前のページに戻る→back


12月 


今年も一年ありがとうございました 2013/12/28

この国にもう一度生まれたい 2013/12/27   ソチ・オリンピック、フィギュア・スケート日本代表 2013/12/24   阿久悠ーカッコいい男 2013/12/23

口から先に 2013/12/23   いいなぁ、歌って 2013/12/18   忘年会 2013/12/18  切ない歌になりました 2013/12/16

堪能したクリスマスコンサート 2013/12/15  まだあった大変大事な仕事 2013/12/15   残るは南米旅行 2013/12/14  譲渡して行こう 2013/12/12

カレンダーを見ると 2013/12/11    できるようになるものだなぁ 2013/12/8    薄紫とヴェネチアン・レッド 2013/12/8   俺様の奥に 2013/12/7

技の質より、人間の質 2013/12/6
 ビーム・ライフル 懐中電灯 2013/12/5 追伸 2013/12/3  ここまで来たかな 2013/12/2

11月
 
  
2年ぶりのコンサート 2013/11/29  輪廻転生 大竹しのぶ 2013/11/29    モールス信号が伝えるベートーベンの運命 2013/11/25

金圭一先生を偲ぶ会 2013/11/25    高目線で言ってしまいすが・・・2013/11/21   念のために 2013/11/18   おもしろい 2013/11/17 

すごいよ、すごいよ 2013/11/15   お誕生日おめでとう 2013/11/14    なんともいいでしょ! 2013/11/12   びっくりしたなぁ、もう 2013/11/11


チケットほぼ完売 2013/11/6
    釜石小学校校歌 2013/11/5    ソチ冬季オリンピックへ 2013/11/3    コンサートチラシ制作 2013/11/1
 

10月

  

ハローウィン 2013/10/31  すばらしかったぁ 2013/10/31    そのままでいいんだろうなぁ 2013/10/30     月になろう 2013/10/28   

日本シリーズ 楽天VS巨人 2013/10/27   これだ!!!! 2013/10/26  台風が季節を連れて来る 2013/10/25  雨の中でゴルフ 2013/10/22     
堀江もん 2013/10/20   キャディーバッグを買う 2013/10/18    台風の後で 2013/10/16    コンサート「ここから」の告示 2013/10/14   

ひとつのフレーズに拘って 「愛のいとなみ」 2013/10/13    リハ開始 2013/10/13   またまた新曲 2013/10/7    ひとりでどこでも 2013/10/11

小朝再び 2013/10/7  若大将になるために生まれた 2013/10/9  早々ですが 2013/10/1 「無題」 2013/10/7  ソロライブ#7終了 2013/10/1

9月
      

こんな投稿が 2013/9/29    定期ライブにシャンソンを増やしてみよう 2013/9/28    岐阜の皆様ありがとうございます 2013/9/28

大丈夫かな 2013/9/25  芸術はエロだ!2013/9/23    岐阜ライブ準備万端 2013/9/23   歌の意義?2013/9/22

阿久悠作「恋歌ふたたび」から 2013/9/21  なんとも~ 2013/9/20   化粧をしたわたし 2013/9/20   先輩には甘えなさい 2013/9/17  

ロックンロール? 2013/9/16    音への美意識 2013/9/14  秋風に乗ってソロライブ 2013/9/9  東京オリンピック 2013/9/8 

久しぶりの”古い”友人達 2013/9/8  適職 2013/9/7 嬉しい一日 2013/9/6  救う? 2013/9/4  玉川温泉から帰り 2013/9/3
 
      
                              
8月

感動が走る 2013/8/29

夜がまだ辛い 2013/8/28
   まるでスター 2013/8/24   ユーカリ油 2013/8/24  ベテランの医師 2013/8/23

回して聴いています 2013/8/21  風邪をもらって 2013/8/21 盂蘭盆祭 2013/8/15   「風立ちぬ」 2013/8/14

これかぁ!2013/8/13  どちらの考え方に魅かれる?2013/8/13  芸能鑑賞の一日 2013/8/11  「ママ、どうしよう」 2013/8/7

岐阜ライブ企画 2013/8/6    初恋ストーリー 2013/8/5   蝉の声 2013/8/1   8月初日の眼覚め 2013/8/1


7月

歌さまざま  2013/7/28  臨機応変? 2013/7/26   大きさ 2013/7/24   参議院選挙期日前投票 2013/7/20

遊戲三昧 2013/7/18
  芸事三昧 2013/7/18   宇宙に流れる気 2013/7/12   そう言う事なのよね 2013/7/11

とても、とても、粋なこと 2013/7/9
   今日の私 2013/7/9  うわ~、来た、夏 2013/7/8   七夕の日に生まれて 2013/7/6

6月

心からありがとうを!2013/6/29  いよいよ明日 2013/6/28 もう、私も負けちゃいないよ 2013/6/27  今日は雨 2013/6/26

私のサッカー観戦 2013/6/24  一番の子供孝行は 2013/6/23 善い兆し 2013/6/20  偶然はない 2013/6/18

やったね!2013/6/18
  NHK BS放送のお陰で 2013/6/13  すごいね 2013/6/12   もったいない 2013/6/11

新曲お披露目 2013/6/9  あら、まぁ 2013/6/6   やったぁぁぁぁぁぁ!2013/6/4 取るなぁ! 2013/6/2

5月

シャンソン歌手から本格的にシンガーソングライターへの道で 2013/5/31

ソロライブ開演時間変更 2013/5/31   男 2013/5/25   素直な心 2013/5/24  音楽漬け 2013/5/22  

あまりに素晴らしいのでUP 2013/5/15
  久々のブラボー芝居 2013/5/14  大事なのはちょっとした事 2013/5/11  
じっと待つ 2013/5/9
   久しぶりにAnzと 2013/5/8    一晩寝れば 2013/5/4    GWの真ん中 2013/5/2  

4月

クリエイティブな仕事をすれば 2013/4/26   

ゴールデンウィーク 2013/4/25
   「1Q84年」2013/4/21   愉快な日 2013/4/17  新しい写真の掲載 2013/4/14 
 
オーディション第一次審査合格 2013/4/9  わたしの小椋佳とアランドロン 2013/4/7  めちゃくちゃなのに 2013/4/2



3月

2013年初ソロライブが終わって 2013/3/31


ライブ間近の電話 2013/3/28
  オーロラ 2013/3/28  だてに歳を取っている訳ではない 2013/3/27  

前世はフランス人 2013/3/26
 残すところ1週間もない 2013/3/24  もったいないー中古品買い取り 2013/3/24  

うんぐ、うんぐ 2013/3/18
  美しい、まさにアート 2013/3/17   羽毛布団の洗濯 2013/3/17  

「abさんご」  2013/3/16    ちょっといかん 2013/3/13    あれから2年 2013/3/11   

今日と言う一日 2013/3/8
  13回が3回くらいに 2013/3/8  詩人 2013/3/7  うん? 2013/3/5  
私の人生にこんな事が起きるなんて 2013/3/3
 定例ソロライブ開催 2013/3/3  これ、どっち? 2013/3/2

2月


スマートグリッドExpo2013 2013/2/28
 一日中家の中で 2013/2/26   誰かを愛する事は神様の側にいる事 2013/2/24   

小林旭 2013/2/21 産みの苦しみ?いいえ、産みの楽しみ 2013/2/20   「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」 2013/2/20

Mr.Childrenの歌を歌える(笑) 2013/2/17
  レパートリ欄更新 2013/2/17  プロフィール更新 2013/2/13  すごい事になるような 2013/2/13 
Made in Japan 2013/2/10   本能だよ 2013/2/7    鬼は外~「山彦物語」 2013/2/3    新年会 2013/2/2 

1月

もう一つの通訳の仕事(ずん。飯尾和樹のバラエティ番組)2013/1/31  今年の初ライブ終了 2013/1/30 あ~ 2013/1/25   

久々に昔の仕事 2013/1/23  今朝のバラに陽をあてよう 2013/1/21
   CD価格 2013/1/20   1月の最後の記念日 2013/1/18

これ、涙ものよ 2013/1/17   先祖供養 2013/1/17   きれいな日本語(その2。あら、そうだったの?) 2013/1/16  

大地は神、根は先祖 2013/1/16
  命の長さ(短さ?)を知れたら 2013/1/15  雪 2013/1/14    いや、すけべ 2013/1/13
   
きれいな日本語 2013/1/13
  田辺聖子を読んでいて 2013/1/9    より多くの方々が喜ばれるように 2013/1/8  

一つの大きな(?)プレゼント ― 2013/1/4   謹賀新年 2013/1/3






















































































































































































 













































































































































































 









































































































































































謹賀新年 2013/1/3



あけましておめでとうございます。皆様は2013年をどのように迎えられましたでしょう。

思うに私の場合は、2008年以来毎年とても重厚感を持って一つの年を終わり、新しい年を迎えているような気がします。つまりどのくらい心が”自由”になってきたかを測って来たように思います。

2008年の暮れから毎年,大晦日には大祓い、そして新年には除夜の鐘と共に近くの氏上神社に初詣でに行っていましたが、昨年の大晦日と今年のお正月は何か大きなエネルギーが吹き込まれたようで、黙々と一人でいました、一人でいる事が”出来ました”と言った方が正確かもしれません。大晦日や正月に欠如感がなく一人でいる事ができたという事に感慨深くもなりました。それは昨年の最後のブログに書いた事と関係するのかもしれません。あれは丁度2012年の最後の陽が消える直前でした。

ふと空を見ると、西から差し込む一条の光に雲が緋色に染まっていました。ベランダに出て遠くのそれを見ていると、「案ずることは何もないんだぁ」と突然の感慨が全身を包みました。ただやっていれば良いんだなぁ、と。同じ日の少し前には自分の眼の奥のスクリーンに、誰だかよく分からない、でもどこかにいるような姿形をした素敵な男性が『さあ、どうぞ』と、私の方を向き微笑みながら右手を差し出してこの道を歩くよういざなっているのです。その道には柔らかな毛の高い赤い絨毯が敷かれていて、私は少し恥ずかしがりながら、その絨毯を踏もうとしているのです。

ただいざなわれるままに行けば良いのだ。何かが起きるだろう、そんな気配がとても強くする。ありがたくてよく泣いた2012年に心からの感謝をこめて別れを告げ、何かが待っている2013年に入ろう。ありがとう。全ての人よ、事よ、物よ。大きな力に隙間なく強く優しく包まれている事を全身に感じるのです。何も案ずる事はない。ただ行きなさい。あなたに最もふさわしい道が用意されている。そう言って下さっているかのようでした。私は素直にその声に応える。

注:画像は2011年六本木STB139のリサイタルでコーラスで参加して下さった折尾一則さんのデザイン





一つの大きな(?)プレゼント ― フジテレビN氏との出会い 2013/1/4


時間が少しずれるが(何せ昨年のブログの整理を長い時間かけてやっていたのでございます)、1月2日、友人たちと早大vs帝京大のラグビーの試合を見に行った。実はこれは私の初めてのラグビー観戦である。ラグビーって結構面白い。高いボールを取る時に、サッカーの場合は一人でものすごいジャンプをして(あれはまさに飛んでいる)ヘディングをするが、こちらは3人(?)くらいがベースになり一人を持ちあげて急に群れの中からタケノコのようにニョキッと出て来る。あれがいい。何かダンスを見ているようなのだ。押し合いへしあいも面白い。以前、阿川佐和子のインタビュー本を読んでいたら吉永小百合の事が出ていて、彼女は観戦中に「行け!、死ね!」と歓声(罵声?)を上げるらしく、それがとても恥ずかしくて彼女の御主人は一緒に行きたがらないとか。これがかのラグビーかと、何でも一度はどんな気分か試したい私は、早速これをやってみた。「行け!、死ね!」。そうしたら横に座っていた友人が面食らった表情で顔を赤らめて、「ああ、そう言う感じなのね」と一言。この歳になり、やっと誤解なきよう言葉のコミュニケーションをきちんとできるようになった私は、この「行け!死ね!」の歓声の由来を説明し納得賜った。でも、周りに男性達がいたので、皆さん私の説明を聞くまでは、もしかするとびっくりされたかもしれない(●^o^●)。


そこでフジテレビのN氏にお逢いした。友人の父親が大学で教えていらした時のゼミの学生でいらしたらしい。試合終了後友人宅に数人が集まったが、後からN氏とその友人が合流され、皆でお正月料理を頂いた。N氏は、お酒を飲みながらじゃれるようで、そのじゃれ方が私の兄を思いださせる。一つの話のトピックが着地しない。時々面白そうなモノが飛び出してくるのだが、すぐに異なるトピックに飛ぶ。切れ切れとんぼ。それでも親分でいらっしゃるから話の流れを握ってしまう。「こりゃ大変だ」と思っていたら、「シャンソン!」と私を呼ばれ、「トロンブル・ネージュ(雪が降る)」を歌ってくれないかと言う。私の持ち歌では無いので2小節ばかり歌うと喜びの色がその声に備わり、まもなく「めざましテレビ」に出てみるかと勧めて下さった。ラグビーの競技場に私が到着する前に友人が紹介していたのだろう、遅れて友人宅にいらした時も、「シャンソンはどこ行った」と私を探して下さっていた。ああ、私に再会するためにここまでいらしたのだと大変光栄に思っていると、嬉しい事に側にいる友人たちがこの番組を知っているようで、一緒になって出演を勧めてくれる。私の朝は8時から始まり、その後は瞑想の時間。午前にテレビのスイッチを入れる事はまずないので、この番組を知らない。早速の大きなプレゼント。私の自作曲を多くの方々に聴いて頂く絶好の機会をこんなに早く頂くかもしれないとは。

「フジテレビ」・・・来し方を見つめれば、テレビ局との縁はいつもフジテレビだった。今回を入れると4回ほどになるだろうか、大体が通訳や翻訳関連だったが。フジテレビはきっと他局と比べて自由で開放的なのかもしれない。遠い昔、私が”生き方”を知らない時に叱咤して下さった方の一人に、フジテレビロサンゼルス支局の方がいらした。一度しかお逢いしていないので名前もお顔も忘れてしまったが。すでに退職されているだろう。





より多くの方々が喜ばれるように 2013/1/8

スパッと目が覚めた。いつもの起床時間より1時間30分早い。眼が覚める前からある人の名前が私の頭の中で鳴っていた。眼が覚めても鳴り続けている。まだ早いからもう一度眠ろうとしたが、それをさせない力が働いているようだった。気持ちのよい冷水を浴びたかのようにキレが良い。この名前の持ち主に会わなければならない。

友人に電話を入れた。

「まだ寝ていた?ゴメン。XXXさんの話どうなっている?」
「まだ連絡していないの。今週が仕事始めだと思うから」
「啓示が来たわ。朝、彼の名前でスカッと目が覚めたの。彼が提案してくれたこと、進めて欲しいの。・・・・大きな事に発展して行く姿が見えるの」
「(笑)本当にポジティブだよね。でもさ、あなたは私たちの希望の星だからね」

友人が前進するのを心から支援しようとする魂のレベルの高い人が友人になったことも、全てこの道に私を歩かせようとする”神様の台本”にあったのだろう。先日お会いしたフジテレビのN氏のオファーにこちらから正式にお願いしたいと伝えてもらう事にした。次の展開が必ず今年に始まるという根拠のない確信があったが、それがN氏のオファーで目に見えた時、もちろんお受けするつもりでいたが、新年早々こんなに早くやって来た事に、私の内側は感嘆、言葉に出せないでいた。

昨年の6月頃だったろうか、あるレコード会社のディレクターが私の書いた歌を既に出ている歌手に歌わせないかと提案して来た。このディレクターは私の作る楽曲を始めて聴いた時に衝撃を受けたと言う。しかし個人的に私の声が好きじゃない、だから他の歌手にと。これが流れなのかと一時思った。これが流れならこれでも良い、マスコミの標的になる事も少ないだろうし、私は私でライブをやっていればいいのだから、自由度が増す。

私が100%の信頼を置く声楽のM先生(東京音大の教授であり二期会のメンバーも教えを賜る)に上のディレクターの私の声に関する意見を言うと、今の声ならそんな事は言われないでしょう、と言われる。池之端QUIで3カ月に一度の割合でソロライブをやらせて頂いた事がここまでの進化につながったのだが、ここでのソロライブ開始時には声をどうすると言う計画は私にはなかった。思いのほか、こうなった。

私が歌っても別な人が歌っても、喜ぶ人の数が多い方でいいと思っている。確かに楽曲を提供するのも一つのアイデアだと思う。歌手のXXXはどうかと知人から提案もあった。なるほど彼女はきれいな心地よい声をしている。しかし、彼女が歌えば、彼女の”新曲”で終わるだろう。しかし私(又は私と似ているような人)が出ればもっと大きな喜びを人々は抱くのではないだろうか。この年齢での突然のキャリアチェンジ、人生の苦しい出来事からの転身、まだまだ沢山あるような気がする。聴く人見る人がそれぞれの立ち位置から多くを感じ取るだろう。そして喜びに加えて、彼らの中に勇気も生まれるかもしれない。「今からでも遅くない」「私もあのように生きてみたい(な~んちゃって)」等など。昨年の札幌ライブの成功は此処にあったような気がする。「身体が震えるほどに感動した」という観客のコメントも。

私の楽曲は特に詞が良いらしい。これはよく聞く。上のディレクターが衝撃を受けたという所以もここにあるのかも知れない。かれは「今、本当にいい歌が無いんです」と言う。音楽学校のギター弾き語りクラスで人気があると言われるヤング達の歌を沢山聴かされている(大変勉強になっている)。確かに、それらの歌を聴くと、このディレクターを始め少なくない方々が私の詞を称賛して下さる理由がわかる。しかし、歌は詞だけで成り立つものじゃないような事も彼らの歌を聞きながら感じた。長く歌い続けられるものではないかもしれないが、何の変哲もない詞でも良い音楽に乗れば、人を元気づける。良い歌だけが人を感動させるものでもないみたい。

ま、結果は考えなくとも良いんじゃないのかな。書きたいもの、降って来たものを淡々と書いて行けば。おもしろいものを書く、いいものを書く、これが姿勢である事には変わりないけれど。




田辺聖子を読んでいて 2013/1/9

関西弁が頻繁に私の口から出て来る。

本がある言うのはほんまに良いもんやなぁと、最近よう思いますねん。歌を書くようなってからよう読んどります。それも昔は読まへんかった女流作家のを(この辺で止めとこ、続かへんし、変換がしんどいわ)。

1冊借りておもしろいと同じ作家のものをザバッと5-6冊ほど借りて来て読む。大体その辺で同じ人のは飽きて来ると言うか、少し休憩(狭いマンションではモノを減らせたときに充足感があるので、本は徒歩5分程の処にある図書館から借りて来るため物が増えずホンマにええわ。最近は通訳翻訳をしていた頃の本をアマゾンの中古ショップで持って行って下さる人達がいてはるから、書棚にも少し空きができて嬉しい)。佐藤愛子、時実新子、田辺聖子とどう言う訳かかなり目上の方々の世界にここの処おります。それでも3人とも全然ちゃうけど。

昔から関西弁と言うか、大阪や京都の方言と言うか訛りが好きやった。それでかつて大阪で生まれた男と一緒になった時、「よっしゃ~これから大阪弁つこうたろう」と、関西の人間には、どこのモノとも分からんけったいな関西弁もどき関西弁使うなぁ思われたんやけど、東京の人やったら「関西ですか」言われました。今でもその名残が少々あるようで、人から「あれ、関西ですか」と言われて、初めて自分の口から出た言葉に気付く事があります。

それで、田辺聖子の本の7冊目に入った時、「四人目」という短編に河内弁が出て来まして、それが大阪弁とも違うて、初めて「ああ、そうやった、私は今、関西弁を読んでるんやわ」と気が付いたのです。それまでは小説の中の関西弁が自然に入ってたんやろね。この河内弁の刃物で切り裂くような調子、かっこええなぁと思いました:「何やて、このボケ、カス、しばいたろか。女甘見てたら、ドえらい目にあうで。自分からペラペラ、ペラペラ、しゃべりくさって、男の真心、安売りすな。ウチもな、河内女のはしくれや。あンたも結局、ただの女好きのぐうたらのバーの河内のおっさんや、何が真心や、あンたの真心なんか、サルと金色の雨と税務署長にひきむしられたらええねん。黒やろが白やろが、その毒キノコの料理、鍋の底まで舐めんかい。この、アホで無教養のクソ餓鬼・・・」うっひょー!このユーモアとこの調子、どう思います?わたし、言ってみた~い。

田辺聖子は男女の交わっている瞬間を書いている。佐藤愛子は書けないと御自身が言っていた。それは女は見ていないからだと。なるほどなぁ、女がきょろきょろ見ていたら男は萎えますなぁ。でも、田辺聖子はきちんと書いている。でもその描写をみますと、確か、何と言うか、どこかで読んだ事のあるような感じがしなくも無いんですね。ですからそこのところの描写になると(1回だけですけれど)、ちょうど歩いていたら突然足の膝がカクンと曲がって力が抜ける、あんな感じになりました。彼女は短編を書くのが好きみたいで、短編はエネルギーがだいたいずっと一律に保たれて集中力が消えないので、読んでいる方にも面白みがありますね。かなりの長編だと、繰り返しがなんどかあり、くどいねん。時にはこの作者は清書する前に自分が書いているものをちゃんと読み返したんかなぁ、注意を怠っているんとちゃうかと思ってしまう時がありますわ(読者の頭にはきちんと入っているものなのよ)。

自分の小説作りに関してこんな事を言っていた:
神様は「世の中は面白いよ」「生きている事は素敵だよ」と言うつもりで、人間をお作りになったんだと思う。素晴らしい人生じゃないのなら、神様は人間をこの世におろして下さらないと思う。神様は意地悪じゃないわよ。「絶対に面白いところにおろしてあげるからね」って、神様はおっしゃってますよ。「だから期待しとれよ」なんてね。その代わり期待が外れたら「どないしてくれまんねん」っていえばいいじゃない。でも、最後にはつじつまが合うんじゃないかな。神様は公平だもの。

田辺聖子の小説は人を幸福にする、救うと言う事に軸を置いているみたいね。だからとても冷静でほのぼのとした恋愛を、計算をしていると言うか仕上がり方を事前に図に書いて進めている。そこに行くと佐藤愛子はかなりストレートで着の身着のまま生々しい。感情のまま思いの爆発をそのまま書いていると言うのが私の感懐。だから自然の笑いを読者に零させたり、時には爆笑させる。恐らく佐藤愛子をtoo muchと言う人もいるのだろうなぁと思う(時実新子は彼女達とはまた比較対象にならない別の世界にいる)。関西弁は使こうて見たい程度の東京育ちのおなごの波長、そんなもんじゃないだろうけれど、私も全く着の身着のまま、頭で色々練るタイプじゃない。天から落とされる太い糸を一生懸命自分の中でまさぐり掴む人。私には佐藤愛子の作品の作り方が楽だ。

前回のブログで私が既に使っている言葉「神様の台本」。これは田辺聖子が彼女の小節の中で使っていた。しみじみと思う、長いこと生きていると、多くの人はこの世には目に見えない力があり、人間はそれに動かされている事を認めて行くのだなぁと。クリエイティブな事をしている人は特にそうなのだろう。

ーー抗うことなかれ、成るようになる。心が綺麗だと良いものがやって来る。悪感情を持っていればそれに相応しい運命を創って行く。運命は自分が作って行くもんやさかい。神様はみなお見通し――よく聞いてきた言葉やけれど、自分を見て他を見てほんまやなぁと思う。そんなら残った人生、綺麗一途に生きて行こうかいなぁ。なぁ~、きんちゃん。よっ、高麗屋!





きれいな日本語 2013/1/13


最近小椋佳がNHKBSによく出てきます。ご本人は、「こんな顔ですから、決して人前に見せるものじゃないと思っていたのですが、人生は不思議ですね」と言っていた。確かに人生って不思議ですね。私自身の事を取っても、歌手になる、それも私自身が歌を書くようになるなどとは、希望した事もなかったのに、以前のキャリアを惜しみなく捨てて(勿体ないと言ってくれる人もいる(うっしっし~(^v^))、背水の陣を敷くまでになったのですから。

さて小椋佳は大変こった詞を作られます。長い人生を生きて、研ぎ澄まされた感性と知性で人間、人生、男、女をしっかり捕え、自分自身で新語も作られる。「愛燦々」もその一つです。詩人なのですね。その彼が「日本語を大切にする」と言っている。よく「美しい日本語」を残すと言われる方もいる。

実は私、「日本語を大切にする」とか「美しい日本語」が具体的にどういう意味なのか良く分からなかったのです。丁寧な言葉を言っているのか、気取った社交言葉なのか。しかし、本日よ~く分かりました。今日、若いシンガーソングライターで、昨年の紅白でも歌い活動休止を宣言したYUIという女の子の歌”Feel My Soul”を聴きました。聴いていると何を言っているか分からないところがあるのです。譜面の中の音符に言葉が割り当てられているのを見て、びっくりしました、と言うかビックりを通り越してただ笑いました。リズムが先行しているようで、そこに別な歌詞を入れればどうにかそれでも日本語らしくなるのでしょうが、色々な事情で無理やり自分の持っている歌詞を入れるものだから、音の高低、音の長さが普段の日本語では全く無くなってしまっているのです。なんだか宇宙のどこかからやって来たような、頭がくるくるしました。若い子たちの歌を聴く事ってごく最近までゼロに近かったから、私の場合は今びっくりしているけれど、そのような歌を初めて聴いた時の大人のアーティストたちは・・・。若い子たちの歌と言ってもまだ私が知っているのは僅かでしょうけれど、もしこれが今のはやりなら、日本語はどうなっちゃうのだろうと、そりゃぁ危惧しますね。でも、これを自分が歌えるかどうかチャレンジするのは面白かったかなぁ。どうにか歌えたみたい(歌えた事がなんだか嬉しくなっちゃった。私まだ行けるぞ、みたいな)。パズルを解くみたいだったけれど、歌えるとおもしろい。面白いけれど、歌の本来の情感やメッセージの伝達という”目的”は消えているね。気分転換には良いけれど。私の作品には決して使わない、と言うか使えない,こういう発想はあり得ないもの(^v^)。でもこんなリズムは試してみたいかな。

荒井由美(ユーミン)が変わった日本語のつなげ方をして、新しい風を吹かせたと感じた時があったけれど、彼女の歌を聴いたスウェーデン人は、あれは不自然だと言っていた。私自身も最初は「?」後で「!」になっておもしろさを感じたかなぁ。あの時代からどんどんエスカレートしてこんなにまでなっちゃったのね、きっと。今日聴いたものは・・・・・おもしろい、おかしい・・・小椋佳なんか影でトライしているんじゃないかなぁ。そしてきっと笑っているような気がする。

いまのヤング達全員がおかしな日本語を歌っているとは思わないけれど、いつか皆ノーマルな日本語に変える日が遠からず来ると思う。時代は回る。




いや、すけべ! 2013/1/13

久々に日曜日にジムに行った。日曜のヨガのクラスは若い(?)男性が引率している。研究熱意があり、筋肉の違和感などを訴えると時間外でも色々と見てくれる。以前も足底腱膜炎を起こしていると言うと、意外な押すところを教えてくれて、納得した事があったり、今回も右の大腿筋がおかしいと言うと、それは腰のバランスがおかしいからだと、廊下に寝かせて簡単な動きを教えてくれる。2回ほど指示に従って動かしてみると、長さが僅か違っていた両足が平常に戻った。ここまで自分の仕事に熱意がある人って本当に良いね。嬉しい気さえする。

そのインストラクターがヨガの時間に一つの呼吸法を教えてくれた。「これはオームと言うんです。」えっ?私の全身が耳になった。御釈迦様のように座って、口から「オー」と言いながら息を吐きだし、終わりを「ム」の音で閉める。「オームとはこの宇宙の最初から最後までと言う意味です。」へ~え。

ヨガが終わって自転車こぎ。漕いでいると男性が海水パンツ程のつんつるのショート・パンツ一枚でおみ脚を露わにして私の側にやって来た。どっき~ん!ジムの中は温かいといえでも、他の方々はロングジャージを履いているので、際立つ。思わずパンツから下までおみ脚に沿って目を下ろしてしまう(そうしたかった訳じゃないのに意に反して眼が動いた)。そこから私の眼は彼の顔へと移り、彼の眼と合った。おかしいやら楽しいやらおどろきで、私はニタリ。かれは「すけべ!」と言わんばかりにむっつりとして逃げてしまった。あ~はははは。これ、通常は逆バージョンが成立したのでは?私はおかしくて、自転車こぎならげらげら。(●^o^●)





雪 2013/1/14

はしゃいだ。朝の儀式が全て終わってふと外を見るといつの間にか雨が雪に変わっていた。「うわ~、雪だ!」私は雪が大大大好き。長靴を履いて誰もまだ踏んでいない一面真っ白な温かそうな大きな布団のような真っ白な雪の上に最初の足跡をつけるのも、仰向けになって寝るのも好き(ほんの少しの間ね)。外を歩くのも、温かくしながら家の中にいるのも好き。多くの大人は、早く止めばいいと顔を歪めるけれど、なぜ私は雪に心がはしゃぐのかと思ってしまう。

ベランダに出て冷気と雪に直接触れ、深呼吸をする。あ~、うれしい。「ゆ~き~は降る♪」となる。そうだ、以前に友人からリクエストされたっけ。それとN氏からも。今月の終わりころにファンの方が企画してくれた小さなライブが群馬県太田市の瀟洒なレストランで開催される。みんなで歌える歌を用意して欲しいと言っていたから、この歌にしよう。YOUTUBEをあっちこっち散歩していると、ペドロ&カプリシャスのファースト・ボーカルで早死したという前野曜子のバージョンに行きついた。強烈なファンがいるんですね、彼女の後を引き継いだ高橋真理子と比較し、色々な歌を引き合いに出しては、どうだ高橋真理子よりうまいだろうと主張。聴く人の首を縦に振らせたいらしい。ファンって本当にすごいと思う。例えば、自分が応援する歌手よりキャリアが浅そうな者がうまい又は魅力的だと思うと、生意気だと言わんばかりに無視の態度で迫ってきますからね。こういうブーイングを屁とも思わない強さを養わなければなりません。

ところで、この前野曜子の歌に確かに良いなぁと思わせてくれるものがあり、彼女の別の歌を聴いていたら「ある愛の物語」が出てきました。あのLOVE STORYです。アリ・マックグローとライアン・オニールが出て、元米国副大統領のゴア氏があれは自分の実話をモデルにして作られたものだと言ったと言う、美しくも悲しい物語。1950年代生まれの人達の青春映画。私が忘れられないのは、雪のNYのどこかの公園。二人は雪のボールを投げ合ったり、雪の上で転がったり。あのシーンが忘れられず、雪の布団の上で私も寝転がって見たものです(風邪引くのが怖くて、直ぐに立ち上がったけれど)。でも、普通の大人はああいう事ができなくなっているのですね。一緒にやってくれないから、私は一人でやったけれど・・・。

ジムに行って身体がポカポカして来て、帰ったらワインと冷たいサラダ、ハムやチーズ、こんなものを食べたくなった。フランスからやって来たパン屋さんが直ぐ近くにあり、そこでピッツアに似た料理パン、他の店からは10種類の野菜が入ったサラダを買い、暖房で温かい部屋で以前に買っておいた少しばかり値の張る赤ワインを出して、私の最上の時間を始める事にした。なんだか今日は音楽も欲しい。それでYOYOMAのバッハをかける(YOYOMAはチェロリスト)。極上の幸せ。ワインが僅かな値段の違いでも(200円アップ)、やはりその分美味しい。料理パンも、そしてサラダも。

灰色の空が降りて来て、超高層ビルのてっぺんは雪げむりで霞んでいる。あ~鳥だわ、鳥が飛んでいる。「雪が降る」の歌詞の中に「と~りは唄い~夜は更け~る♪」とあり、雪が降っている時鳥って飛ぶのかなぁと思っていたが、本当に鳥は雪の空を飛ぶのね。そして始まった私の極上の時間。複数の人達とワインを飲んでいる時は、笑いっぱなしなんだけれど、一人で飲んでいると、人生、人間、神、等に思いを巡らし、感慨ひとしおになってオイオイと涙さんの登場(あはは・・・、これ、定番、あははは・・)。今日は自分の来し方を夜店の金魚をすくうように触れて見た。この頃過ぎし日の自分を第三者的立場から見る事があるけれど、そう見る事ができるようになったと言う事も、すごい事だと思う。その彼女をよく知っている私は彼女を抱きしめたくなる。決して器用には生きて来なかったし、少しばかりのズルもした事があるけれど、真善美を恐らく平均以上に持って生まれ来たよう。ホント、いい子だったわ、あなた(笑)。

今日のような灰色の雪空を見上げながら、ロシアか、スウェーデンか、フランスのどこかの町の片隅で私のようにしみじみ人生を感じている女がいるだろうなぁと想像している。生まれる処も育つところも違いながら、最後には人間皆同じような(共感できるような)結論で人生を締めくくるようになっているみたいね。それも、考えると、不思議な気がしません?

YOYOMAの曲も数十分前に終った。さて、そろそろ本でも読もうかな。今、川柳を読んでいる。時事川柳では無い。時事川柳と言うのはおもしろいが一過性のものだから、時間が経てばその内容も消える(だから私は新聞を読まない)。もっと「個」というか人間や人生を取り上げたものを、時実新子に出会ってから読まされている(^v^)。

       雪の中椿隠れて笑っています   し












写真:スウェーデン、ダーラナ地方(丁度こんな風景。遠い昔、ロシアの民族衣装を身に付けて、白樺の間を歌いながらスキップして行く自分の姿をよく浮かべたっけ)








命の長さ(短さ?)を知れたら 2013/1/15

今日はちょっと特別な日なんです。人生の大きな転換点になった日かな。記憶に残るようにと5年前のこの日に離婚届を出したんです。こんな事を書けるようになったと言う事は、もうあの事も一つの遠い出来事として見るようになったと言う事かな。それまでは、やはり大変だったわね。こんな苦しい事が自分の人生にあったと言う事さえ認めたくなかったのじゃないかしら。でも、今はそんな体験を本当にありがたく思っているの。一時自分の命と同じほどに愛した人がいて、魂が裂ける程苦しんだ、これって宝石だと思う。そう思うようになった今がとても嬉しいかなぁ。ナルシスト的かもしれないけれど、そんな人生を送れた自分を誇りに思う。

ところで、最近小椋佳のテレビ露出度が高くなったなぁと思うのですが。どこから入ってきた情報だか忘れましたが、彼は自分がいつ天に召されるか、信頼する占い師だか何かに教えて頂いたそう。それで、それまでできる事は全部やるぞ、と奮起しているらしい(真相は分かりませんよ)。でも、これって良いと思いません?。いつ天に召されるか分かれば、時間をとても大切にしながら、生きられるのじゃないかしら。それに周りの人達を大切にすると思いません?






大地は神、根は先祖 2013/1/16

今日は母の命日。この辺りに様々な”記念日”が集まっているので忘れないし、忘れないできちんと供養させて頂ける事が嬉しい。生きていたなら100歳を超えている。

私には兄や姉が沢山いたので、このような行事はみな彼らに任せていたが、自分がするようになって、なんだか一人前になったような気がするから、不思議。大地は神、根は先祖、幹は両親、枝葉は子孫、先祖供養をするものは基礎が定まるとか。最近はそんな気がしなくもない。根を張ってしっかり生き始めたかもしれない(そうしたい)。年を取ると言う事はすごい。しなやかさと大きさを備えて行くようだ。ありがたい。





きれいな日本語(その2、あら、そうっだの?) 2013/1/16

川柳作家時実新子の「再婚ですが、よろしく」を読んでいたら、眼から鱗。私の日本語まずかったみたい。彼女こう言っているの。

~~~~~
許しがたいのは大人の言葉の中の二つ。
「私買い物下手なのよね、だって値切れないヒトだから」「私低血圧なヒトでしょ、だから朝がつらくて」これらはテレビから派生して一部の日常語になっている。・・・・とても耳障りだ。なぜ「私ってこういう人間」と言えないのか不思議である。・・・・もう一つは「アゲル」・・・我が子に乳をアゲル、犬に餌をアゲル、花に水をアゲル・・・「花に水をアゲルの忘れないでよ」と「お花に水をやるのを忘れないでくださいね」と、どちらが耳に優しい言葉だろう。などど思っていたところ、先だってのテレビで健康と美容のセンセイが顔のマッサージの説明をしているのを聞いて、たまげてしまった。
「自分の顔に手を当ててさしあげて目を軽く押さえてさしあげて、こめかみの処は少し力を入れてさしあげましょう」遣ると言うのがそんなに汚い言葉なのだろうか。
~~~~~~
最後の例文は吹き出してしまったけれど、いるいる。でも確かに最初は妙に思ったけれど、自分の身体の一つ一つを大事にしている表れかと。随分聞き慣れていますもの。それに、「遣る」と言う言葉、かつて大学受験時代に予備校の国語の講師が「遣るなんて言葉、実に下品だ」と言うような事言っていたので、私はそれ以来できるだけこの言葉の使用を避けているのだが。いやぁ、私も何が何だか分からなくなります。もしかして、変な日本語を使っていると疑うべきは私だった?(@_@;)オヨヨ~ん。





先祖供養 2013/1/17


二つ上のブログで母の命日の事を書きましたが、「先祖供養」と言うものをちょっと考えてしまいました。先祖供養って、日本ではよく行われているのだけど(仏教から来るのかな)、私が知る限り米国や西欧ではこの概念もないから行事も無いんですよね。イスラム教はどうなのだろう。水子供養と言うものもない。

なんで、先祖供養をするのだろう。こんな事を言っている人がいた。

~~~~~~~
ご先祖さまの数をかぞえた事がありますか?
私達はみな父母を通してこの世に誕生します。そしてその父母にもそれぞれ父母がいます。こうして、さかのぼって数えていくと次のような数になります。

1代(両親)………………………2人
2代(祖父母)……………………4人
3代(曽祖父母)…………………8人
5代………………………………32人
10代………………………1024人
20代………………1048575人

そして、30代もさかのぼると私達の父母の数は1億を超えるといいます。
ここで最も大切なことは、この中のたった1人でも存在しなければ私達はこの世に生まれてこなかったという事実です。この大勢の父母(ご先祖さま)の途切れることのない尊い命の繋がりによって私達は今ここに生きているのです。なんて素晴らしい事でしょう!感動ですね。
~~~~~~~

その”父母”は自分の兄姉弟妹も産んで下さったから、要するに人間みな兄弟と言う事かなぁと思ったりもする。ある時大変興味深い事を言った人がいた。

「私は理屈っぽいので、なぜ父母に感謝するのかと思ったんですよ。自分の親を尊敬できないとか嫌だと思っていると、そこから肉体を受けた自分を貴く思わないんですね、だから深いところで自分を愛していないんですね。」 

(@_@;)!!!!確かに、周りを見ると、父母に不満を持っていた(いる)人達はどこかに欠如感があり、それは対人関係でも顕れてしまうようだ。よって他人とぶつかり幸せで無い。逆に、自分を産んで育ててくれた両親の自分への愛を感じ感謝ができている人は、心が幸せに満ち豊かな人が多い。それほど自分が自分の父母をどう見ているかと言う事は、自分の生き方や人生まで影響して来る。父母に感謝の心が沸いた時から、心が晴れやかになり多くの人々と仲良くなり始める人もいる。

ここまで書きながら私自身が目覚めた!私が毎朝読経している次のくだりがしっかりと掴めたように思う。「汝ら天地一切のものと和解せよ。天地万物との和解が成立せねば、神は助けとうても、争いの念波は神の救いの念波をよう受けぬ。・・・汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である。神に感謝しても父母に感謝しえないものは神の心にかなわぬ・・・」

「父母に感謝しえないものは神の心にかなわぬ」確かに私もここの処はあまり理解できないでいたのだけれど、突き詰めて考えもしなかった。父母を愛せないものは自分をも愛せないのかもしれない。自分を愛せない人は愛を請うだけだから、請う人、求める人には常に不満があるから人ともめる。与える人には不満が無い。愛を与えると、愛は返って来る。直接相手からじゃなくても他から。与えた愛は徳となり”宇宙銀行“に貯蓄されて利子が付いて戻ってくるんですって。沢山徳を積んでいると、いっぱいいっぱい利子が付くんですよ~!思わず顔がほころんでしまいますね。お釈迦さまや神様よりも先に、直ぐ近くの父母にまず感謝ですよ~。与える事から来る自分の豊かさや大きさを感じ、より自分が好きになって来る。そしてさらに愛を与え続ける。ああ、この法則なんだぁ、と書きながら私が感じ入っている(あははは・・・)確かに、与えると言うのは豊かさよね。請うのは欠如感からですものね。

実はね、このブログを書き始めた時は、ちょっと他の話をしようと思ったのだけれど、こっちに来ちゃった。これで良いや。

両親に今感謝できなくとも、行動で他に良い事(愛)を続けて行けば、良い事(愛)が返ってくる。そうしたら徐々に自分の想いも変わり、喜びが沢山沢山増えて来る。まずは実践する、そうしたら利子が付いて帰って来るのを見て、「本当だ~」と気が付き、もっともっと愛を与える生き方をして行くようになるんですって。そしていつか両親への感謝に気が付いて行く。これ、愛の連鎖。

意外なところに来ちゃいましたが、要するに「先祖供養」は自分を愛するための行事なのかもしれない。そして罪意識が心のどこかに座る水子に対する供養も。生きているものが一番大事、その生きている”わたし”が幸せに人と仲良く生きる為の一つの行事なのかもしれない。(●^o^●)。

ある禅僧が言っていた。「先祖供養にお金をかける必要なんてないんです。先祖から生まれたあなたが一番生き生きと生きている事が何よりも素晴らしい先祖供養なんですよ。」



追記:このブログをFACEBOOKの友人たちに見てもらったら、霊を慰めると言う事だと正統な答えが返って来た(これを先回りしてこのブログに書いておくべきだった(*_*;。私は新解釈を持ちだしたのだが。父母でも本当に感謝が無ければ供養はできないのでは?合掌ここに、心あちらに、では・・・これ、却下かな?




これ、涙ものよ 2013/1/17

シャンソンぽい歌を作っています。ほとんどが語りで、メインのメッセージの処だけがメロディー。タイトルは、おそらく、「もういいのよ」(準候補:「きれいでいたいの」)。これは許しの歌。人生皆いろいろあるけれど、一番偉大なるものは寛大さ、「許し」だと思う。ここには「愛」がたっぷりある。実際にはなかなかできるものじゃないかもしれないけれど、少なくともそれを知っていると生き方が変わってくるし、自分自身がもっと幸せになる。そんな事を聞いて下さる方々と一緒に感じたいかな。

私が作った詞に作編曲者およびピアニストの西直樹さんが曲を付けて下さっている。時刻が回ってちょうど今朝になったところで西さんからメロディー部分が送られて来た。それを今日の夕方聴いた。

涙ものだわ、これ!

すごいわねぇ、詞がそれに拮抗する音楽に乗せられると、心の揺さぶりが何倍にも膨れ上がるんだもの。西さんの作られたメロディーで歌うとオイオイ泣いてしまうの(自分の書いた詞を復唱していた時はシュンシュン)。人前で歌えるかしら。とても歌いやすいメロディーで、聞いている人達が一緒に歌いだしたくなるような感じに仕上がっている。

何よりもうれしいのが、西さんの気の入れよう。詞をとても気に入って下さったみたいで、いくつも曲を作られたみたい。「語りの処は、芝居をしながらさ、歌ってさ、ここの詞では時間をたっぷりとってさ。3月のライブで歌えるようにさ」等と、御自分のイメージを膨らませて電話でワクワクしながら話して下さる。共同作業って良いなぁ。私もいずれは自分のバンドが欲しいかな。色々な事をいつも相談しながら、生命共同体になれる集団が。

3月のライブ伴奏は西直樹さんがして下さる事になった。シャンソン界やジャズ界の他のピアニストは西さんが私のライブの伴奏をして下さる事にみな驚いている。西さんが演奏するくらいだから、しずこはものすごいんだろうと思っているみたい(あはははは・・・・)。私だけが何も知らず、のほほんとして、こき使っていたみたい(●^o^●)。だってね、昨年9月のライブで並木健司さんがギター演奏をして下さったのだけれど(彼のギターも有名らしい)、通常西さんにピアノ伴奏をお願いしていると言ったら、途端に顔色が変わったもの。これも御縁ね。私、西さんを街で拾って来たんだから(あははは・・・)。でも本当よ。その話は後でね。要するに、このような方々と知り合えて一緒に仕事をしてもらえる事自体も、神様の台本にあるのだと思う。今、色々な方々と知り合えてそれぞれの異なる役割を果たして頂いているけれど、その仕事ぶりには幸運にも100%満足しているの。これってすごいでしょ?自分が一人一人探して選んだ訳ではないけれど、そこに行ったらその人達がいたのね。そしてその人達が私に必要な事をほとんど全部提供して下さっているのね。

西さんの電話の声を聞きながら、この詞を受け取った時の彼の感動が伝わって来た。彼、沢山泣いただろうなぁ。感謝 合掌。





1月の最後の記念日 2013/1/18

私が育てようとした唯一の子供かな。「翔」という名前を付けました。もう20才を過ぎているかなぁ。動きがもったりしていたので心配だったけれど、医師が「元気なお子さんですね」と言っていたので、そんなものかと思っていた。けれど、周りにきくと、彼女達の子供は逆立ちをするほど暴れまわっていたと言う。なんだかおかしい。旅行から帰って再度医師の処に行くと「赤ちゃんがおかしいんです」と言われた。水頭症、頭に水が溜まっていたらしい。よくある、染色体異常だと告げられた。

7か月も私の身体の一部になっていたからお別れする時はとても悲しかった。でもこの子は沢山の幸せを持って来てくれた(その先を書こうとしたけれど、やはりまだ書ける段階じゃないみたいね、心が重くなったから止めるわ)。今生における私の唯一の深い罪ね。だから仏壇にはお地蔵さんをおいている。

今日は翔が他の処で元気に生まれるよう私が放した日。私にも沢山の幸せを残して行ってくれたから、他の処でも幸せを蒔いていると思う。合掌





CD価格 2013/1/20

う~ん、そうだよね。今日ギターレッスンのクラスメートに驚かれてCD価格を変更しなければいけないと思っている。私のCDは2種類あるが、リリースをした時流通は全てアマゾンを通す事に決めた。当時アマゾンは1,500円以下の商品には購入者から送料を取っていたので、1200円に送料を足すと1500円を超えたから、それなら最初から1500円に設定した方がよいと考え、その価格にしたのだが、今やアマゾンも送料を一切取らなくなった。定価を1200円にする事が合理的なのだけれど、さあどうしよう。ちょっと工夫してみよう。




今朝のバラに陽をあてよう 2013/1/21

今年は何が起きるのか。活断層に内在しているエネルギーがビシビシミキミキと今にでも5官の世界に顕れて来るような胸騒ぎがする。まず2013年のライブは1月29日、群馬県太田市の瀟洒なレストランから始まる。これはファンが企画して下さった小ライブ。

そのライブに栃木からのファンも駆けつけると言う。昨年の6月以来だ。彼女は現在御両親の看病に追われ、特にお父様の様態が良くないらしいが、それでも危篤状態でない限り来ると言う。彼女はネットで私の歌を聴いて、2011年の六本木スィートベイジルのリサイタルに来られた。それから昨年は池之端QUIに2度足を運んで下さった。このようなファンがいるなんて、どうしちゃったのだろうと言う気がしなくもない。身に余る光栄だ。メールでは「その声を聴きたい」と。しずこの声にそんな事を言って下さる方々が現れている。いわゆる”きれいな声”とは思わないけれど、声楽のM先生もおっしゃるように「今の声なら否定する人はいないと思いますよ」になったのかもしれない。(^v^)

この太田市ライブの選曲に「今朝のバラ」を入れた。昨年12月の、やはりファンが企画して下さった札幌ライブ(観客508人)でかなり好評だったので、この歌を改めて聴いてみた。おもしろいものだなぁと思うのだけれど、歌っている時って発声の位置やら個々の言葉の運び方とか、要するにチマチマした事に気を配りながら歌っているので、歌全体を一曲の歌として距離を持って聴いていないみたい。練習中録音した自分の歌を聴く時もそんなチマチマしたところを注意して聴いている。今回、何がそんなに良いのだろうと(レコード会社のディレクターも衝撃を受けたと言っていた)、聴く側の立場で聴いて見た。すると、自分で言うのもなんですが、この歌、ホント、いい歌なんですねぇ~(その言い方、変じゃない?)。何故あんな美しい詞が生まれたのだろうと、自分でも感心してしまった。聴いた母親や娘たちが泣くはずだわと思った(あんた、それを言っちゃぁ、終しめーよ)。

この歌にもう少し出番をやろう。





久々に昔の仕事 2013/1/23

久々に通訳の仕事をして来た。5年ほど前に歌の道に勢いが付き始めて以来、通訳の仕事はほとんど受けていないが、年に極数回簡単なもので事前準備の必要のないものなら受けている。

今日は大手電機メーカが買収した米国企業のエンジニアたちとその親会社である日本企業との間の会議通訳。まだ日本に事務所がなく、1週間おきに来日するらしい。一流ホテルに泊まり、電機メーカまでの移動はタクシー、食費など諸経費は全部会社持ち、かなり高く付きますね。本日お逢いしたのは4人。二人がルーマニア出身、一人がペルー、そしてもう一人がカナダ。カナダ人以外は全員米国に永住している(市民権を取ったのかな?)。

かつてエンジニアたちが集まる会議でよくみた米国企業の外国人は、米国人数人に混じってインド人、中国人、韓国人がいたが、今回はそのどちらでもないルーマニアとペルー出身者である。東欧の自由化により多くの人々がやはり夢を求めて米国に行ったのだろう。南米出身に逢うのも初めての事だ。

今回の4人の英語は理解が困難で無くて、幸いだった。中国人の英語を理解するのは至難の業だ(今はどうか分からないが)。黙って聞いていると絶対英語に聞こえない。そんな事を知らない日本人の客は通訳が訊き返しを何度と繰り返していると、能力が無いのかと思われる方もいる。ま、相手の英語を理解する能力は確かにない。発音も違うし、文の尻尾を落してしまうようだ。自分の英語に自信が無いが英語でプレゼンをする(させられる?)、通訳から「何と言いましたか」「もう一度言って頂けますか」と繰り返されると更に可笑しな英語になってしまう。しゃべる方も通訳する方も、それはそれは・・・食いついて行かなければならない通訳、じっと見ている顧客。こういう状況が本当に嫌。最近の日本の顧客はそんな事情を理解されるようになったようだが。

10年ほど前に読んだNewsweek誌に世界で英語を話す人の3分の2は英語を母国語としない人達であり、そのような人達が英語を習う時にネイティブからと言うのは難しく、たとえば英語学習熱の高い中国では、講師はインド人だと言う(インド人も立派な英語を話す人とチンプンカンプンに話す人との差はかなり開いている)。こんな世界事情の中で、この人の英語は分からないと言って仕事を選んでいたのでは、競争社会で生き残っていけない。

それにしても、米国と言う国は本当にすごいと思う。こうしていつも外国人を受け入れる器があり、欲するなら彼らを永住させる。米国に行く人達も大体裕福で知的レベルの高い人達が留学等の形を取って入国した後に、最終的には移民になったりする。だから米国には少子高齢化問題はないようだ。またもっとすごいと思うのは、他国から優秀な人間が米国で学ぶ事で考え方も価値観も米国人に似て来るし、将来たとえ自分の出身地に帰っても、そこに米国流を少しづつ浸透させて行くようになる。つまりいつの間にかその国にも米国の価値観がまかり通るようになる。やがてその流れが全世界に拡散して行く。日本からの留学生が減少しているのを懸念していると米国高官が話していたが、それもそんなところから来るのだろう。

そんな話は横に置いても、このような通訳現場を通して世界各国の人達と知り合えると言うのは、やはり良い。私には国境意識がないせいか、外国人も話しやすいようだ。この仕事は少なくとも今週末まで続き、来週まで延びる可能性もあるそうだ。久々の早起きが始まる。





あ~ 2013/1/25

人間の命がこんなにも軽く扱われ冒涜される。アルジェリアで任務に当たっていた日揮の社員や契約社員たちが無残に殺された。さらわれて行った彼ら、殺されるのではないかと言う恐怖。どんなに怖かっただろうかと、胸が震える。殺人者たちにとっては人間の生命はそれほど軽視され冒涜できる対象のものなのか。帰国した亡骸に泣きじゃくる母親。どうにもできない。でもなんだって、我が息子が!やり場のない悔しさと怒りと悲しみが激流する。

一人の犠牲者の妻は「夫は海外でずっと頑張ってくれました。夫に感謝しています」という。色々な思いがあってこの言葉だろうが、私には奇妙に聞こえる。まるでマニュアルをしゃべっているようだ。怒っても仕方がないからこの言葉で終わるのか、余りにも「良い人」過ぎる。慟哭するのが自然な人間の感情ではないか。

あ~、死者たちに私は何と言ったら良いのだろう。合掌





今年の初ライブ終了 2013/1/30

昨日29日群馬県の太田市でファンが企画して下さったカラオケ・ライブがとても和やかな雰囲気の中で終わった。2時間ほど電車を乗るとやはり東京とはかなり環境が違うようだ。観客数は10人程と言っていたが、20人程の方々が集まって下さり、会場となった小さなレストランではセッティングに骨を折ったようである。1時間30分程のライブの後、皆さんと一緒に食事をしながら歓談。この時、2011年の六本木スイートベイジルのリサイタルDVDを買われた方が店のテレビスクリーンにこのビデオを映されたため、多くの方が見る事に。終るとDVD購入者の数が4倍になった(●^o^●)。今のレベルから見ると色々とやり直したいところがあり、これまで再度見る気になれないでいたが、改めて見ると、そんなに悪くないかと思いが変わった。買われる方に「あまり良くないですよ」なんてこれまで言っていたけれど、これからその言葉を言う必要はないかも知れない。2部から見て下さい(笑)。

ここでも「今のわたし宝石です」に手が多く挙がった。これまでもこの歌に対する観客の評価をブログで紹介して来たが、こんなに多くの方々に喜ばれるのを見ていると、「出たら当たるんじゃないかな」という宿命にこの楽曲はあるのかもしれないと、腕の筋肉が盛り上がる(実に楽観的だね、君)。ここでも若い女性がいらしたが、けらけら笑いながら聴いていて、この歌が一番良かったと言う。老若男女問わず好かれる歌のようだ。他にも「Yesterdayを聴いて」「今朝のバラ」に涙したと言う方々が数人いらした。音響など無いに等しい環境でも沢山の方々が喜んで下さる、なんだかパワーがさらにアップします。「歌に哲学がありますね」と言われた方がいた。ドッキン!

また来て下さいと話す観客がいたが、やはり良い環境で聴いて頂きたい。せめて池之端QUIに。企画して下さった、やすおちゃん、ありがとう。




もう一つの通訳(ずん。飯尾和樹のバラエティ番組) 2013/1/31


一日づつずれて、又昨日の話。別な通訳の仕事を受けた。これはフジテレビ系のバラエティ番組でコメディアンの飯尾和樹(ずん)が日本を訪れた外国人観光客に日本の印象を訊くと言うもの。印象でも”悪い”印象を聞き出すという。場所は観光スポット、浅草雷門。

悪いところ?私はこれまで大体25カ国程を訪れ、中には繰り返し3回ほど言った所も幾つかあるから、それも入れたら訪れた外国は30を優に超える。だから他の国々と比較して日本がどう言う国か平均以上によく分かっていると思う。そんな私は思う:外国人観光客が日本の悪いところを挙げるのは難しいと。長く住めば、それは個人の好みやら文化の理解度や許容度により否定したくなるものも出て来るかも知れないが(若いころは私も否定した)、数日だけ滞在する観光客が接する日本に悪いところが現れるとは思えない。おそらく良いところしか言われないだろう。それに何だって、わざわざ悪いところを聞こうとするのだろう、良いところを聞いて、それをテレビに流した方が....、等と思ったりした。でも、ま、私はただの通訳、指示された仕事をしましょう。

で、はじまり、はじまり。。。。。。40人程にインタビュー。「素晴らしい国です。皆さん親切ですし、街はきれいで整頓されていて、公共交通機関が実にすばらしい。。。。えっ?悪いところですか、思いつきませんが・・・」大体こんな感じ。それでも、とにかく悪い(奇妙な)ところを聞き出して欲しいと言うので、あれやこれやと策を講じる。誘導型尋問のような質問も投げる。「マスクをしている人を沢山見ますが、あれをどう思いますか」「電車の中で、黙々と携帯をいじったり、サラリーマンが漫画本を読んでいるのを見てどう思いますか」等など。誘導されたんで、「確かにマスクは・・・」と言う人もいるが、総じてみな日本の印象は良い。

ほらごらんなさい、言った通りでしょ、と私は若い撮影スタッフに言う。「日本てね、特別な国なのよ。こんな国、他にはないのよ。日本人て本当に良いのよ」日本を一歩も出た事のない人達が国粋主義をチラつかせて排他的になるのは窮屈で息苦しいが、色々な国を旅して、魅力的な国々も沢山みながら、私はしみじみと日本の良さを知った。

良い事ばかりを言ってくれる外国人の話をずっと聴いていた撮影スタッフの若者達はなんとなく誇らしそうな顔つきになった。一人のスタッフが言う、「日本人て、そんなに親切かなぁ。俺なんか英語が分からないから、もし聞いてきたら面倒なんで、NOと言ってそのまま行ってしまうけれど。」彼が撮影現場に登場したのは最後の3時間だけだったが、この3時間内に彼の後輩に対する態度に私の中に色々な思いがあった。私の通訳を通して聞いた外国人の日本人に対する印象、彼もこの日本人の一人、何か彼の心の中に残ってくれればと願った。


飯尾和樹、名前は知らなかったけれど、確かにテレビで何度も見た人だった。さすがに話術が素晴らしい。ほわっと笑わせてくれる。彼に気が付くと、多くの浅草寺参拝者たちが足を止めた。




新年会 2013/2/2

新年会は大体1月に開催されるが、私の所属する地区稲門会(早稲田大学OB会)は1月の最後の週の金曜日になるようだ(かな?)。今年は2月1日に開催された。何せ90歳近い方もいらっしゃるので、80の坂はまだ若造という訳である。

この地区稲門会の新年会では参加者全員による恒例一分間スピーチコーナーが設けられている。この一分間スピーチは熱い、自分を表現したいという人間の本能が漏れる。作家を含め芸術分野にいる人達はそれぞれの表現媒体を使って思いを吐き出すが、多くの人はしゃべって吐き出す。

それでこのコーナーでは、1分など誰が決めたと言わんばかりに延々としゃべり続ける方々がいる。そんな大先輩の心証を害せず、それを面白おかしくたしなめる進行係が必要となる。が、彼の努力がいつも報われるとは限らない、数人の助っ人によってようやくマイクが外される。

私はその1分スピーチをとくと聞かなければならない役割を突如担わされた。私が断る可能性は100%ないと確信している先輩からの依頼(指示?)だ(@_@;)(●^o^●)。彼は私のライブやリサイタルの常連を努めてくれている。このイベントの記事を会報に載せる、と。

さて、どうしよう。受付から鉛筆を借りて配布されたチラシの裏にメモを取り始めた。鉛筆が走る、走る、走れコウタロウ。向かいに座る先輩がチラチラ、「何書いてんの?」

メモを取っていると、おもしろくなってきた。聞いていようが聞いていまいが、とにかくしゃべる人。人の話は全く関心なし、自分の一分が終わると続きをテーブルでランランとする人。”講演”をする人などなど。こんな川柳をメモに書いた。

待っていた私の番だ なに一分?
聞きたまえ私がしゃべる聞きたまえ

赤いハンケチ1分に咲く口牡丹
ひとの話はどうでもいいの私には

ホホホ私の一分聞いた? そうなのよ

人間てやはり可愛いし、おかしい(●^o^●)。また新しい一年、このままも良し、少し違えても良し、我らいつも仲間




鬼は外~「山彦物語」 2013/2/3

今日は節分。「福は内、鬼は外」と豆まき。子供の頃に家でやってはしゃいだ記憶があるが、同時にこの行事が終わるまで豆が散らばった畳の上を歩く事ができず、身体の自由が剥奪されたような気になった事も覚えている。こういう事を子供の時からやっていると、鬼は”悪者”という概念が自ずと意識の中に出来上がる。NHKの夕方7時のニュースを見ていると、男の子が「鬼は豆が嫌いだと言うのが改めて分かりました」なんて大人っぽい事を言っていた(ドラキュラはニンニクが嫌いと似ている)。

とても昔、松山政路、尾藤功さん達と「山彦物語」という和風ミュージカル仕立ての芝居で東京を皮切りに西日本を巡演していた事がある。この作品は、作家の有吉佐和子が宮城まりこの為に書きおろしたもので、作曲が越路吹雪の夫、内藤法美。初演の後、有吉さんや内藤さんがお亡くなりになり、12年ぶりの再演時に前田美波里の後釜として初代の役を全て仰せつかった。

この戯曲は、さすが血液型AB型の有吉さん、理路整然として抜けが無い。日本の様々なおとぎ話を集めそれをつないで行くのだが、時々彼女の主張に目から鱗になる。桃太郎が鬼退治に行くシーンで、鬼が出てきて言う、「僕たちが何をしたって言うんだよ、みんな寄ってたかって悪者扱いをして。」確かに。彼らどんな悪い事をしたのだろう。私たちが信じている事って本当にそんなものが多いんですね。

ふとこの芝居を思い出し、ネットで検索すると、私たちの後、様々な方々がこの芝居をそれぞれの形で舞台化していた。私の役だったウサギは、ウサギの服を着ている。政路さんが座長だった私達の時は、男5人女5人の子供達がおとぎ話の“遊びごっこ”をするという設定だったので、皆同じズボンと半纏だった。

「山彦物語」は私が日本に帰国し芸能事務所に所属して頂いた初めての芝居だった。米国ハリウッドの最古劇団で上演された18世紀のイタリア喜劇”King Stag”にゲスト出演をし演劇専門誌にExcellentと評価を頂いて、帰国したらそのままスターダム入りだと自他共にその可能性を半ば信じていた私の帰国後の初舞台が動物の役(出演者全員が動物を演じ、様々な動物に早変わりする)。ウサギやらイカやらハチやら。あ、蚤もあった(蚤の夫婦の役で身長の低いカメさんと一緒に今度は蚤の夫婦になるの)。動物に一切関心のなかった私は目の前が真っ暗になった。イメージが全く湧かないからどう動いたら良いか皆目見当がつかない。イカの時もイカのように動かなければならない、水槽の中の生きたイカを見に行った事もあるが、身体は硬直。演出家は私を標的にして怒鳴った。小さなミスでもとにかく怒鳴った。日本の演劇界では演出家に怒鳴られる人は演出家がその将来に期待をする人だと言う通説がある。彼はそんな感じだった。怒鳴りながら暗に「期待しているんだよ」と言っていたのかもしれない。しかし私は嫌だった。逃げた。この演出家は初演の時は振付を担当されたらしい。その時の怒鳴りを向ける標的は前田美波里だったと初演にも出ていた政路さんから聞いた。美波里は地方巡演中に一人東京行きの電車に乗って帰ろうとしたとか。私もNo thank youだった。素通りする強さを持っていなかった。

Excellentな筈の私の女優としてのイメージと動物の役ができず居場所のなくなっている眼の前の自分、そのギャップと演出家の怒鳴り、私はどんどん暗くなり、精神的な緊張が舞台にも出て、ウサギとカメの駆けっこではカメの背中に一瞬乗って跨いで行く処、カメの高さ(低い)も怖くて乗れないほどに気持ちが落ち込んでいた。乗った勢いでカメはぐしゃっと崩れる事になっているが、ウサギが乗らずに行くから、崩れる事ができない。はぁ~、生命共同体意識のない、自分だけで完成されると思っていたとてもとても若い時のわたしが思い出される。花開く訳がないが、開かずで良かったと思う。最初の役が動物で無く人間で、それで一瞬スターダムに上ったとしても、生き方を知らなかった私は直ぐにまっさかさまに落ちただろう、その打撃はもっと大きかったと思う。

ある時、照明担当スタッフが言った「ウサギの役は(わたしには)難しいよね。明るい人がやらなければ」と。その言葉を聞いて私はびっくりした。そして笑った:私、余程暗くなっているんだぁ。それ以来、心の状態で普通の事も出来なくなるという人の訴えが分かるようになり、できない者の気持ちに同情できるようにもなった。

あの面々は今どうしているだろう。以前に尾藤さんが「オズの魔法使い」に出ていた時には、彼の好きなピーナツバターを差し入れに持って行った。尾藤さんは色々と気を使ってくれた。そして政路さんとは巡演中実によく話をした。

「山彦物語」、とても素晴らしい戯曲だ。そして私の人生試練の始まりだった





     本能だよ 2013/2/7


 









      す,げえ~!
 本能だよ、僕のせいじゃないよ。




ところで、僕は僕よね?




Made in Japan 2013/2/10

「道は険しいが怯むことなく進もう、私たち自身がMade in Japanなのだから。」この言葉で終わったNHKドラマ「メイド・イン・ジャパン」。3回に亘るドラマでしたが、ご覧になりましたか。とても理想的だけれど、日本人の美徳と和の精神が詰まった素晴らしい作品でしたね

一つの製品は様々な国で作られた部品の集合体だ。どこにmade in Japanがあるのかと言う質問が出てくるが、made in Japanは日本人の心だと返される。一つの欠陥商品も許さない限りなく完ぺきに近い製品を作る心。そしてもう一つの心を作品は示唆する。Made in Japanは相手と敵対しない、足を引っ張らない、関係者皆が良くなる方法を見つけて行く最も賢明で上質な心。作、井上由美子。

死に体の電機会社TAKUMI、どこの銀行も融資をしようとしない。大きな顧客は中国企業に取られてしまう。その中国企業には、選択と集中という構造改革の流れの中で収益の上がらない部署をリストラした時に中国へ渡ったTAKUMIの技術者がいた。その技術者により日本で生まれた技術が中国に流出される。生き残りの策としてTAKUMIは技術を盗んだと中国企業を告訴する。しかし最終的には告訴を取り下げ、潤沢な資金を持つこの中国企業からの支援をもらいつつ、全員が生き残る道を探る。

NHKはドラマに随分力を入れるようになりましたね。昔々海老沢さんが会長だった時かな、ドラマが画面からゼロに近い程消えた時があった。ドキュメンタリーに力を入れた。ドキュメンタリーは出来事を追っていくけれど、こう云うドラマは、現実と隔離しているかも知れないが、美しい生き方を提案してくれる。そんな選択も可能性として存在し得るかも知れないと思わせてくれる。もちろん、”良い”ドラマである事が前提だけれど。

私は日本の美意識が大好きだ。誇りに思う。他の国に行くと同じような意識を時々垣間見る時があるが、日本は生き方に美意識が織り込まれ、これが多くの人達の個々人の生き方に、程度の差はあれ、浸透しているような気がする。だから、安倍晋三さんがかつて「美しい日本」と題した自分のビジョンをまとめた事があるが、「”美しく”生きる」というフレーズは日本独特のもののような気がする。もちろん他の国々でも”美しく”生きる人はいるが、その生き方に“美しい”という形容詞を使っているのは私の狭い知識の中では見当たらない。ダイアナ・ロスの歌にForever Youngというのがある。この歌の中の内容は正に”美しく”生きるに等しいが、使われている言葉はYoungである。どの言葉を使ってその生き方を表すか、これも重要に思う。ま、英語のBeautifulと日本語の「美しい」に含有される意味は完全に一致しないが(私、なんだか訳が分からない事を言っているような気がする(@_@;)。






すごい事になるような 2013/2/12

もしかすると、めずらしい歌が出来上がるのかも、なんて思ったりしている。「やっと、できた~」と昨日西さんから新曲「もういいのよ」の語りの部分の曲が出来上がって来た。この新曲については、1月17日のブログに「涙ものよ」と紹介したが、語りにも伴奏が付いて歌っていると、ドドドと涙が。人前でわたしが泣かずに歌えるかなぁ。イントロやエンディングのその他細かいところのアレンジができれば完成。切なくて、清くて、明るくて、実に良い(自分で言って良いの?)。深い大人の歌、「本物だね」と言う人もいるかもしれない(ちょっと、ちょっと~(@_@;))。ずっと語りで後半に歌になるの。 3月30日のソロライブには御披露できそう。


雪景色の中であなたを見ていると 
二人で始めて行ったスキーを思い出すわ。
滑れないわたしのスキーがあなたを目がけて走っていく。
あなたは避けようともせず 
ぶつかって来る私の防波堤になってくれた。 
他にぶつかったら危ないからって。
私はすっかりあなたに恋をしてしまった。・・・





プロフィール更新 2013/2/13

私のプロフィールを見て「疲れる」と言われた方がいた。2011年にリサイタルのコーラス仲間に指摘されて”改訂”したが、まだ駄目らしい。それでもう一度読み直した。読み直すのはこれまでも何度もして来たが、視点が変わっていない限り、何度読み直しても変更する必要は生まれない。

それで今度は彼の視点を入れて読み直したら、なるほどと思う処もあり書き変えて第3版になった。短くと言われたが、短いとこの世界のキャリアが短い私に書く事が無くなってしまう。一応内容だけ刷新。

つくづく私は幸せな人だなぁと思う。本音を言って育てようとして下さる人達が周りに何人かいる。思わずニコニコと窓を開ける。






レパートリ欄更新 2013/2/17

プロフィールの更新を数人の方々から勧められ、その中の女性の友人は丁寧に何処をどうしたら良いという具体的なアドバイスまでしてくれた。やっと簡潔なものができ彼女を含め多くの方々からGoサインを頂いたが、この多くの方々の中にかつて通訳をしていた時に知り合った法律の専門家がいらした。「いいね」と。私は笑った。結構皆さん見て下さっているんだなぁと思ったら、嬉しくなった。具体的なアドバイスをくれたこの友人から、ついでにレパートリ欄も違えたらどうかというアドバイスがあり、なるほどとそちらも彼女の意見を入れて更新してみた。どうぞ覗いて下さいませ。




Mr.Childrenの歌を歌える(笑) 2013/2/17

あはははは・・・・。実は今日はギター弾き語りのクラス。課題はMr.Childrenという若いグループの曲を歌いかつ弾き語りをする。なんとまぁ、最初に聴いた時は笑いしか出ませんでした。絶対日本語として何を言っているのか分からないのだから。それは以前にYUIの歌の事を書きましたが、それに似ています。たまたま私と同じ世代の友人と電話で話をしていたら、彼女から言いだした、「Mr. Childrenは何を言っているのかさっぱり分からない。」味方ができたかと喜んでいました。

ホント、リズム先行型だから、とうてい日本語に聞こえない音の振り分けをする。私は譜面を見ながら可笑しくてたまらなくなった。日本語の日常会話だって強弱の場所を間違えると「え?」となる。外国人が発音する日本語に戸惑うのと同じです。

そうしたらたまたまテレビのある番組で、何人かの音楽専門家が米国のQueenというボーカルグループの話をしていて、司会者が大学の音楽専門家に感想を聞くと、「聴こうともしませんでした」という。それに対し、デーモン小暮はあのリズムに乗るのが面白かった、と言っていた。まさしく私のBefore &Afterのようでその話をおもしろく聞いていました。

Mr. Childrenの歌がQueenに影響されているかどうか分からないけれど、感覚的にそんな感じみたい。

今日は彼らのMashmallow Dayを歌い楽しかったぁ~。歌えた喜びがありました(笑)。歌詞なんてどうでも良いような(こんな事言って良いかな)、リズム先行型の歌、これも楽しい。しんみりと心に何かを訴える歌は、やはり詞を大事にしなければなりませんけれどね。
   
  「山田洋次監督が選んだ日本の名作100本」 2013/2/20

これはNHKBS103で毎週火曜日夜9時から放映される日本映画のアーカイブ。初めて見るものも沢山あり、こんな素晴らしいものを家に居ながらにして観る事のできる贅沢さというか豊かさに、温かくなります。

先週は小津安二郎監督のサイレント映画「大人の見る繪本 生まれてはみたけれど」を実に楽しんだ。小津監督20代の時の作品だと言う。この映画では小学生の男の子達が主人公。郊外に引っ越して来た一家には小学校に通う息子が二人いる。その子供達がその地域の学校に転校するのだが、そこにはガキ大将率いるグループがある。二人の少年とそのグループとの様々な賭け合いがこの映画を牽引する。

弟がガキ大将とそのグループに追いかけられる。お兄ちゃんが出てきて「やい、弟をいじめるのは誰た!(字幕)」とかたき討ちをするのだが、この仕返しは学校でと、お兄ちゃんまでが追いかけられるようになり、二人は学校にも行けなくなる。家ではお父さんが「新しい学校で頑張るんだよ。御父さんはなんでも一番だった、習字も一番だった、だからお前達も甲を取らなければいけない」と子供達を叱咤激励する。

学校に行く格好で家を出るのだが、二人は川べりで過ごし、あたかも学校に行って来たようにそこで習字を書き、「甲」の印を誰かに手書きしてもらおうとする。たまたま酒屋のお兄ちゃんが通りがかり赤字で書いてくれる。しかし書かれた漢字は「甲」では無く「申」であった。はみ出たところをいかに隠すか試行錯誤する・・・・・

やがてガキ大将のグループとも仲良くなり、お兄ちゃんがグループのリーダになる。彼らの中で流行っている様々な遊び。一人がある子供の前に立ちお呪いのポーズを取ると、まじないをかけられた子供は直ぐに仰向けになって死んだまねをしなければならない。続くまじないでまた元の状態に立ちあがる。またかけられると再度死んだまね。まじないをかける方は大体”権力”のある子。お兄ちゃんがかけ、掛けられるのはそのグループで一番お金持ちの子供。勉強も喧嘩もそこそこである。

ある日、その金持ちの子の家で活動写真を見せるというので、お兄ちゃんと弟も仲間たちと一緒に行くと、何と自分たちのお父さんも来ている。そこはお父さんの会社の専務の家なのだ。お父さんはこの専務にペコペコ、活動写真は会社の慰安旅行かなにかを映し、画面ではお父さんが専務のご機嫌取りにひょっとこの真似をしている。偉いと思っていたお父さんのこの姿を見てお兄ちゃんは失望する。その専務の息子より僕の方が力もあるし勉強も良くできるし、それなのに・・・お兄ちゃんは家で荒々しくなる。「こんなお父さん嫌だ嫌だ、僕のお父さんは一番偉くなくちゃいやだ」、お尻を叩いて叱る父親。泣きながら眠るお兄ちゃん。その顔を見ながらお父さんは言う「おまえは偉くなれよ」。

悔しいお兄ちゃんは、専務の息子に訊く「お前のお父ちゃんと僕のお父ちゃんとどちらが偉い」「もちろん僕の・・」と言いかけて、専務の息子は言い直す「君のお父ちゃん。(子供にもとっさに知恵が働く、後が怖い)」それを確認するかのように、お兄ちゃんが専務の息子にまじないを掛ける。専務の息子は倒れ屍のポーズを取る。

ある時は子供達が自分のお父さんの自慢ごっこをする。ある子が自分のお父さんの凄さを見せようと自分の家に友達を連れて来る。庭先で鶏に餌をやっているお父さんに、子供がキャラメルを渡す。それを口に入れると入れ歯にくっつき、お父さんは入れ歯を出したりしまったり。歯を自由に出し入れできるすごさを子供達が確認する。

何ともびっくりしたのがこの子供たちの演技なのです。サイレントだから音声は無いのですが、実にリアル。あの時代に子供の演技学校もなかっただろうし、あったとしてもこれほどリアルな演技ができるとは信じられないほどにリアル。どのように撮ったのだろうと、バックステージの様子を想像していました。

昨日は寺山修二作、篠田正浩監督による「夕陽に赤い俺の顔」。とても単純な殺し屋の話なのですが、ダークダックスのような4人グループによる歌が突如出てきたり、殺し屋の一員である平尾昌明が歌ったりと、ユーモア交じりの笑い満載の娯楽でした。音楽は山本直純。楽しいものを作っていたのですね。





産みの苦しみ?いいえ、産みの楽しみ 2013/2/20

「もういいのよ」は3月のライブに間に合うようにアレンジが出来上がってくるようだ。この歌をアカペラで歌って既に数人の方々に聴いて頂いた。「ああ、いい~」と溜息交じりのコメントが多いが、30代程の男性が目尻を指で拭っているのをみて、この歌の先が見えた気がした(また走っている)。

この歌は語りが主で、感情が高まったところを歌にしている。その語りの最後のメッセージ的な詞がなかなかツボにはまらない。自分が本当に言いたい事を正確に表現するのは難しいと佐藤愛子も言っていたが、おいそれとできない時がある。「美しい日々だけを連れて」を作っている時の事、ピタッとした歌詞が出ないところがあった。せっかちな私はトントン片づけて行きたいので、文字数も合うし文脈からも行けそうなのでシャンソンの訳詞で使われている言葉を安易に選んでそこにはめた。

それでデモ版を作りある方に聴いて頂いたら、正にその言葉を指摘された。突如この言葉に閊えたと。受けを狙ったようで違和感があると。私はびっくりした。そんなコメントを頂くとは予期していなかったし、それにそこだけが自分でも頭をかしげたままだった。それで必死になって此処で私が本当に言いたい事は何かと、心の中を懸命にほじくった。それで出て来た。「大人になりました」を「優しさ増えました」に代えた。代えたことで深みが加わった。

「もういいのよ」で久しぶりにつかえた。ワンフレーズがびしっとツボにはまらない。私は何を言いたいのか、これか、あれかと色々浮かべる。過去形ではダメ、何か未来に光があるもの、etc. ワンフレーズだが、1週間ほど考えている。産みの苦しみ?いいえ、産みの楽しみなんです。必ず降って来ると思っているし、どんな言葉が降ってくるのか楽しみなんです。天から降って来なくとも、来る方向は色々。

実は以前テレビで作詞家のなかにし礼が「石狩挽歌」の中のフレーズ「おんぼろぼろろ」が出るまでの過程を話していた事があった。「来る筈だ、来るはずだ」と思っていたと言う。そう、来るはずなのだ。とにかく様々な言葉に接しながら来るのをひたすら待つ。本を読む、テレビを見る、人と話をする。言葉の出るものはすべて間口を広げて接する。

で、今朝来た。3月のライブで御披露します。This song will be something.




   
   小林旭 2013/2/21

私には兄姉が多かったので、彼らが応援していた俳優や歌手は小さい時から親近感を持っていた。小林旭もその一人。幼い頃、芸能関係の事が大変好きな姉が、末兄が小林旭に似ていると彼の写真を撮ってはどこかに送ると言っていた。実際に送ったかどうか分からないが、合格通知が来たと言って騒いでいた記憶はない。姉が兄をしきりに小林旭に似ていると言うので、子供心に私もそんな気になり「うちの一番下の兄ちゃんは小林旭に似ているの」と兄の”美男子”ぶりを言葉に含めてそう言っていた時がある(@_@;)。

もの心がついてテレビに映る小林旭を見た後に、しみじみと兄の顔を見ると、何処が似ているのだろうと思うようになった。でも、友人たちにそう言ってしまった手前、取り消すのもためらい、ただ似ていると言わなくなった。現在の兄は、左側の髪をいっぱいに引っ張って右に寄せるか、露わになった頭皮を隠すために昭和の借金取りを思わせるようなキャップを被っている。

大学に通っていた頃、小林旭が好きだと友人に言うと、聴いた彼女は余りにも意外だと思ったのか、音量を上げて叫んだ「ええ~っ、小林旭?!!!!クサ~い!」彼女は二人姉弟の長女であるから、小林旭が生活の中に入っていない「沖雅也なら分かるけれど」となる。確かに沖雅也は小林旭の若い頃に似ている。

私はNHKを始め、様々な歌謡番組をよく観る。どんな歌が歌われているのか、誰が歌っているのか、作詞作曲は誰かなどを知るために。今日はテレビ東京で夕方8時から2時間程の歌謡番組をやっていて、そこに小林旭が出ていた。

幼い時の名残で特別な親しみが湧くのだが、それとは別にこの人は、ホント、素晴らしいと思う。ネットで年齢を確認すると、今年75歳になるらしい。75歳にしてこの色気、肌つや、身のこなし。誰が75歳を感じようか。人間にあるのは生命だけで、年齢など本来ない事が改めて示唆されているような気がする。また、彼は音程が狂わないらしい、絶対音感を持つ私の友人が言っていた。

酒も制御して来たのであろう。その姿形にこの人のきちんと生きて来た人生が偲ばれる。




誰かを愛する事は神様の側にいる事 2013/2/24

「誰かを愛する事は神様の側にいる事」ーかつての私がこの言葉を聞いていたらさっぱり分からなかっただろうと思う。1986年のロンドン初演以来世界で大ヒットを続け今なお上演されているミュージカル、ヴィクトル・ユーゴ作「レ・ミゼラブル」が映画化され、数日前に見に行った。レ・ミゼラブルはかなり昔に映画になっているが、これはミュージカル版を映画版にしたと言う、経緯が少々複雑である。要するにスクリーンで見るミュージカルであるが、作曲も作詞もミュージカル版と同じであり、演出もミュージカル版に関わったジョン・ケア―ドが協力している。

ひもじい生活の中で妹にパンを食べさせてあげたいとジャン・バルジャンはパンを盗んだ。その罪で5年の刑を科せられるが途中で脱獄しようとした事で19年の受刑生活を強いられる。仮釈放されるが、寝る場所も食べるものもなく、教会の側で居眠りをしていると、神父に助けられ寝床をもらう。夜中、皆が就眠中、教会の銀食器を盗んで逃げる。が、憲兵に取り押さえられ、教会に連れ戻されると、神父は「それは私が彼に差し上げたものです」と憲兵に告げ、さらに「貴方はこれを持って行くのを忘れましたね」と銀の燭台をジャン・バルジャンに与える。

この神父(神)の愛に打たれたジャン・バルジャンは心を入れ替え、正直に生きようと誓う。宝石工場をつくり、その人格を尊ばれやがて市長にまでなる。その市に新しく赴任して来たのがジャベール警部。仮釈放期間中に逃亡したジャン・バルジャンを追っていた。

7月革命の後まだ混とんの中にあるパリに新たなる蜂起が労働者と学生たちを中心に勃発している。そのさなか、学生たちに捕えられたジャベール警部をジャン・バルジャンは助ける。簡単に殺す事が出来たであろうし、殺した後では完全に自由の身になったであろうが、ジャン・バルジャンはジャベールを殺さない。彼はあくまでも法に忠実であっただけだと、ジャベール警部を逃がす。詳しい物語はWikipediaで見て頂く事として、この物語に一貫しているのは「愛」。人を愛する者は神の側に行けると言っている。自分を愛してくれる者を愛する事は子供にもできる。しかし自分を縛ろうとするもの、自分の敵を愛する。神父から助けられ敬虔なキリスト教徒になったジャン・バルジャンが学んだ事は、ひたすら人を愛する事であった。汝の敵を愛せよ。

レ・ミゼラブルのミュージカルの日本版初演の準備がされている頃に私は丁度米国から帰国し、そのオーディションを受けた。米国から帰国したばかりだから私がする事は日本芸能界の慣習と異なり、審査員は面食らったようだった(笑)。ただ棒立ちで課題曲を歌うところ、私は身を滅ぼしてゆくフォンテーヌ役に合うよう家からビールジョッキを持って行き床に寝ながら歌った。審査委員を務めた音楽監督は「何だこいつは、ふざけているのか」と睨み(余程印象深かったのか、他のオーディションで出会った時にも睨まれたが、後に私のボーカル・トレーナになった)、演出家は「大変面白い素材」という印象を持たれたらしい。

ロンドン、ニューヨーク、東京で何度もこのミュージカルを観ている。実にすばらしい作品だ。何度観ても飽きない。音楽がたまらなく良い。同じ旋律を何人もの人たちがそれぞれの役の詞で歌う。劇場ミュージカルでは歌詞が大まかに分かって終わるが、映画となると日本語のテロップがでるので、劇場で歌われる日本語の訳詞には現れていない言葉も眼にする。「誰かを愛する事は神様の側にいる事」、こんな事も歌っていたのだぁと思いながら、その言葉は東西関係なく一貫した人間の真理なのだなぁと感慨深い。

神様が喜ばれるような人生を生きていたら、神様から沢山のご褒美が降ってくる、親が子にそうするように。それは、神様は神様の子供として私達を地上に送ったのだから。




一日中家の中で 2013/2/26

今日は夕方から友人たちと渋谷に牡蠣料理を食べに行く予定だった。久々に会うので楽しみにしていたけれど、朝起きてメールを見ると、昨夜に通訳依頼のメールが入っていた。内容は、電力使用測定スマートメータ。もちろん測定だけでは無く停電防止や効率的電気使用など様々なメリットを持つものであるらしい。丁度先月の今頃、東京電力のプロジェクト入札準備の通訳をしたばかりだったので、この内容はそれほど事前準備をしなくとも行けるかと受ける事にした。それにしても最近通訳の依頼が多くなったが、景気が良くなってきているのかも知れない。通訳をしていると景気の匂いを嗅ぐ事ができる。3日間ビックサイトで米国巨大IT企業のブースに貼り付く。

資料はバイク便で送られて来た。資料が無ければ無いでネットで調べた知識でどうにか行けるのだが、送られて来たのでやはり目を通す。結局、一日中家にいる事になり、ディナー出席をキャンセル。途中家事を入れて、眼に休養も与え脳も休ませる。きっとこんなに細かく眼を通す必要もないのかもしれないが、恥ずかしい仕事はしたくないと言う思いからこんな事をずっと続けて来た。そして残ったものと言うと、・・・ちょっと空しいかなぁと思うところがある。

通訳能力が大変未熟な時の仕事内容は様々な人達と出会えるものが多かったが、レベルアップして行くにつれ、同時通訳ブースでの通訳者とだけの空間だったり、大きな会場での大聴衆を前にした通訳で、終ったらそれで終わりと言うケースが殆どだった。個々の接触はほとんどない。それが良いと言う人達もいるけれど。。。

明日はギターレッスンもあるが、間に合うだろうか。




スマートグリッドExpo2013 2013/2/28

3日間の筈の仕事が当初から企業内部の連絡の行き違いで2日間で終わった。これは「スマートグリッドExpo2013」という世界最大のエネルギー関連企業の展示会であるらしい(昨日のNHK7時のニュースで取り上げられていた)。燃料電池、太陽発電、風力発電、その他建築/建材展等が一緒に開催され、初日にはそれぞれの企業のVIP達が招かれレセプション・パーティが催された。そこへの参加券を私も頂く事になり、何が行われているのか見たさに喜んで付いて行った。このExpo主催企業の社長の挨拶では初日だけでも来場者が12万、その10%が外国からの参加。政府関係者が80人、安倍晋三総理からの挨拶文も読み上げられた。日本の大企業のトップたちに混ざり米国や欧州大企業のVIP、アジアからは韓国の現代自動車常務が壇上に上がって紹介された(中国企業のVIPはいなかったように思う)。「どれどれ」と私も背伸びをしてお顔拝見と行きたかったが、人が多すぎる。

ブースにいると英語に混じって韓国語もよく聞こえた。韓国ではこのようなExpoは無いようで、驚いたのは韓国学生3人(この内一人は女学生)が質問まで準備してきちんとした英語でためらわずに話しかける。グローバル企業で働く日本人社員達は社内に様々な国籍を持つものがいる為、親しみを感じるのか「え、コリアなんですか」と目をキラキラさせる。

私が貼り付いていたブースは米国企業だから、ここを訪れる人達は大体英語で話しかけようとする。日本人の中には年配者でも自分から英語をしゃべろうとする人が多くなった。日本人の若者も。かつてなら間違える事が”恥ずかしい“と思うのかなかなか英語を話そうとしなかったが、今は頑張っている。まだまだ道は遠いけれど、やろうね。
   
   これ、どっち? 2013/3/2






 この写真のデザインの焦点はどっちだろう。
 中国製の車の事?それともドイツ製の自転車の事?



















定例ソロライブ開催 2013/3/3

「定例」なんて言葉を使っちゃって。これまで4回続けられたから定例と言う事にさせて頂きます。

6か月ぶりです。池之端QUIで又ソロライブをやらせて頂ける事になりました。今回はジャズ界の誰もが知っているトップピアニスト西直樹さんが演奏をして下さる。2011年の六本木STB139で演奏して頂いた事がきっかけで、私の最近の曲のアレンジは全部彼にやってもらっているけれど、昨日未明に完成された今年の1曲目「もういいのよ」の作曲もお願いしました。作曲を人に依頼するのは初めてですが、この楽曲はほとんど語りなので、それに音楽を付けるのは余程高度な音楽知識とセンスを持っていなければ無理なんです。本物の音楽のプロ。そしてとても良い感じに仕上がって来ました。なにせ3カ月も温めて下さったのだから。

3月30日(土)19:30開演 詳しくは「出演」のところを見て下さいね。

ところで、もう一つの新曲演歌調の「輪廻の華」は、1月にファンが企画して下さったライブで披露させて頂いたら、「余りにも雰囲気が変わり、戸惑いました」と言われ、睨みつけるのを止めました(笑)。これは、自分の命に棲みついた男に捨てられ、いつか私はあんたを懺悔の川に流し、流れて来た時にゃ、掉さして待っていてあげるわ、天の糸が降りて生まれ変わった時には高嶺の花になり、あんたには浄化の滝が落ちる・・と、絶対弱音を吐かない女の意地を歌ったものです。カッコいいでしょ?歌が好きで結構感性の高い30代の男性に聴いて頂いたら、そう言われました(ほほほほ・・・)。「カッコいいですねぇ」と言われた時は、えっ、まぁね、ほほほ、うふふ。簡単に出来ちゃった歌なんだけれど、そしてなぜこの歌が出て来たのか分かるようで分からないのだけれど。とにかく聴いてみて下さいね。

そして楽しみにしていて下さいね。






私の人生にこんな事が起きるなんて 2013/3/3

ちょっと大げさなタイトルだけれど、ここ2、3日の出来事です。一人でいながらキャッキャッはしゃいでいます。

昨年暮れから書き始めた自作曲を歌い込むために随分声を出す様になったんです。発声がようやく身体に浸透し昨日録音したものを聴いたら自分の声に感動してしまったの(笑)。私の人生にこんな歌声が生まれるなんて、驚きやら、嬉しいやら。人間てすごいなぁと、改めて人間の無限力に感嘆。

今ね、一般読者向けに書かれた遺伝子関連の本を読んでいるんです。遺伝子って先天的なもので固定だと思っているでしょ?そうじゃないんですって。人間の持つ遺伝子はこの地球に生物が誕生してから38億年間の遺伝子すべてを受け継いでいるんですって。ただ多くの遺伝子は眠っているだけで、活動しているものは3%くらい。後天的に、環境の変化や心の変化によって眠っている遺伝子がスイッチオンされるので、私達は何にでもなり得るんですって。なるほどと思いません?自分の親兄弟に似ていない人が家族にいても何ら不思議な事ではないのです。

眼から鱗。このしずこのブログを読んでいてこの事に感動して下さる人がいれば、とても嬉しい。人間は何にでもなり得る。だから、こういう人間になりたいと思えば、自分が断固決断して、前進だけを考えて行けばなれるのよ。要らないものは直ちにどさっと肩から降ろして、なりたい人間に向かって努力して行けば、その遺伝子がスイッチオンされて、正にそのなりたかった自分になれるのよ。なんと素晴らしい事でしょう!

私もまさか歌う事を自分のキャリアにするなどとは思ってもみなかったけれど、流れでそうなった。それでは声に磨きをかけなければと動いていたら、上気して手を頬に持って行く程の結果がやって来た。私にこんな良い声があったなんて。私の家系にステキな歌声を持っている人なんて誰もいないけれど、私の中に眠っていた誰かの”美声”の遺伝子がスイッチオンしたのか。

こんな事が私の人生に起きるなんて。これからも色々な事がもっともっと起きるだろう、起させよう、起す事ができるとさえ考える。一緒に頑張りません?



うん? 2013/3/5

ブログを書いた後に私はよく再読して編集をします。初めて入力した後にももちろん1,2回読んでいるけれど、日を置いて再読すると、なんでこれにあの時気が付かなかったのかと不思議に思うほど訂正が多い。漢字の変換は言わずもがな、てにをはも違っているし、時には単純になぜこの文が此処にあるのと、自分でも信じられない誤りがある。恐らく切り取り貼り付けをやっている内にそうなったのだろうけれど、おもしろい事に数日経たなければその誤りに気が付かない。それで又読み直したら丁度上の文の調子が違っているので、はてと考えた。

最近増えた気配がする若い読者が念頭にあったように思う。長いようで短い人生、人生が短いと言う事すら知らない若い時、「生き方」を筋道立てて納得するように教えてくれる先輩がいれば、どんなに良い事か。もちろん、生き直しはいつからでもできるが、早いほど良い、幸せで充実した時間がそれだけ長くなる。

上の遺伝子の話は、筑波大学名誉教授の遺伝子工学博士村上和雄先生によるもの。






詩人、ポール・ヴェルレーヌ 2013/3/7

詩人と言うのはある意味でコメディアンなのだろうと思う。若い時にはよく分からず、大学の偉い先生方や、御著書を何冊も持たれている作家先生達が感動しながらその素晴らしさを話していただろうから、天才か特別な人なのだろうと思ったかもしれない。が、今のわたしの目には、彼らは単なる混乱の中にいる人のように見える。それも自分で創る混乱。まぁ、そうだろう、彼らが作品を書いて世に知られるのは若い時。微小の出来事を大事件とばかりに一人苦しみもがいては自己憐憫と自虐行為に明け暮れる。読者から見れは訳の分からない形容詞と名詞の組み合わせに自己陶酔して遊んでいる。他人が分からないところに哲学があり美があると言わんばかり。しかし哲学も美も人に共感されない限りその意義も役割も持たない。もちろん全ての人に共感されるのは不可能だが、今の私は、彼らを読んでいて大声をあげて笑う(すみません)。彼らは自分を悲劇化しているコメディアン。

ヴェルレーヌ、ランボー、コクトー。フランスの名高い詩人の詩をこのところ読んでいた。真剣に読んでいると迷路に入り、こちらまで気が変になる。いや、どこに行っているか分からなくなり、書棚に戻す。

それでもランボーやコクトーはどうにか付いて行けるが、ヴェルレーヌときたら、言葉が印象されず、頭からも目からも飛んでいく。どうも失恋やら人生がうまくいかない事に悩んでいるようだ。気の毒なのは、小さな失恋を膨大化し世界どころか宇宙まで壊れてしまうのではないかと言う混沌の世界を”懸命に”創ってさまよう。まるでこの世界や宇宙を背負っているのは自分なのだと言わんばかり。裕福な家庭の坊やに生まれながら、受け継いだ遺産も何処やらに使い果たし、最後はとうとう乞食同然の生活になって若死したらしい。要するに現実に根ざす事ができず、妄想の中で言葉の泉に浸っていたと言う訳。そりゃぁ、例え美男子で生まれたとしても女から見放されますわねぇ(かなりのぶ男だったようだ)。私もとうとう途中でランボーにと男を乗り換えました(笑)。こちらはまあまあ付いて行けそう、でも最後までは行かないでコクトーに寄り道。ふんふん、こちらの世界もちと複雑だがイメージは創れそう。

もちろん分かりやすく共有できる世界を書く詩人もいる。谷川俊太郎の詩は彼の大変さが溜息と共に分かる気がする。

文字を扱う小説家や詩人は人間の想いを的確に我々に代わって表現してくれるので、それを読んだ読者側にはある種のカタルシスが生まれる。「そう、その通り」「私が思っていた事もこれよ!」など。しかし、ヴェルレーヌ様、あなたの泡ともならない掴みどころのない言葉の乱流にはお手上げ。まぁ、そう言う事が価値あると思われている時代だったのかもしれませんし(三島由紀夫もこの種か)、あなた自身がそれに価値を見出したのでしょうね。御若いというか、甲斐性が無いと言うか。ごめんなさいね、でもこれは私のブログ、勝手に言わせてもらいます。

自分の妄想や想いで創っていく悲劇と言うのは、見方を変えるとコメディ―なのだと、今朝初めて気が付いた。チェホフが自分の戯曲はコメディーだと言ったが、多くの読者にはそれが理解できず、希望が現象に現れない登場人物の内部の葛藤は悲劇に思えるのである。しかし、今わかったような気がする。医師から作家へと転じたチェホフには早くから人間の不幸が何処から来るかよく知っていたのだろう。




   
   
13回が3回くらいに 2013/3/8

とうとう飲み始めた。2月中旬から毎夜寝る前に一錠。今年は例年よりも大量のスギ花粉が飛び散ると言うので3月のソロライブに影響したら困る。

十数年前にアレルギー性の咳で困っていた頃飲んだ薬の副作用で喉が渇き、当時通訳をしていた私は声を出せば喉が痛くて大変な思いをした。それ以来花粉症でどんなに辛くとも抗アレルギー薬を飲まない事にしていた。歌も声あってこそである。

しかしライブが気になる。徒歩圏内に漢方の煎じ薬を保険内で処方してくれる医師を見つけ、そこに通って以来様々な点で調子が良く、アレルギー性の咳も大分解消したが、今年の花粉の量には不安。それを相談すると医薬品も併用する事を勧められた。

躊躇いながらも、ライブまでは持たせたいと飲み始めて1カ月以上になるが、成果ありのよう。普段ならこの季節朝起きがけにクシャミ13回、今は(今のところ)3回。出かける時には先に点眼薬を数滴、そしてマスク。用心に用心を重ねている。抗アレルギー薬も進歩したのか、喉の渇きもなく、数時間続けて歌っても何でもない。

そこで、またまた私は感動する。人間て本当にすごいなぁと。問題は大体解決できる。誰かが一生懸命解決に向けて努力してくれるおかげで、私達の生活は実に快適になっている。電車がある、家がある、暖かい蒲団がある、食べるものがいつでも手に入る、その他にも沢山沢山・・・私達自身は直接作っていないけれど、誰かが作ってくれたおかげで。本当に嬉しい、ありがたい事がこんなに多い。

この調子なら、ライブは平常心で迎えられそう。




今日と言う一日 2013/3/8

今日は4カ月ぶりのM先生とのレッスン。4か月ぶりとも思えぬ親しみを感じるが、先生自身もあまり忙しくて昨日会ったような気がしますよと言っていらした。20年以上前に初めてお目にかかった時は音大の非常勤講師をされていたが、今は教授になられた。この昇進は、「おめでたいかどうか分かりませんよ。雑用ばかり多くて」と話されていたが、本当にお忙しそうである。

先生には蜂蜜、青梅入りの黒酢を飲んで頂いている。これは口臭を消す作用がある。私も偶然発見したのだが、この青梅の蜂蜜黒酢漬けにはどの医薬品や医薬部外品よりも口臭絶滅効果があるようだ。要するに血液をきれいにしてくれる。

数年前何十年ぶりにお会いした先生の口臭には参った!身体全体が浸みているようだった。奥様に助言を差し上げようと電話を入れると、かねてから気になっていたと言われる。それで私が提唱しM宅ホームメードの黒酢と蜂蜜入りドリンクを作って飲んで頂く事に。ところがM宅が火事にあい疎開中、そのドリンクを作れず、私の出番となった。私のドリンクには青梅が入っている。それをペットボトルに入れて次に合うまでの分として差し上げた。たいそう気にいられたご様子、「うん、美味しかった。風呂上がりにオンザロックで飲んでいます」。渡している私の方はあまり飲んでいないのである。上のブログで話した漢方薬のお陰で体調が良い。そんなに美味しいのかなぁと、私も漬け置きの青梅入りドリンクを飲んでみた。いや~、ほんと、美味しい。それ以上のメリットは先生から口臭が完全に抜けた。

しかし今回は4か月ぶりに会うので心配である。この4か月間お飲みになっていない。事前に渡そうとしたが忙しくて待ち合わせる事もできないと言われ、今日のレッスン日、前もって告げていなかったが、又ペットボトルに入れて持参した。すると先生、私が持って来ると期待していらしたらしく、ニコニコしてそれを入れるバックをテーブルに置く。おかしかった。今日は私に会う日、きっとあのドリンクを持って来るだろうと朝からバッグを出して少しばかり浮き浮きされていたであろう。レッスンが終わり夕闇の街中「あ、ありがとうございます」とニカーッとされたる先生のお顔が街のネオンにひときわ輝いていた。

M先生の話とは別な事だが、また今の時点では具体的に此処でお話しすることはできないが、昨日図書館の帰りに一枚のチラシが私の眼を捕えた。ロボコンの子役からデビューし、帝国劇場のロングラン、「レ・ミゼラブル」のミュージカルでシンデレラのように現れたと言われ、その後NHK紅白歌合戦にも出演した、かつて私と同じ芸能事務所にいた素晴らしい声を持つ彼女が主演する音楽劇。何か背中を押すものがあり、彼女の事務所に電話を入れると・・・・。

そのチラシ、たった一枚だけがはみ出したように他のチラシと一緒に置かれてあった。まるで私の目に留まるようにと。




あれから2年 2013/3/11

東北大震災から2年。身内を亡くした苦しみと悲しみは依然として続いていると思う。愛する者たちを失った心の痛みは2年そこらで消えるものではない。

私はまだ被災地を訪れていないが、個人として精いっぱいの物質的協力をさせて頂いた。そのような囁かな行為を通して、私も一緒に悲しみ日本人が本来持っている「美」を取り戻す行動に参加したいと思っている。「人は支え合って人となる」、ある被災者の言葉らしい。そんなものを改めて認識できたのだろう。それはかつてこの国土に住む者たちの中にもっと濃く流れていた気風だったような気がする。

一見悲惨に見える出来事も、良き事へと動いて行くきっかけ、人間は皆良くなろうとするのだから、良くなろうとするのが人間なのだから、出来事は出来事で残念なことだが、想い方次第でより良い未来へとつながっていくのだと思う。

先日テレビのBSでアイスランドが取り上げられていた。火山帯なので溶岩が濁流のように街中に押し寄せたりと、人間の力の及ばない自然の意図の前ではただ屈するしかない。そこに30万人の人達が済むと言う。グリーンランドもそうだが(人口僅か6万人)なんだってあんなところに住もうとするのだろうと考えてしまう。住人が言う。それでも±すると、自然から受ける恩恵が少しばかり多いんだよ。その少しがどんなに大きい事か。

犠牲者の皆様の御冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌





ちょっといかん 2013/3/13 

有言実行、言った事は必ず実行する、できない事はそもそも初めから言わない、計画した事は必ず実行する。

今はかなりこんな生活になった。思った事は直ぐに行動に移すのが私が天から頂いた特徴だけれど、時には計画が大きすぎたのか、実行せずな事もあった。そうすると段々とだらしなくなると言うか、すっきりしない。そう言う自分が好きじゃない。他が関わっている事に関しては尚更である。生き方が変わると、自然と上のような生活になり、劇作家の井上ひさし氏の言葉を借りれば「毎日を丁寧に生きる」よう心がけている。

かつて、バレリーナ森下洋子が1日練習をサボれば自分に分かり、2日サボれば仲間に分かり、3日サボれば観客に分かると言ったと言う。そのように初期段階では他を騙す事はできるが、自分は全てを知っている。大切なのは自分で自分が尊敬できるかどうかだと思うようになった。それで私は結構自分を尊敬している(言っちゃったぁ~(@_@;))

ところが、今日久々に自分に課したこのルールを破った。昼過ぎ数カ月ぶりに作曲クラスに顔を出し練習用カラオケを作ってもらった後、夕方にはジムでのダンスクラスに行こうとしていたが行かなかった。起きても良かったのだが最後の眠りの続きをやってしまった。ここ両日とてもよく眠る。身体に異変が起きているような、花粉症状が完全に消えて行くような。様々な意味で良い事ばかりが起きる気配がしているので、その一つかなと。

他が関わっていないからまだ許容できるが、それでも、やはり計画した事をやらなかった事は気持ちが悪い。これはやっぱり、いかん。明日は身体を動かそう。そして久々に友人達に逢い”たわいない”事を話しに行こう。




「abさんご」  2013/3/16

1937年生まれ、芥川賞最高齢受賞者、黒田夏子。

眼が同じページの文字を何度も跨ぐ。何だこれは・・・こりゃ、大変だ。執念で読むか、投げ出すか。

新しい文体への挑戦か。
~~~~~
 死者が年に一度帰って来ると言いつたえる三昼夜がめぐってくると、しるべにつるすしきたりのあかりいれが朝のまからとり出されて、ちょうどたましいぐらいの半透明に、たましいぐらいの涼しさをゆれたゆたわせた.そのほのじろいものは、はじめのころ五つだったろうか六つだったろうか、どちらにしても死者があってのちに住みうつられた小いえには過剰な数だったが、死者が新しかったうちは贈りぬしも新しく、どれとどれをつるすかを決めまようよりは、干すことをかねてあるだけつるすほうがかんりゃくだったにちがいない.ふたつかみっつは、はなやせんこうをそなえる台のわきにおけるような、組みたて式の吊り具を付随させていた、あとはざしきとえんがわとのくびりのあたりにかけならべられた.
~~~~~
いわゆる句点「。」がない。英文で使うピリオッドに代わっている。文も長く、複数の思いが一文に押し込まれていて、それはかつて悪い例とされた記憶があるが、時代は回りその書き方が戻って来たという事か。他の処では、使われた形容詞が2行おいてまた使われたりするのは、人間の思考過程をできるだけそのまま書きだそうとしたのか、ひらがなが多いのもそれが理由かもしれない。

読者と言うものは再認識を愛するが、新しい認識は読者を疲労させる、とコクトーがその詩集の序文で言っているが、黒田夏子の作品について行くのは確かに疲労する予感がする。

私は投げだす事にした。やり出したものを途中で投げ出すのは気持ちよくないが。私はかなり凡人なのだろう。




羽毛布団の洗濯 2013/3/17

最近は分からない事があればインターネットに行けばいい。ネットで見つからない答えはほとんどないのではないかと思う。21年余り使っている羽毛布団にいつの間にか付いた茶色のシミ、首周りの黒ずみ、冬も終ったことだし、2枚ある内の一枚を洗う事にした。最近はクリーニング屋も水洗いなどを始めたが、4回ほど出せば新しい羽毛布団が買える値段を請求する。それにどの辺まできれいにしてくれるのかも分からない。もしかしたら自宅で洗えるのではないかとネットで調べた。

あった、あった。同じような意見を持っている人が沢山いて、なんら問題無く洗えると言う。キルティング加工されてスティッチで抑えられているから毛がよる事なく、一時ペチャンコになるけれど陽に干すとふわっと膨らんでくるらしい。少しの不安を抱きながら早速試した。

ピンポ~ン!全く問題なし。黒ずんだところはブリーチできれいに。こちらは薄い夏用の布団だったので、どうにか自宅の洗濯機で処理できたが、大きいものはコインランドリーを使えば良さそうである。ダウンコートも洗える。

ネットって本当に素晴らしいですね。




美しい、まさにアート 2013/3/17

作編曲者兼ピアニストの西直樹さんから新曲「もういいのよ」のカラオケが送られて来た。

この人が自分のカラオケを高く売りつける訳が分かったような気がする(今回は作曲者だから無料(#^.^#))。心が震える。とてもとても美しい。これまで様々なカラオケを様々なピアニストに作ってもらったけれど、カラオケでこんなに感動をしたのは初めて。さっそく「もういいのよ」を歌い始めたら、これまでの語りの調子が崩れ、色がさまざまに付いた。そして涙がどどどどどど・・・

当日泣くのは私であってはならない、だろう。泣いてしまっては、観客は白けるか、歌い手の涙ばかりが気になる。さあ、今からこのピアノ伴奏に慣れておかねば。

西さんの伴奏で「もういいのよ」を聴くだけでも、3月30日のライブに来る甲斐があるかもしれない。そのように私の心は高鳴る。





うんぐ、うんぐ 2013/3/18

うんぐ、うんぐ! 実現の可能性がかなり大きくなった。アイスランドとグリーンランドへの旅。

アイスランド、グリーンランド・・・どんなところだろう、地球のてっぺんで、北極圏と言う寒さの中で人はどのように生活しているのだろう、なんだってあんな寒いところで生きているのだろう。行ってみたい、見てみたい。

行きたいと思ったのは突然なのだが、一人で行くには躊躇いがある。淋しそうだし寒そうだし。イギリスで発行している旅行ガイドLonely Planetを開いて見た。この土地を旅行した者が口を揃えて言う事はWonder(不思議、おどろき)であるらしい。ならばなおさら誰かと行きたい。その感動を側で共有したり、帰国後も分かち合える人がいれば良い。あの人この人と思い浮かべてみたが、様々な視点からみる自由度を考慮すると誰も候補に載らない。

「うん?!」そうだ、2年前一緒に上海に行き楽しい時間を一緒に過ごさせて頂いた大学OB会のメンバーがいる。あのような旅を又一緒にできたらと、先日その部会で提案してみた。すると、6,7人いた中で二人が手を挙げてくれた。行った事のないところへ行こうではないかと。以前にもオーロラを観に行くツアーを作りませんかと他部会で提案した時に直ぐに乗って来た人がいた。今回の提案ではOB会の元会長が「行こう!」と言って下さるし、上海の時のように10人程が手頃なサイズかなぁ。きっと、参加者全員にとって忘れられない旅になるだろう。

ネットを見るとアイスランド観光を専門的に手掛ける旅行代理店が幾つかあった。旅行会社が企画するツアーに私はこれまで満足した事がない。競争が激しく値段を抑えられるせいか、薄っぺらでサッと流した程度。一人旅がよっぽど良い。しかし、今度のツアーは、もしかすると、こちらの希望を織り込んだテーラーメイドのツアーを作れそうである。私が企画係になりそうなので、自然鑑賞だけでは無く現地の生活までをも垣間見るツアーになるかも。参加しそうな人たちの驚きと楽しそうな顔を想像しながら、私自身が浮き立っている。

オーロラ、犬ぞり、大規模露天温泉、氷河に挟まれながらのクルーズ、火山クレータ、ヨーロッパ最大の滝デティフォス、そして現地の料理と清々しい空気と匂い(かな?)、等など。

さて、そろそろLonely Planetを事細かに読もう。





もったいないー中古品買い取り 2013/3/24

「はい、ありがとうございます。3着合わせて500円・・・。」

アマゾンでの中古書籍販売。私もよくこれを利用して買ったり時には売ったりしている。意外なのは中古品と言っても新品同様で、業者が出品している。”古い”が理由で中古品扱いにしているのか、アマゾンの正規価格より低い。

通訳をしていた時に使っていた様々な英語関連の本を中古市場に出した。一時はそのままゴミとして出そうかと考えたが、皆貴重な情報源である。いわゆる「もったいない」。これらの本を欲しがっている人は多いはずだし、安価で買えればそれは嬉しいに違いないと思い、アマゾンの中古書籍売り場に出した。すでに11冊が新しい持ち主を得た。「直ぐに発注して下さい」と購入希望者の名前と住所がアマゾンから送られてくる。パッキングし郵便局まで出かけて発送する作業を私は結構楽しんでいる。この住所にいるこの人になぜこの本が必要なのかと想像を巡らせる:この人は通訳の勉強をしているのかな、ああ、この人は会社で使うんだな、等など。そして遠くから「頑張ってね」と念を送る。英語の勉強だけでなく人生にも。

かつて留学していた米国では、年度が終わると学生たちがいわゆる生協に行き1年間使った教科書を売りに出す。年度末は混み合う時期で長蛇の列ができる。私はこれを見てとてもいい制度だと思った。教科書は誰かが使ったものでも使えるし、多くの方々が経験している通り、使い終わったらノスタルジックなセンチメンタリズムでもない限り、再度読む事もなければ開く事もない。又好き好きだろうが、前使用者の手書きメモがあると役に立つ事もあるし、その人がどんな人か想像したり、近しく感じたりもする。何か通じているような。米国の学生たちは80%以上が親から独立して自分で稼ぎながら学校に通うので、そんな学生たちを支援する事にもなる。

それに対し日本では見知らぬ他人との間で自分が使ったものを売り買いする習慣はあまりなかった。質屋さんがあるかな。でも、質屋とは違う。質屋は一時手放すと言うのが前提だし、質流れ品にはおそらく売り手の未練があるような気がするが、こちらは無い。一つのすべき事が終わった記しに潔く始末する。

私もこんな心持でアマゾンの中古市場を使わせて頂いているが、今日はブランド物中古市場に関わって来た。私は好奇心が旺盛と言えば確かにそう言えるのだが、とにかく一度はどんなものか実際に触れて見たがる、頭だけでNOの旗は振らない。”捨てるには勿体ない”と着る事もないのに何年もクロゼットにぶら下げている服を幾つか処分する事にした。身にまとった事はたった一度と言うものもあるが、年月が過ぎ、今のわたしが着たいと思う服では無くなった。それはもっと”もったいない”、誰かに着てもらった方がよい。それで古着屋に引き取ってもらう事にした。通っている音楽学校の側に古着屋が2店ある。持って行くと・・・「はい、ありがとうございます。3着合わせて500円・・・。」「500円」が派手に響く。(@_@;)。

笑いながら500円の硬貨を受け取る私に、これは彼らの商人魂か、私の持っているバッグ、私が出し入れする財布がそれとなく吟味されたようだ。これ、今問題となっている「押し買い」に近い?金目のものではないと判断され(正解)、静かに送りだされた。

新宿の一等地に店を構える古着屋、合計500円で買い取った3着にいくらの値札が下げられるのだろう、いつか覘きたい気もする。




残すところ1週間もない 2013/3/24

今年初のソロライブが今週の土曜日。とても楽しみにしていらっしゃる人達がいる事を感じて、私の顔にも笑みがこぼれる。シャンソン界に限らず、音楽教室を開いている方々は生徒さんたちが付き合いでライブや演奏会に来て下さる事がよくあり、それで会場を埋める事ができるのだが、生徒を取っていない私がこれ程長く定期的にライブを続けられるのは本当に幸運な事だと思う。終った後に複数の方々が、有言実行の実績はともかく、「また来ます!」と断固とした語気で言って下さるのを聞くと、私のライブにも少しの魅力があるのかなと喜んだりしている。


今回のライブ、常連の方々に混じって、久々に来て下さる方々がいるようだ。今ほどの声が無い時、来ては去った人達がいたが、いつかしずこの「今」を聴いて下さったらと思う。そうして再び”あの場所”で夢のステージを開けたらと。
   
   前世はフランス人 2013/3/26

私は輪廻転生を信じている。でも前世に自分がどこにいて何をしていたかまで調べる程の興味はないが、私はフランス人だったと確認できる”事件”があった。

1996,7年ころ、フランスでワールドカップが開かれる1,2年前、スイスに行く途中パリで買い物をしようと3日間だけ滞在した。日本では大きい方に入り米国ではプチに入る事もある私のサイズはパリジェンヌの平均寸法らしく、試着する服の寸法のみならずスタイルも殆どどれも私にぴったりと合っていた。そんなショッピングに満足したパリでの最終日、購入したドレスを着て浮き浮きしながらセーヌ川の橋をゆっくりとロマンチックな雰囲気で渡っていると、突然私の周りに靄がかかった。それまで色のあった視界が突如閉ざされ、灰色一色の太い筒の中に入れられたような感覚。「ん?」と思うと同時に、頭の上から言葉が降りて来た、「私は此処にいた事がある」。茫然とした。それまでも私は様々な国を旅しているが、こんな体験は無い。とても不思議な感覚だった。この頃はシャンソンをお遊び程度に歌っていたが、フランスやパリに執着するものはなかった。

その後、サンゼリゼの地下鉄駅で突然聞こえて来たヴァイオリンの音。フランス古謡のよう。足早にデパートに向かっていた私を止めた。とてもとても懐かしく胸が締め付けられるようなメロディー(今は忘れてしまった)。弾く人は誰かと来た道を少し戻ると、駅の隅の洞窟のようなところで老人が数人の若者を前に座りながら演奏をしていた。急に涙がボロボロと落ちて来た。もっともっと聴いていたかったが、その日はスイスに移動する日。ひっくひっくと涙を落し続けながらデパートに向かっていた。

デジャヴの体験を雑誌などの記事で読んだ事はあるが、まさか自分が体験する事になるとは思いもしなかった。「私はかつてフランスにいたんだぁ、パリだったんだぁ」と気付いて以来、色々な事が納得できるようになった。通訳の現場では様々な外国人に逢うが、英語を母国語とする英国人や米国人と親しくなる事はあまり無い。特に英国人は皆無である。米国に留学をしていた時も、友達は米国人では無くナイジェリア人やイラン人だった。それが、フランス人の場合、向こうから大変親しくして来る。最初は社交辞令でよそよそしいが、10数分もしないうちに打ち解け、まるで以前から知っていたような雰囲気が沸騰する。ま、私がシャンソンを歌ったりし始めるから、相手が喜んじゃうのだけれど。でも同じ事をしても英国人や米国人はそんなに乗らない。乗って来ても、やはり、何と言うか、溶けあった乗り方じゃない。つまり、フランス人はどちらかと言うと気どりが無い。表裏がないようだ。もしかすると何処でも本音なのかもしれない。これは私自身のような気もする。

内田光子という英国在住のピアニストが「イギリス人は自由主義者、フランス人は勝手主義者(笑)」と言っていることを新聞で読んだ元夫が笑いながら言った、「そうかぁ、だから静はフランス人なんだぁ~!」いやに納得したみたいだった。彼はそれ以前にも「静は星の王子様見たいだね」「静はジャンヌダルクみたいだね」とその時々の感想を言っていたが、それは皆フランス人である。

フランス人は勝手主義、昨日仲間たちが集まったところでこれを言うと、急に周りが盛り上がった「そうだ、勝手主義!」と私を指したようだった(笑)。

勝手主義をおもしろがってくれる人達もいるだろうし、中傷する人もいるだろう。フランス人と長い間仕事をしている日本人が言っていた、「フランス人て最初は変な奴らって思うんだけれど、付き合って行くと良いんだよね。俺もフランス人大好きなんだよ。」どうも、この勝手主義は結末が良いようだ
(●^o^●)。





だてに歳を取っている訳ではない 2013/3/27

はぁ~、ため息が出る。赤ちゃんがとてもとても可愛いと思うようになった。

今日、カラオケ作成をしてもらうつもりで音楽学校に行ったが、持って行った録音機の電池が消耗していて、目的を果たさず帰ってくる事になった。その帰りの山手線内で、乳母車に載せられている赤ちゃんが何とも可愛い。その子の顔をもっと近くで見ようとわざわざ場所を移動した。お母さんは大きな乳母車を電車に載せている事に恐縮しているようで、私の通行に邪魔にならないかと「すみません」を繰り返す。「いいえ、赤ちゃんがあまりにも可愛いのでこちらまで来ちゃったの」そう言って、じっくりとそのお顔や手を見させて頂いた。その手の何と小さく涙が出るような可愛いさ。その手に触れたくて、電車を降りる間際には私の人差し指を赤ちゃんの掌に置いた。赤ちゃんはとても凛として、自分が可愛がられているのを感じるのだろう、私の人差し指をさりげなく受け入れた。1歳10か月だと言う。眼鼻立ちも整っていて、品もある。

大昔かし、赤ちゃんを見れば誰彼お構いなくあやす人を私は好きではなかった。なんだか人の良さを吹聴しているようで。でも今、私がそうなっているような気がする。人の良さを表そうとはしていないが、触れたがっている。ああ、歳かなぁと思ったりする。歳を取るってこういう事なんだなぁ。人や自然や周りのものをもっと慈しむ心がつくられて行くのかもしれない。だてに歳を取っている訳じゃないのね。

電池が消耗してカラオケ作成ができず授業時間の30分をどのように使おうか、私は同じディスクに入っていた「もういいのよ」のカラオケを鳴らしインストラクターに聞かせる事にした。「きれいな曲ですね・・・深いですね・・・しんみりして心にじわっと来ますし、。」で、しょ?

「もういいのよ」・・・これは人生を深く見つめる大人の歌。





オーロラ 2013/3/28

太陽活動が11年に1度のピークを迎えているため、アイスランドに限らず、アラスカなどでも大規模なオーロラが観測されているらしい。



CNNニュースから:

アイスランドの各地で先の週末にかけて、壮大なオーロラが観測された。今回のオーロラは、太陽から爆発的に放出された粒子が1~3日後に地球に届く「コロナ質量放出」という現象によって発生。この粒子が地球の磁場に到達して磁気嵐が発生し、天空で光が爆発するようなオーロラが観測できる。

この光景をカメラに収めた地元アイスランドの住民は、「あの夜(17日)は特に素晴らしかった」「バスで詰め掛けた観光客も、本当にその甲斐があったと思う」と振り返った。同国西部のオーラフスビークで氷河の周辺を3時間かけて車で巡って写真を撮ったという男性は18日、「すごいのはいつものことだけれど、昨晩は圧倒された」と話した。

2013年は、後半にかけて太陽活動が11年に1度のピークを迎える見通しで、特に壮大なオーロラが観測されている。
~~~~~~~~~~~
まだ先の事だが、アイスランドとグリーンランドに行く事になったので、最近あちらのニュースに敏感になった。まさにWonder(驚き・不思議)なのだろう。震える程感動している自分がもう眼に映る。I can't wait!



   







 





















ライブ間近の電話 2013/3/28

ライブ近くになるといやな緊張感が生まれる。どれくらいの人が来てくれるのか。正直言ってこれは結構苦しい。着信が入っていたりすると「どきっ」とする、どっちの電話なのだろうと。でもいつも助けられる。

昨年の9月のライブ時、「行きます」と言っていた方々や期待していた方々総勢15人程がメールや電話でNGを伝えて来る。かなり応えた。とうとう私は仙台からわざわざ出て来ると言う義姉への連絡もしなかった。連絡をして「あ~、しずちゃん、ゴメン、行けなくなったの」という声をこれ以上聞いたら倒れるんじゃないかと思った。それでステージが終わってから彼女に電話を入れた。終わった後ならNGを聞いても倒れないだろうから(@_@;)。しかし義姉はずっと私からの連絡を待っていたのに来ないから気を悪くしたらしい。連絡しなかった理由を説明すると、笑ってくれた。でもその日、私を全く知らない人達がぞくぞくと(私にはそう見えた)開演と同時に現れ、初めて聴いたしずこの歌に感じるものがあったのか、終了と同時にCDやDVDを買って行かれた。私もいつにも増して気が入っていたが、このような体験から神様が見守って下さるから大丈夫と確信に近いものが生まれた。何かもっと良い事が待っているから一見大変な如く見える事が起きるのだ、そんな捉え方を私も徐々に自分に浸透させている。

昨年の暮れ、「何も案ずることはない」と天の声が身体に入ってきていたが、やはり久々のこの3月のソロライブの出足が気になり始めた。しかしまた救われた。ここ2年ほどは家庭の事情が大変複雑化しその機会が無いが、かつて毎回足を運んでくれていた旧住所の近所の人と昨日電話で話をしていると、こんな事を言う:SMAPも最初は本当にお客さんがいなかったらしいね。武田鉄也は3人だけだったと言っていたわよ。

そうだ、そうだ、それで良いんだ。良ければ伝わって自然に人が人を呼ぶ。私は来られた方々に楽しんでもらえる事だけを考えていけば良い。私にも記憶がある。観客の数よりも役者の数が多い芝居を観に行ったとき、余りにスケスケの会場に最初は「大丈夫かなこの芝居」と思ったけれど、内容が良ければ、観客席の埋まり具合など全く気にならない。むしろ私の為に役者達みんなが頑張ってくれたようで得したような光栄な気分になる。こんな話は私だけでは無く他からも聞く。要は、良いものを届ける、喜んで頂く事だけ。忘れていたこの基本的姿勢を思い出させてもらい、電話の彼女に「ありがとう」を何度も繰り返した。観客数は現実を表しているのだから、そのまま受け入れれば良い。

そう思ったらまたしっかりして来た。皆様が楽しんで行かれるステージをお贈りします(●^o^●)。。。。。でもやっぱり沢山来てほしいなぁ。





2013年初ソロライブが終わって 2013/3/31

眼が覚めると、嬉しさや喜びが体中に満ちて来た。その心地よさをまだ床の中で感じていたくて、布団のぬくもりに包まれたまま、昨日のライブを頭の中で巻き戻ししている。それと同時に「あ~、又やっちゃったぁ」と反省する事が二つ。ライブ終了後ピアニストの紹介を忘れた(もちろん初めは紹介したけれど)。それと、終ってお客様をエレベータの処までお見送りするのも(まだいかんな、君)。

早速、西さんには「ごめんなさい」のメール、常連の方々にはお礼のメールを書いて送った。

いつも来て下さる方々がいるから、同じものは出せない、おもしろかった、楽しかった、来てよかったと、来られる度にそのように言って頂けるようなステージ創りを心がけている。歌もトークも、ステージ創りも。ソロライブでのこの積み重ねが私の芸を本当に磨いてくれている。他のイベントへのお誘いがあっても、此処で鍛えられているから全くうろたえない。皆さんの要望を聞きながらそれを取り入れたりしてきたが、いや~私はすごいものを頂いたなぁとしみじみと感じる。来て下さる皆さんに育てられている。

昨日も、始めて来ましたと言われたカップルがいた。とても楽しんで行かれたよう。連れの目鼻立ちのよい若い女性は、今度はお父様も連れて来たい、絶対来ますと言って下さる。別のカップルはCDとDVDを買って帰られた。もう一つのカップルは始終にこやかに、ステージからもその視線を感じられた。

3年ぶりに来てくれた若い友人も顔全体に満足感を漂わせ、3年前の南青山マンダラでのリサイタルの時よりずっと堂々として貫禄がでたと言う。自作の「今朝のバラ」を聴いていて心がとても和んだと、その曲が入っているCDを買って行った。大学の同期の一人は、「美しい日々だけを連れて」が気に入ったと、そのタイトルを手帳にメモした。

「美しい日々だけを連れて」は私の思い入れが強い事もあり、これまでも積極的に歌ってきて年代を超えた反響の大きさを感じて来たが、「今朝のバラ」はマイナーに扱った。私のライブの客層を考慮してのことだったが、昨年の札幌ライブでこの曲をアンコールで歌った時の反響が”大変”大きく(終わった後にこのCDを求める人が殺到し、ライブが終わってCD販売売り場に行くと、この曲が入っているCDは既に売り切れていた)、複数の方々が涙を拭いながら感動を伝えて来た。それがきっかけでこの歌に対する扱い方を改め、その後ファン企画のライブでこの歌を歌うとやはりこの曲が入っているCDの購入者が多かった。

それで今回も最後にこの歌を歌った。歌詞を忘れてしまうと、アンコールの代わりにこの歌を再度歌って欲しいという要望があり、歌う事に。初めて聞いた友人もこの歌が良かったと言う。「今朝のバラ」、改めて思う、本当に良い歌なんですね。

皆さま、ありがとうございました。次のライブに向けて又腕の筋肉が盛り上がります(●^o^●)。


めちゃくちゃなのに 2013/4/2


「今朝のバラ」の歌が出て来たのは、1992年か3年ころ。「あなたとなら」の後。「あなたとなら」は自転車に乗っているとなんとなく出てきたので完成させてみたくなりどうにか譜面に落としてみた。それを当時ボイストレーニングの師匠であった有名ミュージカルの音楽監督にみせると、歌詞を見ながら曲を2度演奏し独り言のように呟いた、「シンプルで良い歌だ」。その言葉に励まされ、同年か翌年に続けて2曲が生れかかった。「母さんに心のこり」と「今朝のバラ」。どちらも私の姪が結婚すると言うので、その時に書いた歌。女手一つで育て上げた娘が結婚する時のそれぞれの心境を歌にしたものだが、「母さんに心のこり」は娘から見た母さんとの別れ、「今朝のバラ」は母親から見た娘との別れを歌っている。作曲と言うものを初めてやってみた私には、一小節の中にどれ程の言葉やお玉杓子が入るのか分からず、持って行った「今朝のバラ」の譜面に、その音楽監督も手の付けようがなかったようだ。しかし幾つかの旋律が良いと、勝手にコピーを取っていた。

そうして2010年、知り合った作編曲者の安西史孝(アニメやCMの作曲者)から色々教えられて「今朝のバラ」を書きなおし、彼がアレンジをしてくれた。そしてAnz(安西史孝)から「作曲したいならちゃんと勉強した方が良い」と言われ、音楽学校に通う事になるのだが、音楽学校では作ったメロディーのコード付けと、コード進行を先に作って、そこにお玉杓子を入れてメロディーを作る方法を教える。

このやり方はまだ私の中に入っていない。私の場合はまず詞が先に生まれ、音節数を整理して行くと、自然に曲が口から出て来る。コード付けは音楽専門のアレンジャーにお願いしたいという発想がある。結局そのクラスで私がしてもらう事は、できた歌にコメントをもらい修正を加えたりカラオケを作ってもらう事だった。いずれはコード進行から作曲する方法を習得するかもしれないが。

作曲をするようになり、様々な曲がどう作られているのか譜面を通して見るようになった。皆大変整頓されている。同じフレーズの繰り返し、フレーズの一部だけの音程を変えての繰り返し等など、なるほどと思うと同時に、このように作ると容易だなぁと、喜んだ。また演奏者にとっては譜面でオタマジャクシが規律を持って並べられているからどんな感じの曲か一目で分かる。

ソロライブが終わり、譜面を整理している時に改めて「今朝のバラ」の譜面を見ると・・・なんだこれは????? はっきり言って、全く整頓されていない。大袈裟にいえば、めちゃくちゃである。一見譜面を見ても曲の形が分からない。「え~っ、私こんなものを書いていたの?」と作曲知識が皆無に近いころにできたこの曲に様々な思いが生まれる(初めは誰も素人)。これは、Anzもアレンジが大変だったろうなぁ。良く関わってくれたなぁ。それにしてもよく出来上がったなぁ。そしてさらに驚くのは、この歌に多くの方々が感動している。はぁ~~~~。
   
 






















わたしの小椋佳とアランドロン 2013/4/7

先日のソロライブの時にマスターから、今年はクリスマス・コンサートのようなものをやりませんかと提案された。確かに、ソロライブのために頂いた11月にPreChristmasコンサートのようなものを企画し、いつもより多くの方々に来て頂いてこれまでとは違ったものを見て頂くのも良いかも知れない。

で、何をやる。2011年六本木STB139のリサイタルのミニ・バージョンを出す事にしようとイメージが直ぐに固まった。池之端QUIはキャパが50人程のところだから、STBのものをそのまま持ってくる事はできない(こちらは5倍)。ステージ・スペースも私一人動くのがやっとである。

さっそくSTBに出て頂いたコーラスの仲間に打診をした。観客から小椋佳に似ていると言われた私のステージコーラスには欠かせないテノール歌手は、振りとセリフが無くて公演日時が週末祝日ならOKとなった。そうしてもう一人、観客の女性陣をうっとりさせた極上のプレゼン力を持ちSTBではアランドロンとダリダが歌った「愛の囁き」で私とデュエットをしたバリトン歌手からは返信が無い。2日間待った。遅いからFACEBOOK上でメールをよこさんかいと書いたら、直ぐに返信をして来た(公開には弱いのよ~ん)。

「ライブは12月ですか・・・・新しい出し物もいろいろあるのかな・・・約束しちゃってやっぱりできませんとは言えないから、今回はパスかな。」

このメールをもらい”小椋佳”一人でやってもらう方法を考え、”小椋佳”に伝えると、次のような返信が来た。

「(”アランドロン”は)しずさんのことだから、今はありものだけで振り付けもないと言ってるけどそのうち絶対に新しいパフォーマンスを求めてくるに違いないだろうから警戒してます。・・・演目を決めて絶対に変えないと約束すれば(”アランドロン”は)OKだろうと思いますけどね。


私がコンサート出演打診メールを出した途端、彼ら二人の頭の中に突然過去の記憶が動き出したのだろう、私はコンピュータ画面の前で爆笑した。

2010年の南青山マンダラの時に”小椋佳”がコーラスとして初参加。それまでの人生でおそらくやった事のないダンスステップを踏まされて、私を入れて他の出演者3人から集中的に指摘されたり直されたりするので、最後には「おかあさ~ん、助けて~!お願い、『もうやらなくて良いわよ』と言って!」とその大きなまん丸い目が私に叫んでいた。ちなみに彼は某大手通信会社の取締役である。その人生にできない事はなかったような秀才はこのダンス体験が余りの心労だったのだろう、所属する合唱団の仲間に伝え回ったらしい。その”恐怖”を予め沁み込まされていた”アランドロン“は2011年の六本木STB139のリサイタルに恐る恐る参加。だが、そのスタイリッシュな身のこなしから私が勝手に期待したものとは大きく隔たり、身体の硬さは”小椋佳”以上であった。棒のように動かない(笑)。それで動きを単純ステップに変えたが、本番のパフォーマンスは上でも書いたように観客の女性達をうっとりさせたようだ。”小椋佳”は2度目であったため、ステップも初回よりは慣れたように見えたが、初参加の”アランドロン“にとっては今回のメール返信が2日も遅れ、急き立てられたのであたふたと返信をよこす程、悪夢と妄想とそして(おそらく)”ときめき”が入り混じっていたようだ。”アランドロン“は企業経営者でもありCMタレントでもある。

もちろん私は11月のコンサートにはこの二人の出演を期待している。”小椋佳”には彼の十八番であるギター演奏を追加、”アランドロン“には以前は過去の記憶の中から語るという設定で後ろから歌ってもらったが、今回は今起きている「愛の囁き」を私の直ぐ側でしてもらう。(●^o^●)





 













オーディション第一次審査合格 2013/4/9

通っている音楽学校で、オリジナル曲に限定したオーディションがあった。その第一審査を”通過したと言う意味合い”の案内が郵送されて来た。通常は「第一審査に合格しましたので・・・」と書いてあるのだが、その言葉は無く、いきなり「本選の御案内」となっている。

「うれし~い!」と、郵便受けからエレベータホールまで行くまでの数メートルの間、開封して読んでいる私の口から飛び出す。周りの人がちらちらと見ていた。

発表は昨日4月8日に一次審査通過者のみに通知されると募集要項に書かれていたが、メールでその日の内に連絡が来るのかと思っていたので、がっかりしていた。それで今日は元気を取り戻そうと、6月のライブに選曲した美空ひばりの歌を練習したり、家で村上春樹の「1Q84」を読んで、その構成と表現の豊かさとナウいさと面白さなどなど、すべてをひっくるめて作家の凄さを丸ごと呑み込まされて、私の内部が膨張していた。7時のNHKニュースが終わり、まだ郵便物を確認していない事に気が付き、ロビーに降りて行った。郵便受けには、これまで見た事のない絵柄の封筒が入っていて、それには音楽学校の名称が印刷されていた。なんだろう、もしかするとオーディションの結果の事かな。

薄い。残念ですが、か。でも待てよ、通過者だけに送ると募集要項には書いてあった。メールで無くて郵便で送ると言う事なのかな。もしかすると。。。。「第一次審査に合格しました」の文言を探したが無い。でも「本選の御案内」とある。。。。

「うれし~い!」ずっと昔もっと若い時にこのように合格通知をもらった時と変わらぬ嬉しさが込み上げて来る。素直に心から喜ぶ自分に、「私、全然さびていないなぁ」と思い、また嬉しい。

本選にはさまざまなレコード会社やプロダクションが来るらしい。来ない場合はビデオを撮って郵送するという。何かにつながって行けるかもしれない。

音楽学校の様々なインストラクターの顔が浮かび、一人一人に「ありがとう」と心の中で言う。そして私を応援して下さっている皆さんに嬉しいニュースを持って行ける日が待ち遠しい。

私がやろうとしている事が多くの人々の喜びにつながるように、がんばりますね。





 






































































































新しい写真の掲載 2013/4/14

先月のソロライブの時に久々写真を撮って頂いた。“今”のしずこを見て頂こうと、このHPのトップページと「出演」ページの写真をそれぞれ新しいものと差し替えました。以前のものはどちらも2年前のもの。

顔は本当にその人の内容を表しますね。差し替えた新しい写真を見て、心がより解放/開放されて来たように思えます。先のブログでも紹介しましたが、2010年の南青山マンダラのリサイタル以来3年ぶりに歌を聴きに来てくれた30代の男友達が「以前よりも貫禄が出ました」と言っていたけれど、この写真を見て彼のコメントに頷いています。

もちろん徐々に進化して来たのでしょうけれど、大きな要因は3カ月に1回の割合で2011年12月から開催して来たソロライブだと断言できます。来て下さる方々がいるから続けられてきました。

写真を見ながら、改めてとても感謝を深くしております。ありがとうございます。「出演」のページを覗いて今のしずこを見て下さいね。




愉快な日 2013/4/17

昨日は今年初の地区稲門会(大学OB会)のゴルフコンペだった。50回記念と言う事で特別行事となり、早稲田のライバル慶応のOB達が集まる三田会を始め他のゴルフ会も参加し、総勢62人の大コンペとなった。会場も稲門会会員が役員を務めていたらしいゴルフ倶楽部で行われた(此処にこの会の懐の広さと愛を感じる)。

2週間ほど前に別のゴルフコンペに参加したが、凡そ4か月ぶりにプレイした私の成績は、ゴルフを始めた頃のスコア近くに戻り、どうしたのだろうと原因をつかめないまま、いよいよゴルフを辞める時が来たのかと思っていた。やっと一緒にプレイする人達が私の存在を重く感じない程度までの技術を持ったかと安堵していたところだったのに。


しかし、所属する地区稲門会のゴルフ会を退会する事はとても寂しい。私はこの会が好き。以前にもどこかで話したが、会は結局そこに集まってくる人達で独自の特徴が出て来る。ここに集まる人達の中にいる事は私には心地よい。だから退会はしたくなかったので、コンペが始まるまでの1週間毎日のようにジムのゴルフレンジに行き30分間クラブを振っていた。ジムで知り合ったゴルフの達人らしき女性からアドバイスも頂き、その通りやっているとウサギ小屋のようなレンジでは良い調子になって来た。

しかし距離が見える場所ではどうなのだろうという不確かさがあり、当日は開始前に練習場に行ってクラブを振って見た。すると・・・・(@_@;)。あらら、あらら・・・うまくいけば170ヤード(約155メートル)を飛ぶドライバーを思いっきり振っても、ボールはちょろちょろと右にそっぽを向いて10ヤードも行くか行かないか。「ちょっちょっちょっと待ってよ、どうしたのよ、あははは」私の意志を全く聴き入れないボールに笑いしか出て来ない。ふと後ろを向くと、その笑いを聞いてか2つ後ろの打席にいた先輩がトホホと言う顔で、眼も合わせられないと言わんばかりにニタリニタリと伏し目がちに笑っている。ありゃまぁ。いかん、絶対に通常の私の”技”に戻らねば(技よ、技、あははは)。ジムで言われた新しいフォームから以前のフォームに戻し、二の腕とボディーの間のスペースに気を配ると、ボールはドライバーで飛ばされた距離と方向を出して来た。

結果は2週間前に比べればダントツによくなったが、昨年ようやく乗った110台には届かずであった。少なくともゴルフ会を退会せずとも大丈夫かな(と、胸をなでおろす)。

16組全員のプレイが終わりパーティ会場ではそれぞれの今日の結果に対し一人で反省したり、もう訊かんでくれと暗に示唆する重たく厚みのある沈黙と有頂天になる事を自制する好成績者の薄い沈黙とがところどころ空間を創るかのように座っていたが、大勢の笑いが参加者の大変楽しい一日を語っていたようだ。

稲門会員は貸し切りバスで往復。行きと帰りでは車中の空気が大分違う。景色を見ているのか見ていないのか分からないが、ひたすら車窓から外を見やる人達が多い往路、ビールとおつまみ、日焼けた顔に満面の笑みと止む事を知らない会話が飛び交う帰路、目線は内側に向き、声の音量も大きくなる。

愉快な一日だった。







「1Q84年」2013/4/21

村上春樹の「1Q84年」は3巻に亘る2000ページ弱の長編。今朝読み終わった。

いや、いや、いや、かなりのエネルギーを吸い取られた感じ。深かったぁ。何度も目を覚めさせられた。彼は目に見えない力をずっと書いて来たと思う。それがあまり分からない時に読んだ「ノルウェイの森」は不可思議でその世界を共有できず文字だけを見ていたような気がするが、あれから目に見えない力を信ずるようになったのか「1Q84」 で彼が展開する世界にはついて行った(行けた)。父親が浄土宗の僧侶であったらしい。

時間は我々を前に進ませる。しかし過去はどのような未来を作るか方向付けをしてくれる。

「・・・ほとんどの人間は痛みを伴った真実なんぞ求めてはいない。人々が必要としているのは、自分の存在を少しでも意味深く感じさせてくれるような、美しい心地良いお話なんだ。だからこそ宗教が成立する」

世の中の事は全て自分がどう想うか、自分の想いの反映。様々な解釈があるなかで、どう考えたら自分が一番幸福な状態にいられるか、周りの人達たちと仲良く生きていけるか、自分の希望を達成できるか、それを手助けしてくれる人生観を持ったらいい。自分が生まれている意義、それを貴いと感じられれば生きる喜びも意欲も湧く。自分を枯れススキと思うよりも、神様の能力を分け与えられた神の子だと想った方が心地よい。

1Q84年にやってきたのは他動的な意志に巻き込まれたせいだと考えていた。何らかの意図によって線路のポイントが切り替えられ、その結果私の乗った列車は本選に逸れて、この新しい奇妙な世界に入り込んでしまったのだ。そして気が付いた時には私はここにいた。二つの月が空に浮かび、リトル・ピープルが出没する世界に。。。。でも・・・それだけじゃない。私は誰かの意志に巻き込まれ、心ならずもここに運び込まれたただの受動的な存在では無い。確かにそういう部分もあるだろう。でも同時に、私はここにいることを自ら選びとっている。ここいる事は私自身の主体的な意志でもあるのだ。」

そう、でき事は自分が招くのだ、そんな事を私も教わったし、なるほどと納得している。

限界を知らない表現力、物語展開のスリル、深さ、ああ、この作家が今の日本文学界でどのような位置にあるのか、その大きな意義に畏怖の念を抱く。

さて、ようやく私は自分の仕事に向かう。







ゴールデンウィーク 2013/4/25

このゴールデンウィークは音楽漬けになるようだ。まずは4月9日のブログで話したオーディションの本選がある。持参するのはいつもライブで歌っている歌なのでこれと言って特別な練習はなく、ライブの感覚で行ってきます。ただ当日の服をまだ決めていない。ドレスアップする必要は全く無いと思うので、ラフな服で参上仕りますが、そのラフ加減をどうしようかと決めかねている。

学校長から言われた。若手の多い音楽学校でのオリジナル作品のオーディション、レコード会社は大体ロックを探しに来ると。Hey, hey, hey (へいへいへい)!私の考えではそれはそれで良いの。どこに出口があるか分からない。実際に来た人達はロックを探しに来たとしても、何か印象に残って会社に帰って話題になり、他に伝わって行けばいい。やっていればいつか神様が鐘を鳴らしてくれる。

それと、作曲のクラスを腰を据えて受講し、技術的な事を取り入れ作曲に幅を持たせる事にした。これまでは出来たものを見てもらっていただけだが、テクニックを習う。既に数回受けたが実に面白い、眼が覚める。

作曲のクラスを取ると、同時進行で曲も積極的に作るようになる。早速今日出来上がった曲がある、タイトルは「あなたの自由が好きだった」。実はこれ、今朝浮かんで来たので、書き下ろしてみた。で、できたような気がするが、どうかな。数日前には花粉症をテーマにした「ああ、春爛漫」を書き始めた。私はひどい花粉症持ち。3月のライブでそんな話をしたら、「花粉症の曲を作って見たら?」とピアニストの西さんに勧められ、ふん、花粉症か、と私の脳の数十センチの部分に、岩にへばりつく牡蠣のようにそれがこびり付いていた。コミカルな歌にしたいが、ブルースや演歌も混ぜたものにできないかと野心が生まれ、出来上がりには少し時間がかかりそう。

なぜブルース?随分前に録画をしておいたブロードウェイ・ミュージカルの「メンフィス」を一昨日観ていると、ブルースが流れた。「ああ、春爛漫」に取り入れたらおもしろいなぁと思ったりしていると、ピアニストの西さんがネットで開講したピアノ授業の教材がブルースだという。なんだかブルース続き。彼の開講したオンライン授業は、見ていると簡単そうだしおもしろそう。訊くと、彼独自の手法による教え方で、市販の教材は一切使わない、全て自分が編み出した”論文”だという。「お金をかける必要ないよ」と、授業料はなんと1ヶ月3,000円(年間18,000円)。自分で絶対やるぞという強固な意志がある人はオンラインレッスンでも大丈夫かも。

で、私もやって見る事にした。ピアノは幼いころからやっては止めての繰り返し。私はあまりそう言うタイプの人間ではないのだが、楽器に限ってはそうだった。今度はなんだか大丈夫な気がする。新しいピアノが土曜日に来るし(以前のものは欠陥商品であることを認められ交換、それも新モデルに)、いよいよ本格的にシンガーソングライターの道に入るようです。うっしっし~( ^)o(^ )(@_@;)。






クリエイティブな仕事をすれば 2013/4/26

「あなたはクリエイティブな事をすれば、かなりの成功を収められる」と、生年月日を入れて検索した占いに出ていた(アハ、私は占いが好き)。そうかもしれないと素直に肯いているし、そうあることを期待したいし、またこの言葉が私の背中を押してもいる。何を以て「成功」と言うか、質の事か量の事か分からないけれど、自作の歌に手ごたえは感じている。ラッキーな事に私には自作の歌の出来を確かめられるライブがあるし、色々な人に聴いてもらう開放的な性格も持っている。それプラス、以前にもこのブログで話したが、某レコード会社のディレクターから私の楽曲に衝撃を受けたと言う告白も頂いている。彼はどちらかと言うと小心者タイプなので(あわわ(@_@;)、でも彼はこのHP見ないと思うわ)、大風呂敷を開いたりおだてたりはしないだろう(はっ!それとも私が怖くてそう言ったのかな(@_@;))。

昨日作った曲をもっと面白くできないか、明るいタッチにできないかと考えていた。作曲のクラスでこれまで二つのテクニックを教えてもらったが、宿題をしているといくつものバリエーションが生まれ、講師にとってはいくつも持って来られては負担だろうが、それを持って授業に行った。それを2回やると、一つの詞にいくつものメロディーを作る事が余り苦で無くなったのか、昨日作った「あなたの自由が好きだった」の曲に今日は2つのバリエーションができた。同じリズムで音を変えたものとリズムを全く変えたもの。ふ~ん、どちらもVersion1より「良いかも知れない」という結論に近くなった(頭の中のメロディーを直ぐに記譜できる技術が私には必要。記譜に時間がかかるため、ここの処でしんどくなる)。

はっきり言って、やはり歌は詞が親分。おもしろい詞、おもしろいストーリだと思う。その詞の意味や背景をより膨らませる役割がメロディーであると主張したい。専門家または特別を誇張したい人間以外は人は大体メロディーよりも詞をじっくり聴いている。その詞をメロディーが生かしていれば、これは感動につながる。

今日最終版ができた「あなたの自由が好きだった」を早速ジムでおっちゃん達にファーストコーラスの触りを聴いてもらった。すると、クスクス笑う。そう言えば、昨日はヨガのインストラクターが「ええええっつ、余りに自由過ぎませんかぁ~」と目と口をやや大きめに開けた。おっちゃん達の笑いを掴んで「ね、笑っていたけれど、あそこの表現おもしろかった?」と訊くと、こっくり肯いてまたクスクス。よし、これで良いんだ。「やったぜ!きっと」と心の中で思う。

最近、ずっと本を読んでいた。時に芝居を観に行ったり。そうそうたまにパチンコにも(ははは)。生まれて初めてリサイタルを決行する足掛かりとなった懐かしい人にも逢った。そうしている内に段々と心が落ち着かなくなった。自分の事をしなさいと急かされているようで。よし、と腰をあげて曲を書き始めた。

言える、私はクリエイティブな世界で生命が躍動するタイプなのだと。












 



























































 





GWの真ん中 2013/5/2

計画通り、音楽漬けのGWになっている。ピアノのオンライン授業を受け始めたが、昔のやったりやらなかったりしていた頃の杵柄で、初級のおさらいはこのGW中に終わりそう。その後は中級へと進む。稽古事と言うのはとにかく腕や身体を動かし何度も繰り返すことに尽きる。要するに家での練習。頭では全部分かっていても直ぐに肉体を通して表せなければならない。それで中級もひたすら練習となる。どんな稽古事もそうだが、必要なのは根気。絶対1日これだけの時間は鍵盤を叩くと決断実行しなければならない。このオンライン授業の教材がブルースである事が、単なる指運動だけではなく、作曲への応用にもなるような気がしている。指の運動に疲れたら歌に切替える。

またこのGW中盤までに既に3曲書いた。この他にもメロディーが次から次へと出て来る。メロディーがあっても歌詞が無いので歌にはならないが、同じメロディーがずっと前から繰り返し出て来ている。なぜなのだろうと不思議に思ったりもする。どうせなら歌詞と一緒に出てきてほしい、少しでも出てくればその続きは私の人知で作れるのに。後でまた何かと絡まったりした時に使おうとそれは録音しておいた。

3曲のタイトルは、「あなたの自由が好きだった」「ああ、春爛漫」「踊りましょう、あなたと」である。

最後の「踊りましょう、あなたと」はタイトル通り、ダンスの出来る曲に仕上げた。そしてちょっとユーモラスに。「あなたの自由が好きだった」は人生を間接的に語る歌かも(私の場合は書いた後に何を書いたかが分かる)。「ああ、春爛漫」は本当に歌いたい歌かどうか分からない。ピアニストの西さんから提案されたのでその気になったが、面白い歌と言うのはそれだけメロディーの変化が多くなり、とにかく記譜が大変。自分で記譜をするシンガーソングライターは少ない。皆口で歌いそれを専門家に採譜してもらう。「私は譜面が読めません」と小椋佳が自分のコンサートで言っていた。譜面を読めない人は当然記譜が不可能。人に頼むとずっと楽だが、いつか自分で自由に書けるようになりたいと、もう少し辛抱してやって見ようと思う。が、「踊りましょう、あなたと」にはシンコペーションも使っているので、とうとう投げ出した。休憩をはさんで再びトライするか、GW明けの作曲クラスで講師に頼もうと思っている。

4月29日に音楽学校のオリジナル曲オーディションの本選が四谷にあるロックンロール用のライブハウスであった。レコード会社を目の前にした本選だと聞いていたが、その日はどこも来なかったようだ(実際来る時もあるらしい)。それなりの音響があり照明がある所でのパフォーマンス披露をビデオ収録して送るという。当日は、初選の審査員たちに混じって、学校の役職上席の人達も出席していた。学校長と、出席者の中では一番年配で(私を除いて)かまやつひろしのような、”音楽やっている”と言う感じがぴしぴし伝わってくる人がいた。どうもこの”音楽やっている“人は、学校長よりも役職が上のようだ。学校のオーナーかなぁ。

与えられた時間は10分、この間に音合わせ、自己紹介、曲の披露を行う。自己紹介の言葉は何も考えて来なかったので、変な事を言ったら困るなぁと内心少々不安。3カ月毎にライブをやっている事、5年前まで想像もしていなかったキャリアである事、札幌ライブで「今朝のバラ」が大変受けて、CDが完売になった事、私が作った歌は人の心を打つようだ、などを話した。そして「今のわたし宝石です」をいつものように動きながら歌った。終わって、外に出ると、学校長やその他トップの人達の一群と鉢合わせ。すかさず学校長に訊いてみた、「校長、私、感じ悪くなかったかしら、自慢しているような。」すると例の”音楽やっている”人が私に振り向き、校長の反応を待たず「あれくらいで良い!」と、まるで私のパフォーマンス全部にGoサインをくれたような頼もしい強さで断言するように言ってくれた。彼のこの言葉を聞いた校長の顔にこれ以上ない満面の笑みが開き、そのまま私に向けられた。「レコード会社ですから、CDが売れていると言ったら、聴いて見ようかと言う気になるかと思って」と私が続けると、その場に更なる笑いが満開した。

会場にいた学校の講師やスタッフにも心から私の前進を応援している“仲間”のような空気があった。

もっと歌を書こう。






一晩寝れば 2013/5/4

かつてに比べて私はかなり忍耐強くなった。正確に言うと、放っておけるようになった。この放っておく事が習性に近くなりつつあり、これまでとかなり異なる、自分でも好きな人生になっている。相手には相手の都合と言うものがあるし、差し迫った事以外は、ケセラセラになったと思う。

上の楽曲の記譜の事も、一晩寝ると見えてくるのではないかと思っていたが、朝になると拍がはっきりしてきて、譜面ができ上がった。それで一応私の仕事は終わり、後は作曲のインストラクターからコメントをもらい、アレンジャーに送るだけとなる。GW明けのクラスが楽しみだ。

一つ一つ課題をクリアして行く事は本当に充実感がある。それを焦る事もなく、しかしゆっくりでもなく、心地よいスピードでやっている。今わたしがやっている事やこれまで乗り越えた事は、もしかするとすごい事なのじゃないかと思ったりもする。歌う発声にしても、作詞作曲にしても、そして心の具合も。ここ数年の間にそれらを現在の場所まで持って来られた事、自分でも本当に感慨深い。

時には一人でいる事に少しばかり重さを感じる事もあるが、それは全て、これからのわたしに必要なものをまんべんなく準備させるためにあるような気がしている。誰かと一緒にいてはここまで来れなかっただろう。

「今」を生きる。そして「今」に与えられている事やモノに深く感謝する。心が萎えた時、今与えられている事を一つ一つ想い浮かべると、満たされている幸せに心が膨らむ。今起きている事は、すべてこれからのより善い事につながっていくジャンプ台だと想っているから、今わたしが身体に沁み込ませた事が現象として現れた時、私の心を動かす誰かも現れるのだろうと思う。神様の台本に書かれた誰かが。





久しぶりにAnzと 2013/5/8

ラッキー!

作曲クラスで講師に私のGW中の完成曲を聴いていただいた。譜面の書き方について一つだけ直し作業が入り、その後はアレンジャーに送る事になった(この時間にはもう送っている)。

ライブ演奏をして下さるピアニストの西直樹さんが上で話したONLINE音楽塾プロジェクトに忙しく(御自分の論文だと言っている)、そちらに没頭。「残念ですが」と、プロジェクトの割り込みは出来ないと言われた。私にもよく分かる、一つの事に集中していると、似たような他の仕事はまずできない。休憩には運動のように本業から全く離れた行動や作業を取り入れるが、同じような事はまずしない、というかできない。

それで久しぶりにAnz(安西史孝、私のCDを作った時のアレンジャー)に電話をした。1,2年関わっていたテレビ連続アニメ「嵐の夜に」の作曲とそのアニメの映画化の仕事が一段落したようだ。こう言う時FACEBOOKと言うのは実によい。頻繁に投稿していれば、時間ができた事を暗示している。どうも大きなプロジェクトは入っていないようで、個人的にアニメを作っているようだ。途中まで出来たそのアニメを掲載していたが、たまげる程にうまい!テレビ画面や映画では観るが、知っている友人がそれを作っているのが、なんともすごいと思わせる。

Anzが私の曲にアレンジを付けてくれる事になった。あいつは天才だから、どんなものができて来るかワクワクする。花粉症をテーマにした「ああ、春爛漫」は5つの異なるメロディーが集まったもので、今日の作曲クラスのインストラクターは「ミュージカルみたいですね」と言っていた。Anzがこういうものを喜ぶだろう事が手に取るように分かる。

二人のアレンジャーがいる事で、一人がNGならもう一人に頼めると言うラッキーな環境が、私が意図せずに作られているようだ。それも大変素晴らしい才能のある人達が。そんな人達がよりよって私の側にいる事に、畏れ多くもあり、分不相応に思え光栄である。私には技術的な事は分からなくともその価値が分かる才能のようなものがあるみたい。美術にしても、私は描かないが、その中の芸術というか「真」が分かると言うのだろうか。分かるから、きっと、私自身もそれに近寄って行けるものを書いているのかもしれない。私に何かを見つけるから、作詞作曲など全くの素人のわたしでもそう言う方々が付きあってくれるのではないかと思っている。二つ目のCDを出す時に、「才能がある」とAnzが呟いた。「やっと分かったか!そうだよ」と私は心の中で返した。あははは、言っちゃった(●^o^●)。

長い付き合いにしたい。





じっと待つ 2013/5/9

ちょっと風邪気味。ここ4,5年風邪をひいていなかったと思うが、昨夜から喉の痛みと少しの寒気がするので、今日は家で村上春樹の短編を読んだりピアノの練習をしようと思う。一人でいても充足感を持たせるモノや事がある事がありがたいし、そんな環境があるので一人でいる事も悪くないと思える。

ところで、私の朝は瞑想から始まる。「やって御覧なさい、徐々にですけれど変わって行きますよ」とその瞑想法を教えて下さった人の言葉に激励されて、かれこれ5年半毎日行って来た。今ではこれ無しで私の一日のスタートは考えられない程に、私の生活の一部となっている。食事を取るのと同じ。食事が肉体の健康維持のためなら、瞑想は健康な心の維持を助ける。始めて1カ月ほどすると感受性の強い人が近くにいれば、その人が違いを感じるようだ。それから徐々に自分自身も。何年もやっていると、人の言動に左右されない、怖れるものが何も無くなる程に心が安定し揺るがなくなる。

最初の頃は30分間、それが段々と60分程になって行った。瞑想から出たくなくなるほどこの1時間が気持ち良い。身体が反応する。自分だけに分かる内部の動き。米国のある大学の教授の話しよると、瞑想をすると前頭葉に血液が周り、感情のコントロールが”自ず”としやすくなるようだ(つまり努力しなくとも、である)。一時は就寝前にも15分程やっていた事がある。その時の眠りの深さには驚くべきものがあった。瞑想が終わって枕に頭を置いた途端1秒も待たずコロンと眠りに入っているようだし、その眠りも深くて短く目覚めのキレがすさまじい。夢を一切見ない。見ているのかもしれないが、まったくその記憶が無い。

これは座禅のようなものだと思う。それが今朝は90分にもなった。身体の中に光が射し、何かを啓示する時に起きる動きが身体の内部で大きくそして頻繁に起きる。それは善き事が起こる前兆だと言う事を私は知っている。村上春樹、キムヨナ達が発言する何かに動かされている気配と同じようなもの(ヨナと真央ちゃんの違いは、この声を聴くまでに自分の内部と向き合えるかどうか、それを自己精神コントロール力につなげる事ができたかどうかの違いだと思う)。

テレビのドキュメンタリーやインタビューを視聴していると、アスリートやアーティストの中には若くからしっかりした考え方を持っている人達がいる。今になってやっとどのように生きるか、生き方が分かってきた私だが、彼らには30代にして私の今がある。トップを目指すアスリートやアーチストはやはり側で誰かがそのような考え方を教えてくれるのだろうし、そんなメンタリティーが無ければ自分の使命と言うか希望も成就させる事は出来ないだろう。常に自分の内面の動きと対話している(イチローもそんな事を言っていた)。起きる事は全部自分の心の顕れであり、人のせいではない。人と競うのではなく、自分の技と芸を出し切っているかどうかに常に全身集中させる。相撲の世界でよく言われる言葉に「自分の相撲を取る」というのがあるが。正にこれだと思う。その為の自己コントロールを瞑想が助けるようだ。

現象の中にいつ現れて来るのか、私はじっと待つ。





大事なのはちょっとした事 2013/5/11

素晴らしい思想を持っている事も魅力につながる事もあるけれど、押しつけがましくないちょっとした気配りができる事って、実用的で好感を招き、そこから様々な事が様々な形になって派生して行くんだなぁと、最近返品交換した電子ピアノに座る自分に感動しながら思う。

1年5か月前、古いピアノを処分し新しいものに買い替えた。値段も手ごろで必要な機能は揃っていたが、外見があまり気に入らなかった。ピアノの天板の奥行きが何とも狭い。物を置いても落ちるし、譜面を置いて書いたりする事ができない。それは知っていたが、他に目ぼしいものが無かったので「ま、いいか」で購入した。が、スイッチを入れて演奏できるまでの時間がまた長い。以前のものは直ぐに音を出す事ができたが、こちらは15秒程待っただろうか。そんな事もあって、そのピアノの蓋をあまり開けようとしなかった。

殆ど座っていない。時々作曲をする時に、片手だけで音を合わせる程度だった。それが1カ月ほど前、初めて低音部で不協和音を鳴らすと「ぶわ~ん」と震えるような音が長々とする。特定の不協和音だけに雑音とも言えるその音が出る。ピアノの故障には3年間の保証が付いていたので、早速修理に来てもらい担当者もその音を確認しと基盤を替えてくれた。が、変化なし。これはもともとが欠陥商品ではないかと言うと、彼は苦笑いするだけ。

しゃぁない、と我慢するつもりでいたが、翌日気が変わり引き取ってもらい別のモデルに替えてもらう事にした。僅か1年5カ月の間に2つのモデルが出たらしい。その内の最新モデルが数日後届けられた。ラッキー。言うべき事はやはり言うべきですね。交換された新モデルの天板は通常のアップライト・ピアノと同じほどの奥行きがあり、更に、電気を入れて使えるまでの時間が半分以下になっている。又ホール演奏をしたい場合はトップパネルを開ける事も出来る(これは要らないか)。

使いやすいというのは、「さあ、いらっしゃい」と呼ばれているようでもある。ピアノ演奏を改めて習い始めた事もあるが、今では毎日数時間座っている(いつまで続くの君?)。ちょっとした気配りが取りいれられた新モデル。学習熱も上がる(ほっほ、そう、良かったわねぇ)。

この学習熱だが、時間を限定して何かを習うのは良いかも知れない。時間に背中を押される。ONLINEピアノレッスンは、1カ月、6カ月、1年がプログラム購入単位になっているので、購入した期間にできるだけやり遂げようと思う(できるかなぁ?)。ちなみに、このプログラムは、業界でもトップクラスのピアニストが音楽の神様への恩返しとして、後世に残したいと言っている程、簡潔によくできている。これまで何度も本を読んだ事はあるが、本は出来るだけ情報を与えようと情報過多に成り、「ああ、5音階だけで歌を作る民族があるのよね。日本もそうなのよね」で終わる。しかしこのプログラムでは、演歌を例に5音階音楽を弾かせてくれる。そして私はびっくりする。「あら、この音とこの音を外せば演歌は簡単に作れちゃうじゃな~い!すごい、すごい、はずす音さえ分かっていれば演歌もブルースも沖縄調もできちゃうじゃ~ん!」と目がぱっちりと覚めて、興奮するのです。












































































































































































































 久々のブラボー芝居 2013/5/14

ブラボー!

新国立劇場で上演中の「アジア温泉」(作:鄭義信、演出:孫振策)。このブログには書いていないがこれまでも何本も芝居を観て来た。が、このブログに書こうと言う意欲を与える程のものもなかったし、今では何を観たかも忘れてしまったものもあると思う。「アジア温泉」は久々の傑作。

鄭義信は「愛を乞う人」「月はどっちに出ている」など、多くの人を映画館に運んだ作品を書いている。2本とも良い作品だが、私が一番強烈な印象を受け、以来この作家にとり憑かれたのは、やはり新国立劇場で観た「焼肉ドラゴン」である。これはすごかった。ここでは、彼は作/演出をしている(演出は共同演出)。実に、実に面白かった。彼の作品は常に日韓の俳優を使うが、彼らが醸し出す笑いとエネルギーと怒号と涙・・・観客席を完全に掌握する。その次の、作/演出を一人で手掛けた「パーマ屋スミレ」(南果歩主演、御主人の渡辺謙も観客席にいたっけ)はまぁまぁだったが、今回の「アジア温泉」は演出を、2002年日韓ワールドカップの開会式を演出し韓国ナショナルシアターの演出家である孫振策が担当。

孫振策の演出は韓国のマダンノリ(広場の遊び)を利用しているらしい。客席と舞台の垣根が無い。広場に人がいればなんとなく役者が集まって来て芝居を始めると言う設定、よって客席の観客もそのマダンノリを観ている人達となり、役者も自分の出番が終わると照明が暗くなった所のベンチに座って他の役者の芝居を観ている。古いイタリア映画「道」を思い出させる、リヤカーで旅周りをする男と女がいたりもする。勝村政信(俳優)が突如ドラムを叩いたりと、予想もできない事が起こる。これが、まぁ、カッコいい!ドラムを叩きながらセリフを言ったり。なんと今回の芝居で初めてドラムを習ったと言うのに、完璧だった!(勝村曰く:こんな事、日本の演出家の芝居なら絶対ないですよ。せめて5か月前にドラムを習っておけと言って来ますよ)

終演後のシアタートークで聴いた話によると、どうも済州島がこの芝居のモデルらしい。その島に温泉が出ると言う噂と言うかデマに動かされ、リゾートホテルを作ると日本から在日の兄弟がやって来る。しかし先祖代々受け継いできた島を譲り渡す訳にはいかないと、島の掟にがんじがらめになっている老人との間にすったもんだが起きる。その騒ぎの中でこの老人の娘と在日兄弟の弟が恋に落ち、いざこざの中でその弟は誤って老人に刺される。死んだ恋人を見て絶望の底に落とされた娘は後を追うように、同じナイフを使って自殺する(まるでロミオとジュリエット)。二人は揃って海に投げられる。

聴いていると悲惨なのだが、苦痛や悲しみの後に間髪をいれず笑いのユーモアが続く。このユーモアは実場面では見える形としては現れないかもしれないが、もしかすると心の中では思っている事かもしれない。たとえば、恋人の後を追って自分を刺そうと娘がナイフで自分の肌を突いた途端、ギャァ~と大声を出して「痛い、痛い、うわ~痛い」と叫ぶ。それまで自殺をしようとする娘に緊張感が漂う観客席が突如笑いに溢れる。

鄭義信のこれまでの芝居は新国立劇場の小劇場を使っていたが、今回は中劇場。演出の孫振策は広い舞台を大変よく使っていた。舞台の向こうは海を想像させるように後方には一列に木が植えられている。そのこちら側から客席に至るまでがマダン(広場)になる。

私が日本の現代演劇に初めて笑いを見たのは、井上ひさし作、栗山民也演出の「花よりタンゴ」だった。井上作品は東京裁判を始め戦争と敗戦後の日本社会の不条理を書いていたが、言葉の端々に笑いがある。70代程の年配の男たちが多い会場で彼らが声をあげて笑っていた。女性達のクスクスではない。劇場で人生後半の男たちが大声をあげて笑う姿は海外ではよく見るが、日本の紳士の部類に入るかもしれない”大きな”男たちがそのありったけの声を出して笑うのを見たのはその時が初めてだった。そこには公で声をあげて笑う事にやぶさかでない日本人がいた。私にはとても衝撃的な事だった。それから私はこの二人がタックルを組んだ芝居をよく観に行った。そして実によく笑った。あれは「夢の裂け目」だったろうか、主演の角野辰三が敬虔なクリスチャンの女(三田和代)と結婚してそれに感化され、人相が全く変わった姿で自転車に乗って現れた時だった。“腹がちぎれるほど笑う”体験をさせて頂いた。

井上ひさしは日本の現代演劇の神様だったと思う。そして鄭義信はそれをつないで行くのではないか。

26日まで上演。




 左の画面をクリックすると新国立劇場のPRページに行けます。

 追記:「焼肉ドラゴン」は芸術選奨文部科学大臣賞を取っている。初演は4年ほど前だったと思うが、
 おそらく当時日本国土で上演される芝居の中で一番面白いものではなかったろうか。






あまりに素晴らしいのでUP 2013/5/15

上の方で紹介した私の自作曲アレンジャー安西史孝が途中まで作ったアニメへのリンクを設定しました。彼には音楽における職人魂と芸術家魂が極まった状態で共存しているように思えます。下の画面をクリックするとサイトに行けます。指の動き、鍵盤の動き、髪の毛の揺れ、ピアノを弾く前のちょっとした動作など、細部への拘りに思わず感嘆の声をあげてしまう。流れている曲も彼本人による作曲、「嵐の夜」の番組に使われたものではないかと思います。素晴らしく美しい曲ですね。









音楽漬け 2013/5/22

音楽漬けの日々が続いている。意を決して習い始めたピアノもそろそろ中級コースが終わる。初級の後半から中級まで凡そ1カ月弱の期間、集中的に毎日3~5時間ほど鍵盤を叩いていたように思う。幼い時よりも左で叩く音がなぜこの音なのか、その理屈が良く分かるので、ある意味で覚えが早い。西直樹音楽塾Onlineが、非常に効率よい教え方で進められるので、作曲理論、コード理論をどんどん吸収させてくれる助けになり、今後の作曲がもっと楽しくなるだろうと心が浮く。

その作曲のクラス。天から突然降ってきたメロディーと歌詞に人知を加えるこれまでの受動的なやり方に加えて、鍵盤でコードを叩いて積極的にメロディーを探しに行くやり方が備わりつつある。面白い、鍵盤がどんどんメロディーを作ってくれる(が、やはり詞だ。詞が出て来ない限り、何処にも行きつかない。確かな詞が出て来た時に、流れるように一気呵成に歌ができる)。

それからギターのアルペジオの練習。いわゆる爪弾くというもの。ロックのようにガシャガシャ鳴らすのではなく、爪弾く。これは結構難しい。音に合わせて弦を正しく拾わなければいけないが、弾き語りのように顔の正面をお客様に預けている場合は弦を見る事ができないため、間違った弦を拾う事もある(練習ではしょっちゅうそれをやっている)。今度の新曲「あなたの自由が好きだった」にはアルペジオを取り入れたギターの弾き語りが合うので、それを練習している。アルペジオに慣れる良い機会だ。6月早々にギターの生徒発表会があるので、そこで初めてお披露目、その後にライブに持って行きたい。

人生は実に不思議で面白い。何度も言って来ているが、まさか私が歌を作る事を仕事にするなどと思ってもいなかったのに、今はその世界で私の現世が終わるだろうと予感している。様々なタイプのものが流れるように生まれる。清らかな別れのバラード、母から娘への祈り、ジャズ調の恨み節、演歌っぽい切迫感のある歌、若手ポップ調、踊れるようなダンスミュージック、懐かしい昭和メロディー、シャンソン風、New Age、そして新しく今出来上がろうとしているのが、ミュージカル風だと人が言う「ああ、春爛漫」。並べて見て自分でも感心している、作詞作曲歴僅か3年そこそこの私がこんなに様々な種類のものを作っていると言う事に。

思えば、私はこれまでいろいな作品を実によく観て来た。ミュージカルと芝居を中心に、シャンソンも歌って来た。カラオケに行けば演歌もよく歌うし、都々逸はお任せ下さいと言いたい程身体にすぽっと入る。ダンスも25年ほどやっていたし、それ以前には若柳流日舞にも触れた。日舞の世界も洋舞の世界同様馴染んだ。洋物のR&Bも、こんな歌が歌えたらと、時々練習もした。そんな事が今歌作りと言う形で生かされているのだろう。ひょんな事がきっかけで。我執のないまま、やらされる事ややりたい事を淡々とやって行けばいいのかもしれない。自分の心の奥で聞こえる声に”素直”について行きさえすればよいのだろう。

先は分からない。本人の意識に全く無かった歌作りの世界に私を連れて来られた神様には私に対する計画があるのだろう。どこに連れて行かれるのだろう。ときめく。






素直な心 2013/5/24

松下幸之助氏の著書に題名は定かではないが、「素直な心」と言うのがある。

素直=素直な心とは真理をつかむ働きのある心、真実を見極めて、それに適応していく心(アマゾンでこの本を買った購入者のコメント)。

その後読んだ政経塾での松下氏の話:
~~~~~~~~~
私はよく成功の秘訣は何かと訊かれるんですが、自分でもよう分からんのです。私は、ここにいらっしゃる皆さんのように教育を積んでおらんし、頭も良い訳じゃない。で、他の人と何が違うかと私も考えてみたんです。一つ言える事は、私は素直でした。家が貧乏だったんで早くから丁稚奉公に出されたんですが、御主人のお坊ちゃんが中学に通われるのをみても、自分とは身分が違うんで当たり前だと思っていましたんで羨んだり妬んだりした事もなく、お坊ちゃんが出かける時には、草履をきちんと揃えて出してましたし、三軒両隣の玄関前を掃除して水蒔いとけと言われれば「はい」と言って何の文句も言わずにやっていましたな。私は学校に行っておらんので、何も分かりませんから、人が教えてくれるのがありがたくてよ~く聴きました。これやってみなさいと言われれば、やってみる。そうしたらその人が又いろいろと助けてくれるんです。(私の記憶から抜粋)
~~~~~~~~~
そしてどこからともなく自分に囁く声がある。その声に素直になる事だと話されたらしい。政経塾の受講生からは、どうやってその声を聴けるようになるのか、どうしたら素直な心を得る事ができるのかといろいろ質問があったと言う。

素直な心とは、我執で動かない、人知で企てない、いつも自分の内面が何を求めているか、胴体の下の方にあるような真我(だと思う)の動きを見つめ、その通り行動する心。知恵もそこから与えられる。そこから与えられた知恵は宇宙の秩序だから最も調和が取れていると言う。そして必ず善き事へと結びつく。

実は私も素直に生きる事を意識的に実践している。きっかけはこのブログのどこかで話したが「生命の実相」という本に出会ってからだが、偉業を成し遂げられた松下氏も同じ事を話されているのを見ると、やはりこれが真理なのだなぁと改めて想いを固くする。まだまだ思うところまで行かないが、実践して来て上の法則が真実である事を認識した。そのように生きて来ると、他者による非建設的な否定もかなり気にならなくなった。そもそも他者の否定と言うのは大体が発言者自身の人柄を表現している。器量、人格、発言対象への個人的な隠された思い。しかし、そのような人達のこちらの向上を喜ばぬ否定の言葉の中にも幾分真実があるからその部分は感謝して受け入れる事が、僅かながらも出来るようになった(何と強くなった事よ!)。また、先が見えなくとも余り恐怖心が無い。ただただ自分に与えられた事をやっていれば、導かれるところに導かれる。このような生き方は、身が軽くなって良い。松下幸之助氏はもともとそのように生まれるよう選ばれた人なのだから、あれほどの仕事をされるまでになったのだろう。

素直に生きる、私の生きる指針でもある。





男 2013/5/25

男が若い女ばかりに関心を持つのは、種族保存のオスの本能でっせという説を、大多数の男たちは信じているが、なーに、大人の女と丁々発止とやり合う自信が無いだけのことである。(田辺聖子)

ぐわっはっはっは~(●^o^●)。どうせ生きて死んでいくなら、これくらいのユーモアと度量を身に付けたいねぇ。






ソロライブ開演時間変更 2013/5/31

テレビでは梅雨の季節に入ったと報道される。重たい空気が部屋の中に浮いて身体にのしかかって来るが、肌は安堵しているようだ。ライブの日は空気は軽くなり、いよいよ始まる夏の気配に人の心はときめくのだろうかそれとも不安に皺を寄せるのだろうか。5月の連休に書いた3曲を披露させて頂こう。

前回のライブで私の歌を聴いた友人が、「団塊世代向けの歌、それも男性向けの歌を歌って行けば良いかも」と言われ、自分でもそんな気に少しなっていたところだっただけに、その発言に少し驚いた。彼女は人の心を読み解く占い師か霊媒かと。ふと出て来た歌がなんだかそれらしくもある。だが、おそらく、これは男性向けの歌と言うより、人生をじんわりと味わっている大人の女の心を代弁したものかも。そして女の歌の中には常に男がいる。その3曲のアレンジは、アニメの作曲家、Anzこと安西史孝氏にお願いした(「うれ星やつら」「嵐のよるに」等)。彼は3年前私のCDのアレンジをしてくれた事が縁でその年の
南青山マンダラでのリサイタルにゲスト出演もしてくれた。

さぁ、ライブに向けて本格的に準備態勢に入ろう。
 

6月のソロライブは、開演時間が14;00になりました(開場13:30)。出演をご覧ください。






シャンソン歌手から本格的にシンガーソングライターへの道で 2013/5/31

ここ12年の間に、私はシャンソン歌手から転じて、想像だにしなかったシンガーソングライターになった。私のシャンソンを大変愛して下さっていた方が、その転進が残念だと言っていらっしゃる。私のシャンソン、そんなに良かったのかなぁと光栄にも思う。確かに、モノによっては人の心にドシンと座ったものがあったかも知れない。苦しい歌や哀しい歌を歌うと、聴いている方々も完全に感情移入をされて、心が落ち着かなくなり、どうにも一杯やらずには家に帰れなくなったという話も聞いた(笑)。

ところがある時、ある方から「そう言う歌を歌っていればそう言う人生になりますよ。うまい人ほどそうなるのです。ちあきなおみもそうですね」(ちあきなおみと比較するな!すみません、彼が出した名前、それだけの理由でございます
(_;))。リアル感を出して歌えると言う事は心が完全にその世界を創っているのだから、無意識の領域にその状態が創られ、その世界はやがて現象に現れると言う事らしい。

ギク!とした、
思い当たる事がある。私の実人生のある苦しい場面が、それまで私が得意として歌って来たシャンソンのひとつのシーンと全く同じだった。あの歌と全く同じシーンだぁ~と苦しみの場面の中で驚いていた。「まさか私が」と言う世界が展開していた。そして歌の内容と同じように、私も一時は命程に大切にしていた一つの愛と別れた。

今は、そのような歌を歌いたいとは全く思わない。私のシンガーソングライターへの転身を最も強く不満がっていらっしゃる様子を示していらっしゃるのは現在母校の某学部大学院長を務める大学の先輩だが、その先輩は私を大変応援して下さっていた。エディットピアフがお好きで銀巴里にも足を運んだ事があるようだ。リサイタルには初回から足を運んでくださり、多くの友人達を誘って来られた。互いの存在が身近にある事を互いに誇りに思っていたと思う。2回目のリサイタルが終了した時だった、「しずさんはブレイクするね!」「私が言った事は大体全部そのようになるよ」とも言って激励して下さった。

私は彼女が大変好きだった(今でも好きである)。もう65歳ほどになるのだろうか、かなり若く見える。どう見ても40代後半から50代前半。大衆的で美人で愛嬌がありおっちょこちょい。そしてかなり強い。その強さは私には存在しない強さだけに、すごいなぁと脱帽していた。

私がシャンソンを歌わなくなった事が残念だと、最近は私のライブに全く来られていない(淋しい、彼女がいるだけで華やぎがあった)。その代わり私を知っている人を通じて間接的にメッセージを配信してくる。そのメッセージを聞きながら、彼女がどんな様子でどんな調子で話しているのか想像をし、嬉しく思い、私の顔面に静かな微笑みが作られる。互いに魅かれ合っていると思うから、必ずまたつながると信じている。シャンソン歌手も良いが、シンガーソングライターはもっとクリエイティブな仕事をしている。そんな私に以前よりももっと誇りを持って頂ける日が遠からず来るはずだ。

それに、上でも書いたが、私が突然歌を書かせられるようになった経緯を考えると、これは天から私に振られた使命であると疑っていない。「使命」?はい!歌を作っている時はふと降って来るから一気呵成に書き、時にはこれまで使った事のない、知っていたのかどうかも定かでない美しい言葉が出てくる。出て来た後にその意味を辞書で引く事さえある。全て書き終わった後に、この歌はどう言う歌なのだろうと思考回路に通す。ずっと後になって、これって今まで誰も書いていないテーマじゃないか、言葉じゃないかと気が付く。そのような歌を聴かれた多くの方々が苦しさや辛さを思い出して(想像して)泣くのではなく、苦しさや辛さを超えて生きて来た達成感と幸せ感で眼を濡らしたり、元気になったりする(そして持参したCDが完売になり、本人がびっくり!)。

私が人生の苦境にある時、この先輩は横で見ていてくれていた。私は見るに見かねる顔をしていたらしい。「しずさん大丈夫かと思っていたけど、リサイタル(初回)で元気そうだったので安心した」と笑顔をくれた。今の立ち位置から見ると、あの苦境も私をここに来させるためにあったような気が強くする。一時は向かうべき場所を失ったが、シンガーソングライターと言う使命を授かる事で、私が向かうべき新たな場所が作られたのだ。

歌をなんとなく書きだして
3年、これまで14曲ほど書いたが、歌作りの技術も習得しそのピッチも徐々に速くなっているようだ。私のリサイタルでコーラスをしてくれる仲間の一人が、「しずさん、いずれ自作曲だけでリサイタルを!」と言ってくれたが、そんな日も遠からずだと想いたい。

 






 





取るなぁ! 2013/6/2


”敵”のスタンドでした。



 「取るなぁ!」
    
     「取らせるなぁ!」
  
         「この~ぉ!」
 
             「いてぇ!」



 ”敵”のスタンド近くに立つ外野手に、どうぞ特別手当を!












































 
 やったぁぁぁぁぁぁ!2013/6/4

本田が入れたぁぁぁぁぁぁぁあ!

ワールドカップ最終予選日本対オーストラリア。後半35分ほど経過後、オーストラリアが入れた。残す時間は僅か。実は私は0対0で動いている間、日本が負けるような気がした。選手の顔に光が見えない。しかしオーストラリアが入れた時、願った。オーストラリアは日本が好きな筈だから、引き分けになって一緒にブラジルに行けるよう日本にチャンスをくれないかと。しかし、神はチャンスを他の形で与えて下さった。残り時間極少、42,3分ごろだ、相手チームのメンバーの手にボールが当たり、その選手は手でそのボールを跳ね返してしまった。本人の意図した行為ではなかったように想う、反射的に手が動いたような。そして日本のペナルティ・キック。それをやるのは、本田だ。

落ち着け!本田!

恐らく競技場でも各家庭でも、ゲームを見ていた日本人全員が祈っていただろう。

天を拝みながらホールは蹴られた。

入れたぁぁぁぁぁ!やったぁぁぁぁぁ!拍手と涙がボロボロ。本田ぁ~、良くやってくれたぁ~、よくやってくれた、君の生き方(テレビで放映)がそのまま顕れたシュートだったね。ありがとう!ありがとう!ありがとう!

ワールドカップまで、どうか選手のみんな、もっと元気にもっと技を磨き、私達を興奮させ喜びで躍らせて欲しい。






あら、まぁ 2013/6/6

上の文章を書いて一晩寝た後、落ち着いて色々調べたら、それまでの日本の最終予選の成績はダントツだったのね。逆にオーストラリアは、現在3位。きわどいところ。彼らの方が必死だったのね。日本はどう転んでもブラジルに行けるのかもね。

事実はどうあれ、すっごく興奮させてもらって、やっぱり嬉しい。(●^o^●)オーストラリアにも幸運を!Best luck on you!















 
 新曲お披露目 2013/6/9

ここの処イライラする事が重なった。多くの人が集まっている会場で、皆で輪になろうとしていた時である。いきなりひとりの女性が私の後ろに来ては、私がそのまま後ろに下がり彼女の横に入らないよう、拳骨で力いっぱい私の腰を押して動きを防いでいるのだ。その横に他の人を入らせようとしている。その拳骨にはかなりの力が入っていて痛い。彼女は根っこはとても可愛い人なのだが、それを素直に表現できず、子供のような投げやりの態度で嫌われる態度を敢えてしながら私の注意を引こうとする。それが彼女の好意の表し方である事を知っていたが、それは段々と私の許容の限界を超える程に野卑になっていた。もう黙っていないよというサインは投げていた。そのサインを受けたから繕うとし、輪を作る時わざわざ遠くから駆け寄って私の後ろに立ったのだろう。本能的に動いているようだ。拳骨を私の腰に突き刺したのも、自分では気付いていないようだった。悪意のない事は知っているが、これ以上彼女の無礼で野卑なふるまいを呑み込んではいけないと、エネルギーを集めて彼女の顔を凝視しながら「勝手な事をしないで」とバシッと言い放った。言われてハッとしたらしく、”ごめんなさい”と言う。これを切っ掛けに大人の振る舞いをして頂きたい。

新しい苛立ちが発生するとそれ以前のイライラは消えるようで、過去のモノが何だったか忘れてしまった(記憶を喪失すると言う事はいいね(^v^))。

そのイライラも今日のギター弾き語り発表会でやや鎮まったようだ。5月のGW中に生まれた新曲「あなたの自由が好きだった」を初めて披露した。いや~、場数と言うのは本当にすごい。ギター弾き語り発表会に出るのは今回が3回目だが、ほとんど全くあがっていない。少しばかり手先が冷たくなったり、お手洗いに通う回数が少しばかり多かったりしたけれど(それを”あがっている”って言うのよ)。この曲は大変シンプル。サビが4小節だけ(一般には8小節)の4コーラス(4番まである)。じっくりと聴かないとその奥深いところを聴き逃すかも知れない。聴いている人は大体若い20代から30代。私の自作曲を歌う機会に何度と居合わせているボーカルのインストラクターを務める女性と校長が豚汁や飲み物の給仕係を務めていたので、始まる前に「よく聴いててね」とお願いしておいた。

終わって席に着き、「どうだった」とクラスの仲間に聞くと、「あれって外国の話ですよね」と聞き返されて、がっくん(@_@;)。確かに外国の都市の名前は出てくるけれど、それが主題じゃないだろうよ、君は何も聞いていなかったんじゃない!と不服を露わにしていると、「表情がプロだよねぇ」...どうもそっちに気を取られていたらしい。ちょっと心配になって来た。それで給仕テーブルに行き、ボーカルのインストラクターに聞くと「良かったぁ、でも正直言うと重たかった。最後の処がづしんと来た。声が好きだ」(^v^)。その横にいた校長、校長の表情はステージからも見えていて、頷いたり満足そうな表情をしていたが、同じ私の問いに再度満足げな表情を再現させ「うん、よかった」と一言。

発表会の最後を飾ったのは、弾き語りクラスのインストラクターの自作曲。タイトルが「支配を超えて」と「猫の。。。(なんとか)」。この「支配を超えて」で彼は自分の心の状態を表そうとしていたようだ。素直でない自分、素直になりたい自分、分かっているけれど行動に移せない自分。色々と人間関係でぶつかる、それを「人の言葉に操られる」と彼は表現している。「支配」がどんな意味なのかよく掴めないが、もしかすると「我執」かな。「この支配を超えたら、僕たちは一つになれるのに」と歌う。その必死な歌い方から何かにぶつかりそれを超えたいと思う気持ちが、会場にいた他の人達はともかく、私には伝わったな。彼はなかなか歌がうまいし、声が良い。少し語りの入ったところは大変リアルで、一瞬ドキッとした。

おそらくこの地球と言う場所で生きている人間のほとんどが、それぞれの人生で色々と躓く。だから自分一人が躓いているんじゃない、こんな気持ちになっているんじゃないと思えば、気も楽になる。概して、しんどいつまづきがあったり、鋭い洞察力で本質を見て苦言を呈してくれる人がいれば、ラッキーだね。それらは神様が君の前に登場させたんだよ。今はほとんどの人が人に嫌われたく無い、トラブルに巻き込まれたく無いから見て見ぬふりをしたり、内容が全く空っぽの褒め言葉で差しさわりがないよう通過するけれど。そんな中で上で話したような苦言を呈してくれる人がいれば、谷村新司が以前テレビで言っていたけれど、それは「宝」だね。これからの君の人生、もっともっと善くなるよ。

ある人が大変興味深い事を言っていた、「人生は”修行”の場、修行ならば、完璧な人間はいないと言う事なのです」。完璧な人間にはなれないけれど、”本当”の意味で幸せな人間であるために、そこに向かって歩いていく事はできる。その時の指針は自分の心の奥底にある自分に囁く”声”だと思う。素直について行けば良い。

私も頑張っている。






もったいない 2013/6/11

苛立ちの心を起こせば、新たな苛立ちを呼ぶ。全てが自分の心の展開だと教えて頂いた。本当にそうだなぁと思う。無礼に苛立つのは苛立つ、それが自分の心の顕れなら、どう解決したら良いのだろうとちょっと焦った。随分前に読んだ田辺聖子の短編小説のあとがきにこんな件がある。
~~~~~~

神様は意地悪じゃない

神様は「世の中は面白いよ」「生きている事は素敵だよ」と言うつもりで、人間をお作りになったんだと思うから。素晴らしい人生じゃないのなら、神様は人間をこの世におろして下さらないと思う。神様は意地悪じゃないわよ。「絶対に面白いところにおろしてあげるからね」って、神様はおっしゃってますよ。「だから期待しとれよ」なんてね。その代わり期待が外れたら「どないしてくれまんねん」っていえばいいじゃない。でも、最後にはつじつまが合うんじゃないかな。神様は公平だもの。

~~~~~~
「神様、どないしてくれまんねん」。。。これは私が5,6年ほど前からよく聞く、「全て神様にお任せしなさい」と同じ意味を含んでいる。

以前に毎朝瞑想をしていると書いたが、心を静かにして瞑想していると奥の方から囁いてくる言葉がある。不思議だと思うかもしれないし、信じられないと思うかもしれないが、問題を話すと必ず答が返って来る(他からそのように言われた時、私も最初は信じられなかった)。答えを頂くまで数日かかるものもあるが、必ず返してくる。それはそれはいつも素晴らしい答えだ。答えを頂くと、それまで針金を張ったように突っ張った身体から突然すとんと緊張の塊が落ちて行き、「そうだぁ、そうだったぁ」と、時には涙が落ちて来るほど感極まる時がある。この瞑想を行じて以来、個人的な悩みや問題を誰かに相談する事は全くと言って良いほど無くなった。これはいわば神様の声。神様は人間よりずっとしっかりしていらっしゃるから(笑)、その言葉に全幅の信頼をおく事ができる。その声は上のブログで話した松下幸之助氏が言っている声。幸之助氏の話を聞いてどうやってその声を聴けるようになるのかと多くの人達が質問したと言う声。その声は本当は誰にでも聞こえる。その神様の声は一人だけの利を喜ばない、関わる者たち全員にとって良い方法を教えて下さる。

今朝の瞑想で何かが身体に入り、イライラ感が完全に消えたような気がする。将来生まれるかもしれない同じ心の状態に対処するためその方法をはっきりと頂こうとしたが、やめた。いや、これで良いんだ。私にそれが必要ならば、降って来ているはずだから。最近読んだ安部龍太郎の「等伯」の中に、一生懸命悟りを得ようとする姿こそ悟りから遠いと、ある僧が言うところがある。”悟り”などと言う言葉を使う事も大層な事のように聞こえるが、そのままで良いんだと自分に返した。

ここ1カ月程のイライラの状態を話すと、言われた、

「もったいな~い!」 

もったいない、確かに、その通りだ。自分の心を汚してはもったいない。言葉が続けられた、「せっかく頂いた人生よ、楽しくやらなきゃ~!」

 






































































すごいね 2013/6/12


すごいねぇ、すごいねぇ、人間の持つ潜在的能力と言うのは。

先日のギター弾き語り発表会でクラスメートの一人が、極最近市場に出回りだしたらしい新製品を紹介した。ストロークからアルペジオへ即時演奏法を変えられる「ピック(つめ)」。通常ストロークでガシャガシャ鳴らす時はピックを使うが、アルペジオの時はピックを使わず指で直に弦を爪弾く事が多い(かな?)。それで一つの曲の中でこの2つの演奏法を取り入れようとすると、アルペジオの時はそれまで使っていたピックを取り外しどこかに置かなければならない、その手続きのために当然演奏が遅れる。それを瞬時に可能にする小道具が米国で生まれた。ねじの付いた伸縮可能なゴムにピックの受け皿ごとき枠が付いている。そのゴムを指にはめ、アルペジオの時はピックを抑えていた親指を放せばいいだけ。

早速今日の作曲クラスの後で買って帰って来た。値段は通常のピックより10倍程するが(1890円)、これを目の前に置いて眺めながらつくづく、人間って本当にすごいなぁと感動している。こんなものがあれば良いと思うと、必ず作りだす。ライト兄弟の空を飛べたら良いなぁを実現した時から、人間は望むものは全て現象化できると信じ切っているのじゃないかなぁ。そして実際に見て触れる事の出来る形にして来た。疲れた時、ああ道路が動いてくれたらなぁと思った事があったが今は動く廊下もある(途中までだが)。あの消せるボールペンもそう。ある日コーラス仲間の会社役員が立派な背広を着て私の前でそれを見せてくれた時は目が点になった。本当に人間には無限の能力が具わっていると驚きで心が熱くなる。それを作りだそうと考える人や制作に携わる人、そしてそのような人材を生かそうとする企業があるから、私達は莫大な恩恵を受けられるんだよね。

この無限能力は同じく人間である私たち一人一人にも当然具わっている。私たち一人一人も人間のこの遺伝子を全て持っている訳だから、やってできない事は何一つとしてないのだ。本当に心からやりたいものや、やりなさいと使命として授かったものは、必ず成就するのが、もしかしたら当たり前なのかもしれない。”道”さえ間違わなければ。






NHK BS放送のお陰で 2013/6/13

私はよくテレビをみる。大体がNHKBS、時にはNHK地上波。番組の内容がRichだし、騒がしくなくていい。色々なアーティストのコンサートや様々な業界で偉業を遂げられた方々の話を聴くのが好きだ。サッカーやゴルフ、野球の観戦もする。時々面白そうな特別ドラマ番組も観る。画面に映し出される人物の人生や心のあり方や変化、アーティストなら彼/彼女の作品に関する話など、私はかなり集中して聴く。大体が録画して後でみるが、その方が聴き直す事ができて良い。

彼らの使う言葉からインスピレーションをもらい歌を書く事がある。相性がいいと言うのだろうか、この人の使う言葉(ひとつの単語)にハッとし、2曲書いた。井上陽水だ。この人も言葉に拘っているからだろう、ピ~ンと画面を通して投げて来る。今日は先日録画しておいた吉田拓郎と高橋真理子の対談。陽水の時のような言葉に引っ張られた訳ではないが、対談を聴きながら物語が生まれた。もうすぐまた新しい歌が生まれるだろう。

以前に「Happy Birthday at 浜松町」と言う歌を作っていた時である。ストーリーはできたし曲に乗せる事もできて歌になったが、浜松町の雰囲気が無い。それで浜松町まで足を運ぼうかと思ったが、ん?!とひらめき、浜松町クルージングの宣伝をネット上で探すと、なんと浜松町発クルージングのデッキから見える景色が書かれてある。米国生活が長い私に当然あってもおかしくないのだが、これまで英語を歌詞に取り入れた事が無かった。彼らの宣伝に使われている言葉を英訳し、それを歌詞に取り入れる事で何とも良い感じになり、若いカップルのクルージングに相応しい雰囲気が創られた。

BSが生まれた事で、私にとってテレビは大変貴重なものになった。テレビやインターネットは歌作りのきっかけを作ってくれたり情報を与えてくれる手放せない道具だ。きっと私だけじゃないだろう。






やったね!2013/6/18

すごいよ、私!あははは・・・。

このホームページのYoutubeのところが私のPC画面で見ると真っ黒になって静止状態。突然の変異に私はおろおろする。でもどう言う訳かどうにかなると言う確信が常にある。そこで色々ネットで検索するのだが同じ問題を抱えている人は見つかっても問題解決策は見当たらない。最近覚えたYahoo知恵袋やOKwaveのサイトに行って投稿したが、頂いた回答は適用せず。私の使っているソフトウェアはバージョンが古いからと窓口のサポートも無くなっているし、バージョンアップしようと最新のものを口コミで見ると「恥を知れ」と檄文が掲載されている。バージョン・アップしたら余計に混乱するようだ(くわばら、くわばら)。

今朝起きてPCを起動すると、昨日訪問したMicrosoftのサポートページが出て来る。そこにはIE10、IE9だとか書かれてあり、何の事だかさっぱり分からないので、閉じた。と思ったのだが、今朝PC画面に出て来る。。。。。又出て来る。あれ?閉じたはずなのになぁ、変なの、と思いながら、「待て!、これは何か私に読みなさいと言っているのかもしれない」と落ち着いて読み始めた。手順が書いてあるのでその通り様々なところに行ってクリックを繰り返した。

すると、なおったぁ~。私のホームページ上でも元のように動画が動くではないか!やったぜ、しずこさん!ネットの問題を自分で解決するとなんだかすごく偉くなったような気分になる(笑)。実は大した事は無くて、IT操作に必要なものは忍耐だけなのだが。

ところで、ネットの口コミは大変参考になる。が、その真偽を察せる能力は必要。今はメーカーや販売店が一般消費者から募集していくらかの報酬と引き換えに“絶賛“の口コミを書かせる事もある。最近買い求めたキッチンの流し台に置く水切りすの子のようなものが、まさしくこの類に属するように思う。口コミの中にひとつだけ、評価星の数が2個だけのものがあり(満点は5個)実感のこもった投稿だったが、圧倒的多数の“絶賛“に少し奮発して購入した。結果は、星2個の意見の通りだった。水切りすの子だが、箸を置くところに箸を置いても水は全く切れない。それで鍋釜を置くところに置くと、隙間が広すぎて箸や匙が落ちる。思い返すと、あの“絶賛“の文言は皆似たりよったりのものだった。






偶然はない 2013/6/18

上のブログに書いたMicrosoftのサポートページ、今度は何回閉じても、Internet Exploreを起動するたびに出て来る。問題は解決したので「用足りて去る」となるのかと思ったが、執拗に現れる。本当にITって訳が分からんねぇと思いながらも、最近の私はすごい、こう言う時慌てるどころか、楽しくなり始めているのだ。何のトリックを持って遊びに来たの?と。それもネットで必ず解決策が見つかるという体験を何度かしているからだが(君、楽観的だねぇ)。

それでこの問題をまたネットに入れて検索して見たら、どうもinternet Exploreを立ち上げた時に出て来るサイトを指定する場所にMicrosoftサポートページのURLも追加してしまったらしい。当人の私には全く記憶がない。

「私やっていません!」と無罪宣言をするのだが、
「そう言ってもな、あんた、立ち上げ時にこのURLが起動するよう実際指定しているじゃないか、それをどう説明するんだね、家にはあんた一人だったんだろう。じゃ、なにかい、お化けでも出てきてあんたが寝ている時にそっとそのURLを書きこんだとでも言うのかね」と仮想刑事は追及する。

ふん、確かに。世の中に偶然は無いと言う。もしかしたら昨日の問題を解決しようと、あれこれいじっていたら、私の意図しないところで知らぬ間にそのサイトを立ち上げサイトの指定欄に入れてしまったのかもしれない。それが事実なら、不思議や~。私は色々なサイトを見てまわっていたのに、よりによって最も必要なサイトのURLを知らぬ間に入れていた事が。

ふんふんふんふんふん・・・・・。もしかすると・・・・・IT音痴というかIT面倒くさがり屋の私はどうせこのサイトをじっくり見ないだろうから、気付いて読むまで何度も出るようにせにゃあかんとあの場所に。。。。。嬉しいわ~。色々な事が起きるけれど、いつも守られているような気がして。必要な事は皆運ばれてくるようで。神様が大好き!
(●^o^●)
 
 















 




善い兆し 2013/6/20

今朝は最初の眼覚めで起きる事にした。もちろんサッカー・コンフェデレーションズ・カップ日本対イタリアを観るため。3対4の結果で惜しかったが、全然悪くないと思う。対ブラジルの時は恐怖心が先走ってか攻撃しないのだから、これは最初から負けますと言う感じだった(こう言うのを英語でCold Feetと言う)。悔しいと言う言葉を選手たちが連発していたが、自分たち自身に悔しいのだろう。すべき事をしなかった、してはならない事をしてしまったと言う自分たちの心の弱さが腹立たしかったり悔しいんだよね。対ブラジル戦でのあの弱さにものすごい悔しい思いをし、今朝のイタリア戦ではガンガン行ってくれた。長谷部がハンドを使ったとペナルティーキックをさせてしまったが、あれはどう見てもボールが手に当たって来たのであって、長谷部の手がボールに触れたのではない。長谷部はもちろんのこと、見ている私達も競技場まで飛んで行ってあのレフリーに文句を付けてガツンと一発かましてあげたいところだが、こう言う事って他の国のチームも沢山経験しているのだと思う。運がこちらになかったと諦めるしかない。と言うか今は勝たなくても良いと言う事かもしれない。

内容がよくても、勝たなきゃダメ(その逆も通じるかな、内容が悪くても勝てばいい?)。確かにそうだよね。今回は勝てなかったけれど、大変善い兆しを感じる。ようするに、勝つ場所は今回じゃなくて来年なのかも。彼らが自分たちで作った自らの屈辱や憤慨が限りなく大きくなって行く事で、来年のワールドカップへの期待が膨らむ。勝負の結果は実力だけで決まるものじゃない。それは神様の計画の中にある。実力だけで決まるものなら、いつも同じチームが優勝し面白みに欠けていただろう。今回の対イタリア戦ではパスでは実力も負けていなかった。今回は悔しい思いを溜める為の試合だったのかもしれない。本舞台は来年だ。その時に悔しさを残さないゲームをするために、このコンフェデレーションズ・カップがあったのかもしれない。






一番の子供孝行は 2013/6/23

パソコンの問題解決、私もここに来てやっとどうにか対応できるようになった。理解は全然していないけれど(する必要もないかも)何処に行けば解決の手順を見つけられるかが分かったかな。現在の住所に引越して来た時、隣に住んでいるIT会社社長が私のPCに問題があるといつも来てくれて、メモリーを買い足したり、分解掃除をしてくれたりとすごい時間をかけてくれたが(私はある程度の出費をした)、ひとつとして解決したものが無かった(しっ!内緒ね)。結局新しいPCを買う事になった。その見返りは挨拶以上のニコニコ会話を交わす近所付き合い。それで、先で話したPCの問題解決にまた立ちあってもらおうかと”一瞬”思ったが、や~めた、またあの延々と続く時間が始まるかもしれないという可能性に戸惑い、独力でやってみた。そしたらできた。

自分しか頼る人がいないと思ったら人間はどうにかやるものだ。「一番の子供孝行は、親が早く死んであげることだ」とフランスの実存哲学者サルトルが言ったらしい。氷が皮膚をつたって落ちて行くような感覚を抱かさせる言葉だが、頼れる人がいれば、確かに余り成長はしないかも。前中日ドラゴンズの落合監督が、今の選手たちの精神年齢は、家庭で大事に育てられているから、(彼の時代より)5歳ほど若いと言っていた(ビジネス雑誌「ダイアモンド」)。

ひとつひとつ自分で解決して行く事にどんなメリットがあるかと言うと、それはITだけに限らず、自分で解決できるという自信を蓄えて行ける。自信、これはものすごい宝だ。

でも、そろそろワーク・シェアリングできる人がいても良いけどね。












 
 

私のサッカー観戦 2013/6/24 

サッカーにハマったと言っても観るのはワールドカップとオリンピックの時だけだけれど、初めてワールドカップと言うものがあると知ったのは、1998年のフランスの時。丁度フランスを旅行していた。ある時メトロで、スコットランド出身だと思わせる男たちがあのスカートを穿いてバグパイプを吹き大声を上げていた。よその国に来てこんなに騒いで、なんだろうこの人達は、それを黙って容認しているようなパリの住人達は随分寛大な国民だなぁと思った。泊ったパリのホテルでは受付でテレビを観ているおじさんを囲んでみんなで歓声を上げて騒いでいた。後日日本に帰国し、あの騒ぎはサッカー・ワールドカップという国対抗の試合故だったと分かった。 

次は2002年の日韓ワールドカップ。サッカー・ワールドカップを考え付いた人達に私は感無量になった。これは、人間の本質を知り、その本質を世界平和につなげたいと願う人たちが作ったのだと思う。国家間の平和な戦争だ。国を代表するグループゲーム、若い青年たちの肉体的なエネルギーがルールの中でスマートに昇華されて行く。それも肉体の極限までやってくれるから観戦するものも感応し彼ら自身の戦い競うエネルギーも一緒に昇華していく。 

ボールひとつあれば遊べるスポーツ。自分になければ持っている人のボールを一緒に蹴ればいい。一つのクラブに何万円何十万円を出すようなゴルフでもない。バッドやグローブも要らない。ただボール一つと吹き出るエネルギー。場所は原っぱ。世界の絶対多数の人間達が遊んでいる場所。最も大衆的スポーツ。そのスポーツで国を代表して戦う。大衆のスポーツだから当然観る人も多い。どんなスポーツよりも国民性や民族性が一番よく出てくる。 

それに加え、このスポーツでは互いに様々な国のリーグに行ってプレイをするシステムも作られた。その中で他国の選手たちとの間に友情も芽生え戦う時は国を代表するが、互いに同じ感情を持つ人間なのだと理解を深め友情を築き、倒れたものに手を差出し立ち上がるのを助けたり、試合終了後はシャツを取り換えっこしたり、まさに世界平和を作るゲームだ。私は基本的に日本を応援しているが、必死にゲームをしている選手たちの顔が画面に大写しになると、どこが勝っても良い、素晴らしいゲームを見せて欲しいと願うようになる。敵対心を露わにしたり、暴力的になったり、けんか腰になるチームは「負けろ!」と願う(笑)。 

いつかサッカー・ワールドカップの決勝か準決勝戦を特等席とは言わなくとも選手たちの勢いが側で感じられるような贅沢な席で現場観戦をしたい。

昨日の日本対メキシコの試合、1対2で負けたが、これも悪くなかったと思う。コンフェデレーションズ・カップなるもの、私は今回初めて観戦し、日本は惨敗したが、対ブラジル戦以外は悪くなかった。日本が属していたAチームは実に強豪ばかりである。イタリアも少し前にワールドカップで優勝しているし、メキシコは昨年のロンドン・オリンピックで金メダルを獲得している。そのようなチームに対し得点できたし、差は1点だけだ。それに対しBチームにいるスペインの対戦者はタヒチ、ウルグアイ、ナイジェリアで、スペインは容易に点を取れただろうと想像する。組み合わせが少し違っていたら、日本も面白いところまで行けたかもしれない。このような組み合わせになったのも、後から分かる何らかの意味があるのだろう。

ところで、昨年からスペインが世界ランキング
1位になっているので、このコンフェデレーションズ・カップのスペインの戦いを覗いた。すごい~!とにかくものすごい走りの速さ。フォーワードのところでの抜け目のないチームワーク。タヒチに対して得点10。あ~、これが世界ランキング1位のサッカーなんだと、眼がまん丸くなった。話によると、とても狭いスペースでパスの練習をしているらしい。な~るほど。日本も今からこれをやったらどうだろう。そうしたら縦が混み合っていてもサイドバスを少なめにしながら押し上げられるかもしれない、ね。( ^)o(^ )

 





 今日は雨 2013/6/26

こんなにまとまって朝から一日中雨の日は久しぶりのような気がする。以前にも書いたと思うが、私は雨が好き。晴れも好きだし雪の日も好き。好きでないのは風の強い日。顔の表面に直接あたり暴力的だし水分が取られて行くようだ。それに時にはその向かってくる勢いに倒されまいとかなり抵抗しながら歩かなければいけない。

雨の日だが、ちょっと駆けずり回った。まずは作曲のクラス。作曲の仕方を習っている訳じゃないが作曲のクラス(えっ?)。本当はもっとメロディーの作り方を習いたいのだが、習っているのはコードの付け方。コードを付けるのも作曲の作業の一つに入るらしいが、なんだか今一納得しないでいる。この部分はアレンジャーに任せればいいじゃんと思う。私はメロディーと歌詞を作る。しかしインストラクターは結構押しが強く、どうどうコードを勉強する気にさせた。かつて読んだ「作曲本」というタイトルの参考書を改めて引っ張り出して読んでいると、メロディーだけではなくアレンジも頭に入れた作曲ができるようにしましょうと書かれてある。つまりコード付けもできる作曲の事。「私やってる、やってる」優越感で少しばかり身体が温まる。

むかし(20年以上前かな)、加藤登紀子が所属していた事務所から彼女の作った楽曲の譜面を頂いた事がある。全くのオリジナルはメロディーだけだった。コードは振られていない。今はどうだか分からないが、おそらく当時彼女はコードの付け方を知らなかったのだと思う(譜面が読めないと公言する小椋佳は言うに及ばず)。アレンジャーが全部やってくれたのだろう。アレンジャーと会う機会があったりコミュニケーションができていれば、それでいいのだと思うが、今はアレンジャーの仕事は大変孤独なもので、特にシンセサイザーで仕事をする人は黙々と一人作業をする。彼にはメールで送られてくる楽譜のみが頼りであるから、僅かなコードでも書かれてなければ、どのような雰囲気にしたいのか皆目見当がつかないようだ。同じメロディーでもアレンジによって全く雰囲気が変わるから、コード指示が無いままでアレンジャーに送ると、「勝手にやってもいいんだね!」と来る(これは、安西史孝の発言)。Anzの顔が半分険しくなっているような声を聞いた事も手伝って、ま、いいや、勉強しても無駄にはならないだろうし、新しい事を学ぶ事は面白いと、今コードの勉強に精を出している。そもそも作曲のクラスを取り始めたのもAnzの提案だった。どんなに収穫が大きかった事か。

音楽理論と言うのは数学みたいなところがあって、このコード付けも数学に少し似ている。勉強していると少し分かって来たようで、インストラクターから「以前のような無茶苦茶なコードは無くなりましたね」と言われた。(爆笑)

夕方はM先生の歌のレッスン。いやはや、やはり大先生に付いているとすごい!先生は言う「今はほとんど問題なくなりましたからね」と。この先生あまり褒める事をしない先生なので、本気にしていいのかも知れないが、自分ではまだ独力成長には不安がある。今日はホイットニーの”I Will Always Love You”を診てもらった。ホイットニーの歌唱力にはすごいものがあるから、それに一歩でも近づけたらとの挑戦である。自分の声を録音したものを聴くと、前半は良いのだが、高音を地声でキープして盛り上げる後半(さび)の声が納得行かない。ライブが今週土曜日だという土壇場になって先生の忙しいスケジュールに割り込ませて頂いた。「クラシックのように歌ったらどうです」クラシックの歌い方とは?それで声を集める場所を変えてみたら、あら、まぁ、なんと!直ぐにできちゃった。それで先生も喜んだ、「感性の問題ですが、なかなか分かってもらえないのですが・・・」。帰り際、先生がぽっつり言う「食いついて行くと、できるようになりますね」。どうも20年ほど前に初めてお伺いした時の私を思い出しておられるのかなぁ。あの頃3年ほど教えて頂いたが、とてもとても(@_@;)。しかし、当時先生の言葉を全くつかめない状態にあったが、この先生に付いたらどうにか成るような気がした。それまで私は15人程発声の先生を変えていた。皆同じような事しか言わない。私の根本的な問題を見つけてくれる人が見つかればと、そんな人との出会いを求めていた。

先生とお会いしたのは約15年ぶりだが、キャリアが通訳から歌の道に変わったと同時に私が引っ越した場所は、意図せず先生が教鞭を取られる大学のあるところ。それで先生と再会、かつレッスンの再開。「再会と言うか、私は引っ張り出されましたよ」そんな話をしながら駅に着くと、御自分が通るべき改札口を過ぎてしまい、駅構内を一緒に歩いていた。


家に帰って来て”I Will Always Love You”を繰り返し歌ってみる。まぁ、私が着地したい場所に着地している。きゃっきゃっきゃ。「先生~、できました、できました。感激!今日レッスンを取って本当に良かったです。感謝で~す」、メールを送った。(●^o^●)
















 
 





もう、私も負けちゃいないよ 2013/6/27

安西史孝とのコラボはいつもリスクを抱えている。彼との出会い(2010年のブログに掲載)から4年ほどになるが、喧嘩しながらやっている、と言っても向きになって来るのはいつもあっちの方で、私の方は落ち着いているが、非常時が来ても絶対負けないよと構えている。今回の新しいオリジナル3曲はAnz(安西史孝)に頼もうと電話をすると、

「他の人にやってもらってるんでしょう(どうも不満げ)」(私からの一斉配信メールを受け取っているから知っている)
「うん、でも今オンライン音楽塾を立ち上げて忙しいようなんだ。片方ができない時にはもう片方に、そんな感じで行きたいと思っているの」

メロディーと歌詞を入れた譜面を送って間もなく、電話がかかって来る。
「なんだよ、これ!コードが無いじゃないか。作曲のクラスを3年も取っているんだろう (よく覚えているなぁ~)。コードも知らないで作曲なんかするなよ!」
「(来たなぁ!)(腕をまくり)あら、そう言われても私困るのよ、もう一人のアレンジャーはコード無しでもアレンジをしてくれるから、いつもこのままで出しているの。2時間くらいで出来上ってくるわよ~」
「(少し調子が弱まった)そんなもんでも良ければできるけど。」
「あら、立派なものが出来上がって来るわよ~~~~。」
「(ムムム・・)分かった、やる!」

やったぜ!もう私も負けていないんだから。あはははは・・・・書いちゃった。

Anzの自分の仕事に対するプライドはものすごい。はっきり言って、凄すぎる。だから間にバッファー(緩衝剤)の役目をする人間が必要。本人も自覚しているようで、少しばかりはコントロールしている気配が見える。私も扱い方が幾分分かって来たが、時には私自身のプライドが負けまいと動く。(●^o^●)

あの時の「分かった、やる!」と言った時の声の調子、ニタ~~~~~私の顔の筋肉が限界いっぱいに伸びた。そして、どう言う訳か、急に彼のメールでの言葉遣いが
いや~~~に”丁寧になった。何だろう、変だなぁ、頭でも打ったのかなぁ・・・おかしい。もしかすると私の歌作りの腕が上がったから、敬意を表す様になったのかなぁ、と私は幸せな想像をする。

Anzは良いものを出してくる。彼の才能は、時には天才と思わせる。天才と言うのは深くは考えないし、相手の立場に立って物事を考えると言う“面倒”な手続きは踏まないようだ。同時に相手(人間)に対する洞察力も持たなければ(もともと人間にはあまり興味が無いのだと思う)、歪んだ考え方も持たない。ただ一途に自分のしたい事だけをする。出力が大変直線的だから、シンプルで素直であるとも言える。





いよいよ明日 2013/6/28

しずこのソロライブも明日で5回目。開演14時。緊張から来るものなのか、なんだか寒気と頭痛が始まったので、こう言う時のために医者から事前にもらった葛根湯を朝と夕方に温かいお湯で飲んだ。今日は早寝。

明日はときめきの時間を作りに行ってきますね。是非来てね。(●^o^●)






心からありがとうを! 2013/6/29

今回は開演が14時だった。その開演時間がよく伝わっていなかったらしく、何ともさびしい会場となった。帰宅すると幾つかメールがあり、やはり14時開演の認識が全く無かった事や、それに近い内容が書かれてあった。一時は、続けて行けるのかなぁと不安になったが、メールにしたためられたしっかりと腰を落ち着けた温かい応援の気持ちが伝わり、つかの間感動に浸り、動揺の心を鎮めた。

新曲を3曲紹介。今日初めて聴いて頂いたものもあり、まだ落ち着いていない曲があったが、花粉症をテーマにした「ああ、春爛漫」はシュールで面白いというコメントを頂いた。それと、人前で歌ったのは初めて、I Will Alaways Love Youに”すごい”と言う声を頂いたが(後で自分でビデオを確かめるまで分からない)、これは先のブログでも書いたように挑戦だった。人前で歌い聴いてもらわない限り進歩はないので、リハの時にピアニストの西さんの意見を聴いてからステージで歌うかどうか判断しようとした。西さんが言う:「何だってこの歌を選曲したのかと思った。張りあげるような歌を歌う人じゃないじゃない」と。で、とりあえず歌ってみた。すると、「カッコいい、カッコいい、これ行こう!」と断固たる提言。それでやった!少なくとも会場では良かったらしい。

毎回来て下さる友人や大学の先輩は私の歌を聴くためにだけ来られるようで、客席の埋まり具合はどうでも良いようす。ところが初めて来られた中小企業経営者の知り合いは客の少なさにびっくり。せっかくおしゃれして来たのに、困惑の混じった硬い表情をしていた。それが私の心のあり方にやや影響し、集中力を欠いた。が、1部の最後の歌「美しい日々だけを連れて」にはじっと耳を傾けられていた様子で(彼はCDを聴いている)、休憩時間には私の側に来られて「良いね」と囁かれた。照れ隠しもあって私はお店の事を言われているのだと思う事にしたが、2部でひばりの「愛燦々」「津軽のふるさと」、そしてI Will Alaways Love Youを聴いた辺りから、お顔が一層緩まれじっとステージに眼を向け始められた。帰り際にはにっこりと笑われ「歌良かったよ」とはっきりと置き土産をされた。ほっとした。そして翌日には明るい声で「私達が行って良かったよ、じゃなかったらどうしようもなかったよ」と電話で言われたが、それは、なんだか、”協力者”の言葉のようだった。

次回は9月30日(月曜日)です。8月の第5土曜日はありません。さあて、何を持って行こうか。

追記:もうすぐ7月、私の誕生月です。昨年のこの時期はフィレンツェにいました。ライブが終わったので、またそろそろ動きだそうと思います。





















































 
 七夕の日に生まれて 2013/7/6

私は七夕の日に生まれた。その日は土曜日で、20時頃だったらしい。出生届にそのように記されてあった。

学生時代にクラブの先輩が言った、「琴さん(私の姓)って不思議。七夕生まれで、名字が織姫様のいる星の“琴座”の琴でしょう。それに、七夕で有名な仙台出身だし(父の仕事で東京から仙台に引っ越していた)。」なるほど、考えた事もなかったが、そう言われれば確かに、奇遇。しかしこの世の中には偶然はないと言う。だから何か所以があるのだと思っている。

七夕の日は手芸や芸能上達の願いを短冊に書いて笹竹に飾るが、飾るのは夜である。だから「しちせき」と言うらしい。調べたら奈良時代に日本に伝わったとある。

7月7日の夜に生まれ、以前にもどこかで書いたが、私は幼いころから芸事が好きだった(手習いはからっきしダメ)。しかし生まれた家はそんな事にあまり関心のないところだった。小学校に入って間もなくバレエをやりたいと母に言うと、きょとんとし、兄や姉と同じように、もう少し大きくなったらそろばんを習いなさいと返された。しかし早くから親兄弟から離れた生活を始めた私は、裕福ではなくともやりたい事は出来るほどのお金を常に親や兄からもらい、芸事を始めていた。一旦始めると、自分が納得するところまで続けたが、必要が無かったために長く続かなかったものもある。それで続かなかった理由を教訓に、これは途中でやめるなぁと思うと最初から手を出さなくなった(ヴァイオリンがその一つ。生まれ変わったら、ね)。

織姫と牽牛との出会い。牽牛は織姫にとても尽くすのだと思う。男運が良いと言うのか、私も2人の夫を持ったが、実に尽くして頂いた。驚いた事があった。北京で占星術を勉強して来たという中国人で、私に関しては何も知らない初老の女性が、「あなたは2回以上結婚します。皆寵愛を受けますが、あなたが壊します」と言う。言葉を失った。その通りだった。過去生と言うか業なのだろうなぁ。私の魂は過去にどのように生きて来たのだろうかとも思うが、災難は業が消えていく過程であるという。今の私はそれをまるっきり信じている。だから次の人はかなり幸せだろうなぁと(笑)。

こんな因縁を初めから知っていてか、私が生まれた時、父は公文書偽造をしたようだ。出生届に書かれた生年月日の数字が上からなぞったように7日が8日になっている。7日に母はいつも私の誕生日祝いをしていた。ある日父に訊いた。

「私はいつ生まれたの」
「7月7日だ」とためらいのない答えが返って来る。
「でも出所届けには8日になっている」
突然父の顔にありし日の”悪事”の記憶がよみがえったような表情が作られ、言葉は続かず、私から目を逸らした。やっぱりそうなんだ!8日の数字だけが書き重ねたように濃くなっていた。あの頃は出産が多くて、役所も注意してみなかったのかもしれない。

大分後になって、私は一人家庭裁判所に行き、兄姉の証言を基に正規の生年月日を頂いた。ふ~。

出生届を役所に提出しに行ったのは父である。でも、何だって8日に変えたのだろうとその理由を知りたくて、中国の漢文を勉強していた父が当然学習していたであろう陰陽五行説の簡単なものを読んでみた。なるほど、読めた気がした。中国の易では私が生まれたその年の7月7日は「馬」座に入り活発、8日が、当時の男たちからすると、女に相応しい星であるようだ。そんな事を家庭裁判所の担当審査員に話をすると、担当の女性は大変けしからんと自分の事の如く憤慨していた。

さて、明日の私の誕生日は、この梅雨最中の最も晴れた日であるようだ。偶然だが(いや、偶然はないので、きっと様々な目に見えない力が働いての事だろう)、友人達12人でバーベキュー・パーティをやる事になった。

「来る?」
「うん、誕生日に一人はちょっと淋しいもの」
「誕生日?まじ?うわ~、誕生日だぁ~」
「まじ、まじ、まじ」

以前の家から持って来たプラントに今朝新しい葉が開いた。引っ越しの日、一番後にトラックに積もうと思ったのか、リビングにたった一つ残されていたこのプラントから、やはり新しい大きな葉が開いていた。何気なく振り返った時に目に入ってきたその姿は今でもよく覚えている。部屋に射し込む光を頂いて、開いたばかりの空気に触れて間もない葉は黄をやや含んだ透き通った緑の若葉。とてもみずみずしく清く、何かを語っているようだった。新しい旅路を祝ってくれているような、良い事があるんだよと示唆してくれているような。

これも何かの縁だろうか、丁度このブログを書き始める前に、新しい曲のメロディーと歌詞が出来上がり、譜面に並べた。今度はコードも付けてみた。宇宙や星や人間の事を歌ってみた。
~~~~~
生きて死んでく人の世を 繰り返し見ている星達は
夜の空にちらばりて 人のまなこに映せとまばたくよ
祈るは人かな星達か 光仰いで生きよとか

~~~~~

Thank you on my birthday!







 















































 




うわ~、来た、夏 2013/7/8

今日のNHK夕方7時のニュースでは、近畿と東海は梅雨明けだと言う。そして東京の明日は気温35度。今週は金曜日までこの辺りらしい。アナウンサーが「今年は”厳しい”暑さが続きそうです」と、”厳しい”に随分苦手意識がこもっていた。いよいよ来る。

今年の冬は極端に寒かったり、やたら暴風が多かったりと決して穏やかとは言えない日々が続いたが(忘れましたか?)、その最中、今年の夏はどんな夏になるのかと、恐れたり好奇心をくすぐられたりしていた。さあ、もう目の前と言うか、もう既に夏入りしたのかもしれない。昨日の七夕の日は晴天の中横浜のみなとみらいにいたが、東京では夕立があったとジムのエレベータで同乗者が話していた。

夕立かぁ~。ふと昔の夕立を思い出した。パリで購入した真っ白なノースリーブのワンピースを着て、これもパリで買った真っ白なサンダルを履いて歩いていた。突然襲い掛かって来た夕立。多くの人は駅構内で雨上がりを待っていたが、私は靴を脱いで手に持ち、どしゃ降りの中を全身びっしょり、大きなバケツにいっぱい入った水を頭からかぶったように濡れ、裸足が地面をそのまま感じ、悠々と歩いて家に帰った。家までの15分程度の道のりだったのでそのようにできたのだが、爽快だった。

雨は好きだが、泥が跳ねてストッキングや服が汚されないように、気を付けて歩かなければいけないと言う自由を奪われるのは好きじゃない。長靴を履いている時の雨の日の外歩きはいい(長靴を履いて歩く人は最近全く見えませんね)。だから全身濡らしてもいいという覚悟で歩いているから、自由そのものである。濡らしたくないと思う靴は手に持っているし。マンションのエレベータに乗るとよく挨拶を交わす隣人が娘さんと乗っていて、私の姿に驚きと感嘆と羨望の色が交ったような眼差しでニコニコと見ていたっけ。あの靴はどこへ行ったか、シューズ・クロゼットの中を確認しなければ分からないが、おそらくもう無いだろう。ワンピースはいまだクロゼットの中に入っている。

さてこの夏、2~3週間海外に脱出を考えているが、どうなることか。このブログで何度も書いてきたが、今コードの勉強をしている。8月いっぱいまで授業料も収めてしまった。収めてしまったと言う事は、きっと旅行よりも勉強をしたいのだろう。私は自分でも決めかねている時、考えるよりも心の動きと実際の行動を確認する。そして周りの流れ。人間の行動って面白い。必ずしも意識してその行動を取っている訳じゃない。無意識に動いている事は多い。私はこの無意識の行動を大切にする。自分が決めかねている時、何をしたいのか何をしたら良いのか、どちらを選択したら良いのかを、自分の行動から気付く事がよくある。それで、ああ、そっちに行くんだぁとなり、そっちを選択する。違った言い方をすれば、殆ど考えない。本当に考える必要のある自分の仕事や人生の大事な選択以外は考えない事にしている。その他は無意識の想いに素直になっていると言っても良いかも。

8月の終わり頃に、どこかへ行こう。






今日の私 2013/7/9

先日の7月7日の私の誕生日にタイミング良く友人達とBBQ。そこで友人が撮ってくれた写真。そう言えば誕生日のその日に撮られた写真ってこれまでなかったような気がする。ありがとうございます。

 


 

 この写真を見ながら、想う、 まだまだ頑張るぞ!




















   
とても、とても、粋な事 2013/7/9

携帯電話が鳴った。にこやかな女性の声で「xxxです」と言われる。名前は聞き取れなかったが、その話し方から何かとてもよく私を知っている人のようだ。それで声から一生懸命電話の主を突きとめようとした。その努力がもっと進む前に再度「xxxです」とややはっきりとした声で話される。まさかの名前であった。驚きと喜びが交った少し大きめの声で私はその名前を繰り返した。バースディ・プレゼントに岐阜に来てもらいますと言われる。「あなたに来てもらうためにこちらでコンサートを企画します」と。ええ~っ!

誕生日のメッセージに、密かにサプライズ・プレゼントを用意されていると言われていたが、全く予想だにしていなかった、正にサプライズである。何と粋な事をされるのだろう!

かつて、ある女性が「私はあんたに惚れているから」とこの電話の主に言っているのを偶然側で聞いた事がある。相手が何を一番喜ぶかを知り、それをプレゼントされようとする。こんな事をされたら、女は勿論、男も惚れますよね。何かあったら、一肌脱いであげようと言う気になる。

たったったぁ~と簡潔に経費と報酬の話。私には一流ホテル2泊の岐阜の旅、そしてピアニストへの報酬が言い渡される。先生とお目にかかり、こんなにお近くに置いてくださり、何と言う幸せだろう。神様ありがとうございます。

追記:”一肌脱ぐ”?・・・これは、男言葉かもね。

























 
 




そう言う事なのよね 2013/7/11

2010年に初めてCDを出した。初めてのレコーディングだから分からない事だらけ。思う事もいろいろあったが、全くの素人なので、専門家がよいと言うのなら良いのかもしれないと、納得行かなくても、譲歩したと言うか、彼らにお任せした(その時のエピソードは2010年のブログに掲載)。

先日八神純子という、中島みゆき,チャゲ&飛鳥などと同時期に活躍したらしいシンガーソングライターのインタビューをテレビで観ていた。彼女の場合は作曲をし歌う(作詞は別)。大変な高音だ。初めてのレコーディングの時、最初の1句「やさしく~
」の出だしを100回近く繰り返しやらされたと言う(正確な回数は記憶にないが、とにかく多かったのだろう)。それで1曲のレコーディングに掛けた時間がものすごかったらしい。ある宝塚出身のタレントは8時間かかったとテレビて言っていた。新人歌手の場合は1曲のレコーディングに8時間をかけるのは普通で、プロになる事がこんなに大変なら、自分には合わないと思ったと八神純子は言う。

この話を聴きながら、2010年に初レコーディングをした時の事が思い出された。1回の収録をテイク・ワンというが、八神純子の場合はテイク30を遥かに超えたのだろう。私の初CD「美しい日々だけを連れて」のレコーディングの場合はテイク3で終わった。そのレコーディングの席にいたのは、アレンジャーと元コロンビアにいたと言うディレクターと後は技術屋さんたちだった。ディレクターがすごく良いと満面に笑みを浮かべ、アレンジャーも予想外の出来に、それまでディレクターにこそこそ話していた後ろめたさがあったのか、首をうなだれて上目づかいにこちらを見ていた。1曲のために5時間のスタジオ予約をしていたが、2時間で2曲の収録が完了した。
 

レコーディング室の外で聴いているスタッフがOKを出したところで、私を含め皆で確認段階に入るのだが、私には「?」と思うところがあった。12回は私の主張でやり直しをさせてもらったが、そのやり直しの出来も納得が行かないでいた。しかし何度も繰り返しやらせてもらう事に躊躇いがあり遠慮し、レコーディング立ち会い経験豊かな専門家のお二人がご満悦なのだから、これで良いのかなぁと放置した。しかし内心はすっきりせず、実際にCDにする直前に送られて来たサンプルを、自信を持って聴けなかった。怖かった。 

サンプルは思ったほど悪くはなかったが、もっともっとずっと良いものができていた可能性があった。あの時、歌唱や声の事に敏感なスタッフがいたら、私の意見を後押しし、いやきっと彼/彼女が「もう一度やった方がよい」と言い、それに私も大きくうなずき、堂々と再びレコーディング室のドアを開けただろう。当時の自分の心の弱さが悔やまれる。 

デビュー当時の有名歌手たちのCDを聴くと、確かに耳を覆いたくなるようなものが沢山ある。ご本人ももう一度歌い直したいだろうなぁと同情する。八神純子が「プロになるのがこんなに大変なら」と言っていたが、メジャーのレコード会社からデビューする人達は生命共同体となる仲間がいる。CDはライブと違い一過性じゃない。何度も聴くし細かいところまで耳にする。だから機械の力も借りて、実力以上に良いものにしようと関係者は色々と調整する。以前にドキュメンタリーのようなドラマで知ったが、ダイアナ・ロスの声はミキサーの力を借りてあの声になっているようだし、東京ドームで聴いたセリーヌ・ディオンの声はCDを流した口パクのものと、生で歌ったものとの間に、別人の声と思わせるほどの違いがあった。高橋真理子はライブでもCDと同じように歌うと言う事を目標にしていると言う。その他にも10数年前にNY滞在中に足を運んだミュージカル歌手のライブで、彼女の声がCDで何度も聴いて親しんでいたものと格段の違いがあり目が点になった事がある。 

心置きなく話す友人達が言う「あなたの歌はCDよりライブの方が全然いいわね」と。最近は私を全く知らない方々が、たまたまタイミングよく私のライブに来られ、歌を聴いた後に進んでCDを買われる。そのたびに、このCDを聴いて「な~んだ」と思い再度ライブに来る事は無いかも知れないと、いつも不安がよぎる。それで今の声で納得するまでしつこく粘って全部取り直しをしようかと考える事もあるが、きっと、初CDは初CDの時の状況のままを入れる事に面白みがあるのかもしれないと、自分をなだめる。いや、「しゃ~ない」と言うのが本音かも。 

良いものを最後まで粘って作るために必要かつ熟練したスタッフが複数おり、最も音響の良い空間をレコーディング室として持つ、やはり良いCDを作るってそう言う事なのよね。上のような経験が私を強くしているから、次回作(いつになるか分からないけれど)は、まずは私自身が納得するものができるまでしぶとく行こう。いつか生命共同体となったスタッフに囲まれて、自分でも「私の歌こんなに良いの?!」と感嘆するようなCDを作って見たい。( ^)o(^ )





宇宙に流れる気 2013/7/12

「宇宙は、今から百三十七億年前に、ごく小さな一握りの高温高圧の素粒子の塊として生まれました。その固まりが大爆発を起こして、現在の大宇宙になったと言われています。そして宇宙物理学の最先端の説明では、この宇宙は今でも膨張し続けている、といわれています。その中で、われわれ人類は誕生し、現在生きているのです。宇宙の中で素粒子が幾つか組み合わさって原子が生まれ、その原子が更に一緒になる事で、分子、高分子が生まれ、やがて遺伝子が加わる事で、生命体が生まれました。また、その生命体は進化を続け、現在の人類までを作ってきた訳です。 

素粒子は素粒子のままでよかったのに、また、原子は原子のままでよかったのに、なぜ、全てのものが生成発展し、現在の人類を生み出すまで発展を続けたのでしょうか。 

わたしは、宇宙には全てのものをよい方向へ推し進めていく「気」のようなものが流れていると思うのです。あるいは宇宙には全てを慈しみ、全てのものがよくなって行くように導く「愛」のようなものが充満しているのではないか、と思うのです。 

今日の宇宙が出来上がった過程を振り返ると、宇宙には無生物と言えども、あらゆるものが、よい方向へよい方向へ、と進んで行く法則があるとしか思えません。これは、宇宙の意志のようなものだろうと思うのです。 

私が今まで多くの事に悩み、考え抜いてたどり着いた結論は、「人間が心の中で思い、実行する事が、『宇宙そのものが持っている、全てがよい方向に進もうとする思い』とぴたりと合った時には、物事はうまくいき、逆に、自分だけがよくなれば良い、自分以外は悪くなってもかまわない、と言うような、宇宙その物の考え方と反する『悪しき思い』を持てば、うまくいかない」と言う事です。 

そうであれば、わたしたちは他(た)によかれかしという、愛に満ちた利他の心を持てるように努めなければならないはずです。」

稲盛和夫 「君の思いは必ず実現する」から

~~~~~~~~~~~~~~~~
図書館で読みながら、なぜか涙が流れていました。

 
























































 





芸事三昧 2013/7/18

7月6日のブログで七夕の日に生まれた事と芸事の御縁に付いて少しふれたが、書いた後で気がついた事がある。どうも私は芸事の中でも手作業が得意でないようだ。まず、芸事ではないそろばんの事だが、母からそろばんを習いに行きなさいと言われ塾に通うようになったが、小学校に入って間もない私は体も小さく、そろばん教室に来ている人達が皆大きな大人に見えたような記憶がある。そのそろばん塾では初心者は7級から始まるのだが、私は3カ月かかってやっと6級に進んだ。6級に進んだ途端、「任務完了」と未練もなくさっさと止めた。兄や姉たちは2級や3級まで進み、互いに競い合っていたようで、家の中でもそろばんの練習をしていた。今でも次姉の数字の計算の速い事にびっくりする。仮想そろばんの上で親指と人差し指を上下に細かく動かして、どんなに数字が多くてもどんぴしゃりと合計を出す。私は、何掛ける何はいくら?といつもそばにいる人に聞く。学生時代は数学や理科系は得意な方だったが、あれは何だったのだろうと思うほど、数字の細かさに頭脳が追いつかなくなっている(通訳をしていた頃、エンジニアの細かい話は日本語でも付いて行けずしんどかったぁ~)。

ピアノ、マンドリン、三味線、ユダヤの鼓・・・この中でもピアノだけはやったり止めたりを何度も繰り返した。今は仕事に大いに関係するようになったので、必要なレベルまでは行こうと、ギター共々、ちょろちょろとやっている。ここに並べた芸事は皆手作業である。習いごとと言うのは、ただただ来る日も来る日も繰り返しやるしかない。学校の勉強は頭で分かって解答がでると、それで解決と言うか終わるが、習い事は頭で知っているだけではどうにもならない。無意識に自由に身体や手が動くまで練習である。「はい、終わり」がない。稽古は延々と続く。この類のものは、私にとっては、「どっこいしょ、やらんとね」という努力が必要である。

踊りが好きだった。音楽に合わせて全身で踊り表現する事がとても好きだった。これはやらずにいられないものだったから努力は要らなかった。日舞、バレエい、モダンダンス、ジャズダンス、タップダンス、フラメンコetc.

一番初めに始めたのが若柳流日舞。師匠の家の側まで来ると聞こえてくる様々な種類の曲に合わせて、自然と身体が舞いの姿勢になって行った。これはもっと続けたかったが、師匠が御自分のビジネスに私を使おうとされた事で、止めてしまった。その後はバレエ、モダンダンス、ジャズダンスと続き、これは25年程続いたかな。アメリカにいた時は一日6時間ほど踊っていた事があった。米国ではジャズダンスよりモダンダンスが盛んで、大変クリエイティブな動きを創りだす。インストラクターによって動きが全く異なり、それぞれ独特の動きを踊らされるのが好きだった。タップダンスは足だけの動き、こう言うのはやはり私向きじゃないみたい。手作業よりも大変だった(軽くやっている人もいるのにね)。シューズ・クロゼットの中には殆ど新しいままの、見るたびにもう一回やって見ようかなと心をくすぐる艶っぽいタップシューズが、今でも箱の中に収まったままになっている。おそらく二度と履く事はないかも知れないのに、まだ捨てられないでいる。

日本に帰国してジャズダンスを続けたが、坐骨神経痛でストレッチが難しい時に、一時しのぎでフラメンコを習ったが、夢中になる程の相性ではなかったと思う。それにこれを教えていたインストラクターは日本初フラメンコ教師の免許をスペインで取ったらしいが、どうも私に気後れしていたようでやり辛そうだったし、坐骨神経痛も大分納まったので、そろばんの時と同じようにさっさと止めて、ジャズダンスに戻った。

こんな様々な芸事も、通訳をしていた時は青春の思い出話しの言葉の中だけで生かしてきたが、シンガーソングライターとなってポツポツと現実の中に顔を出し始めている。13年ほど、殆ど蓋を開けなかった電子ピアノも買い替え、歌作りのツールとなっている。すべて歴史として終わるのかと思ったが、あの頃夢中で踊っていた事も今ここにつながったようだ。






遊戲三昧 2013/7/18

超高層ビルの窓から夜空を見ていると、心も体も宇宙の何もない空間の中に吸い込まれて行くような気がする時がある。この月やこの星達はどんなに多くの人間達の生と死、苦と楽を見て来た事だろう。この地上で人間達が繰り返す苦しみ、嘆き、地団太を踏んでいる問題やその様子を、人間誕生の日から彼らはじっと微笑みながら見ていたのだろう:ほら始まったな、そのままで良いんだよ、傷ついていいんだよ、どんどんお泣き。やがて見つけるだろう、嘆きも苦労もない心の置き場所がある事を。

そんな事を想っていたら、一つの歌が出来上がった:遊戲三昧(ゆげざんまい)。何にも囚われない、心が完全に自由な世界の事。いつそんな境地に至れるのだろう。しかし、そんな境地があると言う事をただ知ることでさえ希望を抱かせる。

~~~~~~

(著作権登録をしていないので、全文の掲載を取りやめました)

生きて死んでく 人の世を 繰り返し見てる 星たちは
闇の空に 散らばりて まなこに映せと 瞬くよ
人の祈りか 星たちか 光仰いで 生きんとか             

ああ 人の世の 生まれる前の しがらみに 我しばるより
いのち はずませ 愛もて生きん 愛もて今を生きん
ああ 遊戲三昧






参議院選挙期日前投票 2013/7/20

初めて期日前投票をして来た。比例は支持政党の名前を入れれば良いが、東京都選出の議員の場合は誰を選んで良いのかさっぱり分からない。記入台の前であんなに長い事立っていたのも初めてのことだった。比例には一応政党の名前を入れたが・・・誰に入れて良いのかどの党に入れて良いのか見えなくなった事が大変もどかしい。






大きさ 2013/7/24

大学のOB会ゴルフツアーに参加した。ゴルフは4か月ぶり。鳥かごの中の自由練習には1週間に1度ほど行っていたが、ラウンドはなかった。そのため最初から不安があったが、それにしてもびっくりするほど大変なゴルフになってしまった。人の足まで引っ張ってしまったような気がする。

かつて、ゴルフを習い始めて3カ月目にコンペ参加登録をした時、後輩の一人からメールが来た、「デビューはいつでもできますから焦らずに。」スクールではボールは直ぐに真っすぐに打てるようになり、インストラクターからは「そう、そう、そう」と賛辞の言葉を頂くだけで、その次にするものが無い。ダンスを長くやっていたので身体の使い方が他の人よりも分かりやすいのだろう。それでさっそくラウンドに出ようと思った。

後輩のこの突然のメールに、無知ゆえの楽天家が”Don't worry”と書いて返信すると、相手は会社で勤務中にもかかわらず、直ぐに返信してよこした。仕事よりも私のコンペ参加がよほど気になるものだったらしい。「Don't worryじゃなくてですね、皆さんに迷惑になりますよ。」私は”Shut up”と返し、彼は本当にShut upした(笑)。当日はプロ級の男性達が私と同じチームになり、過保護をされたが、その時の幹事が終了後のパーティで言った「(私からコンペ参加の)ファックスが届いてからずっとドキドキしていました。」どうも、みんな騒いでいたようだ。後日あのメールをよこした後輩が言う、「先輩が110台になるまで、絶対に一緒のチームでやりませんからね!」「110台かぁ~」別に彼と一緒にやりたかった訳ではないが、110台と言うのが目標になった。

それで一時110台になった。実は108になった事もあった。この時はあの後輩ども全員にメールを送り、このスコアを報告した(どうだい!「本当ですかぁ~」)。それが数カ月やらずにいたら初ラウンドの時とほぼ同じようなレベルまでに下がった。違うのはチームメンバーの足を引っ張っているのではないかと言う意識が生まれていると言う事。これも成長(@_@;)、かな(^v^)。

このゴルフツアーから帰ってからひとつのメールが届いた。趣味が高じてゴルフ・スクールを開校するまでになったOBが最近このゴルフ会に参加するようになったが、我が地区OB会のゴルフ技術を上げるために彼のスクールに行ってレッスンをするようにと、この会の指南役が言われたという。驚いた。この指南役はロータリークラブの会員であるから、会員相互の利になれば会員のビジネスを互いに応援する、またメンバーでなくとも能力や才能のある人を応援する(奨学金を出す)というロータリ・クラブの会員精神を保持しているのだろう。このような行為は当然感謝につながり、会員の会への貢献度が高まり、リーダーの求心力が強まり、ゆくゆくはより多くの人を会に呼ぶ事になるだろうと思う。感謝が循環し会員の結束も強まるに違いない。リーダーの心の働きはそのまま会員の態度に反映される。

言うまでもないが、物事をどう捉えるか(想い方)がその人の人格を創り、その人の人生を創っていく。ジムで知り合ったやはり同じ大学出身者のOBに地区OB会のこのような面を話すと、利害があって嫌だと言う。考え方は理解できるが絶句した。人間の心の働きが分からない時には私もこのように考えたかも知れないが、今は思う:この考え方から何が生まれるだろう・・・小さな小さな自分だけの世界、類は類を呼ぶだし。そもそも人間関係の本質は、夫婦にしろ親子関係にしろ、ビジネスに限らず、自分と他(た)との利害によって成り立っているように思う。喜びを与えてくれる人は好きになり、好きな人には愛が注がれる。その逆はできるだけ遠く距離を持ちたい。これが一般的な人間の心の働きではないだろうか。小さな自分の世界だけで生きていれば、各自が持っている喜びや愛の供給パイプが塞がるだろう。与えよ、さらば与えられん、である。

しかし”罪悪感のある”利害関係はやはり避けた方が良い。自分にとっても相手にとっても一時的には良くても長い目で見ると百害あって一利無しだと思う。小善大悪なり。相手の真の成長にはならないものね。


ところで、このゴルフツアーから帰り、下手ゴルフのため腰も痛め、9時間も眠った。ギター教室に行き1時間ほどレッスンを受け、その後はマッサージ。ようやく通常の身体に戻ったようだ。







 
































 


臨機応変? 2013/7/26










歌さまざま  2013/7/28

昨日の土曜日、久々に以前にお世話になった多摩にある道場に行った。特別イベントで米国のジュリアード音楽院で勉強しカーネギーホールにも出演していると云うソプラノ歌手、宮崎せりなさんによる40分程のトークと歌があった。

黒人霊歌を始め、アメージング・グレース、長崎の鐘は鳴る、千の風になって等、様々な歌を歌ってくれたが、ご本人が一番得意だと自ら言われるモーツァルトの「魔笛」の中の「夜の女王」の歌が圧巻だった。

いやいやいや~、クラシック・バレエもそうだが、クラシック・オペラもこの先はないだろうと思うほどの技術、人間にこんな動き/声があるのかと改めて思わせる研いで研いで研ぎ澄まされた技を見せて/聞かせてくれる。宮崎せりなさんは、そこに心を乗せようとする余裕もある。プロだ。


米国カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校に留学中私は舞踊学部と演劇学部にそれぞれ在籍していたが、夏季講習に音楽理論の授業を取ったことがある。その時の教師は女性で間もなく定年退職をされる方だった。彼女がこんな事を言った:オペラは声を聴かせるものだったが、段々と歌は言葉、メッセージを聴かせるものへと変わった。その”進化”の一つの例として、教授は「大変いい歌だ」と言いながら”Rose”を学生たちに聴かせた。Rose(バラ)は日本でも時々誰かが歌っている。日本語に訳されたものもあるようだ。

Some say love it is a river
that drowns the tender reed
Some say love it is a razor
that leaves your soul to bleed


Some say love it is a hunger
an endless aching need
I say love it is a flower
and you it's only seed


It's the heart afraid of breaking
that never learns to dance
It's the dream afraid of waking
that never takes the chance
It's the one who won't be taken
who cannot seem to give
and the soul afraid of dying
that never learns to live

When the night has been too lonely
and the road has been too long
and you think that love is only
for the lucky and the strong
Just remember in the winter
far beneath the bitter snows
lies the seed
that with the sun's love
in the spring
becomes the rose

愛は川だと言う人がいる、

たおやかな葦を溺死させる
愛はカミソリだと言う人もいる
人の魂に血を流させる
 

愛は飢えだと言う人もいる
果てしなくしきりに求め続ける
私は愛は花だと言う
そしてあなたは唯一の種


失うことを恐れる心は、
ときめく事を知らない
覚めることを恐れる夢は
挑戦する事を知らない
何も取られまいとする心は
与える事が出来ないようだ
そして、死ぬことを恐れる心は
生きる事を学ばない

夜があまりに寂しく
道が余りに長く
愛は所詮
幸運なものと強いものにしか与えられないと思う時
思い出して
真冬のどんな冷たい雪の下にも
春になれば
太陽の愛を頂いて
バラになる種が埋まっている事を。



この曲のメロディーはとても単調、盛り上がるさびも控えめで、語るように歌われる。アメリカで生まれた歌にしては大変静かな歌。この歌が終わりに近づくと、教授は敏捷さを失った身体を目立つ程に動かし、後ろを向いた・・・泣いていた。

その後、歌は楽器の一つとなり、リズムが中心となったようだ。歌手が何を歌っているのか歌詞など聞こえなくても良くなった。リズムで喜ぶ。どれもが良いのだろう。喜ぶ人たちがいるから存続している。別に歌詞が聞こえなくても、身体がリズムに合わせて動いているだけで良い気分になる時もある。人の研ぎ澄まされた声の技に「うわ~すごい!」と思う感動もあれば、音楽に乗せたメッセージが、単純に言葉だけの時よりも、心を震わせて止まない事もある。

男声のテノールにシビレを感じる私は、かつてこんな事を言っていた、「生まれ変わって男だったらテノール歌手になりたい、女だったらバレリーナ。」今生では、たくさんのメッセージを歌にしたためよう。






   8月初日の眼覚め 2013/8/1

明け方に次回のライブは8月の代わりに9月になったことと、前回の6月ライブ時の客席が余りに寂しかった事をメールで一斉配信すると、早速先輩の一人から朝方返信があった、「へへへへ・・・人は幾つもの困難を乗り越えて強くなるのさ。」このメールを読みながら、私の顔が限界まで横にストレッチし、きっと楽しくてたまらない表情を作っていたと思う。はい、本当に強くならせて頂いております。時が過ぎて振りかえると、あの6月のライブは、ああなるようになっていたような気がするし、あれで良かったのだと想う。

ベッドから起きて、いつものように瞑想をしていると、光に導かれ見守られているようで、清々しい気持ちで眼を開けた。視界はどんよりと曇り空なのだが。天と心がぴったりと合わさっているようで、又一段と強い自分になって行くような気配が心の中に起きている( ^)o(^ )。問題を受ける姿勢が違う。決して完全にそうなっている訳ではないが、「お~来たか、私をまた大きくするために、強くならせるためにやって来たか」と、ニヤっとしながら受け入れるようになり始めたみたい。自分で言うのもなんだけれど、これってすごい事だと思う。頂いた一つの生命として自分の魂を客観的に見る事ができるようになったからだと思う。

ここまで自分を導いてくれた全てのものが、ありがたい、ただありがたい。






蝉の声 2013/8/1

蝉の声がかなり聞こえるようになりましたね。蝉の声は夏の終わりと言うけれど、それならもう残暑と言う事かしら。それはちょっと淋しい、もう少し側にいても良いのだけれど・・・。夏に生まれたと言う因縁か、夏はやはり四季の中でも私の中での存在が大きい。

昔ある人が言った言葉を思い出す。彼は世界に新思想をもたらすのだとギリシャ時代のソクラテスから始まるエロスの研究をずっとしていた。しかし大学の研究過程で、彼の考え方は理解されなかった。その時ふと言った「蝉になりたくない」。蝉の声を聞くたびにその言葉を思い出す。

   




初恋ストーリー 2013/8/5

初恋をする女の子をテーマにした歌を書いて見ようと、私自身の経験はもちろん、他の人のエピソードをネットで検索していたら、下のような話を見つけた。

~~~~~

中学1年の時一つ年上の先輩が初恋の相手です。

遠くからそっと見つめるだけの淡い恋でした~~!!

が・・・!!

なんと近頃Facebookでその彼発見。
...
15歳から突然50歳になった彼をみて・・・・・

Facebookなんて大嫌い~~~!!!って思いました・・・

自分の事は棚に上げますが・・・・・すっかりおじさんでした・・


~~~~~

目の前の夫/妻を前に初恋の人を想う事は良くあることなのかも。現実から逃避させてくれる初恋の人。でも夢が壊されて残ったのは現実だけ。きっと彼女には現実は美しくないのだろう。

「時代屋の女房」と言う映画を思い出した。クリーニング屋を営んでいる夫婦はただただ毎日を淡々と生きている。仕事と近所付き合い。そんな延々と続くなんの変哲もない生活の中で、夫の日常からの逃避は過去の記憶に戻ること。記憶と言ってもいいことばかりじゃない。女房はいう、「あの人は思い出に怒っている。」もうひとつ、この旦那が戻る過去は初恋の人。夢はその初恋の人に再会する事。現実の女房を前にしてその夢を繰り返し語る。

とうとうある日、初恋の人を訪ねて行くと告げ、トランクに着替えとお土産を入れて家を出る。幾度も汽車を乗り継ぎ遠くはるばる着いた田舎の小さな駅のホームでその彼女は彼を待つ事になっている。

汽車が駅に着いた。男はずっと思い続けて来たその女性を探す。しかしそれらしき人が見当たらない。ホームから人が捌けて、いよいよ汽車が動こうとした時、男の目がつかんだのは、先ほどからずっとそこに立っていた、前かがみに杖をついている総白髪の女性であった。男は声もかけず、そのまま乗って来た汽車に飛び乗った。(笑)


   




岐阜ライブ企画 2013/8/6

9月27日岐阜でライブを企画して頂きました。素敵な和の店に置かれてある世界有数の名品「ベーゼンドルファー」のピアノをバックに歌います。ピアノと調和の取れた歌を届けられたら、そのように願っております。なんとも光栄な幸せなイベントを心より感謝いたします。

追伸:名ピアニストの話によりますと、このピアノはレコーディングなどに使われる日本でも二ケタもないピアノだそうです。
~~~~~~


「しずこ」 ライブ開催のご案内

シンガーソング・ライターしずこさんをお迎えしてライブを開きます
彼女は私の大切な友人です

彼女の自作の歌を中心にシャンソンの夕べを

彼女の人生をしっとり、そして爽やかに、 深みとコクを漂わせて、なお明るく歌う・・・
そんな魅力を一緒に楽しみませんか

時: 9月27日 金曜日 PM:5時~PM8時
所: 金華山の頂きに岐阜城を眺めながらの長良川河畔
日本料理の「布武」さんです
会費:美味しい料理付で おひとりさま 4,000円

先着 50名さまに限らせていただきます

今 チラシ チケット 準備中です 申し込み受け付けは
正式の案内後にさせてください 直ちに定員になると思いますので

まだ 予告の段階ですが 御用繁多のみなさまの手帳に記入して
おいていただきたくて!事前案内です

琴静子さんのプロフィル
英語講師、俳優、日英同時通訳、シャンソン歌手を経て           
シンガーソング・ライター 

しずこさんを 詳しくお知りになりたい方は
http://www.ac.auone-net.jp/~shizu77/ へ








「ママ、どうしよう」 2013/8/7

とても可愛らしい、思わず、きっと聴く人みんなの顔が緩んでしまうような歌が出来上がった、「ママ、どうしよう」。いつでもそうだが、歌を書きあげた時は自信がある訳ではない、「これでいいかなぁ?」と不確かさを持って、まずは周りの人に聴いてもらう。今日は作曲のクラスがあったので、最初の聴き手はこのインストラクターになった。譜面を見た途端、「ラップみたいですね」という。確かに1小節に同音だけが並ぶ。ピアノでまずは弾いて見る。目をまん丸くして、「おもしろい、今までの歌と全然違いますね。普通は、大体いつも似ているようなものを作るんですけれど。」続けて詞を読んでもらった。「めっちゃ、中学生ですね。これ今風の歌ですよ。」気のせいかしみじみ私の顔を見ていた。「才能」を目の前に見る目つきであった。あはははは・・・

確かに、一般的にはシンガーソングライターは自分の心境や状況を歌うので、だいたいどの歌も作風が似てくる。私の最近の傾向は、どうもあるキャラを想定して作っているようだ(と言っても、ある時点に私の心のどこかにあった思いだけど)。昨年暮れに作った「輪廻の華」は、聴いてもらったタクシーの運転手さんが石川さゆりか、坂本冬実か、または島津亜矢に歌わせると良いよと言っていたが、こちらもきっと誰か別な人が歌うような歌だと思う。でも私のこじんまりライブでは、歌います。皆さんに楽しんで頂きたいもの。



ワンコーラスの歌詞をご披露させて頂きます。

ママ、ママ どうしよう
なにも 手がつかないの
寝ても覚めても 彼のこと
思うばかりの 毎日

声が聞こえる 振りかえれば
彼じゃ ないのに 
どきどき どきどき 心臓が
近くにいるよな 見つかるような
気がして

ママ、ママ どうしよう
試験 迫ってるのに
彼の名前 ノートに
書いてばかり だめだわ






芸能鑑賞の一日 2013/8/11


気温36度とか、局地的には40度にもなるとか。皆さんお元気ですか。

昨日の土曜日は芸能鑑賞の一日を過ごしました。まず一本目は、録画しておいたサザンの5年ぶりの復活ライブをずっとテレビ画面で観ていました。実はサザンの歌を真剣に聴いたのはこれが初めて。へぇ~、彼の歌は色っぽい~。失礼ですが、感心と驚きが混じりました。歌詞のセンスがとても良い。言葉のつなげ方にサプライズがある。井上陽水とはまた違う、はじけるような明るさがある。なぜサザンを聴いてみようと言う気になったかと言いますと、ゴルフ仲間のある女性が、私の2つ目のCD「今朝のバラ」を買ってくれたんですが、彼女、このCDに大層感動したらしく、聴いた後に私を見る目が変わったんです。驚きを交えた目をしながら「CD良かったぁ~!今サザンばかり聴いているんで、こう言う歌久しぶりだったけど」。彼女はお世辞を言えない人なのである(何を言いたいか分かるでしょ?)確かにね、以前にも書いたけれど、最初のCDで色々反省するところがあって、2回目は私が“主人”としての権利を80%位発揮したんです。二つのCDを聴いた人達はよく言ってくれます、「歌が断然うまくなっていますね」と(今はもっとうまくなっているよ・・・一言多いよ、君!)。


それで、サザンが好きな人が私の歌も気に入ってくれたので、彼らの歌を聴いてみたくなったの。つまり私の作った歌がどの辺にいられるのか知りたかったと言う事だと思う(すごいでしょ、この考え方!)。彼の作る歌は明るくて本当に魅力がある。「君の胸を僕の両手に落して」なんて、面白いし、エロティックよね。思わず喜んじゃう。で。最後まで聴いていたら、「本来の自分にはないものをエンターティメントとして表現して少しアウトローぶるんですよね。歌舞くんですよね。歌舞く部分が全部、下なんですよね。どうしてもそこに行っちゃうかな」ですって。

次は、春風亭小朝の落語を聴きに。これは4回シリーズになっていて今回が2回目。実に面白かった。前座は瀧川鯉斗だったが、まず声が違うんですね。もうそろそろ建て直した方が良さそうな区の古い公民館が会場でしたが、会場の右端の席にいた私に、この公民館の音響システムは十分に言葉を届けられない。何を言っているのか興奮しているような言葉が聞き取れない。小朝の時にもそう言う事があるにはあったけれど、前座ほどではない。言葉を芸にする人は、やはり自分の伝えたい事をきちんと伝えられる程度に道具としての声を磨く事は基本的な技なのだなぁと改めて感心しながら思いました。地方に行けば、この会場より優しくないところがあるものね。「高麗皿」(又は「猫の皿」)もさることながら、時世の小話も面白かった。

「アメリカのXXX州のスーパーマーケットに上半身裸の女たちが強盗に入り拳銃を突きつけて事務所のお金を全部盗んで行ったんですね。あとで警察が来て、犯人の人相は?と訊くと、誰も顔を見たものがいなかったんです。男と言うのは悲しいものでございます。」

終演後ロビーに出ると次回のチケットの購入を呼び掛けている。直ぐさま買った。幸せだなぁ。芸を一生懸命磨いて披露してくれる人たちがいる事が。

そしてその日の閉めは、映画「終戦のエンペラー」。FACEBOOKで友人が紹介していたので観に行ったのだけれど、これは日本人プロデューサー奈良林陽子の熱い思いで実現したという日米合作映画。終戦後のA級戦犯や天皇陛下の戦争責任を調査し“処遇”を決めていく過程を米国軍人の眼で描いている。起きた事をありのまま受け入れた映画だと思うが、物足りない。以前にNHKで放映した、「戦後を変えた男、吉田茂」の内容がずっと濃かった。そう言えば、映画には吉田茂は出て来なかったわ。「戦争責任は日本国民にではなく、全て自分にある」と陛下が述べられた時の、マッカーサの感動が一粒の涙で表されていた。

さあ~てと、沢山食べました。ごちそうさまでした。これらも私の創作の血となり骨となるでしょう。


   
    




 

どちらの考え方に魅かれる?2013/8/13

上のブログで書いた「終戦のエンペラー」の中のマッカーサの考え方が印象的だった。この映画の主人公はマッカーサから戦争責任が誰にあるか調査を命じられた部下のフェラーズであるが、彼は戦前日本から米国に留学した日本人学生と恋仲になり、その彼女を追って日本に滞在した事がある、どちらかと言うと日本びいきだ。「君はこの国をよく知っているだろう、君を信じている」と、マッカーサはこの調査を依頼するのだが、マッカーサから全幅の信頼を受けるフェラーズを妬む同僚は二人の信頼関係を壊そうと、さまざまに企てる。

その同僚は、米国が日本に戦争を終わらせようと原子爆弾を投下するエリアを決める際、静岡を的から外すようフェラーズが命令した事実を調べあげ、それを報告書にまとめてマッカーサに提出する。静岡はフェラーズの恋人が住むところ。彼に日本人の恋人がいた事は、彼の直属の日本人通訳以外知らない筈であった。この通訳を通し、フェラーズは恋人の生存を調べていた。

自分に関する報告書を見つけたフェラーズはやがてそのコピーを持参し、この調査任務から自分をおろしてくれるようマッカーサに嘆願する。マッカーサはその調査報告書を受け取ると、「ああ、この紙の束はもう読んだよ」と言って気だるさを装いゴミ箱に投げ捨てる。「しかし、君の指示によって米軍兵士が死んだわけでもない」と返す。又同僚の事を不安がるフェラーズに「彼は本国に帰し別の任に付いてもらったよ」と温かく微笑む。

大変合理的な考え方で、私の中でアンテナがピーンと立った。結果的に損は無いし、フェラーズの静岡を回避した指示も、同僚のように妬みを義にかこつけた悪意が発想の根底にあった訳ではなく、人に対する愛と言う善意が生んだ行為であるし、なおかつ、現在のプロジェクトを推進させる上で最もポジティブな選択は。。。任務を私的都合に絡み合わせる事はけしからん、として処罰するという選択もあったかもしれないが。

ここのところで私はBack to USになり、米国留学中に知り合った教授達の顔が思い出された。大変アメリカ的な発想のように思う。合理的な発想は、デジタル的にスパスパっと事を整理し、時に救われる気がするが、いかがでしょう。






これかぁ!2013/8/13


掴みどころのないあいつに しがみついたら
泣き泣き泣き泣き、泣かされるだけ
あややあややや やけどしないうち
あなな 離れて行くわ 
かしこい女の 生き上手
~~~~~~
あはは・・・これ、今日出て来た歌。

作曲のクラスでは、 コードを4小節又は8小節並べて、そのコードに合うメロディーを作る練習をしているけれど、このやり方はなんだか私にはあまり合わない。。ある公式があって、そこにぎゅうぎゅう当てはめていく感じ。この音は入れちゃだめとか制約がある。それでも、色々と勉強するのは面白いので、熱心な生徒になって、せっせと宿題をやっている。

今日はテレビでニューオーリンズの街中で歌っているおじさんを映していた。彼の旋律に合わせて私も大きな声でウォーウォーやっていたら歌ができちゃった。今まで私の口から出て来た事も想像した事もない詞をつけて。ついでに合の手も本人が知らぬ間に入って来て楽しくなり、一人で声あげて笑ってしまった(ひとりでいても退屈しないんだよね、この人)。

きっとこのような方法で曲を作っている人って沢山いるのかもね。空飛ぶように自由にのびのびと作れるこの作曲法、これかぁ!私のやり方は。(●^o^●)


   

「風立ちぬ」 2013/8/14

航空技術者、堀越二郎をモデルにした宮崎駿作監督のアニメ映画、映画館が幾つもの引き出しのように入ったビルのエレベータに乗ると、同乗者全員の行き先がこの映画の上映館だった。夜9時近いのに、会場はほぼ満席。

さすが、である。宮崎駿は観客の楽しませ方をよく知っているしそれを具体化できる。飛行機と言う100%メタルの硬く男だけの世界に恋愛と絵画を織り込み柔らかさを出したり、結婚初夜の妻の誘い方(あれ?、この言葉・・・・懐かしい)に、初めて女がリードするシーンを入れてスパイスを掛けたり、そして迎える妻の死では陳腐な日本映画によく出て来るような大声で名を連呼する場面はかなぐり捨て、夢の世界で妻が現れ消えていくようにしている。しっとりと哀しい。

映画が終わり、最後のスタッフ紹介の画面でも、一人として席を立つ人がいなかった。すすり泣きが微かに聞こえる。私は、ずっと手前から様々な記憶と共にこの映画の美しさに思うことが山ほどあり、音もなく涙だけを頬まで落していた。

Endingで流された荒井由美の「ひこうき雲」がとてもよく合っていた。すごく素人くさい声、彼女の歌を誰か別の若い新人が歌っているのかと思い、スタッフ紹介画面では目を凝らして歌手の名前を探していた。だが荒井由美本人だった。素人くさいのもそれなりの味がある、洗練された声もその味がある。どっちでも用途に応じて使われるのね。

美しい映画だった。























 









































 




盂蘭盆祭 2013/8/15


明日から京都宇治を回り、“同志”達と盆踊り大会に参加、その帰りには一人で比叡山に上ってきます(暑いのに~)。

この盆踊りに参加するために、浴衣に合わせた小間物を買おうと、何十年ぶりに和服店に。昔々大枚をはたいて付け下げを作った事があるが、直ぐにアメリカに留学、その後も着付けが大変で2,3回着用した後は友人の子供が通う学校のバザーに出してしまった(もったいな~い)。浴衣だけは残しておいたが、今の年齢になって裸足で素肌に浴衣は憚ると、“同志”達からのアドバイスで、襦袢、裾よけ、足袋、その他の小間物を買う事に。あらまあ、遠くまで行って盆踊りに参加すること自体出費が多いのに、ここまでいくか、ま、いいや、この際言われる事をそのままやりましょうと、買って来たものをパソコンの横に置きながら、このブログを打っている。

踊るのは「大東京音頭」と「ズンパ音頭」、私の好みはこの「ズンパ音頭」。何度かみんなと練習を重ねたが、今風と言うか浮き浮きするようなリズムで、詞もおもしろい。だから思わず歌いながら踊ってしまいますが、それなら正確な歌詞を覚えようとネットで検索。ノートに書きとめて置いたので。貸し切りバスを利用する旅程で皆さんと合唱かな。








風邪をもらって 2013/8/21

昨日風邪をもらって帰宅。最終日の夜中突然咳が頻繁に出て、朝起きると喉が痛い。このツアー中に一緒の部屋になったひとりのおばあちゃんが風邪をひき、翌日治ったと言っては、どう言う訳か私の側に来ては長々と話をする。気が気でない。接近を拒絶しようとするが、布団の中にいる私には方法が見つからない。おばあちゃんも離れようとしない。どうもその風邪を私がもらってしまったようだ。

ツアーが終わり新幹線で帰京だが、私は延泊して比叡山に。喉の腫れが広がっているのを感じる。サイズが小さくなった健康保険証は様々なカードと共にいつも携帯できるので、実に便利が良い。京都駅に着いてそのまま病院に行ったが、びっくりしたのは、熱。体温計が既に38度を示していた。驚いた受付のスタッフが直ぐにマスクを買って付けて下さいと指示する。ここ5,6年ほど風邪を引いた事はなかったが、それ以前にも風邪は引いても熱を出す事はあまり無かった。早めに処置をしていたからだろう。

帰宅して9時間ほど熟睡したようだが、体温計の水銀の長さは39度まで伸びていた。医者が処方した熱さましも飲んでいるのだが。いやはや、ツアー中は私の部屋におばあちゃんが4人もいたが、朝の早い事。歳を取ると童心に帰ると言うが、想像力と言うものを持たなくなるようだ。人が眠っていても煌々と電気を付けるし、夜中にガシャガシャとバッグの中から何かを探しているようだし、扉の開閉音に心を配る事もない。一人が起きてガサガサやっていると、次から次へと起きて行く。おばあちゃんたちの活動が一段落すると、2回目のサイクルに入り、最初のおばあちゃんからまた同じような活動が始まる。

それでもおばあちゃん達と一緒にいた時間は楽しかったです、はい。

薬で症状を抑えて作曲クラスに。やはりこのクラスが楽しいんですね。休みたくないのです。その後は友人とお茶。今回のツアー中に山梨県のお土産屋で見つけた、花柄のルーぺ。細かい文字で打たれた紙の時刻表を見る時などに使える携帯用で、おしゃれでひと目で気に入り、模様の異なる同色を二つ買い、一つはとてもお世話になっているこの友人に差し上げた。”花のような雰囲気を持つ”彼女にぴったり、「よくこのようなものを見つけたね」としみじみと眺めとても気に入ってくれたようだった。






回して聴いています  2013/8/21

盂蘭盆祭で突然、「しずこさん?」と声をかけて下さる人がいた。昨年12月の札幌ライブで客席にいらしたという。またその時六本木STBのステージDVDも購入され2部を大変気に入っているようだった。六本木STBステージでは1部は一般的なライブ、2部はストーリ仕立てにしそこにシャンソンを当てはめて行った。「しずこさんの人生を見せて頂いて」と言われたので「いえ、あれは岡本太郎の実話とフィクションを交えた物語なんです」と説明したが、そうなんだぁ、私の人生だと思っちゃうんだぁと、脚本演出出演を全部一人でやっていると、そのような新しいストーリーが観る側にできるんだぁと教えられた。そして間もなく同伴者にも私を紹介してくださり、その中の一人が言う、「(ライブの時にCDが売り切れ購入できなかった人たちに)回して聴いています。」

私の想いを超えて事が起きているのだなぁと、驚きと言うか、起きている事に釣り合う自分でいなければと、改めて向上心が高くなり、美しく生き続けなければいけないと思う。ありがとうございます。







ベテランの医師 2013/8/23

「ボーっとしますよ」と言われて頂いた風邪薬のせいか、体調は段々と回復に向かっているがまだキレが悪い。大人になってから風邪でかかった医師から抗生物質が処方されなかったのは初めて。最近では風邪には直ぐに抗生物質が出されるが、昔はあまり耳にしなかった。それでも治っていた。京都駅近くの武田病院で診察して下さった若い医師は、見た瞬間からなにか大変信頼できるような気がした。出された薬は3種類だけで、そこに抗生物質は入っていなかった。

毎月漢方薬を処方して頂いている内科医にこの薬3種類を見せると「ベテランの医者ですね」という。そうか、どんな薬を出すかでクラスが分かるんだぁ。5年ほど前までに住んでいたところの近所の医師はとにかく薬を山と出す人だった。猫なで声で患者の名前を呼ぶ仰々しい愛嬌と山ほどの薬の背後に「患者は金の宝」と考える匂いがし、段々と足が遠のいて行ったが、開院して間もないところはだいたい投資回収に忙しい。

こんな記事をネットで見つけた。

風邪の原因の約90%はウイルスが原因です。残りの10%が細菌などが原因です。
そして、抗生物質(抗細菌性の抗生物質)は90%のウイルスには効果がありません。


さて、そろそろ動かねば。喉が元に戻っていないので歌は唄えないけれど、ギターくらいはいじらなければ。








ユーカリ油 2013/8/24

熱も収まったが、咳だけがものすごい。咳は出たいのだから出した方が良いと気管支を広げる薬を出す医者もいれば、咳止めを出しましょうという医者もいる。

以前も風邪の後に咳が抜けず医者が処方してくれた薬を2週間こまめに飲み続けたが効果は皆無に近く、当時は通訳の仕事をしていたので大変だった。事情を知らない人なら、感染するのではないかと思ってしまう。そこで秋田の玉川温泉に3日間浸かったら完全に止まった。が、秋田は遠い。

もう一つの方法を思い出した。同じ悩みを持つ整形外科医から紹介されたユーカリの油。これを沸騰したお湯の中に数滴入れて蒸気が逃げないよう毛布かタオルケットを頭からかぶり、蒸気を吸い込む。ものすごい顔になるが、効果てきめん。

民間療法、長い間生きて来た人間の知恵と言うか発見。まだまだあるのだろうね。

























 













まるでスター 2013/8/24

9月27日岐阜でライブが企画され、そのポスターを作って下さった。












 2年ほど前から光栄にも他者主催のライブが企画され、ポスターやチラシがあるものと
 無いものがあったが、チラシを作る方々は私のこのHPから写真を選んで行かれる。
 興味深いのは皆さんそれぞれ異なる写真を選ばれる。この左の写真もHPに載せて
 あるものだが、選ばれた方のセンスに驚きがあった。頂いた瞬間、すてき!と目が大きくな
 った気がする。まるで、スターみたい。ありがとうございます。































夜がまだ辛い 2013/8/28

咳でまだゼ~ゼ~言っています。ユーカリの油も数時間効果があるけれど、咳が又”爆発”する。夜が眠れない。仕方なくかかりつけの医師のところに行くと、24時間貼りっぱなしの気管支を広げるテープをくれた。薬剤師の指示に従いお風呂からあがってテープを張って寝ると、更に悪化して、喉が割れてしまうのではないかと心配するほど、2時間ほど喘息のように咳が出る。仕方なく身体を起こすと、咳は止まるが、そういうものらしい。翌朝医師に電話で聞くと、テープは朝に貼って下さいと言う(何だい、あの薬剤師は!)。確かにすこし良いようだ。しかし、前夜寝不足だっただけに身体を甘やかし途中ベッドに横になると途端に咳が出始める。そのため私の声は声にならない音を出している。

このブログを書いているのは深夜12時を回り8月28日になったばかりだが、寝るのもつらい。今日は作曲のクラスと夕方にはOB会がある。今日一日様子を見て、改善がみられなければ、私が一番信頼する最も確かな方法を取ろう。本当は、日曜日に行こうと思ったが・・・





   感動が走る 2013/8/29

昨日の事だが、最も楽しみにしている作曲のクラスもいつものように内容が濃く、これまで詞が先行していた私の歌も段々と曲が先行する可能性も大きくなった。というか今まで以上に楽しみながら曲作りができるようになるような感じがする。不安が無くなって行くという感触だろうか、こう言うにはまだ早いかも知れないが、「よし作ろう」と言う気にさえなれば、面白いものかどうかは別にして、自由自在に詞も曲も作れるような気がして来た。個人レッスンだからインストラクターも私のペースに合わせてくれるのでどんどん前に進んでくれる。結構まとまりの良いきれいな旋律が生まれるので、なんだか私みたいじゃないような気もしていたら、インストラクターも言う、「一応このように枠を作ってやっていますが、実際に曲を作る時は個性をどんどん出して下さいね」と。

夕方にはOB会に参加。8月の初めに会ったばかりなのに、なぜか大変しばらく振りな気がした。山梨、京都、宇治と他の会のメンバーと共にいた時間が長かったからかも。このOB会で横におられた前会長から突然驚くような言葉が発せられた、「どのように応援したら良いか、何をして欲しいか」と。余りにも寛大な言葉に背筋がゾクっとした。その言葉の中には、遠慮なく私の本心を言っても良いのだと言う懐があった。私はビジネスをやった事もなく、自分の仕事を前に進めるために人にどんな依頼をしたらいいのか、どんな依頼なら言葉にしていいのか分からないでいるから、時々皆で二次会に行くカラオケバーでそこのママの「xxxさんに続けて来て頂くためにはどうしたらいいですか」というような伺いを側で聞いた時、感心していたものだった。私が言うのはステージを見に来てと言うくらい。それ以上の依頼を他人にする事など、余程の信頼関係が成立していない限り、依頼をして人間関係が壊れることだってあるかもしれないから、言う事は無い。自分がやらなければいけないと思っていた。だからオーディションに行って直接的/間接的に伝わっていく事や、様々な会場で歌う機会をもらう事で、そこから何かが生まれて行く事を願っていたと思う。

しかし考えてみると、OB会の横のつながりは大きいし広い。私の夢を実現させるのは可能なのかもしれない。私の夢、それは私が作った歌をもっともっと多くの方々に聴いてもらう事。これまで自作の歌に沢山の感動の声を頂いて来たが、その感動の輪はもっともっと広がると私は信じ切っている。せつな的な感動に留まらない大きな何かを残すと想っている。私には子供がいない。この地球に子供の代わり歌を残して行きたい。人の心に本当に届く、できれば、人を救える歌を。

このOB会に入会した当初の理由は、プライベートな生活の変化に伴って移動した新天地で新しい友人を得て淋しさを紛らわす可能性を求めたからであった。だが私の意図とは別にプライベートな生活の変化は私のキャリアをも変え、同時進行でライブ活動が以前よりも積極的になり歌を作るまでになってきた。そのライブ活動の拡大は、今思えば、自力で成し得たとはとても考えにくい。ただただ自分の力を超えたものが全てを動かしていたとしか思えない。今の立ち位置から見ると、不思議な事はもっとある。交わる人達が変わった。過去の人達と新しい人達の総入れ替えが起きているような気がしなくもない。急速度で変化して行く私の考え方に沿うように変化している。田辺聖子の言葉を借りれば、全て神様の脚本にあるのだとしか想えない。

ステージを見に来て頂けるだけで十分に嬉しいと思っていたところに聞こえた「どのように応援したら良いか」という言葉。本当に感無量であった。今は心置きなく私の夢を話して一緒に喜んでもらえる人がいるとは決して断言できない環境で、警戒もなく私が望むところを言ってしまった(●^o^●)。言わせてくもらえる何か安心感のようなものがあった。

帰宅し寝る準備をしているともう二つニュースが入った。ひとつはアマゾンに出品した私の持ち本が売れた事(あまり大したことないか)。後一つは、二日前このHPのメールから六本木STBリサイタルのDVDを注文された方が感想を言って来られ次の9月のライブに来られるという知らせ。

2013年8月28日、なんと素晴らしい日だった事か。

さて今日から数日秋田の玉川温泉に行ってこの壊れた声を修復して来ます。


 
















 


玉川温泉から帰り 2013/9/3

3泊のつもりが延泊して作日帰宅した。室温が変化しただけでもしきりに出て来る咳だったが、ネットで検索すると同じ症状で苦しんでいる人が多いようだ。それも今は消えた。帰りの新幹線では、空咳を連発する人達が二人いた。彼らの咳の音を聞きながら全く咳の出ていない自分が誇らしくなると同時に、救いの手を差し出したくなり、咳の止まらない後部席に座る男性にこの玉川温泉の話しをした。すると、咳が止まらないと言う苦悩の表情が、途端に薄笑いを浮かべ鼻の先で軽くあしらう。人間知を信ずる派らしい。心の中で私は「可哀想な人だなぁ」と思う。私は余り医者を信用していない(すみません)。それよりも天の作られた”影の無い”治癒の里を信じる。人間が自然を理詰めにしても網の目の一つの線も描けないと言う。この玉川温泉の治癒力に東北大学や岩手大学の医学部が幾度か研究対象としたり博士論文の材料にもしているらしい。

2006年北海道からキャンピングをしながら降りて来た時ふと立ち寄り、常連客の指示通りその温泉の弱酸性湯に正味30分浸かると、それまで痒くて心が落ち着かずにいた湿疹が跡も残さず消えていた。別の常連客で何をやっても腰痛が治らなかったという人からは「不治の病になったら玉川温泉がある事を思い出しなさい」と言われた事もあり、どちらかというといたって健康な方だが、それ以来数年間、年の暮れに行くようになった。その時は、いつも二人連れで宿の人も私をつがいで覚えている。そんな私の在りし日が染みているところを一人で行くとなると勇気が要った。もはや側にいない人の当時の姿や表情や動作や言葉がスライド写真のように続けて映し出され喪失感が生まれる事が怖かったし、宿の者から詮索されたり聞かれたりする事を想像すると鬱陶しいかった。しかし、昨年のイタリア一人旅の時と同じように自分を超える為、自分を強くするために強行した。確かにつかの間喪失感に囚われたが、それは分を待たず懐かしさに変わり、何かとても爽やかな感覚となった。そしてよく考えると、この玉川温泉は別離の兆しが始まった時に訪れ、別離の方向にどんどん誘われていた時に二人して訪れた場所だった。記憶をそのように正確に辿ると何かとても楽になり、ここは私が新生する場所であったのだと気が付き、私の再訪を祝福してくれているように思えた。面白い事に、あの頃毎年顔を合わせていた宿のスタッフも、震災後お客の低減に伴い全員入れ替えられ、誰ひとり私を知る者はいなかった。

道場での宿泊を始め初めてあった人達との雑魚寝を何度と経験してきたせいか、いびき以外は他人との相部屋が全く気にならなくなっている。初日の一人部屋に少し気持ちが萎え、二日目からは大分県と某県(聞かなかった)から来た人達との相部屋に移った。他にも相部屋を利用する一人湯治者が何人もいて、すっかり彼らとのグループ温泉旅行になってしまった。相部屋の料金もさることながら、これなら何度でも一人で来れるようで、えんや、さぁと大層な決断をして出て来る場所ではなさそうだ。

なんと言っても、ああ、ここまで来させてもらったと今の心のあり方が嬉しく、空を見ながら感極まりまた大粒の涙を流した。うれしい。一日4回せっせと源泉100%と50%の湯にその時の気分で浸かり、気管支によいという箱湯や蒸気湯(サウナ)に入っては懸命にこの温泉が放出する物質を吸い込んだ。ものすごい汗を流し、かなり疲れる。

最後の日にいよいよ声を出してみようと、浴室で一人のご老人がいたが勝手な旋律を歌ってみた。すると見えないところから40代程の目鼻立ちの整った女性が現れ、私の方に来ては蒸気湯の扉を開けたり何か/誰かをを探している。「歌、歌」と呟きながら。音源が私だと分かると、満面に笑みを浮かべ、喜びをいっぱいに表し、皆を集めて歌ってくれませんか、と言われる。その喜ばれる姿だけでも私はとても嬉しく、体調も戻って来た事を実感した。歌をこんなに喜んで下さる方々がいる、改めて心が締まる。今月は岐阜と池之端の2本。それぞれの間が短い。心から感謝して当日を迎えよう。

画像左から(クリックすると大きくなります)
1.山の谷底にあるこの温泉からみる裏岩手連峰の稜線が美しい
2.この湯けむりを吸うだけで良いんだよ、と余命3ヶ月と宣告され7年生かされているという大阪から来られていた70歳代の方が言っていた。
3.ぼこぼこと噴きでた源泉が流れて来る。。
4.ござを敷いて湯けむりを身体に吸入している人達。この先をもっと奥に行くと屋外の岩盤浴場がある。数年前雪崩でテントがつぶれ大きな惨事となり、今は屋内にも温泉水を引いた岩盤浴場を設けている。






救う? 2013/9/4

2つ先の8月29日のブログに、できれば歌で人を救いたいと書いてしまった。心の中でずっと思っていたことだったけど、余りに大それた考えだと呆気に取られる方もいるかもしれないと、これまで言うのを憚っていた。しかし今の私の非常に限られたボキャブラリーの中では、やはりこの言葉が最も正直に私の想いを表している。私自身が救われたから、それを共有したい。そして書く事で私自身も更に救われたいのだと思う。人生の迷子になり幸せへの道を探している人達のお手伝いができれば、そう心から思っている。側のものが言えば反発も起きるが、遠くの声なら素直に聞ける事も少なくないと思う。

自分の夢を実現すると言う願望を人の役に立つ事につなげたい・・・人のお役にたてる事をしたい、やっとそんな事を思う心を持たせて頂いたあらゆる出来事に本当に感謝している。「愛する事は神の側にいる事」ーーミュージカル「レ・ミゼラブル」の中の歌詞です。少し照れくさいので、この言葉でカモフラージュ(@_@;)。






嬉しい一日 2013/9/6

昨日は、又久々の通訳というか英語の仕事をした。NHKの番組に「イッピン」というのがあるらしい。その番組を制作している業者が収録して来たインタビューをビデオで見ながら英語を書き取りそれを日本語に訳す仕事である。内容は、養殖真珠。前夜にネットで関連記事を日英二つの言語で探し、当日出かける前に全力で覚え込む(これが通訳の仕事なんです。だから雑学は増えます)。現場で何が出て来るか分からないので、できる限りのことをして行く訳だが、行って拍子抜けの場合もある。今回も、嬉しい事に、その類だった。ただこのようなビデオの聞き取りは現場でそばで聞けるのとは違い、音が取りにくい。制作ディレクターは若い女性。彼女は現場で取材し背景を分かっているので、躓いている私に親切に手助けをしてくれる。とてもゆったりとした感じで3時間の作業が1時間で終わり、最初は緊張感が漂っていた彼女の身体も大分緩んでいた。彼女の手助けがあったから終えられたと言って席を立つと、照れながらも嬉しさそうだったが、私はもっと嬉しかった。

夕方にはもう一つ嬉しい事が起きた。これも8月29日のブログで書いた事につながるが、アマゾンに出品した私の本の購入者からのメールである。それは通訳をしていた頃買った本で一度も開いていない。欲しい人を探すのも面倒だしもちろんとても捨てられるものではないので出したが、届いた本は第3版であり、欲しいのは第5版であるから。着払いで本を返品し全額払い戻すか、5版を送る事を提案されて来られた。私はその本が版を重ねている事を知らずに出品した事を謝罪し、私には無用なので、面倒な手続きを踏んでそれが返却されるよりもそのままお受け取り頂いて、商品の購入代金はお戻ししましょうと提案した。

すると、「何分少額であることと、何よりも、誠実なお返事を頂きましたことから、この件はこのまま別段の手続なく取引を完了にしたいと思います。こちらの手元に残りました第3版は、これも何かの縁と思って別途使い道を探すことにします。」というご返事を頂き、私の対応が誠実であったと思って下さった事が大変嬉しくも、迷った。商品を返して頂かなくとも、「商品キャンセル」のボタン一つ押せば、購入者の口座からお金は引き落とされない。しかし私は何故ボタンを押すのか、そして押した場合相手はどのような気持ちになるだろうか。律義な人間であると言う窮屈な善人を誇示し、相手の善意と好意をふいにする事になる。それよりもこの御縁が将来どこかにつながって行けるように、善意を施した相手の喜びと私の感謝を宇宙銀行に蓄えておこうと考えた。あるかもしれない将来の御縁が楽しみになった。

相手の“純粋な”善行に”素直に”答えた自分がやはり嬉しかった。
。。。。私、ナルシストかな?決してそうではないのだけれど(@_@;)

 




適職 2013/9/7

コンピュータ画面から左上の壁には時刻を表す数字が色違いのけん玉の形をしている時計が取りつけられている。そのデザインが好きで数年前に表参道のイタリアの輸入雑貨店で少し奮発して買った。ずっとコンピュータ画面とピアノの間を往ったり来たりしながら5線紙に音符を入れていると、5線上のどこに音符の頭があるのか段々見づらくなり、ふと時計を見た。えっ、3時?!未明の3時である。また少しばかりの感慨に浸る。時間を忘れるくらい、歌を作ると言う作業は私を夢中にさせるんだぁ。大学受験時代以来である。あの頃も、気が付いたら3時間、4時間と時間が過ぎて行っていた。

きっと適職なのだろう。不思議だぁ。これが適職だとこれまで考えた事もなかった。自分の内部からやりたくてたまらないものとして込み上げて来たものではなかったのに。何か、やらされていると言う感じがしなくもない。「使命」なのかも。作った歌に沢山の感動が寄せられ驚いたけれど、考えてみれば、自分でもこんな歌を聴きたいと思うものを書いているから、いい歌であるのは当然なのかもと、思ったりもする。同時に、思ってもいないものが出てきたりもする。

何も考えずに、連れて行かれるところに素直に付いて行こうと私は決心した。

このHPの「レパートリ」欄にもう一つオリジナル曲を加えた。暫定タイトルは「My Love」。これもまたこれまでと違う雰囲気で、少し新鮮な感じがする。自分で書いた歌だけれど、何度も練習しなければ歌えない、新しい旋律、特にAメロの雰囲気が自分でも好きだ。





久しぶりの”古い”友人達 2013/9/8

今はもう8日の0時30分。昨夜8時、古い友人達の納涼会の2次会にふと行ってみようと言う気になり参加した。会うのは3年ぶりだろうか。久々の私の出現を歓迎して下さる声は会長を始めとする先輩達の間では非常に高かった。会長はよほど嬉しいかったのだろう、私のところで自分の夢を得得と語り、2次会で失礼するという私を止めて3次会まで連れて行かれた。

後輩たちは遠目で私を見ている。予期せぬ私の出現に驚いている様子が、それを表に出すまいとして沈黙する彼らの態度にも現れていた。かつて私がこの会に所属していた時、定番の考え方に囚われない自由な発想、東北大震災で差し出した個人としては巨額な献資、彼らの発想の枠組に決していない私に大変興味を持ちながらも余りの考え方の違いに違和感があり、何かと色々と不愉快な事をされたが、彼らの心の中にある私に対する好意や敬意は知っていた。

去る時期が来たのだろう。私は他の会に所属した。私の行動をあの後輩たちは羨ましさと驚きで見ていたように思う。そして今日、最も積極的に不愉快行為をしていた後輩の幹事長役が2次会の会場を出ようとする私に下の名前で「しずさん」と呼ぶ。3次会のカラオケ店の選択には、以前ならとかく私の発言の反対を取ったが、今回は少しばかり不慣れなところを見せつつも素直に私の提案を受けるし、「此処でしずさんの歌を聴けるの嬉しいです」とも言う(あんなに私のライブを茶化していたのに)。帰りにはこの後輩と一緒に地下鉄に乗った。中吊りにぶら下りながら隣同士で話す。彼とこんなに近くで話すのは初めてのことである。いつも私を揶揄するような気配を見せていた。「自分も段々と考え方が変わってきました。先輩は本当に型にはまらず自由ですね。先輩のやっている事いいですよね」という。イデオロギー論争に明け暮れる学生の面影がまだ残っていた3年前と違っている。

私は彼に答えた:平和は相手を誹って得られるものではないよ。誹る心自体が平和とは遠い。平和を獲得するためには、まずは自分自身の心が平和じゃなければならない。誹るより、周りの人達と仲良く生きる事がそのまま平和を創ると思うよ。ーー彼はただ頷いていた。そして、下を向いたままつつましく言う、「(私が現在所属している)XXX会と同じようにこの会にも出て下さい」。

皆、心の奥では垣根を超えた自分でいたいのだろう。誹りの言葉のずっと深いところで、素直な自分は言っているんだね、「皆と仲良くしたい」。

素直になる事は何と難しい事だろうか。でもそれ以前に、素直な自分の心に気がつく事が難しいのだろう。そこなんだなぁ、そこからなんだなぁ。すべてが。






















 
 




東京オリンピック 2013/9/8


2020年のオリンピック、開催都市が東京と決まった。56年ぶりだという。そう、56年前のあの頃、まだとても小さかった私達世代。オリンピックをこの国土の首都で行われる事がすごい事なのだという認識もないから感慨もなかった。しかし今は嬉しい。これから2020年まで、日本は明るさとあの時のような右肩上がりの心と実態を取り戻す可能性を期待してしまう。

見に行こう、サッカーを。ちょっと奮発してできるだけ選手のエネルギーが肌で感じられる席を買おう。






秋風に乗ってソロライブ  2013/9/9

此処2日間床に入るのが未明の3時過ぎだった。人間の体の部分で起きている時に最もよく使われるのは眼なんだ、と気が付いた。身体は動いていなくとも眼だけはいつも何かを見ている。最近は眼が限界を先に訴える。あまり疲れさせてはいけないと、夕方にはマッサージに行き早めに8時過ぎに寝た。すると逆に未明の3時前に起きてしまった。ベランダに出るとほんのり涼しい風が心地よく肌に触れる。秋なんだなぁ。夏がその最後の深呼吸で吐き出した36.9度の暑さが今年中に戻る事は無いのだろう。

まだライブの準備をしていない。歌作りをしていた。前回のライブ以後2曲完成したが、タイトルは「遊戲三昧(ゆげざんまい)」と「ママ、どうしよう」。「ママ、どうしよう」にはピアニストの西さんがJuzzyなアレンジを加えてくれた。全く予想だにしていなかったこのアレンジに、「わたし、歌えるかなぁ」と肌に馴染ませるまでの歌い込みの日々が想像される。この歌は、「ああ、春爛漫」同様、”おもしろい”という類になるのかもしれない。絶対退屈しない歌だろう(じゃ、なに、あなた、これまで退屈するような歌を書いてきたの?という訳ではないのだけれど、まじめな歌を書いてきたかな)。

オリジナル曲の数は17曲に達した。年々増えているが、作れるものなんだなぁと、思う。

今回のソロライブは9月30日(月曜日)。ピアノはまた西直樹さんが演奏して下さる事に。キャリアの浅い私にお付き合いくださり恐縮しているが、西さん曰く、「(私のステージは)面白い。」そう言えば彼はお客と一緒によく笑っている。ときには率先して。

Youtubeに掲載している歌は1曲のオリジナルを除いてシャンソンや歌謡曲だが、昨日久々に自分の歌を聴いた。色々思う事があり、少し歌い方を変えてこのような”ねっとりした”歌も取り入れてもいいかも知れないと思った。

9月30日、19:30開演(19:00開場)池之端QUI

どうぞスケジュール帳に入れて置いて下さいね。



   

音への美意識 2013/9/14

上でも繰り返し書いているが、今歌作りが大変面白い。歌と言っても作曲が中心である、つまり歌詞が入っておらず曲だけ。「私は歌詞があってはじめて曲がでてくる」と言い張っていた頃、そんな作業は私の能力を超えていると思っていた。 

コードを勉強するよう痛いほどに私の自尊心を突っついたインストラクター。その太いドラム缶のサイズと形をした身体、それは、容易に見過ごせる間口の細い新宿の雑居ビルの階段をどうやって上がっているのだろうと好奇心を揺する。その上に付いて眼鏡を外した時に顕れるイケメン、ドキッとする事もあった(笑)。30代半ばだろう。音楽大学に行っていないが、家族そろって音楽好きで子供のころからピアノを弾いていたそうだ。わたしは彼に信頼を寄せている。 

人には沿うてみよう。腰を据えてクラスを取り直した。毎回コードに合わせたメロディー作りの宿題が渡されるが、コードに合っていればいいのだと、バイエルの練習曲のようなメロディーを作っていた。ある時、少し焦りを滲ませたような声で「2小節でひとつのフレーズができるのですが・・・」と、インストラクターが頬を赤らめて顔をそむけた。ん?そうか、この練習にも歌として使えるようなメロディーを書くんだぁ。初めからはっきり言うえばいいのにと思うのだが(「あたりまえでしょう、歌の作曲クラスだから」、とも言えるが)、とにかくそこから私の宿題の答えは変わって行った。自分で言うのもなんだが、きれいだったり面白いメロディーが生まれて来る。音の素人の私からこんな素敵な旋律が生まれるなんて、と時には不思議に思う事もある。「ここの旋律、色気がありますね」「ここの初めのところ、綺麗ですね、個人的に好きですね」、うっとりした眼と共にインストラクターの口からそんなコメントが漏れる。

このインストラクターが良いのは、おもしろいかどうかも彼の評価基準にあること。それが私を安心させるし、最近ははっきりモノを言うようになった。社交辞令よりも、正直な言葉を求めている事が伝わったのだろう、「おさまりが良すぎる」「平凡」などなど。そして私も食いつく、「同感だけれど、それを平凡で無くするにはどうすればよいか。」彼がほんの少しリズムを変える。な~るほど。
 

私には言葉に対しては平均以上の美意識があると自負しているが、音となると、天に頼りっぱなし。コードの中にメロディーを入れる作業の場合、良い音を見つけるまで時間がかかる時がある。と同時に、コードの制約がなければ決して生まれなかったであろう、魅力的な音も生まれる。

「わたし、随分上達したでしょう?」「えっ、じょたつ?」「ううん、上達。いいメロディーを書くようになったでしょう」深くうなずいて「え~え、最初は練習曲みたいでしたから」(笑)。

もう一つの歌が今夜完成する。My Love。1時間前にアレンジャーの西さんの手に送られた。

   




ロックンロール? 2013/9/16

昨日は岐阜ライブに備えてピアニストの山白恭二さん宅で音合わせ。「ママ、どうしよう」のリズムはなんと言いましたかね、と言うんでアレンジャーの西さんに訊いてみた。「ロックンロール。」

嬉しくて、心の中ですっごく喜んじゃいました。ロックンロールは、そりゃ~、歌ってみたいですもの。「ママ、どうしよう」はミュージカルのナンバーのように芝居をしながら歌える。山白さんはシャンソンの演奏が中心だから、この手の曲は余り演奏しないが、やはりベテラン。西さんが作って下さったカラオケを聴きながら、完璧に演奏。

この歌詞を音楽関係者に見せると、「めっちゃ中学生ですね」と予想外の作詞に目を丸くしてびっくりしていた。ふと湧いてふと作った歌。こう言う歌が良いのだろう。詞と曲がぴったりと合う。森昌子の「先生」とは全く違うキャラです。あっかるい!

もう一つ、MY Loveも、テンポを変えただけで大変大人の歌になった。しみじみと感情の色が出る。詞が良いね、と西さんが言う。泣ける歌かな。

これらの歌の披露を大変待っている人がいるようだ。誰かって?アレンジャー兼ピアニストの西直樹(笑)。自分のライブの演奏をしてくれる人がアレンジャーである事、すごくいいと思う。私の歌の特徴というのを知っているから、提案をしてくれるし、好き勝手にアレンジをしそれを私が歌うのを楽しんでくれるし、リハの時の説明も要らない。

何ものかも知らずに遭遇し、音楽の道で素人の私に付き合ってくれている。「えっ?!西さんが伴奏してくれているの?!。すごいじゃない!」・・・人間は一人一人が磁石を持っていると言う。バイ菌でも幸福でも全て自分が引き寄せるらしい。インフルエンザが流行していても、かかる人とかからぬ人がいるのもそのためだと。西さんとの遭遇の機会を与えられた事に感謝、合掌。
 















 





先輩には甘えなさい 2013/9/17

ソロライブを池之端QUIでするようになり、会場が小さい事もあって、これまで歌を聴きに来て下さるよう個人的に声をかける事は殆どなかった。一斉配信のメールとメールアドレスを持たない数人への、その気になった時の、ファックス送信だけ。個人的に声をかける事は、よほど親しい関係でない限り、相手の負担になると思い、いつかまたやるであろう大きなイベントの時まで貯金しておこうと思っていた。

ある日懐かしい先輩から電話があり、ライブ状況を訊かれた。わたしがまだやっていると告げると、なぜ知らせてくれないのかと残念がっておられる。それは社交辞令かとやはり遠慮し、今はそんなに来て頂かなくともいいと、やはり連絡をしないでいると、「先輩には甘えなさい」と言ってくれる。お知らせが無いのは淋しいよと。

お誘いするのって、結構エネルギーがいる。毎回そのエネルギーを使うって、はっきり言って、しんどい。だから進んで聴きに行こうと思って下さる人に来て頂ければいいと考えていた。一斉配信メールでまだ一度も来ていないけれど「行くよ」と言って下さる人達もいらっしゃるから、それを待っていたら良いとも思ったが、それではいかんと考えなおした。

お誘いできないのは、やはり私自身が自分の柵を乗り越えられていないのね。よくお会いする機会があって親交を深めていれば、自由に来られるけれども、そうでない方々は、やはり何かのきっかけがなければ、腰を上げない。腰を上げる理由がない。

それで今回は懐かしい方々数人に連絡をしてみた。ほとんどが「了解」「検討する」と言って下さる。声がかかるのを待っていて下さったような気さえする。そうなんだぁ・・・ありがたい。

その先輩が言う、去った人を追いかけてはいけないよ。でも連絡を待っている人もいるんだよ。よし!(笑)







化粧をしたわたし 2013/9/20

化粧をしたあなたと、していないあなた、どちらが本当のあなたですか。

どちらも本当の私ですと答えたいけれど、よく考えると、ちがう。歳を取ると、きっと男女関係なく、恐らく誰もが経験することだと思う、何気なく見た鏡に映る自分の顔。「うそ、これ、わたし?」時にはしみじみとその顔を見てしまう。まるで他人がそちらにいるような気さえする。心の中ではまだまだこれからいろいろな事ができそうな若々しい自分がいるのに。何十年も先のどなた様のお顔だか、じっとこちらを見ている。歳を取ったら鏡は見ない方がいいと言ったのは川柳作家の時実新子。自分の顔に心が萎えてしまうもの。 
 

今読んでいる阿久悠の書いた長編小説「恋歌ふたたび」のなかで、化粧をした時の顔が本当の自分だと思う30代の女性がいる。四六時中、心で想っている自分、それは輝いている自分なのかもしれないし、まだまだ恋の出来る色気を持つ自分かもしれない。その自分表現を手伝ってくれる化粧、化粧をした自分が”本当の”自分なのだ。厚化粧をする訳でもなく、ステージメイクのように赤や青で彩色する訳でもない、薄らのせただけの化粧だがノーメイクの顔とは違う。生き生きと日常に期待を持つ(持てるようになる?)。  

“本当”ってなんだろう。本人が心で深く信じ切ったものが本当なのではないだろうか。“本当”という言葉に近いものに“自然”と言う言葉もある。“自然にね”と言って他(ひと)を諭そうとする人もいる。年月と共に朽ちて行く身体に心を添わせて、“歳相応に”無理やり世間のあるようなないような定義に押し込む事が自然なのか?違うような気がする。

自然とは外界に合わせる事ではなくて、自分の心の中で湧き上がる自分の命の勢いに添わせる事じゃないだろうか。 

 持たされている命の勢いはそれぞれ違うから、どれくらいの分量が自然か本当かというのも、個々の心が自分に語るのだろう。

「顔は他(ひと)のためにあるんですよ」とびっくりするような事を言った人がいた。自分の顔を見ている時は一日数回の鏡の前だけ。後の時間、自分の顔を見ているのは自分以外の他者だ。なるほど。本当の自分を知っている自分だけの空間では化粧も要らないかもしれないが、”本当”の自分を他者に知ってもらえるかもしれない期待から、おそらく、女たちは化粧をするのだろう。





なんとも~ 2013/9/20





   うううう。。。。もうちょっとなんだよなぁ。この壁がなければいいのに・・・





















                阿久悠作「恋歌ふたたび」から 2013/9/21

「・・・・さて、私は、冒頭にも書いたように、神戸のホテルにいます。もちろん一人です。色々あった酷暑の夏、ここから先、気分としては迷子になりたいと思い、そんならどこが良いかと考えたら、甲子園球場で高校野球の渦に生まれる、それ以上の迷子感覚は無いだろうと思えたのです。48試合全部を炎天の内野席で見る事にしています。朦朧とする事でしょう。短歌を一つ、私のために作って下さい。今それ以上は言いません」・・・・・

・・・・ユリエは甲子園の決勝戦に行く。9回の満塁ホームランの瞬間、たった一人こちらを向いている男がいた。それが鵜ノ木周平だった。

~~~~~~

はぁ~、心の中にため息を吐き、そして素敵なエンディングに笑みを浮かべて、本を閉じた。すてきな男だなぁ、でも56歳の男と26歳の女、それが気に入らない。でもす・て・き。

この本の初版は1995年だが、私は読んだばかり。とても面白かった。さりげない笑いもあり、実に素敵だった。最近は色々な小説や随筆を読みあさっていると言う感じだが、「素敵」という言葉が感想として出てきた最初の本かも。

天下の作詞家である主人公の鵜ノ木周平は55歳の誕生日を迎えた事を機に、今までの成果やそれによって得た居心地のいい場所で少しづつ老いて行くよりも、完全に自由になってギクシャクしながらあらためて生きてみたいと仕事も財産も家族も全て捨て、家族に見送られながら家を出る。
 

それはある日、ひとつのテレビドラマの中の風景映像に映し出された海辺でカモメに餌をやる醜い老婆を見た時から計画し始めたことだった。その老婆は、周平が20才を少し過ぎた時に住んでいた共同トイレの狭いアパートの向かいの部屋に住む医学部志望生のところに逃避行していた天才少女歌手のいずこしずこでもいいのに、音が殆ど同じだもの。笑)であった。まだ49歳のいずこだが、テレビ画面に映されたその姿は60も過ぎた老婆。しかし周平には、それが直ぐにいずこだと分かった。いずこの逃避行中、医大志望生がいない時は周平の部屋で二人は体を重ね合っていた。それはわずか1カ月余りの時間だったが、周平には強烈な思い出として残っている。

周平はいずこのいる場所を探し、駿河湾が眺望できる場所に家を借りる。そこで、いずこの体の隅々の細胞が再び女として活性化するように、彼女のためにだけ恋歌を書き続ける。「一緒に生きてくれないかい、何なら一緒に死んでもいい」、いずこの身体の中に残り火のように消えゆく女が徐々に艶やかに妖しく色づき始める、「もうちょっと待ってね、もうちょっとね。」そして完全に再生された時、二人の蜜月は終わる。恋歌の力を一人の女の中に確認しながら。
 

そして・・・

と物語は続くのだが、自分を一途に慕ういずこの娘、高校教師のユリエが卒業式の時に一瞬の出来事で身ごもった子供を、いずこの依頼で法的認知をする。「ただ、愛し合い、尊敬し合い、感謝し合う生活」を希望するユリエに対し、「結婚はしないよ」「いいんです、ただ一緒にいて下されば」とそんな生活もいいかも知れないと共に暮らし始める。しかし、ユリエの短歌は、
 

        思うより激しさもあり淫らさも

         うわべでただの女と思うな 

と詠み、周平に見られるように置いておく。眉をひそめる周平、「何処までが誇張なのだ」と訊ねる。やがてマスコミに追いかけられ、自分とユリエを守るため、一人身を隠すが、消息の無いまま幾月も時が流れたある日、周平からの分厚い手紙がユリエに届く。それが冒頭のくだり。 

阿久悠と主人公の鵜ノ木周平、どちらも天下の作詞家。当然重なりますが、あの強面の阿久悠って素敵な人だったのだろうなぁと、もう逝かれてしまった人に、ちょっとばかり恋慕。





歌の意義?2013/9/22

上のブログに書いた阿久悠作「恋歌ふたたび」の中には、主人公の鵜ノ木周平を通して当時の歌に対する作家の意見が発言されている。

~~~~

歌に絶望はしていないが、歌の状況は必ずしも素晴らしいものではない。・・・・歌は空気中を流れなくなり、まるで体内に点滴するように流しこむようになってしまった事。さらに、歌を密室に持ち込む習慣が生まれて、本来歌が特性として持っていた社会や時代の中を泳ぎまわり、いくらかのメッセージや、幾つかの啓蒙をばらまく事ができなくなったのは、致命傷に思える。

歌は歌、歌以上のものではないという考え方もあるだろうが、私は、歌だからこそ、芸事を超えた社会の風、時代の無意識の証明、そう言うものであってほしい。

~~~~
偶然だが、この小説を読み終わった後に、今月末岐阜ライブに来られる方から、中島みゆきの歌「化粧」について話があった。それでYoutubeでその曲を聴いてると、なんとも・・・まさに「体内に点滴するように流しこむ。。。密室に持ち込んだ」歌なのである。もちろんこう言う歌に波長が合う時が人生のある一点で存在したが、今では、・・・・(@_@;)。もちろん中島みゆき自身も今ではこのような歌を書かないようだ。心の置きどころが変わったのだろう。

私の作る歌の世界、おそらく、「化粧」に描かれている感情は通過し、その後の世界だろう。「化粧」の世界に自分を浸らせている人達へのメッセージが盛り込まれている。それは作った後に気が付いた事だが。

そんなところからまた新しい歌が生まれそう。「悲しい歌はじきに終わります、彼女も今では歌っていません(笑)」(暫定タイトル)。これ、別に悲しい歌を批判している訳では無くて、悲しみにも終わりがあるよ、いずれ悲しい歌は似合わないあなたになるのよと言う事なんです。( ^)o(^ )







岐阜ライブ準備万端 2013/9/23

岐阜ライブにお出で下さる皆様、準備万端整いました。当日を存分に楽しんで下さいませ。本日午前中に当日演奏をして下さるピアニストの山白恭二さんと最終打ち合わせをし、すっごく良いステージを届けられると自信に溢れております(●^o^●)。

この9月に生まれたばかりの自作曲3曲を一番早く聴いて頂く事になりますが、3つとも実に魅力的な歌に仕上がりました。森昌子の「先生」とはまるで違う超明るく可愛い、ああ、私もあんな気持だったと昔を思い出させる初恋の歌「ママ、どうしよう」、宇宙から覗いた人間の営みや迷い心に囚われない世界を歌った「遊戲三昧(ゆげざんまい)」、そしてアレンジャー兼私の定期ライブピアニストを務めて下さいます名ピアニスト西直樹の勝手な判断でテンポを遅くして出来上がり、なんともしっとりした大人の歌になった「My Love」。 

もう今からワクワクしております。皆様にお逢いできます事、とてもとても楽しみにしております。しずこ






芸術はエロだ!2013/9/23

これは、クラシック作曲家の三枝成彰の自論でありまして、私の言葉ではありません。三枝先生には2011年の六本木スイートベイジルでのリサイタルにお越しいただいている。私のために来て下さったわけではなく、彼が団長を務める六本木男声合唱団の団員が私のコーラスとして出ていたので、彼らの応援に来られた。その先生とはFACEBOOK友達になっている。そのFBでの彼の投稿に度肝を抜く時がある。SMゲーム中の女を描いた絵がお好みのようだ。そして今回は、「芸術はエロだ!」発言。SMの中の女の絵を紹介した時は、丁度昨年の夏イタリアにいた時で、日本語文字機能の無いホテルのパソコンからコメントを出したが、先生は英語がお得意なのかどうか。しかし今回は、

「芸術は決してエロだけではないけれども、先生がエロがお好きだと言う事ですね。はっきり言っちゃいました、ほほほ。面白いです」とコメントを書いた。これではちょっと困ったかなぁと思い、「追伸:でも、エロに興味無い男は、やはりつまらないですね。心くすぐられない。男はずっと持っていただかなれば、女が女として存在し続ける意味も薄くなりますね。」と書いたら、「いいね」と反応。私は彼のオペラ入門書のようなものを読んだ事がある。その中で時々見せる、素の顔。とても魅かれた。ぶらないし、時にはインテリの批評家をやんわり揶揄する。FBでは、これ以上の事は「才能ある方々にやってもらいます」とも言う。気取りもしないし、背伸びもしないようだ。自分をそのまま受け入れている。

三枝さんのエロ発言に影響された訳ではないが、一つ作って見たい歌がある。私が歌っているシャンソンの中に、男女の濡れ場を歌った「じっとこうして」と言うのがあるが、ピアニストの西さんから強く勧められてテンポを半分程に落してじっとり歌った事がある。その時に来ていた大学同期の仲間が、この歌を賞賛し、この種の歌を歌い続ける事を勧めた。それ以来、自分の言葉でこのような歌を作れないかと思っている。まだ何も始めていないが、想いだけがある。

だが、もしかすると、その手の歌は男が作った方が良いのかもしれない。

   




















































大丈夫かな 2013/9/25

声帯は筋肉の上に粘膜が覆いかぶさっているらしい。筋肉だと言う事はよく分かる。8月はお盆以降あちらこちらに出かけていたり風邪をひいていたりしたものだから、家で歌の練習をする事が殆どなかった。咳もようやく収まり、凡そ1カ月のブランクの後、岐阜ラライブ用に選んだ全曲を一気に歌い色々と声を出すと、御あいさつのトークでは声がかすれてしまう。歌ではかすれないけれど、普通の話でかすれて来る。発声が違うからだろう。筋肉痛と同じだなぁと改めて思う。筋肉痛の時は、休めるより動かした方が良いので、めげず翌日も全曲歌いトークも全て入れてみると、段々とかすれ声が消えて、平常の声に戻って来た。今日だけは休んで、又明日軽く歌いその翌日の本番に備える。岐阜ライブに来られる方々が既にFACEBOOKで友達申請をして来て下さる。当日を大変楽しみにして下さっているようで、嬉しい。

ライブ当日は色々と気配る事があるが、中でも、リハ時以外は声を出さないよう気を付ける。本番前に会場での音出しがあったりするので、終わるとステージ2回分の歌を歌った事になる。そのため、取り決めなどの話はできるだけ当日前にする。これも何度もライブの回数を重ねながら、学んで来た事。本番にも今はほとんど特別な緊張も無くなったが、これも池之端QUI定期ライブに来て下さる方々のお陰だ。あそこで私は自分自身と芸を実に磨かせて頂いている。そこで毎回手を抜かずきちんとやっているので、他に出演する時も必要以上の緊張が無い。本当にありがたい。

だからライブに関しては大丈夫だけれども、歌がどんどん生まれる事、生まれすぎる事に、大丈夫かなと思ってしまう。余りにもすいすい生まれるので、アレンジが追いついてこれないようだ。私自身も今月3曲完成し(その内の2曲の作詞作曲は7月に完成しているが、アレンジに時間が当てられず2カ月後の完成となった)、今年は既に7曲書いているので11月の最後のライブまでは一休みしようかと思っていた。11月のライブはコーラスとギターも入れるので、リハーサルを何度かしなければならない。しかし、何かがきっかけでどんどん歌が生まれる。阿久悠の言葉を借りれば、才の在庫はいかほどかと(「何を生意気な事を言っているの、始まったばかりなのに」「それは分かるんですが、この勢いに本人が少しばかりたじたじになっているんです」)。でもそんな事は自分が確認できる訳ではなく、本当に全て神様が判断して下さる。私が書かなければならないと判断されれば、どんどんインスピレーションや切っ掛けを下さるだろうし、もうお休みなさいと指令が出れば休むことになる。

上での三枝さんの「芸術はエロだ!」発言に腰を上げ、私も昨日、実は、もう歌詞を書いてしまった。書こうと思えばかけるんだなぁ、曲を付けようと思えば付けられるんだなぁと、苦もなくやっている。これをアレンジャーに渡すのが恥ずかしかった。渡さないことには作品は出来ないからどこかで見てもらわなければならない(「遊戲三昧」の心持にならなければいけないのだよ、はい)。曲付けは専門家にお願いしたい気もする。

「ママ、どうしよう」のロックンロールのリズムに乗った中学生の初恋から、突如熟女の世界を書く。こんな面白い仕事を頂いた事に、うきうきと感謝が込みあがってくる。

(^v^)話は全然変わり、球団の楽天、どんべが今はトップじゃないですか。もちろん徐々に進化して来たのでしょうけれど、監督が変わるとこんなに変わるの?!でももちろん監督だけではない、日本ハム、どうしちゃったの。トップがどんべに!(@_@;)






岐阜の皆様ありがとうございます 2013/9/28

大変温かいおもてなしを頂き、岐阜ライブが終わった。凡そ60人ほどが集まった日本料理店でのライブ。岐阜と言う山岳地帯に相応しく木材を使った太くごっついテーブルや椅子。その隅にステージが設けられ、ステージの上には白いピアノ、ベーゼンドルファーが置かれてある。これはオーストラリアで製造されヨーロッパの王室などに収められる名器で、日本ではレコーディング用に使われたりするらしい。日本に存在する数は2ケタもなく、ピアニストにとってはこのピアノに触れるのは喜びであるようだ。

主催者とそのスタッフの方々の細かい気配りの中で、必要以上の緊張もなく、笑いあり、すすり泣きありの2時間弱に及ぶ”出向”ライブとなったが、ここでもやはり「今のわたし宝石です」に人気が集まる。この曲には年齢を超えた喜びがあるようだ。今月生まれた3曲それぞれに複数の方々が「ああ、XXXが良かった」と好感を表して下さった。最近は自作曲も多くなり、どれを持って行こうかと幸せな悩みを抱える。

後日主催者が、70~80代の方々が私のシャンソン「再会」にかなり感銘していると伝えて来られた。それでシャンソンを決して切り捨てない方が良いと。

シャンソンを捨てるつもりは全くない。私のシャンソンをこよなく愛して下さった方々がいた事からも、これも私の強みである事を本人は自覚している。これからもジャンルに拘らず、私が歌いたいと思う歌、お客様が私から聴きたいと思う歌などを色々集めながら、やはり今までどおりのスタンスでライブを運んで行こうと思う。しずこのライブの飽きないところは、自作の歌も歌えば、シャンソンも歌うし、演歌や歌謡曲、都々逸、そしてホイットニーやダイアナ・ロスなどのR&Bも歌うと言う事だと思う。形に囚われず、私も喜びお客様も喜ぶものを歌って行く。それらを歌えると言うのも、もしかしたら、私の強みなのかもしれない。異なる好みをお持ちの方々が、1曲でも私の歌から好きなものを見つけて下されば、それで互いに共感し合えたのではないかと思う。

此処でも多くの方々がCDやDVDをお買い求め下さった。そこにやはり皆さまの感動を確認させて頂いたし、FACEBOOKでは既にお友達になった方々から感動のメッセージが届いていた。

お招きくださいました事、心地よい環境をお作り下さった事、感動し喜んで下さった事、CDやDVDを沢山お買い求め下さった事、何よりもなによりもステージに立つ私に沢山の愛をそそいで下さった事、心より感謝申し上げます。ありがとうございます。

   



定期ライブにシャンソンを増やしてみよう 2013/9/28


岐阜ライブで頂いたお客さまからのコメントもあり、9月のライブではシャンソンを2曲入れようと思う。それに9月に誕生した自作曲3曲と前回6月ライブの選曲を織り交ぜる。岐阜ライブでのステージスタイルをお客様が大変気に入られたようなので、これを明後日の定期ライブで御披露しようとも思っている。

今回の定期ライブには私の歌をまだ一度も聴いて頂いていない方々数人に声をかけたが、そのほとんどが参加表明をして下さった(条件付きの方もいる)。やはり声はかけるべきなのだと改めて思った。声をかけると言う行為には私からの「愛」の表現がある事に気が付いた。果たして来て下さるのかどうかは開けてみなければ分からないが。

さあ、明日一日は30日のライブに向けた集中取り組み!皆様、またまた楽しい2時間になりますよ!どうぞいらして下さいましね。しずこ







こんな投稿が 2013/9/29

FACEBOOK上でこんな熱い思いを投稿して下さっていた人がいた。岐阜ライブ当日にPA(音響係)をやって下さった方だ。早くから会場に入り、わたしをみると「ああ~とうも、XXXです」とにっこり笑うと直ぐに消えてしまわれた。ピアニストや私の会場入りのキュー(きっかけ)を与える役までお願いしてしまうと、初めての慣れない役に戸惑ってもいらしたが、私とアイ・コンタクトも難しいほど緊張されていたのだろうか、なかなかアイコンタクトができないでいらした。でも本番では、素晴らしい音響を作ってくださり、またキチンとわたしを真正面から見てアイコンタクトも取られていた。彼の労があってお客様にも良いひと時をお届けする事ができた。様々な国の方々と接触する機会の多かった人生の感想として、日本人て本当に良いねぇ、と彼を見ながら思いをそのまま伝えると、照れながら笑いそのまま黙々と仕事をされていた。ああ、ありがとうございます。
~~~~~~
 シャンソン歌手と言えば 高英男 越路吹雪 石井好子 芦野宏 丸山明宏 シャルルアズナブール イブモンタン くらいが浮かんでくる。 この中ではアズナブールが一番好きだ。

 シャンソンは“演劇” 唄うというより演じるといった方が近いか。唄い手は背景に常に“人生”を背負っている。演じない歌手…唄わないピエロ…どちらもシャンソンとは言えない。

 谷村新司も、中島みゆきも 偉大なシンガーソングライターであるけど、その前にたぐいまれなシャンソン歌手でもあると思う。
...
 早稲田で演劇を専攻し、UCLAで舞踏を学び、シャンソンからシンガーソングライターへと昇華した一人の歌手にまもなく出会えそうです。


しずこ この人に出会うのを今から待ちきれないくらい楽しみにしています。



   


ソロライブ#7終了 2013/10/1

秋の空気が軽い。昨夕のライブはいつもと違っていた。何とも良い雰囲気だった。いつか私のライブをこんなところまで持って行きたいと漠然と思っていたところに片足の指を突っ込めた気がする。とてもとても自然で気負いがなく、笑いがあり、しんみりもありという、素のステージが創られたように思う。

毎回来て下さる大学地区OBゴルフ会の先輩達(少しの義理は混じりながらも本当に楽しみにされているよう)を始め、5年前に私が初めてリサイタルを決行した時の提案者でありサポーターであられた方も数年ぶりにお嬢様と一緒に来て下さった。そして六本木STB、南青山マンダラでのリサイタル時にバックコーラスとして出演して下さった音楽仲間も2年ぶりに同僚と一緒に来られた。島根県から参加して下さった友人も含め、店の空間に程良い人数が集まった。

ステージでは私の自作曲に対し「しずこさんは(すばらしい?すぐれた?こんな形容詞だ...ったっけ?)メロディーメーカーだ」と持ちあげてくれた大御所の西さんの言葉が嬉しかった。

終了と共に普段なら直ぐに帰宅する私も、西さんやコーラス仲間およびその同僚と遅くまでよもやま話。もっと互いを知り合えたとてもとても嬉しい夜だった。感謝。

今朝感謝メールに返信下さった大学OB会の先輩が「ライブらしくなった」と言われた。自分が感じるものは他(ひと)も感じるんだなぁ。皆さんここまで育てて下さってありがとうございます。ゴルフのグリーンの真ん中にある旗が遠くから見えて来ました。





  早々ですが 2013/10/1

今年最後のソロライブとなる11月30日(土)は上記六本木男声合唱団員スダッチ(須田宏一)のコーラスとギターを入れた特別なライブをお届けします。私の出し物も特別です。これはチケット制になっておりまして、これまでの金額よりも200円余り高くなりますが、その分はライブの内容と御つまみの内容で十分にお返しできると今から確信しております。どうぞ、いい按配に味の濃い実に楽しい時間を過ごしにお出で下さいませ。
   




小朝再び 2013/10/7

昨日、区民会館で開催された小朝の落語を再び観に/聴きに行った。すごい!力を得るし、大胆な想いだが、私も彼の芸の近くまでいつか行こうとも想う。だが、もし私にその時が来るなら、それは私がひたすらああなると努力して成し得るのではないと言う事を私は知っている。時期が来た時に「あれ?!」と自分でも気がつく。風のようにやってくる。無意識の世界を磨いていると、それが意識界に現れて気付かせてくれる。それが私のやり方のように思う。





またまた新曲 2013/10/7

おもしろい歌が生まれそう。作詞作曲の段階は終わったが、アレンジが終わるまで時間がかかるかも。その一つが「遠い昔に逢いました」。これは輪廻転生を歌ったものかな。初めて逢ったのに、なぜか懐かしい感じのする人、どこかで逢ったような気がする人、その人と話しているとEffortless(努力も要らず)で自然な空気が漂う。そんな人っていますよね。そんな人に逢った時を歌にしました。

もう一つは、「悲しい歌はじきに終わります 彼女も今では歌いません」。タイトルが長いのですが、この中で言われている“彼女”って誰だろうと聴いている人が思う。それはメロディーを聴いて頂いて察して頂く。が、メロディーに二つのバージョンができたので、どちらを選択するかは、二人の音楽専門家と相談して決める事になります。悲しみにも終わりがある、「だから。。。」最後の部分は皆さんと一緒に歌えるような乗りのいいメロディーで閉められる。わりと自分でも気に入っています。

そしてもう一つは、昨日ほんの少し触ったもので、暫定タイトルは「無題」。これは、9月23日のブログで書いた曲。西さんがやんわりと作曲を断って来た。この詞を読んだとき、彼はきっとびっくりこけたのだと思う。男と女の濡れ場のシーンを歌ったものだから、「この人どうしちゃったの」と思ったのじゃないかと、彼からのメール返信が全くないので、勝手に想像して大笑いをしていた。先日ライブでは「読んでない、読んでない、見てない、見てない」を連発していたけれど、嘘がばればれ。きっとあのようなものを読まされてどう対応したら良いか分からなかったのね(「オレ、あの詞に曲なんてとても付けられないよ」と思ったのかも、あはは)。そんな事を友人と語っていたら「大人ね」と彼の事を褒めていた。で、私が自分で作る事になった(^v^)。以前に「色っぽい」と言われた自作のメロディーがあるのでそれを応用したらできそう。

そう言えば、9月に出来上がって来た3曲、「ママ、どうしよう」、「遊戲三昧」、「My Love」は岐阜でも池之端でも好評だった。

私のオリジナル曲も、今年中に20曲を超える勢い。曲はふと口から出て来る。神様が使いなさいと言って下さっているのだろう。はい、使わせて頂きます。ありがとうございます。





「無題」 2013/10/7

以前に譜面に起して置いた曲が、なんとも上で話した「無題」に良く合い、少しの調整をして出来上がった。なんだか気恥かしい。人前で歌えるかしら。(@_@;)






若大将になるために生まれた 2013/10/9

NHKのBSだったと思う、加山雄三と80歳でエベレストに登頂したという三浦雄一郎のトークが数ヶ月前にあった。そこで、「俺は若大将になるために生まれて来たと思う」と加山雄三が言った。この話をある男性に転送すると「自惚れているなぁ」と言う。大変若い時にこの言葉を聞いていたら私も同じように反応していたかも知れない。

今や「私」と言うものも客観視できるようになった目には、加山雄三がどの立ち位置からその言葉を舌に乗せたのか分かるような気がする。しずこの2012年のブログかそれ以前のどこかで、それぞれの人間は「私」と言うのは持たされているのであって、決して自分で選んでいないと書いたと思う。それぞれの人間はある特徴を持ってこの世に出現させられている。その特徴を人のため、世のために生かす事が人間が生まれる意義なのかもしれないと最近思っている。

「俺は嫌な奴がいると、どうやってそいつを好きになるか考えるんだよ」と彼は続けた。人間は自分を好いてくれる人は好きだ。だから嫌だと思った人でも好きになれば相手もこちらを好きになる。敵を作らないと言うのだろう。加山雄三にとっては、それは持って生まれた資質で苦もなく努力もあまり要らず自然にできるのだと思う。その資質に若大将に相応しい風貌と知性と才能と育ちも加わる。彼はそれらを選んで生まれてはいないが、持たされて生まれそれを生かしさらに磨いて来たのだろう。磨いてきたからこそ、その前向きな生き方は正に若大将の名に相応しい。持たされたものをさらに磨くか、宝の持ち腐れにするかは、意識レベルの「私」次第である。

自己実現と言う言葉があるが、これは本来持たされた特徴を精一杯生かす事なのかもしれない。それぞれがそれぞれの特徴を持たせられているのだから、人はそれぞれ違ってなければおかしいし、違って当たり前なのだと思う。この「私」を思いっきり生きればまさにそこに美があるはずだ。「私」を外れて誰かの「私」と同じくなろうとしたり、自分の「私」と同じくさせようとするから、妬んだり羨んだり足を引っ張ったりと、心が混乱状態になって行くのだろう。またその対極に立たされたものは、さらに磨きをかけてそのような波動が届かないところまで自分を昇華させるか、自身も対極で同レベルに落ちて心を混乱させて行くか選択をする事になる。これも「私」を進化させたいかどうかがベースになる。

他(人)がどうであろうと、「私」の特徴を生かしきる、そして「私」を広げて行く。その生き方は不思議にも包み隠す事ができないほど全て顔に顕れる。顔は不思議。自分自身よりも他人の方が自分の顔をみる時間が多い。自分自身では知らない自分の顔をみているのは他人。加山雄三は本当にいい顔をしている。私もこの類でいたいと思う。

   



ひとりでどこでも 2013/10/11

ゴルフを月に1,2度やっていた頃は100も目標圏内に入るかもしれないという絵が頭の片隅にぶら下ったが、今では数カ月に一度のプレイになり、成績も初心者モードに戻った。そろそろ退場かなぁと退会したゴルフ会もあったが、退会したくないゴルフ会もある。それでティーチング・プロを付けてラウンドしたら、絶対止める必要のない成績になったようだ(プロの発言)。では、これからはラウンド練習をしようと、ひとりでも参加できる都内のゴルフ場をみつけ、今日行って来た。

よかったぁ~。

ひとり参加の人達が集まってチームを作る。初顔合わせ同士のラウンドに私には全く違和感がない。むしろどんな人と一緒だろうかと好奇心が湧く。本来の性格もあるが、ここ数年行じている瞑想が効果を出しているのだと思う。初めて逢う人と以前から知っている人との間に私の中にはバリアは無く、相手も楽しくできる人か黙々としている限り楽しく過ごせる(自分の成績が悪くて当たり散らす人と一度組んでしまった事があり、その時はなんとも(@_@;))。それでゴルフ場でもいつもの私でおしゃべりしたり笑ったりしていたら、ひとりが突然訊ねる、「お客様商売をしているんですか。どう見ても普通の主婦じゃないですよね。」一瞬詰まった。お客様商売かぁ、ま、確かにそう言われればそうかもしれない。「銀座かどこかで」と付け足されたような気がしたが、そういう商売は私の場合はまずできないだろう。時々先輩達に連れて行かれるバーのママの気配りにため息が出る時がある。ママは無口が良い。私はおしゃべり。いつも何かを感じたり想ったりしているから、それを人に伝えてしまう。だからきっとお客はすぐに逃げる(笑)。

彼がなぜそう言ったのか少し考えて、「ああ、私ね、毎朝瞑想しているので、心が開放されているんですよ。だから初めての方でも普通の友達のようにお話ができるんです」と伝えると「無の境地か・・・」と言いながら会話が更に弾んだ(しずこの一人言:無の境地?ちょっと違うんだけれど・・・いや、待て、かもしれない。。。そこに辿りつくのが、もしかするとこの瞑想の行き先なのかも。・・・えっ、あなた今頃分かったの?)。

別な一人はそのゴルフ場に週に1,2回は来ているらしい。クラブを置いているので、身軽にいつでも来れる。耳よりの話なので、プレイが終わり受付で聞いてみると、ある程度の料金で可能らしい。それならばと、早速持参したクラブを置いて来た。スポーツジムのウサギ小屋で打ち方の練習をしているよりもよほど練習になるように思う。このゴルフ場は昨年改装し、なかなか気持ちよい。

見知らぬ同士が組みになると、ランチ無しのスル―になるらしい。終わってお風呂に入りレストランでビールを一杯。すきっ腹にビールはほろ酔いをさせるのに丁度良い。な~んとも楽しくて嬉しい心地になりました。

思い立った時にひとりで気軽に行ける。クラブは置いてある。ほっほっほ・・・来たぞ、ここまで。
「何でも一人でできるようにならない限り、舞台に立っても絵にならないわよ」そんな言葉を言っていた人がいたっけ。




リハ開始 2013/10/13

昨日、11月30日のコンサートに向けたリハを開始した。友情出演をしてくれるスダッチ(須田宏一)との二人のリハーサルである。ギターやコーラスに入って欲しい曲を5,6曲一通り流した。スダッチは東京工大の学生時代から(もしかすると高校時代?)ギタークラブに所属していたらしく、みごとである。何でも弾いてしまう。あ~あ、私もこの程度に弾けたらなぁと思うが、絶対そのレベルに行かない事を知っている。どうも手作業は得意ではないようだ。ギター個人レッスンを今だに受けているが、一本の指で6弦全部を抑える技は、フレットが変わるともう混乱状態になる。ではそれを懸命に練習しようと言う気にはならない。数回やったら腕も痛くなり、(おそらく)眉間にしわを寄せて終わる(ダハ!)。

やはりコーラスが入ると歌に厚みができる。スダッチのハイ・テノールは格別だ。歌っている私の心が高揚する。いいなぁ。スダッチには本当に感謝。彼との出会いは2010年の南青山マンダラでのリサイタルに遡る。来て下さる方々が池之端QUIに収容しきれない人数になり、マンダラを考えていた時である。あの会場に男声コーラスを入れたらいいなぁとふと思ったが、私の知人でそんな事をしている人はいないし、そんな趣味を持っている友人知人がいるような友達も知らない。すると、3,4日後、私のこの想いが電波に載って伝わったのか、大学の先輩から手紙が届き彼の古希祝賀パーティて歌う事になった。その先輩はクラシックの作曲家三枝成彰氏が団長を務める「六本木男声合唱団」の団員だという。そしてそのパーティ会場には他の団員達が20名ほどいた。その中の一人がスダッチだ。某巨大通信会社の取締役でもあるが、なんと言うつながりか、彼の勤める場所は、私のマンションから目と鼻の先、2分もかからないところだった。そんな利便性が彼の技や様々な特徴にプラスして、私の特別イベントには無くてはならない頼もしい存在になった。

今回の選曲にはビートルズも入る。簡単なところは来場者全員で歌えたらと思う。





 
 


ひとつのフレーズに拘って 「愛のいとなみ」 2013/10/13

タイトルが見つからなかったから一時「無題」とした曲が、歌の内容をそのままを表して「愛のいとなみ」にしようかと思う。先日読んだ阿久悠の小説の中で、阿久悠自身がモデルとも思える主人公の超売れっ子作詞家を慕う若き女性、その彼女が非常にストレートに自分の愛欲を短歌で表現し作詞家が見えるところに置く。大変強烈で何とも心奪われ、その質感をそのまま歌詞に出してみようと思った。作曲を頼もうと思った西さんが返信をよこせない程びっくりした様子なので、そんなに衝撃的なのかと今度は友人の女性に送った。生々しくてドキドキしたと言う。で、彼女の好きな短歌を紹介して来た。それはそれで素敵なのだが。。。

私は意見がぶつかった時には様々な人の意見を訊く。今度は昨日リハをした時にスダッチに聞いてもらった。まず曲が良いと言う。彼はどうも私がこのタイプの歌を歌うのが好きそうだ。彼の表現をそのまま借りれば、「あのエッチな歌」(笑)と言う事になるが、前回のライブでは「じっとこうして」が印象に残ったようだ。この歌のファンが増えた。

いよいよ私の自作の件の詞について感想を伺うと、「ストレートなのでそのままだから、想像をさせない」という(びびびび~ん!)。そう言う事か。この言葉に私は動き始め昨夜から私が言いたい事をできるだけ的確に表す詞を探し続けた。必ず、降って来る、降って来なければ見つけるだろうと信じていた。

見つけた(と、思う)。譜割を変えてどうやら完成したようだ。上の彼女に新しい詞を電話で告げると「そう、しぐさよりもその時の感情を表現して欲しいの」とほっとしたようだ。ドライな言い方だが、唯物的な表現ではダメと言う事だと思う。この彼女がやはりわたしの「じっとこうして」を気に入ってくれた事がきっかけで、ならば自分で作ろうとこの「愛のいとなみ」を書き始めたのだが、なぜだか私は自分が書いた詞を未完のまま彼女に(他に)見せた。初めての事だ。振り返るとこれも啓示だったのかとも思う。

でも人前で歌っていて恥ずかしさが顕れるかもしれない状況を口にすると、スダッチが言う、「こう言う歌を聴いても歌っている本人とは関係なく、こう言う歌なんだという視点から聴きますから、そんなに気にする必要ないですよ」。 あ、そう?ならば、行くぜ!(●^o^●)






コンサート「ここから」の告示 2013/10/14

日時:1130日(土)1930開演(1900開場)
場所:池之端QUI
チケット:6,000円(ワンドリンク、おつまみ、税込) 

ピアニスト:西直樹   ギター、コーラス:須田宏一(某男声合唱団員、友情出演)


2008年、生まれて初めてリサイタルを開催したのがこの場所“池之端QUI”ですが、それから3年後の201112月、「ここで23カ月に一度、定期的にソロライブをやったらどうですか。大変な時もありますけれど、確実に芸が磨かれますよ」とここのマスターから提案されました。それは六本木STB139(スイートベイジル)にソロで出演すると言う夢が実現した5カ月後の事でした。ソロでやるなら大きな会場で年に一回と思っていた私はこの提案に即答できずにいましたが、家に帰りしばらくすると、突然一つの言葉が降りて来ましたー「神様の言葉は人を介して来る」。直ぐに承諾の電話を入れ、それから2年が経ちます。

今では、この提案と私がこの小規模ソロライブを継続できるよう応援して下さった方々に心から感謝しております(内なる声に素直に従った自分自身にも)。声が磨かれ芸が磨かれ沢山の歌を作りそれを共有する事で、 “アーティスト”として育てられたと実感しております。この間に他者主催の出張ライブも500人余りが集まった札幌ライブを始め、岐阜、多摩、都内数か所、群馬と展開され、作った曲もいつの間にか20曲になりました。まさか私が本格的に歌うようになるなんて、まさか私が歌を作るなんて・・・しかし、振り返れば、この池之端QUI5年前に初リサイタルを開いた時から私の周囲で起きた様々な大小の出来事は、私をここに連れて来るように起きていたように思えます。

この2年間のまとめ、そして2008年の初リサイタルからの総まとめをこの会場を提供して下さった池之端QUIのマスターと、直接間接に応援して下さった皆様への感謝を込めてコンサートを企画いたしました。2008年にここから始まったリサイタル、そして今ここから始まるアーティストへの進化。目に見えない力が私に歌を作らせ、他(ひと)とつながる喜びを創って行く、何とも嬉しい仕事を頂きました。皆様と喜びの時間を共有できますよう心から願っております。

なお、このコンサートは前売りチケット制となっております。「出演」欄のメールからお問い合わせください。しずこ

 






 
台風の後で 2013/10/16

午後には雲交じりの青空が広がった。マンションのベランダに立つと、頭上には洗濯されてすっかりきれいになった薄く真っ白な千切れ雲が青空を柔らかくして浮かんでいた。その少し先の方には視野全体に広がるものすごく大きな雲の絨毯、グレーが少し混じった白色だが思いっきり引っ張られてその繊維が露わになったパンの生地のようだった。昨夜床につく前に見た風景が私の中でまだ鮮やかに生きている。闇と暴風音の中に堂々と聳え立つ超高層ビル、そこに取り付けられた灯火が空気中の一番下の断層に取り残された雲が霧吹きされて流れれ消えて行くのを映していた。一夜にしてこの変貌。空には本当に色々な顔や状景がある。青空はやはり人の心を喜ばす。

今日は13時から行事が計画されていたが、台風のために取りやめになったと連絡が入った。ふ~ん、誰が決めるのだろう。私の信頼するウェザーニュースでは午後からは風も弱まるとある。予報通りだったと言うか、予報よりも早くそんな具合になった。それでも「もしも」と言う事だろうか。

この台風でどこかの海辺にサメがあがって来たらしい。サメと言うと獰猛だという印象を持たせられているが、海辺に上がったサメは何とも頼りなさそうだった。何人もの男たちが沖まで連れて行き泳げるようする。サメの恩返しでこの村がずっと安泰でありますように!また被害に遭われて亡くなられた方々もいらっしゃると言う。ご冥福をお祈りいたします。






キャディーバッグを買う 2013/10/18

家からDoor to door で30分強のゴルフ場、河川敷だが練習には実にいい。私のマンションの最寄り駅から13分電車に乗る。降りて7分程公園の中の池の周りを歩くとゴルフ場の玄関。朝早く池の周りを歩くのも気持ちが良い。今日は朝早々から行ってラウンドをして来た。

ユニークなメンバーだった。日本に24年も住んでいると言う北京出身の女性とその友達、もう一人はオーストラリアに20数年住んで日本に帰国したばかりだと言う男性。この男性は実にうまかった。教える時も最も重要な核となる部分を簡潔に教えて下さる。私のプレイを見ていて下さったようで、打つ時は「何か考え事をしちゃダメだよ」と言う。笑ってしまった。私は確かに考えている、「腕を伸ばしたまま、眼はボールを見たまま」等など。それで何も考えずに直ぐに打ったら、ホント、よく飛んだわ
(●^o^●)。

お風呂からあがってロッカールームにいると西洋人の女性が一人入って来た。ゴルフ場で西洋人を見掛けた事がなかったので珍しいと思い声をかけると、日本人と結婚したドイツ人で渋谷区に住んでいるらしい。遊ぶよりもスキル・アップのためにこのゴルフ場に来ているらしく、ひとりで気軽に来られるので自由で良いと、ここに来ている理由を熱心に話す

西洋人の女性の方がやはり独立心が強いのかもしれない。一緒のチームだった中国人の劉さんもこの場所が気に入ったようだが、ひとりでは来られないと私の眼を覘きながら言う。どうも誘って欲しいようだ。それでこの二人の女性達と一緒のプレイを約束した。終ってレストランでビールと食事を頂いていると、ウェイトレスが「お一人で来られているんですか、素敵ですね」と話しかける。なんとなくその感覚が分かる。私も一人で来る自分が好きだ。そんな女性を見たら私もすてきだと思うかもしれない。

ところで、なぜこんなにゴルフをやりだしたのかというと、あはは・・・それはね、来週早々に大学地区OB会のゴルフコンペがあるんです。ちょっと気合が入っているの。あははは・・・なんせ、40のハンディを頂いていますからね、ちょっとスキルアップすれば優勝も夢ではないでしょ。それで、「優勝するには、スコアが・・」なんて考えるんです。でもまだ先の事みたい。だって他の人達も皆ハンディをもらっている訳だから、私のスコアが今より10は下がらない限りちょっと無理ね。

家からこんな近いところにラウンドレッスンできる場所も見つけたし、これならこれからもゴルフを続けられるだろうとキャディバッグを買いに行った。これまで使っていたのは姉のお古。私がゴルフを始めたと言ったら、自分の要らないものをみんな送ってよこした。そのキャディバッグはLacosteで確かにデザインがスマートだが、重たい。きっともっと軽いものがある筈に違いないと今日ビッグカメラに行って来たら、すごく軽いものを見つけた。買ってきて両方の重さを量ったら1~1.5kg違っている。ゴルフに、今のところは、余りデザインは気にしない。実用的なものが良い。

ちょっと楽しくなってきた。





  堀江もん 2013/10/20

今日は雨の中母校の稲門祭に行って来た。稲門祭は卒業生が中心に集まるお祭りで様々な魅力的な出し物が並ぶ。参加したいものが同じ時間に開催される時は悩むが、今日はまさにそんな日だった。森繁久弥生誕100年記念と題して加藤登紀子が出演するのでそちらに行くつもりだったが、田原総一郎が塾長を務める大隈塾で塾長と元ライブドア社長堀江貴文のトークが実現し稲門祭数日前に告示され、そちらに参加した。




 
司会者からの紹介があって入って来た堀江もんは、椅子に座るや否や「写真撮って良いですか」と
 ことわり、演台から聴衆の写真を撮る。ひとつのポーズなのだろうか、会場を直ぐに沸かした。

 左の写真ではかなり痩せてしまったように見えて、私の胸がキュンとしたが、
 入場した姿は元に戻ってふくよかだった。ほっとした。







一言でいうと、すごい!いっぺんに彼のファンになった。思考レベルがすさまじく高い。こう言う人はこういうレベルにいるんだぁと、私などとてもとても話相手にはならないだろうと畏怖の念さえ抱いた。おもしろい話がダムの水のように流れ出る。かつてイーバンクを買収しようと最初に名乗り出たが失敗に終わる。後に続いて色々な会社が買収を試みるがダメ。いよいよイーバンクが疲れて来た頃、楽天の三木谷浩史が買いに出る。「三木谷さんはいつもこのやり方。私が買収を持ちだしてから10年後、10年待てば当然買えますよ。自分はせっかちだと言う事もありますけれど、困難を克服して勝ち取る事に喜びがある」と言う。イーバンクは名を変えて楽天バンクになった。

田原が堀江もんとソフトバンクの社長孫正義を比較し、大変似ていると言う。確かに現在ネット社会を動かしているのは孫正義、三木谷浩史、そしてかつては堀江もんだった。ちなみに孫さんと堀江もんは高校が同じらしいが、孫は卒業せずに高校一年で中退して米国カリフォルニア州立大学バークリー校に移った。全米5本の指に入る大学である。堀江もんは日本の学術最高峰東京大学に進学。考えていた事は実によく似ている。違いは、「資金力が全然違いますから、一時は私もヴォーダフォンを買おうと思った事もありましたけれど、孫さんは人が50億で買収を仕掛けると、100億で来るんですね。将来の発展を見ての事ですが(それなら誰だってできる、と言いたげ)。孫さんと同じ事をしてもつまらない。自分だけにできるものをやらなければ」と返す。

田原が孫さんがヤフーの手数料を全額無料にした事に付いて感想を訊いた。「他の国では既にやっている事です。当面は広告料で賄って行くと言っていますけれど。今はクラウドを使っていますし、サーバの管理料もかなり低額で済みます。これからはvisaやMaster Card等のカード会社や銀行が大変ですよ。あれは今までのレガシーシステムをそのまま使っていますからその管理に非常にお金がかかる。それを手数料を頂いてカバーしようとしている訳なんです。送金手数料などもそうですが、これからはメールアドレスひとつあれば送金できるようになるんです。わざわざ特定の銀行口座に行って相手の口座番号を入力して送金するなんていう事は無くなってきます。手数料を無料にして沢山の人をヤフーに集める。そしてどんどん取引をしてもらい、その取引に対してポイントをもらう。そのポイントを持ってまた買い物をする。つまりポイントがいわゆる貨幣に代わる訳です。これが広まれば国で刷った貨幣よりも価値を生んで行く訳なんです。例えばモンゴルではトゥグルグという通貨がありますが、ホテルでは皆ドルを使います。つまりトゥグルグの実質的貨幣価値は低いんです。」この構想は孫正義以前に持っていたと堀江もんは言う。それが上で述べたイーバンク買収計画につながったらしい。

近鉄バッファローズを買おうとした時もあった。「孫正義も三木谷浩史もそれぞれ球団を買収しようとしたとき、まず球界のトップとなっている読売の渡辺さんのところにスーツにネクタイ姿で行ったんだけど、堀江もんはどうしたの」と田原が訊ねると、「自分は真っすぐ近鉄に行って『買いたい』と言ったんです」「ええっ?!事業をしているんでしょう?!」「ええ、私は青臭いところがあるんです。正面から攻めたい。正面から行かないと後で色々ある。」

話は原発に飛ぶ。堀江もんは脱原発反対派らしい。「原発の話は好きじゃないんですよね。直ぐに喧嘩になるじゃないですか。昨日も友人と3時間くらい話していたんですけれど、やはり喧嘩になるんです・・・脱原発は一つのファッションですよね。皆がこれに乗る。でも、どの化学毒物よりも排出量が少ないんですよね。使用済み燃料を土に埋めるのではなく海に流せばいいんですよ。海の中で拡散し、拡散すれば無くなるんですから。それに原発は無くなるものじゃないでしょう。人間が頭脳を動かしている限り。そもそも元は人間が物質の中を見たくてどんどん開けて行ったら原子が見えて、それがものすごいエネルギーを出すと分かり、そのエネルギーを利用できないかと考えて軍事武器を作っちゃった。それじゃいかん平和利用しようということで発電になったわけでしょう。原子エネルギーを利用して行く事は無くなるもんじゃないです(大体こんな感じ)。(念のため:原発の話に関しては、私の場合、右の話を聞けばなるほど、左の話を聞けばなるほどなんです)

子供の頃の話では、彼は「頭が良すぎた」ので、試験も5分で答えを書けるしいつも100点。しかし田舎では試験で100点取るよりもかけっこで一番の方がよほど喜ばれる。頭がよい事が段々と横眼で見られるようになった。またよく協調性がないとも言われた。自分でも理由が分からなくて自分がいけないと思っていたが、やっと謎が解けた。彼らの話のレベルと自分の話したい事柄が全く違っていた。しかし10年前から自分を責めなくなった、と言う。

会場からの質問もあった。「会社が破たんしてもゼロからやり直すと言うが、債権者に迷惑をかけた事はどうなるのだ」と“ヤジ”ッぽい語調での突っ込みがあった。自分は全ての借金は清算し負債は一切残っていないが、「ゼロで心を一掃して取りかからず、いつまでも罪意識で自分を苦しめているようでは、日本がダメになるんです!」と質問者に負けない強い語気で返す。会場から拍手が沸いた。

最後に田原が質問する。
「今欲しいものは?」
「・・・もてたいですね」
「もてるでしょう!」
「自分が好きな女(ひと)にもてたいじゃないですか」

とても濃い時間を頂いた。「堀江もんを呼ぶとは、さすが早稲田だね」と通りすがりの人が言っていた。かもね。





小雨の中でゴルフ 2013/10/22 

埼玉県比企郡は今朝は小雨で静かに濡れていた。その中を大学地区OB会の仲間とゴルフを楽しんだ。このゴルフ会の先輩達から学ぶものが幾つもある。例えば、誰かが賞を取るとその勝利スピーチでは一緒にプレイした仲間達をひとりひとり称賛する。下手でも一緒に楽しみましょうがスタンスなので、下手でも楽しくプレイができる。もちろん常にスコアの高い人達はいつでも真剣だ。

今日の私のチームは、私のスコアを気遣ってか、これまでの優勝者が二人もいた。安定したプレイでベストスコアを取る人と、少し乱れる事もあるが時に(かなり頻繁)目を見張るプレイをする人だ。私はこの日のためにラウンドを2度周っていたので、ワクワクしながら参加した。大変いいところまで行ったので110台に載るかと思ったが、浮き立つ心の後に来たものはクリークに2度入り、そしてOB、突然バンカーの中で3度叩き(sandたたき?)。あ~あ、今日も120台だわ。しかし、数ヶ月前にティーチングプロを付けて回った事は大変役に立った。グリーンでは3,4、5メートル程のところからパタでボールを入れる事ができた。そんな事が数回あり、プロ並みの先輩から「あねご!」と感嘆の声が漏れた(●^o^●)。

小雨の中のゴルフ、かんかん照りよりもずっといい。心も皮膚も落ち着いているし、なんと言っても空気が気持ちよい。

この会の次回のコンペは来年の3月末だと言う。随分間が空き残念だが、それまで又腕を磨いておきましょう。

そう言えば、安倍首相が金融緩和の話だったか、国会で面白い事を言っていた。
「民主党はバンカーに入れたボールをパタで出そうとしていたが、我々はきちんとサンドイッチで出した」。こんなユーモアのある答弁や質問はいいですね。思わずニタリ。




台風が季節を連れて来る 2013/10/25

台風が来るたびに気温が下がって行くようだ。10月の初旬には真夏日もあったが、前回の台風の後で突然ジャケットを着る人を沢山街中で見かけるようになった。私も夜の外出に冬物のダウンジャケットを取りだした。

しみじみと宇宙の仕組みに感嘆する。建物も大木も吹っ飛ばすような”巨大”な暴風雨がそれまでの大気中の熱や地中の熱を全てさらって行く。そして新しい季節が入場できるよう場所をつくってやる。新しい季節の確かな入場、それには大きなエネルギーが動かんとならんのだろう。本当によくできている。

人間は人間だけを特別扱いにしているが、宇宙から見ると人間も一つの生物にしか過ぎない(しかし創造すると言う偉大な能力を持たされている)。大木も倒れるのだから人間も倒れるのは当然とは思うが、さて、他の動物はどうなのだろう。そういえば、台風で像やライオン、その他の動物が死んだと言う話を聞かない(聞いたことある?)。人間以外の動物は本能的に自分をかくまう場所やすべを知っていてその本能通りに動くのだろう。

台風が別な季節を連れて来る。人生そのものだなぁと思う。ひとつの人生の中で起きた”台風”はその人生に別な季節を持ってくる。人の人生はこの宇宙の仕組みの中にあり、宇宙の仕組みそのままなんだなぁと想う。台風の後で更に強くなって行くものが倒れるものより多い。台風が人間の知力や創造力を増す切っ掛けになるようだ。

台風もありがたいのだ。


   



これだ!!!! 2013/10/26

ずっと心の一隅を曇らせていた事があった。頭ではどうしなければいけないか分かっているが、心が合体していなかった。しかし、やっと晴れた。

稲盛和夫氏の著書の中で「私は宇宙には善くなろう、善くなろうとする気が流れているように感じる」と書かれてある。そこと繋がったのだと想う。善くなろうとする流れに載れば、宇宙全体の動きと調和するのだ。自分にとって「悪」と見える事が起きても、ひたすら善きことを行して行けばいいのだ。「悪」と見える事に心が囚われ、自分の心が曇り善からぬ事を考えて行けば、宇宙の気の動きに逆行し、何事も詰まり前に進まなくなるのだ。

他(ひと)が何したこうしたと言うのは全く関係ない、自分が常に善を行じて行けば良いだけ。そうすれば宇宙の善くなろうとする気に載って調和が取れ、大きな力が及ぶ。

必ず晴れる日が来ると確信していたが、肉体的痛みを始め心の闇の中に長い間いられない私は、早くそこから解放されたいと、もがいた。せっかちな私に「しずさんは本を読んだり、比叡山に登ったりしながら、いずれ来ると想う」と、同じように心のあり場所を高めようとする年下の同志が言っていたが、やっと来た。

「調和」は善の行いの先にあると言う事がすと~んと入って来た時、感極まりまた大粒の涙が頬を流れた。ありがとうございます。

これからの私の更なる進化が自分でも待ち遠しい。

あとがき:私の心の修行をお手伝いして下さる方が時々このHPを見て下さっているようで言われた「もがいているなぁと見ていたら、やがてそれは溶けたようで、そしたらまたもがきいているんだからぁ。(笑)」気にして下さっている方々がいて、嬉しくありがたい。ありがとうございます。




 
日本シリーズ 楽天VS巨人 2013/10/27

野球の日本シリーズ、昨日は2対0で巨人、今日は2対1で楽天が勝った。この戦いの結果予想は難しい。楽天には特別な念の力を感じる。もともと念力の強い星野監督、それに今マスコミ主導で野球人口が注目するピッチャーの田中将人。田中君はあのハンケチ王子と共に甲子園に出場した時に見ていた。高校を卒業してすぐに楽天に入ったが、数年の間にずいぶん立派になり、田舎育ちの素朴な少年のつぶらな瞳がチャームポイントになる程強い選手になった。念の力ってすごいですものね。この世は全て波動でつながっていて、発せられた言葉も波動で運ばれ、その中で最も強く速度の速い波動は「念(祈り)」らしい。その速さは光を超えるとか。

この試合の勝利はどちらに?なんだかそちらの方に行く気がするのですが。






月になろう 2013/10/28

数日前、岐阜コンサートを主催して下さった方の講演が多摩であり、お礼かたがた伺った。お礼するつもりが、素晴らしい話を聞かせて頂き、またまた感謝して帰宅する事に。素晴らしい話の一つは、月になる事。

「月は自分で輝いているんじゃないんですよ。太陽が輝かせてくれているんです。でも、月はその太陽の光を受けて、卑屈になることなく堂々と輝いています。」

自分の力で輝くわけではない。月はその役割をそのまま素直に受け入れて、卑屈になることなく無心に堂々と輝く。「先生、私、月でいようと思います」と思わず言ってしまった。「私の役割は太陽ではない、先生が太陽。」月の立ち位置は私にとって心地よい。大きな責任を負って人を取りまとめ動かして行くのは、私ではない。しんどい。

11月30日のコンサートでコーラスとギター演奏をしてくれるスダッチが「チケットは何枚売って欲しいですか」と聞く。びっくりした。客数は50人程見積もっているが既に20枚の行き先が決まっている。

「何人でも呼びますよ」
「スダッチのお客様が多いと誰のコンサートだか分からなくなっちゃうじゃん」
「うん、私もそう思うので何枚と言って下さい」

今朝の瞑想で、私は月になる事にした。”私が呼んだお客様”というような虚勢や見栄は要らない。多くの人に私の歌(自作曲)を聴いて欲しいのだから、誰が連れて来てもいい。堂々とスダッチの差し出した手に無心で載る事にした。また彼は今回のギター演奏が大御所の西さんのピアノとのコラボだから特に浮きたっているようだ。さまざまな御縁にまたまた感動が走る。

五木寛之が言っていた「何一つ自分で選んだものは無い。全て機縁だった。」この機縁を頂き、私は来られた方々に「いい時間」を持って頂くため月光となろう。






そのままでいいんだろうなぁ 2013/10/30

上の「月」の話もそうだが、次の話もいい話だった。
~~~~~~
坂の上に一軒の家があります。その家の門の左右には水甕がそれぞれ置かれてあります、毎朝使用人が川から水を運んで来てその甕に水を溜めて行きますが、右の甕は口の処までいっぱいに水が溜まるのに、左の甕はいくら水を加えても口まで一杯になりません。それでも使用人は水を汲んで甕に入れます。

ある日、左の水甕が使用人に言います。「なぜ僕の甕に水がたまらないか知っているのかい。ひびが入っているんだよ。」使用人は「ふん」と言ってそのまま黙々と坂を下りて行き、また水を汲んで来ては左右の甕に同じように水を入れます。数カ月経ったある日、左の水甕がまた使用人に話します、「ね、このヒビを直さなければいくら水を入れてもダメだよ。」

すると使用人は登って来た坂を黙って見ています。何を見ているのだろうと水甕も坂の下をのぞいてみました。すると、坂の左側には沢山の花が咲いていたのです。使用人が言います「あんたの甕にひびが入っていると言うので、種を蒔いておいたんだよ。」

欠点と言うものは無い。役割を変えてあげればいいんだ。
~~~~~~

どうですか、この話?

私はもう一つ想う事があった。多くの人は自分一人で完成体であろうとする。完成体は自分で大体すべてをこなすが、不完成なものは人のお手伝いを借りる事でその人達を生かしているのではないだろうか。
不完成には実は沢山のメリットが包蔵されているのかもしれない。

そのままで良いんだなぁと、改めて思う。与えられた「私」でいいんだ。

 



すばらしかったぁ 2013/10/31

野球日本シリーズの第5戦は4対2で楽天が勝ったが、実にすばらしい試合だった。負けた巨人のピッチャーの西村がベンチで涙を流していたが、前を通るキャプテンの阿部が彼に何か言ってタオルを手渡していた。「もう終わったことだ、気持ちを切り替えろ」とでも言ったのだろう。

私のスポーツ観戦はいつもそうだが、初めは一つのチームを応援していても、相手のチームの必死さに心揺さぶられる。本当に素晴らしい試合だった。やはり日本シリーズになると気合が違う。魂で投げ、魂で打ち(楽天が使っている言葉)、それが感動を呼ぶ。

第6戦は仙台に場所を移し、田中将大がピッチャーを務めるらしい。今シーズン無敗だとか。そんなら巨人、頑張れと言いたくなっちゃう。(君、どっちを応援しているの?弱者、ただし”善良な”弱者)


ちなみに私のスポーツ観戦は大体”ながら”である。消音にして曲を書いたり楽器を演奏し、ちらちらと横眼で見ながら、時に音を入れる。( ^)o(^ )





ハローウィン 2013/10/31

「今日はハローウィンですので、皆さん笑いましょう。」インストラクターの掛け声で今日のヨガクラスには”笑い”が加えられた。廊下にはズンバのインストラクターがハローウィン姿でだべっている。いや~、日本って本当に面白い国。他国のお祭りを自国のお祭りにするんだから。

私が米国にいた時、ハローウィン近くになるとくり抜いて眼と鼻のできたカボチャや、それとは逆の目と鼻をくっつけたり帽子をかぶせたかぼちゃがキャンバスのカフェテリアに並んだ。夜になると見知らぬ子供達がアパートのドアをノックする。皆黒いマントを被り眼には厚化粧をしたりキャットマスクを付けたり、または死者の面を頭からかぶったりしている。ハローウィン・コスプレである。何のお祭りだか分からなかったが、日本人の家庭にまで訪ねて来られると、なんだか同等に扱われたような気がして嬉しくもなり、照れながらお菓子を与えた。TRICK OR TREAT(「いたずらが良い?それとも何かくれる?」)と言ってやって来る。

米国から帰国して凡そ30年近く過ぎる今になって辞書を引いてみた。なんと、日本のお盆に似ている。かつては死者たちが墓から出て来る日とされたが、現在では天国のよろずの聖人たちを祭る万聖節の前夜祭となっているらしい。ふ~ん?。


Halloween、この言葉に限ったことではないが、このカタカナ英語「ハローウィン」を英米人に言っても通じないだろう。正しくはハ’ロウィーンと”ハ”にアクセントを置く(どうしたの、突然英語のセンセイ?)。
 



コンサートチラシ制作 2013/11/1

  

 
11月30日にコンサートを開催する事になりました。

2年4か月ぶりのコンサートとなります。この期間に3カ月毎に開催して参りましたソロライブが私の芸を磨く大きな機会になったように思います。歌も沢山作りました。自作の歌を作る事でより多くの方々と繋がって来たように思います。2年4か月ぶりに来られる方々を交え新旧多くの方々に支えられて開くコンサート、ドキドキ、ワクワクしながら皆様をお待ちしております。   
   



ソチ冬季オリンピックへ 2013/11/3

野球日本シリーズが楽天の優勝で終わり、球場では涙する東北ファンをカメラがとらえていた。良かったなぁともらい泣き。9回表に田中将人が出て来た時は、少しハラハラした。昨日の負けが尾を引くのではないかと、彼が投げる時は画面も見ずに横眼で様子を伺っていた。何か騒いでいる様子が目の隅に入って来た時は、ひやっとした。2アウトの後に変化を感じた。すばやく画面に目をやるとマー君がガッツポーズをしていた。あ~、終ったんだぁ、勝ったんだぁ、と安堵。でっかい奴はここが違う、昨日の負けに萎縮するのではなく、やり返す。

次はソチ冬季オリンピック。やはりフィギュアーに注意が行く。織田信成君のスケートが随分落ち着いて来て驚いていたら、なんと彼は3年前23歳で結婚し直ぐに御父さんになったんですね(ここ数年大会に出場していなかったのは、そのため?)。そして今年は二人目が生まれたとか。なるほど、そんな事が彼の心を落ち着かせ、スケートにも表れて来たんだぁ(かな?)。

フィギュアの日本勢は実にすごい。私は鈴木明子の踊る姿勢が好きだ。彼女は優勝しようと言う気持ちよりも、ひたすら自分の演技をしようとしている。雑念が無いので、見ていて気持ちが良い。もしかするとそれは優勝を考えていないからできる事なのかもしれないけれど。でもはっきり言って、真央ちゃんも高橋君も、優勝を意識し始めてから、思うどおりに滑れなくなっている。無心でいることの難しさよ!

日本シリーズが終わり、フィギュア、サッカーワールドカップと観戦する楽しみを沢山頂いて、感謝!






釜石小学校校歌 2013/11/5

生き生き生きる 生き生き生きる

ひとりで立って真っすぐ生きる

困った時は 手を上げて

星を目当てに真っすぐ生きる

息あるうちは 生き生き生きる

 

はっきり話す はっきり話す

びくびくせずに はっきり話す

困った時は 慌てずに

人間について良く考える

考えたなら はっきり話す

 

しっかりつかむ しっかりつかむ

真の智慧をしっかりつかむ

困った時は 手を出して

友達の手を しっかりつかむ

手と手をつないで しっかり生きる

手と手をつないで しっかり生きる

~~~~~~~ 

作: 井上ひさし

でき上がったものに一切文句を付けない事を条件に劇作家の井上ひさしが書いたらしい。学校の名前は全く入っていないこの校歌、これまでの校歌とは違う。学校という建物や組織に対する抽象的な讃歌ではなく、人間が生きて行く基本的な力が歌い込まれている。びくびくせずにはっきり話せるのは真っすぐに生きているからだろう。作家の生きる姿勢も表れているように思う。

この歌をテレビで紹介していた小室等が言う、「憲法9条にもう一つ付け加えてくれても良い。」





チケットほぼ完売 2013/11/6

11月30日のコンサート「ここから」は50人程のお席を用意しておりますが、チケットはほぼ完売、5枚が追加販売されます。感謝合掌。新旧多くの方々に来て頂いて、進化を見て頂きたく、身が引き締まります。

前回9月のライブに"I will Always Love you"を歌った後だった。年に一度程来て下さる知人が、「あの歌は難しい歌ですよね」と言って顔を少し紅潮させていた。コーラスでお手伝いをしてくれる仲間はあの歌の完成度に驚いていた。私の歌の進化がライブに来られる人の心を高揚させ、彼らをも前に押す切っ掛けになる事を知らされたように思う。

「ここから」と銘打ったこのコンサート、何か互いに一段高いところに志や心を引き上げるようになるのかも。ほんまに、「ここから」や。


   



びっくりしたなぁ、もう 2013/11/11

昨日は昼過ぎまでコンサートに向けたリハをした後、久々に原宿の美容院に行き、その後新宿のタカシマヤ・タイムズスクエアの中に北海道小樽からやって来たお寿司屋に行き、同志仲間が主催する食事会に参加した。沢山話をした。どうも私は年上の男性と相性が合うようだ。

髪の毛をいじって頂くのは技術力がトップとなるその店のアーティスティック・ディレクターだが、その技術に100%の信頼を置ける私は少々高い値段でも出す気になる。カットが良いと伸びた時にもまとまっている。その安心感や満足感を考えると、結果的には他より安いのかもしれない。既に60才を超えているが、そのファッションセンスはさすがである。様々な色をうまく着こなしている。鮮やかな黄色や緑を使ったベストやズボン、面白いデザインシャツ。同じものを着ているのを見た事がない。見る方も楽しみだ。彼については昨年のブログに書いた。

その後は新宿。会の名前は「栄える会」。お寿司屋のオーナーがこの会の会長だが、今日はこの会に参加するためにわざわざ小樽から来られたと言う。「寿司屋とヤクザは左脳を使う」と御自分の過去は左脳偏重の人間だったと言うおもしろい人だ。それで今は右脳を働かせる訓練をしておられるらしい。悩みの解決は右脳を使う事だとも言う。なるほど、と今朝起きて瞑想をした時に思う。瞑想は右脳の訓練かもしれない。嫌な事を考えている時は「意識」の中にあり、自分自身が認識できる言葉を使って考えている。言葉を使う、それは左脳の働きだ。どうしたらいやな事を考えずに済むか、それは言葉を使う左脳を働かせない事、要するに”考えない事”だ(苦笑)。大変単純であるが、筋が通っている。帰り際、「面白かったよ!」とそっと私に囁きながら握手をされた。人好きのする可愛らしい方だ。楽しまれたからか、会費が安くなった(やったぁ~)。

で、何にびっくりしたのか、と言う話だが、それは原宿で昨日初めて目にとまった店の事、Condomania(コンドマニア)。明治通りと表参道通りの大変人眼の付く角に三角錐の形をした縦に長いビルがある。それは確かに以前からあったが、眼にとまらず素通りしていた。久方ぶりに行くと、区画整理がされているようでその三角錐の建物の後ろはビルが壊され平地になっていたため、取り残されたように立っている床面積3畳もあるかないかのこの建物が大変目立つ。また外見がいやに派手だ。見えた文字は、Condomania。マンションのコンドミニアムから付けた名前か、とすると不動産屋かな、しかし不動産屋によくある建物のチラシが貼りだされていない。近寄って行くと・・・え?!うそ、うわっ、外壁には男性に付けていただくあの”ゴム”に顔が書かれてある。ドアは開放されている。私はすかさず中を覗いた(が、入らなかった)。「まぁ~!」様々な形の箱入りや、チューフが沢山あり、男も女もいる。客は皆若い、かなり若い。゙店が用意した小さなショッピング・バスケットに2つの箱をいれて20代後半か30代前半の女性がシャンプーか石鹸でも買うように平然としてレジに並ぶ。まるで子供のような男女二人が手をつないで店に入って行く。あわわわわ・・・なにこれ?世の中こんな風になったの?それで”コンド”マニアか。“マニア”?(@_@;)(^v^)(^v^)

美容院でその話をまずは若いシャンプー係の男の子にしてみた。私が「驚いたわ」と言うと、感情の全く入っていない口調で「なぜですか」と返す。「え?!」くわ~。これは何だ、どう言う世界だ、よその世界、今まで踏み込んだ事のないエイリアンの世界、くわ~・・・・そのあと同じ話をアーティスティック・ディレクターにすると、ああ、同じ人類がいた。これまでの長い付き合い(25年ほど?)の中で見た事のない程に目を大きく広げて「ねぇ~!何の罪悪感もないんだよねぇ」「本当ねぇ、昔なら、恥ずかしさや罪意識みたいなものを持ちながら薬局屋に買いに行ったけれどねぇ」

昔ひっそりと裏通りで売られていたようなものを、人通りの多い原宿の交差点の角で売る。店の中は誰でも覗けるようにドアは開放されたまま。何が悪い、男女のメイティング。堂々としなはれ。・・・・いやはや、社会の基準や常識と言うものは変わると言うか進化すると言うか。だからそんな基準や常識が永遠なものだと思ってはいけないのである。これが会話の結論。

帰り道、又そこを通った。気になる。5メートルほど離れた外から中を覗く。西洋人の若い男が見えた。それから女の子が出て来た。外で待っていたような男が訊ねる。What d'you get? (何を買ったんだ)女の子が何か喋っていた。よく聞こえなかった。

文化は商人根性が変える部分もある。でもそれが拒絶されずに受け入れられると言う事は、やはりそれを受け入れる下地が人の内部にできていたからだろう。くわ~。

   



なんともいいでしょ! 2013/11/12

    かつてインテリアにとても凝っていた時期があった。今でも私の部屋は”素敵”の部類に入ると思うが、カーテンや家具には心が隙間なくつながるものを見つけるまで妥協をしなかった。そして必ず見つけた。この点はアップルの創始者のスティーブ・ジョブズと似ている。彼も自分の美意識にアピールするような家具が見つからず、長い間ソファーもない部屋で過ごしていたそうだ。左の写真を見た時、私の好きなカーテンのブランド、スイスのクリエーション・バウマンと繋がった。日本のエッセンスを取り入れながら日本にならない、しな垂れたとろけるような花や植物のデザインを思い出した。

そのころは海が一望でき、空をまるで独り占めしているようだと言われたところに住んでいたが、幾つもあった部屋にはそれぞれ異なるデザインのカーテンやロールスクリーンをかけた。ほとんどがそこのブランドだった。その美しさに感動したのだろう、隣人たちが追随して部屋をリフォームしたりインテリアに気を配り始め、私はそのコンサルティングのような役割を担わされた事もあった。大学の友人までもが部屋を美しくする事に気を配り始めたと言ってよこした。

今の部屋のカーテンもそのスイスメーカーの日本代理店から購入したもの。このカーテンには日本のエッセンスは無いが、中央だけに色とりどりの細い線が棒線グラフのように重なり合いながら横に流れる。やはり言葉にできない素敵さがある。自分の美意識を具体化するためにお金と時間を使う-どうも私の生き方のようだ。

このスナップ写真はFBの友達が撮影したものだが、彼の撮る風景や植物は本当に素敵だ。読者を喜ばせるために、彼の撮影技術は更に上がった。
 






お誕生日おめでとう 2013/11/14

50代最後の誕生日ですね。昨日、あなたの人生が愛と平和に満ち、神様からの祝福が雨のように降らん事を祈っていました。そして今朝も同じように祈りました。お誕生日おめでとう。あなたが私に残してくれたものがどんなに大きく深いものであったか、月日と共に想いを深めています。あなたはまるで神様のような人でしたね。

時々このホームページを覗いて下さっている事も知っています。一日たりとも欠かさずずっとつながっているようなので、時には笑ってしまう事もあります。不思議ですね、強く想いをつなげ合うもの達の波動は、離れていても伝わるのですから。

偶然ですけれど、上のブログで二人でとても愛しんだ部屋の事を書いていました。私からのプレゼントと思って受け取って下さい。素敵なデザインでしょ?

あなたの誕生日が近付いて来るのが怖い時もありましたが、今日はとても穏やかに、心からあなたが生まれた事に感謝しています。友人達を集め私がはしゃいで祝ったあの時のあなたの誕生日に感じた想いと今日の想いに全く変わりがない事を嬉しく思います。

お誕生日おめでとうございます。






すごいよ、すごいよ 2013/11/15

数小節前奏が流れる。どき~~~ん。いつ頃出来上がったのか忘れるほど前のような気がするが、やっとアレンジがされてカラオケと共に送られて来た。

「愛のいとなみ」
「悲しい歌はじきに終わります 彼女も今では歌いません」
「遠い昔に逢いました」

この3曲の内、最初の2つが出来上がって来た。3曲のメロディーと歌詞を送った後、西さんから電話があり、「愛のいとなみ」がダントツだと言われたが、うわ~これ、ほんとにすごい。他人が作ったかのように言うが、アレンジが付いてこんなにすごい曲になるとは思ってもいなかった。西さんは「曲が良いんだよ」という。うそ、私がそんな曲を作れるなんて・・・・・でも作ったんだよね。私じゃない、神様だと言いたいけれど、「はい、私が作りました」と素直に言っておこう。

これ、ホント、名作。男の女の愛のいとなみがテーマ。以前にも言ったけれど、こんな歌を歌って行けば良いと友人から言われて、それなら自分で作って見ようと歌詞だけ作って曲は音楽の専門家に頼むつもりが、「あなたはメロディーメーカーだから、自分で作ったらいい」と言われ、ごく少ない在庫から引っ張り出して昔メロディーだけ作って置いたものを当てはめたら、なんだかぴったりしちゃった。それでこの歌になった。

すごい、すごい、この歌。西さんのこれもダントツにすばらしい名演奏で作られたカラオケに載せると、私は完全に愛のいとなみの世界に入っている。


拍が4/4,2/4、3/4と変化するので歌うのは難しいが、コンサートまでに間に合わせてみよう。

音楽の大専門家である西さんが言うのでそうに違いないが、私でさえもこれが名作だと分かる。

すごい歌ができたのだ。おそらく多くの人が聴きたい歌を神様がしずこと言うシンガーソングライターを通して世に出させられたのだ。興奮収まらず。



   

おもしろい 2013/11/17

今日はコンサート会場となる池之端QUIで出演者3人が揃ってのリハーサル。今回のコンサートは面白い(おそらく「今回のコンサート”も”」)。少しばかり演出をして私以外の二人の出演者に指示を出しているが、何をするのか演出する私自身が分かっていてもクスッと笑いが漏れる。この笑いの種は今回ギターとコーラスで出場して頂く須田さんと西さんが創る音楽。ご本人達も面白がっている。どうも、私の創るものは面白いらしい。確かに面白くなければ、つまらない(あたりまえじゃ!)。

須田さんの歌を側で聴いていたマスターが、元プロだったに違いないと、否定しても信じない。なんだか私が消えた方が良さそうでもある。1部のとっぱなの出を含め、沢山のサプライズを盛り込んだ。ある方が浜松からわざわざ来て下さるが、すっごく楽しみにされているよう。それに答えられるようで、嬉しい。






   念のために 2013/11/18

二つ上のブログで今回のコンサートに「愛のいとなみ」を歌うような事を言ったが、歌わない。もっと歌いこんで歌わないともったいないような気がする。今はコンサート関連の事で時間が使われる。今月出来上がって来る3曲の披露は全て新しい年にしよう。このコンサートの主旨は、これまでの2年間のソロライブの総まとめであるし、巻き戻して再生すれば恥ずかしい~!と悲鳴を上げる同じ会場で始まった5年前のリサイタルから、”かなり(と自他共に思う)”進化たステージを観て頂く事と、同時に、アーティストとして卵の殻が割れて出て来たばかりの雛の”音立ち”である。「ここから」だ。

3年前からずっとコーラスとして付き合ってくれている須田さんがこの「愛のいとなみ」を聴いてぞくぞくすると言う。そして付け加える、「歌によっては誰かに楽曲を提供すればいいですね。」そう、私もそう考えている。以前はそう思わなかったが、今は自分が出なくても全く構わないと思っている。今回3人でコンサートの準備をしたり打ち合わせをしたりリハをしたりしているが、この雰囲気がとても好きだ。スダッチ(須田)も「楽しい」という。このような小さなライブを続けて行く(大きいところに再度行くまで待っている人もいるようだが、そんな時もあるかもしれない)。レコード会社やプロダクションにいじられる事もないし、好む好まざるに関係なく色々なところに行って歌わされることもない。好きな処で気の向くままに歌えばいい。そして好きなように出演者を集めて演出をしながらユニークなステージを創って行く。

西さんに加えて、スダッチにも認められたようで嬉しい。

ちなみに、作詞作曲をしたからと言って、自分で歌えるとは限らない。作った後に、歌いづらいと思ったり、こんな歌歌うの嫌だなぁなんて思ったりする事もある。そしたら先日Youtubeで中島みゆきが面白い事を言っているのを聞いた。

質問:他(ひと)に歌を書く時は、どのように書くのですか。歌手の雰囲気とか色々考えて書くのですか。
答え:いいえ~、倉庫に眠っているもので、作っても自分が歌えない歌を差し上げるんです~。

   



高目線で言ってしまいますが・・・2013/11/21

昨日は2週間ぶりの作曲のクラスだった。今はコンサートの準備で頭がいっぱいなので、作曲に時間を使っていない。そのため持って行くものがないので、名曲の分析をする事になった。30代後半かと思える前方と横に面積が拡大しているインストラクターが私のために準備してくれた曲は、なんとアズナブールが作ったシャンソン”She"であった。私がシャンソンを歌う事を知って準備してくれたのかと一瞬感慨深く思ったが、面白い事に、彼はこれをシャンソンとは知らず、イギリス人のエルビス・コステロの歌として紹介した。つまりコステロがアズナブールの自作曲をカバーしている訳だ。そこでアズナブールの歌を私の方から紹介し、二人の歌を聴き比べる事になった。

おもしろい。さすが私の信頼するインストラクターである。コステロは拍通りに歌うらしいが、アズナブールは1拍目だけ合わせ、小節の中は自由だと言う。だからアズナブールの歌を採譜するのは大変だろうと言っていた。それで思い出した。以前に天才的作編曲者のAnz(安西史孝)が、音取りなどお茶の子さいさいなのに、シャンソンから音を取るのは大変だから譜面をよこせと言ってきた事がある。私はこのインストラクターのコメントを感心して聴いていた。なるほど。どちらかと言うと、私も自由勝手に歌う方であるが、それは歌詞を語るからだと思う。

作曲のインストラクターがともすればコードに話を移そうとする時、「あ、あのね、私コードは勉強しなくていいってアレンジャーから言われたの」と最近私の曲のアレンジを集中的にして頂いている西さんのコメントを伝える。インストラクターもそんな素晴らしいアレンジャーの指示ならばと大変素直にメロディーの勉強に焦点を絞ってくれる。 

そうしたら、もう教える事は無くなったと言われた。「色々な曲を作られるので、他人の曲から学ぶ事もないと思います。他人の曲を参考にしたら、御自分のユニークさが無くなってしまうかもしれませんし」と突き放そうとする。急に心臓がドキドキしてきた。いや、まだ完全な一人立ちは心細い。「高目線で言ってしまいますが、才能があります。」それは分かっている(この際堂々と言っちゃう)。数年前2つめ目のCDを作る時に絶対人を褒めないであろうAnzがふと漏らしたし、西さんからも形容詞は忘れたがメロディーメーカーだと言われているし、スダッチも「しずさんの曲、本当にいいですよ。飽きない」と言う。何よりも招かれて歌った様々な処で反応に触れている。それで今はそうなのかもしれないと思っている。「才能がある」と言われれば「そう見たいね」と返す事にしている。受けが良いし安全だからと「とんでもございません」などと言わない。しかしそれは自分が作ったものじゃないと言う事を知っていなければいけない。全て神様の力が加わって才能なのだ。神様の力が加わって出来上がるから、1曲の完成はおそらくかなり早いと思う。ふっと湧いて来た時から2日くらいでまとまる。もちろん、その後、少しづつ手直しをし、こちらの方が時間がかかる。色々思いついて、同じ歌詞に別メロディーを付けたりする事もあるが、この別メロディーも直ぐに生まれる。だから、苦労が無い。もしかすると、素直にインスピレーションに従って行けば苦労無く作れるものなのかもしれない。

それでコンサートが終わったらどんどんまた曲を作りましょうと、一人立ちできる日を待ち望みながら、来年の3月までは一緒に付いてもらう事にした。一緒に付いてもらうと言うのだから、こちらもせっせと曲を作らねばならない。

才能か・・・理由があって与えられたものだ。答えて行こう、神様に。
   




金圭一先生を偲ぶ会 2013/11/25

早稲田大学をこよなく愛する在日コリアンだったと挨拶をされた方が言っていた。7~8年前に初めてお逢いした時には、そのユーモアと紳士の佇まいに大変好印象を持った。真っ白な髪と歩行には杖を使っていらしたのでかなりのお歳かと思ったが、享年75歳と言うから当時はまだ60代だったという事になる。

初めてお逢いした時に英語で自己紹介をして下さいと言われ、"Nice to meet you, I am xxxx"とだけ英語で話すと、「馬鹿にしちゃいけませんよ、そのくらいの英語ならだれでも分かります」と突然言われ、私はたじたじになったと同時に、その言葉を発つる氏の中にあるユーモアに大変魅かれた。大変博識で歯に衣を着せぬ話し方や本質を見極める鋭い洞察力もまた魅力だった。それで、氏が主催されていた「在日同胞の生活を考える会」に何度か顔を出した事がある。「カントク」というあだ名で知られるNHKBS映画解説者の山本晋也氏もその一人だったらしい。

彼の朝鮮半島の歴史の話は実に面白かったが、段々現代に入り在日の話になると、細々していて興味を失い行かなくなったので、氏の活動が何でありどのような展開があったのか分からないでいたが、昨日の偲ぶ会で挨拶をされた方々から初めて聞かされた。その一人が金氏は自分が知っている在日で唯一師としてあがめられた人だったという。金氏から頂いた3つのテーマを紹介しながら涙ぐんでいた。

  1. 在日の人権擁護のための市民運動
  2. 共生
  3. まことしやかに語る在日と、祖国が語る歴史を信じるな。自分で考えろ。

挨拶のために前に出て行く多くの大の男たちが涙していた。生前撮影されたビデオが編集され、「金圭一先生、お疲れさまでした。ゆっくりお休みください」と載せられていた。数年前医療ミスで両目の視力を失ったが、「いやいいんだ、彼なりに僕のために一生懸命治療しようとしたのだから」と自分の運命をそのまま受け入れていらした。役者志望の女の子たちがバイトで働いるルビアンという処では、最も清潔な紳士として知られ人気があり、氏が行くとその周りには女の子たちが群がったとか。中には「金先生なら一夜を共にしても」と言う人もいたとか。それを後で伝えられると、「ええ~、何でもっと早く言ってくれなかったの」と嬉しそうにされていたらしい。

先生、お疲れさまでした。ゆっくりお休みください。





  モールス信号が伝えるベートーベンの運命 2013/11/25

すごいなぁ、ひとつの道を究める人と言うのは、普通の人が気にもしないところを気にし、”なぜ”を追跡する。上で話した山本晋也氏の事。

「金圭一先生を偲ぶ会」の後に準備された食事会で少しお話をさせて頂いた。私は彼が解説するNHKBS放映の映画を時々見ている。彼の解説には教えられる事があり、彼の感性の置きどころを興味深く聞いている。最近の映画では何が面白いか訊ねると、「ローンレンジャー」と答えられた。リメイク版であるが、彼が指摘したのは音楽。私はクラシックに詳しくないので何と言われたかその曲のタイトルは覚え込まなかったが、主人公が出てくる場面である音楽が僅か1,2小節だけ必ず演奏されるという。これも名前を忘れてしまったが、ある映画では、やはり主人公率いる戦隊が現れると必ずベートーベンの運命の2小節が演奏される。僅か2小節。それで、ずっとなぜかと考えていらしたらしい。

ある日無線通信を趣味にしている人にそんな話をすると、ああ、それはね勝利の合図なんです、ト・ト・ト・ツーです、と言われたという。無線では運命の出だしの2小節と同じリズムで”勝利”を伝えるらしい。

へ~え、目がまん丸くなった。でも見ている人のどれくらいがそれを知っているのだろう。それらの映画監督は本当にモーレス信号と同じ意味であの音楽を使っていたのだろうか。疑問が残りながらも、山本氏のその疑問追跡力と見つけた答に脱帽した。

が、考えてみると私もやっている。突き詰める。放っておく事と突き詰める事とを無意識に選択している。




輪廻転生 大竹しのぶ 2013/11/29 

人間の霊は輪廻転生、死んで又生まれ変わると言うが、人口はどんどん増えているのに増えた人達の霊はどこから受け継ぐのかと不思議に思っていたら、霊は肉体のように個々に分かれている訳ではないからだという。余り良く分かっていないからこの辺にしておくが、要するに一つの霊は様々な形(肉体)になって現れるという。よく万の神というが、それは一つの神が様々な形に現れるということらしい。 

だから自分と似ている人達が現れるのであろう。私は以前から大竹しのぶを見ると自分を見ているような気がしていた。大きな違いは、私は大学に行き、今から考えると足で踏んづけてペチャンコにしてゴミ箱に捨てて良いような虚栄とプライドを持ってしまった。 

昨日、NHKBSで「清貧の中の魔性」と題されていたか、彼女の特集をしていた。子供のころ貧しい生活をしていた経験があるので、それが買われてデビューとなったとか。貧しい?私の子供のころは殆どの人達が貧しかったと思う。今でもありありと覚えているが、小学校2,3年頃テレビが市場に出始めたが、私の家にはテレビが無かった。それで、2軒隣のメッキ工場を営む家の居間でテレビが点けられる頃になると、近所の人達に混じって背伸びをしながら外から窓越しに見ていた。それを知ったその家の御主人はわざわざ窓を開けて音が聞こえるようにしてくれた。今から考えると見ていたのは野球中継だったかもしれない。 野球が面白かった訳ではなくテレビを見たかったのだろう。

私のそんな姿を義姉から聞いた長兄がある日テレビを買って来た。「しずこがな、XXXの家のテレビを外から見ているというから、ほら買って来たぞ」と言って兄はニコニコと私の顔を覘いていた。確かに家の中にテレビが来たが、その時の感慨が私にはあまり無い。理由の一つは、おそらく、テレビは直ぐに姿を消したからだろう。兄が質屋に持って行ったらしい。私が不満を言っていると、間もなくまたテレビが来た。そしてまた無くなった。出たり入ったり忙しいテレビだった。大きな風呂敷に包まれて戻って来たテレビをうっすら覚えている。そして”さよなら”した日も。 

ほとんどの人がそんな暮らしだったと思う。だから清貧が売り物というよりも、その清貧を正直に言えた彼女の正直さが監督に響いたのだろう。あの頃の多くの少女たちはどこかのお嬢様になりたいという夢があり、その夢と嘘を重ねた。 

私は幼いころから、よく誰それさんに似ていると言われて来た。最近は統一して倍賞千恵子だが、かつては大竹しのぶも入っていた。数年前ライブで他の歌手のお客で来た人が、休憩中その眼に私だけを丸ごと映し近寄って来た、「びっくりした~、何で”さんまの奥さん”が此処にいるのかと思ったよ~。」

小学校の先生が、彼女は「人に敏感だった」という。彼女自身も幼い頃の遊びで、どこに行ったとかと言うよりも誰それさんが何をした、何を言ったという事を覚えている。また、素晴らしい女優であるために日ごろ何を心がけているかと言うような質問に、「私は自分に嘘をつかない、だからもちろん演技でも嘘をつかない」と言っていた。 

私に付いたごみのようなプライドが彼女とは歩む道を違えたが、彼女の演技を見ていて、役者志望だった時の私は、私もこうするだろうといつも思っていた。だから彼女の演技に驚いた事がなかった。様々な素質が彼女の持っているものと同じであり、7年前から私が選択した生き方(ずっと前からこんな生き方をしたかったのだが決断をし前方への希望が見えたのがこの時だった)は彼女と同じように「自分に正直である私」だと想う。彼女がどこに向かっている自分に正直なのか分からないが、私には自分の人間性を高めたいという大きな願望がある。それは「神」と一緒に動いている。がっちりその手を握っているので、発展途上の未達の部分が現れても恐れずに正直でいられるし、その部分を相手に指摘されても認め泰然としていられる。

彼女と同じように、私にも人間に対する洞察力が備わっているようだ。神と繋がって、その特性にプラスされたのが、愛と許し。これらが開き始めているように思う。


すごいことだ、宇宙の芯に頭脳も心も全てつながるという事は(もちろん私は途上にある)
。。。。人間の本来の姿が見えるようになり、宇宙と人間の関係まで掴めるようになる。そうすると否が応でもどう生きなければいけないかが分かって来る。伝道師をやっている訳ではないが、心から自分を変えたいと藁をもつかむ気持ちになった時に入って行けば良い(というか、入って行くようになるものだ)。だから最近私はあまり考えない。瞑想中に降りて来る言葉や心の底から湧きあがる想いをそのまま具体化しているだけ。狙わない。後は神が動いてくれる。

大竹しのぶから宇宙の芯(神)に行っちゃったけれど・・・ま、私の中ではつながっているの。あは。






2年ぶりのコンサート 2013/11/29

明日は2年ぶりのコンサート。今年の3月頃だろうか、マスターから提案があったが、ご本人は覚えていないらしい。その言葉が発せられた時から、御自分の言葉を認識していないかもしれないと感じていた。だが、何度かこのブログで話して来たが、彼の提案で3カ月毎にソロライブを重ね、これが本当にシンガーソングライターとしての道を開くきっかけになったので、彼から発せられた言葉は善きところに繋がっていくような気がして、受けてみようと思った。

受けて本当に良かった。多くの方々と再会する機会となった。2010年、2011年とコーラスで出演して頂いた仲間を始め、以前に毎年リサイタルに来て下さった方々も来られる事になり、小さないくつもの塊が健全と存在しているのが見えた。2年ぶり3年ぶりに来られる方々には私の進化に驚いて頂くのが楽しみである。

不思議なのは客数。最初から50人と言う数字が頭に浮かんだが、ぴったりかっきり50人の方々が来場される予定になった。過去に60人収容した時はピアノの後ろに席を作ったり、出演者のステージ入場スペースに席を作ったので、正面から見られない人はやはり興を削がれたようだった。それで今度は50人。その通りになり、最近の自分に起こる思い通りの出来事に、又感嘆している。ずっと道に逸れずに生きようとしてきた努力が検証されたような気もする。

入ろうとすれば入れる空間はまだあります。そこにどなたが座られる事になるのか分かりませんが、心から歓迎致します。

   




ここまで来たかな 2013/12/2

11月30日のコンサートの様子がどうだったのか、このHP上で報告を待っていらっしゃる人達の気配がしていましたが、エネルギーが抜けるまでいつもより時間がかかったみたい。随分眠った。

一言で言うと、これまでで一番良かったコンサートだったと思う。9月のライブの時に段々近づいて来たなぁと感じていたが、こんなライブ、こんなコンサートにしたいと漠然とイメージしていたところに本当に入って来たように思う。それも出演者の西さんと、須田さんのお陰であるところがものすごく大きい。お二人がこのコンサートを本当に成功させようと一体になってくれていた。探していた仲間ができた。初めてできた仲間に西直樹さんがいるなんて、嘘のような事実。それにスダッチ(須田宏一)の心の支え。

開場遥か前、リハーサルをしている最中に2010年南青山マンダラでコーラスとして参加してくれた仲間も、そして翌年の六本木STBでコーラスとして参加してくれた仲間も、まるで出演者のような雰囲気で現れた。そしてアンコール曲やスダッチがソロで歌う曲のサビの部分では一緒に歌って欲しいと言ったら、本番で一緒に歌ってくれていた。ああ、仲間だぁ!と熱いものが込み上げて来た。

2部の初めには、西さんの芸術的ジャズ演奏,これは本当にすごい、正真正銘芸術だった。その芸術を堪能した来場者の盛大な拍手の直後に、スダッチがギターで演歌を流しながら入り、東京ロマンチカのあの甘いロマン演歌に負けない声で「小樽の人」を歌う。そして客席まで行って「いらっしゃいませ、ありがとうございます」をやる。会場からどっと笑いが。そして最後のアンコール曲、私はフランス人形のようなドレスにギターを肩から引っ掛けて現れ、Hey Judeを歌い始めた途端、余りの以外性に、歌い出しと共にまたどっと笑いがこぼれた。本当に皆さんに楽しんで頂いた。

素晴らしい仲間達、心からありがとうございます。そして温かく聴いて楽しんで下さった来場者の皆さん、心よりお礼を申し上げます。

私は感極まっていた。




追伸 2013/12/3

多くの方々から沢山の熱いコメントを頂いた今度のコンサート。終演直後にfacebookにステージ写真とともにコメントを掲載する方々、コメントを直接伝えに来る人などさまざまであった。その中で出演者のスダッチが後からこんなメールをよこしてくれた。

生意気で済みませんが、これまでのコンサートと今回のコンサートとを比較して僕が一番感じたのは、しずさんの気負いがなくなってすべてが自然体になったことだと思います。練習の時も本番直前でも非常に穏やかでしたよね。

何故なのかはわかりませんが・・・

そう、ここなの、私が上のブログで「これまでで一番良かった」と話した理由は。西さんも言っていた、「六本木stb139でやった時は何者がやっているのか分からなかったけれど、今は素のままのステージができているね。」

何故なのかはわかりませんが・・・私には分かっている。宇宙の芯とつながったからや。

   



ビーム・ライフル 懐中電灯 2013/12/5

(爆)
きっとかなり面白い歌だと思う。タイトルは「僕がママを守るんだ」。今朝、なんだか出て来て作っちゃった。大変シンプルで可愛くて面白い、そんな歌。歌詞だけでも誰かに早く見せたいけれど、がまん、がまん。来週の水曜日の作曲クラスまで待とう。

先日のコンサートについて、今でも引き続き感動を寄せて下さる方々がいて、心からありがたく思っています。これからも自然体で、力士が「自分の相撲を取る」とよく言うように、「自分の歌を歌う」事に徹しよう。コンサートは確かに内容の良いリッチなショーだったと、私自身も思う。来年は特別な事も起きるような予感がするが、ライブとコンサートは続けて行こう。何をするか、どんなひらめきがあるか、自分でも楽しみである。

「僕がママを守るんだ」、初めて聴かれる方々の笑い声が聞こえるようだ。

♪僕がママを守るんだ 行くぞ僕は機動戦士 
ビーム・ライフル 懐中電灯
シュワ・ター!♪

あはははは・・・
歌作りって、なんと面白いのだろう。(●^o^●)






技の質より、人間の質 2013/12/6


「西さんと合唱団の人が姫、姫と言って一生懸命盛り上げているのが、とてもアットホームで感じ良かった。」

ことを成功に導くのは、一にも五にも十にも少しの技と人柄と情熱だと想う。情熱は技や芸を磨く。いつか私が自分のバンドを持つ時、一人の音楽の徹底的専門家を”親分”として、技よりも一緒に仲間としていいものを作って行く志(情熱)のある人達を求めるだろう。そして積極的にアイデアを受け留め実際に動いてくれる人。

私が面白いと思っている若手のグループにサッカー・ワールドカップのテーマ曲AOIを歌うサカナクションがいるが、そのグループのギター奏者はCDショップで店員をしていたところ、グループのリーダから誘われたらしい。初めは勿論技が不足していたかもしれないが、研磨を重ねて今があるのだろう。

私自身がステージを一緒に創る仲間を選ぶような立場になって、人はどのように人材を集めるかやっと分かって来た。冒頭の言葉は毎回ソロライブに足を運んでくれる友人がメールで伝えてくれた。

出演者の人間性と情熱は来場者にも伝わり、来場者の満足度に大きく影響する。

技の質よりも、情熱と人間の質、愛なのだなぁと、昔テレビ朝日のニュース番組、「ニュースステーション」で久米宏が言っていた事を思い出す、「1にも2にも人柄、3と4が無くて5が人柄、そして6が才能ですね。」きっと私自身にも、お客様はそれを求めているのだろう。






俺様の奥に 2013/12/7

昨夜は、西直樹さんが3カ月に1度演奏しているという新宿のSomedayに行って来た。ベースとドラムを入れたトリオだ。

大変大変昔、厚生年金会館の前にあるシャンパーニュというシャンソニエで数カ月歌わせて頂いた事がある。お客として行った時にそこのムッシュから「歌える?」と聞かれて、喜んで飛び付いたのが始まりだった。しかし当時は譜面を読む事もできず、ピアノに合わせて歌う事などハラハラドキドキ。何せ、イチオクターボ低く出てしまった事もあり、ピアニストがびっくりして鍵盤をやたら大きく叩きながら諭そうとし、もちろん私は気付いていたが、歌い始めてしまったから、途中でイチオクターボ上に上げることなんてできない。あの頃はミュージカルに出たいと思っていたから、とにかく高い音域で歌う訓練をしていたと思う。まあ、大変な人を入れてしまったと周りから言われながらも、「いや、あの子はライトが当たるとぱっと輝くの」とムッシュが擁護してくれていたらしい。そのムッシュも数年前に他界した。

そのシャンパーニュに行く途中にSomedayというジャズライブハウスがある。そこでの演奏だった。私は耳より眼の方が発達しているようで、芝居を見ていても役者の言葉よりも動きや表情をよく見ている。勿論声も聞くが、重きは眼に入って来る方に行く。だから、オーケストラを含め楽器だけの演奏はどちらかと言うと苦手である。まだ絵画展やデザインショーにいる方が鑑賞できる。

そんな事もあり、いつもお世話になっている西さんの演奏を客席から聴いてみようという想いと、耳に頼る鑑賞を今ならできるかもしれないとチャレンジをして見た。

いや~、良かったぁ。細かい事は分からないけれど、彼が叩いて出るピアノの音色の柔らかさや強さが何とも良かった。また、彼のメールアドレスになっているoresama
の奥にあるシャイなところ、なんだか嬉しい程に分かって、私の内臓の奥にポトンと座った。これからも、よろしくお願いしま~す





薄紫とヴェネチアン・レッド 2013/12/8

上に書いた西さんのライブに、数年前から絵を描き始めたという人がいた。西さんのライブによく来るらしい。その人が言う、「演奏している時の西さんの手の周りを見てごらん、赤くなっているでしょう。」直ぐには分からなかったが、よーく見ると確かに第2関節辺りから指先に向かって赤くなっている。ライトのせいかと確認したが赤色は出ていない。それが情熱なんだという。西さんの肌色が白いせいで赤なのか、ドラムやベースの人達の指は別色をしていた。ベースの人の色は特定できなかったが、ドラムは茶色だった。彼が描いた演奏中の西さんの周りの光を見せてくれたが、指は赤で叩いた時の鍵盤から出る音は金色である。

人間に色を見る。昔そんな人と逢った事があるような気がするが笑って通り過ぎたと思う。しかし今回は確かに私もピアニストの指に赤色を見た。百聞は一見にしかずである。
彼が続ける、「あなたの色はうす紫、これは愛きょう。」思わずニタっと笑った。その後演奏中に私の右横に座り片手をずっと私の肩に置く、「中は赤、赤でもヴェネチアンレッド。自信ね。」私は静かに笑う。





   できるようになるものだなぁ 2013/12/9

1か月前から週末はダンスステップを教えている。三枝成彰氏が団長を務める六本木男声合唱団で2015年1月にミュージカルをやるらしい。そのオーディションが今週あるらしく、それに向けての課題ステップの特訓をしている。ダンスを習った事もない人がダンスオーディションを受けると言うので、驚き、笑い、疑いなどなど、様々な感情が交った気持ちで話を聴いていた。最初は冗談だと思っていたが、動き始めるとどうも真剣らしい。結構へとへとになるまで私の特訓を受けている。どんな形をしても踊っているようには見えず、どのように教えたら良いのか霞の中にいるような感じであったが。この土日も特訓を受けにやって来た。日曜日には同じくオーディションを受けるという別人も連れて来た。聞くと、その人は、合唱団でやったウォーミングアップ程度を受けたらしく、課題ステップを殆ど踏んでいないらしい。くわ~、これは大変だ。

取りあえず、特訓の最初の2時間は先に受けていた人が復習がてら新参加者に教えるという形で練習をしてもらい、その後を私が見る事に・・・・・・・・・・($・・)/~~~ ・・・・
(@_@;)・・・・・(*_*;・・・(^v^)・・(●^o^●)ごめんなさい・・・・ククク・・・グワ、グワハ、グワッハハハ・・・手を顔に当て必死にこらえた。このオーディションの審査員は本当に楽しいだろう。私もオーディション会場に行きたい。

しかし驚いたのは、これまで何回と特訓を受け続けていた人のステップが様になっていた。一応見られる程度になっている。別な言い方をすれば、耐えなくてはいけない笑いがもう出て来ない。彼は、私が真剣に教えているので、自分も真剣にやらなければいけないと思ったと言う。へぇ~、この位になるものなんだぁ。もう一人の参加者も勘が良い人なので覚えが早く、特訓開始時期を早めていたら、もっとしっかりした動きになっていただろう。土曜は4時間、日曜は5時間の特訓。期待したい。せっかくの特訓、家に帰っても復習して、オーディションを楽しんで欲しい。

このミュージカルには男役と女役があるらしく、それで団員達ははしゃいでいるようだ。女役の場合、ハイヒールを含む衣装から化粧品まで全部自己負担になり、ざっと計算して10万円の出費。三枝さんからは上等なものを買うようにと指示が出ているらしい。10万円の出費を考えたら男役を志願すると言いつつも、女役をやる魅力を棄てきれないようで、裏声で歌う練習をしている。

私は彼らにメールを送った:
めったにない女役、面白いかも知れませんね。出費が重なりますが、だからと言って明日食べられない訳ではない、ならば、楽しさを買った方が良いかも。 Good Luck!

次の私のステージで彼らのステップへの取り組みに進化があるかもしれないと、私はにったりしている。(^_-)-☆





カレンダーを見ると 2013/12/11

土曜日が5回ある月は大体3カ月に1度か稀に2か月後だから、来年の初ステージは2月かと思ったら、3月だった。4か月の間か、過ぎれば早いが、予定日が先にある時はそれまでの時間は長く思え、何をしようかと思ってしまう。が、あまり考えなくて良いのだろう。何かが起きて何かをするようになる。そんな気がする。

本を10冊図書館から借りてきた。ほとんどが小説。中には一冊英文のものがある。今年のノーベル文学賞を受賞したアリス・マンローの短編。その翻訳に対する苦言がネットに多くあった事もあるが、原語なら最寄りの図書館に蔵書があったので、久々に英語で読む事にした。

借りた本の幾つかは私と共に南米に行く事になる。暮れから正月にかけて2週間弱、ペルーとブラジルに行く事にした。やはり1年に一回は外に出る事を私の精神は求めるようだ。南米大陸への旅は初めてであるから、外国への旅慣れしている私も少し心が弾む。しかし長い飛行でロサンゼルスで乗り継ぎのため一泊するらしい。ロサンゼルスか、留学が終わって凡そ30年、その後恋の”逃避行”から20数年年ぶりになるのだろうか。



   

譲渡して行こう 2013/12/12

以前に楽曲を提供しないかと提案されたビクターのディレクターから沢山書いたのなら聴きたいと言って来られた。

2年前、他の歌手への楽曲提供を提案された時、私にはその準備ができていなかった。躊躇いながらある歌手に送ったが、今は新曲を考えておらず当分ラテンやらカバー曲を歌うという。何かほっとしたような、残念に思うような気持ちが交っていたが、そもそもこれは私の発案ではないので楽曲提供の努力はそれだけで非常に淡泊に終わった。

しかしかなりの速度で内面が変わり考え方が変わって行く今の私に、突然降って来た考え方が(11月18日のブログ)、「楽曲提供こそが私に最もふさわしい」ということだった。提案して来たディレクターの何か気弱そうな人柄もその発案実行にブレーキをかけたが、今はそんな事より、与えられしこの御縁に答えようと想う。

11月18日のブログに書いた想いだけではない。先日、テレビで演歌歌手瀬川瑛子のインタビューを聴いていると、歌が彼女の生命の原動力であり、作詞作曲家は正に彼女の命を生かしている。私もこう言う人達の生命の躍動をお手伝いできたら・・・そうする事で、私自身がより多くの喜びを頂く事になるだろうと考えた。譲渡して行こう。





残るは南米旅行 2013/12/14

雑用を含め、今年の暮れまでに私がすべき仕事は全て終わった。後は、南米行きを待つばかり。先日はブラジル領事館に行きビザも頂いて来た。

私は外国人が多い空間が結構好きだ。その国独特の人間の空気を呼吸しているのがなんだかいい。ブラジル領事館にはアメリカ人やイギリス人の集まりとも違う表情や話し方や色がある。だから海外旅行をする時は、日本の航空会社を使わない。旅先の国のスタッフや料理が乗る飛行機を選び、違いを楽しむ。少なくとも往きはそうしたい。しかし今度はツアーだから選択の自由が無く同国人同士の助け合いか全日空になった。が、ロスからペルーまではペルーの飛行機になるらしい。

そんな旅の楽しみがリスクに変わる事もある。かつてケニヤに行ったときの事だが、いつものように乗ったあちらの飛行機、何とも匂いがすごかった。あれは彼らが常食している香辛料だろう。ナイロビでスーパーに入った途端、同じ匂いが私の嗅覚を襲い、全身が帳で包まれた。匂いは習慣性のもので最も慣れやすいものだという。確かに最初の数時間の窒息する様な気分は、気がついたら消えていたが。





まだあった大変大事な仕事 2013/12/15

大事な仕事が残っていた。11月30日のコンサートビデオをビクターに送らなければならない。無料奉仕をして頂いたコーラス仲間から編集が終わったDVDが今年中に送られてくる事になっている。自分用に曲目毎にカット保存した後に、焼かれて来たものはそっくり送ろう。後は年賀状書きか。

最近自分でもすごいと思うが、どんどん歌が生まれる。上で言っていた「僕がママを守るんだ」がおもしろい仕上がりになった。ざっくり言うと次のような話。

~~~~~~~~~
パパとママの部屋からママが泣くの聞こえる。あ~あ、パパがいじめているんだ。僕は機動戦士、ビームライフル懐中電灯を手にママを守りに行くんだ。エイヤタ!
でもさパパは大きくて強い、相手が悪
い、悪すぎる。僕は悩む。だけど変だ、朝のママの顔が嬉しそう、パパもすっきりしている。なぜだ、何があったのだ!
~~~~~~~~~

4コーラス続いた後に、4小節だけ本体から外れるところがあり、そこは全く別のリズムを入れたい。それで3つの異なるバージョンを作って、インストラクターにコメントをもらいに行った。その一つがブルースタッチなのだが、これにインストラクターが驚きを表し、他の2バージョンもそれぞれ結構なのだが、このブルースを見た後はつまらなすぎると言う。それで出来上がり、アレンジャーに送られた。

そうしたらまた昨夜、ラーメン屋のカウンターに座って入って来る人を眺めていたら、別なストーリが生まれた「君の新しい記念日」。帰宅し直ぐに詞を書いて、これまで作った様々な曲に載せてみた。行けそうなものもあるようだ。

となると、「僕がママを守るんだ」ができて、これで書いた曲21曲。その内今年の生産量は11曲、1カ月に1曲の割合で12曲ならすっきりするなぁと、思ってしまった(こういう考え方、あまり好ましくないような気がするのだけれど)。そうしたらふと左の耳の方で囁き始めた「君の新しい記念日」。ちょっと嬉しい。12曲、やはりすっきりする。ギ、ギ、ギーと歯ぎしりしながらやっている訳でなく、ふと降りて来て軽く書けるから嬉しい。11本書いたら1本おまけ、神様からサービスして頂いちゃった。ありがとうございます。

しかし、なんという面白い仕事を私は頂いた事だろう。

これも、日本を発つ前に完成させて行こう。






堪能したクリスマスコンサート 2013/12/15

昨日は笑いが出ない落語を聴きに行ってしまった。アマチュアと新内と師匠のトリオ。この新内と師匠が実の親子である事も一つの理由だろう、息子である新内は前口上がだらだらと延々と続き嫌らしく、まだ一人モノにも拘らず夫婦モノの「芝浜」をやると父親が息子を紹介していたが、言葉だけが達者に流れ、人情の襞に皺が殆どない。師匠の方はだてに歳を取っていないが、ライバルがいないという場所だからか、緊張感が殆どない。座っている身体が苦しくなるほど嫌に思ったが、見方を切り替えた。なぜ面白くないか、何をやってはいけないかを整理した。分かっている事だが、改めてしっかりと自分の中に落した。

長い間、他人の歌を生で聴いていないので歌を聴きたくなった。エンタテイナー、見せる事も知っている大きな歌手の歌を聴きたいと思い、今日は東京芸術劇場でビックリマスというコンサートを堪能した。Gドリームという若い女性達だけで編成されているオーケストラに渡辺真知子、江原啓之、中島啓江の3人が歌う。1部のオーケストラだけの演奏が終わり、2部に渡辺真知子が登場すると、やはりワクワクして来る。見せる。特別な事をしている訳ではないが、見せ方を知っている。いつも歌っているであろう「カモメが翔んだ日」は声の調子があまり良くないのか裏声が多かったが、曲自体のダイナミズムがそれを隠してくれているようだった。

江原啓之は美輪明弘と共にスピリチュアルな番組を担当しているが、武蔵野音大の声楽科を出ているらしく再来年には大阪で開催されるオペラに出演するらしい。確かに声は出るようだ。しかし、スピリチュアルな話をするのと歌をスピリチュアルに歌えるのとは別ものであるらしい。最後の中島啓江はあまり体が大きすぎてお気の毒にも思えたが、彼女の歌ったダニーボーイは涙を誘った。

Gドリームの演奏がなかなか良かった。このオーケストラを聴きながら、自分が随分変化しているのに気が付いた。楽器演奏をじっと聴いて楽しんでいる。落語にしてもそうだが、初めて聴きに行った時は耳だけで物語を追う事のしんどさがあったが、今は十分に楽しんでいる。そしてオーケストラも。へぇ~、いつの間に、と嬉しくなった。

   



切ない歌になりました 2013/12/16

14日に思いついたストーリ「君の新しい記念日」にメロディーを付けて私の作業は完了した。いや~、なかなかいい歌になった。切ない。一つ前の「僕がママを守るんだ」の可笑しさや笑いから、突如甘さと苦さ漂う人生ドラマになった。これまで何度も口から出てきていたメロディーを当てはめて行くと、歌詞が付け足され、そこが「ああ、ここんとかキューンと来るなぁ」となった。涙も流しながら書いている(アハ)。

歌を書く時、大体詞とメロディーが一緒に出てくるが、最近は作曲クラスの課題もあり、メロディーだけを書いて在庫としてしまっておく。メロディーだけを書く時は色々苦心するが、歌詞があると当然その歌詞に沿うメロディーだから最も自然なものができるし、歌詞の内容によってはメロディーも面白くなる。だから作曲偏重の人はメロディーしか見ない人が多く、よくこんな面白いメロディーができたと感心したり感動したりしてくれるが、歌詞を素直に音符であらわせば、当然こうなるじゃん、とそれほど感心されるのがむしろ不思議だったり、気恥ずかしかったりする。今回は小さいながらもできたてほやほやの”お倉”にしまっておいたメロディーを引っ張り出した。いや~、しんみり、ほろ苦く、いい歌になった。

前回のコンサートで西さんが「しずこさんの作る歌、いいでしょ?!」と来場者に向けて言うと、頭を深く上下に動かす人達が目立った。自分でもそう思う。NHKの歌謡番組やBS民放放映の歌謡番組を私はよく見るが、そこに自作の歌をイメージで載せてみると、とても際立ってくる。

できれば、今年中にアレンジが出来上がって欲しいが、相手はかなり忙しそう。もう一人も最近ツイッターをやっていないところを見ると忙しいのかも。すごいよね、業界でも才能と実力の突出した人達二人が私の側にいるんだから。何でなんだ、何でこうなるんだ????(「僕がママを守るんだ」の中の“僕”のセリフ)


いい歌を作って行きなさいという天からの指令だろうね。






忘年会 2013/12/18

今は夜中0時15分。すでに昨日の事になったが、大学地区OBゴルフ会の忘年会だった。とても賑わった。この会は今や私には特別なものになっている。沢山の愛情や気使いを頂き、時々胸が熱くなる時がある。

あれは11月のコンサートが間近に迫っている時、いつものように朝の瞑想をしていたら、体中に緩やかにそして大きく温かいエネルギーが流れ、私自身の心と言うか内部が膨らんで行くような感覚があった。すると、それまで閊えていた事が一緒に溶けて流れ出て行くような気配がした。「あ!私だったんだぁ」苦手なものに接した時の自分の癖がはっきりと見えて来た。気付いた。そして全てが感謝に変わった。

そして迎えたコンサートは、私がずっと以前から描ていた姿を顕し始め、喜びと少しの涙も頂いて終える事ができた。時を同じくして、いやきっと私のこの変化が他(ひと)にそうさせる雰囲気を創っていたのかもしれない、翌日の先輩達と行ったラグビー観戦では彼らと私の間に今までよりも温かいものが通い出していた。一緒に歩きながら本音を話す人、2次会でアドバイスをしてくれる人、私が気にし始めた顔の皺を一緒に見てくれる人(男性)、子供の遊び仲間のような口調で話し出す人。漠然と絵に描いていたような関係が展開していた。本音やアドバイスを聴きながら、私はこの先輩たちに育てられているのだと気付いた。

そしてもう一つ、実は私には避けていた後輩がいた。しかしこの後輩は、実は私と親しくなりたくて一生懸命アピールしようとしていたが、私が避けるがためにその反動に出ていた事にも気が付いた。そんな事が感謝の光の中で全部溶けて行くようだった。私は感慨にふけった。全てが愛なんだ。細かい事はどうでもよい、愛を与えていなかった自分が原因だったのだと知った時、自分の生命が何倍にも逞しくなるのを感じた。

そして今日の忘年会。カラオケで美空ひばりの「津軽のふるさと」を入れたが、キーが高くて思うように歌えなかったため、敗者復活戦を宣言して、「ひばりの佐渡情話」と、ホイットニーのI Will Always Love Youというそれぞれ“難しい“と一般に歌われない歌を選んで歌い、名誉挽回。上の後輩が私が歌うからと会場に気遣う。敗者復活も嫌みなくむしろ皆さんに喜んで頂いて終了。そして最後に「夜明けの歌」。

ああ、やはり全てが自分だ。原因は自分にある。そして他に対しては愛しかない。頭では分かっていてもなかなかできないが、それが身体の細胞の一つ一つに伝わり眼を覚ます瞬間がある。その時が本当に”顕れる”時だ。


私にとっては素晴らしい忘年会となった。来年はもっと大きくなろう。ゴルフ会の皆さん、OB会の皆さん、ありがとうございました。


   


いいなぁ、歌って 2013/12/18

私はテレビに大変お世話になっている。BSができてから私のインスピレーションの多くがここから来るような気がする。地デジと違って、たっぷり時間をかけてアーティストのインタビューや歌謡番組を放映してくれる。

今日はBS朝日で「昭和の歌謡」と題して凡そ3時間に亘り美空ひばり、石原裕次郎から、青江三奈、中村雅俊、松谷千春、中島みゆき、小坂明子などなど沢山。それプラス、盛りだくさんのエピソードがゲストたちによって紹介された。映画の主題歌になったものはその映画の一コマも紹介、例えば、「銀座の恋の物語」。私もこの映画を見ている。あー、映画もいろいろ見たけれど、胸キュンとなったり、観たその夜は一人物語の主人公になったような気分になったり。オーバのポケットの中に入れたチョコレートが溶けてポケットがべとべとになったりして。

歌って本当にすごい。心がとてもとても躍動する。カッコいい曲や大人っぽい曲。私もあんな曲を書いてみたいなぁ、と思ったりする。私の曲よりなんかずっといいような気がして、私の歌はまだアマチュアの域を出ていないような気がして、歌を作っていますなんて言うのが恥ずかしい気もして。でも、こんなすごい世界に私もほんのちょっぴりお仲間入り出来ているのが、嘘のようで本当のようで、本当のようで嘘のようで、一人ドキドキ、ワクワクしちゃった。

いいなぁ、歌って、すごいなぁ、歌って。きっと昨日の忘年会で先輩達がカラオケで歌を歌ってとても楽しんでいた様子がまだ私の中に残っているのかもしれない。この先輩達に歌って頂けるような歌を作れたら、いいなぁ。






口から先に 2013/12/23

「口から先に生まれる」-主語は私では無く(@_@;)、メロディーの事。12月に2つ出て来たから、歌作りは意識的に休もうとしている。借りて来た本を読みたいし、読まなければ。しかし、キッチンでご飯の準備をしていたり、楽しい気分になっていると次から次に新しい旋律が口から出てきて気が付いた時には歌っている。どうしよう、どっちを優先したらいいのだろう、迷う。まずは録音しておく。今では、いつでも録音できるようにパソコンにはマイクをつなぎっ放しにしてある。

こうなるんだね、きっと。クリエイティブな事をする人が、どんどん仕事をこなす時ってこういう事なんだろう。どんどん降って来る、出て来る。生まれる。あ~、この感覚だ!村上春樹が彼の小説1Q84で登場させるリトルピープル。小さな小さな生き物があちらこちらから突然ぞろぞろと現れて来る。クリエイティブな仕事をする人は大体そうだと思うが、自分の感覚が捉えたものしか出せない。小さな小さな生き物がぞろぞろ出て来るという感覚、正にヒントが天からか地からか身体の奥からかそれを利用してくれると信用している人にどんどん届けられる。

読書がかなり遅れている。アレンジが終わって送られて来るものをチェックしたり、送られて来たカラオケに載せて何度と歌ってみたり、一応出来上がった最新曲に手を入れてみてはどの音が最適なのか悩んだり、人の意見を聞いたり。先週の金曜日はとうとうギターのレッスンを休み、読書に当てた。すると遠方から友人の突然訪問。7時間の付き合い。島根で小学校の教頭を務めた後定年退職し、最近は娘さんがいる千葉によく来る。御主人が音楽の先生であった事もありクラシックに精通、その影響か音楽が生活の中にあるようだ。タイミング抜群、どちらの音にしようか彼女に聴いてもらった。私が「こっちかな」と思っている背中を押してくれた。

次の日はジムにも行かず、一日本読みに集中。本の読み方も変わっ来た。昔はただ楽しんだが、最近は歌作りの切っ掛けを得る為に読む事が多い。メロディーって確かに、最初の2小節ほどが出て来ると、ダーと作れてしまうというか出て来るようである(巨人の長嶋選手見たいですね、とインストラクターから言われた)。しかしストーリはそうはいかない。加藤登紀子も中島みゆきも話を聞くと、メロディーが先に出てくるようだ。想うに、メロディーは右脳偏重で生まれるが、言葉となるとやはり左脳の働きが大きく関わって来るのではないかな。詞は言葉からなり、その言葉の切っ掛けをくれるのはやはり外からの言葉である。本の中に、テレビの誰それのインタビューの中に、誰かの歌の中に大体見つける。頭に突然ポンと印象付けられたひとつの単語を切っ掛けに、物語がダーと作られる。しんどい努力無く。

出てくるメロディーにそっぽを向いて、ひたすら本読みをしていたら、今朝4時頃起された。詞とメロディーが一緒になって私の眠りを妨げる。起きてメモしなさいと言っているのだ。う~ん、記憶しておくからこのまま眠らせて欲しいと頭の中でその歌を繰り返すが、やはり気になりとうとう起きて手洗いに行きノートとペンを持って床に戻る。が、その時はもう殆ど頭から消えている。朝目覚めてそのノートを見ると、なんとも、2つの単語だけが訳の分からない状態で並べられてあった。でも、半眠りの中で思った事は、メロディーも詞も記憶したいと思う程のものではなかったように思う。まあ、一つの暗示かもしれない。これからは常にノートとペンを横に置いて眠りなさいという。

ところで、この友人が「愛のいとなみ」に大変惚れこんだようだ。「弦楽器で流されると良いねぇと」と言いながらバイオリンを弾いている真似をする。そして、最新作の「遠い昔に逢いました」には、自分の想いと一緒だと喜び、これが日本中に広がる日が待ち遠しいという。




阿久悠ーカッコいい男 2013/12/23

読書の姿勢に疲れて来ると、床に寝転がったり、床に正座して読んだりと色々工夫する。気分転換の策として、私は録画しておいた番組をみる。ここ数日阿久悠を取り上げる番組が2本続いた。ひとつは甲子園高校野球の2週間部屋から一歩も外に出ず、試合をテレビで観戦し少年たちに向けた詩を書いていた彼を紹介。翌日スポーツ新聞にその詩が掲載されたが、阿久悠は自分の書いた詩があの高校生たちにどのように届いたのか彼らの反応を知りたかったらしい。作者亡きあと別な作家があの頃甲子園の土を踏んだ選手たちを訪ね歩く。

そして今日見たのは「歌謡曲の王様伝説 阿久悠を殺す」という、阿久悠が直木賞候補でありながら直木賞の該当者はいなかったその年の直木賞発表の日、阿久悠はどうしていたかという推理ドラマのようなもの。実にカッコいい。直木賞受賞から外れた日、彼は場末のバーに入る。そこでひと旗挙げようとしている若いミュージシャンが彼にけんか腰である、ヘッドフォンの付いた携帯ワークマンのようなものをバーカウンターに叩きつけ、「これからは音楽の聴き方が変わる。聴き方が変われば聴く歌も変わる、俺は阿久悠を殺す」と本人の前で豪語する。それでいながら最後には自分のデモテープを差し出し、どこかに取り次いで欲しいと懇願する。阿久悠はそのテープを床に投げ足で踏みつぶして言う、「阿久悠を殺すのはお前じゃない、殺すなら阿久悠自身が殺す」。それから阿久悠の曲は変わって行く。派手な世界からの発信ではなく、普通の生活の中にある過去に優しい歌を書き始める、「時代遅れの男」。

以前にこのブログでも紹介したが、私は阿久悠の小説「恋歌ふたたび」を読んでいる。この小節に出て来る主人公は有名作詞家、どこから見ても阿久悠自身を想わせる。素敵な男なのだ。男が素敵な小説ってあまり読んだ事がない。記憶にない。男はいつも、我欲と陰湿な嫉妬と打算に囚われているか、甲斐性なくして女の紐となっている売れない作家たち。男が描く男も女が描く男も大体そうだ。

しかし阿久悠の描く男はカッコいい、惚れ惚れさせる。時代もので表層的な素晴らしい男をテレビドラマで見たりするが、阿久悠のカッコよさはにじみ出て来るカッコよさなのだ。あの強面の顔の裏に隠されている純粋で正直でシャイな人柄。何とも良い男だったように思う。

田辺聖子が言っていた、男は可愛いのが良いと。確かにチャーミングな男は何とも言えない魅力がある。しかし、これは女にも言えるのではないかな。


   


ソチ・オリンピック、フィギュア・スケート日本代表 2013/12/24

南米に行く前に借りて来た本を何冊か読み終わろうとしてそちらに気を取られていたので、フィギュア・スケート世界選手権日本代表決定戦を見損じてしまった。昨日決定戦があったと先ほど分かった。今日は戦いの後のExhibition。金を取った鈴木明子の演技が少し画面に映った。息をのんだ。ここまで来たんだね、と嬉しかった。そして彼女のExhibitionでのやはり無心な演技。私が普段信じている事を彼女が画面で実証してくれたようで、特別な感慨がある。勝ち負けじゃない、自分のベストをやり尽くせばいい。メダルは神様が落される。

今回、高橋大輔は5位だったのに、3人枠の日本代表に選ばれた。本人もその結果に言葉が出ないほど驚いたらしい。なるほどなぁ、3位の小杉君も頑張ったけれど、おそらくオリンピックで結果を出せるのは高橋君かもしれない。意志力だ。高橋君はおそらくこれが最後のオリンピックとなり、小杉君はまだこれからがある。

それにしても日本のフィギュア・スケートの進化にはものすごいものがある。以前にもこのブログで話した事があるが、2002年のソルトレイクの日本代表は本田君一人だった。当時の日本選手の技術と今の選手たちの技術は比べ物にならない程研磨され、それに表現力も加わった。今回の日本代表決定戦に参加した多くの代表(特に男子)はあの頃ならみんなオリンピックに行けただろうなぁ。

みんな、翔んで帰っておいで!





 この国にもう一度生まれたい 2013/12/27

あなたに出会ったこの国に もう一度生まれたい
お陰さまお互いさまのこの国に もう一度生まれたい
憎しみより愛を育てるこの国に もう一度生まれたい
恥を知り優雅さを育てるこの国に もう一度生まれたい
両手を合わせ祈るこの国に もう一度生まれたい

昔の子供たちが駆け寄って来る
鼻を垂らし セーターの袖をカチカチにして
疲れを知らず北風の中に遊ぶ子供達が
まぶたに駆け寄って来る
あの頃はもう戻らないけれど またこの国に生まれたい
憎しみより愛を育てるこの国に もう一度生まれたい


褒め言葉に躊躇うこの国に もう一度生まれたい
恥ずかしげに首を垂れるこの国に もう一度生まれたい

   




今朝2時30分、あるメロディーが私を頭の中をかき回して私を起こした。今度はきちんと録音した。とても魅力的な旋律だった。そして間もなく上の詩も録音して欲しいとやって来た。

そして朝、録音しておいた自分の声を聴いた。初めて聞く眠いところを起こされた時の自分の声、何とも心惹かれる声だった。側に行きたいと思う声だった(私の中にはいつも無意識の世界にいる自分を素直に見ている意識の世界の自分がいるようだ)。




 
 
今年も一年ありがとうございました 2013/12/28

今年も一年間、私のうわ言、小言、世間話など聞いて下さりありがとうございました。明日から2週間弱アンデス山麓にあるマチュピチュ、ブラジルとアルゼンチンの境に降るイグアスの滝を見てまわってきます。そしてできれば、あちらの現地の人達が集まるライブハウスにも足を運びたい。思いついた時に直ぐに行動する、ずっとそうでしたが、最近特にその傾向が強くなりました。

では、皆さま、良いお年をお迎えください。来年は(も?)沢山の「いいね」をこのHPに頂けるようにしたいと思います。何かが始まる、そんな気配が、空気が動いているような気がしています。 A Happy New Year!



     

   

iback