4月 風邪 4/29 アンドレア・ボチェッリ 4/28 「悲しみの理由」 4/27 悲しみの理由は 4/26 インプラント 4/25 いい言葉 4/23 地震募金 4/22 熊本地震 4/21 進め方 4/20 急かされる 4/19 来ない連絡 4/17 死ぬまでないよ 4/15 「断捨離」 4/14 花見写真 4/14 「男たち」 4/13 失礼! 4/12 会う力 4/11 Room 4/10 「たとえば野に咲く花のように」 4/9 しつこさ 4/8 宇宙の動きと共に 4/8 二つの選択肢 4/7 G線上のアリア 4/6 BB賞 4/5 歌 4/4 また、また、すごい!!!4/3 すごい、すごい!!!4/2 なぜ私が 4/1 3月 ばくばく 3/31 愛に溢れて 3/31 行動力 3/30 サッカー、対シリア戦 早死 3/28 マネーショート 3/27 人には沿うてみよ 3/27 えいや! 3/26 最近 3/23 息子よ、私の最後の男におなり 3/21 まなび 3/18 「ここにいるんだよ」 3/17 「焼肉ドラゴン」3/15 「美しい日々だけを連れて」3/14 順調に行っています 3/14 断捨離 3/12 あたたた・・・・3/10 マラソン解説者の講演 3/7 辛いのは、もういいわ3/5 Blowing in the Wind 3/4 「耳かき棒」 3/3 ひな祭りの日に生まれて 3/3 3月ですね 3/2 2月 「ごめんと言わなくとも」 2/29 うそ 2/28 美味しい 2/27 1,000円の寄付 2/26 心配する、助ける、救う 2/25 狂想癖 2/21 ”琴”とは 2/20 「これで終われない」 2/19 もったいない 2/19 さっぱり分からない 2/18 「恋愛対象外」 2/16 善 2/15 St. Valentine's Day 2/14 航空機エンジン開発 2/12 「藻の花」 2/11 きゃ~、 2/10 幸運の前髪を掴む 2/10 爆買い 2/9 「アンジ―」 2/9 今年初の曲 2/7 清原和博元選手 2/6 新年会 2/5 勝つようになっていた 2/3 1月 サッカー、日韓決勝戦 その2 1/31 サッカー、日韓で決勝戦 1/30 才能 1/29 うっしっし~ 1/29 時を待つ 1/25 中村雅俊 1/23 長淵剛 1/21 ライブ予定 1/19 メロンパン 1/18 My Way 1/17 このタイミングで来た返信 1/16 至福 1/11 万歳 1/8 無知のメリット 1/7 さすが 1/3 正月でも 1/2 また一年 1/1 |
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3月ですね 3/2 少しドキドキするようなワクワク感。歌子さんから頂いたカレンダーでは15日以降にラッキーのライトブルーカラーが大きく動いている。ものすごく大きい。1か月以上続くようだ。 自分の努力がほとんどないところで前方の道が耕されていると言う感触。すごい、すごい。待ち望んでいることが実現していくのかも(くわくわ)。 ひな祭りの日に生まれて 3/3 今日は節句。故砂田さんの誕生日だった。遠い遠い昔、私のマネージャ業を務めて下さろうとしていた。私の誕生日が7月7日の七夕、砂田さんが3月3日のひな祭り。それを初めて知った時の砂田さんの顔には、見えない強い糸を感じたような気配があった。私が事務所を出たことが砂田さんにとって特別な打撃だったことは、その後に偶然お逢いした時の彼の様子に伺えた。でもよかった。砂田さんがあちらに逝ってしまわれる前に、私の思いを伝えられたことは。当時の私のメンタリティーではたとえ一時俳優として脚光を浴びたとしても、すぐに落下して行っただろうと思う。あそこで終わって良かった。 砂田さん、もうご存知ですよね。私は、想像だにしなかったシンガーソングライターの道に立ちました。砂田さんの「がんばれよ」の声が聞こえています。今、あの時よりも砂田さんを近くに感じます。今日は、お線香をあげました。 「耳かき棒」 3/3 暖かい冬の陽ざしがガラス窓を通して部屋に差し込んでくる。その陽ざしの中で本を読んだり、縫物をしていると、愛するものが突然自分の膝の上に頭を預けて、耳かきをねだる。その姿は、まるで身づくろいをしてもらっているお猿さんのよう。信じ切る相手の手触りを受けて、気持ちよさそうに目を閉じる。 そんな日常のシーンを歌にした「耳かき棒」。穏やかな陽ざしを感じる曲になった。実はこのテーマ、2,3年前に書き留めて置いたもので、いつか歌にしようと思っていたが、セリフで終わる、ちょっと意外性のある歌になった。 おそらくメロディーと詞だけのメロディー譜のままで保存しておく。曲ごとにアレンジに頼むとなれば、どんどん書いていると財務上負担にもなるので、その内関係者と相談しながら楽曲として完成させていこうと思う。 次に待っている曲は、ガラッと変わり「追いかけてきて」である。タイトルが自ずと語るように、叫んでいる歌。でもそうなるかな?書き出してみなければ分からないのが、私の曲作り。いよいよ60曲目に入ります(すげえ!)。 Blowing in the Wind 3/4 あの世界的名曲、ボブ・ディランのBlowing in the Wind(邦訳「風に吹かれて」)は、19世紀に黒人たちの間で唄われた、No More Auction Block(競売はたくさんだ)のメロディーをベースにしていると、テレビで報じられていた。黒人歌手Odettaの歌から多くを学んでいたBobが彼女の歌うこの曲を自らカバーし、のちにリズムを入れて名曲Blowing in the Windを書いた。 No More Auction Blockは奴隷売買の競売台に立たされる黒人たちの悲痛な思いを歌ったものだが、Bobはこの曲に全く違う歌詞を付けた。 ♪どれだけ歩いたら、人は一人前になったと言われるのだろう。どれだけ海を渡ったら、白い鳩は砂浜で休めるのだろう。どれだけ大砲が打たれれば、永遠に禁止されるのだろう。どれだけ生きたら、虐げられた人々は自由になるのだろう。どれだけ人は無関心でいられるのだろう、見なかったふりをして。答えは、友よ、風の中にある。♪ いい歌だ。 降ってくるメロディーがあまりに印象的に何度も私の中で繰り返されると、「誰かが歌っているのかな?」と少しの不安を抱くが、世界的名曲に上のようなストーリがあったり、エリック・クラプトンの名曲「レイラ」のイントロ8小節が、別な歌手が歌うメロディーをそのままコピーしている事実を知ると、私に降ってきたものが、たとえ部分的に誰かが歌っているメロディーであろうと、一切気にする必要がないようだ。もちろん全曲同じだと著作権侵害だが。それなら、なんか、どんどん作れそうな気がしてくる(この人、楽天的だね、がは)。 実は今手掛けている「追いかけてきて」には、私が5か月間そのドラマから出て来られなかった韓国ドラマ「冬のソナタ」のあの切ないメロディーの1小節を使っている。あの最初の出だしを聴いただけで、胸きゅんとなるメロディー。この1小節から展開する曲を書きたいと思っていたが、それが実現したことになる。切ないのよ、この曲。は~。 辛いのは、もういいわ 3/5 今の私はどうも悲劇が好きでないようだ(かつては、五輪真弓の”秋冬色”が好きだったのに)。切ないとか、辛いとか、そんな話は歌いたくないし作りたくないみたい。心がそのような状態になっているから、切ない歌になると予想していた「追いかけてきて」は、エンディングが変わり前方が明るくなった。 傷つくのが怖いからなかなか本心のままに思いを伝えようとしない似た者同士の男と女。相手の自分に対する思いを探り探り、相手から求められる事を待っている。そのため互いに傷つけあう。ここで喚く女を書こうとしたが、ふと第三者の声を登場させて、「春よ来い、早く来い・・・」となった。だが思えば、これはこの曲の登場人物の二人の本心でもある。で、タイトルは「そろそろ春にしませんか」。 自分で言うのもなんだが、でも言ってしまうが、”確かに”なのである。キャリア確立と言われた2月11日辺りからできている曲、既に8曲になっているが、皆おもしろい。面白いストーリ、おもしろいメロディーがどんどん湧いてくる。歌子さんから頂いたスケジュールを全く疑っていない。その通りになるのだろう。ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん!!!ぼんぼんぼんぼん!!!! マラソン解説者の講演 3/7 昨日の日曜日、大学校友会の主催で行われた金哲彦マラソン解説者の講演を聴いた。マラソンに関する面白い話が聞けるかもしれない、そしてまた(がは)遠くない日に私がその壇上に立つかもしれない夢想をほんの少し抱き、下見に行った(あははは)。その後者の来場目的を私の横に座ったこの会の幹事に言うと、「皆さんに出てほしいですよね」ですって。 (^◇^) 講演自体は無機質なものだった。オリンピックでの日本マラソンの活躍、母校早稲田大学の活躍履歴がスライドに映されたが、そのようなプレゼンへの聴衆の反応はだいたい「ふ~ん」で終わる。データではない、聴衆は個人的なエピソード、ストーリーを聞きたいのではないかと思う。瀬古選手の話をよく出したが、その話が少しあったとしても、本人はなぜ走りたいのか、走っていると体に何を感じるのか、心がどう変化するのか、課題があったならどんな課題か、それをどう克服したか、その結果何が変わったのか、そのような個性を持った話に人は耳を傾ける。 この校友会のイベントでは各界の方々が招かれて講演をされるが、校友会の幹事たちが観客動員に懸命になりホールを満杯にするほど多くの人たちが集まってくる。愛校精神とはすごいものだ。 帰りは地区OB達と大変短い2次会。通常ならこれから飲む時間にそわそわと時計を見だす人がいたり、9時から刑事番組を見たいと言い出す人がいて早々にお開きになった。それで初参加の女性はびっくりして、こっそり私の耳元でささやく、「お年寄りと飲むとこんなに早く終わるのかしら」。「え?」その質問がおかしくて心の中で私はぎゃはんと笑っていた。日曜日の夜は皆さん家にいたいのかもしれないですね。 あたたた・・・・3/10 朝ベッドから起きた途端に腰が痛い。昨日のトレーニングから来る筋肉痛だろうか。昨日は新しいプログラムが加わり、5キロのダンベルを使ったスクワットを始めた。後ろに反ると「あたたた・・・・」となるが、股関節からまげてお尻を後ろに突き出して徐々に下がってゆくスクワットのポーズをすると一番響く。やはりあれだ。 トレーナーは29歳。彼自身のキャリア確立のため結構忙しく、ゴルフツアーに同行したりするので、私のトレーニングも月一になったりすることがある。そういう時は自主トレをしているためか、トレーナーに寄ると私は進歩が速いらしい。人生の25年間をダンス三昧で過ごしていた時期があるので、呑み込みが早いのかも知れない。「それもありますけど、感性ですね。感性が研ぎ澄まされているからです」と、トレーナー。並みと比較するなら頷くが、詩心を持った人と比較したら、とんでも、とんでも、とんでもない。しかし、それを察知する彼もなかなかだなぁと思う。29歳には思えない芯の強さがある。トレーニングの初日は足や膝がふらふらになり、25年のダンス三昧はまだ生きていると思っていたが、筋力の低下に自分でも驚いた。これは、あかん! 専門のトレーナーを付けるとやはり違う。間違った道具や体の使い方をしないし、効果が早く出る。膝がふらふらする程度も小さくなったので、筋肉がついたという事だろうか、最近体重が増えた。筋肉は脂肪より重いので見た目は変わらないが、体重が増える。その効果は既に出ているようで、鏡に映すとよく分かる。肩甲骨を柔軟かつ強化するためのトレーニングにより胸骨や肩が開き、自分で言うのもなんだが、素敵だ。で、これまで着ていたジャケットやシャツが合わなくなってきた。クロゼットの中に隙間が欲しい私にとっては、これも嬉しい。 後でトレーナーに電話をして聞いたら、腰痛は腰の筋肉に張りが出て来た結果だと言う。そういえば、今日のヨガのクラスで、お尻のふくらみを確かに感じた。たった一日で効果が出るの?はい、出るんだそうです。ただ、この張りは3日程で引き、トレーニングを重ねることで、定着するらしい。 数か月で変わってくる自身の体を見て、人の体って本当に柔軟だなぁと思う。だが、なかなか効果が見られないのがヒップアップ。「大丈夫、筋肉は付いてくるから」と激励の声を体験者達から複数聴くので、長~い道のりになるだろうが、ま、続けてみよう。この腰痛が吉兆を告げているのかも知れないし。 断捨離 3/12 ヤフオクのおかげで、要らないものが心に痛みを残さず手放せている。本はもちろん、有線用キーボード、DVD/CDプレヤ―、電話機など、現時点で目に付く不必要なものは処分できた。オークションだから、100円からのスタートにしてもどんどん値が上がって12000円になったものもある。入札者が一人だけの本の落札もあったが、送料は落札者払いなので、初値で喜んで取引ができる。アマゾンに出品したらこうはいかない。1冊ごとにシステム使用料が要求されるので、こちらがお金を出して購入してもらう羽目になることがある。おかしいなぁと気付いたときは遅い。得しているのはアマゾンと購入者。ま、”得”と言う概念は持たずに売りに出しているが、出費してまでもお譲りしようとは思わないかな。このブログで写真添付したランプはウォッチリストに9人もいるらしいが、どうなることか。 落札されると、荷造り。これがどう言う訳か楽しい。段ボールを適当なサイズに切って荷造りテープで梱包。いそいそと直ぐそばのクロネコヤマトの事務所まで持って行く。事務所では小さなコンピュータに住所などを打ち込むのだが、それも楽しいのだから不思議。アンティーク・ランプは落札者がまだいないのに梱包は終わっている(笑)。ガラスが割れないよう、いろいろ工夫し、どんなに揺れても心配ないほどにしっかりと梱包できた時は、なんだか嬉しかった。 処分するものはないかと部屋中に目を通す。まだまだありそう。恐らくこの部屋を出る日も遠くないのだろう。そんな予感がする。 順調に行っています 3/14 「この2曲良いですね」にこ~と笑いながら篠田さんが言う。 昨日の日曜日、篠田さんとの正式なレッスンが始まった。レッスンと言っても、私の作品を持参して彼がコード付けをし、後日アレンジをして頂くわけで、まだレッスンにはなっていない。この日の1時間30分の時間内に前回コード付けをして頂いた2曲「地図」と「最後のプライド」のアレンジと録音をしましょうと提案されたのだが、一向に進まなかった。1カ月半前に顔合わせでお会いした時から昨日に至るまでにできた7曲を持参すると、「え~7曲?!そんなに多産家な方なの?」と、私がどんな曲を書くのか好奇心が揺さぶられたらしく、満面に笑みを湛えてその新しい曲を見たいと言う。もしかしたら見て頂く機会もないかもしれないと思いながらも念のために持参したのだが、こんなにも興味を持って頂けている事が意外で、私も喜んで彼のピアノに合わせて歌った。 それで最初に歌った2曲が、「アンジー」と「ラブレターは速達便Part2」。「うん、ミュージカルみたいだね」と大変気に入られた様子。2曲とも物語風なのでそんな感じがするかもしれない。「恋愛対象外」はポップスだねという。そうか、こういうのがポップスかと作っている本人が思う。私は降って来るがままに書いているからジャンルなど意識していない。この曲はノリがいい。かなり年上の女性に恋をした若い青年の話だから、ポップス調で良い。「そろそろ春にしませんか」はジャジーだね。この曲も気に入られたのか、何度も演奏される。私が書いている曲はいろいろなジャンルにまたがっているようだ。曲毎に言葉が返って来る。何度も紹介してきたが、彼は日本音楽界を代表する重鎮の一人。彼から賛辞を頂けるのは、大変光栄である。 そんな事をしているうちに時間が過ぎ「地図」と「最後のプライド」はまた手つかずじまい。この2曲は若松プロデューサーに提出しようとしている楽曲。かれこれ1カ月半も押している。やっと急ピッチで仕上げてくださる気になったのか、この木曜日に完成してくれることになった。 「デビュー前コンサート」には伴奏者として協力もしてくださると言う。すべて望むように良いテンポで順調に進んでいる。ウソのような本当の話だ。 「美しい日々だけを連れて」3/14 この楽曲は、音楽の作り方をほとんど知らない時に書いた曲(2010年)。アレンジはアニメ「うる星やつら」の作曲者Anzこと安西史孝。 あの時のレコーディングはテンポ80だった。忙しいので、76に落として再レコーディングしたものを久しぶりに今日聴いてみたが、本当にいい歌だ。自分の楽曲だから贔屓目に見ているわけではない。芯に触れて本当にいい。テンポを落としたから言葉がより伝わるし、今の私が歌うから味わいも違う。また、Anzのアレンジがなんとも良い。本当にいい。心がぶるぶるとなる。 若松さんも、ビクターの森谷ディレクターもいい曲だと押していたので、「よほどいいんだね」と生意気な口を叩いていたが、謙虚に聴いて心からそう思う。 「焼肉ドラゴン」3/15 「鄭義信さんの作品は演劇の持つ力を信じさせてくれるんです」(新国立劇場演劇芸術監督 宮田慶子) 「焼肉ドラゴン」は鄭義信が新国立劇場のために書き下ろした作品。今回は再再演。私はこの初演を2009年に観ている。そして今日が2回目だ。初めて見た時は友人と一緒にその面白さに笑い辛さに涙したが、細かい内容は記憶にないので、今回もう一度観てみようという気になった。 この作品は日本の高度成長期に日本国土の隅に取り残され、雨が降ればどぶの匂いが充満する路地でホルモン焼き食堂を営む在日朝鮮韓国人の家族を描いている。初演の時一番記憶に残っていたオモニ(お母さん)役の韓国人俳優の演技を再度観たかった。横にも縦にも大きく、ユーモラスで、大変自然に役をこなしていたが、この再再演では俳優は総入れ替えされた。彼女に代わってこの役を与えられた俳優は、歩き方喚き方に「xxxぽく」が見え、やり過ぎだと何度も思い、全体的に石ころのような演技だった。日本の私立中学に通い、学校で受ける差別に耐えられず自殺する末子を演じた少年は稚拙過ぎて、その喚きは、本来なら観客の心をジ~ンとさせるはずだが、聴くに堪えられず、しらっとさせた。 だが、この作品は秀逸だ。長屋の騒々しさ、いつも喚きあっている近所の夫婦、そしてホルモン食堂内部のドタバタ。まともな職につけない被差別者達の生きていく事だけが精いっぱいの日常。そこには気取りや虚栄が入り込む隙間がない。日本の戦争に使われ、片腕を失ったこの食堂のアボジ(お父さん)、行き場がなくなり、楽園だと聞かされた北朝鮮へ”帰国”する長女とその夫、韓国人と婚約し韓国に移住する次女、そして日本人と結婚し日本に住み続ける3女。 確かにこの作品は、在日朝鮮韓国人にとっては自分たちの過去を描いてくれる唯一の作品だし、日本人にとってはこの国土に自分たちの知らない現実があった(ある)ことを知り、押しつけがましくなく何かを感じさせるものだ。愛国も、他国や他国人を排除して考えるものではないと思わせられる。 回を重ねるごとに観客が増えると言う「焼肉ドラゴン」。今回の再再演もチケットは全日完売らしい。今日は終焉後にシアタートークがあったが、鄭義信監督自身、この反響は意外だったと言う。ほんと、意図しなくていい。作ろうと思ったものを作ればよいのだ。 芝居をはじめ様々な舞台を観るが、ブログに書きたいと思うほどでないものも多数あるが、同時に、極めて稀な事だが、もう一度観たいと思わせる作品にお目にかかる事もある。 「焼肉ドラゴン」は、もっと良くなるはずと言う細かい部分はあるが(飛躍し過ぎるセリフやテーブルの上で肉が焼かれることがないetc.)、様々な賞を受賞し、それに値する作品だ。 「ここにいるんだよ」 3/17 61曲目ができた。「ここにいるんだよ」。頭の中にあったテーマが60曲目で譜面上にすべて排出された後、この後のインスピレーションはいつ来るのかなぁと楽しみにしていたが、数日前に読んだ谷川俊太郎の詩から得た。このブログでも何度か書いてきたが、私が選ぶ言葉と彼の詩の中で選ばれた言葉がときどき同一だったりすることから、彼の詩を進んで読んで行くようになった。様々な詩人の作品を読んできたが、谷川さんの詩が深みもあり最も共感できる。1冊読むと、必ずはっと感じさせるものがあり、歌作りをそそられる。 今回の作品もその一つだ。彼の詩の2,3行からインスピレーションを得て場面を変えて曲を作ったが、マイナー調の響きがとても切ない歌になった。自分で唄いながら、うるうるしている(^◇^) 「まさか私が」そう思ったスタートだったが、今では歌作りは私の天職だと疑っていない。 まなび 3/18
18歳の頃に書いたという谷川俊太郎の詩。「まなび」などは、私の今の心そのままだ。ただ、「くるかもしれぬ 独りの時のために」に代えて「おもいもよらぬ 独りを楽しむために」と書こう。「傲慢ナル略歴」ほど傲慢にはなれないが、私も少しづつそれを持っている。私の十八歳の時以上に。どちらにしても、彼と私の間には40年以上の心の開きがあるようだ。 息子よ、私の最後の男におなり 3/21 は~、なんと色っぽい。恐らく母親と言うよりも、”女”は自分の息子にこう言いたいだろうと思う。 俳優近藤正臣の「人生の詩」。彼は京都に生まれ、母親は芸妓だった。父親には本家があり、母親は妾。2歳の時に父に死なれ、母親の男遍歴が始まる(いや、それは以前からあったのだろうが)。「XXXへ行って男の人が出てきたら”お父さん”とお呼び」と母親から言われ行ってみると、そのお父さんにはすでに子供が数人いて、突然お兄さんお姉さん妹ができる。ところが半年も持たず母親はその男のもとを去り、次の男へと移る。そしてまた新しいお父さん、お兄さん、お姉さん。。。。と呼ぶ人達ができる。大変複雑と言うか、ユニークな幼年期と青年期だったようだ。 最初の旦那から小料理屋を持たせてもらい生計はどうにか立てられるが、やがて老いて自分に関心を寄せる男もいなくなってくると、「正臣、私の最後の男におなり」。息子はすぐにそれを呑み込み「そうか、よし!」となったらしい。視聴者の私は「ドキッ!」( ;∀;)「私が家を買うから、正臣、あんたがお金を出すんだよ」と、比叡山の近くに200坪の土地を買わせられたとか。・・・「ほっ。」(*_*; 「要するにお母さんが好きだったんだね」という関口宏の問いに気付かされたように、「うん」。その母親、2000年に88歳で逝ったが、歳をとってもなんとも色香漂う美人だ。ほわ~。私も芸者になりたいと思っていた昔があったが・・・(これ、ほんと。あは) 「私の最後の男におなり」こんな言葉を聴かされる息子も、いいわねぇ~。 様々な人間ドラマ。本当に色々ありますねぇ。人の話を聴くってなんと面白いのだろう。他(ひと)の運命に沿うて生きてみることも。。。。様々な人生話、それを家にいて聴ける。テレビ、その中で働く人達がいるからこんな面白い時間が持てる。本当にありがたいようにこの世は創られているなぁと、またしみじみと思いながら就寝。 最近 3/23 おかしな事、おもしろい事がとにかく”沢山”あって、最近私はよく笑っている。思い出してはおかしくて噴き出している。相手は一生懸命まじめにやっているのだが、その”なんとも”な結果や私の質問に対するびっくりするような相手の思い込みが、おかしくておかしくて、嬉しくなるほどに楽しい。私に沢山の笑いをくださった方々は、このブログを読んでいるかもしれないので、ここで具体的な笑いの原因を紹介するのは控えます。が、ただ一言、とても親しみを感じております。(^^♪ ところで、上で「他(ひと)の運命に沿うて生きてみることも」面白いだろうと書いたが、他(ひと)との”特別な”出会いは互いに相手の運命に関わる事になる。だから新しい出会いがあり、長い付き合いになりそうな予感がすると、「私はこの人の運命に関わるんだなぁ」と思うようになった。それならこの人の運命に良い関わり方をしたいものだ。。。。 えいや! 3/26 とうとう抜いた。2年前に「歯が割れているよ」と言われ、対処法は抜歯しかないと宣告された。ドッキン!数人の歯医者に意見を伺い、その内の一人が英文で書かれた資料を持ち出して、「やたらいじってはいけない。現象的に痛み、出血、腫れがある訳ではないので様子を見て、そのあと出血やらがあったら、その時にまた考えればいい」と言う助言をBest Answerとし、私が多大の信頼を寄せる黒田光線に時折当てて今日まで凌いできた。歯が割れて2年以上も問題ない人は、これまであったことがないと2,3人の歯医者が言う。 だが最近、痛みはないが、舌でいじっていると出血する。それに動く。これはとうとう抜歯かな。抜歯した後どうするか、それが一番気になっている。 良さそうなインプラント専門の歯医者をネットで見つけ、今日カウンセリングに行ってきた。現れた歯医者を見て、「この人なら大丈夫」と直感的に思い、抜歯しか方法がないと言うので、それならすぐにやってくださいと依頼すると、彼はびっくり。今日はカウンセリングだけにしましょうと言う。「代替案がないなら、後に延ばす意味はないでしょう。それなら早くやってしまった方が良いじゃないですか。」 と患者から促されて手術が終わると「あれ?横の歯も割れていますよ」と言うではないか。その奥歯は根のひとつが歯槽膿漏で溶けてしまっていると4年ほど前から言われていたが、これも黒田光線の力を借りて悪化させることなく今日まで私の食事を助けてくれていた。ところが、それも割れてしまったと言う。割れた歯をそのままにしておけば、歯槽膿漏と同じく骨が溶けてやがて横の歯も溶けて行くらしい。割れた歯がどうなるか、もう私は体験済み。しゃ~ないじゃないですか。「ならばそれも抜いてください。」 さすがに歯医者は躊躇した。「これは絶対後にしましょう。治療していたら他の歯も抜かれたと言われますよ。」案ずるのも分かるが、これも私の先の答えと同じで、代替案がないならやるっきゃないし、やるなら早い方が良い。善くなる兆しのない 悪は早く退治した方が良いのです。「訴訟起こしたりしませんから」と笑い、2本の歯を抜くことに。取り出された最初の”わたし”の歯は真っ二つに綺麗に割れ、所々黒くなっていた。もう一つは根っこの一つが斜めに割れ、やはり黒い。 抜いた歯は二本とも高校か大学生の頃冠を被せたもの。ずいぶん時間も経過し、冠が降りて来たのか自然歯が降りて来たのか冠は自然歯を完全に被い切れなくなっていた。インプラントを挿入すると今よりきれいになると言う。「今までありがとう」と心の中でつぶやき、”わたし”の歯に別れを告げた。思えばいろいろな人生ドラマを一緒に作り通って来たのだ。 虫歯治療で痛みを取り除くために神経を取ってしまうと歯は脆くなり割れてくるそうだ。 久しぶりの歯医者通いだったが、全く痛くなく、その技術の進化に感嘆した。この歯医者さん、良さそう。 人には沿うてみよ 3/27 「人には添うてみよ馬には乗ってみよ」。人に沿うてみるには、ある種の勇気がいると思う。自分が描く世界は到達点やその道のりがいかがなものか大体見当がつくが、人に沿うてみようとした時、相手は知っているがこちらにとっては未知の世界。それに沿う事は、自分が描いていた未来のイメージを一旦壊し(仮にイメージを持っていたとしたら)、ゼロから描き直すことになる。だが、信頼を寄せられる相手が描く未来像なら、近寄ってみたい。既に自分が知っている未来を追及するよりスリリングかも知れない。 今日は篠田さんとのレッスン日だった。これまでの音楽スクールでやって来たやり方を彼のところでもそのまま踏襲しようかと思っていたが、彼は方向チェンジを提案した。これまでは、音楽スクールのインストラクターに曲のチェックをしてもらったら、次にはアレンジャーに送り、できた音源に声を載せ、今度はミキシング・エンジニアに送ってデモを作る。これには様々な費用も発生し、修正が重なるとかなりの額になったが、過去4年間そのやり方を通してきた。このデモづくりのプロセスを知ったビクターの森谷ディレクターは恐縮していたが、篠田さんも驚いたようだ。歌唱力を聴かせるのでなく、どんな曲かを聴いてもらうだけなら、レッスン中に録音したもので十分だと言う。そうだったのかと私もデモづくりのKnow-howを初めて知ったのだが、加えて、これからはコードを勉強してそれを自分の楽曲に応用することで、自分で弾き語りをしながら録音すれば、作られたカラオケに無理に合わすこともなく、自分の味で唄えると言う。 なるほど~。じわ~とその良さがイメージできた。長い道のりになるかもしれないが、やってみよう。私の曲作りにも変化が現れるだろう。長い付き合いになるかもしれない人との出会いは、これまでの枠から自分を飛び立たせる切っ掛けになるだろうから、乗らなければ!そんな訳で、「最後のプライド」はまだ完成せず。(*_*; 一つ印象的だった彼の言葉がある。そこまで至れるよう「責任を持つよ。」。。。。責任か~。 マネーショート 3/27 昨夕(日曜日)、久々に映画をみた、「マネーショート」。ウォール街で株の空売りをする輩の話。英語タイトルはBig Short。Shortは短いという意味もあるが、株の空売りをも意味する。 なんとまぁ、分からない金融用語を早口でまくしたてる。かつてリーマンブラザーズを初め金融機関の通訳もやらせてもらっていたから、ある程度の金融用語は分かっているつもりだが、あのように機関銃のようにまくしたてられては、とても追いついて行けない。途中から聴かなくなった。字幕を見て筋を追って行くのも面倒くさくなり、ブラッドピットがいつ出てくるか、それだけを待った。シンガポール市場で大金を扱うトレーダの役だったが、白いあごひげを付け、いつになく得体のしれない男を演じていた。「彼、この役を楽しんでいるだろうなぁ」と思いながらちょっと羨ましい気持ちを混ぜてみていた。で、ピットが数回出てきてある程度満足したら、私は劇場を出た。 日本版の副題が「華麗なる逆転」だから、最後に何かあるのだろうなぁと思ったが、もう話の筋を追っていないのだから、その先の展開に期待がない。だが、役者の演技には本当に感心させられる。皆、私がアメリカで見たような人達、実際にいる人達ばかりなのだ。一寸も違わず。実にリアル。そこに行くと日本のものは。。。。 西洋の俳優たちはリアルであることに価値を求めるが、日本は美しく見える事に価値を見るようだ。私もあちらでワークショップを取っていた時に、「リアルじゃない」と言われた。現実の日常の動きの中で美しく話し動く人はめったにお目にかからない。リアルであることは、美しく見えようとすることより、難しい。 早死 3/28 詩人の中原中也は30歳で亡くなった。その詩は、16歳の時に同棲を始め、その2年後に評論家小林秀雄のもとに去ってしまった長谷川泰子と相手の小林に対する憤りと嫉妬で大半を占める。泰子に去られた後、親の勧めで郷里の娘と結婚し愛児文也が生まれるが、2歳と1か月という短命。愛する者達から置き去りにされ、妄想癖と狂想癖で自分を苦しめる。 中也はフランス詩人ヴェルレーヌの詩を特別に好んだと言う。。なんと。。。。私の過去ブログで何度かヴェルレーヌの話をしてきたが、彼も自分のもとを去った恋人への執着心を詩に書き続けた。二人とも実によく似ている。詩を書くために執着心を持ち続けるのか、またはその逆か。とにかく、私のような俗人から見ると、気持ちは解るけど他の景色を見ればいいのにとなる。彼らは二人とも深い穴倉の中に自分を進んで閉じ込めていく(ウフェ~)。執着は悪の根源だと言った人がいたが、執着は自分を縛り徐々に内出血させ腐らせる。身を軽くして次に飛んだ方が良い。 人の命の長さは大体そのメンタリティー、つまり想念に大きく影響される。食事より運動より、いい想いを抱くことが幸せを呼ぶしまた寿命も延ばすようだ。彼らの八方ふさがりになるよう自分を追い込んでいくような生き方なら、早死にするだろなぁと思う。メンタリティーが最重要です、はい。ヴェルレーヌも50代で死んだわ。 サッカー、対シリア戦 今日はワールドカップアジア二次予選で日本対シリア戦ですが、みなさんどちらを応援しますか。日本にはワールドカップに出場して欲しいけれど、私はシリアも応援したいのです。未来の見えないあの国で、一つの嬉しい夢が与えられたらと思うのです。 私には相手の立場に立って考える、そんな性癖が少しばかりあるようです。難民問題にしても、もし私がシリアに生まれていたらと考えます。難民を受け入れると、様々な問題も新たに生まれるだろうけれど、未来のない国に生きると言う残酷さも想うのです。自らシリアに生まれることを選んで生まれてきた訳じゃない。シリアに生まれるのが私だったかもしれないし、あなただったかもしれない。 少しの夢を彼らに届けられたら・・・・そう思うのです。。。。。でも、きっと、スポーツはスポーツ、シンプルに勝負するものなのですよね。彼らにそんな場があることが、ほっとしますね。 ワールドカップやオリンピックを見ていても、スポーツで勝つ国は国として安定している国のようですね。そしてやはりサッカーは男のサッカーが面白い。 行動力 3/30 行動力があり、その実行速度が速い。これは以前から言われていた私の特徴のようだが、瞑想を初めて宇宙の芯とアクセスし出した時から、その特徴が著しくなった。瞑想中には私一人では思いつかない「なるほど」と思える最もいいアイデアが伝えられ、それは神のアイデアだから迷う事無くすぐに実行する。宇宙の気が善い方向に進んでいると同様、私の前進速度は宇宙からのサポートを受けて増してゆく。この世界をご存じない方々には理解し難いだろうが、そうなのだ。 どんどんアイデアを実行するので、神は喜ばれるのだろう、またどんどんアイデアを下さる。感謝合掌 しずこ 愛に溢れて 3/31 今は3月31日午前0時を回ったところ。”昨日”と書くには、いささか時間錯誤があるのだが、たった今終わった温か~い仲間たちとの集い。3月30日、大学地区OB会のイベントで千鳥ヶ淵での花見と靖国神社参拝を済ませ、夕方には小さな店を貸し切って、先輩(男性)が腕を振るった料理で宴会があった。そしてその後は数人でカラオケ。私にとってはたくさんの愛を感じた日だった。 宴会の後、先輩の女性とコーヒーショップに立ち寄り、共に引っかかっていたある後輩の女性に関する問題解決の進捗状況をそれぞれの視点から話し合ったのだが、独りでずっと生きかつビルの経営者である彼女に比べると、私は本当にガキなんだなぁと自覚させられた。自律神経がおかしくなるほど怒りが沸騰していても、この先輩は何食わぬ顔でその後輩とお茶を一緒に飲める。「同じ場所にいなければならない相手だから」と。悪く言えば”たぬき”だが、よく言えば”えらい”。対立するものと衝突せず共存しようとする姿勢とも取れるが、お茶まで一緒に飲める人は多くないだろう。「周りがみな気を使い始めたから、この問題はこれでいいのよ。これ以上の解決を求めたら”我”になってしまう」と引き際をしっかりと認識し、問題はもう閉じようと話す。 「何か問題があったら私に話すんだよ」と言っては、陰で問題解決に向けて動いて下さっていた先輩の男性。「あなたと話がしたかったんだ」と解決に向けて手伝えないかとシグナルを送ってくる先輩。この問題とは関係なく、「あなたの横にいるとホッとするよ」と嬉しそうに隣に座る先輩。その他の方々からも、言葉はなくとも体から放出してくる愛を沢山感じた。愛だらけ。 いつの間に私はこんなに沢山の愛を頂くようになったのだろう。それらに私は値するのだろうかと、心が揺さぶられた。実像より良く見せることを絶対しないと決意し、ありのままの自然な姿で存在することで、身に余る愛を私は頂いている。心がここまで通い合うようになったのかと、言葉に出し尽くせない温かいものが体に流れた。 自分が大きくなっていると思っていたが、先輩たち、そして年齢的には先輩ではないが先輩のような仲間の愛情の前で「大きい」と思っていた事が恥ずかしいくらい自分がガキ、よく言えば”純粋”であることを改めて認識させられた。 あとがき:普段の酒量はワインをグラスに3分の1程度だから、昨日の酒量は喉に影響したようだ。カラオケをした時も声が出ないと思っていたが、歌ったのはわずか2曲なのに、無理して声を出したためか、今朝はガラガラ。♪無理して飲んじゃ いけないと~♪あ、そ~れ、どうした、どうした(*_*; ばくばく 3/31 フィギュアスケート世界選手権がボストンで開かれている。流れる音楽を聴き、時々画面をのぞきながら私はコンピュータに向かって作業をしている。自分の出番までウォーミングアップしながら心を鎮静させ順番を待つ選手たちの心臓は、その身体の皮膚を引き破て飛び出してきそうなほど、バクバクしてているだろうと想像する。カメラが出番待ちの彼らを追うから、視聴者も好みの選手が出る前からドキドキする。選手のためにもバックステージを見せる必要はないのにと思う。世界のトップに這い上がろう、または、い続けようとする者たちのプレッシャーやいかがなるものかと、同情したり感心したり崇めたりしている私は、忙しい。 なぜ私が 4/1 昨年だったろうか、一昨年だったろうか、前世の記憶を持つ子供たちをテーマに超心理学分野のシンポジウムがあった。東大の医師、超心理学者、産婦人科医、塾経営者たちがパネリストとして話をしていた。子供は母親を選んでくるらしい。その場合母親を幸せにしてあげようと母親との結束感が強いとか。しかしずべての子供がそうだと言う訳ではなく、この世に生まれたいから、または生まれなければならないから、母親の肉体を借りる子供もいるようだ。 通っているジムの浴室に小石を詰めて20センチほどの湯を張った歩行浴がある。小石の上を歩いて足つぼを刺激するというものだが、そこを歩いていると「あなた、体が全然変わっていないね」と突然言われた。最近、体重が1.5キロ、体脂肪が2%増え、お腹もたるみ出したので、こりゃあかんと、少し気を入れて腹筋強化運動やランニングマシンにも「よいしょ」と以前より頻度を高めて乗るようにしている。だが、そう言われてふと思った。私は私の姉達の誰とも似ていない。 昔、三姉が、私の身体の細さを次姉と話し羨ましがっていたと言って来たことがある。決して痩せてはいないが、長姉を含め彼女たちと比べるとそうなるだろう。25年間ダンスをしていた事がその理由の一つだと思うが、考えさせられる。なぜ私にはダンスをしたい衝動があったのだろう、そしてそれを実行したのだろう。身体の事だけではない、考え方生き方も彼女達の想像もできないところに、恐らく、私はいる。肉体の遺伝情報DNAは心のありようでON、OFFできると言う。なぜ私はこの家族に生まれたのだろうと思う。私だけが殊の外違う。 長い前置きだったが、23歳の千葉大卒業生が中学生を誘拐し2年間監禁していた事件。「中学生の頃から女の子を誘拐してみたかった」と言う。なぜ「誘拐してみたい」と言う気持ちが湧くのだろう。「誘拐」など脳裏を過ったことのない人がほとんどだろう。なぜAはkに関心があり、BはZに関心があるのだろう。中には家族に同じ関心を持つ者がいたからというケースもあるが、家族の誰にも似ない世界に関心を持ちその家族から離れて行く人もいる。なぜなのだろう。 霊魂ではないだろうか。前世から引き継いだ霊魂。誘拐したらどうなるか意識では分かっているが、本人も御しきれない衝動。何かが自分を突き動かす。その何かは、自分に宿る霊魂。そう考えると、この23歳の青年があわれに思える。清原元選手の件にも言える事だが、警察に捕らえられ、法が裁いてくれる事で、やがてその霊魂は鎮められて行くのだろう。何度も生まれ変わり、清められていくと聞く。そうあって欲しい。人から疎まれる霊魂をもって生まれる事は大変だ。本人も周りも。 すごい、すごい!!!4/2 マイアミで行われているATPテニストーナメント、準決勝の試合の最後のところを見た。 すごい、すごい、錦織圭!!!しびれる~!観客席もStanding Ovation。本当に力をつけてきている。今回の試合には、世界ランキング1位のジョコビッチと6位の錦織の間にいるプレヤ―が見当たらないので、これまでの対戦相手は全員ランキングが下位にいる選手達。錦織にも余裕が見える。ジョコビッチや彼よりも上位にいる選手たちとの試合とは違う。 この落ち着きを持ってあたって欲しい。決勝戦の対戦相手は、またもやジョコビッチ。 また、また、すごい!!!4/3 フィギュアスケート世界選手権で「蝶々夫人」の曲に乗った浅田真央のフリーの演技が実に素晴らしかった。彼女はもともとラインが綺麗だが、そこに加わった表現力が抜群。演技が終わるとこちらもスタンディング・オベーション。私もうるうる。真央ちゃんもやっとここまで自分を乗り越えたかと、心から良かったなぁと思う。 女子フィギュアスケート界に米国、ロシアから強力な外国勢が入って来た。日本勢も新しいプレヤ―が世界選手権に顔を出してきたが、男子の宇野昌磨(うのしょうま)君の今後が楽しみだ。彼は、大きくなるような気がする。 歌 4/4 TBS地上波で歌の4時間スペシャルをやっていた。BSで似たような番組はあるが地上波では今回初めてお目にかかる。明日のゴルフコンペの用意をしながら、一緒に口ずさんでいた。 聴いている人も一緒に歌える歌、それが昭和の歌謡曲なのかもしれない。今のJPOPとは違うように思う。歌うとなんだか楽しくなり、さっきまでのイライラした気持ちもどこかに消えたりして。曲と歌詞もプロが作っているので調和している。今のJPOPはほとんどが自作品、つまりシンガーソングライターで、やたら高音を出し、それを裏声で唄う事で変化を出そうとするのが目立つが、その部分の歌詞が高音裏声で唄われなければならない理由がない事が多い。「やたら歌詞が長くて」と言った熟年がいたので、気にしてみたら本当だ。あんなに長い歌詞に良いメロディーをつけようとしたら、よほどの能力が必要だろう。現代風お経のようだ。以前にセカオワの歌をイヤホンで聴きながら信号待ちをしている二人の青年と立ち話をした。身体を大きく動かしてセカオワのパフォーマンスを真似ていたが歌っていなかった。 難しい歌が多くなった。とても全曲歌えない。唄えなくとも、ただ聴くだけの歌も勿論あるが、メロディーが心に残りお母さんが台所で食事を作りながら、トラックの運ちゃんが運転しながら歌うとウキウキしてくるような、気取らず、少し前を向いた歌を書けたらいいなぁと思う。 胸きゅんとなる歌は数えきれないが、私はとりわけ、小林旭の「昔の名前で出ています」に胸がきゅきゅきゅ~となる。京都、神戸、その他地方のバーを渡り歩きながら生きている女の人生を思う。そこに女好きのする小林旭の”男”が漂い、うら悲しい。裕次郎も小林旭も歌い方に企てがなく自然だ。 BB賞 4/5 ハンディ40で前回優勝した事からハンディは26に”格上げ”になったが、26ならもしかするともう一度優勝になるかとひそかに野心を燃やし、早大OB地区ゴルフコンペに参加したが、その結果たるや。。。。。(*_*; 山あり谷あり、波の大きなひだのように幾重にもうねるフェアウェイ。グリーンの周りはお堀のように顎の高いバンカーが並び、グリーンをオーバーすると土手の下か池ポチャ。17人が参加したが、グロスで100を切った人が誰もいないと言う惨事。優勝は夢のまた夢となり、ならばブービー賞と、狙いは上ではなく下に目標変更。 で、やったではないか。BB賞を頂きましたぞ。そしてまたなんと馬券も当たった。会の決まりで馬券は必ず買わなければならないのだが、これまで当たったためしがない。スッとしました(あは)(^^♪ 早大地区OBゴルフコンペは、大好き。皆様、今回も一緒に遊んでくださりありがとうございました。 G線上のアリア 4/6 昼過ぎにジムでパーソナル・トレーニングを受け、その後Tread Mill(トレッドミル、いわゆるランニング・マシン)でジョギング、最後はストレッチとジャグジー。最近少し気合が入っているのかもしれない。トレーニングの効果が出てきたようで、他人からコメントを頂いたりする。トレーナがいない時にも、自主トレを週2回している。 帰宅してコメディアンの又吉直樹の芥川賞受賞作品「火花」をYOYO-MAのチェロ演奏をBGMに読んでいた。私が持っている数少ないクラシックCDの中の一枚。演奏リストの9番目、「G線上のアリア」が聞こえてくると、心の琴線がわなわなと震え出す。自分の人生だけでない、他人の人生をも含めて、言葉に出しきれない愛おしさ、深さ、尊さが毛穴を通して体の内部に押し寄せてくるようで、ググッと涙が込み上げてくる。その感覚に浸ることを今は避けたくて、音量を下げ、二人のお笑い芸人を描いた「火花」に目を落とす。説明や解釈を取り除き、出来事だけを綴ることで、「僕」と僕が師匠と崇めた人の夢半ばにしてお笑いの世界を去る物語。う~ん、(*_*; 読者の心をざわつかせる「僕」と僕の師匠の人生も私の「G線上のアリア」の中で歌われる。 二つの選択肢 4/7 今朝瞑想をしていると、生き方の指針のような言葉を頂いた。前に進むか後ろに引っ張るか二つの選択肢が人生には常にある。「いつでも前に進むことを選ぶ」。 このブログを読まれる皆様にもお伝えしなさいと私の脳裏に漂った言葉のような気がする。 宇宙の動きと共に 4/8 宇宙は時々刻々変化し膨張していると云われる。宇宙の中の人間は宇宙と調和して生きることが、流れに沿った生き方になる。「宇宙にはよくなろうとする気が流れている」と言われたのは京セラの創業者、稲盛和夫氏。だから、人もより良くなる方向に進めば、宇宙の力に後押しされる。 前進を阻むのは自分自身のビビる心、過去の経験から自分が引っ張ってくる想念。「あなたの心が想うようにあなたの人生は作られる。」全くその通りだなぁとこの言葉の真実性を深く思う。命は躍動したがっているが、思考がそれを阻止する。「年甲斐もなく」と前進する他者を阻止しようとする行為には、前進をせず留まることを選択した自分と同じであって欲しいと言う願望があるのかもしれない。他人の言葉に屈することなく、絶対に前に進むと言うガッツがあれば、道は必ず開ける。そんな気がする。神が誘導して下さる。その声を静かに素直に聴き、ビビらずに行動すれば、想いは成就するようだ。そのように宇宙は創られている。 心と思考が一致するとき、人は幸せになる ー ディーパック・チョプラー。思考は騙せるが心は騙せない。そう思いませんか。 しつこさ 4/8 アーティストと言うのは”しつこい”人種かも知れない。 何度も修正を重ねた作品はいろいろな事を教えてくれる。「君の新しい記念日」がそうだったし、「ゆるやかな日々」がそうだ。「ゆるやかな日々」は実はまた「仕掛け中」のフォルダの中に戻された。やっとOKかと思っても歌って録音すると、「?」マークがあちらこちらに出てくる。単調過ぎる気配もある。また歌いづらい。それで先日大御所の篠田さんのところに持っていくと、「歌い難いはずだよ」と修正すべきカ所をすぐに指摘してくれた。 な~るほど、である。今なら初めからこんな作り方はしないが、この楽曲は昨年書いたもの。まだ作り方を十分に知っていなかった。単純な修正だったが、それに気づかずアレンジャーの宏樹君と他のところを一生懸命いじっていたのだから・・・・(*_*;これからは彼にもあまり手数をかけなくて済むようになるだろう。単調過ぎるAメロの繰り返しは、繰り返されるところで特定の歌詞が際立つように音を変えた。2コーラス目の繰り返しでは更にスパイスを追加してみた。このテクニックは音楽スクールで最後の数か月みて頂いたピアノインストラクターから盗んだもの。 納得できるまで引き下がらない、いつの間にかこんな性格が備わったようだ。時々来る通訳の仕事に関しても、能力の限界辺りまで私は丁寧に仕事をしているように思う。丁寧さが欠けてくると、どんな仕事でもそうだが、次がない。 紆余曲折を辿った「ゆるやかな日々」も、どうにか”いい楽曲”に仕上がったように思う。 「たとえば野に咲く花のように」 4/9 新国立劇場で、鄭義信3部作という事で、「焼肉ドラゴン」に続いて第2弾「たとえば野に咲く花のように」を観て来た。今回は演出が鈴木裕美。この作品もこの劇場のために鄭義信が書き下ろした作品で、ギリシャ悲劇3部作のひとつ「アンドロマケ」の本歌取り現代版と言う試みらしい。こちらも大変面白かった。 昔の新劇と違い、最近の演劇は、コスト・セービングを考えてか、場面転換がない。大道具の裏方も楽だろう。 私は井上ひさしの芝居も好んでよく観に行ったが、井上の作品も演出したことのある鈴木裕美が言うように、鄭義信の戯曲は多分に井上ひさしのそれと似ている。井上ほどではないが、鄭義信もその時代の社会背景、政治問題をうっすら組み込む。また悲劇を悲劇で終わらせず、必ず笑いにすり替わらせる。 印象深かったのは、上演後のシアタートークだ。新国立劇場がシアタートークを取り入れた頃は、観客の20%程が残る程度だったが、今では、不参加が20%下るほどに、芝居の面白さから残る人が多い。 Room 4/10 数日前映画「Room」を観た。7年間納屋のような部屋に監禁され、犯罪者の子供を生み、そこで子供と共に暮らす母子の話。子供は外を見たことがない。外界が見えるのは天窓に映る空と、落ちてくる枯れ葉だけ。その子が5歳になった時、芝居を打ち、2つ目の芝居で子供を外に出すことに成功。やがて母親も救出される。久しぶりに感情が高ぶる映画をみたかな(と言っても、私はあまり映画をみない。もっぱら芝居を観に行く)。 始めてみる外の世界に驚くばかりの5歳児。すぐに順応できない。外の世界は広くかつ分散されている。Roomしか知らない彼はあの納屋が恋しく、「帰りたい」と言う。そこではママがいつも一緒だった。少し成長して警察に付き添われ、母親と共にRoomを訪ねる。普通の家に住むことに慣れ始めた彼にその部屋は「縮まったの?」と思わせるほど狭い。そしてRoomの中の備品一つ一つに触れ「Bye,Sink(流し台、さようなら)」と別れを告げる。 この映画の最も感動するところは、この子供の演技。とても、とても、限りなく、とても”自然”。幼い子供に、どうやってこんな演技をさせることができるのだろう。私は感無量になった。この作品は彼の演技で輝かしいものになっていると思う。本当に素晴らしかった。 会う力 4/11 昨日は篠田さんとのレッスンがあった。5回目にしてやっと本格的にコードの勉強に入った。それまでの4回は私の自作曲を聴いて頂いたり、コード付けをする作業で終わってしまっていた。だから何か新しい事を勉強してルンルンすることが少なかった。と言うのは、彼と会っていない40日程の間に突然7曲も生まれたので、それを見てもらう事で時間が使われてしまったのだ。が、昨日、5回目にしてやっとレッスンになったように思う。特に昨日は初めて私の後に他の生徒がいなかったこともあり(恐らくそのような時間に私のレッスンを入れて下さったのだろう)、レッスン時間を超えていろいろ話すことができた。 相手がどういう人か、理解しようとする姿勢が彼にはたっぷりあるようだ。まだ双方をよく知り合っていない関係では、メールだけのやりとりは、時に相手に妄想を抱かせる。その妄想の中にご本人の”人”が出てくるわけだが、会う機会があるという事は、だいたいその妄想を払しょくさせてくれる。率直にしか生きない私にとって、彼のように聴くという姿勢を持つ人はありがたい。会う力は宝を得るかも。長い付き合いになるなぁと感じる。 音楽理論の重鎮、篠田さんの言うコードの話には100%の信頼が持てるので、安心してその教えを受けられる。またレッスン中に私の楽曲のアレンジを一緒に考え、仕上げはレッスン枠外の作業にして頂き、後日納品という、理想の形が出来上がりそうだ。自作曲の弾き語りも習う。望んでいた形が現実になるのは”あたりまえ”なのだとチョプラー氏や谷口雅春氏は言われるが、それが自分の体験で実証されると、やはり感慨深いものがある。天才Anzの後、Anzに近いアレンジ能力を持つ人が必ず現れるだろうと信じ、実際に現れたのがコミュニケーション能力もある篠田さんだが、彼のHPに紹介されているCDのデモを聴いた時の喜び、「うわ~この音楽が私のところに来るんだぁ~!」 歌子さんが今年の2月11日までに私のキャリアが確立すると言っていたが、丁度その頃だった、歌作りのイロハをしっかりと吸収できたのは。その直後の篠田さんとの出会い。過ぎてみなければ気付かないが、心が自由でその心の思うがままに前進していると、本当に自分が欲していた形ができるようだ。 「神は自分で現象化することができないから、人間に託されているんですよ。人間は神の代理人、だから(神と波動を合わせている人なら)願いが叶うのは当たり前なのです。」 失礼! 4/12 桃井かおりに大変失礼な事をしてしまった。2月28日のブログ「うそ」で、彼女の「私なんか嘘だらけよ」の言葉を紹介し私なりの月並みな解釈をしてしまったのだが、先日関口宏の「人生の詩」に登場した彼女の話は全く違うところにあった。「桃井かおり」と言う”個性派女優”を作り続けるための”嘘”だったらしい。いつまでもそれをやっていられない、いつその縫いぐるみを脱ごうかと考えていたらしい。 前後を切り取ったテレビ番組のダイジェスト版の恐ろしさ。よく分からずして人を批評する破廉恥さを蔑んでいたが、私自身が引っかかってしまった事が恥ずかしい。大変申し訳ない事をしてしまった。(*_*;。 「男たち」 4/13 すごいものを観た。4人の男たちの青年期から老年期までを描く、岩井秀人作演出の「男たち」。東京芸術劇場の250人ほどを収容する小劇場は、補助席も設けられ多くの若者たちに混じって一人二人私のようなおばさんがいた。休憩のない笑いと緊張の2時間素通しの芝居だったが、恐らく寝ている人は一人もいなかっただろう。今の若者たちの言葉がためらいなく役者たちの舌を滑る。そのまま現実の世界だった。 この芝居は東京芸術劇場のチケットカウンターで知ったのだが、演出家の名前も聞いたことがなければ、俳優も誰一人として知っている者はいない。ただ勘だ。チケットを買った後に、帰宅して岩井秀人をネットで検索すると、WIKIPEDIAに次のような紹介があった。 ー 大学病院の医師である父と兄から暴力をふるわれる家庭環境から、友人を平気で殴るような子供だった。あるとき友人に殴られたのをきっかけに人の目が気になるようになり、16歳から20歳まで対人恐怖症からひきこもり状態となった。ひきこもっていた間にゲームや映画をたくさん見たことから、俳優になることを決心し、進学のために予備校に通い始める - 時々思うのだが、WIKIPEDIAの内容は誰が書くのだろう。本人だろうか。上の紹介文を読んだとき、改めて同じ問いを繰り返した。上のように書かれて、彼の父親や兄貴はどんな気持ちだろう?彼等に対する”復讐心”なのか。本人の写真を見ると、喧嘩腰の青年と言う印象があり、ちょっと避けたいと言う気を起させる。だが、こういう若者が(と言っても41歳)どんな芝居を打つのだろうか。私の好奇心が騒いだ。 素晴らしい才能だ。言いたいことが沢山あるのだろう、とうとうと語られるストーリ・テリング。彼の別の作品も観たい気がしてきた。そしてまた彼は、ワークショップも開くと言う。今から俳優になろうとしているわけではないが、彼に触れてみたい。 花見写真 4/14 3月30日千鳥ヶ淵での花見とその後の二次会の写真が送られてきた。花見には10人強、二次会には20人程の集まり。写真写りにはヘアーバンドはなかった方が良かったかな。カメラマンの諏訪さんありがとうございます。諏訪さんに私がリラックスしているせいか、写真の私もリラックスしていますね。 「断捨離」 4/14 62曲目、「断捨離」がまとまった。学校は間接的強制があるから私は好きだ。授業を無駄にしたくないから、ミュージックスクールに行っていた頃はクラスがある度に新曲を作って行くか、以前書いたものの修正を見てもらっていた。 現在はチェックを入れてもらっていない作品がたまってしまい、なかなか次の曲に移る気がしなかったのだが、これではあかんと、書き始めた。それが「断捨離」。この楽曲はこれまでとは異なり少しこねくり回しながら、いくつもの代替案を出したりと、ゆっくりと書いた。 書きたかったところは、自分の命ほどに愛した相手との苦い別れが十年経ってやっと「写真の中のあなたが遠くなって行く」。あ~これで自由よ、綺麗にやり直し。身も荷も軽く断捨離。だけど、あなたの写真、捨てられず。そうね、「あなたの母様に送ります。これで最後の断捨離、シャララ~♪」。ワンコーラスだけであとはサビのリピートと言うこれまで使ったと事のない構成になった。 死ぬまでないよ 4/15 3年に一度くらいだろうか、最初の夫とランチデートをするようになった。今日がその日。新宿の住まいを売り払って多摩に引っ越すと言うので、その前に互いのそして共に知っている方々の近況報告をし合った。 「断捨離」を書いたばかりだったので、訳を言ってこんな質問をした。彼のもとを去り他の男(ひと)と結婚した私への「恨みつらみ、苦しさ、もしかすると恋しさから解放されるまで、どのくらい時間がかかった。」「断捨離」で書かれた”10年”が真実性を帯びているのか確認しようとしたのだが、「解放されないよ。死ぬまでないよ。だからこうやって逢っているんだよ。」・・・・ 内臓に重しが載せられたようだった。私は何も言えない。すまないとも言えない。一緒にいたら私は自分を滅ぼしただろう。それは彼をもさらにダメにしただろう。極端に動かない人と、動きたくてたまらない人との組み合わせでは無理がある。今でも彼を肉親のようには想うが、あの頃と微塵も変わらない彼に逢うたび「あ~別れて良かったんだ」と思わされている。愛しさの熱気、それを避けるように私は次の約束へと歩を進めた。 深く愛した昔の女/男を10年で断捨離できる人は、追いかけている夢や希望がある人なのかもしれない。そんな人に、この歌が受けてもらえればと思う。同時に、どんなに歳月が流れても、決して変わらぬ慕情を抱き続ける人がいることも、真実のようだ。胸がキリキリと痛む。 来ない連絡 4/17 目に見えないものを信じることは、確かに難しい。この人なら絶対間違いないと想っていても、言われた準備期間が1か月以上も過ぎると当然のことながら不安が募る。「互いの信頼関係が一番大事なんですよ!」と何度も強調され、そこに過去に繰り返された彼の失望が覗かれる。こちらから別件で入れた電話には、一瞬眉間にしわを寄せているような硬い声。だが電話の内容を話すと、突然花が咲いたように「あ~」と笑い声に代わる。それほど私は無言でいて欲しいのかと、連絡をやめ放っておいた。 こっそりこのブログを読まれて私を確認しているのだろうか、できる限り完璧を志す私のデモの置き換えに不安になったのか。相手をよく知らないうちは、不安を持つのも仕方のない事だろう。人は過去の自分の経験から視覚に入るものを色づけ自分を強張らせていく。色眼鏡を外して裸眼で見ようとする人は少ない。それはこちらではどうしようもない。だが、彼との言葉のやり取りを繰り返し嚙み砕くと、やはり嘘ではないだろう。まだ信頼してみようと思うが、 芸能関連の会社に数十年勤務し最終的に役員になって退職した旧友の話しに寄ると、プロデューサーには気難しい人が多く、ご自分が連絡をすると言って長く放置しておくと「あ、すまない事をしたな、そろそろ電話をしてあげないと」となるが、相手から電話がかかってくると嫌がり、それで終わりという事がよくあるらしい。確認やら催促をしてならないのがこの業界だとか(え?何年も待たされたらどうなるの。経過報告も聴けないの?・・・・阿保みたいな話じゃない!)。どちらがリード権を持っているか、立場の強さによって違うのだろうが、通常の企業とは違うようだ。封建制がそのまま残っているのだろう。 ま、なるようになるだろう。何よりも大事な事は自分を信じる事。私は自分ができることをやる、それが前進することだと思うから。私の楽曲が出て行くようになっているなら、出て行くだろう。私は行動が速い分、せっかちだ(最近は以前より数段気長くなっているが)。コミュニケーション能力が高い誰かが来るだろうし、どうにかなる。 「迷ったら運命を信じなさい」「種は蒔いたら努力するな」(ディーパック・チョプラー) 急かされる 4/19 音楽プロデューサーの仕事、特に一人をデビューさせようとする仕事がどういうものか、私には分かっていないのだと思う。こちらからの連絡は、たとえ別件の話であっても、”急かされている”ように取られるのだろう。「こちらにも事情があるんですよ」「色々な人との絡みがあって、予定通りにいくとは限らないのです」そんな言葉を聞いていた。 ずっと昔の事が突然今朝の瞑想中に訪れた。「俺はことしずこを3年で出す!」と所属アーティスト皆の前で宣言され、彼らの心情を考えると落ち着いていられなかった遠い昔の砂田さんの言葉。だが、その後、同じ事務所にいた島田歌穂がミュージカル「レ・ミゼラブル」の初演で脚光を浴び(彼女はエポニーヌの役でピカイチだった)、NHKの紅白歌合戦に出演すると言う事務所にとっては前代未聞の展開となり、砂田さんも私の事を忘れていた。3年経った時、なんとプライドばかりが強いガキだったことか、私は事務所を出ると告げに行った。「3年経ったもんな・・・」と砂田さんは呟くように言いすぐに私に仕事を紹介したり、関口宏さんのところに束の間いるよう紹介して下さろうとしたが、私はそれをも蹴って出てしまった(本当にどうしようもないガキ)。 先日、ホリプロの社長がテレビの「インタビュー」で石川さゆりの話をしていた。3人娘で森昌子、山口百恵、石川さゆりで行くはずだった組み合わせに、一つ年上のさゆりよりも、同じ中三トリオで行こうと突如桜田淳子が起用されることになったらしい。このトリオが売れ出したものだから、石川さゆりは蚊帳の外。長い時間が流れるが、彼女はじっと堪えていたとか。「あの感受性の強いさゆりをなんとかしてあげなければ」と、堀さんは彼女をスターにするため奔走されたらしい。別の番組で石川さゆりが言う「上の方々は(方向)転換が速いですよね。」当時の苦さの記憶が彼女の顔を少し濁していた。 私にはもう少し謙虚さが必要だ。まだまだプライドが高すぎる。 進め方 4/20 「一人ですべてを背負うのではなく、一緒に考えて行けたらと思います」 「なるほど」 こんな会話が昨年プロデューサとの間であった。70数年生きられて突然ご自分のやり方を変える事は出来かねるのだろう。それは彼ほどではないが長く生きて来た私自身にも言える事だ。長い間無言だと関心がなくなったのかと不安が募りこちらから進捗状況を訊ねてしまうのだが、訊ねて来られるのが彼には面倒くさい。思い返せば、「必ず連絡しますから」と「必ず」の言葉を大変強調されていたので、「何度言っても分からない人だ」となるのだろう。お互いに相手の言ったことを忘れ、進め方にずれが生じてしまった。 このブログの二つ上で書いた旧友が言う、「6か月待つように言われたら、その倍待つと考えた方が良いのよ。そして・・・」と戦略を教えてくれる。「また、契約をきちんと結んだわけじゃないから、他の可能性も当たってみたらいいわ」と続ける。 目に見えぬものを信じぬ人には笑い種になるだろうが、私の確信は歌子さんから頂いたリーディングに後押しされている。それで今回の躓きに、私の生き方が運命に素直であるか確認してみたが、大方間違っていない。無理もしていないし相手に無理強いもしていない。ひとりの人物だけはなかなか受け入れられないでいるが、その他すべての人たちと問題なく共存できている。だから、今描いている未来が前方にあると疑っていない。が、現象的に現れるまでほんの少しの不安はある。”進め方”が異なれば、難しいのかもしれない。 「あなたは大変直観力のある方で、ご自分でどうしなければいけないか分る方です。人の意見に左右される必要もなく、占いに頼る必要もない方です」と、姪の利恵子が「すごいよ」と勧めるタロットカード占い師が言う。信頼できる人による占いは、私にとって背中を押してくれるもの。だがタロットカードを使ったものは初めて。透視力なのか、少しの違いはあるが、かなり正確に相談者が知りたい相手が何を考えているか、どのような人物かを読む。 と言う訳で、しずこを応援して下さる皆さま、デビューは先に延びそうでございます。今度お知らせするときは、確実に固まった時にしますね。せっかちな私は、みなさんにも喜んでいただこうと話があった段階で言ってしまう(*_*;。 ところで、「タロットや手相は今のこの瞬間を見るので、変わります。西洋占星術は変わりません。運命を読みます」とか。ほんと、すごい! 熊本地震 4/21 14日に起きた熊本地震、16日の地震が本地震だと報道された。14日の地震は阪神大震災同様、その揺れは東京まで感じられなかったため、16日未明に東京の地面が揺れた地震は熊本ではない東京により近いところで起きたものと思ったが、それが熊本を震源地とする本地震。地面の中に這いつくばる巨大なエネルギーの塊、長くゆったりと揺れ東京で就寝する大人たちをも目覚めさせた。 何度と繰り返される余震に現地の方々の思いを想像する。東北大震災の時、東京でも起きる度重なる余震に徐々に体調がおかしくなって行く自分があった。地震が起きるたび嘔吐につながるような気持ち悪さ。 親族を失くされた方々の悲痛に、テレビを見ている私も涙する。経済、メンタリティー、自然環境などを考えると、日本は私にとって世界の理想の国のひとつなのだが、神はすべてを与えない。地震と言う弊害を渡された。 落ち着くのはいつになるのだろう。これから復旧への長い道のりが始まる。亡くなられた方々のご冥福を深くお祈り申し上げます。合掌 地震募金 4/22 東北大震災の時に比べれば、微々たるものだが、熊本地震の被害者の方々のお役に立てばとゆうちょ銀行を通して献金させて頂いた。 「あなた方を幸せにするために、私たちはお金をもらってあげるのです」これがイスラムの論理らしい。仏教における托鉢も相手に「功徳を積ませる修行」だとか。 そうかもしれない。 いい言葉 4/23 昨日「谷川さん、一つ詩を書いてください」というドキュメンタリー映画をみに下高井戸まで行った。テレビやYoutubeで彼の生の声を幾度か聴いたことはあるが、スクリーンで語る彼の言葉や、これまでとは別な問いにどんな言葉が返って来るのだろうか。これは、「すぐれたドキュメンタリー映画を見る会」主催のイベント。 東北大震災の被災者に向けた「ことば」を下さいと、映画監督が谷川さんに請う。「作られた言葉よりも、被災者の”自分の言葉”を聞いてから」と谷川さんは答える。それで被災者の数人がスクリーンに映し出されたが、そこには私にとってもこれで歌を作れたらと思う言葉があった。漁師とそこに嫁に来た農家の娘。漁師はいい男前だ。 「この人は、漁師のとこさ嫁さ来るとは思ってもいなかったんだべが、俺に惚れて来たんだ」 「農家と漁師のとこには行かねえと思ったべさ。だけど、漁師だという事も忘れてだ。それが恋愛だ(照れて笑う)」 「だけど結婚してからは、俺が惚れた。宝くじも当たったことがないけんど、この人は大当たりだ!」 二人、本当に幸せそうに笑い合う。 帰り際、若い女性参加者と駅まで一緒に歩いた。正直言うと、この映画には特別なものがあった訳ではないが、この参加者の映画の味方に教えられた。「ひとりひとりが魅力的な人だったと思いました。監督が谷川さんの言葉で被災者を「救える」と言ったときは、なぜ「救える」と言ったのだろうと理解できなかったけれど・・・。」周りに先導されてよくも分からないまま「xx反対!」と叫ぶ人もいる一方、しっかりものを見て自分の言葉で考えられる人たちがいると、彼女の言葉を聴きながら思った。私の作る歌の前途も「大丈夫!」と、なぜだか、自信のエネルギーが流れた。(^^♪ インプラント 4/25 割れた歯を抜いた後、そこにインプラントを挿入しようかと考えているが、周りの体験者からいい話を聞かない。私の義姉は20数年前にインプラント治療をした。自然歯は上下ともそれぞれ2本だけ。きれいな歯を夢見て1千万円ほどかけた決断だったが、上顎に挿入したものはすべて落ちて来たと言う。今は、下だけインプラント、上は入れ歯で安定していると話している。2年前に上下二本づつインプラントにした知人もやはり上顎のものが翌年に落ち、水も飲めないほどの痛みを伴ったらしい。彼女の場合は歯医者に返金を要求したがされず、その後この歯科医は電話にも出なくなり、医院まで訪ねて行くと閉院したのかと一瞬思わせられる暗さ。電気もつけず、治療は事前のアポによるもののみで、その時にだけ点灯するとか(なんと(*_*;)。 私は基本的に医者を信じていない。彼らの多くの開業動機は”金儲け”と社会的ステータス。倫理観の高い医師や治療医はあまりお目にかかれない。以前から疑問に思っていることがある。購入した品物に不具合があると返金か新商品との交換が当然だが、なぜ医療費にはそれがないのだろう。医師だけが特別待遇を受けるのはおかしい。薬が効かない場合もなぜその購入金額は返却されないのだろう。今は医院と薬局は別になっているところが圧倒的に多いが、医師の処方が間違っていたのだから、その責任は負ってもいいのではないだろうか。人体と言う重いものを扱っているだけに、特にそう思う。 十数年前に知人の若い女性歯科医が、上顎のインプラントは難しいと言っていた。私の抜いた歯は上顎歯だ。ブリッジだと前後の自然歯をかなり削らなければならないし、入れ歯だと横の歯に引っ掛ける金具が、笑うと見える。昨日江古田にあるインプラント専門歯科医のところに行って来た。患者数が多い、スタッフの教育が行き届いているところは少しの安心感を抱かせるが、それよりも抜歯の時にこの歯科医が現れた時、「あ、大丈夫」と言う勘が働いた。顎の手術、口腔外科、顔面手術などが専門であったらしい。「もちろん失敗はありますよ。2%程です。」何がほかの歯医者と違うかと言うと、データを取り世界で唯一のNYにあるプロセラ工場に送り、コンピュータで作られたガイド(テンプレートのようなもの)を送ってもらうそうだ。多くのインプラントの失敗は挿入する場所の間違いによるものらしい。ガイドを口腔内に入れても少しの角度の違いで失敗することがあるのに、手触りでやっては。。。。わなわなだとか(*_*;、怖い、怖い。 この医師の専門知識に頼る弁護士も少なくないらしい。インプラント訴訟も多いようだ。技術と高い倫理観を併せ持つ医師を探すのは難しい。 悲しみの理由は 4/26 音のない部屋に、ヨーヨーマのチェロが奏でるバッハが流れ始めると、突然空間が変貌する。なんと表現したらいいのだろう。。。。。音符が踊りながら私の体内に入り心の琴線に触れ、たまらなく揺さぶられる。昨夕洗濯物を畳んでいる時、音のない固まってしまっているような部屋の空気に気付き、ヨーヨーマのバッハを流した。途端に空間が一変し、妙に悲しい。悲しくて思いっきり涙を流したい衝動が起きた。もうその段階は卒業した筈だし、実際卒業したことに間違いはないが、掬い取れずに心の奥底に残したままの悲しみの小さな破片が、バッハと共に上昇して来る。 2年前だったろうか、この感情の記憶がある。突然の炎、やけどをした後のような心のただれ。すぐに曲を書いた。私の楽曲の中では異種の「ああ、あんた恋しや」。一気呵成に書き上げた。 ひとりひとりの強い感情はその人にとって宇宙よりも巨大だ。私の細い人生の中で生まれた悲しい感情もそう。相手を悲しませたこと、私が悲しんだこと。ここに連れて来られるために全てがあったのだが、久しぶりに襲い来るこの感情に深く思う。 悲しみの理由は、いつだって愛だ。 負け惜しみで言う訳ではない。この感情を経験できることの幸せを思う。ナルシストではないが、この感情の清さが嬉しい。 「ああ、あんた恋しや」の4コーラス目のメロディーを変えてまだ録音しないでいた事を思い出した。これは高音が続く楽曲。久々に声がガラガラになった。 「悲しみの理由」 4/27 もう4月も終わりに近づいている。季節に置いてけぼりをされているよう。いろいろ計画していたことが棚上げになって、心に隙間風が”微かに”通る。 今日は天気も良く、朝からゴルフの練習に浮間まで行こうとしたが、昨夜取り掛かり始めた楽曲を完成させたいと、ずっとコンピューターとピアノの間を行ったり来たりしていた。途中、気分転換に雑司が谷まで散歩。散歩に雑司が谷まで行くのは3回目になるが、毎回違った道を歩くので発見があって面白い。今日は、タンゴのライブを毎月14回ほど開催していると言う店を見つけた。こういうところの店主は趣味が高じて商売になった人が多いが、ここの店主も58歳で定年退職、親から譲り受けた店をアンティークな雰囲気に改装してタンゴカフェをオープン。シャンソンライブハウスを回って、内装を勉強したとか。黒いグランドピアノとマイクが置かれているその店には質の高いタンゴ・アーティストだけを呼んでいるとマスターは自負する。開店してまだ6年。それでも30人は下らない客を確保しているらしい(すごい!) その後一時間ほどジムで自主トレーニング。前々回のトレーニングでトレーナーがダンベルの重さを5キロから10キロに変えたが、その後かなり調子が良い。支えが軟弱だった左股関節がしっかりして来た。あるエクササイズでは、右膝がぐらぐらしたが、そちらもぶれなくなった。「継続は金なり」である。数えたら、トレーニングを初めて7か月になる。 取り掛かっている楽曲は、上のブログで書いた「悲しみの理由」。「ああ、あんた恋しや」の時のような一気呵成とは行かなかったが、できちゃった。 アンドレア・ボチェッリ 4/28 鳴りやまない拍手。4,500人のの大半がスタンディングオベーション。私を含め立たなかった人はただ億劫だっただけで、感動の深さは立った人たちと変わらない。会場を後にする人たちから漏れる「すごかったね~」「来てよかった~」の声。本当に、すごかった~。 この盲目の歌手を知ったのは20年ほど前。当時側にいた人が彼のCDを持っていた。「いい!」その時のCDジャケットの写真ではまだ髪も黒黒し体格も良かったように覚えているが、今日、東京国際フォーラムの舞台の上のボチェッリはやや痩せ気味の白髪だった。 パバロッティのテノールは艶がある。彼は声だけで聴かせる人。それもすごい事だが、ボチェッリはその素な歌が心を振動させる。雑念が全くなく、ただ歌う事が楽しくてたまらないと言う風なのだ。そのような歌う事への姿勢が彼の歌に表れ、人の心を打つ。イタリア語を知らないので何を歌っているのか分からないが、心が震える。時々見せる童心のような笑顔。「この人は自分が今どんないい顔をしているか鏡で映してみることもないんだなぁ」そんなことを思った。アフリカの子供たちや盲目の人達のために基金を設立している(アンドレア・ボチェッリ基金)。 Wikipediaで確認すると、彼はパバロッティ―に見いだされた。サッカーボールが頭に当たって脳内出血、先天性緑内障が悪化し失明。法学博士号を取得し弁護士になるが歌への情熱を捨てきれなかった。 CD販売テーブルには、開演前と終演後に人混みができていた。私もさっそくアマゾンに2枚の注文を入れた。 美しい時間だった。 風邪 4/29 花粉症抗アレルギー剤を就寝前に飲んでも日中くしゃみがでる。起きた時に喉が痛むので、口を開けて寝てしまったのか、たとえそうであっても空気が乾燥しているわけではないのに、翌日にも痛みが取れない。。。。昨夕のボチェッリのコンサートでは少し寒気がしたので、今朝起きがけに体温を測ったら、37度3分。やっぱり風邪か。エレベーターでうつされたのかも、と風邪を引いた子供と一緒だった瞬間を思い出す。 今年の1月にも風邪を引いているようで鼻をぐじゅぐじゅやっていた人と1時間強一緒にいたら菌をもらって帰宅した。すぐに葛根湯と市販の風邪薬で大事に至らずに済んだが、今回はエレベーターというほんの数分の間の出来事。それ以前に風邪を引く場所にいた覚えはないが、いやに足が冷たく「どうしたんだろう」と思っていた。ピアノの練習中ペダルを踏む足が攣った。 ずいぶん長い間風邪を引かなかったが、最近簡単に菌をもらうようだ。黒田光線に足やふくらはぎを当てて温かくしている。 |
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