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12月


 一年ありがとうございました 12/31   本人の意識はないが 12/31    ギターの買い替え 12/30

消えないうちに 12/29      パフォーマンス賞 12/27    ひとつ良ければ 12/24    え? 真っ赤な太陽?12/24    冬至 12/23    読書  12/22

神様がついているね 12/21   15曲目(全36曲)12/18  カラオケ2時間半 12/16   こんな言葉が 12/16   「大道坦燃 康弘」 12/15   遺伝子が変わる 12/14 

ずいぶん後に 12/12   オルゴール 12/10    幼稚だ 12/10    可愛い歌ね 12/8     まだ書いていない 12/8    あれや、これや 12/7

幸せになるって簡単な事かも 12/7    がんばったんですけど  12/7   「僕は神様じゃない」完成 12/06   劣っていない 12/1    うわ、12月 12/1
 



11月



   やがて分かる時が来る 11/30     ピアニストが語る 11/29     ライブが近づくと 11/28 

 Youtubeに自作曲掲載検討 11/27     ライブ前の電話やメール 11/26     サビ90秒以内 11/25     石原慎太郎と、節約と浪費と・・・ 11/24

 昼寝をさせない神・・・ 11/23    咳の原因 11/23   ガッツ 11/22    恩返し 11/20   富士山を目の前にして 11/19    綺麗になったねぇ 11/16

楽しかったね 11/15   字が読めなくとも 11/15     「ふしぎな岬の物語」 11/14    アクセスが10,000回に達して 11/13   亀田音楽専門学校 11/10

ソロライブ開催 11/8
   男の歌 11/7   受けてしまった通訳 11/7   まだまだ 11/5   日本の30%の子供たちが語る前世 11/3   唖然 それとも・・ 11/2 





10月


 10月の終わり 10/31   あ~あ 10/30    がはは(●^o^●) 10/29   

「花は咲きつづける」? 10/28   矢作直樹先生 10/27   中曽根康弘元総理 10/27     あなたが出たらいいのに 10/25   Halloween 10/25  

ブレス・オブ・ライフ (女の肖像)」 10/24   「世間に近づいて」 10/24   いやはや 10/21   「 あなたがいたから 私がいた」 10/19    ハーフとフル 10/18

どうしちゃったの 10/18   「生きて来た証」 10/15   明日がない時 10/14   流した涙に酔いしれて 10/13   何を言っているの! 10/13  探しているものが 10/12

「ライバル」はヒットする歌? 10/10   ノーベル文学賞 10/9   日本人なら大腸がんで死んではいけない 10/9   輪廻転生を知れば 10/9   平日の夜の映画館 10/8

びっくりは夢の中 10/8  発表許可を得てから 10/8   花のような友人 10/6   追記 10/5   人は死なない 10/4  岩谷時子 10/3  メロディーメーカー 10/2




 9月


51 9/30   来生にまた生まれたい? 9/30    お久しぶりですね 9/28  

大道に乗る 9/27     ブログへのアクセスを簡易化 9/26    進歩できる環境 9/26    良い曲を書く可能性  9/25    ありがたや、ありがたや 9/23

うわぁ~15曲 9/21    スコットランド独立住民投票 9/20   要は、9/19  ちょっと違うんじゃないの 9/19     いいですねぇ~と、「ああ、あんた恋しや」 9/18

ヒラリー再登場? 9/17   決まっていた? 9/16    そう言えば、昔 9/15     芸術 よもやま話  9/15    キッチン・ワゴン 9/12  強さってな~に 9/10

勝てない相手はいない 9/10   歌づくり 9/7   笑い呆けて 9/5     それでも続けられている不思議 9/4     「太陽は照り雲は流れる」 9/3   さあ、始まる 9/1




 8月
  
 楽しいライブだった 8/31

ようやく 8/29  シンプルライフ 8/26   だからこそ 8/26  ぎゃふん 8/23   旅 あらためて 8/20    「ためいきでるわ」 8/19    どうぞ・・・8/19

いやはや 8/17   8月のソロライブ 8/11   その10 アイスランド:ブルーラグーン 8/8   その9 アイスランドー北へ 8/7    その8 アイスランド-温泉 8/6
  
 その7 再びアイスランド-南へ 8/6    その6 グリーンランド:エキ 8/5   その5 グリーンランド:白夜とりマナック 8/5   その4 イルリサット村内観光  8/4

まだ旅の途中か 8/3  その3 グリーンランド 8/3   その2 レイキャビック  8/2  アムステルダム経由グリーンランド/アイスランドへの旅 その1 アムステルダム 8/2
 



7月

帰宅 7/31  行ってきま~す。7/16    すべて、ね(^v^) 7/15

加藤登紀子コンサート 7/12   記憶するために 7/11  君の名は 7/11   さあ、夏休み 7/9   りゃ、大変だ、携帯電話が鳴りっぱなし 7/8   地球規模の祭り 7/7

増上慢 7/7   大量生産 7/5    後悔 7/4    私の歌の特徴 7/2     中島みゆきの歌 7/2     日本人の言葉作りの妙 7/1    7月 7/1




6月


MPJ 6/28   なんで幸せ 6/27

よく言われる事だけれど 6/25   長い6月 6/23   されど 6/23    「ライバル」6/21   心ざわざわ 6/20  きれいだ 6/20    久しぶりのスーツ 6/20
  
19歳のジェイコフ 6/15     まだまだ 6/15    側にいてくれる 6/11   呼ばれたのね 6/10    よく見た夢 6/4   いいライブだった(続き) 6/4




   5月 

いいライブだった 5/31

メディアの人と 5/28   パチンコがきっかけ 5/26    大塚音楽祭 5/25   歯科大学病院で 5/23  赤ワインと相性がよくて 5/22  神秘というか 5/21

 一言書いてあれば 5/21   「ああ、あんた恋しや」 5/16    歌って、やはり・・・5/14  楽しい一日 5/13    レジ袋 5/12   「日中韓の将来を語る」 5/11

夢中になるものがあると言う事 5/10   必要なものが与えられて 5/10   戻って来た 5/4   てんやわんや 5/3   他の曲も聴きたい? 5/2    5月のライブ 5/2




  4月 

  咲きの歌? 4/29 

ヤシの木に別れ 4/29   最後の最後まで美しく 4/26   AからZを広げる 4/24    顔 4/23   「桜の枝」と「化粧を落しておくれ」 4/23    ねばって 4/21

 STBの無期限営業停止 4/19   おめでとう 4/17   さわやかな朝 4/16  賽は投げられた 4/15   前方に誰かが待っている 4/13   歌い込み開始 4/11 

排他的からより豊かな社会に 4/11
    ゴルフコンペ 4/11   「アンナと雪の女王」 4/8    花見 4/5   化粧を落しておくれ 4/4   自然 4/2   104 4/1
 
3月

  
細胞に微電流がながれる 3/31  ライブ終了 3/29  希望を与える事があなたの仕事 3/25  10曲をレコーディング 3/25    マーボ豆腐 3/25

ホテルローヤル」 3/22
   東京タワーとうなぎ 3/22   キャッキャッ(●^o^●) 3/20  レコーディング順調に進行 3/18   ずっと前からいてくれていた 3/15

苦労せんくていい 3/12  化粧 3/12  初めての観戦-ボクシング 3/11  空には何もないから 3/8  また雪だ 3/7  今がいいのか、そんな日がいいのか 3/6

遠くに置いて来た懐かしい日 3/5   プロフェッショナル 仕事の流儀:同時通訳者 3/3  となりの芝生 3/1   4か月ぶりのライブ 3/1   のど自慢全国大会 3/1  
 


2月
 

何も聴いていない 2/27  出入り禁止ーデモ作りの開始 2/26   三木谷vs.堀江もん/星野仙一vs.野村克也 2/25  野村克也氏のくやしさ 2/24   良かったね 2/21   
 
石川さゆりコンサート 2/21  ためいき 2/20  面白い人間は面白い人間に呼ばれる 2/16  雪 2/14   何かを教えてくれるため 2/12  因果応報 2/10   

楽しい仕事 2/9  大学OB新年会 2/7  うわ~ 2/7  ローザンヌ国際バレエコンクール 2/6   手直し 2/6   方法は必ずある  2/4   暖かくなりましたね・・・ 2/3



   1月

 
今の生活 1/30   ランバダのリズムで 1/30   あはは・・・1/28   う~ん 1/26

自作曲をYoutubuにアップ 1/21   「時よ、ありがとう」 1/20   時事漫談 松元ヒロ 1/18    南米旅行-あとがき 1/18   南米旅行-(最終)イグアスの滝 1/17 

南米旅行-(6)ブラジル到着  1/17  「この国にもう一度生まれたい」 1/16  南米旅行-(5)マチュピチュ 1/16   南米旅行-(4)クスコ 1/15   

南米旅行-(3)ナスカ 1/14  南米旅行-(2)リマ 1/13    ハングリー・ハート 1/12   南米旅行-(1)コーヒールンバとドレス 1/11   謹賀新年 1/10 



























































 



謹賀新年 1/10


あけましておめでとうございます。今朝南米の旅から帰宅しました。

いつが正月だったのか、実を言うと余り認識がないのです。目の前にある景色に人に料理に心は奪われ、正月に何をしていたのか、旅行会社から渡された旅のしおりを見ない限り、ほとんど思い出せない。ペルーのリマにいた事だけは確かだけれど(南米旅行についてはまた別途書いてゆきます)。

昨年私は何をしたのだろう、直ぐに言える事は12の楽曲を書いてしまったという事。書けると思わなかった。2年前歌をどんどん書いて下さいとビクターのディレクターから言われた時は、本当に私は歌を書ける人間なのか、私自身が分からなかった。書ける気がしないでもなかったが、昨年のスピードで出てくるとは想いもしなかった。当時完成していた曲は5曲、それから17曲が新しく生まれた。3曲を続けざまに出した時、それを特別な事のように捉えていたようすのアレンジャーも昨年はそのピッチが当たり前のように対応してくれていた。何が起きるのかどんな年になるのか自分では全く見えない。ただ善い事だけがどんどん起きて来るという自覚だけはある。

日本に帰り羽田から路線バスを待つ間空港のロビーで座っていると、空港で働く人の群れが電車の到着と同時に流れて来た。そこにはもはや正月の穏やかなほっとり感はない。初仕事が始まって5日目の姿には、既に通常の時間が戻っていた。そうか、私も仕事に戻ろうと身が締まった(少しだけね)。旅行中に生まれた曲やフレーズがあるので、それをまとめよう。

今年、私は何をするのか、どんな出会いがあるのか、楽しみだ。夢は見ない事にしている。外れて落胆するのは、ちょっとしんどい。今を大事に丁寧に生きて行こう。

どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。

追記:書いたものを読み直しながら思い出した。1月1日には、ペルーのナスカという、インカ時代に山や岩に描かれた最長100mの絵を空から見ていたんだった。(^v^)






南米旅行-(1)コーヒールンバとドレス 1/11

昨日はそのまま床暖の上で5時間ほど寝てしまったようだ。あらまぁ~、朝5時に目覚め、そのままベッドへと寝場所を変えて、昼過ぎに眼覚めた。合計12時間も寝たみたい。さて、”旅行記”を始めましょう。

行き先が南米、英語を解する人が見つから無いかも知れないし、広い国を移動するのは大変そうなので、初めて日本の旅行会社のグループ・ツアーを選んだ。

こう言うツアーの場合は余りエピソードは生まれないが、二つばかり紹介。

イグアスの滝を見にペルーのリマからブラジルのイグアス空港に到着。他のツアー参加者が揃うまで、私は空港のロビーから外に出た。丁度陽が沈みかけていて、雲は陽の陰りを創りダイナミックな空を演出していた。「うわ~!」 踊りたくなった。コーヒールンバを歌って踊りながらロビーに戻ろうとすると、空港職員らしき二人の男たちの表情が突然花開く。彼らと少しおしゃべりしながら踊り続けていると、10メートルほど先の事務所のドアからまた別の職員が出てきてこちらを見ては頭を2度ほど上下に動かしじっと見続けている。歌や踊りや、楽しさを大手を広げて迎える文化に受け入れられたような気がした。ツアー参加者が全員揃い、迎えに来ているバスに乗り込もうと空港のロビーを去る時、例の職員たちが私を見るや、又突然あの花満開の表情に変わり、まるで友達のような挨拶を贈ってくれた。

翌日はワインカラーのとっても素敵なドレスに深い御縁を頂いた。実はブラジルに入る前にステキなドレスを買おうと思っていたので、まるで呼ばれたようだった。それも宿泊したホテルから徒歩5分程のブティックで。

しかし、おいそれと手に入った訳ではない。相手は英語を解しないし私もポルトガル語が全く分からない。レジ係が自分の言いたい事をパソコンで自動翻訳し、それを紙に書いて私に渡し、紙に書いて答えた私の英語をまたパソコンに打って翻訳し理解する。バスの集合時間が迫っているので焦ったが、大丈夫だと結構落ち着いていたような気もする。

気に入ったものを一つ見つけ精算しようとするが、私のクレジットカードが通らない。何度やってもダメ。前日にはこのカードでアクセサリーを買ったのに変だ。現金は持ち歩かないし、カード会社に電話をしなさいというメッセージが出るらしいが、海外にいる時には私は大体携帯電話を持ち歩かない。言葉の通じない会話に体をひねりながら時には悲鳴を上げながらやり取りしている内に気が付いた、昨年の夏あたりに私のカードがメキシコとペルーで悪用されているとカード会社から電話があり、直ぐにロックされた事がある。そうか、前日の買い物で”またか”と直ぐにロックしたのだろう。あ~あ、あの時は感謝したけれど・・・・(@_@;)。

ドレスを着て試着室から出て来た私に”Perfecto"と店員も驚いてその感嘆を別の店員に伝えている。まるで私を待っていたかのように、サイズもスタイルも私にぴったりのドレスである。そんなドレスを前にして、それも日本ではあり得ない手ごろな値段なのに、諦めるなんて・・・・いや~~~~~~~~!!!!受け入れられないというか、私のところに来ないなんてあり得ない、そんな気持ちだった。しかしバスの集合時間は迫っているし、ホテルに戻るしかない。

ホテルに戻ると、数人のツアーメンバーがロビーに集まっていた。私は思い切って50代前半の御夫婦に訊ねた、「ドルを持っていたら貸して頂けませんか、ロスで返します。」親しくない人にお金を借りるなんて勇気のいることだが、相手もびっくりである。私の必死さが伝わったのだろう、添乗員を証人にして貸して下さった。彼らが貸してくれたドル札の中にはペルーでは使えないものがあったが(印字された番号によるらしい)、運良くここはブラジル。どんなドル札でも受けた。お店にすっ飛んで行き(すっ飛んで行く?うっそ~、よいしょ、よいしょ、でしょ?)、めでたくゲット。いつもほぼ時間通りに出発するグループだが、私が戻った時には丁度全員がホテルから出て来るところだった。

このドレス、そうねぇ、いつかまた大きなステージでやる時に着ますわ。 つづく






ハングリー・ハート 1/12

また2時間ばかり眠ると夜中の2時30分頃に起きてしまった。眠ろうと努力して見るが、眼はつぶっていても、頭はすっきりと覚めている。時間がもったいないような気がして起きて村上春樹の「意味がなければスイングはない」の続きを読み、そこに紹介されているミュージシャンの歌をyoutubeで検索して聴いたり、詞をネットで見つけたりしていた。ロックは”うるさい”という印象だけが強く真面目に聴こうなどと思った事もないので、彼が紹介しているミュージシャンの名前は日本のスガシカオ以外は聞いた事がない。

聴いて、ただ驚く。全米でヒットした曲らしいが、歌詞がすごい。

~~~~~~
ボルティモアに女房と子供達がいたんだよ
あるとき俺は車で家を出て、そのまま戻らなかった。
行く先も分からずに流れて行く川みたいに、
まずい方向に折れて、そのまま流されて来たんだ。

誰もが飢えた心を持っている
誰もが飢えた心を持っている
賭け金を張って、やりたい事をやるんだ
みんな飢えた心を持っているんだよ (「ハングリーハート」)
~~~~~~
すごいことだ。暗い内容の歌なのに、このナンバーになると集まった8万人の聴衆の多くが一緒になって歌うというのだから。村上はリアリティーのある本物の言葉に心が惹かれるのだろう。

ここで歌われている世界は私の世界ではない。社会全体から見ると恵まれている、羨ましがられる層の中に私は属するのだろう、交じる人が多くなったここ5,6年の間に分かった。それまでは付き合う人も大体同じ境遇の人間たちだから、それが丸ごと日本だと思いがちだった。しかしこの間、それまでかなり距離を持ったところから、そんな人達もいるのだろうぐらいに表皮をかすっただけの人間達が集まる場所に私が出入りするようになった。世の中にこんなに弱く貧しい人達もいるのかとそれを直に目撃し、自分の手で触れた体験を持った。それから私の思考スペクトルも僅かだが変わったように思う。

こう言う歌が多くの人に喜ばれるのか、私にはとても書けない。これを歌っているBruce Springsteenの声は、お世辞にでも決して“いい”とは言えない。歌詞が手元になければ何を歌っているのか、叫んでいる以外、全く分からない。私の向かう方向とは全く逆だ。

しかし私も何かを得て納得して事を終える習性がある、意味がなければ私のスイングもない。私は私のリアリティーを書けばいい。リアリティーは必ずしも暗い部分だけではない。どうも村上は暗い部分のリアリティーに“リアリティー”を見るようだ。暗い現象に。しかし、彼も知っている、人間の内奥にある善なるリアリティーを(それをもリアリティーと呼ぶのを彼が許可するかどうかは別だが)。ありのままの暗い部分を描くのも良いが、その闇や混沌の中に身をゆだねず上昇して行く人間がいる事もリアリティーだ。私はその姿に「動」と美しさを感じるのだろう。その姿は、上昇するすべも持たず上昇する事も考えられない人々には絵空事にしか映らないかもしれない。常套句だが、全ての人に受け入れられる歌を書くのは無理だ。わたしは「しずこの在り続けようとする世界」を創って行くだけ。その姿をリアリティーを持って書き続けようと思う。







南米旅行-(2)リマ 1/13

やっと通常の時間に起きた。

信号さえも盗まれる。嘘のような本当の話、真実味を持ってガイドが言う:10年前道路に信号はまだなかったんですが、付けると次の朝には無くなっているんです。この国では便器を買う時便座は別売りで、デパートなどでは便座やトイレットペーパー・ホルダーが無くなるんです。彼らは何が欲しいのか分かりません。先日クリスマスの日に友人の家の屋上で泥棒が歩いていて、友人がびっくりしたと言っていました。

とにかく泥棒が多いらしい。泥棒は職業だし、家業であるらしく、どの家も鉄格子を玄関にも、階を問わず窓にも取りつけている。それでも泥棒は入るらしい。ペルーもスペイン語圏だが、昔スペイン語をNHKのテキストで勉強していた時、スキットのテーマに泥棒の話が多かったのを思い出した。でも信号を盗んでどうするんだろう。金属溶解工場に持って行くという。

リマの旧市街地と新市街地。豪華マンションや高級住宅が建つ新市街地に対し、旧市街地は無人廃墟ビルを思わせるような建物が通りに延々と並ぶ。そんな旧市街地の広場に大統領官邸とその近くには初の日系人大統領フジモリ氏がよく通ったというバー(小さなカウンター式軽食屋)がある。大統領が通うのだから”おしゃれな”なところを想像しようとするが、さにあらず(下の写真参照)。

お手洗いがよく詰まるので、トイレットペーパーはトイレに流さず備え付けのゴミ箱に入れて下さいという。硬水の消毒に石灰を使うがそれが排水パイプに付着して通りが悪くなるのだとか。観光地では観光客がついつい流してしまうのだろう、後進国を旅する時に私が一番恐れている光景を目にする事になった(ウエッ!)。
つづく



写真左から (クリックすると大きくなります)
1.夜中1時、リマ空港到着ロビーには迎える人で賑わう。国際線は殆ど夜中着らしい。
2.大統領官邸や市役所のある広場で
3.市役所
4.大統領官邸で衛兵の交代
5.フジモリ大統領がよく通ったというバー
6.泥棒よけにどの家にも鉄格子が門にも階に関わらず窓にも取りつけられてある
7.ツアーグループのメンバー。彼女は旅行好きのお母さんの車いすをずっと押していた。
8.少し上ランクのレストランで出されたメインディッシュ。供え方にエレガンスを添える事は無い?!
9.リマに入る前、トランジットでLAに宿泊。そのホテルのティッシュ箱。花のところはトイレットペーパを使用。

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南米旅行-(3)ナスカ 1/14

夜中2時、リマ市内から4時間ほどバスに乗り、ナスカに到着。アンデス山脈のふもとに巨大な動植物の絵が描かれてあるのでそれを見に行く、いわゆる”ナスカの地上絵”。誰が、いつ、何のために書いたか様々に調査されているらしい。

ガイドが言う;動植物の形を表しながらも100mの大きさ、曲がらずに描かれているところから、あのころ(?)に既に数学の知識と尺があったはずです。そんなすごい人間達がペルーにいたのです。ペルーを占領したスペインはそのペルーの知恵を盗み、太陽や自然の神を拝んでいたこの国にキリスト教を強制しました。

ナスカの後でインカ帝国の城とされるマチュピチュに行くが、人間の知恵というのは太古も現在も変わらず本当にすごいと思う。この宇宙の空間の中で人間にだけに与えられた無限の知恵。出しても出しても出て来る知恵なのだなぁと、人間の偉大さと同時にそれを頂いた人間の使命を改めて思ったりする。

私の興味をそそったのは、すんまへんが、実はナスカの地上絵よりも、その飛行場のまわりの”住居”だった。一見ベニヤだけで作ったような箱は初めは倉庫か何かだと思ったが、人が集まっているし、よくみると洗濯ものも干してある。家だというが、屋根がない。一体どうやって暮らすのだろう。ガイドに訊ねると、「この辺は雨が降らないし、平均温度は春秋が無くて夏冬20℃~30℃だから」。確かに砂漠地帯だが、風も吹くだろうに、埃も入るだろうに。昔々見た洋画に「屋根」というのがあった。屋根があって初めて家とみなされ、こっそり石を積んで家を作っている家族に警察か軍が見回りに来るという話だった。ここでは、屋根よりも在住年数らしい。5年いれば家とみなされるが、時々立退きさせられると言う。この街の事をこの後に行くマチュピチュの観光ガイドに言うと、「彼らは働きたくないんだよ。アンデスの人間とは違うんだ。アンデスの人間は一生懸命働くよ、頑張るよ。収入がなければ政府からの補助金が入るからね、彼らは補助金をもらうために仕事をしないんだよ。教育も受けないよ」と説明した。

廃墟ビルが並ぶリマの旧市街地、そしてナスカの“住居”。3日間私はまだこれしか見ていない。私に映るペルー、この国の魅力ってなんだろう、いろんな意味で日本とはかなり隔たったところだ。後日リマでの最終日に、日本に留学していた日系ペルー人と結婚し6年前こちらに渡って来たというガイドが言外に含める:日本よりも人を大事にする。経済の進歩が必ずしも幸せを生む訳ではない。
つづく


写真左から
1.地上絵を見に、セスナ機に
2.下は砂漠。ペルーはほんの僅かな海岸沿いと砂漠、そしてアンデスの熱帯雨林
3.平地と砂漠の境目がはっきりと見える。海が近いので、砂漠にもかかわらず湿度が高い
4.5.海岸沿いにある家、泥棒は入らないようで鉄格子はない
6.レストランで出された紫のとうもろこし

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南米旅行-(4)クスコ 1/15

リマからまた飛行機を1時間30分程乗って2つ目の世界遺産マチュピチュに行くためにクスコに到着。ここはインカ王国の中心地。リマとかなり違い、こじんまりして街全体に手入れがされている。世界遺産に登録されている事も理由になるのだろうと思う。なんだかほっとした。

突然標高3400mに降りたものだから、高山病にかかったようだ。頭に鉄兜をかぶせられて締め付けられているようである。左右のあばら骨が丁度交わる所の胃の辺りが固い。これが激化すると吐き気を催すらしい。酸欠。高山病の予防に前日よく寝ることが書かれてあったが、リマに到着して以来睡眠は細切れになり、時差の関係で前夜は一睡もしていなかった。クスコからまたバスに乗って標高2400メートルのマチュピチュに降りた頃にはこの高山病も消えていたが、又マチュピチュからの帰りクスコに立ち寄ると同じ症状、今度はなんだか熱っぽい。風邪かな。たまたまツアーグループに本職が医者のカメラマンがいて、添乗員に頭痛薬を飲まして痛みは解消するだろうと言ってくれたようだ。本当、葛根湯を直ぐに飲んだが、この頭痛薬がてきめんに効いた。医者ってやはり頼もしいものだなぁと思ったりした。

クスコの高原は雄大、空も広々として大きい。住んでいる人は完全に自然と共存している。アンデスの羊、アルパカやピクーニャが人間のいるところに躊躇いもなく現れる。クスコの町ではアンデスの歌を聴かせてくれるバンド付きレストランでランチになったが、日本人へのサービスに、日本人がよく知っている「コンドルは飛んでいる」や「上を向いて歩こう」などを歌ってくれる。「上を向いて歩こう」では「幸せは空の上に~♪」と歌うのだが、「しあわせ」と言えないのだろうか「きあわせ」と発音する。私の聴き違いかと注意して聴いたがやはり「きあわせ」だった。後でそれを言ってあげようとしたら、全く通じなかった。英語はダメあるよ。また意味も知らないで歌っているようだ。しかしその他の発音はかなり良く、顔を見なければ日本人が歌っていると言っても疑わないと思う。




写真左から
1.この広い野原いっぱい♪
2.横はアルパカかピクーニャか
3.アンデスの人達と
4.クスコの中心街
5.まるでアンデス
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南米旅行-(5)マチュピチュ 1/16

今日は母の命日。やっと身体が日本時間に戻り、昨日は11時前に就寝、朝5時前に起きた。これから朝早く起きる事にしようと思う。朝に歌を作ると、朝の空気が歌に入るような気がする(夜に聴くような歌には夜に書く?)。で、仏壇で母と話をしお経を読んだ。

さて、マチュピチュ、アンデス山麓にあるインカ時代の住居遺跡である。いや~よかったぁ~。何が良かったって天候に恵まれたのである。山の天気は移り変わると言うが、それを体験させてもらった。最初は霞みがかり、ほとんど何も見えなかったが、まるで薄い透けたカーテンがゆっくり開いて行くように、マチュピチュの全貌が色を持って見えて来た。ツアーグループのメンバーや添乗員が「私は天気女」だと自分の御手柄を主張していたが(私の主張、「私の活動にとってベストな天気になる」)、段々と空は曇り、パラパラと降りだし、やがて本降りになってきた。セーターが欲しいと思わせる外気が心配だったが、どうにか持ちこたえた。皆傘やカッパを使い始めたが間に合わず、ズボンがびっしょり、ズックにまで雨が忍びこんで、歩くとブシャブシャと雨水も一緒に運んでいる音がする。岩の下で雨宿りする西洋人の若者もいたが、多くの人達がそのまま歩いた。こんなびしょびしょの中でも現地のツアーガイドは説明を休まない。私たちはそこに立ちつくさなければ行けない。風邪をひかないかと気になる。

やがて雨は止み、暖房をしている訳ではなかったと思うが、外から入ると温かさを感じたレストランでランチをした後、希望者だけで「インカの橋」か「太陽の門」に行く事になった。ホテルのフロントに訊ねると、一つを選択しなければならないなら「太陽の門」だという。標高2700メートルの頂きで、太陽が最も早く到達するところに門を設けたらしい(インカ時代には自然神を祭った)。そこからはアンデス山脈が一望できる。で、そちらに登ろうとしたが、下りて来る観光客が「Terrible!(ひどいよ)」という。先ほどの雨で頂上はまだ霞みで何も見えないようだ。踝を返しインカの橋に行くが、ガイドの片道1時間が往復で凡そ1時間になった。これならばと、ひとり太陽の門まで登る事にした。

絶景だった。

二つの観光地点までえっさえっさ登ったので、翌日の筋肉痛が気になり、ホテルに帰ってからは町のメイン通りの突き当たりにある温泉に出かけた(これもかなり登らなければならない)。温泉と言っても日本のような優雅なものじゃない。まるで貯水槽のようなところに水着を着て入り、立ったまま浸かる。温泉所の手前では水着を販売している。水着10ドル、温泉5ドル。この後マッサージ専門店に、15ドル。金額に見合った揉みであった(@_@;)。  つづく
 


写真左から
1.クスコからマチュピチュ行きの電車
2.電車から見る景色, 丁度真ん中に雲の切れ目から陽が射し始めたところ
3.霞みがかったマチュピチュ
4.本降りにとうとう観光客は全員雨宿り
5.インカの橋
6.太陽の門の頂きから(この下は崖、恐る恐る猫のように四つん這いに進みこのポーズ)
7.温泉

1. 2. 3. 4, 5. 6. 7.
   




「この国にもう一度生まれたい」 1/16

ペルーを旅行中に新しいメロディーが生まれ、それを以前寝ている時に伝えられた歌詞に当てはめてみたら、どうにか行けそうになった。昨日は今年第一回目の作曲クラス、「自然で、これまでの歌とまるっきり違う博愛主義的な歌ですね」と言われ、全然自信が無かったのだけれど、歌にしていいみたい。人の反応って予測できない。自分で決めちゃいけないと改めて思ったかな。作ったらあとは人(世)に任せるのが一番かも。

自分の人知でやっていない時には、もしかすると良いに決まっているのかもしれない。神から手渡されたものだから。何か昔聞いた事のあるトルコ民謡みたいなメロディーだが、詞もメロディーも反復が多いので、転調させて単調さを回避して見た。これにどんなアレンジが付くのだろう、楽しみだ。






南米旅行-(6)ブラジル到着 1/17


マチュピチュからまたリマに戻り、翌日はいよいよブラジル入りである。イグアスの滝を最初にブラジル側から、そして翌日にアルゼンチンまで入りそちらからも見る事になる。ブラジル、なんだか魅力のある国だ。ロスに留学していた時も、ブラジル出身の舞踊専攻の学生がいた。肌の色がブラウン、白や黒または黄色よりなぜか私にはセクシーに見える。ワールドカップのサッカーを見ていても、自由気ままな空気を感じるブラジルが出ると心が浮き立つ。行った事もない国なのに可笑しなものだ。

この旅行記の(1)にも書いたが、空港に着いた時から踊りたくなるような空気がこの国にはやはりあるのだと思う。全員が揃いバスに乗ると、現地ガイドの日系ブラジル人3世がこの国を紹介する。
~~~~~
皆さん、このブラジルで日本と同じような期待を持たないで下さいよ。泥棒がたくさんいます。こわいですよ。家に入ってきてピストルを突き付けてきますから。私の息子も9年前、アパートに泥棒に入られてピストルで撃たれて死にました。私はいまでもガレージに車を入れる時は周りに泥棒がいないか気をつけます。

数年前の話ですがね、日本から来た人の話なんです。シャワーを浴びようと蛇口をひねったらシャワーヘッドが頭の上に落ちてきたとびっくりしてましたよ。がっはっはっは。プラスティックでできていたので怪我はなかったですけれどね。排水管にゴミを受け取るものがないから、入れ歯を落としたらそのまま流れて行ってしまったという人もいましたよ。がっはっはっは。
~~~~~

ペルーの泥棒はまだ柔らかい方かな。それにしても災難を悪意なく遠慮なく笑っちゃうユーモアはいいね(自分の災難も?)。

着いたホテル。一応この近辺ではデラックス組に入るらしく、ワンルームマンションのようにキッチンもある。でもガスやIHはない。鍵を受け取りエレベータに乗ってそれぞれの部屋の階でドアが開くと、「なに、これ?!」どの階も廊下は真っ暗。小さな点ライトしかない。ブラジルはエコ生活を徹底させているらしい。だからバスタブもなく、デラックス・ホテルでさえシャワーのみ。確か、ガソリンの代わりにエタノールの使用を最も積極的に進めているのはブラジルじゃなかったか。どか~んとやっちゃう国なんだね。

日本から仕事でブラジルに行き、そこに居ついてしまった人が言っていた「ブラジルはいいよ~!」きっと、この大らかさだろうなぁ。  つづく


 




ブラジルイグアス空港に着いた時に迎えてくれた夕闇













南米旅行-(最終)イグアスの滝 1/17


気温36度。

すごい、行けども行けども滝、滝、滝。ブルラジル側からでも十分な豪快さだが、アルゼンチン側から見るスケールはブラジルのそれを凌ぐ。ツアーでは、イグアスの滝を陸海空でアクセスする。

目で見てすごいのは陸から見る滝の流れ。連なる雪山に大容量のダイナマイトを仕掛けて同時爆破させた時に落ちてくる雪崩のようなものもあれば、この地球の中心部が怒り狂い全てを呑みこもうとするようなおどろおどろしい勢いを持つものもある。これが滝?私たちが滝と呼ぶ範疇のものから遥かに遠い。...

そんな滝に実際に触れることができるのがゴムボートに乗った川下り。水着に着替え合羽をかぶり、イグアス川の上を行く。滝の真下へ、裏側へ、そして前方へ。この川下りのために川辺に集まった私たちに突然のスコール。どうせ濡れるんだからこのスコールも歓迎とばかりはしゃいだが、方向がアゲインスト。雨は真っ向から顔を打つ。痛くて手で覆うか、下を向くか、横を向くか。何も見えない。どうにでもなれである。スコールも滝も皆一緒に引き受けた。行くぜ!「きゃ~、きゃ~、きゃ~!!!」「うぉー、うぉー、うぉー!!!!」25分程度、滝の下で洗礼を受けたら皆童心に戻っていた。スコールも過ぎていた。

上の二つに比べると、空からのアクセスは差ほどの感慨がなくあっさりと終了。それは、イグアスの滝が世界遺産に登録されてから規制が厳しくなり、かなり離れたところを飛ぶだけになったため。かつては、滝のすぐ側まで下降したが、滝の裏側に巣を作っている鳥が騒音に怯え逃げてしまったらしい。

ネットサーフィンしていたら、イグアスの滝を見た元米国大統領ルーズベルトのワイフは「可哀そうなナイアガラよ」と言ったとか。私はナイアガラをまだ見ていないが、ナイアガラを遥かに凌ぐ壮大さらしい。 

1. 飛行機を待っている間、「地球の反対側にいる日本の皆さん聞こえますか」
2.空から見るイグアスの滝
3.滝をバックに何枚も写真を撮ったが、全て顔に影が射す
4.アルゼンチン側で撮影
5.川下りの後
6.アルゼンチン側
7.アルゼンチンで、トロッコに乗って滝を見に行く
1. 2.
3.
4.
5.
6. 7.

この後帰国の途に。これで、南米旅行記はおしまいです。読んで下さってありがとうございました。





南米旅行-あとがき 1/18

日本から見るとブラジルは地球のちょうど反対側だから、最も遠い国に入るのだろうか。遠くてなかなか腰が上がらないでいたが、もうそろそろと思っていると、様々な媒体が発信している南米情報が私の視覚と聴覚を捕え始めた。以前にイグアスの滝をテレビで見た時、その想いは実現に近くなっていたのか、たまたま届けられた旅行会社のパンフレットに目がとまり、行こうと即断した。何処に行くのかを含め、旅程もほとんど細かく確認せず、出発と戻りの日時だけを頭に入れて飛行機に飛び乗った感じだ。

世界遺産観光ツアー、連れて行かれたところがアンデス山麓、「え?、私アンデスにいるんだぁ、へぇ~」と現地に着いて感心していた。クスコ?マチュピチュ?ほとんど知らないに等しかった。でもそこにいるという事が感慨深い。インカ帝国の遺跡、彼らの自然神崇拝、スペインによる崩壊、イグアスの滝とは違い人間が作った歴史である。歴史にあまり詳しい方ではないが、ペルーに限らずこれまでいろいろな事が世界中の人間史の中にあったようだが、今の立ち位置から見ると、いいようになって来ているように思う。だから今もいろいろあるけれど、いいようになって行くんじゃないかなぁという気がする。

ブラジルやペルーはアングロサクソンやゲルマンとはかなり雰囲気が違う。ゆったりしている。彼らはHappyだと、この旅で遭ったオーストラリアの若者が言っていたが、表情一つ見てもそのように思う。
「サッカーワールドカップの準備がまだできてないんでしょ?」
「お客さん、そ~んなの気にしない、気にしない!将来の事心配してもどうもならないよ。あなたやはり日本人ねぇ」(バスの中での日本人男性とガイドの会話)

このやりとりを聞きながら、未完成の中でやるのも、それはそれで思い出に残る笑いのワールドカップになるかもしれないと思った。私個人は、何だか余計にエキサイトする。完ぺきにしようとする人もいて、ゆったりしている人もいて、様々な考え方があってこの世はバランスが取れるんだなぁとしみじみ思う。アングロサクソンやゲルマンがここまで産業革命を率先してやってきてくれたから、衛生面を含め快適な生活の礎を作ってくれた。と同時に経済発展は競争社会を作り、それにかなり縛られた人達はその社会では生きにくくなり、別な社会を求める。それぞれの欠けた所を満たす社会が存在していること自体が不思議でもある。これも地球のバランスなのだろうなぁ。うまく行っている。だから同じにしようと強制してはいけないのだと思う。人間個人をとってもそうだが、個体で理想に達する事は出来ないが、いろんな考え方や力が合わさって完成された姿を作っていけばいい。いや、きっとバランスが取れて行くようになっているんだと思う。北半球と南半球が会談して取り決めた訳でもないのに、そうなっているしね。

川柳作家の時実新子が、戦争であんなに男たちが死んでも、男と女の数が大きく隔たる事がない、人間の力が及ばない力がこの宇宙にはあるというような事を言っていた。バランスは取られて行くんだよね。目に見えない仕組みがあるのだ。

今回は日本からのツアーだった事もあり、言葉がよく通じて良かった。これまでは現地に個人で入りホテル経由でツアーに参加したので、ガイドの言語が大体英語だが、そのほとんどに強い訛りがあり、50%理解できれば上等だった。今回もクスコ、マチュピチュのガイドは大阪に5年ほどいたというアンデス出身のペルー人だったが、彼の日本語は時々理解に苦しんだ。9年ロスに住んだ者から言うと、5年で完全に外国語を習得する事はまず不可能。その外国語を母国語とする人と一緒に生活しているなら別の話だが。しかしリマやブラジルでのガイドは日本からの移住者だったり、日系人だったりした事から全く問題がなかった。また、ツアー参加者は日本人である事から、日本でまたお目に書かれるかもしれない可能性も秘めている。楽しみだ。

良い旅だった。
   
  時事漫談 松元ヒロ 1/18

新春落語を聴きに行った。
落語は立川志ら乃、柳家三三、柳家小さんを初めとする5人によるものだったが、圧巻だったのが時事漫談の松元ヒロ。実は昨年、確か浪曲師国本武春を聴きに行った時に一緒に出ていたかもしれない。大変面白かったので、今回の区民劇場の案内チラシに彼の名前を見つけて行く事にした。

会場が爆笑の渦。元はパントマイマーだったというが、話したほうが簡単に通じると、漫談師になったようだ。立川談志もそのネタをこっそり拝借したというエピソードもある。とにかく面白い。

今回は猪瀬前都知事と都知事選挙がメインテーマだったが、皇室の民営化の話など、ユーモアと笑いが満載であった。最後に披露したニュースと天気予報をパントマイムで表現したところは、よく此処までやるとあっぱれ。ネタがネタだからテレビには出ていないというか出させてもらえない。が、テレビ局の人は個人的に彼のライブを見に行くそうである。紀伊国屋ホールで4日間連続ライブをやれるくらい人が集まるのだから、すごい。いや、これほど面白ければ、人は来るだろうと思う。今回も何枚もの様々な公演のチラシの中で周りの人達が数人、彼の次のライブのチラシを見ていた。






「時よ、ありがとう」 1/20

昨年11月のコンサートのDVDが編集を終えてやっと届いたので、まずはビクターの本社に直参した。その後は楽曲ごとにカットしてYoutubeに載せようと、ビデオ編集ソフトをいじったが、なんどやっても画像と音ズレのトラブルが生じる。ソフト会社のヘルプデスクにメールを出しても解決にならない返事が返って来る。返事が届くにも数日かかる。それでネットで同じ問題を抱える人を探して、色々とネット・サーフィンをしていると(私もこんな事をやるようになったんだわねぇ、自分でもびっくりするわ)、データが重すぎてそのような現象が発生すると書かれたサイトを見つけた。で、音や画像の質は落ちるけれど。元データをフォーマット変換ソフトに入れて、その後トリミング用の編集ソフトに取り込んだ。そうしたらなんだか行けそう。数日後にはYoutubeに載せられるかも。

元データを変換ソフトに入れて処理が終わるまでかなりの時間がかかる。その間、また新しい歌詞の基盤のようなものができた。


「時よ、ありがとう」

長い道のりだった
道に倒れて地に伏し
戻せぬ時間とおかした間違いに
身体を震わせ あえいでいた
だが時よ、あなたは私を再び立たせ
よろめきながらも歩かせた

まだ夜明けは見えず
孤独に耐えかね 泣き伏し
飛び出した街に 人影さえなく
喉を絞めつけ 叫んでいた
だが時よ、あなたは私を優しく誘い
陽のあたる木陰に立たせた 

無機質な朝に陽がのぼり
闇を溶かして色を出す
ひと色の心を 光は染めて行く
時のまくあけ 歓喜に泣く
ああ時よ、あなたは私を逞しくさせ
燦々と陽を浴びて歩かせる

時よ、惨酷なりしは
私を逞しくせんとの計画か
時よ、今受けしこの光が
永遠に射したるものと気付かせしか

時よ、ありがとう
わが身しか感じられぬ 狭き心
ほどいて隣の手を取りし今
湧きでる幸せを 生きる意味を
与えしあなたの手の中に
私は抱かれる

読んでいるもののスタイルに直ぐに影響されるようで、ここのところずっと読んでいる詩の影響か、随分重くなってしまった。(@_@;)


   
  自作曲をYoutubuにアップ 1/21

2013年11月のコンサートのDVDから、”ま、いいか”と思える歌(自作曲)を数曲Youtubeにアップしました。ミキサーから音をそのまま拾うライン・インができないので(六本木のSTBの時はそれが可能だった)、音が明瞭ではないけれど・・・このホームページの「Youtube」欄からリンクして聴いて下さいますか。ライブですから、ホント、色々あります。「遊戲三昧」などは、もう少しでサビのリフレイン(繰り返し)の出を間違えそうなのが、画像からはっきりと分かり、掲載を迷いましたが、「このくらいは、ま、いいか」と掲載。「My Love」もパソコンでそのまま聞くと、曲の終りの音が大変不安定。「うっそ~!」、こんな風に歌った覚えは無いとイヤホンを付けて聴いたら、ほっ!「ま、こんなもんでしょ」になり、掲載。

掲載した歌はみな2部で歌った曲なのですが、1部の賑やかで軽く明るい出だしの「ママ、どうしよう」は、”私”に本人がびっくり。これ、まるっきり加藤登紀子じゃない!本人が出てきていると思えるくらい、そっくりだった。食事をしながら見ていた私の箸の動きが突然止まり、箸を持ったままDVDを聴き終るとお皿に載せられた”料理”は完全に冷めていた。






う~ん 1/26

聞いた事のない歌を聴くのは大儀だと思う方々もいると思う。私自身がそうだ。有名歌手のコンサートに行って、知っている歌を歌ってくれる時は心が弾むが、知らない歌を歌われると、それが際立つものでない限り、やはり素通りするだけになる。同じ事が昨年11月のコンサートで起きたようだ。

11月の"コンサート"では2部で5曲続けて歌った。曲順を書いたものを各配膳トレイの近くに置き、来場者にはそれを見ながらタイトルを確認して頂こうという策だったが、後日数人からダメ出しがあった。毎回足を運んで下さる大学の先輩は、来場者の数も多かった事もあり安心したのか、この時は寝ていたっけ(声を出して私は笑っている)。ある友人は、通常のライブ時のようにトークが間に欲しかったと言っていた。2年ぶりに聴きに来て下さった私の初リサイタルの提唱者は、「オリジナルの歌に、しずさんの歌のうまさが見えなくて、もったいない」という。これにはガツンと直球を投げられた感じがした。「正直な事を言っても良い間だと思うから、正直に言うのよ」と断って、5曲続けて歌い終わりトークが入ってその後の「美しい日々だけを連れて」になった時、ホッとしたという。彼女はこの歌が入ったCDをよく聴いてくれているから耳に馴染んでいる。

なるほど~。どんな歌を書いているかよりも歌のうまさを感じたいと言う(年齢層が若くなると、オリジナルの歌をしっかり聴いているのだが)。オリジナルでそんな歌を書けばいいのだろうが、名曲は一夜にしてならず。う~ん・・・・・昨年の暮れ、大学の先輩方とのカラオケで、美空ひばりやホイットニーを歌ったら「こう言う歌を歌って欲しいよ」と言われていたっけ。そして集中して聴いて下さっていた・・・

確かに私のオリジナルは、多くのJpopのシンガーソングライターと同じく、誰でもが歌える歌である。こう言う歌では物足りない、ドラマチックな芝居の要素が入ったシャンソンを含め、「うまい」と唸らせる歌を聴きたいと言う事だ。(「うまい」と言われて、なんだか落ち着かないのだが)

ライブの時は、英語の歌を1,2曲、演歌、歌謡曲、シャンソンも入れるが、11月のコンサートでは3曲のシャンソンを除いて全てオリジナルだった。

そんな来場者の意見も取り入れようと、私の心は今年の初ライブのある3月に向けて動き始めた。今日はテネシーワルツ、サマータイム、追憶、I will Always Love Youと英語の歌を続けざまに歌っていた。






あはは・・・1/28

今朝、携帯が鳴った。

「世界中を回っていたみたいだね」
「南アメリカね、南米」
「ところで新年会来るよね」
「うん」
「一曲歌う?」
「あ~ぁ」
「新しく入ったxxさんが詩の朗読をしたいというんだ、それと○○さんが一つ喜んで演奏させて頂きますって。こと(私の姓)ちゃん入れないと、なぜ私だけって言われちゃうかもしれないと思ってさ」
「・・・・・・何それ、その言い方!いやらしいよ。仲間はずれするのは悪いから、仕方なく誘ってやるという感じじゃん!」
「(ニタニタニタ)いや、おれ、女ごころ、分かんねぇからよ。」
「女ごころだけじゃないよ、男もふっくめて、嫌らしいよ。」
「うわっはっはっは・・・」
「素直にさ、1曲歌ってくれる?と言えば、喜んで歌わせてもらいます、と行くじゃん」
「歌ってくれる?(ニタニタニタ)でもさ、バックミュージックがないから歌いづらいだろうなぁと思ってな」
「カラオケ持って行くわ」
「これは春から、なんとやらだ、うわっはっはっは・・」

私のライブに毎回来て下さる大学の先輩との会話。 終わった後に、こんな会話ができる人がいる幸せを感じ、ニカ~。

この先輩は面白い。2011年のリサイタルの時、2部はドラマ仕立てにしてセリフを沢山盛り込み、その間に歌を入れて行った。その時の感想:

「すごかったねぇ」
「❤(ニカ~~『言って、言って』と心の中で思っている)」
「すごかったよぉ~、あのセリフ」
「え?セリフ?・・・・・・歌は?」
「歌なんて聴いて無かったよぉ~」
「・・・・・・(@_@;)」

とても印象的なやり取りで、思い出すたび声を上げて笑ってしまう。

今朝の電話、バック・ミュージックが無いことも気にして下さったりして、あったかいなぁ。





ランバダのリズムで 1/30

2014年の新曲は「この国にもう一度生まれたい」で始まった。昨年の暮れに出て来た歌詞だが(下記参照)、このような歌詞に一体どのような曲が生まれるのか、想像できなかった。何か国民唱歌のような大きな歌になるのかなぁと思ったりもした。

丁度向こう時間で元旦だった。ペルーでセスナ機に乗ってナスカの地上絵を見た帰り、ランチまでの時間が余ったので近辺の海岸を歩く事になった。その時海岸沿いの店のラジオから流れていた歌謡曲(きっとペルーの音楽だろう)の旋律を受けて、私の口から新しいメロディーが零れて来た。自分でもなんだか気に入ったので、持っていたカメラの動画機能を動かして録音しておいた。

まさかと思ったが、これにあの詞を付けてみた。すると、なんとも収まったのである。旋律は、なんとなくラテン系のような気がする。歌ったものを録音し、現地ガイドと添乗員に聴かせると「いいじゃないですか~!」となった。

これを日本に持って帰り、同じ旋律で同じ言葉の繰り返しが多いため、転調を2度ほどさせ、作曲のインストラクターに見せると、”自然”だという。ふ~ん、ラテン調のメロディーにあの詞で「自然」かぁ。とにかく大丈夫そうなので、これをアレンジャーに送った。ラテン調に仕上げてくれるかと期待して出来上がりを待っていたが、なんとなくこれまでのアレンジと代わり映えがしない。それで譜面だけを送るのではなく、私がどう歌うのか電話で数小節聴いてもらった。すると電話の向こうの声色に上気した空気が入り、間もなく新しいカラオケが送られて来た。

ブラジルのランバダのリズムが軽くさらりと入った曲になった。前奏や間奏にもう少し味付けが欲しいのだが、取りあえずは私が作りたい方向には動いたようだ。

♪あなたに出会ったこの国に もう一度生まれて来たいのよ
お陰さまお互いさまの この国にもう一度生まれたい 

憎しみよりも愛を育てるこの国に 両手を合わせ祈るこの国に

褒め言葉頂きためらい こうべを垂れて照れ隠し
恥を知り優雅さ育てる この国にもう一度生まれたい

   


 
今の生活 1/30


立ち止まって今自分が何をしているのか、眺めてみた。完全なオタクである。でもこのオタクが何とも充実している。毎日何かに感動し、感心し、気付き、それを創作に生かしているようだ。今日もゴルフに行こうかと計画していたが、家に籠る事にした。カラオケを作ってもらうためのキーの確認、譜面の調整をしていたら時間はどんどん過ぎて行く。身体を動かすためにジムに行ってヨガと少しのランニング、その後ジャグジーに入って帰宅し、また作曲本の続きを読む。

図書館から2,3日前に借りて来た本も開いていない。本を読んだり作曲のためにパソコンの前に座る事に疲れると、録画しておいたテレビ番組を観る。昨日は世界中を喜びに包んだ名曲「ダンシング・クイーン」を作り歌ったスウェーデンのアバのエピソード。「ダンシング・クイーン」は名曲中の名曲だ。聴く者の心を浮き立たせ、踊りたくてたまらなくさせる。

他(ひと)を喜ばせる事が出来る、何と素晴らしいことだろう。自分ばかりを考える個人史の中の私は既に終わっている。人に喜んでもらえる事をしたい。それが私が書いたものでなされるなら、言葉に出せない程の幸せを感じるだろう。「ダンシング・クイーン」のような人の心を躍動させる歌を私も書きたいと強く思う。そしてきっと書けるだろうという気もする。。。。。で、これまで私はどんな歌を書いて来たのだろうと自作曲を頭の中で並べてみると、「今のわたし宝石です」があったなぁと気が付いた。この歌はどこでも皆さんが喜んで下さるようだ(「ダンシング・クイーン」の躍動感のほんの一部を頂けるかもしれない)。以前、ライオンズクラブに招待されて歌った時も、この歌が良いとわざわざ主催者に言って来られた男性もいらした。老若男女を問わず喜ばれるようだ。
2月には、上で紹介した新年会での1曲の他に、仕事として他の新年会にも招待されて歌を頼まれている。「今のわたし宝石です」を持って行こう。

このように、色々な事に感動したり、感心したり、感極まって泣いたりと結構オタクでいながら感情的に忙しい。楽しんでいる。






暖かくなりましたね・・・ 2/3

上でも話したが、今はかなりオタクになっている。運動量が少ないなぁと感じ、ジムではランニングも始めなければと思いながらも、後回しにしている。一歩も家から出ない時があるのだから、自分でもびっくりしちゃうし、それができるくらいに、心も安定し強くなったかぁと嬉しくもなる。

が、今日は久々に出歩いた。今月は京王プラザホテルでのイベントで歌を頼まれていて、その打ち合わせをスタッフとした後、ホテルに直行。昔家で焼いたカラオケがちゃんと回るか確認しに行った。一度小さな会にMDを持って行ったところ、そこで使われている音響機器はミキサーも含めて見るからに大層なものだったが、全く使いこなせていないようで、私の持参した圧縮MDは回らなかった。無料奉仕の歌の会だったが、主催者も音響係も慌てた。

CDRも安いものだと、せっかくカラオケを焼いて持って行っても回らない事がある。色々な体験をしたのち、念には念を入れて来た。これでOK。

外は、もうジャケットの要らない陽気になっていた。寒さをさほど感じないまま、冬が終わるのかな。と思ったら、夕方7時直前の天気予報では、明日は雪らしい。激しい変化だけれど、雪はなんとなく嬉しい。子供のころ雪を喜んだあの時と私はあまり変わっていないようだ。冬の風は嫌いだが、最後の冬の寒さを楽しもう。






方法は必ずある  2/4

予報通り、16時頃から突然雪が降り出した。当たらない天気予報、そんな事が当たり前のように語られていた昔と違い、最近の予報は当たる事が多い。そんな事を見ても、人間てすごいなぁと又思う。様々に調査し研究し、必要とされるものを生んで行く。本当にすごい。必要と思うものは必ず作りだす。

私も一つ”見つけた”。実はずっと上の方で紹介したブラジルで購入したドレスに積極的に問題をこしらえてしまった。ドレス全体に取り付けられたバラの形をした花飾りがつぶれるのではないかと気になったが、どうにかなるだろうと、スーツケースに押しこんで来た。スーツケースと別にして何処かに忘れるよりも良いと思ったのである。案の定、家に運ばれて来たドレスの花はぺしゃんこにつぶれている。ドレス直し専門店に写真を添付してメールで送ると、花を一旦ドレスから全部はずして皺を取り、その上に形を整えて再度付けるので総額5万円だという。オーガンジーだから低温アイロンをしなければならず、大変な仕事なのだと付け加える。

数字を見る私の目が点になった。そもそもそんな大層な仕事をしなくともどうにかなるような気がした。で、今日その作業を始めた。花にアイロンをあてる。。。一つを途中までやると・・・・こりゃ、大変だわになった。かなりの数だし。。。ん?もしかしたら・・・ヘアードライヤーで行けるかも。マチュピチュで雨にぬれた運動靴に当てたら、よく乾かしてくれた。

なんと、花が、いとも簡単に起きて来たではないか。きゃっきゃっ。うわ~どんどん起きて来る。1時間弱の御手当てで無事に元に戻っちゃった。あのドレス直し店に教えてあげたいくらい。

方法は必ずあるものだなぁ、諦める必要は絶対ないね。

ところで、今日の雪、窓越しに見ていると、降るというより舞っていた。一面白煙のような色を背景にして舞う雪は、部屋から見ると黒塵のよう。塵なのか雪なのかベランダに出て手に触れると、白く冷たい雪。確かに雪。心がはしゃぐ。シャンパンを出して飲んだ。私はシャンパンと相性が良い、直ぐに酔う。とてもいい気分になって。
   
  手直し 2/6

昨年に生まれた「愛のいとなみ」、音楽の専門家の西さんから"名曲”と言われ、作った本人にはその認識が全くなく、取りあえず私の家に来られる大人たちに男女問わず聴いてもらうと「いい」と異口同音に言われる。ふ~ん、じゃぁ、いいんだぁと本腰を入れて練習を始めたが、どうも歌いづらい。時間が経つと何か見つけるだろうと後回しにしてまた歌ってみるが、ダメ。追い立てられるように歌っている。「これは誰かに歌ってもらおう」とほとんどギブ・アップしかけていたが、「そうだ、歌いやすいように譜割を変えよう」と思いついた。一度アレンジもできカラオケも作られると、修正をお願いするのも気が咎めるが、目的は「いいものを作る」事にあるのだと思い返し、あれこれいじって見たら、とても歌いやすくなった。これならこの楽曲の表現したいところを十分に表現できる。

「この国にもう一度生まれたい」も、大御所に修正を頼むのは気がひけたが、快く修正してくださり、すっきりして戻って来た。「いいものを作る」ここに一点集中、これがプロですね。感謝!






ローザンヌ国際バレエコンクール 2/6

    3回転ジャンプが精いっぱいだった2002年の冬季オリンピック日本のフィギュアスケート、12年の短期間の間に技術も表現力も含め世界レベルに達した事はとても感慨深いが、今回のローザンヌ国際バレエコンクールで最優秀賞を取った二山治雄君(写真)。

いや~、いや~、技術力は勿論の事、体型ってこんなにも短時間で変わるものかと、眼が点になった。テレビで見ていたら、ブレもほとんど無く、ジャンプ力は勿論ラインがとてもきれい。

私も25年ほど踊っていた。バレエをベースにモダンやジャズを。しかし、手の長さ、足の長さからして米国ではとても舞台に出させてもらえなかった。帰国してからステージに出るダンサーたちを見て、人のなり見てなんとやら・・・・十分に納得した。

しかし今テレビに映るジュニアのダンサーたち、すごい、すごい。

西洋のスポーツだったフィギュアに荒川静香が金メダルを取りスタンダードを壊したが、今度はバレエの世界でも同じ事が起きる事もあり得るだろうなぁと思う。バレエは大体大舞台で踊られるから、アジア人でも西洋人の間に混じって大きな主役を踊る事も出来るように思う。しかしそのためには横で踊っている人達との差が出ないように、長い手と足を持たなければならない。例えば、瀕死の白鳥。これを踊る人はまず腕と手が長い人に限る。死の苦しみを腕の揺れで表現するのだが、遠い客席まではっきりと伝わらなければならない。

瀕死の白鳥だけではなく、悲劇の王子や娘にはすらりとした身長やそれに合った四肢の長さが求められる。かなり体型が変わって来たので、今の日本のダンサーたちは彼らに混じってコメディーをソロで踊るポジションは得られるかもしれないが、悲劇に関しては、おそらくこのジュニアの次の子供たちまで待たなければいけないかも。それにしても、こんな短期間の内に体型が変わるって言う事は、血骨の遺伝子だけではないような気がする。
 
  




うわ~ 2/7

「この国にもう一度生まれたい」が2度の修正を経て譜面が先日送られてきたが、本日カラオケが届いた。

うわ~!!!!!すごくいい~!譜面上には見えないランバダのリズムがものすごく生きて、この歌詞を生き生きとさせる。なんかこの歌は、すごい事になるんじゃないかな。アカペラで聴かせても、聴く人一人残らず「いいねぇ~」となったが、この伴奏で歌うわたしの心がものすごく弾む。大御所にNGを突き付けるのも迷いがあったが、「いいものを作る」に一点集中して思いきった。妥協しないで良かったし、これに答えてくれた西直樹さんにも、感謝。その力量にも脱帽。

聴いて頂く日が、楽しみ!






大学OB新年会 2/7

今日は地区大学OB会の新年会。逢いたい人がいる会っていいね。1/28のブログに書いたように一曲「今のわたし宝石です」を披露させて頂いた。この歌はここでも人気があったようだ。元フジテレビのアナウンサーでいらした小林大輔氏がいらしていて、ステージに立つ私にGoodのサインを何度も送ってくださり、集合写真の時には走り寄って来られ「自作の歌ですかぁ、あの少しの振りも良いですね」とコメントを述べて下さった。わたしが振付をしたと申し上げたら、にこーっ。

司会を務める先輩は毎回わたしのライブに来て下さる方。応援しようと熱を入れて宣伝して下さる。本当に嬉しくありがたい。

歌を歌う直前は、たった一曲でも食事は喉を通らない。終わったら、爆発したかのように皿を沢山自分のテーブルに並べた。冷めてしまっていたけれど、歌で喜んで頂いたあとでは、それも御馳走になる。この機会を作ってくださり、歌を聴いて下さった皆様、ありがとうございます。これからどんどんまたいい歌を作りますね。わたしがこうすることで、会に貢献できているような気もする。

   
  楽しい仕事 2/9

今日は100人ほどが集まる京王プラザホテルのイベントで歌わせて頂いた。とても楽しい仕事だった。
司会者の陽気さが会場に満ち、大変和やかな雰囲気だった。バンドは6人編成でラッパ(トランペット)入り。歌手は二人、私よりずっと若いが歌手歴がふんだんに長いベテランと一緒。私は4曲歌わせて頂いたが、最後の曲「ラストワルツ」でトランペットも加わり、ラッパ入り伴奏は初めてだっただけに、いい気分だった。

持参したCD6枚とDVD2枚を全部買って下さった方がいらした。ご本人は「もっとないの?」と言われ、こう言う事が起きようとは想像だにしなかっただけに、私は心の中で「しまった、もっと持って来るんだった」と泣いた(笑)。送りましょうか、と言うと、「いいわ、コンサートに行くから」と言って下さる。会場のあちらこちらから、コンサート案内を送ってくれるようお話があった。嬉しかった。

最後にくじ引きがあったのだが、なんと私が壇上に出て箱の中からナンバーをひく役目を仰せつかった。なかなか自分の番号が呼ばれない方々は焦り始められ、壇上の私に下からかき回しなさいと何度も言われる。いつになっても子供心を正直に表す姿が何ともほほえましい。

サプライズもあった。まさか、ここでお逢いするとは。知人が2名客席にいた。2年ぶりの再会であり、逢うまでは気がつかなかったが、逢えたらいいなぁと思っていた人達であった。

皆様、本当に楽しい時間をありがとうございます。この御縁を大切にさせて下さいませ。






因果応報 2/10

因が縁に逢って果を生む。

事の因は必ず自分にもある。やっとここに辿りついたぞ。昨年の丁度今頃に起きたある事件の因が自分にもあった事に今頃気がついた。

母校のラグビー試合を観戦した球場で某テレビ局の職員に友人が私を紹介した。友人がその父親の代からお付き合いのある大学の先輩だそうで、その人が私にテレビ出演を提案されて来た。照れもあったのだろう、酔ってもいないが酔ったふりをして彼女の家で始まった2次会に現れて勧められた話に、私は感謝を表す事さえ気づかないでいた。後日そのような不躾な態度へのお詫びと彼の提案を喜んでお受けしたい事を告げようと、その友人から彼のメールアドレスを教えてもらおうとした。そのTV局の人は、その場にいた私以外の全員に、丁度この友人が台所に出て席をはずしていた時、名刺を渡していたので、他の友人からアドレスをもらう事もできたが、この友人を通して知り得た人だからこの友人を立てる事にした。テレビ出演は彼からの積極的な提案でもあり、友人もそれを側で聞いて見ていたのだから、アドレスをそのまま送ってくれると期待した。が、同時に直感的に閊えるものがあり、私のメールをまずはその友人に送り、彼女から彼に転送する事を別の選択肢とする可能性もあると伝えた。ある種の賭けだった。彼女から普段発せられる私に対する威勢のいい言葉が真実かどうか確認する瞬間でもあり、どきどきしながら彼女の答えを待った。だが、彼女が選んだのは”転送”だった・・・・一瞬わたしの頭の中は真っ白になった。介入しようとする・・・そう言うことだったのか、威勢のいい言葉はやはり・・・しかし転送を選択肢に入れたのは私だ、このまま行くしかない。

それまでのピンポン玉のような彼女とのやり取りが、メールを送った途端、突然音信不通になった。幾度のメールに返信も無く度重ねた電話にも出ない。嫌な予感が膨らんだ。数日間連絡をトライした後、やっと携帯メールに「(転送は)できません」とメッセージが届いた。ならばと、私はその場にいた別な友人から彼のアドレスをもらい、直接送った。その直後「今から書くから」と彼女から電話。ほっとしたが、メールは既に送ったと伝えると、アドレスを知り得た経緯と共に一つ質問が発せられた「(転送してもらうために彼女に送ったメールと)同じ内容を送ったの?」。彼女はその後直ぐに彼にメールを送ったと後日伝えて来たが、明かさなかったそのメールの内容は、彼があれほど積極的に提案したテレビ出演が流れるものだった。

彼女に逢わなければ本来なかった話なので、初めからなかった話として考える事にし、この件については再び触れる事は止め、彼女には何も気づいていないふりを装い、それまでと変わらぬ態度で接した。だが、罪悪感が彼女の中にあったのだろうと思う。罪悪感は潜在意識の中に根付き、更なる罪を作っていくと聞くが、その後、彼女は私への対し方に驚くような事を重ねた。嘘と企て。

強い嫉妬心かと思っていた。彼女はこのTV局職員を知人に持っている事が自慢のようで、時々そんな調子で周りに話している。自分の父親の代からの知人で知人である事を誇りにしている人が、紹介したばかりの自分の友人に美味しい提案をし、自分と彼の関係以上に親しくなって行くという事へのいくらかの妬みはあったろう。が、彼女の言動をよく追って今考えると、妬み以上に、
全て自分を通してやって欲しい、自分が外されることは許さない、自分を中心にする事への強い願望が損なわれた事への反動だったように思う。もしかすると、彼女は自分が人の力になる事に喜びを感じる人なのかもしれない。また周りにも自分の”てがら”と存在意義を高く認めて欲しいのかもしれない。 

そんな事を思い返してみると、彼女が転送を選んだ事、その後の数日間の音信不通、「できません」という一言のメッセージ、そこから私の中に生まれた彼女への疑心がその後のもろもろの結果を生んだのかもしれないと思うようになった。「今から書くわ」と連絡をしてきた来た時には気を取り直していたのかもしれない。もし私がもう少し忍耐強く彼女を信頼していたなら、その後TV職員に宛てた彼女の文面は変わっていたのかもしれない。人間みな、自分自身が好むと好まざると色々なものを持たされている。それと上手に付き合う事は本人自身の大きな”仕事”であるが、それは同時に周りの人間の”仕事”でもある。

まずは信じてみよ、なのだろう。大きな事を教えられた、思いこみの強さも「我」だ。無心でいたい。放っておく。どこまでできるだろう。



追記:
ここに取り上げた”彼女”は私のHPを時々覗いている気配がするので、ここの処をいつか読むだろう。昨日、よしもとばななの日記を読んでいたら、「私が書いているこの日記で傷つく人の多さも勿論思った。・・・が、それで考えに制限がかかると良くないのでガンガン行くしかない。xxxさんもそうして欲しい。それぞれを生き抜くしかないのだ。どんなに人々にうとまれる事があっても。カッコ悪くても。弱くても。」とあった。人間としての自分を全部さらけだす、これはよく小説家や詩人がやっている、特に日本の小説家や詩人に多いように思う。しかし、間違う事はあっても、自分の生き方の清さに自信がなければ、なかなかできる事ではない。確かに私は清く生きようとその想いを強めている。だからあった事をそのまま装飾無く伝えられるし、そうしようと努力をしている。いいこと、楽しい事だけではなく、私が生きる道でぶつかる様々な問題をどのように受け留めたかを書く事は、自分自身と交わした約束を確認する事でもあるように思う。それは、弱さを含めより善き自分を求めて行こうとする人間の本質を、ある深さまでつかんだから出来ることかもしれない。

   























 
何かを教えてくれるため 2/12

上のブログで書いた事とつながるが、問題が生じた時、それは跳躍の時であり、何かを教えてくれるものだと教えられた。で、上の彼女との”濃い”御縁はどんな意味を私にもたせているのかと考えた事がある。彼女にとっては自分の生き方を見直す機会なのだろうと思ったし、そうあれば良いと願った。仲良し仲間だと思っていたが、やはり即席で作られた会ではまだまだ人物が分からない。人間のするたったひとつの行為も、たまたまある一定の人に対してされる事ではなく、そうやってずっと生きて来た習性が顕れたに過ぎない。うわべを飾っても、それは付け焼刃。妬みや自分の我を通せないところで顕れるものだ。だが、いやらしく聞こえるかもしれないが、私にとっては彼女との御縁が自分に何をもたらしているのか思いつかなかった。

その濃い御縁の出来事から学ぶ事が「信じろ!」と言う事だったようだ。とても大事な事が思い出される。私のシンガーソングライターとしての進展に影響を及ぼすかも知れない人の事、ガッツが足りないような気がして私は信頼を寄せていなかった。だが、今降って来た。自分の我の思いより、神様が下さった御縁を大事に受け止めるのだ、と。腰を据えてこの人を信頼してみよう。

100%の信頼を置いて働きかけ、そして待ってみよう。・・・・・これはいい事が起きるぞ(●^o^●)





雪 2/14

外は真っ白。先週は丁度土曜日だったが、今回は一日早い金曜日から明日の土曜日に掛けて降り続けるようだ。先週の雪はベランダから眺めていた。ベランダの中に舞入って来た雪を掌に乗せて、その冷たさに心がはしゃいだ。今日の雪、この雪の中を歩かなければもったいないような気がして、昼には長靴を履いてジムに行ったり、午後7時には図書館に本の返却と予約していた別な本を借りに出かけて行った。

その帰りにはメゾン・カイザーに。このパン屋さんはパリのルモンド誌に載ったフランスのパン屋と提携しているようで、最初の頃はフランス少年が二人来て焼いていたが、ここ数年見えないから日本人に技を伝え終わって帰ったのだろう。ここで食パンを5本注文する。一斤づつ買っては面倒なので、2カ月分をまとめ買いをして冷凍庫に保存する。かつての家で使っていた大きな冷蔵庫は一人暮らしにはスペースが余り、冷凍庫のひとつの引き出しが丸ごとパン保存庫となっている。

雪の降る夜、こんな時はワインやチーズを買って家で一緒におしゃべりをする人がいたら、それに今日はValentine's Dayだし。などと思って、ふとそんな景色を想像してみた。あいつじゃないな、この人だなぁなんて思いながら(アハハ)。その人もとても喜んでいる姿がはっきりと描ける。←(一年後にこの部分を読んで、誰の事を言ったのかさっぱり分からない(*_*;)

しかしまだ私は一人でやる事があるような気がする。前にもどこかで書いた事があると思うが、今はこれまでの人生で最も本を読んでいる時だ。そんな本を通して色々な人生を覗いたり人間に逢いながら、実際にこんな人間が側にいたら、私はどうするかなどと想像もしながら読んでいたりする。読む本も変わって来た。一時は“道”を説く本を随分読んでいた。自分の進む道がはっきりと描け、地面を感じながら歩くようになってから読む本は私の仕事の材料とも成り得る小説になった。だが最近は、詩になった。詩の良さがものすごく分かり始めたような気がする。小説と違い、読者は積極的に書かれてある様子や世界を想像して行く。

本を読む、歌を書く、歌の練習をする、作曲クラスの宿題をする。そしてジムで身体を動かし、時々人のいる場所に行く。ひとりでいる事が多いのに、充実しているようだ。だが、温かく互いに慈しみ合う関係を育む一個人が側に来る日も遠くないと想像する。その人は、ホント、幸せな人だなぁと思う。あははは・・・「今のわたし宝石です」の中の歌詞です。

今は夜の11時近く。後一時間でソチ・オリンピック、男子フィギュアのフリー競技がテレビで放映される。ショートでの羽生君、すごかったねぇ。ソチは、何か滑り辛いのかなぁ。羽生君以外は皆ジャンプに引っかかっていた。

メゾン・カイザーで買って来たハムとホウレンソウのキッシュに赤ワイン、さあ、フィギュアを観よう。





面白い人間は面白い人間に呼ばれる 2/16

「いやな夢を見たなぁ」と言いながら起きた。いやなものなのになぜ掲載するの、となるが、面白いかも知れない。 

私はどこかの大学で教鞭を取っているようだ。それも大学との契約代講。ある日たまたますぐ手の届くところにジーンズがあったので、それを履いていきヒンシュクを買う。その後ある教室でまた代講をする事になり(どうも米国で卒業したUCLAのようだが、キャンパスの風景は全然違う)、その教室を案内してもらう。その時係りの人から、ジーンズや度重なった遅刻で評価ポイントが50%落ちているので、来期の契約更新が難しくなると伝えられる。 

それで、今度は頑張らなければと思うのだが、授業当日、代講する教室が見つからない。案内してくれた最初の地点に戻るため、どういう訳かバスに乗る。見覚えのある所で降りようとするのだが、バスは終点まで行ってしまう。終点で降りて周りを見るが、全く知らない景色。おろおろしてまたバスに乗って帰ろうとすると、別のバスに知っている人がいる。ほっとしてそのバスに乗り、彼女から私が降りる場所を教えてもらう。確かにそこは初めて案内されたところと同じ場所である。短いステップを上り最初の部屋は演劇学部の小道具制作ショップ。知っているアメリカ人の顔があった。記憶をたどりそこから指定の教室に行こうとするが、廊下は全部畳とふすま。壁紙も以前に見たものではない。行けども行けども、畳の部屋。ちがう、ここじゃない、ああ、これはもう間に合わない。授業時間の半分以上が過ぎている。ものすごく慌てている。仕方がない、正門から行ってみようと走って回ると、日本の普通の学校のように運動場が一面に広がっている。そこに機動隊が数百人、列を作ってその校舎の中に入って行く。その列は2階まで続いていて窓に映るのだが、どうも、私が行くべき教室の方に向かっているようだ。 

私は祈る。私が今向かおうとしている教室にいる誰かが悪さをしてそれで何かがこれから始まり、私のこの遅刻に気付くものが誰もいないようにと。

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人間は毎日夢を見るという。それが本当なら、夢を見たという記憶を持って眼覚めたのは7,8年ぶり。就床後数秒で眠りに就き熟睡の後は切れの良い眼覚め、という一連の流れがずっと続いていた。なぜ急にこんな夢を見たのだろうと不思議だった。直ぐに思いついたのが、昨日連絡を取った人だ。

よしもとばななの日記を読んでいたら一人の女性が紹介されていた。小説家だと思ってその著書を図書館から取り寄せて読むと、作詞作曲家の明本京静を父親に持ち、成城学園から東京芸大の作曲科に進み、直ぐにシャンソン歌手岸洋子のアレンジャーを務め、結婚後は音楽家の夫に付き添いヨーロッパを周り、米国に駐在。自分の才能を押し殺して主婦をしていた事に疲れ、離婚。米国でイラン人と再婚、家事を含め様々に協力してくれるこちらの夫との生活で音楽と絵画に才能を開花させて行くが、後に遺産相続バトルから金に縛られて行くこの夫との共同生活が不可能となり、22歳年下の童貞のイギリス人の”男の子”と3度目の結婚。10年ほどのその生活も、より相応しい人生を息子ほどの年齢の夫に送ってもらうために(と本人は言う)終わりを迎える。

すごいのはこの人の交友関係。日本の”おもしろそう”な芸術家全員と言っても大袈裟ではない。小澤征爾から始まり横尾忠則、勅使河原宏、篠山紀信、和田誠、黛敏郎、イサムノグチ、ジョーン・ケイジ(この二人は日本人ではないが)などなど。

本は自叙伝だが、実は最初の数ページを読んで既にこの人物に大変興味をそそられた。上の経歴などではなく、彼女の子供の時、親がいなくなる時に楽しんだいたという快楽。レコードの乗っているテーブルの角で女性器をゴシゴシ擦っていたという。直ぐに彼女をネットで検索した。そのHPを見ると、小説家ではなく占星術師。一人8時間に及ぶセッションを行っているらしい。占いか・・・・かつては面白がってよく当たると聞けば訪ねて行った事もあるが、自分の生き方に自信を持って来るとそちらに行かなくなる。また、徹底的に勉強し、主観的好みを入れずに淡々とありのままを告げる人は少ない。 

二つ考えて、彼女にセッションをやってもらおうと思った。彼女のはいわゆる占いとは違うようだ。何を持たされているか、生まれながらの使命など、自己解体をして行くようだ。前世も遡り、誰と遭遇し結ばれて行くのか等も見えるらしい。そんな事は要らないと一度は思ったが、自分の奥で自分がどうしたいと思っているか聞いてみた。迷っている時私は頭で考えているものは取らない。身体の内部の動きにじっと耳を傾ける。それで考えを取りなおした、彼女が何を言うのか聞いてみよう、またそれ以上に彼女に逢って見たい。彼女に連絡をし、メールに私のHPのURLを貼りつけた。

10分も経つか経たないうちに連絡が来た。私のHPも直ぐにご覧になったようだ。占星術に付きものの生まれた年月日と時刻、名前、場所。そして面白いのは、最も近い誕生日に何処にいたか、そして携帯番号も記すよう言われた。面白い(と言われている)人間は面白い人間に呼ばれるのかも。

彼女と接した事で久々に見た夢。既に自己解体が始まっているのかもしれない。






ためいき 2/20

ソチ・オリンピック、フィギュアでの浅田真央のショートプログラム。転倒とジャンプミス。ため息が出た。色々な事が私の頭をよぎる。この子はこの敗北感をひきづって生きて行くのだろうか。今回の真央の演技には4年前と違い、キム・ヨナ一人を対象に勝ちたいという表情は、少なくとも表面上は見えなかった。"自分の演技"をしようと懸命に自分の心に働きかけているようだった。「自分の演技、自分の演技」と一生懸命内面バトルをしている。自分の演技とは完全に自然体で場と一体になって、自分のその時の力を出し切れることだと思う。無心でいなければならない。だが、無心でいようと考えている間は既に無心ではない。その想いは、無心でいられない自分がいることが前提となっており、無心でいられないかもしれないという恐怖心が裏にあると思う。

観ている人に喜んで頂く、ああ、ありがとうございますと、こうして滑らして下さる全てのものへの感謝に心を転換する。そうしていれば・・・

男子では羽生君がすごく動いたが、私は高橋大輔のフリーのスケートが好きだった。表情が少しこわばり緊張から始まったが、途中からは心の深いところから出て来るスケートをする喜びが顕れ、実に気持ちよさそうに音楽と一体になり自分の滑りを楽しんでいるようだった。その時が無心の時。何も考えていない。音楽が嬉しい、リンクにいる事が嬉しい、ああ、滑っている事の気持ちよさ。爽快感。そこにはメダル獲得の想いも無い。鈴木明子もそうだった。

ヨナの強さは観ている私を感動させる。不安気にリンクに現れこちらまで不安になったが、最初のジャンプで成功した時に、ほっと胸をなでおろした。彼女には寄りかかるものがあるようだ。心の奥の芯、神。バンクーバーの時、ショートプログラムが終わった後の記者会見で「オリンピックでは何が起きるか分からない。それがとても不安だった。しかし、『メダルは神様が落してくれる。あなたが取りに行くものではない。あなたがする事は、ただ今まで通り滑る事』とコーチから言われ、心がとても落ち着いた」と語るのを聞いた時、きっと金メダルは彼女に行くだろう私は思った。そして数週間前産経ニュースで読んだ記事には、次のような発言ができる生長した、大きくなったヨナがいた、「浅田真央がいたから今の自分がある」。これは真央にとっても同じだと思う。そして観客にとっても、二人がライバルだからこそ、それぞれを応援する勢いも大きくなり、フィギュア・スケートをより面白いものにし、楽しむ事ができた。二人の勝敗がどうなるのか、多くの人がテレビにくぎ付けになっただろう。

浅田真央にソチ・オリンピックでメダルの期待をする者は最早いないだろう。もしかすると、それで荷が下りて、フリーで精いっぱい出来るかもしれない。観客を楽しませる事に注意を向ければいい。同じ自分を絶対フリーに持って行かないで。フリーでの自分の心の状態が作る結果はこれからのあなたの人生に大きく影響するだろう。本当はフリーが終わるまでどきどきさせて欲しかったが、もうそれは叶わないようだ。が、これまでになかったベストスコアをフリーで出したら、それがショートの敗北(これはメダル圏内にいないと言う事よりも精神的敗北)から自信喪失を食い止める唯一の方法だと思う。

男子フィギュアでショートで9位のカザフスタンの男の子が、実にいい演技をして総合で3位になった。たとえ、表彰台に上れなくとも、観る者の記憶に残る演技で終えて欲しい。真央、あなた自身のためにも。

最後に村上佳菜子ちゃん、一回転倒しちゃったけれど、あなたにものすごい潜在能力を見ました。実は今回初めてあなたの演技をきちんと見ましたが、次のオリンピックが楽しみです。あなたは結構あっけらかんとしているので、いい処まで行くような気がする。(●^o^●)



   


石川さゆりコンサート 2/21


演歌歌手はJpop歌手より全然うまいですよ、と昔音楽関係者から聞いた事がある。言えるかも。美空ひばりのライブに彼女の生前中一度も行った事がなかった事に後悔して、その後は「!」と思った時には直ぐに行く事にしている。クラシックの大スター達パバロッティ、ドミンゴ、そしてブルーノートやJpopの歌手たち、都はるみからギャルに至るまで。くわず嫌いは止め、とにかく心を閉ざさずのぞいて来た。そして昨日は初めて石川さゆり。私は決して彼女のファンではなく、彼女のややキンキンしたあの声も好きじゃないが御縁があって行く事になった。

いや~、いや~、恐れ入りましたというか、圧巻だった。完璧なステージを創っていた。今回は「日本を旅する」と言うテーマを設け、都々逸、民謡、童謡等も盛り込んだが、落語までやって見せる。高座まで用意して、立川志の輔からもらったという大座布団とセンスを使い、真打並みに羽織まで取るではないか。私は眼を丸くして見入っていた。なかなか行ける落語。彼女の場合は公演回数も多いだろうから昨日のティアラ江東で見せたものは完璧に近かった。よどみなく言葉が出る。

一途に「芸」を広め磨いて生きている彼女の生き方が見えるようだ。芸に一途に生きる男は、女房が世話を焼いてくれるから問題は無いが、女がこれをしようとなると、女房業を男が要求したのではとても成り立たない。女の使い走りをしてくれる男が必要なのだろう(高橋真梨子の夫婦のように。
当時芸人ではなかったけれど、実は私もそうだった、小さな声で。)。そんな男が見つからないのなら、芸人の女はやはり一人が良いのだろうと、彼女の「行って戻ってきました」という言葉に思った。





良かったね 2/21

真央ちゃん、意地を見せてくれた。彼女も終って涙が迸っていたけれど、私もその量においては負けないくらい泣いてしまった。良かったねぇ。こんなにできるのに、この4年間の努力を無駄にしないで良かったね。弱さと、心を取り直したら此処までできるんだという心を取り直す強さと両方を頂いた。ありがとう。












 
 




野村克也さんのくやしさ 2/24

野村克也さんのトークを聞きに行った。どのように選手を育てたか、それがメインの話のはずだったが、口惜しい思いが沢山あるのだろう、「テレビやラジオで言いにくい事をここで言って楽しんでもらえれば」と最後に結んだ話の内容は、球界の裏話。要するに星野仙一氏においしいところをを全部取られてしまった事へのすっきりしない胸の内を吐露された。~~~~~

24年間監督を務めたが、その中で4回は最下位の球団だった。4年間勤めて最下位からリーグ2位までに押しあげた楽天のリーグ戦が始まる直前、楽天の代表と球団社長が「契約は更新しない」と言って来た。頑張って下さいとでもいいに来たのかと思ったが、”くび”を宣告しに来た。リーグ戦と言う大切な試合の前にそんな嫌な話を聞いては落ち込んでやる気が起きない。「日本シリーズで買ってもですか」と訊いたら「勝っても負けても契約更新は無い」と言われた。結果ベースだった球界の人事に、いいところでもある日本人の義理人情というものが無くなってしまった。買っても負けても契約はこれで打ち切りだという。

で、自分の後に誰がやるのか、星野かと関心を持って見ていると、「広島のあのブラモだよ。俺の代わりがブラモかよ」と嘆いたが、楽天をまた最下位にして1年くらいでアメリカに帰った。しかし、その後監督になったのが星野仙一。後で関係者が言うところによると、もともとブラモは無く星野氏だったらしいが、「俺がリーグ2位までにしたから、今度はリーグ優勝しかない。一度落としてくれと言ったらしいんだ。あいつは自分がどうやったら脚光を浴びれるかそれをまず考える」。

「俺はどうやって優勝できるチームまでに持って行くかを考えるが、あいつは優勝できるチームに行く。俺が地固めをしたところに。今は優勝は金で買えるとも言われる。星野は球団に補強や補給を要求する。楽天に大リーグのメジャー、ジョーンズやマギーを引っ張って来たんだ。メジャーだよ。どの位のお金を払ったか。監督は何もしなくとも優勝できるよ。阪神の時も金本、下柳、伊良部を入れた。どれほどの金が出たか。俺は球団が与えたものの中でやって行く。補強や補給を要求した事はない。球団で利益が出ているのは巨人ぐらいだ。優勝しても選手の報酬が高くなって巨人以外では利益など無い。だけど球団を持つと会社の宣伝になるんだ。俺だって楽天なんて聞いた事も無かったよ。」

「星野は処世術に長けている。球団は能力より処世術の良い人間を取る。横浜DeNAベイスターズの社長は、俺が嫌いだというんだ。俺とあった事も無いんだよ。印象だけなんだ。で、中畑だよ。監督は外野手ではできない。内野手かキャッチャーだ。ヤクルトの監督をした時、社長の相馬さんは好きなようにやってくれ、後は全部私が責任持つと言ってくれた。で、ヤクルトは俺が監督した初年が5位翌年は3位、そしてその次は優勝だ。組織はリーダーの力量以上には伸びないというが、相馬さんは大きい(だからヤクルトは優勝まで行けた)。」
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阪神と楽天それぞれで自分が辞めさせられた後に来たのが星野仙一。野村さんの気持ちも分かる、が聞くに痛々しい。「普通こう言う所に来て話をする時は、いい話か、為になる話か、面白い話だが、こんな話で期待に添えなかったかもしれませんが」と言われて終わろうとすると、会場から密度の濃い拍手が沸いた。人間くささをあからさまにした話、”ええカッコし”は止めた話、もしかすると同じ悔しさを味わっている人達の代弁に感謝していた人も多かったのかもしれない。

才能や能力が最も重要視されるものだと思っている人たち、それゆえに心を痛めている人達は沢山いるようだ、私の周囲にも。恐らく”かつて”の私自身も(若気の至りでしたぁ、ほっほ●^o^●)。それぞれ良い協力者、相性のいい雇用主が現れると良いね。






三木谷va.堀江もん/星野仙一vs.野村克也 2/25

上の話を書いた後に堀江もんが昨年の早稲田大学稲門祭で三木谷氏について言っていた事を思い出した。三木谷氏は余り悪戦苦闘せずに周りが皆疲れた頃に、容易に狙ったものを捕獲しに行く。堀江もんは難しい所から始まって結果を出して行く。「その方がやりがいがあるじゃないですか」と云いながら三木谷氏のやり方に不満げだった。自分が最初に狙って成就しなかったものを取られてしまうから。星野氏のやり方もこれに似ているのかも知れない。そのやり方を”きたない”と思う人もいるし、”うまい”と思う人もいるのだろう。戦国時代の武将たちを思った。知恵のある者、勢いだけで行く者と色々あったのだろう。私にはこういう知恵がないから、こんな知恵のある人が側にいてくれたらと思うけれど、いたらいたで、やはり「ずるいやつ!」と思いつつ頼もしいとも思い、もう一方に対しては立派だと尊敬しながら、「もうちょっとうまくやったらいいのに」と眉間にしわを寄せるかもしれない。そう言う私もずるいね(笑)。

でも、上から眺めると、何とも面白い。こんなに色々な人間がいて、人間の世界は本当に豊かだと思う。そこに自分も入れてみた。自分の不器用さや一生懸命さ、などなど。そうしたら自分自身にも笑えた(あはは・・・)。
   


   出入り禁止-デモ作りの開始 2/26

家にある小さな録音機でピアノカラオケの伴奏で歌って録音した自作曲や、昨年の11月のコンサートDVDをビクターのディレクターに送った後、お会いした。自宅録音した”音"を聴きびっくりして、もうDVDを見る気持ちが失せたという。そして、CD並みのものを作らないのかと訊ねて来たが、かつてのCD作りに一曲ウン十万円を出費している。デモでは私がどんな曲を書いているかを聴いてもらうだけなのに、なぜそんなものが必要なのか、理解できなかった。それに、今度は楽曲提供だし、私が出て行く訳じゃないから私の声やら歌がうまいかどうかは関係ないだろうに。

ではDVDを聴きましょうとなったが、その後突然”出入り禁止”になったようで、ディレクターは電話にも出なくなった。たしかにDVDは音もマイクから直接取れず、なんどもこれまでライブの度に作ってもらって来たがどれも自信を持って人に聴かせられるものには至らなかった。しかしどんな歌かを感じてもらうには十分な筈のに、なぜダメなのだろう。一体どんな感性をしているのだろうと、その感性を疑っていた(笑)。

出入り禁止になったようだから、次にどうしたら良いのだろうと考えあぐねていると、スタジオ録音したデモを作ろうかと言う気になって来た。FBで知り合った音楽プロデューサーの米国人にその話をすると、「相手が何を聴きたいのかあなたは理解していないのじゃないのか。あなたが今までディレクターに送ったものは相手を侮辱しているよ」という。えっ?「アレンジも含め相手が聴きたいのは音、サウンドですよ」と。なるほど~。出来れば、コストがかからないように、あなたに完成版を持って来させ、そのまま売りだしたいのです。な~るほど~!。デモでOKならそれがそのままCDになるんです。ほ~(ん?ちょっと待って、と言う事は私が出て行く????)。

と言う訳で、そのプロデューサの自宅、千葉県君津市近くのスタジオまで昨日行って来た。東京からは小旅行である。このプロデューサーは譜面は殆ど見ない、全て耳である。Rey Charlesやビートルズもそうらしい。びっくりしたのは15曲の中からデモ用の2曲を選んてもらったが、私が暗に選んでいたのと彼が選んだのと一致していた。25年も日本に住んでいるらしいが、日本語はまだ流暢ではないから歌詞は理解できていないはずなのに。その2曲は、最も新しい自作曲となる「君の新しい記念日」と「この国にもう一度生まれたい」。「この国にもう一度生まれたい」はやや柔らかいラテン、「君の新しい記念日」はバーバラ・ストライザンドのEvergreenの雰囲気を提案して来た。これにもびっくり。Evergreenは私が好きな歌で、レパートリに入れている曲でもある。彼のイメージの「君の新しい記念日」を触りだけ演奏してくれる。テンポをずっと落し、どっぷりと大人の歌となって生まれ変わる。なんともしっとりとして美しい。現在の楽曲に以前から修正したいと思っていたところがあったのだが、彼からそこのところを指摘してくる。私はとても喜んだ。この業界に浅いため主張をためらい妥協しようかと迷っていたところだっただけに、私の感性に間違いがないと裏付けされたようで嬉しかった。

十五万円もすると自慢げに取りだして来た録音用マイクから流れて来る私の声、いいではないか~。「あなたの声は温かい」と称賛してくれる。うっひょっひょ~( ^)o(^ )。日本語はそれほど理解できなくとも私の歌で感じるのだろう、「輪廻の華」という恨み節を聴いている彼の顔は怒りのような感情でこわばっていた(笑)。う~ん、このデモならディレクターも絶対取るだろうとかなりの確信が私の中に生まれる。このディレクターは私の最初のCDに収められた楽曲が気に入って此処までお付き合いして下さっていたが、この二つの新しい楽曲は全くタイプが異なり、色々な意味でそれ以上であるから、取らないわけがない。

このスタジオを借りている間、昔作ったCDも録音し直すことにした。あの時は初めてのことでもあり、歌い直したいと思うところがあっても、業界に長いアレンジャーやディレクターがいいと言うならと、自分を主張しなかった。アレンジャーやスタジオディレクターは私から仕事代金をもらえばそれで終わりだが、この作品の全責任は私が負うのだから、Betterなものを作れるという事が見えている処で絶対妥協してはいけないのだ。

そんな訳で、いいデモができそうである。いい人に巡り合ったような気がする。今の私には必要な時に最も相応しい人が現れるようになっているようだ。全てが天命だから、神が用意される。




何も聴いていない 2/27

あははは・・・今度のレコーディングに関わってくれるのはマイケルという米国人だが、彼が私に言った上の言葉「相手が何を聴きたいのかあなたは理解していないのじゃないのか。・・・アレンジも含め相手が聴きたいのは音、サウンドですよ」をコピペしてビクターのディレクターに送ったら、なんと返事が来たではないか。「その通りだと思います」と。

最初に送った家で録音したものに余りにも”驚嘆”して、その後に送ったものについては、聴いても/見てもいないと言う。私が本社まで行って会った時には「聴きます」「見ますと」言ったにもかかわらず、トホホ。でもホッとした。「一度、よくない状態の音を聴いてしまうと、どうしても、その次の音を聴くのが<楽しみ>ではなくなってしまうので忙しさにかまけて、試聴が後まわしになってました。。。」それで、完成版ができるまで待ちますと。

よっしゃ~、行くぞぉ!





のど自慢全国大会 3/1

たった今NHK地上波で「のど自慢チャンピオン大会」を見終わった。毎週各地を回って予選を勝ち抜いた人達がステージに上がり全国放映されるが、その中でチャンピオンになった人達が全員揃って、確か年に一度チャンピオン大会を行うのだと思う。その歌を聴きながらキッチンで色々やっていると、私の気持ちはまるでそこに出場し順番を待っているかのようにどきどきして来る。完全に挑戦者たちに感情移入。大変な心境だろうなぁと思いながら、心臓が落ち着いていない自分に気付いて笑ってしまう。グランドチャンピオンになるって運だからね。もちろん運も才能の内だけれど。たまたまその時の審査員が好きな声だったとか好きな雰囲気というのがある。私としては「二十歳前」を歌った学校の先生の歌が良かったなぁ。でも、ま、子供もいるし、これから売り出してなんとかなるという訳にはいかないのだろうね。ミュージカルを勉強しているという、アグネスちゃんみたいな女の子がグランドチャンピオンになった。理由は、審査員の話によると、出て来た途端ぱっと明るい雰囲気が漂うという。

 

































 
4か月ぶりのライブ 3/1

とうとうこの日が来た(笑)。何度やって来ていても緊張するのよね。特に今回は4か月ぶりと言う事もあるのかもしれない。どれ程の人が来てくれるのか、どんなトークをしようか、選曲はなどと考えていると段々肩から二の腕に掛けて凝って来る。私はよく肩甲骨あたりが疲れ、それが自分の姿勢に原因があると教えてもらって、意識的に肩を降ろす様にしているけれど、何かに夢中になって作業をしていると、肩の辺りがものすごく緊張してあがっている事に最近始めて気がついた。

先月後半から、そろそろ三月かぁと思い始めた時から、じわ~っと緊張が押し入って身体を硬くさせている。

さて、今回は、色々と皆様のお声を聴き、それらを反映させながら、楽しいトークを沢山盛り込んで参ります。そう言えば前回11月のコンサートでは、通常ライブにあるようなおもしろトークがなくて残念だったという人がいたっけ。

まだ公表していない新曲が6曲あります。男女の愛のいとなみを歌った、そのままずばり「愛のいとなみ」。自分が作ったのにとても難しくて、わたし歌えないって、今投げ出す寸前。これを歌った後にマセガキの歌「僕がママを守るんだ」を歌うと面白いよ、と言ったのはアレンジャー兼ピアニストの西直樹。「愛のいとなみ」がわたしのこれまで作った歌の中の名曲に入ると彼が持ちあげてくれたけれど、これは、おそらく、わたしに次の男ができない限り、無理かも(^v^)。

それでもね、こんな歌聴いた事がないというテーマのものを幾つか持って行きます。面白い歌だと思う。詳細は出演欄を見て下さいね。(#^.^#)





となりの芝生 3/1

多くのミュージシャンたちはギターでコードを鳴らしながら曲を作っているようだ。かっこいいなぁ。そんな風に作って見たいなぁと思うが、どうやるのか分かるようで分からない。わたしの場合は、なんとなく出てくる、降って来る、湧きでてくるというのが多い。時には、外国の歌を聴きながら、勝手に自分のメロディーを作ってワーワー声を出して歌っているというか、叫ぶ。叫んで、踊って、くるくる回って、鏡で我を見て、あ、これ面白い、と録音しておく。ピアノの前に座る気になった時に、やっと座って整理して譜面を書く。現在作曲クラスを取っているから、よく座る(^v^)。

ネットで見つけた一人の青年の作曲カウンセリングと言うビデオが大変良かった。まず、KEYとリズムを先に決める。決めたらそのKEYのトニックから音を出して、コードを変えてつなげていく。完全に人間の頭脳の世界のやりくりで、一つ一つステップを踏んでゆく。わたしのように完成したメロディーがぱらっと降ったり、ごぼっと湧いたりするのとは違う。しかし、こう言う風に曲を作って見たい、そう思って今日体験レッスンに行って来た。これまで作った曲の音源を持参するように言われたので、聴いてもらうと、「一体何を勉強したいのですか」と唐突に訊ねて来た。別なアプローチで作曲をしたいというと、それは「となりの芝生ですよ。降ってくればどんなにいいかと思いますよ。全然降って来ないから、頭でやっているんです。これほどのメロディーがどんどん浮かんでくるのは素晴らしい事です。今の感性を大事にして下さい。」と言いながらも、簡単に自分のやり方を教えてくれた。はっきり言ってそれだけで十分だった。

でもいい青年だったなぁ。わたしの来訪は彼にとって全くメリットがないのに、快く彼の作曲法を見せてくれたり、来る必要がないと言ってくれたり。彼が作ったデモがHPに貼り付けられていたが、中東あたりの民族音楽をベースにしたもので、それを聴きながら私は別な作曲をした。こんなに素敵な青年との出会い(ルックスはそうでもないけれど、すんまへん)、今後何かにつながって行くかもしれない。いい出会いだった。





プロフェッショナル 仕事の流儀:同時通訳者 3/3

NHK地上波で放映される「プロフェッショナル 仕事の流儀」で本日取り上げられたのは日英同時通訳の長井鞠子さん。私が通訳をしていたころ、当時東京都知事だった石原慎太郎氏が彼女しか使わないという話を聞いていたので、どれほどの通訳をされるのか拝聴させて頂き、その席で実際にお話もさせて頂いた事がある。石原氏もテレビで彼女に付いて言っていたが、彼女自身もスピーカーが自分に乗り移るんだと言っていた。

会議通訳料金は弁護士並みだねと昔言われた事がある。客の前に現れるのは高々3時間~7時間ほどなのに、それでこんなに取るのかと思われるのだろう。しかし、長井さんもテレビで言っているように、前準備にものすごい時間をかける。ページ数を言うよりも厚さで測る資料の束を読み、それを理解するため分からないところはネットや本で調べる。その資料も1週間も前に到着すればよいが、実際の通訳を必要とする日の2日前、前日と言うのが普通だ。当日現場でくれる事もある(普通のことだが、こういう環境での通訳初心者だった頃は、それはそれは・・・心臓がドドド~っと喉まで上がって来たような内臓のどよめき)。幾つもの仕事をやりくりしている時にはたまったものじゃない。当日恥をかかないように、プロは徹夜で読みこみ単語帳を作って行く。始めてリーマンブラザーズの3時間の2人制同時通訳の仕事を頂いた時、3日間一歩も外に出ず家に閉じこもって朝から晩まで資料とにらめっこしていた。自給にすればマクドナルドの店員より安い。こうして1秒を惜しんで資料を読む。読み切れていない時は、会場に向かう電車の中で続ける。時には歩きながら。それでも何が出てくるか分からないので、どきどきしながら開始時間を待ったものだ。

私も長井さんと同じように、分かりやすい通訳を心がけた部類に入るだろうと思う。辞書にはない日本語をいつでも探していたし、考えていた。あの頃は毎日のように、日本のニュース、米国、イギリスのニュースを録画して原語で聴いていた(今はあちらのニュースはもちろん日本のニュースも聞かない、事実の開示率40%(10年近く前に読んだNewsweek誌から)だという日本のマスコミの話を信用していない)。

ガイドやら、アテンドやら、マスコミのインタビューやら、様々な通訳がある中でも、彼女も私も国際会議、企業会議に出る会議通訳者。そのための専門用語や広くて浅い専門知識の詰め込み、お陰さまで雑学はかなり増えた。この会議通訳には逐次通訳と同時通訳の2種類がある。同時はその名の通り、陰で黒子のように姿を現さず、ブースに入ってスピーカーと同時にしゃべる。逐次通訳は参加者全員から見られる目立つ所で、スピーカーの話が終わったらポーズをもらい、それまでスピーカーが話した事を訳す。実はこちらの方がずっと難しいとされるし、実際そうかもしれない。なぜなら、スピーカーの話の内容を十分に理解していなければ、恥をかかずに逐次通訳をするのはまず無理だろう。メモを取りながら話された事を記憶として溜めて行くが、通訳の思考回路の出口まで行きつかない話は、メモも単語を書いているだけで繋がりは見当がつかない。記憶に留まらない話は当然通訳不可能である。同時通訳なら、聞いたところから流しているからあまり記憶する必要がない。またイヤホンを付けている人は英語や日本語が全く分からない人達だから、通訳が変な事を言っても、分からないなりに時間と共に過ぎて行く(時には通訳能力を密かに審査するためにイヤホンを付けている英語の達人もいる)。しかし逐次の場合は、参加者全員が聞いているから、英語を十分に理解できる日本人がいるし、そういう人は大体関係者だったりするから、通訳が間違った事を言うと直ぐに分かる。時には、「通訳さん、間違っています」と会場全体に聞こえる大きな声で言う人もいる(@_@;)。

通訳者は当事者ではないから、専門知識は深くないので、全部を理解できないのは当たり前の話である。だが、通訳と言う仕事がどういうものか分からない方々の中には、そこまで要求する会議参加者もいる。また、通訳の中でも事前資料があっても読みこまずに来る人、読んでも理解できないままで来る人もいる。そう言う人と一緒になり、声質が似ていると、隔離されたブースに入っている同時通訳者のどちらがたどたどしいのか分からないので、まとめて今日の通訳は悪かったという印象を持たれる場合もある。せっかく準備して来た自分の努力が水泡に帰し腹立たしくなる。そう言う時は、「パートナーにxxxさんはお断りします」と、事務所に通告する(皆大体どちら側も経験する、と思う(^v^))

今日のテレビでも紹介されていたが、訛りのある英語で早口でしゃべるアジア系の人達の通訳となると、もう最初からドキドキしたものだった。ある時、当時の通産省の仕事で入管会議の通訳をしていた時、ベトナム代表がしきりにチェニング、チェナーという。何のことだかさっぱり分からず、そこは沈黙してしまった。すると、通産省の職員だと思うが、このベトナム人が準備した資料から質問した。分かったのは、彼はTraining, Trainerと言いたかったようだ。TRAの発音がベトナムではチェになってしまうのかもしれない。また、厚生省関連の会議だったと思うが、スピーカーは持参した原稿を超特急で読み始めた。通訳にはその原稿が渡されていない。が通訳者は働かなければならない。幸運にもその時は私が通訳する番ではなかった(同時通訳は15分ごとに交代する)。その時の私の相方はEU委員会でさんざんやって来た超ベテラン。放心したように真っ赤な顔をしてついて行っていたが、さすがに15分の持ち時間に堪えられず、12分ほどで私にマイクを渡そうとする。と~んでもない、こんな通訳、それまでした事がない私にはとてもとても・・・。議長を始め会議参加者のほとんどは英語圏以外から来ている。彼らは外国語として英語を習っているだけ、同じ英語圏でも聴くものはいないだろう、ましてや英語圏以外の参加者が聴けるわけがない。だが、相手が理解しようがしまいがそのスピーカーはお構いなし。

これが数ヶ国語で通訳される”リレー通訳”の場合は、物凄い事になる。それぞれの語学担当者別にブースが設けられているのだが、スピーカーが英語で話す場合、まず日英通訳者が日本語に訳す。それを受けて中国語通訳者、フランス語通訳者、その他通訳者が、それぞれの言語に訳して行く。まさにリレーである。超特急でスピーカーがしゃべる訳だから、余程のベテラン中のベテランでない限り、同じように超スピードで訳す(超超ベテランはこう言う時にでもじっと聴いてツボだけを抑えゆっくりしたスピードで日本語を出せる。すごい技だ)。その超スピードに訳された日本語に他のブースの通訳者がついて行く。みんな真っ赤な顔をしてやっているわけである。「垂れ流しをすればいいのよ」と私の相方が教えてくれたが、何かが閊えた、自己軽薄感なるものが生まれる。だがこの経験から、これも練習と場数だが、事前に送られて来る原稿から、その原稿のスピーカーがどのようにしゃべるか予測できるようになった。これは超スピードで読みあげると思ったら、こちらも先に原稿を全て翻訳して行き、読みあげる。大体予測は当たる。「あんな速いのをよく訳せましたね」と後で主催者側から"ほめられた"が(^v^)。

会議通訳者が目指すところは多くの場合、お役所の国際会議や皇室の晩さん会での仕事。幸運と言うか一応ここまでした時に、こんなものかと、なんだか納得してしまった。最終的には大体紙面で考えをまとめたものを渡すので、その場の通訳はそんなに大きな意味を持っているように思えない。会議は、会うこと、一応やりましたという履歴を残すことに意義があるのかもしれない。もちろん少しの質疑応答があるので、そのための通訳は必要だが。

それよりも、どうしても通訳が必要なところに行くと、やりがいがあった。それは、設立したばかりの会社である事が多い。一度、日本人スピーカーが米国本社から来た役員にする熱心な懇願に私の心が震えて、泣いてしまった事がある。米国人の役員は私に心打たれ、その社員の懇願を聴き入れようと、本社に帰り再び別の役員とともに来日した。その時新たに来た役員が、「あなたが話していた通訳は彼女のことか」とその役員に訊ねていた(笑)。またある場合は突如米国で告訴された日本企業。相手も必死であるから通訳を本当に頼みにしている。そのようなところでよく言われた事は、「あなたは言葉だけでなくスピーカの感情まで訳しますね」。

今でもほんの僅かだが会議通訳の打診が来る。ふとやってみようかなと言う気が消えゆくマッチの炎程度に起きるが、当日までの準備や、当日のドキドキ感、長らくやっていないので相方に掛けるかもしれない負担を想うと、止めておこうとなる。

とにかく、いろいろな方々にお会いできた。天皇皇后陛下、中曽根元総理、元衆議院議長河野洋平氏などなど。演劇の演出家や劇場の支配人、日本古典芸能、狂言、能、日本舞踊の家元などなど。それはそれで弁護士より楽しい仕事だと思うが、そこには”私”がいなかった・・・・何かを作り形を残せるクリエイティブな仕事の方が私には相応しいようだ。






遠くに置いて来た懐かしい日 3/5

昨夜11時近く、千葉の君津近くまで行きレコーディングをして帰って駅に着くと、しとしとと雨が降っていた。その雨が今日もずっと続いている。波動というか、空気、色彩、音、柔らかさ・・遠い昔に何処かに置いて来た懐かしい日だ。高層マンションの窓の内側から眺める外は大都会にも拘らず静謐。時々カラスの鳴き声が聞こえる。林立する高層ビルの室内から灯される明りがビルの霞んだ輪郭を際立たせている。

時々ベランダに出る。雨のしずくがまるで鈴らんの花のように手摺りに垂れさがっている。あ~、この形が好きだ、といつもは潰したがるのに、愛おしい心で眺めている。室内では、先月の終わりに再度取り付けたユーセンの受信機から、バッハが流れる(私の最初のCD「美しい日々だけを連れて」もリクエストをすれば流れる)。モーツァルトをかけたが、曲が創る空間が私の部屋には、特に雨降りの閉ざされた空間には広すぎて、気持ちに穴が開く。少し前にテレビである作家が「バッハは一人で聴いていても淋しくない」と言っていたが、そうかもしれない。その作家の人生を少し想像しながら、私は谷川俊太郎を読む。谷川はとてもとても寂しい人だ。痛々しい程に。

空を見ながら、時々下の方で小さな動くもの(人間)を見ながら、私は宇宙を想い、神を想う。最近は神と対話する時間がとても多い(谷川もそんな事を書いている)。神が心にすぽっと入る空間を常に用意してある。私は本当に強くなった。強いとは何だろう。それは人間の言葉に惑わされない事だと思う。国家の言葉もマスコミの言葉も組織の言葉も個人の言葉も。その言葉には影があり、計り知れない思惑があるかもしれないのに、そのような言葉に翻弄される生命や時間はもったいない。自分が責任を取れるところを信じる。自分が何をしているか、自分が周りどどう関わっているか、何を考えているか、何を祈っているか。誰かの言葉より神の声に常に耳を傾け、神と相談しながら行動できる程強いものは無い。その行動は時と場所に最も相応しい。だから今の私は自信の塊(少し崩れ、粉が落ちる時もあるが)。神を信じ、神を自分の中に常に入れる事が此処まで自分を連れてくるとは想像だにしなかったが、今の地点に立ってかつての自分を見ると、顔を隠したい程に、悲鳴を上げたい程になる。もう少しすると完全に元の自分は消えるような気がする。今の自分を私は好きだ。

詩人も科学者も頂点に行くと、大体皆神を感じるらしい。私も小さな仕事だが、全て神から伝えられる事を歌にしていると想っている。自分の能力だとは思わない。体験を通して書く私の作品が他(ひと)に何かを伝え、よく行けばその人達の人生をより豊かにするお手伝いができるだろうと、この仕事を与えられたのだと思っている。

神を知るようになって、色々な人の作品がとてもよく理解できるようになった。素晴らしい作品を創るまたは書く芸術家たちが見ているものは東西を問わず、神だ。シェークスピアの「真夏の夜の夢」、わたしが神を見つけた後にこの芝居の上演を見たとき、初めて気がついた。そして全てに納得いった。シェークスピアの作品は神無しでは書けなかったものだと。思考過程が長い人間智ではあのような傑作を次から次へと生みだすことは出来ない。”絶対”できないと言える。神が下さるインスピレーションは思考過程を短縮させる、跳躍させる。閃光の如く。ただ手が動く。頭は後から追いてくる。

こんな日、外はどんよりしたとても静かな雨の日、私は一人、寂しさとは裏腹に、神の御手に抱かれ、恐怖もなく、私がずっと欲していた明るい未来に想像を膨らませている。全てのものが嬉しくて、たまらなく嬉しくて、たまらなくありがたくて、涙だけがほとばしり、落ちる。(・・・・ね、あなた、大丈夫?本の読み過ぎなんじゃないの?)





今がいいのか、そんな日がいいのか 3/6

これから2か月ほど、デモ作りのために千葉の君津まで往復する事が増えそうだ。レコーディング機材をすべて揃えている都内のレンタルスタジオを借りるとなると、小さいところでも一日7万円ほどになるだろう(もちろん個人宅より機材はいいが)。だから私のようにインディーズ(自主)制作の場合は、だいたいスタジオを持っているミュージシャンにアレンジも含めてお願いする。それで今回は君津まで行っている。

デモと言っても作り方はCDと同じだから、一曲の録音にかなり時間が取られる。録音したものを聴いて満足しないところはやり直しをして何度も歌い、OKの部分を拾って継はぎして行く。今回はFBで知った米国人にお願いしているから、日本語が流ちょうではないので、どこどこを歌い直すと言っても、相手は歌詞や言葉の音を直ぐに拾えないから、その場所を探すお手伝いを一緒にしなければならない。普通のレコーディングより歌以外のために声を出すので、ちょっとしんどい。しかし大変コラボのしやすい人だから、問題を心置きなく言えていい。今回はこれまでCメロのアレンジをして下さった西さんのピアノカラオケをバックにして作るデモもあるので、長丁場だ。

こんな時に、チェック機能を果たすスタッフのいる人はいいなぁと思う。関係者がそれぞれの担当分野で全員プロなら、わたしはほんの少し口を挟む程度で終わるだろう。ここをもう一回歌いたい、程度。後は他の関係者間で相談してもらう。

やはり良いものを作りだすには、大勢の人の力が合わさってこそ可能なのかもしれないと思う。以前に観た石川さゆりの汚点のないステージもそうである。演出を助ける人がいて、いなくとも気付いたところを指摘してくれる人がいて、リハのビデオ撮影をしてくれる人もいる。全員そろったリハをビデオに撮れれば、本番前にチェックができる。手の位置や動き、自分とミュージシャンたちとの間のスペース等など。動きや踊りの振りを自分で考え少し鏡に映してOKと思っても、ビデオを通し改めて気が付く事は随分ある。グループで活動している人が、こう言う時は羨ましいけど・・・後はそう言う人達を雇えるお金の問題なのだろうね。

今週の火曜日に6時間かけて3曲を録音したが、少しづつ話し合って改善して行かなければ。

しかし、こんな時代が良かったと、いつか思うのかもしれないね。
   
  また雪だ 3/7

レコーディングで君津まで行く予定だったが、朝方2時頃まで、自分の歌をどのように歌おうかいろいろと実験していたら、起きがけの声の調子が余りよくない。声の使い過ぎのために潤いが無くなっている。今日のレコーディングは来週に延長してもらう事にして、昨夜からの作業を家で続けることにした。歌もただ作るだけではなく、どう歌いたいのか、どの言葉でどんな声を出したいのかと完成されたイメージを描いていると、この楽曲を誰かに提供するって楽しみでもあると思い始めた。絶対、私よりうまい人に歌って欲しい。(笑)

「君の新しい記念日」が7分程の歌になったので、こんなに長い歌は誰も聴かないよと、レコーディングを手伝ってくれているマイケルが言う。この曲に対する彼のアレンジがバーバラのEvergreen風だとすると、確かに随分長い。市場には長い歌もあるけれど。ユーセンを設置した日、作業員の30台の青年二人にアカペラで歌って聴かせた。私は誰にでも聴かせる。反応を見たいし、自分の歌に聴き手がどのような表情をするのか見るのが大好き。1コーラス歌い終わるとリーダー格の青年が「へぇ~」と眼を大きくして反応。まだ先があると黙らせ(笑)、3番まで繰り返しのサビは飛ばして全部歌い終わると、彼らから声がなくなった。黙ってうつむいた姿に、意図的に表情を作っている気配がない。青年がポツポツと呟き始めた「切ないですね・・・非通知で電話しなければならない事情があるんですよねぇ・・・結構男の方がこうなのかもしれませんよね。」

今はさびが4回も続くが、人に聴かせるとき、やはりその2回は省いている。聴き手も先が見えて興ざめするのではないかと2回だけにしても、ここまで聴く者の心を揺さぶる。どうも2回で十分そう。また、長いと、一度は聴いても2度聴こうとしない。バーバラのEvergreenは3分程か、私も何回も回しているし、歌ってもいる。やはり、工夫しなければいけないだろう。この歌の場合、どの言葉も愛おしい。愛しい子供を断腸の思いで放つようなものだ。

声を出す前に、谷川俊太郎の詩の続きを読もうと、窓に向けて背もたれの深い椅子に腰かけ灰色を帯びた大気を見つめていると、糸くずのような白いものがさらさらと落ちて来た。「あら、雪?また、雪?」窓を開けると確かに雪だ。遠い空は明るいから、間もなく降り止む雪だろう、春の前の最後の雪かなと思いながら、このブログを書くことにした。こんな日にまた詩を読みながら、もう少ししたらバッハをまたかけるだろう。




空には何もないのに  3/8 



   


空には何もないのに


そらには なにもないのに
かなしさ こらえるとき
くやしさ こらえるとき
そらをみる

そらには なにもないのに
こころを あらいたいと
もういちど がんばろうと
そらをみる 

そらには なにもないのに
みあげると ゆうきがでる
みあげると よいひとになる 

 


























そらには なにもないから
とりたちは じゆうにとび
たいぼくは そらをめざす 

そらには なにもないから
にんげんは きぼうをみる
あんしんして みなうれしい 

そらには なにもないから
ただ よろこんでいるから

みんなが よろこぶから



ああ、空になれたら


しずこ

 


初めての観戦-ボクシング 3/11


友人が会社関係で入手したチケットで、お誘いいただいてボクシングをリングの真ん前で見て来た。
以前から一度見たいと思っていた。あんな痛々しく苦しい殴り合い、実際に会場に座ってそれを見て喜ぶ人達の熱気の中で、人間がなぜこのような格闘技を楽しむのか感じてみたかった。

鼻血を垂らしながら、それを補佐に拭かれながらなおも殴り続ける。やれ!、行け!と叫ぶ観客。最後のマッチは王座決定戦。その後半からは会場が手を叩いて大合唱。よく見る大学の応援合戦に似ているような光景もつくられる「フレ~、フレ~XXX!」。女同士のマッチもあった。一人は子供のいる母親らしく、試合中は「がんばってぇ」と叫ぶ子供の声が響く。試合開始の鐘が鳴った途端、それまでの柔らかな表情から一変して闘志を露わにし、母親は別人になる。鼻血。後ろの席で、やはり初観戦なのだろう、「女の人がなんでボクシングするんですかね」と話している。

試合が終わり手洗いで列を作る20代程の若い女性達。観戦直後なので上気しながら語り合っている、「レスリングの方が面白い」「私はボクシングの方が面白い。」どうも、私は感情移入しやすいようで、あんなに頭や顔を殴られたのでは脳しんとうを起こし、頭に障害を抱えるのだろう、ああ、どんな人生で此処まで来たのだろうと、心が重くなり緊張で体が硬直して疲れる。全て予想していた通りだった。

しかし、ハッと目を見張った瞬間があった。試合が終わると、勝者は負けたものに歩み寄り、背中を抱いたり、ニコッと笑みを向ける。最後の王座決定戦は引き分けに終わったが、それぞれが相手の腕を高く持ち上げ、相手の素晴らしい闘いぶりを称賛していた。言葉は無い。疲労困憊している。その姿に、やはりこれは殴り合いではない“試合”なのかと、思いにふけった。
 
 



化粧 3/12

二つ上で書いた「空には何もないのに」に曲が付き、同時に別な歌が生まれた、「化粧」。

これ、何とも面白いし、少し色っぽい。歌を作る時、曲と歌詞が一緒に出てくる事もあるが、溜めて置いた曲に出来た詞を当てはめ、それぞれを少し調整する。すると、詞からは思いがけないメロディーになる。それはうまく共生して、時には何とも面白い歌になる。今度はそれに当たる。うわ~、わたし、この歌、好き。おもしろい。

これは、阿久悠の小説の中に出てくる女性の言葉が印象に残り、そこに中島みゆきの「化粧」に描かれる女のみじめさと対峙させた。彼女の「化粧」では捨てられた女が化粧をして最後にもう一度男に逢い、戻ってもらえたらと願う。


化粧 

まゆを かいています 
べにをつけます いまから
はだのくすみを かくし
ほんとうの わたしになります 

すぎゆくときの ながれ
くちゆく すがた しぜんですか
わたしの いのちは くちません
17さいのときの まま 

だれの ためでもないの
わたしが わたしであるため
きょうも べにをさします
まぶたに いろをいれます 

わたしのいのち いまでも
わたしの17 きれいです
けしょうで すなおに あらわして
しぜんで いようとおもいます

ほんとうの わたしで いるために
かがみに むかって えみひとつ
なげて はじめる    
ねえ けしょう します




苦労せんくていい 3/12

今日は作曲のクラスだった。どのように7分の楽曲「君の新しい記念日」を4分程に縮めようか、どの言葉を抜こうかと考えていたが、昨日の朝の瞑想時間に要らないところを省いて言葉がやって来た。なるほど~って。自分で決めかねる事がある時は、側に作曲家か音楽に精通した人が、旦那かボーイフレンドでいてくれたらなぁと冗談で思う事があるが、実は少し時間はかかっても必ず答えがふとした瞬間に入って来る。その答えの合理性を頭で考えて、なるほど~と感嘆する。省かないよりも省いた方がよりよいのだ。2番目の歌詞の一部を省いて、そこに3番目の歌詞を入れる。2番と3番とどちらも取って置きたい所は、サビの間に数小節入れる。何とも、元のバージョンよりも切なさが際立つ。まだ少し迷っていた他のところは、その感性と頭脳を私が頼もしく思っている作曲インストラクターの音楽ベースの助言をもとに歌詞を咀嚼し更に歌詞を省いた。すると、歌詞とメロディーがさらに生きてくるではないか。大変洗練された歌になった。

正に、人間智で考えてだめなら、神の知恵に耳をすませ、である。要するに苦労しなくても良いみたい。

新しくできた「空には何もないのに」と「化粧」もインストラクターに見てもらったが、彼も面白がっていた。曲はクラスで自主的に作っていたものであるが、今回「化粧」に使った曲を見てもらった時に、手直しを要求されたところも「前回は違ったフレーズがよいと言いましたが、歌詞が入ると、このフレーズがむしろ生きますね」「この歌詞、面白いですね。ふつうは、化粧をしない顔を本当だというのだけれど、ここではその反対を言っているんですよね」と興味深そう。そして「化粧」とは対極線上にあるような「空には何もないのに」に関しては、「爽やかな曲ですね。意味が深いなぁ」と詞の発想に少し付いて行けないようだったが(まだ30代若いもんね)、深めの理解に挑戦していた。

彼は音楽大学に行った訳でもなく、ただ家族全員音楽好きで小さい時から音楽の中で育ったという。詞については専門家ではないと言いながらも、私の要求に答えてコメントをくれる。そのコメントも彼の感性レベルがもともと高いだけに、一緒に考える相手として物足りなくない(まだ30代なのだけれど)。こちらが言う事が理解できるし、それに素直でいて挑戦心があり(これが出ると私はニカ~ッと心の中で笑う)、奢らない。実によくできている青年であり、インストラクターである。側にいて私がどのように曲を料理したいか、よく分かっているので、私の迷いにもよく応えてくれる。

改めてまわりを見ると、わたしは必要な時に必要な人に出会っている。時々、うわ~と感嘆する事がある。神が私に託した仕事を成就させるために集めて下さった方々だが、託されている仕事の貴さを改めてひしひしと感じる。





ずっと前からいてくれていた 3/15

2012年の暮れにブログに書いた。ベランダに出て空をみていると、突然、「案ずることは何もない」と私に囁く声があった。そしてその直後の夢の中では、飛行機のタラップのようなところから降りて来る私の前にふかふかの赤い絨毯が敷かれてあり、そこには40代程の男性が立っていて、「どうぞ」と私に手を差し出し絨毯の上を歩くよう手招きしていた。夢でないような風景だった。

その40代の人はいつか現れると疑っていなかったが、誰だろう、いつ現れるのだろうと浮き浮きしていた。だが、その人は、その夢を見ていた時に既に現れていた。なのに私は全く気付かす、それどころかその人を信頼していなかった。。。。何と言う事を!....済まなくて涙が頬をつたった。

2011年、念願の六本木スイートベイジルでのリサイタルが終わり、そのDVDを作り、私はビクターのある女性ディレクターに電話を入れた。しかしその人はおらず、代わりに出られた男性にDVDとCDを観て/聴いて頂けないかと申し出た。本名を使った私がプロデューサーでしずこがアーティストというアプローチだった。彼は私と電話で会話しながらそのまま私のHPを開いた。そして直感的に想うところがあったのだろう、「おもしろい、おもしろい」と言い、CDを聴いた後2度私のライブに来られた。2011年の事だ。そこで彼は次のような感想を述べてくれた、「今は本当にいい歌が無いんです。しずこさんの歌を聴いて衝撃を受けました。直ぐにデビューという形ではなく、長い付き合いにしましょう。歌をどんどん書いて下さい。」だが、どこの会場に行っても受ける「今のわたし宝石です」には、「おもしろいけれど。。」と言って取り合わない。なんだか閊えるものがあり、私は他のレコード会社に行こうとした。その事がスルっと私の舌から滑ってしまうと、大変残念そうな表情をされた。

その後ライブに他の人をよこした。間もなくして、「しずこさんの声が好きではないので一緒にチームを作ってやって行くのは難しい。しかし楽曲はこのままにするのはもったいないので、他の人に歌わせませんか」と言って来られた。CDを気に入ってくれたのに、ライブの声とCDの声がそんなに違う訳でもないのに。。。もしかしたら、最初からその気がなかったんじゃないの。。。。と私の反応が少し歪んだ。様々な大物歌手の演奏をしているピアニストの西さんも「しずこさんの声悪くないよ」と言う。「でもね、ビクターのディレクターが私の声が嫌なんだって」と言うと、西さんは頭を傾げた。だが、もしかしたら、私がシャンソンを歌う時に声を作って演じるから、その声の事かしらとも思ったが、それを言う機会は失していた。当時は楽曲提供は考えになかったので、それで繋がりは切れるのかなぁと思ったが、私はとっさに「これが始まりという事にしたい」と書いてメールを送った。それで、2011年は終わり、とにかくもっと声を磨く事にした。

そして翌年の暮れ、500人を超える聴衆が集まった札幌ライブで持参した自作曲のCDが40枚完売になった。そしてそれより数か月前のライブから「原信夫と#&b」のバンドリーダーをしていた西直樹さんがレギュラーで私のソロライブの演奏をやってくれる事になった。私の自作曲にこれほどの反響があった事、そして安心してアレンジを任せられる人が側に来てくれた事から、私はどんどん歌を書き始めた(西さんにピアニストとして入ってもらった時にはこうなるとは全く予想していなかった)。その年、3曲が新たに自作曲に加わった。そして、その年の陽も暮れようとしていた時、突如私に聞こえて来た「なにも案ずる事は無い」と、夢の中に現れた40代の男性と赤い絨毯。あれは、全てが整ったという暗示だったのだろうか。

昨年2013年には12曲を書き、時には数が合わないなぁ、後どんな歌を書いたっけと一生懸命思い出さなければいけない程に溜まった楽曲。「歌をどんどん書いて下さい」と言ったビクターののディレクターに久々にメールを入れると、楽曲を是非聴きたいという。ああ、まだ切れていなかったんだぁと嬉しかった。楽曲提供だから、大体どんな歌だか分かれば良いだろうと、自宅録音したものを送り、その後ビクター本社でお逢いした。だが現れた彼の顔には笑みが無く、かなり不愉快そうだった(一体何が本当なのだろう、と私)。憮然とした様子で私の前に座った彼の口から出たものは、録音のひどさと、きちんとしたCD並みのデモを作らないのかと言うことだった。???だって楽曲提供でしょう?それならどんな歌か分かる程度で良いのでは?私の声は関係ないのでは?そう言うと、彼はニヤッと笑い(きっと御自分が言った言葉を思い出したのだと思う、はは)、では私の昨年11月のコンサートDVDを聴くからという。それで失礼したが、全く連絡がない。仕方がない、きちんとスタジオで録音したものを送ろうと、デモ制作準備を始めた。

デモは、CD並みに作るものと、西さんのピアノだけのカラオケで作るものと分けたが、ピアノだけのもので良いのかどうか見てもらうために、ひとつできたものを送って聴いて頂いた。

これが全てを明らかにした。その送った曲をレコーディングした時、私は、どういう訳か、これまでとは違う歌い方をした。声を作った。いわゆる”くさい”歌い方をした。しかし聞いていただくのはピアノカラオケだけの伴奏で良いかどうかであるから、そのまま送った。

間もなくディレクターから感想が送られて来た。彼が気にしているのは、ピアノだけの伴奏だとか、様々なサウンドが入っているとかではなく、”私の声”だという。あれ、あれ、あれ????私の声が好きではないから楽曲提供を提案して来たのに、なぜここでまた声なのだろう。楽曲提供と録音の声の関係が書かれて来たが、分かるようで分からない。彼が続ける「最初のCDをもう一度聴いてみました。やはり私の印象に間違いは無かったと改めて思いました。はっきり申し上げますが、あの時の声が今回の声よりずっと良いです。これをマイケルさんにも伝えて下さい(マイケルは今レコーディングに関わってくれている米国人)。マイケルさんにあのCDを聴かせてあげて下さい。自然に素直に歌って下さい。」そして、念には念を入れるという思いがしたためられたメールが続けて送られて来た。

だだだだだ・・・・・やっと分かった。彼が何を聴いていたのか、そして何を聴きたいのか。そして、やはりそうだった。彼がライブに来た当時、私の自作曲はまだ5曲。歌っていた店もシャンソンを聴かせるライブハウスだから、客はシャンソンを聴きに来るのであって、お金を出してオリジナルなど端から聴こうとしない。その中で1曲くらいは許されるだろうとオリジナルを歌い、後はシャンソンだった。シャンソンの歌い方も人それぞれだが、私は曲によっては声を作って歌っていた。街の女が歌の主人公なら、少し品を落した声。ホームレスのおばあさんが主人公の場合はそれなりに。つまり歌で芝居をしていた。それを喜ぶ人もいた。そして、なぜか、ディレクターに送ったデモは、”くさい”と思う歌い方をしたものだった。

私は今まで自分の声が好きじゃなかった。最近こそ安定して来たので聴けるようになったが、最初の頃のものはあまり聴いていない。歌い直したいところだけが目立つ。勿論、人それぞれに思い方はいろいろだ。本心を”ずけずけ”言う以前の住居の隣人が今でも二つのCDについて「あの歌いいよ」と言う。嬉しいけれど半信半疑だった。しかしこのディレクターの言葉に、私は改めて自分の最初のCDを聴いた。その耳に入って来た声は、私自身もこれまでとらえた事のない印象をもたらした。歌い直したいところはそのままだが、素直で自然で、純粋で、静かに漂う可愛いさがある。愛おしいとさえ感じる。自分でもハッとした。私はこう言う声を持っているんだぁ(何度も言って来ているが、私には第3者の目や耳がいつもある)。パ~んと一発で「いい声だ」と感じさせる声もあるし、それを好む人もいるし、それはそれでよいが、私の声質を始めて知った。そして私はこれまで、その声質を殺そうとして来た。もっと深く太く歌おうとして来た。

彼は2年半前に渡した私のCDをまだ持っていてくれていた。こんな事ってあまりあり得ない。自分の曲を見てもらおうと送って来る人は沢山いて、レコード会社ではどんどん捨てられるという。私の中に熱いものが込み上げて来た。彼は本当に誠実に私と作って行こうとしてくれていたのかもしれない。私は何という事を・・・済まなくて涙がとうとうと流れる。大きくは無いかも知れないが、私に期待をよせていてくれていたのだ。私の素の声が好きで、私の作る歌が好きで。。。。私は100%彼との縁を信じると誓った。

2012年の暮れに見た赤い絨毯を敷いて私にここを歩きなさいと手招きをしてくれた人は、彼だったのかもしれない。彼も40代だ。その夢にひとつ気になっていた事があった、夢の中の彼の顔に笑みが無かった。その理由も分かったような気がする。私は彼の厚意を信頼せず、残念な想いをさせていた。
   
  レコーディング順調に進行 3/18

20曲のデモ作り。つまり私の自作曲を全てディレクターに聴いて頂く訳だが、この録音が結構しんどい。何がしんどいかと言うと、マイケルとのコミュニケーションである。人柄も彼の音楽への姿勢も好きなのだけれど、私の方に誤算があった。

英語でのコミュニケーションには問題は無いと思ったが、彼側にアシスタントがいなければ、私が疲労困憊。「XXXからもう一度歌いたい」と言っても、そのXXXがどこにあるのか伝えるのが大変。それで歌詞をローマ字で全部打ち直し、その上意味を英訳して渡す。それでも1,2曲なら頑張れるだろうが、20曲である。こりゃ大変だと、とうとう私が音をあげてしまった。25年も日本にいるのだから、日本語をきちんと勉強しなさいよと言いたいところだけれど、日本人が英語を使おうとするから、日本語が分からなくとも英米人はどうにか東京で生きて行けちゃうのよね。ミキシングやノイズ取りにもこちらが申し訳ないと思うくらいに、すごい時間を使っていたようだ。要するにプロではなかった。ここも私の誤算だった。

それでネットで検索していたら、私の所から徒歩圏内にレコーディングスタジオがある事が分かり、そちらに移ることになった。なんとも楽だ。レコーディングが専門職の日本人エンジニアがトントン作業を進めてくれるので、1時間で2曲の録音ができ、それはマイケルの処で最もはかどった時の半分以下の時間。はかどらなかった時は・・・・(@_@;)。

でも、マイケルとお別れだと思うと、ちょっと胸キュンである。この仕事を大変喜んでくれていたので、その喜びを奪ってしまうような気もするし、彼自身歌うので歌い方について意見も言ってくれる。あ~あ、こう言う人が欲しかったんだなぁ、と思ったけれど。君津近辺までの小旅行から徒歩圏内のスタジオ、大きな魅力である。それにマイケルとしても、やれると思ったかもしれないけれど、実際にやって見て、経験不足の身には何とも多大な時間を使い、これで終わってホッとしているのではないかとも思う。互いにおめでたい事だろう。

さて、ピアノだけのカラオケ。あらが全部見えるぞ~。怖いけど挑戦でもある。先週の金曜日にマイケルの処で録音したものが今日送られて来た。聴くと、あれ、あら、まあ、悪くないじゃん。細かいところは色々あるけれど、ソフトで随分いい声になったなぁと、嬉しくなった。これまで自分の声を聴く媒体はライブ時に撮ったDVD。内蔵マイクだから、音ががさがさなので聴くたびに嫌になった。今回はスタジオ録音だからマイクから声を直接拾える。ホント、悪くない。うわ~、ここまで来たんだなぁと、とても嬉しい。でも未達の処がいくつかある。ステージで歌っている通りに歌ったら、とても荒削りで”きたない”。そうかこんな風に歌ってはいけないのだと、音量も力もずっと落さなければ、と気が付く。3年ぶりのレコーディングだが、年に一度レコーディングをするのは良いかも知れない。

これからは新曲10曲程揃った処でスタジオ録音をしよう。今はミュージシャンになりたい人達が沢山いて、スタジオは行く度に沢山の男の子たちで賑わい、部屋も大体ふさがっている。こんな子たちが多くなったからだろう、レコーディング・スタジオも安価で借りられるし、専門のミキシング・スタッフも付いている。更に驚くのが24時間営業、それだけニーズが高まっているという事なのだろう。





キャッキャッ(●^o^●) 3/20

レコーディング・スタジオでミキシングが終わったものを最終確認で聴いていると、しずこは完全にプロになったんだぁと感心しちゃった(あははは)。すごくいい。うまく歌おう、うまいと言われようとしていない。ビクターのディレクターから言われて私も始めて気付いたのだけれど、本当に自然で、素直なのね(これ、私そのものじゃないかなぁ・・・ククク・・・よく言うよ、この人)。

今日は「間に合いますか」と「Yesterdayを聴いて」を録音およびミキシング。「間に合いますか」はミキシングが終わった最終的なものを聴いていたら、泣けちゃった。それで、側にいたスタッフに「彼女、本当にいいね」って言ったら、スタッフも勿論と言わんばかりに「いいですよ~」(●^o^●)。

これを早速皆さんに聴いてもらいたいとYoutubeに載せたら、途端に音が悪くなるのね。スタジオの装置で聴いていた私の耳には、怖くて載せられないと思わせてしまう程。画像はダメだが音を載せられる米国のSoundcloudというサイトでは、音質はそれほど下がらないけれど、Youtubeでの音質の低下はすごい。たまたま間違って修正前のものを載せてしまったのだけれど、その修正前バージョンで少し気になっていたが、ま、大丈夫だろうと思っていたロング・トーンの短さが、Soundcloudでは、意図的に語り調にしているのだろうと思えるが、Youtubeだと、変に切れて”へた”という印象に変わる。

スタジオ・レコーディングでは、ヴォーカルとサウンドは別々のファイルに録音される。そのヴォーカルだけを取り出して聴くと、OKとなっても、バックにサウンドが入ると、OKではなく”おかしい”、音の尻尾が切れたように聞こえるものもあった。へぇ~、今日は色々と発見が多かった。

今、とても楽しい。この先がワクワクする事もあるが、レコーディングでは何度もやり直しながら、いいものを拾える。どこを直せばいいか、どうすれば思うように歌えるか分かっているし、その結果が直ぐに出るから、ルンルンしている。そうやって最後に聞こえて来る声、完全にハマっちゃったぁ(●^o^●)。それと、初めてのCD作りの時とは全く違う私。納得した歌になるまで、譲らない。「もういいのよ」は前半が完全に語りだから、やり直しとなると、全部最初からの取り直しとなる。一音がはっきりしないだけで、全部初めから。他の歌だけの楽曲より2倍の時間がかかった。私のヘッドフォンにミキシング・エンジニアのため息が聞こえるが、無視!

絶対くじけないし譲らない。へっへっへぇ…これが進歩と言うものよ。フン(^。^)。






東京タワーとうなぎ 3/22

昨日大学の先輩達と共に東京タワーに上り、その近くの野田岩でうなぎを食べた。東京タワーに上るのは何年ぶりになるのか、年間パスを8000円で販売していたが、買う人はどんな人だろうと想像できなかった。野田岩はビルが林立する街中に突如和風の構えをみせるところだが、結構美味しく賑わいの中での会食だった。中でも、強風で寒さが身に沁みた後の熱燗がな~んとも。
   



























 
「ホテルローヤル」 3/22

2013年直木賞受賞、桜木紫乃作「ホテルローヤル」。ラブホテル「ホテルローヤル」に様々な形で関わる人達のドラマを主人公毎にまとめて一冊の本にしている。こちらも自然体だ。うまく書こうと表現をひねってないところ、それでも主人公の目から見る景色はこのように見えるだろうと思わせる描写に、私の頬の筋肉がうっすら盛り上がる。

ホテルローヤルの経営者、その愛人であったがやがて女房になる事務員、そこの掃除婦、廃墟となったそのホテルで恋人のヌードを撮りひと旗挙げようとする若者などなど・・・中でも印象に残ったのが寺を維持するために毎月数人の檀家の相手をする住職の女房。それも仏様への奉仕とし、頂いたお布施を仏像の足ものに滑り置く。だがある日、檀家の御主人が無くなりその息子と交わした時、初めて味わう快楽。仏像の足元に置いたお布施は無くなることが無く、いつまでもそこに置かれたままとなる。

ラブホテルだから、当然性描写は欠かせなくなるが、淡々としながらもユーモアがある。しかし、何とも切ない。読後のため息が長い。人間の住む世界はこんなにも切なくてはならないのかと,ちょっと苦しい。

読み終えたとき、壁の時計は昼の2時半を指していた。明るい外に出たくなり、私は街を歩いた。






マーボ豆腐 3/25

この上なく辛いマーボ豆腐を作ってしまった。一人暮らしと言うのは大体同じものを幾日も食べている事がある。カレーの場合は、1週間食べていたりする。昨日まで鶏肉のから揚げを3日間食べていたが、これは揚げた鶏肉を、ニンニク、ネギ、唐辛子を炒めたところに酒、砂糖、醤油を入れそのソースをからませて食べる。恐らく20年ほど作って来ている料理だが、今だに料理本を見ながらである。自分で言うのもなんだが、結構美味しい。美味しいと言っても、レシピー通りにやっているのだから、本が正解と言う事になるのだが。ただ揚げるのに手間がかかり、頻繁に選ぶメニューではない。久しぶりにこの料理をしたが、たまたま中華街で手に入れた赤唐辛子(鷹の爪)がふんだんにあったので、私一人の1回の食事に景気よく2本入れて、辛いなぁと思いながら、それでも美味しく食べていた。

そして今日はマーボ豆腐、と中華料理が続く。大体薬味は似ているので、昨日までの”習慣”を行じてまた赤唐辛子を2本入れた。でも今度は2食分に2本。しまった、マーボ豆腐には豆板醤を入れて鷹の爪は入れないんだったと思いだしたが、もうフライパンに入れて炒めてしまっている。よし、豆板醤は使わずにお味噌だけにしようとやってみるが、何とも今一。しゃ~ない、と中華街で買って来たばかりの豆板醤も入れた。すると、~~~~~辛いのなんのって。どうしよう、捨てるのはもったいないし。ごま油を少したらして、辛味を和らげ、息ひ~ひ~、背中とおでこに汗じわ~、それでもたいらげた。あっちゃ~、ビールが足りなくなった。

レコーディングや、今週土曜日のライブ、明日の作曲クラスで見てもらう新曲に気を取られていると、普段やっている事の手続きが狂う。






10曲をレコーディング 3/25

日曜日に9時間の時間を与えて8曲のミキシングが終わった。終了3時間前にスタジオ入りし、できたものを聴くと、今まで気付かなかった事がこんなに多かったのかと驚きとともに発見する。声に様々な色がある。スタジオのコンピュータから流れてくる声。実に満足。サウンドはピアノだけというリスクの高い挑戦なのに悪くない。

しかし、そのファイルをもらい、家のパソコンで聴くと、スタジオであった同じ感動にならない。こんなにも違うんだぁ。自分の声って何かの媒体を通さなければ聞こえないのだけれど、その媒体によって聞こえ方が全く違ってしまう。本当の声とはどの声なんだろう。持っているコンポやスピーカによって、そして録音する時のマイクロフォンの品質によって、声の聞こえ方は変わる。「本当」と言う言葉を私たちはよく使うけれど、この「本当」ってどこにあるのだろう、と改めて思う。

人間が頻繁に使う「本当」。飽くまで主観的なもので、ある時間持続するに過ぎないものなのだろうね。

さて、次の10曲のレコーディング(本当によう作りましたね、しずこさん)、今年に入ってできた2曲も入れたいので、アレンジが終わり歌い慣れしてからになる。4月後半かな。






希望を与える事があなたの仕事 3/25

2月16日のブログ「面白い人間は面白人間に呼ばれる」に書いた女性、占星術師、名前は明本歌子(あけもとうたこ)という。一度聞いても良いかも知れないと2週間前にリーディングをしてもらった。

日本で初めてロケットを作った物理学者の糸川英夫氏が書いた「一億人のための一億人分の占星術」を読んだ事がある。生年月日、時間、生まれた場所などから、生まれた時刻に12星座がどの室(合計12室)にあり、それぞれの星が交差する角度を調べ、そこから持たされた性格、適職等を割り出して行く。

私からもらった情報を手掛かりにチャートを作り、沢山の資料を印刷して明本さんはアークヒルズ・カフェで待っていた。彼女のリーディングでは、前世どこにいて何をしていたか、今生生まれて来た理由、そしてどんな仕事に付くか、何をして行けばいいか等が言われた。

直近では19世紀に北米にいたらしい。自由の大義のために戦ったそうな。例えば、女性の権利を求めた運動のリーダー。ローマ時代にはキリスト教会で宗教の自由を求めた運動にも関与したらしい。そして最も重みのある時期が中世のヨーロッパ。「中世のヨーロッパと聞いて何を想いますか」と訊かれたが、直ぐに思い浮かぶものはなかった。アジアにはいた事がないらしい。やっぱりと、納得した。また尼であったという事も。私はヨーロッパを旅する時必ず教会を覗きたがる。入るとずっと正面を見て黙って座っているだけ。一度イギリスのバースで駅近くにある修道院を訪れた時、その中庭のベンチにたった一人で座って物思いにふけっている自分が過去世か来世にあるような気がして淋しくてならなかった感情を経験した。歌子さんが続ける。「あなたは前世で善い人間でした」。彼女の場合はスパイだったらしい。全て秘密にしなければならないから、その反動で現世では自分自身をさらけ出していると。

で、前世の私は善い人だった、それは今の自分を見ていても私自身そう思っている(本当だから言わせてね)。私には自分の利のために人をおとしめたり、足を引っ張ったり、嘘をついたり、妬むという想いは起こらない。いつもやりたい事がありその実現に向けて歩いてきたからだろうと思うが、そう言う私を妬んだ人は、私の成長のそれぞれの段階でいたように思う。最初の人は家族の中にいた。妬みと言うのはものすごい負のエネルギーを出してくるようだ。ある程度戦って大体私は逃げた。でも今の立ち位置から考えると、その人達は、そういう感情を持って私に迫って来たが、それゆえに私は逃げ場所を探して米国まで行き視野を広げる事ができたし、私の生きる道で正のエネルギーで関わる人達との関係を確固とするための気づきへとリンクさせてくれた。そして絶対こういう人間にはならないと反面教師としての役割を果たしてくれた(^v^)。

結局はプラスになっている。ここ数年これまでの来し方を振り返ったり、自分の魂の動きに敏感になった時、私って本当にいい質を持たされているんだぁと気付いた。相手の身になって考えてしまうから、利己心を起こす事ができない。これは現生で私が選んだ特徴でもなく、そうしようと努力している事でもなく、付いて来たものだから、前世でも善い人間だったのだろうなぁと思う。二つの星が60度に交わっていると棚から牡丹餅で、努力しなくとも得られるらしい。「しずは、いい子だから」長く一緒に暮らした人や洞察力のある人達がよくそのように言っていた。一般に従順な子を”いい子”と言うようだが、私は決して従順じゃない。むしろその反対でマイウェイ、相手の狭い"正しさ"に収まり自由を束縛される事には耐えない。かなり若い時には周りにいた人に表面的に影響され似たような所作をして自己嫌悪に陥った事もあるが、それらはすべて消えた。私には自分を常に見ているもう一人の自分がいる。だから悪い事ができない。しかし、誰も傷つかないような小さな悪事はしているかも((^v^)笑っちゃぁおしめえよ)。

話は次へと進み、なぜ現生に生まれて来たか。理由は、自己確立。自分が何者か、何のために生きるのか、それをはっきりと自覚しそれを行動に移して生きるためにやって来たらしい。それは7年前から実際に始まっていたと思う、つまり、この宇宙をつかさどる神を知る事。神を心の中にしっかと掴んだ時から、私はブレなくなった。自分が何者か分かった。そして現生での私の仕事は、希望を失った人達に希望を与える事だという。私の書く歌の内容がそうだから、納得。・・・・でも視点を帰ると、突然歌を書かせられるようになった私、そうか希望を与えなさいと、この仕事を頂いたんだぁと、こちらも納得。通訳ではそんなお務めはない。そして"書く"事を何度も強調された。

”びっくり星”と彼女が名づける天王星が活発らしい。それがまた太陽と同じ室にいるから、私は”電気”だと言う。他人もそして自分自身をも驚かせる突然の変化が起きる人生、そして突然のインスピレーションで全く別の行動をとる。「コンピュータが頻繁に壊れませんか」と訊かれる。「実は電球が替えても替えても直ぐに切れるんです。コンピュータは、寝る時スリープ状態にしておくのですが、夜中に勝手につく時があります。」そんなびっくり星と落ち着いた土星があなたの支配星です、とか。確かに言えている。”青天の霹靂”だったと誰からも言われた自分の命程に愛した夫との突然の別れ、そして考えた事も希望した事も無いシンガーソングライターへの転身。まさかの出来事だった。確かに"電気"かも。

現在に至るまでの人生、全てつじつまが合う。 はい、しっかりと努めて参ります。


改めて思う。色々な人間を神はお創りなっている。色々だから人間世界は実に豊かなのだ。こうでなければいけないというのは決してない。そのままで良い。そのままでいて、人間はそのテンポがまちまちだが、必ず善い方に進化して行く。その「善い」を人間がつくった窮屈な道徳観で決めそれを強要してはならないのだろう。人間のつくる道徳は普遍的なものではない、場所や時代とともに変わる。しかし時空を超えて影響されないものがある。人間は様々な”違い”を作って来たが、どんな違いにも影響されないものがある。それは、やはり、「愛」だろう。愛には国家を超え、民族を超え、他者を超え、人と人をつなげる力がある。そう思う。

私はそんなに宗教には詳しくないが、先祖供養や先祖崇拝をするのは一部の宗教のようだ。キリスト教にもない。親鸞の書いた歎異抄にも先祖崇拝をしないと書かれてある。なぜなら人間は肉体を持たなければならないが故に両親が必要だが、前世でも親子であった訳ではない。いわゆる血と骨と言う肉体は魂の洋服に過ぎない。生まれ変わった時、この魂は別の洋服を着ている。魂は自由。魂は肉体を動かして、現生の意識レベルで気付いていない自分を”生長させる魂”に逢いに行く。たまたまそれが肉体上の両親と同じかもしれないし、または空間を超えた所で待っている前世の愛しい人達かもしれないし、自分を辛い目にあわせた人達かもしれない。どちらも自分を生長させる機会を与えてくれる。魂には血と骨がない。人間が求めるのは魂と魂の結びつき。そのように思う。



追記1:中世のヨーロッパ・・・この時代に何があったのか、ネットで調べてみた。何十行にも及ぶ当時の出来事リストの一番最後にみつけた、イギリスとフランスの100年戦争、そしてジャンヌダルク。「しずはジャンヌダルクみたいだね」「私たちきっとイギリスとフランスの100年戦争のとき、逢っていたんじゃないかなぁ。」そんな会話がかつてあった事を思い出した。フランス・・・1996年辺りだったろうか初めて訪れた時。それまでどこを旅しても経験した事のないDeja vuを体験したところだ。

追記2:自己確立。そして希望を失った人に希望を与える。占星術で見てもらわなくとも、そう行動して来ている。だが言われると、より意識し、そちらに邁進しようという気にさせられる。はい、しっかりと努めて参ります。






ライブ終了 3/29

来場者数7人と言うライブだったが、良かった。少なかったからこそ、ステージと客席の間のやり取りが頻繁で、ざっくばらんに話をしながら進められた。今回は新曲が多かったせいもあり、そしてレコーディングに大変気を取られていた事もあり、ライブ前の練習中から気が散漫、歌詞を間違えたり思い出せなかった事が頻繁に起きた。これは当日ヤバいと思っていたが、それが起きた。初めて聴きに行った歌手のライブがそうだったら、印象は大変悪かっただろうが、身内のみだったので、寧ろ和気あいあいとなり「今日すごく親しみを感じたよ」との言葉を頂いた。ひばりの「津軽のふるさと」を歌ったのも良かったようだ。終わってももっと歌ってと言われ、2曲追加となった。

ここのところ、レコーディングに備え毎日何時間も歌っていたので、声がよく出て自分でも気持ち良かった。「歌が本当にうまくなったよ~」って、また大学の先輩が言う。先輩達を初めとする常連の方々が毎回来て下さっていたので、大体3カ月毎のライブが成立し、2言無くそれゆえの成長。完全に生かされている。

この日のライブは、こんなキャジュアルな感じにできたらいいなぁとずっと思っていた事が実現できた日でもあった。しかし、コンサートではバッチリ決めるぞ!

さあ、これからは2回目のレコーディングに備え準備開始。全力投球だ!ちょっと大げさ。(^v^)・・・・ん?大げさじゃないかも。テレビで放映していたことだが、井上陽水がまだ無名の頃、彼の曲が始めてラジオでオンエアー。その時の番組のパーソナリティが森本レオ。陽水が言ったそうだ「生きるか死ぬかの瀬戸際なんだ!」





細胞に微電流がながれる 3/31

ー 自分に持たせられている能力は自分のものではない。その能力は自分で無くても誰かが持っていればいい、たまたま自分が選ばれただけの事。その能力は、人の為に使うよう、天から授けられたのである。それを自覚すればおのずと謙虚になる。 ー

今の生き方ではいけない、でも私の中の何がどうなっているんだ、それを根底から変えるための言葉に巡り合いたい ー 何年前になるのだろう、15年も前だろうか、生き方にもがいていた時、稲盛和夫さんの著書「生き方」を読み、大変印象に残ったのが上の言葉。2つ上で話した明本歌子さんの前世リーディングから数週間たって、もや~としていたものがほどけて来たように思う。なぜ自分が選ばれるのか。それは何百年も、そしておそらく何千年も前の自分、現生に生まれる前の自分の命がしていた事と関連しているのだと思えて来た。生まれ変わる時着る洋服が変わり、生まれる国や持たされる環境が異なっても、魂は引き継がれる。

自分の前世を知った時、私がなぜ現生の両親の子としてその家族に生まれたかを含め、ここまで来る間に起きたあらゆる出来事、嬉しい事も腹立つ事も辛い事も、全て私をここに来させるためにあったという事、私がすべき事をするためにあったという事も段々と真実味を帯びて理解できるようになってきた。こう言う事はテレビや本で人生の諸先輩達がよく語られるが、私もようやくここまで来たと云う事だろう。多くの人が気づいて行く道のりのようだ。

ー起きる事は全て良い事なんですよー(私の生き方を変えた本、「生命の実相」から)

ーこの宇宙には善くなろう善くなろうとする気が流れているように思う(稲盛和夫)

ー神には人間世界への構想がおありになる。それを実現するためには人間の協力が必要だ。そのために神は人間を作られた(「生命の実相」)

ー私は皆さんのように高等教育を受けた訳でもないし、頭がいい訳でもない。ただひとつ言えることは、私は素直でした(松下幸之助)

私の人生を変えた言葉達。能力は、人のために役立てるためにある。私の細胞の一つ一つが電極に触れたように微反応を起こしているようだ。





104 4/1

何のこと? 
ふふふ・・( ^)o(^ )。 
なによ? 
ふふふ・・・(^v^)。 
いやね、一人でニタニタしちゃって! 
ははは・・・(#^.^#) きっと誰も信じてくれないもんね。だから言~わない。 
なによ、それ?! 
今日一緒に遊んだ人だけ見ていたから信じるてくれるかな。(●^o^●)ルンルルンルルン。初めてなんだ。4か月やっていなかったから散々かなと思ったら、なんと・・・いつもよりいいの。104になっちゃった。あははは・・
?????
   


 
自然 4/2


「よく理解して生きておられる方は自然なのである」

谷川俊太郎の詩集「これが私の優しさです」の解説の中で、漫画「ちびまるこ」の作者さくらももこが谷川について言った言葉。生きるという事がどんな事なのか、人間はなぜこの地上にいるのか、そんな事を谷川は知っているように思う。それで自分はどのように生きるか正確に選択し実践している人なのだろう。深い言葉だが、この言葉を十分に理解できる今の自分が嬉しい。







化粧を落しておくれ 4/4

書いちゃったぁ~(●^o^●)。男の歌う女の歌を。ちょっとセクシーで、暖かくて・・・ふわ~

ずっと上で画像入りで紹介した詩と画像のないまま載せた詞、「空には何もないのに」と「化粧」。それぞれに曲が付いて、今アレンジャーの手元に送られているが、そちらが出来上がるまではレコーディングも進まないし、練習もできないので、待っている間に歌を書いた(つまり今日)。「化粧を落としておくれ」と「桜の枝」。「化粧を落しておくれ」は正に「化粧」に対峙する内容で、タイトルからも想像できるように男が女に語る歌。二つとも曲が付き清書していたら、眼に見えないとてもとても小さな小さな小人さん達の楽隊が全く別のメロディーを作って「化粧を落しておくれ」を歌いながら私の口から出て来た。ぼってり歌謡曲バージョン。実はこの歌、取りようによっては大変セクシーなのである。ん?!もしかしたら、成熟した男たちに歌ってもらえる歌になるかもしれないと、作ってみた。で、そんな色が出てきた(くわ~!)。

なんと面白いのだろう。ほとんど同じ歌詞だが、メロディーを変えただけで歌う男性が特定できる程に、雰囲気が違ってくる。

もうひとつは、「桜の枝」。これは、昨日島倉千代子のドキュメンタリーをBSで見ていた時、彼女の言葉が私の頭にインプットされ、そのまま歌詞となった、「色々な事があるわね、人生は。あり過ぎるわね。私ばかりを神様が意地悪している・・・」

歌をつくる:何とも楽しい仕事だ。歌を作りながら、何かを伝えられる。うまくいけば、聴く人を幸せにできる、一緒に涙も流せる。つながれる。






花見 4/5

先日のライブに島根から来てくれた友人と皇居の乾通り、東御苑、千鳥が淵の桜の中を歩いた。天皇陛下の80歳の誕生日を記念して乾通りが公開されたが、土曜日であるという事も影響したのだろう、2,3時間行列の中にいた後、やっと中に。この人混みから東御苑に抜けた時は、見えてきた遠方と空間にやっと身体と心が緩んできた。その後千鳥が淵へと移動したが、以前記憶にあったような混雑はなく、先日の雨と風で、桜の花も大分色あせ、葉だけが残る枝も目に付いた。

久々の一日中の会話。思う事が沢山あり、まるで銭湯の浴槽の湯を上からドバーっと流す様にしゃべり続けたような気がする。友人も辟易しなかったかと少し気になるが、私も喉が疲れてしまった(@_@;)。友人に聴いてもらおうと、朝にMDに録音して置いた新曲、聴いた後に感想がなかったので気になっていたが、帰りの電車の中で確認してそのひどさに赤面。恥ずかしくなった。彼女は遠慮して言葉を憚ったのだろうが、それも少し残念。あまりのひどさに言葉を失ったのかもしれない。

「今朝のバラ」は歌い込んでいるなぁと感じるほど自分のものになっていたと、前回のライブの感想として彼女が言っていたが、楽曲を歌い込むには実に時間がかかる。自作だから直ぐに歌える訳ではない。できたての時はぎくしゃくしている。上から降りて来たものでも、それを鍵盤で確認する時には、鍵盤の音に合わせる。つまり人間が道具に合わせなければならない。生まれて24時間もたっていない作りたての曲、録音して聴いてもらうには早すぎた。(*_*;




「アンナと雪の女王」 4/8

アニメ部門でオスカーを取った「アンナと雪の女王」を見て来た。グリム童話の「白雪姫」からヒントを得て作られたらしいが、米国映画のありきたりのSF映画を見たようだった。美しいとも、感動的だとも思わない。愛、恐怖、怒りをテーマに、それを何度も言葉で繰り返されるが、心に沁みて来るものは全く無い。大味で感動が薄い、薄いというか無いに等しい。なぜこれが?となったが、デズニ―映画なので政治的なしがらみがあったのかも。日本びいきで言う訳ではないが、オスカーに相応しいかどうかは別として、候補になった宮崎駿の「風立ちぬ」がずっと良かった。テーマは一個人の飛行機作りへの愛情で、大風呂敷を広げたものではないが、心に残る「美」があったと思う。

私が観た「風立ちぬ」の映画館では、終っても直ぐに席を立つ人は無く、皆じっと座ったままクレジット(関係者紹介の)・スクリーンが終わるまで画面を見つめたままだったが、今日の映画では、私を始め数人が映画が終わると同時に会場を出た。

ついでに一言。私にはスポーツでも芸術でも特定の国や人をひいきにするという事はない。日本人だから日本を応援するというのもあまり無い。素晴らしいものを見せてくれる、感動させてくれるモノが好きだ。一度感動させてくれたものでも、次にがっかりさせられると、結構冷めてしまう。そう言えば、米国にいたころ日本人子弟を対象とした土曜学校で教師をしていた事があったが、特定の生徒をひいきにする事はまずなかった。私の趣味じゃない。誰かをひいきしている教師と云うのは好きじゃないし、逆にひいきされる事が何回かあったような気がするが、そうされると居心地悪くて、私はその教師と距離を持つようになった。共産主義みたいに、質に関係なく結果平等と云うのは不公平だが、質に見合った公平さで接してくれる方がいい。
 
 
 
ゴルフコンペ 4/11


一年に3回になった大学地区OB会のゴルフコンペ。昨日の初夏並みの気温、風もほとんど無く、少し汗ばむような陽光の下でとても楽しく遊んだ。

先日の104、そしてここには書かなかったが、念のために再度の事前トライで得た107。”いよいよ”かなと挑んだが、スキー場のコブを連想させるうねる丘陵の連続。失望感が先に出てしまい、それが障壁になったのか、最初からダブルパーになってしまった。こんなものなんだわねぇ、と思ったが、同じチームにいた毎週ゴルフをするという先輩は全く崩れない。そうか、丘陵とか、コースの特徴と云うのはあまり関係ないのかもしれない。真っすぐ打つという基本的な事ができていればいいんだなぁと、教えて頂いたように思う。

このOB会のゴルフコンペの時はランチタイムも楽しいし、その後の成績発表を交えたパーティも楽しい。共有するものが多い人達と一緒にいるのは心地がよい。

それでもネットで5位になり(だってハンディー40だもの(@_@;))、賞金を頂戴しました。賞をもらうってやはり楽しい。





排他的からより豊かな社会に 4/11

上のコンペのランチタイムに、一人の先輩がお孫さんがイギリス人が園長を務める幼稚園に通っているという。英語教育の一環のようでもあるが、このような事を通しても日本人の他者を受け入れる器が大きくなり、より豊かになっていくように思う。中曽根元総理が日本への移民枠を拡大して以来、日本社会に他国からの移民が増え、その勢いは地方にまで浸透しているのを見た時は感慨に似たようなものがあった。多人種、多文化、多国籍が多く生活しているヨーロッパ、特に北米。器が大きいと人が集まり頭脳が流入り、社会が豊かになる。違うものが入るからこそ、社会はダイナミックになり、面白いものとなる。もちろんそのために失われるものもあるが、新しいものが入れば以前にあった何かは必ず失われる。それが人類史だろうし、現代もその流れの中にあるように思う。既存の柱にしがみついても、変わりゆくものは変わりゆく。流れを差し止めることはできない。

もう一人の先輩が「排他的なのは良くないよね」と言う。人間は心が開放された人の周りに集まる。なぜなら誰しも自由を求めるから。閉鎖的な人間の側では窮屈なのだ。それと同様、開放された社会に人は集まり、それぞれの力を発揮して行く。そのような個の貢献により社会が一層豊かになって行く。





歌い込み開始 4/11

「空には何もないのに」と「化粧」のアレンジとカラオケが送られて来て、この2曲は完成となった。さあ、歌い込み開始。2011年9月に届けたCD以来、ここまで作った歌20曲をビクターに聴いて頂くためのレコーディングに備えた歌い込みである。その後にできたものもあるが、次の機会に聴いてもらう事にしよう。

この歌いこみにはたっぷり1週間はかかるだろう。それからレコーディング、ミキシングなど、半月程の作業かな。緊張感を高めるために、キャンセルすればキャンセル料が取られるレコーディング室を予約することにした。

相手の都合も見ながら自然に動いているのだが、占星術師の歌子さんが言った通りの日付になっている。可笑しなものだ。

私は今とても神様に可愛がられているような気がする。神様と波長を合わし、降ってきたり、背後からまたは横から囁かれる言葉は大体直ぐに行動に移すから、神様は喜んでおられるようで、もっともっと言葉を下さる。私の手元のノートには沢山の言葉が歌になる日を待っているし、願い事が必ずと言っていいほど叶う。本当に自分でも驚いている。希望した通り行かない場合もあるが、それはそれでいいのだ、神様には私に対する別の計画がおありになる。それはだいたい私をより大きくする一歩にも思えてくるから不思議。私は、ただ神様の代わりにパソコンで整理作業をするだけ。

「全てが神様の脚本の中」:作家の田辺聖子が書いているが、その言葉がどうもすっぽり私の内臓に収まったようだ。





前方に誰かが待っている 4/13

Youtubeに幾つか歌を載せているが、久しぶりに見ると「いいね」がひとつふたつ増えていた。「え?」というのが正直な感想で、何でいいんだろうとぼんやりと思ったりする。載せてはいるけれど、自分ではほとんど聴いていない。声に自信がない。

2010年、初めてCD
を作った時、そのマスタリング(原盤制作)が終わって手渡されるた時のあの重くのしかかって来た重量感を今でもありありと覚えている。ああ、もう後に引けない。頂いた原盤をバッグに入れて家まで黙々と歩き、帰宅してもとてもコンポで聴く事ができなかった。しかし、もう行くっきゃない。土俵上の力士が相手を見据えるように、コンポの前に椅子を持って来て座りこんだ。何が聞こえてくるのだろう、できる事なら何も起こらないでほしい、誰か他人の声が聞こえてきてくれないかと願った。

1回だけ聴いて、歌い直したい所をひとつふたつ見つけたが、そんなに悪くないかとホッとした。あれから4年が過ぎた。その間、切れ切れに10回も聴いただろうか。最初から最後まで聴いた事は何回あったろう。自分の声が好きじゃなかったから、聴く事から逃げて来た。しかし、ここ1,2年の間、全く異なる意見を耳にするようになり、「えっ?」と反応する事が多くなった。初CDの中の声を、自然で素直だと、私の声が好きだと。ぽあ~ん???・・・・。やっと、真正面から自分の声を聴く事ができるようになった気がする。これもこのソロライブがあったが故だと、ソロライブを続けさせて下さった方々への感謝は、言葉に言い尽くせない。

それで、今日は「いいね」がひとつ増えた2010年の南青山マンダラで歌った「オルガ」を聴いてみた・・・なるほど、私がシャンソンを歌わなくなった事を残念がっていた人達の顔が浮かんで来た。今は勿論自作曲が中心だが、その他にはホイットニーや美空ひばりを歌っている。あれから4年かぁ、ずいぶん遠くまで来たなぁという思いと、やっとここまで来たかという感がある。あの時はホイットニーの歌を人が鑑賞できる程度に歌う事は夢だったと思う。”役柄”に合わせて声を作って芝居をするように歌い、それが私の"強み”であったし、それを喜んでくれた人達が少なくなくいてくれたような気がする。だが、私は自分の強みに安住せず、新たな目標をつくり自分で納得するレベルまで持ちあげて行くタイプのようだ。私の生き方の特徴なのだろう。自分の生長の過程で沢山の人と出会い沢山の人と別れたように、歌う歌も大きく変わった。歌が変わることでまた人との出会いと別れがあるのだろう。前に行くしかない。その前方にまた別の人達が待っているのだろう。

追記:だが、強みは決して手放さない。私程度にホイットニーやひばりを歌える人は満といるだろうが、「オルガ」には私の個性が印象強くあるように思う。よろしければ、Youtube欄から「オルガ」をお聴きください。

   
  賽は投げられた 4/15

アハ、大げさ!

残りの10曲のレコーディングが今日終わった。レコーディング時間の節約もあり、びっしり歌い込んで10曲を4時間でレコーディング。3月に10曲をレコーディングしているので、大体どのくらいの時間になるか見当が付き、4時間の予約をしたが、本当にこの時間内で終わった。きっと前代未聞かも。

一人でやっていると、キーを決める事を始め、テンポや色々な事に迷う。そんな時に音楽に関して鋭い感性を持つ人が側にいてくれると本当に助かる。迷っていたところは、レコーディング・エンジニアの内村君の助言と、レコーディングルームで聴いた自分の声で決まった。高い声が出ても、「私」らしくないとダメなんですわ。

レコーディングをしていると、いかに今まで曖昧に歌っていたか、声を出すべき場所からきちんと出していなかったかが分かる。自分で作ったものでも、他人が作ったものでも変わらない。再度譜面で確認。それに、一番歌いにくかった歌をどのように歌うか、これも至難だった。男女の愛のいとなみを歌った「愛のいとなみ」と昨年暮れに出て来た「君の新しい記念日」。「愛のいとなみ」は6ヶ月寝かしておいた。どうしても様にならない。でもその内にそれらしくなるだろうと、その気になった時に練習を重ねたが、やっと、ホントに、やっと、恥ずかしくない歌になった。「うまいですね」と内村君がポロッと生意気な事を言う。28歳、今の28歳は体験済みかもね。

そしてまた大変だったのが、「君の新しい記念日」。アレンジャーの西さんには、私の主張があいまいだったがゆえに随分面倒をかけてしまった。一度出来上がったものが7分程の長い歌になり、構成を何回か見直して5分以内の歌にしたが、その後のカラオケ作成でもテンポやキーの変更などが何度もあった。辛労の多い歌となったが、辛労の甲斐がある歌になったのだろうか、思ったよりも歌いにくい。これまでの歌と違い、工夫をしなければいけなかった。忍耐強くお付き合い頂いた西さんには、ただただ感謝!

それにしても、レコーディングが終わり最終チェックを入れるために聴いた自分の声、「聴ける歌になったなぁ」「よくここまで来たなぁ」と、充足感と共にとてもうれしい。

さあて、金曜日にミキシングが入り、そのあと簡単なマスタリング。来週早々にディレクターに届けられる。きっと面白いと思って頂けるような気がする。実に様々な種類の歌を作って来たようだ。なんでこんな事ができたのか、自分でも分からない。色々な人に喜んで頂ければ、と願う。

内村君がいう、「「空には何もないから」が好きです。それと個人的には「Yesterdayを聴いて」。」私は「化粧」が好きなのだけれど。「化粧」は女でなければ分からないだろうなぁ。




さわやかな朝 4/16

”さわやかな朝” ー 5月につくような枕詞だが、まだ4月。窓を開けると、昨日の天気予報通りだと驚く。本当にさわやか。風の音も無い、遠くに高速道路だろうか車が隙間なく走る音がする。そして雀のさえずり。都会にもこんな朝がある。うれしい。昨日のレコーディング終了後にこの朝が訪れている事が、まるで神様から祝福を受けているようで、また嬉しい。私の仕事はいったん終わった。これが初めてリサイタルを開催し歌の道を本道とするようになった2008年からの仕事の区切りなのかも知れない。

今日は作曲クラス。様々な歌を書いて来たので、「次回はホイットニーが歌うような歌を書きませんか。それとロック」と、先週のクラスで言われた。以前にもこのブログで書いたが、自作の歌には「歌のうまさを聴かせるところが無くて、もったいない」と2008年の初リサイタルの提案者でもある大学の先輩の奥様が言っていた。私のシャンソンが好んでくれて、リサイタルやコンサートには毎回来て下さっていたが、2011年の六本木以来御無沙汰、昨年の11月のコンサートに2年ぶりに来て話してくれた。なるほど…ならば歌のうまさが感じられるような歌を私が書けばいいと思った。そんな想いがインストラクターに通じたのだろうか。

いわゆる long tone(長音)を入れればうまさが際立つのだが、日本語でやるとすると「ああ~」「さど~」「りんご~」等、ひばりがやっているような感じになり、大体下からくねり上げていく。ホイットニーのように高音から伸ばすのは、日本語では??らしい。それでそのような個所は英語の歌詞を入れたらどうですかという。そうか、私は英語ができるんだぁ、と”気付いた”(#^.^#)。面白いかも。

そしてロック。私はまだロックがどういうものか分かっとらんです。騒がしい、がなる、マイクをぐりぐり回す、かっこ付ける・・・と言いながらやって見たいというあこがれもある(あは)。坂本冬実の歌う「夜桜お吉」にその”感じ”が入っているらしい。ん?待てよ。私、既にそれらしくなる曲を作っているぞ~。あれを生かせばいいかぁ。うわ~、やってみよう。





おめでとう 4/17

「おめでとう」きっとこんな言葉を頂くのだろうなぁ。ミキシングも終わり、CD-Rに焼いてもらって家に持って帰った。帰った家に誰かがいたら、「おめでとう」と言われて花束を頂き、ワインとそれに相応しい料理のケータリング(自分で作らないというところがいい)でお祝いを頂くのかもしれない。でも、充足感が心を満たし、淋しさは微塵もない。一人で祝おうと、お気に入りの”パリのパン屋さん”で一切れのケーキを買い、美味しい紅茶を入れた。紅茶も今日ばかりはマグではなくて、CUP AND SAUCERで頂く。幸せ。(^v^)

20曲をそれぞれ10曲づつ2枚のCD-Rに焼いた。4年前初めての自分のCDを聴いた時と同じように、コンポの真ん前に背もたれの深い大きな椅子を持って来てスピーカーからの音が最もよく聞こえる場所に置いた。ふふ、4年前と違うのは、私が堂々としている。販売用のCDならやり直さなければいけないところがあるが、「デモだからこれで十分です。どんな楽曲であるか、そして声を聴きたい訳ですから」とレコーディング・エンジニアの内村君から言われて、その辺で妥協。DISK1は、実にいい。DISK2は初めの方に同じような雰囲気の曲を集め過ぎてしまった。これはちょっと失敗。でも、ま・・・・いいでしょう。デモだから(#^.^#)。

伴奏に様々な楽器の入る販売用のCDとは異なり、ピアノ一本に乗せたので、歌唱力がそのまま出る。隠せない。それも非常に良い特訓だった。

私は歌を作る時は大体一気に書く。早く形にしたいと思うせっかちさが働き、直ぐにアレンジを付けてもらうが、その後に別なアイデアが出てきたり、最初のアレンジ構想に曖昧にOKを出してしまうので、後で僅かだが曲の中のフレーズを変更する事がある。そういう時はコードも変わるから、アレンジャーの手がまた必要となり、アレンジ料が嵩む。何回かそんな事が重なり、曲の変更は出来るだけ避ける事にした。だが、歌詞は私だけがせっせと頭を働かせばいいのだから、後でいくらでも変えられる。最初は適当な詞を入れて置き、後でじっくりと考える。

それで今日はミキシングだし、CD-Rに焼く事になるので、気になっていた「遠い昔に逢いました」の3番目の歌詞を昨日考えて、作曲インストラクターの意見を訊いた。彼は作詞を教える訳ではないが、大変良い感性を持っているので意見を聞く相手として申し分ない。専門家でなくともいいい。だって歌ができた時聴いてくれるのは非専門家だもの。新しい歌詞に彼の1票を頂き、その方向で手直しする事になったが、私が入れたい言葉、「舟、漕ぐ、楽しい、流れ、夫婦」がどうしても既に出来上がっているメロディーに全部収まらない。あれやこれやと考えて、パチン!そうかぁ~、全部収まったぁ!面白い歌詞になった。

それでミキシング開始前にその部分を歌い直すためにスタジオに行った。スタジオは徒歩10分も無いところ。

すべて思い通りに進んで来ている。協力して下さいました方々、そして見守って下さいました方々、ありがとうございました。
   
  STBの無期限営業停止 4/19

「うわ~、何と素敵なところなの、いつか私も此処でやりた~い!」来場者数100人を超えたら、六本木スイートベイジルに行こう、ソロコンサートを始めて僅か3年、音楽業界新参者の私がこの夢のライブハウスに出させて頂いたのは2011年7月。またいつか此処でやりたいと思っていた。そして、それは、もしかすると、遠い事ではないかも知れないと漠然と思っていた。

そのスイートベイジル(STB)が5月で無期限営業停止となる。多くのミュージシャンのあこがれの場所だし、いつでも大物ミュージシャンが出ている処であり、大体いつも満席なのに、なぜ?ネットでみると説明がない。やはり経営難だったのかなぁと勝手に推測したりする。とにかく最後にもう一度行こう、そしてお世話になった方々にご挨拶をしたいと、友人と出かけた。

店長を始め、数人のスタッフが私を覚えていて下さった。にこやかに挨拶をしてくれる店長、まだ無名の私の出演を少し失礼に扱ったフロント係はまだ罪意識が残っているようで、眼を正面から合わせる事ができないようだが、私の質問にはきちんと答えてくれる礼儀を持っていた。あの時、私が一体どれほどの客を集められるのか不安ながらも受け入れてくれた企画部の人はSB食品の本社に移動になったらしい。通しリハの時に「グラスの中のワインは全部飲みほした方がいいですよ。残すとまだ未練があるように思えます」と自作ドラマを演じる私にアドバイスをくれた舞台監督は、舞台の上でせっせとミュージシャンをサポートしていた。経営難の筈はないのになぜ営業停止?店長が話してくれる、「そうなんです。上の人間は一体何を考えているのか分かりませんよ。ただ、ヒルズがこの下まで広がって来るようなんです。そして東京オリンピックがあるので、それとの兼ね合いで前倒しに営業停止なんでしょうね。」

この日の出し物はスーパーライブとスケジュール表に書いてある。様々なアーティストが勢ぞろい、19:30に始まり終演は23時だった。それでミュージックチャージが3000円。恐らく出演者は皆STBにお礼を込めた感謝ボランティアで参加しているのだろう。新派の水谷八重子も出演していた。かつて時々新派を観に行っていた時期があった。一度楽屋まで行き、名前は忘れてしまったが、座付劇作家に私を入れて下さいと言いに行った事があったっけ。その時楽屋でうろうろしていたら、水谷良枝(現水谷八重子)が下駄を履いて付き人に手拭いを持たせお手洗いに入って行くのを見た。見知らぬ人が楽屋にいるので彼女は不思議な表情をしながら私を見ていたっけ。

その水谷八重子はここ数年毎年定期的にSTBに出演していた。彼女が出る時はミュージックチャージが馬鹿高く10,000円。何を見せて/聴かせてこの金額なのか興味があったが、役者が歌うのだから恐らく私が聴きたい/盗みたいものはないかも知れない、それはおそらく既に私に備わっているものかもしれないと、そんな金額を払う気はしなくて一度も行った事がなかった。今日は3000円で僅かでも彼女の歌を聴ける。

やはり役者はシャンソンか。歌った歌は私にもリクエストの多い歌だった。「震えています」と言っていたが、そうだろうなぁと同情する。せりふなら何かと一緒に合わせる必要はないが、歌となると、伴奏者と一緒、テンポあり、リズムあり、そして忘れるのをいつも恐れる歌詞。ひとつでもどこかで外れると、大変、終るまで外れっぱなしで行くか、伴奏者に気づいてもらうかしなければならない。私の時などは、外れたままで行った。伴奏者が気付かないなら気付かないままで。歌詞を伝える事を中心に据えたから、ピアニストに合わしてしまうと、言葉を切り捨てるしかない。私はそれをしたくなかったので、しぶとさで勝負した。やっと相手が気付いて、不思議な面持ちである処で待っていてくれる。お客様はどっちが間違っているのかと頭をひねっている(笑)。歌を聴かないピアニストはダメ。名ピアニストは必ず歌を聴いている。今私のライブに入ってくれている西直樹さんがそうだ。私の歌詞が飛んだら彼もそこまで飛んでくれる(苦笑)。だが歌を聴かず譜面だけを追う伴奏者が圧倒的に多い。しかし、伴奏がピアノ一本なら何処かで待ってもくれるが、バンドだとそうは行かない。音楽が専門でない役者なら、それはそれは震えます。昔、舞台でやはりシャンソンを歌っていた市原悦子はその震えが声にも手にもはっきり出ていた。私も震えたのなんのって、かつては(「お、生意気言うじゃないの。慣れたという訳ね。」「まあね、ほっほっほ。いつまでも震えてなんぞいられないわよ、ふん!(*_*;」

ミュージシャンが皆、STBとの別れを惜しんでいた。私も惜しんでいる。場所も素敵だけれど、スタッフが実に協力的だった。SB食品は良い会社なのだろうなぁ。また違った形で必ずオープンして欲しい。

パンフレットには、Special Thanks STB139. See You Again、と書いてあるので、”またね”である。





ねばって 4/2

アルバム並みの20曲全曲を聴く人なんてメディアには皆無・・・そこで推し曲を1曲選んで提出して欲しいと、ビクターからメールが来た。1曲を選ぶ、これは大変。はっきり言って私には選べない。それでこのディレクターと感性が似ているような、私のライブにコーラスで時々入って頂いているスダッチに選んでもらった。なんと素晴らしい友人を私は得た事か。彼は曲毎に感想をワードにまとめてメールに添付して送ってくれた。そう言えば彼は2010年に私が初CDをリリースした時からの付き合いだ。
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早起きしてじっくり聴かせていただきました。 
どれもいい曲ばかりですね。
聴いていて飽きないのは凄いことですよね。
すぐにでもアルバムを作ればいいのに! 

個人的には
1位は絶対にMy Love
2位がYesterdayを~でした
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「My Love」かぁ。私もこの歌が好き。もう一度この曲をコンポに掛けて確認すると、気になる所があり再度レコーディングし直した。そして長さ7分から5分に縮める事によって歌詞の選択で迷った「君の新しい記念日」も半音上げて再録音。ほんの少しの違いなのだけれど、今の私は拘る。これには決して忘れない初CDの時の自分を主張しなかった自分の弱さへの憤りと悔しさがあるから。

2つのDiskに収まった私の声、歌。初CD制作から4年、別人のように思う。もうあの時の自分はいない。

自分の努力はもちろんだが、努力する環境となったすべての人々に心からの感謝を送りたい。

   
  「桜の枝」と「化粧を落しておくれ」 4/23

時々私はブログを読み返す。必ず文法上の間違いを見つけるので、それを訂正したり言葉を書き加えたり削除したりする。今日は「あら?書いていなかった」と大事な事に気が付いた。レコーディングの事で心が浮き立っていたからだろう。

4月に入って生まれた新曲2曲、「桜の枝」と「化粧を落しておくれ」のアレンジが完成してカラオケと共に送られて来た。「桜の枝」はそもそも島倉千代子のドキュメンタリーを見ている時に、彼女の言葉をヒントに番組が終わるや否やパソコンに向かってダダダ~と書いたものだからイメージは彼女的な歌謡曲。送って来たアレンジが私のイメージとは違っていたので、私がどう歌いたいか録音し、かつYoutubeで彼女の「人生いろいろ」のURLを貼り付けてアレンジャーに送った。そしてすぐに来た修正版。「これ、これ、これです!」と歓喜した。そして送られて来たカラオケ。最初の1小節が出ただけで、私の顔がニカ~ッ。ライブでこれが演奏されると同時に変わる空気を想像して、嬉しい。どっぷり歌謡曲。あははは。

そして、「化粧を落しておくれ」。これは実は最初のバージョンと全く異なるものになった。最初のバージョンでは、そうしようと意図したわけではないが、書いたものを見ると30代から40代の男性が歌うイメージになった。気に入ったさびも生まれたが、これは少しばかり頭をこねくり回して作っていた事もあり、ぎこちない。だが一応書き終って、何かの整理をしていると突然私の口から全く異なるメロディーでこの歌詞が零れて来た。あれ?書いたメロディーと違うと思いながらも、こう言う無意識の動きを積極的に取る事を習慣づけている私は、直ぐにこのメロディーで「化粧を落しておくれ」の改訂版を書いた。すると、「これって、熟年の男たちが歌える歌じゃないかなぁ。」またニカ~ッとなる。あの先輩達に歌ってもらえる歌になるかもしれない。これを持って作曲クラスに行くと、最初の数小節を譜面から聴きとっただけでインストラクターは熟年バージョンを選んだ。

西さんに言って、前奏に二つのバージョンをお願いした。ひとつは私が歌うバージョン、もう一つは誰でも歌いやすいアマチュア・バージョン(あはは)。これはムード演歌かなぁ。

歌謡曲には親しみと懐かしさがあるようだ。





顔 4/24

関口宏の「人生の詩(うた)」という番組がBSで毎週放映されている。先週から見始めた。今回はゲストに作詞家および直木賞作家でもある、なかにし礼。途中から見たが、彼の顔が以前よりもふくよかになり、笑みが多い。はて?

彼は今年76歳になるが、73歳の時に食道がんを患ったらしい。ステージ2までに大きくなった癌細胞で手術しても生存率50%だと言われたらしいが、絶対に直せる医者がいるはずだとネットで徹底的に調べ従来の方法でない医術を持つ医者を見つけ、切らずにきれいに癌細胞を摘出したらしい。その手術の後、自分の人生が変わったという。壁があるとしたら、その壁の向こう側に行ったのだと。そこには酒も無いし、銀座もなければ、君たちもいないと関口に言う。

なるほど。彼が何を見つけどこに来たのか、なんとなく想像ができる。深く濃い闇の中に投じられた人達が這い上がろうとしている時に射して来る一閃の光が彼にも射したのだろう。私もその一人だったから。

顔というのは本当にすごい。その顔を持つものの生き方を如実に表す。「顔は自分のためにあるんじゃないですよ、他(ひと)のためにあるんです」と言った人がいた。確かに、自分で自分の顔を見ている時は鏡を見る時だけ。それ以外は他人が自分の顔を見ている。鏡を見る時は、鏡を見るために準備している自分の想いがあるから、その想いを映す顔となっている。が、それ以外のところで自分が知らない自分の顔を見ているのは他人である。

顔はその顔を持つ人物の想いと共に変化すると気付いたのは自分自身の事もあるが、他人の顔の変化を見た時である。

そろそろ8年ほども前になるのだろうか、心が渇いていた時期があった。その時ふと鏡を見た時に映った自分の顔にびっくりした。びっくりしたというか慄いた。「これが私の顔?」大変年老いた希望も艶も無くなったお婆さんだった。それまで認識していた活発さや陽気さ若さは跡かたもなく消えていた。久しぶりにあった知人が、私のその変貌に言葉を失ったように眉間を寄せて凝視していた。頬はげっそりと落ち、目がくぼんでいる。このブログを書き始めて以来何度と書いて来たが、その頃に届いた一冊の本を切っ掛けに私の人生は逆転した。私もなかにし礼の語る壁の向こう側に行った、おそらく。

眼の輝きだけではない、顔の肉付きまで変わる。こけた頬はまるくなり、無意識の中で思っている喜びが自然に顔に顕れ始める。知人たちは眉間を思いっきり外側に引っ張って私をじっと見る。他人の変化はよく分かる。私自身も想い方によってこんなにも顔が変わるのか、その事実を他人の顔の上で見ている。私と同じように壁を越えて来た人がいたが、半年も逢わないでいると、一瞬誰だか直ぐには認識できない程に"普通"の顔になっていた。70台に乗っていた皺だらけのギスギスしたきつそうな顔から、口もとにほんの少し残しているが、皺がすっかり消え、肉付きもよくなり、穏やかさが漂う。声を出して驚くほどの衝撃があった。他人の変化を確認したのだから、きっと私自身の顔にも顕れて来ていたのだろうと納得している。

何も言わなくとも、顔が全てを語る。顔は隠さない。顔はそれほど自分の全てのようだ。

なかにし礼の顔が本当に変わった。話す言葉の端々にかつてとは明らかに違う心の豊かさと喜びと楽しさが顕れる。

深く濃い闇に投じられた後、人間は何かをつかんで光の中に向かう。そこから新しい顔がつくられるようだ。




AからZを広げる 4/24

昨日のなかにし礼の話は面白かった。彼が言う、ビートルズも入れて世界中の歌はAからZまでに分類できるが、そのZまたはAを拡大したい。つまりもう一つのZを書きたい。要するに、誰も書いていない所を書く。その仕事への想いが癌と戦う姿勢にもつながったという。5人の医者に会ったが5人とも旧態依然のA←→Zに入り、健康な部分まで大きく切り開く手術と化学療法の適用であった。絶対この範囲外の医療があるはずだと粘って探した結果見つけた方法が、金額は高いが、切らずに癌細胞を摘出する方法であった。

共感する。
   
   最後の最後まで美しく 4/26

「最後の最後まで美しく。それは日本人だから。」

超高層ビルの解体工事。2020年の東京オリンピックに備えて建造物の整備が既に始まっているとテレビで報道された。赤坂プリンスホテルの解体に導入されたテコレップシステム。これまでの超高層ビルの解体工事はダイナマイトを使って多くの粉塵と騒音を出して行われたが、過密都市東京で周囲に迷惑がかからぬ方法としてこの新しい方法が考え出された。てっぺんの屋根を残したまま上層階から2層づつ解体して行く ー 既存ビルの屋根を大型ジャッキで支えて蓋にして、屋上階の外周に取り付けた防音パネルとともに建物上部をすっぽりと覆う。閉鎖空間で解体を進めた後、ジャッキで下げることを繰り返す。これによって粉じんも騒音も抑えながら、老朽化した(?)超高層ビルの背丈がまるで骨粗鬆症現象を起こしたかのように縮まっていく。この技術を生みだしたプロジェクト・チームの主任が言う「最後の最後まで美しく。それは日本人だから。」

感極まった。日本人一般に浸透している完璧さと一途さと美意識が到達した技術。本当に素晴らしい。




ヤシの木に別れ 4/29

プランターの外にまでその根が張り出していたヤシの木。6年前に以前の住居から引っ越した時に運んで来た。2,3年ほど前に植え替えようとしたが、プランターから抜けない。結局プランターを壊して取りだしたが、土が見ないほどに根が絡みついていた。それをザクザク切って新しい土を入れて植え替えたが、土の入れ方を間違え、風が吹くと直ぐに倒れた。また取り出して落ち着かせたが、どうも生長している気配がない。それでもまだ葉が緑色を保ってくれたし、水も吸っているようなので、時々話しかけたり優しくなでたりしていたが、この弱弱しさでは冬を超えられないだろうと部屋の中に入れた。その時、窓の梁にヤシの木の頭がぶつかり、まだ根付いていなかった木は、根のところから動いて土ごと外にこぼれてしまった。また土を整えてこの春に外に出したが、とうとう命尽きたのか、葉は全て埃色に化した。

その長さのため、可燃ごみとしてドラムの中に捨てる事も出来ず、のこぎりで半分に切ったが、断面には微かな湿気が残っていた。まだ生きられたのだろうか、早まったのだろうかと心にきりっと傷が付けられる。ネットで見たヤシの木の断面は一番外側が緑色を帯びているが、ベランダのヤシの木の断面は材木と同じ色をしていた。もうめそめそは止めようと、これをよい事と受け取る事にした。過去の清算。ひとつひとつ荷物が少なくなる、いい事だ。

10年以上も傍にいてくれたね、ありがとう。




遅咲きの歌? 4/29

昨夕は時々コーラスで入ってもらっているスダッチと食事をした。池袋Parcoの8階にある和食。大変美味しかった。スダッチは巨大企業の役員でもあるので接待やら付き合いで色々な処で食事をする機会に逢うのだろう、これまでも誘われて行ったところは皆美味しかった。ここも実に美味しい。ランチもやっていると言うので、次の狙い目である。

「昨日久しぶりに車を運転したんですよ。そしたらたまたま「美しい日々だけを連れて」が流れたんです。いい歌なんだなぁと思いました。」

「美しい日々だけを連れて」に対するこれまでの彼の点数は高くなかった。彼の好きなのは「今朝のバラ」。2011年にリリースした時に初めて聴いた時から「今朝のバラ」を称賛していた。この曲と一緒にCDに収めた「今のわたし宝石です」よりもこの歌がダントツだと断言するその調子には、私の最初の案であったCDタイトルを「今のわたし宝石です」から「今朝のバラ」に変えさせるほどの押しの強さがあった。

専門家の言葉というのは影響力があるのだろう。ビクターのディレクターは「美しい日々だけを連れて」と「今朝のバラ」をどちらもいい歌だと言っていると告げると、再度慎重に聴く気になったのかもしれない。「美しい日々だけを連れて」はじわ~とよさが分かる歌なのか。アマゾンで販売開始をした時、京都にいる友人が10枚ほど購入し彼の友人達に贈ったらしい。”徐々”に感動が寄せられていますとメールで知らせて来た。「”何度も”聴いていると良さが伝わってきますね」と伝えて来た人もいたとか。"徐々に"か"何度も"か、それが口惜しいね、と冗談交じりに答えたが。

私自身は「美しい日々だけを連れて」をずっと押している。この歌は本当にいい歌だ。20代から40代の若い子たちに聴かせると、感動が顔に滲んで来るのをよく見かける。いかにこの楽曲の良さに直ぐに気付いてもらうか、これがこの楽曲にこれから関わって下さる人達が知恵を絞って行かなければならない課題だろうなぁと思ったりする。





5月のライブ 5/2

こんどのライブは今月。思えば5月にライブをするのは初めての事だと思う。ゴルフ日和でもあるので、「確約はできないけれど、行けたら行くよ」と言ってくれる人達が数人。うれしい言葉。
ライブのある月が近づき始めると、私の心はキキキっとして来る。あと3日でライブ月だぁ~、うわぁ、明日かぁなどと。月に一歩入ってしまうと、あれよあれよと時間が過ぎていくもの。

かつてはライブで歌う凡そ15曲ほどの歌を全部自作の歌で埋められたらいいなぁと思っていた事もあったけれど、今では、どれを載せようかと少し迷う。でも、自作曲は、若い方々はともかく、60代以上の方々には馴染みがないし、演劇性もないので、素通りしてしまうみたい。それで、15曲の内半分ほどを自作曲、後はみんなが知っている歌を歌って欲しいという要望がある。それで、半分までとは行かなくとも、既に多くの方々に知られている歌や、初めて聞いても面白いと思われる演劇性のあるシャンソンを増やしてみようと思う。やはり、美空ひばりは入れよう。この人の歌で、ポピュラーになったものは、悲しい歌でも余りどんよりしていないように思う。

そしてもう一つはシャンソンの「ねえ、仲間たち」かな。これは亭主が死んだ時に歌う歌(笑)で演劇性が強い。ただ、シャンソンとなると気になるのが伴奏。この歌をよく知っているピアニストなら結構安心できるが・・・西さんに頑張ってもらわなければ。
   
  他の曲も聴きたい? 5/2

先日友人が選んでくれた楽曲をビクターのディレクターに送って10日ほど経ち、まだ返信が無い。恐らく聴いていないのだと想像する。昨年に送ったライブのDVDや自宅録音に辟易したせいだろう、聴くのが「楽しみで無くなった」と言って来た事がある。それ以来こちらから再度の押しがない限り聴かない。丁度いいタイミングで、昨日、通っているミュージック・スクールから、あるテレビ番組の歌作りの作家オーディションの案内が来たので、勝手に応募するのも気が引け、一応筋を通した方がよいと言う周りの提案もあり、連絡をしたら、案の定聴いていなくて「今聴きました」と返信があった。


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とりあえず、今回の録音は気持ちよく聴けました。自己紹介用のデモとしては、とてもよいと思います。 
曲の感想としては、、、何と言うか、他の人に歌ってもらうというより、しずこさんのレパートリーって感じがしますね。
個人的に、しずこさんの曲は良いと思っておりますが、自分で誰かに売り込んだり、自分の手で育てたいとまでは、申し訳ありませんが、考えておりません。 

ですから、もしも、他にしずこさんのことをもっと評価してくれる方がいたら、ぜひその方にすべてを任せた方がよいと思います。
その点、こちらに遠慮することは何もないので、どんどん道を切り開いて頂けたらと思っております。
自分としては、変な言い方ですが、(デモ録音の助言をしたり)そのためのお手伝いをすることくらいしかお役に立てませんが、それでもよろしければ、他の曲も聴かせて頂けたらと思います。
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なぜ聴きたいのだろう?デモは既に2曲聴いているから、どんな録音状態か、どんな歌い方をしているかは、十分に分かるはずなのに。。。。苦戦しているなぁ。要するに、聴いたデモの2曲はよいけれども、これで誰かに売り込もうとか育てようという考えは生まれていない、しかし2曲のデモは良かったので、他の曲も聴いてみたいと言う気になっている、という事じゃないのかなぁ。ただ、他の曲を聴いてもそのような考えに致るかどうか分からないから、期待を持たすまいとこう言ういい方をするのだろうなぁ。。。。。そんな事は当然なのだから、率直にいえばいいのに。こちら側としては、全曲聴きたいと言わせる処まで持って行くのが、現段階の目標だから、順調に展開している事になる。どう頭をひんまげて目線を変えて考えても、この2曲のデモだけで、「売ります。育てます」になる訳ないのに。

私の罪滅ぼしもあるし、とにかくこのディレクターとの御縁を大事にしようと思う。出会いから今日に至るまで、これほど長い付き合いをして下さるメディアの人は、そうそういるものではない。本当に特別な御縁に巡り合った。彼との直接コラボだか、彼を通じた他とのコラボだか、または全くの第3者か、それは分からない。しかしこの御縁の先に何かがあると確信に近いものがある。デモの作り方一つにしても、彼の助言があったからこそ、どこに出しても自信を持てるデモとなったし、その出来栄えに「気持ちよく聴けた、いい歌」と彼は評価もしてくれた。これほど心強いバックアップは無い。他の音楽関係者たちのあれやこれやの主観よりも、実際にアーティストを選ぶ当事者から聞けるのだから。





てんやわんや 5/3

なんだか、5月の陽光と風の中で気持ち良い流れに憩う小舟に乗せられているようだ。他の曲も聴きたいと言われたディレクターから全曲入ったDiskの郵送を依頼された。直ぐに発送したが、後で気が付いたら、その内の1枚はカラオケだったらしい。それに気がついたのも、なんとも間が抜けているが心が潤う出来事の重なり。

デモがもっと必要になるだろうと、近くの家電量販店でCDRを買ったら、エラーが出て焼けない。それで返品して上質のものと交換してもらおうと店に向かっている途中、取りに行くものがあった事を思い出しレコーディング・スタジオに立ち寄った。すると、いつも複数の店舗を周っているため必ずしもいるとは限らない店長がロビーで客と話をしている。先日直してもらったDatのお礼と、現在の経過を話すと、「全曲聴いてくれると言うんですから、いい感じじゃないですか。上に行っていますねぇ。CD焼くのはここでやりますよ。」重要部分は彼の耳にも"全曲聴く"、ここだけのようだ。「一つのところだけくっついていたら狭くなるから、どんどん広げた方がいいですよ。そこからまた別の紹介があったりしますから。」

なんだかすごくニヤニヤして、無償で追加6組を焼いてくれると言う。そんな厚意に与るとは考えてもいなかったので、デモ原盤自体を持って来ていない。直ぐに部屋に戻り(何と便利なところに私は住んでいる事か、徒歩10分圏内である)、原盤を持って戻ったが、今度は「あれ、これ、カラオケって書いてありますよ」と、これまでレコーディングにずっと付き合ってくれていた内村君が気付く。あっちゃ~。部屋に置いてあるデモはもう無いはずだとおぼろげに思い出した(なんだってそんな事をしたのだろう。自分用のものは取っておくはずだったのに???)。最後のはディレクターに送ってしまっている。改めて原盤を作ってもらい、それをCDに焼いてもらう事に。その間私は家電量販店に行って不良品の返品。

CDに焼いてもらって部屋に戻りデモCDの数を整理すると、Disk2のカラオケはあるが、Disk1のカラオケがない。しまった、デモでは無くてカラオケをディレクターに送ってしまったかもしれない。ヤマト運輸で調べてもらった(この調べてくれると言うのがすごい、本当にすごい、日本という国は。絶対他の国ではあり得ないんじゃないかな)。まずはセブンイレブンに電話。取り扱い番号が出てくる。その番号を持って今度はヤマト運輸に電話。その荷物がどこまで運ばれたか調査。ちゃんと係りから電話が来る。残念ながら荷は既に相手の住所周辺の集配センター。でも配達されずにこちらに送り返される事になった。何とすごい会社だ、国だ!

それに一段落し、焼いた6組のデモにタイトルを印刷しながら確認のため音を聴いていると、待てぇ~!ちがう~!「My Love」という曲はレコーディングし直したのに、旧ヴァージョンで焼かれているではないか!ダメ、ダメ、ダメ。電話したらまだ担当者の内村君がいた。これもすごいウンの良さ。「いや、ちゃんと新しいヴァージョンで焼きましたよ」「いや、とにかく違うから」「調べて折り返し電話します。。。。すみません焼き直します。」またスタジオまで取りに行った。新しいヴァージョンが収録されたDisk1と2、またセブンイレブンまで行き、ヤマト便で出された。

てんやわんやは、数日続きそう。




戻って来た 5/4

入れ間違えて発送してしまったカラオケが今朝9時過ぎに叩かれたドアの音と共に戻って来た。1週間ほどかかるかもしれないと言っていたが、発送して2日で戻って来たのである。本当にすごい国だ、すごい国民だ。これを日本で体験した外国人がいれば、誰しも感嘆するだろうなぁ。一体どうしてこう言う事ができるのかって。どこの国に同じ事ができるのだろう。ドイツかな。

昨日、ミュンヘン旅行から帰って来たばかりという友人から電話があったので、ランチをねだったら、ホテルで懐石をごちそうになってしまった。そんな豪華なものでなく、彼の事務所がある近辺の定食屋で彼のドイツ旅行の話でも聞こうと思ったのだけれど。こちらも美味しいランチだった。その彼に日本という国の特異性、素晴らしさを語っていると、米国に住んだり、英語ができるので様々な国に個人旅行ができる私と違うから、彼には日本を客観的に見る事ができない、という。

それで私が得々とこの国の素晴らしさを語ると、彼は時々頷いていた。実に実にすばらしい国だ。恐らく世界中の国のモデルになるのではないだろうか。私が「この国にもう一度生まれたい」を書いて披露した時に、具体的なところは忘れたが、要するにこの日本のダメさを歌って欲しいと言った人がいた。残念ながら、私にはそう言うものが映らない。欠けている所を探そうとする人、欠けているところが目につく人も沢山いる。人間一人を取っても全てを持っている人はいない。忠実で、常識をわきまえ、かつ独創的で調和しており、行動力のある人などあり得ないと同じ。日本の持つ均整、穏やかさ、豊かさ、素直さ、大きくなった懐、完璧さの徹底的な追及、弱者への同情、ホテルで食事をしていた時のウェイトレスにも漂う優雅さ、エレガンス。もちろん他の国にもその国独自の魅力があるが、私は日本のこの特異性に、本当に特別な国を感じる。何年か前のこのブログのどこかで書いたが、この国では”美しい”と”生きる”という言葉が結合される、いわゆるコロケーションしている。真っすぐに生きよう、若々しく生きようと言うコロケーションは他の国の言語にも見られるが、”美しく生きる”は余り聞かない。”美”意識が生活の根底に流れているからだと思う。

ドアを叩いてカラオケを戻してくれた配達人は若く、大変ニコニコとその荷を手渡し、私の感謝の言葉に大きな笑みを残して次の配達先に向けて立ち去った。ありがとうございました。

追記:「この国にもう一度生まれたい」は日本のことかもしれないが、この歌詞の中で歌われているような国なら、多くの人がもう一度生まれてきたいのではないだろうかー「憎しみよりも愛を育てる国」。対象が個人であれ国であれ、憎しみを語る顔が一瞬にして刃物を持って襲いかかるような顔になる。私はおののく。語るご本人はその変貌に気づいていないのだろう。止めた方がいい。大変醜い。私は席を外したくなる。
 



 
  必要なものが与えられて 5/10

ものすごく探していたものをみつけた。

昨年の5月から作曲に本腰を入れて1年計画でミュージックスクールで個人レッスンを受けて来たが、先月4月で丁度一年、そろそろここを卒業し、ワンステップ上の授業を探したいと思っていた。より魅力的なメロディーを作る方法とか、コードを体系的に教えられるところ(今のところ、ちんぷんかんぷん。私、理解力は悪い方ではないのだけれど)。

2年制の短期大学みたいなところがあるが、入学金だけでも15万、私が今まで行っていたスクールは5千円。その他設備費だの教材費だのって最初の1年間に収める金額が100万円に近い。それに、まったくの初心者向けの授業から始めるのだろうから、私が既に知っていて聴かなくともいいところが半分はありそうだ。プロを育てるという点では魅力があるが、これはかなり非合理的。

家から近いところにヤマハ音楽教室があるが、作曲クラスたるものがない。現在2クラスあるシンガーソングライティングと言うクラスは、共に定員4人を超えているようだし、それに生徒たちのプレゼンを聴いたが、どうも私が行くところではなさそう。

昨夕はネットで見つけた小さな塾に面談に行ったが、その面談から帰宅して、またネットで色々検索していたら、ニコニコ動画で無料公開作曲塾を見つけた。業界トップクラスのミュージシャンによるものらしい。コードに関する本を複数出したり、音楽雑誌にも寄稿されているらしい。3回までのビデオがアーカイブに収められていて、その第1回を聴いたら、眼が点になった。私が知りたい事すべてに答えていた。
  • コード枠を先に作ってしまうとメロディーが行ける可能性を狭めてしまう。ストイックに狭めてしまうと言う考え方もあるかもしれないが、通常、コードとメロディーは一緒に作るのがよい。
  • いいメロディーは誰もが探している。いいメロディーを作ろうと皆苦心している。
  • Know-howは勉強したそのもの。それに外しを入れたり、無いところを探す。クラシック理論にくっついていたら、ポップスは作れなくなる。
  • ベースラインを決めたら、後はメロディーと会話しながら音を作っていく(ゲスト、浅倉大介、彼は小室哲也とコラボをするくらいの才能を有す)
いいメロディーの作り方を教えてくれるところは無いんだぁーこれは大きな開眼だった。これだけではなく、このオンライン作曲塾は私が知りたかった事、知って得なところを漏れなく開示してくれていた。講師曰く、「じぶんたちが今までやって来た事は先人たちがやって来た事を受け継いだだけ。彼らが全て教えてくれたように、今度は自分たちも出して行かなければいけないと思うんだ。」それで無料公開オンライン作曲塾の開講。彼は、上で話した初年度学費が100万円の音楽学校で30年近く講師を勤める。

コードの事、作曲の事、私の最も知りたい事を、それも無料で教えてくれる。ビデオで講師の篠田氏が言うには、「理論を知っている人が必ずしもいい曲を作れるとは限らない」。この作曲塾のゲストたちはどうも理論を知らずに感覚中心でやっている業界トップクラスのミュージシャンたちで、篠田氏が彼らの音楽のすばらしさを理論的に解説し、その解説に彼らが感嘆している。ピアニストの西さんが言った「(わたしは)コードを勉強しなくていいよ」の”名言”は本心からの提言なのかも知れない。私の現在の知識に少しプラスする程度を本で確認しながら、そして他のアーティストの楽曲から勉強する事で良いかもしれない(ネットでも誰かが同じ事を書いていた)。それに、クラスを取っても、今日このオンラインで勉強した以上の事を話してくれる授業は期待できないように思う。

占星術師の明本歌子さんが、占星術の教科書を読みながら、「あなたは勉強が好きなのね」と言っていたが、どうやらそうらしい。笑(^v^)。





夢中になるものがあると言う事 5/10

上のブログを書いたのは10日の朝、そしてこれは10日が終わり11日に移る頃。

あっという間に一日が過ぎた。郵便物を取りに行く以外一歩も部屋を出ずに、ずっと上のオンライン作曲塾のビデオを見たり、それをダビングしたりしていた。昨日は友人の義姉達とゴルフをし、帰宅して少し休んだ後に東中野まで出かけるという一日歩きまわった日でもあっただけに、身体を休めるのには丁度良かったかもしれないが、一日中家に閉じこもりながら、夢中になってする事があると言う幸せを感じる日でもあった。

歌詞として整理できているわけではないが、わたしの「作詞手掛け中」のノートの中には沢山のテーマが、最近は毎日のように書き増えている。メロディーも短いフレーズを沢山録音して置いた。ただ、歌詞と曲がばらばらに出てきているので、歌詞が整理されないと、曲の選択ができない。書こうと本腰を入れた時に、できるだろう。ただ、今は本を読みたいし、今月末のライブに向けて練習もしなくてはならない(毎日声を出していると、当日声がよく出る)。

本を読む事も、テレビを見る事も、音楽クラスに行く事も、皆歌作りとリンクしている。そんな毎日がうれしい。




「日中韓の将来を語る」 5/11

日中韓の将来のリーダーになるような各国の大学院生を集めた討論会。NHKBSが主催するマイケル・サンデル氏の白熱教室をたった今見終わった。うん、いい内容だった。ただ喧嘩をさせる何処かの民放の番組とは違う。サンデル氏の討論の運び方、問題の根底を突く質問が大変有意義な討論を展開させたのだろう。日本からは東大、早大、慶大大学院生が参加していた。

それぞれが思っている事を忌憚なく語り合っていたように思う。その内容は、年代に関係なく東アジアの国家間の動きに少しでも関心があるものなら、恐らく誰でもが抱いている想いだと思う。米国による日中韓関係への介入、介入させない場合の中国に対する不安、歴史問題、優越意識、ナショナリズム、個人レベルなら仲良くなれるのに、なぜ国家レベルではそれが難しいのか、などなど。討論終了後の感想も印象深かった。

発言順序で書くと:

韓国の青年ー始まる前までは、自分たちが関心持っている事を本当に一緒に考えてくれるのかと不安だったが、よく聞いてくれた。本当はどう思っているのか、この討論会の前には分からなかった事が,よく分かったし、未来があると思えるようになった。
日本の青年ー僕には、韓国人の友人や在日の友人が多いのだけれど、彼らとの間では歴史問題を語る事は避けて来た。話すとそこで友情にひびが入るような気がして怖かった。しかし、フランクに話し、理解しあえるのだと言う事が分かった。
中国の青年ー互いに考えている事の根底にあるものは、皆同じなんだと分かった。

そして、サンデル氏の閉めの言葉:暗い部分を避けるのではなく話し合う。相手の話を聞く、そこから本当の理解が生まれ、明るい未来が開ける。

本当だね。私も生活の中での対人関係で最近気付いた事だが、嫌だなぁと思う相手を避けるのではなく、言ってあげる事、またはこちらの不安や懸念を分かってもらう事、相手の想いを聞いてあげる事は、長い付き合いのできる可能性を引きだすわね。誰しも心の中に、皆と仲良くなりたいと言う”本心”があるのだから。

いい番組だった。

   
  レジ袋 5/12

「女は大金を出してブランド物を買うが、ティッシュペーパー一枚にけちけちする」そんな話を昔聞いた事がある。ティッシュペーパーではないが、スーパーのレジ袋に対し、私は絶対お金を出さないとほとんど誓っている。

私の直ぐ近くには西友があり、住んでいるマンションの一階にはマルエツが入っている。エコ運動が始まった当初、西友ではレジ袋を使わない人には買い物の合計金額から2円を引いていたが、現在は、レジ袋も商品の一つになり、小さいものは2円、大きな袋は3円を出して買う。レジ袋に別途お金を出させる方法を導入すると、利用者がめっきり減ったと店員から聞いた事がある。レジ袋を買うスーパーの経費は商品の価格に組み込まれているため消費者はずっと払ってきていたのだが、新たに個別商品として購入するとなると、人間心理として、余分に支払う感じがして抵抗があるのだろう。マルエツの方は今でも売上金額から差し引くやり方を取っている。

私は、どちらのやり方であっても、レジ袋が金額が持つようになり、もらうかもらわないかの選択ができるようになった事を大変喜んでいる。たかが2円だが、1回の買い物に5円分、生活必需品だから繰り返し買って行くと家族の多い家では1年で醤油が2,3本買える程の金額になるだろう。私が喜んでいる最も大きな理由は、やたらに増えて溜まっていくレジ袋の処理に悩まなくて済む事である。ゴミを入れたりその他に使っても余る。使い切らずに捨てる事が、心に引っかかる。

だから、他のスーパーはともかく、近くの西友に行く時は必ず袋を二つ持って行く。こうすると、店員がスキャンし終えた商品を傍から買い物袋に入れて行けるし、何と言っても、我が家のキッチンのレジ袋専用の引き出しが溢れなくていい。これが、私が最も感じるエコ運動のメリットである。

なんだって、こんな話しを書いたかと言うと、実は今、ジムの帰りに西友に行くと、思いの外買い物が多くなり、ズックやタオルなどを入れてジムにいつも持って行く二つのバッグに入りきれないのではないかと、買い過ぎた事を少し後悔した。だが、意地だ。既に溢れている二つのバッグのてっぺんに醤油や料理酒の一リットルボトルを置き、持ち手の隙間も指がやっと通るほどの限界だったが、どうにか家まで運んで来た。

成し得た喜び。こんな事にも感じる達成感(^v^)。(ま、家が近いからね)





楽しい一日 5/13

今日は大学の先輩方と一緒にゴルフをした。本当は呼ばれない私なのだろうが、以前に「省かれた」と大きな声で言ったら、省いた人がニタニタ笑って、今回は仲間に入れてくれた(あは)。チームは偶然だが、いつも私のライブに来て下さる先輩方ばかり。本当に沢山の愛を頂き、気を使って下さる温かさに、心がいっぱいになる。その先輩達は、私のライブ来場者の数にも心を配って下さる。いつ恩返しができるのかと、せっかちな私は焦る。

現在のところに引っ越しをして来た時に車を手放したため、OB会のゴルフの時にはいつも誰かの車に乗せてもらうのだが、今日はその先輩達と一緒だった。その機会を利用し、帰りには今心の中で閊えている事を言って意見を訊いてみた。すると、いい意見が聞けたと言う訳ではないが、話した事で私の中が軽くなったのか、直ぐにアクションを取り、相手に電話を入れもやもやを解消できた。歌の世界で私が今後もして行く事は、その夢も含めて、なにも萎んでいないようだ。誰かに思いの丈を聞いてもらう事は、本当に気を楽にさせる。ありがたい。

家で一休みをした後には、カラオケに。他のOB仲間も加わり、楽しいひと時を過ごした。今日の車の中でのおしゃべりのように、もっとざっくばらんに色々な事を話せる日が遠からず来るのだろう。待ち遠しい。




歌って、やはり・・・5/14

昨日なかにし礼が直木賞を受賞した「長崎ぶらぶら節」を読み終わった。作詞家の彼ならばこそ書けた小説だと思うが、歌がどのように生まれるか、どのように歌うか、彼の意見があちらこちらに散りばめられていた。歌が生まれるプロセスはやはり皆同じなのかもしれない。なかには、ギターでコードを抑えながらいろいろ模索する人もいるようだが、彼は言う。

歌作りは「人間と神の共同創造物」であり「歌は降って来るもの」、そして「歌う時とか芝居をする時、または嘘をつく時、人の声は化粧もすれば変装もする。この時に品性が出る。うまく歌おう、いい人に思われよう、喝采を博そう、そういう邪念が歌から品を奪う」、また「気取っても隠しても、歌は裸のあなたを見せてしまいます。ならばいっそのこと、最初から裸でぶつかった方がいい」と書く。さらに「魂が行動して燃え上がり、電気となって天に通じるまで一心不乱にやらなくてはいけない」と。

「行動にこそ価値があり、その行動に人格が顕れる」とも付け加える。言葉というのは実に力を持つ。私もまた行動開始宣言を自分にした。






「ああ、あんた恋しや」 5/16

「長崎ぶらぶら節」を読んだ後に、とても素直なそしてシンプルな歌を書きたいと突然思った。歌の原型ってここにあるのじゃないかと。ふと、安寿と厨子王丸を呼ぶ母親の言葉が頭の中に何度もこだまして、「ああ、あんた恋しや」となった。

♪ああ、あんた恋しや 飛んで来い
なぜに つきよりも ほしよりも
ちかくにいましても 見えんとか
声さえも聞けんとか





一言書いてあれば 5/21

このHPの表紙を編集しアクセスカウンターの場所を動かしていたら、突然起動しなくなった。最初から作り直そうと、プロバイダーのau(KDDI)のサイトに行くと、ログインをするためにはこのHPのURLとパスワードの入力を求められる。URLは簡単にコピペすればよいわけだが、パスワードは"当然”忘れてしまうので、メモに書いて保存してあった。しかし、何度繰り返してもログインできない。もしかするとという事もあるから、私が使いそうなパスワードを全て入れてみたが、ダメ。とうとうオペレーターに連絡し、あちらの勧めで新しいパスワードを送ってもらう事になった。その間、このブログも更新できない。

やって来たパスワード、やはりダメ。またオペレータに連絡し、あれやこれやして分かった事は、URLを入力するところの上の段にAUのドメインが既に書かれてあり、その下に空白があるのだが、そこに、このHPのサブドメイン、つまり私個人に関わるところだけを入力すればよいらしいのだが、その記述がないため、URLと書かれてあるのだからURL全体を貼り付けてしまう。その一言がなかったがために、こちらは2日もかかる仕事をしなければならなかった。全くアホらしい。今は遠隔操作ができ、こちらが許可すれば、姿の見えないオペレータが勝手にこちらの画面を見に来てくれるので(すごいね、この遠隔操作機能がなければ、大変だろうと思う)、相手も「私も気付きました」と記述のなさが混乱をきたした事を理解したようだ。

技術ライターといって、文章力のある人が素人の立場に立ち技術マニュアルやHPの文章を書く事を職業にしている人がいる。米国ではそのような人を社内に置いたり、外部から調達したりするが、日本にはまだ数少ないようだ。大体理工系の技術者自身がユーザ向けのマニュアルを書いたりしている。自分の文章が客観的にどう読まれるか判断する習慣がないから、自分だけが納得した文章になってしまう。米国は訴訟の多い国だから、マニュアルの誤記述や曖昧さが、色々と厄介な事、特に金銭にまつわる事につながっていくから、リスクを避けるためにもそこは最初から専門家が対応するし、マニュアルが原因で問題が生じた場合は、責任転嫁もできる。日本だと怒鳴っておしまいにすることが一般的かも。私もこの為にオペレータ4人と話し、電話をするたびに別な人が出て、毎回名前住所電話番号その他もろもろを言って本人確認をさせられるし、出て来たオペレータは経験不足で、「はい、はいL」と返事だけはいいが、どうもこちらが言っている事を全く理解していない様子。それに、こちらの質問一つ一つに「少しお待ちください、調べます」と言って、他の技術者に訊いているみたい。イライラ($・・)/~~~。「よく分かる人に代わって頂戴。突然怒られて、あなたも困るかもしれないけれど、こちらとしては昨日からやっていて・・・」と一応いい訳を言って怒る。キキキキ・・・。

数年後に同じ問題が起きた時に、今回の操作を覚えているかどうか分からないけれど、取りあえず一件落着。





神秘というか 5/21

いや、正に神秘だ。ここ5,6年、毎日何らかの気づきがある生活がずっと続いているが、なぜ「宇宙には善くなろうとする気が流れている(稲盛和夫氏の言)」と言えるのか、なるほどと気付いた事がある。それは人間誰にでも善くなりたいという気が流れているからだと想う。誰の心の中にも、悪を演じた時に罪悪感が忍び寄るし、悪を演じた自分を嫌悪しているまたは恥じているもう一人の自分がいる。またその悪事の報いをどこからか受ける。だが、自分の行為で他から感謝されると、心が豊かになり、幸せ感を持つ。自分自身の善悪の行為で、当人が抱く感情をみても、人間は時間はかかっても善い方に向かうのだと想う。理由は単に皆幸せになりたいから。それが人間本来の姿だし、そのように人間は創られている。なぜそう創られているのか。そうでなければ、宇宙が存続できないから。人間の本来の姿に宇宙はシンクロされるから、宇宙に善き気が流れるのだろう。もしかすると、その逆かもしれないが、私はまだ宇宙をよく知らないから、宇宙からの視点で人間を考える事は出来ない。言えるとすれば、神が宇宙を創り、人間も神が創ったから、当然善い気が流れる、という事かな。

人間がそのように作られているのも神秘だが、一個人の人生に旅程表があるのも神秘だ。

以前のブログで、占星術師の明本歌子さんからリーディングをしてもらったと言う話をした。占星術師は世の中に沢山いるので、その人の真剣度や誠実度によりリーディングの質も異なるが、今回歌子さんが私に伝えた何かが起きる日付を遡って思い出すと、本当に驚く。当たっている。私が今のような人生観を持ち始める大凡の日付さえ出ている。言われた事はすべて過去のことだったが、この3月にお逢いした時に、5月10日にびっくりする事がありますよと言われ、先の事なので、ワクワクそわそわしながらその日を待っていた。期待している事に進捗があるのかと思ったが、”びっくり”だから期待している事とは関係ない。

5月10日、確かにびっくりの日だった。このブログにも書いたが、ネットで見つけた音楽講座である。ちんぷんかんぷんだったコードの話を、日本音楽界トップの座を占める重鎮達が大変分かりやすく語る。食い入るようにその動画を見ていた。そして後日その講師の「実践コード・ワーク、理論編」を読み始めた。進め方に幾つかの改善が必要だが、眼が覚めるほどに大変分かりやすく公式のように説明がされている。これまでも幾つかの音楽理論は読んで来たが、そこには、コードとは何か、どんなコードがあるか、よく使われるコード進行にどんなものがあるか、というような出来合いのものの紹介が書かれてあったが、この本はそれらとは違う。コード進行の仕組みを理論的に教えている。だからよく使われるコードをまねる必要もない。何とも簡単なのである(そんな事言っていいの?!)。これまで自作曲はアレンジャーにコードを付けてもらっていたが、彼らが私の自作曲に付けたコードを確認すると、はぁ~、理論通りじゃない!あんなに訳の分からなかったコード進行の仕組みが露わになった。くわ~!

あの動画でも見せていたが、理論を知らずに感覚で付けられたコードも講師がみな理論的に説明していた。つっかえた時に理論が分かっていると、音やコードの選択が手っ取り早い。

それで、ここのところずっと上のコード本を読んでいる、右にノートを置いてまとめながら。感動に近いものがある。

歌子さんがこれ以外にも言ってくれた日付がある。楽しみだ。





赤ワインと相性がよくて 5/22

私はワインと相性がいい。特に赤ワイン。以前はグラス一杯飲むと、ほとんど走っていくかのように、キュ~ン、バタンとなってそのままベッドにゴロン、1時間はぐっすり眠った。最近は違う。大変陽気になって幸せ感が満ちる。一人で飲んでいても面白い一人言を言っている(アハ)。笑ったり泣いたり、忙しい。泣くのも悲劇の主人公として泣き上戸になるのとは違うようだ。愚痴は出ないというか、縁がないみたい。嬉しくて、ありがたくて泣くみたい。良いね、と自分で言っている(アハハ)。そして一人で大きな声で、落語やったり、講談ごとき事をやっている、アハハハ。

来月からインストラクターを変えてギターとピアノを習う事にした。その面談みたいなものに行って来たら、偶然だが、ピアノもギターもインストラクターは、音楽学校の主任クラスだった。起こる事が皆私を前に進ませるために起きているようで、これから先が本当にワクワクする。私には今「我」の働きがあまり無い。ふっと降って来た事、人からアドバイスされた事を、余程それを否定する気持ちがない限り、そのまま受け入れる。面白い事に、勧められて否定するものは何もない。

そんなこんなで、なんだかハッピーなのである。コードの事もすごくよく分かって来たし、今もこのブログを書くまではその勉強をしていたのだけれど、なるほどなるほどと、どんどん理解して行く。それで新しいChapterに進む前に口の中に何かを入れようと、赤ワインとチーズを出して来てちびちびやっていたら、何だかふわふわ、とても嬉しく楽しくなってきた(これ、何かヤクが入っているのかな)。

「我」が無くなるって(もちろん完全ではないけれど)、こんなに楽しいものなのかな。つまり、素直って事なのね。はっは~。みんなそうすれば良いのに~。あはは。

それで、分かった事がある。人生の不幸は、この我の強さ、つまり素直さの欠如から起きるのだと。歳を重ねるって本当にいいね。色々な事が見えてくる。ああ、また泣いちゃう。(^。^)


♪しあわせなら手を叩こう しあわせなら態度で示そうよ ほら みんなで手を叩こう
 しあわせなら ウィンクしよう しあわせなら態度で示そうよ、 ほら みんなでウィンクしよう 

あははは・・

   
  歯科大学病院で 5/23

今日は飯田橋にある日本歯科大学附属病院に行って来た。今回のレコーディングの時に唾液の音が気になり、それは日本ではリップノイズ、アメリカではマウスノイズ(鼠ではない、口のほうである”mouth noise”)と言われ、ミキシングの時に処理されるようなよくある事だが、それにしても多かったので見てもらって来た。

私立大学病院というのは維持するために経費がかさむのだろう、問診だけでも、骨が折れている訳でもひびが入っている訳でもないことぐらい分かるのに、あれをやりましょう、これをやりましょうとどんどん検査項目を増やし、二つのレントゲン室に送られた。2種類ものレントゲン?しまったぁと思ったが、断る煩わしさよりも、呑み込む方を選択した。会計の時の数字がどうなるか、名前を呼ばれて恐恐として窓口に行ったが、頭が真っ白になる程でもなかった。私立大学である、少しの協力という事にしようと、自分に言い聞かせて、建物を出た。結局、何もできないし、何でもないと言う事で終わった。

少しばかり心が高揚した事がある。口腔外科の医師がなんとも若い。20代後半か30代前半のイケメン。色々と問診に答えていたら、よく笑い、「ことさん(私の姓)、おもしろいですね」という。言われた途端、なぜかポ~ッとなって、その心の内を覚られまいと私は懸命に平常心を装う。気のせいか、彼はそれ以前よりも私の目の奥までズズズッと見ている感じである。彼の先輩医師が来て診察しても何も問題はないというのに、唾液検査をしましょうと来週に予約を入れる。きっと「逢いたい」と思ってくれたのだろうなぁ、と嬉しかったが、会計後受付を通して予約をキャンセルしてもらうと、その医師が私を電話口に呼んだ。残念そうな色が声と調子に僅かだが出ている。「こんな言い方もおかしいですけれど、また何かあったら」と言う。心が温まった。好きになってくれたんだなぁと、嬉しかった。袖振り合うも多生の縁、きっと何かが通じ合ったんだね。ありがとう。(おめでたいわねぇ、あなた、個人的な感情じゃなくて、会計を潤したいからよ!)

そしてもう一人、この医師の側で立会が役目のようにただ立っている女の”子”がいた。余りにも細くて、人形見たいで、風が吹けば倒れそうな、今風な日本の女の子(こういう形は他のアジア諸国にはいないだろう)。インターンかな、身を乗り出し彼女が着ている白衣の上のネームカードを見ると「医師」と書いてある。オヨヨ~ン。私の好奇心が騒ぎ始めた。「医師なの?」「はい、医師になって1年目です。イケメンが席を外している間、おしゃべりをした。いつの間にか私もかなり生きて来たんだなぁ。ほんの少し前までは、医師は皆私よりずっと年上だったような気がしたのだけれど。

歯科大学や医科大学を卒業し開院した医師は、自分で対応できない場合、母校に患者を送る事になっているのだろうと思う。会計の手助けをするのだろうなぁ。実は、私が行こうとしていたところは徒歩で行ける近くの都立病院で、そこ宛ての紹介状を書いて欲しいと言ったのだが、準備されていたのは、この大学病院向けに既に作られてある用紙に記入された紹介状だった。色々な仕組みが出来上がっているんだね。




大塚音楽祭 5/25

毎年5月の週末には豊島区では大塚音楽祭を開催しているようだ。シャンソンも歌われていると言う話を聴いた事があったが、今回は大学の先輩から電話があって、参考までに見てきたらと声をかけられた。

先週は、そのシャンソンを聴きに行った。ゲストは珠木美浦、以前に新橋の「蛙たち」というシャンソン・バーで歌っていた。日曜日の午後6時と言う事もあり会場は3分の1程度の埋まりようだったろうか、シャンソン愛好家らしき人たちもいて楽しんでいる風だった。驚いたのは、カーテンだけで仕切られた場内に途中から顔のややとがった顔もからだも細めの男性が入って来た。どこで知り合った誰だか全く記憶にないが、きっと彼は私を知っているだろうと、通路を前にして座っている私の前を、彼が2度目に通った時、「私を知りませんか」と訊ねた。「ああ、シャンパーニュですね。福浦です。」と直ぐに答えて来た。うわ~、福浦さんかぁ~。私が知っている福浦さんはもう少しぽっちゃりタイプだった。彼と最後に逢ったのは、彼自身もシャンパーニュを止めて「蛙たち」で店長をやっていた時だ。確か、東北弁で「再会」を歌った。

シャンソンが終わり、民族楽器演奏がされている時、彼の側に行き近況を訊ねると、なんとこのステージで歌われた珠木さんの御主人になられ、お二人で銀座の松屋の後ろにシャンソン・バーをオープンしたらしい。そうかぁ~、「蛙たち」で彼に逢った時、なんとなく昔と顔の表情が違っているなぁと思ったのだけれど、恋をしていた時なんだぁと、納得しちゃった。「痩せましたね」と言うと、突然姿勢を正して勝利感を漂わせながら「ダイエットしているんだ」と言う。おかしかった。痩せるとやはり嬉しいものなのね(クク・・)。

今日は昼過ぎから小室等が野外演奏をするというので少し遅れて行ってみた。実は彼の歌を聴くのは、今回が初めてである。で、随分井上陽水の旋律に似ているなぁと思った。数曲歌ったのだけれど、その多くのメロディーは似ている。陽水だ。彼のトークの中で”佐久間順平"と云う懐かしい名前が出て来た。2011年の六本木スイートベイジルでピアノ西直樹、ギター/ヴァイオリン佐久間順平だった。歌を歌うとは聞いていたが、小室等と一緒に何かやっているらしい。佐久間さんが訳詞したLouis ArmstrongのIt's a Wonderful Worldを歌ったが、いい訳詞だった。

小室等の歌を聴きながら、なぜ皆同じようなメロディーなのだろうと、不思議だった。堀内孝雄もそうだ。彼は自分が歌っている曲だけではない、他のアーティストに提供している曲もほとんどメロディーが一緒。「何だろう」と不思議な気持ちで聴いていた事がある。そしたら、ある時ピアニストの西さんが「堀内孝雄なんかは同じメロディーに幾つも違う歌詞を付けて出しているよ」と言っていた。同時に彼は私を”メロディーメーカーだと称した。褒め言葉であると感じ、駆けだしの私にその言葉は非常に気恥かしかった。また、私にとってはこの言葉は初めて聴く日本語のフレーズだったので、メロディーメーカーってどういう事だろう、なぜ私がそう呼ばれるのだろうとキョトンとしていた。

テレビのインタビューで、アリスの解散に関連して堀内孝雄が言っていた言葉があった、「いつも谷村が頭の上のコブだった」。谷村新司を超えたいと思い超えられないでいる事がストレスになって、グループから抜けたいと言い出したようだ。そして解散。谷村新司が書いた本に「不思議すぎる話」と云うのがあるらしいが、ネットでその内容をのぞくと、彼の場合もやはり歌は常に降ってくるらしい。堀内孝雄と谷村新司、簡単にいえば、降ってくるか降って来ないかの違いなのだろう。

ごく最近、ヤマハの音楽教室の”シンガーソング・ライティング”というクラスを覗きに行った事がある。そこで「どんなスタイルの歌を書きたいか」と、講師に訊かれた。降って来るものを書いているだけだから、何が降ってくるか私にも分からない。「そういうものはないんです」と返すと、「シンガーソング・ライターと云うのは、スタイルを持っているものなんだ」と押しつけがましく言う。こいつ、何も分かっていないな、カチンときたが関わらず、言わせておいた。スタイルなんて言うのはね、作品ができた後に、周りが勝手に決めたり話すものであって、創作するアーティストは自由なんだよ!何でも枠を作りたがる窮屈さと自分の意見を他人に押しつける傲慢さ、苦手。

Bob Dylanもロック、ゴスペル、カントリーと様々だったらしい。降って来ると言うのは神から降ってくる、つまり神の知恵。神智を告げられる時、どのくらい素直にそれを受け入れられるか、それによって本人の自由度が異なって来るのかもしれない。アーティストが最も神に近いと言うような話を聞いた事があるが、創作と云うのは、歌と云うのは、なかにし礼が言うように、「神と人間の共同創造物」なのだと、私も想う。神の知恵は無限、だから神智を頂いて書く人の歌はバラエティに富んでいる。





パチンコがきっかけ 5/26

”直感”(霊感、インスピレーション?)に拘り始めたのは、20年以上も前に始めてやったパチンコがきっかけだった。当時結婚をしていた私は、ある時なんとなくパチンコと云うものをしてみたくなった。で、二人して入った。ところが3万円ほど取られ、何だか悔しくて取り戻そうと翌日一人で行った(家計を任せられている主婦の根性である)。これがのめり込む切っ掛けになった。約3年間続けたパチンコ常連客だが、このパチンコで自分の直感に従わず、大漁を逃す自分に、私は何度も自己嫌悪に陥った。ふと頭に引っかかる台がある。だが自分なりの分析が始まりそこには座らず、自分の理屈が納得するところに座る。直感には根拠がないから不安なのだ。だが自分の理屈には根拠がある。しかし結果は、悔しさで終わる。ふと思った台は爆発しているか、よく出ている。そして座ったところは・・・こんな事が繰り返し起きた。なぜ自分がふと思ったところがいつも当たるのか、そしてなぜ自分はそのふと思ったところに座らないのか、何度も呆然として帰宅した事がある。反省して直感に素直になろうと思っても、習性と云うのはすごい、大体無意識に動いているから、自分が反省した事も思いださない。

私はもともと、”すごい”直感型人間である。直感にもそれなりの論理があるのだが、時空を超えて真っすぐに正解(真実)に飛んでいく能力が備わっているようだ。私の最初の夫は慶応大学を出た学者だった。彼と何かを話そうとすると、当然分かっているような定義から始め、延々と時間がかかる。最初は本当に唖然とした、あきれると言うのが正確な言葉かもしれない。すっと分かるところを一つ一つ段階的に進めて行こうとする。そして何かこちらが言うと、「それはまだ証明されていない」と返してくる。私のイライラが始まるのを知っているので、相手は議論をしなくなった(笑)。2番目の夫は1番目より大分直感を大事にする人だった。京都大学を7年かけて卒業し、卒業できない夢ばかりを見てうなされていたと言う、可愛い人だった。この7年の間、外遊も含め色々な遍歴を重ねたらしい。どちらもそうだが、男と云うのはどうも女房から指図されるのを嫌うようだ。

私がよくパチンコを一緒にした相手はこの2番目の夫である。ある時、ある台に座るように言うと、彼は嫌々座った。二人で行くと、ん?と思った所に相手を座らせ、自分の理屈が立つところに自分を座らせられるから、実験ができて良い。で、彼が座った台は座って5分も経たないうちに爆発した。それ以降彼は私の提案を聴きいれるようになった(笑)。この彼は私と同業で通訳をしていたが、時には同じ仕事をする事があり、一緒にやっていると、やはりあるところに辿りつくのに少々時間がかかる。離婚した時、周りの人が「あなたに敵わなかったのよ」「しずさんは正解に真っすぐ飛んで行ける人だから、彼はかなわなかったと思うよ」などと、私が考えてもいなかった視点から意見を言ったが、今思えば、どうも私が一番のライバルだったのかもしれない。

直感的人間は、もともと啓示を受けやすいのかもしれない。だからおそらく、神をとても感じるのだろう。大事にしよう。奢ることなく、この与えられたモノを大事に、世のため人のために役立たせよう。




メディアの人と 5/28

大塚に音楽業界とアーティスト志願者の架け橋的役割をする事務所がある。先日の大塚音楽祭をネットで検索していた時に偶然見つけた。デモとなる一曲を持参してレコード会社の社員に聴いてもらう訳だが、どんなものが3,000円の参加費を払って行って来た。通常レコード会社に送る時は2,3曲、そのために請求されるコストは無い。目の前で聴いて頂けるというのは大きなメリットだ。

思ったよりも参加者のレベルが高かったのと、当日はユニバーサル・レコードから30代前半だろうか若いがしっかりした感じのする女性が来ていたが、丁寧に1曲終わりまで聴きコメントまで頂けた事は大変よかった。私は「今朝のバラ」をCDRに焼いて持って行ったが、「とても安定しているのでびっくりしました。歌詞も情景が浮かびますし・・・」と大変肯定的だったが、だからと言って契約するとは限らないだろう。今は素人でも良いようだ。何か新しいものがある人を探している。来られたスタッフの担当はドリカムや徳永英明等らしい。次回は森進一の元プロデューサーが来るらしい。これも面白そう、ちょっと行ってみようと思う。

それにしてもこのような事務所があったとは。





いいライブだった 5/31

いいライブだった。京都から初めてお目にかかる方がいらした。私のYoutubeの歌を聴かれて、いつか生を聴かなければと、たまたま今回丁度具合よく上京する機会があり足を運んで下さったという。大変光栄な事。島根の友人が私のライブ日に合わせて、今回も上京して下さった。御主人が声楽をやられて中学で音楽教師を務められ、ご本人も音には大変敏感らしいが、ライブ終了後「ああ、よかったぁ・・・」と満足げに話し、付け加えて「私、耳にはうるさいの(自信があるの、だったっけ?)」と言う。そんな言葉を頂ける程に私の歌も進化したのかと嬉しい。そしてもう一人、真剣に聴いて下さる昨年来の常連。「これまでとまた違う歌だね」と、一言も聴き逃すまいと私から眼を放さない。そして終わっても「もう一曲歌って」とリクエストされる。

私の歌が好きだという素朴な理由を素直に表されて聴きに来て下さる。なんと嬉しく光栄なことだろう。このような方々を沢山見つけたい。応援団の先輩のみなさまも、ありがとうございました。「本当に歌がうまくなったね」とまた言って下さり、嬉しい。3月と4月に行われたレコーディングを通して、自分でも声にも歌にも磨きが更にかかったように想う。

そして、いつも素晴らしいアレンジと演奏をして下さる西さん、今回もいろいろなところでありがとうございました。

   
 
いいライブだった(続き) 6/4

ここのところ、ずっと”いいライブ”をさせて頂いているような気がする。来場者の数に影響される事のない自分の心の落ち着き、手を抜かない、自分を欺かないステージを繰りひろげている、と自負している。”私の幸せ感”は自分の歌詞を間違える事もなく、リズムをトチル事も無く、適切なところから発声ができ、私が思うように歌えた、と言うところにあるのでもない。勿論そういうものも無ければ到達できないが、私の幸せ感は、私自身が今持っているベストを出し切り、来場者が喜び楽しんで頂ける事に一点集中している。だから、不意を突くミスが起きても、それにより来場者の楽しさが増したなら(2010年にそのような事があった)、大いに嬉しい。やはりつながって初めて幸せなのだと思う。

私のステージに対する最近の来場者のコメントに共通するのは「自然だ」と云う言葉。これは私がめざしていたものだ。昔おぼろげに自分が行き着きたいステージ・スタイルを描いた事がある。生の自分のままで、自然に入って来て自然に終わる、その時空間の中で、人生や人間を歌い、そこに共感が生まれる。そんなステージである。

今回は歌詞を書いて譜面台に乗せ、ステージの真ん中に置いたので、歌詞を忘れる心配もなかった。初めての試みだったが、聴いて下さっている方々には全く違和感がなかったようだ。心臓がバクバク、ドキドキすると言う、過去に当然のように現れた内面の騒動も全く無い。最近私の心はいつもリラックスした状態にあるか、そうでない時にも直ぐにこのリラックスした状態に持って行けるようになった。これはアーティストとしての自分を、”そのままで良い”と認識できるようになった事と、一時様々な企業で取り組んでいた(今もかな?)”集中と選択”を私自身がやっているからだと思う。このアーティストとしての道を進む事だけに一点集中、他の事にエネルギーを向けない習慣を作り始めている。人生の問題はただ一つ、「自分の使命遂行のために必要なものをいかに人生から引き出すか、それのみが私の問題である。」この言葉は数年前にある方から頂き、ずっとドアに貼ってある。

ライブ終演後、義理も混じっていつも通って下さる一人の先輩の顔に、大きな笑みを確認した。彼があんなに満足げに瞳を大きくして微笑んだのを見たのは初めての事だ。毎回やる度に様々な面での進化を感じ、常に「今回が今までのベスト」だったが、前回5月31日のライブでは、何かが私の中にどしっと腰を下ろした。それが何だろうと、ここ数日、自分の中を探っていた。萩本欽一の話を思い出す。一人ぞっこん惚れてくれる人がいると言う事は、大きな可能性を秘めている。もう今は私のライブに顔を出さなくなったが、私のシャンソンを「アート」だといって、ぞっこん惚れてくれた面々がいた。私には何かあるのだろう、それは生まれた時頂いたものだから、世に出して多くの方々の喜び、楽しみ、エネルギーになるよう、使わなければと思う。

人生のラスト・スパート、1点集中、とにかく行く!






よく見た夢 6/4

幼いころよく見た夢。円形の白い物体が向こうの方からこちらに向かってくる。それは段々と私の身の丈の数倍の大きさになって速度を上げて真正面から私にぶつかろうとする。怖くなり「うわ~っ」と悲鳴を上げる瞬間に眼が覚める。何度もこの夢を見た。嫌だった。やがて夢は無意識の世界を象徴しているという話を聞き、あの夢が私の何を顕しているのだろうと思ったが、その夢を見た後は決して楽しくなく「嫌だなぁ」と思うのだから、きっといい事を象徴しているのではないのだろうなぁくらいは分かる。

空飛ぶ夢を見たと言う人がいる。羨ましかった。気持ち良さそうだし、上昇して立派な人になる先天性があるのかと。「第3舞台」という演劇集団をかつて立ち上げた鴻上尚史(現在NHKBSのCOOL JAPANの進行役を務めている)もそうだったらしいが、そのような夢は中学生頃から見なくなったそうだ。世界全体を見渡せる視点が欲しいという祈りが空飛ぶ夢につながったが、そんな視点は存在しないと言う事が分かった時から、空飛ぶ夢はみなくなった、とか。空飛ぶ夢を見る人が皆、同じ理由で同じ夢を見るとは思わないが、きっと彼の場合はそうだったのだろう。

白い球がこちらに向かって襲いかかって来るような夢、そして怯える自分。私の部屋のデスクの横に、「マヤ暦から覗き見る隠された自己」と題された”私”が書かれてある。その中に、「内向的な性格を克服し、ざっくばらんに人と話せるように自分を変えましょう」とある。大胆で活発で行動力があるのも私だが、確かにこういう側面もある。今では大分違ってきているが、かつてはコミュニケーションに尻ごみをしていた。うまく自分を伝えられず、伝えるとむしろ邪推をされるのではないかと恐れ、また伝えなければ望まない結果を招くだろう事を察していながら、早いうちに対策を講じる事も、逃げる事もせず、じっとその望まない結果が生まれるのを呆然と待つ。そして、もう手の打ちようが無くなった時に、やっと腰を上げるが、事は既に破壊している。という、自分の無意識の習性を象徴しているのかもしれない。今は確かに随分克服している。あっさりとできる訳ではないが、過去に比べると「(よっこらしょ)・・・あの~、実はね」と。言うべき事を言えないーこれ全て「我」が成せる技なんだよね(「我」と云うのは本当にすごい怪物だね)。すべきことをせずに、どう思われるかが優先する。自殺者の多くの自殺の原因が此処にある(突然話が飛んだぞ?!)

それと同時に、無意識の世界の私は、人を楽しませる事が好きな「青い猿」らしい。「静って何でそんなに面白いの、わははは、」意識的に楽しませようとしている訳ではないが、私が打ち解けた時は側にいるものは楽しいらしい。適宜なお酒がそれを引き出すようだ。最近はその傾向が顕著になったようで、「本当に面白いね」とよく言われる。・・・・こうみると、どんどん良い方向に向かっているんだろうね。

「しずさんは大丈夫よ!」うん、なんとなくそう思う(アハ)。


追伸:かつて一度夢の中で大笑いした事がある。現実ではあり得ない生理的事件が起こり、その反応に対する相手の言葉に涙が出るほど夢の中で笑っていた。相手は通訳の時に関わっていた米国人だった。夢の中であんなに笑ったのは、あの時の一回だけ。だから内容もその時の相手の言葉もよく覚えている。そういえば彼は今何をしているかなぁ。






呼ばれたのね 6/10

5月16日の朝、遠い昔に所属していた芸能事務所、夏木マリや島田歌穂と共にお世話になったマネージャ-の砂田晋平(後に”信平”に改名したらしい)さんの事が濃く私の中に入って来た。余りにも鮮明でかつ長い時間私の中にいるので、事務所を訪ねてみようと、事前の連絡もせず昼前に着くよう家を出た。その事務所は代々木上原駅から徒歩5分、マンションの1階にあるはずだが、1階をぐるぐる周っても部屋番号が見当たらない。駐車場で掃除をしていた年配の男性に訊ねると、オウム返しに番号を確認し、駐車場の奥の突き当たりのドアを指差した。一瞬呆然とした。決して喜びや笑いが聞こえそうもない外観だった。薄暗く、表には飾り気もない。たったひとりの所属アーティストになった島田歌穂の舞台のチラシが、ドアの横に雑然と置かれた背の低い黒塗りのメタル棚に置かれている。心がすさんだ。私が知っている乃木坂の事務所からここに至るまでどんな事があったのだろう、事件と彼の心中を推し量った。

11時近かった。事務所の中は電気も付いていない。まだ誰も来ていないのだろうか。ドアを叩いても応答がない。少し周りを歩いて再び戻ったが、同じだった。逢えない事もあるだろうと、準備して来た手紙をCDとデモコピーを入れた袋の中に入れて郵便受けに突っ込みその場を去った。駅まで歩いて行く途中、せっかくだからと、余りお腹は空いていなかったが、近くの中華料理店に入り時間をつぶして再度訪ねて行く事にした。30分程して、もう一度事務所に行き、郵便受けの中を隙間から見ると、私の置いたものが無くなっている。誰かが事務所に来ている、行くと部屋の中に電気が灯っているのがドアガラスに透けて見える。ドアを叩く。だが応答がない。人影もドアガラスに映らない。何度か試したが同じだった。かつて止めるのを聴かず飛び出した私をまだ拒絶しているのだろうか。仕方なく、そのまま家に帰り、翌日ファックスを流した。

あれから数週間が立ち、今日、砂田さんの訃報を知った。砂田さんのところにいた時にお世話になったボイス・トレーナーの泉忠道さんを今日FACEBOOKで見つけた。彼のページをずっと下に降りて行くと、6月4日に砂田さんの訃報を知らせるはがきが届いたと書いてある。目も耳も疑いたくなるような話だった。全身に雲がかかり、体を硬直させながら、泉さんの投稿を何度も読んだ。よく見ると、その投稿には葉書を写した画像が貼り付けてあった。

そのはがきの画像を大きくすると、「砂田信平はかねてより病気療養中でありましたが、5月16日六十八歳の生涯を閉じました」とある。再度食い入るようにみた。5月16日?砂田さんの事務所を訪ねた日を思い出そうとした。そうだ、手紙に日付を書いていた・・・・5月16日。。。。あの日だ。。。。25年ぶりに彼を訪ねて行こうとした日。

68歳、余りに若い。心の中は繊細で、マネージャー業をしながらも「アートをやりたいんだ」と飲みに誘ってくれた時、照れながら言っていた。もう一度きっと逢えると思っていたし、罪滅ぼしもしたいと思っていたのに。「俺はXX静子を3年で世に出すぞ!」とオーディションでの様々な演出家のコメントをベースにタレント全員が集まったクリスマス・パーティで宣言していた。そして事務所を飛び出して数年後所属した元いずみたく音楽事務所の芸術監督には私に対する恨みつらみを吐いた後、「あの子を可愛がってあげてよ」と話していたと言う。25年ほども前の事だ。私はとても愛されたのに、プライドばかり強くて砂田さんの想いも思いやる事ができず、事務所を飛び出した。砂田さん、病気なんか私が直してあげたのに!!!

うそ、うそ、うそ!!!!!うそだぁ~!すなださ~ん!いやだぁ~!いやだぁ~!死んだなんて、いやだぁ~!






側にいてくれる 6/11

昨夜はベッドの上で、ずっと砂田さんの事を思っていた。壁がガシッ、ガシッと何度も大きな音を立てた。夜中にするそんな音は、まるで誰かがいるようだ。砂田さんが来てくれているような気がした。頑張れよ、見守っているからと伝えに来てくれたようで、これから起きる事がすべて実を結んで行く確信が強くなる。

今朝最初に鏡で見た顔、左目の瞼がまだ腫れていた。昨夜は久しぶりに思いっきり泣いた。こんなに泣ける相手がいる事、こんなに愛された事、砂田さんを始め、これまで私を愛してくれていた人達、だが私がそのもとを去った人達を思い出した。これからは、誰にも悲しい思いをさせたくないと思う。砂田さん、側にいてね。

そして今朝一番に開いたメールにはビクターのディレクターから嬉しい協力的な知らせがあった。そう、大丈夫、砂田さん、やりますね。


さあ、雨が沢山降って来た。最新の楽曲「ああ、あんた恋しや」を持って作曲クラスに行こう。





まだまだ 6/15

丁度12時間の時間差なのかな。朝10時からNHK地上波で放映されたワールドカップ日本対コードジボアールは1対2でコードジボアールが勝利を手にした。

日本が1点先制した後にテレビをつけたが、後半の日本はひどかった。ボールをシュートして入れる云々のレベルではない、まずボールをキープできない。ほとんど持って行かれるし、持って行かれるだけでない、呆気に取られたのは、どこにパスしているんだか、相手の正面めがけてパスをしている。

気が抜けている、ただそれだけが敗北の原因だと思う。技術的には日本が少し上を行っているようだったけれど。

実は、今回のワールドカップ、日本は8強には入らないだろうとなんとなく思った。真剣に”優勝を目指している”と選手たちが言うのをテレビで聞いたが、本気かいなと、そのガッツはいいと思っていた。が、今日の試合、よたよたよた・・・日本が技術を上げる努力をしている間、他の国々も同じように技術を上げるための訓練をしている。今日の試合で、相手のシュートをブロックする日本チームの技は確かに上がったと思う。が、まだまだ。それ以上に乏しいのが、気力、ガッツ!以前よりは技術の進歩はあっても、その進歩を表出する気力が欠け過ぎていた。

踏ん張れ、ニッポン!次の試合でダメなら、もうダメだよ。





19歳のジェイコブ 6/15

今日は午後から初台にある新国立劇場で、中上健次作「19歳のジェイコフ」の芝居を見て来た。忘れないように書いておこう。
演出:松本雄吉
戯曲:松井周
キャスト:石田卓也、松下洸平、横田美紀、奥村佳恵

上の名前の中で、私がこれまで耳にした事のある人は誰もいない。しかし、演出の松本勇吉は大阪を拠点に野外劇等を興す「他に追随を許さない演劇界の維新派」だそうだ。寺山修二なども手掛けている。

いい芝居だった。俳優たちも若い人たちが中心だが、はっきり言って、往年の俳優よりずっと”うまい”。私の中での"うまい"の定義は、"説得力を持って役をこなし、かつ自然"であると言う事。

今日は特別デーで、終演後に1時間ほどのトークセッションがあり、質問もできる。「松本さんを今日初めて知ったのですが、ステージに出て来られた時、残念に思いました。実はこのステージ作りを見ていた時、私はこれは若い演出家の視点と才能だと思い、すっかり若い方だと思っていたのです(ご本人を含め場内爆笑)。オープニングから目を見張るステージで、私は様々な芝居を見ていますが、今日は一睡もしませんでした。(場内笑)」これは私の質問の序章。そしてジェイコフを演じた石田君には、強烈なセックス場面のあるこの役柄に、どのように自分を開放して行ったのか、訊ねた。「石田卓也は沢山の欲を持った人間だけれども、とにかく石田卓也を全て捨てる、ジェイコブ以上にジェイコブになると決めました。何も考えない、そう決めました。」

石田君もよかった。彼はかなりいい役者になるだろう。自分を持たない。そう、自分は大きな偉大なる別な意志のパイプであればいい。その時、人間は本当の自由を手にする。

   
  久しぶりのスーツ 6/20

昨日まで3日間、元の職業の環境にいた。世界環境問題国際シンポジュームが開催され、通訳としてではなく、受付係として。久々にこの環境に身を置いて周りの空気を変えてみようと思った。受付係の仕事は開始時間前の準備作業から来場者の入場までの凡そ1時間が忙しいが、後は、少しの雑用を除いて、ホント何もない。それで場内の後ろに座って、各国代表以外の方々、つまりオブザーバーからの質問があればマイクを持って走ると言う"マイク・ランナー"の役目を頂いたが、ここは日本である、質問など出ないのだ。だからホント何もする事がない。時々通訳の仕事ぶりをレシーバーで聴いたり、スピーカーの話を聴いたりしていた。

このために久々にスーツを着て少しヒールの高い靴を履いた。いや~、ハイヒールを履いて街を歩くと言う事を長くやっていない身にはこれが大変応えた。帰宅するなりマッサージに行くと、「足首の回りが悪いですね」と言われる。なるほどそういう事になるんだぁと、翌日からはクッションのある履き心地の良いシューズに変えた。カッコいいスーツを何着か揃えていたのだが、それらを着る機会はここ数年全く無い。受付の仕事には少し、(きっと)かなり場違いのカッコよさだろう。気のせいか、私には仕事の指示もし辛かったようだ。

通訳は実に難しい仕事だと、他人の通訳をほんの少し聴いて改めて思った。自分自身がかつてやっていた事もあり、通訳者の心情を察するが・・・同時通訳者3人の内、一人が多くを担当していた。その人はもう70台に近いだろう。やはりそれくらいやって来なければ、とても、とても、落ち着いてできないのかもしれない。その彼女も、まだまだいろいろあるが、他の二人は(@_@;)。20年やっていてもベテランにならないのが通訳の世界だと思う。レシーバーを付けている人達の多くは環境省を始め知的レベルの高い方々だから、スピーカーの英語を聴いていた。部屋が大変大きいので音が聞き取りにくい。

ああ、通訳という仕事に全く未練は無いなぁと思った。通訳の報酬と受付の報酬はケタ違いだが、最初の一日が終わってお風呂に浸かりながら、8時間やっても1万円もないんだぁ~と気付いた。ま、当たり前だけれど。事前準備も全く無いし、来て座っているだけなのだから。それでも頂ける、むしろ、いいじゃん。





きれいだ 6/20

サッカーはボール一つあれば村中、町中の子供たちが集まってゲームができる。どんなに貧乏でも学校に行けなくとも能力さえあればゲームに加われる。誰か一人がボールを持っていればいい。グローブもバットも要らない。だから中には目も当てられないようなマナー保持者もいるように思う。マナーは大体先進国がモデルになるような気がする。

私がワールドカップを見始めて以来ずっと思って来た事だが、日本の選手たちのマナーは本当にいい。フェア・プレイ、きれいだ。「こんちくしょ」と相手に肘鉄を食わす事もないし、ズルをする事もない。見ていて気持ちがいい。今朝の日本対ギリシャの試合を見ていると、完全に違反と見えるしぐさで内田をこっついているギリシャ選手に、見ている私はむかっとして来る。それを目撃しているレフリーがいなかったのが残念だが、当の内田は一時はレフリーの審判を待っていたが、見ていなかったと分かると笑ってプレイを続けた。これは国民性だと思う。きれいだし、美しい。

そして今日のプレイ、どちらも本当に必死だった。ゴールに入るシュートがなかった事は残念だが、どちらもよくやったと思う。ギリシャの選手も日本の選手と変わらず、本当に全力で戦った。敗者復活戦に見える必死さ、死に物狂いの姿には胸がキューンとなる。点を入れるって、本当に大変だね。





心ざわざわ 6/20

昨夕起きた事。いまだ心がざわざわしている。

私の作った楽曲に「遊戲三昧(ゆげざんまい)」がある。これは、宇宙と人間のつながりを歌ったものだから、#やbがないハ長調で作りたかった。本能的にそう思ったのだが、後から考えると、きっと「無」のイメージを作りたかったのだと思う。歌い方もそのイメージに相応しく淡々と歌う、私のこれまでの楽曲には無いものだ。また、ハ長調にすると、私の声は少し高めで窮屈だった。そんな事もあり、作った本人の私でも”その他”に入れる楽曲で、私の代表作品ではなかった。

昨夕、歌謡曲専門のディレクターが審査員となって1曲デモを聴いて頂くと云う機会に恵まれ、最近レコーディングした20曲の内からその1曲をビクターのMディレクターに選んで頂いた。彼はこの「遊戲三昧」を選んだ。大変意外で私の中にはいくつもの?マークが作られたが、彼への信頼を誓っていたので、この楽曲を持って行った。結果は、まったくこの審査員が好む歌ではなかった。

月に一度メディアに直接デモを聴いて頂きコメントも受けられる場を作るこのデモピッチ(デモの売り込み)の主催者は、「デモ曲は他人に選ばしたらダメ、自分で選ばなければ」と言っていたが、それは十分考えた上だった。多くは語れないが、信頼とつながりを大切にしたかった。だが結果との誤差に心がざわめいた。反省するところが大きいが、今回は取りあえずこれでいいんだという結論で閉める事にした。相手の顔を立てた、信じた。今回の場合はその事の方が重要な気がする。

審査員が、意図的にか、とりわけ私に向けて言って下さった:「とにかく、止めない、作り続ける。」

それしかない。背水の陣は既に敷かれたもの。




「ライバル」6/21

「うわ~、きれいなメロディー」と嬉しがってくれた人達がいた「ああ、あんた恋しや」に続いて、全く別物「ライバル」のメロディーと歌詞が出来上がった。通常、メロディーの構成は2つか3つの異なるメロディーで作られるが、ごく最近、これにもう一つ加える、4つのメロディーからなる楽曲を紹介された。「ライバル」を書いている内に、もしかするとこの楽曲はそのようになるのかなと思い、挑戦してみた。挑戦できたような気がしなくもない。ライバル関係にある男二人をテーマにした歌。アレンジャーと相談して、これはロックぽく行ってみたいなぁと思うが・・・。ちなみに「ああ、あんた恋しや」はイスラエルの音楽と日本の歌謡曲、そしてR&Bが一緒になった、私から言わせると、"面白い"曲になったような気がする。

「ライバル」を書き終り、後はアレンジャーの手元に送られるだけとなったので、昨日は、上のブログで書いた心の”ざわざわ”感を払しょくするためにも次の作品に取り掛かったが、やはり創作と云うのは心がざわざわしている時にはできないようだ。よく言う、
α波がでていない。どちらかと言うとβ波が出ているのかもしれない。おそらく今必要な事は様々な人とおしゃべりをする事のようだ。
   
  されど 6/23

先週3日間、かつての仕事環境に身を置いた事を話したが、違った空気を吸いたいと言うだけではなかった。自分を確かめたかった。仕事の内容は全く異なるが、同じ環境に身を置く事で、自分がどう進化してきたか確認できるような気がしていたし、そう期待した。

ひとつの関係の破壊と共にやって来た、ひとつの本との出会い、新しいキャリアの訪れ、過去の中に消え始める通訳の仕事。本の内容を身体の芯近くまで沁み込ませて行くほどに新しいキャリアの中に私はどんどん歩き始め、過去のキャリアは通って来たトンネルの暗さの中にどんどん引きずり込まれて小さくなって行った。どれも私があらかじめデザインしたものはひとつもない。が、この新しいキャリアこそ、私が私でいられる場所、生まれる前から、きっと、私に授けられたモノを生かす場所だった。始まりは2008年、しかし大きく舵を切ったのは2010年。初CDを出し、プロの登竜門と言われる南青山マンダラに90人の観客を動員して出演した時だと思う。

私の内部が大きく変わった。極端に言うと「命が大きく育った」と思う。問題のように見える事も直ぐに解決しようとせずに放っておく事ができるようになった。御縁があれば、必ずなんとかなるし、どうにもならないのなら、それはそれでいいのだと思うようになった。思いつく事はすべてやってダメなら、こっちじゃないんだぁと思えばいい。他の楽しみを探すし、それはきっとある。少しオドオドした時間を過ごした後、結局はこう考える事にしている。

で、行ってみた。

確かに変わっていた。私がかつて持っていたエゴを持ったまま余計な事をする人達、それを放っておける自分、余計なことをしない私。だが、昔ならひどい通訳をする相方に軽視した態度をとっただろうが、それに代わり出て来たのが、自分の通訳を録音しておさらいすれば上達するよとのアドバイス。この”先輩ずら”をする私、あ~あ、嫌らしい。本当に彼女達の上達を思ったの?頼まれてもいないのに余計なことを言う私は依然として存在しているじゃん。自分が上位にいる事を見せつけようとするこのエゴ。

は~あ、そんなに変るもんじゃないんだなぁと。目的地までは果てしない距離。エネルギーも枯渇し、息絶えるなぁと思う。されど、ここで諦めたらあかんねん。とにかくもっと行かねば。ん?もしかすると、私、十分にいいんじゃない?わっはっはっはぁ~(●^o^●)





長い6月 6/23

6月、歯車が噛み合わなくなる月だと、明本歌子さんから頂いたカレンダーが言っている。先日のデモ売り込みでお逢いした歌謡曲専門のディレクターは「しずこさんの音楽が分かる人です」と会の主催者とMディレクターの二人から事前に言われていたので、よっしゃ~と腕まくりして出かけたのだけれど・・・・ただ、好みが違ったと言う事よね。「遊戲三昧」もいい楽曲だもの(歌のうまい人が歌ったらもっと良いけれど)。以前に岐阜に招かれて歌った時に、この歌がいいと言って伝えに来た人が2人もいたわ。だから誰も間違っていない。あのデモピッチから何かが展開すると私が勝手に大きな期待を寄せたから、期待と結果のギャップに落胆しただけ。人のせいにしちゃ、いかん。ビクターのMディレクターもこんなに長い間お付き合いして下さったのだもの、きっと彼の誠意100%の選択だったのだと思う。彼にとってもやはり「遊戲三昧」がいい曲だったに違いない。私が作った楽曲の中に彼がいいと思うものがあって良かったし、彼が選んでくれた時には嬉しかった。

それにしても長い6月だ。めぼしいことは何もない。何の変化もときめきもない。これじゃあかんと、日本を出る事にした。思い立ったらとにかく動くことを心がけている今だ、アイスランドとグリーンランドに行く。8月末頃のツアーに便乗しようかと随分迷ったが、どんなに大変でもやるべきことはやりなさいと言ってくれたマスターの言葉に背中を押されて、8月30日はライブを開催。だから7月後半に2週間程あちらを旅行しようと今ホテルの予約をしてもらっている。ペルーとブラジルはグループ・ツアーだったので楽は楽だったが、サプライズや感動、そして冒険がなさ過ぎる。気がついた。私が旅行から帰国して旅の話をすると多くの人が面白がった。それはいつも個人旅行、特に一人旅だったからだ。様々なハプニングがあり、それは話す方も聴く方も楽しい。それで今回は、個人旅行である。北極圏への旅行、最初は淋しいんじゃないかと思ったが、なんだかすごくリフレッシュするような予感がして来た。

旅は順調に行かないのが面白い。どこかで迷子になる。来るはずの電車が来ない。途中で停電して見知らぬ町で降ろされる。それらはすべていつまでも記憶の中に残る楽しい思い出。。。。。人生もそれでいいのかもね。あははは。。。

ネットで調べていると、自称”Iceland Man"と言うアイスランドの百科事典のような人が日本にいるようだ。電話をするとかなりの年配の男性。アイスランドの話をする事が趣味のようで、明日会いに行く。






よく言われる事だけれど 6/25

「自分を信じる」、よく言われる事だが、今日のサッカーワールドカップ日本敗退を事前に知っていた自分の正解に(顰蹙を買う言い方かもしれないけれど)、その重要さを改めて思った。

2年前のサッカーオリンピックの時にもこのブログで書いたが、決勝戦当日、起床と同時に突然降って来た私だけに聞こえる「メキシコ」と云う言葉。ああ、メキシコが勝つんだぁと思ったが、まさかのメキシコが本当にかった。そして今回のサッカーワールドカップブラジル大会、日本は予選敗退だろうと大会開始前から思っていたので、観戦に熱が入らなかったし、一試合きちんと観たものはない。こう言うのは過去形で書くと眉唾ものになるが、実際そうだった。

自分を信じる。私にはありがたくも私に正しい判断をさせる私だけに聞こえる/見えるものが”はっきり”と存在するのに、それを受けず、なんともったいない事をしてしまったのだろうと、前回のデモピッチの時を再び反省した。私の頭の中の右側には、私が選んでいた別の楽曲がずっとぶら下がっていた。それは審査員の探しているようなものに近い、男と女の物語。せめてそれを聴いて頂かなければ話にならなかった。

自分を信じきれない、やはり悔しいのはそこだ。自分を信じる、これに尽きると改めて思わせてもらった今回の一件だった。自立心を高めなければ。

それにしても人間は、繰り返し繰り返し、飽きもせず、いやになるほど、こちらも繰り返し繰り返し反省しながら、また同じ過ちを犯すものだね。オヨヨ~ん(@_@;) ため息が出る。
   
  なんで幸せ 6/27

数日前、大学のOB達との飲み会があった。どんな成り行きだったか忘れたが、向かいに座っている先輩に「ああ、しあわせだなぁ」と突然言ってしまった。お酒が入っていたせいだろうか。すると、「なんで幸せなの」と訊かれた。その質問に答える準備など全くできてなかったし、なぜ「しあわせだなぁ」と口走ったのかさえ分からない。が、まるで何度もリハーサルをしていたかのようにスルっと私の舌を滑って答えが勝手に出て来た。発音した後にその音を自分が聞いてびっくりした。自分の体内から出て来た言葉に、なるほどと私自身が頷いていた。そのプロセスは、考えるよりも先に口から歌が出てくると言う、私の歌作りのプロセスにそっくり。私の意識下に収まる前に誰かが言わせていると言う感じだった。

「いい事ばかりしているから。」
先輩の顔が大きく微笑んだ。そして言った。
「いい事は意識してするんじゃないんだよ、自然にするのが理想だな。」(求め過ぎだよ!)
「う~ん(苦戦)、そうね。最初は意識の中で繰り返しいい事をやっていれば、それが習慣になってやがて無意識の世界に移るわ」

この会話は先輩にサプライズをもたらしたようで、駅でお別れするまで彼は上機嫌だった。

自分の答えに自分自身が感じ入って、後で考えていた。善い事をしていれば、何がいいかって、まず自分が幸せになる。相手が得してこっちが損するわ、なんて狭くてケチな事考えていたら、はっきり言って、ホント、いつまでたっても幸せは来ない。狭き心の人には人は集まらんし、感謝もされない。感謝どころか嫌がられ、人は去る。自分の善事に感謝や恩返しを暗に要求する人がいるんだけれど、これもダメや。喜んでくれる事に越した事はないけれども、反応が無くとも、ただ善い事をし続ける。いい事をしている自分が気持ちよくて幸せなのよね。自分がした”いい事”を相手がどのように受け取るかは、もうこちらの問題ではなく、あちらの責任。受け取る側の習性と言うか、想いが顕れるだけ。感謝があったり喜んでくれたらつながりができるし、無い場合は、御縁なしか、またいつかね、になるだけ。だからケセラセラで、いい事だけをしていけば良いみたい。いい事には、また、いい事が返ってくる事が多い。

「情けは人のためならず」とあるけれど、善い事のお返しがある前に、善い事をしていること自体、自分を喜ばせるみたい。人間て喜びたいのよね、互いに。私も、いい事続けようっと。
(●^o^●)

どう生きるか、基軸を持った時、人間はブレが少なくなるようだ。瀬戸内寂聴は自分が出家した理由を、「不純でしてね、僧になって仏に仕える為ではなかったの、ただ小説を書きたかったから」と言う。自分には哲学もないし基軸もない。そういうものがなければ小説を書き続けることはできないと思ったそうだ。ありがたや、今わたしには基軸がある。だから一時ぶれても直ぐにそこに戻れるし、沢山の歌を書ける。善い事を想う、善い事をする。大方できていると思う。だから、幸せ。

ありがたい、なんという恵みだろう。






MPJ 6/28

上のどこかで書いたと思うが、こういう場所があった。メディアとまだメジャーになっていないアーティストの橋渡し。アーティストを育てる場所とでも言えるかもしれない。5月の大塚音楽祭の時にネットで見つけた。内容がどんなものか定かでなかったが、ものは試しで行ってみると、ユニバーサル・レコードから若いディレクターが来て、参加者が持参したデモ楽曲を丁寧に聴いてコメントを付けてくれる。シンガーソングライターだけではない。アレンジを専門にする人もいる。参加者が提出するデモはその場でプレヤーで回しみんなで聴く(聴ける)。そのレベルの高さに驚いた。ここ、本物だわ。安心して会員になった。

打ち込み中心のアレンジャーもいる。もちろん彼らは作曲もする。何かコラボができそうだ。先日逢った人は超売れっ子で、仕事は断っている状態だと主催者が伝えて来た。30代から40代の彼ら。中には70台の作曲家もいる。演歌だけを書く人、ロックだけの人、ラップ中心、もちろんポップス好みと様々である。大変頼りがいのあるAnzこと安西史孝がマネージャを付け事務所に所属して以来、私の自作曲のアレンジを手伝ってもらえなくなった。仕事は全部事務所を通せと言う事になり、こちらとしては事務所の取り分まで払っていたのでは楽曲も自由に作れなくなる。後で分かった事だが、その事務所の社長は彼が音楽の世界にプロとして存在し始めた時に大きな協力者となった女性。何があってもそのつながりを大切にしなければならない。

それでAnzが私の側からいなくなって2年近くになる。その空席を埋める人を探さねばならないと思っていた。MPJで逢えるといいが。

MPJはMusic Port Japanの略で、主催者は米国に留学中に知った同じような会社の仕組みを踏襲したらしい。若手歌手やデビュー前の歌手、アニメ、AKBが歌う楽曲の募集案内が、目まぐるしいほど送られてくる。応募して決まると、マネージメント会社とこのMPJに印税の40%が行く。市場における印税の配分がどうなっているのかあまり分からないが、これって、結構大きくないですか~。以前私が所属していた事務所は20%、CDは生身が動いて無くても売れれば収入になるからと、音楽事務所は20~30%だと聞いた事があるけれど。まだいろいろな事が十分に分かっていないし、習性だが、新しいものに直ぐ飛び付けない。Demo Pitchというデモの売り込みには行くけれど、今は歌作りを中心にして行きたい。その方が気分的に穏やかだ。やって見ようと言う時期になったら、楽曲を提供しよう。

それにしてもこの会の主催者、よく此処まで人脈を作ったなぁと思う。聞くと、色々なところに顔を突っ込み、その場で直ぐに誰かを紹介してもらったりするようでいわゆる営業型人間。異なる趣向を持つ人がいる事は本当に良い。時には息抜きやら何か"ネタ"があるかと人の中に入る事もあるが、創作者は大体家に閉じこもる。





7月 7/1

いよいよ7月。待っていた。なぜ待っていたのか、それは今のところ公言しないでおこう。

やっと6月が終わった。ルンルンする事が実に少なく、どちらかと言うとあまり良い月ではなかったが、一見良くないと見えるものはよい処へと進んで行く準備段階だという。そう思う事にしよう。7月7日は誕生日、今回も人の中にいられる事が嬉しい。






日本人の言葉作りの妙 7/1

以前にNHKのEテレ(教育テレビ)で、「亀田音楽塾」という番組があり、シンガーソングライターがどんどん生まれている今の時世を反映してか、歌作りの話をしていた。その時に"おおサビ"と云う言葉が出て来た。

歌と云うのは幾つかのメロディーの塊をつないで作るが、一般的には、8小節の出だしのAメロディー(通常Aメロという)、次に展開する8小節のBメロ、そして16小節ほどのCメロ(サビ:聴かせどころ)となって行く。ところがこの”おおサビ”と云うのは、このCメロに行く前の準備段階のサビで、90年代から使われ始めたそうだ。じゃ、それまでどうだったの、と言いたくなるが、Bメロがサビに行く前の準備段階の役割を担っていた。

この”おおサビ”を使った例のひとつが、小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」らしい。この歌では。AメロとBメロの後にCメロが流れ、その後に、Bメロよりも沈み、Cメロよりは愕然と沈むもう一つのメロディーがある。これが”おおサビ”だという。????ペタペタペタとこのマークが私の頭の壁全体に捺される。なんで、これに”おおサビ”と云う名が付くの?せめて"小サビ"とか"弱サビ"ならまだ納得するけれど、さっぱり分からん。ずっと沈んでいるし、これがおおサビなら通常のサビはこれよりもっと大きいのに、なぜこちらはただのサビのままなの。要するに、A,B,Cに加えてもう一つメロディーの追加、Dメロを作るという単純な話なのに、その名称が混乱を招く。なに、”おおサビ”って。

要するに、起承転結の「転」の部分のようだ。Aメロが歌の始まり、いわゆる「起」、BメロはAを受け継いだ感じで展開し、Cで「転」と「結」が一緒になっているものが一般的だったのかもしれない。またはBで「承」と「転」を同時に扱ったりしたのかも。しかし今度は、「転」と云う文字に相応しく、まったくメロディーの異なるものを持って来ているようだ。欧米の歌はどうなのだろう。インストラクターが言うには、だいたいAとBの二つのメロディーからなるものが多いらしい。物語を歌う事はあまり無いからだと言う。ふ~ん。このブログを書きながら、実は私自身がこの"おおサビ"の役割が整理できた気がしなくもない。「転」だ。

それにしても、"おおサビ"という名称はどう考えても受け入れがたい。今のままでも混乱の大変多い日本語である。あ~、もしかすると日本人はこんな混乱が好きなのかなぁ。誰が"おおサビ"って名付けたのだろう。また、なんで、こんな訳の分からん言葉を使い続けるのだろう。素直な童心は唖然とし混乱する、「パパ、僕わかんないよ~」。

そしてもう一つ。日本に来ると英語の意味がどんどん変わってしまう。"アーティスト"と云う言葉がある。そのまま訳せば、”芸術家”となるのだが、"芸術家"には重みも奥行きもあるので、軽いタッチで歌手をアーティストと呼んでいる。米国の真似だと思うが、ならば作曲家も作詞家もアーティストであるはずなのだが、彼らは"作る"人だから、”クリエイター”または"作家"と呼ばれる。じゃ、アーティストってどういう意味?歌手はもはやシンガーと呼ばれなくて、アーティストなの?

と、一人で混沌の中に身を寄せていたが、辞書を開いてみる事にした(今ではすべて電子辞書である)。。。。。は~、言葉は変わるのである。日本云々の話ではなく本場が変わったのである。オックスフォード”現代”英英辞典(ここが大事"現代”である)によると、「アーティストとはシンガー、ダンサー、俳優など、職業的エンタテイナー」の事。歌う人は素人玄人関係なくシンガー、職業になるとアーティストと云う事らしい。観客の前でステージでその芸を見せる人、日本では「芸人」といったが、その部分がこのアーティストと云う言葉の中に入っているようだ。でも画家は本場でも依然としてアーティストである。日本語と英語、ひとつの単語に含まれる様々な意味がすべて一致するものはまずない、と思っていいかも。

今回、実は私は初めて「アーティスト」の定義を知った。さすがに、"おおサビ"は辞書にもない(@_@;)、きっと。アハ、調べてもいないけれど(何と無責任な!)。調べる気になれない。






中島みゆきの歌 7/2

中島みゆきが好きなFBで知り合った男性が、彼女の「化粧」を紹介してきた。聴いて、そのリアルさに驚いた。男に捨てられた女が化粧をして最後にもう一度男に会いたいと歌う。化粧をした自分の姿に思い止まって、戻って来てくれないかと願う。

彼女が突っついている側面が女がする化粧にあると思うが、女が化粧をするのには別な意味もある。何事もそうだが、あるひとつの行為や行動は、それを見る人の想い方によって、見えてくるものが異なる。対象の闇の部分を見ようと、頑張る人がいる。だが本人は闇の部分を見ようとしている自分の闇に気付いていない。気付いていたら多くはその習性を止めるだろう。中島みゆきの場合は内向性が強いと思うので、自分のそんな部分を強く感じられる人だと思う。だからそんな自分を他(ひと)に気付かれないよう、ラジオトークでは非常に不自然なしゃべり方をし、高笑いをする。その意外性に驚く人がいるが、心の闇を隠すために高笑いをする、佐藤愛子が書いたサトウハチロウだ。

中島みゆきが好きな上の男性は彼女の歌を聴いて嗚咽したと言う。その気持ちは分からなくないが、同時に、この見せたくない闇の部分をさらけ出す彼女の歌、聴く人はいても”歌いたい”と思う人が本当にいるのかと思った。もちろん聴くだけの歌というのもあるが。学生時代にやはり中島みゆきをよく聴いたと言うコーラスのスダッチに訊くと「いや、歌いたくない」という。だろうなぁ。聴いているだけで、くら~く、どこまでも、くら~くなるが、口に出して歌えば、自分の心がそれに載る。その闇を経験している事と変わりない。歌詞がリアルであるだけに、歌われる主人公の女は何ともみじめ、そして男は"きたない"。

友人と中島みゆきの話を電話でしていた時に、友人は「自虐的だね」と彼女を評していた。なるほど、いい形容だと思った。しかし、後から考えると、彼女の歌が人を引き付けると言う事は、それだけ自虐的な人が多いと言う事だろう。中島みゆきと云う名を私に初めておしえたのは、米国にいた頃にキャンパスで知りあった大学院留学生である。彼女は中島みゆきのカセットテープを幾つも持っていた。その時少しだけ聴いたが、私の好みの歌ではなかった。でも流行りなら知っておかなければいけないかと、幾つか聴いたと思うが記憶にないほどなにも掴んでいない。今こうやって歌を書くようになったから改めて聴いているが。その後人間の心の働きが色々分かって来た時、彼女がなぜ中島みゆきを好きになるのか、その理由も分かって来た。彼女の世界を代弁してくれている。おそらく中島みゆきの暗い歌は多くの人のカタルシスとなっているのだと思う。要するに浄化だ。必要な働きである。

もちろん、中島みゆきの歌の中には、「時代」「誕生」など、私自身も好きな歌がある。「時代」について、ただ降って来たから意味も分からず書いたと、どこかで彼女自身が言っていた。谷村新司の「昴」と同じ経緯のようだ。昴と云う星がある事さえ知らず、歌ができあがった後で、一体これはどういう意味なのだろうと、彼は調べたらしい。

年齢と共に書く歌の内容が変わって来るのは当然だが、中島みゆきの最近の歌は普遍的なものをテーマにしているものが多いようだ。そんな彼女の最近の歌には共感できるものがある。好き嫌いは別にして、天才である事に代わりはないし、アートである事は確かだ。





私の歌の特徴 7/2

なぜ、私が上で中島みゆきを持って来たかと言うと、彼女の歌を聴いて、自分の歌の特徴がはっきり分かったからである。誰がどんな歌を書いているか参考までに読んだり聴いたりする事は、創作者が通る道。中島みゆきだけでなく、他のシンガーソングライター、加藤登紀子、五輪真弓、森山良子等の歌も聴く。やはりその中では中島みゆきの歌は強烈で、印象が濃い。大方の人達は、暗部は避けて通りたいし、あそこまでの執着心を人間関係に持たず、もっと自分を大事にする。

で、しずこの歌には具体的にどんな特徴があるのか、それは私が書くよりも聴いて下さる方々に感じて頂きたいと思う。「あの人の歌、詞が本当にいいね」と昨年お母さんに連れられて来た20代の娘さんが言っていたと、そのお母さんが告げて来た。そのお母さんはしずこのライブを初めて鑑賞した後の数カ月間、逢う度、眼の奥までじっと覗いているようだった。驚きと感動は直ぐに言葉にできない、様々な言葉が彼女の中で錯綜して、やっと出て来た言葉は、”自然だった”。

最近の楽曲20曲を聴いて下さったビクターのMディレクターが、総合的なコメントをメールでよこしてくれた:どれも歌詞が面白いが、印象に残るメロディーが少ないので、おおサビを使ったらどうか。そして私の依頼に答えて、参考音源のリンクを貼って送って下さった。

不思議だ。私がいつかこう言う歌を書いてみたいと思うと、本当にそんな歌になるようなものが降ってくる。先輩の男性達が歌える歌を書きたいと思ったら、本当に歌ってくれるかどうかは別にして、そんな歌が出てくる。ひょこんと出てくる。別に「よし、書くぞ~!」という気負いは全く無い。男女の愛の営みを歌うシャンソンの「じっとこうして」を歌ったら、こういう歌が似合うと言われ、じゃ自分で書こうと思ったら、"偶然”直ぐに出て来た。今度はホイットニーのI will Alway Love Youを歌うと「歌がうまくなったね~」「ほ~」となるので、じゃ、こんな感じの歌を自分で作ろうと思うと、出て来た歌が自然とそんな歌になれるような歌だったりする(飽くまでも日本版だからね、笑わないでね)。そして今度は、ディレクターからのお勧めでおおサビを使った歌。以前から書きたいと思っていた「ライバル」が、このおおサビを入れる楽曲にぴったり、というか、Mディレクターからの提案があった時に、既に大さびの入った歌を作っていた。私は技巧的に走らない、書きたいものがあり、それがたまたま大さびを入れるに相応しいので、自然と大サビを入れたというだけ。それにしても不思議だなぁ。

先週デモディスク2枚を毎日聴いていると話して下さる先輩から電話を頂いた、「毎日聴いていると、いいなぁ、うまいなぁと思って来るんだよ」と言われる。嬉しい。私の初CD「美しい日々だけを連れて」を聴いた見知らぬ人が、「何度も聴くと、良さが分かる歌ですね」と言っていたそうだ。この「何度も」をどうにかせんきゃならんけど、きっとそれは私の歌の特徴のひとつなのかも知れない。この先輩が初めて私のライブに来て下さった後に、私のいないところで言っていた事を以前に伝えて来た人がいた。「付き合いで色々な人の歌を聴きに行くけれど、(しずこの)歌は本当にいいよ、うまいよ。」うまく歌おうとする人もいるし、その一声だけでうまいという印象を与える人もいるし、それらを好む人もいるし、いろいろ。どうも私の歌はこの類で無いようだ。
 
   
後悔 7/4

私が通訳を職業とし様々な会社を渡り歩いていた時のかなり昔の話だが、ある会社に行くと、そこに恐らく派遣できていた30台の女性、夫から離婚を宣告されたと言った。誰に話しても解答はないが、彼女の心の狼狽は、言葉として外に出す事で僅かでも消される事を願っていたのだと思う。そして数日後別の会社で、一人の体格のいい、こちらも30台に載っているであろう若い男が離婚したばかりだと突然言った。付け加えて「全く後悔していない」とこちらが訊いてもいないのに自分から言ってくる。「ふん」と鼻でも鳴らすような言い方だった。

偶然にも彼らが夫婦だったのか、まったく関係のない若い男と女だったのか定かでないが、この”青年”にものすごい違和感を感じた。その姿にはその言葉通りの様子が映っている。悲しさ、辛さ、苦しさなどみじんもない。当然後悔もない。元妻の心情を想う隙間もなく、自分は人生の敗者ではないと仄めかしているだけのエゴの塊。もちろん内情は分からないが、私は心の中で、この人の奥さん、この男と別れて良かったと思った。

これと似た事がもう一度私の目の前に現れた。元夫もよく通って来た20年以上も前にお世話になったライブハウスのピアニストに、挨拶がてら彼の出演日に逢いに行くと、離婚したと言う。私は彼の奥さんに逢った事はないが、音楽上のいろいろな事を彼に頼んでいる時に、ふくよかさが彼の心に欠如している事から薄々そうなるだろうなぁという気配を感じていた。「苦しかった?」と訊くと、「ぜ~ん、ぜん!」と言う。

「ぜ~ん、ぜん!」・・・彼の場合は強がりが匂った。惨めに思われる、同情される、不幸だと思われる、弱気を見せたくないからそう言うのだろうか。聞きながらもったいないと私は思った。「苦しかった?」「ん、まあね」・・・。せめてこんなやり取りなら、人情や温かさや生きているが故に生まれる様々な想いが伝わってくるのだが。同じ立場にいる人間の言葉は特別な影響力があるかと押しつけがましく、「苦しまなくちゃダメよ!」と私は返した。「苦しんで、苦しんで、そしたらそこからとても大事な事が分かって来て、ずっと良い事が起きて来るのよ!」私の反応が意外だったのか、この言葉に彼は驚きの表情を僅かに見せ、そして沈黙した。

辛い、苦しい、悲しいの感情を否定する事で生きて行ける人達、きっとそれらの感情をすべて受け入れて認めたら、自分が壊れてしまうような気がするのだろうか。辛い事を辛いと、苦しい事を苦しいと素直に受け入れ、自分の生き方を問い始めた時、対象への思いやりや優しさも生まれるような気がする。こういう場合の平然として見せる強さは格好良いと言うよりも、人間の最も重要な「愛」の欠如を垣間見させる。体裁だけの辛そうな表情は論外だが。


後悔したくないから、これまでやろうと思った事は大体全部、私の場合は、行動に移して来た。やってみて思ったような結果を生まなくても、やらない事による後悔の方がずっと大きいだろうと思っているから。しかし私の人生にも後悔がある。それは愛を十分に与えなかった事への後悔。愛が欠如していた事。特にわたしを特別に愛してくれた人達に、自分の心情だけを理解してもらう事が当たり前で、彼らの思いや辛さを汲み取ろうとしなかった、そんな沢山の例を、今でもふと思い出しては、胸を痛める時がある。それらも考えてみれば、”しなかった”事への後悔だ。





大量生産 7/5

昨日、音楽関係者ばかりが集まる集いに参加した。シンガーソングライターもいれば、6月にメジャーデビューを果たした人、音楽雑誌の編集者、作曲家、作詞家、その他いろいろである。互いに紹介し合ってタイトルや今の実績を聞くと驚くばかりで、すごい人達が集まっているなぁと思った。デビューをした人や歌詞提供をした人達は自分の作品が載ったCDを持参して来た。是非聴きたいと私からも主催者にお願いしてかけて頂いた。

CDが回った・・・・ジャケットに書かれた歌詞を見ながら聴いていたが、段々と心が固くなる。デビュー、なんと華やかな言葉だろう。しかし。。。彼女達の今後が夢の実現により近いものになるよう、祈りたい。

最近入会したMPJからはアイドル歌手への楽曲募集案内が何度も送られて来る。これまで採用されたものも随分あるようだ。その案内にはアイドルが現在歌っている歌がリンクされているので、それを聴くと、とてももったいなくて自分の楽曲は提供できない、正直な私の感想である。いい歌でなくとも、AKBのように売り方がうまければヒットにつながる、と参加者の一人が言う。大量生産で、どうでもいいような歌詞、どうでもいいような曲がどんどん作られ歌われ、消費されゴミ箱に捨てられる。とにかく新曲を出すことが収益につながるのだろう。

よく音楽学校の教師紹介で「XXXに楽曲提供」と書かれる。何も分からなければ、うわぁ、すごいと思ってしまうが、こんなものなのかと、帰途に就く私に虚無感が襲った。楽曲提供は嘘ではない、しかしその中身は。嘘が蔓延した世界なのか。。。または、まだ私の知らない共感できる考え方があるのか。

「今は本当にいい歌が無いんです。しずこさんの作られた楽曲には衝撃を受けました。詞も曲も良いです。」と私のCDを聴いて伝えてくれたMディレクターの声が、今だ虚無感から立ち直れない私に聞こえて来た。いいはずだ、心からそう思う。彼が2年間そのCDを手放さなかった事も当然のよう思えた。

MPJを知らなければ絶対聴かなかったであろう”音楽”を聴く機会を頂き、このような”音楽”が蔓延しているからこそ、人の心や生き方に何らかの影響を及ぼすような歌を待っている人達は大勢いるはずだと心から思った。人間は誰しも真を感じたい、心を揺さぶる言葉を聴きたいのだから。

いい歌を世に送りたい、人が幸せになる歌を届けたい、その想いが基軸にあり、そのために断固とした決断ができる勇気ある協力者が、必ず、私が向かう前方で姿を現わすだろう。




増上慢 7/7

人間何が一番怖いかって、この事じゃないだろうか、増上慢(ぞうじょうまん)。もともとは仏語で、「今だ悟りを得ていないのに、悟ったとして思い高ぶること、転じて自負して偉そうにふるまうこと(日本国語大辞典)。」上のブログを書きながら、もしかすると私の楽曲は大したものだと勝手に思っているのじゃないか、もし本当に増上慢になって書いていたとしたら、笑い草になるだろう。上の場合は、冷静に自分の楽曲が他と比べてどうなのか判断し、今の姿勢を崩してはならないと自分に気を入れるつもりで書いたが、増上慢に陥ってしまっていないかと、自分で自分を恐れた。なぜ恐れるか、増上慢になったら、「おしめえよ」、だから。時々内省している。いつも見ていて叱咤してくれる人がいればいいが、残念ながらそのような師がいる訳ではないから自分で確認せねばならない。

なぜこんな事を書いたか。最近周りで起きた事を含め、2013年に書いたブログを読みながら、ハッと思う事があり、改めて自分の姿勢を問うてみた。マヤ暦から見た私の無意識の世界は「青い猿」、だからか、私は木のてっぺんに直ぐ登ってしまうのかもしれない(そんな事は書いてなかったけれど、猿はあくまで人を楽しませたい性)。勢いに乗ってしゃべった後に、自分でもびっくりする事を言っている事に気がつく。くわばら、くわばら。

今日は私の誕生日、自分自身に向けた、いいブログを書けたかもしれない。

   
  地球規模の祭り 7/7

何度も何度もこのブログで書いて来たが、サッカー、特にワールドカップが与えてくれる感動は書いても書いても書き尽くせない。今回はハイライトだけを見ているが、観るたびに心震え、涙がぽろぽろ流れる。

男たちが手を抜かず命の限り戦い、勝てば心からの大きな喜びに、選手もベンチのスタッフも観客も飛んだり跳ねたり。その場にいない人達もテレビの前で大声で歓声を上げ喜ぶ。そして負けた側も、悔しさはあるが精一杯やったと心のこりのない涙と笑い。なんと素晴らしい時間だろう、地球上の人間達の心を躍らせる地球規模の祭り。今回のワールドカップ、いつもの勝者となる南米と欧州の対抗試合となったが、その実力たるや、本当にすごい。あっぱれだ。どの国のチームが勝ってもおかしくない、観ている者の全身全霊を満足させる試合だ(恐らくやっているもの達も)。チリとブラジルの試合はたまたまフルで見たが、ブラジルはチリがこんなに手ごわいとは思ってもいなかっただろう。PK戦で負けたチリの選手が言う「ブラジルを相手にここまで戦えたので、心残りはない」と。

決勝に残った16チームは本当に皆優劣の差がないほど素晴らしかった。これらのチームの中には特別な人がいる。その彼らのボールを操る足さばき、ただただすごい。技という点から行くと、アジアはまだまだだが、何が起きるか分からないのがオリンピックだったり、ワールドカップなのだろう、だから面白い。個人的にはフランスを応援しているが・・・

普段は自分の国を離れて他国でプレイする。その同僚達がワールドカップでは対抗する。だから終わっても抱き合いがあったり、負けて気を落したり泣いている選手に近寄って肩を抱いたり抱きかかえたり、喜びと愛が沢山あふれる戦いだ。

ああ、ただ、ただ感謝したい、こんな祭りを考え実現化した先達に。恨みはこの血を流さない戦争で堂々と晴らせ!





こりゃ、大変だ、携帯電話が鳴りっぱなし 7/8

私の誕生日の前夜から私の携帯電話が忙しい。バースディ・メッセージから始まり、よもやま話。全て姪からである。エステを経営しているが、そんなに羽振りが良いとは思えないのに、1時間近くもしゃべっている。女同士のおしゃべりだから簡潔にはいかない。結論に至るまでのプロセスを細々としゃべる。電池が切れた、これ幸いと誕生日前夜は寝た。すると誕生日当日の朝9時に再度電話が鳴る

「ハッピーバースディ!(にこにこ)。昨日突然切れて、何度もかけ直しても電波が届かないところにいるか電源を外していると言うので、もしかしたら静ちゃん倒れちゃって救急車にでも運ばれて行ったのかも知れないと、すごく心配しちゃった」
「あはは」(なぬ!)
「ね、自宅電話ないんでしょ?あった方が良いよ、こう言う時、連絡できるじゃん。」
(自宅電話?あるけど・・・そうしたらいっぱい電話がかかってくるだろうなぁ・・・・(@_@;)教える訳にはいかんよ)

20分程の話。
「ね、今から出かけなきゃならないの、夕方に帰って来るから、その時またね」と、私は出掛ける。

夕方8時また携帯が鳴る。
「本当に掛けて来たの、あははは」
「静ちゃん、夕方だって言ったじゃない」
「あの、こんなに長話を携帯でして大丈夫なの?」
「ああ、6月1日からね、ドコモのスマートファン以外の電話だったら他の会社の携帯にかけても全部無料なの。基本料金2,300(?)円だけ」
「へ~、すごいことしたものだね、ドコモも」
「うん、xxxxxxxxxxx」
ざっと1時間ほどのおしゃべり。

そろそろ自分の時間をもらおうと私は適当な理由を付けて電話を終わらせようとする。
「う、うん、う、うん」電話を終わりたくない様子が伝わってくる。何かこの電話を大変楽しみにしているみたいだ。一度は切ったものの、可哀そうだなぁ、しゃ~ない、今日は徹底的に付き合おう。電話をよこすようメールを打つ。直ぐに電話が鳴る。

またまた長いおしゃべりをしていると、他からメールが入った。やった!
「ゴメン、今他の電話が入ったみたいなんだ。30分程したらまた電話をして。」メールに返信して、夕飯も済ませていない私は納豆ごはんと味噌汁を胃に流す。

ぴったり30分後に携帯がまた鳴る・・・そんなに話したいのか、そしてこんなに素直で可愛い子だったのかと、何か温かいものが私の身体の中を流れる。・・・
「昨日ね、静ちゃんと少し話をして、もっともっと話したいと思ったんだ。色々な事を話したいの。」
「色々な事が錯綜しているんじゃないの、何から話して言いか分からないんじゃないの」
「錯綜なんかしていないよ。きちんと考えているんだから」
私の話をひとつひとつ真剣に聴いている息遣いと相づちが聞こえる。。。。この子ももう50歳をとうに過ぎているんだぁ。
「ね、静ちゃんは一度も私のところに来た事がないでしょ。いつかこっちに来る事があったら良いのになぁって思っていたの、(にこにこ)」
仙台かぁ、”あの時”から6年、一度も行っていない。

人生を考える、彼女もどう生きるかを考えるそんな時期に来たのだろうなぁ。そして彼女の他の叔母さん達は皆彼女の近くにいるのに、遠距離にいる私を話相手に選んでいる。選ばれた私は思う、もうただ与える時期に入ったのだと。

ドコモの爆弾的企画、嬉しいような、トホホのような。


追伸:早速ドコモの社員のスダッチに訊くと、

6月から始まったドコモのサービスはちょっと違いますよ。固定料金(2500円?)を払うと、スマートフォンを含むすべての携帯からの通話がかけ放題になるというものです。なので誰でも無料でかけ放題になったわけではないです。契約変更しないととんでもない料金請求がきますよ。

恐らく他の携帯電話会社も追随せずにはいられないだろう、後日私の携帯電話会社に電話を入れると、7月1日から同じようなサービスを開始していたらしい。



さあ、夏休み 7/9

いつまでこんな調子でやっているんだろうと思うほど、全く上達していない私のギター。と言うか、上達するつもりがあまり無い。だけど通っているレッスン。レッスンを取らなければ触らないから、せっかくプレゼントして下さった方に申し訳ない。それに一応触っていれば、使える時があるしね。ピアノは歌を作る時に座るくらいかな。今はオンラインレッスンがあちらこちらで開設され私も一時受けたが、やはり間接的強制と云うものがないとダメね。宿題とかおさらい。レッスン日があると、それまで家で練習をするからよい。

その二つのレッスンが終わり、私は夏休みに入る(学校は8月もやっている)。いよいよ始まる日本脱出の準備に本格的に取りかかろう。アムステルダム経由アイスランド行き(直行便がない)。まだ市内に入った事がないので、アムステルダムでは2泊する。グリーンランドにも足を伸ばす。アイスランドへの旅行はFire and Iceツアーという名が付いているが、透明な空気、氷河、火山、とにかく日本では全く見られないものを見るようだ。アイスランドの百科事典のような自称Iceland manが言うには、アイスランドは特に女性が好きになる場所だとか。そしてグリーンランド。飛行機の関係で4泊する事になったが、丸2日で十分と言う、何もないよと。「何もないよ」この言葉はブラジル旅行で知りあいグリーンランドに行ったと言う人も使っていた。いかに何もないか見て来よう。(●^o^●)

   
  君の名は 7/11

「久しぶり~名が出ないままじゃあまたね~」(サラリーマン川柳

笑っちゃった。ちょうど数日前街を歩いたら知人にばったり。
「あら~どうしてた?」
「いや~ひさしぶり。元気だった?」
ぴーちくぱーちく 立ち話
「ね、コーヒーでも飲まない」
「そうね」
2時間ほどコーヒー館でおしゃべり。互いに一度も相手の名前を呼び合わない。「あなた」で済んじゃう。頭の中では「誰だったっけ~。」

帰宅しても「誰だったっけ~」。だいぶ夜も更けて「ああ、xxxさんだぁ~」。(*^_^*)





記憶するために 7/11

タイトルが上のブログとつながっている感じがするけれど、全然違う。
ここ数日間、私の心の状態に大きな変化が起きつつあった。以前からこの状態に持っていけたらと思っていたし、いつか到達すると思っていた。ここに辿り着いたら怖いもの無しだろうなぁと。切っ掛けは一見喜ばしくない出来事。少し動揺したが、「きっと、これはいいところにつながっていくために起きているに違いない」と思いを変えた。どんな状態かって?う~ん、これは神を心底信じるものだけに分かる事なの(すんまへん、こんな言い方で、でもそれしかないんだ)。

そして今日の朝の瞑想、何だか私に関係する多くの方々の顔を浮かんで来て、皆さん楽しそうに笑って喜び合っている。瞑想する私もニコニコしている。あ~ここまで来たぁ~と嬉しくてたまらなかった。終っていつものように鏡に自分の顔を映してみた。うわ~、・・・・・「え~、そんな事を自分で言う人いないよ」と言われるかもね、でも言おう、光が射して観音様と云うか女神様みたいな顔をしていた。来たぁ~やっとここまで来たぁ、と嬉しさが込みあがった。だから、この日を忘れないよう、ここに書いておこう。ここまで来させて頂いた全ての出来事と関係した人々に、本当に心からの感謝を送ります。


人間は自分で生きているんじゃない、生かされている。周りの人達も出来事もすべからく自分の命を生長させるために現れる。





加藤登紀子コンサート 7/12

7月12日は私の記念すべき日で、2011年のこの日夢の六本木STB139に出演した。その3年後の今日、私は加藤登紀子のコンサート会場にいた。

私はよく加藤登紀子に似ていると言われる。似ているのは、声、歌、雰囲気といろいろである。昨年11月に興した池之端QUIでのコンサートDVDを見た時、最初に画面に出て来た私を、加藤登紀子かと本人が見間違うほどに似ていた。誰も見た事のない少し若い時の加藤登紀子のダンス姿。その時ははっきり言って、嫌だと思った。別に彼女が美人でないからという訳でもない(いや、少しはそれも理由になるかも(*_*;)、出来るものなら誰それさんに似ている自分でいたくないのだと思う。

だが今日のコンサートで何が似ているかうっすら分かった気がしなくもない。一緒に行った友人も彼女を前に見ながら皆と同じ事を言うが、傾向が似ているらしい。アジアを歌い、アンデスを歌い、ヨーロッパを歌う。そして広島に震災。日本に留まらず世界に関心を向け、人間のつながりを歌う、そのような心のあり方が似ているのだろうが、その他にも色々共通点があるような気がする。ハルピンに生まれた事も今の彼女の広い受け皿を作っているのかもしれない。

彼女の歌を聴きながら、自分が書く”べき”歌がまた増えたように思った。

それにしても、本当に沢山の観客だった。開場を待つ長蛇の列。「いつ私にこんな日が来るかね」そう言って笑った。


いいコンサートだった。




すべて、ね(^v^) 7/15

ワールドカップの優勝決定戦が終わり、勝者と敗者が同じフィールドでそれぞれの結果を受け留めている。勝者の喜び、そして敗者の。。。面白い事に、敗者の感情は複雑で一言で表せない。そしてその一言で表せない表情や動きの中に視聴者は多くのものを想像する。敗者の表情になぜか私の場合、多くを見て心が震え、彼ら以上にボロボロ泣いてしまう。延長戦後半で、カメラレンズがこれまで捕えた事のない、恐らくあまりマークされた事のない小さなドイツ選手のシュートが勝敗を決定した。神様が彼にご褒美を下さったのだろう。その彼はこれまでチームの中でどうだったのか、この決定的シュートで彼の人生がこれからどう変わるのか、そんな事を想わせた。

アルゼンチンの選手たちが呆然と立ち尽くし、勝者達のはしゃぐ姿を見つめる。それは自分たちの姿であったかもしれない。「ワールドカップは強いものが勝つのではない。勝ったものが強いんだ」と誰かが言った事をテレビが流していた。正にそうだ。強いものが勝つなら勝者はいつも同じチームになってしまうだろう。キムヨナの言葉を思い出す:オリンピックは何が起きるか分からない。神様が金メダルを落してくれる。選手はいつものベストを尽くせばいい。人生もそうなのだと思う。与えられたモノをこつこつと精いっぱいやって、他を喜ばし睦まじくしていれば、神様が道を開いて下さる。自分の”我”は要らない。

7月、私の誕生日を境に、私の中で大きなうねりが起きている。これまで以上の躍動感、やっと周りの多くの他(人)を拝み彼らの幸せを心から祈る自分となった。「私は無いのです」に向って歩き始めたようだ。


全てが奇遇なのか、目に見えぬ力が計画されたものなのか、この誕生日周辺で複数の再会と出会いがあり、ひとつの別れがあった。期を同じくして明日私は北極圏のアイスランドとグリーンランドに向かう。そのひんやりとした空気が私の中に入って来て、何かが・・・・(ウフフ・・・)。うれしい。ありがとうございます。



行ってきま~す 7/16

グリーンランドは気温が4℃~9℃ですって。冬支度でトランクの中がいっぱい。個人旅行は行きたいところに自由に行ける強みがありますね。アイスランドでは一般観光スポットだけではなく、リュック背負ってジープに載って内陸まで。結構高くついた旅行だけど、この北極圏を旅するのはおそらく2度はないような気がするから、ま、いいかと奮発しました。ワクワクする。

行ってきま~す。




帰宅 7/31

本日昼ごろに帰宅した。どこから話したらいいのか、色々な事が起きて、沢山の人と出会い、色々な事を聞き、それらをリアルタイムでFacebookで写真付きで投稿し多くの方々に喜んで頂いたように思う。ここでは、Facebookの投稿をコピペしつつもっといろいろな出来事や感想を書きつづっていこう。

旅は、成田に降りるまで続いていた。飛行機の中では隣りの席のフランス人、右斜め後ろの日本人と親しく話し日曜日には彼らと逢い、代官山を回ってカラオケに行く事になった。自分を開放して歩きまわると、実にいろいろな人とお近づきになれる。

グリーンランドの最後の日、アイスランドで買った防水防寒靴の紐を結んでいる時に、私は心からこの旅を喜んでいたのだろう、新曲が楽しく舌から滑り出て来た。

君の履いている靴に 僕はなってみたい
君の行きたい所へ 手伝う靴でいたい

君の着ているジャケットに 僕はなってみたい
寒さに凍えて震える 君を温めたい

世界を歩いておいで
人のいとなみを見ておいで
氷の国には 僕たちと 
とても似ている人がいる

これから整理して、歌として完成させよう。

アイスランドの北の町アークレイ。ここは北緯65.41度。100キロ北は北極圏に入るが、ここで持参したラップトップが、私のせっかちさが起こしてしまった問題で、使えなくなってしまった。さあ困ったと思っていたら、宿泊先のホテルの目の前の本屋さんに日本人青年がいた。コンピュータの事も少しは分かると言うので、横に座って色々といじってもらった。旅では大体自己紹介が行われるので、ソング・ライターだと告げると、大変興味を示し、どんな歌を作っているのかという質問になり、説明するより歌った方が分かりやすいと、最近の3曲を披露した。「ああ、あんた恋しや」を数小節歌いだすと、目を見張り「声がすごく良いですね!」と”ものすごく”驚いている様子だった。次には「ライバル」。ここで彼が何を言ったかと言うと、

「ライバルは、中島みゆきですか」・・・ング、ずしっ、くわっ、さわっ!!!!

冗談でもからかいでもなさそうだ。彼は中島みゆきの歌をずっと聴いてきたようで、そのレベルの周りに私の歌を置いた。私の心がドキドキと言うか、オロオロしてきた。色々な歌を聞き、私自身も自分の歌が大体どの辺の位置にあるのか分かって来たが、「本当にいい歌ですよ」と感動を率直に表し、中島みゆきの名前まで出して来た彼に、「ウン、ま、作っている歌の内容が違うから」とかなんとか、おとなしく応えた(本当は、やっぱり?!とか叫びたかったの?カカカ)。別れ際、「僕を忘れないで下さいね!XXXです!」と少し大きめの声で言った。

ククク・・・楽しや、嬉しや。






アムステルダム経由グリーンランド/アイスランドへの旅 その1 アムステルダム 8/2

紀行文を期待して下さる方々の気配がするので、眠気を抑えてアップします。

実は
7月31日に帰宅した日、家の前に開店した定食屋で、きっと”私の次”はないだろうと思うような料理を夕方に食べた後、KLMオランダ航空がお土産で持たせてくれた強いお酒を飲んだら、翌朝両前腕にジンマシンができていた。早い処置をしてもらおうと医者に行き、もらった薬が時差ぼけの眠気を助長する。

さて、始めます。まず、アムステルダム。

アムステルダムには大きな美術館が二つだけなので、ほっ。2年前のフィレンツェは、美術館だらけで、行かなければもったいない気がするし、行けば行くで大変疲れて帰って来た。展示してある作品があまり多いと、せっかくの芸術作品に申し訳ないが、受け方がぞんざいになって来る。が、ここでは二つの美術館―国立美術館とゴッホ美術館。大変興味をそそられたのが、国立美術館の作品解説。どこにでも見るような解説に加えて、紙ぺらのようなものに美術館の関係者が書いたような解説が貼り出されている。

例えばこんな風:
-美術館に来ても、作品の背景が分かっている訳ではない、どう優れているのか...も分からない。つまらないと思われることもあるでしょう。それでも、描かれた人物の顔をじっと観てください。その人の性格やどんな人生を歩んだか想像してみるのも面白いです。
-女の胸にそっと手をやる男。男も女も顔を見ると何の変哲もない。絵にするに値しないと叫びたくなりますね。しかしこのなんの変哲もない男と女だからこそ、この愛情表現がなんとも私たちの心を打つのです・・・:私は忍耐に欠けて、自分のことしか考えず、女房/旦那に親切にした事も腕をまわした事もない。

国立美術館にこんな解説、美術をもっと大衆化するのが狙いか、一生懸命だなぁと笑みがこぼれた。それと、ここでは写真撮影OK。ところ変われば、である。ただ私の場合明暗自動調整機能によりフラッシュが焚かれてしまった(ごめんなさい)。


運河クルージングや風車の町は期待ほどではなかったが、 ボート・ドライバーの話によると、アムステルダムの市内を流れる何本もの運河から毎年25,000台の自転車が引き上げられているらしい。市もそれに対応する特別クレーン車を考案したとか。どこの国にもその国特有の問題があるなぁと、なんとなく可笑しかった。アムステルダムは運河と街の調和が美しいところだ。 つづく


写真をクリックすると大きくなります。
1.アムステルダムの運河沿いの家並み
2.レンブラントの「Night Watch」
3.追加説明文
4.ゴッホの壁絵の前で

アンネ・フランクの家はいつでも長い列だ。ホテルのフロントに言われた通り、朝早く行くと1時間ほどの待ちで中に入る事ができた:昼でも外から見られないようカーテンを閉める。小声で話す。やはり痛々しい。こう言う事は2度とあってはいけないし、もうあり得ないだろう。
   
  その2 レイキャビック  8/2

アイスランドの首都レイキャビックに着いた。レイキャビック、この名を始めて耳にしたのは、東西冷戦の終焉につながったレーガン元米国大統領とゴルバチョフ元ソビエト大統領のサミットが此処で行われた時。その時初めてアイスランドと云う国に興味を持った。そこは日本と同じく火山帯で温泉が沢山出る事や、男女が真っ裸ではしゃぎながら温泉に入る様子がテレビで放映された。

着いた初日、小雨がパラパラ降り辺り一帯鼠色を帯びていた。静かだ。ホテルの部屋に荷物を置くと直ぐに街に出て行った。店で働く人達は皆若い。人口325,000人、その内200,000人がこのレイキャビックに住むと言う。夏の終わり、鼠色、静けさ、冷気、人の少なさ・・・昔何処かで見た風景に似ている・・・随分昔になるが、ストックホルムからオスロ―まで電車で行った時の事だ。途中、電気故障があり全員電車から降ろされた。8月中旬だと言うのに薄ら寒く、降ろされた処は既に薄暗く、乗客を除いて周りには人っ子ひとりいない。家屋は誰か住んでいるのかいないのか駅舎だけ。駅から離れて少し歩いて行くと、家がポツンポツンとある。ややふくよかな中学生ほどの初々しさのある女の子が二人、自転車に乗ってニコニコと会話をしながらゆっくりこちらに向かってくる。

もう2時間ほど過ぎたのだろうか、乗客たちは大きな声を張り上げる事もなく立ち続け、ひたすら電車の復旧を待つ。闇は人の輪郭もほとんど隠すほどに広がっていた。お腹もすいてきた。どこかに食べ物屋があるだろうと私は更に歩いた。大きな通りに出ると、明かりが灯されているところが一件あり、走って行くと、イラン人の男たちが営むピザ店。こう言うところにも人間の生活があるのか、当たり前の事だが、感じ入るものがあった。また、イランからノルウェイまで生活のために移動する、それもこんな鄙辺に。その記憶がよみがえった。北欧の国の夏だ。

この日のレイキャビックは夜10時半ころから日が暮れ始めた。雲の位置がとても低く、滝のように岩肌を流れる。6月からこの国にも夏が来るが、今年の夏は1958年以来初めてのまったく太陽が見えない夏だという。指先をひんやりさせる東京の初冬辺りの冷気が、手袋を忘れてきた事に気付かせる。

履いてきたズックが氷河を歩いたり氷山を見て歩くのに耐えうるか心配になり、防水/防寒ブーツを買いに入った店で、売り子と話をした。太陽が少ない事だけが残念だけれど、この国が好きだという。太陽が欲しい時は、多くの人はスペインやトルコに行くらしい。ロンドンから移住して7年になる旅行案内所の女性には、ここはストレスのない国らしい。慇懃さもなく、華やかな都市にあるようなカミソリのような冷淡さもない。道を訊ねてもきりきりした人に出会わない(何度道を訊ねた事か。最後には一緒に歩いてくれる)

この国がどんな国か、もしかするとレイキャビックの紹介には必ず出てくるモダンなあの教会建築が言ってくれているかも知れない。教会の中にはキリストの人生を描いたステンドガラスがない。他の国でよく見かける暗く重たい内装や空気に代わって、透明ガラスが壁に取り付けられ大変明るくカジュアル。十字架に架けられた痛々しいキリストの像もない。祈るキリストと思しき聖職者の像が置かれているだけ。席に座る旅行者の顔に笑みがこぼれる。つづく


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1.レイキャビック到着
2.到着当時の服装にはこの差があった。
3.ハットルリムルス教会。モダンでスタイリッシュ、でもシンプル。レイキャビックの象徴でもあるようだ。
4.教会の中。ステンドグラスが一枚もない。
5.教会内のキリスト像
6.私が部屋を出ようとした丁度その時、突然「さくら、さくら・・・」を演奏し始めた。私の為かと思ったら、作曲家である彼の友人が作った組曲の中の一部だと言う
7.レーガン・ゴルバチョフ会談が行われた、ホワイトハウスと呼ばれるところ。残念な事に時間外で中に入れなかった。





その3 グリーンランド:イルリサット 8/3

アイスランドとイルリサット(グリーンランド)間の飛行機は37人乗り。小型である上に便数も少ないため観光シーズンは飛行機の予約が思うように取れない。一般的にグリーンランドは丸2日、つまり3泊4日あれば十分だと聞いていたが、飛行機の関係で2泊3日と云われた。とんでもない、せっかく遠いところまで行くのに丸々観光できる日が1日だけなんて。で、4泊5日の滞在にした。このグリーンランド行きに合わせて、アイスランドは2泊で中断、グリーンランドから戻って残りを続けるサンドイッチ的な旅程となった。

機内アナウンスがあと20分でグリーンランドのイルリサットに到着すると告げると、37人乗りの飛行機の乗客は一斉に空いている席に移り窓側を取る。北緯69度、北極圏である。眼下に見えるのは真白な氷。一面、氷。氷が終わると黒々とした巨大な岩山。それはこの地上を覆う程の大きさを持つ獣が休んでいるかのようなすごさと怖さがある。怯んだ。

飛行場を出ても周りは岩山ばかり。レイキャビックと違い太陽は出ているが、風が強く土埃が顔面を容赦なく襲ってくる。岩山に立つ家々、それは家と言うよりも大きな建築現場の事務所か飯場のような建物、または一昔前の仮設住宅か。人口4,000人、多くの人は岩山の上に建てられた家に住むが、上って行く道がない。木造りの階段があるところもあるが、だいたいそれぞれの家に最も近いところからこぶのような岩をひとつずつ征服していく。その岩山の前の運動場で、色の違うユニフォームを着ている子供たちが遊んでいた。グリーンランドのサッカー国内決勝戦らしい。観戦者たちは岩の上に腰かけ声援を送る。

さまざまな思いが私の中で回転する。先進国から来た外者の物質至上主義的視点で見ることを止めることにした。その視点から見るなら今すぐにでもここを去りたくなるかもしれない。ここには人間生活の原初的姿があるのだろう。そして何よりも、心が熱くなるほど、彼らは私たちにそっくりだ。

既にグリーンランドの他を回って来たというデンマーク人家族が感嘆を交えた声で自然の素晴らしさを話す。ホテルから充てられた部屋の前は海。漁船が氷山の間をゆっくり走っていく。
つづく




.1.いざグリーンランドへ、ホテルからタクシーに乗るところ。
2.レイキャビックの国内線空港ゲート。どういう訳かグリーンランド行きは国内線扱いになっている
3.グリーンランドの上空、氷ばかり
4.グリーンランド、イルリサット空港の周り
5.家の殆どは岩山の上に建てられている。階段を上るよりも、家に近い所の岩山のコブを一つ一つ上がって行く人が多い
6.岩山を登りきったところの家
7.岩山の前には運動場、サッカーの国内決勝戦が行われていた
8.魚処理工場の従業員。余りにも私たちに似ている





まだ旅の途中か 8/3

日本に帰る飛行機の中で昔の同僚だった友人の結婚式に参加するのだとフランスから日本を訪ねる青年が私と隣り合わせになった。私の横で一生懸命歌を歌う可愛らしい人だ。今日、同じくその結婚式に参加するというスイス人、日本の石油会社に勤め頻繁に欧州を行き来する青年4人で、カラオケに行った。私はよく外国を旅するので、旅行者が旅先でどんな御もてなしを望んでいるかよく分かっているつもり。現地の生活を覗きたい。彼らの希望リストにカラオケ・ボックス行きが入っていた。

それで渋谷で待ち合わせしたが、なかなか彼ら二人が現れない。ま、こうなるだろうとは思っていたので、最も分かりやすい待ち合わせ場所、渋谷駅の1番線の一番前と指定したが、そうか、渋谷駅と言っても彼らは何線で来るか分からない、JRか、地下鉄かそれとも私鉄か。私のミスだった。20分程待って電話がかかって来た。やはり1番線がどこにあるか分からないと言う。彼らは銀座線で来ている。でもどうにか逢えて、4人でカラオケ。

フランス語の歌があまり無くて残念だったが、「パリの橋の下」というエディット・ピアフの歌を入れてあげると、知らないと言う。ほら、ほら、ほら、「むかしのシャンソンを聞きたいなら日本に行きなさい」だね。

また逢える事があるかどうか分からない行きずりの人達だが、それでも親切と友情の思い出をこの国に抱くだろう。元気で。






その4 イルリサット村内観光  8/4

なぜグリーンランドに行ったか。アイスランドに行こうとして地図を開くと横にグリーンランドがある。どうせなら一緒に観て来たい、何が良くてあんな寒い所に住むのか。それだけが観光の理由だった。

グリーンランドはデンマーク領。だからデンマークからの旅行者を含め、ドイツ人とイギリス人が多い。その中に他の東西ヨーロッパからの旅行者がちらちら。アジアからは中国人の団体と、インドネシアの一家族、日本人個人旅行者が私の外に2組いた。イルリサットは僅か4,000人が住む村、そこを観光スポットとしてデンマークの旅行会社が3社ほど進出しているようだが、繁華街などと云うものはなく、見たところスーパーは二つ、そこで洋服も含め売っている。

昼ごろにイルリサットに着き、直ぐに村にある旅行案内所に行った。スタッフはデンマーク、ドイツなどから夏のアルバイトで来ている若者たち。空港に迎えに来たホテルのスタッフはタイから来たという。南国から北極への移動かぁ・・・様々な国を旅するたびに人間の生命力を想う。人間は生活のためにこのように移動して来る。地球はやはりすべての人間のためにあるようだ。この送迎スタッフの場合は10か月を此処イルリサットで過ごすという。タイよりもずっと“好い”仕事らしい。

村には病院が一つあり、医者が3人常駐している。医師はやはりドイツ...やデンマークから3カ月交代で来るようだ。手術施設もあるという。ここで処置できない時は大体デンマークに送られるようだ。だが、そこまでの手続きに延々と時間がかかり、間に合わない事が多いらしい。

朝食時、此処の発電所の仕事で時々この村にやってくるというデンマーク人の話を聞いた:デンマークは300年も400年もの付き合いで、このアイスランドに莫大なお金を使っているんだ。石と土で作った原始的な住居に住む住民にノルウェイから材木をとりよせ家を作って与えたし、かつては6か月に一度、今では1.5カ月単位で、船で野菜や果物をはじめ多くの食料を運んでいる(だからか、スーパーに出ている果物は果汁が大分抜けてしまったようなにものばかりだ)。9年間の義務教育も与え、希望者はデンマークで高等教育も受けられる。やっと彼らにも独立の気運が高まり、自分たちの政府も作った。

「デンマークにとっての利点は何ですか。」「この周りに石油が出るかもしれない可能性とミネラルを採掘することかな。」

こんな訳で物価はものすごく高い。空港でなぜかジャケットを忘れ、仕方なくここで買った。私はブランド志向ではないのでよく分からないが、どうせ買うなら日本でも着れるものと、Haglofs(ホグロフス)というブランドのものを買ったが、4万円を超えている。これって高いんじゃないかなぁ。ペットボトルの水が300円強、アイスランドでは使いほうだいのWifiも30分700円~1000円。時間を気にしながらFBに投稿していた。つづく


1
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1. 村内ツアーで、歩いて行く距離に氷山がある。近くに来ると途端に寒くなる。
2.わたし(^v^)
3.この人よほどこの旅が嬉しいみたい
4.目的地に着いたらガイドが熱い飲み物を振舞ってくれた。熱湯が注がれた容器で手を温める、寒さの中の一服。左がスロベニアから、右は南アフリカからの旅行者
5.デンマークが村民のために作ったマンション。洗濯機はあるが、釣った魚や狩った動物を置くところがない。それでベランダに干してある。トナカイの角?
6.墓は海の見えるところに作るらしい。人間は海から生まれたという信仰に基づくようだ。花は皆造花。生は寒さに耐えられない。
7.犬は村民にとって足となる。道路がないため、冬は犬ぞりで魚を釣りに行く。その犬たちは夏はこうして鎖で縛られ、野生の本能を抑えられているため、犬ぞりになって使われる時には、それまでのストレスを解放すべく、素晴らしい勢いを発揮するようだ。
   
   
その5 グリーンランド:白夜とりマナック 8/5

7月は白夜だ。沈まない太陽を観に夜10時に沖に出る。レイキャビックからイルリサットまでの飛行機、そして幾つかのツアーで一緒だった御縁で随分親しくなり、食事まで一緒にするようになったスロバニア出身のカヤが、前日白夜ツアーに参加しているので感想を訊ねると、開口一番、「寒いってもんじゃないわよ!上には6枚、下にも4枚履いて行ったけど、船に乗って15分したら、もうガチガチよ。」と、袖口から衣服の枚数を数える。そして彼女の防風ズボンを履いていくようにと貸してくれた。だが、私が参加した時には風もなく丁度いい感じだったが、やはり長い間デッキに出ているのは大分無理がある。

白夜と言っても、時が翌日になっても太陽が水平線に近い所にずっと佇んでいると言うだけだが、水平線の少し上に太陽、その手前に氷山、それを向こう側にして時々氷山で休みながら海鳥たちが舞う。その美しさにため息が出る。

この白夜ツアーの日の昼には、りマナックと云う島民57人の島に行った。いやはや、
スイッチひとつ捻れば電気がつく、水が出る、お湯が出る私たちの毎日の生活。何よりもありがたいのは水洗トイレ。ああ、これも物質文明開化のおかげですね。小さな船で氷山の間を縫いながら行くのだが、船には“トイレ”と書かれたドアはあっても、中にあるのはプラスティックの大きめの箱ひとつ。それを開けて用を足すという。ドアを開けた途端、胃の中に入れた朝食をすべて戻すような臭気。とてもじゃないが、プラスティックの箱の蓋は開けられない。島に行っても同じだと言われたが、こちらには他の考えがある(ニタ~)。

この島民57人の島には学校があり、現在4人の子供達が通うという。ここで7年間の教育を受けるらしい。教会もある。教会の中には日本の旧ブランドTechnicsの電子ピアノが置いてあるが、音は鳴らない。

歩いていると、男が一人家から出てきた。英語が話せる。カヤを誘い、グループから離れて家の中を見せてもらった。中に入ると奥さんが現れた。姿かたちはまるっきり日本人である。だがグリーンランドの原住民、イヌイットだ。興味深いのは、彼らは韓国人や中国人の顔形とも違う、日本人の顔である。お手洗いを見せてもらうと、便器の形をしたものにパイプが取り付けられ匂いが外に逃げるようにしてある。他人事ながらものすごくほっとした。欲しいものを作ってくれる、必要なものを発明してくれる、人間て実に頼もしくて、嬉しい。つづく



1.沈まない太陽: 23時頃
2.沈まない太陽: 24時頃
3.りマナック村
4.教会
5.教会の中:左奥に電子ピアノ
6.島民と:今ではデンマークに住んでいて、夏だけ来ると言う
7.かつてはこの枠の中に両親と6人の兄弟が住んだと言う
8.子供用の滑り台
9.すっかり友人になったカヤと




その6 グリーンランド:エキ 8/5

イルリサットに着いた初日の村内観光でガイドが村の消防署にまつわる面白いエピソードを二つ紹介してくれた。村には消防署があるが、そのすぐ横の発電所が火事になって全焼した。タクシーに乗っている時にどこかで火事が起きると、客は降ろされる。タクシーは消防署へ走り消防員を乗せなければならない。

さて、グリーンランド観光の最終日には船で5時間、Eqi(エキ)と呼ばれる氷河の崩れ落ちるところを観に行った。テレビではよく目にするが、このような処に自分が事実いるのが、不思議だった。海は水ではない一面、氷。周りは氷河。ドドド!と轟音が響き氷が崩れ落ちる。氷河が崩れるところを取ろうと、シャッターチャンスを待つ観光客は声もなくファインダーをのぞく。下は白い氷、脇は氷河、白一色の景色の中に赤色の船が入って来る。絶景だ。船は竿で氷をどかしながら前に進む。

この時のガイドがイヌイットの青年だった。色々な話を聞いた。スーパーで売っているものは殆ど口にせず、釣ってきた魚を生で食べるらしい。なんとかという魚が好きで、皮も脂肪も肉(み)も一緒に食べるそうだ。すごく美味しんだよと言う(本当に美味しそうな顔をしていた)。グリーンランドは氷と岩山、寒いし土が無いので樹や植物は育たない。主に釣った魚を食べ、野菜と云えばジャガイモくらいだと言う。それでも逞しい身体が作られる。こうなると、私達が信じ込まされている栄誉学に疑問を投げてしまうが、投げれば投げるでまたいろいろな解説を聞かせられるのだろうと思うと、ちょっとうんざり。

このイヌイットの青年が言った、「僕はグリーンランドの自然が好きなんだよ。この壮大な自然の中にいると人間がいかに小さいか分かるし、そんな小さな人間が抱えている悩みなんて本当に小さいんだよ。自然の中でも小さいのだから、宇宙から見たらもっともっと小さいんだよ。」

間もなく彼がデッキに行こうと誘った。船の設備のひとつと思しき箱の上に二人分が座れるスペースを確保し私を座らせると、「ほら見てごらん」と、海を指す。うわ・・・・・・・!!!!この時間の陽の光に反射された海は一面プラチナ色だった。息を呑む。・・・・高貴な銀色。神々しくて畏怖さえ感じる風景。彼は私の驚きに喜び、「ねっ!」と満足そうに相づちを求める。


グリーンランド、やはりたっぷり味わえる旅程にして良かった。神の恵み、南でも北でも人間が生きられるよう神の恵みが豊かに与えられる、それが地球なのだなぁと想った。とてもこの旅行を喜んでいたのだろう、グリーンランド最終日に靴の紐を結んでいると、新しい歌が滑り出て来た。♪君の履いている靴に僕はなってみたい~。つづく


1.氷海に赤色の船
2.同じ
3.海
4.氷河、轟音と共に雪崩れる
5.氷河の前で
6.プラチナ色の風景、残念な事に私の小型カメラではこの美しさを捕えきれなかった

   
  その7 再びアイスランド:南へ 8/6

うっそ~、信じられない!バスが消えた。 

グリーンランドからアイスランドのレイキャビックに戻り、翌日から地方を周るツアーが始まった。まずは南アイスランド。

レイキャビックから7時間、途中観光をしながらキルキュバイヤルクロイストウル(絶対覚えようとしないでしょ?)まで行くのだが、その2つ目の観光地セリャランスフォスは滝の裏を通れると言う場所。とっても気持ち良くて、グリーンランドで出て来た歌の続きをカメラをビデオモードにして録音していた。至福の時である。丁度いい区切りに時計を見ると、うわっ!集合時間を15分過ぎている(実際は10分だが、グリーンランドから戻って時差調整をしていた時に5分早めてしまったようだ)。えっさこら駆けて行くと、なんとバスがない。周りを見渡してもバスらしきものは見えない。完全に置いてきぼりを食った。リュックもラップトップもバスの中。信じられない。この観光地で店を営むオーナーに助けを求めたが、何もできないよと簡単に返される。そうはさせない、助けてもらわなければ、此処でどうしろというの、私の宿泊地は、まっすぐドライブしても3時間先よ。それにこのバスを捕まえなければ私の旅行が全部おじゃんよ。私の勢いに負けてか、彼はこのバスツアー会社に連絡をし、長電話の後、ランチ休憩をするヴィークという場所でバスは私を待ってくれることになった。そこまではジープを手配してくれた。

そのジープ、10分で来るよという、10分が50分になった。再度プッシュすると、少し顔を赤らめながら誰に確認する事もなく20分で来るよと数字が変わった。こうなると彼らのランチタイムも終わってしまう可能性がある。よし、意を決して、止まっている乗用車に当たる事にした。「ヴィークに行きますか」(こういうのもヒッチハイクと言うのだと思う)。初めてのことゆえ、怖さが少しあるが怖さを表してはならんと自分に言い聞かせ、同じ方向に行く人を探した。すると3人めのエストニアから来た4人組みが乗せてくれると言う。まだ来ぬがやがて来るだろうジープに渡すよういくらかのお金を店主に預け、私は彼らの車に乗った。遠く日本からやって来た旅人とエストニアの若者たちが一つの車でヴィークに向かう。人生はなんと楽しく面白いのだろうと話しながら1時間の車内会話が終り、無事集合場所に着いた。いるいるバス・ドライバーが。私の旅に面白さを付け加えてくれた彼に愛着も込めながらMy enemyと言うと、みんなが笑い、私はもとのバスに乗った。

バスに乗ると、横の列にいたカリフォルニアから来たと言う女性がいない。間もなく現れた彼女、なんと3つ目の観光地で私と同じ目に合い今辿り着いたと言う。その上、これまで2時間も乗って来たバスは彼女の目的地に行かないので、今からレイキャビックに戻り、翌日新たにツアー開始だと。「旅はAdventure(冒険)よ」と言って、それほど残念そうな様子もなく、バスを降りて行った。そうね、アイスランドにいる事はいるんだものね。そこで起きた事よ、それも旅の一部よね、と私も考え直した。

で、私はそのまま終点まで行き、ホテルの送迎車を待つ事になっている。が、着いてもそれらしき車がない。訊くと、え~っ、私の降りるべき場所はこの一つ手前、車で1時間走って戻るところだった。ゲゲゲゲ・・・・そこに行くバスは2時間後に来るという。トホホのホ。人のせいにはしたくないが、日本人の几帳面さに慣れている私は、このドライバーがやはりEnemyに見えてくるのだ。日本なら観光客の降りる場所をドライバーが言ってくれると思うのだが、このドライバーは私が渡した引き換え証に乗っている目的地を確認せず、「このバスはXXX行きですね」とその終点の名称を口にした事だけが記憶にあったようだ。事情を知ったバスドライバーは、終点地でうろうろしている私の姿を運転席から少し気の毒そうに見ていた。

さて2時間待つか、それともまたヒッチハイクか。ベンチに腰掛けていると、一台の車が止まり、青年が出て来た。まだエネルギーがあったので行き先を訊ねると同じ方向だった。スウェーデンから来てアイスランドに住んでいると言う。もう一人相棒がいたが、ドイツから来てノルウェイに住み、夏はアイスランドでバイトをしていると言う。かつては日本で2カ月、中国に1年いたらしい。しみじみ国境を越えて気軽に移動しているんだなぁと思う。親切にも彼らはホテルまで送ってくれた。

日本ではありえないツアーバスの置いてきぼりと、2回のヒッチハイク。。おかげで退屈しないバスツアーになった。とほほ・・・(@_@。つづく



1.滝の裏を歩く
2.裏から見ると、滝はレースのカーテンのよう
3.バスが消えた後、ジープを手配してくれたり、バス会社に電話をしてくれた売店のオーナーと別のバスガイド
4.ヴィークまで乗せてくれたエストニアの友人達
5.このツアー以前の火山洞窟と氷河ツアーで、溶岩が流れた後にできた洞窟
6.「地球じゃないみたいね」火星?そんな所を延々と走る
7.”火星”や氷河の上を走るようなジープのタイヤは幅50センチほど。
8.レイキャビック到着2日目のジープツアーのドライバー





その8 アイスランド:温泉 8/6

南から北に向かって山を越え、丘を越えバスは凸凹道を右と左に激しく傾斜し、まるでジムのベルトマシンでウエストの引き締め運動をやっているように客の身体をブルブルさせながら時速15キロで進んで行く(体重少し減ったかな)。今回の旅程は、Mr. Iceland Manというアイスランドには数えきれないほど行っていたと言う人にすべて任せた。日本からの距離を考えると、おそらく2回行く処ではないから、観た方が良いと思うところは全部入れて下さいとお願いした。それでこのバスツアーだが、一体どこへ連れて行かれるやら、行けども行けども同じ景色と凸凹道を5時間も静止運動をさせられながら着いたところは、ランドマンナロイガルと云う、人の手が全く付けられていない、自然温泉。

温泉の湯にぽつぽつと雨が落ちる。とてもとてもきれい。雨が落ちて跳ねた湯が透明な十字架のような形を作って消える。落ちてくる雨の数だけ作って消える。ドームのような丸屋根形を作って、はしゃいでいる湯の粒もある。「きれい!」思わず手にする。消える。

人里離れたところに湧く温泉。周りは見渡す限り丘陵。雨も降って来るし、羊はそばで泣いている。温泉の中には藻もあれば、犬も入ってくる(写真参照)。温泉に浸かる人間たちの間で様々な言語が行き交い、子供に帰ったような笑い声があふれる。幸せ!  つづく



1.草原では羊が平和そうだった
2.このような丘陵を延々とバスは行く
3.途中休憩の場所、何とも憩う
4.北極に近いせいか、雲が低い
5.温泉、やはり皆温泉は好きなようだ、ロシア語が随分聞こえた
6.犬も一緒
7.わたしも!





その9 アイスランド:北へ 8/7

まだ長いバス旅行が続く。これまでと同じようにベルトマシンに乗り、時々下車して観光地を見て回る。

間欠泉、5分~10分間隔、時には数十秒に1度の間隔で蒸気が吹きだす。地熱によるものだと言う。かつては60メートルも高く蒸気が噴き出たらしいが、私が観たのは30メートルくらいだろうか。最初は温泉が吹き出ているのかと思ったが、差にあらず、触るとどちらかと言うと冷たい。だが温泉も湧いている。アイスランドはいたるところで温泉浴が出来るようだ。要するに、旅行会社のパンフレットが説明している「火と氷」である。火山の噴火による溶岩の山、地面が溶けて出来た洞窟、海にまで流れているものもある。それと氷河。面白いのは、ほんの少し離れただけで、立つ場所の温度が全く違う。地熱で温められているところは半袖シャツで過ごせるが、氷河の近くは言わずもがな。山の色も異なり、”熱い”山は緑でも茶でもなくアイボリー色(彼らは黄色と言っている)。

ユーラシア大陸プレートと北米大陸プレートの切れ目(ギャウ)がアイスランドの見どころだが、残念な事にアイスランドで最も好きな景色だったアルマンナギャウ(ユネスコの世界遺産に登録されている)の写真がPC操作のミスで消えてしまった。アイスランドにはこの切れ目が幾つかあるが、このアルマンナギャウは切れ目の間を歩けるほどギャウが大きい。両壁の自然の造形に心が奪われる。とてもとても素敵!

上の温泉を堪能した後、レイキャビック方面に移動しSelfossという街に宿泊した後、北緯65.41度の北の町アークレイまでやって来た。人口18,000人。ここから100キロ北に行けば北極圏に入る。

小さな町だがとてもきれいで、かつてデンマークが占領した面影が街の建物の色と形に残り、灰色が基調の北の町に華やぎを添える。ホテルの部屋に行き、PCケーブルをその前の宿泊先に置き忘れてきてしまったらしい事に気づき、直ぐにフロントでそのホテルに電話してもらった。この応対がものすごく速い。確認しホテルのフロントに電話がかかった来たのはほんの数十分後。ケーブルは見つかり次の宿泊先となるレイキャビックのホテルに郵送してくれる事になった。が、到着予定はアイスランド旅行最終日の前日であり、翌日は早朝4時にホテルをチェックアウトする事になっている。心配。

心配とは裏腹に、レイキャビックに戻りホテルにチェックインをすると、翌日届くはずのケーブルが私より先に届いていた。なんと車で1時間余りを走ってで届けてくれたらしい。まさかの事に、これ、本当に私のケーブルかと疑った。ケーブルには届けてくれたCMO(総支配人)の名刺も付けられていた。

すごいことだと思いません?!
...
アイスランドは現在旅行産業に力を入れている。国家収入の28%が旅行産業から生まれているとツアーガイドが話す。人口は全土でわずか325,000人の国。国の経済発展のため、一丸となっているのかもしれない。日本と同じ、夜一人で歩いても安全な国である。「ヒッチハイクも安全よ」と言われたが、そんな気がする。

中央ヨーロッパをはじめ中国の団体組が大勢アイスランドにやってくる。若者たちはバックパックで、一人旅や二人旅。バスで移動中、途中で乗ってきて途中で降りた南アフリカからの旅行者。一人でキャンピングして45日間をアイスランドの自然の中で過ごすという。本国では大学で物理を教えている。「科学者は人間となかなかうまくやっていけない。だからこのような自然の中で深呼吸する時間が必要なんだ」とか。だが、お風呂はどうするのだろう、バス中で彼が斜め前に座った途端私の嗅覚が途端に穏やかで無くなってしまった。川に行くんだよと言って手で身体を洗うしぐさをする。さすがに「あなた匂います」とは言わなかったが、きっと石鹸を使わないのだろうなぁと想像した。

アイスランドを回り、とても気持ちのいいところだとすごく納得した。人も自然も。 つづく


10
11


1.人口18,000人の北緯65.41度アークレイの町
2.宿泊先のホテルの横には教会に上がる長い階段、素敵な調和
3と4アークレイ市内

5.間欠泉
6.温泉が湧いている
7.溶岩が海にまで出ている。これにより、海には沢山のミネラルがあり、生き物たちのよい栄養源にもありまた新しい生物が生まれているようだ
8.蒸気が出ている
9.洞窟、中は温泉。日本人に丁度良い温度だった
10.溶岩の山、まるでディズニーランドのアドベンチャーランドのようだ
11.プレートの切れ目で、ガイドが先にしたポーズをまねて、私も両大陸征服のポーズを取る、ちょっと弱そう。

   
  その10 アイスランド:最終日 ブルーラグーン 8/8

アイスランド紹介の写真集の中でひときわ目立つのがブルーラグーンだった。最初は自然温泉だと思ったので、是非ここに行こうと浮き浮きしていたが、実は自然温泉ではなく地熱を利用して作られた人工温泉。観光として一応見に行ったが、自然温泉の方が私はずっと好きだ。それにここは海水が70%らしく、しょっぱい。パンフレットを見ると、この地熱海水は電気エネルギーを生み、また真水を温めると言う二つの働きをしているらしい。アイスランドは電気料金が安いと現地の人が言う。

私のアムステルダム経由、アイスランド/グリーンランドの旅はこのブルーラグーンで締めくくられた。所属団体旅行、二人旅行、旅行社企画による初顔合わせグループ旅行などと、旅行には様々なスタイルがあり、それぞれの良さがあるが、今回は日常を連れて行かない一人旅、関係を維持するために気遣う相手もいない、常に外に向かうだけだから実に内容が濃かった。この旅行も私の中に沢山の富を創造したように思う。

デンマーク領である人口55,000人のグリーンランドに入る時、空港からホテル行きのシャトルバスでデンマーク人3人と一緒だった。彼らは9人のイヌイットの子供をデンマークに連れて行くために来たと言う。善意によるボランティア活動の様子をしていた。デンマークに連れて行って、デンマーク語を始め、デンマーク人的な考え方とマナーを教えるのだという。9年ほどの教育をグリーンランドで終えた子供たちは高等教育を受けるためにデンマークに行く選択肢がある。そこで西洋的な生活スタイルを吸収して行く。一方、伝統的なイヌイットの生活を続ける人達の中にはアルコール中毒になる人が多く、それによる人間関係の破壊や自殺、ホームレスが増えていると言う。こんな極寒の国でホームレス・・・シェルターに送られる。「デンマークはグリーンランドに沢山のお金を使っている」この言葉は二人のデンマーク人が口にしていた。おそらく多くのデンマーク人が思っている事なのだろう。

だが、まったく逆の意見をアイスランドのツアーガイドが言う。デンマークはイヌイットの社会を壊している。デンマーク式の生活を導入させる事で、高等教育を受け西洋人化した子供たちは家に帰らず、家族関係が破壊する。アルコールをイヌイットの生活に持ち込んだため、極寒であるからか、彼らは容易にアルコール中毒になってしまった。

先進国家の視点から考えた豊かさの強要が生んだ新しい問題なのかもしれない。十数年前にケニアでマサイ族の原始的な衣服や住居をみて、「彼らは大変貧しいんですね」とガイドに言うと、目を大きく開け「NO!」と強く否定され、こちらがびっくりした事があった。「彼らはものすごくRICHなんだよ、牛を育ててそれを売る、ものすごい収入だよ。彼らの衣服も住居も、あれは彼らの生活スタイルなんだよ。」衝撃的な言葉だった。イヌイットにもそんな事が言えるのかもしれない。

アイスランドはグリーンランドの横に位置するが、まるっきり異なる国で、ここは先進国。元はデンマーク領だったらしいが平和的に独立したらしい。人口も少なく、ミネラルがたっぷりあり、地熱で湯も沸かし、温水は一般家庭までパイプで運ばれる。日本から移り既に12年になると言う関西出身の男性は、求められる仕事の水準が高くないので楽だと言う。資源に恵まれているため、競争社会を作らなくてもいいのだろうか、ストレスの少ない国だと、中央ヨーロッパからの移住者も少なくないようだ。ゆったりしているのだろう。バスツアー中、ロシアから来て自転車で周っているという女の子が、自転車が壊れたから乗せて欲しいと、バスをヒッチハイクした。運転手はバスを止めて事情を聞き、降りて行って彼女の壊れた自転車からタイヤを外し荷物格納室に入れてあげた(日本でこう言う事があり得るだろうか)。その他にも二人組の男女が山中、停留所以外のところでバスを止めたが、同じように乗せてあげていた。お陰で、バスは目的地到着が40分も遅れたが、誰も文句を言う人がいなかった(皆、旅行者だが)。この国は、人間として当然な事をする事がまだ許される社会のようだ。また、靴屋の店員は、たった一人でもアイスランドなら一度友人になれば生涯の友人だから、淋しくないわよ、とも言っていた(同じ事が私たちの社会にも言えたらいいね)。

旅は、特に一人旅は内容が濃い。現地の人達と接する事で得る異なるものの考え方、事情、etcなど活字で読むのとは沁み込み方が違う。現在の自分の常識が覆される。それは何度も旅で体験し、一人旅の魅力は十二分に納得しているが、エネルギーも沢山いる。今の年齢になって出来ると思わなかったが、やるぞと力んでいた訳ではないがあっさりやって来た自分に、帰宅して1週間が経ってみると、感心している。だが貯蔵して置いたエネルギーは使い切った。今は蕁麻疹を直しながら静かに新曲3曲の完成に向けて自宅に閉じこもっている。かなり静かだ。(^v^)

おわり



1.全景
2.入浴者は白いミネラルを顔や体に塗って顔の汚れを落す。





8月のソロライブ 8/11

8月30日定例のソロライブをいつもの場所でいつもの時間に開催します。詳細は、「出演」をご覧ください。

新曲を皆さんに聴いて頂くのが楽しみです。「ああ、あんた恋しや」と「ライバル」。そして、アレンジが間に合ったら、この旅行中に出て来た、大変美しい歌、「世界を君のふるさとに」を歌いたい。グリーンランドの最後の日、防寒靴の紐を結びながらふと出て来た歌。この詞をその後の旅行で英語にして色々な人に聴いてもらうと評判がとても良かった。帰国便で隣り合わせになったフランス人の友人でカラオケを一緒に楽しんだスイス人がレコード会社に勤めていて、歌詞を英訳して伝えるとBeautifulを連発、そしてワン・コーラス歌ったら、大変気に入ってくれたようで、歌詞は英語で書いているのかと訊ねて来た。生憎日本語。残念そう。でもね、今は日本語の歌詞を英語にする職人もいるのよ、と付け加えておいた(^v^)。。。これは何かの記念か、「世界を君のふるさとに」は自作曲の30曲目に当たる。


きっと感動に足る楽曲になっていると思いますので、どうぞいらして下さいませ。これまで誰も書いていない種類の歌です。




いやはや 8/17

「原因は沢山あるが結果は一つだ」

はい、その通りでございます。旅行から帰ってきてまだ体調が完全でない。蕁麻疹はどうにか収まったが、睡眠が細切れ。蕁麻疹に医師からもらった薬が太刀打ちできない勢いで頭の働きを麻痺させ、時差から来る日中の眠気を助長し、私の体はキュ~ン・バタンとベッドに転がり落ちる。毎食後飲むので一日3回この調子が1週間続いた。夜に眠れるわけがない。1時間強眠ると「もう眠りません」と断固主張されているようにサワッと目が覚める。この蕁麻疹も反省したら私が起こした「もったいない」感覚から始まったようだ。

かれこれ25年近く私は玄米を食べている。最近は炊く時に昆布も入れる。どちらも発酵食品。電気釜のスイッチを入れる前に数時間放置してうるかすのだが、旅行から帰宅した当日、この気温の中でうるかす時間が長かった。見るとと泡が少し立っていたが、これまでの経験で、ま、行けるかとスイッチ・オン。炊飯中いつもより匂いがしたが、以前にもこんな事があった、確かに少し匂いがきついが大丈夫だろうと、炊きあがって1膳ほど胃の中に入れてしまった。あれだ・・・一時は真向かいのミャンマーから来たと言う夫婦が作った何とも珍味な麻婆豆腐が原因だと思ったが。

私の健康維持に役立っているものに、黒田光線と云うのがある。こちらとも30年ほどの付き合いで。医者よりも信頼性が高い。両前腕の内側に蕁麻疹らしきものが出てこれがまず何者かを医者に診断してもらい、一応薬はもらうが、言われた病名で黒田光線の説明書から使用すべき光線の種類を選ぶ。これは太陽の可視光線を利用した放射線で、人体の自然治癒力を増大させる働きをする。つまり医者も驚くほど治りが”すごく”速い。薬は症状を緩和するだけで根治させる訳ではなく、体の自然治癒を待つだけだと医者も言うが、人体の持つ治癒力の働きを増大させるこの黒田光線の効能はすごい。

で、この光線に当たっていたら、両腕の蕁麻疹は数日で消えたが、おや、左のかかと付近に赤い斑点が。痛くも痒くもない。これは初めてなのでネットで調べると、あった、あった。なに、なに・・・体の他の部位にブツブツができた後に出来る、云々。なるほど。こちらにも光線治療。2度の照射で目立たなくなった。蕁麻疹の多くは内部的原因で発症するので、光線を当てるところも蕁麻疹が出ている処だけではなく胃やお腹も含まれる。

その蕁麻疹も今ではすっかり収まったが、出るべきものが出なくなった。だが私の中に格言がある:その内否が応でも身体が出してくる。身体はそのように働くのだ。大事が起きたかのように騒ぐことはない。1日1回の排便など、誰が決めた、商業主義に転じた医薬品業界の罠である、と私の尊敬する方が言っていらした。うん、うん、ごもっとも。

蕁麻疹対策に胃やお腹にも光線を当てていると、数日後1週間分が排出された。が、また始まった。同じように1週間放っておいたが、今度は少し吐き気までする。胃もお腹も硬い。海外に旅行している時は便秘がちになるが、今回のアイスランドとグリーンランドは毎朝爽快だった。ルンルン。昔々米国で住み始めた時もあちらの硬水が私の体には具合良かったが、今度のアイスランド、グリーンランドも硬水、ミネラルがたっぷり入っている。驚くのは行ってすぐにその効能が身体に現れると言う事。で、日本に帰国して水が変わった途端に、有無を言わせず封じ込められた。身体再調整中に起きた発酵過多の玄米摂取が身体の完全帰還を遅らせたとは思うが、水と云うのはすごいものだなぁと、感心する。再び医者のところに行って漢方の煎じ薬をもらった(この医者は化学薬品も出すが、煎じ薬も出す)。

便秘に最も安全に効くのがプルーン・エキス。どうせ眠れないのだからと、24時間営業している近くのスーパーに夜明けとともに行ったが置いてなかった。アマゾンでその日の内にお届け無料お試しサービスを利用して購入。煎じ薬、プルーんエキス、タケダ漢方便秘薬を昨日就寝前に身体に入れ、祈りながら眠りに着いた。。。。はい、結構な朝でございました(^v^)。が、この突然変異に胃やお腹がいつになく急激な働きをしたからだろう、筋肉のコリのように固くなっている。で、現在コリを解している。

私は海外旅行をするのが好きなので、それを手伝ってくれる足に時々心を込めて感謝している。本当に色々なところに運んでくれた。感謝しきれない。だが内臓に対しては、ちょっと感謝が足りなかったかな。ヒイキはいかん。感謝を忘れんでおこう。




不手際(雑記)
ソフトの仕組みに無知なのだからいじらない方が良いのだけれど、このホームページの何かを削除したら(何を削除したのか認識がない)、このブログの更新がうまく行かなくなった。手っ取り早い解決方法はブログのURLを変更する事。で、このブログに真っすぐ来られる方は、このURLをコピーして下さいまし。また同じ事が将来起きた場合は、「またやったな」と同じ事をして下さいまし、ね。ありがとうございます。




どうぞ・・・8/19

いつまでも調子悪い身体でいてはダメだと、今日は久々にゴルフに行って来た。ハーフだけを周る早朝ゴルフ。何カ月やっていなかったのだろう、打ち方Know-howの記憶を取り戻すまで時間がかかり、終る頃にやっと力を抜くんだった、と気がついた。7時15分から始めたが、なんと暑いこと。ずっとやっていないと、ゴルフに用意するものも忘れてしまう。水。近くの河川敷の練習場のようなゴルフ場だから、途中に水を売っている処もない。これは熱中症になるのではないかと、5ホール過ぎたあたりからは、早く終わりたいと、残り何ホールかと数え始めた。終って飲んだのは、ポカリスウェット一本と水一本。帰宅しても、まだまだ渇きが癒されていないようだった。こんなに水を体内に入れたのだから、中を綺麗に流してくれるだろうと期待する。

クラブ7本入りゴルフバックをゴルフ場に預けて帰宅の途。電車に乗ると、えっ、あら、どうしよう、でもせっかくだから、ゴルフして疲れているし・・・「どうぞ」優先席で青年から席を譲られた。うそ、うわ、そう見えだしたか。私から見ると彼と私、そんなに変わらないと思うのだけれど(@_@;)。その後駅構内の顔が映るものなら何でも、その前で立ち止まって自分の顔を覗く。あははは・・・



「ためいきでるわ」8/19

身体が大分回復したようだ。昨日自覚した胃やお腹のコリが大分小さくなった。正午には新曲「ためいきでるわ」のアレンジ草稿が送られて来たので、そのカラオケの確認などをしていた。歌はほんの僅かな瞬間に生まれてくるものだと、31曲を作って思う。時には眠っている時、時には無意識に口から先に出てきたり、日中上から降ってきたり、ある経験をそれまで作ったメロディーに載せたり、ほんと、いろいろ。総じて私の場合は、歌作りに時間がかからない。さぁ、書こうとピアノに向かい頭を絞っている訳ではない。だから続けられるのだと思う(^v^)、きっと。

30曲目の歌は、数日前にも紹介したが、「世界を君のふるさとに」。グリーンランド旅行の最終日に靴紐を結んでいる時、思いもよらない歌詞がメロディーと共に出て来た。この歌詞でいいのだろうか、人の反応を見ようと英訳し(日本人には日本語で)、複数の人達に聴いて頂いた。かなり良かった。日本に帰国して仕上げたが、最後のフレーズに私がいつかこの言葉で歌を書きたいと思っていたものが歌詞となった。

最近は作曲クラスに行く頻度もかなり少なくなった。行くのは”安定剤”だね、と西さんに言われていたが、確かにその側面もある。が、もう一つ。私はどちらかと言うとせっかちで横着だ。ばばばっとやってしまいたい。後は誰かに気づいてもらい、その指摘に納得したら、直しに取り掛かる。几帳面だと、おそらく人に相談する事もないのかもしれない。でもこんな事をやっている内に、いずれ、自分一人で完結して行くようになるだろうと思うし、そう期待したい。

この「ためいきでるわ」は、このブログでも書いたが、大学病院の歯科に行った時の事。ネームプレートには「医師」と書いてある”女の子”。風が吹けば飛ぶような人形、こういう子が医者になるご時世か、診察などできるのかと、大変複雑な心境だった。それを歌にしたもの。前回の「ライバル」から続いて30代の若いミュージシャンにアレンジを頼んだ。新曲のアレンジと云うのはミュージシャンとして大変面白くやりがいのあるものらしい。また、アレンジャーを複数抱えて出来る面白さが私の方にもある。

土曜日にはこれまでの新曲6曲をレコーディングし(アレンジが間に合えば)、またM氏に聴いてもらおうと思う。旅行前にレコーディングしてディスクに焼いた20曲を聴いた後、Dメロを入れて曲を作ったらどうかと言う提案を頂いた。その積極的な協力姿勢には、開けかけた窓の向こうから輝かしい陽光が微風と共に部屋の中に入って来た感があった。

私の中に大きな言葉がある:道が開いたり、ふさがったりした時、それは人間がしているんじゃないんですよ。一見人間がしているように見えるけれど、神様がこの道を進みなさいと、またはそっちじゃありませんよと言って下さっているんですよ。流れるままに。

   
  旅 あらためて 8/20

年に一回は日本を出て、まだ見ていない国に行く。これは私には欠かせない精神の滋養になっていると思う。2012年に決行したフィレンツェとミラノへの一人旅が、ひとつの別れに長い間囚われていた私の精神的な回復を示唆し、もう完全に解放され自由になったのだと気付かせてくれた。旅はいつでも私を大きく育てて来た。旅で巡り合う人達との交流、これは宝石だ。英語ができる、そして初対面の人に物おじせず話ができる、この二つが私の旅をおもしろくしているのだと思う。初めての海外旅行は24歳の時、オーストラリアに住むイギリス人に招待されてタズマニアまで行った時だが、余りに退屈でタズマニア滞在を切り上げ一人旅を始めた。ニュージーランドとニューカルドニア。その時はたまたま一人旅になった訳だが、してしまったものだから、その後も一人旅がいくらでもできるようになった。米国留学中、ニューヨーク発ソ連行きグループツアーに参加したが、お決まりの旅程に参加せず一人で行動した。それがずっと面白く、忘れられない様々なハプニングを生んだ。誰かと一緒だと、相手の意見や好みも考慮しなくてはならないが、一人だと行きたいところにそのまま行けるし、現地の人達も気楽に話しかけて来る。その先はエピソードの宝庫。

24歳の初めての海外旅行に味をしめてか、これまで様々なところを旅したが、今回のアイスランドとグリーンランド、特にグリーンランドの壮大な景色は、他ではその類似さえ決して見る事は出来ないだろうと思う。それを見る事ができた特典、何にも代えがたい。発つ前にこの二つの国に行った人が、「なにも無いですよ」と言っていたので、ではどれ程何も無いのか見て来ましょうと行って来たが、とんでもない、素晴らしく壮大な景色がある。

実は今日、ある旅行会社が企画し、一時は私自身もそのツアーに便乗しようかと思っていたJALのチャーター便によるアイスランド/グリーンランド9日間のツアーの内容を再度確認した。彼の地に行った者には、内容がよく読める。何とまあ、チャッチイ内容であるか。せっかく北極圏まで行くのに、僅か2泊3日のグリーンランド、まるまる観光ができるのはたった一日だけ。あの神々しいプラチナ色の景色を見る事ができない。沈まない太陽もない。なんとももったいない。アイスランドでさえ、丸3日間だけ。バスに延々と揺られて着いた山中の自然温泉、北の町アークレイの美しさも観ない。これだから何も無いですよになるのかも。

今回の旅行先に関しては、2度行く事はないだろうと、お勧め個所は全部入れてくれるよう旅行会社に頼んだ。KLMのマイレッジを使いアムステルダムまでは無料で行ったにもかかわらず、私の旅費は上の旅行会社のツアー料金より高くなってしまった。一時はそれはおかしいんじゃないの、と思ったが、このまま流れた方が良いような気がして、旅行会社が私用にに作ってくれた旅程を受け入れた(少し割り引いてもらった)。グリーンランドでのツアーは、日本で決めず、現地に行って相談する事にした。これが実に良かった。日本の旅行会社にないツアーがある。グリーンランドはすべての物価が高い、ツアー料金も実に高い。節約しようと言う思いも一瞬湧いたが、せっかく遥か北極圏まで来たのだから、満喫して行こうと、現地旅行会社が勧めるツアーにほとんど全部参加した。そうしたがために遭遇した景色。私の中に永遠のプレゼントとして残るだろう。それがために新曲「世界を君のふるさとに」が生まれた。

お金はこう云うところに使うもの、感動を買う。感動は自分の中に豊かな富を創る。個人旅行で本当に良かった、としみじみと思う。旅にお金の出し惜しみをしない、そのような考えになったようだ。だが、勘で大したことないと思うものは切り捨てる。今回も飛行機に乗って氷河を見て回ると言う大変高価なツアーがあったが、ブラジルのイグアスの滝での体験から、取らなかった。後で参加者に訊くと、やはり、それほど大した景観ではなかったようで、沖に出て観た白夜の太陽の方が印象的だったと話していた。遠くから観るのは写真を見るのとあまり変わらないと思う。

日本の夏のべたべたした熱気の中にいると、意外な事を考え出した。夏の間はアイスランドで、時々日本語のツアーガイドでバイトをしながら、歌作りをして過ごす。人があまりいない、安全である、食事が美味しい、空気がきれい、友人ができそう、物乞いがいない、美しい国である・・・いいね。





ぎゃふん 8/23

「若いのなら将来があるけれどな、だれもあんたの歌を聴かないって」。こう言う言葉を頂いたら、なんて言ったら良いのだろう。それだけ心通わせ始めたから率直に本音を言えたのだろうと思うし、そのような関係になったのは嬉しい事だが、年齢のいった者には将来がないという考え方、そう言う考え方が一般的なのかもしれないが、私からみると、博物館に所蔵したいような言葉だ。「あ、私が歌うんじゃないの、誰かに歌ってもらうの」と精一杯自分を支えると、「あ、それなら大丈夫だ」・・・喜んだらいいのか、複雑だった。

先の事はなるようになるだろう。ただ、私がこうなったらいいなぁと思う姿がある。1曲「今のわたし宝石です」は私が出て歌う。他にこの歌を歌って説得力のある人はいないような気がする。既に出来上がった歌手が歌っても、「あなたずっと宝石だったじゃない、今さら何を言っているの」になり得る。無名の人が突如出てきてこの歌を歌えば、きっと衝撃的な出だしになるんじゃないかと、おめでたい私は思っている。その後は、他の方々に自作曲を提供して行く。そのほうが所属事務所やプロダクションの金作のために色々使われてあちらこちらで歌わされる事もなく、ライブやコンサートは今後とも自分でプロデュースできる。そうする事で、創作活動をマイペースで続けて行けると思う。しずこと言う人は、どちらかと云うと家にこもって創作活動をしている方が好きなようだし。

しかし、私の自作曲にそれなりの価値を認めてくれた事はうれしい。今日もレコーディングをして来た。時間が足りなくてミキシングが終わっていないため人に聴かせられる段階ではないが、「世界を君のふるさとに」がダントツに良かった。わたしの声は人に温もりを与えるような優しく大きな歌が合うようだ。いつも率直な意見をくれるミキシング・エンジニアの内村君(28歳)も「良いですねぇ」と。ほんと、実にいい。旅行中も最新の楽曲を聴いてもらった人達は、たまたま30代の青年たちだったが、お世辞とは考えにくいコメントをくれた。わたしの歌は聴く人の対象年代が歌によって変わるように思う。そう言う意味からも、おそらく楽曲提供の形を取った方が良いのかもしれない。

今の世の中、何が受けるか分からない。いや、きっと過去においても、良いものは年齢に関係なく社会は受け入れたのだと思う。ただ人間が勝手に作ったNGがあるに過ぎない。ただ神様にお任せしよう。





だからこそ 8/26

年齢がいった者には"将来"がない。これが大方の考え方なら、なおのこと、これを破壊する核のようなものが必要なのだろうなぁ。こう言う人生もあるのか、じゃ、自分ももっと頑張ってみようと言うエネルギーを引き出す核みたいなものが。歳が行っても目を輝かす人、そんな人がもっと現れる社会は、実に豊かだろうね。

将来があると言う事はどういう事なのだろう。若い世代はこれからいろいろな事が人生で展開して行く、その展開の仕方は、本人自身が自分が何を求めているのか、何をしなければいけないのか、または何をすべきか定かでない場合もあるから、目の前で起きる事に頻繁に翻弄され、時には自分を見失い、自分の人生を自分で指揮できなくなる。

-結婚式には心が落ち着かない、将来があるから心配だ。しかし葬式には将来がないから心配する事もないーと言ったのが谷川俊太郎。

年配者の将来に心配する人はあまりいないだろう。様々な人生経験を経て、おそらく今後起こりうる色々な事に結構泰然とし、何に無関心でいるか、何を切るか、何に鉄の意志を持つか、分かってきていると思う。それまでに至らせたすべてのものに感謝しつつ、それを後進に伝えて行く将来がある、と私は思う。良い人生を歩む、いい社会を作る、それらは全て個人の心のあり方から生まれる。社会は、どんな個人が集まっているかでその特徴が出る。もちろん社会も個人に影響を及ぼすが。

ホント、私はそう思っているんだ。今だからこそ書けるものがあるし歌えるものがある。(●^o^●)





シンプルライフ 8/26

上に書いた事と関連するが、私もようやくシンプルライフを生きる事ができるようになった。心の中を複雑にしていると人生は決して本来の望み通りには行かないようだ。なぜ複雑になるか、大体は、横と比べて焦燥感や妄想やありとあらゆる人間感情を内部で作り、それを自分でも潔いとは思わないから人に見られまいと言い訳やら虚栄やらを積み重ね実に忙しく繕うからだと思う。濃度の違いはあるが、かつての私自身を含め(まだ少し残っているかな)、多くの人がその段階を通って来るように思う。 

人間は妄想するから、他者とぶつかり問題が生じる。想像力を与えられているのは人間だけだから、問題が生じるとも言えるし、また、その想像力故に問題が生じて当たり前なのだと思う。常にいい事ばかり想像していれば、きっと問題は生じないのだろうね。でも大かたはそうは行かないから、問題が起こる。だから問題は起きていいのだと思う。大切なのは、問題が生じた時の対応のしかたではないだろうか。その対応の仕方で、それまで特別なものを感じなかった相手に「!」と魅力を感じ始める事がある。問題にどう対応するか、解決策は案外近くにあるとこの数年の間に私も気付いた。まず自分に素直になる事。自分の心の奥底にある自分自身の真の要望に素直に耳を傾ける。その要望を成就させてあがようと思えば、浮上した問題をどのように運びたいのか見えてくる。問題も自分だけが問題だと見ていて、実は問題ではないのかもしれない。自分の虚栄心やら自尊心が傷ついたというような些細な自分の我意ではなく、自分の心の底で伝えて来る言葉に一点集中すれば、問題と思っているものは自ずと消えて行くようだ。

だから、要らない事は考えない。そんなシンプルライフを私も徐々に送るようになってきた。

と言いながら、今週の土曜日のソロライブ、「主人と一緒に行きます」「行けるよう調整しているところです」「是非行きます」等と言っていた人達が”お詫び”を言って来る。さすが3組目が出た時は、気がすぼみ始めた。いい事言っておいて、私もまだまだじゃない、などと自分に言っている。でもほっとするのは、直ぐ回復する自分の今のメンタリティー、「ああ、いいんだ、続ける事に”なっている”なら、続く」。すると心が軽くなり、ライブ準備を始めたり仕事に戻ったりする。色々な事が起きても、その周りの出来事に動揺せず、今すべきことにベストを尽くす。それが結局はこれから起こりうるかもしれない将来の結果をいいものにするだろう。

シンプルライフ ― 誰かが言っていて素通りした言葉だったが、こんな生き方がようやく地に着いた今、この言葉の意味も分かって来たように思う。色々な事が起きて良い、色々な人がいて良い、色々な人がいて色々な事が起きるからダイナミズムが生まれ退屈しなくなる。自分にとって都合のよい事ばかり起きていたのでは、面白くないのかもしれない。都合のよい事に感謝する心も湧かなくなるだろうし、誰が真の友人かも分からないだろうし、何よりも、自分自身を掴めないと思う。


こんな考え方を持たせてくれたすべての事に感謝したい。





ようやく 8/29

こんなに時間がかかるものなのね。7月31日に旅行から帰宅した当日口にしたものが原因で(おそらく)、ずっと身体の調子が良いとは言えず、かつ睡眠もコマ切れだったが、やっと平常に戻った。化学薬品は体内に取り込まず、気がついた時に黒田光線を胃やお腹に当てていたが、平常に戻るまで、約1カ月もかかったんだぁと、ちょっと感心している。

昨日の木曜日は朝9時からレコーディングを再開。先週の土曜日にレコーディングした「ライバル」を再録音してみたが、まだおかしい。何がおかしいのだろうと、今朝から音を変えてみたり、全体的に半音落してみたりと色々やってみたが、どうも私の歌い方に原因があるようだ。この歌が競争の歌だし、男同士の歌だから、男っぽく太い声と強い声で歌おうとしていた事に問題があったようだ。軽く歌うと高い音もきちんと出る。また、「世界を君のふるさとに」のサビのメロディーを少し変えてスパイスを効かせ、数人に聴いてもらった。レコーディング室でミキシング・エンジニアの内村君のニコニコとした声がヘッドフォンから聞こえる、「僕はこっちの方が好きです」と新バージョンを取る。それで同じ事を言わせようと(笑)、スダッチに送ると、「すみません、どちらもあまり変わりません。アレンジが変わっていないのでメロディーが変わっても同じように聞こえます。詞も曲もいいので、ストリングスなども交えながら盛り上げたらかなり雰囲気が変わって面白いんじゃないかなと感じました。」

反応は本当に参考になる。レコーディングをする時に側にいるのは内村君だけで、彼が結構主張してくれるのが、またいい。「ああ、あんた恋しや」では、Aメロは全くのアカペラで行こうかと、その部分だけカラオケを完全に消して欲しいと言うと、彼が断固反対した。「いや、ピアノは残した方が良いです。僕、この歌のAメロの出だしが好きなんです。歌とピアノがすごくいい感じで溶け込んでいるんですよね。」なるほど。直ぐに彼の意見を採用、前奏だけをカットする事にした。沢山歌を聴いている内村君やスダッチのコメントはそれぞれの異なる感性で何かをいつも教えてくれる。

で、「ライバル」は再度レコーディングのやり直し。「ああ、あんた恋しや」のミキシングも終っていないので、これに、間に合えば、「ためいきでるわ」を一緒に収録できるればいいけれど。新曲を書いてアレンジに行き、その後のレコーディング、今の私の繁忙期である(笑)。

明日はライブの日。どの位の人が来てくれるのかなぁ、さっぱり分からないけれど、それを心配するより、良いステージをお届する事に気を向けよう。
   
  楽しいライブだった 8/31

大学OB会の先輩たちでまるで満席になった雰囲気のライブだった。皆さん身内のせいか和気藹々、そこにYOUTUBEに掲載している「しずこ 一本の鉛筆」を聴いて、今回初めて来られたと言う慶応卒業生の一人が加わった。

グリーンランドとアイスランドの話、そして昔訪れたケニアの旅話を盛り込みながら進めたが、この旅の土産話が大変面白かったと話されていた方々がいた。残念だったのは私の早口だそうだ(@_@;)。久しぶりに来られて歌の上達を話して下さる先輩もいたり、自作曲の「ああ、あんた恋しや」を気に入られ、これを誰かに歌わせたらいいと、そのルートを考えて下さる先輩もいたり、感謝、感謝。

新曲は直ぐに披露したいと言うせっかちさ、心配していた「ライバル」はそれほどミスなく歌えたようだ。それにしてもライブでピアノに合わせて歌う場合とデジタル録音したピアノカラオケをバックに歌う時とは音の高さが違う。Hzが違うせいだろうか。ライブのピアノ音はやや低いように感じる。家で高めで練習しているから、「あれ、こんなに歌いやすいの」と、これなら最後まで安心できると楽になった(アハ)。今回はジャズを1曲 Cry Me a Riverを取り入れたが、まさかこの曲を聴けるとは思わなかったと、喜んで下さる方もいた(フフ、嬉しい)。こう言う歌を私も書けたらいいのだけれどなぁ。

終ってからは、リーダー格の先輩の一声で慶応卒業生も混じって”寿司くいねぇ”。何と言う幸せだろう、心から感謝申し上げます。

レコーディングを重ねると、自分自身でも歌の進歩が良く分かる。現在進行中のレコーディングの成果が出ているのだと思う。こう言う事をやらせて頂ける事、再度心からお礼を申し上げます。

来て下さってありがとうございました。






さあ、始まる 9/1

まるで今日から秋ですと言わんばかりの天気。久々の大ぶりの雨。2日前はライブだったが、今日の雨が今日であってくれて感謝。ライブの日が近づくと1週間前から天気予報を気にする。これまでいつも恵まれていた。午後まで降っていた雨も、来場者が家を出る頃には止んだ。私の歌の道への突然転向は神様のご要望だから、ライブ日はいい天気になるはずだと信じていた。こんな事を言う人って、びっくりするでしょう?これに近い事を言うと、

ご自分に自信を持たれるのは良いことですが、過信したり、自惚れてしまっては進歩の妨げになりますので、あえて、伝えさせて頂きます。よろしくお願い申し上げます。と数日前M氏(ディレクター)からメールがあった。ドッキ~ん、としたが、笑った。何かやっと心を通わし始めた感があった。

私は彼に謝罪しなければいけない事がいくつかある。振り返ると私が彼の心を乱してしまっていたように思う。分かるまで時間がかかったが、それでも側にいようとしてくれていた彼に私の心が熱くなった。色々な事の原因が私にあった事が分かり、彼の誠意に触れた時、私は彼とやって行こうと決めた。忌憚のない意見を交わし、いいものを必ず作って行こうと思う。不思議だ、振りかえると、色々な出来事は彼とチームを作って行く方向に歩くよう手助けをしていたようだ。

Mさん、この不束者をどうぞよろしくお願いいたします。






「太陽は照り雲は流れる」 9/3


「ライバル」の再レコーディングと「ああ、あんた恋しや」のミキシングを終わらせようと、レコーディングスタジオを予約したが、「ためいきでるわ」のアレンジも出来上がって来るようなので、それも一緒にと、レコーディング日を別の日にしようとした。が、嬉しい事にもう一曲出て来た。だがどこかで区切りをつけなければ、延々と先延ばしになってしまうかもしれない。嬉しい事ではあるが。。。

昨日ざっと書いてみた歌は、「太陽は照り雲は流れる」。ちょっと仰々しいタイトル(あは)。

8月30日のライブに久々にシャンソンの「ボン・ボヤージュ」を歌ったら、その中の歌詞「あなた無しでも太陽は照るものを」が頭の隅に引っかかって、今度は失恋に悔しがる女に語りかける歌を書いた。「ボン・ボヤージュ」とは違い、乗りのよい曲に仕上がったと思う。

もういいじゃない それだけ
あのひと 憎んでいたなら
ぜったい 許さないと
顔 ひきつらせても

あのひと もどる訳でも
きずつく 訳でもないじゃない

しあわせに なろうよ
ねえ、ねえ、ほら ごらん
太陽は 照って
雲は 流れるよ


Mディレクターから曲作りに関する指摘があってから、私も意識的に印象に残るメロディー作りをこころがけ始めたみたい。おっくうがらずに、出て来そうな歌は直ぐに排出する習慣を身に付けてみようと思う。

増えて行く自作曲を数えるのが楽しい。昨年アレンジ完成までに至った曲は11曲だが(詞と曲ができたのは12曲)、今年も9月の現時点で11曲。ふ~ん、歌作りって、こんな感じになるんだぁと、他のシンガーソングライターのディスコグラフィーを覗いた(お~、五分五分だ。うっひっひ~、いい感じ!))。次はどんな歌が出てくるのか本人の私も全く分からないが、何が降って来るのか、何を書かせて頂けるのか。楽しみだ。


   
  それでも続けられている不思議 9/4

立ち止まって振り返ると不思議な事は沢山あるが、今のソロライブを初めて間もなく満3年、よく続けている、そしてよく続けさせて頂いている事が不思議だ。何年前のブログにも書いたが、このソロライブを始める前は、年に一度の私のビックイベントとして、リサイタルを大きめの会場で開いていた。それは他からの勧めで2008年に始めたリサイタルがきっかけだったが、それまでは、一人のステージなど考えられなかった。双子のように仲の良い夫婦は常に二人だけの世界を創っていた。一体だれが私の歌など聴きに来るのだろう、一生懸命数えても25人くらいだろう。だが、そんな仲の良い夫婦にも別れが訪れ、淋しさから様々な会に出始めた私を待っていたのが、リサイタルの開催とCD作りだった。リサイタルの提案をしてくれた先輩の応援で、チケットは完売、ほとんど満席になった。会場は池之端QUI。翌年、前年応援して下さった先輩は病に倒れ私のリサイタルに顔を出す事は無くなったが、会場は足の踏み場もないほど人が溢れた。決して私の歌の力ではないが、分からないけれども集まってくれた。その後会場を変えながら2011年には夢のSTB139に出演。

このようなビックイベントがあっても、月一で歌っていた新宿QUIの私の出演日に来場者が特別増える訳ではなかった。一時増えるが、大体来なくなる。「他の人の歌も聴かなければいけないでしょ」「お客さんも沢山歌うでしょう」等が大きな理由のようだった。1年に一回ならエネルギーも出てきて個人的に声をかけるし、受ける方も1年に一回ならと来て頂けるが、正直言って毎月誰かに来て頂くために、働きかけねばならないと言う事は、苦痛に近いものがあった。店としては当然不満である。あんなに大きな会場でリサイタルをやり客を集めておきながら、自分の店には客を連れて来ないのだから。

2011年のSTB139でのリサイタルが終わり、これまでと同じ事をしたくないと新宿QUIから池之端QUIに移った。ステージも広いし雰囲気も実にいい。来場者が歌う事もないし、レベルの高い歌手が多い。ところが、マスターから提案されたのは、複数の歌手と一緒になる月一のステージではなく、2,3カ月毎のソロ・ライブだった。周りの数人に相談すると、全員賛成したが、私としては、ソロでやるのは年に一回、それが3カ月毎に一人で集客をするなんて負担が大きく、直ぐに返事が出来なかった。が、家に帰ると耳の裏側で囁かれた、「神様の声は人を介して来る。」

どうなるか全く分からないが、上の言葉だけを信じてソロライブを始めた。ソロだから歌いたい歌を歌えるからだろうか、突然歌を沢山書きだした。これまでの年に一回の大イベントは自分がプロデュースせずに他がプロデュースする形で行われた。2012年は札幌、2013年は岐阜、そして同年の池之端QUIでのコンサート。池之端QUIでのコンサートには、初めてここでリサイタルをした時と同じ人数が集まってくれた。

ソロライブの時には来場者が5人と云う日もあり、その中にはSTB139の時の賑わいを知っている人がいて、客席に座っている彼の眉間に終始しわがよっていた。それを目にしながらステージを進めて行く私は、心を落ち着かせるよう自分に鞭打ちながらマイクを持った。役者の数が客の数より多かったと言う話をよく聞いたし、私自身、客があまりいない会場で、いいステージを見た満足感とお得感を経験している。とにかく自分のステージを創ろうと、そちらに一点集中した。ピアニストの西さんは、御自分もそう言う体験が幾度とあるから、演奏中は場を盛り上げようと気を使って下さったり、終ってからは、「無事にいったね」とささやいた。そして、眉間を寄せていた人は帰り際、「良かったよ」と微笑んだ。

その後も7人、9人となったが、私の心はすごく落ち着いていた。人数の問題じゃない。様々な点で私の内容がしっかりしていればいい。上で話した来場者5人が私の精神力を高める肥やしになった。それで閉店なら閉店でもいい、それも与えられる道なのだろうから。だが、何か大きな力に支えられているような気がした。そもそも私が歌の道に本格的に入るようになったのは私の意志ではない。その大きな力に誘われ、それに素直について来たのだから、その力が必ず何とかしてくれるだろうと言う信仰みたいなものがあった。

現実的に足を運んで下さったのは大学OB会の先輩たちだった。毎回来て下さる方々もいらした。「うまくなったよ」と大きな声で言って下さる時は、え、今まで歌が好きで来てくれていたんじゃないんだぁと、ありがたさと落胆が混じった(笑)。頑張っているから行ってやろう、こんな御縁を頂く幸せ。そして、昔教鞭を取った英語塾での同僚や島根からわざわざ私のライブに合わせて上京してくれる友人、そして大学の友人達。よく通ってくれる彼らが退屈しないよう、出し物を変えたりトークを考えたり、この3年間で私は大きく育てられたと思う。そしてこの店のマスター。いつ私の店じまいを宣告して来るかと思っていたが、さすが客数一桁が続いた時には黙って後ろの席で歌を聴いていた。終演後、集客のコツのようなものを教えてくれる。この店で8年間歌っていた秋元順子がどういう事をしたか等。少しづつは実践しているが、すっと足が出ない(こう言うのを英語で Cold Feetと言うが、なるほど足に血が通っていなければ前に出ないものね)。創作活動に使う時間と同量の時間を集客に使っていると同業者が言う。。。足の土踏まずから血が流れ出て行くようで、貧血、めまいが起きそうだった。

歌の道に行くなど考えた事も希望した事もない私が頂いたこのような御縁、危ない綱渡りをしているようでもあるが、こんな私がステージを続けさせていただいる不思議を思う。ただ、感謝しかない。いつか絶対倍返しするぞ、と思う!





笑い呆けて 9/5

なんとも愉快なやりとり。

昔、大学受験勉強をしながらよくラジオを聴いていたが、今は聴く機会が殆ど無い。ラジカセがあるが、置いてある場所ではアンテナ受信が良くなく、数度トライした後に奥にしまったままにしてある。ラジオは何と言っても人の話がおもしろい。沢山のエピソードや人生話が聞ける。そんな話が大好きな私は、テレビのBS民放チャンネルの対談番組をよくみる(政治討論はうるさい!笑)。定期的に録画して聴いているものもある。聴いたものが歌作りにつながる事もあったりしたから、より積極的に聴くようになった。

ここ数日間聴いているのが、2012年に放送された吉田拓郎がパーソナリティーを勤めるホールナイトニッポン。Youtubeで聞ける。Alfeeのメンバーの浜崎幸之助が”受け役”を務め、時々ゲストを迎える。井上陽水がゲストの時、”陽水が嫌いな拓郎の歌”と題するセッションがあった。本人を目の前にして言うのもと思われるが、こんな事をするのって日本くらいかなぁと思いながら、そのあけっぴろげなトークを大変楽しんだ。この人達、実に面白い。

「陽水は俺の歌は嫌いでしょ?」
「う~ん」
「分かった、俺のヒットした歌は全部嫌いなんだ」
「いや、嫌いな歌なんて無いんであって」
「じゃ、XXXは?」
「嫌いじゃないけれど」
「俺の歌知らないんじゃないの?」
「好きじゃないだけ」
「どの歌が好きじゃないの。あ、『馬』だろう?」
(是非、下の歌詞を読んで)



作詞作曲:吉田拓郎

馬が走ってく 馬が走ってく
でっかい鼻の穴おっぴろげて 馬が走ってく
馬が笑ってる 馬が笑ってる
でっかい口おっぴろげて 馬が笑ってる
馬が飛んでゆく 馬が飛んでゆく
両手両足おっぴげて 馬が飛んでゆく
~~~~

陽水一緒に少し歌う。
「嫌いじゃないけど、どうなのかと思って」
「分かった、『人間なんて』だろう?」
「ピンポ~ン」


~~~~
人間なんて
作詞作曲:吉田拓郎

人間なんて ラララララララ・・・
人間なんて ラララララララ・・・

何かが欲しいおいら
それが何だか分からない
だけど何かが足りないよ
今の自分もおかしいよ
空に浮かぶ雲は
いつかどこかへ飛んでゆく
そこに何かがあるんだろうか
それは誰にも分からない

人間なんて ラララララララ・・・
人間なんて ラララララララ・・・

(この歌はこれで全部)
~~~~~

この二つの歌詞に付いた”曲”もすごい。これ、曲?とも言いたくなるような。爆笑した。こう言う歌を歌として公表する拓郎もおもしろいが、陽水の軽妙なユーモアが交って、この”歌”とおしゃべりを更に愉快なものにしている。

きっと今も面白いアーティストが出ているのかもしれないけれど、個性的で実に面白い人達がこの時代に出ていたのだなぁと思う。....(●^o^●)。





歌づくり 9/7

歌詞とメロディーが90%くらいできると、せっかちな私は直ぐにアレンジャーに送ってしまう。歌詞なども、おおざっぱな歌詞を入れて置いて、アレンジもカラオケも頂いた後に、「あそこの歌詞で、私が本当に言いたい事は・・・・」などと考え始める。ある程度入れたい歌詞が分かって来ると、出来上がっているアレンジとメロディーに文字数を合わせなければいけないから、まるでクイズみたいに升目にはめ込んで行くという形を取る。頭をひねりまくって、やっと「これだ!」と辿り着く時がある。爽快だけれど・・・、(●^o^●)要するに、詞先と曲先のどちらもやっている訳です(器用だね、この人。自分の楽曲だからできるんですわ)。時にはアレンジができた後で、メロディーさえ変えてしまう事がある。もちろん、同じコード内に収まるメロディー。

構成やらがあいまいなままでアレンジャーに回すと、大変ご迷惑となる。直しの連続。上で書いた吉田拓郎のオールナイトニッポンをずっと聴いていたら、拓郎もどんどん処理を終えたいタイプのようだ。書き出したら直ぐにレコーディング。中島みゆきなどは、ずっとストックしておくらしい。ストックして置いたものから、アルバムに入れるものを選ぶという。

この辺でわたしも、一度アレンジが出来上がったものには直しの要らない楽曲作りを始めなければと思うようになった。楽曲完成までのプロセスを変えてみようと思う。周りに迷惑がかからないように、時間をかけて、歌詞やメロディーの手直しを十分にした後にアレンジに回すようにしよう。 32曲目の「太陽は照り雲は流れる」を、もう少し深みのある歌詞を付けくわえながら、重くならないよう、今までの歌作りに比べて、何度も推敲した。ようやく出来上がりそう。だが、まだアレンジャーには出さず、もう少しいろいろな人に聴いて頂こう。

でも、こんな過程を通して、学習した事は山ほどある。すべて肥やしになっているみたい。
   
  勝てない相手はいない 9/10

「勝てない相手はいない」そう話したと云う2014年テニス全米オープンで決勝戦まで進んだ錦織圭。準決勝戦が終わった時の彼の姿にはそんな感じが漂った。きっと事実そうだったのだと思う。決勝戦でストレート負けした姿には、負けを技術上の事だと決して思っていない、力量上の事だとは絶対思っていない、僕はどうしたんだろうと放心したようだった。

スポーツでの勝ち負け、それは試合前、競技場に現れた時、メディアのカメラに晒された時に既に見えていると思う事がよくある。精神的なゆとりや動揺は決して隠せないようだ。コートに現れた相手選手、クロアチアのチリッチのゆとり、そこにはもう勝者の空気が漂っていた。錦織君の最後のスピーチはとても良かった。負けた悔しさ、サポータの期待に答えられなかった無念さ、自分の力を絶対疑っていない自信、努めてええカッコしていない。もっと底なしに肯定的に明るくなったら、勝てるのかもしれない。

私がテニスを見始めたのは、グランドスラムで14回も優勝した天才的なプレヤー、米国のピート・サンプラス(Pete Sampras)の選手生命が終りに近づいている時だった。彼の全盛期はビデオを借りて観たが、とにかくスリリング。長いラリーを続け相手のミスが出るのを待つ粘着的な"負けない”テニスではなく、あっという間にボレーに転じ、距離的に相手が追いつけない、相手のコートのネット近くにボールをドロップ、積極的に”勝ちに行く”テニスだった。観客はこれに興奮した。その後も様々な素晴らしい成績を上げた選手が出て来たが、面白さや興奮と云う点ではピートを出なかった。ピートの最後の試合は、全米オープンだったと思う。疲れがもろに身体に出て辛そうだった。身体が前に進まない。客席から、Come on, Peteと激励されるが、おそらく彼の耳には聞こえていなかっただろう。

個人技のテニス。そのプレッシャーたるや、試合が近づくと悪夢で夜も眠れなかったと、オーストラリアの選手が言うのをテレビで聞いた事がある。

錦織君、また、来年!






強さってな~に 9/10

そうか、強さって、周りがどう変化しても、常に明るくものを考え実行に移すと言う事なんだ!否定的になってしまう人は、周りのせいでは無く自分が否定的に考えてしまう癖があると言う事なんだよね。だから全てにおいて自分の我意を克服したものが強いんだね。おお~っ!





キッチン・ワゴン 9/12

9000円と140,000円。

以前の住まいでインテリアや家の内装に大変気を回していた時、イタリア人デザイナーによるGastone(ガストーネ)という折り畳み式で奥行きも広く、キャスターの大きいキッチンワゴンを購入した。今のマンションに引っ越しても一人用の食卓としてずっと使っていたが、折り畳んだまま2回ほど誤って床に倒してしまったら、完全に開かなくなった。

代わりをネットで探すと、9000円弱で売っている。材質が記載されていても、見なければ分からない。もう少し上質のものをと、近くのデパートの家具売り場に行くと、Gastoneがまだ販売されている事をカタログで知った。しかし値段が10万を上回る。こんな高いものだったのかと、今頃気が付いた。しかし同じものを買うのも面白くないので、他のものを見ると14万円強。

気に入ったものだけを身の周りに置くスタイルを通しているが、この14万円のもの、デザイン性はあるがそれほど気に入っているかと言えばそうでもない(まだ実物を見ていないからそう言うのかもしれないが)。それで、一旦は粗大ゴミ専用置き場に置いたGastoneを、直せるかもしれないという希望がメーカーからの電話に僅か生まれたので、再度見に行ったが、使用年数10年以上のワゴンは、その折り畳み機能を持たせるメタルにところどころ錆びが見え、全体的に随分使われましたという風情をしている。もうこれは捨てよう、その新デザインのものを見に行こうと思っている内、購入キャンセルした筈の9000円のワゴンが到着した。

えい、と思い切って段ボールから取り出すと、それほど見劣りしない。もう倒れないように、冷蔵庫の横に限界ぎりぎりの隙間を作ってやるとピッタリと収まった。思わず、ニタと笑って、Welcomeと言ってしまった。

キッチン・ワゴン、小さな家具にも過去の思い出が染みついている。こうして一つ一つ過去から持って来たものが壊れたり捨てて行く行為の中に、過去から一層解放されて行く自分を想う。モノにはそんな力がある。

9000円と14万円の差。今日は芝居を観に行ったが、劇場内で買う飲み物と軽食は高価で控える事が多いのに、贅沢をした(あは)。






芸術 よもやま話  9/15

どういう人が画家なの。四六時中一日20時間絵を描いている人。ー 村上龍の小説を読んでいたら。そんなくだりがあった。なるほど。

どんな人が歌手なの。四六時中歌っている人。ー とは行かないだろうね。喉はそんなに長時間使えない、きっと。要するに、画家や歌手は飽くまで”職業”だと言う事なのかもしれない。

ここ何か月前に読んだ誰かの本に辛口の米国人演出家だったか何かが言った事を紹介していた。役者に演技教育なんてばかばかしい。持って生まれた才能以外何も無い。このフレーズは昔もよく聞いたし、いたるところで読んだ。

いつかひと旗あげようとずっと頑張っている俳優もいるが、かなり久しぶりに応援がてら観に行くと、昔と変わらず"定番"を演じている。今ではもう逢えない砂田信平さんへの哀悼もあって、先週の金曜日、彼の事務所のたった一人の所属アーティストが出演しているブレヒトの「三文オペラ」を新国立劇場に観に行った。砂田さんが亡くなり新しいマネージャは見つかったのかなぁと気にしながら観ていた。娼婦の役だったが。せめて彼女の歌唱力を聴かせる音楽だったらもっと良かったのにとも思った。

かつて一緒に芝居やら歌を聴きに行き、イギリスで演劇学校に行っていた事もあるが、自分は役者向きではないと悟ったという前夫が、アートに対し鋭い洞察力を持っていた。ある芝居で、坊さんの役を巧みに演じる人がいて、「なかなかだったね」と言うと、どういう坊さんか全く個性のない坊主だったと返した。なるほどと彼のコメントに感じ入ったが、歌に対しても厳しかった、「あれは発声練習をしているだけ」「譜面をなぞっているだけ」などと、本物のアートと職人芸を見分けていた。

だが、芸術性と人気は別物みたい。特に日本では、不器用さが人気につながったりする。もしかすると、メディアが人気を作り上げるのかもしれない。英米ではそう言う事はあまり無いようだ。芸術性のないものに対しては、批評家が直ぐに辛口のコメントを新聞に載せる。批評を読んで劇場やコンサートホールにやってくる観客が多い国々では当然観客の足は遠のく。つまり劇評や音楽批評がアーティストを育てている。日本でそんな事をしたら、批評家がバッシングを食らい、立ち入り禁止になると何処かで聞いたか読んだがした事がある。

日本は本当に他の国と違う処が沢山ある。未完成のものを一緒に育てながら楽しむ。米国、フランス、イギリス等の映画を見ていると、いくらルックスで買われたとしても、芸術性がなければ間もなくスクリーンや舞台から消えてゆく。だから本人たちは演技力を磨き、例えばエリザベス・テーラーにしても説得力ある演技をしている。が、日本は違う。”大女優”であってもずっと大根のまま。その大根が良いらしい。

ある音楽プロデューサーが面白い事を言っていた。東方神起を始め韓国から芸能が日本に流入しているが、韓国は完璧な形になって世に出すので、観客はやがて飽きが来て、アーティストの芸能生命は短い。ところが日本は未熟な時から一緒に育てて行くのでファンが付いている期間が長い。

完璧さに更なる磨きをかける事も出来るのだと思うけれど・・・色々あるのだろうね。


   

  そう言えば、昔 9/15

上で、米国の批評家とアーティストの関係に触れたら思い出した事がある:

かつて米国留学中、授業を取っていた講師が6年ぶりにハリウッドの最古劇団で演出すると言うので、彼から直接出演依頼をされた。英語も未熟な私を何に使うのか、授業を進めていた時にふとインスピレーションが湧いたらしい。私は自分がどう動いているのか自分を見る事ができないので分からないが、この講師は私の中の何かに気付き、それを常に興味深く観ていたようだ。演劇学部に入る前の夏季講習の時に彼の「俳優のための動き」というクラスを取り、学部に正式に登録されたらずっと自分のクラスに来るよう言われた。その後1,2年程してこの”ハリウッド初出演”があったわけだが、出し物は18世紀のイタリア喜劇”King Stag"、私の役は魔法を人間に教えてしまった事で、魔法の国から追放されオウムにされてしまう魔法使い。明日が初日だと言う時、共演者が2人、それぞれ別のタイミングで私に初めて話をしに来た。「あなたの最後のセリフ、なんて言っているの」それまで3週間ずっと言って来たのに分からなかったんだぁ、と私は目を丸くした。そして発音を修正してくれた。作品をよいものにしようと、最後の最後に生命共同体になったと言う事かな。

翌日幕が開き、その数日後、新聞に批評が出た。丁度その頃、別用でこの演出家(講師)の研究室をノックすると、部屋には彼とプロデューサが向き合って話をしていた。私を見るや、演出家が切り出した、「君の事が新聞に書かれているよ。」私は直ぐには何の事だか分からなかった。私が出演した芝居が新聞で批評される対象のものだとは知らずにいたし、よもや私の名前が出るなんて想像だにしていなかった。呑み込めたとき、「冗談でしょ」と言うと、プロデューサーが「ほら」とそれまで手に持っていた新聞の批評記事を私に見せた。確かに、Shizuko Kotoという活字が見えた。うわ~!その後様々な演劇関連の新聞を買い求めた(あは)。私の中には芸術に関わる何かがあるに違いないと、漠然と思っていたが、それが初めて他者によって認められたようで、「やっぱり」というのが私の思いだった(自信と云うか確信だったのでございます(^v^))。このハリウッド公演の後は、大学で開催した発表会。たまたまロサンゼルスオリンピック演劇祭の下見に来ていた早稲田小劇場の主催者鈴木忠志が客席にいて、彼の心を動かしたようだった(^_-)-☆。

その劇評でぼろ糞に言われていたのが、沢山セリフを言う二人の男性(一人は映画によく出ていた)。「学校に戻って一から滑舌を勉強しろ」とかものすごいバッシングであったが、そこで気付いた事は劇評家こそが彼らに遠慮なくものが言えるまさに彼らを育ている人だと言うことだった。その沢山セリフを言う俳優の一人に関しては、リハーサル時に共演者の一人が指摘したらしい。だがそれは彼のプライドを傷つけ、怒りさえもたらしたと言う。彼らは立派なキャリアを持つ俳優、演出家もきっと言えないのだと思う。彼らがそのダメ出しを快く素直に受けられるほどの名声と力を持つ演出家で無い限り、演出家は彼らの演技に口を挟めないのかもしれない。それを代わってやってくれるのが劇評なのか、劇評が出てから、彼らの演技は変わった。西欧は批評家も演劇界の一員、一緒により良いものを創っていく仲間なのだと思う。

日本はまた違った形で仲間システムを作っているようだ。数年前唐十郎に関する本を朝日新聞の劇評家扇田明彦氏が出したとかでそれを記念する集いがあった。あるパーティで唐十郎のところにいた俳優と知り合い、彼からその案内をもらい私もその集いに参加した。2次会で唐十郎が意外な事を繰り返し言う「扇田さんがどこを見るか考えながら、次の芝居を考えている」とかなんとか。大変妙なので、とうとう私は「それ、おかしいんじゃないの」と発言した。唐十郎だからどこの者とも分からない私の意見にも耳を貸すだろうと思った発言だったが、突然、私の左わきにいた批評家が何と言ったか忘れたが、大きな声で私の口を閉ざした。場がシ~ンとなった。直ぐに反応したのが唐十郎自身だった。我に返ったように、「そうかぁ~。」批評家にどう評価されるかを気にしながら芝居を打っているようじゃ、ダメだわ。たいへんシンプルな私の意見である。純粋に自分が載せたいものを載せる。当たり前の事じゃない。残念ながら私は彼の初期の芝居を観ていないが、現代演劇史的なものを読むと、かなり面白かった事が感じられる。彼がそのような面白い芝居を打っていた時は正にそうだったんじゃないかな。この裸の王様をそのままにしておきなさいと、脇の批評家が私の口を閉ざしたわけだが、妙な関係だなぁと思った。唐が言う事がおかしくても、はいはいと聞いている。扇田明彦は唐が自分をそれほど気にしてくれる事にご満悦のようだった。私はどうもこの裸の王様に裸を気付かせる子供の役を買って出たようだ。

この脇にいた批評家は、2次会が開けた後、自分の無礼さに悪びれた様子で大変丁寧に私の周りにいたが、その無礼さに扇田氏は「XXXとは知りあいですか」と訊ねて来た。「いいえ、それほどに親しみを感じてくれたのでしょう」と私は返し、扇田氏は笑った。日本の演劇界の批評家と演劇人との妙な関係を垣間見させてもらった一場面だった。





決まっていた? 9/16

上で、役者志望時代の話を少し書いたが、実はソングライターになる事は運命的に決まっていたとか。役者志望もそもそも実姉の軽はずみの意見が発端だったが、それを志望し続けられた事は、そのような素質を持たせられたのだと思う。今年の3月に明本歌子さんという、作曲家から占星術師に転じた人にリーディングをして頂いた時の事を以前に書いたが、あの時彼女が私に手渡してくれた資料を昨日初めて読んだ。大体英語で書かれてあるが、その英語も意味不明なところが時々あって、理解に苦しんでいる(きっと一人で全部書いているのだろうね)。そこに、私の適職の一つがソングライターと書かれてあるではないか。ちょっとびっくりしますね。自分では歌を書くなど、私の意志ではないと言っているのに。ま、そんな事が書かれてあると、どんどん書こうと言う気になります(あはは)。

HPを立ちあげるまで、私はメールママガのようなものを2002年頃から配信していた(あの時の内容では受信を迷惑がっていた人もいたかもしれないっすよ(@_@;))。2010年のHP立ち上げと同時にメールマガ配信を止め、それ以来ひたすらこのブログを書いているが、時々訪問して下さる先輩が「よく、あんな長い文章を書くよ」と言う。なるほど。書かない人は書かないだろうなぁ。書きたくてたまらない人がまたいるんだよね。それが世の中。そして、御自分は書かなくとも訪問して読んでくれる(ククク・・・)。

明本さんの占星術だけでなく、2者択一で迷う時にうわさと私の体験から必ず当たる占い師が銀座の並木通りで夕方から店を出しているが、彼にも幾度と言われた。あなたには「書」と云う文字が出ているので、とにかく書き続けなさいと。それが、歌を書く事につながるとは思わなかったが、現在そうなっている。不思議だし、おもしろい。

で、現在、また新曲が生まれつつある。「僕は神様じゃない」。以前に提出した20曲に、Mディレクターから歌詞が面白いとコメントを頂くと、面白いものを書こうという意欲が高まる(人間、褒めるに限りますね、ほっほ)。この歌もこれまで恐らく誰も書いていないように思う。はい、結構おもろいです。

(ここに掲載していた歌詞は、著作権登録をしていないので省きました。)

米国人の小説を読んでいたら、こんな歌を書こうと思い始めた。これは降って来た訳ではなく、頭でこねくり回して書いているので、いつもより時間ががかっているが、これは書いてみたい歌。だから、今でも完成に向けて頭をひんまげながら、歌詞を整理している。しんどくならないように、躓いたら、続きをやろうと言う気になるまで放っておく。そのように進めていたら、大分形になったようだ。Mディレクターにも参考になる分だけの楽曲を提供したので、後はあちらの出方を待つ事にする。今わたしに求められているのは、ただ、忍耐のようだ。で、この辺でアレンジやレコーディングはお休み、10曲ほどたまったところで、より倹約できる都下まで行ってレコーディングをしよう。リース料が1時間2千円も違う。10曲もレコーディングするなら、通常少なくとも丸二日必要。結構な節約になる。
   
  ヒラリー再登場? 9/17

昨日夜10時のNHKテレビで、米国の前国務長官だったヒラリー・クリントンがアイオワ州で演説する様子を放映していた。次の大統領選に出馬するかどうか考えていると、本人が言う。私の心が興奮し始めた。彼女の登板は以前からささやかれていて御主人のビルに何度と質問が投げられたが、「彼女が何を考えているのか、私にはさっぱり分からないよ」と彼は質問をかわしていた。

超大国の大統領に黒人のオバマの後、今度は女性。それに夫婦で大統領である(ブッシュ家は親子で大統領になったが)。ワクワクする!ビル・クリントンの時代、女性問題だけが目立ったが、米国も世界も結構穏やかだったように記憶している。根本的に似ているものが夫婦になるので共同生活ができる。これが私の持論だが、ヒラリーにも期待する。

以前にクリントン政権下で”北朝鮮問題研究委員会?”が設立され、そのメンバーであったシカゴ大学教授が早稲田大学で講演をした時、光栄にも通訳の任を授かった。その時に聞いた事だが、北朝鮮を空爆する事も案にあったところ、シミュレーションをすると、日本人を含めおよそ300万人の犠牲者が出ると予想され、この案は流れた。代わりに国務長官だったオブライト女史が直接北朝鮮の当時の首相金日成を訪問する事になった。二人は互いに大変好感を抱き、オブライトは金日成を米国に招待、金日成は喜んで行こうとしていた(だが、突然亡くなった、健康な姿でよく公の場に現れていたのに、この後突然に、とても突然に・・・・)。

賢い策だったと思う。まずは敵を知れ。知って行く中で敵が友人になるかもしれない。対北朝鮮政策でビル・クリントンがこのような平和的手段を取った背景には、キューバ危機でソ連と一戦を交えるよりも平和的にこの危機を乗り越えた彼が敬愛するジョン・F・ケネディーのやり方に倣おうとした事もあったようだ。民主党員の68%が次期大統領にヒラリーを支持しているそうだ。2016年が大統領選。うっふぁ~。

日本でもこんな興奮する様な選挙戦があるといいね。ちなみに、アジアを含め女性が国のリーダーになるところが世界中に多くなっていますね。


ところで、このブログを書きながら気付いたが、米国の国務長官には、女性が起用される事が多いようだ。ブッシュ政権の時にも黒人女性のライス長官。




いいですねぇ~と、「ああ、あんた恋しや」 9/18

自作曲を1曲、直接メディアに聴いてもらいコメントを頂く場所がある。気に入れば、別な曲も持ちかえり、更に気に入ればデビューと云う形になるようだ。最近作ったものを6曲Mディレクターに送ったが、いつもながら彼からの返信が遅い。こちらからのプッシュが無い限り聴かないようだ。課題があるならそれを頂き次の楽曲に反映させたい。で、最近大変高い評価を頂いている「ああ、あんた恋しや」を聴いてもらい感想を頂こうと昨日その集まりに行って来た。ゲストはユニバーサル・ミュージックのGreat Huntingの代表者で業界で有名らしく、17人ほどが小さな部屋に自作曲を準備して集まっていた。Great HuntingのHPをみると、私の音楽とはまるっきり違うものを探しているのは一目瞭然だが、どんなコメントを頂けるのか大変興味があった。

「いいですねぇ~。声も良いし歌い方も良い」と私の楽曲を聴くや直ぐに反応した(ちょっと意外、1箇所歌い直したいところがあって気になっていたが)。この言葉は私の楽曲だけに頂いたものだが、だからと言って私の他の楽曲も聴きたいとはならず、彼が持って行ったのは他の参加者がプレゼンしたアニメソングやその類の曲だった。会が終わってこのメディアの人に参考までに個人的に訊ねた。

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「いいですねぇ~」と言われながら、私の楽曲を持ち帰ろうとされなかった理由は何ですか。
売りに出すところが思い当たらない。年齢とかは関係ない、どこにもまだないものが欲しい。
~~~~

売れる歌と、いい歌。この会の参加者が作る歌は”非常”に若い。技術的に他と違うものを作ろうとする試みがうかがえる。AKBやなんとかバムバム(?)が歌うような楽曲。楽曲を誰それに提供しませんかと云うメールもこの会からよく送られてくる。それで誰に提供するのかチェックすると、大体がアイドル(SMAPも入っていた事がある)。

こういうものを聞きながら思った:若い世代の中に心洗われるような歌を待っている人達が沢山いるだろうなぁ。

一人帰り途を歩いていると、参加者の女性(30代後半?)が後ろから追いかけて来た。「あの歌ものすごく良いですね。とても感動して。今度ぜひライブに行きます」「でも私のライブ、高いよ。」料金を聞いて彼女はびっくり。「お金貯めてから来てね。」ためらいがちに頷いた。

これまで作った私の楽曲の中には、ソング・ライティングと云うものを意識してやり始めたばかりと云う事もあり、他者が書いたものの中で私もこんな歌が書けるだろうかと、試しに書いたものもある。だから何処かで聞いたような曲があるのは意図としてある。そこから卒業して、今は何を書いて行くのかはっきりとして来た。

私の後ろを追いかけて来た女性がいう、「加藤登紀子の歌が好きなんですけれど(えっ、また来たか、と一瞬思った)、(しずこの歌は)それより深いと思うんです。」かも知れない。とにかく私には伝える事が沢山ある。今仕掛け中の「僕は神様じゃない」の歌詞を彼女に聴かせた時、駅構内の光が僅かに当たる駅前広場との境界線の隅で彼女の目がみるみる赤くなり、とうとう涙がこぼれだした。私の歌で多くの人達が何かに気づいて行くだろうと思うし、それぞれの未来に明りを見て行くだろう。そう確信している。





ちょっと違うんじゃないの 9/19

”売れる歌”と”いい歌”と”おもしろい歌”。ブログのタイトルを書いた時は、”ちがう”と思ったけれど、書き始めたら”ちがう”ことでもないと思い始めた。3つが全部重なるものもある。昔ヒットした「帰って来た酔っぱらい」や「泳げたいやきくん」は面白い歌だった。だが、いい歌でもあったと、このブログを書いている今思う(笑)。

私のインスピレーションの源泉の一つとなっているBSテレビのインタビュー番組で、元アリスの堀内孝雄がライバルの谷村新司にどうしても勝てず、頭の上のたんこぶだったと言っていた。谷村に勝とうとして勝てない、その劣等感からアリスを去り、アリスの解散に至ったらしい。独立してからは、ヒット曲(売れる曲)を書こうと日々頭を疲労させていた時、小椋佳が「堀内さん、”いい歌”を書きませんか」と言って来たらしい。「そうかぁ」と思ったとか。

歌謡番組や若手バンドグループの歌を聴いていると、ヒットさせよう、何かこれまでにないものを取り入れようと躍起になっている楽曲をよく聞く。それが見えるのは、やはり自然さが無いからだと思う。どこが不自然なのだと訊かれても、うまく答えられないが、まず心に触れない。野心だけが見えて、エゴを見せられているようで聴きたくないと、耳を閉ざしてしまう。やはりヒットしない。

上のユニバーサル・ミュージックの人との個人的なやり取りで、「千の風」や「トイレの神様」が例に出された。たしかに、それまで誰も書かなかった類の歌。トイレはともかく、「千の風」は初めて聴いた時驚きがあった。全身で聴いた。直ぐに飛びついてCDも買った。いい歌だ。やはり「いい歌だぁ」は「おもしろい」視点と一緒になる。そうすれば売れるのは当然だろうね。

だが、そう言う歌は意図して出来るものでもないようだ。”トイレ”、”酔っぱらい”、”たいやきくん”も、作者の話では、想いを素直に表現したら、遊びながら作っていたら、というのが始まりらしい。つまり”自然に”生まれて来たものにアレンジで輝きを足したのだと思う。アレンジの力は大きい。同じメロディーでも全く違う。「千の風」はもとは米国の詠み人知らずの楽曲。余りに感動してオリジナルCDまで買ってしまったが、失敗。一度聴いたら十分だった。「私のお墓の前で泣かないでくださいと」と歌うのに、矛盾したアレンジと歌い方。暗~くて、お墓の後ろからニュロ~と出てくる感じ。心細そうに泣いている。メロディーと歌詞はオリジナルを踏襲しつつも、日本版のアレンジはさわやかさがあり、数倍良い。だから、あれだけ受けたのだと思う。

ゲストが全員に向けて言っていた:JUJU(若手女性シンガー)とかXXXとか(私の全く知らない人なので名前は流れた)皆似たような歌を歌っている、新しい視点が全く無い。今回彼にプレゼンした「ああ、あんた恋しや」は確かに新しい視点で書いたものではなく、太古の昔からある人間の祈りをシンプルに歌う事をイメージして作ったものた。これでもか、これでもかと面白いモノを作るために理由もなく4つも異なるメロディー群を入れた忙しく煩雑な楽曲を聴いた後に、原点に戻ったシンプルなものを書こうとして出来上がった楽曲である。だから、「いいですねぇ~」にはなったが、”いい歌”よりも”売れる歌”を探している彼にとっては、持ちかえる楽曲ではなかったのだろう。

面白さってなんだろうね。新しい視点の歌詞と云うだけではなさそうだ。「ああ、あんた恋しや」はホイットニーのI will Alway Love Youの日本語版だと言って紹介しているが(笑ってはならぬぞ!)、ホイットニーのこの歌詞に新しい視点は無い。それでもその歌のどこが良いか、メロディーとアレンジ(間奏がたまらなくいい!)、そして彼女の歌唱力をいっぱいに引き出したハイピッチである。それが”面白い”という事になるのかもしれない。残念なことに上のゲストは参加者が沢山いた事もあり、「ああ、あんた恋しや」の試聴は間奏までで、後半のサビのクライマックスを聴いていない。しかし、これも御縁。

で、私の進み方は、これまでと変わらない。とにかく降って来たものを出来るだけ、記憶している限り吐き出して行く。時には、こんな歌は稚拙かなぁと思う時もあるが、我意による判断で完成をためらわず、降って来た言葉を切っ掛けに完成させて行こうと思う。最近の楽曲作りでは、頂いたアドバイスを基に、構成やメロディーの流れに以前よりも注意を払っている。前進している。
   
  要は、9/19

上で色々書きながら辿り着いた事がある。これは、しゃべっていると結論が見えてくるのと同じ。

時間が経つと、上の話はみなどうでもいいように思えて来た。米国の歌を聴いていてもヒットしているのが全部新しい視点で書かれているとは決して言えない。能書は要らないようだ。どんな歌も、それを受信する人の経験や好みで愛される度合いが異なってくる。愛す人が多い時ヒットにつながるだけだろう。そしてどんな歌がヒットするかなんて市場調査をしても分からない。聴く人も、どんな歌が聴きたいのか分からない事が多いと思う。要するにどんな歌がヒットするかは、出してみなければ分からない。

アップルの創始者、スティーブ・ジョブズが言っていた:市場の傾向なんて一切関係ない。だからマーケット・リサーチなどしない。

これがこうなったらもっと良いだろうな、という自分たち自身の直感的な要望を、無意識レベルまで降りて行って引っ張り出して来るのだと思う。アーティストのテイストを持っていたスティーブのやり方。

そこで結論は、自分が書きたいものを淡々と書いていく。そして、どのような経路であろうと最終的には、是非これを多くの人に聴かせたい、その為に骨折る決断と実行力を持つメディアの人の耳に留まるまで、いい歌づくりを続ける事。常日頃思っている事だが、問題とか課題と云うのは、ずっと根っこを追って行くと非常にシンプルだ。

アニメソングと云うのは、直ぐに売れる口が見つかるのか、以前”大人の世界”の歌R&B楽曲を集めているメディアが、この会でプレゼンされたNHKの番組「みんなの歌」で使われるような歌を持ちかえったと、上の会の主催者が言う。「ああ、あんた恋しや」の次に書いた「ライバル」をアニメソングとして提供したらどうかと提案して来た人がいた。アニメ・・・考えた事もなかった。アニメソングを"アニソン"と呼ぶほど、アニメに傾倒している人が多いようだ。




スコットランド独立住民投票 9/20

私もスコットランド独立住民投票の行方を見まもっていた一人だった。否決されて、正直言って、ホッとした。これが可決されたら、直ぐにまた他で同じような事が起き、世界が慌ただしくなると思ったから。実はグリ―ンランドを旅していた時、イギリスのウェールズから来た人に出会い、ウェールズが英国からの独立に向け戦っていると聞かされた。戦うエネルギーって大変だし、その後の制度づくり、あれこれ考えただけでも気が遠くなる。一緒に仲良くやる道を模索した方が楽なんじゃないかなと、意見を言うと「日本人は従順だからね」と言われた。事によるが日本には「長いものには巻かれろ」と云う格言がある。独立が個人生活にどの位の違いをもたらすのだろうか。そのウェールズの旅行者がスコットランドにも独立に向けた動きがあると言っていた。私の頭の中が突然歴史で学んだ過去の時代に戻った気がした。

そしてスコットランドー(ちょっと脱線)シェークスピアの「マクベス」に出てくるマクベスはスコットランド王(物語は架空だが実際にマクベスと言う王がいたらしい)、イングランド王に攻められ破滅するが、事実イングランドとスコットランドの戦いは長く続いたらしい。イングランドは北アイルランドを含め周りの国を全て自国の統治下に置き、のちにはインド、アフリカを次々に植民地にして行くし、やがてはオーストラリア、ニュージーランドまで足を伸ばした。ニュージーランドでは今でも公共施設には英国王室の写真が飾られている。あんなに小さな領土を持つイングランドなのだが、その国の言語が世界共通語となるまでに広がった、なんともすごいものがこの国に備わっているように思う。と同時に周りの国々とは延々と憎しみと反感の応酬が続いている。すごい事だと思う、何百年もさかのぼる歴史で、今生の人間はそれを体験している訳でもないのに、ただ語り継がれ、憎しみや反感を遺産のように受け継いで行くのだから。根底にあるのは人間のプライドなのだろう。

かつて、イングランド人とスコットランド人が一緒にいる会社で通訳をしていた事があったが、やはりそれぞれ相手に対し良い事を言わない。ひとつには、イングランド人のSnobがその周りの人達をいらいらさせるのだろうと個人的に思っている。少し上級クラスのイギリス人の他人に対する冷淡さ、他人をこけにしたジョークで笑い合う姿には、背筋がぞっとする。それは相手がイングランド人でも階級が下層なら放たれる。私の初めての海外旅行を現実化させてくれたイギリスオックスフォード大学大学院出身で、タズマニア大学法学部学部長をしていた"友人"から聞いた事がある。労働者階級出である彼がオックスフォード大学で味わった体験は想像に難くない。また、イギリスの貴族階級に属する友人を持つ私の”親友”が言っていたが、貴族社会では子は親に育てられず、親の愛情を知らずに育ち常に愛情に飢えているらしい。どこの国の人間にもあるかもしれないが、特別な近寄らせない冷淡さを感じる時がある(それは米国人のある層にも共通する冷淡さだ)。彼らにとってはウェールズもスコットランドも、アイルランドも自分たちが制覇した国、自分たちよりも劣性だと思うところがあるのだろう。全体的に庶民的雰囲気が漂うスコットランド人とは明らかに違う。

プライドとプライドの応酬、そんな気がする・・・・。でも個人的なレベルまで下がっても、多くの人がプライドのために素直になれずに幸せを逃しているケースは沢山ある。何が最も自分を幸せにするのか、素直さだよね。仲良くしていけばいいのに。本当は皆仲良くなりたいのだから。





うわぁ~15曲 9/21

自分では面白いと思っているけれど、他の人が聴いたらどう思うのか、とにかく2つの楽曲のメロディーと詞が完成した。「太陽は照り雲は流れる」と「僕は神様じゃない」。どちらもこの9月に生まれたものだが、これまでと違い、後日の修正が無いよう繰り返し確認したので、結構いつもより時間がかかったような気がしなくもない。作ったメロディーを歌詞から離れて聴くと言う事もやるようになったら、なんだかずいぶん変わったかなぁという気がする。

降って来たものでない場合は、これまで貯蔵して置いた歌詞やメロディーから引っ張り出してくるので、まずは言葉がいっぱい。これを歌詞にどう整理するか、バサッバサッと潔く切り捨てていく。まるで外科手術。でも、そこまでの作業、結構な大仕事です。

2曲できたので数えたら、うわぁ~、9月現在で今年は既に12曲。すごい、すごい(あはは)。あと2曲が直ぐにでも生まれて来そうなのだけれど。そうすると今年は合計15曲位行くのかなぁ、またまた浮き浮きしてきた。

今日は9月21日、もうすぐ10月なのね。と云う事は直ぐにまた11月じゃない、ライブだ。と考えて来ると、ああ、集客せんとあかんと気が重くなってくる(何を言っておる!)既にカレンダーに入れて置いたわ、なんて言って下さる人がいるけれど、期日近くなると何が起きる事やら・・・は~。これだけには”ためいき出るわ”(これ、最近作った楽曲のタイトルだけれど、ライブ集客の事を歌っている訳ではありません(^v^))。

家で黙々一人で創作しているのって、楽(アハ)。それにしても、わたし、随分歌づくりの世界にのめり込んだなぁ。すごい集中力だなぁと、おそらく側に誰かがいたら感心するかも。かかり始めたらドドドーっとやってしまう。そしてトントントンと運びたいのよね。





ありがたや、ありがたや 9/23

提出から2週間経ち、今朝Mディレクターからコメントが送られて来た。

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ようやく、ゆっくり聴くことができました。。。 

今回、頂いた6曲は、おもしろいですね。
「ライバル」は、確かに飽きさせない曲でした。

まだ1~2回しか聴いていませんが、
他の曲も、メロディーも印象に残ります。 

今回おもしろいと思った曲について、現時点では、
すぐに何か(企画の)アイディアは考えつかないのですが、
曲として、おぼえておきたいと思います。
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進歩したか(●^o^●)。今年5月頃に提出した20曲を聴いて頂いた後に全曲歌詞は面白いがメロディーが弱い、どこかで聴いた事のあるメロディーという印象があるとコメントを頂き、メロディー作りへの意識強化をしてきた。Mディレクターのコメントもそうだが、周りの人達のコメント全てが、私のメロディー作りを進歩させたと思う。

ここまで来てしまった事が本当に不思議だ。たった2枚のCDから今日に至るまでのMディレクターとのお付き合いだが、何を書きたいか何を聴きたいか、そこに共通するものがあったのだと思う。私の楽曲作りに関心を寄せて下さるメディアの方がいたと言う事は大きな励みだったし、それも温厚に進めて下さったMディレクターだからここまで来れたように思う。感謝、合掌。


   
  良い曲を書く可能性  9/25

「(現時点では)何かを進めたいとは考えておりません。ただ良い曲を書かれる可能性はあるとおもうのでこうして聴かせて頂いている

先のMディレクターからのメールの中の別な言葉だが、私が現在立っている場所は丁度ここだと思うし、互いの現状認識にずれが無いと確認できた。

宇宙には”気"があると言われた人がいた。我意によらずその宇宙の気の流れに乗って生きる事を”大道”に生きると言うらしい。導かれるままに流れる。すると必要とするものはすべて与えられるという。メロディーが弱いと言われても、どういうものを弱いと言うのか、または強いと言うのか、同時にどうすれば強くなるのか全く分からないでいると、わたしも大道に乗ったのだろうか、期せずしてそれを教えてくれる出来事が起きた。

5月10日、歌子さんの占星術でこの日にびっくりする事が起きると言われ、固唾をのんでその日を待っていた(うっそ~。正直言うと、この日は土曜日、誰かに逢うと言う計画は無い。でたらめと思っていた、が興味はそそられていた)。丁度10日の0時を少し回った時だった。前日の9日の夜、私は今の私のニーズに応えてくれる作曲インストラクターを見つけようと東中野にある音楽塾に行って帰って来た後、継続別な作曲クラスをネットで検索していた。これまでもこの作業は何度かやっていたのに、これまで見た事のないサイトが出て来た。ニコニコ動画サイト。業界で音楽理論家として多くの人から敬愛されている篠田元一さんと今の若手トップ作編曲者たちとのトークだったが(その時彼らの誰をも私は知らなかった)、びっくりしたのは、私が持っている作曲に関する質問全てに答えていた。多くの曲を実際に書きヒット曲も生んでいる大変信頼できる人達の話である。これはシリーズになっているが、その感動の動画は、なんとも、私が最初に再生したものだった。夜明けの色がうっすら窓にかかるまで、夢中でそのシリーズを見て/聴いていた。

そうか、メロディーを印象付けるにはこう言う事をするのか、流行作編曲者の浅倉大介君が言っている。良いメロディーの作り方は教えられるのか、コードが先かメロディーが先か、篠田さんが言っている。分かった!それから私のメロディー作りは変わり、その後作った3曲とそれ以前に作った3曲、合計6曲を2週間前改めてMディレクターに渡した。そして頂いたのが上のコメントである。全てが”その”方向に流れているようだ。

Mディレクターのメールの中に「『ライバル』は飽きさせない曲」と云う指摘があった。なるほど~”飽きさせない曲”かと、私の曲作りにまた新しい視点が加わった。良い曲を書く可能性が僅か開いたようだ。





進歩できる環境 9/26

私は努力と云う言葉が好きじゃない。この言葉の中には、自分で背中を押しながらやっている様子が匂う。好きな事をしている時は努力はあまり要らない。意識レベルで考えずとも、身体が自ずと動き、夢中になっている。通訳をしていた頃、それなりに楽しみ嫌いではなかったが、決して夢中になる仕事ではなかった。だから進歩するためにテープを聴きながら同時通訳の練習をするが、これは努力だった。やんなきゃ、やんなきゃと延び延びになって、やっと腰を上げる。ピアノやギターの稽古も然り。それで最近、ギターのインストラクターの眉間にしわがより始めた(*_*;。

歌作りの世界、いつの間にか夢中にさせられてしまっている。いつも歌詞や曲のネタを探している。そんな夢中になるものを与えられ、夢中になれるわたし、応援して下さる方々、プレゼンできるライブハウス、そして寄り添って下さるメディアの人。進歩する環境を全部頂いているではないかと、改めて自分の幸運を想う。なんとありがたい事だろう。

追記:時々、このブログを読み直して、「この人熱いなぁ」と思う事がある。きっと夢中になる人の言葉っていつも熱いのかもしれないね。





ブログのアクセスを簡易化 9/26

ブログを読んで下さる人が増えて本当に嬉しいです。読んで下さる人がいるから、書こうと言う気になるし、また書くと言う事はカタルシスの役目も果たし、書きながら自分の考えも整理できたりします。

このブログへのアクセスを簡易化しようと、表紙のブログから真っすぐ来られるようにしました。そして過去のブログは「過去ブログ」と云う名のもとに置きました。「大変率直なブログですね」と以前京都からライブに来て下さった方からコメントを頂い事がありますが、これからもそんな調子で、分かりやすくありたいと思います(^v^)。





大道に乗る 9/27

図書館に行って来た。朝井リョウという若手作家の本を予約しようとすると、既に予約制限の10冊を超えているので予約ができない。最新ITシステムを導入し予約や貸し出しが1分程度でできる区の中央図書館に、徒歩10分圏内で行ける処に、それを知らずして、6年前に引っ越して来た。このITシステムでこれまで貸し出した履歴も見えるらしく、数ヶ月前、どういう経緯だったか忘れたが、270冊(正確な数字は忘れました)借りたと言われた。え、そんなに読んだのかと(中には途中でgive upしたものもある)、自分でもびっくりしたが、今日10代の学生物語の貸し出し処理をしながら、思った:これも大道に乗っている現れなのだろうなぁ、図書館がこんなに近い所に無かったら、こんなに読んでいなかっただろう。ましてや朝井リョウ君のような若い世代のものを。

テレビや本はわたしの大きな創作源。歌づくりをしていく事、私自身が知る前に、神様の計画の中にあったようだ。6年前から、いや、恐らくずっとずっと前から全てがその方向に流れて来たのだと思う。そして現在も流れている。わたしより先に人生を生き神からのインスピレーション無くしては面白いものは書けない作家世界にいる田辺聖子の言葉、「神様には人間一人一人に対する計画がある」を実感する。その計画に素直に乗る事が大道に乗ると言う事なのだろう。

だから、最近、何か良からぬ事が起きても一瞬の動揺の後、いや、これはもっと良い方向に動こうとするために起きていると思うようになった。一見良からぬ事に思える事を良い事が起きる前触れととり、次に何が展開されるのか楽しみながら待つ。よくこのように考えられるようになったなぁと、自分に感心している(あは)。





お久しぶりですね 9/28

先週は3つの会に参加した。こんな事久しぶり。図書館から予約した本がまだ回って来ていないし、二つの楽曲を書いたばかりだし、気分転換に人に逢おうと頑張った。ひとつは大学OBが集まる食事会。偶然前の席にいたのがケーナ奏者。名前は聞いていたが話すのは今回初めて。有名人に自分の訳詞した楽曲を歌ってもらいたかったと、クミコにお願いしたらしい。で、冗談交じりに言った:今度は私に頼みなさい。クミコより良いよ(あはは)。以前加藤登紀子のコンサートに行った時、ケーナ奏者が途中から出て来た。そのケーナ奏者は若い青年で大変人気があるようで、会場にはその青年のファンが多数いたようだ。なるほどこのようなコラボができるのかと思い、彼に提案したが、後で考えたら、最近はコラボでも人を呼べる人でなければならない。互いに頑張って、いつかそんな日が来ればいいと思う。それにしても、彼は随分私と話す事に緊張していたようだ。段々と心が緩み、可愛い表情を沢山見せてくれた。

次は、私の”道先案内人”が講話をすると言うので、上野まで行った。彼の話は大体いつでもぴったりと私の中に収まる。IT企業のオーナーでもあるが、道元の正法眼蔵をよく読み、論理的に摂理を説いて行く。時々私が彼に呼ばれている、または彼が私に呼ばれていると思う時がある。今回も私は予告も無く突然この会に参加したにもかかわらず、彼が準備していた内容は現在のわたしがより強くなれる視点を紹介された。この私の”道先案内人”との出会いは2009年、時々彼の講話を聴いていたが、ある日遊んでいるギターは無いかと周りの男性達に訊ねようと、たまたま彼に最初に声をかけた。直ぐにありますよと言われ、「このギターはどこに出しても恥ずかしくないものです。こうしてただ置いておくよりもプロに使って頂いた方がギターも喜ぶでしょう」と、無料で下さった(市場価格:17万円)。また別な時には、家にいても心穏やかならずの状態でいると、突然彼からのメールが落ちて来た。テレビで聴かれたと言う美空ひばりの秘話を紹介され、ひばりは自分のために作られた歌はどんな歌であろうと感謝して受け丁寧に一生懸命歌うので、レコーディングの時は2回のテイクで終わった。その姿勢が彼女の全身に輝くオーラーを作り、それがそのままファンを魅了したと、なかにしれいが語っていたらしい。そして私には、XX書のXXページを読むよう勧められた。おそらく私がぶつかっている問題を他から伝え聞いて気にして下さっていたのだろう、感動と同時に、凛としていなければならぬと自分を叱咤した事を覚えている。先日は、本当に久々に小さな会場で沢山の質問をさせて頂きながら、有意義な時間を過ごさせて頂いた。


もう一つ、摂理を勉強する仲間が集まる別の会に行って来た。こちらの参加者は顔なじみだが、逢うのは3,4年ぶりだろうか。この会の懇親会で行く居酒屋の料理の美味しさをまだ忘れずにいた事と、久々に懐かしい顔を見ようと行ったのだが、話をされる方は、キャバクラのオーナーだった。キャバクラを経営されるまでの経緯などはまだ訊かずにいるが、80歳を超えられただろうか、裸一貫で事業を興し現在は数件の居酒屋、数件のキャバクラを経営。この会の2次会で使う居酒屋はこの会長の店である。一般的に、このような会では、参加者は静かに聴いて、講師がただしゃべるが、ここでは講師は質問をするだけで、参加者にどんどんしゃべらせ、最後にご自分の意見を話すと言った、なんとも賑やかな雰囲気の中で会は進行した。相手の意見に対し否定もしなければ、自分の意見が最も正しいと言う奢りもない。人間への洞察力が鋭いと言うのか、どういう訳か私に関心を抱いて下さったらしく、「あなたは大変直感力の鋭い人だ」と言われた。その他もいろいろな事。大変ざっくばらんで、気取る人もいなければ偉ぶる人もいない、楽しい集いだった。摂理を学び調和の世界に生きようとする人たちが集まるところだけに、心を縛る事が無い。






来生にまた生まれたい? 9/30

大学の友人と久しぶりに2時間近くも電話で長話をした。

「来生にまた生まれて来たい?」
「生まれたいかとうかより、生まれて来るんだろうなぁ、と思う」
「まあね、完全に悟った人でない限り何度も生まれ変わると言うから、絶対生まれ変わって来るのだろうけれど、私は生まれて来たくないわ。同じ業(ごう)を引き継いで生まれるわけでしょう、しんどいわ」
「(笑)同じような事をするなら、いやだなぁ」

輪廻転生、これは5官に感じられ証明できるもの以外は信じない人、要するに頭脳偏重型でない限り、世界中で信じられている事のように思う。

前回のグリーンランド旅行中、イヌイットの青年がある女性との前世からのつながりを話してくれた。初めて逢った瞬間に湧きでてくる恋慕。本人もなぜだか分からないが、ずっと探していたような人だった。間もなく彼女は去って行ったが、想いは今だ熱い。彼は識者に逢いに行き、そして自身も瞑想をしながら、前世において彼女とどういうつながりであったか分かったと言う。前前世では彼女は自分の娘、前世では自分の恋人、そして今生では見知らぬ人。

業(ごう)とは何か。昔おばさん達がしゃべっている雰囲気から、とても暗いイメージがあった。嫉妬、怒り、憎しみ、恨みなどなど。人間の怨念みたいなもの。昨日図書館から予約した本が回って来て早速読んでいると、その本の一つに中国の古典哲学を勉強した気功師が明快な定義をしていた:悟りに達しえなかった部分。

なるほどなぁ、と頷ける。来生をそう遠くないものとして想像する時期になったのかなぁ。




51 9/30

週に2回はヨガのクラスに行っているが、ときどき本を読みたくて行かなかったりする事がある。本はいつも背もたれの深い椅子に座って読む。背中を丸々包まれているようで安定感があって落ち着くのだが、同時に腰が痛くなる。腰を伸ばすヨガに行かず逆の事をしている訳だから、こりゃあかん、また運動量も少ないと、最近頻繁にゴルフに行くようになった。昼過ぎから行ってハーフだけ回って来る。これは川口市が運営しているゴルフ場、芝が以前の赤羽ゴルフより良いし、グリーンも平らである。好きな時間に人を誘う手間も要らず、さっと行って一緒にプレイする人達と楽しい時間を過ごす。ゴルフバックも無料で保管してくれる。ただハーフしかないから、同じコースを2回まわって18ホールとなる。それでも練習や気分転換には十分。また、コーチ並みにうまく教え方もうまい人と一緒になったりすると、すっごくお得。お陰で、スコアが良くなってきた。

それで今日は何とハーフを51で回って来たのです。これ、私にとっては”上場来低値”、いや、やっぱり高値だわ(●^o^●)。

   
  メロディーメーカー 10/2

ジャズに専念したいと、池之端QUI(主にシャンソン中心)の全出演を降りたかつての私のピアニスト、と言っても今後も必ずまたコラボできる機会があると信じているが、西直樹さんが一度「しずこさんはメロディーメーカー」だと称した。何か褒められているんだなぁとは感じたが、ジャズ界では恐らく誰もが知っている名ピアニストの西さんが音楽に関して私を褒める事があるとは思っていなかったので、自分の事を言われているような気がしなかった。外の話のような私の話のような、宙に浮いているような気がしたし、正直言って、「メロディーメーカーってどういう意味?」と思っていた。ブービーメーカーは知っているけれど。

今年の1月にビクターの本社でMディレクターにお逢いした時、彼も「確かにメロディーメーカーですね」と私の事を言われた。まだ、分かるようで分からない。その後、子供のころから家族で音楽を楽しんでいたという作曲インストラクターに、「例えばあなたならどんなメロディーにする?」と私の書いた詞を出してメロディーの違いを楽しみたいと最初の幾つかのフレーズを作ってもらった時だ。以前にも同じような事をして遊んだ事があるが、その時のメロディーとほとんど同じ。そうか、私の場合はメロディーにバライティーがあるのか。これに関しては、このインストラクターも言っていた事があった、「一般にシンガーソングライターは同じようなものを作るんですけど、全然違いますね。ものすごくアダルト的なものもあれば、十代の女の子、マセガキの歌もあるし・・・。」

ふ~ん、そうなんだぁ。だが、私は他の人の歌をあまり聴いていない。作曲も全く個人レッスンだ。今ヒットしている歌もほとんど知らない。時々NHKの歌謡番組を見るくらいだし、若手の歌はギター弾き語りレッスンの時、教材として譜面をもらう時に知るだけだし、音楽の授業は米国のUCLAに留学していた時に夏季講習で音楽の基礎を受講しただけ。以前にも書いたが、あの5月10日の”びっくり”の日、ニコニコ動画で音楽理論の大御所が「良いメロディーは誰でも探している。これは教えられるものではない」と言っていたので、新しい作曲クラスを探すのを止めたわけだが、一度この大御所のライブで彼が作曲したものを聴いた時、理論家とアーティストの違いを思った。ビートルズは理論を全く知らないからこそ、あのような楽曲を作る事ができたらしいが、音楽理論あり気でやっている人達を大変驚かせたらしい。

そうか、メロディーメーカーかぁ。期せずして、私はその能力を頂いていたんだぁ。自分でも全く予想もしなかったソング・ライターの道、今わたしがこうしてそこにいる事も、歌子さんから頂いた占星術にも適職として書かれてあるところを見ると、実はこれが、神が私に渡された使命だったのだと感じ、最近ため息ばかり付いている。その能力もここ数年前まで気付いておらず、いっ時は役者の道ばかり追いかけていたのだから、余計に「は~」となる。今一人でいる不思議も、すべてこの為のようだ。誰かといたのでは恐らくこれほどの数の楽曲をここ2年で書きあげる事もなかっただろう。ホントにホントに、ここに来させるために、あの出来事もこの出来事もあったのだなぁと、私の意志でなく神の意志が見える。

もともと人間の意志などないのではないか、神の意志だけがこの宇宙にあり、神の意志が人間の善き意志になっているだけじゃないか、とさえ想える。この宇宙の「大きくて深いもの」への感性を持ち始めた時、私のソングライターへの道も始まっていた。

神の意志だから、全て神が調えられる。私は心を”空っぽ”にして神の御心のまま動くだけだ。人のために社会のために世界平和のためにささやかでも力になる歌を作っていくだろう。

「俺が400歳まで生きるんだったら、俺の映画で世界平和を実現させられるよ。芸術にはそんな力があるんだ」、黒澤明(映画監督大林宜彦が語るエピソードから)






岩谷時子 10/3

すごい。

夕方テレビを点けると、岩谷時子の歌詞を歌いつなぐ番組があった。え、この歌も?と驚く。様々な歌手の歌詞を書いていた。最初はシャンソンの訳詞から入り、その後オリジナルの歌詞を書くようになった過程は、なかにしれいと同じ。30年間越路吹雪の付き人とマネージャをやっていたそうだ。越路が亡くなってからは長い間仕事をしなかった岩谷だが、彼女が残した越路への長恨歌が心に痛い。まるで自分の子供のように越路を愛したようだ。そんなに愛されるものを持っていたのだろう、越路吹雪の夫、内藤法美も彼女が亡くなった後には仕事をする気も失せ、間もなく彼女の後を追った。

岩谷時子の作詞は、品があって艶があって花がある。「街は今でも 後ろ姿の幸せばかり・・」ザ・ピーナツが歌った「ウナセラディ東京」のサビの部分だが、素敵な詞だ。宮川泰が作曲。曲が先にできて歌詞を後に載せたらしいが、レコーディングスタジオに曲が持ち込まれると、たまたま窓の外は雨、街中を歩く人達がその後ろ姿を彼女に見せて幸せそうに歩いていた。そこで瞬時にこの詞が生まれたらしい。

今スグと言う訳ではないが、もう少ししたら彼女の書いた詞を読んで行こう。






人は死なない 10/4

御嶽山噴火事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

対談集「人は死なない」の中で矢作直樹氏(東京大学医学部教授、同学部付属集中治療部長)が言う:死は、肉体死であって決して魂は死んでいない、この世とは異なる次元のあの世に行くだけだ。だから、肉体死を”不幸”があったなどと言うが、決して不幸な事ではない。

科学者らしからぬ話だと思われる人もいるかもしれないが、登山中断崖絶壁から数百メートル下に滑降した2度目、傍に誰もいないのに「もう山には来るな」と言う声を聞いた事、そして滑降した時一瞬もうだめかと思ったが、魂が完全に肉体から離れて肉体の自分を見ていたという幽体離脱体験をした事、亡くなった母親を呼んでもらい、母親と自分しか知らない話を交わした事、そして交霊後母親が楽しそうにあの世にいそいそと帰る姿を見た事、また死と直面する患者の顔が幸せそうになる事を多く目撃した事などが、その言葉のベースになっているようだ。

また、あちらの世が表で、こちらの世が裏なのかもしれない、だから肉体死を遂げた人への挨拶には「ご冥福をお祈りします」が最も相応しいと付け加えている。別な著書「・・・お別れ作法」に次のような件がある。
~~~~~

私たちは「知らない事・わからないこと」に囲まれて生きています。

何でもわかっている、科学は万能だと勘違いしているにすぎません。動物の方がそこはよく分かっており、様々な「予兆」に対する感性も鋭く、彼らは本能的に危機管理する術を知っています。

古代人には見えない世界の事が分かっていたのだと思いますが、文明化するにつれて私たち人間は、「森羅万象は人智を超えたところで動いている」と言う自然界の最も大切な原則を見失ってしまったのです。

ですから、奇妙な現象に出くわした時に、それが理解できなくても、まずは素直に受け止めて下さい。「おお、すごいな」というくらいに感じてください。・・・

私は死が怖くありません。救急部門の医師を長く務めているので、あまりに多くの死を見慣れてしまったせいだろう、と思われるかもしれませんが、そうではありません。輪廻転生の仕組みに気付いたからなのです。

~~~~~

私の友人の母親が2カ月ほど前に亡くなった。この母親は大変信仰深い人だった。病床に就いて間もなく、「私はこんなに信仰深く生きて来たのに、神様はまだ私を逝かせてくれない。痛みもなく安らかに行かせて欲しいのに。私は見放されたのかね」と娘に言った。すると間もなく、眠るように母親は逝った。付き添っていた友人は母親の死に気づかず、ただ眠っているのだと思った。通夜や葬式を手伝おうと電話をすると、友人の声は明るく、悲しさの色は探せない。友人も信仰を持って生きて来た。

その時思った。人の死を悲しい事、不幸な事だと、私たちはこの社会に生きて学ぶのではないか。以前にFacebookでガーナの葬式を動画で紹介していた人がいた。立派な棺に死者を入れ、それを6人程の男たちがダンスステップを踏みながら歌いながら担いでゆく。悲しいと言う感情とは無縁の雰囲気だ。

私自身も、神の存在を深く感じ始めてから、社会意識から離脱した本来の人間の姿を見るようになった。矢作氏は宗教も宗派も持たないが、ただ神を感じる、目に見えないがその存在を実感すると言う。登山で滑降した時自分だけに聞こえる言葉を聞いて以来、それは始まったのだろう。私にも私だけに聞こえる声がする時がある。それは幻聴で無く、事実を先に伝える言葉であった。数年前、神の存在を深く感じ始めて以来、その声はもっと身近に、私が必要としている時に的確に導く言葉として聞こえ始めている。


5,6年前の私は悲壮感に溢れた顔をしていたと友人達が言うが、その頃私の後ろで私に語る女声があった。私を知っている人は周りに誰もいないのに、その声は夫との別れをはっきりと告げていた、「あなたが背負うものを彼女が代わりに背負ってくれるのよ」。明るい声だった。聞こえた時、「ああ、別れるんだなぁ」とはっきり思えたが、その後”彼女”が一体どうやって背負うのだろうと思った。子どもだった。子供ができる事で彼に生き甲斐が生じたのである。私の時は「僕たちこんなに仲が良いんだから子供は要らないよ」、それが彼の希望であり私はそのまま受け入れた。しかし年月は環境を変えた。もし私のところにそのままいたなら、確かに・・・・50代半ばでこの先の人生に目標を失くした男との生活に互いの生長は考えられず、彼の寂しさを背負う私はしんどかっただろう。神が関係者全員に善いように采配された。その神の采配に感嘆し神の知恵をより身近に感じ始めて以来、7年前から始めた毎朝の瞑想が欠かせないものになった。瞑想中様々な問題の根本的なところが一言で語られたり、楽曲のヒントも頂く。そして私はその声を聴く感性を研いできた。

私自身も何度かその講演を拝聴したが、筑波大学の名誉教授で遺伝子工学博士の村上和夫氏は、遺伝子を深く研究すればするほど、大いなる存在を感ぜずにはいられないとし、それを”Something Great"と言う言葉に置き換えた。

矢作氏が言う、「神には善悪はない」。確かに、善悪は人間(社会)がそれぞれの都合で決めているに過ぎないが・・・私は今朝からずっと考えていた、神には善悪がないが、神はいかなる人にも”良心”を持たせている。それが、宇宙には善くなろうとする気が流れている所以であるし、逆に、宇宙に流れる善くなろうとする気が人間にも及んでいるとも捉えられる。必ずその「良心」が働く時がある。

「ただそこにいなさい」、「そのままでいよ」これらの言葉は世界どこでも悟りを得た人達が共通して今だ悟りを得ぬ者に対し使う言葉の様だ。この言葉の意味の深さがようやくはっきりと分かって来たように思う。そしてその状態で生きるよう私も努めているが、元来かなりの集中力と直感力で事をなしトントンと前に進めるせっかちな私には最初は「う・へ~」となった。できそうにもないように思った。しかし、考え方が変わると人間できない事は無いようだ。宇宙のタイミングに合わせた時、穏やかな中で周りが全員ハッピーになる良い結果が生まれる事が経験で分かると、むしろ「待つ」と言う調和の過程と時間を楽しみ”つつある”。流れに逆らわなくなった。逆らって我意で動いてどうにかしようとすると、余計な時間と出費を重ね、また人間関係もいい方向には進まない。

随分深い話をしちゃいましたね。さて、そろそろ声を出して歌の練習をしましょっと。最近あまり歌っていないからね。(^_-)-☆  




追記 10/5

改めて上のブログを読み直して気がついたが、せっかちな私が結局この宇宙のタイミングに寄り添うようになったと言う事、これも「ただそこにいなさい」「そのままでいい」、人間はよい方向に動くようになっているのだと言う証なのだろうと思う。ジタバタしていていいんだ。いずれ気付く時がある。そしてこのせっかちさ、集中力、直感力という特徴も、そのまま生かされている。同じく真理を勉強する人からよく言われる事だが、私は彼らより短い期間に真理の深淵に辿り着いたようだ。自分の想いの隅々に早く真理を浸透させたい、早く苦しみから解放されたいと言うせっかちさが、集中的にその関係の書を私に読ませ、直感力を持って何が真理か理解するに至らせたのだろう。。。。。全てそのままで良いのだ。良心を持たされた人間や人間が作ったもの、起こした事件が寄り集まって化学反応を起こし、人間はそれぞれに持たされた特徴を生かしながらより良い方向へと生長していく。そうなっているのだ。そして個人の素直さの程度によって生長が加速して行くのだろう。

ブログを書きながら私自身も気付かせて頂いた。ありがとうございます。感謝合掌。




花のような友人 10/6

ここのところ上のブログで書いたような事を考えていたら、呼ばれたのか、ライオンズクラブに所属していた時に知り合った宇田川直子さんから昨日電話があり、歌子さんのところでリーディングしてもらった話を聞かせてもらった。

直子さんは食品関連の事業主。ライオンズクラブで様々なボランティア活動をしているが、それ以前にもペルー、ペテロブルグ、モンゴル、中国、その他いろいろな国に自費で渡りボランティア活動をしていた。私より数歳お姉さまだが、いつもお姫さまのような身づくろいをしている。花なのだ。小間物を含め身に付けるものは全て見ているだけで楽しそうなおしゃれ品。以前に私の誕生日にハンカチを2枚プレゼントして下さった。ブルーとピンクの花形のタオル地。そんなハンカチを持った事もないし買おうとも思わない私は、何やらくすぐったく突然女の子になったような、甘ったるい果汁を飲んだ様な気分になった。また昨年には私が旅行先で彼女にと買った白地に花柄が入ったポータブル・ルーペ(虫眼鏡、念のため(^v^))をプレゼントしようとしたら、待ち合わせる前から有名宝石ブランド,スワロフスキーのボールペンを用意していた(このブランドようやく思い出した。私は元来ブランド志向で無いので名前を覚える事もないのです)。御自分のためにも勝ったから、おそろいよと言って渡されたものは、“ボールペン“と言いながらもペン先に向かう下半分は薄紫色、上半分は透明なガラスで中には紫色のガラス粒が詰められている。現在私が出歩いているところにはとても不似合いな上品さ。で、昨年の夏に頂いて以来、引き出しの中から持ち出す機会がない。

一度ライオンズの国際会議でタイのプーケットに行った時、あちらも一人、私も一人だったので一緒の部屋にさせて頂いたのが出会いのきっかけとなった。何を感じられたのか、それ以来温かいお付き合いをして下さっている。その後、アジア大会で台湾に行った時は同じ部屋になる事を最初から決めて行ったが、その時の私の化粧品入れを見て彼女がびっくり。いくらなんでもこれは良くないわよと、帰国して化粧品入れを買うはめになった。それ以来スーパーでもらう茶袋を化粧品入れに使う事は無くなった。私は家のインテリアや洋服には関心があったが、バッグやその中に入れる小間物にまで目を配る事はしなかった。あまり関心がないと言うか、小間物まで気を使い気に入ったものを探して歩くのは億劫なのである。だから化粧品もスーパーからもらうバッグにバサバサっと入れて持って歩いていた。旅行用の小さな均一サイズの容器に化粧水、乳液、クリーム、その他が入れ替えられて可愛いポーチに整然と並べられてある直子さんの化粧品類と、大小様々なサイズの容器に入れられ茶袋の中で横になったり立ったりまたな斜めになっているた私の化粧品が、バスルームの鏡の前に並んでいる。大分見劣りする。直子さんと同じようにしようかなと一瞬思うが、私は知っている、あの整然さは私の側では持って2日だろうなぁ、直ぐにガシャガシャになる(今まさにその通り)。

ライオンズクラブでも、自分が信じた人に対しては身がえりを全く期待せず自分の時間もお金も喜んで使うと言う。その時のライオンズクラブ東京ガバナーの応援にも率先して旗を振り、そのガバナーが今度は国際理事に立候補した時もあちらの国こちらの国へと奔走したらしい。その人生はいつも誰かのお役に立つ事だったようだ。それで、昨日の電話と以前に彼女が話してくれた事をまとめてみた。

「わたし、もう生まれて来ないんだって」
「えっ!(私の頭の中が渦巻いている。この世に生まれ変わって来なくていい人は悟りを開いた人だけじゃないの?つまり神様程になった人じゃないの?)」
「十分に苦労し耐えて、人のための仕事をして来たから、もういいんだって」
「・・・・(彼女の苦労の細かいところを聞いた事がない)そう言えば、直子さん、ずっと人のサポートばかりして来たよね。あのガバナーの時も」
「信じた人は絶対的にサポートするわ。ライオンズに入る前もボランティア活動していたのよ」
「何をしたの」
「鉛筆やボールペンを持って行ってあげたり・・・」
「はぁ~。すごいね、直子さん。そのように生まれて来たんだね。私は、振り返ると人のために生きた事は無かった。いつも何か自分を向上させるためにやりたい事があったのよね。今やっと人のため社会のために貢献できる仕事をし始めたかなぁって感じ、歌づくりで」
「しずさんも私もハイアーセルフだからね(higher self)。魂のレベルが高いの(ちょっと恥ずかしい~~~)。私達お互いに美人で、魂のレベルが高いのでいろいろと妬まれるけれど・・・・」
「ちょ、ちょ、ちょっと、直子さん、があはははは・・・」
「あら、なんで、そうじゃない!」
「(●^o^●)直子さんの携帯アドレスを始めて頂いた時の事思い出すわ。びっくりしたけれど、楽しくて笑っちゃった。naokireiだもね・・・」
「あれは、もっときれいになると言う意味もあるのよ」
「でもさ、自分の事を褒めるっていいよね。田辺聖子が言っていたけれど、自分の事ばかりしゃべっている人は無害だって。」
「自分を沢山褒めなさいよ。それは自惚れとは違うからね。こんな素晴らしいものを頂きました、ありがとうございますって言っているのと同じ事よ。ところで、私としずさんは、十字軍の時とエジプト時代に逢ってるみたいね。前世で3回ほど逢っているわ。十字軍の時は私はリーダ的な存在だったんだって」
「(は~、私との事も歌子さんに訊いてくれたんだ。うれしい)ウン、確かに、私も十字軍の時宗教の自由のために戦ったとか資料に書いてあった。」
「それとね、私は中国にいた時があって、どこかの貴族の妃だったみたい。美人なので勝手に一人歩きできないようにと、足に何かをはめられていたみたいよ。そんな苦労もありながら、それでも子供をしっかり育てたらしいわ」
「(貴族の妃?頷けるでしょ?とでも言いたげ。でも、かも知れない、かも)そう?、アジアにいた事があるのね。私の場合は今生が初めてのアジアらしい。いや~、直子さんまた生まれて来ないんだったら、もう逢えないっていう事?さみしいじゃん」
「そう、生まれて来ないんだってよ。それ聞いたらなんだかパカ~っと解放されちゃって、この世で死ぬまでどんどん良い事しちゃおうって気分よ」

直子さんは霊感の強い人だ。状況説明をするだけでも、ささっと何が起きているか判断できる人。彼女は葬学とやはり占星術を勉強したらしい。彼女曰く:低級霊がついている人は他人の闇を一生懸命掘り起こし闇を見つけては喜ぶが、高級霊がついている人は他人に対する関心よりも自分自身の魂を磨く事に関心を向ける。それは低級霊はこの世に生きている間に他人に恨みつらみや妬みを持ってあの世に行った人たちだから、同じ波動を持つ肉体人間に付いて回るからであり、他方高級霊は魂を磨いて高い霊級に昇った霊だから自分を向上させようとする人に付いてその人を導いていく。直子さんが続ける:しずさんにも私にも高級霊がついているのよ、ここまで来れている人はなかなかいないの。。。。。うっ、なに、私仙人か、菩薩か、ぎゃぁ~、それはない。今は確かに魂磨きをやっているが、まだまだ。ほんの少し、ほんのちょっぴり上に行ったような気がするかな、色々分かって来たからね。でも、それは、他(ひと)のためにやっていると言うよりも、自分が苦しみたくないから、苦しまなくて済むように強くなろうとしているだけ。でも、他の人の事はともかく、私には私を守ってくれてかつ私が向上する方向に導いてくれる霊がついているような気がする。事業をやっている彼女の方がもっといろいろな人を知っているかも知れない。

「直子さん、今度は私のサポートに回ってね」
「何言っているのよ、いっそがしくてたまんないんだから~」

2つ上のブログで矢作直樹氏が輪廻転生の仕組みが分かったから死が怖くないと語っているのを紹介したが、今の生は今回一回限りだそうだ。今生を卒業する時の自分の魂のレベルで生まれ変わって、違った姿形で、違った環境で違った人達と出会うらしい。私はいつこの世から卒業できるのだろう、直子さんともう逢う事がないと思うと、やはりさびしい。もちろんこのさびしいと言う感情は、来生では忘れているのだが。
   
  発表許可を得てから 10/8

日本人が3人、またノーベル賞を受賞したと報道された。すごいね、そして本当におめでたいですね。おめでとうございます。

ところで、物理学賞を受賞された名城大学の赤崎勇氏の記者会見を視聴していると、受賞連絡があって誰に一番先に連絡しましたかと言う質問に、何事においても発表許可が出るまでは誰にも発表しないと話された。

私も今後このスタンスで行こうと思う。これまでは全てのプロセスをこのブログに載せようとして来たが、関係者の立場を考えると閊えるものがあった。で、今回からは何かが確定し発表許可を得るまでは掲載を控える事にします。その方が関係者の方々も安心だと思う。





びっくりは夢の中 10/8

5月10日のびっくりに加えて昨日10月7日にもびっくりがあると歌子さんから告げられたが、それが10月の何日だったかはっきりしないまま、別の日を直子さんに言うと、「10月7日じゃないかな」と言う。後でノートを確認すると、正解。なぜ分かるのかと訊くと、「ただ直感」と返してくる。すごい友人を私は持ったものだ。

だが、夜10時頃まで何も無い。それで直子さんにメールを送ると、「今に 分かると思いますが 私は静さんが待っている人ではなく進んで行く人と。それで107日と言う日は 進んで行って見て きっと何かわからないけど  あるかと。」と返信が来た。この日の朝、いつものように瞑想をした途端、表参道の美容院に行ってすべての髪の手入れをしてもらう事を勧められたようなので、誰かに逢うのかなぁと思いながら行ったが意外な人には逢わず。久しぶりに裏通りにある多国籍料理を食べて帰って来た。

ま、こう言う事もあるでしょうと床に就いた。だが夢を見た。4位にあるものは3位にあるものを相手にするにあらず、2位を相手しろと結構強い声で言われる。これが何に当てはまるのか分からないが、非常に印象的な夢で、覚醒剤となって朝早くに起きてしまった。後で見るかもしれない記録としてここに書いておこう。





平日の夜の映画館 10/8

ギターとピアノレッスンを新宿で終えて、帰りにピカデリ―で「ジャージーポーイズ」を観た。昨日ピーカブーに行ったら店長の伊藤さんから大変勧められた。日本でもヒットした「シェ~リ~ イェイイェイイェイ♪」を歌ったフォーシーズンズというバンドの実話だが、調べると最初はミュージカルになったようで、それをクリントン・イーストウッドが映画化したらしい。

ピカデリ―に行ったのは云十年ぶりじゃないかしら。とても綺麗になって、長いフードカウンターもあり、ビル内に沢山の映画館があるから、それに対応するチケット窓口が幾つもある。平日の夕方18:30入場だが、長蛇の列。映画よりも演劇を観る事の方が多い私だが(なぜだろう?映画館は暗いからかなぁ)、映画ファンはまだこんなにいるのかと何だか安心した。

フォーシーズンが歌う「君の瞳に恋している」は私もレパートリに入れているが、彼らのアレンジがカッコよかったので、ちょっと拝借しましょっと。

さて、今日のギター、前回はとうとう顰蹙を買ってしまったので、何回か練習して行ったら、「練習してきたのが分かります」と言われ、まずまず。ね、もし、これで、レッスンを全く取らなかったら、絶対楽器に触らないものね。全然上達していないけれど、レッスンを取っていればとにかく触る。それに今は個人レッスンで大変丁寧に基礎の基からやってくれている。同じところを何回も行ったり来たりインストラクターと交代で鳴らすわけだが、こういう授業を幾つか持っているインストラクターって、すごいなと思ってしまう。一対一は家庭教師と同じだもね。とてもじゃないけれど、私にはできない。一対多数ならともかく。それにしても、このクラスで一つ一つ丁寧に練習していると、今までグループレッスンで歌いながら弾いて楽しい事は楽しかったけれど、いかに適当にやっていたか、改めて思う。





輪廻転生を知れば 10/9

矢作氏も言うように、文明化によって人間は人智では理解の及ばない世界、5官で感じられない世界、科学的に証明できない世界を信じなくなり、馬鹿らしいと端から聞こうとしない人も今だに少なくない。それは知識を少しばかりかじった人間によくある現象だ。私の最初の夫は教育哲学を専門とする学者だったが、「それはまだ証明されていない」とよく言ったものだ。それが今では「まさか俺がこう言う事を信じるようになるとは思わなかった」と言って、“気”の働きに興味を持ち、西野塾を受講さえしたらしい。

IPS細胞の発見で昨年ノーベル賞を受賞された山中伸弥氏を始め、研究を突き詰めたトップ科学者の多くは、特定な宗教はないが神の力を信じているようだ。テレビで山中氏の発言を聴いていると「神」と言う言葉がいたるところに出てくる。遺伝子工学の名誉博士村上和夫氏も然り:偶然とは思えない大いなる者の意志があるとしか考えられないという結論に達している。

矢作直樹氏は集中治療の現場で沢山の死を見て来た事や実母との交霊などから輪廻転生を確信するまでに至ったのだろう。輪廻転生、この概念や仕組みを理解し信じられたら、国家間のいがみ合いなど、笑い草に思えてくるだろうと思う。いま「こんちくしょう」と思っている国に前世にいたかもしれないしまたは来生にいるかもしれない。その相手国にいた(又はいる)時に今いる国に対し「こんちくしょう」とやっていた(いる)のかも知れない。つまり自分の中にある憎しみやプライド、劣等感をもつ魂が何かをとっかかりに顕れて来るのだろう。どこに行っても、自分を連れて行く。人生はそんな自分自身に気付いて行く過程なのだと想う。今”いる”場所を愛せよ。今”いる”事に感謝せよ。外で何が起ころうと、求められるのは持たされた魂の研磨のようだ。

もう一つ思う事がある、先祖崇拝。キリスト教にもイスラム教にも先祖供養と云うのがない。親鸞も歎異抄の中で先祖供養をはっきりと否定しているし、死体はそのまま川に投げろと言ったという話も聞く。全く違った姿形で、まったく違った環境に生まれ変わる輪廻転生なのに、なぜ先祖供養と云う行事が一部のアジアの国に連綿と続いているのだろう。ネット・サーフィンをしていると先祖供養は儒教の教えだと言う。先祖は自分の肉体、つまり血と骨を作るために存在したものであって、その先祖も今は全く違った家族の中に生まれ変わっており、自分も全く違う家族の中に生まれていくのにである。先祖供養を奨励している宗教さえあるが、そこには墓、檀家、供養にかかわる様々な収入と云う宗教組織にはありがたい事があるからだと、このブログを書きながら思う。

ふと、今気付いた事だが、やはりその時々の国や団体の思惑で先祖供養が奨励されるのかもしれない。先祖供養と神とのつながりは。。。私には分からない。直接交わりがあった父母や祖父母等の範疇なら想いも特別だろうが・・・・そのもっと上に行ってしまうと・・・・”感謝”の意なら万物に対する感謝と変わらないはずだと思うが。

   
  日本人なら大腸がんで死んではいけない 10/9

スゴイ、すごい事を言ったこの人。

夕方、先進治療を見せるテレビ番組を偶然見ていた。白内障の手術は部分麻酔で10分足らずで終わるらしく、術後は直ぐに物を見て良いらしい。もう一つ紹介されたのは内視鏡を使った大腸がん手術。苦痛が一切ないらしい。「日本の内視鏡を使った大腸がん手術は世界トップレベルです。日本人なら大腸癌で死んではいけない」と、その医師が言う。なんとも頼もしい。こういう医者がいる事が実に嬉しいし、こう言われれば100%の信頼を持って任せられる気がする。

アイスランド/グリーンランドから帰ってきて長い間排便をもよおさず、8月の一月の間にたった3回だけ。矢作さんと気功師の中健次さんとの対話「人は死なない」を読んでいたら、肉、アルコール、合成調味料を取らない食事を続けている中さんが、ある日抗生物質を飲んだらたちまち便秘になり、平常に戻るまで3カ月かかったと話していた。直ぐに思い当たったのが、蕁麻疹ができてもらった抗アレルギー剤だ。眠くなりますと言われたが、半端じゃなかった。アイスランド/グリーンランドにいる間、私の体の中はあちらのミネラルがたんまり入った硬水でとても綺麗になっていたのかもしれない。

ひと月の間に3回の排便、急な便秘はがんの可能性もありますと言われ、直ぐに大腸がん検査を勧められた。「日本人なら大腸がんで死んではいけない」、どうも直ぐに治るようだ。ニカ~っ。

それにしても、すごいね、日本はね、日本人はね。昔はとかく西洋と比べて自国を卑下する人が多かったように思うが、最近は若い青年たちの間でも、日本を誇りに思っていると言う人達が少なくない。だからか、海外に留学しようとする人たちも少ないようだ。





ノーベル文学賞 10/9

夜に発表されると言う事で、またいつものように村上春樹ファンたちが一つのところに集まって結果を待っている様子がNHKテレビで映し出された。

悪いけど・・・入らないと思った。

昨年も村上春樹が候補者の一人だったが、その年の受賞者アリス・マンローの短編小説をなぜ彼女が受賞したのか興味があり何冊か読んだ。人間味があって、哀しくて、温かい。読者も納得いく修飾であり描写で、ああ、いいなぁ、なるほどこの視点から見たんだぁと、その新しい視点が嬉しくもなる。文体に過剰に拘り過剰な修飾描写が目立つ村上とは違う。村上の修飾の世界は彼一人だけが酔いしれていて、読者はその共感する機会をさらわれるところが少なくない。

今日日本を代表する作家に対して、モノ申してはバッシングを受けるかもしれないが、彼の小説を何冊か読んで、他の候補者の作品と読み比べ、ノーベル賞受賞はないと思っていた。彼の世界に飽きた事もあるが、今年は彼が翻訳した海外小説を読んでいた。文章力があるので、他の翻訳者より面白い表現をしてくれるかもしれない、彼の自作ではないので原作に忠実であるなら読者が共有できる表現にとどまっているかも知れないと期待したからである。が、自分の文章力に多分な自信があるので(あり過ぎる)、彼が翻訳力を極めた最高の翻訳だと自負している「華麗なるギャツビー」は、まるで村上の本であり、原作者のスコット・フィジェラルドを隠してしまうほどの傲慢さを感じた。それがよいと言う人もいるかもしれないが、私は買わない。翻訳者は控えめでいい。通訳者と同じ、飽くまでも黒子でなければいけない。だから村上の初期の翻訳本の方がうまさをひけらかしている感じもなく、違和感なく入って来る。

選考委員は、やはりよく読んでいるなぁと思った。村上さん、生意気な事言って済みません。(@_@;)


それにしても、最近のわたし、随分頻繁にこのブログを書いていますね。手にした本に触発されて、これまで色々思っていた事が堰を切ったように流れ出したのかも。あは。





「ライバル」はヒットする歌? 10/10

今日の夕方MPJのデモピッチに行って来た(デモピッチは、”楽曲の売り込み”)。様々なメディアの方々に聴いて頂いて個人的な感想を頂く会だが、今日のゲストはビクターから来られたK氏。私は「ライバル」を持参した。

「これはヒットする歌です」・・・予想だにしていなかったコメントは大変嬉しかったが、一瞬だじろいだ。5月以降これまで5回この会に参加して来たが、どのメディアも誰の曲に対しても発言した事のない言葉だ。「いい歌です」とか「おもしろい」とか、その類の表現には心も準備していたが、「ヒットします」と言う言葉には大分驚いた。彼は歌詞を見ながらデモを聴いていたが、段々ものすごい真剣な顔つきになっていた。ヒットするかしないか、それは出してみなければ分からないが。 

会社の中や様々な男社会でありうる内容でありながら、誰も書いていない歌。ラブソングに辟易した人達がいくだろうし、また定年退職したおじさん達がカラオケで歌うような歌だと言われた。だが現在手持ちのタレントで、この歌を誰に歌わせるか具体的に思い浮かばないので持って行かなかった。それだけが理由だという。(そういうものなのかなぁ。直ぐに結果が出るものが欲しいのだろうか)。

誰も書いていない歌、「狙いましたか」と言われたが、まったく狙っていない。以前にこのブログでも書いたが、キムヨナと浅田真央のライバル関係を見ていながら書きたいと思っただけ。大体私は全てに対し狙わない、狙うとむしろ結果がよくない。ただ湧き出る思い、外からのつっつきで動く。我意で動く事がかなり少なくなった。


追記(10月11日):この事を昨夜早速Mディレクターにも報告すると、彼の同僚にもあたるK氏は嘘をつかない人だから、本当にそう思ったのだと思う。たしかに、詞、曲、歌が合わさってヒットだから、全てのパーツを揃えるのは大変な事だと言う。ふと思った事だが、これまでこの会には5回参加している。その内の3回、来られたゲストは私がプレゼンした楽曲に大変驚いていたり、感嘆の言葉を発しているにも拘らず、持って帰らない。なぜだろう。私が歌わなくとも誰かに歌わせても良いのに、どうなっているのだろう。見当がつかなかった。孤立されたような気分になっていた。だが今日私の中に答えが生まれたような気がする。これも神の知恵。K氏でもH氏でもない別な人に関わらせようとされているのだろう。私以上に神は私を知っている、この先どんな仕事を私に望まれるのか、それをも含め、誰が最も適任か知っておられる。相手の事も御存じだ。ただ待てばいいのだろう、だが、長いなぁ(せっかち!)




探しているものが 10/12

今日は音楽仲間達と飯能まで行ってバーベキューをして楽しく過ごした。

またまた驚きがあった。予定していたゴルフが流れたので申し込み締め切り日に突然参加する気になったのだが、飯能駅で6人程が集合して既に現場にいる仲間の処まで歩いて行く途中、始めてみる人が私と並んでずっと一緒に歩いている。映画音楽を作曲しているという。もちろん編曲もする。

実は、アレンジャーを探していた。予定していた人が11月末まで手が空かないらしい。そんな事もあるので数人のアレンジャーがいることが望ましいのだが、この人も12月なら時間が取れると言う。遅すぎる。11月末が先に来る。帰り際、ダメならダメで良いから一応私の音源や譜面等を送るので、それを見て連絡をくれるようお願いした。

送ると直ぐに連絡があり、無理な様子を連発していた後なので、苦笑を混ぜながら「やらせて頂きます」となった(こうなると、こっそり思っていた。あは)。そして、ここはもう一度繰り返したらどうかと積極的な提案までしてくれる。うわ~、なんという巡りあわせだろう。本当に今の私には必要なものが余り労せずして与えられる。こんな事があると自分がやっている事により自信が生まれる。ありがとうございます~。




何を言っているの! 10/13

二つ上で、「だが、長いなぁ」と書いて、何を言っているの!と後で思った。やっと詞もメロディーも面白いと言うレベルに来たのよね。並んだのよね(この人勝手に一人で評価して、おもしろいね)。正にここからよね。

私の人生って、本当にいつも何かに夢中になっている人生だなぁと思いながら、笑ってしまう。
   
  流した涙に酔いしれて 10/13

夕方銀座まで出かけ、音楽仲間のライブに顔を出した。台風も来ているが風が強くなければ行けるとOKしたが、結構降りそうだったので少しばかり迷い始めたが、行くと言って行かないのは出演者にとって大変気落ちがする事だし、最近は言い出した事は必ず守るというスタンスをとっているので、土砂降りにならない内に出かけた。帰りはまだ風はなかったが土砂降りの中を帰宅。

全員アマチュアだが、想像していたより声も歌も良く、中には自作曲を披露した人達もいて、感動的なものもあった。声だけをとれば、メジャーデビューをしていないだけで、プロと変わりない。子供を産んで育てたお母さんの心情を切々と歌う40代の女性シンガーソングライターの歌が良かった。

この女性が歌っている時、私の斜め後ろで鼻を啜っている音が大分長く聞こえる、3曲ほど歌う間ずっと啜っていたのではないかな。余り長いので、この時期にも花粉症があるのかと思ったが、演奏中にもやっているので気になりそちらを振り向くと顔面涙が落ちている。落ちたまま、ずっ~ずっ~ずっとやっているわけだ。普通ならティッシュで鼻をかんだり、涙を拭いたりするのだが、しない。このシンガーソングライターの母親だろうか。鼻ぐらいかみなさいよ、歌を聴いている人に迷惑よと心の中で思っていたが、なんだか自分が流している涙に酔いしているよう。これは次の歌のネタに使えるかもしれないと、忘れないよう頭の中で二回繰り返した。「流した涙に酔いしれて・・・」





明日がない時 10/14

きゅ~っ、サッカーワールドカップほどではないが、野球のクライマックス戦、オリックス対日本ハム。オリックスはトップとの差0でパリーグ2位、ソフトバンクに勝ちリーグ優勝もできたかもしれないチームである。ところが今日のクライマックス戦でその差6.5で3位の日本ハムに負けた。

数年前日本シリーズで優勝までした後かんばしくなかった日本ハム。栗山監督どうしちゃったのだろうと、このクライマックス戦で私は彼のチームを最初応援していた(テレビは消音にして時々映像を見ている)。ところが、10イニングで日本ハムがホームランで勝ち越しの1点を入れ、オリックスの森脇監督の表情に不安と必死さと恐怖と焦りが入り混じった途端、私の気持ちは突然オリックス応援に回った。「そりゃ、そうよね、オリックスが勝って当たり前よね、2位なんだから」と画面に向かって心の中で言っていた。負けて彼の無念の表情がきゅきゅきゅきゅ~んと私の胸に細かい微振動を起こさせる。あ~あ。

勝者の顔ってどこも同じだから、さらっと見るが、敗者の表情は心に刻まれる。改めて思うが、私はどこが勝ってもいいみたい。いい試合を見せてくれて、心をブルブルさえさせてくれれば。敗者の表情を見た途端、同情しちゃって、こっちまで辛くなる。これが球場で直接見ていたなら敗者の表情は見えないからそれほどきつくないけれど。カメラはわざわざ敗者を撮る。嫌みだよね。だが、大変自然な偽りのない表情は、時に美しく、時に哀しく、時に切ない。それは芝居をしている俳優や歌を歌っている歌手の表情には見られない。

とにかく明日がないという試合は見ごたえある。必死なんだよね。それが観るものを感動させるのね。これは全てに付いて言えることかもしれない。必死さ、夢中(これもいいね)、これには感動があるね。

話は変わり、ソフトバンクの秋山監督が今回限りで退任するらしい。奥様が倒れて3年、これからは家族の時間を大事にしたいと言う事らしい。時々この人なぜ元気がないのだろうと思っていた事があったが、そう言うことだったのね。妻の年齢が55歳、ご本人は52歳。こういう深い愛を持つ関係は、一夜でできる訳ではない。懐かしい。私の残された人生の時間で、もう一度深い愛情の交わる関係を作れるだろうか。そろそろ見つけなければ、愛を育てる時間が足りなくなるだろう・・・・と、思ったが、ま、それはそれ、与えられた時間でまた違ったものを作るでしょう。





「生きて来た証」 10/15

「太陽は照り雲は流れる」と「僕は神様じゃない」が結構いい感じで仕上がっているみたいで、昨夜はっきりモノ申す友人に電話で「太陽は照り雲は流れる」を聴かせたら、好感度が高かった。10月12日のブログでも書いたけれど、映画音楽の作曲をしている人が、12月までは手が空かないと繰り返し言っていたのに、音源、譜面、歌詞を送ると、ニコニコと電話してきて「やらせて頂きます」になったもの。気に入ってくれたみたい。で、映画音楽の作曲をする傍ら、私の依頼も少しの隙間に入れてくれるようで、11月に仕上げると言って来た。彼はどうも私が録音した声も気に入ったよう。だがまただ:「加藤登紀子のような声で」(@_@;)

アレンジャーが忙しくて私の仕事を受けるまでの間が長いのもいい。一度できたものに、私のほうに新しいアイデアが生まれ何度も手直しができる。お陰でアレンジャーの手に渡るときは完璧な状態になっているので、あっちも楽だし、こっちもより一層いい作品ができるのだから、ありがたい。

全てが良い事につながる。今はまだ見えないけれど、後で気付く - 今の私にはこの考え方が染みつき始めたので、実に気が楽になった。

それで、この2曲がアレンジを待つだけとなって、本を読んだりゴルフをしたりと十分にゆっくりしたので、また新しい歌に取りかかった。今年の13曲目、「生きてきた証」。これは定年退職をしたくらいの男性が人生を振り返っている話。かなり前に、と言っても何か月前か何年前か忘れたが、出だしの詞を書いておき、その時曲も一緒に出て来たが、それを整理して、一応歌になるよう仕上げた。草稿1かな。

数字にすれば随分長く生きて来ました
振り返れば後悔する事も色々あります
例えば 抜かなくともいい歯を 抜かせてしまった事
    ・・・・・

これが出だし。「何だ、その歌は?」となる人もおいでだろう。段々と深くなって行くのであります(がは)。ところで、一年に12曲とか13曲作っちゃうのはやはりすごいみたいね。歌づくりをしている人は皆びっくりする。すごいのよ~と歌づくりの世界を全く知らない人に言っても、つまらない。驚いた様子もない。こっちは驚いて欲しいのに、ふん!





どうしちゃったの 10/18

クライマックス・シリーズ、阪神対巨人。現在4回戦がスタートして僅か12分経ったところ、1回表、阪神が二人のホームランで4点を入れた。クライマックス戦が始まって以来阪神はストレート勝ちしている。ポッカ~ン。誰がこれを予想したであろうか。実は20年ほど前、野村克也監督が阪神の監督に就いた時、「野村はおもろい」と言う連れに沿い、以来ずっと阪神を応援するようになった。

シーズン中、最終イニングでそれまで劣勢であったにもかかわらず点を入れて来る巨人、この勢いならクライマックス戦でも勝ちは巨人に行くだろうと思っていたら、阪神がストレート勝ち。阪神、どないしたん。巨人のキャプテン阿部も呆然としている。巨人にエラーが出ている訳でもないし、何も悪いことはないように思う。にも拘らずなのだ。一生懸命頑張って来た阪神の和田監督と選手たちへの神からのご褒美としか考えられない。和田監督、来期も契約延長で良かったね。

ここで1回裏、これからゲームはどのように展開するか分からない。以前のクライマックス戦だったか日本シリーズだったか、前半ストレート負けをしていた巨人が後半ストレート勝ちした事があった。今回は私も阪神の応援をそのまま続けよう。いつも同じチームが勝ってはおもしろくない。喜びは分けた方が良いように思う。もちろんこれは私が傍観者だからそう言うのであって、当人だったら、今回も!と思うだろうけれど。




ハーフとフル 10/18

先週予定したゴルフが流れて、昨日久々の18Hのフルゴルフに参加。いつもは後半から軽やかになるのに、今回は後半に疲れが出た。それで昨日は久々に10時過ぎに床に、9時間も眠ったようだ。だがまだ体全体が重い。途中で数時間また眠った。

ここのところ通い始めた9Hの練習場で9Hだけ回って帰ってくるせいだろうか。これはいかん、ジムのウォーキングマシンで日常もう少し汗を流さなければ。ジムではヨガと直感力強化のため自転車漕ぎをやりながら液晶画面で”神経衰弱”ゲームを20分程やりジャクージーに入って帰って来る。時々筋トレをしたり、速足ウォーキングをするが、読みたい本があると早く帰宅したくなり、筋トレとウォーキング、特にあまりに単調なウォーキングはカットする事が多かった。

まだまだホンちゃんで100点台は遠い。だが近づいてはいるようだ。一緒にプレイした人が、「こんなにうまかったけ?」と意外さを表していた(あはは)。彼は以前に、私の名前が入っている”うま”は「悪いけど買わなかったよ」と素通りした(がは)。
   
  「 あなたがいたから 私がいた」 10/19

午後から有楽町に行っていた。帰り際駅構内だったろうか、ポスター「松任谷由美 in 帝劇」が目に留まり、よく見ると今月の公演である。その場からチケットリザーブに電話をすると、補充椅子なら空きがあると言う。ユーミンはまだそんなに人気を博しているんだぁ、最近あまり聞かないので、少しの驚きと安堵とが入り混じってチケットを買いに日比谷の劇場まで行った。丁度本日の部開演30分前だったので、これも何かの縁、当日券を買って観て来た。

素晴らしかった。芝居の中に挿入歌としてユーミンが歌う。2年前に初めてこの形式で“コンサート“をやり、今回が2回目らしい。中島みゆきが1989年から始めた舞台「夜会」を踏襲したとも思えるが、中島の場合は脚本も演出も自分で手掛け、本人も芝居をし、歌は既に録音してあるものを流すので口パク。毎日の公演で本人一人が歌いセリフを言っては2か月回すなど不可能なので、当然と言えば当然である。全て録音済みだから現場にバンドも要らない。これは制作サイドにとっては財務上も効率が良い。ユーミンの帝劇舞台の脚本演出は御主人の松任谷正隆。彼女自身の役目は歌うだけで芝居には一切加わらない。ユーミンは生で歌い、バンドも舞台袖で演奏している。そのためか、彼女の声は荒く、それをぼかそうとするのか、ミキサーは彼女の声を楽器音のレベルと同じ程度にブレンドさせる。だから、歌詞が殆ど聞こえない。

だが大変温かい舞台だった。一番驚いたのは、カーテンコールで、20人以上いる出演者をユーミンが一人一人名前を呼んで紹介した事。たまげた~。こんな大勢の出演者の名前を一人づつ、カンニングペーパーも持たずに呼ぶ。舞台の最後のシーンでは桃色の花吹雪が舞う中、「春よ来い」を歌い、アンコールでは「卒業写真」。「卒業写真」の最後の部分は主演俳優達と一緒に合唱する。

ユーミンの御主人、松任谷正隆の才能にも驚嘆した。音楽制作、作曲、アレンジだけでなく、脚本、演出までするのかと。それでこの人の事をネットで検索すると、俳優業もやっていたらしい。な~るほど。

最後には少なくない人達が立ちあがって拍手をしていた。この舞台に関しては、ユーミンの力量と云うより御主人の松任谷正隆と俳優たちの力量が成功に多く貢献したと思う。久々に観た感動の舞台だった。





いやはや 10/21

10月15日のブログで今年13曲目の「生きてきた証」の草稿#1が終わったと書いたが、あれからまだ色々いじっている。「ライバル」は飽きの来ない楽曲だとMディレクターから言われて、「飽きの来ない歌づくり」という点にも注意を払っている。歌詞を入れずに曲だけを流して聴くと言う事もやり始めたが、これが大変よい。歌詞を入れると気がつかないのだが、外すと「だるいなぁ」なんて思ったりする。で、あちらこちら削る。逆にこの歌詞は絶対入れたいと云うものもある、ならば削除して残った部分のどこに入れるか、だるくならないようメロディーも適宜変えながらその歌詞を入れる、いやはや、まさにパズルを解いているようだ。だがこれがおもしろい。何処かでハッと気づき、いい塩梅になる。

やっといい塩梅になったかなぁと思うが、もう少し寝かせてみよう。また何か出てくるかもしれないから。

以前は、歌は降ってきて数時間で仕上げていた。だが今はこれまで書き溜めた歌詞にメロディーを付けているので、ちょっとやり方が違う。詞先であったり曲先であったり、降ってきて書いたり、意識レベルで作ったり。様々な形に対応しているようだ。

今日はどこにも出かけず、家で曲作り。夕方は録画しておいた小椋佳の生前葬コンサートを見よう。先日録画している最中に少し見たが、似たような歌が多いですね・・・


ところで、野球の日本シリーズは阪神とソフトバンクが対戦。どちらも頑張って。。。。ソフトバンクの秋山監督はこれで退任だから、最後の花を咲かせてほしいが。。。。私は阪神は応援すると思う。何十年ぶりの日本シリーズだものね。和田監督、よう頑張ったね。なんか固くてその表情には閉塞感を見るようで伸び伸びしていない。昨年までは、こりゃ、だめだと思っていたけれど、どんどん顔が開いてきた。





「世間に近づいて」 10/24

うわ、うわ、うわ、来たぞ、来たぞ。「生きてきた証」が大分形をなしてきて、もう一つ書きたいと思っていたテーマ、恐らくタイトルは「世間に近づいて」、のメロディーが今朝8時30分過ぎに出て来た。昨日取りかかり始めて、歌詞を半分ほど書き終え、様々なメロディーを当てはめてみたが、なかなか納得できないでいたら、今朝、さらっととてもシンプルなメロディーだけれど清々しいものが歌詞を私の舌に乗せて出て来た。これだ!って、嬉しい。きゃっきゃっきゃっ!

これは、フランス人作家アニー・エルノーの小説「シンプルな情熱」からヒントを得て書いている。彼女の作品は不倫小説と呼ばれているらしい。瀬戸内寂聴の何かを読んでいたら、彼女の話があったのでこちらまで手と足を延ばしたわけだが、不倫であっても純愛であっても人を愛する時の心の動きに変わりはない。でも、いつも思う事がある。なぜわざわざそんな複雑で面倒な事をするのかなって(笑)。相手の妻の身になればとてもできる事ではないような気がするのだけれど???自分が妻の立場だったら、嫌でしょうに。タイミングがまずかっただけよ、等と言う人もいるけれど、私はそうは思わないなぁ。

ま、とにかく、またまたいい歌が書けそう(自分で言っているから世話ないわ、あは(^_-)-☆)。自分の歌がどのような路線を進もうとしているのか、だんだんはっきりとして来たかな。では、では。




「ブレス・オブ・ライフ (女の肖像)」 10/24

そう言えば、2日前の水曜日に新国立劇場の小劇場で若村麻由美と久世星佳の二人芝居「ブレス・オブ・ライフ (女の肖像)」を観た。上のブログにも出て来た言葉、不倫”がドラマの引き金となっている夫の不倫により長い間苦しみの中にいた作家のフランシス(久世星佳)が不倫相手で今はイギリスの小島で一人暮らしをしているマドリン(若村麻由美)に逢いに行く。夫は既にマドリンとも別れてシカゴで弁護士の仕事を続けている。フランシスが彼女を訪問する目的は自分の回想録を書くためだという。

私が聴き逃したのか、マドリンの職業がよく分からなかった。芝居は彼女のリビングルームだけで進められるが、その部屋は床から天井まで本だらけ。一瞬彼女が作家かと思った。そして最後に彼女のデスクに置かれてある一枚の写真にフランシスが気付く。シカゴでマドリンと夫が仲良く写っている。???シカゴでの新しい女とは誰の事?また、前向きに明日に向かってゆくと言うのがこのストーリーの終わり方だが、そんな言葉は出ない。ただ、互いに一番気になっている相手に全てを語りかつ聴く事で、心の掃除をしたと言う事だろうか。夫が自分にない何を求めていたのか、妻は知りたがっていたのだろう。そしてなぜこの愛人とも別れたかと言う事も。全てを語り終えると言うのは、ひとつのカタルシスだから。

二人の演技にコントラストがあって良かった。特に印象深かったのは、宝塚出身だと言う久世星佳。宝塚出身と云うのは大体大芝居をしがちだが、大変自然だった。

それにしても、The Breath of Life
女の肖像と訳しているけど、よくこう言うタイトルが出て来るなぁと感心する。劇場を後にしながら、私ならどう訳すかと考えていたが思い当たらない。直訳は息吹きだろうと思う。ネットでは霊魂とか生命とか書かれてあるが、生命力とも言えるかもしれない。閊えていたものを全て吐き出して、すべて明らかに綺麗にして、次を生きる力かな。しかし”生命力”を芝居のタイトルにするのは・・・・ねっ!




Halloween 10/25

今日はハローウィン。昼間外に出ると街中は10代20代のコスプレ姿の男女の若者たちで賑わっていた。コンピュータが創りだした仮想アイドル”初音ミク”をまねた女の子たちも沢山たむろしている。携帯カメラで彼らを撮っていたら、「こちらもどうぞ」と普通服の青年に誘われるまま目線を移動させると、コスプレの若者たちが通りの真ん中を陣取って群れをなして写真撮影に応じている。「どうぞツイッターなどで宣伝して下さい」と付け加える。スポンサーかなぁ。駅まで歩く間、来るわ来るわ。コスプレの若者たち。

マンガから切り取って生命を吹き込んだような”生き物”。一瞬人間を止めてマンガの世界で遊んでいるのだろう。彼らと行き交いながら、しみじみこの国の文化の面白さと云うか特異さを思い笑ってしまう。米国の文化をこんなにも真似する国が他にあるだろうか。米国留学中ハローウィンは合計9回迎えたが、夜になると仮面を付けマントを羽織った子供たちがお菓子をもらいに家のドアを叩いたり、大学の学部の学生たちは寮で手作りの衣装を着てパーティに現れたりするが、日本のこの若者たちの衣装はどう見ても貸衣装屋で借りて来たコスプレ。それも漫画のキャラクターをそっくりまねる。マスメディアがはやし立てるのだろうけれど、それに直ぐ乗る日本人。この日本人の特異性により、日本は外国人にとっては最高の売り込み市場となる。ハローウィンは元々は死者の鎮魂、日本のお盆に等しいのかもしれない。それをコスプレ祭りにしてしまう日本(と言っても東京だけだと思うけれど)。


日本にマクドナルドがいくつあるか。20年以上前、ローマでイタリア料理のしょっぱさに辟易してマクドナルドを探した事があるが、やっと一件見つけるのに大分時間を使った。以前にNHKで放映していた吉田茂首相を題材にしたドラマで、日本は米国の植民地になったと言っていたが、あれ以来日本と米国の関係が変わっていないところを見ると、米国の文化が日本にどんどん入って吸収されるのも当然と言えば当然かもしれない。

ハローウィンの日に釣り合いが取れているのか(?)、新宿で京王線の電車に乗って発車まで停車している間、突然乳母車を押している若いママが大きな声でしゃべり出した。横には年配の女性がいる。母娘かと思ったが差にあらず。「余計なおっせかいなんだよ~、くそばば~!」となった。するとこの年配の女性も負けていない。素直に自分の”忠告”を聴き入れない若いママに、「あなたの子供が素直な子に育ちますように!」と大声で言い返す。私の心はとっさに、この若いママの応援に回った。くわしい事は全然分かっていないが、なんとなく何が起きたか察しがついた。そしてこの若いママの心を癒してあげたいと一瞬考えた。だが、私も言われたかなぁ「余計な御世話だよ、このくそばばぁ~。」(@_@;)

夜8時頃また京王線に乗り新宿に向かった。またゴスペル姿の若い女の子達4人。今から渋谷に乗り出すと言う。くわ~っ。





あなたが出たらいいのに 10/25

10月10日のブログでも書いたが、自作曲「ライバル」にメディアから意外なコメントとを頂き、Mディレクターからも詞、曲、歌が揃ってヒットだと言うコメントが送られて来た。この事を、60代70代の熟女達に話すと、「他人が歌うことで本当にいいの?」「あなたが出るほうがいいんじゃないの」と云うレスが返って来た。「え?私がドレスを着て、『横眼でお前の様子を伺い・・・』って歌うの?」そうじゃなく・・・・と云う感じの反応だった。確かに、あのような男の歌でも、ズボンと上には軽い長めのシャツをさらっと着た姿で歌えば、これまでなかった形なので、視聴者からすると驚きかも。それがまた私の自作曲となると驚きはさらに増すかも知れない。

私の本心は、はっきり言って、どうでもいいの。歌詞だけの提供、詞と曲の両刃、詞、曲、歌の3つの矢でも。気が楽なのは歌づくりだけやっていく事かな。そして自分の手作りライブ。でも、私が出た方がもっと強く何かを伝えられるなら私が出たらいいと思う。今日帰宅してテレビを点けるとBSのどこかの番組でさだまさしが話していた:僕たちは有名人になった責任があると思うの。若い人たちが僕たちを見て、歳行ったらあんなおやじになりたい、あんな婆になりたいと思えるような人間にならなければいけない。

まさしくこれだと思う。そのために私が出た方が良いと思えるなら、そうしようと思う。Mディレクターの企画に期待したい。

ちなみに、さだまさしの微笑みにハッとした。聞くところによると、社会を良くしようとする思いが大きくなっているらしい。全て顔に顕れるのだなぁ、とても柔和だった。





中曽根康弘元総理 10/27

このブログで何度も書かせて頂いたが、神に振り向き心にふと湧きでる思いや啓示を素直に実行することを日常の行として以来、不思議な事が実に沢山置き始めた。こうしたいと思う事が実現していく。

通訳をしていた頃、米国のどこかの大学から来られた方が中曽根元総理が名前を連ねるプロジェクトを推進しているので、来日時元総理を表敬訪問された。その時にお手伝いをさせて頂いたのだが、目の前で初めてお目にかかる元総理は淀みのないお顔をされていた。すっと一本の軸が通り、その軸を中心に問題や人物を潔く選り分けていられている様子だった。国会議員に定年退職制度が設けられた後現役を引退しておられたが、以前からのものかどうか、霞が関に事務所を構えていらした。

それ以前に何かで、元総理は週に一度座禅をされに寺に行かれている事を読んでいたので、そのような行があってこのような姿になられるのかと、元総理が行かれる座禅道場にできれば私も通いたいと思っていた。

そう思ったのは、ずっと昔の事だが、最近「花のように生きる」という禅寺の住職が書かれた本の中に、その禅寺が元総理がいらしていたところらだと知った(今でもいらしているのかは定かではない)。その本の中に次のような件がある。

- 座禅されている中曽根さんの姿には見るべきものがありました。一時間半の間微動だにしない。(住職が)高校時代だったか、大学時代だったか、一緒に座禅をした事があったが、その端然たる佇まいは、”門中の小僧”を完全に圧倒するものでした。「いま」を命の限り生きている姿、全力で座禅をしておられる姿、がそこにあったのだ、と思います -

日本が米国の“植民地”的な位置に置かれ、米国に追随する政策が多い中、近隣諸国との国交樹立を考えられ実行されたのが中曽根さんだ。日中国交樹立はは田中内閣の時だが、その影の立ち役者は中曽根さんだったし、日韓国交の樹立は中曽根政権の時だった。国鉄の民営化を実現し、たかがの切符切りに乗客の尊厳を脅かすほどの権威が与えられているのか
、あの不遜この上ない国鉄職員を、今のようなサービスが提供できるまでの企業(人間)に変貌させた切っ掛けを作られた方だ。大きい方だし綺麗に考えられる方のように思う。

ところで、禅宗と云えば知られている処では臨済宗と曹洞宗だが、興をそそられることがある。稲盛和夫さんも、中曽根さんも、安部晋三さんもなぜ臨済宗の座禅を選ばれるのだろう。それで少し調べてみると、座禅の仕方が異なるようだ。曹洞宗では座禅の際一切考えない黙照禅(もくしょうぜん)、臨済宗では修行で与えられる課題を座禅中考えていく看話禅(かんなぜん)。なるほど。臨済宗を選ぶ理由が分かる気がする。看名禅は智慧の働きを活発にさせながら悟りに至らせる事を目的にしているらしい。



矢作直樹先生 10/27

「人は死なない」を書かれた矢作直樹氏、Facebookを利用されている事が分かった。メッセージを送信し友達申請をした。素晴らしい方なのだろう、個人的に接した時にどのように対応されるかでそのお人柄が分かるものだが、私のメッセージを読み返信を下さった。Facebookの私のページにはしずこのHPのURLが掲載されているので、先生は私のHPをご覧になられ、どうもブログまで読んで下さった形跡がその返信文の中に伺えた。少しの驚きと感動が走った。

同じ波動のものが集まる、そうなのだろう。近々お目にかかる日があるようだ。

これも上のブログで書いた、「こうしたいと思う事が実現していく」、その一つのような気がする。神が下さる機会を喜んで受けて行こうと思う。その先に、私の役目があるのだろう。

   
  「花は咲きつづける」? 10/28

今年の14曲目になる楽曲。大分形をなし完成も近いが、タイトルをどうしようかと頭をひねっている。上の方で暫定的に「世間に近づいて」にしたが、歌詞から直接取りだしたものより・・・などと考えている。で、このブログのタイトルに書いた「花は咲きづづける」または「花はまだ咲く」はどうだろう。

おみくじ買ったり 占い聴いたり
馬鹿げているわと おもっていたのに
僅かな希望が 与えられるかと
願掛け 手に書く
あなたから あなたから 電話がかかれ・・・・

つなぎとめる事できないと わかっていても ・・・・
抑えきれない欲望に 駆り立てられて
流行りの歌に 心重ねて涙する
知らぬ間に 私は世間に近づいていた

恋は実らずとも、この女性は別なつながりを得て行く。エゴが一つ一つ落ち葉のように身から落ちて行って、世間に近づいていく。

印象的なメロディーの作り方のコツが分かって来たら、あるリズムを使うために歌詞もトリミングをする。そして出来上がって来るものは、自分で聴いても大変面白い。作業は楽しい。最近出来上がったものを聴いて、私の楽曲はユニークだと自分で思うようになった。音楽理論などに染まっていないから、こう言う事ができるのかもしれない。独特な発想。

誰だったかな、まずはタイトルを決め、あ、そうだ、村上春樹だ、阿久悠もそんな事を言っていたかな、それから書いていくと。私の場合は全く逆。落ちがどうなるか自分でも分からない。最初のフレーズが出てくるとどんどん書き進める。そして書いている本人が予測しなかった終わり方になっていく。もちろん、こう言う事を伝えたいと言う核なるものがあって、そして最初のフレーズ、時にはサビが先に出てきて、書き始めるのだけれど。何処かの評論家が、その方法で書かれたものにより面白いものがあると言っていた。方法はともかく結果が面白ければよろしいだろう。

それと、数日前、ある熟女先輩から言われた、「あなたは神様から頂いた仕事をしているのだから、どんどん売り込みなさいよ。私の歌を聴いて聴いてと訴えなさい。それを恥ずかしい、相手がどう思うのかを気にしているのは、あなたのエゴよ。プライド。」

分かっているけれど、それをするのにはかなりのエネルギーが今の私には必要なのである。取りあえずは誰かが持って来て下さった機会を利用し、アプローチしようと思う。

この歌が完成したら、今度はおもしろいメロディーというより、きれいなメロディーでいながらおもしろい楽曲を書いてみたい。昨日テレビを見ていたらヒントを得たのかな。





がはは(●^o^●) 10/29

その時の状態と言うか、誰かに逢いその人から言われた言葉等に影響を受けて、私のブログのスタイルが変わってしまう。新しいブログを書く時は大体それ以前に書いたものを読み直したりしているが、その無防備さに一人驚いたり、たまげたり、笑ったりしている。それで直ぐに書き直しをする。ま、頑張っているね、と笑って下さったらうれしいです。





あ~あ 10/30

野球でヒットがなかなか難しいのと同じように、ファウルも意図してファウルになるよう打てるものじゃないのかしら。日本シリーズで阪神が負けた。クライマックスの巨人戦と同じように、どうしちゃったのと言う感じで勝つのかと思ったけれど、やはりそこまでは神様も面倒見てくれなかったようだ。しかし9回表でソフトバンクのピッチャーが3人も四球で出しちゃった後、打席に入った西岡も3ボール1ストライクになった。ストライクゾーンに入って来たか来ていないか定かでない球はファウルに流して置いて、その内完全にボールだと確信できるボールが来るはずだから待てばいいと思っていたが、打っちゃった。そうしたらダブルアウトで”あとのまつり~よ♪”となった。あ~あ。

でも、ま、日本シリーズまで行けただけでも良かった。日本の野球はセリーグよりパリーグが強いからね。実力や。

秋山監督っておもろいね。ピッチャーが四球で3人も出しちゃったのに、眉間にしわを寄せたり顔を緊張させたりせず、ニタリとしている。心の中は恐らくドキドキ騒いでいるだろうに、それをコントロールしているのだろう。ところが、四球で満塁になってしまった時は、さすがに上を向いて一人何かを呟いているようだった。天に祈ったのかなぁ。

大変惜しまれて退任するが、少し休んだらまたどこかのチームの監督になるのだろうね。お疲れさまでした。そして楽しませて下さって、ありがとうございました。





10月の終わり 10/31

明日からの3連休、毎日出かけて新しい人達に逢うので、そろそろ名刺を準備しなければいけないかと、特急で仕上げてもらった。名刺に何を記載するか、最近貰った名刺は大体個人営業の人達のもので、音楽関係者が多い。アレンジャーや同業者、そしてプロデューサーなどなど。彼らの名刺には住所が記載されていない。携帯番号とメールアドレス、HPがあればそのURL、そして名前。裏にはどんな仕事を請け負うがが書かれてある。なるほどなぁ、住所が書かれてあると、ネット上で家の外観が写真付きで出てくるので、どんな所に住んでいるのか一目瞭然。以前から思っていたのだけれど、これって大丈夫なのかなぁ。逆に住所が書かれていない不安もある。仕事の依頼人は、問題があった場合、連絡手段が携帯とメールだけなら、請負人はいくらでも無視できるんじゃないかな。もう一つ、偽住所を記載してネットで見ると豪華のマンションが出てきたりして($・・)/~~~

で、私は名刺に住所を記載しようかしまいか悩んだ結果、250枚の内、50枚だけを住所入りにした。実は、デザインが気に入ったところの印刷屋は納品が11月6日、バランスも良いので住所無しで200枚を頼み、その後特急でやってくれるところを探したらデザインがあまり良くない。それでそこでは50枚だけ刷ってもらった。住所をどうしようか、この3連休に逢う人達の中には住所もお知らせしたい人もいるような気がして、住所入りにした。要するに相手によって使い分ける。

それと、いかにして覚えて頂くかの工夫も名刺デザインには大切。これまでのタイトル「日米同時通訳/シャンソン歌手」から「シンガーソング・ライター」になったが、シンガーソングライターは山ほどいるから、その中でも覚えてもらうために、「シンガーソング・ライター(日米同時通訳から突然転身)」とカッコ付けにした。あは、これなら会話も弾むし、受け取った人は私を思い出してくれるだろう。

この印刷屋からの帰り道、池袋東口区役所近くに竣工したばかりのWACCOに立ち寄った。きれいなビルの中でレストランのメニューを見ている女性達の顔が幸せそう。レストランはランチ時にもう満員だった。竣工して間もない時間にこれほどの人が集まる、すごいなぁと思う。

ところで、今日は株価が一時850円程上がった。仰天しましたね。なんとなく見ていたら、600という数字が出てきて、目の筋肉を押し上げて確認しちゃいました。うわ~どうしたんだろうと世間のニュースなどほとんど聞かない私は、ただただ昨日売りに出したものを残念に思う。特に不動産株。でも、ま、損をしていなければいいと思い直しました。今日日銀が再度の金融緩和について話し合うと言う事も知っていなかった。やはりニュースは聞いた方が良いだろうけれど、あの音は結構うるさいんですよね。人それぞれのライフ・スタイルあり、ですね。
   
  唖然 それとも・・ 11/2

今日は恵比寿ガーデン・プレイスで開催されているMusic Weekendを覗いた。先日お会いした日本音楽協会専務理事の谷口元さんが近未来に日本に上陸するというネット音楽配信Sportifyに関するトークに出演されると言うので、ついでにこのイベント全体がどのような感じなのか見て来ようと行って来た。ライブも同時進行している。

恵比寿ガーデン・プレイスはかつて通訳をしていた時よく通った懐かしい場所。企業がたくさん入っているところだが、隣の渋谷と異なる個性を出しているかも。会場には見た事も聞いた事もないバンドやアーティストがライブをやっていた。もしかしてインディーズかな(インディーズ:レコード会社に所属していない、independentという言葉から作られた用語のようだ)。たまたま見たのが“コッテル”という、ベリーダンサーのコスチュームに似たへそ出しスタイルで動きながら唄っているものだった。歌詞は全く何を言っているのか分からない。人間の発する音がする程度。だけれどあのようなコスチュームでステージで動いてくれるから観客は殆どが男性陣。横にいたスタッフに「衣装が”凝ってる”ね」と一言つぶやいて笑いをもらった。

事件は恵比寿駅構内のそば屋で起きた。女の子の店員が私が注文したそばを運んで来た。汁を飲みたいのでレンゲを頼むと、外から丸見えの厨房の中に入った彼女はレンゲに何かスプレーをかけている。洗剤で洗うのかと思ったが、それにしても頼まれてから洗うようでは、この店の管理が少し気になった。私が頭を正面に向けるとほとんど同時に店員がレンゲを持って来た。「えっ?!・・・ぎょっ?!」余りに速い。洗剤をかけてゆすいだとは思えない速さ。どっき~ん。迷いながらそのレンゲを受け取り、勇気を振り絞ってその子の前で匂いをかいだ。匂う!化学薬品の匂い。うっそ~。「これ、匂うわよ、洗剤をかけてゆすいだの?」と訊ねると、「消毒液をかけました。」・・・・・・・(@_@;)

開いた口が塞がらないと言うのはこう言う事だろうか。今日ではノロウィルス感染を防ぐためにも外から帰ると手に消毒液をかけるよう、建物の入り口に置いてあるところもある。消毒液のかかった手は当然食べ物にも触れるから人体に異常をきたすことはないのだろう。だが消毒液の匂いがするレンゲで汁をすくう。当然薬品と食べ物が混ざり、味は?この娘は味覚麻痺か。たまたま私は匂いを嗅いだから唖然としたのであって、もしかすると多くの場所で客の知らぬ間に消毒液が食器にかけられているのだろうか。知らなければわざわざ食器の匂いを嗅ぐ事もない。

そう言えば、スーパーでパートをしていたと言う人に聞いた事がある。お弁当やおにぎりの米が腐らないように消毒液をまんべんなくかけると。箸やレンゲに消毒液をかける、もしかすると当たり前の事になっているのだろうか。あわわ・・・これ、なんだか、おかしい。




日本の30%の子供たちが語る前世 11/3

今日は未来医療研究会が主催するシンポジウム「かみさまとのやくそく」に朝から行っていた。エビデンス(証明、証拠)がない限り説得性がないと否定される科学の世界。そこから敢えて目に見えなくとも事実起きている事に目を向け取り上げたのがこのブログでも紹介した矢作直樹氏の「人は死なない」だが、米国のヴァージニア大学では数十年前から研究がすすめられているらしい。脳外科医エベン・アレグサンダーが自身で体験した死の世界からの復帰は本として出版され日本語にも翻訳されている。このシンポジウムで紹介された映画は前世記憶を持ったまま、現生に生まれてきた経緯を知る子供たちへのインタビューを交えたドキュメンタリー。

どうして今のママのところに生まれたか、まったく別の場所にいる互いに逢った事もない子供達が同じ事を語る。テレビのようなスクリーンに顔が幾つか映し出されて、このお母さんの所に行きたいと自分で選んだ。傍には神様がいて、神様が現生に送る子供たちを指名しその一人一人にお母さんを決めさせると言う。

「なぜこのお母さんを選んだの」
「きれいだから」(ニコッと恥ずかしそうに笑う)
「なぜ生まれてこようと思ったの」
「人の役に立ちたいから」

人の役に立つ、とても身近にはお母さんに幸せになってもらいたいからだと言う。とても小さな子供がそんな言葉を発する。

印象的だったのは、他の子供と違い、笑いがなく空気がこもった感じのする悲しげな男の子。母親の話では、ボタンが大嫌いで他の赤ちゃんが傍に来ると泣き出したらしい。この子が母親に以前住んでいた所の話をする。家族みんなで”収容館”にいた、まわりは鉄条網。やがて両親は収容館からいなくなり、祖父母とだけ暮らすが、後に自分も祖父母共々追い出される。アウシュビッツにいたらしい。なぜボタンか。茶色の服を着た兵士が自分の襟ぐらを掴んだ時目の前に見えたのがボタン。そして重ねて埋められる時に自分の上にかぶさって来たのが他の赤ちゃん、目の前に移ったのがこの赤ちゃんが来ていた服のボタンらしい事が分かる。アウシュビッツでの苦しみと恐怖。生まれ変わって来た男の子の顔に笑みがある訳がない。

自分が自殺した事を知っている子供もいる。死んだ方がどんなに楽かと自殺したが、自殺した後で悲しむ家族を肉体を出た自分が見てとても悪い事をしたのだと気付き、霊界で”反省室”に入った後、お土産を持って生まれ変わって来たらしい。

「今お土産って言ったね。おみやげってな~に」
「前に悲しませるような事をしたから今度は喜んでもらうの」

このインタビューのためにそれぞれ異なる場所から集められた2人の男の子と1人の女の子が競って自分たちが知っている事を話す。彼らは明るい。反省室に入ってすぐに立ち直った人は明るいけど、ずっと部屋にこもって反省している人もいるという。彼らは自殺と言わず“自死”と言う。

前世から現生への魂の過度期は7歳で終わるらしい。

以前に見たテレビ番組で、市川海老蔵が「今の親の所に誰かが入ろうとした時、ここは俺が行くと言って入ったのを俺ははっきり覚えているんだ」と言っていた。もちろん私を含め多くの人達から前世の記憶は消えているから、彼らが言う事が真実かどうかなど分からない。あの子供たちが言っていたという以外は根拠がない。しかし否定する根拠もない。素直に子供たちの話を受け入れるしかない。きっとこう言う話は昔もあったのだろうと思う。ただ今のように大っぴらに言える時代ではなかったのだろう。言った処で笑われるか奇人変人呼ばわりされるだけだから、親が封じただろう。今は、マスメディアが取り上げている事もあり、目に見えないものを語れる時代に入ったのかもしれない。パネリストとして参加した産婦人科医が言う、「お母さんたちは子供たちが言う事を聞いてあげて下さい。」

この産婦人科医は子供たちの発する言葉に驚くものが沢山あると言う。ある子供たちは母親の胎内にいた時から外界が見えていたらしい。大体が白黒だが、中にはカラーで見えた子もいる。「私たちは視覚で見ると思っていますが、視覚以外のどこかでものを見ているんですね。自然科学では扱えない所です」と。これに対し、別なパネリストである超心理学教授が訂正する、「現代の自然科学では扱えないだけ」だと。目に見えないものの存在を証明しようと世界中で自然科学者が研究していると言う。それに対し、東大医学部教授の矢作直樹氏は、「摂理や霊魂の概念は、自然科学の領域とは次元を異にする領域の概念であり、その科学的証明をする必要はないのではないでしょうか。要は、霊的現象それ自体に意味があるのではなく、そうした現象の見聞や体験を通して受ける啓示、あるいは導き出される理念、真理こそが本質であると私は考えています」と言う。

大変興味深いシンポジウムだった。前世の記憶を語る子供たちの言葉は、私が以前から不思議に思っていた事への回答につながった。人種、生まれた場所に関わらず、人間はどこでも同じような感情の問題にぶつかり同じような事に気付いて行く。東京で済む私、スウェーデンの片田舎に住む女性も、ニューヨークのキャリアウーマンも。人間の辿る道の不思議。人間は霊界で反省して人の役に立とうと生まれ変わる。だが、人間社会の慣習に自分を馴らす行程で、その役割を忘れ多くはエゴに囚われ様々な事にぶつかり、それを超えながらまた最後に気付く、人の役に立とうと。そして、人の役に立っている時、人間は不思議にも最も満ち足り幸せを感じる。なぜ地球上の多くの人間がここに辿り着くのか、不思議だった。

どの人間にも普遍的に存在する願望があると私も学びの師から教わった。認められる事、愛し愛される事、そして人の役に立つ事。でも、なぜそのような願望を人間は持つようになるのか、それは人の役に立つ事を神様と約束して生まれてくるから。これが人間に良心がある所以なのかもしれない。だから神様の約束に反した事をすると、良心が咎められたり、罪悪感を抱くのだろう。

もう一つ気付いた事がある。肉体死の後、転生するまでの期間が短い赤ちゃんに前世の記憶があるようだ。アウシュビッツは遠い過去ではない。そして自死した子供はあるお母さんの息子でそのお母さんの孫として生まれたようだ。だから、30%の子供という数字が出てくるのかもしれない。





まだまだ 11/5

「これ、もしかすると、死んだ時の・・・」
「えっ?」
「死んだ時に歌うんですか。 ”生きて来た”証って?」

今日は作曲のクラスだった。「生きてきた証」の歌詞を読んでインストラクターがそう言う。笑ってしまったけれど、なるほど。様々な歳の取り方がある中で、これはいいように歳を重ねた人が主人公かな。

今、私の譜面は二人のアレンジャーにそれぞれ1曲づつ回っている。彼らは、これまでの大御所たちとは異なり、色々と教えてくれる。大御所たちはプロ中のプロだから、私が作ったものをそのまま、おそらく、「音楽理論を何も知らないなぁ」と悪戦苦闘しながらアレンジしてくれたのだと思う。今手伝ってくれる人達は色々意見を言ってくれる。それは大変参考になり、授業のようだ。もちろん絶対動かせないものは動かさないが、アレンジの仕事を頼んで帰って来るものが盛りだくさん。これまで業界トップレベルの人達に手伝ってもらっていたので、同レベルを見つけられるか心細かったが、案ずるより産むが易しである。私の今の立ち位置からすると、それぞれ一長一短。ベテランの大御所は歌詞を咀嚼してくれるので、こちらから言わなくとも全体のメッセージを運ぶアレンジにしてくれるが、若い人だと、歌詞をあまり考えずメロディーだけで行くケースが少なくない。説明やらを含むコミュニケーションが必要になってくるが、コミュニケーションができると言うのはいい。

今日はおもしろい事があった。インストラクターと言うのは音楽のプロではないし、実際に作る事は少ないから、がちがちの枠組みと言うか仕来たりを教えようとする。それはそれで勉強になるが、アレンジャーは様々なものに接しているから、非常に”おおらかだ”。インストラクターに窮屈な理屈を言われ、もう少しで作ったものを崩すところだったが、アレンジャーに相談すると、崩す必要がまったくなく作ったメロディーと歌詞をそのまま生かせる事が分かった。まるで癌細胞が見つかりました、さあ手術ですとひとつの病院で言われて、セカンドオピニオンで経験豊かな医者に行くと、ああ、大丈夫だよ、それはただのできもの、何もしなくていいと言われるのに近い。

私は何においても“自然”である事を大事にする。心の底から湧き出る自然な動き、自然な言葉。だから自然に出て来たメロディーを変えるとなると、今度は頭でやる事になるので、そこから自然なものを探すまでは結構時間がかかる。避けたい。

今度初めてアレンジを受けてくれた青年が言う、「コードでは無くてメロディーから作られるので、やはり自然ですね」。なるほど~。コードを先に決めるとそのコード内でメロディーを作らなければならないので、制約が生まれる。コードを決めてメロディーを作る練習は以前に作曲クラスでやった事がある。この作り方が主流だと。私としては苦痛に近かった。ほとんど頭の作業。無意識に出てくるような右脳の世界ではない。完全に左脳の世界。それでもいいものができるればいいのだと思うし、実際にいいものもあると思う。小田和正は完全にこの左脳の世界で音楽を作っているようだ。途中ひらめきもあるだろうが、コードを全部先に決めて、そこにメロディーを埋めて行く。だから何度も繰り返し繰り返しこれでもないあれでもないとやるようだ。その様子を以前にテレビで見た事がある。それだけが歌づくりのプロセスなら、私はとうにリタイアしていたと思う。

ピアニストの西さんが私に言っていた事を思い出した、「コードは覚えなくていいよ。絶対、コードに合わせてメロディーを作る事はしないで」と懇願するようだった。私の作るメロディーは「自然だ」と彼が他の人に話すのを傍で聞いた事もある。世に出ている若手が作った楽曲の中には日本語のリズムが全く変わってしまって何を言っているのかさっぱり分からない楽曲が少なくないが、私の曲が自然なのは、どうも、コード知識がないからなのかも(あはは・・・)。でも、コードも曲を作りながら徐々に覚えて行くような気がする。以前のちんぷんかんぷんの時より、誰かが書いたコードをなぜそのコードなのか少しは分かるようになった部分もあるし、練習として自分のメロディーに時々コードを付けたりもする。西さんも黙々としていながら、私の作る楽曲に色々と感じててくれたんだなぁと、嬉しい。

歌づくりの世界に浸かるようになって、時々他の人の歌を聴くようになった。外国の歌が主だが、すごいなぁと思いそんなものをまねてみたくもなったりする。でもふと我に帰る。自然に素直に書こう。これは、シンプルと言う事では無く、自分の中で自然に湧いて来たものを素直に表すと言う事かな。
   
  受けてしまった通訳 11/7

先週の初めころ、ニューオータニの宴会場で今日行われた日本作曲者協議会主催アジア音楽祭パーティでの通訳の話が来た。実は今でも通訳の仕事は医療関連を含め色々来るが、同時通訳はまず断っている。それでも来るので、キャリアを変えてシンガーソングライターになりました。もう少しでレコード会社と契約に入ります(あは)と言うと、問い合わせが無くなる。”レコード会社との契約”を入れないと、まだできるかもしれないとまた打診して来る。また自分の中では遠からずそのようになるような気がするので、そう言っておく。いい歌を沢山書いているから、契約に至らないわけがないと確信のようなものがある。

この通訳業の確定の知らせが2日前まで来なかった。時間は作れるのでOKしてしまったが、内心「キャンセルになりますように」と祈っていたので、しめしめ。資料を読んだり、重要人物の名前を始め固有名詞をまとめたりとその準備が気ぜわしい。また長い間やっていないので、口が回るか、英語が流暢に出てくるか、色々気にする事が多い。それで2日前に連絡があった時、「あ、キャンセルの連絡だ」と思っていたら、差にあらず。途端にあわあわとし始めた。アジア音楽祭、会長はシンガポール出身、中国英語だ。う・ふぇ~。資料、資料、と派遣会社に迫ると、私の切迫感に押されて、昨日は横浜のみなとみらい会場まで行って資料を「ひったくって来ました」と言って送ってくれた(いい結果を出すために関係者が皆でできる限りの事をするって、本当にいいよね)。

夜には英語で書かれた本を引っ張り出して、英語が舌に流暢に乗って来るまで声を出して読んだり、資料をみていた。これなら大丈夫だろうと思うと同時に、「そもそも私にできない仕事なら、神様がよこす事はないだろう」と思いを変えたら落ち着いた。で、無事終了。無事終了して帰途に就いた時、思った。思う事が全部叶っている現在だが、時々時間を余す事がある。そう言う時神様に「忙しくさせて下さい」とお願いすると、大体一両日中に通訳の話が入って来る。今度は通訳の仕事では無くて、コンサートやライブで忙しくさせて下さいとお願いする事にしよう。

ところで、日本作曲協議会はクラシック音楽の作曲者の集まり、もう一つ日本作曲協会というのがある。間違って先にこの後者の方をネット調べたら、「レコード大賞」などと言う大変聞き慣れた言葉が書かれているではないか。お、(-_-)/~~~ピシー!ピシー!となったが・・・・

帰りに永田町駅構内に新しく設けられたフードコーナで食事をした。通訳を含め、派遣会社の代表とも先日彼を含む多くの人に一斉配信したライブ案内メールの中身について随分喋ったせいか、食事をしている時むせって食べ物を口に入れたまま咳を始めたら、ひとつ席を空けて座る若いスーツ姿の男の子(男性と言った方が良いかな)がすっと席を立ち、セルフサービスの水をコップに入れて持って来てくれるではないか。以前から思っていたけれど、日本の今の若者(特に男性)は同じ日本人でも人種が変わったように思う。マナーがずっと良くなっているし、素敵になった。彼の素敵なマナーが廃れないように、私は返す「ありがとうございました。」




男の歌 11/7

自然にそうなったまでの事だが、ここのところ男の視点から書いたストーリ(歌詞)が5曲ほどある。

「ライバル」
「化粧を落しておくれ」
「生きてきた証」
「僕がママを守るんだ」(これは、男は男でも、ガキ)
「僕は神様じゃない」

この中でもっとも最近できたものが、「僕は神様じゃない」。男と女、特に夫婦のように相手が自分自身の一部であり、相手の言行までを自分の好みに変えられる、自分の夢を相手が実現してくれるのだと錯覚するような関係に於いて、男が女に対し何を思うのか。「探していたんだよ」「お前が俺の最後の女」など、言われれば聴いていて嬉しいが、その言葉の後にやがて訪れる様々な痛みを重くならない程度に書いて見た。

多くの男たちが経験している感情、愛するものに分かってほしい感情、だが生来男は愛する女の夢を叶えてあげたい願望を持って生まれているから、その感情を吐露できない。それが歌になったようだ。アカペラで歌った時50代程の男性二人は、聴いている途中で息を詰まらせ、じっと私の眼の奥まで見つめる。だが、恐らく私(女)の前でめそめそできないからか、何も言わず、目の枠にじわっと血液を集める。40代程の女性は、この歌の中で使われている言葉から自分の記憶がよみがえったのだろう、あるフレーズを聴いた途端突然目をうるうるとさせた。50代の男性の一人が言う、「男の歌って本当に無いですからね。」そして60代の女性は「その歌、私の息子の嫁に聴かせてあげたい・・・。」

女たちよ、君たちが愛する男たちの寂しさ、君たちに訴えたいが男だから言えずにいる事に気づいておやり。そして優しく包んでおやり。そんな願いを込めて作った楽曲だ。男の心を代弁したのだと思う。男は、恐らく、言えないのだと思う。私も今になって分かったが・・・(@_@;)





ソロライブ開催 11/8

今年最後のソロライブです。綱渡りをしながらどうにか続けて来られている3カ月に一度のソロライブ。マスターから提案された時から、集客に注ぐエネルギーを考えただけでしんどいと思っていましたので、無理をせずにやって参りました。無名の私のライブに、家族や親せきで無い限り、または特別なファンでない限り、とてもじゃないけれど、3カ月に一度顔を出そうなんていう気にはならないと思います。1年に1回でもあっという間に来てしまう。それなのに、応援に来て下さる方々がいらっしゃる。その恵みに心から感謝しながら、今年最後のライブをやらせて頂きたいと思います。

新曲「太陽は照り雲は流れる」「僕は神様じゃない」「ためいきでるわ」を入れながら、菅原洋一の伴奏者でもありシャンソンを弾き慣れている山下淳(女性)さんがピアノ演奏で入って下さるので、シャンソンも数曲取り入れようと思っています。

今回も来て良かったと思うライブを作って行きますので、どうぞお越しください。詳細はこのHPの「出演」欄に記載しております。





亀田音楽専門学校 11/10

NHK Eテレで間断的に放送されている亀田音楽学校。歌づくりにまつわる様々な事、技巧的な事を話してくれる番組で、昨年の今頃一度見て私にとって見逃せない番組となった。番組の最終日、“校長”の亀田誠治が「皆さんに伝えたい事が沢山ありますので、またこの番組が再開される事を心から願っています」と言って終わった。その言葉がとても印象的だった。てらいも”裏心”もなく、”伝えたくてたまらない”気持ちが、その言葉通りに伝わった。あの亀田音楽学校はまたいつ再開されるのかと待っていたが、先月気付いた時には既に数回放映された後だった。それでもまた見つけた事が嬉しい。

NHKでは番組を見逃した人が個別に視聴料を払って再視聴ができるようになっているが、ネットで検索すると、無料で配信しているサイトがあった。それを見ていると、リンクで茂木健一郎が担当しているIMAGINと言う番組に亀田誠治が二度ゲストとして出演していた時の動画も紹介されていた。

亀田誠治は音楽プロデューサー。アーティストが作った楽曲をアレンジしたり、書く時からアドバイスをしたりと、音楽のプロデュースをしている。とても明るく、茂木健一郎の言葉を借りると「毒が無い」。考え方がきれいだ。だから表情を見ていても“影”がない。彼の音楽は綺麗だと茂木が言う。

アートと言うのは、本人を隠せない。本人のある面が出ている。本人の美意識や心の動き。そもそも自分が思う事以外は書けないから、自分が顕れるのは当然と言えば当然だ。また中島みゆきの話になるが、私は彼女の歌を4曲続けて聴く事は出来ない。ある男性が嗚咽すると言っていたが、この世はこれほど暗く苦しいものなのかと思ってしまう。明るい事を言っても発想の根っこが暗い。でも、彼女のドラマ仕立ての歌づくりが多くの人の心を打ったと言う事は、それほど多くの人達が人生をそのように考えていると言う事なのだろう。

そして私の作った歌を聴いて、もう一人の私は思う:この人さびしい人なんだなぁと。寂しさは随分感じなくなったと思ったり言ったりしているけれど、歌に出ている。別段それがいい悪いの話では無くて、特徴。そう言う影が歌に出ている。付け加えるなら、飽くまでも第3者の目でいうと、淋しくとも綺麗かな。そんな歌が好きだと思う人もいるだろう。淋しい人は沢山いるから。類は類を呼ぶ。
   
   アクセスが10,000回に達して 11/13

3日前しずこのHPのアクセス・カウンターが9999を数えた時、10,000回目のアクセスは誰がするのだろうと、何らかの御縁が生まれると良いなぁと思っていたら、どうもその翌朝メールを下さった方のようだ。「今月のライブに是非行きます。楽しみです」と書いて来られた。にかにかにか・・・・やっぱり御縁を頂いた。

このHPを立ち上げたのが2010年の南青山マンダラでのリサイタル前。この会場の出演者のリストを見ると、ほとんど全員それぞれのHPのURLを貼り付けていた。それ以前にもURLを作るように言われていたが、HPを作るなんて他人事のようでもあり、また作りたいような気もしたが、作るとしても、作り方が分からないし、勉強する気にもなれない。説明文を読む事が大儀だった。また何をHPに書くのか、当時はまだシャンソンを歌っていたので先輩達のものを参考までに見ると、カレンダーには出演する場所や地方公演などが書かれ、CD欄には幾つものアルバムがずら~とリストされている。見ている私は段々心細くなった。「私が書く事って、5行もあれば足りちゃうじゃん。とほほ・・・」

ホームページを作るのは簡単だよと言う人がいた。マニュアルを見ながら一つ一つやって行けば、きっとできない事はないのだろうと、取りあえず作成ソフトを購入した。しかし、ITとか機械を進んでいじくりたいと思わないので、ソフトを買うには買ったが箱を開けずに、3カ月ほどテレビの近くに置いたままにしておいた。テレビを見るたびに目につくので、いずれ取りかかるだろうと。

すると、いじってみようと思わせる事件が起きた。これも私から言わせると、目に見えない力が働いたと言う事になる。Windows XPから7に移行しようと、XPにあったものを7のストレッジに入れるのだが、なんとまあ、丁寧にまとめて私はデータをXPのストレッジに”移した”。気付いた時は既に遅し。SOHOでIT会社を経営するマンションの隣人に相談する事も一瞬脳裏をかすめたが(事後に彼はXPから取り戻せたよと言う)、それまでも彼の我が家への来訪は、時間とお金ばかりかかって(彼の言うとおりにメモリを増やしたが)結果的に何かがよりよくなった事はなかったので、一つ一つ全部打ち直す事にした。幸運にも譜面などは外付けストレッジに保存して置いたので、メールアドレスやら住所などをひとつひとつ入力して行った。どんな問題が起きても落ち着いていれば既に50%は解決していると言う名言を丹田に置いて、何も考えず無心になって黙々と作業をした。1週間ほどで作業は終わった。

私は思う。このITの導入により、世界の人間の半分、正確にはITをかなり導入している国々の人間は、自分の感情のコントロールがどの時代の人間よりも容易にできるようになっているのではないかと。相手は機械である。人間がいくら怒鳴っても腹が立っても蹴っ飛ばしても、どうにもならない。車とも違う。車がクラッシュ・ダウンしたら他の交通手段を使えば事足りるが、コンピューターはそうは行かない。自分の仕事にかかわるデータが全部入っている。それが出て来なければ、仕事ができない、と言う事は給料をもらえない、食べて行けない、生命の危機に晒されるわけである。だから、人間は心高ぶらせず相手にどうぞ動いて下さいと、ひたすらそのための仕事をしていくしかない。傍に直す人がいれば、その人に「まだなの?」と言って急かせるが、頼る人がいないとなると自分がやるっきゃない。で、やる。黙々と。すべての感情を取り捨て、ひたすら、ひたすら・・・ひたすら。最近の若い人たちの忍耐強さや文句の少なさを見ると、このITが関係しているように思える。

で、話を前に戻すが、失くしたデータの入力作業を延々と1週間かけて無事終えた時、自分が別人になったような気さえした。こう言う事を自分が成し遂げた事が感慨深く、同時にこんな感じでやればHPも立ちあげられるかもしれないと思い始めた。やっとホームページビルダーの箱を手に取り、ソフトを取りだした。何日かかったか忘れたが、HP作りは予想よりもはるかに楽しく短時間で完成した。うわ~、私がやってしまったぁ~・・・ほわ~ん。

最初の頃は1週間にアクセスは2,3回くらいだった。あれから4年、同じ方々がアクセスをして下さるし、時には思いがけない方々がYoutubeの歌を聴いてアクセスをして下さる。今日はどのくらいのアクセスがあったか見るのも楽しみになっている。

ありがとうございます。これから20,000回に?。くわ~、遥か遠い道のりでありますわ。どうぞよろしくお願いいたします。(^v^)





「ふしぎな岬の物語」 11/14

高校時代の友人から映画のチケットが贈られて来た、「ふしぎな岬の物語」。何処かで賞を取った映画だとか。チケットが贈られて来なければ、きっと見る事はなかっただろうと思う。せっかくだから一枚は別な人にあげて、もう一枚を私が使い今日見て来た。

平日だからという事でもないと思うが、館内は私を含めて4人程だった。どういう展開になるか予想が付いたが、予想通りの映画だった。始まって数十分後一度は帰ろうとしたが、賞を取ったと言うくらいだから、何かあるのだろうと、もう少し見て行く事にした。・・・が、なぜこの映画が賞を取り得たのか、分からない。今のような競争社会が多い中で、夢や希望を持たず目の前の仕事を淡々とやって行くだけでいい、物質的豊かさを追わず、野心を持たないところに人と人のつながりが生まれると、この映画は言いたいようだ。だが、ドラム缶で湯を沸かしその中に身体を浸ける生活に戻りたいと思う人がどこにいるだろう。あまりに皮相的で、掘り下げる事が出来ない人達が集まって作ったままごと(厳しい~<`~´>)。稚拙。最後まで見てしまったが、”賞”と言う言葉に”騙された”。

東京に嫁に行って出戻った漁師の娘を演じる竹内結子は、東京に憧れる田舎の女の子ではなく、銀座が似合うような都会の洗練された美女。ジムで鍛え上げ、多くの男は同性として、多くの女は異性として崇めるだろう阿部寛のヌードが露出されるが、”なんでも屋”の肉体はあのようになるのだろうか。あの筋肉はジムでボディ・ビルディングをやっていない限り作れない。漁村で収入が殆ど無い”なんでも屋”がボディ・ビルディングに投資をするだろうか。主演の吉永小百合は相も変わらず、”XXごっこ”をやっている。男なら、小づめに毛が生えた立役、と西欧では評価されるだろうか。どの映画だろうがどの役だろうが。いつも同じ。この人には女優としての好奇心がないのだろうか。ああ、もったいない。女優ほど自分の持っている様々な部分を出す事を許されるおもしろい仕事はないと思うが。いつも同じ事をやっている自分自身に退屈しないのかと感心する。にも拘らず、こんなにも女優として永らえている。永らえさせてくれる日本の風土に生まれて、本当に幸運な人だ。前世でよほど徳を積んだのだろう。黒澤、小津、溝口監督など芸術作品を作る人達が彼女を使わない理由はただ一つ、面白くないから興味が無い。違った言い方をすれば、アクを出さないのだろう。

この映画に対するネットでの平均評価は2.4ポイント(満点は5ポイント)。見に行った事さえ恥ずかしいと思わせる映画だったように思う。そんな類のものを昔、奥田瑛二監督主演映画で見た事があった。耐えられず途中で出て来た。だが今回、一応最後までいられたと言う事は、“賞”という鳴り物入りだったからだと思う。でももう一度訊きたい、「なぜこの映画が賞をもらったの?何か裏の働きがあったの?」

「ふしぎな岬の物語」は、脚本、監督、関係者全員に、もっとしっかりした仕事をしてもらいたいと思わせる作品だった。私たちの声がもっと大きくなる事で、日本の映画がもっと良くなって行く。




字が読めなくとも 11/15

「字が読めなくとも、数を数えられなくとも、彼らが人の役に立つように健常者が段取りだけを付けてあげればいい。」「日本で一番たせいつにしたい会社」に選ばれた日本理化学工業会長の大山泰弘氏の講演を今日聞いて来た。

日本理化学工業は北海道と川崎に工場を持つチョークを製造する中小企業。社員数今日現在79人、その内ダウン症、自閉症、発達障害を持つ人たちが7割以上の58人。その58人のうちの半分がIQが50以下の重度障害者だという。

障害を持つ子供たちは特別支援学校を終えると施設に送られる。だが施設で面倒を見てもらう事が彼らの幸せにはならない。人の役に立つ仕事をさせる事が彼らの幸せとなる。ある日法事に遅刻していくと空いていた席が前列の真ん中、仕方なくそこに座ると間もなくその横のもう一つ空いた席にお坊さんが座った。お坊さんと何を話したらいいのか、自分は坊主は好きではない。だがこの後には会食もある。何か喋っていなければまずい。それで当時まだ2名だけだった障害者の話をすると、お坊さんが言った、「大野さん、人間には4つの願いがあるんです。愛される、褒められる、人の役に立つ、必要とされる。施設に送って面倒を見てもらう事が幸せではありませんよ。」

その後、障害者は字は読めなくとも数を数えられなくとも、色を区別できる事が分かった。缶に色を付け、赤色の缶は赤チョークの材料と云うように分けた。材料を計量機にかける時は、計量器の真ん中で針が止まったところでOKとするが、計量機にかけた直後は針が大きく振れる。それで、乗せた後に5本の指を一本づつ折るように指示する。折っている時間だけ待つと針がメモリのところで止まる。真ん中に止まると、子供たちはニコッと嬉しそうにする。正解が分かっている。間もなく一人の子供が大野さんの姿を探した。大野さんは影に隠れて様子をずっと伺っていた。大野さんの姿を見つけると、もっと仕事をやらせろとせがんだ。

大野さんは障害者のモデル工場を作りたいと、当時東京都知事の美濃部さんに会いに行ったが、丁度大野さんの工場のある大田区で福祉工場を建設する事になっているのでまずいと、場所を他に探す事になった。企業がやってくれるならと、川崎市が歓迎。大野さんは1億2千万円の借金をして工場を建設。その後障害者の給金は全て国からの助成金で賄われる事になる。施設に預けた場合、障害者一人の一生にかかる金額は2億円、年間500万円。企業での給金は多い人で月17万円、平均年間150万円だという。

大野さんの話を聞いていても思うが、使命を持たされたものは、その使命遂行のための道が、偶然とは思えない外からの力が働き、開かれて行く。氏の場合は障害者たちに生きがいを与える事だったのだろう。次から次に起きる事が全てそこに繋がって行った。また障害者を人の役に立たせる事で、御自分も障害者だけではなく、国の予算削減を含め、人々の役に立っている。それはそのまま氏の幸せにつながっている筈だ。

施設が彼らを幸せにするのではない、企業が彼らを幸せにする。僧侶の言葉を彼は何度も思い出しては、それを自分の言葉に置き換えたと言う。

強調されて語られた言葉があった:「障害は一つの個性だと言いますが、それは違うと思います。個性とは社会の役に立ってこそ個性になるんです。」

大野さんが欧州に視察旅行に行った時一人のハンガリーの女性が言った:西欧では皆マニュアルを使うので、識字能力が無ければ仕事を覚えられないが、日本には手取り足とり教える職人文化があるから、知的障害者に仕事を与えられる。

どの人間の中にもある普遍的なものを再認識させてくれる話だった。
   
  楽しかったね 11/15

上の講演会の会場で、2012年に札幌でしずこのライブを主催して下さった澤田さんに偶然お会いした。転勤になり今は山梨にいらっしゃるとの事。その関係か、会場には当時札幌ライブの会場にいらした御婦人が一人いらした。澤田さんがつなげて下さってその方ともお話しする事になったが、その御婦人が、「あ~、あの時は楽しかったねぇ~」と言って楽しい思い出を顔に載せて下さる。とても嬉しかった。よかったとか素敵だったとか私一人への褒め言葉でなく、御自分が楽しんだという経験を話して下さる。そして「ね、ね、また来て下さいよ!」と。互いにキャッキャッと賑やかに話し、再会を願いながら会場を後にした。

いつそんな機会が来るかしらね。





綺麗になったねぇ 11/16

テニスの錦織圭が男子テニスATPワールドツアー・ファイナルで決勝に進めなかったが、相手のジョコビッチ選手は世界ランキング一位に確定。その記事にこんな事が書かれていた。

ー前日に世界ランキングの年間1位を確定させたジョコビッチは幸せの絶頂にいる。私生活ではエレナさんと7月に結婚式を挙げ、「世界で最も幸せな男」と公言する。10月に長男ステファン君が誕生してから、1セットも失っていないー

錦織君も私生活がよりハッピーになると、グランドスラムでの優勝のチャンスはあるかもしれない。伊達公子も結婚して、「君がプレイするのを僕は見たいんだ」という夫の言葉に励まされ復帰し、いい成績を上げている。自分一人じゃない、誰かのためにもやるぞと言う思いは自分の力を増幅させるね。今回のジョコビッチとの対戦をニュース番組でちらっと見ていたら、錦織君の来年がもっと楽しみになった。

ところで、この錦織君のプレイに対してインタビューされていた杉山愛が、何ともきれいになった。試合に出ていた頃の彼女とは見違えるほどの美しさ。うわ~、私は顔をほころばせて彼女の美しく変貌した表情をうっとりと見ていた。なんでこんなに綺麗になっちゃんたんだろう。( ^)o(^ )





富士山を目の前にして 11/19

富士山を目の前に見ながらゴルフをする。昨日貸切バスに3つの会が合流し静岡までゴルフをしに行った。私の成績は殆ど変わっていない。変わらないのが不思議なほど変わっていない。でもちょっとよくなったのかなぁ。4回もOBを出して120だから、OBが無ければそんなに悪くなく、私が目標としていたスコアに届いているみたい。110台の初めか100台の終わり辺りだと満足。2時間ほどのバスツアーだったが交通渋滞にもあわず、お天気もよくラッキーだった。が、午後からはとても寒く、プレイ後のお風呂がなんともありがたかった。

富士山も近くで見ると山肌が見えて、私にとってはおどろおどろしい。遠くで見ていてあのエレガントさが引き立つのかもしれない。しかし午後のある瞬間、漂う雲と太陽の光線の角度がこの山をとりわけ神々しいものにした。当然の事だが、美しさは太陽の光線が引き出す。

最近は大学OBメンバーだけのゴルフが無い。病気やら手術やら介護やら、そんな事が多くなる年代だから仕方が無いのだろう。久々のわいわいがやがやは楽しかったが、昔の顔が見えないのが残念だ。





恩返し 11/20

一昨日に続いて昨日は大学OB会の先輩達と旅行会の“反省会“を兼ねた飲み会があった。その席での先輩達の心づかいが本当に嬉しい。いつもライブに来て下さるお二人が11月29日のライブの日は家族サービスに回すから、誰か他の人を用意しようと話し合って下さる。心が熱くなる。札幌まで呼んで下さった方々、岐阜から声をかけて下さった方々、ライオンズクラブの総会に呼んで下さった方を含め、応援をして下さっている方々に、私の中では早く恩返しをしたいと心が急く。

「早く一つ当てて欲しいんだよ、だから色々なところに出て行って、人と逢うんだよ。その中にレコード会社の人を知っている人がいて紹介してもらえる事があるよ。色々なところに出て行きなよ。人生は出会いだよ」と、力強く説いておられた先輩もいた。なんとありがたい事なのだろう。ガッツあるメディアの人との出会い、必ずあるだろう。来年に期待したい(え、本当?予感)。恩返しができる日が間もなく来るだろう。





ガッツ 11/22

様々な情報を入手して、想いが混乱し足を踏み出せない。情報に振り回される。これではガッツは生まれないだろう。重要な事は、自分は何をしたいか、それを成就させるためにどうしたらいいか、入手した情報はそのために利用する。言葉より行動。まずは自分自身が行動を起こせば、信頼が生まれる。信頼からきずなが作られる。

これまでたどった道を思い出すと、私は、自分の夢の実現に必要でない情報は聞き流した。人はそれぞれの思惑や経験で色々な事を言う。書かれたものには重みがあるというが、それを書いている時の当人のメンタリティーによって書いているものが違ってくる。感情や主観の入った情報は概してそのようなものだと思う。そのような情報に真実や真意を探すことは難しい。重要な事は、耳をすまして静かに自分の奥底の想いを聴く。自分は何をしたいのか。すると不思議にもそれを成就させるための情報だけが入って来る。

ガッツは、外の変化に心が翻弄されるようでは生まれない。自分の直感や、自分の奥底の声を信じるものに持たされるのだろう。




咳の原因 11/23

昨夕、キャバクラオーナーが講師を務める会にまた出席した。聞くところによると、氏はキャバクラの開祖らしい。事業を営む人が宇宙の摂理をどのように自分の事業経営に取り入れて行ったか拝聴できる。私自身がすでに実践している事を他の方はどのようにされているのか具体的に伺えるのもいい。「自分の意識レベル以上の、また意識以下の人生は無い」全くその通りだと思う。よりよい人生を送りたいと思えば自分の意識レベルを高める。大きく仕事をされる方々は考え方が柔軟で弾力性がある。社会倫理に窮屈に囚われる事もない。

自分の意識レベル、人格レベルを上げる努力は生活に躍動感を与えてくれる。だがその努力過程において、時に腹を立てたり、動揺したりする事もある。そう言う時は、偉そうなこと言っておいて、私はまだこんなレベルじゃないかと思ったりする。氏も全く同じ事を言う。だが、そのような時、自分をひどく反省したり、それがどんな因果でなったかと分析したりするのを止めよと言う。「あ、出ちゃったなぁ、まだ自分はこのレベルだなぁ」とだけ反省すればいい。出たものは所詮本当の自分ではない、偽我なのだから。宇宙は全て神が作られたもの。神が作られたものに本来悪いものがあるわけがない。だから偽の自分が出たのであって、偽だから本来存在していないから、やがて消えてなくなるものなのだと言う----忘れていたものを思い出させて頂いた。

この会の途中、私は何度か咳こんだ。来週のライブに来て下さる方が「風邪でも引いたのか」と心配して下さる。風邪ではない事ははっきりしているが、自分でもなぜだろう、またアレルギーかなと思っていたが、懇親会(2次会)で気が付いた。来週のライブに備えた練習のため、ここ数日間一日3,4時間歌いっ放しだから。いつも家の中で作業をしているので、時々電話で長話(時には2時間)をした後は、咳こむ。「これからは毎日、2時間ほど歌う時間を作ったらいいんだよね」と思うが・・・




昼寝をさせない神・・・ 11/23

雑用がすべて終わり、石原慎太郎の「エゴの力」を読み始めて数分後強烈な眠気に襲われた。8年以上前は、こう言う時には直ぐに寝た。直ぐに眠れたし、眠りたいから眠る、そして起きる。普通にできたことだった。だが、最近はそれができなくなった。

少し眠ろうと完全にその体勢に入り、うとうとしかけると、胸がきりきりしてくる。あの7年前の胸をつんざくような淋しくてたまらない時の感覚に似ている。たった一人取り残された孤独感。そのようなものは今はないのだが、昼間に眠ろうとすると身体がその感覚を思い出す。「そうか、眠ってはいけないのだ」と、私は起きる。起きてジムに行き、マシンで歩いて汗を出して少しストレッチをしてジャクジー入って帰宅する。眠気は完全に消えている。ああ、よかった、これで良かった、とホッとする。今の私は生活のリズムを狂わしてはいけないようだ。狂わす事はきっと様々に影響し様々なところで乱れが生じるのだろう。だから神様が寝かせてくれない。その代わり夜は熟睡である。

そんな身体の声にも私は素直に応じる。神とひとつになると、神の愛が降り注ぎ、欲しいものは全部届けられると、私の道の書「生命の実相」で言っているが、読んだ当時はイソップ物語でも読んでいるような感覚で聞き流した。だが、今はそれを実感している(うそ~、と思うでしょ?でも、本当なの)。不思議だ。神が私に与えられた道を歩き始めると、私の周りでダイナミックな変化が生まれた。それは私の中がダイナミックに変わったのとシンクロしている。周りにいる人達が完全に総入れ替えになった。本当に不思議だ。本の中で言われている「用足りて去る」と言う事のようだ。代わりに、今の私に相応しい人達が集まった。

神と一緒の生活をしていると、「全て神の脚本の中にあり」という真理が良く分かって来る。安心して任せていればいい。実に穏やかだ。時には感情が動き出して慌ただしくなるが、数分後「神様がどうにかされる」と言う思いに変わり、再び穏やかな心地に戻る。

7,8年前の苦しみの時間があったからこそ、今は神を想わない時間が無い毎日になっている。あの苦しみがあって本当に良かったと思えるのだから(笑)、人生の不思議だ。世の中、感謝できないものはないのだろう。




石原慎太郎と、節約と浪費と・・・ 11/24

ところで、石原慎太郎の「エゴの力」は、後半に来て自分の個人的な体験を語るところが面白い(前半で語られている歴史的人物については、恐らく多くの人が別な処で聞き知っている話が殆ど)。

彼は子供の頃よく喧嘩をし、多勢で袋叩きにも何度かあい、いじめられた経験を持つらしい。ある時川べりで袋叩きにあっているのを弟の裕次郎がただ立ち尽くして見ているだけで何もせず、慎太郎が置いてきた荷物を拾って帰って来たらしい。血だらけになって帰って来た慎太郎の姿を見て母親が仰天。慎太郎は弟が加勢しなかった事を母親に言い付けると、母親はものすごい剣幕で裕次郎を怒り殴ったらしい。それからの裕次郎は、慎太郎がけんかする時は一緒になって相手に噛みついて行ったとか。母親の弟への叱責から兄弟の絆は強くなり、大人になってからは相手が弱まればもう一人が支えると言うタッグマッチを組んで来たとか。

父親の酒好きと浪費好きを紹介するところも面白い。汽船会社に勤めていた父親は、息子たちのヨット遊びが嬉しく、ボーナスを全部はたいてA級ディンギーをプレゼントした。それ以来慎太郎は海の上を遊び世界ヨットレースにも参加、学生時代には勝てた事のないチームに勝った嬉しさで涙を流した事もあったらしい。大金をはたいて父親が買ってくれたヨットは、息子たちの人生を変えたと言う。またハーモニカが欲しいとお金を持って買いに行くと、いいなぁと思ったものは5円以上するので諦めて安いものを購入し精算しようとすると、父親がくれた封筒の中には10円が入っていたと言う。贅沢ないいものを与えてあげると、子供の受け取り方によっては、その金額の何百倍もの買い物になるという。私もこの意見には大変賛成だ。いいものを買うと大事にするものだ。大事にしたものから得られる心の豊かさと、大事にするからこそ特別なイベントに使う、だから特別なイベントが更に特別なものとなる。

逆にケチる話もある。財閥ロスチャイルドの節約:たまたま通りかかったサーカスを見ようと馭者にチケットを買いに行かせるが、「待て、後15分もすれば最終公演になる。最終公演の入場料は半額だ」と、冬の寒さの中で15分間周りをぶらぶら歩いていたそうだ。私もこれはやる。時には相手の収入が膨らむようにと、出してあげる時もあるが、普段はこの方法をとる。

昔ウォールマートが西友に出資し日本に上陸した時、ウォールマート系の翻訳を依頼された事がある。その中でCEOだったか、「必需品は出来るだけ安く買おうとするものだ」と言う発言があった。トイレットペーパーひとつとっても、消費者は価格が安い所に行く。この言葉は印象的で、その後何度と私の記憶の中に「なるほど・・・」と戻って来たが、最近私の想いが少し変わった。ウォールマート系のスーパーが近くにあるのでよく利用するが、果物ひとつとっても、マンションの下にあるイオン系列のスーパーのの方が値段はやや高いが美味しい。美味を感じないものを口にすると、自分が貧しく思える。自分を貧しく思うような事は無い方が良い、「美味しい!」と心が嬉しくなるようなものを口にした方が良い、と最近はそれぞれのスーパーで買い物する頻度の割合が変わってきた。

石原慎太郎の話に戻るが、尖閣諸島を含め彼の極端な愛国的言動の元は、高校時代の絵画教室にあったようだ。丸いものでも四角く見えたらそのまま四角に描けと言う教師の言葉が性に合い、その言葉をことある毎に思い出していたらしい。著書で紹介されている彼のブラフ(ほら)はすごい。必ずしも常に自分が吹くブラフが成功した訳ではないと思うが、成功した時は本人も爽快だったろう。だから著書で紹介している。独断的な行動をとるので当然喧嘩も多かったらしいが、そのエゴの発露を勇気づけたのはこの絵画教室の教師の言葉だったようだ。

彼の人生に影響を与えた人達との出会いから彼が受け継いだ言葉は、私にも突き刺すものがあった。今はまだはっきりとしていないが、何か私の歌書きの中で生かされて行くように思う。

恐らく周りは何をやらかすのかとひやひやしている輩もいると思うが、こう言う人が必要でもある。この人の笑顔は男でも惚れてしまうと、どこかで読んだ。

   
 
サビ90秒以内 11/25

今日は作曲のチェックをしてもらいにクラスを受講。自分の上達度に合わせてインストラクターも変えなければいけないだろう。講師を変えてみた。今度の講師はスクールでもかなり人気があるようで、空いている時間は今日の午前中一時間だけ、そこに入れてもらった。直接訊いてみると、アレンジの仕事も「”じゃんじゃん”やっています」と言う。これはいいかも知れない。

「生きてきた証」と「世間に近づいて」を見てもらったが、やはり現場で”じゃんじゃん”仕事をしている人だけあって、私のオリジナルのアイデアにかなり沿った手助けをしてくれる。むやみにJPOPの形式に合わせようとしない。自分の中から自然に出て来たものは、それは絶対いいはずだから、私もそれを大事にしたい。もちろん他からの提案は一応受けて実際に音にしてみるが、「ちがう!」と反応した時、果たしてどちらが良いのか迷い始める。そう言う時もう一人別な信頼できる相談相手がいると本当にいい。彼はその役目をしてくれた。これで、暗礁に乗り上げたままだった、二つの楽曲の最終的な形がはっきり見え始めた。「世間に近づいて」のメロディーは”キャッチー”(印象的)だという。「生きてきた証」はJPOPと言うよりミュージカルで歌われる歌のようだという。確かに、かつて程ではないが私はよくミュージカルを観る。以前作った「ああ、春爛漫」も決してJPOPではない。このメロディーは、テレビでブロードウェイ・ミュージカルを観ていた時に出て来た。

このインストラクターに訊いてみた、「サビは90秒以内に持ってくるのですか。」簡単に頷かれた。今年の8月だったか、メディアからゲストを呼び自作曲を聴いてコメントをもらうデモピッチで、業界で有名だと案内に書かれてあったユニバーサル・ミュージックから来られた方が「サビは歌が始まって90秒以内に持って来る」と言った。アートにルールがあるのはおかしいと、右に左に私の想いも揺れたが、このインストラクターもそれを言う。ならば素直に受けてみよう。大体のものはその形式で書いてみようと考えを変えた。そこからまた違ったものが見えてくるかもしれない。

このユニバーサル・ミュージックの人に聴いてもらったのは「ああ、あんた恋しや」だが、間奏前まで聴いて「いいですねぇ~!」と、楽曲、声、歌を讃えた。確かにこの楽曲のサビの出は早い。本サビは一番最後に来るのだが、彼に自作曲を聴いてもらおうと集まった参加者の数が多く、最後までは聴いてもらえなかった。その後の個人的なおしゃべりの中で「千の風」のようなものを作るよう言われた。最近思った事だが、それはヒットしたから言っているのであって、ヒットする前にこの歌が審査対象として彼の前に出されたら、彼は選んだろうか。

以前にも書いたが、私はこのデモピッチに5回参加している。その内の3回は驚かれたり、絶賛されたりと称賛の言葉を頂いた。やっとキャッチーなメロディーの作り方も分かってきたのだから、このライブが終わったら、手元の新曲を完成させ、その後は以前に作った20曲を解体して作りなおそうと思う。せっかく歌詞が面白と言われたのだから、やらなければもったいない。実験的に新しく得たテクニックで数日前「化粧」をいじってみたら、きゃっきゃっ、心がルンルンするような出来栄えになった。

楽しみだ。




ライブ前の電話やメール 11/26

時々思う。私だけのステージに人が集まって下さる。1度2度ならいざ知らず、また1年に1回ならいざ知らず、まるで綱渡りだが、年に4回のライブに人が来て下さる。それも聴き慣れたシャンソンや流行りの歌を歌う訳ではなく、私の自作曲だ。不思議を思い、ただ、ただ感謝である。

大体3カ月に一度だから、そのたびにお知らせする事も気が引ける。1年ほど来て頂いていないので思いきって電話を入れると「行くきます」とニコニコと答えて下さった。シャンソンが大好きな方だが、「無理しなくていいのよ。あなたの自作曲を聴きに行くわ」と話される。「行くわよ」の電話は本当に嬉しい。

今度はお休みするよと言っていた先輩達も、いつもの3人でいらして下さるらしい。「え、誰も代わりが見つからなかったから?」と笑いながら言うと、「行ってあげようよ」と別な先輩が強く提言し、ならばとなったらしい。身に余る喜び。

嬉しい電話もあるが、明日癌の手術をし10日間入院すると言うメールを下さった方もいらっしゃる。8月のライブに来て下さった方だ。いつだっただろう、HPからメールを下さりDVDを送ってほしいと言われた。「久しぶりに大人のステージを楽しみました。今度ライブに行きます」とうい追跡メールを頂いた後、音信が途絶え、何か月ぶりだろうか、前回のライブに来て下さった。Youtubeに掲載している「しずこの一本の鉛筆」を聴いて興味を持って下さったと言う。今回のメールで知った事だが、今年5月に既に一度手術をされていたらしい。再発率60%と言われ、今回が2度目の手術となる。5月に手術をされ落ち着いたので8月に来て下さったのかと、心が熱くなる。終演後は「迷ったけれど、来て良かった」と言って下さった。私に何ができるのだろう。玉川温泉の紹介しかない。行って下さればいいのだが・・・・

今回の新曲披露は「太陽は照り雲は流れる」と「ためいきでるわ」かな。「僕は神様じゃない」はアレンジにもう少し時間をかけたいので、今回はパス。ピアニストはシャンソンを弾き慣れている、菅原洋一のピアノを担当している人なので、久々にシャンソンを数曲歌おう。それと英語の歌2曲、演歌、都々逸も加えよう。


ところで、先日大学OBが集まった会で、「自作曲は3曲くらいにしてさ、後は知っている歌を歌ってよ。ラノビアがいいね。リクエストするよ」と言われた先輩がいた。「ええっ、自作曲がたった3曲?」と思ったが、家で少し考えたら、なるほどと言う気にもなった。若い方々は、新しい歌を進んで聴く耳を持つが、年配者は聴き慣れた歌を好むのかもしれない。また、ラノビアにしても世界的ヒットを博した名曲。世界では毎日多くの歌が生まれている中での名曲である。それに比べると私の楽曲は聴き劣りするのかもしれないなぁと、

思ったのは数日前。今は想いを変えた。この先輩たち以外の声はそうではない。以前CDに焼いた20曲を聴いた方々は、何度も聴いて下さったようで、聴き慣れたせいか、今回のライブに来て下さると言う方もいる。上の発言をした先輩は、私が送ったCDをまだ聴いていない。もう~っ!(-_-)/~~~ピシー!ピシー!要するに良し悪しではなく、聴き慣れているかどうかだ。「ラノビア」を改めて聴いてみたが、歌いたいと思わない。私が作る歌の方が私は好きだ。「雪が降る」なら、次回の1月のライブにでもと思うが。





Youtubeに自作曲掲載検討 11/27

Youtubeに自作曲を掲載する事も考えようと思う。上のブログでもYoutubeから御縁ができた方の話を書いたが、これまでも少なくない方々がYoutubeが切っ掛けで連絡をして下さっている。メディアからの”忠告”でアイデアが盗まれるからと掲載を控えて来たが、ちょっと待てと考え直した。みな盗み合っているじゃないか。他の人の歌や話を聞いて何かがひらめく、何も無い所からアイデアは生まれない。私自身も、陽水が作った歌詞の中のひとつの言葉に閃いて「間に合いますか」を書いたし、中島みゆきの「ファイト」を聴いて、私の「ライバル」の中の詞がもっと現実味のある言葉になったし、その他にも小説や詩から沢山の言葉を”盗んで”いる。”盗む”と言う言葉が人聞きの悪い言葉なら、”閃いた“でもいいと思う。全部コピーされるとそれは問題だが。

と、ここまで考えたが、彼らの歌は既に著作権付きで公開されているという点で違うかもしれない。う~ん、難しいところだが、これもライブが終わってから真剣に考えてみよう。




ライブが近づくと 11/28

ライブの数日前になると、少し身体が弱気になり、風邪をひきそうな感覚を得る。心の緊張が顕れるのだろう、直ぐに葛根湯を飲み急場をしのいできた。回を重ねた事もあるが、それよりも毎朝の瞑想が効を奏して心身ともに日増しにより健全になっているようだ。その弱気が完全に無くなっている訳ではないが、かなり薄らいで来たのを感じる。自分が目標とする“強さ”のレベルに達しつつあるかと嬉しい。

私は大分前から化学薬品をめったに体内に入れない生活をしているが、その代わりに漢方薬や鍼灸、マッサージを受ける。10年以上も前から行き続けている鍼灸師が最近はかなり忙しくなってきて、以前なら電話をした当日や翌日の予約ができたが、今は2週間前に予約しなければ入れない程になった。よくやったね、と声援を送っている私としては嬉しい。丁度ライブ前日に空いている枠があって今日は荻窪まで行って来た。これで、明日の準備は整ったかな。

今回は昨年の11月のようなお祭りコンサート形式にしようかと思ったが、相方にしようと予定していた人が所属合唱団のミュージカルの主役に選ばれ、それが終わるまでこちらに出演は無理。そんな事を、常連の一人になって下さった方に言うと、「お祭りでもお祭りで無くとも良いよ」と言われる。「人がいっぱい集まるのもいいけど、小さくやる時もそれなりの味がある。それぞれ良いよ。」別な人は「しずさんのトーク入りのライブが良いなぁ」と言ってくれる。コンサートとなるとトークは殆ど無く、どんどん歌が続けて歌われるが、歌の説明やエピソード付きのライブが良いらしい。私のトークが魅力の一つになっているなんて・・・( ^)o(^ )。それと、内容が良ければ来場者は参加人数はどうでもいいようだ。いいもの見つけたと言う一人占めの感覚かな、な~んちゃって(がは)。来場者が少ないと困るのは、お店だろうなぁ。私でもない。もちろんたくさん来て下さるに越した事はないけれど。

明日は曇り空らしいけれど、終演後皆さんが帰られる頃には、晴れるみたい。気温も今日より5度も高い。ほっほ、皆さんが楽しんで行かれるよう、様々なジャンルの歌やトークを織り交ぜたライブをお届け致します。お待ちしておりま~す。 (^_-)-☆




ピアニストが語る 11/29

「とってもいいお客様ですね。皆さん熱心に聴いて下さっていたじゃないですか。」終演後ピアニストの山下淳さんが力を込めて言う。私もとても気持ちよく歌えた。久しぶりのシャンソンも彼女のピアノに随分甘えて思いの丈を歌えたような気がする。始めて来られた方もいらした。「良かったからDVDを下さい」と買われて行った。来場者一人一人が幸せになって帰られる様子が手に取るように分かる。これが何とも言えない。

「声がすごいよ」、「心地よい声ね」、「すごく通るね」などなど、毎回来て下さる先輩によると、来るたび声が変わり、自信が漲っていると言う。「前からそんな声だった?」と不思議そうな顔(爆笑)。その先輩達も今日は思いっきり楽しんで下さったようだ。始めて来られた方は、「やはり自作曲が一番いいね。シャンソンも他の歌も良かったけれど」とコメントを残して帰られた。私も思う。今日は全て良かったのだと(今日も?)。最初のCD「美しい日々だけを連れて」を聴かれた方が、CDの声よりずっといい、静かに語るように歌い素敵だったと、そしてMY LOVEのメロディーが家に帰るまで何度も頭の中で回転していたと。

マスターもずっと最後列で聴いていらした。来年の土曜日が5回ある月は1月である。つまり2カ月後。休もうかなぁと相談すると「いやに消極的だね、やったらいいんじゃないの?」と言って下さる。お客様が本当に少ない時もあるし、コンサートをやりたい人に私の枠を譲れば店の収入は桁違いになるはずなのに。やはり、この道を歩く事になっているのだなぁと思う。最近よく私の口から出てきている言葉だが、恩返しのできる日が待ち遠しい。




やがて分かる時が来る 11/30

ふと今朝気が付いた。昨年から今年初めにかけて、来場者の数が一桁になったが、それが私にもたらしたものの大きさを。私から虚栄と言うものをいつの間にかはぎ取っていた。来場者の数ではない、自分が今のベストを出し、来られた方々が心から幸せになって帰られる、これ以上の報いはない。そう考え始めた時、ものすごく楽になった。自分の外側で起こる事に恐れない。それが歌にもトークにも出てきているようだ。

それが起きている最中は分からないけれど、その事がなぜ起きているのか、ハタと気が付く時がある。ありがたい事だったんだなぁと。

なぜこんな苦しみがあるのか、やがて分かる時が来る。分からない事は何ひとつなくなる」ー アントン・チェーホフ。




うわ、12月 12/1

子供の頃、時はゆっくりと流れた。「そう、歳をとって来ると1年が本当に短くなる」と人生の先輩が言った。私にはまだ今年の夏の暑さの記憶がある。そしてグリーンランドの思い出がまだ懐かしい。なのに、突然冬の中に投げ入れられていく。

寒さを感じると、グリーンランドが気になる。ネットで気温をチェックする。私が訪ねたイルリサットは現在マイナス14度と表示されている。イルリサットは北極圏、北緯69度。今は完全に一日中太陽の出ない冬に入った。2月初めにほんの数分太陽が水平線上に頭を出すと言う。その時多くの人達が歓喜の声を上げたり、乾杯をすると聞いた。夏に訪れた時、ホテルから旅行会社に行く途中の三叉路は風が吹く日は土埃が舞った。きっと今では人々の黒い影が行き交うのだろうとを想像する。夏だけドイツやらデンマークからアルバイトに来ていた人達は既にそれぞれの国に帰っているだろう。あのスーパーの現地の若者たちは?

私には、アイスランドよりグリーンランドが懐かしい。かつての日本の姿がそのままあるようで懐かしい。幼かったからだろう、貧しさも分からずただ石蹴りをしたり缶蹴りをしたり隠れんぼをしたりして遊んでいた。そんな日々の事は思い出したくないと言う人もいるが、思い出す事で私の中では優しさや謙虚さが生まれる。イルリサット到着当日、私は直ぐに一人で村内を歩いた。人口4千人程の村である。ネットもない吹きさらしの運動場で、グリーンランドサッカー決勝戦が行われていた。その周りの岩山が観客席。映画館もない、パチンコ屋ももちろん無い。サッカーが唯一の若者たちの娯楽なのかもしれない。何度も書いて来た事だが、サッカーならボール一つで遊べる。改めてサッカーと言うスポーツが持つ力に心が熱くなる。

今年の最後のライブも終わり、昨日はホッとマットの上で背中を温めながら本を読んだり、同日に別の場所でライブをしていたアレンジャーと電話で話をしたりしていた。電話をしても出ないので、もしやと思っていたら、彼もライブ疲れで眠ってしまっていたと言う。私と同じだとなんだか仲間がいたような気がして嬉しくなった。やはり、ライブに使われるエネルギーと言うのはすごい。翌日はバタンキュー、放心状態(あは)。でも、いい仕事をした後の気持ちよさがある。

さて、12月、3つの楽曲のアレンジを終わらせ、もう一つの歌を書きあげよう。




全く劣っていない 12/1

知っている歌を歌ってよとよく言われる先輩達が、前回のライブではどういう訳か私のオリジナル楽曲を大変熱心に聴いてくれていた。熱心に聴いて大きな拍手を下さる。最後にはアンコールと言われ、「自作曲でもいい?」と訪ねると大きく頷かれた。何回も聴いているから、私の楽曲もやっと”知っている歌”に分類されるようになったのかな。うれしいなぁ。

ところで、「世界を君のふるさとに」に密な拍手があった。「すごく好きな歌が聴けて、もう満足」と言われて帰った方の好きな歌が、この「世界を君のふるさとに」だった。翌日電話で言われる:「あれは、"千の風"のようなブームを引き起こす歌じゃないかしら。君の靴になって、君が行きたいところに行かせてあげたいなんて、すごくいいわよ。ああ、NHKかどこかで放送してくれれば、すぐに反響がある歌なのにね。とっかかりが無いかしらねぇ~。」

彼女は、MY LOVEも大変気に入っていた。アンコールで歌ったからか、終演後ライブハウスから上野駅に向かう間、メロディーがずっと頭の中で鳴っていたと言う。電話口でそのメロディーを口ずさむ。たった2回しか繰り返していないメロディーなのに、そんなに記憶に残っているのかと、私にはまたメロディー作りの上での新しい気付きになった。

「世界を君のふるさとに」がお客様全体に喜ばれた事が私は嬉しい。私もこの歌はいいと思っている。グリーンランド滞在最終日、ホテルの部屋を出る直前に靴を履いた足を椅子のアームに載せ、靴紐を結い直していた時に、ふと出て来た歌だ。

この楽曲をMPJのデモピッチに提出した時、来たゲスト(どこの会社だったか、郷ひろみが所属しているところかな)が開口一番何を言ったかと言うと「歌い方が宝塚出身かと思いました・・・」と薄笑いを浮かべる。睨みつけたいような気持でこのゲストを見た。「それを悪いとは取らないでください」と言う。「靴になりたいなんて、なんだって思いましたが・・・」と顔をしかめる「段々と次に何を言うのだろうと聞きたい気持ちになりました。」この人、褒めてるの、貶しているの?でも彼の感性に沁みいるものでなかったことは確か。いい助言も頂いたので、それで受講料相殺。終ってからは長居もせずに一番に引き上げた。豚に真珠だ。一応自分の人格プライドを確保するために言うが、こう言う腹立たしい経験は色々な人にあるようだ。小椋佳も大ヒットにつながった「シクラメンの香り」に対しヒット前に関係者から「理屈っぽい」とか言われた憤慨をどこかで表していた。

一時、現在名を博している大物シンガーソングライターに比べて私の作る楽曲はどうなのだろうと思った事があるが、決して劣っていないと今ははっきり思う。浅倉大介君のトークから掴んだテクニックを使い始めて以来、その想いは強くなった。幸運にも私には人の反応を真っ先に確認できるライブと言う場が与えられている。こんなに感動する人を目の前で見ると、決して劣っていないと断言できちゃう。一人がこれ程感動していると言う事は、その後ろに何千万人の感動がある事を示唆している(これ、きっと間違い。よう分からんけれど、何百万人?)。

彼女が「千の風」を例に出した時、少しびっくりした。「千の風」のような歌を書いて欲しいと言われたと言う話を最近このブログで書いたばかりである。私はこの事を彼女には言っていない。これって、もしかすると、私が"千の風”に匹敵する歌を書いたと言う事かな?本当?(早まるな、出してみなければ分からん、評価は他人がする)。

ま、もうすぐ神様が動かれるだろう。だって、全て神様が私に書かせておられるのだから、出口も用意されている。どこから来るのだろう。楽しみ。(●^o^●)

以前に、私の「美しい日々だけを連れて」、「今朝のバラ」、「今のわたし宝石です」を聴いて、「これ、出たら大変な事になりますね」と言っていた広島の人がいた。ふふん。

   
   「僕は神様じゃない」完成? 12/06

「僕は神様じゃない」のアレンジがようやく”終わった”。しんどかった。歌は大体4小節でひとつの塊になるが、3小節が一塊のAメロになった。そしてBメロになってリズムが突然変わる。これが自然に動くようにアレンジャーに苦戦してもらうわけだが・・・難問であったらしい。これまでお願いしていた若手のアレンジャーが忙しくまだ先になると言うので、手が空いていると言う新しい人に頼んだ。譜面を送ると、3小節一塊のアレンジは難しいので、4小節にしてよいかと訊かれ、それでどうなるか先が見えなかった私はOKしてしまった。OKした理由は、今までのアレンジャーは皆うまく処理してくれたので、より面白いものができればいいと思ったからだ。だが、3小節を4小節に引っ張る訳だから、間延びがして、間延びしたところからリズミカルなBメロに入ることになってしまった。スムーズにつながらない。つながり良くするために通常はアレンジャーが工夫するのだが、その工夫に違和感がある。だが、話しても何も出て来ない。仕方なく、間延びになったAメロに合わせるためにオリジナルのBメロを変更する。この変更のために小節数も変わり、アレンジも再調整。かなり時間が取られる。それで途中、作曲インストラクターに訊いてみると、4小節一塊が音楽的には落ち着くが、アレンジャーの腕次第で3小節一塊のものも処理できるし、それは面白いという。。。。しかたがない。今の私の環境で、こう言う形になったのだからやむを得ないと、そのまま受け入れ、時間がかかったと言う事で請求された2倍の料金を支払った。解せないが、メロディー譜用のアレンジは大した金額ではないので、気持ちよく収まるならばと、その請求を受理した。

ライブが終わった事で緊張が取れたのか、風邪の症状が出て来たようだ。喉の痛みと鼻水、それに胃の中に硬い壁が作られたようで吐き気がする。食べ物を受け入れない。市販の風邪薬を飲むために少しの食事。吐くのを我慢してヨガに行ったりジムに行ったりしていたが改善されないので、思い切って吐いてみたら、かなりの勢いで水気のものが迸り出る。出したらすっとし、ほとんど平常に戻った。出したいものは出した方が良いんだなぁって改めて思った。

アレンジ未終了のものがまだ2曲残っている。やはり手持ちのものが片付いて行かなければ、次の歌づくりがすんなり進まないみたい。掃除が好きな人だから(何の関係があるの?)。




がんばったんですけど  12/7

図書館の受付で、私が始めてみる顔が対応していた。20代の青年。顔にニキビ跡が賑やか。頭部てっぺんは花が咲いているように髪の毛がおおらかに立っている。予約した本を探して私の前に持って来てくれた時、訊ねた。

「その髪、スタイルなの?」

すると数メートル離れた所から突然クスクスと笑い声が聞こえる。ニキビ顔が赤くなって答える。

「今朝、頑張ったんですけれど・・・」

少しほっとした。スタイルなら、もうちょっと工夫があってもと思っていた。

「いや~最近いろいろなのがあるからね。」

私は笑っている女子職員に向けて話す。彼女達はまだ笑っている。つられて青年も照れている。

朝の楽しい光景だった。ひとつの楽しみ、ひとつの笑い、ひとつの善い事が周りの人達の心を柔らかくさせる。人は楽しい時間が好きだ。




幸せになるって簡単な事かも 12/7

私自身気付いてまだ間もないが、人を喜ばす、楽します、良い事をすると、自分自身が幸せになる。相手の一瞬の幸せがこちらにも返って来る。するとこちらも幸せになる。だから幸せは別な場所や未来にある訳でじゃなく、直ぐ側で作って行ける。喜ばすことは別に物品を与える事だけじゃない。楽しくなるような、嬉しくなるような言葉ひとつ、与えたらいい。

私もこれを心がけている。人が喜んでくれると、その言葉を発した時間よりもずっと長く幸せな気分が残っている。ただ素直に喜んでもらう、それだけで良い。




あれや、これや  12/7

どうも私は自分が納得するまでやる性分のようだ。少なくとも自分の基準で”安い”ものを出したくないのだろう。芝居、歌、小説等、芸術全般に関し私には平均以上の鋭い批評眼が備わっていると思う。自分の楽曲にもその眼が働く。「僕は神様じゃない」にまだこだわって手直しを続けている。上でも書いたが、AメロとBメロとのバランスはメロディー上はどうにかできたが、メロディーを変えたがために詞がおかしくなった。よって歌詞まで変えなくてはいけない。こう言うのは楽しむに限る。メロディーに合わせ言葉数を多くしてあれやこれやとやっている。うん?もしかするとより面白い歌詞ができるぞ。

起きる事に偶然はないと思っている私は、願っていない方向に事が進むと、つかの間否定感情を持った後「あ、これは思いがけない展開があるぞ」と想いを切り替える。「僕は神様じゃない」も、どうも、より面白いものが生まれるようだ。すこしづつそこに進んでいる気がしなくもない。






まだ書いていない 12/8

夢を見た。朝起きる直前の夢。「まだ書いていない」と言っていた。少し前にこのブログで、他の大物シンガーソングライターの歌に比べて私の歌はどうなのか、どういう立ち位置にあるのかと言うような事を書き、「劣っていない」と書いた。確かに劣ってはいない。だが、私は”まだ書いていない”と夢の中の声が言う。自分の中に書きたい事がある、それを出し切れていない事を私は知っている。きっとその事なのだろう。ガッツある人の出現を待つより、出口を待つより、する事が先にある。そんなことを示唆しているようだ。

今回はアレンジで少しつまずき、次の歌づくりに移れないでいた。書きなさいと言う事なのだろう。





可愛い歌ね 12/8

「かわいい歌だね」
「え?かわいい?」
「もっと大人の歌を歌っているのかと思った」
「???お母さんの気持ちなんだけれど」
「うん、ずっと若いお母さん。私たちじゃない。あなた、若いのよ。」
「ま、心は若いと思うけれど・・・」
「いや、年齢もからだも若いのよ」

ジムで親しくなった人が「今朝のバラ」のCDを購入してくれた。その感想。
確かに私の考え方や心のあり方は若いと言えば若いのかもしれない。彼女は60代後半だろうか。いや、年齢の問題じゃないだろう。以前の住まいの隣人も60代後半だが、歯に衣を着せないしゃべり方をする彼女は「今朝のバラ」を絶賛していた。

このジムの友人には私の楽曲が突き刺さらなかった。残念だったが、同時に、彼女達の心を捕える生活の歌が現れるようにと願った。周りを見渡しても思い当たらなかったが、彼女達の歌を書く、これはニッチマーケットだ。





幼稚だ 12/10

次のライブに斎藤和義の「歌うたいのバラット」を歌うなら、ライブに行くよなんて言う人がいたので、今日は(と言いながらもう翌日10日になったが)忙しかった。この歌を聴いた事が無いので、Youtubeで聴いたり、譜面をネットで探したり、それを私の譜面ソフトに落し込んで少しアレンジをしたり。他(ひと)の歌は、特に譜面で見ると、大変勉強になる。この楽曲の構成にハッと気付いて、「僕は神様じゃない」の1番のAメロの半分を削った。削った個所の歌詞がありきたりの歌詞で、その歌詞に第3者としての私が難癖を付けていた。他の言葉を探そうとしたが、どうやっても次に続く歌詞と帳尻が合わない。ところが、最初のAメロの半分を落したら必要な言葉だけが残り、すっきりした。1番と2番で繰り返されるAメロのサイズを合わせようと安易な言葉を暫定的に入れたが、寸法の違いは今のJpopでは”あり”である。

そしてアレンジャーに連絡して再度修正を頼んだ。すごく嫌われたと思う(あはは)。でも大変人柄がいいので、受けてくれると信じていた。この恩は数倍にして返すつもり。それにしても、ライブの選曲リクエストから閃くとは(導かれているなぁ)。これで、「僕は神様じゃない」に関して不安は無くなった。

夕方には、NHKの歌謡番組で、ちあきなおみの「冬隣」を若い歌手が歌っていた。ちあきなおみは本当に歌がうまい。語るように歌うから、ぴしぴしと心に訴える。だが、。。。暗い。すご~く暗い。だが、うまい(笑)。だが、だが、だが・・・そうか、「冬隣」か、これも次のライブの選曲の中に入れようと、譜面をネットで購入した。作曲は「吾亦紅」を歌う杉本眞人(暗いはずだよね)。ふと、今手掛けている自作曲を鳴らしてみた。。。。何とも幼い。

上のブログで、「可愛いね」と言われたのは、そう言う事もあるのだろうなぁと思う。余り幼くて、一瞬嫌になっちゃった。だが、また考えを変えた。この幼さと言うか、清らかさと言うか、純粋さと言うか、(いい事ばかり言っているけれど)、そんなものに波動の合う人もいるはずだ。そのままでいいんだ。そう、自分のままでいい。個性だものね。





オルゴール 12/10

今朝は夜中2時過ぎまで、上のブログで書いたような事をしていたので、朝の7時30分頃に鳴った電話に何事かと思いながら起きた。切符が余ってしまったから四谷の紀尾井町ホールで今日昼過ぎに行われる「クリスマス・オルゴール・コンサート」に来てくれないかと知人が言う。夕方からのギターとピアノレッスンには間に合いそうだ。

200年前、100年前にヨーロッパの王侯貴族の間で愛されて来た大型オルゴールが7-8種類が舞台の上に並べられている。これはオルゴール・セラビー、オルゴールで病気を治すと言う団体が企画したものらしい。確かにオルゴールの音は脳に安らぎを与える。治療効果があると思う。

中学生の頃だったか、私もオルゴールが大好きだった。お店に行くと、買わなくともねじを回して聴いていた。オルゴールの底にその名が書かれてある楽曲がこの小さなオルゴールからどのように聞こえるのか聴くのが好きだった。小さいものを一つ買ったんじゃ無かったかなぁ。でもどこかに行ってしまったのだろう、長い間私の側にいた記憶が無い。

ひとつ買ってみようかと思い、予算をはじいた。帰り際、ホールのホワイエに並べられたテーブルの上で、一つ一つ白布を被せられている菓子箱のようなオルゴールを物色した。値段は・・・グぇ~。形見として受け継ぐ人もいない私には、もったいない。物色しにテーブルに近づいた私に、この団体の団員のような年配の女性が、既に私に応対しようとしている女性に「私がやります」と言って勢いよく寄って来た。絶対買わせると言う意気込みだ。買わない事情を言うと、「私は64歳ですが、おいくつですか。」客と言うよりも知人に説得していると言う言葉遣いと押しの強さ。「これから30年もあります。」30年毎日かければ、80万円の元は取れると言う事なのだろう。

高圧的な態度は営業に向いていないと思うが、こう言う人からものを買う人もいるのだろうね。早々に彼女から離れたが、彼女の方は残念そうに私を凝視している。

ホールの出口に一番近いテーブルに、ベル形のオルゴールが置かれてあった。音はよくないが、デザインがよい。こちらは5千円。これなら、ほんの記念に、そして私を説得させる事ができなかった方への"無念賞"と"感謝賞"を兼ねてプレゼント程の意で買った。

帰宅して、早速このベル形オルゴールを動かした。。。”5000円”はこんなに価値が低くなったんだなぁ。ざ~ざ~と雑音が入り、その度に「いやだなぁ」と思う。決して心地よくない、不快である。1998年にスイスで作られたものらしい。きっと、その年の売れ残りなのだろう(売れ残る訳だ)。





ずいぶん後に 12/12

いま伊藤涼という元ミュージシャン、ディレクター、そして現在作詞家が書いた「作詞力」を読んでいる。おもしろい。ディレクターでもあったから、目線が色々。読みながら私が自宅録音したデモをMディレクターに送って顰蹙を買った時の事を思い出して苦笑した。デモ作りもした事が無いほどこの業界を知らなかった。

本の中で自分の作品を例に出しながら、歌ができて行く過程を書いていた、「ミソ・スープ」。Youtubeで聴いてみると、20代か10代の少年2人が一緒に歌っている。バイトから帰ってコンビニの棚から選んで口にする食事、もう疲れたなぁ、小さい時に母親が作ってくれたみそスープが懐かしい・・・そんな大変日常の歌だ。千昌夫の味噌汁、おっかさんの現代版と言う事かな。かなりヒットしたらしい。ふ~ん、私も書いてみようかな:「模様が同じ二つの箸、同じ模様は私が君の特別な人と云う印、だから使っていたいのに、女色はなぜ小さいの。私の掌にフィットしない。でも変えたら私たちの関係さえ変わってしまう気がする」などと考えていたが、いや、待て、私の歌はもっと普遍的なものを歌うのだと考え直した。別にスタイルに拘るつもりはないけれど、今はそう。

それで今年の15曲目が登場しつつある。タイトルは暫定的に「Welcome 両手をひろげて」。かなり母性愛の強い歌になった。

~~~~
どこにいたの 何をしていたの
ずっと探していたの 元気でいたの
あなたに逢うために 今日までの私あり
私に逢うために あなたやって来たのね

あなたが生まれたことが こんなにこんなに嬉しくて
あなたがそばにいるので こんなにこんなに喜んで
安心して 両手をひろげて 
私と神様で あなたを守ります

~~~~
この歌のサビの部分のメロディーが、数ヶ月前に睡眠中に出て来たものになった。意図してそのメロディーを使った訳ではないが、あの時に録音して置いたものが突然出て来た。不思議だぁ。数か月前このメロディーを口ずさみながら私は目覚めた。変わったメロディーだなぁと思っていたが、数カ月後にこうして歌詞が出て来た時に自然に出てくるのだから。その間にも数曲書いているのに。

今年は14曲がするすると出て来たので、切れが良い所でもう1曲行こうと思っていたら、この歌が出て来た。14曲目を書きながら15曲目の歌のイメージは生まれていた。前世の記憶を語る子供たちを題材にした「かみさまとの約束」シンポジュームで聞いた事。それは歌詞も流れ出てきて、メロディーを探す工程に入るところだったのに、実際に出来上がったのは上の歌になった。これ、全然意図していないのに、出て来たの。「まだ書いていない」と朝目ざめる直前に私だけに聞こえる声がした後に、この歌の最初(Aメロ)が出て来た。装飾もないこの歌詞、メロディーが強いから結構歌いながら涙している。

これは、愛するもの全てに捧げる誕生日の歌。





遺伝子が変わる 12/14


自主上映映画「祈りーサムシング・グレート(Something Great)との対話」を昨日野方まで行って見て来た。筑波大学遺伝子工学名誉博士、村上和雄氏を始め世界の遺伝子研究者達のトークをまとめたもの。何年のブログだか定かではないが、何処かで心と遺伝子の話をした事があると思う。今はデータで遺伝子の変化を見る事ができるらしい。

人間の体は60兆の細胞からなり、その細胞の一つ一つに遺伝子が組み込まれている。その大きさたるや、50万分の1ミリだとか。その遺伝子は心のあり方によって、ONまたはOFFする事が研究結果で分かった。ONになった時に赤色、OFFになった時に緑色のランプがつく。逆にいうと人間は誰しも共通した遺伝子がある(当たり前ですよね、地球上に生き同じ形をした生物なのだから)。97%は共通遺伝子らしい。残りの3%が自分の肉体と直接関係する親兄弟親族から受け継いだ遺伝子。その遺伝子の働きが心のあり方次第で変わる。

心が明るく前向きになると、病気の遺伝子がOFFになる。一昨年のある講演で80歳代に入った内科医も言っていた:悪性腫瘍(がん)は突然消える。心の状態が変わった時にその変異が起きると。村上氏の研究は彼よりも先にフランスのある大学で行われていたそうだ。

一人の人間の持つ遺伝子の97%は世界共通。喜怒哀楽、すべての人間は同じ感情を共有し、同じ種類の病気にもなり、幸せと言う同じ事を願う。どのような心のあり方の人が希望を成就させ、また失敗させるかと言うのも共通。人間は皆つながっている。人間は所詮一人だと言う人もいる。細かいところではそうなのだろう。真実心を通わせる人はまずいないだろう。人間はそのように創られているのだと思う。何のために?おそらく、自分の魂を磨き生長させるために。

村上氏が言う:私たちは遺伝子を読んでいるんですが、読むと言う事は書く人がいるんですね。誰が書いているのか。ものすごい大きな力が書いているんです。神とか仏とか言えるでしょうが、私は科学者なので、その言葉を使わずに、”自然”と言っているんです。だが、自然と言うと、川とか山とか、空とかで、そう言うものも創った"人"がいるんです。それをわたしは、Somthing Great (偉大なるもの)と呼んでいます。全て精巧に計算され創られているんです。

心と遺伝子の研究をして来た村上氏、今度は心のもっと奥にある魂と遺伝子の研究をしたいと言う。

 
   「大道坦燃 康弘」 12/15

ブルルルル・・・ガタガタ、さぶい。15日の0時を回った。昨日の事になってしまったが、夕方、日暮里の全生庵という臨済宗の寺に行き、初座禅を組んだ。ズボンの下にはタイツを履き温かくして出かけたのに、裸足になって下さいと言われる。廊下もどこも火の気ゼロ。新参者が20人、2度目以上の人が40人程。2つの部屋に分かれて座禅が行われた。

私が座った丁度前方上に大きな筆文字で「大道坦燃 康弘」と書かれてあった。その寄語を頂きながら座禅が始まった。私は毎朝寝起きと共に瞑想をするが、座禅はその瞑想とは異なる。瞑想の時は眼を軽く閉じ、ある言葉を繰り返し心の中で念じながらイメージを広げていく。そして神と波動を合わせる。座禅では眼は閉じない。顔をまっすぐ正面に向け、視線だけを1,2メートル先の畳の上に落す。これを半開きと呼ぶ。20分づつ休憩を入れて2回繰り返すが、この間、自分の呼吸だけに意識を集中し雑念が入らないようにする。雑念が入ったり眠くなったときには、自らお願いし警策で肩を叩いて頂く。右左、それぞれ4回づつ。座禅の目的は、雑念を入れない、目の前の事だけ、つまり座禅に集中する。人間はお茶を飲んでいても飲む事に意識が向かず他の事を考えている。人の話を聴きながら、その言葉を聞く事に集中せず、他の事を考える。座禅はそのような雑念を払う修行。

参加者の大多数は男性だが、若い人に混じって年配者がちらちら。「落ち着きたいから」参加したと言う人がいた。その人が言う、「座禅中、身体が一度も動きませんでしたね。私は辛くて動きましたが。」どうも私の横に座った人らしい。私は中曽根さんがどのような気持ちで座禅に臨んだのか、その心境を共有するつもりで参加した。参加して良かった。





こんな言葉が 12/16

一人の米国人兵士が病院の壁に次のような落書きをした。

~~~~~~
大きな事を成し遂げるために 
 力を与えてほしいと神に求めたのに  
 謙虚を学ぶようにと弱さを授かった  

偉大なことができるようにと健康を求めたのに  
 良きことができるようにと病弱をあたえられた  

幸せになろうと富を求めたのに
 賢明であるようにと貧困を授かった  

世の人の称賛を得ようと成功を求めたのに
 神の力を必要とするようにと失敗を授かった

人生を楽しめるもの全てを求めたが、
 全てのことを享楽できる命を与えられた

求めた物は一つとして与えられなかったが
 私自身が気付かなかった、言葉にならなかった心の奥底の祈りは聞き届けられた

私はあらゆる人の中で  
最も豊かに祝福されていたのだ

~~~~~~

生きるとはどういう事かを語っているような言葉。泣けてくる。世界中、人間は皆この過程を通り、気付いた人は全てを感謝で終えるのだろう。




カラオケ2時間半 12/16

次のライブにリクエストされた曲、斎藤和義の「歌うたいのバラット」をクリアするため、今日は作曲クラスの帰りに一人カラオケをやって来た。これまで私が作ったり歌って来た曲のリズムと違うので、結構手ごわい。2拍、3拍の裏がものを言う。それで身体に滲みるまで家で歌い、今日は試しにカラオケで歌って来たら、平均点には辿り着いたかな。やはりね、いい歌だぁ。それにアレンジが、とにかくカッコイイ。うわ~、きゅ~ん・・・うしゃ、うしゃとこう言う歌を歌っている自分が嬉しくなっちゃう。似たリズムの歌を書いてみようと言う気にもなる。書けるかな、てやんで~(●^o^●)

彼が自分の世界を歌っている訳だから、本人に勝る歌うたいはいない。私の歌は”お勉強”にしか聞こえなく、もしその時が私のベストであったら、”お上手ですね”だろう。それでいいと思う。やはり私の一番の歌は、シャンソンでも演歌でもなく、自作の歌だ。シャンソンも演歌もそれなりにこなすけれど、やはりその世界を演じているのであって、自分の魂じゃないんだね。中島みゆきの「口紅」をちあきなおみの歌で聴くと、それは”うまい”。しかし中島みゆき本人が歌ったものは、”圧巻”。

斎藤和義のメロディーは、やはり魅力的なのだと思う。ちあきなおみの「冬隣」と一緒に練習をしていたが、終っても「歌うたいのバラット」のメロディーが何度も頭の中で再生される。口惜しいなぁ、とちょっぴり思いながら、こう言うメロディーを書くんだ、と自分に言い聞かせたかな。

「歌うたいのバラっト」は彼の楽曲の中でも代表曲のようだ(安心した、あは)。それを聞いていたものだから、自分の最最新曲の「Welcome 両手を広げて」が何とも幼く感じた。すっごく歌いやす過ぎて(これ、変だね、歌いやすくて良いのにね)。それで、作曲のインストラクターに、「幼くありませんか」と訊いたら、思いがけない質問だと思ったのか「幼い?・・・いえ・・・!」


「Welcome 両手を広げて」の終わり方が、大変歌謡曲っぽくなってしまった。期せずしてそうなった。インストラクターもそのように終わる事を推薦した。40代になるのだろうか、若いのだけれど、「歌謡曲で育ったからかな」、と笑っていた。音楽を専門に勉強した人からまだ学べる事があると思うし、いつものことながら、自分ではこれでいいのかなぁと誰かに一応見てもらいたいから、行っている。"安定剤”が欲しいんだね、と言っていた人がいるが、そうだと思う。他の視点を取り入れて、次の曲でそれを使ってみたりもできるし。




15曲目(全36曲)12/18

よく作ったなぁ~。このHPのレパートリー欄のオリジナル曲リストにタイトルを追加するのが嬉しい。昨日「Welcome 両手をひろげて」をアレンジャーに送った。「僕は神様じゃない」で大変苦労してくれたアレンジャーだ。現在3人のアレンジャーに楽曲を回しているが、苦労して頂いた恩に報いたいと彼に依頼した。これで、今年の完成曲15曲、トータル36曲。2011年の六本木STBのリサイタルに向けてリハーサルをしていた時、コーラスの一人が「しずさんのオリジナル良いですよ。いつか、オリジナルだけでコンサートができればいいですね」と何気なく言っていたが。

できると直ぐに誰かに聴かせたくなる。だから、私に電話をかけて来る人は少なくとも1時間のおしゃべりは覚悟せねばならない。私は電話口で歌う(あはは、今朝もやった、1時間半(●^o^●))。自分ではどれもいい曲だと思うが、相手も「うわ~」とか「いい~~~~!」と連発する。これまで誰も書かなかった歌を書いているし、第3者の別の私が「いいじゃん!」と思える歌を書いているから、いい!初めのころは他の人の曲を聴き、私にもあのような歌が書けるかと真似をしたものもあるので、メロディーが似ていた。メディアから指摘されて、それを卒業し、印象に残るメロディーの創り方のコツを学んた後にできた曲は、もっと自由と言うか面白いものを作っているようだ。

不思議と言うか、そう言う事になっているのだと思えば不思議もないのだが、占星術師の明本歌子さんがこれまで言われた日付が全て当たっていた。びっくりする事が起きると言えば、本当に起きた。また、いつからいつまでの間に契約が成立し、いつからいつまでの間に私のキャリアが確立するとも告げられた。だからそうなるのだろうと思っている。私はただ目の前にやってきた機会に応えて行くだけ。

歳を重ねて分かって来るのだろう、何度もここで書いて来たが、全てが神の脚本の中にある。ソング・ライターが私の適職で、希望を無くした人に希望を与える事が私の役目だと数千年に亘る研究と、生まれ変わりを入れるのなら何千億人のフォロワーを持つ占星術のマニュアルに書いてある。大道に乗ったと言うのか、その為に必要な事は全て向こうからやって来るところを見ると、これが私に向けた神の計画なのだと疑っていない。ここに来させるために、これまでの様々な事が起きたと想っている。ただ、ただ、謙虚にこの使命を成就させたい。やっと他(ひと)の幸せを祈り仕事ができる私になった、と言うかそんな私にさせて頂いたのだから。

神がとても身近に在しておられるので、恐れも不安もほとんど無いに近い。与えられる機会には素直に応えている。今月末には、(笑)のど自慢大会に出る。いわゆるカラオケ大会だと思うが。あるレコード会社からデビューした人からのお誘いだ。オリジナルを歌ってもよいと言うので、選曲に悩んだが、ふと降って来た。「この国にもう一度生まれたい」。

追記:占星術のマニュアルを読んでいた歌子さん、「契約にサインをするんだってよ!結婚かもしれないよ」」と自分の事のように喜んでいた。考えられない。目の前に該当する人がいない。





神様がついているね 12/21

昨日久々に道場に行った。久々に会うからだろうか、私の顔相の変化に多くの人が気付くようだ。私の顔を見ているだけで勇気を与えられると言う。ほめ言葉を頂くのは嬉しいが、ちょっと身に余るなぁと思いながら受けていた。すると、結構辛口の婦人が私を認識した途端目を細め柔らかい表情になって、「うわ~、どんどん変わって行く」と近寄ってきて私の右手を彼女の両手で包み何か大事なものに触れるように愛しそうに拝んでいた。彼女からそのように受け入れられるとは思っていなかったので、少し戸惑ったが、「わたしの霊性(魂)は、ここまで来たんだぁ」と内心喜んだ。

今朝になって、昨日の道場での事が思い返され、今の私がどういう状態なのか改めて気付かされた。私は自分が何かをしようとする時、無理強いはまずしない。外界の動きを含めそれが全て私の行動を勧めるようなら、それを断行する。私の行動が神の意思なら全ての環境が調うはずだから。

実は昨日私の活動の協力を求めようとアポもなく突然道場の総指揮者にお逢いする気分になった。1対1でお話をするのは初めてであるし、私が訪れた時間に部屋におられ話を聴いて頂く時間が作れるなら、話しなさいと言う事だと考える事にした。私自身も本当に協力を依頼したいのかどうか分からない、だがその言葉をとにかく伝える事が重要だったようだ。このような私の想い方は神に仕える道場の総指揮者は十分にご存知な筈だからその点はためらわなかったが、びっくりしたのは、これまで常に「こんな事を言ったらどう思われるか」を気にして肝心な事を言い出せない私が、はっきりモノ申す事ができた事だ。これは”我意”が消えた証だと、喜んだ(まだ十分ではないが)。

総指揮者との話が終わり、言い忘れた事があったため何度か部屋を出たり入ったりしていると、顔がくしゃくしゃになるほど微笑みながら、「神様がついているみたいだね。大丈夫だよ」とニコニコと言われた。長い修行生活を通して彼らには一人の人間の神意の入り具合が直感的に分かるのだろう。この言葉を頂くために、私は行ったのかもしれない。

最近こんな話が堂々とできるようになった。目に見えないものが存在するという確たる証拠はないが(あるはずが無い)、あるのかもしれないと思う人が多くなったようだ。科学者たちが発言し始めたこともあるだろうが、私の周りには目に見えないものについて自由に話せる空気がある。最近音楽の世界で知りあった30代の青年たちにもその空気を感じる。





読書  12/22

 
    本は時に子供に安定の根を与え
 時にどこにでも飛んで行ける翼を与えてくれるものです。

  この根と翼があるからこそ
   人は自分と周囲の間に、あるいは自分自身との間に
    橋をかける事ができるのです。

読書は人生のすべてが決して単純ではない事を教えてくれました。
 人とは何か、人と人が作る社会とはどういうものかを考える機会を与えてくれました。

              美智子皇后





冬至 12/23

昨日は2014年の冬至。新月と重なる冬至で、19年に一度訪れる「朔旦冬至(さくたんとうじ)」と言われるおめでたい日らしい。気のせいか、朝の光に普段より華やぎがあった。
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古来、冬至は極限まで弱まった太陽が復活する日、すなわち「復活の日」とされてきました。太陽と月の復活の日が重なる朔旦冬至は、非常におめでたい日だとされ、古来朝廷では盛大な祝宴を催したといわれています。(ネットから)
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この朔旦冬至日に大学地域OBゴルフ会の忘年会が開かれ、この日に忘年会をした事は大変喜ばしい事だと話された方がおられた。人間が宇宙の中心だと思っている人には関心外になるだろうが、太陽、月、惑星の位置は生きとし生けるものすべてに影響を及ぼすと思う。”非常におめでたい”のはその冬至の日だけなのだろうか。続くと良い。

忘年会も、数年前には12,3件抱えていた事があったが、闇の長い12月は人の中にいたかったのだろう。歌づくりの世界に浸り始めてからは心が満たされ、波動の合う人達が多いところだけに顔を出す様になった。そう言うところがあるという事が実にありがたい。気心が分かるようになったのか、冗談を冗談として言える、そして冗談として受け取られる関係が作られて来ているように思う。

皆さんに喜んで頂こうと、これまで歌った事のない歌を一曲覚えて行った。ちあきなおみが歌った「冬隣」。この歌以外にも色々歌ったが、参加者の一人が、「やはり演歌が一番合っています」と言う。昔身近にいた人が同じ事を言っていた。淋しい歌、哀しい歌もおそらく同じように人を幸せにするのかもしれないなぁと思ったりする。もう一つ、斎藤和義の「歌うたいのバラット」も歌ったが、こちらは場の空気が全く違って、バンドでベースを弾いているという人以外は耳を貸す人さえいなかった(あはは・・)。

そして今日は年末行事の年賀状書き。一人一人の顔を浮かべながら印刷してゆく。今年も沢山愛を頂き、感謝する人が増えて印刷する枚数も増えた。うれしい。この愛を回して行かなければと思う。しずこの作る歌は「愛が溢れている」と言った人がいたが、私自身が愛を沢山感じるからだろう。

   
  え? 真っ赤な太陽?12/24

「どんな感じ?」
「美空ひばりの"真っ赤な太陽"の雰囲気になりました」
「え?!美空ひばり?真っ赤な太陽?(*_*;・・・・・・・えええっ、一体どんな感じになったの?あはは、あはは~。すっごい楽しみ!」

「世間に近づいて」のアレンジに関わってもらっている井川君からの連絡。井川君のアレンジは面白い。始めてお願いした時は、「太陽は照り雲は流れる」だった。かなり忙しそうで、最初にお願いした時は3カ月先だと言っていたのに、押しの強さでとにかく歌詞とメロディーを送ったら、5分後にニコニコと電話がかかって来て、1ヶ月後には上げてくれた。そのアレンジも、30代の彼にしては大人っぽく、何か底明るさがあって私は直ぐに何かに包まれたような気になった。

そして2作目が「世間に近づいて」。私にはこの楽曲が一体なぜ「真っ赤な太陽」になるのか分からない。もちろん彼は和音の世界にいて、私はメロディーの世界にいる。で、今朝3時30分に送られて来た音源を聴いた。思わず心から笑った。おもしろい。おもしろいものは最初の1小節だけで心を躍らせる。メロディーの後ろの和音を聴くと、確かに「真っ赤な太陽」。あははは・・・

彼は私の思いつかない事をやってくれる。「太陽は照り雲は流れる」の時も、ある4小節のメロディーをもう一回繰り返したら良いと提案。その提案に合わせて私は歌詞を追加すると、より面白く生き生きとして来た。で、今回「世間に近づいて」で彼が何をしたか。歌の一番最後に9小節のコーラスを入れたのだが、メロディーの候補を2つあげて、どちらが良いか彼に意見をメールで訊ねると、そのメールに対して返信は無く、私の許可も無く、なんとその2つをくっつけて18小節のコーラスにしてきた。それが何とも生きているのだ。「最後はば~っと盛り上げたかったので、あははは」と、彼。

そのコーラス部分はDメロになるのだが、その前のCメロ2回連続繰り返しの私の指示は無視、1回だけにして、Dメロを効かせた。

「Cメロは続けて繰り返すようにしたのだけれど、そこはどうしちゃったの」
「あ、忘れました。あははは・・・」
「(キョ・ト~ン)確かに、Cメロの繰り返しが無くて、Dメロが大きくなって、バランスが良いように思う。音楽的にそうしたの?」、
「はい。もう2回繰り返しているのでこのCメロは3回要らないかな。」

実は彼に始めて逢った時、私はその弾力性、柔らかく弾むクッション性のある筋肉を感じた。自分の中の”ねばならぬ”の窮屈な世界にいない。彼のアレンジがそのままその弾力性を表している。こんな面白い発想、そして勝手さを持つ人は血液型がB型に違いない。もちろんB型にも色々あるが、これは絶対B型だと思って尋ねると、ピンポ~ン。

「世間に近づいて」だけは、ピアノカラオケだけではなくフルアレンジにしようと、1月中旬をめどにあげてもらう事になった。このフルアレンジはきっと面白いと思う。うわ~(●^o^●)

井川君とはBBQパーティで知り合った。駅で6人が待ち合わせ。初めてみる井川君がどういう訳かずっと私と並んで歩いた。神様が逢わせたんだなぁ。私が待っていたようなアレンジャーだもの。コラボをしてもっと良いものができるって、最高。構成を勝手にいじってもらう、これはアレンジャーの仕事でもあるけれど、こちらが言った事をそのまま杓子定規のように崩さずに作る人もいる。勝手にやってもらって、よりいいものができるって、感動!

追記:あら、今日はクリスマスイブじゃない!





ひとつ良ければ 12/24

上に書いた井川君のアレンジからも言えるが、おもしろいものを作る人は、おもしろいものを作る素があるから、また面白いものを作る。その逆も然り。最初の一つが凡庸だったが、次のものは違うかもしれないという期待は大体裏切られる。

久米宏が仮想書店の店長となって著者とトークをする番組がある。そこでも同じ事を言っていた。最初の数ページ読んで面白くない本は最後まで面白くないですよと。それは言える。私の場合は、読み始めたら最後まで読まなければ、何かやり残しの仕事があるような気がして、すっきりしない。投げ出したところからおもしろい話が書かれてあって後で悔やむのも嫌だ。だから頑張って大体最後まで読んで、こりゃダメだと納得する。。最近読んだ浅田次郎の「神座す山の物語」もそうだった。”神"と言う言葉にくすぐられて、今に何か言ってくれるだろうと読んでいたが、部屋の中に亡霊が出てくるかもしれないと寒気がしただけ。いわゆる幽霊の話。時々飛ばして読んで頑張ったが何も無かった。ま、浅田次郎は三島由紀夫に傾倒したというから、おもしろいものは出ないはず。文体に凝るだけ(辛口でした)。著者のレベル以上のものは出て来ない。アレンジもそうだ。

と、ここまで思ったら、はたと気がついた。私の最初のCD2枚からいい曲を書くに違いないという想いがメディアの一人に生まれたということ。な~るほど。。。。(おい、鼻息が荒くなったぞ)。





パフォーマンス賞 12/27

のど自慢大会に出演した。プレヤーの機種が違うと、こうも違うのだろうか。自作曲のカラオケを持参したが、自宅で練習している時よりキーが低く、その分テンポが遅くなっている。出演者の音合わせが無く、本番一回きりなので、舞台に上がってしまったらやり直しもできない。かなり低かったようで、声を出すのがやっと、それに遅いから息継ぎが大変。歌いながら焦り、声が震えているのが自分でも分かった。なんだろう、あれは。私の前の人が通信カラオケで歌いそのテンポを低くしていたので、それをそのまま引くずった?でも、そんな事ってあるの?とにかく歌い終え、パフォーマンス賞を頂いた。

今回の出演は誘われた時から躊躇らわなかった。録音済みの音源だけ聴いて頂くのではなく、それを歌う私の全てを見て頂ける訳だから、何かがあるかもしれないと思っていた。様々な経緯があって、1週間ほど前、この大会の主催者が提供しているレコーディング・サービスに興味があり電話をすると、転送されて話した相手はここの社長だった。レコード会社から受注してCD制作、アーティストの育成もしている。最初から社長と話す事ができた事、事務所は私のマンションから徒歩圏内、割安のレコーディング・サービス・・・ワワワワ、これは何かあるぞ。後で分かった事だが、お抱えのアレンジャーもいる。

そして今日、開始前、その社長(審査員長)に挨拶に行くと、その横に審査員として年配の方がいらした。少し気になった、できそう!

持参した私の選曲は。ランバダのリズムで書いた自作曲「この国にもう一度生まれたい」。袖から踊りながら出て行った。大ホールの舞台の半分以上を使い、オリジナルを審査員にも観客にも笑みを絶やさず動きなら歌うのは、なかなかできる事ではない。これがパフォーマンス賞を頂いた理由だと、その”できそう”な方が話される。

引きあったのだろうか、帰りのバスで私の後ろからその審査員が乗って来られた。内心私もそうならないかと思っていたので、心が飛び跳ねた。彼はシンガーソング・ライターのプロデュースをされると舞台で紹介されたが、そのシンガーソングライターとは、忌野清志郎、井上陽水、松山千春だという。忌野清志郎とは13年、松山千春とは8年、彼らのデビューから手伝ったらしい。井上陽水に関してはレコーディングマネージャをやった形跡がネットに出ていた。松山千春の場合は、自ら北海道まで逢いに行かれたらしい。決断力と情熱のある人なのだろう。そんな方が私に興味を持って下さったようだ。できる方は直感力がすごい。「これまでマネージャの仕事もずっとやって来たのだから、5分話せば(どのような人間だか)もう分かるよ」と言われる。歌の審査員を務めたのは今回が初めてだと言う。その初体験で大変印象的だったのが私のようだ。私もどうにか御縁をつなぎとめる事ができたらしい、彼に楽曲を送って聴いて頂くようになった。

これまでも某メディアのディレクターが関心をよせてくれていたが、私にプロデューサーが付いていない事を残念がっていた。これも飛躍か。




消えないうちに 12/29

印象に残るメロディーの作り方が解って来て、今年5月以前に作った楽曲をすべて見直し、その多くを書き直している。切っ掛けは、ニコニコ動画で見た浅倉大介君がくれたヒント、そして来年のライブにリクエストされた斎藤和義の「歌うたいのバラット」。この「歌うたいのバラット」とちあきなおみが歌った「冬隣」を練習していると、前者の曲が頭の中で何度も鳴っている。私が通常歌うものとリズムが違うので、何度も練習していた事もその理由だと思うが、譜面を見て・・・なるほど~!

リクエストに答えるところは、最初の間奏が入る前までと言う事で了解を得たが、この大変長い楽曲の譜面をみると、サビのフレーズは歌詞を変えて6回繰り返されている。これじゃぁ、覚えるよねぇ、いつまでも頭の中で鳴る訳だぁ。中島みゆきの「空と君の間には」はサビが5回鳴らされるが、「歌うたいのバラット」は聴かせどころのサビ前のメロディー(Aメロ)も数える気が起きないほど何度もあちらこちらで繰り返される。長い歌も歌詞を違えて同じフレーズを何度も使って作る。顰蹙を買われる言い方かもしれないが、歌づくりってこんなに簡単なのかと、気が抜けた。

考えてみると、確かに難しいわけが無い。いい歌かどうかは別として、世界では毎日数えきれない楽曲が生まれているのだから。

それで、これまでの自分の楽曲を見直し、気に入ったフレーズを繰り返してみると、なんとも華やぎが出てくるし、調子がよい。今までのしっとり感が欠如する部分もあるなぁ、どっちが良いのだろうといつもの事ながら悩むが、許される時には、周りの人を手当たり次第に捕まえて「ね、どっちがいい?」。この「どっちがいい?」を聴く相手として最もいいのが、作曲のインストラクターなのである。いつかバンドを結成すれば、仲間に訊けるかな。

その見直しの作業に数日を費やし、一休みして、吉田拓郎がパーソナリティーを務める番組を見ていると、ハタと新曲のテーマが私に着床した。タイトルは「別れてありがとう」かな。仕掛け中の2曲があるのだけれど、どうもこちらが先らしい。消えないうちに書こうと、直ぐにパソコンに向かい、歌詞のベースになる物語を入力した。着床した時、直ぐにメモる。外にいる時には携帯電話の録音機能を使う。

日夜歌づくりの世界にいる。その幸せと豊かさに心から感謝している。




ギターの買い替え 12/30

午後にジムの友人達とカラオケをやろうと、料理が美味しいとネットで評判のいいところを見つけて行ったが、機種がその店独自のものでDAMやJOYSOUNDではない。他のものと比較すると、DAM/JOYSOUNDがいかによくできているかが分かる。この店の機種はひとつのリモコンの中に全ての必要機能が盛り込まれていない。キーの上げ下げには別のリモコンを使うし、タッチパネル式だがタッチしても入力が速やかに行われない。操作にかなり時間がかかり、”おばさん"達は嫌になってしまい、カラオケを止めておしゃべりになった。店が自慢しているだけあって、料理が美味しい。それぞれ2,3曲歌って食事を楽しんで出て来た。

そのカラオケに行く前に、楽器店に行ってギターの健康診断をしてもらったが、色々問題を抱えているらしく、修理に6万円弱がかかると云う。それなら新しく買った方が良いんじゃないですがと勧められ、更に話を聴くためにカラオケの帰りに立ち寄った。弦を緩めないままで置いておくとギターのネックが反ってしまうと云う話は、ギターを使い始めた時に聴いていたが、「大丈夫ですよ」と言う意見もあり、横着な私はそちらに期待した。するとネックが反っただけでなく、ネックの付け根のところも浮いて来ているし、内側の板も壊れているとか。

さて、新しいギターを買うか買わないか。今日楽器屋に引き取ってもらったギターは頂いたもので、頂いたからこそ使わなければと、レッスンも取ったりしたが、どうもギターを手に取ろうとする時間を私はなかなか作ろうとしない。やりだすと楽しいのだが、より積極的な行動は本を読んだり歌を作る事に向かう。曲作りはピアノを使う。だが、気を入れずにのんびり習っていても、鳴らそうとすれば鳴るまでになったので、このまま放棄してしまうのももったいない気がする(私はいつもこのように迷っている)。それで、新しいギターを買う動機が今いちはっきりしない。

楽器店は買わそうと特別価格を出してくる。「必ず今日買って行かれるなら特別価格を出します」とまで言う。輸入ギターの代理店が出せる卸価格だと云うが、じゃ、その価格はいくらですかと訊いても、言わない。変な商売だなぁ。やっと訊き出したその価格を帰宅してネットで調べると、ギターの値段はかなり曖昧。この卸価格より安いところもあれば、高いところもある。取りあえず、少し休憩することにした。




本人の意識はないが 12/31

昨日「世間に近づいて」の譜面が井川君から送られてきて、また新しい事に気づいた。私が作ったBメロは6小節なので、次のCメロに行く間に2小節小さな間奏を入れてもらって8小節になればいいと、インストラクターから言われた。現在手伝ってもらっている3人のアレンジャーの内の別な一人もこの8小節単位に大変拘る。「忙しいからもう1小節間奏を増やしてくれない?」「もう一つ増やすと奇数になってしまうから」という(8小節は偶数だものね)。

「世間に近づいて」のBメロは6小節だが、井川君の譜面を見ると、なんと7小節になるようアレンジされている。奇数だ。????。。。早速彼に訊くと、

「感覚です。Bメロの小節数は6個ですけれど、これ、6小節目には音が一つしか入っていませんから、実際は5小節なので、2小節足して7小節にしました。8小節に拘る人がいますけれど、僕は拘りません。」

そして、井川君。「このCメロ面白いんですよね。変拍子みたいで。3,4,3,2・・・なんですよ。J-popにはこう言うのは無いんですよ。」そう言えば、以前に西さんも「愛のいとなみ」を作った時に、「これ名曲だよ。それに、おもしろい、全体が4拍子で始まって3拍子に行っている。」と言っていた。本人の私には全く意識なし。自然に出て来るものの中で気に入ったものを使っているだけ。

全く意識していが、私のメロディーは個性的なのだろうか。音楽を専門に勉強した訳ではないから自由につくっている。だから、処理できるアレンジャーは柔軟性のある人、理論より感覚を大事にする人でなければならないのかも。




一年ありがとうございました 12/31

「歳を取ると1年が速いのよ」と聞いていたが、実に速い。今年は何をしたのだろう:大きな事は二つ。

15曲ではない、たった今、夕方5時前に完成した「別れてありがとう」を含め16曲の歌を書いた。何度も繰り返し書いて来たけれど、ただ頭の左側に降って来たものや、突然眼の中に入って来たイメージを形にしてるだけだから、頭を悩ます事がほとんど無い。少し悩む事があっても必ず答えがある所に誘われる。だから1年に16曲も書けた。すごい世界に入らせて頂いたんだなぁと、感慨ばかり。

その中身を見ると、同じ種類のものがあまり無い。「シンガーソングライターは大体似ている歌を書くのですが、(しずこのは)全部違いますね」と言われるが、確かにヴァラエティー豊かだと自分でも思う。だから有名なシンガーソングライターに付いて言われるスタイルと言うか、その人固有の節回しがあまり見えない。書いている時に別な曲と似ていると思う時には変える。同じ節回しにするよりも、新しいフレーズにチャレンジをした方が面白い。スタイルを持つのがアーティストだと云う人もいるが、そのように限定する必要はないと思っている。人間が勝手に作る定義に自分を押しこめようとは思わない。

それともう一つはグリーンランドとアイスランドに行った事かな。特にグリーンランドでは、余程心が解放されていたのだろう、私の心は喜びでいっぱいだった。そして最終日には「世界を君のふるさとに」が出て来た。この歌は、私の代表作の一つだと自負している。評判も上々。あちらこちらで、「千の風」と比較する人がいる。そういえば、今年の1月1日、ベル―の海岸を歩いていた時も、「この国にもう一度生まれたい」のメロディーのヒントが生まれたっけ。まだ見ぬ世界への旅は私を常に育ててくれる。これまでもそうだったし、これからもそうだろう。また渇いたら旅に出かけよう。

2015年、訳の分からないわくわく感が2014年の最後の日に、今年最後の16曲目を書いた私に漲る。暮れだと云うのに明日は正月だと云うのに、一人でいるのに、このわくわく感。なんだろう。ひとりでにニタリと笑いが零れる。そして、もう一人の私がニコニコと私に話しかける。「しずさん、すごいね。よく此処まで来たね。」うれしい。

人生に起きる善き事も悪しき事も、全て善き事へと誘う出来事。皆様、どうぞさらに喜びのある年をお迎えください。1年間、しずこを気にしてくださり、ありがとうございました。