2017年5月~9月 2016年
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  12月 
 
 歌って頂きました 12/26   Osaka? 12/20  息苦しいほどに 12/17   呆気に取られて。。12/12

11月
 
し~! 11/10  1週間のご無沙汰 11/7




10月
 

号泣して 10/30   頭でやらない 10/30   すごい、すごい! 10/27

ラッキー 10/26  80曲目 10/25  演劇祭終了 10/24   慢心 10/23   あ~ 10/21  鳥取その5 10/20  鳥取その4 10/19

鳥取その3 10/18  鳥取その2 10/17 鳥取その1 10/16 鳥取へ 10/15   無題 10/14  「お婆さんの絵」 10/13
   
触発されて 10/11  善意 10/10  谷川さんの講演 10/9  イベントの多い週 10/7  気づき 10/5  120を切れず 10/4  10月です~10/1

  9月14日 大学OB飲み会での写真。
気に入ったので、9月のブログからこちらにも持ってきました。(^^♪

私の専属カメラマン(笑)の諏訪先輩が撮って下さった。
先輩、ありがとうございます。


写真の表情は、自分の想像を裏切ることがよくある。

 ♪君が知っている君は鏡の中の君だけ
   君の知らない君を僕は知っているよ♪
   
       自作曲「化粧を落としておくれ」から





10月です~ 10/1

5月から9月までのブログページが重たくなり、新しいページになりました。変換速度の速い事!

そしてまた、今月でこのブログもいったん終了です。プロバイダーのKDDIがHPのサポートをしないことになったそうで、2年前から別なプロバイダーに移るよう催促されていましたが、サービス提供最終月の今月10月末まで待つ事にしました。その時までに、腰が上がって別プロバイダーに移行するかもしれないし、またはこのHP自体を閉じる切っ掛けが起きるかもしれないからです。

さぁ、先月の末、する事はすべてしたので、後は神の采配を待つだけ。実は今年5月にお逢いし、私の書いた楽曲に対し「なかなかいいと思いました。お話ししましたように会社の方針が若者市場向けに一本化されるので、直ぐに動くわけではありませんが。。。。ライブがあったらお知らせください。行きたいと思います」と言われた某レコード会社の「制作統括部長」は、恐らく私の楽曲を聴いた直後はその気になられたのでしょうが、会社の方向性と社内での自分の立ち位置を落ち着いて考えたら、やめておこうと思われたようです。ご本人曰く、「私は今いる二人のxxxとxxx(超有名年配歌手)がまだ元気でやっているので、そのためにだけ置いてもらっています。社員も私以外は皆20代から40代。彼等では年齢が余り離れているので、私を使ってくれているんです。私に権限はありません。すみません。。。。。でも、あなたはキサイですね。それに面白い人だ。あなたが出られた時は、大きな拍手を送ります」。彼と会い話をしていて、確かにエネルギーや力を感じなかったけれど、「制作統括部長」というタイトルに”力”を期待していました。

一時拍子抜けがしたけれど、私の楽曲がそれだけ魅力的だと言って下さっていると受け止め持ち直しました。こういう経験をしながら色々な人がこの業界にいる事を学び、どこが最適なのか、最適な場所に辿り着いた時の心構えのようなものが育っているのかも知れない。どこにも執着せず、どこだとも決めずオープンでいて、やる事をやり、後は神の采配に全詫しよう。で、気を取り直して、昔書いた作品を見直しています。楽曲提供なら何歳になってもできる事だから。

10月の空気に触れたら、このHPトップページの写真も模様替えしたくなりました。で、しました。(^^♪




120を切れず 10/4

昨日は、ゴルフコンペに参加。川べりの練習場での成果が出るかと期待したが、ぜ~んぜん。121でBB賞を頂いた。2点か3点違って110台だったらルンルンするのだけれど。。。。なんせものすごいハンディーを頂いているので(38)、優勝候補にもなるかと(がは)思っていたが、100を切らなければ優勝はない事が分かった。それはかなり無理。練習場は真っ平だけれど、本格コースに行くと、グリーンもまっすぐ打てばいいというのは18ホールの中で、ひとつ二つあるくらい。後は、キャディーのアドバイスに「え~そんなところに打つの?」と疑ってしまうほど曲がる。芝を読むほどの余力は私にはない。それでも幹事の話では、他の人が優勝をしてハンディーがどんどん小さくなってくると優勝の可能性があるとか。な~るほど~、ゴルフは本当にうまい仕組みになっている。いつかは皆に優勝の機会を与えるように出来ているのかも。

ゴルフをしていていつも思うのは、調子が出ない時のみんなの言い訳。今回も「目が悪くなって」「腹いっぱいになって」。。。で、私には思いつく言い訳が無かったので、「私はどんな言い訳をすればいいかしら」とチームに訊ねると、「チームメンバーに恵まれませんでした、って言えばいいよ」。で、BB賞の受賞スピーチで、そう言わせて頂いたら、、、、、(''◇'')ゞ(^◇^)。

BBメーカーになられた方はハンディーが29で、私と一点差。帰りの電車は他の方々も含め一緒だったが、繰り返し「私のお陰ですよ!」と恨めしそうに言われた。プレイ中にみれる全体のスコア評から、ご自分がBB賞だろうと見積もっていらしたようだ。すんまへん(''_'')

後記:どんなに小さな賞でも頂くとうれしいが、やはりスコア自体が上がるのが嬉しいかな。力が少しでもついてきたのが確認できた時、やる気も増すみたい。




気づき 10/5

今朝の瞑想中に、気づいたことがある。

私たちは自分の希望成就の為に神頼みをするが、逆なのだと。人はだれしもある役割を頂いて、ある時に、ある所に生まれてくる。生まれてくる国も、家族も、その他の環境も自分が選んでいるわけではない。すべて頂いて(or 選ばれて)生まれてくる。そこから何かをするために。

その「何か」は、自分自身の希望や願望なのだと錯覚するが、そうではない。神がそのように仕向けている。それぞれの人の中におられる神が。つまり、人間は神の希望を五感に感じられる形にするためのお手伝いをするのだ。

だが自分の中に神を感じられる人と感じられない人がいる。それをゲーテはこう言う。「神は、今も絶えず、より低いものを引き上げるために、より高い人達の裡で活動し続けているのだよ。」

自分の望みだとした時に現れてくるエゴは、石ころのように身体の中でゴロゴロ動き回り、なかなか溶けて体内から出て行ってくれないが、その邪魔者がいるから人は伸びて行き、様々な気付きを頂く。そのエゴや気づきがなければ、この地上での生活も、確かに、退屈なものになってしまうだろう。




イベントの多い週 10/7

この一週間はイベントが多かった。120を切れなかったゴルフに続き、演劇祭審査員と出演劇団の意見交換会、楽天テニス・オープン準々決勝観戦、そして今日は山田太一と寺山修司の往復書簡朗読劇「季節が僕らを連れ去ったあとに」と続いた。

「季節が」はチケット購入後、演劇祭審査員に向け無料鑑賞券が届いた。演出も内容もなかなか良かったが、お昼にビールを飲んでうとうとしてしまった事もあって、無料招待券を使い再度観させて頂くことにした。

有明コロシアムで開催されたテニス準々決勝には、いつもはテレビ画面を通して観るベルギーのゴファンや今年のウィンブルドン決勝でロジャーフェデラーに敗れたクロアチアのチリッチを生で見る事ができたことが良かったかな。が、テニスの試合自体は、興奮のあまりないものだった。デルポトロ、モンフィス、ワウリンカ、圭等々、ワクワクさせてくれるような選手がいない中での試合はこうなるのだろう。ロングラリーだけの、あまり仕掛けの無い試合。つまらなかったと言ってもいい。杉田君が出ていたが、彼は技の引き出しが多くないから体力消耗戦になる。会場のファンは熱心に応援していたが、私は自国の選手だから応援するという贔屓はあまりしない。国籍に関係なくスリリングな技を持ち、メンタルがきれいな人を観たいし応援する。錦織圭も、3年前までは全く関心なかった。いつもロングラリーだけなので、積極的に勝ちに出ない。そのため、体力が消耗して強敵を倒した次の試合では足が動かない。今ではいろいろな仕掛けを挟んでくるから面白くなったが。

会場には青森から深夜バスで来て日帰りと言う高校生、福島から応援パネルを持参してきた女性、そして私の居住地にかなり近いところに住んでいる方々と隣り合わせになった。

会場を出た時には土砂降りの雨。濡れた闇に数筋の街灯が照らされる中でバスを待った。混雑したバスの中に立っていると、長い間観たいと思っていたテニスを観戦できた潤いと、雨が連れてくる淋しさと、この先に温かい部屋がある事の幸せが心の隅に咲いた。




谷川さんの講演 10/9

新国立劇場で「トロイ戦争は起こらなかった」を観劇。その後のトークショーにも参加した後、学習院大学へと急いだ。この大学の創立100周年記念講堂で河合隼人財団と学習院大学心理相談室共催による「谷川俊太郎さんが語る河合隼人:仕事仲間・あそび友達」がある。

谷川さんの声や話を直に聴いてみたいとずっと思っていたが、Facebookを通じでこのイベントを昨夕知り直ぐに参加費を振り込んだ。谷川さんの詩についてはこのブログで幾度か触れて来たが、ご本人が言うように、彼の詩には日常があり、独りよがりにならず読者を常に意識しているからだろう、ついて行ける。中原中也、ヴェルレーヌ、ランボーなどの詩を読んだりもしたが、楽ちんでない。あまりに閉じられた自分の内奥の悩みや夢の世界の叫びごと、、その滔々と流れる言葉に乗ることができず、率直に言うと、途中で注意がそがれ、同じページにずっといながら他の事を考えたりしている。対し、谷川さんの詩には思わず微笑みながら、次のページで発見されるものを楽しみながら、先に進んでいける。最後に突然シーンを変える彼の詩の特徴が、読者を刺激する。

学者で親しくなったのは河合隼人だけだという。河合隼人はユングなどの心理学研究に貢献した学者だが、詩の言葉はどのように生まれるか、谷川さんに語ったらしい。そこから学んだ谷川さんは、徐々に詩の作り方を変えて行ったと言う。ここのところをもっと突っ込んで欲しかったが、「聞き手」役の河合俊夫氏(おそらく河合隼人の長男)はソフト過ぎてやきもきする。質疑応答時間を設けていないこの講演会の休憩時間にこの質問を谷川さんに投げてくれるよう頼みに行った: 1.河合先生は詩の言葉はどのように生まれると話されましたか。 2.その話を聞いた後、谷川さんの詩がどのように変わっていきましたか。質問は正確に投げられず残念だったが、なんとなく分かったように思う。散文と違い、詩は、言葉にならぬ前の理路整然としない思いを読む。ふん、ふん。そうか、そうか。私は全身を耳にして聴いていた。

それにしても、小さな願いがどんどん叶えられていく事に不思議と言うか、宇宙の波動に私の波動がしっかり乗っている事が検証できたような駆け込みセーフで聴けた谷川さんの講演だった。24時間前に知り、すでに定員に達し締め切られていたが、キャンセルした人がいる筈だと押し掛けたのである。事前予定ともかぶらなかった。

新国立劇場の「トロイ戦争は起こらなかった」はフランスの戯曲だけあって、なんせ言葉が多い。かなり追っていたが、だんだんこっくりこっくり。目を覚まして集中。またこっくり。最後のカーテンコールで観客の拍手がやまず、俳優たちは3回も現れた。しまった~(@_@)。ダイナミックな美術が素晴らしかった(二村周作)。




善意 10/10

安倍晋三首相の妻である昭恵さんが軽率な行動をしているとジャーナリズムが叩く。首相の奥様になると大変だ。心ままならずになってしまう。彼女が善意で起こした行動も、周りの捉え方で「災い」となる。だから、人がひしめく世界では、「見ざる、聞かざる、言わざる」を訓戒とするのだろう。

どんなに「善意」から発せられた言葉や行為でも、メンタルがひん曲がっていたり、荒を探そうと手ぐすね引いて待っている手合いには「災い」とか「汚れ」と解釈する種になる。野党は安倍政権を転覆させる機会をいつでも探しているから、そこに彼女の善行が引っ掛かった。安倍政権がひっくり返って、今の野党が与党になったらまた同じことが繰り広げられる。議員職とは捻じ曲げて考えなければならない偏狭な仕事なのか。尖った人智の衝突だ。

だが、それもどこかにつながって行き、全体的に見ると結果的には良い方向へと向かうのかも知れない。昭恵さんが言う、「私は何をしたのでしょう」「神はどこに導かれるのでしょう」。

私にはこの言葉がとてもよく理解できる。身体の底から熱情のようなものが湧いて何かをしようとする時、それが自分のエゴから来るものなのか、または自分の中の神が指し示す事なのか、翌日もう一度自問自答する。どうも神のアイデアだと思えた時、実行する。昭恵さんも、悪い事は何もしていない、一体神はどこに導かれるのかとなるのだろう。

神の傍に座を占めようと志して以来、神は私に対していつもそうだった。思いもよらないアイデアを落とされる。「まさか?!」とか「曲解されるのではないか」と驚いたり懸念したりしながら、辻褄を合わしてその合理性を考えて実行すると、先で思いもよらない人達が動き出して、問題は解消される。そんな事が幾度か繰り返され、私は吐息をつきながら神の智慧に脱帽し、深い感謝を贈った。神が下される知恵の行方は分からないが、とにかく実行する事が私の仕事だと思っている。その行為が裏目に出るかもしれないとドキドキしながらも、「えい!」とそのアイデアを実行する勇気を絞り出す。成功の反対は「何もしない事」だと教えられたが、人は何かをするように生まれているし、せずにはいられないし、する事で宇宙は善き方向へとゆっくりと動いていく。神の計画は一個人のみに限らず、全世界、宇宙全体に及んでいる。一個人にとって不幸に見える事も、全世界、全宇宙の進化につながって行くのだと思う。




触発されて 10/11

 『フィガロの結婚』を聴いてきました。上演されれば、その度に行くつもりです。私がモーツァルトを崇拝しているというと、あなたはびっくりするでしょうね。私も驚いているのです。私のように心も精神も健全でない失意の男が、なおもモーツァルトを楽しむことができるのですから。ベートーヴェンの深さと力に、シューマンの輝きと情熱に、・・・ワーグナーのきらめきには心を動かされないのにね。モーツァルトは、押しつけがましいところがなく、扇動的でもありません。私の心を奪い、喜ばせ、慰めてくれます。彼の音楽を聴くと、ああいい事をしたと感じるのです。・・・長生きすればするほど、そして彼を知れば知るほど、彼の音楽を好きになります。
-ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー

 『フィガロの結婚』の一曲一曲に脱帽だ。こんな完璧な曲を創造できるなんて、とても人間業とは思えない。このような曲は、ベートーヴェンでさえも作曲していない。
-ヨハネス・ブラームス

 『フィガロ』では、ダイアローグが純粋に音楽になり、音楽そのものがダイアローグになる。
-リヒャルト・ワーグナー

 「ドン・ジョヴァンニ』を作曲したのはモーツアルトじゃない!まるで、卵、小麦粉、砂糖をかき混ぜて作ったケーキかビスケットのようだ!それは、神が創りたもうたものだ。全体ばかりか細部にまでも、ひとつの精神が浸透し、ひとつの生命の息が吹きかけられている。
-ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ

『ドン・ジョヴァンニ』の素晴らしい演奏が聴けるならば、この世で一番嫌いなぬかるみを十里歩くのものいといはしない。・・・既存のいかなるオペラも、いかなる文学作品も、これほど強烈な喜びを与えてくれないことは確かだ。
-スタンダール
~~~~~~

上に列挙した偉人達のこんな言葉を聞いたら、だれでもモーツアルトのCDを一枚くらい買ってみたくなるのでは?それで、クラシック音楽は、中でも器楽は、右の耳から左に突き抜けるだけだった私も、買いました。恐らく生まれて初めて、流し聞きではない聴き方をしています。東京に珍しい、濃霧が朝を霞めた日に。(^^♪

そして、恐らく創作の一日にしたかったのでしょう、新曲の歌詞を書いてみました、「お婆さんの絵」。モーゼス婆さんの絵(「グランマ・モーゼスの贈り物」)を観た後の印象をしたためました。外には出たくない一日だったのです。




「お婆さんの絵」 10/13

「グランマ・モーゼスの贈り物」は、モーゼス婆さんの彼女の人生の解説付き画集。75才で絵を描き始め、彼女の絵が目に留まった一人の紳士が彼女の個展を開き(80歳)、多くの人に知れ渡るようになったという。アカデミックな絵画教室に行ったことの無い彼女の絵は、大変素朴。作品に何かの意味を持たせるわけでも、何かをアピールしている風でもない。ただ自分の中に浮かんできたものを子供のようなタッチで描く素朴な画法が当時の米国人の多くを惹きつけたとある。

山間の村の人々の生活がつづられたその絵には常に人がいる。ヨーロッパ人の多くが描く寒々とした孤独感が押し寄せる自然とはかなり異なる。画集を一ページずつ開いていると、私は突然の淋しさに襲われた。大家族のある生活、代々受け継がれて来たかまどや、建物や、つるべ。知っている人や働く人の声が常に聞こえる。共に助け合い、喧嘩し、そして仲直り。秋の干し草の香りの中で、ニワトリ、犬、子供たちが一緒に声を立てて遊ぶ。そこには、都会が捨てて来た事や物が溢れている。

谷川さんが「電話をして話したい相手もいない」とその詩の中で書いている。その時、私は?と自分に問いかけた。本当に話したい相手。。。。。

孤独を背負って生きている人達はモーゼスの描く今は亡き風景が恋しいのだろう。私の心の中には寒風が走った。

79曲目、「お婆さんの絵」には、そんな思いを書いた。メロディーは、常にそうだが、以前から知っていたかのように出て来た。だから、誰かがすでに書いた曲かと、いつものように思う。




無題 10/14

不思議だ。モーツァルトを流していると、いつもと変わらない部屋なのに、別の空間にいるようだ。ホテルの一角にある居心地の良いこじんまりとしたサロンか。ごてごてしたものでない、質素だが上質な空間。ガラス窓を正面に高層ビルの頭上に空を見、CDコンポを右にして、深いひじ掛け椅子に身を委ねて本を読む。遠い遠い、ものすごく古い記憶の中に連れていかれるようだ。

「あなたは中世のヨーロッパで大きな存在でした。」数年前に歌子さんの占星術で言われたこの言葉、以外でもなかった。「やっぱり?!」と思った(こういう話をまじめに聞ける人は少ないと思うので詳細は割愛)。その後もヨーロッパで繰り返し生まれて来たように思う。「アジアには今回初めて生まれてきた」からか、日本のどこを旅しても感じない郷愁がヨーロッパにある。その時の記憶が迫りくるのか、モーツァルトを聴いていると懐かしさと寂しさに胸がきりきり痛む。震えて涙が出るほどに。私の魂はとても寂しい思いをしたのだろう。寒空の寂しい風景、部屋には私ひとり。誰かと一緒にいる景色ではない。私はその頃、修道院にもいたように思う。

魂の奥の奥、深い深い底にある記憶。新生児が母親の乳を飲むことを記憶しているように。




鳥取へ 10/15

今日から5日間ほど鳥取の三朝温泉に行く。大学の先輩の一人が頸椎の手術をするというので、人間の手を加える前に神の手の中に身を委ねたらどうかと、温泉療養を薦めていたら、私の踵の古傷が「わたしも~!」と突っつき始めた。で、今日から温泉に浸かりに行く事にした。秋田の玉川温泉が冬場の11月から3月末まで閉めるようになったため、湯治の人たちの予約がこの期間に殺到、6か月前の予約でなければ無理だという。それでこの機会に、玉川温泉と同じ効果があるという三朝温泉を試すことにした。こちらはWIFIも部屋で利用でき、温泉街には食堂を始め様々な店もあるそうな(玉川温泉は谷底にあり、周りには何もない)。

これもシンクロニシティ(同時発生)か、来週の火曜日からジムもマシンの総入れ替えで1週間閉業になると言われ、ラッキー。もう一つ小さなラッキーがあったのだが、ちょっと思い出せない。

モーツァルトと本、そして歌詞の整理整頓のためのPC。さらに新しい景色があれば、充足した時間が過ごせるような気がする。そろそろ出かけましょっと。(^^♪



鳥取その1 10/16

ところ変われば

大きな鍋に入れられたイモの煮っころがしのようにふつふつと湧き出る源泉の中で体の中まで熱が通りちょうどいい塩梅に温かくなったところで上がってくる。その間隣に居合わせた人とおしゃべりや情報交換をする。温泉と聞けばそんなイメージだが、私が泊っているここ鳥取の三朝温泉の宿は、6つの浴室のうち「女湯」「男湯」と書かれた温泉だけが共同風呂で、他は皆プライベート使用。誰かが入れば中からカギがかけられ、一人でゆっくり心行くまでお浸かり下さいとなる。そのプライベートの浴室は皆地下にあり、地下倉庫に降りていくような急階段になっている。蒸気風呂などはまるで洞窟の中だ。そこに一人で入るのだから、ちょっと度胸がいる。

ラドン水だが、その濃い順番にフロントから奥に配置されている。建て増しを続けたようで古い家屋と建て増された家屋の繋ぎはつま先上がりか、階段のぼり。ご主人の趣味か、建て増されたところの部屋の廊下は黒色の石が引き詰められ、高級料亭の玄関を思わせる。建て増すたびに風呂を作ったようで、どの風呂に行くにも、こっちの階段をおりたら曲がって、またあっちの階段をおりる。やたらに階段が多くて迷路で使いづらい。清掃担当者や配膳係は大変だろうと思ったが、床を作りに来た時に訊いてみると、おかげで足腰が強くなったと言う。そんなものです。はい。

おもしろいのは、その地下浴場のつくり。地下にあるから湯気を外に逃がすために屋根の高さ(3階建て)まで排気塔が浴室の真ん中から開けられている。それが湯船の真ん中からみえる。小さなサイズの”外界”に何かほっとする。そして浴室のタイルは白地に青一色のシンプルな唐草模様で、数十年前にスペインやモロッコを旅した時にみたような記憶がある。そうね、イスラムの富者の浴室だわ。そう思っていたら、それを思わせるような写真がこの旅館の廊下の壁に貼られてあった。この風呂場で、ここの初代とその友人らしき男が髪を島田に結った芸技二人を侍らして体を洗わせている。まぁ、そのご満悦そうな顔と言ったら。。。。


左:宿泊した「木屋旅館」    中央:プライベート浴室     右:排気塔



鳥取その2 10/17

温泉の効果的な入り方

この宿の息子さんは色々と勉強されているようだ。宿に着くと、温泉の入り方をまず教えてくれた。温泉水を一日コップ3杯飲みさえすれば温泉に浸からなくてもよい程の効果があるらしい。次にお薦めが、蒸気風呂。のどや鼻からラドンガスを吸引する。3番目が入浴。彼は温泉セラビーガイド認定証をお持ちだ。玉川温泉に関しては行政に10年計画が浮上しているらしく、一帯を医療/経済特区として開拓し、三朝温泉のように住民のいる地域にするとか。三朝温泉地区では住んでいる人も温泉が発するマイナスイオンやラドンガス効果で、健康を維持できているらしい。

鳥取県が日本で一番住みやすい県に選ばれ、東京都をはじめ他県から移住している人が増えていると、今回こちらに来る2日前にテレビで放映していたが、三朝温泉にも実際移住者がいた。ランチで入ったレストランのオーナーは、世界のあちらこちらで15年間料理人をやった後、三朝にいると体の調子がいいので住み着いたという。両親は東京在住。

玉川温泉でも同じような事を聞いた。大阪から来ていた70歳の男性だが、ガンで余命3か月と言われ、抗がん剤に耐えられる体力がないからと、医師自らに玉川温泉に行くよう薦められ、既に7年生きていると言う(14,5年前の話)。彼は玉川温泉に来ても入浴せず、7日間ほど滞在して温泉が吹くところに立ってガスを吸引するだけ。それを聞いた時には信じられなかったが、温泉セラピーガイドの言葉で納得した。玉川温泉一帯に住区ができれば、確かに住民全員が温泉の恩恵を受けられる。そうすれば都会から地方に移る老人たちも増えるかもしれないし、一つ一つの住戸にラドンガスを引いて、アイスランドのようにオンドルになる可能性だってある。この温泉を求めて国内外の観光客も増えるだろう。

旅ではいろいろな人と出会い、色々な話が聴ける。これが私の旅の醍醐味だが、今回の旅では最高の贅沢が追加された。一人独占の贅沢な空間でIpotに入れて来たルビンスタインのピアノによるモーツアルトを聴きながら、または本を読みながら、またはPCで作業しながら温泉に浸かる。これって、ものすご~いリッチな気分。モーツアルトの後に自作曲を鳴らしたらヘナってしまうかもしれないと度胸がなかったが、思い切って流してみた。帝劇の「レミゼラブル」や「ミスサイゴン」に出演していた由美子の反応などを思い出して。。。。。すると、あれ?全然聴き劣りしない。モーツアルトの生まれ変わりではないかと最近思い始めたAnzのアレンジに負うところも大だが、ただ違った種類の音楽という印象。いいんだねぇ~、私の曲(がははは)(''◇'')ゞ。




鳥取その3 10/18

ヌード劇場

昭和の色を残そうとする温泉街の意図なのか、「ヌード劇場」という看板に手招きされて近寄ってみると、かつて出演した女たちの裸体写真が「劇場」の説明と共にショーウィンドーに展示されている。こんな小さな鄙びた場所に目立つ看板。町の男達が来たのか、温泉浸かりに外から来た男たちか。温泉とヌードショーはセットで呼び物だったのかも知れない。北海道の温泉街でも似たような風景があったように思う。性欲を抑えつけられた時代、女が寄ってこない男、何かのトラウマがあって女を辱めたい男たちには必要不可欠なものだったのだろうなぁと、ずいぶん”大人”になった私は思う。

そのかつての「ヌード劇場」を使い、時々吉本興業の見習い芸人が1か月ほど寄席をやるという。ショーウィンドーの外に近日公演の案内が貼られていた。私がここに滞在している期間中の出し物は「三朝小唄」の弁士付き30分の無声映画。入場料300円。見に行った。

中はまるっきり”小屋”だ。2畳か3畳ほどの木造りの舞台に客席は土間。その土間におよそ25センチ幅の長ベンチがいくつか置かれてある。私を含め3人の客を相手に、30代か40代の女弁士がスクリーン上に書かれたセリフや俳優の口に合わせて声色を変えながら話していく。内容は明治か大正時代の話だ。三朝一美人を娘に持つ父親は飲んだくれで、暴力をふるう。娘が良家の画家を志す息子と恋仲になるが、お金をせびって来いと殴る。良家の息子が他用で東京に帰っている間、この父親は娘を鳥取に売ってしまう。

この弁士の話し方がなかなか良かった。大げさでなく、父親や良家の息子、娘の声の使い分けが心地よくできていた。

ヌード劇場の斜め前には「射的」と書かれた娯楽場がある。初代のパチンコ台やスロットマシン、鉄砲で景品の打ち倒し。時々観光客が物珍しそうに入るが、客はほとんどいない。スマホで動画を見ながら太めの若者が一人番をしている。

昭和はねとねとした陰湿っぽい時代だったんだなぁ、今の若者は人種が違うわけだと秘かに思った。


左から:①カメラに収めた時、看板は「芝居小屋」だったが、滞在中「ヌード」に変わり看板には煌々と明かりがともされた。②小屋の中、女弁士と無声映画のスクリーン
③新聞に取り上げられた小屋の解説 ④「射的」屋の中にあるパチンコ台 ⑤射的 ⑥温泉街に目立つ看板。掲げているのは日本人ではないらしい。このようなものを掲げられて迷惑だという旅館経営者、もっともだと迷惑に思っていない床屋の主人。



鳥取その4 10/19

登山

数週間前に大学の先輩から登山をしないかと声をかけられた。「登山?」私にとっては「うえ~」と下あごをさらに下に引っ張って反応するアクティビティである。前腿が張る。しんどい。そんな私がここ三朝ですごい登山をした。ところ変われば気分も変わる。旅は何でもしてみようと言う気にさせる。

宿の息子さんの利洋君の案内で三徳山に登った。三徳山は修行僧や山伏が行のひとつとして登るところ。藁草履に履き替え、山伏が肩から斜めにかける襷(たすき)というか輪袈裟の様なものが与えられ、軍手をはめて登る。木の根や岩や鎖をよじ登るのである。険しい。傾斜角90度に近いところもあるように思える。オリンピックゲームのボーダーリングのようなもの。道はほとんどなく、人が通った轍を踏んでゆく。往復3時間ほど。

参詣者案内所からこの修行登山地帯に行く途中にお寺があり、ニコニコとお坊さんが寺から出てこられた。そのお坊さんらしい笑顔に、こちらもにっこりとお返ししながら寺の門まで来ると、中から一休さん達が列を作って出て来る。「まぁ、かわいい」思わず声に出した。子供たちの一休さん初体験だという。そのマスコットのような可愛い姿をバチバチとカメラに収め、三徳山の頂上にある三仏寺(投入堂)に向かって登っていると、今度は、山伏の修行僧たち20人程と出会った。ここの行は初めてらしく、彼らも山の険しさにエキサイトしている。「今日は本当にいい事づくめですね。こんな事めったにありませんよ。」これまで100回以上三徳山ガイドを務めて来た利洋君が驚いたように言う。前日までは雨。私の登山予定日に晴れて三仏寺まで行き着いたことに加え、こんな吉事。

登っているうちに体温が上がりジャケットを脱ぎ腰に巻いて更に登る。軍手のお陰で太い鎖に思いっきりつかまれる。やっと着いた文殊堂の回廊に座り大山(だいせん)の絶景を見る。落ちたら9割は助からないと言う。そうだろう、深い谷底だ。高所恐怖症の私は回路を歩くだけでも膝と子宮が竦む(へえ、子宮が竦むんだぁと、この発見が新鮮だった)。山を下りる時は藁草履が脱げそうになり、これが厄介だったが、目的を達し降りて来た時にはやはり達成感がある。参道あたりまで戻ったところに茶屋があり、そこでお昼を頂くのだが、そこまでの階段が一段降りるごとに膝にかなりの負担を感じる程、段が高い。茶屋から巻き尺を借りて測ると25センチ。普通の家庭の階段は大体15センチ。ガイドの話によると、山伏は一枚下駄で降りてくるので、下駄の高さを考慮して段が高くなっていると言う。なるほど~と彼の勉強好きに感心した。

利洋君が途中様々な山菜を説明してくれた(私は直物の名前と魚の名前を全くと言っていいほど知らない。そもそも覚えようとしない)。栗にそっくりな栃のみを料理に使う茶屋の傍を通りながら、灰を使った灰汁の抜き方なども。そこで栃のみの料理を頂いた。

三徳山登山は実によかった。念のためネットで検索したら沢山の口コミが高く評価している。この”登山”をやったからには先輩に「登山、付き合います」って言わなければ(^^♪。

左の写真は三仏寺、通称、「投入寺」
偉い聖人がこの寺を「エイ」と投げ入れたら、ピタッとここにはまったとか



鳥取その5 10/20

鳥取砂丘

30年前になるのだろうか(うわ~、あっという間だ)。有吉佐和子作「山彦物語」の復活で松山政治、尾藤イサオさん達と地方巡演をしていた時、鳥取でも公演したのだと思う(はっきり覚えていない)。休演日に出演者全員で砂丘を見に行く事になったが、私は久しぶりに一人になれる機会を選んだ。それ以来、「鳥取砂丘」が誰かによって発音されるたびにこの時のことを思い出し、当時行かなかったことを少し後悔した。それを実現させた30数年後の今、あの時皆で行っていたなら、この砂丘を再び訪れる事はなかっただろうし、今抱く感慨もなかっただろうと思う。

多くの人は、砂丘の真ん中を直線に海岸まで行って戻ってくるようだが、そんな事をしてはもったいない。一時間ほどで一周できると言うので、ぐるりと回った。人が群がっているところを離れひたすら歩いていくと、盛り上がった砂のために人の形は全く見えなくなる。黙々とひとりで歩き、来た道を振り返る。誰もいない。たった一人。「誰もあなたを気にしていない。風にさらわれようが波に呑まれようが。生きてもいいし、死んでも構わないのよ」と言われているようだった。

  浜坂の遠き砂丘の中にして さびしき我を見出でけるかも (有島武郎)

一人で砂丘に立つ時、さびしさを感じるのは私だけではないと言われているようで、ほっとする。砂丘の上にただ一人、振り返れば踏みつけた自分の足跡が深く大きくしっかりと残っている。砂の中にずぼっと入ってしまう足。引っぱり出すのに重たい。どうにか動かして歩いてきた。人生でつけて来た足跡のようで、「しず、よく頑張って来たね」と愛おしく感じる。自分が付けてきた足跡、それを一緒に愛でてくれる者が欲しいと人は思うのだろう。だから、自分の回顧録を残す人達がいる。

   我が残し足跡愛でるわれ一人 さびしき夢ぞ波にのませむ (しずこ)

砂丘の中で迷子にならぬよう、砂丘を歩く前に渡された地図を頼りに、100メートル間隔に立っているポールを探す。このポールには現地点が表示されている。いつだってどこにいたって人に囲まれる東京のど真ん中に住んでいる者にとって、30分も人を見ない所にいれば不安に襲われるだろう。それがおよそ1時間半、砂と砂丘に咲く花だけを相手に歩いている寂寥感。波の音さえ聞こえなくなる。頼るものは自分しかない。自分の足のみ。途中、ポールが見当たらなくなったところに出てしまった。砂丘を登るしかない。足が砂に取られる。雨が一粒落ちたような気配。もし雨なら本降りになる前に出発した場所まで戻らなければ。それほど大きな砂丘ではないので大事に至ることはないだろうが、SOSを求める連絡先も知らない。不安が入り混じって這いつくばって必死で登った。平坦な場所に出て向こうに人影が見えた時は、人のいる事のありがたさを思った。

砂漠に住む人たちを思ったし、砂漠で迷子になる人達を思った。


上段左端から3枚は砂丘
4枚目は砂丘に咲く花
5枚目が「足跡」、直近で誰も歩いていないため風紋がみえる

砂丘の近くに「砂の美術館」がある。米国の砂像アーティスト達による作品が展示されている。
「日本の歴史にしたらよかったのに」
「日本には砂像芸術家はそんなにいないんです。」


鳥取への旅の写真をそれぞれのブログに挿入しました。遡ってご覧ください。




あ~ 10/21

今日の朝、言葉に出せない喜びが満ちた。外は雨。目の前の超高層ビルの上層が霞み、街の色がぼやけている。とても気持ちよく瞑想を終えた後、こんな日はモーツアルトに限ると、ピアノコンチェルトをかけた。その清い、まるで天の音を流しながらキッチンで朝食を作っていると、「これ以上何を望もうぞ」と思った(^^♪。昨日までの鳥取一人旅が終わり、何か自分がさらに豊かになったような気がする。あ~、ありがたい。

瞑想中訪れた想い。周りで起きる”嫌な”ことは、私の真の強さの礎になっている。本当にすべてありがたい事なんだなぁ。そしてこの世に「私のもの」「貴方のもの」というものはないんだなぁ。皆、自分の魂を磨くために一時頂いたものに過ぎない。そんな”真理”を体中から思えて来ている。あ~、自分が嬉しい。

さあ、今日は久々の近藤先生のクラス。この期間に書いた「お婆さんの絵」も一緒にみてもらいましょう。鳥取土産を持って長靴を履いて行こう。




慢心 10/23

ほんと、慢心は命取りだ。

小池百合子都知事の「排除」発言は、都知事選挙で自民党推薦候補に圧勝した事への慢心が表れたもののように思う。彼女だけではない。様々なところで人の慢心は、本人は気付かずだが、周りをドキッとさせる。何かで多くの人の支持を得ると、自分が大した人間にでもなった気分でいる人が多い。かつての私も十分にこの類に属していただろうが、やっと謙虚さの神髄に触れたように思う。うわべだけの”謙虚さ”というか、謙虚ぶる人は直ぐにぼろが出る。芯から考え方が変わらなければならない。で、私は納得いく考え方に出会いたいとずっと思っていた。

大きなポストや仕事に着く事は、"見えない力"が働いていると西行法師を始め、仏心を持たれる方々が言われる。この場所で、この時に、あなたにこの仕事を任せたいと、神が環境を整えて下さる。選ばれたのだ。神にはあなたを通して見える形にしたい願いがある。あなたはその実現を手伝わせて頂いている「神の執事」なのだ(谷口雅春)。この考え方が私の中に徐々に浸透して来た時、私の諸問題の根源であった忍耐不足というか、性急さも、どうにか(本当にどうにか)解消に向かい動き始めた。

私が住むところから徒歩で行ける劇場に出演していた女優の白石加代子さんと昨日ほんの少し話をさせて頂いた。演出家の鈴木忠志率いるSCOT劇団がロサンゼルス公演に来た時に初めて逢い、その後富山県利賀村の過疎村で劇団のワークショップに参加した時、遠目で私を真っすぐ見ていた人だ。その真っすぐな遠目に気づいた私はびっくりして彼女を瞬間見返した。互いに気になっていた。彼女は慢心をしない人。会った時も静かに語る。

私も根がエンタテイナーだから、私が語るエピソードに周りが興味を示している時は、それに応えようと身振り手ぶりで話すが、喜びだけを語れる人でありたいと思う。

ちなみに、白石さんの芝居では、ご主人がマネージャーとしてさらりとそして嬉々として切り盛りされていた。これっていいなぁ。




演劇祭終了 10/24

私の住む自治体が主催した演劇祭が昨日、表彰式で締めくくられた。55劇団それぞれの代表、審査員、実行委員、区長、区議会議員出席の中、受賞劇団が発表されたが、その最高賞となる「大賞」に、9月のブログで書いた「ラビット番長」が選ばれた。指定審査員として観させていただいた作品だけにうれしかった。

受賞後の懇親会で、ラビット番長の作演出家から「素敵なアドバイスをありがとうございます。あの後照明に白を入れました。自分では見えませんのでね」と言葉があった。私のアドバイスに納得してすぐに実行したあたり、私も快く思った。松下幸之助は自分が成功した秘訣を訊かれ、あえて他と違うところを探すなら「私は素直でした」と言ったが、素直にアドバイスを受け入れ実行すると、それに喜んだ相手がまたアドバイスをくれるという。本当にそんなものだと思う。

頑張れ!私も頑張る。




80曲目 10/25

書けちゃった。あは(^^♪)。今年のなんとなくの目標、80曲目をクリアした。タイトルは「どうしようもないけど」。

歌詞のベタ書きが幾つも溜まっていたが、そのベタ書きをした時がその楽曲を書く旬のようだ。溜まったベタ書きを改めてみると、時間の経過とともに視点にも変化があり、中には楽曲として仕上げたい気持ちが失せているものもあれば、内容を書き換えるものもある。ま、そんな事も含めて、楽曲作りは面白い。

愛した人と別れて10年。思う事も無く過ぎる日もあったけれど、ここのところなぜか頻りに瞼の裏に訪れる。重ねた時間がいろいろな事を教えてくれたから、当時が美しくよみがえる。たった2つの音だけれど、たった一つの文字だけれど、「愛」ほど、それを失った時に人を迷わすものはない。愛、一番大事なものなのに粗末に扱った。今ではどうしようもない過去に瞼を下ろす。

そんな事を書いた。




ラッキー 10/26

今月の最初のブログでも書いたが、このHPのプロバイダーであるKDDIが今月末でHPサービスから撤退する。他のプロバイダーを紹介したリ、新しいプロバイダーへの引っ越し手順を書いてサポートしているが、面倒。KDDIに電話して引っ越しをやってもらおうとすると、引っ越し先のプロバイダーから有料サポートを受けるよう指示される。それならそっくりそのままNTTかソフトバンクに移った方が経済的だと思ったが、工事やら設定やらとこちらも面倒。このホームページを立ち上げる時も全部自分でやったのだから、やればできるだろうけど、腰が上がらない。

10月末も近づき、気になって再びKDDIに電話をすると、出た担当者が本人も複数のHPを立ち上げている人でHPの設定や移転に大変詳しい。私の代わりに全ての作業を嬉々としてやってくれたのである。うわっほ~(^◇^)。もう、感激!そんな訳で新しいURLもできたが、そちらに今月末までのブログをアップロードするのは11月になってから。という事で、10月末日までは、同じURLで遊びに来てください。

一応新しいURLをこちらに記載しておきます。11月になると、現在のURLでは全く逢えませんので下のURLを「お気に入り」に保存しておいてくださいね。

http://shizuko77.starfree.jp




すごい、すごい! 10/27

鳥取の温泉湯治から帰って楽しみにしていた事がある。今年4月からかれこれ7か月(7か月もですぞ!履歴を見て私もびっくり!)通っていた耳鼻科での上咽頭処置の結果がどう出るか。

4月から3か月間目と鼻の先にある耳鼻科に毎日通い、その後は週2回通院して来たのに、それでも塩化亜鉛を塗布するとものすごく沁みていた。異常が無ければ沁みないという。こんなに長い間塗布しても完治しない。またこんな長い間塗布して良いものなのか、別な医師に意見を伺ったほどだ。で、頸椎狭窄症を患っている先輩に湯治を勧めながら私も今持っている身体の異常を解決しようと湯治を決行したが、期待のひとつがこの上咽頭の修復だった。

そして今日クリニックに行くと、。。。。、うわ~、わっわっわ~、ほとんど沁みていない!思わず大きな声で医師に向かってしゃべってしまった。薬で7か月以上かかってもまだ修復できていないものが、温泉湯治5日間でそれ以上の効果を出す。実はこれは驚くにはあたらない。花粉症からくる咳で地下鉄2駅間止まらない咳に苦しんでいた過去。周りはみな私から逃げる。医師からもらった薬は、咳のひどさが100だとしたら僅か2ポイント緩和しただけ。2週間飲み続けても何の効果も無い。通訳を生業としていた頃で、顧客からはクレーム、同僚の通訳者からも嫌がられる。死ぬかと思った中学生の息子の喘息が2日目の夜にパタッと止まったという体験者の話を傍で聴いていたので、私もとうとう玉川温泉まで飛んで蒸気風呂で呼吸し続けたら、3日目の夜に99ポイントまで緩和した感覚があった(ちょっと大げさか、98%)。

ここに書いている事、一つも誇張していません。玉川温泉と三朝温泉の効果は本当にすごい。

玉川温泉を発見した人も、「安く早く」治ると本に書いている。キャンピングをしながら湯治する人もいるが、その場合は、一日600円で済む。神は人間のためにこういう所まで用意されたのだと、その愛と大きさに鳥肌が立つ。




頭でやらない 10/30

突然インターネットに繋がらなくなった。あれこれ原因を模索し、最後にプロバイダーに連絡すると翌日の修理となった。マンションのB3に収納されている接続回線のうち、私の部屋の回線ケーブルだけが外れていたという。当然、「なぜ私の部屋だけ?」となる。ネット世界に慣れた身には、ネットに繋がっていないと世界から遮断されたような気になる。

ところで土曜日に近藤先生のクラスがあり、新しくできた曲を見て頂いたが、なるほどなぁ~と思う事があった。彼女は音楽理論で固まっているようなので、ここでこう来たらその後はこうならなければならないという定理があるようだ。私の自由な転調(前半と後半でキーを変える)に、あざ笑う。最初の頃は、もちろん大変有意義なところもあるが、どうしたらいいものかと不安を混ぜながら彼女の話を聴いていた。が、かれこれ2年程の付き合いになっただろうか、彼女も私の楽曲のクオリティーを認め始めた感があり、また恐らく私に教えながらご自身も新しい発見が多いのだろうと思うが、私が転調するところに対し「不思議ねぇ」と言葉を変えだした。来た!と思った私は先回りして、「転調しても全然おかしくないでしょ?自然でしょう?」と言うと彼女は頷く。「頭でやっていないからよ」と私はおまけをつける。彼女は降参したかのように笑う。

既成理論に沿ってやっていたのでは、どの分野においても限界があり、新しいものや面白いものは生まれないのだと改めて思った。彼女なら、同じキーで揃えるために、頭であの音この音と探し、結局本人も言うように、作曲ができないのだと思う。私には理論が最初に無いから、自由に自然なメロディーの動きを探す。最近ではレッスンのお陰で聴かせどころも自然に出るようになったが、ピアノは初心者レベルという事もあり、鍵盤の上ではなく、全てが舌の上を滑り出てくる。それで自然に転調する。結果的に転調しているのであって、意識して転調させている訳ではない。それが彼女は羨ましくもあるのだろう。時々私の作曲したものに、無言のまま驚きを表し、じっと私の眼を覗く。

6年ほど前2枚目のCDを作っていた時、天才Anzがふと私に漏らした。「才能がある」。私も「あるんじゃないかなぁ」と何となく感じていたが(手前味噌という訳じゃなく、第3者的に見ているんです。はい)、私がその才能を大変買っているAnzに言われた時には、的確な言葉が見つからないが、何かがストンと丹田辺りに落ちた。Anzに仕事を依頼する安心みたいなもの。

少し前の「インタビュー」という番組にクラシック音楽の作曲者三枝成彰氏が出ていて「自分には才能が無い。私が作った曲、全然覚えていないでしょ?」と聞き手に訊いていた。Anzも、そして私のライブにレギュラーで入ってくれていた名ジャズピアニストの西さんも三枝さんに対して同じ事を言う。対し、私は「メロディー・メーカー」だと。天から降って来たものに対し、自然に自分の中から出てくるメロディーをくっ付けているだけだから、思考回路をほとんど介さないのに、自分が書いた楽曲と言えるのかと、ときどき「?」となる。

しかし、才能は2で人柄が8。それが成功へと誘うとか。三枝さんは決して偉ぶらない、高ぶらない人らしく、支援者が沢山いる。六本木男声合唱団の団長を務めていらっしゃるが、その団員の方々がを私に言う。




号泣して 10/30

泣きながら楽曲を書く事が時々ある。たった今出来上がった楽曲「十年の記念日」は、号泣しながら書いた。あまりに切ない。嗚咽しながらの作品。聴く人は様々に想像し一緒に胸を詰まらせるだろうなぁ。

80曲目の「どうしょうもないけど」の構成に幾つものバージョンが出てきて迷いに迷った後、やはり最初に来たインスピレーションのまま行こうと決めた。この迷っている間に新しく生まれたイメージを別な楽曲として書き出したら「十年の記念日」になった、、、、ぐわ~(。▰´▵`▰。)ティッシュを何枚もボックスから引っ張り出して洟をかむ。メロディーもこれまでに書いたことの無い出だしになった。別れて10年目、届けるつもりもない手紙を相手に書く。負け惜しみも少しあるけれど、と人生の粋をなめた女の心境を歌う。あ~あ。

そして今、もう一つのテーマが投げられた。こんな関係は誰も書いていないと思う。元姑と嫁の話。突然前頭葉辺りに投げられた時はびっくりしたが、書いてみようと思う。

あ~あ、私の現在の生活環境を変えなければ。こんな切ない歌ばかり書いていてはダメや。ここのところ”寂しい”と言う感情が小雨のように心に降り続いたからか。その感情の発生はこういう歌を書かせるためなのか。気分や感情は時とともに、それもどちらかと言うと、”いつの間にか”消えて行くものだが、10月はそんな月だった。そろそろと思うのだが、これと思う相手がまだ現れない。(;´Д`)




1週間のご無沙汰 11/7

HPのプロバイダーが変わったため、これまでのKDDIのアクセスカウンターが使えなくなった。その代替品として、HP引っ越しでずっとお世話になっているKDDIのエンジニアからGoogle Analyticsを選択肢として薦められた。確かに面白いツールで、HP訪問者がどの市区町村からアクセスしているかが分かる。で、ネットでインストールする方法を調べてみたが「グウェ~((+_+))」。とてもじゃないが、全部読んで実装しようなどとは思わない。読んだところで、絶対最後まで行き着けない事は、想像できる。ここまでやってくれないだろうなぁと思いながらも、物は試しと、この大変親切で面倒見の良いエンジニアにインストールしてもらえないか尋ねると、「簡単ですよ」と私に代わってやってくれると言う。「うっそ~!」と私は心の中で叫んでいた。あ~、私はなんと運がいいんだろう。KDDIに電話するときは、このエンジニアを指名するほどにまでなった。

それでも引っ越しが一段落するまで4日ほどかかった。ちなみに、KDDI仕様のHPは11月9日まで閲覧可能だが、その後は完全に没になるらしい。

気が塞いでいた10月が終わり、11月になると1冊の本が私の手元に届けられた。「我、汝に為すべきことを教えん」。これは、ブラームス、シュトラウス、プッチーニなど大作曲者とのインタビューを記録したもの。

  「私は無心論者の若い作曲家を何人か知っている。彼らの総譜を見たこともある。請け合ってもよいが、彼らはたちまち忘れ去られる。全く霊感に欠けているのだ。彼らの作品は純粋に知性によっている・・・・無神論者がこれまで大作曲家になったためしはないし、これからも無いだろう」ヨハネス・ブラームス

  「私は、科学者がどのように無神論者になり得るかを理解できる。だが、無神論者が優秀な科学者になり得ないことも同様に理解できる」ロバート・ミリカン(米国の物理学者、ノーベル賞受賞)

そして、霊感を受ける事ができるのは、神性を身につけた人。

今まで私が感じて来た事、、うっすら気付いてきたことがこの本の中にあった。身体が固まってしまうほどに、眼筋が緊張するほどに食い入るように目を見開いて、文字の一つ一つをつぶさに追っている。私にとっては、「ゲーテとの対話」に続く最高峰の本だ。




し~! 11/10

言葉をうるさいと感じるようになった。言葉は自分の作品の中だけで十分のようだ。他の言葉は常に何か別な意図とくっついていて、その意図が圧し掛かって重たい。で、しばらくこのブログを書くのを控える事にした。

毎日数十分モーツアルトを聴きながら、ボケ~としているか、居眠りをしている。私の中がまた変わりかけているようだ。




呆気に取られて。。12/12

米国からメーカの異なるビタミン剤が友人を介して数瓶送られてきたが、その内のいくつかは使用期限がとうに終わったもので、中には2014年というものもあった。あるメーカの瓶には11/18 192105と書かれてある。一体どう読むのか。まさか1921年製?

で、メーカにメールで問い合わせた。

HI, 
A bottle of PABA manufactured by your company indicates "Use by 11/18 192105.How should I read this? The year of 1921?
訳:「貴社製のPABAに使用期限が11/18 192105と書かれてありますが、これはどのように読んだらいいですか。1921年製ということですか。」


帰って来た返事は、僅か2単語と数字。
November of 2018 「2018年11月」


メールには送信着信日時と時刻など、日付や数字が複数明示されるので、上の日付もそれらと同じように見えるため、一瞬相手が間違って空返信をしてきたのかと思った。数回読み返し、上の2単語と数字だけが返信内容なのだと気付いた。昨今の日本のオペレーターの過剰な丁寧さにも辟易するが(本題に入るまでにかかる時間が大変長い)、あまりのマナーの違いに笑ってしまった。オヨヨ~ン。




息苦しいほどに 12/17

息苦しいほどに、愛しい。

「愛の肌触り」をピアノ伴奏だけでなく、フルオケにした方が良いとAnzに提案され、それが出来上がり、先々週の土曜日には知人のご家族に私の家まで来て頂き、子供の声を録音した。それをまたAnzに送り私の歌と調和させ、今日完成して送られて来た。

    BRAVO~!

心温まり、涙がしたたり落ちる。初っ端には子供とお母さんによる「春よ来い」の歌と笑い声。鳥の声まで聞こえる。そして尺八が入ったイントロに続き、歌。最後に再び私と子供の声で「春よ来い」。遠い昔の私と今の私がかぶさる。

Anz、ありがとうございます。なんと言う感性と才能!身に余る光栄に胸が熱くなる。

この楽曲は私自身が母への懺悔で書いたものだが。。。。




Osaka? 12/20

Googleが提供している”顧客”分析ツールを私もこのHPに使ってみた。どの地域からアクセスされているか、常連様がどのくらいいるかなどが確認できる。

で、やってみたらびっくりする事ばかり。絶対つながりはないと思える場所からアクセスされている。obihiro、chiba、nagoya、osaka、時にはロシアや米国、南米から。ネット・サーフィンしている時にたまたまぶつかる事もあろうが、日本のそれらの地域からアクセスされる人たちが常連様になっている。。。。思いも及ばないところからのアクセスに、ブログを書く気が萎えた。

だが、この分析ツールの地域認識はどうも曖昧らしい。Google Analyticsを紹介してくれたプロバイダーの協力を得て試すと、池袋からのアクセスが新宿になり、新宿からのアクセスが渋谷と出る。

昨日、携帯をスマホに替えてスマホから私のHPに私がアクセスすると、なんとosakaに住むユーザからのアクセスと表示された。ふにゃ~(@_@)。パソコンからの認識はIPアドレスである程度叶うが、モバイル(携帯)からのアクセス地域認識は全く信頼できないらしい。それにしても、東京のど真ん中が大阪になるとは。。。




歌って頂きました 12/26

自作曲を私以外の方に歌って頂くという嬉しい事があった。今年10月に書いた「おばあさんの絵」を男の子に歌わせたらどうだろうと某プロデューサーから提案され、彼の事務所所属の伊藤広祥(ひろあき)君が選ばれた。

伊藤広祥君はまだ23歳の、”男の子”。私の大学の後輩でもある。卒業してすぐにこの世界に入ったのにラッキーにも、先週中盤までは帝劇でユーミンのステージに出演していた。運とセンスを掴んでいるのかも知れない。

「おばあさんの絵」は書いている時から私の頭の隅に「おじいさんの古時計」がうっすらその対照としてあった。プロデューサーも同じイメージを持たれたらしい。それで、「おじいさんの古時計」を歌った平井堅のよううにテノールの男の子を思い描かれた。この楽曲は某テレビ局の番組にぴったりだと、聴いて下さった周りの方々全員が言うが、プロデューサーもそう思われたのだろう、新年早々に直接持って行って下さる事になった。

言われた事はきちんとされる誠実な方にお逢いでき、やっと具体的に事が運ぶようになった。来年の展開を心から期待したい。


下はスタジオでの録音時。スマホに替えたばかりで、カメラレンズにに貼られたシールを剥がさずに撮ってしまった。。。。。( ゚Д゚)
 
真ん中が歌ってくれた伊藤君
 
本番前の練習

プロデューサー(手前)とマネージャ 


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