1月~4月1月~4月

9月以降9月~

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  8月

 シリア難民 8/30
  
また一人 8/28   ご馳走になって 8/27   名作 8/26   因縁の糸の網 8/24   さばさば 8/23   沢山のドラマ 8/21   まだ泣いています 8/20

日本の夏 8/18   CSR 8/16   3位の表彰台 8/15  TTP 8/14   すごい試合だった 8/13  運が味方する時 8/12    差はない 8/11
 
美しい時 8/9  カ~! 8/8   しみじみ思うに 8/8  オリンピック 8/7    「雨ぽつり」 8/6    納涼会 8/5    眠れずの夜 8/3   入道雲 8/1  
    
    

7月

百合子さん、やりましたね 7/31  まさかのお方が 7/31  「プレゼント」 7/31  隅田川の花火 7/30  感動のスピーチ 7/28  

やったね、能見!7/27  DECENCY 7/27  涙のありがとう 7/25  毎日書く 7/24  美しい顔 7/23  都知事選 7/22  でも感謝 7/21   

一人ゴルフ 7/19  人の実相 7/18  さすが、瞑想の先輩! 7/18  どうにか完成 7/17  「ああ、もどかしい」 7/16  ハゲタカ 7/16  大掃除 7/15  

亭主経験 7/11  逝っていた 7/9  レ・ミゼラブル最終 7/8  レ・ミゼラブル#5 7/7  レ・ミゼラブル#4 7/6  レ・ミゼラブル#3 7/3 一人芝居 7/1



6月
  
Back to School 6/30    歌作りと通訳 6/29    ただ者じゃない 6/28

なにもの? 6/27  貧血 6/24  Singularity (シンギュラリティ) 6/24  すっきり 6/23  コーヒー or 緑茶? 6/22  生命力の違い 6/21

「自分てなんだろう」6/20
   おもしろさ 6/19   ちょっと複雑 6/17  遊びせんとや 6/16  失恋博物館 6/15  僕、かわいい 6/14

泣きながら 6/13  「また逢えるかしら」 6/12  夏 6/12  レ・ミゼラブル (つづき) 6/12  コーヒー激戦区 6/10  写真写り 6/10  がちがち 6/9

レ・ミゼラブル 6/7   スパムメール 6/6  蜷川さん 6/4  大学地区OB会総会 6/3  カルマ 6/3   歌詞が貯まって 6/3   南極の夢 6/2



5月

  
残念vsニタニタ 5/31    シンクロディスティニ 5/30    心の故障 5/29
  
久しぶりの新宿 5/27 「ここにいるよ」 5/25  そうだった 5/24  もう夏 5/22 思いわずらうな 5/22  ひたすら歌作り 5/21 二流、三流 5/20

ようやく戻る 5/19   いいぞ! 5/15   プラントの入れ替え 5/14  フジコ・ヘミング 5/14  民間防衛 5/13  わずか1kgなのに 5/12

千メートルの滑落 5/11  「人は死なない」国政へ 5/9  クワ~ 5/9  55止まりに 5/8 まずまず 5/6  65人のお坊さんのお経 5/5  整理 5/4  


整理 5/4

4月まで書き続けたブログが重くなった。読んでくださる人がいるから「書かなくちゃ」と言う気にさせられ、ずいぶん書いた。書くことは、私のカタルシスに”僅かだが”つながってもいる。小説でも書いた時に、佐藤愛子張りの浄化に至るのかもしれないが。とにかく、文字変換が遅くなり私との相性が悪くなったので、5月からはページを新しくした。

ゴールデンウイークも残すところあと一日。特別な事は何もなく、ここ数十年味わったことのない手持無沙汰を感じた。ちんたら曲を作るのは私の性分ではないようで、大体一気呵成、2,3時間で歌詞も含めて1曲書きあげるのが数か月前までの常だったが、最近、2,3日かけることが多くなった。テーマをワードに打ち出し、それを歌詞にしていく作業に本腰を入れるまでに時間がかかっている。アレンジ待ちの楽曲が十数曲あるので、そちらが片付かないことが私の曲作りの勢いをさらっているようだ。

曲作りのKNOWHOWが定かでなかった時には、降って来て書かされたことが多かったように思う。それは当然と言えば当然。音楽を勉強したこともない人が曲作りをするのだから、降って来なければ書けない。曲作りが分かってきたので、「今度は自分でやりなさい」と曲作りのプロセスをじっくりと歩ませられているのだろうか。

読書も少し休憩。読みたいと思う本が手元に来るまでまだ時間がかかるので、この間に人とおしゃべりをすることにした。一人は高校時代の友人、咲ちゃん。彼女の事はいつかひとつのテーマにしてこのブログで紹介したいと思う。こんな”立派”な友人が私の傍にずっといたのかと、感慨深い。関わったことは必ず成功させると言う。「静ちゃんに私のような人が傍にいたらいいね」と言う。こう言えるとはすごい事だ。彼女もまっすぐ生きている人。「今の時代大事なのは人間性よ」と嘘や言い訳を一切しない。その諸々の彼女の人間性や彼女の問題への取り組み方が気に入られ、定年退職後会社には顧問として残り、他からの引き合いが多い。

もう一人は姪の利恵子。彼女は私が話す一字一句を漏らさずに聴こうとする。また、エステ経営者だけに、私の身体が見栄え良くなるよう様々なアドバイスをする。正直言って彼女とのおしゃべりは時々惰性になり、重ったるい。それで彼女に付き合っている自分にイライラし、つっけんどんな事も言ってしまうが、つっけんどんにされると彼女は自分が私に気に障ることを言ったのではないかと反省し、私を理解し私に合わせ、また私とのおしゃべりを楽しむ。「なんだろう、この子」と不思議に思いながら、昨夜はこちらもふと立ち止まって考えた。彼女には頼る人もなく、彼女にとっていい言葉をかけてくれる人はおそらく親戚で私だけなのだろう(そう電話で言うと「うん」と素直に答える)。私のつっけんどんな言い方に内心傷ついていながらも、彼女なりに私を受け入れている。胸がきゅんとなり、もうこの子を傷つけてはいけない。私も受け入れてあげなければと心の筋肉を伸ばす。。。。。この二人思えばそれぞれ違った形で私の進歩に関わっているのかもしれない。

このゴールデンウィーク中に整理できたことがあった。それは咲ちゃんの言葉が気付かせてくれた。現段階ではここに書けないが、結果が出た時に自伝かどこかに書こう。咲ちゃんがこんなにすごい人だったと分かったことが、すごい事だった。

いい事ばかりだ。




65人のお坊さんのお経でNY舞台 5/5

読みたい本が届くまでの中継ぎとして、長嶺ヤス子の「いつもゼロからの旅たち」を読んだ。

長嶺ヤス子、フラメンコダンサー、150匹の猫と同居。彼女の踊りを見ようと思ったことはない。時々ステージショットを見ると、情念の暗闇の世界をおどろおどろしく描いている印象がある。昔、花柳幻舟のこの種の舞踊を見たことがある。自分の胸をさらけ出して縄で縛り天井から吊らされる。なんでこんな事をしなければならないのか、その必然性に説得力がなく、それ以来この種の舞台は敬遠している。長嶺ヤス子の場合は、それに加えて、150匹の猫と同居、「ううぇ~!」

3回考えて彼女の自伝を読んでみることにした。私とは全く異質の人が歩んだ世界をのぞいたら何かが見つかるかもしれない。

スペイン人以上のフラメンコ・ダンサー、世界的ダンサーになろうとするが、途中でフラメンコの枠に縛られて踊ることに違和感を覚え、裸足で踊る創作ダンスへと移って行く。フラメンコ音楽とアフリカ音楽のドッキング、サンバのリズムとの組み合わせなど斬新なアイデアを披露。愛する男の生首を抱いて踊る「サロメ」、男に捨てられ蛇に変わる「道成寺」で彼女の創作舞踊は国内外で絶賛されたらしい。中でも私の興味をそそったのは、83人の本物のお坊さんを舞台に上げてお経を唱えてもらい、声明に合わせて「曼荼羅」を踊った事。よくお坊さんから了解を得たものだと思うが、そのエピソードが面白い。

「お経に抱かれて踊りたい」と思うが、お坊さんがお経を読み上げるのは葬儀や法要の時だけ。踊り手と一緒に舞台に立つなんて考えられない。周りの関係者は誰も難色を示すし、かつヤス子を変人扱いする。そんなとき、彼女の熱烈なファンから連絡があり、真言宗豊山派の大僧正に会う機会が作られる。大僧正は、「あなたがマネージャーもなく、たった一人で来たから、そして貧乏で有名だから、引き受けてあげましょう」となり、1983年「曼荼羅」は83人のお坊さんをNHKホールの舞台に上げ大成功。この奇想天外なアイデアは多くの人を驚かせただけでなく、お経の美しさを世の人に知らせる公演になった。「神聖なお経を踊りの伴奏に使う」と批判的だった仏教界の人々も、お経の芸術性を大きくアピールしたとして、高く評価したとか。

だが、ヤス子の思いは日本だけにとどまらず、ニューヨークまで伸びる。それは無理だと大僧正に断られるが、お経と言う人間の祈りだけが持つ命のエネルギーを全世界の人に知らせることは自分の使命であり、そのために動く自分の行動に間違いはない、これは必ず実現するのだと、お坊さんたちの承諾を得ないまま、彼女はカーネギーホールを予約し、前売りチケットも売り始める。

とにかく真言宗豊山派としての許しを請うため彼女は会派で最も偉い小笠原管長にお願いに行く。管長は若いころ児童舞踊家として実際子供たちに教えていた。間もなくして許可が下りる。丁度その年が真言宗の開祖空海の1150年際に当たることがNY行きの名目になった。予算の関係で30名しかNYに連れていけないと言うと、「30名では迫力が出ないので」とお坊さんたち自らが自腹を切り総計65名がNYに上陸。公演が始まる前までは布教活動もされたとか。管長自ら、「宗派の管長で終わるより、ニューヨークでお経をあげる方が僧侶としての花道だ」と言われ、管長職を辞して、NY公演について行かれる。

このことが切っ掛けでお坊さんたちは舞台に上がることに抵抗がなくなり、積極的にお寺以外での公演活動をするようになった。ジャズや和太鼓と組んだり、フランスやドイツへ出かけて行って声明を披露している。
~~~~~

この話から思う。人の心に沸き立つ思いはその人個人のものではない。それは宇宙の”意思”(ディーパック・チョプラー氏)。だから、その意思に調和して行動をすればその意思は叶えられるようになっている。他(ひと)の意見は飽く迄もその人の経験やその人の考え方に基づくもの。他者と”わたし”は別種の個性を頂いている。宇宙がダイナミックに変化するように、人もそれぞれがあって面白い。信じるものは、自分の心の底から沸き立つ思い。その大事な思いを”常識”や”通年”に腹這う他者の意見で押し殺してはならない。




まずまず 5/6

強風が続いた後の静けさ、お天気も良く、今日は朝からゴルフに行こうと、いつもの練習場、浮間まで出かけた。

これまでボールは全て貰い物だった。プレゼントでいただいたり、賞でいただいたり、誰かがロストボールを集めてきてくれたりと、その出自は色々。ボールにも好みがあるようで、賞でもらったボールが気に入らないからと私によこす人もいた。「へ~、ボールも色々と違うんだぁ」と感心していたが、もらったボールも全部紛失(がは(*_*;)。それで買いに行ったら、店のスタッフから私に合うボールは女性用と男性用の中間あたりだと言われ、それを使いだしたら、なんとも打ち易い。飛ぶ。

で、むずむずと打ちたくなったわけだが、ハーフで53。まずまずである。浮間は河川敷で狭い分、まっすぐ打ったら飛ばしたい場所に行かないことになっている。アドレスに工夫が必要。

ハーフを回ると丁度良い。気持ちよく帰宅。




55止まりに 5/8

上のブログで、ハーフを53で回ったと書いたが、これは私にとっては満足レベル。一緒にプレイした人達から2回目のハーフを一緒に回らないかと誘われたが、最初のハーフで満足レベルに達したのでそれで上がった。ちなみに誘った人は、いつもより調子が悪いのでもう一度回りたかったようだ(わかる、わかる(^_-)-☆)。

浮間ゴルフは川口にあるが、最近この駅を利用する回数が多くなった。ここは、ピアノと作曲の指導を受けるスタジオの最寄り駅でもある。今日レッスンから帰宅して、テレビをつけると松井秀喜の今を放映し「ヤンキーズのGM特別アドバイザーになった」と言っていたので、そのまま続けて聴いていると、彼のゴルフの話も出て来た。「ハーフで、自分の背番号の55を上回らないようにしています。」私の口角が上がった(ニタリ)。

私も頑張ろうっと、あはは。(^^♪



クワ~ 5/9

今は、9日の午前3時。やっぱり・・・眠れない。

昨日の昼に卵の半生を食べ、口の中の生臭さを取るために久々にコーヒーを入れた。ポットに残っていたコーヒーを夕方帰宅して飲み干したら、案の定眠れない。およよ~ン(*_*;。2時間ばかりベッドの中でもぞもぞしていたが、「もういいや」と起きた。

ここ半年以上コーヒーを飲んでいなかった。コーヒーは南の国で採れるもの。南の国で採れるものは、暑さで上昇する体温を下げるため、手足が冷たくなる人はコーヒーを飲まない方が良いと教わった。私の身体は敏感に反応する。

さて、何をしようかと、まずはこのブログを書き、後はこれで3回目になる、チョプラー博士の「迷ったら運命を信じなさい」の続きを読もう。こんなに内容が深く濃い本がある事がほんとに嬉しい。2回読んでいてもまだ読みこぼしていた重要なところがある。量子物理学の視点から人間の魂や宇宙との関係を解いていくので難しい。だから現在3回目。それでも科学的な細かいところはサラッと流すしかないが、新たな気付きが私に大きな転換をさせようとしている。自分と取り組む。

思えば、人生は自分との取り組みだ。代打はいない。自分が頑張るっきゃない。




「人は死なない」国政へ 5/9

ジャーナリズムが使うようなタイトルだが、肉体を扱う医師、それも東京大学医学部教授が書いたという事でセンセーションとなった「人は死なない」の著者矢作直樹氏が今度は国政に参加することになったと、本日、氏の講演で聴いた。

昨今は科学者でもスピリチュアルな世界を探求する人が多くなった。人類はそんな段階に来たのかもしれない、と言うか、そのように宇宙の気が流れているのだろう。これまでも肉体は滅びても魂は死なないと信じる科学者は沢山いたが、それを実証できない以上公言する人はいなかった。それが東大の医師が言ってくれたので、「よく言ってくれた」と激励する医学者もおり、またウドの筍のようにこの手の著作が出てくるようになった。「人は死なない」東大医学部教授・・・このタイトルと肩書に私も心が震えた。やっとこの時が来たのかと。

FACEBOOKに登場されていて少しばかりお近づきにならせて頂いた。私のこのブログも時々お読みになってくださっていたようで、ご著書にもその形跡がうかがえた。騒々しく投げた個人メールにも丁寧に返信を下さったり、思い返せば赤面することもあるが、その矢作氏が今度は国政に参議員として立候補されると言う。寝耳に水だった

恐らく氏はご自身の運命をそのまま受領されているのだろう。金沢大学医学部を卒業後東大医学部附属病院に勤務するまでの道程では、ご自身から希望した勤務場所や役職はなく、すべて外からの依頼で居場所を変えて来られたようだ。研究分野よりも実務に携わることが性に合うのだろう。今回の国政参加を考え始められたのはほんの2,3週間前、明治天皇のお孫さんから勧められて決断されたとか。会場にいた私の知人が本日の講演のMCをされた保江邦夫ノートルダム女子大学教授から聴いたと言う。いつでも他者がオファーしてくる。足の爪先から頭髪の一本一本まで”誠実”が貫通しているような方。与えられた仕事をただ丁寧にされて来たことで、他者から信頼され次の仕事がオファーされる。今年の3月東大医学部の職を定年退職されたばかりでの、進路変更だ。

壇上で別なパネリストやMCが話している間、氏は観客に視線を流しひとり一人確かめられている様子がうかがえる。以前にも思ったが、視力が強いようだ。メールやらで気になる存在だったのだろうと思う、気のせいか、私を見つけると表情を変えられ視線を固定されていた。”威張る”ことは氏の辞書にないようで、そのお人柄が多くの方々を惹きつける。

国政参加か~、遠くへ行ってしまわれるような気がして、少しばかり寂寥感に包まれると同時に、政治に携わることが果たして氏に”合っている”のかやはり首をかしげてしまう。これから全く傾向の異なる勉強をされて行くだろう。期待したい。




千メートルの滑落 5/11

上記ブログの追記になる。

矢作直樹氏は学生時代に冬山で千メートル滑落し、その体は雪の上に落下した。その時臨死体験をされ、上から自分の滑落した身体を見ていた記憶があるとその著書で話している。また、滑落した後もコースを変えてそのまま目的地まで登山を続けられた。これには聴衆の唖然とした笑いが場内に零れる。だが、矢作氏は続ける「精神を挟まないと」こういう事が可能になる。確かに!

私たちは社会の常識や通年にかなり縛られている。自分の感情も通年に合わせようとする。そして理解と同情を期待したり、諦めたりする。歳を取ると老けると言うのも、そのような老人を周りにたくさん見ているからだと、1978年に米国で行われた実験結果があるらしい。その実験とは、20人の老人を集め無料バケーションに招待するという名目で、10日間、二組に別れて生活をしてもらう。グループAの10人は1950年代に戻り、新聞もラジオから聞こえる音楽もニュースも当時のもの。要するに1950年代に戻って生活してもらい、会話はすべて現在形でされなければならない。グループBは1978年現在のまま。1950年代の新聞や音楽などはすべて過去形で語られ、今の時代がそのままバケーション環境で続けられる。10日後、グループAの老人たちの身体は、なんと、全体的に3歳若返っていた。

”年齢”は”命”とは異なり、人間に本来備わっているわけではなく、社会の整理整頓のために行政が決めたもの。つまり国家の仕組みのひとつだ。だからある年齢になればこうなるというイメージを作らされる。それに合わせて自らを老けさせていく。私がこのことに気づいたのは、ケニアのマサイ族との会話からだった。どう見ても30代に見える男に年齢を訊ねると「14歳」と答えて来た。あり得ないので”Oh, no! Cannot be! Never!”としつこく言うと、顔を赤らめて「9歳!」と言い直した。その時、彼等には年齢の概念がないと気付いた。「そうかぁ、西洋人が来て年齢を訊ねるから、でっち上げたんだ。。。。。」この気づきは、私の年齢に対する考え方をも変えた。年齢じゃない、その人の魂、その人の持つ生命力を聴く。

千メートル滑落した場合の一般の通念が矢作氏に滲んでいなかったのだろう。だから続けて登山ができたのだと思う。

もう一つ矢作氏について思う事がある。「心真っすぐな人」ーこの言葉が相応しいかどうか分からないが、矢作直樹氏に近からず遠からず接することで、「心真っすぐな人」に共通するものを見つけた。気になる人を真っすぐな眼差しで真っすぐ見る。かつて早稲田小劇場の演出家鈴木忠志がロサンゼルスオリンピック演劇祭の下調べにロスに来られた時私と知り合い、帰国後ご自分の劇団に土産話として私の事を常に口にしていたようだ、「ロスで変な女と逢ったよ」。早稲田小劇場の看板女優であった白石加代子さんは私が気になったのだろう、夏季ワークショップに参加した私を曇りの全くないしっかりした眼差しでまっすぐ見ていた。その時、「この人はいい人だ」と直感的に思ったが、矢作氏にも私はそれを感じた。壇上から私を見つけくすみのない眼差しをまっすぐに向ける。気になる人を、その人に気づかれることを承知で、まっすぐな眼差しでまっすぐ見れる人・・・・なかなかお目にかかれるものではない。




わずか1kgなのに 5/12

木曜日にはジムでヨガのクラスを取っているが、2週間ぶりに受けた。毎回入り口に立ち参加者を迎えているインストラクターが私を見ると微かな驚きを表し、その視線は部屋に入る私の後姿を追っているようだった。何の話をしに行ったのか忘れたが、再び彼女の立っている場所に戻ると、

「何か違う。体がすっきりしている。」
「あ~、うん、やっと1キロ元に戻したの。戻すのが大変だったわ、以前は2キロ戻すのも簡単だったけれど。夜の食事に気を付けたの。」
「ううん、ちがう。痩せただけじゃなくて、体が安定してきている。バランスがいいの。」
「もしかすると今日穿いているこのパンツのせいじゃない?」
「いや、こんなこと言ったら失礼になるかも知れないけれど、以前からもほっそりしているんだけれど、体のバランスがね、やはり、私たちの年代だからと思っていたんだけれど。。今すごく安定している。さっき後姿をじっと見ちゃったの。体の線がきれい!」
「ほんと?」
「うん、これで私も勇気が出たわ(^^♪。」彼女は私より数歳年下。

昨日も、2週間ぶりのボディートレーニングでトレーナーから、「スッキリしてきましたね。。。。一キロの差は、出ますよ。」と言われたばかりだった。

1キロの減量、この1キロは全部お腹に出ていた。クワ~どうにかしなければと真剣に思ったかな。昨年の5月に会った時、歌子さんから、これから1年間太ると出ているから、気を付けてねと言われていたが、ほんと、体重が増え続けた。

しかし、運命は変えられる(ガッツ!)。

以前にもこのブログで何回か書いたが、パーソナル・トレーナー付きボディートレーニングを初めて、8か月目に入った。トレーナーのいない時でも自主トレーニングを週2回定期的に重ねて来た。5キロから13キロになったバーベルを使ったスクワットや、名前は分からないが、同じ重さのバーベルを股関節辺りから膝まで背中を張ったまま上げ下げする動きなど、かなり体に効いているのが分かる。ヨガのあるポーズをした時に気づいた左股関節の軟弱さも、このバーバルを使ったスクワットで大分解消して来ている。フォームが良いらしい。正しいフォームでトレーニングを重ねているので効果が出ているのだろう。このような体の変化は自分よりも他人が先に気づく。ゴルフの練習場でも始めて一緒にプレイする人達から言われいた。

以前、決して速くはないが、信号や上り階段で走るのが好きだった。だがここ数年は走ろうとしない。走るとしんどい。それで走ることに慣れようとトレッドマシンの上で5分から10分のジョギングを始めた。すぐに左踵に違和感を覚え、不安から断念しようとしたが、昔捻挫をした時の記憶が戻り、鍼を打ちながら続けた。するとこちらも徐々に違和感が消えて行った。
昔の記憶:米国留学中、階段を踏み外し左踵を捻挫した。ずっとダンスをしないで養生していても、違和感の度合は固定されたまま。ある日整形外科に行くと「このままダンスをしないでいると、ずっとダンスができなくなりますよ」と言われ、ダンスに復帰。そしたら違和感さえいつの間にか消えていた。

よく言われるが、ほんと、筋肉は何歳になっても増やせる。もともと体を動かすことが好き。だからダンスを25年間もやっていたのだが、始めたことは大体納得行くまでやり続けるのが私の性分らしい。ひとつの例外を除いて。それは音楽の楽器演奏(だはは・・・(*_*;)。でも、今、いくつかの理由で、やらんきゃあかんようになって、毎日1時間ほどはピアノの前に座っている。。。(*_*;(*_*;(*_*; これも、きっと先に何かがあるんだろうなぁと、抵抗せずに受け入れている。はい。

買い換えたギターはケースに弦を緩めて眠らせられたまま、まだ一度も膝の上に置いていない。また、そのうち・・・・きっとね(´◉◞౪◟◉)。




民間防衛 5/13

スイス政府がスイス居住者に発行している「民間防衛」という赤本がある。先日の矢作氏の講演で、MCを務めた保江氏が紹介し、併せて矢作氏もご自分のスライドを使ってその本を映していた。早速図書館から借りて外出中の電車の中や待ち時間にサラッと読んだ。

この本はスイスの国民だけではなく、外国人居住者にも配布されていると言う。自分で自分の身を守る。その内容はたいへん細かく、化学兵器や核兵器を持った侵略者から襲われたら、どこにどう逃げるか、また平時から地下に避難所を設け、避難所に置く家具や道具も細かく記述されている。

中立国家スイス、世界有数の平和の国だと認識されているが、これまでの歴史で、他国に危害を加えたことを率直に認め、侵略された過去を、その相手国の名を上げず、書いている。「平和と自由は、一度それが確保されたからといって、永遠に続くものではない。スイスは、何ら帝国主義的な野心を持たず、領土の征服などを夢見るものでもない。しかし、我が国は、その独立を維持し、自らつくった制度を守り続けることを望む。そのために力を尽くすことが、我が国当局と国民自身の義務である・・・」「わが国では決して戦争はないと断定するのは軽率であり・・・」

さらに、国は一つの大きな”家庭”、国民は一つの家族とみなす。人口の少ない国だから、”家庭”の言葉が引用されたのだろう。

大変率直かつ合理的、バランスの取れた内容に思えた。自分の国は歴史を通して精錬潔癖であり続けたなどとうそぶかず、間違いを犯す事もあったと認め、大風呂敷を広げてもいない人間味のある書き方だ。好感を持てる。




フジコ・ヘミング 5/14

気持ちよく寝てしまった。ちょうどランチを食べて来たばかりで、その柔らかいタッチは贅沢な安眠をそそる。休憩後もやはりコクリコクリ。ステージはグランドピアノ一台と円形にアレンジされた紫色の花だけ。大変シンプルで、北欧の質素な演奏会のようだった(そういえば、彼女の父親はスウェーデン人だったとか)。

アンコールで演奏された曲が印象深く、そのタイトルを聞き逃したので、帰り道に訊ねると3人目にして答えを得た。ベートーベンの「テンペスト 第3楽章」。帰宅後改めてYoutubeで確認すると、色々なバージョンがあった。演奏者によってこうも違うのか、まるで別な楽曲のように聞こえる。迫力があり、切れがいい下のバージョンが私は好きだ。

https://www.youtube.com/watch?v=NfciSCzKvp4


数小節聴いただけで胸がきゅ~んとなる。この感覚は、今日のカツシカ・シンフォニーヒルズのモーツアルト・ホールでは生まれなかった。




プラントの入れ替え 5/14

昨年買い換えたばかりの「幸福の木」。この木の水やりは、これまで私が維持していたプラントとは違っていた。一つ一つの幹が直径10センチほどの薄いプラスチックのプランターに入れられて、それが4本寄せ植えられているため、水やりは控えなければならない。それを言われないまま購入したので、根の仕組みがどうなっているか分からず、これまでのプランターと同じように水やりをしていたら、根腐れしてしまった。文句を言って割引してもらい、バッサイヤと名付けられたプラントが今日私の部屋にやって来た。直立の幸福の木より、幹のくねっているこちらが私の美意識をより満足させる。白い家具の多いリビングに、白陶器の器がまたいい(^^♪。PCに向かっていた身体をくるりと右に向けて「いい感じよ」とバッサイヤに挨拶する。くわ~(^_-)-☆

もう一つ買い替えたものがある。30年持っていたアナログ体重計。ここ十数年、めったに乗ったことがなかったが、昨年からの増量に最近はよく使っている。体重計まで凝るつもりはなく、体重が分かりさえすれば良いのだが、足を置く位置によって誤差が出るので、デジタル型にしようと、家電量販店に行った。最近の体重計は色々と面倒になっている。乗るときは毎回靴下を脱いで裸足にならなければならない。乗る前に腰をかがめて先にスイッチを入れなければならない。スイッチを入れずに乗るだけで測定できるものは、乗る度に内臓脂肪、BMI、年齢、性別、身長も一緒に表示され、うるさい。加えてどちらも、体重以外のものを測れない。いろいろな機能が付くと複雑になるばかりで、面倒になる。




いいぞ! 5/15

ものすごく質の高いプレイだった。テニスの世界王者ジョコビッチとのBNLイタリア国際での準決勝でのこと。試合はきょう未明に行われ結果も出ていた。6-2、4-6、6-6(タイゲームで5-7)。ジョコビッチとの試合では、そのほとんどで、0-2で負けていた錦織だが、このスコアは「いいぞ!」と夕方に録画中継の後半を観た。

以前のような守りばかりに徹する弱く不安そうな顔ではない。時には上から目線で見ているような目つきも見せる。「うわ~、ここまで来たんだ~」と見ている私が興奮する。「よっしゃ~、いいぞ!もう少しだ!」第3ゲームのタイゲームの前半では、錦織が優位だったのに、力が入り過ぎたのか、勝を急いだのか、突然失点を続けた。本人も「悔しい!」とインタビューに答えている。そして、「もうちょっとかもしれない」とも。

ジョコビッチのところまで行こう、これが錦織の目標。誰かの目標になれる事、目標にできる誰かがいるという事、そのために技を磨き続けるという事。素晴らしい。ここまで来たんだから、もうすぐだ!全仏オープン戦が楽しみ。人の進化していく様子は、こちらも頑張ろうと言う気にさせる。目もうるうる。


だが、勝を急ぐ気持ちを制するには、修練の積み重ねが必要のようだ。いつも自分のエゴとの戦いだからね。でも、やるっきゃないよね。頑張れ!




ようやく戻る 5/19

少し暴食しても直ぐ元に戻る、と体重計に乗ることがほとんどなかった1年前までの確信は妄想と化した。ここ一年体重がひたすら増え続け、一時は2.5キロほど重くなった。歌子さんのリーディングの正確さに動揺し始め、本腰を入れて減量に挑戦。

最初の1キロ減が体に現れるまでが長かった。夕食の多くをサラダとパン一切れ、そしてワイン、または納豆とみそ汁とおしんこの組み合わせで過ごした。やっと周りから「すっきりしましたね」と言われ始め、それが激励にもなってさらに”もう一キロ”とこの夕食のパタンを守り、飲み会にも極力出席せずにいた。今朝、やっと、1年前の懐かしい数字を購入したての体重計が映してくれたが、ジムで測定した時もその懐かしい数字は再生された。ロッカールームの大きな鏡に映された姿は、本当にスッキリしている。ほっ。

4月までは楽曲が生まれる数も多かったり、読みたい本があったりで、一日中家にいることもあった。運動不足も体重増量の原因だったと思う。週2日ヨガでジムに行くだけだったが、週5日はジムに通い、ヨガのない日はランニングや自主トレーニングをしていた。とにかく全く外に出ないと言う回数を減らし、ゴルフの練習に行く頻度も上げた。

今の体重が落ち着くまでもう少し現在のダイエットを続けよう。




二流、三流 5/20

数か月前に読んだ林真理子の「野心のすすめ」と言うエッセイの中に、二流三流が群れていると売れている人たちのゴシップや悪口が話題になると書かれてある。彼女はコピーライターになろうと考えていた時期があり、その分野の卵たちと混じっていたが、例えば、今ではテレビでもコメンテータとしてその顔をよく見る糸井重里を個人的に全く知らないのに悪口を言う輩が群れの中にいたとか。群れは、そねみ、ねたみ、ひがみの宝庫だと言う。

読んでいた私は遠い昔のある場面を思い出した。芸能事務所に入るとオーディション情報が伝えられる。絶対私が入る訳がないオーディションでも、とにかく出ていれば、私の何かが誰かに引っ掛かるかも知れないと言われ、気乗りのしないものにも2度ほど行った。オーディションが終わり審査発表まで群れて待つ。私は概して群れるタイプではないので、群れてお茶を飲みながら待つのも、正直言って、居心地が悪い。だが、こういう世界の新人、どんな話が聴けるかと複数の男と女に混じってテーブルを囲んだ。

食事も済んで時間つぶしをしていると、審査員の一人がある女の子とねんごろで、そのため彼女は役をゲットしていると、ゴシップとひがみを混在させて話す独りの男子がいた。続けてある女子が別件に愚痴る。負の連鎖で周りの空気が染まる。都合よく一番端の窓側に座っていた私は、窓に頭を寄りかからせ居眠りを始めた。

つい最近もこんな話を聴いた。SNS投稿でサウンドクリエイターの卵たちが発注者への不満を並べて立てている。細かい指示がないまま仮発注が来て、彼らが自分なりのアレンジをして提出すると、NOとなり契約不成立になる。「ならば最初から細かい指示を出せよ。俺たちはお試しか」と怒りを露わにしていると言う。 

これまで何人かの自称アレンジャーに手伝ってもらっていた私は、どんな状況か手に取るように分かる。細かい指示のない仮発注は相手の感性をチェックしているのだと思う。感性が鈍ければ、楽曲を読み解く力がないため、イントロや間奏、また間奏を入れるところが、絶句するほど紋切り型のアレンジを出して来る。私も何度かそのようなアレンジに出くわしたが、たとえ細かい指示を出したとしても、そういうアレンジをしてくる人の感性からいいものは出て来ない。私の場合、最初のアレンジャーが天才Anzだっただけに、その差異に唖然とした。

林真理子のように、1流から盗もうと糸井重里のワークショップに参加したり、上に行こうと技を磨くことだけに懸命ならば、未来があるだろう。「不満を言う暇があったら、腕を磨きなさい」 ー かつてよく聞いた言葉だが、その通りだと思う。

出してくるものが良く、一緒に仕事がしやすい性格なら、注文は来る。原因も結果も至ってシンプルだ。もう一つ、発注者の立場からものを見る視点が備われば、さらに良い結果が生まれると思う。




ひたすら歌作り 5/21

篠田元一さんと出会い、やっと安心できた感があったが、なかなか作業を進めてもらえないのでモヤモヤしていると、一つヒントが上から降りてきた:アレンジされたカラオケが私のもとに届いてから、次のレッスンを予約する。ピアノレッスンだけで90分の授業は長すぎる。私のニーズを埋めてもらえなければ、出資する意義もない。学校と言う組織化されたところでの個人レッスンは学校によって管理されるので、時間や内容の管理がきちんとされているが、個人が経営するその個人による個人レッスンは、出資と授業内容のバランスをインストラクター自らに正しく管理してもらえないなら受講者の私自身が管理しなければならない。アレンジ待ちが13曲ほど溜まると、歌作りの勢いも弱くなり、ゴールデンウィークの時から何をしたらいいのだろうと手持無沙汰を感じ始めていた。

すると昨夜、突然知人から近況伺いの電話があり、若松プロデューサーとの間に進め方にずれが生じたようだと伝えると、「動いていれば大丈夫。あなたはひたすら歌作りをしていればいいのよ」と言う。以前にも彼女から言われた言葉、「動いていれば大丈夫。」この言葉に大変激励されたことがあった。

そうだ、と私も自分を叱咤し、歌作りに取り掛かり始めた。まずは、以前一応書いた「断捨離」の歌詞に再度手を入れた。これは、生き別れた相手への思いを断捨離する歌だが、これとは別に死に別れた相手に対する思いも歌にしてみようと、丁度亡き夫の13回忌を迎えたその知人に思いを訊いた。おもしろい。

こちらは生き続けて「皺だらけのお婆さんになっているから、向こうに行っても、旦那さんはあなたに気づかないかも、と言われたの。あははは・・・・」




思いわずらうな 5/22

上で話した知人は時々電話をくれる人だが、かつて突然こんなことを言い出した。

「ああ、あなた、神様になったね」

何を言い出すのかと思うと同時に、警戒心で私は自分の周りに塀を作った。が、彼女の言う事が今は分かる。神のメッセージを受信して生きていると言う意味だ。まだ完全ではなく、時々エゴが出ることもあるが、私のアイデアや行動の多くは、宇宙の智慧に委ねている。その世界へ足を踏み入れたのは9年ほど前だが、それとほぼ同時に歌う世界へそして歌づくりの世界へと連れて来られた。何度も書いてきたが、歌作りは私が望んだことでは全くない。「私が歌を作る?」と私自身が驚いている。歌手になろうと思ったこともない私が(今でも”歌手”と言われると体がもぞもぞする)、どう言う訳かライブハウスで歌を歌い、音楽を勉強したことのない私が歌を作る。いまはこの”まさか”の事が、私の”意思”にもなっている。そして、この仕組みもよく理解している。

「宇宙的・個人的な”わたし”の両方の欲求を満たした場合にだけ、意思は願望をかなえてくれるのです。」ディーパック・チョプラー

9年前からこの世界をずっと探求してきた今、私の楽曲作りは宇宙の意思だと私は疑っていない。では、なぜ私に歌作りが託されたのか。音楽を勉強してきた人もたくさんいるし、歌詞が書ける人が羨ましいと楽曲作りがなかなか思い通りにいかないプロの作編曲者もいる。なぜ、私に?それも私なりに理解をしている。

チョプラー博士は続ける。

『すべて』である宇宙的な意思は常に発展的で、より大きな善に奉仕する、調和のとれた相互関係に向けて進化していきます。・・・・・意思を抱けばチャンスが巡ってきます。チャンスが到来すれば、行動が必要となります。行動に踏み切るときには、『実行しているのは自分ではない』と言う態度を取ってください。自分の行動を『すべて』である知性、あらゆる物事を組織化する宇宙のスピリットの行動だと思う事です。すると不安を抱くことも無くなり、結果にも執着しなくなります。・・・・・関心を抱いていることにストレスを感じているようでは、シンクロニシティ(意味のある偶然)はなかなか訪れてはくれません。シンクロニシティを効果的に発生させるためには、あなたが想像するよりはるかに壮大な、宇宙の領域に身を委ねなくてはなりません。・・・・『万事自分の都合通りに進むことはないのだ。だから、どうすればいいのだろうと思いわずらう心を、少しづつ取り払って行こう。私や私のものと言う意識を乗り越えていく事にしよう』こんなふうに唱えてみましょう。

そうだったと気付かされた。歌作りの右も左も知らない、関係者をだれも知らない世界で、歌作りに必要なものはこれまで全て与えられてきた。それ以外にも、人生の筋目に、ある人と「逢いたい」と唱えると、1週間後には、まるっきり別なところで動いた他者の仕事依頼でその人と再会した。心の底から願う事や歌作りの進化のために必要な事はすべて叶えられて来た。初めの頃は「ただ起きている」と捉えたが、振り返ってみるとそれは奇跡のようだった。そして今もそれは続いている。違うのは、今は「ただ起きている」とは思わない。宇宙の意思の中に私は抱かれていると思う。

若松さんとの進め方のずれが起きた時一瞬躓いたと思ったが、そうではないように思えて来た。「どうすればいいだろうと思いわずらう心」を取り払うんだった。宇宙から新たなメッセージが来るだろう。




もう夏 5/22

外に出ると、もう夏の空気。日曜日でもあるからか、信号待ちをしている人たちは何かバケーションの中に入ったような顔をしている。でも5月のせいか、まだ日本の夏と言う感じがせず、スペインのコスタ・デル・ソルかどこか海外の夏を感じさせる。そろそろ私も海外に行きたがっているようだ。

帰宅すると、ショートパンツに履き替えた。長い夏になるのかなぁ。

ロスにいた頃、親しくしていたナイジェリアの友人が"You look good in summer(あなたは夏の顔がいいわ)"と言っていたっけ。7月7日生まれの女が跳ねる時かも(はは)(^_-)-☆。




そうだった 5/24

「3回に1回はうまく行かない方が良い」松下幸之助

そうだった!

少し意気消沈していた心が花開いた。




「ここにいるよ」 5/25

「あ~、これ、絶対いい!プロデューサーにこの曲を聴かせたら、あちらから”是非”となるわよ」「多くの人たちに響く歌よ!」

そんなにいいんだぁ~。とてもシンプルな歌なのだけれど、聴いた人たちが例外なく似たコメントを下さった。20代後半の青年からも、60代の女性達からも。

谷川俊太郎の詩や、ディーパック・チョプラー博士の書かれた本をベースに歌詞を書いた。この宇宙の中で人間の五感に感じられるものは僅か5%。後の95%は”暗黒物質”と科学の世界では呼ばれているらしい。死んだ者はいなくなってはいない。ただ見えないだけ。

♪だから愛する人よ、泣かないでおくれ。僕は死んだけれど、いなくなった訳じゃない。ただ君に見えない、でもここにいるんだよ。

「これは死んだ自分の夫に限ったことじゃないわ。東北大震災、熊本地震で亡くなった方々、その遺族に是非聴いてほしい歌よ」と、電話の向こうで感極まった声が言う。「この歌をもってデビューしなければ、いつデビューする?!!!!!」

人には見えないものがこの世にはたくさんある。魂もその一つだが、それを書きたかった。譜面に落とす前から、歌詞と曲が完成されていた。ほんのわずかな時間で生まれ仕上がった。私は天のアイデアを譜面に並べただけ。ありがとうございます。




久しぶりの新宿 5/27

頂いた券があったので人を誘って、新宿の高層ビルの中の美術館に行って来た。とりわけ感動をしたような絵画はなかったが、もっとゆっくり見ても良かったかなぁと思う。展示されているのは19世紀のフランスの樹を描いたものだが、その美術館に常置しているセザンヌのリンゴ、ゴッホのひまわり、ゴーギャンの作品がやはり観る者の目を捕らえる。有名になるにはそれだけの理由があるものだ。

店の創業XX周年記念ランチを出すと書いた紙がガラス窓に張り出された店に入った。価格はなんと500円。新宿の高層ビルの中で500円ランチ。これはラッキーと思いきや、出てきたものは写真とはかなり違う・・・・500円のはずだわと、友人と笑った。平常時の料理から野菜が全部抜かれている。いま時こんな貧相な料理を出すところがあるのかと、少し惨めな気持ちにさせられた。

帰りは一人になり、今年2月まで在籍していた音楽学校に顔を出した。家を出る前に学校に電話を入れ、お世話になったピアノ講師が出校する時間を確認した。行くと、私が来ると聞いたので早めに来て待っていたと、受付の奥から現れた。なんと光栄な事なのだろう。近況を彼女に話し、再会を喜んでくれた。もしかするとまたお世話になるかも知れないと伝えると、その場合はどうにか持ちコマを動かして入れるようにするから電話をするようにと言う。こんな関係ができていたのかと、心深く感謝が込み上がった。その他の近況報告には、普段の彼女には見たことない鋭い視線を投げ「絶対やるのよ!」の言葉を含み親指を立てた。




心の故障 5/29

スーパのレジで、どう言う訳か私のクレジット・カードが通らず、普段はサインレスで通るところ、紙片が差し出されてサインを請われた。「私の心が故障したからかな?」と冗談を言うと、「故障しちゃったの?」とレジ係が乗って来る。日本人には珍しい返し言葉だった。

昨日の事。これから長い付き合いになるかも知れない、私の片腕になり曲作りをお手伝いして下さる人だと大変期待していたが、失望で終わった。。。とてもとても残念だった。描いていた未来の像は大変脆く簡単に崩壊した。

この出会いは、特別な意味を持つシンクロニシティだから疎かにしてはならないと自分に言い聞かせ、崩壊に抵抗しようとしたが、数日たって、いやこれで良いんだと思いを変えられた(6月5日)。未来を共に気づいて行くには信頼が欠かせない。かなり高くついた授業料だったが、こういう事にもお金を出す時期だったのだろう。音楽理論の本を何冊も出されている方だからと、自分の想い込みにも問題があった。一時は心が故障したが、今は持ち直した。一緒に仕事をする人には、誠実さ、知性、エネルギーがあるかをまず問う。中でも誠実さと言った人がいたが、真にそうだと思った。

起きていることに抵抗しようともがく時、多くのエネルギーが無駄に消費されると言うが、正にそうだ。「この瞬間に抵抗しもがくとき、あなたはまさに宇宙全体と争っているのです。。。。この瞬間あなたは物事を、あなたの望んだようにではなく、あるがままとして受け入れます。。。。。あなたがある人や状況に対してイライラしたり腹を立てた時には、その人や状況に対してではなく、あなた自身の感情に反応しているのだという事を思い出してください。それらはあなたの感情であって、その感情は他の誰のせいでもありません。。。。責任とは、あなたの置かれている状況に対して誰の事も何事をも非難しないことで、それには自分自身を非難しないことも含まれます。。。。。全ての問題には好機の種が含まれていて、誰も非難しない意識が好機を捉え、より良い状況や物事に変換させてくれるのです。」(ディーパック・チョプラー)

この言葉を今まで以上に体に染み込ませようとした出来事だったと思う。私がそれを達成した時、出資したものは無駄ではなく、感謝に変わるだろう。



シンクロディスティニ 5/30

ー 偶然の一致は「すべて(宇宙)」の場から送られてくるメッセージです。私たちにカルマの絆を断ち切るよう仕向けます。既知のものを捨て、未知のものを取り入れるよう、駆り立ててくれるのです。偶然の一致とは、宇宙自身の行動の中の創造的な一大飛躍です。既知のものとは過去に条件づけられた習慣です。想像力や自由は未知のものの中にこそ存在しています。・・・・偶然の一致それ自体が、宇宙からメッセージが送られて来た証拠なのです。・・・本書で紹介することはすべて、宇宙を支配している原理です。これらの原理をあなた自身の人生の指針にすれば、夢に見ていた人生が実現されます。この原理は単なる抽象的なものではなく、私たちが実行するあらゆることに影響を及ぼしていることが分かれば、知識を得るばかりでなく実生活にも大いにプラスになりますー

シンクロニシティは「意味ある偶然」、その偶然を掴み自分のこれまでの解釈や行動を変え、宇宙と同調しそのメッセージを行動に起こした時、運命を切り開くことができる、それがシンクロディスティニ。シンクロは「同調」、ディスティニは「運命」。直訳すると、「宇宙と同調した運命」。

ー 人生を変えるためには、現在のカルマから抜け出さなくて行けません。人生の出来事に対する解釈を変える必要があるのです。あなたは素晴らしい出来事を起こす確率を高くする人間に生まれ変わらなくてはならないのです- ディーバック・チョプラー




残念vsニタニタ 5/31

赤土の上で繰り広げられるテニスの全仏オープン。8強に入れなかった錦織圭。とても残念。世界ランキング1位のジョコビッチとの対戦を楽しみにしていたのに。。。。上位に進むのは本当に難しいんだなぁ。それでも踏ん張れるエネルギー、執拗さ。それに感動し、こちらにも新たなエネルギーが注ぎ込まれる。

8強あたりからテレビ放映もあっただろうが、それまでのゲームの様子はネット上の写真や解説で知るだけ。世界ランキング5位で”赤土の王”と呼ばれているスペインのナダルも途中で棄権。3位のフェデラーは最初から欠場。また新しい顔が出てくるのだろうが、顔なじみのプレイが見たかった。何よりも錦織が成長している姿が見たかったが。。。残念。次はウィンブルドンだ。それにしても、一人の奮闘が多くの人に楽しみと喜びを与える。すばらしいですね~。

話は変わり、今日火曜日は大体何もない日。昨日の雨が止んでお天気になりそうだったので、ゴルフに行ったら、私のベストスコアになった。ここ最近の心の混乱を神の方向に整えたので、ご褒美を頂いたのか。プレイ中もほわ~と温かいものに包まれていたようだった(「一人生きているのではない、いつも私が傍にいる。何も案ずることはない」と言われているようだった)。この河川敷ゴルフ場は練習に使わせて頂いているが、私を含め多くの人が大体ハーフを回って帰って行く。ロングではダブルパーになってしまったが、それ以外ではパーもあり、5つのホールでボギーという稀なスコア。一緒にプレイした人達はパーを連続出す達人たち。何よりも、彼等を手持無沙汰にせずに済んだことが良かった(^^♪。




南極の夢 6/2

南極に行っている夢を見て起きた。南極は人がいないのに、どう言う訳か現地の人たちがいる。アジア人ぽいがいわゆるアジア人とも違う。小さな町にお店がたくさん並び、若い女の子が客引きをしている。その女の子が懸命に英語で何かを言おうするが、単語が出て来ないようだ。

は~ここが南極なんだぁと空を見ると、空に土色の陸、緑が映っている。へえ~、南極だと空に陸が映るんだぁ、あの陸はどこだろう?

レストランに入るが、お手洗いに行きたい。トイレのドアを開けると、スペースが大変小さなところに、野菜を切って入れたアルミニューム製のボールが便座の上に置かれている。客の生理的ニーズに、中年の女性がニタニタしている。ボールをどかしてくれようとしない。トイレを探して私はあちらこちら歩き回り、またこのトイレに戻って来る。このボールを自分でどかそうとするが、スペースが余りに狭く、他に置き場所がない。うわ、どうしよう。。。まだ大丈夫か、うん、大丈夫そう。。。ああ、どこで。。。。

そこで起きてトイレに行った。次の旅はどこにしようかなとここ数か月思っていたところだった。南極も面白そうだが、人がいないから、どうなのだろう。アルゼンチン又はチリで集めた観光客を乗せて行くのだから、その観光客が”人”となる。もう一つ、ボリビアのウユニ湖が選択肢にあった。ここは世界の中でも絶景中の絶景だと多くのカメラマンが訪れる場所だとか。雨期になると地面に水が溜まり、一帯が水を張ったようになる。するとその水面に空がはっきりくっきり映される。夜になると満天の星が足元一帯に映される。そのため、見ている人はまるで宇宙空間に立たされているように感じるらしい。今朝見た夢は、まさにその逆。空に陸が映されていた。

特異な夢、起きてもはっきり覚えている夢だった。




歌詞が貯まって 6/3

創作活動が止まってしまった5月。それ以前とは異なる環境に置かれたことで、作る勢いが減退してしまったのだが、外界から負の影響を受けてはいけないと自分に叱咤して、歌詞は書き続けていた。世界的なヒット作品が生まれた経緯をエピソードを混ぜて紹介する水曜夜のBS番組Song to Soul (魂の歌)は私にインスピレーションを与えてくれるものの一つだが、最近では「こんな内容を歌詞にしていいんだぁ」と思うものがある。米国のポップスにも、ただ”I love you"だけではなく、長く生きた者として伝える人生歌のようなもの。そんな歌詞がメロディアスな旋律に乗ってとても素敵な曲に仕上がっている。私にもあんな曲が書けたらなぁと思いながらも、もしかすると、ふいと出てくるかもしれないと、相変わらずお目出度い。

まだ大雑把だが、7曲分ほどの歌詞を書いた。中には誰か別な人に曲をつけて頂いてもいいかなぁと思うものもある。そのうちね。




カルマ 6/3

5月30日のブログで「カルマ」の話を書いたが、仏教では「業(ごう)」と言う。「業」というと、何か否定的な意味合いが漂うのだが、さにあらず、繰り返し行われて来た”行動”の事で、善悪関係なく要するに習性。行動を起こすと記憶が生まれる。その記憶から願望が生まれ、願望が新しい行動を起こす。このカルマは今生だけではなく前世からの行動や記憶、願望を引き継ぎ延々と繰り返されるが、人は様々な気付きを重ねて徐々にそのカルマを超えて行こうとする。その理由は、自分に夢や希望を持たせるのも自分のカルマだが、その実現の障壁になっている原因も自分のカルマにあるから。

思い切って自分のカルマを変える - 自分の夢を実現したい想いが強いなら、避けずに通れないだろう。どこに行っても、誰と出会っても、人は自分を連れて行く。私も頑張る。




大学地区OB会総会 6/3

人と心通い合わせるまでには時間がかかる。少しの食い違いやすれ違いがあっても、”逢う”機会があり思いを交わす事でつながりは持続させられる事が多い。今夕の総会で、「早稲田大学を卒業したという事で、このような友人たちと巡り合い、このような会に出席できることが本当にうれしい」と述べられた大先輩がいらしたが、私も心からそう思う。早大を出たという事で知り合った面々、その思考尺度、調和力、許容度、品格、人生から学ばれた数々の教訓を生かして人付き合いの妙を得た先輩たち。そしてユーモア。後輩たちにもこの場にいる喜びと誇りがにじみ出ている。

愛をいっぱい頂いているような気がする。遠くから近くから送られてくる親しみを込めた視線や言葉。2メートルも離れたテーブルの向こう側から満面に笑みを浮かべて、「ことさんもゴルフに行くんですか?。。。決めてなかったのだけれど、今からでも大丈夫かな」と今月中旬のコンペの一つ残っていた枠を取られる人。こんなに頂いている愛、私からも多くの方々に送らなければと思う。

愛さえあれば。。。そんな気がする。




蜷川さん 6/4

演出家の蜷川幸雄さんが5月12日永眠された。80才だったらしい。今日、NHKBSで彼のドキュメンタリーを放映していた。

思い出せば、穴の中に入りたい出来事がある。なんであんな事を言ってしまったのだろう、ちょっと調子に乗っていたなぁ。その内容は、とても言えない。「ええ?!天下の蜷川を怒らしちゃったの?!」と、唯一告白で来た大学時代の友人が反応した。

森下にあるベニサンピットで行われたニナガワスタジオのオーディション。チェーホフの「三人姉妹」のひとシーンを演じた。明るくて弾んでいて夢見る少女を、恐らく私は好演していたのだと思う。当時の私は女優としての素質に自信満々だった。ハリウッドの最古劇団に客演として参加した時の新聞批評、米国で名高いUCLAの演劇学部の教授たちの視線、早稲田小劇場の鈴木忠志からの手ごたえ、そんなものが私をいい気にならせていた。「どんな役をやりたいの」と訊かれた蜷川さんの質問に、「ほ~ら、来た」と内心思いながら、いい気になっていた女がなんと答えたか。吐いた言葉を払しょくしようと送った手紙に、笑ってくれるかなと半分期待しながら書いたフレーズを彼は真に受けた。。。。。リスクの大きい事をやらかしてしまった当時の私を今の私はただ呆れ返って笑うだけ。信じられない。

鈴木忠志から大変関心を頂き、私にとっても鈴木さんは刺激剤だったが、過疎村での集団生活、鈴木さんの演劇スタイルに自分を漬け込んでいく気にはなれず、態度をあやふやにしていた時、米国からの一時帰国時に観た蜷川さんの「近松心中物語」に、私がやりたい舞台はこれだと思った。初めて蜷川さんにお会いした時にお渡しした私のプロフィールを入れた茶袋。少し恥ずかしげにそれを受け取り、肩越しにこちらを見ながら、楽屋へと足早に歩いて行った彼の姿には、巷で囁かれている威張った傲慢な雰囲気は全くなかった。3度ほどお逢いしただろうか。非常にまじめな方だと言う印象を持っている。ご自分がまじめに演劇に関わっているから、周りも当然まじめに関わる事を期待するのだが、彼が商業演劇に参入した時、自ら考えてやっている俳優が実に少なかったし、西欧では当たり前の、初リハーサル前にセリフは大体頭に入っているなんてことはあり得なかった。そこで彼の灰皿が飛んだわけだが、私の態度には、灰皿を投げる気も起きなかっただろう。演劇一筋のような方だった。

蜷川さん、安らかにお眠りください。




スパムメール 6/6

メールアドレスが漏れたのだろう、大分前からスパムメールが夥しく来る。アドレスを変えようとしたが、色々と面倒。恐らくスパムメールの被害にあっている人は多いだろうから、周りに訊ねると、一つ一つ退治するしかないと言う。それで私もやってみた。

まずはサーバーにアクセスしてスパムメールの発信元を一つ一つ迷惑メールフィルターにかけたが、その量たるや入力枠を大幅に超える。で、Outlook上でも処理。スパムメールのほとんどが英語。こちらが男性であろうが女性であろうがお構いないのだろう、「女性を喜ばす薬品」の類が多い。また、身に覚えのない請求書(これも英語)。今度は性が入れ替わり「あなた好みの男性が待っています」などなど。それらのメールに含まれる共通単語をひとつひとつ入力して削除対象リストに入れたり、こちらのアドレスがないものを削除指示したりと、こちらもあれこれ工夫する。すると今度は、こちらのアドレス付きで来る。で、アドレスが指示されていてもこちらの連絡先にアドレスがないものは削除されるよう設定したら、なんと、今度は、発信元が私のアドレスになっている。つまり、私が私にスパムメールを送っている訳である。

手を変え品を変え、この”迷惑人”は”わたし”に成りすます悪さまでする。「あなたの人生を変える時」とメール文は短くリンク先が張られてあるだけ。クリックさせて、うっひっひ・・・となるのだろうが、その手にはかからんぞ。。。。。しかし、ま、いやはや・・・




レ・ミゼラブル 6/7

皆さんはミュージカル「レ・ミゼラブル」をご覧になりましたか。もしまだでしたら、ぜひお薦めします。私は日本で2回、ロンドンで一度観ておりますが、何度見ても飽きない作品だと思います。

この作品は、フランスの大文豪、ヴィクトル・ユーゴの同名大河小説をミュージカル化したもので、作詞作曲はそれぞれフランス人。最初はパリで上演されたが、世界市場を狙った二人は、イギリスのミュージカル・プロデューサー、キャメロン・マッキントッシュに持ち掛け、これを英語化しロンドンで現在版を上演。その後ニューヨークに。

この作品の特徴はいろいろありますが、最たるところは、何人もの異なる配役が歌詞を変え同じメロディーを歌う。だから、観客は舞台が終わるまでに多くのメロディーをなんとなく覚えてしまう。よくミュージカルやオペラにある、アリアが始まる前の語りのようなレチタティーヴォはかなり省かれ、すべての曲がメロディアス。自由を求める学生たちの暴動、政府軍との戦いで歌われる歌は観ている者の心を熱くさせ、つかんで離さない。訳詞は、岩谷時子の生前最後の大作。やはり、うまい。

♪ 戦う者の歌が聞こえるか 鼓動があのドラムと響き合えば 新たに熱い命が始まる 明日が来たとき そうさ明日が
  列に入れよ 我らの味方に 砦の向こうに 戦えそれが自由への道♪

これほど全世界で上演され、多くの国でロングランとなった作品は珍しいと思う。詳しくは下記ボタンをクリックしてください。

Wikipedia


レミゼラブルのドラマはかなり前に映画化されているが、この作品のミュージカル版も映画化された。こちらも素晴らしかった。つい2日前にはNHKBSでこのミュージカル版の映画が放映されていた。
(つづく)




がちがち 6/9

上のブログは「つづく」としたので、続きを書くべきかと思ったが、起きたばかりのことを先に書くことにした。

昨日と今日は久方ぶりの通訳の仕事をしてきた。時間もあるし、世の中どう動いているのか知るのも良いと思っての事。会議は、イスラエルの企業と日本最大手企業が協力して取り組もうとするサイバー攻撃への備え。

いやはや、やはり通訳の後の脳の疲れはすごい。2時間半を一人で対応したが、1時間に至る前に休憩を頂かなければ、頭がパンパンになる。頭が疲れる前に休憩しなければならない。疲れた後に休憩したら、一旦疲れた脳はその疲れを引きづり、次の疲れを重ねていく事になり、段々対応できなくなって行く。る。だから会議を速やかに進めたいならば30分交代で休憩を頂けるよう(同通なら15分交代)、通訳者は二人必要なのだ(同通の場合は3人)。ましてや相手はイスラエル人。英語にも訛りがあり、かつ大変早口。訛りがあって早口だから、聞き取れない。事前に資料を頂き勉強していくが、それだけを話すわけではない。ContainがContent、AwarenessがWellnessに聞こえる。聞こえたとおりに通訳したら、すっちゃかめっちゃかになる。こういう所は、長年のキャリアで、20数名の聴衆がいても、訊き直すことができたが(こうできるまでにはかなりの年季が要る)、笑ってしまった箇所が一つあった。

ITは日進月歩で進化している。長い間通訳をしていないので、聴き慣れない用語があった、”エクセル・マクロ”。サイバー攻撃でエクセルマクロを感染させるという事なのだが、このマクロを”巨大な”と言う意味かと「巨大な影響を及ぼす攻撃がエクセルに仕掛けられた」と訳した(*_*;。担当者から現場で指摘されたが、自分の間違えに笑えたのは大したものだと後で思った。度胸が座ったとでもいうのだろうか。

通訳にあるこの心地悪い緊張が私は嫌だ。しゃべる力よりも、聴く力がもっとも問われる。疲れてくると、もう聴いていられない。通訳者がすらすら通訳していると、簡単な仕事だと思われるらしい。ものすごい集中力と経験と勉強があってのすらすらなのである。

酸素が脳の中に行き渡っていないような状態から解放されるために、昨日は帰宅後すぐにジムに行き、75分間ほどいつもの自主トレーニングで汗を流した後ジャクジーに浸かり、そしてサウナでさらに汗を流し体内を潤滑させた。遅い夕食の後、間もなく睡魔に襲われ爆睡したようだ。十分な体調管理をした後の今日は、納得いく通訳ができたような気がする。

通訳はすでに私の生業ではないが、気晴らしにやっていても、一つ一つ良い仕事、感謝されるレベルの仕事をしなければ、自分の中にごみが堆積し、心が埃っぽくなる。いい仕事をしていれば、いつも気持ちがいい。完璧じゃなくとも、自分のベストを尽くしていれば、「よし、次は」となる。心は常に前を向ける。やはり気持ちがいい。




写真写り 6/10

写真写りが良い事に越したことはないだろうが、あまりに違っていると。。。。

一昨日、通訳で初めてお目にかかったクライアントの日本人担当者。WEBに掲載されている彼の写真付きプロフィールを先に見ていた。腕を組みこちらを見据えてニタリと笑っている。強気だ。きっとやり手なのだろう。金融機関にも勤めていたとあり、それなりの緊張感が私の身体内に漂った。当日はクライアントのビルのロビーで待ち合わせ。先に行って待っていると、体が細く背が低く黒髪はほとんど残されていない、どことなく気弱そうな人が近づいて来た。「XXXですか」と私を確認する。「はい。」使いの方かな?え、ご本人?!私の目がまん丸くなった。頭の中にあの写真の映像が映し出される。言われればそうかと思うが、写真とはまるで別人。おかしくて心の中で笑った。

「XXXさんは写真写りの大変良い方ですね。びっくりしました。」業務終了後、派遣会社にコメントをすると、「(笑)無事待ち合わせできたようで良かったです」と、返信あり(^^♪。

同じく稲門だった。私の通訳の出来が良かったら申し上げようと思っていた(あは)。




コーヒー店激戦区 6/10

ある芝居を紹介され、初めて京王線の仙川に降りた。駅前はこじんまりして垢ぬけたショッピングモール。この芝居の前に青山一丁目の草月ホールで行われた音楽朗読劇に招待されたので、その間の時間がかなり空きこのショッピングモールをゆっくり散策した。驚いたのは、コーヒー店が5件も並んでいる。駅から来るとスターバックスを皮切りに、続けて3件。数件置いてまたコーヒー店。当然、なぜ?になる。

お店に入って訊ねると、この辺りの開発に伴い偶然コーヒー店が多数進出して来たとか。「東京一の激戦区と言われているんです。」そのようだ。お店の入り口で、きょろきょろ中を覗いていると、店から店員が出てきて誘う。おもしろい事に、スターバックスの目の前には、結構大きい紅茶の店。仙川で大きな紅茶の店、やって行けるのかな。創業10年、成城学園が近いのでそちらからの客もあるらしい。それなら、大丈夫かも、ね。

仙川の駅前の作り方、懐かしい感じがあったが、帰宅して思い出した。千葉の海岸沿いの埋め立て地にこのようなモールが幾つかあった。千葉のモールには粗さがあるが。。。




レ・ミゼラブル (つづき) 6/12

本でも映画でも芝居やミュージカルでも、そこに共通しているものは”言葉”。一回読んだり観たりしたときはストーリーの大枠を掴むことで終わってしまう事が多い。よほど気に入ったものでない限り、繰り返し読んだり/観たり、またはその台本を取り寄せたりする事はない。

レ・ミゼラブルのミュージカル版が映画化されたことで、普段は視覚的に追う私も言葉を丹念に聴き始めた。「誰かを愛することは、神の傍にいる事」と歌われるところがある。これは、神(宇宙)を感じるものにしか理解できない言葉かもしれないが、なるほどと私には新しい気付きだった。飢え死にしそうな妹のために貧乏な主人公、ジャンバルジャンは一つのパンを盗んだ罪で、19年間投獄される。世を憎み、体制を憎み、天を憎み、仮釈放されたその日一夜を過ごそうと入った教会から金銀の食器を盗む。捕らわれて司祭の前に連れ出されたジャンバルジャン、司祭はそれは全て自分が彼に持たせたものだと警察に告げ、他の食器も与えジャンバルジャンの命を救う。これが切っ掛けで、ジャンバルジャンは心を入れ替え、憎しみの代わりに愛を育む。この作品は、神とのつながりによって生きかたを変えた人間のドラマだと言い得るかもしれない。

日本では1987年に初演されたが、その前年、米国での留学生活を終えて帰国した私が初めて受けたオーディションだった。(つづく)




夏 6/12

外から帰ると真っすぐシャワールームに行く、そんな季節になった。

私のゴルフバッグは月一(時に月2)練習に行く川口のゴルフ場に常置されてある。ゴルフコンペがある時は、そこから往復でゴルフバッグを送るのだが、スケジュールを見誤り前回行った時に今週のコンペに備えた宅配手続きををしなかったため、今日の昼間それだけのためにゴルフ場まで行った。わざわざ行くのも・・・と思ってもいたが、ジムのトレッドミールで早歩きをする代わりと思えばいいかと納得した。

気力や体力、肌の調子を考えると、プレイは2週間の間隔をあけた方がよさそうだと分かった。楽しみは今週のコンペ。今日プレイする訳にはいかん(^^♪。

正味一時間ほど速足で歩いただろうか。帰宅した後のシャワーが待ち遠しい帰り道だった。いよいよあの夏が来るようだ(ぎょぎょっ)(*_*;。。




「また逢えるかしら」 6/12

金本新監督の鳴り物入りで始まった今年の阪神。その弱さに野球観戦する気も失せて、でもまた少し期待してPCの右横にあるテレビ画面をちらちら見ながら、1カ月半ぶりに曲を書いた。「また逢えるかしら」

自分では面白く出来上がったと思うが、、、、、、これは、以前にブログでも書いたが、若いままできれいな写真だけを残して先に逝った半身(”阪神”?)に、語る歌。こちらはもうお婆ちゃん、「ずるいですよ。私がそちらに逝ったとき、あなたは私が分かるかしら」って。この楽曲は、ピタッとした曲がメロディー在庫に見つかり、直ぐに録音しておいたので、出来上がりがかなり速かった。

最近、朝の瞑想の後、曲が沢山転がって出て来る。余りにも親しげにスルスル出てくると、既に市場に流れている歌なのかなぁとかつては気にしたが、エリック・クラプトンもボブ・ディランも、他の人の曲を、こちらは意図して、ふんだんに使っているのを知り、最近は全く気にせず降ってきたものはどんどん使う事にしている。だが、曲だけだから、それにふさわしい歌詞を”仕掛け中”から探す作業がある。概して、曲と歌詞が一緒に出てきたものの方がインパクトがあるようだ。


「悲しまないでよ。やりたいことやって楽しんだのだから」妻に by 蜷川幸雄




泣きながら 6/13

昨夕、「また逢えるかしら」を書いてゆっくり録画したビデオを見ていたら、ペギー葉山の亡夫根上淳への思いがなんとも切なく、今朝それを加筆した。そうしたら、おいおい涙がこぼれ出した。「一日だけでいいの、元気な姿で戻って来て欲しい。」愛する者を失くす時、それはとても苦しく悲しい事なのだけれど、苦しさや悲しさは同時に人に優しさを育ませるのですね。

ふと思う。この地球上でこれまでたくさんの人たちが死に、沢山の人たちがそれを苦しみ、悲しみ、人へのやさしさに変換して来たのだから、そろそろこの地球も優しさに溢れてもいいのに。。。。




僕、かわいい 6/14

「テレビで男の子をインタビューしていて、あなたのチャームポイントは何ですかって聞いているのよ。そしたら何と言ったと思う、”かわいい”ところっていうのよ」、顔を強張らせて、50歳代の女性が言っていた。気に入ったものはなんでも”かわいい”で済ましてしまう若い子たちが多いのには気付いていたが、男が自分のチャームポイントを”かわいい”と言うのは「ぐうぇ~」となる。そういえば、私より3歳年下の男性が、本当にかわいく見えた時があった。思わず「かわいい!」と言ってしまったら、いつもより低く男っぽい声でこぶしを効かせて「かわいい?」とムツッとされた事がある。どちらも10年以上も前の話だ。

10年ひと昔。時代は変わった。

今日、新国立劇場で「あわれ、彼女は娼婦」と言うエリザベス朝の演劇を観て来た。私の好きな栗山民也の演出で好きな女優の蒼井優が出ている。期待していたし期待を裏切らなかった。京王線初台の駅には、いつもより大勢の女性たちが降りる。彼女たちも蒼井優のファンかと一瞬思ったが、それは考えにくい。場内はほとんど女性たち、それも大半が中年女性。横に座る50歳ぐらいの女性に訊ねると、男主人公の浦井健治君の追っかけだと言う。私は彼の名前も顔も知らない。私は概して名前を憶えない。舞台で余程良ければ仰天して、誰だろうと確認するが(「見知らぬ乗客」の嵐の二宮君のように。彼の演技は本当に圧巻だった。あれは天才の演技)、名前を覚える人はごくわずか。蒼井優は、野田秀樹の「南へ」の芝居で知り名前まで覚えた。

浦井健治君、この中年女性の大群に遭遇しなければ、君の名前を確認しようとは決して思わなかっただろう。何がいいのだろう、持参したオペラグラスで(席は2階席)、終演後のトークに出て来たところをアップで拝見。「あ~、かわいいですね」と私。本当にかわいい。その受け応えも明るく可愛くそつない。「でしょ?34歳なんですって、若く見えるでしょ?ミュージカルにも出ているの。彼が出演して、今日のようにトークがあったら席はまず取れないのよ。だから私も諦めて最初から2階席にしたの」と、ファンの熱意を放つ。

男に「かわいい」の言葉。既に市民権を得たようだ。

ところで、今日の終演後トークで新国立劇場の芸術監督宮田慶子が言う、「昔は芝居を芝に座ってみたから”芝居”と言うんです。」私は頭の中で訊いた、「芝っていつから日本にあったのだろう。」で、さっそくWIKIPEDIAで調べたら、万葉集や日本書紀に「芝」の記述があるとか。ゴルフが上陸してからの話ではなさそう(^^♪。




失恋博物館 6/15

つい最近の米国ABCニュース「ナイトライン」を聴いていたら、ロサンゼルスのハリウッドに今月「失恋博物館」がオープンしたと言う。展示品は失恋した本人達が解説付きで送付する。

訪問した人達の意見がインタビューされていた。「最初はばかげていると思ったけれど、見方を変えると、これは自分の人生をも整理する手助けになると思ったわ。」なるほど。。。。その恋愛にどれほどの深みと濃さをあったかに寄るが、私は遠慮するなぁ。重い。博物館はそもそも遺跡を集めるようなところだけれど、感情移入されない”もの”としてだけの陳列であった方が、今のところいいかな。

ちなみにこちらもネットで検索したら、なんとクロアチアにもこのような博物館があるとか。ブリュッセル、ベルリンなどにも。身近な事だから、見学しながら様々な議論がされるらしい。当時の政治的、社会的環境も含めて。

    ベルリンの失恋博物館で展示されていた鉈。



まさかこれで?!

一瞬びっくりしません?

解説読んで、ホッ。

夫に腹を立てた妻が、夫の家具をこの鉈で壊したと書いてある。

うわ~、もったいない。壊しても良いほどガタがいってたのかしら。

私は何をしたかしら?ごみ箱を思いっきり床に叩きつけたわ。そのごみ箱、かなり頑丈だったのか、それとも私の腕力がなかったのか、今でもPCの傍で使われている。壊れて良いものだけを選んでいたと相手が言っていましたっけ(^^♪。後の掃除は相手がしましたわ。
 


どうですか、皆さま。




遊びせんとや 6/16

今日は早大地区OB達とのゴルフコンペがあった。7組の参加者が出るという豪華版。場所は、先輩の一人がかつて理事を務めていた埼玉の、こちらも豪華ゴルフクラブ。昼過ぎから雨が降ると言う予報だったが、全員が上がるまでは持ちそうだと、それぞれ晴れ男晴れ女を自負している人たちが「私がいるから」と、この日の幸運の理由を密かに誇っていた。

だが、9時頃に徐々にスタートしたゲームは、数ホール行ったところで雨にあう。結構本降りになり、雨合羽を着て傘を差しながら続行。このまま降り続け中止になりませんようにと願いながらのプレイだ。参加者の念が届いたのか、雨は間もなく止んでくれた。太陽が燦々と照る日よりも、傘を差しながらのプレイはなかなかいい。落ち着く。何よりも肌にいい(^^♪。

ドライバーやウッドが良くなって、ミドルは3打、ロングは4打でグリーンに上がったホールも幾つかあったが、グリーンの大きなうねりの上ではボールは急カーブを描きピンからはるかに離れて下へ下へと行ってしまう。内容は良くなっているのに、スコアは全く良くならない。

ラウンドの後のお風呂が本当にいい。そしてその後のパーティ。パーティがある事で楽しさが増す。賞が頂けるのは、それが僅かなものであっても嬉しい。みなさん「もしかすると私かな」と期待を抱いて順位の発表を待つ。私が頂ける賞は無かったが、馬券が当たった!前回当たったので、よし今度も!と5枚購入(うっは)。そのうちのひとつがドンピシャ!うっしっし~(^◇^)。

私は足がないので、いつも先輩の車に便乗させて頂くのだが、帰りには他の車から電話が入り合流して居酒屋で食事。たらふく以上にご馳走して頂いて、まだ帰宅するには惜しそうな先輩を家までお送りして帰宅。

今回も楽しかった。幹事を含め、このコンペ計画を運んでくださった皆様、そして一緒に遊んでくださった皆様、ありがとうございます。遊ぶって本当にいい。みんな遊べば仲良くなる。




ちょっと複雑 6/17

通訳業界はただ実力の世界だから、いい仕事をすると同じクライアントから指名で依頼が来るようになる。同じクライアントでなくとも、通訳派遣会社は通訳者の業務終了後必ずクライアントに連絡を入れ感想を伺うので、それに基づき別件の依頼をしてくる(又は、もう依頼が来ない(*_*;)。

昨年、登録はしたらしいが記憶に全くなく当然仕事の依頼は一度もなかった通訳派遣会社からの突然の依頼の電話に、久々にやってみようかと気分転換に受けたら、今年に入って打診が繰り返され、本日突然指名依頼と、別件依頼が2件立て続けに入った。まるで通訳を生業にしていた頃に戻ったようだ。大変光栄な事だが、少しばかり迷う。打診はあっても派遣会社とクライアントの間で契約に至らず、流されるケースがかなりあり、今回もまた流れるだろうと、軽く受けていたら、確定になってしまった。あっちゃ~、急にドキドキし、慌てた。予約を入れていた作曲/ピアノレッスンをキャンセルしなければならない。複雑だ。とても。作曲クラスはウキウキして待っていたが、通訳は身がしまる挑戦。現在のあまりにリラックスした生活にそのような時間はあった方が良い。だが。。。。これで良いのかなぁ。歌の世界に入った時から、迷うことなく通訳の仕事を辞めたのに、歌関連の事を優先せずに通訳の仕事を取っていいのだろうか。と少し反省したが、レッスンは1週間以内にまたあるし、うまく行けば、次回のレッスンも通訳業務の時間帯とかぶらずに行けるかもしれない。

そう、通訳には頭がパンパンになる不快な緊張感だけではない。現在私が最も人のために何かをできるとしたら、この仕事なのだ。ありがたくお受けしようと、想いを切り替えた。




おもしろさ 6/19

朝はジムで90分ほど自主トレーニングをし、午後遅く中野サンプラザに森進一の歌を聴きに行った。「え、森進一?」と私が行く事への意外性に驚いていた人がいた。確かに、私が普段進んで聴きに行く場所でもジャンルでもない。たまたま、テレビで彼と前川清が歌っているのを聴き、「森進一ってうまいんだぁ」と思った矢先の事。新聞を読まない私が図書館で何となく開いたページにこのコンサートの広告があった事で、2度考えて行ってみようと思ったのが最初の理由だった。以前にも書いたが、生前美空ひばりを実際に聴きにいかなかったことを悔やんだ過去が後押しをしたとも言える。こういう場所の雰囲気など様々な事を見て聴いて、何を感じさせられるか楽しみに行った。

ファンクラブの人たちが1階前方の席をすべて陣取るようだ。後方の真ん中が私の席となったが、その真後ろに座っている客達に驚いた。自分の家の茶の間の延長。歌を聴きながらずっと話をしたり、がさがさとビニール袋を取り出したりしまったり。普段私が行くコンサートや芝居の客層とまるっきり違う。余りのざわつきに後ろを振り向いて数秒間凝視すると、少し静かになったが、また話を再開。男客二人と女客二人。サウンドがかなり大きかったことに助けられて、ステージに集中しようと努めていると、突然その女客の一人が高めの声で男客たちに向けて言う、「坂本冬美のCD、おもしろくない。おもしろくないから、聴いてみな。」。。。。。

つまり、彼女にとって、森進一は面白いという事なのだろう。森進一の歌がなぜ”おもしろい”のか、うまいとは思うが、”おもしろい”という視点で聴いたことがない。で、より集中して彼の歌を聴いた。。。。。なるほど。坂本冬美は小さくまとまるのだろう。声の出し方に気を使ったり、丁寧に歌おうと、いわゆる収まりのいい歌い方をするのかもしれない。森進一は。。。。。なるほど。ぶっちゃけるのかもしれない。違いが分かるんだなぁと、身が締まる思いがした。面白いよりもきれいで丁寧な歌い方を好む人もいるが。。。。私の歌い方もどちらかと言うと森進一派だろう。

ヒット曲が数ある歌手のコンサートは飽きない。耳から入って素通りしてしまう歌が少ない。また各曲のアレンジが面白く、次のイントロはどう来るかと楽しみになる(アレンジャーは数人いた方が良い所以もここにある)。歌詞は名作詞家によるものだから勿論いいが、曲もうねりや浮き沈みやリズム変化があっておもしろい。森進一は話し上手ではないが、自然体で、無理のないステージを営んでいる。1部の後半はカバー曲だったが、ヒット曲があれほどあるので、歌を聴かせるだけで時間を持て余すことがないのだと思う。

騒々しい客だったが有益なコメントを聴かせてくれた。森進一を演歌歌手と呼んでいいのかどうか分からないが、かなり前に行った都はるみ、一昨年の石川さゆり、そして今年になって森進一、来月は細川たかしと続き、演歌歌手のステージを観に行くのもそろそろ五本の指になりそう。五木ひろしも聴いてみたいと思う。中野サンプラザは演歌歌手の座敷のようだ。




「硬い話だけれど」6/20

65曲目を書いた。前から書きたいと思っていたテーマだったが、形に出来たようだ。20年近く前に「人は自分を選んで来ない」と気づき、第3者的な視点で自分を見始めた。性格も体格も自分で選んだわけじゃない。生まれた月日も、国も、家族もすべて生まれてくるときに持たされたもの。「俺ってなんでこういう性格なのだろう」「もう少し美人で生まれたら」etc.他人を羨ましがったり、妬んだり、うぬぼれたり、優越感に浸ったり、劣等感に苦しんだり。これは皆他人と自分を比較したり、自分の価値観を外部依存するから出てくる感情だが、

自分をしっかり生きている人は魅力的だ。「自分」が分かった「私」は、「自分」に最も適した環境を選んであげる。「自分」と「私」、選ばれた「自分」はそのまま受けて行くしかないが、それを輝かせるかどうかは「私」の仕事。持たされた「自分」を「私」が美しく生かす。人生の意味はそこにあるような気がする。そんなことを特に若い人たちに伝えられたらと思う。歌詞になると言葉を凝縮してしまうが、聴いた人が自分なりに解釈し、それぞれの人生での気づきになってくれれば、良い人生を歩むきっかけになってくれればと想う。

どういうメロディーになるのかなぁと思っていたら、歌詞を書き終わって数分後、独立したメロディーが舌の上に乗っていた。最初の2小節の歌詞を当てはめると、ぴったりはまった。これを使いなさいと言われているのだろうと、使った。




生命力の違い 6/21

色々な人がいて多様性があるからダイナミズムが起こり、世の中は面白い。頭ではそう理解しているが、前に進もうとせずウジウジしている人、「どうせ、やっても。。。」「毎日やらなければならないんでしょ?」と停滞や後退を選ぶ人達を見ていると、「で、やらないでひ弱な老人になる事を選ぶの?」と、ついついお尻を叩いてしまう。すると黙ってしまう人もいれば、「そうか!」と奮起しそうな人もいて、後者が一人でも増えればいいと私は頑張っちゃう。

このままではだめだと思いながらも踏み出せない人達が多い。努力するのがしんどいのだろう。努力するかしないかはその人の生命力の程度にあるようだ。エネルギーのない人のお尻を叩いて、疲れるのはこちらだし、おそらく相手にも”要らぬおせっかい”になるのかも知れないのに、なぜ私は頑張らせようとしてしまうのだろう。放っておけばいいものを。

先日の大学OBゴルフコンペで、ハンディとグロス履歴から優勝してもよさそうな人達が上位に入らない。数日たって気がついたが、彼等に共通しているものがある:エネルギーがない。別に病気をしているわけではないが、心の状態が日常生活はもちろん、ゴルフにも表れる。それと真反対の人もいた。心臓疾患で入院した後にコンペに参加され、私と同じチームだったが、見かけの姿と違い、剛健な意思を感じさせる。80歳を超えておられるようだが、その生命力が彼をコンペ2位に入らせた。

「一番大切なのはエネルギーですから」と、27歳になったばかりの私のトレーナーが言っていたが(27歳にしてそれを知っているとは(*_*;)。。。。生命力の強弱もその人特有なのだから、そっとしてあげた方が良いのだろう。それも労わりかも知れない。お尻を叩いてくださいと言われたわけではないのだから、私も頑張ってはいけない。

自分の事に頑張りなさい!はい。




コーヒー or 緑茶? 6/22

昨日は夕方7時から3時間ほど、今日は午前10時から2時間ばかり、2日間の通訳を終えた。織物関連の企業による商談。織物関連の話は初めてだったが、日本側は普段は通訳なしで話をしているらしいし、今回は細かいところを助けて欲しいという依頼、かつ1対1の会議だから、分からない用語の英語は教えて頂きながらできるだろうと、かなりリラックスして臨んだ。

「縦糸と横糸は・・・」などと出て来た時はドキッ!「縦糸?横糸?」英語で調べたことも聴いたこともない。頭の中は、中島みゆきの歌「糸」が鳴っている(ありゃりゃ・・・)。いくら英語を知っていても、生活の中になかった言葉や聞いたことのない言葉は当然知らない。また単に「糸」と言われても2通りの英語がある。間違える事に怯えなくなった通訳者は”ベテラン”と言える(あはは・・・)。初日は夕食接待の通訳も含まれ、私も一緒に高級ステーキをご馳走になった。「私、ほんの少しで良いです」「アメリカ人に召しあがって頂けばよいですよ」とシェフに言われたりしたが、一生懸命食べて、帰宅して気が付いたら一人で全部平らげていた。あらま、どう思われたかしら?(*_*;

2日目はホテルのコーヒーラウンジで、参加者がもう一人加わっての会議。テーブルにつくとウエイトレスが飲み物の注文を取る。通訳者を含め日本人3人は、「コーヒー」。アメリカ人は「緑茶下さい。」(^。^)y-.。o○笑いが転がる。これがグローバル化(^^♪。

通訳の仕事の魅力は、様々な人間の営みが見える事。そして色々な人と出会えること。世の中が今どう動いているのか先端で見える事。生業でなくなり、歌の世界に完全移行してから数年ぶりに受けた時は、果たしてできるのかと冷や汗をかきながらやっていた。まだ使っていただけることを心から光栄に思う。それに料金も上げて頂いているのだから、恐縮する。「もうやらない」と決めずに、求められる限りお応えして行こうと、最近は思うようになった。

ちなみに、日本語の「縦糸、横糸」はそれぞれ「縦」と「糸」、「横」と「糸」という具合に、二つの言葉の組み合わせだが、英語は一つ。WarpとWeft。Weftは全く初耳だが、Warpは「歪む」と言う意味では知っていても、「縦糸」の意味もあるとは。。。。




すっきり 6/23

今はちょうど23日の0時を回ったところ。ジムから帰って来たばかり。水曜日と日曜日は基本的にジムで筋力トレーニングをしている。トレーナーがいなくとも自主トレーニング。

昨日通訳の仕事から帰宅して午後か夕方にはジムに行くつもりでいたが、メール返信をしたり、本を読んだり、ラドン吸入しながら録画したテレビ番組を観たりしていたら、出かけそびれた。そして食事。だんだんと今日はスキップしようかと考えつつ、葛藤が繰り返される。とうとう「ダメだ!行こう!」と夜9時過ぎに立ち上がってジムに行った。

すべきこと、やると決めたことをやらないと、心の中がごわごわと騒ぐ。いつ頃からか、この気持ちの悪さを許容しない私になったようだ。この時間でもジムにはかなりの人がいる。ストレッチしたり、バーベルでスクワットなどをしていると、心と体が一体になり、雑念が消えてすっきりする。90分ほど汗を流して最後はジャクジーに浸かり、「ああ、極楽じゃ」。




Singularity (シンギュラリティ) 6/24

私が分からなかっただけか、ソフトバンクの株主総会で孫正義社長の話に何度も登場した「シンギュラリティ」という言葉。総会当日は通訳の仕事が入っていたため、今日ネットで聴いていた。調べると次のような説明があった。

ー シンギュラリティというのは、「コンピューターのAI(Artificial Intelligence:人工知能)が人間の知能を越える日」ということ。これが何を意味するかというと、地球の歴史上で最も高度な知能を持っている人類を初めて越えるものがこの地球上に存在することになるということです。 -

一瞬”神”かと思ったが、そうではないらしい。「テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうとする未来予測のこと(WIKIPEDIA)」

「シンギュラリティがやってくるので」と繰り返し孫社長が話す。氏が55歳の時に60歳の誕生日に社長のバトンを現副社長のインド系アメリカ人ニケシュ・アローラ氏に渡すと言い、165億円の契約金と巨額な年俸を約束したが、59歳になってあと1年しかない現実と向き合った時、「俺は十分枯れたか。。。残したものがある。。。社長をやって行こう」「欲が出た」と思いを変え、アローラ氏は副社長を退任し、顧問としてソフトバンクに残ることになったようだ。なぜ60歳で引退しようと思ったのだろう。毎月訪れるシリコンバレーで精力的に働く人たちがグーグルやFACEBOOKの創設者など、30代40代の人達。60歳まで在任していてはソフトバンクの成長を妨げると思ったとか。

今の時代、60歳はまだまだ先がある。全然枯れていない。米国の携帯電話会社Sprintを買収したが、その後のTmobileの買収は米国政府によって認可されず、二つを合わせて初めて米国のAT&Tに対し競争力を持てると思っていたのが、当てが外れた。3流以下の会社、赤字だらけのSprintを売却しようとしても買い手が見つからない。失敗した買い物だった。ある日鏡に映された自分の髪の毛のほとんどが真っ白になっているのに気づく、「俺は余程悩んでいたんだなぁ。」やがて考え方を変え、抜本的な改革でVodafoneを今日のソフトバンクにまで育て上げた自分たちの経験と智慧を駆使し、19年間赤字続きのSprintを今年初めて黒字化することに成功したと言う。すごい!!

総会では社外取締役が話す場面もあり、ユニクロの社長柳井氏は「孫さんみたいな人はいない。孫さんと同じような人が後継者になってもいけない。うちの株主総会で、私は120歳までやれと言われましたよ。」日本電産の社長永守重信氏は、「60歳で引退するとは、血迷ったか。私は今年古希だが、体力も精神力も若いものに負けない。重要なのは意欲だ」と喝を入れる。

人間の感情を読み取るロボット「Pepper」君を開発し毎月1分で売れると言う。「シンギュラリティがやってくるので」これからもっとおもしろい事が起きるだろう。私はもっとやりたい。それが孫さんの思いなのだろう。孫さんが今度は何をしてくれるか、多くの人が楽しみにしている。彼は若い人達の夢だ。ぜひぜひ頑張って頂きたい。

アップルの創始者スティーブ・ジョブズをはじめ、IT関連の名だたる米国人を友人に持つ彼らしく、ソフトバンクの株主総会の雰囲気は、機械的に進行する他の日本企業とは大きくかけ離れている。笑い声あり、プライベートな話あり、会場からの質問が途絶えない、ざっくばらんな会。下を向いたまま原稿を読むことをせず、米国大統領が演説の時にやるように、ステージの左右前方にテロップを置いているようだ。良いものはスピーディーに率先して取り入れて行く、実にワクワクする経営者だ。

実は20年以上前に、私は孫さんに逢っている。当時ソフトバンクは動きが低迷している時だった。下を向き思いつめた表情でとぼとぼ歩いてくる孫さんは、言葉を発する気力さえ失せていたようだった。私がお逢いできた喜びを伝えても、ずっと俯いたまま、話者である私の顔さえ見ようとしなかった。ところが私が立て続けに放出した言葉の中の一言に、俯いていた頭をビクッと正面に据え、眼孔いっぱいに開いた眼で真っすぐ私を見た。一緒に写真にも納まって頂いた(その写真は見当たらないが)。その言葉が一閃の光を投じたのか、来られた時とは打って変わった速さで闇の中に消えて行かれた。その後ソフトバンクは再燃した。私を覚えていなくとも、私が放った言葉とあの時一人の女と出会ったことは今でも覚えていらっしゃるのではないかと思う。こんなご縁を頂いたのだから、いつか再会する機会があるのではないかと密かに思っている(ここで書いているのだから「密か」ではないか)。あの出会いは、恐らく、孫さんのために、神様が作って下さったのだろう。そう思う。




貧血 6/24

帰宅してネットで株価を確認したら、緑色で「-1,296.33」となっている。一瞬、証券会社のITシステムにエラーが出たかと思ったが、英国のEU離脱でこのように反応するのかと呆気にとられ、最近の株価の変動ぶりに免疫力がアップしたのか、ただ笑った。安倍総理が今はリーマンショック並みの不況と話していたので、いずれこうなるだろうと思っていた(思っていても、損を出している時は何もできない。それが素人)。つい最近、大学の先輩に「13千円台まで落ちるんじゃないの」と話していたところだった。

かつて英文のTIMEかNEWSWEEKかを読んでいた時、「貧血性の数字」と言う具合に「貧血」の語を米国の経済ジャーナリストがよく使っていた。当時はなぜ数字に「貧血」になるのだろうと理解できなかったが、今はよ~く分かる。数年前からの暴落に何度頭から血が引いて行ったことか。エクセルシートに数字を反映したくないほど、大損。ただ、リーマンショック時代の経験が私をそれほど怯えさせないでいる。当時リーマンの指名通訳者であった私は、リーマンの日本における最たる投資先であり、「私が日本人ならこの会社に就職する」とまでリーマンの融資担当部長に言わしめた企業の株を買ったが、リーマンの破たんと共にその会社も破たん。まさにすべてが紙屑になった。多くの人がそう思うだろう。私もそう思った、「まさか、私に起きるとは。。。」かなり動揺したものの、そのうち元に戻るだろうと楽観視する自分もいた。数年後その日が来た。

その時の教訓がいろいろある。今は金縛りにあった状態でも、栄養を付けて血液が十分に体中に行きわたる日が、いずれ来る。良くなるっきゃないんだから、良くなる。




なにもの? 6/27

宇宙に自分をアクセスするようになって(こう言うと、この世界をご存じない方々にはたいそうな事のように思えるかもしれないが、誰にでも意志さえあればできる)、自分を第三者的に見る事が多くなった。どんな特性を持たされているのだろう、「何者だろう」と。

6月21日のブログ「生命力の違い」で「なぜ私は人を頑張らせようとするのか、求められてもいないのに」と書いた。6月24日のブログでは孫さんとの出会いを書き足したが、私の無意識のレイヤーから発する言葉、時には沸いてくる意識的な言葉は、どうも人助けとつながっているように思える。

マヤ暦を使った占星術がある。太陽暦よりも宇宙の動きに同調していると歌子さんが言っていた。彼女から聴かされる前に、ネットで見つけてその正確さに驚き、お気に入りに入れてあった。自分や友人知人の生年月日を入れては目を丸くしている。相性まで出る。なぜあの人は私にそれほどの親しみを持って下さっているのだろうと互いの生年月日を入れると、「自然に共感する」と書かれてあったり、「XXXだけ気を付ければ、互いに励まし合える最高の相性」と言う人もいたり、どうしても閊える人にはやっぱりと言う理由が書かれてある。寛大な人をマヤ暦で見ると、そのままその特徴が記述されている。なるほどね~、寛大な人は寛大に生まれて来るようだ。寛大でない人に寛大になれと言っても無理があるのだろう。無いものを求めるより、その人の特性を生かすようにした方がいい。

で、私の特性は直観力と創作力、そして人の救済だとか。自分を救うのは自分であり他人が救えるものではないから、言い換えると、一個人が自分を救うきっかけを与えるのかもしれない。初めて歌子さんに会った時、「あなたは中世のヨーロッパで大きな存在でした」と言われ、後で調べて「ごうぇ~~」と驚きもしたが、やはりそうだったかと納得もした。国を救おうと、少女は旗を揚げ民を率いる。そして国の統率者に進言する。大それたことだが、神からの啓示だと言う。啓示ならば、農民の子でも王に謁見できるよう細かいところは神が整えられる。歌子さんから言われる前に、この彼女の心の状態がすっと私の中に入って来た時があった。それはマスコミや世間で考えられている彼女とは違う。彼女がした事、私がしている事またしようとしている事は、環境が変わって現れ方が違うが、似ている。ただ、彼女より長く生きている私は保身も考える。

「オサマビン・ラディンも仏の子ですか」と言う質問に、ダライラマは答えた、「はい。彼がもしアメリカで生まれていたなら、テロリストと戦ったかもしれません。」正義感とカリスマ性、同じ魂で異なる環境なのだ。

始めてパリに行ったとき、晴天なのに突然私の回りだけに靄がさし「私はここにいたことがある」と文脈もなく降りて来たことがあった。だが、その時の私が誰であって何をしていたかは知らない。シャンゼリゼの駅で老人が演奏していたバイオリンの音においおい泣いた。それもなぜだか分からない。その後、元夫が私がその少女に似ていると、不意に言った。それは”降りて来た”言葉のようで、彼にもなぜそう言ったのか認識がないらしい。神から告げられる言葉は、自分の意識領域を通らずに出てくる。それは私が何度も経験している今だからよく分かる。また子供の頃私の肉体に起きた事を思い出すと・・・・中世のヨーロッパにいたあの少女と全部つながっている。私はこの娘(こ)にあまり関心ないが、私の中に棲んでいるから愛でるようにしている。

ちなみに、この少女が私の前世だったことを友人に言うと、「そう思った」と二人が言った。へえ~。(´◉◞౪◟◉)




ただ者じゃない 6/28

ミステリアスな事を上で”とうとう”言ってしまったので、ちょっと続けてしまおう。

私の誕生日は7月7日。姓が琴。生まれは東京だが、小学5年生の頃父親が事業を始めた宮城県石巻市に引っ越した。石巻は東北大震災以前には人の話に出る事もなかったので、父母が他界してからは、兄姉たちの家族が住む仙台が家だと言っていた。

大学でクラブ活動をしていた時の事だ。「琴さんって不思議ね。誕生日が七夕で、織姫様のいる星の琴座の琴がみよじ。そして仙台でしょ」と言われた。そんなつながりは初耳だったが、なるほど皆七夕につながっている。ずっと後になってそれを思い出し、姫君にでもなったようにほんの少し浮かれ、特別なロマンスが私の人生にあるような気もした(実際にあったと思う)。

それから大分経って、ここ4,5年前、ひょんな事で琴座を調べていたら、英語でVegaと呼ばれ、太陽の次に明るい星と出ているではないか。何か特別な使命を頂いて生まれて来たような気にさせられたし、誇りに思った。毎日を瞑想で始める日常を繰り返していると、上のブログに出てくる少女が受けた天からの啓示に似たものなのか、時々自分の中に、”ただ者でない”誰かがいるような気がするのである。




歌作りと通訳 6/29

今日は通訳の仕事があった。電力自由化に伴う米国からの売り込みだ。昨年お手伝いさせて頂いた企業からの指名依頼だった。

通訳の仕事はやはり大変。通訳の仕事が何たるかを知らない人達はただ言葉の置き換えだと思う。だから意味を質問をすると、「それはそのまま訳して頂いてよろしいです」と意味の説明はなくカタカナ文字を使うよう言われる。そうではない。きちんとした通訳をする人は内容を分かって通訳をするから、相手も理解できる。言葉を置き換えるだけの通訳(率直に言ってその手の通訳者は理解能力に欠ける)は、大体ちんぷんかんぷんになる。そのため当日前の資料の読み込みや下調べにかなりの時間を費やす。

90分づつ2カ所での同じ内容の会議でも、送られて来た十数ページのプレゼン資料を理解するために数時間をネット上で過ごす。ネットがあるためにお客様の許容範囲内の通訳ができるようなものの、ネットがない時代の通訳は想像するだけで恐ろしい。通訳者も通訳を聴く人達も大変だったろうと思う。

恥ずかしい仕事だけはしたくない。そのためにどんなに割に合わなくとも事前準備をしっかりしていく。この事前準備を含めると「マクドナルドの店員より安い時間給」になる事もある。初めてリーマンの仕事を頂いた時がそうだった。金融の話なんて全く分からないから、3時間の仕事の前準備に3日間家に閉じこもって勉強した。今回も1度資料を頂いて勉強していたら、翌日資料が差し替えられ、改めて勉強。どうもよく分からないので、会議開始30分前に通訳者との打ち合わせ時間を用意してもらう。普段はこれも就業時間として請求されるのだが、手続き上の問題か今回はそうはならず、それでもみっともない結果に終わるよりましだと、請求無しの打ち合わせとなった(だが、今後はこれに甘えられては困る)。

パソコンの前で下調べをしていると、「ああ、いやだな、この仕事」と全身で思った。20年ほど通訳を生業にしていたが、他人のアイデアを分かり易い日本語または英語で伝えるために、情報と、辞書にはない現場の言葉を追って行く仕事。表層的な言葉だけの仕事だから、上澄みだけを掬い取り、考えたり想像したりする範囲が狭く浅い。覚えている内容は全くと言っていいほどない。やった仕事はすぐに消えて行く。色々な人に逢えることや、何が起きているのか分かることは面白いが、自分の中で育てるものは極めて小さい。それで「今回きりで、もうやめよう」と思った。が、

会議が終わり汐留にある巨大ビルのロビーで本日の労をクライアントと労い、「ありがとうございました」と満面に笑みを湛えて言われると、「もうやめよう」の気持ちが払拭され、もう少し頑張ってみようかと思いが変わる。心から表された「ありがとうございました」は、マジックだ。

そこに行くと、歌作りの仕事は、どこを切り抜いても自分のオリジナリティがある。正確に言えば、私と神との合作だ。聴いている相手の表情に満足の顔が見えなければ、なぜだろう、こうかな、と積極的により良くなるよう改善を重ねる。そこにしんどさはなく、工夫を楽しめる。インスピレーションが来ない時は休んでくるまで待てばいい。通訳の時のようにかなり疲れ、話が聴けなくなり通訳の質が悪くなっても頑張らなければならないという事はない。創作した歌に満足の色や感動の色が見えた時の達成感は大きい。天まで上るような高揚(ちょっと大げさで~す(^^♪)。だが、歌作りと通訳の2芸を頂いた事はありがたい。

「ありがとう」があるからやる仕事、「ありがとう」がなくともやる仕事。通訳と歌作りは、私の中にはそんな違いがある。




Back to School 6/30

「ちょっと前に、歌い継がれているトップ3が紹介されていたの。AKBも入っているんだけれど、中島みゆきの「糸」が入ってたの。あんな歌が書けるといいね。」

6月から以前のミュージックスクールに戻った。毎回のレッスンで常に何かを学び、課題をもって帰宅するスクールの1時間には充足感がある。ピアノインストラクターに作曲も見て頂いているが、彼女にとっても私との1時間は、奮闘の1時間のようだ。彼女を含め、これまで何人かの音楽専門家に指導を仰いだが、共通して言えることは、何かが変だと思ってもそれを口に出して説明できない。なぜ”変”なのか説明がないと、こちらは勉強にならない。

だが他のインストラクターと彼女の違いは、彼女は私が上達するよう真摯に答えを探してきてくれる。私の方も、繰り返される「変ねぇ~」の正体を見つけようと、彼女が並べる言葉を反芻し、ひたすら課題解決に向かう。それで次のレッスンにはお互いが初めて共通言語を持つようになる(^^♪。だから彼女とのレッスンは私のレッスンでもあり、彼女のレッスンでもあるのだろう、楽しみにしてくれているようだ。その様子は、可能な時は、「ちょっと早く来たの」と決められた時間前に急ぎ足で照れながらレッスン室に入って来る姿に表れる。

「変ねぇ~」と言われているのは、先月書き終えた「ここにいるよ」。コーラスのスダッチに聴いてもらったら、曲が単調過ぎて歌詞に負けていると言われ、このインストラクターに相談しに行った。が、彼女には単調という印象はなく、その代わり「変ねぇ~」が来た。どうも構成上の問題らしい。その正体がどうにか分かり、拍を変え、加えてAメロの繰り返しをやめ他のところのメロディーもほんの少し変えたものを持参した。最終的なチェックが終わり、彼女のピアノで歌い終わると、嬉しそうに手を叩く。

その後で、彼女が上の言葉を言った。普遍的なものを題材にするという点で中島みゆきの曲と似ているから、隣り合わせにしてくれたのだろうか。光栄である。そして続ける、「以前に”無碍(むげ)”とかいう曲を作ったでしょ。仏教で言われる無碍でしょ?あれ、いいわよ。」タイトルは「無碍」ではないが、内容がそれかも知れない。「地図」の事だと思う。私もあの楽曲は、多くの人が何かを感じる歌になるだろうと疑っていない。


そろそろライブを始めて反応を確認してみたい。「地図」も「ここにいるよ」も。




一人芝居 7/1

水曜日はトレーニングの日と決めているが、今週は通訳の仕事が入ったので、それを今日の午前中に移動した。その後鍼灸院に行き、夕方から風間杜夫の一人芝居を観に行った。

私が住んでいるマンションから徒歩10分もない区立中央図書館が入っているビルの2階にその劇場がある。派手な商業演劇ができるスペースではないが、時々著名なアーティストが出演する出し物がある。
その劇場のチラシは4階の図書館へ行くエレベータの中の壁に付着したブラスティックファイルに入れてあり、当たり前のように芝居を観る私の目はいつもそのファイルに行く。

幼いころから落語が好きだったと言う人には、一人芝居は難なくこなせるのかもしれない。大正生まれの90歳の老人に扮して現れたが、途中から声が90歳でない今の60代後半の風間杜夫の声になってしまったのは残念だったが、それを大目に受け止められる圧巻な芝居だった。テレビで見る彼の芝居がなぜ一人芝居になるのか、一人で騒ぐ芝居になるのか、よく分かったような気がする。この人は一人芝居がキッとやりやすいのではないかなぁと思ったりした。常に突っ込みの演技。カーテンコールに現れた俳優自身よりも、芝居の中の風間杜夫は充実そのものだった。




レ・ミゼラブル#3 7/3

1986年1月、交換研究員としてフルブライト奨学金を頂いた最初の夫に便乗して9年と3か月に及ぶ米国での留学生活とバイトを終えて帰国。UCLA(カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校)の舞踊学部と演劇学部でそれぞれ修士号を取得した。正確には、舞踊学部の修士課程終了後、演劇学部の博士課程に受け入れて頂いたが、私がやりたいことは舞台上でのパフォーマンス、1年後同学部の修士課程に移籍した。その修士課程に在籍していた時、常勤講師の一人から特別な関心を頂き、彼が演出するハリウッドの最古劇団に客演で参加する事になった。初めての舞台が米国のハリウッドの芝居小屋。プロの俳優たちが仕事のない時に出る場所だが、業界紙は思いの外私の演技を褒めたたえた。

私はその講師の「俳優のための動き」と言うクラスを受けていた。英語はたどたどしいが、私の中から湧き出るものがあったのかもしれない。「演技」のクラスを持つ教師”全員”が私の演技に電気が走るものを感じていたようだった。大学院生の多くから嫌われていた若い講師さえ、クラスで発表する私のシーンに他の教師よりも冷淡だが賞賛を交えた。「動き」のクラスの講師は毎回私をモデルにし、他の学生たちに私を見るよう促した。内心光栄でもあったが、複雑だった。子供の頃から男性の教師に贔屓される傾向があったが、その度に私は他の生徒の心中を想い、関係者の前では有頂天にならぬよう自制し、教師との距離を取った。そんな私の性癖も今になって気づく。

この「動き」のクラスでは、時々仮想オーディションを行った。ステップが与えられ、それを音楽や歌と共に自分なりに踏んでゆくのだが、その人の創作力や面白さが験される場であった。私はこれが得意だったように思う。ずっと後になってだが、日本で受けたミュージカル「アイ・ガット・マーマン」の初演のオーディションの課題がまさにこれと同じだった。ステップを頂いて、歌いながら動く。当時は今のように高音が出なかったので入らないと分かっていたが、事務所から行けと言われ、事前課題「ミュージカルとは何か」と言う質問に対し「”き印”だ」と言った手前、本人の私がその”き印”を見せなければならないと、思いっきり遊ぶ事にした。で、長くとも8小節くらいで「はい、そこまで」と言われると思っていたのに、最後まで歌わされそうなのである。「ぎゃ~高音が出ないのに、どうしよう」と歌いながら動揺していた。しかしストップがかからない。とうとう、高音がでてくる小節の直前、歌も動きもやめ、へな~となってペタ~と床に座ってしまった。その時初めて回りを見た私の目に映ったのは、演出家の宮本亜門さんの真っ赤に火照ったような顔。その目は一点私だけに集中、他を見る余裕など全くない様子。「続けて、続けて!」とピアノ伴奏者と私を交互にみる。「は~どうしよう。出したら死にそうな声になる。。。」右側を見ると、プロデューサやスタッフのオジサンたちがニコニコしている。私の順番前にオーディションを受けていた人を見ていた時の退屈そうな表情とは打って反えて。

「死にそうな声になる」と思っているのだから、死にそうな声になった。亜門さんはすぐに私の履歴書に書いてある音域記録を確認。「あ~」と声を出してため息をつき、平常心に戻ったように静かな声で言った、「女優としては素晴らしいのだけれど・・・」

余談が入ってしまったので、長くなりました。つづきは、また後日、ね。(^_-)-☆




レ・ミゼラブル#4 7/6

米国留学からの帰国が1986年1月、レ・ミゼラブル日本版の初演が1988年。オーディションはおそらく1987年、帰国した翌年にあったと思う。審査委員は音楽関係者が一人、芝居の演出家が一人、そしてもう一人何者か知らない人がいた。これは、日本商業演劇史上恐らく初めての公開オーディションだったと思う。審査員の演出家が俳優座の方で、助監督をしていたと言う知人が彼から聴きつけ、このオーディションを私に知らせてきた。ちなみに、この知人の弟は、私が米国UCLAにいた時の同窓生であり、ロスの日本人学校で毎土曜教えていた時の同僚でもある。この同僚は、現在、イスラム問題になるとテレビに顔を出して来る宮田律。かなり立派になって、連絡するのも逡巡する。テレビに出てくるたびに、当時一緒にカラオケに付き合ってもらったり、聴かされた彼の秘話を思い出す。確か、ロスで私が出演するカラオケ大会にも来てくれていたと思う。姉弟共々こもった声色でボツボツとしゃべり、テレビ画面を通して聞こえる彼の声は今でも変わらない。

生まれて初めて受けるオーディションの内容は、課題曲とマイムだった。課題曲は、レ・ミゼラブルの中で歌われるアリア、そしてマイムは言葉のないまま与えられたシーンを表現するというもの。シーンには二つの選択肢があり、一つは、「新聞の批評欄であなたを絶賛する記事が載せられました。あなたは歓喜します」(書いていると、遠い昔の事だけれど思い出すものですね)。もう一つはその逆で、「あなたを酷評する記事・・・・悲嘆に暮れています」。そのどちらかを表現するというものだった。課題曲は、男に裏切られ、女たちからは嫉妬の嵐にあい私生活を嘘ででっちあげられ、唯一まともな生活源であった工場から追い出され、親戚に預けた実子への仕送りのため売春婦になり、やがて死んでゆく悲劇の主人公の歌だった。その歌詞から想像をめぐらし、身を崩し酒浸りになった女を歌おうと、ビールジョッキを持参して行った。

私の番になり、まず自己紹介。その後課題曲を歌うのだが、「椅子を使っていいですか」と審査員長の演出家に訊ねた。「課題曲ですよ」「はい」「あ、椅子を使ってやるんですね」。途端に演出家はエキサイトした様子だか、反対側の端に座る音楽専門家は「この人いったい何をするつもりだろう」と思ってか眉間にしわを寄せ凝視している。で、始まった。床に寝て上半身を椅子に預け、ビールジョッキを片手に。

通常課題曲を歌う場合、歌唱力だけが験されるので、立ったままピアノに合わせて歌う。オーディションというものを受けたことがなく、米国の留学中に楽しんだ仮想オーディションでは課題の中で自由に動き回る事を教えられていたため、その通り自由にやらせて頂いたわけだが、8小節ほど歌った時に、音楽審査員が申し訳なさそうに「あの。。。すみませんが。。。そこで。。。」。俳優座出身の審査委員長は面白いものを見させられているようでエキサイトした表情のままだった。

次がマイム。私は「酷評」の方を表現するつもりでいたが、シーンが始まり新聞記事を読み終わった時、突然「よろこぶ!」と私の体の中で誰かに叫ばれたようだった。あれは、ほんと、不思議だった。私自身が「え?!」と内部で反応していた。だが、体がもう歓喜を表現しようとしているのだから、そこから計画してきた「悲嘆」に変えてはギャップができ不自然になる。そのまま行け!と自分を押した。マイムが終わると、演出家の顔がガラッと変わり、これまでの余裕のある笑顔は消え、紅潮している。ひとつ大きく頷き、私を見ようともしなかった。

レ・ミゼラブルのような研ぎ澄まされた声が要求される作品に私の出番、少なくとも当時の私の声に出番はない。が、後日審査員長に様子をうかがった知人が「なかなか面白い素材だと言っていたわよ」と伝えて来た。そこには私を紹介した事への幸福感が滲んでいた。「あなたは当然出るべき人なのだから、あなたを出さなければ」と、その後彼女はコマ劇場のプロデューサに掛け合い、そのプロデューサーから砂田さんへと紹介されることになった。つづく





レ・ミゼラブル#5  7/7

レ・ミゼのオーディションの後、このオーディションを私に伝えてくれた知人宮田礼子(ひろこ)さんが突然私の通っている牧阿佐美バレエスタジオで事務長をするようになった。ある日スタジオで彼女の姿を見た時には本当に驚いた。なぜここにいるのだろう。レッスンの終わるころになると、教室まで駆けてきてドアのところで見ている。姿形、また遅きに始まったバレエの技術からして、異質な存在でしかなかった私をどんな思いで見ていた事か。

彼女は助監督をしていた時や戯曲の勉強をしていた時に知り合った業界の方々に私を紹介してまわった。そしてご縁ができたのが帝劇の支配人になられた小坂弘治さんとコマ劇場のプロデューサー(なんと名前を忘れてしまった)だった。コマ劇場のプロデューサーは、「あなたはスターになる存在、あなたを生かす事務所でなければならない」と、夏木マリをカムバックさせたマネージャがいると砂田晋平さんのエヌ・エンタプライズに私を連れて行かれ、砂田さんはその場で私を預かると言って下さった。

事務所に所属すると様々なオーディション情報を頂く。コーラスを求めていたりするものもあるが、私は決してコーラスに入るタイプではない。だが、オーディションに出ていれば、誰かの目に引っかかるだろうと行かされた。あるオーディションに顔を出すと、レ・ミゼの時の音楽審査員がまた審査員として座っているではないか。レ・ミゼでの私の課題曲の取り組み方は彼に私の名前を覚えさせてしまったのだろうか、私がドアから指定の立ち位置まで歩く間、まるで睨み付けるようにじっと見ている。ものすごい威圧感。やばい。おろおろしてしまった。

事務所には、夏木マリや島田歌穂のほかに、天地真理、ピーター、金井克子、にしきのあきら等など元歌手たちが集まっていたので、紹介される作品は皆ミュージカル。宮本亜門演出による「アイ・ガットマーマン」のオーディションもその一つだった。3年所属して出演した舞台は3か月の地方公演のある、作家有吉佐和子が宮城まり子のために書き下ろしたと言う「山彦物語」1作だけ。それもさっぱりイメージの湧かない動物の兎の役(そういう事になっていたんだなぁと今は思う)。私の舞台は見てないが、色々な演出家からコメントを聴き、「俺は3年でコトシズコを出す」と皆の前で宣言した砂田さんだったが、その間、シンデレラのように脚光を浴び始めた島田歌穂で事務所は忙しくなった。この事務所じゃだめだ、ストレートプレイ中心の事務所に行こうと、止める砂田さんの声を振り切って出てはみたが、それが後の祭り~よ。誰かの紹介無しで事務所に所属するなんてありえないのが、この世界だと知った。それまでが特別ラッキーだったのだ。その頃2番目の夫と結婚。結婚したと聞いた砂田さんは完全に私を手放した。つづく




レ・ミゼラブル 最終 7/8

どこで知ったのだろう、音楽座と言う町田にあるミュージカル劇団が作家遠藤周作の「私が捨てた女」をミュージカル化した「泣かないで」の公開オーディションをやると言うので行った。オーディションが終わると、「あなたは音楽座にぴったりです。町田に引っ越してきませんか」と劇団の社長から言われた。助演役の修道女スール山形の役に起用しようとしていたらしい。この役は音大出身の劇団員が内定されていたが、私に回そうとされた。ところが最後にもう一度歌のチェックをさせて下さいと「オペラ座の怪人」の譜面を出されたとき、結論は出た。これはオリジナルの歌姫サラ・ブライトマンに合わせて作られたかなり高音で書かれた曲。劇団は、小説にはないライ病患者収容施設の院長役(全く歌わない)を私のためにわざわざ作ってくれた。どこに行っても歌唱力が付きまとう。ストレートプレイの公開オーディションはどこにもない。歌う声を作らなければならない。

すると、なんと、またあの音楽審査員だった通称Billyがこの音楽座の音楽監督として顔見世の時に現れるではないか(当時多くのミュージシャンは本名とは別に英名を持っていた)。また睨まれたら嫌だから勇気を持って挨拶に行くと、意外や、あちらもニコニコと”旧交”を温めてくれる。この再会が縁で月2回彼のところに通う事になった。

それまで10人程声楽を教えるという方々についたが、皆枠にはまったように、同じことを言うし同じ事をさせる。そこでは私は何も見つけられなかった。誰か私の根本的な問題が分かる人に出会わない限りだめだと思っていた時に、10番目になるだろうか、当時東京音大の講師だった(現在は教授)水野賢司先生のところで初めてそれまでとは違う視点でレッスンが行われた。水野先生は二期会のメンバーをも教えていたが、先生自身が長い間悩みやっと気付いた事は私の根本的な問題点の解決につながった。だが先生はクラシック畑の方、水野先生とミュージカル発声を教えてくれるBillyの間で声作りが始まった。

私の歌への道は、思えば、東宝のレ・ミゼラブルへの挑戦から始まった。途中、完全に芝居や歌の道から外れて通訳をする時期があり、舞台に立つと言う願望だけはやり残したまま今世を終えるのかと思っていたが、2008年突然、一番不得手だった歌の世界に天からの力で戻された。それも音楽を専門的に勉強したことのない私が歌を作ると言う形で。奇しくもそれは2番目の夫との16年に亘る結婚生活に終止符を打った年だった。そしてまた不思議な事に、天が私に望まれるからか、急ピッチで歌う声を頂くようになった。

END




逝っていた 7/9

レ・ミゼの事を書き始めたら、思いもよらない展開になり、それは舞台を志した私の現時点までの総括の概略になった(書き始めた時は、そんなつもりは全くなかったのだが。。。)。

久々に思い出した人がいる。宮田礼子。最後に逢ったのは遠い遠い昔、彼女が病院に入院している時だった。上のレ・ミゼのシリーズを書きながら、彼女の私に対する情熱で全てが始まっていた事に気づき、昔の手書きの電話帳を取り出して、甲府にある彼女の実家に電話を入れた。「xxx印刷です」と女の声。そうだ、確か印刷屋をやっていると言っていた。彼女の名前を口にすると、突然戸惑ったように相手の声の調子が変わった。「ちょっとお待ちください」と言われ、電話口に出て来た男の声が言う、「宮田礼子の甥ですが、叔母は4年前に亡くなりました。

60歳になった年に、人のいないところで倒れそのまま逝ったと言う「可愛そうだったのですが・・・」。心不全と診断された。衝撃が走った。受話器を置けない。まるで60歳になったら死ぬ事が生まれる前から設定されていたような。「私、風船なの」、久しぶりに会うと体の大きさがいつも違っていた彼女が言った言葉を思い出す。本当に風船になって空に飛んで行ってしまった。あの時には見えなかった彼女が今の私には見える。

礼子(ひろこ)さん、あの頃の私はあなたに感謝する事さえ思いつかなかった。思う通りに全てが運ばれることを当然と思っていた。あれから随分年月が過ぎたのね。逢えたなら、心からの「ありがとう」を告げたかった。お酒の好きなあなたとまた居酒屋などに行って、いい女に変貌した(?)つもりでいる互いを語りあったりして。ものすごい遅咲きながら、ありがたさが分かる私になったの。

あちらに逝って4年、もう地上の事はほとんど覚えていないかもしれないわね。生まれ変わってどこかで会う時は、必ずお礼をさせてね。きっとまた貴女は私のために力になろうとするから。

2回に亘って書くつもりでいたレ・ミゼのエピソードが6回になり、今思うに、貴女の事を思い出し、貴女が逝ったことを知るためだったのかもしれない。どう、そちらは生きやすい?

合掌。




亭主経験 7/11

今日は浜離宮恩寵公園に行った。以前から行ってみたいと思っていたが、今日はお茶会もあると言うのでやっと腰を上げた。都会のど真ん中に住んでいるので、時々木々や水に触れる方が良い。人工的に作られたものよりも、自然をそのまま楽しむ方が好きだが、とりあえず日本庭園。

浜離宮恩寵公園は渋谷駅前のスクランブル交差点同様、英国出版の旅行者用バイブルLonely Planetで紹介されているようだ。汐留駅から徒歩5分ほどだが、信号待ちで立っている人たちは、ほんと、外国人ばかり。こじんまりした庭園で取り立てるほどでもないような気がするが、どうなのだろう。あっけない散策となった。新宿御苑の方がお薦めなのではないかと思うが(夏には薪能もある)、外国人用旅行ガイドブックでは浜離宮に目立つ記述があるらしい。

お茶のお点前は何度か頂いているが、私自身が亭主になる経験は今回が初めて。20人の正客連客の中から3人がこの特権を頂くことができると言うので、すぐに手を上げた。横で本物の亭主が一つ一つ指示してくれる。ガイドブックでは茶席参加を薦めているので、外国人客も多いようだ。「お茶の効能は何か」「抹茶とグリーンティーとはどう違うか」などの質問があるらしい。一日3杯ほど抹茶を頂くと、下の写真左から2番目の右に座る亭主春代さんのような福のある顔になるらしい。

お茶の後は木陰でサスペンスドラマ「ハゲタカ」を読もうかと空いているベンチを探して座ると、横のベンチでLonely Planetと地図で両手がふさがったベルギーから来た青年とおしゃべりをすることに。「ハゲタカ」の方に行きたかったが、私も外国旅行をしている時は現地の人たちと話をすることを大変楽しんでいるので、彼にその時間を作ってあげようとお付き合いした。さて、ヨガのクラスがあるからと腰を上げると、満面に笑みを湛え、「とてもいい話を聞かせて頂いて、ありがとうございます」と丁寧な挨拶。Enjoy your stay!







大掃除 7/15

最近の雨、良かったですね。テレビのニュースでダムの貯水量の低さが取りざたされていたが、胸をなでおろしている人たちを想い、こちらもほくそ笑んでいる。

ここ数週間、金曜日は歯医者に行く日になっている。毎回麻酔をかけられので、食べ物や飲み物が意に反して零れる。半身不随になるとこんな感じになるのかと、他人事に思えない。平常に戻るまで5時間ほどかかり、麻酔が切れる夕方まで待って昼食を取る。

口を大きく開いて歌う時、学生時代に保険適用内で作ったブリッジのメタル色が際立つ。縦に割れて抜いたところにインプラントを入れようと歯医者に行ったが、ついでにそのブリッジもセラミックにしようかという事になった。だがそれだけではない。この歯医者はこちらが知らない虫歯を複数見つけ、それも他の歯を治療中、つまりこちらの口に麻酔が打たれ開いたままの状態で身動きできない時に「こちらも治療してい良いですか」と訊かれるので、問答無用だ。そんなのってあり?と言いたくもなるが、おそらくこの歯医者の性格のように思える:徹底的にきれいにしたいのだろう。まことに歯の大掃除。金額も大変。なぜこうなったのだろう。。。。自然にこの流れになったなぁ。

下の左右の親知らず。生かすために昔詰められたアマルガムを取り除ききれいな被せものに替え、右上の奥にインプラントを入れて噛み合う歯を作るか、又は親知らずはなくても良いと抜歯し右上にインプラントも入れない方法を選ぶか。後者の方が金銭的に節約できるが、親知らずと言っても支障がある訳ではないし使える歯を抜歯するのは心が細る。毎週通っているうちに、結論が出るだろうと、普段の私に似合わず、様子見になっている。




ハゲタカ 7/16

テレビドラマになった記憶がある(私は見ていないが)、真山仁作「ハゲタカ」。テレビドラマ化されたのは最初の上下巻か。人気が出たので、続きを書いて行ったのだろうか。ハゲタカ2の上下、ハゲタカ「レッドゾーン」上下、ハゲタカ「グリード」上下、ハゲタカ「外伝」と全9巻になる。

確かに面白い。企業の買収劇だが、この類の内容の通訳をした事があるので、「そうそう」などとどこかの案件を思い出しながら読んた。最初の上下にはなかった、まるで韓国ドラマのコツを盗んだかのような終わり方が、2の下から始まる。次の巻を読まずにはいられないような、気を持たせる終わり方。米国の大統領、日本の首相まで登場するのだから、ぶったまげる。

だが、4巻を読んだ後、「え~、まだ続くの~?」と、ちょっと重たくなった。1巻が400ページほどになる長編だ。ぐえ~。とりあえず図書館から「レッドゾーン」を借りて来たが、集中力が散漫。日本、米国から、場所が中国に移る。中国が日本の企業やゴルフ場を買い漁っているという現実が背景にあるから、ここで中国を登場させているのは大変納得いくが、ちょっと休もう。「グリード」ではリーマンブラザーズの崩壊に触れるらしい。好奇心は大変そそられるが、同じ人の文体で、同じ世界に長く浸かるのは、それが娯楽であるなら、この辺が限度のようだ。

BSの「久米書店」に出演した時に言っていたが、真山仁は小説を書いてまず賞を頂く事をずっと狙っていたが、その文壇の”正規”ルートからは望まずして逸脱し、この作品のヒットとなったらしい。経済小説を書かないかと誘われ、猛勉強かつ調査をして書いたとか。ほんと、世に出る過程は人さまざま。こうでなければならないと言うのは決してない。外から訪れた提案を素直に誠実に受けて行けば道は開かれる。

実際にM&A(買収)に携わるビジネスマンからは、彼らの世界を正確かつ鮮やかに表現していると、有り難がれているらしい。




「ああ、もどかしい」 7/16

66曲目になる、「ああ、もどかしい」。70%程書き終え、現在Dメロを足そうと考えている。

これまで私の周りにはいなかったタイプの人に出会った。仕事を依頼し、そのための出費もしたが、言い訳ばかりして手つかず。「今度はやる」と口約束を繰り返した数6回。2度3度と続くと当然嘘をつくようになる。これは遠い昔小学生の頃、いつも学校に遅刻し、これから遅刻しないようにしますと何度も約束させられながら守れなくて、言い訳をした事はないが、とうとう嘘ををついてしまった私の過去の汚点が証明している。だが大きな違いは、私の場合、自分がついた嘘が嫌で、その後絶対遅刻しなくなった。

いつも言い訳、そして容易に嘘をつける男に翻弄される女もいるのだろうなぁと想像した。何度も断ち切ろうとしながらも断ち切れずにいる自分がもどかしい。約束が守られない度、嘘が発覚する度、女の怒り心頭に発する。想像だけでこちらが疲れる。そう言えば留学していたUCLAには結婚している学生たちのために用意された長屋があったが、私たちの上に暮らすユダヤ人の妻とイスラム系の夫が頻繁に喧嘩をしていた。一度聞こえた声は「あんたの嘘に辟易したわ!」。

このような状態にある女のもどかしさを歌にしてみた。これはメロディーが先に出て来て、メロディーの雰囲気に合う歌詞をあえて選んだ。

印象的な人や出来事に逢うとそれも歌になる。仕事をして頂けるものだと出費した4万円の損失を被ったやり場のない気持ちもこの歌で少し消化させた。げん骨と歯ぎしりと。。。(-_-)/~~~ピシー!ピシー!




どうにか完成 7/17

途中でテーマを変えたので時間がかかったが、上で話した「ああ、もどかしい」が私の手の中では完了した。PC画面に向かって悩みながら書くのは私のやり方ではなく、かなりゆったりと続きに取り掛かっていた。暑すぎて何も考えられない時は、ほんと数十分で「またね!」とPCのスイッチをオフ。ここ数日暑さも和らいだからだろうか、そろそろ完成させる気になって、本腰を入れた。

面白い歌になったような気がするが、ピアノインストラクターがなんと言うか。だが、これを見せる前に彼女の目を通したい楽曲がまだわんさかとある。


神様 ありがとうございました。


ところで、6月20日のブログで紹介した自作曲65曲目のタイトルは、「自分てなんだろう」から「自分と私」と変えてみたが、どちらもしっくり来ない。その内思いつくだろうと放っておいたら、本日来ました。そうか、話のイントロに「硬い話だけれど、自分てなんだろうね」と言う具合に、「硬い話だけれど」にした。あは、気に入っている。




さすが、瞑想の先輩 7/18


二日前の土曜日、久々に勉強会に参加した。これは神が創られた”実相”世界を学びそれを現実世界に生かそうとする人たちの集まりで、講義をする人もいれば、体験談を発表する人もいる。この世界を学び始めてかれこれ9年、それは私が瞑想を行じている期間でもある。勉強会で聴く言葉はいつも同じだが、それがときどきハッと輝く時がある。その日がそうだった。

「唯心諸現」と言う仏教で使われる言葉がある。「ただ心が諸々の事に現れる」と言う意だが、これはあなたが見て感じるものは、その対象の性質ではなく、あなた自身の心を反映しているに過ぎない。美しいものを美しいと思える人は心がそのまま素直で美しく、人の荒探しばかりをしする人はその人自身の汚れた心が現れているに過ぎない、というもの。

この真理を聴いて目の覚める人は多いのではないかと思う。この会の参加者にも色々な人がいて、この真理を頭で知っていても、不満や陰口を放つ人もいる。だが瞑想を毎朝行事ていると言う人はやはり違いを見せる。

この会の参加者は大体生き生きとし、その実年齢よりもはるかに若く見え、幸せかつ穏やかな表情をしている人達が圧倒的に多いのだが、60歳後半だろうか顔から艶がとうに消え、生活疲れを感じさせる女性がいる。たまたま横に座ると自分の仕事を熱心に説明する。初めて話した時は、確か中国漢方か自然食品かの営業をしていたように記憶している。ほとんど付き合いのない人なのだが、ある日突然電話が来て、オルゴール医療の講演会に来てほしいと請われた。彼女はそのオルゴールを売っているらしい。そして二日前、タロットカードの占い師をやっていると言う。?????過去のあれらはどうなったのだろう。彼女がそのタロットカードの仕事先に出た後にこんな会話があった。

「いろんな事をする人ですね」
「xxxさんはいろいろな事が”できるから”」
さすが、40年も瞑想を続けている先輩、参りました。座布団を差し上げたいくらいだった。




人の実相 7/18

上の勉強会には特別な理由があって行った。少し重い話になるが、私が長い間煩わされて来たことを、やっとブログで公開できるほどに私自身が落ち着いてきた。

「あいつは策士だ。『私、あなたの友達よ~』とバイブレーションを出して近づいて来て、洗脳教育を始めるんだ。自分がリーダーになりたくてな、リーダーになるような女はすべて敵なんだよ。何も知らない人に悪口を刷り込んでいくんだ。まるで自分の派閥を作ろうとしているかのようだ。本当に汚いやつ。さわやかさというものを一切持ち合わせていない。あいつがいるから会をやめるんだ。あいつのけつを蹴っ飛ばしてあげたい。あのブタ!」と言われている後輩がいる。

だが当人にはその認識がなく、「心当たりありません。誤解されないように注意します」としゃあしゃあとしている。彼女から陰口を聞かされている人たちは「ならば病気だ」と呆気にとられる。この彼女を「汚いやつ」と忌み嫌い、「あいつが視界に入ってくるのも嫌だ」と退会した人や、退会はしていないがやはり同じ理由で全く会に顔を出さなくなった人がいる。その彼女の現在の陰口の最たるターゲットが私。彼女に遭遇するようになった7年ほど前からずっと続き、それは私を見た瞬間から始まっていると、伝えてきた人がいた。彼女の資質を知らない新しい会員たちは当然ながら私と距離を持ち始める。私の悪口を刷り込む理由は言わずもがな、他の人たちに私を応援させまいとするためだろう。私は彼女を軽蔑し、その資質をおぞましいと思い、彼女が参加する会には極力行かないようにしていた。退会者同様、彼女が私の視界に入ってくるのも嫌だ。彼女の策士ぶりも十分知っていたので、その悪質な策略に乗せられまいと自分を制し、人は悪を嫌うもの、いつか皆気付いてくれる日が必ず来ると信じていた。彼女をコンサートに誘うなど共有する時間が長かった男性会員の鋭敏な洞察力が彼女の資質を見抜き発言してくれた時は、正直ホッとした。やっと、神が解決の手を差し伸べて下さったと。

だが、この手の症状を持つ人に同じ目にあった友人が言う。これは本当に病気なのだと。女性によく見える症状で、原因は妬み。本人には悪口を言っている認識が全くない、分裂病なのだとか(現在は「統合失調症」と言われる)。だから後輩が「心当たりありません」と言うのは嘘ではないと。確かに彼女の周りの人から聞き取りをすると、「本人は認識がないみたいだ」と言う。認識がないから、指摘されたら一時は収まるかも知れないが、またすぐに再発する。「病気なのだから真剣に関わってはダメ」と先の友人がアドバイスをくれる。この後輩自身、自分には霊が憑いていると言っていた事がある。突然人の荒さがしをする低級霊が憑依し陰口を始めるのだろうか。彼女がその低級霊を夢中で呼び出している様子を2度見たことがある。俯き、眼球を眼孔いっぱいにぐるぐる回し、頭の中にある何かを探しているようだった。不気味だ。それをしている時は夢中だから、自分が誰かに見られている事に気づいていない。そこには明らかに積極的な意思が見て取れたが。。。。

最近は周りもこの彼女の資質を分かってくれているようなので少し救われているが、一時は本当に苦しんだ。自分一人で耐えかつ解決していかなければならないのかと。相手の心が汚れていることが原因でも、その人物に否定的感情を抱くのは、誰よりも自分自身の心が汚れる。怒りの塊が心にでき、その塊は、他の場所で突然吐き出される。大きなリスクだ。だから、自分の中にある怒りの塊を溶かさなければならない。そう思い、上の勉強会に参加して方法を探っていたのだが、そこで言われることは、自分が相手を悪人だと思って見るから悪人に映る。相手を変えようとしてはならない。悪口を言う当人も神の子、その実相を見よ、というものだった。

それで祈りの言葉を頂いて帰って来た訳だが、その言葉で祈っているうちは確かにこちらも穏やかになる。またムカムカし始めたら祈る。それ以外に方法がないのなら、祈り続けるだけだ。

彼女は周りの愛を独り占めしようとする幼稚性を保持し、その目的のために敵になるものの悪口をあらかじめばら撒いておくのだろう。その性癖は今後も続くだろう。先日の飲み会での彼女に、その気配が十分にあった。だが回りが彼女の性癖に気づき始めてくれたので、安心していられる。それも上で紹介した退会者の話がきっかけで、私や、彼女に怒りを抱く他の人が問題として挙げる事ができたからだ。ありがとうございます。




一人ゴルフ 7/19

今日は火曜日、ジムは休み。上の話を書いた後、「明日はゴルフに行こう」と考えた。ずいぶんゆっくり起きたので、気温がかなり高くなる頃にプレイをすることになり、少し迷ったが、かつて8月の真夏のゴルフをした事を思い出し、「大丈夫」と腰を上げた。何よりも計画したことをキャンセルする事に心地悪さを感じるようになった事が一番の理由かもしれない。

ゴルフはいつも練習用に使っている川口の河川敷ゴルフ場。ここは一人で参加する人も多く、適当に組み合わせて遊ばせてくれるので、思い立った時にいつでも行けるし、足のない私には大変便利なところにある。

12時半を回り、いよいよ暑くなってきたからだろう、待ち時間もなければ、私の後ろに直ぐ来る人もいない。他の来場者を待つのも面倒なので、一人でやりますと言って始めた。陽ざしの強さに根負けし、集中力を欠いたが、ほい、一人ゴルフも結構良い。視界後方にはまだ誰もやって来ていないので、ずっと3球を打ち続けた。

帰りには、大きなソフトクリーム。予定したことをきちんとこなすのはやはり気持ちがいい。




でも感謝 7/21

「自分に深く関わってくることは、すべて感謝だ」と「生命の実相」の著者谷口雅春氏が語る。

それは確かだ。二つ上のブログで話した後輩の言動に、「あなたが頑張るしかない」と励まされ、それまで取り組んでいた雅春氏が説く真理を体の中に染み込ませる努力を徹底させた。まだまだ道半ばだが、強くぶれない心を私の中に作り上げ、彼女の意図するところに引っ張られないよう、屈服しないよう自分を鼓舞して来た。毎朝の瞑想と雅春氏やディーパック・チョプラー博士の教えを毎日読むことで、それができ得たと思う。以前なら逃げる事ばかり選んでいた私だが(それが彼女の望むところだっただろう)、現在一人で生きていることも功を奏したようで、頼るのは自分しかいない、絶対負けまいと心を鍛錬してきた。

この効果は彼女の言動に対し私が怯まず”平静さ”を保てただけでなく、全てのところに現れた。久々に会う勉強会の人たちが、私の顔を見ると時間が止まったかのように静止したままじっと見つめる。80歳も近い方が、「俺は40年以上も真理の勉強をしているが、まだ君のところまで行っていない」と言う。顔を見ただけでその人の心の状態が分かるのと同じように、顔を見ただけで、真理の浸透具合が分かるのだろう。

そして、後輩の言動に対し必ずいつか声を上げる人がいるはずだと信じて待った事は、これまでにない忍耐力を養い、自分の外で動きがあるまで放っておく事を習慣化できる可能性を大きくした。神が整えられる。常に神の声を聴き、それに素直に準じ、そこに間違いのかけら一つもなかったことは、私の生き方に大きく自信を持たせた。大きな、大きな収穫だ。

だから、雅春氏が言うように、「望まない事が起きた時は、自分が跳躍するときなのです。」あの後輩が私の前に現れた事は確かに感謝合掌だ。そして、ずっとそのように生きて来たのであろう後輩自身が自分の資質に気づき改めた時、彼女に負けなかった私がいたことが彼女の感謝につながるようであって欲しいと思う。

「宇宙は常に良き方向に動いていると思う」(稲盛和夫)、「起きる事はすべていい事なのです」(谷口雅春)ほんとうだ!大変だけれど。

ところで、東京がまだ梅雨時であること、ほっとしませんか。春先から真夏の気温だったので、この夏はどうなるのかと不安でしたが、梅雨時をここまで引き延ばしてくれまして、有り難いですね。




都知事選 7/22

1冊の本を読み終わってテレビをつけたら丁度都知事選の政見放送をやっていた。聴きながら他の国の知事選挙はどんな具合なのだろうと思ったりした。「NHKから国民を守る党」の代表は、選挙を利用してNHKの負の現実を公にする事が目的で立候補したのだろうなぁ。端から当選を考えていないと思うが。。。政見放送をする面々を見ていると、面白いと言うか、滑稽というか。。。

参議院選挙もそうだったが今回の都知事選も、正直言って”人物”がいない。しっかりしていると思うのは小池百合子だが、彼女は政党を何度も変えているので、それが引っ掛かる。「政権を取れる党でなければ、何もできない」確かにそうだが。。。「政務次官の時は立派な仕事をしていましたよ。でもあの人政党を何度も変えているでしょう。骨幹がはっきりしない」と堺屋太一も述べていた。

最近読んだ推理小説がマスコミ、政治、企業の関わりを描いていた。その一つが「雨の牙」。これは日本に生まれ、在米日本企業の顧問弁護士を務めるアメリカ人が書いたもので、日本の政治の裏を露呈したような小説。以前にBSフジで取り上げられていたが、石原都知事の時にも経費の使い方は舛添さんと違いはなかったようだ。舛添さんは政権に嫌われたのだろう。公明党の党首が滲ませていたが、政権と「歩調を合わせて行ける」人ではなかったのだろう。

それにしても日本人の特性がユニークだ。政党が細かく沢山ある。各論で違ってくると直ぐに分かれて新しい党を作る。以前に小沢一郎さんが2大政党にまとめようとして、ほんの一瞬そんな時期があったが、ご本人然り、すぐに雨後の筍のように知らぬ間にわんさか政党と名乗る党が続出した。

日本の選挙と異なり、米国の大統領選挙は、大体いつでもエキサイティングだ。ドナルド・トランプ氏の出現はおもしろい。マスコミの利用の仕方が卓越しているようなので、彼が大統領になった時に実際にどのような行動に出るか、分からない。だが彼には”成し遂げる力”が見える。品が悪いがでっかさを感じる。そこに行くと、ヒラリー・クリントンで何かおもしろい事が始まるとは考えにくい。ヒラリーは女性であるという事に意味があるだけだとトランプが言っていたが、国を治める能力を持ち女性であることは重要な事のように思う。先進国で女性が政権のトップに躍り出たところは、彼女たちの就任期間は長く、彼女たちが在位している間その国は大体落ち着いている。超大国にも女性の大統領が出現する。それも夫婦で大統領とは。。。それも公平に民意によって選ばれる。エキサイティングだ。だが、トランプの面白さが世界をどのように変えて行くのか、見たい気もする。その変化は未知数だが。




美しい顔 7/23

谷口雅春氏の著作との出会いは、本当に衝撃的だった。

本人たちを含め誰もが疑わなかった2番目の夫とのきずな、それが断ち切れそうになった2007年の事。自分を変えたいと言う思いで、京セラの会長でおられながら得度された稲盛和夫氏(JAL再生時に会長も務められた)が帰依されるお寺をネットで検索していた。私は、幼いころから神仏の世界にぼんやりとした関心を抱いていたが、成長するにつれてなぜ国や文化をを問わず偉大な事業を成し遂げた人たちの殆どが神を信じているのか、強い信仰心を持っているのか、その世界をいつか知りたいと思っていた。が、どこに行けばよいのか分からない。尊敬する稲盛氏が得度されたところなら間違いないだろうと、氏を追跡した。

複数のリンク先に移動していると、「私の人生を変えた本」として稲盛氏が紹介している「生命の実相」の著者谷口雅春氏の道場を見つけた。以下稲盛和夫WIKIPEIAから抜粋。

~少年期に肺浸潤という結核の初期の病に侵されたことがあり、その時隣家の女性に勧められて読んだ谷口雅春の『生命の実相」』に衝撃を受け、心のあり方が現象として現れるという考え方の基盤になったとのこと~

道場で使うテキスト「生命の実相」の1巻をアマゾンから取り寄せ、私は宇治に向かった。新幹線の中でその本を開き、数ページ捲ったところだった。「七つの灯台の神示」という雅春氏が神の啓示を受けてそのままペンを走らせたと言われる件で、電光石火の稲妻が私の頭から足の先までを貫き、何か硬いもので私の頭を思い切りガツ~ンと殴る言葉に突き当たった。「これは私のために書かれた本か」と思えるほどの衝撃に、高校時代に読んだ「風と共に去りぬ」以来の夢中さで読み続けた。そして道場で聴いた言葉は、これまで築いた自分のエゴの世界がガラガラと音を立てて崩れて行く映像を私の脳裏に映した。こういう場所を見つけた事の喜びは文字で語り尽せない。ここにずっとつながっていなければ、私はまた迷子になる事だけは知っていた。

宇治は遠いので、頻繁に行っていられない。多摩にある道場に行くようになり、芯から納得するまでずいぶん通った(今は殆ど行かなくなったが、行くと、駅から近い裏門を何度もくぐった当時の自分の姿を思い出し、「静や、一生懸命だったね」と自分にほくそ笑む)。始めて行った時、私と同い年の女性が講師の一人としておられた。決して話し上手とは言えないが、その顔は澄み切った水面、一抹の曇りもない透明な美しさを映し出していた。目鼻立ちが良いと言う類のものではない。澄み切った水面下に散らばる小石や魚が太陽の光を浴びてキラキラ跳ねるように、魂がキラキラ輝いている美しさだった。私は憑かれたようにずっと彼女の顔を見ていた。下手な講和にも躊躇わず彼女は自分であり続ける。「ここの教えを勉強すれば、こんな顔になれるのだろうか。。。。」ならば、やろう!と決心した。

あれから9年、少しは近づいただろうか。(ぶ~(^。^)y-.。o○)




毎日書く 7/24

詩人の谷川俊太郎は、朝起きて30分ほどの瞑想(彼の言葉を借りれば「深呼吸」)をした後、ノートパソコンに向かい詩を書き始めることを日課にしているらしい。言葉は自分の内側からではない、外からくると言う。

確かにそうだ。自分の頭の中を探しても陳腐なものしか出て来ない。このブログでも何度と書いてきたが、言葉は降って来たり、囁かれたり、誰かの書いたものからヒントを得たり、または使わせて頂いたり、聴いている誰かの話から閃いたりする。大体すべて外からだが、谷川さんのようにいつも決まった時間にパソコンに向かう事はしない。何か別な事をしている時に降って来たり閃いたりする、又は思いが煮詰まった時にパソコンに向かう。歌詞を書こうと思わない時は、ブログを書く。できるだけ毎日書く。そうする事で書くことが当たり前になるようにしている。だが、谷川さんの言葉を思い出し、ブログも良いが、やはり歌を書くことをもっと積極的にしようと、昨夜思いを変えた。

以前から書きたい歌があった。ルイ・アームストロングが書いたWhat a Wonderful Worldのような歌。ここ最近、朝の瞑想が終わると色々なメロディーが私の意識を通らず私の舌を滑り落ちてくる。つまり気づいたら歌っていると言う風。それは既に作ったものだったり、または全く新しいものであったりする。新しいものはすぐに録音しておくが、その録音を後で聴いてみると、同じものが何度も出てきている事に気付く。リズミカルで心躍動させられるような旋律。このメロディーにWhat a Wonderful Worldのような歌詞が合うかもしれない。

今朝の大気の華やぎ。空の青さ。これを歌にしてみよう。(^_-)-☆




涙のありがとう 7/25

6月13日のブログで書いた64曲目の「また逢えるかしら」。これはまだ若い時に逝ってしまった夫を想う妻の気持ちをテーマにしたもの。まだ誰にも聴いて頂いていなかったことに気づき、今日のお昼過ぎ、ピアノインストラクターとの授業に向かう前、詞の一部のヒントともなった会話の相手に電話で聴いて頂いた。最後まで歌い終わって、

「どうかしら?」
「。。。。」
「XXXさんは何でも「あ~いいよ、いいよ」って言う人ではないから、意見を訊いているの。正直な意見を聴かせて」
「。。。。ありがとう、ありがとう」。。。えっ、泣いている?

私も喉が詰まった。彼女の心情がそのまま表現されているような歌になっているらしい。実はこの歌を歌うたび、流れ落ちる涙で私は最後まで歌えない。その部分はテレビのインタビュー番組に出ていたペギー葉山の想いを反映した。

「(歌詞が)その通りだ。。。。メロディーも良いし、ありがとう、ありがとう。」大きな声でガシャガシャ喋る人なのに、やっと聞こえるような低い涙声で続ける。昨年だったか、私の楽曲を聴いて、「まだだ」と言っていた彼女。一瞬カチンときたが、いや、人が聴いてまだだと思えばまだなのだ。もちろん世代間の好みはあるが、60代後半のごく普通の女性の心の琴線に響く歌が書けたことはうれしい。

これ以上話をすれば余韻が消えてしまうので、「よかった!」と言って電話を切ろうとすると、訴えるように言う「あなたはやっぱり大きな仕事をしていく人なんだよ」。。。。こういう時、言葉を繋げられる人がいるのだろうか。。。。急いで家を出て新宿に向かった。

「これ、本当にいいわよ。そのプロデューサーじゃなくても、どこかに出して聴いてもらう方法はないの。審査員がいて、正々堂々と入れる場所がどっかにあるんじゃないの?」クラスが終わろうとしている時、少しムキになってインストラクターが言う。今は先の事は考えていない。まずは目の前の課題、現在頭の中にある歌を形にする。そして卓越したアレンジをしてくれる人を探しデモを作る。それが終わったら、自然の摂理が答える。大丈夫!




DECENCY 7/27

昨日、力がありながらこんな”まともな”人が音楽屋さんの中にいるんだぁと思う人に始めて出会った(すんませんが、正直な気持ちです)。この世界に導かれて結構色々な人に出会ったような気がするが、「俺様」が実に多い。少し才能がある、少し有名になった、有名な人との共演があったと言うだけでその俺様ぶりは凄まじい。スポーツの場合、監督やコーチ、更に常に一緒にいる同僚や先輩がいるので、技だけではなく、勝つための心の持ちようを選手たちは教わる。だが、音屋は大体オタク。苦言を呈してくれるような師匠となる人はまずいない。常軌を逸脱して「俺様」になり、結果、人は遠のき、自分の夢は破れ去る。それでも俺様はがんと続く。本人がよりどころとする唯一の場所だから。長い長い負のスパイラル。せっかくの才能は宝の持ち腐れ、実にもったいない。

「一つ当たるとガラッと人が変わる人がいる。それは恥ずかしい事なんだよ」と、まるでこの話を伝えたい対象者に言うように、谷村新司がテレビカメラを睨んで言い、続けた。「苦言を呈してくれる人は、宝なんだよ」。

そんな音屋さんが多い中で、顧客のもてなし方も企業戦士たちと変わらない、品質にこだわり信頼の持てる仕事をされる人は、当然のことだが、引っ張りだこ。なかなか今の私に関わってくれないだろうと思っていたが、そんな人に少なくとも出逢えたという事は、私と私の作品が進化してきたからかなぁ、などと都合よく考えている(^^♪)。

日本語で適当な言葉が思い浮かばないが、英語で言うならDECENCYだろう。「見苦しくない、上品、公平」などの意があるDECENCYのある音屋さんと出会えたことは、明るい未来を予見させ、安堵感をもたらす。




やったね、能見!7/27

外から帰宅して、「負けただろうなぁ」と思いながらプロ野球の阪神対ヤクルト戦をネットでチェックした。えっ、9対0?二連勝?うそ?!完封勝利?ピッチャーは誰?能見だぁ!

途端に1週間ほど前の対巨人戦の時の能見の惨敗を思い出した。ひどかった。2と3イニングでそれぞれ2点、4点を取られ、ピッチャー後退。ところが今日は完封勝利。能見のあの日のくやしさ、惨めさがこちらにも伝わって来るようだ。今日は絶対負けないぞと言う気合があったんだろうなぁ。そして後輩ピッチャーに負けていられないと言う勝気さが働いたのだろう。良かったねぇ。思わず私が泣いてしまった。人間の感情は皆良いんだと改めて思う。悔しさも怒りも。それをばねにして前進すればいい。

迫力ばかりが目立った今夕の細川たかし+長山洋子のステージよりも、遥かに大きな感動を頂いた。




感動のスピーチ 7/28

「大統領を選ぶとき、共和党だろうが民主党だろうが、肌の色がどうだろうが、これからの4,8年間、私たちの子供達の成長を形作って行く力が誰にあるかと言う事です。。。。人は互いに頼りあい共に生きるのです。差別するのではない。必要なのは一緒に歩もうとする寛大さであり、(偶然だが二つ上のブログで紹介した)DECENCYです。私はかつて奴隷たちが作ったホワイトハウスに住んでいます。私の子供たちはその庭で遊んでいます。子供たちはヒラリー・クリントンのお陰で女性の大統領が出てくるのを当然と考えています。」

米国大統領選、共和党の全国大会が数日前に終わりドナルド・トランプ氏が共和党指名大統領候補に選ばれ、そして現在民主党の全国大会が行われている。そこでの現大統領のファーストレディー、ミシェル・オバマのスピーチ。あの大きなドームにいる全員が総立ち、歓声が止まない。目頭を押さえる人たちが目立った。トランプ氏さえ「いい演説だった」とインタビュー」に答えた。

大統領は国をリードする人、その人はやはり子供たちのお手本だ。米国大統領選史上初めとなる候補者による見苦しい言葉と差別言葉の乱用は、改めて重い責任があると思わされた。個人の場合においてもそうだが、自分の国だけが良ければいいと言う発想は、敵を作る。




隅田川の花火 7/30

マンションのエレベーターで一緒になった人が、彼女のベランダから隅田川の花火が見えると言う。私はこのマンションに8年も住んでいるが、見たことがない。彼女のベランダは東側、私のは南側。その違いか。「でも、小さいでしょ?」と訊ねると、たっぷり見ていますと言いたげに「いいえ~」と頭を横に振る。では、私もいずれ東側に引っ越ししようと直ぐその気になったが、いや待て、その前に一度、どのくらいの大きさで見えるのか見学をしなければ。

NHKニュースの最後に隅田川花火の様子が画面に映ると、私はベランダに出た。すると、「おおおお~見えるぞ~!」私のベランダからも十分に見える。だが、この大きさで、エレベーター内で聴いた彼女の感動にまで上り詰めるのは無理がある。彼女にとっては感動が大きさまで肥大させたのかなぁ。隅田川の花火って2カ所で打ち上げているんですね。それがよく見える。音までは届かないけれど。

私は花火が好き。千葉に住んでいた頃、浴衣を着て隅田川の花火を観に行ったことがある。2時間ほどかずっと立ってみていたが、展開する火花の美しさに疲れを知らなかった。また、住んでいたのは海浜幕張の新興住宅地で、街全体をゼロから創っていたところ。当時はまだ空き地もあり、町おこしの一環として行われた夏祭りの花火が私の住むマンションの目の前で打ち上げられた。20名ほどの友人たちを呼んでルーフバルコニーでべーべキューパーティをしながら花火を鑑賞した贅沢があった。

隅田川の花火、遠い日、あそこで起きた出来事などが眼の裏に束の間宿り、一人ほくそ笑んでいる。「あのひと~、どうして、いる~か~しら~♪」




「プレゼント」 7/31

7月の終わり、そして出かける前に出来上がったのが嬉しい。67曲目、「プレゼント」。

とても明るいさわやかな曲に仕上がった。何度も口から滑り出してきたメロディーに歌詞を書いてみた。動かない青空、その下でゆっくりと流れる白い雲、そしてその白い雲を背に一羽の鳥が翼を揺らしながら飛んでいく。空を彩るものたち。静、静かな動、眩い動、自然は驚くべき調和を創り出し、その調和が創る絶景の美。何もなくても何もかもがある。そう、贈りもの、プレゼント。




まさかのお方が 7/31

東京オペラシティ―コンサートホールで日野原重明プロデュース、テノール歌手ベー・チェチョルのリサイタルがあった。

日野原さんについては多くの方々がご存知だと思うが、聖路加病院で理事長を務められ現在104歳(今年105歳)。本日のコンサートの第一部で世界平和について話をされた。話が終わり退場して頂こうと、司会者が杖を差し出すと、椅子から立たれる時と最初の2、3歩に使われたが、その後はひょいと杖を横にして腕を振って歩かれ観客の笑いをさそった。日野原さんから「彼の歌を聴くことは、神の栄光を見る事です」と言われるチェチョルは、

「人間が声を出すために必要なすべての神経を切断しながら、世界でただ一つの奇跡を体現し、声楽家として復活した韓国人テノール・・・・20005年、甲状腺のがんにより、その摘出手術で完全に声を失う。しかし、彼の歌声に触れた多くの日本人ファンの祈りと支援により、京都で世界初となる声帯機能回復手術を受け、2008年再び舞台復帰を果たした・・・」

と紹介されている。その彼が本日歌ったものは、体力の関係なのか、シャンソンや日本の歌謡曲、そして神を湛えるポップスだった。日本の歌謡曲を歌う時には、アントニオ古賀がギターを演奏。美空ひばりが歌った「悲しい酒」の時は、古賀の恩師古賀政男は朝鮮で育ったと紹介(なるほど、だから彼の楽曲には3拍子が多いんだぁ)。

会場にはチェチョルの執刀医だった京都大学医学部の一色信彦氏が2階席前列中央日野原氏の右隣に座っておられた。20分の休憩後第2部のリサイタルに入る直前、突然会場がざわつき、1階席の多くの方々が立ち上がり後ろを向いた。何事かと思い、私も立って皆の視線が集まる2階席に目をやると、「え~っ」、美智子皇后陛下が御着きになられ、日野原氏の左横の席にお座りになるではないか。

アンドレア・ボチェッリのオリジナル、A Time to Say Goodbyeでは満場の拍手。一階席は皇后陛下の御反応が気になるようで、時々背中を回して後ろ2階席を見るので、私もそれにつられる。陛下は一生懸命拍手をされていた。

陛下をお近くでお見受けするのは2回目になるが、しみじみこういう方がいらっしゃる事は良い事だ、生きる見本になっているように思う。エゴがいろいろ出てくるが、奥深い処で、人は皆神になりたいと思っている。愛に溢れ、誰をも愛し、誰からも愛され、心広く、賢く、思う事を難なく実現できる。細かい事は笑って気にせず、悠々と毎日を過ごす。それはまさしく神だ。なるほど、だからキリスト教をはじめ多くの宗教が人を「神の子」と呼ぶ所以はそこにあるのかと最近気がついた。神に最も近い人であらんと、人格を神格にまで高める教育を皇室の方々は受けられるのではないだろうか。

「プレゼント」を書いた日に、もう一つのプレゼントを頂いた。

ところで、ベーチェチョルの声だが、かなりソフト。アンドレア・ボチェッリの偉大さを生で体験しているだけに、私としては。。。。





百合子さん、やりましたね 7/31

「自民党の支持を得なくとも当選するかもしれない」と漠然と思いながら都知事選投票用紙に「小池ゆりこ」と書いて清き一票を入れてきたが、その後はとんと忘れていた。夕方9時になって録画したものを観ようとテレビをつけたら丁度選挙結果が映し出され、小池百合子圧勝になっているではないか。「あら、百合子さん,やったじゃない!(^^♪」とニタリ。

彼女は実務派の人。すべきことだと信じる事は必ずやり通すだろう。彼女の公正さ、冷静さ、賢さ+女性であることがおそらくそれを可能にするように思う。米国でもヒラリーが当選する確率が高くなるような気がするし、日本の首都東京に初の女性知事。これは何かいいことがありそうな気がする。参院選では、さすが目ぼしい人がおらず棄権したが、しがらみや付き合いではなく、その資質を信じ一票を投じようとする人物がいる事は、嬉しい事ですね。




入道雲 8/1

夏だ。夕方5時前の空は、もくもくと盛り上がる入道雲がふたつ、西へと去りゆく陽を真横から受けて銀色に光り輝く雲華となっている。綿あめか、まだ誰も汚していない降り積もった粉雪か。かじりたい。

魚のうろこが列を作って並んでいるような雲群もある。その向こうの空はまるで海の色。雲の額縁に収められた一幅の絵。そしてその上は、確かに空。青い空。その空気を思いっきり体いっぱいに吸い込む。。。。どう、ほんの少し大きくなった?




眠れずの夜 8/3

激しく眠らせて頂けなかった夜だった。様々なアイデアが周りから出され、はてさて私は何を選択すればいいのか、とにかく思い浮かぶものを実行しようと細かい事から行動に起こした。今の私は、以前にも増して行動速度が早くなっている。どちらにしようか、決めかねていることが一つある。寝付けないので夜中1時過ぎに起き出し、ネットサーフィン。メールを開いたらアイデア提案者の一人、お近づきを頂いたばかりの音楽プロデューサーからメールが入っていた。それに返信をし、また眠ろうとするが、なかなか寝付けない。何度起きただろう。2時間ごと?

もう暑さも地面まで落ちてきた時刻に完全に起きて瞑想を始めようとすると、先輩から電話。思いのたけを全部聴いて頂いた。「大きな期待をせず、焦らずにやる事だな。もう若くないんだからさ」「私、死ぬまでこんな感じだと思うわ。あははは。」悩もうが悩むまいが、落ち着くところに落ち着くのだが、色々自分の都合のよいように考えているのは楽しいと言うか、おもしろいと言うか。相手があっての事だから、あちらの事情もあるし、こちら一人で考えてもその通りになる訳じゃないものね。でも一人ワクワクしているのは、やはり好きなんだなぁ(あは)。細かい事は天下る。

先輩と電話で1時間ほど話して、瞑想開始。終わるとまた新しいメロディーが舌を滑って出て来た。昨日書いた歌詞を当てはめたら、あら、いいじゃな~い(タララタ~ララ)。今の段階はまだ歌を書いていなさいという事なのだろうね。

あは、何を言っているんだか、さっぱり分からないでしょ。まだまだ内緒の話。




納涼会 8/5

今日は大学地区OB会の納涼会だった。会場は常に決まっていて、早稲田大学キャンパス内にあるレストラン。

大学界隈も随分変わった。かつては下駄を鳴らして手拭いを腰に下げて歩く早稲田男に似合う街並みだったが、今では、表参道沿いに立ち並ぶような軒下までテーブルが出るおしゃれなカフェも見える。私がいた文学部などは、昔の面影は一切なし。校舎が建て増され、それも鉄筋のしっかりしたもの。ストッキングを穿いて登校したらその日にダメになるような教室の中の木製ベンチなど姿を消しているだろうなぁと想像する。納涼会のために母校を訪ねる日は、変わりゆく時代を流し見る日でもある。

いつもと変わらない納涼会だったが、参加者に女性が増えたこと、新生児を連れてくる若き後輩がいる事などが会を賑やかにさせたかな。大病から回復した人達の中で一番長老の人が、「5回も切ったよ」と強さを披露する。久々に会うとやはりいい。私も、15年ぶりだろうか、浴衣を引っ張り出してみた。すでに出来上がっている蝶結びの帯が”年甲斐もない”感を匂わせたが、今から改めて帯の結び方を覚えるのも面倒、ま、いいかと、この帯のまま出かけた。会場に向かっていると他の参加者と出会い、「今日はどこかに行って来たんですか。それともこの為だけに浴衣ですか」と訊ねて来た。なんだか気恥ずかしい。

そう言えば、数日前高校の同窓会の案内が来た。松島で一泊、翌日ゴルフ組と観光組に別れるらしい。私からするとおそらく10年ぶりの同窓会。「なんだか恐ろしいわ」と幹事に電話をすると、本意が通じず。どんなに皆の姿形が変わっているか見るのが怖いのである。10年前に初めて顔を出した時、「私が分かる?」と近寄ってきた人がいて、数秒間じっと彼女の顔を見ていた事がある。余りに変わり果てた姿に絶句し、言葉が出なかった記憶が今でも鮮明だ。




「雨ぽつり」 8/6

雨が一滴ぽつりと降って来た。「え、雨?」と空を見上げる。晴天。道路に雨跡を探すがどこにもない。周りの人を見渡すと何も起きていないような素ぶり。雨は「私にだけ?」

とても不思議な気分にさせられる。そんな経験、ありませんか。空と自分の間に交わされる密かなあいづち。そんなものを歌にしてみた。68曲目。

少し前に、物理学者の保江邦夫氏の「ついに宇宙方程式が解けましたー神様に溺愛される人の法則」を読んだ。彼は子供の頃から大変幸運な人生を歩んできたらしい。なぜ幸運でいられたのか、ついに分かったと言う。空間意識が高かった。空間とは、要するに”神”。

自分だけに落ちて来た一滴の雨。何かのメッセージ。メッセージの内容は私にも秘密。でもなぜだか、密かな幸せ。




オリンピック 8/7

開催中のリオデジャネイロ・オリンピックで日本の金メダルリスト第一号は400m競泳の萩野公介君。オリンピック開会前にNHKで流した萩野君と萩野君を追いかけて来た瀬戸大也君のドキュメンタリーを見ていた事で、この400m競泳は見逃さないよう録画しておいた。

感動をありがとう。本当に素晴らしかった。そして二人の友情関係がまたいい。萩野君は水泳の天才肌、それを追って来た瀬戸君は秀才肌なのかもしれない。「正直言って人の事に関心ないんです。気にしているのはタイムだけです」と萩野君が言えば、「いつも萩野君に追いつこうとして来た」と瀬戸君。今回のオリンピックではそれぞれ金と銅だったが、東京五輪では二人が1,2位に並ぶようにしたいと言う。

自分を追って来ている人がいれば気になり、自分の立ち位置が脅かされるのではないかと嫌がる人が多いと思うのだが、その相手の良きライバルで居続けることができると言うのは、「人に関心がない」、「自分のタイムを延ばす事だけ」に集中する根っからの天才だからできるのかもしれない。

テレビの番組表を見ると、悲鳴を上げたくなるほどスポーツ番組が目白押し。オリンピック+高校野球+プロ野球・・・・NHKのスタッフの方々、ご苦労様です。競泳のすごさを撮るカメラのアングルも本当にすごい。ここまで感動を届けてくれるのが、選手たちでもあり、番組製作スタッフ、その他の関係者全員だろう。本当にありがたい。




しみじみ思うに 8/8

しみじみ世の中や周りを見渡すと、自分に起きた一見不幸に見えたり嫌な出来事よりも、、ありがたい事の方がずっと多い。オリンピックを始めとして人が持つ才能により心高揚したり、それを見るテレビがあったり、昔なら生まれて死ぬまで一つの土地で生きなければならなかったが、今は国内はもちろん、世界中を飛び回れる交通手段があったり、雨風にも心配の要らない建物に住めたり、これらはすべて人が実現してくれたもの。それらの人々はただただ自分のやりたいことを、言い換えれば仕事を淡々(?)とやっているだけ。自分の仕事をした事が、他を喜ばす。有り難い事は山ほどある。嫌な事よりずっと多い。

夜寝る前にその日にあった善きこと、有り難きことを書き留めましょうという運動をしている団体もある。善きことを見る習慣をつけて行くいい運動だと思う。だが私が行きたい場所は、
 「善行、悪行と言った考えを超越したところ。」善悪の判断は個人や団体の都合によるもの。それを超越したところで「わたしはあなたに出会うだろう」と歌った詩人がいるらしい。ここで言う「わたし」は神の事だろう。「愛」のみが存在するところ。おいそれとその場に行ける訳ではない。長い時間をかけた感情の葛藤と心の鍛錬と一つ一つの実践を通して、本当に僅かだがその場に向かって歩いて行ける。まだ遥かに遠いが、とにかく毎日その場に向かっている事が、私の生活を活気づけている。そんな思いや日常を頂いた事が嬉しく、感謝がこみ上がる。




カ~! 8/8

発声練習をしながらサッカー日本対コロンビアを見ていた。2対2の引き分けになったが、自分のゴールにボールを入れてしまった日本。カ~、悔しいねぇ~!でも、あれは仕方のない間違いだった。

ハラハラしながら見るサッカー。決勝進出までぎりぎりの可能性を残している。悔いのないように!!!!




美しい時 8/9

無心に必死に全力で何かに取り組んでいる姿は、それに気づいた者の心を震わせる。美しい。オリンピックやサッカーワールドカップではこの次がないと言う勢いで臨む選手たちの表情をテレビ画面が間近で見せてくれる。私の場合、基本的に日本選手を応援するが、他国の選手でもその青年のまなざしの中に漂わせた不安と緊張をみると、「頑張れ!」と心の中で声援を送っている。彼らそれぞれが悔いのない演技やプレイをし、それによってさらに成長することを心から願う。「みんながんばれ!」

それぞれの選手全員にここに至るまでのドラマがあるのだが、それを事前に知らされると、その彼らがメダルを取り表彰台に上がる姿に、心が震え涙がこぼれる。

体操男子団体戦に出場した日本選手たちの顔は、本当に良かった。エゴを全く感じない。その喜ぶ姿もあどけなく清い。

彼らの肌が殊の外きれいだった。ニキビの出る年ごろなのに。。。

美は見る者と見られる者のどちらの心も無心な時に、知覚されるのかも知れない。




差はない 8/11

サッカー予選で敗退してしまった日本チーム。個人的には楽しみをそぎ取られたようで、とても残念だが、日本チームの技の向上には目を見張るものがあった。1回戦は対ナイジェリア。初めての環境に委縮してしまった選手も多かったのだろうが、後半中盤までに2-5と失点すると、「こりゃダメだ」と私はテレビを消してしまった。だが、試合終了までの短時間で立て続けに2点追加し4-5としたと後で聞くと、「あ~、もったいない」と感想が変わる。2回戦の対コロンビアでは、自分のゴールに入れてしまうと言うミスで同点。3回戦の対スウェーデンは、何が何でも勝たなければならない者同士。後半に入ってようやく得点1。負けても決勝に進めるナイジェリア相手の戦いとは違う。こちらは試合開始6分後にコロンビアは早くも得点。技だけを見るとどれも差のない相手のように思う。

差がないから必ずしも勝つとは決まっていないのがオリンピックやワールドカップだ。ブラジルがいい例。体操で個人金メダルに輝いた内村航平も言うように「運が味方する」。だからこそ、面白い。

選手たちは十分な”お土産”を手にして帰国の途に就くだろう。それは、自信。9月に入ると直ぐに、ワールドカップアジア最終予選がある。期待している!




運が味方する時 8/12

運は良き方向へと向かう意識力の強い人に味方するのだと思う。体操の個人競技で金メダリストとなった内村航平は、寝てても起きてても腰が痛く、テーピングをしていないと足がぶらぶらしていたと言う。練習中も体が重たい。その状態は彼にエネルギーを逓減させたのではなく、慎重かつ丁寧な演技をさせ、結果彼はノーミスで競技を終えることができた。いつもの練習ではノーミスであった自分を思い起こし、「できるんだ」という強固な意識を持ち続けた。そこに運も味方したのだろう。


 -天使に頼っていても、幸福に近づくことはできません。意識があなたの運命を引き寄せるのですー(ディーパック・チョプラー)




すごい試合だった 8/13

やっと勝った時、錦織圭は持っていたタオルに顔をうずめて立ちすくんでいた。そしてベンチに座った時にも。自分に勝ったことに感極まったのだろう。

精神力の強さ、技と心の成長をまざまざと見せてくれたオリンピック、男子テニス準々決勝での錦織圭。相手のガエル・モンフィス(フランス)はすごい相手だ。
 
 「テニス界随一とも言われる身体能力の高さを誇り、コートを縦横無尽に疾走。広大な範囲をカバーして反撃に結びつける姿から「スライダーマン」という異名を頂くのがモンフィス。 ・・・ひざの故障で長期戦線離脱を余儀なくされ、現在は活躍と故障を繰り返し、体調が良ければ、4強でも食いかねない底力を秘めている才能の持ち主」と評される。

錦織が出場するプレイは大体観て来たが、モンフィスのすごさは格別。上記の解説通り、「コートを縦横無尽に疾走。広大な範囲をカバー」する。端に打ってくるボールでも返す。そんな選手を相手に、錦織の落ち着いた表情とプレイ。投げ出していない。最終の3回戦は1回戦同様タイプレイクまで持ち込む。先に相手と2点差をつけて7点を取ったものが勝ちだが、モンフィスが4点を先に得点。「あ~」と私の心の中で悲鳴が上がるが、同時に「ここからやるかも」と体を緊張させて画面を見入る。8-6で錦織は準決勝進出となった。

なんとスリリングなプレイだったことか!錦織が彼よりランク上位の選手と試合をするときは、既に負けがにじみ出た心の動きが覗かれ、これほどスリリングなプレイを見せられることはほとんどなかった。故障を繰り返していたせいか、モンフィスは現在世界ランク11位。だがその才能は上位のものと変わらない。錦織は7位。下位にいる相手だから落ち着いていられたのか、世界ランク一位のジョコビッチとの接戦にみせた、”挑戦者”の勢いとは違う。

前に進むしかないスポーツ競技の観戦、心が震えたり、一緒に涙を流したりと忙しい。今回の試合は錦織にとっても余裕のない、だが絶対勝たなければならない試合だったのだろう。朝から頂いたこの感動、なんともありがたい。

一人の選手をずっと応援していると、その心の動きや成長が見えてくる。準決勝からは世界ランク上位の相手との戦い。相手に気を取られず、怯まず、自分の「行く!」という声だけに集中し、自分の枠から羽ばたけ!




TTP 8/14

米国次期大統領に民主党からの指名を受理したヒラリー・クリントンがTTP賛成から反対に回った。対する共和党のドナルド・トランプは立候補初日から米国の雇用を確保するためにTTP反対を唱え、白人男性の票を得ていると言う。その白人男性の票を得るためのTTP反対表明に過ぎないとトランプから指摘されると、大統領になっても反対するとヒラリーは主張する。それで、レイムダック期間中に議会でTTP承認を得ようとするオバマ大統領の前途が阻まれているとか。

TTP、環太平洋戦略的経済連携協定は、関税を撤廃し自由競争を促進させる。これが建前だが、それにより賃金の安い後進国に仕事が流出するという不安が米国労働者の間に募る。TTP反対で票が取れるなら、民意はTTP反対なのだろう。にも拘らずオバマ大統領はなぜこの協定を急ぐのか(なんだか私ジャーナリスト気分)。選挙結果を左右するほどに大勢が反対でも、締結しなければならない理由は何だろう。対中国戦?

日本では安倍総理が米国の音頭に合わせて踊っているようだが、TTPを真剣に考えている人がどれほどいるのだろう。私自身あちらで少しこちらで少しとかじっているだけで、ほとんど無知に等しくさほど関心はないが、7月の参議院選挙でTTP反対を運動の柱にした人がどのくらいいたのだろう。

ま、先に何があるか、誰にも見えない。関税撤廃で輸入品価格が下がり、物価が全体的に下がるなら、労働時間が短縮されても人は生きて行けるのかもしれない。あ、そう言えば、1週間ほど前に聴いたCSR講演でも、講演者がそんな事を言っていた。詳しくは次のブログで。




3位の表彰台 8/15

アンディー・マレーとの準決勝の結果は残念だったが、錦織の試合を3位決定戦で再度見られたことはよかった。録画していたものを間違って消してしまったので、ネットでハイライトシーンを探していると、テレビでの放映が本日夕方になっているマレーとデルポトロの決勝戦は生中継されていた。それも無料で。途中からの観戦だったが、ファイナルはグランドスラム同様5セットまでの試合。マレーの”不屈”の根性は並みじゃない。錦織がここまで上り詰められるか。

フアンマルティン・デルポトロ(アルゼンチン)は世界ランク141の選手。初戦で世界ランキング1位のジョコビッチにストレート勝ちし、準決勝で5位のナダルを2-1で破っている。世界上位のプレヤ―達に勝って来たことが自信につながったのだろう、決勝戦でランキング2位のマレーにしぶとく粘り激戦。3セットと4セット目には両者とも疲れが出たのか、ミスが多くなったが、しぶとい方が勝った。熱戦の末3-1でマレーに金。男子テニスシングルスに出てくる選手たちの実力は順位がかなり離れていても僅差だと聞いていたが、ほんと、ものすごい歓声の中での熱戦、激戦だった。

準決勝で負けた悔しさに絶対落とすまいと3位決定戦に臨んでくれたのだろう。錦織が銅メダルを手にした事は嬉しかったし、彼の精神力がより強化される可能性を示唆しているようでホッとした。日本にとってはテニス競技で96年ぶりのメダル(これって、すごい事ですよね)。オリンピックの表彰台には本人も「感極まった」と話す。4年後は31歳。彼が憧れているロジャーフェデラーは今年35歳、現在世界ランキング3位。東京オリンピックでは圧倒的歓声の中でのプレイになるね。


追記:デルポトロ選手はかつて世界ランク4位だったそうだ。手首の故障があったとか。な~るほど、やはり強いはずだ。




CSR 8/16

CSR(Corporate Social Responsibility)「企業の社会的責任」に関する講演が先週の日曜日にあった。企業は利益を追求するだけでなく、社会へ与える影響に責任を持つというものだが、この講演会で大きく取り上げられたのが環境問題への取り組み。内容は、

3Dプリンターの開発により、これからは金型を作る必要がなくなり、大きな経費削減へとつながる。一つの部品を作るための金型は鉄板で作られることが多いが、切り取られて残る鉄くずが無くなり、資源の節約や環境問題に大きく貢献することができる。さらに、コンピュータが計算するので人手もかからない、

というもの。

これを聞いていながら、これからの世の中は仕事自体がなくなって行くのではないか、特にブルーカラーの仕事が、と思い、これをどう解決するのか、講演後訊ねてみた。すると軽々しく、

「そうです」と答える。「これまでのように長い時間働かなくて済む時代になります。江戸時代の労働時間は4時間だったんですよ。残った時間は趣味や稽古事に向けられるでしょう。」
「生活はどうなるんでしょう。衣食住の確保は?ものづくりの経費が減るので、物価がその分安くなる。だから給与が少なくとも成立するという事ですか」
「そうです。また、グローバル化により、仕事自体がなくなるんです」」

二つ上のブログで書いた「TTP締結により、仕事が奪われる」につながる。時代が大きく変わろうとしているのだろう。その青写真が見えない者たちにとっては、不安でしかないが。。。またバランスが調うまで大変だが、これが流れなのかもしれない。

もうひとつ、未来は、地下資源に頼らずに物が作れる時代になるのかも知れない。私たちが生まれ変わってくる頃、その実現を目に出来るのかも。




日本の夏 8/18

どんなに割り引いても、「日本の夏はいいね」と私は言えない(言える人がいる?)すごい、むごい。日中窓を開け放してパソコンの前で作業をしていると、”突然”忍び寄るべた~とした熱気。ぶすぶすと釜の中で煮られて行くようだ。「うわ、きた!」と心の中で呻き、3時間の我慢を自分に言い渡す。

この時間帯に家にいるときは、大体すぐそばにあるジムに逃げる。ヨガのクラスで開始前におしゃべりをしていると、「東京オリンピックに来る選手たちは可哀想ね」と言う人がいた。この暑さと湿気に免疫力のある日本選手には有利かも。「路上に上からシャワーを取り付けるんですってよ。」スプリンクラーのようなものだろうか、マラソン選手のため?「陸上選手には暑い方が良いんですって。」暑いと言っても、日本の夏の暑さは過酷だ。「バトミントンでは冷房も入れられないんですって。」なるほど。

2年前の夏はアイスランド・グリーンランドに行っていたが、夏でもセーターやジャケットを着ていた国から帰った成田空港の暑さは、違って当たり前の節があったのでさほど驚かなかったが、その2年前に行ったイタリアのフィレンツェとミラノから帰った時は、本当に「ぐうぇ~」となった。前代未聞の気温の高さと湿気だと言われたフィレンツェの夏は本当に蒸し暑かった。だが、飛行機が成田に着いて、ドアが開き、通路に足を踏み出した途端出迎えるあの煮殺されるような空気。日本の夏がどんな夏か改めて思い知らされた時だった。

数日前の2,3日、朝にうっすら吹き流されたひんやりした風。あ~これで夏もお終いかと少しばかり侘しく、また歳を取るのかとこちらも淋しく思ったのも束の間、元気づけにか独特の夏がまた戻って来た。今度は豪快に土砂降りの雨を連れて。この雨の中長靴を履いてジムに行く。長靴を履いている限り、強風が混じらない限り、どんな雨も私は大歓迎。

「お盆が過ぎると途端に朝晩の風がひんやりしてくるのだわ」(井上ひさし作「頭痛肩こり樋口一葉」)。ここでの盆は7月15日、東京での事だが、このひんやり感は月遅れの8月15日の盆の丁度後に来ている。なんとやら、なんとやら。。。。。




まだ泣いています 8/20

オリンピック陸上男子400mリレー。日本が陸上競技に出場して以来100年以上にしてメダル、それも銀を獲得。個人のプレイにも感極まるものがあるが、グループの一体となったプレーには特別な感慨がある(おお、感動の涙と消費されるティッシュよ!)。体躯の違いか、陸上はアフリカ系黒人が常にトップ。アジアが上位に入るには長~い時間がかかると思っていたが。。。。おや、選手たちはルックスがいいではないか。ゴールの時に見せたケンブリッジの太もものラインと高さは、みごと(#^^#)。競馬のようだった。

今回のオリンピックメダルの獲得数は歴史的だとか。日本で応援する者たちの感極まる声と涙。それを見ながらまたこちらも涙とティッシュ。スポーツの勝敗は一目瞭然。スッキリしているから清い。負けた方も怒りっこな~し~よ♪。猪突猛進!そのような人がいるお陰で回りは喜びを分け頂く。

脂ぎって勝とうとする、それは昭和で終わったのだろうか。平成の若者たちは、満たされた育ちのせいか、上品だ。陸上競技で画面に映し出された中国の青年のガムを噛みながらのふてぶてしい表情に、長く見なかった懐かいものをみたように思えた。「昔は侍がいたよ。今はお利口さんばかり」と言ったのは関口宏。

オリンピック、このゲームを考案実行してくれた方々に心から感謝を送ります。平坦な日常にこれほどの感動と喜びと涙!




沢山のドラマ 8/21

選手それぞれが織り続けたドラマ。青春の大きなページを折りたたむようにオリンピックがいよいよ明日閉会される。勝ったものも負けたものも様々な思いを抱いて自国へと帰って行く。

そのドラマを大きく花開かせた男子サッカー決勝戦のドイツとブラジル。スタジアムいっぱいにひしめき合う群衆の歓声とブーイングの中で、卓越した実力を持つ両チームに相応しい、1対1の激戦は30分の延長戦でも答えは出ず、勝負はPK戦まで持ち越された。興奮の時間がいつもより長い、有り難い贈りものを観客は頂く。

勝って泣き崩れるブラジルの選手達。弔いの行列に参列しているかのように沈痛な表情のドイツの選手達。次のない試合で精根尽きるまで戦った彼等に心からの拍手を送る。母国開催のオリンピックで優勝できたブラジルの感動に私も加わり、心が震える。

みんな、ありがとう。たくさんの感動を本当にありがとう。また一緒に遊ぼう、応援しよう!

東京オリンピック、どうにかチケットを入手したい。




さばさば 8/23

オリンピック選手から頂く感動が大きく、8月のブログはほとんどオリンピック一色の感がある。感動は元気をもらうし、やる気を挑発する。そのオリンピックも閉会した。この間オリンピック外でも感動を頂いたものがある。

数週間前に日比谷のシアタークリエで観た井上ひさし作、栗山民也演出の「頭痛肩こり樋口一葉」の話をしよう。余りの面白さに、この戯曲を図書館から取り寄せて読んだ。正妻と愛人(花魁)の間で交わされる会話。ちょっと長いが、笑いをお分けしたい。

八重(愛人): 行水を沸かして亭主の帰りを待つ、それが尽くすってことですか。浴衣を用意し、御膳の支度をする、それが亭主に尽くすってことですか。そのぐらいの事は、お金を出せば、女中さんや婆やさんが喜んでやってくれますがねえ。お金を出せば誰でもやってくれることをやって、「私は亭主に尽くしている」とそっくり返っているなら、こっちにも言い分がありますよ。お金と引き換えに男の愚痴の聞き役になっている私たちも、その論法で行けば、男に尽くしていることになる・・・行水沸かして待っているからお金を持って帰ってこい、というのと、愚痴を聞いてあげるからお金を持って寄ってきな、と言うのとどこがどう違うのさ。同じこっちゃないか。どっちも売物買物、あんたもあたしもお金で動く商売女ざんしょう。いいや、こっちの方が上さ。こっちはね、男たちの心の中にぽっかり空いた暗い穴をどうしたら埋めてあげることができるかしらとちっとは苦労をしてるもの。行水や浴衣や冷奴で心の穴がふさがるものか。たまには男の心の中をのぞき込むようにしてごらん。そうすればお鑛さん、あんたの心の中の穴も見えてくるからさ。(わたしは)双葉屋のお角。お鑛さんの亭主を骨抜きにした女でござんすよ。ねえ、その薄紅色の手巾(ハンケチ)は、このお角が起請文代わりに配っている品。あんたの御亭主は陰売女の起請文をおかみさんへの土産にしたらしい。稲葉と言えばいいものを以前の姓の高野を名乗ったり、陰売女からもらったものを女房への土産にしたり、どうも安っぽい男だねえ。することが安直だ。似合いの夫婦だよ。

鑛(正妻): (必死の威厳をもって)待ちなさい。
八重: こっちは忙しいんだよ。
鑛: 待て。世の中は回り持ち、今度はそなたが聞き役に回る番です。それがたとえ、一丁の冷奴であろうが一枚の浴衣であろうが、亭主殿の好むことをしてあげるのがなぜ悪いのですか。亭主殿が冷奴で、浴衣で慰められるのならそれでよいではないか。そのようなささやかな優しさが、そなたのいう「心の中にポッカリ空いた暗い穴」を埋めるかもしれないではないか。大体、毎日毎日、心の中の暗い穴をのぞいたり、のぞかれたりしてどうなるものか。かえって気持ちが悪い。夫婦がそれぞれの心の奥底に立ち入るのは半年に一度もあれば十分。それが世の中のごくフツ―の夫婦のあり方です。

八重: 世の中のごくフツ―の。。。。?ふん、世の中なんぞくそくらえでござんすよ。
鑛: 世の中に合わせて生きて行くのがなぜ悪い?そなたのような世の中から外れたすね者にはわかるまいが、これは辛抱のいる大仕事。大仕事だからこそ私たちは涙を流しながらでも世の中に合わせようと必死になっている。そなたが判事殿の妻をしくじったのは、この大仕事が手に余ったからではないか。
八重: 世迷いごとはききあきた。それじゃこれで。
鑛: 聞け。
八重: いやなこった。
鑛: 私たち夫婦を笑いものにしたまま帰って、それで済まされると思っているのか。不届きもの、待て。


笑ってしまう。これほどさばさばした会話を実世界で聴けたら、いかに小気味好いか。井上ひさしも書きながら自身気持ち良かった事だろう。




因縁の糸の網 8/24

樋口夏子(一葉)の幽霊: 世間には「婦人はかくあるべし」という常識が沢山ありました。娘のときなら「母の許しのないものはダメ」。その後は「世間の笑いものになってはダメ」。戸主になれば、「家名を大切にしなくてはダメ」。。。。そういう沢山の常識に取り憑かれて、息が詰まって死にそうでした。でもその常識に歯向かう勇気がない。母の許しそうもない恋を諦め、世間が許しそうもない男どもと行き来するのもやめました。でも、そうやって自分を殺して生きるのはとても辛い。哀しい。情けない。つまらない。そこでわたしは自分の心の健康のために「世間なんて虚仮(こけ)だと思う事にしたんです。「世間とは因縁の糸でできた大きな大きな網。その網は、とくに女に何もさせないようにできている。そんな世間に大人しくおさまっていてやるものか」。そう思う事にしたんです。死の世界へ心を移して、世間を、世間の常識を1銭5厘の玩具あつかいにしてやったんです。臆病者の護身術みたいなものかしら。でもお陰で常識に落ちつぶされずにすんだようです。


戯曲「頭痛肩こり樋口一葉」の場所と時間は、樋口夏子の借家での毎年の盂蘭盆礼。登場人物は女5人、そのうちの一人が幽霊の花蛍。舞台の進展と共に幽霊は増えて行き、夏子の妹邦子だけが生者として最後まで残される。最初の盂蘭盆で花蛍が登場し、生きながら既に自分の戒名をつくった一葉だけにこの幽霊が見える。この二人の会話が実におもしろい。

誰をうらんでいるのかわからないまま成仏できずにいる花蛍は一葉の探索で、女郎だった自分の前世を知る。大工の恋人が身請けの金を落とし、拾ったお婆さんにネコババされた。恋人は身投げし、世をはかなんだ女郎も命を絶ったという。花蛍はお婆さんのもとへ恨みをはらしにいくが、そこにも悲しい事情があり……。次々に恨みをたどるが、因果の源にたどりつけない。女を苦しめる非合理はついに皇室にまで及び、際限がない。「これはもう世の中を丸ごと恨め、というのと同じ。いくらなんだって世の中全体に取り憑(つ)くなんてことはできやしない。だから諦めたのよ」。(ネットから)

一人の怒りは目の前の他者ではなく、そこにいない別な他者に対する恨みからくる。その別な他者の嫌がらせはまた別な他者に対する恨みが因となっている。そのまた別な他者の恨みの因はさらに別な他者で、その向こうには新たな別の他者がいる・・・・・一人の怒りは世間全体が因となる。。。。。なるほど、ね。(誰かがこのカルマを断ち切らなければならないのよね)






名作 8/26

井上ひさしの戯曲には名作が多い。プロデューサーでもあった彼の元妻と殴り合いをしてまで、血と汗で書き下ろした作品。重い事を明るく、深い事を軽く書く井上の作品に、うってつけの演出家がいる。栗山民也。井上作品のほとんどを彼が演出していると言っても過言ではないだろう。この二人のコラボ作品に、会場はあけっぴろに笑う。

以前にブログのどこかで書いたが、樋口一葉が頭痛持ちだったことで、井上ひさしはその原因をかなり調べたらしい。何か哲学的な思索の結果が頭痛につながっているのではないかと。だが、原因が書かれた文献がない。悩みに悩んでいると、日中一葉が彼の前に現れた。劇作家は彼女に頭痛の原因を質問する。すると一葉は笑いながら、当時は皆長い髪を頭のてっぺんでまとめていたので、多くの女性が頭痛持ちだったと答えた。このエピソードは彼の筆記かインタビューに書かれてあった。

そんなエピソードを先に読んでいた私は、井上ひさし作品を上演する「こまつ座」から「頭痛肩こり樋口一葉」のオンラインチケット優先予約メールが送られて来ると、即刻反応した。演出が栗山民也だったので、「なにこれ!」と憤慨することはないと確信。多くの人に見てもらいたい名作だ。樋口夏子(一葉の本名)役の永作博美は歯切れのよい日本語で澱みなくしゃべる。わき役陣も達者ぞろい。母親役の三田和代は恐れ入り屋の鬼子母神。あっぱれ。なんとかの女優演劇賞を受賞したと言う八重役も、はすっぱな役なら任せておきなの熊谷真実。幽霊の花蛍がまたいい、仲代達也の「無名塾」出身の色っぽい若村麻由美。若い俳優たちは往年の役者たちと受けた訓練が違う。うまい子たちが本当に多い。きちんと対話をしている。つまり往年の役者によく見かける”一人芝居”をしている人がいない。

美味しいものを十分に食べさせていただいた感がある。終わってネットでこの作品の事をいろいろ調べていると、至る所で感想を見つけた。最近は観客の目も高い。鋭敏だ。感動の評価が数珠繋がり。




ご馳走になって 8/27

現在時刻は27日の0時30分。帰宅してシャワーを浴び阪神ヤクルト戦の野球結果をチェックしたところ。昨日まで3位のDNAに3連勝して、運よくリーグ・クライマックス戦に進めるかもと期待したが、負けたらしい。最後まで予断を許さないと言うのはこういう事ね。

前回初めて入らせて頂いた壁紙製造販売会社からの指名依頼で夕方から商談の通訳をしてきた。終わってこれも前回と同じ万世のステーキレストランでの夕食にお付き合い。お付き合いと言ってもご馳走になっただけだが、2時間弱の会議と食事、そしてホテルから会社までの移動時間で8時間分の報酬を頂くのは気が引けて、契約外の時間は派遣会社に報告せず切り捨てますと申し上げた。公正でありたいと思う。父親から継いだ会社を試行錯誤しながら真摯に顧客に向き合うここの社長の姿勢に密かに応援コールを投げている。

今回米国ニュージャージから来たのは、30代ほどの若い女性。会社の経営者から何度も日本の事を聴いていたので、日本に来るのが夢だったと言う。4,5日滞在し、京都や東京に散在する取引企業を廻り、沢山の電車に乗ったとか。「田舎も行ったし東京もあちらこちらに行ったけど、どこに行ってもきれい。来る前は食事が心配だったの。でも色々な国の料理が食べられてどれも本当に美味しい。そして本当に素晴らしい人達。私日本に住みたいわ」と日本をべた褒めだ。様々な国を旅する私にはそれがよく分かる(改めて数えたら32か国)。不満の種を探す性癖でない限り、日本に来たら皆日本が好きになるだろう。日本人の生活文化は格別だ。色々な意味で豊か。だからマスメディアが視聴者を不安がらせて稼ごうとするトリックに煩わされないようにと願う。中国人も韓国人も日本に来た人たちは日本に感動して帰り、あちらの教科書でいかに習おうと、その洗脳教育は覆される(と私は固く信じている)。「バスの車掌さんの親切に触れて本当に感動しました。私の国の人たちのメンタルがここまで来るまでにはどれほどの時間がかかる事か」(中国からの若い女性旅行者)「この時間では銀行は全部閉まっていますよ。私が両替してあげましょう。日本に行ったとき私も親切にされましたから」(ソウル駅で遭遇した女性)。

私も外国人旅行者が困っていそうだと思うと請われなくとも積極的にお手伝いを買って出る。それは私が海外で困っている時に現地の人たちに色々助けてもらった御恩があるから。そして日本に対し良い印象を持って帰ってもらいたいからだ。

良き一日だった。心持よく生きた日はいい日だ。

追記: 全く英語を使っていないから、たまに通訳をすると英語の出が悪い。




また一人 8/28

朝の6時の空気が涼しい。普段なら起床後すぐにパジャマから短パンとタンクトップに着替えるが、それではちょっと寒い。パジャマのままで瞑想を始める。「瞑想をしていると、温熱パイプの上に乗っている羽根のように感じるんだ」とポール・マッカートニーが話しているビデオを昨夜観たが、彼の感性と表現の豊かさを思った。そう、頭の中が空っぽになり、重力に反してふわふわと漂う感じになる。実に気持ちが良い。瞑想を始めた人達が「瞑想から出てきたく無い」と共通して言うが、正にその通り。

高校の同窓会の案内が来たことが切っ掛けで、その幹事と2度目のおしゃべり。彼女は、私の処女作品「美しい日々だけを連れて」のCDを以前にアマゾンから購入してくれている。毎日仕事で車を運転するので、よく聴いていると言う。「あの歌本当にいいよ。歌詞が良いよ。景色が浮かぶし、心が静かになるの」と、5年ほど前購入直後にくれた感動が今でもあるようだ。声だけで楽曲の評価をしようとする人は素通りするようだが(*_*;、何度も聴くといい歌だと言う人は多い。

その彼女を相手に「また逢えるかしら」を電話で歌った。すると。。。。7月25日のブログに書いた「涙のありがとう」で紹介した知人と同じ反応をする。が、高校時代を一緒に過ごしたからか、感情を抑えない。最後まで歌い終わると、興奮はだいぶ収まっていたが涙声のまま、「この歌本当にいい。私の亭主はまだいるけれど、35歳で逝った兄を思ったの。以前に考えた事があるの。兄さんは私が分かるかなって」。

「ここにいるよ」を聴いた人の反響も大きいので、「また逢えるかしら」とどちらに投資をしようかと迷っていた。これまでのピアノだけのアレンジではなく、CDにするようなフルアレンジをして結果を出そうと思っているので、アレンジャーも「一流のアレンジをする」と自信を持つ人に頼むことにしている。「また逢えるかしら」を聴いた人達が、泣かない人も含めて、例外なく感動のコメントをよこす。ならば、この楽曲だろうと、決断できた。10月頃の仕上がりか。




シリア難民 8/30

人は生まれる場所を選べない。 もし自分がシリアに生まれていたなら、未来が全く見えない場所で生まれていたなら、どうするだろう。多くの日本人がかつてブラジルを含む南米に移住したように、なけなしのお金をはたいて他国に移っただろう。だが、どこも受け入れてくれなければ、どうなるのだろう。

アイスランドがシリア難民を積極的に受け入れている。中には、アイスランドの文化に馴染もうとしないと難民の受け入れに反対する人もいるが、米国ABCニュースのカメラが捉えたアイスランダー(アイスランド国民)は概して難民の入国を歓迎しているようだ。良かったなぁとホッとする。

「誰も自分の生まれる場所を選ぶことはできないもの」
「もし、アイスランドが戦争地域になったら、どこかに助けてもらいたいと思うから、僕たちも彼らを助けるんだよ」

難民を受け入れる事で、いやな事が起きるとばかり考えている人にとっては、難民は迷惑だろう。人口32万人ほどのアイスランドは2008年~2011年の金融危機以降観光産業に力を入れて以来、年間経済成長率が4%、これを維持するためには毎年2,000人の移民を必要とすると言う。捨てる神あれば拾う神ありだ。

「正直である価値、人の役に立つ価値、公平である価値、人間である価値がここにはある。シリアにはないんだ。子供たちが安心して育って行く場所にいたい。唯一寒さが応えるけれどね。6か月雪に埋もれているんだもの。シリアは太陽が燦々と照るんだ」。幸せそうに笑うシリア難民の家族柱が言う。その子供たちの顔は爆破された残骸の中から引き出される血まみれの同族の子達には決してあり得ない平和と豊かさを享受している顔だ。

2年前アイスランドを旅した私は現地に住む日本人から聴いた、「アイスランドには競争がないからギスギスしていないんだ。住みやすいよ」。滑らないズックを買いに入った靴屋の店員は、「アイスランドは良い処よ。一人でも大丈夫。住んだら隣人は皆家族なのよ。だから淋しい事などないの。この国にいらっしゃいよ」と言った。


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