謹賀新年 201212

あけましておめでとうございます。

なんだかエネルギーが腕や胸そして顔にほつほつと沸いてくる。うん、背中の上部にも。暮れには大祓い、終って近くの氏上神社に歩いて行く途中で除夜の鐘を聞き、長蛇の列に並んで初詣。昨年もそうだったけれど、風もなく暖かだった。
 

正月、あるイベントに参加した時、12月のソロライブに来て下さったご婦人がいらして、早速リクエストを下さった、「あの鐘を鳴らすのはあなた」。和田アキ子が紅白で歌っていたのを聞かれて、私に合うのではないかと。合うかどうか分からないけれど、いい歌ですよね。この一件で、夕方からは今年331日の第5土曜日に企画したソロライブの選曲を始めました。これまでレパートリに入れようとして、面倒くさがり屋の性質が遅らせていた歌の取り込みも極僅かだけれど開始。 

あるSNSの掲示板で、昨年知り合ったミュージシャンが、「今年は、おめでたくしたいなぁと思っています」と書いていた。なんだか嬉しくなりました。一緒に仕事をしてくれる仲間がポジティブ思考になるのはとても良い。仕事もやりやすい。周りの雰囲気が良くなるし、可能性に向けての挑戦もしやすくなる。

この2012年の初頭にかつて私を励ましてくれた言葉をここに書こう。そしてそれが真実である事を確かめた私から皆さんに贈ろう。 

「去るものに感謝せよ。新しき良きものが来る」

人生の進化の過程で、色々な人、モノ、事と出会い、そして別れがある。言いかえれば、出会いと別れを通して人は進化するように思う。去るものもその人生における進化のために新しい場所が与えられる。みんな良いように采配される。

新しい年に更なる進化の希望をつなげよう。
    

さあ、この先に何があるのだろう、行ってみよう。  



「落ち着かなくて皆で一杯やって帰った」 201214 

笑ってしまった。今でも一人で声を出して笑っている。

昨年の12月のソロライブに、6人グループで来て下さった男性達がいた。1部の最後の曲は、「人生は過ぎゆく」。これを歌い終わって休憩に入ると、その内の一人が言った、「暗い歌を歌うと、感情移入してしまうから、こっちまで気持ちが暗くなるよ。」 

「人生は過ぎゆく」は愛する男が他の処で若い女性と恋仲になり、さよならを言いに来る。男のセリフは全くないのだが、女性の歌とセリフだけで男と女の間にどのような会話がなされているか自ずと分かる。女は懸命に心の中で、男にしがみつく。

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人生は過ぎゆく 私を残して
ラ・ヴィ・サン・ヴァ ラ・ヴィ・サン・ヴァ
行くのね あなたは 
ラ・ヴィ・サン・ヴァ ラ・ヴィ・サン・ヴァ
二人の隙間を 恋もまた
どうしよう 去りゆく 捨てないで
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絶望のどん底に落とされて行く女の歌。確かに暗い。この歌が終わって2部の頭には「朝日のあたる家」、これは身を落して女郎になった女の歌。こちらもやはり暗い。どちらもドラマチックに歌い上げた。この類の歌は、どちらかと言うと私は入りやすいかも知れない。これまでもこの2つの歌を歌った後の観客の反応は著しい。「ブラボー!」の声が響き渡ったりする。でもソロライブに来られたお客様はとても静かだった。 

終演後の女性のお客様のコメントや翌日の友人からの電話コメントによると、「人生は過ぎゆく」に涙していた方々がいらしたらしい。とても可笑しかったのが、上でお話しした男性の方々。後で感想を聞くと、感情を吐露する歌に気持ちが落ち着かなくなり、みんなで飲んで帰った」と言う。そう言えば、いつも写真を撮ってくださる先輩は、途中で写真機のシャッターを押すのを止めて、ステージに吸い付けられているように見てらしたっけ。 

普段はおそらくそのような歌を聞く事のない6人の紳士たちが、飲みながら何を話されたのか、その戸惑いを想像して、私は一人で笑いこけていた。 

その後、ネットを使って次のソロライブ(331日)の選曲をしていると、面白い意見をみつけた。

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本場・フランスがどうなのかは知らない。しかし、これだけはいえる。
日本のシャンソンは、おかまっぽい。
実際の女性のそれ以上に、くねくねしなしなして、デコラティブに女性性を主張している。
だから日本のシャンソンは、いまいち、浸透しない。
そんな問答無用に、女の情念でドロドロされても、ねぇ、と、一般の人はひく。

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聴く人や歌う人の好み以外の何でもないけれど、正直に言うと、私も今ではあのような歌を是非歌いたい訳ではない。どちらかと言うと、今歌いたい歌は希望のある歌、明るい歌、夢のある歌だ。自作曲は大体この類。あの時は、音楽関係者がいらしていたので、色々な歌を聴いて頂こうとした。でも、上の男性達が落ち込まれたようなので、そんなに情念の歌ばかりを歌ったかなぁと改めてその日の選曲を見ると、暗い歌は上の2曲だけだった。他は楽しいものもあり、さわやかなものもあり、反戦歌もあり、アメリカンポップやテネシーワルツも歌った。でもこの2曲が心が「落ち着かなくなる」程、印象的だったようだ。 

今日、選曲している時、思った。やっぱ、先の見えない悲しい歌や苦しい歌は余り歌いたくないなぁと。水前寺清子が歌った「365歩のマーチ」が急に歌いたくなり、朝から何回か歌っている。
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♪幸せは歩いて来ない 
だから歩いて行くんだよ
一日一歩三日で三歩
三歩進んで二歩下がる

人生はワン・ツー、パンチ
汗かきべそかき 歩こうよ
あなたの付けた足跡にゃ
きれいな花が 咲くでしょう♪




今年のソロライブの予定 2012110

昨年の「浮きうき話」でも触れましたが、今年からは複数の歌手と組む月例ライブは止め、数か月毎にソロライブを開催する事にしました。多くの方々の意見を聞きこのような流れとなりました。確かに大きな前進であります。

日時:土曜日が5回ある月の第五土曜日 19:30スタート(19:00オープン)
場所:上野池之端QUI (「出演しているライブハウス」に詳細記載)
 

場所ってとても大事ですね。来て下さる方々は、私の耳に入る限り、全員、「此処良いね」と言われますが、歌う側としても、自由に思うように歌えるんです。空間との相性なのでしょうね。この場を3カ月に一度のソロライブの会場として貸して頂ける事は、とても光栄ですし、幸せです。このソロライブに備えて、新しい歌を捜したり、来て下さる方々が楽しんで頂けるよう、色々な事を考えたりしています。どうぞよろしくお願いいたします。

次回は3月31日です。お逢いできますのを楽しみにしています。
 



 
新曲の誕生、「Yesterdayを聴いて」 2012/01/10

私の自作の歌を好きになって下さる方々が増えている事が、とても嬉しい。昨年の10月に出来上がったのが「間に合いますか」。これまでの「美しい日々だけを連れて」と「今のわたし宝石です」と共に愛して下さる。「また新しい歌が出来ました」と言うと、聴くのを本当に楽しみにして下さっているようす。その新曲が、「Yesterdayを聴いて」。2日前にイントロを含めアレンジも加わり完成された、生まれたたばかりの新生児です。 

昨年のスイートベイジルのリサイタルに続いて、暮れのホテルのイベントでも伴奏をして下さったピアニスト兼アレンジャーの西直樹さんにそのさびの部分だけを聴いて頂くと、満面笑みになって「良いね、良いね」と上気していらした。それで西さんにアレンジを頼んだら、電話の向こうの声が楽しそうに笑って、直ぐに引き受けて下さった。今は譜面ソフトがあるので、それをそのままメールで送信すればよい。譜面を見て、「完璧だよ!」と電話が来た。西さんに言われたので、嬉しいし照れる。1時間後、コード、イントロ、間奏を付けて送られて来た(このスピード!)。明るい感じに仕上がっている。わぁ~、私が何を言いたいのか、通じているんだぁと、私の作った世界に感応して下さった事がとても嬉しかった。 

アートとかコラボと言うのは、そのようなものみたい。その人が何を言いたいのか、どんな歌を歌いたいのか、表面的な処を超えてその人の深部を感じる事ができる。 

多くの方々に共感される可能性を秘めた作品が誕生しました(また自分で言っちゃった!(#^.^#))。331日のソロライブで御披露いたします




映画マイ・ウェイ 2012/1/21

しんどかった~。戦争映画とは言え、爆撃と銃声と殴り合いと喚きばっかりと言っても過言ではないかなぁ。大体戦争映画と言うのは好きではない。でも戦争が背景にある愛情物語などはとても好き。たとえば、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが主演した「ひまわり」、何度観た事か。またはイタリア映画「禁じられた遊び」やベトナム戦争を背景にしたバーバラ・ストライザンドとロバートレッドフォード主演の米国映画「追憶」。こちらもスクリーンに雨が降るほど古くなっても観に行った。そんなストーリのあるものを期待したのだけれど・・・ 

マイ・ウェイは韓国映画「シュリ」や「ブラザーフッド」を手掛けたカン・ジェギュが監督し日韓のスター俳優オダギリ・ジョー(辰雄)とチャン・ドンゴン(ジュンシク)が主演する作品。日本統治下の朝鮮半島で、マラソンでオリンピック出場を夢見て競争する二人がノモンハン前線で再会。二人ともソ連の捕虜になり、その後はドイツの捕虜となる。自分の命を助けてくれたジュンシクを国に返してあげようと一緒に戦場から逃げようとする辰雄だが、ジュンシクは途中連合軍の銃で心臓をぶち抜かれる。心臓からドボドボと血を流しながらも、戦争犯罪人となった日本人のままでは途中で捕まえられて処刑されるだけだと、ジュンシクは自分の身分証明書を辰雄に渡す。限りなく愛を与え続けるジュンシクに彼を抱いたまま慟哭する辰雄。辰雄は無事韓国に帰り、ジュンシクとなってオリンピックに出場する。 

できすぎた美しい物語であるけれど、もう少し戦場を離れた、たとえば兵舎での友情の交流とか、穏やかなシーンがもっと欲しかった。とにかく戦いと暴力のシーンが多く、こちらの身体が緊張しっぱなし。いい加減忍耐の限度を超えてしまい、耳を手で覆ったり、眼をつぶったり、下を見たり、外に出たりしながら、結末のシーンを待っていた。 

映画が終わり、エレベータに一緒に乗った青年に感想を聞いてみた。「どうでしたか」「ふつう」普通か~。そうね、特別感動したと言う訳ではないわね。20億をかけて撮ったらしいけれど。「余りにも戦いばかりなのでちょっと・・・」「戦争映画ですからね」そうか、戦争映画はこんなものかぁ~。「これ本当にあった話ですよね」「本人は戦場で死んだのではなく、アメリカに行ったという話ですよ」「あの日本人は?」「あれは架空の人です」そうか~、監督の意図が分かったような気がするーみんな仲良く手をつなごうよ。賛成!






スティーブ・ジョブズの人生の不思議 2012124
 

アップル・コンピュータの創始者である。昨年彼の伝記を読んだ。養父が作ってくれた小さな小屋で友人と一緒に無線をいじくりながら無料で遠距離電話をかける事に成功した時の興奮が書かれてあった。無作為に電話をかける、「今、カリフォルニアから無料で長距離電話をかけているんです(すごいでしょう!)!」と興奮の色を帯びた声で。しかし相手は混乱。夜中にかけた電話はカリフォルニア州住民の家の電話機を鳴らした。 

好奇心に燃える少年の上気する声が聞こえるようで好きな場面だ。でも私が最も感慨深く思ったところは、彼の養子縁組先である。彼の実の母親は大学生時代にシリア人学生との間にスティーブを身ごもったが、両親にその結婚を反対され、養子に出す事を誕生以前に決めていた。当時米国では中絶が法律で許されなかったためだ。最初の養子縁組先は弁護士の家だった。しかし生まれたのが男児だったため、女児を求めていた弁護士の家への縁組は消えた。生まれた子をとにかくどこかに貰ってもらわなければならない。電子部品を作る高校教育を受けていない機械工のポール・ジョブズ夫妻が、スティーブを必ず大学に入れることを条件に、実際の養父母になった。 

スティーブはこの養父から電子部品やエレクトロニックスの様々な事を教わる。また彼も大変好奇心をそそられ自分でも機械を作ったりする。その最初の完成品が上で話した無料長距離電話である。その後彼の機械に対する関心は高まり、シリコン・バレーからやがてアップル・コンピュータを作るまでに至る。 

弁護士夫婦の処ではなく、夫が機械工、妻がやがてシリコン・バレーで事務をする事になる夫婦の処へ養子に。偶然でなく、こうなるようになっていたような気がする。彼は、今の私たちのライフスタイルを変え新しい時代を作り上げる”スタイルのある機械”を作る使命を授かって生まれて来たのではないか。おそらく、彼自身が弁護士になる以上に大きな仕事を与えられて。 

人はその人生で沢山の出来事に遭遇、または自ら出来事を作っていく。それらは一つ一つの点を作っているけれど、過ぎてみれば、点と点を結ぶ線が自ずと出来ている事に後で気がつく。そしてその先に線が続く事も意識し始める。どこかに行くための線が。「どこかに行くために」――どこに行くのか、どこに連れて行かれるのか、それぞれ違うのだけれど、大小色々ありながら、各人連れて行かれるところがある。何かやはり人間の力を超えた目に見えない力が働いているような気がしてならない。 この世に生まれた事、養子に出された事、捨てられたという劣等感を持った事、起きた事全てが世界を変える機器を誕生せしめることにつながって行った。振り返って、スティーブは言い切る。自分の親はジョブズ夫妻だと。それで良かったのだと・・・想う、人は親さえも選んで生まれてくるのではないだろうか、と。 

自分の心の深部で湧き出る想い、そして自分の心を真の意味で穏やかにそして幸せにする想いに素直でありながらこの目に見えない力に逆らわずに進んでいく時、きっと「良き事ばかり多かりき」となるのではないか、そんな気が強くする。





美のステージ? 2012/1/25

来月、「経営トップセミナー」というイベントで歌う事になった。30分間のピアノ伴奏による歌のステージだが、今日そのイベントのHPを開いてみると、「美のステージ しずこ」となっている。あう、う、う、う・・・シャベルを持って来て土に穴を掘って入りたくなる心境。うわ、わ、わ・・・、大変だわ。落胆させる訳にはいかないでしょう。そわそわし始めました(;一_)。美容院に行った方がいいかしら、ドレスはあれで良いかしら・・・


                       





もう逢えないのですね 201223

また、見知らぬ方から寒中見舞いのはがきが届いた。そして私の年賀状送付リストからもう一つ名前が削除された。

20年近く前に芝居の巡演先で楽屋を訪ねて来てくれて以来、毎年年賀状の交換をしていた大学時代の友人が逝ってしまった。今のご時世でも、メールアドレスを持たずコンピュータも使わず数十年前のやり方そのままで印刷屋を営んでいた。

俳優を志していた時によくお話を聞いて頂き、私のリサイタルに来られて「おもしろい」とコメントを下さり、彼のコメントはいつも大変参考になった元帝国劇場の支配人も逝ってしまった。生涯現役でありたいという想いを実現し、東宝を定年退職されてからは大学で教鞭を取られたり、博多劇場の完成を手伝っておられたが、新しい赴任先で倒れ、自宅の神奈川に戻られてから電話で2度ほどお声を聞いたが、逝かれてしまった。

ある会で知り合い、私のマンションの近所に住まわれている事が御縁で数回お邪魔した事のある方も、昨年久しぶりに電話をすると、3日前に亡くなられたと言う話だった。韓国で内科医をしていた御婦人と再婚していたが、この御婦人は、ご主人の死後,10年以上暮らし敬愛していた日本と日本人から離れ、韓国に帰られた。御主人は最後まで夫人の今後の身の上を案じておられたと、先妻の娘さんが言う。

昨日頂いた寒中見舞いは、もう一つの永眠報告。こちらも別の会でお逢いした方の奥様からのもの。御主人は一時六本木ヒルズに事務所を構えていたが、昨年の年賀状では住所が変わっていた。身体も声も大きな方だった.胃癌の手術を受け、退院後大変元気になられたが、急に痛みが激化し、昨年の暮れに逝かれたらしい。医師からは余命いくばくもないと告げられていたという。細かい記述のあるその寒中見舞いは、旧時御夫婦の仲の良さを彷彿させる。

彼らはもういない。人間は呆気なくいなくなるんですね。彼らの場合は皆、病の床にあって間もなく逝かれた。彼らのご冥福を心から祈りたい。

突如訪れるのが死なら、思い残しややり残しが無いようにしたい。精いっぱい今関わっている事をやろう、精いっぱい周りの人と仲良く生きよう。思い残すかも知れない人には逢おう、逢えるなら。苦もあり喜びもあり、みんな縁あって知り合い一緒に生きていたんだもの。その全ての人達の幸せを想いたい。

そんな気になる。





ホイットニー・ヒューストンの死に思う 2012213 

211日、ホイットニー・ヒューストンがカリフォルニア州ビバリーヒルズのホテルで、死体で発見されたという。死亡当時、彼女は向精神剤を飲んでいたらしい。具体的な事を何も知らない人間がしたり顔でその件について話す事は、側にいるものが聞けば腹立たしい事この上ないと思うけれど、日本時間12日にちょうど谷村新司のショータイムをテレビて見ていた私には、彼女の早死がNO1を維持しようともがいて死んだカレン・カーペンターズの人生の結末と似ているように思えた。

212NHKBSで放映された谷村新司のショータイムは、リチャード・カーペンターズをインタビューしていた。日本でもファンの多いカーペンターズ、その妹カレンも早くに逝った。無理なダイエットから来る心不全であったらしい。リチャードが、ヒット曲を作らなければならないというプレッシャーに睡眠薬に依存する夜が続き、とうとう音楽活動を休止する。その間、妹のカレンは少々太めの身体を今風にしようと自分をダイエットに追い込み、頬のこけた顔に厚化粧をし、今までとは全く異なる自分を表現しようとするが、その音楽の評判は芳しくなく落ち込んで行く。拒食症、そして死。

長生きが良いとは必ずしも言えないけれど、ホイットニーの天才的な歌に畏怖の念さえ抱いた私は、やはり彼女の早い死が悲しい。

テレビで見たバーバラ・ストライザンドの最近のショーを思いだした。かなり太めになったようで、ザバッとした黒の“ドレス”を着て現れた。ドレスと言っても、ただ布を体に合わせて切りぬいて身体に被せているような感じで、太さが目立たないように黒色を選んだのだろう。過去の彼女はそこにはいない。しかしファンは、彼女を目の前で見ているだけで、法悦の中にいるようだった。バーバラは、今ヒットチャートに入る人ではない。入っていないからこそなのか、顔は以前より穏やかでゆったりとしているように見える。自分が過去に作詞した歌を紹介する時も、「10年に一度のオリジナル」と言って会場の笑いを誘っていた。人生の異なる段階の別の環境をそのまま受け入れる知性を備えているように思える。

谷村新司が番組の終わりを次の言葉で締めくくった。
-NO1であり続けようと“もの”を追いかけているとNO2になった時に、落ちて来たと周りは判断する。そのような世界で生きるのか、自分の世界、 ONLYONEの世界を作るのか、アーチストには2つの選択があるように思う-






図書館が徒歩圏の中にあると言う快適さ 2012214

4年前に移り住んだ現在のマンションは、歩いて5分程度の処に東京23区でもまだ珍しい最新IT技術を取り入れた図書館がある。引っ越し先はできれば図書館に近い処と考えていた。その想いを神様が聴き入れて下さったのか、事前に調べた訳ではなかったが、引っ越してみたら、そういう事になっていた。

この図書館には随分お世話になっている。館内にある本なら20冊以上センサーが感じられるところまでのかさばりなら1秒かかるか掛からないかの速さで貸し出し手続きが済むし、他館からの取り寄せになる時は、メールで到着案内が来る。最初にこのシステムを目の前にした時は「ひぇ~」と声を出したかどうかは記憶にないけれど、少なくとも心の中で感動の声をあげていた。そして友人が訪ねてくれば案内した。 

この図書館のお陰で、私は今、人生で最も多く本を読んでいる。本はめったに買わない(関係者にすみません)。辞書、参考書、座右の書など、何度も繰り返し読むかもしれないものは買うが、本は食べ物や映画と違い、読み終っても目の前から無くならないし、服のように何度も(心に)着る訳じゃない。つまり読み終わった後の行き場所に困る。見る限り真新しいので捨てられないし、バザーとか人に差し上げるには手間がかかる。 加えて重要なのは、鳴り物入りで買った本が、読んだところ「なに、これ!」となった時の様々な感情の波立ち。消えてくれれば忘れるけれど、目にする度に自覚する自分の愚直さ。

借りた本はそれなりに面白かったし、参考にもなった。最年少で芥川賞を受賞した綿矢リサの「かわいそうだね」なんて、もうほんと、良いね、良いねが連続こぼれた。すごいの一言だった。でも同時にこんなに鋭い感性をしていると、この世の中で生き辛いだろうと、彼女の写真を見ながら少し心配もした。もちろん、「な~んだ」で終わる本もある。「地図を読めない女、話を聴かない男」はかつてとても面白く読んだ事があるので、著者の2作目(これは夫婦で書いた共著)「セックスしたがる男、愛を求める女」も楽しみに待っていたが、全く拍子抜け。1作目があまりに面白いと、2作目はそうはいかない事がよくある(書く人も大変よね、編集者からもせがまれるし)。

ごく最近読んだのが伊集院静の「大人の流儀」。予約を入れた時は予約リストの90何番目にいますと言われ、「へぇ、かなり面白いんだぁ」と大変期待していた。90何番目で私の手元に届くまで数カ月かかるけれど、別に急いで読む必要もないし、その間に他の本を読んでいられる。
 

その本がやっと来た。嬉しかった。浮き浮きして読み始めた・・・・が、・・・。伊集院静のファンには申し訳ないが、不快感が残った。書かれた文章の裏ににじんでくるこの作家の様々な影が映る。昔、テニスのアンドレ・アガシがウィリアム姉妹のテニス競技を見たくないと言っていた事があった。姉妹だから単純に勝負をしているのではなく、それ以外の音にならない雑念が聞こえるという事だと思う。それに似ている。

「松井秀樹が教えてくれた店」と題して、何か面白い事が書いてあるのかと思えば、その店の事を特筆する理由など見当たらず、また松井の意外な面白い側面を知らせてくれる訳でもない。松井秀樹さえ自分の友人だと言いたいようで、何か品格が・・・。それとも、そんな有名人とのつながりを書いて読者を楽しませる事がこの本の主旨なのか。それならタイトルがまったく調和しない。こう言うのがちょろちょろと出て来る。この本はある視点からすると伊集院静の最近の親交のお披露目と「愚痴」集のようだ。愚痴集なら、以前に阿久悠の書いたものを読んだ事がある(愚痴集を読むのは趣味ではないが、図書館の本だから手当たり次第読んでいたらたまたまその類の本に当たってしまった)。彼の場合はその愚痴に使う言葉に、ハッとさせるものがある。作詞家だけで終るのは確かにもったいないと思わせる表現が。しかしこちらの愚痴は・・・とうとう、途中で投げ出してしまった。大人の流儀?う~ん、屁理屈言わない方がスマートな大人のような気がする。

 ^^^^よく若い人が煙草を吸っている年寄りに向かって嫌な顔をするのを見るが、失礼である。君たちが、そうやって何もしないで生きてられるのは、その年寄りが頑張ってきたからである。それに、健康に悪い、と言ったって、年寄りには百も承知で吸ってるの。残りの人生をイライラして何年か生き延びるより、ああ美味いな、と一服してる方を選んでるの。こうしてたばこ税を上げて行けば、そのうち煙草を吸ってる人が金満家の基準になったりするかね・・・・ ^^^^

なんでこの本を読みたがったのだろうと反省してみた。ああ、新聞だ、新聞に広告が出ていたんだった。確か、「妻、夏目雅子と暮らした日々」が副題になっていたから皆さんそちらに興味をそそられ、あのように長い予約リストになったのだろう。私の場合そちらの事も興味はあったが(それは巻末の数ページに書かれていたが、今までどこかで読んだり聞いていたりしたものと違うものではなかった。)、それよりも「大人の流儀」でどんな面白い事を言ってくれるのかと、そちらの方が気を引いた。ほっ、図書館の本で良かったぁ~(;一_一)。・・・・・・・・・・・・・

以上を書いて、ちょっと休憩したら、そうか~と考え直した。作家が大きな人物だと勝手に期待していた私の思い違いだと。一作家は一つの個性を表しているにしか過ぎない。書く事を自分の役割や職業にしているのが作家であって、必ずしも読者を感激させたり奮起させるものではない。ユーモアにしても相手のユーモア感覚とこちらの笑えるものが異なっていたりする。最近結構素晴らしい本を継続読んでいたせいかも。私は夏目漱石でも期待していたのだろうか(笑)。




日曜日の街中 2012219 

日曜日はギター教室に通っている。いつかオリジナル曲を弾き語りしたいと思っているのだが、ゆ~ったりと全く緊迫感のない気分でやっているから、ほとんど進歩していない。でも数年前に知人から「このギターはどこに持って行っても恥ずかしくないものです」と頂いた大変高価なマーチンのギターを無駄にしてはならんと通い続けている。レッスンを受けている限りは1週間に最低1回はギターを持つ事になる。それで、今日も出かけた。 

その行く途中、向こうからグレーの野球ユニフォーム姿の男性が歩いて来る。キャップを被り、バットを背中に、そして携帯電話を手に話しながら速足だ。顔がキャップと携帯電話を持つ手で40%くらい隠れているから良く見えないが、背中を見ると「ICHIRO」と書いてある。そう言えば、少し見えた顔はICHIROに似ていた。本当にICHIRO?振り返って立ち止まり彼を目で追いかけると、どんどん私が歩いて来た道を進み小さくなって行く。確認できたのは私と同じように彼を振り返る人達だけ。まさかね、でも今はシーズンオフだから、そういう事もあり得るか。でもおそらく、顔がICHIROに似ているので、そんな恰好をして人を騒がせたい目立ちがりやさんなのかも。きっと後者だわね。私は踵を返しギターレッスンに向かった。 

その帰り、同じ路上で、今度は若い女性がニコニコしながら行き交う人を物色している。すると突然、くたびれたコートを着て私の前を歩いていた初老の男性に彼女は抱きついて来た。その男性は驚いた気配もなく全く反応を示さない。数秒間抱いた後、その女性はまた人ごみの中へ。手には、「HUGしましょう」と書いた紙を持っている。彼女の顔が熱気に帯びている。気がつくと、何人もの女性が同じ言葉を書いた紙を胸の前にかざしている。これって今よく起きている事なのだろうか、20代くらいの女の子が自分からその紙を持っている女性に抱きついて行く。そしてまるで久しぶりに逢った友人同士であるかのように互いに「うわ~、きゃ~」と抱き合い喜んでいる。 

見知らぬ人と「HUGしましょう」、その発想が分からない訳ではない。こう言う事を率先してやるグループが生まれるほど、優しさや思いやりや寛容さが欠如してしまっているのだろうなぁ。そのようなものを他に期待し求める人は多いけれど、自分から与えようとしないからなんだろうなぁ。上のICHIROさんも人の気を惹いて要は人とつながりたいのだろうし、「HUGしましょう」はまさしくそうだし。歌を思い出した。

街はいま砂漠の中、あの鐘を鳴らすのはあなた
人はみな孤独の中、あの鐘を鳴らすのはあなた

つい最近リクエストがあり和田アキ子が歌っている「あの鐘を鳴らすのはあなた」を覚えた。上はそのサビの部分だけれど、もしかすると、あの鐘を鳴らすのは、与える事が自分の幸せにつながる事だと気づき実践し潤いのある人生を始める人の事を言っているのかなぁ。作詞家の阿久悠は此処まで考えてこの歌を作った?ムム・・・この歌は、こんなに奥深い詞だったのか・・・すごい! 


恩師、松村緑郎先生のご逝去 2012220 

私にとってとてもとてもありがたい方だった。4年ほど前、私はそれまでの人生で経験した事のない苦悩と淋しさの中にいた。一人でいる事ができなかった。誰か側にいて欲しかった。そんな時、1時間にも及ぶ私の電話にいつもお付き合いをして下さる方がいらした。松村緑郎先生だ。不思議にも、私から電話をする時は常にご在宅で、“また”の電話に一度も嫌がる様子や声色を表す事もなく、常に明るい声で私の電話を受けて下さった。早口で話すために言葉が聞こえない時には聞き直して下さり、固有名詞も確認しながら聞いて下さっていた。松村先生がそのように私を受け入れて下さった事でどんなに救われたか、今でもその時の事をはっきりと覚えている。 

先生とはある勉強会で初めてお逢いした。その勉強会は全て英語で行われるのだが、現役時代にロンドンに支社長として赴任されていらしたらしく、英語の発音が良く、流暢であった。使っていない古い英語電子辞書があったので、それを先生に差し上げようと電話をした時から、私の身の上話を聴く係にされてしまった。その後にも、何かにつまずいて電話する時には温かく話を聴いて下さり、雑音が入って聞けないといけないからと、別室で受話器を取って下さっていた。先生は迷っていた私に力を下さった。私の2回目のリサイタルには、1部で失礼するけれどもと話され、体調が悪いにもかかわらず来て下さり、「本当に素晴らしかったですよ。後ろ髪を引かれる思いで帰りましたよ」と嬉しそうに話され、3回目のリサイタルの時にはプロに撮ってもらった写真を載せたチラシをご覧になって、「ヒュー」とミーハー的な声を出しながら嬉しそうにしていらした。 

腰が悪いと言われながらも体調の良い時には時々勉強会に来られていたが、2年前、腹膜炎を患われ、御子息が医師を務める筑波大学付属病院で手術を受けてからは御自宅で療養されていた(御子息が医者である事も先生から伺った事をはなく、他から聞いた。そういう方だった)。昨年のリサイタルの時には、明るい声の英語のメッセージが外の雑音と共に留守電に入っていた―「2階席でも良いので、2枚チケットを準備して下さいますか。」しかしその留守伝の折り返し電話に出た先生の声は痛み故の苦痛の色を隠せないでいた。 

あれからも時々先生に電話入れた。そして今日、元気な声をお聞かせしようと電話をすると、14日にご逝去され、昨日葬式が終わり荼毘に付されたと知らされる。1月6日には家族で米寿のお祝いをされたらしい。色々な事が思い出され、涙が洪水のように流れる。最後まで「何もしてあげられない、何もできないままで終わる」と言っていらしたらしい。いつも人の為にお役に立とうとされていた先生、先生のような方が私の人生の直ぐ側にいらして、私は本当に恵まれていました。あの時、先生がいらっしゃらなければ・・・先生、またきっといつかお逢いしたいです。長い痛みでしたね。安らかにお眠りください。合掌


ええっ!?抜けた差し歯に強力接着剤? 2012221

昨日はよく泣いた(上のブログの続き)。今日はお線香をあげに、そして先生のお写真見たさに御自宅に伺った。先生がどこに座られて私の電話を受けていらしたのか、親機や子機のある場所を案内して頂いた。既に骨箱に納められた先生とお写真に対面し、そこでもさめざめと泣いたら、すっきりしたのか、帰り路は心が軽くなり、駅までの道を先生がニコニコとエスコートして下さっている気配さえ感じた。心って不思議。どこかで女の子が言っているのを耳にした事がある、「沢山泣いたら元気になった」と。そんな感じに似ているかも。先生、頑張りますね!空から私のリサイタルやライブを覘いて、あの時のように嬉しいお顔を見せて下さいね。 

そんな風に気が軽くなって、我が家の駅に着いたら、玉が外れたイヤリングを思い出し、接着剤を買おうと駅前のドンキホーテに入った。様々な種類があるので一番強力なものがどれか売り子さんに聞いたら、私の質問に答えようと3人の男子店員が現れた。色々と説明が始まり、一つの商品が勧められる。まだ決断できないでいた私に、背後にいた店員が言う。

「自分もこれ使って、取れた差し歯をくっつけましたよ。」
「えっ!?さしばって、歯の差し歯?」
「ハイ(ジェスチャーで差し歯を取りだし、また入れる)。ドライヤーで乾かすと着きますよ。また外れましたけれどね。でも3カ月もちましたよ。」
「・・・・・私も歯が割れちゃったんだけれど、もともと被せてある歯だからどうにか持っているの。その割れたところにこれ使って歯を寄せれば行けそうかしら。やってくれる?」
「・・・(じっと考えている)良いですよ。」
「ええっ!?冗談よ。」

「・・・(本気で考えてくれていたようで、私の言葉にキョトンとしている)」
「ありがとう、じゃ、これ買うわ。。。。あの、やっぱり歯にこう言う接着剤使うのは止めた方がいいと思うよ。身体に良くないよ、きっと。」 

歯科医でも接着剤なるものを使っているかも知れない。その接着剤とこの接着剤がどう違うのか分からないけれど、やはりちょっと過激かなぁ。

~~~~~
この接着剤、本当によく効くわ。一瞬にして付き、床に落としてみたけど、玉は外れなかった。






同じ冬でも 2012223

随分と温かくなりましたね。やはり嬉しくなります。

以前に書こうと思っていた事を書きます。1月の冬と12月の冬。

冬至はクリスマス・イブ辺りですが、名前の通り、冬の底に至る訳ですよね。気温でなく暗さが。暗い時間が一番長い日。冬至の後に段々と闇が溶けて行く。1月。空気も気配も全く違う。穏やかな空気。きりっとした清々しさ。地平線のごとく心が開いて行く。希望の音が聞こえ始めるよう。 

どんどん闇のどん底に入って行く12月と闇が溶け始める1月とでは、同じ冬でも空気が全く違う。

闇の深い12月に人的イベントがある事は人を救っているんじゃないかと思う。忘年会。どんちゃん騒ぎ。こんな事でもなければ、自殺する人も多くなるんじゃないだろうか。

もうひとつ、12月は暗いから家の明かりが殊更嬉しい。だから心の赴く先が家族や家に向かい、闇が解け始める1月は心が外に向かい始める。

1月の冬がうれしい。




「美のステージ」で「ダイアモンド」が好評 2012226

「シャンソン歌手しずこ、美のステージ、美のステージ(ここで少し笑いが漏れる)、美のステージ・・・出直して来た方がよろしいでしょうか」昨日こんな感じで100人程が集まったあるイベントの歌のステージを始めた。先のブログでも少し紹介したが、このステージのタイトルを昨年の六本木スイートベイジルで私のリサイタルをご覧になられた主催者が「美のステージ」と名付けられた。私のこのトークの走りだしに、「ぜんぜん大丈夫だよ!」と大きな声が会場から聞こえた。ほっ。「ありがとうございます。」お客様の声援はステージにいるものに本当に大きな力を与えて下さる。 

30分間の中でシャンソンを2曲、歌謡曲を1曲、そしてオリジナルを3曲(下の3~5)お贈りした。 

1.     再会

2.    一本の鉛筆

3.    Yesterdayを聴いて

4.    今のわたし宝石です

5.    美しい日々だけを連れて

6.    ケサラ 

私はライブやコンサートの後でお客様にどの歌が印象に残ったかいつも伺うようにしている。すると、歌った6曲の一つ一つが、全て選ばれた。その中で最も多く選ばれたのが、「ダイアモンド」とか「宝石」とか言われた、昨年リリースしたCDの中に収めてある「今のわたし宝石です」である。昨年もスイートベイジルでのリサイタルDVDをご覧になった60代の男性が、「『今のわたし宝石です』には感動したなぁ。あの歌、出口が見つかったら当たるんじゃないかなぁ。ああいう歌、今ないからなぁ。」と真剣に言われていた。会場で歌い出すと手拍子も鳴った。初めての事だった。これは手拍子が出る歌なんだ・・・。 

最近、音楽大学の先生に付き声の出し方を調えているせいか、自分でも安心して歌っているし、来場者からの反応もかなり良い。CDDVDもかなり売れた。でも一言付け加えた。「CDDVDは歴史です。私は大げさに言いますと毎日進化していますので、多くの方々が見た方がずっと良いと言います(大きな拍手が沸く)。どうぞ今を見にライブの方にいらして下さい」と。

 随分長い拍手を頂いて「美のステージ」は終わった。




1年半遅れの開店祝い―幸せになるためには順番がある 201231

医療機器メーカーを定年退職した彼女は、小料理屋の女将になった。3年前頃だろうか、御自分が会長となっている会に私を入会させようと電話や本が送られてきたりした。ところが私はその会に入会せず、他の会に入会した。理由があった訳ではなく、ただただ“天命”。それで私に恨みがあったのか、彼女は様々な憶測や邪推をし、それを触れまわって歩いたらしい。それを聴き、「天命」の正しさを思った。周りには彼女の事を良く言う人は一人としていなかった。良くは知らないが、恐らく大変幼い人なのだろう。時々逢う事があっても世界の違う人として心は決して近い場所にいた事はなかった。 

ところが、昨年の暮れ、彼女も含む全員が参加するイベントに出演し、私の自作曲「美しい日々だけを連れて」を歌った時、一点ステージの私に集中し、むさぼるように聴き、黙々と拍手をしている彼女の姿が私の目に留まった。人は結構単純だ。それが私の心に何かを感じさせ、初めて彼女の内心を想像させた。寂しいだろうなぁと。彼女のお店に行ってみようと思った。 

しかしドキドキした。お客がいなかったらどうしよう、彼女がどんな事をお客と話しているのだろうか、不安だった。だがガラス窓を通して見える店内は明るく、既に6人のお客様が塊になって座っていた。別のテーブルには一人の男性が女性を待ちながら飲んでいる。ほっとした。彼女とスタッフのやり取りの中にブスッとした顔が見えるとドキッとした。でも直ぐにスタッフの笑い声が聞こえ、またホッとする。私はと言うと、なんだか怖いと言うか落ち着かないので、お祝儀を先に渡した。私と彼女の関係からすると、大枚だ。後で開けた時にびっくりさせたかった。突き返す事もしかねない人かもしれないと思ったが、遠慮しながらもニコニコと受け取ってくれた。彼女の様子が変わった。嬉しかったのだろう。いそいそと料理を私に運んでくる。 

思った。環境が変われば、やはり人間も変わるんだなぁと。小料理屋は彼女の食って行くための命綱,僅かな報酬でやっている会長役の場所とは違い、言葉を選ばず出まかせに他人の事を話す訳にはいかない。1時間そこそこで店を出てきたが、女将として十分に店を成功させているように見える彼女の姿に安堵と嬉しさが込みあがった。そうして“開店祝い”に行った自分にも嬉しくなった。

「開店祝い」・・・文化風習というのは良いですね。それを利用して近くはないけれど、遠くつながり直す事が出来る。

「だれでもみんな自分が一番大切なのです。自分が幸せになるためには順序があります。まずは人を先に幸せにするんです。この手順を間違えると、幸せは1,2回は来るかもしれませんけれど、長続きしません。」(斎藤一人「仕事は面白い」。




シカゴの冬は寒かろうに 20123/7

シカゴのグランド・パークにある「ミケランジェロ」らしい。夏はこれで良いとしても、零下何十度にもなるシカゴの冬はどうしているのだろう。もう一つ、日本のどこかの街中にこの景観があったら、どうなるだろう。
                                                                                                     

この画像をあるSNSに載せたら爆笑したコメントがあった(女性としての美徳を堅持するため。その内容はお知らせできませんの)。そのコメントを別なSNSで紹介したら、「(しずこさんの)職業は、コメディアンですか」と言って来られた方がいた。その他にも、「しずこさんは偉大なお方です・・・心広いです(笑)」とあり、その意味が分かるような分からないようなだったが、総じて皆さん楽しんで下さったようだ。ここでご覧になる皆さんは、どんな感想を持たれるだろう。まずは、「お~!」?。





1等です!2012317

今日は月に一度のレッスン日。東京音大のM先生に3年前に再会して、昨年のリサイタル後から定期的にレッスンをして頂いている。先生の大学の最寄りの駅前にあるミュージック・スタジオ、今日はオープン1周年記念で、くじ引きの御もてなしがあった。 

「私はくじ運がないから、当たったためしがないけれど・・」と言いながら、箱の中に差し込んだ私の指が触れたものを”素直”につまみだした。人間知を働かせず、素直に。それをそのまま目の前の係の女性に渡す、糊で貼り付けられた3角形のクジが破かれる。彼女の顔が3角形の真ん中の数字に近づく。声のトーンとボリュームが上がる。「1等です!」え~~~~っ!「うわ~、こんなこと初めてですよ!」と少々大きめの声で言ったら、脇のテーブルに座っていたM先生、身体を乗りだし、私に劣らずニコニコして「私ですよ!」と人差し指で御自分の鼻のてっぺんを指される。「まぁ、ご機嫌な事。ここのレンタル料金を払っているのは私ですよ、先生。」と心ひそかに思っていると、わざわざ受付までやって来られた。賞品はグランドピアノかト音記号の彫り物がついたブックマーク。「先生の趣味じゃないですよね、やはりこれは私の!」と心で言いながら、ト音記号の方を頂いた。

私から譲るような声もなかったので、先生、少しがっかりされたかしら(笑)。知り合ってからかれこれ20年弱。初めの頃、奥様の話だと「あの人はアメリカ人!」と私の事を評していたそうだ。日本のクラシック界では誰もが知っているお方、随分親しく楽しく、そしてざっくばらんになりました(笑)。
 

このブックマーク、使い勝手が実に良い。クリップで本を挟むから、挟みっぱなしで本が読める。一般のしおりのように本から外す必要もないので、失くす事もない。また素敵なデザインなので、読書に優雅な気分が加わる。




ファッションショー 2012319

初めてファッションショーを観に行った。 

友人になったフランス育ちの20代のお嬢さんの関連で、彼女の友人のファッションショーである。30代のAtsushi Nakashima君。今日六本木ミッドタウンでそのデビュー作品が披露された。 

彼は自分の作品のスタイルをNeo Classicと呼んでいる。肩にパットを入れたジャケットに、スカートはミディ。色は黒が基調で時々グレーや赤が黒のジャケットの上に部分的に取り入れられている。ファッションショーにも1部と2部があるようで、2部には漫画の中で良く見る鉄兜を思わせるヘッドギア―を被ったドレス姿のモデルたちが現れた。機動戦士ガンダム? 

モデルは総勢10人。ぎくしゃくとした歩き方をする(腰に負担が来るだろうなぁ~)。頭と足が先に出て、腰がそれを追いかける。フラワーな感じは一切排除した、無機質な感触。それに合わせて、ヘアースタイルもショート以外は全員後ろに一本で結んでいる。ガクッガクッと歩くたびに、ゴムから下に垂れた髪の毛がバシャバシャと左右に揺れる。 

30分未満のショーが終わると、余韻もなく、サーと場が開ける。ロビーでは直ぐに数人の記者たちに囲まれてNakashima君がカメラのフラッシュを浴び、インタビューに応じている。ロングヘアーにどちらかと言うと小づくりだが、目鼻立ちがはっきりしている。

彼のデザイン、なかなか格好いい。いつか「うん?!」から「うわ~!」の感嘆の声が聞こえる日が楽しみだね。





感謝!2012/4/1

まず神様に感謝します。

今朝起きた時から、花粉症状が私の身体を支配している。花粉カレンダーの顔が真っ赤になっている3日前、一日中外にいた。一応マスクはして行ったが、「やばいかな~」と思う瞬間が何回かあった。その2日後はライブ開催日。あれこれ思いつく手当をしながら当日を迎えた。この花粉症状のため、少し注意力が散漫。リハをしている時、歌詞が出てこない。本番でも、トチッたことなど一度もない歌がおかしい。2曲ほどやり直した。でも会場には笑いもあり、大変和やかな雰囲気で終わった。どうにかやりぬけたと一仕事の達成感にホッとした。 

そして今朝、待っていたかのように、襲って来た。朝起きた時の私は昨夜とは別人のような顔と声の持ち主になっている。部屋中がティッシュペーパの山である。かつてあるシャンソン歌手のコンサートに連れて行かれた時の事、身体の調子がおかしかったのだろう、まるで声が出ていない。”歌っている”ようなのだが、歌詞が全く聞こえない。気の毒とは思うが、わざわざ行った者としては残念である。あの2の枚は避けたいと思っていたが、それは叶ったようだ。 

一日待って下さった事に、神様に感謝でした!

ソロライブ#2終了-神様の止まり木? 201142

足元が悪い中、来て下さった皆様、ありがとうございました。心もっと温まって帰られましたでしょうか。

会場が神様の止まり木のようにも感じ、喜び楽しみ、皆さん全てに親近感も湧きましたーー周りの人達にも親近感を抱いて下さったと言う感想にとても嬉しくなりました。

初めてのことだったが、始まる前の心臓のドキドキが全くなかった。気負いが無く、すっと入ってすっと終わった。何かが剥がれたような気がする。それが和やかな空気を創らせてくれたのかもしれない。

今回は、シャンソンをベースに美空ひばりの「車屋さん」やバーバラ・ストライザンドの「追憶」も織り込んだ。それを、和洋鬼才と称した方々がいらしたが、おほめの言葉はいかに豪快なものでも心地よい、ありがとうございます。その真価はともかく皆さん心から楽しんで下さったようで、また一つの仕事をやり終えた感がある。「”雨が降ります”と言う歌は今回も歌ってくれますか」と言った方がいた。私のオリジナル曲「間に合いますか」の事だ。嬉しい。リハーサルを見たいと30分も早めに来られた方もいらした。

ピアニストも最近何度かお付き合いして下さっている川口信子さん。いつもウィグを付けて現れる。雰囲気が良い。私のファンからも好感をもたれ、評価も高い。カメラを持って現れる先輩は彼女も撮りたいという。この一つ前のブログで書いたが、当日は咳やくしゃみが出るかもしれないという不安で注意が少々散漫になり、歌い慣れた歌がトチった。ピアニストは冷や汗をかいていたと言う。ギターの村山成生さんも同じだったろう。聴いているお客様は、やり直した曲に対し、「2曲余計聴けて得しました」と言っておられた。本当に良い雰囲気の2時間だったようだ。 

昨年の六本木stb139のリサイタルに劣らないステージだったと、友人が電話をして来た。





「がんばれ!」「ダメ、ダメ、アララ・・・キャ~」201246

ダメ、ダメ、あら、ら、キャ~→女の発言
がんばれ、がんばれ!よししょ、よいしょ、う~う~、やった~!→ 言わずもがな。


この写真をあるSNSに投稿したら、「私は犬になりたい。そしてくわえている紐を思いっきり引っ張りたい」という、熱くなるコメントがあった。がんばりましょうね~。


初優勝 20124/11

こんな事もあるのね(●^o^●)。 

3年ほど(?)前からゴルフを時々やっている。季節になると月に12回のペース。冬や真夏はコンペ自体が無くなる。コンペが開かれるたび、「今回はBB(ブービー)賞を取れるかな」と希望をほんの少し抱いて挑むのだが、だいたいブービー・メーカで終わったり、参加者が多い時は、スコアが“良すぎて”外れてしまう。 

この日は6チームでプレイ。終了後パーティ会場で幹事が私の側に来てそっと囁く、「おめでとうございます。」「・・・うん?もしやBB賞に当たったかな」と渡された成績表を嬉々として見る。だが最下位から追う私の眼には私の名前が入ってこない。もう一度みる、やはり名前はない。「なんのおめでとうなんだろう」と思いつつ、今度は上から昇降順に確認、と言ってもトップには目もくれずそのまま2位から下に。ない。あれ、私の名前は?1位からきちんと見直す・・・うわっ!と思うと同時に、コンペ主催者から優勝者の発表。金切り声を上げて喜びの叫び。「きぇー、きぇー!」(うるさい!)

ハンディ36や34の長い歳月にも終わりが来ました。  

賞金は15,000円の商品券。包が現金でも入っていそうな形をしていたので、「おごりなさいよ~!」と2次会を待っている連中に周りを固められた。残念でした~、現金ではありませんでした~。(;一_)




映画「鉄の女、マーガレット・サッチャー」 20124/11

昨日のゴルフ、飲み会、二次会で大分乗って騒いだせいか、今日は午後から予定していた食事会に行かず、家でずっと本を読んでいた。今にでも雨が降りそうな雲行き。雨の日は家にいるのも外に出るのも好き。帰りに傘をさして帰ってくるのも良いなぁと思い、夕方から映画を観に行った。メリル・ストリープが主演女優賞を取ったと言う「鉄の女、マーガレット・サッチャー」。 

そうだろうなぁと思っていた通り、そうであった。全然良いと思わなかった。映画の良し悪しって、人が書いている感想文で大体判るし、またその映画の広告を見ても何となく判る。感想文が肯定的であっても、何をどう良いと言っているのかで、察しがつく。でも、メリル・ストリープがどのように演じているのか見るだけでも良いかと思い観に行った。それに今日はレディーズ・デイで入場料が割引される。 

サッチャーの子供のころから首相退任後認知症に至るまでの長い年月をあの106分の枠内で綴るのは無理もあろう、私の心にはほとんど何も残らなかった。ひとつの言葉の羅列だけが注意を引いたが、唐突として出されたその言葉の深さや強さを裏付けるストーリを、この映画は創っていない。

「考えが言葉を生む。言葉は行動を生む。行動は習慣になる。習慣が人格を作る。そして人格が運命を作る。」
 
ちょっと茶々を入れちゃおう。上で言っている「考え」の中に既に言葉は存在している。というか言葉なくして思考活動は行われない。だから、上の文句は「考えが行動を生む」とした方がすっきりするような気がする。でも、きっと「言葉」と言う単語を使いたかったのだろうな。それならば、上の「考え」はまだ発言されていない言葉の事であり、「言葉」は発言された言葉の事なんだろうね。

何年も前に観た「マディソン郡の橋」でのメリル・ストリープが思い出された。





役立たずの玉無しくそったれ 2012420 

124日のブログで、アップルの創始者スティーブ・ジョブズの伝記上巻の内容の一部を書いたが、今読んでいる下巻の中にとても滑稽で、面白くて、一人大声をあげて笑ってしまった件をご紹介します。

スティーブ・ジョブズはものすごい癇癪持ちで、怒りを辺りかまわず吐き散らしていたようだが、業者からのチップの供給が遅れそうになった時、彼はその会社の打ち合わせ席に乱入し、

「お前たちは"Fucking Dicless Assholes(役立たずの玉無しくそったれ)だ」と叱り飛ばした。その後VSLI(業者)は納期内にチップを収め、その幹部はジョブスの言葉の頭字を取って「チームFDA」と背中に大書きしたジャンパーを作った。

と、ある。「役立たずの玉無しくそったれチーム」と書かれたジャンパーを幹部自ら作って着る。何と滑稽で、ユーモラスで楽しい人達なんだろう。なんだか、嬉しい。





「神様の声は人を介して来るんだよ」 2012/5/13

ここ4,5年の出来事は、本当に何か“大きな力”に動かされて来たように感じてならない。特に今年に入ってから、それをはっきりと感じる。自分の内奥で魂が太く柔らかい筋肉のように躍動している感じがする。“大きな力”、それはやっぱり神様じゃないかな。あまりにも感慨深くて、また書いてしまう。

「神様の言葉はね、心の内奥から湧く自分の生命力を躍動させる自分だけに聞こえる言葉だったり、時には人を介して来る事もあるんだよ。」

3
カ月に一度のソロライブを池之端QUIでやる事を提案された時、初めは不服だった。昨年スイートベイジルまで行くほどにどんどん大きくなって来たのに、なぜ今さら逆行して小さい所に行かなければならないの、と。しかし、その提案を家に持ち帰って間もなく、ハッと上の言葉を思い出した。「神様の言葉は人を介して来るんだよ」。私は神様が大好きだから、その提案は神様の声かもしれないと直感した。それで「ハイ」と返事。

そしたら・・・・・うわ~”本当の”歌手になったみたい。まだ2度しかやっていないけれど、1年に一回の大イベントに向けて準備するのとはまるで違う。大げさに言うと休む間もなく、一つが終わると直ぐに次のライブの構想開始である。風邪や花粉症で出さない方が良いと思う時以外はできるだけ毎日声を出している。歌の練習もそれだけやっている十数年ぶりに再開した発声レッスンの効果が、不思議にも、速度を上げて声に現れる。

「声が違う!」\(◎o◎)/!
「でしょ?眼から出しているの、眼からよ(やったぜ!)。」
 

それともう一つ。新宿QUIを卒業した事。毎月歌うところは確保した方が良いのは分かっているし、次のあてがある訳じゃないけれど、とにかく心が同じ事をしたくないと思ったから辞めた。そうしたら、ひと月後、ある組織の月例「お楽しみ会」で歌うと言う依頼が入った。こちらも私だけのステージ。色々な意味で新宿で歌っていたよりずっと私の進化につながった。ここは、ソロライブの前の小さな予行練習の場となった。

((5月のお楽しみ会で)

この二つの場所を頂き、歌手になったみたい。え?じゃ、今までは何だったのと自分でも思うので、ちょっと考えてみたら、どうも、今までは、ステージ創りが楽しかったみたい。脚本、演出、振付、構成、そして作詞作曲(こう並べてみると、なんかすごい人みたいね、笑)。歌う事はその一部であったから、しずこのステージは聴くよりも見て楽しんで頂く事に重きがあったと思う。
 

進化したら、今までの歌は聴いていられなくなって、Youtubeから多くの歌を消し、最近のものを幾つか載せた。ホント、様々な事について言えるけれど、今の自分を越えなければ、今の自分がどうなのか心底分かる事はないみたい。

池之端QUIでのソロライブ、今年は3カ月に一度。神様は、本人にとって必要なものを本人よりも分かって下さっていて、年に一度のビックイベントよりも小さなソロライブを何度か続ける事を、人を通じて提案させられた。質的には、ビックイベントよりずっとずっと向上しているような気がする。

無我になって神様と一緒に歩けば、道を間違える事はない。なるほど、なるほど・・・もっともっと実感して来たぞ。(#^.^#)




演芸アラカルト 2012/5/16

落語:古今亭菊志ん
講談:神田山陽
パントマイム:松元ヒロ
浪曲:国本武春

演芸アラカルトと題する4つの出し物を見て来た。寄席には時々行くが、必ずしも常に面白い訳ではない。けれど、今夕の演芸アラカルトの面々の話には(落語は今一だったかな)、久々に吸いつけられた。実は、国本武春の浪曲を聴いてみたくて行ったのだが、他の方々の芸も素晴らしかった。 

国本武春はロックやバラードのリズムに合わせて、三味線を鳴らしながら浪曲を唸る。時には今はやりの若い歌手たちが好んで使う裏声も出しながら歴史物語りを歌う。彼が出演するからだろうか、このような古典芸能の客席には、普段あまり見かけない髪の長い黒服の“ロック風”の青年や、顔の整った華奢な若い女性が観客に混じっていた。 

彼らの芸を観ながら、芸歴の浅い私にこれから何が出来るのだろうかと、暗い席に座りながら少しおびえてしまった。が、会場を後にしてネオン街を歩いていたら、いや、私は私のままで眼の前の事をやって行けばよいのだと、想い直した。

良い夜だった。




「寅さんアリランを歌いながら釜山に帰る」 201269 

数日前読んだ「阿川佐和子のこの人に会いたい」の中に見つけた。永六輔とのインタビューである。 

「寅さんの最後をどのように終わらせようかという案の中に『寅さんアリランを歌いながら釜山に帰る』というのがあったの。僕はドキッとしたの。そうか虎さんは在日だからと納得したんだけれど、あれが実現したら、日韓ワールドカップもすごい事になったと思うの。歴史が変わったと思うの」(本は図書館に返してしまったので、正確ではないが、大体こんな感じ) 

寅さんシリーズは12本映画館で見たように思う。テレビで放映されたものも数本見たかしら。浅丘ルリ子がマドンナとして出た最後の作品は観ていた。映画の終る寸前に在日の舞踊や歌が唐突に出て来たので、何なのだろうと私も不思議に思っていた。 そういう事だったの・・・もし実現したら、あの日韓ワールドカップの両国の空気は変わっていたかも知れないね。「冬ソナ」フィーバーでヨン様が果たしてくれた役割に似たような事を、「冬ソナ」ファンと全く別の際にいる寅さんファンに対し、寅さんが果たしたのかもしれないね。

昨年の大震災の直前に観た野田秀樹主催、野田mapの芝居「南へ」を思い出した。私の眼が点になった場面と言葉があった。「記憶を無くしてしまった日本人!私たちは皆”白頭山”(中国との国交にある北朝鮮で一番高い山)からやってきた。何かを伝えようと南へ南へとやってきたが、まだ伝えきれずにいる。」

人は政治的または経済的理由その他で住む場所を変えてきた。哲学者の鶴見俊介氏の発言を以前に新聞紙上で読んだ事がある、「なに人(じん)、なに人てどの位の歴史的スパンで言っているんだ」と。

どれ程時が流れると、自他共々自分が住んでいる所を自分の国であると認めるようになるのだろう。







サロメ 2012/6/13

宮本亜門演出の「サロメ」を新国立劇場で観て来た。 

芥川賞受賞作家の平野啓一郎が翻訳を担当していた事で興味があった。とても分かりやすい日本語が、流暢にとうとうと語る若い役者たちの手助けもあって、美しくかつ心地よく聞こえる。若い役者たち・・・サロメは多部未華子と言う新人と彼女が恋する預言者ヨナカーンを成河(ソンファ)が演じている。その他サロメの義父ヘロデ王は奥田瑛二、母親は麻実れい。 

日本の演劇は本当に面白いものが多くなった、特に若い俳優たちの演技が日本現代演劇を飛躍的に進歩させているように思う。昔、学生時代に観た新劇は叫んでいるだけだった。多部の感情の起伏の表し方にも襞が沢山あるし、成河は偶然私が見に行く芝居によく出ていたので幾度か見る事になったが、かなりの才能を持った役者だと思う。以前は、シェークスピアの「夏の夜の夢」のパック役に出ていたが、今回は全くの別人を好演していた。 

成河は、数年前に東京グローブ座で観た「見知らぬ乗客」の主演、二宮和也君を僅かばかり彷彿とさせる。あの時の二宮君はすごかった。衝撃だった。こんな役者が知らぬ間に現れていたんだ、私はこれからこの子の追っかけをやるようになるのではないか、「どうしよう」と心が騒いだ。こんな役者が日本の舞台に登場、西洋人じゃない、日本人なのよ、と演劇好きの人達に知らせたかった。ところが後日、二宮君は人気グループ”嵐”のボーカリストだと知った。あれ以来、彼の芝居を見ていない。事務所がなかなか演劇のステージにあげてくれないのだろう。ありがたい事かも、平穏でいられるから。(#^.^#) 

サロメを書こうとしたら、二宮君の話になっちゃった。うん、本当はね、私も二宮君のようにできたら、って思っているの。そしてきっとできるんじゃないかと。( ^)o(^ )




ソロライブ#3 2012/6/18

そろそろ次のソロライブ。もう3カ月が経つのですね。雨季シーズン真っただ中のライブ、この季節にピッタリの演出で開催いたします。

2012
年6月30日土曜日1930開演(1900開場)
場所:池之端QUI

チャージ:5,500円+税(ワンドリンク、御つまみ付き)チケットは無く、当日終演後の御清算となります。

最近、歌よりもトークを楽しみにされる方がいるみたい(笑)。



夏至 2012/6/21 

今日は夏至だと、ニュースで言う。もう夏至か。これからまた暗さに向かって時は流れる。最近読んだ川柳を思い出した。 

1年を捨てた気がする12月

駆け足で春も秋も夏も過ぎて行き、また冬が来る。再び、あっという間に迎える12月となるのだろう。これをしよう、あれをしようと思っていた事も後ろにおいて、やがて冬至を迎える。かつて、やろうとしている事をやらずにいる人を、なぜしないのだろうと急き立てる私がいた。今は思う。皆そうして生きつないで行くのだなぁと。




ソロライブ#3終了 2012/7/1

3回目のソロライブが昨日終った。「9月にもまた来ます」と断固とした表情で言って下さる方々から、私の方がエネルギーを頂く。今朝起きるともう9月の出し物がふと浮かんでくる。 

今回はオリジナル曲の弾き語りを入れた。事前に人前で披露する機会を数回頂いていたから、本番ではとても落ち着いて弾けたような気がしたが、どうだろう。ピアノ演奏をして下さった西直樹さんがリハ中に私の弾き語りを聴いて、助言をくれた、「弾き語りなんだからイントロの長いのはカットした方が良い」「エンディングの長いのもカットしてコードを2回弾いて終わった方が良い」など。

西さんはすごい人なんです。現在はグループのサーカスの音楽監督をしている。それ以前には前川清、本田美奈子、天童よしみなどなど、盛りだくさん。皇居でも演奏されている。そんな方とどうして知り合ったか、これも神様が下さったプレゼント。西さんの助言が嬉しく自信もくれた、つまり助言ができるほどの水準で弾けたと解釈した。後から頂いた初来場者のメールでは、「ギターの弾き語りもあり、大変楽しませてもらいました」とあったが、
「ギターが未熟だから、歌が際立った。(ギャフン!)」というコメントもあった。つまり、ギターうんぬんよりも、皆さん結局楽しんで下さったみたい。

今回のライブには大学の同期が大勢で来てくれて賑わった。ソロライブを始めた時からいつも来て下さる方々は、しずこのライブを本当に楽しみにして下さっているようだ。また、今回は岐阜、栃木、群馬から、私のYoutubeを聴いて来られた方々がいらした。岐阜は遠すぎるけれど、栃木の方はこれで3回目、群馬の方もまた来ますと言って下さる。このような方々がいる限りこれからもライブを続けよう。

以前ブログで書いた音大のM先生が言っていた、「練習をなんぼしてもダメですよ。たとえお客が4人でも、人前で歌わなければ。大きなコンサートを年に一度するよりも、小さいコンサートを何度もやった方が、それは良いですよ。」その通りです、先生。

「毎回構成が違っていて、今回も本当に良かった」来場者のこの言葉で今回のライブ報告のまとめにしよう。





洗濯機止まる(アイスクリーム編)2012/713

フィレンツェとミラノを回って帰宅した。フィレンツェの焦げ付くような暑さに驚いていたら(気温40°、湿気80%)、湿度の高いどんじりした暑さが成田空港で待っていた。雨季がこの時期になる日本の夏の湿気と雨季は秋までお預けのあちらの湿気80%の違いは大きい。

「気温40°、湿度80%、異常よ」とフィレンツェの洋服屋の店員が言っていたが、後で調べたら気温40度の記録はネット上に見られない。しかし、確かに太陽は肌を突き刺すように激しい熱を放つ。ジェラ―ド(アイスクリーム)屋をよく見かける。どこでも箱の容積を超えて山盛り積まれたアイスクリームの天辺はアイスケースの冷温も歯が立たず溶けている。

フィレンツェからバスで1時間半ほど行ったシエナは完全に観光地化していて、そこでもアイスクリーム屋が沢山ある。正直、決して美味しいとは言えない。どこも同じ味であるから、同じ工場から運ばれてくるのだろう。値段だけが店によって違う。シエナのアイスクリームはフィレンツェより高い。凡そ2倍の値段が店員の口から発音された途端、その顔を睨んでしまう、「この人、心が咎められないのかしら。」絶対美味しい訳じゃないのに!ま、この売り子さんが悪い訳じゃない、この店の主人だろう、こんなぼったくりをしているのは。こんな店に入ったのも縁だし、値段を先に聞かなかったのもこちらである。仕方なし、側のテーブルで溶けるが先か口に入れるが先かで食べていると、外から店の関係者と思しき男が入って来て、何やらイタリア語で売り子に怒鳴っている。そしてレジに自分の鍵をガシャーンと叩きつけると奥に引っ込んではまた戻ってきた。売り子の方はこの男の扱い方に慣れているようで一言も言わず平然として、肩をすくませて私を見る。

フィレンツェからシエナ行きのツアーに同乗したアメリカ人とアイスクリーム談義をする。「イタリアだから美味しいアイスクリームを期待したけれど、Its disappointing(がっかりしたわ)。」すると彼女も全く同感,「そうそう、その言葉よ!」

ミラノでは、カフェーもレストランも昼時になれば現地のビジネスマンで一杯になる。その一杯になる処のセルフサービスで「あれと、これと・・・」と注文する。結構おいしい。日本でもそうだが、やはり常連さんが多く来るところは美味しい(ここでは、常連は味の分かる中年以上の人達を指す、若い人ばかりが集まっている処は往々にして裏切られる)。ホテルからドウモ(大聖堂)の間を何度も往復していると、「チョコレート」と書かれた看板が目にとまった。昼間に行くと、ランチタイムで中年のビジネスマンから10代の若者たちまで、超満員の客でにぎわっている。中に入ると、アイスクリームを売っている。なら、私も。

順番待ちチケットをもらって、いよいよアイスクリームケースの前に。ところが、アイスクリームを入れたスティール製の入れモノには全て蓋がされてあるので、どんなアイスクリームが中に入っているのか見えないし、メニューは壁に張り出されていても、その全てを物色するには時間がかかり、混雑している中でそんな事をするのも気が咎められる。それで「あなたが勧めるものを2スクープ、コーンの上において」と頼んだ。そうして私の手の中に入ってきたモノは・・・・・・うわ~(●^o^●)、これぞアイスクリーム。おいし~~~~い!!!これは日本で滅多に口に入る事のない美味しさである。コッテリ、ペローリ、ペローリ、キュキュキュ、シュシュッツ~・・・ふんふんふん・・・わたし~、しあわせ。。。。うわ~、これだわ~。う~ん、この店で働く人達、皆いい人ねぇ~。見渡すと、店員も客も満足げな顔をしている。

アイスクリーム一つでもこの違い。フィレンツェもシエナも観光産業で食べているようなもの(フィレンツェには織物、シエナにはワインがあるけれど)。でも、ミラノは現地の人達が殆ど。

食は、常連と共に豊かになるんですね。どこでも共通している事だけれど、お客を喜ばす商売をしている店は、店で働く人も店の雰囲気もやはり良い。  

つづく

 

写真:左から

  1. 余りの暑さに犬も必死に水を求める。残念な事にカメラには捉えられなかったが、左側のブルドックはなかなか水が飲めないようで、蛇口のところまで勢いよく幾度もジャンプしていた。それが何とも・・・。ところで、イタリア人はブルドックがお好きなようで、一緒に散歩をする姿を何度と見かけた。
  2. パラソルを持参。これは大正解だった。行き交う他の旅行者が「シック」と言葉を投げて来た。羨ましかっただろうなぁ。
  3. ヨーロッパで良く見る光景。この炎天下の中、彫刻のまねをして生身の人間が同じポーズでじっと立っている。前にはお賽銭入れが。
  4. 上と同じ。人間をまねして彫刻が出来上がるが、その逆バージョンである。それにしても完璧。中には瞬きを見せない工夫をしている"像”もあった。




洗濯機止まる(ショッピング編)2012/7/15 

フィレンツェに滞在していた時は、丁度糸の展示会が開催され、日本からも衣料関係者が沢山フィレンツェに降りていた。イタリアは糸の色が違う。ファッションに敏感の人ならご存知だろう。例えば、ピンクにも色々なピンクがあって、同じ名称を持つサンライズピンク一つを見ても日本とイタリアの作るサンライズピンクの色は違う。彼らの色には深みというか穏やかなコクがある。それに彼らのデザインが加わる。何をためらおう!最近、製法にはイタリアに住む中国人が多く携わっているらしい。何人が作っていようと、イタリアで作られているのだからMade in Italyである。 

この旅行の目的の一つはステージ用の服や装飾品を買う事だったから、着いた翌日から色々と物色して回った。これまでの経験が私を少し賢くさせているから、心から満足していない限り、お財布は開かない。しかし脳からアルファ―波がでるほど見初めた商品にはケチらない。。 

ある店に入ると、7日から街中一斉にサマーセールが始まると知らされる。運良くその日はまだフィレンツェにいるし、私の誕生日でもある。良い感じ! まずは当日前に気に入ったものを探しておこうとブランド街を歩いた。ジョルジオ・アルマーニ、シャネル、プラダ・・・こう言うところは身体が緊張する。まだ日本に知られていないところで良いものが必ずあるはず。20年以上昔にベニスで、当時日本にまだそれほど知られていなかったミッソーニの店に偶然入り、紳士服の色合いに息が止まった。そんなものを見つけたいと思った。 

それで、聴いた事のないブランドの店に入ると、面白いものがずらりと並んでいる。そこで随分長い事ファンション・ショーをやっている私に、とうとうそこの責任者が出てきて、30%ディスカウントしますと言って来た。かしこい!旅行者だとみた私を逃す手は無い。公式セール開催前のこのディスカウントは私の購買欲をさらに引き出した。そうか、イタリア人はこういう柔軟性を持っているんだ(日本の立派なブランド店ではこうはいかないだろう)。

試着する時の店員が差し出す靴にびっくりする。ヒールの高さが15cm以上はある。実用的でない気がするのだが、現地の日本人によれば、ドレスを着た時は大体車で移動だからこのくらいの高さで構わないらしい。つまり彼らはやはり背の高いものに憧れていると言う事だろうか。だがある日、同じ高さのハイヒールで歩いている若い女性を偶然見つけた。「うっへぇ~、大変だろうなぁ」と同情しながらしばらく見ていた。日本のぽっくりのような底上げ靴は見かけない。 

アルノ川に架かる橋では金属店が軒を重ねている。普段あまり関心の無い貴金属なのだが、ひとつの指輪が私の眼を捕えた。「ステキ!」沢山ある金属店の中で、唯一心から満足したものである。それはシンデレラの靴のように私の指につまずきなく入って来て心地よく包む。定価通りに買うのかなぁ、一応聞いて見た。最終的に1,000ユーロのディスカウントに成功(イタリアってこういうところなんだぁと、また思う)。取引が全て終わって、アジア系に見えるこの接客係に出身を聴いた。日本人だと言う。それで会話が日本語に。その日は6日だった。「これ、明日買いに来ます。明日が私の誕生日だから、その日に買いたいわ。」午前9時過ぎだった。彼女が言う、「偶然なんですよ。この時間に開店しているのは。普通は10時過ぎに開けるんです。こんな早く開けても客は来ないよって言われたんですけど、今日は窓ふきをしようと早めに来たんです。私の主張が当たりましたよ、オーナーに喜んでもらわなければ。」うん?もしやこの指輪は本当にシンデレラの靴のように玉のような幸せを運んで来てくれるのかなぁ?。

いよいよ7日のセール開催日。うっひょう~。全ての店でセール開始。ミッソーニも、プラダも(きっと、アルマーニも、シャネルも?)。夏物は全品20%50%オフ。そしてその日の最後の買い物にあの金属店に。少しばかり上気している。あの指輪を買う事で何かが始まる? 

フィレンツェでどっさり仕入れたから、ミラノで買いたいものは浮かばなかった。でも、ショッピング街にホテルを取ったものだから、ホテルを出たら直ぐに否が応でもブランド街のウィンドーが景色である。こちらの店構えは5つ星。フィレンツェは4つ星かな。5つ星はホテルでもそうだが、私の場合、ちょっと身の丈が違う。4つ星がちょうど良い。それでも中に入ると、4つ星風な扱いをしてくれる。心地よい。こちらもサマーセールが同じく7日から始まっていた。スーツケースの容積、それとそろそろ財布を心配しながら、また少しショッピング。

フィレンツェもミラノも、素敵な服でかつ着られそうな服が実に豊富に並んでいる。ドレスもセール時に来れば、日本の半額以下になるだろう。これに、外国人用の税金還付が加わる。この旅で出会ったロシア人やアゼルバイジャンの家族連れがミラノにはショッピングで来ると言った訳を納得。昨年大枚をはたいて買った表参道のブランドドレスが恨めしくなった。

つづく

写真左から
1.ミラノ商店街のアーケードの中。
2.シエナの金属店。マネキンが相手をしてくれている。
3.シエナの石鹸屋さん。ナチュラル・オリーブ石鹸を買った。
4.ミケランジェロ公園から見たアルノ川と街、橋の上には金属店が並んでいる。あの橋付近のホテルに宿泊。
 





洗濯機止まる(スカラ座編)2012/7/16 

フィレンツェで買い物を殆ど済ましてしまったので、ミラノでは何をしたら良いだろうと思っていたら、「そうだ、スカラ座があった!」と思い出し、嬉々とした。あのスカラ座に行ける!  

フィレンツェからネットでチケットの予約をしようとしたら、私がミラノに滞在する間の出し物に関してはチケット販売がされていない。既に完売なのだろうか。しかし、こう言う時の私の底力はすごい(相手がモノの場合は)。諦めない。これまでの旅の経験で何度も成功している事だが、予約キャンセルを狙う。当日、地下鉄駅構内にチケットオフィスがあると聞いて、12時オープンの30分前に行くと、男性が二人既に並んでいた。徐々に私の後ろに人集りができ、つばの広い帽子を被った背の高い二人連れの若い女性がすぐ後ろについた。ロシア語で話している。なるほど、ロシア産のオペラもあるし、元来彼らは劇場が好きだ。以前にソビエト時代のモスクワで、前衛演劇劇場のチケット窓口に私も並んだ事がある。長いこと待たされた。もっとも彼らは長蛇の列に並ぶのには慣れている。11月の積雪の中、私の前に並んだ若者は不意に列から離れ、ウォッカの香りを漂わせて戻ってきたっけ。

187ユーロドルのいわゆるS席を提案された。う~ん、バルコニー席を経験したいのだけれどなぁ。ま、また来るかどうか分からないし、余っている席は多くないのかもしれないから良いか。7月の公演は「マノン」と「Don Pasquale」だが、マノンは7日が最後、その日の公演は「Don Pasquale」。マノンはバレエでも踊られるくらいは知っていたが、「Don Pasquale」は全く聞いた事もない。ホテルのパソコンを借りてネットで検索。喜劇である。公演中に居眠りをしないように、ホテルで仮眠をとって出かけた(昔、ソビエトのボルショイ劇場で、私はほとんど寝ていて隣の人が笑っていた)。 

私はオペラにクレイジーではないから、出し物は何でも良いから、スカラ座でオペラを観ると言う事をやって見たかった。つけ足せば、出演者がどのくらい素晴らしいかも感じたかったし、観客の熱気にも触れてみたかった。事実、声は本当に皆さん素晴らしい。余裕があると言うのだろうか、精いっぱいじゃないし、ソフトさがある。それに演技力もある。この辺が日本のオペラは今一で無く、今2のような気がするし、時にはとても稚拙(はっきり言ってしまいました~)。「Don Pasquale」の出演者の演技力は一人二人除いて達者だった(除外されたお二人の役作りは固いけれど決して稚拙ではない)。「Don Pasquale」はもともとイタリア産なので、Don Pasqualeを演じた歌手と彼が恋する女性役の歌手の身のこなしが自然で(もちろん声も)1級だった。ちなみに、この女性役は黒人女性が演じていた。演出は平凡だったかな。3階建てアパートの縦切り断面、それを閉じるとそのアパートの外装になると言う仕掛け。

1階は満席だったと思うが、7階まであるバルコニー席には空席が目立った。歌舞伎座と同じような大向こうさんは7階に座るらしい。オペラ通の人ばかりがそこに陣取り、歌手が音程を外したり、歌詞を間違えたりすると、直ぐにブーイングが来るらしい(パバロッティもやられたそうな)。また、ダブルキャストの場合は、自分が応援するアーチストのライバルに野次を飛ばしたりするとか。私が行った日には残念ながらヤジは無かった。ブラボーの声は2度ほど聞こえたが、熱かった訳ではない。私の後部席に座るミラノ在住の女性が、今日は歌手が素晴らしいから野次が無く、空席が目立つのは多くの人が夏のバカンスで町を離れているからだと言う。

観客用の歌詞は、各椅子の背中の後ろに埋められてある電光掲示板に表示される。それを見る後部席の人は、英語かイタリア語を選択する。 

12月7日がスカラ座のシーズンの始まり。お決まりの儀式で、当日は大統領と首相も来られるらしい。来場者は皆セレブばかりで、出演者にとっては一番緊張する時だとか。

つづく


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写真、ひだりから
1.プログラムを販売しているデスク(十字架ならば神父さん?)
2.中央、ロイヤルシート
3.ホワイエで
4.観客席で
5.上演中フラッシュをたいて撮影している人がいたが、スタッフは”寛容”であった。せめてカーテンコールくらい撮らせて!
6.オーケストラの指揮者、赤いフレームのメガネが印象的だった。




洗濯機止まる(美術館編)2012/7/17

フィレンツェには美術館が実に多い。到着翌日にはフィレンツェ観光ツアーの拠点となっているUffizi美術館に行った。宿泊したホテルから歩いて5分もない距離にある。もともとはメディチ家のオフィスとして建造されたものらしいが、彫刻も絵画もわんさかある。西洋で最も古く最も有名な美術館であるらしい。ボッティチェッリレオナルドミケランジェロラファエロという世界中が知るそうそうたる芸術家の作品がみられる。

次の日はピッティ宮殿。大富豪の商人だったピッティ家がメディチ家に劣らない邸宅を創りたいとして着工されたものらしいが、ピッティの死後100年ほど経って、メディチ家がこの宮殿を買い取ったらしい。ここにもメディチ家の絵画コレクションが山とある。

そしてそのまた翌日には、ミケランジェロの作品を集めているギャラリー・アカデミア。要するに美術館だらけである。覚悟はしていたが。。。

Uffizi美術館の入場券を当日買おうとなると長蛇の列に並び軽く1時間は待たされるから、予めチケットを買ったほうがよいと勧められたので、オンラインで米国の代理店を通して入場券のみを購入(日本の代理店より安価なのだ)。イヤホンガイドを付けて中に入った。たっぷりと時間をかけてじっくり見ようとしたが・・・いやはやものすごい収蔵量である。時間はたっぷりあるけれど、足が段々と棒のようになり、しまいには観るのもぞんざいになって来る。回廊にも彫像がため息がでるほど(「辟易する」が正確な言葉かなぁ、まぁ、勿体ない事!)並べられてあるが、それを一つ一つ丁寧に観て行くなど、絵画を一通り観た後ではとてもとても。エネルギーはもう失せている。それでも4時間程館内で頑張った。 

館内に人が多くなると同時にあちらこちらでグループやプライベイトツアーに付いたガイド達の解説が様々な言語で聞こえてくる。通り過ぎるガイドの解説が大変魅力的なのだ。イヤホンから聞こえてくるもの以上の事が話されている。エピソードや絵の観方さえも教えてくれている。これはただのガイドじゃないと、ミケランジェロの作品を観に行った時にはガイド付きにする事にし、訛りの無い英語でしゃべってくれる人をお願いした(シエナでは強いスペイン語なまりの英語ガイドに当たり、彼女の話した言葉の10%だけをどうにか理解した)。送られて来たガイドはイタリアに住むアメリカ人だったが、わずか1時間だけのギャラリーツアーで観て回った作品は3つだけ。しかし、解説が大変面白く、様々なエピソードを話してくれる。聞くと、美術で学位を取っているらしい。な~るほど。後で聴いた話によると、どの観光拠点でも建物館内のガイドと随行ガイドの間に縄張りのすみ分けがされているらしい。 

美術館や宮殿や有名な教会は何処も来る日も来る日も観光客で一杯である(冬は閑散としているらしいが)。入場券が最低6~10ユーロ、それに皆少なくともイヤホンを借りる(8ユーロだったかな)。本当にすごい人である。これ程の観光客がこの街にお金を落して行く。世界に誇る偉大なる歴史を持っている国と言うのは財政苦に陥る訳ないじゃないかと思うほどである。 

フィレンツェは本当に外国人があって成り立っている所かもしれない。ミラノと違い、ホテルも国税の他に都市税を取る。 

ところで、この「美術館編」で作品に付いて一言もないのは気が引けるので、技術的な事は全く分からない素人なりに一つだけお話をしよう。絵画は中世とそれ以前を描いたものがほとんどで、ピッティ宮殿で初めて近代芸術作品にお目見えしたが、中世の絵画に映る人の顔は、何故あんなに“うっとおしい”のだろう。罪を持つ人間が罰を受ける恐怖を抱いているから?絵画は大体教会から描かされているからあのような表情となるのだろうが、人間の本質からして、うっとうしさばかりなら生きて行けるわけがない。通り過ぎたガイドが「ご覧ください、この絵には感情が表れています」と言ったので再度その周りを見ると、確かにその絵画だけに感情表現がされていた。“泣き”の感情。しかし大体が、ピッティ宮殿の「聖母マリア」に行くまでは頬笑みさえ無い。近代芸術に行くと、やっと今の私たちの表情が映っていた。何か深い理由があるような気がして、ちょっと首をひねった。 

つづく


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写真:左から
Uffizi美術館/ピッティ宮殿の裏にあるボーボリ庭園で/2枚ともボーボリ庭園、美しかった、そして暑かった



洗濯機止まる(ひとり旅編)2012/7/18

様々な形の旅がありその殆どを経験した中で、仲間意識の強い人達でする小規模グループツアー、二人だけの夫婦旅行、そして一人旅が好き。それぞれにそれぞれの味がある。仲間意識の強い人たちとする旅行は楽しい。そこには現地の人たちとの個人的交流はほとんどないが、他の土地に場を移す事で、別なエネルギーが発生し、仲間内の親近感が強まる。夫婦や恋人との二人旅、これは言わずもがな。そして一人旅は、心が深まる。

1年に1回は海外に行くが、今回は20年ぶりの一人旅。以前に行ったイタリア旅行で気になりながら残して来たところを回った。久々の一人旅だから少し不安だったが、できるものだ。ホテルだけを予約し、後は殆どが現地調達。英語力があると言う事はすごいと改めて思った。何処に行っても必ず英語を理解する人がいる。これまで完全に口をふさぎ手振り身振りだったのは中国だけ。台湾もデパートの店員などは英語を全く解さない。しかしそれも面白かった。手振り身振りで相手と一緒に笑った。

一人旅で、元来開放された性格には、現地で知り合う人も心を開く。会話が始まりやすく、"親しく"なりやすい。この「現地で知り合う人」に現地を旅行する日本人も入るのだが、日本人だけは例外な事が多い。私を含め、外国で一人旅をするアジア人はだいたい日本人である。しかし、いつも妙に思うのだが、彼らは旅先で出会う同胞を避ける(もちろん全員と言う訳ではないだろうが)。何なのだろうと思ってしまう。西洋人は、自分と同国の旅行者と気軽にしゃべる。中国人や韓国人は家族や団体で来ているのが常だから、本人たちだけの間で少々騒がしい(特に中国人、笑)。だが今回は、同じホテルに宿泊する日本人御夫婦とたまたま7月7日の私の誕生日に一緒に夕食を共にしシャンパンを御馳走して頂くと言う稀有な事に遭遇した。これもまた印象深い思い出となった。

一人旅で唯一「難」なのが、この夜の食事である。素敵なレストランがあっても一人で入るには気おくれする。だから、美味しいものにありつけない(アイスクリームのような立ち食いが出来るものは例外)。それ以外を取ると、好奇心の旺盛な人にとっては、誰からも制約を受ける事のない一人旅は、全て現地の人とのコミュニケーションを通してなりたつから、面白い事がどっさりある。つまり違いを見つけて面白い。

余談だが、黒いマント風な服アバヤを着たアラブの若い女性たちがイタリアのファッションを試着しているので、どうせ着る事の無い服なのになぜだろうと、とうとう聴いて見た。するとためらいもなく語ってくれた。「見知らぬ男性がいるところでは着れないけれど(つまり街中では)、自分の家や女性達だけが集まる処ではこういう服も着るのよ。ほら、ね」と黒い服の前を開けて中に着ているものを見せる。普通の女の子の果てしなく普段着の服が見えた。

最近、「個人ガイド」と称して商売をしている人がいるらしい。先に紹介した日本人御夫婦がそれを利用してフィレンツェに来られたと言う。前回は旅行社が組んだツアーに参加したが好きでないので、ネットで調べ個人ガイドを雇ったらしい。飛行場送迎から、希望する場所への案内、自由な時間の分配、レストランでのオーダまでガイドはお付き合いしてくれるようだ。お二人はこの旅を堪能していらしたようだ。これは確かに良いと思った。私も現地でツアーに便乗するが、満足したことは稀である。非常に薄い。費用は、2日で5万円だったとか。旅はもともと贅沢なもの。ならば、可能な範囲で精いっぱい贅沢して、堪能して行かれた方がよい。中途半端は結局より高くつくような気がする。

同じラテン系でも、イタリア人はフラン人に比べて西洋のジョークにあまり登場しない(私のかなり狭い知識の中では)。帰りの飛行機の中で客室パンサーにイタリア人とフランス人の違いを尋ねてみた。We are more joyful (私たちは陽気だ)という言葉が返ってきた。イタリア人には厚みがあってそこに弾力性があるように思う。マニュアルとはかけ離れた「個」、フランス人と異なり結構”素直な"個(笑)、が何処にでも存在する。。親切もマニュアルじゃない。イタリア人て好きだなぁと思った。もちろん私が出会った個々のイタリア人が良かったわけだが。しかし、ユーロから米国ドルに替えなければいけない手続きで、閉店間際に行った両替店では100ドル抜き取られていたようだ。その場で確認せず日本に帰って気がつくと言う私の愚鈍さが原因だが。

一人旅、それは自分を常に外に向かせるからアンテナ受信機がよく作動し、入って来るものが実に多い。

つづく

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写真: シエナ(左から)





洗濯機止まる(緑のスーツケース)2012/7/20


洗濯機止まる必ず来る終わり (出典:川柳新子座)

私のクロゼットの奥に車が2つ付いた旅行用の緑のスーツケースが長い間置いてあった。もう着る事もないだろうスキー服や帽子、昔着たステージ用のドレス等を収納し、普段は開ける事がほとんど無かった。時々クロゼットの掃除をする時に目に留まり、必ず一人の人を思い出した。その人とはよく一緒に旅をした。その旅用に買ったのだと思う。ロック番号はその人が考えた422(しずに)。「静に贈る」と言う意味でもあったかと今は思う。

その人は神様が下さった私の宝だったが、数年前に神様にお返しした。お返ししたけれど、旅にはいつもその人が一緒だったから、なかなか一人旅を再開する勇気が無かった。怖かった。他の国の街を歩きながら、哀愁の憐憫を抱かせるような風景に出会うんじゃないかと。

数ヶ月前からフィレンツェに行きたいと思い始めた時、友人を誘うかと思ったが、「一人で行こう」と決断した。そんな気になった事がうれしかったのか、一筋の光が心の中に射し込んだような気がした。そして10日間ほどの旅行に唯一対応できる緑のスーツケースを取りだし、容積の3分の2はあちらでの買い物が占めるように、身軽に旅発った。

フィレンツェとミラノの旅は想った以上に色々な事が楽しく面白く、全てがスムースに運んだ。一人旅をしていると言う感じがしない。侘しさも淋しさもない。昔の一人旅より豊かで、あの人と一緒にした旅行に負けないくらい、楽しく充実していた。自分でも意外だった。なぜだろう・・・。かつての一人旅をしていたずっと昔の自分と今の自分が違う事に気付いた。その人と一緒にいた時の自分とも違う。仲間と旅行しているような楽しさなのだ。は~、ここまで回復、いや、あの時よりもずっと前を歩いている。感慨に浸ると共に心の中に光が漲っているのが見えた。

スケートでペアを躍る20才の高橋成美は自分のパートナであるマーヴィン・トランを見つけた事は、神様からのプレゼントだとテレビで言っていた。人と出会う事が神様からのプレゼントならば、お返しをする時が来るのも神様からのプレゼントなのかもしれない。瀕死の重傷を負いながら(ちょっと大げさ)お返しした後でゆっくりやって来る大きなプレゼント:気付き→目覚め→生き直し。

フィレンツェでスーツケースは既に腕の圧力だけでは閉まらなくなっていた。ケツアツがあってどうにかロックはできるが、ミラノで靴を買ってしまった。これら全てをどうやって持ち帰ろう。市場には車が4つで大変軽く運べるスーツケースが出回っている。周りを見ても2輪のものを引いている人を見かけない。しかし今のものも壊れている訳ではないし、そしてやはり、このスーツケースを置き去りにする事は、かすかに胸を締め付けた。

だが、日本に帰る前日、偶然サムソナイトの店の前を通った(そうなっているのね)。店員が薄いシタジキを曲げるようにケースの蓋を曲げてその軽さを見せてくれる。それに加え、4輪がさらに持ち運びを容易にさせ、赤色が心を弾ませる。即断。新しい赤いスーツケースをころころ転がしながらホテルに戻り、緑のスーツケースから中身を移し替えた。要らなくなったものはホテルで処分してくれる事になった。自分でも驚いた、心が喜んでいる。翌朝、隅に置き去りにされた緑のスーツケースに、思えば、振り向きもせず一瞥もせず、部屋を出て飛行場へと向かった。

(勢いよく回る)洗濯機は必ず止まって洗濯が終わるように、血しぶきを上げた苦しみもやがては必ず止まって”洗濯”が終わる。そして、綺麗になる。 

イタリア旅行記 完





商店街での路上ライブ2012/7/25

先週21日と22日の土日に、東武東上線大山駅の商店街で開かれたチャリティーライブに出演した。とても楽しかった。用意された椅子に座って聴いて下さる方、通りすがりに立ち止まられる方、携帯を持ちだして誰かに聴かせている方等等、初めてのライブ企画に、足を止めて下さった方々は喜んで下さったようだ。共演されたのはとても若い方々、リズム感があって、私にとってはめったに傍で聴けない曲を聞く事ができ、それぞれが異なる個性で、実に層の厚いライブになったのではないかと思う。

面白い事に、私がが歌い始めると徐々に中年以上が集まって来るんです。それまでは若い人たちが大半だったのに(*^_^*)。やはり、そう云うものなんだなぁと。

ボランティアの人たちって、すごい!本当に優しく丁寧にお世話をして下さいました。みんな始終ニコニコしてきれいな顔をしていました。とにかく与え続けていましたね。彼らの心づくしで、唄う人達も聴く人達も皆心地よい時間を過ごしたのじゃないかなと想います。ここにお礼を申歌い出すと
歌い出すと中年の方々が徐々に集まって来られた。それまでは若い方々が大半で、ノリの良い歌に合わせて合の手を入れていたのに(^v^)。やはりそういうものなんだなぁと。

出演者のパフォーマンスが良かったのか、今週29日(日)に開かれるこの街のサマーフェスタにも今回の出演者全員が参加する事になった。18時から一人10分ほど歌うらしいので、2曲ほどだろうか。NHKの歌謡番組を連想させる。

歌ってすごい、人が集まってくる。(●^o^●)





殺気立つ夏のゴルフ 2012/7/
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すごい暑さ。2日前、暑い暑いと言いながら大学のOBゴルフ仲間はゴルフコースに立った。待ち合わせの時間前に練習場に行ってハーフを回るほどに打って来た人が二人いた。優勝を狙っている。その一人は現れた時から顔がひきつっている。貸切バスの中で手渡された組分け表をみると、その優勝を狙って既に一汗かいてきた二人と私が同じチームに。いや、3人。3人目は、(私は知っている)、早朝練習はなかったようだがずっと優勝を黙々と狙っている先輩だ。狙うがために力み過ぎていつも敗退。今日は颯爽たるメンバーの勢いに負けてか、少しばかりおとなしい。そういう私も、実は、その前日に練習場に行って30分ほど打っていた。ハンディ36で優勝を狙っていたのだ(ククク・・(^v^))。

“絶対”優勝を狙う2人と”もしかすると”を狙う私、そして上述の「3人目」がチームを組んだのだからすごい。最初から殺気立っている。一人が打ったボールがOBかどうか、「OBじゃないない」「OBだ」「いやxxxでOBじゃない」「いや、OBだ!」と解明手続きがカートの上でも延々と続く。ゼロか100、その途中のない、抑えのないプレイをする面々が少なくとも2人いる。が~んと打って260ヤード飛ばしてラフに球を置くか、飛ばして右にOB、暫定球を打ってまた右にOB、そしてまた・・・OB、・・・・(し~ん)。どしゃ降りの雨に打たれたように全身を汗で濡らしながら、野を駆け谷を下り山を登り森を分け入り奮闘する。

熱中症?思うに心から楽しんで遊んでいる時は、日射病とか熱中症も避けて通るのではないかなぁ。

最初のハーフの余りにも無残な結果に優勝無しと“確信”して気が楽になったのか、ランチタイムには一番殺気立っていた人がやたら饒舌になってきた。そうしたら後半、皆調子が良くなる。OBが無くなり、狙った所に球は大体止まる。あららら、コンペ参加者20人、優勝は上述の「3人目」の人。殺気立つ二人のお陰で、力みが抜けて実力が出たよう。あははは・・・(●^o^●)

暑いですね。でも楽しい事をしている時は、子供がそうであるように、大人も暑さはあまり関係ないようですね。帰りのバスの中、皆で缶ビールと御つまみを手に、幹事のリードで楽しく笑い語らい、実に楽しい一日でした。

この暑さ、一つ一つ大切にしたいと思う年齢になりました。涼しくなってしまうとやはり淋しいかな。まるで蜩(ひぐらし)。

願いは叶えられるためにある? 2012/8/

昨日大学の友人たちと横浜みなとみらいで花火を観覧した。その中の一人が30階建てのマンションの29階に住み、そこのベランダはこの花火大会の特等席の一つ。ベランダにはテーブルと椅子が用意され、有志が買い出しに行き食べ物と飲み物が準備された。

花火が大好き。私が死んだら花火を打ち上げてね、と昔言っていた事がある。29階の真正面で展開する花火はとても大きく美しく、裂ける寸前にはベランダにいる私たちを呑み込んでしまうような勢いがある。日本人の技と芸に改めて誇りを持つ。20年近く前隅田川の花火をずっと立って見ていた時、周りの超高層マンションに住む友人がいたら良いなぁ、そうしたら花火大会の日には招待されて・・・などと思った事があったが、それが現実になった。

今年はもう一つ願いが叶った事がある。私のライブを楽しんでくれる“仲間たち”が出来た事。一緒に飲みながら労いやダメ出しをやってくれる、そんな風景をかつて描いていた。それも現実となって現れた。

29階のベランダでビールやつまみを手に皆とワイワイガヤガヤやりながら、一人思っていた:願いは本来叶えられるためにあるんじゃないか、「道」を間違わなければ。

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経験は本当に宝です-性格も変わるかも 2012/8/6

このしずこのホームページが壊れてしまった。写真などをアップしようとすると通信エラーが出る。理由はサーバーの容量限界。それで、色々といじくり、消したりしていたら・・・・壊れた。 

でもすごい、我ながらすごいと思った。数秒間パニックになったが、慌てずに復旧させた。慌てずにいられたのも過去の経験があったからだ。2年前WindowsXPから7に変える時、データの保存先を新システムの7にするところ、間違って破棄する旧システムのXPにしてしまったから、移行した後見つかるわけがない。データが消えた。茫然自失、蒼白になった。その時心にしっかりと通した言葉がある、「落ち着いていれば、既に90%は解決している。」不幸中の幸いで、幾つかのドキュメントは外付け装置に格納していたし、メールアドレスも印刷していたものがあったので、それをひとつひとつ打直し数日かけて復旧させた。この成功体験が自信を持たせ、その後、買ったは良いが3カ月手つかずにいたHP作成ソフトの箱を開けた。そしてこのHPが完成。成せば成る。これだけ。 

それで、今回も2日間ほどかけて復旧させた。復旧ついでに形式を替え中身も少し整理した。やっている内にこのHP作成ソフトの仕組みも僅かだが知るようになり、このソフトをより賢く使いこなせる気がしている(と言いながら、また何をやりかす事か・・・)無駄な事は本当に無いなぁと改めて思う。 

最も大きな収穫は、私がかつてより忍耐強くなり安定していること。相手が人間ではないから壊れたからと怒る事もできない、ひたすらコツコツと作業をして行くしかない。こんな作業を来る日も来る日もしているITエンジニアには、忍耐強い人が多いのかもしれない。




サッカーオリンピック 2012/8/8 

ワールドカップやオリンピックでサッカー観戦をするのが大好き。あれって、「平和な戦争」だと思う。若い時にある動物的闘志の平和的発散(特に男性は)。実際に参加する方も観戦する方も。あのようなゲームを創りだしてくれた先人達の知恵に心震えた事もあった。 

オリンピックでもやはり男子サッカーが好きなので1昨日ネットでいろいろ調べていたら、日本がエジプトに勝った事より、韓国が英国に勝ち日韓そろって4強、そして来るかもしれない日韓決勝戦、または3位決定戦に関する記事が最初に出て来た。日本の嫌韓感情むき出しにしたコメント付きイギリス対韓国の試合がビデオに流れていたけれど、試合が進むにつれ、「日本人だけれど韓国を応援しています」とか「韓国落ちついているね」と、コメントが段々と穏やかになり優しさが出ているのには、何か心が温まり、こちらもほんわかとなった。その中でとてもおかしくて面白いコメントがあった。「韓国がブラジルに勝って、日韓試合になると面倒な事が多いから、ブラジルに勝って欲しい」。日本が決勝戦に進むと確信しているようなコメントだ。微笑ましいと言うか、楽しい。

今日ネットで見つけた、韓国の中央日報の日本語訳には次のように載っていた。~~~~~~~

韓日間の決勝戦が最高のシナリオ、最悪は…

・・・韓国は今大会、敗戦なく8強に進出し、英国を破った。 今後の最高のシナリオはこうだ。 韓国がブラジルを降し、日本がメキシコに勝ち、韓日が決勝でぶつかるケースだ。 まずアジアの国同士が五輪の決勝戦を行うということ自体が歴史だ。 五輪サッカーの決勝にアジアの国が進出した前例はない。 韓日の決勝戦が実現すれば、欧州と南米が主導してきたサッカーの歴史に変化を与えることができる。 ・・・・韓国は日本との対戦でこれまでも爆発的な力を発揮してきた。 日本ネットユーザーも「韓国は日本と対戦すれば戦力が30%以上も増幅するのでブラジルと対戦するのがよい」とコメントしている。

一方、最悪のシナリオはブラジルに敗れた後、3位決定戦で日本と対戦し、4位に終わるケースだ。 戦力面で劣るブラジルに敗れるのはまだしも、日本との対戦で銅メダルもつかめなければ、そのダメージは大きい。 メダルを逃して兵役免除も受けられず、五輪史上初の4強入りという成績も色あせてしまう。

ォームの始まりォームの終わり~~~~~

そうか、相手が日本だと韓国のパワーが30%増幅するんだぁ。だから面倒な事なのかぁ(それも一つね、きっと)。何かとてもおかしくて滑稽で声を出して笑ってしまった。絶対勝ちたい韓国、負けてはならぬ日本―こんな感じかな。おもしろい!見てみたい。良い試合がそれぞれの心に平和と敬意と好感をもたらすわ。私の敬愛する人が言っていた「ライバルは敵ではない、自分を磨く自分の味方だ」と。頑張れ! 

此処まで書いて、今日になり、日韓の試合は実現するけれど、3位決定戦となった。それでもアジアの快進撃、すごい!





勝敗は戸惑うか戸惑わないかで決まった? 2012/8/11

とても残念。日本時間今朝行われたオリンピック男子サッカー3位決定戦。韓国が1点入れた後日本も1点を入れるチャンスがあった。そうしたら本当に面白いゲームになったのに。大津がミドルシュートしてしまえば良かったところ、戸惑いながらも(そんな風に感じた)清武に合わせようと彼にパスしてしまった。しかしそこに清武はいなかった(クソっ・・・・・・!!!!握りしめた拳骨が震える)。プレヤーの一瞬の戸惑いが判断を誤ってしまったような気がする。彼自身も悔しさでグラウンドを叩いて慟哭していた。あの1点が入っていたら、日本の勢いが萎える事は無かっただろう。勝敗は、戸惑う、戸惑わない、この二つの違いにあったような気がする。

そしてもう一つ、対戦が始まる前に紹介された韓国マスコミの報道によると、同じロッジで宿泊する日本人プレヤーには韓国チームと一緒である事にストレスがあるようだという。20才以下のワールドカップアジア予選で日本はことごとく韓国に負けていたらしい。それを経験しているのが永井や宇佐美。「勝てる」と口では言いながらも、苦手意識が敗北を想像させていただろう。画面には、近寄って挨拶をしようとする韓国サーカーチームのメンバーに対し、日本チームはみな下を向いて顔をそむけている場面が映された。相手は日本、絶対勝つぞと言う前向きなエネルギーと、嫌だなぁと思う負の想い、試合前から勝敗は決まったようなもの。

そんな事も含めて、ネットで多くのJリーグファンが今回は「韓国に完敗。素直に認める」「韓国は普通に強かった、日本が弱すぎた」と言っている。良いね、こういう捉え方。勝負は負ける事もある。その時はきれいな負けた方がいい。それに対し、3位決定戦終了後、韓国選手が突然「竹島は韓国のものだ」と書いたスローガンのようなものをかざした事は、大変後味を悪くした。本人の意思でしたかどうか分からない。突然客席の人物から渡されカメラに向けさせられたのかも知れない。勝利の悦に入っていたため拒否できないまま持ってしまったならば、可哀想にとしか言いようがないが、ああいう行動は得るものより失うものの方が大きいだろう。

それにしても、日韓選手たちは本当に成長したなぁと思う。特に韓国選手のプレーには落ち着きと言うか、品が備わりつつある。激しすぎて後進性を感じるものが徐々に無くなっている。互いに宿敵と言われているらしいこの2つの国のプレヤーが、互いをライバルとしながらそのライバルがいるから成長している環境をフルに利用して、これからも観るものを楽しませて欲しい。




オリンピック男子サッカー決勝戦 2012/8/11

ブラジルとメキシコの対戦。やはりうまい!個人技がすごい!とにかく良く動くし速い。そしてボールを取っても相手が直ぐに奪う。互いにそうなのだから、あっぱれ!非常に見応えがある。メキシコがこんなに強いとは知らなんだぁ、シラナンダァ。 

3回にわたりサッカーの話をしたりして、私も随分サッカーに熱を入れるようになったなぁ。かつては、新体操、水泳、シンクロだったのに。サッカーは庶民のチームスポーツ。お金が無くとも、ボール一つあれば皆で遊べる。かつて2002年の日韓ワールドカップの時、ドイツ系の会社のイベント通訳をしていたが、そこの社長がお客を連れて試合を観に行くと言う事があった。ドイツが優勝決定戦に出るのでかなりはしゃいでいた。ドイツでは5歳か7歳くらいの時からサッカーをするようで、どの町にも年齢別のリーグがあるらしい。女性サッカーチームもあるとその時に既に聞かされていた。この時のワールドカップでは、ロシアは、7つのポルシェを用意し点を入れた選手一人一人に与えるのだとNewsweekに書かれてあった。当時のロシアのエリツィン大統領は大統領府チームを作ってモスクワ市庁舎チームと試合をするほどにサッカーを楽しんだという。 どの国をも熱狂させるスポーツ、サッカー。その勝敗が世界レベルで争われ、人間の動物的闘争エネルギーと排他的原質を吸収する。まことに平和的戦争だ。ワールドカップやオリンピックを創案し現実化してくれた先人達に改めて心から敬服する。

ところで、メキシコ対ブラジルの決勝戦、どう言う訳か朝方にメキシコの文字が私の頭の中に浮かんだ。それで、メキシコが勝つ事を、試合開始前からいわば知っていた。で、本当に勝っちゃった。(あんた、サッカーの勝利占いをするドイツのあのタコか?

今回のロンドン・オリンピックの4強入りは、南米とアジア(それも極東アジア)で、ヨーロッパは敗退したんですねぇ。なんだかすごいと思いません、アジアの快進撃?!




手を離れた? 2012/8/12

1昨年まで私のライブやリサイタルに来てくれた友人から久々にメッセージがあった。彼が来る時はかつてのクラスメートが2人一緒に来るので、私は彼らを3銃士と言っていた。長らく足を運んでもらっていないのでどうしたのかと思っていたが、彼曰く、時々私のHPをみているが、”熱狂的な”ファンがいるみたいで、もう自分たちの手を離れたような気になり、今さらすけずけと割って入って行くわけにもいかないような気がしている、と言う。 

熱狂的なファン?何処からこんな言葉が生まれるのかとしばし考えた。もちろんファンはいる、いると思う。いなければ困る。でも“熱狂的”?・・・・思い出した。この言葉が一度使われた事がある。昨年の六本木STB139でのリサイタルでの事、フィナーレで男性達の声援がかなり聞こえた。それを聞いた方が、「熱狂的ファンがいらっしゃるんですね」と言われ、その言葉をリサイタル来場者のコメントとしてHPに載せた事がある。 言われた方は普段このようなライブに行かれる事が無い方で(おそらく)、男性が舞台に向かって叫ぶのを聞いた事が無いため、そのような表現になったのでありまして・・・どうぞお待ち申し上げております。 

使わせて頂いているライブハウス「池之端QUI]は4年前に私が初めてリサイタルを始めたところ。あの頃は年に一回、今は大体3カ月に1度の割合で、あのリサイタルを"ソロライブ"と名前を変えてやらせて頂いています。つまり、年に一回が精いっぱいだった3年の期間が終わって年に4回できるほど成長したと言う事でしょうか。また、あの頃は、友人知人、そしてその皆さんが連れて来られる方々で客席が埋まりましたが、ステージ自体は面白いが歌手としてまだ未熟、それで一回きりと言う方々もいらっしゃいました。今は声の落ち着きと共に、毎回来て下さる常連が徐々に多くなっています。芸は常連と共に育つと思っているので、願っていた形になってきたかなと。

これからだ、と言う気がしています。これまでのトントン拍子の拡大は、この道を素直に歩く私に対する神様からの餞(はなむけ)だったと思う。今年、年4回の小ライブの形を取ることで、"本物"になって行く道を歩み始めたと言えるかもしれない。
皆さんが喜んで下さるステージ創り、これを常に心がけているのです。

手を離れたのではなく、勝手に手を離さないで下さいね。

1月

謹賀新年 201212

「落ち着かなくて皆で一杯やって帰った」 2012/1/4

今年のソロライブの予定 2012110

新曲の誕生、「Yesterdayを聴いて」 2012/01/10

映画マイ・ウェイ 2012/1/21

スティーブ・ジョブズの人生の不思議 2012124

美のステージ? 2012/1/25 



3月

1年半遅れの開店祝い―幸せになるためには順番がある 201231

シカゴの冬は寒かろうに 20123/7

1等です!2012317




5月

「神様の声は人を介して来るんだよ」 2012/5/13

演芸アラカルト 2012/5/16




7月

ソロライブ#3終了 2012/7/1

洗濯機止まる(アイスクリーム編)2012/713

洗濯機止まる(ショッピング編)2012/7/15

洗濯機止まる(スカラ座編)2012/7/16

洗濯機止まる(美術館編)2012/7/17

洗濯機止まる(ひとり旅編)2012/7/18

洗濯機止まる(緑のスーツケース)2012/7/20

商店街での路上ライブ2012/7/25

殺気立つ夏のゴルフ 2012/7/8



9月

最悪?最良?家が全焼 2012/9/1

ソロライブ#4 2012/9/10

声 2012/9/16

リハーサル終わる 2012/9/18

昔をちょっと思い出し 2012/9/20

夏が行ってしまう 2012/9/27

準備完了 2012/9/28

さあ、これからだ 2012/9/30



11月

「スリラーライブ」 2012/11/1


ありがとうで勝った巨人の勝利 2012/11/4

二つのドラマ 2012/11/8

ゴルフの替え歌 2012/11/9

あら、まぁ 2012/11/10

此処までやってくれると、面白いね 2012/11/11

うわ~ここまで世の中は変わったのね 2012/11/12

「輪廻の華」完成 2012/11/12

タクシー運転手との会話 2012/11/16

早大年次総会 2012/11/18

すごいと思いません?! 2012/11/19
                         
オーディション 2012/11/21


「こちらあなたの夫と死ぬる女です」 2012/11/23

♪人に勝つより自分に勝てと♪ 2012/11/26

月次レッスン 2012/11/28

ある男と女の話 2012/11/29

天才でごめんなさい 2012/11/30

                                                

ううううう・・・・神よ、我を守りたまえ! 2012/8/15 

アフリカのアラブ系の腕利きの歯科医らしい。抜歯の瞬間。右手に持っているのは何の石だろう、歯に刺している工具は・・・それにしても、こんなにも人を信頼できるものなんですね。

        。  

この写真を見せたら、ある70代の男性からこんなコメントが:「私ごとですが親知らずを抜き損なって残歯が抜けず、ペンチとヤットコで抜き失神した記憶がありますよ。アレから50年、時代は進歩してBGMを流しハンサム先生を見ながら気持ちよく治療する時代ですね。」今から半世紀(?)、頑張って下さい。



与えよ、さらば与えられん 2012/8/18

マスコミが騒ぐ最近のニュースを聴いていたら、ふと思い出した。

3年前韓国のソウル駅で、タクシー代を払うために円からウォンに換金しようとしていた。夕方の退社時間でもあったので沢山のビジネススーツ姿の人達がソウル駅構内に入って来た。その中の一人の女性を捕まえて換金場所を尋ねると、「既に営業時間が終わっていますよ。・・・日本からいらしたんですか。・・・・私が換金してあげましょう。今日の換金レートは御存じですか・・・・いくら必要ですか」と自分のカバンからお財布を出し私にウォンを下さった。お礼をする私に彼女はニコッと笑い付け加えた、「日本で私も大変親切にされましたから。」感動するものがあった。日本から来たと言っただけで、彼女は私の発言した換金レートを疑う事もなく、ウォンにしてくれたのだ(後で確認したら、私は彼女に有利なレートを言ったらしい。逆で無くて良かった)。
 

海外旅行は私の生命を輝かすエキスとなっているので、少なくとも年に1回は他の国を観に行く。そこでは色々なハプニングがあり、現地の人に助けられる事が多い。接した人達が良い思い出をつくる理由になれば、だいたいその国が好きになる。
 

だから、自国にいて、外国からの旅行者と思しき人が道に迷ったりしていると、私は進んで手を差し伸べる。相手が韓国や中国から来たと知ると、その親切心は増幅するみたい。日本人や日本に対して好感を持って帰ってもらいたいから。

親切にすれば親切が返ってくる、「与えよ、さらば与えられん。」もちろん上の韓国女性は私が親切にした人ではないけれども、私が親切にした人も、どこかで日本人の誰かに親切をお返ししているだろうと思うし、そう願いたい(こう言うのをPay it forward と言っている米国映画があるらしい)。平和や和解は草の根から。外国人の前では一人一人は自国を代表する外交官の役割を担っているのかもしれない。





ドブネズミの死骸 2012/8/19

弾けるように笑いが飛び出す。食事をしながら本を読むと言う習慣は普段の私には無いのだが、休憩を与えさせない面白さと生々しさが佐藤愛子の「花は六十」にあり、「大戸屋」で定食のお盆を下げられた後、長居を許さざるを得ないようビールを注文し、読みつづけた。恐らく私はたまらなく面白い漫画を見ているような顔をしていただろうと思う。定食屋だし混雑時間は過ぎていたし、店内には色々な音があるので私の笑いを聞くのは両隣くらいだろうと、心置きなく笑いを連発していた。 

佐藤愛子の書いたものは、これが二冊目である。最初はエッセイシリーズのその八だった。エッセイシリーズには彼女のまっ正直さがはっきりと見え、開けっぴろげだが品を無くさない面白さがあった。彼女の表現力の豊かさ、一気呵成に書いているような流れるような勢いに、今まで読ますにいた事が、なんというか、空間にぽかんと穴を開かせてしまったようで、何とも悔しい思いをするのだが、今"間に合って"読めた事が実に嬉しく、なにやらその穴を埋めた充足感がある。 

「花は六十」は還暦を迎えた女たちの話である。主人公の勝代は普通の妻をやってきたが、夫は先に逝った。子供達は所帯を持ち別に住んでいる。一人住む家の二階から隣家を覗くのだがその家の団欒や夫婦二人の散歩を目にしながら理想の夫婦の姿を想像している。が、さにあらず、隣の主婦静(しずか)は亭主の自分への無関心さに常に腹が立ち、彼のする事なす事皆気に障る。その亭主も長年一緒に暮らして来たがさっぱり自分の妻が理解できず関心も示さず、古文書を読んではキリストの調査ばかりをしている(この調査内容が面白い)。正に隣の芝生なのだ。その静に20代の恋人が出来る、そして主人公の勝代にはお見合い話が・・・・ 

60代のまだ生き生きした女たちがする会話は夫の悪口、新しい恋、肉の営みであるが、その内容たるや臨場感にあふれ、世の中のどこかで女達はこんな話をしているのだと、まだ仲間に入っていないが、やがて入るのかもしれない会話にやたら私はドキドキして緊張する。20代の恋人と比較して静が表現する自分の亭主の持ちモノ:ドブネズミの死骸 

・・・・私は口を半開きにしたまま宙を回っているような気分だった。。。。確かに重なるものも・・・うわっははははは・・・よくぞ・・・ぐわっはっはっはははは・・・!

「ああ、面白かったと言って死にたい」と作家自身が言っているのを新聞の書籍広告欄で見つけたが、辛い事苦しい事をこんなに面白く書ける佐藤愛子は、本当に自分の人生が面白いのではないかと思う。面白く書いていると面白くなって来るものだ。まったくユーモア小説なのである。「花は六十」を大戸屋で読み終え、私は図書館にまっしぐら、また彼女のモノ(こちらは本です)を四冊借りて来た。

恨みは電話攻勢で晴らす 2012//8/25

彼女の家には一時週に2、3回、こんな電話がかかって来たらしい。

「もしもし佐藤さんですか」
「はい、佐藤ですが」
「佐藤さん?佐藤愛子さん?」
「そうです」
「わぁ、やっぱり!」ガチャン。

自分の雑文集で、佐藤愛子は彼女の自宅の電話番号を口にするある編集者との実際の会話をそのまま載せた。彼女の書くスタイルは着の身着のまま、素っぴんであるから、読者もその電話番号が彼女の実の電話番号である可能性が高いと、ときめきを抱いて掛ける。彼女自身もおそらくそんな電話を予期しているのだろう:新しいネタが手に入る。

彼女の作品の特徴は、怒り。そしてその怒りを僅かに遅れてみる笑いの眼。そこに殆ど企てのないまっさらなユーモアがある。「S」と言う出版社とどうも大喧嘩をしたらしい。余りにも腹が立って、S社とは関係の無い週刊読売だかどこかの連載も止めてしまったという(かなりの癇癪持ちだ)。この「S社」の事が彼女の雑文集に時々顔を出すので、私の頭はこのイニシャルで綴られた「S」の周りを散策する。

「え~、本当に佐藤愛子さんですか、きゃ~」この種の電話は深夜にもかかって来る。勝手にかけて来て勝手に切らない場合は、「お会いしませんか」と言うお誘いもある。相手は彼女の顔をじかに見たいだけ。あって何を話すの、色々言って断ろうとすると、相手は不満げな声色で「私はあなたの書いたものを全部読んでいるんですよ!」と押して来る。 

そんなこともあり、新しい雑文集では、「ところで、今回、私は我が家の電話番号を変更した」とその番号を掲載。非常に目立つように、最後の行に数字だけ。3230-61xx(実際の雑文の中では全て数字になっている)

この人本気かな、でも・・・私の中の面白好きが騒いだ。「試してみよう。今北海道にいらっしゃる筈だから誰も出ないかもしれない(事情があって私は知っている)。万一出られたら、先日いただいた御返事にお礼を述べて・・・・」とその番号を鳴らした。夜10時半。音だけが鳴りつづける。やはり、佐藤愛子さんの電話番号なんだぁ。へぇ~。

と思ってそろそろ受話器を置こうとした時、男の声が受話器を取った。留守番電話?いや違う、生の声。

「はい、Sxxx社です。」
「えっ?何と言いました(こちらから電話をしておいて、何と言ったかはない)
Sxxx社です。」
「えっ?佐藤愛子さんのお宅じゃないんですか」
「いいえ、Sxxx社です」

Sxxx社?「S」社って・・・・身元が分かった、と同時に作家の魂胆が見えた。

「このような電話、かつて沢山あったでしょう?」
「いえ、知らないです。始めて取りましたので」

読み終わったばかりのこの新しい雑文集「女の怒り方」は初版が1991年。おそらくその時を知らないであろう若い男の声。恨みは読者を使った電話攻勢で晴らしたのだ。あははは・・・20年前に掛けてみたかった。




9月のソロライブに備えて 2012/8/29

今日は久々にM先生の個人レッスン。9月のソロライブの選曲も大体決まり、歌うキーをどれにしようかと先生と相談。自分一人でやっていると、低いキーを選択し楽な方を選びがちであるが、果たしてそれがその曲に対する私の一番魅力的な声なのかどうか分からない。それで半音または全音高い声と共に先生に聴いて頂く。何せ二期会のメンバーも教えを賜るほどの方なので、声の選択は先生の一声で大体決まる。全幅の信頼を寄せている(なんと幸せな事か!)。 

9月の出し物にはこんな曲も取り入れる事にした。

Amazing Grace
サントワマミー
恋人よ(五輪真弓)
おお・パパ (落ちの面白い、フランス人のユーモア歌謡)
ジジ・ラモローゾ

「ジジ・ラモローゾ」は今回初めて歌うシャンソン。約9分近い歌で、ハンサムな町の人気芸人がアメリカ女性に誘われてアメリカに行き一旗挙げようとしたが、失敗し亡霊となって帰って来ると言う、とてもドラマチックな歌。セリフが沢山あるので、「セリフのところ良いですね、あんな感じで歌ってくれれば」とM先生。わたしの語りやセリフはどうも多くの方が好きになって下さっているようだ。際立つものを持っていると言う事は本当に幸せな事だと思うし、それをまた喜んで下さる人が多い事は嬉しい、がチャレンジもしたい。今回は、Amazing Grace 

このジジ・ラモローゾは越路吹雪が歌っているものをそのままおろしたが、「恋人よ」と共に、オリジナルキーで歌う事になった。実はM先生がそれをを進めて下さった時に、やはり少しばかり嬉しい気分になったのである。楽をしていたらイカン!きっと五輪真弓も越路吹雪も彼女達の楽な位置よりも高めなところで歌っているような気がする。最近気が付いた事だけれど、もちろん曲想によるが、大体高めがポーンと人の心に響くようだ。特に大きな舞台で歌っている場合は。

さ、歌い込みましょっと。




 

最悪?最良?家が全焼 2012/9/1

「隣からのもらい火で家が全焼したんです。でも家族は全員無事でしたので、とりあえずは大丈夫です」上で話した某音大のM先生のお話。この先生はその実力から、そして面白いエピソードからクラッシック界ではほとんど全員が知っているような方である。

「燃えて行くところをずっと見ていたんですが、なんだか落ち着いていましてね、こんなものかと思ったんですよ。なかには大事なものもありましたけれどね。最悪の出来事には違いなかったんですけれど・・」

「最悪?先生、これは最良のでき事ですよ。家族は全員無事、一銭も出さずに、家は全部建て直しができるし、間取りも変えられるし、先生のグランドピアノも買い替えられるし、大事なものというけれど、だいたい無ければ無いでどうにかなるものですよ」
「(私を指して)ポジティブだから」
「え?先生の徳ですよ。また業の浄化とも言うらしいですよ(この人何を訳の分からない事を言っているのだろう、という顔つき)」

M先生はキリスト教会で日曜ごとにミサのお手伝いをされているようだが、敬虔なクリスチャンと言う訳ではなさそう。業の浄化と言う観念はキリスト教にあるのかどうか分からないが、どうもなさそうな事をモグモグと言っていらした。

「業の浄化」と言う言葉が滑り出たので、思い出した事がある。稲盛和夫さんが京セラの社長をしていた頃、セラミックスで作った医療器具を厚生省からの認可前に出荷してしまったらしい。氏によると、医学界が納入を急きたてたとか。それでマスコミがまるで悪人の如く彼を叩いた。世間からも見放されたような気がしてやる気を削がれ失望の中にいた時、彼は京都の臨済宗の和尚を訪ねた。話を聞いた和尚は、御気の毒なことと同情するどころか、「わっはっはっはっは・・・・」と高笑いをされた。

「稲盛さん、家に帰られたらお赤飯を焚いてもらいお祝いをされたらよろしい。あなたの過去の業が流されたのですよ。」これを聞いた稲盛氏の心は苦しみから喜びに変わり、「よ~し、これからは良い事だけをして行くぞ!」と晴れ晴れとした気持ちになったとか。

想いかた次第で、苦しみが喜びに変わる。唯心所現(ゆいしんしょげん)、自分に見えているものは自分の心を映しているにすぎない。

想うに、火事を不幸だと決めるのも私たちの心が創りだす集団的想いなのだろう(これを妄想とか迷いと言うらしい)。自分の人生を振り返ったり他の人生を聴いたりしていると、いわゆる“不幸”と言う苦しみは、その“不幸”があったからこそ訪れる大なる”喜び”への序曲である事が多い。その不幸が苦しければ苦しいほど、先に待っている喜びの光は燦々と輝くらしい。

そうかもしれない。





ソロライブ#4 2012/9/10

今年最後のソロライブです。詳しくは「出演しているライブハウス」に掲載しております。 

今回はこれまでお客様から頂いたご要望を私なりに反映したライブにしようと考えております。お客様参加型のライブと言ったら良いでしょうか。 

芝居じみたドラマ性の高い歌「ジジ・ラモローゾ」。ミロール、オルガを始め芝居と歌が共存したようなこの類の歌は、どちらかと言うと私には入りやすい歌のようで、シャンソンを歌い出した時によく歌っていました。今回のジジ・ラモローゾは、元はダリダが歌っていますが、久しぶりにこのドラマ性の高いシャンソンを取り入れます。 

どうぞ、楽しみにいらして下さいませ。




声 2012/9/16

月一回見て頂いているM先生の9月のレッスンが一昨日終り、その翌日改めて声の出し方を変えて今月のソロライブに歌う曲を全曲再録音をして聴いて見た。

声の良い人は沢山いるけれど・・・こんな発想から歌の世界を伝える表現力のある歌、と言うのが選択したというか、言い訳と言うか、自然と言うか、私が取ってきた方向だったが、昨年の六本木STB139(スイートベイジル)のリサイタルをDVDにして専門家に聴いて頂いたら、声を指摘された。 

声かぁ、どうにかせんとあかんなぁ。

指摘があって数日後、図書館で受付係が私の予約していた本の貸し出し手続きをしている間、何気なく右斜め後ろを向くと、太い円柱に真っ白の表紙に黒字で「音楽オーディションに合格しよう」と書かれた文字が私の目の中に飛び込んできた。かれこれ4年以上使わせて頂いている図書館だが、それまではそんな所に本がある事さえ気づかずにいた。そこは新刊書が置かれるようになっているらしい。

その本にはデモテープの作り方に関する説明があり、その中で、「レコード会社の関心は声質です。歌のうまさはあまり関係有りません」と書かれてあった。私の中で目覚まし時計が鳴った。自分の得手であると自他認めていた表現力よりも、洗練させようという取り組みに幾度と躓き、終局的には表現力が勝つと、なんやら言訳をしていたようなものが脆くも瓦解し呆気なく降服した。これを活字が持つ説得力という(笑)。

そうかぁ~、声なんだぁ~。

M先生の話す事はいつも同じなのだが(違っていては混乱するが)、よう分からん事もある。こうならなければいけないと言うのは分かるが、どうしたらそこに“いつも”行けるのか試行錯誤する。”あ、い、う、え、お”と母音が違っても同じ場所に音を運ぶというのだが、なかなかできるものではない。多くの教師たるものが常にぶつかる解決への手がかりの模索。教師は自分が出口を見つけた経路を説明するのだが、その教師がどんな問題を抱えていたかによって、経路が異なる事がある。少しずつあるべき所に進んでいるのは確かだが、まだ混乱している、やきもきする(きっと教える側ももやきもきしている)。 

しかし、昨日の一人練習で何かが分かって来たような気がした。今まで色々な人が、まるで一つ一つ別の事のように、喉の奥を大きく開ける、鼻腔に通す、母音を全て同じ位置に・・・・などと言っていたが、それが全部一つの所に収束した。言われて来た事がまとめて分かったのである。再録音した声を聴いた。

ああ、良い声やなぁ。しっかりしとるわ。([自分で言っちゃダメ!」「これ、一人言だもん。」)

M先生が大きな鼻の”穴”を更に拡大してよく言っていた、「歌って簡単ですよ、鼻ですよ鼻。」確かに鼻は鼻だが・・・あんなに鼻の穴を大きくしなければ、声は鼻に行かないのか。大きな穴をさらに大きくして目の前に突きつけられるたびに、滑稽で、恥ずかしくて、笑っては申し訳なくて、下を向いてしまう。再度顔を上げると顔の上でデカ~と胡坐をかいた先生の鼻の穴がまだこちらを向いている。つまり"穴"と眼が同じ方向を見ているのだ。見なさい、なぜ下を向くんですかと言わんばかりに。がばっと開いた穴は中の闇を隈なく見せる。吹き出しそうなのを堪えて、私は眼をそらせて何か他のすべき事を探すか又は話題を変える。先生はまだ頭を少し後ろにそらせている。こう言う事が何度も繰り返された。

しかし、何処から鼻に行くのかが分かったぞ~。果たして、人もそのように思うのかどうか分からないが、「なんやねん、歌の声を作るって、ほんまに(そしてやっぱり)簡単な事やったん。」

これ、楽天的すぎ?






リハーサル終わる 2012/9/18

今月のソロライブのピアノ演奏をして下さる花井研さんと昨夕2時間ほど一通りリハをした。花井さんとは8年ほど前シャンソンを歌い出した頃に出会い、その後家までお邪魔して彼のスタジオで練習をさせて頂いた事がある。その後も新宿QUIで私の出番の時に時々伴奏をされていた。

リハが終わって、

「私の声、変わったでしょう?」
「(眼を大きくし、頭を深~く縦に振る)う~ん、パーンとストレートに出るし・・・」
「やっと分かって来たの。色々な人が色々言っていた事がね・・・・”これから”だと思っているの。精神的にもね、本物にして行きたい」
「・・・・(再度ふか~く頭を縦に振る)」

リハ中、彼は身体を大きく揺らしながら気持ちよく演奏していた。そして”良い音楽”だと繰り返し言っていた。上の16日のブログを書いた後、声を聴いてもらった最初の人だ。






昔をちょっと思い出し 2012/9/20

私が通っていた大学が卒業生に配布している学報が届いた、早稲田学報10月号。普段余り開く事はないのだが、母校出身の演劇人や映画人の話が特集のようなので読み始めると、かつて米国に留学していた時にロスで出会い大変印象深い人物として互いの記憶に深く刻み込まれた人のインタビューが載っていた。鈴木忠志。寺山修二、唐十郎などと同じ時代に”演劇革命”を起こした人だ。写真を見ると総白髪になっていて、初めは気がつかなかった。記事は在りし日の早稲田小劇場が取り壊されると言う事で、その劇場の主催者であった鈴木さんへのインタビューである。

何十年前の事になるだろう、ロサンゼルス・オリンピックの前の演劇祭に富山の過疎村を本拠地として活動する鈴木忠志率いる演劇集団SCOTが招待され、彼はその下調べにロスに来られた。当時、私はカリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(UCLA)の演劇学部に在籍中で、丁度学生演劇の発表会に俳優として出ていた。彼はその芝居を見て、「本気で芝居をしたいなら、今すぐ日本に帰ってこい」と言われた。それが御縁で彼のワークショップに参加したり、彼の演劇論を修士論文のテーマに選んで書かせて頂く事になった。チグハグな事もあって彼との出会いは大変刺激的で楽しい出来事であったが、求めるスタイルが異なり、彼の劇団に所属するには至らなかった。が、彼を介して詩人の佐々木幹夫や帝国劇場支配人からセゾン劇場に移られた故大河内さん(下の名前は?)とお逢いする事にもなった。

夏の利賀村は鈴木忠志主催する国際演劇祭でにぎわう。あそこに行けば面白いものが観られる。利賀村ではないが、十数年前にやはり鈴木忠志の招待で実現したロバート・ウィルソン演出の「蝶々夫人」(静岡県浜松で公演)、生涯忘れない素晴らしい作品だった。






夏が行ってしまう 2012/9/27

夏が空からいなくなる。
涼しい風に場所をゆずって、飛び去ろうとする
そのシャツの裾を掴んで付いて行きたい
でも、きっとどこかで振り落とされるだろう
そしたら私はそのまま地上に落下するのだろうか
それともこの途方もなく広い空の中で、迷子になるのだろうか
イワシ雲のウロコの間で

夏が空からいなくなる
再びあなたに逢うまで、何度夕焼けを見る事だろう
次はどんなシャツを着てくるの
制する者がいない勢いで、じりじりと空を這って現れる
あなたにまた逢えたと私はニコッと笑うだろうか
それとも今度のシャツの素材が荒々しいと、隠れるだろうか
コンクリートの熱の上で

I know you don't have much time left to share with me
But, spare the time for us to rejoice
in the remains of the fragrance
that you've spread in the months,
because I know I forget you once you leave.

Spare the time, spare the time, one day only, one night only
for our final rejoice in being together





準備完了 2012/9/28

1週間ほど前の天気予報だと明日のソロライブの日は曇りのち雨の予報が出ていたけれど、今見ると最高気温29度。ほっ!あぁ、恵まれているなぁ、と嬉しくなる。お客様も初秋の風に当たりながら気持ちよく出て来られるかもしれない。譜面の印刷やテープの貼り付けも終わり、準備は一応完了かな。後は、寝る前に一通りチェック。

今回はたまたま3カ月毎のソロライブになり、4回目になると少しは慣れて来たのか、時間も随分余った。準備は当日に持ちこさないようにできたし、明日はジムに行って少し汗を流して行こう。

ギターも入れる事にした。ピアニストの花井さんが、リハの時に「これは並木さんしか対応できない。並木さんがNGならピアノ一本で行きます」と言われた。大変光栄に思ったのだけれど、そんな風に言われている並木さんてどう言う人かと、今日「並木健司」を検索して見た。NHK「生き物地球紀行」、フジテレビ「月の輝く夜だから」、日本テレビ「いとこ同士」などのサウンドトラックを演奏をしているよう。わぁ、今回もすごい方に来て頂くんですね。私の歌はつり合っているかしら。釣り合わせなければ。

「ジジ・ラモローゾ」が、自分で聴く限り、良い仕上がりになったかな。キーを半音高めにしただけでかなり音質が変わったわ。聴いて頂くのが楽しみ。

明日は真っ赤なドレス。






さあ、これからだ!2012/9/30

このブログを書いているのは30日に丁度入ったところ。だからまだ昨日のライブのほてりが身体に十分に残っている。特別な日だった。来られると期待していた人たちが来られないで、初めてお目にかかる人達が多数来られた。様々なそれぞれの理由でのキャンセルが続出し、一時は動揺もしたが、「平常心」の言葉で心落ち着かせ、ただ精いっぱいやろうと開演時間を待っていると、開演時間間近に見知らぬ方々が幾人も入って来られた。何と言うプレゼントだろう!眼に見えない力が働いていると感ぜずにはいられなかった。それに応えようと特別なエネルギーが私の体内に満ちた。

今日のライブは、先のブログで書いた新しい「声」で聴いて頂く初めてのステージ。この特別なエネルギーと新しくなった「声」が、ステージをこれまでのどのステージよりも高い水準に引き上げたように思う。私を全く知らなかった方々が断然多かった日だったが、オリジナルの「間に合いますか」では、数人の男性達の手が皆同じところに動くのが見えた。眼がしら。

1部                     2部 
ジジ・ラモローゾ               Amazing Grace
待って                    恋人よ
サントワマミー                 再会
スカーフ                   夜よ、さようなら
「Yesterdayを聴いて」           おお、パパ
「間に合いますか」              ケサラ
「今のわたし宝石です」            「美しい日々だけを連れて」


アンコール  夜明けの歌


1曲目の「ジジ・ラモローゾ」はとてもドラマチックな歌。こう言う歌が好きな方が休憩時間に眼孔を極限まで開いて私を追っていた(フフフ)。「恋人よ」と「夜明けの歌」が心に沁みたと言われた方もいらした。初めて来られた名前も存じ上げない方々は黙々とCDとDVDの購入にマスターのところに行かれた。1部で帰ると言っていらした男性4人のグループは、2部も座ったまま、新幹線最終電車に間に合うぎりぎりまでいらした(間に合いますか?笑)。終っても皆さん直ぐに帰ろうとなさらない。「夜明けの歌」をアンコールに大きな拍手を頂いて終わった。手ごたえを感じた。発声の場所が確実に分かりそこから声を出し、なおキーを高めに設定したことで、

・・・・・自分に言った、「私はブレイクした。」

さあ、これからだ!






頑張るヤシの木 2012/10/1

昨日の台風が去って、10月に入ったのに初夏の光と空気が漂う。思わずニコッとする。今年の夏は近年にない猛暑だった。陽射しは容赦なく照り付け、コンクリートの上の照り返しの上では、言葉を発する勢いもなく黙々と日傘の下を歩いた。真夏のラスベガスで経験した砂漠の上の夏のようだった。でもそんな夏をも厭わなくなった。夏はやっぱり元気が出る。かつてロスにいた時、ナイジェリア人の友人に言われた”You look good in summer.” 自分でもそう思う。夏の服が好きだし、心が軽快だ。

「まるで空を自分のものにしているみたいね。」東京湾を見渡すマンションの最上階に住んでいた事がある。3面ガラス張りのリビングから見る空と海のパノラマはいつも変化があり、心をさわやかにする手助けもしてくれた。それ以来、引っ越しをする時は空の見えるところにしたいと思った。今のマンションからも空が見える。さすが東京の大都心の中だから、近隣の超高層ビルに妨げられてパノラマとまではいかないが、空は十分に見える。そのベランダに以前の家から持って来たヤシの木を置いた。

このヤシの木は幹が細くくねっていて少ししゃれている。ここの空気に相性が良いのか、以前よりも葉を沢山付けその丈も長くなった。ごく最近植え替えた。かつての場所を含め私のところに来てかれこれ10年になるだろうか。7月のイタリア旅行の時に隣人に水やりをしてもらう事になり隣人が自分の部屋に運んだ時、プランターの底から根が出て絡み合っているのが見えた。それで植え替えたのだが、これが結構大変。根が張り過ぎてプランターから抜けない。仕方なくそのプランターをのこぎりで切り、新しいプランターに入れ替えた。

プランターを買うにも大都会では小さいものしか見つからない。こういう違いもあるのかと改めて大都会の生活を想ったものだが、ネットを見ると大きなプランターが売られている。だが送料の方が圧倒的に高い。運良く期間限定送料無料キャンペーンをやっている所をみつけ、赤玉土と腐葉土も一緒に購入した。

植え替えたばかりだからヤシの木もまだ落ち着いていない。荷造り紐で四方をベランダの支えとなるところや屋外椅子に縛り、こわごわとこの台風の中を見守った。なんどか木肌を撫でながら「頑張ってね」と囁いて。

頑張ってくれた。10年以上も一緒にいたせいか、自分の分身のようだ。今日も夏の陽射しの中で主の思いをかなえようと懸命に生きてくれている。ありがとう。







ターニング・ポイント 2012/10/2


髪を切った。

2年前の南青山マンダラでのリサイタルに来られた方から勧められ2年間髪を伸ばしていた。恐らくこんなに伸ばしたのは生まれて初めてだったと思う。私の髪は伸びるのが早い。この間に背中の半分下まで届いている。そろそろ切らなければと思っていたが、先日のライブを一つの区切りとして切る事にした。9月のライブは私が主催するライブとしては今年の仕事収めになったが、単なる仕事納めと言う訳ではなく、このライブは2つ上のブログで書いたようにアーティストしずこへ転換点、ターニング・ポイントになったと思うし、そうさせたい(アーティストと言う言葉を使うのは少し躊躇するけれど、歌手と書くのも何か違う。だから大目に見てこの言葉を使っちゃう)。

友人からの指摘もあり、自分でもやっぱりと思い、与えられた芸の道から脱線せず、ターニングポイントに相応しくしようと、ブログをいくつか削除した。。

そして髪を切りに表参道へ。2年3ヵ月ぶりである。金額は高いが、頼りきれると言う安心感と実際の出来栄えの良さを考慮すれば、むしろ安いと言う事になる。で、顔の長さ程残して後は切り捨てた。みるみる雰囲気が変わって、なんだか別人が鏡に映っているよう。これも楽しい。最近様々な事に関して”執着”から自分を解きほぐしているせいか、物事を決める時も結構潔くなったような気がする。切り捨てられフロアに落とされた自分の髪に眼もくれない(変わったね、君)。

スタイリストの伊藤さんは私をものすごくショートにするのがお好みのようで、30年近く前に初めて手を入れてくれた時はその短さにたじたじになった。それでもう行かないと思ったのだが、視点が全く異なる人から料理される事も面白いかもと再び訪ねる事になった。無駄な事を一切言わない徹底したプロだ、人の話もいい加減に聞き(笑)、最後まで付き合う事は無い。表参道界隈では自分をその実寸以上に見せたがる人が結構多いだろう、肩で風を切って歩く人も多いと思うが、そう言う話は彼の耳を僅か掠めるだけで、全く耳を閉じる。自分も決してそんな話をしない。堅実だ。そんな彼と意気投合したのは以前の店舗に移る前イタリアのB&Bの家具を入れるんだと嬉しげに話した事からだった。「え?私もB&Bのソファーを入れているの。」当時私もインテリアに色々と工夫を凝らし、訪れる人は「まるでマンションのショールームみたいね」と言われていた事があった。自分のセンスを生かして妥協しなかった部屋は、シンプルモダンでかつ温かみがあり、自分で言っちゃうの?と言われるかもしれないが、一つだけ脱ぎっ放し置きっ放しができる部屋を残し、全て美しく私の思い通りにした事で自慢だった。B&Bを入れると言うセンスに彼も一目置き始めたのか、御自分の海外でのヘアーショーの雑誌を見せたりアイデアを話してくれるようになった(実は、私が彼に客として紹介した友人から私の言葉の裏付けを取ったらしい、笑)。そのころから「しずさん」と私を呼ぶようになった。かれこれ25年の付き合いだ。

「伊藤さん、これからですよ!」「うん、これからだ!」そんな会話を最後に店を出た。






笑う理由 2012/10/3

「なんで、いつも笑っているの」
「えっ?」
「いつも楽しいの?」
「えっ?わたし、笑っている?」
「うん」
今日ジムの大浴場の湯に浸かると、その笑い顔を私自身は余り見た事のない人から声をかけられた。彼女から声をかけられるとは思ってもいなかったので、びっくりした。でも、おかしなことに、そう聞いてきた彼女の顔が笑っていて、とても綺麗だった。初めて見た彼女の笑い顔だった。「なにか楽しい事があるの」と聞かれて、「楽しい?しあわせ?おもしろい?」と、今のわたしの顔が笑っているなら、その理由を懸命に考えた。

思い出した。想像笑いをしていたんだ。私はよくこれをやる。事の展開を想像してよく笑う。思い出し笑いもよくやる。今回はfacebook上で私が所属する勉強会の会員限定ページに新しく入会した人が質問を投稿した。これに対し、時々講師で来られる80歳近い方が長文を書いて返信。するとそのすぐ下に30歳後半だろうか、元自衛隊員だったと言う若者が、「天才は、難しいことを単純に考えるのだそうなので、僕も単純に考えるようにしてます」と言って大変簡単に新会員の質問に答えたが、それが???。講師は「さすがですね。大変シンプルで・・・」とかわした。するとこの元自衛隊員はまるで自分が講師であるかのような口調で書きだした。そこでそのサイトの管理人が登場、元自衛隊員のコメントには一言も触れず「XXX先生のコメントは勉強になります。ありがとうございました」と返信。

おかしくて、私は笑った。「天才は・・・・」そしてあの訳の分からない回答。それに対する講師のかわし方と、管理人の介入の仕方。こんなに人間て可笑しくて、おもしろい。きっと元自衛隊員は管理人に無視された事でハッとしたのだろう、てれ隠しとその他もろもろの感情で、それぞれのコメントに「いいね」を押しまくる。此処でさすがだと思ったのは、講師と管理人の元自衛隊員への関わり方。二人とも彼の言葉を否定しないし抗わない。12月にこの講師の先生と私は再会する事になっている。先生と一笑しよう、なんて言おうかな、そんな事を考えていた。

しかし、わたしが普段もよく笑っていると言うなら、おそらくそれは「ありがたい」と思う事が多いからだと思う。感謝が出来る人は幸せだというが、まだ幸せかどうか分からない。成し得ていない事があるし、まだまだいろいろな事に動揺や不安があるから、今の自分の内なる状態に満足しているとは言えない。幸せ感と満足感は互いに重なっている所が多いと思う。でも、ありがたいとは心から思っている。感謝”しなければいけない”として感謝を表明する人もいるかもしれないが、一つ一つ課題をクリアする過程で、これまで頂いた肯定も否定も全て自分を成長させるきっかけになったと気が付き、全てを本当にありがたく思うようになった。そう思えるまでに至った事が大変嬉しい。そんなありがたいと言う気持ちが、私の顔面を笑い顔にしているのかもしれない。

大浴場の彼女が付け加えた。
「そんなに笑っていると、おかしく思われるよ。あまり笑わない方が良いよ。」
「え?」
私は大笑いをした。






ジジ・ラモローゾ掲載 2012/10/6

9月29日のソロライブで歌った「ジジ・ラモローゾ」をYoutubeにアップした。最後の閉めのところ、もう少し調整をしなければ。

他の歌も掲載しようかと当日ライブに来なかった人達に送って聴いて頂いている。もちろんその人達の好みもあるが、オリジナル曲の「間に合いますか」、ライブ当日は私の歌にギターが乗り、そのギターにまた私が乗り、とてもドラマチックに運んだためか、お客様も眼を濡らしていらした。この曲を作った当のわたしはビデオでこの歌を聴いて、泣いている(#^.^#)。

しかし、「かなり感情移入がされていて・・・」と掲載を薦めない意見がある。この発言者曰く、「ステージの全体を聴いていないのでこんな感想になってしまう」と断っているが、そう言われて聴き直すと、言われる通りかもしれないと思う。で、掲載を迷っている。

「サントワマミー」は当日も受けが良かったが、ビデオも聴きやすい。でも、ありふれた曲だから、掲載するまでもないか、と考えてしまう。

池之端QUIは照明が固定されている、それも大変狭い円を照らしているので、私のようにあちらこちらと動いて歌う人は照射範囲からはみ出すと途端に顔に影ができたりするので、動画にして人に見て頂くという点からすると、気になる処がいろいろ出て来る。やはり、反省材料のためだけに使うべきかなぁ。






今何している? 2012/10/9

本人主催のライブを9月29日に終えて、オリジナルの新曲作りに取りかかり始めた。まずは手掛け中の楽曲の仕上げ作業。タイトルは「14の春に帰らなくとも」。サビの歌詞とメロディーが一緒になって先に出て来て、他も一応完成したが、リズムを変えてみたくなり、色々といじっている。

この楽曲は、ジムのサウナ利用者達のおしゃべりの中から生まれた。少々太めの決して人好きがするとは言えない女性がニタっと笑いながら「わたし、若い時に戻ってやり直したい」と二人の女の子に向かって話していた。ふと私は割り込んでしまった、「今からやり直せば?」と。この突然の言葉に、彼女の顔からニタリが消え、眼は一転私に向けられ、言葉が消えた。それからは逢うたびに私を凝視するが、それはまるで睨みのようであった。いつ止めてくれるかと思っていたが、しつこい、止めない。もしかすると本人は睨んでいるつもりはないのかもしれない。やり直しは肉体と年齢が過去に戻ってこそ可能なのだと思っていたところ、眼から鱗が落ち、その反応が彼女の顔の上では"睨み"に見えているのかもしれない。それから間もなく、彼女は体重を落とした。これが彼女が言っているやり直しだったのか。しかし気が付いた時、それも元に戻っていた。

もう一つは、石川啄木の「一握りの砂」に書かれている、「十四の春に かへる術なし」というくだりである(この人の詩は本当に暗い。若死したのも納得してしまう)。

この二つを合わせて作ったのが「14の春に帰らなくとも」。下がそのさびの部分。

♪14の春に 帰らなくとも
今ここで やり直せる
時は過ぎていく 戻らない
今、この時が 始まる時♪


これとは別に、詞だけが出来たものがある。タイトルは「輪廻の華(暫定)」(結構なタイトルでございましょ?ふっふっふ・・・)、こちらは、”恨み節”(●^o^●)、情念の歌。演歌っぽい。それをジャズっぽくしたらどうかなぁと思うけれど、誰か作曲してくれる人がいたら良いんだけれどなぁ。私の周りに頼もしい作編曲者がいるけれど、ドラマの中の音楽はやるけど個別の歌を作曲した事が無いからなぁ。恐る恐る聞いてみようか。莫大な料金を請求されたりして(@_@;)。

わたしの命に 棲みついた
あんたに捨てられ 幾年か

冬の荒れ野に 舞う枯れ葉
マッチ ひとつで 燃えるように

眠る念に 火をつけた
命咲け散り 血に落ちる

舞いあがれ 舞いあがれ
清水寺に 登る 龍になれ
天に舞え 地に舞え
あんたに この炎 舞い落ちれ

Cry me a Riverという恨み節のジャズナンバーをヒントに拡大展開した(笑)。





愛を請うひと達 2012/10/12

切なくて、苦しくて、瞼が破裂して涙がこぼれ落ちて、本を閉じた。装丁版上、中、下、凡そ1700ページからなる佐藤愛子の自叙伝のような私小説「血脈」を読み終えた。

「あ~あ」とため息が出て胃が閊える。



愛を請うひと達その2 2012/10/14

上の12日のブログは、長いものができるはずだったが、思う事が深くて重くて、沢山あって、途中で止めた。これが私なんだと改めて思った。つまり感情移入と言うか、その世界にどっぷり浸かってしまい、なかなか抜け出る事ができない。ものすごく感動した映画や本を読んだ後は私はそのストーリの主人公になったまま数日間を過ごしてしまう。私がそうであるかは別にして(きっとそうだと思うが、笑)、天性の役者やアーティストはそう言うものだろうと思う。私はまだそれを完全に表現できずにいるが、そんなものを持って生まれていると思う。昔、米国でテネシーウィリアムズの「ガラスの動物園」を上演すると言うのでそのオーディションに行った時、演出家が個人的に言いに来た。「あなたは本当にアーティストですね。アートをやる人はまずは感じられなければならない、そして次にはその感じたものを表現できなければならない。あなたはその二つを持っていますね」と。天性の役者はある役をもらうとその役を演じている間、寝ても覚めても役の中にいるから、日常生活でもずっとその役の人物になってしまう。怨念を抱えた役ならば、眼がつり上がりっぱなし。

と言う事で、まだ「血脈」の中のサトウハチロウとその弟達の心の奥底の寂しさを身体でビシビシ感じて、思い出してはオイオイ泣いているのである。胃が痛くなって、胸がちぎれるようで。佐藤愛子がなぜこれを書きたかったのか、暴露本と非難されるかもしれないと思いながらも、彼女の家族4代にわたって流れる血を書いて自分を解放せずにはいられなかったのだと思う。それはサトウハチロウが甕に入れて心の奥底に埋めたままにしたかったものである。しかしハチロウが埋めたその甕はハチロウ自身の中で時々蓋が開き、中に滞留するヘドロが喉のところまで這いあがり、やり場のない、身体が引き裂かれる程の寂しい子供時代を思い出させ、それを埋める又は消しさる為に止まる事なく情念の世界へと走る。

大好きな父親が家族を捨て、女優になりたがっている女(後日愛子を生む)のもとへの行ってしまう。捨てられた家族。逢いたくてもいない父親、声を出せばクチャクチャ愚痴と不満ばかりを言っている細く甲高い声の母親、その母親に対し八郎は憐みよりも怒りと憎しみを持つ。親父が惚れる女でないから、親父に捨てられ自分も捨てられたのだと。詩人となり脚光を浴びたハチロウが伏せておきたいものを、抉りに抉る佐藤愛子。愛子は、八郎が死んでしまっているから書けただろうし、書く事で彼女は自分の奥底でグニャグニャに絡まる、時に応じて沸騰する自分と佐藤家の業を鎮めたかったのかもしれない。

「愛」、全てが愛を請う人達の淋しさから出た乱れ。好きでたまらない父親、父親に愛されたい、だがその父親を切り取られた家。柱の無くなった家と柱の無くなった自分の心。ガラン洞になった心に寂しさだけが押し寄せる。金、女、嘘、詐欺、喧嘩でそれを埋めようとするハチロウと弟達、そのまた子供達。弟の自殺と死、その子供たちの飢餓、クズ屋、ホームレス、普通に生きられない人達。父親である紅緑も、友人から紹介された縁で結婚をした相手は、夜枕以外は何もできない女。話をしても面白みもない、向上心もない、その女を妻として生涯を共にする事は作家佐藤紅緑にとっては死を選ぶようなものであった。自分の生命を生かすために家族を捨てる。それがために紅緑は苦しみ、そして捨てられた子供達も。彼らに共通しているのは、押し寄せる苦しみを笑いで押し返す事だ。佐藤家の息子達や孫たちは、皆話がうまい、人を笑わせ楽しませる。ハチロウの話は昭和天皇さえお気に召され、時々皇室に招かれたという。ハチロウは言う、

「悲しみ浅きものほど大袈裟に泣き喚く、悲しみ深きものほど大袈裟に笑う」彼は常に声高に笑った。

全てが必然。。。。。。。。。。そこから起こる苦しみ、淋しさ、空しさ、戦い、恐怖。。。。。。私は紅緑の心になったり、ハチロウの心になったり、ハチロウの弟たちの心になったりと、せわしく心の置き場所を変えながら、嗚咽したり、腹立たしく思ったり、はたまた家族を捨てずにいてくれた私の父を思い、位牌の前で手を合わせ心から感謝したりした。生前、父は好きな女性がいて一緒になりたかったがお前たちの事を考えて思いとどまったと言った話をしていた事がある。そして、「血脈」を書き終えた後の佐藤愛子にあったであろう彼女の充足感、虚脱感、解放感に「ああ、良かったね」と心から祝福した。
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笑、まだ書かないでいるつもりだったのに、結構書いちゃった。私は心底共感したものに一瞬感化される。抉りに抉る佐藤愛子に影響され、書いた詞が・・・。はたと我に返って、これは私のスタイルか、違う気がする、でもスタイルなど持つ必要があるのか、ない。自分が創りたくなったものを、心の声に耳を当てながら書いて行けばいい、そんな事をとつおいつ考えていた。





運命も才能の内 2012/10/16

かつて芝居をしようと芸能事務所に所属していた頃、よく言われた言葉がある、「運も才能の内」。才能はあるがなかなか芽が出ない人をなだめる為か、気休めか、言い訳か、よう分からんけれど、そんな言葉が伝わっていた。今になって自分なりの解釈ができるようになった。

10年ほど前になるが、人間はみな「自分、自分」と言っているが、自分のものとて何もないかも知れない事に気が付いた。全てが与えられたモノ。人間だれも”自分”になりたいと思って生まれて来ていない。だから人は言う、もっと背が高かったら、もっと足が長かったら、もっと鼻が高かったら、明るい性格であったなら、挑戦ができる人間であったなら等等。みんな自分を持たされているように思う。才能もその一つ。そして運も。生まれて来る土地も文化も。自分を取り巻く周りの人も、選んでないけれど、持たされる。だから運も才能の内。才能の一部に運があるのではないが、どちらも持たされたモノと言う意味で、一緒だ。

でもここで取り上げる言葉は、「運命も才能の内」。これは、上のブログで書いた「血脈」の中で、サトウハチロウの周りの文人たちが、サトウハチロウを語る時につぶやいた言葉である。彼の苦しいさびしい辛い悲しい子供時代の心の放浪と家族関係、それらと彼の才能が重なり合って彼の作品が生まれるから。佐藤愛子も然り。愛子の友人は「あなたは側に面白いネタがあるから良いわね」と言う。

歴史に残るすばらしい作品を残した芸術家たちは心の痛みを人並み以上に持った人たちが多い。その痛みが彼らの才能を露わす5線譜、絵筆、文字の上で調べとなり色となり文体となるのだろう。

苦しい経験は本当に苦しい(あたりまえや)、そんな苦しい経験をしなければ人の心を打つ作品を創れないなら、平坦な生活をしている方が・・・いや、いや、とんでもない、退屈でたまらないだろう。でも、ちょっとだけそんな事を考えてしまった。

いや、もう一つ、結局は人生で無駄なものは一つもないと言う事かもしれない。自分の生き方次第で、全ての負なる条件も良いものを創るための条件とになって行くと言う事なのかも。

そして、「運」も「運命」も結局は同じ事を言っているのかもしれない。




競馬観戦 2012/10/16

昨日何気なくテレビのチャンネルを回していたら競馬の実況放送をしていた。行った事もない競馬場、見た事もない競馬の翻訳の仕事を受けた事がきっかけで、昔レンタルショップで競馬のDVDを借りてみた事がある。競馬と聞けば、賭ける、財産を台無しにする、仕事をしない、女房を泣かせると、日本では、と言うか私の周りでは良い話を聞かない。しかし待てよ、イギリスではローヤルファミリーの娯楽ではないか(日本では大相撲?)、どんなものか見てみたい。目の前を馬が猛烈な勢いで駆けて行く、砂ぼこりが舞い、歓声が響き渡る、罵声と歓喜の声・・・フンフンフンと絶対行くぞと言う気になってきた。しかし賭けるのかな、怖いな、病みつきになったらどうしよう。賭けるならいくらまでにしようかと考えながら初観戦に行ったのはディ―プインパクトが引退する2006年の暮れ。場所は中山競馬場。

競馬場に着いたが、私の腕や肩が緊張していた。どんなおっさんたちがいるのか右見たり左見たり後ろを振り向いたり、どんな話をしているのか耳をそばだてたり。超人気のディープ・インパクトの引退レースにはかなりの人が集まっていた。騎手は武豊。

いや~、しびれた~!パバロッティの歌声を初めてじっくりとCDで聴いた時のような感覚。それまでも鳥肌がたつと言う事はあったと思うが、これはそれとは違う、しびれたのである。レースが始まったが、ヒーローがどこにいるのか分からない。ディープ・インパクトはずっと後ろだと言う声がどこからか聞こえた、スピーカーからか周りのおっさんたちからか。レースが終盤に入り、最後のコースのカーブを切って間もなく、18頭の内の後から2番目か3番目辺りから速力が全く異なる馬が駆けあがってきた。あれだ!うわ~!どんどん、どんどん上がって来る、うわ~来た、来た、追い上げる、追い上げる。行く、行く!!!!!あのスパ~ッときれいな筋肉が空気に乗るように前へ前へと速度を上げて進み、みるみる先頭に迫る。そして、抜いた~~~~!うわ~~~~~~!

人間の陸上競技のようなものだが、陸上選手の身体を横から見た断面幅はあっても20センチくらいだろう、競争馬の正確な平均寸法を調べた事は無いが、それが全速力で走る時の流動美!観客席がもっとトラックに近ければ感じる勢いも迫力も違うだろう・・・イギリスならそうなのかもしれない、イギリスで見てみたい!と思ったものだが、実現はしていない。

昨日観た実況中継は国際競技のようで日本からはオルフェーブルが出場。騎手が誰だったか知らないが、やはり終盤にかけて後ろから一気に追い上げトップに現れ出て来た。オフフェーブルがどこにいるかをチェックしている他の馬のフランス人騎手がいた。それがオフフェーブルを追い、最後に抜いた。半馬身もない僅差で。騎手の作戦失敗だと解説者が言っていた。馬は自分の眼の前に他の馬がいなくなると、仕事が済んだ気になって、いくらお尻を叩いてもそこで満足し、もっと前を走る意欲が沸かないらしい。だから前に出るタイミングを間違えたと。なるほどね~。

競争馬が育てられる北海道日高の牧場で眼の前で馬を見た事がある。その辺の雑草を引っこ抜いて差し出すと、ゆっくりとこちらに向かって来たと思ったらツンとそっぽを向かれた。その気品と尊大さに、人間の私がたじたじ(はぁ、すみません、こんなものじゃダメでしたか?)。しかし馬にも色々あるのだと分かった。北海道釧路近くの湿原地帯で「馬」と言われる動物に出くわした。びっくりした。思わず、「これが馬?」と舌が滑ってしまった。胴長、短足、黒と鼠色の肌、身体の周りはハエが飛んでいる。何で馬なんだろうと思いながらも、人間と同じように色々あるんだぁと納得する事にした。その馬は農耕のお手伝いをするようだ。牛でなく馬である。観賞用にはならないが、実用的なんだろう。

ディープ・インパクトはまだまだ活躍できた。しかしオーナーが彼を種馬にしてがっぽり儲けたいので引退。引退スピーチをするオーナーは満面ほくほくの笑い顔。馬はスピーチができないものね。種馬にされる彼はこれからひっそりどこかの牧場で暮らして行くんだなぁと思ったら、彼にとってどちらが良いのか分からないけれど、可哀想だなぁと胸がキューンとした事を覚えている。





森山開次「曼荼羅の宇宙」 2012/10/18

昨日新国立劇場で森山開次のモダンダンス「曼荼羅の宇宙」を観て来た。NHKBSにもドキュメンタリーで出演していた事もあって、小劇場での公演チケットは発売と共に完売。後日会員だけに追加販売をしていた。

モダンダンスを見るなんて本当に久しぶり。米国にいた時は舞踊を専攻していた事もあって、当たり前のように観に行っていた。在籍していたカリフォルニア州立大学ロサンゼルス校は舞踊や演劇では米国屈指の設備と名講師陣をおいている。ハリウッドが近いという事もあるだろう、演劇学部にいた時は、毎年プロの俳優達に贈られるオスカー賞を真似たアワード授賞式がある。その年に公演された作品の中からベストの男優女優、演出家、監督、戯曲家、脚本家志望の学生達を選び表彰する。500人キャパの学部の劇場は満杯になり、学生たちの作品発表に使われる時とは全く異なる密度の濃い熱気で包まれる。審査員には往年の俳優が加わる時もある。丁度私が見に行った時、ゲスト審査員は何と、「ローマの休日」のグレゴリ―ペックだった。彼が紹介されて立つと、まあ、2メートルはあるだろう身長の高さと大きさが会場を圧倒した。別の世界の人だと言う雰囲気がもう全身から漂う。彼がお辞儀をすると、場内の学生たちは総立ちで拍手。私はまさかここで生身のグレゴリーペックを見るとは思わなかったので、夢心地というか、放心状態だった。

演劇だけではない、舞踊もすごい。マーサーグラムも来るし、マースカニンハムも、ああ~名前は忘れてしまった、とにかくすごい人達が来たわ。ダンスをやっている人達なら知らない人はいないと言う世界に名をとどろかす人達が、いつでもやって来て、大学のキャンパスにあるロイス・ホールと言うところで公演をするの。そうそ、アービン・アーリーも。すごかったわ~。舞台にしがみついて見ていたわね。身体の美しさとそれぞれの動きの独特さ。文筆家の道具が言葉であるように、舞踏家の道具は身体。その身体を使って、文筆家が言葉を使って新しい言葉や表現を創るように、彼らは新しい動きを創り、新しい身体表現を創っていく。本当に、素晴らしいものを沢山沢山見させて頂いた。日本のモダンダンスが1500人も入る劇場を何日も満杯にするなんて考えられないけれど、米国では年老いた夫婦も一緒に観賞するほど、生活の中に溶け込んでいる。作品の創作の中に娯楽性を忘れていないのよね。そんな彼らの公演を特等席で、僅か2ドルで見る事ができたんですから。学生特別価格。(なんか私、調子が変わって来ていますね)

私も毎日毎日踊っていた。音楽に合わせて身体で表現する充足感とその後の爽快感。一日6時間踊っていた事もあった。様々な面で劣る身体だったし、周りの人を殴ったりした事もあって、本当にもう、床に穴開けて隠れたいくらい恥ずかしくて、申しわけなくて、人の顔を見る事ができなかった事もあったわ。殴ったのは、喧嘩じゃなくて、回り方が遅かったのか、バランスを崩したのか、横の女の子の顔を思いっきり「バ・シ~ン!」と。ものすごい音だった。先生も真っ赤になり、殴られた彼女もびっくりして真っ赤になり、クラスはしーんと静まり返った。私は動揺し恥ずかしくて恥ずかしくて、ひたすら謝って・・・次の日は教室に出るのもためらった(けれど出て行った)。

そんな世界的に名を馳せるダンス・カンパニー(舞踊団)と共に、時々マイナーなものも来る。kei takeiという日本人が率いるものもあったけれど、公演が始まって間もなく、どんどん客が席を立ったわね。あちらのお客はとても正直。おんでこ座も来たし、山海塾も来たわ。おんでこ座は太鼓叩くのが主な出し物だから別扱いだけれど、概して日本のモダンダンスは、なんだか難しいのだ。神秘的と言うか、笑いが無い。Joyがない。理解しようなんて言うのがそもそも間違いだが、感覚的にもあまり面白くない。身体がモダンダンスをする程に見栄えがしないし、美しくない(いやに「ない」が多いなぁ)。そしてその内容というと、観客はまるで座禅を組ませられているようなのが多い。

昨日観た森山開次の公演に戻るけれど、2部構成で、1部は開示の振付で5人の男が躍り、2部は開示自身の踊りで曼荼羅を表現しようとしていた(ごめん、表現していた!)。開示の肉体は美しい。手も長いし、足の長さもちょうどいい塩梅。日本人の身体もそれ自体を美しく感じるほどまでに至ったのかと感慨深い。四肢が細かくひきつったような独特な動きをし、照明の助けを借りて神秘的な世界を創り上げていた。仏教の世界、これは日本人の生活の中にあるからだろうか、山海塾にしてもやりやすいようだ。森山開次に何かは感じる、持っているなと。でも・・・・もう一度見に行きたいかと聞かれれば、もう少し時間が経ってからならばと答える。開示のようなスタイルは西洋に行くと東洋の神秘とか言われて受けるかも知れないけれど、日本文化の中にいる私としては、やはり西側の気を抜いた明るさと言うか軽さと言うか、つまり、やはり、Joyがあるものを求める。

横の席で寝ていた彼女に聞いて見ると、「むずかしいですね。」ウン、難しい。






日常の風景写真展 2012/10/20

昨日銀座の東京画廊で初沢亜利の「Modernism 2011-2012東北―東京―北朝鮮」と題した写真展に行った。 

銀座にはなぜ画廊が多いのだろう。お金持ちが来るから美術品を買う可能性が高いからだろうか。または、美術を観賞できるような人は銀座を歩く人達であるからだろうか。沢山ある画廊の中でも、東京画廊は、写真家にとっては新しいものを見せてくれる場所だと、当日のトークメンバーの一人である写真家の浅葉克己氏が言っていた。 

東北、東京、北朝鮮の日常を並べた写真展だが、初沢亜利の狙いはこの3都市に”共通する”日常を見せる事。確かにまぜこぜに写真を並べられても違和感がない。もちろん、似ている日常や風景を撮る事が彼の狙いだからその狙いに合う被写体を選び、彼のカメラレンズの中にそれだけを収めて来たという訳だが、私たちが日常見せられている北朝鮮の貧困と軍隊の映像とは別の際にある日常である。ピザ・レストランのウェイトレス、プールでゴーグルをかけて泳ぐ子供達、美容院のソファーに座って待つ女、エステのベッドでフェース・マッサージ受ける女たち、浜辺で戯れる男女、駅の掲示板を見る中年女。言われなければ、東北のどこかだと思ってしまう。東京ではない。しかし、ひとつだけ、東京だとしてもおかしくないものがあった。一人の女性の写真である。ミディのワンピースを着て肩には大きめのルースなバッグをかけている。この上もなく整った顔。マスコミが見せる、色グロで痩せて平ったく顎の張ったおばさんたちの顔を見慣れている私は、えっ?これ北朝鮮の人なんですか、と念を押す。目元と言い、その笑い顔と言い、完全な美人、いや麗人である。そしてシンプルな服とバッグの組み合わせのセンスの良さ。東京の街中で見かけたとしても何の不思議はない。人は振り返るだろう。 

「一瞬恋に落ちました」と写真家が言う。「かわいい女の子が多かった」と。これまでマスコミが紹介して来た写真も本当だし、此処に展示されている写真も事実なのだろう。写真家が何を撮りたいかで被写体が変わる。その被写体を見せられて、私たちは想像を膨らませていく。もしかすると彼の場合は、ただ日常の生活で自分が撮りたいものを撮っていたら、東京や東北と変わらないじゃないかと言う事につながって行ったのかもしれない。北朝鮮には昨年と今年にかけて4回、東北の被災地は毎月行っていたらしい。 

トークも大変興味深かった。久々に面白い話を聴けた。芸術家と言うのは、生まれた所、育った所、そして今いる所に影響されるから(芸術家に関わらず皆そうだと思うが)、居る場所を固定しない方がよいと画廊の代表者が言うと、初沢氏はそれを受けて、被災地に行って東北と北朝鮮をつなげると言った時、「なぜ一緒にするんだ!」という不満の声があったが、日本にしか住んでいない人は日本で与えられた情報だけで北朝鮮を見ているからそのような声が上がるが、フランス生まれの自分には、そのような情報に囚われず自由に考えると。なるほどと自分の事に照らして思った。私も周りの人に比べて自由な発想をすると思う。そう言えば何度か言われた「電話帳を見たら、あなたの電話番号随分変わっているのよね。」うん?そうか確かに随分引っ越しをしたものね。色々な国々に行ったし、米国にも9年以上いたものね。行く度に色々な事を見て考え方が随分変わってきたわね。 

東京画廊は北京にも画廊を出している。そのお陰で日本と国交のない国々の芸術家の作品にも多く触れ日本に紹介する機会があったらしい。画廊代表者の話によると、北朝鮮と国交のない国は世界で6カ国だけらしい(へぇ~、”孤立された”国ではないのね)。イタリアを始めヨーロッパからの観光客が多く、今は観光産業で潤っているとか(へぇ~、だからピザハウスがいくつもあるのね)。 

私もこの国を覗いて見たくなった。しかし、写真家が言う。「必ず案内人が付き、撮影が許可されている所だけを回るのですが、訪問回数を重ねて行くうちに互いの間に親しみが沸き、撮影範囲が広がってきました」。その案内人も訪問者や観光客を見張っていると言うよりも、北朝鮮内で安全に動けるように案内する事が役目でもあるらしい。地方に行くと「日本人だ」と言って睨まれたり、彼が撮りたい被写体を見つけて勝手に動き出すと、後ろから公安が付いて来たりする。現地の北朝鮮人である案内人がびくびくし注意をするのだが、彼が、「大丈夫ですよ」と言うと、「ここはそんな所じゃないんです!」と言われたらしい(笑)。 

「私たちの日常は約200年前に始まったモダンの延長線上にある。しかし、モダニズムは今どのようになってしまったか、それを彼(初沢亜利)は北朝鮮・東日本・東京の3つの場所から今を私達に提示して問いかける」山本豊津(東京画廊ディレクター)。

ところでこの若き写真家初沢亜利、なかなかハンサムで、服は黒でまとめていたが、フランス生まれと言うのも納得したくなるような、ラテン系のソフトな顔立ちである。






コピーマイク 2012/10/20

12月に札幌のあるイベントで歌う事になったので、それに合わせてマイクを購入する事にした。まだ回数は少ないがホテルを会場とするイベントに出演依頼を受ける事がある。どのホテルも歌用のマイクを大体持っていて、ブランドはShure。自宅での練習用にも同じブランドを使っているが、今回少しパンチの効いた音を出すという同ブランドのプロ用のマイクを購入しようと、ネットで色々と検索していると,欲しいマイクの新品のものがヤフーオークションに出品されていた。

新品なのになぜ安く売るのだろう、調べるとその出品者は私が欲しいマイクだけでなく色々な音楽関連グッズを扱っている。店が倒産でもしたのだろうか。一応オークションで落札し、そこから配送等の情報を細かにみると(これは本当は順序が逆でなけれれば行けない)、配送方法が国際郵便である。はて?聞くと中国から出荷すると言う。匂って来た。コピーじゃないか。

「中国だと聞いて心配になって来ました。コピーではないのですか。」
「品物に問題があればいつでも対応します。もし心配でしたらキャンセルしても良いです」

[ハイ、コピーです」とはさすが言わないが、問題があれば対応しますって、う~ん、何か怪しい。それに対応するって言っても、何度も連絡して到着を待つというやり方は、想像しただけでしんどい。そう言えばこの出品者に対する評価に、「悪い」と言った人が2人いて、その一人がシルバーはシルバーでも本人が持っているこれまでのものと微妙に色が違うと言っていた(「良い」が460
人を超えていたが、この評価は開梱直後の評価だから品質の評価ではない)。ネットでさらに調べてみると、中国のコピー品がバッグだけではなく音楽機器にまで拡大しヤフーオクションで売られていると書かれたサイトが出て来た。

そんな訳で、取りあえずそちらはキャンセルした。その後Shure日本代理店に連絡し、私の欲しいマイクはメキシコで製造される事が分かった。製造元を確認し、日本の音響機器ネット販売会社から購入する事にした。

ネット購入は店舗まで出向く必要がないので便利だし、店舗を構えなくて良い分安価であるが、人や実物を見る事ができないから品質を確認できない。コピー製品が大手を振って有名サイトで売られている・・・安心して買い物ができなくなりましたね。






大学OB祭 2012/10/22

昨日の日曜日、大学のOBが集まる「稲門祭」に行って来た。3年ほど前から毎年行くようになった。仲間のOB達が店を出しているし、様々な経緯から知っている人も増えて来た。出し物もいろいろあり、昨日はクミコが大講堂で歌うと言うので、ギターレッスンが終わって、開演直前に到着。立ち見になるのかと思ったが、意外や、結構空席があった。紅白歌合戦には出演しているし、早大卒だし、入場無料だし、会場は特別大きい訳ではないのに・・・こんなものかと、なんだかホッとした様な先々が暗くなったような気持ちになった。私は中央の前列から7列あたりの特等席に座った。

彼女はシャンソンが好きでシャンソン歌手になったと思ったのだが、そうではなかったらしい。今は亡きシャンソンの殿堂「銀巴里」で自作の歌が歌えるかもしれないと行ってオーディションに合格したら・・・それがシャンソンを歌い始めたきっかけだそうだ。当時彼女の知っているシャンソンは「サントワマミー」だけだったとか。トークが大変面白かった。知性を感じさせる。

茜時に友人たちと地下鉄早稲田駅近くの居酒屋に入ったが、これまでのどこよりも美味しかった。お刺身もきちんと魚の味がするし(笑)、鍋物の汁も。お昼を食べてそれほど時間が経っていなかったが、そのおいしさに無理に胃の中に突っ込んでしまった。






「最強の二人」2012/10/23

フランス映画Intouchable(邦題「最強の二人」)を見て来た。とても良かった。ネットでの解説をそのまま引用します。

「車いすで生活している大富豪と介護者として雇われた黒人青年が垣根を越えて友情を結ぶ、実話を基にしたヒューマン・コメディー。年齢や環境、好みも異なる二人が、お互いを認め合い、変化していくプロセスを描いていく。・・・・フランス本国のみならずヨーロッパで記録的なヒットを樹立した、笑いと感動に包まれた良質なコメディーを堪能できる。」

ネットの別のところで、この映画が上映開始されたのは昨年の11月で、1年経ってもまだ観客を呼んでいると話されていた。

今、沢山の本を読み、数多くのイベントに出かけ、芝居、ダンス、映画も見ている。そして、歌を書いている。これを自分の中に「種を蒔いている」と言うのかもしれない。






浮き浮き 2012/10/25

月一の歌のレッスンを終えて帰宅。全てにおいて実に便利な所に住んでいるので、この恵まれた環境に改めて感謝と言うか、此処を住む場所として与えられた事からして、これから良い事ばかりが起きるような気がする。歩いて10分程の所にスタジオがあるし、M先生が教えていらっしゃる大学もそこから歩いて行く距離である。今日は夜9時から1時間のレッスン。

これまで作ったオリジナル楽曲のキーを見直した。発声がきちんとして来ると、高めの声が無理なく出る。「間に合いますか」と「Yesterdayを聴いて」は元のキーよりも半音高い方がよいようだ。自分でもそんな気がしていたが声の専門家の裏付けを取ると、直ぐに決断となる。

”Summertime”とホイットニー・ヒューストンの”I will Alway Love you”を聴いて頂くと、「カッコ良かったですよ」と。あら、まあ、なんと、本当ですか、照れちゃいます~(^v^)。英語の音の方が日本語より行くべき場所に行きやすいのよね、きっと。でもね、こう言う歌を頑張らずに歌えるようになったんだぁと、此処まで来たか~とまた感慨にふけるの(この人よく一人で感動するね。うん)。

新曲「14の春に帰らなくても」が完成した。面白くないかもしれないなぁと人に見せるのを長い間ためらっていたけれど、意を決してアレンジャーの西直樹(サーカスの音楽監督)さんに送ると、「良い曲だよ」と言ってくれた。「ホント?」受話器で話す私の声が嬉しさでいっぱいだった。でもお愛想かなぁ、今日M先生にも聴いてもらったら、また「カッコイイじゃないですか」と。なんだか良さそう~。先生はノリのよい曲がお好きなのだろう。「今のわたし宝石です」も気に入っていらした。

浮き浮きして来た。演歌調の「輪廻の華」にも歌詞がととのった所で曲が出て来たし、思いのほか、面白い感じに仕上がりそう。向上心と強さがまじりあった恨み節にわらべ歌が付いた。どうやって歌おう、演歌のままで歌おうか、「伴奏はジャズで、歌は演歌にするのも良いですよ」とM先生が提案・・・(●^o^●)。





「スリラーライブ」 2012/11/1

11月。急速に空気が冷え出したような気がする。昨日のジムでの井戸端会議ならずサウナ会議で聞いた話では、101日の気温はまだ31℃だったとか。でも、12月の冬至ももうすぐなのだと思えば、気も軽くなる。また日が長くなって行くもの。そう考えると、東京の1年も悪くない。 

私の11月は、六本木ブルーシアターで「マイケルジャクソン『スリラーライブ』」を見る事で始まった。マイケル追悼ショーとしてロンドンから始まり世界の様々な国々を巡演しているショーであるらしい。通っているミュージック・スクールが無料招待券を希望者に配布してくれた。 

マイケルの歌とダンス、このショーでは特にダンスのすごさに圧倒される。すけすけ感が極めて少ない。以前にマイケル自身の「スリラー」をDVDで見て感じた事だが、音楽の一つ一つのビートに動きをはめているようで、動きも速いし細かい。ダンサーたちの肉付きの良い弾力性のあるのびのびした筋肉が大胆かつ細やかに動く。何ともセクシーでゾクっとする。 

会場は圧倒的に若い人たちで賑わっていた。ダンサーたちの踊りがステージを盛り上げると、観客は一斉に立ち始める。立ってその場で身体を揺らしたり、両手を高く上げて手拍子をしたり、一緒に歌い出す(歌える所では)。歓声も至る処から鳴り始める。静かな歌になれば、全員着席。立っている人は一人もいない。これを何度も繰り返す。私の横にいる若いサラリーマン風の男性はダンサーと同じ動きをしようと少し大きく動いた途端、私にガツン。ニコッと相づち。ロックコンサートの模様を時々テレビで見るが、あれだ。前列にいた女性二人は、周りに気使いせずに存分に踊りたい様子で空いていた最後列に移動した。

ダンサーたちが止まらない。まるで、疲れを知らないようだった。もう終わるだろう、もう終わるだろうと思ってもダンスは続く。会場は総立ちである。ええい!ところ変わればなんとやらである。私も立って踊って手拍子して、ピー、ヒュー。

かつてマイケルジャクソンの来日ステージを見ようとした事があったように思う。でも確かチケット争奪戦に、聞いただけで負けてしまったような記憶がある。神聖の空気が漂う彼のステージには「ま、いいか」は存在せず「完璧」が当たり前だったろうと思う。 

「マイケルジャクソン『スリラーライブ』」、マイケルはいないけれど、大変見応えのあるショーだった。






ありがとうで勝った日本シリーズ巨人の勝利 2012/11/4

今年の日本シリーズは日本ハムファイターズを3対4で負かし巨人が勝った。私は巨人ファンではないが、今回はクライマックスシリーズからずっと巨人が”本当に”勝つのか注視していた。原辰徳監督が唱える”おまじない”の効果を見定める為である。きっかけは次の記事だった。

・・・・・

V確率0%からの大逆襲だった。開幕から打線が低調で、4月に2度の5連敗。22日のヤクルト戦(神宮)で借金は7。過去には一度も優勝したことがない数字だった。「あの頃はどうにもこうにもダメだった」と原は振り返ったが、この時、1冊の本に出会い、考え方が変わった。五日市剛さんの「ツキを呼ぶ『魔法の言葉』」(とやの健康ヴィレッジ)を読んで「ありがとう」「感謝します」という言葉の本当の意味を知った。

 「自分のために何かしてくれて、それに対して感謝するから、ありがとう。これは違う。ありがとうって、漢字で書くと“有難う”―難がある、と書く。難があっても今、こうしていられる。小難で済んだことに対してありがとう、なんだ。5連敗を2度した時も、誰もけがなく、今年戦うメンバーが元気にグラウンドに立っていた。それこそ小難で済んでいた。まさに“有難う”だよ」

 どんな逆境も「ありがとう」と思えたから、強かった。過去の実績にとらわれることなく、小笠原、阿部、村田に送りバントのサインを出した。さらに重盗やスクイズなど、今までの巨人とは180度違う野球でチームを活性化させた。

 順位を1つずつ上げ6月6日には初めて首位に立ったが同20日、自身についてのスキャンダルが週刊誌に報道された。原の、そしてチームの勢いをそぐような事態に陥った。悩み、疲れ、目は真っ赤になり、体重は2~3キロ落ちた。だが、ここでも「ありがとう」の精神を忘れなかった。 

 「あれも試練。いろいろな人に迷惑をかけたし、助けてくださったけど、僕の気持ちも少し整理できたのもあったし、あの報道でもっと大きな難を免れたかもしれない。ありがとう、だね」

・・・・・

一時はどんべになった事もあったらしいが、クライマックスに進出しヤクルトを破り、対中日のファイナルでは3連敗していたところから一挙に4連勝をし日本シリーズへの進出を決めた。原監督は、恐らくこの時、おまじないの凄さとおまじないを唱える自分に湧き出るような自信を持っていたに違いない。

私は精神修行に道場通いをしていた事がある。その道場での挨拶は常に「ありがとうございます」。一部屋に20人から40人もの人たちが雑魚寝をし、禅僧の修行に似たような(と思う)事をするのだが、朝起きれば「おはようございます」ではなく「ありがとうございます」、行き交う人に「ありがとうございます」、何度行き交っても「ありがとうございます」、お手洗いに人がいれば「ありがとうございます」、お風呂場でも「ありがとうございます」である。

この道場で使われる本は40巻からなる「生命の実相」であるが、鳴り物無しで最初の数行を読んだとき、が~ん!とものすごい衝撃が天から降って来たような感があった。まるで私の為に書かれていると思ったほどである。高校時代に読んだ「風と共に去りぬ」以来の夢中さで読んだ。そこには常に「感謝」が書かれてあった。頭で分かってもそれが血となり肉となるまでには時間がかかる。私はこの40巻を読み、常に横に置いて躓いた時にはまた開いた。人生で悩んだりぶつかったりする問題の解決はこの本の中に全てあった。

五日市氏はイスラエル旅行中に知り合ったおばあさんから感謝の言葉が魔法の言葉だと教えてもらったと言う。また、それを実践する事で彼の人生がいかに良くなったか、彼の本や話に素直に追随した事で、同調者達の希望や願いが成就した話などが語られている。

この言葉がどこまで魔法をかけるのか、私はずっと巨人の行方を注視していた。そして実証された。巨人は勝った!。ありがとう、感謝しますは万国共通の幸運を呼ぶ言葉なのかもしれない。それなら信憑性がより高くなる。使って見ましょうね。







二つのドラマ 2012/11/8

・NHK ドラマ「負けて、勝つ」
・インディーズ映画「かぞくのくに」

9月から10月にかけて放映されたNHKスペシャルドラマ「負けて、勝つ~戦後を創った男、吉田茂」は今日の日本の礎、特に日米関係の礎がどこでいかに創られたかを教えてくれるドラマだったように思う。敗戦後日本は再び軍隊を持つ事を世界から恐れられ、細かく分断されて異なる国の植民地にされる可能性があったらしい。しかし、日本の領土をそのまま保ちつつ疲弊した国を立て直すには、いつか独立国になる事を願いつつ、とりあえずは日米安保条約を締結し米国の”傘下”に入る事を当時の首相であった吉田茂が決断する。天皇を国の”象徴”と呼び、軍隊を持たない事を前提にした”平和”憲法が米国によって作られる。

そう言う事だったのかと日本現代史の細かい所を一つの視点から勉強させてもらった(渡辺謙はマッチと葉巻を頻繁に使いカッコよくやっていましたね)。

しかしこのドラマに対する感想が、もう一つのドラマを見て変わった。10月の暮れ、私はFacebookで知った脚本監督ヤン・ヨンヒの「かぞくのくに」を吉祥寺の映画館まで観に行った。ベルリン国際映画祭で国際アートシアター連盟賞を受賞し、来年開催される米国アカデミー賞外国語映画賞の日本代表作品に選ばれたらしい。

この映画は監督自身の実話をベースに作られたようだ。安藤さくら演じるリエは在日2世。リエの兄ソンホは16歳の頃総連幹部である父親の勧めで北朝鮮に渡った。そして25年後、ソンホは脳腫瘍を患い北朝鮮では直せないと、日本に一時戻る事が許可される。同じような理由で数人の若者が日本に戻ってくる。滞在期間は3カ月。

そのソンホには北朝鮮から公安が付いてくる。昼も夜も付きまとう。ソンホが日本に戻る理由は治療の他にもう一つあった。スパイ活動をしてくれる人を探す事である。ターゲットは妹のリエだ。それを察知しリエはおびえ、ソンホから何がどうなっているのか聞きだそうとするのだが、ソンホは口を開かない。

病院に行って検査を受けるが、3カ月ではとても治療できないと、手術自体を断られる。別な医者を探していると、突然、国から即帰国の命令。公安職員もこれに対し上司に驚きを表すのだが,ただ機械的に受け入れるしかない。そんな事に慣れているソンホは抵抗もせず受け入れる。この理不尽さに怒り涙するリエ。明日再び”あちらの国”に帰ると言う日、ソンホは初めてリエに色々な事を話しだす、「あの国にいたら思考を停止しなければいけないんだ。考えたら気が変になるんだよ。」ソンホを北朝鮮に行かせたのは父親。それには朝鮮総連の幹部である自分のメンツがあった。そして新潟までソンホを送りに行ったのは父親でなく、この父親の弟、ソンホの叔父であった。叔父さんはソンホの父親をなじる「ソンホが帰国船に乗船する前、なんと言ったか知っているか!『もし北朝鮮に行かないで家に戻ったらお父さんの顔を汚すよね。』そう言ったんだ。あんたには息子の気持ちが分かっていたのか!」

飛行場に向かう車にソンホが乗ろうとする。無言のままソンホの腕に絡みつき放さないリエ。走る車の中から窓を開けて昔懐かしい場所を眺めながら「白いブランコ」を歌うソンホ。その窓を閉めてしまう公安職員。ソンホが北朝鮮に戻った後、リエは旅行用の4輪の大きなスーツケースを買う。それは、ソンホと一緒に街中を歩いている時、彼がガラス越しにそれを見つけ、満面に笑みを浮かべて店に入り触っていたものだ。ソンホがリエに言う「リエ、お前はこういうスーツケースを持って、色々な国に行けよ。」

ネットにこの映画を観た人達の感想が沢山出ているが、彼らの言うように、この映画はただ悲しいんじゃない、怒りとやり場のない悔しい涙をとうとうと流させる。そして豊かさを極め自由が当たり前のこの日本の直ぐ側にこんな国が今でも存在している事が、信じられないというか、天と地ほどの違いの中で人間が生きていると言う事が、・・・何と表現したら良いのだろう、悲しい。

昔ソビエトを旅した時、オデッサでひょんなことからロシア人のアパートに呼ばれた事がある。アパートの住人である若い女性は小さな声で私に言った「言いたい事を自由にしゃべれないのよ。誰がどこで聴いているか分からないから。」人々は粛清におびえていた。北朝鮮は今もこれと似たようなものなのだろう。

この映画を観た後、私は吉田茂首相が”取りあえず”の策として決断した日米同盟に、日本と言う国は何と幸運なのだろうと思わずにはいられなかった。そしてその日本に生まれた私も。こんな聡明な人が適時適所にいた事で、細切れになって米国、ロシア、イギリスの植民地になり、北朝鮮のような状況に置かれたかも知れないリスクを回避できた。

しかし幸運は外から偶然にやって来るものでは無い、「念の総合的力」によるものであり、自分が創るものだと言う。日本文学を英語に翻訳をしていた米国人としてドナルド・キーンがよく知られているが、もう一人エドワード・サイデンステッカーがいる。彼の自伝TOKYO CENTRAL:A MEMOIR(邦訳:流れゆく日々)で、敗戦後の日本人は意気消沈していたどころか、非常に明るくエネルギーが満ちていた事に驚きがあったと言っている。佐藤愛子もその私小説「血脈」の中で、戦争が終わったことで、さぁ、これから好きな事ができると浮きたったと書いている。「念」が幸も不幸も呼ぶ、幸福が来るという根拠のない確信がやはり日本にあの時点で最適な選択をさせたように思う。集団的念であるなら、突然生まれたものではなく、何千何百年と言う生まれ変わりの歳月を通して強く大きくなって来たものなのだろう。

北朝鮮を「かぞくのくに」と呼んでいる監督のヤン・ヨンヒ自身はずっと北朝鮮系の教育を受けて来ているが、このタイトルの中に、北朝鮮を自分の国と思っていない事を暗に示している。実話では監督には3人の兄さんがいるが、みな父親が北朝鮮に送ったらしい(無知の恐ろしさである)。だから兄たちの国、”家族の国”だ。

主人公のソンホを「平清盛」に出ていた井浦新、リエを安藤さくらが演じていた。此処でも若い俳優たちの演技が何とも良い。特に安藤さくら、公安職員のヤン・イクチュン(韓流ドラマでは有名らしい)、そして医者を演じた俳優(名前は?)が素晴らしかった(医者が登場するシーンは2回だけだが、無機質で事務的な医者を良く表していた、本当の医者かと思い紛うほどに)。やはり自然な演技がよい。「俺、うまいだろう、カッコいいだろう」は、「我」を前面に出したようなもので、見ていて気恥ずかしくなる(ちくり!)。

ところで「負けて、勝つ」、今この時期にこのドラマを創り、映画で無くて視聴者の多いテレビで放映するのは、特別な思惑があるような気がするのだけれど
・・・しません?







ゴルフの替え歌 2012/11/9

私の通っていた大学のOB会が東京23区の区毎にあるが(もちろん都下にもある)、私が所属するOB会には早慶戦のコンバットマーチを作曲された方がいる。この楽曲の歌詞はワンフレーズ「ワセダ、ワセダ、ケイオウ タオセ」だけ。なんともユーモラスで大胆な構想で作られているが、この作者は流行歌のメロディーを使ってゴルフの替え歌も作っている。とても面白くて直ぐに歌詞を頂き様々なゴルフ会の打ち上げで歌うと、参加者は大体笑い転げる。それを作者に伝えると、弾みがついて更に作り始められたらしい。だが替え歌の面白さは初めて聴いた時だけだと思っていた私は、彼の新しい作品に興味を示さず、見る事もしなかった。

しかし、2日前、大学の大規模ゴルフコンペで、たまたまこの先輩が私のチームの前のグループでプレイをしていたので、紹介がてら、私のチームメンバーに彼が作った歌を歌って聞かせると、なんとまあ、大笑いの連続なのである。その内の一人は御自分も他で歌うつもりらしくこの歌詞をメモった。

パーティの席で歌って欲しいとメンバーから言われたが、参加者180人の中で少数の勧めで歌うのは気が引けて実現せずであったが、彼らの喜ぶ姿を見て、こんなに楽しんでくれるならこの替え歌をより多くの方々に聴いて頂こうと、作者に追加作品を見せてくれるようお願いすると、嬉々として送って下さった。 

3年前から7曲以上書いていらしたようだが、とりわけ大きな笑いを誘ったものがあった。中条きよしの「うそ」を書き替えた歌である。作者の言葉のセンスとユーモアに今度は私が嬉々として歌唱に取りかかった。はしゃいでいる。これをいつか聴く方々の大きな笑い声が、既に聞こえて来る。

どんな歌詞かって?うわっはっはっは・・・・






あら、まぁ 2012/11/10



   坊や、いい子だ、寝んねしな。 








此処までやってくれると、やはり面白いね 2012/11/11

今ネットでは様々なSNS(Social Network Service)がある。ミクシーのように顔も名前も知らない人達がニックネームをつけて趣味で交流して行く場所もあれば、Facebookのように本名を名乗って登録する処もある。世界7億人のユーザーがいて株式上場までしたというFacebookは本名登録だから名前を入れて自分で友人を探す事もできるが、それぞれのメールアドレス帳に勝手に入って来て友達を探してもくれる(すごいね!)。そのためどんどん友達も増えるし、旅先で知り合った人もかつてならその土地を離れれば「♪はい、それま~で~よ♪」となったが、今はFacebookで再会できる。

友人が自分のページで何かを書いているとそのお知らせが必ず自分のページにも現れる。「この映画が良かった」とか、いろいろ。それを見ながら、この人が良いという映画なら本当に良いかも知れないと思って行ってみたりする。そんな風にFacebookに登録する事で、生活圏が拡大したように思う。逆に悪用する人もいる。Facebookの仕組みが分かると、自分のアドレスを変えて他人になりすまし友達申請をして来て承認すると妙なメールを送って来て、いわゆる出会い系サイトに連れて行こうとする。私もこのターゲットにさせられてしまったが、ネットマニアの方に救われ、難を逃れる事ができた。

海外から友達申請をして来る人もいる。言語が英語なら、匂わなければ光栄と思って承認させて頂く。しかし、今日、ハノイに住むという青年からフレンド・リクエストがあった。承認をする前にどんな人かを掴むためにそのページに行ってみると、友達とのやり取りは皆ベトナム語らしい。私はベトナム語を知らないので、それぞれのやり取りの下にある「翻訳」というお手伝いツールを使った。出てきた日本語は、

彼の妻を知っていない家を離れて食べる..... その少しの細菌の茶粥を取る !

こちらの頭だけをすっぽりどこかに持って行かれたような感覚・・・此処までやってくれると、やっぱり面白い。あははは・・・・。???だらけだけど、「細菌の茶粥」とは?





うわ~ここまで世の中は変わったのね 2012/11/12

ウワ~、世の中こんなふうにまでなったのね。
Facebookでフレンドになった方が結婚したようである。両家の御両親とホテルで食事、その模様をお皿の上の食事を写真に撮り投稿していた。そしてまた、入籍をしました~と、時間と共に知らせている。

御両親との顔見せならば、緊張感もありその場に全身全霊投入と言う感じになるのが私のイメージで、その場で携帯を出して撮影をし、Facebookに投稿まですると言う行為など考え付かないのですが、世の中こうなったのですね。スターになりたいと言う心の反映かなぁ。嬉しい事はシェアして一緒に喜ぶ事は実に良い事なのですが、こう言う事までその現場から報告してくる時代になったのですね。

ついて行けるかなぁ、頑張ろう(;一_一)





「輪廻の華」完成 2012/11/12

うわ、うわ、うわ、良い感じ~。恨み節「輪廻の華」がイントロその他が付いて完成して送られて来た。「これほどの恨み節は無いよ。これ、かなり面白いよ」とアレンジャーの西さんの弁。手にする人は、ホント、皆言う。「こわいけれど、おもしろい、この歌」と。どんなアレンジにするのかは、西さんのインスピレーションに任したら、ジャズの4ビートだという。そのように仕上がって来た。

私の場合は、歌詞と曲が一緒に出るか、または歌詞が先にできて曲が出て来る。作る時は大体一気呵成に書くので、頭であまり考えていない。「自然に転調しているので面白い」とも言われたが、それも計算している訳でなく、ただ単に曲がそのように出て来ただけ。歌詞も以前のブログに書いたものに修正を加え、これまでどこにもない歌詞になったと思う。

この歌に(も?)期待が膨らむ。

書こうと思っているテーマはまだまだある。詞を整理すれば徐々に完成するだろうけれど、急いでいない。今年は3曲完成かな。






タクシー運転手との会話 2012/11/16

3日ほど久々の通訳の仕事で地方に行っていた。そこで30分程タクシーに乗らなければいけないので、ふと運転手さんに「輪廻の華」を聴いてもらう事にした。相手が地方の運転手さんだから余計にそんな思いになった。

「歌のうまい人が歌って楽器が入ったら好いよ」
「(ムムム・・・)ちょっと高めに出ちゃったからもう一度ちゃんと歌うね」、歌う。
「石川さゆりか、坂本冬美が歌うといいなぁ。あともう一人、・・・名前が出てこんなぁ・・・ああ、島津亜矢だ!」
「(ムム・・やはり彼女あたりに歌ってもらった方がいいか)、私も島津亜矢を考えていたの」
「うん、良いよ、うまいからね!」ぎゃふん。

「この歌は?」「今のわたし宝石です」を歌う。運転手さん突然後ろを見た。
... 「お~、好いな、その歌。調子がよいしよぉ!」やったぜ!運転手さん乗って来た。
「こっちの方が私に合うでしょ?!」
「うん、好いよ、それ!」ええい、もう一つ行け!「美しい日々だけを連れて」。
「お~なんだかみんな好いなぁ」

私が自信を持っている楽曲に同意してくれた。うっひっひっひ~。30分のドライブがなんとも短い。支払の時、運転手さんが頬を染めて別人のようににっこりと私を見る。(やったぁ~~~)「しずこって言うの、よろしくね、」あはははは・・・



早大年次総会 2012/11/18

今日は早稲田大学年次稲門会の総会とその2次会があった。早稲田大学は大きくて卒業生も多いため、地区毎にOBが集まる地区稲門会(とうもんかい)があるが、年次稲門会は卒業年度か入学年度が同じ人たちが集まるOB会である。地区会は年齢を超えた仲間たちが集まり、大学や地区の話が主となるが、会員がとても近くに住んでいるため集まりやすいし、私などの場合は歩いて行ける距離にみんなが集まると言う、夢のような環境の中にいる。相手の知性に対し信頼を持て、年齢層が高い先輩たちが多いと言うところから感じる懐の広さがある。その人達が自分の近所にいるという特別な環境である。本当に特別だ。それに対し、同年齢±1程だけが集まる年次会では、女達がいつでも話題にしたい男女、とりわけ「恋」を含むプライベートな話が気楽にできるし、男たちも年齢の上下に気を使うと言う緊張感が殆ど無く乗りがよい。言いたい事を遠慮なく言えるような気もする。だからものすごく盛り上がる。しゃべる声も大きいし、うるさい(笑)

年次の総会が淡々と終わってしまったので、既に役員たちと仲良くなっていた私としては、何となく気になる。こんなに淡泊に終わられては、せっかく遠い所から来られた方々が「次も」と言う気にならないのじゃないかと。歌でも提供しようかと思ったけれど、余りも僭越だから、近くにいる幹事に話してみた。歌と言っても、うわっはっはと笑いがあるものの方がよいから、ゴルフの替え歌を考えていた。2次会で是非と言う事になり、そのまま2次会に。総会出席者の半分が参加した。

一人一人が自己紹介をしてゆき、私の番になると役員達から歓声を頂き、そのままゴルフの替え歌の披露。みんな随分楽しんでくれた。いや~、この歌を作って下さった先輩に本当に感謝である。

私のライブに一度来て下さった一人が横の人に言う。「彼女の歌本当に良いですよ。聞いていると惚れちゃいますよ」って。へぇ~、直にそんな感想を聞いたのは初めて。皆さん結構言ってくれないものなんだなぁ。もう一つ付け足された。私はFACEBOOKで様々な事を書いている。多くはこのHP に書いてある事の簡易版であるが、それを皆さん楽しんで下さっているみたい。今日も「あのタクシー運転手の話、おもしろかった」と言われたが、そう言う彼女は「いいね」をクリックしただけ。コメントなし。「本にしたら良いよ」と別な男性が言う。まぁ~、わたし、木の上に登ってしまいそう。用心、用心。(^v^)

久々の仲間たちとの集いだった。同じ大学を出たと言う事だけで人は集まり、すぐに打ち解け、まるでずっと昔から知っていたかのような付き合いが始まる。嬉しいなぁ、人生って。良いなぁ、人間て。









すごいと思いません?! 2012/11/19

この土日にかけてクレジットカード会社から留守電が入っていた。「カードの利用についてお問い合わせをしたい。」私からの返電が無いので、またかけて来る。メッセージが変わった、「最近悪質な事件もありますので、カードの利用についてお問い合わせをしたい。」カード会社にオンライン登録をしたばかりなので、まさか・・・心配になってきた。多額なものを買われていたら・・・で、こちらからTEL。すると、土曜日の17日に5,700円の買い物があったと言う。ちょっと拍子抜け。

「5700円で、わざわざ?」
「それが、メキシコの通貨から換金されているのです」
「メキシコ?」
「何かネットでお買い物かされましたか」
17日土曜日に私が何をしたか、懸命に記憶を取り戻すが、その記憶の中に買い物は無い。それでこの金額に対しては精算しないようにすると言う。同時にカード番号を変更するよう提案。

すごいと思いません?!日本と言う国は!わたし感動しっぱなしです。私のカード利用履歴を見てもこれまでメキシコはなかったから、わずか5700円でも心配して電話をしてくれるのです。ああ、何と素晴らしい国に私はいる事か!



カード会社に出向経験のある友人が言う:不正使用での盗難保険適用が増えると、翌年の保険料負担が増え、経営を圧迫します。

なるほど、そう言う裏話があるのね。自分の行為のメリットが他の人のメリットになる、良い関係ですね。







オーディション 2012/11/21

ギター弾き語りレッスンに通っている音楽学校で昨日オーディションがあった。某レコード会社による歌手/作詞作曲家/タレント直接オーディションである。この連絡があった時、もちろん躊躇わずに応募した。

学校が様々な処にポスターを貼り、多くの参加を呼び掛けていたため、3時間枠に90人程、一人に与えられた時間は1分程度である。確かに第一段階は1分でも十分に分かる。うまい歌を聞く時は時間があっと言う間に過ぎるけれど、その逆の場合の時間の長い事と言ったら、苦しくなる時もある(正直すぎるのも、あれよ、あなた)。

私の名前は一番最後の組にあったが、時間があったので、1時間ほど早めに行って様子を見る事にした。皆さん色々な意味でものすごく若い。先の組が歌っている中、最後のチーム12人が部屋に入場。審査委員が6人程2列になって座っている。こちらも全員とても若い。20代?その中の片親がおそらく西洋人なのだろうと思わせる色白で身体が大きく顔の掘りが深い男性が総責任者のようでコメントを言ったり指示を出したりしていた。いよいよ私のチームに順番がきたとき、その男性はまるで私を探し存在を確認している気配。私の想像:オーディション参加者の名簿を事前に見て、自分の母親と同じ年齢か上かと思われる人がいるのでその人の登場を首を長くして待っていたのだろう(^v^)。

私の歌う番が来た。わたしが前に立ち彼に向き合うとなんだか彼はとてもニコニコしている(誰にでもこんなにニコニコしていたのかしら?)自己紹介と歌の説明を少しばかりする。「自作の歌ですが、熟年応援歌で、タイトルは、今のわたし」ここまではまるで砂糖水の甘さにも似たにっこりが続き、そして「宝石です」と言うと、彼の顔がぴくっとしてにっこりが消えた。タイトルにびっくりしたのかしら、と思いながら壇上に。いつものように歌い「化粧取れば 皺も目立つは 白髪染めも 月一度」のところで、クスッと笑い下を向く。彼はニコニコしっぱなし。後ろの列の女性審査員は、首を伸ばして満面笑みを浮かべて眼を大きく開いて見ている。歌いながら、「ああ、この歌はこんなに若い人達にも受けるんだぁ」と改めて思いながら、歌の3番に入る前の振りに入ったところで音が切れた。1分超過なのである。審査員全員の視線が音響担当者の方に。

全員のオーディションが終わって最後の総評を頂くのだが、総責任者的な彼が「オリジナルでは、もっと聞きたいと思う歌もありました」と言われた。全員部屋を出るとき、彼は丁寧に一人一人に「ありがとうございました」と述べ、私が通り過ぎようとすると居を正して挨拶を下さった。

終って、身支度をしてエレベータホールに来ると、音響担当者が私を待っていた。「やっぱり素晴らしいですね。自分をバーンと出し切っている」「本当?ライブよりも緊張したわ。声が上ずっちゃった感じがしたの」「そんな風には全然見えなかったですよ。堂々としていました。」横にもう一人、カメラを回していた背の高い青年も一緒にいた。黙々と私のコメントを聞き、ニタリとしていた。

ビデオに収録したものを会社に持ち帰って、上司と共に審査をするのだろう。私のパフォーマンスは悪くは無かったのだろうと思う。でも気になる事が一つあった。審査員の一人の青年が私以外にオリジナルを歌った二人に対し、これまで作ったオリジナルの曲数を訊いていたが、私には訊かなかった。年齢不問とは謳っていたが、やはり目当ては若い子だけかな?







「こちらあなたの夫と死ぬる女です」 2012/11/23

「こちらあなたの夫と死ぬる女です。」

これは時実新子の「有夫恋」の表紙にあるキャッチフレーズ。情念のドロドロした世界が実際に手に取って開く前から漂う。

時実新子の川柳が好きだと言う女性がいた。それで読んでみようと「新子座」という彼女と田辺聖子が中心となって一般から募集した川柳の寄せ集め集を読み始めた。それぞれのお題の初めにご本人の句がある。 

鮮烈で、痛々しい。女の「血」の嘆きを感じる。重たくて、しんどい世界。でも言葉と言葉のつなぎ方にこってりした濃くがあって魅かれる。

それでもっと読んでみようかと彼女の事をネットで検索していたら、上の言葉が出て来た。なにこれ?利己主義のかたまりじゃん。「あなた」と言っている女性の立場で物事を考えた事があるのかと、反発とその世界に入る事の拒絶感が働く。断熱材が十分に使われ機密性が高く、しかも冬でも太陽が部屋の半分以上の面積を燦々と照らす、寒さのほとんど存在しない部屋で、時折ベランダに出て湿った空気やさわやかな空気を深呼吸して吸い込んでいる住人は、一軒家で障子戸がカタコトと風で音を立て、周りの高層ビルに陽の入りも邪魔される6畳間で、丹前を羽織って座机に向かい、自分と自分にまつわるものの内面の動きばかりを見ている住人には成りたくないと思うのに似ている。明るい所に引っ越したくとも、なかなか行動が伴わずウジウジとしている住人と、さっさと明るさを求めて移動する住人の違いともいえる。

「あなたの夫と死ぬる女です」って。なんと、まぁ。男の遊び心を受け入れて自分も一時幸せになり、他人の幸せを壊す。他人の苦しみが予測できないのかなぁ。又は立場を変えて考えられないのかなぁ。私なんぞ、好い男がいても、私より先にその男を好きになった人が自分の眼の前にいたら、その女性の心の痛みを感じて、好きの感情を打ち消す方。それと、痛み、苦しみ、怨念、嫉妬、怒り、その他もろもろの命を閉ざすような世界に長いこといられないから、さっさとそれが消え去ることをする。

私の友人の一人に妻子ある人との間に子供ができた人がいる。男は、いずれ妻子と別れ彼女を籍に入れるつもりだと言ったらしい。友人は待ったがそれは叶わなかった。その約束を守らなかった事で、彼女は彼を恨んだ。子供は今や高校生である。私はその話を聞いた時、世の中に独身男は満といるだろうに、「なぜわざわざ複雑な事をするの」と彼女に訊いた。すると彼女は自分の生い立ちを語った。自分の父親も妻ありにもかかわらず彼女の母親との間に彼女をもうけたという。そんな身の上だから・・・この人生を選択するのも仕方がないと言いたげだった。

被害妄想、犠牲者意識が創る世界、他人のせいにしたい甘え構造などと、言い捨てて斬ってしまうとバッシングが来るかも知れないが、これはまさに自虐行為に似ている。どこかに罪意識が必ず消えずに残っているだろうし、それが自分を曇らせる。自分しか考えていない。なんでそんな世界をわざわざ選ぶのか。簡単に言ってしまうと今の諸事情に満足しておらず、愛が渇いているからであろうけれど、何も他人に危害を加える必要はないんじゃないの、と思う。

絶対共有したくない世界なのだけれど、言葉が良いんだなぁ。以前に有名なシンガーソングライターが選んだ川柳集を読んだ事があるが、心に残っているものは、一つもなかった“ようだ”。と言うのは、私は感動したものはノートに写したりパソコンに入力しておくのだが、後で見たら、出典はみな時実新子だった。それで思った。他の人が書いたものでもそれを選ぶ時は選ぶ人の心が選ぶ。だからやはり選ばれた作品は他人のものでも選者の心の表れなのだ。またこうも言える。かのシンガーソングライターが選者だと、彼女の歌やキャラに波長が合う人が応募して来る。時実新子の場合もそうだと思う。こってりした人達が応募して来るのだろう。たかが川柳の句でも互いに引き合うと言う事かも。

反発しながらも私は時実新子の「有夫連」を読もうとしている。世界は要らないけれど、言葉だけ読ませてもらおうと(でもそんな事ってあり?)

時実新子風にある男と女の話が私の中で出来上がっている。嫌だけれど魅かれる川柳作家なの。





♪人に勝つより自分に勝てと♪ 2012/11/26

24日、土曜日に行われたフィギュアスケートNHK杯をテレビで観戦してましたが(観戦と言って良いのかなぁ、競技として見せているから、やっぱり戦いかなぁ)、いや~、素晴らしかったですね~。特にアイスダンス。

これまで観ていたのはシングルやペアの競技が中心で、アイスダンスはそれに比べて選手たちが一番恐怖心を抱き、勝敗の決定要素であるジャンプもほとんどないし、あまり興味を持たなかったが、これはもう芸術ですね。1位になった米国のデービス/ホワイト組の演技は息を飲むばかり。会場も総立ちだし、解説者もおしゃべりを止めてくれた程、観ていたものほとんど全員を吸いつけましたね。極めて極めて、研ぎ澄まされた美。世の中にはこんな事をしてくれる人たちがいるから、私たちの生活が単調にならず、感動と興奮の時間を持てるんですね。そしてテレビがそれを放映してくれるから、家に居ながらも感動を実感できる。ありがたいですねぇ~。

日本人選手も頑張りましたね。この競技の後にグランプリに出場する男子選手は全員で6人、その内日本人が4人を占めるらしい。すごいと思いません?私はおよそ10年ほど前のソルトレイクオリンピックからフィギュアを見て来たのですが、当時は本田君一人だった。ジャンプが精いっぱいだったけれど、今や高橋大輔君を始め若手は表現力もすごい。高橋君などは、ジャンプが流れの中で自然に入ってくる(多くの場合はジャンプの準備に緊張が漂い急に流れが止まってしまう)。そして見せる場所もきちんと用意する。

しかし、今回はジュニアからシニアに上がって来たばかりの羽生結弦(ゆずる)君の勢いに怖気づいてしまった。初めて出てくる人達は、とにかく自分のベストを出そう、精いっぱいやろうとするメンタリティだけを持ってくるから、他人が気にならない。ところが、高橋君のように今まで日本のトップでいると、新しい強さの前で怖気づく。それで結局彼は2位になった(羽生君が一位)。

これなんだなぁ。人より勝とうとする順位の争いでなく、今の自分のベストを出して行けばいいんですよね。でも人はどうしても順位、自分の順位が脅かされる恐怖心で自分を縛り、その結果緊張から身体が自由に動かなくなる。自分の本当の力も美しさもその順位争いの中で隠れてしまう、そして勿体なくも自分に敗北する。

今回のNHK杯の日本勢で私が嬉しかったのは鈴木明子だった。ショートでは5位、それで自分に叱咤し、フリーでは2位に。自分がこれまで培ったものを全て出し切ろうとする雑念の無い演技だった。スピートもすごかった。感動をくれましたね。

♪人に勝つより自分に勝てと♪
この言葉が私自身もやっと分かるようになりました。常に見つめる目は自分の奥に。まわりじゃない。自分のベストを出して行きさえすればよい。






月次レッスン 2012/11/28

11月のM先生とのレッスンが昨日あった。12月の中旬に札幌のイベントで1時間ほど歌う事になっているので、その出し物をみて頂いたが、9曲中7曲は自作の歌だから、今回は歌詞も別紙に書いて持参。

歌詞を見ながら私の声を聴いていた先生の意見が以前と変わった。「Yesterdayを聴いて」は半音上げる事を勧めていらしたが、元のキーに戻すようにと。半音上げると声につやが出るが、歌の内容から考えると、半音下げた落ち着いた声が曲想に合うと言われる。ふんふん、その視点は常に私の中にもあるのだが、そこで初めて私が覚った事はオリジナルの場合はそれを始めて聴いて頂く時から歌詞を先生に渡さなければいけないと言う事である。なぜ、渡さなかったのだろうと反省したら、やはりこんな偉い先生に自分の作品をみて頂くのは気が引けたのだと思う。最初はオリジナルの歌を歌うだけでも、態度には見えなかっただろうが、心の中では萎縮していた。

いかんいかん、どんなお偉い先生でも、良い結果を出すためには、堂々と必要なものは全て見て頂かなければ。みて頂いたのは、4曲:「Yesterdayを聴いて」「間に合いますか」「輪廻の華」「14の春に帰らなくとも」

先生の反応も変わった。これまでは、新曲を持って行くと、少し笑いながら「また書かれたんですか」と大変軽いタッチで受けていらしたのだが、どうも味わって下さっているようだ。「輪廻の華」と「14の春に帰らなくとも」を気に入られたようでもある。クラシック畑の方だが、演歌やジャズにもある程度の関心を持たれている。僅かなヒントでもと思い歌唱指導をお願いしたら、なんと、「ここで唸ったら良い」などと言われた。そして「14の春に帰らなくとも」は、私自身がその歌詞とメロディーの単純さから人に見せるのをためらっていたものなのだが、先のブログでも書いたようにアレンジャーから「いい曲」と言われた事で、少し勇気を得てM先生にお見せすると、サビの聴かせどころでは「ここで、Yhey!と行きたくなりますね」とニカッと笑って言われる。

自分で作った楽曲なのに歌唱指導を頂く?M先生も時々言われた「御自分で作られた歌ですよね」と。そう言われるのはもっともなのだが、楽曲を書く時は、歌い方は考えていない。ひたすらある情景を書いている。歌うのとは別作業のような気がする。だから信頼する第三者の一言二言が欲しい。

先生が帰り際に一言いう。楽曲を誰かに提供してもいいですね、と。うん、素直にそれも選択肢だと思っているけれど、今はもう少し違った所からアプローチして見たい、最も多くの方々が喜ばれる方法を考えながら。でも、先生からその言葉が出た事で、音楽の専門家が認めるものを私は書いているのかも知れないと更なるやる気が出た。

ある占いが断言する「あなたはクリエイティブな事をやると、かなりの処まで行けますよ。」たかが占いでも、私には背中を押す大きな言葉になっている。(●^o^●)

12月の札幌が終わったら、また少し書いて見よう。






ある男と女の話 2012/11/29

時実新子の作品を読んでいたら、こんな物語を書きたくなった。
~~~~~~~~~~

女は男に会って見ようと思った。歳月が憎しみを感謝に変えていた。今や男と別れたのが何年前の事だったかもはっきりしない程、女は新しい人生を歩きだしていた。

憎しみがどのように感謝に変わって行ったか。男に感謝する心を持ちたいと思った訳では無い、ただ、今の自分は自分が求める自分の姿では無い、それが男との別れに至った原因の一つである事を女は自覚していた。この男との別れの後にまた新しい出会いがあるだろう、その時に同じ事を繰り返したくなかった。

正に「死が二人を分かつまで」手をつなぎ肩を並べて歩き続ける夫婦であろうと男も女も互いに疑わないでいた。その二人の姿は多くの夫婦達の理想の形のようでもあった。男と女はいつも一緒だった。いわゆる相性が良いと言うのだろう。女は男の妻となり、母となり、姉となり、娘となり、男は女の夫であり、息子であり、弟、時にして父親であった。 互いがいる事で時空間が満たされ、ため息ひとつで女はそれを表現し男はそれに応えていた。期待以上の夫であり妻であった。

しかし結婚14年目にして突然、女は初めて男と別れたいと思った。そんな気持ちが生まれた事に女自身が驚いた。50代前半の男には自分の仕事と立ち位置を誇らしく思えなかった、なによりも生きがいが見つけられず、負け犬のように、希望成就したものをひがむようになっていた。女は男の話に目を伏せるようになり、男は寂しさに包まれた。男からジョークは消え、女が大好きだった男のチャーミングな顔から笑顔も消えた。

女は男との間に距離を置きたくなった。男はその寂しさを隠し、女といない時間をあたかも外で楽しく過ごしているようすを女に見せた。しかし、その焦燥感とやり場のない気持ちは時々蓋を開け女にぶつけられた。うまくいかない事象は、全て女のせいになった。とうとう女の弾力性を欠いたプライドが壊れ始め、そして切れた。争いが始まった。が、男は争いの原因を分かっていないようだった。女のプライドの高さが原因だと思っていた。 女は男の言葉で自分の自負心がズタズタに崩されて行くのを必死で防ごうと男に対しあがいた。男は女の優越感を見せられているような気がした。それは負け犬の心を刺激した。

些細な喧嘩は今までもあった。女は男を旅行に誘った。旅先で見せる男の行動に女はいつも感動し、旅を通して二人の絆は深まって行ったからだ。外に場所を移す事でこの喧嘩も終るかと期待した。

しかし、つかの間の喜びの後、男の苛立ちの瓶の蓋がまた開き喧嘩の虫が飛び出して来た。とうとう女は泣きながら男を外に追い出した。反省してもらうためだったが、男には反省材料が見当たらなかった。

ある日、男がやって来て言う。亭主に愛されていない若い女が自分を必要としている、その女と一緒になって子供を育ててみようと思うと。女には男が発音する音は聞こえるが、なにが起きているのかまだ掴めないでいた。男と女の間に子供ができなかった事は女のせいではなく、男のために女が選んだ事だった・・・

家を出させて数カ月、若い女ができて、男は、自分は愛される人なのだと鼻の下を長くして言い、女を「叔母さん」の蔵に入れた。女に逢う前に関わった他の女たちを全てそのようにしたように。女は割れた。夜叉になり男を憎んだ。悪夢を見ているようだった。慈しんだ穏やかな香り漂う月日が突然切り取られた。女は錯乱した。プライドが瓦解する激怒と愛着の間を何度も何度も行き来した。楽しくも美しい日々を送っていた場所が修羅場と化した。やがて男と若い女の間に子供ができ結婚した。女は号泣した。が、同時に微かな解放感が訪れた。

自分の妙なプライドが自分の人生を前に推し進める原動力にもなっているが、同時に和を破壊する力にもなっている事に女は気づいていた。自分を変えたいと思った。一冊の本が女の前に運ばれてきた、宇宙の芯とつながる事、人の心の働きが書かれてあった。女は変わった、生き方も、人生の目標も。人に喜ばれる人生を送る事を自分の目標に描き、それに向かって進化して行った。不思議にも、女自身気がつかないでいたもの書きと言う才能が花開き始めた。

女は男との人生の最後に「もう二人だけの世界はいや」と言った。その言葉に男は「僕はやっぱり二人だけの世界が良いんだなぁ」と返した。気がつくと、二人はそれぞれ願った通りの道を歩き始めていた。 男との別れという出来事を通して、女は様々な人間感情を経験し、世間並の女になり、多くの女たちと心がつながり始めた。そして世間の女の感情が自分の経験をもとに書けるようになった。

久しぶりに会った男は今にも瞼が破裂して涙が滝の如く落ちて来るような眼で女を見つめていた。女は知っていた、男が逢いたがっている事を。そして女は今なら会っても良いと思っていた。感謝を伝える事ができると、男の幸せを心から願うこともできると。男は幸せそうに見えた。子供が二人もでき、毎日忙しいと言う男に、女は心から喜んだ、「生きがいができて良かったね。本当に良かったね。」自分を去った男の幸せを願うというのは偽善的で嫌らしいと思ってい頃があったが、今それを心から想う自分がいたその心の真実を女は体験している。男は続けた「今度子供の写真を送るよ。」男の心が女から離れずにいる事を、そして女の心がまだ男の側にあって欲しいと男が願っている事も女は知っている。女は返す、「もういいよ。」

男と再会した帰り道、女はただただ悲しかった。そして泣いた。悲しいものはどうやってもやはり悲しいのだ。男との夫婦の別れ際に聞こえて来た声があった、「あなたが背負うものを彼女が変わりに背負ってくれるのよ。」男の娘にもなる歳の若い女は子供を持つ喜びと共に男の寂しさと生きがいを自動的に背負ってくれた。すでに女には成しえない事であり、男の生きがいを一緒に探し出す手伝いは重荷に近くなっていただろう。女はその若い女にも感謝した。

女は宇宙の力と叡智に平伏した。そして男と初めてあったずっと昔から今日まで、喜びも苦しみも含め、なんと素晴らしい人生だったかと思う。今の立ち位置、女がこうありたいと思っていた自分自身は、男との出会いと別れがあって得た事なのだ。「憎む」という感情を経験した事も今ではこの上もなくありがたく、うれしい事になっていた。世間並みにさせてくれたのだ。世間の外が自分の居場所だと思っていたが、世間の女たちと心を分かち合える新しい自分が今此処にいる事が嬉しかった。

男に会う事で何かが分かるだろう、何かが進むだろうと女は漠然と思った。愛と情の違いはまだ分からないが、そんなものが二人の中にまだあるのだろう。人生は、と女は思う、やはり何かそれぞれがやらなければいけない事をやらせられるためにあるのではないか。人のためになる何か。それが人間の生命力を高めるのだから。男は新しい生命を育てている、女は多くの人達とつながり、微力ながら人々がもっと幸せに仲良くなるための仕事をしたいと思っている。別れずにいたならば、やっと手にした今の、自分が好きな自分は存在しなかったであろう。用足りて去ったのだ。人間には御しきれない、宇宙の動力が一人一人に働いているのだと改めて思う。

再会した時に女は男に言い忘れた言葉があった:あんたは、私の夢をかなえる為にやって来て、私の夢をかなえる為に去ったんよ。感謝しかない。思えば、女との生活を通して、男は良き人になろうと実に努力してくれていた。いい夫婦だったのだ。

今、女は男との別れを振り返り思う:これでいいんだ、もういいんだ。






天才でごめんなさい 2012/11/30

とうとう、しずこも此処まで狂ってしまったかと、ドキドキされた方もいらっしゃるのでは?あははは・・・いくらなんでも此処までは・・・・つまり、私の事ではありません。

今日、六本木ヒルズの森美術館で開催されている「会田誠展」に行って来たんです。そのサブタイトルがこの「天才でごめんなさい。」昨日はNHKBSのエルモンドでも取り上げられていたし、以前のブログで紹介した写真家がこの日行われるキュレータ・トークのイベントに御自身もいらっしゃると言うので、浮き浮きして出かけて行きました。

世界中のサラリーマンが背広を着たままコンピュータやサーバーと共に死体となって山をつくったり、女子高生ほどの若い娘たちが裸のままミキサーに入れられて掻き回されたり、手足をちょんぎられた若い女の子が首輪をかけられ犬のように舌を出したり、ロダンの「考える人」を逆手に取って自分の排泄物の上に座った「考えない人」がいたり・・・・奇抜な発想ですよね(私があまりにもオーソドックスなのかしら、ね?)サラリーマンがいるから私たちは豊かになれているしねぇ、会社と言う場所で輝いている人達もいるしねぇ、あそこにいる事で救われている人もいるんじゃないのかなぁ。ご本人は背広と言うものに違和感を感じられるらしい。私は背広を着たとたん男が急にびしっと締まる姿に時々ハッとしますけれどね。仕方なく会社にいる人も確かにいるでしょうけれど、みんなが死んでいるとはとても思わないわ。会田くんにはなんだか昔の学生運動の時の大人が創る者皆反対的な若気の闘争心を感じる。

絵だけでなく、彫像、その他段ボール紙やビデオ等の媒体を使って表現世界を拡大している。笑ってしまうような面白いものもいくつかある。ユーモアと殺伐感。日本の公共美術館が彼の作品の展示をしないらしいけれど、分かる気がしなくもない。でも、女の子たちの生き生きした表情を描くのが大変御上手。色彩も鮮やかで”きれい”だった。漫画チックな要素も大分取り入れていたかな。

キュレータ・トークの内容は、昨日のNHKBS番組を視聴していた事もあって、こつんこつんと居眠り。かの写真家も来ませんでしたしので(言った事を実行しないのはダメね)、途中で退散。今朝はどんより曇っていたでしょう?このどんよりには、なんとなく良い事が起こりそうな気配がしなかったなぁ。あたり!






ギター発表会 2012/12/2

日曜日、ちょっと駆け回った日だった。朝にギターのレッスン、その後国分寺まで行き、以前に岐阜からわざわざライブに来て下さった方の講演を拝聴。なるほどなぁと思ったお話だった。ひとつ紹介します。

「夢は持たなくても良いんです。持っていたら達成しなければ自分を否定したりするでしょう。持っている人はそのまま持って実現に向けて前進すればよい。夢の無い人は無くて良いんです。ただ毎日をきちんと生きるのです。毎日与えられる仕事、自分がこれをやって見ようかと思う事をきちんとする、そうするとそこから何かが必ず始まって行くのです。毎日を充実させるのです。眼の前の仕事をきちんとすれば充実するのです、皆さんが心を向けるところは未来じゃないんですよ、今、今なんです。」

劇作家の井上ひさしも同じ事を言っていたと思う。彼の妹さんのインタビューで読んだ。「毎日を丁寧に生きていれば不安も恐怖もない」と言うようなことを言っていたと。正にそうだなぁ、忙しく駆け回って良かったなぁと思った。

その後新宿に戻り、ギターの発表会。前回と異なり、今回は音楽学校のイベントルームで行われた。それで他の講師達も集まって営業サービスをして下さっていた。会費1,000円なのに、沢山の食べ物と飲み放題。校長や講師達がボーイさんの役目をしている。女性の講師で以前にも私の「美しい日々だけを連れて」を聴いた先生が言う、「詞が良いですね、涙が出ます。歌もうまいし」良い事づくめ。彼女は30代くらいかなぁ。この歌は世代を超えて受けいれられるみたい。私のギター弾き語りの出来栄えは、自己評価90点!敗者復活戦ですよ。一度の経験は大きい。見よ、この落ち着き!(●^o^●)








Happy Birthday at 浜松町 2012/12/7

もう一つ新曲が出来上がりました、「Happy Birthday at 浜松町」。これも2年前に歌詞を殴り書きしておいたものをきちんと整理して曲を付けたものです。私の持たされた性格なのでしょう、中途半端が嫌みたい。完結させることが無駄または惰性と感じて納得して投げだす事も1,2回あったけれど、多くは必ず完結させる。それで、今はたっぷりと時間があるので、この楽曲にも手を加えて、どうも一応完成に至った。可愛いくて切ない歌になったかな。

これは最初は昭和歌謡のようなメロディーで作ったのですが、ギターの弾き語りクラスの課題曲がいつも私の知らないヤングたちの歌ばかりなので、それに影響されてこの曲をいじってアレンジャーを含め周りの人に訊いてもらうと、全員後にできた曲の方が良いと。中には、昭和歌謡風に行くのも手だよという人がいて、迷っているなら両方作ったらどうかという案もありましたが、ま、今回は明るく可愛く軽いタッチで行く事にしました。

今年の新曲は合計4曲。昨年も4曲、その前が2曲。自作曲を作り始めてから合計10曲。ふしぎ、何度も言うけれど、まさか歌を書くようになるとは。書いていたら、また一つまた一つと書くようになって。でも自分の作品に人が感動したり喜んでいる言葉を頂いたり涙を見せられたりすると、意欲が沸きます。

そうそう、思いのほか、「14の春に帰らなくとも」が人気あるのです。ふしぎ~。だって、余りに単純で、ほとんど工夫せず出て来たものをトントンと並べた言葉に、これまでよりもビートの効いたアレンジと歌い方にしただけなので、気弱にしていた楽曲だったのです。

この事も含め、最近とても感じます。自他に関わらず作品やその他の事に対し否定した後に分かる自分の無知さ。歌詞が今一でも音楽と素晴らしいアレンジが付けば、素晴らしい楽曲に成るんですね。無知から否定した対象に対し非常に申し訳なく思う。これは、楽曲に限らず、色々な事柄についても言えますね。自分の意見はずっと後で良いみたい。






10人の高評価 「再会」 2012/12/11

Youtubeに掲載しているしずこの「再会」に10人の方々が高評価を下さった。知名度の低いわたしの歌にやっと2ケタの高評価が付いたのも、大きい事のような気がします。ありがとうございました。「再会」については、アレンジャーの西直樹さんも「あれはしずこさんの十八番だからね」という。正直、意識したわけではないけれど、しずこの「再会」を好きな人は結構いるようです。この歌を聴いた途端にDVD購入を決断されたような方もいらっしゃったし、この歌がきっかけになって岐阜から上野までライブに駆けつけて下さった方もいらっした。そんな事で、しずこの歌を始めて聴かれるお客様が多い所ではこの歌をできるだけ持って行く事にしています。この動画は昨年Youtubeにアップしたものですが、プロの方が撮影編集したものなので、画像効果もあるのだと思います。「再会」よりも14カ月前に掲載した、やはりファンの多い「オルガ」より再生回数が上回りました。

初めて自分の歌を動画で掲載したのは2年前。1日に20回以上再生されたので嬉しくなって、CD制作に関わってくれた安西史孝(テレビアニメ「うる星やつら」の作曲家)に言ったら、こんな会話がありました。

「すごいの、私の歌の再生回数が!」
「・・・・(面喰っているようす)再生回数が多いって、どの位の事を言っているの。(返答を待たず) 僕がアレンジしたxxxは100万回再生されたんだよ。xxxの作品のアレンジだと言う事もあるけれどね(米国の有名ミュージシャンらしい、アクセスは世界中からである)」
「・・・・・・・((@_@;)どっかに行っちゃいたいなぁ)」

自作の歌を掲載したいのだけれど、自作だけに音や撮影効果も納得したものができるまで保留にしています。Youtubeには11曲がアップされています。また、聴いて見て下さいね。






札幌ライブ終る 2012/12/15

2月の「美のステージ」をご覧くださった方のお招きで札幌ライブが実現し、金曜日に現地入り、本日夜に帰宅。

素晴らしい時間を頂きました。430人の来場者を迎えた1時間20分の休憩無しのライブ。皆さん吸いつけられるように聴いて、そして見ていらした。笑いもあれば、最後の曲の定番「美しい日々だけを連れて」では、眼がしらをそっと押さえていらっしゃる方々も。とてもとても温かいもてなしを頂き、ピアニストの土肥弘明(どいひろあき)さん共々、喜びの中でライブは終了。

すごかったのはCDとDVDを購入して下さった方々の数々。持ち帰ることは覚悟で、足りないよりは良いからと、CDは各20枚づつ計40枚、DVDは20枚を持参したら、CDは完売、買えなかった方々がまだ並んでいらした。DVDは金額が倍という事もあり、それでも5枚だけを残す事に。

知名度に関わらず、一般にコンサートやライブの内容が気に入られた時、CDやDVDを求める方々が多い。そんなところから、新しい会場でライブを開いた時にはCD販売の実績からお客様の正直な満足度を伺えると思うので、多くの方々がしずこのCD/DVDを買って下さった事がとても嬉しいし、いい仕事をしたんだなぁと幸せ感があります。

ライブが終ってもサインと握手で熱気に満ちた時間を頂きました。

多くの方の感動を耳にし、こちらこそ感動を頂きました。主催者の御恩に応えたい、集まって下さった方々と喜びを交わしたい、その心が完結しました。ありがとうございました。





太田市でライブ 2012/12/15

来年のお話ですが、1月29日に群馬県の太田市でしずこのライブの企画がされました。池之端QUIに来られたファンの方が企画される小ライブです。これは伴奏はカラオケ。




追記:札幌ライブ 2012/12/18

札幌ライブではトークを含み1時間20分の枠内で9曲を歌わせて頂いたが、その内7曲は自作の歌だった。自作の歌が圧倒的に多いライブは今回が初めて。昨年の六本木STB139(スイートベイジル)でのリサイタルで遠慮がちにオリジナル曲を歌った時、ある30代後半らしき青年が後日電話で言ってくれた「しずさん、自作の歌に自信を持って。」”自信を持って”という言葉が付いていたので、聴く人や見る人には私の内心がもろに見えるのだなぁと思った。

札幌ライブの曲順

1.「Yesterdayを聴いて」
2.再会
3.愛燦々
4.「間に合いますか」
5.「今のわたし宝石です」
6.「輪廻の華」
7.「14の春に帰らなくとも」
8.「美しい日々だけを連れて」
9.「今朝のバラ」

*かぎ括弧の付いたものが自作

「今朝のバラ」はアンコール曲として歌った事で際立ったようだった。終ると密な拍手があり、「今年ちょうど娘を嫁にやったばかりでしたので・・・」と感想を言われて来た方がいらした。終ってCD販売テーブルに到着するや、主催者が「「今朝のバラ」のCDは20枚既に完売したと言う。驚きを表現する間もなく、CD購入希望者の列の前で、CDの封を切ってサイン作業の開始。スタッフの方々がいろいろとお手伝いをして下さったので、どうにかこの作業も滞りなく終える事ができた。「え~、もう無いの?」と完売の後でも続々と購入希望者が来られた。

一番最初に歌った歌が入っているCDはどれですかと聴いてくる人が4人ばかりいたのですが、とスタッフから言われる。「Yesterdayを聴いて」である。それはまだCDに収録していない。これまで2枚のCD「美しい日々だけを連れて」と「今朝のバラ」を作ったが、販売に勤しんでいないからまだ合計1,100枚ほどが私の部屋の玄関に置かれてある。今の在庫が捌けるまでCDは作らないと決めている。知人友人にはFirstCDを買って頂いているので、宣伝や購入協力を求めるのは気が引ける。良い歌だからその内売れるだろうと、根拠のない自信がずっとある。だからゆったりと構えている。

どの歌が一番良かったのか、それは会場に来られる方々によってすべて異なる。「間に合いますか」が良いと言う人、「美しい日々だけを連れて」に涙する人、それぞれである。自作曲ではないが「愛燦々」にもとりわけ大変濃い拍手を頂いた。

主催者から本日ご報告を頂き、当日の来場者は最終的に508人だったそうな。上の430人は途中経過報告だったのだろう、スタッフから聞いた数字だった。主催者から次のような御報告を頂いた。


一昨日無事に参加者508名の成果で終了させていただきました。その感想文の中、しずこさんのトークとライブの感動の感想が多く、「札幌でまたライブはないの?」「いっぺんにファンになりました」「涙が出て止まらなかった」等の感動が寄せられています。本当にありがとうございました。終了後の運営委員会でも、いつも厳しく、適確な発言、指導をされ、私たちも常に襟を正されているある運営委員の方が「最初は何でシャンソンなんだ!」と思っていたそうです。ところが、しずこさんのトークと歌を聴き、感動で体が震えたそうです。その方が「このような企画ありだよ!」と感動的に話されておりました。





とにかく死ぬのはヤだもんね 2012/12/19

面白い反戦広告を見つけた。天野祐吉氏の発案で26年前に作られたものらしい。




以下、天野氏の談。

むかし、「広告批評」の編集長をしていたころ、日本の代表的な広告制作者の人たちに、「反戦広告をつくってみてください」とお願いしたことがあります。(広告批評1982年6月号所収)
コピーは糸井重里さん、デザインは浅葉克己さん。26年後のいま見ても、ちっとも古く感じないところがすごい。それどころか、憲法(9条)改定が大きな問題になっているいまこそ、こういう広告がモノを言うんじゃないかという気がします。
... それにしても、こういう広告をつくるのはむずかしい。これにくらべたら、戦争を進める広告をつくるのは簡単です。恐怖心や敵愾心を煽ればいいんですから。「戦争を売るのはやさしいが、平和を売るのはむずかしい」と、亡くなった哲学者の久野収さんも、よく言っていました。
ところで、糸井さんはこのとき、もうひとつキャッチコピーを書いてくれました。
「とにかく死ぬのヤだもんね。」
というんです。
「まず、総理から前線へ。」もいいし、そのほうが多くの人に届きやすいとは思いますが、ぼくはどっちかと言うと、「とにかく死ぬのヤだもんね。」のほうが好きです。

~~~~~~~~
私がこのポスターのデザインが好きな理由は、なんと言っても漂うユーモア。二人の兵士、どう見ても軍事訓練を受けたような感じがしない。兵役の無い日本から若い男たちを戦場に送るとなるとこんな感じかな「オレ、嫌だよ」と言うのが聞こえて来る。昔と違って今は国民全員が高等教育を受けている。簡単に戦場にはいかないだろうし、戦争も起こらない。起こらない方法を知恵で考えますよ。私はそう信じている。




二人のわたし 2012/12/21


もうすぐ2012年も終る。今年は私にとって”吸収”の年だったように思う。

かつて占いに興味を持った時期があった(今はほんの少しだけ)。10年以上前だろうか、外資の健康食品販売会社に翻訳の仕事で数カ月勤務していた時、そこの総務部長になられた方(日本人)の噂を聞いた事がきっかけだった。彼は、2社から転職の誘いを受けていたらしい。迷って決めかねていると知人から銀座の並木通りに出没する男性占い師に相談するよう勧められた。その占い師は2者択一の相談には打って付けらしい。彼の言うとおりにひとつの会社を選択すると、入社して間もなく給料が3倍になり、平社員から総務部長までに昇進、別の選択肢であった会社は、なんと倒産したと言う。本人に確認すると本当だと言う。

その占い師の話を全く別の処からも耳にし、これと言って迷っていた事は無いが、何回か行った事がある。しばらくぶりに昨年電話診断をしてもらったら・・・彼には言わなかったけれど内心かなり驚いた。起きた事を全部言い当てる。レコード会社Kは方針が違いますからここはダメです。レコード会社Vは互いに信頼が無いのでダメです(事実お話があったが、私は担当ディレクターを全く信頼していなかったので成立せず)、レコード会社Tは3人の間で議論されるでしょうが一人がかなり反対するでしょう(そのようだった)、Sは昨年なら良かったのですが、今年はダメです(ディレクターから事実そのように言われた)、1年後なら入れますが、しかし入ってもサロン程度で終わるでしょう。Wはおもしろいです、ここを挑戦してほしいですね。

面白い事にWだけはまだ挑戦していないが、それ以外は既にこの占い師が言うように流れていた。それを全て言い当てたので私は面食らった。昨年はわたしは天中殺(または大刹界)の真っただ中であるので、思うようにはいかないと言う。天中殺は12周期でやって来る、願いを持って起こす行動が逆方向に動く時期らしく、2年から3年間続くそう。この期間は、自分からは行動を起こさない方が良いらしい。人からの提案に従った行動、もしくは本を読み様々なものを見に行くなど、ひたすら自分を高める事をしたらいいと言われている。

天中殺期間の推奨活動を知ってそのようにしたわけではないが、振り返って見ると、昨年から私はひたすら人から呼ばれるままに動いている。その他はとにかく本を読んだり、Facebookで知った様々な人達の活動を見に行った。写真展、絵画展、映画、パーティ等。そして歌を書いた。自分から起こしたアプローチは上で占い師が言う如くことごとく実らなかった。なるほどなぁと占いの正しさを認めてしまう。

占いを信じる信じないは勝手でしょう!正にその通りであります。ただ、わたしはこう思うの、占星術って人類史上最古の学問だと言う人がいて、もしこれに真理が無ければ、人間馬鹿じゃないから、とうに消えているのよね。何千年もの間何かに付け利用され、今でも生き続け学ぶ人が後を絶たないと言う事は、やはり何かあるのよね。要するに占いは宇宙の規則を言っているんじゃないかな。その規則は春夏秋冬の変化や天体の位置など自然界に生きとし生けるもの全てに及んでいるのじゃないかなぁ。だから当然人間にも。天体の位置は時間と共に少しづつ動いて行く。生まれた時の天体の位置は当然生まれて来た人間にも影響する。だから生年月日を聴いただけで、逢ったことも見た事もない人がどんな人かある程度言い当てる事ができる。言い当てる人は規則が書かれてある本を勉強したのである(中には規則+透視力を持った人もいるが)。量子力学を批判したアインシュタインも宇宙は何らかの規則によって成り立っているのであって、現象が偶然に選ばれたのではない、神はサイコロを振らないと言われたらしいけれど、彼もこの宇宙に規則があること、それは神が創られたものとして感じていたのだろうと思う。わたしもその規則を素直に認めたいなぁと思う。

それで本当に迷った時は、昨年までこの銀座の先生に3回ほどお世話になっていたが、最近はほとんど行かなくなった。行きたい衝動にかられる時があるけれど、やがて来るはずの神の掲示をじっと待つように自分を訓練している(な~んちゃって、でもかなり本当(^v^))。作家の遠藤周作さんもお好きだったそうですね、占いが。彼だけに限らず、芸術関係を含めクリエーティブの仕事をしている人は誰でもやがては宇宙の摂理と言うか神を信じるようになるんじゃないかしらね。わたし思うもの、インスピレーションと言うのは自分の力じゃないと、まさしく神からの掲示だと。それぞれの立ち位置によって与えられた仕事のサイズは異なるけれど、インスピレーションとしてくるものは、全て神からの贈りものよ。科学界においてもノーベル賞を取ったり、取らなくても大きな成果を成し遂げた人と言うのは、他よりも際立って頭が良かったと言う訳ではなく、ある日突然のひらめきで成果に辿りつくのだと思う。だから寝ている時に掲示があったり、眠りと目覚めの真ん中で閃いたりと、いわゆる人間知が働かず頭が空になっている時、隙間ができている時に、その掲示がやってくるように想う。もちろんその掲示を現象界に形として表せる事の出来る人に来るのだけれど。だからクリエーティブな事は決して自分一人の力ではできないように思う。神様がお手伝いしているのね。また、このような掲示を受けられる人は大体素直な人なんだと思う。掲示が聞こえる余裕と言うか隙間があって、それを素直に受け入れる子供のような心を持っている人じゃないかな。だから天才は童心の人が多いのでは、そんな風に思う。


でも占いと言うのは過去と、現在のまさに"今"という点に至るまでの現在(それは"今"という点から見ると既に過去に属する)については当てることができるけれど(信頼できる占い師なら)、未来はできないらしい。未来は、占なわれる本人を含め、過去に入らない"今"何を選択するかで、周りもどんどん変わって行くからだと言う。

・・・・・
ここまで占いやインスピレーションに関して書いちゃったけれど、書き出した時はこんな事を書く予定は無かったの。一番最初の一行を書いたら、意図せずどんどん話題が変わって来てしまって、自分でも、あれ?タイトルの話に行かなくなっちゃったと思いながら、ここまで来ちゃった(変ねぇ!)。ま、いいや、「二人のわたし」は次回。(@_@;)(^v^)






二人のわたし(その2) 2012/12/22

とても幼いころのわたしの姿が眼の中のスクリーンに不意に登場した。その過去のわたしをまったく独立した別の存在として今のわたしが見つめている。

わたしの生家は東京の雪谷で中原街道に面していた。わたしはそこに小学5年の2学期までいた。よく近所の子たちと石蹴りや缶蹴り、隠れん坊をして遊んだ。小学何年生だったか、ある日、いつものように街道沿いの石畳の上で石蹴りをし相手チームの番に、何気なく街道に向けたわたしの眼の中に月光仮面が飛び込んできた。わたしは直ぐに叫んだ「月光仮面だぁ!」映画に登場するそのままの姿でオートバイに乗って多摩川の方に向かっていた。私の声に周りの子供たちが一斉に同じ方向を振り向いた。当然の事のように石蹴りを止め「うわ~!」と歓声を上げみんな一緒に多摩川に向かって走り出した。走りに走った。は~は~息せき切って多摩川の土手を何度も往復して月光仮面を再度見ようとしたが影さえもなかった。間もなく映画が封切られ、封切りとほとんど同時に、誰と行ったのか忘れてしまったが、スクリーンで彼を見た。バイクに乗ってスカーフをなびかせ多摩川方面へと鉄橋を渡っている姿から映画は始まっていた。「わたしんちを通り過ぎたあの後からだわ」と、感極まりながら初めて映画を自分から見に行こうとした時だった。

幼いころはよく映画に連れて行かれた。中村錦之助が好きだった姉が彼の出る映画によくわたしを連れて行った。でも私は映画館は嫌だった。暗くて人がいっぱいいて、大体立ち見だし、小さいわたしは自分よりも背の高い大人たちに囲まれて見えるわけがない。時にはわたしが前に行っても後ろの大人たちは目線をブロックされないので行かせてくれる事もあったが、だいたいいつも途中で群衆の隙間から逃げ出し、映画館のホール内を行ったり来たり、少ないお小遣いでアイスクリームやお菓子を買って食べていた。困ったのは帰宅してからである。きっとわたしは映画を観た後には印象に残った場面を家族の前で再現し、それを大人たちが楽しんでいたのだろう。それを期待してか、夕飯が終わると遊びに来ている親戚のおじさんや母や兄姉の前で、どんな映画を見て来たか言わされ、かつ「やってみせて」と請われる。今でも楽しく聞いていた父方の親戚のおじさんの顔が思い出される。しかし映画館には行ったがほとんど見ていない時にはどう再現したら良いか分からない。断る事も出来なくて、以前と同じ事をやる。どてらを着て、何の棒だったか忘れたが、それをわき差しにして「いや~、たぁ~」と殺陣をやってみせた。以前と同じだから見ている大人もつまらなそうだった。おじさんは何も言わず残念そうに下を向いてしまった。

ある時は、大奥物語のようなものだったのか、お姫さまが砂の上に一人の女性を座らせて、自分の召使に鞭のようなもので殴らせている。鞭が下されるたびに砂の上の女性は「あ!、う!、ぎゃ!」と叫んでいる。痛そうだ。それは幼いわたしの脳裏に焼きついたのだろう。それで、それはどう言う感じなのだろうと、既にお嫁に行っていた長姉の家で、人形を箪笥の取っ手に結んでぴしゃぴしゃ鞭のようなもので叩いてみた。たまたま部屋に入ってきた長姉はそれを見るや「なにをしているの!」と叫び叩いた道具を取り上げ、人形を解放した。私は叩いている理由を言おうとしたが、なんだか言えなかった。ただ、驚いている姉をみて、私も映画で拷問場面を見て驚いたように、他の人もびっくりするんだぁと思っていたように思う。この事は姉の脳裏にも焼きついたのだろう。ずっと忘れずにいて私が大学に通う頃になって”告げ口”をし始めた。でもそれは意外だった。長姉はおしゃべりな人だったからそれを見てすぐに家族中に触れ回り、私は兄姉達の話の肴にされるのだと恐れていたが、十数年の間、誰も何も言って来なかった。叩いた理由を言ったなら長姉はそれで忘れ話題にもしなかっただろうが、長姉があまりに驚いていたためか、わたしは依然として叩いた理由を言えないでいた。ただホッとしたのは、かなり後になってその話を長姉から聞いた次姉は大声でわたしの前で笑ってくれた。大声で笑いながら、そんな面白い話を長姉がよくも今まで話さなかったものだと不思議がっていた。思うに、わたしとの歳の差が母子ほどにある長姉はわたしが物心ついた時には既にお嫁に行ってしまっていたため、末妹がどんな子か知らず、ただ恐ろしいと思って言えずにいたのだと思う。成長と共に長姉と話す事が多くなり、”異常”ではないと判断し(笑)気軽に告げ口ができるようになったのだろう。そう言えば、成人になった私と大分話すようになったある日、「しずこは面白い」とニコニコと笑いながら彼女が次姉に言っていた事があった。分かってきたからあの拷問の再現も笑い話として捉える事ができるようになり面白い話の一つとして次姉に”告げ口”をする事ができるようになったのだと思う。さて、大声で笑っていた次姉には叩いた理由を言った。それからその話は流れなくなった。長姉の記憶の中でずっとトラウマとなって留まり、私の中では言わないでいる事の不安が在籍していたあの鞭打ち、わたしはその訳を直ぐに言える子ではなかった。

あれはお祭りの時だった。生家の近くに八幡様と呼んでいた神社があった。夏祭りの出店はいつもその神社の境内に並んだ。私は浴衣姿で下駄を履き2,3才だった甥と共に山車を引っ張ろうと山車が出発する八幡様まで行った。しかし考えが変わり、小さな甥を山車の上に乗せてあげようと抱っこをして欄干に下ろすと、喜ぶどころか甥は泣きだした。仕方なく下ろそうとしたとき、山車が動き出した。山車にぴったり体を寄せていた私の足の親指に山車の車輪が乗った。「あ~っ!」と心の中で叫びながらも、わたしは声を上げなかった。車輪が過ぎて行くのをじっと待った。そして甥を下ろすと山車から離れ、周りに事故を告げる事もせず、彼の手を引っ張って家へと走った。家では甥のお母さん(長兄の嫁)がトマトかスイカを流しで食べていて、食べるのに忙しく、流血しているわたしの親指にあまり関心を示さなかった。

なぜか、そんなわたし、言わなければいけないと思いながらも本心を声に出せず、言わないでいる事の不安を抱いたままのわたしが思い出される。そんな子だったんだぁと今のわたしが言っている。それは成人になった後で色々なところでどちらかと言うと障壁になっていたと今にして思う。大切なところで想いを人に伝える事を億劫がる。言わなければ誤解されるだろうなぁと思いながらも、不安を乗せたまま言わずにいる。理解されたいと思いながらも理解されずに終わる。そんな子だったんだなぁ。そんな子が哀しくて今のわたしが抱きしめている。






クリスマス・パーティ 2012/12/23

忘年会に代表される宴会の多い季節だ。いくつかの忘年会が既に開かれ参加させて頂いたが、昨日は大学同期のクリスマス・パーティが同期会会長(女性)宅であった。彼女はお料理がとても好きで、出されるメニューの内容がすごい。クリスマスなので鳥の丸焼きやらツリーをイメージしたサラダまで準備された。夕方5時スタートだが、女たちは3時頃から徐々に集まりお手伝い。実に楽しかった。

お手伝いに集まる女たちの目的は、当然のことながら、男たちがいない間のおしゃべり。野菜を切ったり、食器を洗ったり、盛り付けをしたり、黙って突っ立っていたり、皆”役目”はそれぞれだが、その全部を肯定し受け入れるしなやかさと懐の深さがこの年齢になると出て来るのかもしれない。こうやって集まってくれるだけでも良いんだと言う母心がそれぞれに育っているのだろう。

女たちが手伝っている姿を見ると、隣の家の行事に近所の奥さん達が集まってお手伝いをしながら世間話や内輪話をした昔の光景が彷彿と蘇る。やはり良いものだと思う。これができるのは”わたし”を徐々に脱いできたからだろう。

男たちも5時には集まり、段々と盛り上がり、飲んで食べて、笑って歌って、話をしてと気が付いたら夜11時であった。6時間の間誰ひとり先に帰ろうとする人がおらず、とにかく皆よく笑った。お酒は、シャンペンから、ワイン、日本酒、ビール、りんごジュース(誰かがこれをシャンペンと間違えて「甘い!」と苦言)。リンゴジュース以外は全て注がれるままに飲んだわたしの声が大きくなり、お陰で直ぐに声がかすれ、今朝は声が出なかった。太陽がベランダの真ん中を支配的に照らす時間に起きると既に会長から始まった感謝メールが行き交っていた。

(それぞれの写真をクリックすると拡大写真が見られます)
注:(笑)写真2行目の左端のわたしはお歯黒さんのようなのですが、これは向かいの男性が作って下さった何かの肝のワイン煮(これが真っ黒だった)を口にした直後の姿で箸まで持っています(お行儀悪いわ!)。帰りに一緒だった男性が呟いた「コト(私の姓)さんておもしろいねぇ。」なんだかそうみたいね。あははは・・・






来年のソロライブ 2012/12/27



来年も今年と同じように、土曜日が5回ある月の第5土曜日に池之端QUIでライブをやらせて頂ける事になりました(出演しているライブハウス参照)。2013年初ライブは3月30日です。何が起きるのだろう、どんな出会いがあるのだろう、少しばかりドキドキします。

数年前にこんな言葉を頂きました:何かがあなたの進む道をブロックしているとすれば、それが人であれ出来事であれモノであれ、それはそのブロックしている人、事、物のせいじゃなく、神様がそちらじゃないよと言っているんですよ。だから一見ブロックしているように見えるモノ達は神様に代わってブロックして”くれる”のだから、感謝なんですよ。

すごい言葉だと思いませんか。来し方を見れば納得する事が沢山あります。起きている時には見えないのだけれど、過ぎて見れば、なるほどあの場所はもう自分には確かに必要な場所では無かったのだ、と言うような事が。更に良いのは、このように考えると、ブロックしているモノに腹も立たないから、心が穏やかなままなんですよね。執着せず、すっと回避する。そうすると他の処から違った展開が始まる。この言葉が血となり肉となっていれば、怖いものはないですね。







松井秀喜引退 2012/12/29

「無念」の涙をためた記者会見だった。巨人からメジャーのヤンキーズへと挑戦し、ひざの故障や手首の故障でその後は1年単位で球団を変わっていたらしい。ひざを故障した時、ヤンキーズの監督は経験からもう使えないと思ったらしく契約更新はしなかったとか。帰国して阪神に移籍と言う声もあるらしいが、テレビで引退会見を聞いていると、以前と同じ自分を見ようとして集まるファンに対しがっかりさせたくないと言う。

サッカーの三浦和良はワールドカップ本番では代表から落とされてもずっとサッカーを続け、今年はフットサルでFIFAワールドカップに出場した。フットサルがどのようなゲームか知らないが、サッカーに少し似ているらしい。彼はとにかくサッカーが好きなのだなぁと思う。

二人は対照的な選手のように思う。長嶋茂雄巨人終身名誉監督が言うように、松井君は野球をしたいと言う事より、ファンがどう思うかを優先させたようだ。ファンがどう思うかと言っても直接ファンから聴いた訳ではなく、「松井はもうダメだね」と言われるような気がしてそれが自分の自負心を脅かすのだろうね。

それぞれの想いが異なるから、”それはそれで”となるのだろうけれど、何となく思う。松井君は人生のやり残しを作ったなぁと。見栄(我)を取り捨てて自分の気持ちがゆったりしてきたら、色々な事が変わってくるだろうに。

年齢と共に身体に故障が出るのは当たり前、それでも野球が好きだから・・・・そんな姿に感動を覚えたりするファンの方が圧倒的に多いだろうと思うが。

わたしは、人はそれぞれだからという言葉があまり好きじゃない。そう言ってしまえばそれでおしまいでしょう。無念の涙をためるくらいに野球に未練があるなら、もうこれで良いと思えるまで、止めても未練が残らないところまで、やったらいい。

改めて思う。人は自分の心と言うか、想いに負けるんだねぇ。ややっこしい事考えずに、野球をやりたいかどうか、それだけ考えればいいのよ。他人にどう思われるかじゃなくて。

わたしも最近になってこのように考え実行できるようになったのだけれどね。(いや~、あれで良いんだよ、引き際が大事だよ!・・・そうですか。)






ありがとうございました 2012/12/31

2012年の総括をまとめ、このタイトルで少々長い文を投稿した後、西から差し込む一条の光で雲が緋色に染まるのを見ていると、「案ずることは何もないんだなぁ」と言う感慨に達した。ただやっていれば良いんだなぁ、と。

ある人へ手紙を書いていた。ふと自分の眼の奥のスクリーンに浮かんで来た映像をそのままに、「顔の見えない誰かが、『さあ、どうぞ』と、私の方を向き微笑みながら右手を差し出してこの道を歩くよう誘っているのです。その道には柔らかな絨毯が敷かれているようなんです。私は少し恥ずかしがりながら、その絨毯を踏もうとしているのです。」それが何者だかわからない。人間であり、どうも素敵な男性のようなのだけれど。

ただ行こう。ありがたくてよく泣いた2012年に心からの感謝をこめて別れを告げ、何かが待っている2013年に入ろう。

ありがとう。全ての人よ、事よ、物よ。大きな力を全身に感じながら、再度感謝の言葉を差し上げます。



























































 
2月

もう逢えないのですね 201223

ホイットニー・ヒューストンの死に思う 2012/2/13

図書館が徒歩圏の中にあると言う快適さ 2012/2/14


日曜日の街中 2012/2/19

恩師、松村緑郎先生のご逝去 2012/2/20

ええっ!?抜けた差し歯に強力接着剤? 2012/2/21

同じ冬でも 2012/2/23 

「美のステージ」で「ダイアモンド」が好評 2012/2/26


4月


ソロライブ#2終了-神様の止まり木? 2011/4/2

「がんばれ!」「ダメ、ダメ、アララ・・・キャ~」2012/4/6

初優勝 2012/4/11

映画「鉄の女、マーガレット・サッチャー」 2012/4/1

役立たずの玉無しくそったれ 2012/4/20


6月
「寅さんアリランを歌いながら釜山に帰る」 201269

サロメ 2012/6/13

ソロライブ#3 2012/6/18

夏至 2012/6/21



8月

願いは叶えられるためにある? 2012/8/


経験は本当に宝です-性格も変わるかも 2012/8/6

サッカーオリンピック 2012/8/8

勝敗は戸惑うか戸惑わないかで決まった? 2012/8/11


オリンピック男子サッカー決勝戦 2012/8/11

手を離れた? 2012/8/12 

ううううう・・・・神よ、我を守りたまえ! 2012/8/15

与えよ、さらば与えられん 2012/8/18

ドブネズミの死骸 2012/8/19

恨みは電話攻勢で晴らす 2012//8/25

9月のソロライブに備えて 2012/8/29

  

10月

頑張るヤシの木 2012/10/1
                

ターニング・ポイント 2012/10/2

笑う理由 2012/10/3

ジジ・ラモローゾ掲載 2012/10/6

今何している? 2012/10/9          森山開次「曼荼羅の宇宙」 2012/10/18

愛を請うひと達 2012/10/12       日常の風景写真展 2012/10/20

愛を請うひと達その2 2012/10/14
    
コピーマイク 2012/10/20

運命も才能の内 2012/10/16
         大学OB祭 2012/10/22

競馬観戦 2012/10/16             「最強の二人」2012/10/23

                               浮き浮き 2012/10/25




12月

ギター発表会 2012/12/2

Happy Birthday at 浜松町 2012/12/7

10人の高評価 「再会」 2012/12/11

札幌ライブ終る 2012/12/15

太田市でライブ 2012/12/15

追記:札幌ライブ 2012/12/18

とにかく死ぬのはヤだもんね 2012/12/19

二人のわたし 2012/12/2

二人のわたし(その2) 2012/12/22

クリスマス・パーティ 2012/12/24

来年のソロライブ 2012/12/27

松井秀喜引退 2012/12/29

ありがとうございました 2012/12/31