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2018年5月~9月ブログ

12月

良いお年を! 12/31   答えは必ずある 12/23    Warm, Decent and Honest 12/9   スズメバチ入り焼酎 12/



11月

進化?変化? 11/26     意外や意外 11/10


10月

神智を信じて 10/30   真の芸術家 10/15   来年に! 10/7 


来年に!10/7

自分を超えるのはなかなか難しいのだと、改めて思わせられた。会場から飛び出してきた「しっかりしろ!」という叱咤も本人の闘志を奮い立たせることはできなかった。

今日は楽天ジャパン・オープンでの決勝戦。入場時から錦織圭の表情は緊張で固まっていた。試合が始まっても、準々決勝や準決勝の時の遊びのあるプレイとは全く違う。解説の松岡修造が言うように、20キロ30キロの重りを背負っているような動き。サービスに向かう背中も前のめり。長く彼を見ている者としては、それだけでも、ああ、ダメだ、と分かる。だが、「念は届く」の一心で、テレビ画面の前で、私も届けとばかり声を張り上げる。

心も体も軽い時の圭なら十分に太刀打ちできた相手だった。目の前に勝利が待っている時に陥る穴、彼の癖が出たと言っても良い。勝てる試合で突然ダメになる。「圭、いつまでこれを続けるの?いつまで悔しい思いで会場を後にするの?一体どうしたら、君を助けることができるのだろう。」私の心は、いらいらもやもや(-。-)y-゜゜゜

実は10月5日の準々決勝のデイ・セッションを会場である武蔵野総合スポーツセンターまで行って観て来た。昨年の有明テニスの森での大会には抽選でアリーナサイドに席を確保した後、圭の欠場が発表された。残念だったが、常にメディアを通して顔なじみの選手たちを直に観ようと行ったが、あまり面白くなかった。トップ10に入る選手の試合でも、相手もそれに負けないほどの技を持っていないと、面白くない。ネットに出て様々なサプライズを打つことが無く、ラリー合戦で終わる。

それで、今回の試合への関心が萎えてしまい、行く気になった時には空席は4階席のみ。ナイトセッションの空席は同じ4階でも見えにくい場所らしい。2つのセッションの間の待ち時間も鬱陶しいと、デイセッションのチケットだけを買った。しかし、なんと、この会場では4階からでも試合がよく見える。圭はナイトセッションに出場すると前夜に発表。あ~あ~。(@_@)

で、圭の話に戻ると、そうそう毎回決勝やら準決勝まで行けるわけじゃないわ。行ってくれてただけでも感謝です。ファンをこんなに興奮させてくれるのだもの。圭は今世界ランク12位、6位のチリッチは1回戦で敗退。ファンはたやすく「負けた」などと言うが、準決勝や決勝まで行くって、大変なことなのよ。ファンは欲が深い(笑)。

ありがとう、圭。楽天ジャパン・オープンが終わった今日、上海ロレックスマスターズが始まった。圭は3日目から出場。1日休んだらまた試合。大変なことだわ。

楽天ジャパン・オープンの優勝が来年に持ち越されたと思いたい。来年は、チケット販売開始から、買うで~( ^)o(^ )




真の芸術家 10/15

やっと秋?真夏用のタオルケットはまだ横に置いて、2,3日前から薄い掛布団をかけて眠るようになった。いよいよ夏も終わり。いつもの事だが、寂寥感が胸を撫でる。

夏が去りなずむ頃、表参道にある「岡本太郎記念館」を訪ねた。場所は忘れたが、かつても彼の作品の展覧会に足を運んだ事がある。その時の私の感じ方は表面的だった。ダイナミックでカラフルな流れる線の束。だが、今の私の眼に映るものは違う。

岡本太郎には、5感には個体に見える人間が実はエネルギーの束だという事が見えていたのだと思う。「エネルギーと情報の集まり」が真の人間の姿だと、量子物理学で言われている事を彼は直感で強く感じていたのだろう。

真の芸術家は、宇宙の源、人間の源を感じ取り、それを独自の表現手段で表せる人なのだと改めて思わせてくれた。

下の画像はクリックすると大きくなります。最初の画像のタイトルは「愛撫」。最後の画像は記念館の入り口。



 


神智を信じて 10/30

昨日までの5日間、秋田の玉川温泉に浸かっていた。どこが悪いと言う訳ではないが、風邪やインフルエンザをもらいやすい体質に気づき、この冬を安心して過ごすための予防対策。心が浄化されると、5感が敏感になったような気がしなくもない。以前からも嗅覚が鋭く臭いに敏感で、タバコ、香水、口臭などには素早く反応し、気分が悪くなることが多い。心が完全に宇宙と調和すると病気にもならないと聞くが、私は現在どの段階にいるのか、以前よりも増して風邪の菌に怯える。兆候があればすぐに葛根湯や風邪薬を飲んだりと対策に忙しい。その恐怖心が積極的に風邪菌を引き寄せているのかも知れない。最近読んだ浄土真宗のお坊さんが言っていた、「風邪を引いたら風邪薬も飲まずに、そのまま風邪を受け入れ、ゆっくり休みなさい。ありのままでいればいいのです。」だろうなぁと思うが、咳が出るのが怖くて、私はちょっと大騒ぎをしてしまう。

ま、メンタルを理想の状態にするにはかなりの時間がかかる。とりあえず玉川温泉で安心をもらってきた。

いやはや、玉川温泉と言えばガンを退治するとマスコミで取り上げられているが、なんでもござれなのである。難病の一つである膠原病の患者までここのお湯で回復に向かっていると聞かされた。最初は身体を動かす事さえ難しかったらしいが、それが2週間の湯治で歩けるようになったとか。58(?)才の時の事らしい。しかし痛みが引かなかったため、77才の現在も毎年2回東京からここまで通っていると言う。とうにあちらに逝っているはずだったが。。。とご本人。このご婦人の長男は医師。その息子が母親にした提言は、「大学病院はすぐに手術したがるから、行かない方が良い」。手術があれば授業の一つになるし、保険もかなり降りる。

「温泉で治る訳ないだろう!」まずはこの温泉を試すよう勧めても、まだそんな事を言っている輩もいる。そして、小さな人間智でカタツムリのような進歩を遂げる医療、それを司る人の倫理観も不安な医師を頼る。私はただため息。この大きな神の智慧に振り向こうとしない人たちが不思議というか、。。。。
玉川温泉界隈は医療特区に指定されたらしい。これから何をしていくか、まだ具体的な事は何も決まっていないが、オーナーの話では、外国から医師も呼んで、ここを保養地にする夢も話し合われているらしい。

以前にもこのブログで玉川温泉の事は何度も書いてきたので、ここでは割愛するが、”偶然”体験したこの温泉の力を人に広めることが私の使命のような気がしなくもないので、今回もここに書かせて頂いた。下の画像はクリックすると大きくなります。



敷地内に拡散される湯けむり







 コンクリートの道は下に沸くラジューム温熱で暖かい。




そこにゴザを敷いて足腰を温め、風に吹かれて漂うラジューム放射能を吸引する。


向こうに見える小屋が岩盤浴場








意外や意外 11/10

10月と11月は結構積極的にイベントに参加した。ゴルフコンペも二回。二回目は静岡まで運ばれたが、場所が富士の山根だったためか、天気予報と異なり始めから終わりまで雨天のなかでのプレイになった。それでもカンカン照りよりは心地よい。肌が乾燥して皺が目立ってくることも、日焼けを不安がる事も無い。何よりも良いのは陽の強さで毛穴がピリピリしてくる感じが無い。風のない雨の日のゴルフは、私にとってはラッキーと言える。。。。とは言うものの、実は最初は棄権しようとした。が、底辺でスコアを競っている先輩の意欲に激励されて、じゃ、やるか、となった訳である(がは)。

そのゴルフの数日前は北八ヶ岳までハイキング。ちょうど自然の中に浸りたいと思っていただけに、参加者募集に直ぐに「はい」。だが、紅葉の季節、文化の日とあって、現地まで大型バスで5時間、予定より2時間遅れとなり、ハイキングもあっさりしたものになった。おそらく、ハイキングの名に値しなかったかも。でも、ま、久しぶりに顔なじみに逢ったし、つんと尖った冷気も気持ちよかった。

一番感慨深かったのは、上でも紹介した玉川温泉での体験と言うか、発見。風邪予防とその他もろもろの予防のために行ったが、肌に現われた脂肪の塊のような小さなブツブツがここの湯で溶けた。皮膚科医の話によると、このブツブツは加齢とともに出てくるらしく、防ぐ方法はない。一つ一つ潰していくしか手がないと、2,3潰されたが、その場所にまた脂肪が集まって膨れ上がって来た。そんなブツブツが溶けて、肌が滑らかになるのだから、この温泉はすごい。身体がノーマルに、健全な形に帰るのだろう。B型肝炎を患っていた人もこの温泉に浸かり5年で治したと言う。そんなに効能のある温泉だが、いくら言っても、「温泉で治る訳ないだろう」と素直さからはるかに遠い人達がいる。「玉川教の信者にならなきゃダメなんだよ」とその元B型肝炎患者が言う。だろうね。私はとっくに信者になっている。その人も、この温泉に浸かると、とにかく元気が出るからと、毎年グループで来ているらしい。私も「今度いつ来るの」と訊かれるほどの友達ができたものだから、年に一度は浸かりに行こうかと思う。

その友達となった人達に、暇なのでプレヤーに入っている私の楽曲を聴いてもらった。すると、最初に聴いた人が途中で感極まって目に涙をためて話し出そうとする。私は歌を最後まで聴いて欲しいため、話を止めて欲しかったのだが、彼女が抑えきれないように言う。「天から降りて来たような温かくて柔らかくて大きく包み込んでくれるような優しい声に、涙が出た」。私はきょとん。彼女は声に惹かれ歌を聴いていない。歌より歌声。そのコメントは島根で闘病している友人に「今朝のバラ」を聴かせた時のことを私に思い出させた:「し~ちゃんの声に癒される。声を聴いているだけで心が安らぎ、歌詞など聴かなかった」。彼女は国立音大を出て、帝劇のミュージカル「レミゼラブル」の大役を務めた事もある歌声の専門家だ。その彼女の言葉に、私はやはりきょとんとしていた。お世辞か冗談としか取らず、全く真に受けなかった。だが、今回も同じ感想。そう言えば、「世界を君のふるさとに」という曲を聴かせた時、姪が同じ反応をした。突然泣き出した。

要するに、声質なのだろう。なんだか勇気が出てきた私は、湯治の別の仲間達複数に別な曲を聴いてもらった。。。。すると、「後でもう一回聴きたい!」「もうあなたのファンになりました」「東京でライブやるなら必ず知らせて」と、まるで少女たちのようにわいわいがやがやになったのである。で、この新曲の反応を確認しても良さそうな雰囲気に、直近で作った「ニックネーム」を歌うと、歌の途中から一人の女性が目を赤くする。そしてとうとうぐわ~と泣き出し、テーブルの上のティッシュペーパを何枚も引っ張り出してブガ~と鼻をかむ。この楽曲に関しては数年前までNHK水戸局長だった友人も、突然表情を変え「情景がはっきり浮かび、心に残る歌」だとコメントしていたっけ。

そうか~。勿論聴く人によりけりだけれど、私は自分の声に誇りを持って良いのだ。。。。。。

意外な出会いに、意外なコメント。何か、自分が取ろうとしていた選択が間違っていたのかも知れないと、これまでの自分の楽曲の扱い方を振り返った。本当は私は何がしたいのか、神は私に何を望んでおられるのか、嘘のない自分の魂の声を開けてみた。自分の魂の声に素直でなければいけないと常々他者に話し、自分でもそうしているつもりでいたが。。。。私自身が取って来た選択、取ろうとしている選択は。。。.。。

大きなエネルギーが湧いてきたようだ。初心に戻れ。外野の話に耳を傾けるな。素直な聞く耳を持つ人達だけを相手にしろ!そう言われているようだった。




進化?変化? 11/26

以前に比べると、ブログにあまり時間を使わなくなった。今はステージ活動が休止状態なので、ネタもない。それでも数か月前までは、思うことが沢山あり、それを伝える手段がこのブログだった。ブログに落とすことで心のバランスが取れていたように思う。だが、今はそんな段階も超えたようだ。その理由は、私の中がさらに変化して来たから。進化と言っていいのかも知れない。視点が常に自分の内に向いている。神に全託し、外が気にならなくなった。昔はよく書いたなぁと、数年前のものを見て、自分でも感嘆する。と同時に、騒がしいなぁと、そのブログを書いた人の内面を想う(もちろん、私の事です)。

先週、大学同期会の総会があり4,5年ぶりに参加した。15分ほどのものすごく簡単な総会で(たいへんよろしい!)残った2時間45分が親睦に割かれ、早大ニューオーリンズ・ジャズクラブがBGMを流した。ワイングラスを片手に彼等の演奏に合わせて小動きしていると、「歌ったら」と顔見知りが言う(そう言えば、彼はライブに一度来てくれていたっけ)。宴も酣(たけなわ)になった頃、私もその気になってきたようで、それまで一緒に長話をしていた女子を自然にダンスに誘った。すると、一人の男子が彼女の手を取りダンスパートナーになった。続いて、別なカップルが別なダンスの輪を作りだした。いい感じ、いい感じ!

私の中が変わったのだろうなぁ、ごく自然にダンスに入り、「歌ったら」の提言にふんわり乗って、前置き言葉もなく、マイクを取って(このマイクの性能が悪かったぁ~)ホイットニーの I Will Always Love Youをかなり編曲して声にした。ワインの助けもあったのだろう。全てがとてもとても自然に動いた。あるべき本来の人の姿だと私は呼びたい。会が終わり家路についた時、それを思い心底うれしかった。人にどう思われるか気にする事も、良いところを見せようとするさもしさも、謙虚ぶる事もなく、誰にも気兼ねせず、何を意図する事も無く、ごくごく自然な営み。周りも喜んでくれたようだ。

後日、よくあんなに動けたなぁと思った。ジムでメガダンスを2,3回やった事があるが、リズムに足がついて行けなかったのに。。。。そうか、玉川温泉だ!身体の調子が良いのだ。。。。と改めてこの温泉の効果に感嘆したものの、その翌日、「ん?」。腰が筋肉痛みたいな、何か通常とは異なる違和をささやいている。ダハ、やはり来たか~。




スズメバチ入り焼酎 12/3

この週末に、長野の戸隠神社を参拝した。戸隠は、天照大神が天の岩屋にお隠くれになった時、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)がその岩戸を開け、天空からその戸を投げ落とした場所だと伝えられている。で、戸隠。

そこで作られているスズメバチ入り焼酎。強壮剤になるらしい。数少ないこの珍酒を手に入れてウキウキされていた男性、イヤホンをして音楽を聴いていた私を大きな声で呼んだ。まさかこんなところで自分の名前が大声で呼ばれるとは思いもしなかった私は、びっくり、ひっくり。振り向くと「これをみなさい!」と言わんばかりに、アルコール瓶の中で静かに眠っている蜂の群れを見せられた。「うぅえ~」誰もの口から出る第一声だ。

「ここで開けてみんなで味見はいかがですか」。優しそうなその男性はそのつもりになられたようで、一旦バッグにしまった焼酎を出そうとした。「ああっ、いやそれは冗談です。帰って皆さんに見せて楽しんで下さい」とは言ったものの、舌に刺すかもしれない刺激を味わってみたかった。ちょっと残念。







Warm, Decent and Honest 12/9

41代米国大統領のジョージ・W・ブッシュ氏が11月30日に亡くなり、米国では国葬が行われ、12月5日が祝日になった。生前の大統領や大統領夫妻のインタビューがテレビで連日放映され、その中で先に鬼籍に入られたバーバラ夫人が夫について言う。

Warm, Decent and Honest 温かく、品性があり、正直。

夫婦は根っこが似ているから夫婦になる。そんな事を数十年前から思っていた。仲の良い夫婦ほどよく似ていて、顔さえ似ているカップルもいる。ご本人を見れば、その連れは逢わなくともどんな人だか想像がつく。その理由が数年前に分かった。夫婦は互いの魂が似ているので、同じ波動を出し合うのだ。バーバラ・ブッシュもきっと彼女が並べた夫の美徳を持っていらしただろうと想像する。

そんな事を考えながら、ふと現米国大統領の人柄を思ってみた。この特質の全く真逆にいるように思う。身体障害を抱えた記者の質問にその動きを真似しながら答える。ツイッターを使い突然国務長官を解雇。その国務長官が、個人の名こそ出さなかったが、ホワイトハウスはMean(卑しい、いじわる)だと言った。同じく解雇されたFBI長官は「大統領は嘘をつく人」と公言した。トランプ氏は自分を嫌う人を嫌悪し、あからさまに非難する。羞恥心と言う、他からどう思われるかなど気にしないようだ。「そんな人を米国人は大統領に選んだ」(池上彰)。それでも、たとえロシアの介入があったとしても彼が大統領に選ばれる意義があるのだろうと思う。それが何か気づくには、まだ時期早々だが、現時点で言えることは、彼が屈強な精神の持ち主だという事。どんなにスキャンダラスな事を暴露されようと、どれほどの人が彼の傍を離れようと、怯まない。これはすごい事。常に自分が中心にいる。クリントン元大統領はPresident is Missing(「大統領が不在」)をベストセラー作家と共に書いた。ちなみに、この著書の日本語訳は「大統領失踪」となっている。本が売れない時代に、タイトルで惹きつけるという戦略の反映だろう。

仲の良い夫婦は一方が無くなれば、追うようにもう一人も逝くとよく言われるが、バーバラ夫人は今年の4月、夫のブッシュ大統領は11月。大統領の遺体はバーバラ夫人が待つ墓地に埋葬されたらしい。冥福のなかにお二人はおられるだろう。






答えは必ずある 12/23

数年前に作った楽曲の見直し作業が続いている。時間をおいて改めてみると、ギョッとするものがある。これは私の気が短い故に起きた事。どんどんアイデアが生まれていると、ひとつ終わると次に早く進みたい。時間を置いて再チェックしなかった。

そのギョッとした楽曲とは、「遊戯三昧(ゆげざんまい)」。この楽曲には一つのエピソードがある。当時私に特別な期待を寄せ、できた楽曲を一つ一つ聴いてはコメントをくれていた某レコード会社のディレクターがいたが、彼と同じ会社の有名アーティストのプロデューサーに楽曲を一曲だけ聴いて頂く機会が他で設けられた。どの曲を聴いて頂こうかと、そのディレクターの意見を伺うと、それ以前に肯定的な評価をしてきた作品ではなく、この楽曲を選んだ。これは決して私の自信作ではなかったし、修正の必要があるだろうと思っていたので意外だったが、彼の顔を立てよう、また、業界の専門家には私とは異なる価値観があるのだろうと、その意見に従った。

プロデューサーに会い、このディレクターから薦められたと彼の名前を出すと表情に何の変化も映さず、能面のようだった。笑みがあるかもと期待していただけに当惑した。楽曲を聴き終わると、「何も残らない。宇宙と人間の話のようだけれど」と彼は顔を赤らめた。とても誠実に私に付き合って下さったディレクターで、彼無しには歌作りはなかったと思うが、こんなことが再び起こり、信頼は崩れて行った。

その「遊戯三昧」に手を入れようと5年ぶりに開くと、ギョギョギョのギョ!クワ~、本当にさっぱり分からん。トホホのホ。で、歌詞を書き直す。すでに出来上がったメロディーに詞を当てはめていく。Aメロの歌詞はするすると出てくる。サビにも、まるで必ず使いなさいと指示されているかのように幾つかの詞が既に座る場所を見つけたが、それぞれ別の歌詞で3回繰り返される8小節のAメロとの関連性がハッキリしない。なんだかチンプンカンプン。あれやこれややり、とりあえずの歌詞を打ち込み数週間寝かしておいた。久しぶりに開いてまた詞を入れ替えるが、う~ん(-。-)y-゜゜゜。また寝かす。そんな事を繰り返しどのくらい時が過ぎたろう。

たった今完成した。何よりも私が驚くのは、「まるで必ず使いなさいと指示されているかのように」出て来た詞は、やはり無くてはならない詞だった。でも不思議。3回繰り返されるAメロに当てはめる歌詞が流れるように出てきたが、それぞれがどう関連しているのか作家の私があまり分かっていない。書いた後に評論家のように分析する。。。。3つのAメロに共通しているものが分かると、サビに使うよう「指示されているかのように」出て来た詞がそれぞれ座るべき場所にすッと収まった。メロディーを崩す事も無く。

そして完成したこの楽曲は、奥深い歌になった。宇宙の中の人間を穏やかにおおらかにシンプルに歌っている。サビの部分は、「ゲーテとの対話」にあったゲーテの言葉を彷彿とさせる。もしかすると、一般受けはしないのかも知れない。だが、気付く人は気付くだろう。気づいてくれるだろう。

答えは必ずある。必ず外からやって来る。




良いお年を! 12/31

平成最後の年だとしきりに放送される。正月とか大晦日とか、普通に夜が来て朝が来るだけなのに。にも拘らず、ジムも休みになり、数日前まではちょっと寂しいなぁと思っていた。で、この期間に旧作の最後の2曲の見直しというか書き直しをしようと”仕事”をしていたら、淋しさはどこ吹く風になってしまった。今日は大掃除。冷蔵庫や本箱の上まで雑巾がけ。ベットも動かし下に溜まっている綿埃を掃除機で吸い取る。そしていよいよ始まったATPテニスブリスベン大会を観たり、時々紅白に切り替えたり。それにしても紅白で聴く歌、昭和のあのカラフルな時とずいぶん変わったなぁ。ユーミンの「ひこうき雲」や「やさしさに包まれたなら」はやはりいいですね。また演歌歌手の声が際立ちますねぇ~。氷川きよし。

今年もみなさん、しずこのHPを覗いて下さりありがとうございました。来年は私にとって特別な”いい”年になる、そんな予感がします。

どうぞ、皆さんも、良いお年を!