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4月
 
「静けさの中で」 4/30  来生で逢いたい人 4/30 満ち足りて 4/22  神様の仕業 4/17

捨てられないもの 4/14   やりました! 4/8   「言わないで」 4/6  お花見 4/5 「生かし合う者たち」 4/3 




3月

   しあわせゴルフ 3/31   笑い話 3/27  「光合成」 3/25   

「冬椿」 3/18
  「飛行機雲」 3/10 WOW~お! 3/7 「あなたは今も夢の中」 3/4    引っ越し 3/1




2月

大坂なおみ 薄ガラスのようで 2/21  「都会の憂い」 2/21 

やっぱりね 2/19
  はいはいはい 2/16  「幼なき人」 2/11   久しぶりのステージ 2/10   「心なければ」 2/1




1月


曲作りが変わった 1/31
  小林秀雄 1/30  一幅の絵 1/26  なぞ 1/23  心技体 1/23   アニミズム 1/7   
   



謹賀新年

近づいてきているような気がする。いよいよ来るのだと。

2015年9月、「希望の足どり」という楽曲を書いた。これは夢を追いかける人が、その実現を今か今かと待つ心模様を歌った: 「近づくわ、近づくわ、走っておいで!」

かつて「その出会いが良いなら、宇宙がそれを祝福する」という言葉を読んだ事がある。周りに、自然の中にその祝福が感じられると言う訳だ。アレンジャーのAnzとのコラボが再開した時もそうだった。翌日、何年も連絡を取っていない私の応援者からのメールがあった。そして今回も、逢うべき人とつながった後、なんとなくパチンコがしたくなって3千円を使ったら、Wow!。笑うかもしれないが、私にはわかる。逆に、別れなければならない人とは、その逆が起きる。

あちらこちらの”読める”人達が「今年は良い事がある」と伝えてくる。そう、これまで私は楽曲を聴いてもらう相手を間違えていたようだ。というか、様々なジャンルの楽曲ができるから、自分でもどこに行ったらいいのか確信が持てなかったのだと思う。でも、その考えも違うのかも知れない。新しい時代の始まりを待たなければならなかったのかも知れない。

やっと見つけたが、実は昨年の夏ごろにその人宛の名前を書いた封筒を準備していながら、想いが究極になるまで待つ事にしていた。この人から別な人を介して連絡があって以来、私の中で燃えるものがあり、昨年暮れの30日からこの正月3日までの5日間に4曲が生まれた。「化粧」「夢ありなし」「コムディー」、そして改作した「生きた証」。




アニミズム 1/7

上で言っている「宇宙が祝福する」と書いたところは、いわゆるアニミズム、汎神論。「西行花伝」の中で西行法師が中国の僧に同じような事を言っている。答えを求めても見つからない時、周りの草木や自然が語る事があると。「やさしさに包まれたなら」の中でユーミンも神様からのメッセージが色々な事象を通して贈られると歌っている。このブログで私がよく「神」と書くのはまさにそれ!歌を書くようになって以来、それ以前より多くの啓示を受ける。それで今は神が存在すると心から納得している。私達が自分の意志でやっていると思っている事も、実は神がその意思を人に持たせている。驚くような巡り会わせも、神の采配。まさに、シェークスピアの「真夏の夜の夢」の物語だ。シェークスピアも神を信じていただろう。神の智慧無くして、あれほど面白いものをいくつも短時間に書けるわけがない。

だから人の想いが神がその人に与えた想いと一致するなら、素直に生きていれば、必ずその想いを遂げられる。というのはその想い自体が神の想いだからだ。しかしエゴで固まって、「否」と神の意志に対峙し、神と不調和(つまり人とも不調和)な想いは、遂げられない。一時遂げられたように見えても、直ぐに瓦解する。人は他の生物同様この自然界の構成員である。他の生き物は皆”素直”に生きている。あるがままを受け入れ、自分の運命を生き尽くしている。素直に生きる事が自然の営みなのだ。人も例外ではない。素直さが欠けると、周りを見ても、絶対何事もうまく行かない。また素直な静かな心がない限り、自然が語る答えも聞こえない。

松下幸之助氏は、「気が付いたらこんなに大きくなっていた」と自分の事業についてコメントしているが、氏には自分の仕事を大きくしようと言う夢などなかった。ただ素直に人の話を聴き、聴いた事を素直に行動に移してきた。それがために周りはより多くのアドバイスを氏に与える。才能があった訳でも、知能が高かったわけでもない。「私が他と何が違うか考えますと、私は素直でした」。これが氏の成功の鍵だった。だが幸之助氏の場合は、素直さは天性。多くの人は努力して素直に生きられる。

余談だが、宮崎駿の作品は彼のアニミズム信仰をベースにしているらしい。今読んでいる彼の話から知った。




心技体 1/23

ふ~~~~。錦織圭の全豪オープン4回戦と準々決勝を観ながら、自分のメンタルを超えるのは本当に難しいとしみじみ思った。圭は、彼自身にもなぜだか分からない、自分を破壊してしまうような負の力が働いているように思う。4回戦の相手は圭が優に超えられる選手だった。その試合の1セット目、圭自身も6‐2か6‐3で勝てたと後から言うが、実際は6‐7で負けた。最終的には5時間強のフルセットを戦い際どい勝ち方をしたが、その身体的疲れとメンタルの疲れが出て、準々決勝では、相手がジョコビッチだった事もあり、途中棄権。

信じられない勝ちを得た後に彼が常に陥る”穴”。これを救うのは自分しかいないのだが。。。。なぜだか分からないけれど、自分をマイナス方向に持って行ってしまう負の力。私にもかつてこれがあった。負の結果に自分を誘導してしまう。今はほとんど完全に克服した(と思う)が、その方法を彼に教えたい。瞑想。瞑想は、自分の無意識部分を浄化する手伝いをしてくれる。そして、エゴを超越し魂の場所に心を座らせる。




なぞ 1/23

104曲目のタイトルは「なぞ」(^。^)y-.。o○。
人の命の終わりや人と人の関係の終わりを、その人達が愛でていた”物”が告げる。目に見えない心霊的な話は断固信じないと言い張った一人のデンマーク人男性が、彼の叔父が亡くなった時、叔父が持っていた時計が全て止まったと言った。本当に不思議だと。こんな話もある。結婚して初めて迎えた夫の誕生日に大枚はたいて妻が夫に贈った時計が、16年後離別と同時に止まってしまったと。

物が未来を告げる。上のアニミズムの世界だろう。物が語る事もある。

そんな事を歌にした。本当に不思議だ。でも、事実起きている。




一幅の絵 1/26

近藤先生にみて頂くものが無くなったので、ミュージックスクールを退会するか、またはギターレッスンでも取ろうかと考えたが、習い事をする熱意はない。で、退会を選択しようとしたが、どうも近藤先生が名残惜しそうだ。確かにずいぶん長いこと色々話しながら来たもの。話と言っても主に歌詞の内容について語った事が多かったが、互いに心置きない友人になった感がある。

とりあえず今月残っているクラス(つまり今日)の材料を用意しようと、メロディー貯蔵庫から適当に選び出し記譜を済ませ、そのメロディーを何度も口ずさんでいると、歌詞が生まれた。ちょうど、文芸批評家の小林秀雄の対談集を読んでいたら作品の視覚的な要素の重要性を説いていたので、それに倣って書いた。昨年正月2日に見た河川敷ゴルフ場での景色。しかし見たものや聞いたものを並べたが、はて、この歌詞は何を言いたいのか、どこに行こうとしているのか、作家の私が分からない。が、とにかく書き進んだ。すると、

あらららら、きゃ、きゃ、まとまったじゃな~い!まさかの歌詞の展開に嬉々とする。一幅の絵のような光景。それは命の賛歌。ぎゃは~、良いじゃないすか!!!こんな歌ないっすよ!なぜ私はあの時あの風景に感動したのか、その答えが私の方に歩いてきたのである。

この楽曲の出来上がりに気をよくしたので、「よっしゃ!」と近藤先生のクラスを続けて受ける事にした。授業があれば、こんな具合に自分で自分の背中を押して(見えないもう一つの手があるんじゃ)、どんどん楽曲を書けるかもしれない。それにこれからはもっと積極的にライブをしに遠方にも行こうと思うので、その際の伴奏のお手伝いを先生に打診したら、彼女の授業がない日ならOKと了承された。その際の音合わせも授業時間を使ってできるだろう。

で、出来た歌のタイトルは「一幅の絵」。




小林秀雄 1/30

もう1月も終わり。年を取ると時の流れが速く感じられると言うが、時の流れ自体が速くなっているのではないだろうか。なぜこう言うか、説明するとかなり長くなる理由があるが、ここでは省こう。

さて、上で述べた小林秀雄の対談集を読んで、この人の人間味がとても感じられた。私は彼の感性と知性と人柄が大変好きになった。大変率直で事やモノの本質を射抜く。そして温かい人間性。私と心の琴線が似ているように思う。最初はたじたじだろうが、言葉の運びが拙くても本意や根底をしっかり受け止められて会話が進むように思う。学生時代に彼の批評を読んだとしてもついて行けなかっただろう。当たり前だ。人生経験の浅い者が人生経験の深い者の話を理解できる訳がない。だが、今なら語られる。そんな気がする。

ものの見方が、大それた事だが言ってしまうと、私と似ている。なぜ似ているのか、対談集を読み進んでいったところに答えがあった。彼は、宗教心は人間の中に既にあるものだと言う。ここのところで私はドキッとした。なぜ彼はそう思うのかさらに読み進んでいくと、彼の母親は天理教の信者であったらしいが、晩年になり病気になると大本教から分派した世界救世教に移り、医者も薬も軽んじ「お光様」(大本教の教祖)だけを信じた。それで彼も一緒に入信したらしい(母親の死後、脱退したらしいが)。その時の経験から、「インテリの好きな、迷信だと言う言葉は内容を欠いた空虚なものだ」と言う。大本教には谷口雅春氏を含め多くの知識人が入門していたようだ。

私が知る限り、世界的な偉業をなした人達には宗教を持っている人たちが多い。なぜだろうと私はずっと以前からいつか宗教の世界に入ってみたいと思っていた。普段の日常生活の中でも、善い人間、思いやりのある人間には宗教を持つ人が多い。宗教は隣人への愛を初め心の持ち方を教える。そして教えの真髄を突き詰めた人たちは、宇宙の中の、自然の一部としての人間を見るようになる。その宇宙の構成員として自分をしっかりつかみ、外の雑音に乱されず、自然に寄り添って自分の個性を生かして行く。宗教が無ければこの世は殺伐とするだろう。

そうか~、小林秀雄も宗教を持っていたか~。感慨深い。10年以上前、初めて修行道場に行った時、その時の私の人生苦を軽める言葉はないかと、誰かれ無しに相談していた時、一人の講師がただ一言放った。「信仰を持ちなさい。」なんとそっけない人かと思ったが、今はそれが大変よく分かる。本当に変わりたいなら、本当にいい人生を送りたいなら、本当に豊かな生き方をしたいなら、信仰を持ったらいい。そしてそれを徹底的に勉強する。

ゲーテが言う「神は今も絶えず、低いものを引き上げるために、より高い人達の裡で活動し続けている」。




曲作りが変わった 1/31

メロディーはいろいろ降って来たり、意識せずとも口ずさんでいることが多いので、スマホに乗り換えて以来無用に処せられそうだったガラ系の携帯を持ち歩いてそれに録音している。かなり溜まり200曲以上あるが、歌詞がまとまらないのでなかなか捌けなかった。

近藤先生のクラスに間に合わせるために何か作っていかなければと、とにかく譜面にして何度も口ずさんでいると、そのメロディーに相応しい歌詞が生まれて来る。それも書こうととも思っていなかった詞が。で、できたのが、「人だもの」と「恋させるテントウ虫」。

「人だもの」はテレビで流されていたヨーロッパのどこかの古いメロディーのワンフレーズが印象に残り、そこから展開したもの。ちょっと重いので、今風でなく、これにつける歌詞を見つけるのは難しいだろうと”敬遠”していたら、なんだかできちゃった。人は、おそらく、誰でも誰かのために生きてみたい。持ち得る愛をすべて注ぎたいと思っているのではないだろうか。おそらく人間はそのようにできているのではないだろうか。それは自分を豊かにすることを知っている。対象は家族かも知れないし、人の助けを必要とする家族外の人たちかも知れない。そんな事を書いてみた。

まるっきり違う雰囲気のものが同時に出来たのも、ちょっと気分が良い。「恋させるテントウ虫」。友達男性の鼻にテントウムシが止まった。テントウムシは彼の鼻の上をどんどん登り、目の近くに行く。でも彼は払いのけない。目をつむって虫さんを登らせる。そんな柔らかな彼に彼女の心が揺れ始めた。思ってもいなかったテントウムシを歌にしたので、チェリッシュが歌っていた「てんとう虫のサンバ」を改めて聴いたら、歌詞が、ほんま、いいですね。詞が良いから曲も良い。107曲目
 





「心なければ」 2/1

2月1日を楽曲書きで迎えた。なんとなくいい気分。タイトルは「心なければ」。
きっと私は思うことが沢山あるのだろうね。だから、メロディーを口ずさんでいるだけで、詞が出てくる。1週間で3曲。小室哲哉が2,3日で1曲書いたという事はこういう事かと思う。今どんどん生まれてくるのだから、書けるうちに書いておこう。

「心なければ」。心が無ければ苦しむことも、悲しむ事も、恨むことも、妬む事も無い。同時に喜ぶこともない。禅僧さんはこんな修行をしているのかもね。自然界で人間以外の生きものは、こうして生きているのだろう。風邪も嵐も淡々とあるがままに受け入れて。それじゃ退屈すると言う人もいるが、心が無ければ退屈もしないのだろう。それでも心が欲しいなら、心が作る嵐を受け入れて行くのも覚悟しなけりゃ。だって、嵐は自分の心が作るものだから。108曲目

楽曲ができた時にはこのブログに書き入れているので、ブログ書きも増えるかな。




久しぶりのステージ 2/10

3年6か月ぶり。ホテルで行われた新年会で6人編成のバンドをバックにステージに立った。大学の先輩を通して3,4年前に呼ばれた会だが、今度はその時の担当者からお声がかかった。「あなたの歌が聴きたい」と。うれしい!

やはり私はステージも好きなのだろうなぁと思った。ウキウキ、そわそわしていたみたい。久々なので、ステージ用のメイクにも戸惑った。二つのスティック・ファンデーションが出てきて、一緒につけるんだったっけ、それとも。。。。アイラッシュは会場の控室で付けたが、左右カタチンバになり、同業者に笑われた。髪の毛もだいぶ伸びたのでついでにカットしようと開場前に表参道まで行っておかっぱにした。別人になって現れた私に、打ち合わせの時にお逢いした人たちが皆、きょとん?!。同業者がし切りにこのヘヤースタイルが良いと言う。私も気に入っている。

カラオケをまだ作っていないので、バンドと一通りのリハーサル。1回通しただけで行けたのを見ると、私も大した歌手になったものだなぁと(あは)、自分の進化を思った。そしてなんと言っても、控室でもかなり落ち着いている。長い道のりだったが、ここまで来たんだなぁと感慨深い。

宴会場でのステージは、大体みなさん食事中に行われるので、ワイワイガヤガヤで歌など聴いているのかどうか分からない。だが壇上から見ていると聴いて下さっている人もいるようなので、しっかり歌った。終わってホールに出てくると、主催者の会長が椅子からすっくと立ちあがり私に歩み寄って来られた。「良かったですよ。飲み物だけを手にしてずっと聴いていました。静かな場所でいつかじっくり聴いてみたい。あなたの歌はそんな歌です。」そうか、場内にいればワイワイがやがやしているし、色々な人が挨拶に来るのでじっくり聴けない。それでわざわざホールにおられたのか。歌唱力と言うより、私がどんな歌を作るのか、その内容に関心を寄せて下さったように思う。そう、私の歌詞は深い。だから、じっくり聴きたい(おお、見得を切ったね、ぐわっはっは~)。

歌った歌は、自作曲に加えて、皆が知っている歌を入れて下さいとの依頼に応えて美空ひばりの「津軽のふるさと」。上の主催者の会長が好んで下さったのが「お一人様の旅」なら、さらに嬉しい。

今年は少しづつ歌う場所を増やして行けたらと思う。近藤先生も協力して下さるようだし。




「幼な人」 2/11

109曲目は「幼な人」。親鳥がひなを愛するという本能が無ければ、この世界は成り立たない。人間も誰かを愛し愛されたいと言う本能がある。だが、愛される事が先と考える人が実に多い。そこには”得をしたい”という観念も働いているようだ。無償の愛とはなかなかいかない。無償の愛は、やはり親の子に対する愛なのかもしれない(これも最近希薄になったか)。

この楽曲を書いていながら私自身が気付いた事だが、親鳥とひな鳥の関係のように、愛されることを愛の中心に置く人は幼く、愛することを中心に置く人は大人と言うのかも知れない。愛される事を中心にする人はいつも寂しい。対し、愛することが愛の行為としている人は、豊かかも知れない。

ある人がこう言った:乞食は常にねだる。豊かな人は与える。う~ん。。。(*'ω'*)




はいはいはい 2/16

110曲目ができた。「みんなおいで」。なんかかわいくて楽しい歌。空の雲の上の"お話"(がはっ)。雲の上に行ったら聞こえてきた天使たちの歌。「あなたも歌って」と言われそろりそろり歌い出したら天使たちが笑う。音がずれているって。天使たちはリラを手に音合わせ、そして大合奏。鳥や花も身を揺らす。みんなここにお出で、そして一緒に歌おう。そんな歌。

何度も歌いながら作っているから、私自身が楽しくなって、微笑みながら書いた。「恋させるてんとう虫」に似てほんわり。メロディーを先に譜面にしておけば、歌詞はどんどん作られる。思ってもいなかったものができるから面白い。近藤先生もこの多産作家にぽか~ん。メロディーも、自分で言うのもなんだが、バライティーに溢れている、と思うが、なんとなく似ている気がしなくもない(*^。^*)。当然だけれどね。実は、彼女とのクラスがあるため、何か作って行かねばと私は急き立てられているのだが。書こうとしている題材が沢山あるのを、読みたい本を読むことが優先されやすい私なので、このプレッシャーの中に身を置くのをエンジョイしている。

ところで、錦織圭が現在行われているオランダ、ロッテルダムでの大会でぐんぐん上がってきている。彼が頑張ってくれていると私の体全身が満たされる。なんだか、ホント魂を共有しちゃっているようで。その調子だよ、余計な事を考えずに淡々と自分のテニスをすれば、君は必ず頂点に行ける!さてそろそろ寝なければ。明日の朝3時30分からの試合に備えて。




やっぱりね 2/19

「女性が羽を広げてあばれだすと、広げた羽の毛の一本一本を綺麗に揃えて畳んで下さる」。

文芸批評家、小林秀雄と文学者、芸術家、科学者達との対談集を読んでいて、そこでの彼の話し方やモノの見方から、彼の感性知性洞察力読み解く力などなど、私はだいぶ感じ取ったようだ。そして素敵な人だなぁ、こんな人が今傍にいたならすぐにお嫁さんになるのにと思ったものだ(がはっつ(*^。^*))。彼は本物。

それで続けて氏と交流のあった大岡昇平の小林秀雄回想録「小林秀雄」を読んでいたら、やはり女性たちから大変モテたらしい。実際に恋人や愛人関係に至らずも林芙美子や宇野千代も参ったとか。小林秀雄と言えば、詩人の中原中也と同棲していた女を横取り。それで中也が狂いだしそれを題材にした詩を幾篇も書いた、中也の作品発想源だ。文学者や芸術家は個性をもろに出し抑える事をしない人たちが多いというか、個が際立っているから、様々なエピソードが本当に面白い。大岡昇平が小林から文学や科学を教わる勉強会に、中也と、小林の現かつ中也の元愛人長谷川康子が現れ、勉強会がめちゃくちゃになることが数度あったらしい。そのシーンを想像しつつゲラゲラ笑いながら「小林秀雄」を読んだ。全く当人の悲劇は、傍観者からすれば喜劇だ。チェーホフが喜劇として書いた作品が、多くの人にとっては悲劇に思える理由もこういう事だろう。悲劇の真っただ中にいる時、ふと自分と出来事に距離を置いて「これは喜劇だ」と思えたら、人生もっと面白くなるかもね。

その「小林秀雄」の中で紹介されたのが、上の言葉。北島八穂(という作家がいたらしい)が放ったとか。小林秀雄は父性愛が強い、つまり優しい。そんな感じがするのである。才長けて、寛容。傍でこちらが温まっていられる人。しかし同時にその孤独を温めてあげたい母性を相手から引き出し、甘んじて受けてくれるような人。う~ん、いいなぁ。ネットで見られる写真は年老いたものが多いが、す・て・き。




「都会の憂い」 2/21

♪ぶんぶるまんが まんぶるまんが 都会では♪

こんな調子で入る111曲目が生まれた。超高層ビルの部屋から雨は見えない聞こえない。かつて家族は大家族、核家族と変化し、今では家族構成は一人という「個」の世界にいる人たちが超高層ビルの中に住む。

ひとりでいる事は自由を手にしていると思われる。かも知れない。だが、人生の先輩から諭されたり、叱られたりすることがない人は生き方を知らない。人と深く付き合う事がないから、自分の問題が何かわかっていない人が多い。華やかさ、形だけを追いかけ、心は砂漠。で、「そろそろ自然の中に行きませんか」と歌は問いかける。

1月に6曲、2月に4曲、すごいなぁ~~~~~。今週2曲書いたという事になる。まだまだ書けそう、生まれそう。。。。ぎゃぎゃぎゃぎゃ~(*^▽^*)




大坂なおみ 薄ガラスのようで 2/21

大坂なおみのメンタルは、薄ガラスのように直ぐに割れるのだろう。昨年彼女が全米オープンで優勝するという青天の霹靂を成す以前に、イギリス人記者が次のような事を書いていた。

「大坂なおみがたとえトップになったとしても、果たしてトップとしてのメンタルを保持できるかが課題だ。」すばらしい洞察力だ。

彼女が直近の大会で初戦敗退したが、実は私、そうなるだろうと思っていた(事後報告は信ぴょう性に欠けるが)。全米決勝戦でのセリーナ・ウィリアムズとの騒動後、「選手は誰も勝とうとしてコートに来るのだからリスペクトしなければならない」となおみはセリーナへの批判をチラつかせていたが、その後の東レパシフィックオープンの決勝戦で自身が負けると悔しさの涙をため、表彰式でのスピーチでは、相手選手の功労を称え労う言葉はなく、名前さえ言うことなく、ただ会場の人たちに、「皆さん、”私のため”に来てくれてありがとう」と前例のない短いスピーチで終わった。呆気に取られていた私に加わるかのように、彼女の母親とサーシャコーチも目を丸くし絶句した表情で彼女を見ていた。そして相手選手のプリスコバも苦笑を隠さなかった。それらをテレビ画面が映し出した。

それでもコート上でのメンタル強化はサーシャコーチによって養われ、グランドスラムで優勝できる程までに実現できた。だが、事をネガティブに捉え、妄想を膨らます彼女の性癖はコート外の彼女の生活から消えたわけではない。直ぐに割れる薄ガラスのような幼いメンタルでコーチを切ってしまった事で、支えを失った。「勝利よりも幸福感が大切」などと、また”美しい”と思われたい言葉を並べたが、その実態は、彼女の幸福感が余りに狭い許容範囲内で測られているという事のように思う。なんと相手に対する思いやりのない言葉だろう。まるでサーシャが悪者で、彼女は天使のような。愛されることに敏感で愛することに鈍感な幼子のようだ。

しかし、20才の若さで、彼女がこれまで発言して来た”美しい言葉”が彼女の中で真実浸透していたなら、今後の人生での進化も限られたものであろう。私としては少しホッとしている。克服しなければならない、また克服したい課題を神様はそれぞれに下さっている。その克服への長い道のりを私達は一歩一歩進んでいくしかない。彼女が呟いてきた”美しい言葉”達も、言うなれば、彼女の幼いメンタリティに自身が打ち勝とうと溜めて来たのだろう。技術的にもメンタルにおいても、まだまだ成長の伸びしろはある。健闘を祈りたい。




引っ越し 3/1

3月の始まりと共に、引っ越しをすることを決めた。このHPと私の住居。同時に来たことも何かの兆しなのだろう。

HPはこれまで無料サーバーをレンタルしていたが、メールフォームが使えなかったので、ちょっと負担して問題を解決。

URLは: http://shizuko77.sakura.ne.jp

さて、10年と10か月ぶりに引っ越しをする。キャスター付きの椅子に重たいお尻を載せてPCの前で作業していたら、徐々に床の化粧板が剥がれ、今ではかなり目立つようになった。床暖が入っているので修理に40万円かかるという。ならばいずれ引っ越そうと思っていたところ、友情を乞う隣人が起こしてきたハラスメントが引き金になり決断。マンションの管理主任とオーナーを入れて4人が集まったところで、かなり叱った後、彼のハラスメントも無くなる方向に進んでいるようには見えるが、「あぶないわよ」との助言も手伝い、えい、や、た~と動くことにした。

賃貸だと気軽に引っ越しができて良い。




「あなたは今も夢の中」 3/4

♪明かりをつけましょ ぼんぼりに。。。。

昨日はひな祭り。マンションの1階にあるスーパーでは一日中この曲をBGMで流していたようだ。店内で働くスタッフの男性にこの歌の感想を訊ねると「ああ、ひな祭りだ」くらいに思うらしい。私にとっては、早くその場から逃げたい曲。身体の上半身のどこか空洞の部分に氷でも入れられたように、寒々とする。どこかの田舎の大変封建的で窮屈な村に閉じ込められている女の子が浮かぶ。いやだ、いやだ。

ところで112曲目。「あなたは今も夢の中」。文字通りの夢の中での話。元彼に呼ばれてちょっと出て行っている間に、とても愛している今の彼を寂しくさせてしまい、その名前を呼んで必死に探しても見つからない。うなされている彼女を横で寝ている彼が優しく起こす。だが、夢が未来の予告だったのか、彼は本当に去った。そして今朝、彼女は誰かと一緒に逃げている夢を見る。眼が覚めてそれが誰か夢を巻き戻すと。。。。、ああ、彼だった。もう戻ってくる訳のない彼だが、彼女はうれしくて懐かしくて、微笑んでいる。一緒にいる時にみた寂しい夢。別れた後の嬉しい夢。皮肉ね。

すごい、今年は1月から11曲生まれている。11曲、かつては1年分だった。ぎゃはっは~(*^▽^*)




WOW~お! 3/7

すごい、すごい。昨日から歌作りの作業をしていて2曲書いてしまった~~~!曲先で行くと、ほんと、書きやすい。114曲ですぞ!

「目も綾に」と「あなたがいたから」

「目も綾に」には以前私が出会った70歳を超えるご婦人が話された事をまとめた。私が一人暮らしを始めて、家に帰るのも怖くてたまらなかった時(♪家に帰るのが私は怖いの~♪)、数人のご婦人がお弁当を持って私の部屋に来て下さった。その時、「さびしい」と言うと、件のご婦人がキョトンとして「さびしい?」と私の言葉を独り言のように繰り返した。彼女のご主人が亡くなられた後の一人暮らしに、あたかも寂しさを感じていない様子だった。そしてこうも言った、「自分の旦那を好きになった女性がいるなら、その人に差し上げるようになったらいいね」( *´艸`)。すご~!信仰深い人だが、信仰を持つ人は何が起きてもブレないようだ。神様とつながっている人は、なぜそんなに強いんだろう。あれから10年。私もここに近づきつつある、、、、がははは(*´▽`*)

「あなたがいたから」は、「目も綾」と繋がっているかな。結ばれていた時は甘えてこちらの苦手な事を託すことができ、それはそれなり幸せで感謝しかないけれど、結びが解かれてからの独り立ち。生きて行かんきゃならんから、つまづきながらも頑張っていたら独り立ちできている自分がいた。独り立ちして凛としている私があの時の私よりずっと好き。あれもこれもみな「あなたがいたから」と歌う。

神様、歌作りの仕事を私に下さり、本当にありがとうございます。(^^♪ 

今私に必要なのは、忍耐。




「飛行機雲」 3/10

「ひこうき雲」というユーミンの歌があった。彼女を意識したわけでは100%ないけれど、タイトルを「ひこうき雲」としか付けようがない歌が生まれた。以前にも書いたように、今はこれまで豊かに豊かに降り続けてくれたメロディーを譜面に写す作業を行い、そのメロディーを口ずさんでいると自ずと出てくる言葉から歌詞を発展させている。

メロディーを記譜し、さてどんな歌詞にしようかとPCの前に座ったら目の前にメモ帳を見つけ、その最初のページのトップに書かれていたのが「むき出しの青空」。その言葉を使い歌い始めたら、イメージが湧いた。むき出しの青空を飛んで行く飛行機。それが残して行く飛行機雲。どんな人が乗っているのだろう、どこに行くのだろう、どんな人が向こうで待つのだろう。。。。今の幸せが雲のように消えないよう祈る歌になった。じゃじゃ~ん115曲目。

今私は活火山かな?3月は10日間で4曲書いている。疲れた時には1週間休み、1日2曲。2,3日で1曲だ。これってすごい事のように思う。昨日の近藤先生とのクラスで、私から生まれる楽曲は「ほんと、面白い」と言われた。私も客観的に見て、そう思う。

ありがたや、ありがたや。神の期待に応えよう!




「冬椿」 3/18

116曲目。「冬椿」
まるで一体だと思うほどに溶け合っていた男と女。そんな二人にも訪れる別れ(歌にはどうも別れが付きまといますね(*_*;)。紅色に染まった幸せな日々が突然ポトリと落ちる。冬椿のように。落ちた花には火の線のようなシミ。そこにはかつての可愛いさが消えている。諸行無常。この世に何一つ永遠に続くものはないのに、人は信じたい。永遠を。「私」は永遠よりも、「静かに」散りたい。




「光合成」 3/25

雨があって風があって、そして光があって草木は育つ。雨や風や嵐は草花を強くする。そして光で芽を出し実をつけ成長する。人も全く同じ。光が射しこむ時、人はポジティブなアクションを起こす。だけど人には脳があるためか、自分でどうにかしようと思うから苦しみ悩む。ただ光を頂いていれば、何をしなければならないか、自分が考えなくとも周りの様々ものが伝えてくる。それは、時に人の言葉であったリ、時に草木に言葉を感じたり。脳はそれを見える形にするために使えばいいのだが。。。悩んでも苦しんでも仕方ないのに。。。

生きとし生けるもの全て、誰かの、何かの役に立っている。寂しいと思う時、自分より困難な場所にいる人から力をもらう。自分はなんと満たされているかと気付く。嬉しい。感謝したくなる。光の方に目をやれば、楽だ。「光合成」はそんな歌。




笑い話 3/27

私が通うジムでは、朝10時から午後6時頃までは高齢者が多い。

ひと汗かいて大きな円形のジャクジー風呂で汗を流し脱衣場に戻ると、二人の高齢のご婦人がおしゃべりをしていた。その一人が言う。
「今日は朝10時からきていたの。めがだんすしたわ」

目がダンスする?お歳を召された方が10時から頑張ったのだから、そう言う事もあるだろう。それにしても面白い表現をする人だなぁと、私はそのご婦人に近寄り、
「目がダンスするってどんな状態ですか」と訊ねた。
彼女は答えず、戸惑っている様子。すると、もう一人のご婦人が、

「メガダンスしたと言ったんです」

途端に爆笑。このジムにはメガダンスと言うラテン音楽に合わせて動くプログラムがある。メガの”ガ”を下げて発音すると「目がダンス」になる。ガハハハッ(*´▽`*)

ちなみに「メガダンス」の名は、インストラクターの話によると、楽しさが「メガ」という所からつけられたらしい。本当かな?




しあわせゴルフ 3/31

地区大学OBゴルフ会のゴルフはほんとに楽しい。恐らく多くのメンバーがそう思っているのだろう、だから参加者も多い。この日に備えて練習に勤しむ人もいる。私もその一人(がは)。何でもそうだけれど、誰と一緒にいるかで、幸福度が異なる。このゴルフ会のメンバーとのプレイは、感情が大変滑らかでいられる。帰途、車に便乗させて頂いた先輩も同じような事を言っていた。翌日「頑張りましょう」と電話で励まし合った同性の先輩もそのような事を言う。

それにしても、なんで私のゴルフの腕はこんなにも上がらないのだろう。ゴルフを始めて1年ほどで100台まで行った女性もいるのに。ま、練習する頻度が違うけれど。。。。私は肌の状態が気になって屋外スポーツには制限を設けている。かつてダンスに夢中になった時も、外に出ないで済む事が理由の一つだった。




「生かし合う者たち」 4/3


118曲目。これは117曲目の「光合成」の中で書いた「満たされている私を見つけた時、うれしくなりますね」の部分を拡大した歌。人はお金の為だけに生まれる訳じゃない。人が本来持っている優しさを引き出す役割を持って生まれる人もいる。それぞれの課題を背負い、成長するために歩むのが人生。成長するきっかけをくれるのは、大体”人”だ。人とぶつかったり、素晴らしい人を見たり、困難な立場にいる人を見たり。人はそのようにして成長する。

最近読んだゲーリー・ズーカフの"The Seat of the Soul"では、今自分がいる環境は自分の成長のための完璧な環境なのだと言う(直訳は「魂の座するところ」だか日本語版タイトルはかなり長く私の記憶に収めなかった)。それぞれの個性はその魂と調和する事を人生で学ぶ。その為に生まれた個性は生まれてきた価値があり、魂と個性の調和は、人間関係の中で成立してゆく。意識しようとしまいと、人は別な人の成長に役立っている。

最近、私も分かりかけて来た。「存在するだけで価値がある」という言葉の深意が。




お花見 4/5

先日、新宿御苑で仲間たちが集まりお花見散歩をした。新宿御苑は私が月3回通っているミュージックスクールの近く。時々その新宿門の前にあるミュージックスクール専用のイベント室に行く事があり、また行ってみようかなぁと言う思いはあったものの実行できないでいた。だから気持ちいい仲間がいて、一緒に行けるのは本当にありがたい。

御苑の中を全て周った訳ではないが、数十年前に行った時の印象と大分異なった。そんなに広くない。イギリス庭園があると言うので期待していたら、ただ枯れた芝が敷き詰められたやや広い空間が放たれているだけだった。「ハイドパークのようなもの」と事前に勉強してきてくれた幹事が言う。なるほど~。でもあれは公園であって”庭”かなぁと私は心の中で思う。庭と言われて、地面から咲く花や、短い草が彩りよく置かれているのかと思ったのだが。

たまに人ごみの中をゆっくりと歩くのも良いものだ。普段逢わない人たちに遭遇する。ロシアの民族衣装を思わせるような鮮やかな色のウクライナ製のカメラを持っている人がいた。非常に古いもので、今でもフィルムで撮っているらしい。仲間4人で来ていたが、それぞれ50年ほど前の撮影機を携え、自慢そうに見せてくれる。

アオザイを着て桜の中で写真を撮ってもらっているベトナムから来た娘さんたち。彼女達にとっても花見はお祭りなのか、特別な気分でいてくれることに、こちらも嬉しくなる。

花見が終わって皆で飲み会。いやいや、やはり飲み会は避けた方が良いのかも知れない。出されたお酒をついつい飲んでしまう。賑わっているから自分の声の音量も大きくなる。喉がだんだんやられて来るのが分かる。それでもしゃべるアホな私。翌日はひどい。最近は翌々日まで回復しない。今日は3日目。まだ完全回復していない。喉がひりひりするので、ふと風邪かと思ったりするが、他のところにその兆候はない。昔からパーティでは喋り役になってしまう私。お酒を飲まずに飲み会に参加できたらいいのだが。。。。




「言わないで」 4/6

119曲目は「言わないで」。この活火山はすごい、と思うけれど、最近テレビで知ったつんくの1800曲。こんな感じでどんどん書いて行ったのだろうなぁ。で、私も今の火山活動に満足していないで、出るものは出そうと思う。彼の場合は、もうデビューして色々な人に曲を上げていたんだけれどね。

♪そう分かっているの、あなたが何を言い出そうとするのか。二人でいる時間が僅かばかりなのに、私はしゃべり続ける。あなたが口を開くのが怖い。お願い、まだ言わないで。♪

そんな歌。何度も言うが、近藤先生とのクラスがある事が歌書きの背中を押している。どんどん書かなければクラスでチェックしてもらう材料が無い。私の歌書きが進化したのだろう、彼女から赤をもらう事がほとんどなくなったので、1時間で3~4曲見てもらう時もある。だからまた次を書かなければと急かされる。これ、喜びか、苦か、と訊かれれば、喜びに入るようだ。今のところ。

ま、とにかく、120曲と言うすわりの良い数字に持って行こう。今年、150曲となればすごい事だけれど、過労になるかな。ま、少なくとも130曲には持って行けるかも。沢山色々書ている内に、名曲が生まれれば。。。。。ア~メン(がはは)




やりました! 4/8

120曲目を書きました。

なんだか、すっごく詩人ぽい歌詞とメロディーになったかなぁ。嬉しいような、ほんわかした気分。タイトルからしてそんな気がする:「時のない庭で」。内容?う~ん。言葉を並べると、尊さが薄くなるようで。。。。。アンドレア・ボチェッリの歌からヒントを得た。




引越し#1 捨てられないもの 4/14

昨日段ボールが届いて、本や靴、その他細かいものを詰め始めた。要らないものまで新しい場所に持って行こうとする人はいないだろうから、引越しは整理整頓の機会にもなる。数年前断捨離を思い切ってやった時、思い出物や何年も着ないでいる服などを思い切って捨てた。今の私に必要なものだけを傍に置き、過去の自分の履歴を語るためだけに存在するようなものを捨てる事にした。捨てた事で、クロゼットや棚の隅々まですっきりし、私らしい部屋になった。

物を捨てると言う一見何でも無さそうな行為だが、過去の思い出の品や着ないが高額だった服を始末するには、「えいや、た!」とかなりの決断と潔さを要する。結構大変なジャンプだ。だがそれをやった後は、生き方にもその「えいや、た!」が覗いてくる(ように思える)。以前よりその「えいや、た!」が少しの躊躇いでできるようになった。

断捨離を既にやっているから今回のこの引越しで捨てるものはそんなにない。ただ一つだけ、過去のものでありながら、悲しいだけなのに、愛おしさから捨てずにいられないものがある。結婚式の写真。整理整頓をする時に必ず現れる。その度毎に、あの結婚生活の愛おしさ、壊れた事での寂しさ、哀しさが混じり合って襲ってくる。一塊の氷が全身を撫でて行くように身体が縮まり、震える。見るたびに繰り返されるこの思いが嫌だから、いっそ、捨ててしまおうか。。。。今回は真剣に考えた。考えながら、迷いながら、私は両手でその写真を抱き締めた。

たまらなくなって、友人に電話した。「自分が今日ある事の大きな思い出だから取って置いたら。捨てたら後で後悔するよ」と言う。「後で後悔する」。。。この言葉は夫を棄てる時に別な友人から言われた言葉だ。後悔はしていないが、今でも愛おしい。余りに美しい日々だっただけに。

取って置こう。この写真だけは。。。。




引越し#2 神様の仕業 4/17

「あ、富士山だ!」

引越し先の部屋のカーテンレールの長さを測りに来た職人さんが嬉しそうに言う。その声に振り向いた私は彼の目線を辿り書斎にしようと決めていた西側の窓の先を見る。確かに富士山らしき山が林流する高層ビルの頭越しに見える。でも本当の富士山だろうか。絵や写真で見る姿の上半身のようだが。同じジムに通う住人が、左にスカイツリー、真正面になんとか、そして右に富士山がベランダから見えると嬉々として話していたから、やはり富士山なんだろう。

大都会の小さな一室の中から見えるなんて。。。。、様々な出来事が重なり11年住んだ部屋から移動する事を決めた。移動するなら今の階より上で、納戸があるところと思っていたが、その通りの部屋が宛られた。最近自分の中で何かがジャンプし始めたような動きがある。人が哀しい。人の哀しい人生にとてもつもなく優しい気持ちになっている私がいて、人というもの、生きるという事、それを歌にし、今年の1月から今日までの3か月余りの間に20曲近い楽曲が生まれた。20曲は通常1年の生産高なのに。。。

ー神様のいる場所はきっと沢山ある。私を救ってくれるものもちゃんとそこにある。しばらく海は見えないけど、違ったものが私を待っている。さあ、行こう!ー

「そしてバトンは渡された」で本屋大賞を受賞した瀬尾まいこの「図書館の神様」の最後のシーン。荷物を引越しの軽トラックに積んで主人公の中学教師とその弟が最後の海を見る。引越しを祝福されているかのように、夕暮れの迫った海はキラキラ輝いてオレンジ色を作った。弟が言う「神様の仕業としか思えないな!」。

私もそんな気がする(がは)。




引越し#3 満ち足りて 4/22

私は手元にある仕事はさっさと片づける。早く落ち着きたいからだが、それがメリットにもなるし、相手や物事によってはデメリットにもなる。これまでも音楽産業の方々数人が私と私の楽曲に興味を示して下さったが現実化しなかったのは、この特徴がデメリットに出てしまった事が原因の一つになったかも知れない。だが、相手がいなくて私だけの作業の場合は、かなりの集中力でやり遂げる。これはメリットになると自他ともども思っている。

この引越しもその一つだった。だが、十数年前とは違う。集中的に各日15時間ほど2日間続けて動いた後には(12時間お腹も空かなかった)、腰やら臀筋やらが「もうやめようよ」と母親の腰にまとわりついておねだりする子供のように前進を阻もうとする。それでも早く終わらせようと、18日に始まった引越しは、4日間かけてやっと昨日の日曜日に完全に終わり、最終日の夕方には荻窪まで行って鍼治療を受けて来た。

土曜日に納品され窓に掛けられたカーテンや、マンションながら窓のある浴室に掛けられた薄オレンジ色のブラインドは本当に素敵。全てイメージ通りになり、とても豊かな気分。コーディネーターもカーテン職人も終始笑い顔でこの部屋にマッチした品物を届けた事に満足そうだった。

 

今回、私の趣味が何か、始めて気がついた。この土地に来る前にも17年住んでいた街で住まいを1度変えたが、どちらの家でもその空間にあった部屋作りをした。訪れる人たちは、特に女性たちは感嘆の声を上げていた「愛が溢れている家」「まるでモデルルームのよう」などなど。

東京に戻り初めての引っ越し。十分なスペースがある事と断捨離を徹底した事で、再び私の美意識が働いた。

はい、趣味は部屋作りです。美しく。。。。ぎゃは(*^。^*)
 




来生で逢いたい人 4/30

今日は平成最後の日ですね。お逢いした時の印象もあって、陛下の安堵のお気持ちをお察しします。どうぞ余生をゆっくりとお過ごし下さい。

さて本題。美意識と経済観念が働いている私は狭い部屋の面積を本に支配される事が嫌で、さりとて捨ててしまうのももったいなく、本をあまり読まなかった。20年ほど前図書館の近くに住みたいと思い始めたら、なんと、住んでいるマンションの直ぐ近くに図書館が建てられた。だが、子供用に作られたのか、落ち着いて本選びや読書ができるところではない。最たるネックは、どの本を読んだらいいか分からない。高校時代にマルクス、エンゲルスの「資本論」などを取り出した事がトラウマになったのかも知れない(*_*;。しかし人生には真逆な動きが生まれる時があるもので、今では本のない生活は考えられなくなっている。それもこれも皆、”大人用”の図書館が近くにあるお陰。図書館が私の書庫だ。それ故、私の美意識が守られかつ詰まらない本を買った事への後悔と罪悪感に苛まれずに済む。納戸のある新しい部屋では本箱は納戸行き。スウェーデン製(かな?)の丈の長い本箱の上3段だけに、恐らく永久に残しておくだろう本だけを並べている。その直ぐ下の段には、殺虫剤が4本(ゴミ箱、観葉植物用)。

ディーパック・チョプラー、ゲーリー・ズーカフ、谷川俊太郎、そして最近は文芸批評家の小林秀雄等々。その小林秀雄に私は来世で是非逢いたい。学生時代にこの人のものを読んだとしても決して理解できなかっただろう。何層も上にいる人だ。だが私自身の人生での進化があって今、この人の発想の源に共感できる。

このブログの1月30日に小林秀雄についてほんの少し触れたが、彼は日本のインテリの最高層の中で神の存在を信じる知識人の一人。広大な視野からものを観、嘘が無く、自然で、心温かい人柄は彼の言葉の随所に出て来る。特に、読者の私の心をキュンとさせるのは彼の容姿と仕草に忍ぶ父性愛。作家大岡昇平による追悼録にも小林のその特徴が滲み出ている。大岡昇平によれば、当時の女流作家、宇野千代や林芙美子は、特別な関係があった訳ではないが、小林秀雄にまいっていたと言う。そうだろうよ。今生では滞在する時間がずれて逢えなかったが、来世で私は小林秀雄に是非逢いたい。その時、私のメンタルが今の辺りにあるなら、彼は私のハートをぎゅっと掴み私の恋情を高ぶらせるだろう。そして彼の痛みを私の母性が包むだろう。端正な顔立ち、優しく思索に満ちた視線、大きな鼻。。。。来世にはどんな顔立ちだろうか。そして私も。。。。。

これは、あちらにいる彼へのラブレターかも。




「静けさの中で」 4/30

アンドレア・ボチェッリの歌を聴きながらこの歌のヒントを得た。

静けさの中で目を閉じて心の内なる声を聴く。思いもよらぬ事を言われたり、失ったものたちが楽しく美しく寄ってくる。かつて一人になった時、あんなに怖かった静けさが今は進んで求めるわくわくする時間。全ての答えがそこにあるから。。。。そんな歌

ボチェッリのクラシック調の歌を聴いているせいか、ロングトーンの多い、切ないものができる。いつもの一気呵成とは行かず、のったらのったら書いたが、とりあえず纏まったかな。