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12月
 
切れ目良く 12/30  悲しい出来事 12/28   なんとなく2曲 12/11    もう12月 12/4



11月
 
   もう11月 11/1




10月

歌作り再開ー「涙のあとに」 10/22    感無量 10/16




9月
歌入れ 9/30   神智を信じたまえ 9/23   ミーハー 9/19

8月

 
   「やがて時が来る~素直でありさえすれば」 8/20

「もののあわれ」 8/9  「あ、かるくしよう」 8/7  「うるさい娘」と「私を生きてます」 8/7   「我慢の時代から」 8/4




7月
 
 「息子へ」 7/28   「やり残し」 7/26  

「男と女、女と男」 7/18  「同窓会の案内」 7/17    誕生日 7/7   「人生は喜劇~ちょっとだけ待って」 7/3



6月
 
 Amore Fati 6/26  再度玉川温泉 6/19  「もったいないよ」 6/16  再度Anz 6/16  「桃色吐息もう一度」 6/1



5月
 
  「天国よもやま話」 5/16  鉢植え 5/14   「お化けが出た」 5/13
 
  「行くぞ!」 5/8   「一幅の絵」→「荒川の空の下で」  5/7    窓外の景色 5/5    ライフスタイルの変化 5/2
 




ライフスタイルの変化 5/2

令和1年。おめでとうございます(と言って相応しいのかな?)。今日からこのブログも新しいページになりました。以前のようにひっきりなしにブログを書くような事をしないので(結構な時間を使うのです)、概算すると4か月に一度の割合でページを変える。4か月も文字を打ち込んでいると重くなり変換に時間がかかるのである。

さて、ライフスタイルの事。家具の配置やカーテンの材質でライフスタイルが変わるなんて、想像した事がありますか。あるんですね~。以前の部屋は1LKで、リビングに物が全部集まっていた。テレビはPCデスクのすぐ横の棚に置いていたので、ちょっと右を向けば見えた。野球などは消音にして、または第2音声にして作業をする事もあったが、今度の部屋ではそれができない。仕事部屋とリビングが完全に分かれている上、テレビは私の背中から後ろ向きに置いてある台の上。台と言っても、インドネシア製の竹で作られた大きなお盆をひっくり返して代用しているので(このアイデアに私は大満足、スマホで撮った写真を自慢して見せまわっている)、キャスターは無く動かせない。きちんと座るべき場所に行かなければ見ることができない。よって、テレビを観ながらの作業はできなくなった。

しかし、今度の部屋には音楽を流すことが大変似合っている。リビングでONにされたコンポから音楽を仕事部屋まで流す。テレビよりも音楽が似合う空間。

それと、寝室につけられたドレープの生地の目が甘いので、早くからドレープの後ろに陽がやってくる。そんな事に気づくのはインテリア・コーディネーターの役割のはずだが、と不満もあるが、ま、いいか、ライフスタイルを変えて早寝早起きしなさいと、神様がおっしゃるのだろうと、10時頃には寝て、遅くとも朝6時には起きている(今朝は4時起き)。清々しくて、これはこれでいいみたい。




窓外の景色 5/5


     


部屋の窓から見える昼と夕。雲のない昼間は、確かに富士山が見える。2時頃から数時間、仕事部屋には強烈な西陽が射し込む。5月の上旬でも、ガラス窓を通した温度は47度。それでも、その後に見える写真のような夕焼けに心がとろけ、このためなら熱気も我慢しようと言う気になる。画像と実際に見る景色との間にはしょげる程の違いがあるが。

上の夕焼け写真に映った超高層ビルは旧区役所の庁舎があったところ。民間に売却し超高層ビルに変わったようだが、さらに上に伸びるのだろうか、2台のクレーンが仕事を待っているようだ。いずれ私もさらに上に行くのかな。あれにブロックされずに夕焼けを観るため。

47度を表示した温度計。11年前まで住んでいたところを思い出させた。マンションだが、リビングとダイニングの間はガラスで囲まれた日本”庭園”。誰の眼から見てもその上品な佇まいと味わいのある美しい部屋に、訪れた者たちは呼吸を一瞬止めたが、午後2時頃に頭上から差し込む陽に、ガラスの傍に置いたマックス50度を記す今と同じ温度計は即頂点まで昇り、廊下は焼け付く熱を放った。「あっつっつっつ~」と、私はつま先で走った。なつかしい。。。。「あなたは30代から美意識が高まりましたね」と、訊いても無い事を占い師から言われた事がある。何歳だったか覚えていないが、確かに美意識は高いようだ。




「一幅の絵」→「荒川の空の下で」  5/7

ゴールデンウィークが終わった。ゴールデンウィークの楽しみは正社員の資格を得た人達とその家族だけなのかもしれない。給料に変化なく休める。派遣社員やパートは喜べるわけでもないだろう。定年退職したジムに通う高齢者にとっては、何の変哲もない。「ゴールデンウイークはどうでしたか」「いつも休みなんだから、ゴールデンウイークの混んでいる時にわざわざ出かけないよ~!」全くごもっとも。

超高層ビルの天辺にあるクレーンも動き出したようだ。あと何層重ねるのかと少し恨めしい気もちで仕事部屋から眺めている。

ところで、122曲目。タイトルを考えていたら、トイレでクリック。以前に書いた「一幅の絵」を今回の歌のタイトルに使おう。そして以前のものは、「荒川の空の下で」に変更。私が時々行く荒川沿いのゴルフ場で昨年の正月2日に見た光景を歌にしたのだから、それをそのままタイトルに使う事にした。「パリの空の下で」というシャンソンもあったっけ。

よく見かける、中国か韓国か日本の水彩画。枝に小鳥が止まっている。木だけを描くよりも楽しさがある。木は木を生きて枝を生むのだが、それは小さな羽根を広げて飛び続けた鳥が憩う場所にもなっている。私達の世界でも、自分がただ生きるためにしている事が結果的に誰かに手を差し伸べている事が沢山ある。私達が気付いていないだけ。それは物理的なものである時もあろうが、誰かが何気なくつぶやいた言葉であったりもする。だから大変な時には、ちょっと向きを変えてごらん。誰かが、何かが、手を差し出しているよと、この曲は歌う。メロディーもだいぶ豊かになって、いい歌かも知れない。




「目覚まし時計が鳴った」 5/8

インスピレーションが入るとそのまま採用する。言葉とのバランスを取るために僅かな調整はするが、とにかく面白いものができる。譜面に書かれた”届けられた”メロディーを口ずさんでいると、思いもかけぬ言葉が舌から滑り出て来る。その言葉が次の言葉を紡ぎ出す。一曲の出来上がりが実に速い。

心が落ち込んだ時、自分を救ったのは「創作」だったと、なかにし礼が言う。私も心がざわついた時、誰かと逢って憂さ晴らしをしようかと一瞬思うが、その会話の虚しさを想像し、止めておこうとなる。そして、私も創作に向かう。

昨日、「一幅の絵」(どうもこのタイトルも変えるかも)を書いた後、ごく最近届けられたメロディーを譜面にし、朝の一連の”儀式”が終わって空気も爽やかな時、早々にPCに向かいそのメロディーを口ずさんでいると歌詞が流れ出て来た。♪行くぞ~行くぞ~明かりがともった~♪(^ー^* )フフ♪、楽しい。

自分が望んでいることが必ずしもその通りに実現する訳ではない。それぞれの役割は、”与えられる”。天上からね。与えられているのに、生活を含む諸々の事を考え躊躇う人は山といる。だが、ここではその与えられた道を素直に果敢に進んで「行くぞ」と歌う。目覚めた人間の歌。

4月の最後のブログに「静けさの海の底から」と言う曲を書いたと綴ったが、アンドレア・ボチェッリの歌の構成を真似てみようかと頭をひねったら、なかなか前に進まず、のったりのったり凡そ1週間の時間がかかった。人のものを真似ようとすればこうなる。色々な人の曲を聴いて音楽に精通している人なら軽く真似られるのかも知れないが、私には難しい。それで結局、私なりの曲になった。今のわたしは頭を使う事が本当に面倒。直感を頼りに体を動かすだけ。直感を信じずにいた事で、大きなミスをした深い反省がある。あれ以来、絶対エゴで動かないと固く誓った。

123曲目。




「お化けが出た」 5/13

ある歌手が歌う曲を募集していた。歌詞が選ばれ、現在は曲の募集。こういう事があるのを昨年知り、今年のテーマ歌手を確認すると、ピンと来なかったので応募しなかったが、選ばれた歌詞を見せてもらったら、あれ?!私が10年前に始めて歌というものを見よう見まねで何となく書いたものと歌詞の出だしが同じ。当てはめてみると、行けそう。課題詞は母と子の対話なので、母親のところでリズムを変えて新しく作ってみた。なんかいいみたい。近藤先生が伴奏をしてくれることになった。

これとは別に新たに書いたのが、「お化けが出た」。人の妄想を「お化け」に例えた。このお化けのせいで、人は不平不満を持って自分の環境を見る。「不平家とは、自分自身と決して折り合わぬ人種を言うのである。不平家は、折り合わぬのは、いつも他人であり環境であると信じ込んでいる・・・・悪い環境も、やはりあるがままの環境であって、そこに何一つ欠けている処も、不足しているものもありはしない。」(小林秀雄)環境は全て自分の成長にとって完璧だとズーカフも言ってる。かも知れない。私も自分の環境と戦っている。大変だけれどね。モタモタしながら、ヨタヨタしながら(*'ω'*)。

125曲。




鉢植え 5/14

新しい部屋に移って、鉢植えがひとつづづ増えて行く。仕事部屋側のベランダに置いた飾り棚にそれらを並べ、パソコンに向かっていた眼を休める度に窓越しに眺めている。

また、かつての話になるが、11年前まで住んでいた千葉では、部屋のベランダが花で埋め尽くされていた。ほとんどがバラ。農園やバラ展によく二人で出かけては気に入ったものを運んで来た。東京湾に台風が上陸した時には、ものすごい風で、すべての鉢を移動し、また戻す作業に結構な労力を要した。その場所を離れ再び東京に戻って16年ぶりに一人生活を始めた時には、千葉から持ってきた観葉直物以外、花を置かないと決め、花瓶に挿すことさえめったになかった。61㎡は一人暮らしには決して狭くはなかっただろうが、荷物が多いため花を置いてもそれを鑑賞できるスペースはなかったし、花を愛でる心も失せていたように思う。部屋をきれいにしたリ、花を育てるのは愛する者がいたからかも知れない。愛する者との別れは、愛でる心さえ失う。

だが、ここ11年の間に本人の私にも気づかない変化が私の中で起きていたのだろう。新生活の第2ステップだと神様が押されたのか、部屋を移るきっかけが与えられた。この部屋は音楽と花や観葉植物が実によく似合う。今までその存在さえ来客には気づかれずにいた飾り台も、その上に小さな観葉植物が置かれ、レースカーテンの傍で「素敵」に存在感が増している。通りすがりの花屋に何気なく足を止め鉢植えを一つ買ったが、買った自分に何か照れるようなものがあった。千葉の部屋には以前の所有者が造らせた日本庭園があり、この季節には上品な紫陽花を咲かせたが、その名残で、決して上品とは言えないが、白い紫陽花も買った。一つ買うとまた一つ。バラと別品種の紫陽花も買った。

今、それらを見ながらこのブログを書いている。風がそよいで、バラは「うん、うん」と頷き、紫陽花は「いや、いや」と揺れている。眼を細めて、私は飽きもせず、何度も見つめている。花の向こうに描かれるかつての生活と愛を思いながら。

今私には以前のような愛を感じる相手はいない。しかし、美意識は愛する相手がいなくとも内から再び染み出て来るようだ。




「天国よもやま話」 5/16

昨年暮れから私の歌作りのプロセスが変わった事は、何度かこのブログで書いてきた。主題を持たず、出て来たメロディーを口ずさみながら単純に言葉を紡ぎ次の言葉へとつなげる。何を書くかなんて一切考えない。それ以前は、テーマが先にあったり、テーマと歌詞が一緒に出て来りした。

小林秀雄が書いた「モーツアルト」を読んでいたら、「目的地を定めない。歩き方が目的地を作り出した。彼はいつも意外な処に連れて行かれたが、それがまさしく目的を貫いたという事であった」と評している。うわ~私とおんなじ!と嬉々とした。何が出て来るか分からないから、一番最後に決めるのが、タイトル。最近生き方も見直して目的地を定めない事にした(いや、まだ狙っている、ちょこっと。がは)縁と言うか、やはり導かれているんだなぁ~。このタイミングで、小林秀雄の対話集「直感を磨く」を読んで彼の感性や知性に惹かれ、傑作「モーツアルト」へと導かれた。

そして今朝、また新しい歌が誕生した。数十分で出来上がった。メロディーはすでに記譜していたが、どんな歌詞になるか私自身がドキドキワクワクしながら口ずさむ。で、出来上がったのが、がはははびっくり、びっくり、がははは。。。「天国のよもやま話」。ここには、小林秀雄も登場させた。がはははは~




「桃色吐息もう一度」 6/1

6月ですね。突然30度を超えた5月に、またかと怯え、迫りくる夏に身構えたが、少しこの季節らしい陽気になったかな。そろそろ入梅か。

様々な季節のある土地が良いのか、季節が一定、気温も一年を通して大体20度前後と言うペルーのようなところが良いのか。

さて、さて、ブログを読んだら15日ぶりになる。料理屋で鏡の隅から視線を投げる男、それを受ける女の色恋を書いた。高橋真梨子が歌った「桃色吐息」のタイトルを堂々と盗んで「桃色吐息もう一度」。60才前後の、もう恋などないと思っていた女性のときめきとでも言おうかな。




再度Anz 6/16

再度Anzとのコラボが成立する。嬉しい。一時はなんて嫌な奴だと思ったが、、、これもすべて私の妄想なんだなぁ。。反省(@_@)。ぶつかる事も順調に行く事も含めて、Anzと私はつながっているんだなぁとしみじみ思う。運命だ。

マネージメントを通して欲しいと言う彼の本意に気づいたのは今月に入ってからだが、マネージメントもその本意を理解せず、ただ単にこれまでの7万倍のお金を要求して来た。アホか、と鼻で笑った。デモづくりで収益がある訳ではないのに、だれがそれほどの金額を払うかって。思考が直線的で様々な角度から考えられないのだろう。だがAnzの意図は、私とAnzの間に緩衝材を入れることだと知った。1回目のコラボでAnzが大金を払う客である私に対し、まともなら考えられない暴言を吐いてきたので、2回目ではそうはさせないぞと、腕まくりをして用意していたため、当然警戒感と緊張感が互いの間にあった。ま、昨年の8月頃から今日までの間マネージメントが取って来る仕事の内容にAnz自身の思いも変わったのだろう。料金は今までより数千円アップで私の仕事を「したい」とマネージメントに言ったようだ。Anzが私の仕事を楽しんでくれている様子は感じていたので、その正直さと素直さが嬉しい。

それに加えて思わぬ展開がありそうだ。まだ言葉にはしない。良きことは静かに温めた方が良い。

Anz、よろしく。様々なこれまでの事を踏まえて、大事にします。




「もったいないよ」 6/16

ここ最近、「Anz行き」のフォルダーに溜まっていたアレンジ待ちの45曲をAnzに送るための処理をしていた。朝6,7時頃から音源作りの為に昼3時頃まで歌ったりして。あと10曲ほど残っているが、これは7月に入ってからの処理。

今日は米国から友人がやってくる。明日からはまた玉川温泉に1週間ほど湯治に行くので、今日終わらせようと128曲目を書いた。「もったいないよ」。

かつて通訳をしていた時、ある会社で青年が彼の同僚に話していたことが大変印象に残った。離婚したらしく、その離婚になんとも思っていないと言う。それを傍で聞いていた私は、こんな男と分かれた妻は良かったなぁと思った。離婚を人生のマイナスととらえているのだろう、体裁を整えようと自分の事しか考えていない。彼の同僚が彼の妻にあった事がある無しは別にして、陰でこのように言われる妻の気持ちに同情した。

離婚して「ぜ~んぜん」気にしていないと語る男を他でも見た。「傷つかなきゃダメよ」と私が言ったら黙って下を見た。恐らく傷ついているのだろう。傷つく経験が自分を豊かにしていく。、傷つかなければもったいない。




再度玉川温泉 6/19

一昨日から秋田田沢湖にある玉川温泉に来ている。これで6,7回目だろうか。文芸批評家小林秀雄の生前の対談集を読んでいたら、彼も時々温泉湯治に行っていたことを知った。学生時代に彼の著書を読んでも恐らく理解できなかっただろうが、今では、視点、感性(知性は私がはるかに劣る)を同じくしている人として彼は私が来世で逢いたい人のリストに入った(笑)。

今回の玉川温泉での治癒箇所は、ひざ。やらないからいけないんだとやり出したのが時速10キロで1分間走り、2分休んでまた10キロ。これを45分間やって、メガダンスでは若い時にダンスしていたようにジャンプし、引っ越しの時には15時間ぶっ続けで片づけをしていたら。。。。。きた~。腰から膝まで。膝はコクンコクンと音がするし、針を刺したような痛みが突き抜ける。

知る人ぞ知るの「黒田光線」に毎日2時間ほど当てて大分良くなったが、かれこれ2か月。まだ数か月はかかるだろう、それならいっそ玉川温泉に1週間浸かって直した方が早いと飛んで来た。驚くなかれ、光線のお陰でだいぶ良くなってきてはいたが、玉川1日目で膝のコクンコクンはほんの小さな音に変わり、押しても痛みはなくなった。が、胡坐をかいた後の立ち上がりが、まだ「あたたた。。。」

この1週間でどこまで快復するか楽しみ。ところで、昨日こちらの気温は最高13度。ジャケットを着だした。





Amore Fati 6/26

玉川温泉から戻り、3日が過ぎた。後日記録しよう。

Amore Fati。「運命を愛す」。多くの人は自分の人生が思い描いたものと違うと、まるで悲劇の主人公になったように憂う。理想の姿があると信じる。社会のどの場所にいる人も大体そうだ。現皇后になった小和田雅子さんもしかり。皇室に嫁ぐと言う一般的には夢のような身分にも、患う事があってうつ状態になられた。

理想を探してみてもどこにもない。みな自分の心が作った虚構。どこに行っても自分を持って行く。「心が貧しければ、経験を貧しくする」(小林秀雄)ように、どこに行っても満たされない心は常に嘆く。運命を愛し、ありのままを受け入れたら、心は穏やか。競う事も妬む事も無い。そんな大きなテーマを歌にしてみた。

Amore Fatiは哲学者ニーチェの言葉だが、驚いたのは、ネットに入れたら同じタイトルで全く違った歌をキムヨンジャが歌っていた。歌詞は韓国語。彼女の「新曲」となっていた。




「人生は喜劇~ちょっとだけ待って」 7/3

お~、130曲目が出てきました!

昨日はATPテニス・ウィンブルドン大会で、錦織圭が大変素晴らしいプレイを見せてくれたので、私もすっきりした気分。彼の人相まで変わってきたように思う。お坊ちゃんから、闘争的な”男”になった。コート上で余計な事を考える、いわゆる雑念に捕らわれる癖が、今回は一瞬あったものの、直ぐに気が付き振り払った様子がテレビ画面に映された。私はそれを見逃さなかった。よし、行ける。そう確信した。

ところで、私の話。愛こそが全てなどとよく歌われるが、皆さんはどう思われますか。中にはお金が全てと言う人もいるかもね。そのどれにも勝るものがある。それは運命。神の力に人間が優る事はない。今哀しい別れに泣いていても、それは神様があなたのために用意した筋書き。神様が空から笑っている。皆喜劇なんだよと言っている。いい夢を抱いてちょっと待っていなさい。良い事が用意されているから。そんな歌。




誕生日 7/7

朝から友人たちと南千住で待ち合わせ、「尾花」というかなり有名らしいうなぎ屋で昼食。まあまあの味かな。落胆はしなかったけど、焼き鳥一本600円、うな重1万円は高すぎる。でも人気があるらしく、開店2時間前から並んでいる。私達も1時間半並んだ。

丁度7月7日の計画だったので、参加してみた。これはこれで良かった。今は夕方19時20分。後、30分もすれば、私が生まれた時間になる。母を想う。「ありがとう」。




「同窓会の案内」 7/17

Anzがものすごい集中力で依頼した49曲(もうすぐ50曲)のアレンジをやってくれている。6月の中旬に動き出して、PC環境を私のアレンジ用に変更し、この1か月の間に、すごい、12曲を上げて来た。真ん中に入ったマネージメントもコミュニケーションの取りやすい人。Anzと似ていてITマニアで、二人のコミュニケーションも、きっとスムースに行っているだろう。

どんどん上がってくるから、今度は私の歌入れ作業を始めなければならない。色々とやる事が多くなった。そんな中で生まれて来た新曲が、「同窓会の案内」。本当に何が出て来るか分からない私の歌作り。ひょんなものが出てきて、作者の私も楽しい。

同窓会にいつも来る人もいれば、一度も顔を出さない人もいる。顔を出さない人には嫌な思い出があるのだろう。この歌は、同窓会の案内にすぐに返事ができない人を歌った。




「男と女、女と男」 7/18

Anzとは、ほんと、運命の出会いとしか言いようがない。丁度10年前、突然歌を書き出した時に、ド素人の私の前に音楽の天才がいた。それがAnz。彼の才能、彼の醸し出す世界が私の楽曲が描く世界にピッタリなアレンジを出して来る。悲しい歌でも重くない。楽しい歌は本当に楽しく、面白い歌は本当におもしろく、私のイメージの世界にピッタリと合う。何度も喧嘩しながら、こうやってまたコラボが再開する。互いにそれぞれの場所で少しは成長したように思う。様々な事が絡まって、こうしてAnzの能力を再び貸してもらえるのは幸運だ。

さて、もう一つ歌が出来上がった。「決め手はな~に」。私達は社会や文化の決まりと言うか掟に縛られている。女だから、男だから、子供なのに、大人なのに。。。。などなど。弱い男もいれば強い女もいる。大人のような子供がいるかと思えば、いつまでもガキのような大人もいる。「こうであるべき姿」は人間の本来の姿から乖離した文化や社会が押し付けた姿。それぞれ楽にして生きていようよ。そんな歌。

Anzが言う。以前よりも歌が短くなって良いと。そう、かつては言いたい事が先にあって、そこにメロディーを付けて行ったから、演奏時間5分を過ぎるものもあった。今ではメロディーに歌詞を付けて行くから、ホント、短い。半分ほどになったと思う。ものによっては2分もない。




「やり残し」 7/26

アレンジがどんどん上げってくるので、そのチェックやら歌入れやらで、ものすごく忙しくなった。明日は近藤先生との授業なので、見てもらう題材を間に合わせなければならない。そんな事もあって、あまり肩張らずに日常の会話を譜面に落とした。そして出て来たのが「やり残し」。

以前、人伝に聞いた話。仲の悪い夫婦がいたが、人生終わりも近くなり、死ぬ前にどうにか仲良くしたいと思った妻が、ある宗教団体の門を叩き、心の在り方を教えてもらった。その教えを素直に実行していると、夫がびっくり。「うちの女房をこんなに変えた宗教は一体どんな宗教だ」と妻に付き添って見学に行っていたら、その夫も入信したとか。

この話を夫と仲が悪いと言うジムの仲間に伝えた事がある。その時の私の思いをそのまま歌にしてみた。悔いのない人生の終わり方をしなくちゃ、ね。その為にはやり残しは素直に果敢に成しとげるしかないのよね。




「息子へ」 7/28

私には息子はいない、と言うか子供はいない。いたら良いだろうなぁと思う事もあれば、いなくても良いとも思う。みんな運命。私に与えられたこの環境はそれなりに意味がある。

昨日、「半ぐれ」というドキュメンタリーをNHKで観た。私はすぐに自分がその立場だったらと考える方だから、胸が締め付けられる思いがした。暴力団ではない、半分ぐれた、半ぐれ。オレオレ詐欺や恋愛詐欺の実行犯。恋愛詐欺は、まるで結婚すると思いこませ、グループが経営するバーに女性を連れて行き泥酔させ100万円ほどの請求書を渡す。出せないとなると風俗店で働かせる。半ぐれの主導者が雇うのは名の知れた大学に通う学生たち。その学生たちに渡す会社の訓戒のようなものがあるが、そこでは「自分を変える」、「進化」が唱えられる。まるで”普通”の会社だ。餌食となった女性たちに残されたのは永遠に消えることの無いトラウマ。

首謀者の二人が画面に出て来たが、何も悪い事はしていないと白け治っている。逮捕する証拠がない。女性たちを嵌めた男子学生も証拠無して逮捕されない。悪の首謀者は知恵者だ。法の抜け道を伝授する。その半ぐれ達を念頭に書いた歌が「息子へ」。ちょっとシナの匂いがしなくもない綺麗なメロディーになったが、歌詞とのバランスにちょっと。。。。歌詞が歌詞だけに綺麗なメロディーで良いんじゃないのと言われた。




「我慢の時代から」 8/4

最近このブログを読む人の数が激減した。それもそうだろう。以前のように様々な話をしないから面白くない。現在、このブログは主に私の新曲の記録用になっている。その新曲の内容に私の考えや感情も注入されてはいるが。

さて8月の最初の新曲は、「我慢の時代から」。「我慢」を美徳としている人たちがいる。心や体を痛めながらも、それを遵守して生きている人たち。私達は、社会で言われている美徳とか常識とかいうものを問い直す時に来ているのだろう。我慢している人はストレスを沢山蓄える。そしてガンや重病に患う(*_*;。命が病んでも、その病がどこから来ているのか気づいている人は少ない。

汗水たらして働くことが当然のごとく言われた時代。それを今でも念仏のように唱える古い時代の申し子。そんな方々がいたからこそ、今があるが、僕にはそんな生き方はできない、時代は変わったんだと訴える青年の心境を歌にした。



「うるさい娘」と「私を生きてます」 8/7

上のブログを書いた後3日間か。。。2曲が生まれた。なんか、これって、すごくない?歌詞もよく出るねと言われて、「ねぇ~」と驚いてみせてるのは本人の私。ね!でも生まれるままに、書ける時に書いておこう。苦無く書けるから、私もやっていられるのだから。

文芸批評家の小林秀雄に私はすっかり参ってしまったようだ。彼の父性愛がその批評の至る所にみられる。それで書いたのが、「うるさい娘」。逢いたい逢いたいと心の中でねだっている。あまりに先に生まれてしまわれたら、また逢えないだろうから、私が霊界に行くまで待っていてとおねだりしている、うるさい娘。芸能スターや芸術家や科学者、なんでも、今世で直にあった事はないけれど、とても憧れていて、来世でぜひ逢いたいと思う人がいると言うのはあり得るんじゃないだろうか。

そしてもう一つは、「私を生きてます」。世間には本当に他人の事にうるさく言う人がいる。”普通”という認識がどこかにあって、その普通でない人が傍にいればやんやかんやとうるさい。で、「私は私の普通を生きています」と歌う。




「あ、かるくしよう」 8/7

うわうわうわ。。。。できちゃった。上のブログに書いた2曲に続けてもう一曲。「あ、かるくしよう」。「かるい」と「あかるい」は一音違い。明るい人は軽い。軽い人も大体明るい(笑)。軽ければ人生も楽だ。重たくて良い事はない。病気になったり人といざこざになったり。。。そんな事を陽気な民謡風でもあるし演歌風でもあるメロディーに載せて歌う。これ、いいっす!ノリが良くて簡単で。

要するに3日間の間に3曲書いたという事になる。3日に一曲書いた時期があると言う小室哲哉が経験したのはこういう事なんだ~。わたし、元気です~。




「もののあわれ」 8/9

なんか、良い歌が作れたぞ~。「もののあわれ」。本居宣長の「もののあわれ」を私なりに感じた「もののあわれ」。恐らく異なるものかも(ガハ)
涙は悲しい時より嬉しい時に落ち、哀しさを愛しく思う。歳のせいか、そのように変わっていく。それもこれも、人生の辛苦を経験しなければ出て来ないかもね。こんな思いを育ててくれた、あの哀しい経験をさせてくれた「あの人」を思う。戻らない、戻れないからこそ、あるこの感情。ふん、ふん、ふん。いいなぁ。(*^▽^*)




「やがて時が来る」 8/20

今月の6曲目、今年の39曲目、総合計140曲。うわっほ~~~~~.
9月になれば、玉川温泉に2週間ほど浸かりに行くから、今の内と言う働きが私の中にあるのかも知れない。数日前に生まれていたメロディー、「ともだち」という言葉が舌から滑り出て来て、なんどか音を鳴らしている内に、ある物語が作られた。人とうまく関われなくて不登校になった少年。母親は「あの子はいい子なんですよ」と彼のすべてを受け入れてくれる。彼女にとって、息子は彼女の愛を引き出し、彼女を大人にさせる人。

「学校は国のために忠実に尽くす高い技術を持った従順な国民を生み出すために創られる」(ユヴァル・ハラリ{ホモ・デウス」から)。要するに経済効果を生み出す人間を作って行くところだ。その枠に嵌らない人間は山といる。どんなに素晴らしい素養を持っていても。

「あなたは良い子、優しい子。私はそれを知っているから、大丈夫。いつかあなたの”時”が来るの」と歌う。

人は、どんな人でも誰かの、何かの役に立っている。




ミーハー 9/19

玉川温泉から帰り、既に5日が過ぎた。滞在している間、NHKのブラタモリの撮影班がタモリを中心に現れた。玉川温泉の大吹き、大浴場、食堂などを回ったらしい。見学者の撮影はNGとサインが示されたが、FACEBOOKに載せようと、こっそりパチリ。放映は11月頃だとか


       




神智を信じたまえ 9/23

亡くなられた星野仙一野球監督もこの玉川温泉が気に入り、楽天にいた時には、マー君こと田中将大や他の選手たちも来ていたらしい。さまざまなエピソードを聴かされた。下の話で大笑いするおばちゃんたちで相部屋は賑わう。

玉川温泉の湯質は強酸性で、浸かると多くの人に下の写真のような、一般に「毒素」と言われる皮膚炎が発症し、かさぶたになって徐々に消えてゆく。悪いところに出て来ると言われるが、私の場合も膝に最初に出て来た。前回6月に浸かった時にも出てきたが、今回も。本人の認識がないまさかの場所にも発症する。現代医療では見つけられない異常を感知するのか。痛痒いので馬油で膜を張って浸かる事を常連から教わった。1週間も浸かっていると、このピリピリ、ひりひり感が徐々に無くなって行く。それが修復したというサインなのかもしれない。がん患者の場合、血液が汚染されているからか、体全体にこの赤い斑点が出てくる。体の前面後面とも全面かさぶたで真っ黒になっている人を時々見かける。

この温泉に1週間も浸かると、かなり長い間鍼灸もマッサージも要らない体になる。体全体をオーバーホールしてくれるようで、あちらこちらのXXX科に何度も通わずに済む。

とにかく免疫力が増すので、この冬は風邪もひかないだろう。



   





歌入れ 9/30

玉川温泉から帰宅後、レコーディングの為の日々を過ごしている。創作者の私が他のところに行ってしまうとやる気が失せるのか、アレンジャーのAnzもさぼっていたらしい。「気合入れてやります」と残りのアレンジとミキシングに取り組み始めてくれた。自分で作った歌でも歌い慣れるまではかなりの時間がかかる。歌入れの為に集中的に歌い込むのだが、1曲2,3時間はかかる。曲数が多いので、近藤先生とのクラスも一旦終わらせた。歌入れが一応終わってもまだまだ作業は続く。部分的な歌い直しやら、フルアレンジ用の曲選び、そしてまた歌入れ、ミキシング等々。たっぷり1か月かかるだろう。フルアレンジが出来上がるまでの時間もある。

時間を忘れて夢中になるものがある事が、本当に嬉しい。この仕事を下さった神にまず感謝し、付き合ってくれているAnzに次に感謝。そして今後マネージャーとして加ってくれそうな人にも。どう展開していくか分からないけれど、目の前の事をしっかりやろう。




感無量 10/16

8月20日以来2か月間歌作りをしていない。ずっとデモテープづくりをしている。Anzも6月から私に関わり、ものすごい気合で4か月の間に33曲のアレンジをやってくれた事になる。Anzほどのプロじゃなければとてもできない話。私の楽曲を面白がってくれているから、その気になれるのだと私は自負している。事実、本当におもしろいものが生まれている。面白い楽曲が面白いアレンジをしてくれるAnzによって、さらに面白くなる。

アレンジが終わってからがまた大変。歌入れがある。湯治の甲斐あって、いわゆるリップノイズと言われる口の中のぴちゃぴちゃが無くなった。玉川温泉の蒸気湯で深呼吸を何度もしていた効果だろう。このリップノイズが録音データにあまりに多い時があって、それを取り除く作業が大変らしい。それが無くなったのは良かったが、大分長い間歌っていないので声が出にくい。割れる。何度も歌い直してその度にAnzにミックスしてもらう。これが延々と続くが、本当に、Anzの忍耐力と寛大さに唖然としてしまう。嫌がっているだろうなぁと気になり、そのミックスのやり直し回数を減らそうと策を考えるのだが、何度やり直しても良いと言う。こんな人もいるのかと、私は驚嘆。この人、なんだか違う。

永遠と続くかに見えたデモテープ作りも、今日で一段落。最後の小さな直しが、今Anzのところにある。

いや、いや、いや~。本当に運命だ。Anzを私のところによこしたのは神様。私をよく知っていて、それに最もふさわしい音楽家をよこされた。しみじみ、つくづく、Anzだから、ここまで来れたと思う。神様は本当にすごい事をされる。感無量。




歌作り再開ー「涙のあとに」 10/22

人の心に芯から響く歌は、おそらく、神が作者に下さったもののように思う。だから、あっという間にできあがる。思考回路を通らないから、速いのだ。「幼き者よ」もさらさらとできた曲。出来上がった当初から、この歌詞は強烈だろうと思っていたが、先日稲門祭でサークル仲間たちとの会食で歌ったら、一言も発しない男性陣は大きく眼を見張り、女性陣からはずしんと来たと言われた。低音で歌うのがさらに良いようだ。今回Anzのところに行った楽曲の中で、唯一この楽曲だけをフル伴奏にしてもらっている。上がってくるのが楽しみだ。その後また歌入れにミックス。


ところで歌作りを再開した。タイトルは「涙のあとに」。この地球上に人類が誕生して以来、人はどれほどの涙を流して来ただろう。その涙の対価は、大きい。涙があって、今日、私達は人類史上最も命を尊重する時代に生きている。一人の小さな涙も空が聴いて誰かに届けている。それが良き日へと繋がって行く。そんな事を歌にした。141曲目




もう11月 11/1

実に速い。呆気にとられるくらい速い。昔もこうだったのかと思ってしまう。ただ子供だったから時は長いものだと錯覚していたのだろうか。もう11月。後丸2か月で2019年も終わり、二度と来ない。あの人と再会したのはいつだったか。あの時還暦だったから、もう65才か。。。もうすぐ誕生日。どんな思いで迎えるだろうか。

ノスタルジーに浸っていても、時は走って行く。ほんと、「走る」。自分の過去に浸っている時間はないと、次の仕事をやる。142曲目は「しあわせホーリック」。

誰も彼も幸せになろうとする。幸せ、幸せと歌手が歌う。だからだろうか、人は幸せ感度を高くする。その幸せはどこに。テレビで観た事が周りでやっていることが、私にも似合う。だから同じくなろうとする。生まれた時に持たされた個性を生かして行けば、人生はおのずと豊かになるはずだけれど。。。そんな事を歌にした。




もう12月 12/4

あらまぁ、11月のブログは1回だけでした。これはね、つまり、充実しているという事なんです。以前はたくさん書いていた事がありましたが、あれはやはり、書く事で何かを消化させたのでしょうね。もやもやとしたものが沢山あったのでしょう。心が落ち着いてくると、話さなくともよくなるみたい。マンションの管理スタッフや修理職人と少しだべっていれば、それでよく、何か深刻な事ならば、歌の中で処理しているようです。。。。。私も変わったなぁ。

最近私はいつ頃死ぬのかなぁと考える。そこから逆算して、あといくらあれば今の生活を維持したままでいられるかなぁなんて。これって、全然暗い話じゃないんですよ。人間はいずれ死ぬんです。今年は玉川温泉に3度も行って病と闘っている人たちを見ていたからでしょうね、そんな事も考えるようになったのです。つまり欲張らずに暮らして行けるようにするためなんです。そして、残る者たちに何か残して行きたいなぁとも思うのです。あ、これはお金の事じゃないんです。お金を残して行かなければならない相手はいませんが、残る者たちが生きやすくなるために言葉を置いてゆきたい。

それはそうと、死ぬって、本当に楽になるでしょうね。あ、これも全く「暗い」なんて思わないでね。当たり前の事を言っているんです。私には名残惜しいものが無いみたい。執着するものが全くなくなったと言うのかなぁ。ただ、上に書いた「残る者たちが生きやすくなるために言葉を置いてゆきたい」以外には。お金も一銭も残さず使い切って行こうと思うので、仮に少しでも増えたら、老後の為なんて言う事は考えず、お世話にならなきゃならい時には行政にお世話になって、贅沢に行こうかなぁと。常に少額納税者だったのに、すみませんが。。。。だいたい、高額納税者は行政にお世話にならないものです。公共サービスなんて使いませんからね。彼らの血税をつかわせて頂いているのは少額納税者または納税ゼロの人達でしょう。それなのに、政府に一番文句を言っているのは、大体この少額納税者みたい。

ブログを読みに来てくださる方のために何か書かなければと書き始めたら、思いの外こんな話になりました。ぎゃはは。。。(*^▽^*)




なんとなく2曲 12/11

一通りデモづくりが終わったら、ダダダ~とメロディーが降り始めた。メロディーを数曲譜面に落としたが、歌詞が直ぐに出る訳ではない。チョッと飽きた感があるのかなぁ(そんな事を言ったら罰が当たりますよ!)、今一乗らない。しかし、ふっ、ふっと新鮮な言葉が降りてくる。その言葉を持って譜面に向かう。なんとなくできて来る。

「Mother Love」と「本気なら」。どちらも暫定的なタイトルだが、Mother Loveは母の愛というか母性。カッコよく見えたいと思う男たちが多い中で見つけた、浮浪者のように着古してよれよれになった服を着ている男。着ているタートルネックのセーターには穴が開いて、そこには縫い合わせた跡が。胸がキュンとなり、この人を包んでいこうと思う。この人の母親にも負けない温もりと大きさで。寝ている時にうるさく突っついてきたメロディーの上にこんな歌詞を載せた。

「本気なら」。結構いいメロディーだなぁ。はて、どんな歌詞にしよう。とりあえず書いて、昼食の準備をと部屋の中を歩き回っていたら、メロディーにピッタリの歌詞を私の口が口ずさんでいた。
「そうなのね、この歌詞ね」って、既に打ち込んでいたものを消して頭から書き換えた。オジサンが若いものにするアドバイスかな。愛だの恋だの、そんな言葉を聴くとくすぐられているようで照れるが、人生、本気になれる相手は大体一人だよ。一人でもいれば幸せだ。大切にしなよ。幸せに馴れるなよ。本気なら新しい自分になるのさ。。。。。

144曲か。




悲しい出来事 12/28

2019年ももう終わり。正月を待ち遠しくしていたのは、何歳ぐらいまでだったろう。お年玉が楽しみだった中学生か高校生?今は正月と誕生日が、正直言ってあまりうれしくない。刻々と”近づいている”という事だものね。近づいても良いのだけれど、やり切っていない事があるから、まだ老いたくない。

今年は玉川温泉に3回も行ったが、今月の16日から年収めにもう一度行く事にした。出発する日を2日後にしている時、突然姉から連絡があった。「ひとりで寂しくないの?。。。遊びにお出で」だった。事情を話すと彼女も玉川温泉に行きたいと言う。今のところ陽性だが膵臓癌があると医者から言われ、膝も痛いらしい。もしかしたら姉と逢うのもこれが今生最後かもしれないと私は快諾し、旅館で飲むシャンペンや朝食に食べる食品を用意し、いそいそと姉が待つ田沢湖駅に向かった。今回は玉川温泉は冬季休業なのでその姉妹旅館の新玉川温泉だ。

駅の待合室で姉を見つけた。。。嬉々としていただろう私の顔が一瞬茫然の態になった。3年前四兄の告別式で会って以来の姉を、彼女だと認識できるまで時間が必要だった。中学高校時代、姉が学校に来るとその綺麗さが構内に広がり、私は誇りだったのに。。。。。

姉はいつも家族の騒動の火種だった。家族中が苦しめられたと言っても過言ではない。そして誰もが異口同音に彼女を批判しても本人は自分の行為の認識が全くない。自分の理屈で自分は常に正当だ。自分の思い通りにならなければ相手の悪口を家族中に触れ回る(こういう人、私はもう一人知っているが)。妹や弟の人生が良くなるのが気に入らないようだ。彼女から一番に逃げたのが私だ。そんな彼女の積み重なった業の結果だろう、2年前の電話では自分の家を出て借家住まいをしていると言っていた。何が起きたのか想像に難くなかった。法則だ。宇宙の法則が彼女にも働いた。だが、彼女の心中を推し量ると悲しくてならない。妹も親戚もかつての友人たちもとうに彼女を去った。家を追い出された上の事。どんなに動揺し、淋しくしているだろう。誰かに傍にいて欲しいだろう。話し相手が欲しいだろう。。、、、、温泉で寝ている時の突然の悲鳴。寝言の中に投げられる怒りの言葉。いやな夢を見ているのだろう。

悲しい。ただ悲しい。自業自得だろうけれど。彼女と私の間では生き方があまりに違い、3日もすると私は耐えられなくなってしまっていた。息が吸いたい。彼女は優しさを、温もりを欲している。だが精神があまりに病んでいた。。。。

何もしてあげられずに予定を繰り上げて帰宅した。罪悪感と、寂しさと、哀しさが私の身体を苛んだ。「私の事は忘れて。玉川温泉は思い出。元気で」姉から来た最後のメールだ。

数日経って、いや、これも姉の進化に続くのかも知れないと思えて来た。人はどん底に落ちた時始めていろいろな事に気づいて行く。そして新生する。温泉での出来事はお互いに辛かったけれど、結局互いの進化にプラスだったように思う。「悲しい出来事」とタイトルを打ったが、それは一瞬の想い。喜ばしい事なのかもしれない。この先で互いに成長していたら。

姉の余生が穏やかであることを心から祈る。




切れ目良く 12/30

歌を書くと言う仕事が私にある、これは本当にありがたい。上の姉との感情の交錯。あのシーンでしか生まれない感情。解決しようがないから、毎朝毎夕ひたすら彼女の平穏な余生を祈り、また歌にしている。

相手を男としたけれど、書いた曲は「あんたといたいよ」。時間が経つと姉がなぜあの時あのような事をしたのか分かってくる。もう一度姉から連絡があれば、私は優しく彼女の傷を癒すだろう。その機会が欲しい。私はあの時、彼女の傷に塩を塗ってしまったかも知れない。ドアを叩きなよ。あんたを待っているドアは開いているよ。

さて、今年は44曲を書き、総合計、145曲。切れ目が良い。これから正月にかけて、また書き続けるだろう。読みたい本もたくさんある。図書館が1月13日まで休みだから5冊借りて来た。今途中まで読んでいるのは、親鸞の「歎異抄」。今だから、とてもよく分かる。

皆さま、と言ってもこのブログを読む人はごく僅かだが、良いお年を!A Happy New Year!