言葉一つかけられなかった昭和の人間は多いのではないだろうか。昭和はダイナマックな時代だった。男たちはだった(笑)。毎日生活に追われていた昭和の親たち。物的に安定してくると、人は心の研磨に向かうのかも知れない。

今年に入ってから、このブログよりもFacebookに投稿することが多くなり、そちらに投稿したものの一部をこちらに移している。これまでの逆になってしまった。




魔法の言葉 3/7

ある日本人の青年が彼の人生が彼から見てどん底にあると思われた時、イスラエルを旅したそうな。人間関係にぶつかり、友人もいない。どん底にあって、芯から生き方を模索している人には、神の手が差し出されるもので(これ、ほんと)、旅先で彼は一人のおばあさんと”偶然”出会った。そのお婆さんは彼を家に招きお茶をしながら、彼の身上話を聞いた。そして言った。

「人生で大変な時、『ありがとうございます』と唱えなさい。なんどもなんども。これは魔法の言葉なの。良いことが起こりますよ。

姑さんとうまく行かず、顔に出来た湿疹やアトピーの原因はそのせいだと言う友人がいた。間もなく姑さんが亡くなり、今後は彼女の口から姑さんの話を聞かずに済むだろう、彼女の顔もすっきりしてくるだろうと思っていたら、久しぶりに会った彼女の顔には依然として目立つ湿疹。表情も険しい。訊ねると、今度は彼女の娘が原因だと言う。

自分のネガティブな感情を引き起こすものが、自分自身だという事に気付かない人は多いようだ(私も10年前に気づき始めた)。ネガティブに物事を捉えると、大体混沌の中に腰を据えるからそれを”解決”するまで忙しい。それが一旦解決すると、新たな不満の種を見つけ再びバタバタする。自分に夢中になるものが無いから、心配や不満を生む対象を見つけ、自分に退屈しないようにしているのかも知れない。それを友人に話すと「あなたには子供がいないから、分からないのよ」「私は長女だったから」などなど色々と自分を正当化し言い訳をする。「長女は皆そうなの?」と訊き返しながら彼女を諭す努力を止めないでいると、最後は、「そうね~」と納得したような笑顔になった。

「ありがとうございます」は、満足した時など肯定的な思いがある時に発せられる。幸せ度は満足度と比例する。ネガティブな思いが頭や心に充満していると気づいた時、この「ありがとうございます」の言葉をほんの少し隙間の中に入れてあげると、さっと頭の中が掃除され、光が射す。それまでの感情が消えて行くから不思議だ。それを何度も何度も繰り返す。その満足そうな顔に、良いもの、良い人、良いことが引き寄せられてくる。元巨人軍の原辰徳監督が、やくざとのつながりや不倫がスキャンダルになっていた時、監督の心の状態がマウンド上に顕れ、巨人は最下位発進だった事があった。そんな時上の青年の話を人づてに聞き、実践したとご本人が言う。で、その年巨人は優勝した。

おばあさんからこの言葉を頂いた青年はどうなったかと言うと、今では様々なところに講演して回り、多くの人に囲まれている。私も彼の話をじかに聞いた一人。人はやはり人とつながっていたい。そのためには相手も”私”とつながりたいと思わない事には実現しない。感謝の気持ち、これが互いを繋がらせてくれる。




やはり天才か 3/10

米国トランプ大統領が北朝鮮の提案を受け入れ米朝首脳会談に応じるという報道。やはり天才なのか。


「彼はこれまでとは全く違った方法で、これまでのどの例にも習わず、型破りの方法で事を成しとげるのではないだろうか。自分の本能と直感を頼りに。」

2月23日のブログで上のように書いた(私も天才かな?あははは)。あまりに世間の常識や知恵からかけ離れた言動にStupid、 Idiot、 Moronと言われる天才たち。彼らは失読症で本を読まないと言われているが、本を読む必要が無いのだと思う。本を読むという事は、

●他人の知恵を借りたり、
●他人について知りたがり、
●また他人によって楽しませてもらう行為とも言える。

彼等には本が与えるそのようなメリットは必要ない。彼等の知恵のほぼ100%は神からの啓示だ。その啓示は直感や本能となって彼らを動かす。その直感や本能により、他の者たちが多大なエネルギーと時間を使って成しとげる事を、天才たちは思考回路に長い間留まらずに超速で容易に”正解”地点に到達し得る。神から啓示をもらう者は聖者や人徳者に限らない。本を読むのは”秀才”や凡才であって天才には必要ないのかも知れない。また彼らは他の人が何をしているかなんてどうでもよい。アイデア溢れる自分に戯れる。

Fire and Furyの中で、ドナルド・トランプ氏の生き方の軸は、be liked、人から好かれる事だと書かれてある。また、ビジネスマンである故に損得勘定がはっきりしていて、何の利益もない所にエネルギーを使わないともある。プライドとか名誉は行動の発動因子ではないようだ。これに北朝鮮問題の扱い方がそっくりハマる。北朝鮮に侵攻して米国が得るものがあるのだろうか。むしろロシアと中国に隣り合わせになり緊張感が一層高まる。更に、次から次へと辞めて行くトランプ政権の閣僚の中で辞めずにいるマチス国防長官は、戦争の悲惨さが身体に焼き付いているほど戦争体験をした戦争反対論者だと大学の先輩ジャーナリストから聞いた。大統領補佐官だったバノン氏は「彼(ドナルド・トランプ)は心の温かい人」だと評する。そんな視点から見ると、トランプ大統領が戦争を選ぶとは考えられない。

平昌オリンピックの閉会式に娘のイヴァンカを送るトランプ大統領の姿に、彼は問題の打開に向けて動き出したと針の孔より小さい場所にいる私の勘が働いた。水面下で色々な人たちが動いただろう。

天才は本を読まない。人に学ばず、ただインスピレーションをもらう。もしかしたら神は敢えて天才たちをそのように御創りになられたのかも知れない。





徹底的エゴイスト 3/15

だが、天才因子が絶対多数の人たちに必ずしも良いように働くわけではないだろう。天才の多くは強烈なエゴイストである点を考えれば、間違えれば大きな災難をもたらす事になる。トランプ氏は売り方の天才。徹底的に自己肯定の天才的営業マン。

ティラソン国務長官の解任。これもFire and Furyの中で予測され、この政権は長くて4年、だがその前に弾劾裁判があるだろうと示唆されている。

「私は人が去ったり来たりと、混乱が好きなんだよ。次は誰が去るのかな。メラニアかな~。」こう話すトランプ氏。メキシコとの境界に造る壁の素材を確認している映像も含め、私の心をざわつかせる。




匙を投げつつある 3/15

錦織圭がインディアンウェルズで開催中のBNPマスターズに欠場した。彼の試合日前日に発表。今回の理由は風邪だという。実況解説者は「練習を観ていたら最初はちょっと咳き込んでいましたが、だんだんと調子を上げていましたから、大丈夫だと思ったのですが」と残念そうだ。多くの日本人ファンが残念に思っただろう。負けるかもしれないという恐怖心が怖気さすのかも知れない。Fear、怖気、これが否定的感情の中でも一番怖い。前に進めない。。。。。自分のテニス人生に後悔が無いよう祈りたい。

ほんの2年前までトップの座を占めていた選手たちがどんどん後退して行く。男子の場合、100位の選手でもトップ10と互角に戦える人がわんさかいる。こんな事を考えると、スイスのロジャーフェドラーは本当にすごいなぁと思う。コートで自分がどう動くかきちんとイメージできているのだろう。フィギュアスケートの羽生結弦君が足首の靭帯を切りスケートができなくとも、毎日自分の演技をビデオで見て動きをイメージしていたという。おそらく、フェドラーもこれをしているのだと思う。私も大きなコンサートがある場合は、全ての動きを何度か頭の中で追う。フェドラーの次の試合相手は、全豪オープンで肉まで見えるほどの靴擦れをして途中棄権をした韓国のチョンヒョンだ。これは楽しみ。チョンヒョンはずっと伸びて行くような気がする。ラリーがとにかく正確。性格も穏やかなのだろう、それは彼の試合中の表情にもよく出ていて淡々とプレイする。世界ランク上位の選手に勝った時はにやりと笑いながら。

圭にはそろそろ匙を投げるファンも出てくるんじゃないかなぁ。欠場や棄権もそうだが、闘志が消え行っているようだ。楽しませてくれない、喜ばせてくれないならファンが離れて行っても仕方がない。応援も結構疲れるもので、欠場や棄権、戦わないなどと何度も期待が削がれる事をやってくれれば、疲労が増す。




もう一つの三つ揃え 3/18

良い歌詞、良いメロディー、その楽曲を歌うに相応しい歌手。この3つが揃って楽曲はヒットへと結びつくと、2月12日のブログで書いたが、この話の元はレコード会社のディレクターから出たもの。

昨日NHKBSで「奇跡のレッスン」を観ていた。この番組では学校でのスポーツや音楽の部活動に外国から講師を招いて1週間のレッスンをしてもらい、最終日を試合や発表会で締めくくる。昨日放映していたのは、米国から指揮者を呼んでレッスンを受ける埼玉の高校の吹奏楽部。僅か1週間で子供たちの腕がみるみる上がる。教え方が違うとこんなにも演奏が変わるのか、生徒たちも新しい発見に嬉々としている。

それまでは何年も繰り返し従来のやり方で指導されて来たわけで、教え方ややり方に疑問も持たず枠内に留まる日本の私たち。従順で疑問視しない。それゆえか、腕を磨きたい人達は今でも海外へ旅立つようだ。

その吹奏楽のレッスンで米国人講師が核心となる事を言っていた。成功するために必要なものは、

「才能と努力、そして人にやさしい事」。

は~、ほんとうだ。




そんな感じ 3/22

水鳥、水際の岩で空飛ぶ時を待つ

もう岩まで歩いて行けるほどまでに育った。今は飛ぶ時を待っている。願い事叶う。(易経から)

モーリス・ベジャール、世界屈指のフランスの舞踊振付師の自伝を読んでいたら、人生の選択で悩んでいた時中国の易(八掛)に頼ったそうな。出てきた答えに茫然自失したとか。それで私もやってみた。。。。びっくりした!なんだか非常に説得力があるので。




励まされて 3/26

最近心がざわついていた。怒りの感情を爆発させた場合、それが消えるまで合計3回続くと聞いた事があり、かつてその言葉の的確さを認識したことがある。で、よりベターな自分、日常をつくろうと、これまでなら怒りになるだろう事柄に、早々と引き上げざわつく程度で抑えることができた。だが、ざわつく心も起きると直ぐには消えず、他の事にもその心を引きずるようだ。

少々とげとげしい日々が続いた後、現在マイアミで行われている錦織圭の3回戦を観た。彼はシード選手なので2回戦からの参戦だが、2回戦では下位の選手との試合にやっと勝ち、今朝3回戦でアルゼンチンのデルポトロと対戦。下位の選手との試合では最初の2セットはよろよろとしていたが、後半から落ち着きを出してきた。そして今朝の試合結果は2-6、2-6の完敗。録画したものを見る気も失せたが、圭がどんなプレイをしていたのかちょっと覗いた。すると、いや、大丈夫。久々のトップ10内の選手との試合で力み過ぎてミスがあったが、かなり落ち着いて来ている。試合内容も良い時の圭だ。欠場せずにどんどん戦っていけばかつての力を取り戻せる。怪我をして戻ってきた選手が直ぐに立ち直ることはないようで、元世界一位のジョコビッチも、ロジャーフェドラーを負かした事のあるゴファンも2回戦で敗退している。今回はロジャーフェドラーさえ、彼の初戦で敗退してしまった。

圭よ、君自身が知っていると思うが、君は大丈夫だ。

圭の一生懸命さを観て私も元気を得た。みな、アップダウンのある人生をそれぞれが歩いている。皆、踏ん張るしかない。




「かつてあなたは」 3/27

久々に曲を書いた。タイトルは「かつてあなたは」。これはかなり深い歌。概して私の作る歌は言葉の意味するところが深いらしい。内容ですか?かなり多くの人がサプライズする歌詞になったので、公になるまで置いておきましょう。これまでとはまた趣の異なるメロディーになり、本人は満足してますぞ。

新しい個人プロジェクトが走り始めたので、その結果が見えるまで創作を中断しようと思ったが、なかにし礼の言葉に背中を押されたかな。丁度読みたい本が私の手元に届くまでまだ数週間かかる事もあり、ゴルフの練習に行く予定を変更して曲作りに専念。82曲目なり。書こうと思えば、題材が色々あり書けるのだが、現在優先順位の高いものが別にあるため、それが実現するまで黙々と日々を過ごしている。誰かに話してしまいそうだが、話せばエネルギーが薄まってしまいそうだから控えている。また、心から応援してくれる人以外には公言してはいけないと、ディーパック・チョプラー博士が書いている(あは)。




URL変更 3/30

昨年10月、プロバイダーの変更に伴いURLも新しくなりましたが、旧URLからの自動転送が今月いっぱいで終わると報告されました。4月1日からは新URLでのみアクセスできます。

新しいURLです
 http://shizuko77.starfree.jp/

またお会いできますように!




なんでこうなるのだろう 4/3

今日は大学OB達とのゴルフコンペがあった。1番ホールではツーオンという”快挙”を成し遂げ、「お~このまま進んでいけば、優勝か!」と思ったものだが、余りの上出来に気を張りすぎて力んだか、2番ホールのドライバーはちょろちょろと流れ、その後のウッドもちょろり。ひどい展開が続いて止まらない。「優勝候補!」と手を上げていたが、5番ホールから候補脱落。

しかしまぁ、ゴルフと言うのは本当に、なんというか、ため息が出る。今日のコースは起伏が激しく、グリーンも波型になっている。年に一度OB会で利用する倶楽部だが、河川敷の平坦なところで3ホール続けてパーを取るなどと進化があった直後のこの結果、ぽっか~ん(^?^)y-.。o○。。。。クラブを初心者用から買い換えて間もないので、ここで匙を投げる訳にもいかないし。。。




自画自賛 4/9

私は自分が好き。と言うか、好きな自分になれた。利己的に考える事を避け、大げさに言えば宇宙視点で考える。嘘がない。色々こねくり回さないから、スッキリしている。何よりも、放っておける。これができることになった事で、心がきれいになったように思う。だが、以前からこうだった訳ではない。宇宙の仕組みや、それと人間がどのように関わっているかを知り、宇宙の意思に私個人の意思を合わせるよう努力してきたら、なりたい自分になって来たみたい。

最近気づいた事だが私はあまり脳を使わないようだ。思考と言うのが面倒。もう一度読み直している(もう何回目になるのかなぁ)チョプラー博士の本の中に、直感や霊感に脳の働きはないとある。ものすごく頷けた。私の思いやアイデアが、ほとんどの場合、思考回路を通っているとは思えないのである。降って来たから実行する。頭で考える場合もあるが、細かい事を考えるのはかなり苦手のようだ。脳が拒絶して細かい事が思考回路に入って行かない。また、発想がエゴによる場合、後で羞恥心を抱き自分の心が撓(しな)るので、端からエゴで動かない事にしている。これも直ぐにできた訳ではないが、常に自分の内面の動きを見つめる事で、ここまで来れたと思う。心がきれいでなければ、創作はできない。この事も自分自身を通して分かった。

久しぶりにコンタクトを取ると、外見は変わっているのかも知れないが内面に全く変化のない人が圧倒的に多い。自分を変えるという事はこんなに難しいものかと改めて思わせられると同時に、私にその機会が与えられた事に心底感謝している。様々な事件が私を押し上げ、何年もの間かなりの量の本を読み内省実行してここまで来た。すっきりした生き方をするようになったが、孤独にもなった。語り合える人が限られる。メンタルが上位にいる者は孤独なのだそうだ。上位の者は下位を通って上位に行くから下位が見えるが、下位の者はいたことの無い上位は見えない。だがメンタルの向上ほど自分を豊かにさせるものはない。また、孤独でもそれほど寂しくない。同類の遠い友人たちを本を通して見つけ目に見えないところで彼らと対話している。孤独は背負わなければならない運命なのだろう。

宇宙の意思に自分の意思を合わせる。努力するのはそれだけ。そんな努力を惜しまずここまでやって来た私を私は心の中で称賛している(がはは・・・)こういう事ができるのも、もしかしたら選ばれた人たちだけなのかもしれないが、そのような人たちに、神が託された仕事がある。

この話、なんだか、昔した事があるような。。。。




スポーツ眼鏡 4/14

乱視の為ゴルフで打ったボールが見えない。いつも周りの人やキャディーに「私のボール、どこ?」と訊いて回っている。煩わしいだろうと思う。コンタクトをつけようかと店頭に行ったことがあるが、裸眼と効果がほとんど変わらない。店の人の話では、コンタクトよりメガネの方が良いでしょうと言われたが、下を向いたりしている時にズレ落ちてくることが気がかり。

ATPテニスオープンで躍進している韓国のチョンヒョンが白フレームの眼鏡を常にかけている。極度の乱視らしい。ズレ落ちないスポーツ用メガネがあるようだとネットで色々検索し店にも足を延ばしたら、ある、ある。白フレームで手頃の値段のものを見つけたが、デザインが今一。購入直前にストップをかけ、どうも良さそうなOakley製を日本橋高島屋まで別用のついでに見に行った。あらまぁ、デザインがずっといい。長い間使う物なら高くても気に入ったものを買う。長年の失敗を重ねて得たこの結論にちょっとばかり躊躇ってこちらを買う事にした。だが、なんと、度入りレンズの場合は米国まで検眼データを送り商品が送られてくるまでおよそ3週間待つという。どうにか4月3日大学OBコンぺの4日前に届き、早速それを付けて参加。

このメガネは特にゴルフ用メガネだとお墨付きで買ったが、全くズレ落ちないし、ほんと、グリーンが鮮やか!(見えてもスコアが良くなったわけではない。ぎぎぎぎ。。。)。そして昨日河川敷でのコンペに参加すると、なんとまあ、私が他の人たちのボールの位置を教えてあげている!うひょっしょ~。ここではOakley眼鏡の効果がスコアに反映された(がははは。。。)。

改めてこのメガネを調べると、医療系にも使えるとあった。おかげで、一日ラウンドをしても花粉症からくる目のかゆみがなかった(笑)。

下の画像はネットから引っ張ってきたもので、購入したものはレンズに色が少し入っている。形はこれと全く同じ。







雨の中で 4/20

一昨日の雨の日、大学の先輩にねだってゴルフに誘って頂いた。年に一回OB会で訪れるゴルフ場。先輩はかつてそこの支配人をされていたので、ご自分の庭のようにグリーンに精通し、ボールを迂回させてホールインする。

雨だとなぜ人は不運を嘆くのだろう。雨の日のゴルフが好きだというのは私だけだろうか。風が強くない限り、私は雨天ゴルフが好きだ。というか雨自体が好き。しっとりするし、落ち着く。突き刺すような陽ざしの中にいるよりずっといい。濡れても後でお風呂に入ればいいじゃん!びしょびしょになったからこそ味わえる風呂のありがたさがある。

私が雨天中止を言い出したらその日のゴルフはキャンセルしようと先輩は思われていたらしいが、4人が揃いプレイ開始。予報通り、後半は晴天。雨で色鮮やかになった木々も陽ざしの中で気持ちよさそうに浴している。サンドの使い方をしっかり覚えたので、前回の大学OB会コンペより10ポイント上回る成績で終えられた。目標は100台だが、もうすぐかな(ほんまかいな?)私からすると天気に恵まれたゴルフだった。

風呂場の脱衣場で雑談をした女性が「あなた、幸せそう」と言う。つまり離婚しても(初対面の人とこの話題、がは)「幸せそう」だからいいじゃない、と言っている。あ~、そうなんだぁ、私、幸せに見えるんだぁ。。。。。ま、確かに幸せかも。どう生きるか分かった事とそれを実践している事。そして歌を書くという創作作業を頂いてから、確かに幸せだ。夢があるし、それを追いかけている。以前にも別な夢を追いかけていた事があったが、その時は自分の生き方を確認したこともなかったし、人とのコミュニケーションに自信がなかった。だが、今は違う。

そして今朝。靴磨きするなどこれまでの私の人生で何回あっただろう。2回?3回?雨天ゴルフで使った靴が乾き、他の靴も取り出しじっくり手入れをした。またいつかの為に防水スプレーもかけ、「よろしくね」とニコニコと呟きながら。




「?」なら 4/23

以前に書いた「おばあさんの絵」がNHK「みんなのうた」で鳴るだろうとタレント事務所の人も含め周りの誰もが思っていたが、音信不通。やはりね、自分で書いていて「?」と思ったら、粘り強く当たらなければならない。3コーラス目の詞の行き先ベクトルがずれているのではないかと思いながら、詞自体が好きだったので、放置した。だが、それでは1,2コーラスと3コーラスの間に統一性がなくなる。それで、昨年10月に書いたこの楽曲にまだ修正をかけている。メロディーが良いという評価が多いので、この楽曲を完成させたい。で問題の3番目に大きく手を入れている。創作という作業の、なんと面白い事!

3月27日のブログで書いた昨年来の新曲のタイトルを変えた。タイトルにもコショウを振りかけようと、「かつて子供たちは母だった」にした。これは大きな歌。聴く人たちが一人残さず衝撃を受けるみたい。きっと新しい気付きとなるだろう。20才のデパートの売り子さんは、「母親への見方が変わります!」と言っていた。ピアノインストラクターは、「これ、あなたが思いついたの?!」と完敗したと言わんばかりのリアクション。世代格差が取り沙汰される昨今、親から見た子供たち、子供から見た親達、それぞれに何かが芽生えてくれれば。。。

ただ今最終作業中。




すぐそこだ! 4/29

4月15日―22日、テニスATPモンテカルロで、圭が素晴らしい復活を見せた。NHKBSも毎試合を放映した。

準々決勝と準決勝で当たった世界ランク上位5位内にいる選手との試合はやはり違う。まず、球速が凄まじく速い。準々決勝のチリッチには過去において数回勝てたという記憶が圭を押し上げたのだろう。勝てると言う自信が表情にも動きにも漲っていた。準決勝のズべレフとの試合は過去一回だけ。その時は、闘志に欠け作戦とテクニックに劣っていた圭があっさりと勝利を許した。トホホだった。

だが、今回は譲らないでくれた。圭が休んでいる間に飛翔して来た韓国のチョンヒョンがトップ5内にいる選手たちを続けざまに打ち負かす姿を目の当たりにし、自分も行けると思ってくれたのだろうか。右に左にとボールを交互に打ち続け相手を翻弄させる。同じ方向に”永遠”に打ち続け、観ている者をハラハライライラさせる圭のこれまでのテニスと違う、闘争心が漲ったテニスだった。

世界ランク5位内の選手との連日3セットのフルマッチ。初戦から126ゲームを制して、クレーコートの帝王と言われているスペインのナダルとの決勝戦。対しナダルは決勝戦まですべて2セットでストレート勝ちし、戦ったゲーム数は圭の半分だという。疲れもあっただろうが、圭は粘ることを断念し、勝利の栄冠を手にする事は出来なかった。

「悔しい負けでした」と動画で言っている。悔しいのは自分のくじけたメンタルに対してだろう。疲れよりも「勝てないだろう」との思い。「ナダルはどんなボールも返して来る」「ブレイクしても絶対ナダルはブレイクバックしてくると思った」こんな考え自体が自分を弱めている事に、気付いて欲しい。相手がどう考えているか、相手がどう出て来るかなんてどうでもいいんだよ!どんなボールでも打ち返してあげようという自分に集中するんだよ!大坂なおみがコーチを変えポジティブ思考になった時、優勝し出した。コートに立って不安がなくなったという。自分がどうするかは、自分でコントロールできる。相手に対するFear(恐怖)が自分を弱体化させる。

圭は、ナダルもフェドラーも打ち負かせるテニスができる。自分だけに集中すれば、勝利はすぐそこにある。すぐそこだ!

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