あけましておめでとうございます。
なんだかエネルギーが腕や胸そして顔にほつほつと沸いてくる。うん、背中の上部にも。暮れには大祓い、終って近くの氏上神社に歩いて行く途中で除夜の鐘を聞き、長蛇の列に並んで初詣。昨年もそうだったけれど、風もなく暖かだった。
正月、あるイベントに参加した時、12月のソロライブに来て下さったご婦人がいらして、早速リクエストを下さった、「あの鐘を鳴らすのはあなた」。和田アキ子が紅白で歌っていたのを聞かれて、私に合うのではないかと。合うかどうか分からないけれど、いい歌ですよね。この一件で、夕方からは今年3月31日の第5土曜日に企画したソロライブの選曲を始めました。これまでレパートリに入れようとして、面倒くさがり屋の性質が遅らせていた歌の取り込みも極僅かだけれど開始。
あるSNSの掲示板で、昨年知り合ったミュージシャンが、「今年は、おめでたくしたいなぁと思っています」と書いていた。なんだか嬉しくなりました。一緒に仕事をしてくれる仲間がポジティブ思考になるのはとても良い。仕事もやりやすい。周りの雰囲気が良くなるし、可能性に向けての挑戦もしやすくなる。
この2012年の初頭にかつて私を励ましてくれた言葉をここに書こう。そしてそれが真実である事を確かめた私から皆さんに贈ろう。
「去るものに感謝せよ。新しき良きものが来る」
人生の進化の過程で、色々な人、モノ、事と出会い、そして別れがある。言いかえれば、出会いと別れを通して人は進化するように思う。去るものもその人生における進化のために新しい場所が与えられる。みんな良いように采配される。
新しい年に更なる進化の希望をつなげよう。
さあ、この先に何があるのだろう、行ってみよう。
笑ってしまった。今でも一人で声を出して笑っている。
昨年の12月のソロライブに、6人グループで来て下さった男性達がいた。1部の最後の曲は、「人生は過ぎゆく」。これを歌い終わって休憩に入ると、その内の一人が言った、「暗い歌を歌うと、感情移入してしまうから、こっちまで気持ちが暗~くなるよ。」
「人生は過ぎゆく」は愛する男が他の処で若い女性と恋仲になり、さよならを言いに来る。男のセリフは全くないのだが、女性の歌とセリフだけで男と女の間にどのような会話がなされているか自ずと分かる。女は懸命に心の中で、男にしがみつく。
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人生は過ぎゆく 私を残して
ラ・ヴィ・サン・ヴァ ラ・ヴィ・サン・ヴァ
行くのね あなたは
ラ・ヴィ・サン・ヴァ ラ・ヴィ・サン・ヴァ
二人の隙間を 恋もまた
どうしよう 去りゆく 捨てないで
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絶望のどん底に落とされて行く女の歌。確かに暗い。この歌が終わって2部の頭には「朝日のあたる家」、これは身を落して女郎になった女の歌。こちらもやはり暗い。どちらもドラマチックに歌い上げた。この類の歌は、どちらかと言うと私は入りやすいかも知れない。これまでもこの2つの歌を歌った後の観客の反応は著しい。「ブラボー!」の声が響き渡ったりする。でもソロライブに来られたお客様はとても静かだった。
終演後の女性のお客様のコメントや翌日の友人からの電話コメントによると、「人生は過ぎゆく」に涙していた方々がいらしたらしい。とても可笑しかったのが、上でお話しした男性の方々。後で感想を聞くと、感情を吐露する歌に気持ちが落ち着かなくなり、みんなで飲んで帰った」と言う。そう言えば、いつも写真を撮ってくださる先輩は、途中で写真機のシャッターを押すのを止めて、ステージに吸い付けられているように見てらしたっけ。
普段はおそらくそのような歌を聞く事のない6人の紳士たちが、飲みながら何を話されたのか、その戸惑いを想像して、私は一人で笑いこけていた。
その後、ネットを使って次のソロライブ(3月31日)の選曲をしていると、面白い意見をみつけた。
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本場・フランスがどうなのかは知らない。しかし、これだけはいえる。
日本のシャンソンは、おかまっぽい。
実際の女性のそれ以上に、くねくねしなしなして、デコラティブに女性性を主張している。
だから日本のシャンソンは、いまいち、浸透しない。
そんな問答無用に、女の情念でドロドロされても、ねぇ、と、一般の人はひく。
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聴く人や歌う人の好み以外の何でもないけれど、正直に言うと、私も今ではあのような歌を是非歌いたい訳ではない。どちらかと言うと、今歌いたい歌は希望のある歌、明るい歌、夢のある歌だ。自作曲は大体この類。あの時は、音楽関係者がいらしていたので、色々な歌を聴いて頂こうとした。でも、上の男性達が落ち込まれたようなので、そんなに情念の歌ばかりを歌ったかなぁと改めてその日の選曲を見ると、暗い歌は上の2曲だけだった。他は楽しいものもあり、さわやかなものもあり、反戦歌もあり、アメリカンポップやテネシーワルツも歌った。でもこの2曲が心が「落ち着かなくなる」程、印象的だったようだ。
今日、選曲している時、思った。やっぱ、先の見えない悲しい歌や苦しい歌は余り歌いたくないなぁと。水前寺清子が歌った「365歩のマーチ」が急に歌いたくなり、朝から何回か歌っている。
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♪幸せは歩いて来ない
だから歩いて行くんだよ
一日一歩三日で三歩
三歩進んで二歩下がる
人生はワン・ツー、パンチ
汗かきべそかき 歩こうよ
あなたの付けた足跡にゃ
きれいな花が 咲くでしょう♪
昨年の「浮きうき話」でも触れましたが、今年からは複数の歌手と組む月例ライブは止め、数か月毎にソロライブを開催する事にしました。多くの方々の意見を聞きこのような流れとなりました。確かに大きな前進であります。
日時:土曜日が5回ある月の第五土曜日 19:30スタート(19:00オープン)
場所:上野池之端QUI (「出演しているライブハウス」に詳細記載)
場所ってとても大事ですね。来て下さる方々は、私の耳に入る限り、全員、「此処良いね」と言われますが、歌う側としても、自由に思うように歌えるんです。空間との相性なのでしょうね。この場を3カ月に一度のソロライブの会場として貸して頂ける事は、とても光栄ですし、幸せです。このソロライブに備えて、新しい歌を捜したり、来て下さる方々が楽しんで頂けるよう、色々な事を考えたりしています。どうぞよろしくお願いいたします。
次回は3月31日です。お逢いできますのを楽しみにしています。
新曲の誕生、「Yesterdayを聴いて」 2012/01/10
私の自作の歌を好きになって下さる方々が増えている事が、とても嬉しい。昨年の10月に出来上がったのが「間に合いますか」。これまでの「美しい日々だけを連れて」と「今のわたし宝石です」と共に愛して下さる。「また新しい歌が出来ました」と言うと、聴くのを本当に楽しみにして下さっているようす。その新曲が、「Yesterdayを聴いて」。2日前にイントロを含めアレンジも加わり完成された、生まれたたばかりの新生児です。
昨年のスイートベイジルのリサイタルに続いて、暮れのホテルのイベントでも伴奏をして下さったピアニスト兼アレンジャーの西直樹さんにそのさびの部分だけを聴いて頂くと、満面笑みになって「良いね、良いね」と上気していらした。それで西さんにアレンジを頼んだら、電話の向こうの声が楽しそうに笑って、直ぐに引き受けて下さった。今は譜面ソフトがあるので、それをそのままメールで送信すればよい。譜面を見て、「完璧だよ!」と電話が来た。西さんに言われたので、嬉しいし照れる。1時間後、コード、イントロ、間奏を付けて送られて来た(このスピード!)。明るい感じに仕上がっている。わぁ~、私が何を言いたいのか、通じているんだぁと、私の作った世界に感応して下さった事がとても嬉しかった。
アートとかコラボと言うのは、そのようなものみたい。その人が何を言いたいのか、どんな歌を歌いたいのか、表面的な処を超えてその人の深部を感じる事ができる。
多くの方々に共感される可能性を秘めた作品が誕生しました(また自分で言っちゃった!(#^.^#))。3月31日のソロライブで御披露いたします。
しんどかった~。戦争映画とは言え、爆撃と銃声と殴り合いと喚きばっかりと言っても過言ではないかなぁ。大体戦争映画と言うのは好きではない。でも戦争が背景にある愛情物語などはとても好き。たとえば、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが主演した「ひまわり」、何度観た事か。またはイタリア映画「禁じられた遊び」やベトナム戦争を背景にしたバーバラ・ストライザンドとロバートレッドフォード主演の米国映画「追憶」。こちらもスクリーンに雨が降るほど古くなっても観に行った。そんなストーリのあるものを期待したのだけれど・・・
マイ・ウェイは韓国映画「シュリ」や「ブラザーフッド」を手掛けたカン・ジェギュが監督し日韓のスター俳優オダギリ・ジョー(辰雄)とチャン・ドンゴン(ジュンシク)が主演する作品。日本統治下の朝鮮半島で、マラソンでオリンピック出場を夢見て競争する二人がノモンハン前線で再会。二人ともソ連の捕虜になり、その後はドイツの捕虜となる。自分の命を助けてくれたジュンシクを国に返してあげようと一緒に戦場から逃げようとする辰雄だが、ジュンシクは途中連合軍の銃で心臓をぶち抜かれる。心臓からドボドボと血を流しながらも、戦争犯罪人となった日本人のままでは途中で捕まえられて処刑されるだけだと、ジュンシクは自分の身分証明書を辰雄に渡す。限りなく愛を与え続けるジュンシクに彼を抱いたまま慟哭する辰雄。辰雄は無事韓国に帰り、ジュンシクとなってオリンピックに出場する。
できすぎた美しい物語であるけれど、もう少し戦場を離れた、たとえば兵舎での友情の交流とか、穏やかなシーンがもっと欲しかった。とにかく戦いと暴力のシーンが多く、こちらの身体が緊張しっぱなし。いい加減忍耐の限度を超えてしまい、耳を手で覆ったり、眼をつぶったり、下を見たり、外に出たりしながら、結末のシーンを待っていた。
映画が終わり、エレベータに一緒に乗った青年に感想を聞いてみた。「どうでしたか」「ふつう」普通か~。そうね、特別感動したと言う訳ではないわね。20億をかけて撮ったらしいけれど。「余りにも戦いばかりなのでちょっと・・・」「戦争映画ですからね」そうか、戦争映画はこんなものかぁ~。「これ本当にあった話ですよね」「本人は戦場で死んだのではなく、アメリカに行ったという話ですよ」「あの日本人は?」「あれは架空の人です」そうか~、監督の意図が分かったような気がするーみんな仲良く手をつなごうよ。賛成!
スティーブ・ジョブズの人生の不思議 2012/1/24
アップル・コンピュータの創始者である。昨年彼の伝記を読んだ。養父が作ってくれた小さな小屋で友人と一緒に無線をいじくりながら無料で遠距離電話をかける事に成功した時の興奮が書かれてあった。無作為に電話をかける、「今、カリフォルニアから無料で長距離電話をかけているんです(すごいでしょう!)!」と興奮の色を帯びた声で。しかし相手は混乱。夜中にかけた電話はカリフォルニア州住民の家の電話機を鳴らした。
好奇心に燃える少年の上気する声が聞こえるようで好きな場面だ。でも私が最も感慨深く思ったところは、彼の養子縁組先である。彼の実の母親は大学生時代にシリア人学生との間にスティーブを身ごもったが、両親にその結婚を反対され、養子に出す事を誕生以前に決めていた。当時米国では中絶が法律で許されなかったためだ。最初の養子縁組先は弁護士の家だった。しかし生まれたのが男児だったため、女児を求めていた弁護士の家への縁組は消えた。生まれた子をとにかくどこかに貰ってもらわなければならない。電子部品を作る高校教育を受けていない機械工のポール・ジョブズ夫妻が、スティーブを必ず大学に入れることを条件に、実際の養父母になった。
スティーブはこの養父から電子部品やエレクトロニックスの様々な事を教わる。また彼も大変好奇心をそそられ自分でも機械を作ったりする。その最初の完成品が上で話した無料長距離電話である。その後彼の機械に対する関心は高まり、シリコン・バレーからやがてアップル・コンピュータを作るまでに至る。
弁護士夫婦の処ではなく、夫が機械工、妻がやがてシリコン・バレーで事務をする事になる夫婦の処へ養子に。偶然でなく、こうなるようになっていたような気がする。彼は、今の私たちのライフスタイルを変え新しい時代を作り上げる”スタイルのある機械”を作る使命を授かって生まれて来たのではないか。おそらく、彼自身が弁護士になる以上に大きな仕事を与えられて。
人はその人生で沢山の出来事に遭遇、または自ら出来事を作っていく。それらは一つ一つの点を作っているけれど、過ぎてみれば、点と点を結ぶ線が自ずと出来ている事に後で気がつく。そしてその先に線が続く事も意識し始める。どこかに行くための線が。「どこかに行くために」――どこに行くのか、どこに連れて行かれるのか、それぞれ違うのだけれど、大小色々ありながら、各人連れて行かれるところがある。何かやはり人間の力を超えた目に見えない力が働いているような気がしてならない。
この世に生まれた事、養子に出された事、捨てられたという劣等感を持った事、起きた事全てが世界を変える機器を誕生せしめることにつながって行った。振り返って、スティーブは言い切る。自分の親はジョブズ夫妻だと。それで良かったのだと・・・想う、人は親さえも選んで生まれてくるのではないだろうか、と。
自分の心の深部で湧き出る想い、そして自分の心を真の意味で穏やかにそして幸せにする想いに素直でありながらこの目に見えない力に逆らわずに進んでいく時、きっと「良き事ばかり多かりき」となるのではないか、そんな気が強くする。
美のステージ? 2012/1/25
来月、「経営トップセミナー」というイベントで歌う事になった。30分間のピアノ伴奏による歌のステージだが、今日そのイベントのHPを開いてみると、「美のステージ しずこ」となっている。あう、う、う、う・・・シャベルを持って来て土に穴を掘って入りたくなる心境。うわ、わ、わ・・・、大変だわ。落胆させる訳にはいかないでしょう。そわそわし始めました(;一_一)。美容院に行った方がいいかしら、ドレスはあれで良いかしら・・・
20年近く前に芝居の巡演先で楽屋を訪ねて来てくれて以来、毎年年賀状の交換をしていた大学時代の友人が逝ってしまった。今のご時世でも、メールアドレスを持たずコンピュータも使わず数十年前のやり方そのままで印刷屋を営んでいた。
俳優を志していた時によくお話を聞いて頂き、私のリサイタルに来られて「おもしろい」とコメントを下さり、彼のコメントはいつも大変参考になった元帝国劇場の支配人も逝ってしまった。生涯現役でありたいという想いを実現し、東宝を定年退職されてからは大学で教鞭を取られたり、博多劇場の完成を手伝っておられたが、新しい赴任先で倒れ、自宅の神奈川に戻られてから電話で2度ほどお声を聞いたが、逝かれてしまった。
昨日頂いた寒中見舞いは、もう一つの永眠報告。こちらも別の会でお逢いした方の奥様からのもの。御主人は一時六本木ヒルズに事務所を構えていたが、昨年の年賀状では住所が変わっていた。身体も声も大きな方だった.胃癌の手術を受け、退院後大変元気になられたが、急に痛みが激化し、昨年の暮れに逝かれたらしい。医師からは余命いくばくもないと告げられていたという。細かい記述のあるその寒中見舞いは、旧時御夫婦の仲の良さを彷彿させる。
そんな気になる。
2月11日、ホイットニー・ヒューストンがカリフォルニア州ビバリーヒルズのホテルで、死体で発見されたという。死亡当時、彼女は向精神剤を飲んでいたらしい。具体的な事を何も知らない人間がしたり顔でその件について話す事は、側にいるものが聞けば腹立たしい事この上ないと思うけれど、日本時間12日にちょうど谷村新司のショータイムをテレビて見ていた私には、彼女の早死がNO1を維持しようともがいて死んだカレン・カーペンターズの人生の結末と似ているように思えた。
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-NO1であり続けようと“もの”を追いかけているとNO2になった時に、落ちて来たと周りは判断する。そのような世界で生きるのか、自分の世界、 ONLYONEの世界を作るのか、アーチストには2つの選択があるように思う-
4年前に移り住んだ現在のマンションは、歩いて5分程度の処に東京23区でもまだ珍しい最新IT技術を取り入れた図書館がある。引っ越し先はできれば図書館に近い処と考えていた。その想いを神様が聴き入れて下さったのか、事前に調べた訳ではなかったが、引っ越してみたら、そういう事になっていた。
この図書館には随分お世話になっている。館内にある本なら20冊以上センサーが感じられるところまでのかさばりなら1秒かかるか掛からないかの速さで貸し出し手続きが済むし、他館からの取り寄せになる時は、メールで到着案内が来る。最初にこのシステムを目の前にした時は「ひぇ~」と声を出したかどうかは記憶にないけれど、少なくとも心の中で感動の声をあげていた。そして友人が訪ねてくれば案内した。
この図書館のお陰で、私は今、人生で最も多く本を読んでいる。本はめったに買わない(関係者にすみません)。辞書、参考書、座右の書など、何度も繰り返し読むかもしれないものは買うが、本は食べ物や映画と違い、読み終っても目の前から無くならないし、服のように何度も(心に)着る訳じゃない。つまり読み終わった後の行き場所に困る。見る限り真新しいので捨てられないし、バザーとか人に差し上げるには手間がかかる。
借りた本はそれなりに面白かったし、参考にもなった。最年少で芥川賞を受賞した綿矢リサの「かわいそうだね」なんて、もうほんと、良いね、良いねが連続こぼれた。すごいの一言だった。でも同時にこんなに鋭い感性をしていると、この世の中で生き辛いだろうと、彼女の写真を見ながら少し心配もした。もちろん、「な~んだ」で終わる本もある。「地図を読めない女、話を聴かない男」はかつてとても面白く読んだ事があるので、著者の2作目(これは夫婦で書いた共著)「セックスしたがる男、愛を求める女」も楽しみに待っていたが、全く拍子抜け。1作目があまりに面白いと、2作目はそうはいかない事がよくある(書く人も大変よね、編集者からもせがまれるし)。
ごく最近読んだのが伊集院静の「大人の流儀」。予約を入れた時は予約リストの90何番目にいますと言われ、「へぇ、かなり面白いんだぁ」と大変期待していた。90何番目で私の手元に届くまで数カ月かかるけれど、別に急いで読む必要もないし、その間に他の本を読んでいられる。
その本がやっと来た。嬉しかった。浮き浮きして読み始めた・・・・が、・・・。伊集院静のファンには申し訳ないが、不快感が残った。書かれた文章の裏ににじんでくるこの作家の様々な影が映る。昔、テニスのアンドレ・アガシがウィリアム姉妹のテニス競技を見たくないと言っていた事があった。姉妹だから単純に勝負をしているのではなく、それ以外の音にならない雑念が聞こえるという事だと思う。それに似ている。
「松井秀樹が教えてくれた店」と題して、何か面白い事が書いてあるのかと思えば、その店の事を特筆する理由など見当たらず、また松井の意外な面白い側面を知らせてくれる訳でもない。松井秀樹さえ自分の友人だと言いたいようで、何か品格が・・・。それとも、そんな有名人とのつながりを書いて読者を楽しませる事がこの本の主旨なのか。それならタイトルがまったく調和しない。こう言うのがちょろちょろと出て来る。この本はある視点からすると伊集院静の最近の親交のお披露目と「愚痴」集のようだ。愚痴集なら、以前に阿久悠の書いたものを読んだ事がある(愚痴集を読むのは趣味ではないが、図書館の本だから手当たり次第読んでいたらたまたまその類の本に当たってしまった)。彼の場合はその愚痴に使う言葉に、ハッとさせるものがある。作詞家だけで終るのは確かにもったいないと思わせる表現が。しかしこちらの愚痴は・・・とうとう、途中で投げ出してしまった。大人の流儀?う~ん、屁理屈言わない方がスマートな大人のような気がする。
なんでこの本を読みたがったのだろうと反省してみた。ああ、新聞だ、新聞に広告が出ていたんだった。確か、「妻、夏目雅子と暮らした日々」が副題になっていたから皆さんそちらに興味をそそられ、あのように長い予約リストになったのだろう。私の場合そちらの事も興味はあったが(それは巻末の数ページに書かれていたが、今までどこかで読んだり聞いていたりしたものと違うものではなかった。)、それよりも「大人の流儀」でどんな面白い事を言ってくれるのかと、そちらの方が気を引いた。ほっ、図書館の本で良かったぁ~(;一_一)。・・・・・・・・・・・・・
以上を書いて、ちょっと休憩したら、そうか~と考え直した。作家が大きな人物だと勝手に期待していた私の思い違いだと。一作家は一つの個性を表しているにしか過ぎない。書く事を自分の役割や職業にしているのが作家であって、必ずしも読者を感激させたり奮起させるものではない。ユーモアにしても相手のユーモア感覚とこちらの笑えるものが異なっていたりする。最近結構素晴らしい本を継続読んでいたせいかも。私は夏目漱石でも期待していたのだろうか(笑)。
日曜日はギター教室に通っている。いつかオリジナル曲を弾き語りしたいと思っているのだが、ゆ~ったりと全く緊迫感のない気分でやっているから、ほとんど進歩していない。でも数年前に知人から「このギターはどこに持って行っても恥ずかしくないものです」と頂いた大変高価なマーチンのギターを無駄にしてはならんと通い続けている。レッスンを受けている限りは1週間に最低1回はギターを持つ事になる。それで、今日も出かけた。
その行く途中、向こうからグレーの野球ユニフォーム姿の男性が歩いて来る。キャップを被り、バットを背中に、そして携帯電話を手に話しながら速足だ。顔がキャップと携帯電話を持つ手で40%くらい隠れているから良く見えないが、背中を見ると「ICHIRO」と書いてある。そう言えば、少し見えた顔はICHIROに似ていた。本当にICHIRO?振り返って立ち止まり彼を目で追いかけると、どんどん私が歩いて来た道を進み小さくなって行く。確認できたのは私と同じように彼を振り返る人達だけ。まさかね、でも今はシーズンオフだから、そういう事もあり得るか。でもおそらく、顔がICHIROに似ているので、そんな恰好をして人を騒がせたい目立ちがりやさんなのかも。きっと後者だわね。私は踵を返しギターレッスンに向かった。
その帰り、同じ路上で、今度は若い女性がニコニコしながら行き交う人を物色している。すると突然、くたびれたコートを着て私の前を歩いていた初老の男性に彼女は抱きついて来た。その男性は驚いた気配もなく全く反応を示さない。数秒間抱いた後、その女性はまた人ごみの中へ。手には、「HUGしましょう」と書いた紙を持っている。彼女の顔が熱気に帯びている。気がつくと、何人もの女性が同じ言葉を書いた紙を胸の前にかざしている。これって今よく起きている事なのだろうか、20代くらいの女の子が自分からその紙を持っている女性に抱きついて行く。そしてまるで久しぶりに逢った友人同士であるかのように互いに「うわ~、きゃ~」と抱き合い喜んでいる。
見知らぬ人と「HUGしましょう」、その発想が分からない訳ではない。こう言う事を率先してやるグループが生まれるほど、優しさや思いやりや寛容さが欠如してしまっているのだろうなぁ。そのようなものを他に期待し求める人は多いけれど、自分から与えようとしないからなんだろうなぁ。上のICHIROさんも人の気を惹いて要は人とつながりたいのだろうし、「HUGしましょう」はまさしくそうだし。歌を思い出した。
人はみな孤独の中、あの鐘を鳴らすのはあなた
つい最近リクエストがあり和田アキ子が歌っている「あの鐘を鳴らすのはあなた」を覚えた。上はそのサビの部分だけれど、もしかすると、あの鐘を鳴らすのは、与える事が自分の幸せにつながる事だと気づき実践し潤いのある人生を始める人の事を言っているのかなぁ。作詞家の阿久悠は此処まで考えてこの歌を作った?ムム・・・この歌は、こんなに奥深い詞だったのか・・・すごい!
私にとってとてもとてもありがたい方だった。4年ほど前、私はそれまでの人生で経験した事のない苦悩と淋しさの中にいた。一人でいる事ができなかった。誰か側にいて欲しかった。そんな時、1時間にも及ぶ私の電話にいつもお付き合いをして下さる方がいらした。松村緑郎先生だ。不思議にも、私から電話をする時は常にご在宅で、“また”の電話に一度も嫌がる様子や声色を表す事もなく、常に明るい声で私の電話を受けて下さった。早口で話すために言葉が聞こえない時には聞き直して下さり、固有名詞も確認しながら聞いて下さっていた。松村先生がそのように私を受け入れて下さった事でどんなに救われたか、今でもその時の事をはっきりと覚えている。
先生とはある勉強会で初めてお逢いした。その勉強会は全て英語で行われるのだが、現役時代にロンドンに支社長として赴任されていらしたらしく、英語の発音が良く、流暢であった。使っていない古い英語電子辞書があったので、それを先生に差し上げようと電話をした時から、私の身の上話を聴く係にされてしまった。その後にも、何かにつまずいて電話する時には温かく話を聴いて下さり、雑音が入って聞けないといけないからと、別室で受話器を取って下さっていた。先生は迷っていた私に力を下さった。私の2回目のリサイタルには、1部で失礼するけれどもと話され、体調が悪いにもかかわらず来て下さり、「本当に素晴らしかったですよ。後ろ髪を引かれる思いで帰りましたよ」と嬉しそうに話され、3回目のリサイタルの時にはプロに撮ってもらった写真を載せたチラシをご覧になって、「ヒュー」とミーハー的な声を出しながら嬉しそうにしていらした。
腰が悪いと言われながらも体調の良い時には時々勉強会に来られていたが、2年前、腹膜炎を患われ、御子息が医師を務める筑波大学付属病院で手術を受けてからは御自宅で療養されていた(御子息が医者である事も先生から伺った事をはなく、他から聞いた。そういう方だった)。昨年のリサイタルの時には、明るい声の英語のメッセージが外の雑音と共に留守電に入っていた―「2階席でも良いので、2枚チケットを準備して下さいますか。」しかしその留守伝の折り返し電話に出た先生の声は痛み故の苦痛の色を隠せないでいた。
あれからも時々先生に電話入れた。そして今日、元気な声をお聞かせしようと電話をすると、14日にご逝去され、昨日葬式が終わり荼毘に付されたと知らされる。1月6日には家族で米寿のお祝いをされたらしい。色々な事が思い出され、涙が洪水のように流れる。最後まで「何もしてあげられない、何もできないままで終わる」と言っていらしたらしい。いつも人の為にお役に立とうとされていた先生、先生のような方が私の人生の直ぐ側にいらして、私は本当に恵まれていました。あの時、先生がいらっしゃらなければ・・・先生、またきっといつかお逢いしたいです。長い痛みでしたね。安らかにお眠りください。合掌
昨日はよく泣いた(上のブログの続き)。今日はお線香をあげに、そして先生のお写真見たさに御自宅に伺った。先生がどこに座られて私の電話を受けていらしたのか、親機や子機のある場所を案内して頂いた。既に骨箱に納められた先生とお写真に対面し、そこでもさめざめと泣いたら、すっきりしたのか、帰り路は心が軽くなり、駅までの道を先生がニコニコとエスコートして下さっている気配さえ感じた。心って不思議。どこかで女の子が言っているのを耳にした事がある、「沢山泣いたら元気になった」と。そんな感じに似ているかも。先生、頑張りますね!空から私のリサイタルやライブを覘いて、あの時のように嬉しいお顔を見せて下さいね。
そんな風に気が軽くなって、我が家の駅に着いたら、玉が外れたイヤリングを思い出し、接着剤を買おうと駅前のドンキホーテに入った。様々な種類があるので一番強力なものがどれか売り子さんに聞いたら、私の質問に答えようと3人の男子店員が現れた。色々と説明が始まり、一つの商品が勧められる。まだ決断できないでいた私に、背後にいた店員が言う。
「自分もこれ使って、取れた差し歯をくっつけましたよ。」
「えっ!?さしばって、歯の差し歯?」
「ハイ(ジェスチャーで差し歯を取りだし、また入れる)。ドライヤーで乾かすと着きますよ。また外れましたけれどね。でも3カ月もちましたよ。」
「・・・・・私も歯が割れちゃったんだけれど、もともと被せてある歯だからどうにか持っているの。その割れたところにこれ使って歯を寄せれば行けそうかしら。やってくれる?」
「・・・(じっと考えている)良いですよ。」
「・・・(本気で考えてくれていたようで、私の言葉にキョトンとしている)」
「ありがとう、じゃ、これ買うわ。。。。あの、やっぱり歯にこう言う接着剤使うのは止めた方がいいと思うよ。身体に良くないよ、きっと。」
歯科医でも接着剤なるものを使っているかも知れない。その接着剤とこの接着剤がどう違うのか分からないけれど、やはりちょっと過激かなぁ。
~~~~~
この接着剤、本当によく効くわ。一瞬にして付き、床に落としてみたけど、玉は外れなかった。
同じ冬でも 2012/2/23
随分と温かくなりましたね。やはり嬉しくなります。
以前に書こうと思っていた事を書きます。1月の冬と12月の冬。
冬至はクリスマス・イブ辺りですが、名前の通り、冬の底に至る訳ですよね。気温でなく暗さが。暗い時間が一番長い日。冬至の後に段々と闇が溶けて行く。1月。空気も気配も全く違う。穏やかな空気。きりっとした清々しさ。地平線のごとく心が開いて行く。希望の音が聞こえ始めるよう。
どんどん闇のどん底に入って行く12月と闇が溶け始める1月とでは、同じ冬でも空気が全く違う。
闇の深い12月に人的イベントがある事は人を救っているんじゃないかと思う。忘年会。どんちゃん騒ぎ。こんな事でもなければ、自殺する人も多くなるんじゃないだろうか。
もうひとつ、12月は暗いから家の明かりが殊更嬉しい。だから心の赴く先が家族や家に向かい、闇が解け始める1月は心が外に向かい始める。
1月の冬がうれしい。
「美のステージ」で「ダイアモンド」が好評 2012/2/26
「シャンソン歌手しずこ、美のステージ、美のステージ(ここで少し笑いが漏れる)、美のステージ・・・出直して来た方がよろしいでしょうか」昨日こんな感じで100人程が集まったあるイベントの歌のステージを始めた。先のブログでも少し紹介したが、このステージのタイトルを昨年の六本木スイートベイジルで私のリサイタルをご覧になられた主催者が「美のステージ」と名付けられた。私のこのトークの走りだしに、「ぜんぜん大丈夫だよ!」と大きな声が会場から聞こえた。ほっ。「ありがとうございます。」お客様の声援はステージにいるものに本当に大きな力を与えて下さる。
30分間の中でシャンソンを2曲、歌謡曲を1曲、そしてオリジナルを3曲(下の3~5)お贈りした。
1.
再会
2.
一本の鉛筆
3.
Yesterdayを聴いて
4.
今のわたし宝石です
5.
美しい日々だけを連れて
6.
ケサラ
私はライブやコンサートの後でお客様にどの歌が印象に残ったかいつも伺うようにしている。すると、歌った6曲の一つ一つが、全て選ばれた。その中で最も多く選ばれたのが、「ダイアモンド」とか「宝石」とか言われた、昨年リリースしたCDの中に収めてある「今のわたし宝石です」である。昨年もスイートベイジルでのリサイタルDVDをご覧になった60代の男性が、「『今のわたし宝石です』には感動したなぁ。あの歌、出口が見つかったら当たるんじゃないかなぁ。ああいう歌、今ないからなぁ。」と真剣に言われていた。会場で歌い出すと手拍子も鳴った。初めての事だった。これは手拍子が出る歌なんだ・・・。
最近、音楽大学の先生に付き声の出し方を調えているせいか、自分でも安心して歌っているし、来場者からの反応もかなり良い。CDやDVDもかなり売れた。でも一言付け加えた。「CDやDVDは歴史です。私は大げさに言いますと毎日進化していますので、多くの方々が見た方がずっと良いと言います(大きな拍手が沸く)。どうぞ今を見にライブの方にいらして下さい」と。
1年半遅れの開店祝い―幸せになるためには順番がある 2012/3/1
医療機器メーカーを定年退職した彼女は、小料理屋の女将になった。3年前頃だろうか、御自分が会長となっている会に私を入会させようと電話や本が送られてきたりした。ところが私はその会に入会せず、他の会に入会した。理由があった訳ではなく、ただただ“天命”。それで私に恨みがあったのか、彼女は様々な憶測や邪推をし、それを触れまわって歩いたらしい。それを聴き、「天命」の正しさを思った。周りには彼女の事を良く言う人は一人としていなかった。良くは知らないが、恐らく大変幼い人なのだろう。時々逢う事があっても世界の違う人として心は決して近い場所にいた事はなかった。
ところが、昨年の暮れ、彼女も含む全員が参加するイベントに出演し、私の自作曲「美しい日々だけを連れて」を歌った時、一点ステージの私に集中し、むさぼるように聴き、黙々と拍手をしている彼女の姿が私の目に留まった。人は結構単純だ。それが私の心に何かを感じさせ、初めて彼女の内心を想像させた。寂しいだろうなぁと。彼女のお店に行ってみようと思った。
しかしドキドキした。お客がいなかったらどうしよう、彼女がどんな事をお客と話しているのだろうか、不安だった。だがガラス窓を通して見える店内は明るく、既に6人のお客様が塊になって座っていた。別のテーブルには一人の男性が女性を待ちながら飲んでいる。ほっとした。彼女とスタッフのやり取りの中にブスッとした顔が見えるとドキッとした。でも直ぐにスタッフの笑い声が聞こえ、またホッとする。私はと言うと、なんだか怖いと言うか落ち着かないので、お祝儀を先に渡した。私と彼女の関係からすると、大枚だ。後で開けた時にびっくりさせたかった。突き返す事もしかねない人かもしれないと思ったが、遠慮しながらもニコニコと受け取ってくれた。彼女の様子が変わった。嬉しかったのだろう。いそいそと料理を私に運んでくる。
思った。環境が変われば、やはり人間も変わるんだなぁと。小料理屋は彼女の食って行くための命綱,僅かな報酬でやっている会長役の場所とは違い、言葉を選ばず出まかせに他人の事を話す訳にはいかない。1時間そこそこで店を出てきたが、女将として十分に店を成功させているように見える彼女の姿に安堵と嬉しさが込みあがった。そうして“開店祝い”に行った自分にも嬉しくなった。
「開店祝い」・・・文化風習というのは良いですね。それを利用して近くはないけれど、遠くつながり直す事が出来る。
「だれでもみんな自分が一番大切なのです。自分が幸せになるためには順序があります。まずは人を先に幸せにするんです。この手順を間違えると、幸せは1,2回は来るかもしれませんけれど、長続きしません。」(斎藤一人「仕事は面白い」。
シカゴのグランド・パークにある「ミケランジェロ」らしい。夏はこれで良いとしても、零下何十度にもなるシカゴの冬はどうしているのだろう。もう一つ、日本のどこかの街中にこの景観があったら、どうなるだろう。
この画像をあるSNSに載せたら爆笑したコメントがあった(女性としての美徳を堅持するため。その内容はお知らせできませんの)。そのコメントを別なSNSで紹介したら、「(しずこさんの)職業は、コメディアンですか」と言って来られた方がいた。その他にも、「しずこさんは偉大なお方です・・・心広いです(笑)」とあり、その意味が分かるような分からないようなだったが、総じて皆さん楽しんで下さったようだ。ここでご覧になる皆さんは、どんな感想を持たれるだろう。まずは、「お~!」?。
1等です!2012/3/17
今日は月に一度のレッスン日。東京音大のM先生に3年前に再会して、昨年のリサイタル後から定期的にレッスンをして頂いている。先生の大学の最寄りの駅前にあるミュージック・スタジオ、今日はオープン1周年記念で、くじ引きの御もてなしがあった。
「私はくじ運がないから、当たったためしがないけれど・・」と言いながら、箱の中に差し込んだ私の指が触れたものを”素直”につまみだした。人間知を働かせず、素直に。それをそのまま目の前の係の女性に渡す、糊で貼り付けられた3角形のクジが破かれる。彼女の顔が3角形の真ん中の数字に近づく。声のトーンとボリュームが上がる。「1等です!」え~~~~っ!「うわ~、こんなこと初めてですよ!」と少々大きめの声で言ったら、脇のテーブルに座っていたM先生、身体を乗りだし、私に劣らずニコニコして「私ですよ!」と人差し指で御自分の鼻のてっぺんを指される。「まぁ、ご機嫌な事。ここのレンタル料金を払っているのは私ですよ、先生。」と心ひそかに思っていると、わざわざ受付までやって来られた。賞品はグランドピアノかト音記号の彫り物がついたブックマーク。「先生の趣味じゃないですよね、やはりこれは私の!」と心で言いながら、ト音記号の方を頂いた。
私から譲るような声もなかったので、先生、少しがっかりされたかしら(笑)。知り合ってからかれこれ20年弱。初めの頃、奥様の話だと「あの人はアメリカ人!」と私の事を評していたそうだ。日本のクラシック界では誰もが知っているお方、随分親しく楽しく、そしてざっくばらんになりました(笑)。
このブックマーク、使い勝手が実に良い。クリップで本を挟むから、挟みっぱなしで本が読める。一般のしおりのように本から外す必要もないので、失くす事もない。また素敵なデザインなので、読書に優雅な気分が加わる。
初めてファッションショーを観に行った。
友人になったフランス育ちの20代のお嬢さんの関連で、彼女の友人のファッションショーである。30代のAtsushi Nakashima君。今日六本木ミッドタウンでそのデビュー作品が披露された。
彼は自分の作品のスタイルをNeo Classicと呼んでいる。肩にパットを入れたジャケットに、スカートはミディ。色は黒が基調で時々グレーや赤が黒のジャケットの上に部分的に取り入れられている。ファッションショーにも1部と2部があるようで、2部には漫画の中で良く見る鉄兜を思わせるヘッドギア―を被ったドレス姿のモデルたちが現れた。機動戦士ガンダム?
モデルは総勢10人。ぎくしゃくとした歩き方をする(腰に負担が来るだろうなぁ~)。頭と足が先に出て、腰がそれを追いかける。フラワーな感じは一切排除した、無機質な感触。それに合わせて、ヘアースタイルもショート以外は全員後ろに一本で結んでいる。ガクッガクッと歩くたびに、ゴムから下に垂れた髪の毛がバシャバシャと左右に揺れる。
30分未満のショーが終わると、余韻もなく、サーと場が開ける。ロビーでは直ぐに数人の記者たちに囲まれてNakashima君がカメラのフラッシュを浴び、インタビューに応じている。ロングヘアーにどちらかと言うと小づくりだが、目鼻立ちがはっきりしている。
彼のデザイン、なかなか格好いい。いつか「うん?!」から「うわ~!」の感嘆の声が聞こえる日が楽しみだね。
まず神様に感謝します。
今朝起きた時から、花粉症状が私の身体を支配している。花粉カレンダーの顔が真っ赤になっている3日前、一日中外にいた。一応マスクはして行ったが、「やばいかな~」と思う瞬間が何回かあった。その2日後はライブ開催日。あれこれ思いつく手当をしながら当日を迎えた。この花粉症状のため、少し注意力が散漫。リハをしている時、歌詞が出てこない。本番でも、トチッたことなど一度もない歌がおかしい。2曲ほどやり直した。でも会場には笑いもあり、大変和やかな雰囲気で終わった。どうにかやりぬけたと一仕事の達成感にホッとした。
そして今朝、待っていたかのように、襲って来た。朝起きた時の私は昨夜とは別人のような顔と声の持ち主になっている。部屋中がティッシュペーパの山である。かつてあるシャンソン歌手のコンサートに連れて行かれた時の事、身体の調子がおかしかったのだろう、まるで声が出ていない。”歌っている”ようなのだが、歌詞が全く聞こえない。気の毒とは思うが、わざわざ行った者としては残念である。あの2の枚は避けたいと思っていたが、それは叶ったようだ。
一日待って下さった事に、神様に感謝でした!
足元が悪い中、来て下さった皆様、ありがとうございました。心もっと温まって帰られましたでしょうか。
会場が神様の止まり木のようにも感じ、喜び楽しみ、皆さん全てに親近感も湧きましたーー周りの人達にも親近感を抱いて下さったと言う感想にとても嬉しくなりました。
初めてのことだったが、始まる前の心臓のドキドキが全くなかった。気負いが無く、すっと入ってすっと終わった。何かが剥がれたような気がする。それが和やかな空気を創らせてくれたのかもしれない。
今回は、シャンソンをベースに美空ひばりの「車屋さん」やバーバラ・ストライザンドの「追憶」も織り込んだ。それを、和洋鬼才と称した方々がいらしたが、おほめの言葉はいかに豪快なものでも心地よい、ありがとうございます。その真価はともかく皆さん心から楽しんで下さったようで、また一つの仕事をやり終えた感がある。「”雨が降ります”と言う歌は今回も歌ってくれますか」と言った方がいた。私のオリジナル曲「間に合いますか」の事だ。嬉しい。リハーサルを見たいと30分も早めに来られた方もいらした。
ピアニストも最近何度かお付き合いして下さっている川口信子さん。いつもウィグを付けて現れる。雰囲気が良い。私のファンからも好感をもたれ、評価も高い。カメラを持って現れる先輩は彼女も撮りたいという。この一つ前のブログで書いたが、当日は咳やくしゃみが出るかもしれないという不安で注意が少々散漫になり、歌い慣れた歌がトチった。ピアニストは冷や汗をかいていたと言う。ギターの村山成生さんも同じだったろう。聴いているお客様は、やり直した曲に対し、「2曲余計聴けて得しました」と言っておられた。本当に良い雰囲気の2時間だったようだ。
昨年の六本木stb139のリサイタルに劣らないステージだったと、友人が電話をして来た。
「がんばれ!」「ダメ、ダメ、アララ・・・キャ~」2012/4/6
ダメ、ダメ、あら、ら、キャ~→女の発言
がんばれ、がんばれ!よししょ、よいしょ、う~う~、やった~!→ 言わずもがな。
この写真をあるSNSに投稿したら、「私は犬になりたい。そしてくわえている紐を思いっきり引っ張りたい」という、熱くなるコメントがあった。がんばりましょうね~。
こんな事もあるのね(●^o^●)。
3年ほど(?)前からゴルフを時々やっている。季節になると月に1,2回のペース。冬や真夏はコンペ自体が無くなる。コンペが開かれるたび、「今回はBB(ブービー)賞を取れるかな」と希望をほんの少し抱いて挑むのだが、だいたいブービー・メーカで終わったり、参加者が多い時は、スコアが“良すぎて”外れてしまう。
この日は6チームでプレイ。終了後パーティ会場で幹事が私の側に来てそっと囁く、「おめでとうございます。」「・・・うん?もしやBB賞に当たったかな」と渡された成績表を嬉々として見る。だが最下位から追う私の眼には私の名前が入ってこない。もう一度みる、やはり名前はない。「なんのおめでとうなんだろう」と思いつつ、今度は上から昇降順に確認、と言ってもトップには目もくれずそのまま2位から下に。ない。あれ、私の名前は?1位からきちんと見直す・・・うわっ!と思うと同時に、コンペ主催者から優勝者の発表。金切り声を上げて喜びの叫び。「きぇー、きぇー!」(うるさい!)
ハンディ36や34の長い歳月にも終わりが来ました。
賞金は15,000円の商品券。包が現金でも入っていそうな形をしていたので、「おごりなさいよ~!」と2次会を待っている連中に周りを固められた。残念でした~、現金ではありませんでした~。(;一_一)
映画「鉄の女、マーガレット・サッチャー」 2012/4/11
昨日のゴルフ、飲み会、二次会で大分乗って騒いだせいか、今日は午後から予定していた食事会に行かず、家でずっと本を読んでいた。今にでも雨が降りそうな雲行き。雨の日は家にいるのも外に出るのも好き。帰りに傘をさして帰ってくるのも良いなぁと思い、夕方から映画を観に行った。メリル・ストリープが主演女優賞を取ったと言う「鉄の女、マーガレット・サッチャー」。
そうだろうなぁと思っていた通り、そうであった。全然良いと思わなかった。映画の良し悪しって、人が書いている感想文で大体判るし、またその映画の広告を見ても何となく判る。感想文が肯定的であっても、何をどう良いと言っているのかで、察しがつく。でも、メリル・ストリープがどのように演じているのか見るだけでも良いかと思い観に行った。それに今日はレディーズ・デイで入場料が割引される。
サッチャーの子供のころから首相退任後認知症に至るまでの長い年月をあの106分の枠内で綴るのは無理もあろう、私の心にはほとんど何も残らなかった。ひとつの言葉の羅列だけが注意を引いたが、唐突として出されたその言葉の深さや強さを裏付けるストーリを、この映画は創っていない。
「考えが言葉を生む。言葉は行動を生む。行動は習慣になる。習慣が人格を作る。そして人格が運命を作る。」
ちょっと茶々を入れちゃおう。上で言っている「考え」の中に既に言葉は存在している。というか言葉なくして思考活動は行われない。だから、上の文句は「考えが行動を生む」とした方がすっきりするような気がする。でも、きっと「言葉」と言う単語を使いたかったのだろうな。それならば、上の「考え」はまだ発言されていない言葉の事であり、「言葉」は発言された言葉の事なんだろうね。
何年も前に観た「マディソン郡の橋」でのメリル・ストリープが思い出された。
1月24日のブログで、アップルの創始者スティーブ・ジョブズの伝記上巻の内容の一部を書いたが、今読んでいる下巻の中にとても滑稽で、面白くて、一人大声をあげて笑ってしまった件をご紹介します。
スティーブ・ジョブズはものすごい癇癪持ちで、怒りを辺りかまわず吐き散らしていたようだが、業者からのチップの供給が遅れそうになった時、彼はその会社の打ち合わせ席に乱入し、
「お前たちは"Fucking Dickless
Assholes(役立たずの玉無しくそったれ)だ」と叱り飛ばした。その後VSLI(業者)は納期内にチップを収め、その幹部はジョブスの言葉の頭字を取って「チームFDA」と背中に大書きしたジャンパーを作った。
と、ある。「役立たずの玉無しくそったれチーム」と書かれたジャンパーを幹部自ら作って着る。何と滑稽で、ユーモラスで楽しい人達なんだろう。なんだか、嬉しい。
ここ4,5年の出来事は、本当に何か“大きな力”に動かされて来たように感じてならない。特に今年に入ってから、それをはっきりと感じる。自分の内奥で魂が太く柔らかい筋肉のように躍動している感じがする。“大きな力”、それはやっぱり神様じゃないかな。あまりにも感慨深くて、また書いてしまう。
「神様の言葉はね、心の内奥から湧く自分の生命力を躍動させる自分だけに聞こえる言葉だったり、時には人を介して来る事もあるんだよ。」
3カ月に一度のソロライブを池之端QUIでやる事を提案された時、初めは不服だった。昨年スイートベイジルまで行くほどにどんどん大きくなって来たのに、なぜ今さら逆行して小さい所に行かなければならないの、と。しかし、その提案を家に持ち帰って間もなく、ハッと上の言葉を思い出した。「神様の言葉は人を介して来るんだよ」。私は神様が大好きだから、その提案は神様の声かもしれないと直感した。それで「ハイ」と返事。
そしたら・・・・・うわ~”本当の”歌手になったみたい。まだ2度しかやっていないけれど、1年に一回の大イベントに向けて準備するのとはまるで違う。大げさに言うと休む間もなく、一つが終わると直ぐに次のライブの構想開始である。風邪や花粉症で出さない方が良いと思う時以外はできるだけ毎日声を出している。歌の練習もそれだけやっている。十数年ぶりに再開した発声レッスンの効果が、不思議にも、速度を上げて声に現れる。
「声が違う!」\(◎o◎)/!
「でしょ?眼から出しているの、眼からよ(やったぜ!)。」
それともう一つ。新宿QUIを卒業した事。毎月歌うところは確保した方が良いのは分かっているし、次のあてがある訳じゃないけれど、とにかく心が同じ事をしたくないと思ったから辞めた。そうしたら、ひと月後、ある組織の月例「お楽しみ会」で歌うと言う依頼が入った。こちらも私だけのステージ。色々な意味で新宿で歌っていたよりずっと私の進化につながった。ここは、ソロライブの前の小さな予行練習の場となった。
((5月のお楽しみ会で)
この二つの場所を頂き、歌手になったみたい。え?じゃ、今までは何だったのと自分でも思うので、ちょっと考えてみたら、どうも、今までは、ステージ創りが楽しかったみたい。脚本、演出、振付、構成、そして作詞作曲(こう並べてみると、なんかすごい人みたいね、笑)。歌う事はその一部であったから、しずこのステージは聴くよりも見て楽しんで頂く事に重きがあったと思う。
進化したら、今までの歌は聴いていられなくなって、Youtubeから多くの歌を消し、最近のものを幾つか載せた。ホント、様々な事について言えるけれど、今の自分を越えなければ、今の自分がどうなのか心底分かる事はないみたい。
無我になって神様と一緒に歩けば、道を間違える事はない。なるほど、なるほど・・・もっともっと実感して来たぞ。(#^.^#)
落語:古今亭菊志ん
講談:神田山陽
パントマイム:松元ヒロ
浪曲:国本武春
国本武春はロックやバラードのリズムに合わせて、三味線を鳴らしながら浪曲を唸る。時には今はやりの若い歌手たちが好んで使う裏声も出しながら歴史物語りを歌う。彼が出演するからだろうか、このような古典芸能の客席には、普段あまり見かけない髪の長い黒服の“ロック風”の青年や、顔の整った華奢な若い女性が観客に混じっていた。
彼らの芸を観ながら、芸歴の浅い私にこれから何が出来るのだろうかと、暗い席に座りながら少しおびえてしまった。が、会場を後にしてネオン街を歩いていたら、いや、私は私のままで眼の前の事をやって行けばよいのだと、想い直した。
数日前読んだ「阿川佐和子のこの人に会いたい」の中に見つけた。永六輔とのインタビューである。
「寅さんの最後をどのように終わらせようかという案の中に『寅さんアリランを歌いながら釜山に帰る』というのがあったの。僕はドキッとしたの。そうか虎さんは在日だからと納得したんだけれど、あれが実現したら、日韓ワールドカップもすごい事になったと思うの。歴史が変わったと思うの」(本は図書館に返してしまったので、正確ではないが、大体こんな感じ)
寅さんシリーズは1,2本映画館で見たように思う。テレビで放映されたものも数本見たかしら。浅丘ルリ子がマドンナとして出た最後の作品は観ていた。映画の終る寸前に在日の舞踊や歌が唐突に出て来たので、何なのだろうと私も不思議に思っていた。
昨年の大震災の直前に観た野田秀樹主催、野田mapの芝居「南へ」を思い出した。私の眼が点になった場面と言葉があった。「記憶を無くしてしまった日本人!私たちは皆”白頭山”(中国との国交にある北朝鮮で一番高い山)からやってきた。何かを伝えようと南へ南へとやってきたが、まだ伝えきれずにいる。」
人は政治的または経済的理由その他で住む場所を変えてきた。哲学者の鶴見俊介氏の発言を以前に新聞紙上で読んだ事がある、「なに人(じん)、なに人てどの位の歴史的スパンで言っているんだ」と。
どれ程時が流れると、自他共々自分が住んでいる所を自分の国であると認めるようになるのだろう。
サロメ 2012/6/13
宮本亜門演出の「サロメ」を新国立劇場で観て来た。
芥川賞受賞作家の平野啓一郎が翻訳を担当していた事で興味があった。とても分かりやすい日本語が、流暢にとうとうと語る若い役者たちの手助けもあって、美しくかつ心地よく聞こえる。若い役者たち・・・サロメは多部未華子と言う新人と彼女が恋する預言者ヨナカーンを成河(ソンファ)が演じている。その他サロメの義父ヘロデ王は奥田瑛二、母親は麻実れい。
日本の演劇は本当に面白いものが多くなった、特に若い俳優たちの演技が日本現代演劇を飛躍的に進歩させているように思う。昔、学生時代に観た新劇は叫んでいるだけだった。多部の感情の起伏の表し方にも襞が沢山あるし、成河は偶然私が見に行く芝居によく出ていたので幾度か見る事になったが、かなりの才能を持った役者だと思う。以前は、シェークスピアの「夏の夜の夢」のパック役に出ていたが、今回は全くの別人を好演していた。
成河は、数年前に東京グローブ座で観た「見知らぬ乗客」の主演、二宮和也君を僅かばかり彷彿とさせる。あの時の二宮君はすごかった。衝撃だった。こんな役者が知らぬ間に現れていたんだ、私はこれからこの子の追っかけをやるようになるのではないか、「どうしよう」と心が騒いだ。こんな役者が日本の舞台に登場、西洋人じゃない、日本人なのよ、と演劇好きの人達に知らせたかった。ところが後日、二宮君は人気グループ”嵐”のボーカリストだと知った。あれ以来、彼の芝居を見ていない。事務所がなかなか演劇のステージにあげてくれないのだろう。ありがたい事かも、平穏でいられるから。(#^.^#)
サロメを書こうとしたら、二宮君の話になっちゃった。うん、本当はね、私も二宮君のようにできたら、って思っているの。そしてきっとできるんじゃないかと。(
^)o(^ )
そろそろ次のソロライブ。もう3カ月が経つのですね。雨季シーズン真っただ中のライブ、この季節にピッタリの演出で開催いたします。
2012年6月30日土曜日19:30開演(19:00開場)
場所:池之端QUI
チャージ:5,500円+税(ワンドリンク、御つまみ付き)チケットは無く、当日終演後の御清算となります。
最近、歌よりもトークを楽しみにされる方がいるみたい(笑)。
夏至 2012/6/21
今日は夏至だと、ニュースで言う。もう夏至か。これからまた暗さに向かって時は流れる。最近読んだ川柳を思い出した。
3回目のソロライブが昨日終った。「9月にもまた来ます」と断固とした表情で言って下さる方々から、私の方がエネルギーを頂く。今朝起きるともう9月の出し物がふと浮かんでくる。
今回はオリジナル曲の弾き語りを入れた。事前に人前で披露する機会を数回頂いていたから、本番ではとても落ち着いて弾けたような気がしたが、どうだろう。ピアノ演奏をして下さった西直樹さんがリハ中に私の弾き語りを聴いて、助言をくれた、「弾き語りなんだからイントロの長いのはカットした方が良い」「エンディングの長いのもカットしてコードを2回弾いて終わった方が良い」など。
西さんはすごい人なんです。現在はグループのサーカスの音楽監督をしている。それ以前には前川清、本田美奈子、天童よしみなどなど、盛りだくさん。皇居でも演奏されている。そんな方とどうして知り合ったか、これも神様が下さったプレゼント。西さんの助言が嬉しく自信もくれた、つまり助言ができるほどの水準で弾けたと解釈した。後から頂いた初来場者のメールでは、「ギターの弾き語りもあり、大変楽しませてもらいました」とあったが、「ギターが未熟だから、歌が際立った。(ギャフン!)」というコメントもあった。つまり、ギターうんぬんよりも、皆さん結局楽しんで下さったみたい。
今回のライブには大学の同期が大勢で来てくれて賑わった。ソロライブを始めた時からいつも来て下さる方々は、しずこのライブを本当に楽しみにして下さっているようだ。また、今回は岐阜、栃木、群馬から、私のYoutubeを聴いて来られた方々がいらした。岐阜は遠すぎるけれど、栃木の方はこれで3回目、群馬の方もまた来ますと言って下さる。このような方々がいる限りこれからもライブを続けよう。
フィレンツェとミラノを回って帰宅した。フィレンツェの焦げ付くような暑さに驚いていたら(気温40°、湿気80%)、湿度の高いどんじりした暑さが成田空港で待っていた。雨季がこの時期になる日本の夏の湿気と雨季は秋までお預けのあちらの湿気80%の違いは大きい。
「気温40°、湿度80%、異常よ」とフィレンツェの洋服屋の店員が言っていたが、後で調べたら気温40度の記録はネット上に見られない。しかし、確かに太陽は肌を突き刺すように激しい熱を放つ。ジェラ―ド(アイスクリーム)屋をよく見かける。どこでも箱の容積を超えて山盛り積まれたアイスクリームの天辺はアイスケースの冷温も歯が立たず溶けている。
フィレンツェからバスで1時間半ほど行ったシエナは完全に観光地化していて、そこでもアイスクリーム屋が沢山ある。正直、決して美味しいとは言えない。どこも同じ味であるから、同じ工場から運ばれてくるのだろう。値段だけが店によって違う。シエナのアイスクリームはフィレンツェより高い。凡そ2倍の値段が店員の口から発音された途端、その顔を睨んでしまう、「この人、心が咎められないのかしら。」絶対美味しい訳じゃないのに!ま、この売り子さんが悪い訳じゃない、この店の主人だろう、こんなぼったくりをしているのは。こんな店に入ったのも縁だし、値段を先に聞かなかったのもこちらである。仕方なし、側のテーブルで溶けるが先か口に入れるが先かで食べていると、外から店の関係者と思しき男が入って来て、何やらイタリア語で売り子に怒鳴っている。そしてレジに自分の鍵をガシャーンと叩きつけると奥に引っ込んではまた戻ってきた。売り子の方はこの男の扱い方に慣れているようで一言も言わず平然として、肩をすくませて私を見る。
フィレンツェからシエナ行きのツアーに同乗したアメリカ人とアイスクリーム談義をする。「イタリアだから美味しいアイスクリームを期待したけれど、It’s disappointing(がっかりしたわ)。」すると彼女も全く同感,「そうそう、その言葉よ!」
ミラノでは、カフェーもレストランも昼時になれば現地のビジネスマンで一杯になる。その一杯になる処のセルフサービスで「あれと、これと・・・」と注文する。結構おいしい。日本でもそうだが、やはり常連さんが多く来るところは美味しい(ここでは、常連は味の分かる中年以上の人達を指す、若い人ばかりが集まっている処は往々にして裏切られる)。ホテルからドウモ(大聖堂)の間を何度も往復していると、「チョコレート」と書かれた看板が目にとまった。昼間に行くと、ランチタイムで中年のビジネスマンから10代の若者たちまで、超満員の客でにぎわっている。中に入ると、アイスクリームを売っている。なら、私も。
順番待ちチケットをもらって、いよいよアイスクリームケースの前に。ところが、アイスクリームを入れたスティール製の入れモノには全て蓋がされてあるので、どんなアイスクリームが中に入っているのか見えないし、メニューは壁に張り出されていても、その全てを物色するには時間がかかり、混雑している中でそんな事をするのも気が咎められる。それで「あなたが勧めるものを2スクープ、コーンの上において」と頼んだ。そうして私の手の中に入ってきたモノは・・・・・・うわ~(●^o^●)、これぞアイスクリーム。おいし~~~~い!!!これは日本で滅多に口に入る事のない美味しさである。コッテリ、ペローリ、ペローリ、キュキュキュ、シュシュッツ~・・・ふんふんふん・・・わたし~、しあわせ。。。。うわ~、これだわ~。う~ん、この店で働く人達、皆いい人ねぇ~。見渡すと、店員も客も満足げな顔をしている。
アイスクリーム一つでもこの違い。フィレンツェもシエナも観光産業で食べているようなもの(フィレンツェには織物、シエナにはワインがあるけれど)。でも、ミラノは現地の人達が殆ど。
食は、常連と共に豊かになるんですね。どこでも共通している事だけれど、お客を喜ばす商売をしている店は、店で働く人も店の雰囲気もやはり良い。
つづく
写真:左から
フィレンツェに滞在していた時は、丁度糸の展示会が開催され、日本からも衣料関係者が沢山フィレンツェに降りていた。イタリアは糸の色が違う。ファッションに敏感の人ならご存知だろう。例えば、ピンクにも色々なピンクがあって、同じ名称を持つサンライズピンク一つを見ても日本とイタリアの作るサンライズピンクの色は違う。彼らの色には深みというか穏やかなコクがある。それに彼らのデザインが加わる。何をためらおう!最近、製法にはイタリアに住む中国人が多く携わっているらしい。何人が作っていようと、イタリアで作られているのだからMade in Italyである。
この旅行の目的の一つはステージ用の服や装飾品を買う事だったから、着いた翌日から色々と物色して回った。これまでの経験が私を少し賢くさせているから、心から満足していない限り、お財布は開かない。しかし脳からアルファ―波がでるほど見初めた商品にはケチらない。。
ある店に入ると、7日から街中一斉にサマーセールが始まると知らされる。運良くその日はまだフィレンツェにいるし、私の誕生日でもある。良い感じ! まずは当日前に気に入ったものを探しておこうとブランド街を歩いた。ジョルジオ・アルマーニ、シャネル、プラダ・・・こう言うところは身体が緊張する。まだ日本に知られていないところで良いものが必ずあるはず。20年以上昔にベニスで、当時日本にまだそれほど知られていなかったミッソーニの店に偶然入り、紳士服の色合いに息が止まった。そんなものを見つけたいと思った。
それで、聴いた事のないブランドの店に入ると、面白いものがずらりと並んでいる。そこで随分長い事ファンション・ショーをやっている私に、とうとうそこの責任者が出てきて、30%ディスカウントしますと言って来た。かしこい!旅行者だとみた私を逃す手は無い。公式セール開催前のこのディスカウントは私の購買欲をさらに引き出した。そうか、イタリア人はこういう柔軟性を持っているんだ(日本の立派なブランド店ではこうはいかないだろう)。
アルノ川に架かる橋では金属店が軒を重ねている。普段あまり関心の無い貴金属なのだが、ひとつの指輪が私の眼を捕えた。「ステキ!」沢山ある金属店の中で、唯一心から満足したものである。それはシンデレラの靴のように私の指につまずきなく入って来て心地よく包む。定価通りに買うのかなぁ、一応聞いて見た。最終的に1,000ユーロのディスカウントに成功(イタリアってこういうところなんだぁと、また思う)。取引が全て終わって、アジア系に見えるこの接客係に出身を聴いた。日本人だと言う。それで会話が日本語に。その日は6日だった。「これ、明日買いに来ます。明日が私の誕生日だから、その日に買いたいわ。」午前9時過ぎだった。彼女が言う、「偶然なんですよ。この時間に開店しているのは。普通は10時過ぎに開けるんです。こんな早く開けても客は来ないよって言われたんですけど、今日は窓ふきをしようと早めに来たんです。私の主張が当たりましたよ、オーナーに喜んでもらわなければ。」うん?もしやこの指輪は本当にシンデレラの靴のように玉のような幸せを運んで来てくれるのかなぁ?。
フィレンツェでどっさり仕入れたから、ミラノで買いたいものは浮かばなかった。でも、ショッピング街にホテルを取ったものだから、ホテルを出たら直ぐに否が応でもブランド街のウィンドーが景色である。こちらの店構えは5つ星。フィレンツェは4つ星かな。5つ星はホテルでもそうだが、私の場合、ちょっと身の丈が違う。4つ星がちょうど良い。それでも中に入ると、4つ星風な扱いをしてくれる。心地よい。こちらもサマーセールが同じく7日から始まっていた。スーツケースの容積、それとそろそろ財布を心配しながら、また少しショッピング。
フィレンツェもミラノも、素敵な服でかつ着られそうな服が実に豊富に並んでいる。ドレスもセール時に来れば、日本の半額以下になるだろう。これに、外国人用の税金還付が加わる。この旅で出会ったロシア人やアゼルバイジャンの家族連れがミラノにはショッピングで来ると言った訳を納得。昨年大枚をはたいて買った表参道のブランドドレスが恨めしくなった。
つづく
写真左から
1.ミラノ商店街のアーケードの中。
2.シエナの金属店。マネキンが相手をしてくれている。
3.シエナの石鹸屋さん。ナチュラル・オリーブ石鹸を買った。
4.ミケランジェロ公園から見たアルノ川と街、橋の上には金属店が並んでいる。あの橋付近のホテルに宿泊。
フィレンツェで買い物を殆ど済ましてしまったので、ミラノでは何をしたら良いだろうと思っていたら、「そうだ、スカラ座があった!」と思い出し、嬉々とした。あのスカラ座に行ける!
フィレンツェからネットでチケットの予約をしようとしたら、私がミラノに滞在する間の出し物に関してはチケット販売がされていない。既に完売なのだろうか。しかし、こう言う時の私の底力はすごい(相手がモノの場合は)。諦めない。これまでの旅の経験で何度も成功している事だが、予約キャンセルを狙う。当日、地下鉄駅構内にチケットオフィスがあると聞いて、12時オープンの30分前に行くと、男性が二人既に並んでいた。徐々に私の後ろに人集りができ、つばの広い帽子を被った背の高い二人連れの若い女性がすぐ後ろについた。ロシア語で話している。なるほど、ロシア産のオペラもあるし、元来彼らは劇場が好きだ。以前にソビエト時代のモスクワで、前衛演劇劇場のチケット窓口に私も並んだ事がある。長いこと待たされた。もっとも彼らは長蛇の列に並ぶのには慣れている。11月の積雪の中、私の前に並んだ若者は不意に列から離れ、ウォッカの香りを漂わせて戻ってきたっけ。
私はオペラにクレイジーではないから、出し物は何でも良いから、スカラ座でオペラを観ると言う事をやって見たかった。つけ足せば、出演者がどのくらい素晴らしいかも感じたかったし、観客の熱気にも触れてみたかった。事実、声は本当に皆さん素晴らしい。余裕があると言うのだろうか、精いっぱいじゃないし、ソフトさがある。それに演技力もある。この辺が日本のオペラは今一で無く、今2のような気がするし、時にはとても稚拙(はっきり言ってしまいました~)。「Don Pasquale」の出演者の演技力は一人二人除いて達者だった(除外されたお二人の役作りは固いけれど決して稚拙ではない)。「Don Pasquale」はもともとイタリア産なので、Don Pasqualeを演じた歌手と彼が恋する女性役の歌手の身のこなしが自然で(もちろん声も)1級だった。ちなみに、この女性役は黒人女性が演じていた。演出は平凡だったかな。3階建てアパートの縦切り断面、それを閉じるとそのアパートの外装になると言う仕掛け。
12月7日がスカラ座のシーズンの始まり。お決まりの儀式で、当日は大統領と首相も来られるらしい。来場者は皆セレブばかりで、出演者にとっては一番緊張する時だとか。
つづく
下のサムネイルをクリックすると大きい画像が見られます。
写真、ひだりから
1.プログラムを販売しているデスク(十字架ならば神父さん?)
2.中央、ロイヤルシート
3.ホワイエで
4.観客席で
5.上演中フラッシュをたいて撮影している人がいたが、スタッフは”寛容”であった。せめてカーテンコールくらい撮らせて!
6.オーケストラの指揮者、赤いフレームのメガネが印象的だった。
館内に人が多くなると同時にあちらこちらでグループやプライベイトツアーに付いたガイド達の解説が様々な言語で聞こえてくる。通り過ぎるガイドの解説が大変魅力的なのだ。イヤホンから聞こえてくるもの以上の事が話されている。エピソードや絵の観方さえも教えてくれている。これはただのガイドじゃないと、ミケランジェロの作品を観に行った時にはガイド付きにする事にし、訛りの無い英語でしゃべってくれる人をお願いした(シエナでは強いスペイン語なまりの英語ガイドに当たり、彼女の話した言葉の10%だけをどうにか理解した)。送られて来たガイドはイタリアに住むアメリカ人だったが、わずか1時間だけのギャラリーツアーで観て回った作品は3つだけ。しかし、解説が大変面白く、様々なエピソードを話してくれる。聞くと、美術で学位を取っているらしい。な~るほど。後で聴いた話によると、どの観光拠点でも建物館内のガイドと随行ガイドの間に縄張りのすみ分けがされているらしい。
美術館や宮殿や有名な教会は何処も来る日も来る日も観光客で一杯である(冬は閑散としているらしいが)。入場券が最低6~10ユーロ、それに皆少なくともイヤホンを借りる(8ユーロだったかな)。本当にすごい人である。これ程の観光客がこの街にお金を落して行く。世界に誇る偉大なる歴史を持っている国と言うのは財政苦に陥る訳ないじゃないかと思うほどである。
フィレンツェは本当に外国人があって成り立っている所かもしれない。ミラノと違い、ホテルも国税の他に都市税を取る。
ところで、この「美術館編」で作品に付いて一言もないのは気が引けるので、技術的な事は全く分からない素人なりに一つだけお話をしよう。絵画は中世とそれ以前を描いたものがほとんどで、ピッティ宮殿で初めて近代芸術作品にお目見えしたが、中世の絵画に映る人の顔は、何故あんなに“うっとおしい”のだろう。罪を持つ人間が罰を受ける恐怖を抱いているから?絵画は大体教会から描かされているからあのような表情となるのだろうが、人間の本質からして、うっとうしさばかりなら生きて行けるわけがない。通り過ぎたガイドが「ご覧ください、この絵には感情が表れています」と言ったので再度その周りを見ると、確かにその絵画だけに感情表現がされていた。“泣き”の感情。しかし大体が、ピッティ宮殿の「聖母マリア」に行くまでは頬笑みさえ無い。近代芸術に行くと、やっと今の私たちの表情が映っていた。何か深い理由があるような気がして、ちょっと首をひねった。
つづく
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写真:左から
Uffizi美術館/
様々な形の旅がありその殆どを経験した中で、仲間意識の強い人達でする小規模グループツアー、二人だけの夫婦旅行、そして一人旅が好き。それぞれにそれぞれの味がある。仲間意識の強い人たちとする旅行は楽しい。そこには現地の人たちとの個人的交流はほとんどないが、他の土地に場を移す事で、別なエネルギーが発生し、仲間内の親近感が強まる。夫婦や恋人との二人旅、これは言わずもがな。そして一人旅は、心が深まる。
1年に1回は海外に行くが、今回は20年ぶりの一人旅。以前に行ったイタリア旅行で気になりながら残して来たところを回った。久々の一人旅だから少し不安だったが、できるものだ。ホテルだけを予約し、後は殆どが現地調達。英語力があると言う事はすごいと改めて思った。何処に行っても必ず英語を理解する人がいる。これまで完全に口をふさぎ手振り身振りだったのは中国だけ。台湾もデパートの店員などは英語を全く解さない。しかしそれも面白かった。手振り身振りで相手と一緒に笑った。
一人旅で、元来開放された性格には、現地で知り合う人も心を開く。会話が始まりやすく、"親しく"なりやすい。この「現地で知り合う人」に現地を旅行する日本人も入るのだが、日本人だけは例外な事が多い。私を含め、外国で一人旅をするアジア人はだいたい日本人である。しかし、いつも妙に思うのだが、彼らは旅先で出会う同胞を避ける(もちろん全員と言う訳ではないだろうが)。何なのだろうと思ってしまう。西洋人は、自分と同国の旅行者と気軽にしゃべる。中国人や韓国人は家族や団体で来ているのが常だから、本人たちだけの間で少々騒がしい(特に中国人、笑)。だが今回は、同じホテルに宿泊する日本人御夫婦とたまたま7月7日の私の誕生日に一緒に夕食を共にしシャンパンを御馳走して頂くと言う稀有な事に遭遇した。これもまた印象深い思い出となった。
一人旅で唯一「難」なのが、この夜の食事である。素敵なレストランがあっても一人で入るには気おくれする。だから、美味しいものにありつけない(アイスクリームのような立ち食いが出来るものは例外)。それ以外を取ると、好奇心の旺盛な人にとっては、誰からも制約を受ける事のない一人旅は、全て現地の人とのコミュニケーションを通してなりたつから、面白い事がどっさりある。つまり違いを見つけて面白い。
余談だが、黒いマント風な服アバヤを着たアラブの若い女性たちがイタリアのファッションを試着しているので、どうせ着る事の無い服なのになぜだろうと、とうとう聴いて見た。するとためらいもなく語ってくれた。「見知らぬ男性がいるところでは着れないけれど(つまり街中では)、自分の家や女性達だけが集まる処ではこういう服も着るのよ。ほら、ね」と黒い服の前を開けて中に着ているものを見せる。普通の女の子の果てしなく普段着の服が見えた。
最近、「個人ガイド」と称して商売をしている人がいるらしい。先に紹介した日本人御夫婦がそれを利用してフィレンツェに来られたと言う。前回は旅行社が組んだツアーに参加したが好きでないので、ネットで調べ個人ガイドを雇ったらしい。飛行場送迎から、希望する場所への案内、自由な時間の分配、レストランでのオーダまでガイドはお付き合いしてくれるようだ。お二人はこの旅を堪能していらしたようだ。これは確かに良いと思った。私も現地でツアーに便乗するが、満足したことは稀である。非常に薄い。費用は、2日で5万円だったとか。旅はもともと贅沢なもの。ならば、可能な範囲で精いっぱい贅沢して、堪能して行かれた方がよい。中途半端は結局より高くつくような気がする。
同じラテン系でも、イタリア人はフラン人に比べて西洋のジョークにあまり登場しない(私のかなり狭い知識の中では)。帰りの飛行機の中で客室パンサーにイタリア人とフランス人の違いを尋ねてみた。”We are more joyful (私たちは陽気だ)”という言葉が返ってきた。イタリア人には厚みがあってそこに弾力性があるように思う。マニュアルとはかけ離れた「個」、フランス人と異なり結構”素直な"個(笑)、が何処にでも存在する。。親切もマニュアルじゃない。イタリア人て好きだなぁと思った。もちろん私が出会った個々のイタリア人が良かったわけだが。しかし、ユーロから米国ドルに替えなければいけない手続きで、閉店間際に行った両替店では100ドル抜き取られていたようだ。その場で確認せず日本に帰って気がつくと言う私の愚鈍さが原因だが。
一人旅、それは自分を常に外に向かせるからアンテナ受信機がよく作動し、入って来るものが実に多い。
つづく
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写真: シエナ(左から)
洗濯機止まる必ず来る終わり (出典:川柳新子座)
私のクロゼットの奥に車が2つ付いた旅行用の緑のスーツケースが長い間置いてあった。もう着る事もないだろうスキー服や帽子、昔着たステージ用のドレス等を収納し、普段は開ける事がほとんど無かった。時々クロゼットの掃除をする時に目に留まり、必ず一人の人を思い出した。その人とはよく一緒に旅をした。その旅用に買ったのだと思う。ロック番号はその人が考えた422(しずに)。「静に贈る」と言う意味でもあったかと今は思う。
その人は神様が下さった私の宝だったが、数年前に神様にお返しした。お返ししたけれど、旅にはいつもその人が一緒だったから、なかなか一人旅を再開する勇気が無かった。怖かった。他の国の街を歩きながら、哀愁の憐憫を抱かせるような風景に出会うんじゃないかと。
数ヶ月前からフィレンツェに行きたいと思い始めた時、友人を誘うかと思ったが、「一人で行こう」と決断した。そんな気になった事がうれしかったのか、一筋の光が心の中に射し込んだような気がした。そして10日間ほどの旅行に唯一対応できる緑のスーツケースを取りだし、容積の3分の2はあちらでの買い物が占めるように、身軽に旅発った。
フィレンツェとミラノの旅は想った以上に色々な事が楽しく面白く、全てがスムースに運んだ。一人旅をしていると言う感じがしない。侘しさも淋しさもない。昔の一人旅より豊かで、あの人と一緒にした旅行に負けないくらい、楽しく充実していた。自分でも意外だった。なぜだろう・・・。かつての一人旅をしていたずっと昔の自分と今の自分が違う事に気付いた。その人と一緒にいた時の自分とも違う。仲間と旅行しているような楽しさなのだ。は~、ここまで回復、いや、あの時よりもずっと前を歩いている。感慨に浸ると共に心の中に光が漲っているのが見えた。
スケートでペアを躍る20才の高橋成美は自分のパートナであるマーヴィン・トランを見つけた事は、神様からのプレゼントだとテレビで言っていた。人と出会う事が神様からのプレゼントならば、お返しをする時が来るのも神様からのプレゼントなのかもしれない。瀕死の重傷を負いながら(ちょっと大げさ)お返しした後でゆっくりやって来る大きなプレゼント:気付き→目覚め→生き直し。
フィレンツェでスーツケースは既に腕の圧力だけでは閉まらなくなっていた。ケツアツがあってどうにかロックはできるが、ミラノで靴を買ってしまった。これら全てをどうやって持ち帰ろう。市場には車が4つで大変軽く運べるスーツケースが出回っている。周りを見ても2輪のものを引いている人を見かけない。しかし今のものも壊れている訳ではないし、そしてやはり、このスーツケースを置き去りにする事は、かすかに胸を締め付けた。
だが、日本に帰る前日、偶然サムソナイトの店の前を通った(そうなっているのね)。店員が薄いシタジキを曲げるようにケースの蓋を曲げてその軽さを見せてくれる。それに加え、4輪がさらに持ち運びを容易にさせ、赤色が心を弾ませる。即断。新しい赤いスーツケースをころころ転がしながらホテルに戻り、緑のスーツケースから中身を移し替えた。要らなくなったものはホテルで処分してくれる事になった。自分でも驚いた、心が喜んでいる。翌朝、隅に置き去りにされた緑のスーツケースに、思えば、振り向きもせず一瞥もせず、部屋を出て飛行場へと向かった。
(勢いよく回る)洗濯機は必ず止まって洗濯が終わるように、血しぶきを上げた苦しみもやがては必ず止まって”洗濯”が終わる。そして、綺麗になる。
イタリア旅行記 完
先週21日と22日の土日に、東武東上線大山駅の商店街で開かれたチャリティーライブに出演した。とても楽しかった。用意された椅子に座って聴いて下さる方、通りすがりに立ち止まられる方、携帯を持ちだして誰かに聴かせている方等等、初めてのライブ企画に、足を止めて下さった方々は喜んで下さったようだ。共演されたのはとても若い方々、リズム感があって、私にとってはめったに傍で聴けない曲を聞く事ができ、それぞれが異なる個性で、実に層の厚いライブになったのではないかと思う。
面白い事に、私が 歌い出すと中年の方々が徐々に集まって来られた。それまでは若い方々が大半で、ノリの良い歌に合わせて合の手を入れていたのに(^v^)。やはりそういうものなんだなぁと。
出演者のパフォーマンスが良かったのか、今週29日(日)に開かれるこの街のサマーフェスタにも今回の出演者全員が参加する事になった。18時から一人10分ほど歌うらしいので、2曲ほどだろうか。NHKの歌謡番組を連想させる。
歌ってすごい、人が集まってくる。(●^o^●)
すごい暑さ。2日前、暑い暑いと言いながら大学のOBゴルフ仲間はゴルフコースに立った。待ち合わせの時間前に練習場に行ってハーフを回るほどに打って来た人が二人いた。優勝を狙っている。その一人は現れた時から顔がひきつっている。貸切バスの中で手渡された組分け表をみると、その優勝を狙って既に一汗かいてきた二人と私が同じチームに。いや、3人。3人目は、(私は知っている)、早朝練習はなかったようだがずっと優勝を黙々と狙っている先輩だ。狙うがために力み過ぎていつも敗退。今日は颯爽たるメンバーの勢いに負けてか、少しばかりおとなしい。そういう私も、実は、その前日に練習場に行って30分ほど打っていた。ハンディ36で優勝を狙っていたのだ(ククク・・(^v^))。
“絶対”優勝を狙う2人と”もしかすると”を狙う私、そして上述の「3人目」がチームを組んだのだからすごい。最初から殺気立っている。一人が打ったボールがOBかどうか、「OBじゃないない」「OBだ」「いやxxxでOBじゃない」「いや、OBだ!」と解明手続きがカートの上でも延々と続く。ゼロか100、その途中のない、抑えのないプレイをする面々が少なくとも2人いる。が~んと打って260ヤード飛ばしてラフに球を置くか、飛ばして右にOB、暫定球を打ってまた右にOB、そしてまた・・・OB、・・・・(し~ん)。どしゃ降りの雨に打たれたように全身を汗で濡らしながら、野を駆け谷を下り山を登り森を分け入り奮闘する。
熱中症?思うに心から楽しんで遊んでいる時は、日射病とか熱中症も避けて通るのではないかなぁ。
最初のハーフの余りにも無残な結果に優勝無しと“確信”して気が楽になったのか、ランチタイムには一番殺気立っていた人がやたら饒舌になってきた。そうしたら後半、皆調子が良くなる。OBが無くなり、狙った所に球は大体止まる。あららら、コンペ参加者20人、優勝は上述の「3人目」の人。殺気立つ二人のお陰で、力みが抜けて実力が出たよう。あははは・・・
暑いですね。でも楽しい事をしている時は、子供がそうであるように、大人も暑さはあまり関係ないようですね。帰りのバスの中、皆で缶ビールと御つまみを手に、幹事のリードで楽しく笑い語らい、実に楽しい一日でした。
この暑さ、一つ一つ大切にしたいと思う年齢になりました。涼しくなってしまうとやはり淋しいかな。まるで蜩(ひぐらし)。
昨日大学の友人たちと横浜みなとみらいで花火を観覧した。その中の一人が30階建てのマンションの29階に住み、そこのベランダはこの花火大会の特等席の一つ。ベランダにはテーブルと椅子が用意され、有志が買い出しに行き食べ物と飲み物が準備された。
花火が大好き。私が死んだら花火を打ち上げてね、と昔言っていた事がある。29階の真正面で展開する花火はとても大きく美しく、裂ける寸前にはベランダにいる私たちを呑み込んでしまうような勢いがある。日本人の技と芸に改めて誇りを持つ。20年近く前隅田川の花火をずっと立って見ていた時、周りの超高層マンションに住む友人がいたら良いなぁ、そうしたら花火大会の日には招待されて・・・などと思った事があったが、それが現実になった。
今年はもう一つ願いが叶った事がある。私のライブを楽しんでくれる“仲間たち”が出来た事。一緒に飲みながら労いやダメ出しをやってくれる、そんな風景をかつて描いていた。それも現実となって現れた。
29階のベランダでビールやつまみを手に皆とワイワイガヤガヤやりながら、一人思っていた:願いは本来叶えられるためにあるんじゃないか、「道」を間違わなければ。
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このしずこのホームページが壊れてしまった。写真などをアップしようとすると通信エラーが出る。理由はサーバーの容量限界。それで、色々といじくり、消したりしていたら・・・・壊れた。
ワールドカップやオリンピックでサッカー観戦をするのが大好き。あれって、「平和な戦争」だと思う。若い時にある動物的闘志の平和的発散(特に男性は)。実際に参加する方も観戦する方も。あのようなゲームを創りだしてくれた先人達の知恵に心震えた事もあった。
オリンピックでもやはり男子サッカーが好きなので1昨日ネットでいろいろ調べていたら、日本がエジプトに勝った事より、韓国が英国に勝ち日韓そろって4強、そして来るかもしれない日韓決勝戦、または3位決定戦に関する記事が最初に出て来た。日本の嫌韓感情むき出しにしたコメント付きイギリス対韓国の試合がビデオに流れていたけれど、試合が進むにつれ、「日本人だけれど韓国を応援しています」とか「韓国落ちついているね」と、コメントが段々と穏やかになり優しさが出ているのには、何か心が温まり、こちらもほんわかとなった。その中でとてもおかしくて面白いコメントがあった。「韓国がブラジルに勝って、日韓試合になると面倒な事が多いから、ブラジルに勝って欲しい」。日本が決勝戦に進むと確信しているようなコメントだ。微笑ましいと言うか、楽しい。
今日ネットで見つけた、韓国の中央日報の日本語訳には次のように載っていた。
韓日間の決勝戦が最高のシナリオ、最悪は…
・・・韓国は今大会、敗戦なく8強に進出し、英国を破った。
今後の最高のシナリオはこうだ。 韓国がブラジルを降し、日本がメキシコに勝ち、韓日が決勝でぶつかるケースだ。 まずアジアの国同士が五輪の決勝戦を行うということ自体が歴史だ。
五輪サッカーの決勝にアジアの国が進出した前例はない。 韓日の決勝戦が実現すれば、欧州と南米が主導してきたサッカーの歴史に変化を与えることができる。 ・・・・韓国は日本との対戦でこれまでも爆発的な力を発揮してきた。
日本ネットユーザーも「韓国は日本と対戦すれば戦力が30%以上も増幅するのでブラジルと対戦するのがよい」とコメントしている。
一方、最悪のシナリオはブラジルに敗れた後、3位決定戦で日本と対戦し、4位に終わるケースだ。 戦力面で劣るブラジルに敗れるのはまだしも、日本との対戦で銅メダルもつかめなければ、そのダメージは大きい。 メダルを逃して兵役免除も受けられず、五輪史上初の4強入りという成績も色あせてしまう。
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そうか、相手が日本だと韓国のパワーが30%増幅するんだぁ。だから面倒な事なのかぁ(それも一つね、きっと)。何かとてもおかしくて滑稽で声を出して笑ってしまった。絶対勝ちたい韓国、負けてはならぬ日本―こんな感じかな。おもしろい!見てみたい。良い試合がそれぞれの心に平和と敬意と好感をもたらすわ。私の敬愛する人が言っていた「ライバルは敵ではない、自分を磨く自分の味方だ」と。頑張れ!
此処まで書いて、今日になり、日韓の試合は実現するけれど、3位決定戦となった。それでもアジアの快進撃、すごい!
とても残念。日本時間今朝行われたオリンピック男子サッカー3位決定戦。韓国が1点入れた後日本も1点を入れるチャンスがあった。そうしたら本当に面白いゲームになったのに。大津がミドルシュートしてしまえば良かったところ、戸惑いながらも(そんな風に感じた)清武に合わせようと彼にパスしてしまった。しかしそこに清武はいなかった(クソっ・・・・・・!!!!握りしめた拳骨が震える)。プレヤーの一瞬の戸惑いが判断を誤ってしまったような気がする。彼自身も悔しさでグラウンドを叩いて慟哭していた。あの1点が入っていたら、日本の勢いが萎える事は無かっただろう。勝敗は、戸惑う、戸惑わない、この二つの違いにあったような気がする。
そしてもう一つ、対戦が始まる前に紹介された韓国マスコミの報道によると、同じロッジで宿泊する日本人プレヤーには韓国チームと一緒である事にストレスがあるようだという。20才以下のワールドカップアジア予選で日本はことごとく韓国に負けていたらしい。それを経験しているのが永井や宇佐美。「勝てる」と口では言いながらも、苦手意識が敗北を想像させていただろう。画面には、近寄って挨拶をしようとする韓国サーカーチームのメンバーに対し、日本チームはみな下を向いて顔をそむけている場面が映された。相手は日本、絶対勝つぞと言う前向きなエネルギーと、嫌だなぁと思う負の想い、試合前から勝敗は決まったようなもの。
そんな事も含めて、ネットで多くのJリーグファンが今回は「韓国に完敗。素直に認める」「韓国は普通に強かった、日本が弱すぎた」と言っている。良いね、こういう捉え方。勝負は負ける事もある。その時はきれいな負けた方がいい。それに対し、3位決定戦終了後、韓国選手が突然「竹島は韓国のものだ」と書いたスローガンのようなものをかざした事は、大変後味を悪くした。本人の意思でしたかどうか分からない。突然客席の人物から渡されカメラに向けさせられたのかも知れない。勝利の悦に入っていたため拒否できないまま持ってしまったならば、可哀想にとしか言いようがないが、ああいう行動は得るものより失うものの方が大きいだろう。
それにしても、日韓選手たちは本当に成長したなぁと思う。特に韓国選手のプレーには落ち着きと言うか、品が備わりつつある。激しすぎて後進性を感じるものが徐々に無くなっている。互いに宿敵と言われているらしいこの2つの国のプレヤーが、互いをライバルとしながらそのライバルがいるから成長している環境をフルに利用して、これからも観るものを楽しませて欲しい。
ブラジルとメキシコの対戦。やはりうまい!個人技がすごい!とにかく良く動くし速い。そしてボールを取っても相手が直ぐに奪う。互いにそうなのだから、あっぱれ!非常に見応えがある。メキシコがこんなに強いとは知らなんだぁ、シラナンダァ。
3回にわたりサッカーの話をしたりして、私も随分サッカーに熱を入れるようになったなぁ。かつては、新体操、水泳、シンクロだったのに。サッカーは庶民のチームスポーツ。お金が無くとも、ボール一つあれば皆で遊べる。かつて2002年の日韓ワールドカップの時、ドイツ系の会社のイベント通訳をしていたが、そこの社長がお客を連れて試合を観に行くと言う事があった。ドイツが優勝決定戦に出るのでかなりはしゃいでいた。ドイツでは5歳か7歳くらいの時からサッカーをするようで、どの町にも年齢別のリーグがあるらしい。女性サッカーチームもあるとその時に既に聞かされていた。この時のワールドカップでは、ロシアは、7つのポルシェを用意し点を入れた選手一人一人に与えるのだとNewsweekに書かれてあった。当時のロシアのエリツィン大統領は大統領府チームを作ってモスクワ市庁舎チームと試合をするほどにサッカーを楽しんだという。
ところで、メキシコ対ブラジルの決勝戦、どう言う訳か朝方にメキシコの文字が私の頭の中に浮かんだ。それで、メキシコが勝つ事を、試合開始前からいわば知っていた。で、本当に勝っちゃった。(あんた、サッカーの勝利占いをするドイツのあのタコか?
今回のロンドン・オリンピックの4強入りは、南米とアジア(それも極東アジア)で、ヨーロッパは敗退したんですねぇ。なんだかすごいと思いません、アジアの快進撃?!
1昨年まで私のライブやリサイタルに来てくれた友人から久々にメッセージがあった。彼が来る時はかつてのクラスメートが2人一緒に来るので、私は彼らを3銃士と言っていた。長らく足を運んでもらっていないのでどうしたのかと思っていたが、彼曰く、時々私のHPをみているが、”熱狂的な”ファンがいるみたいで、もう自分たちの手を離れたような気になり、今さらすけずけと割って入って行くわけにもいかないような気がしている、と言う。
熱狂的なファン?何処からこんな言葉が生まれるのかとしばし考えた。もちろんファンはいる、いると思う。いなければ困る。でも“熱狂的”?・・・・思い出した。この言葉が一度使われた事がある。昨年の六本木STB139でのリサイタルでの事、フィナーレで男性達の声援がかなり聞こえた。それを聞いた方が、「熱狂的ファンがいらっしゃるんですね」と言われ、その言葉をリサイタル来場者のコメントとしてHPに載せた事がある。
使わせて頂いているライブハウス「池之端QUI]は4年前に私が初めてリサイタルを始めたところ。あの頃は年に一回、今は大体3カ月に1度の割合で、あのリサイタルを"ソロライブ"と名前を変えてやらせて頂いています。つまり、年に一回が精いっぱいだった3年の期間が終わって年に4回できるほど成長したと言う事でしょうか。また、あの頃は、友人知人、そしてその皆さんが連れて来られる方々で客席が埋まりましたが、ステージ自体は面白いが歌手としてまだ未熟、それで一回きりと言う方々もいらっしゃいました。今は声の落ち着きと共に、毎回来て下さる常連が徐々に多くなっています。芸は常連と共に育つと思っているので、願っていた形になってきたかなと。
これからだ、と言う気がしています。これまでのトントン拍子の拡大は、この道を素直に歩く私に対する神様からの餞(はなむけ)だったと思う。今年、年4回の小ライブの形を取ることで、"本物"になって行く道を歩み始めたと言えるかもしれない。皆さんが喜んで下さるステージ創り、これを常に心がけているのです。
手を離れたのではなく、勝手に手を離さないで下さいね。
1月
謹賀新年 2012/1/2
「落ち着かなくて皆で一杯やって帰った」 2012/1/4
新曲の誕生、「Yesterdayを聴いて」 2012/01/10
1年半遅れの開店祝い―幸せになるためには順番がある 2012/3/1
9月
最悪?最良?家が全焼 2012/9/1
ソロライブ#4 2012/9/10
声 2012/9/16
リハーサル終わる 2012/9/18
昔をちょっと思い出し 2012/9/20
夏が行ってしまう 2012/9/27
準備完了 2012/9/28
さあ、これからだ 2012/9/30
アフリカのアラブ系の腕利きの歯科医らしい。抜歯の瞬間。右手に持っているのは何の石だろう、歯に刺している工具は・・・それにしても、こんなにも人を信頼できるものなんですね。
。
マスコミが騒ぐ最近のニュースを聴いていたら、ふと思い出した。
3年前韓国のソウル駅で、タクシー代を払うために円からウォンに換金しようとしていた。夕方の退社時間でもあったので沢山のビジネススーツ姿の人達がソウル駅構内に入って来た。その中の一人の女性を捕まえて換金場所を尋ねると、「既に営業時間が終わっていますよ。・・・日本からいらしたんですか。・・・・私が換金してあげましょう。今日の換金レートは御存じですか・・・・いくら必要ですか」と自分のカバンからお財布を出し私にウォンを下さった。お礼をする私に彼女はニコッと笑い付け加えた、「日本で私も大変親切にされましたから。」感動するものがあった。日本から来たと言っただけで、彼女は私の発言した換金レートを疑う事もなく、ウォンにしてくれたのだ(後で確認したら、私は彼女に有利なレートを言ったらしい。逆で無くて良かった)。
海外旅行は私の生命を輝かすエキスとなっているので、少なくとも年に1回は他の国を観に行く。そこでは色々なハプニングがあり、現地の人に助けられる事が多い。接した人達が良い思い出をつくる理由になれば、だいたいその国が好きになる。
だから、自国にいて、外国からの旅行者と思しき人が道に迷ったりしていると、私は進んで手を差し伸べる。相手が韓国や中国から来たと知ると、その親切心は増幅するみたい。日本人や日本に対して好感を持って帰ってもらいたいから。
親切にすれば親切が返ってくる、「与えよ、さらば与えられん。」もちろん上の韓国女性は私が親切にした人ではないけれども、私が親切にした人も、どこかで日本人の誰かに親切をお返ししているだろうと思うし、そう願いたい(こう言うのをPay it forward と言っている米国映画があるらしい)。平和や和解は草の根から。外国人の前では一人一人は自国を代表する外交官の役割を担っているのかもしれない。
弾けるように笑いが飛び出す。食事をしながら本を読むと言う習慣は普段の私には無いのだが、休憩を与えさせない面白さと生々しさが佐藤愛子の「花は六十」にあり、「大戸屋」で定食のお盆を下げられた後、長居を許さざるを得ないようビールを注文し、読みつづけた。恐らく私はたまらなく面白い漫画を見ているような顔をしていただろうと思う。定食屋だし混雑時間は過ぎていたし、店内には色々な音があるので私の笑いを聞くのは両隣くらいだろうと、心置きなく笑いを連発していた。
佐藤愛子の書いたものは、これが二冊目である。最初はエッセイシリーズのその八だった。エッセイシリーズには彼女のまっ正直さがはっきりと見え、開けっぴろげだが品を無くさない面白さがあった。彼女の表現力の豊かさ、一気呵成に書いているような流れるような勢いに、今まで読ますにいた事が、なんというか、空間にぽかんと穴を開かせてしまったようで、何とも悔しい思いをするのだが、今"間に合って"読めた事が実に嬉しく、なにやらその穴を埋めた充足感がある。
「花は六十」は還暦を迎えた女たちの話である。主人公の勝代は普通の妻をやってきたが、夫は先に逝った。子供達は所帯を持ち別に住んでいる。一人住む家の二階から隣家を覗くのだがその家の団欒や夫婦二人の散歩を目にしながら理想の夫婦の姿を想像している。が、さにあらず、隣の主婦静(しずか)は亭主の自分への無関心さに常に腹が立ち、彼のする事なす事皆気に障る。その亭主も長年一緒に暮らして来たがさっぱり自分の妻が理解できず関心も示さず、古文書を読んではキリストの調査ばかりをしている(この調査内容が面白い)。正に隣の芝生なのだ。その静に20代の恋人が出来る、そして主人公の勝代にはお見合い話が・・・・
60代のまだ生き生きした女たちがする会話は夫の悪口、新しい恋、肉の営みであるが、その内容たるや臨場感にあふれ、世の中のどこかで女達はこんな話をしているのだと、まだ仲間に入っていないが、やがて入るのかもしれない会話にやたら私はドキドキして緊張する。20代の恋人と比較して静が表現する自分の亭主の持ちモノ:ドブネズミの死骸
・・・・私は口を半開きにしたまま宙を回っているような気分だった。。。。確かに重なるものも・・・うわっははははは・・・よくぞ・・・ぐわっはっはっはははは・・・!
「ああ、面白かったと言って死にたい」と作家自身が言っているのを新聞の書籍広告欄で見つけたが、辛い事苦しい事をこんなに面白く書ける佐藤愛子は、本当に自分の人生が面白いのではないかと思う。面白く書いていると面白くなって来るものだ。まったくユーモア小説なのである。「花は六十」を大戸屋で読み終え、私は図書館にまっしぐら、また彼女のモノ(こちらは本です)を四冊借りて来た。
彼女の家には一時週に2、3回、こんな電話がかかって来たらしい。
「もしもし佐藤さんですか」
「佐藤さん?佐藤愛子さん?」
「わぁ、やっぱり!」ガチャン。
自分の雑文集で、佐藤愛子は彼女の自宅の電話番号を口にするある編集者との実際の会話をそのまま載せた。彼女の書くスタイルは着の身着のまま、素っぴんであるから、読者もその電話番号が彼女の実の電話番号である可能性が高いと、ときめきを抱いて掛ける。彼女自身もおそらくそんな電話を予期しているのだろう:新しいネタが手に入る。
彼女の作品の特徴は、怒り。そしてその怒りを僅かに遅れてみる笑いの眼。そこに殆ど企てのないまっさらなユーモアがある。「S」と言う出版社とどうも大喧嘩をしたらしい。余りにも腹が立って、S社とは関係の無い週刊読売だかどこかの連載も止めてしまったという(かなりの癇癪持ちだ)。この「S社」の事が彼女の雑文集に時々顔を出すので、私の頭はこのイニシャルで綴られた「S」の周りを散策する。
「え~、本当に佐藤愛子さんですか、きゃ~」この種の電話は深夜にもかかって来る。勝手にかけて来て勝手に切らない場合は、「お会いしませんか」と言うお誘いもある。相手は彼女の顔をじかに見たいだけ。あって何を話すの、色々言って断ろうとすると、相手は不満げな声色で「私はあなたの書いたものを全部読んでいるんですよ!」と押して来る。
そんなこともあり、新しい雑文集では、「ところで、今回、私は我が家の電話番号を変更した」とその番号を掲載。非常に目立つように、最後の行に数字だけ。3230-61xx(実際の雑文の中では全て数字になっている)
この人本気かな、でも・・・私の中の面白好きが騒いだ。「試してみよう。今北海道にいらっしゃる筈だから誰も出ないかもしれない(事情があって私は知っている)。万一出られたら、先日いただいた御返事にお礼を述べて・・・・」とその番号を鳴らした。夜10時半。音だけが鳴りつづける。やはり、佐藤愛子さんの電話番号なんだぁ。へぇ~。
と思ってそろそろ受話器を置こうとした時、男の声が受話器を取った。留守番電話?いや違う、生の声。
「はい、Sxxx社です。」
「えっ?何と言いました(こちらから電話をしておいて、何と言ったかはない)
「Sxxx社です。」
「えっ?佐藤愛子さんのお宅じゃないんですか」
「いいえ、Sxxx社です」
Sxxx社?「S」社って・・・・身元が分かった、と同時に作家の魂胆が見えた。
「このような電話、かつて沢山あったでしょう?」
「いえ、知らないです。始めて取りましたので」
読み終わったばかりのこの”新しい”雑文集「女の怒り方」は初版が1991年。おそらくその時を知らないであろう若い男の声。恨みは読者を使った電話攻勢で晴らしたのだ。あははは・・・20年前に掛けてみたかった。
今日は久々にM先生の個人レッスン。9月のソロライブの選曲も大体決まり、歌うキーをどれにしようかと先生と相談。自分一人でやっていると、低いキーを選択し楽な方を選びがちであるが、果たしてそれがその曲に対する私の一番魅力的な声なのかどうか分からない。それで半音または全音高い声と共に先生に聴いて頂く。何せ二期会のメンバーも教えを賜るほどの方なので、声の選択は先生の一声で大体決まる。全幅の信頼を寄せている(なんと幸せな事か!)。
9月の出し物にはこんな曲も取り入れる事にした。
Amazing
Grace
サントワマミー
恋人よ(五輪真弓)
おお・パパ (落ちの面白い、フランス人のユーモア歌謡)
ジジ・ラモローゾ
このジジ・ラモローゾは越路吹雪が歌っているものをそのままおろしたが、「恋人よ」と共に、オリジナルキーで歌う事になった。実はM先生がそれをを進めて下さった時に、やはり少しばかり嬉しい気分になったのである。楽をしていたらイカン!きっと五輪真弓も越路吹雪も彼女達の楽な位置よりも高めなところで歌っているような気がする。最近気が付いた事だけれど、もちろん曲想によるが、大体高めがポーンと人の心に響くようだ。特に大きな舞台で歌っている場合は。
「隣からのもらい火で家が全焼したんです。でも家族は全員無事でしたので、とりあえずは大丈夫です」上で話した某音大のM先生のお話。この先生はその実力から、そして面白いエピソードからクラッシック界ではほとんど全員が知っているような方である。 「燃えて行くところをずっと見ていたんですが、なんだか落ち着いていましてね、こんなものかと思ったんですよ。なかには大事なものもありましたけれどね。最悪の出来事には違いなかったんですけれど・・」 「最悪?先生、これは最良のでき事ですよ。家族は全員無事、一銭も出さずに、家は全部建て直しができるし、間取りも変えられるし、先生のグランドピアノも買い替えられるし、大事なものというけれど、だいたい無ければ無いでどうにかなるものですよ」 M先生はキリスト教会で日曜ごとにミサのお手伝いをされているようだが、敬虔なクリスチャンと言う訳ではなさそう。業の浄化と言う観念はキリスト教にあるのかどうか分からないが、どうもなさそうな事をモグモグと言っていらした。 「業の浄化」と言う言葉が滑り出たので、思い出した事がある。稲盛和夫さんが京セラの社長をしていた頃、セラミックスで作った医療器具を厚生省からの認可前に出荷してしまったらしい。氏によると、医学界が納入を急きたてたとか。それでマスコミがまるで悪人の如く彼を叩いた。世間からも見放されたような気がしてやる気を削がれ失望の中にいた時、彼は京都の臨済宗の和尚を訪ねた。話を聞いた和尚は、御気の毒なことと同情するどころか、「わっはっはっはっは・・・・」と高笑いをされた。 「稲盛さん、家に帰られたらお赤飯を焚いてもらいお祝いをされたらよろしい。あなたの過去の業が流されたのですよ。」これを聞いた稲盛氏の心は苦しみから喜びに変わり、「よ~し、これからは良い事だけをして行くぞ!」と晴れ晴れとした気持ちになったとか。 想いかた次第で、苦しみが喜びに変わる。唯心所現(ゆいしんしょげん)、自分に見えているものは自分の心を映しているにすぎない。 想うに、火事を不幸だと決めるのも私たちの心が創りだす集団的想いなのだろう(これを妄想とか迷いと言うらしい)。自分の人生を振り返ったり他の人生を聴いたりしていると、いわゆる“不幸”と言う苦しみは、その“不幸”があったからこそ訪れる大なる”喜び”への序曲である事が多い。その不幸が苦しければ苦しいほど、先に待っている喜びの光は燦々と輝くらしい。 |
今年最後のソロライブです。詳しくは「出演しているライブハウス」に掲載しております。
今回はこれまでお客様から頂いたご要望を私なりに反映したライブにしようと考えております。お客様参加型のライブと言ったら良いでしょうか。
芝居じみたドラマ性の高い歌「ジジ・ラモローゾ」。ミロール、オルガを始め芝居と歌が共存したようなこの類の歌は、どちらかと言うと私には入りやすい歌のようで、シャンソンを歌い出した時によく歌っていました。今回のジジ・ラモローゾは、元はダリダが歌っていますが、久しぶりにこのドラマ性の高いシャンソンを取り入れます。
どうぞ、楽しみにいらして下さいませ。
月一回見て頂いているM先生の9月のレッスンが一昨日終り、その翌日改めて声の出し方を変えて今月のソロライブに歌う曲を全曲再録音をして聴いて見た。
声の良い人は沢山いるけれど・・・こんな発想から歌の世界を伝える表現力のある歌、と言うのが選択したというか、言い訳と言うか、自然と言うか、私が取ってきた方向だったが、昨年の六本木STB139(スイートベイジル)のリサイタルをDVDにして専門家に聴いて頂いたら、声を指摘された。
声かぁ、どうにかせんとあかんなぁ。
しかし、昨日の一人練習で何かが分かって来たような気がした。今まで色々な人が、まるで一つ一つ別の事のように、喉の奥を大きく開ける、鼻腔に通す、母音を全て同じ位置に・・・・などと言っていたが、それが全部一つの所に収束した。言われて来た事がまとめて分かったのである。再録音した声を聴いた。
M先生が大きな鼻の”穴”を更に拡大してよく言っていた、「歌って簡単ですよ、鼻ですよ鼻。」確かに鼻は鼻だが・・・あんなに鼻の穴を大きくしなければ、声は鼻に行かないのか。大きな穴をさらに大きくして目の前に突きつけられるたびに、滑稽で、恥ずかしくて、笑っては申し訳なくて、下を向いてしまう。再度顔を上げると顔の上でデカ~と胡坐をかいた先生の鼻の穴がまだこちらを向いている。つまり"穴"と眼が同じ方向を見ているのだ。見なさい、なぜ下を向くんですかと言わんばかりに。がばっと開いた穴は中の闇を隈なく見せる。吹き出しそうなのを堪えて、私は眼をそらせて何か他のすべき事を探すか又は話題を変える。先生はまだ頭を少し後ろにそらせている。こう言う事が何度も繰り返された。
しかし、何処から鼻に行くのかが分かったぞ~。果たして、人もそのように思うのかどうか分からないが、「なんやねん、歌の声を作るって、ほんまに(そしてやっぱり)簡単な事やったん。」
これ、楽天的すぎ?
リハーサル終わる 2012/9/18
今月のソロライブのピアノ演奏をして下さる花井研さんと昨夕2時間ほど一通りリハをした。花井さんとは8年ほど前シャンソンを歌い出した頃に出会い、その後家までお邪魔して彼のスタジオで練習をさせて頂いた事がある。その後も新宿QUIで私の出番の時に時々伴奏をされていた。
リハが終わって、
「私の声、変わったでしょう?」
「(眼を大きくし、頭を深~く縦に振る)う~ん、パーンとストレートに出るし・・・」
「やっと分かって来たの。色々な人が色々言っていた事がね・・・・”これから”だと思っているの。精神的にもね、本物にして行きたい」
「・・・・(再度ふか~く頭を縦に振る)」
リハ中、彼は身体を大きく揺らしながら気持ちよく演奏していた。そして”良い音楽”だと繰り返し言っていた。上の16日のブログを書いた後、声を聴いてもらった最初の人だ。
昔をちょっと思い出し 2012/9/20
私が通っていた大学が卒業生に配布している学報が届いた、早稲田学報10月号。普段余り開く事はないのだが、母校出身の演劇人や映画人の話が特集のようなので読み始めると、かつて米国に留学していた時にロスで出会い大変印象深い人物として互いの記憶に深く刻み込まれた人のインタビューが載っていた。鈴木忠志。寺山修二、唐十郎などと同じ時代に”演劇革命”を起こした人だ。写真を見ると総白髪になっていて、初めは気がつかなかった。記事は在りし日の早稲田小劇場が取り壊されると言う事で、その劇場の主催者であった鈴木さんへのインタビューである。
何十年前の事になるだろう、ロサンゼルス・オリンピックの前の演劇祭に富山の過疎村を本拠地として活動する鈴木忠志率いる演劇集団SCOTが招待され、彼はその下調べにロスに来られた。当時、私はカリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(UCLA)の演劇学部に在籍中で、丁度学生演劇の発表会に俳優として出ていた。彼はその芝居を見て、「本気で芝居をしたいなら、今すぐ日本に帰ってこい」と言われた。それが御縁で彼のワークショップに参加したり、彼の演劇論を修士論文のテーマに選んで書かせて頂く事になった。チグハグな事もあって彼との出会いは大変刺激的で楽しい出来事であったが、求めるスタイルが異なり、彼の劇団に所属するには至らなかった。が、彼を介して詩人の佐々木幹夫や帝国劇場支配人からセゾン劇場に移られた故大河内さん(下の名前は?)とお逢いする事にもなった。
夏の利賀村は鈴木忠志主催する国際演劇祭でにぎわう。あそこに行けば面白いものが観られる。利賀村ではないが、十数年前にやはり鈴木忠志の招待で実現したロバート・ウィルソン演出の「蝶々夫人」(静岡県浜松で公演)、生涯忘れない素晴らしい作品だった。
夏が行ってしまう 2012/9/27
夏が空からいなくなる。
涼しい風に場所をゆずって、飛び去ろうとする
そのシャツの裾を掴んで付いて行きたい
でも、きっとどこかで振り落とされるだろう
そしたら私はそのまま地上に落下するのだろうか
それともこの途方もなく広い空の中で、迷子になるのだろうか
イワシ雲のウロコの間で
夏が空からいなくなる
再びあなたに逢うまで、何度夕焼けを見る事だろう
次はどんなシャツを着てくるの
制する者がいない勢いで、じりじりと空を這って現れる
あなたにまた逢えたと私はニコッと笑うだろうか
それとも今度のシャツの素材が荒々しいと、隠れるだろうか
コンクリートの熱の上で
I know you don't have much time left to share with me
But, spare the time for us to rejoice
in the remains of the fragrance
that you've spread in the months,
because I know I forget you once you leave.
Spare the time, spare the time, one day only, one night only
for our final rejoice in being together
準備完了 2012/9/28
1週間ほど前の天気予報だと明日のソロライブの日は曇りのち雨の予報が出ていたけれど、今見ると最高気温29度。ほっ!あぁ、恵まれているなぁ、と嬉しくなる。お客様も初秋の風に当たりながら気持ちよく出て来られるかもしれない。譜面の印刷やテープの貼り付けも終わり、準備は一応完了かな。後は、寝る前に一通りチェック。
今回はたまたま3カ月毎のソロライブになり、4回目になると少しは慣れて来たのか、時間も随分余った。準備は当日に持ちこさないようにできたし、明日はジムに行って少し汗を流して行こう。
ギターも入れる事にした。ピアニストの花井さんが、リハの時に「これは並木さんしか対応できない。並木さんがNGならピアノ一本で行きます」と言われた。大変光栄に思ったのだけれど、そんな風に言われている並木さんてどう言う人かと、今日「並木健司」を検索して見た。NHK「生き物地球紀行」、フジテレビ「月の輝く夜だから」、日本テレビ「いとこ同士」などのサウンドトラックを演奏をしているよう。わぁ、今回もすごい方に来て頂くんですね。私の歌はつり合っているかしら。釣り合わせなければ。
「ジジ・ラモローゾ」が、自分で聴く限り、良い仕上がりになったかな。キーを半音高めにしただけでかなり音質が変わったわ。聴いて頂くのが楽しみ。
明日は真っ赤なドレス。
さあ、これからだ!2012/9/30
このブログを書いているのは30日に丁度入ったところ。だからまだ昨日のライブのほてりが身体に十分に残っている。特別な日だった。来られると期待していた人たちが来られないで、初めてお目にかかる人達が多数来られた。様々なそれぞれの理由でのキャンセルが続出し、一時は動揺もしたが、「平常心」の言葉で心落ち着かせ、ただ精いっぱいやろうと開演時間を待っていると、開演時間間近に見知らぬ方々が幾人も入って来られた。何と言うプレゼントだろう!眼に見えない力が働いていると感ぜずにはいられなかった。それに応えようと特別なエネルギーが私の体内に満ちた。
今日のライブは、先のブログで書いた新しい「声」で聴いて頂く初めてのステージ。この特別なエネルギーと新しくなった「声」が、ステージをこれまでのどのステージよりも高い水準に引き上げたように思う。私を全く知らなかった方々が断然多かった日だったが、オリジナルの「間に合いますか」では、数人の男性達の手が皆同じところに動くのが見えた。眼がしら。
1部 2部
ジジ・ラモローゾ Amazing Grace
待って 恋人よ
サントワマミー 再会
スカーフ 夜よ、さようなら
「Yesterdayを聴いて」 おお、パパ
「間に合いますか」 ケサラ
「今のわたし宝石です」 「美しい日々だけを連れて」
アンコール 夜明けの歌
1曲目の「ジジ・ラモローゾ」はとてもドラマチックな歌。こう言う歌が好きな方が休憩時間に眼孔を極限まで開いて私を追っていた(フフフ)。「恋人よ」と「夜明けの歌」が心に沁みたと言われた方もいらした。初めて来られた名前も存じ上げない方々は黙々とCDとDVDの購入にマスターのところに行かれた。1部で帰ると言っていらした男性4人のグループは、2部も座ったまま、新幹線最終電車に間に合うぎりぎりまでいらした(間に合いますか?笑)。終っても皆さん直ぐに帰ろうとなさらない。「夜明けの歌」をアンコールに大きな拍手を頂いて終わった。手ごたえを感じた。発声の場所が確実に分かりそこから声を出し、なおキーを高めに設定したことで、
・・・・・自分に言った、「私はブレイクした。」
さあ、これからだ!
昨日銀座の東京画廊で初沢亜利の「Modernism 2011-2012東北―東京―北朝鮮」と題した写真展に行った。
銀座にはなぜ画廊が多いのだろう。お金持ちが来るから美術品を買う可能性が高いからだろうか。または、美術を観賞できるような人は銀座を歩く人達であるからだろうか。沢山ある画廊の中でも、東京画廊は、写真家にとっては新しいものを見せてくれる場所だと、当日のトークメンバーの一人である写真家の浅葉克己氏が言っていた。
東北、東京、北朝鮮の日常を並べた写真展だが、初沢亜利の狙いはこの3都市に”共通する”日常を見せる事。確かにまぜこぜに写真を並べられても違和感がない。もちろん、似ている日常や風景を撮る事が彼の狙いだからその狙いに合う被写体を選び、彼のカメラレンズの中にそれだけを収めて来たという訳だが、私たちが日常見せられている北朝鮮の貧困と軍隊の映像とは別の際にある日常である。ピザ・レストランのウェイトレス、プールでゴーグルをかけて泳ぐ子供達、美容院のソファーに座って待つ女、エステのベッドでフェース・マッサージ受ける女たち、浜辺で戯れる男女、駅の掲示板を見る中年女。言われなければ、東北のどこかだと思ってしまう。東京ではない。しかし、ひとつだけ、東京だとしてもおかしくないものがあった。一人の女性の写真である。ミディのワンピースを着て肩には大きめのルースなバッグをかけている。この上もなく整った顔。マスコミが見せる、色グロで痩せて平ったく顎の張ったおばさんたちの顔を見慣れている私は、えっ?これ北朝鮮の人なんですか、と念を押す。目元と言い、その笑い顔と言い、完全な美人、いや麗人である。そしてシンプルな服とバッグの組み合わせのセンスの良さ。東京の街中で見かけたとしても何の不思議はない。人は振り返るだろう。
「一瞬恋に落ちました」と写真家が言う。「かわいい女の子が多かった」と。これまでマスコミが紹介して来た写真も本当だし、此処に展示されている写真も事実なのだろう。写真家が何を撮りたいかで被写体が変わる。その被写体を見せられて、私たちは想像を膨らませていく。もしかすると彼の場合は、ただ日常の生活で自分が撮りたいものを撮っていたら、東京や東北と変わらないじゃないかと言う事につながって行ったのかもしれない。北朝鮮には昨年と今年にかけて4回、東北の被災地は毎月行っていたらしい。
トークも大変興味深かった。久々に面白い話を聴けた。芸術家と言うのは、生まれた所、育った所、そして今いる所に影響されるから(芸術家に関わらず皆そうだと思うが)、居る場所を固定しない方がよいと画廊の代表者が言うと、初沢氏はそれを受けて、被災地に行って東北と北朝鮮をつなげると言った時、「なぜ一緒にするんだ!」という不満の声があったが、日本にしか住んでいない人は日本で与えられた情報だけで北朝鮮を見ているからそのような声が上がるが、フランス生まれの自分には、そのような情報に囚われず自由に考えると。なるほどと自分の事に照らして思った。私も周りの人に比べて自由な発想をすると思う。そう言えば何度か言われた「電話帳を見たら、あなたの電話番号随分変わっているのよね。」うん?そうか確かに随分引っ越しをしたものね。色々な国々に行ったし、米国にも9年以上いたものね。行く度に色々な事を見て考え方が随分変わってきたわね。
東京画廊は北京にも画廊を出している。そのお陰で日本と国交のない国々の芸術家の作品にも多く触れ日本に紹介する機会があったらしい。画廊代表者の話によると、北朝鮮と国交のない国は世界で6カ国だけらしい(へぇ~、”孤立された”国ではないのね)。イタリアを始めヨーロッパからの観光客が多く、今は観光産業で潤っているとか(へぇ~、だからピザハウスがいくつもあるのね)。
私もこの国を覗いて見たくなった。しかし、写真家が言う。「必ず案内人が付き、撮影が許可されている所だけを回るのですが、訪問回数を重ねて行くうちに互いの間に親しみが沸き、撮影範囲が広がってきました」。その案内人も訪問者や観光客を見張っていると言うよりも、北朝鮮内で安全に動けるように案内する事が役目でもあるらしい。地方に行くと「日本人だ」と言って睨まれたり、彼が撮りたい被写体を見つけて勝手に動き出すと、後ろから公安が付いて来たりする。現地の北朝鮮人である案内人がびくびくし注意をするのだが、彼が、「大丈夫ですよ」と言うと、「ここはそんな所じゃないんです!」と言われたらしい(笑)。
「私たちの日常は約200年前に始まったモダンの延長線上にある。しかし、モダニズムは今どのようになってしまったか、それを彼(初沢亜利)は北朝鮮・東日本・東京の3つの場所から今を私達に提示して問いかける」山本豊津(東京画廊ディレクター)。
ところでこの若き写真家初沢亜利、なかなかハンサムで、服は黒でまとめていたが、フランス生まれと言うのも納得したくなるような、ラテン系のソフトな顔立ちである。
コピーマイク 2012/10/20
12月に札幌のあるイベントで歌う事になったので、それに合わせてマイクを購入する事にした。まだ回数は少ないがホテルを会場とするイベントに出演依頼を受ける事がある。どのホテルも歌用のマイクを大体持っていて、ブランドはShure。自宅での練習用にも同じブランドを使っているが、今回少しパンチの効いた音を出すという同ブランドのプロ用のマイクを購入しようと、ネットで色々と検索していると,欲しいマイクの新品のものがヤフーオークションに出品されていた。
新品なのになぜ安く売るのだろう、調べるとその出品者は私が欲しいマイクだけでなく色々な音楽関連グッズを扱っている。店が倒産でもしたのだろうか。一応オークションで落札し、そこから配送等の情報を細かにみると(これは本当は順序が逆でなけれれば行けない)、配送方法が国際郵便である。はて?聞くと中国から出荷すると言う。匂って来た。コピーじゃないか。
「中国だと聞いて心配になって来ました。コピーではないのですか。」
「品物に問題があればいつでも対応します。もし心配でしたらキャンセルしても良いです」
[ハイ、コピーです」とはさすが言わないが、問題があれば対応しますって、う~ん、何か怪しい。それに対応するって言っても、何度も連絡して到着を待つというやり方は、想像しただけでしんどい。そう言えばこの出品者に対する評価に、「悪い」と言った人が2人いて、その一人がシルバーはシルバーでも本人が持っているこれまでのものと微妙に色が違うと言っていた(「良い」が460
人を超えていたが、この評価は開梱直後の評価だから品質の評価ではない)。ネットでさらに調べてみると、中国のコピー品がバッグだけではなく音楽機器にまで拡大しヤフーオクションで売られていると書かれたサイトが出て来た。
そんな訳で、取りあえずそちらはキャンセルした。その後Shure日本代理店に連絡し、私の欲しいマイクはメキシコで製造される事が分かった。製造元を確認し、日本の音響機器ネット販売会社から購入する事にした。
11月。急速に空気が冷え出したような気がする。昨日のジムでの井戸端会議ならずサウナ会議で聞いた話では、10月1日の気温はまだ31℃だったとか。でも、12月の冬至ももうすぐなのだと思えば、気も軽くなる。また日が長くなって行くもの。そう考えると、東京の1年も悪くない。
私の11月は、六本木ブルーシアターで「マイケルジャクソン『スリラーライブ』」を見る事で始まった。マイケル追悼ショーとしてロンドンから始まり世界の様々な国々を巡演しているショーであるらしい。通っているミュージック・スクールが無料招待券を希望者に配布してくれた。
マイケルの歌とダンス、このショーでは特にダンスのすごさに圧倒される。すけすけ感が極めて少ない。以前にマイケル自身の「スリラー」をDVDで見て感じた事だが、音楽の一つ一つのビートに動きをはめているようで、動きも速いし細かい。ダンサーたちの肉付きの良い弾力性のあるのびのびした筋肉が大胆かつ細やかに動く。何ともセクシーでゾクっとする。
会場は圧倒的に若い人たちで賑わっていた。ダンサーたちの踊りがステージを盛り上げると、観客は一斉に立ち始める。立ってその場で身体を揺らしたり、両手を高く上げて手拍子をしたり、一緒に歌い出す(歌える所では)。歓声も至る処から鳴り始める。静かな歌になれば、全員着席。立っている人は一人もいない。これを何度も繰り返す。私の横にいる若いサラリーマン風の男性はダンサーと同じ動きをしようと少し大きく動いた途端、私にガツン。ニコッと相づち。ロックコンサートの模様を時々テレビで見るが、あれだ。前列にいた女性二人は、周りに気使いせずに存分に踊りたい様子で空いていた最後列に移動した。
「マイケルジャクソン『スリラーライブ』」、マイケルはいないけれど、大変見応えのあるショーだった。
ありがとうで勝った日本シリーズ巨人の勝利 2012/11/4
今年の日本シリーズは日本ハムファイターズを3対4で負かし巨人が勝った。私は巨人ファンではないが、今回はクライマックスシリーズからずっと巨人が”本当に”勝つのか注視していた。原辰徳監督が唱える”おまじない”の効果を見定める為である。きっかけは次の記事だった。
・・・・・
V確率0%からの大逆襲だった。開幕から打線が低調で、4月に2度の5連敗。22日のヤクルト戦(神宮)で借金は7。過去には一度も優勝したことがない数字だった。「あの頃はどうにもこうにもダメだった」と原は振り返ったが、この時、1冊の本に出会い、考え方が変わった。五日市剛さんの「ツキを呼ぶ『魔法の言葉』」(とやの健康ヴィレッジ)を読んで「ありがとう」「感謝します」という言葉の本当の意味を知った。
「自分のために何かしてくれて、それに対して感謝するから、ありがとう。これは違う。ありがとうって、漢字で書くと“有難う”―難がある、と書く。難があっても今、こうしていられる。小難で済んだことに対してありがとう、なんだ。5連敗を2度した時も、誰もけがなく、今年戦うメンバーが元気にグラウンドに立っていた。それこそ小難で済んでいた。まさに“有難う”だよ」
どんな逆境も「ありがとう」と思えたから、強かった。過去の実績にとらわれることなく、小笠原、阿部、村田に送りバントのサインを出した。さらに重盗やスクイズなど、今までの巨人とは180度違う野球でチームを活性化させた。
順位を1つずつ上げ6月6日には初めて首位に立ったが同20日、自身についてのスキャンダルが週刊誌に報道された。原の、そしてチームの勢いをそぐような事態に陥った。悩み、疲れ、目は真っ赤になり、体重は2~3キロ落ちた。だが、ここでも「ありがとう」の精神を忘れなかった。
「あれも試練。いろいろな人に迷惑をかけたし、助けてくださったけど、僕の気持ちも少し整理できたのもあったし、あの報道でもっと大きな難を免れたかもしれない。ありがとう、だね」
・・・・・
一時はどんべになった事もあったらしいが、クライマックスに進出しヤクルトを破り、対中日のファイナルでは3連敗していたところから一挙に4連勝をし日本シリーズへの進出を決めた。原監督は、恐らくこの時、おまじないの凄さとおまじないを唱える自分に湧き出るような自信を持っていたに違いない。
私は精神修行に道場通いをしていた事がある。その道場での挨拶は常に「ありがとうございます」。一部屋に20人から40人もの人たちが雑魚寝をし、禅僧の修行に似たような(と思う)事をするのだが、朝起きれば「おはようございます」ではなく「ありがとうございます」、行き交う人に「ありがとうございます」、何度行き交っても「ありがとうございます」、お手洗いに人がいれば「ありがとうございます」、お風呂場でも「ありがとうございます」である。
この道場で使われる本は40巻からなる「生命の実相」であるが、鳴り物無しで最初の数行を読んだとき、が~ん!とものすごい衝撃が天から降って来たような感があった。まるで私の為に書かれていると思ったほどである。高校時代に読んだ「風と共に去りぬ」以来の夢中さで読んだ。そこには常に「感謝」が書かれてあった。頭で分かってもそれが血となり肉となるまでには時間がかかる。私はこの40巻を読み、常に横に置いて躓いた時にはまた開いた。人生で悩んだりぶつかったりする問題の解決はこの本の中に全てあった。
五日市氏はイスラエル旅行中に知り合ったおばあさんから感謝の言葉が魔法の言葉だと教えてもらったと言う。また、それを実践する事で彼の人生がいかに良くなったか、彼の本や話に素直に追随した事で、同調者達の希望や願いが成就した話などが語られている。
この言葉がどこまで魔法をかけるのか、私はずっと巨人の行方を注視していた。そして実証された。巨人は勝った!。ありがとう、感謝しますは万国共通の幸運を呼ぶ言葉なのかもしれない。それなら信憑性がより高くなる。使って見ましょうね。
二つのドラマ 2012/11/8
・NHK ドラマ「負けて、勝つ」
・インディーズ映画「かぞくのくに」
9月から10月にかけて放映されたNHKスペシャルドラマ「負けて、勝つ~戦後を創った男、吉田茂」は今日の日本の礎、特に日米関係の礎がどこでいかに創られたかを教えてくれるドラマだったように思う。敗戦後日本は再び軍隊を持つ事を世界から恐れられ、細かく分断されて異なる国の植民地にされる可能性があったらしい。しかし、日本の領土をそのまま保ちつつ疲弊した国を立て直すには、いつか独立国になる事を願いつつ、とりあえずは日米安保条約を締結し米国の”傘下”に入る事を当時の首相であった吉田茂が決断する。天皇を国の”象徴”と呼び、軍隊を持たない事を前提にした”平和”憲法が米国によって作られる。
そう言う事だったのかと日本現代史の細かい所を一つの視点から勉強させてもらった(渡辺謙はマッチと葉巻を頻繁に使いカッコよくやっていましたね)。
しかしこのドラマに対する感想が、もう一つのドラマを見て変わった。10月の暮れ、私はFacebookで知った脚本監督ヤン・ヨンヒの「かぞくのくに」を吉祥寺の映画館まで観に行った。ベルリン国際映画祭で国際アートシアター連盟賞を受賞し、来年開催される米国アカデミー賞外国語映画賞の日本代表作品に選ばれたらしい。
この映画は監督自身の実話をベースに作られたようだ。安藤さくら演じるリエは在日2世。リエの兄ソンホは16歳の頃総連幹部である父親の勧めで北朝鮮に渡った。そして25年後、ソンホは脳腫瘍を患い北朝鮮では直せないと、日本に一時戻る事が許可される。同じような理由で数人の若者が日本に戻ってくる。滞在期間は3カ月。
そのソンホには北朝鮮から公安が付いてくる。昼も夜も付きまとう。ソンホが日本に戻る理由は治療の他にもう一つあった。スパイ活動をしてくれる人を探す事である。ターゲットは妹のリエだ。それを察知しリエはおびえ、ソンホから何がどうなっているのか聞きだそうとするのだが、ソンホは口を開かない。
病院に行って検査を受けるが、3カ月ではとても治療できないと、手術自体を断られる。別な医者を探していると、突然、国から即帰国の命令。公安職員もこれに対し上司に驚きを表すのだが,ただ機械的に受け入れるしかない。そんな事に慣れているソンホは抵抗もせず受け入れる。この理不尽さに怒り涙するリエ。明日再び”あちらの国”に帰ると言う日、ソンホは初めてリエに色々な事を話しだす、「あの国にいたら思考を停止しなければいけないんだ。考えたら気が変になるんだよ。」ソンホを北朝鮮に行かせたのは父親。それには朝鮮総連の幹部である自分のメンツがあった。そして新潟までソンホを送りに行ったのは父親でなく、この父親の弟、ソンホの叔父であった。叔父さんはソンホの父親をなじる「ソンホが帰国船に乗船する前、なんと言ったか知っているか!『もし北朝鮮に行かないで家に戻ったらお父さんの顔を汚すよね。』そう言ったんだ。あんたには息子の気持ちが分かっていたのか!」
飛行場に向かう車にソンホが乗ろうとする。無言のままソンホの腕に絡みつき放さないリエ。走る車の中から窓を開けて昔懐かしい場所を眺めながら「白いブランコ」を歌うソンホ。その窓を閉めてしまう公安職員。ソンホが北朝鮮に戻った後、リエは旅行用の4輪の大きなスーツケースを買う。それは、ソンホと一緒に街中を歩いている時、彼がガラス越しにそれを見つけ、満面に笑みを浮かべて店に入り触っていたものだ。ソンホがリエに言う「リエ、お前はこういうスーツケースを持って、色々な国に行けよ。」
ネットにこの映画を観た人達の感想が沢山出ているが、彼らの言うように、この映画はただ悲しいんじゃない、怒りとやり場のない悔しい涙をとうとうと流させる。そして豊かさを極め自由が当たり前のこの日本の直ぐ側にこんな国が今でも存在している事が、信じられないというか、天と地ほどの違いの中で人間が生きていると言う事が、・・・何と表現したら良いのだろう、悲しい。
昔ソビエトを旅した時、オデッサでひょんなことからロシア人のアパートに呼ばれた事がある。アパートの住人である若い女性は小さな声で私に言った「言いたい事を自由にしゃべれないのよ。誰がどこで聴いているか分からないから。」人々は粛清におびえていた。北朝鮮は今もこれと似たようなものなのだろう。
この映画を観た後、私は吉田茂首相が”取りあえず”の策として決断した日米同盟に、日本と言う国は何と幸運なのだろうと思わずにはいられなかった。そしてその日本に生まれた私も。こんな聡明な人が適時適所にいた事で、細切れになって米国、ロシア、イギリスの植民地になり、北朝鮮のような状況に置かれたかも知れないリスクを回避できた。
しかし幸運は外から偶然にやって来るものでは無い、「念の総合的力」によるものであり、自分が創るものだと言う。日本文学を英語に翻訳をしていた米国人としてドナルド・キーンがよく知られているが、もう一人エドワード・サイデンステッカーがいる。彼の自伝TOKYO
CENTRAL:A MEMOIR(邦訳:流れゆく日々)で、敗戦後の日本人は意気消沈していたどころか、非常に明るくエネルギーが満ちていた事に驚きがあったと言っている。佐藤愛子もその私小説「血脈」の中で、戦争が終わったことで、さぁ、これから好きな事ができると浮きたったと書いている。「念」が幸も不幸も呼ぶ、幸福が来るという根拠のない確信がやはり日本にあの時点で最適な選択をさせたように思う。集団的念であるなら、突然生まれたものではなく、何千何百年と言う生まれ変わりの歳月を通して強く大きくなって来たものなのだろう。
北朝鮮を「かぞくのくに」と呼んでいる監督のヤン・ヨンヒ自身はずっと北朝鮮系の教育を受けて来ているが、このタイトルの中に、北朝鮮を自分の国と思っていない事を暗に示している。実話では監督には3人の兄さんがいるが、みな父親が北朝鮮に送ったらしい(無知の恐ろしさである)。だから兄たちの国、”家族の国”だ。
主人公のソンホを「平清盛」に出ていた井浦新、リエを安藤さくらが演じていた。此処でも若い俳優たちの演技が何とも良い。特に安藤さくら、公安職員のヤン・イクチュン(韓流ドラマでは有名らしい)、そして医者を演じた俳優(名前は?)が素晴らしかった(医者が登場するシーンは2回だけだが、無機質で事務的な医者を良く表していた、本当の医者かと思い紛うほどに)。やはり自然な演技がよい。「俺、うまいだろう、カッコいいだろう」は、「我」を前面に出したようなもので、見ていて気恥ずかしくなる(ちくり!)。
ところで「負けて、勝つ」、今この時期にこのドラマを創り、映画で無くて視聴者の多いテレビで放映するのは、特別な思惑があるような気がするのだけれど・・・しません?
ゴルフの替え歌 2012/11/9
私の通っていた大学のOB会が東京23区の区毎にあるが(もちろん都下にもある)、私が所属するOB会には早慶戦のコンバットマーチを作曲された方がいる。この楽曲の歌詞はワンフレーズ「ワセダ、ワセダ、ケイオウ タオセ」だけ。なんともユーモラスで大胆な構想で作られているが、この作者は流行歌のメロディーを使ってゴルフの替え歌も作っている。とても面白くて直ぐに歌詞を頂き様々なゴルフ会の打ち上げで歌うと、参加者は大体笑い転げる。それを作者に伝えると、弾みがついて更に作り始められたらしい。だが替え歌の面白さは初めて聴いた時だけだと思っていた私は、彼の新しい作品に興味を示さず、見る事もしなかった。
しかし、2日前、大学の大規模ゴルフコンペで、たまたまこの先輩が私のチームの前のグループでプレイをしていたので、紹介がてら、私のチームメンバーに彼が作った歌を歌って聞かせると、なんとまあ、大笑いの連続なのである。その内の一人は御自分も他で歌うつもりらしくこの歌詞をメモった。
パーティの席で歌って欲しいとメンバーから言われたが、参加者180人の中で少数の勧めで歌うのは気が引けて実現せずであったが、彼らの喜ぶ姿を見て、こんなに楽しんでくれるならこの替え歌をより多くの方々に聴いて頂こうと、作者に追加作品を見せてくれるようお願いすると、嬉々として送って下さった。
3年前から7曲以上書いていらしたようだが、とりわけ大きな笑いを誘ったものがあった。中条きよしの「うそ」を書き替えた歌である。作者の言葉のセンスとユーモアに今度は私が嬉々として歌唱に取りかかった。はしゃいでいる。これをいつか聴く方々の大きな笑い声が、既に聞こえて来る。
どんな歌詞かって?うわっはっはっは・・・・
あら、まぁ 2012/11/10
坊や、いい子だ、寝んねしな。
此処までやってくれると、やはり面白いね 2012/11/11
今ネットでは様々なSNS(Social Network Service)がある。ミクシーのように顔も名前も知らない人達がニックネームをつけて趣味で交流して行く場所もあれば、Facebookのように本名を名乗って登録する処もある。世界7億人のユーザーがいて株式上場までしたというFacebookは本名登録だから名前を入れて自分で友人を探す事もできるが、それぞれのメールアドレス帳に勝手に入って来て友達を探してもくれる(すごいね!)。そのためどんどん友達も増えるし、旅先で知り合った人もかつてならその土地を離れれば「♪はい、それま~で~よ♪」となったが、今はFacebookで再会できる。
友人が自分のページで何かを書いているとそのお知らせが必ず自分のページにも現れる。「この映画が良かった」とか、いろいろ。それを見ながら、この人が良いという映画なら本当に良いかも知れないと思って行ってみたりする。そんな風にFacebookに登録する事で、生活圏が拡大したように思う。逆に悪用する人もいる。Facebookの仕組みが分かると、自分のアドレスを変えて他人になりすまし友達申請をして来て承認すると妙なメールを送って来て、いわゆる出会い系サイトに連れて行こうとする。私もこのターゲットにさせられてしまったが、ネットマニアの方に救われ、難を逃れる事ができた。
海外から友達申請をして来る人もいる。言語が英語なら、匂わなければ光栄と思って承認させて頂く。しかし、今日、ハノイに住むという青年からフレンド・リクエストがあった。承認をする前にどんな人かを掴むためにそのページに行ってみると、友達とのやり取りは皆ベトナム語らしい。私はベトナム語を知らないので、それぞれのやり取りの下にある「翻訳」というお手伝いツールを使った。出てきた日本語は、
彼の妻を知っていない家を離れて食べる..... その少しの細菌の茶粥を取る !
こちらの頭だけをすっぽりどこかに持って行かれたような感覚・・・此処までやってくれると、やっぱり面白い。あははは・・・・。???だらけだけど、「細菌の茶粥」とは?
うわ~ここまで世の中は変わったのね 2012/11/12
ウワ~、世の中こんなふうにまでなったのね。
Facebookでフレンドになった方が結婚したようである。両家の御両親とホテルで食事
御両親との顔見せならば、緊張感もありその場に全身全霊投入と言
ついて行けるかなぁ、頑張ろう(;一_一)
「輪廻の華」完成 2012/11/12
うわ、うわ、うわ、良い感じ~。恨み節「輪廻の華」がイントロその他が付いて完成して送られて来た。「これほどの恨み節は無いよ。これ、かなり面白いよ」とアレンジャーの西さんの弁。手にする人は、ホント、皆言う。「こわいけれど、おもしろい、この歌」と。どんなアレンジにするのかは、西さんのインスピレーションに任したら、ジャズの4ビートだという。そのように仕上がって来た。
私の場合は、歌詞と曲が一緒に出るか、または歌詞が先にできて曲が出て来る。作る時は大体一気呵成に書くので、頭であまり考えていない。「自然に転調しているので面白い」とも言われたが、それも計算している訳でなく、ただ単に曲がそのように出て来ただけ。歌詞も以前のブログに書いたものに修正を加え、これまでどこにもない歌詞になったと思う。
この歌に(も?)期待が膨らむ。
書こうと思っているテーマはまだまだある。詞を整理すれば徐々に完成するだろうけれど、急いでいない。今年は3曲完成かな。
タクシー運転手との会話 2012/11/16
これは時実新子の「有夫恋」の表紙にあるキャッチフレーズ。情念のドロドロした世界が実際に手に取って開く前から漂う。
鮮烈で、痛々しい。女の「血」の嘆きを感じる。重たくて、しんどい世界。でも言葉と言葉のつなぎ方にこってりした濃くがあって魅かれる。
それでもっと読んでみようかと彼女の事をネットで検索していたら、上の言葉が出て来た。なにこれ?利己主義のかたまりじゃん。「あなた」と言っている女性の立場で物事を考えた事があるのかと、反発とその世界に入る事の拒絶感が働く。断熱材が十分に使われ機密性が高く、しかも冬でも太陽が部屋の半分以上の面積を燦々と照らす、寒さのほとんど存在しない部屋で、時折ベランダに出て湿った空気やさわやかな空気を深呼吸して吸い込んでいる住人は、一軒家で障子戸がカタコトと風で音を立て、周りの高層ビルに陽の入りも邪魔される6畳間で、丹前を羽織って座机に向かい、自分と自分にまつわるものの内面の動きばかりを見ている住人には成りたくないと思うのに似ている。明るい所に引っ越したくとも、なかなか行動が伴わずウジウジとしている住人と、さっさと明るさを求めて移動する住人の違いともいえる。
ある男と女の話 2012/11/29
時実新子の作品を読んでいたら、こんな物語を書きたくなった。
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女は男に会って見ようと思った。歳月が憎しみを感謝に変えていた。今や男と別れたのが何年前の事だったかもはっきりしない程、女は新しい人生を歩きだしていた。
憎しみがどのように感謝に変わって行ったか。男に感謝する心を持ちたいと思った訳では無い、ただ、今の自分は自分が求める自分の姿では無い、それが男との別れに至った原因の一つである事を女は自覚していた。この男との別れの後にまた新しい出会いがあるだろう、その時に同じ事を繰り返したくなかった。
正に「死が二人を分かつまで」手をつなぎ肩を並べて歩き続ける夫婦であろうと男も女も互いに疑わないでいた。その二人の姿は多くの夫婦達の理想の形のようでもあった。男と女はいつも一緒だった。いわゆる相性が良いと言うのだろう。女は男の妻となり、母となり、姉となり、娘となり、男は女の夫であり、息子であり、弟、時にして父親であった。
しかし結婚14年目にして突然、女は初めて男と別れたいと思った。そんな気持ちが生まれた事に女自身が驚いた。50代前半の男には自分の仕事と立ち位置を誇らしく思えなかった、なによりも生きがいが見つけられず、負け犬のように、希望成就したものをひがむようになっていた。女は男の話に目を伏せるようになり、男は寂しさに包まれた。男からジョークは消え、女が大好きだった男のチャーミングな顔から笑顔も消えた。
女は男との間に距離を置きたくなった。男はその寂しさを隠し、女といない時間をあたかも外で楽しく過ごしているようすを女に見せた。しかし、その焦燥感とやり場のない気持ちは時々蓋を開け女にぶつけられた。うまくいかない事象は、全て女のせいになった。とうとう女の弾力性を欠いたプライドが壊れ始め、そして切れた。争いが始まった。が、男は争いの原因を分かっていないようだった。女のプライドの高さが原因だと思っていた。 女は男の言葉で自分の自負心がズタズタに崩されて行くのを必死で防ごうと男に対しあがいた。男は女の優越感を見せられているような気がした。それは負け犬の心を刺激した。
些細な喧嘩は今までもあった。女は男を旅行に誘った。旅先で見せる男の行動に女はいつも感動し、旅を通して二人の絆は深まって行ったからだ。外に場所を移す事でこの喧嘩も終るかと期待した。
しかし、つかの間の喜びの後、男の苛立ちの瓶の蓋がまた開き喧嘩の虫が飛び出して来た。とうとう女は泣きながら男を外に追い出した。反省してもらうためだったが、男には反省材料が見当たらなかった。
ある日、男がやって来て言う。亭主に愛されていない若い女が自分を必要としている、その女と一緒になって子供を育ててみようと思うと。女には男が発音する音は聞こえるが、なにが起きているのかまだ掴めないでいた。男と女の間に子供ができなかった事は女のせいではなく、男のために女が選んだ事だった・・・
家を出させて数カ月、若い女ができて、男は、自分は愛される人なのだと鼻の下を長くして言い、女を「叔母さん」の蔵に入れた。女に逢う前に関わった他の女たちを全てそのようにしたように。女は割れた。夜叉になり男を憎んだ。悪夢を見ているようだった。慈しんだ穏やかな香り漂う月日が突然切り取られた。女は錯乱した。プライドが瓦解する激怒と愛着の間を何度も何度も行き来した。楽しくも美しい日々を送っていた場所が修羅場と化した。やがて男と若い女の間に子供ができ結婚した。女は号泣した。が、同時に微かな解放感が訪れた。
自分の妙なプライドが自分の人生を前に推し進める原動力にもなっているが、同時に和を破壊する力にもなっている事に女は気づいていた。自分を変えたいと思った。一冊の本が女の前に運ばれてきた、宇宙の芯とつながる事、人の心の働きが書かれてあった。女は変わった、生き方も、人生の目標も。人に喜ばれる人生を送る事を自分の目標に描き、それに向かって進化して行った。不思議にも、女自身気がつかないでいた”もの書き”と言う才能が花開き始めた。
女は男との人生の最後に「もう二人だけの世界はいや」と言った。その言葉に男は「僕はやっぱり二人だけの世界が良いんだなぁ」と返した。気がつくと、二人はそれぞれ願った通りの道を歩き始めていた。
男との別れという出来事を通して、女は様々な人間感情を経験し、世間並の女になり、多くの女たちと心がつながり始めた。そして世間の女の感情が自分の経験をもとに書けるようになった。
久しぶりに会った男は今にも瞼が破裂して涙が滝の如く落ちて来るような眼で女を見つめていた。女は知っていた、男が逢いたがっている事を。そして女は今なら会っても良いと思っていた。感謝を伝える事ができると、男の幸せを心から願うこともできると。男は幸せそうに見えた。子供が二人もでき、毎日忙しいと言う男に、女は心から喜んだ、「生きがいができて良かったね。本当に良かったね。」自分を去った男の幸せを願うというのは偽善的で嫌らしいと思ってい頃があったが、今それを心から想う自分がいた―その心の真実を女は体験している。男は続けた「今度子供の写真を送るよ。」男の心が女から離れずにいる事を、そして女の心がまだ男の側にあって欲しいと男が願っている事も女は知っている。女は返す、「もういいよ。」
男と再会した帰り道、女はただただ悲しかった。そして泣いた。悲しいものはどうやってもやはり悲しいのだ。男との夫婦の別れ際に聞こえて来た声があった、「あなたが背負うものを彼女が変わりに背負ってくれるのよ。」男の娘にもなる歳の若い女は子供を持つ喜びと共に男の寂しさと生きがいを自動的に背負ってくれた。すでに女には成しえない事であり、男の生きがいを一緒に探し出す手伝いは重荷に近くなっていただろう。女はその若い女にも感謝した。
女は宇宙の力と叡智に平伏した。そして男と初めてあったずっと昔から今日まで、喜びも苦しみも含め、なんと素晴らしい人生だったかと思う。今の立ち位置、女がこうありたいと思っていた自分自身は、男との出会いと別れがあって得た事なのだ。「憎む」という感情を経験した事も今ではこの上もなくありがたく、うれしい事になっていた。世間並みにさせてくれたのだ。世間の外が自分の居場所だと思っていたが、世間の女たちと心を分かち合える新しい自分が今此処にいる事が嬉しかった。
男に会う事で何かが分かるだろう、何かが進むだろうと女は漠然と思った。愛と情の違いはまだ分からないが、そんなものが二人の中にまだあるのだろう。人生は、と女は思う、やはり何かそれぞれがやらなければいけない事をやらせられるためにあるのではないか。人のためになる何か。それが人間の生命力を高めるのだから。男は新しい生命を育てている、女は多くの人達とつながり、微力ながら人々がもっと幸せに仲良くなるための仕事をしたいと思っている。別れずにいたならば、やっと手にした今の、自分が好きな自分は存在しなかったであろう。用足りて去ったのだ。人間には御しきれない、宇宙の動力が一人一人に働いているのだと改めて思う。
再会した時に女は男に言い忘れた言葉があった:あんたは、私の夢をかなえる為にやって来て、私の夢をかなえる為に去ったんよ。感謝しかない。思えば、女との生活を通して、男は良き人になろうと実に努力してくれていた。いい夫婦だったのだ。
今、女は男との別れを振り返り思う:これでいいんだ、もういいんだ。
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