選手たちそれぞれの個人ストーリを知ると、誰をも応援したくなる。中国系米国人選手のネイサン・チェン。羽生選手の最強のライバルとされていた彼は、家が貧しく自分のスケート靴も買えずにお姉さんのお下がりを履いていたらしい。お母さんはレストランで働きながらネイサンのスケートにかかる費用を工面した。事情を知った元米国フィギュアスケートオリンピック選手は自分が設立した学校に学費免除で彼を入れ育てた。このオリンピックでメダルを取る事で、ネイサンは家族や恩人に恩返しをしたいと思っていたが。。。。ショートプログラムで羽生選手の次、それが彼の順番。異次元の演技をした羽生への喝采と興奮の余韻が濃く厚く残るリンク。ネイサンは3度も転ぶという想いもしなかった結果を生んでしまった。だが、その時17位だった彼は決勝のフリーの後では5位までに上り詰めた。どれ程の実力の持ち主であることか。同じレベルでありながら、頂点の金を取るものとメダル圏内にも入れなかったもの。鍵は一つ!自分だけに集中せよ、自分を見失うな!
ひとつのドラマが終わった。また、4年を待つ。
アホなのか 天才なのか 2/23
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全米で話題になっているFire and Fury(炎と怒り)をもうすぐ読み終わる。以下がその骨子。
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2016年の米国大統領選に立候補したドナルド・トランプ。“一応”設けた彼の選挙対策本部も彼の周囲も、さらに本人自身もまさか勝つとは思っていなかった。誰もが暗黙に了解していた事は、「ドナルド・トランプは大統領にならないだろうし、ならない方がきっと良い」。そして敗北宣言を準備していた。その宣言書の中にあった言葉がFire
and Fury(著者はその言葉をこの本の題名に使った)。だが、その敗北宣言書の草稿は盗まれた。
彼が大統領選に立候補した理由は”有名”になりたかった。ただ、それだけ。それを友人の元Fox Newsの会長兼CEOに話すと、「大統領選に立候補すれば有名になれる」と言われ、真に受けた。時に破廉恥としか言いようのない、低資質で、頭脳も無く、羞恥心も無く、知識も無い人間、ごく普通の人間がなぜ米国の大統領になれたのか。
著者のマイケル・ウォルフはホワイトハウスに自分のデスクがあてがわれ、そこで数か月間情報を集めた。なぜそれができたのか。まさか大統領に選ばれるとは思わなかった選挙対策本部も本人も役割担当者を決めていなかった。どうにか決まっても、その担当者たちの殆どが政治の素人。何をして良いのか分からず、著者がその辺に座っていても「どきなさい」と言う人がいなかった。
ドランプ氏は文字を読まない、よって本を読むことはない。いわゆる失読症。新聞は見出しだけを読み、寝室に入れた3台のテレビが情報源。夜には一人寝室で知人たちに電話をかけまくり、ホワイトハウスで働く者たち、自分の側近達の悪口を手当たり次第にぶちまける。ホワイトハウス内の情報がなぜリークされているのかと本人が騒ぐが、大元は大統領自身だった。彼のフィルターを掛けない生々しい言葉が強い反発を生むが、自分が何を言ったのか自覚がない。2回に一回は、What
did I say?と側近に訊ねる。そして呆気にとられる妄想癖。オバマ大統領がホワイトハウスに盗聴器をつけていると騒ぐ。
だが、彼の本能的、直感的挙動は測り知れない才能であり、これまでの政治やこれまでの大統領の真逆。官僚政治を嫌い、アメリカ人の心の底の痛みと怨恨を癒す美味しいものを与えれば、一人の男が制度より大きくなると信じている。すぐれた営業才能の持ち主だと著者は言う。
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Fire and Fury。彼の言動は多くの人をFire and Furyの中に押しやったと思う。メディア王のマードック氏を始め彼を知る多くの人たちがIdiot、Stupid、Moronなど「アホ」「バカ」「低能」と言う言葉で彼を形容する。私も同じ思いでこの本を読み始めたが、読む進めるうちに、もしかしたら「彼は天才なんじゃないか」と思うようになった。かつて、「天才たちは学校が嫌いだった」という本を読んだことがある。アインシュタイン、チャーチル、モーツアルトなど多くの例を紹介しているが、彼らは本を読めない失読症を抱え、常に変人扱いをされていた。天才は周りを気にしないから、社会性が無く、自分自身に対してどこまでも肯定的で楽観的だ。事がうまく進まぬ時は、原因は周りにあり、決して自分にはない。私の傍に天才がいるので、その特質はよく分かる。
ドナルド・トランプ、非常に楽観的な見方をすれば、彼はこれまでとは全く違った方法で、これまでのどの例にも習わず、型破りの方法で、事を成しとげるのではないだろうか。自分の本能と直感を頼りに。怒りから読み始めたFire
and Furyだったが、私を真逆の期待に誘った。メラニア夫人が言ったという:「彼が言う事は必ずそうなるの。」
だが、ロシア疑惑がどう動くのだろう。彼の息子たちが起こしたと言うヒラリーの足を引っ張るためのロシア当局との共謀。大統領は関与していないが、その共謀は報告されていたらしい。
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良くなるしかない 2/26
Fire and Furyを読み終わり図書館に返しに行った。東京在住者は、それぞれの区立図書館を通して他区から借用できる。
それにしても「ばか」を表現する言葉が英語にはなんと多い事か。私も辞書を引き引き意味を探したが、時々胸苦しくなった。何度か途中で放棄しようかと思ったが、何においても途中放棄は気分が悪い。言葉はその国の文化を表すというが。。。。また、米国ほど新しい言葉がどんどん生まれるところも無いのかも知れない。辞書にも載っていない言葉が幾つもあった。
上に書き記したこと以外にも驚くことがこの本にはたくさん書かれてあるが、スキップ!
西行法師の言葉だったか、国を率いる人は人間力だけではない、眼に見えない力が働いて選ばれるという。どんな混乱に見える事件も見方を変えれば、良くなっていく事への兆候とも取れる。良くなっていくしかないのが、人間。ならばこの世の中も良くなっていくようになっている。Let's keep our fingers crossed。幸運を祈りながら。
恋人募集 3/2
自己紹介:スポーツ万能、活動的、社交的、裕福、教養豊か、寛大、刺激的・・・・・(その他いろいろ)
相手に求めるもの:”感謝の気持ち”(この一言)
米国に留学していた頃、新聞広告に「恋人募集」があって驚いたことがあったが、上のような広告もあったようだ。
「感謝の気持ち」、ほんま、これが無くなるとどんな関係も下降していきますね。人vs人だけでない、人vs仕事、心vs身体、に関しても言えてるように思う。
だてに歳を取っていないと最近思う。そのひとつに、こんな気づきがあった。人間、生きていて何が一番怖いかって、自分の想いがネガティブになる事以上に怖いものはないんだなぁ、と。ネガティブになるのは自分以外の誰のせいでもない、そのようなネガティブな発想癖のある自分のせいなんですね。
今、名もない人が書いた本を読んでいるが、知識や財を積み重ねる以上に大事なのは、「どんな心で生きたか」である。「生きる」訳ですから思った事を実践しなければ生きたことにならない。彼女は続ける、「お祈りを無意味とは言わないが、大事なことは毎日お祈りする事ではなく、お祈りの言葉通りに毎日生きる事」。
昭和と平成の違いは、物的豊かさの探求と心的豊かさの探求にあるのかも知れない。フィギュアスケートの羽生君の言葉を聞いていると本当にびっくり。私がこの歳で分かった事を21歳の彼が言う。現代のJpopで歌われる歌も、心の在り方を歌う歌がなんと多い事だろう。昭和の歌にそんなものはなかったような気がする。作詞家のなかにし礼の自伝「夜の歌」の中で彼は言う。「私の歌は昭和の歌だった」。
感謝の言葉が多い、JPOP。「昭和のど真ん中に青春時代を過ごした人と今の若者達では、人種が違う」と私はあちらこちらで言っている。自分の両親に感謝の言葉一つかけられなかった昭和の人間は多いのではないだろうか。昭和はダイナマックな時代だった。男たちは”男”だった(笑)。毎日生活に追われていた昭和の親たち。物的に安定してくると、人は心の研磨に向かうのかも知れない。
今年に入ってから、このブログよりもFacebookに投稿することが多くなり、そちらに投稿したものの一部をこちらに移している。これまでの逆になってしまった。
魔法の言葉 3/7
ある日本人の青年が彼の人生が彼から見てどん底にあると思われた時、イスラエルを旅したそうな。人間関係にぶつかり、友人もいない。どん底にあって、芯から生き方を模索している人には、神の手が差し出されるもので(これ、ほんと)、旅先で彼は一人のおばあさんと”偶然”出会った。そのお婆さんは彼を家に招きお茶をしながら、彼の身上話を聞いた。そして言った。
「人生で大変な時、『ありがとうございます』と唱えなさい。なんどもなんども。これは魔法の言葉なの。良いことが起こりますよ。」
姑さんとうまく行かず、顔に出来た湿疹やアトピーの原因はそのせいだと言う友人がいた。間もなく姑さんが亡くなり、今後は彼女の口から姑さんの話を聞かずに済むだろう、彼女の顔もすっきりしてくるだろうと思っていたら、久しぶりに会った彼女の顔には依然として目立つ湿疹。表情も険しい。訊ねると、今度は彼女の娘が原因だと言う。
自分のネガティブな感情を引き起こすものが、自分自身だという事に気付かない人は多いようだ(私も10年前に気づき始めた)。ネガティブに物事を捉えると、大体混沌の中に腰を据えるからそれを”解決”するまで忙しい。それが一旦解決すると、新たな不満の種を見つけ再びバタバタする。自分に夢中になるものが無いから、心配や不満を生む対象を見つけ、自分に退屈しないようにしているのかも知れない。それを友人に話すと「あなたには子供がいないから、分からないのよ」「私は長女だったから」などなど色々と自分を正当化し言い訳をする。「長女は皆そうなの?」と訊き返しながら彼女を諭す努力を止めないでいると、最後は、「そうね~」と納得したような笑顔になった。
「ありがとうございます」は、満足した時など肯定的な思いがある時に発せられる。幸せ度は満足度と比例する。ネガティブな思いが頭や心に充満していると気づいた時、この「ありがとうございます」の言葉をほんの少し隙間の中に入れてあげると、さっと頭の中が掃除され、光が射す。それまでの感情が消えて行くから不思議だ。それを何度も何度も繰り返す。その満足そうな顔に、良いもの、良い人、良いことが引き寄せられてくる。元巨人軍の原辰徳監督が、やくざとのつながりや不倫がスキャンダルになっていた時、監督の心の状態がマウンド上に顕れ、巨人は最下位発進だった事があった。そんな時上の青年の話を人づてに聞き、実践したとご本人が言う。で、その年巨人は優勝した。
おばあさんからこの言葉を頂いた青年はどうなったかと言うと、今では様々なところに講演して回り、多くの人に囲まれている。私も彼の話をじかに聞いた一人。人はやはり人とつながっていたい。そのためには相手も”私”とつながりたいと思わない事には実現しない。感謝の気持ち、これが互いを繋がらせてくれる。
やはり天才か 3/10
米国トランプ大統領が北朝鮮の提案を受け入れ米朝首脳会談に応じるという報道。やはり天才なのか。
「彼はこれまでとは全く違った方法で、これまでのどの例にも習わず、型破りの方法で事を成しとげるのではないだろうか。自分の本能と直感を頼りに。」
2月23日のブログで上のように書いた(私も天才かな?あははは)。あまりに世間の常識や知恵からかけ離れた言動にStupid、 Idiot、 Moronと言われる天才たち。彼らは失読症で本を読まないと言われているが、本を読む必要が無いのだと思う。本を読むという事は、
●他人の知恵を借りたり、
●他人について知りたがり、
●また他人によって楽しませてもらう行為とも言える。
彼等には本が与えるそのようなメリットは必要ない。彼等の知恵のほぼ100%は神からの啓示だ。その啓示は直感や本能となって彼らを動かす。その直感や本能により、他の者たちが多大なエネルギーと時間を使って成しとげる事を、天才たちは思考回路に長い間留まらずに超速で容易に”正解”地点に到達し得る。神から啓示をもらう者は聖者や人徳者に限らない。本を読むのは”秀才”や凡才であって天才には必要ないのかも知れない。また彼らは他の人が何をしているかなんてどうでもよい。アイデア溢れる自分に戯れる。
Fire and Furyの中で、ドナルド・トランプ氏の生き方の軸は、be liked、人から好かれる事だと書かれてある。また、ビジネスマンである故に損得勘定がはっきりしていて、何の利益もない所にエネルギーを使わないともある。プライドとか名誉は行動の発動因子ではないようだ。これに北朝鮮問題の扱い方がそっくりハマる。北朝鮮に侵攻して米国が得るものがあるのだろうか。むしろロシアと中国に隣り合わせになり緊張感が一層高まる。更に、次から次へと辞めて行くトランプ政権の閣僚の中で辞めずにいるマチス国防長官は、戦争の悲惨さが身体に焼き付いているほど戦争体験をした戦争反対論者だと大学の先輩ジャーナリストから聞いた。大統領補佐官だったバノン氏は「彼(ドナルド・トランプ)は心の温かい人」だと評する。そんな視点から見ると、トランプ大統領が戦争を選ぶとは考えられない。
平昌オリンピックの閉会式に娘のイヴァンカを送るトランプ大統領の姿に、彼は問題の打開に向けて動き出したと針の孔より小さい場所にいる私の勘が働いた。水面下で色々な人たちが動いただろう。
天才は本を読まない。人に学ばず、ただインスピレーションをもらう。もしかしたら神は敢えて天才たちをそのように御創りになられたのかも知れない。
徹底的エゴイスト 3/15
だが、天才因子が絶対多数の人たちに必ずしも良いように働くわけではないだろう。天才の多くは強烈なエゴイストである点を考えれば、間違えれば大きな災難をもたらす事になる。トランプ氏は売り方の天才。徹底的に自己肯定の天才的営業マン。
ティラソン国務長官の解任。これもFire and Furyの中で予測され、この政権は長くて4年、だがその前に弾劾裁判があるだろうと示唆されている。
「私は人が去ったり来たりと、混乱が好きなんだよ。次は誰が去るのかな。メラニアかな~。」こう話すトランプ氏。メキシコとの境界に造る壁の素材を確認している映像も含め、私の心をざわつかせる。
匙を投げつつある 3/15
錦織圭がインディアンウェルズで開催中のBNPマスターズに欠場した。彼の試合日前日に発表。今回の理由は風邪だという。実況解説者は「練習を観ていたら最初はちょっと咳き込んでいましたが、だんだんと調子を上げていましたから、大丈夫だと思ったのですが」と残念そうだ。多くの日本人ファンが残念に思っただろう。負けるかもしれないという恐怖心が怖気さすのかも知れない。Fear、怖気、これが否定的感情の中でも一番怖い。前に進めない。。。。。自分のテニス人生に後悔が無いよう祈りたい。
ほんの2年前までトップの座を占めていた選手たちがどんどん後退して行く。男子の場合、100位の選手でもトップ10と互角に戦える人がわんさかいる。こんな事を考えると、スイスのロジャーフェドラーは本当にすごいなぁと思う。コートで自分がどう動くかきちんとイメージできているのだろう。フィギュアスケートの羽生結弦君が足首の靭帯を切りスケートができなくとも、毎日自分の演技をビデオで見て動きをイメージしていたという。おそらく、フェドラーもこれをしているのだと思う。私も大きなコンサートがある場合は、全ての動きを何度か頭の中で追う。フェドラーの次の試合相手は、全豪オープンで肉まで見えるほどの靴擦れをして途中棄権をした韓国のチョンヒョンだ。これは楽しみ。チョンヒョンはずっと伸びて行くような気がする。ラリーがとにかく正確。性格も穏やかなのだろう、それは彼の試合中の表情にもよく出ていて淡々とプレイする。世界ランク上位の選手に勝った時はにやりと笑いながら。
圭にはそろそろ匙を投げるファンも出てくるんじゃないかなぁ。欠場や棄権もそうだが、闘志が消え行っているようだ。楽しませてくれない、喜ばせてくれないならファンが離れて行っても仕方がない。応援も結構疲れるもので、欠場や棄権、戦わないなどと何度も期待が削がれる事をやってくれれば、疲労が増す。
もう一つの三つ揃え 3/18
良い歌詞、良いメロディー、その楽曲を歌うに相応しい歌手。この3つが揃って楽曲はヒットへと結びつくと、2月12日のブログで書いたが、この話の元はレコード会社のディレクターから出たもの。
昨日NHKBSで「奇跡のレッスン」を観ていた。この番組では学校でのスポーツや音楽の部活動に外国から講師を招いて1週間のレッスンをしてもらい、最終日を試合や発表会で締めくくる。昨日放映していたのは、米国から指揮者を呼んでレッスンを受ける埼玉の高校の吹奏楽部。僅か1週間で子供たちの腕がみるみる上がる。教え方が違うとこんなにも演奏が変わるのか、生徒たちも新しい発見に嬉々としている。
それまでは何年も繰り返し従来のやり方で指導されて来たわけで、教え方ややり方に疑問も持たず枠内に留まる日本の私たち。従順で疑問視しない。それゆえか、腕を磨きたい人達は今でも海外へ旅立つようだ。
その吹奏楽のレッスンで米国人講師が核心となる事を言っていた。成功するために必要なものは、
「才能と努力、そして人にやさしい事」。
は~、ほんとうだ。
そんな感じ 3/22
水鳥、水際の岩で空飛ぶ時を待つ
もう岩まで歩いて行けるほどまでに育った。今は飛ぶ時を待っている。願い事叶う。(易経から)
モーリス・ベジャール、世界屈指のフランスの舞踊振付師の自伝を読んでいたら、人生の選択で悩んでいた時中国の易(八掛)に頼ったそうな。出てきた答えに茫然自失したとか。それで私もやってみた。。。。びっくりした!なんだか非常に説得力があるので。
励まされて 3/26
最近心がざわついていた。怒りの感情を爆発させた場合、それが消えるまで合計3回続くと聞いた事があり、かつてその言葉の的確さを認識したことがある。で、よりベターな自分、日常をつくろうと、これまでなら怒りになるだろう事柄に、早々と引き上げざわつく程度で抑えることができた。だが、ざわつく心も起きると直ぐには消えず、他の事にもその心を引きずるようだ。
少々とげとげしい日々が続いた後、現在マイアミで行われている錦織圭の3回戦を観た。彼はシード選手なので2回戦からの参戦だが、2回戦では下位の選手との試合にやっと勝ち、今朝3回戦でアルゼンチンのデルポトロと対戦。下位の選手との試合では最初の2セットはよろよろとしていたが、後半から落ち着きを出してきた。そして今朝の試合結果は2-6、2-6の完敗。録画したものを見る気も失せたが、圭がどんなプレイをしていたのかちょっと覗いた。すると、いや、大丈夫。久々のトップ10内の選手との試合で力み過ぎてミスがあったが、かなり落ち着いて来ている。試合内容も良い時の圭だ。欠場せずにどんどん戦っていけばかつての力を取り戻せる。怪我をして戻ってきた選手が直ぐに立ち直ることはないようで、元世界一位のジョコビッチも、ロジャーフェドラーを負かした事のあるゴファンも2回戦で敗退している。今回はロジャーフェドラーさえ、彼の初戦で敗退してしまった。
圭よ、君自身が知っていると思うが、君は大丈夫だ。
圭の一生懸命さを観て私も元気を得た。みな、アップダウンのある人生をそれぞれが歩いている。皆、踏ん張るしかない。
「かつてあなたは」 3/27
久々に曲を書いた。タイトルは「かつてあなたは」。これはかなり深い歌。概して私の作る歌は言葉の意味するところが深いらしい。内容ですか?かなり多くの人がサプライズする歌詞になったので、公になるまで置いておきましょう。これまでとはまた趣の異なるメロディーになり、本人は満足してますぞ。
新しい個人プロジェクトが走り始めたので、その結果が見えるまで創作を中断しようと思ったが、なかにし礼の言葉に背中を押されたかな。丁度読みたい本が私の手元に届くまでまだ数週間かかる事もあり、ゴルフの練習に行く予定を変更して曲作りに専念。82曲目なり。書こうと思えば、題材が色々あり書けるのだが、現在優先順位の高いものが別にあるため、それが実現するまで黙々と日々を過ごしている。誰かに話してしまいそうだが、話せばエネルギーが薄まってしまいそうだから控えている。また、心から応援してくれる人以外には公言してはいけないと、ディーパック・チョプラー博士が書いている(あは)。
URL変更 3/30
昨年10月、プロバイダーの変更に伴いURLも新しくなりましたが、旧URLからの自動転送が今月いっぱいで終わると報告されました。4月1日からは新URLでのみアクセスできます。
新しいURLです➡ http://shizuko77.starfree.jp/
またお会いできますように!
なんでこうなるのだろう 4/3
今日は大学OB達とのゴルフコンペがあった。1番ホールではツーオンという”快挙”を成し遂げ、「お~このまま進んでいけば、優勝か!」と思ったものだが、余りの上出来に気を張りすぎて力んだか、2番ホールのドライバーはちょろちょろと流れ、その後のウッドもちょろり。ひどい展開が続いて止まらない。「優勝候補!」と手を上げていたが、5番ホールから候補脱落。
しかしまぁ、ゴルフと言うのは本当に、なんというか、ため息が出る。今日のコースは起伏が激しく、グリーンも波型になっている。年に一度OB会で利用する倶楽部だが、河川敷の平坦なところで3ホール続けてパーを取るなどと進化があった直後のこの結果、ぽっか~ん(^?^)y-.。o○。。。。クラブを初心者用から買い換えて間もないので、ここで匙を投げる訳にもいかないし。。。
自画自賛 4/9
私は自分が好き。と言うか、好きな自分になれた。利己的に考える事を避け、大げさに言えば宇宙視点で考える。嘘がない。色々こねくり回さないから、スッキリしている。何よりも、放っておける。これができることになった事で、心がきれいになったように思う。だが、以前からこうだった訳ではない。宇宙の仕組みや、それと人間がどのように関わっているかを知り、宇宙の意思に私個人の意思を合わせるよう努力してきたら、なりたい自分になって来たみたい。
最近気づいた事だが私はあまり脳を使わないようだ。思考と言うのが面倒。もう一度読み直している(もう何回目になるのかなぁ)チョプラー博士の本の中に、直感や霊感に脳の働きはないとある。ものすごく頷けた。私の思いやアイデアが、ほとんどの場合、思考回路を通っているとは思えないのである。降って来たから実行する。頭で考える場合もあるが、細かい事を考えるのはかなり苦手のようだ。脳が拒絶して細かい事が思考回路に入って行かない。また、発想がエゴによる場合、後で羞恥心を抱き自分の心が撓(しな)るので、端からエゴで動かない事にしている。これも直ぐにできた訳ではないが、常に自分の内面の動きを見つめる事で、ここまで来れたと思う。心がきれいでなければ、創作はできない。この事も自分自身を通して分かった。
久しぶりにコンタクトを取ると、外見は変わっているのかも知れないが内面に全く変化のない人が圧倒的に多い。自分を変えるという事はこんなに難しいものかと改めて思わせられると同時に、私にその機会が与えられた事に心底感謝している。様々な事件が私を押し上げ、何年もの間かなりの量の本を読み内省実行してここまで来た。すっきりした生き方をするようになったが、孤独にもなった。語り合える人が限られる。メンタルが上位にいる者は孤独なのだそうだ。上位の者は下位を通って上位に行くから下位が見えるが、下位の者はいたことの無い上位は見えない。だがメンタルの向上ほど自分を豊かにさせるものはない。また、孤独でもそれほど寂しくない。同類の遠い友人たちを本を通して見つけ目に見えないところで彼らと対話している。孤独は背負わなければならない運命なのだろう。
宇宙の意思に自分の意思を合わせる。努力するのはそれだけ。そんな努力を惜しまずここまでやって来た私を私は心の中で称賛している(がはは・・・)こういう事ができるのも、もしかしたら選ばれた人たちだけなのかもしれないが、そのような人たちに、神が託された仕事がある。
この話、なんだか、昔した事があるような。。。。
スポーツ眼鏡 4/14
乱視の為ゴルフで打ったボールが見えない。いつも周りの人やキャディーに「私のボール、どこ?」と訊いて回っている。煩わしいだろうと思う。コンタクトをつけようかと店頭に行ったことがあるが、裸眼と効果がほとんど変わらない。店の人の話では、コンタクトよりメガネの方が良いでしょうと言われたが、下を向いたりしている時にズレ落ちてくることが気がかり。
ATPテニスオープンで躍進している韓国のチョンヒョンが白フレームの眼鏡を常にかけている。極度の乱視らしい。ズレ落ちないスポーツ用メガネがあるようだとネットで色々検索し店にも足を延ばしたら、ある、ある。白フレームで手頃の値段のものを見つけたが、デザインが今一。購入直前にストップをかけ、どうも良さそうなOakley製を日本橋高島屋まで別用のついでに見に行った。あらまぁ、デザインがずっといい。長い間使う物なら高くても気に入ったものを買う。長年の失敗を重ねて得たこの結論にちょっとばかり躊躇ってこちらを買う事にした。だが、なんと、度入りレンズの場合は米国まで検眼データを送り商品が送られてくるまでおよそ3週間待つという。どうにか4月3日大学OBコンぺの4日前に届き、早速それを付けて参加。
このメガネは特にゴルフ用メガネだとお墨付きで買ったが、全くズレ落ちないし、ほんと、グリーンが鮮やか!(見えてもスコアが良くなったわけではない。ぎぎぎぎ。。。)。そして昨日河川敷でのコンペに参加すると、なんとまあ、私が他の人たちのボールの位置を教えてあげている!うひょっしょ~。ここではOakley眼鏡の効果がスコアに反映された(がははは。。。)。
改めてこのメガネを調べると、医療系にも使えるとあった。おかげで、一日ラウンドをしても花粉症からくる目のかゆみがなかった(笑)。
下の画像はネットから引っ張ってきたもので、購入したものはレンズに色が少し入っている。形はこれと全く同じ。
雨の中で 4/20
一昨日の雨の日、大学の先輩にねだってゴルフに誘って頂いた。年に一回OB会で訪れるゴルフ場。先輩はかつてそこの支配人をされていたので、ご自分の庭のようにグリーンに精通し、ボールを迂回させてホールインする。
雨だとなぜ人は不運を嘆くのだろう。雨の日のゴルフが好きだというのは私だけだろうか。風が強くない限り、私は雨天ゴルフが好きだ。というか雨自体が好き。しっとりするし、落ち着く。突き刺すような陽ざしの中にいるよりずっといい。濡れても後でお風呂に入ればいいじゃん!びしょびしょになったからこそ味わえる風呂のありがたさがある。
私が雨天中止を言い出したらその日のゴルフはキャンセルしようと先輩は思われていたらしいが、4人が揃いプレイ開始。予報通り、後半は晴天。雨で色鮮やかになった木々も陽ざしの中で気持ちよさそうに浴している。サンドの使い方をしっかり覚えたので、前回の大学OB会コンペより10ポイント上回る成績で終えられた。目標は100台だが、もうすぐかな(ほんまかいな?)私からすると天気に恵まれたゴルフだった。
風呂場の脱衣場で雑談をした女性が「あなた、幸せそう」と言う。つまり離婚しても(初対面の人とこの話題、がは)「幸せそう」だからいいじゃない、と言っている。あ~、そうなんだぁ、私、幸せに見えるんだぁ。。。。。ま、確かに幸せかも。どう生きるか分かった事とそれを実践している事。そして歌を書くという創作作業を頂いてから、確かに幸せだ。夢があるし、それを追いかけている。以前にも別な夢を追いかけていた事があったが、その時は自分の生き方を確認したこともなかったし、人とのコミュニケーションに自信がなかった。だが、今は違う。
そして今朝。靴磨きするなどこれまでの私の人生で何回あっただろう。2回?3回?雨天ゴルフで使った靴が乾き、他の靴も取り出しじっくり手入れをした。またいつかの為に防水スプレーもかけ、「よろしくね」とニコニコと呟きながら。
「?」なら 4/23
以前に書いた「おばあさんの絵」がNHK「みんなのうた」で鳴るだろうとタレント事務所の人も含め周りの誰もが思っていたが、音信不通。やはりね、自分で書いていて「?」と思ったら、粘り強く当たらなければならない。3コーラス目の詞の行き先ベクトルがずれているのではないかと思いながら、詞自体が好きだったので、放置した。だが、それでは1,2コーラスと3コーラスの間に統一性がなくなる。それで、昨年10月に書いたこの楽曲にまだ修正をかけている。メロディーが良いという評価が多いので、この楽曲を完成させたい。で問題の3番目に大きく手を入れている。創作という作業の、なんと面白い事!
3月27日のブログで書いた昨年来の新曲のタイトルを変えた。タイトルにもコショウを振りかけようと、「かつて子供たちは母だった」にした。これは大きな歌。聴く人たちが一人残さず衝撃を受けるみたい。きっと新しい気付きとなるだろう。20才のデパートの売り子さんは、「母親への見方が変わります!」と言っていた。ピアノインストラクターは、「これ、あなたが思いついたの?!」と完敗したと言わんばかりのリアクション。世代格差が取り沙汰される昨今、親から見た子供たち、子供から見た親達、それぞれに何かが芽生えてくれれば。。。
ただ今最終作業中。
すぐそこだ! 4/29
4月15日―22日、テニスATPモンテカルロで、圭が素晴らしい復活を見せた。NHKBSも毎試合を放映した。
準々決勝と準決勝で当たった世界ランク上位5位内にいる選手との試合はやはり違う。まず、球速が凄まじく速い。準々決勝のチリッチには過去において数回勝てたという記憶が圭を押し上げたのだろう。勝てると言う自信が表情にも動きにも漲っていた。準決勝のズべレフとの試合は過去一回だけ。その時は、闘志に欠け作戦とテクニックに劣っていた圭があっさりと勝利を許した。トホホだった。
だが、今回は譲らないでくれた。圭が休んでいる間に飛翔して来た韓国のチョンヒョンがトップ5内にいる選手たちを続けざまに打ち負かす姿を目の当たりにし、自分も行けると思ってくれたのだろうか。右に左にとボールを交互に打ち続け相手を翻弄させる。同じ方向に”永遠”に打ち続け、観ている者をハラハライライラさせる圭のこれまでのテニスと違う、闘争心が漲ったテニスだった。
世界ランク5位内の選手との連日3セットのフルマッチ。初戦から126ゲームを制して、クレーコートの帝王と言われているスペインのナダルとの決勝戦。対しナダルは決勝戦まですべて2セットでストレート勝ちし、戦ったゲーム数は圭の半分だという。疲れもあっただろうが、圭は粘ることを断念し、勝利の栄冠を手にする事は出来なかった。
「悔しい負けでした」と動画で言っている。悔しいのは自分のくじけたメンタルに対してだろう。疲れよりも「勝てないだろう」との思い。「ナダルはどんなボールも返して来る」「ブレイクしても絶対ナダルはブレイクバックしてくると思った」こんな考え自体が自分を弱めている事に、気付いて欲しい。相手がどう考えているか、相手がどう出て来るかなんてどうでもいいんだよ!どんなボールでも打ち返してあげようという自分に集中するんだよ!大坂なおみがコーチを変えポジティブ思考になった時、優勝し出した。コートに立って不安がなくなったという。自分がどうするかは、自分でコントロールできる。相手に対するFear(恐怖)が自分を弱体化させる。
圭は、ナダルもフェドラーも打ち負かせるテニスができる。自分だけに集中すれば、勝利はすぐそこにある。すぐそこだ!