9月 「ナチュラル」9/26 街中での出来事 9/26 100曲目完成 9/19 不思議ね 9/18 「愛よりも」 9/12 テニスUS オープン 9/108月 「ずっとしあわせ」 8/22 ラストネーム 8/1997曲目ができた 8/14 「必然」 8/13 ちょっと間違ってない? 8/9 あれれ? 8/8 うな重 8/7 95曲目 8/3 7月 「人生劇場」7/23 「君の声が聞こえない」 7/22 INSPIRATION 7/19 「たんたんと」7/16 口臭大国 7/15 バースディ・プレゼント 7/86月 目標達成 6/29 「勝手にしやがれ」6/28 勝者 6/28 「一つの遺言」 6/26 「優しい人はいませんか」 6/22「人生はカラフル」 6/19 サッカーワールドカップ ロシア大会 6/17 天才は心が自由 6/14 キャスター付きキャディバッグ 6/11 5月 負けたらあかんで 5/31 Are You Crazy? 5/17 やはり始めた 5/14 ならおうかなぁ 5/8 いや、素晴らしかった!5/8 「あるじゃない」 5/4 なんとも感慨深い 5/1
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なんとも感慨深い 5/1 4月の最後のブログが、かなり遅ればせながら、23日に終了したATPモントリオール大会での錦織圭の復活ぶりについて書いたものだった。5月最初のこのブログもかなり遅ればせながら4月27日に行われ、全世界の注意を集めた朝鮮半島南北首脳会談。 いろいろな事を考えさせられた。最も感慨深く思った事は、朝鮮半島問題に何らかの関わりを持つ各国のリーダー達が、朝鮮半島問題とは全く関係のないそれぞれに抱える国家的または個人的問題の解決に取り組んで来たことが、この南北首脳会談実現に至る道を耕していたという事。 南北首脳会談を実現させた直近の大きな出来事は、米国でこれまでのやり方を踏襲するのは「やなこった」のトランプ大統領の登場。そして北朝鮮に対峙し非融和政策を取る韓国保守政党の朴槿恵大統領の弾劾。このふたつの事件無くして今回の首脳会談はあり得なかっただろう。 トランプ氏に、有名になりたければ米国大統領に立候補するよう提案したフォックス・ニューズの元CEO。まさか当選するとは本人を含め誰一人想っていなかったところ、ロシアの関与で当選。ロシアはなぜ関与したのか。数日前NHKBSが放映した「プーチンの復讐(?タイトルはおぼろげ)」(米国制作)によると、ロシアがソチオリンピック成功の歓喜に沸く中、チェチェン紛争やウクライナ動乱が勃発。その陰の主導者は米国だとプーチンはみている。米国は、独裁政権だろうが民主政権だろうが、米国寄りでない国の指導者や力のある政治家を抹殺する。リビアのカダフィー大佐の遺体が映された写真に、自分を重ねたプーチン。米国大統領選の有力候補のヒラリークリントンはロシアを敵視している。 このロシアの関与により大統領選で勝ったトランプ氏。自己顕示欲がかなり強く、強硬な交渉力を持つ。財政難にある北朝鮮への制裁を徹底することで、北朝鮮を核放棄に至らせる。その北朝鮮は「朝鮮半島に完全非核化が保証されるなら、(財政的に)苦しみながら核を開発する必要などない」と南北首脳会談で本音を吐露した。そもそも北朝鮮の核開発の発端は、ジャーナリストの池上彰氏によると、広島長崎に原爆投下を命じた米国のトルーマン大統領が、半島に核戦争を起こすと脅したためらしい。核に対し核で報復するという核抑止力を北朝鮮は求めて来たのだろう。北朝鮮は生き延びるためにこれまで米国との1対1の交渉をずっと望んでいたが、米国寄りの情報が大半を占める日本のメディア報道では「裏切った」国としか印象づけていない。が、長年の北朝鮮の要望がここに来てやっと叶えられるようになる訳だ。 この動きを促進したのが、朴槿恵大統領の後任、北朝鮮出身で北朝鮮との融和を主要政策のひとつとする文ジェイン大統領の登場。そして平昌オリンピック。役者も舞台もすべてそろい、今回の首脳会談。実に感慨深い。それぞれがそれぞれの問題解決に向けて取り組んできたことが、朝鮮半島南北首脳会談に至る道を作って来た。世の中の動きはこのようになっているのだろう。私達個人個人のレベルにおいても、自分が今やっていることがどこにどうつながって行くのか、人間智では予測できない。個人個人が良かれと思う事をただやっていれば、様々なエネルギーが交錯し膨れ上がり、想いもしなかった結果を作り出していく。突然変異が起こる。私には何か宇宙の力が働いているように思える。 何年か前に、クリントン政権時に北朝鮮対応委員会メンバーであったシカゴ大学教授の講演が早稲田大学であり、私はその時の通訳を仰せつかった。その時教授が言っていた「きっと北朝鮮は自分たちの望みを遂げるでしょう。」その言葉通りになりつつある。いろいろと本当に感慨深い。 「あるじゃない」 5/4 昨年後半から楽曲の売り込みに注力、創作活動はゆっくりまたは休憩と思っていたが、心に穴が空く。それを埋めるのは、なかにし礼曰く「創作しかない」。確かに、創作している時が最も心が満たされる。私の事は差し置いて、「才能あるものは孤独に耐えなければならない」と彼は彼の高級霊から告げられたらしい。私は直接告げられていないが、一人ぽっちが嫌でない。これってすごい事だと思っている。10年前の私ならとてもとても。それは宇宙の智慧とリンクされてから始まった。宇宙の智慧とリンクしだした時とほぼ同時に創作活動の世界に入らせられたが、入る事で、頂点にいる科学者、芸術家たちの創作プロセス、道を切り拓く宗教家が啓示を受けるプロセスを、私自身の経験をもって理解した。みな、インスピレーション、つまり啓示。自分の中から考え出したものなど殆どなく、外から来る。だから時々思う。「私が書いた」と言うが、それって正しい言い方だろうか。選ばれたのだ。だから選んでくださった宇宙の意思に応えようとしている。 書きなさいと言われているのだろう、メロディーは勿論のこと、歌詞も揃う。おもしろい事にメロディーは大体瞬時に入ってくるが、歌詞は思考回路の中をいくらかさまよう。だからだろう、谷川俊太郎が言っていた「詩は音楽にかなわない」。 アイドル歌手をたくさん育て、数年前喉頭がんで声帯を摘出したつんくが、世の中にはネガティブに考える人たちが圧倒的に多いと”言う”。そんな話と、吉幾三が青森県民のために書いたつもりの「俺ら東京さ行くだ」(♪テレビも無ぇ、ラジオも無ぇ~)が青森県民から顰蹙を買ったという話などがきっかけになって書いたのが今回の楽曲「あるじゃない」。人は自身に対しても他人に対してもあるものよりも無いものを見つけてネガティブになる。既にあるものは時の経過とともにあって当たり前になって行く。それでまた新しいものを求める。これは進歩のベースであり、人を躍動させるが、同時に今あるものに対する感謝を忘れさせてしまう事がある。相手に対し相手に無いものを要求し喧嘩もする。親しければ親しい程。それで、後の祭り~よとなることが多い。 「あるじゃない」は無いもの数えるより有るもの数えようと歌う。ラップリズムで始まる。私の作るものとしてはレア。 いや、素晴らしかった! 5/8 素晴らしい試合だった。めったに見られないレベルの実に素晴らしい試合だった。テニスATPマドリード・マスターズでの錦織圭とジョコビッチの試合。圭はジョコビッチに勝ちを譲ったが、内容は惚れ惚れするものだった。ジョコビッチが言う、「どちらが勝ってもおかしくなかった。」その通りだったが、負けた。勝ってくれていたら、どんなにか、彼も、私も、そして、そして。。。。モンテカルロでの決勝戦、対ナダル戦と同じように圭自身が悔しい思いをしているに違いない。確かに、かつて世界ランク1位に長く君臨していただけあり、ジョコビッチは巧みだ。だが、圭も殆ど負けていなかった。すごい、ここまで来たことが。 圭、ほんとに君はトップに行ける。あと少しだ。 ならおうかなぁ 5/8 ふと、中国語をならいたいと思った。私の住むマンションは賃貸で、中国人がかなり多い。西洋人が2,3人、韓国人、中国人の順に多いようだ。西洋人や韓国人と異なり、中国人の場合は年配者もいる。エレベータ内でてっきり日本人かと話かけると、日本語を全く理解していない中国人年配者。かつて大学で取った中国語フレーズから「中国人ですか」と声をかける。一瞬にして相手の表情がほぐれ、塊が溶け合うようにコミュニケーションが成立する。その瞬間の気の流れの良さ。中国語をならいたいと思った。中国人は日本にもっと増えるだろう。彼らと話ができるのは面白いだろうし、視野も広がる。私の生活も変わるだろう。 だが、決して今すぐではない。今は楽曲の売り込みと創作に専念しなければならないように思う。しかし、どうも私は楽器を鳴らすというお稽古事は「よっこらしょっ!」で、対し、語学の勉強は好奇心が騒ぐ人のようだ。 やはり始めた 5/14 「決して今すぐではない」なんて上で書いた中国語学習。書いた翌日書店に行ってNHKラジオ中国講座のテキストを買い早速やり始めた。4月に始まったばかりだからそんなに遅れを取っていない。何とかなるような気がした。 NHKの語学講座には本当にお世話になっている。フランス語、スペイン語、もちろん英語もだが、私の語学学習は皆ここから始まった。今では英語を除いては皆忘れているが、習っていた頃は海外旅行には不自由しないくらい使えていたような記憶がある。 この中国語学習、マスターするつもりは毛頭ないが、生活が楽しく刺激的になるくらいに使えたらいい。で、ジムで二人の中国人とちょうど鉢合わせたので試したり、マンションの下のスーパーでアルバイトをしている中国人学生にも話しかけたりした。すると、周りに笑いと微笑みと頓珍漢の輪が広がり、私の一日の一部がカラフルになった。親しみが深まる。彼らも私が中国語を学び出したことを喜んでいるようだし、頓珍漢な様子の中国人の表情に、周りの日本人も混ざって笑う。 ひとつの事に集中せよという一直線の生き方を良しとした時代は終わったのかもしれない。様々な古い価値観が壊れていく。色々な事を試しながら、試したことを見守りながら、あれからこれへと跳ねて行くことで、今は分からないけれど、何かにつながっていく。また、様々な事を試すことで視野が広がるし、自分も知らぬうちに広くなっていく。遊び感覚で試す。そんな事をディル・ドーデン著「仕事は楽しいかね」の中に出てくるビジネス界の大物が言っているが、なるほどと私はそれを中国語学習で直ぐに実行した。また、その大物のもう一つの言葉に押されて大胆な決断をした。 「他と同じことをやって成功する訳がない。」よく聞く言葉だが、今の私に大きなインスピレーションを与えた。 Are You Crazy? 5/17 Are You Crazy? そんな声が何回と私の頭の中で響く。 私の部屋にあるテレビは画面サイズが20インチの2007年シャープ製。買った当時、テレビの必要性は生活の中のほんの一部を占めるだけにしたいから、小さな画面で十分、それが知性の高い家庭の表現のようにも思った(がは)。その頃の番組には見たいものがほとんど無かったが、今ではテレビは必需品。特にBSの番組内容が良くなってからはテレビはいろいろな意味で私の世界観を広げる切っ掛けをくれる事もあれば、私の創作にもかなり貢献してくれている。それでも20インチサイズで十分だった。 だが異変が起きた。原因は、錦織圭。グリーンのハードコートなら20インチでもテニスボールは見えるが、現在行われている赤土のクレーではボールが向こう側に行くとまるで見えない。画面から2メートルほどのところに背もたれの深い椅子を持って来てもボールを追うのが難しい。彼が出る試合は大きな楽しみであり、私にとっては生まれて初めての”熱狂的”ファン活動である。彼が試合に負ける時は、なぜ負けたのか彼の心の状態が手に取るように分かり、彼の技や才能が現在世界トップランクのフェドラーやナダルに劣らない事を十分に知っているから、フロリダに手紙を送るほど。その数、4通。 う~ん。。。。テレビを買い替えようか(>_<)。問題はアンテナ線やネット接続入力端子がリビングに一つしかなく、そこは現在パソコンデスクとテレビが置いてあるオレンジ色の背の高いラックで占められている。大型テレビを置けるような空間がない。置けるのはその向かい側のステレオコンポの横だけ。そこに置くとなれば長いアンテナ線を床に這わせなければならない。それはしたくない。今の家具配置は理想的だ。テレビの買い替えは諦めよう。 と、2,3度思いながらも、椅子に座って家具をながめる。。。。。ん?ピンポ~ン!机の上にある置き型のプリンター用に使っている棚を下に降ろし窓際斜めに置き、その棚の上に大型テレビを置くというアイデアが生まれた。とにかく試してみようと、汗だくになりながら家具を移動する。すると、なんと、決まったではないか!背の高いものが無くなり、少し床面積を使うが、これまでよりも空間が広くなった感じ。ばっちり! くわ~!知恵は出てくるものですねぇ~。これもそれも全部、圭のテニスを応援するがため。Are You Crazy? 家具を移動するとすぐに家電量販店に。テレビの到着は5月26日、全仏グランドスラムが始まる直前となった。今年最後の赤土コートでの試合。在庫があるなら持って帰ろうとしたのだが、ま、いいか。心はニタニタ。帰宅して開催中のローマ大会、圭の2回戦を観る。相手は世界ランク4位のブルガリアのディミートロフ。「こんなしんどい思いをしてまでも君見たさに大型テレビを買ったんだから、負けないでよ」と念じながら観戦。。。。ふわ~、勝った~~~~ありがとう!圭はかつて勝てた相手には怯まないようだ。そのメンタルで行けば、ジョコビッチだって、ナダルだって、フェドラーにだって勝てる! You really are crazy! Could be! がははは・・・・( ^)o(^ ) 負けたらあかん 5/31 27日から始まったATPテニス全仏オープン。これは年に4回ある最も大きな大会、グランドスラムの一つ。マスターやそれ以下の大会では一試合3セットで2セット先に取ったものが勝つが、グランドスラムでは5セットで先に3セット取ったものが勝つ。圭が出ている間は、私の生活に楽しみが増える。敗退してしまうと、ほんと、つまらない。トップ選手の試合が残っていてもちらりと見るくらい。 全仏オープンの1回戦も結構タフな試合だったが圭はストレートで勝った。だが、日本時間昨夜から今朝未明まで続いた2回戦は、負けるのではないかと思わせる瞬間が何回とあった。「負けたらあかんで東京に」という天童よしみが歌うが、ほんま、そんな気持ちで観ていた。「負けたらあかんで自分に」。 圭自身が言っていたように2週目まで残って欲しい。でなければ、君の自信が揺らぎ始めるだろう。この試合では1セットは簡単に取れたが、相手選手が2,3セットを取った。4セット目。何度も何度もジュースを重ねた後に、かろうじて圭が勝ちを取った。ハラハラドキドキ。踏ん張って4セット目を取った時、圭の表情が突然変わり、闘志が鮮明に表れ、それと共に落ち着き出した。「大丈夫だ!」落ち着いてさえいれば、勝は君だ。 そして圭が勝って終わったが、試合後の儀式を忘れるほど、気が抜けていたようだ。茫然として動こうとしない。ガッツポーズもない。ハッと気がつき、ネットに駆け寄り相手選手と握手を交わす。日本時間で夕方10時頃から始まった約3時間30分の試合。「やっと息がつけますね」と解説者が言う。正にその通り。激戦だった。普段ならとうに床に就いている私だが、全然眠くない。夢中になるものって、ほんと、こんな具合にさせる。そして私は間髪入れずこのブログを書いているんだから。 圭、勝ってくれて、ただただありがたい。まだ楽しみが続くと思うと、ほんとに、うれしい。 3回戦は6月1日(金)。WOWOWに登録しなくとも、テレビ東京で放映。偶然番組表で見つけた。(^_-)-☆圭を応援する事は、私にとって”自分”を応援している事にもなっている。それにしても、圭はハラハラドキドキさせる選手。そこが、応援しなければならない、観てあげなければならないという気持ちを起こさせるのかも知れない。安心してみていたいのだが、それでは興奮が削がれるのかも知れない。 キャスター付きキャディバッグ 6/11 私のブログを楽しんで下さる方々に申し訳ないと思いつつ、特別に書きたい事がないので、無理せずにおりました。元気で変わりなくおります。創作活動も続いております。気づいた事ですが、声は歌っていなければ、潤いを失くしますね。できるだけ、毎日30分の発声練習は心がけておりますが、2日ほどしないでいると、朝の一声がギザギザに出てくるのです。一声とは瞑想を始める前の祝詞。数年前に作った楽曲に変更を加えたものを再アレンジした後に歌入れをしますが、その声も硬い。余り硬くて、この声で録りたくないなぁと思うほど。それが何度も歌っていると、柔らかい声に変わって行くんです。声も体の一部、やはり使わなければ声帯もその他の関係個所も衰えますね。 ひとつ、目に見えないものに、現実に存在する証を見せて下さいと言ったら、本当に見せてくれたという、すごい出来事がありました。が、そんな事を信じない人には笑われるだけでしょうから、話さずに置きます。聞きたい人だけ連絡をください(*^。^*)。 ところで、キャデイバッグの話し。 私のゴルフバッグは練習に使わせて頂いている河川敷ゴルフ場に置かせて頂いているので、家にはありません。他のゴルフ場”らしき”ゴルフ場でプレイする時には、これまで往復宅配で送っていました。そうするのも年に3回程度だから気にするほどでもなかったのですが、大学の先輩におねだりして彼がメンバーになっているゴルフ場に誘って頂けるよう約束を取り付けたので(ぐわっは~)、これまでよりも頻繁にゴルフ場らしきゴルフ場に行けそうになったので、宅配も節約する方法を考え始めました。 周りの人たちに訊くと、キャスター付きキャディバッグを利用しているとの事。で、ゴルフショップに行ったり、ネットで検索したりと多くの時間を使い、スタイル、色、重量、キャッスターの大きさなど、要望を満たすものを見つけ、大変満足(*^。^*)。レディース用で軽量、キャスターサイズが直径10センチ。催促するようにこの事を先輩にメールすると、早速日程を調整して下さった(がはは。。。)。 天才は心が自由 6/14 天才は心が自由な人に与えられる贈り物。米朝首脳会談を見つめながら、しみじみそう思った。 鋭い直観力が与えられ、その直観力を固く信じる者は、凡才や秀才が考えないことを言ったりしでかしたりするから「ばか」呼ばわりされるが、誰に何と言われようと怯まず、自分の直感を信じ前進し結果を出す時、彼はアホでもバカでもなく「天才」だと周りは気付かされる。 北朝鮮の開国は軍部を始めとする国内の既得権益にいる者たちによって阻まれてきたが、トランプ氏が発信し国際社会が応じた「最大圧力」により、やっと実現に向けて動き始めようとしているように思える。かつて日本の封建主義的構造が国内ではなかなか崩壊せず、民主主義と自由の気風が最も濃い米国の圧力で瓦解したように、北朝鮮も米国や国際社会の介入で開国へと向かうのかも知れない。段階的に。 トランプ氏は、もしかすると、天才政治家と言われたウィンストン・チャーチルの生まれ変わりかもしれないと思っていたが(どちらも失読症)、同じような事を言う人を昨日図書館で読んだ新聞の中に見つけた。ちょっとうれしかった(あは)。 サッカーワールドカップ ロシア大会 6/17 開幕数週間前に監督が変わるなど、観戦者の心が高揚する前にしら~っとさせられた今大会。それに加えて、メディアの関心は朝鮮半島を巡る情勢変化に一極集中した感もあり、今回のワールドカップは「盛り上がらないねぇ」と私を含め周りが話す。なんだか、世界中が盛り上がっていないのかも知れないという気さえする。 開幕式を報じるアナウンサーが「盛り上がりが足りない」と言うので、開催地がロシアだからだろうかと案じてしまう。だが、開幕式直後に始まったロシアとサウジアラビアの試合はロシア人で埋め尽くされていた。5対0でロシアが勝ち、観戦している両国首脳もハラハラドキドキがなく気がくじかれたようで、肩をすくめ合う。アイスランドとアルゼンチンの試合では、アルゼンチン応援団がわんさか!アルゼンチンからロシアまで来たんだぁと、日本の応援に行かない事に罪悪感みたいなものが生まれる。 録画したものからポイントが付いた瞬間だけを再生しているが、スペインとポルトガルの試合もすごかった。3対3の同点で終わったが、隣国同士というのは、どこの国でも大体喧嘩しているが、そのライバル同士の戦いは特別熱が入る。ポルトガルはドナルドが一人で3点を取ったが、彼の顔は殺気が漲っている感じ。喧嘩っ早そう。街中で遭えば、顔を見るなり、避ける人相かも(がは)。 そんな若者たちが、思いっきり体当たりして倒して倒されるをグループでやっている。公認を得て。若者たちにはこういう場が本当に必要だ。持て余しているエネルギーを罪悪感なく放出する場所。彼らにとっては、おそらく、こういう事で怪我する事も、納得いく”喜び”なのかもしれない。 私も歳を取ったのだろうなぁ。当てられて重症と言わんばかりの演技をしたリ、倒れたり、怪我したリ、悲鳴を上げたり、喜び合ったりしている姿に、くすくすと笑っている。”孫”になるんだものね。井上靖の小節の中で若者たちの二つのグループが海岸沿いですれ違った瞬間、誰からともなく殴り合いが始まり、終わるとスっとそれぞれ反対方向に去っていく姿が書かれてある。それを見て、”嫉妬”する初老の男(私は読んでいないが、井上靖の文体を解説する評論家が書いたものを読んだ)。同じような思いで私も見ているのかも知れない。 世界は、いつものように、サッカーワールドカップで盛り上がっている!!! 「人生はカラフル」 6/19 5月には二人の作詞家が書いた詞に曲をつけてみた。面白かった。 本当に不思議。歌詞なら書けるけれど曲を作るなんてとんでもないと思っていたのに、音楽を専門的に勉強した事の無い私が誰かの歌詞に曲をつける。。。。。しかし、考えてみると、音大を出ても、楽器を鳴らしたり歌ったりはするが、曲は作った事のない人は多い。作曲は専門的に勉強した云々の話ではないのかも知れない。そう言えば、小室哲哉も言っていた。音楽を専門的に勉強したことがないからこそ、これまで無かったものを書ける。ミュージックスクールに月3回通っている今では、音楽を専門的に勉強したことがないなんて私も言えなくなったが。 曲をつけた二つの歌詞はあるコンペで入選しただけあって、作り易かった。ちなみにどちらも演歌。 昨日は「人生カラフル」を作詞作曲した。大変覚えやすい歌になった。世の中は色々な人がいてカラフルなのだから、人にあ~しろ、こ~しろと言いなさんなという歌。♪あなたはあなた、わたしはわたし♪。私はあなたと全然違う人間なの。神様がそのように御創りになったの。。。。。。そんな歌。(^_-)-☆ 時間もある事だかから、頭の中や紙の上に書きなぐった歌詞を整理して、創作時間を増やそうと思う。どんどん書こう。 「優しい人はいませんか」 6/22 「どんどん書こう」と上のブログで書いて、また生まれたのが、「優しい人はいませんか」。8小節が繰り返し6回歌われる。昭和の歌謡曲に「圭子の夢はまた夜開く」や似たような歌で「石狩挽歌」を歌う歌手が暗い人生を年齢順に並べて行く楽曲があるが、構成はそれに似ている。 そのように作ろうとしたわけではないが、なんとなく口ずさんでいたメロディーに、なんとなく出てくる歌詞を生かして書いたらこうなった。 悲しい歌が聞こえます。誰かに聞いて欲しいけど、本当に優しい人はいないみたい。話した物語は話のタネにされるか、仕事のネタにされるか、虚栄に使われる。どこかに本当に優しい人いませんか。自分で大きくなるしかないのですか。♪ 「一つの遺言」 6/26 88曲目となる。タイトルに悩んだが、結局単刀直入なタイトルにした。「一つの遺言」 最近、人が聴き入ってしまうだろうと思われる歌を作っているように思う。上のブログで書いた「優しい人はいませんか」も大変シンプルなメロディーの繰り返しだが、「歌詞を聴き入ってしまう」と言われる。 「一つの遺言」。。。う~ん内容は説明しようがない。いつか聴いて頂くしかないっす(*'ω'*)。 書き殴っていた言葉が沢山ある。そんな言葉を歌詞として整える作業が、もしかしたら一番努力が要るのかも知れない。私の場合、メロディーが先に無ければ、歌詞にしにくい。だが、メロディーは山と保存されている(んぎゃ~)。要するに腰を上げればいいだけだが。。。(^。^)y-.。o○ 勝者 6/28 昨日はデラックスゴルフ場で遊んだ。なんと、前半はバーディーやパーが出て50を切る勢いだったが、後半に来てガタガタと落ちた。なぜそうなったのか、終わりも真直に迫った時、ハッと気づいた。力の入れすぎ。前半の最終ホールで、打つ方向を間違え(私はまだこのコースに詳しくない)、9打して終わった事から狂い出し、それを挽回しようと力んだ。力を入れている時にはそれに気づかない。そしてあごの高いバンカーだから怖がって砂にクラブを潜らせない。前半と後半の差は25ポイント。この教訓を生かして次戦に臨もう(*^。^*)。 楽しい時間を終えて帰宅し、夜にはサッカーワールドカップ、ドイツ対韓国を観た。どちらも必死だ。ドイツは1勝しない限り決勝トーナメントには進めないし、韓国はこの戦いに勝ち、なおかつスウェーデンが負けてくれない限り、進めない。つまりどうしたって自力では進めない。試合開始前は韓国の闘志が上がらず惨劇を見るのではないかとテレビをつけたり消したり、消音にしたりしていたが、なんとドイツに対し2対0。ものすごい歓声の中、選手たちは互いを労い泣きじゃくっている。監督も身を震わせ両手を高く上げ絶唱。そうか、一度も勝ったことの無いドイツに勝ったんだ。それだけでも大きな勝利を持って帰れるし、自信にもなる。ドイツも韓国もグループリーグ1節目が痛かった。 レフリーがちょっと気になった。韓国選手に対しファウル判定が厳しすぎる。対独戦では最初のゴールシュートを、”オフサイド”だと言う。視聴者から見ても間違いなく正当なシュートなのだが。ほっとするのは、今回から導入されたコンピュータによる診断。その結果オフサイドでないと判定された。このレフリー、ドイツに勝たせたかったのでないかと疑った。 名誉をかけて戦う韓国選手の表情、心臓が爆発しそうなほど走って走ってボールを追いかけるその姿に、私はまたドボドボ涙を流す。そして決勝進出が閉ざされうずくまるドイツ選手一人ひとりの気が抜けていく姿に、胸がキュ―っとする。 先日、日本とセネガルが2対2の引き分けで終わった時、穏やかな笑みを湛えてコートを去る選手達にホッとした。「これが一番いいなぁ」と。ま、これも激しい勝敗があるから味わえるものだろうけれど。 さて、今日は日本対ポルトガル。かつて水族館のタコが勝敗を占いその通りになったというドイツの話にちなんでか、NHKが勝敗を占うインコを紹介した。”日本”、”ポルトガル”、”引き分け”と3つのカードを置きインコが最終的に口にくわえたのは「引き分け」だった。引き分け以上で決勝進出の日本。もしかすると、ポルトガルが先制、日本が追い付き、引き分けかな。 「勝手にしやがれ」6/28 あれま、昨日は結構エネルギーのあった日だったんだぁ。ワールドカップを観ながら、私は楽曲を作っていた。「勝手にしやがれ」。思いもしなかったタイトル。中身は男女の睦言なのだが、あまりにもエロティシズムに浸っている男の歌に、なんだか「勝手にしやがれ」と言いたくなった(がは)。89曲目。後一曲今月中に行くかな。 目標達成 6/29 90曲目を書いた。タイトルは。。。。決まらない。書いているとどんどん予期しない方向に進化して行くのが私の歌書きの特徴。ん?わたし、今「進化」と書きましたね。ふん、ふん。もしかすると「進化」が相応しいタイトルかも。楽曲を書いている人の中には先にタイトルを決めて書く人もいるようだが、人それぞれ。私の場合、タイトルから入る事はまずない。なんとなく内容が入って来て、こんな感じに持って行こうと一応決めるが、書き進んでいる内、どんどん変わっていく。 夢があるのもいいし、夢がないのもいい。大切な事は夢のある無しではなく、毎日自分を進化させて生きているかどうか。毎日丁寧に生きている人は、良い人生を送るのだと思う。人からも呼ばれるし、仕事にも誘われる。毎日、昨日より今日、今日より明日をより良くしようと生きている人は活気があるし、心が豊かだ。そんな事を書いた。先に生きたものとして若い人達に向けて書いたつもり。 1週間で3曲。これ、すごい!(自分で言っています(^^♪)先週ピアノ・インストラクターの近藤先生に会う前に、2曲新しく書いて、また1週間後(つまり明日)にレッスン。うわ~、どうしよう~みてもらう材料がない。。。。で、溜まっていた言葉を急きょ整理したら、出来ちゃった(ぎゃは)。だが、翌週にもレッスンがある。こりゃ、大変!最近は直しも殆ど無いのでチェックは一回で終わる。だが、レッスンがあるがために、こうして腰を上げるし、あーだこーだ言いながら私が作った曲にコメントを頂くのはすっごくいい。 ひと月で5曲は、多産。 さて、歌書きは少し休んで、本を読もうっと。 バースディ・プレゼント 7/8 昨日は私の誕生日。朝の行事である瞑想が終わって間もなく電話が鳴った。はて、誰だろう。予期している電話はない。スマホの待ち受け画面に出てきた名前は。。。!積極的に電話がかかって来た事はない占星術師の歌子さんだ。かなり興奮している様子。「今、何か起きていない?」4年前に作家のよしもとばななの日記から見つけ、何度かリーディングをしてもらった。 「これまでのリーディングを整理していたら、丁度今日があなたの誕生日で、みるとびっくりする事が起きる事になっているの。」確かに、今結果を待っているものがあると伝えると、「It's cookingだよ!」と電話の向こうで嬉しそうに叫んでいる。実は私もそう思っている。もうすぐ私にお料理が配膳されると。 「今日の一日、決してネガティブな事を考えずに、望んでいる結果の事だけを強く想うんだよ」とアドバイスされる。 近づいている朗報があれば、決して同業者には話してならないと、ディーパック・チョプラー博士がアドバイスしている。なぜかは書いていなかったが、恐らく波動を邪魔されるのだろう。で、歌子さんの話をブログに書いてよいかと訊くと、「いいよ」と言う。ま、この願いが届きますようにという念を込めて書いておくことにした。 最近、他の人が書いた歌詞に私が曲をつけたものを電話口で聴いてもらった。彼女は東京芸大の作曲科を出ている。「いいじゃ~ん!」と少女のような彼女の心が応える。私はこの曲の採用結果を待っている。曲と詞が一体になって、何度も私の口から出てくる。覚えやすいメロディーだ。詞のウキウキ感とチャーミングさを出しながら楽しんだ作曲だった。 「いいニュースがあったら教えてね!」 いつも思う。神の声は予期せぬところから来る:It's cooking! ずっと思っていることなのだが、日本人は老若男女を問わず、なぜこんなにも口臭の強い人が多いのだろう。息せき切って電車に乗って来た若い女性、その吐き出す息が広げる臭い。たまらない。近寄る距離4メートル圏外が限界の人達もいる。。。。とにかく口臭の強い人が圧倒的に多い。10年ぶりに再会した声楽の先生。3畳ほどのスタジオでレッスンを開始すると、彼が言葉を発する度にものすごい臭いが拡散する。腐敗した汚物のような強烈な臭い。その臭いは体臭となって放たれる。私は彼の場所から最も遠いドアの隅で体を壁にピタッと押し付けて凍てつく。時々ドアノブを操作して、彼に気づかないよう演技をしながら廊下に顔を出し深呼吸。自分の唾液がその臭いで汚染されたようで飲み込めず、ティッシュやハンケチでぬぐう。大学で彼のレッスンを取っている生徒たちに同情し、また彼等のひそひそ話を想像した。クワ~。 口臭は言われなければ気づかない。だから言ってあげた方が良いと私は思う。人が顔をそむけても、鈍感な人もいるが、一度言われれば、「もしかすると」となる。だが、言われても解決方法がないと思われているのが口臭。だが、ある。 これまで世界35か国以上を旅し、かつては通訳と言う仕事がら様々な国の人たちと仕事をして来た者として、一つの結論がある。口臭の最も少ない国は米国。そして口臭大国が日本。米国は口腔内衛生管理が個人レベルで徹底している人が多いからだと思うが、日本でも昔から丁寧に歯を磨いてきた(本人曰く:毎晩30分程かけて口腔内クリーニング)と言う85歳の男性はブリッジが一つだけで今でもすべて自然歯である上に、口臭が全くない。いわゆる加齢臭というのは、口臭の事なのかも知れない。 もうひとつ。ストレスの多そうな生活をしている人は口臭が強いようだ。聴くところによると、口臭の原因は血液の汚れだとか。で、血液の浄化に最も効果があるのは、黒酢と青梅。 十数年前の事だが、別な効果を狙って、ある薬局店から青梅の黒酢ハチミツ漬けを勧められた。それまで夫婦で互いの息が「くさい!」と時々言い合っていたのが、この青梅の黒酢漬けを毎日大匙に2杯二人で飲んでいると、その言葉が完全に消えたのである。それでハタと気付いた私は、ペットボトルに入れて上の声楽講師に飲んでいただいた。 すると、本当にびっくり!あの嘔吐を催すような臭いに代わり、まるでそよ風が彼の身体から漂ってくるようなのだ。これ程の効果があるとは!と考案者兼提供者の私が驚いている。彼の奥さんも長年「くさい!」を彼に連発していたらしいが、言われると気分を害し、「話せなくなるだろう!」とお叱り。どんな理由からか訊きそびれたが、奥さん自身も以前から黒酢を飲んでいてご主人にも勧めた事があるらしい。ところが、同じ事でも他人の言葉には耳を貸すが女房の話には貸さない亭主は拒絶。(世の中の男と言うもの、なぜこの類が多いのだろう)。で、奥さんから「しずさんから言われたと主人に言って良いですか」と訊かれ、そのように伝えると「匂ったか~」とニタリ、「俺にも黒酢をくれ」と言い出したとか。 どうぞ、ご参考にされてくださいませ。自分に口臭がないと言う自信は、”自由”を獲得します。街中がきれいで評判の良い日本、口腔内も綺麗であった欲しいものです。 1年に一度行われる全米テニスオープン。グランドスラム(世界4大大会)の一つだ。 圭となおみの違いを話してみたい。なおみにとって“勝”は結果の話で、大きく成長したメンタルを持った今、自分がどこまで行けるか、試したかったのだと思う。準決勝で勝った時も、「次はセリーナとの試合だから頑張ったの・・・」「なぜ?」「だってセリーナだもの」と答えていた。ワクワクしているのである。 対し、圭は、自分の勝ちが容易でない選手に苦手意識を持つ「xxxとはやりたくない」。対ジョコビッチとの準決勝での圭は、不安と恐怖でコチコチになった表情でコートに入って来た。“勝ち”が先行しているからこうなるのだろう。最近こそリラックスした感じが見られるようになったが、彼がテニスしている姿は、苦痛を感じさせることがよくある。 将棋棋士の羽生善治がその著書で書いている:勝負は勿論勝つためにあるが、勝をあまりに意識すると雑念が入り、結果、うまく行かない。まっさらな状態でないと、ふとしたアイデアが降りてこない。
勝ちたいために沢山練習を重ねるが、コートではその練習を積み重ねた今の自分を試すベストプレイだけを考える。コート上で、ミスってしまった事をくよくよ考え反省したリ自分を責めたりしていると、必ず心を縮小させる。だが圭はこのプロセスをずっと繰り返していた。対しなおみはこんなにも短時間で同じ癖を打破したようだ。
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