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8月


  8月のソロライブ 8/11   その10 アイスランド:ブルーラグーン 8/8   その9 アイスランドー北へ 8/7    その8 アイスランド-温泉 8/6
  
 その7 再びアイスランド-南へ 8/6    その6 グリーンランド:エキ 8/5   その5 グリーンランド:白夜とりマナック 8/5   その4 イルリサット村内観光  8/4

まだ旅の途中か 8/3  その3 グリーンランド 8/3   その2 レイキャビック  8/2  アムステルダム経由グリーンランド/アイスランドへの旅 その1 アムステルダム 8/2

 


7月

帰宅 7/31  行ってきま~す。7/16    すべて、ね(^v^) 7/15

加藤登紀子コンサート 7/12   記憶するために 7/11  君の名は 7/11   さあ、夏休み 7/9   りゃ、大変だ、携帯電話が鳴りっぱなし 7/8   地球規模の祭り 7/7

増上慢 7/7   大量生産 7/5    後悔 7/4    私の歌の特徴 7/2     中島みゆきの歌 7/2     日本人の言葉作りの妙 7/1    7月 7/1




6月


MPJ 6/28   なんで幸せ 6/27

よく言われる事だけれど 6/25   長い6月 6/23   されど 6/23    「ライバル」6/21   心ざわざわ 6/20  きれいだ 6/20    久しぶりのスーツ 6/20
  
19歳のジェイコフ 6/15     まだまだ 6/15    側にいてくれる 6/11   呼ばれたのね 6/10    よく見た夢 6/4   いいライブだった(続き) 6/4




   5月 

いいライブだった 5/31

メディアの人と 5/28   パチンコがきっかけ 5/26    大塚音楽祭 5/25   歯科大学病院で 5/23  赤ワインと相性がよくて 5/22  神秘というか 5/21

 一言書いてあれば 5/21   「ああ、あんた恋しや」 5/16    歌って、やはり・・・5/14  楽しい一日 5/13    レジ袋 5/12   「日中韓の将来を語る」 5/11

夢中になるものがあると言う事 5/10   必要なものが与えられて 5/10   戻って来た 5/4   てんやわんや 5/3   他の曲も聴きたい? 5/2    5月のライブ 5/2




  4月 

  咲きの歌? 4/29 

ヤシの木に別れ 4/29   最後の最後まで美しく 4/26   AからZを広げる 4/24    顔 4/23   「桜の枝」と「化粧を落しておくれ」 4/23    ねばって 4/21

 STBの無期限営業停止 4/19   おめでとう 4/17   さわやかな朝 4/16  賽は投げられた 4/15   前方に誰かが待っている 4/13   歌い込み開始 4/11 

排他的からより豊かな社会に 4/11
    ゴルフコンペ 4/11   「アンナと雪の女王」 4/8    花見 4/5   化粧を落しておくれ 4/4   自然 4/2   104 4/1
 
3月

  
細胞に微電流がながれる 3/31  ライブ終了 3/29  希望を与える事があなたの仕事 3/25  10曲をレコーディング 3/25    マーボ豆腐 3/25

ホテルローヤル」 3/22
   東京タワーとうなぎ 3/22   キャッキャッ(●^o^●) 3/20  レコーディング順調に進行 3/18   ずっと前からいてくれていた 3/15

苦労せんくていい 3/12  化粧 3/12  初めての観戦-ボクシング 3/11  空には何もないから 3/8  また雪だ 3/7  今がいいのか、そんな日がいいのか 3/6

遠くに置いて来た懐かしい日 3/5   プロフェッショナル 仕事の流儀:同時通訳者 3/3  となりの芝生 3/1   4か月ぶりのライブ 3/1   のど自慢全国大会 3/1  
 


2月
 

何も聴いていない 2/27  出入り禁止ーデモ作りの開始 2/26   三木谷vs.堀江もん/星野仙一vs.野村克也 2/25  野村克也氏のくやしさ 2/24   良かったね 2/21   
 
石川さゆりコンサート 2/21  ためいき 2/20  面白い人間は面白い人間に呼ばれる 2/16  雪 2/14   何かを教えてくれるため 2/12  因果応報 2/10   

楽しい仕事 2/9  大学OB新年会 2/7  うわ~ 2/7  ローザンヌ国際バレエコンクール 2/6   手直し 2/6   方法は必ずある  2/4   暖かくなりましたね・・・ 2/3



   1月

 
今の生活 1/30   ランバダのリズムで 1/30   あはは・・・1/28   う~ん 1/26

自作曲をYoutubuにアップ 1/21   「時よ、ありがとう」 1/20   時事漫談 松元ヒロ 1/18    南米旅行-あとがき 1/18   南米旅行-(最終)イグアスの滝 1/17 

南米旅行-(6)ブラジル到着  1/17  「この国にもう一度生まれたい」 1/16  南米旅行-(5)マチュピチュ 1/16   南米旅行-(4)クスコ 1/15   

南米旅行-(3)ナスカ 1/14  南米旅行-(2)リマ 1/13    ハングリー・ハート 1/12   南米旅行-(1)コーヒールンバとドレス 1/11   謹賀新年 1/10 



























































 



謹賀新年 1/10


あけましておめでとうございます。今朝南米の旅から帰宅しました。

いつが正月だったのか、実を言うと余り認識がないのです。目の前にある景色に人に料理に心は奪われ、正月に何をしていたのか、旅行会社から渡された旅のしおりを見ない限り、ほとんど思い出せない。ペルーのリマにいた事だけは確かだけれど(南米旅行についてはまた別途書いてゆきます)。

昨年私は何をしたのだろう、直ぐに言える事は12の楽曲を書いてしまったという事。書けると思わなかった。2年前歌をどんどん書いて下さいとビクターのディレクターから言われた時は、本当に私は歌を書ける人間なのか、私自身が分からなかった。書ける気がしないでもなかったが、昨年のスピードで出てくるとは想いもしなかった。当時完成していた曲は5曲、それから17曲が新しく生まれた。3曲を続けざまに出した時、それを特別な事のように捉えていたようすのアレンジャーも昨年はそのピッチが当たり前のように対応してくれていた。何が起きるのかどんな年になるのか自分では全く見えない。ただ善い事だけがどんどん起きて来るという自覚だけはある。

日本に帰り羽田から路線バスを待つ間空港のロビーで座っていると、空港で働く人の群れが電車の到着と同時に流れて来た。そこにはもはや正月の穏やかなほっとり感はない。初仕事が始まって5日目の姿には、既に通常の時間が戻っていた。そうか、私も仕事に戻ろうと身が締まった(少しだけね)。旅行中に生まれた曲やフレーズがあるので、それをまとめよう。

今年、私は何をするのか、どんな出会いがあるのか、楽しみだ。夢は見ない事にしている。外れて落胆するのは、ちょっとしんどい。今を大事に丁寧に生きて行こう。

どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。

追記:書いたものを読み直しながら思い出した。1月1日には、ペルーのナスカという、インカ時代に山や岩に描かれた最長100mの絵を空から見ていたんだった。(^v^)






南米旅行-(1)コーヒールンバとドレス 1/11

昨日はそのまま床暖の上で5時間ほど寝てしまったようだ。あらまぁ~、朝5時に目覚め、そのままベッドへと寝場所を変えて、昼過ぎに眼覚めた。合計12時間も寝たみたい。さて、”旅行記”を始めましょう。

行き先が南米、英語を解する人が見つから無いかも知れないし、広い国を移動するのは大変そうなので、初めて日本の旅行会社のグループ・ツアーを選んだ。

こう言うツアーの場合は余りエピソードは生まれないが、二つばかり紹介。

イグアスの滝を見にペルーのリマからブラジルのイグアス空港に到着。他のツアー参加者が揃うまで、私は空港のロビーから外に出た。丁度陽が沈みかけていて、雲は陽の陰りを創りダイナミックな空を演出していた。「うわ~!」 踊りたくなった。コーヒールンバを歌って踊りながらロビーに戻ろうとすると、空港職員らしき二人の男たちの表情が突然花開く。彼らと少しおしゃべりしながら踊り続けていると、10メートルほど先の事務所のドアからまた別の職員が出てきてこちらを見ては頭を2度ほど上下に動かしじっと見続けている。歌や踊りや、楽しさを大手を広げて迎える文化に受け入れられたような気がした。ツアー参加者が全員揃い、迎えに来ているバスに乗り込もうと空港のロビーを去る時、例の職員たちが私を見るや、又突然あの花満開の表情に変わり、まるで友達のような挨拶を贈ってくれた。

翌日はワインカラーのとっても素敵なドレスに深い御縁を頂いた。実はブラジルに入る前にステキなドレスを買おうと思っていたので、まるで呼ばれたようだった。それも宿泊したホテルから徒歩5分程のブティックで。

しかし、おいそれと手に入った訳ではない。相手は英語を解しないし私もポルトガル語が全く分からない。レジ係が自分の言いたい事をパソコンで自動翻訳し、それを紙に書いて私に渡し、紙に書いて答えた私の英語をまたパソコンに打って翻訳し理解する。バスの集合時間が迫っているので焦ったが、大丈夫だと結構落ち着いていたような気もする。

気に入ったものを一つ見つけ精算しようとするが、私のクレジットカードが通らない。何度やってもダメ。前日にはこのカードでアクセサリーを買ったのに変だ。現金は持ち歩かないし、カード会社に電話をしなさいというメッセージが出るらしいが、海外にいる時には私は大体携帯電話を持ち歩かない。言葉の通じない会話に体をひねりながら時には悲鳴を上げながらやり取りしている内に気が付いた、昨年の夏あたりに私のカードがメキシコとペルーで悪用されているとカード会社から電話があり、直ぐにロックされた事がある。そうか、前日の買い物で”またか”と直ぐにロックしたのだろう。あ~あ、あの時は感謝したけれど・・・・(@_@;)。

ドレスを着て試着室から出て来た私に”Perfecto"と店員も驚いてその感嘆を別の店員に伝えている。まるで私を待っていたかのように、サイズもスタイルも私にぴったりのドレスである。そんなドレスを前にして、それも日本ではあり得ない手ごろな値段なのに、諦めるなんて・・・・いや~~~~~~~~!!!!受け入れられないというか、私のところに来ないなんてあり得ない、そんな気持ちだった。しかしバスの集合時間は迫っているし、ホテルに戻るしかない。

ホテルに戻ると、数人のツアーメンバーがロビーに集まっていた。私は思い切って50代前半の御夫婦に訊ねた、「ドルを持っていたら貸して頂けませんか、ロスで返します。」親しくない人にお金を借りるなんて勇気のいることだが、相手もびっくりである。私の必死さが伝わったのだろう、添乗員を証人にして貸して下さった。彼らが貸してくれたドル札の中にはペルーでは使えないものがあったが(印字された番号によるらしい)、運良くここはブラジル。どんなドル札でも受けた。お店にすっ飛んで行き(すっ飛んで行く?うっそ~、よいしょ、よいしょ、でしょ?)、めでたくゲット。いつもほぼ時間通りに出発するグループだが、私が戻った時には丁度全員がホテルから出て来るところだった。

このドレス、そうねぇ、いつかまた大きなステージでやる時に着ますわ。 つづく






ハングリー・ハート 1/12

また2時間ばかり眠ると夜中の2時30分頃に起きてしまった。眠ろうと努力して見るが、眼はつぶっていても、頭はすっきりと覚めている。時間がもったいないような気がして起きて村上春樹の「意味がなければスイングはない」の続きを読み、そこに紹介されているミュージシャンの歌をyoutubeで検索して聴いたり、詞をネットで見つけたりしていた。ロックは”うるさい”という印象だけが強く真面目に聴こうなどと思った事もないので、彼が紹介しているミュージシャンの名前は日本のスガシカオ以外は聞いた事がない。

聴いて、ただ驚く。全米でヒットした曲らしいが、歌詞がすごい。

~~~~~~
ボルティモアに女房と子供達がいたんだよ
あるとき俺は車で家を出て、そのまま戻らなかった。
行く先も分からずに流れて行く川みたいに、
まずい方向に折れて、そのまま流されて来たんだ。

誰もが飢えた心を持っている
誰もが飢えた心を持っている
賭け金を張って、やりたい事をやるんだ
みんな飢えた心を持っているんだよ (「ハングリーハート」)
~~~~~~
すごいことだ。暗い内容の歌なのに、このナンバーになると集まった8万人の聴衆の多くが一緒になって歌うというのだから。村上はリアリティーのある本物の言葉に心が惹かれるのだろう。

ここで歌われている世界は私の世界ではない。社会全体から見ると恵まれている、羨ましがられる層の中に私は属するのだろう、交じる人が多くなったここ5,6年の間に分かった。それまでは付き合う人も大体同じ境遇の人間たちだから、それが丸ごと日本だと思いがちだった。しかしこの間、それまでかなり距離を持ったところから、そんな人達もいるのだろうぐらいに表皮をかすっただけの人間達が集まる場所に私が出入りするようになった。世の中にこんなに弱く貧しい人達もいるのかとそれを直に目撃し、自分の手で触れた体験を持った。それから私の思考スペクトルも僅かだが変わったように思う。

こう言う歌が多くの人に喜ばれるのか、私にはとても書けない。これを歌っているBruce Springsteenの声は、お世辞にでも決して“いい”とは言えない。歌詞が手元になければ何を歌っているのか、叫んでいる以外、全く分からない。私の向かう方向とは全く逆だ。

しかし私も何かを得て納得して事を終える習性がある、意味がなければ私のスイングもない。私は私のリアリティーを書けばいい。リアリティーは必ずしも暗い部分だけではない。どうも村上は暗い部分のリアリティーに“リアリティー”を見るようだ。暗い現象に。しかし、彼も知っている、人間の内奥にある善なるリアリティーを(それをもリアリティーと呼ぶのを彼が許可するかどうかは別だが)。ありのままの暗い部分を描くのも良いが、その闇や混沌の中に身をゆだねず上昇して行く人間がいる事もリアリティーだ。私はその姿に「動」と美しさを感じるのだろう。その姿は、上昇するすべも持たず上昇する事も考えられない人々には絵空事にしか映らないかもしれない。常套句だが、全ての人に受け入れられる歌を書くのは無理だ。わたしは「しずこの在り続けようとする世界」を創って行くだけ。その姿をリアリティーを持って書き続けようと思う。







南米旅行-(2)リマ 1/13

やっと通常の時間に起きた。

信号さえも盗まれる。嘘のような本当の話、真実味を持ってガイドが言う:10年前道路に信号はまだなかったんですが、付けると次の朝には無くなっているんです。この国では便器を買う時便座は別売りで、デパートなどでは便座やトイレットペーパー・ホルダーが無くなるんです。彼らは何が欲しいのか分かりません。先日クリスマスの日に友人の家の屋上で泥棒が歩いていて、友人がびっくりしたと言っていました。

とにかく泥棒が多いらしい。泥棒は職業だし、家業であるらしく、どの家も鉄格子を玄関にも、階を問わず窓にも取りつけている。それでも泥棒は入るらしい。ペルーもスペイン語圏だが、昔スペイン語をNHKのテキストで勉強していた時、スキットのテーマに泥棒の話が多かったのを思い出した。でも信号を盗んでどうするんだろう。金属溶解工場に持って行くという。

リマの旧市街地と新市街地。豪華マンションや高級住宅が建つ新市街地に対し、旧市街地は無人廃墟ビルを思わせるような建物が通りに延々と並ぶ。そんな旧市街地の広場に大統領官邸とその近くには初の日系人大統領フジモリ氏がよく通ったというバー(小さなカウンター式軽食屋)がある。大統領が通うのだから”おしゃれな”なところを想像しようとするが、さにあらず(下の写真参照)。

お手洗いがよく詰まるので、トイレットペーパーはトイレに流さず備え付けのゴミ箱に入れて下さいという。硬水の消毒に石灰を使うがそれが排水パイプに付着して通りが悪くなるのだとか。観光地では観光客がついつい流してしまうのだろう、後進国を旅する時に私が一番恐れている光景を目にする事になった(ウエッ!)。
つづく



写真左から (クリックすると大きくなります)
1.夜中1時、リマ空港到着ロビーには迎える人で賑わう。国際線は殆ど夜中着らしい。
2.大統領官邸や市役所のある広場で
3.市役所
4.大統領官邸で衛兵の交代
5.フジモリ大統領がよく通ったというバー
6.泥棒よけにどの家にも鉄格子が門にも階に関わらず窓にも取りつけられてある
7.ツアーグループのメンバー。彼女は旅行好きのお母さんの車いすをずっと押していた。
8.少し上ランクのレストランで出されたメインディッシュ。供え方にエレガンスを添える事は無い?!
9.リマに入る前、トランジットでLAに宿泊。そのホテルのティッシュ箱。花のところはトイレットペーパを使用。

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南米旅行-(3)ナスカ 1/14

夜中2時、リマ市内から4時間ほどバスに乗り、ナスカに到着。アンデス山脈のふもとに巨大な動植物の絵が描かれてあるのでそれを見に行く、いわゆる”ナスカの地上絵”。誰が、いつ、何のために書いたか様々に調査されているらしい。

ガイドが言う;動植物の形を表しながらも100mの大きさ、曲がらずに描かれているところから、あのころ(?)に既に数学の知識と尺があったはずです。そんなすごい人間達がペルーにいたのです。ペルーを占領したスペインはそのペルーの知恵を盗み、太陽や自然の神を拝んでいたこの国にキリスト教を強制しました。

ナスカの後でインカ帝国の城とされるマチュピチュに行くが、人間の知恵というのは太古も現在も変わらず本当にすごいと思う。この宇宙の空間の中で人間にだけに与えられた無限の知恵。出しても出しても出て来る知恵なのだなぁと、人間の偉大さと同時にそれを頂いた人間の使命を改めて思ったりする。

私の興味をそそったのは、すんまへんが、実はナスカの地上絵よりも、その飛行場のまわりの”住居”だった。一見ベニヤだけで作ったような箱は初めは倉庫か何かだと思ったが、人が集まっているし、よくみると洗濯ものも干してある。家だというが、屋根がない。一体どうやって暮らすのだろう。ガイドに訊ねると、「この辺は雨が降らないし、平均温度は春秋が無くて夏冬20℃~30℃だから」。確かに砂漠地帯だが、風も吹くだろうに、埃も入るだろうに。昔々見た洋画に「屋根」というのがあった。屋根があって初めて家とみなされ、こっそり石を積んで家を作っている家族に警察か軍が見回りに来るという話だった。ここでは、屋根よりも在住年数らしい。5年いれば家とみなされるが、時々立退きさせられると言う。この街の事をこの後に行くマチュピチュの観光ガイドに言うと、「彼らは働きたくないんだよ。アンデスの人間とは違うんだ。アンデスの人間は一生懸命働くよ、頑張るよ。収入がなければ政府からの補助金が入るからね、彼らは補助金をもらうために仕事をしないんだよ。教育も受けないよ」と説明した。

廃墟ビルが並ぶリマの旧市街地、そしてナスカの“住居”。3日間私はまだこれしか見ていない。私に映るペルー、この国の魅力ってなんだろう、いろんな意味で日本とはかなり隔たったところだ。後日リマでの最終日に、日本に留学していた日系ペルー人と結婚し6年前こちらに渡って来たというガイドが言外に含める:日本よりも人を大事にする。経済の進歩が必ずしも幸せを生む訳ではない。
つづく


写真左から
1.地上絵を見に、セスナ機に
2.下は砂漠。ペルーはほんの僅かな海岸沿いと砂漠、そしてアンデスの熱帯雨林
3.平地と砂漠の境目がはっきりと見える。海が近いので、砂漠にもかかわらず湿度が高い
4.5.海岸沿いにある家、泥棒は入らないようで鉄格子はない
6.レストランで出された紫のとうもろこし

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南米旅行-(4)クスコ 1/15

リマからまた飛行機を1時間30分程乗って2つ目の世界遺産マチュピチュに行くためにクスコに到着。ここはインカ王国の中心地。リマとかなり違い、こじんまりして街全体に手入れがされている。世界遺産に登録されている事も理由になるのだろうと思う。なんだかほっとした。

突然標高3400mに降りたものだから、高山病にかかったようだ。頭に鉄兜をかぶせられて締め付けられているようである。左右のあばら骨が丁度交わる所の胃の辺りが固い。これが激化すると吐き気を催すらしい。酸欠。高山病の予防に前日よく寝ることが書かれてあったが、リマに到着して以来睡眠は細切れになり、時差の関係で前夜は一睡もしていなかった。クスコからまたバスに乗って標高2400メートルのマチュピチュに降りた頃にはこの高山病も消えていたが、又マチュピチュからの帰りクスコに立ち寄ると同じ症状、今度はなんだか熱っぽい。風邪かな。たまたまツアーグループに本職が医者のカメラマンがいて、添乗員に頭痛薬を飲まして痛みは解消するだろうと言ってくれたようだ。本当、葛根湯を直ぐに飲んだが、この頭痛薬がてきめんに効いた。医者ってやはり頼もしいものだなぁと思ったりした。

クスコの高原は雄大、空も広々として大きい。住んでいる人は完全に自然と共存している。アンデスの羊、アルパカやピクーニャが人間のいるところに躊躇いもなく現れる。クスコの町ではアンデスの歌を聴かせてくれるバンド付きレストランでランチになったが、日本人へのサービスに、日本人がよく知っている「コンドルは飛んでいる」や「上を向いて歩こう」などを歌ってくれる。「上を向いて歩こう」では「幸せは空の上に~♪」と歌うのだが、「しあわせ」と言えないのだろうか「きあわせ」と発音する。私の聴き違いかと注意して聴いたがやはり「きあわせ」だった。後でそれを言ってあげようとしたら、全く通じなかった。英語はダメあるよ。また意味も知らないで歌っているようだ。しかしその他の発音はかなり良く、顔を見なければ日本人が歌っていると言っても疑わないと思う。




写真左から
1.この広い野原いっぱい♪
2.横はアルパカかピクーニャか
3.アンデスの人達と
4.クスコの中心街
5.まるでアンデス
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南米旅行-(5)マチュピチュ 1/16

今日は母の命日。やっと身体が日本時間に戻り、昨日は11時前に就寝、朝5時前に起きた。これから朝早く起きる事にしようと思う。朝に歌を作ると、朝の空気が歌に入るような気がする(夜に聴くような歌には夜に書く?)。で、仏壇で母と話をしお経を読んだ。

さて、マチュピチュ、アンデス山麓にあるインカ時代の住居遺跡である。いや~よかったぁ~。何が良かったって天候に恵まれたのである。山の天気は移り変わると言うが、それを体験させてもらった。最初は霞みがかり、ほとんど何も見えなかったが、まるで薄い透けたカーテンがゆっくり開いて行くように、マチュピチュの全貌が色を持って見えて来た。ツアーグループのメンバーや添乗員が「私は天気女」だと自分の御手柄を主張していたが(私の主張、「私の活動にとってベストな天気になる」)、段々と空は曇り、パラパラと降りだし、やがて本降りになってきた。セーターが欲しいと思わせる外気が心配だったが、どうにか持ちこたえた。皆傘やカッパを使い始めたが間に合わず、ズボンがびっしょり、ズックにまで雨が忍びこんで、歩くとブシャブシャと雨水も一緒に運んでいる音がする。岩の下で雨宿りする西洋人の若者もいたが、多くの人達がそのまま歩いた。こんなびしょびしょの中でも現地のツアーガイドは説明を休まない。私たちはそこに立ちつくさなければ行けない。風邪をひかないかと気になる。

やがて雨は止み、暖房をしている訳ではなかったと思うが、外から入ると温かさを感じたレストランでランチをした後、希望者だけで「インカの橋」か「太陽の門」に行く事になった。ホテルのフロントに訊ねると、一つを選択しなければならないなら「太陽の門」だという。標高2700メートルの頂きで、太陽が最も早く到達するところに門を設けたらしい(インカ時代には自然神を祭った)。そこからはアンデス山脈が一望できる。で、そちらに登ろうとしたが、下りて来る観光客が「Terrible!(ひどいよ)」という。先ほどの雨で頂上はまだ霞みで何も見えないようだ。踝を返しインカの橋に行くが、ガイドの片道1時間が往復で凡そ1時間になった。これならばと、ひとり太陽の門まで登る事にした。

絶景だった。

二つの観光地点までえっさえっさ登ったので、翌日の筋肉痛が気になり、ホテルに帰ってからは町のメイン通りの突き当たりにある温泉に出かけた(これもかなり登らなければならない)。温泉と言っても日本のような優雅なものじゃない。まるで貯水槽のようなところに水着を着て入り、立ったまま浸かる。温泉所の手前では水着を販売している。水着10ドル、温泉5ドル。この後マッサージ専門店に、15ドル。金額に見合った揉みであった(@_@;)。  つづく
 


写真左から
1.クスコからマチュピチュ行きの電車
2.電車から見る景色, 丁度真ん中に雲の切れ目から陽が射し始めたところ
3.霞みがかったマチュピチュ
4.本降りにとうとう観光客は全員雨宿り
5.インカの橋
6.太陽の門の頂きから(この下は崖、恐る恐る猫のように四つん這いに進みこのポーズ)
7.温泉

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「この国にもう一度生まれたい」 1/16

ペルーを旅行中に新しいメロディーが生まれ、それを以前寝ている時に伝えられた歌詞に当てはめてみたら、どうにか行けそうになった。昨日は今年第一回目の作曲クラス、「自然で、これまでの歌とまるっきり違う博愛主義的な歌ですね」と言われ、全然自信が無かったのだけれど、歌にしていいみたい。人の反応って予測できない。自分で決めちゃいけないと改めて思ったかな。作ったらあとは人(世)に任せるのが一番かも。

自分の人知でやっていない時には、もしかすると良いに決まっているのかもしれない。神から手渡されたものだから。何か昔聞いた事のあるトルコ民謡みたいなメロディーだが、詞もメロディーも反復が多いので、転調させて単調さを回避して見た。これにどんなアレンジが付くのだろう、楽しみだ。






南米旅行-(6)ブラジル到着 1/17


マチュピチュからまたリマに戻り、翌日はいよいよブラジル入りである。イグアスの滝を最初にブラジル側から、そして翌日にアルゼンチンまで入りそちらからも見る事になる。ブラジル、なんだか魅力のある国だ。ロスに留学していた時も、ブラジル出身の舞踊専攻の学生がいた。肌の色がブラウン、白や黒または黄色よりなぜか私にはセクシーに見える。ワールドカップのサッカーを見ていても、自由気ままな空気を感じるブラジルが出ると心が浮き立つ。行った事もない国なのに可笑しなものだ。

この旅行記の(1)にも書いたが、空港に着いた時から踊りたくなるような空気がこの国にはやはりあるのだと思う。全員が揃いバスに乗ると、現地ガイドの日系ブラジル人3世がこの国を紹介する。
~~~~~
皆さん、このブラジルで日本と同じような期待を持たないで下さいよ。泥棒がたくさんいます。こわいですよ。家に入ってきてピストルを突き付けてきますから。私の息子も9年前、アパートに泥棒に入られてピストルで撃たれて死にました。私はいまでもガレージに車を入れる時は周りに泥棒がいないか気をつけます。

数年前の話ですがね、日本から来た人の話なんです。シャワーを浴びようと蛇口をひねったらシャワーヘッドが頭の上に落ちてきたとびっくりしてましたよ。がっはっはっは。プラスティックでできていたので怪我はなかったですけれどね。排水管にゴミを受け取るものがないから、入れ歯を落としたらそのまま流れて行ってしまったという人もいましたよ。がっはっはっは。
~~~~~

ペルーの泥棒はまだ柔らかい方かな。それにしても災難を悪意なく遠慮なく笑っちゃうユーモアはいいね(自分の災難も?)。

着いたホテル。一応この近辺ではデラックス組に入るらしく、ワンルームマンションのようにキッチンもある。でもガスやIHはない。鍵を受け取りエレベータに乗ってそれぞれの部屋の階でドアが開くと、「なに、これ?!」どの階も廊下は真っ暗。小さな点ライトしかない。ブラジルはエコ生活を徹底させているらしい。だからバスタブもなく、デラックス・ホテルでさえシャワーのみ。確か、ガソリンの代わりにエタノールの使用を最も積極的に進めているのはブラジルじゃなかったか。どか~んとやっちゃう国なんだね。

日本から仕事でブラジルに行き、そこに居ついてしまった人が言っていた「ブラジルはいいよ~!」きっと、この大らかさだろうなぁ。  つづく


 




ブラジルイグアス空港に着いた時に迎えてくれた夕闇













南米旅行-(最終)イグアスの滝 1/17


気温36度。

すごい、行けども行けども滝、滝、滝。ブルラジル側からでも十分な豪快さだが、アルゼンチン側から見るスケールはブラジルのそれを凌ぐ。ツアーでは、イグアスの滝を陸海空でアクセスする。

目で見てすごいのは陸から見る滝の流れ。連なる雪山に大容量のダイナマイトを仕掛けて同時爆破させた時に落ちてくる雪崩のようなものもあれば、この地球の中心部が怒り狂い全てを呑みこもうとするようなおどろおどろしい勢いを持つものもある。これが滝?私たちが滝と呼ぶ範疇のものから遥かに遠い。...

そんな滝に実際に触れることができるのがゴムボートに乗った川下り。水着に着替え合羽をかぶり、イグアス川の上を行く。滝の真下へ、裏側へ、そして前方へ。この川下りのために川辺に集まった私たちに突然のスコール。どうせ濡れるんだからこのスコールも歓迎とばかりはしゃいだが、方向がアゲインスト。雨は真っ向から顔を打つ。痛くて手で覆うか、下を向くか、横を向くか。何も見えない。どうにでもなれである。スコールも滝も皆一緒に引き受けた。行くぜ!「きゃ~、きゃ~、きゃ~!!!」「うぉー、うぉー、うぉー!!!!」25分程度、滝の下で洗礼を受けたら皆童心に戻っていた。スコールも過ぎていた。

上の二つに比べると、空からのアクセスは差ほどの感慨がなくあっさりと終了。それは、イグアスの滝が世界遺産に登録されてから規制が厳しくなり、かなり離れたところを飛ぶだけになったため。かつては、滝のすぐ側まで下降したが、滝の裏側に巣を作っている鳥が騒音に怯え逃げてしまったらしい。

ネットサーフィンしていたら、イグアスの滝を見た元米国大統領ルーズベルトのワイフは「可哀そうなナイアガラよ」と言ったとか。私はナイアガラをまだ見ていないが、ナイアガラを遥かに凌ぐ壮大さらしい。 

1. 飛行機を待っている間、「地球の反対側にいる日本の皆さん聞こえますか」
2.空から見るイグアスの滝
3.滝をバックに何枚も写真を撮ったが、全て顔に影が射す
4.アルゼンチン側で撮影
5.川下りの後
6.アルゼンチン側
7.アルゼンチンで、トロッコに乗って滝を見に行く
1. 2.
3.
4.
5.
6. 7.

この後帰国の途に。これで、南米旅行記はおしまいです。読んで下さってありがとうございました。





南米旅行-あとがき 1/18

日本から見るとブラジルは地球のちょうど反対側だから、最も遠い国に入るのだろうか。遠くてなかなか腰が上がらないでいたが、もうそろそろと思っていると、様々な媒体が発信している南米情報が私の視覚と聴覚を捕え始めた。以前にイグアスの滝をテレビで見た時、その想いは実現に近くなっていたのか、たまたま届けられた旅行会社のパンフレットに目がとまり、行こうと即断した。何処に行くのかを含め、旅程もほとんど細かく確認せず、出発と戻りの日時だけを頭に入れて飛行機に飛び乗った感じだ。

世界遺産観光ツアー、連れて行かれたところがアンデス山麓、「え?、私アンデスにいるんだぁ、へぇ~」と現地に着いて感心していた。クスコ?マチュピチュ?ほとんど知らないに等しかった。でもそこにいるという事が感慨深い。インカ帝国の遺跡、彼らの自然神崇拝、スペインによる崩壊、イグアスの滝とは違い人間が作った歴史である。歴史にあまり詳しい方ではないが、ペルーに限らずこれまでいろいろな事が世界中の人間史の中にあったようだが、今の立ち位置から見ると、いいようになって来ているように思う。だから今もいろいろあるけれど、いいようになって行くんじゃないかなぁという気がする。

ブラジルやペルーはアングロサクソンやゲルマンとはかなり雰囲気が違う。ゆったりしている。彼らはHappyだと、この旅で遭ったオーストラリアの若者が言っていたが、表情一つ見てもそのように思う。
「サッカーワールドカップの準備がまだできてないんでしょ?」
「お客さん、そ~んなの気にしない、気にしない!将来の事心配してもどうもならないよ。あなたやはり日本人ねぇ」(バスの中での日本人男性とガイドの会話)

このやりとりを聞きながら、未完成の中でやるのも、それはそれで思い出に残る笑いのワールドカップになるかもしれないと思った。私個人は、何だか余計にエキサイトする。完ぺきにしようとする人もいて、ゆったりしている人もいて、様々な考え方があってこの世はバランスが取れるんだなぁとしみじみ思う。アングロサクソンやゲルマンがここまで産業革命を率先してやってきてくれたから、衛生面を含め快適な生活の礎を作ってくれた。と同時に経済発展は競争社会を作り、それにかなり縛られた人達はその社会では生きにくくなり、別な社会を求める。それぞれの欠けた所を満たす社会が存在していること自体が不思議でもある。これも地球のバランスなのだろうなぁ。うまく行っている。だから同じにしようと強制してはいけないのだと思う。人間個人をとってもそうだが、個体で理想に達する事は出来ないが、いろんな考え方や力が合わさって完成された姿を作っていけばいい。いや、きっとバランスが取れて行くようになっているんだと思う。北半球と南半球が会談して取り決めた訳でもないのに、そうなっているしね。

川柳作家の時実新子が、戦争であんなに男たちが死んでも、男と女の数が大きく隔たる事がない、人間の力が及ばない力がこの宇宙にはあるというような事を言っていた。バランスは取られて行くんだよね。目に見えない仕組みがあるのだ。

今回は日本からのツアーだった事もあり、言葉がよく通じて良かった。これまでは現地に個人で入りホテル経由でツアーに参加したので、ガイドの言語が大体英語だが、そのほとんどに強い訛りがあり、50%理解できれば上等だった。今回もクスコ、マチュピチュのガイドは大阪に5年ほどいたというアンデス出身のペルー人だったが、彼の日本語は時々理解に苦しんだ。9年ロスに住んだ者から言うと、5年で完全に外国語を習得する事はまず不可能。その外国語を母国語とする人と一緒に生活しているなら別の話だが。しかしリマやブラジルでのガイドは日本からの移住者だったり、日系人だったりした事から全く問題がなかった。また、ツアー参加者は日本人である事から、日本でまたお目に書かれるかもしれない可能性も秘めている。楽しみだ。

良い旅だった。
   
  時事漫談 松元ヒロ 1/18

新春落語を聴きに行った。
落語は立川志ら乃、柳家三三、柳家小さんを初めとする5人によるものだったが、圧巻だったのが時事漫談の松元ヒロ。実は昨年、確か浪曲師国本武春を聴きに行った時に一緒に出ていたかもしれない。大変面白かったので、今回の区民劇場の案内チラシに彼の名前を見つけて行く事にした。

会場が爆笑の渦。元はパントマイマーだったというが、話したほうが簡単に通じると、漫談師になったようだ。立川談志もそのネタをこっそり拝借したというエピソードもある。とにかく面白い。

今回は猪瀬前都知事と都知事選挙がメインテーマだったが、皇室の民営化の話など、ユーモアと笑いが満載であった。最後に披露したニュースと天気予報をパントマイムで表現したところは、よく此処までやるとあっぱれ。ネタがネタだからテレビには出ていないというか出させてもらえない。が、テレビ局の人は個人的に彼のライブを見に行くそうである。紀伊国屋ホールで4日間連続ライブをやれるくらい人が集まるのだから、すごい。いや、これほど面白ければ、人は来るだろうと思う。今回も何枚もの様々な公演のチラシの中で周りの人達が数人、彼の次のライブのチラシを見ていた。






「時よ、ありがとう」 1/20

昨年11月のコンサートのDVDが編集を終えてやっと届いたので、まずはビクターの本社に直参した。その後は楽曲ごとにカットしてYoutubeに載せようと、ビデオ編集ソフトをいじったが、なんどやっても画像と音ズレのトラブルが生じる。ソフト会社のヘルプデスクにメールを出しても解決にならない返事が返って来る。返事が届くにも数日かかる。それでネットで同じ問題を抱える人を探して、色々とネット・サーフィンをしていると(私もこんな事をやるようになったんだわねぇ、自分でもびっくりするわ)、データが重すぎてそのような現象が発生すると書かれたサイトを見つけた。で、音や画像の質は落ちるけれど。元データをフォーマット変換ソフトに入れて、その後トリミング用の編集ソフトに取り込んだ。そうしたらなんだか行けそう。数日後にはYoutubeに載せられるかも。

元データを変換ソフトに入れて処理が終わるまでかなりの時間がかかる。その間、また新しい歌詞の基盤のようなものができた。


「時よ、ありがとう」

長い道のりだった
道に倒れて地に伏し
戻せぬ時間とおかした間違いに
身体を震わせ あえいでいた
だが時よ、あなたは私を再び立たせ
よろめきながらも歩かせた

まだ夜明けは見えず
孤独に耐えかね 泣き伏し
飛び出した街に 人影さえなく
喉を絞めつけ 叫んでいた
だが時よ、あなたは私を優しく誘い
陽のあたる木陰に立たせた 

無機質な朝に陽がのぼり
闇を溶かして色を出す
ひと色の心を 光は染めて行く
時のまくあけ 歓喜に泣く
ああ時よ、あなたは私を逞しくさせ
燦々と陽を浴びて歩かせる

時よ、惨酷なりしは
私を逞しくせんとの計画か
時よ、今受けしこの光が
永遠に射したるものと気付かせしか

時よ、ありがとう
わが身しか感じられぬ 狭き心
ほどいて隣の手を取りし今
湧きでる幸せを 生きる意味を
与えしあなたの手の中に
私は抱かれる

   
  自作曲をYoutubuにアップ 1/21

2013年11月のコンサートのDVDから、”ま、いいか”と思える歌(自作曲)を数曲Youtubeにアップしました。ミキサーから音をそのまま拾うライン・インができないので(六本木のSTBの時はそれが可能だった)、音が明瞭ではないけれど・・・このホームページの「Youtube」欄からリンクして聴いて下さいますか。ライブですから、ホント、色々あります。「遊戲三昧」などは、もう少しでサビのリフレイン(繰り返し)の出を間違えそうなのが、画像からはっきりと分かり、掲載を迷いましたが、「このくらいは、ま、いいか」と掲載。「My Love」もパソコンでそのまま聞くと、曲の終りの音が大変不安定。「うっそ~!」、こんな風に歌った覚えは無いとイヤホンを付けて聴いたら、ほっ!「ま、こんなもんでしょ」になり、掲載。

掲載した歌はみな2部で歌った曲なのですが、1部の賑やかで軽く明るい出だしの「ママ、どうしよう」は、”私”に本人がびっくり。これ、まるっきり加藤登紀子じゃない!本人が出てきていると思えるくらい、そっくりだった。食事をしながら見ていた私の箸の動きが突然止まり、箸を持ったままDVDを聴き終るとお皿に載せられた”料理”は完全に冷めていた。






う~ん 1/26

聞いた事のない歌を聴くのは大儀だと思う方々もいると思う。私自身がそうだ。有名歌手のコンサートに行って、知っている歌を歌ってくれる時は心が弾むが、知らない歌を歌われると、それが際立つものでない限り、やはり素通りするだけになる。同じ事が昨年11月のコンサートで起きたようだ。

11月の"コンサート"では2部で5曲続けて歌った。曲順を書いたものを各配膳トレイの近くに置き、来場者にはそれを見ながらタイトルを確認して頂こうという策だったが、後日数人からダメ出しがあった。毎回足を運んで下さる大学の先輩は、来場者の数も多かった事もあり安心したのか、この時は寝ていたっけ(声を出して私は笑っている)。ある友人は、通常のライブ時のようにトークが間に欲しかったと言っていた。2年ぶりに聴きに来て下さった私の初リサイタルの提唱者は、「オリジナルの歌に、しずさんの歌のうまさが見えなくて、もったいない」という。これにはガツンと直球を投げられた感じがした。「正直な事を言っても良い間だと思うから、正直に言うのよ」と断って、5曲続けて歌い終わりトークが入ってその後の「美しい日々だけを連れて」になった時、ホッとしたという。彼女はこの歌が入ったCDをよく聴いてくれているから耳に馴染んでいる。

なるほど~。どんな歌を書いているかよりも歌のうまさを感じたいと言う(年齢層が若くなると、オリジナルの歌をしっかり聴いているのだが)。オリジナルでそんな歌を書けばいいのだろうが、名曲は一夜にしてならず。う~ん・・・・・昨年の暮れ、大学の先輩方とのカラオケで、美空ひばりやホイットニーを歌ったら「こう言う歌を歌って欲しいよ」と言われていたっけ。そして集中して聴いて下さっていた・・・

確かに私のオリジナルは、多くのJpopのシンガーソングライターと同じく、誰でもが歌える歌である。こう言う歌では物足りない、ドラマチックな芝居の要素が入ったシャンソンを含め、「うまい」と唸らせる歌を聴きたいと言う事だ。(「うまい」と言われて、なんだか落ち着かないのだが)

ライブの時は、英語の歌を1,2曲、演歌、歌謡曲、シャンソンも入れるが、11月のコンサートでは3曲のシャンソンを除いて全てオリジナルだった。

そんな来場者の意見も取り入れようと、私の心は今年の初ライブのある3月に向けて動き始めた。今日はテネシーワルツ、サマータイム、追憶、I will Always Love Youと英語の歌を続けざまに歌っていた。






あはは・・・1/28

今朝、携帯が鳴った。

「世界中を回っていたみたいだね」
「南アメリカね、南米」
「ところで新年会来るよね」
「うん」
「一曲歌う?」
「あ~ぁ」
「新しく入ったxxさんが詩の朗読をしたいというんだ、それと○○さんが一つ喜んで演奏させて頂きますって。こと(私の姓)ちゃん入れないと、なぜ私だけって言われちゃうかもしれないと思ってさ」
「・・・・・・何それ、その言い方!いやらしいよ。仲間はずれするのは悪いから、仕方なく誘ってやるという感じじゃん!」
「(ニタニタニタ)いや、おれ、女ごころ、分かんねぇからよ。」
「女ごころだけじゃないよ、男もふっくめて、嫌らしいよ。」
「うわっはっはっは・・・」
「素直にさ、1曲歌ってくれる?と言えば、喜んで歌わせてもらいます、と行くじゃん」
「歌ってくれる?(ニタニタニタ)でもさ、バックミュージックがないから歌いづらいだろうなぁと思ってな」
「カラオケ持って行くわ」
「これは春から、なんとやらだ、うわっはっはっは・・」

私のライブに毎回来て下さる大学の先輩との会話。 終わった後に、こんな会話ができる人がいる幸せを感じ、ニカ~。

この先輩は面白い。2011年のリサイタルの時、2部はドラマ仕立てにしてセリフを沢山盛り込み、その間に歌を入れて行った。その時の感想:

「すごかったねぇ」
「❤(ニカ~~『言って、言って』と心の中で思っている)」
「すごかったよぉ~、あのセリフ」
「え?セリフ?・・・・・・歌は?」
「歌なんて聴いて無かったよぉ~」
「・・・・・・(@_@;)」

とても印象的なやり取りで、思い出すたび声を上げて笑ってしまう。

今朝の電話、バック・ミュージックが無いことも気にして下さったりして、あったかいなぁ。





ランバダのリズムで 1/30

2014年の新曲は「この国にもう一度生まれたい」で始まった。昨年の暮れに出て来た歌詞だが(下記参照)、このような歌詞に一体どのような曲が生まれるのか、想像できなかった。何か国民唱歌のような大きな歌になるのかなぁと思ったりもした。

丁度向こう時間で元旦だった。ペルーでセスナ機に乗ってナスカの地上絵を見た帰り、ランチまでの時間が余ったので近辺の海岸を歩く事になった。その時海岸沿いの店のラジオから流れていた歌謡曲(きっとペルーの音楽だろう)の旋律を受けて、私の口から新しいメロディーが零れて来た。自分でもなんだか気に入ったので、持っていたカメラの動画機能を動かして録音しておいた。

まさかと思ったが、これにあの詞を付けてみた。すると、なんとも収まったのである。旋律は、なんとなくラテン系のような気がする。歌ったものを録音し、現地ガイドと添乗員に聴かせると「いいじゃないですか~!」となった。

これを日本に持って帰り、同じ旋律で同じ言葉の繰り返しが多いため、転調を2度ほどさせ、作曲のインストラクターに見せると、”自然”だという。ふ~ん、ラテン調のメロディーにあの詞で「自然」かぁ。とにかく大丈夫そうなので、これをアレンジャーに送った。ラテン調に仕上げてくれるかと期待して出来上がりを待っていたが、なんとなくこれまでのアレンジと代わり映えがしない。それで譜面だけを送るのではなく、私がどう歌うのか電話で数小節聴いてもらった。すると電話の向こうの声色に上気した空気が入り、間もなく新しいカラオケが送られて来た。

ブラジルのランバダのリズムが軽くさらりと入った曲になった。前奏や間奏にもう少し味付けが欲しいのだが、取りあえずは私が作りたい方向には動いたようだ。

♪あなたに出会ったこの国に もう一度生まれて来たいのよ
お陰さまお互いさまの この国にもう一度生まれたい 

憎しみよりも愛を育てるこの国に 両手を合わせ祈るこの国に

褒め言葉頂きためらい こうべを垂れて照れ隠し
恥を知り優雅さ育てる この国にもう一度生まれたい

   


 
今の生活 1/30


立ち止まって今自分が何をしているのか、眺めてみた。完全なオタクである。でもこのオタクが何とも充実している。毎日何かに感動し、感心し、気付き、それを創作に生かしているようだ。今日もゴルフに行こうかと計画していたが、家に籠る事にした。カラオケを作ってもらうためのキーの確認、譜面の調整をしていたら時間はどんどん過ぎて行く。身体を動かすためにジムに行ってヨガと少しのランニング、その後ジャグジーに入って帰宅し、また作曲本の続きを読む。

図書館から2,3日前に借りて来た本も開いていない。本を読んだり作曲のためにパソコンの前に座る事に疲れると、録画しておいたテレビ番組を観る。昨日は世界中を喜びに包んだ名曲「ダンシング・クイーン」を作り歌ったスウェーデンのアバのエピソード。「ダンシング・クイーン」は名曲中の名曲だ。聴く者の心を浮き立たせ、踊りたくてたまらなくさせる。

他(ひと)を喜ばせる事が出来る、何と素晴らしいことだろう。自分ばかりを考える個人史の中の私は既に終わっている。人に喜んでもらえる事をしたい。それが私が書いたものでなされるなら、言葉に出せない程の幸せを感じるだろう。「ダンシング・クイーン」のような人の心を躍動させる歌を私も書きたいと強く思う。そしてきっと書けるだろうという気もする。。。。。で、これまで私はどんな歌を書いて来たのだろうと自作曲を頭の中で並べてみると、「今のわたし宝石です」があったなぁと気が付いた。この歌はどこでも皆さんが喜んで下さるようだ(「ダンシング・クイーン」の躍動感のほんの一部を頂けるかもしれない)。以前、ライオンズクラブに招待されて歌った時も、この歌が良いとわざわざ主催者に言って来られた男性もいらした。老若男女を問わず喜ばれるようだ。
2月には、上で紹介した新年会での1曲の他に、仕事として他の新年会にも招待されて歌を頼まれている。「今のわたし宝石です」を持って行こう。

このように、色々な事に感動したり、感心したり、感極まって泣いたりと結構オタクでいながら感情的に忙しい。楽しんでいる。






暖かくなりましたね・・・ 2/3

上でも話したが、今はかなりオタクになっている。運動量が少ないなぁと感じ、ジムではランニングも始めなければと思いながらも、後回しにしている。一歩も家から出ない時があるのだから、自分でもびっくりしちゃうし、それができるくらいに、心も安定し強くなったかぁと嬉しくもなる。

が、今日は久々に出歩いた。今月は京王プラザホテルでのイベントで歌を頼まれていて、その打ち合わせをスタッフとした後、ホテルに直行。昔家で焼いたカラオケがちゃんと回るか確認しに行った。一度小さな会にMDを持って行ったところ、そこで使われている音響機器はミキサーも含めて見るからに大層なものだったが、全く使いこなせていないようで、私の持参した圧縮MDは回らなかった。無料奉仕の歌の会だったが、主催者も音響係も慌てた。

CDRも安いものだと、せっかくカラオケを焼いて持って行っても回らない事がある。色々な体験をしたのち、念には念を入れて来た。これでOK。

外は、もうジャケットの要らない陽気になっていた。寒さをさほど感じないまま、冬が終わるのかな。と思ったら、夕方7時直前の天気予報では、明日は雪らしい。激しい変化だけれど、雪はなんとなく嬉しい。子供のころ雪を喜んだあの時と私はあまり変わっていないようだ。冬の風は嫌いだが、最後の冬の寒さを楽しもう。






方法は必ずある  2/4

予報通り、16時頃から突然雪が降り出した。当たらない天気予報、そんな事が当たり前のように語られていた昔と違い、最近の予報は当たる事が多い。そんな事を見ても、人間てすごいなぁと又思う。様々に調査し研究し、必要とされるものを生んで行く。本当にすごい。必要と思うものは必ず作りだす。

私も一つ”見つけた”。実はずっと上の方で紹介したブラジルで購入したドレスに積極的に問題をこしらえてしまった。ドレス全体に取り付けられたバラの形をした花飾りがつぶれるのではないかと気になったが、どうにかなるだろうと、スーツケースに押しこんで来た。スーツケースと別にして何処かに忘れるよりも良いと思ったのである。案の定、家に運ばれて来たドレスの花はぺしゃんこにつぶれている。ドレス直し専門店に写真を添付してメールで送ると、花を一旦ドレスから全部はずして皺を取り、その上に形を整えて再度付けるので総額5万円だという。オーガンジーだから低温アイロンをしなければならず、大変な仕事なのだと付け加える。

数字を見る私の目が点になった。そもそもそんな大層な仕事をしなくともどうにかなるような気がした。で、今日その作業を始めた。花にアイロンをあてる。。。一つを途中までやると・・・・こりゃ、大変だわになった。かなりの数だし。。。ん?もしかしたら・・・ヘアードライヤーで行けるかも。マチュピチュで雨にぬれた運動靴に当てたら、よく乾かしてくれた。

なんと、花が、いとも簡単に起きて来たではないか。きゃっきゃっ。うわ~どんどん起きて来る。1時間弱の御手当てで無事に元に戻っちゃった。あのドレス直し店に教えてあげたいくらい。

方法は必ずあるものだなぁ、諦める必要は絶対ないね。

ところで、今日の雪、窓越しに見ていると、降るというより舞っていた。一面白煙のような色を背景にして舞う雪は、部屋から見ると黒塵のよう。塵なのか雪なのかベランダに出て手に触れると、白く冷たい雪。確かに雪。心がはしゃぐ。シャンパンを出して飲んだ。私はシャンパンと相性が良い、直ぐに酔う。とてもいい気分になって。
   
  手直し 2/6

昨年に生まれた「愛のいとなみ」、音楽の専門家の西さんから"名曲”と言われ、作った本人にはその認識が全くなく、取りあえず私の家に来られる大人たちに男女問わず聴いてもらうと「いい」と異口同音に言われる。ふ~ん、じゃぁ、いいんだぁと本腰を入れて練習を始めたが、どうも歌いづらい。時間が経つと何か見つけるだろうと後回しにしてまた歌ってみるが、ダメ。追い立てられるように歌っている。「これは誰かに歌ってもらおう」とほとんどギブ・アップしかけていたが、「そうだ、歌いやすいように譜割を変えよう」と思いついた。一度アレンジもできカラオケも作られると、修正をお願いするのも気が咎めるが、目的は「いいものを作る」事にあるのだと思い返し、あれこれいじって見たら、とても歌いやすくなった。これならこの楽曲の表現したいところを十分に表現できる。

「この国にもう一度生まれたい」も、大御所に修正を頼むのは気がひけたが、快く修正してくださり、すっきりして戻って来た。「いいものを作る」ここに一点集中、これがプロですね。感謝!






ローザンヌ国際バレエコンクール 2/6

    3回転ジャンプが精いっぱいだった2002年の冬季オリンピック日本のフィギュアスケート、12年の短期間の間に技術も表現力も含め世界レベルに達した事はとても感慨深いが、今回のローザンヌ国際バレエコンクールで最優秀賞を取った二山治雄君(写真)。

いや~、いや~、技術力は勿論の事、体型ってこんなにも短時間で変わるものかと、眼が点になった。テレビで見ていたら、ブレもほとんど無く、ジャンプ力は勿論ラインがとてもきれい。

私も25年ほど踊っていた。バレエをベースにモダンやジャズを。しかし、手の長さ、足の長さからして米国ではとても舞台に出させてもらえなかった。帰国してからステージに出るダンサーたちを見て、人のなり見てなんとやら・・・・十分に納得した。

しかし今テレビに映るジュニアのダンサーたち、すごい、すごい。

西洋のスポーツだったフィギュアに荒川静香が金メダルを取りスタンダードを壊したが、今度はバレエの世界でも同じ事が起きる事もあり得るだろうなぁと思う。バレエは大体大舞台で踊られるから、アジア人でも西洋人の間に混じって大きな主役を踊る事も出来るように思う。しかしそのためには横で踊っている人達との差が出ないように、長い手と足を持たなければならない。例えば、瀕死の白鳥。これを踊る人はまず腕と手が長い人に限る。死の苦しみを腕の揺れで表現するのだが、遠い客席まではっきりと伝わらなければならない。

瀕死の白鳥だけではなく、悲劇の王子や娘にはすらりとした身長やそれに合った四肢の長さが求められる。かなり体型が変わって来たので、今の日本のダンサーたちは彼らに混じってコメディーをソロで踊るポジションは得られるかもしれないが、悲劇に関しては、おそらくこのジュニアの次の子供たちまで待たなければいけないかも。それにしても、こんな短期間の内に体型が変わるって言う事は、血骨の遺伝子だけではないような気がする。
 
  




うわ~ 2/7

「この国にもう一度生まれたい」が2度の修正を経て譜面が先日送られてきたが、本日カラオケが届いた。

うわ~!!!!!すごくいい~!譜面上には見えないランバダのリズムがものすごく生きて、この歌詞を生き生きとさせる。なんかこの歌は、すごい事になるんじゃないかな。アカペラで聴かせても、聴く人一人残らず「いいねぇ~」となったが、この伴奏で歌うわたしの心がものすごく弾む。大御所にNGを突き付けるのも迷いがあったが、「いいものを作る」に一点集中して思いきった。妥協しないで良かったし、これに答えてくれた西直樹さんにも、感謝。その力量にも脱帽。

聴いて頂く日が、楽しみ!






大学OB新年会 2/7

今日は地区大学OB会の新年会。逢いたい人がいる会っていいね。1/28のブログに書いたように一曲「今のわたし宝石です」を披露させて頂いた。この歌はここでも人気があったようだ。元フジテレビのアナウンサーでいらした小林大輔氏がいらしていて、ステージに立つ私にGoodのサインを何度も送ってくださり、集合写真の時には走り寄って来られ「自作の歌ですかぁ、あの少しの振りも良いですね」とコメントを述べて下さった。わたしが振付をしたと申し上げたら、にこーっ。

司会を務める先輩は毎回わたしのライブに来て下さる方。応援しようと熱を入れて宣伝して下さる。本当に嬉しくありがたい。

歌を歌う直前は、たった一曲でも食事は喉を通らない。終わったら、爆発したかのように皿を沢山自分のテーブルに並べた。冷めてしまっていたけれど、歌で喜んで頂いたあとでは、それも御馳走になる。この機会を作ってくださり、歌を聴いて下さった皆様、ありがとうございます。これからどんどんまたいい歌を作りますね。わたしがこうすることで、会に貢献できているような気もする。

   
  楽しい仕事 2/9

今日は100人ほどが集まる京王プラザホテルのイベントで歌わせて頂いた。とても楽しい仕事だった。
司会者の陽気さが会場に満ち、大変和やかな雰囲気だった。バンドは6人編成でラッパ(トランペット)入り。歌手は二人、私よりずっと若いが歌手歴がふんだんに長いベテランと一緒。私は4曲歌わせて頂いたが、最後の曲「ラストワルツ」でトランペットも加わり、ラッパ入り伴奏は初めてだっただけに、いい気分だった。

持参したCD6枚とDVD2枚を全部買って下さった方がいらした。ご本人は「もっとないの?」と言われ、こう言う事が起きようとは想像だにしなかっただけに、私は心の中で「しまった、もっと持って来るんだった」と泣いた(笑)。送りましょうか、と言うと、「いいわ、コンサートに行くから」と言って下さる。会場のあちらこちらから、コンサート案内を送ってくれるようお話があった。嬉しかった。

最後にくじ引きがあったのだが、なんと私が壇上に出て箱の中からナンバーをひく役目を仰せつかった。なかなか自分の番号が呼ばれない方々は焦り始められ、壇上の私に下からかき回しなさいと何度も言われる。いつになっても子供心を正直に表す姿が何ともほほえましい。

サプライズもあった。まさか、ここでお逢いするとは。知人が2名客席にいた。2年ぶりの再会であり、逢うまでは気がつかなかったが、逢えたらいいなぁと思っていた人達であった。

皆様、本当に楽しい時間をありがとうございます。この御縁を大切にさせて下さいませ。






因果応報 2/10

因が縁に逢って果を生む。

事の因は必ず自分にもある。やっとここに辿りついたぞ。昨年の丁度今頃に起きたある事件の因が自分にもあった事に今頃気がついた。

母校のラグビー試合を観戦した球場で某テレビ局の職員に友人が私を紹介した。友人がその父親の代からお付き合いのある大学の先輩だそうで、その人が私にテレビ出演を提案されて来た。照れもあったのだろう、酔ってもいないが酔ったふりをして彼女の家で始まった2次会に現れて勧められた話に、私は感謝を表す事さえ気づかないでいた。後日そのような不躾な態度へのお詫びと彼の提案を喜んでお受けしたい事を告げようと、その友人から彼のメールアドレスを教えてもらおうとした。そのTV局の人は、その場にいた私以外の全員に、丁度この友人が台所に出て席をはずしていた時、名刺を渡していたので、他の友人からアドレスをもらう事もできたが、この友人を通して知り得た人だからこの友人を立てる事にした。テレビ出演は彼からの積極的な提案でもあり、友人もそれを側で聞いて見ていたのだから、アドレスをそのまま送ってくれると期待した。が、同時に直感的に閊えるものがあり、私のメールをまずはその友人に送り、彼女から彼に転送する事を別の選択肢とする可能性もあると伝えた。ある種の賭けだった。彼女から普段発せられる私に対する威勢のいい言葉が真実かどうか確認する瞬間でもあり、どきどきしながら彼女の答えを待った。だが、彼女が選んだのは”転送”だった・・・・一瞬わたしの頭の中は真っ白になった。介入しようとする・・・そう言うことだったのか、威勢のいい言葉はやはり・・・しかし転送を選択肢に入れたのは私だ、このまま行くしかない。

それまでのピンポン玉のような彼女とのやり取りが、メールを送った途端、突然音信不通になった。幾度のメールに返信も無く度重ねた電話にも出ない。嫌な予感が膨らんだ。数日間連絡をトライした後、やっと携帯メールに「(転送は)できません」とメッセージが届いた。ならばと、私はその場にいた別な友人から彼のアドレスをもらい、直接送った。その直後「今から書くから」と彼女から電話。ほっとしたが、メールは既に送ったと伝えると、アドレスを知り得た経緯と共に一つ質問が発せられた「(転送してもらうために彼女に送ったメールと)同じ内容を送ったの?」。彼女はその後直ぐに彼にメールを送ったと後日伝えて来たが、明かさなかったそのメールの内容は、彼があれほど積極的に提案したテレビ出演が流れるものだった。

彼女に逢わなければ本来なかった話なので、初めからなかった話として考える事にし、この件については再び触れる事は止め、彼女には何も気づいていないふりを装い、それまでと変わらぬ態度で接した。だが、罪悪感が彼女の中にあったのだろうと思う。罪悪感は潜在意識の中に根付き、更なる罪を作っていくと聞くが、その後、彼女は私への対し方に驚くような事を重ねた。嘘と企て。

強い嫉妬心かと思っていた。彼女はこのTV局職員を知人に持っている事が自慢のようで、時々そんな調子で周りに話している。自分の父親の代からの知人で知人である事を誇りにしている人が、紹介したばかりの自分の友人に美味しい提案をし、自分と彼の関係以上に親しくなって行くという事へのいくらかの妬みはあったろう。が、彼女の言動をよく追って今考えると、妬み以上に、
全て自分を通してやって欲しい、自分が外されることは許さない、自分を中心にする事への強い願望が損なわれた事への反動だったように思う。もしかすると、彼女は自分が人の力になる事に喜びを感じる人なのかもしれない。また周りにも自分の”てがら”と存在意義を高く認めて欲しいのかもしれない。 

そんな事を思い返してみると、彼女が転送を選んだ事、その後の数日間の音信不通、「できません」という一言のメッセージ、そこから私の中に生まれた彼女への疑心がその後のもろもろの結果を生んだのかもしれないと思うようになった。「今から書くわ」と連絡をしてきた来た時には気を取り直していたのかもしれない。もし私がもう少し忍耐強く彼女を信頼していたなら、その後TV職員に宛てた彼女の文面は変わっていたのかもしれない。人間みな、自分自身が好むと好まざると色々なものを持たされている。それと上手に付き合う事は本人自身の大きな”仕事”であるが、それは同時に周りの人間の”仕事”でもある。

まずは信じてみよ、なのだろう。大きな事を教えられた、思いこみの強さも「我」だ。無心でいたい。放っておく。どこまでできるだろう。



追記:
ここに取り上げた”彼女”は私のHPを時々覗いている気配がするので、ここの処をいつか読むだろう。昨日、よしもとばななの日記を読んでいたら、「私が書いているこの日記で傷つく人の多さも勿論思った。・・・が、それで考えに制限がかかると良くないのでガンガン行くしかない。xxxさんもそうして欲しい。それぞれを生き抜くしかないのだ。どんなに人々にうとまれる事があっても。カッコ悪くても。弱くても。」とあった。人間としての自分を全部さらけだす、これはよく小説家や詩人がやっている、特に日本の小説家や詩人に多いように思う。しかし、間違う事はあっても、自分の生き方の清さに自信がなければ、なかなかできる事ではない。確かに私は清く生きようとその想いを強めている。だからあった事をそのまま装飾無く伝えられるし、そうしようと努力をしている。いいこと、楽しい事だけではなく、私が生きる道でぶつかる様々な問題をどのように受け留めたかを書く事は、自分自身と交わした約束を確認する事でもあるように思う。それは、弱さを含めより善き自分を求めて行こうとする人間の本質を、ある深さまでつかんだから出来ることかもしれない。

   























 
何かを教えてくれるため 2/12

上のブログで書いた事とつながるが、問題が生じた時、それは跳躍の時であり、何かを教えてくれるものだと教えられた。で、上の彼女との”濃い”御縁はどんな意味を私にもたせているのかと考えた事がある。彼女にとっては自分の生き方を見直す機会なのだろうと思ったし、そうあれば良いと願った。仲良し仲間だと思っていたが、やはり即席で作られた会ではまだまだ人物が分からない。人間のするたったひとつの行為も、たまたまある一定の人に対してされる事ではなく、そうやってずっと生きて来た習性が顕れたに過ぎない。うわべを飾っても、それは付け焼刃。妬みや自分の我を通せないところで顕れるものだ。だが、いやらしく聞こえるかもしれないが、私にとっては彼女との御縁が自分に何をもたらしているのか思いつかなかった。

その濃い御縁の出来事から学ぶ事が「信じろ!」と言う事だったようだ。とても大事な事が思い出される。私のシンガーソングライターとしての進展に影響を及ぼすかも知れない人の事、ガッツが足りないような気がして私は信頼を寄せていなかった。だが、今降って来た。自分の我の思いより、神様が下さった御縁を大事に受け止めるのだ、と。腰を据えてこの人を信頼してみよう。

100%の信頼を置いて働きかけ、そして待ってみよう。・・・・・これはいい事が起きるぞ(●^o^●)





雪 2/14

外は真っ白。先週は丁度土曜日だったが、今回は一日早い金曜日から明日の土曜日に掛けて降り続けるようだ。先週の雪はベランダから眺めていた。ベランダの中に舞入って来た雪を掌に乗せて、その冷たさに心がはしゃいだ。今日の雪、この雪の中を歩かなければもったいないような気がして、昼には長靴を履いてジムに行ったり、午後7時には図書館に本の返却と予約していた別な本を借りに出かけて行った。

その帰りにはメゾン・カイザーに。このパン屋さんはパリのルモンド誌に載ったフランスのパン屋と提携しているようで、最初の頃はフランス少年が二人来て焼いていたが、ここ数年見えないから日本人に技を伝え終わって帰ったのだろう。ここで食パンを5本注文する。一斤づつ買っては面倒なので、2カ月分をまとめ買いをして冷凍庫に保存する。かつての家で使っていた大きな冷蔵庫は一人暮らしにはスペースが余り、冷凍庫のひとつの引き出しが丸ごとパン保存庫となっている。

雪の降る夜、こんな時はワインやチーズを買って家で一緒におしゃべりをする人がいたら、それに今日はValentine's Dayだし。などと思って、ふとそんな景色を想像してみた。あいつじゃないな、この人だなぁなんて思いながら(アハハ)。その人もとても喜んでいる姿がはっきりと描ける。

しかしまだ私は一人でやる事があるような気がする。前にもどこかで書いた事があると思うが、今はこれまでの人生で最も本を読んでいる時だ。そんな本を通して色々な人生を覗いたり人間に逢いながら、実際にこんな人間が側にいたら、私はどうするかなどと想像もしながら読んでいたりする。読む本も変わって来た。一時は“道”を説く本を随分読んでいた。自分の進む道がはっきりと描け、地面を感じながら歩くようになってから読む本は私の仕事の材料とも成り得る小説になった。だが最近は、詩になった。詩の良さがものすごく分かり始めたような気がする。小説と違い、読者は積極的に書かれてある様子や世界を想像して行く。

本を読む、歌を書く、歌の練習をする、作曲クラスの宿題をする。そしてジムで身体を動かし、時々人のいる場所に行く。ひとりでいる事が多いのに、充実しているようだ。だが、温かく互いに慈しみ合う関係を育む一個人が側に来る日も遠くないと想像する。その人は、ホント、幸せな人だなぁと思う。あははは・・・「今のわたし宝石です」の中の歌詞です。

今は夜の11時近く。後一時間でソチ・オリンピック、男子フィギュアのフリー競技がテレビで放映される。ショートでの羽生君、すごかったねぇ。ソチは、何か滑り辛いのかなぁ。羽生君以外は皆ジャンプに引っかかっていた。

メゾン・カイザーで買って来たハムとホウレンソウのキッシュに赤ワイン、さあ、フィギュアを観よう。





面白い人間は面白い人間に呼ばれる 2/16

「いやな夢を見たなぁ」と言いながら起きた。いやなものなのになぜ掲載するの、となるが、面白いかも知れない。 

私はどこかの大学で教鞭を取っているようだ。それも大学との契約代講。ある日たまたますぐ手の届くところにジーンズがあったので、それを履いていきヒンシュクを買う。その後ある教室でまた代講をする事になり(どうも米国で卒業したUCLAのようだが、キャンパスの風景は全然違う)、その教室を案内してもらう。その時係りの人から、ジーンズや度重なった遅刻で評価ポイントが50%落ちているので、来期の契約更新が難しくなると伝えられる。 

それで、今度は頑張らなければと思うのだが、授業当日、代講する教室が見つからない。案内してくれた最初の地点に戻るため、どういう訳かバスに乗る。見覚えのある所で降りようとするのだが、バスは終点まで行ってしまう。終点で降りて周りを見るが、全く知らない景色。おろおろしてまたバスに乗って帰ろうとすると、別のバスに知っている人がいる。ほっとしてそのバスに乗り、彼女から私が降りる場所を教えてもらう。確かにそこは初めて案内されたところと同じ場所である。短いステップを上り最初の部屋は演劇学部の小道具制作ショップ。知っているアメリカ人の顔があった。記憶をたどりそこから指定の教室に行こうとするが、廊下は全部畳とふすま。壁紙も以前に見たものではない。行けども行けども、畳の部屋。ちがう、ここじゃない、ああ、これはもう間に合わない。授業時間の半分以上が過ぎている。ものすごく慌てている。仕方がない、正門から行ってみようと走って回ると、日本の普通の学校のように運動場が一面に広がっている。そこに機動隊が数百人、列を作ってその校舎の中に入って行く。その列は2階まで続いていて窓に映るのだが、どうも、私が行くべき教室の方に向かっているようだ。 

私は祈る。私が今向かおうとしている教室にいる誰かが悪さをしてそれで何かがこれから始まり、私のこの遅刻に気付くものが誰もいないようにと。

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人間は毎日夢を見るという。それが本当なら、夢を見たという記憶を持って眼覚めたのは7,8年ぶり。就床後数秒で眠りに就き熟睡の後は切れの良い眼覚め、という一連の流れがずっと続いていた。なぜ急にこんな夢を見たのだろうと不思議だった。直ぐに思いついたのが、昨日連絡を取った人だ。

よしもとばななの日記を読んでいたら一人の女性が紹介されていた。小説家だと思ってその著書を図書館から取り寄せて読むと、作詞作曲家の明本京静を父親に持ち、成城学園から東京芸大の作曲科に進み、直ぐにシャンソン歌手岸洋子のアレンジャーを務め、結婚後は音楽家の夫に付き添いヨーロッパを周り、米国に駐在。自分の才能を押し殺して主婦をしていた事に疲れ、離婚。米国でイラン人と再婚、家事を含め様々に協力してくれるこちらの夫との生活で音楽と絵画に才能を開花させて行くが、後に遺産相続バトルから金に縛られて行くこの夫との共同生活が不可能となり、22歳年下の童貞のイギリス人の”男の子”と3度目の結婚。10年ほどのその生活も、より相応しい人生を息子ほどの年齢の夫に送ってもらうために(と本人は言う)終わりを迎える。

すごいのはこの人の交友関係。日本の”おもしろそう”な芸術家全員と言っても大袈裟ではない。小澤征爾から始まり横尾忠則、勅使河原宏、篠山紀信、和田誠、黛敏郎、イサムノグチ、ジョーン・ケイジ(この二人は日本人ではないが)などなど。

本は自叙伝だが、実は最初の数ページを読んで既にこの人物に大変興味をそそられた。上の経歴などではなく、彼女の子供の時、親がいなくなる時に楽しんだいたという快楽。レコードの乗っているテーブルの角で女性器をゴシゴシ擦っていたという。直ぐに彼女をネットで検索した。そのHPを見ると、小説家ではなく占星術師。一人8時間に及ぶセッションを行っているらしい。占いか・・・・かつては面白がってよく当たると聞けば訪ねて行った事もあるが、自分の生き方に自信を持って来るとそちらに行かなくなる。また、徹底的に勉強し、主観的好みを入れずに淡々とありのままを告げる人は少ない。 

二つ考えて、彼女にセッションをやってもらおうと思った。彼女のはいわゆる占いとは違うようだ。何を持たされているか、生まれながらの使命など、自己解体をして行くようだ。前世も遡り、誰と遭遇し結ばれて行くのか等も見えるらしい。そんな事は要らないと一度は思ったが、自分の奥で自分がどうしたいと思っているか聞いてみた。迷っている時私は頭で考えているものは取らない。身体の内部の動きにじっと耳を傾ける。それで考えを取りなおした、彼女が何を言うのか聞いてみよう、またそれ以上に彼女に逢って見たい。彼女に連絡をし、メールに私のHPのURLを貼りつけた。

10分も経つか経たないうちに連絡が来た。私のHPも直ぐにご覧になったようだ。占星術に付きものの生まれた年月日と時刻、名前、場所。そして面白いのは、最も近い誕生日に何処にいたか、そして携帯番号も記すよう言われた。面白い(と言われている)人間は面白い人間に呼ばれるのかも。

彼女と接した事で久々に見た夢。既に自己解体が始まっているのかもしれない。






ためいき 2/20

ソチ・オリンピック、フィギュアでの浅田真央のショートプログラム。転倒とジャンプミス。ため息が出た。色々な事が私の頭をよぎる。この子はこの敗北感をひきづって生きて行くのだろうか。今回の真央の演技には4年前と違い、キム・ヨナ一人を対象に勝ちたいという表情は、少なくとも表面上は見えなかった。"自分の演技"をしようと懸命に自分の心に働きかけているようだった。「自分の演技、自分の演技」と一生懸命内面バトルをしている。自分の演技とは完全に自然体で場と一体になって、自分のその時の力を出し切れることだと思う。無心でいなければならない。だが、無心でいようと考えている間は既に無心ではない。その想いは、無心でいられない自分がいることが前提となっており、無心でいられないかもしれないという恐怖心が裏にあると思う。

観ている人に喜んで頂く、ああ、ありがとうございますと、こうして滑らして下さる全てのものへの感謝に心を転換する。そうしていれば・・・

男子では羽生君がすごく動いたが、私は高橋大輔のフリーのスケートが好きだった。表情が少しこわばり緊張から始まったが、途中からは心の深いところから出て来るスケートをする喜びが顕れ、実に気持ちよさそうに音楽と一体になり自分の滑りを楽しんでいるようだった。その時が無心の時。何も考えていない。音楽が嬉しい、リンクにいる事が嬉しい、ああ、滑っている事の気持ちよさ。爽快感。そこにはメダル獲得の想いも無い。鈴木明子もそうだった。

ヨナの強さは観ている私を感動させる。不安気にリンクに現れこちらまで不安になったが、最初のジャンプで成功した時に、ほっと胸をなでおろした。彼女には寄りかかるものがあるようだ。心の奥の芯、神。バンクーバーの時、ショートプログラムが終わった後の記者会見で「オリンピックでは何が起きるか分からない。それがとても不安だった。しかし、『メダルは神様が落してくれる。あなたが取りに行くものではない。あなたがする事は、ただ今まで通り滑る事』とコーチから言われ、心がとても落ち着いた」と語るのを聞いた時、きっと金メダルは彼女に行くだろう私は思った。そして数週間前産経ニュースで読んだ記事には、次のような発言ができる生長した、大きくなったヨナがいた、「浅田真央がいたから今の自分がある」。これは真央にとっても同じだと思う。そして観客にとっても、二人がライバルだからこそ、それぞれを応援する勢いも大きくなり、フィギュア・スケートをより面白いものにし、楽しむ事ができた。二人の勝敗がどうなるのか、多くの人がテレビにくぎ付けになっただろう。

浅田真央にソチ・オリンピックでメダルの期待をする者は最早いないだろう。もしかすると、それで荷が下りて、フリーで精いっぱい出来るかもしれない。観客を楽しませる事に注意を向ければいい。同じ自分を絶対フリーに持って行かないで。フリーでの自分の心の状態が作る結果はこれからのあなたの人生に大きく影響するだろう。本当はフリーが終わるまでどきどきさせて欲しかったが、もうそれは叶わないようだ。が、これまでになかったベストスコアをフリーで出したら、それがショートの敗北(これはメダル圏内にいないと言う事よりも精神的敗北)から自信喪失を食い止める唯一の方法だと思う。

男子フィギュアでショートで9位のカザフスタンの男の子が、実にいい演技をして総合で3位になった。たとえ、表彰台に上れなくとも、観る者の記憶に残る演技で終えて欲しい。真央、あなた自身のためにも。

最後に村上佳菜子ちゃん、一回転倒しちゃったけれど、あなたにものすごい潜在能力を見ました。実は今回初めてあなたの演技をきちんと見ましたが、次のオリンピックが楽しみです。あなたは結構あっけらかんとしているので、いい処まで行くような気がする。(●^o^●)



   


石川さゆりコンサート 2/21


演歌歌手はJpop歌手より全然うまいですよ、と昔音楽関係者から聞いた事がある。言えるかも。美空ひばりのライブに彼女の生前中一度も行った事がなかった事に後悔して、その後は「!」と思った時には直ぐに行く事にしている。クラシックの大スター達パバロッティ、ドミンゴ、そしてブルーノートやJpopの歌手たち、都はるみからギャルに至るまで。くわず嫌いは止め、とにかく心を閉ざさずのぞいて来た。そして昨日は初めて石川さゆり。私は決して彼女のファンではなく、彼女のややキンキンしたあの声も好きじゃないが御縁があって行く事になった。

いや~、いや~、恐れ入りましたというか、圧巻だった。完璧なステージを創っていた。今回は「日本を旅する」と言うテーマを設け、都々逸、民謡、童謡等も盛り込んだが、落語までやって見せる。高座まで用意して、立川志の輔からもらったという大座布団とセンスを使い、真打並みに羽織まで取るではないか。私は眼を丸くして見入っていた。なかなか行ける落語。彼女の場合は公演回数も多いだろうから昨日のティアラ江東で見せたものは完璧に近かった。よどみなく言葉が出る。

一途に「芸」を広め磨いて生きている彼女の生き方が見えるようだ。芸に一途に生きる男は、女房が世話を焼いてくれるから問題は無いが、女がこれをしようとなると、女房業を男が要求したのではとても成り立たない。女の使い走りをしてくれる男が必要なのだろう(高橋真梨子の夫婦のように。
当時芸人ではなかったけれど、実は私もそうだった、小さな声で。)。そんな男が見つからないのなら、芸人の女はやはり一人が良いのだろうと、彼女の「行って戻ってきました」という言葉に思った。





良かったね 2/21

真央ちゃん、意地を見せてくれた。彼女も終って涙が迸っていたけれど、私もその量においては負けないくらい泣いてしまった。良かったねぇ。こんなにできるのに、この4年間の努力を無駄にしないで良かったね。弱さと、心を取り直したら此処までできるんだという心を取り直す強さと両方を頂いた。ありがとう。












 
 




野村克也さんのくやしさ 2/24

野村克也さんのトークを聞きに行った。どのように選手を育てたか、それがメインの話のはずだったが、口惜しい思いが沢山あるのだろう、「テレビやラジオで言いにくい事をここで言って楽しんでもらえれば」と最後に結んだ話の内容は、球界の裏話。要するに星野仙一氏においしいところをを全部取られてしまった事へのすっきりしない胸の内を吐露された。~~~~~

24年間監督を務めたが、その中で4回は最下位の球団だった。4年間勤めて最下位からリーグ2位までに押しあげた楽天のリーグ戦が始まる直前、楽天の代表と球団社長が「契約は更新しない」と言って来た。頑張って下さいとでもいいに来たのかと思ったが、”くび”を宣告しに来た。リーグ戦と言う大切な試合の前にそんな嫌な話を聞いては落ち込んでやる気が起きない。「日本シリーズで買ってもですか」と訊いたら「勝っても負けても契約更新は無い」と言われた。結果ベースだった球界の人事に、いいところでもある日本人の義理人情というものが無くなってしまった。買っても負けても契約はこれで打ち切りだという。

で、自分の後に誰がやるのか、星野かと関心を持って見ていると、「広島のあのブラモだよ。俺の代わりがブラモかよ」と嘆いたが、楽天をまた最下位にして1年くらいでアメリカに帰った。しかし、その後監督になったのが星野仙一。後で関係者が言うところによると、もともとブラモは無く星野氏だったらしいが、「俺がリーグ2位までにしたから、今度はリーグ優勝しかない。一度落としてくれと言ったらしいんだ。あいつは自分がどうやったら脚光を浴びれるかそれをまず考える」。

「俺はどうやって優勝できるチームまでに持って行くかを考えるが、あいつは優勝できるチームに行く。俺が地固めをしたところに。今は優勝は金で買えるとも言われる。星野は球団に補強や補給を要求する。楽天に大リーグのメジャー、ジョーンズやマギーを引っ張って来たんだ。メジャーだよ。どの位のお金を払ったか。監督は何もしなくとも優勝できるよ。阪神の時も金本、下柳、伊良部を入れた。どれほどの金が出たか。俺は球団が与えたものの中でやって行く。補強や補給を要求した事はない。球団で利益が出ているのは巨人ぐらいだ。優勝しても選手の報酬が高くなって巨人以外では利益など無い。だけど球団を持つと会社の宣伝になるんだ。俺だって楽天なんて聞いた事も無かったよ。」

「星野は処世術に長けている。球団は能力より処世術の良い人間を取る。横浜DeNAベイスターズの社長は、俺が嫌いだというんだ。俺とあった事も無いんだよ。印象だけなんだ。で、中畑だよ。監督は外野手ではできない。内野手かキャッチャーだ。ヤクルトの監督をした時、社長の相馬さんは好きなようにやってくれ、後は全部私が責任持つと言ってくれた。で、ヤクルトは俺が監督した初年が5位翌年は3位、そしてその次は優勝だ。組織はリーダーの力量以上には伸びないというが、相馬さんは大きい(だからヤクルトは優勝まで行けた)。」
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阪神と楽天それぞれで自分が辞めさせられた後に来たのが星野仙一。野村さんの気持ちも分かる、が聞くに痛々しい。「普通こう言う所に来て話をする時は、いい話か、為になる話か、面白い話だが、こんな話で期待に添えなかったかもしれませんが」と言われて終わろうとすると、会場から密度の濃い拍手が沸いた。人間くささをあからさまにした話、”ええカッコし”は止めた話、もしかすると同じ悔しさを味わっている人達の代弁に感謝していた人も多かったのかもしれない。

才能や能力が最も重要視されるものだと思っている人たち、それゆえに心を痛めている人達は沢山いるようだ、私の周囲にも。恐らく”かつて”の私自身も(若気の至りでしたぁ、ほっほ●^o^●)。それぞれ良い協力者、相性のいい雇用主が現れると良いね。






三木谷va.堀江もん/星野仙一vs.野村克也 2/25

上の話を書いた後に堀江もんが昨年の早稲田大学稲門祭で三木谷氏について言っていた事を思い出した。三木谷氏は余り悪戦苦闘せずに周りが皆疲れた頃に、容易に狙ったものを捕獲しに行く。堀江もんは難しい所から始まって結果を出して行く。「その方がやりがいがあるじゃないですか」と云いながら三木谷氏のやり方に不満げだった。自分が最初に狙って成就しなかったものを取られてしまうから。星野氏のやり方もこれに似ているのかも知れない。そのやり方を”きたない”と思う人もいるし、”うまい”と思う人もいるのだろう。戦国時代の武将たちを思った。知恵のある者、勢いだけで行く者と色々あったのだろう。私にはこういう知恵がないから、こんな知恵のある人が側にいてくれたらと思うけれど、いたらいたで、やはり「ずるいやつ!」と思いつつ頼もしいとも思い、もう一方に対しては立派だと尊敬しながら、「もうちょっとうまくやったらいいのに」と眉間にしわを寄せるかもしれない。そう言う私もずるいね(笑)。

でも、上から眺めると、何とも面白い。こんなに色々な人間がいて、人間の世界は本当に豊かだと思う。そこに自分も入れてみた。自分の不器用さや一生懸命さ、などなど。そうしたら自分自身にも笑えた(あはは・・・)。
   


   出入り禁止-デモ作りの開始 2/26

家にある小さな録音機でピアノカラオケの伴奏で歌って録音した自作曲や、昨年の11月のコンサートDVDをビクターのディレクターに送った後、お会いした。自宅録音した”音"を聴きびっくりして、もうDVDを見る気持ちが失せたという。そして、CD並みのものを作らないのかと訊ねて来たが、かつてのCD作りに一曲ウン十万円を出費している。デモでは私がどんな曲を書いているかを聴いてもらうだけなのに、なぜそんなものが必要なのか、理解できなかった。それに、今度は楽曲提供だし、私が出て行く訳じゃないから私の声やら歌がうまいかどうかは関係ないだろうに。

ではDVDを聴きましょうとなったが、その後突然”出入り禁止”になったようで、ディレクターは電話にも出なくなった。たしかにDVDは音もマイクから直接取れず、なんどもこれまでライブの度に作ってもらって来たがどれも自信を持って人に聴かせられるものには至らなかった。しかしどんな歌かを感じてもらうには十分な筈のに、なぜダメなのだろう。一体どんな感性をしているのだろうと、その感性を疑っていた(笑)。

出入り禁止になったようだから、次にどうしたら良いのだろうと考えあぐねていると、スタジオ録音したデモを作ろうかと言う気になって来た。FBで知り合った音楽プロデューサーの米国人にその話をすると、「相手が何を聴きたいのかあなたは理解していないのじゃないのか。あなたが今までディレクターに送ったものは相手を侮辱しているよ」という。えっ?「アレンジも含め相手が聴きたいのは音、サウンドですよ」と。なるほど~。出来れば、コストがかからないように、あなたに完成版を持って来させ、そのまま売りだしたいのです。な~るほど~!。デモでOKならそれがそのままCDになるんです。ほ~(ん?ちょっと待って、と言う事は私が出て行く????)。

と言う訳で、そのプロデューサの自宅、千葉県君津市近くのスタジオまで昨日行って来た。東京からは小旅行である。このプロデューサーは譜面は殆ど見ない、全て耳である。Rey Charlesやビートルズもそうらしい。びっくりしたのは15曲の中からデモ用の2曲を選んてもらったが、私が暗に選んでいたのと彼が選んだのと一致していた。25年も日本に住んでいるらしいが、日本語はまだ流暢ではないから歌詞は理解できていないはずなのに。その2曲は、最も新しい自作曲となる「君の新しい記念日」と「この国にもう一度生まれたい」。「この国にもう一度生まれたい」はやや柔らかいラテン、「君の新しい記念日」はバーバラ・ストライザンドのEvergreenの雰囲気を提案して来た。これにもびっくり。Evergreenは私が好きな歌で、レパートリに入れている曲でもある。彼のイメージの「君の新しい記念日」を触りだけ演奏してくれる。テンポをずっと落し、どっぷりと大人の歌となって生まれ変わる。なんともしっとりとして美しい。現在の楽曲に以前から修正したいと思っていたところがあったのだが、彼からそこのところを指摘してくる。私はとても喜んだ。この業界に浅いため主張をためらい妥協しようかと迷っていたところだっただけに、私の感性に間違いがないと裏付けされたようで嬉しかった。

十五万円もすると自慢げに取りだして来た録音用マイクから流れて来る私の声、いいではないか~。「あなたの声は温かい」と称賛してくれる。うっひょっひょ~( ^)o(^ )。日本語はそれほど理解できなくとも私の歌で感じるのだろう、「輪廻の華」という恨み節を聴いている彼の顔は怒りのような感情でこわばっていた(笑)。う~ん、このデモならディレクターも絶対取るだろうとかなりの確信が私の中に生まれる。このディレクターは私の最初のCDに収められた楽曲が気に入って此処までお付き合いして下さっていたが、この二つの新しい楽曲は全くタイプが異なり、色々な意味でそれ以上であるから、取らないわけがない。

このスタジオを借りている間、昔作ったCDも録音し直すことにした。あの時は初めてのことでもあり、歌い直したいと思うところがあっても、業界に長いアレンジャーやディレクターがいいと言うならと、自分を主張しなかった。アレンジャーやスタジオディレクターは私から仕事代金をもらえばそれで終わりだが、この作品の全責任は私が負うのだから、Betterなものを作れるという事が見えている処で絶対妥協してはいけないのだ。

そんな訳で、いいデモができそうである。いい人に巡り合ったような気がする。今の私には必要な時に最も相応しい人が現れるようになっているようだ。全てが天命だから、神が用意される。




何も聴いていない 2/27

あははは・・・今度のレコーディングに関わってくれるのはマイケルという米国人だが、彼が私に言った上の言葉「相手が何を聴きたいのかあなたは理解していないのじゃないのか。・・・アレンジも含め相手が聴きたいのは音、サウンドですよ」をコピペしてビクターのディレクターに送ったら、なんと返事が来たではないか。「その通りだと思います」と。

最初に送った家で録音したものに余りにも”驚嘆”して、その後に送ったものについては、聴いても/見てもいないと言う。私が本社まで行って会った時には「聴きます」「見ますと」言ったにもかかわらず、トホホ。でもホッとした。「一度、よくない状態の音を聴いてしまうと、どうしても、その次の音を聴くのが<楽しみ>ではなくなってしまうので忙しさにかまけて、試聴が後まわしになってました。。。」それで、完成版ができるまで待ちますと。

よっしゃ~、行くぞぉ!





のど自慢全国大会 3/1

たった今NHK地上波で「のど自慢チャンピオン大会」を見終わった。毎週各地を回って予選を勝ち抜いた人達がステージに上がり全国放映されるが、その中でチャンピオンになった人達が全員揃って、確か年に一度チャンピオン大会を行うのだと思う。その歌を聴きながらキッチンで色々やっていると、私の気持ちはまるでそこに出場し順番を待っているかのようにどきどきして来る。完全に挑戦者たちに感情移入。大変な心境だろうなぁと思いながら、心臓が落ち着いていない自分に気付いて笑ってしまう。グランドチャンピオンになるって運だからね。もちろん運も才能の内だけれど。たまたまその時の審査員が好きな声だったとか好きな雰囲気というのがある。私としては「二十歳前」を歌った学校の先生の歌が良かったなぁ。でも、ま、子供もいるし、これから売り出してなんとかなるという訳にはいかないのだろうね。ミュージカルを勉強しているという、アグネスちゃんみたいな女の子がグランドチャンピオンになった。理由は、審査員の話によると、出て来た途端ぱっと明るい雰囲気が漂うという。

 

































 
4か月ぶりのライブ 3/1

とうとうこの日が来た(笑)。何度やって来ていても緊張するのよね。特に今回は4か月ぶりと言う事もあるのかもしれない。どれ程の人が来てくれるのか、どんなトークをしようか、選曲はなどと考えていると段々肩から二の腕に掛けて凝って来る。私はよく肩甲骨あたりが疲れ、それが自分の姿勢に原因があると教えてもらって、意識的に肩を降ろす様にしているけれど、何かに夢中になって作業をしていると、肩の辺りがものすごく緊張してあがっている事に最近始めて気がついた。

先月後半から、そろそろ三月かぁと思い始めた時から、じわ~っと緊張が押し入って身体を硬くさせている。

さて、今回は、色々と皆様のお声を聴き、それらを反映させながら、楽しいトークを沢山盛り込んで参ります。そう言えば前回11月のコンサートでは、通常ライブにあるようなおもしろトークがなくて残念だったという人がいたっけ。

まだ公表していない新曲が6曲あります。男女の愛のいとなみを歌った、そのままずばり「愛のいとなみ」。自分が作ったのにとても難しくて、わたし歌えないって、今投げ出す寸前。これを歌った後にマセガキの歌「僕がママを守るんだ」を歌うと面白いよ、と言ったのはアレンジャー兼ピアニストの西直樹。「愛のいとなみ」がわたしのこれまで作った歌の中の名曲に入ると彼が持ちあげてくれたけれど、これは、おそらく、わたしに次の男ができない限り、無理かも(^v^)。

それでもね、こんな歌聴いた事がないというテーマのものを幾つか持って行きます。面白い歌だと思う。詳細は出演欄を見て下さいね。(#^.^#)





となりの芝生 3/1

多くのミュージシャンたちはギターでコードを鳴らしながら曲を作っているようだ。かっこいいなぁ。そんな風に作って見たいなぁと思うが、どうやるのか分かるようで分からない。わたしの場合は、なんとなく出てくる、降って来る、湧きでてくるというのが多い。時には、外国の歌を聴きながら、勝手に自分のメロディーを作ってワーワー声を出して歌っているというか、叫ぶ。叫んで、踊って、くるくる回って、鏡で我を見て、あ、これ面白い、と録音しておく。ピアノの前に座る気になった時に、やっと座って整理して譜面を書く。現在作曲クラスを取っているから、よく座る(^v^)。

ネットで見つけた一人の青年の作曲カウンセリングと言うビデオが大変良かった。まず、KEYとリズムを先に決める。決めたらそのKEYのトニックから音を出して、コードを変えてつなげていく。完全に人間の頭脳の世界のやりくりで、一つ一つステップを踏んでゆく。わたしのように完成したメロディーがぱらっと降ったり、ごぼっと湧いたりするのとは違う。しかし、こう言う風に曲を作って見たい、そう思って今日体験レッスンに行って来た。これまで作った曲の音源を持参するように言われたので、聴いてもらうと、「一体何を勉強したいのですか」と唐突に訊ねて来た。別なアプローチで作曲をしたいというと、それは「となりの芝生ですよ。降ってくればどんなにいいかと思いますよ。全然降って来ないから、頭でやっているんです。これほどのメロディーがどんどん浮かんでくるのは素晴らしい事です。今の感性を大事にして下さい。」と言いながらも、簡単に自分のやり方を教えてくれた。はっきり言ってそれだけで十分だった。

でもいい青年だったなぁ。わたしの来訪は彼にとって全くメリットがないのに、快く彼の作曲法を見せてくれたり、来る必要がないと言ってくれたり。彼が作ったデモがHPに貼り付けられていたが、中東あたりの民族音楽をベースにしたもので、それを聴きながら私は別な作曲をした。こんなに素敵な青年との出会い(ルックスはそうでもないけれど、すんまへん)、今後何かにつながって行くかもしれない。いい出会いだった。





プロフェッショナル 仕事の流儀:同時通訳者 3/3

NHK地上波で放映される「プロフェッショナル 仕事の流儀」で本日取り上げられたのは日英同時通訳の長井鞠子さん。私が通訳をしていたころ、当時東京都知事だった石原慎太郎氏が彼女しか使わないという話を聞いていたので、どれほどの通訳をされるのか拝聴させて頂き、その席で実際にお話もさせて頂いた事がある。石原氏もテレビで彼女に付いて言っていたが、彼女自身もスピーカーが自分に乗り移るんだと言っていた。

会議通訳料金は弁護士並みだねと昔言われた事がある。客の前に現れるのは高々3時間~7時間ほどなのに、それでこんなに取るのかと思われるのだろう。しかし、長井さんもテレビで言っているように、前準備にものすごい時間をかける。ページ数を言うよりも厚さで測る資料の束を読み、それを理解するため分からないところはネットや本で調べる。その資料も1週間も前に到着すればよいが、実際の通訳を必要とする日の2日前、前日と言うのが普通だ。当日現場でくれる事もある(普通のことだが、こういう環境での通訳初心者だった頃は、それはそれは・・・心臓がドドド~っと喉まで上がって来たような内臓のどよめき)。幾つもの仕事をやりくりしている時にはたまったものじゃない。当日恥をかかないように、プロは徹夜で読みこみ単語帳を作って行く。始めてリーマンブラザーズの3時間の2人制同時通訳の仕事を頂いた時、3日間一歩も外に出ず家に閉じこもって朝から晩まで資料とにらめっこしていた。自給にすればマクドナルドの店員より安い。こうして1秒を惜しんで資料を読む。読み切れていない時は、会場に向かう電車の中で続ける。時には歩きながら。それでも何が出てくるか分からないので、どきどきしながら開始時間を待ったものだ。

私も長井さんと同じように、分かりやすい通訳を心がけた部類に入るだろうと思う。辞書にはない日本語をいつでも探していたし、考えていた。あの頃は毎日のように、日本のニュース、米国、イギリスのニュースを録画して原語で聴いていた(今はあちらのニュースはもちろん日本のニュースも聞かない、事実の開示率40%(10年近く前に読んだNewsweek誌から)だという日本のマスコミの話を信用していない)。

ガイドやら、アテンドやら、マスコミのインタビューやら、様々な通訳がある中でも、彼女も私も国際会議、企業会議に出る会議通訳者。そのための専門用語や広くて浅い専門知識の詰め込み、お陰さまで雑学はかなり増えた。この会議通訳には逐次通訳と同時通訳の2種類がある。同時はその名の通り、陰で黒子のように姿を現さず、ブースに入ってスピーカーと同時にしゃべる。逐次通訳は参加者全員から見られる目立つ所で、スピーカーの話が終わったらポーズをもらい、それまでスピーカーが話した事を訳す。実はこちらの方がずっと難しいとされるし、実際そうかもしれない。なぜなら、スピーカーの話の内容を十分に理解していなければ、恥をかかずに逐次通訳をするのはまず無理だろう。メモを取りながら話された事を記憶として溜めて行くが、通訳の思考回路の出口まで行きつかない話は、メモも単語を書いているだけで繋がりは見当がつかない。記憶に留まらない話は当然通訳不可能である。同時通訳なら、聞いたところから流しているからあまり記憶する必要がない。またイヤホンを付けている人は英語や日本語が全く分からない人達だから、通訳が変な事を言っても、分からないなりに時間と共に過ぎて行く(時には通訳能力を密かに審査するためにイヤホンを付けている英語の達人もいる)。しかし逐次の場合は、参加者全員が聞いているから、英語を十分に理解できる日本人がいるし、そういう人は大体関係者だったりするから、通訳が間違った事を言うと直ぐに分かる。時には、「通訳さん、間違っています」と会場全体に聞こえる大きな声で言う人もいる(@_@;)。

通訳者は当事者ではないから、専門知識は深くないので、全部を理解できないのは当たり前の話である。だが、通訳と言う仕事がどういうものか分からない方々の中には、そこまで要求する会議参加者もいる。また、通訳の中でも事前資料があっても読みこまずに来る人、読んでも理解できないままで来る人もいる。そう言う人と一緒になり、声質が似ていると、隔離されたブースに入っている同時通訳者のどちらがたどたどしいのか分からないので、まとめて今日の通訳は悪かったという印象を持たれる場合もある。せっかく準備して来た自分の努力が水泡に帰し腹立たしくなる。そう言う時は、「パートナーにxxxさんはお断りします」と、事務所に通告する(皆大体どちら側も経験する、と思う(^v^))

今日のテレビでも紹介されていたが、訛りのある英語で早口でしゃべるアジア系の人達の通訳となると、もう最初からドキドキしたものだった。ある時、当時の通産省の仕事で入管会議の通訳をしていた時、ベトナム代表がしきりにチェニング、チェナーという。何のことだかさっぱり分からず、そこは沈黙してしまった。すると、通産省の職員だと思うが、このベトナム人が準備した資料から質問した。分かったのは、彼はTraining, Trainerと言いたかったようだ。TRAの発音がベトナムではチェになってしまうのかもしれない。また、厚生省関連の会議だったと思うが、スピーカーは持参した原稿を超特急で読み始めた。通訳にはその原稿が渡されていない。が通訳者は働かなければならない。幸運にもその時は私が通訳する番ではなかった(同時通訳は15分ごとに交代する)。その時の私の相方はEU委員会でさんざんやって来た超ベテラン。放心したように真っ赤な顔をしてついて行っていたが、さすがに15分の持ち時間に堪えられず、12分ほどで私にマイクを渡そうとする。と~んでもない、こんな通訳、それまでした事がない私にはとてもとても・・・。議長を始め会議参加者のほとんどは英語圏以外から来ている。彼らは外国語として英語を習っているだけ、同じ英語圏でも聴くものはいないだろう、ましてや英語圏以外の参加者が聴けるわけがない。だが、相手が理解しようがしまいがそのスピーカーはお構いなし。

これが数ヶ国語で通訳される”リレー通訳”の場合は、物凄い事になる。それぞれの語学担当者別にブースが設けられているのだが、スピーカーが英語で話す場合、まず日英通訳者が日本語に訳す。それを受けて中国語通訳者、フランス語通訳者、その他通訳者が、それぞれの言語に訳して行く。まさにリレーである。超特急でスピーカーがしゃべる訳だから、余程のベテラン中のベテランでない限り、同じように超スピードで訳す(超超ベテランはこう言う時にでもじっと聴いてツボだけを抑えゆっくりしたスピードで日本語を出せる。すごい技だ)。その超スピードに訳された日本語に他のブースの通訳者がついて行く。みんな真っ赤な顔をしてやっているわけである。「垂れ流しをすればいいのよ」と私の相方が教えてくれたが、何かが閊えた、自己軽薄感なるものが生まれる。だがこの経験から、これも練習と場数だが、事前に送られて来る原稿から、その原稿のスピーカーがどのようにしゃべるか予測できるようになった。これは超スピードで読みあげると思ったら、こちらも先に原稿を全て翻訳して行き、読みあげる。大体予測は当たる。「あんな速いのをよく訳せましたね」と後で主催者側から"ほめられた"が(^v^)。

会議通訳者が目指すところは多くの場合、お役所の国際会議や皇室の晩さん会での仕事。幸運と言うか一応ここまでした時に、こんなものかと、なんだか納得してしまった。最終的には大体紙面で考えをまとめたものを渡すので、その場の通訳はそんなに大きな意味を持っているように思えない。会議は、会うこと、一応やりましたという履歴を残すことに意義があるのかもしれない。もちろん少しの質疑応答があるので、そのための通訳は必要だが。

それよりも、どうしても通訳が必要なところに行くと、やりがいがあった。それは、設立したばかりの会社である事が多い。一度、日本人スピーカーが米国本社から来た役員にする熱心な懇願に私の心が震えて、泣いてしまった事がある。米国人の役員は私に心打たれ、その社員の懇願を聴き入れようと、本社に帰り再び別の役員とともに来日した。その時新たに来た役員が、「あなたが話していた通訳は彼女のことか」とその役員に訊ねていた(笑)。またある場合は突如米国で告訴された日本企業。相手も必死であるから通訳を本当に頼みにしている。そのようなところでよく言われた事は、「あなたは言葉だけでなくスピーカの感情まで訳しますね」。

今でもほんの僅かだが会議通訳の打診が来る。ふとやってみようかなと言う気が消えゆくマッチの炎程度に起きるが、当日までの準備や、当日のドキドキ感、長らくやっていないので相方に掛けるかもしれない負担を想うと、止めておこうとなる。

とにかく、いろいろな方々にお会いできた。天皇皇后陛下、中曽根元総理、元衆議院議長河野洋平氏などなど。演劇の演出家や劇場の支配人、日本古典芸能、狂言、能、日本舞踊の家元などなど。それはそれで弁護士より楽しい仕事だと思うが、そこには”私”がいなかった・・・・何かを作り形を残せるクリエイティブな仕事の方が私には相応しいようだ。






遠くに置いて来た懐かしい日 3/5

昨夜11時近く、千葉の君津近くまで行きレコーディングをして帰って駅に着くと、しとしとと雨が降っていた。その雨が今日もずっと続いている。波動というか、空気、色彩、音、柔らかさ・・遠い昔に何処かに置いて来た懐かしい日だ。高層マンションの窓の内側から眺める外は大都会にも拘らず静謐。時々カラスの鳴き声が聞こえる。林立する高層ビルの室内から灯される明りがビルの霞んだ輪郭を際立たせている。

時々ベランダに出る。雨のしずくがまるで鈴らんの花のように手摺りに垂れさがっている。あ~、この形が好きだ、といつもは潰したがるのに、愛おしい心で眺めている。室内では、先月の終わりに再度取り付けたユーセンの受信機から、バッハが流れる(私の最初のCD「美しい日々だけを連れて」もリクエストをすれば流れる)。モーツァルトをかけたが、曲が創る空間が私の部屋には、特に雨降りの閉ざされた空間には広すぎて、気持ちに穴が開く。少し前にテレビである作家が「バッハは一人で聴いていても淋しくない」と言っていたが、そうかもしれない。その作家の人生を少し想像しながら、私は谷川俊太郎を読む。谷川はとてもとても寂しい人だ。痛々しい程に。

空を見ながら、時々下の方で小さな動くもの(人間)を見ながら、私は宇宙を想い、神を想う。最近は神と対話する時間がとても多い(谷川もそんな事を書いている)。神が心にすぽっと入る空間を常に用意してある。私は本当に強くなった。強いとは何だろう。それは人間の言葉に惑わされない事だと思う。国家の言葉もマスコミの言葉も組織の言葉も個人の言葉も。その言葉には影があり、計り知れない思惑があるかもしれないのに、そのような言葉に翻弄される生命や時間はもったいない。自分が責任を取れるところを信じる。自分が何をしているか、自分が周りどどう関わっているか、何を考えているか、何を祈っているか。誰かの言葉より神の声に常に耳を傾け、神と相談しながら行動できる程強いものは無い。その行動は時と場所に最も相応しい。だから今の私は自信の塊(少し崩れ、粉が落ちる時もあるが)。神を信じ、神を自分の中に常に入れる事が此処まで自分を連れてくるとは想像だにしなかったが、今の地点に立ってかつての自分を見ると、顔を隠したい程に、悲鳴を上げたい程になる。もう少しすると完全に元の自分は消えるような気がする。今の自分を私は好きだ。

詩人も科学者も頂点に行くと、大体皆神を感じるらしい。私も小さな仕事だが、全て神から伝えられる事を歌にしていると想っている。自分の能力だとは思わない。体験を通して書く私の作品が他(ひと)に何かを伝え、よく行けばその人達の人生をより豊かにするお手伝いができるだろうと、この仕事を与えられたのだと思っている。

神を知るようになって、色々な人の作品がとてもよく理解できるようになった。素晴らしい作品を創るまたは書く芸術家たちが見ているものは東西を問わず、神だ。シェークスピアの「真夏の夜の夢」、わたしが神を見つけた後にこの芝居の上演を見たとき、初めて気がついた。そして全てに納得いった。シェークスピアの作品は神無しでは書けなかったものだと。思考過程が長い人間智ではあのような傑作を次から次へと生みだすことは出来ない。”絶対”できないと言える。神が下さるインスピレーションは思考過程を短縮させる、跳躍させる。閃光の如く。ただ手が動く。頭は後から追いてくる。

こんな日、外はどんよりしたとても静かな雨の日、私は一人、寂しさとは裏腹に、神の御手に抱かれ、恐怖もなく、私がずっと欲していた明るい未来に想像を膨らませている。全てのものが嬉しくて、たまらなく嬉しくて、たまらなくありがたくて、涙だけがほとばしり、落ちる。(・・・・ね、あなた、大丈夫?本の読み過ぎなんじゃないの?)





今がいいのか、そんな日がいいのか 3/6

これから2か月ほど、デモ作りのために千葉の君津まで往復する事が増えそうだ。レコーディング機材をすべて揃えている都内のレンタルスタジオを借りるとなると、小さいところでも一日7万円ほどになるだろう(もちろん個人宅より機材はいいが)。だから私のようにインディーズ(自主)制作の場合は、だいたいスタジオを持っているミュージシャンにアレンジも含めてお願いする。それで今回は君津まで行っている。

デモと言っても作り方はCDと同じだから、一曲の録音にかなり時間が取られる。録音したものを聴いて満足しないところはやり直しをして何度も歌い、OKの部分を拾って継はぎして行く。今回はFBで知った米国人にお願いしているから、日本語が流ちょうではないので、どこどこを歌い直すと言っても、相手は歌詞や言葉の音を直ぐに拾えないから、その場所を探すお手伝いを一緒にしなければならない。普通のレコーディングより歌以外のために声を出すので、ちょっとしんどい。しかし大変コラボのしやすい人だから、問題を心置きなく言えていい。今回はこれまでCメロのアレンジをして下さった西さんのピアノカラオケをバックにして作るデモもあるので、長丁場だ。

こんな時に、チェック機能を果たすスタッフのいる人はいいなぁと思う。関係者がそれぞれの担当分野で全員プロなら、わたしはほんの少し口を挟む程度で終わるだろう。ここをもう一回歌いたい、程度。後は他の関係者間で相談してもらう。

やはり良いものを作りだすには、大勢の人の力が合わさってこそ可能なのかもしれないと思う。以前に観た石川さゆりの汚点のないステージもそうである。演出を助ける人がいて、いなくとも気付いたところを指摘してくれる人がいて、リハのビデオ撮影をしてくれる人もいる。全員そろったリハをビデオに撮れれば、本番前にチェックができる。手の位置や動き、自分とミュージシャンたちとの間のスペース等など。動きや踊りの振りを自分で考え少し鏡に映してOKと思っても、ビデオを通し改めて気が付く事は随分ある。グループで活動している人が、こう言う時は羨ましいけど・・・後はそう言う人達を雇えるお金の問題なのだろうね。

今週の火曜日に6時間かけて3曲を録音したが、少しづつ話し合って改善して行かなければ。

しかし、こんな時代が良かったと、いつか思うのかもしれないね。
   
  また雪だ 3/7

レコーディングで君津まで行く予定だったが、朝方2時頃まで、自分の歌をどのように歌おうかいろいろと実験していたら、起きがけの声の調子が余りよくない。声の使い過ぎのために潤いが無くなっている。今日のレコーディングは来週に延長してもらう事にして、昨夜からの作業を家で続けることにした。歌もただ作るだけではなく、どう歌いたいのか、どの言葉でどんな声を出したいのかと完成されたイメージを描いていると、この楽曲を誰かに提供するって楽しみでもあると思い始めた。絶対、私よりうまい人に歌って欲しい。(笑)

「君の新しい記念日」が7分程の歌になったので、こんなに長い歌は誰も聴かないよと、レコーディングを手伝ってくれているマイケルが言う。この曲に対する彼のアレンジがバーバラのEvergreen風だとすると、確かに随分長い。市場には長い歌もあるけれど。ユーセンを設置した日、作業員の30台の青年二人にアカペラで歌って聴かせた。私は誰にでも聴かせる。反応を見たいし、自分の歌に聴き手がどのような表情をするのか見るのが大好き。1コーラス歌い終わるとリーダー格の青年が「へぇ~」と眼を大きくして反応。まだ先があると黙らせ(笑)、3番まで繰り返しのサビは飛ばして全部歌い終わると、彼らから声がなくなった。黙ってうつむいた姿に、意図的に表情を作っている気配がない。青年がポツポツと呟き始めた「切ないですね・・・非通知で電話しなければならない事情があるんですよねぇ・・・結構男の方がこうなのかもしれませんよね。」

今はさびが4回も続くが、人に聴かせるとき、やはりその2回は省いている。聴き手も先が見えて興ざめするのではないかと2回だけにしても、ここまで聴く者の心を揺さぶる。どうも2回で十分そう。また、長いと、一度は聴いても2度聴こうとしない。バーバラのEvergreenは3分程か、私も何回も回しているし、歌ってもいる。やはり、工夫しなければいけないだろう。この歌の場合、どの言葉も愛おしい。愛しい子供を断腸の思いで放つようなものだ。

声を出す前に、谷川俊太郎の詩の続きを読もうと、窓に向けて背もたれの深い椅子に腰かけ灰色を帯びた大気を見つめていると、糸くずのような白いものがさらさらと落ちて来た。「あら、雪?また、雪?」窓を開けると確かに雪だ。遠い空は明るいから、間もなく降り止む雪だろう、春の前の最後の雪かなと思いながら、このブログを書くことにした。こんな日にまた詩を読みながら、もう少ししたらバッハをまたかけるだろう。




空には何もないのに  3/8 



   


空には何もないのに


そらには なにもないのに
かなしさ こらえるとき
くやしさ こらえるとき
そらをみる

そらには なにもないのに
こころを あらいたいと
もういちど がんばろうと
そらをみる 

そらには なにもないのに
みあげると ゆうきがでる
みあげると よいひとになる 

 


























そらには なにもないから
とりたちは じゆうにとび
たいぼくは そらをめざす 

そらには なにもないから
にんげんは きぼうをみる
あんしんして みなうれしい 

そらには なにもないから
ただ よろこんでいるから

みんなが よろこぶから



ああ、空になれたら


しずこ

 


初めての観戦-ボクシング 3/11


友人が会社関係で入手したチケットで、お誘いいただいてボクシングをリングの真ん前で見て来た。
以前から一度見たいと思っていた。あんな痛々しく苦しい殴り合い、実際に会場に座ってそれを見て喜ぶ人達の熱気の中で、人間がなぜこのような格闘技を楽しむのか感じてみたかった。

鼻血を垂らしながら、それを補佐に拭かれながらなおも殴り続ける。やれ!、行け!と叫ぶ観客。最後のマッチは王座決定戦。その後半からは会場が手を叩いて大合唱。よく見る大学の応援合戦に似ているような光景もつくられる「フレ~、フレ~XXX!」。女同士のマッチもあった。一人は子供のいる母親らしく、試合中は「がんばってぇ」と叫ぶ子供の声が響く。試合開始の鐘が鳴った途端、それまでの柔らかな表情から一変して闘志を露わにし、母親は別人になる。鼻血。後ろの席で、やはり初観戦なのだろう、「女の人がなんでボクシングするんですかね」と話している。

試合が終わり手洗いで列を作る20代程の若い女性達。観戦直後なので上気しながら語り合っている、「レスリングの方が面白い」「私はボクシングの方が面白い。」どうも、私は感情移入しやすいようで、あんなに頭や顔を殴られたのでは脳しんとうを起こし、頭に障害を抱えるのだろう、ああ、どんな人生で此処まで来たのだろうと、心が重くなり緊張で体が硬直して疲れる。全て予想していた通りだった。

しかし、ハッと目を見張った瞬間があった。試合が終わると、勝者は負けたものに歩み寄り、背中を抱いたり、ニコッと笑みを向ける。最後の王座決定戦は引き分けに終わったが、それぞれが相手の腕を高く持ち上げ、相手の素晴らしい闘いぶりを称賛していた。言葉は無い。疲労困憊している。その姿に、やはりこれは殴り合いではない“試合”なのかと、思いにふけった。
 
 



化粧 3/12

二つ上で書いた「空には何もないのに」に曲が付き、同時に別な歌が生まれた、「化粧」。

これ、何とも面白いし、少し色っぽい。歌を作る時、曲と歌詞が一緒に出てくる事もあるが、溜めて置いた曲に出来た詞を当てはめ、それぞれを少し調整する。すると、詞からは思いがけないメロディーになる。それはうまく共生して、時には何とも面白い歌になる。今度はそれに当たる。うわ~、わたし、この歌、好き。おもしろい。

これは、阿久悠の小説の中に出てくる女性の言葉が印象に残り、そこに中島みゆきの「化粧」に描かれる女のみじめさと対峙させた。彼女の「化粧」では捨てられた女が化粧をして最後にもう一度男に逢い、戻ってもらえたらと願う。


化粧 

まゆを かいています 
べにをつけます いまから
はだのくすみを かくし
ほんとうの わたしになります 

すぎゆくときの ながれ
くちゆく すがた しぜんですか
わたしの いのちは くちません
17さいのときの まま 

だれの ためでもないの
わたしが わたしであるため
きょうも べにをさします
まぶたに いろをいれます 

わたしのいのち いまでも
わたしの17 きれいです
けしょうで すなおに あらわして
しぜんで いようとおもいます

ほんとうの わたしで いるために
かがみに むかって えみひとつ
なげて はじめる    
ねえ けしょう します




苦労せんくていい 3/12

今日は作曲のクラスだった。どのように7分の楽曲「君の新しい記念日」を4分程に縮めようか、どの言葉を抜こうかと考えていたが、昨日の朝の瞑想時間に要らないところを省いて言葉がやって来た。なるほど~って。自分で決めかねる事がある時は、側に作曲家か音楽に精通した人が、旦那かボーイフレンドでいてくれたらなぁと冗談で思う事があるが、実は少し時間はかかっても必ず答えがふとした瞬間に入って来る。その答えの合理性を頭で考えて、なるほど~と感嘆する。省かないよりも省いた方がよりよいのだ。2番目の歌詞の一部を省いて、そこに3番目の歌詞を入れる。2番と3番とどちらも取って置きたい所は、サビの間に数小節入れる。何とも、元のバージョンよりも切なさが際立つ。まだ少し迷っていた他のところは、その感性と頭脳を私が頼もしく思っている作曲インストラクターの音楽ベースの助言をもとに歌詞を咀嚼し更に歌詞を省いた。すると、歌詞とメロディーがさらに生きてくるではないか。大変洗練された歌になった。

正に、人間智で考えてだめなら、神の知恵に耳をすませ、である。要するに苦労しなくても良いみたい。

新しくできた「空には何もないのに」と「化粧」もインストラクターに見てもらったが、彼も面白がっていた。曲はクラスで自主的に作っていたものであるが、今回「化粧」に使った曲を見てもらった時に、手直しを要求されたところも「前回は違ったフレーズがよいと言いましたが、歌詞が入ると、このフレーズがむしろ生きますね」「この歌詞、面白いですね。ふつうは、化粧をしない顔を本当だというのだけれど、ここではその反対を言っているんですよね」と興味深そう。そして「化粧」とは対極線上にあるような「空には何もないのに」に関しては、「爽やかな曲ですね。意味が深いなぁ」と詞の発想に少し付いて行けないようだったが(まだ30代若いもんね)、深めの理解に挑戦していた。

彼は音楽大学に行った訳でもなく、ただ家族全員音楽好きで小さい時から音楽の中で育ったという。詞については専門家ではないと言いながらも、私の要求に答えてコメントをくれる。そのコメントも彼の感性レベルがもともと高いだけに、一緒に考える相手として物足りなくない(まだ30代なのだけれど)。こちらが言う事が理解できるし、それに素直でいて挑戦心があり(これが出ると私はニカ~ッと心の中で笑う)、奢らない。実によくできている青年であり、インストラクターである。側にいて私がどのように曲を料理したいか、よく分かっているので、私の迷いにもよく応えてくれる。

改めてまわりを見ると、わたしは必要な時に必要な人に出会っている。時々、うわ~と感嘆する事がある。神が私に託した仕事を成就させるために集めて下さった方々だが、託されている仕事の貴さを改めてひしひしと感じる。





ずっと前からいてくれていた 3/15

2012年の暮れにブログに書いた。ベランダに出て空をみていると、突然、「案ずることは何もない」と私に囁く声があった。そしてその直後の夢の中では、飛行機のタラップのようなところから降りて来る私の前にふかふかの赤い絨毯が敷かれてあり、そこには40代程の男性が立っていて、「どうぞ」と私に手を差し出し絨毯の上を歩くよう手招きしていた。夢でないような風景だった。

その40代の人はいつか現れると疑っていなかったが、誰だろう、いつ現れるのだろうと浮き浮きしていた。だが、その人は、その夢を見ていた時に既に現れていた。なのに私は全く気付かす、それどころかその人を信頼していなかった。。。。何と言う事を!....済まなくて涙が頬をつたった。

2011年、念願の六本木スイートベイジルでのリサイタルが終わり、そのDVDを作り、私はビクターのある女性ディレクターに電話を入れた。しかしその人はおらず、代わりに出られた男性にDVDとCDを観て/聴いて頂けないかと申し出た。本名を使った私がプロデューサーでしずこがアーティストというアプローチだった。彼は私と電話で会話しながらそのまま私のHPを開いた。そして直感的に想うところがあったのだろう、「おもしろい、おもしろい」と言い、CDを聴いた後2度私のライブに来られた。2011年の事だ。そこで彼は次のような感想を述べてくれた、「今は本当にいい歌が無いんです。しずこさんの歌を聴いて衝撃を受けました。直ぐにデビューという形ではなく、長い付き合いにしましょう。歌をどんどん書いて下さい。」だが、どこの会場に行っても受ける「今のわたし宝石です」には、「おもしろいけれど。。」と言って取り合わない。なんだか閊えるものがあり、それにどことなく気弱そうに見える風貌に(彼がここを読む事はありませんように)、私は他のレコード会社に行こうとした。その事がスルっと私の舌から滑ってしまうと、大変残念そうな表情をされた。

その後ライブに他の人をよこした。間もなくして、「しずこさんの声が好きではないので一緒にチームを作ってやって行くのは難しい。しかし楽曲はこのままにするのはもったいないので、他の人に歌わせませんか」と言って来た。CDを気に入ってくれたのに、ライブの声とCDの声が違う訳でもないのに(少しは違うかもしれないけれど)。。。もしかしたら、最初からその気がなかったんじゃないの。。。。と私の反応が少し歪んだ。様々な大物歌手の演奏をしているピアニストの西さんも「しずこさんの声悪くないよ」と言う。「でもね、ビクターのディレクターが私の声が嫌なんだって」と言うと、西さんは頭を傾げた。だが、もしかしたら、私がシャンソンを歌う時に声を作って演じるから、その声の事かしらとも思ったが、それを言う機会は失していた。当時は楽曲提供は考えになかったので、それで繋がりは切れるのかなぁと思ったが、私はとっさに「これが始まりという事にしたい」と書いてメールを送った。それで、2011年は終わり、とにかくもっと声を磨く事にした。

そして翌年の暮れ、500人を超える聴衆が集まった札幌ライブで持参した自作曲のCDが40枚完売になった。そしてそれより数か月前のライブから「原信夫と#&b」のバンドリーダーをしていた西直樹さんがレギュラーで私のソロライブの演奏をやってくれる事になった。私の自作曲にこれほどの反響があった事、そして安心してアレンジを任せられる人が側に来てくれた事から、私はどんどん歌を書き始めた(西さんにピアニストとして入ってもらった時にはこうなるとは全く予想していなかった)。その年、3曲が新たに自作曲に加わった。そして、その年の陽も暮れようとしていた時、突如私に聞こえて来た「なにも案ずる事は無い」と、夢の中に現れた40代の男性と赤い絨毯。あれは、全てが整ったという暗示だったのだろうか。

昨年2013年には12曲を書き、時には数が合わないなぁ、後どんな歌を書いたっけと一生懸命思い出さなければいけない程に溜まった楽曲。「歌をどんどん書いて下さい」と言ったビクターののディレクターの言葉に夢をかけ、久々にメールを入れると、楽曲を是非聴きたいという。ああ、まだ切れていなかったんだぁと嬉しかった。楽曲提供だから、大体どんな歌だか分かれば良いだろうと、自宅録音したものを送り、その後ビクター本社でお逢いした。だが現れた彼の顔には笑みが無く、かなり不愉快そうだった(何だこれは、本当に本心が分からないなぁ、と私)。憮然とした様子で私の前に座った彼の口から出たものは、録音のひどさと、きちんとしたCD並みのデモを作らないのかと言うことだった。???だって楽曲提供でしょう?それならどんな歌か分かる程度で良いのでは?私の声は関係ないのでは?そう言うと、彼はニヤッと笑い、では私の昨年11月のコンサートDVDを聴くからという。それで失礼したが、全く連絡がない。仕方がない、きちんとスタジオで録音したものを送ろうと、デモ制作準備を始めた。

デモは、CD並みに作るものと、西さんのピアノだけのカラオケで作るものと分けたが、ピアノだけのもので良いのかどうか見てもらうために、ひとつできたものを送って聴いて頂いた。

これが全てを明らかにした。その送った曲をレコーディングした時、私は、どういう訳か、これまでとは違う歌い方をした。声を作った。いわゆる”くさい”歌い方をした。しかし聞いていただくのはピアノカラオケだけの伴奏で良いかどうかであるから、そのまま送った。

間もなくディレクターから感想が送られて来た。彼が気にしているのは、ピアノだけの伴奏だとか、様々なサウンドが入っているとかではなく、”私の声”だという。あれ、あれ、あれ????私の声が好きではないから楽曲提供を提案して来たのに、なぜここでまた声なのだろう。楽曲提供と録音の声の関係が書かれて来たが、分かるようで分からない。彼が続ける「最初のCDをもう一度聴いてみました。やはり私の印象に間違いは無かったと改めて思いました。はっきり申し上げますが、あの時の声が今回の声よりずっと良いです。これをマイケルさんにも伝えて下さい(マイケルは今レコーディングに関わってくれている米国人)。マイケルさんにあのCDを聴かせてあげて下さい。自然に素直に歌って下さい。」そして、念には念を入れるという思いがしたためられたメールが続けて送られて来た。

だだだだだ・・・・・やっと分かった。彼が何を聴いていたのか、そして何を聴きたいのか。そして、やはりそうだった。彼がライブに来た当時、私の自作曲はまだ5曲。歌っていた店もシャンソンを聴かせるライブハウスだから、客はシャンソンを聴きに来るのであって、お金を出してオリジナルなど端から聴こうとしない。その中で1曲くらいは許されるだろうとオリジナルを歌い、後はシャンソンだった。シャンソンの歌い方も人それぞれだが、私は曲によっては声を作って歌っていた。街の女が歌の主人公なら、少し品を落した声。ホームレスのおばあさんが主人公の場合はそれなりに。つまり歌で芝居をしていた。それを喜ぶ人もいた。そして、なぜか、ディレクターに送ったデモは、”くさい”と思う歌い方をしたものだった。

私は今まで自分の声が好きじゃなかった。最近こそ安定して来たので聴けるようになったが、最初の頃のものはあまり聴いていない。歌い直したいところだけが目立つ。勿論人それぞれに思い方はいろいろだ。本心を”ずけずけ”言う以前の住居の隣人が今でも二つのCDについて「あの歌いいよ」と言う。嬉しいけれど半信半疑だった。しかしこのディレクターの言葉に、私は改めて自分の最初のCDを聴いた。その耳に入って来た声は、私自身もこれまでとらえた事のない印象をもたらした。歌い直したいところはそのままだが、素直で自然で、純粋で、静かに漂う可愛いさがある。愛おしいとさえ感じる。自分でもハッとした。私はこう言う声を持っているんだぁ(何度も言って来ているが、私には第3者の目や耳がいつもある)。パ~んと一発で「いい声だ」と感じさせる声もあるし、それを好む人もいるし、それはそれでよいが、私の声質を始めて知った。そして私はこれまで、その声質を殺そうとして来た。もっと深く太く歌おうとして来た。

彼は2年半前に渡した私のCDをまだ持っていてくれていた。こんな事ってあまりあり得ない。自分の曲を見てもらおうと送って来る人は沢山いて、レコード会社ではどんどん捨てられるという。私の中に熱いものが込み上げて来た。彼は本当に誠実に私と作って行こうとしてくれていたのかもしれない。私は何という事を・・・済まなくて涙がとうとうと流れる。大きくは無いかも知れないが、私に期待をよせていてくれていたのだ。私の素の声が好きで、私の作る歌が好きで。。。。私は100%彼との縁を信じると誓った。

2012年の暮れに見た赤い絨毯を敷いて私にここを歩きなさいと手招きをしてくれた人は、彼だったのかもしれない。彼も40代だ。その夢にひとつ気になっていた事があった、夢の中の彼の顔に笑みが無かった。その理由も分かったような気がする。私は彼の厚意を信頼せず、残念な想いをさせていた。
   
  レコーディング順調に進行 3/18

20曲のデモ作り。つまり私の自作曲を全てディレクターに聴いて頂く訳だが、この録音が結構しんどい。何がしんどいかと言うと、マイケルとのコミュニケーションである。人柄も彼の音楽への姿勢も好きなのだけれど、私の方に誤算があった。

英語でのコミュニケーションには問題は無いと思ったが、彼側にアシスタントがいなければ、私が疲労困憊。「XXXからもう一度歌いたい」と言っても、そのXXXがどこにあるのか伝えるのが大変。それで歌詞をローマ字で全部打ち直し、その上意味を英訳して渡す。それでも1,2曲なら頑張れるだろうが、20曲である。こりゃ大変だと、とうとう私が音をあげてしまった。25年も日本にいるのだから、日本語をきちんと勉強しなさいよと言いたいところだけれど、日本人が英語を使おうとするから、日本語が分からなくとも英米人はどうにか東京で生きて行けちゃうのよね。ミキシングやノイズ取りにもこちらが申し訳ないと思うくらいに、すごい時間を使っていたようだ。要するにプロではなかった。ここも私の誤算だった。

それでネットで検索していたら、私の所から徒歩圏内にレコーディングスタジオがある事が分かり、そちらに移ることになった。なんとも楽だ。レコーディングが専門職の日本人エンジニアがトントン作業を進めてくれるので、1時間で2曲の録音ができ、それはマイケルの処で最もはかどった時の半分以下の時間。はかどらなかった時は・・・・(@_@;)。

でも、マイケルとお別れだと思うと、ちょっと胸キュンである。この仕事を大変喜んでくれていたので、その喜びを奪ってしまうような気もするし、彼自身歌うので歌い方について意見も言ってくれる。あ~あ、こう言う人が欲しかったんだなぁ、と思ったけれど。君津近辺までの小旅行から徒歩圏内のスタジオ、大きな魅力である。それにマイケルとしても、やれると思ったかもしれないけれど、実際にやって見て、経験不足の身には何とも多大な時間を使い、これで終わってホッとしているのではないかとも思う。互いにおめでたい事だろう。

さて、ピアノだけのカラオケ。あらが全部見えるぞ~。怖いけど挑戦でもある。先週の金曜日にマイケルの処で録音したものが今日送られて来た。聴くと、あれ、あら、まあ、悪くないじゃん。細かいところは色々あるけれど、ソフトで随分いい声になったなぁと、嬉しくなった。これまで自分の声を聴く媒体はライブ時に撮ったDVD。内蔵マイクだから、音ががさがさなので聴くたびに嫌になった。今回はスタジオ録音だからマイクから声を直接拾える。ホント、悪くない。うわ~、ここまで来たんだなぁと、とても嬉しい。でも未達の処がいくつかある。ステージで歌っている通りに歌ったら、とても荒削りで”きたない”。そうかこんな風に歌ってはいけないのだと、音量も力もずっと落さなければ、と気が付く。3年ぶりのレコーディングだが、年に一度レコーディングをするのは良いかも知れない。

これからは新曲10曲程揃った処でスタジオ録音をしよう。今はミュージシャンになりたい人達が沢山いて、スタジオは行く度に沢山の男の子たちで賑わい、部屋も大体ふさがっている。こんな子たちが多くなったからだろう、レコーディング・スタジオも安価で借りられるし、専門のミキシング・スタッフも付いている。更に驚くのが24時間営業、それだけニーズが高まっているという事なのだろう。





キャッキャッ(●^o^●) 3/20

レコーディング・スタジオでミキシングが終わったものを最終確認で聴いていると、しずこは完全にプロになったんだぁと感心しちゃった(あははは)。すごくいい。うまく歌おう、うまいと言われようとしていない。ビクターのディレクターから言われて私も始めて気付いたのだけれど、本当に自然で、素直なのね(これ、私そのものじゃないかなぁ・・・ククク・・・よく言うよ、この人)。

今日は「間に合いますか」と「Yesterdayを聴いて」を録音およびミキシング。「間に合いますか」はミキシングが終わった最終的なものを聴いていたら、泣けちゃった。それで、側にいたスタッフに「彼女、本当にいいね」って言ったら、スタッフも勿論と言わんばかりに「いいですよ~」(●^o^●)。

これを早速皆さんに聴いてもらいたいとYoutubeに載せたら、途端に音が悪くなるのね。スタジオの装置で聴いていた私の耳には、怖くて載せられないと思わせてしまう程。画像はダメだが音を載せられる米国のSoundcloudというサイトでは、音質はそれほど下がらないけれど、Youtubeでの音質の低下はすごい。たまたま間違って修正前のものを載せてしまったのだけれど、その修正前バージョンで少し気になっていたが、ま、大丈夫だろうと思っていたロング・トーンの短さが、Soundcloudでは、意図的に語り調にしているのだろうと思えるが、Youtubeだと、変に切れて”へた”という印象に変わる。

スタジオ・レコーディングでは、ヴォーカルとサウンドは別々のファイルに録音される。そのヴォーカルだけを取り出して聴くと、OKとなっても、バックにサウンドが入ると、OKではなく”おかしい”、音の尻尾が切れたように聞こえるものもあった。へぇ~、今日は色々と発見が多かった。

今、とても楽しい。この先がワクワクする事もあるが、レコーディングでは何度もやり直しながら、いいものを拾える。どこを直せばいいか、どうすれば思うように歌えるか分かっているし、その結果が直ぐに出るから、ルンルンしている。そうやって最後に聞こえて来る声、完全にハマっちゃったぁ(●^o^●)。それと、初めてのCD作りの時とは全く違う私。納得した歌になるまで、譲らない。「もういいのよ」は前半が完全に語りだから、やり直しとなると、全部最初からの取り直しとなる。一音がはっきりしないだけで、全部初めから。他の歌だけの楽曲より2倍の時間がかかった。私のヘッドフォンにミキシング・エンジニアのため息が聞こえるが、無視!

絶対くじけないし譲らない。へっへっへぇ…これが進歩と言うものよ。フン(^。^)。






東京タワーとうなぎ 3/22

昨日大学の先輩達と共に東京タワーに上り、その近くの野田岩でうなぎを食べた。東京タワーに上るのは何年ぶりになるのか、年間パスを8000円で販売していたが、買う人はどんな人だろうと想像できなかった。野田岩はビルが林立する街中に突如和風の構えをみせるところだが、結構美味しく賑わいの中での会食だった。中でも、強風で寒さが身に沁みた後の熱燗がな~んとも。
   



























 
「ホテルローヤル」 3/22

2013年直木賞受賞、桜木紫乃作「ホテルローヤル」。ラブホテル「ホテルローヤル」に様々な形で関わる人達のドラマを主人公毎にまとめて一冊の本にしている。こちらも自然体だ。うまく書こうと表現をひねってないところ、それでも主人公の目から見る景色はこのように見えるだろうと思わせる描写に、私の頬の筋肉がうっすら盛り上がる。

ホテルローヤルの経営者、その愛人であったがやがて女房になる事務員、そこの掃除婦、廃墟となったそのホテルで恋人のヌードを撮りひと旗挙げようとする若者などなど・・・中でも印象に残ったのが寺を維持するために毎月数人の檀家の相手をする住職の女房。それも仏様への奉仕とし、頂いたお布施を仏像の足ものに滑り置く。だがある日、檀家の御主人が無くなりその息子と交わした時、初めて味わう快楽。仏像の足元に置いたお布施は無くなることが無く、いつまでもそこに置かれたままとなる。

ラブホテルだから、当然性描写は欠かせなくなるが、淡々としながらもユーモアがある。しかし、何とも切ない。読後のため息が長い。人間の住む世界はこんなにも切なくてはならないのかと,ちょっと苦しい。

読み終えたとき、壁の時計は昼の2時半を指していた。明るい外に出たくなり、私は街を歩いた。






マーボ豆腐 3/25

この上なく辛いマーボ豆腐を作ってしまった。一人暮らしと言うのは大体同じものを幾日も食べている事がある。カレーの場合は、1週間食べていたりする。昨日まで鶏肉のから揚げを3日間食べていたが、これは揚げた鶏肉を、ニンニク、ネギ、唐辛子を炒めたところに酒、砂糖、醤油を入れそのソースをからませて食べる。恐らく20年ほど作って来ている料理だが、今だに料理本を見ながらである。自分で言うのもなんだが、結構美味しい。美味しいと言っても、レシピー通りにやっているのだから、本が正解と言う事になるのだが。ただ揚げるのに手間がかかり、頻繁に選ぶメニューではない。久しぶりにこの料理をしたが、たまたま中華街で手に入れた赤唐辛子(鷹の爪)がふんだんにあったので、私一人の1回の食事に景気よく2本入れて、辛いなぁと思いながら、それでも美味しく食べていた。

そして今日はマーボ豆腐、と中華料理が続く。大体薬味は似ているので、昨日までの”習慣”を行じてまた赤唐辛子を2本入れた。でも今度は2食分に2本。しまった、マーボ豆腐には豆板醤を入れて鷹の爪は入れないんだったと思いだしたが、もうフライパンに入れて炒めてしまっている。よし、豆板醤は使わずにお味噌だけにしようとやってみるが、何とも今一。しゃ~ない、と中華街で買って来たばかりの豆板醤も入れた。すると、~~~~~辛いのなんのって。どうしよう、捨てるのはもったいないし。ごま油を少したらして、辛味を和らげ、息ひ~ひ~、背中とおでこに汗じわ~、それでもたいらげた。あっちゃ~、ビールが足りなくなった。

レコーディングや、今週土曜日のライブ、明日の作曲クラスで見てもらう新曲に気を取られていると、普段やっている事の手続きが狂う。






10曲をレコーディング 3/25

日曜日に9時間の時間を与えて8曲のミキシングが終わった。終了3時間前にスタジオ入りし、できたものを聴くと、今まで気付かなかった事がこんなに多かったのかと驚きとともに発見する。声に様々な色がある。スタジオのコンピュータから流れてくる声。実に満足。サウンドはピアノだけというリスクの高い挑戦なのに悪くない。

しかし、そのファイルをもらい、家のパソコンで聴くと、スタジオであった同じ感動にならない。こんなにも違うんだぁ。自分の声って何かの媒体を通さなければ聞こえないのだけれど、その媒体によって聞こえ方が全く違ってしまう。本当の声とはどの声なんだろう。持っているコンポやスピーカによって、そして録音する時のマイクロフォンの品質によって、声の聞こえ方は変わる。「本当」と言う言葉を私たちはよく使うけれど、この「本当」ってどこにあるのだろう、と改めて思う。

人間が頻繁に使う「本当」。飽くまで主観的なもので、ある時間持続するに過ぎないものなのだろうね。

さて、次の10曲のレコーディング(本当によう作りましたね、しずこさん)、今年に入ってできた2曲も入れたいので、アレンジが終わり歌い慣れしてからになる。4月後半かな。






希望を与える事があなたの仕事 3/25

2月16日のブログ「面白い人間は面白人間に呼ばれる」に書いた女性、占星術師、名前は明本歌子(あけもとうたこ)という。一度聞いても良いかも知れないと2週間前にリーディングをしてもらった。

日本で初めてロケットを作った物理学者の糸川英夫氏が書いた「一億人のための一億人分の占星術」を読んだ事がある。生年月日、時間、生まれた場所などから、生まれた時刻に12星座がどの室(合計12室)にあり、それぞれの星が交差する角度を調べ、そこから持たされた性格、適職等を割り出して行く。

私からもらった情報を手掛かりにチャートを作り、沢山の資料を印刷して明本さんはアークヒルズ・カフェで待っていた。彼女のリーディングでは、前世どこにいて何をしていたか、今生生まれて来た理由、そしてどんな仕事に付くか、何をして行けばいいか等が言われた。

直近では19世紀に北米にいたらしい。自由の大義のために戦ったそうな。例えば、女性の権利を求めた運動のリーダー。ローマ時代にはキリスト教会で宗教の自由を求めた運動にも関与したらしい。そして最も重みのある時期が中世のヨーロッパ。「中世のヨーロッパと聞いて何を想いますか」と訊かれたが、直ぐに思い浮かぶものはなかった。アジアにはいた事がないらしい。やっぱりと、納得した。また尼であったという事も。私はヨーロッパを旅する時必ず教会を覗きたがる。入るとずっと正面を見て黙って座っているだけ。一度イギリスのバースで駅近くにある修道院を訪れた時、その中庭のベンチにたった一人で座って物思いにふけっている自分が過去世か来世にあるような気がして淋しくてならなかった感情を経験した。歌子さんが続ける。「あなたは前世で善い人間でした」。彼女の場合はスパイだったらしい。全て秘密にしなければならないから、その反動で現世では自分自身をさらけ出していると。

で、前世の私は善い人だった、それは今の自分を見ていても私自身そう思っている(本当だから言わせてね)。私には自分の利のために人をおとしめたり、足を引っ張ったり、嘘をついたり、妬むという想いは起こらない。いつもやりたい事がありその実現に向けて歩いてきたからだろうと思うが、そう言う私を妬んだ人は、私の成長のそれぞれの段階でいたように思う。最初の人は家族の中にいた。妬みと言うのはものすごい負のエネルギーを出してくるようだ。ある程度戦って大体私は逃げた。でも今の立ち位置から考えると、その人達は、そういう感情を持って私に迫って来たが、それゆえに私は逃げ場所を探して米国まで行き視野を広げる事ができたし、私の生きる道で正のエネルギーで関わる人達との関係を確固とするための気づきへとリンクさせてくれた。そして絶対こういう人間にはならないと反面教師としての役割を果たしてくれた(^v^)。

結局はプラスになっている。ここ数年これまでの来し方を振り返ったり、自分の魂の動きに敏感になった時、私って本当にいい質を持たされているんだぁと気付いた。相手の身になって考えてしまうから、利己心を起こす事ができない。これは現生で私が選んだ特徴でもなく、そうしようと努力している事でもなく、付いて来たものだから、前世でも善い人間だったのだろうなぁと思う。二つの星が60度に交わっていると棚から牡丹餅で、努力しなくとも得られるらしい。「しずは、いい子だから」長く一緒に暮らした人や洞察力のある人達がよくそのように言っていた。一般に従順な子を”いい子”と言うようだが、私は決して従順じゃない。むしろその反対でマイウェイ、相手の狭い"正しさ"に収まり自由を束縛される事には耐えない。かなり若い時には周りにいた人に表面的に影響され似たような所作をして自己嫌悪に陥った事もあるが、それらはすべて消えた。私には自分を常に見ているもう一人の自分がいる。だから悪い事ができない。しかし、誰も傷つかないような小さな悪事はしているかも((^v^)笑っちゃぁおしめえよ)。

話は次へと進み、なぜ現生に生まれて来たか。理由は、自己確立。自分が何者か、何のために生きるのか、それをはっきりと自覚しそれを行動に移して生きるためにやって来たらしい。それは7年前から実際に始まっていたと思う、つまり、この宇宙をつかさどる神を知る事。神を心の中にしっかと掴んだ時から、私はブレなくなった。自分が何者か分かった。そして現生での私の仕事は、希望を失った人達に希望を与える事だという。私の書く歌の内容がそうだから、納得。・・・・でも視点を帰ると、突然歌を書かせられるようになった私、そうか希望を与えなさいと、この仕事を頂いたんだぁと、こちらも納得。通訳ではそんなお務めはない。そして"書く"事を何度も強調された。

”びっくり星”と彼女が名づける天王星が活発らしい。それがまた太陽と同じ室にいるから、私は”電気”だと言う。他人もそして自分自身をも驚かせる突然の変化が起きる人生、そして突然のインスピレーションで全く別の行動をとる。「コンピュータが頻繁に壊れませんか」と訊かれる。「実は電球が替えても替えても直ぐに切れるんです。コンピュータは、寝る時スリープ状態にしておくのですが、夜中に勝手につく時があります。」そんなびっくり星と落ち着いた土星があなたの支配星です、とか。確かに言えている。”青天の霹靂”だったと誰からも言われた自分の命程に愛した夫との突然の別れ、そして考えた事も希望した事も無いシンガーソングライターへの転身。まさかの出来事だった。確かに"電気"かも。

現在に至るまでの人生、全てつじつまが合う。 はい、しっかりと努めて参ります。


改めて思う。色々な人間を神はお創りなっている。色々だから人間世界は実に豊かなのだ。こうでなければいけないというのは決してない。そのままで良い。そのままでいて、人間はそのテンポがまちまちだが、必ず善い方に進化して行く。その「善い」を人間がつくった窮屈な道徳観で決めそれを強要してはならないのだろう。人間のつくる道徳は普遍的なものではない、場所や時代とともに変わる。しかし時空を超えて影響されないものがある。人間は様々な”違い”を作って来たが、どんな違いにも影響されないものがある。それは、やはり、「愛」だろう。愛には国家を超え、民族を超え、他者を超え、人と人をつなげる力がある。そう思う。

私はそんなに宗教には詳しくないが、先祖供養や先祖崇拝をするのは一部の宗教のようだ。キリスト教にもない。親鸞の書いた歎異抄にも先祖崇拝をしないと書かれてある。なぜなら人間は肉体を持たなければならないが故に両親が必要だが、前世でも親子であった訳ではない。いわゆる血と骨と言う肉体は魂の洋服に過ぎない。生まれ変わった時、この魂は別の洋服を着ている。魂は自由。魂は肉体を動かして、現生の意識レベルで気付いていない自分を”生長させる魂”に逢いに行く。たまたまそれが肉体上の両親と同じかもしれないし、または空間を超えた所で待っている前世の愛しい人達かもしれないし、自分を辛い目にあわせた人達かもしれない。どちらも自分を生長させる機会を与えてくれる。魂には血と骨がない。人間が求めるのは魂と魂の結びつき。そのように思う。



追記1:中世のヨーロッパ・・・この時代に何があったのか、ネットで調べてみた。何十行にも及ぶ当時の出来事リストの一番最後にみつけた、イギリスとフランスの100年戦争、そしてジャンヌダルク。「しずはジャンヌダルクみたいだね」「私たちきっとイギリスとフランスの100年戦争のとき、逢っていたんじゃないかなぁ。」そんな会話がかつてあった事を思い出した。フランス・・・1996年辺りだったろうか初めて訪れた時。それまでどこを旅しても経験した事のないDeja vuを体験したところだ。

追記2:自己確立。そして希望を失った人に希望を与える。占星術で見てもらわなくとも、そう行動して来ている。だが言われると、より意識し、そちらに邁進しようという気にさせられる。はい、しっかりと努めて参ります。






ライブ終了 3/29

来場者数7人と言うライブだったが、良かった。少なかったからこそ、ステージと客席の間のやり取りが頻繁で、ざっくばらんに話をしながら進められた。今回は新曲が多かったせいもあり、そしてレコーディングに大変気を取られていた事もあり、ライブ前の練習中から気が散漫、歌詞を間違えたり思い出せなかった事が頻繁に起きた。これは当日ヤバいと思っていたが、それが起きた。初めて聴きに行った歌手のライブがそうだったら、印象は大変悪かっただろうが、身内のみだったので、寧ろ和気あいあいとなり「今日すごく親しみを感じたよ」との言葉を頂いた。ひばりの「津軽のふるさと」を歌ったのも良かったようだ。終わってももっと歌ってと言われ、2曲追加となった。

ここのところ、レコーディングに備え毎日何時間も歌っていたので、声がよく出て自分でも気持ち良かった。「歌が本当にうまくなったよ~」って、また大学の先輩が言う。先輩達を初めとする常連の方々が毎回来て下さっていたので、大体3カ月毎のライブが成立し、2言無くそれゆえの成長。完全に生かされている。

この日のライブは、こんなキャジュアルな感じにできたらいいなぁとずっと思っていた事が実現できた日でもあった。しかし、コンサートではバッチリ決めるぞ!

さあ、これからは2回目のレコーディングに備え準備開始。全力投球だ!ちょっと大げさ。(^v^)・・・・ん?大げさじゃないかも。テレビで放映していたことだが、井上陽水がまだ無名の頃、彼の曲が始めてラジオでオンエアー。その時の番組のパーソナリティが森本レオ。陽水が言ったそうだ「生きるか死ぬかの瀬戸際なんだ!」





細胞に微電流がながれる 3/31

ー 自分に持たせられている能力は自分のものではない。その能力は自分で無くても誰かが持っていればいい、たまたま自分が選ばれただけの事。その能力は、人の為に使うよう、天から授けられたのである。それを自覚すればおのずと謙虚になる。 ー

今の生き方ではいけない、でも私の中の何がどうなっているんだ、それを根底から変えるための言葉に巡り合いたい ー 何年前になるのだろう、15年も前だろうか、生き方にもがいていた時、稲盛和夫さんの著書「生き方」を読み、大変印象に残ったのが上の言葉。2つ上で話した明本歌子さんの前世リーディングから数週間たって、もや~としていたものがほどけて来たように思う。なぜ自分が選ばれるのか。それは何百年も、そしておそらく何千年も前の自分、現生に生まれる前の自分の命がしていた事と関連しているのだと思えて来た。生まれ変わる時着る洋服が変わり、生まれる国や持たされる環境が異なっても、魂は引き継がれる。

自分の前世を知った時、私がなぜ現生の両親の子としてその家族に生まれたかを含め、ここまで来る間に起きたあらゆる出来事、嬉しい事も腹立つ事も辛い事も、全て私をここに来させるためにあったという事、私がすべき事をするためにあったという事も段々と真実味を帯びて理解できるようになってきた。こう言う事はテレビや本で人生の諸先輩達がよく語られるが、私もようやくここまで来たと云う事だろう。多くの人が気づいて行く道のりのようだ。

ー起きる事は全て良い事なんですよー(私の生き方を変えた本、「生命の実相」から)

ーこの宇宙には善くなろう善くなろうとする気が流れているように思う(稲盛和夫)

ー神には人間世界への構想がおありになる。それを実現するためには人間の協力が必要だ。そのために神は人間を作られた(「生命の実相」)

ー私は皆さんのように高等教育を受けた訳でもないし、頭がいい訳でもない。ただひとつ言えることは、私は素直でした(松下幸之助)

私の人生を変えた言葉達。能力は、人のために役立てるためにある。私の細胞の一つ一つが電極に触れたように微反応を起こしているようだ。





104 4/1

何のこと? 
ふふふ・・( ^)o(^ )。 
なによ? 
ふふふ・・・(^v^)。 
いやね、一人でニタニタしちゃって! 
ははは・・・(#^.^#) きっと誰も信じてくれないもんね。だから言~わない。 
なによ、それ?! 
今日一緒に遊んだ人だけ見ていたから信じるてくれるかな。(●^o^●)ルンルルンルルン。初めてなんだ。4か月やっていなかったから散々かなと思ったら、なんと・・・いつもよりいいの。104になっちゃった。あははは・・
?????
   


 
自然 4/2


「よく理解して生きておられる方は自然なのである」

谷川俊太郎の詩集「これが私の優しさです」の解説の中で、漫画「ちびまるこ」の作者さくらももこが谷川について言った言葉。生きるという事がどんな事なのか、人間はなぜこの地上にいるのか、そんな事を谷川は知っているように思う。それで自分はどのように生きるか正確に選択し実践している人なのだろう。深い言葉だが、この言葉を十分に理解できる今の自分が嬉しい。







化粧を落しておくれ 4/4

書いちゃったぁ~(●^o^●)。男の歌う女の歌を。ちょっとセクシーで、暖かくて・・・ふわ~

ずっと上で画像入りで紹介した詩と画像のないまま載せた詞、「空には何もないのに」と「化粧」。それぞれに曲が付いて、今アレンジャーの手元に送られているが、そちらが出来上がるまではレコーディングも進まないし、練習もできないので、待っている間に歌を書いた(つまり今日)。「化粧を落としておくれ」と「桜の枝」。「化粧を落しておくれ」は正に「化粧」に対峙する内容で、タイトルからも想像できるように男が女に語る歌。二つとも曲が付き清書していたら、眼に見えないとてもとても小さな小さな小人さん達の楽隊が全く別のメロディーを作って「化粧を落しておくれ」を歌いながら私の口から出て来た。ぼってり歌謡曲バージョン。実はこの歌、取りようによっては大変セクシーなのである。ん?!もしかしたら、成熟した男たちに歌ってもらえる歌になるかもしれないと、作ってみた。で、そんな色が出てきた(くわ~!)。

なんと面白いのだろう。ほとんど同じ歌詞だが、メロディーを変えただけで歌う男性が特定できる程に、雰囲気が違ってくる。

もうひとつは、「桜の枝」。これは、昨日島倉千代子のドキュメンタリーをBSで見ていた時、彼女の言葉が私の頭にインプットされ、そのまま歌詞となった、「色々な事があるわね、人生は。あり過ぎるわね。私ばかりを神様が意地悪している・・・」

歌をつくる:何とも楽しい仕事だ。歌を作りながら、何かを伝えられる。うまくいけば、聴く人を幸せにできる、一緒に涙も流せる。つながれる。






花見 4/5

先日のライブに島根から来てくれた友人と皇居の乾通り、東御苑、千鳥が淵の桜の中を歩いた。天皇陛下の80歳の誕生日を記念して乾通りが公開されたが、土曜日であるという事も影響したのだろう、2,3時間行列の中にいた後、やっと中に。この人混みから東御苑に抜けた時は、見えてきた遠方と空間にやっと身体と心が緩んできた。その後千鳥が淵へと移動したが、以前記憶にあったような混雑はなく、先日の雨と風で、桜の花も大分色あせ、葉だけが残る枝も目に付いた。

久々の一日中の会話。思う事が沢山あり、まるで銭湯の浴槽の湯を上からドバーっと流す様にしゃべり続けたような気がする。友人も辟易しなかったかと少し気になるが、私も喉が疲れてしまった(@_@;)。友人に聴いてもらおうと、朝にMDに録音して置いた新曲、聴いた後に感想がなかったので気になっていたが、帰りの電車の中で確認してそのひどさに赤面。恥ずかしくなった。彼女は遠慮して言葉を憚ったのだろうが、それも少し残念。あまりのひどさに言葉を失ったのかもしれない。

「今朝のバラ」は歌い込んでいるなぁと感じるほど自分のものになっていたと、前回のライブの感想として彼女が言っていたが、楽曲を歌い込むには実に時間がかかる。自作だから直ぐに歌える訳ではない。できたての時はぎくしゃくしている。上から降りて来たものでも、それを鍵盤で確認する時には、鍵盤の音に合わせる。つまり人間が道具に合わせなければならない。生まれて24時間もたっていない作りたての曲、録音して聴いてもらうには早すぎた。(*_*;




「アンナと雪の女王」 4/8

アニメ部門でオスカーを取った「アンナと雪の女王」を見て来た。グリム童話の「白雪姫」からヒントを得て作られたらしいが、米国映画のありきたりのSF映画を見たようだった。美しいとも、感動的だとも思わない。愛、恐怖、怒りをテーマに、それを何度も言葉で繰り返されるが、心に沁みて来るものは全く無い。大味で感動が薄い、薄いというか無いに等しい。なぜこれが?となったが、デズニ―映画なので政治的なしがらみがあったのかも。日本びいきで言う訳ではないが、オスカーに相応しいかどうかは別として、候補になった宮崎駿の「風立ちぬ」がずっと良かった。テーマは一個人の飛行機作りへの愛情で、大風呂敷を広げたものではないが、心に残る「美」があったと思う。

私が観た「風立ちぬ」の映画館では、終っても直ぐに席を立つ人は無く、皆じっと座ったままクレジット(関係者紹介の)・スクリーンが終わるまで画面を見つめたままだったが、今日の映画では、私を始め数人が映画が終わると同時に会場を出た。

ついでに一言。私にはスポーツでも芸術でも特定の国や人をひいきにするという事はない。日本人だから日本を応援するというのもあまり無い。素晴らしいものを見せてくれる、感動させてくれるモノが好きだ。一度感動させてくれたものでも、次にがっかりさせられると、結構冷めてしまう。そう言えば、米国にいたころ日本人子弟を対象とした土曜学校で教師をしていた事があったが、特定の生徒をひいきにする事はまずなかった。私の趣味じゃない。誰かをひいきしている教師と云うのは好きじゃないし、逆にひいきされる事が何回かあったような気がするが、そうされると居心地悪くて、私はその教師と距離を持つようになった。共産主義みたいに、質に関係なく結果平等と云うのは不公平だが、質に見合った公平さで接してくれる方がいい。
 
 
 
ゴルフコンペ 4/11


一年に3回になった大学地区OB会のゴルフコンペ。昨日の初夏並みの気温、風もほとんど無く、少し汗ばむような陽光の下でとても楽しく遊んだ。

先日の104、そしてここには書かなかったが、念のために再度の事前トライで得た107。”いよいよ”かなと挑んだが、スキー場のコブを連想させるうねる丘陵の連続。失望感が先に出てしまい、それが障壁になったのか、最初からダブルパーになってしまった。こんなものなんだわねぇ、と思ったが、同じチームにいた毎週ゴルフをするという先輩は全く崩れない。そうか、丘陵とか、コースの特徴と云うのはあまり関係ないのかもしれない。真っすぐ打つという基本的な事ができていればいいんだなぁと、教えて頂いたように思う。

このOB会のゴルフコンペの時はランチタイムも楽しいし、その後の成績発表を交えたパーティも楽しい。共有するものが多い人達と一緒にいるのは心地がよい。

それでもネットで5位になり(だってハンディー40だもの(@_@;))、賞金を頂戴しました。賞をもらうってやはり楽しい。





排他的からより豊かな社会に 4/11

上のコンペのランチタイムに、一人の先輩がお孫さんがイギリス人が園長を務める幼稚園に通っているという。英語教育の一環のようでもあるが、このような事を通しても日本人の他者を受け入れる器が大きくなり、より豊かになっていくように思う。中曽根元総理が日本への移民枠を拡大して以来、日本社会に他国からの移民が増え、その勢いは地方にまで浸透しているのを見た時は感慨に似たようなものがあった。多人種、多文化、多国籍が多く生活しているヨーロッパ、特に北米。器が大きいと人が集まり頭脳が流入り、社会が豊かになる。違うものが入るからこそ、社会はダイナミックになり、面白いものとなる。もちろんそのために失われるものもあるが、新しいものが入れば以前にあった何かは必ず失われる。それが人類史だろうし、現代もその流れの中にあるように思う。既存の柱にしがみついても、変わりゆくものは変わりゆく。流れを差し止めることはできない。

もう一人の先輩が「排他的なのは良くないよね」と言う。人間は心が開放された人の周りに集まる。なぜなら誰しも自由を求めるから。閉鎖的な人間の側では窮屈なのだ。それと同様、開放された社会に人は集まり、それぞれの力を発揮して行く。そのような個の貢献により社会が一層豊かになって行く。





歌い込み開始 4/11

「空には何もないのに」と「化粧」のアレンジとカラオケが送られて来て、この2曲は完成となった。さあ、歌い込み開始。2011年9月に届けたCD以来、ここまで作った歌20曲をビクターに聴いて頂くためのレコーディングに備えた歌い込みである。その後にできたものもあるが、次の機会に聴いてもらう事にしよう。

この歌いこみにはたっぷり1週間はかかるだろう。それからレコーディング、ミキシングなど、半月程の作業かな。緊張感を高めるために、キャンセルすればキャンセル料が取られるレコーディング室を予約することにした。

相手の都合も見ながら自然に動いているのだが、占星術師の歌子さんが言った通りの日付になっている。可笑しなものだ。

私は今とても神様に可愛がられているような気がする。神様と波長を合わし、降ってきたり、背後からまたは横から囁かれる言葉は大体直ぐに行動に移すから、神様は喜んでおられるようで、もっともっと言葉を下さる。私の手元のノートには沢山の言葉が歌になる日を待っているし、願い事が必ずと言っていいほど叶う。本当に自分でも驚いている。希望した通り行かない場合もあるが、それはそれでいいのだ、神様には私に対する別の計画がおありになる。それはだいたい私をより大きくする一歩にも思えてくるから不思議。私は、ただ神様の代わりにパソコンで整理作業をするだけ。

「全てが神様の脚本の中」:作家の田辺聖子が書いているが、その言葉がどうもすっぽり私の内臓に収まったようだ。





前方に誰かが待っている 4/13

Youtubeに幾つか歌を載せているが、久しぶりに見ると「いいね」がひとつふたつ増えていた。「え?」というのが正直な感想で、何でいいんだろうとぼんやりと思ったりする。載せてはいるけれど、自分ではほとんど聴いていない。声に自信がない。

2010年、初めてCD
を作った時、そのマスタリング(原盤制作)が終わって手渡されるた時のあの重くのしかかって来た重量感を今でもありありと覚えている。ああ、もう後に引けない。頂いた原盤をバッグに入れて家まで黙々と歩き、帰宅してもとてもコンポで聴く事ができなかった。しかし、もう行くっきゃない。土俵上の力士が相手を見据えるように、コンポの前に椅子を持って来て座りこんだ。何が聞こえてくるのだろう、できる事なら何も起こらないでほしい、誰か他人の声が聞こえてきてくれないかと願った。

1回だけ聴いて、歌い直したい所をひとつふたつ見つけたが、そんなに悪くないかとホッとした。あれから4年が過ぎた。その間、切れ切れに10回も聴いただろうか。最初から最後まで聴いた事は何回あったろう。自分の声が好きじゃなかったから、聴く事から逃げて来た。しかし、ここ1,2年の間、全く異なる意見を耳にするようになり、「えっ?」と反応する事が多くなった。初CDの中の声を、自然で素直だと、私の声が好きだと。ぽあ~ん???・・・・。やっと、真正面から自分の声を聴く事ができるようになった気がする。これもこのソロライブがあったが故だと、ソロライブを続けさせて下さった方々への感謝は、言葉に言い尽くせない。

それで、今日は「いいね」がひとつ増えた2010年の南青山マンダラで歌った「オルガ」を聴いてみた・・・なるほど、私がシャンソンを歌わなくなった事を残念がっていた人達の顔が浮かんで来た。今は勿論自作曲が中心だが、その他にはホイットニーや美空ひばりを歌っている。あれから4年かぁ、ずいぶん遠くまで来たなぁという思いと、やっとここまで来たかという感がある。あの時はホイットニーの歌を人が鑑賞できる程度に歌う事は夢だったと思う。”役柄”に合わせて声を作って芝居をするように歌い、それが私の"強み”であったし、それを喜んでくれた人達が少なくなくいてくれたような気がする。だが、私は自分の強みに安住せず、新たな目標をつくり自分で納得するレベルまで持ちあげて行くタイプのようだ。私の生き方の特徴なのだろう。自分の生長の過程で沢山の人と出会い沢山の人と別れたように、歌う歌も大きく変わった。歌が変わることでまた人との出会いと別れがあるのだろう。前に行くしかない。その前方にまた別の人達が待っているのだろう。

追記:だが、強みは決して手放さない。私程度にホイットニーやひばりを歌える人は満といるだろうが、「オルガ」には私の個性が印象強くあるように思う。よろしければ、Youtube欄から「オルガ」をお聴きください。

   
  賽は投げられた 4/15

アハ、大げさ!

残りの10曲のレコーディングが今日終わった。レコーディング時間の節約もあり、びっしり歌い込んで10曲を4時間でレコーディング。3月に10曲をレコーディングしているので、大体どのくらいの時間になるか見当が付き、4時間の予約をしたが、本当にこの時間内で終わった。きっと前代未聞かも。

一人でやっていると、キーを決める事を始め、テンポや色々な事に迷う。そんな時に音楽に関して鋭い感性を持つ人が側にいてくれると本当に助かる。迷っていたところは、レコーディング・エンジニアの内村君の助言と、レコーディングルームで聴いた自分の声で決まった。高い声が出ても、「私」らしくないとダメなんですわ。

レコーディングをしていると、いかに今まで曖昧に歌っていたか、声を出すべき場所からきちんと出していなかったかが分かる。自分で作ったものでも、他人が作ったものでも変わらない。再度譜面で確認。それに、一番歌いにくかった歌をどのように歌うか、これも至難だった。男女の愛のいとなみを歌った「愛のいとなみ」と昨年暮れに出て来た「君の新しい記念日」。「愛のいとなみ」は6ヶ月寝かしておいた。どうしても様にならない。でもその内にそれらしくなるだろうと、その気になった時に練習を重ねたが、やっと、ホントに、やっと、恥ずかしくない歌になった。「うまいですね」と内村君がポロッと生意気な事を言う。28歳、今の28歳は体験済みかもね。

そしてまた大変だったのが、「君の新しい記念日」。アレンジャーの西さんには、私の主張があいまいだったがゆえに随分面倒をかけてしまった。一度出来上がったものが7分程の長い歌になり、構成を何回か見直して5分以内の歌にしたが、その後のカラオケ作成でもテンポやキーの変更などが何度もあった。辛労の多い歌となったが、辛労の甲斐がある歌になったのだろうか、思ったよりも歌いにくい。これまでの歌と違い、工夫をしなければいけなかった。忍耐強くお付き合い頂いた西さんには、ただただ感謝!

それにしても、レコーディングが終わり最終チェックを入れるために聴いた自分の声、「聴ける歌になったなぁ」「よくここまで来たなぁ」と、充足感と共にとてもうれしい。

さあて、金曜日にミキシングが入り、そのあと簡単なマスタリング。来週早々にディレクターに届けられる。きっと面白いと思って頂けるような気がする。実に様々な種類の歌を作って来たようだ。なんでこんな事ができたのか、自分でも分からない。色々な人に喜んで頂ければ、と願う。

内村君がいう、「「空には何もないから」が好きです。それと個人的には「Yesterdayを聴いて」。」私は「化粧」が好きなのだけれど。「化粧」は女でなければ分からないだろうなぁ。




さわやかな朝 4/16

”さわやかな朝” ー 5月につくような枕詞だが、まだ4月。窓を開けると、昨日の天気予報通りだと驚く。本当にさわやか。風の音も無い、遠くに高速道路だろうか車が隙間なく走る音がする。そして雀のさえずり。都会にもこんな朝がある。うれしい。昨日のレコーディング終了後にこの朝が訪れている事が、まるで神様から祝福を受けているようで、また嬉しい。私の仕事はいったん終わった。これが初めてリサイタルを開催し歌の道を本道とするようになった2008年からの仕事の区切りなのかも知れない。

今日は作曲クラス。様々な歌を書いて来たので、「次回はホイットニーが歌うような歌を書きませんか。それとロック」と、先週のクラスで言われた。以前にもこのブログで書いたが、自作の歌には「歌のうまさを聴かせるところが無くて、もったいない」と2008年の初リサイタルの提案者でもある大学の先輩の奥様が言っていた。私のシャンソンが好んでくれて、リサイタルやコンサートには毎回来て下さっていたが、2011年の六本木以来御無沙汰、昨年の11月のコンサートに2年ぶりに来て話してくれた。なるほど…ならば歌のうまさが感じられるような歌を私が書けばいいと思った。そんな想いがインストラクターに通じたのだろうか。

いわゆる long tone(長音)を入れればうまさが際立つのだが、日本語でやるとすると「ああ~」「さど~」「りんご~」等、ひばりがやっているような感じになり、大体下からくねり上げていく。ホイットニーのように高音から伸ばすのは、日本語では??らしい。それでそのような個所は英語の歌詞を入れたらどうですかという。そうか、私は英語ができるんだぁ、と”気付いた”(#^.^#)。面白いかも。

そしてロック。私はまだロックがどういうものか分かっとらんです。騒がしい、がなる、マイクをぐりぐり回す、かっこ付ける・・・と言いながらやって見たいというあこがれもある(あは)。坂本冬実の歌う「夜桜お吉」にその”感じ”が入っているらしい。ん?待てよ。私、既にそれらしくなる曲を作っているぞ~。あれを生かせばいいかぁ。うわ~、やってみよう。





おめでとう 4/17

「おめでとう」きっとこんな言葉を頂くのだろうなぁ。ミキシングも終わり、CD-Rに焼いてもらって家に持って帰った。帰った家に誰かがいたら、「おめでとう」と言われて花束を頂き、ワインとそれに相応しい料理のケータリング(自分で作らないというところがいい)でお祝いを頂くのかもしれない。でも、充足感が心を満たし、淋しさは微塵もない。一人で祝おうと、お気に入りの”パリのパン屋さん”で一切れのケーキを買い、美味しい紅茶を入れた。紅茶も今日ばかりはマグではなくて、CUP AND SAUCERで頂く。幸せ。(^v^)

20曲をそれぞれ10曲づつ2枚のCD-Rに焼いた。4年前初めての自分のCDを聴いた時と同じように、コンポの真ん前に背もたれの深い大きな椅子を持って来てスピーカーからの音が最もよく聞こえる場所に置いた。ふふ、4年前と違うのは、私が堂々としている。販売用のCDならやり直さなければいけないところがあるが、「デモだからこれで十分です。どんな楽曲であるか、そして声を聴きたい訳ですから」とレコーディング・エンジニアの内村君から言われて、その辺で妥協。DISK1は、実にいい。DISK2は初めの方に同じような雰囲気の曲を集め過ぎてしまった。これはちょっと失敗。でも、ま・・・・いいでしょう。デモだから(#^.^#)。

伴奏に様々な楽器の入る販売用のCDとは異なり、ピアノ一本に乗せたので、歌唱力がそのまま出る。隠せない。それも非常に良い特訓だった。

私は歌を作る時は大体一気に書く。早く形にしたいと思うせっかちさが働き、直ぐにアレンジを付けてもらうが、その後に別なアイデアが出てきたり、最初のアレンジ構想に曖昧にOKを出してしまうので、後で僅かだが曲の中のフレーズを変更する事がある。そういう時はコードも変わるから、アレンジャーの手がまた必要となり、アレンジ料が嵩む。何回かそんな事が重なり、曲の変更は出来るだけ避ける事にした。だが、歌詞は私だけがせっせと頭を働かせばいいのだから、後でいくらでも変えられる。最初は適当な詞を入れて置き、後でじっくりと考える。

それで今日はミキシングだし、CD-Rに焼く事になるので、気になっていた「遠い昔に逢いました」の3番目の歌詞を昨日考えて、作曲インストラクターの意見を訊いた。彼は作詞を教える訳ではないが、大変良い感性を持っているので意見を聞く相手として申し分ない。専門家でなくともいいい。だって歌ができた時聴いてくれるのは非専門家だもの。新しい歌詞に彼の1票を頂き、その方向で手直しする事になったが、私が入れたい言葉、「舟、漕ぐ、楽しい、流れ、夫婦」がどうしても既に出来上がっているメロディーに全部収まらない。あれやこれやと考えて、パチン!そうかぁ~、全部収まったぁ!面白い歌詞になった。

それでミキシング開始前にその部分を歌い直すためにスタジオに行った。スタジオは徒歩10分も無いところ。

すべて思い通りに進んで来ている。協力して下さいました方々、そして見守って下さいました方々、ありがとうございました。
   
  STBの無期限営業停止 4/19

「うわ~、何と素敵なところなの、いつか私も此処でやりた~い!」来場者数100人を超えたら、六本木スイートベイジルに行こう、ソロコンサートを始めて僅か3年、音楽業界新参者の私がこの夢のライブハウスに出させて頂いたのは2011年7月。またいつか此処でやりたいと思っていた。そして、それは、もしかすると、遠い事ではないかも知れないと漠然と思っていた。

そのスイートベイジル(STB)が5月で無期限営業停止となる。多くのミュージシャンのあこがれの場所だし、いつでも大物ミュージシャンが出ている処であり、大体いつも満席なのに、なぜ?ネットでみると説明がない。やはり経営難だったのかなぁと勝手に推測したりする。とにかく最後にもう一度行こう、そしてお世話になった方々にご挨拶をしたいと、友人と出かけた。

店長を始め、数人のスタッフが私を覚えていて下さった。にこやかに挨拶をしてくれる店長、まだ無名の私の出演を少し失礼に扱ったフロント係はまだ罪意識が残っているようで、眼を正面から合わせる事ができないようだが、私の質問にはきちんと答えてくれる礼儀を持っていた。あの時、私が一体どれほどの客を集められるのか不安ながらも受け入れてくれた企画部の人はSB食品の本社に移動になったらしい。通しリハの時に「グラスの中のワインは全部飲みほした方がいいですよ。残すとまだ未練があるように思えます」と自作ドラマを演じる私にアドバイスをくれた舞台監督は、舞台の上でせっせとミュージシャンをサポートしていた。経営難の筈はないのになぜ営業停止?店長が話してくれる、「そうなんです。上の人間は一体何を考えているのか分かりませんよ。ただ、ヒルズがこの下まで広がって来るようなんです。そして東京オリンピックがあるので、それとの兼ね合いで前倒しに営業停止なんでしょうね。」

この日の出し物はスーパーライブとスケジュール表に書いてある。様々なアーティストが勢ぞろい、19:30に始まり終演は23時だった。それでミュージックチャージが3000円。恐らく出演者は皆STBにお礼を込めた感謝ボランティアで参加しているのだろう。新派の水谷八重子も出演していた。かつて時々新派を観に行っていた時期があった。一度楽屋まで行き、名前は忘れてしまったが、座付劇作家に私を入れて下さいと言いに行った事があったっけ。その時楽屋でうろうろしていたら、水谷良枝(現水谷八重子)が下駄を履いて付き人に手拭いを持たせお手洗いに入って行くのを見た。見知らぬ人が楽屋にいるので彼女は不思議な表情をしながら私を見ていたっけ。

その水谷八重子はここ数年毎年定期的にSTBに出演していた。彼女が出る時はミュージックチャージが馬鹿高く10,000円。何を見せて/聴かせてこの金額なのか興味があったが、役者が歌うのだから恐らく私が聴きたい/盗みたいものはないかも知れない、それはおそらく既に私に備わっているものかもしれないと、そんな金額を払う気はしなくて一度も行った事がなかった。今日は3000円で僅かでも彼女の歌を聴ける。

やはり役者はシャンソンか。歌った歌は私にもリクエストの多い歌だった。「震えています」と言っていたが、そうだろうなぁと同情する。せりふなら何かと一緒に合わせる必要はないが、歌となると、伴奏者と一緒、テンポあり、リズムあり、そして忘れるのをいつも恐れる歌詞。ひとつでもどこかで外れると、大変、終るまで外れっぱなしで行くか、伴奏者に気づいてもらうかしなければならない。私の時などは、外れたままで行った。伴奏者が気付かないなら気付かないままで。歌詞を伝える事を中心に据えたから、ピアニストに合わしてしまうと、言葉を切り捨てるしかない。私はそれをしたくなかったので、しぶとさで勝負した。やっと相手が気付いて、不思議な面持ちである処で待っていてくれる。お客様はどっちが間違っているのかと頭をひねっている(笑)。歌を聴かないピアニストはダメ。名ピアニストは必ず歌を聴いている。今私のライブに入ってくれている西直樹さんがそうだ。私の歌詞が飛んだら彼もそこまで飛んでくれる(苦笑)。だが歌を聴かず譜面だけを追う伴奏者が圧倒的に多い。しかし、伴奏がピアノ一本なら何処かで待ってもくれるが、バンドだとそうは行かない。音楽が専門でない役者なら、それはそれは震えます。昔、舞台でやはりシャンソンを歌っていた市原悦子はその震えが声にも手にもはっきり出ていた。私も震えたのなんのって、かつては(「お、生意気言うじゃないの。慣れたという訳ね。」「まあね、ほっほっほ。いつまでも震えてなんぞいられないわよ、ふん!(*_*;」

ミュージシャンが皆、STBとの別れを惜しんでいた。私も惜しんでいる。場所も素敵だけれど、スタッフが実に協力的だった。SB食品は良い会社なのだろうなぁ。また違った形で必ずオープンして欲しい。

パンフレットには、Special Thanks STB139. See You Again、と書いてあるので、”またね”である。





ねばって 4/2

アルバム並みの20曲全曲を聴く人なんてメディアには皆無・・・そこで推し曲を1曲選んで提出して欲しいと、ビクターからメールが来た。1曲を選ぶ、これは大変。はっきり言って私には選べない。それでこのディレクターと感性が似ているような、私のライブにコーラスで時々入って頂いているスダッチに選んでもらった。なんと素晴らしい友人を私は得た事か。彼は曲毎に感想をワードにまとめてメールに添付して送ってくれた。そう言えば彼は2010年に私が初CDをリリースした時からの付き合いだ。
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早起きしてじっくり聴かせていただきました。 
どれもいい曲ばかりですね。
聴いていて飽きないのは凄いことですよね。
すぐにでもアルバムを作ればいいのに! 

個人的には
1位は絶対にMy Love
2位がYesterdayを~でした
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「My Love」かぁ。私もこの歌が好き。もう一度この曲をコンポに掛けて確認すると、気になる所があり再度レコーディングし直した。そして長さ7分から5分に縮める事によって歌詞の選択で迷った「君の新しい記念日」も半音上げて再録音。ほんの少しの違いなのだけれど、今の私は拘る。これには決して忘れない初CDの時の自分を主張しなかった自分の弱さへの憤りと悔しさがあるから。

2つのDiskに収まった私の声、歌。初CD制作から4年、別人のように思う。もうあの時の自分はいない。

自分の努力はもちろんだが、努力する環境となったすべての人々に心からの感謝を送りたい。

   
  「桜の枝」と「化粧を落しておくれ」 4/23

時々私はブログを読み返す。必ず文法上の間違いを見つけるので、それを訂正したり言葉を書き加えたり削除したりする。今日は「あら?書いていなかった」と大事な事に気が付いた。レコーディングの事で心が浮き立っていたからだろう。

4月に入って生まれた新曲2曲、「桜の枝」と「化粧を落しておくれ」のアレンジが完成してカラオケと共に送られて来た。「桜の枝」はそもそも島倉千代子のドキュメンタリーを見ている時に、彼女の言葉をヒントに番組が終わるや否やパソコンに向かってダダダ~と書いたものだからイメージは彼女的な歌謡曲。送って来たアレンジが私のイメージとは違っていたので、私がどう歌いたいか録音し、かつYoutubeで彼女の「人生いろいろ」のURLを貼り付けてアレンジャーに送った。そしてすぐに来た修正版。「これ、これ、これです!」と歓喜した。そして送られて来たカラオケ。最初の1小節が出ただけで、私の顔がニカ~ッ。ライブでこれが演奏されると同時に変わる空気を想像して、嬉しい。どっぷり歌謡曲。あははは。

そして、「化粧を落しておくれ」。これは実は最初のバージョンと全く異なるものになった。最初のバージョンでは、そうしようと意図したわけではないが、書いたものを見ると30代から40代の男性が歌うイメージになった。気に入ったさびも生まれたが、これは少しばかり頭をこねくり回して作っていた事もあり、ぎこちない。だが一応書き終って、何かの整理をしていると突然私の口から全く異なるメロディーでこの歌詞が零れて来た。あれ?書いたメロディーと違うと思いながらも、こう言う無意識の動きを積極的に取る事を習慣づけている私は、直ぐにこのメロディーで「化粧を落しておくれ」の改訂版を書いた。すると、「これって、熟年の男たちが歌える歌じゃないかなぁ。」またニカ~ッとなる。あの先輩達に歌ってもらえる歌になるかもしれない。これを持って作曲クラスに行くと、最初の数小節を譜面から聴きとっただけでインストラクターは熟年バージョンを選んだ。

西さんに言って、前奏に二つのバージョンをお願いした。ひとつは私が歌うバージョン、もう一つは誰でも歌いやすいアマチュア・バージョン(あはは)。これはムード演歌かなぁ。

歌謡曲には親しみと懐かしさがあるようだ。





顔 4/24

関口宏の「人生の詩(うた)」という番組がBSで毎週放映されている。先週から見始めた。今回はゲストに作詞家および直木賞作家でもある、なかにし礼。途中から見たが、彼の顔が以前よりもふくよかになり、笑みが多い。はて?

彼は今年76歳になるが、73歳の時に食道がんを患ったらしい。ステージ2までに大きくなった癌細胞で手術しても生存率50%だと言われたらしいが、絶対に直せる医者がいるはずだとネットで徹底的に調べ従来の方法でない医術を持つ医者を見つけ、切らずにきれいに癌細胞を摘出したらしい。その手術の後、自分の人生が変わったという。壁があるとしたら、その壁の向こう側に行ったのだと。そこには酒も無いし、銀座もなければ、君たちもいないと関口に言う。

なるほど。彼が何を見つけどこに来たのか、なんとなく想像ができる。深く濃い闇の中に投じられた人達が這い上がろうとしている時に射して来る一閃の光が彼にも射したのだろう。私もその一人だったから。

顔というのは本当にすごい。その顔を持つものの生き方を如実に表す。「顔は自分のためにあるんじゃないですよ、他(ひと)のためにあるんです」と言った人がいた。確かに、自分で自分の顔を見ている時は鏡を見る時だけ。それ以外は他人が自分の顔を見ている。鏡を見る時は、鏡を見るために準備している自分の想いがあるから、その想いを映す顔となっている。が、それ以外のところで自分が知らない自分の顔を見ているのは他人である。

顔はその顔を持つ人物の想いと共に変化すると気付いたのは自分自身の事もあるが、他人の顔の変化を見た時である。

そろそろ8年ほども前になるのだろうか、心が渇いていた時期があった。その時ふと鏡を見た時に映った自分の顔にびっくりした。びっくりしたというか慄いた。「これが私の顔?」大変年老いた希望も艶も無くなったお婆さんだった。それまで認識していた活発さや陽気さ若さは跡かたもなく消えていた。久しぶりにあった知人が、私のその変貌に言葉を失ったように眉間を寄せて凝視していた。頬はげっそりと落ち、目がくぼんでいる。このブログを書き始めて以来何度と書いて来たが、その頃に届いた一冊の本を切っ掛けに私の人生は逆転した。私もなかにし礼の語る壁の向こう側に行った、おそらく。

眼の輝きだけではない、顔の肉付きまで変わる。こけた頬はまるくなり、無意識の中で思っている喜びが自然に顔に顕れ始める。知人たちは眉間を思いっきり外側に引っ張って私をじっと見る。他人の変化はよく分かる。私自身も想い方によってこんなにも顔が変わるのか、その事実を他人の顔の上で見ている。私と同じように壁を越えて来た人がいたが、半年も逢わないでいると、一瞬誰だか直ぐには認識できない程に"普通"の顔になっていた。70台に乗っていた皺だらけのギスギスしたきつそうな顔から、口もとにほんの少し残しているが、皺がすっかり消え、肉付きもよくなり、穏やかさが漂う。声を出して驚くほどの衝撃があった。他人の変化を確認したのだから、きっと私自身の顔にも顕れて来ていたのだろうと納得している。

何も言わなくとも、顔が全てを語る。顔は隠さない。顔はそれほど自分の全てのようだ。

なかにし礼の顔が本当に変わった。話す言葉の端々にかつてとは明らかに違う心の豊かさと喜びと楽しさが顕れる。

深く濃い闇に投じられた後、人間は何かをつかんで光の中に向かう。そこから新しい顔がつくられるようだ。




AからZを広げる 4/24

昨日のなかにし礼の話は面白かった。彼が言う、ビートルズも入れて世界中の歌はAからZまでに分類できるが、そのZまたはAを拡大したい。つまりもう一つのZを書きたい。要するに、誰も書いていない所を書く。その仕事への想いが癌と戦う姿勢にもつながったという。5人の医者に会ったが5人とも旧態依然のA←→Zに入り、健康な部分まで大きく切り開く手術と化学療法の適用であった。絶対この範囲外の医療があるはずだと粘って探した結果見つけた方法が、金額は高いが、切らずに癌細胞を摘出する方法であった。

共感する。
   
   最後の最後まで美しく 4/26

「最後の最後まで美しく。それは日本人だから。」

超高層ビルの解体工事。2020年の東京オリンピックに備えて建造物の整備が既に始まっているとテレビで報道された。赤坂プリンスホテルの解体に導入されたテコレップシステム。これまでの超高層ビルの解体工事はダイナマイトを使って多くの粉塵と騒音を出して行われたが、過密都市東京で周囲に迷惑がかからぬ方法としてこの新しい方法が考え出された。てっぺんの屋根を残したまま上層階から2層づつ解体して行く ー 既存ビルの屋根を大型ジャッキで支えて蓋にして、屋上階の外周に取り付けた防音パネルとともに建物上部をすっぽりと覆う。閉鎖空間で解体を進めた後、ジャッキで下げることを繰り返す。これによって粉じんも騒音も抑えながら、老朽化した(?)超高層ビルの背丈がまるで骨粗鬆症現象を起こしたかのように縮まっていく。この技術を生みだしたプロジェクト・チームの主任が言う「最後の最後まで美しく。それは日本人だから。」

感極まった。日本人一般に浸透している完璧さと一途さと美意識が到達した技術。本当に素晴らしい。




ヤシの木に別れ 4/29

プランターの外にまでその根が張り出していたヤシの木。6年前に以前の住居から引っ越した時に運んで来た。2,3年ほど前に植え替えようとしたが、プランターから抜けない。結局プランターを壊して取りだしたが、土が見ないほどに根が絡みついていた。それをザクザク切って新しい土を入れて植え替えたが、土の入れ方を間違え、風が吹くと直ぐに倒れた。また取り出して落ち着かせたが、どうも生長している気配がない。それでもまだ葉が緑色を保ってくれたし、水も吸っているようなので、時々話しかけたり優しくなでたりしていたが、この弱弱しさでは冬を超えられないだろうと部屋の中に入れた。その時、窓の梁にヤシの木の頭がぶつかり、まだ根付いていなかった木は、根のところから動いて土ごと外にこぼれてしまった。また土を整えてこの春に外に出したが、とうとう命尽きたのか、葉は全て埃色に化した。

その長さのため、可燃ごみとしてドラムの中に捨てる事も出来ず、のこぎりで半分に切ったが、断面には微かな湿気が残っていた。まだ生きられたのだろうか、早まったのだろうかと心にきりっと傷が付けられる。ネットで見たヤシの木の断面は一番外側が緑色を帯びているが、ベランダのヤシの木の断面は材木と同じ色をしていた。もうめそめそは止めようと、これをよい事と受け取る事にした。過去の清算。ひとつひとつ荷物が少なくなる、いい事だ。

10年以上も傍にいてくれたね、ありがとう。




遅咲きの歌? 4/29

昨夕は時々コーラスで入ってもらっているスダッチと食事をした。池袋Parcoの8階にある和食。大変美味しかった。スダッチは巨大企業の役員でもあるので接待やら付き合いで色々な処で食事をする機会に逢うのだろう、これまでも誘われて行ったところは皆美味しかった。ここも実に美味しい。ランチもやっていると言うので、次の狙い目である。

「昨日久しぶりに車を運転したんですよ。そしたらたまたま「美しい日々だけを連れて」が流れたんです。いい歌なんだなぁと思いました。」

「美しい日々だけを連れて」に対するこれまでの彼の点数は高くなかった。彼の好きなのは「今朝のバラ」。2011年にリリースした時に初めて聴いた時から「今朝のバラ」を称賛していた。この曲と一緒にCDに収めた「今のわたし宝石です」よりもこの歌がダントツだと断言するその調子には、私の最初の案であったCDタイトルを「今のわたし宝石です」から「今朝のバラ」に変えさせるほどの押しの強さがあった。

専門家の言葉というのは影響力があるのだろう。ビクターのディレクターは「美しい日々だけを連れて」と「今朝のバラ」をどちらもいい歌だと言っていると告げると、再度慎重に聴く気になったのかもしれない。「美しい日々だけを連れて」はじわ~とよさが分かる歌なのか。アマゾンで販売開始をした時、京都にいる友人が10枚ほど購入し彼の友人達に贈ったらしい。”徐々”に感動が寄せられていますとメールで知らせて来た。「”何度も”聴いていると良さが伝わってきますね」と伝えて来た人もいたとか。"徐々に"か"何度も"か、それが口惜しいね、と冗談交じりに答えたが。

私自身は「美しい日々だけを連れて」をずっと押している。この歌は本当にいい歌だ。20代から40代の若い子たちに聴かせると、感動が顔に滲んで来るのをよく見かける。いかにこの楽曲の良さに直ぐに気付いてもらうか、これがこの楽曲にこれから関わって下さる人達が知恵を絞って行かなければならない課題だろうなぁと思ったりする。





5月のライブ 5/2

こんどのライブは今月。思えば5月にライブをするのは初めての事だと思う。ゴルフ日和でもあるので、「確約はできないけれど、行けたら行くよ」と言ってくれる人達が数人。うれしい言葉。
ライブのある月が近づき始めると、私の心はキキキっとして来る。あと3日でライブ月だぁ~、うわぁ、明日かぁなどと。月に一歩入ってしまうと、あれよあれよと時間が過ぎていくもの。

かつてはライブで歌う凡そ15曲ほどの歌を全部自作の歌で埋められたらいいなぁと思っていた事もあったけれど、今では、どれを載せようかと少し迷う。でも、自作曲は、若い方々はともかく、60代以上の方々には馴染みがないし、演劇性もないので、素通りしてしまうみたい。それで、15曲の内半分ほどを自作曲、後はみんなが知っている歌を歌って欲しいという要望がある。それで、半分までとは行かなくとも、既に多くの方々に知られている歌や、初めて聞いても面白いと思われる演劇性のあるシャンソンを増やしてみようと思う。やはり、美空ひばりは入れよう。この人の歌で、ポピュラーになったものは、悲しい歌でも余りどんよりしていないように思う。

そしてもう一つはシャンソンの「ねえ、仲間たち」かな。これは亭主が死んだ時に歌う歌(笑)で演劇性が強い。ただ、シャンソンとなると気になるのが伴奏。この歌をよく知っているピアニストなら結構安心できるが・・・西さんに頑張ってもらわなければ。
   
  他の曲も聴きたい? 5/2

先日友人が選んでくれた楽曲をビクターのディレクターに送って10日ほど経ち、まだ返信が無い。恐らく聴いていないのだと想像する。昨年に送ったライブのDVDや自宅録音に辟易したせいだろう、聴くのが「楽しみで無くなった」と言って来た事がある。それ以来こちらから再度の押しがない限り聴かない。丁度いいタイミングで、昨日、通っているミュージック・スクールから、あるテレビ番組の歌作りの作家オーディションの案内が来たので、勝手に応募するのも気が引け、一応筋を通した方がよいと言う周りの提案もあり、連絡をしたら、案の定聴いていなくて「今聴きました」と返信があった。


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とりあえず、今回の録音は気持ちよく聴けました。自己紹介用のデモとしては、とてもよいと思います。 
曲の感想としては、、、何と言うか、他の人に歌ってもらうというより、しずこさんのレパートリーって感じがしますね。
個人的に、しずこさんの曲は良いと思っておりますが、自分で誰かに売り込んだり、自分の手で育てたいとまでは、申し訳ありませんが、考えておりません。 

ですから、もしも、他にしずこさんのことをもっと評価してくれる方がいたら、ぜひその方にすべてを任せた方がよいと思います。
その点、こちらに遠慮することは何もないので、どんどん道を切り開いて頂けたらと思っております。
自分としては、変な言い方ですが、(デモ録音の助言をしたり)そのためのお手伝いをすることくらいしかお役に立てませんが、それでもよろしければ、他の曲も聴かせて頂けたらと思います。
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なぜ聴きたいのだろう?デモは既に2曲聴いているから、どんな録音状態か、どんな歌い方をしているかは、十分に分かるはずなのに。。。。苦戦しているなぁ。要するに、聴いたデモの2曲はよいけれども、これで誰かに売り込もうとか育てようという考えは生まれていない、しかし2曲のデモは良かったので、他の曲も聴いてみたいと言う気になっている、という事じゃないのかなぁ。ただ、他の曲を聴いてもそのような考えに致るかどうか分からないから、期待を持たすまいとこう言ういい方をするのだろうなぁ。。。。。そんな事は当然なのだから、率直にいえばいいのに。こう言う処にも、かつてなら、気弱い人、信頼して大丈夫かなぁという印象を持ったんだよね。こちら側としては、全曲聴きたいと言わせる処まで持って行くのが、現段階の目標だから、順調に展開している事になる。どう頭をひんまげて目線を変えて考えても、この2曲のデモだけで、「売ります。育てます」になる訳ないのに。

私の罪滅ぼしもあるし、とにかくこのディレクターとの御縁を大事にしようと思う。出会いから今日に至るまで、これほど長い付き合いをして下さるメディアの人間は、そうそういるものではない。本当に特別な御縁に巡り合った。彼との直接コラボだか、彼を通じた他とのコラボだか、または全くの第3者か、それは分からない。しかしこの御縁の先に何かがあると確信に近いものがある。デモの作り方一つにしても、彼の助言があったからこそ、どこに出しても自信を持てるデモとなったし、その出来栄えに「気持ちよく聴けた、いい歌」と彼は評価もしてくれた。これほど心強いバックアップは無い。他の音楽関係者たちのあれやこれやの主観よりも、実際にアーティストを選ぶ当事者から聞けるのだから。





てんやわんや 5/3

なんだか、5月の風と陽の中で気持ちの良い流れに憩う小舟に乗せられているようだ。他の曲も聴きたいと言われたディレクターから全曲入ったDiskの郵送を依頼された。直ぐに発送したが、後で気が付いたら、その内の1枚はカラオケだったらしい。それに気がついたのも、なんとも間が抜けているが心が潤う出来事の重なり。

デモがもっと必要になるだろうと、近くの家電量販店でCDRを買ったら、エラーが出て焼けない。それで返品して上質のものと交換してもらおうと店に向かっている途中、取りに行くものがあった事を思い出しレコーディング・スタジオに立ち寄った。すると、いつも複数の店舗を周っているため必ずしもいるとは限らない店長がロビーで客と話をしている。先日直してもらったDatのお礼と、現在の経過を話すと、「全曲聴いてくれると言うんですから、いい感じじゃないですか。上に行っていますねぇ。CD焼くのはここでやりますよ。」重要部分は彼の耳にも"全曲聴く"、ここだけのようだ。「一つのところだけくっついていたら狭くなるから、どんどん広げた方がいいですよ。そこからまた別の紹介があったりしますから。」

なんだかすごくニヤニヤして、無償で追加6組を焼いてくれると言う。そんな厚意に与るとは考えてもいなかったので、デモ原盤自体を持って来ていない。直ぐに部屋に戻り(何と便利なところに私は住んでいる事か、徒歩10分圏内である)、原盤を持って戻ったが、今度は「あれ、これ、カラオケって書いてありますよ」と、これまでレコーディングにずっと付き合ってくれていた内村君が気付く。あっちゃ~。部屋に置いてあるデモはもう無いはずだとおぼろげに思い出した(なんだってそんな事をしたのだろう。自分用のものは取っておくはずだったのに???)。最後のはディレクターに送ってしまっている。改めて原盤を作ってもらい、それをCDに焼いてもらう事に。その間私は家電量販店に行って不良品の返品。

CDに焼いてもらって部屋に戻りデモCDの数を整理すると、Disk2のカラオケはあるが、Disk1のカラオケがない。しまった、デモでは無くてカラオケをディレクターに送ってしまったかもしれない。ヤマト運輸で調べてもらった(この調べてくれると言うのがすごい、本当にすごい、日本という国は。絶対他の国ではあり得ないんじゃないかな)。まずはセブンイレブンに電話。取り扱い番号が出てくる。その番号を持って今度はヤマト運輸に電話。その荷物がどこまで運ばれたか調査。ちゃんと係りから電話が来る。残念ながら荷は既に相手の住所周辺の集配センター。でも配達されずにこちらに送り返される事になった。何とすごい会社だ、国だ!

それに一段落し、焼いた6組のデモにタイトルを印刷しながら確認のため音を聴いていると、待てぇ~!ちがう~!「My Love」という曲はレコーディングし直したのに、旧ヴァージョンで焼かれているではないか!ダメ、ダメ、ダメ。電話したらまだ担当者の内村君がいた。これもすごいウンの良さ。「いや、ちゃんと新しいヴァージョンで焼きましたよ」「いや、とにかく違うから」「調べて折り返し電話します。。。。すみません焼き直します。」またスタジオまで取りに行った。新しいヴァージョンが収録されたDisk1と2、またセブンイレブンまで行き、ヤマト便で出された。

てんやわんやは、数日続きそう。




戻って来た 5/4

入れ間違えて発送してしまったカラオケが今朝9時過ぎに叩かれたドアの音と共に戻って来た。1週間ほどかかるかもしれないと言っていたが、発送して2日で戻って来たのである。本当にすごい国だ、すごい国民だ。これを日本で体験した外国人がいれば、誰しも感嘆するだろうなぁ。一体どうしてこう言う事ができるのかって。どこの国に同じ事ができるのだろう。ドイツかな。

昨日、ミュンヘン旅行から帰って来たばかりという友人から電話があったので、ランチをねだったら、ホテルで懐石をごちそうになってしまった。そんな豪華なものでなく、彼の事務所がある近辺の定食屋で彼のドイツ旅行の話でも聞こうと思ったのだけれど。こちらも美味しいランチだった。その彼に日本という国の特異性、素晴らしさを語っていると、米国に住んだり、英語ができるので様々な国に個人旅行ができる私と違うから、彼には日本を客観的に見る事ができない、という。

それで私が得々とこの国の素晴らしさを語ると、彼は時々頷いていた。実に実にすばらしい国だ。恐らく世界中の国のモデルになるのではないだろうか。私が「この国にもう一度生まれたい」を書いて披露した時に、具体的なところは忘れたが、要するにこの日本のダメさを歌って欲しいと言った人がいた。残念ながら、私にはそう言うものが映らない。欠けている所を探そうとする人、欠けているところが目につく人も沢山いる。人間一人を取っても全てを持っている人はいない。忠実で、常識をわきまえ、かつ独創的で調和しており、行動力のある人などあり得ないと同じ。日本の持つ均整、穏やかさ、豊かさ、素直さ、大きくなった懐、完璧さの徹底的な追及、弱者への同情、ホテルで食事をしていた時のウェイトレスにも漂う優雅さ、エレガンス。もちろん他の国にもその国独自の魅力があるが、私は日本のこの特異性に、本当に特別な国を感じる。何年か前のこのブログのどこかで書いたが、この国では”美しい”と”生きる”という言葉が結合される、いわゆるコロケーションしている。真っすぐに生きよう、若々しく生きようと言うコロケーションは他の国の言語にも見られるが、”美しく生きる”は余り聞かない。”美”意識が生活の根底に流れているからだと思う。

ドアを叩いてカラオケを戻してくれた配達人は若く、大変ニコニコとその荷を手渡し、私の感謝の言葉に大きな笑みを残して次の配達先に向けて立ち去った。ありがとうございました。

追記:「この国にもう一度生まれたい」は日本のことかもしれないが、この歌詞の中で歌われているような国なら、多くの人がもう一度生まれてきたいのではないだろうかー「憎しみよりも愛を育てる国」。対象が個人であれ国であれ、憎しみを語る顔が一瞬にして刃物を持って襲いかかるような顔になる。私はおののく。語るご本人はその変貌に気づいていないのだろう。止めた方がいい。大変醜い。私は席を外したくなる。
 



 
  必要なものが与えられて 5/10

ものすごく探していたものをみつけた。

昨年の5月から作曲に本腰を入れて1年計画でミュージックスクールで個人レッスンを受けて来たが、先月4月で丁度一年、そろそろここを卒業し、ワンステップ上の授業を探したいと思っていた。より魅力的なメロディーを作る方法とか、コードを体系的に教えられるところ(今のところ、ちんぷんかんぷん。私、理解力は悪い方ではないのだけれど)。

2年制の短期大学みたいなところがあるが、入学金だけでも15万、私が今まで行っていたスクールは5千円。その他設備費だの教材費だのって最初の1年間に収める金額が100万円に近い。それに、まったくの初心者向けの授業から始めるのだろうから、私が既に知っていて聴かなくともいいところが半分はありそうだ。プロを育てるという点では魅力があるが、これはかなり非合理的。

家から近いところにヤマハ音楽教室があるが、作曲クラスたるものがない。現在2クラスあるシンガーソングライティングと言うクラスは、共に定員4人を超えているようだし、それに生徒たちのプレゼンを聴いたが、どうも私が行くところではなさそう。

昨夕はネットで見つけた小さな塾に面談に行ったが、その面談から帰宅して、またネットで色々検索していたら、ニコニコ動画で無料公開作曲塾を見つけた。業界トップクラスのミュージシャンによるものらしい。コードに関する本を複数出したり、音楽雑誌にも寄稿されているらしい。3回までのビデオがアーカイブに収められていて、その第1回を聴いたら、眼が点になった。私が知りたい事すべてに答えていた。
  • コード枠を先に作ってしまうとメロディーが行ける可能性を狭めてしまう。ストイックに狭めてしまうと言う考え方もあるかもしれないが、通常、コードとメロディーは一緒に作るのがよい。
  • いいメロディーは誰もが探している。いいメロディーを作ろうと皆苦心している。
  • Know-howは勉強したそのもの。それに外しを入れたり、無いところを探す。クラシック理論にくっついていたら、ポップスは作れなくなる。
  • ベースラインを決めたら、後はメロディーと会話しながら音を作っていく(ゲスト、浅倉大介、彼は小室哲也とコラボをするくらいの才能を有す)
いいメロディーの作り方を教えてくれるところは無いんだぁーこれは大きな開眼だった。これだけではなく、このオンライン作曲塾は私が知りたかった事、知って得なところを漏れなく開示してくれていた。講師曰く、「じぶんたちが今までやって来た事は先人たちがやって来た事を受け継いだだけ。彼らが全て教えてくれたように、今度は自分たちも出して行かなければいけないと思うんだ。」それで無料公開オンライン作曲塾の開講。彼は、上で話した初年度学費が100万円の音楽学校で30年近く講師を勤める。

コードの事、作曲の事、私の最も知りたい事を、それも無料で教えてくれる。ビデオで講師の篠田氏が言うには、「理論を知っている人が必ずしもいい曲を作れるとは限らない」。この作曲塾のゲストたちはどうも理論を知らずに感覚中心でやっている業界トップクラスのミュージシャンたちで、篠田氏が彼らの音楽のすばらしさを理論的に解説し、その解説に彼らが感嘆している。ピアニストの西さんが言った「(わたしは)コードを勉強しなくていいよ」の”名言”は本心からの提言なのかも知れない。私の現在の知識に少しプラスする程度を本で確認しながら、そして他のアーティストの楽曲から勉強する事で良いかもしれない(ネットでも誰かが同じ事を書いていた)。それに、クラスを取っても、今日このオンラインで勉強した以上の事を話してくれる授業は期待できないように思う。

占星術師の明本歌子さんが、占星術の教科書を読みながら、「あなたは勉強が好きなのね」と言っていたが、どうやらそうらしい。笑(^v^)。





夢中になるものがあると言う事 5/10

上のブログを書いたのは10日の朝、そしてこれは10日が終わり11日に移る頃。

あっという間に一日が過ぎた。郵便物を取りに行く以外一歩も部屋を出ずに、ずっと上のオンライン作曲塾のビデオを見たり、それをダビングしたりしていた。昨日は友人の義姉達とゴルフをし、帰宅して少し休んだ後に東中野まで出かけるという一日歩きまわった日でもあっただけに、身体を休めるのには丁度良かったかもしれないが、一日中家に閉じこもりながら、夢中になってする事があると言う幸せを感じる日でもあった。

歌詞として整理できているわけではないが、わたしの「作詞手掛け中」のノートの中には沢山のテーマが、最近は毎日のように書き増えている。メロディーも短いフレーズを沢山録音して置いた。ただ、歌詞と曲がばらばらに出てきているので、歌詞が整理されないと、曲の選択ができない。書こうと本腰を入れた時に、できるだろう。ただ、今は本を読みたいし、今月末のライブに向けて練習もしなくてはならない(毎日声を出していると、当日声がよく出る)。

本を読む事も、テレビを見る事も、音楽クラスに行く事も、皆歌作りとリンクしている。そんな毎日がうれしい。




「日中韓の将来を語る」 5/11

日中韓の将来のリーダーになるような各国の大学院生を集めた討論会。NHKBSが主催するマイケル・サンデル氏の白熱教室をたった今見終わった。うん、いい内容だった。ただ喧嘩をさせる何処かの民放の番組とは違う。サンデル氏の討論の運び方、問題の根底を突く質問が大変有意義な討論を展開させたのだろう。日本からは東大、早大、慶大大学院生が参加していた。

それぞれが思っている事を忌憚なく語り合っていたように思う。その内容は、年代に関係なく東アジアの国家間の動きに少しでも関心があるものなら、恐らく誰でもが抱いている想いだと思う。米国による日中韓関係への介入、介入させない場合の中国に対する不安、歴史問題、優越意識、ナショナリズム、個人レベルなら仲良くなれるのに、なぜ国家レベルではそれが難しいのか、などなど。討論終了後の感想も印象深かった。

発言順序で書くと:

韓国の青年ー始まる前までは、自分たちが関心持っている事を本当に一緒に考えてくれるのかと不安だったが、よく聞いてくれた。本当はどう思っているのか、この討論会の前には分からなかった事が,よく分かったし、未来があると思えるようになった。
日本の青年ー僕には、韓国人の友人や在日の友人が多いのだけれど、彼らとの間では歴史問題を語る事は避けて来た。話すとそこで友情にひびが入るような気がして怖かった。しかし、フランクに話し、理解しあえるのだと言う事が分かった。
中国の青年ー互いに考えている事の根底にあるものは、皆同じなんだと分かった。

そして、サンデル氏の閉めの言葉:暗い部分を避けるのではなく話し合う。相手の話を聞く、そこから本当の理解が生まれ、明るい未来が開ける。

本当だね。私も生活の中での対人関係で最近気付いた事だが、嫌だなぁと思う相手を避けるのではなく、言ってあげる事、またはこちらの不安や懸念を分かってもらう事、相手の想いを聞いてあげる事は、長い付き合いのできる可能性を引きだすわね。誰しも心の中に、皆と仲良くなりたいと言う”本心”があるのだから。

いい番組だった。

   
  レジ袋 5/12

「女は大金を出してブランド物を買うが、ティッシュペーパー一枚にけちけちする」そんな話を昔聞いた事がある。ティッシュペーパーではないが、スーパーのレジ袋に対し、私は絶対お金を出さないとほとんど誓っている。

私の直ぐ近くには西友があり、住んでいるマンションの一階にはマルエツが入っている。エコ運動が始まった当初、西友ではレジ袋を使わない人には買い物の合計金額から2円を引いていたが、現在は、レジ袋も商品の一つになり、小さいものは2円、大きな袋は3円を出して買う。レジ袋に別途お金を出させる方法を導入すると、利用者がめっきり減ったと店員から聞いた事がある。レジ袋を買うスーパーの経費は商品の価格に組み込まれているため消費者はずっと払ってきていたのだが、新たに個別商品として購入するとなると、人間心理として、余分に支払う感じがして抵抗があるのだろう。マルエツの方は今でも売上金額から差し引くやり方を取っている。

私は、どちらのやり方であっても、レジ袋が金額が持つようになり、もらうかもらわないかの選択ができるようになった事を大変喜んでいる。たかが2円だが、1回の買い物に5円分、生活必需品だから繰り返し買って行くと家族の多い家では1年で醤油が2,3本買える程の金額になるだろう。私が喜んでいる最も大きな理由は、やたらに増えて溜まっていくレジ袋の処理に悩まなくて済む事である。ゴミを入れたりその他に使っても余る。使い切らずに捨てる事が、心に引っかかる。

だから、他のスーパーはともかく、近くの西友に行く時は必ず袋を二つ持って行く。こうすると、店員がスキャンし終えた商品を傍から買い物袋に入れて行けるし、何と言っても、我が家のキッチンのレジ袋専用の引き出しが溢れなくていい。これが、私が最も感じるエコ運動のメリットである。

なんだって、こんな話しを書いたかと言うと、実は今、ジムの帰りに西友に行くと、思いの外買い物が多くなり、ズックやタオルなどを入れてジムにいつも持って行く二つのバッグに入りきれないのではないかと、買い過ぎた事を少し後悔した。だが、意地だ。既に溢れている二つのバッグのてっぺんに醤油や料理酒の一リットルボトルを置き、持ち手の隙間も指がやっと通るほどの限界だったが、どうにか家まで運んで来た。

成し得た喜び。こんな事にも感じる達成感(^v^)。(ま、家が近いからね)





楽しい一日 5/13

今日は大学の先輩方と一緒にゴルフをした。本当は呼ばれない私なのだろうが、以前に「省かれた」と大きな声で言ったら、省いた人がニタニタ笑って、今回は仲間に入れてくれた(あは)。チームは偶然だが、いつも私のライブに来て下さる先輩方ばかり。本当に沢山の愛を頂き、気を使って下さる温かさに、心がいっぱいになる。その先輩達は、私のライブ来場者の数にも心を配って下さる。いつ恩返しができるのかと、せっかちな私は焦る。

現在のところに引っ越しをして来た時に車を手放したため、OB会のゴルフの時にはいつも誰かの車に乗せてもらうのだが、今日はその先輩達と一緒だった。その機会を利用し、帰りには今心の中で閊えている事を言って意見を訊いてみた。すると、いい意見が聞けたと言う訳ではないが、話した事で私の中が軽くなったのか、直ぐにアクションを取り、相手に電話を入れもやもやを解消できた。歌の世界で私が今後もして行く事は、その夢も含めて、なにも萎んでいないようだ。誰かに思いの丈を聞いてもらう事は、本当に気を楽にさせる。ありがたい。

家で一休みをした後には、カラオケに。他のOB仲間も加わり、楽しいひと時を過ごした。今日の車の中でのおしゃべりのように、もっとざっくばらんに色々な事を話せる日が遠からず来るのだろう。待ち遠しい。




歌って、やはり・・・5/14

昨日なかにし礼が直木賞を受賞した「長崎ぶらぶら節」を読み終わった。作詞家の彼ならばこそ書けた小説だと思うが、歌がどのように生まれるか、どのように歌うか、彼の意見があちらこちらに散りばめられていた。歌が生まれるプロセスはやはり皆同じなのかもしれない。なかには、ギターでコードを抑えながらいろいろ模索する人もいるようだが、彼は言う。

歌作りは「人間と神の共同創造物」であり「歌は降って来るもの」、そして「歌う時とか芝居をする時、または嘘をつく時、人の声は化粧もすれば変装もする。この時に品性が出る。うまく歌おう、いい人に思われよう、喝采を博そう、そういう邪念が歌から品を奪う」、また「気取っても隠しても、歌は裸のあなたを見せてしまいます。ならばいっそのこと、最初から裸でぶつかった方がいい」と書く。さらに「魂が行動して燃え上がり、電気となって天に通じるまで一心不乱にやらなくてはいけない」と。

「行動にこそ価値があり、その行動に人格が顕れる」とも付け加える。言葉というのは実に力を持つ。私もまた行動開始宣言を自分にした。






「ああ、あんた恋しや」 5/16

「長崎ぶらぶら節」を読んだ後に、とても素直なそしてシンプルな歌を書きたいと突然思った。歌の原型ってここにあるのじゃないかと。ふと、安寿と厨子王丸を呼ぶ母親の言葉が頭の中に何度もこだまして、「ああ、あんた恋しや」となった。

♪ああ、あんた恋しや 飛んで来い
なぜに つきよりも ほしよりも
ちかくにいましても 見えんとか
声さえも聞けんとか





一言書いてあれば 5/21

このHPの表紙を編集しアクセスカウンターの場所を動かしていたら、突然起動しなくなった。最初から作り直そうと、プロバイダーのau(KDDI)のサイトに行くと、ログインをするためにはこのHPのURLとパスワードの入力を求められる。URLは簡単にコピペすればよいわけだが、パスワードは"当然”忘れてしまうので、メモに書いて保存してあった。しかし、何度繰り返してもログインできない。もしかするとという事もあるから、私が使いそうなパスワードを全て入れてみたが、ダメ。とうとうオペレーターに連絡し、あちらの勧めで新しいパスワードを送ってもらう事になった。その間、このブログも更新できない。

やって来たパスワード、やはりダメ。またオペレータに連絡し、あれやこれやして分かった事は、URLを入力するところの上の段にAUのドメインが既に書かれてあり、その下に空白があるのだが、そこに、このHPのサブドメイン、つまり私個人に関わるところだけを入力すればよいらしいのだが、その記述がないため、URLと書かれてあるのだからURL全体を貼り付けてしまう。その一言がなかったがために、こちらは2日もかかる仕事をしなければならなかった。全くアホらしい。今は遠隔操作ができ、こちらが許可すれば、姿の見えないオペレータが勝手にこちらの画面を見に来てくれるので(すごいね、この遠隔操作機能がなければ、大変だろうと思う)、相手も「私も気付きました」と記述のなさが混乱をきたした事を理解したようだ。

技術ライターといって、文章力のある人が素人の立場に立ち技術マニュアルやHPの文章を書く事を職業にしている人がいる。米国ではそのような人を社内に置いたり、外部から調達したりするが、日本にはまだ数少ないようだ。大体理工系の技術者自身がユーザ向けのマニュアルを書いたりしている。自分の文章が客観的にどう読まれるか判断する習慣がないから、自分だけが納得した文章になってしまう。米国は訴訟の多い国だから、マニュアルの誤記述や曖昧さが、色々と厄介な事、特に金銭にまつわる事につながっていくから、リスクを避けるためにもそこは最初から専門家が対応するし、マニュアルが原因で問題が生じた場合は、責任転嫁もできる。日本だと怒鳴っておしまいにすることが一般的かも。私もこの為にオペレータ4人と話し、電話をするたびに別な人が出て、毎回名前住所電話番号その他もろもろを言って本人確認をさせられるし、出て来たオペレータは経験不足で、「はい、はいL」と返事だけはいいが、どうもこちらが言っている事を全く理解していない様子。それに、こちらの質問一つ一つに「少しお待ちください、調べます」と言って、他の技術者に訊いているみたい。イライラ($・・)/~~~。「よく分かる人に代わって頂戴。突然怒られて、あなたも困るかもしれないけれど、こちらとしては昨日からやっていて・・・」と一応いい訳を言って怒る。キキキキ・・・。

数年後に同じ問題が起きた時に、今回の操作を覚えているかどうか分からないけれど、取りあえず一件落着。





神秘というか 5/21

いや、正に神秘だ。ここ5,6年、毎日何らかの気づきがある生活がずっと続いているが、なぜ「宇宙には善くなろうとする気が流れている(稲盛和夫氏の言)」と言えるのか、なるほどと気付いた事がある。それは人間誰にでも善くなりたいという気が流れているからだと想う。誰の心の中にも、悪を演じた時に罪悪感が忍び寄るし、悪を演じた自分を嫌悪しているまたは恥じているもう一人の自分がいる。またその悪事の報いをどこからか受ける。だが、自分の行為で他から感謝されると、心が豊かになり、幸せ感を持つ。自分自身の善悪の行為で、当人が抱く感情をみても、人間は時間はかかっても善い方に向かうのだと想う。理由は単に皆幸せになりたいから。それが人間本来の姿だし、そのように人間は創られている。なぜそう創られているのか。そうでなければ、宇宙が存続できないから。人間の本来の姿に宇宙はシンクロされるから、宇宙に善き気が流れるのだろう。もしかすると、その逆かもしれないが、私はまだ宇宙をよく知らないから、宇宙からの視点で人間を考える事は出来ない。言えるとすれば、神が宇宙を創り、人間も神が創ったから、当然善い気が流れる、という事かな。

人間がそのように作られているのも神秘だが、一個人の人生に旅程表があるのも神秘だ。

以前のブログで、占星術師の明本歌子さんからリーディングをしてもらったと言う話をした。占星術師は世の中に沢山いるので、その人の真剣度や誠実度によりリーディングの質も異なるが、今回歌子さんが私に伝えた何かが起きる日付を遡って思い出すと、本当に驚く。当たっている。私が今のような人生観を持ち始める大凡の日付さえ出ている。言われた事はすべて過去のことだったが、この3月にお逢いした時に、5月10日にびっくりする事がありますよと言われ、先の事なので、ワクワクそわそわしながらその日を待っていた。期待している事に進捗があるのかと思ったが、”びっくり”だから期待している事とは関係ない。

5月10日、確かにびっくりの日だった。このブログにも書いたが、ネットで見つけた音楽講座である。ちんぷんかんぷんだったコードの話を、日本音楽界トップの座を占める重鎮達が大変分かりやすく語る。食い入るようにその動画を見ていた。そして後日その講師の「実践コード・ワーク、理論編」を読み始めた。進め方に幾つかの改善が必要だが、眼が覚めるほどに大変分かりやすく公式のように説明がされている。これまでも幾つかの音楽理論は読んで来たが、そこには、コードとは何か、どんなコードがあるか、よく使われるコード進行にどんなものがあるか、というような出来合いのものの紹介が書かれてあったが、この本はそれらとは違う。コード進行の仕組みを理論的に教えている。だからよく使われるコードをまねる必要もない。何とも簡単なのである(そんな事言っていいの?!)。これまで自作曲はアレンジャーにコードを付けてもらっていたが、彼らが私の自作曲に付けたコードを確認すると、はぁ~、理論通りじゃない!あんなに訳の分からなかったコード進行の仕組みが露わになった。くわ~!

あの動画でも見せていたが、理論を知らずに感覚で付けられたコードも講師がみな理論的に説明していた。つっかえた時に理論が分かっていると、音やコードの選択が手っ取り早い。

それで、ここのところずっと上のコード本を読んでいる、右にノートを置いてまとめながら。感動に近いものがある。

歌子さんがこれ以外にも言ってくれた日付がある。楽しみだ。





赤ワインと相性がよくて 5/22

私はワインと相性がいい。特に赤ワイン。以前はグラス一杯飲むと、ほとんど走っていくかのように、キュ~ン、バタンとなってそのままベッドにゴロン、1時間はぐっすり眠った。最近は違う。大変陽気になって幸せ感が満ちる。一人で飲んでいても面白い一人言を言っている(アハ)。笑ったり泣いたり、忙しい。泣くのも悲劇の主人公として泣き上戸になるのとは違うようだ。愚痴は出ないというか、縁がないみたい。嬉しくて、ありがたくて泣くみたい。良いね、と自分で言っている(アハハ)。そして一人で大きな声で、落語やったり、講談ごとき事をやっている、アハハハ。

来月からインストラクターを変えてギターとピアノを習う事にした。その面談みたいなものに行って来たら、偶然だが、ピアノもギターもインストラクターは、音楽学校の主任クラスだった。起こる事が皆私を前に進ませるために起きているようで、これから先が本当にワクワクする。私には今「我」の働きがあまり無い。ふっと降って来た事、人からアドバイスされた事を、余程それを否定する気持ちがない限り、そのまま受け入れる。面白い事に、勧められて否定するものは何もない。

そんなこんなで、なんだかハッピーなのである。コードの事もすごくよく分かって来たし、今もこのブログを書くまではその勉強をしていたのだけれど、なるほどなるほどと、どんどん理解して行く。それで新しいChapterに進む前に口の中に何かを入れようと、赤ワインとチーズを出して来てちびちびやっていたら、何だかふわふわ、とても嬉しく楽しくなってきた(これ、何かヤクが入っているのかな)。

「我」が無くなるって(もちろん完全ではないけれど)、こんなに楽しいものなのかな。つまり、素直って事なのね。はっは~。みんなそうすれば良いのに~。あはは。

それで、分かった事がある。人生の不幸は、この我の強さ、つまり素直さの欠如から起きるのだと。歳を重ねるって本当にいいね。色々な事が見えてくる。ああ、また泣いちゃう。(^。^)


♪しあわせなら手を叩こう しあわせなら態度で示そうよ ほら みんなで手を叩こう
 しあわせなら ウィンクしよう しあわせなら態度で示そうよ、 ほら みんなでウィンクしよう 

あははは・・

   
  歯科大学病院で 5/23

今日は飯田橋にある日本歯科大学附属病院に行って来た。今回のレコーディングの時に唾液の音が気になり、それは日本ではリップノイズ、アメリカではマウスノイズ(鼠ではない、口のほうである”mouth noise”)と言われ、ミキシングの時に処理されるようなよくある事だが、それにしても多かったので見てもらって来た。

私立大学病院というのは維持するために経費がかさむのだろう、問診だけでも、骨が折れている訳でもひびが入っている訳でもないことぐらい分かるのに、あれをやりましょう、これをやりましょうとどんどん検査項目を増やし、二つのレントゲン室に送られた。2種類ものレントゲン?しまったぁと思ったが、断る煩わしさよりも、呑み込む方を選択した。会計の時の数字がどうなるか、名前を呼ばれて恐恐として窓口に行ったが、頭が真っ白になる程でもなかった。私立大学である、少しの協力という事にしようと、自分に言い聞かせて、建物を出た。結局、何もできないし、何でもないと言う事で終わった。

少しばかり心が高揚した事がある。口腔外科の医師がなんとも若い。20代後半か30代前半のイケメン。色々と問診に答えていたら、よく笑い、「ことさん(私の姓)、おもしろいですね」という。言われた途端、なぜかポ~ッとなって、その心の内を覚られまいと私は懸命に平常心を装う。気のせいか、彼はそれ以前よりも私の目の奥までズズズッと見ている感じである。彼の先輩医師が来て診察しても何も問題はないというのに、唾液検査をしましょうと来週に予約を入れる。きっと「逢いたい」と思ってくれたのだろうなぁ、と嬉しかったが、会計後受付を通して予約をキャンセルしてもらうと、その医師が私を電話口に呼んだ。残念そうな色が声と調子に僅かだが出ている。「こんな言い方もおかしいですけれど、また何かあったら」と言う。心が温まった。好きになってくれたんだなぁと、嬉しかった。袖振り合うも多生の縁、きっと何かが通じ合ったんだね。ありがとう。(おめでたいわねぇ、あなた、個人的な感情じゃなくて、会計を潤したいからよ!)

そしてもう一人、この医師の側で立会が役目のようにただ立っている女の”子”がいた。余りにも細くて、人形見たいで、風が吹けば倒れそうな、今風な日本の女の子(こういう形は他のアジア諸国にはいないだろう)。インターンかな、身を乗り出し彼女が着ている白衣の上のネームカードを見ると「医師」と書いてある。オヨヨ~ン。私の好奇心が騒ぎ始めた。「医師なの?」「はい、医師になって1年目です。イケメンが席を外している間、おしゃべりをした。いつの間にか私もかなり生きて来たんだなぁ。ほんの少し前までは、医師は皆私よりずっと年上だったような気がしたのだけれど。

歯科大学や医科大学を卒業し開院した医師は、自分で対応できない場合、母校に患者を送る事になっているのだろうと思う。会計の手助けをするのだろうなぁ。実は、私が行こうとしていたところは徒歩で行ける近くの都立病院で、そこ宛ての紹介状を書いて欲しいと言ったのだが、準備されていたのは、この大学病院向けに既に作られてある用紙に記入された紹介状だった。色々な仕組みが出来上がっているんだね。




大塚音楽祭 5/25

毎年5月の週末には豊島区では大塚音楽祭を開催しているようだ。シャンソンも歌われていると言う話を聴いた事があったが、今回は大学の先輩から電話があって、参考までに見てきたらと声をかけられた。

先週は、そのシャンソンを聴きに行った。ゲストは珠木美浦、以前に新橋の「蛙たち」というシャンソン・バーで歌っていた。日曜日の午後6時と言う事もあり会場は3分の1程度の埋まりようだったろうか、シャンソン愛好家らしき人たちもいて楽しんでいる風だった。驚いたのは、カーテンだけで仕切られた場内に途中から顔のややとがった顔もからだも細めの男性が入って来た。どこで知り合った誰だか全く記憶にないが、きっと彼は私を知っているだろうと、通路を前にして座っている私の前を、彼が2度目に通った時、「私を知りませんか」と訊ねた。「ああ、シャンパーニュですね。福浦です。」と直ぐに答えて来た。うわ~、福浦さんかぁ~。私が知っている福浦さんはもう少しぽっちゃりタイプだった。彼と最後に逢ったのは、彼自身もシャンパーニュを止めて「蛙たち」で店長をやっていた時だ。確か、東北弁で「再会」を歌った。

シャンソンが終わり、民族楽器演奏がされている時、彼の側に行き近況を訊ねると、なんとこのステージで歌われた珠木さんの御主人になられ、お二人で銀座の松屋の後ろにシャンソン・バーをオープンしたらしい。そうかぁ~、「蛙たち」で彼に逢った時、なんとなく昔と顔の表情が違っているなぁと思ったのだけれど、恋をしていた時なんだぁと、納得しちゃった。「痩せましたね」と言うと、突然姿勢を正して勝利感を漂わせながら「ダイエットしているんだ」と言う。おかしかった。痩せるとやはり嬉しいものなのね(クク・・)。

今日は昼過ぎから小室等が野外演奏をするというので少し遅れて行ってみた。実は彼の歌を聴くのは、今回が初めてである。で、随分井上陽水の旋律に似ているなぁと思った。数曲歌ったのだけれど、その多くのメロディーは似ている。陽水だ。彼のトークの中で”佐久間順平"と云う懐かしい名前が出て来た。2011年の六本木スイートベイジルでピアノ西直樹、ギター/ヴァイオリン佐久間順平だった。歌を歌うとは聞いていたが、小室等と一緒に何かやっているらしい。佐久間さんが訳詞したLouis ArmstrongのIt's a Wonderful Worldを歌ったが、いい訳詞だった。

小室等の歌を聴きながら、なぜ皆同じようなメロディーなのだろうと、不思議だった。堀内孝雄もそうだ。彼は自分が歌っている曲だけではない、他のアーティストに提供している曲もほとんどメロディーが一緒。「何だろう」と不思議な気持ちで聴いていた事がある。そしたら、ある時ピアニストの西さんが「堀内孝雄なんかは同じメロディーに幾つも違う歌詞を付けて出しているよ」と言っていた。同時に彼は私を”メロディーメーカーだと称した。褒め言葉であると感じ、駆けだしの私にその言葉は非常に気恥かしかった。また、私にとってはこの言葉は初めて聴く日本語のフレーズだったので、メロディーメーカーってどういう事だろう、なぜ私がそう呼ばれるのだろうとキョトンとしていた。

テレビのインタビューで、アリスの解散に関連して堀内孝雄が言っていた言葉があった、「いつも谷村が頭の上のコブだった」。谷村新司を超えたいと思い超えられないでいる事がストレスになって、グループから抜けたいと言い出したようだ。そして解散。谷村新司が書いた本に「不思議すぎる話」と云うのがあるらしいが、ネットでその内容をのぞくと、彼の場合もやはり歌は常に降ってくるらしい。堀内孝雄と谷村新司、簡単にいえば、降ってくるか降って来ないかの違いなのだろう。

ごく最近、ヤマハの音楽教室の”シンガーソング・ライティング”というクラスを覗きに行った事がある。そこで「どんなスタイルの歌を書きたいか」と、講師に訊かれた。降って来るものを書いているだけだから、何が降ってくるか私にも分からない。「そういうものはないんです」と返すと、「シンガーソング・ライターと云うのは、スタイルを持っているものなんだ」と押しつけがましく言う。こいつ、何も分かっていないな、カチンときたが関わらず、言わせておいた。スタイルなんて言うのはね、作品ができた後に、周りが勝手に決めたり話すものであって、創作するアーティストは自由なんだよ!何でも枠を作りたがる窮屈さと自分の意見を他人に押しつける傲慢さ、苦手。

Bob Dylanもロック、ゴスペル、カントリーと様々だったらしい。降って来ると言うのは神から降ってくる、つまり神の知恵。神智を告げられる時、どのくらい素直にそれを受け入れられるか、それによって本人の自由度が異なって来るのかもしれない。アーティストが最も神に近いと言うような話を聞いた事があるが、創作と云うのは、歌と云うのは、なかにし礼が言うように、「神と人間の共同創造物」なのだと、私も想う。神の知恵は無限、だから神智を頂いて書く人の歌はバラエティに富んでいる。





パチンコがきっかけ 5/26

”直感”(霊感、インスピレーション?)に拘り始めたのは、20年以上も前に始めてやったパチンコがきっかけだった。当時結婚をしていた私は、ある時なんとなくパチンコと云うものをしてみたくなった。で、二人して入った。ところが3万円ほど取られ、何だか悔しくて取り戻そうと翌日一人で行った(家計を任せられている主婦の根性である)。これがのめり込む切っ掛けになった。約3年間続けたパチンコ常連客だが、このパチンコで自分の直感に従わず、大漁を逃す自分に、私は何度も自己嫌悪に陥った。ふと頭に引っかかる台がある。だが自分なりの分析が始まりそこには座らず、自分の理屈が納得するところに座る。直感には根拠がないから不安なのだ。だが自分の理屈には根拠がある。しかし結果は、悔しさで終わる。ふと思った台は爆発しているか、よく出ている。そして座ったところは・・・こんな事が繰り返し起きた。なぜ自分がふと思ったところがいつも当たるのか、そしてなぜ自分はそのふと思ったところに座らないのか、何度も呆然として帰宅した事がある。反省して直感に素直になろうと思っても、習性と云うのはすごい、大体無意識に動いているから、自分が反省した事も思いださない。

私はもともと、”すごい”直感型人間である。直感にもそれなりの論理があるのだが、時空を超えて真っすぐに正解(真実)に飛んでいく能力が備わっているようだ。私の最初の夫は慶応大学を出た学者だった。彼と何かを話そうとすると、当然分かっているような定義から始め、延々と時間がかかる。最初は本当に唖然とした、あきれると言うのが正確な言葉かもしれない。すっと分かるところを一つ一つ段階的に進めて行こうとする。そして何かこちらが言うと、「それはまだ証明されていない」と返してくる。私のイライラが始まるのを知っているので、相手は議論をしなくなった(笑)。2番目の夫は1番目より大分直感を大事にする人だった。京都大学を7年かけて卒業し、卒業できない夢ばかりを見てうなされていたと言う、可愛い人だった。この7年の間、外遊も含め色々な遍歴を重ねたらしい。どちらもそうだが、男と云うのはどうも女房から指図されるのを嫌うようだ。

私がよくパチンコを一緒にした相手はこの2番目の夫である。ある時、ある台に座るように言うと、彼は嫌々座った。二人で行くと、ん?と思った所に相手を座らせ、自分の理屈が立つところに自分を座らせられるから、実験ができて良い。で、彼が座った台は座って5分も経たないうちに爆発した。それ以降彼は私の提案を聴きいれるようになった(笑)。この彼は私と同業で通訳をしていたが、時には同じ仕事をする事があり、一緒にやっていると、やはりあるところに辿りつくのに少々時間がかかる。離婚した時、周りの人が「あなたに敵わなかったのよ」「しずさんは正解に真っすぐ飛んで行ける人だから、彼はかなわなかったと思うよ」などと、私が考えてもいなかった視点から意見を言ったが、今思えば、どうも私が一番のライバルだったのかもしれない。

直感的人間は、もともと啓示を受けやすいのかもしれない。だからおそらく、神をとても感じるのだろう。大事にしよう。奢ることなく、この与えられたモノを大事に、世のため人のために役立たせよう。




メディアの人と 5/28

大塚に音楽業界とアーティスト志願者の架け橋的役割をする事務所がある。先日の大塚音楽祭をネットで検索していた時に偶然見つけた。デモとなる一曲を持参してレコード会社の社員に聴いてもらう訳だが、どんなものが3,000円の参加費を払って行って来た。通常レコード会社に送る時は2,3曲、そのために請求されるコストは無い。目の前で聴いて頂けるというのは大きなメリットだ。

思ったよりも参加者のレベルが高かったのと、当日はユニバーサル・レコードから30代前半だろうか若いがしっかりした感じのする女性が来ていたが、丁寧に1曲終わりまで聴きコメントまで頂けた事は大変よかった。私は「今朝のバラ」をCDRに焼いて持って行ったが、「とても安定しているのでびっくりしました。歌詞も情景が浮かびますし・・・」と大変肯定的だったが、だからと言って契約するとは限らないだろう。今は素人でも良いようだ。何か新しいものがある人を探している。来られたスタッフの担当はドリカムや徳永英明等らしい。次回は森進一の元プロデューサーが来るらしい。これも面白そう、ちょっと行ってみようと思う。

それにしてもこのような事務所があったとは。





いいライブだった 5/31

いいライブだった。京都から初めてお目にかかる方がいらした。私のYoutubeの歌を聴かれて、いつか生を聴かなければと、たまたま今回丁度具合よく上京する機会があり足を運んで下さったという。大変光栄な事。島根の友人が私のライブ日に合わせて、今回も上京して下さった。御主人が声楽をやられて中学で音楽教師を務められ、ご本人も音には大変敏感らしいが、ライブ終了後「ああ、よかったぁ・・・」と満足げに話し、付け加えて「私、耳にはうるさいの(自信があるの、だったっけ?)」と言う。そんな言葉を頂ける程に私の歌も進化したのかと嬉しい。そしてもう一人、真剣に聴いて下さる昨年来の常連。「これまでとまた違う歌だね」と、一言も聴き逃すまいと私から眼を放さない。そして終わっても「もう一曲歌って」とリクエストされる。

私の歌が好きだという素朴な理由を素直に表されて聴きに来て下さる。なんと嬉しく光栄なことだろう。このような方々を沢山見つけたい。応援団の先輩のみなさまも、ありがとうございました。「本当に歌がうまくなったね」とまた言って下さり、嬉しい。3月と4月に行われたレコーディングを通して、自分でも声にも歌にも磨きが更にかかったように想う。

そして、いつも素晴らしいアレンジと演奏をして下さる西さん、今回もいろいろなところでありがとうございました。

   
 
いいライブだった(続き) 6/4

ここのところ、ずっと”いいライブ”をさせて頂いているような気がする。来場者の数に影響される事のない自分の心の落ち着き、手を抜かない、自分を欺かないステージを繰りひろげている、と自負している。”私の幸せ感”は自分の歌詞を間違える事もなく、リズムをトチル事も無く、適切なところから発声ができ、私が思うように歌えた、と言うところにあるのでもない。勿論そういうものも無ければ到達できないが、私の幸せ感は、私自身が今持っているベストを出し切り、来場者が喜び楽しんで頂ける事に一点集中している。だから、不意を突くミスが起きても、それにより来場者の楽しさが増したなら(2010年にそのような事があった)、大いに嬉しい。やはりつながって初めて幸せなのだと思う。

私のステージに対する最近の来場者のコメントに共通するのは「自然だ」と云う言葉。これは私がめざしていたものだ。昔おぼろげに自分が行き着きたいステージ・スタイルを描いた事がある。生の自分のままで、自然に入って来て自然に終わる、その時空間の中で、人生や人間を歌い、そこに共感が生まれる。そんなステージである。

今回は歌詞を書いて譜面台に乗せ、ステージの真ん中に置いたので、歌詞を忘れる心配もなかった。初めての試みだったが、聴いて下さっている方々には全く違和感がなかったようだ。心臓がバクバク、ドキドキすると言う、過去に当然のように現れた内面の騒動も全く無い。最近私の心はいつもリラックスした状態にあるか、そうでない時にも直ぐにこのリラックスした状態に持って行けるようになった。これはアーティストとしての自分を、”そのままで良い”と認識できるようになった事と、一時様々な企業で取り組んでいた(今もかな?)”集中と選択”を私自身がやっているからだと思う。このアーティストとしての道を進む事だけに一点集中、他の事にエネルギーを向けない習慣を作り始めている。人生の問題はただ一つ、「自分の使命遂行のために必要なものをいかに人生から引き出すか、それのみが私の問題である。」この言葉は数年前にある方から頂き、ずっとドアに貼ってある。

ライブ終演後、義理も混じっていつも通って下さる一人の先輩の顔に、大きな笑みを確認した。彼があんなに満足げに瞳を大きくして微笑んだのを見たのは初めての事だ。毎回やる度に様々な面での進化を感じ、常に「今回が今までのベスト」だったが、前回5月31日のライブでは、何かが私の中にどしっと腰を下ろした。それが何だろうと、ここ数日、自分の中を探っていた。萩本欽一の話を思い出す。一人ぞっこん惚れてくれる人がいると言う事は、大きな可能性を秘めている。もう今は私のライブに顔を出さなくなったが、私のシャンソンを「アート」だといって、ぞっこん惚れてくれた面々がいた。私には何かあるのだろう、それは生まれた時頂いたものだから、世に出して多くの方々の喜び、楽しみ、エネルギーになるよう、使わなければと思う。

人生のラスト・スパート、1点集中、とにかく行く!






よく見た夢 6/4

幼いころよく見た夢。円形の白い物体が向こうの方からこちらに向かってくる。それは段々と私の身の丈の数倍の大きさになって速度を上げて真正面から私にぶつかろうとする。怖くなり「うわ~っ」と悲鳴を上げる瞬間に眼が覚める。何度もこの夢を見た。嫌だった。やがて夢は無意識の世界を象徴しているという話を聞き、あの夢が私の何を顕しているのだろうと思ったが、その夢を見た後は決して楽しくなく「嫌だなぁ」と思うのだから、きっといい事を象徴しているのではないのだろうなぁくらいは分かる。

空飛ぶ夢を見たと言う人がいる。羨ましかった。気持ち良さそうだし、上昇して立派な人になる先天性があるのかと。「第3舞台」という演劇集団をかつて立ち上げた鴻上尚史(現在NHKBSのCOOL JAPANの進行役を務めている)もそうだったらしいが、そのような夢は中学生頃から見なくなったそうだ。世界全体を見渡せる視点が欲しいという祈りが空飛ぶ夢につながったが、そんな視点は存在しないと言う事が分かった時から、空飛ぶ夢はみなくなった、とか。空飛ぶ夢を見る人が皆、同じ理由で同じ夢を見るとは思わないが、きっと彼の場合はそうだったのだろう。

白い球がこちらに向かって襲いかかって来るような夢、そして怯える自分。私の部屋のデスクの横に、「マヤ暦から覗き見る隠された自己」と題された”私”が書かれてある。その中に、「内向的な性格を克服し、ざっくばらんに人と話せるように自分を変えましょう」とある。大胆で活発で行動力があるのも私だが、確かにこういう側面もある。今では大分違ってきているが、かつてはコミュニケーションに尻ごみをしていた。うまく自分を伝えられず、伝えるとむしろ邪推をされるのではないかと恐れ、また伝えなければ望まない結果を招くだろう事を察していながら、早いうちに対策を講じる事も、逃げる事もせず、じっとその望まない結果が生まれるのを呆然と待つ。そして、もう手の打ちようが無くなった時に、やっと腰を上げるが、事は既に破壊している。という、自分の無意識の習性を象徴しているのかもしれない。今は確かに随分克服している。あっさりとできる訳ではないが、過去に比べると「(よっこらしょ)・・・あの~、実はね」と。言うべき事を言えないーこれ全て「我」が成せる技なんだよね(「我」と云うのは本当にすごい怪物だね)。すべきことをせずに、どう思われるかが優先する。自殺者の多くの自殺の原因が此処にある(突然話が飛んだぞ?!)

それと同時に、無意識の世界の私は、人を楽しませる事が好きな「青い猿」らしい。「静って何でそんなに面白いの、わははは、」意識的に楽しませようとしている訳ではないが、私が打ち解けた時は側にいるものは楽しいらしい。適宜なお酒がそれを引き出すようだ。最近はその傾向が顕著になったようで、「本当に面白いね」とよく言われる。・・・・こうみると、どんどん良い方向に向かっているんだろうね。

「しずさんは大丈夫よ!」うん、なんとなくそう思う(アハ)。


追伸:かつて一度夢の中で大笑いした事がある。現実ではあり得ない生理的事件が起こり、その反応に対する相手の言葉に涙が出るほど夢の中で笑っていた。相手は通訳の時に関わっていた米国人だった。夢の中であんなに笑ったのは、あの時の一回だけ。だから内容もその時の相手の言葉もよく覚えている。そういえば彼は今何をしているかなぁ。






呼ばれたのね 6/10

5月16日の朝、遠い昔に所属していた芸能事務所、夏木マリや島田歌穂と共にお世話になったマネージャ-の砂田晋平(後に”信平”に改名したらしい)さんの事が濃く私の中に入って来た。余りにも鮮明でかつ長い時間私の中にいるので、事務所を訪ねてみようと、事前の連絡もせず昼前に着くよう家を出た。その事務所は代々木上原駅から徒歩5分、マンションの1階にあるはずだが、1階をぐるぐる周っても部屋番号が見当たらない。駐車場で掃除をしていた年配の男性に訊ねると、オウム返しに番号を確認し、駐車場の奥の突き当たりのドアを指差した。一瞬呆然とした。決して喜びや笑いが聞こえそうもない外観だった。薄暗く、表には飾り気もない。たったひとりの所属アーティストになった島田歌穂の舞台のチラシが、ドアの横に雑然と置かれた背の低い黒塗りのメタル棚に置かれている。心がすさんだ。私が知っている乃木坂の事務所からここに至るまでどんな事があったのだろう、事件と彼の心中を推し量った。

11時近かった。事務所の中は電気も付いていない。まだ誰も来ていないのだろうか。ドアを叩いても応答がない。少し周りを歩いて再び戻ったが、同じだった。逢えない事もあるだろうと、準備して来た手紙をCDとデモコピーを入れた袋の中に入れて郵便受けに突っ込みその場を去った。駅まで歩いて行く途中、せっかくだからと、余りお腹は空いていなかったが、近くの中華料理店に入り時間をつぶして再度訪ねて行く事にした。30分程して、もう一度事務所に行き、郵便受けの中を隙間から見ると、私の置いたものが無くなっている。誰かが事務所に来ている、行くと部屋の中に電気が灯っているのがドアガラスに透けて見える。ドアを叩く。だが応答がない。人影もドアガラスに映らない。何度か試したが同じだった。かつて止めるのを聴かず飛び出した私をまだ拒絶しているのだろうか。仕方なく、そのまま家に帰り、翌日ファックスを流した。

あれから数週間が立ち、今日、砂田さんの訃報を知った。砂田さんのところにいた時にお世話になったボイス・トレーナーの泉忠道さんを今日FACEBOOKで見つけた。彼のページをずっと下に降りて行くと、6月4日に砂田さんの訃報を知らせるはがきが届いたと書いてある。目も耳も疑いたくなるような話だった。全身に雲がかかり、体を硬直させながら、泉さんの投稿を何度も読んだ。よく見ると、その投稿には葉書を写した画像が貼り付けてあった。

そのはがきの画像を大きくすると、「砂田信平はかねてより病気療養中でありましたが、5月16日六十八歳の生涯を閉じました」とある。再度食い入るようにみた。5月16日?砂田さんの事務所を訪ねた日を思い出そうとした。そうだ、手紙に日付を書いていた・・・・5月16日。。。。あの日だ。。。。25年もぶりに彼を訪ねて行こうとした日。

68歳、余りに若い。心の中は繊細で、マネージャー業をしながらも「アートをやりたいんだ」と飲みに誘ってくれた時、照れながら言っていた。もう一度きっと逢えると思っていたし、罪滅ぼしもしたいと思っていたのに。「俺はXX静子を3年で世に出すぞ!」とオーディションでの様々な演出家のコメントをベースにタレント全員が集まったクリスマス・パーティで言っていた。そして事務所を飛び出して数年後所属した元いずみたく音楽事務所の芸術監督には私に対する恨みつらみを吐いた後、「あの子を可愛がってあげてよ」と話していたと言う。25年ほども前の事だ。私はとても愛されたのに、プライドばかり強くて砂田さんの想いも思いやる事ができず、事務所を飛び出した。砂田さん、病気なんか私が直してあげたのに!!!

うそ、うそ、うそ!!!!!うそだぁ~!すなださ~ん!いやだぁ~!いやだぁ~!死んだなんて、いやだぁ~!






側にいてくれる 6/11

昨夜はベッドの上で、ずっと砂田さんの事を思っていた。壁がガシッ、ガシッと何度も大きな音を立てた。夜中にするそんな音は、まるで誰かがいるようだ。砂田さんが来てくれているような気がした。頑張れよ、見守っているからと伝えに来てくれたようで、これから起きる事がすべて実を結んで行く確信が強くなる。

今朝最初に鏡で見た顔、左目の瞼がまだ腫れていた。昨夜は久しぶりに思いっきり泣いた。こんなに泣ける相手がいる事、こんなに愛された事、砂田さんを始め、これまで私を愛してくれていた人達、だが私がそのもとを去った人達を思い出した。これからは、誰にも悲しい思いをさせたくないと思う。砂田さん、側にいてね。

そして今朝一番に開いたメールにはビクターのディレクターから嬉しい協力的な知らせがあった。そう、大丈夫、砂田さん、やりますね。


さあ、雨が沢山降って来た。最新の楽曲「ああ、あんた恋しや」を持って作曲クラスに行こう。





まだまだ 6/15

丁度12時間の時間差なのかな。朝10時からNHK地上波で放映されたワールドカップ日本対コードジボアールは1対2でコードジボアールが勝利を手にした。

日本が1点先制した後にテレビをつけたが、後半の日本はひどかった。ボールをシュートして入れる云々のレベルではない、まずボールをキープできない。ほとんど持って行かれるし、持って行かれるだけでない、呆気に取られたのは、どこにパスしているんだか、相手の正面めがけてパスをしている。

気が抜けている、ただそれだけが敗北の原因だと思う。技術的には日本が少し上を行っているようだったけれど。

実は、今回のワールドカップ、日本は8強には入らないだろうとなんとなく思った。真剣に”優勝を目指している”と選手たちが言うのをテレビで聞いたが、本気かいなと、そのガッツはいいと思っていた。が、今日の試合、よたよたよた・・・日本が技術を上げる努力をしている間、他の国々も同じように技術を上げるための訓練をしている。今日の試合で、相手のシュートをブロックする日本チームの技は確かに上がったと思う。が、まだまだ。それ以上に乏しいのが、気力、ガッツ!以前よりは技術の進歩はあっても、その進歩を表出する気力が欠け過ぎていた。

踏ん張れ、ニッポン!次の試合でダメなら、もうダメだよ。





19歳のジェイコブ 6/15

今日は午後から初台にある新国立劇場で、中上健次作「19歳のジェイコフ」の芝居を見て来た。忘れないように書いておこう。
演出:松本雄吉
戯曲:松井周
キャスト:石田卓也、松下洸平、横田美紀、奥村佳恵

上の名前の中で、私がこれまで耳にした事のある人は誰もいない。しかし、演出の松本勇吉は大阪を拠点に野外劇等を興す「他に追随を許さない演劇界の維新派」だそうだ。寺山修二なども手掛けている。

いい芝居だった。俳優たちも若い人たちが中心だが、はっきり言って、往年の俳優よりずっと”うまい”。私の中での"うまい"の定義は、"説得力を持って役をこなし、かつ自然"であると言う事。

今日は特別デーで、終演後に1時間ほどのトークセッションがあり、質問もできる。「松本さんを今日初めて知ったのですが、ステージに出て来られた時、残念に思いました。実はこのステージ作りを見ていた時、私はこれは若い演出家の視点と才能だと思い、すっかり若い方だと思っていたのです(ご本人を含め場内爆笑)。オープニングから目を見張るステージで、私は様々な芝居を見ていますが、今日は一睡もしませんでした。(場内笑)」これは私の質問の序章。そしてジェイコフを演じた石田君には、強烈なセックス場面のあるこの役柄に、どのように自分を開放して行ったのか、訊ねた。「石田卓也は沢山の欲を持った人間だけれども、とにかく石田卓也を全て捨てる、ジェイコブ以上にジェイコブになると決めました。何も考えない、そう決めました。」

石田君もよかった。彼はかなりいい役者になるだろう。自分を持たない。そう、自分は大きな偉大なる別な意志のパイプであればいい。その時、人間は本当の自由を手にする。

   
  久しぶりのスーツ 6/20

昨日まで3日間、元の職業の環境にいた。世界環境問題国際シンポジュームが開催され、通訳としてではなく、受付係として。久々にこの環境に身を置いて周りの空気を変えてみようと思った。受付係の仕事は開始時間前の準備作業から来場者の入場までの凡そ1時間が忙しいが、後は、少しの雑用を除いて、ホント何もない。それで場内の後ろに座って、各国代表以外の方々、つまりオブザーバーからの質問があればマイクを持って走ると言う"マイク・ランナー"の役目を頂いたが、ここは日本である、質問など出ないのだ。だからホント何もする事がない。時々通訳の仕事ぶりをレシーバーで聴いたり、スピーカーの話を聴いたりしていた。

このために久々にスーツを着て少しヒールの高い靴を履いた。いや~、ハイヒールを履いて街を歩くと言う事を長くやっていない身にはこれが大変応えた。帰宅するなりマッサージに行くと、「足首の回りが悪いですね」と言われる。なるほどそういう事になるんだぁと、翌日からはクッションのある履き心地の良いシューズに変えた。カッコいいスーツを何着か揃えていたのだが、それらを着る機会はここ数年全く無い。受付の仕事には少し、(きっと)かなり場違いのカッコよさだろう。気のせいか、私には仕事の指示もし辛かったようだ。

通訳は実に難しい仕事だと、他人の通訳をほんの少し聴いて改めて思った。自分自身がかつてやっていた事もあり、通訳者の心情を察するが・・・同時通訳者3人の内、一人が多くを担当していた。その人はもう70台に近いだろう。やはりそれくらいやって来なければ、とても、とても、落ち着いてできないのかもしれない。その彼女も、まだまだいろいろあるが、他の二人は(@_@;)。20年やっていてもベテランにならないのが通訳の世界だと思う。レシーバーを付けている人達の多くは環境省を始め知的レベルの高い方々だから、スピーカーの英語を聴いていた。部屋が大変大きいので音が聞き取りにくい。

ああ、通訳という仕事に全く未練は無いなぁと思った。通訳の報酬と受付の報酬はケタ違いだが、最初の一日が終わってお風呂に浸かりながら、8時間やっても1万円もないんだぁ~と気付いた。ま、当たり前だけれど。事前準備も全く無いし、来て座っているだけなのだから。それでも頂ける、むしろ、いいじゃん。





きれいだ 6/20

サッカーはボール一つあれば村中、町中の子供たちが集まってゲームができる。どんなに貧乏でも学校に行けなくとも能力さえあればゲームに加われる。誰か一人がボールを持っていればいい。グローブもバットも要らない。だから中には目も当てられないようなマナー保持者もいるように思う。マナーは大体先進国がモデルになるような気がする。

私がワールドカップを見始めて以来ずっと思って来た事だが、日本の選手たちのマナーは本当にいい。フェア・プレイ、きれいだ。「こんちくしょ」と相手に肘鉄を食わす事もないし、ズルをする事もない。見ていて気持ちがいい。今朝の日本対ギリシャの試合を見ていると、完全に違反と見えるしぐさで内田をこっついているギリシャ選手に、見ている私はむかっとして来る。それを目撃しているレフリーがいなかったのが残念だが、当の内田は一時はレフリーの審判を待っていたが、見ていなかったと分かると笑ってプレイを続けた。これは国民性だと思う。きれいだし、美しい。

そして今日のプレイ、どちらも本当に必死だった。ゴールに入るシュートがなかった事は残念だが、どちらもよくやったと思う。ギリシャの選手も日本の選手と変わらず、本当に全力で戦った。敗者復活戦に見える必死さ、死に物狂いの姿には胸がキューンとなる。点を入れるって、本当に大変だね。





心ざわざわ 6/20

昨夕起きた事。いまだ心がざわざわしている。

私の作った楽曲に「遊戲三昧(ゆげざんまい)」がある。これは、宇宙と人間のつながりを歌ったものだから、#やbがないハ長調で作りたかった。本能的にそう思ったのだが、後から考えると、きっと「無」のイメージを作りたかったのだと思う。歌い方もそのイメージに相応しく淡々と歌う、私のこれまでの楽曲には無いものだ。また、ハ長調にすると、私の声は少し高めで窮屈だった。そんな事もあり、作った本人の私でも”その他”に入れる楽曲で、私の代表作品ではなかった。

昨夕、歌謡曲専門のディレクターが審査員となって1曲デモを聴いて頂くと云う機会に恵まれ、最近レコーディングした20曲の内からその1曲をビクターのディレクターに選んで頂いた。彼はこの「遊戲三昧」を選んだ。大変意外で私の中にはいくつもの?マークが作られたが、彼への信頼を誓っていたので、この楽曲を持って行った。結果は、まったくこの審査員が好む歌ではなかった。

月に一度メディアに直接デモを聴いて頂きコメントも受けられる場を作るこのデモピッチ(デモの売り込み)の主催者は、「デモ曲は他人に選ばしたらダメ、自分で選ばなければ」と言っていたが、それは十分考えた上だった。多くは語れないが、信頼とつながりを大切にしたかった。だが結果との誤差に心がざわめいた。反省するところが大きいが、今回は取りあえずこれでいいんだという結論で閉める事にした。相手の顔を立てた、信じた。今回の場合はその事の方が重要な気がする。

審査員が、意図的にか、とりわけ私に向けて言って下さった:「とにかく、止めない、作り続ける。」

それしかない。背水の陣は既に敷かれたもの。




「ライバル」6/21

「うわ~、きれいなメロディー」と嬉しがってくれた人達がいた「ああ、あんた恋しや」に続いて、全く別物「ライバル」のメロディーと歌詞が出来上がった。通常、メロディーの構成は2つか3つの異なるメロディーで作られるが、ごく最近、これにもう一つ加える、4つのメロディーからなる楽曲を紹介された。「ライバル」を書いている内に、もしかするとこの楽曲はそのようになるのかなと思い、挑戦してみた。挑戦できたような気がしなくもない。ライバル関係にある男二人をテーマにした歌。アレンジャーと相談して、これはロックぽく行ってみたいなぁと思うが・・・。ちなみに「ああ、あんた恋しや」はイスラエルの音楽と日本の歌謡曲、そしてR&Bが一緒になった、私から言わせると、"面白い"曲になったような気がする。

「ライバル」を書き終り、後はアレンジャーの手元に送られるだけとなったので、昨日は、上のブログで書いた心の”ざわざわ”感を払しょくするためにも次の作品に取り掛かったが、やはり創作と云うのは心がざわざわしている時にはできないようだ。よく言う、
α波がでていない。どちらかと言うとβ波が出ているのかもしれない。おそらく今必要な事は様々な人とおしゃべりをする事のようだ。
   
  されど 6/23

先週3日間、かつての仕事環境に身を置いた事を話したが、違った空気を吸いたいと言うだけではなかった。自分を確かめたかった。仕事の内容は全く異なるが、同じ環境に身を置く事で、自分がどう進化してきたか確認できるような気がしていたし、そう期待した。

ひとつの関係の破壊と共にやって来た、ひとつの本との出会い、新しいキャリアの訪れ、過去の中に消え始める通訳の仕事。本の内容を身体の芯近くまで沁み込ませて行くほどに新しいキャリアの中に私はどんどん歩き始め、過去のキャリアは通って来たトンネルの暗さの中にどんどん引きずり込まれて小さくなって行った。どれも私があらかじめデザインしたものはひとつもない。が、この新しいキャリアこそ、私が私でいられる場所、生まれる前から、きっと、私に授けられたモノを生かす場所だった。始まりは2008年、しかし大きく舵を切ったのは2010年。初CDを出し、プロの登竜門と言われる南青山マンダラに90人の観客を動員して出演した時だと思う。

私の内部が大きく変わった。極端に言うと「命が大きく育った」と思う。問題のように見える事も直ぐに解決しようとせずに放っておく事ができるようになった。御縁があれば、必ずなんとかなるし、どうにもならないのなら、それはそれでいいのだと思うようになった。思いつく事はすべてやってダメなら、こっちじゃないんだぁと思えばいい。他の楽しみを探すし、それはきっとある。少しオドオドした時間を過ごした後、結局はこう考える事にしている。

で、行ってみた。

確かに変わっていた。私がかつて持っていたエゴを持ったまま余計な事をする人達、それを放っておける自分、余計なことをしない私。だが、昔ならひどい通訳をする相方に軽視した態度をとっただろうが、それに代わり出て来たのが、自分の通訳を録音しておさらいすれば上達するよとのアドバイス。この”先輩ずら”をする私、あ~あ、嫌らしい。本当に彼女達の上達を思ったの?頼まれてもいないのに余計なことを言う私は依然として存在しているじゃん。自分が上位にいる事を見せつけようとするこのエゴ。

は~あ、そんなに変るもんじゃないんだなぁと。目的地までは果てしない距離。エネルギーも枯渇し、息絶えるなぁと思う。されど、ここで諦めたらあかんねん。とにかくもっと行かねば。ん?もしかすると、私、十分にいいんじゃない?わっはっはっはぁ~(●^o^●)





長い6月 6/23

6月、歯車が噛み合わなくなる月だと、明本歌子さんから頂いたカレンダーが言っている。先日のデモ売り込みでお逢いした歌謡曲専門のディレクターは「しずこさんの音楽が分かる人です」と会の主催者とディレクターの二人から事前に言われていたので、よっしゃ~と腕まくりして出かけたのだけれど・・・・ただ、好みが違ったと言う事よね。「遊戲三昧」もいい楽曲だもの(歌のうまい人が歌ったらもっと良いけれど)。以前に岐阜に招かれて歌った時に、この歌がいいと言って伝えに来た人が2人もいたわ。だから誰も間違っていない。あのデモピッチから何かが展開すると私が勝手に大きな期待を寄せたから、期待と結果のギャップに落胆しただけ。人のせいにしちゃ、いかん。ビクターのディレクターもこんなに長い間お付き合いして下さったのだもの、きっと彼の誠意100%の選択だったのだと思う。彼にとってもやはり「遊戲三昧」がいい曲だったに違いない。私が作った楽曲の中に彼がいいと思うものがあって良かったし、彼が選んでくれた時には嬉しかった。

それにしても長い6月だ。めぼしいことは何もない。何の変化もときめきもない。これじゃあかんと、日本を出る事にした。思い立ったらとにかく動くことを心がけている今だ、アイスランドとグリーンランドに行く。8月末頃のツアーに便乗しようかと随分迷ったが、どんなに大変でもやるべきことはやりなさいと言ってくれたマスターの言葉に背中を押されて、8月30日はライブを開催。だから7月後半に2週間程あちらを旅行しようと今ホテルの予約をしてもらっている。ペルーとブラジルはグループ・ツアーだったので楽は楽だったが、サプライズや感動、そして冒険がなさ過ぎる。気がついた。私が旅行から帰国して旅の話をすると多くの人が面白がった。それはいつも個人旅行、特に一人旅だったからだ。様々なハプニングがあり、それは話す方も聴く方も楽しい。それで今回は、個人旅行である。北極圏への旅行、最初は淋しいんじゃないかと思ったが、なんだかすごくリフレッシュするような予感がして来た。

旅は順調に行かないのが面白い。どこかで迷子になる。来るはずの電車が来ない。途中で停電して見知らぬ町で降ろされる。それらはすべていつまでも記憶の中に残る楽しい思い出。。。。。人生もそれでいいのかもね。あははは。。。

ネットで調べていると、自称”Iceland Man"と言うアイスランドの百科事典のような人が日本にいるようだ。電話をするとかなりの年配の男性。アイスランドの話をする事が趣味のようで、明日会いに行く。






よく言われる事だけれど 6/25

「自分を信じる」、よく言われる事だが、今日のサッカーワールドカップ日本敗退を事前に知っていた自分の正解に(顰蹙を買う言い方かもしれないけれど)、その重要さを改めて思った。

2年前のサッカーオリンピックの時にもこのブログで書いたが、決勝戦当日、起床と同時に突然降って来た私だけに聞こえる「メキシコ」と云う言葉。ああ、メキシコが勝つんだぁと思ったが、まさかのメキシコが本当にかった。そして今回のサッカーワールドカップブラジル大会、日本は予選敗退だろうと大会開始前から思っていたので、観戦に熱が入らなかったし、一試合きちんと観たものはない。こう言うのは過去形で書くと眉唾ものになるが、実際そうだった。

自分を信じる。私にはありがたくも私に正しい判断をさせる私だけに聞こえる/見えるものが”はっきり”と存在するのに、それを受けず、なんともったいない事をしてしまったのだろうと、前回のデモピッチの時を再び反省した。私の頭の中の右側には、私が選んでいた別の楽曲がずっとぶら下がっていた。それは審査員の探しているようなものに近い、男と女の物語。せめてそれを聴いて頂かなければ話にならなかった。

自分を信じきれない、やはり悔しいのはそこだ。自分を信じる、これに尽きると改めて思わせてもらった今回の一件だった。自立心を高めなければ。

それにしても人間は、繰り返し繰り返し、飽きもせず、いやになるほど、こちらも繰り返し繰り返し反省しながら、また同じ過ちを犯すものだね。オヨヨ~ん(@_@;) ため息が出る。
   
  なんで幸せ 6/27

数日前、大学のOB達との飲み会があった。どんな成り行きだったか忘れたが、向かいに座っている先輩に「ああ、しあわせだなぁ」と突然言ってしまった。お酒が入っていたせいだろうか。すると、「なんで幸せなの」と訊かれた。その質問に答える準備など全くできてなかったし、なぜ「しあわせだなぁ」と口走ったのかさえ分からない。が、まるで何度もリハーサルをしていたかのようにスルっと私の舌を滑って答えが勝手に出て来た。発音した後にその音を自分が聞いてびっくりした。自分の体内から出て来た言葉に、なるほどと私自身が頷いていた。そのプロセスは、考えるよりも先に口から歌が出てくると言う、私の歌作りのプロセスにそっくり。私の意識下に収まる前に誰かが言わせていると言う感じだった。

「いい事ばかりしているから。」
先輩の顔が大きく微笑んだ。そして言った。
「いい事は意識してするんじゃないんだよ、自然にするのが理想だな。」(求め過ぎだよ!)
「う~ん(苦戦)、そうね。最初は意識の中で繰り返しいい事をやっていれば、それが習慣になってやがて無意識の世界に移るわ」

この会話は先輩にサプライズをもたらしたようで、駅でお別れするまで彼は上機嫌だった。

自分の答えに自分自身が感じ入って、後で考えていた。善い事をしていれば、何がいいかって、まず自分が幸せになる。相手が得してこっちが損するわ、なんて狭くてケチな事考えていたら、はっきり言って、ホント、いつまでたっても幸せは来ない。狭き心の人には人は集まらんし、感謝もされない。感謝どころか嫌がられ、人は去る。自分の善事に感謝や恩返しを暗に要求する人がいるんだけれど、これもダメや。喜んでくれる事に越した事はないけれども、反応が無くとも、ただ善い事をし続ける。いい事をしている自分が気持ちよくて幸せなのよね。自分がした”いい事”を相手がどのように受け取るかは、もうこちらの問題ではなく、あちらの責任。受け取る側の習性と言うか、想いが顕れるだけ。感謝があったり喜んでくれたらつながりができるし、無い場合は、御縁なしか、またいつかね、になるだけ。だからケセラセラで、いい事だけをしていけば良いみたい。いい事には、また、いい事が返ってくる事が多い。

「情けは人のためならず」とあるけれど、善い事のお返しがある前に、善い事をしていること自体、自分を喜ばせるみたい。人間て喜びたいのよね、互いに。私も、いい事続けようっと。
(●^o^●)

どう生きるか、基軸を持った時、人間はブレが少なくなるようだ。瀬戸内寂聴は自分が出家した理由を、「不純でしてね、僧になって仏に仕える為ではなかったの、ただ小説を書きたかったから」と言う。自分には哲学もないし基軸もない。そういうものがなければ小説を書き続けることはできないと思ったそうだ。ありがたや、今わたしには基軸がある。だから一時ぶれても直ぐにそこに戻れるし、沢山の歌を書ける。善い事を想う、善い事をする。大方できていると思う。だから、幸せ。

ありがたい、なんという恵みだろう。






MPJ 6/28

上のどこかで書いたと思うが、こういう場所があった。メディアとまだメジャーになっていないアーティストの橋渡し。アーティストを育てる場所とでも言えるかもしれない。5月の大塚音楽祭の時にネットで見つけた。内容がどんなものか定かでなかったが、ものは試しで行ってみると、ユニバーサル・レコードから若いディレクターが来て、参加者が持参したデモ楽曲を丁寧に聴いてコメントを付けてくれる。シンガーソングライターだけではない。アレンジを専門にする人もいる。参加者が提出するデモはその場でプレヤーで回しみんなで聴く(聴ける)。そのレベルの高さに驚いた。ここ、本物だわ。安心して会員になった。

打ち込み中心のアレンジャーもいる。もちろん彼らは作曲もする。何かコラボができそうだ。先日逢った人は超売れっ子で、仕事は断っている状態だと主催者が伝えて来た。30代から40代の彼ら。中には70台の作曲家もいる。演歌だけを書く人、ロックだけの人、ラップ中心、もちろんポップス好みと様々である。大変頼りがいのあるAnzこと安西史孝がマネージャを付け事務所に所属して以来、私の自作曲のアレンジを手伝ってもらえなくなった。仕事は全部事務所を通せと言う事になり、こちらとしては事務所の取り分まで払っていたのでは楽曲も自由に作れなくなる。後で分かった事だが、その事務所の社長は彼が音楽の世界にプロとして存在し始めた時に大きな協力者となった女性。何があってもそのつながりを大切にしなければならない。

それでAnzが私の側からいなくなって2年近くになる。その空席を埋める人を探さねばならないと思っていた。MPJで逢えるといいが。

MPJはMusic Port Japanの略で、主催者は米国に留学中に知った同じような会社の仕組みを踏襲したらしい。若手歌手やデビュー前の歌手、アニメ、AKBが歌う楽曲の募集案内が、目まぐるしいほど送られてくる。応募して決まると、マネージメント会社とこのMPJに印税の40%が行く。市場における印税の配分がどうなっているのかあまり分からないが、これって、結構大きくないですか~。以前私が所属していた事務所は20%、CDは生身が動いて無くても売れれば収入になるからと、音楽事務所は20~30%だと聞いた事があるけれど。まだいろいろな事が十分に分かっていないし、習性だが、新しいものに直ぐ飛び付けない。Demo Pitchというデモの売り込みには行くけれど、今は歌作りを中心にして行きたい。その方が気分的に穏やかだ。やって見ようと言う時期になったら、楽曲を提供しよう。

それにしてもこの会の主催者、よく此処まで人脈を作ったなぁと思う。聞くと、色々なところに顔を突っ込み、その場で直ぐに誰かを紹介してもらったりするようでいわゆる営業型人間。異なる趣向を持つ人がいる事は本当に良い。時には息抜きやら何か"ネタ"があるかと人の中に入る事もあるが、創作者は大体家に閉じこもる。





7月 7/1

いよいよ7月。待っていた。なぜ待っていたのか、それは今のところ公言しないでおこう。

やっと6月が終わった。ルンルンする事が実に少なく、どちらかと言うとあまり良い月ではなかったが、一見良くないと見えるものはよい処へと進んで行く準備段階だという。そう思う事にしよう。7月7日は誕生日、今回も人の中にいられる事が嬉しい。






日本人の言葉作りの妙 7/1

以前にNHKのEテレ(教育テレビ)で、「亀田音楽塾」という番組があり、シンガーソングライターがどんどん生まれている今の時世を反映してか、歌作りの話をしていた。その時に"おおサビ"と云う言葉が出て来た。

歌と云うのは幾つかのメロディーの塊をつないで作るが、一般的には、8小節の出だしのAメロディー(通常Aメロという)、次に展開する8小節のBメロ、そして16小節ほどのCメロ(サビ:聴かせどころ)となって行く。ところがこの”おおサビ”と云うのは、このCメロに行く前の準備段階のサビで、90年代から使われ始めたそうだ。じゃ、それまでどうだったの、と言いたくなるが、Bメロがサビに行く前の準備段階の役割を担っていた。

この”おおサビ”を使った例のひとつが、小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」らしい。この歌では。AメロとBメロの後にCメロが流れ、その後に、Bメロよりも沈み、Cメロよりは愕然と沈むもう一つのメロディーがある。これが”おおサビ”だという。????ペタペタペタとこのマークが私の頭の壁全体に捺される。なんで、これに”おおサビ”と云う名が付くの?せめて"小サビ"とか"弱サビ"ならまだ納得するけれど、さっぱり分からん。ずっと沈んでいるし、これがおおサビなら通常のサビはこれよりもっと大きいのに、なぜこちらはただのサビのままなの。要するに、A,B,Cに加えてもう一つメロディーの追加、Dメロを作るという単純な話なのに、その名称が混乱を招く。なに、”おおサビ”って。

要するに、起承転結の「転」の部分のようだ。Aメロが歌の始まり、いわゆる「起」、BメロはAを受け継いだ感じで展開し、Cで「転」と「結」が一緒になっているものが一般的だったのかもしれない。またはBで「承」と「転」を同時に扱ったりしたのかも。しかし今度は、「転」と云う文字に相応しく、まったくメロディーの異なるものを持って来ているようだ。欧米の歌はどうなのだろう。インストラクターが言うには、だいたいAとBの二つのメロディーからなるものが多いらしい。物語を歌う事はあまり無いからだと言う。ふ~ん。このブログを書きながら、実は私自身がこの"おおサビ"の役割が整理できた気がしなくもない。「転」だ。

それにしても、"おおサビ"という名称はどう考えても受け入れがたい。今のままでも混乱の大変多い日本語である。あ~、もしかすると日本人はこんな混乱が好きなのかなぁ。誰が"おおサビ"って名付けたのだろう。また、なんで、こんな訳の分からん言葉を使い続けるのだろう。素直な童心は唖然とし混乱する、「パパ、僕わかんないよ~」。

そしてもう一つ。日本に来ると英語の意味がどんどん変わってしまう。"アーティスト"と云う言葉がある。そのまま訳せば、”芸術家”となるのだが、"芸術家"には重みも奥行きもあるので、軽いタッチで歌手をアーティストと呼んでいる。米国の真似だと思うが、ならば作曲家も作詞家もアーティストであるはずなのだが、彼らは"作る"人だから、”クリエイター”または"作家"と呼ばれる。じゃ、アーティストってどういう意味?歌手はもはやシンガーと呼ばれなくて、アーティストなの?

と、一人で混沌の中に身を寄せていたが、辞書を開いてみる事にした(今ではすべて電子辞書である)。。。。。は~、言葉は変わるのである。日本云々の話ではなく本場が変わったのである。オックスフォード”現代”英英辞典(ここが大事"現代”である)によると、「アーティストとはシンガー、ダンサー、俳優など、職業的エンタテイナー」の事。歌う人は素人玄人関係なくシンガー、職業になるとアーティストと云う事らしい。観客の前でステージでその芸を見せる人、日本では「芸人」といったが、その部分がこのアーティストと云う言葉の中に入っているようだ。でも画家は本場でも依然としてアーティストである。日本語と英語、ひとつの単語に含まれる様々な意味がすべて一致するものはまずない、と思っていいかも。

今回、実は私は初めて「アーティスト」の定義を知った。さすがに、"おおサビ"は辞書にもない(@_@;)、きっと。アハ、調べてもいないけれど(何と無責任な!)。調べる気になれない。






中島みゆきの歌 7/2

中島みゆきが好きなFBで知り合った男性が、彼女の「化粧」を紹介してきた。聴いて、そのリアルさに驚いた。男に捨てられた女が化粧をして最後にもう一度男に会いたいと歌う。化粧をした自分の姿に思い止まって、戻って来てくれないかと願う。

彼女が突っついている側面が女がする化粧にあると思うが、女が化粧をするのには別な意味もある。何事もそうだが、あるひとつの行為や行動は、それを見る人の想い方によって、見えてくるものが異なる。対象の闇の部分を見ようと、頑張る人がいる。だが本人は闇の部分を見ようとしている自分の闇に気付いていない。気付いていたら多くはその習性を止めるだろう。中島みゆきの場合は内向性が強いと思うので、自分のそんな部分を強く感じられる人だと思う。だからそんな自分を他(ひと)に気付かれないよう、ラジオトークでは非常に不自然なしゃべり方をし、高笑いをする。その意外性に驚く人がいるが、心の闇を隠すために高笑いをする、佐藤愛子が書いたサトウハチロウだ。

中島みゆきが好きな上の男性は彼女の歌を聴いて嗚咽したと言う。その気持ちは分からなくないが、同時に、この見せたくない闇の部分をさらけ出す彼女の歌、聴く人はいても”歌いたい”と思う人が本当にいるのかと思った。もちろん聴くだけの歌というのもあるが。学生時代にやはり中島みゆきをよく聴いたと言うコーラスのスダッチに訊くと「いや、歌いたくない」という。だろうなぁ。聴いているだけで、くら~く、どこまでも、くら~くなるが、口に出して歌えば、自分の心がそれに載る。その闇を経験している事と変わりない。歌詞がリアルであるだけに、歌われる主人公の女は何ともみじめ、そして男は"きたない"。

友人と中島みゆきの話を電話でしていた時に、友人は「自虐的だね」と彼女を評していた。なるほど、いい形容だと思った。しかし、後から考えると、彼女の歌が人を引き付けると言う事は、それだけ自虐的な人が多いと言う事だろう。中島みゆきと云う名を私に初めておしえたのは、米国にいた頃にキャンパスで知りあった大学院留学生である。彼女は中島みゆきのカセットテープを幾つも持っていた。その時少しだけ聴いたが、私の好みの歌ではなかった。でも流行りなら知っておかなければいけないかと、幾つか聴いたと思うが記憶にないほどなにも掴んでいない。今こうやって歌を書くようになったから改めて聴いているが。その後人間の心の働きが色々分かって来た時、彼女がなぜ中島みゆきを好きになるのか、その理由も分かって来た。彼女の世界を代弁してくれている。おそらく中島みゆきの暗い歌は多くの人のカタルシスとなっているのだと思う。要するに浄化だ。必要な働きである。

もちろん、中島みゆきの歌の中には、「時代」「誕生」など、私自身も好きな歌がある。「時代」について、ただ降って来たから意味も分からず書いたと、どこかで彼女自身が言っていた。谷村新司の「昴」と同じ経緯のようだ。昴と云う星がある事さえ知らず、歌ができあがった後で、一体これはどういう意味なのだろうと、彼は調べたらしい。

年齢と共に書く歌の内容が変わって来るのは当然だが、中島みゆきの最近の歌は普遍的なものをテーマにしているのが多いのか、そんなものが歌われているのを耳にする。そんな彼女の最近の歌には共感できるものがある。好き嫌いは別にして、天才である事に代わりはないし、アートである事は確かだ。





私の歌の特徴 7/2

なぜ、私が上で中島みゆきを持って来たかと言うと、彼女の歌を聴いて、自分の歌の特徴がはっきり分かったからである。誰がどんな歌を書いているか参考までに読んだり聴いたりする事は、創作者が通る道。中島みゆきだけでなく、他のシンガーソングライター、加藤登紀子、五輪真弓、森山良子等の歌も聴く。やはりその中では中島みゆきの歌は強烈で、印象が濃い。大方の人達は、暗部は避けて通りたいし、あそこまでの執着心を人間関係に持たず、もっと自分を大事にする。

で、しずこの歌には具体的にどんな特徴があるのか、それは私が書くよりも聴いて下さる方々に感じて頂きたいと思う。「あの人の歌、詞が本当にいいね」と昨年お母さんに連れられて来た20代の娘さんが言っていたと、そのお母さんが告げて来た。そのお母さんはしずこのライブを初めて鑑賞した後の数カ月間、逢う度、眼の奥までじっと覗いているようだった。驚きと感動は直ぐに言葉にできない、様々な言葉が彼女の中で錯綜して、やっと出て来た言葉は、"自然だった"。

最近の楽曲20曲を聴いて下さったビクターのMディレクターが、総合的なコメントをメールでよこしてくれた:どれも歌詞が面白いが、印象に残るメロディーが少ないので、おおサビを使ったらどうか。そして私の依頼に答えて、参考音源のリンクを貼って送って下さった。

不思議だ。私がいつかこう言う歌を書いてみたいと思うと、本当にそんな歌になるようなものが降ってくる。先輩の男性達が歌える歌を書きたいと思ったら、本当に歌ってくれるかどうかは別にして、そんな歌が出てくる。ひょこんと出てくる。別に「よし、書くぞ~!」という気負いは全く無い。男女の愛の営みを歌うシャンソンの「じっとこうして」を歌ったら、こういう歌が似合うと言われ、じゃ自分で書こうと思ったら、"偶然”直ぐに出て来た。今度はホイットニーのI will Alway Love Youを歌うと「歌がうまくなったね~」「ほ~」となるので、じゃ、こんな感じの歌を自分で作ろうと思うと、出て来た歌が自然とそんな歌になれるような歌だったりする(飽くまでも日本版だからね、笑わないでね)。そして今度は、ディレクターからのお勧めでおおサビを使った歌。以前から書きたいと思っていた「ライバル」が、このおおサビを入れる楽曲にぴったり。不思議だなぁ。

先週デモディスク2枚を毎日聴いていると話して下さる先輩から電話を頂いた、「毎日聴いていると、いいなぁ、うまいなぁと思って来るんだよ」と言われる。嬉しい。私の初CD「美しい日々だけを連れて」を聴いた見知らぬ人が、「何度も聴くと、良さが分かる歌ですね」と言っていたそうだ。この「何度も」をどうにかせんきゃならんけど、きっとそれは私の歌の特徴のひとつなのかも知れない。この先輩が初めて私のライブに来て下さった後に、私のいないところで言っていた事を以前に伝えて来た人がいた。「付き合いで色々な人の歌を聴きに行くけれど、(しずこの)歌は本当にいいよ、うまいよ。」うまく歌おうとする人もいるし、その一声だけでうまいという印象を与える人もいるし、それらを好む人もいるし、いろいろ。どうも私の歌はこの類で無いようだ。
 
   
後悔 7/4

私が通訳を職業とし様々な会社を渡り歩いていた時のかなり昔の話だが、ある会社に行くと、そこに恐らく派遣できていた30台の女性、夫から離婚を宣告されたと言って来た。誰に話しても解答はないが、彼女の心の狼狽は、言葉として外に出す事で僅かでも消される事を願っていたのだと思う。そして数日後別の会社で、一人の体格のいい、こちらも30台に載っているであろう若い男が離婚したばかりだと突然言って来た。付け加えて「全く後悔していない」とこちらが訊いてもいないのに自分から言ってくる。「ふん」と鼻でも鳴らすような言い方だった。

偶然にも彼らが夫婦だったのか、まったく関係のない若い男と女だったのか定かでないが、この”青年”にものすごい違和感を感じた。その姿にはその言葉通りの様子が映っている。悲しさ、辛さ、苦しさなどみじんもない。当然後悔もない。元妻の心情を想う隙間もなく、自分は人生の敗者ではないと仄めかしているだけのエゴの塊。もちろん内情は分からないが、私は心の中で、この人の奥さん、この男と別れて良かったと思った。

これと似た事がもう一度私の目の前に現れた。元夫もよく通って来た20年以上も前にお世話になったライブハウスのピアニストに、挨拶がてら彼の出演日に逢いに行くと、離婚したと言う。私は彼の奥さんに逢った事はないが、音楽上のいろいろな事を彼に頼んでいる時に、薄々そうなるだろうなぁという気配を感じていた。「苦しかった?」と訊くと、「ぜ~ん、ぜん!」と言う。

「ぜ~ん、ぜん!」・・・彼の場合は強がりが匂った。惨めに思われる、同情される、不幸だと思われる、弱気を見せたくないからそう言うのだろうか。聞きながらもったいないと私は思った。「苦しかった?」「ん、まあね」・・・。せめてこんなやり取りなら、人情や温かさや生きているが故に生まれる様々な想いが伝わってくるのだが。同じ立場にいる人間の言葉は特別な影響力があるかと押しつけがましく、「苦しまなくちゃダメよ!」と私は返した。「苦しんで、苦しんで、そしたらそこからとても大事な事が分かって来て、ずっと良い事が起きて来るのよ!」私の反応が意外だったのか、この言葉に彼は驚きの表情を僅かに見せ、そして沈黙した。

辛い、苦しい、悲しいの感情を否定する事で生きて行ける人達、きっとそれらの感情をすべて受け入れて認めたら、自分が壊れてしまうような気がするのだろうか。辛い事を辛いと、苦しい事を苦しいと素直に受け入れ、自分の生き方を問い始めた時、対象への思いやりや優しさも生まれるような気がする。こういう場合の平然として見せる強さは格好良いと言うよりも、人間の最も重要な「愛」の欠如を垣間見させる。体裁だけの辛そうな表情は論外だが。


後悔したくないから、これまでやろうと思った事は大体全部、私の場合は、行動に移して来た。やってみて思ったような結果を生まなくても、やらない事による後悔の方がずっと大きいだろうと思っているから。しかし私の人生にも後悔がある。それは愛を十分に与えなかった事への後悔。愛が欠如していた事。特にわたしを特別に愛してくれた人達に、自分の心情だけを理解してもらう事が当たり前で、彼らの思いや辛さを汲み取ろうとしなかった、そんな沢山の例を、今でもふと思い出しては、胸を痛める時がある。それらも考えてみれば、”しなかった”事への後悔だ。





大量生産 7/5

昨日、音楽関係者ばかりが集まる集いに参加した。シンガーソングライターもいれば、6月にメジャーデビューを果たした人、音楽雑誌の編集者、作曲家、作詞家、その他いろいろである。互いに紹介し合ってタイトルや今の実績を聞くと驚くばかりで、すごい人達が集まっているなぁと思った。デビューをした人や歌詞提供をした人達は自分の作品が載ったCDを持参して来た。是非聴きたいと私からも主催者にお願いしてかけて頂いた。

CDが回った・・・・ジャケットに書かれた歌詞を見ながら聴いていたが、段々と心が固くなる。デビュー、なんと華やかな言葉だろう。しかし。。。彼女達の今後が夢の実現により近いものになるよう、祈りたい。

最近入会したMPJからはアイドル歌手への楽曲募集案内が何度も送られて来る。これまで採用されたものも随分あるようだ。その案内にはアイドルが現在歌っている歌がリンクされているので、それを聴くと、とてももったいなくて自分の楽曲は提供できない、正直な私の感想である。いい歌でなくとも、AKBのように売り方がうまければヒットになる、と参加者の一人が言う。大量生産で、どうでもいいような歌詞、どうでもいいような曲がどんどん作られ歌われ、消費されゴミ箱に捨てられる。とにかく新曲を出すことが収益につながるのだろう。

よく音楽学校の教師紹介で「XXXに楽曲提供」と書かれる。何も分からなければ、うわぁ、すごいと思ってしまうが、こんなものなのかと、帰途に就く私に虚無感が襲った。楽曲提供は嘘ではない、しかしその中身は。嘘が蔓延した世界なのか。。。または、まだ私の知らない共感できる考え方があるのか。

「今は本当にいい歌が無いんです。しずこさんの作られた楽曲には衝撃を受けました。詞も曲も良いです。」と私のCDを聴いて伝えてくれたMディレクターの声が、今だ虚無感から立ち直れない私に聞こえて来た。いいはずだ、心からそう思う。彼が2年間そのCDを手放さなかった事も当然のよう思えた。

MPJを知らなければ絶対聴かなかったであろう"音楽"を聴く機会を頂き、このような”音楽”が蔓延しているからこそ、人の心や生き方に何らかの影響を及ぼすような歌を待っている人達は大勢いるはずだと心から思った。人間は誰しも真を感じたい、心を揺さぶる言葉を聴きたいのだから。

いい歌を世に送りたい、人が幸せになる歌を届けたい、その想いが基軸にあり、そのために断固とした決断ができる勇気ある協力者が、必ず、私が向かう前方で姿を現わすだろう。




増上慢 7/7

人間何が一番怖いかって、この事じゃないだろうか、増上慢(ぞうじょうまん)。もともとは仏語で、「今だ悟りを得ていないのに、悟ったとして思い高ぶること、転じて自負して偉そうにふるまうこと(日本国語大辞典)。」上のブログを書きながら、もしかすると私の楽曲は大したものだと勝手に思っているのじゃないか、もし本当に増上慢になって書いていたとしたら、笑い草になるだろう。上の場合は、冷静に自分の楽曲が他と比べてどうなのか判断し、今の姿勢を崩してはならないと自分に気を入れるつもりで書いたが、増上慢に陥ってしまっていないかと、自分で自分を恐れた。なぜ恐れるか、増上慢になったら、「おしめえよ」、だから。時々内省している。いつも見ていて叱咤してくれる人がいればいいが、残念ながらそのような師がいる訳ではないから自分で確認せねばならない。

なぜこんな事を書いたか。最近周りで起きた事を含め、2013年に書いたブログを読みながら、ハッと思う事があり、改めて自分の姿勢を問うてみた。マヤ暦から見た私の無意識の世界は「青い猿」、だからか、私は木のてっぺんに直ぐ登ってしまうのかもしれない(そんな事は書いてなかったけれど、猿はあくまで人を楽しませたい性)。勢いに乗ってしゃべった後に、自分でもびっくりする事を言っている事に気がつく。くわばら、くわばら。

今日は私の誕生日、自分自身に向けた、いいブログを書けたかもしれない。

   
  地球規模の祭り 7/7

何度も何度もこのブログで書いて来たが、サッカー、特にワールドカップが与えてくれる感動は書いても書いても書き尽くせない。今回はハイライトだけを見ているが、観るたびに心震え、涙がぽろぽろ流れる。

男たちが手を抜かず命の限り戦い、勝てば心からの大きな喜びに、選手もベンチのスタッフも観客も飛んだり跳ねたり。その場にいない人達もテレビの前で大声で歓声を上げ喜ぶ。そして負けた側も、悔しさはあるが精一杯やったと心のこりのない涙と笑い。なんと素晴らしい時間だろう、地球上の人間達の心を躍らせる地球規模の祭り。今回のワールドカップ、いつもの勝者となる南米と欧州の対抗試合となったが、その実力たるや、本当にすごい。あっぱれだ。どの国のチームが勝ってもおかしくない、観ている者の全身全霊を満足させる試合だ(恐らくやっているもの達も)。チリとブラジルの試合はたまたまフルで見たが、ブラジルはチリがこんなに手ごわいとは思ってもいなかっただろう。PK戦で負けたチリの選手が言う「ブラジルを相手にここまで戦えたので、心残りはない」と。

決勝に残った16チームは本当に皆優劣の差がないほど素晴らしかった。これらのチームの中には特別な人がいる。その彼らのボールを操る足さばき、ただただすごい。技という点から行くと、アジアはまだまだだが、何が起きるか分からないのがオリンピックだったり、ワールドカップなのだろう、だから面白い。個人的にはフランスを応援しているが・・・

普段は自分の国を離れて他国でプレイする。その同僚達がワールドカップでは対抗する。だから終わっても抱き合いがあったり、負けて気を落したり泣いている選手に近寄って肩を抱いたり抱きかかえたり、喜びと愛が沢山あふれる戦いだ。

ああ、ただ、ただ感謝したい、こんな祭りを考え実現化した先達に。恨みはこの血を流さない戦争で堂々と晴らせ!





こりゃ、大変だ、携帯電話が鳴りっぱなし 7/8

私の誕生日の前夜から私の携帯電話が忙しい。バースディ・メッセージから始まり、よもやま話。全て姪からである。エステを経営しているが、そんなに羽振りが良いとは思えないのに、1時間近くもしゃべっている。女同士のおしゃべりだから簡潔にはいかない。結論に至るまでのプロセスを細々としゃべる。電池が切れた、これ幸いと誕生日前夜は寝た。すると誕生日当日の朝9時に再度電話が鳴る

「ハッピーバースディ!(にこにこ)。昨日突然切れて、何度もかけ直しても電波が届かないところにいるか電源を外していると言うので、もしかしたら静ちゃん倒れちゃって救急車にでも運ばれて行ったのかも知れないと、すごく心配しちゃった」
「あはは」(なぬ!)
「ね、自宅電話ないんでしょ?あった方が良いよ、こう言う時、連絡できるじゃん。」
(自宅電話?あるけど・・・そうしたらいっぱい電話がかかってくるだろうなぁ・・・・(@_@;)教える訳にはいかんよ)

20分程の話。
「ね、今から出かけなきゃならないの、夕方に帰って来るから、その時またね」と、私は出掛ける。

夕方8時また携帯が鳴る。
「本当に掛けて来たの、あははは」
「静ちゃん、夕方だって言ったじゃない」
「あの、こんなに長話を携帯でして大丈夫なの?」
「ああ、6月1日からね、ドコモのスマートファン以外の電話だったら他の会社の携帯にかけても全部無料なの。基本料金2,300(?)円だけ」
「へ~、すごいことしたものだね、ドコモも」
「うん、xxxxxxxxxxx」
ざっと1時間ほどのおしゃべり。

そろそろ自分の時間をもらおうと私は適当な理由を付けて電話を終わらせようとする。
「う、うん、う、うん」電話を終わりたくない様子が伝わってくる。何かこの電話を大変楽しみにしているみたいだ。一度は切ったものの、可哀そうだなぁ、しゃ~ない、今日は徹底的に付き合おう。電話をよこすようメールを打つ。直ぐに電話が鳴る。

またまた長いおしゃべりをしていると、メールが入った。やった!
「ゴメン、今他の電話が入ったみたいなんだ。30分程したらまた電話をして。」メールに返信して、夕飯も済ませていない私は納豆ごはんと味噌汁を胃に流す。

ぴったり30分後に携帯がまた鳴る・・・そんなに話したいのか、そしてこんなに素直で可愛い子だったのかと、何か温かいものが私の身体の中を流れる。・・・
「昨日ね、静ちゃんと少し話をして、もっともっと話したいと思ったんだ。色々な事を話したいの。」
「色々な事が錯綜しているんじゃないの、何から話して言いか分からないんじゃないの」
「錯綜なんかしていないよ。きちんと考えているんだから」
私の話をひとつひとつ真剣に聴いている息遣いと相づちが聞こえる。。。。この子ももう50歳をとうに過ぎているんだぁ。
「ね、静ちゃんは一度も私のところに来た事がないでしょ。いつかこっちに来る事があったら良いのになぁって思っていたの、(にこにこ)」
仙台かぁ、”あの時”から6年、一度も行っていない。

人生を考える、彼女もどう生きるかを考えるそんな時期に来たのだろうなぁ。そして彼女の他の叔母さん達は皆彼女の近くにいるのに、遠距離にいる私を話相手に選んでいる。選ばれた私は思う、もうただ与える時期に入ったのだと。

ドコモの爆弾的企画、嬉しいような、トホホのような。


追伸:早速ドコモの社員のスダッチに訊くと、

6月から始まったドコモのサービスはちょっと違いますよ。固定料金(2500円?)を払うと、スマートフォンを含むすべての携帯からの通話がかけ放題になるというものです。なので誰でも無料でかけ放題になったわけではないです。契約変更しないととんでもない料金請求がきますよ。

恐らく他の携帯電話会社も追随せずにはいられないだろう、後日私の携帯電話会社に電話を入れると、7月1日から同じようなサービスを開始していたらしい。



さあ、夏休み 7/9

いつまでこんな調子でやっているんだろうと思うほど、全く上達していない私のギター。と言うか、上達するつもりがあまり無い。だけど通っているレッスン。レッスンを取らなければ触らないから、せっかくプレゼントして下さった方に申し訳ない。それに一応触っていれば、使える時があるしね。ピアノは歌を作る時に座るくらいかな。今はオンラインレッスンがあちらこちらで開設され私も一時受けたが、やはり間接的強制と云うものがないとダメね。宿題とかおさらい。レッスン日があると、それまで家で練習をするからよい。

その二つのレッスンが終わり、私は夏休みに入る(学校は8月もやっている)。いよいよ始まる日本脱出の準備に本格的に取りかかろう。アムステルダム経由アイスランド行き(直行便がない)。まだ市内に入った事がないので、アムステルダムでは2泊する。グリーンランドにも足を伸ばす。アイスランドへの旅行はFire and Iceツアーという名が付いているが、透明な空気、氷河、火山、とにかく日本では全く見られないものを見るようだ。アイスランドの百科事典のような自称Iceland manが言うには、アイスランドは特に女性が好きになる場所だとか。そしてグリーンランド。飛行機の関係で4泊する事になったが、丸2日で十分と言う、何もないよと。「何もないよ」この言葉はブラジル旅行で知りあいグリーンランドに行ったと言う人も使っていた。いかに何もないか見て来よう。(●^o^●)

   
  君の名は 7/11

「久しぶり~名が出ないままじゃあまたね~」(サラリーマン川柳

笑っちゃった。ちょうど数日前街を歩いたら知人にばったり。
「あら~どうしてた?」
「いや~ひさしぶり。元気だった?」
ぴーちくぱーちく 立ち話
「ね、コーヒーでも飲まない」
「そうね」
2時間ほどコーヒー館でおしゃべり。互いに一度も相手の名前を呼び合わない。「あなた」で済んじゃう。頭の中では「誰だったっけ~。」

帰宅しても「誰だったっけ~」。だいぶ夜も更けて「ああ、xxxさんだぁ~」。(*^_^*)





記憶するために 7/11

タイトルが上のブログとつながっている感じがするけれど、全然違う。
ここ数日間、私の心の状態に大きな変化が起きつつあった。以前からこの状態に持っていけたらと思っていたし、いつか到達すると思っていた。ここに辿り着いたら怖いもの無しだろうなぁと。切っ掛けは一見喜ばしくない出来事。少し動揺したが、「きっと、これはいいところにつながっていくために起きているに違いない」と思いを変えた。どんな状態かって?う~ん、これは神を心底信じるものだけに分かる事なの(すんまへん、こんな言い方で、でもそれしかないんだ)。

そして今日の朝の瞑想、何だか私に関係する多くの方々の顔を浮かんで来て、皆さん楽しそうに笑って喜び合っている。瞑想する私もニコニコしている。あ~ここまで来たぁ~と嬉しくてたまらなかった。終っていつものように鏡に自分の顔を映してみた。うわ~、・・・・・「え~、そんな事を自分で言う人いないよ」と言われるかもね、でも言おう、光が射して観音様と云うか女神様みたいな顔をしていた。来たぁ~やっとここまで来たぁ、と嬉しさが込みあがった。だから、この日を忘れないよう、ここに書いておこう。ここまで来させて頂いた全ての出来事と関係した人々に、本当に心からの感謝を送ります。


人間は自分で生きているんじゃない、生かされている。周りの人達も出来事もすべからく自分の命を生長させるために現れる。





加藤登紀子コンサート 7/12

7月12日は私の記念すべき日で、2011年のこの日夢の六本木STB139に出演した。その3年後の今日、私は加藤登紀子のコンサート会場にいた。

私はよく加藤登紀子に似ていると言われる。似ているのは、声、歌、雰囲気といろいろである。昨年11月に興した池之端QUIでのコンサートDVDを見た時、最初に画面に出て来た私を、加藤登紀子かと本人が見間違うほどに似ていた。誰も見た事のない少し若い時の加藤登紀子のダンス姿。その時ははっきり言って、嫌だと思った。別に彼女が美人でないからという訳でもない(いや、少しはそれも理由になるかも(*_*;)、出来るものなら誰それさんに似ている自分でいたくないのだと思う。

だが今日のコンサートで何が似ているかうっすら分かった気がしなくもない。一緒に行った友人も彼女を前に見ながら皆と同じ事を言うが、傾向が似ているらしい。アジアを歌い、アンデスを歌い、ヨーロッパを歌う。そして広島に震災。日本に留まらず世界に関心を向け、人間のつながりを歌う、そのような心のあり方が似ているのだろうが、その他にも色々共通点があるような気がする。ハルピンに生まれた事も今の彼女の広い受け皿を作っているのかもしれない。

彼女の歌を聴きながら、自分が書く”べき”歌がまた増えたように思った。

それにしても、本当に沢山の観客だった。開場を待つ長蛇の列。「いつ私にこんな日が来るかね」そう言って笑った。


いいコンサートだった。




すべて、ね(^v^) 7/15

ワールドカップの優勝決定戦が終わり、勝者と敗者が同じフィールドでそれぞれの結果を受け留めている。勝者の喜び、そして敗者の。。。面白い事に、敗者の感情は複雑で一言で表せない。そしてその一言で表せない表情や動きの中に視聴者は多くのものを想像する。敗者の表情になぜか私の場合、多くを見て心が震え、彼ら以上にボロボロ泣いてしまう。延長戦後半で、カメラレンズがこれまで捕えた事のない、恐らくあまりマークされた事のない小さなドイツ選手のシュートが勝敗を決定した。神様が彼にご褒美を下さったのだろう。その彼はこれまでチームの中でどうだったのか、この決定的シュートで彼の人生がこれからどう変わるのか、そんな事を想わせた。

アルゼンチンの選手たちが呆然と立ち尽くし、勝者達のはしゃぐ姿を見つめる。それは自分たちの姿であったかもしれない。「ワールドカップは強いものが勝つのではない。勝ったものが強いんだ」と誰かが言った事をテレビが流していた。正にそうだ。強いものが勝つなら勝者はいつも同じチームになってしまうだろう。キムヨナの言葉を思い出す:オリンピックは何が起きるか分からない。神様が金メダルを落してくれる。選手はいつものベストを尽くせばいい。人生もそうなのだと思う。与えられたモノをこつこつと精いっぱいやって、他を喜ばし睦まじくしていれば、神様が道を開いて下さる。自分の”我”は要らない。

7月、私の誕生日を境に、私の中で大きなうねりが起きている。これまで以上の躍動感、やっと周りの多くの他(人)を拝み彼らの幸せを心から祈る自分となった。「私は無いのです」に向いて歩き始めたようだ。


全てが奇遇なのか、目に見えぬ力が計画されたものなのか、この誕生日周辺で複数の再会と出会いがあり、ひとつの別れがあった。期を同じくして明日私は北極圏のアイスランドとグリーンランドに向かう。そのひんやりとした空気が私の中に入って来て、何かが・・・・(ウフフ・・・)。うれしい。ありがとうございます。



行ってきま~す 7/16

グリーンランドは気温が4℃~9℃ですって。冬支度でトランクの中がいっぱい。個人旅行は行きたいところに自由に行ける強みがありますね。アイスランドでは一般観光スポットだけではなく、リュック背負ってジープに載って内陸まで。結構高くついた旅行だけど、この北極圏を旅するのはおそらく2度はないような気がするから、ま、いいかと奮発しました。ワクワクする。

行ってきま~す。




帰宅 7/31

本日昼ごろに帰宅した。どこから話したらいいのか、色々な事が起きて、沢山の人と出会い、色々な事を聞き、それらをリアルタイムでFacebookで写真付きで投稿し多くの方々に喜んで頂いたように思う。ここでは、Facebookの投稿をコピペしつつもっといろいろな出来事や感想を書きつづっていこう。

旅は、成田に降りるまで続いていた。飛行機の中では隣りの席のフランス人、右斜め後ろの日本人と親しく話し日曜日には彼らと逢い、代官山を回ってカラオケに行く事になった。自分を開放して歩きまわると、実にいろいろな人とお近づきになれる。

グリーンランドの最後の日、アイスランドで買った防水防寒靴の紐を結んでいる時に、私は心からこの旅を喜んでいたのだろう、新曲が楽しく舌から滑り出て来た。

君の履いている靴に 僕はなってみたい
君の行きたい所へ 手伝う靴でいたい

君の着ているジャケットに 僕はなってみたい
寒さに凍えて震える 君を温めたい

世界を歩いておいで
人のいとなみを見ておいで
氷の国には 僕たちと 
とても似ている人がいる

これから整理して、歌として完成させよう。

アイスランドの北の町アークレイ。ここは北緯65.41度。100キロ北は北極圏に入るが、ここで持参したラップトップが、私のせっかちさが起こしてしまった問題で、使えなくなってしまった。さあ困ったと思っていたら、宿泊先のホテルの目の前の本屋さんに日本人青年がいた。コンピュータの事も少しは分かると言うので、横に座って色々といじってもらった。旅では大体自己紹介が行われるので、ソング・ライターだと告げると、大変興味を示し、どんな歌を作っているのかという質問になり、説明するより歌った方が分かりやすいと、最近の3曲を披露した。「ああ、あんた恋しや」を数小節歌いだすと、目を見張り「声がすごく良いですね!」と”ものすごく”驚いている様子だった。次には「ライバル」。ここで彼が何を言ったかと言うと、

「ライバルは、中島みゆきですか」・・・ング、ずしっ、くわっ、さわっ!!!!

冗談でもからかいでもなさそうだ。彼は中島みゆきの歌をずっと聴いてきたようで、そのレベルの周りに私の歌を置いた。私の心がドキドキと言うか、オロオロしてきた。色々な歌を聞き、私自身も自分の歌が大体どの辺の位置にあるのか分かって来たが、「本当にいい歌ですよ」と感動を率直に表し、中島みゆきの名前まで出して来た彼に、「ウン、ま、作っている歌の内容が違うから」とかなんとか、おとなしく応えた(本当は、やっぱり?!とか叫びたかったの?カカカ)。別れ際、「僕を忘れないで下さいね!XXXです!」と少し大きめの声で言った。

ククク・・・楽しや、嬉しや。





アムステルダム経由グリーンランド/アイスランドへの旅 その1 アムステルダム 8/2

紀行文を期待して下さる方々の気配がするので、眠気を抑えてアップします。

実は
7月31日に帰宅した日、家の前に開店した定食屋で、きっと”私の次”はないだろうと思うような料理を夕方に食べた後、KLMオランダ航空がお土産で持たせてくれた強いお酒を飲んだら、翌朝両前腕にジンマシンができていた。早い処置をしてもらおうと医者に行き、もらった薬が時差ぼけの眠気を助長する。

さて、始めます。まず、アムステルダム。

アムステルダムには大きな美術館が二つだけなので、ほっ。2年前のフィレンツェは、美術館だらけで、行かなければもったいない気がするし、行けば行くで大変疲れて帰って来た。展示してある作品があまり多いと、せっかくの芸術作品に申し訳ないが、受け方がぞんざいになって来る。が、ここでは二つの美術館―国立美術館とゴッホ美術館。大変興味をそそられたのが、国立美術館の作品解説。どこにでも見るような解説に加えて、紙ぺらのようなものに美術館の関係者が書いたような解説が貼り出されている。

例えばこんな風:
-美術館に来ても、作品の背景が分かっている訳ではない、どう優れているのか...も分からない。つまらないと思われることもあるでしょう。それでも、描かれた人物の顔をじっと観てください。その人の性格やどんな人生を歩んだか想像してみるのも面白いです。
-女の胸にそっと手をやる男。男も女も顔を見ると何の変哲もない。絵にするに値しないと叫びたくなりますね。しかしこのなんの変哲もない男と女だからこそ、この愛情表現がなんとも私たちの心を打つのです・・・:私は忍耐に欠けて、自分のことしか考えず、女房/旦那に親切にした事も腕をまわした事もない。

国立美術館にこんな解説、美術をもっと大衆化するのが狙いか、一生懸命だなぁと笑みがこぼれた。それと、ここでは写真撮影OK。ところ変われば、である。ただ私の場合明暗自動調整機能によりフラッシュが焚かれてしまった(ごめんなさい)。


運河クルージングや風車の町は期待ほどではなかったが、 ボート・ドライバーの話によると、アムステルダムの市内を流れる何本もの運河から毎年25,000台の自転車が引き上げられているらしい。市もそれに対応する特別クレーン車を考案したとか。どこの国にもその国特有の問題があるなぁと、なんとなく可笑しかった。アムステルダムは運河と街の調和が美しいところだ。 つづく


写真をクリックすると大きくなります。
1.アムステルダムの運河沿いの家並み
2.レンブラントの「Night Watch」
3.追加説明文
4.ゴッホの壁絵の前で

アンネ・フランクの家はいつでも長い列だ。ホテルのフロントに言われた通り、朝早く行くと1時間ほどの待ちで中に入れた:昼でも外から見られないようカーテンを閉める。小声で話す。やはり痛々しい。こう言う事は2度とあってはいけない。
   
  その2 レイキャビック  8/2

アイスランドの首都レイキャビックに着いた。レイキャビック、この名を始めて耳にしたのは、東西冷戦の終焉につながったレーガン元米国大統領とゴルバチョフ元ソビエト大統領のサミットが此処で行われた時。その時初めてアイスランドと云う国に興味を持った。そこは日本と同じく火山帯で温泉が沢山出る事や、男女が真っ裸ではしゃぎながら温泉に入る様子がテレビで放映された。

着いた初日、小雨がパラパラ降り辺り一帯鼠色を帯びていた。静かだ。ホテルの部屋に荷物を置くと直ぐに街に出て行った。店で働く人達は皆若い。人口325,000人、その内200,000人がこのレイキャビックに住むと言う。夏の終わり、鼠色、静けさ、冷気、人の少なさ・・・昔何処かで見た風景に似ている・・・随分昔になるが、ストックホルムからオスロ―まで電車で行った時の事だ。途中、電気故障があり全員電車から降ろされた。8月中旬だと言うのに薄ら寒く、降ろされた処は既に薄暗く、乗客を除いて周りには人っ子ひとりいない。家屋は誰か住んでいるのかいないのか駅舎だけ。駅から離れて少し歩いて行くと、家がポツンポツンとある。ややふくよかな中学生ほどの初々しさがある女の子が二人、自転車に乗ってニコニコと会話をしながらゆっくりこちらに向かってくる。

もう2時間ほど過ぎたのだろうか、乗客たちは大きな声を張り上げる事もなく立ち続け、ひたすら電車の復旧を待つ。闇は人の輪郭もほとんど隠すほどに広がっていた。お腹もすいてきた。どこかに食べ物屋があるだろうと私は更に歩いた。大きな通りにでると、明かりが灯されているところが一件あり、走って行くと、イラン人の男たちが営むピザ店。こう言うところにも人間の生活があるのか、当たり前の事だが、感じ入るものがあった。また、イランからノルウェイまで生活のために移動する、それもこんな鄙辺に。その記憶がよみがえった。北欧の国の夏だ。

この日のレイキャビックは夜10時半ころから日が暮れ始めた。雲の位置がとても低く、滝のように岩肌を流れる。6月からこの国にも夏が来るが、今年の夏は1958年以来初めてのまったく太陽が見えない夏だという。指先をひんやりさせる東京の初冬辺りの冷気が、手袋を忘れてきた事に気付かせる。

履いてきたズックが氷河を歩いたり氷山を見て歩くのに耐えうるか心配になり、防水/防寒ブーツを買いに入った店で、売り子と話をした。太陽が少ない事だけが残念だけれど、この国が好きだという。太陽が欲しい時は、多くの人はスペインやトルコに行くらしい。ロンドンから移住して7年になる旅行案内所の女性には、ここはストレスのない国らしい。慇懃さもなく、華やかな都市にあるようなカミソリのような冷淡さもない。道を訊ねてもきりきりした人に出会わない(何度道を訊ねた事か。最後には一緒に歩いてくれる)

この国がどんな国か、もしかするとレイキャビックの紹介には必ず出てくるモダンなあの教会建築が言ってくれているかも知れない。教会の中にはキリストの人生を描いたステンドガラスがない。他の国でよく見かける暗く重たい内装や空気に代わって、透明ガラスが壁に取り付けられ大変明るくカジュアル。十字架に架けられた痛々しいキリストの像もない。祈るキリストと思しき聖職者の像が置かれているだけ。席に座る旅行者の顔に笑みがこぼれる。つづく


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1.レイキャビック到着
2.到着当時の服装にはこの差があった。
3.ハットルリムルス教会。モダンでスタイリッシュ、でもシンプル。レイキャビックの象徴でもあるようだ。
4.教会の中。ステンドグラスが一枚もない。
5.教会内のキリスト像
6.私が部屋を出ようとした丁度その時、突然「さくら、さくら・・・」を演奏し始めた。私の為かと思ったら、作曲家である彼の友人が作った組曲の中の一部だと言う
7.レーガン・ゴルバチョフ会談が行われた、ホワイトハウスと呼ばれるところ。残念な事に時間外で中に入れなかった。




その3 グリーンランド:イルリサット 8/3

アイスランドとイルリサット(グリーンランド)間の飛行機は37人乗り。小型である上に便数も少ないため観光シーズンは飛行機の予約が思うように取れない。一般的にグリーンランドは丸2日、つまり3泊4日あれば十分だと聞いていたが、飛行機の関係で2泊3日と云われた。とんでもない、せっかく遠いところまで行くのに丸々観光できる日が1日だけなんて。で、4泊5日の滞在にした。このグリーンランド行きに合わせて、アイスランドは2泊で中断、グリーンランドから戻って残りを続けるサンドイッチ的な旅程となった。

機内アナウンスがあと20分でグリーンランドのイルリサットに到着すると告げると、37人乗りの飛行機の乗客は一斉に空いている席に移り窓側を取る。北緯69度、北極圏である。眼下に見えるのは真白な氷。一面、氷。氷が終わると黒々とした巨大な岩山。それはこの地上を覆う程の大きさを持つ獣が休んでいるかのようなすごさと怖さがある。怯んだ。

飛行場を出ても周りは岩山ばかり。レイキャビックと違い太陽は出ているが、風が強く土埃が顔面を容赦なく襲ってくる。岩山に立つ家々、それは家と言うよりも大きな建築現場の事務所か飯場のような建物、または一昔前の仮設住宅か。人口4,000人、多くの人は岩山の上に建てられた家に住むが、上って行く道がない。木造りの階段があるところもあるが、だいたいそれぞれの家に最も近いところからこぶのような岩をひとつずつ征服していく。その岩山の前の運動場で、色の違うユニフォームを着ている子供たちが遊んでいた。グリーンランドのサッカー国内決勝戦らしい。観戦者たちは岩の上に腰かけ声援を送る。

さまざまな思いが私の中で回転する。先進国から来た外者の物質至上主義的視点で見ることを止めることにした。その視点から見るなら今すぐにでもここを去りたくなるかもしれない。ここには人間生活の原初的姿があるのだろう。そして何よりも、心が熱くなるほど、彼らは私たちにそっくりだ。

既にグリーンランドの他を回って来たというデンマーク人家族が感嘆を交えた声で自然の素晴らしさを話す。ホテルから充てられた部屋の前は海。漁船が氷山の間をゆっくり走っていく。
つづく




.1.いざグリーンランドへ、ホテルからタクシーに乗るところ。
2.レイキャビックの国内線空港ゲート。どういう訳かグリーンランド行きは国内線扱いになっている
3.グリーンランドの上空、氷ばかり
4.グリーンランド、イルリサット空港の周り
5.家の殆どは岩山の上に建てられている。階段を上るよりも、家に近い所の岩山のコブを一つ一つ上がって行く人が多い
6.岩山を登りきったところの家
7.岩山の前には運動場、サッカーの国内決勝戦が行われていた
8.魚処理工場の従業員。余りにも私たちに似ている





まだ旅の途中か 8/3

日本に帰る飛行機の中で昔の同僚だった友人の結婚式に参加するのだとフランスから日本を訪ねる青年が私と隣り合わせになった。私の横で一生懸命歌を歌う可愛らしい人だ。今日、同じくその結婚式に参加するというスイス人、日本の石油会社に勤め頻繁に欧州を行き来する青年4人で、カラオケに行った。私はよく外国を旅するので、旅行者が旅先でどんな御もてなしを望んでいるかよく分かっているつもり。現地の生活を覗きたい。彼らの希望リストにカラオケ・ボックス行きが入っていた。

それで渋谷で待ち合わせしたが、なかなか彼ら二人が現れない。ま、こうなるだろうとは思っていたので、最も分かりやすい待ち合わせ場所、渋谷駅の1番線の一番前と指定したが、そうか、渋谷駅と言っても彼らは何線で来るか分からない、JRか、地下鉄かそれとも私鉄か。私のミスだった。20分程待って電話がかかって来た。やはり1番線がどこにあるか分からないと言う。彼らは銀座線で来ている。でもどうにか逢えて、4人でカラオケ。

フランス語の歌があまり無くて残念だったが、「パリの橋の下」というエディット・ピアフの歌を入れてあげると、知らないと言う。ほら、ほら、ほら、「むかしのシャンソンを聞きたいなら日本に行きなさい」だね。

また逢える事があるかどうか分からない行きずりの人達だが、それでも親切と友情の思い出をこの国に抱くだろう。元気で。






その4 イルリサット村内観光  8/4

なぜグリーンランドに行ったか。アイスランドに行こうとして地図を開くと横にグリーンランドがある。どうせなら一緒に観て来たい、何が良くてあんな寒い所に住むのか。それだけが観光の理由だった。

グリーンランドはデンマーク領。だからデンマークからの旅行者を含め、ドイツ人とイギリス人が多い。その中に他の東西ヨーロッパからの旅行者がちらちら。アジアからは中国人の団体と、インドネシアの一家族、日本人個人旅行者が私の外に2組いた。イルリサットは僅か4,000人が住む村、そこを観光スポットとしてデンマークの旅行会社が3社ほど進出しているようだが、繁華街などと云うものはなく、見たところスーパーは二つ、そこで洋服も含め売っている。

昼ごろにイルリサットに着き、直ぐに村にある旅行案内所に行った。スタッフはデンマーク、ドイツなどから夏のアルバイトで来ている若者たち。空港に迎えに来たホテルのスタッフはタイから来たという。南国から北極への移動かぁ・・・様々な国を旅するたびに人間の生命力を想う。人間は生活のためにこのように移動して来る。地球はやはりすべての人間のためにあるようだ。この送迎スタッフの場合は10か月を此処イルリサットで過ごすという。タイよりもずっと“好い”仕事らしい。

村には病院が一つあり、医者が3人常駐している。医師はやはりドイツ...やデンマークから3カ月交代で来るようだ。手術施設もあるという。ここで処置できない時は大体デンマークに送られるようだ。だが、そこまでの手続きに延々と時間がかかり、間に合わない事が多いらしい。

朝食時、此処の発電所の仕事で時々この村にやってくるというデンマーク人の話を聞いた:デンマークは300年も400年もの付き合いで、このアイスランドに莫大なお金を使っているんだ。石と土で作った原始的な住居に住む住民にノルウェイから材木をとりよせ家を作って与えたし、かつては6か月に一度、今では1.5カ月単位で、船で野菜や果物をはじめ多くの食料を運んでいる(だからか、スーパーに出ている果物は果汁が大分抜けてしまったようなにものばかりだ)。9年間の義務教育も与え、希望者はデンマークで高等教育も受けられる。やっと彼らにも独立の気運が高まり、自分たちの政府も作った。

「デンマークにとっての利点は何ですか。」「この周りに石油が出るかもしれない可能性とミネラルを採掘することかな。」

こんな訳で物価はものすごく高い。空港でなぜかジャケットを忘れ、仕方なくここで買った。私はブランド志向ではないのでよく分からないが、どうせ買うなら日本でも着れるものと、Haglofs(ホグロフス)というブランドのものを買ったが、4万円を超えている。これって高いんじゃないかなぁ。ペットボトルの水が300円強、アイスランドでは使いほうだいのWifiも30分700円~1000円。時間を気にしながらFBに投稿していた。つづく


1
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1. 村内ツアーで、歩いて行く距離に氷山がある。近くに来ると途端に寒くなる。
2.わたし(^v^)
3.この人よほどこの旅が嬉しいみたい
4.目的に着いたらガイドが熱い飲み物を振舞ってくれた。熱湯が注がれた容器で手を温める、寒さの中の一服。左がスロベニアから、右は南アフリカからの旅行者
5.デンマークが村民のために作ったマンション。洗濯機はあるが、釣った魚や狩った動物を置くところがない。それでベランダに干してある。トナカイの角?
6.墓は海の見えるところに作るらしい。人間は海から生まれたという信仰に基づくようだ。花は皆造花。寒さに耐えられない。
7.犬は村民にとって足となる。道路がないため、冬は犬ぞりで魚を釣りに行く。その犬たちは夏はこうして鎖で縛られ、野生の本能を抑えられているため、犬ぞりになって使われる時には、それまでのストレスを発揮するらしく、素晴らしい勢いを発揮するようだ。
   
   
その5 グリーンランド:白夜とりマナック 8/5

7月は白夜だ。沈まない太陽を観に夜10時に沖に出る。レイキャビックからイルリサットまでの飛行機、そして幾つかのツアーで一緒だった御縁で随分親しくさせて頂き、食事まで一緒にするようになったスロバニア出身のカヤが、前日白夜ツアーに参加しているので感想を訊ねると、開口一番、「寒いってもんじゃないわよ!上には6枚、下にも4枚履いて行ったけど、船に乗って15分したら、もうガチガチよ。」と、袖口から衣服の枚数を数える。そして彼女の防風ズボンを履いていくようにと貸してくれた。だが、私が参加した時には風もなく丁度いい感じだったが、やはり長い間デッキに出ているのは大分無理がある。

白夜と言っても、時が翌日になっても太陽が水平線に近い所にずっと佇んでいると言うだけだが、水平線の少し上に太陽、その手前に氷山、それを向こう側にして時々氷山で休みながら海鳥たちが舞う。その美しさにため息が出る。

この白夜ツアーの日の昼には、りマナックと云う島民57人の島に行った。いやはや、
スイッチひとつ捻れば電気がつく、水が出る、お湯が出る私たちの毎日の生活。何よりもありがたいのは水洗トイレ。ああ、これも物質文明開化のおかげですね。小さな船で氷山の間を縫いながら船は進んで行く。船には“トイレ”と書かれたドアがあるが、中にあるのはプラスティックの大きめの箱ひとつ。それを開けて用を足すという。ドアを開けた途端、胃の中に入れた朝食をすべて戻すような臭気。とてもじゃないが、プラスティックの箱の蓋は開けられない。島に行っても同じだと言われたが、こちらには他の考えがある(ニタ~)。

この島民57人の島には学校があり、現在4人の子供達が通うという。ここで7年間の教育を受けるらしい。教会もある。教会の中には日本の旧ブランドTechnicsの電子ピアノが置いてあるが、音は鳴らない。

歩いていると、男が一人家から出てきた。英語が話せる。いくつかのツアーで偶然一緒になった“友人”カヤを誘い、グループから離れて家の中を見せてもらった。中に入ると奥さんが現れた。姿かたちはまるっきり日本人である。だがグリーンランドの原住民、イヌイットだ。興味深いのは、彼らは韓国人や中国人の顔形とも違う、日本人の顔である。お手洗いを見せてもらうと、便器の形をしたものにパイプが取り付けられ匂いが外に逃げるようにしてある。他人事ながらものすごくほっとした。欲しいものを作ってくれる、必要なものを発明してくれる、人間て実に頼もしくて、嬉しい。つづく



1.沈まない太陽: 23時頃
2.沈まない太陽: 24時頃
3.りマナック村
4.教会
5.教会の中:左奥に電子ピアノ
6.島民と:今ではデンマークに住んでいて、夏だけ来ると言う
7.かつてはこの枠の中に両親と6人の兄弟が住んだと言う
8.子供用の滑り台
9.すっかり友人になったカヤと




その6 グリーンランド:エキ 8/5

イルリサットに着いた初日の村内観光でガイドが村の消防署にまつわる面白いエピソードを二つ紹介してくれた。村には消防署があるが、そのすぐ横の発電所が火事になって全焼した。タクシーに乗っている時にどこかで火事が起きると、タクシーは消防署へ走り消防員を乗せなければならないので、客は降ろされる。

さて、グリーンランド観光の最終日には船で5時間、Eqi(エキ)と呼ばれる氷河の崩れ落ちるところを観に行った。テレビではよく目にするが、このような処に自分が事実いるのが、不思議だった。海は水ではない一面、氷。周りは氷河。ドドド!と轟音が響き氷が崩れ落ちる。氷河が崩れるところを取ろうと、シャッターチャンスを待つ観光客は声もなくファインダーをのぞく。下は白い氷、脇は氷河、白一色の景色の中に赤色の船が入って来る。絶景だ。船は竿で氷をどかしながら前に進む。

この時のガイドがイヌイットの青年だった。色々な話を聞いた。スーパーで売っているものは殆ど口にせず、釣ってきた魚を生で食べるらしい。なんとかという魚が好きで、皮も脂肪も肉(み)も一緒に食べるそうだ。すごく美味しんだよと言う(本当に美味しそうな顔をしていた)。グリーンランドは氷と岩山、寒くて樹や植物は育たない。主に釣った魚を食べ、野菜と云えばジャガイモくらいだと言う。それでも逞しい身体が作られる。こうなると、私達が信じ込まされている栄誉学に疑問を投げてしまうが、投げれば投げるでまたいろいろな解説を聞かせられるのだろうと思うと、ちょっとうんざり。

このイヌイットの青年が言った、「僕はグリーンランドの自然が好きなんだよ。この壮大な自然の中にいると人間がいかに小さいか分かるし、そんな小さな人間が抱えている悩みなんて本当に小さいんだよ。自然の中でも小さいのだから、宇宙から見たらもっともっと小さいんだよ。」

間もなく彼がデッキに行こうと誘った。船の設備のひとつと思しき箱の上に二人分が座れるスペースを確保し私を座らせると、「ほら見てごらん」と、海を指す。うわ・・・・・・・!!!!この時間の陽の光に反射された海は一面プラチナ色だった。息を呑む。・・・・高貴な銀色。神々しくて畏怖さえ感じる風景。彼は私の驚きに喜び、「ねっ!」と満足そうに相づちを求める。


グリーンランド、やはりたっぷり味わえる旅程にして良かった。神の恵み、南でも北でも人間が生きられるよう神の恵みが豊かに与えられる、それが地球なのだなぁと想った。とてもこの旅行を喜んでいたのだろう、グリーンランド最終日に靴の紐を結んでいると、新しい歌が滑り出て来た。♪君の履いている靴に僕はなってみたい~。つづく


1.氷海に赤色の船
2.同じ
3.海
4.氷河、轟音と共に雪崩れる
5.氷河の前で
6.プラチナ色の風景、残念な事に私の小型カメラではこの美しさを捕えきれなかった

   
  その7 再びアイスランド:南へ 8/6

うっそ~、信じられない!バスが消えた。 

グリーンランドからアイスランドのレイキャビックに戻り、翌日から地方を周るツアーが始まった。まずは南アイスランド。

レイキャビックから7時間、途中観光をしながらキルキュバイヤルクロイストウル(絶対覚えようとしないでしょ?)まで行くのだが、その2つ目の観光地セリャランスフォスは滝の裏を通れると言う場所。とっても気持ち良くて、グリーンランドで出て来た歌の続きをカメラをビデオモードにして録音していた。至福の時である。丁度いい区切りに時計を見ると、うわっ!集合時間を15分過ぎている(実際は10分だが、グリーンランドから戻って時差調整をしていた時に5分早めてしまったようだ)。えっさこら駆けて行くと、なんとバスがない。周りを見渡してもバスらしきものは見えない。完全に置いてきぼりを食った。リュックもラップトップもバスの中。信じられない。この観光地で店を営むオーナーに助けを求めたが、何もできないよと簡単に返される。そうはさせない、助けてもらわなければ、此処でどうしろというの、私の宿泊地は、まっすぐドライブしても3時間先よ。それにこのバスを捕まえなければ私の旅行が全部おじゃんよ。私の勢いに負けてか、彼はこのバスツアー会社に連絡をし、長電話の後、ランチ休憩をするヴィークという場所でバスは私を待ってくれることになった。そこまではジープを手配してくれた。

そのジープ、10分で来るよという、10分が50分になった。再度プッシュすると、少し顔を赤らめながら誰に確認する事もなく20分で来るよと数字が変わった。こうなると彼らのランチタイムも終わってしまう可能性がある。よし、意を決して、止まっている乗用車に当たる事にした。「ヴィークに行きますか」(こういうのもヒッチハイクと言うのだと思う)。初めてのことゆえ、怖さが少しあるが怖さを表してはならんと自分に言い聞かせ、同じ方向に行く人を探した。すると3人めのエストニアから来た4人組みが乗せてくれると言う。まだ来ぬがやがて来るだろうジープに渡すよういくらかのお金を店主に預け、私は彼らの車に乗った。遠く日本からやって来た旅人とエストニアの若者たちが一つの車でヴィークに向かう。人生はなんと楽しく面白いのだろうと話しながら1時間の車内会話が終り、無事集合場所に着いた。いるいるバス・ドライバーが。私の旅に面白さを付け加えてくれた彼に愛着も込めながらMy enemyと言うと、みんなが笑い、私はもとのバスに乗った。

バスに乗ると、横の列にいたカリフォルニアから来たと言う女性がいない。間もなく現れた彼女、なんと3つ目の観光地で私と同じ目に合い今辿り着いたと言う。その上、これまで2時間も乗って来たバスは彼女の目的地に行かないので、今からレイキャビックに戻り、翌日新たにツアー開始だと。「旅はAdventure(冒険)よ」と言って、それほど残念そうな様子もなく、バスを降りて行った。そうね、アイスランドにいる事はいるんだものね。そこで起きた事よ、それも旅の一部よね、と私も考え直した。

で、私はそのまま終点まで行き、ホテルの送迎車を待つ事になっている。が、着いてもそれらしき車がない。訊くと、え~っ、私の降りるべき場所はこの一つ手前、車で1時間走って戻るところだった。ゲゲゲゲ・・・・そこに行くバスは2時間後に来るという。トホホのホ。人のせいにはしたくないが、日本人の几帳面さに慣れている私は、このドライバーがやはりEnemyに見えてくるのだ。日本なら観光客の降りる場所をドライバーが言ってくれると思うのだが、このドライバーは私が渡した引き換え証に乗っている目的地を確認せず、「このバスはXXX行きですね」とその終点の名称を口にした事だけが記憶にあったようだ。事情を知ったバスドライバーは、終点地でうろうろしている私の姿を運転席から少し気の毒そうに見ていた。

さて2時間待つか、それともまたヒッチハイクか。ベンチに腰掛けていると、一台の車が止まり、青年が出て来た。まだエネルギーがあったので行き先を訊ねると同じ方向だった。スウェーデンから来てアイスランドに住んでいると言う。もう一人相棒がいたが、ドイツから来てノルウェイに住み、夏はアイスランドでバイトをしていると言う。かつては日本で2カ月、中国に1年いたらしい。しみじみ国境を越えて気軽に移動しているんだなぁと思う。親切にも彼らはホテルまで送ってくれた。

日本ではありえないツアーバスの置いてきぼりと、2回のヒッチハイク。。おかげで退屈しないバスツアーになった。とほほ・・・(@_@。つづく



1.滝の裏を歩く
2.裏から見ると、滝はレースのカーテンのよう
3.バスが消えた後、ジープを手配してくれたり、バス会社に電話をしてくれた売店のオーナーと別のバスガイド
4.ヴィークまで乗せてくれたエストニアの友人達
5.このツアー以前の火山洞窟と氷河ツアーで、溶岩が流れた後にできた洞窟
6.「地球じゃないみたいね」火星?そんな所を延々と走る
7.”火星”や氷河の上を走るようなジープのタイヤは幅50センチほど。
8.レイキャビック到着2日目のジープツアーのドライバー





その8 アイスランド:温泉 8/6

南から北に向かって山を越え、丘を越えバスは凸凹道を右と左に激しく傾斜し、まるでジムのベルトマシンでウエストの引き締め運動をやっているように客の身体をブルブルさせながら時速15キロで進んで行く(体重少し減ったかな)。今回の旅程は、Mr. Iceland Manというアイスランドには数えきれないほど行っていたと言う人にすべて任せた。日本からの距離を考えると、おそらく2回行く処ではないから、観た方が良いと思うところは全部入れて下さいとお願いした。それでこのバスツアーだが、一体どこへ連れて行かれるやら、行けども行けども同じ景色と凸凹道を5時間も静止運動をさせられながら着いたところは、ランドマンナロイガルと云う、人の手が全く付けられていない、自然温泉。

温泉の湯にぽつぽつと雨が落ちる。とてもとてもきれい。雨が落ちて跳ねた湯が透明な十字架のような形を作って消える。落ちてくる雨の数だけ作って消える。ドームのような丸屋根形を作って、はしゃいでいる湯の粒もある。「きれい!」思わず手にする。消える。

人里離れたところに湧く温泉。周りは見渡す限り丘陵。雨も降って来るし、羊はそばで泣いている。温泉の中には藻もあれば、犬も入ってくる(写真参照)。温泉に浸かる人間たちの間で様々な言語が行き交い、子供に帰ったような笑い声があふれる。幸せ!  つづく



1.草原では羊が平和そうだった
2.このような丘陵を延々とバスは行く
3.途中休憩の場所、何とも憩う
4.北極に近いせいか、雲が低い
5.温泉、やはり皆温泉は好きなようだ、ロシア語が随分聞こえた
6.犬も一緒
7.わたしも!





その9 アイスランド:北へ 8/7

まだ長いバス旅行が続く。これまでと同じようにベルトマシンに乗り、時々下車して観光地を見て回る。

間欠泉、5分~10分間隔、時には数十秒に1度の間隔で蒸気が吹きだす。地熱によるものだと言う。かつては60メートルも高く蒸気が噴き出たらしいが、私が観たのは30メートルくらいだろうか。最初は温泉が吹き出ているのかと思ったが、差にあらず、触るとどちらかと言うと冷たい。だが温泉も湧いている。アイスランドはいたるところで温泉浴が出来るようだ。要するに、旅行会社のパンフレットが説明している「火と氷」である。火山の噴火による溶岩の山、地面が溶けて出来た洞窟、海にまで流れているものもある。それと氷河。面白いのは、ほんの少し離れただけで、立つ場所の温度が全く違う。地熱で温められているところは半袖シャツで過ごせるが、氷河の近くは言わずもがな。山の色も異なり、”熱い”山は緑でも茶でもなくアイボリー色(彼らは黄色と言っている)。

ユーラシア大陸プレートと北米大陸プレートの切れ目(ギャウ)がアイスランドの見どころだが、残念な事にアイスランドで最も好きな景色だったアルマンナギャウ(ユネスコの世界遺産に登録されている)の写真がPC操作のミスで消えてしまった。アイスランドにはこの切れ目が幾つかあるが、このアルマンナギャウは切れ目の間を歩けるほどギャウが大きい。両壁の自然の造形に心が奪われる。とてもとても素敵!

上の温泉を堪能した後、レイキャビック方面に移動しSelfossという街に宿泊した後、北緯65.41度の北の町アークレイまでやって来た。人口18,000人。ここから100キロ北に行けば北極圏に入る。

小さな町だがとてもきれいで、かつてデンマークが占領した面影が街の建物の色と形に残り、灰色が基調の北の町に華やぎを添える。ホテルの部屋に行き、PCケーブルをその前の宿泊先に置き忘れてきてしまったらしい事に気づき、直ぐにフロントでそのホテルに電話してもらった。この応対がものすごく速い。確認しホテルのフロントに電話がかかった来たのはほんの数十分後。ケーブルは見つかり次の宿泊先となるレイキャビックのホテルに郵送してくれる事になった。が、到着予定はアイスランド旅行最終日の前日であり、翌日は早朝4時にホテルをチェックアウトする事になっている。心配。

心配とは裏腹に、レイキャビックに戻りホテルにチェックインをすると、翌日届くはずのケーブルが私より先に届いていた。なんと車で1時間余りを走ってで届けてくれたらしい。まさかの事に、これ、本当に私のケーブルかと疑った。ケーブルには届けてくれたCMO(総支配人)の名刺も付けられていた。

すごいことだと思いません?!
...
アイスランドは現在旅行産業に力を入れている。国家収入の28%が旅行産業から生まれているとツアーガイドが話す。人口は全土でわずか325,000人の国。国の経済発展のため、一丸となっているのかもしれない。日本と同じ、夜一人で歩いても安全な国である。「ヒッチハイクも安全よ」と言われたが、そんな気がする。

中央ヨーロッパをはじめ中国の団体組が大勢アイスランドにやってくる。若者たちはバックパックで、一人旅や二人旅。バスで移動中、途中で乗ってきて途中で降りた南アフリカからの旅行者。一人でキャンピングして45日間をアイスランドの自然の中で過ごすという。本国では大学で物理を教えている。「科学者は人間となかなかうまくやっていけない。だからこのような自然の中で深呼吸する時間が必要なんだ」とか。だが、お風呂はどうするのだろう、バス中で彼が斜め前に座った途端私の嗅覚が途端に穏やかで無くなってしまった。川に行くんだよと言って手で身体を洗うしぐさをする。さすがに「あなた匂います」とは言わなかったが、きっと石鹸を使わないのだろうなぁと想像した。

アイスランドを回り、とても気持ちのいいところだとすごく納得した。人も自然も。 つづく


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1.人口18,000人の北緯65.41度アークレイの町
2.宿泊先のホテルの横には教会に上がる長い階段、素敵な調和
3と4アークレイ市内

5.間欠泉
6.温泉が湧いている
7.溶岩が海にまで出ている。これにより、海には沢山のミネラルがあり、生き物たちのよい栄養源にもありまた新しい生物が生まれているようだ
8.蒸気が出ている
9.洞窟、中は温泉。日本人に丁度良い温度だった
10.溶岩の山、まるでディズニーランドのアドベンチャーランドのようだ
11.プレートの切れ目で、ガイドが先にしたポーズをまねて、私も両大陸征服のポーズを取る、ちょっと弱そう。

   
  その10 アイスランド:最終日 ブルーラグーン 8/8

アイスランド紹介の写真集の中でひときわ目立つのがブルーラグーンだった。最初は自然温泉だと思ったので、是非ここに行こうと浮き浮きしていたが、実は自然温泉ではなく地熱を利用して作られた人工温泉。観光として一度見に行くが、自然温泉の方が私はずっと好きだ。それにここは海水が70%らしく、しょっぱい。パンフレットを見ると、この地熱海水は電気エネルギーを生み、また真水を温めると言う二つの働きをしているらしい。アイスランドは電気料金が安いと現地の人が言う。

私のアムステルダム経由、アイスランド/グリーンランドの旅はこのブルーラグーンで締めくくられた。所属団体旅行、二人旅行、旅行者による初顔合わせの人達とのグループ旅行などと、旅行には様々なスタイルがあり、それぞれの良さがあるが、今回は日常を連れて行かない一人旅、関係を維持するために気遣う相手もいない、常に外に向かうだけだから実に内容が濃かった。この旅行も私の中に沢山の富を創造したように思う。

デンマーク領である人口55,000人のグリーンランドに入る時、空港からホテル行きのシャトルバスでデンマーク人3人と一緒だった。彼らは9人のイヌイットの子供をデンマークに連れて行くために来たと言う。善意によるボランティア活動の様子をしていた。デンマークに連れて行って、デンマーク語を始め、デンマーク人的な考え方とマナーを教えるのだという。9年ほどの教育をグリーンランドで終えた子供たちは高等教育を受けるためにデンマークに行く選択肢がある。そこで西洋的な生活スタイルを吸収して行く。一方、伝統的なイヌイットの生活を続ける人達の中にはアルコール中毒になる人が多く、それによる人間関係の破壊や自殺、ホームレスが増えていると言う。こんな極寒の国でホームレス・・・シェルターに送られる。「デンマークはグリーンランドに沢山のお金を使っている」この言葉は二人のデンマーク人が口にしていた。おそらく多くのデンマーク人が思っている事なのだろう。

だが、まったく逆の意見をアイスランドのツアーガイドが言う。デンマークはイヌイットの社会を壊している。デンマーク式の生活を導入させる事で、高等教育を受け西洋人化した子供たちは家に帰らず、家族関係が破壊する。アルコールをイヌイットの生活に持ち込んだため、極寒であるからか、彼らは容易にアルコール中毒になってしまった。

先進国家の視点から考えた豊かさの強要が生んだ新しい問題なのかもしれない。十数年前にケニアでマサイ族の原始的な衣服や住居をみて、「彼らは大変貧しいんですね」とガイドに言うと、目を大きく開け「NO!」と強く否定され、こちらがびっくりした事があった。「彼らはものすごくRICHなんだよ、牛を育ててそれを売る、ものすごい収入だよ。彼らの衣服も住居も、あれは彼らの生活スタイルなんだよ。」衝撃的な言葉だった。イヌイットにもそんな事が言えるのかもしれない。

アイスランドはグリーンランドの横に位置するが、まるっきり異なる国で、ここは先進国。元はデンマーク領だったらしいが平和的に独立したらしい。人口も少なく、ミネラルがたっぷりあり、地熱で湯も沸かし、温水は一般家庭までパイプで運ばれる。日本から移り既に12年になると言う関西出身の男性は、求められる仕事の水準が高くないので楽だと言う。資源に恵まれているため、競争社会を作らなくてもいいのだろうか、ストレスの少ない国だと、中央ヨーロッパからの移住者も少なくないようだ。ゆったりしているのだろう。バスツアー中、ロシアから来て自転車で周っているという女の子が、自転車が壊れたから乗せて欲しいと、バスをヒッチハイクした。運転手はバスを止めて事情を聞き、降りて行って彼女の壊れた自転車からタイヤを外し荷物格納室に入れてあげた(日本でこう言う事があり得るだろうか)。その他にも二人組の男女が山中、停留所以外のところでバスを止めたが、同じように乗せてあげていた。お陰で、バスは目的地到着が40分も遅れたが、誰も文句を言う人がいなかった(皆、旅行者だが)。この国は、人間として当然な事をする事がまだ許される社会のようだ。また、靴屋の店員は、たった一人でもアイスランドなら一度友人になれば生涯の友人だから、淋しくないわよ、とも言っていた(同じ事が私たちの社会にも言えたらいいね)。

旅は、特に一人旅は内容が濃い。現地の人達と接する事で得る異なるものの考え方、事情、etcなど活字で読むのとは沁み込み方が違う。現在の自分の常識が覆される。それは何度も旅で体験し、一人旅の魅力は十二分に納得しているが、エネルギーも沢山いる。今の年齢になって出来ると思わなかったが、やるぞと力んでいた訳ではないがあっさりやって来た自分に、帰宅して1週間が経ってみると、感心している。だが貯蔵して置いたエネルギーは使い切った。今は蕁麻疹を直しながら静かに新曲3曲の完成に向けて自宅に閉じこもっている。かなり静かだ。(^v^)

おわり



1.全景
2.3.入浴者は白いミネラルを顔や体に塗って顔の汚れを落す。





8月のソロライブ 8/11

8月30日定例のソロライブをいつもの場所でいつもの時間に開催します。詳細は、「出演」をご覧ください。

新曲を皆さんに聴いて頂くのが楽しみです。「ああ、あんた恋しや」と「ライバル」。そして、アレンジが間に合ったら、この旅行中に出て来た、大変美しい歌、「世界を君のふるさとに」を歌いたい。グリーンランドの最後の日、防寒靴の紐を結びながらふと出て来た歌。この詞をその後の旅行で英語にして色々な人に聴いてもらうと評判がとても良かった。帰国便で隣り合わせになったフランス人の友人でカラオケを一緒に楽しんだスイス人がレコード会社に勤めていて、歌詞を英訳して伝えるとBeautifulを連発、そしてワン・コーラス歌ったら、大変気に入ってくれたようで、歌詞は英語で書いているのかと訊ねて来た。生憎日本語。残念そう。でもね、今は日本語の歌詞を英語にする職人もいるのよ、と付け加えておいた(^v^)。。。これは何かの記念か、「世界を君のふるさとに」は自作曲の30曲目に当たる。


きっと感動に足る楽曲になっていると思いますので、どうぞいらして下さいませ。これまで誰も書いていない種類の歌です。