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2018年1月~4月→
ブログ

9月

「ナチュラル」9/26  街中での出来事 9/26  100曲目完成 9/19  不思議ね 9/18  「愛よりも」 9/12  テニスUS オープン 9/10  



8月

 「ずっとしあわせ」 8/22   ラストネーム 8/19    

97曲目ができた 8/14  「必然」 8/13  ちょっと間違ってない? 8/9   あれれ? 8/8   うな重 8/7    95曲目 8/3



7月

「人生劇場」7/23  君の声が聞こえない」 7/22  INSPIRATION 7/19  「たんたんと」7/16  口臭大国 7/15  バースディ・プレゼント 7/8



6月

目標達成 6/29  「勝手にしやがれ」6/28   勝者 6/28     「一つの遺言」 6/26  「優しい人はいませんか」 6/22 

「人生はカラフル」 6/19  サッカーワールドカップ ロシア大会 6/17  天才は心が自由 6/14  キャスター付きキャディバッグ 6/11


5月


負けたらあかんで 5/31 

Are You Crazy? 5/17 やはり始めた 5/14 ならおうかなぁ 5/8 いや、素晴らしかった!5/8 「あるじゃない」 5/4  なんとも感慨深い 5/1


なんとも感慨深い 5/1

4月の最後のブログが、かなり遅ればせながら、23日に終了したATPモントリオール大会での錦織圭の復活ぶりについて書いたものだった。5月最初のこのブログもかなり遅ればせながら4月27日に行われ、全世界の注意を集めた朝鮮半島南北首脳会談。

いろいろな事を考えさせられた。最も感慨深く思った事は、朝鮮半島問題に何らかの関わりを持つ各国のリーダー達が、朝鮮半島問題とは全く関係のないそれぞれに抱える国家的または個人的問題の解決に取り組んで来たことが、この南北首脳会談実現に至る道を耕していたという事。

南北首脳会談を実現させた直近の大きな出来事は、米国でこれまでのやり方を踏襲するのは「やなこった」のトランプ大統領の登場。そして北朝鮮に対峙し非融和政策を取る韓国保守政党の朴槿恵大統領の弾劾。このふたつの事件無くして今回の首脳会談はあり得なかっただろう。

トランプ氏に、有名になりたければ米国大統領に立候補するよう提案したフォックス・ニューズの元CEO。まさか当選するとは本人を含め誰一人想っていなかったところ、ロシアの関与で当選。ロシアはなぜ関与したのか。数日前NHKBSが放映した「プーチンの復讐(?タイトルはおぼろげ)」(米国制作)によると、ロシアがソチオリンピック成功の歓喜に沸く中、チェチェン紛争やウクライナ動乱が勃発。その陰の主導者は米国だとプーチンはみている。米国は、独裁政権だろうが民主政権だろうが、米国寄りでない国の指導者や力のある政治家を抹殺する。リビアのカダフィー大佐の遺体が映された写真に、自分を重ねたプーチン。米国大統領選の有力候補のヒラリークリントンはロシアを敵視している。

このロシアの関与により大統領選で勝ったトランプ氏。自己顕示欲がかなり強く、強硬な交渉力を持つ。財政難にある北朝鮮への制裁を徹底することで、北朝鮮を核放棄に至らせる。その北朝鮮は「朝鮮半島に完全非核化が保証されるなら、(財政的に)苦しみながら核を開発する必要などない」と南北首脳会談で本音を吐露した。そもそも北朝鮮の核開発の発端は、ジャーナリストの池上彰氏によると、広島長崎に原爆投下を命じた米国のトルーマン大統領が、半島に核戦争を起こすと脅したためらしい。核に対し核で報復するという核抑止力を北朝鮮は求めて来たのだろう。北朝鮮は生き延びるためにこれまで米国との1対1の交渉をずっと望んでいたが、米国寄りの情報が大半を占める日本のメディア報道では「裏切った」国としか印象づけていない。が、長年の北朝鮮の要望がここに来てやっと叶えられるようになる訳だ。

この動きを促進したのが、朴槿恵大統領の後任、北朝鮮出身で北朝鮮との融和を主要政策のひとつとする文ジェイン大統領の登場。そして平昌オリンピック。役者も舞台もすべてそろい、今回の首脳会談。実に感慨深い。それぞれがそれぞれの問題解決に向けて取り組んできたことが、朝鮮半島南北首脳会談に至る道を作って来た。世の中の動きはこのようになっているのだろう。私達個人個人のレベルにおいても、自分が今やっていることがどこにどうつながって行くのか、人間智では予測できない。個人個人が良かれと思う事をただやっていれば、様々なエネルギーが交錯し膨れ上がり、想いもしなかった結果を作り出していく。突然変異が起こる。私には何か宇宙の力が働いているように思える。

何年か前に、クリントン政権時に北朝鮮対応委員会メンバーであったシカゴ大学教授の講演が早稲田大学であり、私はその時の通訳を仰せつかった。その時教授が言っていた「きっと北朝鮮は自分たちの望みを遂げるでしょう。」その言葉通りになりつつある。いろいろと本当に感慨深い。




「あるじゃない」 5/4

昨年後半から楽曲の売り込みに注力、創作活動はゆっくりまたは休憩と思っていたが、心に穴が空く。それを埋めるのは、なかにし礼曰く「創作しかない」。確かに、創作している時が最も心が満たされる。私の事は差し置いて、「才能あるものは孤独に耐えなければならない」と彼は彼の高級霊から告げられたらしい。私は直接告げられていないが、一人ぽっちが嫌でない。これってすごい事だと思っている。10年前の私ならとてもとても。それは宇宙の智慧とリンクされてから始まった。宇宙の智慧とリンクしだした時とほぼ同時に創作活動の世界に入らせられたが、入る事で、頂点にいる科学者、芸術家たちの創作プロセス、道を切り拓く宗教家が啓示を受けるプロセスを、私自身の経験をもって理解した。みな、インスピレーション、つまり啓示。自分の中から考え出したものなど殆どなく、外から来る。だから時々思う。「私が書いた」と言うが、それって正しい言い方だろうか。選ばれたのだ。だから選んでくださった宇宙の意思に応えようとしている。

書きなさいと言われているのだろう、メロディーは勿論のこと、歌詞も揃う。おもしろい事にメロディーは大体瞬時に入ってくるが、歌詞は思考回路の中をいくらかさまよう。だからだろう、谷川俊太郎が言っていた「詩は音楽にかなわない」。

アイドル歌手をたくさん育て、数年前喉頭がんで声帯を摘出したつんくが、世の中にはネガティブに考える人たちが圧倒的に多いと”言う”。そんな話と、吉幾三が青森県民のために書いたつもりの「俺ら東京さ行くだ」(♪テレビも無ぇ、ラジオも無ぇ~)が青森県民から顰蹙を買ったという話などがきっかけになって書いたのが今回の楽曲「あるじゃない」。人は自身に対しても他人に対してもあるものよりも無いものを見つけてネガティブになる。既にあるものは時の経過とともにあって当たり前になって行く。それでまた新しいものを求める。これは進歩のベースであり、人を躍動させるが、同時に今あるものに対する感謝を忘れさせてしまう事がある。相手に対し相手に無いものを要求し喧嘩もする。親しければ親しい程。それで、後の祭り~よとなることが多い。

「あるじゃない」は無いもの数えるより有るもの数えようと歌う。ラップリズムで始まる。私の作るものとしてはレア。




いや、素晴らしかった! 5/8

素晴らしい試合だった。めったに見られないレベルの実に素晴らしい試合だった。テニスATPマドリード・マスターズでの錦織圭とジョコビッチの試合。圭はジョコビッチに勝ちを譲ったが、内容は惚れ惚れするものだった。ジョコビッチが言う、「どちらが勝ってもおかしくなかった。」その通りだったが、負けた。勝ってくれていたら、どんなにか、彼も、私も、そして、そして。。。。モンテカルロでの決勝戦、対ナダル戦と同じように圭自身が悔しい思いをしているに違いない。確かに、かつて世界ランク1位に長く君臨していただけあり、ジョコビッチは巧みだ。だが、圭も殆ど負けていなかった。すごい、ここまで来たことが。

圭、ほんとに君はトップに行ける。あと少しだ。




ならおうかなぁ 5/8

ふと、中国語をならいたいと思った。私の住むマンションは賃貸で、中国人がかなり多い。西洋人が2,3人、韓国人、中国人の順に多いようだ。西洋人や韓国人と異なり、中国人の場合は年配者もいる。エレベータ内でてっきり日本人かと話かけると、日本語を全く理解していない中国人年配者。かつて大学で取った中国語フレーズから「中国人ですか」と声をかける。一瞬にして相手の表情がほぐれ、塊が溶け合うようにコミュニケーションが成立する。その瞬間の気の流れの良さ。中国語をならいたいと思った。中国人は日本にもっと増えるだろう。彼らと話ができるのは面白いだろうし、視野も広がる。私の生活も変わるだろう。

だが、決して今すぐではない。今は楽曲の売り込みと創作に専念しなければならないように思う。しかし、どうも私は楽器を鳴らすというお稽古事は「よっこらしょっ!」で、対し、語学の勉強は好奇心が騒ぐ人のようだ。




やはり始めた 5/14

「決して今すぐではない」なんて上で書いた中国語学習。書いた翌日書店に行ってNHKラジオ中国講座のテキストを買い早速やり始めた。4月に始まったばかりだからそんなに遅れを取っていない。何とかなるような気がした。

NHKの語学講座には本当にお世話になっている。フランス語、スペイン語、もちろん英語もだが、私の語学学習は皆ここから始まった。今では英語を除いては皆忘れているが、習っていた頃は海外旅行には不自由しないくらい使えていたような記憶がある。

この中国語学習、マスターするつもりは毛頭ないが、生活が楽しく刺激的になるくらいに使えたらいい。で、ジムで二人の中国人とちょうど鉢合わせたので試したり、マンションの下のスーパーでアルバイトをしている中国人学生にも話しかけたりした。すると、周りに笑いと微笑みと頓珍漢の輪が広がり、私の一日の一部がカラフルになった。親しみが深まる。彼らも私が中国語を学び出したことを喜んでいるようだし、頓珍漢な様子の中国人の表情に、周りの日本人も混ざって笑う。

ひとつの事に集中せよという一直線の生き方を良しとした時代は終わったのかもしれない。様々な古い価値観が壊れていく。色々な事を試しながら、試したことを見守りながら、あれからこれへと跳ねて行くことで、今は分からないけれど、何かにつながっていく。また、様々な事を試すことで視野が広がるし、自分も知らぬうちに広くなっていく。遊び感覚で試す。そんな事をディル・ドーデン著「仕事は楽しいかね」の中に出てくるビジネス界の大物が言っているが、なるほどと私はそれを中国語学習で直ぐに実行した。また、その大物のもう一つの言葉に押されて大胆な決断をした。

「他と同じことをやって成功する訳がない。」よく聞く言葉だが、今の私に大きなインスピレーションを与えた。





Are You Crazy? 5/17

Are You Crazy? そんな声が何回と私の頭の中で響く。

私の部屋にあるテレビは画面サイズが20インチの2007年シャープ製。買った当時、テレビの必要性は生活の中のほんの一部を占めるだけにしたいから、小さな画面で十分、それが知性の高い家庭の表現のようにも思った(がは)。その頃の番組には見たいものがほとんど無かったが、今ではテレビは必需品。特にBSの番組内容が良くなってからはテレビはいろいろな意味で私の世界観を広げる切っ掛けをくれる事もあれば、私の創作にもかなり貢献してくれている。それでも20インチサイズで十分だった。

だが異変が起きた。原因は、錦織圭。グリーンのハードコートなら20インチでもテニスボールは見えるが、現在行われている赤土のクレーではボールが向こう側に行くとまるで見えない。画面から2メートルほどのところに背もたれの深い椅子を持って来てもボールを追うのが難しい。彼が出る試合は大きな楽しみであり、私にとっては生まれて初めての”熱狂的”ファン活動である。彼が試合に負ける時は、なぜ負けたのか彼の心の状態が手に取るように分かり、彼の技や才能が現在世界トップランクのフェドラーやナダルに劣らない事を十分に知っているから、フロリダに手紙を送るほど。その数、4通。

う~ん。。。。テレビを買い替えようか(>_<)。問題はアンテナ線やネット接続入力端子がリビングに一つしかなく、そこは現在パソコンデスクとテレビが置いてあるオレンジ色の背の高いラックで占められている。大型テレビを置けるような空間がない。置けるのはその向かい側のステレオコンポの横だけ。そこに置くとなれば長いアンテナ線を床に這わせなければならない。それはしたくない。今の家具配置は理想的だ。テレビの買い替えは諦めよう。

と、2,3度思いながらも、椅子に座って家具をながめる。。。。。ん?ピンポ~ン!机の上にある置き型のプリンター用に使っている棚を下に降ろし窓際斜めに置き、その棚の上に大型テレビを置くというアイデアが生まれた。とにかく試してみようと、汗だくになりながら家具を移動する。すると、なんと、決まったではないか!背の高いものが無くなり、少し床面積を使うが、これまでよりも空間が広くなった感じ。ばっちり!

くわ~!知恵は出てくるものですねぇ~。これもそれも全部、圭のテニスを応援するがため。Are You Crazy?

家具を移動するとすぐに家電量販店に。テレビの到着は5月26日、全仏グランドスラムが始まる直前となった。今年最後の赤土コートでの試合。在庫があるなら持って帰ろうとしたのだが、ま、いいか。心はニタニタ。帰宅して開催中のローマ大会、圭の2回戦を観る。相手は世界ランク4位のブルガリアのディミートロフ。「こんなしんどい思いをしてまでも君見たさに大型テレビを買ったんだから、負けないでよ」と念じながら観戦。。。。ふわ~、勝った~~~~ありがとう!圭はかつて勝てた相手には怯まないようだ。そのメンタルで行けば、ジョコビッチだって、ナダルだって、フェドラーにだって勝てる!

You really are crazy! Could be! がははは・・・・( ^)o(^ )




負けたらあかん 5/31

27日から始まったATPテニス全仏オープン。これは年に4回ある最も大きな大会、グランドスラムの一つ。マスターやそれ以下の大会では一試合3セットで2セット先に取ったものが勝つが、グランドスラムでは5セットで先に3セット取ったものが勝つ。圭が出ている間は、私の生活に楽しみが増える。敗退してしまうと、ほんと、つまらない。トップ選手の試合が残っていてもちらりと見るくらい。

全仏オープンの1回戦も結構タフな試合だったが圭はストレートで勝った。だが、日本時間昨夜から今朝未明まで続いた2回戦は、負けるのではないかと思わせる瞬間が何回とあった。「負けたらあかんで東京に」という天童よしみが歌うが、ほんま、そんな気持ちで観ていた。「負けたらあかんで自分に」。

圭自身が言っていたように2週目まで残って欲しい。でなければ、君の自信が揺らぎ始めるだろう。この試合では1セットは簡単に取れたが、相手選手が2,3セットを取った。4セット目。何度も何度もジュースを重ねた後に、かろうじて圭が勝ちを取った。ハラハラドキドキ。踏ん張って4セット目を取った時、圭の表情が突然変わり、闘志が鮮明に表れ、それと共に落ち着き出した。「大丈夫だ!」落ち着いてさえいれば、勝は君だ。

そして圭が勝って終わったが、試合後の儀式を忘れるほど、気が抜けていたようだ。茫然として動こうとしない。ガッツポーズもない。ハッと気がつき、ネットに駆け寄り相手選手と握手を交わす。日本時間で夕方10時頃から始まった約3時間30分の試合。「やっと息がつけますね」と解説者が言う。正にその通り。激戦だった。普段ならとうに床に就いている私だが、全然眠くない。夢中になるものって、ほんと、こんな具合にさせる。そして私は間髪入れずこのブログを書いているんだから。

圭、勝ってくれて、ただただありがたい。まだ楽しみが続くと思うと、ほんとに、うれしい。

3回戦は6月1日(金)。WOWOWに登録しなくとも、テレビ東京で放映。偶然番組表で見つけた。(^_-)-☆圭を応援する事は、私にとって”自分”を応援している事にもなっている。それにしても、圭はハラハラドキドキさせる選手。そこが、応援しなければならない、観てあげなければならないという気持ちを起こさせるのかも知れない。安心してみていたいのだが、それでは興奮が削がれるのかも知れない。




キャスター付きキャディバッグ 6/11

私のブログを楽しんで下さる方々に申し訳ないと思いつつ、特別に書きたい事がないので、無理せずにおりました。元気で変わりなくおります。創作活動も続いております。気づいた事ですが、声は歌っていなければ、潤いを失くしますね。できるだけ、毎日30分の発声練習は心がけておりますが、2日ほどしないでいると、朝の一声がギザギザに出てくるのです。一声とは瞑想を始める前の祝詞。数年前に作った楽曲に変更を加えたものを再アレンジした後に歌入れをしますが、その声も硬い。余り硬くて、この声で録りたくないなぁと思うほど。それが何度も歌っていると、柔らかい声に変わって行くんです。声も体の一部、やはり使わなければ声帯もその他の関係個所も衰えますね。

ひとつ、目に見えないものに、現実に存在する証を見せて下さいと言ったら、本当に見せてくれたという、すごい出来事がありました。が、そんな事を信じない人には笑われるだけでしょうから、話さずに置きます。聞きたい人だけ連絡をください(*^。^*)。

ところで、キャデイバッグの話し。

私のゴルフバッグは練習に使わせて頂いている河川敷ゴルフ場に置かせて頂いているので、家にはありません。他のゴルフ場”らしき”ゴルフ場でプレイする時には、これまで往復宅配で送っていました。そうするのも年に3回程度だから気にするほどでもなかったのですが、大学の先輩におねだりして彼がメンバーになっているゴルフ場に誘って頂けるよう約束を取り付けたので(ぐわっは~)、これまでよりも頻繁にゴルフ場らしきゴルフ場に行けそうになったので、宅配も節約する方法を考え始めました。

周りの人たちに訊くと、キャスター付きキャディバッグを利用しているとの事。で、ゴルフショップに行ったり、ネットで検索したりと多くの時間を使い、スタイル、色、重量、キャッスターの大きさなど、要望を満たすものを見つけ、大変満足(*^。^*)。レディース用で軽量、キャスターサイズが直径10センチ。催促するようにこの事を先輩にメールすると、早速日程を調整して下さった(がはは。。。)。




天才は心が自由 6/14

天才は心が自由な人に与えられる贈り物。米朝首脳会談を見つめながら、しみじみそう思った。

鋭い直観力が与えられ、その直観力を固く信じる者は、凡才や秀才が考えないことを言ったりしでかしたりするから「ばか」呼ばわりされるが、誰に何と言われようと怯まず、自分の直感を信じ前進し結果を出す時、彼はアホでもバカでもなく「天才」だと周りは気付かされる。

北朝鮮の開国は軍部を始めとする国内の既得権益にいる者たちによって阻まれてきたが、トランプ氏が発信し国際社会が応じた「最大圧力」により、やっと実現に向けて動き始めようとしているように思える。かつて日本の封建主義的構造が国内ではなかなか崩壊せず、民主主義と自由の気風が最も濃い米国の圧力で瓦解したように、北朝鮮も米国や国際社会の介入で開国へと向かうのかも知れない。段階的に。

トランプ氏は、もしかすると、天才政治家と言われたウィンストン・チャーチルの生まれ変わりかもしれないと思っていたが(どちらも失読症)、同じような事を言う人を昨日図書館で読んだ新聞の中に見つけた。ちょっとうれしかった(あは)。





サッカーワールドカップ ロシア大会 6/17

開幕数週間前に監督が変わるなど、観戦者の心が高揚する前にしら~っとさせられた今大会。それに加えて、メディアの関心は朝鮮半島を巡る情勢変化に一極集中した感もあり、今回のワールドカップは「盛り上がらないねぇ」と私を含め周りが話す。なんだか、世界中が盛り上がっていないのかも知れないという気さえする。

開幕式を報じるアナウンサーが「盛り上がりが足りない」と言うので、開催地がロシアだからだろうかと案じてしまう。だが、開幕式直後に始まったロシアとサウジアラビアの試合はロシア人で埋め尽くされていた。5対0でロシアが勝ち、観戦している両国首脳もハラハラドキドキがなく気がくじかれたようで、肩をすくめ合う。アイスランドとアルゼンチンの試合では、アルゼンチン応援団がわんさか!アルゼンチンからロシアまで来たんだぁと、日本の応援に行かない事に罪悪感みたいなものが生まれる。

録画したものからポイントが付いた瞬間だけを再生しているが、スペインとポルトガルの試合もすごかった。3対3の同点で終わったが、隣国同士というのは、どこの国でも大体喧嘩しているが、そのライバル同士の戦いは特別熱が入る。ポルトガルはドナルドが一人で3点を取ったが、彼の顔は殺気が漲っている感じ。喧嘩っ早そう。街中で遭えば、顔を見るなり、避ける人相かも(がは)。

そんな若者たちが、思いっきり体当たりして倒して倒されるをグループでやっている。公認を得て。若者たちにはこういう場が本当に必要だ。持て余しているエネルギーを罪悪感なく放出する場所。彼らにとっては、おそらく、こういう事で怪我する事も、納得いく”喜び”なのかもしれない。

私も歳を取ったのだろうなぁ。当てられて重症と言わんばかりの演技をしたリ、倒れたり、怪我したリ、悲鳴を上げたり、喜び合ったりしている姿に、くすくすと笑っている。”孫”になるんだものね。井上靖の小節の中で若者たちの二つのグループが海岸沿いですれ違った瞬間、誰からともなく殴り合いが始まり、終わるとスっとそれぞれ反対方向に去っていく姿が書かれてある。それを見て、”嫉妬”する初老の男(私は読んでいないが、井上靖の文体を解説する評論家が書いたものを読んだ)。同じような思いで私も見ているのかも知れない。

世界は、いつものように、サッカーワールドカップで盛り上がっている!!!




「人生はカラフル」 6/19

5月には二人の作詞家が書いた詞に曲をつけてみた。面白かった。

本当に不思議。歌詞なら書けるけれど曲を作るなんてとんでもないと思っていたのに、音楽を専門的に勉強した事の無い私が誰かの歌詞に曲をつける。。。。。しかし、考えてみると、音大を出ても、楽器を鳴らしたり歌ったりはするが、曲は作った事のない人は多い。作曲は専門的に勉強した云々の話ではないのかも知れない。そう言えば、小室哲哉も言っていた。音楽を専門的に勉強したことがないからこそ、これまで無かったものを書ける。ミュージックスクールに月3回通っている今では、音楽を専門的に勉強したことがないなんて私も言えなくなったが。

曲をつけた二つの歌詞はあるコンペで入選しただけあって、作り易かった。ちなみにどちらも演歌。

昨日は「人生カラフル」を作詞作曲した。大変覚えやすい歌になった。世の中は色々な人がいてカラフルなのだから、人にあ~しろ、こ~しろと言いなさんなという歌。♪あなたはあなた、わたしはわたし♪。私はあなたと全然違う人間なの。神様がそのように御創りになったの。。。。。。そんな歌。(^_-)-☆

時間もある事だかから、頭の中や紙の上に書きなぐった歌詞を整理して、創作時間を増やそうと思う。どんどん書こう。




「優しい人はいませんか」 6/22

「どんどん書こう」と上のブログで書いて、また生まれたのが、「優しい人はいませんか」。8小節が繰り返し6回歌われる。昭和の歌謡曲に「圭子の夢はまた夜開く」や似たような歌で「石狩挽歌」を歌う歌手が暗い人生を年齢順に並べて行く楽曲があるが、構成はそれに似ている。

そのように作ろうとしたわけではないが、なんとなく口ずさんでいたメロディーに、なんとなく出てくる歌詞を生かして書いたらこうなった。

悲しい歌が聞こえます。誰かに聞いて欲しいけど、本当に優しい人はいないみたい。話した物語は話のタネにされるか、仕事のネタにされるか、虚栄に使われる。どこかに本当に優しい人いませんか。自分で大きくなるしかないのですか。♪




「一つの遺言」 6/26

88曲目となる。タイトルに悩んだが、結局単刀直入なタイトルにした。「一つの遺言」

最近、人が聴き入ってしまうだろうと思われる歌を作っているように思う。上のブログで書いた「優しい人はいませんか」も大変シンプルなメロディーの繰り返しだが、「歌詞を聴き入ってしまう」と言われる。

「一つの遺言」。。。う~ん内容は説明しようがない。いつか聴いて頂くしかないっす(*'ω'*)。

書き殴っていた言葉が沢山ある。そんな言葉を歌詞として整える作業が、もしかしたら一番努力が要るのかも知れない。私の場合、メロディーが先に無ければ、歌詞にしにくい。だが、メロディーは山と保存されている(んぎゃ~)。要するに腰を上げればいいだけだが。。。(^。^)y-.。o○




勝者 6/28

昨日はデラックスゴルフ場で遊んだ。なんと、前半はバーディーやパーが出て50を切る勢いだったが、後半に来てガタガタと落ちた。なぜそうなったのか、終わりも真直に迫った時、ハッと気づいた。力の入れすぎ。前半の最終ホールで、打つ方向を間違え(私はまだこのコースに詳しくない)、9打して終わった事から狂い出し、それを挽回しようと力んだ。力を入れている時にはそれに気づかない。そしてあごの高いバンカーだから怖がって砂にクラブを潜らせない。前半と後半の差は25ポイント。この教訓を生かして次戦に臨もう(*^。^*)。

楽しい時間を終えて帰宅し、夜にはサッカーワールドカップ、ドイツ対韓国を観た。どちらも必死だ。ドイツは1勝しない限り決勝トーナメントには進めないし、韓国はこの戦いに勝ち、なおかつスウェーデンが負けてくれない限り、進めない。つまりどうしたって自力では進めない。試合開始前は韓国の闘志が上がらず惨劇を見るのではないかとテレビをつけたり消したり、消音にしたりしていたが、なんとドイツに対し2対0。ものすごい歓声の中、選手たちは互いを労い泣きじゃくっている。監督も身を震わせ両手を高く上げ絶唱。そうか、一度も勝ったことの無いドイツに勝ったんだ。それだけでも大きな勝利を持って帰れるし、自信にもなる。ドイツも韓国もグループリーグ1節目が痛かった。

レフリーがちょっと気になった。韓国選手に対しファウル判定が厳しすぎる。対独戦では最初のゴールシュートを、”オフサイド”だと言う。視聴者から見ても間違いなく正当なシュートなのだが。ほっとするのは、今回から導入されたコンピュータによる診断。その結果オフサイドでないと判定された。このレフリー、ドイツに勝たせたかったのでないかと疑った。

名誉をかけて戦う韓国選手の表情、心臓が爆発しそうなほど走って走ってボールを追いかけるその姿に、私はまたドボドボ涙を流す。そして決勝進出が閉ざされうずくまるドイツ選手一人ひとりの気が抜けていく姿に、胸がキュ―っとする。

先日、日本とセネガルが2対2の引き分けで終わった時、穏やかな笑みを湛えてコートを去る選手達にホッとした。「これが一番いいなぁ」と。ま、これも激しい勝敗があるから味わえるものだろうけれど。

さて、今日は日本対ポルトガル。かつて水族館のタコが勝敗を占いその通りになったというドイツの話にちなんでか、NHKが勝敗を占うインコを紹介した。”日本”、”ポルトガル”、”引き分け”と3つのカードを置きインコが最終的に口にくわえたのは「引き分け」だった。引き分け以上で決勝進出の日本。もしかすると、ポルトガルが先制、日本が追い付き、引き分けかな。




「勝手にしやがれ」6/28

あれま、昨日は結構エネルギーのあった日だったんだぁ。ワールドカップを観ながら、私は楽曲を作っていた。「勝手にしやがれ」。思いもしなかったタイトル。中身は男女の睦言なのだが、あまりにもエロティシズムに浸っている男の歌に、なんだか「勝手にしやがれ」と言いたくなった(がは)。89曲目。後一曲今月中に行くかな。




目標達成 6/29

90曲目を書いた。タイトルは。。。。決まらない。書いているとどんどん予期しない方向に進化して行くのが私の歌書きの特徴。ん?わたし、今「進化」と書きましたね。ふん、ふん。もしかすると「進化」が相応しいタイトルかも。楽曲を書いている人の中には先にタイトルを決めて書く人もいるようだが、人それぞれ。私の場合、タイトルから入る事はまずない。なんとなく内容が入って来て、こんな感じに持って行こうと一応決めるが、書き進んでいる内、どんどん変わっていく。

夢があるのもいいし、夢がないのもいい。大切な事は夢のある無しではなく、毎日自分を進化させて生きているかどうか。毎日丁寧に生きている人は、良い人生を送るのだと思う。人からも呼ばれるし、仕事にも誘われる。毎日、昨日より今日、今日より明日をより良くしようと生きている人は活気があるし、心が豊かだ。そんな事を書いた。先に生きたものとして若い人達に向けて書いたつもり。

1週間で3曲。これ、すごい!(自分で言っています(^^♪)先週ピアノ・インストラクターの近藤先生に会う前に、2曲新しく書いて、また1週間後(つまり明日)にレッスン。うわ~、どうしよう~みてもらう材料がない。。。。で、溜まっていた言葉を急きょ整理したら、出来ちゃった(ぎゃは)。だが、翌週にもレッスンがある。こりゃ、大変!最近は直しも殆ど無いのでチェックは一回で終わる。だが、レッスンがあるがために、こうして腰を上げるし、あーだこーだ言いながら私が作った曲にコメントを頂くのはすっごくいい。

ひと月で5曲は、多産。

さて、歌書きは少し休んで、本を読もうっと。




バースディ・プレゼント 7/8

昨日は私の誕生日。朝の行事である瞑想が終わって間もなく電話が鳴った。はて、誰だろう。予期している電話はない。スマホの待ち受け画面に出てきた名前は。。。!積極的に電話がかかって来た事はない占星術師の歌子さんだ。かなり興奮している様子。「今、何か起きていない?」4年前に作家のよしもとばななの日記から見つけ、何度かリーディングをしてもらった。

「これまでのリーディングを整理していたら、丁度今日があなたの誕生日で、みるとびっくりする事が起きる事になっているの。」確かに、今結果を待っているものがあると伝えると、「It's cookingだよ!」と電話の向こうで嬉しそうに叫んでいる。実は私もそう思っている。もうすぐ私にお料理が配膳されると。

「今日の一日、決してネガティブな事を考えずに、望んでいる結果の事だけを強く想うんだよ」とアドバイスされる。

近づいている朗報があれば、決して同業者には話してならないと、ディーパック・チョプラー博士がアドバイスしている。なぜかは書いていなかったが、恐らく波動を邪魔されるのだろう。で、歌子さんの話をブログに書いてよいかと訊くと、「いいよ」と言う。ま、この願いが届きますようにという念を込めて書いておくことにした。

最近、他の人が書いた歌詞に私が曲をつけたものを電話口で聴いてもらった。彼女は東京芸大の作曲科を出ている。「いいじゃ~ん!」と少女のような彼女の心が応える。私はこの曲の採用結果を待っている。曲と詞が一体になって、何度も私の口から出てくる。覚えやすいメロディーだ。詞のウキウキ感とチャーミングさを出しながら楽しんだ作曲だった。

「いいニュースがあったら教えてね!」

いつも思う。神の声は予期せぬところから来る:It's cooking!





口臭大国 7/15

ずっと思っていることなのだが、日本人は老若男女を問わず、なぜこんなにも口臭の強い人が多いのだろう。息せき切って電車に乗って来た若い女性、その吐き出す息が広げる臭い。たまらない。近寄る距離4メートル圏外が限界の人達もいる。。。。とにかく口臭の強い人が圧倒的に多い。10年ぶりに再会した声楽の先生。3畳ほどのスタジオでレッスンを開始すると、彼が言葉を発する度にものすごい臭いが拡散する。腐敗した汚物のような強烈な臭い。その臭いは体臭となって放たれる。私は彼の場所から最も遠いドアの隅で体を壁にピタッと押し付けて凍てつく。時々ドアノブを操作して、彼に気づかないよう演技をしながら廊下に顔を出し深呼吸。自分の唾液がその臭いで汚染されたようで飲み込めず、ティッシュやハンケチでぬぐう。大学で彼のレッスンを取っている生徒たちに同情し、また彼等のひそひそ話を想像した。クワ~。

口臭は言われなければ気づかない。だから言ってあげた方が良いと私は思う。人が顔をそむけても、鈍感な人もいるが、一度言われれば、「もしかすると」となる。だが、言われても解決方法がないと思われているのが口臭。だが、ある。

これまで世界35か国以上を旅し、かつては通訳と言う仕事がら様々な国の人たちと仕事をして来た者として、一つの結論がある。口臭の最も少ない国は米国。そして口臭大国が日本。米国は口腔内衛生管理が個人レベルで徹底している人が多いからだと思うが、日本でも昔から丁寧に歯を磨いてきた(本人曰く:毎晩30分程かけて口腔内クリーニング)と言う85歳の男性はブリッジが一つだけで今でもすべて自然歯である上に、口臭が全くない。いわゆる加齢臭というのは、口臭の事なのかも知れない。

もうひとつ。ストレスの多そうな生活をしている人は口臭が強いようだ。聴くところによると、口臭の原因は血液の汚れだとか。で、血液の浄化に最も効果があるのは、黒酢と青梅。

十数年前の事だが、別な効果を狙って、ある薬局店から青梅の黒酢ハチミツ漬けを勧められた。それまで夫婦で互いの息が「くさい!」と時々言い合っていたのが、この青梅の黒酢漬けを毎日大匙に2杯二人で飲んでいると、その言葉が完全に消えたのである。それでハタと気付いた私は、ペットボトルに入れて上の声楽講師に飲んでいただいた。

すると、本当にびっくり!あの嘔吐を催すような臭いに代わり、まるでそよ風が彼の身体から漂ってくるようなのだ。これ程の効果があるとは!と考案者兼提供者の私が驚いている。彼の奥さんも長年「くさい!」を彼に連発していたらしいが、言われると気分を害し、「話せなくなるだろう!」とお叱り。どんな理由からか訊きそびれたが、奥さん自身も以前から黒酢を飲んでいてご主人にも勧めた事があるらしい。ところが、同じ事でも他人の言葉には耳を貸すが女房の話には貸さない亭主は拒絶。(世の中の男と言うもの、なぜこの類が多いのだろう)。で、奥さんから「しずさんから言われたと主人に言って良いですか」と訊かれ、そのように伝えると「匂ったか~」とニタリ、「俺にも黒酢をくれ」と言い出したとか。

どうぞ、ご参考にされてくださいませ。自分に口臭がないと言う自信は、”自由”を獲得します。街中がきれいで評判の良い日本、口腔内も綺麗であった欲しいものです。




「たんたんと」 7/16

6月29日付のブログで90曲目のタイトルを「進化」としたことを書いたが、あのメロディーは別なものに使い、タイトルも「たんたんと」になった。内容も松下幸之助氏の物語を綴る歌になり、氏が言う「素直」と私が想う氏の生き方を「たんたん」という言葉で表現し、タイトルは「たんたんと」になった。余計な憶測をせず、人の話は素直に聴き、自分の境遇をそのまま受け入れ、他人を妬む事も無ければ、足を引っ張ろうとする魂胆もない。ただ目の前の仕事を淡々と進める。出来そうで、なかなかできる事ではないだろう。生きていると、いろいろな事が覆いかぶさってくるから、注意があちらこちらへと散漫になり、ネガティブな感情に支配されてしまう時がある。しかし、この境地こそが事を成し遂げる者に必要なのだろう。氏の場合は努力してそうなったのではなく、天分だ。「私は皆さんのように頭が良いわけでも、教育を受けた訳でもない。他の人と違うところが何かと考えてみると、素直だった」(幸之助氏、松下政経塾で)。

そして今日書き終わったのが、「私が好きになる時」。これが進化と結びつく。ダーウィンの「進化論」にもあるように、自然界の生物は皆進化してゆく。人間も何ら変わらない。生きているという事は進化して行く事。うまくできているなぁと思うのは、進化している自分を人は皆好きだ。だから進化するように人間は創られている。昨日とは違う私、今日とは違う明日を紡いでいく。進化している時、ウキウキしてくるし、活気が出る。この時人間は充足感に包まれ、生きている価値を確信する。ある意味、吉田拓郎が太宰治からヒントを得て書いたのだろうとネットで書かれている「今日まで、そして明日から」で歌われている、全く変わらない私と真逆である。91曲目。




INSPIRATION 7/19

92曲目。おそらく多くの歌手やソングライターよりも、英語に親しんできているはずの私だが、英語を楽曲に入れたのは、かなり昔に書いた「Happy Birthday at 浜松町」だけだと思う。このタイトルも、「有楽町で逢いましょう」みたいねと一部の人から冷やかされている。その「浜松町」部分を取ると、他の部分にも影響が出て結構な修正になったが、それなりに洗練されたような気がしなくもない。だが、タイトルは決まらないまま。

INSPIRATIONという楽曲を書いた。Down and out闇の中で一人もがいている時突然訪れるinspiration。Inspirationは光とも言えるし、天智ともいえる。導かれるままに素直について行けば、必ず出口が見つかる。

昨年のノーベル文学賞を受賞した日系イギリス人カズオ・イシグロの小節が面白くて、小説を読み続けるか、楽曲を書くか、ちょっと迷ったが、心がどちらに向いているか静かに聞き耳を立てたら、歌作りだった。小説を読むのは、既に目の前にあるものを、工夫を加える事も無く、受け入れる受動的な活動であるのに対し、楽曲作りは色々と工夫をこらす能動的活動だけに、面倒と言えば面倒。だが、小節を読むのは、歌作りのインスピレーションを拾うためであるなら、書く材料がたんとある今、書かねばと、丸一日在宅の日を入れた。

さ、これで、再び、イシグロの世界にたむろしよう。




「君の声が聞こえない」 7/22

調子のよいメロディーが生まれたので、それに歌詞を載せてると想像だにしていないものが生まれた。「君の声が聞こえない」。愛を失いかけている人の悲鳴のようなもの。歌詞を載せていると、過去に私が最も愛した人の叫びに似てて、胸が締め付けられた。様々な映像が次から次に脳裏に映され、「あ~あ、書けない」と途中でPCを閉じた。だが、こうして書く事で私も、また同じ境遇にいた事のある人達がいつかこの歌を聴くことで、胸の中に残っている悲しみのかけらを流し去るきっかけになれば、と思う。93曲目。今年中に100曲になるかな。

自分の書いた歌に励まされて、淡々と歌を書き続けている。近藤先生とのクラスがこの作業に大いに貢献しているのだが。。。。私が曲を作らなければ、クラスの時間が持たない(がは)。




「人生劇場」 7/23

ちょっとすごいな。自分でそう思う。昨日、上の「君の声が聞こえない」を書いた後に、殴り書きをしておいた詞をまとめ、過去に降ってきたメロディーを当てはめて、また1曲生んだ。「人生劇場」。同じタイトルの歌が日本の演歌にあったように思うけど。

人はそれぞれがそれぞれの脚本を持たされて生まれてくるように思う。俺の舞台でお前は悪役だったが、他のところではいい奴やっていたのだろう、と人生劇場の千秋楽が近づいてきた男が歌う歌になった。

ここのところ、以前にも増して、いい歌を作っているように思う。上の「君の声が聞こえない」は、書いていると、ジャック・ブレルの「行かないで」を思い出していた。「行かないで」はブレル自身が歌ったものを聴くと、とてもとてもリアルで胸が締め付けられるような思いになる。「君の声が聞こえない」は全く異なるリズムとメロディーだが、作者の私は涙、涙で書いた。そして、この「人生劇場」も、私がいまの私になっていなければ、絶対かけなかった歌だ。いい歌!ほんとうに!

94曲目。




95曲目 8/3

今年中に自作曲を100曲にしたい。別に何がある訳じゃないが、自分に課した仕事。一つ一つのテーマを歌にすれば、確かに何曲でも作れるような気がする(そう言えば、そんな事をなかにし礼が言っていたっけ)。今は神が私に沢山のアイデアを与えて下さる。吉田拓郎がかなり前のラジオ番組で「何にも来ない」と言っていたが、彼の使命は恐らく終わり、次の人に引き継がれるのだろう。私がテーマとして取り上げる詞も尽きる時が来て、同じような視点、またはもっと面白い視点を持たされた者に引き継がれていく。

それで今朝仕上げたのが、「繰り返さない」(暫定)。なんと多くの人たちが、自分の目の前にある生活、又は目の前にいる相手に不満を抱いている事か。幸せは誰かが持って来てくれるものだと思っている。そのため、かつてのあの人と一緒になっていたなら、自分は幸せだったかもしれないと考える。そんな人に送る応援歌になるかも知れない。幸せは自分自身が紡いでいくもの。




うな重 8/7

酷暑にとうとう体が悲鳴を上げた。原因はヨガのクラスの途中から入る冷房。これが気持ち良い日もあるが、他の人の話ではこの日の最後の「屍のポーズ」と呼ばれる仰向けで数分寝ているところが長かったとか。それで風邪を引いてしまい、翌日の納涼会にも出られず、家でダウン。

喉まで痛く、常備薬の葛根湯と市販の風邪薬でどうにか5日間を乗り越えたが、まだ体から風邪気味が抜けていないので、今日内科に行った。その待合室で月刊誌をパラパラ捲っていたら、すぐ近くに、どうも有名らしい、うなぎ屋があるのを知り、帰りによった。

うな重を食べたのは人生3度目だろうか。印象は初体験時と変わらず、うなぎになぜ騒ぐのだろうと、首をかしげる。ランチで3,600円。帰り道「ここの広東ラーメンだって同じくらい美味しいよね。800円で食べられる」などと、心の中でつぶやいていた。

勢力が付くと言われるウナギ、これで風邪も吹っ飛んでくれればいいが。




あれれ? 8/8

7月7日、私の誕生日の朝一の電話が占星術師の歌子さんからだった。「今何か起きていない?」と吉兆を示唆する声。その時待っていたのは、演歌歌手への作曲コンペの結果。だが、入らなかった。色々な意味でかなり自信があったのだが、ま、始めての挑戦でグランプリを妄想するのは、あまいか。

コンペ作品は2つで、ひとつは一般公募から、もう一つは協会会員の作品から選ばれた。生きてきてこの方考えた事も無い作曲コンペへの挑戦は、自分でも驚きだったが、歌を書くのだから、他の人が作詞したものに曲をつける事は、確かにできる。歌手の写真付きコンペ募集チラシが届いた時、私の中に光が射し、瞬間、これは行けると思ったのだが。メロディーもその前日に降りて来ていた。そして歌子さんがくれたBussness Success(成功)の高い数値。だが結果はNO。

それを歌子さんに告げると、「どう読むかだよね。そのコンペの事ではないかもしれないよ。」私もそう思っているけれど。。。良い話が沢山あって、それが皆指の間からこぼれていく砂のようで、ここのところ不安に包まれていた。人に対する愛が足りないのか。。。ソングライターの仕事は私が望んだわけじゃないし、神が私に書かせておられるのだから、神が道を耕されるだろう。「細かいところは神にお任せしなさい」と言っている人がいたではないか。。。などと考えたりして。ま、ここまで導かれるままに素直にやって来たのだから、行くっきゃない。まずは、100曲目指して。




ちょっと間違ってない? 8/9

最近ちょっとネガティブになっていたように思う。自分がネガティブな心境にあることを多くの人が認識できないでいるが、認識できなければこの状況から脱却できない。たとえ、歓迎しないことが外から襲来したとしても、それを受け取るこちら側がネガティブになってしまうといかん。今年はそんな事が二つばかりあった。それ以来私の気の廻り方が変わってしまったようだ。

それを整えようと、今朝、改めてディーパック・チョプラー博士の本を読んだ。数冊の中から最初に開いた本の冒頭部分にハッ!:「出会う人すべてに心を開くことができなくてはならないのです。」「人生の出来事はすべて自分の身に降りかかってきたもののように見えます。しかし実際は、経験を創り出しているのは私だち自身なのです。」

「宇宙にアクセスしていると必要なページが瞬時に示される」と色々なところで読んだり聞いたりして来たが、その点が外れていなかったとなると、私は宇宙と同じ波動の中にまだいるのだと思えて来た。

ずっと努力していかなければならない、私の人生課題だ。大分心が落ち着いてきた。




「必然」 8/13

96曲目 「必然」
なんだか、硬いタイトルやね。全部出来上がってタイトルを考える私は、タイトルに結構悩む。これも暫定的だけれど、一応「必然」。

人生で起きる事は、その人生に必要があって起きる。あまりに悲しい出来事に、「私は神を信じない」と言った人がいた。神は優しく、願った通りの生活をさせてくれると思っているのだろう。否。神は厳しい。その目的は、人を神の水準まで引き上げる事にあるから。人は神にはなれないが、自身を引き上げることはできる。常にその努力を神は人にさせる。願ったものが手に入り、愛する者を失う事がないなら、人間は他人に同情する事もなく、他人へのやさしさや思いやりを育てることがないだろう。

その魂磨きの為に、人の人生は、見方によっては苦難の連続。苦難を苦難と見ない松下幸之助氏のように真に幸せな人もいる。常にポジティブだ。だから苦無く、気付いたら日本の経済をリードするほどの人になっていた(孫正義氏は、幸之助氏の魂を引き継いだか、幸之助氏の守護霊が憑いているのかも知れないと最近思えて来た)。幸之助氏の思考や生き方はどんな仕組みだったのか。なぜそうなったのか、やっと私はディーパック・チョプラー博士が説いていることがよ~く分かったように思う。何度も何度も繰り返して読んた後で。

そんな事もあってか、私が気付いたことを「必然」の中でやんわり書いた。色々な出来事が常に起きる人生だが、一見歓迎しない事も、いい方向に向かって行く為の序章みたいなもの。

「去る人に感謝せよ。新しい良きものが来る」(谷口雅春)。11年前目を見張った言葉だが、宇宙や人間の心が同じ情報やエネルギーでできていると言うチョプラー博士の万物量子論から、この言葉の真理が体に染み込んできたように思う。




97曲目ができた 8/14

決めたことをスケジュール通りしているせいか、気も締まってくる。今日はジムが休み。ジムが休みになる火曜日は1週おきにゴルフに行く事にしているが、酷暑のため、ゴルフ場も閑散としている。2週間前に行った時には、びっしょり汗をかいて、before/afterで体重が1キロも違っていた。スポーツ飲料を半リッター飲んでいてもである。そのゴルフ場へのお出かけは昨日のジム臨時休業日に実行し、今日は朝から在宅で曲作りをしようと決めていた。読みたい本もあって、充実した一日になると昨夜就寝前から、幸せ気分だった。

何を先にするか、やはり曲作りが優先された。以前に書き留めた、ちょっと切ない歌詞で生まれた新曲は、「ニックネーム」。偶然地方の駅構内で再会したかつて夫婦だった二人。当時互いに呼び合っていたニックネームで女は男に声をかけるが、男は気付かず改札口へと急いでいる。女は躊躇いながらラストネームで彼を呼ぶ。振り向いた男。ニックネームで呼ばれても気づかぬほど、二人の暮らしは沖に追いやられてしまったのかと、女は淋しい。電車が入る。新しい家族が待つところに男を行かせなければと、女は話を打ち切る。男の後姿を思いを詰めた心で見送る。突然男は振り向き、大きく手を振りながら彼女を呼ぶ。男がかつて女に付けたニックネームで。

この楽曲も、涙を流し流し、洟をかみかみ、ティッシュを傍に置いて書きあげた。始めて主人公をかつての夫婦として登場させた。




ラストネーム 8/19

上のブログで話した97曲目の「ニックネーム」。昨日の土曜日にピアノ・インストラクターに聴いて頂いたら「ラストネームって何?」と訊かれた。

え?!うそっ、本当に知らないの?帰り際、スクールの受付カウンターにいる30代から40代の女性二人に「あなたのラストネームは何ですか」と試したら、本当に二人とも知らない。ううぇ~~~。だから、第三者に楽曲を聴いて頂くのはいいのよね。心からそう思った。当然誰でも知っていると思っていた事が、3人も知らない。つまり私が訊いた人、全員知らなかった

ラストネームは日本語で苗字の事。姓。ニックネームとラストネームをこの楽曲で対で使おうとしたが。。。。で、ラストネームの代わりをどうするか。「苗字」「上の名前」(ださい)?悩みに悩んで、「名前」に落ち着いた。「名前」の前に、それが苗字だと分かる言葉が入れば、いけるかも。

そうかぁ~ラストネームはまだ日本語じゃないんだぁ。この楽曲のタイトルを逆に「ラストネーム」にして物語を作れば、分かるのだろうけれどね。そしてその楽曲が日の目をみたら、日本語としての市民権を得られるかも、ね(あは)





「ずっとしあわせ」 8/22

97曲目を書いた後、その次の曲の詞はほとんど出来上がっていたから、もう98曲書いたのと同じだと、周りにはそのように触れ回っていた(がは)。言ってしまった手前、早く書き上げなければと、ちょっと急いだ。で、書き終えたのが「ずっとしあわせ」。NHK「みんなのうた」で鳴りそうな歌になった。

多くの人が、幸せはもたらされるもの、誰かが現れて幸せにしてくれると考えているようだ。例えば、白馬の王子様か何か。または幸せはどこかほかの世界にあるのではないかと探して歩く。例えば、青い鳥のようなもの。

しあわせは、いろいろな事に幸せを感じられる心が生み出すものだと、私も気づいた。それを「幸せ上手」と私は呼ぶ。素敵な人が現れたり、どこかで心ときめく物を見つけても、普段の生活に戻ると間もなく幸せ気分は消えて行く。美しいと感じるものが沢山ある人は幸せな人だ。逆に、自分以外の人が作った物はほとんど全て否定するような人もいる。常に否定の心でいるから、自分が中心で居られる場所以外はどこに居てても居心地悪いようで、気の毒だ。

ずっと幸せでいたいなら、傍に幸せ見つけられる心でなければ。。。。そんな事を書いた。

私自身も気に入っているのだけれど、最近書いた「ニックネーム」と「人生劇場」がいいらしい。あちらこちらでアカペラで歌って反応を見ている。特に詞が良いと言う。さて、100曲まで、あと2曲。今のところ、是非これを書きたいというものがない。これから読書三昧。どこかでインスピレーションを頂くだろう。




テニスUS オープン 9/10

1年に一度行われる全米テニスオープン。グランドスラム(世界4大大会)の一つだ。

3,4年前から錦織圭の試合をずっと見守っている。準決勝までに上りつめてくれてファンとしてホッとしている反面、ジョコビッチに"また”勝てなかったことを残念に思う。

圭となおみの違いを話してみたい。なおみにとって“勝”は結果の話で、大きく成長したメンタルを持った今、自分がどこまで行けるか、試したかったのだと思う。準決勝で勝った時も、「次はセリーナとの試合だから頑張ったの・・・」「なぜ?」「だってセリーナだもの」と答えていた。ワクワクしているのである。

対し、圭は、自分の勝ちが容易でない選手に苦手意識を持つ「xxxとはやりたくない」。対ジョコビッチとの準決勝での圭は、不安と恐怖でコチコチになった表情でコートに入って来た。“勝ち”が先行しているからこうなるのだろう。最近こそリラックスした感じが見られるようになったが、彼がテニスしている姿は、苦痛を感じさせることがよくある。

将棋棋士の羽生善治がその著書で書いている:勝負は勿論勝つためにあるが、勝をあまりに意識すると雑念が入り、結果、うまく行かない。まっさらな状態でないと、ふとしたアイデアが降りてこない。


なおみについているサーシャコーチはなおみのネガティブなメンタルをポジティブに変えることに成功したようだ。「なおみは他の人のミスを含め、驚くほど永遠にミスを覚えている」。いつまでもミスを覚えているから、またそのミスをしてしまうのではないかと常に不安に襲われる。「ポジティブになれ」「もっと試合を楽しめ」と言うのは簡単。問題は今のネガティブな状態からポジティブに移行させられるプロセスを一つ一つ組み立てて行ける誰かが圭に付いている事だろう。


もう一つ今回の大坂なおみの勝利の要因は、彼女のコーチがかつてセリーナ・ウィリアムズの練習パートナであったことから、彼女の攻撃パターンを熟知しそれをなおみに伝授していた事にもあった。ロジャー・フェドラーの練習相手(世界ランクでかなり下位にいる)が、ロジャーに試合で勝ったことがある:「ずっとロジャーの練習相手をしていたから、彼がどう出るか分かっていたんだ」(選手の言)。
準決勝でジョコビッチ陣営は錦織圭のスタッツ(統計)を分析し、作戦を練ったようだ。「作戦がうまく行った」(ジョコビッチ)。

勝ちたいために沢山練習を重ねるが、コートではその練習を積み重ねた今の自分を試すベストプレイだけを考える。コート上で、ミスってしまった事をくよくよ考え反省したリ自分を責めたりしていると、必ず心を縮小させる。だが圭はこのプロセスをずっと繰り返していた。対しなおみはこんなにも短時間で同じ癖を打破したようだ。


なおみの快進撃に大きな拍手を送るとともに、圭には、なおみのUSオープン優勝に刺激され(なおみも圭のウインブルドン8強入りに刺激されたと言う)、自分を超えると強く強く決断して実行して欲しい。もう時間がないのだから。




「愛よりも」 9/12

99曲目は、「愛よりも」。

愛ほどに価値のあるものはない。確かにそうも言えるが、それ以上に”必要な”モノがあるかも知れない。それは自分自身の進化。言うなれば霊性の進化。ここ10年、実は私はこれを努めてきたように思う。完璧には絶対ならないし、それを望まないが、Before/Afterはかなり違う。

とても愛していたけれど、別れた夫婦。容姿も家も仲の良さも周りの人たちが憧れる程だったが、常に二人の世界にいた。結婚十数年のある日、女は多くの人とつながりたいと思い始め、男はこのまま二人だけの世界を望んだ。男は新しい家庭を持ったが、それでも、決して口にせず、元妻を10年経っても慕っていた。女には成りたい自分のイメージがあった。遠い道だが多くの人とつながっている自分。それは彼女の脳裏に常に輝いているほど直接の目的であった訳ではないが、進んできた道は、彼女の霊性を磨いていた。今でも元夫を心から愛し、彼が幸せであるよう祈っているが、霊性磨きは彼がいては成し得なかった。彼女は彼にあまりに依存していた。彼女は過去のどの時代の自分より今の自分が好きだ。

自分が進化する。これ以上に心が満たされるものはないだろう。

愛よりも大切なものがあるなど、私は考えた事が無かったが、愛が最も大切だとも心底思っていたわけではない。世間でそういうからそうなのかと思っていたかもしれない。一個人を深く愛する事から、全ての人を愛する”神的”愛へと覚醒されると、人は恐怖を知らず心が本当に豊かになる。

自分が進化する事は一個人への愛より大切ーーー私が独力でこの考えに気づいた訳ではない。「踊る物理学者たち」の著者ゲーリー・ズーカフの言葉にハッとさせられた。




不思議ね 9/18

100曲目「青年の悩み」を書こうと歌詞を打ち込んだら、ワンコーラスの歌詞はできたが、その後で躓いた。

死がふたりを分かつまで、愛す。

結婚式が近づいた青年、なぜそんなことを誓えるのかと悩む。明日何が起きるか分からないのに。彼女だって、僕だって。。。。。。

このように面白く始まったものの、描いていた2コーラス目の歌詞が、うまい具合につながると頭の中で考えていたのだが、そうは行かなかった。どう持って行けばいいものか。。。。とりあえず作業を進めようと、曲を譜面に落とし、そのメロディーに乗せて2番目の歌詞をいじくっていると。。。。あれれれれ、思わぬ結果になった。不思議だぁ。私が書いた事に、私が気付かされた。というか、誓いの言葉の新しい解釈である。

上のブログと関連しているが、人と関わることは誓えなくとも、自分だけに関する事は誓える確率が高い。「愛し続ける」とは誓えないが、「成長し続ける」とは誓える。人間として進化し続けると誓う。すれば、愛というものが肉体的な結びつきだけではない事も分かってくる。風が二人を分かつことがあっても、愛し続けられる。という事は死が二人を分かつまで、愛し続けられる。

そう書いて、私は本当にびっくりしている。導かれて書かされたようだ。

もう少しで完成。




100曲目完成 9/19

「青年の悩み」を書き終わった。

最近、2つのバージョンを書く事がよくある。これもそのうちの一つ。最初に出てきたメロディーとその後別のシチュエーションで出てきたメロディーにそれぞれ歌詞を載せる。書きたいことが沢山あるのだろう、次のテーマが既にある。おそらく「ナチュラル」かな。

100曲になったら、改めて行動を開始しようと思っていたのだが、アレンジャーのAnzに別件が入り、私の方に手が回らない。直ぐに他に当たろうとしたが、これまで結果を急ぐ癖がミスを重ねたので、彼の別件作業が終わるまで待ってみようか(来年になってしまうかも)、どうしようかとアクションを控えている。。。。1週間ほど様子を観てみよう。




街中での出来事 9/26

昨夕誰そ彼はと思う頃、図書館を出ると雨が降り出していた。道路は滑りやすい。そこを両手で松葉づえをついたインド人風の男性が歩いていた。「大丈夫?」、青年はタクシーを呼んで欲しいと言う。私は50メートルほど先にあるタクシー乗降場に先に行き、運転手に身体障碍者を乗せて欲しいと頼んだ。
OKを取り青年に合図をしようとすると、すべって地面に完全に平伏している。傍を小走りに人が過ぎて行く。誰も手を貸していない。青年の心中を想い、冷気が私の内臓をくるんだ。戻って肩を貸してタクシー迄リードしようか、いやそれも彼にとっては苦行だ。私は運転手に車を回してくれるよう頼んだ。

快く私の指示に従ってくれたタクシーの運転手。私が手配をしている間に、青年は30メートルほどまで近づいて来ていた。タクシーに乗せるため彼のところに戻ると青年はパニック表情。いつの間にかそれぞれ見知らぬ同士の一人の女性と男性が照れ笑いを湛えながら青年と一緒にゆっくり歩いている。また倒れたら起こしてあげようとしているのだろう、
必死に前に進もうとする青年の背中から彼らが取った距離が物語る。タクシーを呼んできた私に女性が言う「すみません。気が付きませんで」。

青年をタクシーに乗せた後、ふと自分の変化に気づいた。この一連の動きをためらいも、てらいも、気負いもなく、ごく自然にやっていた。やるべき事として当然やっていたようだ。自分にうれしかった。




「ナチュラル」9/26

イギリス、スコットランド、アイルランドの歌には神に救済された歌が多い。Amazing Grace、You Raise Me Upなどは私が親しんでいる歌だが、それ以外にも聖歌を含め沢山あると思う。ただ、この2曲はポップソングとして米国でも色々な人に歌われている。米国で生まれたこの種の歌もある。

上の2曲の歌はメロディーも緩やかで心に沁みる。私も神を知り抱かれて救済された一人だ。その思いをいつか歌にしたいと思っていた。私から美しいメロディーが出てくるだろうか、出て来たとしても、ずっとずっと先になるだろうなぁ。だけど現時点での私の神への思い、感謝を歌にしたい。そして出て来たのが、「ナチュラル」。そういえば、最近亡くなったAretha FranklinがNatural Womanでやはり神の救いを歌っている。

音楽の世界に入り色々なミュージシャンに接する事で気づいたことがある。自分を大きく見せようと尊大に振る舞い、売れていると印象付けるため嘘をつく人が多い。中には、嘘無くして生きていないのではないかと思うほど、嘘が日常茶飯事に舌からころころすらすら滑り落ちてくる人もいる。みな個人経営者、会社勤めをして学ぶ機会が無かったのだろう。生き方を教えてくれる”師”に出会えなかったのだと思う。彼等に限らずこの心模様を持つ人は多い。この歌がそんな人たちに届いて、何かを感じてくれたらと、わずかな希望を持っている。師のいない人生から彼等より少し先に師(神)をみつけた私。書かせて頂いたと言った方が正確だ。

101曲目「ナチュラル」はそんな歌。流れるように永遠に続くようなメロディーの上に歌詞を載せた。

今年は20曲書いたことになる。これまでの最高記録に到達。どうも私の最高記録を更新する年になりそうだ。アイデアがまだまだある。(^。^)y-.。o○