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  4月
  

風邪 4/29   アンドレア・ボチェッリ 4/28   「悲しみの理由」 4/27   悲しみの理由は 4/26   インプラント 4/25   いい言葉 4/23   地震募金 4/22

熊本地震 4/21    進め方 4/20     急かされる 4/19    来ない連絡 4/17   死ぬまでないよ 4/15    「断捨離」 4/14    花見写真 4/14

「男たち」 4/13    失礼! 4/12   会う力 4/11    Room 4/10    「たとえば野に咲く花のように」 4/9   しつこさ 4/8   宇宙の動きと共に 4/8

二つの選択肢 4/7   G線上のアリア 4/6   BB賞 4/5   歌 4/4    また、また、すごい!!!4/3   すごい、すごい!!!4/2   なぜ私が 4/1


3月
  
ばくばく 3/31  愛に溢れて 3/31  行動力 3/30  サッカー、対シリア戦  早死 3/28
  
マネーショート 3/27    人には沿うてみよ 3/27    えいや! 3/26    最近 3/23    息子よ、私の最後の男におなり 3/21   まなび 3/18

「ここにいるんだよ」 3/17   「焼肉ドラゴン」3/15    「美しい日々だけを連れて」3/14   順調に行っています 3/14     断捨離 3/12   あたたた・・・・3/10
 
マラソン解説者の講演 3/7   辛いのは、もういいわ3/5   Blowing in the Wind 3/4   「耳かき棒」 3/3  ひな祭りの日に生まれて 3/3   3月ですね 3/2 

 

2月
  
「ごめんと言わなくとも」 2/29   うそ 2/28   美味しい 2/27  1,000円の寄付 2/26   心配する、助ける、救う 2/25

狂想癖 2/21  ”琴”とは 2/20   「これで終われない」 2/19   もったいない 2/19   さっぱり分からない 2/18  「恋愛対象外」 2/16
 
善 2/15   St. Valentine's Day 2/14   航空機エンジン開発 2/12  「藻の花」 2/11   きゃ~、 2/10    幸運の前髪を掴む 2/10
 
爆買い 2/9  「アンジ―」 2/9   今年初の曲 2/7   清原和博元選手 2/6   新年会 2/5   勝つようになっていた 2/3



1月
  
サッカー、日韓決勝戦 その2 1/31    サッカー、日韓で決勝戦 1/30   才能 1/29  

うっしっし~ 1/29
   時を待つ 1/25   中村雅俊 1/23   長淵剛 1/21  ライブ予定 1/19   メロンパン 1/18    My Way 1/17   

このタイミングで来た返信 1/16   至福 1/11   万歳 1/8   無知のメリット 1/7    さすが 1/3   正月でも 1/2   また一年 1/1


 



また一年 1/1




一人で正月を迎えるようになってから、常に穏やかで暖かい陽の光に満ちた正月が続いている。超高層ビルが林立するこの大都会に静けさと長閑さが訪れる。この陽の光と温度、そして大気中にあふれる華やぎを体中に感じ、私はそれを微笑みと「ありがとうございます」の言葉で返す。

皆様、あけましておめでとうございます。旧年中の様々なお気遣い、サポート、関心に心からお礼を申し上げます。良いことを考えれば良いことが来るようになっているこの宇宙のしくみ、どうぞ皆様にとっても良い年でありますように!




正月でも 1/2

ほい、びっくり。正月でもこのブログを見てくださる人がいた。このホームページを作って間もない頃の正月や、2011年3月の大震災の時にも一人いたが(自分の身さえ危険にさらされたあの震災の時、わざわざこのサイトに来る人は...)、それが誰だか私にはすぐに察しがついた。別れても愛を届けて来るかつての”夫”からの私への気遣い。切なくて愛しい人生、胸がきりきりした。

でも今は別の人たちだという気がする。”夫”になりたがっている人?あははは・・・・それは冗談です。でも、正月までもこのホームページに来てくださる人がいるなんて、本当にうれしいです。その意図がどんなものであれ嬉しいという気持ちが先にあります。お名前を伺いたいくらい。

正月2日目はゴルフで始まった。大きな飛行機が頭上を通ったかのような跡を空一面に描く雲。ローヤルブルー、ライトブルーの色が雲の切れ目から、あちらの空とこちらに空に分けて、私たちをのぞく。私は空が大好き。かつてのマンションは「空を独り占めしているみたいね」と言われたほど、窓を開けて出たウッドデッキの周りはギリシャの町を彷彿とさせる白壁とブルーのひさしが映え、正面には海が広がっていた。マンションの最上階に住む住人の特権、ヤシの木が燦々と陽を浴びた。刻一刻空は変化し、決して同じ色も形もない。そんな空にいつも感動していた。それ以来引っ越し先は空が見えるところと決めている。今の私の部屋からも空が見える。

あれ?・・・誰かがテープを回しているのだろうか。周りを見渡し音の出元を探すと、荒川の土手で男が三味線を弾きながら民謡の稽古をしている。なかなかいい声(自信がなければ皆が聞こえるような大きな声で練習などしない)。真っ青な空、一振りの絵筆のように流れる雲、土手で鳴らされる三味線と民謡、ふわ~なんという贈り物を新年から頂いたのだろう。私が好きなものばかり。ああ~。

正月の顔は、やはり皆良い。正月くらいはいい顔でいたいのだろう。




さすが 1/3

ジムが開いた。早速利用して、軽い自転車漕ぎと30分の速足ウォーキング、その後丹念にストレッチをしてきた。帰宅してロッカーに財布を忘れてきたことに気づき、すぐに電話を入れると「はい、ございます」とのこと。名前も言わず届けてくれたという。さすが、日本だなぁと、またまた感動する。先進国云々の話ではない。アメリカでどこかに忘れた財布が戻ってくるなどゆめ期待するべからずである。家の前で旅行鞄を広げて日干ししているだけで、「うっひっひっひ~、ありがとう」と持って行かれる。世界中が敬愛する日本人の高い倫理観だ。

そう言えば昨日は財布を家に置いたままにゴルフ場に行こうとしていた。ゴルフ場の最寄り駅を降りて歩き始めた時に気づいた。JRスイカがあるため、土壇場になるまでお財布のないことに気づかない。あ~あ、これは家まで帰らにゃあかんかと思いながら、スイカ入れをのぞくと、私のスイカは郵貯カードと一緒になっているではないか。ラッキー!なんと郵便局もすぐそばにあった。

いろいろな事があるけれど、すべて良く行くのが今の私の航路のようだ。




無知のメリット 1/7

学校で習うしきたりやお決まりを知らないがために面白いものが生まれる、そんな事ってよくある。イタリアのファッションブランド、ミッソーニのあの素敵な色彩はそんなところから生まれるとご本人がテレビのインタビューで言っていた(テレビは、情報の宝庫だが、知識の母胎でもあるようだ)。

笑われるかもしれないが、私もその類に入ると思う。おもしろいメロディーの作り方を模索していた頃の話は、このブログで何度か書いて来た。今はメロディー作りがとても面白い。と言っても私の場合、楽器を前にして音を出している事はほとんどなく、心が楽しくなったリ、脳が、おそらく、α波状態になっている時に、ふいふいとメロディーが出てくる。

理論と言うのは後で生まれるものだから、決してそれに倣う必要はないと思っている。ベテランアレンジャーの西直樹が「絶対にコードを勉強しちゃだめだよ。コードに合わせてメロディーを作ったらだめだよ」と私に念を押したことがあった。私の楽曲のアレンジは大変だったと思うが、面白がってもいたようだ。理論を知らないために、とんでもないところに音が転がっていくのかもしれない。

今日、ピアノのクラスがあった。講師は音楽一筋の60代の女性である。彼女が私の作ったメロディーについて初めて印象を語った、「時々びっくりするの!」私のメロディーには通常みられない展開があるらしい。それに対し彼女の音楽の聴き方はまず先にコードありきだ。この小節はこのコードにならなければならないから、メロディーはこの音でなくてはならないと、がちがちに枠を決めてくる。元がクラシック畑だから、理論を詰め込んだのだろう。ポップソングのように自由度がかなり高いものを扱っている作曲インストラクターがOKを出したものも、彼女の手にかかると「変ねぇ」。何度も何度も変であることを確かめる。私は彼女のコメントを聴きながら、目を点にし、ふむふむと勉強している。彼女が何を出して来るのか楽しみである一方で、メロディーに対しこのようなアプローチは大変だなぁと思ったりしている。彼女が作曲はできないと自ら言う理由が分かるようだ。

ある程度理論は分かった方がいいし、私も徐々に吸収しているが、いざ自分でコードを付けようとすると、頭がひん曲がり、や~めたとなる。要らない。理論家にクオリティーの高いものを書ける人はわんさかいるが、面白いものを書ける人は少ないものね・・・頭がひん曲がりそうなことを勉強するより、次の楽曲を書いたほうがいい。後はアレンジャーに骨折ってもらって(がははは・・・)

無知のメリットはかなり大きいようだ。なんといっても、自由だ。全く自由では話にならないけれど、大まかな知識があれば足りるように思う。




万歳 1/8

この2年間、修正に修正を重ねて来た「君の新しい記念日」、いい曲になったようですぞ~(^◇^)。なぜこの楽曲にこんなに時間とエネルギーをかけたかと言うと、私はこの楽曲の歌詞を気に入っている。値打ちの高い歌詞。だから人の注意をひかないメロディーなら歌詞がもったいない。アレンジを引き継いでくれた宏樹君が言う、「聴けば聴くほど味のある楽曲です。特にAメロがいいです。」えへん!そうなんです。こういうコメントに値する楽曲なのである。宏樹君が続ける、「覚えにくくても、よい歌はよい歌ですよ。」ん?という事はどういうこと?直さなくともよかったという事?聴きそびれて電話は終わった。

構成を変えると、歌詞の移動があり、歌詞に合わせてメロディーも変更するようになった。するとだんだんと以前の雰囲気と異なり、パンチの聴いた歌になり、かつ切なさが強くなった。作者は気に入っている。

その「君の新しい記念日」とキーを一音上げ切迫感が出るように間を省略した「あいつ」を久しぶりに内村君にミキシングしてもらった。彼が働くスタジオが私の家から近いので、仕上げ時刻頃に行って聴くとなんとも感慨深い。良い声になったなぁ~。心地よく聴けるのである。「わたしの歌、良くなったねぇ。これならプロとして通るね」と決して自分を甘やかしていない率直さで言うと、「前もよかったと思いますよ」と来た。自分の耳は騙せない。他人は気にせず通り過ぎても、私は小石にたくさん躓く。何度も歌い直しをしたが、その小石がほとんど無くなったようだ。昔、がむしゃらにやっていた時は、全くたどり着かなかった心地よい声。なんだか、突然願った形になってきたように思う。心の準備ができた時に、声も変わるようだ。

記憶の中では生まれて初めての事だと思うが、正月に一つの誓いを立てた。今年は、おいても一日、必ず毎日30分の発声練習をする。歌う声を出さなければあかん。これによって聴いて心地よい声が保たれる。




至福 1/11

そんなところまで行ったのだろうか。

昨日の日曜日の朝、瞑想がとても深く、その後、訳もなく幸せな気分になった。瞑想を始めてかれこれ9年目に入るが、一日として欠かしたことがない。食事が肉体を健康に維持するために必要であるように、瞑想は心を健全な状態に維持するために欠かせないものとなっている。だから、「やらなければならない」のではなく「やらないでいられない」日課である。瞑想をしていると脳がきれいに掃除されるようで、思考が一掃され空(から)になる。すると、法悦な状態になって行く。瞑想直後に鏡に映した自分の顔は、実~に、よい。自分の顔をだれか別人の顔のように眺める。そんなところから見ると、人間本来幸せであることが当たり前で、要らぬ思考が人間を悩ませ苦しませるのだという事を、身をもって体験する。

昨日もとても穏やかな暖かい冬晴れだった。外に散歩に出たくなり、今週大学OB会の飲み会がある場所を探して行ってみることにした。家から歩いて行ける距離なので、地図を片手に、途中交番で確認しながら歩いた。雑司が谷の近辺は、地下鉄の駅ができたこともあり、食べ物屋が増えたらしい。お寺の横に割烹料理、定食屋の横に本格フランス料理と銘打つレストランが並ぶ。どれも入ってみたい衝動に駆られたが、まだランチタイム前。諦めて都電の駅まで行くと、「おいしいメロンパン 外はカリカリ中はもちもち」と書かれた大きな看板が人目を引く。行ってみると、本当にメロンパンしか売っていない。3種類だけ。途端に様々な質問が頭の中で騒いだ。なぜメロンパンを作ろうとしたの?なぜメロンパンだけ?などなど。それらの質問を封印したまま一つ買って帰り道を歩きながら食べた。ほんと、おいしい。おいしいと嬉しくなる。

途中区役所の新庁舎になっているビルの1階のコンビニでコーヒーを買い、隣接するコーヒーショップの外に出された椅子に腰かけメロンパンを食べ終えた。まだ葉の付いていない植樹されたばかりの木の幹と枝がテーブルに細い影を落とす。「あ~」至福の境にいる自分を感じる。暖かい冬の陽ざしの中にいるだけなのに、大気の中に包まれている至福を全身に感じる。コンビニのコーヒーカップを手にしている私に気付いたスタッフが店内から出て来て、テーブルはこの店の客用だから立ち退くよう言ってきた。そのテーブルで本でも読みながら、もう少しこの空間での至福を味わいたかったのだが、仕方がない。次回にはぜひお店を利用するわねと伝えて店の中を覗かせてもらった。そのボーイさんと少しおしゃべりをしたが、そのおしゃべりをしている時もなぜか心が弾む。ビルの2階にはレストランが数件入っている。「今度来よう」と少しウキウキしながら、また帰り道に歩を進めると、小さなホテルの1階にイタリア語が目立つレストランを発見。また心が躍る。休日用のビュッフェスタイルのランチ。いろいろな人がそれぞれの生計のためにいろいろなものを作るが、そのため一人の歩行者が頂く喜び。ありがたいなぁ。

大みそかと正月は、私の内面の変化を確認するバロメーターになっている。始めて一人になって迎えた時はとても一人でおられず、道場に行って多くの人たちと一緒に新年を迎え、それを2、3年続けた。その後は一人でいたが、襲ってくるかもしれない寂しさからの逃避と祈りを交えて除夜の鐘を聴き初詣をしに近くの神社に行った。それも2、3年ほど続いた。その翌年は南米ツアーに参加。次の年はジムの仲間たちと一緒だったが、一人で本を読んでいた方がより豊かな気がして、昨年の暮れと今年の正月は一人でいることにした。初詣も行かず動かず”通常”の心持でいられるのか試したのだが、なんと、静の中に一人でいて心満たされている自分を見つけ、ここまで来たかと嬉しくなった。谷川俊太郎が「素敵な一人ぽっち」と書いているが、一人ぽっちだが孤独でない、静かな至福の境にいる自分の発見。誰かと一緒にいた昔の正月、相手の寂しさを背負っていたあの時よりもずっと満たされている。

瞑想をしていくとやがて至福を味わうと、チョプラー博士も「至福の人生」で書いているが、私もそこまで来たのだろうか。そうだとすると、すごいことだ。もちろん、互いが傍にいることを喜びあえる人との出会いがあれば、なおいい。




このタイミングで来た返信 1/16

手紙を瓶の中に入れて誰かの手に届けと海に投げる。だが、潮の加減か、それはやがて本人が忘れたころに本人の元に戻ってきた。何年か前に自分が書いた手紙を読み直すドキドキ感、まるでそんな情景だ。

そのメールは送信日が2014年5月10日と印字されている。日本音楽業界における音楽理論の重鎮篠田元一氏に私が出したもの。この日の事は記憶に鮮やかだ。歌子さんからこの日にびっくりすることが起こると言われて、眉唾しながらも何が起きるのかそわそわしていた。この日に入って3,40分経ったときだった。印象的なメロディーの作り方を教えてくれそうな場所をネットで探していたら、それ以前に検索していた時とは異なり、動画が私のコンピュータ画面に現れた。篠田元一氏とJPOP界の上流を走る作編曲者の浅倉大介君のトーク。そのトークは、私が答えを見つけようとしていた課題全てに答えていた。本当にびっくりした。

篠田氏が中心になったこの動画のシリーズを食い入るように朝方まで見ていた。その後氏をネットで検索しそのホームページに個人レッスンをしていると書かれてあったので、早速願い出たが、全く返信がない。恐らくかなり上級の人を教えているのだろうと、私は現在のミュージックスクールに通い続け、篠田氏の事も忘れていた。だがFacebookで彼を見つけ友達関係になり、一度彼のコンサートにも伺ったことがある。彼はキーボード奏者、仲間とバンドを組み、ライブ活動も盛んだ。

その彼から1年と8か月が過ぎた2016年の声が初々しい数日前に突然メールが来た。彼のホームページから受信される迷惑メールにスパム処理を施していたので、私のメールもスパムの一つとみなされ彼には届かなかった。昨年末のメンテで気付いたとのこと。

当時はコードの勉強をしようかと思ったが、コードはアレンジャーに任せようと断念したので、もうレッスンは要らないと伝えようとしたが、胸騒ぎがした。なぜこのタイミングで、彼から返信が来たのか。今、私は、若松さんから言われた6か月の準備期間が終わる時を待っている。また、若松さんが本格的に動き出した時、アレンジャーやピアニストは、今の私に最もふさわしい人が自ずと現れると疑っていなかったが、もしかするとその”ふさわしい”人とは篠田さんの事ではないかと思ったりする。彼には彼の一声で集まるプロのバンド仲間がいるし、なんといっても篠田さんは健全なメンタリティーの持ち主である(なった?あは)ように思う。昨年にも書いたが、今の私は必要なものがすべて与えられる磁場にいる。

そんなことを書いてメールを送ると、話を伺うので一度来ませんかとなった。

そういえば、「俺は間口が狭い」とほとんどのミュージシャンを認めない名ピアニストの西直樹も、篠田氏の事は買っていた。




My Way 1/17

フランクシナトラが歌うMy Way。この楽曲は彼の晩年の思いを語っていると人気を博し、日本では布施明が日本語に訳されたバージョンを歌っている。元は、フランスの歌で失恋を歌ったものだが、歌謡界から引退を考えていたシナトラにポール・アンカが英語詞をつけてプレゼントしたらしい。英語詞の内容は次のごとく。

ー私は信念を曲げずにまっすぐに生きて来た、いつも(泥もぬかるみもない)ハイウェイを走り、地図に書かれている道を私なりに歩いてきた。常に満ち足り、後悔することなどほとんどない。時には嚙み砕けないものもあったが、それさえ残らず食べ唾棄した。泣くこともあったが、涙が止まれば、悲しいことも楽しい事のように思えた。ー

先日この楽曲にまつわるエピソードをテレビで聴いていたら、シナトラのプロデューサーだった人が、「シナトラはこの歌が嫌いだった。成功を人の目の前にぶらぶら見せびらかしているような歌だからね。」と言っていた。

このプロデューサーの言葉を聴いてほっとしたと同時に、シナトラの人間ぽさが伝わり、好感が持てた。シナトラの若い時のあのひ弱そうな、自信のなさそうな、でも周りからかつがれて人前に立っているような姿に、英雄ぶった人が言いそうなこの楽曲の歌詞は似合わないもの。

ではなぜ米国でこの楽曲がヒットしたのか。あの当時は、今より以上に、ヒーロー崇拝の時代だったから、憧れと羨望を交えて、シナトラのヒーロー性にこの歌がぴったりはまったのかもしれない。

この歌詞を改めてネットで検索し言葉を拾っていくと、美空ひばりの「川の流れのように」が比較対象として浮かび上がった。作詞は秋元康だが、歌詞はこのMy Wayの逆を行っている。高速道路のようなきれいでまっすぐな道でない、ぬかるみも曲がりくねった道も、地図さえない道もあったと書かれている。作詞家の頭の中には、My Wayが対照かつ参考になったのではないか。

ちなみに、布施明が歌う「マイウェイ」はシナトラのMy Wayとは別の歌詞になっており、歌がすべてと言う歌手の歌になっている。




メロンパン 1/18

昨日また雑司が谷まで散歩した。雑司が谷まで行くなら、あのメロンパンを買おうと行ってみると、10人以上がその周りにたかっていた。美味しい香りが夕方のどんよりした殺風景な空気に色を付ける。

私から焼き上がり待ち(と言っても2分程度だが)になり、その間売り子さんとおしゃべりをしていると、店のオーナーらしき幸せそうな笑みを顔じゅうに漂わせている50代ほどの美形の男性が会話に加わってきた。メロンパンを製造する理由は「はやり」だとか。はやり?よく分からないけれど、そうなのかしらね。

米国に留学していた頃にみたメロンパンを思い出した。当時私はロサンゼルスに住んでいたが、ロサンゼルスはアジア系とヒスパニック系の移民が多い。大学の学生住宅の近くにメキシコ人コミュニティがあり、毎朝男たちが路上でトラックを待っている。どうも日雇い労働者らしく、トラックに10人ほどが積まれ行く。その通りには毎日メキシコ人の行商人が来て、食べ物を売るのだが、ある日、メロンパンをたくさん積んでいるのを見た。「え?メロンパンって元はメキシコなの?」メキシコ移民の歴史は、確か1800年代に遡ると思う(いやもっと前かも)。そうか、彼らとともにメロンパンは米国にやって来て、素朴で安価な食べ物として米国の大衆の間にも広がり、それは戦後米軍兵士によって日本にまで運ばれてきたのか。そんなことを想像した。早速そのメロンパンを一つ買った。てっぺんに刷毛でメロンらしき色を付けた大きくどて~とした重さ、腹ごたえのある簡易食品だ。それは昭和の時代に目にした色と形だが、やはりメキシコ人の手によって作られたものは、その一つ一つの大きさも形も少しづつ異なっていた。

そのメロンパンと、雑司が谷で売られている「おいしいメロンパン」の間にはかなりの違いがある。あのどて~としたメロンパンがおしゃれなパンになった。




ライブ予定 1/19

今月は第五土曜日があるが、ライブは予定していない。これは昨年8月のライブ前から考えていた。そのひと月前に若松プロデューサーにお逢いし、互いの心に相手に対して”穴”を感じることがなく、この人とならば新しい展開があると強く感じたためである。その後9月にお電話を頂き6か月準備期間をくださいと言う言葉を頂いたとき、その想いが一層硬くなり、今月のライブは中止しようと決めた。新たな展望がはっきりしてきた時に、これまでとは異なる心持で開催しようと思う。

「もうあそこではやらないの?」と訊いてくださる方がいらして、大変うれしい。恐らくもう一度、あのライブハウスを使わせ頂くことになると思う。これまで通ってくださった方々とお店に感謝を込めて、「デビュー前コンサート」と言う形で開催できたらと考えている。今はひたすら、プロデューサーからのLet's Goの声を待っている。私を信頼してくださいと言わんばかりの、「互いの信頼が一番大切なんですよ」と何度も強調された時の語調の強さに彼の言葉の真実を聴いたように思う。

今まで辿ってきた歌作りの世界での展開を顧みるとき、一般にはあり得ない幸運続きで、世に出て行く事になっているんだなぁと思えた事が何度もあった。だから、「迷ったら運命を信じなさい」そして「種を蒔いたら努力をするな」というチョプラー博士の言葉をしっかりと掴み、心高揚させながらも静寂の中で過ごしている。

これまで池之端QUIに通ってくださり応援して下さった皆様に、恩返しができる日が近づいているように思う。




長淵剛 1/21

帰宅してたまたま付けたテレビで長渕剛がインタビューされていた。NHKBSの「100年後に伝える歌」とかいう番組だったと思う。この番組は以前には谷村新司が進行役だったと思うが、変わったのかな。

長淵の顔が大変すっきりしていて皺も少なく艶もあり、澄んだ目をしていることが印象的だった。良い生き方をしているんだなぁ、きっと。恐らく、いろいろな事があったのだろう。かつてのようなけんか腰の雰囲気はない。現実に足をしっかりと下ろし多くを見て聴いて自分を超えてきた顔だ。そんな彼が言う「もう、昔の歌は歌いたくない。」

だろうなぁ。あの時の歌はあの当時の作者の思い。誰かに歌って頂いているならかまわないが、もう自分の今の思いではないから、歌いたくないのだ。シンガーソングライターとしてこの道短い私でさえ、5年前に作った歌の中には歌うのが気恥ずかしいものがある。例えば、男女間の愛のもつれを直球で投げたような歌。

人は成長し広がっていく。晩年に始めた私の歌書きの仕事、いろいろな事が分かって来た頃に書き始めたが、それを大変幸運に思う。




中村雅俊 1/23

今の私は刻一刻と進化しているように思う。ものの見方が変わっていく。

中村雅俊、彼は俳優でもあれば歌手でもあるという。だが、私は、彼の俳優や歌手としての才能や魅力を一度として感じたことがない。歌い方も誰かの真似をしたような奇を衒った歌い方で、彼の自作曲だという歌は、「なに、これ?!」のレベル。俳優としての素質はゼロに近い。なぜこんな人が俳優になったり歌手になったり、そしてそれを続けられるのだろうと不思議だった。恐らく彼と同期の芝居仲間には、その不公平さにやっかむ人が多かっただろう。全く面白みのない至極普通の人だ。上で書いた長渕剛のように個性的な何かを作り出せる人ではない。

先日自動録画している関口宏の「人生の詩」にゲストとして出演していた。一瞬そのまま消去しようとしたが、もしかすると新しい発見があるかもしれないと話を聞いてみた。が、なにもない。変人でも奇人でもなければ、糸くずほどの意外性もない。あまりに凡人過ぎて唖然とする。本人は変わっている人間として自分をアピールしようとするが、すればするほど、「どんくさい」と私の眉間が狭くなる(けちょんけちょんだね( ;∀;))。こんな平凡すぎる人がなぜ?理由は一つしかない。恐らく彼はスタッフや関係者から可愛がられるのだと思う。人気というのは、周りの人たちが作ってくれる。傍にいる人たちがこいつを人気者にしてあげようと一肌脱いでくれるのだ。後は行儀よくしていれば、まずまずのところまで行ける。彼はその可愛がられる素質を有している。これは大きな財産だ。

だが、私のものの見方が変わりだした。本人だけを見るのではない、全体の中での役割として個人を見るようになった。才能も面白味もある人は数多くいる。歌のうまい人、天性の俳優もいる。だが、そればかりだと芸能界の多様性が狭まる。全体的な調和の中で彼の存在は日本の芸能界の豊かさに貢献しているのだと考えるようになった。至極普通であることも一つの個性。鋭い個性が集まりがちな芸能界にそんな個性も必要なのだ。

人は自分の成し遂げたい仕事で完全であろうとする。そこで必要な才能はすべて持っていたいと思う。だから他人と競うし嫉妬もする。だが、皆が完全であるなら、実に面白くない。”機械”のような世界を作り出すことになる。才能はないが、愛嬌だけが特技なものもいる。そのように様々なものが存在するから面白い。花もすべてがバラのように勝ち誇った花だけなら、つまらないだろうし、バラの持つ美も評価されないだろう。さまざまなものがその本領を生かして咲いているから豊かなのだ。

それぞれが自分自身を大きな調和の中で捉えられるようになれば、皆もっとゆったりと生きられるのかも知れない。そう考えると、人間の世界に悪質なものが存在することは、自然の多様性の中に毒があるように、自然なのだろう。悪質なものがない世界なんてないだろうし、悪質なものがあるから、その悪質さに倒されまいと弱者を強くさせることもあるし、美しくなろうとするものが美しくなることもある。そう考えると、悪質なものも一概に無用だと言い切れないのかも知れない。この宇宙に無用なものは本当にないのかもしれない。だが、そうは言っても、現実に悪質なものが標的とするのが自分ならば、大変だ。小善と大善の群れの中で悪はいずれ摘み取られなければならないのだが。




時を待つ 1/25

    何ごとをなすにも時というものがある。
時ーそれは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。いかに望もうと、春が来なければ
桜は咲かぬ。いかにあせろうと、時期が来なければことは成就せぬ。冬が来れば春は間近い。
桜は静かにその春を待つ。それはまさに、大自然の恵みを心から信じ切った姿と言えよう。

わるい時が過ぎれば、よい時は必ず来る。おしなべて事を成す人は、必ず時の来るを待つ。あせらず
慌てず、静かに時の来るを待つ。時を待つ心は、春を待つ桜の姿と言えよう。一瞬の休みもなく力を蓄えている。蓄えられた力がなければ、時が来ても事は成就しないであろう。

・・・・着々とわが力を蓄える人には、時は必ず来る。時期は必ず来る。




                       松下幸之助、「道をひらく」から
 
 
       
 「大自然の恵みを心から信じ切った姿」・・・雨が降れば傘をさす、その素直さが大自然の理に調和し、その恵みを受ける。事を成し遂げられる理由は
  全てここに起因するように思う。 しずこ    
 
 





うっしっし~ 1/29

今週の火曜日、日本音楽界の重鎮篠田元一氏と対面。3月からは現在通っている音楽学校をいったんやめて、彼の個人レッスンを取ることになった。ここではコードの勉強を徹底する。そして私の楽曲のアレンジもしてくださる事に。なんとも心強い。

2つの楽曲を持参し、キーボードの前に並んで座りあれこれやっていただいているうち、その気になってくださったらしい(うっしっし~)。料金はレッスン内の料金でよいとさえ言ってくださったが、一応これまで他のアレンジャーに提供していたものと同額で受けてくださった。Anz(安西史孝)の事を知っていると言われ、「なぜ安西さんに頼まないんですか」と訊かれたが、「あれは、人格の問題があるから、あっはっは~」と答えた。一瞬彼の眉根が寄ったが、どんなことがあったか面白おかしく言うと、声を殺して笑っていた。

そう、Anz並みのアレンジャーが手伝ってくれたら、鬼に金棒だ。Anzも業界では多くの人に知られている天才。選ぶ音が違う。アレンジに感動がある。だが、自分の才能に対するプライドがものすごく強く、NGを出すと猛獣のように暴れ出し、NGを出した相手をつぶそうとありとあらゆる事をそのための材料として使う。それはそれはすごい。相手が自分を食わせてくれる客だろうがお構いなし。あのくらいの才能を持っているのだからもっと活躍し”有名”になってもいいはずだが、その人格ゆえにせっかくの才能も生かす場を失っているようだ。自分にプライドがあるように、相手にもプライドがあるという認識がない。だが、それに気づかせてやると、意外と素直にしゅんと大人しくなる。根が明るく大変シンプルな奴だから、心から嫌いになることはない。2枚目のCD制作の時、私の楽曲の譜面を見ながらふと漏らした「才能がある。」認め合っているからだろうか、互いの頭の隅にいつでも座っている存在のようだ。時々私の評判をネットでチェックしているみたい(^_-)-☆。Anz、ありがとう。

根が明るいというのは本当にいい。曲作りに本人の個性が出てしまうように、アレンジにもその人の個性が出てくる。あれから生長しているなら、いずれAnzも仲間に加わってもらいたい。。。。。

そのAnzレベルの音楽家が私の前に現れた。「神が必ずよこされる」と固く信じていたが、実際に現れた時の感慨は言葉に出し尽くせない。神が私の楽曲の価値に相応しい人を呼ばれる。自称アレンジャーだと言う人に一時は託した2曲、「地図」と「最後のプライド」を篠田さんの手元に置いてきた。「地図」は大きな歌だ。篠田さんならこの楽曲に相応しいアレンジをしてくれるだろう。2月中旬の出来上がりらしい。楽しみだ。




才能 1/29

一度Anzに訊いたことがある、「Anzの音楽は神様から頂いたものだと思う?」Anzはちらっと私を見て首を振った。

自分の力だと思うから、傲慢になるのだろうね。エゴが大きく顔を出す。ミュージシャンの中には”俺様”が実に多い。それが命取りになる。謙虚にやっていればその先にあったであろう輝く未来が、御しきれないエゴと透明な虚栄の服をまとうがために、実現されることもなく終わる。とてもとても残念なことだ。私も過去9年間の生き方を問う修業がなければ、この類の人種に入っていただろう(今でも少し油断するとその虫がちょろっと動き出す、くわばらくわばら))。松下幸之助は「道をひらく」の中で、人間の持っている力の99%は神から頂いたものだと言う。「生命の実相」を書かれた谷口雅春氏は「自分のものなど一つもない」と強く主張する。

私にもそれがようやく分かって来た。私の歌作りは、ほんと、96%神の代理で書かされている。神がアイデアを下さるから、音楽を専門的に勉強したことのない私でも書ける。私はその神のアイデアを整理整頓しているだけだ。だから、一つの楽曲を書こうとして出来上がるまでの時間は時には数時間、長くとも3日間。2012年から50曲書いたと篠田さんに言うと、大きな声で驚きを表していた。やはり特別な事なのだ。

ほとんど神のアイデアだが、それを見える形にする役割を担う者として私が選ばれたことは、この上なく光栄な事だ。才能、それは自分のものではない。神の智慧だ。




サッカー、日韓で決勝戦 1/30

リオ・オリンピックのサッカー競技出場が決定した日本と韓国。今日がその決勝戦。日本側は、「一番負けてはいけない相手。仁川でも負けている韓国との決勝戦を待ち望んでいた」とリベンジの機会に燃えているらしい。さらに「苦手意識よりもやり返したい思い」だと付け加える。そう、”苦手意識”はすでに負けることを意味している。

韓国選手も、「日本は絶対勝たなければならない相手」と言っているらしい。このようなライバルがいればゲームも面白い。

だが、ちょっと気になる。互いに使っている言葉:日本は「負けてはいけない」、韓国は「勝たなければならない」。彼らの間の差は技ではない、心の力だ。う~ん、この言葉から、どうも韓国の選手のガッツが強そうだが・・・・




サッカー、日韓決勝戦 その2 1/31

泣いてしまった。

昨夜前半だけを観て床に就き、残りは録画しておいた。朝のルーティンが崩れ、瞑想は後回しになった。数字だけならネットで確認できるが、私はドラマを見たい。で、まずは早送りをして得点が変わったところだけを観ると、前半韓国に奪われた得点が後半になって追加されているではないか。「え?!」こんなに差がついてはいけない。。。。地下へと続く洞窟の中に放り込まれるようだ・・・だが、選手交代後、日本が入れた。「ほっ」。1点の成果を称えようと普段ならベンチに行って共に祝うところ、得点に貢献した拓也選手がみなを制しゲームは続行された。そこに選手全員に共有された「いくぞ!」と言う声なき声、それを受けた静かな頷き。身が締まる。続けざまに2点目が入った。「これだ、これでよい。」同点でPK戦に入るのかと思ったが3点目が入った。スポーツ観戦での久しぶりの涙。選手たちの自分を超えようとするガッツに震えた。

が、今このブログを書いている私の周りのPCやコーヒーテーブルはティッシュだらけ。花粉症に苦しんでいる時のようだ。ふんがふんが、ぶしゅ~とやっている。「この世代ではアジアの壁は壊せない。世界に行けないと思われていましたが・・・」とアナウンサーが言う。委縮してしまうから勝てない(テニスの錦織圭同様)。相手に対する思い込みに自分が縛られ、その意気込みに圧倒されるから。フェアプレー賞の受賞は日本チーム以外に考えられない。この子たちは本当に”いい子”達。

今回のゲームで日本サッカー代表は、さなぎが薄皮を破るように、脱皮した。これからのオリンピック、ワールドカップが楽しみだ。

インタビューを受ける手倉森誠監督が「勝つようになっていたのかな」と漏らしていた。サッカーオリンピック代表の監督がまだ決まっていないと新聞で報じられていた時、「俺かな」とふと家で呟いたとか。奥さんは笑って取り合わなかったらしいが、その白羽の矢が彼に立った。不思議な事だが、人間の力を超えたものが存在し、それが当人に何らかの形で知らされる、手倉森監督もそれを体験しているようだ。

「韓国には(or日本には)絶対負けたくない」、因縁がある宿敵のライバルがいるという事は、良いことだ!互いがいるから見ごたえのあるゲームが展開されるし、磨きがかかる。互いに向上していける関係は、素晴らしいこと!平和はともに同レベルであるところから生まれる。

この試合はカタールで行われているが、この国に対し私の好奇心が生まれた。カタール代表チームが出場する試合では、観覧席の一角が白色に埋まる。真っ白の布が比較的細い体を覆う、その顔面に表される静かで幸せそうな笑み。品が良い。石油産油国の豊かさなのか、他のイスラムの人たちとはどこか違う。いつかこの国に行ってみようという気になった。

今から私は後半戦をゆっくり観て、涙と感動を再度味わう。あ~、このようなゲームがあることを心からありがたく思う。




勝つようになっていた 2/3

節分の日。広辞苑を引くと、立春の前日とある。ここ数日、夕方外に出るとぴ~んとした冷気が体に沁み、自ずといかり肩になったり、前のめりになったりと、本格的な冬の寒さが到来したのかと思っていたが、明日から春らしい。

上のブログで書いたサッカー観戦の感想が、感情がほとばしるままに生々しいので、ちょっと落ち着かせ、改めて考えたことがある。これは昨日友人と会い「神」について私ばかりが話をしていた事が(*_*;、思いつくきっかけになった。

手塚盛監督の言葉、「勝つようになっていたのかな」に私も同感。優勝候補チームのレベルは技術において大差はない。だが、いつも決まったチームが勝っていては、人情として、傲慢になる。手の付けようのない傲慢さも登場する。だから3回に1回は失敗した方が良いと言われるのは松下幸之助。その失敗の時に、反省もする。オリンピックやワールドカップでの勝利は国全体に生気をもたらすが、国が傲慢になった時には、そのしっぺ返しは大きい。これはどの個人にも言えることだし、どの国にも言えることだ。だが、常にバランスよく考え生きることはありえない。その努力を惜しまぬよう、勝利は神が決めるように思う。

だから、時には負ける時があっても良し、そしてもちろん勝つ時があってもよしなのだろう。




新年会 2/5

今では私が参加するたった一つの新年会になった。地区大学OB会の新年会。今の私が居場所としている唯一の会。自分が話したいレベルで心置きなく話し、興味を持ってくれる人がいるという場所。家族のようなつながりを感じる人もいる。やはり他人の境界を越えて触れ合う時、幸せは増えるものだ。相手がより良くなるようにと互いに考えられる場所は、本人にとっても相手にとっても本当に憩いの場である。人は、自分がいい心でいる時が最も幸せ、だから進んでいいことをしてあげれば幸せになる。そんな関係が、この地区OB会で育っているように思う。




清原和博元選手 2/6

覚せい剤取締法違反で逮捕された清原元野球選手、彼はおそらくホッとしているのではないだろうか。長くこの時を切望してきたのではないだろうか。

野球選手引退後穴の開いたような自分の人生をどのように生きたらいいのか、彼は掴めずにいたように思う。でたらめの世界でもいい、つかの間その穴を忘れさせてくれる覚せい剤に手を出したのだろう。彼の友人たちが止めるよう諭すが、「俺にかまわないでくれ」と友人関係も断っていたらしい。行きつけの飲み屋では「覚せい剤を持っている」と大っぴらに言っていたとか。大っぴらにすることで、彼は警察の手が及ぶことを待っていたのではないだろうか。

自分でも覚せい剤の使用はやめた方が良いのは分かっている。だが、生きる目的がなくなってしまった、次の人生設計も立てられずにいる、過去の栄誉がどんどん遠ざかる。立て直すすべを見つけようと考え始めることさえできない。そんな人生の谷底で、彼自身が覚せい剤をやめさせてくれる何かを求めていたように思う。それは、友人ではない、もう逃げることのできない、強大な力だったのではないだろうか。

警察や検事の役割はここにある(刑事コロンボ)。人の人生を綺麗にする手助けをする。もちろん彼の人生はこれで台無しになった訳じゃない。逆転ホームランを打つようになれば、またヒーローになるだろう。それを心から期待したい。それが多くの人たちに勇気を与える。

他人はそんなに冷たくはない。君がやり直そうと動き出す時、世間の多くも君をきっと応援するはず。




今年初の新曲 2/7

昨年中に頭の中にあったテーマはすべて草稿として書き出したので、すっきりした感覚で2015年を終えられた。そして先月はその草稿を最終稿にするため、主にピアノのインストラクターに見てもらっていたが、シャンソンの「お、パパ」にヒントを得た「ラブレターは速達便 Part2」に、彼女が面白いアイデアを提案してくれた。ある1小節に8分音符の音を3つ加えたのである。それだけで、なんとも曲がカラフルになり、そのメロディーの面白さを生かすために歌詞を付け加えたり配置を変えると、楽しさが倍増し心が躍る。

なぜそこに3つの音を加えたのか、その思考過程を知りたくて訊ねると、想像していたように、どうしてもそこに音が欲しいという彼女の音に関する美意識からくる感覚的衝動なので、説明はできない。60年以上も音楽が生活の中にある彼女ならではの衝動なのだと思う。そんなことがあり、「ラブレターは速達便 Part2」は傑作になったのではないかと思う。ピアノインストラクターも「この曲、おもしろいわよ」と熨斗を付ける。

さて今年はどんなテーマが浮かんでくるのだろうと待っていたら、来ました、来ました。そのうちの一つは、「ラブレターは速達便 Part2」を作っている時に別のメロディー候補があり、「それもいいわね、取っておいて他の時に使ったら」と上のピアノインストラクターに言われ、早速使って書き始めたもの。タイトルはまだ決まっていないが、音楽づくりの名人の話を第三者の立場から物語風に書いたものだから、おそらくこの名人の名前がタイトルになるかな。

まだまだインストラクターから学べることが山ほどある。クラスに行くのがいつも本当に楽しみだ。2010年と11年、音楽づくりのイロハも分からない時に出てくるままに書いてCDを作り、それがビクターのディレクタやプロデューサーの若松さんを初めとする多くの方々の心に思いのほか触れたのだが、楽曲の作り方がどうにか分かって来たように思う。また、シンガーソングライターになる前にシャンソンを歌っていたことが本当によかった。インストラクターから教わるものはJPOPの形式だけだが、そこにJPOPからみると異端となる構成も私は自由に取り入れられる。ありがたい、ありがたい。

それで今日は仕掛け中の曲の仕上げに取り掛かっている。そして発声練習ばかりではいかんと、歌う事もしよう。




「アンジ―」 2/9

上で話した今年初の新曲の草稿ができた。タイトルは「アンジー」。これは、「ラブレターは速達便 PART2」と構成が似ているが、メロディーは全く別物。

「ラブレターは速達便 PART2」に比べるとちょっと沈むかな。人生の絶頂期から谷底に落ち、そして目を覚ましていくかもしれない音作りの名人の話だから、当然そうなるのだけれど、含蓄のある歌になったかもしれない。

自作曲でも、自身の体験に基づく思い入れが強いものもあれば、誰かの話や読んだ小説の主人公の心中を書いたものもある。その代表が、「今朝のバラ」。この楽曲は、作曲など全く縁がなかった1992年、私の三姉の長女が結婚するときに姉の思いを想像して、見よう見まねで書き、途中譜面の書き方が分からなくなってやめたが、棄てるのはもったいない気がしてファイルキャビネットに保存しておいたもの。2つの自作曲を収めてCDを出した2010年、ならば”あの”歌もきちんと形にしようとキャビネットから取り出し、翌年のCDに収めたのだが、当然ながら私の思い入れが強い歌ではない。だからあまり歌わないでいたら、2012年の札幌ライブで私の出番前に講演をするはずだった人が肺炎になり、空いた穴を埋めてほしいと30分延長になったライブのアンコール・リクエストに応えて歌うと、目に手をやる人達がいたり、持参した「今朝のバラ」のCDが先に完売したりと、本人の私を呆然とさせる事が起きた。それは、「今朝のバラ」を書き出した年からちょうど20年後の事。この楽曲には普遍的な人の想いが沁みているのかも知れない。

その時からだろうか、自身の深い思いだけではなく、いろいろな人の思いの中で共感できるものも書くようになった。本人の経験以外に書けないと、長続きはしないようで、そんなことをテレビで告白していた米国人アーティストがいた。

早速レパートリ欄にこの楽曲のタイトルを追加。数字って無機質なのだけれど、働きをした当事者がその結果として数字を上方修正するときは、その数字にうきうきする感情を付着させる。これで54曲になった。次の楽曲のイメージが既にあるから、すぐに55曲と言う切れのいい数字になるのかな。今年は何曲まで行くのだろうか、ニタ~となる。

「アンジー」は明日、ピアノインストラクターに見てもらう。彼女が何を言うのか、楽しみだ。




爆買い 2/9

私の住むマンションのすぐ近くに中国人観光客をはじめ海外からの旅行者が利用するホテルがある。夕方その通りを駅に向かって歩いて行くと、20キロ程のものが入る海外旅行スーツケースを持ったグループと何度もすれ違う。信号待ちのところは、人もそうだが、そのケースが目立つ。私のすぐ側で男、女、子供達がそれぞれの体の横にケースを据えている。体格のいい男たちが担当しているのは2つ。耳に触れるのは中国語。「そうか、爆買いだ」と気づき、私の好奇心が騒いで話しかけると、体格のいい男性が流暢な日本語で答える。
「その中身は全部ショッピングしたものが入っているの?」
「(うれしそうに)そうです」
「こんなに沢山のスーツケースを皆ショッピングで埋めるの?」
「はい」
「お金をたくさん使うね」
「(ニタニタ)」
「何人で来たの」
「7人です」
「うわ~、昨日テレビで見たけれど、サンキュー!」

満面の笑みで彼らにお礼を言った。

私もヨーロッパに行くときは爆買いをやる。主にドレス。日本より断然値段が安いし、日本に輸入されないデザインや色柄物がある。こちらから行くときは、ほんの2,3日の下着だけをでっかいスーツケースに入れ、ヨーロッパの大地に参上する(がは)。来年あたりかな。

ちなみに、爆買いは英語でどういうか以前に訊かれたことがあった。幸い知っていた。Shoping Spree。「爆買いをする」は、Go on a shopping spree。和英辞書を見ても出ていないだろう。「爆買い」と言う言葉自体、広辞苑にも載ってないだろうし。




幸運の前髪を掴む 2/10

いくら幸運が訪れてきても、それを積極的に掴まなければ、幸運はそのまま去ってしまう。去ってしまったら、その幸運が戻ることはない。また次の幸運を待つしかない。「幸運の女神には前髪しかない」という格言は、実に真をついた言葉だ。

私は株式投資をしているが、ここ数か月の底知れぬ下げ基調に貧血気味だ。「大丈夫」とどちらかと言うと楽天的な私も、胸から肩の部分にびくつくものがある。ごく最近上げ相場が続いたが、この後どんと下がる事を予知するように一瞬体が重くなった。売った方が良いのだと知りながらも、あまりに損が多いことから、「いいや」と置いておいたら、やはりどんどん下がって来たではないか。そしてあの時売っていたなら、あの時点での損は今買えば取り戻していたのである。あ~あ。

実際現物が動くとなると、赤のままではなかなか売りに出せない。これが素人なのだろうし、素人のままでもよいが、やはり束の間自己嫌悪に陥る。絶対こうなると知っていたにも拘らず、目先の赤に心を捕らわれ行動をとらなかった事が、なんとも(*_*;。

何事においても、目先の事にとらわれず、自分に予知された事を信じ決断と実行の勇気を持たなければ、幸運は来ても去っていく。二度と自己嫌悪に陥らない行動をとらなければならない。生きて行く中で何が一番嫌かと言うと、「!」と思ったことをやらず、やらなかったことに対し悔しがることだ。そして自己嫌悪する。心底これだと思ったら、大体失敗しない。




きゃ~、 2/10

「どうしよう。」「どうしようって、どうするのよ。」そんな自問自答が繰り返される。今朝起きて、郵便局まで歩いている間に、詞と曲が自然に口から出て来た。タイトルはもうできてしまっている。「藻の花」。だが、この歌、男女の契りを歌ったもの。幸運は逃さないことにしたので、すぐに歌詞を書き続けた。まあ、なんと、大変セクシーなものができてしまったのである。所要時間2時間弱。書いていて本人がほわ~と熱くなっている。

次のテーマは別にあったのだが、来たからこっちが先。なぜこんな歌が突然出て来たのだろうと、この数日間を顧みる。「そうか、林真理子だ」と、飛ばし飛ばし昨日読み終えた彼女の古いエッセイ集が原因であることが分かった。笑いとため息( ;∀;)。私はすぐに感情移入される。

よくこんな詞が書けるものだなぁと、我ながら思う。でも結構面白い(がは)。性の交わり、これは誰もが営むものだし(おそらく)、男は男としてのエネルギーとなり、女も女としての性を改めて認識させられる尊い行為(あなた、ここで講釈たれなくたっていいのよ!)。素晴らしい行為なのだ。ここ数年、装飾を取り外し、とにかくシンプルな考え方生き方を選んでいるので、恥ずかしさや自意識の過剰など、エゴは取り除く事にしている。で、

やっぱり完成させよう(がははは・・・)。




「藻の花」 2/11

うわっはっは~。すごい歌を書いたぞ~。熱い、熱い。
ここ数か月間、作曲もピアノインストラクターにみてもらうようにしたが、それが良かった。作曲インストラクターがOKと言うところも彼女は「う~ん、う~ん」と唸り、私は彼女が何をどう直すのかじっと待っていた。最初の時は「この人、JPOPを知らないんだわ」とあまりの直しに少しムカッとなったが、いや、完全に受け身になって聴いてみようと態度を変えた。それが良かった。彼女はJpopをあまり知らないからJPOPの安易な作られ方を容赦しないのである。だが音楽を知っている彼女が少しでも手も加えると、曲がとてもカラフルになる。それを盗んだ。このような曲を私が書けるようになったことが、なんとも、なんとも、うれしいではないか~。

地味な花、つつましいと言われた花に隠された"酔い
"の闇中での乱れ。書きながら数年前に読んだ阿久悠の小説「艶歌ふたたび」の中で唄われる短歌を思い出した。「ラブレターは速達便Part2」と「アンジ―」はどちらも物語風だったし、前者の方は特にコミカルだっただけに、かなりの跳躍。言葉数も驚くほどに違う。「藻の花」は抑えた感情の世界、自然と言葉は比喩を用い、聴く人の想像力に働きかけた感じに仕上がった。切れのいい、55曲目の仕上がり。うおっほっほ~。あ~、熱い、この歌(*_*;(^^♪。




航空機エンジン開発 2/12

自動車メーカーのホンダが航空機エンジン開発の成功を公表したようだ。30年もかかったらしい。

そのニュースを聞きながら、目頭が熱くなった。私は幾度かこの航空機開発プロジェクトのテレビ会議通訳をさせて頂いたことがある。航空機に限らず、四輪二輪の開発も内容はすべて外部に漏らせない。だから事前資料は渡されず、初めての時はびくびくものだった。加えてテレビ会議だから、必ずしも全てはっきり聞こえるわけではない。

ホンダの技術開発センターは宇都宮に集中しているが、この航空機エンジン開発チームは埼玉県の和光市工場にあった。いつ日の目を見るか分からない、いつ中止を宣告されるか分からない個人用航空機エンジンの開発、やっと公表するまでに至ったのかと思うと、よかったなぁと心が震えるが、同時に空の交通事故も増えるだろうなぁと危惧する。




St. Valentine's Day 2/14

今日はヴァレンタイン。米国にいたころ、この日に特別なことを見たり聞いたりしたことはない。チョコレートを男性に与える習慣は”むろん”ない。だが、もしかするとキリスト教信者の間ではプレゼントの交換などがあったのかもしれない。いずれにしても、ハロウィンの時のように、大学のカフェテリアがカボチャや仮想衣装を着た学生で埋められるようなお祭りはない。

「恋愛をしない若者たち」の著者牛窪恵の話によると、日本ではこの日に20代の女の子が渡すチョコレートの56%がお世話になっている目上の男性向け、本命に渡すのは9%程らしい。恋愛しているよりも楽しいことがあると思っている女の子が多いとか。20代の男の子を調査すると、恋愛は必ずしも成就する訳ではないからコスパ(コスト・パフォーマンス)が悪い。なので、恋愛を通らず結婚したいと答える人が少なくないとか。

そういえば、以前に40代前半の未婚の青年が、今はインターネットなどで情報過多になっているから、結末がどうなるか大体分かっているので、実際の体験を避ける人が多いと言っていた。また上の著者の話によると、スーツ姿で頭を下げているオジサン達をテレビでみていると、人生は辛いもののようで、そんなつらい目に合わなくても済む役割を選ぶとか。つい最近読んだ林真理子の最新作「野心のすすめ」の中でも、今日の若者をそのように書いていた。燃えようとしないようだ。もちろん、どこかに燃えている若者はいると思うが。免疫力が育たないだろうし、おもしろい人間がかなり減って来るだろうね。いろいろと、もったいない( ;∀;)。

だが、視点を変えると、人種が時代とともに変わって来ているとも捉えられる。彼らは私たちの世代が作り出した豊かな生活の産物の一つだ。非正規雇用でもアルバイトでも、どうにか食べていけるので、本当にやりたい仕事でないから、それでいい・・・・そんな考え方なのかも知れない。恋愛小説なども読まないらしい。あちらの話であって、こちらとは違うとか。




善 2/15

「あの人は書いた本が売れてかなりの収入があるにもかかわらず清貧生活を送り、お金はすべてどこかの協会に寄付している」。こんな話に、多くの人が”素晴らしい”人だと評価する。幼い時から、私にはそれが素晴らしいとは思えなかった。私は収入に見合った生活をしたい。

稲盛和夫氏同様、私の人生をも変えた本(名前を並べて恐縮です)、谷口雅春著「生命の実相」の中に、こんな件があるー
ある男が、それまではグリーン車に乗っていたが、信心深くなり、グリーン車に乗るのは申し訳ないと普通車に乗る。御本人の身の丈に合ってグリーン車に乗れば、彼が座った普通席は、普通席に座らざるを得ない人が座れる。豊かな生活をしたいと思うのは人として自然に生まれる思いである。そのように神は人を作られている。素敵な服を着れば心が高揚する。素敵な家に住む心地よさは幸福感を生む。それは周りをも幸福にする。小売店、卸、紡績工場、不動産、建築会社諸々が潤う。

「親鸞は、いかに人間が善意をもって目の前の人を助けようとしても、助けおおせるもんじゃない、と言ってるんです。・・・浄土に往って、それから還って来たって人がいて、初めてそういうことはできるんであって、目の前でどうだったから助けるとか、どうしようかっていうようなことはダメなんだと、完全にそう言い切っていますね。もちろん、その気になったら、まあ助ければいいし、気が向かなかったら助けなけりゃいい。それだけの事なんだっていうんです。善い悪いの問題じゃないと」(吉本隆明)。

要は、自然でいなさいという事だろう。身の丈の豊かさを素直に享受する事が自然であり、その”自然”は”素直な心”から生まれるのだろう。一人の自然な行為は自ずと他者への善につながる。松下幸之助が繰り返し唱える「素直な心」の深さに気づかされる。




「恋愛対象外、あなたの時代に生まれたかった」 2/16

今は2月16日午前2時45分。今年の3曲目を書き終わった。今年に入って「アンジ―」と「藻の花」の2曲を書いたから、ちょっと休んでいいんじゃないと自分に断わって本を読もうと所定の椅子に座ろうとするや、頭の中で「書きなさい」と言われる。まだはっきりと歌詞ができたわけではないから後回しにしようとしたが、「書きなさい」と繰り返し催促されると、「そうだ、素直にやるんだった」と腰を上げ、昨夕からは歌づくりに活動変更。その曲のタイトルは、「恋愛対象外」。副題もついた、「あなたの時代に生まれたかった」。最初は副題を本題にしようとしたが、作っているうちに「恋愛対象外」と言う言葉が入って来た。これも面白いが、元のタイトルも捨てがたいので、本題と副題を一緒につけた、長いが・・・。

以前から書こうと思っていたテーマで、かなり年上の女性を好きになった青年の話。私の話ではないんです(^^♪。2011年の六本木STBでのリサイタル前に会場の下見にと、岩崎宏美が出演している時に行ったが、その時に彼女がトークで語っていたファンからの手紙がヒントになった。いろいろな事がヒントになって、時を経て歌の材料となる。実に面白い。常に様々な事に接してアンテナの受信感度を高めておくと、ひょんな時に思い出して歌の材料になる。

ここから午後12時過ぎ。朝起きたての瞑想中、しきりに別なメロディーが流れる。素直にこちらを採用してAメロの8小節を書き直した。すると、歌詞も曲も楽しい傑作になった(これは、第三者の目)。




さっぱり分からない 2/18

マイナス金利の導入。どうもヨーロッパに追随したようだが、なぜ導入しなければならなかったのか、さっぱり分からない。住宅や車など大きなものを買わせるためなのだろうか。

ブッシュ・ジュニアが米国の大統領であったとき、サブプライム・ローンを信用審査に外れる個人にも適用。利子が小さくなったことで、住宅など手に入らないような財務状況の夫婦も住宅を購入し、ハウジング・バブルを引き起こした。当然のように返済不能者が大量に現れ、ローン担保になった住宅がゴロゴロと買い手を探し、住宅価格は下落、サブプライム・ローン関連債権は投げ売られ、いわゆるリーマンショックまでもたらした。

現在マイナス金利を導入したスイスでは、銀行がマイナス金利による損失を補てんするために、預金者に手数料を払わせるようになったとか。誰が手数料を払って預金するのだろう。ならば自宅でタンス預金をするようになるだろうと素人の私は思うのだが。日本でもこれから住宅建設ラッシュが始まり、お金が株式市場に流れるのだろうか。本当にこれで良いのかなぁ。

日本の銀行はお金をたくさん持っているので、マイナス金利による影響はそれほどないだろうと、経済ジャーナリストが言っている。細部を語ってくれないと分からないけれど(語られても分からないか(*_*;)、これで良いんですかね?

賃貸住宅は大変な事になるかもね。




もったいない 2/19

貴重な本、でもそれ以上の本を見つけたから、もう読むことはないだろう。処分したいのだが、棄てるに棄てられない。そこでヤフーオークションにかけたら、落札して下さった人達がいた。ほっ、これでこの全集はまたどなたかの役に立てる訳だ。良かった。

私の本箱の6段の内三段は本以外の物で占められている。図書館が徒歩10分弱の場所にあるので、公共図書館が私の個人図書館にもなっている。要らないもの使わないものは処分したい。読んだ本はすでに目に見えない私の魂の滋養になっているので、その形は存在しなくていい。この部屋から引っ越しをするとき、少しでも荷を軽くしたい。

ヤフーオクの利用効果に味を占めて、要らないものは出してみる事にした。十数年前に恵比寿の骨とう品店で購入した、恐らく西洋のものだろう、柄の入った曇りガラスを通して光が漏れる、他にはない素敵な鉄製のランプがある。結構な金額だったので、何度も店を出たり入ったりしながら、購入したものだが、現在そして今後は以前のような広い部屋に住むとは考えられないし(必要なものがすべて周りにあり、仕事をする気にさせる現在の空間がいい)、そのランプに似合う部屋に引っ越すとも思えないし、無くとも良いと思えるので、それも出品してみよう。とにかく使わないものは、「もったいない」との思いからただ置いておくだけの生活習慣は止めたいと思っている。このブログをご覧の方で、ご興味のある方はぜひご連絡をください。
 
 





「これで終われない」 2/19

先月万葉集を読んでいたら、「こんな世界を書いてみよう」とメモっておいたものがある。なるほど、万葉集は”歌”だから、そのまま”歌詞”として使えるフレーズが多い。1か月ほどを経てメモを読み返すと、すぐにでも歌ができそうなので、メロディー在庫を確認し取り出した2つ目がピタッとハマった。すぐにでも作れる勢い。それで作ってしまった。

ー 留められない時の流れ。黒髪に降った霜もいつしか消えて、真っ白な冬景色。あ~あ、もっといろいろな事ができると思っていたのに、過ぎてみなけりゃ分からない、時の流れの速さよ。これで終わるのか。ならば、負け戦で終わりたくない ー

暫定タイトルは「これで終われない」。はは、だ~れも書いていない新しい着想ではないか!ぎゃは(^◇^)




”琴”とは 2/20

大相撲初場所で優勝を飾った琴奨菊の言、「”琴”は、今に王になるという事です」。

なるほど、でもなぜ王が二つあるのだろう。




狂想癖 2/21

偉大な詩人には狂想癖があるのだろうか。断崖の淵から滝となって落ちる川の勢いにも似た言葉、言葉、言葉。その豊かさには圧倒されるが、それは「お前になぞ解るものか、解ってたまるか」と他者の介入を遮断するような迷走の世界。ただ言葉と戯れているだけなのか、伝えたいものが本当にあるのか。フランスの詩人ヴェルレーヌもそうだったが、吉本隆明が日本現代詩人の最高峰の一人として挙げた吉増剛造も、その類の詩人だ。凡人の私はついていけない。大岡信のように「私には彼の詩を理解する能力がある」と優越感をほのめかす数人のエリートたちにのみ共有される世界なのかもしれない。
~~
白い死骸の舟をこぎ出す感覚のスクリーンを切り裂いて 地底に この白き鱶(ふか)のごとき存在物は ただ そんざいする 窓 「窓」と呼ばれる黄金のアジテイターが地下道で叫ぶ 一瞬の死のかげなのだ なんという乳房の美しい 稲作の 湖の 湖底を沈め 湖の 地底を沈め、湖の地底を沈め。。。。
~~

吉増剛造、その詩集の裏表紙に載せられた彼の若き日の端正な顔は、私が大学時代にキャンパスですれ違った青年を思い出させる。長髪で黒いトックリセータ、満たされない心が何かを常に求め、叫んでいる。「何をそんなに悩んでいるの」世界を一人その肩に背負っているかのような雰囲気に私はそんな思いを抱いた。優しくすれば、渇きをいやすために乱暴に女体に襲い掛かって来るような利己的な激しさを匂わしてもいる。暗くて理屈っぽくて、とつとつとしながら饒舌。そして文学少女を自負するかのように、それら詩人の深き理解者ぶる者は、利己的なるものの好奇心を満たす次のものが現れるまで、同類相求めるつぼの中に納まる。自分は特別であろうとするあまりに幼い時代の風景だ。

最初はついて行こうと丁寧に読み出したが、あまりに異次元な言葉の使い方に、私の創作のインスピレーションになりそうもない。

吉本隆明が挙げた日本現代詩人の最高峰は3人:谷川俊太郎、田村隆一、吉増剛造。後は詩人ではないと言い切る。詩というものが吉増が作るようなものなら、一般大衆は詩をどんどん遠ざけて行くだろうなぁ。谷川俊太郎が多くの人たちに受け入れられる理由が分かる気がする。共有、共感できるのだ。




心配する、助ける、救う 2/25

ー 
人は無力である。人は自分以外の人間の不幸をどうする事もできないのだ。助ける事も慰めを与える事もできない。親子、夫婦、恋人、本質的にはみな無力なのだ。。。。いいですか?「心配する」と言う事と「救おう」と考える事とは違うんですよ。心配には愛情があるけれど、救おうと考える事には思いあがりがある。優越感がある。優越感があるとしたら、それはもう友情ではない。ー

誰が言った言葉なのかはっきりと覚えていないが、かつて取ったメモの中に見つけた上のフレーズ。恐らく作家の佐藤愛子かも知れない。「心配するだけなら誰でもできる、必要なのは実際に手を差し伸べる事、助けることだ」そんな言葉もどこかで聞いた。相互扶助。助け助けられる。”助ける”事と”救う”事とはどう違うのだろう。なんとなく解るようで、はっきり線引きできないでいる。

信仰を持っているある方がFACEBOOKで「xxxで私たちは多くの人を救えるのに!」と書いた事があった。何か閊える。ギョッとしたのかもしれない。なぜそんな思いを抱いたのか自分でもよく分からないが、「とんでもない、そんなことする気はない」と思ったのかもしれない。”救う”ために必要となろうエネルギーやら時間を想像したら、そのために私は生きているのではないと心に思った。そしてその人を個人的にも知っている私としては、「あなたにできるんですか」と内心問うてもいた。確かに、「思い上がり」だ。

仮に一人の人間が別な人間を”救う”とした場合、”救う”と意図した途端、救えない。他人の手を借りては本人は救われない。自力で這い上がらない限り救われない。上の方でも書いたが、個人個人が自分の魂の声に静かに耳を傾け、その声に素直に生きて呟かれた言葉や行為が、池に投げられた小石が描く波紋となりまたは風となって他者に何かを伝え、その他者自らがそれを受信し自分を救っていく。そのように神は人間界を作られているのだと思う。それは風や蜂がそれぞれの仕事をしているだけなのに、結果的に花の存続を手伝っているのと似ている。



1,000円の寄付 2/26

ネットの進化と共に多くの人たちがお世話になっている、Wikepedia。人物検索、歴史検索に私も時々利用している。一昨日、寄付を募っていた。一口700円からだという。以前にも同じように寄付金の募集があったが、ネット上での詐欺事件が多い昨今、おいそれとは行かない。広告なしでやっているのだから、運営費の負担軽減に協力はしたいが。。。。おそるおそる1,000円の寄付をした。

だが、やはり心配。カード番号やら暗証番号が盗まれるのではないか。さっそく今朝カード会社にも確認の電話を入れ、不審な引き落としがなかったかチェックを入れた。善意も気安く行えない(*_*;





美味しい 2/27

週に一度、大体土曜日だが、定期的に銀座まで出かける。以前にもこのブログで紹介した釜めしと焼き鳥の店「鳥ぎん」の話。

目的地が本店に近いので、出かける時はお腹を空かして行って、そこで昼食をとる。これが最近の土曜日の日課になった。他の鳥ぎんは分からないが、場所が銀座という事もあり、ここは年配のお客で常にいっぱい。外には椅子が並べられ席を待つ人たちが占める。土曜日にはお得なランチメニューがないせいか、比較的空いている。12種類ほどの釜めしと、15,6種類ほどの串焼き。毎回異なるものを注文して楽しんでいる。釜めしと串焼き、そして上新香と赤だしなめこ汁。これが私の定番。この店に入る時、そして釜めしが配膳されたとき、私の顔に思わず笑みがこぼれているだろうなぁと思う。どこかで食事をするのが楽しみ、こんなことは最近なかったように思う。アスパラガスのベーコン巻など、本当に美味しい。ベーコンも、よくこれほど薄く切れると思うほど薄い。薄いお陰であっさりして、アスパラガスのしこしことした歯触りがいい。

最近はレジで、スタッフが2度顔を上げて私を確認すると「いつもありがとうございます」と言うようになった。照れる。

釜めしは配膳されると、5分ほど蒸らしておく。そうする事で釜にご飯がこびりつかず、きれいにこそげ取れる。




うそ 2/28

先日、BS151か、141の番組「インタビュー」の特別版を放映していた。過去の著名人インタビューの中から5分程度の印象的な発言を切り抜いて貼り付けたものだが、その中に女優桃井かおりの”告白”があった。彼女は数年前(当時63歳)にそれまで同棲していた幼馴染と結婚したらしいが、「世の中にこんなに正直で生きている人が入るんだぁとびっくりしたの。私なんか嘘だらけの人間よ」と言っていた。

その言葉にこちらがびっくりした。嘘だらけで生きるって大変じゃないかな。ウソがばれないようにまた嘘を重ねるだろう、自分が嫌にならないのか。正直に生きた方が、よほど容易じゃないか。私も少しの嘘をついて生きていた時があったが(言葉の中の8%くらい)、嘘をつくときは身体全体が居心地が悪い。また、私自身に備わった本質や真実を見抜く洞察力が他人の嘘をすぐに見破ってしまうから、自分の嘘も人がすぐに見破るだろうと思い嘘をつけない。夫婦は根っこが似ているから夫婦になる。つまり類は類を呼ぶから、私の夫たちは二人とも、嘘をつけない人達だった。

取りつかれたように私は彼女の言葉を聴いていた。虚栄やらで嘘を重ねる人は、物事を大変複雑にする。他人は大体その嘘に気づいているのに、知性、感性の脆弱さから日常的に嘘をつく。その生き方は彼らの目に、表情に表れる。桃井かおりが60を過ぎるまで結婚”できなかった”事も、もしかするとここにあるのではないかと思う。そういう女と一緒に生活するのは大変だ。よほどノー天気か、救済者根性を持っていなければ勤まらないだろう。話を聴いていると彼女の夫は前者であるのかもしれない。桃井かおりと対照的になるだろうか、たまたま見たNHKの昼の番組に出演していた女優の秋吉久美子は「正直でなければ、良い感性でいられない」と言う。彼女に信頼を寄せているわけではないが、この意見には私も同感だ。良い感性を持ち続けるためには、自分に嘘をつかないだろう。

この話をジムの仲間に言うと、「桃井かおりは正直なんだよ」と返してきた。なるほど、自分がうそつきだという事を告白したという点では、正直なのだろう。また、正直者を亭主にしたところに、彼女の中に正直に生きたいという願望があったのだろう。




「ごめんと言わなくとも」 2/29

ブログで自分が書いていることに触発されることがある。誰かと話している時、自分の言葉に自分の考えがまとまったりするのと似ている。

最近、意図する事と自然であることについて書いたが、実はその言葉に私自身が気付かされ作詞をする上での参考にし始めた。2年前初めてお会いした時に、希望を失った人たちに希望を与えるのが私の仕事だと、占星術師の歌子さんに言われ、それを意図して作詞をした時もあったが、そうではないと気付いた。意図しなくとも私が書きたいと思ったものが自然にそうなるのだろうと今は考えている。人知でえり好みするのはあかん。これまでも降ってきたものは自分の好みに関わらず、時には躊躇いながらもすべて歌にしてきたが、この自問自答の過程から、今後はためらいなくその姿勢を貫く動力を得たように思う。

私は日本のポップスをあまり聴かない。歌謡番組も一時はどんな曲や詞が歌われているのかと毎週火曜日のNHK歌番組はみていたが、最近はそれもしない。いい歌が本当にない。ただ、名曲を並べる特別番組は国内外を問わず時々聴いている。その一つがサイモンとガーファンクルなどの世界的名曲を誕生させた人たちのストーリをつづる番組。詞先か曲先かは楽曲によりそれぞれ異なるが、欧米でヒットした楽曲は歌詞がどちらかと言うと単純と言うかすっきりしている。今の日本のポップスの逆(今のJPOPの中には、メロディーなどどうでもよくて、言葉数がやたらに多い、いわば現代風のお経のようなものもある)。秋元康の言葉を借りれば、「したり顔で書かれた詞」が世界規模の名曲にはない。サイモンとガーファンクルのBridge Over Troubled Waterのように、元の出所がキリスト教の聖書だと知らずに、それをもじって作ったものもあるが。

で、私は何をしているかと言うと、日常生活の中からふと呟かれた言葉の奥にある本人も気づいていない想いを歌にする。実はこれは大変な挑戦だ。歌詞がシンプルであるほど、メロディーが魅力的でなければならない。でも、とにかくやってみよう。

その試みが「ごめんと言わなくとも」。58曲目で~す。恋人や女房から思いやりのなさを問い詰められた男。なかなか「ごめん」と言えないけれど、「ぼく、変わって来たじゃないか。」それは君といたいから、君が好きだから。。。。過去の色々なシーンが歌になるが(^^♪、それを歌にしようとするきっかけは、やはり誰かの歌、小説、詩から頂くインスピレーション。誰かが自分の生活のために、野心のために書いたものがこのように他者に伝わり、新たな作品を作らせる。作られた歌に聴く者が自分を投影し、気付かされたり浄化されたりすることもある。上の方で話した風や蜂と花の関係と同じ生かし合いのメカニズムがここにも生まれる。

もっといいメロディーができるかもしれない。降って来るなら来るだろう。

テーマが決まったものがあと2曲「仕掛け中」にある。くわ~、60曲の数字を聴くのはうれしい。え?今月5曲も作ったことになるんだぁ~。どうしちゃったんだろう。



3月ですね 3/2

少しドキドキするようなワクワク感。歌子さんから頂いたカレンダーでは15日以降にラッキーのライトブルーカラーが大きく動いている。ものすごく大きい。1か月以上続くようだ。

自分の努力がほとんどないところで前方の道が耕されていると言う感触。すごい、すごい。待ち望んでいることが実現していくのかも(くわくわ)。




ひな祭りの日に生まれて 3/3

今日は節句。故砂田さんの誕生日だった。遠い遠い昔、私のマネージャ業を務めて下さろうとしていた。私の誕生日が7月7日の七夕、砂田さんが3月3日のひな祭り。それを初めて知った時の砂田さんの顔には、見えない強い糸を感じたような気配があった。私が事務所を出たことが砂田さんにとって特別な打撃だったことは、その後に偶然お逢いした時の彼の様子に伺えた。でもよかった。砂田さんがあちらに逝ってしまわれる前に、私の思いを伝えられたことは。当時の私のメンタリティーではたとえ一時俳優として脚光を浴びたとしても、すぐに落下して行っただろうと思う。あそこで終わって良かった。

砂田さん、もうご存知ですよね。私は、想像だにしなかったシンガーソングライターの道に立ちました。砂田さんの「がんばれよ」の声が聞こえています。今、あの時よりも砂田さんを近くに感じます。今日は、お線香をあげました。




「耳かき棒」 3/3

暖かい冬の陽ざしがガラス窓を通して部屋に差し込んでくる。その陽ざしの中で本を読んだり、縫物をしていると、愛するものが突然自分の膝の上に頭を預けて、耳かきをねだる。その姿は、まるで身づくろいをしてもらっているお猿さんのよう。信じ切る相手の手触りを受けて、気持ちよさそうに目を閉じる。

そんな日常のシーンを歌にした「耳かき棒」。穏やかな陽ざしを感じる曲になった。実はこのテーマ、2,3年前に書き留めて置いたもので、いつか歌にしようと思っていたが、セリフで終わる、ちょっと意外性のある歌になった。

おそらくメロディーと詞だけのメロディー譜のままで保存しておく。曲ごとにアレンジに頼むとなれば、どんどん書いていると財務上負担にもなるので、その内関係者と相談しながら楽曲として完成させていこうと思う。

次に待っている曲は、ガラッと変わり「追いかけてきて」である。タイトルが自ずと語るように、叫んでいる歌。でもそうなるかな?書き出してみなければ分からないのが、私の曲作り。いよいよ60曲目に入ります(すげえ!)。




Blowing in the Wind 3/4

あの世界的名曲、ボブ・ディランのBlowing in the Wind(邦訳「風に吹かれて」)は、19世紀に黒人たちの間で唄われた、No More Auction Block(競売はたくさんだ)のメロディーをベースにしていると、テレビで報じられていた。黒人歌手Odettaの歌から多くを学んでいたBobが彼女の歌うこの曲を自らカバーし、のちにリズムを入れて名曲Blowing in the Windを書いた。


No More Auction Blockは奴隷売買の競売台に立たされる黒人たちの悲痛な思いを歌ったものだが、Bobはこの曲に全く違う歌詞を付けた。

 ♪どれだけ歩いたら、人は一人前になったと言われるのだろう。どれだけ海を渡ったら、白い鳩は砂浜で休めるのだろう。どれだけ大砲が打たれれば、永遠に禁止されるのだろう。どれだけ生きたら、虐げられた人々は自由になるのだろう。どれだけ人は無関心でいられるのだろう、見なかったふりをして。答えは、友よ、風の中にある。♪

いい歌だ。

降ってくるメロディーがあまりに印象的に何度も私の中で繰り返されると、「誰かが歌っているのかな?」と少しの不安を抱くが、世界的名曲に上のようなストーリがあったり、エリック・クラプトンの名曲「レイラ」のイントロ8小節が、別な歌手が歌うメロディーをそのままコピーしている事実を知ると、私に降ってきたものが、たとえ部分的に誰かが歌っているメロディーであろうと、一切気にする必要がないようだ。もちろん全曲同じだと著作権侵害だが。それなら、なんか、どんどん作れそうな気がしてくる(この人、楽天的だね、がは)。

実は今手掛けている「追いかけてきて」には、私が5か月間そのドラマから出て来られなかった韓国ドラマ「冬のソナタ」のあの切ないメロディーの1小節を使っている。あの最初の出だしを聴いただけで、胸きゅんとなるメロディー。この1小節から展開する曲を書きたいと思っていたが、それが実現したことになる。切ないのよ、この曲。は~。




辛いのは、もういいわ 3/5

今の私はどうも悲劇が好きでないようだ(かつては、五輪真弓の”秋冬色”が好きだったのに)。切ないとか、辛いとか、そんな話は歌いたくないし作りたくないみたい。心がそのような状態になっているから、切ない歌になると予想していた「追いかけてきて」は、エンディングが変わり前方が明るくなった。

傷つくのが怖いからなかなか本心のままに思いを伝えようとしない似た者同士の男と女。相手の自分に対する思いを探り探り、相手から求められる事を待っている。そのため互いに傷つけあう。ここで喚く女を書こうとしたが、ふと第三者の声を登場させて、「春よ来い、早く来い・・・」となった。だが思えば、これはこの曲の登場人物の二人の本心でもある。で、タイトルは「そろそろ春にしませんか」。

自分で言うのもなんだが、でも言ってしまうが、”確かに”なのである。キャリア確立と言われた2月11日辺りからできている曲、既に8曲になっているが、皆おもしろい。面白いストーリ、おもしろいメロディーがどんどん湧いてくる。歌子さんから頂いたスケジュールを全く疑っていない。その通りになるのだろう。ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん!!!ぼんぼんぼんぼん!!!!




マラソン解説者の講演 3/7

昨日の日曜日、大学校友会の主催で行われた金哲彦マラソン解説者の講演を聴いた。マラソンに関する面白い話が聞けるかもしれない、そしてまた(がは)遠くない日に私がその壇上に立つかもしれない夢想をほんの少し抱き、下見に行った(あははは)。その後者の来場目的を私の横に座ったこの会の幹事に言うと、「皆さんに出てほしいですよね」ですって。
(^◇^)

講演自体は無機質なものだった。オリンピックでの日本マラソンの活躍、母校早稲田大学の活躍履歴がスライドに映されたが、そのようなプレゼンへの聴衆の反応はだいたい「ふ~ん」で終わる。データではない、聴衆は個人的なエピソード、ストーリーを聞きたいのではないかと思う。瀬古選手の話をよく出したが、その話が少しあったとしても、本人はなぜ走りたいのか、走っていると体に何を感じるのか、心がどう変化するのか、課題があったならどんな課題か、それをどう克服したか、その結果何が変わったのか、そのような個性を持った話に人は耳を傾ける。

この校友会のイベントでは各界の方々が招かれて講演をされるが、校友会の幹事たちが観客動員に懸命になりホールを満杯にするほど多くの人たちが集まってくる。愛校精神とはすごいものだ。

帰りは地区OB達と大変短い2次会。通常ならこれから飲む時間にそわそわと時計を見だす人がいたり、9時から刑事番組を見たいと言い出す人がいて早々にお開きになった。それで初参加の女性はびっくりして、こっそり私の耳元でささやく、「お年寄りと飲むとこんなに早く終わるのかしら」。「え?」その質問がおかしくて心の中で私はぎゃはんと笑っていた。日曜日の夜は皆さん家にいたいのかもしれないですね。




あたたた・・・・3/10

朝ベッドから起きた途端に腰が痛い。昨日のトレーニングから来る筋肉痛だろうか。昨日は新しいプログラムが加わり、5キロのダンベルを使ったスクワットを始めた。後ろに反ると「あたたた・・・・」となるが、股関節からまげてお尻を後ろに突き出して徐々に下がってゆくスクワットのポーズをすると一番響く。やはりあれだ。

トレーナーは29歳。彼自身のキャリア確立のため結構忙しく、ゴルフツアーに同行したりするので、私のトレーニングも月一になったりすることがある。そういう時は自主トレをしているためか、トレーナーに寄ると私は進歩が速いらしい。人生の25年間をダンス三昧で過ごしていた時期があるので、呑み込みが早いのかも知れない。「それもありますけど、感性ですね。感性が研ぎ澄まされているからです」と、トレーナー。並みと比較するなら頷くが、詩心を持った人と比較したら、とんでも、とんでも、とんでもない。しかし、それを察知する彼もなかなかだなぁと思う。29歳には思えない芯の強さがある。トレーニングの初日は足や膝がふらふらになり、25年のダンス三昧はまだ生きていると思っていたが、筋力の低下に自分でも驚いた。これは、あかん!

専門のトレーナーを付けるとやはり違う。間違った道具や体の使い方をしないし、効果が早く出る。膝がふらふらする程度も小さくなったので、筋肉がついたという事だろうか、最近体重が増えた。筋肉は脂肪より重いので見た目は変わらないが、体重が増える。その効果は既に出ているようで、鏡に映すとよく分かる。肩甲骨を柔軟かつ強化するためのトレーニングにより胸骨や肩が開き、自分で言うのもなんだが、素敵だ。で、これまで着ていたジャケットやシャツが合わなくなってきた。クロゼットの中に隙間が欲しい私にとっては、これも嬉しい。

後でトレーナーに電話をして聞いたら、腰痛は腰の筋肉に張りが出て来た結果だと言う。そういえば、今日のヨガのクラスで、お尻のふくらみを確かに感じた。たった一日で効果が出るの?はい、出るんだそうです。ただ、この張りは3日程で引き、トレーニングを重ねることで、定着するらしい。

数か月で変わってくる自身の体を見て、人の体って本当に柔軟だなぁと思う。だが、なかなか効果が見られないのがヒップアップ。「大丈夫、筋肉は付いてくるから」と激励の声を体験者達から複数聴くので、長~い道のりになるだろうが、ま、続けてみよう。この腰痛が吉兆を告げているのかも知れないし。




断捨離 3/12

ヤフオクのおかげで、要らないものが心に痛みを残さず手放せている。本はもちろん、有線用キーボード、DVD/CDプレヤ―、電話機など、現時点で目に付く不必要なものは処分できた。オークションだから、100円からのスタートにしてもどんどん値が上がって12000円になったものもある。入札者が一人だけの本の落札もあったが、送料は落札者払いなので、初値で喜んで取引ができる。アマゾンに出品したらこうはいかない。1冊ごとにシステム使用料が要求されるので、こちらがお金を出して購入してもらう羽目になることがある。おかしいなぁと気付いたときは遅い。得しているのはアマゾンと購入者。ま、”得”と言う概念は持たずに売りに出しているが、出費してまでもお譲りしようとは思わないかな。このブログで写真添付したランプはウォッチリストに9人もいるらしいが、どうなることか。

落札されると、荷造り。これがどう言う訳か楽しい。段ボールを適当なサイズに切って荷造りテープで梱包。いそいそと直ぐそばのクロネコヤマトの事務所まで持って行く。事務所では小さなコンピュータに住所などを打ち込むのだが、それも楽しいのだから不思議。アンティーク・ランプは落札者がまだいないのに梱包は終わっている(笑)。ガラスが割れないよう、いろいろ工夫し、どんなに揺れても心配ないほどにしっかりと梱包できた時は、なんだか嬉しかった。

処分するものはないかと部屋中に目を通す。まだまだありそう。恐らくこの部屋を出る日も遠くないのだろう。そんな予感がする。




順調に行っています 3/14

「この2曲良いですね」にこ~と笑いながら篠田さんが言う。

昨日の日曜日、篠田さんとの正式なレッスンが始まった。レッスンと言っても、私の作品を持参して彼がコード付けをし、後日アレンジをして頂くわけで、まだレッスンにはなっていない。この日の1時間30分の時間内に前回コード付けをして頂いた2曲「地図」と「最後のプライド」のアレンジと録音をしましょうと提案されたのだが、一向に進まなかった。1カ月半前に顔合わせでお会いした時から昨日に至るまでにできた7曲を持参すると、「え~7曲?!そんなに多産家な方なの?」と、私がどんな曲を書くのか好奇心が揺さぶられたらしく、満面に笑みを湛えてその新しい曲を見たいと言う。もしかしたら見て頂く機会もないかもしれないと思いながらも念のために持参したのだが、こんなにも興味を持って頂けている事が意外で、私も喜んで彼のピアノに合わせて歌った。

それで最初に歌った2曲が、「アンジー」と「ラブレターは速達便Part2」。「うん、ミュージカルみたいだね」と大変気に入られた様子。2曲とも物語風なのでそんな感じがするかもしれない。「恋愛対象外」はポップスだねという。そうか、こういうのがポップスかと作っている本人が思う。私は降って来るがままに書いているからジャンルなど意識していない。この曲はノリがいい。かなり年上の女性に恋をした若い青年の話だから、ポップス調で良い。「そろそろ春にしませんか」はジャジーだね。この曲も気に入られたのか、何度も演奏される。私が書いている曲はいろいろなジャンルにまたがっているようだ。曲毎に言葉が返って来る。何度も紹介してきたが、彼は日本音楽界を代表する重鎮の一人。彼から賛辞を頂けるのは、大変光栄である。

そんな事をしているうちに時間が過ぎ「地図」と「最後のプライド」はまた手つかずじまい。この2曲は若松プロデューサーに提出しようとしている楽曲。かれこれ1カ月半も押している。やっと急ピッチで仕上げてくださる気になったのか、この木曜日に完成してくれることになった。

「デビュー前コンサート」には伴奏者として協力もしてくださると言う。すべて望むように良いテンポで順調に進んでいる。ウソのような本当の話だ。



「美しい日々だけを連れて」3/14

この楽曲は、音楽の作り方をほとんど知らない時に書いた曲(2010年)。アレンジはアニメ「うる星やつら」の作曲者Anzこと安西史孝。

あの時のレコーディングはテンポ80だった。忙しいので、76に落として再レコーディングしたものを久しぶりに今日聴いてみたが、本当にいい歌だ。自分の楽曲だから贔屓目に見ているわけではない。芯に触れて本当にいい。テンポを落としたから言葉がより伝わるし、今の私が歌うから味わいも違う。また、Anzのアレンジがなんとも良い。本当にいい。心がぶるぶるとなる。

若松さんも、ビクターの森谷ディレクターもいい曲だと押していたので、「よほどいいんだね」と生意気な口を叩いていたが、謙虚に聴いて心からそう思う。




「焼肉ドラゴン」3/15

「鄭義信さんの作品は演劇の持つ力を信じさせてくれるんです」(新国立劇場演劇芸術監督 宮田慶子)

「焼肉ドラゴン」は鄭義信が新国立劇場のために書き下ろした作品。今回は再再演。私はこの初演を2009年に観ている。そして今日が2回目だ。初めて見た時は友人と一緒にその面白さに笑い辛さに涙したが、細かい内容は記憶にないので、今回もう一度観てみようという気になった。

この作品は日本の高度成長期に日本国土の隅に取り残され、雨が降ればどぶの匂いが充満する路地でホルモン焼き食堂を営む在日朝鮮韓国人の家族を描いている。初演の時一番記憶に残っていたオモニ(お母さん)役の韓国人俳優の演技を再度観たかった。横にも縦にも大きく、ユーモラスで、大変自然に役をこなしていたが、この再再演では俳優は総入れ替えされた。彼女に代わってこの役を与えられた俳優は、歩き方喚き方に「xxxぽく」が見え、やり過ぎだと何度も思い、全体的に石ころのような演技だった。日本の私立中学に通い、学校で受ける差別に耐えられず自殺する末子を演じた少年は稚拙過ぎて、その喚きは、本来なら観客の心をジ~ンとさせるはずだが、聴くに堪えられず、しらっとさせた。

だが、この作品は秀逸だ。長屋の騒々しさ、いつも喚きあっている近所の夫婦、そしてホルモン食堂内部のドタバタ。まともな職につけない被差別者達の生きていく事だけが精いっぱいの日常。そこには気取りや虚栄が入り込む隙間がない。日本の戦争に使われ、片腕を失ったこの食堂のアボジ(お父さん)、行き場がなくなり、楽園だと聞かされた北朝鮮へ”帰国”する長女とその夫、韓国人と婚約し韓国に移住する次女、そして日本人と結婚し日本に住み続ける3女。

確かにこの作品は、在日朝鮮韓国人にとっては自分たちの過去を描いてくれる唯一の作品だし、日本人にとってはこの国土に自分たちの知らない現実があった(ある)ことを知り、押しつけがましくなく何かを感じさせるものだ。愛国も、他国や他国人を排除して考えるものではないと思わせられる。

回を重ねるごとに観客が増えると言う「焼肉ドラゴン」。今回の再再演もチケットは全日完売らしい。今日は終焉後にシアタートークがあったが、鄭義信監督自身、この反響は意外だったと言う。ほんと、意図しなくていい。作ろうと思ったものを作ればよいのだ。

芝居をはじめ様々な舞台を観るが、ブログに書きたいと思うほどでないものも多数あるが、同時に、極めて稀な事だが、もう一度観たいと思わせる作品にお目にかかる事もある。
「焼肉ドラゴン」は、もっと良くなるはずと言う細かい部分はあるが(飛躍し過ぎるセリフやテーブルの上で肉が焼かれることがないetc.)、様々な賞を受賞し、それに値する作品だ。




「ここにいるんだよ」 3/17

61曲目ができた。「ここにいるんだよ」。頭の中にあったテーマが60曲目で譜面上にすべて排出された後、この後のインスピレーションはいつ来るのかなぁと楽しみにしていたが、数日前に読んだ谷川俊太郎の詩から得た。このブログでも何度か書いてきたが、私が選ぶ言葉と彼の詩の中で選ばれた言葉がときどき同一だったりすることから、彼の詩を進んで読んで行くようになった。様々な詩人の作品を読んできたが、谷川さんの詩が深みもあり最も共感できる。1冊読むと、必ずはっと感じさせるものがあり、歌作りをそそられる。

今回の作品もその一つだ。彼の詩の2,3行からインスピレーションを得て場面を変えて曲を作ったが、マイナー調の響きがとても切ない歌になった。自分で唄いながら、うるうるしている(^◇^)

「まさか私が」そう思ったスタートだったが、今では歌作りは私の天職だと疑っていない。




まなび 3/18

     まなび


  本を
   たくさん
  頭の中に

   あるばむを
    一冊
   胸の中に

    そして
     出来るなら
     天国を
    心に深く 

     私はもちたい
      くるかもしれぬ
     独りの時のために
  傲慢ナル略歴 


トモカクモ満零歳カラ十八歳マデ
オモシロオカシクヤッテキタ
ナントイッテモ健康ダシ
心モ少シハ美シイ


実際ヤタラメッポウシアワセナノデ
マダ人生ノ悩ミモナイ
トモカクモ満十八歳カラコノ後モ
オモシロオカシクヤッテユク気ダ



18歳の頃に書いたという谷川俊太郎の詩。「まなび」などは、私の今の心そのままだ。ただ、「くるかもしれぬ 独りの時のために」に代えて「おもいもよらぬ 独りを楽しむために」と書こう。「傲慢ナル略歴」ほど傲慢にはなれないが、私も少しづつそれを持っている。私の十八歳の時以上に。どちらにしても、彼と私の間には40年以上の心の開きがあるようだ。




息子よ、私の最後の男におなり 3/21

は~、なんと色っぽい。恐らく母親と言うよりも、”女”は自分の息子にこう言いたいだろうと思う。

俳優近藤正臣の「人生の詩」。彼は京都に生まれ、母親は芸妓だった。父親には本家があり、母親は妾。2歳の時に父に死なれ、母親の男遍歴が始まる(いや、それは以前からあったのだろうが)。「XXXへ行って男の人が出てきたら”お父さん”とお呼び」と母親から言われ行ってみると、そのお父さんにはすでに子供が数人いて、突然お兄さんお姉さん妹ができる。ところが半年も持たず母親はその男のもとを去り、次の男へと移る。そしてまた新しいお父さん、お兄さん、お姉さん。。。。と呼ぶ人達ができる。大変複雑と言うか、ユニークな幼年期と青年期だったようだ。

最初の旦那から小料理屋を持たせてもらい生計はどうにか立てられるが、やがて老いて自分に関心を寄せる男もいなくなってくると、「正臣、私の最後の男におなり」。息子はすぐにそれを呑み込み「そうか、よし!」となったらしい。視聴者の私は「ドキッ!」( ;∀;)「私が家を買うから、正臣、あんたがお金を出すんだよ」と、比叡山の近くに200坪の土地を買わせられたとか。・・・「ほっ。」(*_*;

「要するにお母さんが好きだったんだね」という関口宏の問いに気付かされたように、「うん」。その母親、2000年に88歳で逝ったが、歳をとってもなんとも色香漂う美人だ。ほわ~。私も芸者になりたいと思っていた昔があったが・・・(これ、ほんと。あは)

「私の最後の男におなり」こんな言葉を聴かされる息子も、いいわねぇ~。

様々な人間ドラマ。本当に色々ありますねぇ。人の話を聴くってなんと面白いのだろう。他(ひと)の運命に沿うて生きてみることも。。。。様々な人生話、それを家にいて聴ける。テレビ、その中で働く人達がいるからこんな面白い時間が持てる。本当にありがたいようにこの世は創られているなぁと、またしみじみと思いながら就寝。




最近 3/23

おかしな事、おもしろい事がとにかく”沢山”あって、最近私はよく笑っている。思い出してはおかしくて噴き出している。相手は一生懸命まじめにやっているのだが、その”なんとも”な結果や私の質問に対するびっくりするような相手の思い込みが、おかしくておかしくて、嬉しくなるほどに楽しい。私に沢山の笑いをくださった方々は、このブログを読んでいるかもしれないので、ここで具体的な笑いの原因を紹介するのは控えます。が、ただ一言、とても親しみを感じております。(^^♪

ところで、上で「他(ひと)の運命に沿うて生きてみることも」面白いだろうと書いたが、他(ひと)との”特別な”出会いは互いに相手の運命に関わる事になる。だから新しい出会いがあり、長い付き合いになりそうな予感がすると、「私はこの人の運命に関わるんだなぁ」と思うようになった。それならこの人の運命に良い関わり方をしたいものだ。。。。




えいや! 3/26

とうとう抜いた。2年前に「歯が割れているよ」と言われ、対処法は抜歯しかないと宣告された。ドッキン!数人の歯医者に意見を伺い、その内の一人が英文で書かれた資料を持ち出して、「やたらいじってはいけない。現象的に痛み、出血、腫れがある訳ではないので様子を見て、そのあと出血やらがあったら、その時にまた考えればいい」と言う助言をBest Answerとし、私が多大の信頼を寄せる黒田光線に時折当てて今日まで凌いできた。歯が割れて2年以上も問題ない人は、これまであったことがないと2,3人の歯医者が言う。

だが最近、痛みはないが、舌でいじっていると出血する。それに動く。これはとうとう抜歯かな。抜歯した後どうするか、それが一番気になっている。

良さそうなインプラント専門の歯医者をネットで見つけ、今日カウンセリングに行ってきた。現れた歯医者を見て、「この人なら大丈夫」と直感的に思い、抜歯しか方法がないと言うので、それならすぐにやってくださいと依頼すると、彼はびっくり。今日はカウンセリングだけにしましょうと言う。「代替案がないなら、後に延ばす意味はないでしょう。それなら早くやってしまった方が良いじゃないですか。」

と患者から促されて手術が終わると「あれ?横の歯も割れていますよ」と言うではないか。その奥歯は根のひとつが歯槽膿漏で溶けてしまっていると4年ほど前から言われていたが、これも黒田光線の力を借りて悪化させることなく今日まで私の食事を助けてくれていた。ところが、それも割れてしまったと言う。割れた歯をそのままにしておけば、歯槽膿漏と同じく骨が溶けてやがて横の歯も溶けて行くらしい。割れた歯がどうなるか、もう私は体験済み。しゃ~ないじゃないですか。「ならばそれも抜いてください。」

さすがに歯医者は躊躇した。「これは絶対後にしましょう。治療していたら他の歯も抜かれたと言われますよ。」案ずるのも分かるが、これも私の先の答えと同じで、代替案がないならやるっきゃないし、やるなら早い方が良い。善くなる兆しのない
悪は早く退治した方が良いのです。「訴訟起こしたりしませんから」と笑い、2本の歯を抜くことに。取り出された最初の”わたし”の歯は真っ二つに綺麗に割れ、所々黒くなっていた。もう一つは根っこの一つが斜めに割れ、やはり黒い。

抜いた歯は二本とも高校か大学生の頃冠を被せたもの。ずいぶん時間も経過し、冠が降りて来たのか自然歯が降りて来たのか冠は自然歯を完全に被い切れなくなっていた。インプラントを挿入すると今よりきれいになると言う。「今までありがとう」と心の中でつぶやき、”わたし”の歯に別れを告げた。思えばいろいろな人生ドラマを一緒に作り通って来たのだ。

虫歯治療で痛みを取り除くために神経を取ってしまうと歯は脆くなり割れてくるそうだ。

久しぶりの歯医者通いだったが、全く痛くなく、その技術の進化に感嘆した。この歯医者さん、良さそう。




人には沿うてみよ 3/27

「人には添うてみよ馬には乗ってみよ」。人に沿うてみるには、ある種の勇気がいると思う。自分が描く世界は到達点やその道のりがいかがなものか大体見当がつくが、人に沿うてみようとした時、相手は知っているがこちらにとっては未知の世界。それに沿う事は、自分が描いていた未来のイメージを一旦壊し(仮にイメージを持っていたとしたら)、ゼロから描き直すことになる。だが、信頼を寄せられる相手が描く未来像なら、近寄ってみたい。既に自分が知っている未来を追及するよりスリリングかも知れない。

今日は篠田さんとのレッスン日だった。これまでの音楽スクールでやって来たやり方を彼のところでもそのまま踏襲しようかと思っていたが、彼は方向チェンジを提案した。これまでは、音楽スクールのインストラクターに曲のチェックをしてもらったら、次にはアレンジャーに送り、できた音源に声を載せ、今度はミキシング・エンジニアに送ってデモを作る。これには様々な費用も発生し、修正が重なるとかなりの額になったが、過去4年間そのやり方を通してきた。このデモづくりのプロセスを知ったビクターの森谷ディレクターは恐縮していたが、篠田さんも驚いたようだ。歌唱力を聴かせるのでなく、どんな曲かを聴いてもらうだけなら、レッスン中に録音したもので十分だと言う。そうだったのかと私もデモづくりのKnow-howを初めて知ったのだが、加えて、これからはコードを勉強してそれを自分の楽曲に応用することで、自分で弾き語りをしながら録音すれば、作られたカラオケに無理に合わすこともなく、自分の味で唄えると言う。

なるほど~。じわ~とその良さがイメージできた。長い道のりになるかもしれないが、やってみよう。私の曲作りにも変化が現れるだろう。長い付き合いになるかもしれない人との出会いは、これまでの枠から自分を飛び立たせる切っ掛けになるだろうから、乗らなければ!そんな訳で、「最後のプライド」はまだ完成せず。(*_*;

一つ印象的だった彼の言葉がある。そこまで至れるよう「責任を持つよ。」。。。。責任か~。




マネーショート 3/27

昨夕(日曜日)、久々に映画をみた、「マネーショート」。ウォール街で株の空売りをする輩の話。英語タイトルはBig Short。Shortは短いという意味もあるが、株の空売りをも意味する。

なんとまぁ、分からない金融用語を早口でまくしたてる。かつてリーマンブラザーズを初め金融機関の通訳もやらせてもらっていたから、ある程度の金融用語は分かっているつもりだが、あのように機関銃のようにまくしたてられては、とても追いついて行けない。途中から聴かなくなった。字幕を見て筋を追って行くのも面倒くさくなり、ブラッドピットがいつ出てくるか、それだけを待った。シンガポール市場で大金を扱うトレーダの役だったが、白いあごひげを付け、いつになく得体のしれない男を演じていた。「彼、この役を楽しんでいるだろうなぁ」と思いながらちょっと羨ましい気持ちを混ぜてみていた。で、ピットが数回出てきてある程度満足したら、私は劇場を出た。

日本版の副題が「華麗なる逆転」だから、最後に何かあるのだろうなぁと思ったが、もう話の筋を追っていないのだから、その先の展開に期待がない。だが、役者の演技には本当に感心させられる。皆、私がアメリカで見たような人達、実際にいる人達ばかりなのだ。一寸も違わず。実にリアル。そこに行くと日本のものは。。。。

西洋の俳優たちはリアルであることに価値を求めるが、日本は美しく見える事に価値を見るようだ。私もあちらでワークショップを取っていた時に、「リアルじゃない」と言われた。現実の日常の動きの中で美しく話し動く人はめったにお目にかからない。リアルであることは、美しく見えようとすることより、難しい。




早死 3/28

詩人の中原中也は30歳で亡くなった。その詩は、16歳の時に同棲を始め、その2年後に評論家小林秀雄のもとに去ってしまった長谷川泰子と相手の小林に対する憤りと嫉妬で大半を占める。泰子に去られた後、親の勧めで郷里の娘と結婚し愛児文也が生まれるが、2歳と1か月という短命。愛する者達から置き去りにされ、妄想癖と狂想癖で自分を苦しめる。

中也はフランス詩人ヴェルレーヌの詩を特別に好んだと言う。。なんと。。。。私の過去ブログで何度かヴェルレーヌの話をしてきたが、彼も自分のもとを去った恋人への執着心を詩に書き続けた。二人とも実によく似ている。詩を書くために執着心を持ち続けるのか、またはその逆か。とにかく、私のような俗人から見ると、気持ちは解るけど他の景色を見ればいいのにとなる。彼らは二人とも深い穴倉の中に自分を進んで閉じ込めていく(ウフェ~)。執着は悪の根源だと言った人がいたが、執着は自分を縛り徐々に内出血させ腐らせる。身を軽くして次に飛んだ方が良い。

人の命の長さは大体そのメンタリティー、つまり想念に大きく影響される。食事より運動より、いい想いを抱くことが幸せを呼ぶしまた寿命も延ばすようだ。彼らの八方ふさがりになるよう自分を追い込んでいくような生き方なら、早死にするだろなぁと思う。メンタリティーが最重要です、はい。ヴェルレーヌも50代で死んだわ。




サッカー、対シリア戦

今日はワールドカップアジア二次予選で日本対シリア戦ですが、みなさんどちらを応援しますか。日本にはワールドカップに出場して欲しいけれど、私はシリアも応援したいのです。未来の見えないあの国で、一つの嬉しい夢が与えられたらと思うのです。

私には相手の立場に立って考える、そんな性癖が少しばかりあるようです。難民問題にしても、もし私がシリアに生まれていたらと考えます。難民を受け入れると、様々な問題も新たに生まれるだろうけれど、未来のない国に生きると言う残酷さも想うのです。自らシリアに生まれることを選んで生まれてきた訳じゃない。シリアに生まれるのが私だったかもしれないし、あなただったかもしれない。

少しの夢を彼らに届けられたら・・・・そう思うのです。。。。。でも、きっと、スポーツはスポーツ、シンプルに勝負するものなのですよね。彼らにそんな場があることが、ほっとしますね。

ワールドカップやオリンピックを見ていても、スポーツで勝つ国は国として安定している国のようですね。そしてやはりサッカーは男のサッカーが面白い。




行動力 3/30

行動力があり、その実行速度が速い。これは以前から言われていた私の特徴のようだが、瞑想を初めて宇宙の芯とアクセスし出した時から、その特徴が著しくなった。瞑想中には私一人では思いつかない「なるほど」と思える最もいいアイデアが伝えられ、それは神のアイデアだから迷う事無くすぐに実行する。宇宙の気が善い方向に進んでいると同様、私の前進速度は宇宙からのサポートを受けて増してゆく。この世界をご存じない方々には理解し難いだろうが、そうなのだ。

どんどんアイデアを実行するので、神は喜ばれるのだろう、またどんどんアイデアを下さる。感謝合掌 しずこ




愛に溢れて 3/31

今は3月31日午前0時を回ったところ。”昨日”と書くには、いささか時間錯誤があるのだが、たった今終わった温か~い仲間たちとの集い。3月30日、大学地区OB会のイベントで千鳥ヶ淵での花見と靖国神社参拝を済ませ、夕方には小さな店を貸し切って、先輩(男性)が腕を振るった料理で宴会があった。そしてその後は数人でカラオケ。私にとってはたくさんの愛を感じた日だった。

宴会の後、先輩の女性とコーヒーショップに立ち寄り、共に引っかかっていたある後輩の女性に関する問題解決の進捗状況をそれぞれの視点から話し合ったのだが、独りでずっと生きかつビルの経営者である彼女に比べると、私は本当にガキなんだなぁと自覚させられた。自律神経がおかしくなるほど怒りが沸騰していても、この先輩は何食わぬ顔でその後輩とお茶を一緒に飲める。「同じ場所にいなければならない相手だから」と。悪く言えば”たぬき”だが、よく言えば”えらい”。対立するものと衝突せず共存しようとする姿勢とも取れるが、お茶まで一緒に飲める人は多くないだろう。「周りがみな気を使い始めたから、この問題はこれでいいのよ。これ以上の解決を求めたら”我”になってしまう」と引き際をしっかりと認識し、問題はもう閉じようと話す。

「何か問題があったら私に話すんだよ」と言っては、陰で問題解決に向けて動いて下さっていた先輩の男性。「あなたと話がしたかったんだ」と解決に向けて手伝えないかとシグナルを送ってくる先輩。この問題とは関係なく、「あなたの横にいるとホッとするよ」と嬉しそうに隣に座る先輩。その他の方々からも、言葉はなくとも体から放出してくる愛を沢山感じた。愛だらけ。

いつの間に私はこんなに沢山の愛を頂くようになったのだろう。それらに私は値するのだろうかと、心が揺さぶられた。実像より良く見せることを絶対しないと決意し、ありのままの自然な姿で存在することで、身に余る愛を私は頂いている。心がここまで通い合うようになったのかと、言葉に出し尽くせない温かいものが体に流れた。

自分が大きくなっていると思っていたが、先輩たち、そして年齢的には先輩ではないが先輩のような仲間の愛情の前で「大きい」と思っていた事が恥ずかしいくらい自分がガキ、よく言えば”純粋”であることを改めて認識させられた。

あとがき:普段の酒量はワインをグラスに3分の1程度だから、昨日の酒量は喉に影響したようだ。カラオケをした時も声が出ないと思っていたが、歌ったのはわずか2曲なのに、無理して声を出したためか、今朝はガラガラ。♪無理して飲んじゃ いけないと~♪あ、そ~れ、どうした、どうした(*_*;




ばくばく 3/31

フィギュアスケート世界選手権がボストンで開かれている。流れる音楽を聴き、時々画面をのぞきながら私はコンピュータに向かって作業をしている。自分の出番までウォーミングアップしながら心を鎮静させ順番を待つ選手たちの心臓は、その身体の皮膚を引き破て飛び出してきそうなほど、バクバクしてているだろうと想像する。カメラが出番待ちの彼らを追うから、視聴者も好みの選手が出る前からドキドキする。選手のためにもバックステージを見せる必要はないのにと思う。世界のトップに這い上がろう、または、い続けようとする者たちのプレッシャーやいかがなるものかと、同情したり感心したり崇めたりしている私は、忙しい。




なぜ私が 4/1

昨年だったろうか、一昨年だったろうか、前世の記憶を持つ子供たちをテーマに超心理学分野のシンポジウムがあった。東大の医師、超心理学者、産婦人科医、塾経営者たちがパネリストとして話をしていた。子供は母親を選んでくるらしい。その場合母親を幸せにしてあげようと母親との結束感が強いとか。しかしずべての子供がそうだと言う訳ではなく、この世に生まれたいから、または生まれなければならないから、母親の肉体を借りる子供もいるようだ。

通っているジムの浴室に小石を詰めて20センチほどの湯を張った歩行浴がある。小石の上を歩いて足つぼを刺激するというものだが、そこを歩いていると「あなた、体が全然変わっていないね」と突然言われた。最近、体重が1.5キロ、体脂肪が2%増え、お腹もたるみ出したので、こりゃあかんと、少し気を入れて腹筋強化運動やランニングマシンにも「よいしょ」と以前より頻度を高めて乗るようにしている。だが、そう言われてふと思った。私は私の姉達の誰とも似ていない。

昔、三姉が、私の身体の細さを次姉と話し羨ましがっていたと言って来たことがある。決して痩せてはいないが、長姉を含め彼女たちと比べるとそうなるだろう。25年間ダンスをしていた事がその理由の一つだと思うが、考えさせられる。なぜ私にはダンスをしたい衝動があったのだろう、そしてそれを実行したのだろう。身体の事だけではない、考え方生き方も彼女達の想像もできないところに、恐らく、私はいる。肉体の遺伝情報DNAは心のありようでON、OFFできると言う。なぜ私はこの家族に生まれたのだろうと思う。私だけが殊の外違う。

長い前置きだったが、23歳の千葉大卒業生が中学生を誘拐し2年間監禁していた事件。「中学生の頃から女の子を誘拐してみたかった」と言う。なぜ「誘拐してみたい」と言う気持ちが湧くのだろう。「誘拐」など脳裏を過ったことのない人がほとんどだろう。なぜAはkに関心があり、BはZに関心があるのだろう。中には家族に同じ関心を持つ者がいたからというケースもあるが、家族の誰にも似ない世界に関心を持ちその家族から離れて行く人もいる。なぜなのだろう。

霊魂ではないだろうか。前世から引き継いだ霊魂。誘拐したらどうなるか意識では分かっているが、本人も御しきれない衝動。何かが自分を突き動かす。その何かは、自分に宿る霊魂。そう考えると、この23歳の青年があわれに思える。清原元選手の件にも言える事だが、警察に捕らえられ、法が裁いてくれる事で、やがてその霊魂は鎮められて行くのだろう。何度も生まれ変わり、清められていくと聞く。そうあって欲しい。人から疎まれる霊魂をもって生まれる事は大変だ。本人も周りも。




すごい、すごい!!!4/2

マイアミで行われているATPテニストーナメント、準決勝の試合の最後のところを見た。

すごい、すごい、錦織圭!!!しびれる~!観客席もStanding Ovation。本当に力をつけてきている。今回の試合には、世界ランキング1位のジョコビッチと6位の錦織の間にいるプレヤ―が見当たらないので、これまでの対戦相手は全員ランキングが下位にいる選手達。錦織にも余裕が見える。ジョコビッチや彼よりも上位にいる選手たちとの試合とは違う。

この落ち着きを持ってあたって欲しい。決勝戦の対戦相手は、またもやジョコビッチ。




また、また、すごい!!!4/3

フィギュアスケート世界選手権で「蝶々夫人」の曲に乗った浅田真央のフリーの演技が実に素晴らしかった。彼女はもともとラインが綺麗だが、そこに加わった表現力が抜群。演技が終わるとこちらもスタンディング・オベーション。私もうるうる。真央ちゃんもやっとここまで自分を乗り越えたかと、心から良かったなぁと思う。

女子フィギュアスケート界に米国、ロシアから強力な外国勢が入って来た。日本勢も新しいプレヤ―が世界選手権に顔を出してきたが、男子の宇野昌磨(うのしょうま)君の今後が楽しみだ。彼は、大きくなるような気がする。




歌 4/4

TBS地上波で歌の4時間スペシャルをやっていた。BSで似たような番組はあるが地上波では今回初めてお目にかかる。明日のゴルフコンペの用意をしながら、一緒に口ずさんでいた。

聴いている人も一緒に歌える歌、それが昭和の歌謡曲なのかもしれない。今のJPOPとは違うように思う。歌うとなんだか楽しくなり、さっきまでのイライラした気持ちもどこかに消えたりして。曲と歌詞もプロが作っているので調和している。今のJPOPはほとんどが自作品、つまりシンガーソングライターで、やたら高音を出し、それを裏声で唄う事で変化を出そうとするのが目立つが、その部分の歌詞が高音裏声で唄われなければならない理由がない事が多い。「やたら歌詞が長くて」と言った熟年がいたので、気にしてみたら本当だ。あんなに長い歌詞に良いメロディーをつけようとしたら、よほどの能力が必要だろう。現代風お経のようだ。以前にセカオワの歌をイヤホンで聴きながら信号待ちをしている二人の青年と立ち話をした。身体を大きく動かしてセカオワのパフォーマンスを真似ていたが歌っていなかった。

難しい歌が多くなった。とても全曲歌えない。唄えなくとも、ただ聴くだけの歌も勿論あるが、メロディーが心に残りお母さんが台所で食事を作りながら、トラックの運ちゃんが運転しながら歌うとウキウキしてくるような、気取らず、少し前を向いた歌を書けたらいいなぁと思う。

胸きゅんとなる歌は数えきれないが、私はとりわけ、小林旭の「昔の名前で出ています」に胸がきゅきゅきゅ~となる。京都、神戸、その他地方のバーを渡り歩きながら生きている女の人生を思う。そこに女好きのする小林旭の”男”が漂い、うら悲しい。裕次郎も小林旭も歌い方に企てがなく自然だ。




BB賞 4/5

ハンディ40で前回優勝した事からハンディは26に”格上げ”になったが、26ならもしかするともう一度優勝になるかとひそかに野心を燃やし、早大OB地区ゴルフコンペに参加したが、その結果たるや。。。。。(*_*;

山あり谷あり、波の大きなひだのように幾重にもうねるフェアウェイ。グリーンの周りはお堀のように顎の高いバンカーが並び、グリーンをオーバーすると土手の下か池ポチャ。17人が参加したが、グロスで100を切った人が誰もいないと言う惨事。優勝は夢のまた夢となり、ならばブービー賞と、狙いは上ではなく下に目標変更。

で、やったではないか。BB賞を頂きましたぞ。そしてまたなんと馬券も当たった。会の決まりで馬券は必ず買わなければならないのだが、これまで当たったためしがない。スッとしました(あは)(^^♪

早大地区OBゴルフコンペは、大好き。皆様、今回も一緒に遊んでくださりありがとうございました。




G線上のアリア 4/6

昼過ぎにジムでパーソナル・トレーニングを受け、その後Tread Mill(トレッドミル、いわゆるランニング・マシン)でジョギング、最後はストレッチとジャグジー。最近少し気合が入っているのかもしれない。トレーニングの効果が出てきたようで、他人からコメントを頂いたりする。トレーナがいない時にも、自主トレを週2回している。

帰宅してコメディアンの又吉直樹の芥川賞受賞作品「火花」をYOYO-MAのチェロ演奏をBGMに読んでいた。私が持っている数少ないクラシックCDの中の一枚。演奏リストの9番目、「G線上のアリア」が聞こえてくると、心の琴線がわなわなと震え出す。自分の人生だけでない、他人の人生をも含めて、言葉に出しきれない愛おしさ、深さ、尊さが毛穴を通して体の内部に押し寄せてくるようで、ググッと涙が込み上げてくる。その感覚に浸ることを今は避けたくて、音量を下げ、二人のお笑い芸人を描いた「火花」に目を落とす。説明や解釈を取り除き、出来事だけを綴ることで、「僕」と僕が師匠と崇めた人の夢半ばにしてお笑いの世界を去る物語。う~ん、(*_*;

読者の心をざわつかせる「僕」と僕の師匠の人生も私の「G線上のアリア」の中で歌われる。



二つの選択肢 4/7

今朝瞑想をしていると、生き方の指針のような言葉を頂いた。前に進むか後ろに引っ張るか二つの選択肢が人生には常にある。「いつでも前に進むことを選ぶ」。

このブログを読まれる皆様にもお伝えしなさいと私の脳裏に漂った言葉のような気がする。




宇宙の動きと共に 4/8

宇宙は時々刻々変化し膨張していると云われる。宇宙の中の人間は宇宙と調和して生きることが、流れに沿った生き方になる。「宇宙にはよくなろうとする気が流れている」と言われたのは京セラの創業者、稲盛和夫氏。だから、人もより良くなる方向に進めば、宇宙の力に後押しされる。

前進を阻むのは自分自身のビビる心、過去の経験から自分が引っ張ってくる想念。「あなたの心が想うようにあなたの人生は作られる。」全くその通りだなぁとこの言葉の真実性を深く思う。命は躍動したがっているが、思考がそれを阻止する。「年甲斐もなく」と前進する他者を阻止しようとする行為には、前進をせず留まることを選択した自分と同じであって欲しいと言う願望があるのかもしれない。他人の言葉に屈することなく、絶対に前に進むと言うガッツがあれば、道は必ず開ける。そんな気がする。神が誘導して下さる。その声を静かに素直に聴き、ビビらずに行動すれば、想いは成就するようだ。そのように宇宙は創られている。

心と思考が一致するとき、人は幸せになる ー ディーパック・チョプラー。思考は騙せるが心は騙せない。そう思いませんか。




しつこさ 4/8

アーティストと言うのは”しつこい”人種かも知れない。

何度も修正を重ねた作品はいろいろな事を教えてくれる。「君の新しい記念日」がそうだったし、「ゆるやかな日々」がそうだ。「ゆるやかな日々」は実はまた「仕掛け中」のフォルダの中に戻された。やっとOKかと思っても歌って録音すると、「?」マークがあちらこちらに出てくる。単調過ぎる気配もある。また歌いづらい。それで先日大御所の篠田さんのところに持っていくと、「歌い難いはずだよ」と修正すべきカ所をすぐに指摘してくれた。

な~るほど、である。今なら初めからこんな作り方はしないが、この楽曲は昨年書いたもの。まだ作り方を十分に知っていなかった。単純な修正だったが、それに気づかずアレンジャーの宏樹君と他のところを一生懸命いじっていたのだから・・・・(*_*;これからは彼にもあまり手数をかけなくて済むようになるだろう。単調過ぎるAメロの繰り返しは、繰り返されるところで特定の歌詞が際立つように音を変えた。2コーラス目の繰り返しでは更にスパイスを追加してみた。このテクニックは音楽スクールで最後の数か月みて頂いたピアノインストラクターから盗んだもの。

納得できるまで引き下がらない、いつの間にかこんな性格が備わったようだ。時々来る通訳の仕事に関しても、能力の限界辺りまで私は丁寧に仕事をしているように思う。丁寧さが欠けてくると、どんな仕事でもそうだが、次がない。

紆余曲折を辿った「ゆるやかな日々」も、どうにか”いい楽曲”に仕上がったように思う。




「たとえば野に咲く花のように」 4/9

新国立劇場で、鄭義信3部作という事で、「焼肉ドラゴン」に続いて第2弾「たとえば野に咲く花のように」を観て来た。今回は演出が鈴木裕美。この作品もこの劇場のために鄭義信が書き下ろした作品で、ギリシャ悲劇3部作のひとつ「アンドロマケ」の本歌取り現代版と言う試みらしい。こちらも大変面白かった。

昔の新劇と違い、最近の演劇は、コスト・セービングを考えてか、場面転換がない。大道具の裏方も楽だろう。

私は井上ひさしの芝居も好んでよく観に行ったが、井上の作品も演出したことのある鈴木裕美が言うように、鄭義信の戯曲は多分に井上ひさしのそれと似ている。井上ほどではないが、鄭義信もその時代の社会背景、政治問題をうっすら組み込む。また悲劇を悲劇で終わらせず、必ず笑いにすり替わらせる。

印象深かったのは、上演後のシアタートークだ。新国立劇場がシアタートークを取り入れた頃は、観客の20%程が残る程度だったが、今では、不参加が20%下るほどに、芝居の面白さから残る人が多い。




Room 4/10

数日前映画「Room」を観た。7年間納屋のような部屋に監禁され、犯罪者の子供を生み、そこで子供と共に暮らす母子の話。子供は外を見たことがない。外界が見えるのは天窓に映る空と、落ちてくる枯れ葉だけ。その子が5歳になった時、芝居を打ち、2つ目の芝居で子供を外に出すことに成功。やがて母親も救出される。久しぶりに感情が高ぶる映画をみたかな(と言っても、私はあまり映画をみない。もっぱら芝居を観に行く)。

始めてみる外の世界に驚くばかりの5歳児。すぐに順応できない。外の世界は広くかつ分散されている。Roomしか知らない彼はあの納屋が恋しく、「帰りたい」と言う。そこではママがいつも一緒だった。少し成長して警察に付き添われ、母親と共にRoomを訪ねる。普通の家に住むことに慣れ始めた彼にその部屋は「縮まったの?」と思わせるほど狭い。そしてRoomの中の備品一つ一つに触れ「Bye,Sink(流し台、さようなら)」と別れを告げる。

この映画の最も感動するところは、この子供の演技。とても、とても、限りなく、とても”自然”。幼い子供に、どうやってこんな演技をさせることができるのだろう。私は感無量になった。この作品は彼の演技で輝かしいものになっていると思う。本当に素晴らしかった。




会う力 4/11

昨日は篠田さんとのレッスンがあった。5回目にしてやっと本格的にコードの勉強に入った。それまでの4回は私の自作曲を聴いて頂いたり、コード付けをする作業で終わってしまっていた。だから何か新しい事を勉強してルンルンすることが少なかった。と言うのは、彼と会っていない40日程の間に突然7曲も生まれたので、それを見てもらう事で時間が使われてしまったのだ。が、昨日、5回目にしてやっとレッスンになったように思う。特に昨日は初めて私の後に他の生徒がいなかったこともあり(恐らくそのような時間に私のレッスンを入れて下さったのだろう)、レッスン時間を超えていろいろ話すことができた。

相手がどういう人か、理解しようとする姿勢が彼にはたっぷりあるようだ。まだ双方をよく知り合っていない関係では、メールだけのやりとりは、時に相手に妄想を抱かせる。その妄想の中にご本人の”人”が出てくるわけだが、会う機会があるという事は、だいたいその妄想を払しょくさせてくれる。率直にしか生きない私にとって、彼のように聴くという姿勢を持つ人はありがたい。会う力は宝を得るかも。長い付き合いになるなぁと感じる。

音楽理論の重鎮、篠田さんの言うコードの話には100%の信頼が持てるので、安心してその教えを受けられる。またレッスン中に私の楽曲のアレンジを一緒に考え、仕上げはレッスン枠外の作業にして頂き、後日納品という、理想の形が出来上がりそうだ。自作曲の弾き語りも習う。望んでいた形が現実になるのは”あたりまえ”なのだとチョプラー氏や谷口雅春氏は言われるが、それが自分の体験で実証されると、やはり感慨深いものがある。天才Anzの後、Anzに近いアレンジ能力を持つ人が必ず現れるだろうと信じ、実際に現れたのがコミュニケーション能力もある篠田さんだが、彼のHPに紹介されているCDのデモを聴いた時の喜び、「うわ~この音楽が私のところに来るんだぁ~!」

歌子さんが今年の2月11日までに私のキャリアが確立すると言っていたが、丁度その頃だった、歌作りのイロハをしっかりと吸収できたのは。その直後の篠田さんとの出会い。過ぎてみなければ気付かないが、心が自由でその心の思うがままに前進していると、本当に自分が欲していた形ができるようだ。

「神は自分で現象化することができないから、人間に託されているんですよ。人間は神の代理人、だから(神と波動を合わせている人なら)願いが叶うのは当たり前なのです。」




失礼! 4/12

桃井かおりに大変失礼な事をしてしまった。2月28日のブログ「うそ」で、彼女の「私なんか嘘だらけよ」の言葉を紹介し私なりの月並みな解釈をしてしまったのだが、先日関口宏の「人生の詩」に登場した彼女の話は全く違うところにあった。「桃井かおり」と言う”個性派女優”を作り続けるための”嘘”だったらしい。いつまでもそれをやっていられない、いつその縫いぐるみを脱ごうかと考えていたらしい。

前後を切り取ったテレビ番組のダイジェスト版の恐ろしさ。よく分からずして人を批評する破廉恥さを蔑んでいたが、私自身が引っかかってしまった事が恥ずかしい。大変申し訳ない事をしてしまった。(*_*;。




「男たち」 4/13

すごいものを観た。4人の男たちの青年期から老年期までを描く、岩井秀人作演出の「男たち」。東京芸術劇場の250人ほどを収容する小劇場は、補助席も設けられ多くの若者たちに混じって一人二人私のようなおばさんがいた。休憩のない笑いと緊張の2時間素通しの芝居だったが、恐らく寝ている人は一人もいなかっただろう。今の若者たちの言葉がためらいなく役者たちの舌を滑る。そのまま現実の世界だった。

この芝居は東京芸術劇場のチケットカウンターで知ったのだが、演出家の名前も聞いたことがなければ、俳優も誰一人として知っている者はいない。ただ勘だ。チケットを買った後に、帰宅して岩井秀人をネットで検索すると、WIKIPEDIAに次のような紹介があった。

  ー 大学病院の医師である父と兄から暴力をふるわれる家庭環境から、友人を平気で殴るような子供だった。あるとき友人に殴られたのをきっかけに人の目が気になるようになり、16歳から20歳まで対人恐怖症からひきこもり状態となった。ひきこもっていた間にゲームや映画をたくさん見たことから、俳優になることを決心し、進学のために予備校に通い始める -

時々思うのだが、WIKIPEDIAの内容は誰が書くのだろう。本人だろうか。上の紹介文を読んだとき、改めて同じ問いを繰り返した。上のように書かれて、彼の父親や兄貴はどんな気持ちだろう?彼等に対する”復讐心”なのか。本人の写真を見ると、喧嘩腰の青年と言う印象があり、ちょっと避けたいと言う気を起させる。だが、こういう若者が(と言っても41歳)どんな芝居を打つのだろうか。私の好奇心が騒いだ。

素晴らしい才能だ。言いたいことが沢山あるのだろう、とうとうと語られるストーリ・テリング。彼の別の作品も観たい気がしてきた。そしてまた彼は、ワークショップも開くと言う。今から俳優になろうとしているわけではないが、彼に触れてみたい。




花見写真 4/14

3月30日千鳥ヶ淵での花見とその後の二次会の写真が送られてきた。花見には10人強、二次会には20人程の集まり。写真写りにはヘアーバンドはなかった方が良かったかな。カメラマンの諏訪さんありがとうございます。諏訪さんに私がリラックスしているせいか、写真の私もリラックスしていますね。






「断捨離」 4/14

62曲目、「断捨離」がまとまった。学校は間接的強制があるから私は好きだ。授業を無駄にしたくないから、ミュージックスクールに行っていた頃はクラスがある度に新曲を作って行くか、以前書いたものの修正を見てもらっていた。

現在はチェックを入れてもらっていない作品がたまってしまい、なかなか次の曲に移る気がしなかったのだが、これではあかんと、書き始めた。それが「断捨離」。この楽曲はこれまでとは異なり少しこねくり回しながら、いくつもの代替案を出したりと、ゆっくりと書いた。

書きたかったところは、自分の命ほどに愛した相手との苦い別れが十年経ってやっと「写真の中のあなたが遠くなって行く」。あ~これで自由よ、綺麗にやり直し。身も荷も軽く断捨離。だけど、あなたの写真、捨てられず。そうね、「あなたの母様に送ります。これで最後の断捨離、シャララ~♪」。ワンコーラスだけであとはサビのリピートと言うこれまで使ったと事のない構成になった。




死ぬまでないよ 4/15

3年に一度くらいだろうか、最初の夫とランチデートをするようになった。今日がその日。新宿の住まいを売り払って多摩に引っ越すと言うので、その前に互いのそして共に知っている方々の近況報告をし合った。

「断捨離」を書いたばかりだったので、訳を言ってこんな質問をした。彼のもとを去り他の男(ひと)と結婚した私への「恨みつらみ、苦しさ、もしかすると恋しさから解放されるまで、どのくらい時間がかかった。」「断捨離」で書かれた”10年”が真実性を帯びているのか確認しようとしたのだが、「解放されないよ。死ぬまでないよ。だからこうやって逢っているんだよ。」・・・・

内臓に重しが載せられたようだった。私は何も言えない。すまないとも言えない。一緒にいたら私は自分を滅ぼしただろう。それは彼をもさらにダメにしただろう。極端に動かない人と、動きたくてたまらない人との組み合わせでは無理がある。今でも彼を肉親のようには想うが、あの頃と微塵も変わらない彼に逢うたび「あ~別れて良かったんだ」と思わされている。愛しさの熱気、それを避けるように私は次の約束へと歩を進めた。

深く愛した昔の女/男を10年で断捨離できる人は、追いかけている夢や希望がある人なのかもしれない。そんな人に、この歌が受けてもらえればと思う。同時に、どんなに歳月が流れても、決して変わらぬ慕情を抱き続ける人がいることも、真実のようだ。胸がキリキリと痛む。




来ない連絡 4/17

目に見えないものを信じることは、確かに難しい。この人なら絶対間違いないと想っていても、言われた準備期間が1か月以上も過ぎると当然のことながら不安が募る。「互いの信頼関係が一番大事なんですよ!」と何度も強調され、そこに過去に繰り返された彼の失望が覗かれる。こちらから別件で入れた電話には、一瞬眉間にしわを寄せているような硬い声。だが電話の内容を話すと、突然花が咲いたように「あ~」と笑い声に代わる。それほど私は無言でいて欲しいのかと、連絡をやめ放っておいた。

こっそりこのブログを読まれて私を確認しているのだろうか、できる限り完璧を志す私のデモの置き換えに不安になったのか。相手をよく知らないうちは、不安を持つのも仕方のない事だろう。人は過去の自分の経験から視覚に入るものを色づけ自分を強張らせていく。色眼鏡を外して裸眼で見ようとする人は少ない。それはこちらではどうしようもない。だが、彼との言葉のやり取りを繰り返し嚙み砕くと、やはり嘘ではないだろう。まだ信頼してみようと思うが、

芸能関連の会社に数十年勤務し最終的に役員になって退職した旧友の話しに寄ると、プロデューサーには気難しい人が多く、ご自分が連絡をすると言って長く放置しておくと「あ、すまない事をしたな、そろそろ電話をしてあげないと」となるが、相手から電話がかかってくると嫌がり、それで終わりという事がよくあるらしい。確認やら催促をしてならないのがこの業界だとか(え?何年も待たされたらどうなるの。経過報告も聴けないの?・・・・阿保みたいな話じゃない!)。どちらがリード権を持っているか、立場の強さによって違うのだろうが、通常の企業とは違うようだ。封建制がそのまま残っているのだろう。

ま、なるようになるだろう。何よりも大事な事は自分を信じる事。私は自分ができることをやる、それが前進することだと思うから。私の楽曲が出て行くようになっているなら、出て行くだろう。私は行動が速い分、せっかちだ(最近は以前より数段気長くなっているが)。コミュニケーション能力が高い誰かが来るだろうし、どうにかなる。

「迷ったら運命を信じなさい」「種は蒔いたら努力するな」(ディーパック・チョプラー)




急かされる 4/19

音楽プロデューサーの仕事、特に一人をデビューさせようとする仕事がどういうものか、私には分かっていないのだと思う。こちらからの連絡は、たとえ別件の話であっても、”急かされている”ように取られるのだろう。「こちらにも事情があるんですよ」「色々な人との絡みがあって、予定通りにいくとは限らないのです」そんな言葉を聞いていた。

ずっと昔の事が突然今朝の瞑想中に訪れた。「俺はことしずこを3年で出す!」と所属アーティスト皆の前で宣言され、彼らの心情を考えると落ち着いていられなかった遠い昔の砂田さんの言葉。だが、その後、同じ事務所にいた島田歌穂がミュージカル「レ・ミゼラブル」の初演で脚光を浴び(彼女はエポニーヌの役でピカイチだった)、NHKの紅白歌合戦に出演すると言う事務所にとっては前代未聞の展開となり、砂田さんも私の事を忘れていた。3年経った時、なんとプライドばかりが強いガキだったことか、私は事務所を出ると告げに行った。「3年経ったもんな・・・」と砂田さんは呟くように言いすぐに私に仕事を紹介したり、関口宏さんのところに束の間いるよう紹介して下さろうとしたが、私はそれをも蹴って出てしまった(本当にどうしようもないガキ)。

先日、ホリプロの社長がテレビの「インタビュー」で石川さゆりの話をしていた。3人娘で森昌子、山口百恵、石川さゆりで行くはずだった組み合わせに、一つ年上のさゆりよりも、同じ中三トリオで行こうと突如桜田淳子が起用されることになったらしい。このトリオが売れ出したものだから、石川さゆりは蚊帳の外。長い時間が流れるが、彼女はじっと堪えていたとか。「あの感受性の強いさゆりをなんとかしてあげなければ」と、堀さんは彼女をスターにするため奔走されたらしい。別の番組で石川さゆりが言う「上の方々は(方向)転換が速いですよね。」当時の苦さの記憶が彼女の顔を少し濁していた。

私にはもう少し謙虚さが必要だ。まだまだプライドが高すぎる。




進め方 4/20

「一人ですべてを背負うのではなく、一緒に考えて行けたらと思います」
「なるほど」

こんな会話が昨年プロデューサとの間であった。70数年生きられて突然ご自分のやり方を変える事は出来かねるのだろう。それは彼ほどではないが長く生きて来た私自身にも言える事だ。長い間無言だと関心がなくなったのかと不安が募りこちらから進捗状況を訊ねてしまうのだが、訊ねて来られるのが彼には面倒くさい。思い返せば、「必ず連絡しますから」と「必ず」の言葉を大変強調されていたので、「何度言っても分からない人だ」となるのだろう。お互いに相手の言ったことを忘れ、進め方にずれが生じてしまった。

このブログの二つ上で書いた旧友が言う、「6か月待つように言われたら、その倍待つと考えた方が良いのよ。そして・・・」と戦略を教えてくれる。「また、契約をきちんと結んだわけじゃないから、他の可能性も当たってみたらいいわ」と続ける。

目に見えぬものを信じぬ人には笑い種になるだろうが、私の確信は歌子さんから頂いたリーディングに後押しされている。それで今回の躓きに、私の生き方が運命に素直であるか確認してみたが、大方間違っていない。無理もしていないし相手に無理強いもしていない。ひとりの人物だけはなかなか受け入れられないでいるが、その他すべての人たちと問題なく共存できている。だから、今描いている未来が前方にあると疑っていない。が、現象的に現れるまでほんの少しの不安はある。”進め方”が異なれば、難しいのかもしれない。

「あなたは大変直観力のある方で、ご自分でどうしなければいけないか分る方です。人の意見に左右される必要もなく、占いに頼る必要もない方です」と、姪の利恵子が「すごいよ」と勧めるタロットカード占い師が言う。信頼できる人による占いは、私にとって背中を押してくれるもの。だがタロットカードを使ったものは初めて。透視力なのか、少しの違いはあるが、かなり正確に相談者が知りたい相手が何を考えているか、どのような人物かを読む。

と言う訳で、しずこを応援して下さる皆さま、デビューは先に延びそうでございます。今度お知らせするときは、確実に固まった時にしますね。せっかちな私は、みなさんにも喜んでいただこうと話があった段階で言ってしまう(*_*;。

ところで、「タロットや手相は今のこの瞬間を見るので、変わります。西洋占星術は変わりません。運命を読みます」とか。ほんと、すごい!




熊本地震 4/21

14日に起きた熊本地震、16日の地震が本地震だと報道された。14日の地震は阪神大震災同様、その揺れは東京まで感じられなかったため、16日未明に東京の地面が揺れた地震は熊本ではない東京により近いところで起きたものと思ったが、それが熊本を震源地とする本地震。地面の中に這いつくばる巨大なエネルギーの塊、長くゆったりと揺れ東京で就寝する大人たちをも目覚めさせた。

何度と繰り返される余震に現地の方々の思いを想像する。東北大震災の時、東京でも起きる度重なる余震に徐々に体調がおかしくなって行く自分があった。地震が起きるたび嘔吐につながるような気持ち悪さ。

親族を失くされた方々の悲痛に、テレビを見ている私も涙する。経済、メンタリティー、自然環境などを考えると、日本は私にとって世界の理想の国のひとつなのだが、神はすべてを与えない。地震と言う弊害を渡された。

落ち着くのはいつになるのだろう。これから復旧への長い道のりが始まる。亡くなられた方々のご冥福を深くお祈り申し上げます。合掌




地震募金 4/22

東北大震災の時に比べれば、微々たるものだが、熊本地震の被害者の方々のお役に立てばとゆうちょ銀行を通して献金させて頂いた。

「あなた方を幸せにするために、私たちはお金をもらってあげるのです」これがイスラムの論理らしい。仏教における托鉢も相手に「功徳を積ませる修行」だとか。

そうかもしれない。




いい言葉 4/23

昨日「谷川さん、一つ詩を書いてください」というドキュメンタリー映画をみに下高井戸まで行った。テレビやYoutubeで彼の生の声を幾度か聴いたことはあるが、スクリーンで語る彼の言葉や、これまでとは別な問いにどんな言葉が返って来るのだろうか。これは、「すぐれたドキュメンタリー映画を見る会」主催のイベント。

東北大震災の被災者に向けた「ことば」を下さいと、映画監督が谷川さんに請う。「作られた言葉よりも、被災者の”自分の言葉”を聞いてから」と谷川さんは答える。それで被災者の数人がスクリーンに映し出されたが、そこには私にとってもこれで歌を作れたらと思う言葉があった。漁師とそこに嫁に来た農家の娘。漁師はいい男前だ。

「この人は、漁師のとこさ嫁さ来るとは思ってもいなかったんだべが、俺に惚れて来たんだ」
「農家と漁師のとこには行かねえと思ったべさ。だけど、漁師だという事も忘れてだ。それが恋愛だ(照れて笑う)」
「だけど結婚してからは、俺が惚れた。宝くじも当たったことがないけんど、この人は大当たりだ!」

二人、本当に幸せそうに笑い合う。

帰り際、若い女性参加者と駅まで一緒に歩いた。正直言うと、この映画には特別なものがあった訳ではないが、この参加者の映画の味方に教えられた。「ひとりひとりが魅力的な人だったと思いました。監督が谷川さんの言葉で被災者を「救える」と言ったときは、なぜ「救える」と言ったのだろうと理解できなかったけれど・・・。」周りに先導されてよくも分からないまま「xx反対!」と叫ぶ人もいる一方、しっかりものを見て自分の言葉で考えられる人たちがいると、彼女の言葉を聴きながら思った。私の作る歌の前途も「大丈夫!」と、なぜだか、自信のエネルギーが流れた。(^^♪




インプラント 4/25

割れた歯を抜いた後、そこにインプラントを挿入しようかと考えているが、周りの体験者からいい話を聞かない。私の義姉は20数年前にインプラント治療をした。自然歯は上下ともそれぞれ2本だけ。きれいな歯を夢見て1千万円ほどかけた決断だったが、上顎に挿入したものはすべて落ちて来たと言う。今は、下だけインプラント、上は入れ歯で安定していると話している。2年前に上下二本づつインプラントにした知人もやはり上顎のものが翌年に落ち、水も飲めないほどの痛みを伴ったらしい。彼女の場合は歯医者に返金を要求したがされず、その後この歯科医は電話にも出なくなり、医院まで訪ねて行くと閉院したのかと一瞬思わせられる暗さ。電気もつけず、治療は事前のアポによるもののみで、その時にだけ点灯するとか(なんと(*_*;)。

私は基本的に医者を信じていない。彼らの多くの開業動機は”金儲け”と社会的ステータス。倫理観の高い医師や治療医はあまりお目にかかれない。以前から疑問に思っていることがある。購入した品物に不具合があると返金か新商品との交換が当然だが、なぜ医療費にはそれがないのだろう。医師だけが特別待遇を受けるのはおかしい。薬が効かない場合もなぜその購入金額は返却されないのだろう。今は医院と薬局は別になっているところが圧倒的に多いが、医師の処方が間違っていたのだから、その責任は負ってもいいのではないだろうか。人体と言う重いものを扱っているだけに、特にそう思う。

十数年前に知人の若い女性歯科医が、上顎のインプラントは難しいと言っていた。私の抜いた歯は上顎歯だ。ブリッジだと前後の自然歯をかなり削らなければならないし、入れ歯だと横の歯に引っ掛ける金具が、笑うと見える。昨日江古田にあるインプラント専門歯科医のところに行って来た。患者数が多い、スタッフの教育が行き届いているところは少しの安心感を抱かせるが、それよりも抜歯の時にこの歯科医が現れた時、「あ、大丈夫」と言う勘が働いた。顎の手術、口腔外科、顔面手術などが専門であったらしい。「もちろん失敗はありますよ。2%程です。」何がほかの歯医者と違うかと言うと、データを取り世界で唯一のNYにあるプロセラ工場に送り、コンピュータで作られたガイド(テンプレートのようなもの)を送ってもらうそうだ。多くのインプラントの失敗は挿入する場所の間違いによるものらしい。ガイドを口腔内に入れても少しの角度の違いで失敗することがあるのに、手触りでやっては。。。。わなわなだとか(*_*;、怖い、怖い。

この医師の専門知識に頼る弁護士も少なくないらしい。インプラント訴訟も多いようだ。技術と高い倫理観を併せ持つ医師を探すのは難しい。




悲しみの理由は 4/26

音のない部屋に、ヨーヨーマのチェロが奏でるバッハが流れ始めると、突然空間が変貌する。なんと表現したらいいのだろう。。。。。音符が踊りながら私の体内に入り心の琴線に触れ、たまらなく揺さぶられる。昨夕洗濯物を畳んでいる時、音のない固まってしまっているような部屋の空気に気付き、ヨーヨーマのバッハを流した。途端に空間が一変し、妙に悲しい。悲しくて思いっきり涙を流したい衝動が起きた。もうその段階は卒業した筈だし、実際卒業したことに間違いはないが、掬い取れずに心の奥底に残したままの悲しみの小さな破片が、バッハと共に上昇して来る。

2年前だったろうか、この感情の記憶がある。突然の炎、やけどをした後のような心のただれ。すぐに曲を書いた。私の楽曲の中では異種の「ああ、あんた恋しや」。一気呵成に書き上げた。

ひとりひとりの強い感情はその人にとって宇宙よりも巨大だ。私の細い人生の中で生まれた悲しい感情もそう。相手を悲しませたこと、私が悲しんだこと。ここに連れて来られるために全てがあったのだが、久しぶりに襲い来るこの感情に深く思う。

 悲しみの理由は、いつだって愛だ。

負け惜しみで言う訳ではない。この感情を経験できることの幸せを思う。ナルシストではないが、この感情の清さが嬉しい。

「ああ、あんた恋しや」の4コーラス目のメロディーを変えてまだ録音しないでいた事を思い出した。これは高音が続く楽曲。久々に声がガラガラになった。




「悲しみの理由」 4/27

もう4月も終わりに近づいている。季節に置いてけぼりをされているよう。いろいろ計画していたことが棚上げになって、心に隙間風が”微かに”通る。

今日は天気も良く、朝からゴルフの練習に浮間まで行こうとしたが、昨夜取り掛かり始めた楽曲を完成させたいと、ずっとコンピューターとピアノの間を行ったり来たりしていた。途中、気分転換に雑司が谷まで散歩。散歩に雑司が谷まで行くのは3回目になるが、毎回違った道を歩くので発見があって面白い。今日は、タンゴのライブを毎月14回ほど開催していると言う店を見つけた。こういうところの店主は趣味が高じて商売になった人が多いが、ここの店主も58歳で定年退職、親から譲り受けた店をアンティークな雰囲気に改装してタンゴカフェをオープン。シャンソンライブハウスを回って、内装を勉強したとか。黒いグランドピアノとマイクが置かれているその店には質の高いタンゴ・アーティストだけを呼んでいるとマスターは自負する。開店してまだ6年。それでも30人は下らない客を確保しているらしい(すごい!)

その後一時間ほどジムで自主トレーニング。前々回のトレーニングでトレーナーがダンベルの重さを5キロから10キロに変えたが、その後かなり調子が良い。支えが軟弱だった左股関節がしっかりして来た。あるエクササイズでは、右膝がぐらぐらしたが、そちらもぶれなくなった。「継続は金なり」である。数えたら、トレーニングを初めて7か月になる。

取り掛かっている楽曲は、上のブログで書いた「悲しみの理由」。「ああ、あんた恋しや」の時のような一気呵成とは行かなかったが、できちゃった。




アンドレア・ボチェッリ 4/28

鳴りやまない拍手。4,500人のの大半がスタンディングオベーション。私を含め立たなかった人はただ億劫だっただけで、感動の深さは立った人たちと変わらない。会場を後にする人たちから漏れる「すごかったね~」「来てよかった~」の声。本当に、すごかった~。

この盲目の歌手を知ったのは20年ほど前。当時側にいた人が彼のCDを持っていた。「いい!」その時のCDジャケットの写真ではまだ髪も黒黒し体格も良かったように覚えているが、今日、東京国際フォーラムの舞台の上のボチェッリはやや痩せ気味の白髪だった。

パバロッティのテノールは艶がある。彼は声だけで聴かせる人。それもすごい事だが、ボチェッリはその素な歌が心を振動させる。雑念が全くなく、ただ歌う事が楽しくてたまらないと言う風なのだ。そのような歌う事への姿勢が彼の歌に表れ、人の心を打つ。イタリア語を知らないので何を歌っているのか分からないが、心が震える。時々見せる童心のような笑顔。「この人は自分が今どんないい顔をしているか鏡で映してみることもないんだなぁ」そんなことを思った。アフリカの子供たちや盲目の人達のために基金を設立している(アンドレア・ボチェッリ基金)。

Wikipediaで確認すると、彼はパバロッティ―に見いだされた。サッカーボールが頭に当たって脳内出血、先天性緑内障が悪化し失明。法学博士号を取得し弁護士になるが歌への情熱を捨てきれなかった。

CD販売テーブルには、開演前と終演後に人混みができていた。私もさっそくアマゾンに2枚の注文を入れた。

美しい時間だった。




風邪 4/29

花粉症抗アレルギー剤を就寝前に飲んでも日中くしゃみがでる。起きた時に喉が痛むので、口を開けて寝てしまったのか、たとえそうであっても空気が乾燥しているわけではないのに、翌日にも痛みが取れない。。。。昨夕のボチェッリのコンサートでは少し寒気がしたので、今朝起きがけに体温を測ったら、37度3分。やっぱり風邪か。エレベーターでうつされたのかも、と風邪を引いた子供と一緒だった瞬間を思い出す。

今年の1月にも風邪を引いているようで鼻をぐじゅぐじゅやっていた人と1時間強一緒にいたら菌をもらって帰宅した。すぐに葛根湯と市販の風邪薬で大事に至らずに済んだが、今回はエレベーターというほんの数分の間の出来事。それ以前に風邪を引く場所にいた覚えはないが、いやに足が冷たく「どうしたんだろう」と思っていた。ピアノの練習中ペダルを踏む足が攣った。

ずいぶん長い間風邪を引かなかったが、最近簡単に菌をもらうようだ。黒田光線に足やふくらはぎを当てて温かくしている。





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